サルドニカ裏史

 

序、禁忌の森

 

手続きが必要となる。

そういう話をフェデリーカがして、サルドニカに単身戻った。時間が出来たので、あたし達もその間に出来る事をしておく。

周囲での採集作業。

それによって爆弾やお薬の素材を集めておく。この辺りは強い薬効成分の薬草が多く、かなり助けになる。

それらを回収しながら、更に魔物を駆逐。

辺りをうろつく魔物は、片っ端から始末していく。

人間を舐め腐っている魔物は、非常に危険だ。

一匹も残さず片付けて、恐怖を叩き込む他無い。

これは、今まで駆除よりも発展を優先したツケだ。その分、あたし達が今、血の雨を降らせている。

大量の魔物の死骸を、サルドニカに運び込んで。

肉などは全部売ってしまう。

ついでなので、ウィルタさんと連携して、周辺の集落を周り。それらを脅かしている魔物も、片っ端から蹴散らしてしまう。

それらも綺麗に片付けて行くと。

随分と片付いて、安全性が増したが。

どうせ、更に外側から魔物が襲ってくる。

それは分かっているが。もうどうにもならない。

後は、サルドニカの警備の仕事だ。

「助かりました。 これだけ重点的に魔物を駆逐してくれると、後はとてもやりやすくなります」

「しかし防衛範囲が増えたのも事実、ですね」

「ええ、まあそれは」

「せっかくですので、もっと退治はしておきます。 今後の事も考えて」

ウィルタさんに後を任せる。

王都と同じで、やはり離れたところにある集落は、かなり厳しい生活を強いられている事が多いようだ。

サルドニカから去った人達。

権力闘争に負けて、それでいられなくなった人達もいる。

そういう人達が身を寄せ合っている集落は。

あまりにも貧しく。

そして、サルドニカも手を積極的にさしのべようとしなかった。懲罰のつもりだったのかも知れない。

だが、権力闘争なんてものは百害あって一利なし。

そんなもので技術を持っている職人を追放したり殺したりしていたら。

いずれサルドニカは終わっていただろう。

それらを軽減していたのは、やはりウィルタさん達だとみていいが。

何が目的なのか、まだ見えてこない。

慈善作業でないことだけは確かだが。

それ以上が、どうにも分からないのだ。

ともかく、作業を続けて。夕方にはアトリエに戻る。サルドニカから少し離れた場所に、かなり大きなナメクジの魔物がいる地点があって。

それを焼き滅ぼしての凱旋だ。

その魔物に襲われて、かなりの数の周辺集落の人間が殺されていたらしいが。

やはりサルドニカからの助けは来なかったらしい。

集落も半壊状態になっていたので、ウィルタさんに保護を頼んでおく。

発展しているサルドニカですら、周辺の現実はこれである。

この世界が如何にまずい状態になっているかは、明らかすぎる程だが。それでも人間は、根から変わっていない。

変われないのだろう。

アトリエで、無言で食事をする。そして風呂に入る。休憩をしている間、皆口数が減っていた。

ボオスだって現実的に世界を見る訓練をしているだろうに。

ああいう、人間の業のたまり場を見ると。

流石に言葉もなくなるようだった。

「お菓子を焼いたわ」

「ありがとうクラウディア」

「フィー!」

「フィーには魔石を用意しておいたからね」

フィーが嬉しそうに飛び回り始める。

ちょっとだけ、空気が改善されたか。

セリさんが、この辺りの特産である甘いベリーを練り込んだパイをぱくつきながら。幾つか採取した薬草を見せてくれる。

どれも、クーケン島近辺でも、王都近辺でも見た事がないものだ。

「使えるかしら?」

「ええ、ありがとうございます」

「殆どは土の状態が良くなくて、回収してきたの。 半分は私が育てるわ」

そうか。

セリさんは植物のスペシャリストだ。そういう意味では、任せてしまって良いだろう。

クリフォードさんが、ぼそりという。

「タオ、それで気付いたか?」

「今日見て回った辺りの話ですよね」

「そうだ。 あの辺り、多分まとめて全部遺跡だよな」

「恐らくは」

あたしも興味がある話だ。

タオが咳払いすると、皆に解説してくれる。

「サルドニカの南部一帯を今日見て来た訳だけれど、多分あの辺り全部が元は都市だったんだ」

「あの辺り全部だって!」

「おいおい、王都なんかの比じゃねえな」

「五百年前に、魔物に全て滅ぼされたんだろうね。 或いは……」

フェデリーカはまだ戻っていない。

だから、タオは言う。

「フィルフサとの戦場になったのかも知れない。 あまりにも破壊が徹底的で、殆ど更地も当然だったから。 もしもそうだとすると、大侵攻のエジキになって、何もかもが滅ぼされたんだよ。 アーミーが出て食い止めたんだろうけれど、状況からして勝ったとしても……壊滅してしまったんだろうね」

「そうなると、この辺りにも門が?」

「そう思って、俺もタオも警戒していたんだが。 どうもそういう嫌な気配はなかったんだよな」

そうか。クリフォードさんの勘がそこまで告げているのなら。それもあり得る話なのだろう。

いずれにしても、門か。

あったとしたら、調査がいる。

この辺りにだって、門があっても不思議ではない。封じられているのなら良いのだけれども。

フェデリーカが戻って来たので、タオが口をつぐむ。

フェデリーカは疲れきっているようだったので、クラウディアが気を利かせてパイを渡す。

すぐにもそもそ食べ始める。

何だかこの子。

あたし達の仲間になった直後のクラウディアみたいで、なんだか可愛いな。そう思い始めた。

多分、ギルド長達を相手に政治的な駆け引きをしてきたのだ。

それでとにかく疲れた。

あたし達が後ろ盾についたことで、フェデリーカをギルド長達は今までのように人形に出来なくなった。

それに、他ならぬギルド長達があたし達の実力を認めている。

それも魔物退治だけではなく、新しい技術を持つ人間としてだ。

二人とも職人で。

それが故に、あたし達の事を無碍に出来なくなった。

バックにあたし達がいるフェデリーカをも、だ。

フェデリーカが横になって眠ってしまったので、声を少し落として、話を続ける。

「さて、問題は此処からだね。 例の奥にある地域に行くにしても、或いは門があったりして」

「いや、その可能性は低いね」

タオが言う。

タオが言うには、恐らくフィルフサとの広域戦闘があったと思われる地域とは、あまりに離れ過ぎているという。

フィルフサは大侵攻を引き起こすとき、文字通り何もかも踏みつぶしながら進んでいくのである。

それを考えると、確かにこの辺りの地形が滅茶苦茶にされていないのはおかしい。それどころか、鉱山が残っていたほどなのだ。

「ライザ、提案。 僕は門をちょっと調べる。 今はかなり魔物を削ったけれど、誰かつけてくれないかな」

「うーん、どうしようか」

「それなら俺がつく。 雑魚相手の連戦で、体力と経験をつけておきたい」

ボオスが挙手。

あたしもそれで異存ない。

「分かった。 タオ、稼働する可能性がある門があった場合は、信号弾を打ち上げて。 とにかく全力でそっちに向かう」

「了解。 そっちも気を付けてよ。 フェンリルほど強力な魔物がいるかは分からないけれども、あれだけ魔物が出てくる場所だし。 文字通り何があってもおかしくないからね」

「おっけい」

これで、だいたいの戦略は練ることが出来た。

状況が変わるから、それに沿ってやっていかなければならない事は増える。

タオとしても、書類の調査はしたいだろうが。

門の方が優先度が高いのだ。

状況からして、恐らく稼働している門は無いだろうが。

それでも、少なくともこの辺りを蹂躙したフィルフサの出て来た門の位置くらいは、確認しなければまずい。

「それと、フェデリーカさっき力尽きて寝ちゃったけれど、例の禁足地みたいな場所に入るための話し合いは済んだのかな」

「多分私達の実力もあるし、大丈夫だと思うけれどね」

「だと良いんだけれど。 もう一日空くようなら、あたしも門の方を調べにいくかな」

「それがいいかもね」

軽くクラウディアと話してから、解散とする。

それぞれのベッドは足りているし、なんならまだ余裕もある。今回は長期戦になる事を想定して、更に七つほどベッドは用意してある。それくらいの大きなアトリエに仕上げてあるのだ。

今後の状況次第だが。アンペルさんとリラさん、それにパティを呼ぶ可能性があるし。

更に増員がどこかで掛かるかも知れない。

そうなると、ベッドが足りなくなるかも知れないが。

それについても、増設可能な作りにしてある。

あたしも空間把握力については自信があるので、そういった事は幾らでも出来るのである。

風呂に入ってから、寝る。

翌日は朝から忙しくなる可能性が高い。

眠れるときには寝ておく。

風呂には入れるときに風呂に入っておく。

それが生き残るための必須の技術と知識。

もうあたしも。

リラさんとアンペルさんに色々教え込まれていた頃の小娘ではない。だから、相応の行動をするだけだった。

 

翌朝。

早くから起きて体を動かしていると、フェデリーカが起きだしてくる。朝には弱いようで、ふにゅふにゃだ。

体を動かしているあたしを見て、ぼんやりしているが。

一応、ちゃんと服を着ていた。

この辺りは、同じ後進でもパティとは随分違うなと思う。パティは朝からしっかり起きていた。

ただこれは、騎士としての訓練を受けて、実戦も経験していたパティと。

あくまで職人であるフェデリーカの違いなのだろう。

「フェデリーカ、一緒に体操する?」

「ふあい……」

「無理なら眠っておきなよ。 これからうんざりするほど魔物と戦う可能性があるんだから」

「あい……」

ふらふらとアトリエに戻っていく。

血圧が低いのかなあの子は。

まあそれはそうとして、あたしは体をしっかり動かして温め。ついでに座禅を組んで、魔力も練る。

これ以上生体魔力の量は飛躍的に伸びない可能性が高いが。

その代わり、あたしは魔力をしっかり練り上げる。

なんだかんだであたしはパワーによって押し切るのが大好きで。魔術の扱いもそれに準じているが。

それでも出来る事は増やしておきたいのだ。

魔力をじっくり練る。

それから、朝食にする。

流石に顔を洗って歯も磨いて、それからだが。朝食をとる時点ではフェデリーカもしっかり起きだしていた。

今の時点では一番朝に弱いが。

それでも、その内きちんとやれるようになるだろう。

「ライザさん、そんなに朝から動いてどうして平気なんですか……」

「あたしは農家の娘なんでね。 朝には強いのよ」

「そ、そうなんですね……」

「まあ、農家とあまり関係無い才能ばっかりあって、それで農家をやるのはあまり楽しくなかったけれどね」

さて、皆揃っているな。

軽く話をする。

まずは、フェデリーカに話を振る。昨日の事についてだ。

フェデリーカは咳払いすると、例の立ち入り禁止地域。禁足地みたいな場所に入れる許可は取ったという話をしてくれた。

話が長引いたのは、魔物の群れを刺激する可能性があると、一部のギルド長がごねたためらしい。

フェンリル以上の魔物がいるかも知れない。そう、ギルド長達は怖れていたようだった。

ただ、魔石ギルドと硝子ギルドは、どちらも賛成。

それが決定打になり、調査の許可は下りたそうだが。

それでも他のギルドがこぞって反対して。

相当にフェデリーカは神経に来たと言う。

まあ、いつもこんな感じなのでとぼそりと呟くのを見て。

この子、相当ため込んでるんだなとは思うが。

それについては、敢えて指摘しない。

ボオスが口の端を少しだけ引きつらせているのを一瞥。ボオスもその辺りは理解したのだろうか。

「よし、と言う事は禁足地に入ることは問題ないね」

「そうですね。 この人数だと、かなり心強いですが……」

「ごめんねフェデリーカ。 僕とボオスは、ちょっと南の方を調査に出る」

「えっ……」

一応、軽く説明しておくか。

500年前に、この土地でとんでもない魔物(フィルフサの事だが、名前や性質は伏せる)が暴れ回った形跡がある事。

それで、この辺りにあった都市が丸ごと消滅した可能性が高い事。

それを告げると、フェデリーカは絶句する。

タオは、淡々と告げる。

「都市の規模から考えて、当時は三百万人くらいはこの辺りに住んでいた筈だよ。 みんな500年前の混乱で命を落としてしまったんだろうね」

「さ……三百万!?」

「王都の十倍だね。 でも、五百年前の大混乱は知っているでしょ。 どこでも、そういう悲劇は起きていたんだよ」

フェデリーカは少しずつ慣れているようだけれども。

あたし達と接する事で。

知らない方が良いことを、知るようになって。それで色々と苦悩しているようである。

まあ、それについては別に構わないか。

サルドニカの内部での権力闘争で、人生経験を積むのはそれはそれでかまわないだろう。

だけれども、それだけが世界じゃない。

むしろそんな狭い場所での権力闘争なんかに特化した所で、ロクな人間にならないのは目に見えている。

王都の貴族共がまさにそれだ。

だから、あたしは。

今のうちに。

まだ頭が柔らかい内に。

世界の真実に触れておくことは、大事だと思う。

フェデリーカの場合は、そのチャンスがあったということで。むしろ幸運に思って欲しい所である。

「恐らく、当時……古代クリント王国のアーミーがこの辺りでその魔物と戦って、相討ちになったのは間違いない。 問題なのは、その魔物の残党がいる可能性があるっていうこと。 僕達は、それを調べておくよ」

「それにしても、そんな恐ろしい魔物がいるのなら、どうして伝承もなにもないんでしょう」

「この辺りに人間が再入植したのが200年少し前だからでしょ」

「あ……そういえばサルドニカが設立される前に、もっと前からいた人々は220年前くらいに入植したんでしたね」

フェデリーカも、ちょっと驚きで頭が鈍っているらしい。

だが、それを馬鹿にするつもりはない。

むしろこれだけの驚きの事実に直面して、冷静に会話が出来ているだけでも立派だと思うし。

次に、禁足地に入るときの話をする。

とにかく状況がわからない。

レントを最前衛に、その後ろにクリフォードさん。後衛はセリさん。あたしとクラウディアが左右に展開して、フェデリーカを守る。

このフォーメーションで進む。

それについては、落ち着きを取り戻したフェデリーカが頷くが。荷車を任せると言うと、ちょっとすんとなった。

荷車の大きさからして、大丈夫だろうかと思ったのだろう。

問題ない。

今は、荷車は改良して、かなり動きは楽にしてある。少なくとも、行きは平気の筈である。

車軸には逆送を避ける為のストッパもつけてあるので。

簡単に坂を転がり落ちることもないだろう。

あたしも一年で、荷車は更に改良を進めてあるのだ。その中で、一番改良が進んでいる奴を、今回サルドニカに持ち込んでいるのである。

頷くと、フェデリーカは荷車を引くのを引き受けた。ただし、それは禁足地に入ってからだが。

工房長が、人前でそんなことをする訳にはいかない。

これについては、去年のパティの事を思い出してしまう。

「よし。 じゃあ、それぞれ行動開始!」

話がまとまった所で、行動開始とする。

フェデリーカ以外は皆もう歴戦だ。即座にぱっと動き出す。

若干もたついたが、フェデリーカもすぐに身繕いして、外に出る準備をした。

フェデリーカにも、既に装飾品は渡してある。だから、後は守りきり。経験を積むまで待つ。

それだけだった。

 

1、滅びの跡地

 

タオはボオスと一緒に、サルドニカの南の地に出向く。この辺りは、昨日とかに散々魔物を蹴散らして回った事もある。

殆ど魔物の姿はない。

ただし、草などもまばらだ。

クリフォードさんとも見解が一致したのだが。

やはり、この辺り。

元々五百年前に、更地になったのだ。

しかし、死体などの残骸はほぼ存在していない。これは恐らくだが。戦闘の後に、魔物が食い荒らしていったのだろう。

だが、彼方此方に、金属の残骸やらは散らばっている。

戦闘用の幽霊鎧や、或いはゴーレムのものだろう。

使えそうな道具は、恐らくだが。

サルドニカ建設の際に、例の錬金術師が持っていった。

そう判断して良さそうだった。

「ボオス、気を付けてね。 魔物が来る可能性は充分にあるから。 常に背後を警戒するようにしてね」

「任せておけ。 それで、門の位置は見当がついているんだろ」

「うん。 フィルフサの拡がったと思われる廃墟の状態から、だいたいは分かる」

「流石だな」

昨日のうちに、目星はつけておいたのだ。

ボオスが即応。

後ろから飛びかかってきた鼬を、二刀を振るって瞬く間に斬り伏せていた。数体の鼬が、周囲から出てくる。

もっと小型なら、動きもしなやかなのだが。

人間を襲うサイズになってくると、鼬は相応に動きが鈍くもなる。

これは要するに、本来はそこまで大型化する生物では無い、ということだ。

もっと大きな鼬になると、明らかに動きの補助に魔術を使っている。

魔術なしだと、鈍重にしか動けないと言う事で。

もとのしなやかさという強みを捨ててしまっている。

それでも魔術がそれだけ強力だと言うことだ。何しろ鼬は。世界中の何処にでも今や住んでいるのだから。

襲いかかってくる鼬の群れを、二人でしばし蹴散らす。

倒しきった後は、死体を処置。肉類は燃やしてしまい。最低限の皮だけは剥いで。持ち込んでいる小型の荷車に積み込んだ。

「もう僕と殆ど腕前変わらないね」

「バカ抜かせ。 それに、そんな風に満足したら人間の進歩は止まるからな」

「そうだったね」

「行くぞ」

剣を振るって血を落とすと。

そのまま、二人で進む。

この辺りは本当に真っ平らな土地になっている。本来は都市があったのだろうが。それも根こそぎだ。

地獄みたいな光景だっただろうな。

フィルフサとアーミーが相討ちになった後。

大量の魔物がやってきて、死体を喰い漁って行った。それで。この辺りの人間はいなくなった。

避難した人も、彼処は地獄だと言い伝えたのだろうか。

いや、避難できた人がいたかも疑わしい。

此処はクーケン島近辺と違って、初期消火に恐らく失敗したんだ。それで、アーミーの大軍が出ざるをえず。

或いは、それで何かしらの恐ろしい兵器を使って。

何もかも、消し飛ばしたのかも知れない。

今のライザだって、地力であれだけの破壊力を出せるのだ。

古代クリント王国時代だったら、神代から引き継いだ力で、もっと強烈な爆弾を作れてもおかしくはない。

それで全部まとめて消し飛ばして、それで終わりにしたのかも知れない。

いずれにしても、愚かしすぎる話だった。

何度か戦闘をこなしながら、真っ平らな土地を行く。

影の向きとコンパスを常に調べながら移動するのは、今いるのがどんな場所か分からなくなるからだ。

周囲は全て地平。そして地平は既に全て平らである。

それくらい、真っ平らにされている土地が拡がっていると言う事だ。

水はけも最悪で、彼方此方に水たまりが出来ていて。非常に不衛生な水が溜まっている。真っ平らな土地というのは、案外生物が住みづらい場所なのだと。こういうのを見ていて理解出来る。

「なあ、タオ」

「どうしたの」

「この土地を復興するには、どれくらいかかるんだろうな」

「サルドニカがもっと発展して。 自衛力を身に付けるまでまたないとダメだろうね。 何百年も先だよ。 最楽観でね」

タオも、散々色々な遺跡を見て来た。

だから、古代クリント王国の所業は許せないと自分でも感じている。

これも、その所業の果ての光景。

地獄の先にある、虚無だ。

ボオスは、そうかとだけ呟いた。

ボオスだって、オーリムの地獄絵図は見て知っている筈。

だから、余計に悲しいのかも知れなかった。

黙々と進んで、やがて想定される地点近くに辿りつく。恐らくはこの辺りにあるはずだが。

周囲を見回す。

跳躍して、何度か周囲を確認して。それで、見つけた。

不自然な場所があって、其処の瓦礫をどけてみると、あった。

ボオスと一緒に瓦礫をどかすと、階段が見つかる。

頷くと、二人で階段を降りる。

大丈夫。

もし門が生きていたら、こんなちゃちな瓦礫じゃ、フィルフサを防ぐ事なんてできっこない。

無言で階段を下りて、カンテラをつける。

階段はすぐに終わった。恐らくだが、アーミーの残党が、此処を処置したのだろうと言う事は分かった。

聖堂がある。

完璧だ。荒らされていない。

地下空間に閉じ込めていたから、劣化は起きなかったのだろう。調べて見るが、聖堂のシステムが固定されている。

一応、後でライザに更に補強して貰うとしても。

今、手を入れなくても大丈夫だろう。

「よし、これは問題ないと思う」

「分かった。 引き上げだな」

「うん。 土産は毛皮だけだね」

「いや、門が問題なことが最大の土産だ。 それに、俺たちの無事もな」

頷く。

ボオスも、良いことを言う。

そのまま、帰路につく。

あの門の先に行って、フィルフサを始末してしまいたいけれど。それにはちょっと準備が足りない。

最悪の事態に備えて、周囲を水で覆うくらいの事はしないといけないが。この場所では、それも厳しいだろう。

門から出たときに、一瞬だけ誰かの気配がしたが。すぐに消えた。

ボオスは、気付かなかったようだった。

「ボオス、僕はちょっとサルドニカのバレンツ商会に寄って戻るよ」

「じゃあ、俺は先にアトリエに戻って寝ている」

「分かった。 ここ最近、大変だったもんね」

「ああ、そうだな。 バカみたいに愛想笑いして、頭も下げて。 父さんもクーケン島では偉そうにしているが、外に出るとこうなんだろうなと、何度も思ったぜ」

そうか。

ボオスも苦悩しているんだな。

そう思って、タオはサルドニカに向かう。

とりあえず。

直近で、最大の危機は避けることが出来たと思う。それだけで、まずは充分とみるべきだった。

 

荷車をボオスに任せて、サルドニカに。

サルドニカではもう顔馴染みになっていて、職人の知り合いも出来た。

ライザ達は、今頃禁足地で大暴れしているはずだ。まあ、ライザ達でどうにも出来ない相手が出て来たら、タオやボオスがいてもどうにもならないだろう。

心配せず、まずはバレンツ商会に出向く。

手紙について確認。

そうすると、思わずおっと声が上がっていた。

アンペルさんとリラさんだ。

手紙を確認するが、内容についてはちょっと芳しくない。

「現在、門の調査中。 閉鎖的な村落で、かなり調査が難航している。 最悪の場合投獄されるかも知れない」

「相変わらず無茶してるなあ……」

クーケン島でも、アンペルさんはつるし上げにあって、酷い目にあっていたが。

それ以上に恐らくは閉鎖的な場所でも。使命感に従って、門を閉じに行くのだろう。

それは酷い目にあう。

だけれども、世界が滅ぶのに比べたらマシ、と言う訳か。

分からないでもない話ではあったが。

「竜の紋章についてはなんとも言えないが、もしもそれが神代の遺跡から出て来たとすると、「門」について初歩まで立ち返った方が良いかも知れない。 エンシェントドラゴンの存在を考える限り、どうにも無関係とは思えない」

「……確かに」

思わず呟く。

ライザがエンシェントドラゴンの残留思念とアクセスしたのは去年のことだ。

その時に聞かされたそうである。

エンシェントドラゴンが、門を開いたのだと。

もしも人為的に門を開くことが出来るとしても。

それは恐らくだが。人間が最初からテクノロジーを作ったのではなく。何かしらの自然現象を真似したもの。

或いは、生物として隔絶しているエンシェントドラゴンの性質を調査して、それを再現したもの。

その可能性があるのだ。

バレンツで、手紙を返しておく。

現在サルドニカで調査をしていること。サルドニカで同じ紋章を見つけたことなど。後はフェンリルの話も書いておくが。これは蛇足だ。

サルドニカ近辺で、封じられた門を見つけたこと。ライザと一緒に、完璧に処置をしておくことも告げる。

ライザの事だ。豪快に水を引き込んで、王種をつぶしにいくと言うかも知れないが。

この戦力だとちょっと無謀かも知れない。

出来ればリラさんとアンペルさんも来て欲しい。

まあ、それについては今の時点では仕方がないと考えるしかないだろう。

ともかく、タオは自分に出来る事をするだけだ。

工房長の館に出向く。

此処にいるアンナさんという例のメイドの一族の人には、既に話を通してある。話をして、奧に。

門外不出の書物を、軽く見せてもらった。

なる程、ここに来た錬金術師の名前についてもある。

エミルという名前だったのか。

ひょっとすると、アンペルさんが知っているかもしれない。名前については、覚えておく。

都市の成立の過程などを、調べてメモを取っておく。

やはり東方から流れてきた腕利きの戦士達も、その中にいたそうだ。当世具足や大太刀の技術も、東方から伝わったらしい。

これによると、もっと強力な鎧と、更に小ぶりな刀を当時は主力にしていたらしい東方の戦士達だが。

魔物との戦闘が主体になって、防具の軽量化と、装備の巨大化を図るようになったそうである。

その結果が当世具足と、大太刀ということだ。

大太刀はその後、鍛冶ギルドなどがある程度再現に成功。

王都などにも輸出されたそうである。

なるほど、それがパティの家に伝わっていたものなのだろうなと、タオは納得していた。

ただ、百年前の時点ですら、東方の地の戦況は良くなかったらしい。

今はどうなっているのかは、ちょっと心配だった。

無言で資料を見ていると、いつのまにか懐に入れている砂時計入りのペンダントがカタンと音を立てていた。

これは時間を忘れてしまうタオの為に、パティがライザに作るのを依頼したものである。

カタンと音がかなり大きくなるので、タオも集中していても気付く。

どうやら、相当な長時間本とにらめっこしていたらしい。

書庫から一度出る。

ライザもそろそろ戻っている頃だろう。

アンナさんに礼を言って、工房長の館を出る。黙々とサルドニカを出て、アトリエに急ぐ。

アトリエには既に灯りがついていて。ライザ達が戻って来ているのが分かった。

まあ初回は威力偵察だ。

それほど深入りはしないだろう。

アトリエに入ると、既に夕ご飯を準備し始めていた。今日料理しているのはフェデリーカである。

結構本格的な鍋料理を作っているようだ。

大丈夫、怪我人はいない。

「お帰りタオ」

「ただいま。 ライザ、これ。 アンペルさんから」

「!」

すぐにライザが手紙を受け取り、中身を確認し始める。

剣を手入れしていたレントが、視線を向けずに聞く。

「手紙が来たって事は、アンペルさんは無事みたいだな。 リラさんも多分その様子だと大丈夫だろ」

「いや、そうともいえない。 かなり危ない橋を渡っているみたいでね」

「またか」

「まただよ」

ちょっと呆れる。

アンペルさんは、100年前のロテスヴァッサの王宮でも殺されかけたし。

リラさんと最初に出会った時も、殺される寸前まで行ったと聞いている。

とにかく、武闘派とも言えないのに生傷が絶えない人なのだ。

聞いていて、いつも心配になってくる。

ともかく、タオはタオで、メモ帳を整理しておく。今日は色々とあったし、報告することもあるからだ。

まずは夕食。

フェデリーカが作った鍋をつついて。それでおなかいっぱいになってから。

ライザが手を叩いて、それでミーティングを始める。

まずはタオからだ。

門を発見したこと。

完璧に閉じられていたことを告げる。ただし、偽装そのものはお粗末そのものであったことも。

次はアンペルさんの手紙について。

それについては、ライザから皆に説明。

ただ。ライザは腕組みして考え込んでいた。

「門については別にかまわないんだけれどね。 問題は基礎に立ち返れって言われても、ちょっとなあ」

「前にライザが作った鍵、あれに問題があるとか?」

「……何とも言えない。 ちょっと色々と考えて見るよ」

次だ。

ライザ達が足を運んだ禁足地について。

それについては、レントが説明してくれた。

「街の人間達が怖れるのも当然だ。 かなりやばいぜ」

「そんなに」

「ええ。 魔物の強さが二段階は違うわ」

セリさんがそう説明してくれる。

そうなると、フィルフサに近い強さのもいてもおかしくはないか。

いや、待てよ。

「タオ、鋭いわね。 恐らくは主がいる」

「最悪だねそれ……」

「フェンリルに迫るかも知れない。 準備はしっかりしておいた方が良いでしょうね」

他にも、良くない情報があると言う。

川が流れているのだが、水の成分がおかしいという。飲んだら確実に腹を下すそうだ。

例の、特殊な酸が希釈されて流れ込んでいるのかも知れない。

だとすると、確かに水なんか飲めたものではないか。

なお川に住んでいる魚も、見た事がないようなものばかりだったとか。

確かにそういう異質な水に住んでいるのなら。

それも不思議ではないだろう。

ボオスが、まとめを求めてライザに促す。此処でリーダーシップを取っているのは常にライザである。

最近はアンペルさんやリラさんも、自然にリーダーシップを促している。門の封印作戦の時も、そうだった。

「よし、それで明日はどうするライザ」

「午前中は門を確認。 聖堂がしっかり守られていても、それでも周囲を水で囲む必要があるだろうね。 最悪向こう側に乗り込むにしても、常に最大限の準備はしておかないと」

「その通りだろうな」

タオもそれには同意できる。

やはりライザも、同じように考えたか。

だがそうなると、あの真っ平らな土地が障害になってくる。水を引き込むにしても、水路をかなりの長距離掘らないといけなくなるだろう。

サルドニカと連携して事業を行うのは。

いや、厳しい。

そもそもまだまだ魔物がいるのだ。人夫を守る戦士達も必要になる。あの真っ平らな土地に、フィルフサを防げるほどの川やら湖やらを作るのは、簡単じゃない。

ライザの爆弾をフル活用するにしても、一日や二日で出来るかどうか。

ただ、門を封じるとなったら、早い方が良いだろう。

時間が掛かっても、それでもやるべきだが。

「門を確認し次第、次の行動を決める。 門が問題無さそうだったら、禁足地の調査に全力投球」

「了解」

「分かりました。 また明日も大変そうですね……」

「いや、これからだよ本当に大変なのは」

フェデリーカにライザがそう言って脅かす。

まあ事実その通りなのだけれども。

ライザはフェデリーカを急いで育てたいらしい。フェデリーカはついていくのでやっとだ。

この辺り、なんだかまだ背が低くて、ついていくのがやっとだった頃をタオは思い出してしまう。

ライザはとにかく体力の権化で。どれだけ走り回ってもけろっとしていた。どちらかというと箱入りのフェデリーカには、怪物にしか見えないだろう。

それともう一つ。

王都での出来事。

更には、それから二回の門封印戦。

これを経ても、ライザは柔軟性を失っていない。

ライザ自身は歴戦の者らしい風格を身に付けてきているが。それはそれとして、柔軟に思考して、行動できる。

フットワークも軽い。

これでこそライザだ。

もしもクーケン島でそうそうに誰かと結婚でもさせられていたら、こんな風には動けなかっただろう。

それどころか、世界の危機は幾つも防げなかった。

或いはだけれども。

田舎に生まれたばっかりに、そういう形で才能を潰されてしまった天才もいたのかも知れない。

そう思うと、タオはやりきれない話だなと思った。

ミーティングが終わったので、風呂に入って、後はゆっくりと休む。

タオも、自分が頭を酷使しすぎている事は理解している。

休むときには休む。

最近はただでさえパティにがみがみ言われるのだ。

それもあって、休む癖はつけるようになっていた。

眠ると、夢を見る。

学者として出かけていくタオ。近くの遺跡に、戦士達をつれて出向く。パティは既に子供がいて。

そうか、それだけで夢の話だと分かる。

王都の政務の事もあるから、護衛には来てくれない。

例のメイドの一族の戦士もいるから、まあ大丈夫だろう。

遺跡で調査を進めながら、魔物を片付ける。

魔物が我が物顔に荒らしているのを見ると、少し苛立ちもするが。それよりも、調査が優先だ。

本などを回収しながら、調査を進めていくと。

門を見つける。

これは、まずいな。

門の状態がよろしくない。

すぐにライザ達に手配を。そう告げると、フィルフサが、至近にまで迫っていた。

剣を振るって、鋭い一撃を受け止める。これは、下手をすると大侵攻か。伝令を。叫びながら、戦闘を続行。

次々に現れるフィルフサ。門の奥から、際限なく出現してくる。

だが、此処で食い止めないと。

少なくとも、ライザが来るまで持ち堪えないと。

しかし、タオだけでは。

悲鳴を上げる戦士達。

次々に倒されていく。

だが、タオは踏みとどまって。それで。

至近で、鎌が降り下ろされて。意識が飛ぶのが分かった。

目が覚める。

冷や汗を拭う。夢の内容はあまり覚えていないが、出来れば実現して欲しく無い夢だったように思う。

大きく嘆息をする。

もうライザは起きだしているようで。レントも、今起きたようだった。

「悪夢でも見たのか」

「ちょっとね……」

「とりあえず門の確認からか。 大丈夫。 最悪の場合でも、リラさんとアンペルさんがいなくても今のライザが一緒だ。 どうにかなるさ」

「そうだね。 昔っから頼もしかったけれど。 最近はパティが言う通り、隔世の豪傑というのが相応しいや」

ライザの頼もしさは、はっきりいって尋常では無い。レントが言う通りだ。レントも戦士として正面からライザとやりあってもかなり勝敗は怪しいと自分で言っていた。ましてや錬金術ありだったら、絶対に勝てないとも。

伸びをして眠気を飛ばすと、今日の作業に向けて準備をする。

まずは門をどうにかしないといけない。何しろ、世界が滅ぶかも知れないのだから。それは、四年前に門を発見してから。ずっと同じである。

 

2、禁足地の奧へ

 

タオとボオスが見つけて来た門を確認。

クリフォードさんは門を既に知っていて、仕組みも理解している。故に、てきぱきと調査を皆で進めた。

結論は、問題なし。

門の劣化は起きていない。

聖堂も問題がない。

というか、よほど頑強に固めたと見えるが。

これはどういうことだろう。

まず不可解なのが。

周囲の状況だ。

これだけフィルフサが暴れ回ったのだ。仮にアーミーの総力を挙げて押し返したとして、どうやってその後門を閉じたのか。

門を閉じるにしても、それを出来る人間は残っていたのか。

考え込むあたしに、タオが仮説を述べてくる。

「フィルフサの王種を仕留めたのかもしれない」

「……神代の技術を考えると、出来る可能性はあるわね」

セリさんがちょっと忌々しげに言う。

頷いたタオが続けた。

「それで、フィルフサが離散した隙に、門をどうにかしたのかも知れない。 多分その可能性が一番高いと思う」

「いずれにしても、この門の先は後で確認しないとね」

「それはそう思う」

「ライザさん……」

不安そうにするフェデリーカ。

それはそうだろう。

自分が分からないものごとばかりなのだ。フェデリーカもいい加減頭がパンクしかねない。

「その、三百万人もいた都市を潰した化け物みたいな魔物がこの向こうにいるんですよね。 この……よく分からない渦みたいなものの向こうに?」

「そう。 その可能性がある。 だから、いずれは対処しないといけない。 これは聖堂という一種の封印なんだけれども、これが壊れたらまた出てくるからね。 その時に備えないとまずいわけ」

「確かに、ライザさんほどの豪傑がいる時じゃないと……厳しそうですね」

フェデリーカの目が死んでる。

これは、巻き込まれたら死ぬ。

でも、サルドニカの首長である以上、立ち会わないといけない。

詰んだ。

そう考えているのかも知れなかった。

いずれにしても、此処は今の時点では用はない。そもそも、此処に賊の類が住み着く事もないだろう。

水も食糧も周囲にないのだ。

タオが指摘したが、この辺りに湖を作るのが、順番としては先になる。何しろこの真っ平らな土地だ。

それが最大の難事になるだろう。

その後門を開いて、その向こうにいるフィルフサを王種もろとも潰す。ただ、王種が500年前の戦闘で仕留められているとすると。

この先は案外、平和な土地が拡がっている可能性も否定は出来ない。

ただ、そうだとしても、新しくフィルフサが進出してくる可能性はある。一定期間ごとに、調査は入れないといけないだろう。

一度アトリエに戻る。昼少し前だ。

昼食を皆で取る。

食欲がないらしいフェデリーカに、クラウディアがスープを勧めていた。味が薄めの、飲みやすいものだ。

いずれにしても、食べておかないと動けなくなる。

そう告げて。

泣きそうになりながらも、フェデリーカはスープを口にしていた。

なんだか嗜虐心がそそられるなこの子。

クラウディアがにこにこをずっと途絶えさせないのって、もしかして。

いや、それについては勘ぐりだ。

ともかく、次である。

タオにはサルドニカでの調査を続けて貰う。まだ何か、分かる事があるかも知れないからだ。

これからは、ボオスも禁足地の調査に加わって貰う。

昨日の時点で、威力偵察はした。

今日からが。

調査の本番だ。

 

鉱山に作られている、何重もの扉を開けて、奧に。矢倉があって、常に戦士が詰めているけれども。

それでも、この辺りから魔物が鉱山に散々侵入してくる。

露天掘りの鉱山でなかったら、更に被害が増えているはずだ。

だから、一度根を切る。

勿論別の魔物がいずれ来て、根付くだろうが。

それでも時間稼ぎにはなる。

禁足地に入ると、空気が変わる。

エサがきた。

魔物がそう認識して、動きを変えたのが分かる。常時、警戒態勢を取る。

どこから来てもおかしくない。

前後左右だけじゃない。

上下も警戒しなければならない。

全方位を警戒しろ。

そうリラさんに言われた事を思い出す。

「まだまだいるねえ……」

「来るぞ!」

山に入って視界が悪い。辺りには、普通見かけない植物がわんさか生えていて。それらから飛び出すようにして、かなり大きい魔物が次々と迫りくる。鼬や走鳥、それにラプトルという常連だけじゃない。

巨大な蛇が、蛇行しながら全力で向かってくる。

人間、殺す。

そう言っているかのような、凄まじい殺意だ。

セリさんが詠唱を終えて、魔術を展開。地面を突き破って出現した食虫植物が、飛びかかってきた鼬を腹側から喰い破り、上空に跳ね上げる。足下にも、大量の蔦が出現して、魔物の動きを阻害する。

レントとクリフォードさんが、片っ端から接近する敵を薙ぎ払い。二人が取りこぼしたのを、ボオスが斬り伏せる。

上空。

大型の猛禽が、急降下攻撃を仕掛けてくる。人間なんて、簡単に引っ張り挙げて持ち上げる程のサイズだが。

迎撃するクラウディアの矢が、容赦なくその全身を貫く。猛禽はくるくるとまわりながら地面に激突。直後には、他の魔物に踏み砕かれていた。

あたしは詠唱しつつ、接近しようとする魔物に熱槍を叩き込んで、始末。足下からも来る。

でっかい百足が地面を突き破ってこんにちわ、してくるが。

出会い頭にあたしが熱槍を叩き込んで、それでおしまい。百足は地面に逃げ込みながら焼け死んでいった。

フェデリーカは必死に舞っているが、とても皆への強化が追いつく状態じゃない。

魔物が次々仕掛けて来る。

ただ、これだけのサイズの魔物だ。

無限に来る訳じゃない。

そう言い聞かせながら、駆除を続行。

上空の敵、掃討完了。クラウディアが水平射撃に移る。頭から尻まで貫かれた鼬が、ばつんという音と共に爆ぜ割れる。

レントが、襲いかかってきた巨大蛇を、頭から喉まで、気合一閃斬り下げていた。

一刻ほど戦闘して、辺りが血の海になった辺りで、一度魔物の攻撃が止まる。周囲の空気はまだぴりついたままだ。

すぐに荷車の物資を確認。

負傷者の手当てをする。

じっと山の方を見ているクリフォードさん。

「クリフォードさん?」

「捕らえたぜ。 いる。 多分あれがこの山の主だな」

「流石だな。 いつもの勘の冴え、驚かされるぜ」

「ありがとうよ。 実力は多分あのフェンリル程じゃない。 ただ手強いのは間違いないぜ」

そうか。いずれにしてもターゲットの位置が分かったのは何よりである。

かなりの数の魔物を倒したはずだが、まだ奧に行くには早いな。そう判断したあたしは、魔物の死骸の回収と。

今日の撤退を皆に指示していた。

 

翌日。

再び仕掛ける。

昨日ほどの数では無いが、やはり魔物が次から次に出てくる。この先の山は、かなり緑が深いのだが。

全ての植物が異様な形状をしていて。

森が深い以上に、何だか闇が深い。

前に帰らずの森とも言える遺跡に出向いた事がある。

彼処は単純に対人トラップが仕込まれていた森で、故に誰もいないという奇怪な場所だったのだが。

此処はそれとは違う。

悪意を持って、大量の魔物がエサを待ち受けているという感じだ。

また一刻ほど戦闘して、襲い来た魔物をあらかた片付け。小休止をとる。今日は午前中から来ているから、昼食は此処で取ってしまうつもりだ。

血の臭いが凄まじい。

辺りには、魔物の血が川になるほど流れているが。そんなのは、いつものことだ。肉を食べられそうな魔物は解体する。

手際よく吊して皮を剥いでいると、フェデリーカが限界という顔をして物陰に。

「魔物に囓られないように気を付けてね!」

「は、はいっ!」

盛大に吐き戻している様子のフェデリーカ。

朝ご飯がもったいないなと思ったけれども、まあ仕方がない。必要分の投資だと考えるしかない。

魔物を処理した後、あたしが跳躍して、辺りの地形を見ておく。

なるほどね。

なんだかうねうねとくねった道だ。

こういう道、見覚えがある。

「あの、王都近くの遺跡に似た地形があったね」

「そういえばそうだな。 あれって多分、フィルフサを防ぐための精一杯の工夫だったんだろうな」

「うん。 まあフィルフサがもし出て来ていたら、あんな壁なんか全て物理的に排除されていただろうけれど」

「此処はそういえば、人の手が入っているのか?」

レントが見回す。

しばらく周囲の植物の声を聞くのに専念していたらしいセリさんが、レントに答える。

「この辺りは、一度人の手が入っているわね。 恐らくは800から900年ほど前だと思うわ」

「そうなると神代に近い時期だな」

「ええ……」

クリフォードさんも話に乗る。

そういえばこの辺り。地形だけではなく、植生もいる生物も色々とおかしいか。人間を狙ってくる魔物以外の、ちいさな生物があまり見当たらない。

なんというか、この辺り。

フェンリルがいた地点と、似ている気がするのだ。

だとすると、神代の人間が噛んでいた場合。

何かを隠していたのか。

「も、戻りました……」

「フェデリーカ、大丈夫? 無理なようだったら、少し休もうか」

「いえ、吐いたらすっきりしました」

「それよりも、本当にこの奧にあんたの親父さんは行っていたのか?」

ボオスがぼやく。

フェデリーカは、少し考え込んでから、頷いていた。

「此処に足を運んでいるという話だけ過去に聞いています。 何しろ私はまだ幼かったので、この先には行かせて貰えなくて」

「余程の腕利きが一緒だったのか、あんたの親父さんが相当に強かったのか」

「いえ、父に武勇の逸話は……」

「だとすると、どうやって。 此処がこんな有様だったのは、今に限った話ではないだろうに」

ボオスの疑念ももっともだ。

フェデリーカは困ったようにすんと鼻を鳴らして、分かりませんという。

やっぱりこれ、癖らしい。

別にまあ、どうでもいい。人の癖は人の数だけあるのだから。

レントが、肉の塊を荷車に乗せる。かなり巨大な猪を切り分けた結果だ。なお、しっかり火を通してある。

豚や猪の肉を生で食べるのは自殺行為である。

「だいたい片付いたな。 一度アトリエに戻って荷物を降ろすか」

「そうだね。 フェデリーカも、此処で昼ご飯は無理だろうし」

「……」

無言で頷くフェデリーカ。

別に良い。じきに逞しくなってくれればそれでかまわない。ただでさえパティみたいに野営の経験があるわけでもなさそうなのだし。

一度アトリエに戻る。

これは攻城戦だ。

この先は一本道であり、敵は容易に迎撃を行う事が出来る。魔物が揃って襲ってくるのも、前に経験があるし、今更驚く事もない。

とにかく、数を削る。

この先にいる魔物がどれだけ強いかは分からないが、サルドニカのためにも削り取っておくのは必須だろう。

どう考えても、現状では戦士が足りないからだ。

休憩を入れて、それからまた攻め上がる。

フェデリーカは残るか確認したが、ついてくると言う。それでいい。最初は誰でも足手まといだ。

フェデリーカの支援魔術はかなり強力である。実際戦っていて、かなり力に強化が掛かるのが分かる。

これで戦場の血の臭いさえ克服できれば、それで充分に戦力になる。此方としても守れば戦力が倍増するのだから、非常にありがたい戦略級の戦力だ。

再び、魔物を蹴散らしながら進み上がる。

坂は緩やかだったが、敵の防衛線を押し込む度にどんどん急になっていく。

それどころか、何度かU字路を通る事になる。

勿論それらの場所では、魔物が待ち伏せていた。激しい戦いを続けて、一進一退。

荷車に積んで来た薬が尽きる。

爆弾も。

仕方がないので、撤退。

勿論完全に空になるまでは戦わない。何度かの苛烈な戦闘で、次には尽きると判断したら撤退を開始。

戦闘に慣れているから、それくらいは普通にやる。

あたしだって、戦闘経験を積んで来ていないのだ。

アトリエに戻ると。

途中で回収してきた素材をコンテナに詰め込み。肉などは街に持っていって売り払ってしまう。

流石に人が入らない場所での戦闘だ。

魔物の腹に、人間の部品や遺品が入っている事も減ってきていた。

大型の魔物は、採れる肉も多い。

それが美味しいかは別として。

そして、普通に食べて美味しくなくても。あく抜きをしたり干物にしたりすると、普通に美味しくなったりもする。

こういうのは肉を売ると、それで分かったりすることもある。

故に、どれだけまずい肉でも、一応は売りに出す。

それでお金に換える。

クラウディアにこの辺りの商売は任せる。最悪の場合、バレンツに買い取って貰う。

同時に、移動時に回収した鉱石や薬草を使って、あたしはどんどん調合をしていく。

慣れたものだが。

新しい素材を入れて調合すると、新しい発見がその都度ある。

まだまだ腕は上がる。

それを実感しながら、調合を進めていく。

そうやって、数日かけて前線を少しずつ進め。やがて、何度もU字カーブする坂道を抜けていた。

そうすると。

其処には、不思議な色の高原が拡がっていた。

今までも、高原は足を運んだ経験がある。

オーリムでも此方の世界でも。

この高原は、そこまで高度は高くなく、空気もそれほど薄くは無いが。

それにしても、この色はなんだ。

木々もそれほど高くは無い。

また、此処がどうもこの山の最高地点らしく。下の方には、川が流れているのが見える。池のようになっている場所もあり、それほど深度はないようだが。

溜まっている水の色も青緑に近い。

其処には多数の結晶体が存在していて、それは青紫だ。

不可思議な色合いで、色々と目が痛くなってくる。

セリさんが、地面をさわさわしていた。

魔術を使っていると言う事は、植物を使って調査しているのか。それとも、植物操作魔術の応用で、土を調べているのか。

あたしはひょいと跳躍して、地形を確認する。

クリフォードさんは、熱心に地図を起こしていたので。それに色々と話をして。地図を更に完成させる。

何度目かの着地で、クリフォードさんが言う。

「奧の山が水源だな。 この辺り全域であの変な水が流れているようだが……」

「そういえば、この山の途中にも小川があったよな。 水はなんだか飲んじゃいけない雰囲気だったけどよ」

「うん。 麓までちろちろ行ってたよね」

「多分ですけれど、私の父はその水を使っていたのだと思います。 奥まで行く程の戦闘技量は勿論、護衛に戦士を連れて行くのも難しかったと思いますから……」

ただ、その麓まで来ている水はごく少量だった。

薄さという意味で、である。

多分だが、フェデリーカのお父さんは、その水を煮詰めたりして、濃度を上げていたのだと思う。

硝子も魔石も溶かす酸とやらの、である。

あたしも少し採集はしていたのだが。

調査するには、大量の水を回収しなければいけないと思っていたし。不純物も多すぎる。もっと濃度が高い水の現物が必要になるだろう。

「それでどうする。 あの池の辺り、多分溜まっているのは有毒ガスだぞ」

クリフォードさんが警告してくる。

確かに手をかざして見ていると、異様な形状の魔物が多い。有毒ガスに酸の水。適応しているのは、独自の生態を持っている魔物だろう。

あたしは頷く。

「分かった、その水の源流を探すまで、池の方は危険だから近寄らないようにしよう」

「了。 それでどうするね。 あの辺りから、恐らく水源に行けると思うが」

「随分と遠いね……」

クラウディアが手をかざす。

幸い、この山を魔物は相当に気合いを入れて死守していたようで。魔物が麓にわんさか、という訳では無い。

かなり数も減ってきている。

何より、坂を駆け上がってあたしたちとやり合うのは愚だと判断したのだろう。小型の魔物は、散って此方を見上げている状態だ。

そして此処から降りる道は、それほど坂も複雑じゃあない。

逆にそれが故に、この坂を下りて撤退するときは、相当に余裕を持たないと危ないだろう。

魔物の追撃を受けた場合、振り切る事が困難だ。

「クラウディア、今のお薬と爆弾の在庫は」

「七割ちょっとだね」

「分かった。 じゃあもう少し進もう。 幸い、門の状態は悪くなかったし、今の時点で攻撃を仕掛けなくても大丈夫だと思う。 こっちの調査に注力して、少しでも状態の改善を図ろう」

あたしが方針を決めると、皆がそれに沿って即座に動く。

移動しながら、セリさんが言う。

「分かって来た事がある」

「うん、聞かせて」

「水の性質、多分酸じゃない」

「!」

そうか。

確かタオが言っていた。

今の時代は、何だか溶かす液体を、みんな酸と呼んでいるが。実際にはそうじゃないものもあるという。

例えば動物の胃袋や口の中にある液体は、酸じゃなくてもものを溶かす。

それどころか、今「酸」と呼ばれているものどうしを混ぜ合わせると、酸ではなくなる場合もあるという。

古い言葉でアルカリと呼んでいる、ものを溶かす成分もあるらしいが。

残念ながら、現在ではアルカリを酸と区別できないそうだ。それに必要な技術が失われてしまっているらしい。

他にも、あたしも要素の最小を何度か見てきているが。

その過程で出た結論は、世の中の最小要素は、複雑極まりない、である。

しかもあたしが見ている範囲ですらそれだ。

更に小さい世界になってくると、もっと複雑になってくるのは疑いないところである。

フェデリーカは話についていけていないようで、困り果てているが。

いずれそれも分かれば良い。

坂を下る。途中で鼬がまばらに仕掛けて来るが、大した数でも質でもない。蹴散らして先に。

途中、足を止める。

「クリフォードさん」

「おう。 ちょっと皆、止まってくれ。 調べる」

「任せろ」

レントが大剣を振るって、躍りかかってきた鼬を拝み討ちに叩き潰す。あたしも、飛びかかってきた鼬を蹴り砕きながら、調査の時間を稼ぐ。ボオスが剣を振るって、次々に鼬を斬る。

基礎がしっかりしていたからだろう。

ボオスの剣術は、かなり安定してきている。鼬に剣をとめられても、即座にサブウェポンの短剣を振るって変幻自在に攻める。大物になるとそれでもとめられない場合もあるが、それはあたし達が支援すれば良い。

数体の鼬を仕留めた後、フェデリーカと一緒に死体を捌く。吊して内臓を出していると、クリフォードさんが。

道路に見えていた場所について、解析を終えたらしい。

「これはロマンだ。 分かったぜ」

「お願いします」

「これは道だった名残だな。 ここだけだと何ともいえないが、これは900年前くらいの道の跡だ。 つまり此処は、遺跡の一部の可能性が高い」

「ただのささくれた地面に見えるのに、そんな事も分かるんですね」

フェデリーカが青ざめながらも、そういう。

鼬の死骸を吊して血抜きをして、内臓をてきぱきとより分けていると。やはり視線は逸らしたくなるらしい。

皮を剥ぐコツを教えて、一気にずるりと皮を剥ぎ取る。

そして、皮をなめす。

皮の裏側についている血や肉、脂肪なんかを丁寧に処理しないと、皮が傷むのが早くなるのだ。

この皮のなめし方は、魔物によって違う。

だいたい試行錯誤をしながらなめすのだが。鼬はクーケン島近くにもたくさんいたから、もう慣れたものだ。

ちなみにやり方は、アガーテ姉さんに教わった。

「こ、こうですよね……」

「いいよフェデリーカ。 これだったら、もう少し怖がらなくなってきたら一人でやれそうだね」

「はい……」

泣きそうになっていて可愛いなもう。

パティは真面目で向上心が高くて、どんどん教えて腕を上げて貰いたくなったのだが。

フェデリーカは違う方向で可愛い。

こう、思わず舌なめずりしたくなるような。

変な門が開きそうと言うか。

まあ、それはそれだ。

やり過ぎるとダメになるから、少しずつ慣れて貰う。あたしも自分の嗜好で、相手を潰すつもりは無い。

魔物の処理を終えると、道路らしい残骸の位置も調べながら、坂を下りる。

やがて平野に出ると。池の方を避けながら、もう少し道を進んでいく。

この辺りに来ると、エレメンタルも多いな。

精霊王と違って話が通じる相手ではない。遭遇したら殺るか殺られるかだが。それでも、仕方がない。

片付けながら、奧へ。

また上り坂になりはじめた頃には。

クリフォードさんが探知していた、恐らく主と思われる魔物の気配が、近付いて来ていた。

 

3、ロードトレント

 

タオにも、今日の探索には加わって貰う。

理由は簡単。

恐らく、接敵するのは今日か明日だからだ。

既に、相手の縄張りに踏み込んだ。その確信がある。あたしは周囲に、最大限の警戒をするようにいい。

皆も、それに従っていた。

クラウディアが音魔術を全開に、周囲を警戒してくれている。

クリフォードさんも、一言も喋らない。

丘の上に出ると、辺りにはあまりよろしくない空気が漂っている。これは毒性があるわけではないのだが。

出来るだけこの辺りにはいない方が良い。

そう、勘が告げてくる。

少なくとも、安全地帯ではないなこれは。

そう思いながら、周囲を警戒。フェデリーカにも、どこから魔物が。それもフェンリルなみのが出るか分からない。

そう告げてある。

丁寧に警戒しながら、進む。

また開けた場所に出た。奥の方に、霧が掛かっている場所がある。

多分彼処が水源だろう。

そして、見えてきた。

大きな塊。

いや、違う。

塊のように見えるが、あれは。

クリフォードさんが、叫んでいた。

「大物だ! 全員警戒しろ!」

塊が、動き出す。

それはいざ動き出すと、ばらりと全身がほどけるようにして、姿を見せていた。

多数の蔓と花で構成されたそれは、巨大な花束に見ようによっては見えるが。

その中心部に巨大な頭があり。その頭は、何かトカゲか。いや、ワイバーンやドラゴンに似ている。

ずるりと、多数の触手を動かし。

それが此方に来る。

明らかに敵として認識している。

詠唱開始。

全力でぶっ潰す。

「フェデリーカ!」

「は、はいっ!」

フェデリーカが舞い始める。それでいい。クリフォードさんが、ブーメランに手を掛けたまま、呟く。

あれはトレントか、それの亜種だと。

トレントについては知っている。

森の王と言われる、植物系魔物の長だ。

滅多に姿を見せる存在ではなく、何よりそこまで人間に対して敵対的ではないと聞いているのだが。

彼奴は敵意を剥き出しで。

何より、形状がおかしい。

トレントにしては動物的要素が強すぎると言うべきか。此方に這いずり来る様子も、エサを食おうとしている動物の動きそのままだ。

小さめの動物が、一斉に逃げ出す。

頷くと、クラウディアが、一斉に矢を放つ。それらが、敵に突き刺さる。だが、手応えが浅い。

とんでもない質量で、それで刺さっても大したダメージになっていないのだ。

矢が突き刺さると同時に、トレントらしい魔物が、口を開けて。とんでもない雄叫びを上げた。

文字通り、周囲を蹂躙し尽くすその雄叫びは。

昔だったら、一瞬で腰が抜けていたかも知れない。それくらい、危険な相手だと一発で分かるものだった。

踏み込みつつ、熱槍を投擲。

叩き込んだ熱槍はまずは小手調べだが。トレントらしいのは、触手を振るって、それを地面に叩き付ける。

レントが、驚きの声を上げた。

「何ッ!?」

「大丈夫、小手調べ! 今の、蔓に強い魔力が篭もってた! それで、魔術そのものを弾き返したんだ!」

「厄介ね。 少し時間を稼いで」

「分かってる!」

クラウディアが、魔力を全開に放出。

同時に、数十の人型が出現。クラウディア自身も、本気モードだ。バリスタみたいな矢を、速射し始める。

大量の矢の飽和攻撃を浴びつつも、トレントは此方に進んでくる。

そして、間合いに入ったと判断したのだろう。

ぐんと、空気が唸った。

レントが前に出て。大剣で必死にそれをガードする。振るわれたのは、ドラゴンの尻尾もかくや。それくらい巨大な蔓だった。弾き返したのはレントの絶技によるものだが、地面に罅が入る。

うおん。

そんな音を立てて、蔓がしなる。

それも一本じゃない。

クリフォードさんが叫ぶ。

「気を付けろ、想像以上に間合いが広い!」

「少し下がって!」

あたしが爆弾を投擲。

ローゼフラムを叩き込む。炸裂する灼熱が蔓を弾き返すが。次々に蔓が飛んでくる。

分かりやすい相手だ。

植物で出来た体とは言え、強い魔力を持っているから、簡単に炎上したりはしない。そして全身のタフネスと攻撃範囲で、相手を力で押し潰す。

文字通りのストロングスタイルと言う奴か。

こう言う相手が、得てして一番面倒だったりするのだが。とにかく、やるしかないだろう。

続けて、雷撃、冷気、風。爆弾を投擲して、相手に牽制しつつ、ダメージを与えていく。

とにかく、振るわれる蔓をどうにかしないとダメだ。

叫んで、蔓を破壊するように指示。

レントが必死に最前衛で受けている間に。タオとボオスが前に出て、隙を狙うが。やはり厳しい。

蔓は鈍重に動いているように見えて、先端部分の速度は見かけよりずっと早い。

鞭と同じだ。

鞭も先端部分の速度は、音を超えるとか聞いている。

セリさんが、詠唱を完了。

地面に手を突いていた。

覇王樹が、大量に辺りに生える。

それは、トレントを押し上げようとしたようだが。トレントは、それで殆ど小揺るぎもしない。

とんでもなく重いと言う事だ。

だが、振るわれていた蔓が、覇王樹で止まる。其処に、タオとボオスが。それにクリフォードさんが、今だとブーメランを投擲。

蔓を一本、引きちぎった。

更にもう一本を、レントが裂帛の気合とともに斬り倒す。

トレントは、それがどうしたと言わんばかりに蔓を振るうが。それも覇王樹で動きが鈍る。

あたしはその間に、詠唱を完了。

トレントの頭上から、熱槍二千をまとめた収束熱槍を、叩き込む。

詠唱もせずにシールドを展開するトレント。

なんというか、この辺りにいる魔物はちょっと常識外に強いな。そう思いながらも、あたしは叫ぶ。

「舐めるなああああっ!」

シールドをブチ抜き。

炸裂する熱槍。

初めて入るクリーンヒットだ。だが、全身が炎上しながらも、トレントは平然としている。

それどころか、燃えた体が次々と内側から砕けて、皮が剥がれていく。燃え滓になった体の表皮を一瞥もせず。

内側からみずみずしい緑の体が出現する。

頭になっている部分が弱点なのか。

いや、あれはなんだか違う。生命力を感じないというか。

だとすると、この巨大な質量を、崩しきらないと倒せないのか。

タオが叫んだ。

「この魔物、見た目よりずっと巨大だと思った方が良い! 蔓の質量も、桁外れだ!」

「そうね。 小山ほどもある相手だと認識した方が良いわ」

「厄介だな……!」

フェデリーカ。

あたしは叫ぶと。

指示を出す。

青ざめながらも、フェデリーカは頷き、舞いを変えた。その内容は。

魔力の増幅だ。

魔力の増幅そのものは、出来るには出来るらしい。だが、それぞれの魔力を増幅させる舞いというのは、他人を強化する事に特化した魔術でも、相当に難易度が高い代物らしい。

フェデリーカも苦悩しながら、舞いを練習しているのを何度か見た。

今のままではダメだ。

そう思ったのだろう。

サルドニカの首長として、今までずっと政治闘争の場で、ギルド長達と渡り合ってきたフェデリーカ。

操り人形である事を自覚しながらも。それに抗い続けようと、必死に努力を続けてきた彼女だが。

そもそも政治闘争で。

政治ごっこで、サルドニカを変えることは出来ない。

それに。魔物と戦い。周囲を調べ。新しい知識を得ることで、ようやく至ったと言う事である。

それは紛れもない成長。

まだ恐がりで、力を出し切れていないけれども。

それでも、フェデリーカは、しっかり踊りきる。

発止と、扇が綺麗に空中を斬る。止まる。

そして、フェデリーカは何度か、鋭いステップを踏んだ。

「ふるべゆらゆら……! 今です!」

「よしっ!」

覇王樹を粉砕して襲いかかってきた蔓を、レントが弾き返す。さっきより、かなり軽い感触だ。

トレントは更に背中から、複数の蔓を出現させるが。

出現させた瞬間、あたしが爆弾を投擲。

複数の爆弾を束ねて投げた事により、炸裂する火力が倍増。相手を、真上から押し潰しに掛かる。

新たに生えてきた蔓が、燃え尽きる。

「グオオオオオオオオッ!」

初めて、苦しそうな声をトレントが上げる。

だが、そのトレントが、足に見える蔓を伸ばして。そして、踏ん張り。更には、熱と圧力を、力尽くで吹っ飛ばす。

周囲に衝撃波が奔る。

分かっている。

相手は、実際には小山ほども質量がある相手だ。何度も形態変化をするくらいは、想定しないといけない。

総力戦だ。

あたしはハンドサインを出すと、更に詠唱を開始。

クラウディアも頷くと、フルパワーでの飽和攻撃を続ける。大丈夫。質量を戦闘時に増やせる魔物は存在しない。

相手が如何にタフでも。

内在する質量が次元違いでも。

それでも削りきれば、倒せるのだ。

「ギャオウ!」

トレントが吠える。

同時に、左右から今までの比では無い巨大で長大な蔓が生える。なまめかしく濡れているそれは、唸りを上げて襲いかかってくる。

林立している覇王樹を、文字通り鎧柚一色で蹴散らすそれは、レントを狙っていたが。

クリフォードさんが渾身のブーメランを叩き込んで、右側を僅かに遅れさせる。

レントは左側を、フルパワーで弾き。

振り返りながら、左側の蔓を弾き返す。

だが、頭上。

今度は、トレントが真上に何かを射出。それは、大量の棘だった。面制圧の攻撃に切り替えてきた。

あたしは詠唱を中断すると、爆弾を投擲。

炸裂させ、その爆圧で棘を薙ぎ払う。レントも、前衛に出ていたタオもボオスも飛びさがるが。

多数の棘が辺りに飛び散り。

その一部が、皆を傷つける。

フェデリーカが、悲鳴を上げた、擦ったらしい。薬を。そう叫ぶと、あたしは詠唱を再開。

クラウディアも、大魔術の詠唱に入る。

トレントが暴れ狂う。

もう一発、棘による制圧射撃をしようとしたが。

前に躍り出たレントが。渾身の一撃で、大上段からさっき生えた極ぶとの蔓を、叩き斬る。

更に、セリさんが詠唱。

前後左右から、魔法陣がトレントを包むと。一斉に鋭い棘のような根が、トレントに突き刺さっていた。

鋭い悲鳴を上げるトレント。

今のは、確かセリさんの奥義。前は上下に出現させた魔法陣で、相手を押し潰すような攻撃を出していたが。

それも進化して、前後左右からの猛攻に変わったという訳だ。

トレントの全身から、樹液みたいなのが噴き出し始める。それを強引に蔓でとめるトレント。

更に全身が膨れあがる。

だが、それは質量が本来の大きさに相応しいものへと形を変えていると言う事だ。つまり、密度が下がっている。

あたしは、皆に叫ぶ。

「相手が柔らかくなってる! 攻め立てて!」

「任せろっ!」

ボオスが前に。

上からの蔓。

続いて右。左。右。それぞれの蔓を紙一重で交わす。正面。タオが躍り出ると、双剣を振るって弾き返す。

その隙を潜って、ボオスが至近に躍り出ると。

両手の剣で、乱舞攻撃を叩き込む。派手に体を切り裂かれて。更にトレントが悲鳴を上げるが。

ボオスが飛び退く。地面の下から、連続して錐みたいな根が突きだして、ボオスを襲ったからだ。

今のを、良く見きった。

凄いな。

そう思いながら、あたしは詠唱を続ける。先に詠唱を終えたのは、クラウディアだった。

手にしている矢が、非常に巨大化する。弓も、魔力を極限まで吸い込んで、上下に大きく伸びた。

すっと呼吸をすると、クラウディアはそのドラゴンでも射貫きそうな弓を矢に番え。そして、澄み切った歌声で、詠唱の最後の一節を唱える。

「これが貴方への、最後の私からの歌!」

発射。

矢を放った時の音は、もはや爆音。

それが、美しい音で包まれ。指向性を伴って。矢とともに、トレントに飛ぶ。トレントは、蔓でクリフォードさんを追い払う事で、対応が一瞬遅れる。多数のシールドをノータイムで出現させるが。

それの全てを、クラウディアの矢が撃ち抜いていた。

「ギャアアアアアアアッ!」

それでも、トレントは屈しない。

全身を撓ませると。文字通り複層の壁みたいな構造になって、クラウディアの矢を受け止める。

なるほど、体の一部を犠牲にして、それでダメージを拡散させると言う事か。

面白い。

はじけ飛ぶトレントの体。

体の三割くらいが消し飛んだようだが、それでもまだしっかり原型を残っている。なんだかドラゴンっぽい頭は、綺麗に消し飛んだが、動くのになんら支障はないようだった。

あたしは、それに続く。

出現させた熱槍、二万五千。

フェデリーカの魔力強化によって、無理矢理絞り出した数だ。

それを一点に収束すると。

全力で踏み込みつつ。

相手へと投擲していた。

皆が、全力でトレントから離れる。

これはさっきの様子見とは根本的に違う、必殺の一撃だ。トレントは、今度は体を柔軟に動かして、変形させ。回避しようとするが。

熱槍はぐんと上空に軌道を変えて飛ぶと。

そこで炸裂。

十二の槍になって、トレントに降り注いでいた。

これには、トレントも対応できなかった。

熱槍が、全てトレントを穿つ。そして、文字通り、爆発するようにして、炎が拡がっていた。

その巨大な質量ですら、この熱槍の大火力は受け止められなかった。そういうことだ。

悲鳴が上がる。

それは複数の生物が、逃げ惑っているかのように思えた。

だけれども、どこかで一つの生物が上げているものなのだとも思えた。

膨らんでいくトレンドの体。

それが炸裂した。いや、破裂と言うべきか。

蠢く膨大な植物の残骸が、そのまま燃えていく。高原で、小山ほどもある質量が、今燃え尽きて行こうとしていた。

あたしは呼吸を整えて。それで、見る。

反応はクリフォードさんが早い。即応して、ブーメランを叩き込む。

断末魔の絶叫が上がる。

ブーメランが突き刺さったそれは、此方に歩いて来る。人間のようで、それでいて全く人間に似ていない、木の化け物。

多分これが、トレントのコアだったのだ。

それは、数歩歩くと。

ブーメランに串刺しにされたのを恨むようなおぞましい声を上げて、其処で倒れる。

そしてその場で、燃え尽きて行った。

 

トレントの残骸を崩す。

その過程で、明らかにおかしなものがたくさん出てきた。

骨だ。

トレントはそもそも植物の魔物だと聞いている。それなのに、此奴は色々と最初からおかしかった。

最前衛で攻撃をしのぎ続けたレントは、横になって怪我の手当てに注力して貰っている。

フェデリーカは、さっきの魔力強化のための舞いで疲れきったのだろう。

横になって、同じように伸びていた。

あたしとクラウディアで、敵の残骸を調べる。

やはり、おかしなところばかりだ。

「ねえライザ。 これ見て。 おかしいよ」

「うん。 どうみても消化器だね。 このトレントみたいな魔物、何かを食べていたって事だよ」

「セリさん、こういうのってあり得るの?」

「普通のトレントだったらないわ」

そうだろうな。

トレントは植物だ。食虫植物にしても、動物と同じようにして肉を食べる訳では無いのだ。

体の残骸を調べていて、更におかしなものを見つける。

これは、骨を金属で縫い止めているのか。

そんな事をしたら、激痛で苦しいだろうに。

やはりこれ。

生物兵器か何かだ。

それについては、今確信できた。

「ライザ!」

「うん、これ生物兵器だね。 神代の人間だと思うけれど、どうしてこんな……」

「それよりも、これ」

「!」

巨大な魔力の塊だ。

というか、これ。

間違いない。

前に手に入れた、バシリスクの体内から出て来たもの以上の純度。

どうやったら生成出来るか分からない、魔力の究極結晶体。

セプトリエンだ。

「まさか……」

このトレントっぽい魔物。

ひょっとして、これを作る為に生成されたのか。だとすると、何百年も掛かる事を想定していたはずだ。

そこまで文明がもつと神代の人間は考えていたのか。可能性はある。いずれにしても、はっきりしたことは二つ。

一つは、このトレントもどきは生物兵器。恐らくこの辺りで何かしらの用途があって配置されていた。

もう一つ。この魔力の塊も、恐らくは神代の人間にとって回収するべき目的だった。そうなると、この辺りは。

もう少し、調べる必要がある。

「フェデリーカ」

「はい……」

「この辺り、あたし達が当初考えていたよりもずっと闇が深い場所かも知れない。 この魔物、神代の生き残りだよ」

「……はい」

泣きそうな声が帰って来る。

そもそも、フェンリルや此奴と遭遇した時点で、普通の人間は100パー生還不可能だ。

あたし達でも。そう、フィルフサの王種を四体仕留めたあたし達ですら、これだけのダメージを受けた相手である。

多分、あたし達と例のメイドの一族以外で、これを倒せる人間はいない。それについては、断言してもいい。

神代は違ったのだろう。

これは防衛用の生物兵器だったのか、それとも家畜だったのか、それについては分からないが。

いずれにしても、この辺りは神代。

何かが行われていた土地なのだ。

待て。

そもそも、サルドニカ建設に携わった錬金術師。それも、関係があるように思えてきた。

エミルだったかいう名前だったと思うが。

其奴は或いは。

此処に何かあったのを、知っているのかも知れない。

「ライザ! 水源だ!」

「分かった!」

タオが呼んでいるので、そっちに行く。

確かに水源だ。というか、凄い色の水だな。すぐに用意してきたマスクをつける。タオも、気を付けるように周囲に促していた。

これは火山性の水か何かか。

この辺りは火山だらけだ。

近くには、溶岩を垂れ流している火山も存在している。年に何度も噴火するそうで、溶岩流があるから、近付かないように注意を促されているそうだ。

水については調べて見るが、別に硝子容器が溶けるような事はない。皮で作った水を回収するための袋でも平気だ。

ただ、それでも時間を掛けると溶ける可能性があるので、色々調べて見る。

途中で凍らせて、それも切り出す。

凍らせておくのが、恐らく一番安牌だろうな。

そう思って、あたしは凍らせ。

それを更に水の氷で覆って。

魔術で安定させながら、持ち帰る事にした。

アトリエに戻ったら、幾らでも打てる手がある。最悪の場合、トラベルボトルに放り込んでおく手もある。

いずれにしても、此処で何度か往復して、この源泉の水は回収しておくべきだろうと思う。

何よりも。

レントが相当に参っている様子だ。こんなにレントが手酷くやられたのは、以前の対フィルフサ戦以来である。

皆の手当てもしっかりしないといけない。

一度、撤収すべきだな。

そう、あたしは判断していた。

アトリエに戻る。帰路でも魔物が仕掛けて来たが、皆余裕がないので、対応は荒っぽくなる。

出会い頭にクラウディアがバリスタ射撃で鼬を消し飛ばすのを見て、フェデリーカは何も言わない方が良いと悟ったのだろう。

アトリエに戻るまで。

終始無言だった。

 

アトリエで休憩して、手当ても終えて。

それで、一段落したので、軽く話をする。

まず、あの魔物が生物兵器であること。それも神代のものだという事を説明すると、クリフォードさんは頷いていた。

「去年、王都近郊の遺跡にもそれらしいのが何体かいたよな」

「ええ。 それらよりも更に古い生物兵器だと思います。 強さが段違いだったのもありますが、使われていた技術が違ったと思いますので」

「それも高い方だよね」

「うん。 この近く、何かあったんだと思う」

サルドニカの南部に拡がる巨大な都市遺跡も気になる。

神代の頃から栄えていたとしたら、この辺りの鉱山にはやはり何かがあったのだと思う。神代の頃に三百万人も住んでいたのだとしたら。鉱山なんで掘り尽くしていてもおかしくない筈だ。

それが、どうして。

先に休んで貰ったレントの方を一瞥。

フェデリーカもかなり参っているようだが。

それでも、話についていこうと必死だ。

「フェデリーカ、話にあった硝子と魔石を溶かす液についての情報は他にないの?」

「その、父がしていた研究は、殆ど残されていないんです。 私が受け継いだのは、職人としての技で……」

「そうなると、或いはフェデリーカのお父さんは、フェデリーカを血で血を洗う政争に巻き込みたくなかったのかもしれないね」

「……そうかも知れません」

フェデリーカのお父さんの話は既に聞いているから、そうとしか言えない。晩年は、老人のように老け込んでいたと言う事だ。

それは魔物が原因では無いだろう。

「タオ、何か手がかりは無さそう?」

「少なくとも工房長の館は調べたけれど、それらしいものはないよ。 だとすると……」

「この辺りに拠点がないかな」

「そうですね。 父の側近だった人が何人かいます。 そういう人に話を聞ければ、或いは……」

ならば、そうするだけだ。

あたしは、明日はアトリエに缶詰だ。今当世具足についても最終調整をしているし、それも仕上げたい。何より一旦は回収してきた原液の分析をする。エーテルに溶かして分析してみれば、意外と面白い事が分かる可能性がある。

ただ、それでも何十年も研究していたのだとしたら。そっちを見るのが早いだろう。

メモとか、そういうのが遺されていれば話は早いのだが。

「そうなると、俺とクラウディアと、それぞれの支援で明日は別れる方がいいか」

「うん。 頼めるかな」

「僕は僕で、もう少し工房長の館を調べて見るよ」

「分かりました。 私はタオさんの支援に廻ります」

フェデリーカが挙手。

まあ、まだ住み慣れた館の調査の方が、気分も楽だろう。単独では勝てっこないような化け物と連戦したのだ。

それに散々血の臭いを嗅いだのである。

しばらくは、安全な場所にいたいという気持ちは、分からないでもない。

あたしは皆がそれぞれ行動を決めるのを見て。

それで、久しぶりに明日はゆっくり動けそうだなと思った。

 

4、サルドニカの裏側と

 

フェデリーカは、やっと虎口を脱した気がした。

ライザさんがとても恐ろしい側面を持っている事は分かっていた。想像を絶する戦闘力と戦闘経験は、修羅場を信じられないほど潜ってきた結果だ。

だが、フェンリルやあのトレントもどきと連戦して、その恐ろしさがどうも身に染みついてしまったようなのである。

工房長の館に戻ると、雑務をこなす。

タオさんの支援といっても、つきっきりで何かをするつもりもない。ただ、アンナに指示して、父の側近だった人達を集めては貰ったが。

昼少し前に、父の側近だった人達が集まる。

ほとんどは年老いた職人だ。残りはベテランの戦士が数人。

硝子ギルドも魔石ギルドも色々あってあわなかったり。戦士としてずっと過ごしていた人達。

この街では、戦士と職人は別の人種というくらい扱いが違う。

それで戦士達が不満から行動を起こさないのは、アンナやその仲間であるウィルタがちゃんと調整しているからだ。

戦士は戦士としての仕事を。

だから、それで廻るようになっている。

そうでなかったら、差別意識をぶつけられた戦士や傭兵はみんなサルドニカから出ていって。

それでこの街は、とっくに魔物に食い荒らされて滅んでいただろう。

そんな危うい場所だったのを、最近やっと気がついた。

確かに街から出るのはいつも命がけだった。遠くへ行商に行く旅に、何度も恐ろしい目にあった。

だけれども、それが自業自得の結果だったなんて。

どうしてもフェデリーカには思いつけなかったのである。

ともかく、父の側近達を集めて。軽く話を聞く。

父が死の間際に何をしていたのか。

それについては、研究という話しか出てこなかった。

「何しろ秘密主義が厳しいお方でありましたからな。 私は二十年も仕えてきましたが、それでも研究の内容については進展も含めて詳しくは話してくれなかったのです」

「俺も護衛は何度もしたが、立ち入り禁止の地域で水を採取しているくらいしか見ていないな。 それだけでも命がけだったが」

「どこか拠点は作っていませんでしたか」

「……人払いを」

不意にそう言ったのは、アンナと同じ一族の人だ。

彼女は戦士としてはかなりの古参で、ウィルタが街の北側を守っているとしたら。この人は街の南側を守っている。

基本的にアンナの一族の人はみんな性格も顔も同じなんだが。この人は、どうしてか寡黙である。

人払いをして、話を聞く体勢を整える。

イメキアというその戦士は、咳払いをすると話し始める。

「父君の研究を解析してどうするつもりですか」

「それは、工房長として判断を」

「この街は危ういバランスの上で立っています。 内容次第では、私としては貴方を斬らなければなりません」

一瞬遅れて。

背筋が凍り付くかと思った。

この殺気というのか。ライザさん達が敵に向けているのと同質のものだ。そしてフェデリーカの今の力では。

イメキアがその気になったら。

悲鳴を上げる暇すらなく、一瞬で首を刎ねられるだろう。

悲鳴が漏れそうになるのを、必死に口を塞ぐ。

心臓が飛び出しそうだ。

それでも、必死に心を落ち着ける。

フェンリルを前にしたとき。

あのとんでもない植物の化け物とやりあっているとき。

恐怖は、こんなものでは無かったはずだ。だから。とにかく、心の体勢を立て直すんだ。

そう言い聞かせながら、必死に呼吸を整える。

心臓はばくばく言っているが。

それでも、どうにか、なんとか相手の目を見る事が出来ていた。

「……父の研究は、硝子と魔石の融和を計るものでした。 百年祭を期に、この街を割って争い続けて来た不毛なギルドを、どうにかしなければなりません」

「……嘘は言っていないようですね」

「嘘なんて……父の願いは……」

幼いフェデリーカに。

父は職人の無骨な手で頭を撫でながら、いつもこのサルドニカの明るい未来について語っていた。

フェデリーカは一人娘で、職人の才能もあったから、余計に可愛かったのかも知れない。

だから、父は嘘を言っていなかったと思う。

サルドニカを、もっと人々が笑顔でいられる街にしたい。

今は硝子と魔石の対立が酷い。

このままだと、哀しみと憎しみが連鎖して。いずれ取り返しがつかない事になる。

血を見ていないだけで、喧嘩は日常茶飯事。別のギルドに行こうものなら、勘当なんて当たり前。

そんな街になってしまったサルドニカを、もっと平和で風通しがいい街にしたい。

そう父は、涙混じりに言っていた。

政争で毎日精神をすり減らして。

それで寿命まで縮めた。

父が死んだ時に、やっと死んだよと、半笑いで言っている職人がいたのを、フェデリーカも今でも覚えている。

どちらかのギルドの味方をしないのなら。

両方の敵。

そう考える輩がいる事を、フェデリーカは後で知った。それ以降、職人に作り笑顔で挨拶することは日常的にするようになったけれども。

本心からは、誰も信用しなくなった。

逆にそうやって心に壁を作らなければ。

フェデリーカは、とっくに精神を病んでしまっていたのかも知れない。

ライザさんみたいな豪傑が来た今が好機なのだ。

あの破壊的な力で、全てを改革すれば。きっと、父が喜ぶサルドニカを到来させることが出来る。

そう思うと、フェデリーカは、何度も涙を拭っていた。

「分かりました。 父君の研究については、ある離れた小屋にあります。 今から向かうので、ついて来てください」

「は、はい」

「ただし街の外です。 最低限の自衛はするようにしてください。 それと、私の関与は、どのギルドにも言わないように。 もしも私の関与が漏れた場合は、即座に斬ります」

ぞっとした。

何となく理解した。

イメキアが。サルドニカの闇そのものなのだ。サルドニカは、今まで多分何度も実際に分裂の危機があった。それを全部影で刈り取っていたのは、イメキアや、その前任者なのだ。

ギルドが作っていた他のギルドに対抗するための与太者による部隊とか。

そういうのが、一夜で失踪して、誰もいなくなったりしていた。

それを作るのを命じたギルド長が、心臓発作で死んでいた。

そんな事が何度もあった。

魔石と硝子の二つのギルドが致命的な激発を起こさなかったんじゃない。二つのギルドに所属している過激派が、事を荒げる前に魔物に殺されたり不審死したりしていた。きっとこの人が。

本人すら認識できないうちに、殺していたと言うことだ。

それも、仕方がない。

サルドニカが如何に危うい状態にあるのかは、フェデリーカも今はしっかり理解出来ている。

誰かが手を汚さなければならなかったのだ。

街を二人で出る。

そして、鉱山の一角にあるちいさな小屋に、イメキアと一緒に入る。其処には、ちいさな机と。

ちいさな手帳が遺されていた。

「……お父さん」

「すぐに戻ります。 その手帳は、懐に隠すように」

「はい」

イメキアは抜き身の刃みたいな気配だ。

この人の戦力は、柄の悪いギルドの下っ端の職人なんて、全員認識できないうちにみじん切りにしてしまう程のものだろう。

分かっている。

だからこそ。

この人が、ある程度認めてくれた今。

ライザさんとともに。

サルドニカの闇を、払わなければならなかった。

 

(続)