ユラン平原会戦

 

序、戦いの前に

 

ユラン平原。

ミズガルド最大の人間国家ブルグントの北部に存在する大草原で、起伏のない地形がどこまでも広がっている場所である。歩いていると四方が地平になる事も珍しくないほど見晴らしが良く、草木も背丈が低いため、奇襲どころか身を隠すことはほぼ不可能。

目印がないため迷いやすく、過去には多くの旅人が事故にあった。このため、百年ほど前に、当時のブルグント王によって迷子を防ぐために複数の目印となる塔が建設された。今でも塔は健在で、草原の名物となっている。

広大で肥沃な草原であるため、ブルグントの弓と並ぶ主力の一つ、軍馬を育成するための戦略拠点として長年大事にされてきた。大量の牧草が毎年かり出され、戦略物資として管理されている。また何カ所かに砦が建設され、牧場を守るために、一個軍団が常駐して警備に当たっているほどだ。

ブルグントの軍馬のおよそ半数が、此処で生産されている。それほどの一大拠点なのである。

その広大な草原が、狭く見えるほどの大軍勢が、今。

集結しようとしていた。

北には、巨神の軍勢。整然と陣形を組み、上空には巨大戦艦ナグルファルがその威容を見せつけている。

南には、ブルグントの主力部隊六万。

敵と同じように、横陣を組んで、激突の瞬間を今か今かと待ち受けていた。

ブルグント王グンターは、軍の最前列で、黄金作りの鎧を纏い、立ち尽くしている。

既に老境に入っている王だが、足取りもしっかりしていて、背筋も伸びている。すぐ側では、騎士団長ハーゲンが、敵の大軍勢に鷹のような視線を射込んでいた。

ラーンは緊張する。

フレイが側に置いていると言うことで、砦の司令官から紹介されて、こんな所で警備をする事になってしまった。

しかもフレイは、鷹になって敵を偵察に行ったきり、戻ってこない。

騎士団長は王と、様々な話をしている。

いずれもが戦の話ばかり。ラーンには、正直退屈なことも多かった。

後で聞いたのだが、ラーンが放った矢が、あの巨大な怪物、アウズンブラの急所に致命打を与えたらしい。

フレイはそれで随分褒めてくれた。

それは大変に嬉しかったのだが、近しくなればなるほど、分かってしまうのだ。フレイは、ラーンのことを性的な相手としては見なしていない。恋をするどころか、おそらくとりつく島もない。

だが、諦めない。

これほどの好機は、おそらく二度とない。そして奇跡を起こすためには、積み重ねが必要なのだ。

今は、この警備任務を、しっかりこなす。それがいずれは、積み重なって、奇跡を生むと信じる。

「フレイ様の情報によると、あの大型の巨神一体につき、およそ千体の巨神がいるそうです」

「なるほど。 それで敵の数が算定できるな」

「現時点で、大型の巨神が八十七体確認されています」

つまり、敵の兵力は、八万を超えると言うことだ。

味方よりもだいぶ多い。しかも、人間が八万いるのではない。あの化け物、巨神族が八万いるのだ。

此方にはフレイ様がいる。

フレイヤ様は気にくわない所もあるが、神様で、何より実力が確かなことは、ラーンも知っている。

二人とも、人間が束になっても叶わないほどの使い手で、戦に関しての知識も経験も豊富。

それでも、巨神族を前にして恐怖がせり上がってくるのは、否定できない。

今まで、砦での戦いで、散々苦労してきたこともあるだろう。防衛施設に依る事で、どうにか凌いできた相手の猛攻を、平野での決戦でどうにかできるとは、ラーンには思えないのだ。

ましてや巨神族の総数は百万と聞いている。

此処で仮に敵を全滅させることができたとしても、敵はまだ大半が健在なのだ。味方の消耗を抑えて勝つことが、本当にできるのだろうか。

ましてや負けでもしたら、ブルグントは詰みかねない。

冷たい風が北から吹いてきて、ラーンは身震いした。

他の兵士達も、顔を見合わせている。

「何だ、今の風……」

「夜にでもなったみたいな寒さだったな」

「静かにせい」

ハーゲンが鋭く叱責すると、皆黙り込む。

これをなだめるのがグンター王だ。

「ハーゲン、まあ良いではないか。 確かに妙な風であった。 ただの偶然であればよいのだが」

「は。 何しろ今はラグナロクでございますれば」

「うむ……」

ハーゲンは、ラーンが見たところ、意図的に憎まれ役を買って出ている節がある。まだ若いというのに、大変なことだ。

叱責したり、監視したりと言ったことは、自分が引き受けることで、王への悪評が集中することを避けているのかも知れない。

実際には、グンター王も、ハーゲンと同じ意見のことは多いのだろう。

偉い人は、色々と気を遣わなければならない。

愚かな王様なら兎も角、グンター王は、自分が誰よりもいろいろな人に見られていることを、良く理解しているのだろう。

それが国全体に、どれだけの影響をもたらすのかも。

「伝令!」

騎兵が来て、グンター王の近くで下馬した。

まだ若い兵士だ。

伝令には、戦術眼のある下士官がなるとラーンは聞いたのだが、そういうエリート兵だろう。

「偵察の騎馬隊より連絡です。 やはり北の民の指摘通り、馬は巨神の臭いをかぐだけで怯え、まともに行動できない模様」

「やはりな。 作戦を根本的に変える必要がある」

「如何なさいますか、陛下」

「神々に意見を仰ごう。 それと、各軍団の長を集めて欲しい」

ハーゲンが、すぐに動く。

敵まで、まだだいぶ距離がある。これから、退屈極まりない軍議が開かれるのだと思うと、ラーンは憂鬱でならなかった。

 

手をかざして人間の軍勢の様子を見ていたフルングニルは、敵の騎馬隊がこそこそ動き回っていることに、最初から気付いていた。

おそらく、入れ知恵があったのだ。

敵の部隊が引き上げていく。

それを見届けると、フルングニルは軍に戻った。

既に、フリム王が来ている。巨神の主力部隊は次々に南下を続けており、確保した路を確実に通って、展開していた。

「フルングニルよ、作戦に変更を行うというのは、本当か」

「は。 まずは此方を」

空中に、魔術で立体映像を造り出す。

慌てる馬をなだめる敵の偵察兵の姿が映し出されていた。

「誰の指摘かは分かりませんが、敵は騎兵が我らの前には役に立たないことを、おそらく見抜いています。 もしも用いるとすれば突破戦力ではなく、陽動か牽制で、であるかと」

「なるほど、敵の騎馬隊突進力を駆使した作戦は、ないと見て良い、というわけであるな」

「まず間違いなく」

他の巨神軍幹部にも聞かせるように、フルングニルは床几の上に置かれた軍図に、指を走らせる。

敵の数は此方よりも少なく、しかも非力な人間。

そういって侮ることがないように。仮に侮っても勝てるように、フルングニルはお膳立てしなければならない立場だ。

「そこで、我々はこの地点に戦力を集中いたします」

「ふむ……」

意図を説明すると、フリム王は唸る。

リスクは小さい。ほぼ確実に勝てる。

その二点については、フルングニルは保証できる。巨神族の誇りを、汚すような戦術も使わない。

「人間を相手に、此処までする必要はありましょうか」

おそらく、フリム王の意思を察したのだろう。

味方の将軍の一人が言う。

フルングニルは、既に返答を準備済みだ。

「勿論ある」

「巨神族に名だたる勇者である貴方が、人間を怖れておいでか?」

「恐れてはいない。 侮っていないだけだ」

フレイとフレイヤは、確かに見事な働きをしていると、フルングニルは思う。

だが、それ以上に問題なのは、人間が想像以上の粘りを見せている、ということだ。

砦を奪取する作戦でも、人間共は被害を最小限に引き上げ、丁寧な撤退を成功させた。また、砦の攻防戦の間も、人間の動きは見事であった。戦闘も何度か視察したが、いずれの場合も奴らだけで、侮りがたい被害を此方に生じさせている。

勇気ある人間も多い。

シグムンドという人間などは、フルングニルを怖れず、質問さえしてきた。

更に、人間が組織的に反撃してくるのは、間違いなく此処からだと、フルングニルは考えている。

「貴方がそこまで言うのであれば、我らも気を引き締めなければなりませんな」

「うむ。 本当は魔術兵団も投入したかったのだが、連中はまだ遅れているか」

「会戦には間に合わないか、間に合っても後詰めにつくのがやっとかと思われます」

「そうか、ならば当てにせぬ方向で行こう」

フリム王を見ると、大きく頷く。

どうやら、作戦には承認が下りたようだ。

フルングニルは、皆を見回すと、作戦開始前の、最後の説明を行った。

「フレイとフレイヤというかなり強い神が出張ってきてはいるが、まだアスガルドそのものは、ラグナロクに対して介入をはじめていないも同然だ。 連中の主力であるエインヘリアルは出てきていない上、主戦力となりうるトールやテュールも出てきていない。 逆に言えば、敵の動きが鈍い内に、勝利を決定づける必要がある。 此処は確実に、最小限の被害で、敵を蹴散らす」

この戦場で、一気に勝負を付ける。

可能であれば、人間の継戦能力を消失させる。

ブルグントは調査を検討する限り、相当な組織力を持った国家だ。個々の人間は強いが、たいした組織力がない北部ミズガルドの連中とは根本的に違っている。

逆に言えば、ブルグントの軍を叩いておけば、連中の反撃はほぼ不可能になる。組織そのものが瓦解すれば、もはや恐るるにたりないとも言える。

「以上だ。 何か、質問は?」

「いえ、流石は勇者殿。 卓越した見識には感服する次第」

「これならば、必ず勝てましょう」

追従の声には、あまり興味が無い。

懸念していた騎兵の長、スリヴァルディは、ずっと沈黙を続けていた。騎兵は今回の戦いで、主力となる。

作戦で、それは説明済みだ。故に、何も文句は無いのだろう。

スリヴァルディは、暴れる事だけを求めてきた。今余計な事を言えば、その機会さえふいにしてしまう。

反対意見が出ないことを確認し、フルングニルは最終判断をフリム王に仰いだ。

「陛下」

「うむ。 まずは此処で決定的勝利を収めることで、ミズガルドを制圧する。 アスガルドを叩く足がかりを得るために、皆尽力せよ」

「ははっ!」

立ち上がった巨神軍の幹部達が、敬礼した。

後は、作戦が機能すれば、問題なく勝てる。不安要素はフレイとフレイヤだが、最悪の場合は、フルングニルが打ち倒す。

幹部達がみな去った後、フリム王に一礼して、フルングニルはその場を後にした。

神々が仮にこのタイミングで介入してきても、対応できる。

今のところ、状況という名の盤面は。完全にフルングニルが掌握していた。

 

1、ユラン平原燃ゆ

 

どうにも慣れない味のパンを口に突っ込むと、シグムンドは与えられている宿営から出た。

北の民が使う木の家ではないが、若干それに近い。布を使って作られている小さな三角形の家で、中に二名ないし三名が入る。雨露はそれで凌ぐことができるし、持ち運びも簡単だ。

本当は、シグムンドやヴェルンドには、もっとよい宿営を用意するという声もあったのだ。

だが、敢えて断り、この宿営にした。他の北の民の戦士達も、これで我慢しているのである。シグムンドだけが楽をするわけには行かなかった。

砦を放棄して、フレイヤ達と合流したとき、心底ほっとした。

アネットも無事であったし、殆どの戦士達が生きて戻ったからだ。実際には、さほど激しい戦いにはならなかったらしい。砦を放棄するのは最初から半ば決めていたことだし、後は柔軟に動いただけだそうだ。

南下して、近くまで進軍していたブルグント軍と合流。

グンター王にも会った。

グンター王は髭も髪も白い老人だったが、目に強い光が有り、背筋もしっかり伸びていた。若い頃は戦士として名をはせたのだろうと、動きを見るだけですぐにシグムンドは判断できた。

軽く話した後、巨神族についての話をして欲しいと言われ、ブルグント軍の幹部達の所に連れて行かれた。

フレイが一緒でなければ、連中はどれだけ此方の話を聞いただろう。

証拠物として、巨神の腕や指、使っている棍棒の一部などを提出しながら、連中の戦力について説明。

難しい会話が必要な場面では、ヴェルンドが代わりに交渉してくれた。

巨神軍、およそ百万。

更に、巨神だけではなく、空を舞うリンドブルムという戦力も有している。

先にブルグントの王都に、リンドブルムや、シグムンドがまだ見ていないサソリのような魔物が襲来しているという。

故に彼らは、頭から馬鹿にすることはなかったが。

しかし、やはり北の蛮族という侮りはあるようだった。

不快な場面も多い会議が終わった後、宿営を用意してもらった。同じ宿営には、ヘルギが入っていた。

横になると、さっそくヘルギが不満を言う。

ヘルギは、話すのは苦手だと言って、先ほどの会議にはついてこなかった。

「何だか、一兵卒みたいなあつかいじゃねえか?」

「気持ちは分かるが、我慢しろ」

今は、人間同士で争っている場合では無い。

兵士達と同じなら、むしろ対等な扱いと言うべきだ。砦で一緒に戦って見て分かったが、ブルグントの兵士も、北の民と同じ人間だ。

此方が不当によい扱いを受けていれば、不快にも思うだろう。

我慢すればいい。

「それに、巨神共とめい一杯、思う存分に戦える。 それで良いだろう」

「まあ、確かにそうだけれどよ……」

パンだけではない。水もまずいと、ヘルギは言う。これに関してはヴェルンドも同じ事を言っていた。

今のうちに愚痴ははき出させた方が良いなと、シグムンドは判断。適当に相づちをうちながら、いとこに文句を言わせる。

「何だか、硬いんだよ、水が。 水そのものっていうか、味が」

「そうだな、独特の悪い後味がある」

「フレイや、フレイヤはどうしてるのかなあ」

「話が急に飛んだな」

飛んでいないと、ヘルギは言う。

一度だが、フレイヤが造り出した氷の魔弾をかじる機会があったのだという。あの、高速で飛んでいって、巨神やリンドブルムを蜂の巣にしている恐ろしい奴だ。溶けかけのを一つ、拾ってきたのだとか。

かじってみたら、とにかくとんでも無く美味しかった、というのだ。

「きっとフレイヤ、凄く美味しい水を造り出せる筈だぜ。 造って欲しいなあ……」

「今度、頼んでみろよ」

「そうするわ。 これじゃあ、士気に関わるからな」

もう寝ろと言って、その日は話を切り上げる。

そして、朝だ。

まだ、ヘルギは寝ている。疲れが溜まったのだろう。寝ていても、問題は無い。

宿営の外に出ると、ヴェルンドが来た。やはり、北の民の不満が溜まりはじめているという。

「砦の連中は、戦っているうちに打ち解けたが、今度は数が数だ。 俺たちを露骨に侮っている奴もいて、何度か喧嘩にもなった」

「ああ、見ていた。 俺も止めたが、お前も」

「今は人間同士で争っている場合では無いからな」

それに、単独では北の民とブルグントの民では、戦闘力が違いすぎる。喧嘩になったら、下手をすれば相手を殺してしまうだろう。

今の状態では、極めてそれはまずい。

フレイはどうしているか知っているかと聞くと、ヴェルンドは頷いた。

「よく分からんが、陣形を見に行くらしい」

「味方のか」

「ああ。 敵が何だか不可解な陣形を組んでいるとかでな」

地面に、ヴェルンドが図を書き始める。

横一線の方は、ブルグント。六万の兵が、戦塔を中心に二百名ずつの単位となって、柔軟に敵の攻撃を捌く陣を組んでいる。

これに対して、巨神軍は。

シグムンドも、ぎょっとした。

敵陣左側、こちら側から見て右側が、著しくつきだしているのだ。そのまま前進すれば、こちらの右翼方面がいきなり衝突する事になるだろう。

「何だこの陣形は」

「斜線陣というそうだ。 何でも、つきだした所は兵力にものを言わせて敵を蹴散らし、後は端から順次切り崩していく、というものらしい」

「奴らは馬鹿じゃあないと思っていたが、凄いことを考えるな。 対応については、どうする」

「この斜線陣に対しては、フレイヤが当たるそうだ」

大火力で敵を牽制して、斜線陣の厚さを陳腐化するという事か。確かにそれは理にかなっているが。

どうも嫌な予感がする。

それは、フレイヤが敵の裏を掻いたと言うよりも。敵の筋書きに載せられた、というべきなのではないのか。

更に、巨神の難敵としては、あの騎兵がいる。

連中は、馬よりも速く走る、非常に危険な相手だ。対応策を練らないと、歩兵の中にでも突入されたら、大きな被害を出すことになる。

ヴェルンドが図を書いて説明してくれるが、騎兵に対しての対策も、考えてはいるようだ。

ただ、本当に上手く行くかは疑問である。

「結局は、俺たちが頑張るしかないって事か」

「俺たちだけで一万は片付けなけりゃあならんからな」

「……そう、だな」

それは、できるような気がする。

だが、他の人間達に、真似ができるとは、どうにも思えなくなってきた。まとまりは、巨神の方がどう見ても良い。連中が仲間割れする様子など、見た事もない。鉄の規律と、鋼の秩序で、奴らは攻めこんでくる。

陽が上がると、他の戦士達も起き出してくる。

自然と北の民は、陣の一角にまとまった。これなら、多少は戦いやすい。砦で仲良くなった兵士もいたが、連中は散り散りに配置されたという。というのも、巨神族との戦闘知識がある者を、各隊に配置したかったらしい。

伝令が来た。

此方を見下している様子は無く、話すときも馬を下りて此方に歩み来た。

「伝令。 敵軍が、動き出しました。 北の民の皆様は、前線に移動して欲しい、とのことです」

「分かった」

「よし、ようやく戦えるな」

此処は、森じゃない。

戦えるとしても、だいぶ勝手が違う。

戦いは一瞬で勝負が決まることが多い。勝手が違う地形だと、それだけで被害を増やしやすいのだ。

いずれにしても、これだけの軍だ。簡単に崩れる事はないと信じたい。グンターも、前に聞いた噂は良くないものであったが、実際に目にするとごく普通に優れた統率者だ。易々と敗れることはないだろう。

宿営地を出て、軍が前進を開始する。

遠くで、喚声が聞こえはじめた。戦いが、始まったという事だ。

 

フレイヤの側には、護衛としてアネットがつく事になった。

以前の戦いで受けた傷は、既に回復している様子で、アネットの動きに問題は無い。ただし、周囲で陣を固めている兵士達の囁きが、どうしても聞こえてきてしまう。

「何だ、あのワルキューレ、まだ子供じゃないか」

「よく分からんが、アスガルドが兵を出し渋っているそうだ。 末席のワルキューレらしい」

「フレイヤ様は素晴らしい活躍を以前見せてくださったそうだが……」

フレイヤとしても、そういった囁きは気分が悪い。

アネットは少し前の砦の戦いで、充分な奮戦を見せてくれた。まだ未熟な所は確かに多いが、それでもいつも懸命に頑張っている。人間達を馬鹿にするような言動も、一切取っていない。

遙か向こう、布陣する巨神の軍勢には、一矢の乱れもない。

最低でも、その数は八万と連絡を受けていた。それに対して味方は人間が六万で、しかも内部には不協和音もある。

グンター王は良く部下達を統率していて、組織としては問題なく動いている。

だが、兵士達の心が一つになっているとは言いがたい。

おそらく、巨神の脅威がまだ分かっていないのだろう。いきなり大規模な決戦を挑んだのは、失敗だったのではないかと思えてくる。

もし、兄がアウズンブラを斃してくれていなければ、この会戦での勝率は文字通りゼロだった。

しかし、今も勝率は極めて低いのでは無いかと思えてならない。

兄は、騎兵に備えて、左翼方面に出向いてくれている。

側にいないことは仕方が無い。これだけの規模の会戦だ。巨神も軍勢を生かして、多角的な攻撃を仕掛けてくる事が予想される。相手があのフルングニルならなおさらだろう。

故に、フレイヤは心細い。

アネットはじっと無言で、敵陣を見つめている。

不安なようには見えない。何度かの戦いで、急速に成長している、ということだろうか。だとすれば、羨ましい限りだ。

頭を振って、雑念を追い払う。

来る前に、ウルズに聞いてみた。会戦が起きるのは、今日昼前。その言葉を信じるなら、そろそろ、と言うところか。

「敵が、動き出しました!」

誰かは分からないが、最初に叫んだのは、多分兵士の一人だろう。

不自然なほどに突出した敵の右翼だけではなく、どうやら敵の全軍が同時に、進撃を開始した様子だ。

今の時点では、リンドブルムの飛影はない。

「塔を守りつつ、敵を引きつける!」

この方面の司令官は、まだかなり若い男で、威厳を出そうと髭を生やしている様子が、却って滑稽になっている。

どうも参謀や補佐の者達が熟練している様子で、それ故に命令にも、力がなかった。

巨神の軍勢は近づいてくる。

どうも妙だ。

アネットが、敵を見つめたまま、言う。

「大巨神と中巨神が、前衛に出てきています」

「通常の巨神は」

「妙です。 著しく、数が少ないです」

どういうことか。

精霊の魔弓を、一度下ろす。これは魔力の消耗が大きい。氷の杖に切り替えようと思った瞬間、状況が動く。

不意に、通常の巨神が、前衛に出てきたのだ。

しかも、此方の態勢が整うよりも早く。殆ど地面にすれすれの角度で、跳躍したのだ。低空からの、まるで地面を高速で走るかのような機動。

障害物がない平原だからこそ、できる事か。

棍棒を振るう必要さえない。

巨神共は、一番小さくても、人間の三倍は体躯があるのだ。

氷の杖から、制圧射撃を行う。だが、全部を打ち落とせるわけもない。一瞬にして、敵陣との距離など、意味がなくなった。

突撃をかけてきた巨神は、兵士達を相手に、猛威を振るいはじめる。

フレイヤは手当たり次第に氷の杖で、周囲の巨神を駆逐するが、そうこうするうちに敵の軍は迫ってきている。

中巨神と大巨神で編制された、屈強な部隊が、だ。

「何だよこいつら! 動きまで速いぞ!」

「た、助けて、助けてくれっ!」

悲鳴を上げる兵士達。

戦塔の、頂上部。牛の頭についている口から、おそらく連発式と思われるクロスボウの矢が打ち込まれはじめる。

流石に大威力で、巨神の動きを止めるには充分。頭に当たれば、屠ることもできる様子だ。

だが、何しろ乱戦である。

敵から、巨神がまた跳躍して襲ってきた。

これでは、大火力で敵の足を止めるどころでは無い。アネットは旋回運動を中心にしながら剣を振るい、敵を斬り伏せ続けているが。何しろ数が多すぎる。

見る間に前衛が消耗していくのが分かった。

フレイヤがどれだけ敵を倒しても、焼け石に水である。戦塔が徐々に後退。パニックになった若い司令官が、反撃、反撃と叫んでいるが、勿論効果は殆ど無い。

気付くと。もう至近まで、中巨神が迫ってきていた。

その体格を見て、兵士達が悲鳴を上げる。

通常の巨神の、更に三倍も背丈があるのだ。大巨神に至っては、その更に倍である。

「増援を要請してください。 これでは、勝負になりません」

「し、しかし」

「早くしなさい!」

フレイヤが強い魔力を声に乗せて命令すると、やっと司令官は周囲に指示を出し始めた。戦塔は奮戦しているが、護衛の兵士達は逃げ腰にさえなっている。明らかに、味方が、損害が多い。

魔力の稲妻の王錫を、地面すれすれに振るう。

巨神だけを焼く魔法の稲妻だ。かなりの数を掃討。焼き払われた巨神が膝から崩れ落ち、頭を失って横転。或いは、全身黒焦げになり、倒れると同時に粉みじんに砕ける。やっと、それを見た兵士達が、士気を取り戻しかける。

だが、中巨神が、すぐ側まで来ていた。

巨大なハンマーが、振り下ろされる。フレイヤは懐に飛び込むと、氷の杖での斉射を浴びせる。

巨神の腹に、見る間に穴が開いていく。

だが、巨神は屈せず、足で踏みつけてきた。飛び退いた所で、横殴りにハンマーが飛んでくる。

盾で受け止めるが、吹っ飛ばされた。

地面で横転して、飛び起きる。

今交戦した中巨神は、倒れてもう動かない。

だが、次々巨神は来る。

アネットが、至近に迫っていた巨神を斬り伏せる。最初は明らかに剣に振り回されていたアネットだが、それでもワルキューレである。急速に、剣の使い方を学んでいるようだった。

少し下がり、王錫を振り回しての援護に廻った方がいいと判断。

氷の杖で近づいてくる巨神を掃射。中巨神の足を狙い、飛びかかってくる巨神を中空で撃ち落とす。

辺りには巨神の死骸が点々としているが、フレイヤが全ての戦線を支えきれる訳でもない。

勢いに乗った巨神は、次々突入してくる。

そして、ついに大巨神が、戦線に接触した。

巨大な棍棒が振り下ろされる。塔を直撃。戦塔が、真横にへし折られた。凄まじい軋みの音と共に、塔が崩れ、兵士が何人か下敷きになる。

大乱戦の中、味方は確実に不利になっていく。元々の力が違いすぎるのだ。更に、人間達は、巨神に対する有効な戦術も学んでいるとは言いがたい。

「増援はまだか!」

悲鳴混じりの声が上がる。フレイヤは無言で魔法の稲妻を辺りにばらまきながら、敵の数を少しでも減らすことに腐心する。

アネットが、また後ろに回っていた巨神を斬り伏せた。だが、複数方向から、同時に中巨神が迫ってきている。

兵士達の中にも、良い動きをしている者はいる。

見かけた記憶がある。砦の戦いで、何度も巨神を押し返したとき、戦っていた者だ。周囲に、巨神の斃し方を教えながら、走り回っている。

「足を狙え! 奴らの弱点は、まず足と頭だ! 小さいのなら、クロスボウで充分に動きを止められる! 倒れたところを、頭を潰すんだ!」

叫んでいる兵士の頭上に巨神が棍棒を振り下ろそうとする。いつの間にか、背後に回っていたのだ。

此処で、あの兵士を失うわけにはいかない。フレイヤは王錫をふるって、支援をする。稲妻が、巨神の左腕を焼き払う。

振り返りざまに、兵士が巨神の足を撫で斬った。巨神が横転して、大木が倒れたような音が響き渡る。

「見たか! 魔力を込めれば、斬れる! 怯むな! 殺せるぞ!」

「大型の相手に集中しましょう」

アネットに言われて、フレイヤも頷く。

敵にこのままでは、良いようにやられるだけだ。戦塔を破壊する能力を持っている大巨神や中巨神を、可能な限り仕留める。

それで、戦線の不利は、少しでも緩和できる。

走り込みながら、まずは前の中巨神に、氷の杖から乱射を浴びせる。足下を凍り付けにされ、穴だらけにされた中巨神が、ハンマーを振り上げた体勢のまま、前のめりに倒れる。

真横。

いつの間にか回り込んでいた巨神が、飛びかかりざまに棍棒を振り下ろしてきた。アネットが、盾で防ぐ。吹っ飛ばされる。

旋回しながら、その巨神にも、氷の杖からの乱射を浴びせる。更に、振り返りながら、後ろから迫っていた中巨神二体に、アウトレンジからの斉射を浴びせた。

魔力が、凄まじい勢いで削られていく。

アネットが立ち上がると、呼吸を整えているのが見えた。

このままでは、フレイヤもアネットももたない。

だが、やるしかない。

「敵、更に接近! 大軍です!」

「ひいっ!」

司令官が、伝令の声に、情けない悲鳴を上げた。

また敵の大部隊が接近している。しかも今度は、リンドブルムのおまけ付きだ。しかし、兄を呼ぶわけにも行かない。

兄は、騎兵に備えるために、待機している。此処でもし兄が動けば、一気に敵が騎兵を繰り出してきたとき、蹂躙される可能性が高い。

消耗が大きくなってきた敵の部隊が引き始めるが、追撃の余裕など無い。

しかも、それと入れ替わるようにして、気力充分、損耗ゼロの敵が押し寄せてくるのだ。悪夢と言うほか無い。

塔を守るどころか、逃げ腰になっている兵士は、真っ先に巨神に踏みつぶされた。

大巨神を視認。走りながら、王錫をふるって、雷撃を浴びせかける。足下を焼かれた大巨神が、棍棒を振り上げた体勢のまま、バランスを崩した。其処へ、戦塔が、大量の矢を浴びせかける。

アネットが飛びつき、頭に剣撃を浴びせて、とどめを刺した。動かなくなった大巨神に剣を突き刺し、フレイヤも魔力を補充する。

既に、周囲の兵士を守る余裕など、みじんもなくなりつつある。

ただし、奮戦している少数の兵士達に教わり、少しずつ味方は敵に対して善戦する者も増え始めていた。

そういった者達は、優先して守らなければならない。

接近してきたリンドブルムが、火球の雨を降らせてくる。それに対応している間に、巨神の軍勢が、戦列を整えて突入してきた。

まだまだ、まだまだ敵は押し寄せてくる。

 

「第七軍団、消耗激化! 増援の要請です! 第八軍団も同様の模様! 戦塔既に七つ消失! このままでは、右翼は崩壊します!」

走り来た伝令が、右翼方面の苦戦を告げてきていた。フレイヤが苦労している様子が、手に取るように分かる。

フレイは、いつでも騎兵が来ても備えられるように、左翼で待機を続けていた。グンター王は、対応できているのだろうか。不安だ。

「あの光景を見ろ! 増援など不可能だ!」

熟練した、顔に多くの皺を刻んだ指揮官が、顎をしゃくる。

眼前には、敵の大軍団が戦列を整えたまま迫り来る様子が、いやになるほどはっきりと示されている。

伝令によると、激突が本格化した右翼では、リンドブルムの大軍も押し寄せつつあるという。

シグムンド達が行ってくれれば、少しは楽になるのだが。

「そろそろ接敵する! 全員、死んでもこの場を死守せよ!」

「応っ!」

兵士達が応じる。

右翼方面では、敵は奇襲に近い戦術を使って来たようだが、此方では堂々と真正面から押してくる。

緊張した兵士達が、冷や汗を流しているのが見えた。

だが、口べたなフレイは、味方を鼓舞する演説などは苦手だ。魔力を込めて喋れば多少の強制力は生じるが、そういった行動には出たくない。

フレイヤの救援に行きたいが、それでは作戦が瓦解しかねない。

敵の騎兵をどうするかが、この戦いの肝なのだ。

作戦会議で、今回の会戦についての方針は決まっている。

基本は敵を引きつけ、その隙に何処か一点で攻勢に出、敵陣の一カ所を突破。背後に回り込んで包囲し、敵を削り、敗走に追い込む。

左右両翼にフレイとフレイヤが廻ったのは、中央突破を容易にするという目的もある。

また、敵が斜線陣を敷いているのが分かった時点で、右翼方面で敵を引きつけ、左翼で敵の右翼を叩いて攻勢に出るという策も提示された。

それらが上手く行かない場合にも、隠し球はある。

騎馬隊については、当初は機動力を生かして敵の背後に回り込み、包囲しての殲滅戦に持ち込むという案もあった。

しかし敵騎兵の戦闘能力と、馬の性質を見る限り、それは不可能とフレイは断言。

北の民も証言を行い、更に実地での結果が裏付けされたことで、案は却下された。

敵が、来た。

無言で前に出たフレイが、拡散式の矢を撃ち放つ。連射して、制圧射撃の体勢に入る。敵はばたばたと倒れていくが、何しろ平原だ。数を頼りに、押し寄せてくる。

まもなく、戦いが始まる。

最初は非常に落ち着いた戦況が続いた。事前の説明通り、兵士達は冷静に巨神に対処している。

「足を狙い、倒れたところで頭を潰せ! 戦塔は中型、大型の相手に集中! 兵士達は小型を処理しろ!」

的確な指揮が行われている。この様子であれば、フレイはどうやら支援を気にせず、自由に動ける。

指揮官はかなりのベテランで、苦しい状況にも冷静に対処している。フレイヤの所は、指揮官もどうやら無能なようなので、余計苦労が増す。

敵の陣容は分厚いが、今の時点では動揺もない。フレイは敵と接敵してからは、新しい剣を抜いた。

つい昨日届いたばかりの、神が鍛えた剣である。前回使っていた剣に比べて若干威力が落ちるが、その代わり射程が長く、魔法の斬撃を想像以上の距離まで届かせることができる。

斬撃には魔法が掛けてあるので、人間には作用しない。

無言で、フレイは一心不乱に剣を振るう。通常の巨神は頭を切り落とし、中巨神、大巨神は足を斬り伏せながら、駆け抜ける。後の処理は、兵士達に任せる。

左翼方面の全域をフレイは走り回りながら、敵を斬り伏せ、黙々と人間達を守る。兵士達は、フレイが来ると歓声を上げた。

「神が巨神を斃しているぞ!」

「俺たちには神がついている! 敵を押し返せ!」

兵士達の士気が上がる。それが、戦果につながっていく。

少しして、伝令が来た。

「中軍から、ハーゲン騎士団長が右翼の支援に廻ったようです」

「うむ……」

中軍は、一番分厚く陣容が整えられている。

もし敵の騎兵が突入するなら、中軍ではないのか。それが最大の効果を示すことができるからだ。

フレイはどうも嫌な予感を覚えていた。

そもそも、フルングニルが、フレイとフレイヤだけを敵視している訳ではなく、人間を評価しているとしたら。

此方が思っている以上に、フルングニルはまともな用兵を行うのではないのか。

右翼の部隊が、少しずつ持ち直していると、伝令が来る。後は、攻勢に出るタイミングを見極める事だ。

フレイは無心に大巨神に突入すると、右に左に剣を振るい、足を斬り倒す。呻きながら前のめりに倒れつつ、それでも棍棒を振り下ろしてくる大巨神。

直撃は避ける。しかし衝撃波だけでも凄まじく、盾で防いでも、かなりの距離を吹き飛ばされた。

リンドブルムが、此方にも押し寄せてくる。

事前に兵士達に、対応策は教えてある。フレイも中巨神と大巨神に集中しつつ、隙を見ては拡散して矢を放つ弓を握った。上空へ、制圧射撃。叩き落とされていくリンドブルムの群れを見て、兵士達が闘志を燃え上がらせる。

「おおっ!」

「さすがは神だ!」

「我らも負けるな! 巨神共を押し返せ!」

兵士達の士気は活火山のようだが、フレイはそれには関与しない。

ただ、黙々と、ひたすら戦い続ける。

フレイヤは、戦士だ。

必ず、難局を乗り切る。そう信じて、この戦場での勝利をもたらすべく、フレイは走る。走りながら、目についた相手を斬る。リンドブルムが密集している地点では、制圧射撃を行う。

対処療法に近いが、そうすることで確実に全体で敵の戦力を削ることができる。時には戦塔の上に駆け上がり、其処からトールの剛弓で敵陣に矢を叩き込んだ。大巨神を一体、そうして仕留めた。

少しずつ、左翼の味方部隊が、敵を押しはじめる。

めぼしい敵を、フレイが片っ端から討った結果だ。通常の巨神なら、兵士達も対処できるようになり始めている。

ほどなく、伝令が来た。

「味方騎馬隊が、動き始めました!」

「うむ。 もう少し、敵を押し返すぞ」

司令官が、指示を出す。

今回、騎馬隊を活用する方法は二つ。

一つは弓矢を用いての、アウトレンジ攻撃を主体とする。これは馬の鼻に臭いを嗅げないように覆いを付けるとしても、限界があるからだ。馬には最大の欠点が有る。未知の生物を怖れて近寄らないと言うものだ。

こればかりは、どれだけ訓練を施しても、短時間では解決できない。時間を掛けて慣らせるしかない。

もう一つは、敵の騎兵を引きつけるための、囮とするものだ。

騎馬隊の指揮官は、今まで自分がブルグントを支えてきたというプライドからか、北の民から告げられた事実に、最初激しく反発した。

だがグンター王の指示で実際に偵察を行わせると、確かに軍馬は巨神の臭いを怖れて、思うように動けなかったのである。

もう一つの目的は、騎馬隊の機動力を利用して、敵の騎兵部隊を引きつける、という事だ。

巨神族の騎兵は動きが速い。

だが、騎馬隊の組織力と機動力であれば、ある程度は対抗できる。戦闘力での対抗は無理があるとしても、時間を稼ぎ、味方に対応する時間を作ることは可能だ。

プライドを殺して、騎馬隊の指揮官は作戦に同意してくれた。

勝つために、全てを割り切ることはできないと、フレイは知っている。北ミズガルドの民の強さは、その誇りにあった事も。

「敵騎兵も、動き出した模様!」

「さて、どうなるかな……」

指揮官が、もう少し攻勢を強めよと、部下達に指示を出した、その矢先だった。

猛烈な地響きが轟きはじめる。

「なんだ……!」

「あれは……!」

兵士達が、口々に叫びながら、指さす。

敵は今まで、小規模の部隊を横列に並べて、繰り出していただけだった。それを、敵がその軍勢の殆どを、一気に投入してきたのである。

数万に達する巨神が、ひとかたまりになって、一斉に押し寄せてくる。

その凄まじい足踏みが、地面を地震がごとく揺らしているのだ。

押し戻すどころでは無い。

敵が、総攻撃に出たという事だ。

これは、中央突破に出ようと備えていた中軍も、守りに転じる他ないだろう。

「全軍、耐え抜け! 此処が正念場だ! 敵も無限にいるわけではない! 必ず攻勢に出る好機が生じる! 横陣が続いている以上、一カ所でも敵を崩せれば、それで勝ちだ!」

此方には、神が味方についているぞ。

誰かが、叫ぶ。

フレイは複雑だ。本当にそうなら、とっくにエインヘリアルの大部隊が、この戦場にいることだろう。せめて一万、五千でもいれば、全く戦況は違う。五万いれば、充分に敵を蹴散らすことが可能なはずだ。

テュールは必死に動いてくれているが、オーディンは今だなしのつぶて。そればかりか、エインヘリアルを派遣することを邪魔さえしている節がある。

必死に戦っている兵士達の士気を削ぐわけにはいかない。フレイが少しでも頑張ることで、兵士達を守る事ができるのなら。働かない者の分まで、戦況を変えることが出来るのならば。

フレイは、無言で前に出る。

少しでも敵の注意を引くことで、味方の損害を減らさなければならない。

 

稲妻の王錫が、煙を上げはじめていた。

何度魔法の稲妻を放ったか分からない。王錫は、もうだめだ。元々平原のような場所では、威力が削られる武器だというのに、それでも散々酷使した。多くの巨神やリンドブルムを屠った。

故に、限界も来た。

氷の杖も、かなり危険な状態になりつつある。もうしばらく酷使したら、おそらく壊れるだろう。

右翼部隊はじりじりと後退を続けている。ハーゲンが支援に来たが、それも焼け石に水という状態だ。

左翼部隊や中央部隊も、この猛攻の中では、攻勢にでるどころでは無いだろう。敵陣の突破など、夢のまた夢だ。

此処で、ようやくフレイヤは。フルングニルの戦略構想が理解できた。

奇策など、用いない。

正面から、叩き潰す。それによって、隙など見せずに、完全に勝ちきる。

ただし、不安点であるフレイヤとフレイの戦力を削るための努力も、同時に行う。どのような手で来るか、考えすぎることを。おそらくフルングニルは読んでいたのだろう。

完全に足下を掬われた形になる。

既に戦場は、大乱戦の様相を見せはじめている。これも、勿論フルングニルの想定した状況だろう。大乱戦になれば、力の差が露骨に出るようになる。人間と巨神では、根本的な力に差がありすぎる。

エインヘリアルの部隊が来ているのなら兎も角、此方の神は三柱しかいない。それでは、できる事に限界もある。

アネットが、気合いを込めて、大上段から敵を切り捨てた。

中巨神をさっき斃しているのを見た。かなりアネットも剣を使いこなせてきているが、それでも傷が増える速度の方が早い。

敵の主力部隊が突入してきてから、半刻もしないうちに。四つの戦塔が破壊され、更に他の戦塔も味方を支援できる状態ではなくなりつつある。

フレイヤは全力で火力を展開し続けていた。

相手が人間の軍なら、戦況を変えられただろうか。

巨神の大軍勢が相手では、どうしても無理がある。おそらく開戦から今までにフレイヤだけで軽く数百の巨神を斃しているだろうが、それでもとても追いつかない。リンドブルムに至っては、千や二千は落としている。

だが、なお戦況を変えるには、至らない。

ブルグントの全軍が、遊兵なく戦い続けている状況だ。

かろうじて味方は持ちこたえている。分厚く兵を分けている中軍が攻勢に出られるか心配だ。出られなければ、兵を無駄に配置しただけになってしまう。右翼はフレイヤが、左翼はフレイが支えることで、少しはましな状態になっているはずだ。左翼部隊も、この様子では、攻勢に出るには至らないだろう。

少しはましで、これなのか。

悲しくなってくるが、それも真実だ。せめてエインヘリアルの軍が一万、いや五千来ているだけでも、戦況は変わっただろうに。

おそらくそれは、兄も感じているはずだ。

オーディンは、これほどの大会戦、見ていないはずが無い。見ているのなら、どうして今此処で、神の槍グングニルの力を発揮してくれないのだろう。

「アネット、時間を稼いで」

無言で頷くアネットには構わず、フレイヤは精霊の魔弓を引き絞った。

そして、空に向けて撃ち放つ。

我が物顔に舞っていたリンドブルムに着弾。大爆発が、引き起こされる。

無数のリンドブルムが、爆風にやられて落ちてくる。手近に落ちてきた死骸に剣を突き刺して、魔力を補給するが。

その剣も、既にボロボロだ。盾も、もう一度巨神族の棍棒で一撃されたら、木っ端みじんに壊れるだろう。

処理し切れていない大巨神が、大暴れしている。

新しい杖を出す。誤爆する可能性があるから、イヤだったのだが。新しく送ってもらった中では、最強の瞬間火力を実現した武器だ。

魔力を充填。兵士達に、フレイヤの前から離れるように指示。

そして、巨神が此方に気付いたときには。

フレイヤは、全力で杖から魔力をぶっ放していた。

風刃の杖。

魔力で圧縮した風を、前方に無差別射出する破壊力の高い杖である。風は魔力で強い光を発し、極太の光線となって敵を焼き払い、木っ端みじんに打ち砕く。

前方を薙ぎ払った杖は、前から迫り来ていた大巨神を直撃し、上半身を消し飛ばす。更に、斜線上にいた巨神を、根こそぎ薙ぎ払っていた。

だが、破壊力は、魔力の凄まじい消耗を呼ぶ。

思わず膝をつくフレイヤ。

敵は、すぐに陣に開いた穴を埋めた。

至近。飛びかかってきた巨神を、アネットが気合いを込めて斬り倒す。

そして、手を貸してくれた。

「フレイヤ様、立ってください」

「だ、大丈夫」

今ので、密集している敵陣の一部を削ることができたが、それでも敵の総数から考えれば、被害は知れている。

敵陣の穴が即座に埋まるのを見て、フレイヤは絶望しかける。

だが、神がそれでは、人間が持ちこたえられるわけがない。北ミズガルドでの苦闘の数々を思い出して、必死に心を奮い立たせた。

巨神は次から次へと来る。大軍というものの恐ろしさは分かっていたはずなのに。如何に防御に長けた地形で戦うのが有利か、今更に思い知らされてしまう。

「伝令! フレイヤ様! 敵の騎兵が、此方に迫っています!」

「分かりました。 対処します。 アネット、あの大巨神を倒せますか」

「何とか、やってみます」

一体、先ほどから目に余るほど暴れている大巨神がいる。少なくともそいつは斃しておかなければ、戦線の崩壊が加速してしまう。

無理をさせてすまないが、氷の杖を、また引っ張り出す。

これ以上使えば、壊れるのは確実。

だが、それでもやらなければならない。倒れている巨神に剣を突き刺し、魔力を補給する。

しかし体力だけは、どうにもならない。

「味方の騎兵は、何をしている!」

「機動戦に持ち込んで、敵の騎兵をかなり引きつけてくれています!」

「ええい、ブルグントの騎兵が、囮にしかならないというのか! いつも大口を叩くくせに、情けない!」

若い司令官がヒステリックに叫んでいる。

周囲の兵士達は最初うんざりしていたようだが。今はみな平然としている。もう相手にしないことに決めたようだった。

突撃してきた騎兵は、かなりの矢を受けていた。

騎馬隊が善戦している証拠だ。

フレイヤは、杖から、氷の魔弾を騎兵の足下に乱射する。足が弱点なのは、騎兵も同じだ。

凄まじい勢いで横転する騎兵。兵士に叫ぶ。

「今です! とどめは任せます!」

少しでも、杖をもたせなければならない。

兵士達が倒れた騎兵に群がって、狼が牛を仕留めるように、よってたかって剣を突き立てた。

騎兵が動かなくなる。

だが、乱戦の中での事だ。兵士達の手が回らず、フレイヤが自身手を下さなければならなくなる場面もあるだろう。

アネットが、大巨神の懐に潜り込み、踝を切り裂く。

倒れながらも、大巨神は、アネットにのしかかる。何しろ、人間の十数倍に達する体格だ。

倒れ込んだだけで、致命傷になる。

必死に逃れようとするアネットだが、その時。

死角から飛んできた巨神が、棍棒を振りまわしていた。

フルスイングの棍棒を叩き付けられ、アネットが吹っ飛ぶ。盾でガードする余裕さえなかった。

地面で何度かバウンドして、アネットが動かなくなった。

無言で巨神の影から接近して、跳躍。剣を背中から突き立てる。魔力を吸い上げながら、首筋に切り上げて、斃した。

大巨神は、兵士達が依って集って斬り伏せている。

アネットは、無事か。

生きている。動いているのが見えた。

だが、鎧が拉げてしまって、かなり傷は深刻だ。

走り寄ると、抱き起こして、回復の術式を掛ける。周囲の阿鼻叫喚は、今だ収まっていない。回復など、している場合では無いかも知れない。

だが、直での護衛であるアネットがいないと、フレイヤの戦闘力は半減すると言っても良い。

「申し訳ありません、フレイヤ様。 不覚を、とりました」

「まだ、行けますか?」

首を横に振るアネット。

これは厳しい。下がって遠距離戦に徹するしかない。

だが、敵の攻め寄せている状態を鑑みるに、そんな余裕は無い。また、騎兵が攻めこんできた。暴れ狂っている大巨神が見える。複数の塔が遠距離から射撃を浴びせているが、とても止められない。

「敵騎兵、更に接近! 数体同時!」

「前方から、敵の増援が出現! か、数は五万から六万!」

喚いていた指揮官が、黙り込むのが分かった。

巨神の軍勢は百万。

八万かそこらで、戦闘を挑んでくると言うのもおかしな話だったのだ。巨神にして見れば、一軍を追加で投入、くらいの感覚なのだろう。いや、兵力の逐次投入という愚を、フルングニルがするはずがない。

最初から、人間の抗戦意思を挫くためのパフォーマンスとして、苦戦している所に大戦力をわざわざ見せびらかして追加投入してきたのだ。

これで、戦力差は数字上だけでも倍以上に開いてしまった。

対して、ブルグントの軍勢に、予備戦力はない。作戦上、全ての部隊が稼働している。

加えて、本当に味方の騎馬隊は、機能しているのだろうか。それも、今となっては、疑問になりつつあった。

氷の杖をふるって、迫る巨神騎兵の足を止める。

とにかく、騎兵を止めなければならない。大巨神が、来る。また塔を一つ破壊して、フレイヤの方に迫ってくる。

魔力の無駄遣いになるが、仕方が無い。

我が物顔に空を舞っているリンドブルムも、少しは落とせるだろう。

風刃の杖を取り出す。

そして、大巨神が棍棒を振り上げた瞬間、ぶっ放していた。

大巨神の上半身が消し飛ぶ。

だが同時に、フレイヤの魔力も、大半が吹き飛んでいた。

一気に全身を虚脱感が駆け抜ける。魔力を使いすぎたのだ。

倒れている巨神に剣を突き刺し、少しずつ回復を図る。だが、魔力の消耗は、それ以上に体力の損耗を招く。

無事な戦塔に登り上がると、其処から精霊の魔弾を撃ち込んだ。残り少ない魔力が、更に削り取られる。

敵陣に魔弾が着弾。多くの敵を吹き飛ばし、なぎ倒すが、それでも敵は地平の彼方まで軍勢を群れさせている。あっという間に、陣の穴が埋まる。

ざっと見回すが、中軍は押されている。兄がいる左翼部隊も、かろうじて互角というのが精々だろう。

味方は、攻勢には出られそうにもない。

これは、負け戦かも知れない。

そう、フレイヤは思った。

 

2、激震の異変

 

ひたすらに地味な戦いだと、側で将軍の一人が呟いているのが分かったが。フルングニルは、放置しておいた。

奇策、奇襲だけが戦いではない。

敵の手を防ぎながら、正攻法で攻める。それこそが、もっともたやすく、確実に、被害を減らして勝つ方法だ。

生兵法は怪我の元。

正攻法が何故陳腐化するかというと、それだけ効果が高く、多く用いられるからだ。確かに奇策から革新的な戦術がもたらされることはあるが、それは天才的な用兵家が、戦術の理論に基づいて生み出すものだ。魔術のようにマナを使って、奇跡を起こすものではない。

どんな戦いでも、まずは基本を守り、その上に応用がある。

今回も、フレイとフレイヤの行動選択肢を削いだ上で、敵を単純な戦力差で圧殺する手段を執った。

結果、全戦線で味方は有利。

右翼でも左翼でも敵は予想以上の奮戦を見せているが、それは既に抗戦に近い状態になりつつある。

この戦いは、勝ちだ。

そろそろ、敵にとどめを刺すべきだろう。フルングニルはそう判断。温存しておいた、スヴァルトヘイムの魔物を敵の横っ腹に突入させるべく、使者を出そうとして。

その光景に、気付いた。

「何だ……!?」

「空が……」

なにやら禍々しいものが、空から降ってくる。

それは魔力で固め上げた球体。そして、その球体を、巨大な剣が刺し貫き、遙か遠くの地面に突き刺さったのである。

しばし唖然とするほど、異様すぎる光景だった。

事前の打ち合わせはない。フルングニルも、話を一切聞いていない出来事であった。周囲の巨神達も、皆動揺を隠せていない。

剣が突き刺さった辺りでは爆発が起きたようだが、何しろ遙か遠くだ。此処に被害は及んでいない。

ただし、見たところとてつもなく巨大な剣だ。

強力な魔術の産物に見えたが、フルングニルの知識では、あれが何かは分からなかった。様々な魔術の道具を記憶から検索するが、該当するものはない。あの巨大さ、実用性のある武器とも思えない。

「ファフナーに伝令だ。 今の現象が何だったのか、調べさせろ」

「分かりました。 直ちに」

「スヴァルトヘイムの魔物を投入。 敵の横腹を突け。 敵にとどめを刺す」

「敵が後退を開始しました!」

フルングニルは舌打ちする。

スヴァルトヘイムの魔物には、知性は存在しない。おおざっぱな命令を与えることは可能だが、本領は数にものを言わせた物量作戦だ。

敵が、此方の猛攻を支えようとして、或いは反転攻勢に出ようとして、横陣を固めているときが最大の好機だった。それならば、文字通り蹂躙することができたのだが。

スヴァルトヘイムの魔物は、派遣を中止。

別に失敗と言うほどでもない。柔軟に対応を変えるだけだ。

「追撃せよ」

「そのように伝えます」

「戦勝の報告を出しても良いのでは?」

「まだ早い」

部下の追従を、一蹴。

追撃戦の失敗で被害を出しては、意味がない。何より、アスガルドがこのタイミングで介入してこないとも限らないのだ。

勝ちに驕った軍勢は、逆に一気に敗勢に追い込まれるのもたやすいのである。

それに、もう一つ。

騎兵には、最終局面に入らせる。

スヴァルトヘイムの魔物により、敵の組織力を壊滅させた後、騎兵を突入させてとどめを刺させる予定だった。

また、おそらく敵が用意していたであろう攻勢のための策を粉砕するためにも、騎兵は温存していた。

敵の騎兵につきあわせていたのも、それが理由だ。

不意に、燎原が燃え上がる。

「ふむ……?」

「すぐに調査いたします」

伝令の巨神が出る。

そして、すぐに戻ってきた。

「味方騎兵が、炎に包まれました!」

「ほう? 油か」

「はい。 平原の一部に大量の油を撒いていたようです! さほどの被害は出してはいませんが、混乱して態勢を立て直し中!」

「敵騎兵、一斉に反転! 此方の背後を目指しています!」

今更、その程度で戦況を変えられるか。

フルングニルが呟く。現在、味方は全戦線で押しに押している。騎兵は封じられたかも知れないが、だからなんだ。

「スヴァルトヘイムの魔物を展開。 敵騎兵の進路を塞げ」

「分かりました! ただちに!」

意図していたのとは違ったが、これで敵の最後の反撃は封じた。

さて、フレイとフレイヤは、どう出るか。

フルングニルが出るまでも無い。戦いは、此方の勝利だ。

 

遙か遠くに巨大な剣が落ちたのは、フレイも目撃した。

何が起きたのか、よく分からない。しかも、敵の怒濤の猛攻に対処している状況である。イズンに話を聞く余裕も無かった。

「敵騎兵は炎の罠に誘い込みましたが、時間を稼げているだけです! 味方騎兵、敵の背後を突くことに失敗!」

「あの状態で、まだ隠し球を用意しているか! 総員、撤退準備! 予定の地点まで引くぞ!」

ついに抗戦を諦め、左翼方面の指揮官が、指示を出した。

フレイは最後尾に残ると、手当たり次第に敵兵を斬って捨てる。今までは大巨神、中巨神が危険度の高い相手だったが、此処からは逆転する。

追撃戦では、足が速い通常の巨神の方が厄介だ。

戦場を高速で走り回りながら、巨神を切り続ける。既に三桁を遙かに超える数、敵を倒している。

全軍潰走だけは避けなければならない。

後退中の主力が見えた。

必死に敵の追撃を捌きながら、逃げに徹している。グンター王を見ると、かなり憔悴はしているようだが、最後尾に残って、撤退の指揮を続けていた。

事前の作戦では、様々な反抗策が提示されていた。

だが、フルングニルは、全ての策を、力尽くで打ち破った。騎馬隊による迂回作戦も、敵騎兵の封じ込め策も、一部は成功したが、それだけだった。

あと一つ、策がある。

だがそれも、形を変えて用いるしかないだろう。この状況では、とても攻勢に出る事は無理だ。仮に一時的に敵を押し返すことができても、敵を敗北に追い込むことは、不可能だ。

フレイヤはどうしているだろう。

「敵騎兵、炎の罠を抜けます!」

「ユラン平原を放棄! アーノル岩山地帯に逃げ込み、そこで逆撃が不可能なら王都へ下がれ!」

「事前の訓練通りに動け!」

戦塔は、その場に全て放棄。

中に残って、必死の撤退戦を手助けしている責任感の強い兵士も多い。だが、フレイは声を掛けて廻る。

犬死にするな。

一人でも多く、逃げよ。

そして、塔に群がろうとする敵は、その場で全て斬り倒した。射程距離が伸びている分、今の剣は多数を一辺に相手にするのに向いている。

中巨神や大巨神は放っておく。

火力は大きいが、今のフレイにはついてこられない。兵士達が逃げれば、その方が早い。足を止めての斬り合いに、今はつきあう必要がない。

炎の罠を抜け出した騎兵が、ばらばらと此方に向かってくる。

アレが突入してきたら、最後だ。

大乱戦である。シグムンド達が無事でいるといいのだがと思う。敵に囲まれている部隊を見てはとって返し、敵を斬り伏せて退路を作る。兵士達が逃げ延びるまでその場に留まり、一人でも多くの戦士を逃がす。

しかし、フレイだけでは、限界があった。

至近まで、巨神騎兵が迫ってくる。

既にユラン平原を抜けている。味方の騎馬隊は、どれだけ逃げ延びられただろう。一人でも多くの騎馬隊が逃げ延びられていると良いのだが。

剣を振るって、突入してきた騎兵の、騎獣の足を切り落とす。

横転した騎兵を飛び越えるようにして、別の騎兵が躍り出てきた。次の、また次の。逃げ遅れた兵士達は、ひとたまりもなく蹂躙されてしまう。

更に、斬り倒した騎獣も、足が即座に再生を開始している。

だが、もがいていた騎手の首筋に、矢が突き刺さっていた。

「無事か、フレイ!」

「シグムンドか!」

「倒れた奴は、俺に任せろ!」

北の民は。

はぐれたのか。これだけの乱戦なのだ。無理もない事である。フレイも、フレイヤを見つけられていない。

二体目。騎兵を切り落とす。即座にシグムンドが剣を抜いて飛びかかり、頭だけでも自分より大きい巨神に組み付くと、魔力を込めた剣を、喉に叩き込んだ。騎獣は騎手がいないとどうしていいか分からないようで、足が再生した後も、ぼんやりその場に起き上がって、此方を見ているだけだった。側では、シグムンドが殺した騎手が、無惨に横たわっている。

「それにしても、あのばかでかい剣は何だ!?」

「分からないが、何かとてつもない異変が起きたのは確かだ。 敵の騎兵を此処で一騎でも多く打ち倒す。 味方の戦士を、一人でも多く逃がすのだ」

「そうか、ならば分かり易い。 手を貸すぞフレイ」

戦いながら話を聞くが、ヘルギやヴェルンドとは、合流地点を決めているという。

大乱戦の中で、北の民は多くの敵を倒したが、それでも散り散りにはぐれてしまった。

「ヘルギは騎兵を一人で斃したぞ」

「それは凄まじいな」

「だろう? 彼奴は俺の自慢のいとこだ」

背後に回った騎兵が、低い態勢から突撃してくる。間に合わない。盾を構えて防ぐが、それでも相当な距離を吹っ飛ばされた。

後ろ足で竿立ちになった騎兵が、踏みつぶそうとしてくる。

フレイは無言のまま、剣を切り上げる。

腹から切り裂かれた騎獣が、悲鳴を上げて横転。追いついてきたシグムンドが、騎兵に的確にとどめを刺してくれた。

呼吸を整える。

既にフレイの鎧にも盾にも、縦横に傷が入り始めていた。

巨神に包囲されている兵士達を見つけて、またとって返す。シグムンドも、ついてきてくれる。

棍棒を振り下ろそうとしていた巨神の腕に、シグムンドが速射した矢が突き刺さる。

動きが鈍ったところで、飛びかかったフレイが、大上段から斬り伏せる。

兵士達が逃げ出す背を守るようにして、フレイは立ち尽くすと、一心不乱に剣を振るった。

平原を抜けて、岩石地帯に到達。

まだ巨神は追撃を仕掛けてきている。

此処に、五千の兵、一個軍団があらかじめ伏兵している。調子に乗って敵が追撃してきたら、逆撃を浴びせる予定であった。

しかし、である。岩石が多数散らばるのを見た巨神達は、ぴたりと足を止めた。

口惜しいが、敵の組織力、判断力もまた、侮りがたい。

最後尾でフレイは無心に剣を振るい、兵士達を逃がし続ける。シグムンドが、何度か後ろをちらちらと見た。

「これは、此処での反撃は不可能だな」

「傷ついた味方を収容しつつ、撤退した方が被害を減らせるだろう。 グンター王も、そう判断するはずだ」

「シグムンド! フレイ! 此処だ!」

ヘルギが手を振っている。

どうやら、先に此処についていたらしい。怪我をした兵士達が、かなりの数、岩山に逃げ込んでいた。

「負け戦か。 あれだけの兵士がいたのによ」

「フルングニルの戦術指揮も、戦略構想も、此方の上を行っていた。 だが、味方は潰走にまでは至っていない。 まだ挽回の機会はある」

「へっ、そうこなくっちゃな」

北の戦士もかなりの数が逃げ延びた様子だ。負け戦だが、軍が壊滅するほどの被害を受けることだけは避けた。

此方に歩み寄ってくるのは、温厚そうな中年男性。ライン川近くの、砦の司令官だ。

どうやら此処で、上級指揮官を任されていたらしい。後ろでは、真っ青になったまま、この岩山の軍団長が距離を置いて立っていた。

「フレイ様」

「無事で何よりだ。 できるだけ急いで、この岩山から撤退して欲しい。 無事な兵士達は荷駄を捨てて、荷車や馬も活用してけが人を王都に輸送せよ」

「その事なのですが」

司令官がついてくるように促す。

巨神の軍勢は、かなりの広範囲に展開している。それも問題なのだが。見たところ、リンドブルムの大部隊が、此方に向かっているようなのだ。

その戦力は数万体にも達しているだろう。

「このままだと、撤退中の部隊が、確実に追いつかれます。 リンドブルムは上空から攻撃してくるので、振り切れません」

「捨て石としてリンドブルムを先行させ、あわよくば撤退中の部隊にも効果的な打撃を、という訳か」

「フルングニルって三つ首野郎、頭が回りやがる。 確かに巨神の大軍勢をまとめているだけの事はあるな」

悔しそうにヘルギが言う。

シグムンドは、冷静だ。これほどの負け戦で、目の前に敵の軍勢が迫っている状況でも。フレイには、それが心強い。

人間にもこれほど出来る奴がいると分かると、守ってきた意味があると思えてくる。

「フレイ、どうする。 殿軍なら、買って出るが?」

「いや、此処からは何派かに別れて行動しよう」

まずフレイは、この岩山を使って敵を攪乱しつつ、敵の本隊を可能な限り引きつける。快足のフレイは、撤退しつつの攪乱戦に最適だ。

その隙に、可能な限りの負傷兵を、王都に撤退させる。

左翼部隊の指揮官は、かなり優秀な男だった。まだ生きているのなら、指揮を任せたいが、生憎途中ではぐれてしまった。

説明を終えると、すぐに砦の司令官は、軍団長の所に向かった。青ざめた軍団長は、具体的なプランが提示されて、ようやく生気を取り戻したようだ。

すぐに兵士達に指示を出し始める。

「俺たちはどうする」

「フレイヤを探して貰えないか」

「そういえば、右翼の打撃は酷い状態であったようだな」

「まだフレイヤは生きている。 それは感じ取れるのだが、居場所が分からない。 かなり危険だが」

何、問題ない。シグムンドはそう言い切ると、無事な北の戦士達を集める。

右翼部隊は打撃も酷かったが、撤退戦の時に主力からはぐれた可能性が高い。近くにある街などには避難勧告が出ているはずだが、もしも逃げ込むのなら、幾つか候補が絞り込める。

事前に地図は頭に入れてある。

シグムンドに、候補となる街を、幾つか提示。

地図も渡しておいた。この辺りには小規模な砦が幾つかあって、其処に残されていたのだ。

「馬も借りるぞ」

「ああ。 残しておいても、どうせ蹂躙されるだけだ」

ヤケばちの兵士に頷くと、シグムンドは腕利きのブルグント兵士達にも声を掛ける。

女神を助けに行く仕事だというと、頷く兵士もいた。フレイは辺りを見て廻り、ゲリラ戦の準備について、頭に入れていく。

まずはリンドブルムの群れを、引きつけなければならない。

追撃の主力部隊は、中巨神や大巨神ではない。一度に多数に襲いかかられなければ、ある程度は対処することが可能である。また、この岩山なら、騎兵も動きづらい。問題はフルングニルが来た時だが、今、総司令官が一騎打ちをする意味は全く無い。フルングニルも、そのような行動は行わないだろう。

此処で、時間を稼ぐ。

敵の騎兵が、此方を無視できないようにも、策はうつ。ただし、全ての敵を食い止めることは無理だろう。撤退戦は、可能な限り迅速に行わなければならない。

念のために、先にアスガルドに鷹を出しておく。

ブルグント軍敗退。壊滅は逃れるが、打撃は深刻。一刻も早く、ブルグント王都に、エインヘリアルの救援部隊を派遣して欲しい。

書状の内容は、簡潔極まりない。

ただし、同時に巨神族の戦力について書いたレポートも付ける。フルングニルは、特に前評判以上の難敵だと言うことも、付け加えておいた。そうすれば、トールがオーディンに突き上げを行うかも知れない。

強敵との戦いは、かの雷神にとっては生の喜びと同義だからだ。

武器の補充についても、レポートには書いておいた。

激戦の中で、新しい剣は兎も角、よろいには相当な負荷が掛かっている。トールの剛弓の矢も、消耗が激しかった。

シグムンドが、きた。

「よし、準備が出来た。 俺たちは、フレイヤとアネットを救出に向かう」

「無理はするな」

「分かっている。 生きてまた会おう」

先に、敵の目を引かないように、岩の裾からシグムンド達が東に行く。漠然と、東の方にフレイヤがいる事は、フレイにも分かっていた。先に渡した地図の中に記された、逃げ込んだ可能性が高い街は、いずれも東にある。

軍も南に撤退を開始する。

砦の司令官が、騎兵に対する策を、皆に話して廻っていた。

軍団長はやっと生気を取り戻し、馬上で傲然と顔を上げ、平気である風を装っている。そうすることで、兵士達の士気を保つ事が目的だ。

これが、最後かも知れない。

砦の司令官を、フレイは呼び止めた。

「そなたは優秀だ。 必ず生きて王都まで皆をつれて戻れ」

「分かりました。 神よ、貴方も」

そういえば、この男の名前は、なんであったか。

フレイはすぐには思い出せず、岩山の上に登りながら、思い出そうと頭を働かせた。

トールの剛弓を引き絞る。

遠くに、リンドブルムの軍勢がいる。

充分に射程距離に入っている。

だが、もう少し引きつける。制圧射撃を行うには、少し遠いからだ。

リンドブルムの群れは、万にも達する数を生かして、空を覆うようにして近づいてきている。

もう少し。

呟きながら、全力まで剛弓を引き絞る。

眼下の巨神の軍勢は動く様子が無い。後続の到着を待っているのだろう。正しい判断だが、此処はそれを逆用させてもらう。

フルングニルには、ユラン平原で好き勝手にされた。

今度は、此方が裏を掻く番だ。

 

3、続く死線

 

ブルグント軍が南に撤退を開始した瞬間、フレイヤは負けたと思った。

用兵としても戦略としても、完全にフルングニルに上を行かれた。敵は数が多いから勝ったのではない。

あらゆる面で、人間に勝ったのだ。

右翼部隊の司令官は、口が接着されたかのように黙り込み、参謀達に囲まれたまま、南に落ちていった。

残った兵士達は、騎兵に蹂躙された。

かろうじて生き残った者達を必死に逃がしながら、フレイヤは最後尾で夕刻まで戦い続けた。

アネットはもう、側にはいない。

兵士達の誰かが連れて行ったのだと思いたいが、確認する方法がない。怪我をしたところで、後送するように指示はしたが、それだけだ。

この状況下で、孤独になってしまったこと自体が、フレイヤの心を痛めつけていた。

呼吸を整える。

既に鎧はボロボロだ。

氷の杖は、どうにか破損を免れたが、しばらく使えそうにない。稲妻の王錫は完全に壊れてしまって、使用どころでは無い。

風刃の杖は、どうにか使えるが。しかし、発動をするための魔力が、足りなかった。精霊の魔弓はまだ使える。だが、近接戦で用いることが出来る氷の杖を温存するためにも、今は下手に動けない。

辺りには、壊された戦塔が点々としている。

今回持ち込まれた戦塔は、全て破壊されたとみて良い。中には、兵士達の死骸が、散見された。

守りきれなかった。

誰一人として。

巨神族は夜になると同時に追撃を中止。フレイヤは木陰に座り込むと、無言で目を閉じて、口を引き結んだ。

おそらく、巨神の魔力の影響だろう。

兄との通信が出来なくなっている。

周囲に散らばっている兵士達の死骸は、どれも無惨に潰されていた。騎兵に踏みつぶされたものも、大巨神に踏みにじられたものも。

どれも肉の塊になっていた。

やはり、巨神は人間を喰らうことはないようで、死体はいずれも放置されていた。巨神が陣を組んでいる辺りのものは、脇に避けられたりしていたようだが。

日が暮れると、肉食性の徘徊獣が、死骸を漁りに来た。

フレイヤは、動かなければならないと思ったが、動けない。

獣たちも、フレイヤには見向きもしない。

潰された死体からはみ出た内臓を漁る狼が、嬉しそうに尻尾を振っている。

がつがつ、むしゃむしゃ。

命を落としたものを、喰らう音が響き続けていた。

フレイヤは、魔力を回復する方法も失い、ぼんやりと守れなかった者達の末路を見つめていた。

「フレイヤ様」

ぼんやりとしたまま、視線を向ける。

兵士が立っている。数名、いるようだった。

死者の霊魂かと思ったが、違う。生きている兵士だ。

「ご無事で何よりです」

「貴方たちは……」

「巨神が大軍である故に、夜には動かないと、事前に知っていたからです。 我々は、草陰で死んだふりをしたり、砦などで隠れていた者達です。 相当数が、生存者を探して、今ユラン平原を徘徊しています」

アネットはと聞くと、無事だという答えが返ってきた。

一気に気が抜ける。

夜は、さほど長続きしない。巨神の軍勢はユラン平原を、まずは圧倒的な兵力にものを言わせて、完全に制圧するだろう。それは明日からになるだろうが、それでも時間はあまりない。

「撤退は進んでいますか」

「牧場の馬は全て使い、負傷者を後送しています。 物資は諦めるしか無さそうですが……」

「巨神の死骸を、見かけましたか?」

兵士達が、顔を見合わせる。

そして、連れて行かれた先では、戦塔の残骸にもたれかかるように大巨神が死んでいた。

フレイヤは無言で剣を抜くと、死骸に突き立てる。

足りない。魔力は吸収できるが、やはり死んだ相手だと、不十分だ。他にも、死骸から魔力を吸収しておきたい。

「皆も、撤退を開始しなさい。 明日になれば、巨神はユラン平原を完全に制圧に掛かるでしょう。 此処に残っていれば、逃げ遅れた歩兵達のように、騎兵に蹂躙されて果てるだけです」

「分かりました。 此処から南のハラの街に、まずは撤退。 其処から、敵の予想進撃路を迂回しながら、王都に戻ります」

兵士達の指揮を執っていた男には見覚えがある。

たしか、ぎゃあぎゃあ騒ぐだけだった右翼部隊の司令官の側にいた、若い士官だ。剣術の腕前はそれほどでも無さそうだったが、とにかく冷静に立ち回っているのが、印象に残っていた。

フレイヤも、魔力を吸収して廻りながら、自身に回復の術式を掛ける。

鎧もだが、まずは肉体に。

これ以上ダメージを受けると、魔力の流出が起こる。それは体内の構成要素が魔力になって流れ出す現象で、魂がそのまま崩壊するに等しい。

つまり、人間で言う、死だ。

魔力を回復しては、回復に。それを繰り返す。

死んだ巨神では、回復できる魔力にも限界がある。夜の間、狼に混じって、ひたすらに徘徊。

兵士達も数名が護衛についてきてくれたが、はぐれたら狼は襲ってくる可能性が高そうだ。

星の流れを見ると、既に夜半を廻った。

このままだと、街まで逃げ切れなくなる。肉体の痛みは、どうにか押さえ込んだ。鎧も、応急処置はした。

問題は氷の杖だ。

この様子だと、かなり厳しいだろう。

「そろそろ、南へ向かいましょう」

「主力は出立しましたか?」

「エリーテ将軍の指示で、もう出立しているはずです。 巨神にもう一泡くらいは、噴かせたかったのですが」

全くだが、この戦は完全に負けだ。

これ以上欲を掻けば、傷を広げるだけだろう。

幸いなのは、終始互角に戦っていた左翼部隊は、撤退もスムーズに行ったらしい、ということか。

兄は無事だろう。

夜陰に紛れて、南へ。途中、落ちている武器を踏まないように、気をつけなければならなかった。

兵士の中には、剣を握ったまま死んでいる者も多い。

弓矢を手放さず、大事そうに掴んだままの手もあった。体の方は、踏みつぶされて肉塊になってしまっている。

さぞや無念だっただろう。

どうして、オーディンは、援軍を出してくれない。

一個単位戦力である五千のエインヘリアルが来てくれれば、勝てるとまでは行かずとも、かなりの戦果を上げることが出来たはず。

そうすれば、このように夜闇に紛れて逃げずとも、戦えただろうに。

負傷した兵の列に、途中何度も出会う。巨神も、一端追撃を止めたとは言え、各地で陣を張っている様子だ。

魔力が足りないから、奇襲を仕掛けられない。

悔しいが、どうにも出来なかった。

「あの規模の戦力なら……」

「止めなさい。 あれは囮です」

悔しそうに言う兵士を、フレイヤは制止した。

近くに、魔術師がいる気配がある。もしも下手に仕掛ければ、リンドブルムが大挙して押しかけてくるだろう。

一回戦闘が始まってしまえば、夜間だろうが関係無い。巨神も、容赦なく押し込んでくる。

途中、倒れそうになった兵士に、肩を貸す。

直接触らないように気をつけた。もしもフレイヤが直に触ったりすれば、人間の男は大変なことになる。

こればかりは、のろわしい。母と同じ肉体である事が、だ。

「街まで、後どれくらいですか」

「二刻程度歩けば、つくはずです」

「疲れている所申し訳ありませんが、到着したらすぐに防戦の準備を。 巨神は、私が此処にいることを、おそらく知っています。 私を確実に殺すために、かなりの軍勢を投入してくるでしょう」

鷹になって逃げる手は、おそらく使えない。

というのも、敵には魔術師が多くいる。奴らが網を張っているとみて良いだろう。

まずは、住民を避難させる。それから、慰めにもならないが、籠城できそうな地形を探す。

フレイヤは兄ほど機動力に自信が無い。

敵をある程度たたいたら、どうにか脱出するほかない。脱出できるかは、分からない。かなり可能性が低いが、とにかくやってみるしかないと思っている。

「空が……」

星の位置が、かなり夜明けに近づいてきている。

急がないと、危険だ。

おそらく巨神は、夜明けと同時に動き出すはず。否、リンドブルムなどは、既に活動を開始している。

手持ちの武具を確認。

氷の杖は、しばらく休ませたために、蓄熱もある程度引いていた。今ならば何とか使用できるが、それも長時間は無理だ。使いすぎれば、壊れる。

ようやく、街が見えてきた。

素朴な石造りの街だ。どうやら酒造りが盛んな街であるらしく、葡萄のかなり大きな畑が見える。

中央に軍用道路が通っていて、櫓は一応ある。ただし、どう見てもかなり古い。街の周囲は壁が覆っているが、さほど高い壁でもない。壁の周囲には堀もない。長らくブルグントの勢力圏に有り、敵と戦ったことはなかったのだろう。

住民は、何とか脱出したようだ。

だが、街の中には、かなりの人数がいた。疲労のピークにある兵士や、負傷が酷い者など。

王都に逃げ延びる体力が残っていない者達だ。

彼らのために、残っている兵士達もいた。馬などを使って後方に輸送を続けているようなのだが、それでも手が足りていない。

フレイヤは無言で、街を出る。

兵士が一人、慌てた様子でついてきた。

「フレイヤ様、どこへ行かれますか」

「巨神の狙いは私です。 この町の惨状では、敵を食い止めるどころか、蹂躙されるだけになるでしょう。 私が囮になります。 その隙に、逃げなさい」

「しかし、たったお一人で、何が出来ましょう」

他にも兵士達が、何名か来る。

彼らを守る自信が、フレイヤには無い。

街の少し西。

既に住民もいない、連なる石垣の残骸。おそらく、放棄された砦だろう。其処にフレイヤは入る。

此方の方が、まだ守りやすい。見て廻る。古いが、一応の防御設備は整っていた。石の壁に背中を預けて、一息つく。

ついに、朝日が顔を出した。

体力という点では、どうにか大丈夫だ。心配なのは兄だが、継戦能力ではフレイヤよりずっと上だし、問題は無いだろう。

壁に背中を預けて、無言で座り込む。

アネットは無事に王都まで逃れただろうか。此処で死ぬとなると、冥界で兄が死ぬ所を、ぼんやり眺めることになるのだろうか。

兵士達は、さほど多くないが、勝手に哨戒をはじめた。頻繁に会話しているところを見ると、街の出身者かも知れない。まだ若い兵士ばかりで、死なせるのは気の毒だった。彼らがバルハラを無邪気に信じているのなら、なおさらだ。

敵が、確実に近づいてきているのが分かる。もしフレイヤがフルングニルだったら、どうするか。

まずはリンドブルムを出す。

「リンドブルムが来ました! かなりの数です!」

「今はまだ手を出さないで」

「街に向かっています! まだ負傷兵が、残っているのに……!」

それも予想済みだ。

フレイヤを引っ張り出すために、敢えて人間の、しかも負傷兵を攻撃させる。巨神も分かっているのだろう。

あっちの街を、フレイヤが避けることは。

精霊の弓を取り出すと、廃砦の上に出て、引き絞る。そして、魔弾を撃ち放った。

リンドブルムの群れに着弾。

大爆発が、空に巨大な花を咲かせる。

リンドブルムの群れが、此方に注意を向ける。そして、殺到してきた。

「まともに相手になってはいけません。 砦の地形を利用して、低空に下りてきたところを、一体ずつ仕留めるのです」

「分かりました!」

「敵、火球を吐いてきます!」

廃砦の壁に、次々火球が着弾。そして、爆裂した。

元々使われていない砦である。それだけで激しく揺れ、埃が天井から落ちてくる。フレイヤは誰にも言わないが、もう魔力は殆ど残っていない。

リンドブルムが、低空まで下りてくる。

兵士の一人が、クロスボウに矢を充填し、打ち込んだ。

顎の下を撃ち抜かれた飛龍が、落ちてくる。フレイヤは無言で剣を抜くと、まだもがいている飛龍に突き刺した。

次々、リンドブルムが来る。火球も、砦の彼方此方に着弾していた。当然延焼も始まる。石造りとはいえ、全てが非可燃性というわけではないのだ。木で作られている場所も、相当にある。

兵士達は青ざめながらも必死に遮蔽に身を隠し、時々低くまで下りてくるリンドブルムを待ち伏せた。

フレイヤが、敵を斬ることで、魔力を回復吸収できると、知っているらしい。教えた覚えはないのだが、人間は予想以上の速度で、情報を伝達しているようだった。

「フレイヤ様、まだ魔力の蓄えが必要ですか」

「おそらく、敵は騎兵を繰り出してきます。 少しでも多く、魔力を蓄えなければ」

それだけで、兵士達は理解できたようだった。

街の方の兵士達は、確実に脱出し続けているようだ。リンドブルムはかなりの数が砦に纏わり付いている。

これも、フルングニルの狙いだろう。

外を見ると、巨神は此方を遠巻きに包囲している。足止めだけしておいて、主力の到着を待つ、と言うわけだ。

功を焦る奴が出てこない辺り、人間よりよほど統制が取れている。

やはり巨神は手強い相手だ。ただ、分からない。これほどの統制を、どうやって実現しているのだろう。

噂に聞くフリムのカリスマだろうか。それとも、組織を作るに当たって、何か工夫を取り入れているのだろうか。

それとも、他に理由があるのか。

ふと、思い当たることがある。

テュールにつれられて、エインヘリアルの訓練風景を見た事があるのだ。その時、ある大きな違和感を、フレイヤは感じた。まさかとは思うが、それに関係しているのか。

どちらにしても、死を怖れない巨神達の凄まじい統率については、舌を巻くほかない。今後は、対策が必要になる。

此処を、生きて抜けられれば、だが。

「そうだ。 酒は、お飲みになられますか?」

「少しであれば」

「この町のワインは、ブルグント全土に名を轟かせる銘品です。 このような状況で無ければ、降臨していただいた感謝に、振る舞わせていただいたのですが」

「必ず生きて、この窮地を切り抜けましょう。 その時にいただきます」

実際には、フレイヤは人間界の酒に関しては苦手も良いところだ。飲めないのではなく、口に合わない。基本は神々や小人が作った、魔力補給用の神酒しか口にしないフレイヤにとっては、あまり美味しいものではない。

反面、母の先代フレイヤは地上の酒に関しても凄まじい酒豪だったので、理由はよく分からない。だが、兵士の好意を、無駄には出来なかった。

リンドブルムは、十体以上が低空で叩き落とされたのを見ると、高空からの散発的な爆撃に切り替えた様子だ。

おそらく魔術師がいて、大まかな操作をしているとみて良いだろう。

「敵の騎兵は?」

「まだ見当たりません!」

あぶり出しに出てくる可能性はある。

たとえば、思わせぶりに姿を見せた騎兵が、街に突入してみせるとか。

兵の避難は、どれくらい進んでいるのだろう。この町さえ抜ければ、後は幾つか有力な防衛施設が有り、王都までの侵攻は防ぐことが出来ると、事前に説明を受けている。

荷駄が、街を出るのが見えた。兵士達を満載しているが、荷物は殆ど捨てざるを得なかったのだろう。

リンドブルムは、そちらに気付いていない。巨神族は気付いているようだが、気にもしていないようだ。

「これで街はすっからかんか」

「俺たちの街が……」

「今年の葡萄、良い出来だったのに」

兵士達が、口々にぼやいている。

本当に申し訳のない事だ。フレイヤ自身も、悔しくてならない。

地響きがした。

どうやら、巨神の騎兵が押し寄せてきたらしい。ここからが、本番だ。

「騎兵の対処については、教えたとおりです」

「フレイヤ様が打ち倒すから、我々が首に致命傷を入れれば良い、でしたね」

「可能な限り、私が斃しきります」

それが難しいことは、百も承知だ。

リンドブルムから吸収した魔力程度では知れている。せめてその数倍は吸収しなければ、風刃の杖は使えない。

騎馬隊が突入してくるところに、精霊の魔弾を叩き込んで、少しは数を減らせるはずだが。それも難しい。現状では、氷の杖に頼るほかないだろう。突入を許せば、蹂躙されるだけだ。

「丘の上に、騎兵が現れました! 数は四!」

「四体……」

「此処は逃げるという手もありますが」

「いいえ、踏みとどまりましょう」

四体という事は、先発隊だ。兄と協力すれば、簡単に倒せる数だが。今の疲弊しきったフレイヤだと、かなり厳しい。

悪いことに、まだ、荷駄は遠くまで逃げ切っていない。

もたついていれば、必ず追撃が、荷駄の背中に届くこととなる。

騎兵の突進力は凄まじい。石の城壁くらい、簡単に打ち砕く。巨神の騎兵は、突進するタイミングを見極めるべく。丘の上で走り始めた。その速さは、馬の比では無い。騎馬隊があれを相手にしたのだと思うと、気の毒でならない。

ほどなく、騎兵の突進にあわせて。

上空で旋回していたリンドブルムが、一斉に火球を砦に放ってきた。

轟音と共に、砦が揺れる。騎馬隊は上空からの支援攻撃を受けて、全く遮るものがないかのように、突撃してくる。

もう少し、もう少し。

フレイヤは口の中で呟きながら、敵を引きつける。

敵は横一列に、綺麗に並んでいた。

フレイヤがいる事を分かった上での事だろう。彼らは死など怖れていない。誰か一体でも突入できれば、勝ちだと知っているのだ。

氷の杖を握りしめると、フレイヤは目を閉じる。

三、二、一。

数え終わると、目を開いて、そして砦の上に飛び出した。

火球が降り注ぐ中、フレイヤは走り、城壁から飛び降りる。そして、氷の塊を走り来る騎兵の足下、膝をめがけて降らせた。

一番左が、派手に横転する。続いて、その隣。至近に火球が着弾。怖れず、もう一体を、氷の杖の速射の餌食にした。

だが、最後の一体が、砦に突入し、壁を文字通り木っ端みじんに吹っ飛ばす。

そして砦の中を蹂躙し尽くして、フレイヤの背中から、凄まじい気迫と共に躍りかかってきた。

横っ飛びに逃れながら、氷の杖から斉射を浴びせる。横転する騎兵。

城壁の上から、兵士達が下りて追いついてくる。何名か欠けていた。リンドブルムの火球にやられたか、騎兵の突撃で城壁から落ちたか。

「倒れた騎兵を始末するんだ!」

「おおっ!」

最後に斃した騎兵に、何名かが群がって、とどめを刺す。

北の民ほど上手では無いが、それでも一人が放った矢が、致命打になった。首筋を貫いた矢を受けると、大きく痙攣した騎手が動かなくなる。

更に、フレイヤは剣を抜くと、別の騎手の首に突き刺し、何度も抉った。

派手に巨神の血を浴びながら、凄まじい魔力を感じる。やはり彼らは、相当な魔力を内在している。

丘の上に布陣していた巨神が、なだれ込んでくるのが分かる。もう一体の騎手を、兵士達が始末していた。フレイヤも、氷の杖から氷塊を乱射して、最後の騎手の頭を吹き飛ばす。これで、どうにか先発隊の騎兵は始末できた。

だが状況は好転しない。フレイヤが姿を見せたことで、巨神は一斉に攻撃に転じたのだ。

「逃げなさい! 後は私が引き受けます!」

「フレイヤ様!」

「貴方を置いて逃げるなど……!」

「大丈夫、逃げ切って見せます!」

今の騎兵の突撃でも、数人を失った。

これ以上、目の前で誰かを失う事には耐えられない。飛びかかってきた巨神の一撃を、盾をかざして防ぐ。

本来だったら、一撃喰らっただけで、骨が全身砕けるほどの一撃だ。

強い魔術が掛かった盾でどうにか受け止めるが、それでもフレイヤは相当な距離吹き飛ばされた。逃げる途中に補強はしていたが、それでも何度も耐えられはしないだろう。

ただでは吹き飛ばされない。

それ自体を奇貨として、距離を稼ぐ。

一瞬前まで自分がいた場所に、巨神が一斉に襲いかかって、棍棒を叩き付けるのを横目に、精霊の魔弓を取り出す。

至近、二度連続で、リンドブルムの炎が炸裂する。

しかし煤にまみれながらも、フレイヤは魔弾を撃ち放つ。

十体以上の巨神を巻き込んで、大爆発が巻き起こる。兵士達が、何度も此方を振り返りながら、逃げていくのが分かる。

それでいい。

フレイヤは、尽きつつある魔力を感じながらも、走る。爆炎そのものを盾に。

跳躍して、低く下りてきたリンドブルムを斬る。

首を落とそうとしたのだが、半分ほどしか切り込みが入らなかった。元々フレイヤは兄に比べて剣技の腕が劣るし、腕力もない。神の武具の力も、生かし切れているとは言いがたい。

致命傷を与えられたことで満足するべきかも知れない。

また、煙幕を斬り破って、一匹下りてくる。反射的に斬り伏せる。敵はまだ中巨神、大巨神が合流していない。

今なら、まだ好機はある。

誰もいなくなった街に逃げ込む。だが、そこでフレイヤは、戦慄することになった。

既に街の中は、大量のスヴァルトヘイムの魔物で満たされていたのである。

街の上空には、巨神の魔術師が一体。

奴が呼び出したに違いない。もしも兵士達と街に逃げ込んでいたら、大変なことになっていた。

更に、おぞましいものが見える。

非常に体が細いが、長身で、手に杖を持つ巨神が此方に歩いてきている。

強い魔力を持っているようだから、おそらく魔術師だろう。だが、キャリアーとしての支援型ではない。

杖の先から、巨大な魔力の塊が投射される。

それが、フレイヤがさっきまでいた地点の近くに着弾。家屋を一つ、跡形もなく木っ端みじんに吹き飛ばした。

戦闘タイプの魔術師。

スヴァルトヘイムの魔物達も、フレイヤを視認。一斉に、四方八方から襲いかかってきた。

「どうやら私を、殺したくて仕方が無いようですね……」

最初に飛びかかってきた魔物に、逆に躍りかかると、はさみを避けつつ、剣で切り倒す。兄のように両断とは行かないが、弱点である頭に切り傷を付けて、致命傷を与えることくらいは出来る。

旋回しながら、氷の杖で、氷の塊を連射して周囲を薙ぎ払う。

スヴァルトヘイムの魔物達が、気にせず一斉に躍りかかってくる。見る間に死体が増え、更に氷の杖が、煙を上げはじめた。

もう、限界だ。

一匹が。はさみを振りかざして、上から押さえ込むようにしてきた。

盾で防ぐが、同時に四方八方から、魔物が飛びついてくる。無数の足が見えて、フレイヤは嫌悪感から失神しそうになる。

上空高く、吹き飛ばされた。

どうやら、魔術師の巨神が放った、魔力の塊が直撃したらしい。

一瞬意識を失う。

ばらばらに砕けた魔物の死骸と一緒に、地面に叩き付けられる。

傲然と歩いて来る魔術師。更に、空にいる奴も、次々追加のスヴァルトヘイムの魔物を召還してくる。

街の外からは、巨神の軍勢がなだれ込んでくるのが見えた。

どうやら、万事休すらしい。

フレイヤは、視界が霞むのを感じた。

吹き飛ばされる。

体当たりしてきた魔物が、フレイヤを空に舞わせたのだ。

木に叩き付けられて、ずり落ちた。魔力の流出が、このままでは始まる。気がつくと、掴まれていた。

戦闘タイプの魔術師だ。顔は至近で見ると骸骨のようで、魔術を得るために相当に過酷な修行しただろう事が、一目で分かる。中巨神と同じか、それ以上に背が高い。

フレイヤを握りつぶすのではなく、まず顔を覗き込んでくる魔術師。

フレイヤは、無言のまま、残った魔力を全身から放出する。銀色に輝いていた鎧は、既にくすんだ鈍色になっていた。

突然の魔力放出で、指を吹き飛ばされた魔術師の巨神が、のけぞる。

戦闘経験は、さほどないらしい。とどめを遠くから差せば良かったものを、確実な武勲が欲しかったのだろう。

もはや、叫ぶ余裕も無く、振り返る暇も無い。

剣を抜くと、よろめいた魔術師の膝を蹴って高く跳躍し、のど頸を一息にたたき割った。倒れる所に、更に頭に剣を突き刺す。

地響きを立てて倒れる巨神の魔術師。何度も体中を抉るようにして、フレイヤはおそらく自分が最後に斃すことになるだろう敵に、剣を突き立てた。

凄まじい魔力が、流れ込んでくる。

最後は、勝った。

だが、辺りはスヴァルトヘイムの魔物だらけ。視界は霞んでおり、しかも巨神も押し寄せてきている。

どうやら、これが自分という神の終わりか。

死んだ魔術師の上で立ち上がると、周囲を見回す。

もう、状況を打開できる技も無ければ、武器もない。鎧も、今ので、完全に防御力を失った。

殺しなさい。

呟くが、我こそはと出て来る者はいない。嬲られるよりはましかと、フレイヤは剣を喉に当てようとした。

その時。

魔物が、鋭い悲鳴を上げて、もがく。

雄叫びが上がった。他の魔物も、次々に斃されていく。見れば、北の民だ。彼らはスヴァルトヘイムの魔物の弱点である頭を的確に切り、或いは速射して斃し、見る間に路を開いていた。

「フレイヤ! 無事か!」

先頭にいるのは、シグムンドだ。

手には弓を持ち、矢をつがえている。襲いかかろうとしたスヴァルトヘイムの魔物を速射で二匹、殆ど同時に仕留めてみせる。

「ヘルギ! フレイヤを助けろ!」

「合点っ!」

ブルグントの兵士達もいるようだ。不意に沸いて出た敵に、混乱するスヴァルトヘイムの魔物達。それに巨神の先遣隊。

フレイヤは、空を見上げる。

そして、精霊の魔弓を引き絞った。逃れようと、巨神の魔術師がリンドブルムを盾代わりにかき集めるが、遅い。

放った魔弾が、リンドブルムに直撃。

周囲のリンドブルムと巨神の魔術師を、まとめて空から叩き落としていた。魔力だけは。今は、魔術師を斬って吸収したから、それなりにある。体力と気力は、どうにもならないが。

巨神の魔術師の死体を這い上がってきたヘルギが、フレイヤに飛びかかろうとしていたスヴァルトヘイムの魔物に、正面から躍りかかる。分厚い剣を振るって、頭を潰し、振り返った。

「無事か!」

「大丈夫です。 今から、力を出すところでした」

「減らず口をきけるなら、平気だな。 シグムンド、フレイヤは無事だ!」

「よし、敵を叩きつつ、フレイヤを助けて撤退! おう、そうだ、この町は酒の名産地だって聞いている! しかもどうせ巨神に取られるくらいなら、好きなように持ってって良いらしいぞ! さっさと巨神を潰したら、探してもいいからな!」

どっと笑い声が起こる。

フレイヤはヘルギに肩を借りると、地面に下りた。鎧は力を失っているが、直接人間に触られることを、防ぐことだけは出来る。

「手酷くやられたな。 こんなになるまで戦うなんて」

「私のことは構いません。 それよりも、どうして此処に」

「フレイが、あんたのことを心配していてな」

そうか、兄が。

凄まじい勢いに押され、程なく街の魔物は一掃される。巨神族もこれ以上の戦いは無益と判断したか、撤退していった。すぐに増援を加えて戻ってくるだろうから、時間はあまりない。

まだ無事だった馬が残っていたので、フレイヤはそれに乗せられた。他にも負傷者はいないかと思ったが、残った荷車を馬車につなげ、もう運んでいた。シグムンドは手際が良い。

酒を調子よくヘルギが見つけてきた。

あの兵士達は、逃げ延びることが出来ただろうか。そう思って見回すが、いた。どうやら、途中でシグムンド達を見つけて、呼んできたらしい。随分しっかりしている。安心して、力が抜けた。

シグムンドが来て、馬の手綱を取る。

「鎧が傷んだか」

「回復には時間が掛かります。 それと、武具の幾つかも、使い物にならないほどダメージを受けました。 数日は戦えません」

「そうか。 まあ、王都に行くくらいまでは、俺たちが守り抜いて見せるさ。 それまでゆっくり休んでくれ。 後は、任せろ」

心強い言葉だ。

今まで、フレイヤは、戦場にいながら何処かで死を覚悟していない所があった。

だが、今回の経験で、それも過去となった。

負け戦だったが、次こそは挽回してみせる。フレイヤは、それを強く、自身に誓っていた。

 

4、着陣

 

岩山で走り回りながら死闘を続けていたフレイは、ようやくそれが来たことに気付く。

舞い降りる光。

リンドブルム達やスヴァルトヘイムの魔物達が光を怖れるように下がる。

そして、光が収まったときには、そのものは、そこにいた。

紫の鎧を着込み、神の槍を手にした戦乙女。ワルキューレのブリュンヒルデ。

強者が揃うワルキューレの中でも、フレイと関係が深く、単純な戦闘力では高い評価を得ている者である。

「フレイ様、ブリュンヒルデ、着陣いたしました」

「来たか」

「早速、この醜き者どもを蹴散らすといたしましょう」

「うむ!」

着陣したのは、ブリュンヒルデだけではない。

周囲に、次々に光が舞い降りる。それらは輝く鎧を纏った、神の武具を持つ戦士達に、姿を変えていく。

彼らこそが、エインヘリヤルだ。

フレイが見たところ、戦力は五千。エインヘリアルが戦場に出向く時の、最小単位である。

エインヘリアルが手にしている武器は、フレイのものほどではないが、いずれもが遠くにいる敵を討ち貫くことが出来る。更に、ブリュンヒルデの持つ槍も、必殺の破壊力を持ち、遠方の敵を確実に刺し貫く。

五千の援軍に、一瞬で戦況が逆転した。元々、巨神は殆どいない状況である。リンドブルムやスヴァルトヘイムの魔物では、エインヘリアルの敵にはなり得ない。

遠くから指揮をしていた巨神の魔術師が、引くように促すまで、さほど時間は掛からなかった。勿論巨神の軍勢をつれて戻ってくるだろうが、時間は稼ぐことが出来た。

フレイも、実のところは、かなり追い詰められていたのだ。

だが、ブリュンヒルデの槍から放たれる青い光が、巨神族を次々貫き、打ち倒しているのを見ると、自身も休んではいられなかった。

岩山から敵を駆逐し終えると、フレイはようやく腰を下ろした。

ブリュンヒルデは、冷たい目で、フレイを見下ろしていた。

「貴方ともあろうお方が、随分と傷つきましたね」

「酷い負け戦だった。 どうにかブルグント軍の壊滅は防いだが」

「今の戦闘での感触では、さほど手強い相手には感じませんでしたが」

「それは、此処にいた連中が、数に物を言わせた雑魚だったからだ。 指揮を執っているフルングニルをはじめ、敵の主力は手強い」

そういうものですかと、ブリュンヒルデは言う。

それにしても、彼女がエインヘリアルと一緒に来たと言うことは。あの禍々しい何かは、よほど恐ろしいものなのだろう。

案の定と言うべきか。その予想は当たった。

「アスガルドから、ロキが逃亡いたしました。 経緯はよく分からないのですが、今アスガルドは大混乱に陥っています」

「……!」

ロキ。

アスガルドに封じられし邪悪。

その細については、フレイもあまり詳しくは知らされていない。ただ分かっているのは、魔力がオーディンさえもしのぎ、大きな脅威となって以前の大戦でアース神族に立ちふさがった、という事だ。

「直前まで、オーディン様からは出陣に対する横やりが入っていたのですが。 今では、更に追加の部隊を派遣する準備に入っているようです」

もっと早く動いてくれていれば。

フレイは、拳を石に叩き付けたくなった。やっとこれで、少しは戦況がマシになるとおもった矢先の出来事である。

ロキが巨神族の手に落ちれば、完全にこの戦は負けになる。

ただでさえ巨神族の軍勢は、このミズガルドに上陸しているだけでも百万を超えている。其処に、オーディン以上の戦士が加われば、どうなるか。

「すぐにブルグント王都に向かい、善後策を協議しなければならぬ」

「弱気な。 人間などに頼らずとも、エインヘリアルの軍勢がいれば、巨神族など蹴散らせましょう」

「否、人間は頼りになる」

立ち上がると、フレイはくすみが目立ちはじめた鎧の埃を払った。

激しい戦いの中、かなり鎧は傷ついていた。

ブリュンヒルデも意地悪く言っているが、分かってはいるはずだ。巨神族の主力が、それだけ恐るべき相手だと言うことは。

エインヘリアル達が、動き始める。

彼らの顔には、一様に感情がない。バルハラを無邪気に信じている北の民には、見せられない光景だと、フレイは思った。

いずれにしても、これで反撃の準備は整った。

あと五千、出来れば一万、エインヘリアルが加われば。ブルグント、それに可能であればゴートの軍も交えて、巨神族との決戦に持ち込むことが出来る。

ロキさえ仕留めれば、巨神族は戦略上の目標を失い、大きな打撃を与えることも可能になるだろう。

一糸乱れぬ統率で、五千のエインヘリアルがブリュンヒルデとフレイを守って撤退を開始する。目指すはブルグントの王都だ。辿り着くのには、問題も無いだろう。

フレイは一度だけ岩山を振り向く。また一つ巨大な絶望が生じた。しかしかろうじて見え始めた希望の光をも、掴んだように思った。

 

(続)