希望の泉

 

序、連戦の先

 

二つの雨が降っている。

オーリムの聖地、ウィンドルに。

一つは普通の雨。

空に舞い上がった何かしらの核を中心として水が集まり。それが下に向けて降り注いでいく現象。

もう一つは。

血の雨だ。

正確には血は流れない。

生物兵器と改造されてしまったただの寄生植物が、砕かれ、壊され、そして水に放り込まれて溶けていく。

激しい乱戦の中で、あたしはまた、将軍を捕らえる。周囲の随伴を、セリさんの植物魔術が、足下から突き上げて、根こそぎ空へと放り上げる。

将軍は相変わらずの巨体で、口を四方に開くと。其処から何かを伸ばす。その先端に光が宿る。

砲撃型か。

だが、やらせない。

加速。一気に至近にまで迫る。更に速く、パティが敵へ突貫。数体のフィルフサから攻撃を擦られつつも、それでも闘志を捨てず。将軍の横を通り過ぎながら、抜き打ち一閃。奴の口から伸びた砲撃器官に傷をつけつつ、更には振り返りざまの渾身の太刀で、足を二本、斬り飛ばしていた。

体勢を崩す将軍。

更に、投擲されたもの。

いや、放たれたもの。全体的な援護を続けていたクラウディアが、速射したバリスタみたいな巨大な矢。

それが複雑な軌道を描きながら飛んで。

将軍の砲撃器官に、正面から突き刺さったのである。

魔術だけなら効果はなかっただろうが。

クラウディアの魔力矢は、放つ時に小石などを核にして撃っている。それが速度そのままに突き刺さればどうなるか。

突き出された砲口が完全に明後日の方向を向く。

あたしは気合とともに踏み込み。

今砲撃しようとしていた将軍の口を、文字通り蹴り砕いていた。

悲鳴を上げて竿立ちになる将軍。

更にあたしは地面に手を突くと、回転しながらの連続蹴りを叩き込み。更に跳ね起きると同時に踏み込んで、渾身の蹴りを叩き込む。

雨で弱っている装甲が吹っ飛んだ瞬間パティが動き、フィルフサの将軍のコアを貫いていた。

それで、将軍が停止し。

地面に倒れ、動かなくなった。

離散するフィルフサ達。これで、この群れの将軍は七匹目。負傷者がかなり出ている。一度撤退。そう叫ぶと、カラさんも迅速に撤退せよと、オーレン族達に呼びかけていた。

ウィンドルに戻る。

回復術の使い手も出てくるので、手傷が浅い人は任せる。深手を負っている人もいるので、それはあたしが薬を提供する。

溶けるように傷が消えるのを見て、皆驚く。

手足を失う事がないように、処置は急ぐ。

指くらいだったらその内再生するらしいオーレン族だが、手足まで失うとどうしようもないのだ。

リラさんも長い戦いの中で、何度も指は失っているらしいので。

違う基準で見ながら、手当をしていく。

見た感じ手傷がない人がいるが、頭を戦闘中に打った戦士がいた。これはちょっとまずいかも知れない。

カラさんに手伝って貰って、出血を確認。

やはりな。

頭の中で出血している。これは時間差で効いてくる事が多い。エドワード先生の所でも、頭を打った患者の処置は何度もしている。

本来は頭を開いて血を抜くケースすらあるらしいのだが。

流石に今それは出来ない。

その代わり、錬金術の薬の秘奥を用いる。

高度な薬草……セリさんから提供して貰ったものを含めて、体を復元するものを用いる。これは簡単に言うと、傷を治したり、治す仕組みを促進するものではない。体を少し前の状態に引き戻すものだ。

文字通り驚天の薬だが、それでも仕組みは理解しているから出来る。

淡々と処置をして、戦闘前の状態に体を復元する。その結果、頭の中で起きていた出血は、綺麗に収まっていた。

カラさんが、ふうと嘆息する。

オーレン族の戦士は、記憶の一部も失ったようだが、それはここ数時間程度の話だ。カラさんが説明をして、あたしを不審そうに見たが。その程度のことははっきりいって仕方が無い。

今はともかく、完璧に手当てをすませることだ。

ウィンドルの戦士達は、とりあえず一人も欠けていない。

ディアンの手傷がかなり深いので、手当てをした後アトリエで休ませる。如何に頑丈とは言え、あらゆる生物を殺戮し、特徴を取り込んで来たフィルフサとは流石に比べられないのだ。

パティの手傷も見る。

やはりかなり深めに幾つかの傷がある。ただそれよりも、パティは家宝にしている胸当てが傷ついている事が悲しそうだった。

「もう少し回避が上手になれば。 私の傷は勲章ですが、胸当ての傷は恥です」

「そう考えないの。 この程度の傷だったら、後で直しておくよ」

「お願いします……」

「うん」

なるほどな。

パティも別の意味で頑固になって来ているのかも知れない。

今はこれで良いのかも知れないが。自分のものは兎も角、人命よりものを優先するようになったらおしまいだ。

だから、タオに言ってちょっと忠告して貰う必要があるかも知れない。

いや、あたしが言うべきか。

まあとりあえず、今はそれよりも。怪我の手当てだ。

此処三日の戦闘で、フィルフサの群れ……今交戦している、ウィンドル西側に展開している群れの一つは、かなり減ってきている。将軍を複数仕留めている事もあるし、王種の居所もだいたい見当がついている。

今は雨だ。

それを利用して風羽といわれる偵察専門の氏族が、物見をしてくれている。

対空攻撃手段ももっている事が多いフィルフサが相手になると、あたしの跳躍しての偵察はリスクが高いのだ。

専門家に任せて、今は体力温存をするべきだろう。

戦士では無いオーレン族が、炊き出しをしてくれる。

戦闘の後は誰でも腹が減る。

フィルフサのしがいは、かき集めて運河に放り込んで置くとしても。フィルフサには食べる場所もないのだ。

とにかく野性的な料理が並べられる。

フェデリーカは若干抵抗がありそうだったが、パティが何の躊躇もなく何か分からない肉を焼いたものを食べ始めたのをみて、それで勇気を出したのだろう。フェデリーカはパティに強い影響を受けている。

黙々と肉を食べ始めるのを見て、あたしも少し安心した。

食事は、巨大な木の下で行う。

ウィンドルは巨大な木がたくさんあるから、それの下だ。

昔はもっとたくさん巨大な木があったんだろうな。

そう思うと、少し悲しくもなる。

食べていると、クリフォードさんが来た。

「ライザ、少し良いか」

「どうかしましたか」

「少し木の上の方に上がって、様子を見てきた。 フィルフサの群れがかなり減ってきている。 恐らく決戦は明日になる」

「よし……」

今、オーレン族にとって、最後の清浄な泉と呼んでいる場所が。フィルフサの群れに脅かされている。

今の群れを潰せば、ウィンドルの西側に展開している群れは残り四つ。これらがかなり縄張りを変更することは疑いない。そうなれば、元々リスクが高い水場に踏み込んではこなくなるだろう。

時間は稼げる。

まずは、ウィンドルのオーレン族との連携を取る。

そのためには、ウィンドルのオーレン族にとって必要な事を錬金術で手伝い、信用を勝ち取るしかない。

勿論正論が通じて、それで理解してくれる人もいるが。

残念ながらオーレン族も、聖人ぞろいというわけでもない。

オーレン族は人間とはだいぶ価値観が違う。

特にエゴで好き勝手世界を弄くり回して平然とするような思考は、持ち合わせていないようだ。

だがやっぱり頑固者はいる。

そういった頑固者達の意見も、全て無視はできないのである。

既にフィルフサの群れを一つ潰した。もう一つ潰せば、態度がある程度柔らかくなるとみて良い。

今回はオーレン族の精鋭奏波氏族もでてくれている。

今までウィンドルを囲んでいたフィルフサの群れと、千三百年も戦い続けて来た精鋭達である。

だったら、大丈夫な筈だ。

あたしはそう言い聞かせながら、食事を頬張る。クリフォードさんは、それよりもと、ウィンドルの隅にある、なにか石積みみたいなものを視線で指す。

「俺としては、あれにロマンを感じる。 後で時間を作って、見てきてもいいか」

「分かりました。 フィルフサの群れを片付けた後に、ちょっと交渉して見ましょう」

「そうか、ありがたい」

「いえいえ」

異世界の遺跡。

それも、恐らくは何かしらの精神的な意味を持つ場所。

それはロマンを感じるだろう。

ここのところろくでもない先達の遺産ばかり見せられていたクリフォードさんも、流石に辟易していたのかも知れない。

だから、デザート代わりにああいうものを見ると。

まあ、気持ちはわかる。

休憩を終えると、また出る。今日はもう一体くらい、将軍を仕留められるだろう。奏波氏族の戦士も参加してくれる。フィルフサの群れは雨で動きが鈍っており、今が削り取る好機である。

伝令に出て来た風羽氏族の戦士が戻ってくる。

カラさんに耳打ち。カラさんは腕組みしていた。

「ふむ……少しばかり考えどころか」

「何かあったんですか」

「将軍が数体纏まっておる。 恐らく王種が近くにいると見て良い。 今は此方も意気が上がっておるが、こう言うときが一番危ない。 ライザ、敵を分散させる策はあるか」

「考えます」

此処で求められているのは戦術ではない。

対フィルフサの戦術は、此処で千三百年戦い続けた奏波氏族の方がずっと上の筈だ。

錬金術を用いて、何かできないかという事を聞かれている。

それくらいは、突撃嗜好のあたしでも理解出来る。

しばし地形を読む。

タオがこの辺りの地形を今まで出来る範囲で地図にしてくれているが、少し高い所がある。其処を抑えられれば。

ただ、将軍が一体、守りについているようだ。

迅速に仕留められれば、或いは一網打尽を狙えるかも知れない。まだあたしも、手元に水を吸い上げる道具をもってきていて。

それには、あたし達の世界の川から、蓄えた水が入っているのだ。

提案をする。

カラさんも、それに乗る。これなら、水による被害も最小限に抑え込む事が出来るはずである。

即座に攻勢開始。

奏波氏族の戦士達も、敵を各個撃破する好機とみたのだろう。いずれにしても、獰猛に攻勢を仕掛ける。

坂を駆け上がる形だから苦戦はどうしてもするが、それでも雨で弱っているのが何よりも大きい。

激しい戦闘の末に、フィルフサを次々と撃破する。前衛のレントは、オーレン族の戦士達が瞠目するほどの暴れぶりで道を切り開く。パティも、もう速度でも鋭さでもオーレン族のベテラン戦士に負けていない。

勿論他の皆も強い。

フィルフサはまとまって、必死の抵抗を仕掛けて来るが。カラさんが地面に手を突くと、地面がいきなり隆起して、フィルフサが空に投げ出される。それを見て、セリさんが即座に植物魔術を展開。

縦横無尽に走った蔓が、多数のフィルフサを一気に拘束する。それで、完全に道が出来ていた。

走れ。

叫びながら、あたしは敵の隙間を縫う。

見えてきた。

将軍だ。

彼奴を出来るだけ速攻して、更には水を流す道具を使う。

此処からなら理想的だ。

というか、既に雨が激しいこともあって、小川くらいの流れが、フィルフサの群れが布陣している地点に向けて出来ている。フィルフサの将軍数体が纏まって防御しようとしているが。

それもこの地点を抑えて。更に激しい水流を叩き付ければ。そう苦労せずに仕留める事が可能な筈だ。

将軍が何か鋭い音を発するが、その半ばにあたしが跳び蹴りを叩き込んでいた。装甲が弱っていることもあって、拉げる。更に泥を蹴散らして踏み込むと、連続して蹴り技を叩き込む。

「はあっ!」

踏み込むと同時に渾身の蹴り。

装甲の一部が吹っ飛ぶ。

コアが見えない。ということは此奴は多分コアを固定しているタイプだ。一瞬遅れて反撃が来るが、バクテンして回避。

ずんぐりとした防御主体の将軍だが、隠し腕をもっていて、それには鋭い鎌がついていた。

初見殺しの反撃策だが。

あたしはフィルフサとはもうそれなりに戦っている。こんな攻撃、今更貰う事もない。それに此奴らは、戦闘に次ぐ戦闘で消耗している。

よく淘汰に晒せば生物は強くなるなんて話があるが、あれは大嘘だ。

潤沢な数の中から人間にとって都合がいい形質のものが出てくる場合はあるが、それは別に淘汰したから出てくる訳でもなんでもない。

淘汰すれば種として弱る。

農家をこれでも落ちこぼれとは言えやっていたのだ。

それくらいは知っている。

将軍が再び何か音を発する。恐らくは救援を求めているんだな。あたしは再び飛び出すが、連続して隠し腕を展開した将軍が、続けざまに繰り出してくる。その一つを、飛び出してきたパティが一刀両断。

更にはレントが、一つをパリィして弾き返す。

六本繰り出された隠し腕だが、二本失えばそれで充分。隙間が出来た合間を、あたしが抜けると。

奴の体内……装甲の内側に、フラムを放り込んだ。

まずいと判断したのだろう。

必死に逃れようとするが、起爆。装甲の内側で炸裂したフラムが、将軍を内側から粉砕する。

ただしそれでもフィルフサの装甲。

木っ端みじんになることはなく、全身から炎を噴き上げたが。

それで終わり、倒れ伏して動かなくなった。コアが破損したのは明らかだった。

将軍麾下の雑魚が逃げ出す。やはり今の将軍が発した音は救援を求めるものだったのだろう。

かなりの規模の群れが動いているのが見える。

好都合だ。

「カラさん!」

「うむ! 皆、追撃は中止! 其方に移動せよ!」

「分かりました!」

すぐに移動。敵を誘引する。フィルフサの群れがかなりまとまって突撃してくる。地形も何も踏み砕きながら。

この辺りは木々も残っている。それらも全て蹴散らしながら。

自分達だけで自己完結している生物だ。

自分達以外の生物は必要ない。

フィルフサが全てを蹂躙した後。

フィルフサからコアを収穫し。

「清浄な世界」だとか「美しい世界」だとかを神代の錬金術師は作るつもりだったのだ。それは色々なデータから明らかになっている。

これが、何が美しい世界だの清浄な世界だのか。全く逆だ。

殺戮と破滅だけが此処にある。

必要な犠牲だとかしたり顔で言うかも知れないが。

自分らは一切犠牲を出さずに何をほざくかという言葉しか出てこない。いずれにしても、駆逐する。

水を吸い上げる装置を逆転。

水を一気に放出する。ただし全部ではない。相応の量に調節はした。

大雨に加えて、大量の水が、濁流となって迫り来ていたフィルフサの群れを直撃する。

ただでさえ密集していたフィルフサの群れは、それから逃れる術が存在しなかった。文字通り押し流される。小型のフィルフサは、これだけでもはや動きを止める。中型も、もがいているうちに動けなくなる。

大型は耐えていたが、それでも体が崩れて行く。

王都近郊の門の先で戦闘した群れが如何に異質だったか、よく分かる。

将軍ですら、水には抵抗できず。必死に魔術などで水を散らそうとしていたが、やがては水の暴力に押し流されていった。

水をとめる。

フィルフサの将軍数体は綺麗に全滅。その麾下の群れも。

呼吸を整えると、負傷者の手当てをと叫ぶ。

あたしが薬を提供する。荷車にすぐにタオとフェデリーカが走り。負傷者に呼びかけた。負傷者は当然出ている。

カラさんが、顎をしゃくる。

今の濁流から逃れた、巨大なフィルフサ。

蟷螂に似ているが、ずっとずんぐりしていて、面構えも凶悪な奴が来る。オーレン族の戦士達が、一気に緊張するのが分かった。

王種だ。

だが、雨の中。

更に濁流で押し流されはしなかったものの、直撃を受けている。相当なダメージが入っているのは間違いない。

「体勢を立て直す前に潰す。 総力戦!」

「任せておけ!」

カラさんが、麾下の無事なオーレン族達に指示。

あたしも頷くと、最前衛に混じって突入していた。

 

1、ひとまずの安全確保

 

王種の首をウィンドルの里に運ぶ。

まあ首と言っても、フィルフサの本体は甲殻だ。内部にあるコアを砕くと動けなくなるだけ。

ウィンドルの一角に蔵のような構造物があり。

其処に今まで倒した王種の一部が修められていた。雨に濡れて朽ちているそれらのなかに、さっきしとめた王種のものが加わった。

「これより我等は祖霊に祈りを捧げる。 そなたらは、戦力を再編制してくれ」

「分かりました。 手当てと物資の補給をしておきます」

「うむ……」

オーレン族の負傷者も手当てを済ませる。

祖霊への祈りが先だと言う者もいたが、カラさんが負傷を先に直せと一喝。そうすると、従うのだった。

思った以上に強権的な長老であるらしい。

ただそれも仕方が無いか。

混乱期には権力を集め。

安定期には権力を分散する。

タオが言うには、これが基本であるらしい。

オーレン族も似たような事をしているのだろう。ただオーレン族は、もともとこんな数で集まって暮らす種族ではないようだけれども。

アトリエに戻る。

手酷く傷を受けていたクリフォードさんだが、もう無事そうだ。空中戦で陽動をしている間に、何度か対空攻撃を貰ったのである。手傷は骨が見える程だったが、薬を塗り込んでもう回復している。

このウィンドルの里にはレベル違いの薬効をもつ薬草が幾らでもあるので、セリさんがそれを見つけて来てくれる。

あたしはそれを調合する。

それで充分に、皆を助ける事が出来る。

無心になって他の皆は食事をする。

フィルフサは食べる事が出来ないが、持ち込んだ燻製肉がなんぼでもある。というか、竜風の話をするべく一度フォウレの里に戻ったときに、更に燻製肉は補充してきたのである。

ウィンドルに来てから、小型の動物しか目にしていないが。

大型はみんなフィルフサに殺されただろう事は容易に想像がつく。

勘違いされやすいが、大型の生物ほど環境の変化には弱い。フィルフサによって土地の環境が根本から破壊された今のオーリムでは、ほぼ大型の生物は生きることが出来ないと見て良いだろう。

食事を終えた後は風呂にして。

それが終わったらさっさと寝る。

あたしもそうする。

起きだして、外に出ると、祖霊への祈りというのは終わったらしい。オーレン族の戦士達が、既に見回りだの何だので動き回っているのが見えた。

あたしは伸びをすると、まずは周囲を確認。

ウィンドルを囲んでいるフィルフサの群れはこれで六つか。八つあったうちの二つを潰した事になる。

西側はまだ層が厚いが、これで間近の危険はなくなった。

それに、だ。

調べて見た所、王種は基本的に自然発生しない。

王種は全てが元々作り出されたものだったのだ。神代の錬金術師達は、如何にしてフィルフサを滅茶苦茶に改造したのか、克明に記録を残していた。王種は基本的に全てがカスタムされたものであり。

それぞれ役割に応じて違う行動を取っていたという。

ただ、それはそれとして、母胎となる土壌から情報も吸収はするらしい。

しかも母胎となる土壌は、数千年ほどで全てクリアになり。フィルフサは勝手に死滅する仕組みになっていたそうだ。

要するに、フィルフサを家畜として収穫しやすくするための仕組みが全て整えられていたわけで。

このまま行けば、フィルフサも自滅は避けられないと言う事だ。

なんだかフィルフサが可哀想にすら思えて来る。

命を文字通り弄んだ連中は、あたしに鍵遊びを押しつけてきて。その後は一体何を目論んでいる。

頭に声が聞こえてくる。

前は殆ど聞き取れなかったが。

少しずつ、内容がクリアになって来ていた。

「汝選ばれしもの。 鍵もて万象の大典に至れ」

恐らく、そういう内容だ。

今までもたまに聞こえていたのだが。

要するにあの扉の先に来い、という意味なのだろう。

はっきりいってそうかそうか、という感じである。

扉の向こうに行ったら、貴様らの全てを焼き尽くし破壊し尽くしてやる。そう決めてもいる。

あの群島に集まった錬金術師達は、神代に憧れ、神格化し、そして辿り着く事を夢見ていたのだろう。

馬鹿馬鹿しい話だ。

全員ぶん殴って、目を覚まさせてやるべきだったのだろうか。

いや、それももう分からない。

いずれにしても、既に神代の思想を受けついだ錬金術師は、歴史の表舞台には存在していないのだから。

体操を済ませた後、アトリエに。

軽く起きだしてきた皆とミーティングをする。

カラさんもいつの間にか混ざっている。この人の隠行は凄いな。そうとしか言葉が出てこない。

「丁度カラさんがいるので聞いてみるけれど。 カラさん、状況はどうですか」

「まず西側の問題は一旦は落ち着いたな。 確認されている西側の群れは残り四つ。 これらのうち一つは南西に存在している事は明らかなのだが、それ以上の事はよう分かってはおらん」

「姿を殆ど見せないんですか?」

「そうなるな」

タオがそう聞き直すと、カラさんがその通りだと認める。

フィルフサの性質的に姿をあまり見せないと言う事は、それは要するに。

恐らく何かを守っているのだ。

錬金術師に命令されて。

「他の群れ三つは」

「比較的広めに散らばって、ゆっくり移動しながら包囲を作り続けておる。 以前は更に東に二つ、西に一つの群れがあったのだが。 これらは数百年を掛け、大きな犠牲を出して滅ぼした。 ただ我等の被害もそれで補填できておらん」

そうだろうな。

墓で弟はまだ五十歳だったのにと嘆いていた人がいた。

人間で言う十二〜三歳くらいだったということだった。

そういう戦士が戦線にでるような状況だ。

状況が良いわけがない。

「ともあれ、西の圧力は減り、東に至っては完全に道が出来た……といいたい所ではあるのだがのう」

「まだ何か問題が」

「西側は危険すぎて、状況の確認が難しい。 これから精鋭を集って聖地の泉の様子を見に行く。 大事な水源の一つよ」

「それならあたし達がいきますよ」

勿論、最初からそのつもりだ。

カラさんは少し考え込むと、それでは頼むかと言ってくれた。薬の補充をまずは先に済ませておく。

爆弾は、ある程度余裕があるか。

出るのは昼過ぎになる。そう告げると、カラさんは一旦オーレン族との話し合いに戻って行った。

まずは薬を増やす。

セリさんは植物魔術で多数の植物を保全しているが、それも無限とはいかないらしい。種や株を魔術で自分の世界とでもいうべき場所に圧縮して保全して、それを展開しているらしいのだが。

それでもやはり、ウィンドルの質が高い薬草は、人間の世界で旅をする間に使い切ってしまっていたらしかった。

ウィンドルでまた採取し直して、しばらくはもつということだ。

薬草を提供してくれたセリさんは、少し外で仕事がしたいという。

内容については、人間界で品種改良を続けて来た、汚染除去用の例の植物らしい。

昨日潰した群れの母胎となっていた土壌は既に見つけているそうで、そこで実験をするとか。

レントが立ち上がる。クリフォードさんも。

「護衛するぜ。 あんたの実力は知っているつもりだが、それでも手数があった方がいいだろ」

「右に同じだ。 というか、少しウィンドルを見て回りたいんでな」

「ありがとう。 頼むわね」

セリさん達三人が出ていく。

タオは研究所から集めて来た文書の分析。アンペルさんは、主にエミルという錬金術師が残した資料の解析をしてくれている。

アンペルさんによると、今四割程度という事だ。

「日記などは既に解読が出来ている。 大半はくだらない雑事ばかりだが……サルドニカという街を復興させた話が記載されていたな」

「ああ、やっぱりエミルって人がやったんですねあれ」

「そうなる。 エミルはその時既に五十の坂を過ぎていて、相当に焦っていたようだ。 そんなときに神代から脈々と受け継がれてきた歪んだ特権意識をくすぐるような囁きを受けて、群島に向かったようだな」

「サルドニカから錬金術師がいなくなったのは、恐らくはそれが理由の一つでもあったんですね」

頷くアンペルさん。

実際、エミルと言う人は、小金を稼ぐ程度の事には興味も無かったらしい。

フェデリーカの家に伝わっていたペンダントの竜の紋章については、既にその存在を神代のものだと知っていて。

あこがれから彫ったものであるらしいことも分かってきていた。

つまりサルドニカと神代はなんら関係がなかったということで。

それが分かっただけでも進展だと言える。

ただ、サルドニカの鉱山などは、神代のものである可能性が高い。調査が必要になってくるだろう。

ボオスとクラウディアが、オーレン族と話に行くと言う。それを聞いて、リラさんも立ち上がっていた。

「私が護衛につく。 二人だけで話しに行けば、必ず問題が起きるだろう」

「分かりました、護衛をお願いします」

「私もついてきます。 今後オーレン族の人達と交流をするのであれば、私も状況を知っておく必要がありますので」

パティも立ち上がる。

ディアンは外で鍛錬をするという。

あたしが作った鍛錬用の魔物の形を外に出しておくので、技を幾らでもぶつけていいよと言っておく。

ちょっとやそっとでは壊れない。

後フェデリーカが残ったが、黙々と菓子を焼き始める。

焼き菓子は砂糖を多めに入れておけば殆ど腐る事はない。しかもコンテナに入れておけば、冷気魔術の事もあってまず傷まない。

頭脳活動で焼き菓子を大量に消耗する事を理解しているフェデリーカが、自分にできる事を率先してやっていくのは、とても良いことだとあたしも思う。

あたしは調合だ。

試行錯誤して、更に薬効成分を上げていく。

更には、皆に強化を更に掛けるための薬も作っておく。

こういう薬は体に悪影響を与える事も多いのだが。

あたしはそこら辺は調整して、体に悪影響が出ないように、しっかり調整を入れておく事にする。

無心で調合を淡々としていると。

やがて、セリさん達が戻って来ていた。

「どうですか、セリさん」

「様子見だけれども、根付きは悪くないわね。 このまま上手く行けば、フィルフサの母胎を滅ぼせる可能性が高いわ」

「セリさんの魔術、植物の育成を促進できるんだもんな。 農家の十数日分の苦労が一辺に終わるぜ」

「確かにそうだけれども、植物の生命力も消耗させるの。 強い苗が必要だったのは、それに耐えられるものを育てるためだったのよ」

レントとセリさんが普通に会話している。

クリフォードさんはうきうきでメモを出して、タオと話している。何やら面白そうなものを見つけたそうで、二人で盛り上がっていた。

続いてボオスとクラウディアが戻ってくる。リラさんが少し疲れた様子で、ソファでごろんと猫になる。

あたしは二人の話は特に聞くつもりはない。

クラウディアの話している内容の断片を聞くと、やはり商売関連らしい。ボオスはというと、此処でどういう社会体制が作られているのか、興味があるようだ。

ボオスとしても、クーケン島を今後どう変えていくのかが、大事なのだろう。

それはよく分かる。

一番拗らせていたときだって、将来の事をボオスは考えていたのである。

自分の行動の結果、ウラノスさんらを戦士として再起不能にしてしまって、それで大いに反省はして。

それにキロさんと出会って変わったが。

やはり当時歪んでいても、当時からクーケン島の事を第一に考えて行動はしていたのだろう。

今もそれは変わっていない。

ディアンが汗を掻きながら戻ってくる。

ウィンドルはかなり涼しいのだが、それでも大汗を掻くくらい鍛錬していたという事である。

フェデリーカはたんまり焼き菓子を作って、それをコンテナに入れる。

あたしも薬の補充は、ほぼ終わっていた。

「昼食にするよー」

「ああ、それならパイを作るね。 いい果物が手に入ったの」

「果物」

「ええ。 フィルフサの群れを潰すのに最大貢献したからって、オーレン族の人達がわけてくれたんだよ。 ええと、緑羽氏族の派生の氏族だって」

セリさんが顔を一瞬だけ上げたが。

興味を失ったようで、話には加わらない。

カラさんにちょっと説明を受けたのだが、なんでも氏族というのは総長老のカラさんですら把握できていないくらいあるそうで。

しかも皆が好き勝手に作るものだから、知らない氏族が作られているケースも想定されると言う。

それはまた、凄い話だなと思う。

しかもだ。それで争いがオーレン族どうしで起きないのだ。

あわない者は、氏族を別にしてしまって、それで関わらない方針を採るのだろう。

個として優れているオーレン族だから出来る生き方なのかも知れない。

そう、あたしは思う。

パイをクラウディアとフェデリーカが焼いてくれるので、それを待つ。このアトリエは、あたしが文字通りいちから全て作りあげた。全部知っている。何か不具合があったら直せる自信もある。

だから、安心して任せて、しばらく待っていると。

肉のパイと、果物のパイと。他にも色々出て来た。

実においしそうだ。

有り難くいただく事にする。

しばし食べていると、またいつの間にかカラさんが混じっていた。ただ、側近二人は、後から入ってきて。それで複雑そうな顔をしていたが。

「食事とトイレが終わったら、例の場所への護衛させていただきます」

「おう、任せるぞ。 それで、その二人もつれて行く」

「分かりました。 見た所、あたし達が護衛しなくても大丈夫くらいに強そうではありますけれど」

「いやいや、今のそなたは存分に強いぞ」

そう言って貰えると嬉しいが。

ただ、そんな風に面と向かって褒められると、どうせ調子に乗ってろくなことにならないだろう。

いや、そうやって試しているのか。

可能性はあるかもしれないな。

ともかく、食事を終えると、すぐに出る事にする。

フィルフサとの戦闘を昨日した事もあって、まだ地面はかなりぬかるんでいる。

群れが一つ潰れたこともあって、斥候が出て来ているようだ。

斥候は見つけ次第処分する。

将軍が斥候に出てくる事はなく、基本的に小物しかいないが。

それでも、一体でも生かして返すと、後が面倒なのである。

時々、数人でまとまって行動しているオーレン族の戦士と出会う。カラさんが話を聞いて、情報を交換。

やはり斥候が出て来ているようで、事前にそれを潰して廻っているようだった。

そういえばリラさんも似たような事をしていたんだったな。

四年も前の、クーケン島近辺での事だ。

オーレン族では、フィルフサ対策は周知だったと言う事だ。まあ千三百年も戦い続ければ、それはそうだろうが。

丘の方に行く。

空気が澄んでいる。というか、これ。

虹色に輝く塊を見つけて、あたしは思わず飛びついていた。

護衛の一人が訝しむ。

「どうしたライザ殿」

「これ、ひょっとして……間違いない。 セプトリエン!」

「おう、そういうものか」

「あたし達の世界では見つからない、最高純度の魔石です。 オーリムではこんな、その辺りに落ちているなんて」

ちょっと流石に驚いた。

調べて見ると、今まで集めたセプトリエンに比べると密度は決して高くはないようだけれども。

それでも充分過ぎる程の価値がある。

今までは使うとそれこそトラベルボトルに潜って、命がけで補充していたのだが。

フィーが物欲しそうに懐から見ているので。たくさん見つかったらね、と答えておく。

嬉しそうなフィー。

この間酷いものを見せてしまったから、まあご褒美も必要だろう。

他にも、高純度の鉱石など、ゴロゴロしている。

これは恐らくだが。

オーリムにわざわざ神代が侵攻したのは、こういった資源だけが欲しかったからだろう。そう、ものだけが欲しかった。

オーリムに生きている人は、全部神代の連中にとっては邪魔だった。

だから始末する算段を立てた。

本人達の言葉がそれを裏付けているが。

神代の連中を引き寄せた手つかずの資源を見ていると、語られなかった理由もまた見えてきてしまう。

これはロテスヴァッサに集まった錬金術師が、身の程知らずの侵攻作戦を考えるわけだ。これらの資源について、情報が神代から伝わっていたのだろう。まあ、根絶やしにされてよかった。

今後オーリムと上手くやっていくためにも。

此処にあるものを、オーレン族の財産と考え。

とっていいと言われたものだけ回収する。

それくらいの思考は、必要になる。

それに、考え無しに人間を入れれば、絶対に悪さをすると言う前提でものを考えなければならない。

最初は防げるかも知れないが、世代を重ねれば絶対にそれも上手く行かなくなる。

その辺りも、交流を前提に動くのであれば。

考えておかなければならないだろう。

「カラさん。 この辺りの魔石、いただいてもよろしいですか」

「とりすぎなければな。 そなたがそのような事をするとは思ってはおらんが」

「はい」

よし、とりあえずあたしが使う分程度は確保できるか。

途中で遭遇したフィルフサは全て片付ける。木も多少はあるが、殆どは手酷く傷つけられている。

身を寄せ合うようにして、フィルフサから隠れているちいさな動物たち。

小さい動物くらいしか生き残れなかったのだ。

フィルフサを始末すると、こわごわとこっちを伺っている者もいる。

あたしは嘆息すると、先に進む。

かなり坂が険しくなってきて、フェデリーカが音を上げはじめる。

「ちょっと、坂、きついです……」

「背負う?」

「いえ、歩きます……」

あたしの提案を、フェデリーカが断る。ただ、栄養剤は渡しておく。

坂道を延々と行くのは、結構しんどいのだ。戦闘がいつ起きてもおかしくないから、備えておかなければならないというのもある。

坂を登ると、皆がさっと構える。

辺りが荒らされている。周囲を念入りに確認するが、どうやらフィルフサはいないようである。

武器を降ろす。

「この辺りまでフィルフサが進出していたのだな。 水も多いと言うのに」

「それだけ西側での繁殖が著しかったということでしょう。 今回群れを一つまるまる始末できたのは良かった」

「ああ、そうであるな……」

カラさんと側近が、そんな風なことを話している。

あたしは周囲を一旦見て回り、フィルフサが何をしていたのかを確認しておく。これは、恐らくだが。

引きずられていった跡。

血の跡。

母胎の土に混ぜるべく、この辺りに住んでいた生物を、殺して回っていたのだろう。

そういう習性に造り替えられたのは分かっているが。

それを本能でやるように性質を造り替えた神代の錬金術師の、計り知れない悪意を感じてしまう。

「この辺りの生態系は……全滅ですね」

「そうか。 再建に時間が掛かろうな」

「先があるなら、そちらも確認しましょう。 ひょっとしたら、無事かもしれませんから」

「……」

あたしは促して、先に進む。

全ての可能性が失われたわけではない。

この先には大事な水源があると言う。水源というならば、フィルフサも簡単に立ち寄ることはできないだろう。

無言で歩く。

やがて、不意に空気が澄んだのが分かった。

辺りを見回す。

良い空気だ。

草もたくさん生えているが、セリさんが、前に出てある一株を手に取っていた。

「これは……ドンケルハイト!」

「!」

あたしも知っている。

確か日蝕の日にしか咲かないという凄い珍しい代物だ。あたし達の世界でも存在しているらしいのだが、同じ植物がこっちにもあるのか。人間と交配できるオーレン族といい、オーリムとあたし達の世界には何か関係があるのかも知れない。

いずれにしてもドンケルハイトだ。薬効成分がものすごいとかで、欲しかったのだが。

念入りに調べていたセリさんが、種を回収する。周囲にドンケルハイトの種があったらしく、それを集めてくれた。

「此処にあるドンケルハイトは触らない方が良いですよね」

「ええ。 絶対に触らないで。 私が育てて、出来た分を貴方に渡すわ」

「お願いします」

美しい泉が、周囲に拡がっている。動物もそれなりの数がいるようだ。

良かった。

どうにか無事なようだ。

しかし、至近までフィルフサが迫っていたのも事実である。これはもう少し間引かないとまずいだろう。

辺りを調査して、フィルフサの痕跡を調べておく。

先に退治した群れの痕跡で間違いないようだが。

それでも、時間を掛ければ別の群れが来るだろう。

セリさんが、提案する。

浄化の植物を、この辺りに植えておくと。

少し下の辺りは、フィルフサがあらして、かなり生態系がやられている。再建が難しい。

だったら防波堤にする必要があると。

ただ、ある程度面倒は見なければならないとも。

「緑羽氏族の者に情報を共有します。 ここまで護衛をお願い出来ますか」

「そなたがやらぬのか」

「私は元を断たねばなりません」

カラさんに、セリさんが断言する。

リラさんも頷く。

カラさんは、長老としての厳しい目で二人の様子を見ていたが。やがて、許可を出していた。

「分かった。 いずれにしてもこの聖域を荒らすものは許されぬ。 次の群れが来るにしても、数年は時間を稼げよう。 その間に、何か対策を練らなければな」

対策、か。

あたしは思う。

フィルフサは都合良く作られた存在だ。そもそも存在そのものが摂理だとかに反しているとみて良い。

神代の錬金術師の技術を解析し尽くせば。

或いは、まとめて滅ぼす事も可能なのではあるまいか。

いや、滅ぼすというのは少し違うか。

元々フィルフサは、ただ虫に寄生して、ほそぼそと乾燥した地域で存在していた寄生生物だった。

それも別に真社会性を構築していたわけでもなく、ドラゴンと戦えるような戦闘力を有していたわけでもない。

王種に至っては全てがカスタム個体であったことも分かっている。

下手をすると、生物をまるごと神代の連中が王種に改造した可能性もある。あの「蝕みの女王」は人型だった。

だとするとオーレン族の戦士や。

或いは神代の連中が見下していた錬金術師以外の人間を使った可能性もある。

それらの解析が完全に終われば。

こんないちいち被害を出しながら戦わずとも、フィルフサを皆殺しに……いや。もとの特に寄生する虫以外には害もない寄生生物に戻せるかも知れないのだ。それだって、寄生する虫と構築していた生態系で、文字通りの自然な姿であろうに。

泉から戻りながら、あたしはその可能性について考える。

ただ、皆に話すのはもう少し先だ。

もっと解析を進めて。

その結果、やらなければならない事だった。

 

2、包囲網の突破

 

聖域の一つである泉の開放に成功。

ウィンドルに戻った後、その話をカラさんがする。やはり至近までフィルフサが迫っていたこと。

それを聞くと、オーレン族はみな怒りの声を上げていた。

それはそうだろう。

あたしだってこの立場だったらキレる。

あたし達に対する怒りだって向くかも知れない。

ただ、それについて刺激しないように、しばらくアトリエの中で様子を見守る。

「わし自身が側で見定めたが、今の時点であの者達は以前来た連中とは違う。 もし同じであればフィルフサと命がけで戦う事も、フィルフサをあのような姿にしたことで怒ることもなかっただろう」

「総長老。 しかし……」

「今は順番にものごとを片付ける。 風羽のものはいるか」

「はっ!」

前に出てきた、歴戦らしい戦士の一人。

名前の割りにはずいぶんとごっつい容姿だが、まあ長距離を走り回るのであれば、ガタイが必要だろうなと思う。

それに、何よりもだ。

単身で生き残らないといけないのだ。

だとすれば、個の戦闘力が高いのも当然だろう。

「フィルフサどもの包囲はこれで崩れている。 各地の聖地に伝令を出せ。 生き延びているようなら状況を確認せよ。 もしも少数しか生き残りがいないようであれば、ウィンドルへと集めよ。 この土地はもはや死地に非ず。 オーレン族の最後の希望であるとな!」

「ははっ!」

即座に数名の風羽氏族の戦士達が動き出す。

あたしはそれを見届けると、皆に先に話をしておく。

「さて、これからだけれども。 あたしの意見を先に言っておくね。 あたしはフィルフサの群れをもう一つ二つ潰したら、群島に戻って門をもう一度調べようと思う」

「理由について聞かせてくれ」

リラさんが、分かりやすく率先して声を掛けてくれる。

頷いて、あたしもそれに応じる。

「まず第一に、フィルフサの群れをもう一つ二つ潰せば、ウィンドルの戦士達は存分に此処を守りきれます。 今までも守りきれていましたが、優勢が決定的になると思うんですよね。 そうなれば、じっくり時間を掛けて、周辺の安全を確保していく事が出来るかと思うんです」

「そうだな、この場所にいる奴らはつええ」

「ああ、みんな竜巻みたいだったり大雨の川みたいだったりだ」

レントもディアンも同意する。

咳払いすると、あたしは続けた。

「アンペルさんの解読がそろそろ終わると思うんです。 そうなれば、あの群島の門で何を神代の連中が仕掛けたのか、分かる可能性も高い」

「……」

「あたしは、神代の連中を許せません」

皆を見回して、そうはっきり言う。

勿論内臓を引っ張り出すとか、脊髄を引っこ抜くとか、そういう話はしない。

あたしは散々戦闘をこなしてきた。

生きるために殺してきた。

だが、それでもだ。

遊んで殺した事は無いし。キショイからとかいう理由で命を奪った事もない。

神代はそれを平然とやり。

後代の錬金術師はその思想を受け継いだ。

思想というよりも驕り。

驕りを通り殺して呪いだろう。

呪いをばらまいた根元は、今、ここで。

全て滅ぼし尽くさないといけないのである。

「もしも神代の本拠地……カラさんが乗り込んだという場所につながる道だったりするのなら……あの扉を解析する価値はあります」

「ライザ。 その意見はもっともだが、問題は神代の錬金術師が、わざわざ鍵まで渡して来いと促していることだ。 扉を開けた先には罠がある可能性も高いぞ」

こう言うときに、リラさんがしっかり指摘してくれるのは嬉しい。

まあリラさんは猫みたいにソファに転がっているのだが。

この人は戦闘モード以外の時は意外とダラダラしているので、まあそれについては皆も黙っている。

多分、必要がない消耗はしない主義なのだろう。

それ自体は、ごくまっとうなことなのだから。

「罠上等。 全部喰い破って、その奧にいる奴らの喉を噛み裂くだけです」

「相変わらず例えが物騒だな……」

「私も許せません」

パティがボオスの言葉に続いて言う。

パティは王都で性根が腐りきった貴族を散々見てきた。だから分かっているのだろう。

それらの思想の根元になった連中がいるのなら。

この世から綺麗さっぱり消し去らないといけないと。

この世からでもだめだ。

あらゆる次元から、あらゆる世界から。

全て消し去らないといけないはずだ。

パティの考えは厳しいかも知れないが。文字通りの諸悪の根元である。

世の中には確かに正義と断言できるものも悪と断言できるものもない。それはあたしも分かっている。

クーケン島で物わかりが悪い老人達を相手にして説得を続けてきたから、嫌でも知っている。

だが、それでも。

神代とやらのやらかしたことは度が過ぎているし。

ずっとまき散らしてきた呪いと。

他の存在を見下して一切敬意を払わない行動は。

許せるものではなかった。

「とりあえず、僕は賛成する」

「タオ」

「僕も初めて人間を本気で許せないと思った。 神代の錬金術師の残したログは、調べれば調べるほど、際限なく甘やかされて他の存在を否定していいと考えた者達のそれなんだ。 そういう連中が何かの間違いで、最強の力を持ってしまった。 挙げ句自分達を神格化し、その神格化が後の時代まで悪い影響を与え続けた。 彼等がどうなったかは分からないけれども、墓があるなら文明の痕跡を残さず消し去る必要がある。 もし生きているのなら、一人残らず殺し尽くす必要がある。 この世界にいる全ての生物の敵だよ彼等は」

タオが此処まで過激な事を言うのは初めてかも知れない。

神代の錬金術師集団が何処かにいて。其奴らの家族やら子供やらがいるなら、その時はその時で対応を考えなければならないが。

いずれにしても、この狂った思想と呪いをばらまき続けるのなら。

その全ての排除が必須だ。

タオが言うとおり、この世界の。あたし達の世界も、オーリムも含めて。

世界全ての生物の敵だからだ。

神を自称するものは悪魔そのものに一番近い。

その生きた事例が、目の前至近にあるのだ。

「まあ、俺も概ね同意だ。 ぶん殴って済ませられる問題ではないな」

「ああ。 ちょっと許しがたい」

レントもボオスもタオも同意か。ボオスはリアリスト寄りの人間だが、それでも超えてはいけない一線はあると身を以て知っているのだ。

リラさんとセリさんは、言うまでもないという顔をしている。

アンペルさんは、重い口を開いた。

「最初にロテスヴァッサの王宮に招かれたときの事だ。 私はあまり幼少期の記憶がなくてな。 錬金術を覚えたのも偶然からだった。 周囲は私と同年代の筈だが、みんなずっと年上に見えた。 私が実年齢を言うと皆驚いて、それでその後に私を実験動物として見始めた。 それはもう……どうでもいいことだが。 当時、錬金術師達がずっと口にしていた事がある。 栄光の時代を取り戻せ。 我等の手で、世界を好き勝手に出来る夢の時代を取り戻せ、とな。 欲望にぎらついた目は、モチベーションを産んでいたが。 同時に私には、とてもおぞましいものにみえた」

そうか。

確かに身の程知らずのオーリムへの侵攻を目論むような連中だ。

当時のアンペルさんから見ても、反吐が出る連中だっただろう事は、容易に想像がついてしまう。

アンペルさんの言葉にある事が、今なら分かる。

まだ、呪いは残り。

継承され続けていたのだ。

なんでもかんでも好き勝手に世界を弄くることが出来る力。

それは要するに、神代の錬金術師が後の時代に残した呪いだ。

錬金術はただの技術。

使い方次第では、フィルフサから世界を守れるし、多くの人を幸せにすることが出来る。だけど、クズが使えば。

その時には、錬金術は最悪の凶器になる。

神代は、まさにそれだったのである。

恐らくだが、あまりにも大きすぎる力と、歪んだ成功体験が神代をそうさせたのだ。元より神代の錬金術師が生きた時代は、欲望を肯定し、強い人間は何をしても良いという思想が蔓延っていたようだ。

その影響を受けたのだとすれば。

人間は、無駄に数ばっかり増やすべきでは無かったのかも知れない。

今、世界中で数を減らした人間は魔物に押されている。だがその結果、ある程度皆で協力しないと生きていけないことが可視化されている。

王都みたいな井戸の底だと、現実を理解出来ていない貴族なんてアホ共がいたけれども。

あんな連中は、パティが全部地獄の底に叩き落とした。

このくらいの数で、人間は良いのかも知れない。

あたしはそう思う。

あたしがやるべきは、錬金術を良い方向で使う事なのだろうが。

それは恐らく、人間の社会を発展させて、魔物を全部駆逐させることではない。

そうすれば、神代がまた来るだけだ。

そうならないようにするために。

あたしは今から、この世界を最終的にどうするか、考えなければならないだろう。

「反対は、いませんね」

「……」

「あたしは、次の調査で門を開けるとまでは思っていません。 開いた先に何があるのかも分かりません。 しかし情報を集めて、必ず神代の錬金術師達か、その作りあげたものを全て滅ぼします。 それについては、此処ではっきりと言っておきます」

皆、頷く。

既に誰も。

あの所業の痕跡を見た後だと。

反対など、しなかった。

 

カラさんと合流して軽く話をする。まず、フィルフサの駆除だ。この辺りにいるフィルフサの群れで、害がありそうなものについて確認をしておく。

現在、西にある三つの群れは混乱中。

フィルフサは基本的に共食いをしない。性質からして当然だ。何しろ正体は甲殻なのだから。

食い合っても意味がないのである。

だから三つの群れは、伝令を交換しあっているようだ。

多分どう次に動くか決めているのだろう。

もう一つの群れは動きが分かっていないという。この混乱はしばらく続くだろうと、カラさんはいう。

東のフィルフサの群れ二つ。

北東のものは、遺跡らしいものに陣取って動く気配なし。

南東のものは広くウィンドルを包囲するように群れを拡げているが、間隙だらけで、充分風羽の戦士は突破出来るし。

なんなら、連日の攻勢で各個撃破出来ているという。

それならば、充分過ぎる状況だ。

一応確認するが、群れの駆逐は無理をしなくても大丈夫だそうである。

だとすれば、危険度が高い群島の宮殿と扉を優先して調べたい。

カラさんに、一度戻る事を告げる。また来るつもりだが、その時は恐らく三週間から二月後くらいになるとも。

そうすると、カラさんは、即答していた。

「わしもついていくぞ」

「大丈夫ですか。 此処をかなり長期間放置することになりますが」

「既に引き継ぎは済んでおる。 それよりもそなたが今後どうなるかを見極めなければならぬ」

「ああ、なるほど」

ずばりいうものだ。

カラさんはにこにこしているが、スペックは非常に高い。格闘戦も出来るし魔術に関してはあたしの世界に勝てる存在などいないだろう。そして膨大な経験値も積んでいる。頭も極めて優れている、ということだ。

あたしが今後。

神代のようにならないよう、監視しなければならない。

それが出来るのは自分のみ。リラさんとセリさんだけでは不足というのだろう。

カラさんは、笑顔のままで言う。

「錬金術師どもとの戦いの時、今のわしより優れた使い手など幾らでもいたが、誰も生き残る事はなかった。 ライザよ。 そなたの力はその錬金術師どもより現時点で既に上よ。 実際にあの戦いを見てきたから分かる。 だからこそ、そなたが変わると判断したら、誰かが倒さなければならぬ。 あの錬金術師どもの思想を受け継いだそなたが君臨したら、文字通り世界は終わる。 それもオーリム、そなたらの世界だけではすむまいて」

「そうですね。 確かにその自覚はあります」

「というわけで監視役よ。 なに、普段は全力で支援はする。 条件が整ったとは言え、既に六体か、そなたらが倒したフィルフサの王種は。 その数は、我等が千三百年掛けて倒した王種の数を既に超えておる。 それであれば、フィルフサをもしも全て倒せる機会が来たのであれば、そなたらと同行した方がいいという都合もあるでな」

「分かりました。 お願いします」

カラさんに頭を下げる。

なお、やはりカラさんは錬金術の装備については、つけるつもりはない、ということだ。ただそれも現時点では、である。

或いはその後翻意するかも知れない。その時には、身に付けて貰おう。

勿論、カラさんの側近二人にもきちんと話はしておく。

この辺りは、あたしも一応は大人だ。

やるべき事の手順は踏まないといけない。

フィーが、懐かしそうにウィンドルの方を見ていたが。ここに来るのは初めてである。

それを思うに、やはりオーリムの空気よりも、ドラゴンを見守る……奏波氏族は、そもそも渡りをするドラゴンを見守る氏族だったらしいのだが。

そんな氏族が聖地とした此処だからこそ、懐かしいと見ているのだろう。

仲間はみんな此処で殺され尽くした。

多分、フィーの種族の生き残りはもういないだろう。

最後の一人となったら、無性生殖ができない限りは、完全に詰みだ。

フィーの種族は、これで詰んでしまった。

研究所に積まれていた骨。

文字通りフィーの種族を使い潰しながら、門を開ける技術を神代の錬金術師は開発したのである。

それだけではない。

他の悪行の全ても。

あたしがこの手で償わせる。

門を潜る。フォウレの里に出向いて、また来る事。しばらく先になることは告げておく。フォウレの里は、それまでに引っ越しの準備を進める、ということだった。

それから港に出て、船の準備をする。クラウディアの話では、四日後に丁度航路があう船が来るそうだ。

ただし艦隊を途中で組むので、予定通りでもクーケン島には前回より少し長く掛かるらしい。

まあ、艦隊を組むのは安全のためだし、しかたがない。

「クーケン島近くから、グリムドルに行く事が出来ますが、どうしますか」

「いや、やめておく。 グリムドルには今風羽の者が向かっておるし、何より奏波氏族はオーリムでももう知っている者はそう多くは無いだろう。 それに無駄な危険を背負う事もあるまい」

なるほど、ドライだな。

ともかく、船を待つ間、近隣の魔物を片付けておく。特に港の南側、農村近辺の魔物を重点的に始末する。

海の方でも、大きめの魔物を誘引して、片付ける。

大きめといっても、それほど凶悪な奴ではなかったので。引き寄せて後は総攻撃しておしまいだ。

海の沖の方に行くと、とんでもないのがいたりするのだけれども。

流石にそれをわざわざ引っ張り寄せて倒す事もないだろう。

港が巻き込まれたら全損するし。

そういった魔物は、船なんかエサとも考えていないようだから。

とりあえず、これでフォウレの里近辺の、人間が住んでいる辺りに縄張りが被っている大物は、全部始末できたと思う。

今の時代、人間が魔物を絶滅させるのは数も質も含めて無理だ。後は魔物全滅作戦とか馬鹿な事でもやらない限りは、周辺にある程度の平和は来るだろう。

あたしに出来るのは。

ここまでだ。

これ以降は、森や海にいる魔物と、人々が上手く距離を取ってやっていくしかない。其処から先は、現地の人の仕事である。

四日はあっと言う間に過ぎ。

あたしも薬をかなり増やした。爆弾も。

死んでいなければだいたい助かりそうな薬も出来た。

ドンケルハイトの薬効成分が凄まじく。

セリさんが試作品だといってくれた分を使っただけで、ものすごいのが出来たのだ。

名付けるならエリキシル剤。

これこそ、最高の薬だろう。

ジェムを膨大に食うため、複製することすら困難だし。もう摂理を完全に超えてしまっているような患者は助けられないが。

船が来る。

後はクーケン島に一度戻り。

アンペルさんと戦いを経験したカラさんも交えて群島の宮殿に出向き。

そして、その場を再調査だ。

これで、更に恐らくは先に進む事が出来るだろう。

まだその先に、何があるか分からないが。

 

フェデリーカは、船室でため息をついていた。

目が回りそうだ。

あまりにも巻き込まれている事件が大きすぎる。それに、自分なんかが関わって良いのだろうか。

そう何度も思ってしまう。

ライザさん達が本気で怒っていた。それについてはよく分かる。確かにフェデリーカから見ても、神代という時代の錬金術師達は人倫を逸脱すること甚だしい。

錬金術師としてライザさんは破天荒極まりない存在であることが分かっていたつもりだった。

しかしそれは良い意味で、だったのだ。

もとの錬金術師が。命を弄ぶことをなんとも思わず、人間ですらも例外と思っておらず。世界そのものを滅ぼしても、自分達さえ良ければどうでもいいと思っていたのは確定だとみて良い。

頭に来るのはフェデリーカも同じ。

神代の錬金術師が、そういう思想が醸成される環境にいて。それでおかしくなっていったのも、話を聞いて理解は出来ている。

恐らく彼等と他の生物全てが相容れない事も。

人間ではないとか、そういう問題ではない。

向こうが、自分達を選ばれた特別な存在と考えていて。それで、まったく会話が成立しない雰囲気だ。

人間同士でも会話が成立しない事はいくらでもある。

工房長として多くの職人と接してきた。だからわかる事もある。会話が成立しない職人さんも結構いた。拘りが強かったり、自分の技術に絶対の自信があったり。それ以上に、高い技術を得たが故に、天狗になって他の人を見下したり。そういう人に限って技術は高かったりして、困らされたものだ。

神代の錬金術師は。

そういったフェデリーカが見てきた困った相手の、究極。それが極端な力を得た結果なのだと考える。

それでも。

だからこそ。

その規模が如何に無茶苦茶で。

如何に無茶な事に関わっているかも、フェデリーカには分かってしまうのだ。

文字通り世界を好き勝手出来る所まで技術を得ながら、完全に拗らせてしまった一族。そう矮小化すれば分かりやすい。

だが、だからこそ。

そんな高みにどうやったらたどり着けるのかフェデリーカには分からないし。

何よりも自分が職人で。

本質的に技術にプライドがあるから。

どこかで相手のことを理解出来てしまうと言うのも余計に混乱する理由なのかも知れない。

ため息をつくと、船室で寝転がる。

いるだけで戦略的な価値がある。

ライザさんはそう言ってくれるけれども。

世界を好き勝手に変えるような相手と、今後は戦いになる可能性が高い。

そんなときに役に立てるのか。

フェデリーカだけが違う。

他の皆が、それぞれ凄い技を持っている中で、フェデリーカだけが、皆に強化を与える事しか出来ない。

それではダメだ。

分かっていても、接している事が大きすぎて、尻込みしてしまう。

どうしてなのだろう。

頭一つ大きい、筋肉ムキムキの職人とかと、怒鳴りあいなんかいつもしていた。魔物だって怖いとは思わない。普通に戦える。

それなのに。

混乱するフェデリーカと違って、同じ船室にいるクラウディアさんは平然と帳簿を確認しているし。

パティは正座して、精神集中をしている。

剣の手入れは、船が揺れるからやらないとか。

その代わり、揺れる船の上で平常心を保てるようにと、ずっとああしている。まだ年もフェデリーカと変わらないのに。

パティは何倍も年上に思える。

年も近いから、同じように接してみては。そうライザさんに提案された。立場も近いから、という理由もあった。

だが戦闘での凄まじい前衛としての働き。攻撃、防御、カウンター、特にカウンターの冴えは凄まじい。戦闘ではこの面子の中では素人同然のフェデリーカでも凄まじさがよくわかる程だ。

タオさんに対しての対応もパティは凄い。

婚約者で大好きな相手というのは伝わってくる。

それでも、まだ若い体を完璧にコントロールして。微塵も心を乱している様子がないのである。

かなわない。そういう言葉しか出なかった。

かなうのは料理の技量くらいだろうか。

でもそんなもの、世界の危機の前に何か役に立てるか。

何とも自分に対する劣等感が苦しい。

たまらず船室を出る。

ライザさんは、甲板で熱魔術を使って、天候を読んでいるようだ。雨を降らせることもその気になれば出来ると言うし、この人ができない事が、逆にフェデリーカには想像できない。

レントさんとディアンは、揺れる戦場で組み手をしている。

アクロバティックな体術を見せるディアン。やっぱりレントさんの方が実力的に格上のようだけれども。

ディアンはめげずに挑んでいるし。

ぐんぐん上達もしているようだ。

フェデリーカだけが上達できていない。

戦闘でアタッカーになれたらなあ。

ぼんやりと海原を見ていると。

カラさんが話しかけてくる。

「どうしたのだ」

「いえ、すみません」

「……他の者に自分が劣って見えているのか」

「!」

ずばりか。

この人は見かけと裏腹に老獪極まりない。生物としてのスペックもとんでもない。

寿命がかなり近くて、そればかりはどうにもならないという事だが。それでも、人間と比べてあらゆる場面で立っている土俵が違うと感じる。

今も。

俯いてしまうフェデリーカに、カラさんは笑った。

「あれだけの苛烈な戦闘の中で、舞いを続けて皆の戦力を底上げする。 それだけでも、どれだけ役に立てているか。 それは考えれば分かるだろうに」

「しかしそれでは、置物です……」

「ふむ、いざという時には冷気を集めての攻撃以外もやってみたいのか」

「……」

分からない。

だけれども。今のままではダメなのも事実だ。

カラさんは少し考えてから言う。

「舞いを内向きに使った事は」

「元々この舞いは神楽というらしく、神を擬似的に降ろして力を発揮しているようなんです」

「違う。 それは力を外向けに発揮していると言う事じゃ。 そもその力を、自分に向けてみたことは」

「いえ……」

つまり。

強化魔術のように使う。ということだろうか。

カラさんが、見本を見せてくれるという。

カラさんの魔術も、舞いを使うことがある。何度か戦闘で見た。多分神楽舞と原理的には近いんだと思う。

それでも、一目で分かる。

これは。

するりするりと動いていたカラさんが、パンと手を合わせる。

同時に、カラさんの全身が、猛烈な魔力に包まれる。

ライザさんがこっちを見ているのが分かる。

いや、カラさんをか。

カラさんは手にしている杖を海に向けて。そして、詠唱もなしに巨大な氷塊を出現させていた。

これが魔術の極み。

それが出来る人の魔術か。

生唾を飲み込んでいると、やがてカラさんは強化状態を解除したようで。あふれ出ていた魔力も沈静化していた。

「魔術にはそれぞれ得意分野がある。 ライザは熱、多くの者は強化、クラウディアは音。セリは植物。 だがのう、結局は魔力を絞り出して使うのが魔術であることに代わりはないのだと思わぬか」

「確かに……」

「錬金術は仕組みを見せてもらったが、エーテルにてものを分解し、それを再構成しているものと判断した。 わしには幾つかの才能が欠けているからライザのようには出来ぬがな。 思うに神代の錬金術師どもも、ライザのように錬金術に適した才能を全ての分野で持つ者はおらず、それぞれ誤魔化しながらやっていたのだと思うのう」

この人は、魔術師として頂点にいる人だ。

だから話は聞かないといけない。

フェデリーカは明確にスランプなのだ。だから、余計に話は聞いておかなければならないだろう。

「今、わしがやったのは初歩、熱魔術。 ただその魔力量が大きいだけ。 そなたはその年で、それだけ舞いを極めておる。 それならば、舞いを内側に。 他人に見せる、他人を鼓舞するのでは無い。 自分を強くするために使って見よ」

「……分かりました。 試してみます」

「うむ」

カラさんに頭を下げる。

フェデリーカには、今の極みの魔術が理屈だけは理解出来た。理屈が分かるのと出来るのは別問題だが。

舞いに関してなら、出来るかもしれない。

船がクーケン島に着くまでに。

少し試しておこう。

そうフェデリーカは考えていた。

 

3、クーケン島の騒雑

 

クーケン島に戻る。

以前結婚すると言っていた女性が指輪をつけている。どうやら結婚していたらしい。久々に会うと、他の人の人生は色々と変わっている。

あたしは面白いなと思う。

一旦解散。

クーケン島でやる事がない人もいるが。

やる事がある人の方が多いのだから。

あたしは一旦実家に戻る。

今回は、パティが一緒に来る。あたしの家が農家である事。農家で本格的に仕事をしたことがあまりないこと。

それもあって、見ておきたいのだそうだ。

パティは貴族制を終わらせるつもりであるという。

急激な改革は上手く行かないから、一度に全てを変えるつもりはないそうだが。

それでも少しずつ、血統なんていい加減な代物で社会上層に立つ人間を決める制度を改めて。

最終的には、出来る人間が抜擢される仕組みにするつもりだそうだ。

パティ自身もロテスヴァッサの次期女王になるつもりは別に今はなく。

もっと適した人間がいるなら、その人間に最高指導者の座を渡すつもりなのだとか。

極めてストイックで感心する。

農家での一日を見て過ごすのも、その一環。

だから、あたしも父さんと母さんにパティを腕利きの騎士として紹介し。将来のために農作業を教えて欲しいと頼んだ。

父さんはノリノリである。

すぐに畑との会話の仕方とか教え始める。まあ、父さんは農民を極めた人だから、それでいいのだろう。

母さんは農作業の一日の流れとか、家畜の扱いとかを教え始めるが。

父さんの境地には混乱していたパティも。

母さんのやり方は理解出来るようで、すぐに一緒に作業を始めるのだった。

あたしも多少は手伝うが。

錬金術で使った肥料の提供とか、水の状態についてを確認する。父さんはかなり良くなって来ているというが。

僅かにこのままでは味が落ちること。

そして遠くで発売する場合、その僅かが少しずつ大きな影響を出す事を説明してくれた。

なるほどね。

あたしはパティを任せて、すぐにアトリエに。

淡水化装置の更なる調整をして、サンプルの水を幾つか作る。

更に精度を上げる。

そうすることで、グリムドルの水に近づける。

実はウィンドルでも水は調べて見たのだが。どんなに細かい要素まで調べても、水は水であって。

オーリム固有の成分、というものは存在していない。

ということは、あたしたちの世界の水を調整する事で、同じものは作れる筈である。それが分かっただけで大進歩。

分からないと言う事が分かれば、それは大進歩なのだ。ましてや分かるというのはもっと大進歩。

それが今のあたしには分かる。

幾つかのサンプルを作成。

さっそくもっていく。

更に微細に調整出来たものだ。これなら、父さんも納得するかも知れない。ダメなら、更に調整する。

それだけの話である。

パティは堆肥の扱いをしていたが、前に「北の里」や王都の地下で慣れているからか、結構平気そうだ。

それもあるが、手を汚すことに関する嫌悪感がなくなったのかも知れない。

王都では改革の過程で血を流しもしただろうし。

そういう意味では、もうパティは立派な大人だ。

父さんに水のサンプルを渡す。

七つ渡したサンプルの内、一つで父さんは手をとめていた。

「ライザ、これだ。 ほぼ完璧だ」

「これだね。 分かった。 今日中に淡水化装置を調整するよ」

「ああ、頼むよ。 これでクーケンフルーツはもとの味になる。 味が落ちることもなくなるだろう」

頷くと、あたしはアトリエに。

回収用の部品をすぐに調合。

島の地下に潜るべく、ブルネン邸に行く。ブルネン邸では、何か揉めているようだったが、今はいい。

優先順位はこっちが先だ。

島の地下は、今日も薄暗く静かだ。あたしが作った淡水化装置は、汽水湖であるエリプス湖から塩水をくみ上げ、飲み水へと変える。

古代クリント王国が作った人工島であるクーケン島は、あたし達が気付くのが遅れていたら完全沈黙し、破滅していた可能性も高い。

それどころか、島の水はオーリムの聖地グリムドルから奪ったものだった。

今も古老には反発している者もいるが。

いずれにしても、淡水化装置は誰かが作らなければいけなかったし。

その内何百年かする前に、クーケン島を自力で修復するための技術を開発するか。もしくは引っ越しをしなければならない。

そもそもこの島は、古代クリント王国に奴隷として使い潰された人々の屍の上に出来ている。

その大量の亡骸も、既に荼毘に付した後だが。

いずれにしても。

此処は島で、語り継いでいかなければならない場所だ。

しばし無言で調整をする。

本当に微細な調整だが、ついでに濾過用のシステムなどにも一通り手をいれておくとする。

黙々と作業をしていると。

外の方での騒ぎが大きくなってくる。

騒いでいるのは、誰だろう。

声は聞いたことがないが。

ともかく、作業は終わり。

寿命を克服したあたしだが。それでも当面は、この装置の修理は請け負うつもりである。ただ、五十年とか過ぎたらどうしようか、と思う。

年を取らない魔女。

そんな風に言われるかも知れないな。

まあ別にその時はその時だ。

王都近郊の遺跡でも、長寿に成功した錬金術師が協力していたようだった。倫理的にも褒められた人ではなかったが。

それでも、やっていく方法はあるだろう。

地下を出ると。モリッツさんが頭を下げている後ろ姿が見えた。スーツを着た厳ついおじさんが、大股でブルネン邸を出ていく。

すっかり執事が板についているランバーが、ハンカチを渡している。

「無茶を言ってくれる。 なんだあの貴族は」

「どうしたんですか」

「ライザか……」

モリッツさんは、苦虫を噛み潰したような顔をした。苦虫という虫については見た事がないが。

ともかく。あたしにも関係することらしい。

「城のことは知っているだろう」

「ええ、まあ」

「あの貴族は王都から離れた人物らしいのだが、あれを新たな居城にしたいとか言っておってな」

「無理ですよ。 魔物の巣窟ですし、追い払っても幾らでも来ますし」

即答。

そもそもあの城は、古代クリント王国の研究所兼アーミーの基地だった可能性が高いのである。

建物部分はかなりの場所が駄目になっているし。

どんな仕掛けが隠されていてもおかしくない。

何よりも、人里と離れ過ぎている。王都でぬるま湯に浸かっていたような貴族の配下の傭兵や、お抱えの騎士なんて。

突っ込むだけ魔物の胃袋に直行だ。

「死にたいなら行けばどうぞと返さなかったんですか」

「それが古い契約書を出されてな。 あの城は、名義的に自分の財産だというんだ」

「ああ、王都でよく見ました。 実効支配もしていない土地を、自分のものだと言い張る貴族ですね」

まだパティが掃除していなかった生き残りがいたのか。

じゃあ、あたしが捻って……いや、パティに相談する方が良いだろうな。

先にその貴族の名前を聞いておく。

リドレッド公爵、か。

一応公爵ってのは一番偉い貴族で、王族と血縁関係があるケースも多いそうだが。

まあ王族自体がどうでもいい存在で、国政にはもはや全く絡んでいないし。

そんなのの血縁を自慢するなんて。

まあ虎の威を借る狐がいいところ。

いや、もっと格が下か。

「王都で大改革があったのはもう聞いていますよね。 貴族に肩入れしても、意味はもうないと思いますよ」

「分かっている。 ただ、とんでもない金額を提示されたんだ。 5000万コールだ」

「……」

「多分実際にその金も持ち込んでいるんだろう。 そんな金をばらまかれたら、クーケン島が……周りの集落も含めて無茶苦茶になる。 金は確かに稼ぎたいが、金額がありすぎると、誰も彼もおかしくなるんだ」

モリッツさん、意外とまともな経済感覚があるんだな。

まあ王都と地方とでは物価が違う事を知った上で逃げてきた貴族なんだろう。それだけは。頭がある程度回るようだったが。

そういえば、気になる事がある。

「その人、フロディアさんと似たメイドさんをつれていませんでしたか」

「フロディアというとバレンツの? そういえば一緒にいた男装のメイドが、不自然なくらい似ていたな」

「なるほど、だいたい分かりました。 あたし達でこの件、ちょっと調べて見ても良いですか」

「あまり無茶をしてくれるなよ。 古老共と違って、わしはお前さんの事は認めてはいるが。 力が大きすぎて時々怖いんだ」

そっか。怖いのか。

まあこっちとしても、怖れてくれるくらいのが丁度良い。

家に向かう。

水が改善したか、父さんに調べて貰うのと。

パティに、この件を投げるためだ。

 

夕方にみんなを集めて段取りを決めて、パティが提案した方法で片をつけることにした。

まあ、そもそもモリッツさんが言っていたように、あんまりにも巨大な資本を持ち込めば、周囲の経済が滅茶苦茶になる。

勿論何とか公爵はそれを理解した上で行動している可能性が高く。

しかも例のメイドの一族が側にいる。

王都での大掃除の時に、メイドの一族はアーベルハイムに全面協力したと聞いている。それが側にいると言うのは。

つまりそういうことだ。

早朝、まずは貴族が滞在している島の外から来た人間用のホテルを囲む。そして、何とか公爵がホテルから出て来て、何か控えているメイドに言おうとした瞬間。

足を止めて。

真っ青になっていた。

「パ、パトリツィア殿……」

「お久しぶりです、リドレッド公爵。 王都からいち早く逃げ出した鼻が利く貴方が、こんな所で私とばったりとは。 運命というのは分かりませんね」

「ア、アンティラ!」

公爵がメイドさんを呼ぶが。

その人、あたしらでも視認するのがやっとの速度で、パティが姿を見せた瞬間に消え去っていた。

やっぱり強いな。

パティが自分の所のメイド長と、三回剣の勝負をして一本取れれば良い方と言っているのを聞いてはいたが。

側で見ると、納得出来る。

一族揃って、とんでもない実力だ。

パティが大太刀に手を掛けて前に出る。公爵の後ろには。レントが既に威圧的な壁を作っていた。

「違法奴隷の死体が貴方の屋敷の地下で見つかっています。 それだけではない。 依存性の高い毒性が強い薬物も売りさばいていたようですね。 救貧院から子供を買って、口に出来ないような事もしていましたね」

「わ、私は貴族だ! 生まれついての支配者だ! だから力無き汚らわしいものに何をしてもいい! そういう権利を持っているのが貴族なんだ!」

「違います。 まあそんなことを相続だけで貴族になった貴方に言っても無意味でしょう。 貴方には死刑以外ありません。 此処で死ぬか、王都で死ぬか、どちらかを選びなさい」

腰を落とすパティ。

返事次第、対応次第では公爵の首を飛ばすつもりだ。

小便までもらした公爵は腰を抜かして、動けなくなる。その恰幅の良い体はただの飾りか。

ボオスが事前に人を手際よく遠ざけてくれていたのが良かった。

まあ人の首が飛んでも問題は起きない。

しかもクラウディアが音魔術で、周囲と音を遮断もしている。

つまり此処で、公爵が泣きわめいても、誰も気付かないし。

断末魔の悲鳴を上げても。

子供がそれを聞いて、心に傷を負うこともない。

レントもいるから、さがることも出来ない公爵どのは。

やがて、奇声を上げて、パティに掴み掛かろうとして。両手を即座に切りおとされ。返す刀で首を飛ばされていた。

おお。

もう容赦なし。迷いもなしか。

似たようなのは散々斬ってきたんだろうな。

すぐに公爵が使っていた宿の部屋に踏み込む。昨日のうちに、あたしが宿の主人(顔見知り)に事情を話し。

他の客には、別の部屋に移って貰ってある。

みんな身内の田舎だからできる事だ。

みんな身内で窮屈なこともあるが。その強みもある。

昔はいやで仕方が無かった田舎の部分だが。

今はこれでいいとも思っていた。

王都も此処とは違うだめな所はたくさんあった。サルドニカも、フォウレの里も。それに、多分今は見ていないが、ウィンドルにもあるのだろう。

だから、良い所を利用していけば良い。

神代の錬金術師にさえ、技術という利用次第ではまっとうに使う事が出来るものがあるのだ。連中そのものは駆除が必須だとしても。

だから今は。

ある程度そういう風に考えられるようになっていた。

部屋の中を確認する。クラウディアが、すぐに書類を見つけた。というよりも、あのメイドの一族の人だろう。

あの人が、あたし達の移動先を知った上で、あの腐れ公爵を此処に誘導した可能性もある。

調べて見ると、金は確かにたんまりもっていたけれど。

5000万コールなんてとてもとても。

金に換えられないような、形だけ所有している領土の書類だとか。再建だとか。実際に使える金貨は、100万コールというところか。

いっちゃあ悪いけれど。

その程度の金だったら、あたしだってもっている。

なんなら王都に出向いて換金できるものを捌いたら、その十倍くらいの現金を作れるだろう。

勿論クーケン島が滅茶苦茶になるからやらないが。

「後でアーベルハイムの手の者を寄越して回収しておきます。 王都で取り逃がした犯罪者の処理を手伝わせてしまってすみません」

「いいえ。 それにしても、あの様子だとよっぽど上手に逃げたんだね」

「あの公爵だった男は、ライザさんが王都を離れた直後に行方を眩ませていました。 残念ながら、王都にそんな相手を追う余裕は無く。 いずれ追っ手を差し向けて捕まえる予定でしたが、工数を省けて助かりました」

「俺の方から、顛末は父さんに伝えておく。 死体は無縁墓地でいいな」

パティも頷く。

まあ前時代の亡霊だ。しかも相続だけで地位を得て、好き放題に邪悪を堪能した人間である。

パティが軽く昨日の打ち合わせで話してくれたが、家族まで見捨てて自分だけ逃げたそうである。

そんな輩。

無縁墓地に入れるだけでもラッキーと思って貰うしかないだろう。

宿の前は既に片付けも終わっていた。

アガーテ姉さんも護り手も、与太者の処理には慣れている。当然殺す事も。実はアガーテ姉さんも、あの公爵だった人物は不遜な態度と傲慢な行動を見ていたらしく。場合によっては護り手で介入するつもりだったそうだ。

パティが軽く話す。

もと公爵というのは内密に、と。

まだロテスヴァッサ王国という政治体制は存在していることにしておいた方が良い。誰も必要としていないが。正式に存在が消えたことを発布するのは地固めをした後で良いと言う事だ。

そうしないと余計な混乱を招く。

そういう事だった。

一通り片付けると、家に戻る。今回は見ていると先に断言していたカラさんが、あたしの家の前で待っていた。

勿論全部見ていた、と判断して良いだろう。

「また随分と、くだらぬ事をしているな」

「此方の世界はずっとこんなです。 これでも古代クリント王国が滅びてから、ある程度マシになったそうです」

「血統で財産を引き継いで、血統での相続を絶対化するからそうなる。 わしは側近に血縁者を置いているが、あれらに長老の座を渡すつもりは無い」

「オーレン族はオーレン族と争わないって聞いていますが、本当ですか」

カラさんは、しばし黙り込む。

こっちを見たとき。

カラさんの顔から、表情は消えていた。

「わしらの感覚で何世代も前。 オーレン族の間でも、争いがあったそうだ。 若い世代の者達が知らぬのは当たり前だがな。 まだあの錬金術師どもがくるずっと前。 この世界とは別の世界から、別の知的生命体が来た事がある。 ドラゴンが開けた穴を通ってな。 その知的生命体はわしらとかなり遠い存在で、出自も違ったのだろう。 あの錬金術師どもとも違っていて、とにかく穏やかで温厚な種族だった。 その種族との出会いもあって、先代の長老は初動を謝った」

なるほどな。

そんな優しい種族と出会ったことがあったのなら、今度もと考えるのは不思議では無いんだろう。

そして、争いの引き金にもなったのか。

「優しい民の生活は平穏だった。 ああいう生活をしたい。 そういう者は一定数どうしても出た。 それらの者は、オーリムの過酷な生活を嫌だと言いだした。 結果争いになった」

「それでどうなったんですか」

「少数の民は優しい文明の元へ去った。 其方でもよくやっていると良いのだが、わしにはどうなったかは分からん。 その文明は、今になって思うとあの錬金術師どもよりも更に進んでいたようにも思える。 オーリムを傷つける事はなく、汚染させるような真似は一切しなかった。 それに複数の種族で構成されていたようだ。 それらの種族が争わずになかようやっていけておる。 そんな世界だったのだ」

そうか、そんな風に文明は進歩しうるんだな。

だとしたら、神代から続く人間の世界は、どうしようもないように思えても仕方が無いだろう。

あたしも此処をそんな世界にしたい。

丁度良いので、話をしておく事にする。

オーレン族と人が、種族として近いと言う事実。

そして交配して、子供が出来る可能性があるという事も。

カラさんは驚かなかった。

あたしは順番に説明をする。

母胎に負担が大きくなりすぎるので、実際に性行為して子供を作る事は非常に危険であることも。

それらを説明し終えると。

カラさんは、静かに言った。

「それに自力で辿りついたのか」

「はあ、まあ」

「それでそなたはその事をどうする」

「今は無理でしょうね。 だけれども、何千年もあと。 フィルフサをオーリムから駆逐……出来ればもとの虫に寄生するだけの植物に戻して、オーレン族が静かに暮らせる土地に戻して。 此方の世界でも、今日駆除したみたいな世界の寄生虫を全部この世から排除して。 それで、他の種族と共存出来るように……そのままの人間では無理ですね。 何とか、考えないといけないですけど。 でも、「その先」に。 未来があるのなら、あたしはあがいてみたいと思っています。 人間とオーレン族がともにある世界を実現したいんです。 だから……研究を進めています」

そうかと、カラさんはあたしを観察していた。

分かっている。

カラさんに嘘はつけない。嘘をつくつもりもない。

カラさんも、あたしが嘘をついていないことを、気付いているようだった。

「そなたはもう人間を捨てておるな。 それはその理想のためか」

「ええ。 「後の世代に継ぐ」なんてのは、神代の錬金術師の思想がそうだったように、悪いものしか継がれないです。 血縁が絶対だったら、親兄弟で殺し合うこの世界になる筈もない。 あたしは寿命をもう捨てました。 自分のおなかで子供を育てて産む気もありません。 誰かにこの理想を引き継ぐつもりも。 仲間は、その都度造れば良い。 ただ、この理想は……神代の錬金術師のような連中を二度と出さないためにも、あたしがもたないといけないんです」

もしも生身であればいずれ魂が腐るというのなら。

あたしは生身を捨てよう。

魂はどうしても腐るというのなら。

その先に行くだけだ。

あたしは神代の錬金術師の、自分は神だという思想の末に、暴走して世界を食い尽くした愚は絶対に二度と許さない。

だから。

あたしは人間を止めても。

神になるつもりはないのだ。

「まあいいだろう。 そなたがもしも神を目指しているのであったら、この場で殺し合うつもりだった。 勝てないにしても、相討ちになるつもりであったよ」

「……カラさんは、充分に強いですよ。 今のあたしにも、勝つ事は十分に可能だと思います」

「そうだろうかのう。 まあそういうことにしておこう。 いずれにしても、よきものを引き継ぐ事が不可能だというのはその通りだ。 良き錬金術師ライザよ」

頷く。

カラさんは、ふらりと何処かに消える。

以前アンペルさんとリラさんが借りていた場所。彼処にセリさんもお邪魔しているようだが。

其処にでも行くのかも知れなかった。

 

4、先にするべき事

 

すぐにあたしは群島の調査に出るつもりだったのだが、状況が変わる。

あの元公爵のもっていた書類から、看過できないものが見つかったのである。

それは五百年以上前の古文書。

それによると、あの城の更に奧。

火山。

火山には所々集落があったが、そこにどうやら研究所があるらしい、と言う事が分かったのだ。

分かったのは全くの偶然。

クラウディアが調べてくれた内容から判明した。雑多にあった書類の中に、不可解なものがあり。

それをタオに回したところ、古代クリント王国時代の研究所の可能性が高いと言う事が判明したのだ。

しかも、あの古城より規模が大きいようなのである。

考えて見れば、精霊王がいたという事もある。

あの火山、最初から何かしらがあって。

古代クリント王国は、活用していたとみるべきなのだろう。

すぐに出る事を決める。

群島については、ちょっと後回しだ。

少し遅れて、対岸のアトリエに全員が到着。アンペルさんとリラさんが最後だった。アンペルさんは、目の下に隈を作っていた。

「すまん、手記の解読で手間取っていてな」

「エミルと言う人のものですか」

「ああ。 あとすこし、肝心なところが非常に複雑な暗号になっている。 それも暗号を重ね掛けている可能性が高い」

「それ、書く時本人が一番苦労したんじゃないのか」

レントが呆れる。

あたしも同意見だ。

リラさんも呆れていた。まあ、この辺りはもうどうしようも無い。今更アンペルさんが変われるとはあたしも思わない。

人間なんて、簡単に変わるものじゃない。

「まずは城からだね」

「クーケン島からも見えていましたが。 正直、王都にある王城と規模が変わりませんね」

「だから公爵が欲しがったんだろうよ」

ボオスが吐き捨てる。

後始末で大変だったのだろう。

最近はすっかり有能な執事をしてくれているランバーに負担を掛けてしまったのも、頭に来ているのかも知れない。

ランバーも子供が出来てから以前腑抜けを演じていたとは思えない程しっかりしている。あたしも何度も感心させられた。

「じゃ、こっちから。 この辺りの森は危険な魔物はいないけれども、それでも油断はしないようにね」

「随分穏やかな森じゃな。 頂点捕食者の気配がない。 いや……頂点捕食者はライザか」

カラさんが随分なことを言うが。

最近魔物が顔を見るだけで逃げ散るのを見ると。

その認識は正しいのかも知れないと思って、苦笑いしてしまった。

森を抜けて、山道に入る。

この辺りは建築用接着剤でがっつり固めてある。もう落石の心配は無い。周囲を警戒しながら進むが、流石に余裕もある。

この辺りの魔物は、護り手に頼まれて時々退治するのだが。

あたしが出張る事は、殆ど無いくらいだ。

山道を抜けると、砦が見えてくる。

この砦は竜脈があるのもあるのだろう。既に魔物が完全に住処にしている。ワイバーンは出る事もあるのだが。

ただあたしが出向くと、さっと距離を取って逃げてしまう。

そこまで人間はまだ止めていないつもりなのだが。

まあ戦闘を避けられるのなら良いことだ。

「フィー!」

懐からフィーが顔を出す。壁の方を見ている。

即座にクリフォードさんとタオが動く。二人とも、フィーの力は信用しているのだ。そして、クリフォードさんが、さっそく見つける。壁にスライドするタイプの鍵。鍵といっても魔術的なもの。

王都近郊でよく見たものだ。

タオとああでもないこうでもないと弄っていると、やがて壁が開く。どうやら、此処にもまだ調べられていない研究所があったか。

山に行く前に、まずは見ていくべきだろう。

「あ、良いですか」

フェデリーカが挙手。

どうしたの、と聞くと。試してみたい事があると言う。

舞い始めるフェデリーカ。

神降ろしを擬似的にすると言っていたが、その新しいバージョンだろうか。しばしいつもと違う円運動を中心とした舞いを見ていると。

やがて扇を放り投げたフェデリーカが、喝と叫んでいた。

周囲の空気に、色がつく。

フェデリーカが、大きく肩で息をついている。

なるほど。空気の流れが一目で分かると。

ついでにこれは、有毒ガスも見えるようだ。こう言うタイプの強化が掛かる舞いは。それはそれで有り難い。

「レント、入口頼むよ。 皆も周囲の警戒よろしく。 タオ、クリフォードさん、アンペルさん、いこう」

「任せておけ。 何が来ても簡単にはやられねえよ」

頷く。勿論信頼しているから、背後を任せるのだ。

そのまま奧に。

やはりこの手の場所は構造が似るらしい。どんどん地下に降りて行く。空気はよどんでいるが、毒ガスではないようだ。

広い場所に出る。

錬金釜。

神代のものと比べると洗練されていない研究施設。

古代クリント王国のものに間違いない。

ひょいと、カラさんが顔を出す。

「クリントとか言う外道共の住処か」

「タオ、どう見る」

「間違いないね。 ただこれは何を研究していたんだろう」

困惑するタオ。

周囲にあるのは、なんだ。触らない方が良いな。

錬金術の道具もあるが、それ以外のものはわからない。クリフォードさんが、こう言うときは強い。

錬金術の道具については、あたしが知らないものもアンペルさんが知っている事があるのだが。

やがて、分かったとクリフォードさんが言う。

「これは見た事があるな。 ようやく思い出した。 古代クリント王国の遺跡、それも後期のもので見た事がある!」

「なんですかこれ」

「実は去年までは分からなかったんだが、今は分かる。 これは水に浸かってグズグズに崩れたフィルフサの甲殻だ」

「!」

なるほど、ということは。

タオが見つけて来る。手記だ。

さっとタオが中を読む。暗号化もされていないようだった。

「どういう内容?」

「実験は失敗した。 此処だけではなく全ての試験場でだ。 準備してきたものがフィルフサに通じない。 皆食い殺された。 小型の個体では効果があったのに、どういうことだ」

「……オーリムでフィルフサを増やした後、逃げ込んだ連中の研究所だったみたいだねこれ」

「オーリムに侵攻した当時から使っていたみたいだね。 日記を見ると、如何にオーレン族を騙すか、フィルフサを増やす計画を進めるか、議事録が残されてる」

そっか。

とりあえず調べたら此処は潰してしまおう。

あたしは、話を聞きながら、そう思った。

何度聞いても腹が立つ。

古代クリント王国の錬金術師共は、滅びるべくして滅んだ。それがよく分かる資料がまた見つかったのだった。

 

(続)