邪悪の時代

 

序、洞窟の奧へ

 

オーリムの聖地ウィンドルの南東。そこにいるフィルフサの王種を仕留めろと言われて。今、そこにあたし達は来ている。

洞窟の奧にまで到達。

其処に巣くっている王種がいるのは確定。

フィルフサの王種は簡単には生じない。生じた王種を滅ぼせば、群れは瓦解する。あまりにも不可解な生態だ。

考えて見れば、おかしな事があまりにも多すぎたのだ。

フィルフサという生物は、神代の存在が作り出した生物兵器ではないのか。それはあたしがずっと考えていた事だが。

どうにもそれが裏付けられていくばかりである。

特にウィンドル近辺は、古代クリント王国とは関係がない。世界にフィルフサという災厄をまき散らした連中とは。

だが、古代クリント王国とは関係無くフィルフサは存在していて。

王都近郊の門から到達したオーリムにも、フィルフサはいた。

それはつまり、オーリムには元からフィルフサがいたことを示しているのだが。

それにしては、フィルフサの性質が恣意的すぎるのだ。

やはり誰かが、フィルフサを作り出したのか。

或いは。

ともかく、奧へ。

将軍を退けた結果、洞窟の中からフィルフサの姿はほとんどなくなったが、強い気配は消えていない。

不意に、洞窟が人工的な構造になった。

これは、地下研究所か。

幾つも似たようなものは見てきたが。

問題は、フィルフサがそれをあらした気配がないということ。

というか、グリムドルで見た古代クリント王国の研究所跡ですら、此処まで綺麗ではなかった。

フィルフサに一切手を出されていない、ということだ。

内部構造も広くなっていて、かなりの時間を掛けて作ったのか。それとも。

調べるのは後だ。

兎に角、フィルフサの王種がいるなら、仕留めないとまずい。

前に出るクリフォードさん。

頷く。

いるということだ。

皆、壁に貼り付いて、奧を伺う。奧にいるのは、間違いない。

巨大な鎌を一対持ち。

多数の足で巨大な体を支え。

そして、何かうめき声みたいなのをずっと出している存在。

装甲はフィルフサのものらしく、灰褐色で。赤黒い模様みたいなのが全身に走っている。

大きさといいプレッシャーといい間違いない。

あれがフィルフサの王種だ。

だが、どうにも妙だ。

既に部下達を失い、こちらに気付いていてもおかしくない距離だというのに、どうして大火力の攻撃でもぶっ放してこない。

やはり、この地下建造物を何かしらの理由で守りでもしているのか。

そして、見つける。

去年、王都近郊の門を潜った先で交戦した王種についていた謎の機械。それと同じものが、奴の体についている。

どんどんパズルのピースが埋まり。

仮説が仮説ではなくなっていく。

あたしはハンドサイン。

勝負を一瞬で決める。

それしかない。

幸い、戦闘をするのにはそこそこ広い。見た感じ、天井も神代の素材で出来ているとみた。

洞窟を掘り崩していた今までの洞窟と違う。

それですら、自然洞ではなかったようだが。此処はもう、完全に研究所だ。そしてあのフィルフサの様子。

恐らく戦うべきなのは、此処でだろう。

王種を瞬殺するのは大変だが、方法は一つだけある。

あたしは。爆弾を二連続で投擲。

メルトレヘルンを、フラム数発で蒸発させる。

伏せるように皆には指示してある。

一瞬で、凶悪な高熱蒸気が、王種を襲う。しかも広くなっている空間でとはいえ、此処は地下だ。

とんでもない熱気が、通り過ぎていく。まともに直撃したら即死だ。だからあたしが熱魔術でシールドを展開して、皆への直撃を防ぐ。繰り言のようなうめき声を上げていた王種が、全身を焼かれ、鎌を振り上げているのが見えた。

辺りが灼熱の蒸気に覆われている中、アンペルさんがまず動く。立て続けに、空間切断を連射。

糸のような全てを打ち砕く空間切断が、相手を何度も貫く。だが、コアは貫けなかったらしい。

かまわない。次。

レントとディアンが突貫。

水蒸気をもろに喰らって柔らかくなっている王種に、それぞれ大剣と斧を突っ込む。接近戦組が、相手が反応する前に、それぞれ武器を叩き込む。

装甲が一部吹っ飛ぶが、それでも王種はコアを露出させない。

ぐっと、力を溜めるのが見えた。

この狭い空間で、王種が全力をぶっ放したら、それこそこっちが一瞬で全滅させられる。

だから、猛攻を続けて、一気に倒しきるしか無い。

クラウディアが速射。

更にクリフォードさんもブーメランを投擲。

フェデリーカは強化の舞いではなく、冬の舞いを使って貰う。一瞬でも、王種の動きを止めなければならないからだ。勿論皆も冷気に晒されるが、それは耐えてもらうしかない。

あたしも突貫する。

レントが大剣を叩き込んで、装甲が一部剥落する。

最大加速。

灼熱の空気と冷気が混じり合う中、突貫して、それで見えた。

コア。

装甲の中を、高速で動き回っている。それでアンペルさんの攻撃を回避しきった、というわけだ。

だが。

狭い空間である事。

王種がまだ全力で動ける状態ではないこと。

その二つが、勝負を決めた。

あたしは壁をジグザグに蹴って肉薄。そして、レントが飛び離れるのを見ながら、王種に突き刺さった大剣を全力で蹴り抜く。

王種の装甲が、派手に吹っ飛ぶ。

そして、大剣と装甲がそれぞれ別方向に吹っ飛ぶのを見ながら、空中機動。

ぶんと音がして、王種の鎌が振るわれるが。それを、パティが抜き打ちで迎撃。一瞬だけ逸らす。あたしはその間に鎌の軌道の内側に潜り込むと。

コアを掴み。

そして引き抜いていた。

握りつぶす。

王種が、悲鳴を上げて、その場に倒れる。全員、軽度の火傷を受けている。即座にこの場を離れるように指示。

王種さえ倒せれば充分だ。

一旦外に出て、手当てをする。

火傷はかなり厄介で、体表面の何割かを火傷すると普通に死が見えてくる。薬をすぐに塗り込んで対応。

火傷用の薬も勿論ある。

そのまま皆で手当てをし。

しばし休憩を入れた。

王種を一瞬で倒せたのは、条件が色々揃ったからだ。運が良かった。何より、それ以上に、奴は力を発揮しきれなかった。

本来だったら、もっと様々な動きを出来ただろう。

あれは恐らくだが、作り手に、あの場所を守れ。傷つけもするな。侵入者だけ排除しろと命じられていた。

それで本来の力の四分の一も出せなかったのだ。

あたし達が強くなっているというのもあるが。

相手が枷だらけだった。

それが、勝因だったと言う事である。

非常に複雑な気分だ。そして、その弱点を容赦なく突きに行かないといけなかったことも、色々ともやもやする。

あたしが黙り込んでいるのを見て、ボオスが敢えてだろう。わざとらしい事を呟く。

「ライザの薬、本当に良く効くな……」

「ボオス、嫌みかしら−?」

「ああ。 無茶な作戦立てやがって」

あっさり認めるボオス。まあ、愚痴の一つも言いたくはなるのだろう。

無言で皆手当てを終える。火傷をしているのはあたしも同じだ。手当てをすませて、それで休憩も入れて。

再度、洞窟に入る。

信じられない程安全な洞窟になっていた。

フィルフサはもはや、脇道にもいない。朽ちているフィルフサも見かけた。王種が死んで、それで生きていけなくなったのだ。

さて、此処からだ。

建物になっている地下施設を、順番に探って行く。

やはりだ。

何カ所かで、竜の紋章を見つける。それだけじゃない。錬金釜に、色々な錬金術の道具類。

フラスコ、ビーカー、パン。パンは食べる奴ではなく、フライパンの原型になったものだ。

それらに加えて、見た事がない道具もあった。

資料も彼方此方にある。

それらの資料は、全く本として傷んでいない。古代クリント王国時代の本ですら、虫に食われていたのに。傷む様子すらないのは、恐らくゼッテルに強力な魔術が込められているのもあるが。

表紙などに、強い虫除けの効果があるとみて良い。

回収を開始する。

とにかく色々なものがあるので、片っ端から持ち帰る。

先に、カラさんに王種を仕留めた事を告げる。大量の資料を見つけたので、これから持ち帰って分析する事も。

カラさんはそれを聞いて、一瞬だけ真顔になったが。

それもいつものにこにこ顔に戻る。

それから、何往復も研究所とアトリエを移動して、資料を回収する。王種についていた機械は、倒した時に爆発してしまったが。

とにかく、複数の資料があったので、それを回収出来たのが大きい。

解読はタオとクリフォードさんにやってもらう。あたし達は更に研究所を調べて、最深部まで徹底的に探る。

様々な物資が蓄積されていたが。

一つの部屋で、フィーが鋭い恐怖の悲鳴を上げていた。

「フィー!」

「この部屋に何かあるの? ちょっと怯え方が尋常じゃ無いね」

「……」

あたしの懐でがくがくふるえているフィー。

どんな強力な魔物を前にしても、怯える事は一切無かったのに。それが、此処まで怯えるというのは、尋常じゃ無い。

周囲を調べてみると、何やら出てくる。

骨か。

これは、フィーの同族のものか。とにかく乱雑に扱われていて。一部は加工されて、念入りに調べられていたようだった。

アンペルさんが、骨について調べていると、何か見つける。

それは、骨を加工して作ったらしいキューブだ。これは芸術品か何かのつもりか。動物を加工して何かにするのは別に誰でもやる。あたし達ですら似たような事はする。だからそれそのものは責められないが。

ただ。何だろうこの悪意は。

フィーが此処まで怯えるのは尋常じゃ無い。

ともかく、この部屋を出る。

最深部の部屋には、光学式コンソールと、何やら装置があった。

タオを呼んできて、調べて貰う。

「パスワードも掛かっていないねこれは。 あの王種が此処を守っていたのだとすると、絶対の自信があったのか、それとも」

「もう此処はどうでもよくなったか」

「うん……そうなるだろうね。 僕も恐らくはそうだと思う。 あの王種の雑な扱いといい、本当にどうでも良くなったら放置して行く輩だったんだ」

タオもこの施設を作った神代の人間の性質は分かっている。

だから、そういう結論が出るのは当然だとも言えた。

無心に調べていると、タオがやがて何かしらのデータを引っ張り出す。途中でクリフォードさんも呼んできていたので、二人で見てもらう。

しばし内容を見ていた二人が、急いでメモを取っている。

ログを確認していて、色々出て来たらしい。

データを取り終えると、クリフォードさんが吐き捨てた。

「クソが……」

「だいたい分かった、と言う事で良さそうですね」

「ああ。 ちょっとこれは外道どころじゃねえ。 俺も色々なものは見てきたが、その中で最低最悪のものの一つだ。 許せねえ」

「僕も同感です」

そうか。

クリフォードさんはロマンに合致しないというような事は良くあったが、許せないとまで言うか。

タオも全力でキレている。

どうやら此処で行われたのは、余程の邪悪の宴であったらしい。

此処を見て来るように。

そうカラさんが言ったのも、当然であったのかも知れない。

ともかくアトリエに戻る。更に資料を回収するが。最深部の制御装置は、壊してしまおうとクリフォードさんが提案。

あたしは頷くと、熱魔術を叩きこんで溶かし尽くした。かなり頑丈だったが、今のあたしなら壊し尽くすのは別に難しくもない。

此処は間違いなく、邪悪の殿堂だ。

後の人間が此処を見つけて、それに影響されるようなことがあってはならない。技術に罪はないが。

今の光学映像に残されていた、邪悪のログ。

そんなものは、残しておくわけにはいかないのである。

アトリエに戻る。

カラさんに解析するので、しばし待って欲しいと先に告げる。カラさんは、表情で察してくれたらしい。

何も言わず、そのままでいてくれた。

あたし達は、全力で集めて来た資料の解析を始める。フェデリーカも今はまごつかず、クラウディアと一緒に茶や茶菓子を用意してくれる。

パティは資料の整理をてきぱきと手伝ってくれて。

ディアンに声を掛けて、一緒に読み終わった資料の整理と、大きめの器具類の運び出しをしてくれた。

皆でしばらく、情報を交換する。

その結果、彼処にあったものの全容が分かってきた。

あたしの仮説。

フィルフサ。それに一部の出自が分からない魔物は、神代の生物兵器だった。

その仮説は、結論から言うと、間違っていなかったのである。

資料を見て、何度も床にたたきつけようとして。それで思いとどまるクリフォードさん。ロマンに生きる男だ。

こんな代物を見せられては、流石に平静ではいられないのだろう。

ただでさえ命が軽い仕事をしながら、それでもロマンに全力で生きているのだ。伊達や酔狂でできる事では無い。

それを本気でやっている人なのである。

だからこそに、本気で真の邪悪は許せないと考える。

故に、怒りを隠せない。

あたしは、その辺りは立派だと思う。

普段は冷静に客観的なタオですら、これは許せないと言った内容が、次々と開示されていき。

内容を聞いて、ボオスが口を押さえて視線を背けていた。

人間は頭の箍が外れると、何処までも邪悪になる。

特に優秀だと自分を思い込むと。

際限なく堕落する。

それがよく分かった。

あの群島奧の宮殿地下。

ホムンクルスを自慢げに見せびらかして、理想的な奴隷だという説明を入れていた時点で、まともな連中ではないことは分かっていたが。

どうしようもない精神性をもつ人間という生物の中でも。

特に救いようが無いカス。

神代に、ここに来た錬金術師共は、そう言い切って良い連中だと言う事が、よく分かった。

しかもその思想が後代まで受け継がれ。

人間の社会にまだ生きていた錬金術師を疫病のように蝕み続けた事も。

アンペルさんという異質な存在が出て、やっとその思想が断ち切られたけれども。それですらも、長い歴史の中ではきっと異端にすぎない。

あたし達は異端だ。

この腐りきった思想の模倣者が古代クリント王国であり。

更にその模倣者がロテスヴァッサに集められた錬金術師達だった事を考えると。

発端となった此奴らと。

此奴らを産み出した文明の罪は重い。

人が住めない地域が世界にはたくさん存在している。神代から千年以上経過した今でも、其処は魔物すら寄りつかないと聞いている。

それらの責任も神代の連中のせいだと思うと。

あたしはハラワタが煮えくりかえるのが分かってきた。

元々もし其奴らに直接会う事があったら、顔面を蹴り砕いてやろうと思ってはいたのだけれども。

それすら生ぬるい。

生きたまま内臓を引きずり出して、脊髄を引っこ抜いてやる。

それくらいには、頭に来ていた。

それが正当性のある残虐性だとは思わないが。

誰も此奴らを罰しなかった。

だから、誰かが罰しなければならないだろう。

悔しいのは、恐らくもう何処にも此奴らがいないこと。

いや、いるかも知れない。

どうして鍵をあたしに押しつけてきた。

あの謎をあたしに解くように仕向けてきた。

何を考えているか分からないが、いずれにしてもあの扉の奥に連中がまだいるかも知れない。

そう思うと、戦意と殺意がたぎるのだった。

大きなため息をつく。

凄まじい殺気を感じ取って、フィーが心配そうにしているが。別に怯えてはいない。他の存在に対する怒りである事。

あたしが怒りにまかせて暴れたりしないことを、理解していると言う事だろう。

「カラさんの所にいこう」

「僕も行く」

「私も行こう。 皆、悪いが此処で待機していてくれ。 専門的な話をしなければならないからな。 それに……人質の意味もある」

「ちょっと癪だが、分かった。 ライザがキレるのも無理はねえ。 俺も魔物は散々叩き斬ってきたが、そんな俺でも最低限の仁義くらいはある。 此奴らには、それすらなかったんだな」

レントが吐き捨てた。

神代の錬金術師どもへの怒り。それについて、この場の全員が共有できた。それは、とても大きかったのかも知れない。

 

1、フィルフサの正体

 

カラさんの所に出向く。

カラさんは木の上にある住居で待っていた。オーレン族の見分けはあたしには殆どつかないのだけれども。

リラさんが言っていた。

恐らく左右に侍らせているのは、血縁者だろうと。

普通だったら親ではないかと思うところだが。カラさんが総長老だという話は聞いているから。

恐らく子か孫なのだろうと、今は推察できる。あの見かけで経産婦と言う訳だが。まあ、それは別にどうでもいい。

笑顔で待っていたカラさんの所で、順番に説明をしていく。

「神代の錬金術師……この言い方じたいが嫌になってきました。 何かしらの他の言い方があれば良いのですが」

「連中は基本的に自己神格化をし、それを周囲も受け入れていた。 故に、それ以外に悔しいが呼び方はないのう。 わしらはただ錬金術師とだけ呼んでおったが」

「……分かりました。 ともかく神代の者達が何をしたのか、把握してきました。 順番に説明します」

彼処で行われていたのは。

生命に対する冒涜だった。

神代の錬金術師は、錬金術を極めたと自称していた。それだけ強大な国家を支配して、当時全盛期を迎えていた科学といわれるテクノロジーを錬金術に取り込み、最強最大の力を手に入れていたのだ。

人間の世界を好き放題に支配した彼等の野心は当然外に向いた。

そしてオーリムに来た。

オーリムでどうやってオーレン族と仲良くしたのかは分からない。そういう仕事の人間にやらせたのかもしれない。

いずれにしても、彼等は執拗に「猿」とオーレン族の事を呼んでいた。ログに猿共という罵詈雑言が散々残されていた。

オーリムで彼等が見つけたのがフィルフサ。

それは、本来は今の凶悪な殲滅生物などではなかった。

「元はフィルフサは、ただの冬虫夏草の一種でした」

「冬虫夏草?」

「はい。 虫などに寄生する植物……恐らくそれに近い存在です。 虫を食い荒らして芽を出すことから、冬は虫夏は草という意味から、そう呼ばれています」

「面白い呼び方をするものであるな」

カラさんが興味津々の様子で話を聞く。

フィルフサについては、最初は無害な……勿論寄生される生物にとっては死病に等しいが。

本来は、ただの寄生植物に過ぎなかったのである。それもターゲットは一部の虫に過ぎなかったのだ。

それを、錬金術師達は、徹底的に弄くった。

「フィルフサは強い魔力を持つコアを中心に、体を広げていく性質を持っていました。 その性質を極限まで拡大化し、あらゆる生物を取り込む性質まで与えた結果。 「母胎」と呼ばれる土に生物の要素を取り込み、そこから生物の長所を掛け合わせた凶悪な殺戮生物が誕生したんです。 フィルフサの本体はコアではなく、コアはあくまで体をつなぎ止めるためだけのもの。 フィルフサは、あの外殻そのものだったんです。 王種というのは、フィルフサの群れという巨大なフィルフサ全体のコアそのもの。 神代の外道どもにとって管理しやすいように、生態を根元から弄られたのがフィルフサという存在なんです」

「……続けよ」

「はい。 フィルフサの性質は強い魔力を帯びた外殻にある事に注目した錬金術師達は、それを更に改良。 魔術そのものをほぼ受けつけない存在にしました。 それだけじゃありません。 コアを維持するために魔力を必要とする性質に着目した彼等は、フィルフサに制御装置まで取り付けました」

狂気の源泉。

そう神代の錬金術師どもは呼んでいた。

何故狂気の源泉なのか。

それは簡単で、「狂気を発しているとしか思えない連中と似たように操れるから」だという事だった。

ログに残されていた。

ログには会話の内容が残っていたのだが、制御装置をどう呼ぶかという会議で。数名の錬金術師が、素で狂っている猿共と似たような所から来たのと同じだから、狂気の源泉で良いだろうとかほざいていた。

これだけで不快感が全身を焼き払いそうだが。

ともかく、丁寧に説明していく。

「フィルフサを作り出した彼等は、他にも似たような要領で様々な魔物を作っていました。 彼等が何故魔物を作ったのか。 それは彼等にとって「見ていて気分がいい世界」を作る為でした」

頭がクラクラしてくるが。

本当だ。

神代の人間達は、自分にとって気にくわないもの。

例えばちいさな虫。蠅やゴキブリなど。そういったものから。

自分が見ていて不愉快だと思うもの。

臭い植物だの動物だの。或いは、自分から見て劣っている人間だの。そういうものを丸ごと根絶やしにして。

全て更地にするつもりで、様々な兵器を作った。

例えば蠅とかは、あたしだって好きじゃ無い。だけれども、ああいう生物は自然にある汚物を分解して、迅速に処理する役割を持っている。あたしみたいな農家の関係者だったら、誰だって知っていることだ。肥や堆肥には虫が当然湧くが、そうすることでむしろ健全な栄養に変わるのである。

それすら、「見ていて気持ちが悪い」だの、「うざい」だのという理由で、全て抹殺しようとした。

自分達が神を気取っていたからだろう。

神代の錬金術師達は、作りあげた魔物には、神々の名を象ったものや。或いは古代に生きていた彼等の美学に沿った美しい生物の名前をつけた。

ラプトルがそうだ。

ラプトルはずっと古くに生きていた、古代生物であるらしい。姿も形もそれに似せて、ラプトルと神代の錬金術師は名をつけたのだ。

フェンリルもそう。

フェンリルというのは、ログに出て来たが、古くに存在した宗教の魔物の名前らしい。神すらも食い殺す強大な狼という存在らしく。

彼等は得意げに、最強の狼の魔物が出来たと思って。フェンリルという名前をつけたのだろう。

フィルフサについては、現地名をそのまま採用したようだが。

これはオーリムの人間が、無害と信じている生物に蹂躙されて滅ぼされる様子を、笑って楽しみたかったから、というのが理由らしい。

反吐が出る。

タオが、何度か落ち着いて、と声を掛けて来る。

分かっていると、あたしは静かに返す。

皆が側にいる。

だから、安易にブチ切れることもないが。それにしても、こんなのと同じ生物であることが恥ずかしいほどだ。

結論から言うと、神代の錬金術師は。

「過ごしやすい世界」のために世界を改造しようとした訳ではない。

自分の美的感覚に沿った世界に全てを変えるために、フィルフサや魔物を作り出して、全て更地にするつもりだったのだ。

魔物が現在、此方の世界で繁殖しているのもそう。

神代の錬金術師に取って、自分達以外の人間なんて全部生きている価値もない存在だったのだ。

故に皆殺しにして、土地も全て更地にして。そしてその後に、新しい世界を創造し、文字通り神になるつもりだった。

その思考の全てが、あのログに残されていたのだった。

「許せません。 絶対に」

「そうか。 そなたはあの者どもと、随分と思考が違っておるのう」

「同じにならなくて良かったです」

「……分かった。 どうやら本当に違っているようじゃの。 では、わしらが何を見てきたかも話すとしよう」

カラさんが右手を挙げると。

側近二人が、不満そうにだが顔を見合わせ、そして少し下がった。

本来は、場合によってはあたし達全員を皆殺しにするつもりだったのだろう。気配からそれはわかっていた。

だが、その気が無くなった、ということだ。

あたしの怒りを即座に読み解いた。

この人にはそれくらい出来ると言う事である。

魔術の究極にまで到達しているのだろうし、それも無理はない。今度は、カラさんが話し始める。

「あの者達は、門から現れた。 最初は好意的に振る舞っていた。 だが、徐々に本性を現し始めてのう。 我等のことを猿と呼び、現地の生き物を無為に殺戮して周り、川や土を汚染して回った。 先代の……わしの前の総長老は温厚な人でな。 文化が違うのだから、ある程度大目にみようと言って、軽挙妄動を戒めた。 だがそれを見て、連中は更に図に乗った」

ああ。

あまりにも容易に想像できてしまう。

世の中には、率先して人が嫌がるような仕事。掃除などがそうだが。それをやる人間を見下す存在がいたり。

優しい存在を馬鹿にして回る輩がいるが。

それと同レベルだ。

「やがて連中は、我等の前に来て宣言した。 ついに竜脈の秘密を解き明かした。 別世界へも自由に行く事が可能になったと。 更に、我等は今真の神になったから、ひれ伏し奴隷となれともな。 その時点で、ついに総長老も決断せざるをえなかった。 戦う事をな」

「竜脈の秘密……ですか?」

「そういえば、あの城も竜脈の強さが問題になっていたようだったが……」

「ああ、竜脈と言っておったな。 確かにこの土地には強い竜脈があるにはあるが」

そういえば。

古代クリント王国の技術と最初に触れたのも、多分竜脈と関係するあの石碑だった。

ひょっとして。

神代の連中が求めていたのは、そもそもとして竜脈だったのか。竜脈を利用していた一族だったのではなく。

まず、竜脈が先にあって。其処に吸い寄せられていた連中であったのではないのか。

これについては、調査がいるな。

そうあたしは思う。

兎も角、である。

オーレン族と神代の錬金術師達は、そこで決裂し。

戦いが始まったと言う。

「錬金術師共は恐るべき武器を持っていてな。 全てを焼き尽くす炎の牙や、あらゆる守りを切り裂く光の剣を我等に振るった。 だが我等も自然の守護をしてきた一族。 それに対して、苛烈に戦った。 錬金術師は優れた技術や武器を持っていたが、それぞれの身体能力は大した事がなくてな。 我等も総力を挙げて対応したこともあり、大きな犠牲を出しながらも、徐々に奴らを追い込んでいった。 倒されるときに奴らは絶対にあり得ないという顔をいつもしておった。 愚かしい話だ。 人間である以上、死ぬときは死ぬのに、自分にそれはあり得ないと思い込んでいるのが一目で分かった」

「神代全盛期に勝ったんですか!?」

「ああ、損失も凄まじかったがな。 奴らは敗色濃厚と悟ると、フィルフサをばらまき、そして更には門の向こうに消えた。 門の向こうに攻めこんだが、そうしたら其処には空に浮かぶ不思議な街だか城だかが存在していてな。 其処での死闘が最終決戦となった……といいたいところだが。 其処でも支えきれないと悟ると、奴らは仲間を見捨てて、戦いになった区画を切り離して逃げよった。 流石に空間を切り離されてしまうと、我等もどうにも出来ずに、後は見送るしかなかったのよ」

「……」

味方を見捨てて逃げた、か。

傷つきながらも勝利したオーレン族を待っていたのは、大繁殖を始めたフィルフサだったという。

これが、千三百年前に起きた惨劇の真相。

あたしは、大きな溜息が出ていた。

以降、オーレン族はオーリム中に拡散したフィルフサと戦闘を続けている。五百年前までは、それでもどうにかできていたのだが。

古代クリント王国が此処と違う場所から再度侵入。

複数箇所で水を奪い、フィルフサを更に大繁殖させた事が切っ掛けとなって、今ではオーレン族も此処くらいしか大規模な拠点がない状態になってしまっていると言うことだった。

アンペルさんが、頭を下げる。

「先達がろくでもないことは分かっていたが、本当に申し訳なかった。 謝って済むことではないのは分かっている。 だが、頭を下げさせていただきたい」

「私も」

その場で土下座する。

タオは、何も言わずに、その場でじっとしていた。

しばしして、カラさんは言う。

「かまわぬ。 そなたらは、あの者どもとは違う。 あの者どもの代わりに謝る理由などはない」

「……分かりました。 その言葉に、甘えさせていただきます」

顔を上げる。

カラさんは、だがと。

続けて言う。

「ただし、今後もあの者達と変わらずにいられるかは分からん」

「そうですね。 それはそうかも知れません」

カラさんが、側近二人を指で招いて呼ぶ。

耳打ちしていたが。

二人は驚いて、顔を上げていた。

「正気ですか総長老!」

「正気も正気よ。 それに、フィルフサの王種を我等はこの千三百年で何体仕留める事ができた? この者達はここに来て数日でそれを成し遂げた。 今風羽の伝令をやっているが、他でも似たような事を成し遂げている可能性が高い。 ならば、この者らと連携して動くのが早い。 ひょっとすれば、フィルフサを根絶することが可能かもしれん」

「……」

違うな。

それも理由の一つだが。

この人の真の目的は、あたし達が神代の錬金術師と同じになった時。即座に殺す事だ。

それは分かっている。

だからあたしも、分かった上で話を受ける事にする。

「わしはそなたらと行くぞ。 かまわぬか」

「かまいません。 歓迎します、オーレン族の賢者カラさん」

「うむ……」

カラさんが、ひょいと立ち上がる。

そして、アトリエに案内せいという。

アトリエでの道でも、幾つかの話をする。

さっきは黙ってずっと聞いていたが。やはり、先の話を裏付ける話ばかりだった。

フィルフサは本来、ちいさな虫を覆ってしまう病気として認識されていたこと。装甲は確かに対魔力という観点で非常に有効で、場合によってはフィルフサによって死んだ虫を集めて、装甲を作った事すらあったということも。

それが神代の錬金術師の手で殺戮兵器として出現した時には、オーレン族の戦士達も驚いたという。

驚くべき巨大な生物たちが住まうこの世界でも、非常に危険な脅威であったからだ。

フィルフサは短時間でこの世界を蹂躙し。大きくて強くても繁殖力に劣る生物を次々食い荒らし、自分の身へと変えていったそうだ。

更にはこの辺りには。

最低でも八つの王種に率いられた群れが存在している。正確には、この間あたし達が一つ潰したから七つだが。

この七つの群れを潰さない限り、当面の安定は来ないだろうとも。

アトリエに戻る。

カラさんがこれから一緒に行動すると説明すると、反対意見は出なかった。カラさんはというと、色々興味津々に見回して、ベッドでぽんぽん跳ねたりしているが。

リラさんが、呆れ気味のボオスに言う。

「総長老ほどの年齢になると、好奇心が強くなってくる。 それでああいう行動に出ることもあるのだ」

「なるほどな。 少し年の取り方が俺たちとは違うんだな」

「まあ、私達の中でも、年を取って背が縮む人はいるにはいるけれど」

クラウディアが不思議そうに小首を傾げる。

ちなみに、オーレン族は二千年を超えて生きる事はないそうだ。つまり、カラさんは既に人生の折り返し地点まで来ている訳で。

あと何百年かで命を落とす。

それまでには、このフィルフサに汚染されたオーリムをどうにかしたいというのも、本音なのだろう。

そうだ。

もう一つ聞いておく事があった。

フィーを見せる。

カラさんは、フィーを見ると、そうだったなと頷いていた。

「宥めの精じゃな……」

「宥めの精。 それがフィーの本来の名前なんですね」

「そうなる」

エンシェントドラゴンの西さんの残留思念と会話したときに、何とかの精と言っていたっけ。

それとも一致している。

それはどういうものなのかと聞くと。

順番にカラさんは話してくれる。

「ドラゴンは幾多の世界を渡る生き物でな。 年を経ると、最後の世界に出向くべく、この世界を訪れる。 ドラゴンは竜脈に降り立つと強い魔力を集め、そして最後の世界に渡るのじゃ」

「え……」

「その時に、宥めの精がドラゴンの周囲に集まる。 流石に世界を渡るとなると、とんでもない被害が起きる。 そのドラゴンによる災害を最小限に抑えるためにな。 ドラゴンは安らぎを得て、そして最後の世界に飛ぶ」

「ちょ……ちょっと待ってください!」

待て、待て待て。

今の話を総合すると、つまり。

「最後の世界」というのは、恐らく間違いなくあたし達の世界だ。

つまり死期を悟ったドラゴンが、死ぬために訪れるのがあたし達の世界と言う事か。

エンシェントドラゴンの西さんが、世界に災いを呼んでしまったと言っていたのは、それが理由か。

アンペルさんも絶句している。

自然門は、そうなると。

死を悟ったドラゴンが、竜脈に沿って飛び。此方の世界に来るために開けていたものだったのだ。

ドラゴンに何かしらの関係がある事は分かっていたが。

まさかそういう理由だったとは。

「そ、そんな事だったのか……!」

「なんじゃそんなに驚いて」

「アンペルさんの生涯をかけた研究が、自然門についてだったんです。 人為的に開けられた門はどうにか出来るとしても、突然開く自然門については対策のしようが無い。 だから、せめて開くパターンについて調べたいとアンペルさんは調査を続けていて」

「それは残念な話であったな。 此方の世界に渡って来ていれば、わしから聞くことが出来ていたのに」

アンペルさんは、少し一人にしてほしいと言って、フラフラとベッドに消える。

それぞれのベッドは外から見られないようにドアもつけてあるので、閉じこもることも出来る。まあ色々と生理反応とかもあるので、一人になりたい事もある。そう判断して、つけておいたのだ。

リラさんがあたしを見るが。

しばらくは放っておいた方が良いと思うと告げておく。

「宥めの精……フィーの一族に、何かあったんですか?」

「……奴らは、竜脈の力を解析し、門を自由自在にすることを目論んでいたようでな。 その過程で宥めの精は乱獲され、皆殺しにされた。 一部の卵はどこかに運び去られたようだが」

「その一つがフィーです」

「そうか……それは何とも運がなかったな。 奴らが宥めの精を殺戮し始めた頃には、奴らに対する不審も強くなりはじめていた。 もっと早くに手を打つべきだったと、わしは後悔しておるよ」

カラさんは。

先代の総長老。

神代の錬金術師達との総力戦で命を落とした先代と考えが似ていて。融和策を最初は支持していたそうだ。

だが、戦闘となると真っ先に敵に突っ込んだのも総長老であったらしい。

此方の世界の指導者は、人間の世界の指導者と違って、行動で責任を取っていると言うわけだ。

なんともまた。

色々と、人間と類種であっても違うものだなと、呆れてしまう。勿論人間に対して呆れている。

パティが、信じられないと吐き捨てる。

パティはフィーと仲が良いから、余計に不快感が募ったのだろう。

とはいっても、神代の連中が名前と裏腹に、悪魔と言う存在にもっとも近かったのは事実だ。

神を名乗るような輩こそ。

やはり悪魔に一番近いのだろう。

今でもふわっとした概念でしか悪魔と言う存在は残っているが。

そのふわっとした概念に、ぴたりと神代の錬金術師が当てはまるのは、皮肉極まりない話だ。

人の肉を貪り喰う匪賊ですら、連中に比べれば小物に過ぎない。

ともかく、くだらない鍵遊びであたしに何か仕掛けて来ている神代の連中は、殲滅する。

咳払い。

ともかく、順番にやる事を決めておかないといけない。

「カラさん。 しばしこの近辺を調査させてください。 その過程で、フィルフサを始末します」

「うむ、フィルフサの群れをもう一つ二つ減らして貰えれば、わしがいなくてもこの里を守りきれるだろう」

カラさんも賛成か。

地図をタオが拡げると、カラさんはてきぱきと指さす。

まず潰した研究所の南側。其処に一つ。事前に話を聞いていた、里の北東に一つ。

里の西は群れが多く、合計五つ。

ただし、里の西にまだ美しい水を出している水源と。竜に対する記念碑が存在しているという。

フィルフサが多く。それらを守るのはかなり難しい状態であり。

フィルフサが多い事もあって、駆除にはいつも被害を覚悟する状態だとも。

だとすると、まずは一番強力な群れを潰すべきか。

「雨が降る日は分かりますか?」

「うん? 雨程度で力の差は埋められんぞ」

「分かっています。 それでも少しでも敵が弱体化する日を狙って仕掛けたく」

「そうじゃな……三日後と言う所か」

だとすると、先にやるべき事がある。

あたしは、タオと頷いていた。

「ドラゴンが門を通るのは、次はいつ頃になるか、どういう被害が出るか、分かりますか」

「うん? どういうことよ」

「実は、門を通った先に集落があって、ドラゴンが門を通るときに起きる災厄を「竜風」と呼んでいるんです。 既に彼等はその原因を忘れて久しく、建物を頑強にして耐えるくらいしか出来ない状況で」

「なるほどな。 で、その者達は、あの錬金術師どもとはどういう関係じゃ」

流石に鋭いな。

あたしは、順番に説明する。その錬金術師達に追われて、世界中で散り散りに暮らして。それでやっと戻って来たのだと。

それを説明すると、流石にカラさんも、黙り込む。

人間の中にも、神代の錬金術師の被害者は多い。それを理解してくれたようだった。

「分かった。 確認して見よう。 元々ドラゴンの中でも、そなたらの世界に飛ぶほど年老いた個体はそう現れん。 だが、前回から見て、そう遠くない時の先に現れてもおかしくはあるまい」

フィーを一瞥するカラさん。

一個体だけでは、増えようがない。

そう視線が告げていた。フィーの同族をどうにかして増やせれば、竜風などと言う災害に、苦しめられる人は出なくなるのに。生物の中には無性生殖を出来る存在もいるが、フィーがそうだとは、あたしには思えなかった。

門を自在に開けるという行為の先に何を目論んでいたかは分からない。だが神代の錬金術師に何かしらの切実な理由があったとは思えない。むしろ富も名声も、それどころか嗜好品、欲求のぶつけ先、何もかも思い通りだったはずだ。自分達がやりたいようにやるために、多くの命を無碍に奪ったわけだ。

ディアンも呼んで、軽く話をしておく。

ともかく、フォウレの里に一度戻って、説明はしておいた方が良いだろう。

一つずつ、順番に問題は解決するしかない。

アンペルさんはまだいじけていたが。しばらくは、そっとしておこう。そうあたしは思った。

 

2、竜風について

 

どう竜風について説明するか、移動しながら考えておく。

そも竜風は、自然現象に近いものだった。ドラゴンは本当に死の寸前に自我を得るんだな。そうあたしは驚かされる。自我のないドラゴンが、安らぎを求めて死ぬために旅をする。

それをとめる事は出来ないし。

とめるのこそ、摂理に反するだろう。

元々宥めの精が存在していて、災害なんて起きないようになっていた。

それについても、納得が行った。

城が出来てから、災害は起きなくなった。

そういう記述が、城の中にあったのだ。

それはつまり、あの城を建てたフォウレの里の先祖達が、竜風の災害を抑え込むのに成功していたのだろう。

あの不自然な斜面は、ドラゴンが飛んで抜けられるように、距離を敢えて開けていたのだと思う。

ドラゴンは壁を見て上昇する。その時に、災害のエネルギーは大半が空に逃がされていたのだろう。

だけれども、宥めの精がいればこそだったのだ。

神代の錬金術師が宥めの精、フィーの同族を皆殺しにしてしまった。だから、災害で出るエネルギーが桁外れに増えた。

結果、定期的に大災害が起きるようになった。

どこまで世界に迷惑を掛けたら気が済むのか。

本当に、苛立ちで爪でも噛みたくなる。

ともかく、一度オーリムを離れる。総長老を借りる事、数日で戻る事を、側近の二人に告げる。

側近の二人はじろりと「総長老」を見たが。

カラさんは、引き継ぎはしてあると言って、文字通りけろりとしていた。

この様子だと、側近の二人は色々苦労しているんだろうな。

そう思って、あたしは呆れつつも皆で門を潜る。

すぐに、城の中に戻る。

魔物の気配はかなり薄くなっているが、想定通り時刻は昼少し前だ。ディアンが、跳び上がって喜ぶ。

「戻った! 門を通るときは、もう戻れないかと思ってたんだぜ!」

「はあ。 私も同じでした……」

「フェデリーカ、此処はまだ安全じゃないよ。 まずはフォウレの里まで戻って、そこで少し休もう」

クラウディアが諭して、フェデリーカが気が抜けるのを防ぐ。

先行していたクリフォードさんが、大丈夫だと手を振って来る。そのまま、例の頭巾を被せて、警戒装置の側を抜けて。

裏口から抜ける。

破壊された城の跡を見て、カラさんは呻く。

「この荒っぽいやり口、奴らじゃな」

「はい。 最初はフィルフサの攻撃によるものを想定したんですが、違いますよね」

「ああ、時系列があわぬな。 激しい戦であったのだろう。 多くの命が此処で消えたことが分かる」

カラさんが、大きなため息をつく。

ずっとこんな調子で殺し続けて来たのだから、それは感覚も麻痺するだろうな、と。

あたしだって、農業や畜産をしてきたから、命を奪うことは日常だった。だが、だからといって感覚は麻痺していない。

「タオとやら」

「はい」

「人間の世界では、同族同士で殺し合うのが普通なのか」

「五百年前に古代クリント王国が破綻するまではそうだったようです。 今の何十倍も人がいたので、相対的に命が安かったんだと思います」

クリントか、とカラさんがぼやく。

古代クリント王国については、カラさんも当然知っている。連中が神代の模倣者だった事も。

だから、それがフィルフサに手を出して破滅して。

人間がやっと同族で積極的に殺し合わなくなったと聞くと、色々と複雑なのだろう。

ただ、人間は増えればまたすぐに殺し合いをはじめるとあたしは考えているし。

恐らくカラさんも、それを見抜いているとみた。

森に出たので、ディアンがカラさんに危険地帯を教えながら歩く。最初どう呼んで良いのか困惑していたディアンだが。

流石に相手が験者以上の超凄い長老だと聞くと、さん付けでもちょっと恐れ多いかと思ったのか。

長老と呼ぶようになった。

カラさんも、それで良いようである。

「あの辺りは泥沼があって、あぶねえんだ。 長老も気を付けてくれ」

「何、最悪の場合は水の上を歩くでな」

「そんな事が出来るのか、すっげえ!」

「出来るには出来るが、水の下には大きな魔物がわんさとおろう。 まあ、あくまで最終手段じゃよ」

そうだろうな。

森の中を行く。別に短時間で強い魔物が補充される訳でもない。ともかく、フォウレの里まで、淡々と戻る。

フォウレの里に戻ると、カラさんは興味津々に目を輝かせて、辺りを見回す。ちょっと寄っただけだ。

本番はこれからである。

此処から、竜脈について調べる。カラさんとアンペルさんが、それで連携して動いてくれる。

まず、クラウディアとボオス、あたしが三人で、験者の所に。

丁度一週間で戻った事について、験者は時間に正確だと褒めてくれたが。

デアドラさんが来たのを見て、あたしが咳払いして。何かあった事に気付いたようだった。

「それで、何か成果はあったのか、ライザ殿」

「はい。 竜風について分かりました」

「!」

「竜風は、簡単に言うとドラゴンが指定の地点を飛ぶ事によって生じる災害です。 普通ドラゴンが飛ぶだけだと被害は起きないんですが、竜脈に沿って強力なドラゴンが飛ぶ事が分かったんです。 一定期間に一度起きるのは、それだけ強力なドラゴンが少ないから、ですね」

デアドラさんが、詳しくとぐいぐい来る。

それはそうだろう。

あたしも、それについては分かっている事を話す。

「お城に竜脈の起点がある事は既におわかりかと思います。 問題は其処からどういう風に被害が広がるか、です。 今、竜脈について詳しいアンペルさんが、専門家と調べています。 今日……遅くても明日には分かります」

「そうか、助かる」

「験者様。 それで対策は如何しますか」

「ともかく、被害がどう広がるか調べるしかない。 竜脈というと、確か現在のこの里にもあったな」

それはそうだろうなとあたしは思う。

フォウレの里の機具も、魔石を用いて動かしているものだ究極的には。種の内部構造を調べる事は、フォウレの里ではタブーとなっていたようだが。それでも、竜脈の近辺は、生活に色々と都合がいい。魔力を際限なく引っ張り出せるし。何より魔術を使う人間は、竜脈の近くで生活すると、それだけ体調も良くなるし、魔力の制御も簡単になるからである。

誰もが魔術を使える今の時代。

自然と竜脈に沿って生きるようになるのは、当然のことなのかもしれない。

「とにかく、今日明日には結果が出ます。 最悪の場合は……里の場所を引っ越すべきかもしれません」

「分かった。 先に分かっていれば対策も出来る。 ともかく、よく調べてくれた」

「それにしてもドラゴンが原因などとよく分かったな」

「それは、色々と資料がありましたので。 里の人には内緒ですよ」

デアドラさんが、むっとする。城の中を漁ったことを理解したからだろう。

だけれども、今の里の人間の命が第一だ。それに暗黙の了解として、城の調査をする事も告げてある。

あたしとしても、完全に手を汚さずに発掘が出来るとは思っていない。

度が越した行為をすれば神代のゴミカスどもと同じになるが。

だからこそ、あくまで人のためと考えて行動しなければならないのだ。

「竜風の際にドラゴンを見た者は今までにもいた。 いずれにしても、説明が必要になるだろうな」

「どうなさいますか、験者様」

「うむ……ともかく今のうちに考えておく。 ライザ殿、被害の範囲について調べて欲しい。 フォウレの里だけの問題ではないからな」

「はい。 任されました」

敬礼すると、すぐに験者屋敷を出る。

待っていた皆と、調査に出る。カラさんが言うには、竜脈から竜脈を目指してドラゴンは飛ぶらしい。

里から少し離れた所で、カラさんが長めの詠唱を始める。

聞いた事もない言葉による詠唱だ。ただ、全身からエーテルが物理的圧力を伴って吹き荒れるほどのとんでも無い魔力である。

オーレン族は老衰で死ぬのでは無く、病で死ぬ。

そういう話をされたが。

確かにこれは納得出来る。

体が全盛期に比べて小さくなっていても、カラさんの魔力はまるで衰えていないどころか。

どの人間の魔術師よりも上だろう。

詠唱が終わり、たたんとリズムを踏むようにして、カラさんが地面を踏む。見た事も無いほど巨大な魔法陣が天地に出現し。それがカラさんの頭上で合体。数度回転した後、幾つかの矢印が出現していた。

矢印の大きさが竜脈の強さ。

長さが距離か。

タオが、それを説明されて、即座に地図を見る。何カ所かは、実際に足を運べるようである。

これにフォウレの里にあった竜脈を加えれば、次の竜風での被害が分かる、というものなのだが。

タオが印をつけた地点を見ている限り、六割以上の確率で、竜風がフォウレの里を直撃する。

というのも、城。

更に城からかなり近い地点。それもフォウレの里の方に竜脈があるのだ。

これは其処にドラゴンを誘導しているのも同じ。

更に、膨大な力を蓄えたドラゴンが、わざわざ道をそれる必要もない。門を飛び出してきたドラゴンは、それこそ一直線に飛ぶだろう。

六割以上と思ったが。

これは、ほぼ確定か。

勿論違う方向に最初から飛ぶ可能性もあるが。

タオが、幾つか矢印を地図に書き加える。

それはグロテスクなほど、フォウレの里を竜風が直撃する説得力を持って、描かれていた。

「カラさん、ありがとうございます。 タオ、これまずいよね」

「まずいね。 これは洪水の直撃を受けるのと同じだ。 多分家を多少強化した程度ではどうにもならないと思う。 空間を空けるのに使う余剰魔力だ。 下手をするとフォウレの里なんて跡形も残らないよ」

「タオさん、何かしらの手はありますか?」

パティとしても心配なのだろう。

パティは他人に偏見をほぼ持たないのが強みだ。フォウレの里の人達の事情を聞いて、どうにかアーベルハイムで出来る事はないかと即座に申し出た程である。

ボオスも、見ていて感心するとまで最近は良く口にする。

「幸い、すぐに竜風が来る訳じゃないからね。 この辺り……少し不便になるけれども、引っ越しするしかないよ」

「やれやれ。 クラウディア、金でも出してやるか?」

「うーん、集落単位でのお金の拠出となると、即座に話は出来ないかな」

クリフォードさんの提案に、クラウディアも難色を示す。

分かっている。

竜風についての話をクラウディアが持ち出したとして、バレンツ商会にどれだけ話を通せるかどうか。

時々クラウディアは余裕を見てはバレンツ商会に出向いて雑務をこなしているようだが。

本来だったら、毎日かなり遅くになるまで仕事をして、やっと商会が回るものなのかも知れない。

今の時代、人間が極めて少なくて。

それで仕事量もコンパクトにすんでいるということだ。

「とにかく、この地図は分かりやすい脅威だと思う。 それで丸投げだけするのか?」

「ちょっと困ったね。 何か案はある?」

「俺は、自分達で村を引っ越すべきだと思う」

真っ先に意見を出したのはディアンだ。

そのまま、意見を聞く。

「ライザ姉や長老のおかげで竜風のことが分かった。 それだけで、凄い事なんだ。 これ以上甘えたらいけない。 俺はそう思うんだ」

「うん、その通りだね」

「とにかく、俺から験者様に言ってみる。 この地図を見て、フォウレの里を移動しないと多分どうにもならないことはよく分かった。 俺たちが、自分達で判断して決めないといけない事なんだ」

ディアンがそう言う。

少しずつ、ディアンは変わり始めている。

明らかに敬意を払うべき存在がいること。

唾棄すべき存在もいること。

外に出て見て、ディアンは短時間でその両者を見ている。フォウレの里は、ディアンにとっては前者なのだろう。

だとすれば、自分で守らなければならない。

自分で変えなければならない。

その意思は、貴ぶべきだ。

「すぐにフォウレの里に戻ろう。 もしもフォウレの里から支援を申し出てきた場合は、クラウディア、頼めるかな」

「その場合は商会に話を通すよ。 ただ、ディアンの言葉通りに、まずはフォウレの里の意思を決めてから、だね」

「おう、なんとか説得する」

ディアンは張り切っているが、難しいのは分かりきっている。

パティも険しい顔をしている。

もっと規模が大きい集団の改革をして、その困難さを思い知らされたからだろう。フェデリーカだってそうだ。

フェデリーカだって、サルドニカをもう少しまともにするには、腰を据えて当たりたかっただろう。

それも出来なかった事を考えると、やはり色々と厳しいと感じるのだろう。

「ライザ、それで何も干渉はしないのか」

ボオスが聞いてくる。

ボオスから見て、ディアンは不安が多いのだろう。力ばっかり有り余った乱暴者として周囲からはまだ見られている。

そんな乱暴者が、よそ者とつるんで変な事を言い出した。

そう取られかねない状況なのは、確かに事実だ。

だけれども、あたしは首を横に振る。

「まずはディアンに任せよう。 どうしても無理なら、あたしとクラウディアとボオスと、他にも皆の力を借りるよ」

「……」

カラさんは何も言わない。

少なくとも、今のやりとりに裏などがないことを見ているのだろう。

あたし達を探っている。

状況次第では即座に。

まあ、それもあたしは分かっている。基本的に、カラさんに何かしらの隠し事をするつもりはなかった。

 

フォウレの里に戻ると、急いでディアンが験者屋敷に行く。ディアンの妹分や弟分らしい、半裸で体に化粧をしている子供達が、話を聞きに来る。ディアンは子供には人望があるらしい。

まあ、わからないでもない。

ディアンが心配だという子供もいる。

子供の相手は得意だ。

丁寧に言い聞かせる。

ディアンは今、外で大きな情報を手に入れてきた。フォウレの里にとってとても大事な情報だ。

それをどうにかして、験者と話し合って、どうにか通さないといけない。

験者を説得した後は、里の大人達。

ディアンにとっては大仕事だ。

それを為せなければ、フォウレの里はあまり良い結果にならないだろう。そう告げると、子供達はディアンを応援するつもりになったようだった。

今は、それでいい。

ただ、本当に幼い子の中に、障害が出ている子が目立つのはいただけない。確かにもっと早く外の血を入れるべきだったのだ。

験者が決断したことは間違っていなかった言える。もう何世代か近親での交配を続けていたら、もっと酷い事になっていただろう。

まだ幼いのに、片足が動かない子がいて。粗末な義足を使っていたので。あたしが作る。これは、未来分の投資だ。

義手や義足は古式秘具をみて色々と解析した。

アンペルさんのものほど立派なものではないにしても、今の木を適当に組み合わせた粗末なものよりはマシになる筈だ。

すぐに作って、曲がってしまっている足に合わせて調整する。

しばし不安そうにしていた子供だが。

ちゃんと歩けるようになった事に気付くと、ぱっと顔が明るくなる。他の子供の様子も見る。

やはり色々と障害がある子がいる。対応できるものは対応しておく。色がきちんと見えていない子もいるようだ。

これはどうすればいいのか。目を取り替えるのは、いくら何でも厳しいだろう。

「義足は年に応じてこれ、続いてこれを使うようにしてね。 最終的にはこれを使えば大丈夫だよ」

「何度も交換しないといけないの?」

「体が大きくなるからね」

義足はかなりしっかり作ったので、子供が走り回っても大丈夫な筈だ。手入れの仕方と壊れた場合の対応についてもメモを残しておく。この辺りは原始的な生活をしているように見えて識字率は悪くない。

メモを残しておけば大丈夫だろう。

問題は視覚に障害がある子だが、それについてはカラさんがアドバイスをくれる。

「恐らくは特定の色が見えておらんのじゃろうな。 そればかりは、脳に作用する魔術を自分で工夫するしかなかろう。 強化魔術だと、上手くやれば補える事があるのだが」

「なるほど。 魔術の系統は?」

ちゃんと見えていない子は、強化魔術だという。だとすると、カラさんの方が対応できるかも知れない。

カラさんが目が良くない子に丁寧に魔術を教え込んでいる。強化魔術は我流の傾向が特に強く、タオのように頭脳強化をしていたり、レントのようにパワーと耐久力の強化に全振りしているケースもある。

カラさんは魔術の極みにいる人だ。見た感じ、どの系統の魔術も固有魔術のように好きに使えるようである。

はっきりいってインチキレベルだが、それは元から人間より優れている体の持ち主が、千何百年も体を鍛え抜けばそうなる。

すぐにコツを掴んだらしく、子供が色々と試している。

後はどう訓練すればいいかのアドバイスをカラさんがしていた。

それはそうとして。

験者屋敷の方に意識を向けるが。

ふむ、やはり揉めているな。

験者に対して話をしているディアンだが、多分村の古老達を交えて話していて、それで騒ぎになっているのだろう。

験者屋敷の方から怒鳴り声が聞こえている。騒いでいるのは老人か。

この土地を捨てるなんてとんでも無い。

父祖から受け継いだ土地だ。

そんな怒鳴り声がする。

実際には違う。

彼等の父祖が受け継いだのは此処じゃない。

話を聞く限り、何度も竜風で壊滅しているのだ。その度に場所を移して、それでたまたま今回は相性が良い土地に当たったに過ぎない。

ひょっとすると、だが。

古代クリント王国滅亡後、フォウレの里の民が戻ってきたとき。

竜風が直撃した森が、半壊していて。

たまたま住み着いた土地が、里の最初の入植地になったのかも知れない。城があんな有様ではとても住めなかっただろうし。可能性はある。

長い旅の生活で疲弊していたフォウレの里の人々は、そんな災害が起きる土地だと言う事を失念し。

それから何度も竜風に襲われてきた可能性すらある。

ディアンは相当に頭に来ているようだが。

験者の怒鳴り声は聞こえなかった。

主に怒鳴っているのは老人ばかりだ。

「手を貸すか?」

ボオスが言うが、首を横に振る。

これはディアンが言った通り、フォウレの里で解決しなければいけない問題なのである。ならばあたし達が首を突っ込む話ではない。

あたしは子供の玩具などを直して回る。

次世代の人間には、せめて少しはマシな思いを持って貰いたいし。何より外への偏見だってなくして欲しいからだ。

神代の人間は己の欲と力を最優先して、それで何とも思わない連中であったようだが。だから世界は最終的にこうなった。

あたしは、同じ轍は踏ませない。

あまりウィンドルを放置も出来ない。当面はフィルフサを潰して回るのが最優先となるからだ。

だが、一日だけは待つ。

そう、あたしは決めていた。

 

夜になると、ディアンが戻って来た。

相当にタフなディアンだが、疲弊しきっているのが分かった。風呂を湧かしておいたが、無言で入る。

クラウディアが用意した菓子を食べ始める。

誰も、声は掛けなかった。

ディアンも相当に参っているのが分かる。

元々里の人間の頑迷さには相当に参っていたのは分かっていた。頭にも来ていたのだろう。

少しはあたしの言葉は聞いてくれるようにもなり。

それで里が変わり始めたのだと、どこかで喜んでいたのだ。

だが。

だからこそに、知ってしまった。

実際には、渋々ながら変化に応じていただけだったのだと。

よくなど思っていなかった。

人間は年を経れば経るほどそうだが。今まで自分がやってきたことを、真っ向から捨てる事は難しい。

特にこんな周りが危険な魔物だらけの土地で、必死に生きてきた人間にはそうなのだろう。

そうでなくても人間はそういう生き物なのだ。

閉鎖性を詰めすぎて、子供に異常が出始めているのに。それでも余所と関わり合いになりたくない老人達。

勿論それには、長い迫害と放浪の歴史も噛んでいる事は分かっている。

だがそれにしても、ディアンには辛いのだろう。

あたしより先に、ボオスが声を掛けていた。

「ディアン。 上手く行きそうか」

「わからねえ。 ボオスさんは、クーケン島ってとこの次期当主なんだよな。 ライザ姉も其処の住人なんだろ」

「ああ」

「もしもライザ姉と意見が対立することになったらどうするんだ。 ライザ姉って、ちいさな集落どころで収まる器じゃない。 この世界を変える人間だ。 そんな英傑と対立した場合は、どうするんだ」

また、難しい事を聞くな。

あたしはちなみに、ボオスとは上手くやっていける自信がある。

だけれども、ボオスの子孫とまで上手くやっていける自信はない。

子供の性格が親と真逆なんて当たり前の事だ。

英傑が子育てに失敗するなんて珍しくもない事である。

子供が親に似るとしたら、だいたい悪い所ばかりだ。

クーケン島でそれは散々見知っているから、あたしは無責任なことをいうつもりはない。

ボオスは少しだけ考え込んでから、言う。

「ライザと俺は散々昔は対立していてな。 まあどっちも悪かったんだが、くだらない事で意地になっていた。 色々あって和解できたが、今でもその時の事を思い出すと、冷や汗が出る」

「ボオスさんでもそうなのか。 ライザ姉でも」

「俺の生まれたクーケン島でも、物わかりが悪い老人はなんぼでもいた。 老人がみんなそうではないがな。 それで物わかりが悪くて攻撃的な老人ほど権力を握っていたりして、それで困らされたものだ」

「此処と同じなんだな……」

ディアンは相当に落ち込んでいる。

だが、顔を上げる。

どうやって仲直りしたのか、聞かせてほしいと。

ディアンは咳払いした後、昔の話を始めた。

四年前の、乾期の話。

ちょっとあたしには、こそばゆいかも知れない。他人の目から見た、あの夏の日の思い出の話だった。

 

3、移転へ向けて

 

朝一に体を動かしていると、ディアンが起きだしてくる。多分色々考えていて、目が覚めるのも早かったのだろう。

一緒に体操して体を温めると、行ってくるとディアンは言って、朝飯だけ食べてすぐに験者屋敷に向かった。

カラさんが、いつの間にか側にいた。

この人の隠行、凄い技術だなと感心する。出来れば十年以内に追いつきたいが、はてさて。

「わしはどちらかというと老人の側なのだがのう。 しかもオーレン族は、恐らくこっちの人間より頑迷な筈だが。 それでも、先代もわしも、周辺の統率に苦労した事はないのう」

「文化が違うんですよ」

「そうか。 まあそうであろうな」

「恥ずべき文化は継承するべきではありません。 あたしはそう思います。 今、フォウレは変わらないといけないはずです。 でもそれは、自分でやらないと」

手を貸してくれと言ってくるならそうする。

だが、もしも竜風に巻き込まれて滅びたいというのなら。

勝手にそうしてくれというしかない。

強制的に移住させる手もあるが。

それは恐らく、何世代にもわたる恨みを招くだろう。

例え目の前で竜風がフォウレの里があった場所を滅ぼしたとしても、である。

ドラゴンをオーリムで殺すという手もあるが。

それはいくら何でも厳しい。

もう年月を超越してしまった可能性が高いあたしだが。ずっとウィンドルに貼り付いている訳にもいかないし。

何より死を迎えるためにこの世界に飛ぼうとするだけのドラゴンを殺すのは、気が引けてくる。

そもそも宥めの精であるフィーの一族を、神代の錬金術師どもが皆殺しにしなければ、こんな災害は起きなかったのだ。

フィーは周囲を飛んで回っている。

空気が良いのか、気持ちよさそうだ。

多分この辺り、ドラゴンと相性が良いのだろう。

竜風で吹っ飛ぶ訳である。

「それでどうする」

「今日一日は待ちます。 それで駄目なようなら、ウィンドルでのフィルフサの討伐が一段落するまで待って、それでまた様子見に。 それでも駄目なようだったら、もう知りません」

「割と非情だな」

「その時は、あたしが考える事ではなくて、むしろパティやその父上が考える事になってくるからですね。 強制移住をさせるにしても、放っておくにしても、災害が起きた後にどうするか考えるにしても、もうそれは統治者の仕事であって、あたしの仕事ではありません」

カラさんの言う通り、あたしも割と非情なのかも知れないが。

誰も彼もは救えないのだ。

残念だが。

フォウレの里の人達のために、時間と労力を全て使うわけにもいかない。そういうものなのである。

あたしは無言でアトリエに篭もると、今日は調合を続ける事にする。皆の装備の刷新をしておく必要がある。薬や爆弾を増やしておく。当たり前の話で、これからフィルフサの大軍と連戦することになるのだ。

カラさんには、隠し事はやめておいた方が良いだろう。

それで、この近辺で回収した水を、切り札としてもっている事を告げる。最悪の場合は土砂降りを起こして、それでフィルフサの群れを弱らせることも。

カラさんは、無言でそれを聞いていた。

この人は時々笑顔が消えて無表情になるが。

その時も、そうだった。

「大水による弱体化は、フィルフサには最高に効果的であろうな。 だが……」

「分かっています。 周囲への被害も甚大極まりないです。 幸いウィンドル近辺のフィルフサは相当に削られていて、恐らくあたし達でも大雨抜きでどうにか出来ると思います。 ただ、もう守るべきものが一切無くなってしまった土地では、それが最適解かも知れない、とあたしは考えています」

「既に試したのか」

「グリムドルや他三つの土地で、フィルフサと戦う時には。 それらの土地では、既に守るべきものがありませんでしたから」

カラさんは腕組みしてじっと考え込む。

そして、やむを得ぬかと、呟いていた。

それから、あたしがやる錬金術を興味深そうに見る。エーテルの物質化、ものの要素ごとの分別、合成。

それらを説明しながらこなして行くと、なる程と考え込んでいた。

「魔術に関してはエキスパートですよね。 ひょっとしたら、才能があるかも知れないですよ」

「いや、わしには幾つかの才能が欠けておる。 途中までは出来そうだが、全部そなたと同じようにはできまいて」

「そうですか……」

「まあ見ていて面白いものではあるな。 そなたらがいう神代の者どもは、錬金術をやる所を絶対に他人に見せなかった。 故にどうやってあのような驚天の装備を作り出しているのか、分からなかったからのう」

そうか。まあそうだろうな。

自己神格化を始めていたのだとすれば、なおさらそうだ。そういう存在は、基本的に自分の事なんて見せはしない。

あたしは淡々と爆弾も薬も増やしておく。

コアクリスタルで使う分もあるが、それだとやはり魔力を膨大に吸い上げるので、限界があるのだ。

コアクリスタルの調整も行っておく。

既に古式秘具とて、完全に手が届かないものではない。

というか、古式秘具を改良することも増えてきている。

既に古式秘具は、特別なものでもなんでもない。

あたしは、そう思いながら、調整を続ける。

昼少し過ぎ。ディアンがまた、疲れきった様子で戻ってくる。埒があかない。そう顔に書いていた。

フェデリーカが菓子を焼いて出す。紅茶も。

ディアンは礼を言うと、菓子を食べて。無言になった。

甘いのだろう。

フェデリーカが甘く作ると言っているのを小耳に挟んだ。

恐らくだけれども、頭の疲れを取るためだ。

ディアンはしばらく無言になると、紅茶で菓子を流し込み、トイレに。あたしは、その様子を横目で見ながら。

調合を続けていた。

「若者も苦労しておるのう」

「カラさんは若い頃はどうだったんですか?」

「激動であったよ。 連中が来たからな」

「!」

そうか、それもそうだろうな。

カラさんがまだ若い頃に神代の錬金術師が到来。丁度今のリラさんやセリさんと同じくらいの年であったそうだ。

先代の総長老の融和策を見て、神代の錬金術師は優しいとか理性的だとか一切考えずに、ただ舐めて掛かった。

優しいと言う言葉は、神代の錬金術師に取ってはただのカモの蔑称だったのだろう。

総長老にカラさんは何度も諌言したそうだが。

最終的には、武器を取ることを決めた総長老とともに戦い。総長老も、仲間の多くも目の前で失い。

そして生き残った者の中で、カラさんが一番年を取っていることに気付いた。

奏波氏族の長老として、オーリムの総長老として。

以降は指揮を執る事になった。

フィルフサとの終わりのない戦いの指揮を。

王種を倒した事もあるが、たった数度だけ。

犠牲だけが増える時もあって。酒に溺れることもあったそうである。

それでも今では、ある程度余裕を持って振る舞える。

それもまた、人生だと理解したからだそうだ。

あたしは、カラさんのために装備を作ろうかと言ったが、断られる。

やはりカラさんは、まだ錬金術の装備に対する忌避感が強いのだろう。何しろ怨敵が使っていた装備だ。

だが、あたし達が遣う事に対して、不満の言葉もないようである。

他人を尊重できる。

それだけでも、この人は大半の人間より立派だなと、あたしは思うのだった。

そして、夕方が来た。

ディアンが戻ってくる。

ずっと怒鳴り合っていたようだったが。少し前から、その調子がトーンダウンしてきたのが分かった。

どうやら、験者が重い腰を上げたようなのである。

それで、老人達も、勢いが削がれたようだった。

「甘い菓子、さっきの、少しくれるか」

「幾らでもどうぞ」

「すまねえフェデリーカさん」

ディアンは菓子を貰うと、乱暴に口に突っ込む。

ちょっと好みからすると甘すぎるからだろう。

無言になって、しばらく黙り込んでいたが。やがて紅茶で喉の奥に流し込んでいた。

「験者様が、声を掛けた。 その瞬間、老人共が黙った。 どうして験者様は、最初からそうしなかったんだろう」

「恐らく、双方の言い分を全て聞くべきだと思ったんだろうね」

「それが上に立つ者の役割って奴なのか」

「「全て聞く」というか、「全て知る」がそうなるのだと思います」

パティが補足。

ボオスもそれに同意して頷いていた。

パティが、順番にディアンに説明する。

上に立つ人間は、己の欲望よりも、客観的にものを見る事が大事なのだと。

まず全ての出来事を私情なしに分析して、どうすればみんなにとって一番いい結果が出るのか、考えるべきなのだと。

その通りだ。

パティの思考は理想的だ。

偉大な王様の伝承は今も伝わっているが、殆どの人間が興味を持つのは、ラブロマンスやら勇ましい征服劇だとかだ。

そんなものよりも、どう善政を敷いたかが大事だろうに。

今パティが言っているのは、そういう事だ。

王都の腐りきった貴族を反面教師にして、パティは此処まで考えるように至った。

その理想が崩れたときには、最悪の暴君になるかも知れないが。

その時のために。

あたし達がいるのだ。

「分かった。 パティさんも、王都だかいう凄く大きな街の偉いさんだもんな。 話はしっかり聞いておくべきだと俺も思う。 「知る」、か。 老人は確かに色々知ってる。 だけど、ライザ姉の言う通り、意固地になると、知っていてもどうにもならなくなるわけなんだな」

「そうです。 そういった人達の意見をどう調整するかが大事なんです」

「験者様は凄いよ。 俺はそれは分かってた。 だからどうして里の状態を改善しようとしなかったのかが歯がゆかった。 だから暴れてた」

それも分かっていた。

知っていたよというと、ディアンは無言になる。

分かっていても、どうにもならなかったのだと。

今になって、理解出来たからだろう。

分かってはいた筈だ。

それでも、しっかり形になって分かったから。余計に辛いのだ。

いきなり叫ぶディアン。

びっくりはしない。

感情が爆発するのは、分かっていたからだ。

勿論、助けてくれというのでなければ、助けるつもりは無い。

「行ってくる! やっぱり里を移動する事を考えないとダメだ! どう考えても、そもそも此処は後から住み着いた場所だし、竜風が起きる度に引っ越しだってしてるんだ! それなのに此処に固執して、フォウレの里が滅んで良いなんて言うのは間違ってる!」

その通りだ。

その結論を出せただけでも立派である。

ディアンに、声を一つだけ掛けておく。

「明日の朝、またウィンドルに向かうよ。 フォウレの里で皆を説得するために残るか、あたし達と行くか、決めておいて」

「そんなの決まってる。 ライザ姉と一緒に行く。 ウィンドルに大繁殖していたあのフィルフサとか言うバケモノ、ライザ姉が言った通り、こっちの世界に来させたら文字通り世界の終わりだ。 あれが元々ただのコケだか草だかの一種だったかなんて関係ねえ。 ともかく、俺がみんなと一緒に全部やっつける。 今晩中に片付けるから、みんな頼む、その間だけ待ってくれ」

ディアンが行く。

あたしは、男の出陣だなと思った。

それを止めるつもりは無い。

ディアンは今、本当の意味での戦士になり。

大人になったのかも知れなかった。

子供がいようといまいと、精神が幼稚なままの人間なんて幾らでもいる。それを思うと。

ディアンはあの年で、大人になろうとしていて。それを果たそうともしている分。そういう自称大人よりも、ずっと立派なのだろう。

あたしは咳払いして、皆に声を掛けておく。

「普通に過ごして、明日に備えて。 明日から、またウィンドルで対フィルフサ戦にいそしむことになるから」

「他にも幾つもやる事がある」

クリフォードさんが挙手。

まだ情報が足りない、というのだ。

神代の錬金術師か、その子孫か、よく分からないが。どうしてあたしに鍵なんて渡して、ちょっかいを掛けて来たのか。

神代の錬金術師の足跡が、今までに無い程濃く残っている場所だ。

何か重要な情報が得られるかも知れない。

そうクリフォードさんは、順を追って説明する

流石だ。

この辺り、年の功である。

「確かにそうですね。 そうなると、ウィンドル北東にあると言う城をまず調べるべきでしょうか」

「いや、奴らの研究所は、何カ所かにあった。 一番目立つ北東の拠点は、むしろ引き払われているやもしれん」

「そうなると、やはりフィルフサの排除が最優先になるということですね。 不自然に多く配置されている西側も気になりますね」

「いずれにしても、われらは千三百年も戦い続けて、それでも数回しか王種を倒せておらぬ。 そなたらがウィンドル周辺のフィルフサをまとめて片付ける事が出来たら、一気に状況を進展させ、各地のオーレンの民とも連携を取れるであろうな」

なるほど、確かにそれもそうだ。

今は伝令専門の一族が、必死に細い線をつないでいるだけだが。上手く行けば、各地に孤立しているオーレン族を救い、ウィンドルの地に連れてくる事も出来るのか。

王都近郊の門から行った先にも、生き残りはいた。

その後に潰した群れ二つのテリトリにも、生き残りは少数だが存在していたのだ。確かにオーリム全体の事を考えると、それはありだろう。

いずれにしても、夜更かしは出来ない。

アンペルさんは、ずっとエミルと言う錬金術師が残した資料に目を通している。

暗号解読に手間取っているらしい。

エミルと言う人は、暗号を作るのが得意だと言っていて。アンペルさんは、その癖を知っているそうだが。

それでも苦戦していると言う事だ。

あたしもほどほどの所で風呂に入って、切り上げる。

いつの間にか怒鳴り声は聞こえなくなっていた。理性的な話し合いに移行したのだと信じたい所だ。

ディアンが戻って来たのは、夜遅くだった。

自分用のベッドに入って眠ったらしい。

この様子だと、きっと上手く行ったんだな。

そう、あたしは思うのだった。

 

翌朝。

出立の準備をする。

ディアンに、何があったのかはきちんと聞く。それによると、験者の一声もあって、引っ越しが決まったそうだ。

地図を見て、移動する先は此処から少し離れた地点。

あたし達がウィンドルから戻った辺りで、現地の視察と切り開く作業の手伝いを頼むかも知れない、と言う事だった。

まあ、それくらいだったら全然かまわない。

どうせウィンドルは短期間で調査しきれないだろう。フィルフサの群れ七つがまだ近辺で健在となると。

それに神代の連中が残した傷跡が、そこら中に残っている場所だ。

徹底的に調べれば、奴らのやり口をもっと良く理解出来る可能性が高い。その好機を逃すわけにはいかなかった。

出る前に、デアドラさんが来る。

そして、皆を見回して言う。

「また城の調査に出るのだな」

「はい。 話し合いはまとまったようで何よりです」

「験者様の言葉あってのことだ。 実際験者様が行動しなければ、このままフォウレの里は血が濃くなりすぎて、やがて腐り果てていただろう。 それに、ディアンが主張したとおり、元からずっとここに住んでいたわけでもなんでもない。 だとすれば、移動する事は別におかしくもなんともない。 洪水が起きるのに、住む場所を変えないと言い張るようなものだ」

良かった。

デアドラさんは少なくとも、あたし達が調査した竜風の予想被害範囲については疑っていないようだ。

それだけあたし達の調査能力と、色々なものを作り出す力を信頼してくれた、ということだろう。

何より多数の魔物を仕留めてきた事が決定打、と言う訳だ。

「とりあえず、今度は前回より滞在が長くなると思います。 その後にフォウレの里に戻ると思います」

「了解した。 竜風がいつくるかは分からないが、すぐ起きるものでもないだろう。 その間に、里の引っ越しについては考えておく。 いっそ農村と合流するのもありだという意見も出ていてな」

確かに、それもありなのだろう。

フォウレの里と行っても、流浪の民がずっと苦労して。それが五百年前の古代クリント王国破綻を機に再度集まった集団に過ぎない。

だとしたら、血族主義なんてのはとっくに失われているし。

何より農村の辺りは竜風の被害から大きく外れている。

人間が著しく数を減らして、魔物に対応できる能力が激減している今。

そうやって、人は少しでも集まって。

対応力を上げるべきなのかも知れなかった。

ともかく、フォウレの里を再び出る。子供らが見送ってくれたので、それがむしろ嬉しかった。

森を行く。

途中魔物が何度も仕掛けて来るが、別に困る事もない。来次第全て片付ける。巨大な魔物……川の王だったか。相変わらず水に浸かって、鼻らしい長い触手で背中に水を掛けている。

怒らせなければ無害だというのなら、今は戦う理由もないだろう。

遠吠えがする。

あれは、山の方か。

漁村の西側から北上すると禁足地だと聞いている。その先に、あの遠吠えの主がいると言う事だ。

或いはだが。この森に住んでいるあの巨狼は、一体だけで。

この地方全域に、広く巨狼は分布しているのかも知れない。

だとすると、他の巨狼は攻撃的な可能性もある。

サルドニカ近くで交戦した巨狼の戦闘力を考えると、油断だけは絶対にしてはいけない相手だ。

程なく、城の裏手につく。

フィーに頼んで頭巾を被せて貰い、監視装置を黙らせると、門を通ってウィンドルに向かう。カラさんは、ずっと興味津々の様子で、何もかも珍しそうに周囲を見てにこにことしていた。

ただ、城の中の争いの跡を見る時は。

じっと黙り込んでいたが。

ウィンドルに到着すると、当然オーレン族の村は無事だ。ただ、側近二人が即座に来る。二人とも、あまりいい雰囲気ではなかった。

「総長老、戻りましたか」

「如何した」

「西側のフィルフサの群れが攻勢に転じています。 例の泉が脅かされるかも知れません」

「なんじゃと……!」

勿論、無策でいたわけでもないだろう。

咳払いすると、側近の内、男性の方が言う。

人間の主観からすると若々しいオーレン族だが、相応に貫禄がある。恐らくは、それなりの年を重ねているということだ。

リラさんやセリさんも貫禄はあるのだが。

それとは違う方向性の貫禄である。

「錬金術師ライザリン。 総長老が信頼しているということで、そなたを疑うつもりはない。 フィルフサへの対応、協力してくれるか」

「勿論です。 一旦荷物の整理をさせてください。 すぐに出ます」

「うむ……」

アトリエはそのまま残してある。

ちょっと忙しいな。

そう思いながら、フォウレの里周辺で回収してきた素材などをコンテナに詰め。荷車に爆弾と薬を詰め込んで。すぐに戦場に出る。

ウィンドルの西側は、緩やかな丘陵地帯になっていて、相当数のフィルフサがいる。我が物顔に歩いている中型や大型。小型も相応の数がいて、辺りを睥睨しているようだった。

さて、駆除だ。

あたしは全員に、突撃と指示。

そして、此方にフィルフサが気付く前に、既に数体を屠り。集まってくるフィルフサを、片っ端から始末していく。

中型や大型は簡単に退治できる相手では無いが、それでも数がそれほど多く無い。どんどん増援が集まってくるが、オーレン族の戦士達も出て来て交戦を続ける。負傷者。すぐにレントが壁になり、フィルフサの猛攻を防ぎ。ボオスが負傷者を担いで、荷車の側に。あたしが傷を診て、即座に薬を塗り込む。

ベテランらしいオーレン族の戦士だが、フィルフサ相手だと命がけだ。傷が見る間に消えていくのを見て、驚きに目を見張っていたが。あたしは声をきちんと掛けておく。

「傷は回復させましたが、体が全てすぐに戻る訳ではありません。 此処は任せてさがってください」

「人間に、しかも錬金術師に助けられるとは……」

「いけハラ。 無駄に命を散らせるな」

「はっ、総長老!」

カラさんに指示されて、すぐに後方にさがるハラという戦士。リラさんが最前衛で大暴れしているが、その実力に他のオーレン族の戦士も舌を巻いているようだ。あたし達と一緒に、フィルフサの群れを幾つも潰して来た熟練の戦士だ。

ずっとフィルフサと戦い続けて来たウィンドルの戦士達と比較しても、全く見劣りしないのだろう。

集まって来た。

あたしは爆弾を投擲。起爆。

まとめて数十体を巻き込んで、全部まとめて吹き飛ばしていた。小型中型のフィルフサだったら、アネモフラムで充分消し飛ばす事が出来る。ただ中型は、それでもコアが生き残る事があるが。

前線を少しずつ進めながら、集まってくるフィルフサを、ウィンドルの戦士達とともに押し返す。負傷者が出る度にさがらせて、あたしが手当てをする。

カラさんは、凄まじい魔術を駆使して戦闘しているが、基本的に魔術をフィルフサに直撃させるのではなく、敢えて外して至近で炸裂させたり、至近から凍らせたりして、フィルフサの対魔術能力を生かさせない方向で戦っているようだ。

また、至近に蟷螂に似たフィルフサが迫ってきたときは、小柄な体からは考えられないほどの機敏で力強い動きで、一撃でけり跳ばして、あたしの歩幅二十歩ぶんくらいは吹っ飛ばしていた。

やっぱり格闘戦も凄まじいな。

感心しながら、戦闘を続ける。

昼少し前に、将軍が姿を見せる。業を煮やしてというよりも、護衛の部隊がそれだけ削られたと言う事だ。

真っ黒い装甲のいかにも強そうな将軍だ。確かに相当に強いプレッシャーを感じる。フィルフサの群れが次々に押し寄せてくるが、あたしは立て続けにメルトレヘルンを投擲して、更にそれをアネモフラムで爆破。

辺りを高熱の蒸気で蹂躙して、フィルフサを蒸し焼きにする。

孤立した黒い将軍に、接近戦組が向かう。雑魚は任せろ。リラさんが叫んで、雑魚をまとめて相手にしている。十体以上の弱体化していないフィルフサを同時に相手にしている手際は流石だ。

レントが雄叫びとともに一撃を叩き込むが、がつんと弾き返される。

将軍はそれぞれ特性を持っているが、こいつは防御を最重視したタイプか。フィルフサとしては異様に黒い装甲も、何かしらの生物の特色を取り込んでいるのかも知れない。

ともかく、此奴を潰せば一段落する筈だ。

あたしはクラウディアの援護射撃を受けながら、前衛に出る。

あたしの魔術も、フィルフサには効きづらい。だが、それはあくまで直接叩き込んだ場合の話だ。

猛攻を受け流しながら、激しい戦闘を続ける黒い将軍。

あたしはその懐に潜り込むと。

熱魔術で爆破を引き起こし、自分を加速。

踏み込みつつ、相手の装甲を蹴りでブチ砕いていた。

 

昼少し過ぎに戦闘は終わった。

将軍を倒して流石に疲れた。あたしも将軍を相手に、簡単に勝てるとは思っていない。出来れば雨を降らせて対応したいが、そうも行かないだろう。ウィンドルに大きな被害を出してしまうからだ。

フィルフサのしがいを片付ける。

オーレン族は、殆どの死骸を運河に放り込んでいるようだが。まあそれで正解ではあるのだろう。

フィルフサは元々は、ただの冬虫夏草だったと言う事が明らかになっている。装甲がフィルフサの本体だと言う事も。

水は、フィルフサに取って天敵だが。それは本来の肉体である装甲の結合を弱めるのが要因であるらしい。

装甲が本体なのだから、水は体を溶かす恐怖だったわけだ。

それを古代クリント王国の錬金術師達は知っていた。

そして、知っていたから利用した。

結果を予想できなかったのは、連中の思考回路が衰弱していたからというよりも。

むしろ、成功体験を拗らせて。失敗する可能性を想定できなかったこと。フィルフサを制御出来ると思い込んでいたからなのだろう。

コアを幾らか集めておく。このコアも、元はただの内臓の一つ。神代の錬金術師が調整して、フィルフサが邪悪な生物兵器になるためにこうなってしまったもの。更には資源にすることまで考えていた。

フィルフサは神代の錬金術師に取って「不愉快なもの」「見ていて気持ちが悪いもの」だとかレッテルを貼った存在を皆殺しにして全てを更地にするだけではなく。最終的には収穫して、資源にするための家畜でもあったわけだ。

何処まで性根が腐っているのか、本当にフィルフサの死体を片付けていても怒りが湧いてくる。

こうして戦わなければならないのは事実だが。

フィルフサもどちらかと言えば、犠牲者ではないか。

フィルフサは元はただの寄生生物。それがあの「蝕みの女王」のように、明確な悪意をもつようになったのも、神代の錬金術師のせい。

それにだ。

今になって思えば、王都近郊で戦った「伝承の古き王」は、恐らくはドラゴンの本能である此方の世界に渡るための行動に縛られていたのだ。

そんな本能、フィルフサには必要ないのに。

死体を一通り片付けて、それでアトリエに。休憩を入れて少し体力の回復に努める。ずっと最前衛で暴れていたリラさんは、無言でベッドに。そういえば、最初にあった時もソファでゴロゴロしていたな。

常にフルスロットルで動ける訳ではないのだろう。

一方植物魔術での支援に徹していたセリさんは、すっかり馴染んでスムージーを飲んでいる。

スムージーの淹れ方については、フェデリーカに教えてもいるようだ。

薬草で作ったものを以前は好んで飲んでいたようだが。今はそれ以外も口にしているようである。

この辺り、セリさんも保守的な行動から、ある程度受容的に変わってきているということなのだろう。

休む皆を横目に、あたしは薬と爆弾を少しでも補充しておく。

戦いはまだ続くのだ。

フィルフサも最終的には犠牲者であったとしても。とにかく今は繁殖を抑え。身を守らなければならなかった。

 

4、引っ越しの準備

 

竜風の被害範囲が書かれた地図が残されている。老人達が引っ越しを嫌がった際に、散々揉めたが。

地図が破られるようなことはなかった。

験者は無言で腕組みして、何処に引っ越しすべきかを考えていた。

実の所。

引っ越しに批判的な老人が多かった理由は、この土地を神聖視しているから、ではない。

ライザ殿が指摘したように、此処は竜脈の真上。

魔術使いには、非常に心地が良い場所なのだ。

験者も魔術使いだから、それは分かっている。

何より、引っ越しはとにかく体力を使う。里全てが引っ越すとなると、魔物が多くいる地点も通る事になるし。襲われる事だってあるだろう。

フォウレの里の戦士達は勇敢だが。

それでもライザ殿が来るまでは、多くの強力な魔物を相手に、手も足も出なかったのが実情だ。

聖地への道に陣取った巨大マンドレイクに、どれだけの戦士が食われたか。

森の中で襲われて、もう行方も知れない戦士だって多い。

今でこそ、大物はあらかたライザ殿が片付けてくれたが。

あの御仁は摂理に反しない魔物の存在にまで手を掛けるつもりはないようで。まだまだ森の中に、子供が踏み込んで生きて帰れる状況では無いのだ。

デアドラが来る。

デアドラについても、実は縁談を用意しようと思っている。

今、デアドラ以上に有能な戦士がいない。それが不安要素だった。だが、ディアンが近々それに変わろうとしている。

現状のディアンの能力はまだデアドラに劣る。

それは事実だ。

だがライザ殿の装備に身を固めた状態なら、既に戦力はデアドラよりも上だろう。

やがて、素の状態でもデアドラを凌ぐ。

あの子は、ライザ殿の手によって、急激に強くなりつつある。心も体も、だ。

それが強力な魔物との戦闘による結果なのか。

それ以外の理由なのかは何とも言えないが。

もしも、だ。験者が若い頃に世界中を旅して、それで色々な経験を得て。漠然と感じていた里への不満が、具体的にどうして不満を感じていたのか理解するまでの過程。つまり知る事による軛からの脱出であるのだとすれば。

ディアンがその段階に今いるのであれば。

大変に好ましい話であるのだった。

ライザ殿が残してくれた薬を、体に塗る。

とにかく本当に効く。

怪しい呪いだので作られた薬なんかは論外。

回復術師はフォウレの里にもいるが、回復術だとどうしても限界がある。医師は港町まで行かないといない。

フォウレの里の閉鎖性は港町でも知られているようで。医師がフォウレの里に来てくれるという話は流れてしまった。

だいぶ楽になったので、験者はリラックスして椅子に背中を預ける。

デアドラが来る。

椅子から立ち上がる。

ゆっくり喋る。

出来るだけ動作は遅くする。

それが威厳を出すコツだ。

そんな馬鹿馬鹿しい事ばかり、フォウレの里に戻ってから覚えたような気がする。験者としてできる事をしてきたつもりだったが。

それも、ライザ殿が短期間でやってのけたことには、とても及ばない。

「験者様、失礼します」

「うむ、どうかしたか」

「一部の老人達がおかしな動きをしています。 ライザ殿のアトリエに火をつけようと目論んでいるようです」

「そうか、愚かしい事だ。 監視しておいて、鎮圧しろ」

頷くと、デアドラが戻る。

そうか、そこまでの行動に出たか。

どうしても理性的に行動的でなくなると人間は惨めだな。そう思う。

感情を剥き出しに暴れれば、周囲がそれに合わせてくれる。幼児と同じだが。いつの間にか、そういう風になってしまう老人は多い。

いや、老人だけではない。

周りが自分の機嫌を常に伺ってくれる状況にいた人間は、簡単にそうなる。

他の場所でも見て来た。

人間は簡単にダメになる。

若い人間には苦労をさせろとか言う話があるが、勿論その言葉には色々な意味がある。少なくとも、周りがその人間の機嫌を伺い続けるようなことがあれば、そいつは最終的に凶獣になる。

だから、今。

膿出しをしなければならないのかも知れなかった。

やがて、数人の老人が捕まって、連れてこられる。

凄まじい目で験者を睨んでいたその中には、先代験者の弟もいた。

ため息をつくと、験者はデアドラに、彼等を牢に入れるように指示。老人共はわめき散らす。

「若造が! ずっと験者である事を認めてやっているのに、それなのにこのような恩知らずを働くか!」

「あのような呪い師にほだされおって! 体で懐柔でもされたか!」

「だまれ」

験者の低い声。普段出さない怒りの声を聞いて、老人共が黙り込む。

明らかに勝てない相手の声だ。

それで、即座に震え上がっていた。

「ライザ殿が本来は全く関係ないこのフォウレの里のために、あんな危険な魔物と命がけで戦ってくれた事を忘れたか。 里総出でも手も足でも出せなかった巨獣を二体も仕留めてくれた事を忘れたのか。 それどころか種にも機具にも改良を入れてくれた。 そんな恩人が、更には里のために教えてくれた事だ。 年ばかりとって、目の前も見えなくなったようだな」

完全に黙り込んだ老人達を、デアドラがつれて行く。

もう、死ぬまで牢の中で良いだろう。

もうあの老人達は、どうしようもない。

生きていても、呪詛と不安と、何よりも不和をまき散らすだけだ。

験者は大きく嘆息すると決める。

引っ越し先は水に問題がある。水はあるのだが、あまり質が良くないのだ。

具体的な引っ越しの計画はそれほど難しく無い。現地は密林にもなっていないからである。

後は家を建てるだけ。

そして水周りの確保だけだ。

ライザ殿は、此方が言い出すまで支援はしないという雰囲気だった。それもそうだろう。フォウレの里が、自力でどうにかしなければならないのだから。

分かっている。

自力で出来る範囲の事はどうにかして。後は、験者が頭を下げるしかなかった。

 

(続)