失われた祖
序、誘引作戦
あたし達には存在が感じ取れないのに、港やフォウレの里では騒ぎになっている謎のドラゴン。
勿論集団幻覚の可能性や、幻覚を誘引する術に依るものの可能性も否定出来ない。人間の脳というのはいい加減で、簡単に幻覚を見る。匪賊なんかの死体をエーテルで分解してそれをあたしは知っている。
あたしだって、脳をもっとコントロール出来ればといつも思うくらいだ。
それはそうとして、まずは情報をもっと集めておくべきだろう。
というのも、クリフォードさんに説明されたのだ。
人間の記憶というのは、非常にいい加減なものなのだと。
余程の出来事があった場合でもない限り、自分に都合良く記憶をねつ造してしまうのが人間なのだと。
まあ、分からないでもない。
あたしの場合、おぼれかけた幼少時の出来事はよく覚えているが。その時だって、アガーテ姉さんを呼びに行ったボオスの事をしっかり覚えていれば、あんなに関係を何年も拗らせる事はなかっただろう。
あたしは死にそうになってそれで記憶がパンクして、ボオスが救援に行ったことを覚えていなかったし。
レントやタオもそれは同じだったのだ。
要するに、あたしは身を以てクリフォードさんの言葉が理解出来る。
だとしたら、そのいい加減な人間のオツムを、データを集めてどうにか補っていくしかない。
タオがよくやっている統計と同じである。
まずは、どこでなにがいつどうしたのか。これを集めていく。
具体的には、いつどこでドラゴンが飛んでいるのを見たか、を情報として集めて回る。
フォウレでは、今回はドラゴン絡みということもある。
デアドラさんが協力してくれて、とても助かる。デアドラさんが見ている前では、あたしを良く思っていない老人達もあまりああだこうだは言えないようだ。
港町は、バレンツの副頭取であるクラウディアを中心に聞き込みをする。更にレントやパティには、鉱山や農村にも出向いて情報を集めて貰う。
三刻ほど掛けて情報を精査して。
それで集まって、それぞれに聞いたものをまとめてみると。
いやはや、こうまでばらつくのか。
まず、ドラゴンが出現し始めたのは、あたしが東の地でベヒィモスとやりあった直後くらいだ。
サマエルがパティに倒されたタイミングである。
これは偶然だろうか。
どうにも偶然とは思えない。
神代の直接の手下である事は、あの悪魔もどき達が自白している。もしそうだとすると、今回の件も。
それはともかくとして、農村、鉱山、フォウレの里、港町。いずれもが。同じ日付でドラゴンが目撃され始めているのだが。
いずれもが、目撃された地点が違うのである。
農村では、主に鉱山方面で。
鉱山では、主にフォウレの方向。ネメドの密林上空の、古城がある辺りを。
港町からは禁足地の辺り。
そしてフォウレでは港町から海に掛けて、飛んでいるのが目撃されているのである。
この過程で、まだ危険な魔物が闊歩していないかもついでに聴取した。密林はあたし達が大物を片付けた結果かなり安全になったが、農村の先にある平野は、まだまだ強めの魔物が出るらしい。
調査のついでに片付けるとして、次だ。
このドラゴンの目撃例が、徐々に目撃地点に近付いているかというとそうでもないのである。
農村では、三日前くらいからもう目撃されていない。
なんと鉱山の更に先に行ってしまったようで、目が良い人や遠隔視の魔術持ちの人が、たまに見るくらいだとか。
フォウレの里ではどんどんドラゴンが海の方に行き。
鉱山では、密林の上をぐるぐる回っているのが目撃され。その高度が下がってきているらしい。
そして港では、ドラゴンが連日近付いて来ていると。
ただし決まって、あたし達がいる時は誰も見ていないのである。
アンペルさんが情報を集めたあと、しぶい顔になった。
「いっそ自白剤か自白させる魔術でも使うか」
「やめてください」
「分かってはいるが、これははっきり言って意味がわからん。 嘘をついている様子はないんだな」
「嘘にしては嫌に具体的で、しかも情報が一致しているんです。 示しあわせたりしないように、一人ずつ話を聞いて回っているんですが」
あたしも正直訳が分からない。
ただし、善意で話してくれる人も多いのだ。正直なことをディアンが証言してくれた女の子は、もの凄く丁寧に話してくれた。
嘘をついているとは思えない。
かといって、クリフォードさんが言ったことも気になるのだ。
嘘をついていないのと、記憶が正しいのには大きな差がある。
ましてや、何かしらの幻術などが使われた可能性も否定出来ないとなると、ちょっと困りものである。
「厄介な事に、禁足地にはフェンリルがいるようですし、もっと強いガーディアンの存在も想定しないといけないでしょうね。 古代クリント王国が総力で集めた兵ほどではないでしょうが、数千の兵士が蹴散らされたあの跡を考える限り。 戦力を残していくのは具の骨頂です」
「それはその通りではある。 一つ気になっていることがあってな」
アンペルさんは咳払いして、話してくれる。
あの悪魔もどき達は、あたしに何かさせたいようだというのだ。
確かにサタンも、鍵の研究に集中させるために、親しい人間を皆殺しとか言う巫山戯た事を言っていた。
まあブチ殺してやったからそれについてはもういい。
あたしに鍵の研究に集中させ、そして扉を開けさせたいのか。それに何のメリットがある。
神代の人間を、あたしが崇めているようにあれらには見えるのか。
いや、あれらの思考を弄くったのは神代だ。
神代は、後から来る錬金術師が自分達を神のように崇めてくれるとでも考えていたのだろうか。
可能性は否定出来ないが。
もしもそれが正しいとすると。
赤いドラゴンなんて存在せずに、あの悪魔もどきの四体目がそれをやっているのか。
しかし、離れた地点にいる人間に、如何にして幻覚なんて見せているのか。
ボオスがデータを出してくる。
鉱山、農村、フォウレの里、港町。
このいずれにもいない状態で、ドラゴンを見た人のデータがないか。聞き取って、それであったらしい。
港町に所属する漁師が、帰り際に海でドラゴンを見たそうだ。
ただし、海で見た時には、禁足地の城の上空辺りを不自然な飛び方をしていた、というのだ。
不自然な飛び方って何だよとレントが聞くと。
ボオスは頭を掻きながら、気むずかしそうに答える。
「俺に言うな。 なんでも、後ろに下がっているように見えたらしくてな」
「えっ……」
「確かにドラゴンはその場に羽ばたいて留まることが出来るらしいけれど、わざわざ後ろに飛んでいたの?」
「それだけじゃない。 水平な体勢で、まっすぐ進むように後ろに進んでいたっていう話でな……」
訳が分からないのは俺も同じだと、ボオスは締めた。
まああたしもそれを聞いたら、ちょっと本当かそれはと締めに行くかも知れないが。貴重な証言をくれた相手にそんな事はしてはいけない。
気になったので、他にも妙な目撃情報がないか調べたら、あったという。
農村にいる戦士の一人が。
港町に魚を仕入れに行き、戻る最中にドラゴンを見たらしい。
ただしそのドラゴンは、なんと空から地面に真っ逆さまという雰囲気で、禁足地で奇行を繰り返していたそうである。
何がしたいんだそれは。
あたしも額に指を当てて考え込んでしまう。
「俺に文句は言うなよ」
「ああ、分かってるよ。 これは、ドラゴンに実体なんかないんじゃないか」
「その可能性は高いね。 クラウディアの音魔術に引っ掛からなかったし、カラさんの魔術でも探知出来ていない。 フィーもドラゴンの魔力は感知していないみたいだし」
「ただのう。 奏波氏族の伝承をひもとくと、竜族はそもそもとして侮れぬ力を持っていてな」
カラさんが話す。
ドラゴンのスペシャリストの言葉だ。
聞いておくべきだろう。
「世界を渡る力を持つドラゴンは相当に年老いているものだが、そうなる前の一番力が充溢している頃のドラゴンは、実に多彩な芸を持っているのが普通でな。 わしも色々な凶暴竜を見てきたが、中にはわしらにも接近を悟らせない者もいた」
「それは厄介ですね……」
「わしら奏波氏族は竜を送る者。 だから竜とは関わらなければならないが、竜からして見れば我等など路傍の小石に過ぎぬからのう。 刺激してしまうと、とんでもない目に会う事がたびたびあったものよ」
そうか。
だとすると、ドラゴンの可能性も捨てきれないと言う訳だ。
ただ、とカラさんは言う。
「ドラゴンが知恵を得るのはかなり遅くなってからで、そうなる前は力が場違いに強い獣に過ぎぬ。 何故に今回に限って人間「なんぞ」を惑わすのか、わしにも分からん」
「獣であったら、餌を採るために集落を襲ったりするかもしれませんが、人間に訳が分からないものを見せて楽しむ可能性は低いですね」
例えば猫なんかは、狩りの練習をするためにねずみを嬲ったりする。似たような行動は、ある程度知能がある生物はどれもやる。
鳥なんかでもやるのを見た事があるし、イルカなんかもやる事があるそうだ。
だがそれにしても、ドラゴンからすれば普通の人間なんかは路傍の小石で、惑わす必要なんかがあるとは思えない。
集落を襲って人々を喰らうならまだ話は理解出来るのだが。
今回はただ人々の恐怖を煽っているとしか思えないのだ。
それも、あたし達からは姿を隠して。
本当に何がしたいのか。
ともかく、「何か見落としていては遅い」のだ。話に聞いているドラゴンは普通と容子が違っているし、単騎で強力な魔物多数に匹敵するとみて良い。
何を目的としているのか、先に突き止めない限り、フォウレの里を離れるわけには行かないだろう。
とにかく、今日はまず戦力を分散する。
本来はやってはいけないことだが、ドラゴンを見極めなければならない。
後手に回るのは良くない事だが。
こればかりは、敵に隙を突かれたら。
サルドニカの鉱山での惨事のようなことが簡単に起きる。
あれは繰り返させてはならないのだ。
ただ、見張りをするだけでは意味がないだろう。
まずディアンにひとっ走りしてもらい。例のメイドの……ホムンクルスと思われる一族に声を掛けて貰う。
ディアンの話によると数名がこの辺りにいるそうなので、全面的に協力して貰う事になるが。
今回は緊急事態だ。
向こうもそれは認識しているだろう。
ドラゴンが来た場合の戦闘はあたし達が担当する。それはそれとして、避難誘導はして貰わなければならない。
そして避難誘導だけだったら良いのだが、この辺りは人食いの魔物がまだまだわんさかいる。
この辺りの戦士でも対応できるくらいにはなっているが、それでも避難民を抱えたまま戦うのは酷だろう。
だから優れた戦士の護衛がいる。
ドラゴンは現れた時間もまちまちであり、いつ出るかも見当がつかない。あたし達がいない時間をどうにかして狙って来ているとしたら、対策もいるだろう。
探知用の術をフル活用するだけではダメとみた。
或いはだけれども、空間操作系の術の可能性もある。そのタイプの術だった場合は、それこそ何が起きても不思議では無いのだ。
「アンペルさん、空間操作系の魔術をドラゴンが使っていた場合、何かしらの痕跡は見つけられますか」
「厳しい事を言ってくれるな。 空間操作魔術は、私ではあんな線程度、詠唱を練り上げてようやく箱状に削り取るのがやっとだ」
アンペルさんはあたしがいうのも何だが、かなり魔力がある方だ。そんなアンペルさんが、そういうか。
あたしの場合は、才能云々以前にそもそも出来ないし。
だから、話は丁寧に聞くしかない。
「強いていうのであれば、ドラゴンを見かけた場合、其奴に向けて空間切断の術を放って、それで反応を見る事は可能だが。 そんな程度の甘い相手だとは、私には思えないな」
「それは同感ですが、やることはやってみてください」
「ああ、分かった」
「後は……」
皆にも、見張りの方針を伝える。
姿を見せない。
それだけじゃない。
あたしはパティとリラさんだけつれて、禁足地に向かう。恐らくだが、あたしの事を相手は警戒しているとみて良い。
それで皆はそれぞれ、港町、農村、フォウレの里、鉱山に散って貰い。それで隠れて様子を見るのだ。
これで引っ張り出せなければ。
ともかく、方針は決まった。まずは散って、それぞれが分散する。
その後は、あたしはデアドラさんに声を掛けて、種拾いの戦士を十人ほど借りる。禁足地の入口辺りであれば、多分問題は無い筈だ。
先に全員に出て貰う。
そして、あたしはしばらくしてから、悠々とアトリエを出る。
ドラゴンはかなり知恵が回ると判断したので、種拾いの戦士達には用意したフードを被って貰う。
そして、禁足地に向かって調査するフリをしながら、様子を見るのだ。
既に験者からは、それぞれの集落に話を回して貰ってある。
ディアンもしっかり役割を果たしてくれた。
後は、姿を見せないドラゴンを、引きずり出すだけだ。それがもしいるのであれば、だが。
東の地に出向いて戻って来たらライザリンを監視していたロミィは、後ろから肩を叩かれる。肩を叩いたのはコマンダーだった。
「お疲れ様ー。 どうかしら」
「ライザは相変わらず動きが的確ですね。 よく分からないドラゴン騒ぎにも、きちんと先を読みながら対応していますよ」
「ふふ、貴方は他の子とちょっとしゃべり方が違うわねー」
「まあ、商人だとこういう口調が親しみやすいもので」
ロミィは同胞として人間より長くは生きている。ただし同胞としては新参だ。
だが、各地で商人として集落に潜り込む仕事をしている内に、人格を偽装する技術を覚えた。
いわゆるペルソナという奴だ。
人格につけている仮面を切り替える事で、相手への対応を柔らかくする。
これについては、もとは他の同胞と同じだったのだが。
商人をしていて、どうしても距離を置かれることに気付いて。それで身に付けた技能である。
ロミィの行動を見て、他の同胞は薄い感情ながらも、うらやましがる。
皆個性が欲しいとは思っているのだ。
多様性の獲得は同胞の悲願なのだから。
「それで貴方たちは例のドラゴンは見ているのかしらー?」
「いえ、それが全く。 周りが騒いでいるので、すわ大事と出て見ても、何も見つけられなくて困惑しているんですよ」
「……ふむ。 多分そうなると、幻覚を誘発させる魔術の可能性が高いわね。 薬物の類は出回っていないし」
「それにしても魔術発動の気配もありませんが……」
何人かこの地にいる同胞とも連携しているのだが。
それでまったく尻尾が掴めない。
話に聞く分には、通常より大きなドラゴンだというのだから、油断などしてはいけないのだ。
その点は、ライザの様子と一致している。
あの様子では、ライザはまずドラゴン騒ぎをどうにかすることを優先した。優先事項に、より弱き者を守る事があるのは正しい。
神代の錬金術師には。
それが出来なかったのだ。
「いざという時はライザと協力してドラゴンに対応をしてね」
「はっ。 それでコマンダーはどうなさいますか」
「私はちょっと引いたところから様子見かな。 エンシェントじゃないドラゴンとなると、神代に兵器として弄られていない限りは、強くても獣の王。 著しく獣を逸脱した行動を取らない限りは、手出しをするつもりはないわー」
まあ、そうだろうな。
いつの間にかふわりと消えてしまうコマンダー。
この辺り、技量の差を思い知らされる。
さて、やるか。
ドラゴンがいるかいないかはまだ分からないが。
いる時に備えなければならない。
ライザが十数人をつれて、港町を突っ切って禁足地に行くのを確認。同時にライザの仲間が、数人ずつ集落に潜伏したようだ。
正しい判断だと思う。
問題は。ドラゴンがそれに気付くかどうかだが。
本当にドラゴンだった場合は備えなければならないし。
そうで無かった場合は、ライザが対応しやすいように、手伝いくらいはしなければならなかった。
これも同胞の仕事だ。
母が望むこと。
希望たるアインを人として生きられるようにする。
それが第一としても。
母はエゴを優先して、弱者を醜い笑顔で虐げ続けた……今も世界に大きな悪影響を与えている神代の錬金術師を心の底から憎んでいる。
同胞も人間なんかは別に好きでも何でもないが。
それでも人間との交配が多様性獲得の可能性の一つであり。
更には文明の保全がある程度は重要であること。
何より弱者を蹂躙させないこと。
それらを方針としてあげられている以上は、ロミィも同胞として、それに従わなければならなかった。
それはそれとして、今日は商売どころではないな。
港町は完全にパニック寸前だ。
最悪の場合は、騒ぎ出した連中を黙らせなければならない可能性もある。
色々と気が重いなと、ロミィは思うのだった。
1、姿なきもの翻弄する
さてこの辺りで良いかな。
あたしは借りてきた種拾いの戦士達には、まだ姿を隠しておいてくれと頼んだ上で、手を叩く。
パティとリラさんを選んだのは。戦闘向きの人員だからだ。
特にパティは成長著しく、インファイト限定だったらあたしより既に強い可能性も高い。まだまだ伸び盛りであるから、対人戦という限定的条件だったら、世界最強の可能性もあるだろう。
リラさんはいうまでもない。
リラさんは普段は猫になっていたりもするが、戦闘での頭の回転はとても速いし、何より経験に裏打ちされた実力は確かだ。
この二人が一緒ならば、ドラゴンに奇襲されても対応できるだろう。
照明弾は全員が用意している。
ただし、実際にドラゴンを確認しない場合は打ち上げるな。
そうも告げてある。
ドラゴン騒ぎがあった場合は。、別の方法で知らせるように。
それも告げてあるので、あたしも皆を信じて、この辺りで行動するだけだ。
「錬金術師殿」
手を上げたのは、種拾いの女性戦士の一人。まだ若くて、顔には幼さも残っている程だ。
ディアンほどではないが、かなりの有望株であるらしい。
一時期デアドラさんは、ディアンの嫁にとも考えたらしいのだが。この人はこの人で別に好きな相手がいるらしく。
今は婚約者から外しているそうだった。
「今回の戦略的な目標は、ドラゴンの誘引だと聞く。 しかしこんなに人員を分けてしまった場合、襲われて対応できるのだろうか」
「……まあ、みていてください」
「巨大マンドレイクも丘ほどもある巨大な魔物も倒した貴方を疑う者は少なくとも種拾いにはいない。 だがそれでも、相手がドラゴンでは不安なのだ」
「ドラゴンとは限らないですよ。 ドラゴンにしては行動が不可解すぎますのでね」
ただ、ドラゴンだった場合も勿論対策は考えてある。
あたしは更に進む。
潰された集落を見て、種拾いの戦士達はおののく。
禁足地の内部に、こんなものがあるとはと驚いているのかと思ったら違った。
「神の怒りを受けて滅ぼされた集落だ。 本当にあったのか!」
「こ、ここにいて大丈夫なのか」
「静かに。 浮き足立っていたら、格下の魔物を相手でも遅れを取ります」
パティが言い聞かせると、すっと動揺が収まる。
パティの声は静かで落ち着いていて、それでいて威圧感がある。
既に人心掌握のやり方を学んでいると言う事だ。
十人程度の人間だったら、掌で転がせると。
まあ大したものだなと思う。
「ライザさん。 それでまだ進みますか。 この先はまだまだ強力な魔物がいると思いますよ」
「進む」
「……分かりました」
進むのは当然考えあっての事だ。
青ざめている種拾いの戦士達には、いざという時には逃げ散らないようにと告げる。そうしたら、まず助からないからだ。
種拾いの戦士達も訓練を受けているし、密林で修羅場を潜り続けているのだから、そう簡単にパニックになって魔物の好餌にされたりはしないだろうが。
それでも、相手がドラゴンだという事実は。ここまで歴戦の戦士達を怖れさせるのかと、あたしも驚いてしまう。
ともかくだ。
集落を越えて、先に。
途中何度か魔物の群れに襲撃を受けるが、あたしとパティとリラさんだけでほぼ片付く。この辺りの魔物だったら、余程油断しない限りはもうやられることはない。
あたしの蹴りが鱗に覆われた巨大な獣を、正面から蹴り砕いたのを見て、戦士達がおおとどよめく。
相当に頑強な奴らしいが。
まあざっとこんなものだ。
「流石だ……」
「誰も手に負えなかった巨大マンドレイクをあっさり倒してくれただけの事はある」
「皆、負けてはいられないぞ! 怯えてばかりでは、フォウレの恥だ!」
最年長の戦士がそう声を掛けて、やっと戦士達は普段の気迫を取り戻したようだった。
先に進む。
ドラゴンにしても、それを偽装している何者かにしても。
こっちを見ていても不思議ではない。
だとすれば、もう少し進めば仕掛けて来る可能性が。
そう思っていたら、来た。
ひゅっと、クラウディアの放った矢が空に。その瞬間、あたしは全員に向けて叫んでいた。
「その場で警戒! 港町にドラゴンが出た!」
「え……?」
「何もいませんが??」
種拾いの戦士達の困惑も当然だ。
港町はこの辺りからは一望できる。しかし、ドラゴンの姿なんか、誰にも見えていないのである。
悲鳴も聞こえる。
今度は相当に近くに見えているのだろう。
「ライザさん、これは……」
「間違いない。 幻術かは分からないけれど、幻を見せられてる。 クラウディアの今の矢、騒ぎにはなっているけれど自分には見えない、だよ」
続けて農村、フォウレからも順番に狼煙が上がる。
内容は、それぞれがドラゴン騒ぎになっているが、実物の姿はなし。それどころか、更に遠くなっている。
そういう内容だ。
さて、それではやるべき事をするか。
まず空間操作関連の魔術で、ドラゴンが姿を偽装している場合だが。
あたしはバレンツの交易品の中にあった遠めがねを使う。
あたしもなんでも出来る訳では無いので、視力拡張の魔術とかはそんなに使える訳でもない。
熱を利用してレンズを作って、少し遠くを見るくらいは出来るのだけれども。
そんなんするくらいだったら、それこそからくりの遠めがねを使う方がなんぼもマシである。
それで、港町の方を確認する。
まだ騒ぎは起きている。この様子だと、港町の真上でも飛んでいるように見えているのだろうか。
だが、その辺りを見ても、空間に異常が生じてはいない。
例えばドラゴンが空間を歪めて、近場にいる人間にだけ異常を見せているとする。だとしても、空間を歪めた場合。こんな風に遠くから見れば、なんかおかしい部分がある筈である。
「異常なし。 港町にも被害が出ている様子なし」
「しかしまだ悲鳴が聞こえていますが……」
「人々はパニック寸前だけれど、実質的な被害は出ていない。 やっぱりあれは幻覚か何かだよ」
種拾いの人達にも見てもらう。
遠めがねはこう言うときに便利だ。
その間にも、パティにもリラさんにも周囲を警戒して貰う。今の時点では、特に異常は見られない。
続いて、鉱山と農村から違う狼煙が上がる。
内容は簡単で、ドラゴンの姿が消えた、だ。
フォウレの里からも、程なく同じ狼煙が上がった。
種拾いの戦士達が困惑する。
「確かに何もいないのに港町の皆は混乱してる……」
「でも俺は、フォウレの里で確かにドラゴンを見たぞ。 遠くにいたけれど、見間違う筈が……」
「ドラゴンがいるとしても、それはあの場所ではないのかも知れないですね」
「訳が分からん!」
困惑する種拾いの戦士達。
それでいい。
あたしは手を叩いて、皆の注目を集める。
そして、フードを脱いで貰った。
同時に、何か感じ取る。
これは明らかに動揺だ。何か隠密していた奴が、動揺したのが分かった。地面を蹴って、跳ぶ。
地面スレスレに跳びながら、何度か加速。
気配が生じた其処に、あたしは蹴りを叩き込んでいた。
手応えあり。
吹っ飛んだ其奴が、地面に叩き付けられ、バウンドして吹っ飛ぶ。
うめき声を上げながらそいつは、半身を起こしていた。
「き、貴様……っ! はかりおったな! 劣等血統の分際で!」
「悪魔もどき……」
「私の名前はテリオンだ。 お、おのれ……!」
立ち上がった其奴は、他の悪魔もどきと殆ど姿も変わらない。
あたしは、勿論逃がすつもりは無い。
だが、テリオンが叫ぶと、どっと魔物が湧いて出る。パティとリラさんに其奴らは任せる。
それに、種拾いの戦士達も、それぞれ槍を取っていた。
「何だか知らないが、騙されていたのは分かった!」
「あの人間に近い姿の魔物の仕業だな!」
「ぶっ潰す!」
元々凶猛なフォウレの里の戦士達だ。
殺到する鼬やラプトル、走鳥に一歩も引かない。パティとリラさんが先頭に立って魔物を千切っては投げているのも、勇気を更に燃やしているのだろう。
あたしはゆっくり悪魔もどきに歩み寄る。
立ち上がった悪魔もどきは、何か術を使おうとしたが、させるか。
地面を踏み込んで、最大加速。
術発動の前に間合いを詰めて、全力で蹴りを叩き込む。文字通り横薙ぎに振るった蹴りが、テリオンとかいう奴の顔面を穿ち抜く。
思ったより手応えがあるな。
衝撃波が奴の頭から後方にブチ抜けるが、それでも体勢を立て直してくる。爪を振るい上げて反撃してくるが、さっと回避。
爪に何かしらの毒が混じっているのが見える。
「カアッ!」
更に連撃を掛けてくる。全て紙一重で回避するが、なるほど。
このまき散らされている毒にも、幻覚作用があるわけか。
「それで貴方の目的は? 今までの三体は全部違っていたけど」
「貴様は迷いが多すぎる! 偉大なる神に最も近しい御方方に招いていただいているにもかかわらず、何故路傍の小石などにかまう! そんなものにかまわなくて良いように、連中が貴様を避けるようにしてやっているというのに、どうしてその大いなる慈悲が分からぬのか!」
なるほど、この毒。
それにこの論法。
こいつの特化しているものは幻惑か。
蹴り上げて、奴の両手を跳ね上げつつ、熱槍を叩き込む。
熱槍を避けて跳び上がったテリオンだが。その先には、既にあたしがいて、踵落としを叩き込む。
地面にぶち込まれて、クレーターに突き刺さるテリオンだが、想像以上に頑強だ。さてはこの姿も幻惑か。
姿が見る間に膨れあがっていく。
全身の筋肉が盛り上がり、悪魔もどきの姿から、巨大に変わっていく。それは、真っ赤な姿。
翼と四つ足を持つ、異形のドラゴンだ。
「我は黙示録の赤き竜! 敵対者の名を持つ一人だ! その目的は、偉大なる御方の望みを叶えること! 劣等血統は、大人しく従っていればいいのだ!」
「何だかしらないけれど、劣ってない血族とやらだったら、なんで負けに負けて敗走を続けてるのかな」
「黙れっ! 偉大なる血統はその存在そのものが偉大なのだ!」
循環論法か。
ドラゴンが吐息に火を混じらせるのを見て、種拾いの戦士達がひっと小さく息を漏らすけれど。
問題ない。
こいつはただ脳を弄られているだけの、哀れな生物兵器。
今のも、明らかにおかしい。
実際、即座に熱槍を叩き込むと、巨大な赤い竜の後方で爆発。つまり、すり抜けたということだ。
息を吐き出すと、熱槍を連射連射連射。弾幕として、竜に叩き込んでやる。普通だったら効き目が薄いかも知れないが、此奴は見かけ倒しだ。赤い竜がそのまま歪んで、姿が薄れる。
やはり竜の姿は幻覚。
だとすると、本体が別にいる。
そしてこの手の輩がやることは決まっている。
踏み込むと同時に、跳躍。
あたしの背中を、えぐい形をした刃がついた槍が、一瞬遅れればえぐっていただろう。奴は完全な姿隠蔽をしているが、その瞬間。さっきと同じく気配が漏れていた。即座に熱槍を叩き込むが、手応えが浅い。
というか、なるほど。
そういうことか。
「熱までもかき消して姿を隠蔽するか。 面白い魔術だね」
「……」
いや、魔術では無くて技術かも知れない。
着地すると、だけれどもあたしは全速力で突貫する。もう位置は分かった。驚愕したように、奴は槍を繰り出してくるが。
槍そのものの破壊力は、別にどうって事もない。東の地で見た侍衆の技の方が、なんぼでも優れている。
勿論毒くらい塗っているだろうが。
残像を抉らせて。
あたしはドロップキックを叩き込んでいた。
吹っ飛ぶそれ。
どうやら、姿の隠蔽を維持できなくなったようだった。
全身に分厚い装甲みたいなのを貼り付けている。
それが幾つか砕けていた。
熱槍と、今の蹴りによるダメージの結果だ。
あたしは息を吐き出すと、前に出る。
他と殆ど変わらない悪魔もどきの姿をさらしたテリオンとやらが、バカなと叫び続けている。
とっくにドラゴンの姿は、消え去っていた。
「こ、このオプティカルカモフラージュは現在の神々であられる御方方が作りあげたものだぞ! いくら招かれしものといえども、こんな短時間で見破れる筈がない!」
「どんなにテクノロジーが優れていても使い手がへっぽこだったら破りようはいくらでもあるんだよ。 優れた武器防具は使い手を選ぶ。 貴方は選ばれていないって事だね」
「ば、ばかな! あり得ぬ!」
種を明かすと。
最初の動揺で姿をさらしたときと同じだ。
こいつは戦士としてはそこまで力を練れていない。
だから攻撃時に隙が出来るし。
殺ったと考えると、それで露骨に気が緩む。
気配を察するというのは感覚で相手のことを察知するだけの事で、実際に気なんてものは漏れてはいないのだが。
要するに五感で察知できるレベルで、此奴がポカをやらかしていると言うだけの事である。
「貴方のご主人達も同じ。 へっぽこだから使いこなせなかった。 技術についても、本当は教わったものを代々回りくどいやり方で伝えて、それで劣化させていったんでしょうに」
「わ、我らが主を冒涜するか! 劣等血統の分際で!」
「「劣等血統」に今敗れようとしている貴方たちの方が、よっぽど劣等なんじゃないのかな。 このエセドラゴンもどき」
「フィー!」
フィーが怒っているのが分かる。
ドラゴンなんて気配もない。
それなのに。
そういう怒りだろう。
最悪の事態と言える、ドラゴンの生物兵器が出てくる事態は避けられたと言えるが。それでもまずは此奴を倒さないと危ない。
彼方此方で目撃されていたドラゴンは、此奴による何かしらの幻術だったのは確かだろうし。
それが人心を惑わすことこの上ない。
しかしどうしてあたし達には効かなかった。
それも解析しなければならなかった。
「こ、こうなったら!」
「させるか」
何かしようとしたテリオンが、あたしに気付く。
恐怖に顔が歪む。
こいつ、他の三体に比べて随分と人間っぽいな。悪い意味で。
洗脳が浅いのだろうか。
いずれにしても、材料が人間であろうが容赦はしない。
ゼロ距離から、拳を叩き込む。熱槍に転換していない熱ごとだ。
ふっとぶテリオンが、悲鳴を上げて転がる。
熱い熱いと喚いているが。
此奴が今までもてあそんで来た人達は、もっと苦しみながら死んだだろうと思うと、同情など微塵も湧かない。
はいずって逃げようとするテリオンの背中を踏みつけると。
踏んだ状態のまま、全力の蹴りを叩き込む。
辺りの地盤が砕ける。
そういう技だ。
密着状態から筋肉と骨だけ利用して、全パワーを相手に叩き込む。勿論ゼロ距離だから防ぎようがない。
断末魔の絶叫を挙げるテリオン。
それでも、まだ動いているので、あたしは容赦なくもう一撃を叩き込み。
とどめを刺した。
周囲では乱戦が続いている。
種拾いの戦士達が心配だからである。
絶命したテリオンの首を念の為に熱の刃で刎ねる。死んだふりをして逃げるような事をされても困るからだ。
テリオンが倒れると、殺到してきていた魔物が、不意に統制を失った。
もともとパティとリラさんが大車輪の活躍をしていたが、それが決定打になる。
あとは不利を悟った魔物が逃げだそうとする所を。
種拾いの戦士達と一緒に、背中から追い討ち、殲滅するだけだった。
港町に凱旋する。
種拾いの戦士達が、見たと叫んでいた。
ドラゴンはまやかしだった。
悪魔みたいな姿をした魔物が、ドラゴンの幻覚を作り出していただけだったんだ。
そう叫ぶ戦士達が、港の人々に熱弁している。
そして、あたしが回収してきたテリオンの首が泣き別れになった死骸を見て、港町の人々がおののく。
こんなイメージにある悪魔そのものの姿を見れば、それは怖いに決まっている。
このネメド近辺は、兎に角因習が濃い土地なのだ。
信仰はまだまだ現役だし。
それは皆が怖れるのも、無理がない話だと言えるだろう。
パティもリラさんも、殆ど怪我はしていない。
テリオンが直衛として大した奴を連れて来ていなかったのが救いだった。或いはテリオンは、戦闘向きでは無い個体だったのかも知れない。
今まで倒して来た三体は、相応の戦闘力を有していたが。
此奴は幻惑を主体にする支援型だったのだろう。
皆に声を掛けて、一旦アトリエに戻る。
アトリエでテリオンのしがいを見せて、それで皆に説明すると、タオが挙手していた。
「確かにそのテリオンという悪魔に似た魔物が、幻惑のスペシャリストだったのは事実だと思う。 でも、幾つか説明できない事があるよ」
「うん。 フォウレの里他で目撃されたドラゴンだよね」
「そう。 同時間帯に目撃されているし。 このテリオンが、彼方此方の里に出向いてきていたとは思えないんだ」
「恐らく……あの城が何か仕掛けがあるんだろうと思う」
皆が一気に緊張する。
あたしだけで倒せる程度の悪魔もどきなんて、別に大した脅威では無い。少なくともこの面子にとってはだ。
だが、超ド級やフェンリルなどの強力な魔物は話が別だ。
空間操作や時間操作までする奴がいたし、何よりも連中は生物兵器。思考は必要ないから、ただ番犬などとして、要地を守れば良い。
たまにそれらのルールから外れた個体もいるようだが。
神代のテクノロジーで御しきれなかった、ということだと判断して良いだろう。
つまり微塵も油断は出来ないと言う事だ。
それに、ドラゴンは幻覚だったようだが、本当だろうか。
テリオンが幻惑していたのと別のドラゴンがいないだろうか。
実は、聴取の段階で情報が出ている。
今回目撃されているのは、禁足地にいると言われる奴とは違うと。
年老いた元種拾いの老人の話なのだが。
前に禁足地上空を飛んでいるドラゴンを見たが、それは翼と前足が一体化している、一般的なドラゴンだったというのだ。
この地でも信仰と畏怖の対象であるドラゴンは、基本的にその姿である。
だったらやはりテリオンは、何かしらのいにしえの信仰に沿って、あの幻覚を作り出した可能性があるし。
何より奴が根城にしていただろう神代の遺跡には、その幻覚を広範囲に展開する仕掛けがあっても不思議では無い。
よく淫祠邪教などというが。
そういった幻覚を用いれば、だませる人間は簡単にやれる。
実際今回も、近辺の集落の人達は、簡単にパニックを起こしかけたのだから。
「俺、験者様に悪魔もどきの話と、多分禁足地にある城の仕掛けが利用されたってライザ姉の説は話してくるよ」
「まだ仮説だよ」
「分かってる! 確定させるために調べるんだよな!」
ディアンはどんどん賢くなってるな。
とても好ましい事だと思う。
ともかく、これで少しだけ問題は片付いたが、本番はこれからだ。
あんな勘違い悪魔もどきなんて大した事じゃない。
まずは、奴の死体をエーテルに溶かして、分析。オプティカルカモフラージュとやらをやっていたらしい装置も解析する。
ディアンが戻ってくる前に、まず死体の解析は終わった。
やはり人間をベースにして、複数の魔物を素材にしているようだ。反吐が出る。
今回はかなり綺麗な死体を持ち帰れたので、溶かしてみるとよりよく分かる。
脳を弄って、洗脳していた事が。
とにかく主君に対する忠義を絶対と仕込んでいる。
これは恐らくだが、あの東の地で感応夢に出て来たタームラさんの事件があったからなのだろう。
寿命で縛れないなら、頭を縛って言う事を聞かせる。
そういう思考にゲスどもが行き着いたのは、別に不思議な話だとはあたしには思えなかった。
オプティカルカモフラージュの装甲も調べる。
あたしの攻撃に再三耐えたのだ。とどめになったのもゼロ距離からの蹴りだったし、装甲そのものだけなら耐えていた。あたしは内部の肉を砕いたのであって、装甲を砕いた訳ではない。
調べて見ると、実に十層にも達する複雑な装甲で、衝撃だけでは無く、熱も魔術も、毒なども全て吸収する仕組みだ。これを貫通して攻撃が通ったのは、あたしも腕を上げて来たということか。
それだけじゃない。
どうも光も音も吸収する仕組みになっているようだ。
なるほど、それで。
光も音も出さなければ、奴の動きは分からない。ただ非常に複雑な素材を用いている。これは簡単には作れなかっただろう。
実際他の悪魔もどきは装備していなかったのだから。
「これはかなりの高級装備だね。 魔術も熱も音も毒も、光さえ吸収する仕組みになってる」
「そんなものを良く撃ち破れたな」
「此奴がへっぽこだったからだよ」
あたしはしがいを一瞥する。
テリオンの末路は、此奴に自分達を神だと洗脳して思い込ませた奴らと同じだ。連中は自分の力を過信してオーレン族に一敗地にまみれた。
結局、カス野郎はどこまでいってもカスか。そもそも技術の根幹点だって神代の錬金術師ではなかったようだし。
そう考えてみると、この先には、更におぞましい事実があるのかも知れない。
だが、確かめなければならない。
確かめないと、この世界は。何度でも神代を迎え。そして冬の時代だって、何度でも来てもおかしくない。
その時には人間が滅びるだけでは済まないだろう。
手を叩いて、皆の注目を集める。
明日から、本格的に城の攻略に入る。
そう告げると、皆が緊張するのが分かった。数千のアーミーを壊滅させた相手だ。油断なんて、出来ようもなかった。
2、幻惑の城
ドラゴンの幻覚は、禁足地にある城から発せられていた。
それがはっきりして、ようやくフォウレの里や周辺は落ち着いていた。あの悪魔もどきの死体を見て、一番ショックを受けたのはフォウレの里の老人衆だった。取り乱すものや、古い呪いを唱えて神に許しを請う者も多かった。
験者はそれらを見て、悲しそうにしていた。
恐怖がその者達の原動力であり。
あくまでお気持ちで動いていて、人命すらそれに優先すると思い込んでしまっている。それが悲しくてならないのだろう。
出来るだけ決着は急がないとまずい。
そもそもディアンが提案してくれた墓の問題だってある。
引っ越し先は、以前の逗留の際に、あたし達でどうにかした。だから、里の人間だけでどうにでも出来る筈だ。
それよりも里の聖地である禁足地の城と、更には密林の中の墓場。
これを早急にどうにかしなければならないのだ。
禁足地は昨日よりも格段に楽に進める。常に警戒しているのは、悪魔もどきがいなくなった結果、守備の魔物の統制が外れている可能性があるからだ。
錯乱して城を出て来て、麓を襲ったりしたらどれだけ被害が出るかわかったものではない。
特に超ド級なんか、単騎でこの地方の人間を簡単に殺し尽くすだろう。
密林にそんなのが三体もいたという時点で、この地方の異常さが良く分かるというものである。
急勾配を上がり、危険な崖を行く。
兎に角奇襲に注意を告げながら、道を進み。午前中には、七百年前だかのアーミーが駐屯していた場所に出た。
この辺りも後で何かないか調べておきたいが。
優先度は城に劣る。
まずは、城の外で探査魔術を展開する。
ふむ、なるほど。
どうやら、内部の魔物は存在を隠すつもりがないらしい。
フェンリルが二体はいる。一体ずつはそれぞれ離れているが、既にこの地点で、相手がこっちに敵意を向けているのが分かる。
彼奴らは危険な魔物だ。
今までの二度の交戦でも、どっちでも死者が出てもおかしくは無かった。
だからさっさと各個撃破する。
幸い超ド級の姿はないようだが、城の内部には神代鎧がかなりいるようである。今までにない数だ。
これは厄介だ。
超ド級の随伴にいるよりはマシだが、フェンリルと同時に相手にするのは避けたい。
それどころか、かなり大きな神代鎧の気配もある。
それはいるよな。
今まで遭遇しなかったのがおかしいくらいだ。
神代以降の時代には、その模倣品がどんどん劣化しつつ作られたようだが。
その中には、巨人みたいな大きさのが少なくない数いたのである。
だとしたら、いても不思議では無いだろう。
ともかくこの三体が排除すべき相手。
ついでに城のシステムもだろう。
ドラゴンはどうだろう。
ちょっと今の時点ではなんとも言えないが。ただ、城の奧には何かしら深い縦穴があるようである。
タオが、ざっと探査魔術の結果から、地図を作る。
城は空中回廊みたいなのがお洒落に作られていて、要塞なのだろうが……なんというか不思議な場所だ。
或いは技術を誇示したかったのかも知れない。
神代がやりそうなことだ。
「この回廊で神代鎧と戦うのはありだけれども、ライザ、レント、特に気を付けてね」
「相手を引きずり出して交戦しようよ。 相手の庭で戦うよりもそっちのが絶対に良いよ」
「出来れば良いんだけれどね……」
軽く話をして、方針を決める。
そして、まずはクリフォードさんが城門を潜り。
早速歓迎を受けた。
さがれ。
クリフォードさんが叫ぶと同時に、多数の投擲槍が飛んでくる。さっと城門から離れ、さがる。
避けきれないものは、パリィの名手であるレントが弾き返した。
それでも、えぐい火花が散る。
こっちは改良を続けているグランツオルゲン主体の刃なんだが。
わっと出てくる神代鎧。数は少なくない。
此奴らは、探知魔術に引っ掛からなかった。つまり、あのオプティカルカモフラージュだとかが城全域に張り巡らされている可能性が高い。
そんな必要性は感じられない事から考えて。
やっぱり技術を誇示したいのだろう。
ハイチタニウムの研究者が低い地位に留め置かれたという話もある。技術の高さ=価値があるものとされていた。それが神代の事実だったのだろう。
その高い技術も、ブラックボックスをたくさん抱えていた上に。
回りくどいやり方で継承していくうちに、どんどん劣化していったと。
そんな事をしていた連中が、何が劣等血統だのと、他人を馬鹿にしていたのか。愚かしすぎて言葉もない。
乱戦が始まる。
神代鎧は何度も何度もやりあってきたが、基本的に簡単に倒せる相手では無い。動きが分かっていても、達人そのものだからだ。
しかも今回は数が多い。
この地に攻め寄せた七百年前のアーミーが、此奴らにいいように蹂躙されたのは、なんとなく分かる。
城門からさがりつつ、相手を迎え撃つ。
それは相手の陣列を伸ばす為もあるが。
城門の外に展開する事で、投げ槍による支援を防ぎつつ、相手を半包囲するためだ。
これだけの性能である。
生半可な人間だったら、相手にもならないだろう。
事実数千のアーミーが蹴散らされたのだ。
だがこっちは十人ちょっとでも、「生半可な人間」ではない。
覚悟して貰おう。
魔術は効きにくいが、それでも熱そのものは通る。乱戦の中、蹴りや拳と一緒に、大熱量を叩き込んでやる。
ハイチタニウムでも熱で劣化はするし。
その瞬間砕けば、簡単には再生出来ない。
神代鎧との初遭遇時は大苦戦してた皆も、今は其処までの衝撃は受けていない。激しい戦いの中次々負傷者は出るが、その都度下げて、すぐにあたしが治療する。
ディアンが一体を放り投げ、それが壁にぶつかってぐしゃっと潰れた。
だが、次の瞬間袈裟に斬られる。
吐血するのを見て、まずいと思ったが。
すぐにレントがカバーに入り、連続して二体の神代鎧を大剣の一撃で薙ぎ払う。壊されても半端な破壊ではすぐに再生してくるが、それでも時間は稼げる。
ディアンを引きずって戻り、薬をねじ込む。
かなり危険な状態だが、この薬の回復量はそれを凌ぐ。
フェデリーカに迫る神代鎧を、クラウディアの矢が側面から貫くのが見えた。フェデリーカも、鉄扇で神代鎧を弾き返す。凄い金属音がぶつかり合うが、少なくとも吹っ飛んだのは神代鎧だった。
「ぐ、ううっ!」
「少し休んでいなさい。 しっかし数が多い!」
「まだ増援来るよ!」
「想定よりだいぶ多いようだのう」
飛来した多数の投擲槍を、カラさんが何かの魔術で防ぐ。
不意に空中で静止した投擲槍が、ばらばらと地面に落ちた。あれは、投擲槍の運動する力を前後左右に散らしたのか。凄い魔術だが、そう何度も使えないだろう。
即座にクリフォードさんがブーメランを放ち、次の槍を投擲しようとしている神代鎧を襲う。
あたしがさがってと皆に叫ぶと、爆弾を投擲。
ラヴィネージュの極悪な冷気が、城門付近に集まってきていた神代鎧を、まとめて氷漬けにする。
こいつは更に範囲を絞り、代わりに範囲内の神代鎧を絶対に機能停止させるように組んだ品だ。
あたしだってどんどん爆弾を改良しているのである。
それで、数の差が逆転。
氷の塊に阻まれた神代鎧の援軍も、その場で動けなくなる。後は数にものを言わせて押し潰す。
氷が溶けた頃には、既に分断し突出していた神代鎧は全滅していた。
負傷者がかなり出ている。タオも右手首から先を切りおとされていたので、すぐに薬でつなぐ。
リラさんも右目を抉るように切り裂かれていたので、すぐに薬を入れる。
普通だったら治りようがないが。
あたしの今の薬は神薬そのもの。
これで治る。
ただし体力まではそうもいかない。栄養剤を飲んで貰って、体勢を立て直して貰う。クラウディアが警告してくる。
「まだ来る……!」
「一度さがろう」
「ああ、これだけ減らせば第一次攻撃としては充分だ」
凍らせた分も含めて、五十体は行動不能にした。それでもまだまだ敵には余力があるようだ。
これはいわゆる攻城戦だな。
人間同士の戦争があった頃、要塞化している町や、要塞そのものを落とすために、色々な手段が用いられた。
この地でも、フォウレの里の先祖を、神代が攻めた跡が残っている。
一旦、駐屯地の辺りまでさがる。
敵は追撃してこなかった。
全員の手傷を回復させたあと、第二次攻撃に移る。城門付近でラヴィネージュに巻き込んだ神代鎧は、もう完全に動かなくなっている。
これは好機だ。
あれだけあれば、ひょっとすると稼働の仕組みを解析できるものがあるかも知れない。
問題は、まだまだ神代鎧がいて、戦う気が満々だと言う事だ。
これは数千のアーミーが蹴散らされるわけだ。
彼奴ら一体だけでも、達人級の戦士に匹敵する動きが出来て、魔術も殆ど効かないのである。
更に装備している剣も槍も極めて鋭利で破壊力も大きい。
時代が降ったアーミーの配備していた幽霊鎧やゴーレムでは、手も足も出なかっただろう。
この城は、まだまだ生きている。
防御システムが、と言う意味でである。
他の遺跡は、守りを固める必要を感じなかったのだとみて良いが。
しかし、どうしてこの城はこうも兵力を配備しているのか。
いずれにしても、此処に不用意に誰かが足を踏み入れたら、まず生きて帰る事はできないだろう。
そうならないように、駆除を進めなければならないのだ。
クラウディアが、まずは矢を連続して叩き込む。
さっき倒し切れなかった神代鎧も含め、わっと押し出してくる。それなりの数がいるが、今回は準備済。
地雷として、アストローズを敷設しておいたのだ。
次の瞬間、押し出してきた神代鎧達が、文字通り地面の下から消し飛ばされていた。こっちも熱量を調節して、範囲内の相手は絶対に焼き潰せるようにしたのである。成果が出ている。
それでも、攻撃から逃れた奴が来る。
レントとタオ、ボオスとリラさんが、それらに殺到。
更にパティとあたしが、後衛の投擲槍部隊に向かう。
フェデリーカを狙わせるとまずい。
ディアンは負傷がひどいので、フェデリーカの防御に回って貰う。
前衛が敵の突撃を受け止めると。
中衛を含めての乱戦が始まる。
セリさんがけしかけた食虫植物を、神代鎧が瞬時に斬り伏せるのを見ると、流石と言う他無い。
これくらいの魔術の使い手は、七百年前のアーミーにいたのかも知れない。オーレン族の戦士はみんな優秀だが、それでも人間と絶対的な差があるわけではないのだ。
だが、それでも黙っていないのはセリさんも同じだ。
覇王樹を立て続けに生やして、相手の進軍を邪魔する。
その間に、各個撃破を続けるのを横目に、あたしとパティは敵後衛の至近に躍り出ていた。
即座に狙いをこっちに切り替えようとする神代鎧を、パティが立て続けに三体斬り捨てる。
凄まじい手際だが、やっぱり人間と同じようには殺せない。
だからあたしがとどめを刺す。
全て蹴り砕いて、構造体を完全破壊する。今のあたしには、それだけの蹴りを放てる力がある。
後ろ。
回り込んでいた神代鎧。
総毛立つ程の鋭利な剣筋。
切り上げてくる。
伏せて回避。だが髪の毛を数本散らされる。
跳びさがるが、追いついてくる。立て続けの連撃。ざっくり腹から胸に掛けて斬られたと思ったが、浅い。
いや、改良した服の効果だ。
ハイチタニウムの鋭利な刃の攻撃を、受け流したとはいえ防いだか。
逆に、その隙を突いて、あたしは奴の手を蹴り上げて、剣を空中に投げ出させ。立て続けの蹴りを胴体に叩き込む。
ぼっと、奴の体の中枢が消し飛ぶように砕けた。
かなり危なかった。それだけあたしも、渾身で蹴りを入れていたと言うことだ。
乱戦が収束しつつある。
おびき出した神代鎧は、あらかた片付いたが。しかし、疲弊も激しい。アーミーの駐屯地まで戻り、交代で見張りを立てながら休憩を入れる。
敵は今の時点ではまだ様子見のつもりだろう。
これはまだまだ兵力を出し惜しみしているし、なんならこっちの戦力を計っているとみて良い。
危険だ。あの城、幻覚を出すシステムだけじゃない。
今までとは全く別次元に、神代鎧を制御する仕組みと。狡猾な戦術を使う仕組みがあるのではないのか。
その上まだフェンリルと巨大神代鎧も控えている。
これは、ちょっと一日二日では攻略できないな。
あたしもそれを悟って、苦笑いせざるを得なかった。
食事と休憩を済ませてから、一旦倒した神代鎧の残骸を回収しておく。神代鎧は城から出てこない。
出て戦うのは不利と判断したか。
しかし、城の中には恐らくまだまだわんさかいるとみて良い。
城門近くで、ラヴィネージュで機能停止させた神代鎧の残骸も回収しておく。稼働させるための仕組みが生きている残骸があるといいのだが。
とにかく破片が鋭利なので気を付ける。
そして、回収した残骸を運んで、アトリエにピストン輸送する。
二度の会戦に勝利はしたが。
今日はそこまでしか進めなかった。
アトリエに神代鎧の残骸を回収、調査する。今までより綺麗に残った神代鎧の残骸である。調べて行くと、それなりに意味があった。
まず此奴らの残骸だが、内部構造はやはりコアから接続されている。今までは徹底的に破壊しなければならなかったし。何より機能停止すると、それらの仕組みも自壊するように設定されていたようなのだ。
今回のラヴィネージュで、はじめて瞬間的な冷却かつ、相手の構造を破壊しない機能停止が出来た。
これは大きな成果だと言えるだろう。
そして、注意深く調べて行くと。
なるほど。
仕組みが分かってきた。
「こんなにちいさなものだったんだ……」
「うん? どういうこと?」
「見てクラウディア」
エーテル内で再構築して取りだして見せたのは、小指の爪ほどもないちいさな部品である。
しかも神代鎧の装甲の中に埋まっていた。
これが、神代鎧を動かしていた中核部品だ。
「これが神代鎧の頭だよ」
「こんなに小さいの!」
「うん。 ただこの部品、量産品なんだよね。 錬金術というよりも、テクノロジーで生産されたものなのかも」
これは恐らくだが、工場で量産されたものだ。
調べて見ると、まだ完全ではないのだが、それでも分かってくる。
この中には、自動で判断する仕組みがあるのだ。
強いていうなら、作った知能とでも言うべきか。
「神代鎧はこれに命令されて動いていたんだ。 達人並みの動きも、それがみんな同じなのも納得。 これは量産されていて、神代鎧に埋め込まれていた。 神代鎧そのものが量産型兵器だからね……」
「こんなちいさな頭脳が、あれだけの動きを生み出せるとは」
「多分これ、神代の錬金術師が自分で作り出した技術じゃないよ。 例のブラックボックスじゃないの」
「可能性はあるね」
タオも、修復して見せた部品を見て、うんうんと頷く。
ボオスは、別方向に興味を持ったようだった。
「それをまとめて動かないようにはできないのか」
「出来るとは思うけれど、解析に時間が掛かるよ。 というか、これ、時々見かける光学コンソールと同等か、それ以上の情報量が詰め込まれているんだ」
「おいおい、尋常じゃねえな……」
「或いは世界を最初に焼き滅ぼした「冬」を引き起こした、混沌の時代から伝わったものだったりしてね」
世界の最小単位を熱変換する、か。
あたしもその話を聞いてちょっと試してみたのだ。
やれないことはない。
だが、その過程でとんでもない毒素が周囲に放出されるわ、発生する熱量が人間が制御出来る代物ではないわと、すぐに使って良いものではない事が分かった。ほんの僅かな量を熱変換しただけで、人間を殺し尽くすどころか、この世界を消し飛ばす事が可能だろう。
あたしはわずか一個だけ最小単位を熱変換して、その結果を見てそう判断したほどである。
神代はこれをやらなかったのか。
或いは、再現出来なかっただけの可能性もあるが。
「とにかく、一歩前進だ。 回収した神代鎧の材料だって、貴重なんだろ」
「そうだね。 これだけの数は再生産はできないだろうね。 明日も様子を見ながら、削って行くしかない」
「しんどいなあ。 未だに結構大きめの傷貰うんだよね……」
タオがぼやく。
事実、手首から切りおとされたのである。
油断すれば首だって飛ばされるだろう。
それくらい危険な相手なのだから。
それと、先に皆に報告しておく。
今配備している服。
これで受け流す事を意識すれば、ハイチタニウムの剣撃を防げると。
皆驚く。
そしてあたしは、皆に装備を配る。
例えばリラさんはどうしようもないが、今まで指を飛ばされたパティには手袋を。腕を飛ばされたタオには腕輪を。それぞれ作って渡しておく。
これらで受け流す事を意識して欲しいと告げる。
事実あたしは、受け流す事で耐え抜いたのだから。
ほらと、腹から服をめくって見せてあげる。
薬を入れていないのに、傷はできていない。まあ打撲傷はあったが、それならもう治したし。
「ライザ、頼むから恥じらいを持って!」
「なんでクラウディアが真っ赤になってるの」
「いいから!」
クラウディアが泣きそうになっているので、あたしはしぶしぶ服を降ろす。
今更子供を作るつもりもないし、そもそもできないだろうし。別に気にしなくてもいいと思うのだが。
ともかく、それで皆に服を配備。
また、当世具足もこれで強化改良しておく。
これによって、鎧が。
今までは存在する意味がなかった鎧が、大きな意味を持ってくる。パティの胸当てにも、改良を施しておく。
この胸当ては国宝級だから、まあ気を付けなければならないが。
同じ国宝でも、やはり百戦を乗り切れるものの方が良いだろう。
「リラさんはどうしましょうか」
「腕輪と足輪を頼む。 それぞれでガードすることを意識できれば、あの人形共との戦いがかなり楽になる」
「了解。 ディアンはどうする?」
「俺はおっきいの貰っちまうしなあ、回避は苦手だよ……」
悲しげに言うディアン。
どうしても体力と頑強さで押すから、ああいう相手は苦手か。魔物の攻撃は結構避けられているのだけれども。
少し考えてから、靴を作る。
ディアン用に戦闘用の靴は作っておきたかったのだが。それの改良型だ。
これは更に速度を上げる靴で、ディアン特有の身のこなしを更に強化する。それだけではなく、頭の回転も早くする。
ディアンは決して頭が悪い訳では無い。戦闘適性の高さを見ていても分かるが、戦闘に頭を割り振っているだけだ。
ただ攻めは得意でも回避は苦手なようだから、弱点を補完する。他の皆はできるだろう受け流しが、どうしてもできないだろうし。
それで、多少は回避が得意になる筈だ。
下手をすると、今後は擦っただけで死ぬような局面にディアンが晒される。今までは、火力とパワーでのフィニッシャーとしての役割が期待されていたが。
それでも、ある程度は避ける事が前衛の条件になる。
頑丈なのは良い事なのだが。
それでも、避けられる攻撃は避けるべきであろうから。
それを説明すると、素直にディアンは分かったと言ってくれる。それと少し考えてから、パティとリラさんに後で回避を教えてくれと頼んでいた。この辺り、ディアンが元悪童ではあっても真面目だと思える所だ。元悪童と言う点ではあたしと同じとも言える。
ちょっとおかしくなってくすくすと笑ってしまったが、まあそれはいい。
明日も苛烈な戦いになる。
準備をしっかりして、仕掛けないといけない。
あのテリオンが作り出したドラゴンは偽物だったが、その仕組みもまだちょっと分かっていないし。
遺跡そのものに、あの幻覚を作り出す仕組みがあったりしたら、また面倒な事になりかねないのだから。
3、赤狼
呼吸を整えながら、最後に掛かって来た神代鎧を踏み砕く。これで、再生も不可能な筈だ。
城に入って、敵を引きずり出して、叩いて。
回復して、そしてまた敵を誘引する。
城そのものには、分厚い扉や罠はない。これは今までの遺跡にも共通している事だ。
或いはだけれども、用意してある防備だけで充分と神代の者達は考えていたのかも知れない。
複雑な城というのは、攻めこまれる事が前提になっているのだとタオに聞いた。
大きく育った国家の中枢にある都市は、要塞としての機能は一旦廃棄して、生活をしやすいように建築しなおす例もあるとか。
また、首都を一から作る場合もあるらしい。
いずれも古代クリント王国以前に割拠していた様々な国の記録らしい。ここ一年で更に読める本が増えたので、それらを読んで片っ端から知識にしていたのだそうだ。
もうタオは下手な図書館よりも頭の中身が凄いのだろうな。
ただ、神代以前の時代は、それもまだニワカの部類に入ってしまうかも知れない。
技術に罪は無い。
失われた技術を作り直すには、長い年月が掛かる。
そしてこの世界は、もうもたついている余裕もないのかも知れないし。
散々弄んだ挙げ句に廃棄するようでは、人間に今度こそこれ以上ない罰が降るだろうとも思う。
点呼をかける。
流石に疲弊が酷い。フェデリーカが寝かされて、治療されている。神代鎧に接近されて、間一髪で首を刎ねられかけたのだ。
まだフェデリーカの技量で神代鎧相手の接近戦は無謀だ。ただ、フェデリーカは死ななかった。元々皆に強力な強化効果を入れるための支援役だ。近接戦闘で必ずしも強い必要は無い。それでも弱点を克服しようとしているのだから、責めるつもりもない。
粗い呼吸と、周囲に飛び散った大量の血。傷が如何に深かったのかが分かる。
今日は一旦切り上げるか。
そう判断して、城から距離を取ることにするが。
あたしが城から飛び退くのと、凄まじい雄叫びが聞こえたのは殆ど同時だった。
びりびり来る。
「ライザ姉! やべえのがこっちを認識してる!」
「……一旦離れよう。 フェデリーカを担いで」
やり合うにしても、ちょっとコンディションが悪い。ただし、追撃してくるようだったらむしろ好機だ。
一度離れて、治療に専念。
クラウディアもその辺りは理解しているようで、早期警戒に当たってくれる。皆の治療をしてから、まだ強烈な気配が威圧しているのを肌で感じて。あたしは舌なめずりしていた。
やるなら、まあやるしかないだろう。
だけれども、相手が引いた。
外に引きずり出されると不利と判断したのだろう。縄張りでの戦闘を選んだ、と言う訳か。
かなり賢い相手だ。
フェンリルは、どうやら古い神話だと神殺しの狼らしいし。そういう意味では、凡百の魔物ではないし。生物兵器としても特別に強力に作られている。
無言で帰路につく。
まだまだ力が足りないな。
分かってはいる事だが。
それでも、どうしても力を求めてしまう。
途中から、フェデリーカは自分で歩く。
パティが慰めていた。
「フェデリーカ、流石にあれを相手に接近戦は挑まなくても大丈夫です。 少しずつ技量は上がっているのだから、無理をせずに。 貴方は皆を強化して、役に立ってくれています」
「そうだぜ。 いつもより俺も軽く早く動ける!」
ディアンの言葉にも偽りは無い。
分かっていますと、力無く返すフェデリーカ。
うん。
やっぱり嗜虐心がそそられる。
でも、何もしてはいけない。
フェデリーカ自身が更に試行錯誤して、自分なりの強さに自信をもったときこそ。
この可憐な舞いの花は開くのだ。
それをつぼみの段階で手折ってはいけないのだ。
アトリエに戻り、軽く話をする。
かなり神代鎧は減らしたが、フェンリルがいる。あの気配はフェンリルとみて良さそうである。
そして相手のテリトリでの戦闘は避けられないだろう。
しかも城には二体のフェンリルがいる。同時戦闘は絶対に避けなければならない。
そう考えると、明日の戦いは全力で、なおかつ万全でいく必要があると見て良さそうである。
皆の装備の調整をさせて貰う。
クリフォードさんのブーメランも見せてもらった。かなり使い込んでいて、手入れもいい。
ただ、エーテルに溶かしてみると、傷んでいる事が分かる。
あれだけアクロバティックに戦って、縦横無尽に振るわれているのである。それは傷んで当然だ。
「強化しますよ」
「頼むぜ。 ただ、ちょっと試運転がいるけどな」
「勿論、気が済むまで調整します」
補填だけではない。
重さ、重量のバランス、変わらない様にして。木の成分は木の成分で。要所に入っている金属を置換して重さを変えず。更に強化魔術も色々と追加で刻んでおく。
手入れを終えてから、クリフォードさんに渡して、外で使って貰う。すぐに細かい注文が飛んできたので、微調整。
やっぱりブーメランの操作が固有魔術なだけあって、本当に細かい所までこだわっている。
だからこそ、ブーメランを用いて自在な空中殺法が繰り出せるのだとも言える。
レントの大剣も、久しぶりに手入れする。
とにかく前衛で猛烈な攻勢を支えるいわゆるタンクだ。大剣は大威力の斬撃を繰り出すと同時に、多数の敵の猛攻を捌くための盾にもなる。
その過程で、グランツオルゲンを主体にしていても傷む。
手を入れて、グランツオルゲンの成分も、現状で最適化しているものと切り替えておく。グランツオルゲンは、これだけ色々なサンプルとしてのセプトリエンを得て、それで調整を続けても、まだ先があるように思う。
特に今手に入れている最高品質の、ベヒィモスの体内から出て来たセプトリエンは、まだ持て余し気味だ。
これをベースにともいかないのが難しい所で、更に研究を進めないと、この超魔力の結晶体はまだまだ解明が遠い。
それに、思うのだ。
最適なセプトリエンを神代で作れていたとは思えない。
これも他と同じ、ブラックボックス技術だったのではあるまいか。
大剣の調整終わり。
レントもすぐに外に出て、素振りを始める。
あの城には、巨大な神代鎧の気配もあることがわかっている。いずれにしても、油断は出来ない。
彼処は神代鎧が出て、更には七百年前のアーミーが一蹴されたことからも確定だが、神代の前線基地とみて良い。
恐らくフォウレの里の人間を追い出すために作られたものだったのだろう。
超ド級の精製施設は東の地にしかないという資料もあった。神代はそれなりに続いたから、後に他でも作られた可能性はあるが。ただフォウレの里を攻撃するために作られた拠点だとすると、恐らく超ド級の精製施設はない。神代鎧の精製施設はある可能性があるが。だとすると、むしろ其処が狙い目になるかも知れない。
神代の錬金術師は、階級が明確にあって。神代鎧を作っていた錬金術師は、位階が明確に下だった。
更に言うと、血統絶対主義を敷いていた以上、どれだけ仕事をしても下剋上はできなかっただろう。
これらが既に分かっている以上。
もしもそれが隙になるなら、突いていきたい所だ。
他の皆の装備も調整する。
それが終わった頃には、夜も更けていたので。夕食と風呂を済ませて、寝ることにする。
ディアンとフェデリーカは、パティに回避の技術をずっと習っていたようだった。リラさんはアドバイスだけして終わり。リラさんはそういう教育の仕方をする。
あたし達の時もそうだった。勿論具体的にどうすれば良いかのアドバイスをしてくれるから、「努力しろ」とだけ抜かして突き放すような輩とは違うが。
それに対して、パティは実践派だ。
とにかく基本的に、実戦形式の訓練で技術を叩き込む。
これは恐らくだけれども、パティがあのメイド長に散々技術を叩き込まれて、血反吐を吐くレベルのトレーニングをして技術を磨いてきたからなのだろう。
更に王都近郊でのあれこれで、実戦でパティはその技量を著しく短期間で挙げたという事もある。
実戦こそ力をつけるのに最高。
パティの中では、そういう結論が出ていることは、ほぼ疑いがない。
風呂から上がると、みんなもうそれぞれ眠りに入ったり、明日の準備をしていた。外でまだ訓練をしている三人に、そろそろ上がるようにと声を掛けて、後は寝ることにする。
フィーがパティを引っ張って。
それでまだ続けたそうにしていたパティも頷く。
パティはフィーに助けられた事もあって、特にフィーとは仲が良い。種族が違うだけで友達と思っているし、なんなら意思疎通もできているようだし。
寝る。
夢は、見なかった。
翌朝は、起きてから体を動かして。軽くミーティングをして。それからは、全力で禁足地の城に向かう。
別のドラゴンがいて。それが友好的とは限らないのだ。
まだドラゴン騒ぎが収まっていないし、この状態でまたドラゴンが出たらえらい騒ぎになる。
早々に問題は片付けておかないとまずいだろう。
「ライザさん、早い早い!」
「フェデリーカも着いてこれてるよ! きついなら荷車に乗る?」
ぐっと歯を食いしばって、渋面のまま全力で走るフェデリーカ。
それでいい。
走るときの必死な表情は凝視するものでもない。それに皆がついてこられるレベルで、あたしは速度を出している。
単独行動時だったら、もっと速度を出せるのだけれども。
あたしもフェンリル級の魔物に、単騎で勝てる自信はまだない。
崖に来たので、速度を落とす。
此処だけは要注意だ。
滑落に気を付けて、じっくり進む。
そして崖を抜けると、もう駐屯地跡は間近だ。そういえば、此処では資料は見つからなかったな。
多分戦いが一方的すぎて、長期戦をする事もできず。
錬金術師も早々に戦死して。
それで研究資料だのが残る事もなかったのだろう。
城門が見えてきたので、止まる。
息を整えているフェデリーカを横目に、まずは探知魔術を展開。多分待ち伏せはいないが。
カラさんが、ふむと呟く。
「いるぞ。 こっちにもう気付いておる」
「神代鎧と連携されると厄介ですが……」
「神代鎧の格納されているものについては、昨日音魔術で確認したよ。 多分もう、少なくとも城門近くに伏兵はいないかな」
「よし、じゃあやるかな」
所詮は神代の生物兵器だ。
話が通じる奴でさえ、悪魔もどきみたいな感じなのである。たまに野生化してしまうものもいるようだが。
基本的には人間の敵である。
此処からはハンドサインだ。
さっとハンドサインを出して、城に入り込む。
フェンリルは二度の戦闘で、どっちも空間魔術を、しかも超ド級に近いレベルで使いこなした。
超ド級ほどの凶悪さではなかったのは。フェンリルの体が小さめで、あれほどの物理的な破壊力を繰り出せなかったからだろう。
だがそれでも、しなやかな狼の体と。
俊敏な動きは侮れるものではない。
空間魔術は文字通り一撃必殺。密集するのは悪手だ。ある程度散開して、城の中に踏み込む。
この辺りには、回収出来ていない神代鎧の残骸が散らばっている。
まだ再生を試みているのがいたので、問答無用で踏みつぶした。
さて、来たな。
顔を上げると、いきなり其処に巨大な紅蓮の毛並みを持つ狼がいた。歯をむき出しに威嚇しているが。
あたしは、まずは話しかけてみる。
「話は通じる? タオ、神代の言葉、分かる範囲で呼びかけてみて」
「無理をいうなあ……」
こういうのも理由はある。
いきなり仕掛けてこなかったからだ。
タオが咳払いすると、神代の言葉で挨拶と、敵意はないと伝えるが。それに対して、帰ってきたのは意外にも現代の言葉だった。
喋れるのか此奴。
「この城は主のつくりしものだ。 早々に出ていけ。 これだけ散々荒らしておいて、それほど財宝が欲しいか」
「主ねえ。 世界を好き放題に無茶苦茶にして、それでもまだ欲望のまま全てを手に入れようとしている主に何の価値があるの?」
「黙れ。 混沌の時代を経て、世界を復興為されたのは主達の主だ」
「旅の人の事?」
赤いフェンリルが黙り込む。
そこまで知っているのか、という風情だ。
狼の戦闘体勢を取ったまま、ゆっくりと動くフェンリル。今まで倒した二体も、そういう余裕がある動きを見せていたが。
今までのは白銀色だったのに対して、此奴の毛並みは真っ赤だ。
まるで血でも浴びたかのよう。
そういう威圧的なデザインであるのだろうが。
「旅の人と他の神代の錬金術師の間には謎が深い。 旅の人は、ひょっとして邪魔になって始末されたんじゃないのかな」
「なんだと……」
「一度でも旅の人を貴方は見た?」
「見た! 我の主こそ、旅の人だからだ!」
ハンドサイン。
手を出すなと言う指示だ。
これは、話をできるだけ聞き出さないとまずい。あたしは咳払いすると、両手を拡げて見せる。
「無手を示すよ。 こっちも旅の人については調査中なんだ。 話を聞かせてくれるかな」
「この城を荒らすな!」
「この城を作ったのは旅の人? その弟子か、その子孫じゃないの?」
図星か。
そもそも百年続いた「冬」のあと、人間は文明を実質的に失っていたようだ。それから千年程度で、滅茶苦茶になった世界で復興できるとも思えない。
旅の人と言う存在は、余程の特異点だったのだ。
或いは神様だった可能性さえある。
そんな神様がいたとして。
世界を焼き滅ぼしたような人間とか言う存在に、慈悲を注ぐのは溺愛もいいところだろうと思うが。
「旅の人は何者? 神代が始まったのは、三千年ほど前と認識してる。 それから千三百年前にオーリムに侵略を開始するまでに、何があったの?」
「教えてやる必要などは無い!」
「居丈高にいうけれど、旅の人の安否は心配じゃないの?」
「……」
やはりな。
此奴は神代の錬金術師に屈してはいるが、旅の人の事そのものが大事なのだ。だとすれば、話をしてみる価値はある。
それと、喋るときにやはり口を動かしていない。
空気を操作する魔術で、現在の言葉を放っている。
恐らくだけれども、この魔術で麓の人間の言葉を聞き取り、解析して覚えたのだろう。つまり知能も高いと言う事だ。
「まず、あたし達は城から出るよ。 あたし達は神代の錬金術師が世界中に残した爪痕から、世界をどうにかするために戦ってる。 もしも生き証人に話を聞けるなら、意図的な嘘が混ぜ込まれている資料百冊にも勝る。 話してくれないかな、何があったのか」
「……良いだろう。 だが、まずは城を出ろ。 この城のガーディアンを悉く滅ぼした様子を、我はよく思っておらぬ」
「そうしないと斬られていた」
「盗賊としか思えなかったから防衛機構を発動させただけだ」
皆にハンドサインを出して、城の外まで戻る。
赤い巨狼はゆったりと歩いて、それについてきたが。兎に角大きいので、一歩ずつがとても歩幅が大きくて。急ぎ目に歩いているのと、相手のゆっくり歩くので。相手の方が早いくらいだ。
城の外に出ると、あたしは座る。
それで敵意がないことを示す。
他の皆には、もう少しさがって貰う。
赤い巨狼は、じっとあたしを見ていたが、やがて自身も座る。とりあえず、これで落ち着いて話が出来そうだった。
「では話を聞かせて。 貴方の名前は?」
「後の錬金術師達は我とその複製体をフェンリル型テラフォーミング用生物兵器と呼んでいたが、我の名前は紅蓮。 死にかけていたところを、強く生きる力を旅の人にいただいたものだ」
「了解紅蓮。 旅の人は何千年も生きていたの?」
「我と直接旅をともにしたのは千二百年ほどだ。 それからも千年ほどは時々姿を見せてくださった。 あの御方はその間、ずっと年を取らず、美しいままだった」
やはりな。
加齢を克服している人だったわけだ。
そのまま続けて話を聞かせて貰う。
まず紅蓮が言うには、旅の人は冬の終わりと同時に出会ったという。紅蓮の一族はただの狼で、冬で壊滅して紅蓮だけしか残らなかった。其処に手をさしのべ。救ってくれたのだという。
それから旅の人は、錬金術と言う不思議な力を使い。
荒れ果てている世界を見る間に緑で包んでいった。
穴蔵で暮らすしかなかった人々を助け出し。
悩みを共有し。
錬金術で惜しみなく救っていった。
そうか、やっぱりそういうことか。
神代の錬金術師とはあり方が真逆だ。旅の人は恐らく、世界を救うために寿命を捨てたのだ。
だがそうなると、どうして今はいないのか。
それが気になる所ではあるのだが。
今の紅蓮の言葉が事実だとすると。冬からの復興の時代を、旅の人とともに過ごした紅蓮は。神代が始まってからも二百年くらいは旅の人とともにいたことになる。
「神代はどうして始まったの?」
「一定の人間が揃って、世界の復興が旅の人の手を離れたからだ。 以降は与えるだけではなく、ともに歩くべきだと旅の人は仰られた。 そして皆が共に歩けるようにと、多くの力と知恵を授けて。 そして笑顔を作られた」
「それ、本当なのか。 俺たちが見てきた神代は……」
「しっ。 レント、黙って」
この紅蓮にとってもそれらは地雷の筈だ。
でなければ、旅の人という名前を出してこうも反応しない。
しばし話を聞く。
彼方此方で、守護を任された。
世界には多数の魔物が湧き出していて、人々を脅かすこと甚だしかったからだ。だから守って欲しいと紅蓮は旅の人に言われ。言われるままに、彼方此方の拠点を守ったと言う。そして、新しく会う度に。
弟子という人間を連れていたとか。
やがて、どんどん旅の人の顔からは笑顔が減り。
周りにいる人間は、逆に悪意の篭もった顔でにやついているようになったという。
「最後に出会ったのは、我が任されていた都市の守備から外されたときだ。 その時、旅の人は悲しんでおられた。 みんなを信じていたのに。 どうしてこんなことになったのだろうと言われていた。 我は許せなかった」
不快だったが。旅の人の弟子だという錬金術師に以降は使われる事になった。
「世界を豊かにするため」と称して、様々な事をさせられた。働かないなら、旅の人がお悲しみになる。
そう言われると、逆らう事は出来なかった。例えそれが人間を殺すような仕事であってもだ。場合によっては都市単位の人間を殲滅する仕事にもかり出された。必要な犠牲だと、錬金術師は笑っていた。
此奴らに何かしらの弱みを握られている。
そう紅蓮は考えていた。
そうか。
旅の人と言う存在は、慈愛をもって人に接したんだな。しかしながら、与えて人は感謝するだろうか。
否。
する人もいる。
実際あたしも、多くの窮地にいる人を救った。
だが、無邪気に感謝してくれたのは東の地の素朴な侍や忍びなどの戦士達くらいだ。
因習に縛られたフォウレでは未だにあたし達を白眼視する老人がいるし。
クーケン島でも、古老は今でもあたしを毛嫌いしている。
母さんだって、あたしを認めていない。
そんなものである。
旅の人と言う存在は、或いは人間を信じていたのかも知れない。それは致命的な間違いだと思う。
人間に期待していたのかも知れない。
それはもっと致命的な間違いだったのだろう。
だから、カス共につけ込まれた。
紅蓮の言葉を聞く限り、もう千八百年前には、旅の人は実権を奪われていた。弟子と称する悪人共に技術も何もかも搾取されていたとみて良いだろう。
善良な旅の人は、悲しむ事は出来た。だがそれら君側の奸は除けなかった。
誰一人として、旅の人を人間とは見なかった。
恐らく神か。
或いはただの金の卵を産む鶏くらいにしか思わなかったのだ。
なるほど、分かった。
紅蓮の言葉で納得が行った。
旅の人がアンタッチャブル化しているわけだ。
欲望こそ全て。欲望のまま奪いさるのが人間。欲望が強い人間の方が優れている。そんな思想で世界を蹂躙した神代の錬金術師に取って。文字通り善意で世界に接していた旅の人は、思想的に許しがたいし。
そんな思想から錬金術が始まった事など、知られる訳にはいかなかったのだ。
自分達の正当性を、全て奪われてしまうのだから。
「旅の人の、人間としての名前は聞いていないの?」
「ないと言っておられた」
「……」
「そもそも旅の人と言う方は、世界に生じた魔法を全て使えるように、人間が冬の時代の前に最後の力を振り絞って作った自動で稼働する施設で作り出された存在であったのだそうだ。 世界を悪意が滅ぼし「冬」が来た事から、その施設では旅の人を善意の存在として作りあげた。 旅の人も優しい施設に感謝して、世界を笑顔と慈愛で満たそうと努力為されたのだ。 我は旅の人のためにありたい。 だからこの城を……」
吐き出しきって、自分でも悟ったのだろう。
もういい。
あんたはよくやった。
千三百年前、此処に兵器として配置されて。それで此処にいた住民を追い出すのに荷担した。
それは許せない。
多くの人だって殺しただろう。
それも許せない。
だが、それ以上に、ずっと罰を受け続けている。あたしは、大きくため息をついていた。
「もう分かってるんだよね。 旅の人は、神代の錬金術師達に殺されてる。 確率は限りなく全に近い」
「分かっている! だがあの御方は、不老の身だった! 僅かな可能性に……」
「神代の錬金術師を、あれから見た?」
不意にそう言われて、紅蓮は黙る。
そうだろうな。
黙り込んだ紅蓮に、咳払いする。
「神代が終わって今に至るまで、神代の錬金術師は姿を見せていないんだ。 別の世界に行った可能性はあるだろうけれども、少なくとももうこの世界に奴らは興味を持っていない。 あたしは奴らに呼ばれて、その本丸に来いとそそのかされてる。 何を目論んでいるかは知らないけれど、好機だから奴らをぶっ潰すつもりだよ。 構成要素の最後の一欠片までね」
「そうか……旅の人と真逆であるな」
「通してくれる? 旅の人を救えるなら救うよ。 それには、まだ情報が足りないんだ」
「貴様のその力、旅の人を思わせる凄まじさだ。 理論的に最大値に近い人間。 ……あの神にもっとも近いとうそぶいていた嘘つきどもとはまるで違う。 貴様になら……」
レントとリラさんが動く。
出現したそれが、いきなり巨大な刃を振り下ろしていたからだ。狙ったのは、紅蓮の首である。
レントとリラさんが、猛烈な一撃で刃を弾き、逸らす。
剣が火花を挙げながら、紅蓮の至近に着弾。城の床を砕いていた。
巨大な神代鎧。
其奴は全身から煙を上げながら、目に当たる部分を光らせていた。
威圧感は、今までどの遺跡で見たガーディアンよりも上だ。魔術なんか、これには通らないだろう。
「フェンリル型の致命的バグを確認。 殺処分」
「おのれ……!」
「ライザ!」
「おっけい。 ぶっ潰す」
丁度むしゃくしゃしていた所だ。
クズが寄って集って、世界を再生させようと世界中を回った善意の人を滅茶苦茶にした。それが生き証人の口から語られた。
それどころかクズ共は世界を己の私物と化し、オーリムにまで迷惑を掛け、こっちの世界が破滅しかける切っ掛けまで作った。
元々ぶっ潰すつもりだったが、更に殺意のボルテージが上がった。
紅蓮が嘘をついている気配はなかった。
嘘をついていたら、此処にいる何人かが気付いていた筈だ。事実適当を述べているようだったらタオがすぐに矛盾点に気付いていただろう。
それにしてもだ。
旅の人は恐らく、作られた人間だったのだろう。
混沌の時代最後の技術で。
だとしたら皮肉だ。
ありのままの人間が美しいとか言う寝言が、どれだけ滑稽なのかよく分かる。
作られた人が善意で世界を救おうとして。
ありのままの人間が欲望のまま世界を何度も焼き滅ぼしたのだから。
「我は此奴に手出しをできぬ……」
「良いから其処にいろ! 此奴は俺たちで始末する!」
「行くよみんなぁっ!」
「おおっ!」
空間操作の魔術を使って、跳躍して移動を繰り返す巨大神代鎧。
だからなんだ。
それくらい、東の地でなんぼでも超ド級との戦いで見たわ。子鬼ですらやってくる奴がいたほどだ。
超ド級が相手でも、随伴歩兵がいないなら、もはや。
完璧なタイミングで、あたしの熱槍がはいる。
魔術は通じなくても、それが入ったのは奴の足下だ。体勢を崩す巨大神代鎧に、アンペルさんの空間切断の魔術が入る。
レントとリラさんが、それぞれの一撃を叩き込み。
パティが膝を一刀両断。
体勢を崩しながらも、巨大神代鎧も空間転移して逃れるが。その先にはクリフォードさんが、調整完璧のブーメランを叩き込んでいた。
直撃。
其処に、セリさんの植物魔術が全身を包む。
空間魔術で、それを全部吹っ飛ばす巨大神代鎧だが、既にその上にはあたしが。
熱魔術で爆破して空中機動。
剣を振るおうとするが、ディアンが跳躍して、剣を弾く。巨大な剣が、ディアンのパワーで嘘みたいにぐるんと回った。
がっと、ももで巨大神代鎧の頭を掴む。
フェデリーカの神楽舞が、更にあたしのパワーを上げてくれている。
抵抗しようと手を伸ばすが、ボオスとタオが肘を左右から砕く。
あたしに掴まれている以上。
もう空間操作で逃げられない。
「フォトン……」
連続して爆発を引き起こし、あたしは最大加速。
そして、この中身のないからくり野郎を、フルパワーで一回転させ、頭から地面に叩き込んでいた。
「パイルブレイク!」
あたしの最大最強の体術。必殺技としての蹴り技。足技の奥義を全て凝縮した一撃は、相手がでかかろうと通じる。
巨大神代鎧が、一瞬で全身の構造を粉砕され、粉々になって飛び散る。
その破片の資産を、カラさんの冷気魔術が抑え込んでくれる。
着地。
地盤をまた砕いちゃったか。
でも、これは仕方がないことだ。セリさんに、テヘペロとするが。セリさんも、少し呆れていた。
「さて、邪魔は消えた。 話の続き、聞かせてくれるかな」
紅蓮はあたしをみて、ちょっと引いた。
前二体のフェンリルより強い此奴が、いやそもそも全てのフェンリル型生物兵器の祖であろう存在が。
あたしも、どうやら腕を上げているらしい。
それで、今は満足するべきだった。
4、近付きつつある真相
アインは言われたまま、その地を行く。
此処の事は知っている。
奥の方は、あまり良い思い出がない。
だけれども、やりたいのだ。
だからお母さんに言われた通りに行く。まだまだセキュリティだらけだけれども、きっとできる。
同胞の人達では入れない。
人間の要素が多くあるアインでないと、すぐに攻撃されてしまう。
そういう意味では、肉体は同胞と同じパミラさんも無理だ。
あの人はとても強いけれど、それでも此処のガーディアン達には勝てないと、お母さんは言っていた。
見えた。
ちいさな建物の中。
鎖がたくさん伸びている。その全てが、強力な魔術による警報装置だ。
その奧には、本来ケースがあったのだが。そのケースを、お母さんが移動させる事に成功した。それだけハッキングが進んだのだ。
厳重に封じられているそれは。
杖に見えた。
手を伸ばす。
封印は、解除されているという話だ。ただし、物理的に取ってくることがまだできない。これこそ、「旅の人」が最適化して使っていた魔術媒体。
「旅の人」には、お母さんも余り良くは分かっていないそうだ。
そういう存在がいた、という事しか知らないそうである。
ただし、そもそも神代の錬金術師が執拗に封印していること。あからさまに腫れ物として存在を抹消していること。
それでいながら、一区画は丸ごと封鎖していること。
それらから、まるで今もその存在が幽霊として恨んでいるようだと。
そして神代の錬金術師に取って、隠さなければならない歴史になっているのだと。
お母さんは認識しているようだった。
杖を手に取る。
心臓が痛い。
体の調整がまだ上手く行っていないのだ。
だけれども、やってみせる。
走り回るのが夢だ。
同胞のみんなが教えてくれる。外にはどんな世界があるのか。
この世界とどう違うのか。
外の子供達はどうなのか。
アインとどう違うのか。
それを聞くだけで、わくわくする。いつかいってみたいと思う。だから、今この最初の冒険をこなす。
杖を取って、呼吸を整えながら戻る。
前はちょっと培養槽から出るだけで、体が壊死したり、崩壊したりで、散々だったけれど。
今はふらつきながらも歩いて、安全圏まで出られる。
其処で、待っていたパミラさんに抱き留められる。
「よくやったわー」
「えへへ……はじめて何か役に立てたと思います」
「うん。 だから今は休んで」
培養槽に抱えて運んで貰う。
そして、培養槽の中で、ゆっくり体を休めながら、話を聞く。
「恐らくライザリンが来るまでに、必要なセキュリティの掌握はできると思います。 今まで此処で殺戮された錬金術師のようにライザリンは倒されはしないでしょうが、それでも万が一に備えましょう」
「それがいいわー。 それで……貴方の事は? ライザの説得が上手く行かなかったら恐らく……」
「最悪、私は消滅してもかまいません。 私には最初から実体などありませんから」
「ダメよ。 アインちゃんがどれだけ悲しむと思うの? 貴方が自我を得たのは、理不尽に対する憤りと哀しみが発端だったのでしょう? それを忘れてはいけないわー」
「そうですね……。 すみません盟友よ。 それをつい忘れていました」
難しい話だけれども。
アインはお母さんが好きだ。
姿はなくても。
アインに酷い事をしないし、いつも優しい言葉を掛けてくれる。そして今回、一番の仕事を任せてくれた。
「それで、その杖はどうするの?」
「解析後、処置は任せます。 砕くもよし、同胞の誰かに渡すのも。 盟友よ、あなたが信じる相手に託すのも」
「ライザに渡して良いかしら?」
お母さんが珍しく黙る。
体の調整が始まって、少しずつ意識が薄れてくる。
体の調整はとてもいたいので、眠っている内にしてしまうのだ。いつも。
ただ、動けるようになってきて、だからこそ思い出す。
鬼みたいな形相で怒鳴っている人。
髪を掴んで、アインを引っ張って行く人。
お前みたいな出来損ないは必要ない。
そう吠えて、そして。
強制的に意識が落とされた。
これ以上は体に悪影響が出るとお母さんが思ったのだろうなと、アインは消えていく意識の中で思った。
体の再調整が終わるまで、あとは眠って待つ。
大丈夫。
お母さんはアインにとっての全て。
絶対に、悪いようにはしない。
最初、肉体さえなくして漂っていたアインを拾い上げてくれた、ただ一つの存在。
人間の母親ではないかも知れないけれど。
肉体すらないかも知れないけれど。
アインにとってのお母さんは。
お母さんだけだ。
(続)
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