押し寄せ来る巨影

 

プロローグ、破滅の日

 

この世界ミズガルドには、伝承がある。

アスガルドに住まう神々の敵、巨神族が今でも存在していると。

誰も見たことが無いその巨大なる敵は、ヨトゥンヘイムと呼ばれる最果ての地に追放されはしたが、未だ滅びること無く、神々への復讐を遂げるべく、牙を研いでいるのだと。

いつか、巨神族は必ず現れる。

あらゆる伝承で、その恐怖は告げられていた。

それなのに、どうして人類は、その恐怖を忘れていたのだろう。

海を割るようにして、巨大なる船が姿を見せたとき。

歴戦の勇士揃いであるはずの海の民、ヴァイキングは。皆が、呆然と、その光景を見つめていた。

誰も、逃げようとは口にせず。

あれは何だとさえ、口にはしなかった。

それはあまりにも禍々しい姿であり、全体的にはサメに近い。巨大なる棘を全体に生やし、おぞましい光を纏い、そして腹部には、とてつもなき大きさの球体を抱え込んでいた。どうして、それが船だと分かったのだろう。

船が、膨大な海水を垂らしながら、空へ浮き上がっていく。

そして、球体から、光が発せられ。砂浜に、無数の人影が、現れ始めたとき。

郷の長老が、呟く。

「巨神族だ……!」

ちいさな者でさえ、人間の三倍。しかも全身が筋肉の塊で、人間よりも大きい棍棒を手にしている。簡易な皮の着衣を身につけてはいるが、知性よりも暴力を感じさせるその存在は、間違いなく、巨神。顔は憎悪に歪み、耳まで避けた口元からは牙が覗き、若干とがった耳は、何者の足音も聞き逃しそうに無い。

フロストジャイアントだ。

更に、その三倍は大きいもの。更に更に、それよりも倍は大きいもの。

まるで歩く山のような巨体が、砂浜を見る間に埋め尽くしていく。とんでも無い大きさの化け物共が、砂浜を蹂躙していく様子を見て、誰もが悟っていた。

ああ。

人間と、神々の時代は、これで終わりだ。

アスガルドにいる神々でさえ、このようなとんでもない軍勢には、勝てるはずが無い。これはまるで、暴力の津波。

来るべき最終戦争、ラグナロクが。今、始まったのだ。

巨神共が、進軍を開始する。

ちいさな巨神が、戦列を組んで、歩き始める。その動作には一辺の乱れも無く、まさに統率を完璧に行われた軍隊そのもの。南にあるゴートやブルグントの軍勢でさえ、これほどまでに統率はされていないのでは無いのか。

どうすればいい。

どうしようもない。

逃げたところで、どこまででも追ってくる。見ると、一番ちいさな巨神に至っては、人間が歩くよりも、遙かに早く進んでいる。歩幅が違うのだから、当然だ。更に大きな巨神達も、動作はさほど速くないように見えるが、それでもおそらくは、近くで見れば人間が歩くよりもずっとずっと早く迫ってくるはずだ。

逃げようとする者もいた。

だが、それが、却って巨神達の目を引く。

聞き慣れない言葉がして、前列にいた巨神達が、一斉に身をかがめる。

そして、彼らが。

跳んだ。

まるで、蛙が跳ねるように。

小さいと言っても、人間の数倍はある巨体が、冗談のように上空へと運ばれる。そして、気付いたときには、至近に着地した巨神達が、人間ほどもある巨大な棍棒を、振り下ろしてきていた。

瞬く間に、辺りが血に染まる。

逃げる術も、暇もない。人間の数倍ある巨体の上に、信じがたい敏捷性をも備えているのだ。

その上、人間と神々の特権だったはずの、武器を用いる能力さえ備えている。

殺せ。

神々の造り出した、尖兵をまずは蹴散らせ。

容赦はするな。

元々此処は我らの土地。我らの土地を汚すちいさな生き物たちを、決して許すな。殺しつくし、滅ぼし尽くし、薙ぎ払え。

そんな声が、した。

戦いになど、なるはずもない。

瞬く間に蹂躙された人間達は、だが全滅はしなかった。

一人が、燃やし尽くされる村から逃れて、南に走ったのである。

その人間は、深く傷つき、とても永く生きられはしなかった。海の民の戦士である男は、左腕を失っていた上に、止血もできていなかったのだ。

南の村に走ったところで、きっと誰も話を聞き入れてくれはしないだろう。失われつつある命を抱えて、そうも思った。

だから、巨神族の敵である、神々に伺いを立てるべきだと、男は決めた。

神々の一人。美しい女神フレイヤのほこら。

本来戦場で死ぬべき北の男が、情けなくも生き延びてしまったことを、男は悔いる。しかし、それ以上に、復讐の念は強かった。

ほこらは海岸の洞窟の中に作られている。

捧げ物を乗せる祭壇。神体である素朴な木の像。それだけだ。

本当はトールのほこらが良かったのだが、海の神が最も忠義を誓う雷神のほこらは、巨神共に真っ先に潰されてしまった。

「女神フレイヤよ!」

男は最後の息とともに、無念をはき出した。

「巨神族が、ついに攻めこんできました! 我ら不意を突かれ、なすすべ無く蹂躙され、生き残りである私も今、命尽きようとしています!」

男は自分の内臓を掴み出す。

もはや痛みはない。死は、間近にあった。

「私の命を捧げます! どうか、皆の仇をお討ちください!」

内臓を捧げ物の祭壇に乗せると。自身も、それに寄りかかるようにして、男は息絶えた。

逃げた自分は、バルハラに行けなくてもいい。

ただ、神々に、復讐を果たして欲しかった。

ほどなく。

ほこらが、淡い光を放つ。

男の最後の意思は、神々へと通じた。

そして、この瞬間、始まったのである。

世界の終わりの戦争。ラグナロクが。

 

1、破滅の尖兵

 

若き領主シグムンドは、妙な胸騒ぎに囚われていた。

人間の世界ミズガルドは、主に北部と南部に別れる。とはいっても、南部の面積は北部の十倍を超えているが。

彼は北の民と呼ばれる存在の一人である。ミズガルドの北部には深い森林地帯が広がっていて、どうしたことかどれだけ切り開いてもすぐに森に戻ってしまう。畑にできる場所はごくわずか。無理に畑にしても作物は取れないし、そればかりか神々の怒りを買うことさえある。

そのため、北部では国家は大規模化しなかった。食物を確保できないから、である。更に最北端になると、寒冷な気候さえもが人間の入植を阻み、結果として海上に食物を求めるしかなかった。

ちいさな村が点々と散らばり、それらを領主と呼ばれる事実上の君主がまとめ上げている態勢をとっている、文字通りの辺境。それが、ミズガルド北部の現状である。

シグムンドは、南へは行ったことが無い。

ただ、噂は聞いている。

巨大な国家二つと、それの従属、衛星国家群が、修羅の争いを繰り広げる土地。それが南ミズガルドだ。最大国家ブルグンドは六万を越える常備兵を有しているとかで、何度となく過去に北部に侵攻してきた事がある。

ただし、侵攻したところで、兵を養える土地も無ければ、資源も無い。

その上、猟と絶え間ない戦で鍛えに鍛えている北部の民は勇猛なつわもの揃いで、死ぬときは戦場で、と本気で考えているものも多い。戦場で死ぬと、バルハラと呼ばれる天国へ行くことができるからだ。

更に、侵略があった場合、北の民は驚くべき団結を見せる。万を超える侵略者の軍勢が、森の中で意味不明の壊滅を遂げたことが、一度や二度では無い。

兵を派遣しても、被害だけ増えて、一利も無い。

それを悟ると、南の国家群は、兵を引くのだった。

そういうわけで、百年以上、南の国家群による侵攻はない。むしろシグムンドが懸念したのは、東に住む強力な戦闘民族である、ベルセルク達、通称狂戦士であったのだが。

シグムンドは不安を紛らわし、いざというときは自分が一番最初に危険に接するために、いとこのヘルギをつれて、森に出た。

シグムンドはそれほどの長身では無く、美男子とも言いがたい。狼のようだと呼ばれる険しい様相で、愛想も無い。ただし剣技も弓技も、並の戦士を遙かに凌ぐ腕前を持つ。腰には父から受け継いだ剣を常にぶら下げ、手にしている弓は幼い頃に自分で作成し、それから少しずつ調整して今の自分に合わせてきたものだ。

一方ヘルギは非常な長身で、筋肉質な体をしている。その図体の割に極めて気弱で臆病な男で、腕力は凄まじいものがあるが、戦士としての資質は決して高くない。幼い頃から、それほど背は高くないが戦士としての適性が高いシグムンドは、大柄でも気が弱いヘルギの兄貴分だった。

それは、四つの村を束ねる領主となっている今も、変わらない。戦士らしい勇猛な死を遂げた父は、早くから後継者にシグムンドを指名していて、周囲もそれで納得していた。ヘルギは馬鹿にされていたが、シグムンドはいつも伴って歩くことで、いとこを守っていたのかも知れない。

ヘルギはなんだかんだ言って、臆病で戦士としての資質に欠けてはいても、裏切りを働くような男ではないし、ここぞという所で逃げ出すような人間でも無い。だから、いつも仕方が無い男だと呆れながらも。シグムンドは、ヘルギを信頼していた。実際問題、裏切らないと分かっている男は、それだけで貴重だ。

素朴で戦闘にしか興味が無い者が多い北ミズガルドでも、人同士の反発はあるし、争いも絶えない。

裏切らないという性質だけを、人々はヘルギに期待していた。きっとヘルギは、自分の弱さに嫌気を覚えながらも、それを受け入れているのだろう。

運命の日となる今日。

鹿を見つけたシグムンドは、風下から近づく。風上からちかづくと、匂いでばれてしまうからだ。

立派な角を持つ鹿だ。仕留めれば、いい肉が取れるだろう。

周囲に雌は見えないから、まだ群れを束ねていない雄だ。若いから、だろう。自分の力を過信しているのが見て分かる。

毒矢は使わない。

鏃を確認すると、矢をゆっくりと弓につがえる。茂みの中で、シグムンドは森と一つになった。毛皮で作った衣服と、ブーツが、自分を獣にしてくれる。肉食の獣と違い、人間には鋭い爪も牙も無い。

だが、優れた職人が作った弓矢と、長年積み重ねてきた英知がある。

それに、数千年にも及ぶ争いが続いて、人間は著しくその力を増している。エインヘリヤルに迎えられる人間も、ここしばらくは増える傾向にあると、聞いたこともあった。

意識を集中する。

鹿が、何かに気付いて、顔を上げた瞬間。

シグムンドは、鏃を下げた。鹿が逃げ出していく。こうなってしまうと、もうどうしようもない。

如何に若くて経験が浅い鹿でも、気配さえ察知していれば、人間からはたやすく逃れるものなのだ。

しげみががさがさと動いて、姿を見せたのは、大柄な男だ。

ヘルギである。

「大変だ、シグムンド!」

「どうした」

鹿を逃がしてしまった苛立ちは、口にしない。

ヘルギは臆病だが、狩を邪魔するようなことをしない。グズだ馬鹿だと陰口をたたく奴もいるにはいるが、それでも森の民として育った男である。狩がどれだけ重要な作業かは、理解している。何か大きな出来事があったから、狩の最中のシグムンドに呼びかけてきたのだ。

そもそも、ヘルギには、見張りを命じていた。此方に来たというのは、何かが起きたという証拠である。

「ヘテの村から狼煙が上がってる! 襲撃の合図だ!」

「やはりな」

「はあ?」

「今日は何か嫌な予感がしていたんだ。 俺は先行する。 お前は狼煙を上げて、他の村にも危険を知らせろ! 戦の準備だ」

こういうときは、場数の踏み方が物を言う。

すぐに狼煙を炊き始めるヘルギを横目に、矢を矢筒に戻し、シグムンドは走った。

狼煙は途切れ途切れに上がっていて、どうも様子がおかしい。狼煙は上げ方によって、情報が決まっている。

敵の種類、数、それにどこまで攻めこまれたか。そういった情報を込めてあげるのが、狼煙なのだ。

だが、上がっている狼煙には、どうもそういった規則性が感じられないのだ。

それだけではない。

狂戦士との交戦経験もあるヘテの村の戦士達は、いずれもが熟練の使い手ばかりだ。多少の襲撃程度で、混乱する筈が無い。

だが、あの狼煙は。

まるで、素人が初めての戦闘で大慌てして、滅茶苦茶に上げてしまっている。そのような印象を受ける。

岡の上にでる。

追いついてきたヘルギが、真っ青になって固まるのが分かった。

シグムンドも、何が起きたのか、最初は理解できなかった。

其処には。

人間の三倍はあるとんでもない化け物達が、棍棒を振るい、ヘテの村の民に襲いかかっている。そんな、悪夢のような光景が繰り広げられていたのである。

それだけではない。

化け物共の更に三倍はある、緑色の肌をした奴もいる。村は既に防衛線を破られ、柵を引き倒されて、乱入を許してしまっていた。

文字通りの阿鼻叫喚。

逃げ惑う非戦闘員にも、容赦なく巨大な化け物共は、棍棒を振り回していた。戦いでは、戦士だけを殺すのが、最低限の流儀だ。それさえ守らない存在は、獣か、あるいは。

シグムンドが知る限り、一種類しかいない。

「おい、これ、何だよ! 何だよあの化け物ども!」

「巨神族だ……」

「巨神っ!? おとぎ話の!?」

素っ頓狂な声を、ヘルギが上げた。

無理も無い話だ。巨神といえば、神々が打ち倒して世界の果てヨトゥンヘイムに追い払ったと呼ばれる伝説上の邪悪。

その存在を見た者は誰もおらず、確か一万年前の戦いを最後に、ミズガルドからは完全に姿を消したとさえ聞いている。

シグムンドも、子供の頃には、散々その話を聞かされた。

最低でもその背丈は人間の三倍。魔法の類を使いこなし、尋常ならざる身体能力を誇り、神々でさえ手を焼く化け物だと。また、恐ろしい技術の数々を持っており、空を飛ぶ船や、魔法を自在に操るための杖なども、使いこなすのだとか。

いずれにしても、これ以上、好き勝手をさせるわけにはいかない。

「撤退の銅鑼だ! 急げ!」

「シグムンドは!」

「時間を少しでも稼ぐ! ヘテの村の民はミルカの村へ避難! ヘルギ、お前は三つの村の戦士達を集めて、この村の南に布陣させろ!」

「分かった!」

すぐにヘルギが動く。

シグムンドは愛剣を引き抜くと、雄叫びを上げて、自身は地獄と化しているヘテの村に躍り込んでいった。

燃える家。

打ち崩された倉庫。

至近。

見上げるような巨体の、おぞましき怪物がいた。シグムンドは無言で突っ込みながら、相手の足のアキレス腱を切り払う。不意を突かれた怪物が、横倒しになるのを間一髪で避け、飛び退いた。

目を見張ったのは、アキレス腱が見る間に修復していくことだ。

怪物が立ち上がろうとする。だが、跳躍して相手の上に跨がったシグムンドは、躊躇無く首筋に、剣を突き立てていた。

丸太に突き刺すような感覚だが。

それでも、頸動脈を、断つ、確かな手応えがあった。剣を引き抜き、掴まれることを避ける。

舌をつきだして、怪物がもがいていたが、程なく動かなくなる。剣を振るい上げると、シグムンドは叫んでいた。

「倒せる! 倒せるぞ!」

「おおーっ!」

周囲に歓声が上がった。

崩れていた、ヘテの村の戦士達が、戦意を取り戻す。

だが、シグムンドは、自分の影が巨大化したのに、気付く。

飛び離れる。

一瞬遅れていたら、踏みつぶされていただろう。なんと、村の外にいた巨神が、此処まで跳躍してきたのだ。

文字通りの、化け物。

とにかく今は、一人でも多くの敵をたたきながら、女子供を逃がす。

棍棒を振るい上げた巨神が、唸り声と共に振り下ろしてくる。その首筋に、次々、矢が突き刺さった。

鬱陶しそうに矢を払う巨神だが。左目に矢が突き刺さると、流石にきいたらしく、動きが止まる。

シグムンドと同年代の戦士が奴の膝を蹴って駆け上がりつつ、斧を振るって首の頸動脈を断ち割った。

膨大な鮮血をまき散らしながら、巨神が横倒しになる。

弱点は、首だ。

二体が倒れたことに気付いたか、村で暴れ回っていた巨神が、此方を見る。シグムンドは盾を叩いて巨神の注意を引きながら、下がる。そして、周囲に怒鳴った。

「先に二人! 今見た巨神の弱点を、後方に伝達! 他の戦士達は非戦闘員を逃がしながら後退!」

「心得た!」

他より酷い怪我をしている戦士が、率先して下がる。勿論今のには、動ける内に下がらせるという意味もある。

数体の巨神が、驟雨のように、シグムンドの周囲に降ってきた。更に、村の外にいた巨神達も、櫓を崩したり、柵を壊したりするのを一旦中断して、此方に注意を向けている様子だ。

「火矢を! 家を燃やして、注意を引け!」

「シグムンド! しかし!」

「この村は守りきれん! ミルカの村で態勢を立て直すぞ!」

二匹、立て続けに棍棒を振り下ろしてくる。

シグムンドは、一つ目はかわした。

しかし、もう一つの棍棒が、横殴りにシグムンドを直撃した。直撃の瞬間、攻撃が来たのと逆方向に跳んで衝撃を殺すが、それでも左腕を持って行かれそうな衝撃。

吹っ飛ばされて、転がる。

そのまま、巨神が棍棒を振り下ろしてきた。

体格が三倍の相手で、しかも人間より身体能力が優れているのだ。真っ正面からの戦いが無謀である事は、分かっている。

だが、それでも、やらなければならない。

もの凄い音がした。

至近。

割って入った年配の戦士が、盾を重ねて、棍棒の一撃を受け止めていた。ただし、盾は一撃で砕け、自身も吹っ飛ばされていたが。

父を長年支えてくれた戦士であることに、シグムンドは気付く。

雄叫びを上げると、矢を速射。

巨神の喉に、矢は羽を残して全てが突き刺さった。

巨神がよろめくのを横目に、跳ね起きる。引け、引け。叫んで、もう一本矢を放った。命中。巨神の目に突き刺さる。

火矢が効果を示し、村が燃えはじめている。

非戦闘員は、どれだけ逃がすことができただろう。戦士で無いものを平気で殺す相手との戦いだ。あまり、期待は出来ない。

備蓄物資を持ち出す暇が無いのが、残念だ。シグムンドも、戦は初めてでは無い。そういった悲しい敗北を味わったこともある。

シグムンドを追おうとした巨神が、倒れてきた見張り塔に潰されて、火だるまになる。炎の中で、巨神達は足を止めて、一旦下がりはじめた。向こうも、体勢を立て直すつもりなのか。

巨神は見ていたが、やはり組織的に行動している様子だ。

戦士達が、逃げてくる。怪我をしていないものは、殆どいない。さっきの年配の戦士は、胸元を吐血で赤黒く染め、他の戦士に肩を借りていた。声を掛ける暇も無い。敵が、さらなる行動に出たからだ。

大きな巨神が、来る。

巨大なハンマーのような武器を持っている。その大きさたるや、柄だけでも人間の背丈の十倍はありそうだ。

あんなものを喰らったら、どれだけ頑丈な城壁でも、穴が空くのでは無いのか。

しかも、他の巨神の三倍は大きいというのに、動きも決して遅くは無い。軽快に地面を踏んで、此方に歩いて来る。

そして、そいつは。

堀をひと跳びで乗り越えると、ハンマーをふるって、燃える家や柵を、片っ端から蹴散らしはじめたのだった。

体勢を立て直すためでは無い。

進路を作るために、彼奴を前に出したのか。

聞き慣れない音がしているが、或いは巨神の言葉だろうか。あれだけ訓練された動きをしているのだ。

言葉の中には、オーディンとか、トールという単語も聞き取れる。

巨神達にとって、憎むべき敵だろう。無理も無いか。巨神達は、かってミズガルドに住んでいたと聞いている。ミズガルドから自分たちを追い払った神々を、恨んでいないはずもない。

生き残りを集めて、下がらせる。

森の中は、此方の庭だ。血の臭いを嗅いで狼が集まってくるかも知れないが、集団でいる内は手出しをしてこない。

楯をつけている左腕に触る。

しびれはあるが、骨は折れていない。まだ戦える。一番小さい巨神なら、十体は仕留めてやる。

できるかは、分からない。

だが、戦闘では、常に強気であれと、父に言われ続けた。最後の瞬間まで、戦士であれ。そう考えることで、むしろ生き延びることができるのだと。

敵は確実な進路を作るために、今は足を止めている。

逆に言えば、それは敵の軍勢がどれほどになるか、見当もつかないと言うことを意味している。少数で攻めてきているのなら、迂回するなり、あるいはさっき見せた跳躍力を駆使して、無理にでも追ってくれば良いのだから。

「シグムンド!」

手を振っているヘルギが見えた。

他の三つの村の戦士達も、集まっている。村を守るためのわずかな人数を残して、戦える人間は、あらかただ。

「負傷者の手当を! 二人出て、敵を見張れ!」

「分かった!」

敵は、すぐに来る。

楽観的に考えれば、夜になったら追撃を中止するかも知れない。しかし悲観的に考えるのであれば、動きを止める理由が無いからだ。そして、敵がそう行動した時に備えなければならない。巨神は此方の伏兵を警戒するかも知れないが、この短時間では、そんな準備など、出来るわけもない。事実、今集まっている戦士の数など、たかが知れている。

今戦って見て分かったのは、相手は獣の類では無いと言うことだ。

此処で一戦して退けなければ、他の村もたちまちに蹂躙されてしまうことだろう。無理を承知で、やるしかないのである。

「森の中に引きずり込んで、そこで敵に打撃を与える!」

「おい、正気か!? あんなデカイ奴ら相手に、やりあうっていうのか!」

「そうだ」

ヘルギの恐怖は、分からないでも無い。

だが、周囲の皆は、やる気になっている。

シグムンドも。

相手が何者だろうが、これ以上、好き勝手にはさせない。最低でも一矢は報いて、他の村が体勢を立て直すまで、時間を稼ぐ必要がある。

何より、村を好き勝手にされた怒りが、腹の中で溶岩のように沸き立っている。あの村が此処まで発展するのに、どれだけの時間が掛かったか。どれだけの人々の苦労が、しみこんでいるか。

「戦場で死ねば、バルハラに! 床の上で死ねば、冥府! どっちに行きたい!」

「バルハラ!」

全員の声が、揃う。

見張りが戻ってきた。もう、巨神共が、進撃を開始したらしい。焼き払った村を、あの大きな巨神達が、薙ぎ払って、更地にしたのだろう。

ぎりぎりと歯を噛む戦士達の前で、もう一度シグムンドは宣言した。

「俺たちは、戦士だ!」

「おおーっ!」

森をも揺るがさんと、歓声が轟いた。

 

旋回する二つの影。

太陽を背に飛ぶその二つは、鷹のように見えた。だが鷹では無い。言葉を使って、会話をしているのだ。

「兄様、本当に介入するのですか」

「お前に危機を知らせて死んだ勇敢な戦士の事もある。 これ以上、巨神どもに蹂躙を許すわけにはいかぬ」

それに、あの人間達。

勇敢に巨神と戦い、非戦闘員を逃がすことに成功した者達は。このまま再び戦いを挑もうとしている。

見捨てれば、全滅するのは確実だ。

人間の争いに、神々が干渉してはならない。これはミズガルドに、オーディンらが人間を造り出してからの決まりだ。

理由は幾つかあるが、その決まりが、今まで神々のミズガルドでの行動に、大きな制約を強いてきた。

今。

それを、破ろうとしている。

相手が人間では無くても、これは大きな問題になる。ましてや、上位の存在であるテュールやトールは、この件を知らないのだ。

「戦いの準備はいいか、フレイヤ」

「フレイヤは、いつでも兄様と共にあります」

「よし。 行くぞ」

鷹が、降下を開始する。

突撃を開始した、人間の戦士達の丁度背後に、降り立つようにして。

もう一羽の鷹も、それに習う。

光が、鷹の身を包む。

そして、光が消えたとき。

其処には、銀の鎧に身を包む、輝くような男の姿があった。人間と背丈はほぼ変わらないが、その神々しい佇まい、何よりも精緻にて輝きを放つ銀の鎧が、彼が人間では無いことを如実に示していた。

この男こそ、男神フレイ。

神々の中ではまだ若いながらも、優れた剣の実力を持ち、戦の神テュールが後継者として認める存在である。

実のところは、初代のフレイでは無い。

不真面目な上に、陰謀を好み、残虐で暴力的だったフレイは、既に亡い。彼は二代目のフレイであり、先代と違って、未だアスガルドでは重鎮と呼ばれるまでには至っていない、若い神である。

先代は最高神であるオーディンの側近として権勢を振るい、二代目であるフレイもその気になれば権力を継承することもできたのだが。元々権力欲が薄く、武人気質であると言う、先代と正反対の性格である事もあり、未だそれには至っていない。

ただ、男神でありながら非常に美しい容姿をしているため、他の神々からは羨望を受けることもあるようだ。生真面目なフレイからすれば、迷惑な話だったが。

そして、もう一羽の鷹も、ヒトの形に姿を変えていた。

美しい亜麻色の髪と紫水晶のような瞳を持ち、兄と同じく銀の鎧に身を包んだ、人間離れした美しさを持つ女である。

此方は、女神フレイヤ。

フレイの妹である。正確には、二代目のフレイヤだ。

亡くなった先代は淫蕩と強欲で知られた性愛を司る女神だったが、彼女は正反対の性格である。幼い頃は兄が一緒にいないと外にも出ないような、臆病で内向的な一面を持っていた。先代は良くも悪くも外交的で、全ての神々の恋人などといういわれ方をしていた上に、それでも足りず従属種族である小人にまで愛人を作っていたという筋金入りの多情家だったのだが。

フレイヤは美しく成長した今も、兄以外には笑顔一つも向けず、勿論言い寄られることがあっても全て断っている。先代とは容姿がうり二つであるのに、フレイ同様に性格は正反対に近かった。

フレイヤは、未だ若いが。様々な魔術の使い手である神々に学び、たゆまぬ努力を続けていた。その結果、今ではアスガルドでも屈指の魔術の使い手である。戦闘に関する魔術に関しては、神々の中でもオーディンに次ぐかも知れない。剣技に関しては今一歩及ばないながらも、総合的な実力は兄にも劣らない。

フレイヤは鎧も軽装で、スカートのような形状になっている。ただし魔法で非常に強化されていて、生半可な攻撃では傷一つつかないが。

それでも、兄の鎧に比べると、相当に心許ない。

巨神と戦うとなると、どこまで耐えられるか、分からなかった。もっとも、それは分厚い兄の鎧も、同じであったが。

既に人間達は、戦いを始めている。

フレイは、愛用の黒い剣を引き抜く。

黒いながらもまがまがしさはなく、高貴さを感じさせる、しなやかで美しい剣だ。神々が鍛えた一振りである。

「私が突入する。 フレイヤよ、後方から牽制射撃を頼む」

「兄様、お気を付けて」

「分かっている」

フレイは頷くと、地面を蹴って、加速した。

そして、見る間に交戦中の村人達に、追いついていった。

 

2、森中の死闘

 

森の中でも、整然と隊列を組んで迫り来る巨神の大軍。

邪魔な木はそのまま押し倒し、大きな石は押しのけ、まるで森など無いかのように迫り来る。

激しい怒りに、シグムンドは視界が真っ赤に染まるのを覚えていた。

南の国々が攻めこんできたとき、森を焼き払ったことはあった。軍隊が動くのに、邪魔だったからだろう。何より、焼き畑という農業方法がある事も、シグムンドは知っている。森の民はそれを聞いて怒っていたが、南の連中には普通であるとも、シグムンドの父はいっていた。

森を焼くことによって、土に栄養が与えられるのだとか。

森と共に生きる北の民にとっては、許されない行動だが。理解はできると、シグムンドは思っていた。

だが、此奴らの行動は違う。

森など、最初から眼中に無い。

「あれが巨神族か……!」

「でけえ! その上はええ!」

歴戦の戦士達が、驚きの声を流石に上げる。それぞれが、最大級の熊くらいもある上に、動きの速さはその比では無い。

だが、殺す事は可能だ。

それに、長年多くの強力な獣と戦ってきたシグムンドは、苛烈に相手の弱点を見抜いていた。

こういうときは、指揮官がまず、手本を示さなければならない。そう、シグムンドは父に教わった。

敵の数は軽く百を超えている。

「まず、足と目を狙う! それから、倒れたところで、首を集中的に叩け! それで殺せる!」

「おおっ!」

敵を、引きつける。

そして、一斉に矢を放った。

巨神達の目に、足に、矢が突き刺さる。あの巨体で跳ぶこともシグムンドは知っていたが、巨神共は流石に森の中で跳ぶことは躊躇した。巨木達が、巨神の機動力を縛る枷になっている。

かって騎馬隊を使って攻めこんできた南の連中も、この森に機動力を殺され、勇敢な戦士達にぶつかって、撤退していったのだ。

それに、この森は、神々の加護を受けている。

膝をやられ、足を折る巨神が、出始める。

やはりあの巨体で走り回ったり、跳んだりしているのだ。足は相当な無理の上で構成されているのだろう。

巨神を殺すには首だが、やはりその弱点は足だ。

シグムンドは剣を抜くと、雄叫びを上げた。

「かかれーっ!」

「うぉおおおおおおおおおおおーっ!」

先頭に立ったシグムンドが、まず倒れて、此方に憎悪の視線を向けている巨神に向かって、躍りかかる。そして掴もうとする手を蹴って跳躍すると、着地ざまに首の頸動脈を断ち切った。

巨神が大きく跳ねると、動かなくなる。

歓声が上がった。

だが、巨神達も黙ってはいない。無事だった者達が前に出ると、棍棒をふるって、低い態勢から薙ぎ払ってくる。倒れている仲間を後方に引っ張っていく巨神もいた。だが、組織戦では、人間に一日の長がある。

集中して、一角に矢を浴びせる。

棍棒を振り回して距離を取っていた一匹の両目に、熟練の技で放たれた矢が突き刺さった。

暴れ出す巨神の懐に飛び込んだシグムンドが、そのアキレス腱を断ち割る。

倒れたところに、戦士達が躍りかかって、斧を振るった一人が首に深々と分厚い刃を食い込ませた。

二匹目。

三匹目を斃すと、歓声が上がる。

だが、巨神の数も、勢力も、パワーも圧倒的だ。

振り回される棍棒を避けきれず、吹き飛ばされる戦士もでている。直撃をもらってしまえば即死だ。

何より、後方から、三倍は大きい巨神達が姿を見せる。

巨神達も、死を怖れているようには見えない。少なくとも臆病な奴らでは無いと、シグムンドは思った。

「デカイ奴がいるぞ!」

「なんてガタイだ! 神々だって、あんなにでかくはないんじゃないのか!?」

あれは、どうしようもない。

戦士としての経験が、逃げるように告げている。だが、此処で逃げる訳には、いかないのだ。

一瞬、気を取られた瞬間。

驚くほどの速さでシグムンドの後ろに回り込んでいた巨神が、文字通り悪鬼の形相で、棍棒を振り下ろそうとしていた。

避けきれない。

その巨神が、胴体から真っ二つになり、崩れ落ちる。

何が起きたのか。

疾風のように、再び閃光が走ると、巨神が今度は縦に断ち割られていた。更にもう一体、今度は首が飛ばされる。

瞬く間に三体の巨神が屠られ、更に目の前で二体が、袈裟に深々と斬られて崩れ落ちる。誰だ。

誰が殺っている。

見慣れない銀色の鎧を着た、不自然に美しい男がいた。

黙々と剣を振るっているその男の剣先が、触ってもいない遠くの巨神に振るわれると。一瞬後、冗談のように切り裂かれている。

あまりにもダイナミックな光景に、シグムンドは言葉を奪われた。

「シグムンド! 大丈夫か!」

ヘルギが駆け寄ってくる。

巨神達を、皆が押し返しはじめている。シグムンドが見せた見本通り、足を斬り、斧で抉り、倒れたところをとどめを刺している。

巨神達は被害が一割に達したところで、不意に一斉に大きく後方に跳躍して、距離を取った。また跳躍して、こっちに来るかも知れない。あの攻撃は大変厄介だ。シグムンドは皆を促して、森の中に退避させる。

死者も少なからず出ていた。

負傷者を引きずって、森の中に。

巨神達は、追ってこない。隊列を整え直すと、じっと大きな巨神が、追いついてくるのを待っていた。

銀色の鎧の戦士が、何か手招きするような行動を取る。

空に三つの火球が出現して、ゆっくり巨神達の方へ飛んでいく。森の中にも、何かいるのだろうか。

銀色の鎧の戦士と、視線が合う。

驚くほど、静かな目をした男だった。あまりにも静かすぎて、人間離れしている。顔立ちもまるで女のように整っていた。

「耳を塞げ」

「おい、全員耳を塞ぐんだ!」

男の指示は、もっともだと、何故か思った。

耳を塞ぐと、同時に。

閃光が炸裂した。

何だ今のは。南の国々では、火薬というものが実用化されていると、物知りのヴェルンドに聞いたことがあるが、それだろうか。

凄まじい爆発が巻き起こされていた。ふくれあがる爆炎は、散開しようとした巨神達を容赦なく飲み込み、根こそぎ薙ぎ払っていたのである。

煙も爆風も凄まじく、耳を塞いでいなければ、聞こえなくなっていたかも知れない。

顔を上げると、思わずシグムンドは唸っていた。

巨神達の隊列には、巨大な穴が空いていた。

完全に算を乱した巨神達を見て、シグムンドは悟る。今こそ、攻撃の好機であると。

「大きいのは、私が斃す」

銀色の戦士が、剣を抜く。

何故か、任せてしまっても問題ないだろうと、シグムンドは思った。

「奴らを蹴散らせ! 生かして帰すな!」

勝利を確信した戦士達が、逆に逃げ腰になった巨神達に、狼の群れのように襲いかかっていった。

 

巨神達が逃げ出した後、勝利の宴に酔っている暇は無かった。

銀色の戦士が嘘のように打ち倒した大きな巨神の死骸。それを囲んで騒いでいた戦士達に水を差すように、敵を追っていたヘルギが戻ってきたのである。

「敵だ! また来た!」

「数はどれくらいだ」

「とてもじゃねえが、数え切れねえよ! さっきの十倍はいるかも知れねえ! でかい奴も、たくさんいる! 一匹や二匹じゃねえ! 最低でも、十何匹もだ!」

「十倍……」

一気に周囲が青ざめるのが分かった。

銀色の戦士の加勢が無ければ、百体の敵でさえ、危なかったかも知れないのである。いや、おそらく全滅に追い込まれていただろう。

人間の戦士が、千人攻めてきたのとは、まるで状況が違っている。千人の敵兵など怖れもしないが、この相手は、十体でも凄まじい強さを持っている。弱点を突かなければ、とても倒せないような相手なのだ。

銀色の戦士は落ち着いている。

或いはこの男、今の事態を冷静に悟っているのかも知れない。だが、話は後だ。これからどうするか、考えなければならない。

「他の領主達と、連携を取らなければならないな。 それに、此処では戦うのも不利だ」

確かに森の中でならば、巨神の機動力を殺す事ができる。だが、残念ながら、補給もないし、身を隠す場所も少ない。

敵との乱戦に持ち込めば、時間は稼げるかも知れない。

だが、いずれ確実に全滅するのは、目に見えていた。

死を怖れはしないが、全滅すると分かっている戦いをするわけにはいかない。敵が如何に強大であろうと戦い抜く覚悟はあるが、だからといって無駄な死を許容はできなかった。それは、北の民、皆と同じだ。

「南の砦に逃れるか?」

「いや、もう少し敵の進撃速度を遅らせないといかん。 伝令をそれぞれの領主に出して、応戦の準備をするように呼びかける必要がある。 それと、巨神の弱点についても、伝達するんだ。 弱点を知らなければ、どんな強力な戦士でも、ひとたまりもなく蹂躙されてしまうだろう。 巨神といっても信じない奴もいるだろう。 首は重くて無理だな。 斃した巨神の指を切り落として、持っていけ」

「心得た」

すぐに戦士達が、それぞれの村に散る。

北の土地は、戦乱が南ほどでは無いが、それなりに続いている。シグムンドと敵対関係にある領主も少なくない。

だが、今はそれどころでは無い。

森の様子を見れば、一目瞭然だ。巨神達は、森の生命力まで、根こそぎに刈り取っているように見える。

人間の中にも、たまにとんでもない悪党が出る事がある。

だがそんな奴は、大体神罰を受けるか、或いは犬のようにのたれ死にをする。今回の侵略とは、論ずる点が全く違っている。

「シグムンド、逃げようぜ! 戦いなんか、他の奴らに任せればいい!」

「ヘルギ」

「何だよ」

「さっきもいったとおり、ミルカの村で時間を稼ぐ。 そろそろ村でも、応戦の準備ができているだろう。 敵の先頭部隊を叩いたら、引くぞ」

正気じゃねえと、ヘルギが顔をくしゃくしゃにして呟いた。

この気弱ないとこは、シグムンドにこういった不平を言うことが多い。だが、それはシグムンドにとって、不快なことでは無い。

弱い人間はいる。

その考え方を理解できないようでは、領主にはなれない。父に、何度となく諭されてきたことだ。

「戦士よ。 何故、戦えるのか」

銀色の戦士に聞かれた。

シグムンドは矢筒から、矢を一本引き抜くと、鏃の状態を確認しながら応える。

「死を怖れないからだ」

「死の象徴のような巨神が前にいても、信念は変わらぬか」

「ああ。 加勢してくれて感謝する。 逃げるなら、今だぞ」

「いや、もうしばし、お前達に加勢しよう」

心強いことだ。

敵の姿が、見え始めた。やはり隊列を組んで、整然と進んできている。三倍は大きい巨神も、ヘルギの言葉通り、相当数がいるようだ。

それにしても、足音だけで、地響きが起こりそうだ。さっきの十倍はいるとヘルギがいっていたのは、誇張では無い。臆病ないとこだが、確かな目を持っている。何という数だと、戦慄してしまう。

森の中に潜んでいる戦士達も、息を殺している。

勝負は、相手が森の中に踏み込んできてからだ。

「さっきのドカンって奴、あれで巨神を一掃できないのか」

「連射できない。 一度撃つと、充填までに時間が掛かる」

「そうなると、投石機みたいなものか」

それほどうまい話は、そうそう無いだろう。最初からシグムンドも、そんな力は宛てにしていない。

全員、弓を構えたまま、静かに待つ。

敵も、当然此方が待ち伏せていることは、分かっているのだろう。だが、その割には。愚直に前進してくる。

先ほど見せた戦術的な行動を考えると、どうもおかしい。

「もう少し下がれ」

「どうしたんだ、シグムンド」

「おかしい。 さっき巨神共は、明らかに戦術の類を使っていた。 頭数が増えたからって、数で押し潰しに来るだけの連中だとは思えん」

どずんと、もの凄い音がした。

左側だ。

ヘルギが、素っ頓狂な悲鳴を上げる。

無理も無い。

其処には、さっき戦った、三倍も大きな巨神よりも、更に倍は大きい奴が、まるで櫓のような大きさの棍棒を振りかざして、立っていたのだから。

まるで山のような存在感。

灰色の肌をした、その大巨神とでもいうべき怪物は、存在そのものが恐怖としかいいようがなかった。

此奴が、至近距離まで来るのに気がつかないとは、何という不覚。

大巨神が、その凄まじい大きさの棍棒を、振り下ろしてくる。

森の木々よりも大きな棍棒だ。悲鳴を上げて逃げ惑う戦士達が、叩き付けられた棍棒の衝撃で、文字通り吹っ飛ぶのが見えた。

「なんという大きさだ……!」

「無理だ! 無理だ無理だ! 無理だーっ!」

銀色の戦士が、無言で大巨神に躍りかかっていく。

だが、同時に。

前面に迫っていた巨神の大軍も、一斉に突撃を開始していたのだった。

まずい。

浮き足立ちそうになる戦士達。銀色の戦士は、木々の間を蹴って超人的な動きを見せながら、再び棍棒を振り上げた大巨神に斬りかかる。

振り下ろした一撃が、袈裟に鋭く傷を穿つのが見えた。

大巨神が、よろめく。

だが、一刀では斃されない。

「ヘルギ! 来い!」

「どうするんだよっ!」

「彼奴の足を斬る!」

「冗談じゃねえ! オーディンだって、あんなにでかくないんじゃないのか!?」

喚きながらも、ヘルギは。顔中に恐怖を貼り付け、それでも手にしている剣を振るい上げ、シグムンドに続く。

前面の巨神達が、こっちに到達するまで、殆ど時間が無い。

その間に、あのデカイのをどうにかして、後は森の中を逃げ回りながら、時間を稼ぐしかない。

銀色の戦士の一撃が、横薙ぎに大巨神の胸を抉る。

だが、大巨神の傷は、見る間にふさがっていく。逆に手を伸ばして、銀色の戦士を掴もうとさえする。

其処へ、シグムンドとヘルギが、連携して左右から、大巨神の右足踝を斬った。

更に、戦士達が続く。

左足にも、次々とりつき、剣を突き刺し、斧で抉る。

足を踏みならそうとした大巨神だが、その瞬間、銀色の戦士が首筋に切りつける。分厚い大巨神の肌はそれでも斬撃に耐え抜いたが、大巨神の手を蹴って反転した銀の戦士が、首筋の傷に剣を突き刺すと。ついに耐えきれず、大量の血が噴き出した。

横転した大巨神。

着地した銀色の戦士に、シグムンドは叫んだ。

「引くぞ! このままだと蹂躙される!」

不思議そうな目で見ていた銀色の戦士だが、身を翻すと、ついてくる。

散開。

シグムンドが叫ぶ。

森の中にどっとなだれ込んできた巨神の群れを、とって返しては斬り、すぐに逃げ。散らばりながら、撃退し続ける。

途中、氷塊が降ってきて、追ってくる巨神の顔面を、次々に貫いた。

横転する巨神。

とどめを刺せる奴は差しながら、逃げる。既に逃げる先は指示してあるし、誰にとっても森は庭も同じだ。

空に妙な影が見える。

嫌な予感がしたが、撃って落とせる距離じゃあない。それに森の中だというのに、巨神の追撃は予想以上に早く、逃げるのが精一杯だ。

銀色の戦士は、とって返しては斬り、斬ってはとって返し、誰よりも多くの巨神を斃していた。

一連の戦いでシグムンドは五体の巨神を斃したが、それも倒れているところを斬ったり、逆に誰かのために倒したりと、アシスト有りの行動が殆どだった。

銀色の戦士は違う。

彼が振るう剣は、文字通り巨神を両断している。

そればかりか、離れている相手を、斬ってもいるようだった。逃げ遅れた戦士を助けるために、何体の巨神を斬ったかも分からない。ただし此方でも、銀色の戦士を助けるために、何度も矢を放ったり、追撃してきている巨神のことを警告もしていた。

何者だ、あいつ。

そんな声が上がる。

シグムンドには、うすうす正体が分かりはじめていたが、今は黙っている。

ようやく敵を振り切ったのは、夕刻のこと。

何人もの戦士を失った。

だが、敵にもそれなりの打撃を与えることはできた。何より、あの大巨神を仕留めることができたのだ。

千体近い敵の中に、一体しかいなかった巨神である。

巨神の中でも、かなり偉い奴だったに違いない。

ヘルギも、既にへとへとになっていた。シグムンドもヘルギも、傷ついた戦士を背負って走っていたのだ。

銀色の戦士はあくまで寡黙に戦い続けていて、誰の言葉にも殆ど返事はしなかった。そればかりか、疲れているようにさえ見えなかった。

シグムンドが木に背中を預けて、ようやく休めたのは。

負傷者の後送と、手当の指示を、一通り終えてからだった。

「これからどうするつもりだ」

「南に村がある。 立てこもって、時間を稼ぐつもりだ」

「囲まれたら全滅するぞ」

「囲まれない。 幾つも抜け道がある」

北ミズガルドでは、要害の土地に村を作るのが、当たり前になっている。

それだけ戦乱が絶えないからだ。日常的に、何処かの領主が別の領主と対立して、戦争になる。

南の大国が攻めてきたときは、どれだけ因縁がある領主でも、手を取り合って共に対処するのだが。

それはそれだ。

まさか更に北から、巨神が攻めてくるなんて事は、文字通り有史以来の出来事だ。神々が世界の果てに追放した巨神が戻ってきたのは、或いは必然なのかも知れないが。しかし、一万年も経っているのだ。どうして今、奴らが来たのか。

「兄様」

不意に可憐な声がしたので、そちらにシグムンドが視線を向けると。

亜麻色の髪を持つ、これまた人間離れした美しい女が立っていた。女というには、少し幼すぎるかも知れない。まだ男を知らないように見える、美しいというよりは可憐さが目立つ容姿だ。銀色の鎧を身につけていて、手には複雑な意匠の弓が。腰には青い剣を帯び、そして背中には杖を背負っている。

女戦士は、珍しい存在では無い。実際問題、シグムンドの母も、狩の名手として知られていた。剣の使い手として、名を残した女戦士は、それこそいくらでもいる。人食い熊を単独で斃した女戦士の伝説が、シグムンドの生まれ育った村にもあった。シグムンドが幼い頃、好きな物語の一つだった。ただ、母が何よりも大好きな物語だったので、その影響かも知れない。

しかし杖というのが分からない。儀式を行うドルイド達が杖を持ち歩くことはあるが、とても実戦で使えるようなものではない。戦闘用の杖はもっとごつくて、いかにも敵を殴り殺せるような意匠を施されているものばかりだ。

今の状況から考えると。

まさか、魔法を使うための杖か。

自分の中の予想が、確信に変わっていく。シグムンドは敢えて口にはしなかったが。

女は此方にはとても冷たい視線を向けていて、心を開いていないのが明白だった。

「どうした」

「巨神達は、一度兵を引いて、再編成を行っている様子です。 先ほど野営地に、精霊の魔弾を叩き込んできました。 かなり頭数を削って混乱させることには成功しましたが」

「何か問題があったのか」

「手を焼いていると判断したのか、敵は偵察用に、リンドブルムを放っています。 おそらく、彼らの村は、既にその位置も構造も、把握されているものかと」

リンドブルムとは何かと聞くと、銀色の戦士は簡単に説明してくれた。

魔術で作られた竜だと。

竜は、たまに噂に上ることがある、神代の生き物だ。実在の生物であり、たまに姿を見せては、甚大な被害を人にも農作物にももたらす。その戦闘能力は当然熊などの比では無く、しかも空を飛んで移動するため、現れることは天災にも等しい。

そういえば、先ほどの戦いで、空に妙な影がいたことを、シグムンドは思い出す。あれが、リンドブルムとやらだろうか。

分からない事が多い。

ただ一つ、何となく分かった。

「さっき、巨神達に氷の矢を放ったり、火球を放って頭数を減らしたのは、あんたか」

声も出さず、女はこくりと頷く。

随分人見知りをする奴だ。だがあの大火力、もしも味方をしてくれるのならば、大いに役立つ。

しかし、あのような武器は見た事も聞いたこともない。

人は誰もが魔力を持っている。武器を振るうときはそれを力に上乗せして、相手を斬る。達人になってくると、熊を剣で仕留める事ができるというが、それはこの上乗せしている力が強烈だからだ。

当然、魔力は防御にも用いることができる。

シグムンドは、これを活用して、さっきまでの対巨神戦で、大きな戦果を上げた。人間は一万年の間、神々に様々な事を禁止され、限定された範囲内で生きてきた。だから、人間はその身体能力を強化することで、今まで対応してきた。

だが、人にできるのは、此処までだ。これ以上の事をしているとなると、やはりこの者達は。

「魔術で作られた竜が敵にいるとなると、空の守りを固める必要があるな」

「リンドブルムは小型の竜だが、それでも牛を持ち上げ、家屋を焼き払う程度の力は持っている。 しかも数は敵の一部隊辺り、百は用意されているとみて良いだろう」

「一部隊、だと」

「あの千体の兵力は、見たところ敵の最小範囲戦略単位だ。 お前達はそれに打撃を与えた。 素晴らしい戦果ではあるが、それは敵がこれから本気で攻撃をしてくると言うことも意味している」

ちょっと、意味が分からない。

分からない言葉が多すぎる。

だが、一つ分かっているのは。

おそらく、状態は想像を遙かに超えるほど、悪いと言う事だ。

「我々は、一度此処を離れる。 朝には戻る」

「どこへ行く気だ」

「案ずるな。 必ず戻る」

二人が、夜の森に消える。

シグムンドはたき火の側に移ると、交代して眠るように、戦士達に告げた。

幸いにも、楽観的な観測があたった。だが、喜んでばかりもいられない。

巨神共が夜の森を進撃して来ないのは、おそらく大軍としての利を生かすためだろう。そして、もしも、あの最小範囲戦略単位というのが。あの千体の圧倒的大軍が、敵にとってはほんの小勢に過ぎないのだとしたら。

一秒でも早く、北の土地にいる領主達全員で、防衛に当たらなければならない。

破滅の時は、刻一刻と迫っていた。

交代で眠りはじめた戦士達を横目に、シグムンドはたき火で炙っていた干し肉を口に入れ、食いちぎる。

左腕の痛みは、納まってきている。

だが、昨日よりも更に多い敵が、此処に攻め寄せてきたら。

森の地の利を生かしても、おそらくは守りきれない。

守りきれなければ、ミルカの村も、そして他の村も蹂躙される。

いや、そもそも敵が、あの部隊だけでは無く、とんでも無い大軍勢で攻めこんできていたら。他の村も、別働隊が蹂躙してしまうのでは無いのだろうか。敵は南にだけ進んでいるのか。そもそも、西にも東にも、あれ以上の規模の敵が進んでいたら、どうなっているのだろう。

恐ろしい事だ。

巨神共は、一体どれだけの数で攻めこんできている。一万か。二万か。

百体でさえ、あの強さだった。人間離れした力を持つ、銀色の戦士の力を借りなければ、撃退することは難しかった。

嫌な予感は、徐々に大きくなっていく。

誰もが魔力を備えている現在、漠然とした勘は、決して馬鹿にしたものではない。

シグムンドは狩にでる前の子供のように、自分が眠れなくなっている事に気付いた。実際に戦場に何度も出て、人を斬ったこともある熟練の戦士である自分が、だ。

「シグムンドよお」

ヘルギが、来た。戦いの中でも、結局怪我をしなかった。

そればかりか、弱音を吐きながらもしっかり戦い、合計四体の巨神を仕留めた。大巨神の足に、一番大きな傷を付けたのも、ヘルギだった。

他の戦士達がヘルギを今では、少なくとも公式の場で馬鹿にしないのは、臆病なのは言動だけだからだ。実際の戦いでは、シグムンドがきちんと指示さえすれば、それなり以上の働きを見せる。弓矢の腕前は正直怪しいところがあるが、力だけなら狂戦士にも負けないと豪語するだけの事はある。

「どうした」

「あ、明日も、あのバケモンとやりあうのか」

「明日だけですめばいいがな」

「おいおい、冗談だろ……」

冗談なわけがあるか。

シグムンドの横に腰を下ろすいとこは、頭を掻きながら言う。

「さっき、難しい話してたろ。 意味良くわかんねえんだけど、一つだけ、何となく分かったんだ」

「何だ、言って見ろ」

「巨神の数、あんなもんじゃないんだろ?」

「そうだ。 あれは巨神にとって、一番ちいさな部隊らしい。 つまり、ああいう千体くらい巨神がいる部隊が、数え切れないくらい、攻めてくるって事だろうな」

怖がらせるつもりはないが、事実は皆に話しておかなければならない。

敵がいない内に話しておけば、実際に絶望的な光景を見たとき、被害を減らすことができるだろう。

「冗談じゃねえよ。 神様は何してるんだよ。 巨神族って、神様の敵なんだろ? 俺たちが苦しんでるのに、どこで見てるんだよ」

「……」

あの二人は、おそらくその神様だろう。

誰かは分からないが、ほぼ間違いないところだと、シグムンドは思った。あの武勇、異常な武器、それに不可思議な技。

或いはあれが、ずっと昔人間が使うことができたという、魔法、或いは魔術かも知れない。詳しい区別は、シグムンドにもよく分からないが。

しかし神々が魔術を使うのなら、巨神が使っても不思議では無い。

覚悟は、決めておいた方が良いだろう。

「巨神共は、なんで攻めてきたんだろうな」

「知るかよ。 神々に復讐でもするんじゃ無いのか」

「そうだな。 それはあり得そうだ」

巨神達は、ヨトゥンヘイムと呼ばれる土地に追放されたと聞いている。その土地がどのような場所かは分からないが。

一つはっきりしているのは、追放されるような場所だ。ろくでもない土地に違いない、という事だ。

ヘルギはあまり頭が良い方では無いが、いっていることは的を得ている場合が多い。今回も、それほどおかしなことは言っていないと、シグムンドは思う。

巨神達が攻めてきたのであれば、必ず神々に勝てるという勝算があっての事なのだろう。あの大巨神の凄まじい存在感を見る限り、その勝算は必ずしも机上のものだとは思えない。それに銀色の戦士の攻撃でも、大巨神は一度や二度では倒れなかった。

あれが無数に攻めてきたら、本当にミズガルドどころか、アスガルドも危ないのでは無いのか。

神々は、本当に何をしているのだ。

「もう寝ろ。 巨神共が夜襲を仕掛けてくる可能性もある」

「分かったけど……」

「まだ何かあるのか」

「やっぱり俺は、逃げた方がいいと思うぜ」

逃げるにしても、時間を稼がなければ、非戦闘員も逃がせない。

普通の戦であれば、戦えない女や子供まで手に掛けるような事はしない。あの凶暴さで知られる、狂戦士でさえだ。

だが、あの化け物達に、そんな理屈は通じない。

ヘルギにもう一度、早く寝ろというと。

シグムンドも、敵の速攻に備えて、寝ることにした。

 

3、輝く宮殿の陰

 

神々の都、アスガルド。

中心に黄金の宮殿を抱き、永遠の生命を持つといわれる神々が集う、理想郷とされる場所である。

フレイは知っている。

其処が理想郷でも何でも無く、生臭い権力争いと、陰険な陰謀がまかり通る土地であることを。

確かに神々は人間に比べれば力も強ければ寿命も長い。方法によっては、寿命をなくすことも可能だ。事実老衰で死んだ神々など、アスガルドの歴史上殆どいないはずである。

巨神族を打ち倒して、世界の覇権を手にした神々は。アスガルドに拠点を造り、あらゆる特権を手に、繁栄を恣にして来た。

宮殿の頂上。

最高神オーディンが、神々を招集するために用いるテラス状の空間が存在している。師であるテュールに願い、フレイはオーディンに現状を説明する場を、設けてもらっていた。勿論、フレイヤも参席する。

鷹のまま、その場に出向くわけにはいかない。アスガルドに戻ったフレイは、フレイヤをつれて神々の宮殿に向かう。

入り口にはテュールが待っていた。

テュールは寡黙な戦士で、アスガルドでも最強の武力を持つ一人である。単純な強さでは雷神トールに及ばないとされているが、それでも剣の腕に関しては間違いなく天界における最強の存在。テュールとトールの二神が揃っている限り、どのような存在でも天界には足を踏み入れる事ができないだろうとさえいわれていた。

宮殿の廊下を歩きながら、テュールと話す。

巨大な体躯を持つ神々も多いが、テュールは人間大の背丈である。その辺りは、フレイやフレイヤと同じだ。

「そうか、巨神族の侵攻が始まったか」

「ミズガルドの北にて、確認しました。 探知用の魔術による計測の結果、兵力は最低でも七十万。 いや、百万に達すると見た方がよろしいかと」

「予想以上の数だな。 アスガルドも総力を挙げ、撃退に赴かねばなるまい」

だが、とテュールは言葉を切った。

何か、懸念事項があるのだろうか。寡黙な師は、言葉で相手に伝えようとしない事が多い。

陰険な謀略がまかり通るアスガルドだが、上位の神々、特に武神と雷神がそろって権力欲が薄いため、腐敗と汚染は幸い最上部まで届いていない。ただし先代のフレイは権力の亡者で、先代フレイヤと並んでアスガルドの腐敗の象徴のような存在だった。

二代目であるフレイも、先代のことをいわれると、何とも言えぬ悲しみを覚えることがある。

そんなコンプレックスを抱えるフレイに、剣の道にうちこむ喜びを教えてくれたのが、テュールだった。

「オーディン様に、天界の主力であるエインヘリヤルの出撃を許していただくのが最善かと思われます。 敵の態勢が整わぬうちに叩けば、大いに勝機はありましょう」

「……」

やはりテュールは、何も言わない。

ほどなく、階段にさしかかる。らせん状の階段には壁が無く、美しい太陽の光が直接差し込んでくる。

この上が、謁見のために用いられる場所だ。

広大なテラスに出る。

開放的な造りで、宮殿の最上部に存在するそれは、円形の巨大な床を持つ。アスガルドのシンボルのような存在で、フレイも未だ数度しか、訪れたことは無い。

既にオーディンは、玉座についていた。

オーディンは常に鎧を身に纏い、右手には必殺の武具であるグングニルを持っている。これは敵を必ず撃ち抜くとされる、最強の槍だ。オーディンは左目を眼帯で覆っているが、若い頃の修行で失ったためである。その代わり、神々の中でも最強といわれる魔術展開能力を手に入れたのだ。

年老いた神であるオーディンは、山羊のように長い髭を蓄えている。既に髪も髭も白くなっており、そろそろ代替わりが近いのでは無いかと、噂が流れていた。

オーディンの左隣に立つのは、アスガルドが誇る雷神、トールである。

トールはオーディン同様巨躯で、背丈は最大級の巨神に引けを取らない。腰にはメギンギョルズと呼ばれる腕力を倍加させる特殊な帯をつけ、ヤールングレイプルと呼ばれる手袋をつけている。上半身は裸で、そのたくましい筋肉と体をむき出しにしていた。猛々しい兜から覗く顔には、豊富な髭が蓄えられている。

手にしているのは、最強と名高い投げ槌、ミョルニルである。武力においては、オーディンをも凌ぐといわれるトールだが、頭脳労働は苦手で、魔術にも知識が薄い。最高神としての地位をオーディンが独占しているのは、トールが最高神に向かないことを、自認しているからだ。

かってはトールをたきつける神々が存在した。既に年老いているオーディンから、主神の座を譲り受けるべきだというのである。先代フレイがその筆頭格だった。実際、フレイは噂に聞いただけなのだが。トールが主神であった時期があったというのだ。ただ、様々な情報を調べても、それらしい証拠は出てこなかったので、あくまで噂だと自分の中では片付けていた。

先代フレイが命を落としてからは、そのような政治的動きは薄れている。先代フレイが謀殺されたという噂もあるが、それも仕方が無かったかも知れない。トールが最高神になるよりも、狡猾なオーディンがその座についた方が、アスガルドのためになるのは間違いないとフレイにも思えるからだ。

いずれにしても、豪放なトールは、暴れる事が大好きだ。

今回も、巨神との戦いに出向くことに関しては、乗り気なようである。

オーディンの右隣には、女神フリッグ。

此方はオーディンの妻であり、アスガルドの二番目の権力者だ。既に中年にさしかかってはいるが、未だ色香の衰えは無く、非常に美しい。ただし彼女については、色々ときな臭い噂がある。

実は代替わりしているという説があるのだが、その辺りの状況が不明なのだ。オーディンはそれについて、何も言わない。上位の神々もそろって口を閉ざしている事から、アスガルドにおける最大のタブーとさえいわれている。文字通りこの件に関しては五里霧中というのが正しい状態で、憶測による噂は聞いたことがあるが、正しいと思えるものは一つも無いという有様だ。

フリッグはどちらかといえば平時における有能な宰相であり、アスガルドの政務を良く回して、様々な事を繁栄させてきた立役者だ。

ただし権力闘争に関しては甘いところが多く、様々な腐敗を横行させてしまったという一面も持っている。

直接の面識は無いが、そういった意味で、あまり言葉を交わしたくない相手ではある。父母の事を考えると、なおさらだ。

オーディンを頂点に、第二位をフリッグが、第三位をトールが固める。この鉄壁の態勢が、現在のアスガルドの権力態勢であった。ただし、これは平時の態勢である。戦時になると、最強の雷神トールが第二位になる。今回もまもなくそうなることだろう。

テュールが、フレイを連れてきたことをオーディンに告げると、列席している神々の中に混じる。

他にも、情報を司る神である男神ヘイムダルや、知恵を司る女神イズンなど、上位の神々は例外なく列席していた。

オーディンの前に平伏すると、フレイは自分が見てきたことを、正直に告げた。

上陸を開始した巨神の軍勢。

その数は、およそ七十万から百万。最大で、百二十万に達する。

それを告げると、神々の中にも、どよめきが起きた。

「ヨトゥンヘイムで巨神共が数を増しているという噂は聞いていたが……」

「そのような数で、どうやって海を渡ったのじゃ」

「巨神共は、ものを瞬時に運ぶ魔術による道具を持っていると聞いておる。 それを使ったのであろう」

「静まれい」

グングニルの柄でオーディンが床を叩くと、瞬時に辺りが静寂に包まれる。

さすがは最高神だ。年老いても、威厳は全く衰えていない。

咳払いすると、トールが前に出る。

「俺がでよう。 巨神共など、このミョルニルの力があれば、雑草のようになぎ倒せることだろう。 当たるを幸いに蹴散らしてくれるわ」

おおと、歓声が上がった。

気をよくしたトールは、ミョルニルを自在に振り回してみせる。とてつもない重さを誇るミョルニルは、扱えるのがトールだけという、極めて特殊な武器だ。トールでさえ、特殊な腰帯と手袋があって、はじめて扱えるほどの武具である。これの直撃を受けて生きている存在は、理論上ありえない。オーディンも、その中に含むだろう。

トールはミョルニルだけでは無く、様々な武器を持っている。魔法の山羊に引かせる強力なチャリオットもその一つ。チャリオットの戦闘力だけでも、生半可な巨神では太刀打ちできないだろう。

トールの豪語は、決して力による過信が招くものではないのだ。

更に、テュールが歩みでる。

寡黙な軍神は、あまり多くを語らず、自分も出向くという旨の言葉だけを発した。

テュールは本人の武勇も優れているが、何より麾下の軍団が強力である。五十万からなるアスガルドの軍勢の大半がテュールの麾下に有り、その戦闘力は巨神の軍勢に決してひけを取らない。

「これならば、巨神の群れなど、鎧柚一触に蹴散らすことができるだろう」

安心しきった誰かの声を、冷ややかなオーディンの声が一瞥した。

「ならん」

「む……?」

「何故です」

オーディンは、表情一つ変えない。

フレイは残念ながら、抗議をするほどの地位がない。先代のフレイだったらこの場での発言権もあったのだが。見かねてか、テュールがオーディンの前に跪く。

「恐れながら、オーディン様。 このままだと、ミズガルドは巨神共によって蹂躙され、人間は滅ぼし尽くされてしまうでしょう。 それは最高神としても、不本意であると思われますが」

「今はならぬ」

「理由を、お聞かせ願えませんか」

トールも、自分がでられないことを、不満そうにしている。

ふと、気付く。

知恵を司る女神、イズンの様子がおかしい。

彼女は魔法のリンゴを食べることによって、若さを保っている特殊な神である。見かけはまだ子供に等しいが、実際にはオーディンよりも長寿という噂さえあるそうだ。

そして、もう一つの噂がある。

イズンは、未来を知っていると。

正確には、知恵の泉にいる三人の女神が預言する未来を、正確に理解できるのが、イズンだけ、らしい。

オーディンが神々の出撃を頑なに拒むのは、それが原因では無いのか。

「分かりました。 それなら我が弟子フレイと、その妹フレイヤだけは、出撃をお許しくださいませ」

「何。 たった二柱だけでか」

「このままでは、人間達は文字通りなすすべも無く、巨神に蹂躙されるばかりです。 勢いを増した巨神がアスガルドに攻めこんでくるのは必定。 せめてこの二名に人間を導かせ、我らが態勢を整えるまで、時間を稼がせたく存じます」

テュールは好意的に、オーディンが出撃しないのは、態勢が整っていないからだと解釈して見せた。

だが、フレイの心には、どうもおかしいという思いが燻っている。

イズンの妙な態度もそうだが。何よりどちらかと言えば積極的な行動が目立ち、戦場でも先陣を切ることが珍しくも無いオーディンの消極的な言動。何か、とてつもない未来が、待ち受けているのでは無いのか。

現状で考えられる最悪の未来とは、何だろう。

巨神族がアスガルドになだれ込み、神々が皆殺しにされることか。しかし、巨神族の態勢が整わぬ今なら、その悲劇も回避できるのでは無いのか。

それとも、巨神族には、何か隠し球があるのか。

トールやテュールが出撃したことにより、その隠し球が発動し、もしもアスガルドが誇る最強の二柱が命を落とすような事になれば。

イズンの解釈による、ラグナロクの予言については、詳細は兎も角フレイも聞いてはいる。

オーディンは、何か敵の切り札を知っていて、それで出る事を抑えているのでは無いのか。そうなると、神々は、人間を盾にしようとしているのか。

ただでさえ、アスガルドは人間を多く犠牲にして、今の繁栄を築いてきた。

猿に知能を与え、人間にした。そして洞窟で暮らしていた人間に文化を与えたというのは事実だ。だがそれ以降の搾取についても、事実なのだ。

オーディンが立ち上がる。

隻眼が、冷たい光を放っていた。

「勝手にするがよい」

「分かりました。 それでは退出させていただきます」

テュールに促されて、フレイはフレイヤと共に、その場を後にする。

階段を共に下りながら、テュールは後方を一瞥した。

「すまぬが、援軍は出せぬ。 お前達に地上を任せるぞ」

「師は何か聞いていませんか。 今の最高神の態度、何か不自然に感じましたが」

「私も今のオーディンはおかしいと思った。 だが、残念ながら、何も聞かされてはいない。 そもラグナロクに関する予言は、アスガルドでも最高機密に属していてな。 おそらくオーディンとイズンしか知らん。 フリッグやトールでさえ知らぬのではないのかな」

確かに、皆の態度を見る限り、納得できる話だ。

しかし、だからといって。戦力を出し惜しみしていては、勝てる戦いも勝てなくなってしまう。

それに、未来を知っているのであれば、何かしらの対策を練ることもできたのでは無いのか。

「私の直接指揮下にある部隊については、今後出撃を検討する。 ワルキューレはかなり難しいが、或いは一柱、二柱であれば出せるかも知れぬ。 エインヘリアルの軍勢は、出せても五千から一万という所だろう。 ただし、指揮に戦神を出せるかは分からぬ」

「それでも、無よりは遙かに心強く思います」

「うむ……」

階段を下りる。

もう、見送りは此処まででいい。今から飛ばないと、戦場には間に合わないだろう。

幸い、まだ戦場は、ミズガルドの北に限定されている。そして、ミズガルドの北の民が、大変に勇敢で戦士としての力量が高いことは、フレイの目で直接に確認した。

上手に戦えば、オーディンが出撃を許可するまで、持ちこたえることができるかも知れない。

彼らを無駄死にだけはさせてはならない。

神々の沽券にも関わることだ。

「私は必ずオーディンを説得し、翻意させてみせる。 だからそなたらは、人間達を導き、守り、そして生き抜け。 神々は必ず巨神を滅ぼす。 その日まで、どのような手を用いても良いから、耐えるのだ」

「は。 師も、お気を付けて」

「うむ。 では、いけ。 後のことは、私が片付けておく」

フレイは師に感謝すると、鷹に変じ、空に舞った。

オーディンが、援軍を出し渋ることは予想していた。だが、まさか此処まで兵力を出してくれないとは、流石に予想外だった。

フレイヤが追いついてくる。

「如何いたしましょう、兄様」

「北の民を団結させ、少しでも巨神の進撃を遅らせるしかあるまい。 もしも手があるのであれば、南の国々にも、防衛体制を整えさせなければなるまいな」

農業を主体として栄えているミズガルド南の国々は、とにかく人口が多い。先進的な武器も、神々が許す範囲で多数開発し、保有している。彼らが北の民と手を組めば、巨神達とかなり有効に戦える筈だ。

ただし、今の時点では、数が違いすぎる。

南の国々が団結しても、総兵力は十二万程度だろう。一人が巨神一体を斃したとしても、とうてい巨神達の全てを斃すにはいたらない。その上、長年争い続けているゴートとブルグンドが、連携して戦うのは簡単では無いだろう。数だけ集めても、烏合の衆となりかねない。

それに対して、巨神は軽く戦って見ただけでも、相当に組織化された集団になっている。北の民と同様に死も恐れていないし、何より戦意がとても高い。あれほど強力な軍隊組織は、そうそうないだろう。

本当に、地の利を利用して、守り抜くしか無いのだ。

「とても勝てるとは思えません。 せめて戦神の一柱でもいれば、話は違うのでありましょうが」

「スヴァルトヘイムのドワーフたちとも、連絡が取れないと聞いている。 それにオーディンの様子では、何かを怖れているかのようだった。 今の状況でも充分に脅威だが、更におぞましい出来事が、これから引き起こされるやも知れぬ」

しかし、それは何だろう。

今の時点では、想像もできなかった。

「いずれにしても、今の時点では、北の民を守りながら、巨神の戦力を少しでも削り取っていくしかない。 フレイヤよ、覚悟を決めて欲しい」

「フレイヤはいつも兄様と共にあります。 何が起きたとしても、悔いることはありません」

「そうか」

夜明けだ。

稜線の向こうから、美しい太陽がせり上がってくるのが見える。

飛行速度を上げる。

巨神族が、そろそろ動き出す時間である。別に巨神族が夜を苦手とするわけでは無い。大軍で行動するために、危険性が高い夜を避けているためだ。単なる合理的行動である。歴戦の北の民は、既に備えをはじめているだろう。

戦いに、間に合わせたい。

彼らの戦意に、応えるためにも。

 

ヘルギが大あくびをしている。

臆病な言動をしていても、こういった細かいところで本来の性格がでるのは良いことだ。なんだかんだいっても、ヘルギも北の民の戦士なのである。

偵察にでていた戦士が戻ってくる。

「シグムンド、あまり良くない知らせだ」

「どうした」

「敵の数が更に増えてる。 あの大巨神だけでも、五体もいる。 森の北は、巨神で一杯だ」

「巨神で一杯、か」

笑いがこみ上げてくる。

仮に、巨神千匹に一体、あの大巨神がいるとする。そうなると、今五千を超える敵に直面しているという事だ。

「それに、敵の上を、何か飛んでるな。 昨日銀色の奴が言っていた、リンドブルムってのじゃないのか」

「どれくらいいそうだ」

「わからねえが、百や二百じゃないな。 それも、見ると一番小さい巨神くらいの大きさはある。 確かに牛を持ち上げるくらいのことはやれそうだ」

色々と冗談では無い話だ。

敵の異常な増え方からいっても、嫌な予感は的中したと見ていい。今頃他の領主達も、巨神の一斉攻撃に晒されているのでは無いのか。

幸い、この辺りの地形は複雑で、敵の数が如何にとんでも無くても、同時に多数は投入できない。

問題は空からの攻撃に、どう対処するか、だが。

地響き。

敵が動き始めたのだと分かる。

夜を避けたのは、行軍中の事故を避けるためだろう。数が多すぎる相手は、奇襲を受けると混乱する場合が多いのだが。

高い木によじ登り、状況を見る。

敵は隊ごとに別れて、整然と動き始めている。奇襲の隙は無いとみて良いだろう。

「波状攻撃を仕掛けてくるつもりだな」

「なんだよ、それ」

「順番に部隊を投入してくるって事だ。 ただし、間断なく。 やられた部隊を後ろに下げて、休み無く次の部隊を入れてくる。 傷ついた部隊は再編成して、また次の攻撃に加えてくる」

「お、おいおい、冗談じゃねえぞ」

やはり敵には、相当に高い知能がある。

シグムンドでも知っている程度の波状攻撃という戦術だが、これ自体はとても効果的だ。しかも此方は敵に比べて数が少ない。敵が百体ずつ攻めこんでくるとして、何度撃退できるのか。

しかも、此方が逃げ腰になった途端、敵は躊躇無く全戦力を投入してくるだろう。

それを装って敵を罠に填めるには、此方の手持ちの戦力が少なすぎる。

あの巨神が、五千である。

ちいさな国ぐらいなら、それだけで蹂躙できるほどだ。それもシグムンドが見たところ、敵の総兵力は、五千やそこらであるはずがない。

銀色の戦士のことは、宛てにしていない。

あれは神が気まぐれに使わした、一夜だけの助けだったのだと思うことにしている。

常に自分の手で、路は切り開かなければならない。

たとえ眼前が、どれほど絶望的な荒野であっても、だ。

二番目に大きい巨神、いうならば中巨神が中心になって、敵の軍勢が来る。息を殺して伏せ、引きつける。

「大きい奴は、俺がやる」

「あれを、一人でやるのか!?」

「俺たちは小さい。 それを逆手に取る」

勿論、簡単では無い事は分かっている。

踏みつけられでもしたら、その瞬間即死だ。中型といっても、そのサイズは軽く人間の八倍から十倍。

パワーも重量も、比較にさえならない。

だが、それでも。

奴を一人で倒せないようでは、今後何が出てきても、どうしようもならないだろう。

地響きが、近づいてくる。

潜んでいる皆の、緊張が極限まで高まる。

心の鼓動が、聞こえるようだ。

見えた。

先頭の巨神が、棍棒を振り回しながら来る。邪魔な木を押し倒し、押しのけ、迫ってくる。

もう少し。

片手を上げたシグムンドを、全員が見る。

他の巨神達も、姿を見せる。やはり数は百を基本にしている様子だ。しかも、それぞれが、互いの死角をカバーしながら歩いている。

中心に、中巨神がいる。

狙うのは、足下と、頭。目を潰し、足を斬れば、無力化できる。あれだけの巨体で歩いているのだ。

筋肉質な、どちらかといえば四角い体型だが。

やはり、足には相当に無理が掛かっているとみていい。勿論魔力で強化しているのだろうが、それでも本来は、あんな巨大な生命体が、二足歩行できるわけが無いのだ。

人間の中にも、時々、とんでもなく巨大な奴が生まれる事があるが、あまり永くは生きられない。歩いているのを見ると、相当に無理をしているのが分かる。

二足歩行に特化している人間でさえ、それなのだから。

巨神が、ついに指呼の距離まで来る。

シグムンドが、手を振り下ろした。

「射ろっ!」

熟練の射手達が、一斉に立ち上がり、矢を放つ。

巨人の目に、足に、矢が突き刺さった。矢の中には、魔力が籠もっているものも少なくない。膝を撃ち抜かれた巨神が、横転する。目を撃ち抜かれた巨神が、その場で絶叫して立ち尽くす。

数体が横転し、更に数体が隊伍を乱す。

だが、突進してきた他の巨神達は、棍棒を容赦なく振り下ろしてきた。

血戦が始まる。

誰かの悲鳴が聞こえる。

誰かの勝ち鬨が。

シグムンドは無言のまま走りながら、心を無にした。剣を引き抜きながら、至近の巨神のふくらはぎをなで切りにする。横転した奴は、他の戦士に任せる。振り下ろされる、棍棒。横っ飛びに跳ねて、かわす。皮一枚の差で、かわしたが。衝撃に押され、予想より二回、多く回転した。

跳ね起きざまに、棍棒を振り下ろそうとしていた巨神の足下に飛び込む。そして、旋回しながら、両足を撫できった。

大量の血。

いや、少しおかしい。独自の生臭さが無い。

これは、ひょっとして。

悩んでいる暇は無い。前のめりに倒れる巨神は無視して、走る。

更に一体の足を斬り、棍棒をかわしながら跳躍し、のど笛を断ち割った。着地。倒れる巨神。

中巨神が、至近で、ハンマーを振り上げていた。

重量武器の特性は、スイングのスピードにある。ましてや四角い体型をしている巨神の腕周りは、非常識なほどに太い。

雄叫びを上げながら、走る。

中巨神の目に、矢が突き刺さった。

一瞬の隙を、つく。

踝を、断ち割った。

倒れた中巨神の上に上がると、剣を喉に突き刺し、抉って引き抜いた。

即座に飛び離れ、迫ってきていた別の巨神の棍棒を避ける。髪を数本散らされたが、頭への直撃を避けた。

敵が、引き始める。

振り返ると、味方も被害を出している。決して少なくない。

「流石だ、シグムンド!」

「体勢を立て直す! すぐに次が……」

「来やがったっ!」

休む暇も無いか。

また、中巨神に率いられた一団が、迫ってくる。数はさっきと殆ど同数。引いた敵と入れ替わるようにして、攻めてくる。

此方を休ませないつもりだ。

更に、上空に、おそらくはリンドブルムと呼ばれていた飛龍が舞い始める。

噂に聞くドラゴンに比べると小柄だが、それでもかなりでかい。翼長は人間の背丈の六倍は軽くあるだろう。

勿論、火くらいは吐くと思った方が良いはずだ。

「矢!」

「どっちを狙う!」

「巨神共を射ながら後退! 追いつかれたら、反転して攻勢に出る!」

「分かった!」

上空のドラゴン共は、おそらく此方の隙を突いて、一気に攻勢に出るはずだ。

待っていれば、それだけ不利になる。

巨神達が、飛ぶような勢いで迫ってくる。

自らも矢をつがえたシグムンドはゆっくり下がりながら、機会を待つ。

横殴りに、巨神達を閃光が貫いたのは、その瞬間。

降り立った銀色の戦士が振るった剣が、数体の巨神を、胴体から真っ二つにしていた。

「いまだ! 射ろーっ!」

浮き足だった巨神達に、高密度の矢が浴びせられる。

上空のリンドブルム達も攻勢に出ようとしたが、森の中から飛んできた青い氷の塊が、近づこうとするものを順番に叩き落としていく。流石のリンドブルムも、飛んでいるものの悲しさ。

翼を撃ち抜かれると、落下するしか無い。

氷塊はそれぞれが子供の頭ほどもあるようで、発射速度もかなりある。リンドブルムの皮膜を破るには充分の様子だ。

空には、もはや憂い無し。

一気に至近に詰めたシグムンドが、先頭の巨神に斬りかかると。

他の戦士達も、それに続いた。

銀色の戦士も容赦なく剣を振り、次々巨神を斬っていく。

すぐに撤退した、敵の第二波。

だが、第三波が、間髪を入れずに来る。

相手が下がるタイミングに、此方も少しずつ下がる。村にまで逃げ込めば、少しは防衛の施設もある。

「左だ!」

「また大巨人か!?」

「いや、違うぞ……!」

前から来ているのと、同規模以上の敵が、いつの間にか左に回り込んで、満を持して待ち伏せしていたのだ。

まさか此方が待ち伏せされるとは。

少しずつ下がっている此方の狙いを読まれていたか。

一気に前にいる第三波も押し寄せてくる。

銀色の戦士が、左に向けて、剣を振るった。

「此方は、私に任せろ」

「すまん、感謝する。 俺たちは正面を叩く! 進ませるな!」

「おおーっ!」

如何に銀色の戦士とはいえど、一人で百を超える巨神を屠り尽くすのは無理だろう。少しでも早く、支援に出なければならない。

左での阿鼻叫喚には目もくれず、突っ込む。

味方の被害は、決して小さくない。

だが、誰もが、死を怖れない。

本当のところ、バルハラに行くことよりも。

戦士としての誇りを失う事の方が、怖いのかも知れない。

至近、棍棒を振り上げた巨神。

駆け抜けざまに、足を切り裂く。

倒れた奴は、もう味方に任せてしまう。次から次へ現れる巨神に、狂犬のように斬りかかっていく。

浴びた血の味。

やはりこれは、純粋な魔力だ。

上空への、氷の弾幕が途切れた。弾切れだろうか。

後方に、リンドブルムが数羽行く。後ろには、あの銀色の女戦士がいるはずだ。支援するように、指示。

自身は、剣を構え直すと。

迫り来る、中巨神へと。シグムンドは、走り出したのだった。

 

4、血みどろの撤退戦

 

村に戻っていた戦士が、来る。

やはり、状況は良くない様子だ。

「シグムンド、村にはあのドラゴンが攻めこんできてやがる! 今は持ちこたえてるが、かなり厳しいぞ!」

「こらえてもらうしか無い。 他の領主は、まだ返事を寄越さないか」

答えは、ない。

この状況だ。誰もが一杯一杯なのだろう。せめてヴェルンドはと思ったのだが、奴の村はシグムンドの支配地域よりも更に北だ。既になだれ込んできた巨神に、蹂躙され尽くしているかも知れない。

既に、七回。波状攻撃を撃退している。

敵は戦線が長くなってきたからか、それとも銀色の戦士による打撃が冗談ではすまなくなってきたからか、攻撃の間隔を開けてきている。

だが、不意に攻めこんでくる事も多いし、次から次へとリンドブルムも来る。

しかも氷塊の弾幕が途切れる隙を見きったのか、明らかに兵力の投入にむらを出してくるようになってきていた。

弾幕が厚いときは戦力を意図的に減らし、弾幕が途切れたときに、多数のリンドブルムを投入してくるのである。

敵は相当に優れた指揮官を有しているとみていい。

いや、巨神は邪悪な存在といえど、なにしろ神々と覇を競った者達だ。それくらいは、できて当然なのかも知れない。

「敵が来るまで、少し間がある! 休んでおけ!」

シグムンドの声に、やれやれと周囲が腰を下ろす。

偵察に出ている戦士達には悪いが、そうするしかない。

既に戦える戦士は半減している。

死者も少なくないが、それ以上にけが人が多い。手当をしても、すぐに戦えるものばかりではない。

魔力が強い人間は回復力が高いことが多いが、それでも限界はある。

しかしながら、追い風になる事もある。

銀色の戦士が来た。

手には弓矢を持っている。非常に大きな弓で、矢もまばゆい魔力を纏っていた。これなら、衝撃波だけでリンドブルムを数匹まとめて蹴散らせるかも知れない。

時々リンドブルムに警戒するように、銀色の戦士は、弓を空に向けていた。

「なあ、一つ聞いて良いか」

「なんだ」

「巨神を斬ったとき、血の臭い以上に純粋な魔力を感じた。 あいつらの体って、ひょっとして魔力の塊なのか」

「驚いた。 戦士としての力量だけでは無く、観察力も高いな」

銀色の戦士がそう言ってくれると、シグムンドも嬉しい。

力だけでは、領主はつとまらない。そういって、父は英才教育を、シグムンドに施してくれた。

できないことを、無理にやる必要は無い。

ただし、出来る事は、かならず人並み以上にまで伸ばせ。

狩の腕も、弓矢も剣術も。

いわれたとおりに、人の何倍も努力をして、寝る間も惜しんで鍛錬した。その結果、シグムンドは、領主として認められる男になることができた。

天才と呼ばれる奴も、見た事はある。

だが、シグムンドは違う。だから、必死の努力で、穴を埋めたのだ。

「巨神の体は、魔力の塊だ。 そう言う意味で、連中は純粋な生命体とは違う」

「単純に化け物って事か?」

「いや、生物の上位の存在、という事だ」

偵察に出ている戦士達が、報告してくる。

敵は少し下がって、兵を建て直しているらしい。

時間は稼げた。この隙に、村まで戻るのが良いだろう。

「敵に悟らせないように、後退だ。 此方もミルカの村で、体勢を立て直す」

また、敵が何かしら戦術的な行動を画策している可能性もある。

だが、それ以上に。此方の疲弊が酷いのだ。

怪我をしている戦士も多いし、体力的にも限界が近い。ただ、ミルカの村にも、リンドブルムが来ているようだから、それをどうにかしなければならないが。

「上位の存在、だって」

「世界には現象というものがある。 風がそよいだり、水が流れたりといったものだ」

「ああ、それがどうかしたのか」

「それらが意思を持ち、力を付けたものの一つ。 それが巨神族だ」

よく分からないが、つまり。

巨神族と戦うと言うことは、自然そのものと戦う、というようなことなのだろうか。

それに、それらの一つという言葉が気になる。

他にも、似たようなものがあるのだろうか。

村にいるドルイドに話を聞けば分かるかも知れない。ただ、悠長に話を聞いている暇は無さそうだが。

ミルカ村が見えてきた。

確かに、リンドブルムが十数羽、上空を舞っている。隙を見ては攻撃を仕掛け続けているようだ。

櫓は燃やされてしまっている。

やはり、炎を吐くとみて良いだろう。

今のところ、リンドブルムの攻撃は小康状態だ。急がなくても、村の連中だけで対処はできる。

森の中から、抜け出すようにして、銀色の女戦士が姿を見せる。

「兄様。 観測用の魔術によると、やはりかなりの巨神族が、彼方此方で人間の集落に攻撃を開始しています。 既に滅ぼされてしまった村もあるようです」

「そうか。 急いで、合流をしたほうが良いかもしれないな」

「まて、どういうことだ」

「この辺りで、戦力を集中して守りには入れる場所はあるか。 巨神族は、既に戦力を分散して、攻撃を開始している。 このままだと各個に撃破されて、お前達は全滅する」

やはり、嫌な予感が当たったか。

魔術云々はどうでもいい。

これだけ、此方のために戦ってくれた二人だ。話を信用する方が良いだろう。

「南に、南の連中が攻めてきたときに備えるための砦がある。 山間の谷間に作られた砦で、ユグドラジルの根を使って作った頑強な扉がある、強力な防御施設だ」

「其処に、できる限り皆を急いで避難させろ」

「それしか、なさそうだな」

村に入ると、門を閉じた。

とはいっても、周囲は木の柵と門。一応の高さと強度はあるが、巨神の攻撃には、長くは持ちこたえられないだろう。

すぐに避難を開始させる。

攻撃してきていたリンドブルムは、銀色の戦士達が対処してくれている。やはり銀色の戦士が放つ弓矢は凄まじい衝撃波を放ち、空中のリンドブルムを数羽まとめて叩き落としている。

それだけではない。

女戦士が弓を構えると、鏃に凄まじい赤い光が集中していく。

そして、それを放つと。

空中で、大爆発を起こした。

あのドカンという奴の正体は、これだったわけだ。

「すぐに南の砦に、非戦闘員を非難。 他の領主達にも、南の砦に逃げるように、使者を出せ」

てきぱきと、皆が動き始める。

シグムンドはこれから二つ、やらなければならない事がある。

一つは、この村を使って、敵を引きつける。囲まれても脱出路はある。あまり大人数で無ければ、大丈夫だろう。

もう一つ。

使者を送っても、無視している領主が一人いる。敵対している相手であり、絶対に戦いたくない敵の一人だ。

だが、味方にすることができれば、どれだけ心強いか分からない。

「お前は逃げないのか」

「逃げる訳にはいかないな。 二つ、やることがある」

説明すると、銀色の戦士は頷いて、嬉しい事をいってくれた。

「ならば我が妹が、この村に残ろう。 支援さえ受ければ、大火力で敵を牽制しつつ、時間を稼げる」

「頼もしい。 もう一つは、四半日ほど東に行って、狂戦士の村に出向く」

「ちょっ! 正気か!?」

ヘルギが、巨神と戦うのと同じくらい取り乱す。

勿論、正気だ。

「狂戦士は今までは敵だったが、この事態だ。 手を組んで、共に当たらなければならないだろう。 それに何より、彼らを味方にできれば、巨神といえど恐るるにたらん」

其処まで簡単にいくとは、シグムンドも思っていない。巨神が恐るるにたりないとも思わない。

だが、この絶望的な状況が、少しはマシになるのも確かだ。

こういうときには、むしろ大口を叩いて、皆を安心させる方が良い。これも父から教わった知識だ。

「任せても良いか」

「兄様も、気をつけて。 必ず時間稼ぎをして見せます」

「頼む」

銀色の戦士は、シグムンドについてきてくれるという。

有り難い話だ。

北の民を糾合しても、絶望的状況に、あまり変わりは無いかも知れない。しかし、やるべきことは、必ずやらなければならない。

そうでなければ。

死んでも、死にきれない。

最後尾の戦士が戻ってきた。慌てている様子からして、もう敵の次の波状攻撃が来たのだろう。

そういえば、まだ銀色の戦士の名前を聞いていない。

シグムンドは今更に、それを思い出した。

 

玉座にて頬杖をつくオーディンの側には、誰もいない。

時々神々の王は、こうして孤独を望むことがある。その時には、妻であるフリッグでさえ近づけない。

その、本当の意味での事情を知っている神は。

今では、イズンしかいない。

「オーディン」

「イズンか」

オーディンは視線も動かさず、いう。

ただし、イズンの姿は無い。声はすれども、である。更にいえば、普段の鈴を鳴らすような声でもない。

もっと年老いた声だ。

「ラグナロクの時がついに来ましたね。 良いのですか、フレイとフレイヤに任せてしまって」

「かまわぬ。 それで死ぬようなら、あ奴らはそれまでということだ」

予言では、フレイヤはともかく、フレイは。

ただ、既に予言の変化は著しい。まさか神々の代替わりという異常現象が、此処まで進行するとは思わなかった。

最初は、至高の座を奪うためもあった。

しかし、その結果は。

今では、もはやオーディンとイズンのみしか。

神々は、特別な存在になるべきでは無かったのかも知れない。正確には、アース神族は、だが。

ヴァン神族と何が違うというのだろう。

年老い、権力への執着も失せた今。オーディンは、自分が抱え込んでいる全ての秘密と闇が、煩わしくて仕方が無い。

かといって、それを捨て去る、暴露することは、全ての破滅を意味している。

「ロキの封印は万全か、イズン」

「考えられる限り完璧です。 しかし、おそらくは……」

「そうであろう。 だが、それでも、予言を覆せると分かっている以上、可能な限りの努力はしなくてはならぬ」

我ながら心にも無い事をいっていると、オーディンは自嘲した。

笑い出したくなる時もある。

冷厳な至高神。

光の世界の主。

その割に、なんと脆弱な地位か。

単純な武力ではトールに及ばず、年齢と知識ではイズンに及ばない。トールでは、この複雑な事態には対処しきれないと知ってはいたが。それでもなお、オーディンは思うのである。

この世界、いやアース神族は。

むしろトールのような存在が率いていた方が、まだ本来の姿に近いままでいられたのではないのかと。

「せめて、ワルキューレの出撃は許してあげなさい」

「……出すとしても、一柱だけだ」

冷淡にオーディンは応える。

危惧しているテュールの事が、滑稽でならない。

巨神族など、破滅の始まりに過ぎない。

本当に最後の時は。

刻一刻と迫りつつある。

オーディンは玉座から立ち上がると、巨神族が侵攻してきている北の空を見上げた。

未だそこは、アース神族のもの。

滅びはまだ、此処まで来てはいない。

 

(続く)