狂戦士の怒り
序、戦雲の広がり
ミズガルド北部の人間は、とにかく武を重んじる。これは男女の別が無い。男性の場合は当然武芸優れた人間が第一とされる。皮職人などの技術者についても、勿論存在は重要視されるが。ただし、やはり社会的な地位は、武人に一歩劣るのが実情だ。
女性についても、同じである。
武芸が優れている女性は、どれほど容姿がよろしくなくても、結婚相手として非常に有望とされる。
これは強い男子を産んでもらうためだ。
また、女子の婿選びの基準も、同じように強いことが第一条件となる。
とにかく、強いこと。
顔の造作など、二の次三の次。場合によっては、財産さえ無視されることがある。それほど、ミズガルド北の地での武芸とは、重要な意味を持つステイタスなのだ。
だが、それでも限界はある。
強さのために、幻覚作用のあるキノコを戦争前に口にする。
獣の強さをえるため、時には素手で猛獣と戦い、勝つことを要求される。
敵は殺せ。
自分たちに手を出した存在は、絶対に許すな。
その代わり、仲間とは鉄の結束を作れ。
そんな武人の中でも特に凄まじい生き方をしているが故に、周囲から孤立している戦闘民族がいた。
彼らはベルセルク。
通称狂戦士。あながち間違ってもいない。戦闘時、彼らは幻覚作用のあるキノコを口にして、既にこの世の光景を見ていない。それが故に、凄まじい力を発揮し、どのような相手でも打ち倒すのだ。
武人揃いの北の民であっても、狂戦士にだけは手を出さない。
狂戦士は自分たちを強くするため、敢えて獲物もさほど多くなく、森も深く危険が大きい土地に住んでいる。
彼らを殺して土地を奪うには、あまりにも危険が大きすぎるのだ。狂戦士は一人で、並の戦士十人に匹敵するという言葉さえあるほどなのである。
それらの説明を、シグムンドは歩きながら、隣を歩いている銀色の戦士にした。
「なるほど。 話には聞いていたが、想像以上に凄まじき者達だな」
「その凄まじき奴らの領地に、これから入るんだよ。 生きた心地がしねえぜ」
少し後ろからついてきているヘルギがこぼす。
だが、帰って良いと言っても、この臆病ないとこはそうしないだろう。不平不満はおおくても、することはきちんとする。
それが、ヘルギという男だ。
領地の境には、ぶら下げられた、ミイラ化した死体がある。
一族の中で禁をおかしたり、或いは侵入した不埒者はこうなるという脅しだ。狂戦士は、鉄の結束を旨とするため、場合によっては仲間にも恐ろしい制裁を加えると、シグムンドは聞いていた。
「うへえ、おっかねえ……」
「だが、人間だ」
狂戦士でさえ、相手が非戦闘員の場合は、刃を振るわない。侵入してきた人間が非戦闘員だった場合、よほどのことが無ければ殺す事は無い。制圧した村の非戦闘員に対しても同じだ。
巨神は違う。
文字通りの皆殺し。根こそぎの殺戮だ。
そんなことをする存在がいるとは、今でもシグムンドは信じられない。
狂戦士の村にも、使者は出したのだが。やはり、手紙を受け取ってもらってはいたが、それ以上のアクションはない。
自分たちのことは、自分たちで勝手にする、という意思表示か。
残念ながら、今はそんな状況では無い。シグムンド本人が出向いても、狂戦士達と話を付けなければならない。
狂戦士達の領地に足を踏み入れて、少しした頃。
周囲に、気配がわき上がった。完全に囲まれている。
茂みを割って、とても背の高い男が姿を見せる。ヘルギと殆ど並ぶほどの長身で、非常に分厚い筋肉で身を覆っていた。更にたくましく日焼けした体には、戦士であることを示す入れ墨を入れている。
大男が肩から掛けているのは、そのまま剥いだらしい熊の毛皮だ。形がそのまま残っているので、男の右肩には、もう一つの頭があるようにさえ見えた。
この男こそ、狂戦士達の主、レギン。
さらに、それに勝るとも劣らぬ威圧感を持つ男達が、周囲から姿を見せる。
いずれもが全身に戦士である事を示す入れ墨を入れていて、両手には例外なく手斧を持っていた。
彼らが使う斧は、投げることでも使う事ができる汎用性が高いものだ。弧を描いて飛ぶ斧は、かわすのが非常に難しい。扱うのも難しいとシグムンドは聞いているが。少なくとも狂戦士が扱いを失敗するところを、見たことが無い。
彼らにとって斧は、他の北の民にとっての弓矢で有り、剣なのだろう。
しかも狂戦士は、盾を使わない。守るより先に、相手を殺すという思想の持ち主なのである。
「今日は良い日だ。 まさか貴様を仕留める事ができるとはな」
全身から戦意を滾らせて、レギンがいう。
話を聞く気は、最初から無さそうだ。銀色の戦士はじっと見ている。シグムンドの手並みを拝見、という所か。
シグムンドは剣を抜かない。
レギンはそれを見て、眉をひそめた。
「どうした、剣を抜かずに死ぬ気か」
「先に手紙を出しているはずだ。 読んでいないのか」
「読んだが、お前の頭がおかしくなったと思っただけだ」
巨神族など、いるはずがないだろう。
レギンは笑い飛ばす。
証拠として出した巨神の巨大な指に関しても、作り物だと一蹴した。
「おおかた、南にいる珍しい動物か何かだろう。 何かが攻めてきている事を否定はしねえが、調停者の一族も動いていない以上、俺たちは関係がねえ」
「レギン、聞いてくれ。 今は、議論している時間も惜しいほどなんだ」
「お前ともあろうものが、随分とおかしなことを言うものだ。 やはり、おかしくなったか?」
周囲をゆっくり回っている狂戦士達は、いつ仕掛けるか、タイミングを計り続けている。
レギンがやれと一声掛ければ、即座に襲いかかってくるだろう。
だが、今はそれどころでは無い。
「あの指は本物だ。 我々も、守るのが精一杯なほどの相手なんだぞ。 しかもその数は、空の星ほどもいる」
「見なければ信じねえよ」
どずんと、強烈な音と共に、地面が揺れる。
レギンが流石に固まる。
そして、視線が、一斉に、音の発生源に向いた。
もう、此処まで来たのか。シグムンドは舌打ちする。やはり引きつけるにも、限界があったのだ。
大巨神が、巨大な棍棒をふるって、木々を蹴散らしながら迫ってきている。
アレがいると言うことは、十体くらいの中巨神と、千を超える巨神が迫ってきているという事だ。
狂戦士は確かに強いが、それでも千を超える巨神に村を襲われたら、ひとたまりも無いだろう。
「あ……あれが……っ!?」
「そうだ。 あれが巨神族だ」
「馬鹿なっ! あんなものが、存在するわけがない!」
「狂戦士を敵に回すことが、何よりも不幸だと言うことは、俺も知っている」
シグムンドは剣を抜くと、レギンに背中を向けた。
「だが、幸いなことに、今は仲間だ。 村に案内してくれ。 一刻でも早く、避難をしなければ、村は全滅するぞ」
「くそっ!」
もう、巨神が姿を見せ始める。
一番小さいといっても、その体格は人間のゆうに三倍。手にしている棍棒も、人間より大きいほどだ。
しかも、動きも速い。
此処まで来ていると言うことは。此処から北の村は、もう全滅しているとみて良いかもしれない。
南の砦に逃げ込むようにと通達はしてある。一体どれだけの民が、逃げ込むことができただろう。
幸いにも、この周囲は、鬱蒼とした森だ。
巨神が、その快速を生かすことができない。それだけが救いか。
巨神達が、何か喋っているのが聞こえる。
攻撃の合図か。
それとも、殺せという意味か。
分からないが、はっきりしているのは。既に彼らは、此方を殺すつもりで、迫ってきているという事だった。
「四方八方からくる!」
「レギン! 戦うぞ! 準備は!」
「分かっている! 野郎共、戦の雄叫びを上げろ!」
狂戦士達が、独特の雄叫びを上げる。北の民は、大体の場合決まった戦術的な合図を用いるし、かけ声も大体は統一している。
だが、狂戦士だけは、こういう所でも、独特の風習を頑なに守っている。あくまで他と関わらないことを、強さの一つにしている民なのだ。
巨神達が、走り出した。
凄まじい勢いで、此方に迫り来る。
狂戦士達も走り出す。
そして、ぶつかり合った。
狂戦士達は、流石だ。全く巨神を怖れていない。躍りかかって、斧を振るい、足を切り裂き、倒れたところを滅多打ちにする。
棍棒で殴られても、すぐに立ち上がってくる。
勿論きいていないとは思えない。
痛みが無いとも思えない。
だが、巨神の一撃で倒れないとは。信じがたいが、これが狂戦士、という事か。
だが、巨神達も、全く恐れる事が無い。仲間が斃されても、次々に躍り出ては、狂戦士達に襲いかかる。
激しい阿鼻叫喚の戦いの中、レギンは手近な巨神に斬りかかると、目にもとまらぬ速さで相手の足を蹴って躍り上がり、喉を切り裂く。
倒れた巨人を踏みつけながら、レギンは叫ぶ。
「野郎共、村が心配だ! 一点を突破して戻るぞ!」
「此方だ。 来い」
その時、はじめて銀色の戦士が喋った。
一角に切り込むと、流れるような動きで、瞬く間に左右に二体の巨神を斬って捨てる。更にハンマーを振り上げた中巨神の足下に潜り込むと、真上に切り上げて、巨神の正中を抜く。
しかし、巨神は顔を左右に割られても、内臓を撒きながらも、まだ最後の意地を見せ、足を踏み下ろそうとした。
シグムンドが、すかさず矢を放つ。
中巨神の喉に深々突き刺さった矢が、とどめとなった。後ろに倒れる巨神が、土埃を巻き上げる。
包囲が、わずかに薄くなる。
「抜くぞ! 野郎共、いけいけいけっ!」
「ァイイイイイイイイイイッ!」
鋭い叫びが上がった。彼らの突撃の合図だ。
銀色の戦士が左右に敵を切り伏せる隙に、狂戦士達が包囲を抜けていく。最後まで踏みとどまっていたレギンも、追いすがってきた巨神を斬り伏せると、後を追った。シグムンドが矢を放ち、追ってくる一体の目を射潰す。その隙に、至近に巨神が。棍棒を振り下ろしてくる。
「うらああっ!」
ヘルギが、その巨神の膝の裏に、剣を叩き付けた。
ヘルギが使っている剣は、彼の力にあわせた特注品で、非常に分厚く重い。その分破壊力は尋常では無く、一連の戦いで多くの巨神を斃したのも、それが故である。
包囲を、突破。
銀色の戦士が、最後尾に立つと、素早く弓を構える。
彼が矢を放つと、数本の矢が放射状に飛び、追ってきた巨神を数体まとめて蜂の巣にした。
矢には、強い魔力が籠もっているのが見える。一本ずつが、達人の放つ矢と同等か、それ以上にさえ思えた。
だが、その破壊力がゆえに、速射がきかないようだ。
シグムンドも、最後尾に残る。
「ヘルギ、先頭に行け! レギンを助けろ!」
「大丈夫かよっ!」
「なあに、昨日までの戦いを考えれば、これくらいなんということは無いさ!」
矢を、シグムンドも放つ。
迫ってきていた巨神が、目を貫かれ、流石に横転する。更に一体の足を撃ち抜き、前のめりに倒れるのを見て、更に一本を放った。
矢筒がからになったので、腰にくくりつけておいた束の矢を、筒に入れる。
その隙に、銀色の戦士が、矢に力を込め終えていた。
見覚えがある。上空にいたリンドブルムを数体、まとめて蹴散らした弓だ。
銀色の戦士が、矢から指を離す。
空気が、悲鳴のような大音を上げた。
直線上にいた巨神が、まとめて薙ぎ払われる。掠っただけで腕や足が消し飛び、体の半分以上がすっとんだ巨神もいたようだった。
流石に、敵が体制を立て直しに掛かる。
銀色の戦士の額から、汗が伝うのを、シグムンドは見た。
おそらくこの男は神だろうとシグムンドは思っている。
だが、巨神を殺せるように、きっと神だって死ぬはずだ。無理をさせるわけにはいかないだろう。
ましてや、此処で無理をしても、何ら意味が無い。
男は、戦うべき場所を、選ぶものだ。
「引くぞ。 レギンを追う」
「それが良さそうだ」
二人、巨神に背を向けて、走る。
やはり、最悪の予想は当たった。巨神のかなりの数を引きつけているつもりではいたのだが、敵にはとんでもないほどの数が、余剰に存在していたのだ。おそらくシグムンドの命がけの陽動は、巨神の動きをほんのわずかに遅らせただけだったに違いない。
巨神族はやはり高度な戦術判断能力を有しているらしく、此方が引いても追ってこない。レギン達も、包囲を突破した後は、敵の壁にぶつかっていない様子だ。
だから、比較的時間を掛けず、追いつく。
レギンは全力で走っていたが、やはり体格がわざわいして、若干遅い。
足を止めての斬り合いだったら無類の強さを誇るだろう狂戦士も、機動戦には弱いかも知れないと、シグムンドは思った。
「シグムンド、彼奴らが、巨神族か」
「そうだ」
「お前の手紙に書かれていたように、奴らは戦士以外の奴も、関係無しに皆殺しにするのか」
「そうだ。 俺は間近で、村を潰された。 まだ幼い女の子にも、彼奴らは容赦なく棍棒を振り下ろしやがった」
化け物め。レギンが、心底からの侮蔑を込めて、吐き捨てていた。
凶暴で残虐な狂戦士だが、それは相手が戦士の場合に限られる。
戦士だからこそ、戦うべき相手は選ぶ。
それが、ミズガルドでの不文律だ。
山を全力で駆け上がる。これほど狂戦士の領土の深くまで入った戦士は、調停者の一族以外、そうはいないだろう。
息を呑む。
狂戦士の村が、燃えていた。
「……っ!」
レギンの瞳が、炎のように燃え上がる。
狂戦士達が、フイに静かになった。きっと、限界まで、怒りが高まったのだろう。あまりにも怒ると、人間は静かになるものなのだ。
「皆殺しだ……!」
村では、まだ巨神が暴れているのが見えた。
彼奴らは、一体も生きて村を出ることが出来ないだろう。それを、結果を見ることも無く。シグムンドは悟っていた。
1、絶望の防戦
フレイヤが放った氷の弾が、押し寄せてくる巨神達を次々貫く。
貫くのは、主に急所である頭と、機動力を生み出す足。それに、高々と跳躍して躍りかかってくる巨神も、中途で叩き落とす。
フレイヤが手にしている魔法の杖が、その奇跡のような技を可能にしていた。もっとも、魔の技は万能では無い。杖によって出来る事は決まっている。氷を生み出し、炎を造り、或いは稲妻を放つ。
その全てを、同じ杖では行えない。
アスガルドでも屈指の魔術の使い手であるフレイヤだが、可能なことには限りがある。魔術には、どうしても必要なものがあるのだ。
魔力である。
氷の球を放つような下等の術の場合は、時間さえ掛ければ魔力を充填することが可能だ。だが、フレイヤの力も、必ずしも無限では無い。無理をすれば、どんどん体と魂をすり減らしていく事になる。
「南から来た! 村に二匹入ってきている!」
「俺たちで対処する! お前達、この女戦士だけに戦わせるな! ちいさな巨神くらいなら、俺たちでどうにかするんだ!」
フレイヤは頷くと、戦士達に対処を任せる。実際、彼らは充分に、最下層の巨神程度なら、斃してみせる。
北から来ている敵が本隊だ。大巨神を視認。フレイヤを疲弊させ、その隙に攻めようというのだろう。
させない。
フレイヤの心は、折れない。
元々、フレイヤは臆病な性格だった。
毎日のように、違う男、時には女や神では無い者まで連れ込んでくる母の先代フレイヤ。神は生まれると、すぐに物心つく。だから、一番精神の成長に重要な時期に、フレイヤはもっとも性欲過剰な母の淫行を目の当たりにする事になったのだ。
もちろん、フレイヤの世話など、侍従神に丸投げ。
孤独な毎日は、やがて臆病で内向的な心を作り上げていった。幼い頃には、母を憎むと言うことができないのである。
兄のフレイも、幼い頃は無口で、殆ど何も喋らなかった。
だが、漠然と、フレイヤは兄が自分を気遣ってくれていることには、気付いていた。
いつ頃からだろう。
兄と一緒なら、外に出られるようになったのは。
先代フレイヤの悪名は高く、外に出れば必ず淫売として見られた。露骨に声を掛けてくる男神もいた。まだ幼いフレイヤには、恐怖でしか無かった。それらを楽しむ余裕があれば、先代のように「面白おかしく」生を謳歌できたのかも知れない。
兄が剣術をはじめたとき、影に隠れてばかりだったフレイヤも、一緒になってやってみた。
剣術の素養がある女神はいる。
ワルキューレの中には何名か達人と呼ばれる剣の使い手がいるし、高位の女神の中にも何名か、戦いを司る者がいる。
だが、フレイヤには、剣の素養が欠けていた。
ある程度使う事はできた。人間の基準でいえば、充分に達人の領域に入ったことだろう。だが、神としては、あまりにも脆弱。
剣には、何種類かの才能がある。
特に、その中で。フレイヤには、敵を断ち切る際の、タイミングを見極める素質が欠けていたのである。
悲しむフレイヤを見て、フレイは師に相談してくれた。
師は、それを聞くと、魔術の得意な女神を何名か紹介してくれた。その中には、アスガルドで権勢を振るうイズンの名もあった。
彼女らから手ほどきを受けて、フレイヤは見る間に魔術の才能を伸ばしていった。
何もかもができたわけでは無い。
占いや、予知の類は、大体駄目だった。
だが、攻撃のための魔術に関しては、あらゆる方面で、卓抜と言える才能があったのだ。それだけではない。神としての魔力も、並の同胞を凌ぐ量で備えていた。
フレイヤは、嬉しかった。
何より、フレイを心配させずにすむことが、だ。
それに、兄が剣に打ち込むように。フレイヤは魔術の鍛錬という楽しみを得ることができた。
もう一つ、嬉しい事もあった。
師匠になっている何名かの神々が、フレイヤの性格が先代とは正反対だと、周囲に喧伝してくれたのである。
それが下位の神々であれば、あまり効果は無かったかも知れない。だが、フレイヤの師になっていたのは、テュールが紹介してくれた、高位の存在ばかりだった。それに、何より魔術の天才的な素質が知れ渡り、フレイヤを偏見まみれの目で見る神は、減っていった。
手足が伸びきる頃には。
アスガルドの若神の中では、最強の兄妹と呼ばれるようにまでなっていた。
幼い頃、散々怖い思いをした。
だが、兄フレイという心の支えがあって。恐怖から抜け出すことができたフレイヤは。今では、内向的であっても臆病では無い。
そうであってはならないとも、思っている。
精霊の魔弓を取り出す。
これぞ、巨大な爆発の魔術が籠もった矢を撃ち出す、強力な魔法の武器。フレイヤが幾つか持ち出した中でも、最強の破壊力を持つものの一つだ。
だが、破壊力が大きいが故に、気をつけなければならない事も多い。
魔力を込めすぎたり、誘導を失敗すると、自分が爆発に巻き込まれる事となるのだ。非常に危険なため、限られた使い手にしか、使用を許されていない武具なのである。
フレイヤは、ゆっくりと弓を引き絞る。
巨神族は、まだ気付いていない。
リンドブルムは、既に近辺のものは一掃した。後方での戦いも、既に終わったようだ。村に飛び込んだ巨神は、斃し終えたのだろう。
上空に向けて、精霊の魔弾を打ち上げる。
巨神達が、足を止めた。
中巨神が、周囲に向けて何か叫んでいる。自分から離れろとでもいうのだろうか。だが、以下に弾速が遅いといっても、逃がすほどでもない。
着弾。
中巨神は、文字通り蒸発した。
他の巨神も、十数体が一気に巻き込まれ、消し飛ぶ。
柵の上から見ていた戦士達が、ここぞとばかりに、火矢を敵に打ち込んだ。隊列を崩した敵は、おそらく中巨神を失ったからだろう。指揮も乱して、隊列も崩す。そうなると、組織戦に優れた人間に、一日の長がある。
逃げ遅れた巨神が、ハリネズミのようになって息絶える。
フレイヤは、誰にも見せないように、汗を拭った。
人間とは、汗が出る仕組みが違うが、疲弊しているという点では同じである。それに、兄以外の誰が相手でも、弱みは見せたくないのだ。
「すぐに新手が来ます! 補給を今のうちに!」
「分かった!」
慣れたものである。
周囲では、戦士以外の者達も、てきぱきと動いている。ミズガルド北部は戦乱が絶えないと聞いていたが、噂以上、なのだろう。
誰もが、戦争を隣にあるものとして認識し、対応もできるよう訓練されている。子供でさえも、だ。
フレイヤの魔力の備蓄も、かなり減ってきている。
一度柵の影に降りると、物陰で、アスガルドから持ってきた神の酒を口にする。酒といっても、酔うためのものではない。
アスガルドでしか収穫できない特殊な穀物を発酵させて作った、強い魔力を帯びたものだ。
ただし、持ってきた量が少ない。
フレイが戻ってこなければ、そうそうに使い切ってしまうだろう。補給に戻る余裕も、多分無い。
もう二つ、魔力を回復する手段がある。
一つは、単純に休むことだ。豊富なマナを周囲から吸収すれば、だいぶ状態はマシになるだろう。
もう一つは。
手元にある剣に、手をやる。それは、できれば、最後の手段としたかった。
「おい、あんた」
年配の戦士が声を掛けてくる。
何度か名前を教えてくれといわれたが、断った。だから、未だにあんたと呼ばれている。だが、それでいい。
フレイが良いと思わない限り、フレイヤも名を教えない。
「見たところ、疲弊が酷いな。 襲撃の一度や二度は、俺たちだけで凌いでみせる。 少し休みな」
「私の事は気にせず。 それよりも、退路はどうなっていますか」
「退路はな、洞窟があるんだ」
信頼してくれたのか、教えてくれる。
村の井戸が、地下洞窟につながっているらしい。既に戦えない老人や、若くない非戦闘員は、そちらに避難させているそうだ。
洞窟は山の向こうまで伸びていて、少なくとも今の時点で、出口にまで巨神は姿を見せていないそうだ。
それならば、彼らが強気だったのにも、納得がいく。
「これだけ働いてくれれば、充分だ。 あんたの氷の技も、炎の矢も、巨神達を随分削ってくれた。 連中も及び腰になってる。 此処からは、かなり守りやすい」
確かに、老戦士が言うとおりだ。
肉とかゆを持ってこられたので、皆で食べて欲しいと謝絶。実際、人間の食べ物は、神々の力にはならない事が多い。ただ、気持ちだけは嬉しい。
この者達の方が、よほど陰謀づくめな神々よりも、信頼出来るかも知れない。
地響き。
大巨神だ。それも、一体ではない。
最低でも三体はいると見た。
柵の上に出る。
大巨神が、三方向から来ているのが見えた。なるほど、フレイヤを手強いとみて、同時に総攻撃をかけ、一点でも突破しようという考えか。
大巨神だけが、迫ってきているのでは無い。巨神も、かなりの数が攻め寄せてきている。そろそろ、守りきれません。兄様。
そう、フレイヤは心中で呟いた。
だが、無茶を承知で、守り抜かなければならない。
何しろ、フレイは、フレイヤなら守りきれると判断して、この場を任せてくれたのだから。
兄の期待に応えられないことは、フレイヤにとって悲しいどころでは無い。自己の崩壊につながる、悲劇なのだ。
命を捨てて、四方八方から巨神が村に飛び込んでくる。
片っ端から氷の術式で射すくめる。
そして、隙を見て、北から来る大巨神の足下を狙い撃った。数発では埒があかないが、数十発が集中すると、流石に巨体も崩れる。
再生が速いのは、分かっている。
次は、西から来ている奴だ。
その時、村人達が、思ってもみない行動に出た。
一斉に北に突撃を開始したのだ。そして、大巨神によってたかって襲いかかり、首に斧を群がって叩き付ける。
任せてしまって、大丈夫だろう。
西の敵軍に集中。大巨神を狙う。
大巨神は耐久力もパワーも桁違いだ。兄の斬撃に、何度も耐え抜くほどに、皮膚も強靱である。
だが、それが故に、他の巨神に比べて遅い。
おそらく、相当に重いのだろう。魔術で緩和しているはずだが、それでもとてつもない重量を、相当に無理して支えていることは疑いない。
つまり、皮膚さえ破ってしまえば、案外簡単に倒せる可能性がある。
そういえば、氷の魔弾も、妙に巨神全般に対して効きが良い。最初は使って見て効けば幸運だとさえ思っていたのだが。
存外に良く効いている所から見て、おそらく巨神は、肉体の構成と、本来の存在を、ある程度切り離している。
理由は分からない。
或いは、増えるためだろうか。
氷の魔弾をばらまいて、突進してくる敵の足を止める。
南の敵は後回しだ。守備している戦士達に、何とかしてもらうしかない。投石機なども使っているようだが、どこまで持ちこたえられるか。
柵だって、巨神の棍棒で、簡単に粉砕されているのだ。
魔力が、見る間に削り取られていく。
額の汗を、もう隠す余裕も無さそうだ。仕方が無い。奥の手を使う。
フレイヤは、腰の剣を引き抜く。兄が使っている剣と違って、「実戦向き」ではない剣だ。
ただし、それは、相手を斃す、という意味で、だが。
倒れている巨神に、剣を突き刺す。
こうすることで、剣を媒介して、一気に魔力を充填することができるのだ。相手は何でもいい。
最悪の場合は、人間でも。
勿論、フレイヤは、そんなことをする気は無い。
剣を引き抜くと、至近まで迫っていた巨神を、氷の魔弾で吹き飛ばす。回転しながら魔弾をばらまき、数十体の巨神を殺戮した。霜に覆われている巨神に再び、剣を突き刺す。大巨神が、迫ってきている。
棍棒を振り上げるのが、見えた。
「させるかっ!」
戦っていた戦士の一人が、矢を放つ。
大巨神の腕に、続けて目に、矢が突き刺さった。大巨神は気にせず、棍棒を振り下ろしに掛かる。
大威力の重量系武器は、振り下ろしの速度が凄まじい。
棍棒を狙って、下から魔弾を打ち上げる。間に合うか。数十発の魔弾を、一点に集中して、打ち込む。
手首が、嫌な方向に曲がるのが見えた。
巨神が、棍棒を取り落とす。
だが、足を振り下ろしてきた。衝撃波だけでも凄まじい。フレイヤは、吹き飛ばされるのを感じた。
何度か横転して、立ち上がる。
さっき、支援してくれた戦士の姿が見えない。
頭を振って、杖を手に、立ち上がる。怒り狂った巨神が迫り来ている。既に、手は泡を吹きながら、回復しはじめていた。
足を狙って、斉射。
防ぐ術も無く、巨神が倒れる。影が、大きくなる。
後ろ、回り込んでいた巨神。棍棒を振り下ろしてくる。
盾を使って防ぐが、相当な距離、はじき飛ばされた。
やはり、巨神の攻撃は、凄まじい。
これを受けても死なない人間達には感心する。だが、それ以上に。やはり、悟る。今の装備では、力不足だ。
乱戦の中、氷の魔弾をまき散らして、敵を制圧する。
戦士達にも、相当な損害が出ている。さっき、至近で支援してくれた戦士は、担架で運ばれていた。
南だ。
南の方は、どうなっている。
夕刻、波状攻撃を続けていた巨神は、一度引いた。
百三十体以上は斃した。
だが、フレイヤの美しかった銀色の鎧は、既に痛みが見え始めている。盾に至っては、何カ所かにひびが入っていた。
華奢な体で巨神の攻撃を防げるのも、膨大な魔力が籠もった武装のおかげだ。
魔術の杖にも、限界がある。
魔力を通しすぎると、神の鍛えた武具であっても、負担が大きくなってくる。今日、およそ二万八千発の魔弾を放った杖は、既に限界が来ていた。
もっと強力な魔術の武具を、持って来るべきだったかも知れない。
しかし、一度アスガルドに戻っている時間は無い。
手は、あるにはある。
ただし、時間が掛かるのだ。
空に手をかざすと、使いの鳥が来た。大型の鷹であり、フレイヤの言うことだけをきくようにしつけてある。
手紙をくくりつけて、アスガルドに戻す。
人間は知らないが、アスガルドはミズガルドとそう離れていない位置にある。そう、翼があれば、それほど行くのには苦労しないほどに。
当然、巨神族はそれを知っている筈だ。
人間が蹂躙し尽くされれば、瞬く間に巨神はアスガルドに攻めこんでくる。それは、疑いの無い所であると言うのに。
フレイヤは、周囲を見て廻る。
けが人の数が、増える一方だ。既に、戦える戦士は、三分の一になっている。勿論、死者の数も、激増していた。
更にいえば、既に包囲に加わっている巨神は、一万を越えている。
敵も相当に、この拠点を重要視しているのか。或いは、気付いているのかも知れない。フレイヤが、神であることに。
相手も神なのだ。
気付くのは、当然か。
井戸が動き、ヘルギが顔を出す。
かなり傷だらけだが、しかし。意味は、一つしか無い。
「撤退だ。 狂戦士と話がついた」
「本当か!?」
「他の領主も、連合を組むことを了承してくれた。 調停者の一族が、早めに動いてくれたらしくてな」
南の砦に急げ。
ヘルギはそう言うと、けが人から来るように促した。
フレイヤは、最後まで残る事を皆に告げると、砦に仕掛けを施す。
時間差を使って、爆発を起こす魔術が存在しているのだ。
朝になる前に、村の人間を、全て隠し通路に逃がす。けが人も、全員だ。むしろけが人は、護衛を付けて、先に行かせる。そうしなければ、おそらく全員を逃がすことは、できないだろう。
戦士達は、順番に。
先頭集団にも、護衛を付ける。巨神が待ち伏せしていても、おかしくないからだ。ヘルギは、最後まで残っていた。
「何があったのですか」
「狂戦士の村が襲われてな。 キレた狂戦士達が、村を襲った巨神を皆殺しにした」
噂には聞いていた。
エインヘリアルの中でも、名高い戦士を多数輩出している一族、狂戦士。その戦闘力は非常に高く、生半可な神を凌ぐ実力を得ているエインヘリアルもいるという。
一方で非常に閉鎖的で、戦闘的かつ誇り高い一面も持つという。
天界にさえ轟くその名を汚したのだ。襲撃に加わった巨神達の部隊は、さぞや大きな代償を支払ったことだろう。
「問題はその先だ。 お前の兄貴が、狂戦士の一部と一緒に北に行った」
「何ですって……」
「伝言を預かってる。 南の砦に、皆を避難させて欲しい。 お前には護衛を頼みたい、とよ。 狂戦士の村の生き残りは、既に退避させた。 他の避難民の指揮は、シグムンドとヴェルンドが取ってる。 早くあんたにも来て欲しい」
兄の伝言を、偽る必要性は感じられない。
ヘルギは見たところ臆病な人間のようだが、戦士としての力量はむしろ高い水準にあるし、何よりあの高潔な戦士であるシグムンドに信頼されるものを確かに持っている。
「分かりました。 南に向かいましょう」
「急いでくれ。 何だか、彼方此方で村が襲われてるらしい。 もう、北は巨神の手に落ちたって、思った方が良いのかもしれねえ」
ヘルギに頷くと、フレイヤは井戸に身を躍らせた。
井戸の中は湿気が満ちていて、かなり広い空間になっている。
けが人を運ぶ列が、未だに続いている。三つ分の村の戦士達と、それにかなりの避難民だ。無理もない。
最後尾のフレイヤが、先に行くように促す。
魔術の仕上げが、あるのだ。
手のひらを少し斬って、血を流す。そして、地面に魔術文字で、文様を刻んだ。文字が光り始める。
女神の血で書いた魔術文字である。
効果時間は、夜明けと同時。周囲に布陣している巨神達には、間違いなく、痛撃を浴びせることができるはずだ。
少しは、時間が稼げる。
フレイヤは、思う。兄と離れてこれほど戦うのは、初めてだと。
巨神が攻めこんでくる前から、ミズガルドには魔物と呼ばれる存在がいた。主に地底世界であるスヴァルトヘイムや、巨神とは別に、海を渡って来たヨトゥンヘイムの住人達だ。彼らは、まだ見習いだった頃から、フレイとフレイヤの、訓練の相手だった。
テュールと一緒に、様々な戦いを経験した。戦いの相手には、小型とは言えドラゴンもいた。
実戦を経験して、兄はみるみるたくましくなっていった。
フレイヤは、どうだろう。
弱くあってはいけないと、何度も自分に言い聞かせた。
だが、こういう暗闇の中では、どうしても思い出してしまう。古き日の、心の傷を。
あまり負傷者の列は、移動が早くない。牛やロバを使って、負傷者を運んでいる者もいるが、家畜の数はもともとさほど多くも無いのだ。
それに、南の砦の実物を見ないと、どれほど守りきれるか、分からない。
思った以上に守りきれたミルカの村だが、同等の防御設備であったら、おそらくは話にならないだろう。
既に、総攻撃の体勢に入っている巨神族は、どれだけの戦力を投入してくるか、分からないのだ。
洞窟を、出る。
避難民の群れは続いている。
フレイヤは気配を薄くする術式を掛けているが、巨神相手では、どこまで通じるか分からない。
だが、少なくとも、足止めと時間稼ぎという意味では、フレイヤは戦略的な目的を、充分に果たしたはずだ。
「声はできるだけ出さないように。 けが人の治療については、後で私も手助けいたします」
「いや、あんたは襲撃に備えて休んで欲しい。 全員、布を噛め。 ねーちゃんの手を、これ以上煩わせるな」
流石に戦に慣れている北の民。
皆が素早く作業を始める。きちんと家畜にも布を噛ませているところを見ると、同じような作業をした経験が、何度もあるのだろうか。
しずしずと、退却の群れは進む。
爆発の術式がうまく働いてくれれば、更に時間を稼ぐことができるはずだ。
2、北端の衝撃
レギンの凄まじい暴れぶりは、戦神もかくやというほどであった。
確かに、フレイにも頷ける。
これなら、エインヘリアルを多数輩出するわけだ。狂戦士の一族を、どうしても味方に組み込みたいとシグムンドが言ったのも納得できる。
村を襲撃していた包囲網の一端、百体ほどの巨神は、凄まじい狂戦士達の怒りの攻撃に圧倒され、全滅。
中巨神でさえ、彼らが実力で斃したほどである。
流石に大巨神は無理だと判断したので、交戦経験があるシグムンドに牽制を頼み、フレイが打ち倒した。
いずれにしても、大巨神が倒れたことで、狂戦士の村を攻撃していた巨神の軍勢は、一度引いた。これ以上の戦力での攻撃は、兵を損じるだけと判断したからだろう。
斃した巨神を刻んで、暴れ回っていた狂戦士達が、ようやく落ち着いたのは、夕刻である。
「村が……俺の村が……」
「レギン……」
シグムンドも、言葉が無い様子だった。
村は全滅状態である。生き残った民はほとんどおらず、家屋は殆ど潰されてしまっていた。
フレイが見たところ、狂戦士は主にトールを信仰していたようだが、祭壇は完全に叩き潰され、跡形も無い。
トールが見たら、さぞや怒ることだろう。
レギンは地面を何度も拳で叩いている。レギンの怒りはもっともだが、誰が此処にいても、結果は同じだっただろう。
足音。
顔を上げる狂戦士達。
其処には、赤いしゃれた服を着た、戦士が立っていた。数名の護衛を連れている。シグムンドに比べると、若干華奢で、顔立ちも女性受けしそうな柔和な造りだった。しかしながら、歩き方から、剣術については相当な次元で納めていると、一目で理解できる。
「何があった……」
「ヴェルンドか。 ようやく来てくれたか」
ヴェルンドは、調停者の一族だと、シグムンドが説明してくれる。
戦乱が絶えない北ミズガルドだが、その中で特殊な立ち位置にいるのが、ヴェルンドの一族だ。
戦乱が絶えないから、どうしても憎悪も溜まる。戦士の理論というものがあるが、それでも人間的な憎悪や好感は、それを越えてしまう場合がある。
南ミズガルドから、兵が攻めこんでくる事もある。その場合、連合を組まなければならない。
それら事情から、どの村にも荷担せず、独自の判断で、皆をいざというときにまとめられる存在が必要になってくる。
そのため作られたのが、調停者の一族だという。
反発を受けないようにするため、普段は権力を持たない。ただし、全ての村と、交流を常に持つようにする。
その中には、狂戦士の村も含まれるのだ。
いざというときのために、シグムンドは現在、調停者の一族の村を束ねているヴェルンドに声を掛けていたのだ。
ヴェルンドは全ての村の同盟者にて、誰よりも情報を知る者。
何より、狂戦士と渡りを付けられる、ほとんど唯一の存在なのだ。
「まさか、書状にあった巨神か? 何という恐ろしい破壊の跡だ」
「他の村は」
「領主達は皆泡を食ってる。 訳が分からん奴らが攻めてきたってな。 巨神なんて最初は誰も信じていなかったが、お前が送ってきたばかでかい指と、何より絶望的な報告で、どうにか南に避難をはじめた。 俺は率先して、狂戦士の民と話を付けるべく、来たところだったが……」
レギンが、立ち上がる。
狂戦士達も、それに続いた。
「ヴェルンド、村の生き残りを、任せてもいいか」
「かまわんが」
「お前達は、南に先に行け。 俺は北に出向く。 俺の村に手を出したことを、後悔させてやる。 巨神共は、皆殺しだ」
こうなると、話を聞きそうにも無い。
シグムンドは咳払いすると、言う。
「俺たちは、避難してくる民を、南の砦に送り届けなければならん。 巨神との散発的な戦闘も予想される」
「私にどうしてほしい」
「此方は俺たちだけで大丈夫だ」
「そうか。 ならば、そうしよう」
狂戦士達は、飛ぶようにして、北に駆けていった。
フレイはシグムンド達から離れると、その後を追うこととした。
狂戦士達の先に廻ったフレイが、森の中で待っていると。
先とは違って、随分と落ち着いた様子で、レギンが歩いてきた。あれは演技だったのか。いや、違う。おそらくは、ある程度怒りをコントロールできるのだろう。先回りされていると思っていなかったのか、一瞬だけぎょっとしたレギンだが。すぐに、何事も無かったかのように、歩き始める。
「なんだ、お前」
「この先は巨神族の大軍が待ち伏せている。 行けば死ぬぞ」
「死なんぞ怖れるか」
レギンは歩き続けている。やけばちになっている様子は無い。
むしろこの男、冷静な判断力に応じて、歩いている。フレイは、そう判断した。レギンという男、粗野な見かけと裏腹に、相当に理知的である。怒るときは、怒る。ただし、自分の完全な制御下で、だ。
もっと自分の怒りを抑えられない人間は、いくらでもいる。
勿論、村を壊滅させられた怒りを忘れてはいないだろう。巨神を殺して、その怒りを発散するつもり、というわけか。
自分を追い越したレギンに続いて、フレイも歩く。
「何だ、どうしてついてくる」
「そうしたいだけだ」
「勝手にしろ……」
レギンは言葉を切ったが、すぐに言い直す。
乱戦の中で、フレイが相当数の巨神を打ち倒したことを、覚えていたらしい。
「いや、失礼をした。 さっきの戦いでは、世話になったな。 あんたが何者かは知らんが、あんたがいなければ、もっと被害は大きくなっていたはずだ。 ありがとうよ」
「礼にはおよばん」
「巨神がどこから来ているのか、どうやって来ているのか、あんたは知っているのか」
流石のフレイも、それは知らない。
だが、何かしらの輸送手段があるのだろうとは、予測していた。もしもそれがはっきりすれば、対応できるかも知れない。
敵の数は、現時点でおそらく百万前後だろうと、調査の結果分かっている。
そしておそらく、それは総兵力では無いだろう。今の時点でも勝ち目が薄いのに、更に増援を投入されたら、ミズガルドどころかアスガルドも保たない。
「そうか、ならば無意味な行動では無くなったな」
「誰かが偵察をしなければならない。 ならば自分が、というわけか」
「そうだ。 俺は村一つを腕力でまとめるのが精一杯だ。 まとめにはヴェルンドの補佐を受けたシグムンドが最適だろう」
意外なことを言うものだ。
この男、粗野だが良く人を見ている。確かにフレイも、シグムンドの統率力、行動力の高さには驚かされていた。
敵対している相手だと聞いていたのだが。
敵対しているからと言って、相手を低く見積もってはいなかった、というわけか。これは、中々出来ることではない。
神々の中でも、仲が悪い相手を不当に貶める例は珍しくない。
ひょっとしてこの男、腕力よりもその洞察力と、冷静な頭脳で、狂戦士の村をまとめているのでは無いのか。
「悪いが、来るなら手を貸してくれ」
「無論だ」
「そうか。 北はもう、人間の住む場所じゃあなさそうだな。 ヴァイキングの村が心配だが……」
北端の辺りとなると、巨神の侵攻があった際に、真っ先に襲われているはずだ。
生き残りがいる可能性は低いだろう。ましてや、持ちこたえるなど、絶対に無理なはずだ。
だが、確かに確認する意義はある。
「ヴァイキングは、同盟者なのか」
「元々俺たちの村は、ヴァイキングの中でも暴れ者が分化してできたものなんだよ。 狂戦士ってのは、本業が海上戦なのさ。 この村の先祖は、血に飢えた連中があまりにも多すぎて、ヴァイキングの中でも鼻つまみだったそうだ」
「なるほど、それでトールを信仰しているのか」
「そう言うことだ。 そんな経緯だから、最初は仲が悪かったらしいがな、俺たちの力を結局ヴァイキングは必要だったらしくて、今では調停者の力も借りて、よりを戻してるってわけだ」
トールは戦神でもあるが、航海安全の神という側面も持っている。
元々、かなり複雑な経歴を持つ神であり、フレイもいろいろな噂を聞いている。信頼性は低いのだが。
かってはオーディンよりも高位の神だったとか、或いは今のトールは二代目であるとか。
フレイも、先代のフレイの存在を知っている。
確かにそれでも、おかしくはないのだが。
しかし、どうもそれでも、説明がつかないおかしな事が多いのだ。
それにしても、人間の勢力関係はそれにもまして複雑だ。概要については知っていたつもりだったが、現地の有識者に話を聞くと、だいぶ違ってくる。
巨大な石が建ち並んでいる場所に出た。
かって、巨神族が祭祀のために作り上げた遺跡だ。人間も気味悪がって、近づかないのか。かなり巨石は苔むしていて、ひびが入ったり、崩れたりしていた。
巨神族の影が、散見される。
小規模な部隊が駐留している様子だ。戦闘装備を解いている所から見ると、この辺りは制圧したと判断しているのだろう。
レギンを、制止する。
「どうして止める」
「やるなら、伝令を呼ばせない方法で、だ」
「できるか」
レギンは頭が切れるが、巨神族に対する知識自体は豊富とは言えない。此処はフレイが補ってやらなければならないだろう。
大弓を取り出す。
通称、トールの剛弓。
主に戦神の間で使われている弓で、矢を放つだけのシンプルなものだが、重要なのは初速にある。
音の速度を、七倍ほど上回っているのだ。
この恐ろしい速さが、破壊力を生み出す。矢自体が当たらなくても、掠っただけで敵の全身を木っ端みじんにできる。
問題点もある。
引ける神が限られているという事。フレイもつかえるようになるまで、随分時間が掛かった。
弦に強力な魔術が掛かっているため、連続しての使用ができないこと。
更に言うと、矢の数も限られる。
普通の矢では、放ったときに燃え尽きるか、折れてしまうのだ。小人達が鍛えた特殊な鉄の矢を用い、なおかつそれに魔術で強化を加える必要がある。しかも、一度撃つと、二度と使い物にはならない。
既にフレイは、三十本持ってきた矢の内、半数を消耗していた。
「私が、あの大きい奴を一撃で仕留める。 逃げる前に、他の巨神を斃して欲しい」
狙いの先にいるのは、中巨神だ。
ハンマーを手放し、たき火の側で、何か話している。他の巨神もそうだが、何かを食べている様子は無い。
巨神は、神の一種だ。
食事は本来必要ない。嗜好としての食事だったり、或いは神が食べる特殊な食物だけを口に入れる。
フレイが見たところ、巨神達は増えるために、神としての特性を犠牲にしているように思える。
一方で、食事をするほどに「退化」していないのは、何故だろう。
考えるのは一端中断。
もう一つ、この弓には、大きな欠点がある。
引くまでに、時間が著しく掛かるのだ。
つまりこの弓は、豪快な性質と裏腹に、味方の支援を受けていることが前提か、或いは奇襲を想定したものなのである。
レギンが、狂戦士達に、伏せるように指示。
同時に、フレイが矢を放った。
空気を切り裂き、地面に生えた草花を蹴散らし、矢が襲いかかる。それは猛禽のようにと言うよりも、まるで獲物を襲う大猪の突進。
中巨神が、気付く。
だが、その時には。
矢が、中巨神の肩から上を、全てえぐり取り、周囲の数体の巨神ごと、吹き飛ばしていた。
「野郎共、懸かれーっ!」
レギンが、好機を逃さない。
雄叫びを上げながら、狂戦士達が、巨神に襲いかかる。フレイは息を整えながら、ゆっくり腕のしびれを確認し、まだ戦えると自分に言い聞かせる。
この弓は、消耗が非常に激しい。
確かに密集した相手に放てば一撃必殺の武器にもなるのだが。しかし、体力的な問題で、フレイにも扱いづらい武器だった。
剣を抜く。
阿鼻叫喚の中にゆっくり踏みいると、狂戦士の頭を割ろうと棍棒を振り下ろしていた巨神に、正中線を抜く斬撃を浴びせる。
左右に分かたれた巨神には目もくれず、次を、次を、順番に斬っていく。
疲れているときこそ、基本に立ち返らなければならない。
焦れば、それだけ消耗が早くなる。
全て、師に教わったことだ。
雄叫びを上げながら、レギンが跳躍する。恐ろしいほどまでに高い。人間にしては、だが。
そして斧を振るって、巨神の顔面に叩き付けた。
流石によろめく巨神を、もう一本の斧で、喉を切り裂いて殺戮する。レギンが更に一体を斬ったときには、戦いは終わっていた。
味方、被害無し。
棍棒で殴られた者はいるが、それでも立ち上がってきている。
狂戦士にとって、死ぬまでは倒れないというのが普通だというのか。戻れと言っても、戻りそうに無い。
「ふん、余裕だな」
「敵の一支隊に過ぎない。 先を急ぐぞ」
「おう。 言われずとも、分かっている」
不敵に笑うと、レギンはついてくるように促した。
巨石群を抜けると、坂道に出る。
非常に視界が悪い。木々が密集していて、これでは文字通り、一歩先も見えない。レギンは坂道に入ると、一言も喋らなくなった。
此処からは、隠密を徹底すると言うことか。
さっき、大まかな位置は聞いている。だが、鷹になって行くにしても、危険が大きい。巨神族は、既に魔術師の部隊を上陸させている可能性が高い。
巨神族の魔術師というと、アスガルドにさえ名高いファフナーや、勇者としても知られるフルングニルなどは、相当な力量を備えているとみて良いだろう。一万年程度なら、彼らは老いていない可能性が高い。
感知されたら、ひとたまりも無い。
既に巨神族も、神々に対する警戒を強めているはずだ。迂闊に空を行くのは、自殺行為だった。
茂みを抜けて、丘に出る。
既に周囲は、暗くなり始めていた。これだけの長い時間走り続けるというのは、尋常なことでは無い。
レギンは呼吸を整えながら、呻く。
フレイもそれを見る。
既に原形をとどめないほどに、叩き潰された村がある。ヴァイキングの村に間違いなかった。
「化け物め。 俺たち狂戦士でさえ、此処まではしねえぞ」
「奴らは、人間を完全に滅ぼすつもりでいる。 いや、人間だけではすまないだろう」
「どういうことだ」
「巨神族にとって、ミズガルドはかって住んでいた場所。 そして、彼らがいた頃、ミズガルドに人間はいなかった」
フレイも知る歴史だ。
かって、ミズガルドには巨神族が。アスガルドには神族が住んでいた。これは正邪、善悪の関係とは言えないものであった。
実際、神々の中には、巨神族の血を引いていたり、なかには巨神族出身の者さえいるのである。
神々や巨神族の共通の祖先は、ユミルと呼ばれる神らしいのだが、これについてはアスガルドでも秘中の秘とされていて、フレイも詳細は知らない。
いずれにしろ、はっきりしているのは。
オーディンによって、ミズガルドから巨神族が放逐されたという事。その後、オーディンがミズガルドに住んでいた猿の一種に知能を与え、人間という生物を造り出した、ということだ。
「驚いたな。 巨神どもは、かっては本当にこの土地の主だったのか」
「そうだ。 奴らは自分たちの世界を取り戻すために、殺戮をいくらでも行うだろう」
「巫山戯るなよ……だとしても、俺たちだって、はいそうですかって殺される訳にはいかねえんだよ」
「私も、それに同意だ」
そんなものは、神々のエゴだ。
手招きしてくるレギン。
村の外れに出ると、ミズガルド北端の海岸線が見渡せる場所に出た。
それは、まさしく地獄の光景だった。
巨神の大軍団だ。
数は、数えることさえできない。整然と戦列を組み、南へと進軍している。駐屯している戦力自体も、相当数に登るようだ。
これでは、探知の魔術が、正確に働かないわけである。
そして、海上に浮遊して、停泊している巨大な船。
サメを思わせる、とんでも無く巨大な戦艦だ。アスガルドにも、あれほど凶悪な兵器は存在していないだろう。
腹部には巨大な球体を抱え込んでいて、それから光が砂浜に伸びている。
そして、光の中から、大小の巨神が、ひっきりなしに現れ続けているのだった。
「なるほど、巨神共はあのデカブツが呼び出してるってわけか」
「長、此方に」
狂戦士の一人が、何かを見つけたらしい。
呼ばれて赴くと、潰されたトールのほこらの中に、神像が転がっていた。むなしい光景である。
ミズガルドの人々は、事情を知らないとはいえ、神々を純心に信仰していた。
それなのに、神々は人々を守ろうとさえしなかった。
オーディンに至っては、援軍に出向くことを申し出た神々の、出撃を許可しないという行動に出た。
人間達には、とても言えないことだ。
突然、光がその場に差す。
神像が、淡い光を帯びると。その光の直上に、見覚えある幼い女の姿が浮かび上がる。
「何だ……!?」
「案ずるな。 女神イズンだ」
「イズンって言うと、知恵を司る神か」
斧を下ろすレギン。
狂戦士達も、素直に拝礼の態勢に入る。どれほど凶暴であっても、彼らはミズガルドの人間。フレイは複雑だ。こんなに純心である人間達を、神々は捨て駒にしようとしているのだから。
「ようやく巨神達の探査をかいくぐり、ここに力を具現化することができました。 フレイ、よくやってくれましたね」
「フレイ……?」
「今は後だ。 イズンよ、あの巨大なる船は何か」
「魔船ナグルファルです」
あれが。
思わず、フレイも呟いていた。
ナグルファルは、巨神族が建造中だったと聞いている、巨大空中戦艦である。オーディンが巨神族をミズガルドから追い出したとき、破壊したと聞いているのだが。それを、再度建造した、ということなのだろう。
「ただし、もとのナグルファルは、冥界の支援を受けて作られた、もっとちいさな船でした。 あれはもとのナグルファルとは違います」
「打ち倒す術は」
「現状では、とても難しいでしょう。 弱点に関しては、これから私が解析します。 今は、引きなさい」
知恵の女神がそう言うのである。
確かに、引くしか路は無さそうだ。不満そうにしているレギンは、拝礼したまま、イズンに言う。
「俺たちの信仰が、足りないのか、女神よ」
「いえ、貴方たちの事は、とても心苦しく思っています。 私は、少なくとも、これから影ながら支援させていただきます」
「……」
映像が、消える。
レギンは立ち上がると、不満そうに吐き捨てる。
「イズン、あんたについてはとても助かる。 だけどよ、オーディンやトールは、一体何をしてやがるんだ。 戦場で死んだ奴らは、バルハラって所に行って、そこで神々の戦士になるんだろう? そいつらだけでも寄越してくれれば、どれだけ助かることか」
「レギン、今は引くことだ」
「長!」
狂戦士の一人が、潰されたほこらの下から、何か引っ張り出す。
意識を失った子供らしい。
生存者がいたのか。マナを探ってみるが、まだ生きてはいる。ただし、すぐに意識を取り戻すとは思えない。
船乗りらしい、粗末な格好をした女の子だ。毛皮で作ったらしい服と、靴。それに、後ろで乱暴に縛った髪。
どう考えても、戦闘で役に立つとは思えない。
だが、狂戦士達も、見捨てる気はないようだった。
「ジョレン、背負え。 俺たちも撤退だ。 この情報を、なんとしてでも、シグムンド達に伝えるぞ」
「おう」
ジョレンという戦士は、先の偵察隊との戦いで、勇敢に戦い、負傷した。
まだ戦えるそぶりを見せているが、レギンは部下の状態を、正確に見抜いていた、ということだろう。
ジョレンも、長の言うことは、素直に従った。
「フレイと言ったな。 今は詮索している場合じゃねえ。 今までの路をたどって、そのまま引くぞ」
「巨神共は放置していくのか」
「ああ。 皆殺しにするのは、態勢が整ってからだ」
言い終えてから、レギンは此方をぎろりと見た。
「分かってると思うが、俺がこんな事を言ったって、他の村の連中には絶対に言うんじゃねえぞ」
おそらくは、照れ隠しでは無いだろう。
レギンという男、戦士としての本能と一緒に、計算の高さと研ぎ澄まされた知性を有している。
粗野な見かけと、中身が一致しない男だ。
だが、それが此処では、心強い。
確かに、ナグルファルを落とす装備は、今の時点では保有していない。イズンもどうしてか協力的になってくれているようだし、このまま上手く状態が推移すれば、ある程度の戦力補給が出来るかも知れない。
いずれにしても、とても心苦しい。
どうにかして、純心に神々を慕っている民は、救いたい。神々の中には、人間など我らが作った奉仕種族では無いかと放言する者もいる。だが、フレイは、そうは思わない。現に巨神共を相手に、神々が瞠目するほどの戦いをしているでは無いか。
「これから、どうするか。 あんたに策はあるか」
「人間達をまとめ上げなければならないだろう。 神々がこのまま状況を放置しているとは思えぬ。 救援が来るまで、どうにか耐え抜けば、或いは」
「南の奴らは気にくわねえが、それしか無さそうだな」
後は、声も無く、走り続けた。
まだ、状況の好転は見えてこない。ただ、巨神の圧倒的な戦力を、直接確認することが、できただけだった。
あの魔船ナグルファルだけでも、ちいさな国なら蹂躙し尽くすだけの戦闘力を有しているとみて良いだろう。
更に言えば、とても巨神族の戦力が、それだけとは思えない。
一体これからどれほどの混乱が待っているのか。
フレイにも、想像できなかった。
3、南への逃走
撤退する際に、フレイヤは村に探知型の術式も仕掛けておいた。そうすることで、巨神の侵入をいち早く察知できるから、である。
もちろん、巨神側も、そろそろ魔術師を投入してくる可能性が高い。巨神族にも優れた魔術の使い手は多く、フレイヤの組んだ術くらいは、時間を掛ければ解析されてしまうだろう。
それだけではない。
今まで巨神は夜間での追撃戦を避けてきたが、それは戦術上の理由からであって、別に他に意味は無いと推察される。
逆に言えば、必要であると彼らが判断すれば、当然夜にも奇襲を仕掛けてくる事だろう。
夜明けまで、待つ。
巨神は、動かない。
だが、早朝になると、一気に村になだれ込んできた。大巨神を二体も動かしての、大規模攻勢である。
勿論、ためらう理由などは無い。
起爆。
村が吹き飛ぶのが、南からも見えた。
戦士達は、非常に悔しそうな顔をしている。当然だろう。一体何世代を掛けて、作り上げてきた村だというのか。
それを、戦略的な判断とは言え、木っ端みじんに消し飛ばしたのだ。
フレイヤも、悲しむ彼らを見ていて、心が痛んだ。
だが、これで巨神族は、追撃を遅らせなければならない。今ので、相当な数の巨神の反応が消えた。態勢を立て直すためにも、彼らは立ち止まるだろう。
「急げ!」
戦士達が、皆を促す。
歩きながら、ヘルギに聞く。頭二つ分高い所に、ヘルギの目線があるので、話していると少し首が疲れる。
「南の砦には、どれほどの人員を収容できるのですか」
「砦って言うか、谷をまるごと改造した防御施設だよ。 本当は、南の敵を防ぐために作ったものだったんだがな……」
けが人が倒れそうになったので、ヘルギが支える。
先に行っていた戦士が、戻ってきた。
「南の砦には、続々と彼方此方の奴らが集まってる。 戦士もかなりいるぞ」
「よし、急いで負傷者を運び込め! まだ巨神は……」
振り返った戦士が、あんぐりと口を開ける。
北の上空。
無数の影が、此方に迫っているのが見えたからだろう。
リンドブルムだ。
平原で襲われると、文字通り身の隠し場所が無い。しかもこの距離だと、向こうには此方が見えていても、此方からは反撃する手段が無い。
「くそっ! 急げ!」
「家畜の類を全て使え! 砦に逃げ込めば、何とかなる!」
戦士達が怒号を張り上げて、非戦闘員を急かす。
だが、どう考えても、砦にまでは間に合わないだろう。誰かが、殿軍を努める必要がある。
フレイヤは、覚悟を決める。死ぬ事よりも、兄を失望させる事の方が、よほどフレイヤには恐ろしい。
既に氷を撃ち出す杖は、使い物にならなくなっている。使いに出した鷹も、戻るまで時間がまだ掛かるだろう。他にも魔法の道具はあるが、殿軍で使うには向いていない。
迷わず、精霊の弓を取り出す。
リンドブルムには、それほど高い知性は無い。幸いに。近づいてきたところが、好機だ。
弓を引き絞る。
さて、兄が来るまで、持ちこたえることができるか。
ヘルギが、泣きそうな顔で隣に来る。
他の戦士も、何名か来た。
「貴方たちは? 早く砦に向かうか、負傷者を収容しなさい。 此処は私が、何とかします」
「そうはいかねえよ。 あんたを見捨てたら、後でシグムンドに殺される」
「ま、そう言うことだ。 捨て石にならなきゃ行けない奴がいるのは、確かな状況だからな」
意外にも、義理堅い男達だ。
アスガルドにいたとき、地上の人間の良い話は、聞いたためしがなかった。
テュールに言われて、地上に最初に降りたときも。おそらくはろくでもない野蛮なだけの連中だろうと思っていた。
だが、それから随分考えが変わった。
今回、兄が人間を助けると言い出したとき、反対する気にはならなかったのも。
神々の方が、むしろよどんだ心に陥っていると思ったからでは無いのだろうか。下手に力を付けた神々の中には、自分たちを信じている人間を、嘲笑っている者達さえ存在していた。
オーディンも、もしも人間がこれほど純心に自分たちを慕っていると知った上で、援軍を出すことを断ったのだとしたら。
それはどれだけ悲しい事なのだろう。
人間が善人ばかりだとは、フレイヤも思わない。というよりも、ろくでもない人間が多数派だと言うことは、知っている。
しかし、今フレイヤと共に、殿軍を買って出た人間達のような者は。守り抜かなければならない。
神の命と誇りにかけて。
見る間に、リンドブルムが迫ってくる。フレイヤは弓を引き絞ると、魔力を集中していく。
光が、鏃の先に集まる。
リンドブルムが、此方に向けて、火を吐こうとしているのが、見えた瞬間。
フレイヤは、矢から指を離した。
三つの巨大な光の塊が、リンドブルムへ向け、飛んでいく。
飛翔速度は遅いが、数が多い。狙われていると思ったリンドブルムは逃れようとするが、別の個体が旋回中に、火球に接触。
皆が耳を塞いでいるのを、フレイヤはしっかりその時には、確認していた。
爆発。更に二つも、誘爆。
膨大な数のリンドブルムが巻き込まれる。
だが、煙が晴れると、すぐに別の個体が、姿を見せる。やはり、これだけでどうにかできるほど、甘い話では無いか。
「近づかせるか!」
戦士の一人が、弓矢を放つ。
正確にリンドブルムの翼を穿った矢が、強烈な魔力を帯びているのを、フレイヤは見た。翼の一部が、吹っ飛ぶ。
リンドブルムが、翼を失えばどうなるか。
そのまま、バランスを崩し、地面に叩き付けられる。だが、次々に、煙を突き破るようにして、リンドブルムは姿を見せる。
フレイヤの武器は、この場では精霊の弓と、剣くらいしか無い。
勿論、それでもリンドブルムは倒せるが。弓はしばらく充填しないと撃てない。剣と、盾だけで戦うしか無い。
至近、迫ってきたリンドブルムに、切りつける。
鱗を斬る、痛烈な手応え。
一気に切り落とすが、リンドブルムは両断されない。兄のパワーだったら、真っ二つだったのだろうが。
だが、ヘルギが、仲間の肩を借りて、跳ぶ。
そして、分厚い剣を振るって、一気にリンドブルムの首を叩き落としていた。頼もしいことだ。
だが、リンドブルムも、やられてばかりではない。
無秩序ながら、炎を吐いてくる。
一つ一つの火球は、それぞれ人間大もある。しかも着弾すると、地面で爆裂するおまけ付きだ。
少しずつ下がりながら、滑空してきた奴だけを相手にして行くが。
しかし、火球の狙いは正確だ。一発、直撃コース。盾ではじき返す。だが、爆発が、全身を覆うほどである。手に強烈なしびれが来る。
至近に、もう一発。
盾をかざしてどうにか耐えるが、その瞬間。リンドブルムが、至近まで滑空してきているのに、気付かなかった。
はじき飛ばされる。
空中で、見る。
下で、口を開けているリンドブルムを。
無言で剣を振るいながら、着地。頭部を切り離されたリンドブルムが、地面に激突した。
まずい。
神の力といえども、無限では無い。
ましてや若いフレイヤは、限界の力も、かなり早く見えてくる。魔力が豊富にある地上では、何も無くても力を補給することはできる。人間のように食事と睡眠をしなくても、ただじっとしているだけでいい。
だが、今は。
その時間が無い。
更に、剣を使って魔力を補充するやり方も、相手が飛翔するリンドブルムでは分が悪い上に、そうしている隙が無い。その辺に転がっているリンドブルムのしがいに、剣を突き刺す暇さえ与えられないのだ。
「くそっ! 数が多すぎる!」
戦士の一人が、爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされる。
地面で倒れた戦士を、襲おうとしたリンドブルムを、ヘルギが剣を振るって斬り倒した。頭を半分抉られ、リンドブルムが横転して地面に叩き付けられる。辺りには、さっきの精霊の弓の爆撃で炭化したり、切り捨てたリンドブルムのしがいが、見る間に積み上がっていく。
だが、リンドブルムは、味方の血に、むしろますます興奮している様子だ。
数はざっと見受けられるだけで、百、いや二百に達している。
また、火球。
盾で弾くが、もうそろそろ限界だ。吹っ飛ばされる。
「まだか! 避難民の収容は……」
「いや、問題ない。 彼奴らを追い払えば済む事だ」
立ち上がりながら、フレイヤは見る。
上空を、巨大な衝撃波が通り過ぎる。リンドブルム数匹が、文字通り塵となって消し飛んだ。
兄様だ。
更に、かなりの数の戦士達が、こっちに来る。
一斉に矢を放つと、次々旋回しているリンドブルムを、叩き落としていった。その正確さ、いずれもが恐ろしいほどである。
「シグムンド! 戻ったか!」
「状況は良くない。 まだ避難民はいる上に、巨神の軍勢が、こっちに向かっている」
「何だって!?」
「とにかく、今は時間を稼ぐ! あのトリの群れをどうにかすればいいんだな」
がらがらと、何か音がした。
巨大な戦塔が、此方に向けて、動いているのが見えた。
確か、地上の戦で使われる、攻城塔という奴だ。あれで城壁の上にいる相手と、射撃戦を行う。
城壁に接地すれば、そのまま相手の城の中に、なだれ込むこともできる。
見たところ、どうやらとにかく頑丈さを重視して、頭上から敵を討つことを目的としている兵器であるらしい。
上にいる戦士達が、次々に矢でリンドブルムを叩き落としていく。
落ちてきたリンドブルムが、百を超えたころ。
鋭い笛のような音がして、敵が撤退していった。リンドブルムを操作している巨神がいると言うことだろう。
フレイが来る。
鎧の埃を払って、笑みで迎えた。
「無事であったか、妹よ」
「兄様も」
「消耗が激しいな。 氷の杖は」
「消耗しきってしまいました。 それに、装備はこれでは足りません。 アスガルドに使いは出しているのですが」
爆発音。
どうやら、ゆっくり話している暇は無いらしい。
「後は私が引き受けた」
「分かりました。 私は避難民の誘導に注力します。 後は、氷の杖を、使えるように修復しないと」
「うむ」
戦塔が、緩慢に向きを変える。
見慣れない若い男が、指揮を執っていた。北の民にしては珍しく、洒落が効いた格好をしている。
一瞬だけ、男はフレイヤを見たが。
気にしないで、指揮に戻ったようだった。
レギンが時間を稼いだことで、逃げ延びることができた避難民達が、此方に向かっている。砦に収容しつつ、追ってきた巨神を、真横から不意打ちした。
シグムンドも、相当に巨神との戦いには慣れてきた。
だが、それでも慣れないのは。
銀色の戦士の、常識離れした強さだ。
銀色の女戦士も、相当に桁外れに強い。ただ、あちらは遠距離での戦闘が専門のようだ。戦士であるシグムンドは、やはり近接戦を得意としているらしい、銀色の戦士の方に、興味が強く向く。
また、数人の避難民を保護しながら、下がる。
最後尾に立った銀色の戦士は、剣を振るって、追ってきた中巨神の頭を叩き落とした。気のせいだろうか。
少しずつ、剣の切れ味が上がっているように見える。
ただ、今のは、皆で矢を放って、中巨神の動きを止めていたことも大きい。他の巨神は、掃討戦でどうにか処理する。
被害も、増えているが。
それ以上に、味方を守れるようになってきていた。
戦塔が来た。これで一気に勝負を付けられる。
上から降ってくる矢。飛びつこうとする巨神が出たが、備え付けているクロスボウを使って、途中で叩き落とす。
飛びつかれても、かなり頑強な戦塔だ。
タックルくらいなら、浴びても壊れない。
指揮を執っているヴェルンドは、途中で話してくれた。これはどうやら、女神フリッグに執行者の一族が命令されて建造したものであるらしい。ただし、人間を相手には使わないように。使えば天罰が下ると、脅されてもいたそうだ。
話によると、提供されたユグドラジルの一部を装甲に使っているそうだ。見た目は木でも、それなら強度は鉄以上だ。
「避難民を回収したぞ!」
「よし、下がれ!」
「全員後退!」
シグムンドは、下がらない。
かなりの数の偵察を、放っている。彼らの動き次第では、すぐにまた出なくてはならないからだ。
ヘルギが、食糧を持ってきた。
どれも干し肉だが、良い具合に燻製されている。口に運んで、噛み千切る。肉の旨みと、煙の苦みが、口の中に広がる。
無言で肉の味を楽しみながら、シグムンドは。
巨神を屠って戻ってきた、銀色の戦士に言う。彼には、当然喰う権利があると思ったからだ。
「喰うか?」
「私は良い。 皆で分けよ」
「どうやら、やせ我慢ってわけじゃあなさそうだな」
前にも、何度か同じようなことがあった。
そればかりか、銀色の戦士が何かを食べる所を、シグムンドは一度も見ていない。レギンが遅れているという事で、銀色の戦士は一度戻ると言った。
引き留める理由は無い。
ただ、聞いておきたいことがある。
「一つ聞かせてくれ。 あんたは人間じゃ無いな」
「ああ。 私はアスガルドの神フレイだ」
「フレイ?」
それは、不可思議だ。
てっきりテュールだと思っていた。伝承のフレイのことは、シグムンドも聞いているが、高潔な武人とは言いがたいし、何より人間のために命を張って戦うような存在でも無かったはずだが。
伝承が間違っていたのか。
「今、お前が考えているフレイは、先代のフレイだ。 私とは違う」
「神が、代替わりするのか」
「そうだ。 先代のフレイは私と正反対の性格だった。 もちろん、この危機を見ても、人間に加勢するつもりは無かっただろう」
「なるほど、な」
詳しい話は、また後だ。
そう言い残すと、銀色の戦士、いやフレイは消えた。
シグムンドとしては、驚かされることが多い。そうなると、まさか銀色の女戦士は、フレイヤか。
あれこそ、違和感どころの話では無い。
フレイヤと言えば、典型的な経国女ではないか。神々全てと寝た(男女関係無しに)という噂もあるほどの多情家だと聞いていたが。
あの銀色の女戦士は、生真面目で責任感が強く、何より初な素顔を鉄仮面で隠しているような雰囲気ではないか。
どうやら、アスガルドの神々には、様々な事情があるらしい。
彼らが吟遊詩人を通じて地上に流している情報は、相当に偏っているか、それとも嘘が混じっているのだろう。
偵察部隊の一つが、戻ってくる。
「狂戦士が来る! かなりの数の避難民も一緒だ! 巨神に追われてる!」
「ヴェルンドを呼べ! 巨神を此処で待ち伏せするぞ!」
「おうっ!」
この近辺は地形が入り組んでいて、崖も多い。
しかも、南の強力な軍勢を足止めするために、多数の罠も仕掛けている。敵を、地形を利用して攪乱するのは、それほど難しくない。
フレイが先行してくれているのは、とても頼もしい。
巨神達は、フレイに気を取られて、此方に対してまで警戒する余裕が無いだろう。それに、対処できそうに無い大巨神については、フレイが片付けてくれているだろう安心感がある。
避難民達が、来た。
先に役割を決めておいた。戦士達の何人かが、声を張り上げて、誘導する。荷車や家畜も連れてきてあったから、それに乗せて、急いでけが人や足弱を運ぶ。忙しく働く中、敵が来る。
巨神が、跳躍しているのが見えた。
緩慢ではあるが、確実に盾になるように、ヴェルンドの戦塔が前に出る。
数体の巨神の体当たりを浴び、かなり後退するが、それでも装甲は無事だ。足を止めたところで、四方八方から矢を浴びせる。倒れた巨人の首に剣を突き刺しながら、シグムンドは気付く。
巨神が持っている棍棒が、血にまみれていることに。
一体此奴らは、どれだけの数の非戦闘員を、北の地で手に掛けたのか。
戦いを汚す化け物め。
吐き捨てると、シグムンドは避難を急ぐように指示。南の砦には、まだまだ多くの避難民を収容できる。
ヴェルンドが、塔上から声を掛けてくる。
「また来るぞ! 三十人くらいだ。 巨神も、リンドブルムもいる!」
「戦塔に登れ! 射撃して叩き落とす!」
弓が達者な戦士何名かに声を掛けて、塔に上がらせる。
あまりにも出過ぎると、今度は此方が逆撃を喰らう可能性も高い。本当だったら、救助隊を出して、全部の村を廻らせたいくらいだが。
そうはできないもどかしさが、悔しくてならない。
狂戦士の雄叫びが聞こえた。
巨神と戦いながら、非戦闘員を逃がしているらしい。彼らの努力を、無駄にはできない。避難民達が来た。
あと、どれだけこんな戦いが続くのか。
シグムンドは、弓を引く。そして、姿を見せた巨神の顔面に、渾身の力を込めた矢を、叩き込んでいた。
レギンが戻ってきたのは、夕刻である。偵察隊も出しているが、避難民はもう、あまり多くは無い様子だった。
偵察隊は、出してはいる。
だが、巨神が行動を控える夜間になっても、避難民はもう、殆ど来ない。
彼らがたどった運命は、明らかだった。
領主の多くも、命を落としていた。砦に避難してきた人数は、二千を超えていないだろう。
そのうち四分の一が戦士だ。
皆熟練の戦士だが、武器の備蓄は残念ながら充分とは言いがたい。小さな工房も一応備えてはあるのだが、鍛冶士も規模が小さすぎて、修理がやっとと悲しそうにいうだけだった。
こういうときこそ、希望を示さなくてはならない。
シグムンドは、フレイとフレイヤを、主なメンバーに紹介する。レギンは驚かない。おそらく、北の地で戦っているときに、聞いていたのだろう。
「神と一緒に戦えるとは、光栄だ」
ヴェルンドは、丁寧に拝礼をした。
博識で女好きのヴェルンドだが、フレイヤが伝承とは全く真逆である事に気付いたのか。色目を使うようなことは無かった。
ヘルギはぶきっちょに拝礼をした後、頭を掻きながら言う。
「実は、なんとなくだが、気付いていたんだ」
「そうか」
「自己紹介してくれて、ありがとうよ」
レギンが言ったのは、おそらくは自分たちと同じ目線に立ってくれたことを、フレイとフレイヤに感謝したから、だろう。
フレイヤは少し居心地が悪そうにしていたが、それは仕方が無い。
シグムンドは咳払いをすると、本題に入った。
「ここからが、問題だ。 確かにこの砦は頑強だが、支援無くして、いつまでも巨神の攻撃には耐えられないだろう」
「そもそも巨神はどれだけいる。 連中の数次第では、戦略も立てられる」
ヴェルンドがもっともなことを言う。
フレイに視線が集まる。フレイは、別に困惑することも無く、言う。
「巨神は確認されているだけでも、およそ百万」
「ひゃ……」
「百万……!」
流石に、シグムンドも絶句した。
ヘルギに至っては、露骨に逃げ腰になっている有様だ。
南の大陸、ブルグンドの戦力でさえ、確か常備兵が六万。拮抗した力を持つというゴート国でも、それ以上の戦力は無いだろう。
常備兵があわせて十二万だとして、予備役の兵士もかき集めて、あわせて精々二十万くらい。
それに、南部にある小国から、援軍をかき集めても。焼け石に水だ。
巨神に対して、一対一の損害を見込めるのであれば、いい。戦術、戦略を駆使して、敵を分断し、各個撃破していけば。いずれは勝機が生まれるかも知れない。
だが、巨神族の戦闘力は、人間の比では無い。よほど上手く戦ったとしても、あまりにも絶望的な戦いになる。
たとえば、シグムンドは、今までに二十体以上の巨神を葬った。だが、それは相手がいずれも雑兵だったからだ。
巨神の中には、大巨神のようなとんでもない怪物がごろごろしている。そんな連中に勝てるとうぬぼれるほど、シグムンドは自分を知らぬ子供では無い。
しかも、南ブルグンドは、北以上の戦乱の地だ。争っていた国々が、そう簡単に手を結べるとは、とても思えない。調停者の一族に相当する存在もいないと聞いている。寄せ集めの軍勢では、それこそ半分の敵にも勝てない可能性がある。
「俺たちだけで、どれだけ頑張っても、一万減らすのが精一杯だ。 後99万、巨神は残っているってわけか」
「アスガルドの軍勢は」
「……」
ヴェルンドの質問に、フレイはしばし黙り込む。
先ほど聞いたとおり、フレイが二代目だとすると、彼はあまり地位が高くない神である可能性がある。
聡明なヴェルンドは、当然それに気付いているだろう。
だが、今は、配慮している余裕が無い。
「天界の主戦力は、神々よりもむしろエインヘリアルだ」
「ああ、バルハラに招かれた戦士達だな」
「そうだ」
応じるとき、フレイにほろ苦い光が差すことを、シグムンドは見て取ったが、敢えて何も言わない。
何か、後ろめたい事があるのだろうが、今は後回しだ。
「彼らの戦闘力は、巨神にも劣らない。 保有している武器も、神々が鍛えたものだ」
「それは心強い。 数はどれほどか」
「およそ、五十万」
「凄まじい数ではあるが……」
巨神の半数。
シグムンドも、あまり楽観的な予想は立てられない。ましてや、神々はどうしてか、巨神と戦う事に積極的では無い。
このままでは、ミズガルド全てが、巨神に踏みつぶされてしまうだろう。
「兄様」
「この者達になら、言っても構わないだろう。 今、我が師である軍神テュールが、オーディンに交渉してくれている。 上手く行けば、軍神を一柱か二柱、エインヘリアルの一部隊、派遣が成功するかも知れん」
「一部隊というと、どれくらいか」
「五千から、上手く行っても一万だろう」
巨神の圧倒的軍勢に比べれば、確かに少ない。
だが、エインヘリアルの戦闘力は、地上の人間と比べものにならないと、フレイは言う。使い方によっては、ひょっとすれば、巨神に痛撃を浴びせられる可能性もある。確かに、戦場で死んだ後、バルハラで鍛え続けている上に、神々の武器を持っているのだ。地上の戦士とは、比較にならない力を持っていてもおかしくない。
しかし、それでもなお、不安要素が大きい。
巨神族の統率は、圧倒的だ。
シグムンドが知る限り、あれほど統率された軍隊は、他に見たことが無い。飛龍を猟犬の様に使いこなしていることもあり、あまりにも桁外れな軍隊だ。それにこれは勘だが、まだまだ巨神族は、切り札を見せていないと、シグムンドは思う。此方に手を焼いているとは思っているだろうが、神々と戦うために来ているのだ。どんなとんでも無い武器を持っているか、想像もつかない。
現在、巨神を率いているのが誰かは分からない。フレイに聞いてみると、ミズガルドを追放されたときは、フリムという王がいたはずだと、曖昧な応え。そのフリムが、まだ巨神を率いているかは、分からないともいう。
ただ、それで希望が生じる。
つまりそいつを殺せば。巨神族は、統率を乱す可能性が高い。ただし、あれだけの統率を見せている巨神族だ。王として、残虐であっても、極めて優秀である事は間違いが無いだろう。
指揮官にしても、雑兵にしても。
ミズガルドは、今史上最強の相手に、蹂躙を受けているのだ。
だが、そいつさえ、殺せば。
「希望は、まだあるみたいだな」
「なければ、どうする」
「決まっている。 希望などあろうがなかろうが、最後まで戦うだけさ」
仮に希望が無くても、シグムンドは諦める気は無い。
多分、この場にいる全員がそうだろう。
困惑した様子で、フレイヤが兄を見る。その表情は、シグムンドが思っていた以上に、幼かった。
この二人、いや二柱というべきか。
神々としては、本当にまだ若いのでは無いのか。その若さが故に、地上の蹂躙を見ていられず、助けに来てくれたのか。
それならば、神々の世界アスガルドは、理想郷とはほど遠いのかも知れない。
どんな世界なのかは想像できないが。少なくとも、シグムンドが思っていた、からっとした武と義の理論が支配している場所では無さそうだった。
「フレイヤ、武器の補給は手配したか」
「はい。 兄様は」
「私も手配はした。 数日は届きはしないだろうが」
「その分、支えなければならないって事だな」
シグムンドは腰を上げると、皆を促して、砦の入り口にまで出る。
今、皆を指揮する立場だと言うことは分かっている。だが、巨神の攻撃がいつあるか分からない状況で、のうのうとしている事はできなかった。
偵察の戦士達が、ぱらぱらと戻ってくる。
彼らに話を聞くのも、シグムンドの仕事だ。
「駄目だな。 もう、逃げてくる奴はいない。 そろそろ偵察も引き上げたいんだが、いいか」
「……そうだな」
シグムンドは、否だと思っている。
もしも敵が恐るべき何か新しい戦術を投入してくるとなると、早めにその正体を理解した方が良い。
その方が、対応できるはずだからだ。
もしも、シグムンドが敵だったら。
この辺りで、此方の戦意を挫くために、強力な戦力を投入する。それこそ、フレイとフレイヤがいても、どうにもならないほどの。
「偵察の数は減らす。 ただし、足の速い奴を、もう少し先まで出す」
「どういうことだ」
「この辺りは俺たちの庭だ。 何が来ても対応はできるように、しておきたい」
「おいおい、まだ何か、とんでも無い奴が来るのかよ」
来ても、おかしくない。
何しろ相手は。
残虐で、戦士としての心を知らないとしても。神なのだから。
4、暗闇より
制圧した森の一角を薙ぎ払い、整地した上で。駐屯する戦力の指揮所に変えた。
地面に刻まれた数字を見て、その巨大な存在は唸った。
他の巨神達より、更に大きい。大巨神に比べても、二回り以上大きい、最大体格の持ち主である。
座り込んでいるのに、周囲に残った木々が、肩にまで達していない。
それほどの体格の持ち主だった。
黄金の鎧を身につけ、兜で顔の大半を隠している。その装備だけでも、桁外れの地位にある巨神であると分かる。
フリム。
巨神の、王である。
正確には、ヴァン神族の長だ。
「フリム王。 現在、ミズガルド北部の制圧作戦は、多大な損害を出しつつも成功はしております」
「神々が思ったよりも、早く出てきたな」
「それもありますが……」
左右に控えている側近達が、怪我をした巨神を呼び寄せる。
彼らの腕や足には、恐ろしいほど深い傷が刻まれていた。打ち込まれた矢も、抜くのが一苦労である。
彼らを下がらせると、他の側近達は、明らかに動揺を見せていた。
「見ての通りです。 これだけの力量を見せる敵が、珍しくないという事でありまして」
「どういうことだ。 これが、本当に人間の技か。 まるで機械仕掛けの弓矢で打ち込まれたかのようでは無いか」
「落ち着け、ファフナー」
フリムが重苦しい声を出すと、ファフナーと呼ばれた者。
そう、巨大なドラゴンは、頭を下げて、黙り込んだ。
フリムの側近の一人、ファフナー。巨神族最強の魔術師の一人であり、ドラゴンに化身する術を得意としている。
隣で腕組みしているのは、腰布を身につけている、非常に巨躯の戦士だ。
彼こそは、フリムの側近の中でも、最強の戦士。かの雷神トールと互角に渡り合ったという逸話を持つ、勇者フルングニルである。
彼は一対の巨大な斧を獲物として使うほか、頭が三つもあるという特殊な性質を備えている。
その頭を全て使って、並列でものを考える事で、様々に冷静な行動を可能としているのだ。
それだけではない。大巨神よりも一回り大きな体を持ちながら、若者並みの機動を見せる、桁外れの体術の使い手である。
「一万年の間に、人間が強くなった、という事か」
「それにしても、千体近い損害を今までに出すというのは異常だ。 奴らの戦闘員数は、万にも達していない。 本来ならば、完全に蹂躙するだけの相手であるはずなのに」
「ファフナー」
「は、すみません」
ファフナーは声が甲高い。
また、才気が渙発である反面、とても気弱で、些細なことで動揺しがちだ。戦士としての力量がいまいちである事も、それに関係していることは疑いない。
強烈な姿に化身する事を得意とするのではなく。それくらいの姿になっていないと、恐ろしくて戦えないのでは無いかと、フリムは思っていた。
情けない男だが、それでも貴重な戦力だ。
フルングニルのように、知勇兼備などと言う部下はそうそうはいない。
「敵は、堅固な要塞に立てこもった様子です。 此処を抜かないと、南部への侵攻は、難しいと感じます」
「波状攻撃を仕掛ければ良かろう」
「今までも、敵にはかなり手を焼かされたというのにか。 ならばお前が先陣を切れ、ファフナー」
「そ、それは……」
露骨にフルングニルに対して怯えるファフナーを見て、フリムは思わずため息が漏れてしまう。
作戦立案に関して、ファフナーはとても頼りになる。魔術の腕に関しても、右に出る者はいない。
それなのに、他と接するのが極端に苦手で、少しの痛みでも取り乱してしまう。
よくしたもので、ファフナー麾下の魔術兵団も、他の巨神達と比べると、どうも練度が低いものが目立つ。
戦闘力そのものには問題が無い。
訓練でも、劣勢になってから、立て直したためしがないのだ。
勇将の下に弱卒無しとよく言うが、ファフナーと魔術兵団の関係は、まさにその真逆である。
「フリム王」
「どうした、フルングニル」
「此処は、アウズンブラを投入すべきかと思います」
「……」
アウズンブラ。
世界の始まりの溝と呼ばれる、ギンヌンガカプと言う穴がある。
其処から、時々様々な邪悪が生まれる。或いは、神的存在も、生まれ出ることがある。
数万年前に、ギンヌンガカプから、桁外れに巨大で獰猛な生物が、生まれ出たことがあった。
それこそが、アウズンブラ。
巨神族が従えている、最大の猛獣である。従えるまで、多大な犠牲が出た。だが、それだけの価値はある存在だった。
「アウズンブラであれば、多少の抵抗は力尽くで粉砕することができるでしょう」
「しかし、アウズンブラを出すのは、早いのでは」
「アース神族に、これ以上此方の手の内を見せるわけにはいかん。 ただでさえ、ナグルファルは敵に見られた可能性が高い。 オーディンは狡猾だ。 多少の戦力差があるくらいで、勝てるとは思わない方が良い。 此処は可能な限り、最小限の切り札で、圧倒的な勝利を収める必要がある」
フリムは立ち上がる。
側近達も、それに吊られて、立ち上がった。
「フルングニルの言葉やよし。 掃討戦を開始し、北ミズガルドから人間共を駆逐する」
「おおっ!」
「まずはアウズンブラだな。 此処まで連れてくるのに、どれほど掛かる」
「二日という所です」
それならば、敵の城塞に突入させるまで、もう一日は必要だろう。
三日の猶予を与えることは、この際仕方が無い。
妙に及び腰なオーディンの様子も気になる。奴は一体、何をもくろんでいる。流石に、百万に達するヴァン神族の上陸部隊を、一度に殺戮するほどの破壊力がある兵器は、奴らにも持ち合わせが無い筈だが。
「念のため、騎馬隊の出動準備を」
「あの者達も、戦場に投入するのですか」
「もちろんだ。 何のために魔獣を飼い慣らし、乗れるようにするまでにしたと思っている」
荒くれ揃いの騎馬隊は、圧倒的な戦力で、敵を蹂躙してくれるはずだ。
乗るのは馬では無いが、その速度、パワー、馬などの比では無い。
「後は、人間に加勢している神々だな。 正体は割れたか」
「テュールとワルキューレのいずれかと思われたのですが、どうも違うようです。 フレイ、フレイヤという言葉を、探知術式が拾いました」
「何……」
あ奴らは、そもそもヴァン神族出身の者達。
此方からすれば、裏切り者に等しい。
いや、それにしては妙だ。
「確か、その二名はオーディンの側近にまで上り詰めていると聞いている。 どうして兵も伴わず、地上に来ている。 それに不可解なのは、あ奴らは、そもそも最前線に出てくるような性格では無かったはずだが。 ましてや、家畜以下と思っている人間のために、命を張って戦ったりするのか? あの強欲の神々が?」
「分かりません。 調査を進めます」
「うむ……」
不可解すぎる。やはり、何かアスガルドの対応はちぐはぐだ。一体アース神族は、何をもくろんでいる。
いずれにしても、作戦の骨子は決まった。
あまり、時間を掛けていると、本当の意味での世界の終わりが来てしまう。それだけは、避けなければならない。
そもそも、この世界は、あまりにも無理が来すぎた。
他の世界の事を、フリムは知っている。
だからこそ、この世界がどれだけ異常なルールによって作られているか、良く理解しているのだ。
この世界は、もう保たない。
だから、アスガルドを完膚無きまでに叩き潰さなければならない。全てが、手遅れになる前に。
そして、世界を作り直す。
そのためには、繁栄を謳歌していた巨神族、つまりヴァン神族を戦地に追いやることも、仕方が無い。
全てが滅んでしまうのでは、何もかもが無駄になってしまう。
オーディンとは、何十回と、やりとりをした。
奴は、聞く耳を持たなかった。
やるしかない。
やるしかないのだ。
どれだけの、犠牲を払ったとしても。
(続)
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