自浄と誇り
序、それぞれの準備
枯れて水分が飛びきった木材を、釜に放り込んでエーテルで分解する。あたしは、順番に最後の仕上げを行う。
当世具足の最後のパーツを仕上げているのだ。
金属部分はむしろ得意分野。
更に、この間トレントのような魔物から手に入れたセプトリエンもある。これをトラベルボトルにセットして。内部で増やしてきた。ジェムをえげつなく食ったが、それでもそうするだけの価値はあった。
問題は内部にかなり凶悪な魔物が出たことだが。
それも、どうにか撃退して。生きて戻ってくる事も出来た。
はっきりいって、それが一番の苦労だったかも知れない。
いずれにしても、以前のバシリスクの体内から取りだしたセプトリエンよりも、純度が倍もある。
これを用いて、更に最高の金属。グランツオルゲンを強化する。
やはりセプトリエン圧縮の経緯は、今のあたしでもよく分からない。どうしてもこうなる前に爆発してしまう。
そして媒体として用いるセプトリエンは。
金属の魔術媒体としての性能をぐんと跳ね上げる。
グランツオルゲンは、それそのものを強大な金属として用いるのではなく。
ゴルドテリオン等と混ぜて、合金とすることで真の威力を発揮する。
そう、使っている内に理解出来た。
そのまま最後の仕上げをして。釜から引き上げる。
マネキンに着せている当世具足は、既に三着。セリさんが戻ってくる。外での薬草の世話を終えたのだ。
「セリさん。 出来ました」
「それがあのウィルタという戦士が着ていた。 兜は随分と変わっているのね」
「元々指揮官級の戦士が着るものらしいので、目立つようにしてあるらしいんですが。 そうする必要がないので、敢えて地味にしています」
「……」
セリさんに引き渡したのは、顔が綺麗に隠れるようにした兜。
当世具足の兜には色々なものがあり。それこそ本当にこれは兜なのかと小首を傾げそうなものもあるのだが。
セリさんのは、木を象ったものを兜の正面につけてある。
着方をレクチュア。
鎧の中には、下着の上からつけるようなものもある。特に金属鎧は、暑くて服なんて着ていられなかったものもあったようだ。専門の下着を着けて、その上から金属の関節部で皮膚を痛めないように専門の服を着て。なんて手順も必要だったらしく。
人間相手には役に立ったかも知れないが。
俊敏な上に凄まじいパワーを持つ魔物相手には、使い物にならなかったから、どんどん衰退していった。
現在残っているのは、以前パティに作った胸鎧などの、要所を守るためだけのものだったり。
皮などで作った軽鎧だが。
この当世具足は、それらのいいとこ取りだ。
勿論相応の重量はあるのだが。
それも魔術を散々組み込んで、あたしが強化してある。
着込んでみて、セリさんは悪く無さそうである。面頬をつけて、それで顔も隠すことが出来る。
指先なども、きちんと手袋になるパーツがあるので、それを身に付ける。
武器としては相変わらず杖だが。
見て分かる。
セリさんの魔力が、更に増幅されている。今までの装飾品にあわせて、この当世具足。これはかなり強力だ。
「貴方たちの文化の産物にしては悪くないわ」
「オーレン族はたしか皮鎧が主体でしたよね」
「ええ。 でもその皮を取る生物がほとんどフィルフサに殺し尽くされて、もう残っていないの」
「……」
リラさんがアンペルさんに出会った時に着込んでいたのが、そういうものだったそうだ。体に良くフィットする皮鎧。
それも、六十年ほどアンペルさんと旅をする内に壊れて。
何度も何度も修理して。
それで、数ヶ月前。
門を封じ、その向こうにいるフィルフサを殲滅する戦いで再会したとき。まだとってあった鎧の残骸を、あたしが修復した。
元に戻った鎧を着込んで、リラさんは一瞬だけ、ぱっと笑顔を浮かべていた。
いつも鉄面皮だったから、本当に驚いた。
だけれども、笑顔は一瞬だけだったが。
軽く外で、一緒に動いてみる。
悪くない感じだ。
セリさんの体格に合わせて作った当世具足だが、全身をくまなく覆っている訳ではなく、急所への攻撃を防ぐ仕組みになっている。
勿論魔物の攻撃をもろに食らったら耐えられないが、それは全身を守るフルプレートな金属鎧も同じ事だ。
一緒に動いてみる。
セリさんは基本的に植物魔術主力に戦う人だが、その気になれば体術も出来る。
以前聞かされた。
此方の世界に来てから、浄化の植物を探して。
その過程で、錬金術師を随分狩ったと。
やはり、エゴのまま好き勝手に振る舞う錬金術師は相当数いて。
オーリムに如何に侵略して。資源を奪い取るか。それをまだ研究している外道の輩もいたという。
そういう連中は、何人も殺してきた。
それには、植物魔術だけではダメで。相応の体術も必要だったと言う事だ。
「この肩の部分は、簡易的な盾になっているのね」
「東の方で使っている弓矢は凄まじい破壊力で、持ち運ぶための盾が使い物にならなかったらしいんです。 それでこういう、振り下ろされる刃物を防ぐための簡易盾が発達したそうです」
「なるほど。 最後まで古代クリント王国に抵抗し続けて、それで激しい弾圧を受けた文化だそうね」
「良く残ってくれていたものです本当に」
お互い苦笑する。
そして、あたしが更にこの当世具足を発展継承させる事も出来たことは、とても良かったのだろう。
セリさんは満足した。
それで、基本的に戦地はこれで過ごすという話をしてくれたので。あたしとしてもそれで満足すぎる程だ。
続いてクリフォードさんが戻って来た。
当世具足は楽しみにしていたようなので。セリさんが普段着に着替えながらも。試しているのを察したのか。
早速聞いてくる。
「ライザ。 そのロマンのある鎧、出来たんだな」
「はい。 クリフォードさん用にはそれですね。 兜はこれでいいですか?」
「おお……指定通りじゃねえか」
大喜びするクリフォードさん。子供みたいに満面の笑みを浮かべているのだろう。いつもマスクだから、目しか見えないが。
クリフォードさんは更に動きやすい形状の鎧が良いと言う事で、情報を集めて陣羽織というものにした。
これは更に軽装の鎧で、本当に人体急所だけしか守らない。その代わり、コートのように羽織るため、柔軟性が高い。機動戦を得意とするクリフォードさんには丁度良い装備である。
兜に関しては、縦一文字だけの飾りをつけている。
本当は鯰尾という変わった形の兜が良いとクリフォードさんは最初言ったのだが。実際につけて見ると、頭を柔軟に動かせない事が分かって、泣く泣く此方にしたのである。まあ作ったのはあたしだけれども。
いずれにしても、身に付けるまで指導して。それで、外で動いて貰う。
ブーメランが、更に力強く飛んでいる。
今までクリフォードさんは防具なんて着けていないに等しかったから、防具分の強化が上乗せされたのだ。
跳躍して、ブーメランを投擲する。
そして、受け取る。
問題なし。
ひゅうと、クリフォードさんが口笛を吹く。
「いいね、ロマンの塊みたいな防具だ!」
「気に入りましたか?」
「最高だぜ」
ブーメランにちゅっとまでしているのを見て、流石に気に入りすぎだなとあたしは少し苦笑いしてしまう。
ともかく、これで予定の分はおっけい。
後は、クラウディアの分だ。
東の地では、「武人の道は弓と馬」だったか、そういう言葉があるらしく。実の所、東の地の装備は弓ととても相性が良いらしい。
これに加えて、当世具足はそもそも固定砲台として戦闘するクラウディアには、防具として丁度良い、
今までは胸当て手甲だけでどうにかしていたが。やはりそろそろそれも刷新するときが来ただろう。
クラウディアが戻って来たのは夕方。
それまでに、あたしは凍らせておいた例の水の調査をしていたが。既に当世具足も完成させておいた。
クラウディアが、食材を仕入れてきたので。それを一緒に戻って来たフェデリーカと一緒に調理し始める。
サルドニカが明確に王都より優れているのは、新鮮な食材を手に入れられる所だろう。
王都は街道を通じて食材を入手していたが、どうしても新鮮なものは手に入れづらく。せっかくの農業区を軽視する愚かしい風潮もあって、食品は塩漬け砂糖漬け香辛料づけである事が多かった。
これに対してサルドニカでは幾つかのギルドがしっかり割拠した結果、ちゃんと街の一角に畑や厩舎が存在していて。それらできちんと新鮮な食糧が供給できる体制を整えているし。
何よりも、サルドニカ近辺の幾つかの街との距離が近く、傷む前に食材を手に入れる事が出来る。
食事に関しては、既に第一都市だなと。
クラウディアが笑顔で持って来た魚の包み焼きをいただきながら思う。この魚は、クーケン島で捕れた汽水域の魚に比べて若干味が違うが。普通に美味しい。
「ライザさん、健脚なだけでなくて、凄く食べますよね……」
「食べた分は全部消費してるから問題ないよ」
「それは分かります……」
フェデリーカが遠い目で言う。
まあ、あたしも魔力を毎日極限まで絞り出してエーテルにして調合をしているし。運動もがっつりしている。
今食べている分は、今日消耗した分だ。
食べ終えてから、クラウディアに当世具足をプレゼントする。クラウディアは、当世具足を見て、少し考え込んだ。
「色をどうにか出来ないかしら。 白くはならない?」
「これって植物染料で防御力を上げているんだよね。 白はちょっと難しいけれども、別の色だったらいけるかも」
「全体的に黒系統、もしくは赤系統の色になるのね」
「灰色系統ならいけるよ」
クラウディアは少し考え込む。
クラウディア用に作ったのは、かなり重装の当世具足だ。これはクラウディア本人の要望でそうした。
クラウディア自身が、そもそも機動力よりも投射火力を重視した戦闘スタイルなので、重装備がいい。
ただ今の時代、身動きできないのは論外なので、現状の機動力を重視しつつ、魔術による攻撃程度だったら跳ね返せるようにする。
それが要求事項だった。
それで、こういったフル装備型の当世具足にしたのだが。
ちなみに兜は「鍬形」と言われる、クワガタムシに似ているものだ。これに関しては、シンプルで良いそうである。
ただこれにも工夫をしてあって、クラウディアの生命線である音を阻害しないように、耳の部分を開けてある。
本来の兜にはない造詣だが。それもクラウディアは音魔術のエキスパートである事を考慮すると仕方がない。隙になるが、それはクラウディア自身でカバーしてもらうしかないだろう。
それらについて、説明もするが。
クラウディアは考え込んだ後、注文をつけてくる。この辺りは、流石にバレンツの事実上の支配人。
色々と難しい事情もあると言う事だ。
「ごめんライザ。 着色については、やはり灰色系統……それも出来るだけ明るい色に出来るかしら」
「分かった、調整するよ。 これってバレンツ主導での討伐作戦で着ていくための調整?」
「うん。 バレンツでもやっぱり、魔物の討伐作戦は主導ですることが増えていて。 私も時々、戦線に出るんだ。 その時に、ある程度目立った方が、味方の被害を減らせると思うから」
今のクラウディアの技術だったら、大概の射撃攻撃はいなせるし。無理に突っ込んできた四つ足の獣だったらそれこそ頭から尻まで串刺しに出来る。問題は肉弾戦だが、今のクラウディアならそもそも相手を接近させない。クラウディアでも接近を許すような相手は僅かで。そういう相手であるという判断も今なら出来るだろう。
とりあえず、着色については細かい指定を貰ったので、それについては調整する事にする。
一度当世具足を脱いで貰うが。
これは殆ど、普段着の上から着られる。
それでこれだけ軽いとなると。
金属鎧ほどの防御力がないとしても、対魔物戦ではこれが正解では無いのかと思えて来る。
あたしについては、まだちょっと正解が分からない。
足技を主力にしている事を考えると、この当世具足でもまだ重装に思えて来るのである。
いずれにしても、何かしら考えないといけないだろう。
被弾したときのダメージが洒落にならないのは。
フィルフサや、それに近い戦闘力を持つ魔物との交戦で、何度も感じていた事なのだから。
程なくして、皆がアトリエに戻ってくる。
そこで、フェデリーカがメモ帳を公開。あたしの研究がある程度進んだところで、出すつもりだったらしい。
すぐにタオが解読を始める。
「これで大当たりだね。 見て。 かなり細かい所まで研究が進んでいたみたいだよ。 硝子の方は溶かす事に成功していたみたい。 ただ魔石を滑らかに溶かす事が、どうしても上手く行かなかったみたいだね」
「やはり、まだ完成していなかったんですね」
「完成していたら、即座に公開していただろうからね。 ライザ、この研究の引き継ぎって出来るかな」
「……任せて」
研究の内容を見て、どうすればいいかはだいたい分かった。
というか、やるべき事は既にフェデリーカのお父さんがあらかたやっていてくれた、という感じだ。
ただ、フェデリーカのお父さん。先代工房長は、どうしても職人だった。
職人であり、街の政治的な調整をしなければならない立場だった。
だから研究にとれる時間も少なかったし。そもそも、研究そのものも文字通り総当たりでやらなければならなかったのだろう。
昔、人間の数が多かった時代。
タオが言うには、学術院のような場所はいたる所に存在していた。
それらは必ずしも俊英が集っていたわけではなかったのだろう。現在の学術院もそうであるように。
だが、それでも研究をする余力は社会に存在していて。
それは人間の力になっていたのだ。
その時代だったら、フェデリーカの父上も。この研究を完成させる事が出来ていた可能性が高い。
いや。そもそも。
この程度の技術は最初から存在していて。
こんな一生を掛けての苦労を、寿命を縮めてまでしなくても良かったのかも知れなかった。
三百万人も此処には住んでいたのに。
神代の人間は、一体何をしていたのか。
そういう怒りがわき上がってくる。
あたしだって、一応は神代の人間の血を引いているのだろう。いや、いま生きている人間全てがそうか。
だが、それはなんだか恥ずかしい事に思えて来る。
古代クリント王国に至るまで、人間は血で血を洗う争いを続けて来た。
これは羅針盤を手に入れて、各地の遺跡で残留思念を見ることで知った。古代クリント王国ですら模倣者に過ぎず。それも、他と似たような事をしていた国家が、ただ勝ち残ったに過ぎないという事を。
古代クリント王国は邪悪の権化だったが。
それでも、他のも大して変わらなかったのだ。
古代クリント王国がフィルフサとの全面戦闘で潰れてから。
人類は数十分の一まで撃ち減らされ。今でも増加の見通しは立っていない。
それなのに、人間は何か神代から良くなったのか。
変わったのか。
それは、否だ。
あたしもそれは理解出来る。
こういう研究一つを見るだけでも。
これだけ、一生を掛けて苦労して努力してきた人が、報われたか。認められたか。
やっと死んだ。
そうひそひそと笑っているギルドの人間達。
その姿が分かる。
羅針盤は、今でも使っている。
残留思念は、たまに確認している。
感応夢だって見る。
だから分かってしまうのだ。
人間の性根は、今も昔も変わっていないという事実を。
むしろ善行を積む人間がいたら。
そういう人間を優先的に貶めて、攻撃するのが人間という生物なのでは無いのだろうかと、あたしは思い始めている。
周りにいる皆は違う。
だけれども、皆は揃って変わり者揃いだ。
人間という種族という観点で言えば。
神代から古代クリント王国の破綻を経ても。なんら学習せず。それどころか、自己正当化と他者否定をずっと続けているのが人間ではないのか。
大きくあたしは溜息をついていた。
なんだか、とても無駄な事をしているように思えて来る。
各地であたしは業績を上げた。それも、バレンツがこうしてたまたま後ろ盾になってくれていなければ。アーベルハイムとたまたま連携をとれていなければ。全て魔女の仕業とでもされて。
むしろ迫害を受けたかも知れない。
あたしもそれで黙っているほど温厚じゃないから、当然その時はやり返していただろう。
そうしたら、人間は滅びていたのだろうか。可能性は、否定出来なかった。
「明日中には、この研究、完成させるよ」
「父が……一生掛けた研究だったのに」
「分かっていると思うけれど、ない時間から、必死に時間を裂いての研究だったんだよフェデリーカ。 それに元々フェデリーカのお父さんは職人で、研究者じゃなかった。 効率が悪かったのは、仕方が無かったんだよ」
「はい……」
フェデリーカが悔しそうに、顔を歪める。そして、何度も涙を拭っていた。
クラウディアが、フェデリーカの肩を抱いてつれて行く。あたしは皆に告げていた。
「フェデリーカもあたしもやる事がある。 明日、皆で周辺の魔物の掃討を続けてくれるかな」
「分かった。 俺がその作戦は指揮を執る」
ボオスが挙手。
今後の事を考えると、あたしの副官としての役割を果たす人間がいる。もっとこのチームは規模が拡大する可能性が大きいからだ。
そしてボオスは、クーケン島の次期指導者として経験を積まなければならない。
四年前までのチンピラの如き行動で、島をまとめられる訳がない。
それはボオスも理解しているのだ。
「分かった、今回は任せるよ。 みんな、異存はない?」
反対意見はでなかった。
あたしは、ボオスに周囲での掃討作戦を任せると。既に分かっている研究成果と。今後どうすれば良いかを、すぐにまとめ始める。
サルドニカが滅ぶか、次の段階に発展するか。
それが決まるときが、近付こうとしていた。
1、奇蹟の溶液
フェデリーカは何とも言えない悔しさに包まれて、眠って。そして、いつもよりずっと早く起きだしていた。
外ではもうとっくにライザさんが起きだしていて、元気に体操をしている。動きに全く無駄がない。
座禅して、魔力を練り始めた。
その魔力量も、フェデリーカなんか歯牙にも掛けないレベルだ。
凄まじい。
思わず生唾を飲み込んでしまう。
座禅が終わると、ライザさんはフェデリーカに気付いていたようで。声を掛けて来た。
「おはよう、フェデリーカ」
「おはようございます」
一礼。
朝の洗面所は忙しいが。微妙にみんな起きてくる時間が違うので、戦場みたいにはならない。
食事もだいたいはクラウディアさんが作るのだが。セリさんやクリフォードさんも普通に料理は出来る。
ライザさんもそれは同じ。
ただライザさんは包丁を振るったりせず、錬金釜で何かを作る事が多くて。最初フェデリーカは、それを食べるのに勇気が必要だったが。
ともかく、食事を終える。
そして、ミーティングをする。
ライザさんはおおざっぱな性格だと自称していたが。こういうミーティングは絶対にする。
情報を必ず全員で共有して、誰かが何か分かっていない状態にはしない。
だからライザさん達は、基本的にもの凄く風通しが良い状態で、毎日迷いなく動けている。
しかもミーティングは可能な限り短時間でやっている。
如何に短時間で的確に情報を共有するか。
それをライザさんは極めているように思えた。
ダラダラ無駄な会議をしているギルドが幾つもある現状をフェデリーカは知っているから。
こういうのでも、ライザさんは他より圧倒的だなと感じる。
だけれども、それで尻込みしていてはいけない。
とにかく、やるべきことをやらなければならないのだ。
フェデリーカは、そのまま工房長の館に戻る。
父から受け継いだ道具類が其処にあるのだ。護衛をボオスさん達がしてくれた。そのままボオスさん達は、ウィルタと話し合いをして。それから即座に魔物を狩りに出かけていった。
街の警備の戦士の中には、陰口をたたいている者がいた。
フェデリーカもちょっと苛立ったが。
ウィルタがそれらの戦士に一喝する。
「お前達が束になってもかなわなかった魔物を、これだけ短時間で退治してくれた恩人に対して、その態度は何だ。 あれらの魔物とまともにやりあっていたら、お前達は死んでいた可能性が高い。 命の恩人であろうが!」
「は、はいっ!」
「すみません隊長!」
「警備を続けろ。 我等には我等の領分がある。 街を今でも魔物が狙っているのは同じだし、街の中には与太者や賊の類がいつ入り込んでもおかしくない。 気を抜いている暇などないぞ!」
そう、鋭く叱責して。
当世具足とハルバードを鳴らしながらウィルタが行くと、背筋を伸ばした戦士達がついていく。
それを見ていたから、フェデリーカも気合いが入った。
やらなければならない事が、あるのだ。
既に殆ど、それは完成している。
父が作ってくれた設計図に基づいて、それを作る。硝子を研磨して、魔石を研磨していく。
いずれも非常に繊細な作業だ。
ライザさんの錬金術は文字通りの驚天の技だが。それでも、こういった職人芸に関しては。フェデリーカ達に分がある。
ライザさんは、要求通りのものを絶対に仕上げてくれる。
それについては、ここしばらくの戦闘で。
畏怖とともに身についていた。
昼少し前まで、フェデリーカは黙々と集中して作業に当たる。それまでの執務は、アンナがやってくれた。
分かっている。
フェデリーカがいなくても、この街は廻る。
だいたいアンナが殆どの対応はしているのだ。
アンナやウィルタの一族は、あまりにも有能である。実際にこの街を事実上支配しているのはアンナ達。
そして、その支配はとても緩くて。可能な限りギルドの自治を尊重してくれてもいる。
それなのに、ギルドの人間には。アンナ達を快く思っていない者がいて。
フェデリーカは。そういった事に気づき始めていて。
それがとても恥ずかしい事だとも思っていた。
「工房長。 昼食の時間です」
「はい」
アンナの声に顔を上げる。
今、最終調整をしているが。これももう少しで終わる。
用意されている昼飯を食べる。
別に工房長だからといって、豪華なものを食べるつもりはない。黙々と静かに食べ続ける。
おいしくもない。
皆がおいしいものを食べられるのなら、そうする。
だが。フェデリーカだけ優先しておいしいものを食べるつもりは無い。
父の影響だろう。
父もそういう誇り高い人だった。
だから煙たがられたのかも知れない。
人間が醜いことを、フェデリーカはこう言うときにも思い知らされるけれども。これは、短時間でそう強く思うようになりはじめていた。
「失礼します」
「タオさん。 此方にいらしたんですか」
「まだ調査したい書類があるからね。 持ち出せない以上、直に足を運ぶしかない」
「分かりました。 封印されている本を読むときは声を掛けてください」
タオさんが来たので、それだけ話をして。
フェデリーカは再び調整に戻る。
作るのはあくまで嗜好品だが。
今、硝子も魔石も技術を競っているのは嗜好品だ。
本来金を稼げている、生活品じゃない。
だから、これでいい。
父も、この辺りの分析はしっかりしていて。それで、敢えて嗜好品にしたのだという話を聞いた。
まだ幼い頃だったけれども。
父はフェデリーカに、全てを叩き込むつもりだったようだ。
それは或いはだが。
自分がいつ死んでもおかしくないと、悟っていたから、かも知れなかった。
昼から一刻ほどが過ぎて。
作るべきものが仕上がった。
小型の荷車に藁を敷き詰めて、その中に成果物を入れる。正確には完成間近まで仕上がっていたので、それを仕上げただけだ。
工房長の工房には、硝子も魔石も作れる設備がある。
これは四代前くらいの工房長が用意したもので。特に大きい魔石ギルドと、将来性がある硝子ギルドを見据えて。
それぞれのギルドの技術を即座に理解し解析できるようにと、用意したものであるらしかった。
その頃は、街を作ったという錬金術師の技術の残骸がまだ残っていたのだろう。
今は、同じ事をできるとは思えない。
やるとしたら、ライザさんに頭を下げることになるだろうな。
そう、フェデリーカは苦笑していた。
ウィルタに送って貰って、アトリエに。ウィルタは途中、ぴりぴりと空気を張り詰めさせていた。
「何かあったんですか」
「いえ。 工房長が決済するようなことは起きていません。 魔物は数体仕留めましたが、それくらいです」
「分かりました」
なんだろう。
少しずつ腕が上がってきていて。恐ろしい魔物とも間近で戦って来ていて。それでちょっとずつ勘が磨かれ始めている。
だからこそに、分かってしまうのだろうか。
ウィルタはどちらかというとライザさん達と友好的に接していると最初は思っていたのだけれども。
或いは、それはフェデリーカが若造で経験が足りないから、そう思っていただけなのかも知れない。
アトリエに到着。
さて、此処からだ。
「ありがとうございます、ウィルタ。 街の警備をお願いします」
「ええ、分かっております」
残像を作りながら、ひょいひょいと跳んでサルドニカに戻るウィルタ。普通の人間の戦士とは文字通り次元が違うのが一目で分かってしまう。
アトリエに入ると、ライザさんが既に例のものを仕上げていた。
父がずっと夢に見た。
硝子と魔石を溶かす液だ。
仕組みについて説明して貰う。保存方法についても。
保存方法は、なんと木製のカップに入れて保存する。
強力な酸ではなく、胃の中に入っているような液に近いのだそうだ。
この液は、魔石と硝子を溶かして、体内で栄養に組み替えるためのものであって。
本来は、何種類かの魔物の体内にあるようなものであるらしい。
そういった魔物も、本来は体内で自分から作れるものではないらしい。
あの源泉というか水源というか。
あそこから湧いている火山性の成分を用いて、それを体内で加工して調整するそうである。
なる程なる程と頷いている内に、更に説明を受ける。
使い方だが、温度を普段は低めに保ち。使う時は人肌より少し温かいくらいまで温める。それで溶液が活性化する。
後は刷毛を使って、溶かしたい硝子もしくは魔石に塗る。
この溶液の濃度は、常に一定に保つこと。
それをライザさんは何度か口を酸っぱくして言う。
そうしないと、簡単に溶液は硝子も魔石も溶かし尽くしてしまうと言う。
フェデリーカは頷く。
塗った場所を、見えないくらい微細に溶かす。
それが、要求されていた用件だったのだ。
更に、此処にライザさんは、第二の液を見せてくれる。
完全に透明な接着剤だ。
それも二種類。
街道を修復するときに使っていた建築用接着剤を、更に改良したもの。あれも使うと透明になったが。
此方は更に濃度を増しており、硝子と魔石を問題なく接着させる事が出来るそうだ。
頷いて、早速フェデリーカも試してみる。
用意してきた硝子と魔石を使って見るが。ライザさんが見ている所でやると、父が見ている中で、見習いと同じように技を磨いた時を思い出す。
「時に、この三種類の溶液はなんという名前なんですか」
「ドゥエット溶剤」
「分かりました。 それで周知します」
意味はよく分からないが、そういう名前名のなら。制作者であるライザさんが言う通りなのだろう。
まずは硝子と魔石の接合面を溶かして。
其処に刷毛で接着剤を塗り込み。
最後に接着剤を固定する薬液を、魔石と硝子を接合してから、一滴垂らす。
それだけで、かちりと音がしたように思えた。
完璧だ。
硝子側を持って、それでぶら下げてみるが。魔石が落ちる様子がない。魔石側を持って同じ事をしてみるが。
硝子側も落ちない。
つまり、完璧に接合している。
接合面も、両者が混ざり合っていて、専門家から見ても、何処が接合面なのかまったく分からない。
これはすごい。
無言でフェデリーカはそれを見つめて、職人として分析していたが。
ダメだ。
コレを超える技術を作るのは、父には無理だっただろう。
父に出来たのは、硝子も魔石も溶かす液まで。
この接着剤については、ライザさんでなければ無理だったはずだ。
「それとフェデリーカ」
「はい!」
「これ、失敗したとき、後は接着剤が手に着いた時用の分解剤。 これをつければ、即座に接着剤による固定が解除されるからね」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
涙が出てきた。
最近なんだか泣いてばかりだなと思う。
サルドニカはこれで救われるかも知れない。
ギルドが切磋琢磨して、互いに高め合うのは良いことだ。
だが今のサルドニカでは、ただいがみ合って互いを貶め合っているだけだ。それどころか、主導権を握ろうと血の雨まで降らそうとしていた。
今のギルド長であるアルベルタとサヴェリオになってからも、やはり血の気が多いギルド員は多くいたし。
アルベルタとサヴェリオも仲が悪かった。
それを考えると、ライザさんが来なければ、きっとずるずるとサルドニカは繁栄から停滞に。
やがて衰退へ向かっていたはずだ。
ライザさん達が会話しているから、嫌でも聞こえてしまう。
五百年前の大災害。それは恐ろしい魔物と、当時有頂天になって繁栄を貪っていた人間の戦いの結末。
それで人類は一気に劣勢に立たされて、人口は数十分の一にまで撃ち減らされた。
今も、人間は世界中で魔物に怯えている。
サルドニカだって、魔物にいつ蹂躙されてもおかしくなかった。
ライザさんが来たから、やっと少しでも事態を改善できる可能性が生じた。ただ、それだけだったのだ。
「本番に掛かります。 これが出来たら、ライザさんも立ち会ってください」
「ふうん。 なんだかあまり実用性が無さそうな品だけれど……」
「分かっています。 でも、今のサルドニカのギルドを……硝子も魔石も黙らせるには、これが一番なんです」
作業はフェデリーカがやる。
使い方は理解した。というか、もっと難しい行程はいくらでもある。ライザさんは、むしろとても使いやすいものを作ってくれたと言える。
三種類の薬液をそれぞれ間違えると大惨事だが。
それについては、それぞれで注意して管理しなければならないだろう。
タオさんが最初に戻ってくる。
ライザさんと何かを話していたが、それが何なのかはちょっと理解出来なかった。というか、それ以上に集中していて、殆ど話を聞き取れなかった。
微細な調整は、指先で覚えている。
傷だらけの指先で。
傷が出来る度に、父は言ったっけ。
どんな天才でも、傷がない職人なんていない。
扱うものが危ないから、幼い頃に手指を失う職人さえいる。それでも、大成する人物もだ。
だから、フェデリーカ。
傷の痛みを技術と力に変えなさい。
分かっていますお父さん。
今、フェデリーカは。
その力で、サルドニカを変えます。
ただの人形だったフェデリーカは、人間になります。
そう願いながら。
フェデリーカは。それをくみ上げていた。
夜中に、完成する。
完成したときに、くらっといきそうになった。そこを、ライザさんが受け止めてくれた。フィーが周囲を飛び回っている。
或いは、フィーが気付いてくれたのかも知れない。
「お疲れ様、フェデリーカ」
「はい……すみません」
「これ、触ったらまずいよね」
「はい。 私が管理します」
頭がクラクラする。それくらい、本当に徹底的に集中していた。藁を詰め込んだ荷車にそれを詰め込む。
そして、大きく嘆息していた。
全身が溶けるほど疲れている。すぐに渡された栄養剤を飲む。死ぬほどまずい。だけれども、栄養が凄まじいのも、一口で分かった。
何とか、疲れきっていて溶けそうになっているのが。
疲れて、これから眠れそう、くらいまで緩和された。
風呂に入ってくる。
そして、風呂で心身をゆっくり休めて。
それから寝台に直行した。
気付くと、朝だ。
だけれども、今まで起きた中で、最高の寝覚めかも知れない。起きだすと、外に。朝日がまぶしい。
そして気持ちいい。
ライザさんは、瞑想をしていた。ということは、もっと早くに起きていた、と言う事である。
「おはようございます」
「疲れ、取れたかな」
「はい。 ばっちりです」
「それじゃ、今日が勝負だね。 出来そう?」
にこりと笑って見せる。
やってみる。
いや、やってみせる。
父の願いを、ついにこの時叶えられるのだ。絶対にやり遂げなければならない。それが、フェデリーカの使命。
フェデリーカの祈り。
そしてフェデリーカが、サルドニカの首長として。人間として、やらなければならない事だ。
人間なんて、そんな上等な生物じゃない。
それについては、もうライザさん達と一緒に行動している内に、嫌になる程理解出来てきた。
だからこそ。
少しでも人間であろうとしなければならない。
フェデリーカにとっては、職人としてある事が、それなのだ。
それが分かっただけで、充分過ぎる程だと言える。
朝のミーティングに出る。
ライザさんが手を叩くと、皆に今日の話をしてくれた。
「はい、じゃあ今日の行動について。 今日は、フェデリーカが頭が硬い二つのギルドを分からせます」
「おっ。 いよいよだな!」
「思い出すよ。 ライザの錬金術で、ルベルトさんを驚かせたあの日」
「素敵な思い出だよね!」
レントさん、タオさん、クラウディアさんがとても楽しそう。
多分共通した思い出の中にある出来事なのだろう。
先に、ライザさんが作り出したドゥエット溶液と、それに伴う三つの薬剤について説明をする。
この接着剤については、今後建築用接着剤改として、より高コストで生産するつもりだとも。
それを聞いて、クラウディアさんが別の意味で楽しそうにした。
「バレンツに卸せる?」
「いいよ。 ただこれ作成コストが嵩むから、多分建築用接着剤の十倍くらいの価格になるけど、採算取れる?」
「ふふふ。 実はね、建築用接着剤って、彼方此方で飛ぶように売れてるの。 他でも真似しようとして、質が悪い膠を売る商会が出てくるくらいにね。 それでも、硝子なんかを綺麗に接合して、更にもとの接着剤が全く見えなくなるものは出ていなかった。 恐らくだけれども、お金持ちように売るものとしては需要があるよ。 ただ、扱うのは少量で十分かな」
「相変わらず逞しいな」
クリフォードさんが呆れ気味。
セリさんが挙手。
この人が、ちょっとどころではなく浮き世離れしているのをフェデリーカは悟っているけれども。
ただ、スペシャリストというのはそういうものだ。
この人の植物知識と、植物操作の魔術。
どっちも、見ていていつも感心させられる。
なんだか手指の辺りが人間とは微妙に違うような気もするのだが、それは突っ込まないことにしていた。
「で。 フェデリーカの発表会の時に、何かやることは」
「周囲の警戒をお願いします。 こういった場所で、既得権益を保護するためにバカをする人間は絶えませんので」
「了」
それだけでセリさんは黙る。もう、完璧に連携が取れていて感心する。
後は一つ二つ説明をして、それで皆でサルドニカに向かう。タオさんとフェデリーカが二人で肝心のものを積んだちいさな荷車を運ぶ。藁をしっかり敷き詰めてあるとはいえ、それでも最悪の事態は避けたいからだ。
サルドニカが近付いてくる。さあ、今日この街を変えるぞ。
フェデリーカは意気込む。
人形から人間になるんだ。そう、フェデリーカは。自分に何度も言い聞かせていた。
2、排他から競合へ
フェデリーカが、今までになく気合いの入った表情になっている。あたしも側で見ていて、この子が一皮向けたことは、一目で分かった。
まだ変われる年だ。
人間は、簡単には変われない。
殆どの人間は、生まれてから死ぬまで変わらない。正確には年を経れば性欲が追加されるけれど、せいぜいそれくらい。
いつまで経っても同じ人間は同じだ。
そんな中で、ごく希に変われる人間はいる。
フェデリーカはそうだった。
ただ、それだけの話だった。
工房長の館に入ると、即座にフェデリーカはアンナさんに指示。アンナさんは、即座に数人の部下に指示を出して。
慌ただしく館を出て行った。
セリさんには外の警備を担当して貰う。クラウディアも。
クリフォードさんは内部の警備だ。
勘が鋭いクリフォードさんには、至近での問題に対応して貰う方が良いだろう。音魔術のエキスパートであるクラウディアには、そもそも危険物を探知して、外で危険を排除して貰う。
工房の前にて、レントは陣取る。
そして、奥の方に、タオ、ボオスがそれぞれ展開。
そうすることで、何があっても対応できるようにする。
あたしはフェデリーカの補助だ。
これらについては、既に話をつけてある。レントが外で話をしているようだった。話している相手は、多分ウィルタさんだろう。
特に険悪な雰囲気はない。
「フィー、大人しくしていてね」
「フィー」
懐で、もぞもぞとフィーが動く。
もう完璧に人間の言葉は理解出来ている。ただ人間の言葉を発する事が出来ないだけである。
さて、後は待つだけだ。
「タオ、問題は無さそう?」
「大丈夫」
「ボオスは」
「右に同じ」
クリフォードさんは、鋭い目つきで壁を見ている。
さては外に何かいるな。
ただ、今の時点では放置しておいていいだろう。なお、クリフォードさんは当世具足がお気に入りになったようで、今日も着て来ている。
以前はコートだったから、かなりのイメチェンだが。それはそれとして、当世具足は既に実戦投入され。
実に使いやすいと、クリフォードさんは絶賛していた。
工房長の館に、人が入ってくる。
アルベルタさんとサヴェリオさん。
その取り巻きが数人。
更には各ギルド長だ。
「百年祭について重要な話があるということだが、間違いないだろうか」
アルベルタさんが言うと、それに対して舌打ちするサヴェリオさん。此処で先手を取りたかったのだろう。
だが、いずれにしても。
咳払いすると、フェデリーカはきっと二人を見た。
驚いた。
やっぱりこの子、相当ため込んでいたんだなと言うのが分かったからだ。
サヴェリオさんもアルベルタさんもどちらもそうだが、職人としては全うなのだ。だが政治闘争で権力遊びを始めると、とたんにダメになる。
それはあたしも見て理解していた。
ヴォルカーさんやパティのような例の方が希なのだ。
相手を好き勝手にさせる事が出来る権力。
これに酔ってしまう人間は、やはり多い。
この二人も、そうだったという事である。
「その前に、二人にこれを見せます」
「ふむ?」
「ライザどのの作った凄まじい品を見た後だと、大抵のものには驚かないですが」
「これは、ライザさんにはわずかな技術だけを提供して頂き、ほぼ全てを私が作りました」
二人が黙り込む。
そして、場に出て来たのは。
いわゆるスタンドライトだった。
ただし、硝子と魔石が非常に精緻に組み合わされている。そして、それを乱暴に上下に振ってみせるフェデリーカ。
勿論びくともしない。
更に、魔石の一部には取り外し機能がついていて。其処には魔法陣が刻まれている。
光らせるだけの簡単な魔法陣だが。
それを作動させると。
スタンドライトは、美しい虹色の輝きを、辺りに照らし出していた。
明るすぎず、暗すぎず。
灯りを周囲を覆う硝子で緩和することで、上品に仕上げているのである。
なるほど、これは凄い。
確かに高級な嗜好品としては、最高級の品になるだろう。
恐らく庶民の手には永久に渡らない品にもなるだろうが。
今、技術を磨くことに溺れきっているギルド長や職人達には、それこそ青天の霹靂の品である筈だ。
「こ、これは……!」
「硝子と魔石の接合! それも接合部分が全く見えない!」
「工房長。 触ってみてもよろしいか」
「壊さないように注意してください」
険しい目でフェデリーカが見張る中、アルベルタさんとサヴェリオさんがそれぞれ手袋をして前に出る。
そして、丁寧に触って、その度に感心していた。
これそのものが、そもそもそれぞれの。魔石と硝子の加工技術の粋を極めた品なのである。
恐らく、設計図を引いたのはフェデリーカなのだろうが。
原案はフェデリーカのお父さんなのだろう。
美しい光は上品で、そうしている間にも周囲を照らしている。アルベルタさんが、冷や汗を何度も拭っている。サヴェリオさんも、何度も真っ青になって、口をつぐんでいる様子だった。
「これを実行するのに必要なものをドゥエット溶液と言います。 製法は説明しませんが、試験的に用いるのに充分な量は此方で用意しました。 使い方のマニュアルも、それぞれのギルド用に準備してあります」
フェデリーカが、冷えた声で言う。
そうすると、アルベルタさんもサヴェリオさんも、一旦さがって、皆を抑える。職人達は、皆黙り込んでいた。
ギルド長がこれほど取り乱しているのだ。
ヤジなんて、怖くて飛ばせないのだろう。
「百年祭のために、ギルド長達に指示を出します」
「はいっ!」
「なんなりと!」
アルベルタさんとサヴェリオさんが、頭を深々と下げる。
理解する。
この時、名実共にフェデリーカはサルドニカの長になった。今までは人形に過ぎなかった。
だが、職人としての二人の本能を、こうして刺激する事に成功したのだ。
獣は強い相手にのみ従う。
そういうやり方を採った。
フェデリーカのやり方は、知的生命体のやり方としてはどうだったのだろうかとちょっと思うが。
それでも、少なくとも。
今まで完全に舐めていた二人を、従わせることには、これで成功したのだ。
例え背後にあたしがいるとしてもだ。
「これより魔石ギルド硝子ギルド、他ギルドも全てが協力して、百年祭の準備を開始しなさい。 百年祭の目玉になるモニュメントは、魔石ギルドと硝子ギルドが、この接合技術を用いて作るように。 双方に上下なし! 両ギルドの総力を挙げて、サルドニカの恥にならぬものを製作せよ!」
「はっ!」
アルベルタさんとサヴェリオさんの声が、綺麗に重なった。
それで、他の職人も理解したのだろう。
一斉に、フェデリーカに頭を下げる。それは、むしろ美しいほどの光景だった。
マニュアルを持って、アルベルタさんとサヴェリオさんが工房長の館を出ていく。先にマニュアルを吟味して貰い。後からドゥエット溶液を渡すことで、効率よく作業を行う。そういう流れだそうである。
あたしは椅子に座ると、無言になってしまったフェデリーカの側で、よくやったねと声を掛けたかったけれど、それは止めておく。
しばらくは、黙っておいた方が良いだろう。
フェデリーカはしばらく黙っていた。恐らく、力を使い果たしたのだと思う。あたしも無言で、立ち上がるまで待つ。
立ち上がれないかも知れない。
いずれにしても、ここからがサルドニカの正念場だろう。
「ライザさん」
「うん?」
「私、ついていってもいいですか? 恐ろしい神代の遺跡を調査しているんですよね」
「……」
ふむ、それは考えていなかった。
一緒に行動している間だけでもと、伝えられる事を伝えていたつもりだったのだけれども。
そう言ってくれるのは、とても嬉しい。
「フェデリーカは、もっと大きくなりたいの?」
「はい。 ライザさんと一緒に行けば、恐らくはもっと成長できると思います。 サルドニカは、当面アンナだけで大丈夫でしょう。 ギルドは陰湿な政治ごっこよりも、当面は技術の拡張に躍起になると思いますから」
「そう……」
「ダメ、でしょうか」
あたしは別に問題ない。
クラウディアは、にこりと笑みを浮かべた。そうか。クラウディアは賛成か。
他の面子で、反対しそうな人はいないな。
タオが、声を掛けて来る。
「ライザの技量だったら、多分一季節……いや二季節くらいかな。 それくらいで、調査は終わると思う」
「それだったら、多分大丈夫だと思います。 百年祭に、みなさんを招待できると思います。 それも、一番良い形の百年祭に」
「分かった。 反対意見は?」
「良いんじゃないのかしら。 テクノロジーの担い手がいるのは有用だわ」
一番問題を提起しそうだったセリさんがそう言うのでは、特に問題はないと判断して良いだろう。
なら、反対はなしと言う事で。
あたしはいいよ、と告げると。
ぐったりした様子で、フェデリーカは椅子で頭を抱えていた。
「分かってるんです。 ライザさんと一緒に行ったら、フェンリルとかこの間の魔物とか、もっと恐ろしいのと散々戦う事になるだろうって事は。 世にも恐ろしい世界の裏側を見る事になることも」
「分かっていても、見たいんだね」
「はい。 サルドニカの政治闘争を幼い頃から見て来て、大人って怖いなって思って来ました。 でも、それって所詮このサルドニカの中の権力を巡っての醜い争いで、子供の喧嘩の延長線上だって分かったんです。 気分次第で施政や人事を決める政治家なんて、子供のグループと同じじゃないですか。 「不興を買ったから職を追われた」なんて、バカみたいです。 ライザさんと一緒に行けば、多分そんなのよりもっと怖いのをたくさん見る事になって、それで……」
がくがくと、フェデリーカの足が震えているのが分かる。
やっぱりこの子。
なんだか嗜虐心を誘うな。
舌なめずりするあたしを見上げるフェデリーカ。びくりとあたしの眼光に身を震わせると。
それでも、必死に拳を固めて立ち上がっていた。
「お願いします。 私に、世界の深淵を見せてください」
「任された。 ただ、私と一緒に行くと言う事は……いつ死んでもおかしくないから、それは理解してね」
「はい」
「アンナさん」
頷くと、アンナさんが来る。
まあ、この様子だとフェデリーカの決意については悟っていたのだろう。アンナさんはフェデリーカの理解者だ。色々な意味で。
あたしとアンナさんで、幾つか話をしておく。
フェデリーカは疲れきってしまったようなので、先にアトリエに行って貰う。
「流石に無期限に工房長を連れ出すのは困ります。 戦死のリスクについては貴方たちがいる事を考えるとかなり抑えられるとは思いますが。 定期的に進捗の連絡をお願い出来ますか」
「分かりました。 バレンツ経由で進捗については状況をお知らせします。 期限は現時点で二ヶ月を予定しています」
「了。 此方でも、工房長の能力的な成長には期待したい所です。 貴方方との旅を短時間経験しただけで工房長はかなり成長を見せていました。 此方としても、これ以上の成長は望むところです」
なるほどな。
アンナさんは例のメイドの一族だが、その視点からしてもやはりフェデリーカは頼りなかったのか。
だとすれば、成長する事はサルドニカの事実上の支配者からしても好ましいと考えているわけで。
人形を置いてそれで支配しようとは、この人達は考えていないという事にもなる。
そういう観点では、人間の悪辣な大御所政治をやらかすような輩よりも、こっちの方が十倍もマシだ。
それに、フェデリーカがいなくてもサルドニカが廻っていたことを考えると。
この人達の実務能力は、実際に高いと言う事だと思って良いだろう。
ボオスとクラウディアに、後の始末を頼む。
あたしは、タオに必要そうな資料を集めるように指示して。アンナさんも、それに協力してくれるという事だった。タオも頷くと、資料のメモを取り始める。結局の所、此処ではあまり分かる事は多く無かったが。
それでも、幾つか分かってきた事がある。
少なくとも錬金術師が。アンペルさんも知っている人物だろうその者が、サルドニカに来たのは恐らく偶然じゃない。
門の存在、明らかに神代の手が入っている鉱山。それに神代の生物兵器。それらと無関係とは思えないのだ。
あたしとしても、現在四苦八苦しているらしいアンペルさんとリラさんに、手紙を書いて見たものをまとめておく。
アンペルさんはあまり自己評価が高くないが、百年間門を閉じ続けたり。暗殺者と一世代やり合い続けた経験は本物だ。
だから、意見は充分に聞く価値がある。
手紙を送り。
色々な処理を済ませている内に、一日が経つ。
タオも戻って来て、幾つかの資料を見せてくれた。それによると、「エミル」なる錬金術師に関する幾つかの資料が見つかったようである。
「それでどう」
「内容が断片的でどうにも結論はできないんだけれども。 ただ……エミルと言う人物は、ライザの言う通り、意図的にここに来たと見て良さそうだね」
「……やはりね」
「此処には何かがある。 だけれども、まず僕達がやるべき事は、あの群島の奥にある宮殿の調査だろうね。 幸いあの群島は、水に囲まれているし」
その通りだ。彼処だったら、もしもフィルフサがわんさか現れても、撃退は難しく無い。更に凶悪な存在が現れる可能性はあるのだが。
それはどうにかする他無かった。
ともかく、だ。
一つ、話しておくべき事がある。
「サルドニカの北での戦いをみんな覚えてる?」
「ああ」
「……色々な魔物が連携して襲いかかってきたよね」
「そう。 姿は見ていないけれど、あの翼と槍の魔物がいたのかも知れない」
それに、錬金術師エミルとやらが、ここに来たのは偶然ではなかった可能性が高い事を考えると。
此処には失伝した何かしらの情報があって。
そして、或いはだが。
二百年以上前にも似たような事があって。
その時にも、錬金術師が来たのかも知れない。サルドニカの元になった街の歴史は二百年以上あるという事だった。
その時にも。
錬金術師が関わっていたとしても、不思議ではないのだ。
それらを話している内に、ミーティングの時間が終わる。クラウディアが、咳払いをした。
「バレンツの方はもう終わったよ。 いつでも此処を発てる」
「よし。 じゃあ、明日にはサルドニカを離れよう。 アトリエの中のものの内、殆どのものは持ち帰るよ。 冷気魔術による保存を行っておくから、傷むものは無理に処理しなくてもいいからね」
「ライザ、そういうのどんどん進歩しているね」
「うん。 あたしも門を四回これでも閉じたからね。 その度に色々あったし」
フェデリーカは疲れ果てて、ぼんやり話を聞いているようだが。
いずれにしても、あまり期待はしていない。
とにかく、無茶な事が多くて疲れ果てたのだ。
今はこれでいい。
いずれ、逞しく育ってくれれば。それで問題ないと、あたしは考えていた。
最初から英傑だった人間なんかいないのだから。
全ての準備を終えて、アトリエを発つ。四台の荷車に荷物を分配して、それで皆で守りながら帰路を行く。
サルドニカ付近で、アルベルタさんとサヴェリオさんが待っていた。
二人はフェデリーカに敬礼して、それで幾つかの引き継ぎをしていたが。アンナさんが側にいたので、問題は無いだろう。
あたしにも、二人は話しかけてくる。
「ライザ殿」
「はい」
「我等二人からも、工房長をお願いいたします。 サルドニカは変わろうとしている。 新しい技術のおかげで、馬鹿馬鹿しい対立を皆が忘れて、それで必死にそれを解読しようと試みている」
そうか。
腐りきっていなかったんだな。
それはとても良い事だと思う。
サルドニカは発展している途上の街だったが。それでも、やはりそれには無理が来ていたのだ。
これでまた、サルドニカは更に先に進む事が出来るだろう。
勿論それだけではダメだが。
クラウディアと相談して、傭兵の仕事を斡旋するように話をしておいた。これからバレンツの斡旋で、サルドニカには傭兵が流れ込んでくる。
サルドニカの街だけではなく、周辺の集落を守るのに人手が足りていない。
それを補うための処置だ。
こういった傭兵達は食事だってするし生活だってする。
そういう食事を作る仕事や、生活をする仕事だって立派な仕事だ。
雇用が生まれて、それだけ経済が動く。
それでバレンツも潤う。
皆に良いことなのだ。
「全力を尽くして、フェデリーカさんが成長できるように機会を作ります」
「よろしくお願いします」
「偉大なる英傑に幸あれ」
そういって、恐らく最高級の品だろう。硝子細工の美しい腕輪と。同じく魔石細工の同じデザインの腕輪を貰った。
なるほど、これは鑑賞用の嗜好品だが。
しかしながら、錬金術に応用すれば。色々と出来そうだ。
敬礼をして、その場を離れる。
後は、港町まで行く。行きよりもずっと安全になっている。サルドニカに滞在している間、機械をたくさん直した。この辺りの集落にある機械も幾つも直した。それもあってか、あたし達を見て、手を振っている人も多い。
手を振り返して、この場を去る。
あまり長い期間はいられなかったが。サルドニカに良い変化をもたらすことが出来たのは事実のようだった。
気になるのは、アンペルさんとリラさんから返事が来ないこと。
サルドニカに門が存在していた事。
閉じられていた事。
それも手紙には記載したのだが、それに返事がなく、アクセスした形跡もないというのが不可解だ。
やはり、捕まってしまったのかも知れない。
ともかく、まずはクーケン島に戻り。群島奧の門を調べ直すしかないだろう。その間に、何か分かるのかも知れないのだから。
鍵を作って見る。
「思いついた」レシピで作った鍵は、あれから色々試してみたのだが。竜脈に使う事で、その力の一部を吸い上げる事が出来る様だった。
だが、どうにも微弱で、使った所で特に大きな効果はもたらすことがない。
しかしながら、これが神代の連中が何かしら仕込んできた悪さだったとしたら。
何かあると見ていい。
船が来ている。
クラウディアがきちんと案内してくれて。皆でクーケン島行きの船に乗る。タオが、港にあるバレンツ支部で手紙を受け取って、渋い顔をしていた。
「どうしたの?」
「王都の方で面倒ごとが幾つも起きているようだね。 僕の方でも進捗はパティに書いて送っているんだけれども。 パティの方も相当に参っているのか、愚痴を書いてきてる」
「それだけタオを信頼しているって事でしょ」
「うん。 博士号をとった以上、僕は婚約までのアリバイ作りだとかで、しばらくはアーベルハイムの側にいない方が良いらしいからね。 だから承知している筈なのに、ちょっとパティも甘えが出て来たのかな」
おや意外。
アーベルハイムのためを思って、考えるようになってきている。
パティの事が嫌いではないということは分かっていたが。それでも、こういう風に考えられるのは立派だ。
パティには指一本触れていないが、しっかり思っていると言う事なのだろう。タオなりに。
よく分からないものだ。
あたしはなんというか。
寿命を超越してから、人間的な欲がどんどん減ってきている。
真っ先に性欲がなくなったが。最近では食欲もコントロール出来るようになってきていた。
それを考えると、あたしはこれからどんどん人間ではなくなっていくのだろう。
そう思うと、皆の人間らしさが。
いつか、まぶしく見えてくる日が来るのかも知れない。
あの四年前の、乾期の冒険のように。
ただ、それはまだ先だ。
船に乗る。
ボオスは気合で耐えると言って、船室に。
必要がなければ呼ぶな、という事だった。
あたし達もめいめい船の各所に散る。
タオは回収してきた、エミルだとか言う錬金術師についての情報をまとめて整理するそうだ。
とにかく雑多な上に色々な視点で書かれているので、整理に時間が掛かるらしい。
他の皆も、自由にそれぞれ過ごし始める。
あたしは船室を貰うと、其処でフィーを膝に乗せて、ぼんやりと鍵を見つめていた。
この鍵。
未完成だとすると。
ふと思い出す。
硝子は、材料成分を熱して溶かして、そして冷やして形にした。硝子は個体に思えるが、エーテルに溶かしてみると、その性質が液体に近い事を理解出来た。
魔石は元からあるものを削り出す。
それは彫刻に近い技術だが。
この二つ、何かが気になる。
「そうか……」
「フィー?」
「この鍵、そもそもスカッスカなんだ。 作る時に何となくそう感じていたんだけれども、多分竜脈の力を吸収した後に鍵として固定化する時に、すかっすかだから力が逃げていくんだ」
魔石細工は彫刻だが。
下手に空気に触れる面積を増やさないように綿密に掘るし。なんなら掘り終えた後に特殊なニスを塗って空気に触れないようにする。
硝子細工も、下手に空気が入り込むと、気泡と言って残念な泡が出来てしまい、せっかくの透明度が台無しになる。
それと同じだ。
錬金釜は持ち込んでいる。
そしてあたしは、釜に地水火風の素材を放り込むと。エーテルに溶かして、要素を分解する。
鍵は魔力を吸収する。だが、それだけではダメだったのだ。故に、これから調整する。
その後固定化するために、魔力を「吸収」の性質。魔力を「保護」の性質。それに、状態を固定する「頑強な外殻」の性質を、それぞれ鍵に持たせる。
そうすることで、今までとは比較にならない性能を持たせることが出来るはずだ。
何度か練習している内に、夜になっていた。
クラウディアが呼びに来て、夜だと言う事に気付いたほどだ。
食事に行く。
「クラウディア、ヒント掴めたかも知れない」
「魔石と硝子を知った結果?」
「うん」
「良かった。 新しい技術に触れると、やっぱり色々と出来る事が増えるよね」
その通りだ。
技術に罪はない。使う人間がいつも悪用するのである。
あたしは食事を終えると、寝るまで研究を続ける。この鍵を完成させるのは、相当に手間だ。
だが、数日でやってみせる。
少なくとも、クーケン島に着くまでには。それくらい出来なければ、何か考えて仕掛けて来た傲慢な神代の何かに対して、鼻っ柱をへし折る事が出来るとは思えなかった。
3、新しい鍵
クーケン島に戻った。
数日の船旅は忙しく。魔物を撃退したり、鍵の研究をしたり。船を乗り換えたりと、色々と手間も多かった。
途中立ち寄った港で、水と食糧を補給する際に、近場にいた魔物を撃退して。その時に、結構大きな熊を倒した。
毛皮が真っ赤に染まっている、十五人を殺したとか言う人食い熊で。周囲の住民に多大な被害が出ていたから。
あたしも容赦なく、熱槍で粉々に消し飛ばした。
頭と手足の一部くらいしか残らなかった。
それなりに大きな熊だったけれども。大型の魔物と比べてしまえば非力も極まりない。こんなのに苦戦するくらい、人間が弱体化していると言うだけだ。
人食い熊の頭を港町に持っていくと、それで随分と感謝されたし。
クラウディアが交渉して、水と食糧を少し割引して貰ったので。それで、随分船旅で出る食糧が美味しくなった。
海上で襲ってくる魔物があまり強力では無かった事もあって。クーケン島に辿りついたときに、船がボロボロとか。
船員が疲労困憊とか、そういう事もなかった。
とりあえず、皆は一旦解散。
レントはしばらく考え込んでいたが、自宅に向かったようだった。あの様子だと、ザムエルさんと何かあるな。
そう思ったが、レントももう立派な大人だ。
あたしが口を出す事じゃない。
あたしは、バレンツ商会に出向いて、手紙を確認する。連絡網にやはりアンペルさんとリラさんは反応していないようだった。
「やっぱりダメね……」
「この様子だとトラブルに巻き込まれたとみて良いだろうね。 リラさんがいるから、捕まって首チョンパとかいう事はないだろうけど」
「ライザ、どんどん発想が過激になってるね」
「まあ、色々あったしね」
クラウディアはむしろ楽しそうだ。
クラウディアにしても、アンペルさんだけならともかく、リラさんもついていて。辺境集落の村民程度にあの二人が殺される事はないと分かっているのだろう。
二人が消息を絶ったのは、南の土地だ。
また船を使って行くのだが、サルドニカよりかなり遠い。
更に一応ロテスヴァッサの勢力圏という事にはなっているのだけれども。そもそもとして古代クリント王国ですらあまり興味を持たなかったような土地で。密林が拡がり、相応に強力な魔物が彷徨く魔郷であるらしい。
それを考えると、やはり足を運ぶべきか。
門があった場合、手遅れになる可能性が否定出来ないからだ。
あたしも、自宅に戻る。
フェデリーカもつれて行こうかと思ったが。フェデリーカはセリさんが群島にあるアトリエの方につれて行くそうである。
なる程、それもまた良いか。
先にそっちに慣れておくのも手だ。
自宅に戻ると、いつものように父さんが畑を耕していて。畑と会話していた。あの境地になるのには、随分と時も掛かっただろう。
だけれども、誰もが認める凄い野菜を作るのだ。
母さんは、あたしを見るとため息をついていた。
「なんだか、また気配が鋭くなっているね。 たくさん魔物を殺したのかい?」
「それも含めて色々あったよ。 一人仲間も増えた」
「そうかい……」
「父さんも。 畑と話が終わったらあたしと話そう。 お土産もあるし」
母さんがあたしの事にも、錬金術にも理解が無い事は、もうどうしようもない。
前はドス黒い反発を感じもしたのだが。
今はもう、それはもう仕方が無い事だと考えて諦めるようになっている。
それで別にかまわないと思う。
あたしの人生はあたしの人生。
母さんの人生は母さんのものだ。
錬金術に興味を持たないというのなら、それでいいだろう。錬金術の恩恵だけ欲しいが、錬金術に興味を持たないというのは、それはそれで不愉快だが。だから、それに関しては反発する。
食事を用意してくれる。
母さんはそこそこ料理が上手だが、あくまでそこそこだ。
ザムエルさんが一番荒れていて、レントが家にいられなかった頃、レントの分も作っていたこともある。
食事を作る手際は悪くない。
サルドニカから持ち帰った幾つかの保存食を渡しておく。ピクルスはなかなかおいしかったのでお勧めだ。
軽く、サルドニカであった事を話す。
そうすると、父さんは笑顔でそうかそうかと頷き。
母さんは、どこまで本当なのかと、疑っているようだったが。二人とも実戦経験者である。
あたしが更に実戦を重ねて来たことは、それは理解出来たのだろう。それについては、疑っていないようだった。
「それで父さん。 水の調子は」
「だいたい良い感じかな。 ほとんど以前の……水が大量に使えるようになる前の水準に戻ったと思う。 ただまだもう少し苦みがいるかな」
「分かった、サンプルを作って来るよ。 それにあわせて調整する」
「頼むよライザ。 ライザの作る淡水化装置?とかいうものを疑っているわけじゃあないんだ。 だが、クーケンフルーツの僅かな味が、クーケン島の外貨獲得に大きな影響を与える。 ライザがバレンツと取引しているお金も随分還元して貰っているけれど、それだけじゃダメなんだ」
その通りだ。
あたしはあくまで第三勢力として、ブルネン家にも古老達にも好き勝手をさせないために蓄財をしている。
バレンツも、半分はあたしとの取引があるからクーケン島に根を下ろしているが。
逆に言うと残り半分は、クーケンフルーツがあるからである。
少なくとも、クラウディアが生きている間は、バレンツが態度を変えることはないだろう。
あたしも、もうそういうスパンでものを見ている。
夕食は取るが、寝るのは小妖精の森近くにあるあたしのアトリエで。
それについては、父さんも母さんも何も言わなかった。
タオはサルドニカで回収した本を、こっちのアトリエには持ち込んでいないらしい。タオもタオで、パティに気を遣っているわけだ。
このアトリエであたしと二人っきりになるのを避けているという訳だ。
大人としての対応をしていると言う事で立派だ。
そこまで気にしなくてもいいと思うのだが。
パティとしても、今王都で大掃除の真っ最中であり。あの真面目なパティが、愚痴を書いてくるくらいなのである。
これ以上心配事は増やしたくないのだろう。
ロテスヴァッサ王国が、アーベルハイム国になるまで、あと何年だろう。
その国がどういう政治制度を取るのかはしらないが、今より王都がマシに。王都と経済的に関係している都市や、周辺集落が少しでもマシになってくれればいいなと思う。
あたしは鍵の最終調整をしながら、黙々とそんな事を思った。
もう、時間か。
フィーが袖を引いたので、気付く。
風呂に入って、寝床に潜り込む。
鍵は、もう少しだ。
「吸収」と「保護」については、ほぼ出来たと思う。
ただ、問題はその先だ。
あの門、この程度でどうにかなる代物だとはどうしても思えないのである。
「頑強な外殻」については、もうほぼ仕上がっているし。明日中には多分完成品を作れるだろう。
明日は、クーケン島をかるくぶらついて。
問題が起きているようならば。
その解決に、協力しようと思っていた。
翌朝。
いつものように、朝早くから起きる。
フェデリーカがセリさんと来たので、ちょっと驚く。フェデリーカは、困惑した様子で、アトリエを見る。
「ほ、本当にこっちにもあるんですね。 しかもこれを最初の四人だけで作ったんですか、それも僅かな時間で」
「王都にはアトリエの機能だけがある部屋を持ってるから、サルドニカのもあわせて四つアトリエがあるんだよ」
「……すごい。 別荘をたくさん持っているかのようですね」
まあ、それもそうか。
中に入って貰う。
以前、クラウディアに古いピアノを送って貰ったので、それを修理して置いてある。なお、あたしはセンスがないらしく、ピアノはさっぱりだ。フェデリーカはと思ったら、ピアノを開けて、調律を始める。
なる程、職人だ。
こういうのも出来るのか。
「凄いね。 ピアノ出来るんだ」
「父が色々と習い事はさせたんです。 サルドニカにもピアノはあって……。 人間がこれだけ追い込まれている世界なのに、こんな複雑な機械が残っているのは奇蹟だから、保存しようって。 色々仕込んでくれて」
「調律が終わったら聞かせてくれる?」
「えっと、引く方は素人以下で。 すみません」
そっか。まあ職人だし、そうかも知れない。
ただ、クラウディアが来たら、引いてくれるかも知れない。
笛も相当な技量だが、クラウディアはピアノも上手い。去年、門を閉じた後に軽く此処に来た事があるのだが。
その時に、ピアノを調律して、それで引いてくれた。
調律が終わったので、後は解散。あたしはクーケン島に。セリさんは、アトリエの周辺の植生を確認し。薬草についてないか調べるそうだ。フェデリーカはそれについていって、戦闘の支援と、薬草の知識を覚えるそうである。
生真面目な子である。
そういう生きていくのに必須の知識は、それこそ必死に覚えるだろう。サルドニカに伝えて。
それが後に誰かを救うかも知れない。
クーケン島に出向くと、遠くでがつんと音がした。
なるほど、案の場やり合ってる訳か。
無言で、レントの家に行く。周囲の住民が、さっと避けているのが分かった。昨日から、なのだろう。
レントの家は、奥まった所にある。
ザムエルさんは、護り手最強のアガーテ姉さんと力量はほとんど変わらない。酒に溺れる前だったら、もっと強かったかも知れない。
だから荒事の時はどうしても頼りにされた。
クーケン島にも与太者は来るし。
強い魔物が出るときには、ザムエルさんに声が掛かることも多いのだ。
だから、追い出す事は出来ず。
かといって怖いから、こういう所に閉じ込めた。
ザムエルさんは、若い頃は人々を助けて廻っていた。
それが、見かけから忌避されて。
身持ちを崩して。
やっと落ち着いたクーケン島でも、こんな扱いを受けている。それは、色々とねじれるのも仕方が無いのかも知れない。
ともかく、覗くと。
まあ、そうだろうなと思った。
ザムエルさんが。あの大巨人が、尻餅をつかされている。かなり手傷を受けているようだ。
レントは平然と立っている。
勿論無傷だ。
素手での殴り合いをしていたようだが。それでも、もう力量の差は明らかだった。
ガタイはザムエルさんの方が上なのに。
酒に溺れて、すっかり鈍りきってしまった今のザムエルさんでは、レントに勝てないのも仕方が無いのかも知れない。
「立てよ。 その程度で沈むほどヤワじゃねえだろ」
「……」
ザムエルさんは血を吐き捨てると、立ち上がる。
だが、レントが容赦なく間合いを詰めて、拳を鳩尾に叩き込んでいた。
酒臭い息を吐きながら、前のめりに倒れる。
あの大巨人が。
もう為す術も無い。
手を出すつもりは無い。
これは、レントとザムエルさんの問題。そして、ザムエルさんも、レントが言った通り。
この程度で沈むほどヤワでは無いのだ。
「畜生、拳が重くなりやがったな……」
「……もういいな」
「ちっ。 負けは負けだ。 話してみろ」
「旅先で母さんに会った」
あたしは無言で様子を見つめる。
あたしはレントとは家族ぐるみのつきあいで、レントは義理の兄みたいなもんである。その割りには常にあたしが行動の主導権を握っていたが。
ザムエルさんもあたしには絶対に暴力を振るわなかったし。
父さんと母さんに頭が上がらなかった事もある。
要は、此処に居合わせる資格がある。
レントは言っていたな。前に門を閉じた時に、母さんと会ったと。その時に、手紙を受け取ったのだと。
ザムエルさんに、レントが手紙を突きつける。
舌打ちして、ザムエルさんが受け取る。しかし、その手紙には何も書いていないようだったが。
「白紙か。 綺麗さっぱり関係を清算しようっていうわけか」
「違うな。 酒に狂ってるから目の前のものも見えなくなる。 少なくとも俺には意図が分かったぞ」
「何だと……」
「酒を抜いて考えるんだな」
レントが、後は任せると視線を送って、使っている宿に。
あたしは薬を取りだすと、ザムエルさんの手当てを始める。ザムエルさんは、なんども悔しそうに歯ぎしりしていた。
「俺の若い頃くらいに強くなりやがったなあの野郎。 俺には似ても似つかないと思っていたのによ」
「ザムエルさん。 レントはザムエルさんと同じ悩みを抱えたんですよ」
「何だと……」
「去年王都で再会したとき、すっかり現実に打ちのめされていました。 ザムエルさんほどではないにしても、あのタッパでしょ。 どれだけ人を助けても、怖がられるだけ。 それで、結構効いたんですよ」
舌打ちするザムエルさん。
元々ザムエルさんは、周囲から怖がられていた。幼い頃からそうだったらしいと、父さんと母さんに聞いている。
だが、父さんの話によると。
子供の頃のザムエルさんは、他の奴が嫌がるようなゴミ掃除とかも率先してやっていたし。
魔物退治とかでも、何のためらいもなく最前線に出ていたらしい。
父さんは言った。
人間のかなりの多くの割合で、自分より上か下かでしか相手を判断できない輩がいる。
そういう輩は、食事を出す相手を自分より下だとみるし。片付けをする相手を下だとみる。
そういった連中にとって、ザムエルさんは理解出来ない恐怖だったのだと。
圧倒的に強いのに、「下」にやらせれば良いことを自分からやる。
それがその手の「上か下か」でしか判断できない人間の目には、ただの恐怖にしか映らないのだと。
こう言う話は、大人になってから響いてきた。
猿以下の人間が結構いること。そういう輩は、確かにそういう思考回路を持っている事。
そしてザムエルさんは、そういう輩に追い詰められたことも。
レントもそうだ。
結局、この親子は似ていたのだ。
「ライザ、この手紙……何も書かれていない手紙の意図が分かるのか」
「分かります」
まあ、これくらいは分かる。
というか、ザムエルさんは酒のせいで感覚が鈍りすぎている。
それだけの話だ。
「お酒を抜いてください」
「簡単に言いやがる。 声が聞こえて仕方がねえんだよ」
「声?」
「どいつもこいつも、俺が助けたら悲鳴を上げて化け物とか叫んだり。 ガキは泣き出す、女は殺さないでとか取り乱す。 魔物を倒したら、悲鳴を上げて逃げる。 報酬は投げて寄越しやがる。 人間を常食しているだとか、素手で人間を引きちぎって殺すだとか、好き勝手な噂を流しやがる。 そういうのを真に受けた役人が、武器と人数を揃えて捕まえに来た事もありやがった」
思った以上に壮絶だ。
ずっとそれらの過去に苦しんできたのか。
確かに、最初からどうしようもない、更正の余地もないカス野郎はいる。
だけれども、そうでない人が怪物になることもある。そういうのはだいたい強いか弱い立場の人間だ。強い場合は負の成功体験を積み重ねていった結果、化け物が生じる。弱い場合はあらゆる否定と迫害が、その人を化け物に変える。
ザムエルさんは化け物になりきってはいない。ギリギリ踏みとどまっている。
化け物を作るのは、人間の集団だ。
人間は、やっぱり種としては愚かすぎるのである。
こういう事例を見ていると、あたしはそう結論せざるを得ない。
「酒を飲んで酔っている間だけは、そういう声が聞こえなくなる。 だがな……もう……聞こえはじめていやがる」
「分かりました。 ちょっと待っていてください」
「なんだよ畜生……」
「ちょっと、作って来ます」
どうせ、まだサルドニカから回収した資料をタオが調べきるのには時間が掛かると見ていい。
だったら、身内を助けるのもあたしの仕事だ。
アトリエにすぐに戻る。レントには必要なかったが。実は、以前エドワード先生と、話をしたことがあったのだ。
心に酷い傷を受けた人のために、作るもの。
それは、薬でもいいだろうが。薬が効かないくらい心が傷ついている人には、むしろもっといいものがあるかも知れない。そう考えて、少しずつ作っていたのだ。
そうして、あたしは作る。
まずは、酒を中和する薬。
これに関しては、別に難しくも無い。酒は元々毒物で、体内で分解されている。
それについてはエーテルに溶かして調査して知った。体の中で分解されるプロセスも、である。
それを促進してやれば良い。
ただ、ザムエルさんは心の傷を酒でどうにか抑え込んでいる状態だ。
其処に酒を取り除いてしまったら、きっと壊れてしまう。
ザムエルさんは、クーケン島の出身。
そして、若い頃には今の家ではなくて。最近は島の傾きが是正されたことで、沈まなくなった旧市街に住んでいた。旧市街にあった家はもう沈んでしまった。ザムエルさんが父さん母さんと傭兵に出て、帰ってきたときにはそうなっていたらしい。
よし、出来た。
後は、これを使って貰うだけだ。
すぐにクーケン島に引き返す。
薬はとっくに効いていて、ザムエルさんはぼんやりと座り込んでいた。何度も酒瓶に手を出そうとしていたが。
それを必死に堪えているようだった。
「ザムエルさん」
「おい、なんだそれは」
「いいから」
あたしが作ってきたのは、両耳を塞ぐものだ。上でバンドがついていて、それがしなるようになっている。
魔物の筋繊維から作ったバンドで。良くしなる上に強度も申し分ない。長さも調整出来るようにした。
耳を覆う部分は、これもまた魔物の皮から作った柔らかい素材で、耳を痛めない。
そして、其処から聞こえるのは。
「……」
ザムエルさんが、黙り込む。
そう、海の音だ。
ずっと幼い頃、その音を聞いていれば、静かでいられただろう。
ザムエルさんの両親は早くに亡くなったそうだが。少なくとも幼い頃、ザムエルさんは両親とそれほど不仲だったとは聞いていない。
しばし黙っていたザムエルさんは。
あたしが渡した酒の中和薬を、煽って。後は横になって眠ってしまった。
それでいい。
こわごわ覗いている住民に、大きく咳払い。
「ライザ、ザムエルさんは大人しくなったかい」
「お前だけが頼りなんだよ。 最近はレントも大きくなって、なんだかおっかなくてねえ」
ちょっと、代わりに噴火しそうになったが。
どうにか笑顔を作る。
そういう態度が、ああいう怪物を作ったんだ。
そう、怒鳴り返してやりたかった。
人間は異物を迫害して、そして怪物に仕立て上げる。それで怪物にやられたと被害者面をして、異物を死にまで追い込む。
この島の人間もそれは同じだ。
アンペルさんがつるし上げを受けた時にそれをはっきり悟ったような気がするが。
てか、今。
ブチッと心の中で音がした。
「ザムエルさんは、昔からああでしたか?」
「いや、それは……」
「皆で怖がるから、ザムエルさんはああなったんです。 ザムエルさんは元々は、人が嫌がる事も進んでやり、戦いで命を賭けて最前線に立てる。 そんな立派な人ではありませんでしたか?」
むしろ静かに。
周囲の人々に諭す。
それで、皆黙り込む。
そうだったことを、今更ながらに思い出したのだろう。
「怪物を作り出すのは、そうやって周りで勝手に作り出した幻想です。 ザムエルさんは、周り全員にそうやって怪物に仕立て上げられた。 だから今も酒を飲んで暴れるしかない。 それを忘れないようにしてください」
あたしも、ちょっといい加減に手が出る寸前だったので、そうしっかり諭す。
誰も、反論はしてこなかった。
勿論、生まれながらに邪悪な輩は存在しているだろう。
だが、大半の壊された人間は。
周りに壊されるのだ。
そういう現実があるのに、自己責任であるとするには問題がありすぎる。自己責任論は、人類が編み出した他責思想の極限であるともいえ。人類のあり方を貶めているとすら言える。
色々な人間を見て来たから言える。
自己責任論は、自己責任論の皮を被った、社会システムのミスによって生じる人間に。社会システムのミスを押しつける、最低の思想だと。
あたしはアトリエに戻る。もう、ザムエルさんは大丈夫だろう。多分、数日以内には、手紙の意図に気付けるはずだ。
鍵の調整をしていると、レントがアトリエに来る。
「ライザ、色々と助かった。 ありがとうな」
「んーん」
「結局俺とお前は男女としては縁がなかったが、家族としては本当に頼りになる。 今後も頼むぜ」
「そうだね。 あたしがもう少し色事に興味があったら、少しは違う結果になっていたのかも知れないけど」
まあそれはレントもだが。
お互いに苦笑いすると、レントはアトリエを出ていった。
そのまま、あたしは調合を続ける。
そして、翌日。
群島の方のアトリエで、皆を集める。鍵の調整が終わったからである。
作り出した鍵を見せる。
前は青白く透けていて何とも頼りない鍵だったが。今度のは力強く、白く鍵が輝いている。
三つの要素をしっかり仕上げてきた。これで、恐らくはかなり違う鍵になる筈である。
「そうなると、門を開けられそうかい?」
「やってみないと何ともいえないですね。 ただ、可能性はあると思います」
「くう、それはすげえ! ロマンだぜロマン!」
「相変わらずですね」
クリフォードさんがまた昂奮しているが。
実の所、あたしも結構楽しみではある。
この新しい鍵、さっきから何度か試しているのだが。竜脈から魔力を吸い取る事で、強力に変貌する。
鍵そのものが、生半可な装飾品もびっくりの強力な性能を発揮するのだ。
魔術を何重にも重ね掛けしたような、である。
何回か試験をした後、実戦投入をするつもりだ。
そして上手く行くようなら、皆に配布する。
場合によっては、身に付けているコアクリスタルから使う道具に加えて。それぞれがこの鍵によって、強力な効果を得られるはずだ。
更に言えば。
それだけの魅力的なエサを、神代の何者か分からないが、ぶら下げてきたと言う事でもある。
勿論タダの筈がない。
古代クリント王国が模倣した神代の最悪の連中がこの鍵を寄越してきたのだとすれば。その目的は、どうせ絶対にろくでもない。
それは断言してもいい。
ともかく、罠に今は敢えて足を踏み入れる。
その目的次第によっては、罠ごと敵の全身を引き裂いてやる。
あたしを罠に掛けてあっさり捕らえられると思ったら大間違いだ。場合によっては存在そのものから消し去ってやる。
オーリムでの惨状を見ているあたしとしては。
古代クリント王国が模倣した存在と言うだけで、許し得ないのだ。
「それでは、一旦辺りの確認をして、それで足場を堅め次第、再びあの群島の奧の宮殿に向かおう」
「分かりました」
「よし。 全員で動くか? それとも一旦偵察に別れるか?」
「私がさっき音魔術で探索した範囲だと、特に強大な魔物が出現している気配はないよ。 ただ……大きなワイバーンが相変わらずいるね。 今の時点では、此方に注意を向けている様子はないけれど」
ワイバーンか。
今の時点の戦力だと、多分負ける事はないだろうが。それでも、戦力を分散していると面倒か。
分かった。
あたしは、地図を拡げると、皆に告げる。人員分配と、それぞれの行動ルートについてである。
エアドロップは既に複数用意してある。それだけの時間があったからだ。三班に分かれて調査して、危険な魔物の出現などを調査し。それから合流。
特に時間は掛けない。逆にそれで、短時間で遭難なりなんなりの問題が発生した場合に対処できる。
「ワイバーンがいる島は避けるんだね」
「それ以外にも、大物がいると判断したら接近は中止。 即座に皆と合流して。 勝てると判断しても」
「ええと、結構慎重なんですね」
「当たり前だよ。 散々痛い目にあってきてるし」
クーケン島近くといっても、此処は完全に未知の領域だ。
王都近辺の遺跡探索でも何度も酷い目にあったが、この辺りはあの遺跡と同等か、それ以上に危険な仕掛けが施されている可能性がある。
ピクニック気分で足を踏み入れて良い場所ではない。
皆の班分けを終えると、あたしはクラウディアとともに移動を開始。フェデリーカはセリさんとクリフォードさんと一緒に行動して貰う。レントとボオスとタオはも別チームとして行動だ。
「音魔術は常に限界範囲まで調査して」
「うん、分かってる」
クラウディアは全力で範囲探索を続けてくれている。
あたしはそれに頷くと、エアドロップを膨らませて。群島の間の海域を、移動し始めるのだった。
4、闖入者
群島のアトリエに戻る。
あたしはそれを良くない兆候だと思ったから戻った。対処しなければいけない問題が生じている。
そう判断したのだ。
良くしたもので、他のみなも戻って来ている。
更に、レント達の三人は、一足先に戻ってきているようだった。
そして、アトリエには先客が来ていた。
「邪魔をする」
「アガーテ姉さん」
「ああ。 短時間で作ったにしてはいい拠点だ。 十人前後で長期間の駐屯が出来そうだな」
「はい。 それで何かあったんですか?」
アガーテ姉さんが直に来るというのは、相応に大変だ。この群島の辺りは浅瀬が多いとは言え、水中にはそれなりに魔物もいる。
泳いできたのでは無く、漁船をわざわざ使ったのだから。
「タオの客だ。 リルバルトという老人を知っているか」
「はい。 王都にいる魔物学者ですね。 僕の論文を評価してくれていた一人ですが」
「その人物が来ている。 近々、このアトリエに足を運びたいそうだ」
「……はあ」
タオが露骨に困っているのを見て、アガーテ姉さんが私に言われても困ると返して、咳払いしていた。
まあ、アガーテ姉さんとしても、伝書鳩にされて困っているのも事実なのだろう。
「ともかく、リルバルト氏を必要だったら迎えに行ってやれ。 あれはとても単騎でここに来られるような人物ではないな」
「分かりました。 参ったな……」
タオがぼやく。
アガーテ姉さんを、レントが送っていく。
それで、と。
ボオスが、タオに促した。
「俺はあまり記憶にないんだが、そのリルバルトって先生がどうしたんだ」
「魔物後代発生学って独自の理論を立ち上げた人なんだよ。 王都にいる数少ない学者の一人で、僕の事を買ってくれていたんだけれど。 僕が遺跡と建築の研究を専門でするって聞いて、落胆していたらしいね」
「魔物後代発生学?」
「うん。 リルバルト先生によると、魔物の一部……特に現在、その名前の由来が伝わっていない魔物の中には、明らかに自然に発生していないものがいる。 そういう理論なんだ」
なるほど。
あたしが考えているのと似たような事を考えている人がいる、というわけか。
あたしは神代の生物兵器が一部の魔物ではないかと考えているのだけれども。或いは、もっと事態は深刻で。
そもそもこの世界にいなかった生物を神代で作り出し。
どういう意図か、ばらまいた可能性があるというわけだ。
それらは人為的にばらまかれた結果、あっと言う間に世界に拡がり。そして汚染したと。可能性は否定出来ない。
例えばラプトルなんかは、あれは頭が良すぎるし、群れで活動して実に効率的に人間を殺して廻る。
走鳥もそれは同じ。
あれの四枚ある翼は、そもそも起源が分からないと良く言われているのだ。
「リルバルト先生は一次資料に当たろうと時々無理をしてでも魔物の調査に出かける事で有名でね。 僕も何回か雇われて、大物の魔物の調査に一緒に出かけたよ。 勿論自衛能力なんかないから、その度に必死に守らなければいけなくてね」
「厄介だね。 もう一つ、面倒な問題が起きてるのに……」
「そうだな」
クリフォードさんも同意。
ということは。別の班でも察知していたと言う事か。
群島の中央部。
大きな島があるのだけれども、そこにワイバーンが住み着いている。しかも、それが以前のと違う。
かなり大きい個体で、ドラゴンと呼んで良いほどのサイズだ。
前のワイバーンは殺されたか、或いは追い出されたか。
護り手はこっちの方は監視しかしていない。だから、分からなくても仕方が無い事である。
「前の個体は、こっちを警戒しているだけだったけれども。 今度のは明らかに敵意を向けているね」
「そうだ。 俺の勘もびりびり危険を告げていやがる」
「仕方が無い、先に片付けるか」
「そうしかなさそうだね」
レントの提案にあたしも乗る。
実際問題、安全圏を確保するのは重要な事だ。
もう少し年月を経れば、あのエンシェントドラゴンの西さんのように、自我を得て変わるかも知れないが。
それまでに爪に掛かっては意味がないのである。
だから片付ける。
残念だが、そういう運命にあったのだ。
しかもこの群島、放置しておいたらどんな災いが起きるか知れたものじゃない。古代クリント王国が模倣対象にした神代のものだ。
フィルフサ以上の災厄が引き起こされる可能性だってある。
それを考えると、もたついてはいられなかった。
「ワイバーンの駆除は最優先だね。 それでタオのそのリルベルト……じゃなくてリルバルト先生はどうする?」
「ワイバーンを撃退してから迎えに行くよ。 あの先生の事だし、ひょっとすると……この群島のことを何らかの方法で知って、それで興味津々なのかも知れない。 知識豊富なんだけれど、子供みたいな人なんだよ」
「それはまた、学者らしい学者だな」
「ん?」
ボオスがぼそりと呟いて。
タオが小首を傾げる。
まあ、意図は分かる。
タオといいクリフォードさんといい。学者の傾向がある人は、変わり者揃いだ。勿論あたしもその一人である事に異論は無い。
装備を確認。
サルドニカに持ち込んでいた物資も、此方に移し直してある。戦うのならば、すぐにでもいける。
だったら、即座にやっておく。
その学者先生が介入して、面倒な事になる前に。
やるべき事は、やっておかなければならなかった。
(続)
|