収束する戦線

 

序、臆病な竜王

 

怖い死にたくない怖い死にたくない。

頭を抱えて震えているファフナーが、すくみ上がった。足音が聞こえたからだ。

怖くて仕方が無くて、ファフナーは悲鳴を抑えるのに必死だった。

ただ、部下が来ただけなのに。

今は、ドラゴンの姿をしているというのに。

巨神族最強の魔術師は、とんだ臆病者だ。その事実は、巨神族の中で、広く知れ渡っている。

あらゆる賢者と語らい、ありとあらゆる魔術を収めて、究極の秘儀の一つである、ドラゴンへの変化まで実現した存在。

それほどの偉業を為しながら、フリム王麾下の一将に過ぎない存在として、今も扱われている者。

それが、ファフナーだ。

「ど、どうした……」

「作戦開始の時間です、ファフナー様」

「……もう少し、伸ばせないか」

「駄目です」

涙目になっていやいやと頭を振るファフナーを、部下達が引きずっていく。

貧弱とは言え、巨神だ。巨大な竜に変化していても、引きずられて行ってしまう。

「フルングニル様が立ててくださった作戦通りに行動しましょう。 そうすれば、生き残れる確率も上がります」

「作戦って、あれだろ! 私が敵の中枢で、あのおっそろしい女神と直に戦うとかいう奴だろ! 怖い! 死ぬ!」

「スヴァルトヘイムの魔物の実戦投入をしなければなりません。 我々が代われるのなら、そうしますが?」

分かっているのだ。そんなことは。

それに、これ以上怖じ気づいていたら。フルングニルに、今度こそ殺される。

フルングニルの拳骨は、ドラゴンの状態でも、めんたまが飛び出すほど痛いのだ。何度もぶたれたファフナーは、それをよく知っていた。

「さあ、貴方にしかできない仕事です。 それに、戦略的な意義を忘れましたか?」

「あの神々を、一カ所にまとめず、引き離す、だろう? 分かっている! 分かっているけど!」

「怖いのは皆同じです。 おそらくフルングニル様も」

「嘘を言うな!」

大声を出して、自分でびっくりするファフナー。

呆れたように見る周囲。

情けないが、それより怖い事の方が嫌だ。

「さあ、行きましょう。 もしも作戦の実施に遅れが出た場合、フルングニル様が五十発ほど拳骨をくださるそうですよ。 ファフナー様だけに」

「ひい! やりますやります! だからぶたないで!」

部下達の視線が痛い。

これで、逃げてしまえれば、どれだけ楽だろう。

だが、ファフナーはぶるぶる震えながらも、翼を広げた。

一応、こう見えても、オツムの出来だけは良いのだ。作戦は全て頭に入っている。何も、フレイヤを殺すまで追い込まなくても良い。そうできれば最高だが。

今回の目的は、フレイヤの誘引である。

まず、守りを固めつつあるブルグント王都に攻撃を掛ける。リンドブルムとスヴァルトヘイムの魔物による飽和攻撃を行い、更に仕上げとしてファフナーが乗り込む。

フレイヤが対応せざるを得ない状態になったところで、撤退を開始。フレイヤに追撃させる。

既に、スヴァルトヘイムの小人が全滅した事は、フレイヤの耳にも届いているはずだ。スヴァルトヘイムの魔物を使ってみせれば、ファフナーを追撃しなければならなくなる。そして、迷路同然のスヴァルトヘイムに誘い込み、魔物達による飽和攻撃を行うのだ。

大火力のフレイヤには、あまり好ましくない戦場。

それはファフナーにも言えることだが、魔物達にとっては庭も同じだ。地の利は此方にある。

「それにしても、ファフナー様」

「何だよもう。 作戦はちゃんと実施するよ」

「知っております。 スヴァルトヘイムの怪物とは、いつ契約したのです」

「ああ、あれはね。 ニーズヘッグと二千年掛けて交渉したの」

部下達が、流石に絶句した様子だ。

魔術による通信で、ヨトゥンヘイムと地底が偶然つながったのは、およそ三千年前の事である。

根本的に生息域が違う巨神とニーズヘッグ。ラグナロクの際には地底の魔物も大暴れするという伝承はあったが、それ以外の共通点はなかった。フリムに相談すると、交渉役として、ファフナーが選ばれたのである。

交渉下手なファフナーだったが、周囲のアドバイスなどを受けながらどうにか話をゆっくりじっくりすすめていった。最初の内は、一方的な条件を突きつけられたりもしたのだが、その度にフリム王にだめ出しを受けた。ようやく千年ほど前に、双方納得いく形で交渉がまとまり、契約が成立した。

ラグナロクが終わった後には、ニーズヘッグには世界樹を好きなようにかじって良いという条件が出ている。

その時には、世界を根本的に再編成するのだから、別に何ら問題は無い。

むしろ、急がないと、大変なことになってしまう。

オーディンは一体何を考えているのだろうと、ファフナーは思う。最初、フリム王が提案を持ちかけたとき、それを呑んでいればこんな事にならなかったのに。いや、最初だけではない。何回も交渉は行われたと聞いている。

それとも、オーディンはフリム王が知らない、何かを知っているのだろうか。

どうもそれは考えにくい。

オーディンが権力の亡者になっているという話もあるが、それもおかしいと、ファフナーは思っていた。

いずれにしても、今は考えている暇が無い。

作戦開始だ。

翼を広げ、飛び立つ。

部下の巨神達も、それに続く。この間の襲撃失敗で、フレイヤの攻撃可能範囲については、見極めがついている。

勿論アスガルドから新しい武器を仕入れていた場合、その情報は過去のものとなってしまうから、対応は急がなければならない。

気は進まないし、怖くて仕方が無いが。

やらなければならないことは、ファフナーも分かっているのだ。

まだ星が出ている内から、飛ぶ。

途中、迂回路を通るのは、作戦区域を敵に悟らせないためだ。馬に乗った偵察兵の方が、此方よりも動きが速い。

途中で部下達とも別れ、単独となった。

人間共が、ファフナーを見て、逃げ散るのが見えた。

殆どの人間が、こんな風に対応してくれれば、とても楽なのに。いや、それも難しいか。彼らは戦闘民族だ。一万年掛けて神々に調整された、エインヘリアル供給のための生物兵器だ。

逃げ散るのも、後の反撃のため。

そして、軍に情報を伝えるため。

恐ろしい連中である。

王都が見えてくる。分厚い城壁に三重に覆われた、強固な戦略的都市。内部で自己完結する経済物流を持ち、年単位での籠城に耐え抜くことも可能な、文字通りの難攻不落の城塞。

気は進まないが、やるしかない。

空間をつなげる。

スヴァルトヘイムの深奥と、このミズガルドと。

どっとなだれ込んでくるのは、無数のサソリのような生物。毒針は有していないが、代わりに大量の毒液を吐く能力を持っている。

「攻撃開始ー」

彼らに知性はない。

命令を出せば、死ぬまでそれに従う。

そして今回は、ニーズヘッグが行わせた襲撃と根本的に違う。契約により、作戦行動に不要となる本能は召還時に取り去っている。

無数の怪物は、はさみを振り上げると。エサとして認識もしない相手をただ殺すためだけに、周囲で暴れ回りはじめたのだった。

 

1、地下迷宮

 

ブルグント王都に、再度の襲来。

無数のリンドブルムが、四方から。しかも、タイミングを合わせたように、全角度から、同時に。

完全な作戦行動である。

フレイヤが呼ばれて神殿から出ると、既に敵はかなり近くまで迫っていた。

この近辺で一番高い場所となると、オーディンの神殿。その尖塔の上である。跳躍を繰り返し、その頂点にまで登り上がる。

オーディンはフレイヤよりも遙かに高位の神だが、これくらいは許して貰えるだろう。今は非常時なのだ。

確かに、相当数のリンドブルムが来ている。

どうも嫌な予感がする。無心のまま、精霊の弓を引き絞る。第一射、第二射。第三射。ゆっくり角度を変えながら、敵に向けて、大威力の爆発術式を放った。

空中で、大爆発が巻き起こる。

立て続けに焼き払われたリンドブルムの群れを見て、兵士達が歓声を上げる。だが、どうもおかしい。

フルングニルが現れてから、敵は無駄な作戦を一切実施しなくなった。

今回も、何かしらの策があるとみて良いだろう。

かなり減ったリンドブルムは、兵士達にも対応できるはず。むしろ、対応方法を覚えてもらわないと困る。

尖塔から下りると、小走りで来たハーゲンを見つけた。

「ここにおられましたか」

「何がありましたか」

「東側から、妙な魔物の群れが接近しております。 リンドブルムはどうにか兵士達で対処できますが、そちらはなにぶん数が多く」

「分かりました。 向かいます」

ハーゲンも、此方に来るらしい。

王の右腕として活躍する武人、どれだけの実力の持ち主か、側で見せてもらうのも良いだろう。

城下町を、駆け抜ける。

既に城壁の側では、リンドブルムとの戦いが始まっているようだ。兵士達の弓矢の腕は中々で、既にリンドブルムに対応できるようになってきている。元々ブルグントは弓矢に関しては諸国随一という噂がある国であったらしい。確かに、噂通り、腕利きの兵士達が揃っている様子だ。

そして、その腕を最大限に生かすため、造り出されたのが鉄の牛、というわけか。

東側に出る。

既にリンドブルムは駆逐されていたが、確かに城壁の下に、おぞましい光景が広がっていた。

それはサソリに近い生物で、人間の二倍から四倍程度の大きさがある。

全身は青紫で、両腕には鋭いはさみがあり、無数の足で前後左右に自在に動くばかりか、壁などを立体的に這い回ることもできるようだ。

全身を、生理的な嫌悪感が走り回る。

フレイヤも、苦手なものはある。足がたくさんある生き物がそれだ。どうしてか分からないのだが、昔から気味が悪くて仕方が無い。

兵士達が、壁にすがりつこうとするそれを、必死に叩き落としている。

だが、何しろ数が数だ。

徐々に、敵の高さが増してきている。このままだと、なだれ込まれかねないだろう。あれと肉弾戦を行わなければならないかと思うと、フレイヤは気が遠くなりそうだ。

「第二軍団を此方に回せ!」

「分かりました!」

ハーゲンの指示に、伝令が城壁の下に走り去る。兵士達は石を落として魔物に対処しているが、何しろ石壁をはしごも無しに上がってくる相手だ。多少の石で落ちたくらいでは、びくともしない。

矢も、強力な外殻にはじき返されてしまうことが多いようだ。

「試してみます」

城壁の上から身を乗り出したフレイヤは、臭気に気を失いそうになった。

どうやらこの魔物達は、体に独自の油のようなものを纏っているらしく、それが死臭とある種の果物の香りを混ぜて醜悪に昇華させたような代物へと変わっている様子だ。

稲妻を発生させる王錫をふるって、一気に魔物の群れを薙ぎ払う。悲鳴を上げながら吹っ飛んだ魔物達が、焼け焦げるときに、また凄まじい臭気を発した。

人間達は、この臭気の中で平気なのか。

それとも訓練を受けているのだろうか。だとすれば、流石だと思う。フレイヤは、嫌悪感を抑えるのに、非常な苦労を必要としていた。

「火矢!」

「ただちに!」

兵士達が、火矢を放ちはじめる。

だが、魔物に刺さっても、火が消えてしまう。どうやら特殊な油で、火を付けても即座に燃えるわけではないらしい。

王錫を何度も何度も振るう。

反射する雷撃が、魔物を薙ぎ払いながら飛び狂い、一気に多数を焼き払う。何度も振るっている内に、城壁にすがりついている魔物は、下で死骸を山と為した。足を縮めて死んでいる様子が、また常軌を逸して気味が悪い。

「頭の一部に、矢が通ります!」

「よし、周囲にも伝達せよ!」

ハーゲンが、弱点を見つけた兵士に、周囲にそれを伝えさせる。

すぐに効果が出るかは分からないが、何もしないよりは遙かにマシだ。魔物が、さらにさらに押し寄せてくる。

さっきよりも、更に数が増えているかも知れない。

王錫を、無言で振るう。

地面で乱反射した稲妻が、魔物を薙ぎ払い、焼き尽くす。

だが、敵は知ったことではないとでも言わんばかりに、亡骸を踏み越えて、ひたすらに数を武器に迫ってきた。

再び、城壁に取りすがられる。

魔力が、見る間に削られていくのが分かった。

「フレイヤよ」

イズンの声が聞こえる。

どうやら、この状況を見ていたらしい。

イズンのしゃべり方は、いつもゆっくりしている。幼い女の子の声で、そうやって威厳を出しているのだから、面白い。

「貴方が交戦しているのは、スヴァルトヘイムを滅ぼした、ニーズヘッグ配下の魔物達です。 おそらくは、召還されて地上に出てきたのでしょう」

「なんと醜悪な魔物でしょう。 その召還者を斃せば、打ち払うことができるのですか」

「この場にいる魔物達は、少なくともよりどころを失い、退散させることができるはずです」

気は進まないが、やるしかないか。

このような魔物達の親玉だ。非常に巨大なムシではあるまいか。だとすれば、フレイヤにとって、最悪の相性の敵となる。

城壁の上に、わっと大勢のブルグント兵士が上がって来た。

一気に膨大な矢玉が敵に加えられる。

「第二軍団、到着! これより攻撃に加わります!」

「フレイヤ様、お疲れであれば、お休みを。 後は我らが引き受けます。 貴方の武勇のおかげで、随分と敵も減りましたし、どうにかなりましょう」

「いえ、これより私は、この魔物を呼び寄せている首魁を叩きに行きます」

「お流石にございます。 我ら一同、その道を開く助力となりましょう」

好意的に解釈してくれるのは嬉しいのだが、フレイヤは内心、吐きそうになっているのをこらえるので精一杯だった。

戦士としてと言うよりも、戦況を見る限り、このままだとじり貧になる。

だから敵をたたかざるを得ない。

そんな簡単な理論なのに。自分の脆弱な部分が邪魔をする。それが口惜しくてならないのだ。

「制圧射撃!」

ハーゲンが、兵士達に指示。

一気に矢が敵の上に降り注ぎ、生きている魔物が減っていく。フレイヤは剣を引き抜くと、飛び降りざまに、生きている一匹の頭に突き刺した。

もの凄い悲鳴を上げ、大量の体液をまき散らしながら、魔物が動かなくなる。

これだけで失神しそうだが、必死に耐える。

やはり、巨神ほどは魔力も吸収できない。更に飛びかかってきた一匹を、上段から斬り伏せるが、一撃では死なない。

王錫をふるって、周囲を薙ぎ払う。

わずかな生き残りを、何度も叩くようにして、斬った。城門を開け、ハーゲンが出てくる。

ハーゲンは、その長身に見合った、もの凄く巨大な剣を振るって、魔物を切り裂く。

流石に一撃とは行かないが、甲殻に刃は、容赦なく食い込んだ。その剣技、騎士団長をしているだけのことはある。

別の魔物がハーゲンに襲いかかるが、まるで怖れない。ハーゲンは余裕を持ってはさみを盾で受け止めると、とどめの一撃を浴びせ、魔物を捻り殺す。ブルグントの騎士団長は少なくとも、単独の魔物より強い。

「殺せるぞ! 頭を狙え! 魔物、怖れるに足りず!」

「おおーっ!」

魔物の武器は数だとわかりきっていても、ハーゲンはそう言って、部下達を鼓舞する。

もう一度王錫をふるって、魔物達を掃討する。多分、そろそろ次のが来るはずだ。兵士達は魔物の弱点を学習しながら戦っている。狙うは頭。槍で頭を貫き、剣で頭をたたき割り、確実に魔物を斃していく。

フレイヤは、兵士に攻撃しようとしている魔物や、まだ元気な奴を狙って、剣で切り伏せる。そうすることで被害を減らせるし、魔力も吸収できるからだ。掃討戦が進み、そろそろ敵の残存戦力がなくなってきた頃。

きた。東から、更に多い魔物が押し寄せてくる。

数は軽く数千に達しているだろう。流石に兵士達が、どよめきを上げた。あれだけの数である。正面から戦えば、無事では済まない。

「一端城壁に下がりなさい! 私が王錫で薙ぎ払います」

「フレイヤ様は!?」

「私はこの場で、敵の前衛を叩き、逆撃を浴びせます。 そうすることで、敵の首魁に、素早く肉薄できます」

この簡単な思考しか持たない魔物達である。

操っているのが、東にいる奴だと言うことは、疑いない事実だ。

精霊の弓を引き絞る。

近くの敵に放つのは危険が大きいが、やるしかない。爆発に紛れ、一気に敵を突破する。ハーゲンが、精鋭数名と共に、側に残る。

「御身を守る栄誉をいただきたく」

「死んではなりませんよ」

「はっ!」

精霊の魔弾を、撃ち放った。

前方の地面が、大爆発に抉られる。魔物が粉々に吹っ飛んで、周囲に死骸がばらまかれるのが見えた。

後片付けが、さぞや大変だろう。

突撃、開始。爆炎の中に突入し、左右に、前に、王錫の稲妻を叩き込む。至近。飛び出してくる魔物。

フレイヤが反応するより先に、ハーゲンが剣を突き出し、頭を貫通した。

サソリに似ている魔物は、顔も極めて醜悪だ。昆虫を巨大にすると、こうも恐ろしい姿になるのかと、驚かされる。

そして、間近で見て、嫌なことに気付いた。

体自体は、むしろサソリよりも、ゴキブリに似ているのだ。

気付きたくなかった。だが、気付いてしまった以上、もうゴキブリにしか見えなかった。その醜悪な体もそうだが、臭気も精神を痛めつけてくる。

王錫を振るいながら、煙幕を突破。

敵の本隊は、城壁に向かったようだ。やはりたいした知能はない。突入班も、皆無事でついてきている。

前に、大きな影。

農家を踏みつぶすようにして、首を伸ばして、此方を見ている奴がいる。

巨大なドラゴンである。

全長は、大巨神の二倍半はある。後ろ足で立ったとき、頭の高さが、大巨神を凌ぐほどである。

口の巨大さといったら、どうだ。人間の三倍はある小巨神が、丸ごと入ってしまうほどだ。

流石に畏れを知らぬハーゲンも、それを見て呻く。

王都に滞在している間に聞いたのだが、ハーゲンは竜退治の逸話で知られているという。ブルグントの歴史の中でも珍しい、ドラゴンスレイヤーの騎士団長として名をはせているのだとか。

その彼が怖れると言うことは、斃した竜はもっと小さかったのだろう。

「フレイヤよ」

「女神イズン、あの恐ろしい怪物は」

「あれは巨神族最強の魔術師、ファフナーです。 ファフナーはその恐ろしい魔力で、竜に変じることができるのです」

「あれも巨神……」

ファフナーが、上空に向けて、炎を噴き上げる。

そして翼を広げて、飛び上がった。

 

やっぱりきた。

それだけで、ファフナーは涙目になりそうだった。

作戦の予定通り、数千の魔物を分けて送り出した。一波ごとにタイミングを分けて繰り出し、その度に敵の反応を引き出すことに成功した。フレイヤが来た時は、嬉しいとは思わなかった。

奴が放った魔術の破壊力を、散々見ていたからである。

後は適当に交戦して、フレイヤを誘い出せば良い。

それがとてつもなく難しいことはわかりきっている。しかし上手くやらなければ、この戦いのために出した損害が全て無駄になってしまう。そうなれば、後でフルングニルに殺されるだろう。

まずは、飛び上がって、炎の息を浴びせよう。フレイヤも、気付いているはずだ。魔物を呼び出したのが、ファフナーだと言うことに。

口を開いて、火球を放とうとした。

だが、その時、背中に灼熱が走る。何が起きたのか分からなかった。理解できたのは、地面に激突してから、である。

どうやら、稲妻の術式を使われたらしい。それで翼を焼かれたのだ。

真横に墜落した事もあって、極めて間抜けな落ち方をした。フレイヤ自身も、まさかこれで落ちるとは思っていなかったらしく、唖然としている。

ファフナーは戦いにそもそも向いていない。

研究肌の魔術師で、一万年以上、ずっと研究をしていた。戦う事なんかまっぴらで、そもそも研究者としての評価の方が、高いのだ。

どうして、前線に立つことを選んだのか。

それは、どうしても欲しいものがあったからだ。今までの功績と引き替えにと、フリム王に頼んだのに。王は首を縦に振ってはくれなかった。

仕方が無く、ファフナーは戦場に出ることを選んだ。あの臆病ものがと、周り中に笑われた。

だが、それでも。ファフナーは、怖くて恐ろしくて痛くて嫌で仕方が無い戦場に、出たのである。

体中が痛いが、必死に立ち上がる。

至近から、いきなり雷撃を浴びせられる。思わず頭を抱えてしまう。

「図体の割に臆病だぞ! 目を狙って矢を放て!」

「おおっ!」

調子に乗った人間共が、矢を放ってくる。

体をふるって、どうにか逃げようともがく。走り回りながら、薄目を開けて前を見ると、誰もいない。

むしろ、後ろに回り込んでいる。

ひいと、悲鳴を上げた。また、稲妻が飛んでくる。尻尾が吹っ飛ばされるのが分かった。ダメージコントロールのため、尻尾は攻撃されると千切れるようにしてある。しばらくすれば、再生もする。

だが、痛いのだ。

痛い事だけは、どうにもならない。

おしりを押さえたい位だが、竜の体では届かない。

後方に、火球を乱射。来るな来るな来るな。頼むから、来ないでくれ。こんな怖い作戦、だからいやだったんだ。

泣き言をばらまきながら、もう飛べないファフナーは走り回る。

振り返る。

フレイヤが、ついてきている。

どこまでも追ってくるつもりだ。それでいい。良くないけれど、良いと言うことにする。そうしなければ、心の安定を保てない。

作戦上は良いのだから、自分が我慢すればそれで良いのだ。

ファフナーはひたすらに走る。

流石に人間はついてきていない様子だ。それでいい。

元々、戦いに向いていないファフナーである。無理に戦闘に参加すれば、こんな結果が待っているのは、知れていたのだ。

後方に時々火を浴びせる。

フレイヤは、まるで怯まない。どうして怖がらないのか。蝶よ花よと愛でられてきた女神ではないからか。

ファフナーは泣きながら走る。

まだ、敵を誘い込む地点には、遠い。

 

残敵の掃討戦は任せて、フレイヤはファフナーを追う。

吃驚するほどあっけない相手だった。途中、イズンと話をするが、どうもファフナーは学者肌の巨神であるらしく、そもそも戦いに出てきたこと自体が、驚きなのだとか。

「何か、望むことがあるのでしょうか」

「分かりません。 ファフナーを逃がしてはなりませんよ。 スヴァルトヘイムの小人達は、神々から特別に高威力の武具を持つ事を許されていた種族です。 彼らを滅ぼすほどの魔物を従えている以上、放置はできません」

「……」

今、気になる言葉が飛び出した気がするが、とりあえずは追求しないで置く。

人間に、神々が多くの掣肘を加えていることを、フレイヤは知っていた。だが、小人はそうではなかったのか。

フレイから、フルングニルの言葉を聞いている。魔術を介して会話したのだが、その中には、自分たちが知っている以上の、黒い情報が幾つも入っていた。

一体人間とはなんだ。それよりも、もっと気になるのは、アース神族とヴァン神族の関係だ。

フレイヤも、ヴァン神族という呼び方については、聴いたことがあった。だが、アース神族と対等の関係で、なおかつ昔は同じ姿をしていたと言うことについては、初耳だ。それ以上に、先代のフレイヤがヴァン神族だったという話については、衝撃的だった。

一体昔のアスガルドは、どういう世界だったのか。

オーディンとイズンくらいしか、巨神大戦前の状況を知る者はいない。トールやテュールでさえ、代替わりしているという話なのだ。それが全て本当だとすると、何が一体一万年の間に起きたのか。

森を山を走り抜ける。ファフナーは必死に逃げている様子だが、それでも逃げる先は決めているようだ。

先に回り込もうか。

そう思った矢先に、ファフナーが巨大な穴に逃げ込んだ。

足を止める。

洞窟。

それも、確か此処は、スヴァルトヘイムに通じる穴だ。近辺は人間が近づいてはならない土地と、神々に指定されているはず。そして、スヴァルトヘイムは、今や人外の魔境と化している。

小人は、人間と同じように、神々の奉仕種族として造り出された。

名前の通り体は若干人間より小柄だが、その分屈強で、様々な細工などの技術力に長けている。

一部の小人は神々の武器を作る事を許されているほどだ。

そして、フレイヤには、苦い思い出がある。

母の先代フレイヤが、小人と行った、あまりにも淫売な事実について、からかわれたことがあるのだ。

最近それが、全くの真実だったことを知ったとき。フレイヤはますます先代が嫌いになった。

鬼籍に入った相手を、あまり悪く表立って言うことはできないから、兄に何度か零したくらいだが。

「フレイヤよ。 ファフナーはこの奥に逃げ込みました。 スヴァルトヘイムの魔物の介入を防ぐためにも、追うのです」

「しかしあの魔物が、多数待ち受けているのでは」

「撃破するしかないでしょう。 フレイヤ、勇気を振り絞るのです」

勝手な事を言ってくれる。

あの怪物のおぞましさを、イズンはどれだけ理解しているというのか。この場に連れてきてやりたい。

相手が高位の神だから、下手に出なければならないのが、口惜しくてならなかった。

神がムシを嫌がるのを、おかしいと思う者もいるかも知れない。

フレイヤも、どうして自分がムシを嫌がっているのか、よく分からない。ただ、生理的に受け付けないのだ。

洞窟は巨大な口を開けていて、入り口には整備された跡もあった。

だが、すぐに、惨状が露わになる。

辺りには、食い散らかされた死骸。それも全て白骨化している。

巨神はものを喰わないが、魔物は違う。あの魔物達は、文字通り地下に住んでいた小人達を、食い尽くしたのだ。

子供の骨は見当たらない。

柔らかい骨は、全てかみ砕いて喰ったのだろう。

吐き気がするが、こらえることはできる。歩いていると、周囲には、おぞましい粘液がこびりついていた。

振り返りざまに、王錫を振るう。

乱反射する稲妻が、天井に潜んでいた魔物を、まとめて焼き払った。

落ちてくる魔物を、剣ではじき飛ばす。それくらいは、フレイヤにもできる。

「ファフナーは」

「足跡が残っています。 それをたどりなさい」

言われて見れば、洞窟の床に、ファフナーの巨大な足形が続いていた。

いくら何でも、露骨すぎる。あの悪竜、此方を誘い込もうとしているのではないのだろうか。

散らばっている魔物に剣を突き刺して、魔力を吸い取っておく。

巨神よりも更に悪辣だと判断するべきなのか、それとも。動物らしく振る舞っていると考えるべきなのか。地上で魔物達が人間をエサとして襲っている雰囲気は無かったが、それは召還された時に、戦術的行動を取るために、本能を取り払われたのだろう。

いずれにしても、嫌悪感は強い。

それにしても、ある程度の軍事力があったスヴァルトヘイムが、どうして外に連絡さえできず、滅んでしまったのか。それが分からない。

ニーズヘッグは相当に強大な邪竜だと聞いているが、それでも神々の力に勝っているとは思えない。

歩いていると、洞窟の広い空間に出た。

全身が総毛立つ。

広間を埋め尽くすほどの数で、魔物が蠢いていたのである。天井も床も壁も、何もかもが隙間もなく、魔物だらけだ。

蠢く無数の足足足。得体が知れない油で濡れた体。はさみを動かしたり、体節をもぞもぞさせたり。

フレイヤの精神に、限界が来た。

殆ど反射的に、精霊の弓を引き絞っていた。

そして、広間にぶっ放す。

無言で後ろに逃げた。大爆発が反響して、広間にいた魔物が根こそぎ消し飛んだ後、とんでも無い悪臭が此方に流れてくる。

呼吸を整えるだけで、必死。

もう、一秒でも早く、こんな所は出たい。

「その広間の先に、ファフナーの足跡が続いています」

空気なんて知ったことでは無いと言わんばかりの、イズンのアドバイス。聞いているだけで、頭が痛くなってきた。

既に、魔物の体液の臭いで、頭がくらくらしているのだ。

「毒ガスか何か流し込んでは駄目ですか」

「それでは、ファフナーを確実に倒せたか分かりません」

行けば良いんでしょう、行けば。

内心で流石に毒づくと、フレイヤは広間に入る。

辺りは文字通りの死屍累々。爆発に思い切り巻き込まれた魔物は木っ端みじん。そうでないものも、衝撃波にやられて、全滅だ。

だが、これだけの大きな音がしたのである。

魔物達も、これから黙っているとは思えない。

周囲には、小人の骨だけではない。生活の跡も残っている。洞窟の中で、小人達は石を積み上げて住居にしているらしいのだが、石は溶かされた跡があった。或いは、魔物の吐く毒がそうしたのかも知れない。

鞴や、金床は、そのまま残されていた。暖炉の類は、流石に火が消えている。火事が起きた痕跡も、何カ所かに残っていた。

皮などの加工品は、全てが食い荒らされている。魔物はその獰猛さと旺盛な食欲で、生きたものやその派生物を、全て胃に収めたのだ。

時々、物陰から不意に魔物が飛び出してくる。

その度に、王錫をふるって、雷撃を見舞った。足を縮めて死ぬ魔物は、相当数に達している。

この洞窟の中全てに、トール様に頼んで雷撃を満たして貰えないだろうか。

そうすれば、フレイヤが危険を冒して中に入らなくても、ファフナーごときっと焼き払えるのに。

「先にここに入ったワルキューレ隊も、同じ依頼をしたそうです。 しかし、オーディンは許可しませんでした」

「いくら何でも消極的すぎませんか。 既にラグナロクは始まっているのに」

「オーディンの意思は、私にも分かりません。 ただ、フレイの方に、増援が既に派遣されました。 少しずつ、状況は良くなってきています。 貴方も未来を信じて戦うのです」

何だか、綺麗な言葉に誤魔化されてしまった気がするが。

だが、正論だとも思う。

少しでもスヴァルトヘイムの魔物を駆逐すれば、味方の戦力を高めることにもつながる。フレイヤが頑張れば、それだけ味方の負担は減るのだ。

トロッコがある。レールもあるが、寸断されていた。

この辺りになると、抗戦した跡が残されていた。小人も、そもまま駆逐された訳ではなかったのだ。

抵抗して、それなりに意地を示した。

しかし、人間より神々とのつながりが強い小人が、どうしてアスガルドに救援を求めなかったのか。それが分からない。

天井から、がさがさという音。

光の魔術を使って照らしてみるが、魔物はいない。

だが、複雑な地形の地下空間だ。天井も歪んで死角が多い。見えなかった位置の天井近くの穴から、無数の魔物が、あふれ出るようにしてわき出してきた。

無言でフレイヤは、王錫の稲妻を叩き込む。

だが魔物は別の穴からも、大量にあふれ出てくる。いつのまにか、フレイヤは完全に包囲されていた。

王錫を振るい、まずは後ろに回った魔物を焼き払う。

そして死骸を踏み越えながら、一気に退路へと抜けた。

魔物が上からも横からも迫ってくる。膨大な毒をはきかけてくる。毒を飛ばす能力を持った生物が存在するが、それでもこれほどの毒をはいては来ない。

「フレイヤよ」

「今、集中して戦闘中です。 手短に」

追ってくる魔物が、毒を至近から浴びせてきた。

神の鎧が、激しい煙を上げる。本来だったら、即死だろう。鎧が全身を魔力で守っているから、死なない。それだけだ。

しかし、集中攻撃を浴びると、持たない。

王錫をふるって、魔物を蹴散らす。至近から、はさみ。振り下ろされたはさみに、吹き飛ばされる。

はじき飛ばされながらも、フレイは雷撃を周辺に放つ。

乱反射する魔法の稲妻が、魔物共を焼き払っていくが、それでも、全ては斃しきれない。呼吸を整えながら、何度も稲妻を周囲に撃ち放つ。

「解析の結果が出ました。 不可解な穴を幾つか見たと思いますが、あれらはどうも、スヴァルトヘイムよりも更に地下の世界と、直接つながっているようです」

「何ですって……」

「しかも、どうやら同時期に出現したようなのです。 スヴァルトヘイムの小人達は、いきなり領土の中に同時多発で沸いた魔物に、なすすべもなかった、というのが真相なのでしょう」

色々言いたいことはあるが、一つ分かったことがある。

スヴァルトヘイムは、もう終わり、という事だ。

こんな有様では、ニーズヘッグを葬らない限り、また住むのは不可能だ。

飛び下がって、魔物がはき出した大量の毒液を避ける。魔力の補充が、追いつかなくなってきた。

幸い、一度に繰り出せる魔物には、限界があるらしい。

かなりの長時間戦ったが。程なく、魔物は現れなくなった。焼け焦げた死骸に剣を突き刺して、魔力を吸い上げる。生きている魔物よりぐっと吸収量は少ないが、辺りは死体だらけだ。数さえ集めれば、それなりに吸い取れる。時々、まだかすかに生きている魔物もいて、そう言う奴からは死ぬまで容赦なく吸い取ってやった。

辺りは、腐臭と、死骸の焦げる臭いが充満していた。

ファフナーの足跡を追って、行く。

浮遊する魔術の光が、かろうじて周囲を照らしてくれている。そうでなければ、歩くこともできなかっただろう。

スヴァルトヘイムには、できれば足を運びたくないと思っていた。

だが、現実の惨状を見てしまうと、そのようなことは言ってはいられなくなってくる。魔物の防衛線を何度も打ち破りながら、フレイヤは進む。

北の民たちが一緒にいてくれたら、どれだけ心強かっただろう。

洞窟の深奥。

ヒカリゴケが生えている其処に、ファフナーは待っていた。

翼を折りたたんだファフナーの上には、巨大な穴が開いている。ただし、魔術によって、一方通行にされている様子だ。

「ファフナー! 追い詰めました。 覚悟しなさい!」

「ひいっ! なんでこんなに速く辿り着くんだよ。 封印の術式が、完成していないじゃないか!」

飛び退く。

足下には、邪悪な魔法陣。

そうか、フレイヤを此処に誘い込み、動きを止めるつもりであったのか。何たる卑劣な策略か。

にらみつけると、傷だらけの巨竜は、翼を広げる。

「戦っても、勝てない事は分かってる。 だから、逃げる」

「待ちなさい!」

「少しは時間を稼げたし、フルングニル様も殴らないだろう。 悪いけど、失礼させてもらうよ」

意外に流ちょうな言葉で喋ると、ファフナーが飛び立ち、虚空に消える。

フレイヤは振り返る。

封印の術式とやらは完成しなかった。だが、フレイヤは足止めされたことに間違いはない。後ろには、追撃してきている無数の魔物の気配もある。

上空の穴は、おそらくもう通れなくなってしまっているだろう。

嫌だが、また魔物を蹴散らして、地上に抜けるほかない。

我慢だ、我慢。

此処で一体でも魔物を多く蹴散らせば、それだけ味方が楽になる。

幸い、まだ手元にある王錫は保つ。フレイヤの気力と魔力さえどうにかできれば、充分に脱出も可能だ。

息を吐くと、フレイヤは走り出す。

一端外に出たら、ブルグント王都に戻って、状況を確認して。

それが済んだら、一度兄の所に戻ろう。

兄様なら、きっとフレイヤが苦労したことも、分かってくれる。戦うなら、その果てに滅びるなら。兄様の隣が良い。

わさわさと音を立てて、無数の魔物が押し寄せてくる。狭い通路なら、王錫から放つ魔法の稲妻が、猛威を振るう。

焼き払い、薙ぎ払い、フレイヤは来た道を戻る。

ファフナーというあの魔術師、いずれ決着を付ける。その前に、この地獄と化したスヴァルトヘイムから、脱出しなければならなかった。

 

2、見習いワルキューレ

 

様子見に来たらしいフルングニルを撃退してからも、巨神族の猛攻は留まるところをしらなかった。

毎日手を変え品を変え、必ず攻撃をしてくる。

飽きもせず攻撃をしてくる上に、同じ戦術を使ってくる日は一度もない。それに、敵の被害が少しずつ減り、味方の被害が増えているのが、目に見えて分かるようになってきていた。

城壁に上がって、敵を見ていたフレイの所に、司令官が来る。

そして、率直に言った。

「そろそろ限界です」

「そうか」

「物資だけはあるのですが、継戦能力を残した兵は、既に半数を切っています。 負傷者はすぐに戦場に復帰出来るわけではありません。 それに、防衛施設も、そろそろ耐久力に限界が」

「此処を抜かれると、ブルグントに一気に巨神の軍勢が侵入することになる。 まだ、持ちこたえなければならん」

フレイの返答に、頭を下げると、司令官は戻っていく。

以前フルングニルとの会話を聞いてから、どうも司令官の様子は妙だ。まさか裏切るような事はないだろうが、妙な不安を感じる。

怖じ気づいていた兵士達も、シグムンドを筆頭とする北の民達の活躍で、だいぶ勇気づけられ、敵と戦う気力もえている。

かといって、精神論で戦いに勝てると思うほど、フレイも楽観的ではなかった。

せめてフレイヤが戻ってきてくれれば。

光が舞い降りてくる。

城壁を上がって来たシグムンドが、ぎょっとした様子であった。

光は、すぐにヒトの形を取る。

亜麻色の髪を持ち、紫色の鎧に身を包んだ、腰に剣を帯びた女神である。正確には半女神だ。

「フレイ様、ワルキューレ隊末席、アネット。 増援として参上いたしました」

「うむ、来てくれて助かる」

「ワルキューレだって?」

シグムンドが側に来ると、まじまじとアネットを見た。

アネットは人間で言うと十代前半が良いところだろう。ワルキューレ隊はアスガルドでも武闘派として知られる集団だが、末席と言われているとおり、武勇はまだ未熟も良いところである。

非常に生真面目なところが有り、他のワルキューレ達から煙たがられているという事は、フレイも聞いていた。

というよりも、ブリュンヒルデとアネットくらいだろう。真面目なワルキューレは。他の面々は、大なり小なり人格的な問題を抱えていて、中には権力を持つ神に取り入る者までいる。

アネットはそういう同僚達の間からは、決して良く想われていないらしい。

ただ、腕が未熟なのも事実なので、フレイとしては庇うこともできなかった。それにこの戦場に投入されたのは、おそらく死んでも惜しくないと思われているから、なのだろう。アネット自身には、聞かせられない話であったが。

「何でしょうか」

「ああ、思っていた姿と違うと思ってな」

「もっと強そうな女戦士を想像していましたか」

「有り体に言えば、そうだ」

シグムンドは嘘をつかない。

だが、そういったさばさばした関係が、むしろアネットには心地よいのだろう。不器用に、にこりと笑ってみせる。

「嘘を言わないのは結構なことです。 嘘は聞き飽きました」

「フレイ、生真面目そうなのだが、大丈夫か?」

「腕はまだ未熟だが、潜在力は高い。 ただ、まだ神の武器は与えられていないと聞いていたが」

「ブリュンヒルデお姉様に、此方を借りてきました」

アネットが腰に差しているのは、確かブリュンヒルデが愛用している剣だ。黄金作りの柄をもつ、非常に細身の華美な剣である。細いと言っても強い魔法が掛かっており、フレイの使っている剣のように、遠くの敵を鋭利に切り裂く事ができる。

ワルキューレは槍で戦う者が多いが、ブリュンヒルデは剣も得意としている。確か初陣で強力な魔物を討ち取ったときに、オーディンに下賜された武器だったはず。それを与えたという事は、アネットに期待している反面、心配もしているという事だ。

ワルキューレ隊は、形式的には全てが姉妹となっている。

ただし、そう本気で考えているワルキューレは、あまり多くない。アネットがお姉様と言うのを聞いて、フレイは複雑だった。他のワルキューレがアネットをなんと呼んでいるか、知っていたからである。

「アネット、回復の術は使えるか」

「はい、それがどうかしましたか」

「今は前線での戦いよりも、けが人の治癒に廻って欲しい。 とにかく手が足りないのだ」

「え……」

見るからに残念そうな顔をしたアネットだが。

フレイが無言で城壁をおり、現状を見せると、絶句した。

司令官が言っていたことは、嘘でも何でもない。

既に負傷者は相当数に登り、介護が追いつかない状態になっている。前線で戦っている兵士も、軽傷をしていても、戦っているものが珍しくない。

フレイヤがいれば治療に廻って貰えるのだが、まだ妹神は戻ってきていない。

「次の巨神の攻撃までには、まだ時間がある。 負傷の度合いが酷い者から、順番に見ていってほしい」

「分かりました。 すぐに対応に廻ります」

ぱたぱたと、けが人の方に行くアネット。

これでいい。アネットは戦士としてはまだ未熟だが、回復の術はそこそこに使えるはず。これで、かなり前線の負担が小さくなる。

「ワルキューレが来てくれたか。 エインヘリアルの軍勢も来てくれれば、かなり有利になるのだが」

「そうだな。 できるだけ、急いでオーディンが決断してくれることを、祈るばかりだ」

「ブルグントの準備は、いつ整うと思う」

「まだ掛かるだろう。 退路はどうにか確保しているから、伝令が来るのを待つしかないだろうな」

北の空に、無数のリンドブルムがわき上がる。

さっと兵士達が、気合いを入れるのが分かった。

ウルズがいつの間にか、側にいてシグムンドの服を掴んでいる。

「どうした、何か感じたか」

「巨神、今日は一日中来る」

「何だって……」

「疲れさせるつもり。 多分、明日中に、この砦を落とす気だと思う」

フレイは、それは重畳と、我知らず呟いていた。

そうなると、アネットには、いきなり修羅場で働いてもらう事になる。だが、それも経験の内だ。

できる限り速く、一人前になってもらわなければならないのである。

「東からも西からも、リンドブルムが来ました!」

「フレイ様、偵察に出ていた部隊が! 大巨神と騎兵の接近を確認しています!」

ラーンも戻って来た。

偵察隊が、慌てて城門の内側に逃げ込む。ラーンも急いでクロスボウに矢を充填すると、北の空を見上げた。

「どうやら敵も、本気になったようだな」

「必然的に、巨神が展開できる北門が、集中攻撃を受けることになるだろう。 シグムンド、ヴェルンドと協力して、西と東を守って貰えるか」

「分かった。 任せておけ」

空に見えるリンドブルムの影が濃い。

おそらく、今回は今までに例が無いほどの数を動員してきている。如何に使い捨ての雑兵とはいえ、これだけの数だ。手が足りない事態になるだろう。

もしも、一カ所でも敵に制圧されれば、その瞬間砦は落ちる。

何度かアスガルドに使いをやっては補充していたトールの剛弓の矢も、連日の激戦で残りが少ない。だが、その一本を、フレイは躊躇なくつがえた。

そして、敵の密度が高い場所に、まだ距離がある内に叩き込む。

桁外れの剛弓である。

距離をものともせず、矢はリンドブルムの一団を蹴散らした。赤い塵となったリンドブルムが、飛び散るのがフレイの所からも見える。

だが、敵は無数にいる。

近距離に来るまで、三度剛弓の矢を叩き込んだが。まるで焼け石に水だ。

此処からは、制圧射撃に切り替えるしかない。だが、それもおそらく、指揮をしているフルングニルには、想定の範囲内だろう。

リンドブルムが、空を覆うような数で襲ってきた。

複数の矢を放つ弓に切り替えていたフレイは、無言でそれを空に掲げると、速射しはじめる。

リンドブルムは、恐怖も感じていないだろう。

ばたばた落ちても、気にもせずに次から次へと来る。そして数そのものを武器にして、ついに至近まで来ると、火球を吐き始めた。

ラーンがクロスボウで、一匹を叩き落とす。他の兵士達も、手慣れた動作で、次々リンドブルムを撃墜した。

だが。火球の数が多すぎる。

直撃を受けた兵士が、悲鳴を上げながら吹っ飛ぶ。リンドブルムの火球は強い魔力を有していて、着弾点で爆発する。殺傷力は極めて高い。

黙々と敵を片付けていくフレイだが、手が回らなくなってくると、弓をしまい、剣に切り替える。

そして片っ端から、斬撃の射程圏内に入ったリンドブルムを、叩き落としていった。

近距離まで引きつけると、剣の方が効率が良い。

リンドブルムを次々に切り落として、城壁の下に死骸の山を作っていく。気になるのは、報告があった巨神達が、まだ来ないという事だ。

単純な消耗を狙っているのか、それとも。

「東の城門に、敵が集中!」

東は、シグムンドがいる所だ。しかし、北門も、有利とは言えフレイが動ける状態ではない。

「増援を回せないか」

「無理です! 負傷していない兵士は、最後の一人まで城壁に出ています!」

「ならばアネットに出てもらえ」

「分かりました!」

伝令の兵士が、駆け去って行く。

今回の戦いは、想像以上に厳しくなる。ラーンが叫んだ。

「フレイ様!」

とっさに盾を上げ、火球の直撃を防ぎ抜く。だが、全て防ぎきれる訳でもない。更に言うと、一瞬隙が出来れば、一気に敵は乗じてくる。

多数の火球が、フレイを直撃。

鎧の力がなければ、瞬時に蒸発するほどの火力だった。

殺意を感じるほどの熱を斬り破って、フレイは躍り出る。

鎧にかなりのダメージがあるが、まだやれる。

無言のまま、至近にいたリンドブルムを斬り伏せた。むしろ攻撃が集中していることは好ましい。それだけ人間達を守る事もできる。問題は、巨神達が、いつ北門に総攻撃をかけてくるか、だ。

ウルズの予言は、当たるように思えてならない。

 

けが人の治療をしていたアネットは、呼ばれて顔を上げる。

ワルキューレにとって、人間は戦場で戦っている所を見るだけの相手だった。エインヘリアルになってからも、会話する機会は殆ど無い。というよりも、エインヘリアルになってしまった人間は。

だから、話しかけられるという機会そのものがまずない。

おかしな話である。おそらく神々の中で、ワルキューレが一番人間と接している筈なのに。

アネットも、一番若いとは言え、既に五十年を生きている。神々としてはやっと戦場に立てる年齢だ。

しかし、それでもどうやって話して良いかも分からないのだから、滑稽そのものだと、アネットは思った。

どう接して良いか分からないアネットに、兵士は敬礼したまま言う。

「フレイ様の伝言です。 東門に向かい、敵を撃滅して欲しい、とのことです」

アネットが頷くと、兵士は戻っていった。

怪我をしているだろうに、一秒が惜しいのだろう。

この世界の人間達は、戦いを怖れない。

どれだけ巨大な敵が相手でも、戦う勇気を持っている。きっと勇気だけなら、人間は神々以上だ。

本来の人間は違ったと、アネットは聞いている。

不自然な状態に、調整された人間。

だが、酷い事なのかも知れないのに。アネットは、今の人間の方が、良いと思う。

城門へ向かう。既に城門を飛び越えたリンドブルムが、城の上空を何羽か舞っている。まだ、城内に残った兵士達が対応できているが、それもいつまで保つか。

至近。殺気。

跳躍しつつ、剣を鞘から抜く。

一閃。

手応えが、重い。

翼を両断されたリンドブルムが、地面に激突。アネットは、剣を持つ手の感覚を確認しながら、城壁の上に上がるべく、階段に足を掛けた。

「ひるむな! 敵の方が、遙かに被害は大きい!」

叫び声が聞こえる。

フレイの側にいた、シグムンドという狼のような男だ。城壁の上に顔を出すと、今まさに、リンドブルムの大軍が、戦士達と交戦しているところだった。

アネットはくるりと円を描くように廻りながら、剣を振るった。そうすることで遠心力を補う。

リンドブルムを、切り落とす。

狙うは首や翼だ。胴を切ると、今のように手応えが厳しすぎて、剣にも手にも負担が掛かる。

ブリュンヒルデから預かったこの剣は、自己再生能力を持つ逸品だが、これから数え切れないほどの敵を斬るとなると、可能な限り負担は小さい方が良い。

斬る。三匹。四匹。

廻りながら立ち位置を工夫し、火球を避けつつ、もう一匹を斬る。

リンドブルムが、此方に集中しはじめる。火球を吐こうと、数匹が、同時にアネットの上空に躍り出た。

だが、それを、シグムンドとその周囲にいる人間が、まとめて射落とした。

「ワルキューレが来た! 今こそ戦いぶりを見せろ! 戦って戦い抜いて、そして行くならバルハラだ! 俺たちの強さを、見せつけてやれ!」

「おおーっ!」

「敵を打ち倒せーっ!」

「武勲を立てるのは今だ! 北の奴らにばかり、良い格好をさせるな!」

人間達が、活火山のような戦気を噴き上げた。

アネットは自分が士気高揚のネタにされた事に気付いたが、人間達は一気に盛り返して、やる気を出している。

それならば、フレイも喜ぶかと思って、何も言わない。

というよりも、喋る余裕など無い。無言で黙々と廻りながら、剣の射程圏内に入った敵を、斬っていく。

リンドブルムを、見る間に撃退していく人間達。

劣勢は覆された。

だが、それだけでは終わらない。巨神が、此方に来るのが見えた。アネットは無言のまま、城壁を飛び降りる。

リンドブルムは、城壁の上にいる戦士達だけで大丈夫なはずだ。

着地する。

空を舞う術に長けているワルキューレだが、アネットはまだ未熟で、実体があるままだと、かなり飛ぶのは遅い。

落下も、速度を軽減するのがやっとで、衝撃はもろに足に来る。

巨神は、中巨神を指揮官にした、二十体ほどだ。

おそらく魔術師が転送してきた小部隊だろう。後続は見えない。

心臓が高鳴るのが分かった。

巨神と戦うのは初めてだ。リンドブルムとは訳が違う。何度か、剣の感触を確かめ直す。一度鞘に収めたのは、振りの初速を上げるためだ。

不意に、一番前にいた巨神が、かき消える。

上だと気付いたときには、棍棒が降ってきていた。

横に飛び退いて、避ける。剣を振るって、左腕を叩ききる。だが、巨神は意に介してもいない。

転がりながら、立ち上がろうとしたアネットは、もろに吹っ飛ばされる。

別の巨神が既に至近まで迫っていたのだ。棍棒が、アネットを容赦なく吹っ飛ばしていた。守りの魔術が掛かった鎧でなければ、アネットは粉みじんになっていただろう。だが、軽減してもなお痛い。

城壁に叩き付けられたアネットは、肋骨が軋むのを感じた。

目を開けると、更に数体の巨神が、此方に跳んできている。城壁の上に、負担を掛けるわけにはいかない。

大きく息を吐く。

怖い。

巨神の棍棒のパワーは、リンドブルムの火球を更に凌いでいる。更にあの機動力である。回復力も高い。

だが、それでも。負けるわけにはいかないのだ。

タイミングを合わせて、剣を横に払う。

巨神の体を浅く裂いた斬撃だが、それでも勢いを殺し、地面に叩き付ける。だが、その影になるような形から、一体が地面と水平に跳んできていた。剣を振るおうにも、対応が間に合わない。

だが、巨神の首筋を、上から貫く矢。

「しっかりしろ!」

シグムンドの声に、我に返る。

そして、剣を振り下ろして、体勢を崩した巨神を一気に斬り伏せた。

手応えが、とんでも無く重い。

はじめて、巨神を斬った。

「ワルキューレを援護する! 俺に続け!」

「わ、私、大丈夫……」

「行くぞ! ワルキューレを死なせたとあったら、戦士の名折れだ! あの程度の数の巨神、蹂躙するぞ!」

人間達、話を聞いてくれない。

城門を開けると、内部からどっと押し出してくる。

そして、アネットが瞠目するほどの手際で、巨神達に躍りかかり、打ち倒していった。

シグムンドが、隣に来る。

「未熟なことは、分かっていた。 俺たちが補助するから、案ずるな」

「……」

悔しいが、この男の言うとおりだ。無言で剣を抜くと、戦士を叩き潰そうと棍棒を振り上げていた巨神の胴を払う。

怯んだ巨神を、戦士達がよってたかって切り刻んで、打ち倒した。

中巨神が、ハンマーを振り上げる。

シグムンドという男が、怖れる様子も無く、狼が鹿に飛びかかるように、躍りかかっていった。

無茶だ。

言う前に、体が動く。

大上段に構えた剣を、息を吐き出しながら、一気に振り下ろす。

中巨神のハンマーが、がつんと鋭い音を立てる。

流石に中巨神を両断とは行かないが、わずかに、その動きを遅くすることにだけは成功した。シグムンドが、走りながら速射。

驚くべき事に、中巨神の両目に、矢が突き刺さっていた。

元々ミズガルド北の民は凄まじい手練れが揃っていると聞いていたが、これは凄い。神々の武器さえ持たせておけば、それこそ大巨神とでも渡り合えるのではないか。

無言で走り込みながら、突き込む。

中巨神の腹に、宝剣の突きが、抉り込むようにして刺さる。

同時にシグムンドが、中巨神の足をたたき割るようにして斬った。横転した中巨神に、人間達が群がって、とどめを刺した。

既に周囲に巨神はいない。

リンドブルムも数を減らし、掃討戦に移っている。シグムンドが剣を振って、血を落としながら、此方に来た。

「ワルキューレ、無事か」

「平気……」

悔しいが、この人間、自分が導くどころではない。本来だったら、即決でバルハラに連れて行きたいほどの使い手だ。

勿論、単純な強さでは、アネットの方が上だ。

だが、戦闘での立ち回り、覚悟、判断。いずれもが、戦士達を導く長に相応しいものを持っている。

こんな強者を導いてきたフレイは、確かに凄い。同じように若年の神だというのに、羨ましい。

「まだ戦えるか」

「やれる」

「そうか。 ならばこれから、あれに強襲をかけたい」

シグムンドが指さす先には。

中空に浮遊する、巨神の魔術師。丁度山陰にいて、フレイの狙撃が届かないのだという。ただし、突出しているので、接近できれば、一気にたたける。アネットの剣撃の射程にも入る。

それは、一目で、アネットにも理解できた。

「俺たちの弓矢じゃ、あの位置に致命傷を届かせることができない。 奴が転送してくるリンドブルムや巨神は、俺たちがどうにかする。 撃墜できるか」

「……やってみる」

「よし!」

シグムンドが、精鋭達を呼び集める。十名ほど。

この人数では、あまり長い時間、巨神の一団を防ぐことはできないだろう。失敗は許されない。

だが、怖れている様子は全く無い。

おそらく、本能的に知っているのだ。下手に怖れると、却って命を落とす可能性が高くなると。

あの巨神が、増援を呼び出すまでに、掛かる時間はそう長くない。

全員で、山裾を走る。巨神は、まだ此方に気付いていない。おそらく、術式を使って、後方に戦術の判断を仰いでいるのだろう。

見ると、空中で座るようにして、浮遊している。

両手のひらには、目が見受けられる。元々の目ではなく、おそらくは魔術で移植したものだろう。

巨神族は、かなりの無茶な改造を、己の種族に施している。

木の陰に、人間達がばらばらと伏せる。

アネットは、シグムンドの側に隠れた。何だか、其処が一番安全なような気がした。神なのに情けないけれど。

戦場の怖さは、はじめて知った気がする。

今までは高みから観察して、必要な介入だけをしていた。此処では、そんなことは許されない。

自分で動いて、判断して。そうしなければ、命など、一瞬で焼き切られてしまう。

「何歩で、射程に入る」

「あの木の辺り」

「そうか、斬れば、一撃で落とせるか」

「難しい。 何度か斬らないと、多分倒せない」

少し悩んだ後、シグムンドは言う。

側にいた、ヘルギという大男に、何か耳打ちした。

「俺たちが、あちらに回り込む。 息を合わせて矢をいかける。 巨神の注意が逸れた隙に、全力で斬りかかって欲しい」

「分かった。 やってみる」

シグムンド他、八名が、音もなく移動していく。

ヘルギという男だけが、この場に残った。

「俺は保険だ。 あんたが仕留め損ねたとき、あんたを投げて欲しいって言われた」

「え?」

「敵に向かって、だよ。 これでも俺は狂戦士にも負けないほど力があるからな。 うってつけの役目さ。 至近距離だったら、一撃で倒せるだろう?」

身震いするヘルギ。

敵中にほぼ孤立することになるのが、怖いのかも知れない。

かってだったら臆病だと思ったかも知れないが。今は、そうは感じない。戦場の怖さを知った後は、なおさらだ。

それにしても、凄いことを考えるものだ。

「無礼ですまん。 許して欲しい」

「大丈夫」

それよりも、一撃で斬り伏せてみたい。

そうすれば、皆の負担が、それだけ小さくなるのだから。

シグムンド達が、所定の位置についた。

仕掛ける。

飛び出したシグムンドが、矢を放つ。中空にいる相手だから、急所は狙えない。足を撃つ。

巨神が振り返ると、術式を組み始める。

死角に入ったアネットは、剣を振るった。剣撃が、届く。

巨神の左足を、叩き落とす。

うめき声を上げた巨神が、体勢を崩すが、まだ術式は継続している。まずい。このままだと、増援を呼ばれる。

二太刀目。

巨神の右腕を、叩き落とした。

巨神が、地面に悲鳴を上げながら、落ちてくる。手応えが、とても重い。手がしびれるようだ。

地面に、巨神が激突する。

激しい地響きと同時に、敵の術式が発動した。周囲に、無数のリンドブルムが現れる。文字通り、虚空を割るようにして。

「城壁まで走れ!」

最後尾に残りながら、シグムンドが矢を速射。瞬く間に、二匹を叩き落とす。

だが、現れたリンドブルムは三桁近い数だ。

膨大な火球が、見る間にシグムンドに集中していく。

このままだとまずい。

割って入ったアネットが、廻りながら、敵を斬る。近いから、斬る負担も若干小さいが、しかし数が数だ。

爆圧。

吹き飛ばされる。二度三度と、お手玉でもされるように。

だが、それでも、アネットは立ち上がる。

まだ、耐えられる。

剣を振るう。

また、火球に吹き飛ばされた。

 

フレイが速射して、敵を近づけないようにしている内に、東門での戦いが終結した。敵を駆逐し、更に東門の方に展開していた、巨神の魔術師まで撃墜したという。

勢いに乗り、西門の敵も駆逐。

ただし、戦勝の報告ばかりではない。

アネットを背負って、シグムンドが戻ってきた。かなり手酷くアネットが怪我をしている。

かなり痛いだろうに、末席ワルキューレは無言のまま、弱音一つ吐かない。

見たところ、神にとって致命傷である魔力の流出は起きていない。ただし、鎧は半壊状態だ。

もう一度、戦場に出すのは、すぐには難しい。

鎧が回復するまで、魔術の助けを用いても二日はかかるだろう。ただし、アネットは、その分の活躍は、充分にしてくれた。

「無茶しやがって」

「しばらく休ませて欲しい。 怪我は深刻だが、死ぬほどでは無い」

「……」

シグムンドは何か言いたそうにしていたが、アネットを背負って、城壁を下りていった。これで、ある程度時間は稼ぐことができた。

やはり名将フルングニルと言うべきか、総攻撃に失敗したとみるや、速やかに兵を下げた。それでいながら、フレイを自由に動かさないためにするため、敵を射程圏外ぎりぎりで動かし続けているのは流石だ。

ラーンが城壁の上に来た。

「フレイ様、お疲れではありませんか?」

「まだ休むわけには行かぬ。 そなたこそ、怪我はしていないか」

「平気です! フレイ様に心配していただけるだけで、元気百倍です!」

「そうか。 何よりだ」

お調子者の人間は多い。ラーンはその一人だろう。

だが、不快感はない。

ラーンはきちんと戦うべき時に戦っている。それに今は、参戦する戦士の動機をえり好みしている場合では無い。

「今のうちに、交代で休憩を」

「フレイ様は」

「私はいい。 それに、巨神族は、おそらく私を休ませる気は無いだろう」

敵の判断は正しい。

フルングニルは猛将としての側面もあるが、それ以上に戦略家としての要素が強い。どうにかして、足下をすくえないだろうか。

極めて難しい。

そもそも現状が、戦略的に極めて不利な状況にあるのだ。そして、敵は戦略的な優位を保つだけで勝てる。

敵の司令官が無能なら、まだ望みはあるかも知れない。

しかしフレイが見る限り、あのフルングニルが、容易に隙を見せるとは思えなかった。

ラーンは側にいたがったが、他の兵士達に連れて行かせる。

フレイヤも連絡が途絶えていて、どうなっているか様子が掴めない。

敵は騎兵を時々前衛に出してきて、隙を見せれば強行突破する姿勢を崩していない。更に、一つ嫌な予感がしているのだが、周りには話していない。

地形に問題がある場合、それを崩す事は、不可能ではないのだ。

この砦を迂回して、敵が進軍できないと、誰が決めただろうか。確かに周囲の地形は狭隘だが、橋をライン川にもう一つ架けるとか、山を切り崩すとかすれば、進軍路くらい簡単に作れるのである。

むしろフルングニルは、フレイを斃すためだけに、此処に執着しているふりをしているのではないだろうか。

伝令だと、司令官がわざわざ足を運んできた。

「どうやら、王都も敵の攻撃を受けていたようですが、撃退に成功。 現在、兵の集結を行っている様子です」

「具体的な話は」

「ユラン平原に、兵の主力を集めているとか。 兵員規模は、最終的に六万、十二個軍団に達するそうです」

そうなると、ブルグントの総力か。

司令官の声は、どちらかと言えば、裏を感じさせる。

気のよさそうな小太りの男は、不意に声を低くした。

「フレイ様は、何故人間を守ろうとしてくださるのですか」

「私は、最初は義務として、地上に降りた。 巨神族の暴挙を止めなければならないと思ったからだ」

「お若いのですな」

「私は、神々の中では最も若い一群に属している」

そう言う意味ではないことを理解した上で、フレイは応える。

此処で言う若いとは、年齢のことではない。

「オーディン様は、我々を捨て石とお考えか」

「滅多な事を言うな。 ただ、私も、再三援軍の派遣は要請している。 事実、少数だが、援軍は来るそうだ」

「あなた様の言葉には、千金の値打ちがあると思います。 しかし、オーディン様は、一体何を為されているのです」

「私にも、思考が読めない。 このままミズガルドが蹂躙されれば、アスガルドも無事では済まないと、何度も進言さしあげているのだが」

また、敵の一部隊が接近するそぶりを見せたので、先制して矢を叩き込む。

さっと射程距離外に逃げられる。フレイの力も無限ではない。このまま消耗が続けば、いつかは。

「私は、死にたくはありませんよ」

「自然な反応だ」

「フレイ様、貴方にはついていきましょう。 貴方は常に体を張って、最前線で人間を守ってくださります。 しかしこのまま、人を捨て石のように扱い続けるのであれば。 私だけではなく、オーディン様に疑念を抱く人間は、増えていきましょう。 それをお忘れなく」

それはある意味、大逆の言葉であったのだが。

フレイは、司令官を責める気にはなれなかった。人間と接し続けることで、少しずつ彼らが分かりはじめたから、かも知れない。

夕刻、フレイヤと連絡が取れた。

ファフナーを追跡して罠にはまったという。どうにか罠は脱出したが、ファフナーも取り逃がしたとか。

大変な失態だとフレイヤは悲しんでいたが。フレイヤがいなければ、王都は大きな被害をだし、兵の集結にもさらなる遅れをきたしていただろう。

「兄様の方は」

「散発的に攻撃が続いている。 敵は此方を休ませないつもりだ」

「王都に一度顔を出した後、すぐにそちらに向かいます。 後一週間ほど耐え抜ければ、ブルグント軍の主力は集結します」

「分かった。 できるだけ速く、此方に来て欲しい」

魔術による通信を切る。

フレイヤが来るのは、速くても明日。

敵が、山を崩したり、ライン川を強引に渡河したりするのは、どうしても防がなければならない。

そのためには、一つ。

手を打たなければならなかった。

 

3、反攻作戦

 

フルングニルは山頂で、二つの作戦を同時に進めていた。

一つは、ライン川の渡河作戦である。

ライン川には神代に作られた大橋が架かっていて、逆に言うとそれ以外では北ミズガルドから南ミズガルドへ移動できない。

勿論、小規模の兵力を、魔術師の転送で飛ばすことは可能だが、主力となる大兵力の部隊や、アウズンブラなどは不可能だ。

更に、制空権を確保していない地域に、ナグルファルを派遣するのは好ましくない。オーディンが何を考えているか分からない状況だ。魔術師達による防御ががら空きの状態では、意外にナグルファルは脆いのである。

実際、フレイの大威力射撃で、大打撃を受けたのだから。

そのため、今、ライン川に魔術で氷の橋を架けている。この橋は、アウズンブラを渡すためのものである。

人間の軍勢を撃滅するために、アウズンブラを突入させる。

これは、作戦上必要なことだ。

最大国家ブルグントを叩けば、後はゴートのみ。連携されれば面倒であったが、今ブルグントは、単独で此方に対抗しようとしている。というよりも、ゴートは軍の派遣が間に合わない。

橋の南側は、駐屯する軍で満杯だ。

作戦行動を円滑に進めるために、これ以上の数を駐屯させることは、望ましくない。

もう一つの作戦は、この軍勢を通すため、栓のようになっている敵の砦を叩くこと。フレイがいてかなり手こずっているが、相当に疲弊させたし、味方の被害も抑えている。そろそろ、叩けるはずだ。

伝令の騎兵が来た。

騎兵をしている巨神達は、荒くれ揃いである。特に指揮官のスリヴァルディは、巨神でも手を焼くヨトゥンヘイムに生息していた九頭の魔獣を全て斃したことで、「九頭の巨神」を名乗っていた。

「フルングニル様」

「うむ」

「そろそろ、我らにも動くのを許して欲しいと、お頭のお言葉です」

「今しばし我慢せよ」

騎兵には、これから行われるブルグントとの決戦で、重要な役割を果たしてもらう必要がある。勿論それだけではない。アスガルドには、幾つか決戦に適した平原が有り、それらでも活躍が見込まれる。

こういった狭隘な地形では、騎兵は力を発揮しきれない。

だが、平原では違う。

「というかですね、我々もいい加減、我慢するのに飽きたんですが。 敵を殺して首を取りたいのは、みんな同じでしょう?」

「……」

フルングニルが振り返るが、騎兵は一歩も引かない。

騎兵の中で、指揮官級の巨神だ。乗っている騎獣も傷だらけで、歴戦の猛者だと一目で分かる。

「戦略的な判断が必要な状況だと、分かってはいるのか」

「俺たちは戦いたいんです」

「そんなことは、誰もが同じだ。 闇雲に攻撃して勝てる相手であれば、苦労はしない」

騎兵は無言である。

フルングニルも、我慢はしているのだ。

「お前達は、機会が来たら、いくらでも暴れさせてやる」

「本当でしょうね」

「くどいぞ。 お前達には、俺だけではなく、陛下も期待しているのだ。 こんな所で独走して、それを崩すようなことがあれば、長期的には損だぞ。 それくらいは、理解しておけ」

納得したかは分からないが、とにかく騎兵は下がった。

ブルグントが準備を整えるまで、おそらくあと一週間ほどだろうと、既に試算は出ている。

ファフナーは既に逃げ帰ってきていて、フレイヤは明日中にはフレイと合流することが確実だ。

そうなると、多少は危険だが、打つ手は限られてくる。

敵も、此方もだ。

少し後方の陣まで下がる。ライン橋の袂では、ナグルファルが停泊していた。

低空で停泊している戦艦は、いつでも戦える状態にある。

これから始まる攻防で、この戦艦が、重要な役割を果たす。フルングニルは既に作戦を立てている。

今回、できれば一気にフレイもフレイヤも仕留めてしまいたい。それは無理な可能性が高いが、最悪でも、敵の砦は突破する。

突破さえできれば、後はミズガルドに全軍で乱入できるのだ。そのためには、大駒を捨てる覚悟も必要であろう。

フルングニルは腕組みをする。

ナグルファルは、まだ必要だ。そうなると、賭けに乗せる大駒は。

決断をせざるを得ない。

良い司令官というのは、部下を効率よく使う事ができる者のことを指す。勿論、可能な限り死なせないことが一番だ。

だが、敵の力量を見る限り、そうも言ってはいられない。

フルングニルは決断した。どの大駒を、賭の天秤に乗せるかを。

 

フレイヤが来次第、打って出る。

砦の会議室でその作戦を説明したとき、最初に難色を示したのは、他の誰でもないシグムンドであった。

他の主要なメンツも、あまりいい顔はしていない。

「逆撃で敵をたたいて時間を稼ぐ、ってのは分かる。 だが、これ以上の増援を、望めるのか」

「難しいだろうな」

「そうなると、却って防御線の維持を困難にしないか」

ブルグントは決戦のために戦力を集中しており、この砦に回す増援はないと、伝令が告げてきている。

更に言うと、テュールからの使いは武器の補充はしてくれたが、エインヘリアルの派遣が難しいことも告げて来ていた。

エインヘリアルの部隊は、おそらく決戦に間に合わない。

「フレイヤって誰?」

「オイオイ……」

ラーンに、ヘルギが呆れたように肩をすくめる。

こそこそと、ヘルギとラーンは話をしている。

「勿論、フレイヤという女神がいる事は知っているけれど。 フレイ様は私の知ってるフレイ神と、随分違うもの」

「フレイと仲の良い妹だよ。 性格は多分、お前が知ってるフレイヤ神と真逆だな」

「……ふーん」

咳払いしたのは、司令官だ。

敵の襲撃が止んでいる今、休憩を取るべきだと、彼は何度か言っていた。今回も、意見は変わらない。

「これ以上消耗すると、砦を放棄して撤退するとき、逃げる事が困難になります。 負傷者は常時後送していますが、それでも組織行動が取れるか分からなくなってきます」

「俺も同意見だ」

ヴェルンドが挙手する。

それらの意見は、フレイも最初から想定していた。昨日丸一日間断なく続いた攻撃の結果、誰もが疲弊しきっているのだ。

それは、フレイも例外ではない。

ヴェルンドが、続けて言う。

「ただ、条件付きなら、賛成する」

「ヴェルンド?」

「撤退の時期を早くできないか、って事だ。 想定している主戦場を奥にするとか、或いはこの砦に罠を仕掛けるとか。 そういったことで、敵の進軍を遅らせることができれば」

「なるほど、説明が必要なようだな」

机上には、陣図がある。

敵が攻撃をしてこない状況を見て、北の民が偵察に行き、作ったものだ。

辺りの地形に、敵の配置が書かれている。

やはり敵の大軍は、ライン川の南端に集中しており、険しい山を越えるのに苦労している様子だ。

この砦は栓のようになって、彼らの進撃を防いでいる。

一方で、敵も浮遊する魔術師などを使い、少数の部隊を山越えさせ、彼方此方に配置している。

フレイが懸念しているのは、敵がナグルファルを使って、制空権がないことを承知で、大量輸送を強行した場合だ。

退路を防がれた場合、防衛どころでは無くなる可能性が高い。

もう一つ、懸念していることがある。

「ライン川に、敵が氷で橋を架けている。 おそらくは、アウズンブラを、この地点に渡河させることが目的だ」

「何……!」

シグムンド達が、色めきだつ。

無理もない。アウズンブラには、煮え湯を飲まされているのだ。

「ブルグントの設定している主戦場に、アウズンブラが乱入したら、此方に勝ち目はなくなる。 陽動として、敵を引きつけつつ、アウズンブラを斃す。 それで、確実に時間も稼げる」

「しかし、あの化け物をどうにかできるのか」

「解析が終了したと、イズンから連絡があった。 今度は、どうにかできるはずだ」

解析できていても、かなり厳しい戦いになる事は間違いない。

それでも、次の戦いに勝つためには、やるしかないのだ。

「なるほど、アウズンブラを叩くために、陽動としての出撃が必要になる、ということだな」

「敵も、可能な限り削りたい」

「……そうか、どうやら選択の余地は無さそうだな」

アウズンブラの脅威については、既にブルグントの人間にも、口頭で説明している。

北の民の暴れぶりは、この砦でも既に誰もが知るものだ。その北の民を壊滅させたほどの怪物である。

「犠牲を少しでも減らす方法を採らないと危ないな」

「アウズンブラは、私がどうにかする。 フレイヤに此方を担当してもらう」

作戦を、順番に説明していく。

まずフレイは、北の民の精鋭と共に、密かに城を離れる。

ラーンも来たいと言ったので、許可。

アウズンブラは、渡河直後ではなく、ライン川を少し離れたところで戦いを挑む。それには、理由がある。

「この地点を移動するとき、左右に山があるため、前後を塞ぐだけで、アウズンブラと私の、一対一の決戦に持ち込むことが可能だ」

「なるほど、露払いを俺達にやれと」

「頼む」

「任せておけ。 そんな名誉な事、成し遂げずにいるものか。 お前がアウズンブラを打ち倒すまで、必ず耐えてみせる」

ヴェルンドも、乗り気になってくれた。

後は、フレイヤが来るまで耐えてから、だ。

会議を解散する。

ラーンが、笑顔のまま、話しかけてきた。

「フレイヤ様って、どんな方なんですか?」

「妹だ」

「以前、フレイ様が、自分たちは二代目だと言っておられましたけれど。 やはりフレイ様のお母様は、先代のフレイヤ様なんですか?」

「我々神々に、人間で言う親子関係は成立しない」

正確には、少し違っている。

神々は、単為での増殖が可能なのだ。これは男でも女でも同じである。男の神が人間にはあり得ないような形で子を産むような神話がごろごろあるが、その一例である。

そもそも、体内に孕んだ子を、産み育てるというのとも、少し違う。

魔術や進んだ技術や、それらを使って、子供を作る事が出来る、というのが正しいだろうか。

一緒に城壁に上がる。正確には、フレイが城壁に上がるところに、ラーンがついてきたので、そのまま説明をする。

「神々は、己の情報をコピーした、全く同じ存在を造り出す技術を有している。 フレイヤや私は、それだ」

「しかし、性格は正反対だって聞いています」

「そうだ。 其処が解せない」

今までは、疑念を感じることもなかった。

だが。フルングニルは言っていたのだ。フレイヤの先代は、ヴァン神族だったと。少し前にイズンに話を聞いてみたのだが、そのようなことはないと言っていた。ただし、言うときに、明らかな動揺があった。

かといって、今のフレイは、絶対にヴァン神族ではない。フレイヤも、それは同じだ。

何か、知らないところで、フレイやフレイヤには、生まれる前に調整が施されたのかも知れない。

或いは、もっと違う何かか。

いずれにしても、それを知る術は、今は無い。戦う前に、雑念を持つのは危険だ。テュールに繰り返し教えられたことだ。

城壁の上で、敵の様子をうかがう。

相変わらず、定距離を保って、此方をうかがっている。フレイの幻影を造り出す術式を使って、しばらく誤魔化していたのだ。

術が得意ではないフレイなので、アネットの力を借りた。

念のために、まだ前線には出せないアネットに、城壁にいて貰った。最悪の場合、少しでも時間を稼ぐために、である。

アネットが、術を解除。

作戦は、アネットにも加わってもらう。作戦開始は明日だが、それまではフレイヤがいる事も、敵には伏せておきたい。

「私も、今までは知らなかった恐ろしい秘密が、存在しているのかも知れない」

「フレイ様が何者でも、私にとっては神様です」

「よく分からないが、信仰は揺るがないという意味であれば、有り難い」

鷹が、飛んでくる。どうやら、フレイヤが来たらしい。

城壁の上に舞い降りると、鷹がフレイヤに姿を変える。

久方ぶりの合流だ。フレイヤが側にいてくれると、フレイも安心する。

「無事であったか」

「兄様も。 フルングニルと戦ったと聞いて、心配していました」

「あ、あの……!?」

「紹介しよう。 フレイヤだ」

フレイヤを見て、ラーンが愕然としているのが分かった。何故かはよく分からない。笑みのまま、握手をしようと手を出すフレイヤ。人見知りのフレイヤも、同性には若干態度が柔らかい。

ラーンはしばし唖然としていたが、手を取る。

フレイヤが眉をひそめた。

「兄様、それで作戦について、ですが」

「ああ。 事前に話したとおりに進める。 問題は、おそらく此方を突破するために、敵がナグルファルを投入してくる可能性が高い事だが」

「来る途中、鎧の傷は修復しました。 ブルグントの優秀な戦士達に支援して貰えれば、きっと耐え抜けます」

しばらくフレイはフレイヤと話をしたが、その間、ラーンは今までに見たことも無いような暗い視線で、フレイヤを見ていた。

話を終えて、フレイヤが城壁を下りる。

アネットと共同で、けが人の手当に当たるためだ。北ミズガルドの戦士達は、フレイヤが来ただけで、沸き立っていた。

フレイも、可能な限りは、力を温存したい。

腰を下ろして、敵を見据える。

側に立ったまま、ラーンがまた、話を始めた。

「私、無学だから、あまり詳しくはないんですけれど。 先代のフレイヤ様って、とても奔放な方だったって聞いています」

「それは事実だ。 フレイヤは母の風評に幼い頃から苦しめられ続けた。 泣いているフレイヤの側に私はいつもいた」

「だから、性格が正反対に?」

「そうかも知れんな」

ラーンはもう一つ、何か言おうとしたようだが。

首を横に振って、それ以上は何も言わなかった。きっと、礼節があるとは言いがたい話を聞こうとしたのだろう。

敵も、此方の動きをある程度読んでいるからか。

その日は、散発的な攻撃を繰り返すだけで、損害を出すような攻撃には出なかった。

ウルズも、もう今日は来ないと断言。

戦士達が休んでいる中、フレイは久しぶりに。弓を握らず、敵と戦わなくても良い日を、静かに過ごすことができたのだった。

 

早朝。

フレイヤが、まず北門から出撃する。

この作戦は、アウズンブラを斃すための陽動だ。勿論敵に可能な限り打撃は与えておきたいが、アウズンブラを斃せば、戦略上の目標は達成できる。敵も、当然、身動きが取れなくなる。

砦は放棄するべく、内部を徹底的に掃除した。

勿論フレイヤが、撤退時には爆破の術式を仕掛けておく。そうすることで、少しでも敵の追撃を、食い止めるためだ。

フレイヤの側には、アネットもつく。

フレイヤは、ふと昨日、握手を交わした女戦士のことを思い出す。ラーンというあの女戦士、まるで恋敵のように、自分を見ていた。

ひょっとして、兄に気があるのだろうか。

神と人間では、生殖のプロセスそのものが違う。人間が神に恋をしても、不幸になるだけだ。

たとえば、隣にいるアネット。

無口なワルキューレである彼女は、形式上はオーディンの娘とされている。人間とオーディンの間にできた娘と。

ならば、その母親は、どこにいるのか。

フレイヤは、アスガルドの仕組み全てを知っている訳ではない。だが、その事については、知っている。

母親など、最初から。

朝の内に、鷹になって飛び回り、ついにアウズンブラがライン川を渡りきった事は確認した。

ただし、敵軍にはおそらくフルングニルがいる。ファフナーも戻っているかも知れない。あまり近くから、敵を見ることは出来なかった。

それに、フルングニルの事だ。ひょっとすると、此方の動きを、読んでいるかも知れない。その場合、兄は、大丈夫だろうか。

敵軍が、見えてきた。

このままだと、真っ向から激突することになるだろう。

左右にいるブルグントの戦士達が、息を呑むのが分かった。

おそらく、出撃するのを、フルングニルは読んでいた。とんでも無い大軍が、真正面に出てきている。

数は、どうみても数万はいる。

「怖れるなと言っても無理です。 フレイヤ様、貴方のお力、見せてもらいますぞ」

無言で、司令官に、フレイヤは頷いた。

ここからが、時間との勝負になる。

 

4、巨象の最後

 

所定の位置についたシグムンドと、ヴェルンドが、同時に動く。

先回りに成功したのだ。

崖の間を通ってくるアウズンブラ。狭隘な地形が周囲には広がっていて、そのうちの二カ所。

その両方で岩を落とせば、敵の退路を完封できる。

「よし! 落とせっ!」

「おらあああっ! いけええっ!」

ヘルギが、てこに力を入れる。

巨岩が、冗談のように動き出し、斜面を転がりはじめた。巨神達が何事かと顔を上げたときには、もう遅い。

数体の巨神を押し潰した巨岩が、崖に激突。

更に岩が、次から次へと続く。崖崩れが巻き起こり、巨神を巻き込みながら、退路を塞いでいく。

流石に自然の猛威。中巨神が、両足を潰されてもがいているが、脱出できずにいる。小さな巨神は埋まったまま、出てこない。

リンドブルムが、多数わき上がる。おそらく、敵も襲撃そのものは、警戒していたのだろう。

「長くは保たないぞ」

「分かっている。 シグムンド、頼む」

「おう」

フレイはシグムンドと頷きあうと、崖を滑り降りた。ラーンはその場に残す。崖上からの射撃支援の方が、役立つと思ったからだ。

昨晩の内に、イズンから聞いていたことが、幾つかある。解析が終わったアウズンブラについて、である。

アウズンブラは、神代の存在。

この世界の神々とは系統が違う者で、実力は折り紙付き。特にその分厚い皮膚は、生半可な攻撃で貫通することができない。

しかし、致命的な弱点があるという。

そういえば、おかしいとは思っていたのだ。

巨神族の技術であれば、上に御者など乗せずとも、操作くらいはできるはず。だが、何故か御者がいる。

アウズンブラが、鼻を振り回しながら、けたたましい雄叫びを上げた。

そのまま、崖を塞いだ岩を粉砕しようと、突進してくる。

「ヘルギ!」

「おう! みんなの仇だ! 喰らえっ!」

ヘルギら力自慢の戦士が数人、小さめの岩を落とす。それは崖の斜面で加速しながら、アウズンブラの横腹を襲った。

足を、岩が直撃する。

悲痛な悲鳴を上げながら、冗談のように、巨体が真横に転んだ。

これは、自力で見つけた、アウズンブラの第一の弱点。足。

フレイヤが爆発の術式を叩き込んだときだけではない。防壁を破壊したとき、アウズンブラは妙に長いためを行っていた。

あれは、足への負担が大きかったからなのだ。回復を待ち、それから突撃を仕掛けてきていたのだろう。

だが、流石神獣である。足の傷は、見る間に再生を開始している。このままだと、立ち上がるまで、時間は掛からない。

フレイは走る。

そして、アウズンブラの御者が、足を挟まれてもがいている至近に。既にフレイはその時、トールの剛弓を引き絞り終えていた。

「……喰らえ!」

指を、矢から離す。

至近だから、狙いも何も関係無い。

巨神は手で顔を庇おうとしたが、時既に遅い。

巨神の上半身が消し飛ぶ。至近からの射撃だから当然だ。

膨大な魔力を含んだ血をまき散らしながら、巨神の足が、横倒しになったアウズンブラから滑り落ちる。

アウズンブラが、邪魔になった巨神の下半身を振り払うようにして、立ち上がる。

見えた。

その背中に、禍々しい紫の光が。

あれこそが、アウズンブラの急所。

巨神族が跨がっていたのは、制御のためではなかった。急所を押さえることで、アウズンブラを従えるためだったのだ。

剣に持ち替えたフレイが、アウズンブラの足に斬りかかる。

だが、素早く動いた鼻が、剣撃を受け止めた。鼻の先には、巨大ななたがくくりつけられている。

勿論、それはただの鉄の塊ではない。

巨神族が鍛えた、邪悪な武具だ。

アウズンブラの目は小さいが、宿っている光は、必ずしも優しくはない。飛び離れるが、相手はフレイを逃がす気は無いだろう。

緩慢にだが、向きを変えたアウズンブラが、鼻を振るい上げて雄叫びを上げた。そのまま、加速して突っ込んでくる。

狭い崖の間の土地だ。

逃げる場所など、ない。

空に高々と、吹っ飛ばされ、崖に叩き付けられる。神々の鍛えた盾で一撃は緩和したが、それでも吹っ飛ばされるのに充分な衝撃だった。

「フレイ!」

シグムンドの声が聞こえる。

崖の前後から押し寄せてくる敵の軍勢を、必死に防いでくれている人間の勇士。

フレイは頭を振って、立ち上がった。アウズンブラが、後ろ足で立ち上がり、踏みつぶそうとしてきている。

跳ね起き、前に全力で加速。

腹の下を尻に向けて抜けながら、左右の足を可能な限りの回数、斬り伏せる。

アウズンブラが、前足を振り下ろす。

周囲を、超局地的な地震が襲う。

また吹っ飛ばされるフレイだが、見る。アウズンブラが、今の衝撃に耐えられず、再び横転した。

鎧は傷だらけ。盾も拉げている。

だが、此処で立ち止まるわけには行かない。

背中に回り込むと、禍々しい光が、至近に見えた。

たとえ神獣であっても、無防備な弱点に、神の一撃を受ければ。

悲痛な声を上げるアウズンブラ。だが、容赦はしている余裕が無い。大上段に振り上げた剣を、叩き付ける。

斬撃が、アウズンブラの急所を抉る。

だが、大量の血を噴き出しながらも、アウズンブラは、高速で足を再生させていく。まだだ、もう一度立ち上がらせたら、もうなすすべがない。背中の傷は、再生しない。やはりあれこそが、アウズンブラの致命点。

反射的に、盾を構えたのは、戦士としての本能から。

アウズンブラが、背中側に、体を揺すったのだ。それだけで、吹き飛ばされるのに充分な衝撃が来た。

どうにか盾で緩和するが、それで限界が来た。

盾が、割れ砕ける。

無言でフレイは、光になって消えていく盾を捨てた。そして、剣を両手で構える。

再び、アウズンブラが立ち上がろうとしている。

崖の上は、限界が近い。これ以上もたつくと、シグムンドが指揮している前も、ヴェルンドが防いでいる後ろも、食い破られる。

そうなれば、敵が殺到してくる。勝ち目は、失われる。

顔をすすだらけにしたラーンが、崖上で矢を放ったのが見えた。他の戦士達も、敵を防いでいるというのに、手を貸してくれている。

誰の放った矢かは、分からない。

アウズンブラの背中の急所に、突き刺さる。

アウズンブラが、悲痛な鳴き声を上げる。できる、確実な隙。

フレイが、跳ぶ。

巨獣の鼻を蹴って、敵の頭上に。

そして、両手で構えた剣の切っ先を、アウズンブラの急所に向けた。

「おおおおおおおおおおぉっ!」

フレイを見失ったアウズンブラが、必死に走り出そうとする。

だが、その時には、既に。

フレイは、アウズンブラの背中に降り立ちつつ、渾身の一撃を、突き下ろしていた。

鋭い絶叫が上がった。確実に、アウズンブラの命に、一撃が通ったのだ。

猛然と走り出したアウズンブラが、大地を踏み散らしながら、走る。目指す先は、崖。逃げろと、シグムンドが叫び、ばらばらと戦士達が離れる。

直後、アウズンブラが、崖に頭から突っ込んでいた。

「なんてタフな奴だ!」

「フレイ様っ!」

崖の上から、人間達が叫んでいる。

アウズンブラは、全力で崖に突っ込み、フレイを背中から振り払ったというのに、首が折れていない。

そればかりか、怒りに充血させた目で、此方に振り返る。

既に、アウズンブラの左の牙はへし折れて、崖に突き刺さっていた。鼻もずたずたに傷つき、大量の血を撒いている。

だが、まだ巨獣は倒れない。

急所を抉られたというのに。

さすがは神代の獣。ギンヌンガカプから生まれしその巨体は、圧倒的な存在感を、傷つきながらも放っていた。

「来い……!」

剣を、大上段に構える。

これが、最後の一撃だ。アウズンブラが、凄まじい咆哮を上げた。空気が抉られるような、重苦しい響きだ。

アウズンブラの命には、もう一撃が届いている。

放っておけば、確実に死ぬ。

だが、それでも。此処で、この巨獣は、仕留めておかなければならない。散っていった、北ミズガルドの戦士達のためにも。

アウズンブラが走り出す。

フレイは、目を閉じると、テュールに剣技を教わったときのことを、もう一度思い出す。

テュールは言った。

苦しいとき、厳しい相手と戦っているときこそ、基本を大事にしろ。初心を思い出せ。

奇策はあくまで奇策。

やはり最後に勝敗を分けるのは。

目を開けた。

まるで、生ける破壊兵器と化したアウズンブラが、よだれを垂れ流しながら、全力で突っ込んでくる。

フレイは、ためにためた力を。

渾身を込めて、振り下ろす。

傷ついていたアウズンブラの鼻が、斬撃を浴びて。左右に引きちぎられるように、別れる。

それでも、アウズンブラは、突進を止めない。

フレイは全力で横っ飛びしながら、敵の左前足を、返す刀で、切り払っていた。

アウズンブラの足が生み出す衝撃波が、フレイを吹き飛ばす。

空中で、フレイは見る。

アウズンブラの目から、光が既に、失われていることを。

だが、死してもなお。その闘争本能は、戦う事を捨てなかった。敵ながら、天晴れと言うほか無い。

さらばだ、巨獣。

ギンヌンガカプの闇へ、今こそ帰れ。

空中で、フレイは剣を振る。

それは、寸分の狂いもなく。アウズンブラの急所に吸い込まれ、確実なとどめを刺していた。

アウズンブラが、崖に突っ込み、盛大に崩落させる。

崩れ落ちる大地が、アウズンブラの巨体を。

地上最大の生物の亡骸を。

戦士を悼むように、埋めていった。

着地に失敗したフレイは、数度転がって、立ち上がる。

呼吸を必死に整える。これほど追い込まれたのは、初めてだ。

全身が埃まみれである。巨神達は戦意を無くしているが、それでも数が圧倒的に多い。

崩れた崖を走り下りてきたシグムンドが、肩を貸してくれる。それが、今は不思議と有り難い。

「よし、引くぞ!」

「ああ。 予定通りに、頼む」

既にあの砦は、今日の時点で捨てるつもりだった。巨神も撃退し、砦も守りきると言うのは、不可能だ。

フルングニルに、二択を叩き付けられていたのである。アウズンブラの渡河作戦を見せびらかしていたのも、敵の戦略的意図の一端だったのだ。

アウズンブラを叩くか、砦を守るか。

それならば。

戦略的に、まだ価値が拾える可能性を、奪いに行く。

アウズンブラを通してしまえば、ブルグントが野戦で勝利を拾う可能性はゼロになる。

味方に守られながら、フレイは戦場を離れる。巨神は追撃に熱心ではなく、森の中に逃げ込むと、むしろいっそ潔いと言うほどに、追撃を諦めた。

だが、砦は、確実に落ちた。

フレイヤ達は、上手に引いてくれているだろうか。そう思った時。すすだらけの顔を手の甲で拭っていたラーンが、素っ頓狂な声を上げた。

「何、あれっ!」

空を、横切っていくのは。ナグルファル。巨神達が有する、空を舞う禍々しい戦艦。

その先端部分にある槍は、今まさに、最大限までの力を充填し終えていた。

光が、走る。

砦があった辺りで、凄まじい大爆発が巻き起こされるのが分かった。

ナグルファルは、おそらくフレイヤとの戦いでの影響か。船体の彼方此方から煙を上げ、傷ついていた。

だが、それでもなお、あの破壊力である。

砦は、完全に消滅したと見てよい。

「なに、あのおっさんの事だ。 要領よく逃げ延びているだろうさ。 フレイヤも非戦闘員も守った上でな」

シグムンドが、砦の司令官と、必ずしも仲が良くなかったことを、フレイは知っている。

しかし、自分とタイプが違う戦士だと、認めている事も、フレイは知っていた。だから、信頼が生じたのだろう。

人間そのものは面白いとは思わないが。

シグムンドや、その仲間達は面白い。

「巨神共は、これで本当に足を止めるのか」

「てんでばらばらに進軍しても、各個撃破の好餌になるだけだ。 まず兵を展開することを優先する。 私が、フルングニルでもな」

「そうか。 ならば、まずはフレイヤと合流しなくてはな」

肩を借りながら、歩く。

今まで経験がないほど、フレイは力を消耗していた。

人間達に守られていることが、これほどないほどに。今は心強かった。

 

5、失われていたもの

 

ミズガルド北の地で、生存者を救出しながら森を走り回っていたレギンは。ある日、不意に空から降ってきたものに気付いて、立ち止まった。

意外に逃げ延びている生存者は多くて、ここしばらくかなり忙しかったのだ。どうにか巨神に対して、組織的な反撃ができるまでに、戦力も整いつつあった。狂戦士が助けに来るとは思わなかったという人間も多かったが、今はそれは良い。

狂戦士達も、唖然と空を見上げている。

白くて、小さくて。

そして、とても冷たいもの。

「なんだこれは……」

「頭、わかんねえが、すげえ寒いのは確かだ」

「ああ。 何だこの寒さは。 夜の一番寒い時間でも、こんなにはならねえぞ」

気味が悪くなってきたレギンは、一度引き上げるように、周囲に指示。

森の中を複雑に走って、拠点にしているほこらに戻った。

其処は奇しくもフレイのほこらである。洞窟を改造して作ったもので、神像は鹿の角を手にしている。

神像に拝礼した後、レギンはドルイドの老人を連れて、外に出た。

「なあ、この現象は何だ。 雨……じゃあねえよな」

「これは、雪じゃ……」

「雪?」

「神々が、巨神を追い払ってから、一万年以上絶えていたという現象じゃ。 おお、なんと言うことか……」

分からない。

だが、はっきりしていることはある。

この雪という代物は、危険だ。

「毛皮は確保しているな。 特に老人と子供に配れ。 他の奴らは、固まって過ごすんだ」

「分かった」

「一体、何が起きていやがる……」

気味が悪いが、美しい現象は続いている。

くしゃみをしたレギンは、自分がとんでもない寒さに晒されていることに今更ながら気付いて、慄然としたのであった。

 

(続)