サルドニカと明星

 

序、毒ガス遺跡

 

薬などの補充を済ませて、高地に再度挑戦。鉱山北部の高地は、随分と静かになっていた。

分かっている。

一時的なものだ。

執拗なくらいに魔物を駆逐した。

人間に手を出すとどうなるか、徹底的に叩き込んだ。

これで、しばらくは少なくとも鉱山は安全になるはずだ。

結局あれから、死者数は変わらず。

重傷者が死者に変わらなかった事だけは、あたしも良かったと思うが。とにかく、鉱山の警備の甘さ。連日あたし達が魔物を片付けているのを見た警備の油断。それらの大失態が、古代クリント王国時代から見て数十分の一まで人間が減っているこの時代なのに。多数の犠牲者を出す惨事を招いてしまったのだ。

だから、あたしも徹底して対策はする。

全自動で魔物を駆逐してくれる道具でもあればいいのだが。

流石にそれは思いつかない。

神代鎧がそれに近そうだが。

あれは作るのにかなりのコストが掛かるし。何よりも危険すぎて、どうやって動いているかがまだ分からないのだ。

とにかくフェデリーカが一生懸命時間を作ってくれたし。

何よりも、工場などの大規模設備の修理に関しても、日程を調整してくれている。

だったら、あたし達もそれに答えるだけだ。

全員にマスクをつけさせる。

つけたことを点呼してから、ドゥエット溶液の原液の溜まりに。湧き出している箇所から見ても、かなり濃くなっている。

一応溜まりのぶんも採取して調べて見たのだが、フェデリーカが言うにはやはりそれではまだダメらしい。

濃度を上げるだけでは、駄目と言うことだ。

神代鎧の残骸も回収したから、今は毒ガスが溜まっているだけの場所になっている。時々小物のエレメンタルを見かけるが、あたし達を見るとそそくさと逃げていく。

無視して、遺跡に。

タオが遺跡の戸を開ける。

その間、遺跡から幽霊鎧や、他ガーディアンが飛び出してくることを警戒し。皆、陣列を整えて、固唾を呑む。

戸が開いた。

やはり、すっと開く。

この遺跡は、まだまだ現役と言う事だ。

劣化が激しかった古代クリント王国や、それ以前の遺跡。王都近辺にあったようなもの。それらを知っているから、差が激しいことを思い知らされる。

本当に、神代が終わってから、坂を転げ落ちるように技術が劣化していったんだな。

それが分かる。

とはいえ、神代の連中も少なくとも今まで情報を見る限り、もっているテクノロジーだけが優れていただけのボンクラの集まりだ。

一体テクノロジーはどこから来たのか。

それがわからなかった。

クリフォードさんが遺跡の中を覗き込み、クラウディアが音魔術、あたしが熱魔術。カラさんは複数の探知魔術を展開。

しばしして、クリフォードさんが頷いて、タオと一緒に先に遺跡に入る。

そして、すぐに戻ってきた。

「内部に敵影なし」

「……一部、神代鎧の格納庫みたいなのがあるけれど、とても狭くて修理をするだけのスペースになってる。 在庫も出払っているみたいだ」

「予想が当たったね」

神代鎧がわざわざ出ての戦いを挑んできた。

外に分かりやすい番犬まで置いていた。

遺跡の内部を要塞化して、其処で戦う方が有利なのは分かりきっているのに。

神代の連中がアホだったから、出て戦えと命令した可能性もあったが。

まあ、外で戦わざるを得ない理由があったと考える方が自然だ。

遺跡内部に更なる大戦力が、という最悪の予想もあったのだが。しかしそもそもとして、遺跡の場所が分かるように番犬を配置することが得策ではないのである。こういう施設は、隠蔽してこそなんぼだ。

内部に踏み込む。

トラップは警戒する必要があるが、それもないようだ。

ごく狭い坂道を下ると、其処は広めの空間と、四方に通路が延びているだけの場所。どうやらこれだけらしい。

神代の遺跡というか、これは純粋な研究施設だな。

規模にしても、サルドニカ北の神代鉱山とは、比較にもならなかった。

まずは、全員で移動して、安全を確認する。

トラップはそもそもないようだ。

一箇所は神代鎧の格納スペース。タオが言うとおり、見た事がない装置があった。いずれ取り外して、持ち帰っても良いかも知れない。これで神代鎧をメンテナンスしていたのだろう。

一箇所は研究スペースだ。

研究日誌がある。すぐにタオとクリフォードさんで回収。

研究機具もあり、神経質なくらいにしまわれていた。

奧にあったのは居住スペースか。見た感じ、十人程度が働いていたようだ。働いていた人間の姿はない。

神代鉱山同様に、何らかの理由で放棄された、と見るべきだろう。

最後は倉庫だ。

ハイチタニウムのインゴットがかなりある。これは回収しておくべきだ。それと。

中央部では、此処も何かを生成していて。それはまだ動いている。

コントロールパネルを調べる。

タオが、調べていて、なる程ねと呟く。

「此処もパスワードは設定されていない。 神代鎧と超ド級魔物の守りに、よっぽど自信があったんだろうね」

「……いや、それもあるが。 面白い記述を見つけた。 この日誌だ」

アンペルさんが、日誌に目を通している。

ざっと見ていて、面白い内容を見つけたようだ。

それによると。

東の蛮族共以外に敵はいなくなった。××××(聞いた事もない名前だ)王国を滅ぼして、我等に敵対する存在はこの世界にいなくなった。

戦闘では我等の作りあげたゴーストバトルアーマー4式が大きな戦果を上げ、敵国の兵士を蹴散らした。既に科学では錬金術に太刀打ちが出来なくなっている状況だ。大規模破壊兵器でもゴーストバトルアーマー4式には致命打を与えられない。これは明らかに汎用性と頑強性において、上の連中が作りあげた生体式戦闘兵器を凌いでいる。それならば優秀な方を採用するべきでは無いのか。

それなのに我等は認められない。

高貴な血統だか何だか知らないが、不公正だ。

科学文明に対して圧倒的攻勢を掛けているとは言え、このような不正が許されてなるのか。

こんな事を続けて、功績に報いないでいると、いずれ破綻するぞ。

それどころか上の連中は、自己神格化まで始めている。

よその世界にも攻めこむつもりのようだ。

つきあっていられん。

「だそうだ。 分からない言葉も多いが……神代の権力闘争は、オーリムに攻めこんだ連中が圧倒的優勢ではあったものの、こういったハイチタニウムの派閥などを押さえ込めてもいなかったようだな。 少なくとも相当に不満が鬱屈していたようだ」

「そもそも神代の人間そのものが傲慢極まりない思想を持っていたようなのに。 此奴らも同類だって、気付けなかったのかな」

「気付けないんだよ自分の事は」

クラウディアに、あたしが嘆く。

事実、自分が傲慢になっているかは、よく自分を戒めるようにしないと気付けないものなのである。

あたしだっていつも気を付けるようにしないといけないと思っているが。

「それで、これは何をしているんだ」

「今調べてる。 ……どうも例の溜まりから溶液を採取してる。 それだけじゃないねこれは。 ええと……地下の水脈とかから幾つかの液体を採取して、それで。 ……!」

「どうしたタオ」

「此処で作っているのは、毒ガスだ」

何だってとレントが声を上げる。

タオによると、此処で生成された毒ガスは、「邪魔な動植物」を「根こそぎ掃除」するために用いられていたらしい。

彼等は「テラフォーミング」とその作業を呼んでいたようだが。

更に、タオが記述を見つける。

「フィルフサって言葉もある! 此処の研究者達は、「テラフォーミング」の画期的生体素材であるフィルフサが開発された事をとても悔しがっていたようだ。 つまり毒ガスはフィルフサと同じ目的で開発されたんだよ」

「野郎……!」

レントが拳を握り込む。

あたしも殺意がわき上がってくるが、深呼吸。

この遺跡は、停止させる他無いだろう。

「タオ、停止は出来る?」

「毒ガスの生成は、とっくの昔に在庫がパンパンになっていて、これ以上の生成は中止されてるよ。 ただ、一部が漏れ出しているんだ」

「まさか外の毒ガスは……」

「そういう事だね」

なんてこった。

それにしても、此処を早めに発見できて良かったとしか言えないだろう。

毒ガスの処理が出来ないか、タオに確認して貰う。頷くと、すぐに調べると言ってくれた。

あたしも毒ガスの成分を採取。

それにしても、これで振り出しかと思ったが。

そうでも無さそうだとタオが言う。

「此処の溜まりを使って、何かできないか研究者は色々とやっていたみたいなんだ。 データを記しておくから、目を通してよ。 ひょっとしたら、ドゥエット溶液を更に強化出来るかもしれない」

「分かった。 後で目を通しておくよ」

「かー。 これほどロマンを感じない遺跡は初めてだ。 早く潰しちまおうぜ」

「クリフォードさん、気持ちはわかるけれど、使えるものは回収しよう。 こんな酷い遺跡だけれども、技術には罪は無いよ」

あたしだって、此処に爆弾を叩き込んで吹っ飛ばしてやりたい気分だが。

それでも技術そのものに罪は無い。

ただ、分かった事はある。

古代クリント王国どころか、それ以上に神代の連中は腐っていた。それも、錬金術師は上から下まで満遍なくだ。

何が「テラフォーミング」だか知らないが、要は自分が気に入らない存在を皆殺しにして、好きなように世界を造り替えると言う事ではないか。

そんな事、許される訳がないだろうに。許されるとしたら、それは畜生の理屈だ。人間の理屈では無い。

それを平気で実行できるくらい、連中は思い上がっていた。

錬金術師は少なくともそうだ。

これでは、錬金術師では無い人達は、塗炭の苦しみどころではなかっただろうなとも思う。

それともお情けで与えられた技術で、今より豊かに暮らしていたのだろうか。

いや、これだけのおぞましい独占欲と独善性だ。

そんな事を「下々」に許していたとは思えなかった。

タオとクリフォードさん、護衛のリラさんを残してアトリエに一度戻る。其処で、ミーティングだ。

フェデリーカはボオスとパティと一緒に、サルドニカの支援。

サルドニカ北の集落については、クラウディアに見にいって貰う。

鉱山はレントとカラさんに頼む。ディアンも守りに入りたいというので、行って貰う事にする。

ディアンは鉱山街で友達が何人かできたらしい。

この短時間で、と思ったが。

ディアンに助けられた子とかが結構多く。

ディアンは故郷の、尊敬する人達がどうしても保守的になっている事でぐれていただけなので。

元々孤児に近く、同年代の子供と一緒に暮らしていた事もあって、面倒見もいいらしいので。

友達は結構簡単にできるようだった。

「俺、皆に足りないものとかないか聞いてくるよ。 ライザ姉を怖がってるやつもいるけれど、病院とかの事はみんな感謝しているんだ」

「分かった、お願いね。 あたしが出向くよりも、そういう風なやり方の方が、動きやすいし戦略も立てやすい」

「私は悪いが、回収した文書を解析する」

「私もちょっと薬草を増やしておくわ」

アンペルさんとセリさんは、それでいいと思う。

とりあえず、解散。

皆さっと散る。

あたしは毒ガスを解析。これは分解するための作業だ。なるほど、あの溜まりに生物が寄りつかないわけだ。

更には。毒ガスは多分超ド級のあの魔物には、なんら有害では無かったのだろう。

下手をするとだが。彼方此方で、毒ガスは実用化されたのかも知れない。ばらまかれて、それで。たくさんの動植物が根こそぎにされて。神代の連中にとって「格好良い」とか「美しい」生物が、代わりに我が物顔にばらまかれた可能性はある。

世界に根付いているラプトルなどの、明らかに出自がおかしい魔物の数と戦力を考えると。

その可能性は否定出来なかった。

ともかく、エーテルに溶かして解析は終わった。分解は出来る。それにしても、本当にこれは。

この毒ガス、人間にも通じる。

つまり、毒ガスで気にくわない人間を皆殺しにしていた可能性だって否定出来ない。記録が出てこないとなんとも言えないが。

それをやってもおかしくない連中である事は。あたしも嫌になるくらい思い知らされていた。

とりあえず、ドゥエット溶液の原液については、やってはいけない配合などを記しておくこと。

発生する毒ガスへの対処方法など。

具体的にどのような害が出て、どうすれば助けられるか、等を調べておく。

この毒ガスは、空気より重いらしく、あの溜まりには定着して余所に拡がることはなかったようだ。

この空気より重いと言う性質が非常に厄介で、戦略兵器として悪用しようとすればそれこそ人間を根こそぎに殺せる。

毒性は其処まで強くないのだが、体への悪影響は遅効性で、致命傷になる量を吸い込むと助からない。

解毒薬は調合しておくが。

とりあえず溜まり付近にある毒ガスを無毒化する分だけでいいか。あの毒ガスのせいで、生態系にも悪影響が出ているし。

普通に使う分には、余程変な事をしない限り……例えば飲んだりとか、しない限りはそれほど害にはならないのだ。

こんなものを思いつくと言う事は。

神代は、さぞ悪意に満ちた時代だったのだろうなと、あたしは暗澹たる気持ちになる。

ともかく噴霧式の容器に入れて、解毒薬は出来た。この後は、サルドニカでもしもの時があった時用の解毒分を作っておく。

吸い込んだときの症状についても確認しておきたいが、普通だったら動物実験をする所だが。

今回は、あたしがエーテルに溶かして解析済なので、それは必要ない。

毒ガスがもしも作られて。

サルドニカで散布された場合。出る症状と、対処方についてメモを残しておくが。多分これはタオに後で清書して貰った方が良いだろう。

他にも作業を進める。

薬の増産。

サルドニカを離れたら、激戦地と噂の東の地に出向くのだ。

其処でも在庫が尽きないくらいお薬は増やしておきたい。移動中にも調合はするが。それでも意識して増やしておくべきだ。

更にカラさんの衣服から解析した繊維も増産しておく。

これをベースに、皆の服、つけて貰っている装飾品を強化する。布製品としては、これ以上の基礎繊維は考えにくい。

魔術に対する親和性、強度、いずれも尋常じゃない。

これに今まで錬金術で培った技術を追加して、ポテンシャルを極限まで引きだしておくのである。

そうすることで、更に皆の力を底上げできる。

神代鎧の登場で、まだまだ皆の戦力向上を図らないといけない事が分かってきた。やっぱり物事は、経験してみないとダメだ。

カラさんの記憶よりも、神代の技術や戦力が増している可能性もある。

ただその場合、神代の連中は何処に消えて、何をしているのかが気にはなる。どう話を聞いても、欲望に悪い意味での動物的に忠実的な輩で。欲望を満たすためには文字通りどんなことでもする連中だろうに。

其奴らはどうしてこの世界で偉そうにふんぞり返っていない。

戦略的に有意義なはずのオーリムへの侵攻は諦めたのか。

或いはもっと有意義な別の世界を見つけ出して、其処を絶賛侵略中なのだろうか。

ともかく。手は打てるだけ打っておかないとまずいのである。

淡々と調合を進めていると、時間がどんどん過ぎていく。

サルドニカはまだ混乱が続いている様子だが。傭兵にとって特需だと言う話を聞きつけたのだろう。

近隣から、力自慢も集まり始めたようだ。

ただ人間の中で如何に力自慢でも、魔物からして見ればドングリの背比べであり。ただ力が強い程度の人間なんて、魔物のおやつになるだけである。あのアガーテ姉さんですら、魔物には一対複数の戦術を皆に叩き込む程だ。基礎的な魔物との戦い方を知らない「命知らず」なんて、名前の通り命を捨てるだけである。

だから訓練が必要になる。

即座にサルドニカの警備に開いた穴は埋まらないだろう。

一日はそうして過ぎ。

翌日には、あたし達は溜まりに出向いて、其処で毒ガスを無力化する。毒ガスを無力化するというと、ディアンが大喜びで褒めてくれたが。それで天狗になっていたら神代と同じになる。

だから、面と向かってそういうのは褒めてはいけないとだけ、やんわりと言っておいた。

さて、遅れてしまったが、ここからがサルドニカにとっては転機でもある。

溜まりにあるドゥエット溶液の採取をしておく。これはある程度量を確保しておいた方が良い。

毒ガスで幸い変質はしていないようだが。

それと、タオと一緒に座標も確保しておく。タオによると、見えない線を引いたように、ある所からすっと座標が変化しているようだという。例の区分けされている場所なのだろうか。

いずれにしても、解析は専門家に任せるしかない。

それらが終わってから、アトリエに戻り。

いよいよ、ドゥエット溶液の改良を、始めるときが来ていた。

 

1、苦難の末の祭

 

変質したドゥエット溶液の原液を解析する。思ったよりこれが時間が掛かる。そもそも魔石も硝子も溶かすという性質が厄介なのだ。

酸も通さない硝子が溶けるというのが厄介であり。

前回もかなり工夫してドゥエット溶液を配布したのだが。

今回は更にそれに手を入れる事にする。

今まで改良してきた硝子の技術や、それに鉱物の技術なども活用する。

ただ鉱物はどうしても酸に溶ける。

金や白金が酸で溶けないことは有名だが、これですら王水といわれる最強の酸には溶けてしまうのである。

幸いドゥエット溶液は手がドロドロに溶けるような危ない代物ではないが。それでもその辺の硝子容器に保存は出来ない。

色々考えた末に、あたしが開発したのが、手元にあるものだ。

これは今まで倒して来た超ド級の魔物数体の胃袋を解析して、それで作り出した革袋である。

実の所胃袋も酸で溶けるのだが。どうして胃袋がなくならないかと言うと、溶ける端から再生しているからである。

この仕組みは、実際に人間の髪とかをエーテルに溶かして、はじめてあたしも知った。エドワード先生の医院で胃の病気については聞いていたのだが、胃にそういう機能があるとは驚きである。

この仕組みは動物も変わらないようで。

何種類かの動物のしがいをエーテルに溶かして解析してみた結果、まだ新しい死体では機能が動いていることが確認できたし。

何より分解を極限までやってみると、そういう仕組みになっていることが良く理解出来た。

それもあって、擬似的に生きた胃袋を作ると言う、ちょっと高度な事を錬金術で実施している。

ドゥエット溶液の改良については、何種類か作って見て、フェデリーカに試験を頼んでみた。

フェデリーカは疲れきっていたが、政治や戦闘に関しては腰が引け気味でも、こういう職人関連の事になると生気が戻ってくる。

すぐに調べてくれた。

ルーペまで使って状態を確認して、何度も駄目出しをしてくるので、大変に分かりやすくて助かる。

いずれにしても、一日で仕上げられたので、それで良かった。

容器は敢えて一つだけにする。

これは二つのギルドが共同しないと百年祭は上手く行かないと、示す意味があるからである。

硝子ギルドと魔石ギルドにそれぞれ顔を出してそれを告げ。ドゥエット溶液の改良版は、それぞれその場で職人に試して貰う。

あたしにまだ胡散臭げな視線を向けている職人もいたが。

フェデリーカの目は確かで、今まで以上に繊細な接合が可能になったと、皆口を揃えて喜んでいた。

ただ、ギルド本部にドゥエット溶液改を配置すると説明すると、皆難色を示したが。

其処は、フェデリーカが言う。

どうしても即座にやらなければならない作業は本部でやるように。

ただでさえ無為な争いで時間を無駄にしている。それならば、必要な作業については最初から本部でやるように調整をしろ。

百年祭は、そうでなければ成功などするものか。

そう言われると、職人達もぐうの音もでないようだった。

それよりもだ。

魔石ギルドを出る時に、アルベルタさんに言われた。

「ライザどの。 ギルド長は随分と逞しくなったな」

「死線を散々くぐりましたからね。 この間なんて槍でおなかをぶっすり刺されて、危なかったんですよ」

「血だらけで戻って来たと思ったら……!」

「大丈夫、あたし達がついています。 全ての片がついたら、サルドニカには名ギルド長が誕生しますよ」

フェデリーカが先に行ったから、目一杯褒めておく。

アルベルタさんは、ため息をついた。

「実際私は心配していた。 職人としては天賦の才があるが、どうしてもただの小娘に過ぎなかった。 無理をして背伸びをして、どうしようもないほど長としては未熟だった。 戻って来てからも、焦燥が酷くて時々何かに怯えているようにすら見える。 だが、それでも今まで以上に技術もしっかりしているし、荒事に関しては肝が据わったのも事実だ」

頭を下げられる。

これからも、ギルド長を頼むと。

そして、出立の日を聞かれた。

渡すものが、あるという事だった。

 

翌日から、少なくともサルドニカの街は一気に活性化したようだった。

高地にいたとんでもない魔物が、あたしの手で倒されたこともあるが。それ以上に、職人達がぐうの音も出ない精度のドゥエット溶液を見て、蓄えてきた技術の粋を叩き込み始めたのである。

あのお婆さんの亡くなった旦那さんが作った実用的なカンテラの量産が始まり。現実的な費用のものは街の彼方此方に飾られ。

祭のメインになるものは、非常に美しい細工がされ。ギルド本部の前で、喧々諤々の議論を交えながら職人達が腕を振るって細工していた。

これでいい。

皆の大半は鉱山とサルドニカ北の入植地の警備に向かって貰う。

あたしはレントとディアン、それにタオとフェデリーカ。後アンナさんと一緒に、彼方此方を見に行く。

巨大な歯車を用いている装置。

その工場。

それを確認にて、手入れをするためである。

前回のサルドニカ逗留でも直せるものは直したのだが、今回は更に本格的に手を入れる事にする。

そのためには、基幹インフラの回復や。

こういう大規模機械の修復が絶対だ。

だから直す。

淡々と確認後、レントとディアンと連携して、一つずつ歯車を外す。一つがあたしの背丈の四倍も直径がある歯車だが。

錬金術の装備で力を強化している二人に加え。

先にあたしが足場を組んで、一つずつを丁寧に分解していく。

無論錬金釜に入る代物ではないので。修復については、案がある。とりあえずモノを確認するが、やはり古代クリント王国時代のものだ。金属としては多分ゴルドテリオンがある程度混じっているが、それでもかなり劣化が酷い。

これはハイチタニウムを使ってしまおう。

ハイチタニウムは、鉱物関係を集めるのに使っているトラベルボトルで、素材を既に集めている。

このトラベルボトルの内部世界がもの凄い地獄みたいな環境で、中に出る魔物も凄まじいのだが。入る価値はある。ただ兎に角暑いので、トラベルボトルに出入りを繰り返すと体を壊しそうだ。その代わり滅多に手に入らない貴重な鉱石がざくざく取れるので、しばらくはこれで固定してしまうかも知れない。

タオが設計図を素早く起こしている。

あたしはそれに沿って、幾つかの分解した歯車を何度かに分けて調合。ハイチタニウムのインゴットは非常に作りやすく、量産は難しく無い。これは素材がとにかく見つかりにくいものであって、加工は容易極まりないのだ。しかもかなり軽く、油を少し噛ませるだけでぎゅんぎゅん回るだろう。

或いはこの技術が軽く見られたのは、作成難度の低さが原因ではと一瞬考えた。あの拗らせまくった様子がわかる神代の連中だったら、そういう理由で技術の重要性を低く見る可能性は否定できない。

順番に歯車を分けて作り、現地に持ち込む。

レントとディアンに指示して、順番通りに組み立てて貰う。

工場の人員は心配そうに見ていたが、錆びだらけの巨大歯車が、白銀の美しい新品に入れ替わるのを見て、瞠目していた。

くみ上げが終わる。前よりもずっと軽い。

流石に一つの工場で、丸一日使ってしまう。それでも、たった一日で済むと言うべきだろうか。

くみ上げた歯車を、タオの図面通り、元に設置していく、

降ろすときよりずっと軽いと、ディアンが喜んでいる。もとの歯車も、念の為に残す。

もとの歯車は錆びだらけだ。見た目通り触ってみるとかなり劣化が進んでいるので、さび止めのコーティングをし、表面の削れた部分はハイチタニウムで補填しておく。

これで、予備部品としては充分な筈だ。工場は非常に広いので、置き場所に困る事もあるまい。

歯車を使う機械そのものは、前回の逗留時に直してある。

新しい歯車のセット終わり。

足場解体終わり。

後は、動かして見るのだが。案の場、出力が跳ね上がったので、タオが制御を苦心していた。

この工場はこの歯車を用いてインゴットの加工をしていたのだが、前の数倍の速度で動いている。

度肝を抜かれた職人達に、タオがマニュアルを改訂して渡している。手際の凄まじさに驚かされる。

「とりあえず一つ目、と。 アンナさん、後幾つ工場があるんでしたっけ」

「この規模のものがあと二つ、大きい……回収してきた鉱石をまとめて粉砕して、溶鉱炉に運ぶ用途のものが一つあります。 最後のものは歯車も段違いに大きいので、此処での仕事の様子を見ながら日程を調整しようと思っていましたが」

「予定通りにやれそうですか」

「ええ、これなら問題はないでしょう。 明日から、更なる迅速な作業をするためにも、まだ訓練中の力が余っている人員もつれて来ます。 組織行動を学ばせるにも最適ですので」

アンナさんもアンナさんで、一度の行動で数度の利益を生み出している。

やっぱりこの人、事実上のサルドニカの支配者だ。アルベルタさんやサヴェリオさんですら、この人の前では子供も同然なんだなと、あたしは内心で舌を巻いていた。

アトリエに戻ると夜だ。

少しずつ鉱山の警備は楽になりはじめていると、そっちに回っていたリラさんが証言してくれた。

今回の件で、警備の戦士も気合いを入れ直したらしいというか。

フェデリーカが主導で、今までこうならなかった方がおかしかったのだと、徹底的な注意と警告を呼びかけ。

予算も潤沢に出て、それでやっと現場がまともに機能しだしたらしい。

まあ何度もあたし達が持ち帰った、警備の戦士では瞬殺レベルの巨大な魔物の死骸や。何度もボロボロになって戻ってくる様子。

更にあたし達の戦闘の余波で、鉱山北の高地が壊滅しかけている有様を見て、流石に誰もが危機感くらいは感じたのだろう。

警備がまともになるのは良い事だ。

サルドニカ北の入植地も、漸く落ち着き始めているらしい。

アンペルさんの代わりにクリフォードさんが周囲と話して、それで色々と問題を解決しているらしいが。

アンペルさんはアンペルさんで、病人などに声を掛けて、薬の手配や医院へ連れて行くこともやっているそうだ。

最初は怖れられていたが。

今ではかなり頼りにされ始めているという。

良い傾向である。

後は回収した遺跡の文書の解読などの時間も作っておく。タオは頭を使いっぱなしなので、蜂蜜入りのミルクを出しておく。まあ、あたしは材料を用意するだけで、適切に作るのはパティだが。

まだ婚約者だが。

二人して、すっかり連携が取れていて微笑ましい。それでいてきちんと距離も取っているので、周りが浮き足立つ事にもなっていない。

工場での作業について説明した後、あたしは練り直した計画を話しておく。

「後四日。 工場は三日で片付けるとして、予備日を一日確保しておいたよ。 その間に、各自出来る事はすませておいて」

「ライザさん、百年祭は今の状態では一月ほど後になります。 其処まで出立は遅らせられませんか」

「大丈夫。 そのタイミングに、こっちに門を通って戻れるようにするから」

「そうですね……。 分かりました。 東の地、フォウレと移動するにしても、私は時々サルドニカ二戻って執務をします。 それらの時は、お願いいたします」

フェデリーカが聞いてくるので、適切に応じられるようにしておく。

門を人工的に作るのも全ては神代の本丸に攻めこむ下準備だが、それを応用するのは別に問題ではない。

特にフェデリーカは、サルドニカの政務を色々とやらなければならない立場だ。

ミーティングが終わった後は、あたしは東の地で献上する大太刀二十振りをもう一度調整しておく。

これは現地の戦士達と交友を持つためにも大事だし。

何より苦戦が伝わる現地のために作る装備でもあるからだ。

後は、新しい繊維を調整して。

少しずつ布に仕立てる。

案の場もの凄い強度で、調整を入れていくと最強と言う言葉しか出てこない。ただこれを直に着ると多分肌がズタズタになるので、モフコットと挟み込むようにして裏地と表面を覆い、服として着られるようにする必要もあるが。

カラさんには、新しい服を寝る前にプレゼント。

前のは修復しただけだったので、完全に新しい服だ。

カラさんはこの中では圧倒的年長者だが、見かけは子供なので、見ていてとても微笑ましい。

多分リラさんやセリさんにはあたしとは違う光景が見えているのだと思うが。

以前のように、動きやすさを最重視し、全体に魔力を増幅する効果の模様も刻み込んだ強力な服である。

軽装戦士のために、他にもこの服を作っておく。

当世具足も頑張って調整したが。鎧を着る戦士の中には、鎧以外は布一枚という面子も多いし。

ディアンなんかズボンくらいしかはかないで戦っていて、それで傷が滅茶苦茶増えている側面もある。

例え布一枚でも。

紙一重の攻防が生じる達人級の戦士にとっては、それが命取りになったりする。相手の爪に毒なんかがあることも多いし。

カラさんは、着てみて子供みたいに喜んでいたので、やっぱりこの人がオーレン族の総長老だとは人目では分からないが。

それでも、喜んでくれたのは何よりであった。

「これは愛らしいのう。 ライザよ、そなたは実用一辺倒かと思っていたのだが、こういうのも作れるのだな」

「まあ子供の世話もクーケン島ではしていましたので、色々服のデザインは勉強もしています」

「ちょっとひっかかるが、まあよい。 魔力が更に増幅されるのが分かるぞ。 今後は更なる活躍を期待せい。 それにこれだけ魔力が上がれば、機動力ももっと上がろうな」

よし。

どうやら大丈夫そうだ。

ただ、内部にある繊維そのものに触らないように、時々メンテナンスが必要になるだろう。

ディアンとフェデリーカ、ボオスにも作っておきたい。クラウディアは大事な戦いの時には当世具足を着て出るので、その調整で良いだろう。

他の皆にも、普段着の調整として声は掛けさせて貰う。

ただこれは今すぐの急ぎじゃない。

布の生産については既に目処が立ったので、別に移動中でも問題は無い。サルドニカを離れた後に、船内でゆっくり作れば良いことだ。

翌日。

早朝から、タオとレント、ディアンを伴って工場に出向く。

万が一に備えて薬もたくさん持ってきている。

さび付いた大歯車が、白銀の軽やかなものに代わり、動きも何倍も良くなっているのはこの工場でも見ていたらしい。

あたしを見ると、工場長の媚びる顔が露骨だった。

此処は衣類などの紡績工場で、大本の動力に大きな歯車がついている。此処は昨日よりもだいぶ小さめの歯車だが、それでも人間の三倍くらい直径がある巨大なもので、しかも数が多い。

まずはタオが設計図をとり、それをあたしが頭の中で分割して組む。それが出来てから、足場を組んで一つずつ歯車を外す。

「おっと、ディアン、気を付けろ!」

「おわ! 壊れてるよこれ!」

「だましだまし使っているんだ! 気を付けてくれ!」

一番ちいさな歯車は、歯っ欠けになりかけている上に、歯車の耐久も限界近いようだった。

これでよく動いていたな。

あたしは感心しつつ、すぐに修復に入る。

昨日よりもかなり手際が改善していて。工場の人員も、巨大な歯車がどんどん生まれ変わっていく様子を見て、息を呑み。

古い歯車は補修して、予備部品として使えるようにもしていく。

タオは空いている時間は、文書の解読に当てて貰う。どんな重要情報があるか、知れたものではないからだ。

アンナさんが来たのは昼少し前だ。

前に鉱山で助けた人達が、昼飯を差し入れてくれたらしい。心がこもった魚料理だ。この辺りでも、魚料理は結構名物になっている。順番にいただく。レントが、時々ディアンに注意をしている。

「一人で持ち上げられるとしても、歯車は一人で絶対に持ち上げるなよ」

「おう。 もの凄く精密なんだよな。 分かってる」

「この分だと、この工場はだいぶ時間的に余裕が出来そうだな。 ライザ、あの大きな煙突はどうする?」

「あれはサルドニカで作れると思うから、あたしの専門外かな。 今回の歯車の交換で、かなり先までサルドニカは工場を稼働させられると思うけれど、それに甘えて技術が衰退するようでは困るからね」

アンナさんもそれを聞いて頷く。

納得してくれたようで何よりだ。

人間の子供ほどもある大きな凶悪な顔をした魚の蒸し焼きを食べ終えると、午後の作業に入る。

複雑に組み合わさっている歯車を、直しては組み立てて行く。

車軸もしっかり今度の修復にあわせて直した。

また、油もついでに要所に刺しておく。

非常に複雑に歯車が噛んでいるが。これは恐らく、最初は紡績の工場用ではなかったのだろう。

古代クリント王国の遺物だったとして。

元は何に使われていたのだろうか。

それがちょっと気になったが。

今はそれよりも、兎に角少しでも作業を進める必要があるのだった。

レントの発言は予想通りになり。

夕方少し前に工場の試運転まで終わる。実際に稼働させて見ると、あたしが前に直した機械の設定を変えないと危ないくらい、歯車がぎゅんぎゅん動く。

微調整もそれにあわせてしておく。

歯車がしっかり噛み合っていないと、動力を伝えるどころか、大事故の原因になりかねないのだから。

三回調整して、微細な動きを確認。

タオが可を出したので、ほっとした。

感謝の声に応えて、工場長と握手をする。いずれサルドニカの人達にも、この工場が自力で作れる日が来るのだろうか。

来たとしても、

古代クリント王国や、神代を再現してはならない。

あたしは複雑だったが。

タオがそんなあたしを見越してか、提案してくる。

「先に次の工場も見ておこう。 設計図も起こして、作業を前倒しでやっておこうね」

「うわー、タオさんあれだけ設計図書いても、まだ頭がつかえるのか。 俺だったらもう寝ちまうよ」

「人には得意分野があるだけだよ。 ディアンの腕力には、僕ではとてもかなわないからね」

「でもタオさん速いぞ。 うーん、俺ももっと頭を使うことを考えないといけないのかなあ」

ディアンがそんな事をぼやいているが。

良い傾向だと思う。

多分だが、フォウレの里の験者も、外では今のディアンみたいな経験を散々してきた筈だ。

その結果、今のフォウレの里で、老人を掣肘しながら里のために動いているのである。

そう考えると、ディアンがその足跡を辿るのは大事だ。験者のことを元々慕っていて。だからこそ不甲斐ないと感じて暴れん坊になった。

ただの暴れん坊が、後の里の主軸になるには。

こういう経験をたくさん積んでおくのが大事という験者の考えがあたしには分かる。あたしも王都をはじめとする色々なところを見てきて、色々な経験をしてきたからである。

次の工場は、上水工場だ。

とはいっても水をくみ上げて、簡単に煮沸して、井戸が通っている水道に通すだけのものである。

歯車は水をくみ上げるのに用いられていて、動力源の機械は此処も既にあたしが前回の逗留で直してある。

此処は歯車もあるが、それよりも蒸気を上空に捨てている煙突の襤褸が目立つ。

これは、修理を優先するべきだろう。

蒸気は錬金術でも扱って分かりきっているが。

水から蒸気になるときに、極めて危険な膨れあがり方をする。

この煙突が爆発でもした場合、この工場で働いている人間が、大勢事故でなくなりかねないだろう。

ただ、煙突そのものはサルドニカの技術で作れる筈だ。

あたしが手を出すべきじゃない。

「タオ、この煙突は今のサルドニカの技術だと、どれくらい掛かりそうか分かる?」

「工数と材料費で……」

「分かった。 後でフェデリーカに話しておこう。 予算が下りるはずだよ」

「そうだね。 歯車についてはもうメモが終わったよ。 明日は早朝から、すぐに作業が始められると思う」

それはあたしも同じだ。

様子を見に来ていた工場長は、態度が柔らかい。恐らくだが以前機械を直したことで、作業がぐっと楽になったと喜んでいたからだ。

此処の水はサルドニカの生命線である。

此処を失ったら、文字通りサルドニカは干上がってしまう。水を各自で汲みに行かなければならなくなり、その過程で重労働が生じる。それにより膨大なコストが無駄に生じるだろう。

王都も井戸水周りに問題があったが。

水があることが、大都市の条件だ。

出来るだけ質が良い水を皆が使えることも。

ともかく、必要な情報はあたしも頭に入れた。明日の朝から、すぐに作業を始められるだろう。

これで相当な時短になる。

一番大きな工場の歯車がちょっと大変なので、それについては時短を少ししておくくらいでいい。

その工場の対応にはリラさんにも来て貰うかな。いや、植物魔術で応用が効くセリさんが良いか。

そう考えながら、あたしは。

サルドニカで済ませるべき作業について、まとめをしていた。

 

2、二度めのサルドニカ出立

 

巨大な歯車を、セリさんの巨大な植物の蔓が支え、レントとディアンも協力して、ゆっくりと地面に落とす。

此処は溶鉱炉に関与している、サルドニカの最重要工場だ。

機械類は既に直しているのだが、この巨大な歯車は、他の工場ともちょっと次元が違っている。

多分だけれども、こういう巨大金属塊を加工する専門の機械が。古代クリント王国時代まではあったのだろう。

錬金術師が修復して使ったのか、作り出したのか。それとも神代のものをそのまま利用したのか。

いずれにしてもそれは古代クリント王国破綻のタイミングで失われてしまい。

今はこうして、苦労しながら修理をしなければならないわけだが。

「よし、降ろして!」

「畜生、重え!」

「降ろすとき気を付けろ! 曲がったら取り返しがつかん!」

ディアンにレントが叫ぶ。

まあその通りだ。あたしは数十に分割した歯車の部品を一つずつ作り、何度も此処に運び込む。

基本的に組み合わせる形だが、このサイズだとそれでも不安があるので、接着も行う。他の歯車でもやっていたが、この歯車の場合は接着に使う薬剤の性能を更に強化してある。

この巨大な歯車は、今までのもの以上にボロボロだ。

巨大さも倍もある。

セリさんを呼んできて正解だった。地面に降ろした後は、覇王樹と巨大な蔓を上手に使って、セリさんが工場の脇にどけてしまう。歯車はこの工場でも数が多く、これほど巨大なものほどではないが。

他も再現するのに一苦労だった。

アンナさんは今日は朝一から来ている。

昨日の作業が昼で片付いて、今日は事前に部品を作って持ち込んで準備も進めていたのだが。

今日中にこれが終わるかかなり怪しい所だ。

工場の人員も溶鉱炉を止めて、遠巻きに見ている。

此処は毒ガスも出るので、それを中和する設備も手を入れたい。機械類を直したときにある程度自動でやってくれるようにはしてあるのだが。それでもどうしても、工場全部は直しきれないのだ。

歯車の組み合わせ終わり。

接着については、しっかり組み合ったことを確認してから行う。これは建築用接着剤と同じだ。

多数の蔓で歯車を持ち上げて、あたしが熱魔術で念入りに凹凸や溝の様子を確認。よし、問題なし。

接着。

ワードを唱えて、高精度の超強力接着剤を硬化させる。

他の大型歯車も、順番に仕上げていく。

七割ほどが仕上がった所で、昼の差し入れが来た。ありがたくいただく。アンナさんが隣で、無言でぱくついている。

タオが、少し食事の手をとめた。

「合間に調べたんだけれど、この巨大歯車ね。 古代クリント王国の廃墟から持ち出して、此処に設置する際に事故が起きて、くみ上げる最中に人が何人も死んだんだって。 だから街の象徴であると同時に、慰霊の歯車なんて呼ばれているらしいよ」

「そっか。 それなら修理もきっちりして、予備部品として使えるようにしておかないとね」

「うん。 此処で大事なのは、怪談話の一種だって事じゃなくて、サルドニカにとってとても重要な設備であるってことだからね」

食事を終える。

流石にレントもディアンも疲れが見え始めている。出来れば今日中に歯車の組み立てはやっておきたい。

セリさんも、連日大規模な植物魔術を行使しているから、いつも以上に口数が少なくなっている。

セリさんが呼び出す巨大植物だって、無尽蔵なわけでもないだろう。

それは疲れるはずだ。

淡々と作業をする。巨大歯車を配置して、他の歯車も一つずつセットしていく。その作業をしながら、タオが指示を出して、少しずつ微調整。かちっと噛み合う瞬間が、非常に美しいが。動かして見ると、人間の主観なんてそんなものだと笑っているかのように、歯車が動きが悪かったりする。

微調整を何度も繰り返して、タオの指示通りに歯車を噛み合わせる。

既に夜になっていた。

かなり予備の時間を取っていたのに。

心配してクラウディアが見に来た。夜食も持ち込んでくれている。

「ライザ、大丈夫? 明日の夜には出港の手配はしてあるけれど、出られそう?」

「問題ない。 それよりも、手が開いてるようならリラさんにも来て欲しいかな」

「分かった、呼んでくるね」

夜食を皆で食べておく。

その間にリラさんを呼んできて貰って。その後、ラストスパートを掛ける。

最後の歯車をセットして、きっちり動き始めたときは、おっと声が上がったほどである。それほど感動的な光景だ。

車軸も全部作り直した。

溶鉱炉の動力を、これでよりパワフルに。

より繊細に伝える事が可能だ。

機械類をタオが調整。

ばっちりだという。

「エラーはなし、オールグリーンだ。 古い歯車のせいで出ていたエラーも、全部解消されてるよ!」

「よし、ギリギリ間に合ったね!」

「ライザさん!」

フェデリーカが来る。

そして、歯車を見て、しばし止まった後。

ばしっと頭を下げる。

「サルドニカの民を代表して感謝します。 街周辺の脅威の完全排除だけではなく、これだけの事もしてくれて。 前の逗留の時にもしてくれた事もですが、サルドニカの中興にライザさんは本当に欠かせない存在です」

「大げさだよ。 それと……こう言う作業を自力で出来るようにサルドニカでは目指して」

「はい!」

フェデリーカの様子を見て、感心するばかりだった工場長も、同じようにして頭を下げていた。

これで百年祭の時には、さび付いた歯車ではなく。

白銀に輝き、錆びることもない美しい歯車を見る事が出来るだろう。

それは新しいサルドニカの名物になる。

細工物だけでは無理がある。

いずれ金属加工でも、サルドニカは大きな存在感を示して欲しいものだ。

ともかく、アトリエに戻る。

ディアンは寝台に直行。

前から思っていたが、ディアンは疲れ果てると文字通り電池が切れるらしい。あんな風になる。

そういう所は子供っぽいなと思って、あたしは苦笑。

タオが念の為、今までの工場の稼働状況を見てきてくれるらしいので、それを待ってから、今日は終わりにする。

予備日はどうやら、休む事に使えそうだ。

やがてタオが戻ってくる。

機械類のログも確認してきたと先に言うので、ちょっと緊張したが。

しかし、結論を聞いて、待っていた皆の顔が明るくなる。

「可能な限り完璧な仕上がりだよ。 恐らくは、戦乱にでも巻き込まれない限りは、千年以上はあの設備は動き続けると思う」

「凄い!」

「流石に千年の時を超えるのは凄まじいのう。 神代の愚か者共は、どうしてそういう建設的な方向に、技術と力を使えなかったのであろうな」

カラさんが、少し寂しげに言った。

これで、とりあえず思い残すことは無い。

サルドニカでの作業は終わりだ。

後は、百年祭にあわせて、門を通ってサルドニカにまた来れば良い。約一月後ということだが。

その程度では、まだ神代の本拠には殴り込めないだろう。

ちゃんと来る機会はあるはずだ。

その前に。

解散前に、渡しておく。

今日の朝、アルベルタさんとサヴェリオさんが来た。二人の合作であるらしかった。

「はいフェデリーカ」

「これは……」

それはネックレスだ。

ちいさな宝飾品だが、小さい中にも魔石と硝子が組み合わされ。それぞれの象徴となるものを象って交差させている。

ドゥエット溶液改を用いて作った、最高の職人による最高の品だ。

「既にこれから更なる激戦地に赴く話は二人にしてある。 だから、基本的にはコンテナに入れて置いて。 これはギルド長に代々引き継いだ方が良いだろうね」

「はい。 まさかこんな日が来てくれるなんて……」

両手で顔を覆うフェデリーカ。

フェデリーカのお父さんの頃からの悲願が叶ったのは。一目で分かる。

ついにサルドニカは。

くだらない利権争いを終えて、

一つにまとまることが出来た。

少なくとも、街を割りかねなかった硝子ギルドと魔石ギルドの対立は、これで片付いたのは明白なことだった。

フィーが喜んで、フェデリーカの周りを飛んでいる。

フィーにも良い事だと分かったようだった。

 

ぐっすり一眠りをした後、ギルド本部に顔を出す。

確認しておくことが幾つかあるからだ。

東の地に出向くのは、船で四日ほどかかる。サルドニカでは、東の地の血を引く人が多いが。

それはそれだけ、地理的に近いからだ。

フェデリーカにも東の地の人の血が入っているように、である。

当世具足や大太刀も、東の地から入ってきた技術だ。それらはいずれもが、とても貴重なものなのである。

アンナさんに、東の地の資料を見せてもらう。

もう目を通したが、最終確認だ。

東の地で一番偉い人は「征夷大将軍」というらしい。これは侵略者と戦うアーミーの一番偉い人、くらいの意味だそうだ。

一応ロテスヴァッサに形式的には属しているが、ほぼ形式だけ。何か押しつけてくるようならば、即座に追い出すくらいの勢いらしく。古くから非常に独立傾向が強い場所だそうである。

ただ、言葉は普通に通じるそうだ。

これについては謎が多い。神代の頃に一度世界言語的なものが作られて、それが全土で定着したのか。

それとも別の理由かはよく分からない。

或いはもっと昔の話か。

「東の地では、今ベヒィモスという極めて危険な魔物が暴れています」

「それはあたし達が倒した奴以上と言う事ですか」

「ええ。 恐らく、地上で最強の魔物の一画でしょう。 実力はエンシェントドラゴンや精霊王に比肩するかと思われます」

そうなると、王都近郊で戦った、フィルフサのあの王種くらいはありそうだな。

あいつもとんでもない強さだった。

あれ以降、彼奴を超えるフィルフサとは遭遇していない。

今回も、準備をしていかないといけないだろう。そう感じる。

姿については、まったく分かっていないという。

というのも、遭遇したら生きて帰れないとかで。そうなると、なおさら危険だ。手札が分からないのだから。

「ともかくお気をつけを。 サルドニカに千年分の発展をもたらしてくれた貴方という偉人が失われることは悲しく思いますので」

「大丈夫、勝ちますよ」

「武運を祈ります」

握手。

アンナさんは、例の一族の人だ。この人が此処まで言う相手だ。

油断は絶対に出来ない。

アトリエに鍵を掛ける。物理的なものだけではなく、魔術的なものもだ。これはチンピラや与太者、ゴロツキの類がちらほら見られるからだ。

傭兵を雇ったことにより、サルドニカは軍事を見直してきている。

その過程で、そういうのが入り込んでいるという事である。

これはある程度は仕方がない。

そうしないと、鉱山などは守りきれないからだ。

アトリエの側の畑も片しておく。

どうやら警備でそこそこ偉い人らしい、騎士崩れの戦士が来る。毛並みは良さそうだが、実力はそこまでじゃないと一目で分かる。

「サルドニカで貴方を雇いたいくらいでしたが、行ってしまわれるのですな」

「はい。 大きな目的がありますので」

「いつでもお越しください。 サルドニカはいつでも貴方を歓迎します」

「はい。 百年祭には顔を出せると思います」

敬礼。戦士として実力は足りなくても、相応に敬意は払ってくれたし、それでいい。

後は荷車二つに荷物を分乗して、アトリエを離れる。

鉱山で回収したトロッコは、小妖精の森にあるアトリエに移しておいた。彼処は基本的に今後も基点になる。

このため、拡張についても考えるつもりだ。

流石にこの人数でずっと行動するとはあたしも考えていないが。

前に比べて、手狭に感じる事も、確かに増えてきているからである。

港まで歩く途中で、手を振って送ってくれる人を時々見かける。サルドニカを見ると、白銀に生まれ変わった大きな歯車が、陽光を反射して軽やかに回っているのが見えた。

サルドニカは良い方向に変わりつつある。

これは、王都も負けていられないし、下手をすると追い越されるだろう。

「王都に戻ったら、忙しくなりそうだね、パティ」

「はい。 無能な既得権益層は一掃しましたが、お父様もまだまだ苦労をしている筈です。 時々進捗を手紙に書いて送っていますが、この件が終わったらライザさんも王都に来てください。 頼みたい事が幾つもありますので」

「おっけい。 でも、分かってるね」

「はい。 アーベルハイムで利益を独占するつもりはありません。 この世界に住む全ての人のためです」

第三都市、第四都市も状況が悪いと聞いているし。

それらへの対策は、バレンツとアーベルハイムの後ろ盾有りでやった方が良いだろう。

レントからもそれらの都市の話は聞いているが。

無能な連中が仕切っていて、裏路地なんかは無法地帯も良いところだそうである。

それじゃあ、魔物に人間が押され放題になるのも納得である。

こんな状態なのに、人間同士で蹴落としあい奪いあいをしているのだから。魔物にして見れば、エサが勝手に食べ頃に熟してくれているようなものである。

腐敗は権力の常だなんて言葉を前に聞いたが。

馬鹿馬鹿しい。

そうやって堕落や腐敗を肯定しているから、あっと言う間に人間の作る全てのもの、特に国家はダメになるのだ。

個人のエゴと欲望を全肯定していた神代の所業を知っている今となっては。

賢しらに悪徳を肯定する輩に対しては、あたしは頭を蹴り砕く以外の言葉が出てこない状態である。

港に到着。

バレンツも使う大型商船だが、例のメイドの一族の戦士が何人か乗っている。いずれも歴戦の雰囲気である。

これは、東の地は余程の状況であるらしい。

先に荷物を載せて、船室に入る。錬金釜を設置した後、軽く皆と話をしておく。

「クラウディア、東の地の一番偉い人。 征夷大将軍という人とアクセスする事は可能かな」

「大丈夫、手配はしてあるよ。 バレンツは元々東の地に色々な金属資源を売っていて、その中にはライザのインゴットもあるの。 ライザのインゴットは凄くいい大太刀をうてるって評判らしいから、其処にグランツオルゲンと大太刀を持ち込めば、絶対に話を聞いてくれると思う」

「よし……」

ならば、まずは最初にやる事は決まっている。

問題になっているベヒィモスなる巨怪の駆除だ。

相手はフィルフサの王種並みの化け物。

ほぼ間違いなく、神代の生物兵器だ。そんな強さの化け物は、エンシェントドラゴン以外には自然発生しないし。

エンシェントドラゴンにしても、そもそも別世界からこの世界に来ている事が分かったのだから。

ちなみに東の地からは、良質な絹が出るらしい。他にも木材資源なども有用なものがある事は聞いている。

これらの品と金属資源を交換している、と言う訳だ。

「東の地の魔術師はどう? 腕が良い人もいるの?」

「うん。 フェデリーカが使う巫術ってものが浸透しているんだって。 女性の優れた魔術師が多いらしいけれど、他にも陰陽師……だったかな。 そういう男性の魔術師もいるそうだよ」

「ふーん、文化が全く違うんだな」

「東の地以外は、だいたい現地の独特な用語以外は、普通に話が通じるからね」

ディアンに、クラウディアが苦笑する。

挙手したのはタオだ。

「船で移動する最中、僕とクリフォードさん、後アンペルさんにも手伝って貰って手元にある資料全てを解読しておくよ。 それで少しは神代の本丸に関する情報が得られるかも知れない」

「お願いね。 あたしはお薬を増やしておくとして、後はそうだな。 トラベルボトルはいつでも使えるようにしておくから、体が鈍る人は使って。 かなり手強いのが出るから、一人で入るのは禁止ね」

「少しは休もうと思わないんですか……」

絶句気味のフェデリーカ。

まあ、充分にあたしとしては休めているので、これ以上は別に体が鈍るかな、という感じである。

他のみんながどうかは分からない。

その他には、海上での移動について。

カラさんも体調が戻ってきたらしいので、大魔術で追い風を吹かせてくれるという。まあ確かに助かるのだが。

クラウディアが注文を入れる。

「この船は翌日に航路に乗ってきた二隻と合流する予定なので、合流が済んでからでお願いします」

「ふむ、色々と大変なのだな」

「海上では魔物の実力も段違いで、自衛のために商船も苦労しているんです」

「分かった。 翌日に合流後じゃな」

とりあえず、大まかな話し合いは終わる。

後は夜まで自由行動とする。

船は停泊中でも結構揺れる。調合は今のうちから色々と試しておく。今までも船に揺られながらの調合はしているが、精密作業は避けたい印象だ。

船の治安は、問題は無い。

例のメイドの一族の人が、いかにもなチンピラに絡まれたようだが、命知らずにも程がある。

チンピラが放り捨てられて、海にドボン。

沖合に放り捨てられたら即死だったろうが、上手に沿岸に投げたようで、泣きながらチンピラは魔物に追われながらも砂浜に逃げていった。

しばらくすると、何人か見送りに来る。

一人は女医さんだった。

あれから手足を失ったり内臓をやられた人のために色々と処置をした。義手義足を作ったり、内臓の補助道具を作ったりもした。

それで現時点では恐らくもう大丈夫、ということだ。

軽く話をする。

義手や義足は人にあわせて作るものなので、今後のために予備を作っておく事は出来ない。

義足を作った女戦士は、体を鍛え直して最前線に復帰するつもりらしいと知らせてくれたが。

その後で、苦笑いした。

「いつでもきてくれな。 アンタのおかげで、更に病院も拡大できそうだ。 人も雇えそうだよ」

「予算が下りたんですね」

「ああ。 薬に関してもバレンツから定期的に購入することが決まった。 これからも、助けてくれな」

「勿論です」

あたしの薬で助かる人がいるなら。

なんぼでも薬は作る。

他にも、見送りに来てくれた人はいた。アルベルタさんとサヴェリオさんは、もう来ない。

昼ご飯は、船上で。

この船にはトイレもしっかりついているので、この人数くらいなら生活が可能だ。今回は東の地に向かう傭兵が多かったが。

レントはかなり名が知られているらしく。

レントの連れと言うだけで、ゴロツキがほぼ近寄ってこなくなった。

まあ、レントも色々あったのだ。

ボオスはまだ船酔いが苦手なので。ギリギリの時間まで船外で過ごすつもりのようだ。タオはというと、既に航路図を見ながら、座標を集めるスケジュールも組んでいるようだ。そうしないと解読作業に気を取られて忘れてしまうから、らしかった。

夜、出港の汽笛が鳴る。

汽笛と言っても、音魔術を使ったり、大きめの笛を吹いたりするものだが。この大型商船は、音魔術の使い手を雇っているようだ。

クラウディアほどの使い手ではないようだが、音魔術の使い手はかなりレアだ。警笛役に雇われる他にも、色々出来る。例えば船の早期警戒とか。そういう意味では、どこでも食べていけるだろう。

ボオスが乗り込むのを確認。

その時には、結構人が送りに来ていた。

あの鉱山での襲撃で、あたし達が助けた人が主のようだった。手を振って来るので、手を振り返す。

行ってきます。

そう、あたしは、歓声を送ってくれる人達に返していた。

サルドニカでやるべき事は終わった。百年祭で成果は確認したいが、それはまた少し先の事だ。

これからまず、東の地に出向く。それで、東の地でやるべき事をする。

苛烈な戦闘。

神代の遺跡の調査。

座標の収集。

そして出来る事なら、神代の根拠地の情報を集める。

それに東の地を脅かす魔物どもも、できる限り叩き潰したい。やるべき事は多いが。出来るのなら、やらなければならなかった。

 

3、荒海を越えて

 

船旅はもう何度も経験したが、東の地はそもそも島国。しかも周辺の海の気が荒く、現在でも水上での戦いを得意とする戦士が多いそうである。

そういうわけで。

船団が合流した日の夕暮れから、空模様が大変怪しくなりはじめた。

海の天気は元々変わりやすいものだが、それでもこの荒海は異常だ。文字通り小山のような波がうねりまくっている。

基本的に、甲板には出るな。

そう厳命がされた。

各地から集められてきたらしい腕自慢の戦士達が、大波を見て真っ青になっている。人間ではどうしようもない凄まじい自然の猛威。

それを目の当たりにすれば、それは怖れるのも仕方がない。

カラさんも、これでは大魔術で後押しどころではないと、いじけて船室に立てこもってしまった。

一度、船室で皆で集まる。

最悪の事態に備えて、エアドロップはちゃんと持ってきてはある。

ただこれの場合、東の地に向かうとしても、数日余計に掛かる。その間、魔物に襲われる可能性も高い。

出来れば船で無事に渡りきりたい。

タオが。座標を何度か採取していたが、困り果てていた。

「かなり数字が忙しく変わってる。 何かしら僕がまだ把握できていない法則性があるのかも知れない」

「よくこの状態でそんな事が出来るな」

呆れ気味のボオスだが。

これくらいの神経がないと、遺跡探索なんて出来ない。

クリフォードさんもそうだが。人生を副業にして、それでやるくらいの覚悟が必要なのである。

「それで、島国だと聞くが、無事につけるのであろうな」

「最悪の場合はライザの鍵で扉を開いて、避難するしかないかも知れないな」

「それは最後の最後の手段ね。 海上で扉なんて開いたら、一体後でどれだけ始末が大変かも分からないし」

レントには釘を刺しておく。

それが期待されかねない状況だからだ。

クラウディアがバレンツを代表で話に行く。

この船はかなり高度な磁石を搭載しており、それと星を見る装置を使って、確実に進むのだという。

羅針盤だなと、アンペルさんがいう。

本来の意味での羅針盤だ。錬金術で様々なものを読むのに使っているのとは違う。無論あたしが残留思念を読むのに使っているのとも違う。航海のためのマストアイテムである。

大型の商船にはほぼ確実に搭載しているらしく、この船も例外では無いということだ。

問題は船団を組んでいる他二隻だが、無事についてきている事を祈るしかないだろう。

夜半過ぎまで船は大揺れして、何度も傾いた。本当に丘を乗り越えているような高さまで上がって、それで落ちる。

とんでもない風と巨大な波が起きている証拠だ。

東の地の周囲の海は何処もこんな有様らしく、それで文明が保全されたという経緯があるらしい。

明け方に漸く静かになったので、今の内にと皆に寝るように促す。

流石にあたしもしんどかったので、休ませて貰った。

目が覚めてから体操をして、揺れる中で体を動かす練習をしておく。魔物が乗り込んでくる可能性は大いにある。

ただ海の魔物の場合、わざわざ船に乗り込んでこないで、船ごと食おうとしてくるだろうなとも思う。

そういう手合いには。大火力でお出迎えし。あの世に叩き落とすか、それとも丁重にお帰り願うしか無さそうだ。

昼過ぎには海の機嫌が良くなる。幸い船団の船は無事だが、一隻はマストが損傷してしまっていた。

連結して、海の男達が修理をしているが、ちょっと手伝うか。

あたしは男衆を連れて様子を見に行った後、木材から補強剤を調合して、船に運び込む。交渉はクラウディアがやってくれたので、邪魔は入らなかった。

マストを起こし、急いで立て直す。

急がないと、また海が機嫌を損ねる可能性が高い。

マストを起こして、その周りを包むように補強材で固める。そうすることで、前よりも頑丈になったくらいだ。

感謝されるが、感謝の言葉は無事に東の地についてからでいいと答えておく。

実際、まだまだ先はあるのだから。

此処からはカラさんが追い風を大魔術で起こして、船足が上がる。

遠くの方で、巨大な雲が天を貫かんとそびえているのが見える。山よりも巨大だ。でも、ああいう雲はクーケン島の近くでも、乾期の前後には見る。

だから、驚かないが。

ただ海上で見ると、ちょっとぞっとはしない。

あの下が大雨で海も荒れているのは確定だからだ。

音魔術が展開された。クラウディアのじゃない。

つまり船長が何か話すらしい。

「あー、乗り込んでいる者達。 船足が上がっている事もあって、昨日の遅れを取り戻すことが出来そうだ。 また嵐に捕まらなければ、明日の昼には東の地に着く。 だがあそこは歴戦の戦士でも瞬く間に手足を失うような地獄の土地だ。 今のうちに、覚悟を決めておくんだな」

それで通信終わり。

青ざめている屈強なはずの戦士達。

これは全土にフィルフサがいると同等の状態を想定しないとダメかな。

あたしは、そう思いながら、船室に戻る。

今のうちに、幾つか話をしておく。タオが海図と採取した座標を見比べながら、腕組みをしていた。それでいながら、気がつくと回収した文書の解読に戻っている。マルチタスクはあたしも得意だが。

タオのは更にそれより上なのだろう。

「流石に気合で耐えるのも辛くなってきていた。 明日に着くのは助かるな」

「そうじゃな。 嵐に捕まらなければ、だが」

「嫌な事を言わないでくれ……」

「単なる事実じゃよ」

うんざりした様子のボオスを、カラさんがからかっている。

その間に、あたしは皆に服を配っておく。

「はい、じゃあこれ。 試作品」

「お、カラさんの着ている凄い繊維の服だな」

「裏地と表布にモフコットをいれてガードしてあるけれど、内部の繊維そのものには絶対に触らないようにね。 一瞬で肌がすり下ろされる事になるよ。 そうならないように何重にも安全策は講じてあるけれど、万が一もあるから気を付けて」

「恐ろしいなあ」

まず、軽装の人員を中心に配る。

フェデリーカにも袖を通して貰う。普段のギルド長としての正装を、殆ど完璧に再現しておいた。

リラさんも軽装を好むので優先。

アンペルさんやタオにもだ。

レントは上半身はほぼ裸に鎧を着込んでいるし、その鎧も部分的なので、ズボンの部分を新しく作る。

問題はディアンだ。

普段からパンツ1丁で、体には装飾品だけ、みたいな格好である。

今の年齢だと良いが、もう少し背が伸びて育ってくると、多分周りから色々言われるだろう。

フォウレの里が熱帯だった事もあるのだろうが。

元々寒さには強いらしく。

魔物の攻撃を鎧で防ぐのが現在では現実的ではないこともあって、みんなディアンみたいな軽装である。

というわけで、パンツを作っておく。

皆に着て貰って感想を聞くと、ディアンが跳び上がって、天井に頭をぶつけそうになった。この船は大きくて、船室もかなり広めなのだが。

「すっげえ! 体が更に軽くなったぞ!」

「それはいいけど、女子がいる所で服は脱ぐなよ」

「分かってる。 一緒に暮らしてた子供らの前では、特に見本になるようにって、デアドラ姉に散々言われたからな。 俺も子供に嫌われるのは嫌だから、それはしっかりやっているんだ」

ディアンは意外な所で真面目だなあ。デアドラさんも確か家の中では下着1丁が珍しく無いと聞いていたが。

ちょっとその辺りは、どうコメントして良いのかよく分からない。

でも、上半身に上着を羽織れというと、要所だけ装備品で固めているからいいというのである。

最近は苛烈な戦場で動き回る事もあって、やっと靴はいつも履いてくれるようになったのだが。

そもそもこの間の超ド級の魔物と神代鎧の戦いでも腕を落とされていたし。

もう少し、体を大事にする意識が必要だと思うのだが。

まあ、験者もほぼ似たような格好だったし、ああだこうだいうと文化に対する無理解になるか。

それはそれで良くない。

フェデリーカは、少し動いてみて、それで調整を入れて欲しいと言ってくる。待ってました、という奴である。

即座に要望を聞いて、調整を入れる。

むしろこの作業は、とても楽しい。

「やはり神楽舞には微細な調整がいるんだね」

「そうですね。 それもあるんですが、実はこの服左右対称ではないんです」

「へえ?」

「神楽舞をしている時、ちょっとだけ重心が右に傾くようになっているんですが、それは右旋回が動作として多いのが原因なんです。 服もそれにあわせて、幾つか微調整をしていて。 能力がぐんと跳ね上がるのも分かりましたが、それでもやっぱり少し右が傾くようにしておきたいです」

ふむふむ。

理解出来た。

そのまま他の皆の話も聞きながら、調整を入れておく。

レントはズボンだけ新しいのに履き替えてきて、それでも更にパワフルで速くなったと喜んでいる。

タオは更に速度が上がるそうである。

それを見ていて、パティも欲しいと言い出したので、勿論作る。クラウディアの分も、である。

クラウディアに話を聞いたのだが、あまり筋肉質になるように見えると取引時に相手を萎縮させたりするので、鍛え方を工夫して筋肉が露骨に見えないようにしているという。音魔術で補佐しているとは言え、クラウディアの弓術は見た目よりもずっと力がいるのである。

そういう事もあって、重要な戦闘時に着て出る当世具足の下につける服で、更にパンプアップ出来るのは嬉しい事だと言われた。

とにかく皆の分をどんどん作る。

パティは胸鎧以外の服を全部新しくこれで仕立てた。

蜘蛛糸とはいえ、覆っているのはモフコットで。これは単純に羊の毛だけで作っているものでもなく。最近はシルクや他の繊維を混ぜて肌触りを向上させ、更に強度も上げているし、見た目も絹に遜色ない。

パティの着ている絹中心の服と見た目からもそう劣るものではない事もあり。

更にパティは広めの所で、大太刀を抜き打ちしてみせる。

速い。

これは更に速くなったか。

それも速いだけではなくて、威力もそれに伴っている。

呼吸を整えると、剣舞の動きを順番にやってみせるパティ。その全てが今までよりも更に速く、正確になっている。

「すげえ! 戦士としてはやっぱり俺より上だな!」

「ありがとうございますディアン。 ライザさん、装飾品に調整を入れて欲しいんですが。 思考能力の強化支援、掛けられますか」

「いいよ。 やっぱりその動きを続けると、頭がついていかない?」

「体は今まで以上に速くパワフルに動きますが、それを補助する頭脳が追いつかなくなってきています。 実の所今までの動きと速度で限界だったので、今後加齢を考えると……」

パティは正直だ。

頷くと、すぐに調整に入る。

皆、広いところで試したいとわいわい喜んでいる。セリさんも、これなら更に迅速に薬草を育てられそうだと、少し嬉しそうだった。

全員に行き渡るまで、たっぷり一日かかる。

翌日の朝には、あたしのも当然含めて服は全員分新調。

ただし今までの服だっているし、予備も必要になるから、幾つか予備の服も作っておく時間がいる。

案の場膨大なジェムがいるので、トラベルボトルに入って素材を回収しておく。

蜘蛛糸のトラベルボトルの中には、当然おっきな蜘蛛がわんさかいるので、フェデリーカが可愛い悲鳴を上げたりしていたが。

前は虫が苦手で毎回青ざめていたパティは、淡々と邪魔をする蜘蛛を追い払っていたし。タオもそう。

でも、別に虫を克服したという話は聞いていない。

「蜘蛛は大丈夫になったの?」

「少しずつならしているのもあるんですが……」

例えば絹なんかは、蚕の糸から作る。

これは金持ちはみんな着ているし。パティの場合は、実際に作られる現場を見に行く事も多いだろう。

養蚕業の人と接して、現実を見るのは重要。

パティはそう考えるだろうし、蚕の生態については見にいって、調べていると前ちょっと話を聞いた。

まあ蚕は実際、成虫は特にモフモフして虫としては異例に可愛いが。

「実は蜘蛛は虫じゃないんです」

「ああ、そういう」

「種族としては虫に極めて近いらしいんですが、蟹や海老もそれは同じらしいんです。 蟹や海老と似たようなものだし、生態系の守り主だと思うと、いつの間にか大丈夫になりました」

「そっか、それはいい心がけだね」

フェデリーカが、そういう問題じゃないと泣き言を言う。

こっちは虫は確か耐性があったはずだが、此処の蜘蛛はちょっと大きすぎるのが怖いらしい。

魔物にも虫系は普通にいるし、なんだったら超ド級の魔物達にも虫要素はあったのだが。

あれらは大きすぎるので、却って怖くないのだとか。

不気味の谷現象の一種かも知れない。

「それはそうと、黄金色の珍しい蜘蛛だな。 警戒色でもなく、動きもおっとりしている」

「こやつらは頑強な巣で身を守ることもするのでな。 基本的に動き回らなくていいから、性格も穏やかでのう」

リラさんに、カラさんが説明をしている。

食えるのかとクリフォードさんが聞いて、それで限界が来たらしくフェデリーカが倒れそうになる。

あわててパティが支えるが。

その間にあたしは、さっさと採集を続けた。

魔物が出ると面倒だ。

フィーの様子を見ると、ドラゴンの素材で作った世界にいる時みたいに、別に気持ちよさそうにはしていないし。

体調だって回復しているようにはみえない。

やはりドラゴンの側にいて、それで生きる生物なんだなとよく分かる。

別にオーリムだから元気になるわけではない、ということだ。

それと、恐らくオーリムの素材で作った世界だからか。周囲には永久氷晶を代表とする、貴重な素材もある。

これらは親和性が高いからだろう。

もう少しでトラベルボトルは完全解析できそうなのだが。まだもうちょっと追いつかない。

「よし、戻るよ」

「船の状態も気になる。 体力は温存した方が良いだろうな」

「ん? ボオス、最初に出ないの?」

「……察しろ」

まあ、船酔いが苦手なのだから、そうだろうな。

そして船から出ると、喚声が聞こえた。

陸だ。

東の地だ。

どうやら丁度着いたらしい。魔物と遭遇しないで済んだから、体力を温存できたのは大きい。

オーリムに本来住んでいただろうそれなりに強い魔物が出るのだあのトラベルボトルの中は。

貴重な素材を回収出来たので、今は可とするべきだった。

 

東の地はとにかく緑が濃い土地だ。少なくとも視界に入っている範囲の山々は、文字通り青々としている。

ただし、彼方此方に砦が作られているし。

港もかなり堅固に要塞化されていて、いつ戦乱になってもおかしくない作りになっているのが分かった。

建物は事前に聞いていた通り木造が中心だ。その他に地元産らしい紙がかなり使われている。これはちょっとサンプルが欲しいなと思いながら。マストを直した船の船長から、謝礼を受け取った。

まあ、それだけで充分である。

「街、見て回れないかな」

「少し待ってね。 東の地って事前に調べてあるけれど、色々と因習が他と違って、手続きがいるんだ」

「任せるぜクラウディア」

「俺もついていく。 違う風習の地で、どうやりとりをするのか見て学んでおきたい」

パティとフェデリーカも手を上げて、それに倣う。

なら、四人に任せるか。

程なくして、当世具足をちょっと省いたみたいな姿の戦士が何人か。当世具足の屈強な戦士が来る。

軽装の戦士は槍を、当世具足の戦士は馬に跨がり、更に大きな槍を手に。弓矢を背負って、更には鞍に大太刀をつけていた。見るだけで分かる。全員、相当な使い手だ。此処が修羅の土地だというのは、嘘では無いらしかった。

馬から下りる偉そうな戦士。

集められた力自慢腕自慢達を一瞥すると、配下らしい戦士にどこどこに連れて行け、と指示を出す。

クラウディアを見ると、多分即座に察したのだろう。

大槍を休めの姿勢に変えると、軽く一礼をしていた。

「バレンツ商会のクラウディア副頭取でござるな。 拙者この土地にて侍大将を務めている十河上野介と申す。 いつも貴重なる金属と武具の仕入れで随分助かっている。 今回は重要な案件があって、御自らおいでになったと聞いておるが」

「はい。 此方のライザリンがくだんの錬金術師です。 今回はライザリンの重要な用事もあって、親友である私が一緒に参りました」

「ほう。 貴殿が。 話通りまだ年若い」

とはいっても、きちんと敬意を示してくれる。

ついてきて欲しいと言われたので、一緒に街の中を行く。

みんな着ている服は随分サルドニカとも違う。

住民は殆どが大太刀を持っているようだが、質はそれぞれで随分違うようだ。髪型も独特の結い方をしていた。

何もかもが違うな。

木と紙で作られた家が多いが。それ以外に土もかなり使っているようだ。それでいながら生活水準はそう王都と変わっていないようである。

水周りも清潔なようで、不衛生な汚物の臭いは殆どしていない。

ただ、やっぱり体を欠損している人が多いし。

時々男女問わずに凄い使い手の気配もある。

それだけでなく、視線をずっと感じる。

監視をされているか。

まあそうだろう。

クラウディアに世話になっていると十河と言う人は言っていたが。それでも油断するつもりは無いということだ。

やがて、大きめの建物に案内される。

土と竹かこれは。

それらを組み合わせて、思いの外頑強な作りにしている。王都のもとの遺物をそのまま邸宅にしているような家と違って、これは毎回作っているものだと判断して良いだろう。もとの文化におぶさって貴族を気取るのよりは。工夫しながら建物を自力で建てる方が、あたしから言わせれば立派だ。

屋敷の中は何かしらの植物で床が覆われていて、その他は木張りだ。

武器は預けるようにと言われたので、入口の戦士に渡しておく。

クラウディアを中心に、あたし達は軽く入口で作法を習う。

王都で言うメイドみたいな立場の人が、履き物は脱ぐこととか、上座がどちらになるかとか、色々説明してくれる。

ボオスは熱心に頷き。パティもじっと耳を傾けていた。

必要になれば、此方で話をするつもりなのだろう。

十河という人に、広めの部屋に通される。

そこで布で作られたマットみたいなのが出される。座布団と言うそうだ。それに座って、まずはクラウディアが順番に話をしていった。

先にあたしが作ったインゴットと大太刀が引き渡される。

それを見て、十河という人の目の色が変わる。

「おお……! 何たる業物か!」

「ライザリンの最新作です。 既に実戦で使えることは確認しております」

「これはすぐにでも将軍様に届けたい。 此方の金属もまた、加工のしがいがありそうだな。 職人共が喜ぶであろう」

「お納めください。 その代わりに、この地の最高権力者である征夷大将軍様と面会をいたしたく」

すっと、十河さんの目が細められる。

家の中だと当世具足は脱いでいるが、それでも威圧感はまるで変わらない。

この人、アガーテ姉さんやザムエルさんと同格の戦士だ。

それだけ修羅場を潜ってきている歴戦のものなのだ。

「ライザリンというそのものが戦士としても職人としても、魔術の使い手としても驚天の存在だとはよく分かった。 何を目的としている」

「この地にいる強力な魔物の討伐がまず一つ」

「それは我等としても願ってもない。 クラウディアどのも含めライザリンどのと供の戦士達、いずれ劣らぬ名人とみた。 それであれば、今苦戦しておる北の地での戦闘で、必ずや皆の助けになろう」

「もう一つは、その北の地の調査です」

死ぬぞと、ずばり言われた。

この土地では、表だって戦う「侍」という戦士階級が非常に多いらしく、十河さんもその一人であるらしい。

それとは別にあたし達で言う密偵みたいな仕事をする「忍び」という人達もいて。この人達が魔物の襲撃を事前に調べたり、各地で警戒をしているそうだ。まあ密偵とスカウトを足したような仕事であるのだろう。

「今ベヒィモスという凄まじき魔物が暴れておるが、これは今暴れているのがそやつなだけで、北の地には同格のモノが十数体はいると言われておる。 ベヒィモスだけでも四体いると言われていてな。 どんな忍びでも、何度も潜入に成功するものはいないと言われている程の地獄よ」

「此処にいる戦士達は、そういった魔物を何体も斬り伏せて来ました。 特にライザリンは、魔術が一切効かない強大な魔物を倒す事数回に達しております」

「それほどであるか。 バレンツの副頭取の言葉、何よりこれらの武具を考えると、疑う訳にもいかぬな……」

腕組みした後、十河という人は顔を上げていた。

どうやら、決断してくれたらしい。

「分かった。 将軍様の所へ案内しよう。 力自慢を称する者どもが、この地では足軽にも劣る連中で、何の役にも立たず辟易していた所よ。 一目で分かる名人がこれだけ来たのだ。 きっと戦地で、多くの死地にいるものを救うであろう」

ぐっとクラウディアが頭を下げる。

これで一歩前進か。

一旦今日はこの邸宅……屋敷と言うそうだが。此処で止まって、明日征夷大将軍という人がいる場所に行くらしい。

その間、タオが提案。座標を取りたいそうだ。

まあそうだろうな。

当然監視がつくが。あたしも一緒に街に出て、座標を取る。ディアンも着いてきたのは、屋敷の中が窮屈だったかららしい。

クラウディア達は、先に屋敷の人間に礼儀作法の類を聞いておくそうだ。

座標を取って、彼方此方回る。

軽装の当世具足を着ている戦士が、不審そうにいう。

「見た事がないからくりだが、それは何をしておる」

「ああ、これはこの土地の測量みたいなものです。 土地の情報が、どうしても欲しいもので」

「この土地は我等のものぞ。 千数百年ずっと守り抜いてきたのだ」

「分かっています。 貴方たちの土地を侵すつもりはありません。 貴方たちとともに、魔物と戦うために今回は来ました」

そうか、と戦士はいうが。

やっぱりかなり警戒されているらしい。

十河と言う人は頭が柔軟そうだったが、この土地にずっといる人達となると、やはり閉鎖的にもなるか。

クーケン島とそういう点では同じ臭いがする。

ちょっとあたしとしては、あまり嬉しくない。

街の広さは、クーケン島と同じくらいか。街の外側は溝が掘られていて、雑多な柵と見張り台がある。

これは防御施設に依存しているのでは無く、戦士の質でこの土地を守り抜いているのだとみた。

それはそれで凄い事である。

実際見張り台には、当世具足の戦士が一人はいて。

その実力は、あの十河さんと大差ないように思えるのだった。

「街の外は良いですか。 軽く肩慣らしに、この土地の魔物とやりあいたいんですが」

「……三人だけでか」

「いえ、後で皆と合流してからでかまいません」

「どの道城に向かう過程で嫌と言うほど魔物とはやりあうことになる。 この「坂井」から将軍様のいる「二條」までは普通だと急ぎで二日ほどだが、それは普段の話。 今は倍は掛かると考えるべきだ。 馬は外では危なくて使えたものではない。 せいぜい足を引っ張らぬようにな」

うん、冷たい。

だけれども、この人はいい戦士だ。動きを見ているだけでも分かる。

街を見ていると、さっき連れてこられた「腕自慢」達が訓練を受けていたが。どうやら予想通り。

けちょんけちょんにされている。

みんな一から鍛え直しだろうなあれは。

そう思ったが、何も言わない。実際船内でも、あんまり強そうな気配は感じなかったし、妥当だろう。

街の外の気配も、オーリム並みにきつい。

フィルフサも、此処では爆発的な侵略は不可能なのかも知れない。それくらいの魔郷である。

ふと、当世具足を着た、例のメイドの一族の人とすれ違った。

此処にもいるんだなと思って驚く。

屋敷に戻って、それで伸びをする。椅子がないから、座布団とやらに座りながらだが。

「タオ、それでどう座標は」

「どうせ徒歩で移動する過程で嫌と言うほど集まるだろうから、それでいいよ。 それよりも、治安が随分しっかりしているね」

「そういえばそうだな。 みんな荒くれなのに、人間同士で争う気配が殆ど無かった」

ディアンも、あの戦士の実力は肌で分かったらしい。

十河さんら当世具足の戦士は更に格上だ。

やはりこの土地は、事前に聞いていた通りの場所だと言う事だ。

「で、ライザ。 アトリエはどうするの?」

「まずは征夷大将軍という人に会ってからにしよう。 あたしとしても、最前線が此処とは思えないし。 出来れば最前線に近い街でアトリエを構えて、其処を拠点にしたい。 二條って言っていたっけ。 そこでこの屋敷くらいの広さの土地が貰えたら、そこに立ててしまおうね」

「アトリエを建てたら、門を開くんだね」

「うん。 少しでもデータは取っておきたい。 この土地がもし魔物を支えきれない場合、住んでいる人達が逃げるための道にもしたいからね」

恐らく神代の魔物なのだろうが。

此処にはあの高地にいたのと同レベルの輩がわんさかいる。特に北の地という場所には。そう判断して良いだろう。

クラウディアが来る。

作法について確認したというので、皆で共有する。

なるほど、格上の相手と話すときは、まずは平伏するのか。床に座る文化なのだし、それも当然かも知れない。

それにこの何かの植物で編んだ床、意外と清潔だ。

殆ど虫の気配もない。

それと細かいやりとりは、クラウディアがやるということだ。

パティとフェデリーカが、話をかわしている。

「今はかなり寒い時期だそうですね。 それで皆この肌の色と言うことは、元々肌の色が濃いのも納得です。 私の先祖が此処にいたと言うのもなんとなく分かります」

「ネメドみたいに常時暑いわけではないようですが。 それと随分と独特な文化ですね。 いずれアーベルハイムと正式な交渉をしないといけないので、この土地に対する接し方をお父様と相談しないと」

「早馬はクーケン島から出すつもりですか?」

「そうですね。 サルドニカよりクーケン島の方が近く着くようですので。 ただ、まずはアトリエですが」

ボオスはと言うと、腕組みしてメモした内容を見ている。

ちなみに、メモに使っているあたしの作ったゼッテルを欲しいと言われたらしい。クラウディアも、取引量を増やすつもりだそうだ。

ただ、この土地はとても閉鎖的なことも思い知らされたとか。

「禁足地に入ったら即座に斬ると何回か脅された。 あれは本気の目だった。 皆、気を付けろよ。 特に其処の三人な」

「うーん、先に禁足地の詳細を聞いておきたいね」

「同感だ。 ただの古い建物だったら、命がけで忍び込むほどじゃない。 しかしこの様子だと、ロマンの香りがビリビリするんだよなあ」

「そうだな。 門があっても、この魔物の質だと、フィルフサも簡単に侵攻はできないだろう。 この地に来たのは初めてだが、これほどの魔郷があったとは」

さて、そろそろ良いだろう。

あたしは手を叩く。

「よし、じゃあ街の周辺にいる魔物を叩くよ。 クラウディア、十河さんに許可を取ってきて貰える?」

「分かった。 この街の戦士達にも、ある程度力は見せておくのは私も賛成。 この街というか東の地では、強い人間は無条件で尊敬されるみたいだから、魔物を倒せば倒すほど、交渉もやりやすくなるはずだよ」

「腕が鳴るな。 ちょっとこの建物、風通しはいいが俺の背丈だと窮屈だったし」

「レント」

リラさんがレントをたしなめる。

確かに、ちょっと建物の背丈は小さい。

それは、あたしも認めざるを得なかった。

十河さんの許可を取り、街の東門から出る。北門から二條という土地に向かうらしいのだが。

この街の東には相応に強い魔物が出ていて、駆逐はしきれていないらしい。

ならば肩慣らしだ。

街から出るやいなや、わっと魔物が姿を見せる。ラプトル、それも凄い大きい奴ばかりである。

それだけじゃない。

のしのしと歩いてくるのは、今まで戦って来た要塞型の超巨大魔物……の小型版に見える。

彼奴らほどでは無いが、魔力量からして、空間を切り裂くような魔術を使って来かねない。

丁度良い。

全部ぶちのめす。

「行くよ! レント、あの大きいのを抑えて! 他の皆は、群がってくる連中を順次叩きながら、隙を突いて大きいのを仕留める!」

「おおっ!」

「散開!」

ざっと散る。

街の中から、かなりの数の「侍」が様子を見ている。この程度の敵に勝てないようなら、この先死ぬだけだというわけだろう。

結構結構。

だったら、此処で十河さんにある程度話を脚色して貰った方が良い。

ラプトルはでかいだけでなく動きが速い。かぎ爪で、容赦なく体を引き裂きにくるが、熱槍の直撃を浴びせてやる。なんとそれをシールドで受けに来るが、熱槍が一秒ほどの拮抗の末に貫通。

火だるまへと変えていた。

悲鳴を上げながら跳ね回るラプトルの首を蹴り折る。更に空中から、多数の熱槍を周囲に叩き込む。

フェデリーカの舞いは。更に鋭さを増している。このレベルの相手だったら、もう恐れもしないか。

レントが大型の猛攻を捌きながら、一撃を頭に入れる。さがる大型を見て、街の中からおののきの声が上がった。

「鬼を単騎で押しているぞ!」

「海向こうから来る奴らは、あの名人の一族以外は取るに足りないと思っていたが……!」

「あの魔術使いも凄まじい!」

ま、せいぜい褒めてくれ。

あたしは着地すると、水平に跳んで主力らしいレントの相手に襲いかかる。触手を振るって即時詠唱を終える魔物。小型とは言え、超ド級の魔物と同種なのだろうだけの事はある。

多数の真っ黒い何か得体が知れない槍を生成して、辺りにぶっ放す巨獣。だが、魔術の完成速度も、狙いも甘い。

残像を作りながら真横に回り込んだあたしが、渾身の蹴りを叩き込んでやると、一瞬後。蹴りを叩き込んだ向こう側から、巨獣の内臓が破裂して噴き出していた。

流石に即死する巨獣。

また、喚声が上がった。

 

4、鬼退治の者

 

十河上野介は重要拠点である坂井の街を任された侍大将であり、大小三十の北の魔物との戦に参加してきた歴戦の侍である。

だからこそ、馬上でライザリンという戦士の戦いぶりを見て、瞠目していた。

他の戦士達も名人と呼ぶに相応しい達人である事は分かっていたが、あのライザリンは頭一つ抜けている。

鬼に全く怖れずに挑み、それどころか蹴りで体内を粉砕して、炸裂させるようにして倒してみせた。

あれで職人としても超一流か。

凄まじい。

文字通り、歴史の転換点に現れる英傑だ。

馬上で息を呑む。

やがて、鬼と一緒にいたラプトルの群れも全滅。門を開けさせる。其処まででいい、という合図だ。

一緒に船に乗ってきた「腕自慢」どもは、戦いを見るだけで腰が引けてしまっている。やはりあれらが特別なのだろう。身に付けている装備も、なんだか格が違うように見えていた。

「鬼を含め、魔物の死骸を運び込め! 今日は宴ぞ!」

「大漁ぞ大漁!」

「名人の戦ぞ! 勝ち鬨を上げよ!」

「エイトウトウ! エイトウトウ!」

足軽達も、皆歓喜している。北の戦況が著しく良くなく、名人ガイア殿が連れてきた精鋭の力がなければ、二條まで侵攻を許しているかも知れない。

長い間魔物とやりあってきたが、どうしても戦士はいつも強い者がいるわけではない。気まぐれに攻めこんでくる魔物のせいで、侍は命を落としていく。そして魔物は平気で戻っていく。

鬼を倒せる侍はあまりいない。

ましてや単騎で迎え撃ち。その支援があれど、あの迅速な撃破。まさにほれぼれする戦ぶりだった。

武芸ある者を素晴らしいと思わない奴は、侍として失格。そう教育を受けてきたし。今では十河もそう心から考えていた。

戻って来たライザリンに、十河は声を掛けていた。

「天晴れな戦ぶりぞ。 今日の戦ぶりは、将軍様に必ずや報告させていただこう」

「ありがとうございます。 それで……一つ頼みがあるんですが」

「何かな」

「土地が欲しいのでは無くて、行動用の拠点をいただきたく。 屋敷が建つ程度の空き地を確保していただければ、此方でどうにかしますので」

なるほどな。驚天の技を用いるのだ。まあそれくらいはいいだろう。どれくらいの事が出来るのか、見てみたくもある。

十河は頷くと、将軍様にとりはかろうと約束していた。

回収したラプトルは、皮を剥ぎ骨を取りだす。全て無駄にはならない。肉も全て燻製にして蓄える。

坂井の西の方は田が拡がっていて、ある程度の安全圏を確保できているが、米は必要量を常に確保できるわけではない。西にだって魔物は出る。東に出ていたような鬼が出ると、侍大将が何人も戦死するような大戦になることも多いのだ。

鬼の死骸も回収するが。

基本的にこれは食べられない。

ライザリンどのが体内から何か回収していたが、それはどうでもいい。何かに使うのだろう。

大きな釜のようなものを屋敷で使いたいというので、好きにして貰う。

手足を失っている者はいないか。

そう声を掛けられたので、何人か呼ぶ。驚きだ。手足を作り出し、その者達にあてがうではないか。

稚拙な義手義足などとはまるで次元の違うものだ。手足としてほんものと見分けがつかず、きちんと動くようである。

流石にちょっと十河も怖くなってきた。

「驚天の技よ。 どうなっているのか……」

「出来るようになったのは最近です。 元々はこの世界にあった技術なんですが」

「そうか……」

征夷大将軍というのには、立派な意味がある。

この土地は、古くから夷とよばれる敵に襲われてきた。特に千数百年前に来た夷は、土地の者を奴隷にし、全てを奪い尽くそうとした。その者達と激しく戦い、多くを斬り捨てて土地を守った伝説の侍が最初の征夷大将軍だ。

以降、その夷がまき散らしたとも言われる鬼を主軸にした魔物と、東の地はずっと戦い続けている。

だから征夷大将軍は、この土地で一番偉い。

それはそれとして、皇と呼ばれる形式的にはもっと偉い立場にいる存在もいるのだが。ずっと侍が現実的には権力を握っており、それはあの夷の到来以来、ずっと変わっていない事実だった。

さきに早馬を出しておく。

これも馬を走らせるのでは無い。特別に訓練した鳥を飛ばす。馬だと、魔物のエサになってしまう。

どういうわけかラプトルは馬が大好物なようで、東の地全域にいるラプトルは、どれも馬を見つけると執拗に狙って来る。

だから馬は指揮官用だ。

基本的に戦場では使えない。いざという時に一気に間合いを詰めるときなどには使うが。基本は徒歩で戦うのが侍だ。

人間が相手だったら、話も違ったのだが。

「おお! 足が、動くぞ!」

「手の感覚がある! 何年ぶりであろうか、大太刀を握るのは!」

「すまぬ、この指も治せるか?」

ライザリンどのの神域の技を見て、部下達が無邪気に喜んでいる。手足を失うと、それで戦いには大きな枷が出来てしまう。それをどうにかしてくれるのであれば、本当に侍としては嬉しいのは分かる。

だがこの力。

手紙には送ってある。

ライザリンどのの武芸、比類なし。名人として来てくれているガイアどの達と同等以上の実力であると。

しかしながらその振るう力。

ひょっとすると夷のそれやもしれぬ。

常に警戒の目をつけられたし。

ライザリンどのは下々を助ける事をなんとも思わぬ様子。慈悲深きお方よ。更には魔物を仕留める事を目的に来てくださったと言う話でもある。

だがもしもライザリンどのが翻意した場合。

この土地は灰燼と帰し。

再度立ち上がる事かなわぬだろうと。

これは征夷大将軍に対する正直な報告だ。

今の征夷大将軍は、武芸よりも冷徹な知性で戦場を制御し、それで認められて征夷大将軍になった。

血縁制で征夷大将軍を決めないのがこの土地の良い所で。

基本的に最強の侍が征夷大将軍に就任し、戦えなくなると隠居して後続に技を渡している。

だから常に頭の質を保ててきたのだが。

だからこそに、ライザリンどのの頼もしさと。

危険性を同時に伝えなければならないのだった。

 

(続)