王狼咆哮

 

序、視察

 

近場にある魔物の群れはほぼ片付いた。後は遠出をして処理をする予定だ。あたしは、一段落した所で、サルドニカに戻る。

職人や戦士達が、持ち込んだ肉や皮、爪や骨までも。魔物の死体が、競りに掛けられている。

活気は凄いな。

少なくとも王都のバザーよりも活気はある。

勿論いいことばかりではないけれども。

それでも、熱気だけに関しては、此方が王都より上だ。

クリフォードさんがぶつかってこようとした男を即座に捻り上げて。警邏に引き渡す。喚いていた其奴は、フェデリーカさんが見ているのに気付いて、ひっと声を上げて。以降は大人しくつれて行かれた。

ただのスリだが。

流石に工房長に現場を見られて。しかも抵抗したとなれば。

罪がぐっと重くなる。

だから堪忍したのだろう。

「凄い手際ですね」

「まあな。 こう言う都市にはあの手のがいるから、慣れたもんよ」

クリフォードさんは、バザーに興味深々のようだが、それでも油断はしていない。

タオが手を振る。

なるほど、これはいい。

書店だ。

ざっと中身を見せてもらうが、かなり面白そうな本がある。幾つか見繕って買う。フェデリーカさんが見ているからだろう。

ぼったくる事もできないようで、商人は相応の値で売ってくれた。

まずは収穫だ。

さて、一度アトリエに戻る。

途中で、岩などを崩して、鉱石を回収する。この辺りの鉱石を分解して調査して、爆弾などに生かしたいのだ。

それを見て。フェデリーカさんが苦言。

「ライザさん、分かっていると思いますけれど、無限に採掘はしないでください……」

「大丈夫。 これでもあたしも自然の仕組みは理解しているつもりだからね。 自然のバランスを崩すようなことは、余程必要でもない限りはしないよ」

「分かりました。 大丈夫、ですよね」

「……」

まあ、此処でなら。そういう必要は無い。

以前、何度かの戦闘で。フィルフサとの戦いに、文字通りの天変地異を用いなければならなかった。

敵の数、規模、それに戦力。

全てで勝てる要素がなかったからだ。

だから地形が変わるレベルの水害を引き起こして、それで対処しなければならず。

その後始末も大変だった。

今は力もついてきて、戦闘でのカードも増えた。

だから、破壊的なことをする事は、だいぶ減った。

それでもまとめて殲滅は時々するが。

それも、必要な時だけだ。

アトリエに戻る。

タオがさっそく本を読み始める。クリフォードさんも警戒しなくて良くなると、同じように本を。

レントは大剣の手入れを開始。

一人でいる時は、どうしても手入れが雑になるらしい。あたしが油を渡して、それで丁寧に刀身を整備し始める。

ゴルドテリオンで基本を作り。

グランツオルゲンで補強していると言っても。それでも、やはり手入れが必要なのである。

あの豪快な立ち回りの裏には。

細かい武具の手入れが必須なのだ。

ボオスは疲れたらしく、あたしが渡した栄養剤を口に入れていて。

セリさんは、外に用意した畑に。

畑で、例の植物の更なる強化を果たすのだろう。

黙々と研究をしているようだった。

クラウディアはお料理を開始。

それらの様子を見ていて、フェデリーカさんが呆れ気味だ。

「意外とみなさん、自由時間は勝手ばらばらなんですね」

「フェデリーカさんも好きにしていて良いよ」

「は、はい。 その、周りに街の者がいないときは、さんを外して貰えますか。 貴方みたいな豪傑にさんをつけられると、恐縮してしまって」

「そう。 じゃあ遠慮なく。 フェデリーカも、色々お料理の好みとかがあったら言ってね。 味付けとか、料理そのものとか」

料理そのものはクラウディアがやるが。

キッチン周りを作ったのはあたしだし。

調味料なんかもあたしが作っている。

クラウディアいわく、あたしが作る調味料は他の数倍の値段で捌けるらしい。まあ、要素から調査して、そこから組んでいるので当然とは言えるが。

それを贅沢に使うのだから、それはまあ美味しいだろう。

そしてクラウディアも、家事としてではなく。趣味で料理をやっている。

だから、上達が逆に早いらしい。

好きなものは、どうしても上達が早くなる。

そういうものらしかった。

実際問題、どんだけやっても料理が下手な女性もいる。

そういう家の人間から相談を受けたことがあって。

あたしが見にいったら、そもそも技術的な問題だったことが何回かあった。

好きでないと上達はしない。

そういうものなのである。

「よし、こんなものかな。 フェデリーカ、ちょっと使って見て」

「はい。 これは扇……ですか」

「竹を調整して作って見た。 今使っているものは、ちょっと傷みすぎているみたいだし、それを調整して欲しいとも言えないでしょ」

「は、はい。 それは……まだ勇気がいります」

竹そのものは、あたしも知っている。あまり多くは生えていないが、それでも彼方此方で見かけるからだ。

幸い手持ちがあったので、それを用いて扇を作って見た。なお、絵は無い。その代わり、びっしり魔術をゼッテルに仕込んでいるので、増幅用の道具としては充分な筈だ。

舞いを舞ってみて、フェデリーカが不思議そうな顔をする。

何度かやってみて。眉を下げていた。

「ごめんなさい、どうもしっくりこなくって」

「調整するから教えて。 重すぎる? 軽すぎる? 大きすぎる? 小さすぎる?」

「ええと、この持つ場所が……」

「ふむ、よしきた」

フェデリーカの扇を確認して、それで調整。

大丈夫。

一発で上手く行くとは、あたしも思っていない。どうも持ち手の具合が良くないらしい。形状を同じにしてみるだけではだめか。

重さなどのバランスを取ってみる。

何度か調整をしてみて、それでフェデリーカが、不意に動きが良くなる。

「あ、これです! これがしっくりきます!」

「なるほど、問題は形状じゃなくて重さのバランスなんだ」

「そ、それが分かるんですか?」

「みんなのための装備をそれだけ作って調整してきているからね。 一応、それなりに経験は積んでいるんだよ」

後は、細かい部分の調整もする。

打撃武器としての調整も出来ると言うが、フェデリーカは首を横にぶんぶんと振る。

なんとなく分かる。

この人は職人だし、硝子細工にしても魔石細工にしても、恐らく指先だけではなく全身のバランスが大事になっている。それでも手指をどうしても負傷するのだ。

ちょっとだけ話は調べて見たが、硝子細工も魔石細工も高熱を扱い、それでいながら人間の感覚の限界を攻めるような細工を行う。

このため良い腕の職人は若いうちから良い腕だし、感覚が掴めない人間は何歳になっても才覚を発揮できないとか。

才能が全ての錬金術に近い世界である。

幸い、現時点では血筋でギルドの役職を決めるような事はしていないらしい。

まだ実力主義がギルド内での席次を決めている内は、まあ工芸の街としての腐敗は遠いだろう。

それでも、あのギルド長達のぎらついた野心に満ちた目は。

若干心配にはなるが。

クラウディアが、両手をあわせてフェデリーカに笑顔を向ける。

「そういえばフェデリーカさん」

「クラウディアさんも、呼び捨てで良いですよ」

「分かったわ。 フェデリーカ、祭というのは。 ギルド長達が火花を散らしていたようだけれど」

「……街が設立百年にまもなくなるんです。 その際に、街の力と技術力の威信を賭けたモニュメントを作る話があって」

いいのか部外者にそんなことを話しても。

いや、恐らくこれは、フェデリーカがあたしを信じてくれているのと同時に。

後ろ盾になってくれる事を期待しているのだろう。

あたしは今の時点で、サルドニカに何も要求しない強力な第三勢力だ。現時点での要求は、個人レベルの調査と技術の吸収だけ。

しかもギルド長達は、再現を出来ると思っていないだろう。

今のうちに。フェデリーカはあたしという強大な力を後ろ盾にして、サルドニカを立て直したいのだとみた。

こういうのばっかり鋭くなって、あたしもなんだか嫌だな。

そう思いながら、続きを頼む。

「予想できるかも知れませんが、硝子ギルドと魔石ギルドが水面下で火花を散らしている状態です。 今の時点では血を見ていませんが、それでも喧嘩は日常的に起きている始末でして」

「ふむ……」

「ライザ、戦闘に出るとき以外は、俺たちがちょっとサルドニカで動いてもいいか」

ボオスが挙手。

クラウディアも頷いていた。

なるほどね。

そういうのは、この二人にやって貰う方が良いと。

クラウディアも、あたしへの仕事は自分を通せとギルド長に言っていた。大口顧客であるバレンツの現在の事実上の統率者の言葉だ。ルベルトさんが現在は楽隠居の状態と聞いているから。

それだけ、大きな話にもなる。

ギルド長達も、クラウディアにあまり舐めた真似は出来ないと言う事だ。

ましてやあたし達がサルドニカに来るまでに始末してきた魔物は、今までサルドニカの戦士や傭兵がどうにもできなかった存在ばかりなのだ。

既に戦力という観点でも、あたし達をギルド長はないがしろにできないのである。

「分かった。 任せるよ。 ただし、気を付けてね」

「任せろ。 一応念の為に、自動で魔術のシールドが出るように装飾品を強化しておいてくれるか」

「ボオスさん、流石にそれは……」

「現時点では血を見ていないだけだろう。 これから更に過熱すると、俺らに殺意が向く可能性があるんでな。 クラウディアは慣れっこだろうが、残念ながら俺はまだ荒事の経験が此奴らほどは無い。 手は打つべきだ」

ボオスの自分に対する評価は意外と低いが。

まあ、それだけ街の内情が危険と言う事だろう。

あたしは頷くと、幾つか強化用の装飾品を作っておく。

それで、一段落した所で、明日の事を決める。

「鉱山の方はだいたい主な魔物は潰したかな」

「あれだけ広いと、ただ報告が上がっていないだけで、まだまだいそうだけれどな」

「それについては、あたし達が警戒している相手を潰した事で手が開いた戦士達に任せるしかないね」」

クリフォードさんの慎重な言葉に、あたしがそう返しておく。

これだけ魔物だらけなのに、鉱山ではかなりの人夫が働いている。

職人として脈なしの人間には、これしか仕事がないのだ。

鉱山で働く人間のための炊き出しなどをしている人間もいるらしいが、どうしてもこの街では職人の方が上らしい。

そういうのが嫌になって出ていく人間もいるとか。

発展していく街の、現実が此処にある。

どんな仕事をする人も等しく立派だ。あたしはそれを彼方此方見て来て知っている。

それが、仕事をする人間が社会的な地位が下がるとか。優先して汚いものを片付ける人間が馬鹿にされるとか。

そういう風潮をどうにかしないと、多分人間は駄目なままだろうと感じる。

魔物にこれだけコテンパンに押し込まれても、人間は変われていない。

なんとか、どこかで手を打たなければ。

このまま人間はきっと滅びてしまうだろう。

ありのままの人間が素晴らしいとか。

人間性がどうのこうのとか。

そういう寝言を言っているからこう言う事になる。

今、王都やサルドニカで好き放題にバカやっている連中なんて、これ以上もないほど「人間性」に満ちているはずだ。

その結果が、これなのだから。

「手を分けるか。 誰かしら鉱山の方を回るとか」

「いや、街の北側には例のがいるらしいし、それが動く可能性もある。 今までは動いていなかっただけで。 魔物の機嫌次第では、いつ縄張りを変えてもおかしくない」

「フェンリルですね……」

「そう。 魔物も機嫌次第で動きを変える。 此処にいるとか決めつけるのが、一番危ないんだよ」

フェデリーカにあたしは頷く。

フェンリルはあたし達もほぼ未知の相手だ。クリフォードさんに、先に知っているだけの情報は聞いたが。そもそも強すぎて、戦って生還した人間が殆どいないそうである。

熱帯地域の方が生息数は多く、密林の中にかなりの数が存在しているのでは無いかと言う噂もあるらしいが。

それも、そもそもまともに確認できていないので、憶測の域を超えないとか。

流石にフィルフサの王種より強いと言う事はないだろうが。

それでもフェデリーカを守りながらの戦闘となると、簡単にはいかないだろう。いずれにしても、手を抜くという選択肢は無い。

入念に準備をしておく。

タオが加わって更に手数が増えたのは有り難いのだが。

それだけで勝てる相手か。死者を出さずにやり過ごせるか。

例えフィルフサの王種を倒して来た実績があっても。

油断だけは、してはならないのだ。

そのタオが挙手。

「フェデリーカさん。 いいかな」

「さんは必要ないですよ」

「いや、僕は婚約者がいるから、一応距離はとっておきたいんだ。 色々と面倒だからね」

「あ、そういうことですね。 分かりました。 お願いします」

タオに対してちょっと顔を赤らめるフェデリーカ。

まあ、本能的なものだろう。

此奴が結婚式まで絶対にパティに指一本触れないし。なんなら年頃の男子が何よりも大事に考える性行為なんてそれこそどうでもいいと思っているような奴だと知ったら、フェデリーカはどう思うのだろうか。

まあ、どうでもいいが。

「ざっと見せてもらったけれども、先代までは工房長は随分としっかりサルドニカを回していたみたいだね」

「……すみません、私が不甲斐なくて」

「そもそもフェデリーカさんがサルドニカの工房長に就任したのは10歳で、しかもお飾りとして丁度良かったからだよね。 それでもしっかりやれているんだから、それは胸を張っていいよ」

スパンと真実を言うタオ。

まあ、それもそうだ。

血縁で工房長に就任したんじゃない。

下手な人物を工房長にすると、対立が始まっていた硝子ギルドと魔石ギルドで血を見る事態になりかねなかった。

だから適当な人物が工房長にされた。

それだけのことだ。

フェデリーカもそれを知っている。タオも、クレバーにそれを指摘しただけで。フェデリーカもそれは分かっている。

まあ、言葉選びはつらめで。レントも流石に無表情になっていたが。

タオはこう言う奴だ。

それに、こう言う奴だからこそ。

今後腐りきった王都を改革していくアーベルハイムの。次期当主になるパティの夫として相応しいのだろうとも思う。

「先代はそもそも世襲でなくて、先々代工房長の弟子だったみたいだけれども。 先代は、誰か弟子を取っていなかったのかい?」

「ええと……。 父は弟子を取ってはいました。 ただみんな、硝子ギルドか魔石ギルドの息が掛かっていて。 それぞれ短期間でギルドに返されていました」

「なるほどね……」

「もうその時にはギルドの対立も表面化していて。 特に先代の魔石ギルドの長は、現在のアルベルタよりもずっと強硬的で、もっと悪辣でした。 それもあって、父はずっと心を痛めていました。 反発を受けながらも両ギルドの改革に着手して。 政治闘争が得意だった人物よりも、アルベルタを魔石ギルドの長に推薦したのは父です。 アルベルタは職人として優れていて。 それで……」

なるほど。

タオが聞いてくれたおかげで、話が分かってきた。

百年で腐敗したんじゃない。

この様子だと、フェデリーカが生まれる前から、この都市は危うい所を行ったり来たりしていたのだ。

だとすると。

アンナさんといったか。フェデリーカの側についていた、例のメイドの一族の人。あの人の存在を思い出す。

王都同様に。

恐らく、この都市サルドニカを回してきたのは、実質上はあの一族だ。

それでも、強権的に支配するのではなく。

裏側からなんとなくそう仕向けて、可能な限り穏便に事態を動かしてきたのだろう。ダーティーワークもやったのだろうが。それでも、死ぬ人数を最低限にしてきたのだろう。

あの人らに警戒されているのは、あたしもなんとなくは分かっている。

だけれども、やはり一度は話をするべきだな。

そう、あたしは考えていた。

他にも幾つかの話を確認して、それで今日は休む事にする。

フェデリーカも、アトリエに泊まることにした。

大丈夫。それぞれの個室はあるし。風呂も水周りもしっかりしている。男女用に風呂も分けた。

流石に一人ずつ順番に風呂に入ることにするが。

フェデリーカも安心できるように、パーソナルスペースはしっかり切り分けてある。

これを短時間で作ったのかと、なんどもフェデリーカは感心して。

それで、疲れたのか。

すぐに眠りに落ちていた。

寝てしまえば、表情もあどけないものだ。

あたしはフィーに促されたので、眠る事にする。ちょっとだけ見ると、タオは本をまだ読んでいた。

サルドニカを、少しでも分析し。

出来れば竜の紋章について、調べておきたいと思ったのかも知れない。

 

1、サルドニカ北部へ

 

サルドニカの大通りを通ってサルドニカという都市の北側に出る。此方は重点的に戦士が配置されていて。

更には三人も、例のメイドの一族の人がいた。

敬礼してくる。

かなり貫禄のある見た目の戦士だ。顔も背丈も他と変わらない筈だし。この一族の戦士はみんな例外なく強いのだけれども。

手にしているハルバードが非常に威圧的で。

着込んでいる鎧はなんだろう。

皮とゼッテル、それに木で出来ているようだが。軽く強く、しなやかに動けるように仕上がっているようだった。

あたしは思わず感心して、観察させて貰う。

「ウィルタと申します。 北方面の防衛部隊の長をしています」

「錬金術師ライザリンです。 ライザとお呼びください」

「分かりましたライザどの。 北に魔物の討伐に本格的に出るのですね」

「はい。 アドバイスや注意などあったらお願いします」

すぐにメモに手を掛けるタオ。

こういうのは、タオに議事録をとって貰うのが確実だ。

幾つかの話を聞く。

まずこの先には橋があるのだが。綺麗な橋だが、既に魔物に制圧されていて、とても通れないという。

他にも幾つか集落の残骸がある。

これらについては、例のフェンリルが出てから放棄したものであるらしい。

まあ、この人らは賢明だよな。

そう思いながら、頷いて状況を飲み込んでいく。

「現在は北部は完全に守勢に徹していて、基本的に攻勢に出ることはありません。 此方は此方で、鉱山が存在しているのですが」

「此方にも」

「はい。 古代クリント王国時代……いやそれ以前のものですね。 内部は基本的に危険すぎて踏み込めないので、ほぼ放置されている状態ですが。 魔石を中心に、貴重な鉱物が多く残されています。 放棄された理由はよく分かっていませんが」

「なるほど……」

ふんふんと頷いた。

これであらかた、情報は聞かせて貰った。

ついでなので、鎧を見せてもらう。

人体急所をしっかり守る作りになっていて、個性的なデザインだ。

「これは……雰囲気的に東の土地のものですか」

「よく分かりますね。 これは当世具足といって……」

「ふむふむ」

全体的には軽鎧に属するのか。

パーツを外すのが容易で、取り回しがしやすい上に軽い。触らせて貰うと。植物性の塗料を上手に使っていて、それぞれのパーツの強度を跳ね上げている。

恐らくこれは、対人戦を主眼に置いた装備だ。

実の所、鎧、とくに金属主体の重装甲のものは現在はすっかり魔物相手の戦闘が原因で廃れてしまったが。

この鎧は、最適解かも知れない。

相応の防御力を有していて、それでいながら軽い。ただこれは、作るのに工数がとても掛かるかも知れない。

「ウィルタ警備長。 ライザ様。 そろそろ……」

「ごめんフェデリーカさん。 もう少しで解析できる」

「えっ……」

「すげえだろ。 空間把握はライザの得意技なんだ」

レントが苦笑しながら説明し。

そしてあたしは、把握した。

「よし、把握できた。 誰か、これ着てみたい?」

「俺は興味があるかな」

「よし、いいよ。 当世具足だったね。 あたしだったら、それほど手間を掛けずに作れるかな」

実に興味深い鎧だ。

クリフォードさんが興味があるというので、作る事を約束する。

クリフォードさんは常にマスクをつけているが。それに近い構造の面頬というものもある。

実際ウィルタさんも、怪物か何かを象っているらしいものをつけていて。

相当な威圧感があった。

今、セリさんにはサルドニカの空気対策でマスクを渡しているが。

面頬には興味があるようだったし。

セリさんにも当世具足を作るか。

ウィルタさんに手を振って、その場を離れる。

さて、もう橋が見えてきている。

警戒度を上げる。

フェデリーカが話しかけてくるが。あたしも警戒しながら応じる。

「ライザさん、色々興味津々ですね……」

「何かに興味を失ったら、その時から人間は年老い始めるからね。 最悪速攻で老害になる」

「……心しておきます」

「あの当世具足って鎧は実に面白い。 構造とかにも色々と心を引かれたよ。 後であたしなりに調べて見るかな」

フェデリーカが、当世具足は主に鎧よりも兜で個性化を図ること。

更には、そのリストなどがある事も教えてくれた。

頷きながら、すっとハンドサインを出す。

魔物だ。

青ざめて、構え直すフェデリーカ。

わらわらと現れたのは、真っ黒いぷにぷにである。それだけ色々な相手を補食してきていると言う事だ。

相応に立派な石造りの橋なのに。

上を通るのは魔物である。

向こうには家屋が見えるが。あれだって。この橋を中心に、物流を促進しようとして作ったものだったのだろうに。

「橋を傷つけないように気を付けて」

「任せろ!」

レントが飛び出す。タオとクリフォードさんが続く。ボオスも前衛に出た。

黒いぷにぷにとの戦闘経験はみんな積んだことがある。ボオスはまだあまり積んでいないが、それでも今の実力なら遅れを取らない。

ただ、数が多い。

あたしも前衛に出る。襲いかかってきた一体を、蹴り砕く。文字通り破裂した黒いぷにぷに。

酸の体液をまき散らすが。

それを浴びるほど鈍ってはいない。

「ちょっと数が多いな……」

「どうする、誘い出すか?」

「いや、この地点で戦う。 此奴らも縄張りに誘いこんだと思って、次々来るし!」

「了解だ!」

レントとクリフォードさんが、前衛で暴れ回る。ボオスも前に出すぎない程度に、しぶく立ち回る。

タオも両手の短剣を振るって、もうこの程度の相手だったら寄せ付けない。

しばらく、無心に撃退を続ける。

叩き潰され、切り裂かれ。

体液をまき散らしながら、黒いぷにぷにが死んで行く。

いずれもが、不定形の黒い巨体だが。

それも、潰れてしまえばみんな同じだ。

熱槍はできるだけ使わないようにする。

大量の死骸や血の臭いに引き寄せられたのか、遠くから見ていた走鳥が乱入してくる。

これは討伐作戦なんか上手く行かないわけだと、あたしは苦笑いしつつ、迎撃を指示。

ふいにセリさんが出現させた、大きな植物。

それがぶつんと凄い音を立てて、種を射出。

人の頭ほどもある種が、走鳥の頭に食い込んで、半ばまで吹っ飛ばす。

速射を続けていたクラウディアが、凄いと呟く。

遠距離戦もセリさんは研究していることを知っていたが。

この精度。

やるな。

フェデリーカさんはひたすら舞い続ける。それでいい。

舞いには色々な効果があるようで、皆の力を底上げするだけじゃない。更に体力の常時強化も行い。

ついでに戦意も高揚させるようだ。

飛びかかってくる走鳥。

あたしは空中に出た事を、そのまま熱槍を叩き込んで後悔させる。

爆発。

地面に落ちた走鳥が、悲鳴を上げながらばたばたともがいていたが。すぐに動かなくなる。

頭を踏みつぶしてとどめを刺すと。

斜め後ろから襲いかかってきた黒ぷにぷにを、回し蹴りで破裂させる。

フェデリーカを守りながら陣形を組んで、それぞれの得意武器で半刻以上戦い。二百を超える黒ぷにぷにを叩き潰し。三十を超える走鳥を始末すると。

ようやく辺りは静かになっていた。

「敵沈黙」

「流石に多いな……」

大剣を背負い直すレント。

あたしは周囲の様子を一瞥して、これは修理がいるな、と思う。

橋の裏側を確認。

橋の裏側が酷く痛んでいる。

これは恐らくだが、橋の裏側。つまり下に黒ぷにぷにが貼り付いて。上を獲物が通るのを待っていたのだろう。

まだ何匹かいたので、クラウディアが速射して叩き落とす。

クラウディアの矢も、この大きさの黒ぷにぷにくらいだったら、もう確殺である。破裂した死骸が下の川に落ち。

一瞬で魚が寄って、バシャバシャと音がして。食い尽くされてしまった。

落ちたらああなったのはあたし達だ。

魚がああしていると言う事は、頻繁にエサが落ちてきていると言う事。

あたしは無言で、顎をしゃくる。

橋の状態を、確認しておく必要があるだろう。

調査はタオとクリフォードさんに任せる。しばらくは護衛だ。

その間に、ボオスはサルドニカの方に戻り。

さっきのウィルタさんと、数人の戦士を連れて来ていた。

「橋にいた魔物の掃討は完了した。 すぐに修復のための手配をしてくれないだろうか」

「工房長」

「私も見届けました。 お願いします」

「分かりました。 何人かつれて来てください。 見積もりが出次第、工房長へ予算を申請します」

戦士達に指示するウィルタさん。

戦士達も敬礼して、すぐに戻る。この橋が北側の要で。それすらどうにも出来ていなかった事。

それをあたし達がどうにかしたこと。

それらの事実を見て。半信半疑だったのをすぐに改めたのだろう。

タオとクリフォードさんが戻ってくる。

「案の場傷んでいやがる。 ぷにぷに共が腐食させたんだな。 特に金属部品は色々と致命的だ」

「うん。 人が通るだけなら大丈夫だけれども、馬車が通ると底が抜ける可能性があるよ」

「そうなると、川の方も掃討するか」

「ライザ様?」

人前だから、フェデリーカも様をつけてこっちを呼ぶ。

あたしも、さんをつけてフェデリーカに応じる。

「今日はこの橋の周辺だけで終わりそうかな。 わるいねフェデリーカさん」

「いえ。 何度かの掃討作戦に失敗して、大きな被害を出した重要な戦略拠点です。 ライザ様をよんで本当に良かった。 すぐに川の方もどうにかしましょう」

「うん」

ウィルタさんも一緒に降りるという。

橋の下に降りられる階段があるとかで、其処を通る。先頭を行くのはクリフォードさん。いきなりブーメランを振るったのは、横殴りに黒ぷにぷにが飛んできたから。それを一閃して、川に叩き落としていた。

普通、川に叩き落とせる重量じゃない。

ぷにぷには見た目よりずっと重い。

内部が水分だから、それだけ重いのである。

風呂なんかも、小さくても水を満たすと、相当な筋力がないと持ち上げられなくなるが、それと同じ理屈だ。

それをブーメランで一撃、更に川にまで飛ばす。

なかなかに凄い。

橋の下の河原に降りると、川はすぐ其処だ。

かなり大きな魚が多数泳いでいるのが見える。あれはどれも危険な肉食種である。実際今川に叩き込んだ黒ぷにぷにも、瞬く間に彼等の腹の中だ。

詠唱開始。

セリさんが、壁を作る。

反撃を即座にしてくる可能性があるからだ。

クラウディアは少し下がって、階段の所で狙撃戦の準備。

ウィルタさんも、前衛に出る。

当世具足での戦い方、見せてもらおう。

詠唱を終えると。

あたしは。五千ほどの熱槍を出現させ。

そのまま、川に叩き込む。

凄まじい高熱に仕上げてあるから、即座に大爆発が連鎖する。それで落ちるようだったら、最初から橋は作り直した方が良い。

耳を思わず塞いでさがるフェデリーカ。

濛々たる水蒸気が収まる前に、飛び出してくる巨大な魚。当然、陸上戦にも適応しているというわけだ。

サメだけが陸上を歩ける訳では無い。

川でも放置しておけば、こんな強力な魚が育つのである。サメ以外にも。

今の時代は。

あらゆる意味で、人間に逆風が吹いている。

そう言えるのだろう。

凄まじい巨体の突撃に、セリさんが張った植物の防壁が軋む。凄いパワーだな。感心する。

水中の生物は大きくなる事が多い。

まず最初の一匹を、出会い頭にウィルタさんが、鋭い叫びとともに頭をたたき割っていた。

ひゅうと口笛を吹きながら、次々と来る巨大魚に、レントとクリフォードさんが前衛で応戦。

横からも、小さいのが来る。

てか、魚が空を飛んでる。

水上を跳ねる魚はあたしも見た事がある。漁をしている最中に、湖面をぴょんぴょんと跳ねて。しかも短時間でなら飛べていた。

これは違う。

多分ドラゴンなどの大型の飛行魔物と同じで。

魔力を使って飛んでいるのだ。

それが、横薙ぎに襲ってくる。

ボオスとタオが飛び出して、次々にそれを切り裂く。数匹、その斬撃を抜けたが。クラウディアが容赦なく撃ちおとしていた。

フェデリーカの舞いが止まっている。

「フェデリーカさん!」

「は、はいっ!」

完全に恐怖で足が止まっていたのだろう。

だけれども、あたしが叫ぶと、また舞い始める。

大丈夫、まだ経験が浅いだけ。

あたしは更に詠唱。

この様子だと、灼熱地獄に変えた川の中は、まだまだ魚がいるとみて良いだろう。続けて、熱槍を集中。

川に連続して叩き込んでやる。

爆発が何度もまき起こり。その度にセリさんが覇王樹を展開して、壁にして蒸気を防ぐ。

魚が次々に飛び出してきて、その覇王樹を軋ませるほどに襲ってくるが。レントもクリフォードさんもしっかり対応できている。

上空高く跳ねた魚。

頭に鋭い角が生えている。

それが、あたしに突貫してくる。凄まじい速度と圧だ。

それも、直線じゃない。

残像を作りながら、飛んでくる。

「フィー!」

「よしっ!」

あたしは爆弾を投擲。

さがりながら、それを起爆した。

超高速で動きながら迫ってきていた、角のある巨大魚だが。

その全身に、雷撃が直撃したのはその時だ。

空中で、凄まじい絶叫を上げる巨大魚。

躍りかかったウィルタさんが、ハルバードで首を叩き落とした。それでも魚は死にきれず、地面でばたばたともがいていた。

跳ねた首の切り口から、大量の寄生虫が蠢きながら出てくる。

あたしはそれを、魚もろとも熱槍で焼き払うと。

まだ続いている戦闘に、集中し直していた。

 

辺りが凄まじい臭いに包まれている。

川は地獄だ。

戦闘に巻き込まれた魚が大量に浮いているが。大型の危険な奴は、あらかた仕留めたとみていい。

更には、近隣にいて、血に誘われて寄って来たラプトルや走鳥、鼬なんかもあらかた仕留めておいた。

一度、橋の上に上がる。

既にかなりの石材、金属が運ばれて来ている。

戦闘が近くで行われているというのに流石だ。

もう二人いた例のメイドの一族の戦士が、人夫達の方に来た魔物を片っ端から始末してくれていたらしい。

あたしはそれらの魔物の死骸も、すぐに血抜きして、使えそうな素材は回収しておく。

荷車は一度、タオとボオスにアトリエに運んで貰った。

それくらい大量だった。

魚は、そのまま市場に売れそうなものはすぐに運んで貰った。

いたんでしまうと、売り物にならないからである。

近くの木は、下が血だらけだ。

血抜きをして、どんどん魔物を捌くからである。

それを見て、フェデリーカは青ざめて、戻しそうになっていた。まあ、慣れていなければこうだろう。

「大丈夫、影で吐いてきたら楽になるよ」

「す、すみません。 ちょっと行ってきます」

「最初は誰でもこうだからね」

フェデリーカが物陰で吐き始める。

それを責めるものはいない。

あたしだって、水に落ちて酷い目に遭った時の事は覚えている。トラウマというのは結構簡単に体に染みつく。

だから、早い内に吐き出した方が良いのだ。

角の生えていた巨大魚は、角を貰って。体内にあった強力な魔力の塊を貰っておく。

セプトリエンほどではないが、かなりいい魔力の塊だ。

これはいいなと思っていると。

サルドニカの戦士の一人が、あっと声を上げていた。

「こいつは……」

「レリック、知っているんですか?」

「は、はい。 何年か前に、この辺りで俺の子供をさらって川に消えた奴です。 顔についている傷が同じで……」

「そうでしたか。 仇はとれましたね」

ベテランの戦士だが。

涙を拭い始める。あたしは頷くと、大きなひれを切り取って、渡す。

「どうぞ。 墓前に」

「ありがとう。 ライザ様といったな。 俺はあんたの事は絶対に忘れない。 何かあったら、必ず助けになる」

「……」

ウィルタさんが、先に帰るように促す。敬礼をすると、男泣きに涙を拭いながら、レリックさんは戻っていった。

そのまま、夕暮れまで死体の処理をして。

売れそうな肉などは、サルドニカ側に渡してしまう。

皮などのうち幾らかは貰った。

フェデリーカも途中から体調を戻して、作業に加わる。血の量が多すぎたのだ。それで、ある意味酔ってしまった。

全ての処理を終えた後、アトリエに戻る。

サルドニカの北門で、戦士達に敬礼を受けた。

ウィルタさんとも其処で別れる。

多少、気分も良かったかも知れない。

タオが話しかけてくる。

「それでライザ、どうだった。 当世具足という東の防具、戦い方が分かった?」

「うん。 非常に実践的な装備だね。 ただ、はっきりいって作るのに工数が尋常でなく掛かると思う。 指揮官級の人間が装備出来れば良い方だろうね」

「パティに作ってあげたあの胸当てみたいな高級装備ってこと?」

「そうなるね。 だとすると……」

フェデリーカを一瞥したが。

フェデリーカは前衛で戦闘するタイプじゃないか。

タオ用に作っておくかな。

というのも、今後タオはヴォルカーさんが引退すると、アーベルハイムのナンバーツーになる。

相応の格に相応しい防具が必要になるだろう。

武具は問題ない。

あたしがグランツオルゲンを用いて、短剣をどっちもしっかり強化するからである。

タオ用にこの当世具足を仕上げておけば。

戦場では、それなりに目立つはずだ。

「クリフォードさんも欲しがってたよね」

「おう。 かなりロマンのある装備だぜ」

「またそれね……」

「少しは分かって欲しいもんだな」

セリさんが呆れて、クリフォードさんがロマンの素晴らしさを語る。まあ、それについてはいつもの光景だ。

というか、セリさんとクリフォードさん。

前よりも距離が近い気がするな。

まあ、他人の事はどうでもいい。

ただもしもくっつく気配があるようだったら、先に話はしておくべきだろう。

人間とオーレン族が交配した場合、母胎に大きな影響があって。最悪寿命を縮めるという話は。

アトリエに到着すると、さっと皆で手分けして動く。

コンテナに荷車から荷物を移す組。

クラウディアはキッチンに。

あたしは湯沸かしだ。

フェデリーカは少し悩んでから、キッチンを手伝う事にしたようだ。走鳥のうち、腹に人間の死体が入っていなかったものの肉を使って、料理する。

それとセリさんが薬草を用意してくれる。

前はあまり美味しいものではなかったが、最近はどんどん味を改良してくれている。

セリさんのためにあたしが色々した恩返しらしい。

この人も、相応に義理堅いのだ。

風呂を沸かした所で、クラウディアとフェデリーカが料理完了。良い香りである。

すっかり疲れているが。

アトリエの中は、余程の事がない限り安心だ。ゆっくり休みながら、団らんをとる。

ちょっとまだフェデリーカは緊張しているようだけれども。

それでも、少しずつ馴染み始めているのは分かった。

 

2、魔狼への道

 

フェデリーカにとって、父は唯一の家族だった。

別に悲劇だった訳でもなんでもない。母は早い段階でなくなった。500年以上前はともかく。今は簡単に人が死ぬ。母もその一人だった。流行病だったらしい。

サルドニカも、数年ごとに流行病が猛威を振るう。その度に偉い人間だろうが、屈強な戦士だろうが。関係無く死んでいく。

母は死んだ。

フェデリーカは生きている。

それだけだった。

周囲にも親がいない子供は珍しく無かった。そのためか、養子制度が発達していたのだが。

それでトラブルも多発して。

いつしか、ある程度社会的地位がある人間しか養子を取らないようになったし。

もしもそれで悪さをするような奴がいた場合。

何故か、いつの間にか死ぬという噂が流れていた。

理由はわからない。

ただ、この街では因果応報がある程度機能しているのは事実のようだった。

父も、かなり早い段階で死んだ。

幼い内から、フェデリーカも分かっていた。

父がずっと、ギルドが仲が悪くて、それで心を痛めている事は。

それで、父はその不和をどうにかしようと、手を打とうとしていたのだが。

それでもなかなか、上手く行かず。

ずっと研究していることも、どうにも完成が遠いようだった。

ライザさんに、それを話そうか。

ベッドの中でぼんやりしながら、フェデリーカは思う。

幼い頃に、少し年上だった許嫁が同じように流行病で死んでから。

フェデリーカに許嫁や結婚の話は来ていない。

この顔ももう殆ど覚えていない元許嫁も、そもそも孤児だった。

これについては、権力闘争の一環だ。

何処かしらのギルドの人間と婚姻すれば、それだけ工房長の立場が公平ではなくなる。

かといって、どこの馬の骨とも分からない奴と結婚したら。いきなり工房長がそいつに好きにされる可能性がある。

だから、牽制し合う、

そういう事らしい。

もしもフェデリーカが結婚出来るとしたら。

それは硝子ギルドと魔石ギルドの力関係が決定的に崩れたときだろうと思う。

もしくは。サルドニカのこのいびつな発展に新しい形が示されたときだろうか。どちらにしても、遠い未来に思える。

いや、違う。

ライザさんが来てくれた。

この人の凄まじいパワーは、フェデリーカには太陽のように思える。

この人がきてたった数日で、今までどうにもできなかった事が、幾つもどうにかなってしまっている。

だけれども、まだ足りない。

街にとって最大の外敵であるフェンリルをどうにかしたとき。

きっとギルド長も、ライザさんの実力を今以上に認める。

その時かも知れない。

もしも、動くとしたら。

起きだすと、ライザさんが声を掛けて来た。

「フェデリーカ、体調は問題無さそう?」

「はい、大丈夫です」

「顔を洗ってきて。 今日は街の北側を、更に色々と掃除して回るよ」

「はいっ!」

そう言われると、気合だって入る。

ぱんと顔を叩くと、すぐに水周りに。流石に皆慣れている。朝一番遅かったのはフェデリーカだった。

これでも10の頃から気を張って、

ずっと戦い続けて来たと思ったのに。

この人達は、修羅場のくぐり方も、人生経験も、それこそ次元違いだ。

フェデリーカなんて、まだぬるい人生だったのだろうと思う。

すぐに身だしなみを整える。

ライザさんは朝の体操も済ませたらしく。今は調合をしている。てきぱきと調合して、どんどん当世具足のパーツを作っているのが分かる。

それも二人ぶん。いや、三人分か。

あれは漆という染料を塗り混んだり、木材を何ヶ月も乾かしたりと、すぐに作れるものではないと聞く。

それが錬金術とライザさんの前にはこうだ。

そう思うと、生唾を飲み込んでしまう。

ウィルタが当世具足を着込んでいるのは、街の守りの要を担うに相応しい戦士だからであって。

地獄と言われる東の土地で戦い続け、生き残ってきた猛者だからだ。

軽く、外で舞いの練習をする。

足だけは引っ張れない。

見届け役だけではない。

しっかり戦闘で貢献したい。

多分ライザさんは、意味もなく危険な討伐行脚にフェデリーカを同行させたりはしないはずだ。

恐らく。

ギルド長達に、フェデリーカが一人前だと見せるために。

敢えて。

ただ、それは期待しすぎかも知れない。ライザさんなりに、フェデリーカを見極めようとしているのかも知れなかった。

体を温めて戻る。

すぐにミーティングが始まる。

この人達は。しっかりミーティングをして情報の共有をしている。それで、連携を更に密にしている。

良く堕落した組織内で行うような無駄な朝礼とかとは違う。

重要な情報をそれぞれが惜しみなく出して。

それで、しっかりそれぞれの強さに還元している。こういうやり方は、フェデリーカも見習いたい。

地図を拡げたのはタオさん。

クリフォードさんと、二人で知的活動を担当している。

この人が来てから、確かにぐっと色々分かりやすくなった。

王都で庶民から学者になったという知恵者だと聞くが。確かに話を聞いていると、それも納得出来る。

本なんか読むと即座に暗記できるようだし。

頭の出来が根本的に違うのだと分かる。

「橋については、もう問題ない。 次はこのまま降ってこの先にいこう。 この先に、フェンリルが潜んでいる集落跡がある」

「いよいよだな。 クリフォードさん。 一応、これ以上の情報はないんだよな」

「残念ながらな。 元々狼の仲間は群れで力を発揮する動物だ。 だが、フェンリルは違う。 単騎で最強の生物だ。 だから、狼と戦うつもりでは無い方が良いだろう。 それくらいだな」

「まったく、とんでもない化け物が世の中にはまだ幾らでもいるものだな……」

ボオスさんが呻く。

この人は、立場が近い事もあって、フェデリーカも親近感が湧く。

地図の上で。指を走らせるタオさん。

「この辺りに注意しよう」

「だいぶフェンリルのいると想定される場所から遠いが」

「この辺りは見通しが悪くて、敵の奇襲を受けた場合撤退が難しい。 敵も人間より立体的に奇襲が出来る」

「そこは……」

思わずフェデリーカは、口を塞ぐ。

確か、そこが逃げる避難民がフェンリルに襲われて、多くが死んだ場所だったからだ。

それについては、証言が残っている。

口をつぐむフェデリーカを見て。

タオさんは腕組みしていた。

「なるほど、そういう事件がもうあったんだね」

「はい」

「だとすると、変更だね。 此処、それに此処だ」

隘路の入口と出口をタオさんが指す。

ライザさんも、それに頷いていた。

「警戒する前と、その後の気が緩む瞬間を狙って来る可能性が高いと」

「そういうことだよ。 フェンリルという魔物がどれくらい強いかは分からないけれど、もしも狼がとても大型化した生物だとすると、非常に知能が高い可能性が高い。 単純な戦術くらいは使ってくる可能性があるね」

「魔物が戦術を使うんですか!?」

「侮っちゃダメだよ魔物は」

ライザさんが釘を刺してくる。

フェデリーカは思わず口をつぐんでいた。対魔物という観点では、この人は多分世界でもトップクラスのスペシャリスト。王都最強の戦士でも多分及ばない。

各地に一族がいるという、アンナと同じ一族の戦士でも、ライザさんには一歩及ばない雰囲気がある。

だとしたら、その言う事は聞くべきだ。

職人は実力主義。

フェデリーカもお父さんから、ずっと技術を叩き込まれた。お父さんが命を落としてからも、自分で技術を磨き続けた。

お飾りの工房長とはいえ、それでもギルド長達がフェデリーカを工房長にしているのは。技術的にその名を汚さないからだ。

そういう事もあるから。

フェデリーカは、実力のある人物はどういう存在であろうが、尊敬する習慣を身に付けていた。

勿論ライザさんは錬金術師としても凄まじい。

少なくとも、未知の存在を怖がり、迫害するようになってはおしまいだ。

フェデリーカはそんな風になるつもりはない。

「とにかくどんな相手かまったく分からない。 皆、気を付けて出向くよ」

「とりあえず、まずは露払いからだな」

「うん。 無理をしないで進もうね」

レントさんが立ち上がり。

ライザさんが頷くと、皆すぐに戦闘態勢に入っていた。

すごいなこの人達。

本当に、百戦錬磨なんだ。

そう、フェデリーカは間近で思い知らされていた。

 

流石は職人の街。

サルドニカ北の橋は、既に修復が終わっていた。あたしはその様子を見て、何度か頷かされる。

技術はどれも見て吸収しておきたい。

橋から降りて見ると、川に大きな鉄柵が植え込まれていた。

大型の水中の魔物があらかたいなくなったタイミングで、こうした処置をして。更には、柵には魔術的な防御も仕掛けてあるようだ。

魔石が幾つか埋め込まれていて、それで強力な防御魔術が仕込まれているようである。まあ、雑魚ならそれで退けられるだろう。

橋の方は、要所を金属で修復し。

また、何かしらの硬化剤を用いているようである。

他にも何カ所か、要所にてこみたいな構造が入っている。

いずれ多分、この橋は根本的に崩して作り直すのだろうが。これで当面は大丈夫だろう。

橋の修復の技術を見て、吸収する。

こういう技術の吸収は、いつも楽しい。

タオは本を読むと内容を今ではすっかり暗記できるらしいが。

あたしは空間把握力がどんどん増していて。

今ではこうやって、ものの造りを即座に覚えられるようになっていた。

「よし、覚えた」

「あ、相変わらず怪物じみていますね……」

「ライザと一緒にいれば、こんなの驚かなくなるよ」

「はい……」

フェデリーカが青ざめている。

まあ、刺激を受けてくれればそれでいい。

ギルド長達は、あたし達の事は報告を受けているはず。それでフェデリーカを放置していると言う事は。

或いは、心のどころかで、野心以上にサルドニカを大事にする気持ちがあるのかも知れなかった。

橋の奧には、廃集落があって。

その辺りまで、前線をサルドニカの警備は押し上げたようだった。

人夫が行き交っているが、廃集落の辺りにはラプトルが彷徨いていて。警備の戦士達が緊張した様子でそれを見守っている。

ウィルタさんがいたので、敬礼。

今日はもう一人だけ、例の戦士がいた。多分戦線が拡がったから、この一族も一箇所に纏まっていられないのだろう。

「どうですか様子は」

「この先の集落にラプトルがおよそ三十。 大型のボスに率いられていて、此処の面子だと倒せても大きな被害が出ますね。 昨日追い払われた魔物も、かなりの数が周囲に集まっています」

「分かりました。 駆逐します」

「お願いいたします」

ウィルタさんが、叫びを上げる。

アララライ、と聞こえた。

戦士達も同じように声を上げる。

こういったいわゆる「ウォークライ」という奴は、場所によってかなり違うと聞いている。

タオはこういうのにも知識がある。

東の方では「えいえいおう」とか「えいとうとう」とか叫びを上げるらしいし。

寒冷地の方では「ウラー」とか声を上げるらしい。

名乗りなどと同じで、こういう「ウォークライ」というものは、戦闘状態に自分を切り替える合図になる。

戦士として鍛える人間は使うことがある。

クーケン島ではただおおっとだけ声を上げていたが。

それで、随分と戦意がたぎったものだ。

あたしもアガーテ姉さんに教え込まれて、それを覚えた。

いずれにしても、後ろは大丈夫だろう。ウィルタさんは例のメイドの一族だ。生半可な魔物に遅れはとらない。

一線を踏み越えると、案の場ラプトルがわらわら出てくる。

かなり大きなラプトルの群れだが。この程度なら問題はない。

昨日倒し損ねて逃げ散った魔物。

それに、昨日かなりの魔物が倒されて、その縄張りを狙って来た奴。

それらが、わんさかいるのが問題なのだ。

「今日は先に進めるかちょっと怪しいかな……」

「とりあえず、総力戦だ! 最初から飛ばしていくぞ!」

「おおっ!」

弱気なタオを、レントが激励。

皆で雄叫びを上げる。

わっと襲いかかってくるラプトル。

先頭の一体がレントに躍りかかる寸前に、セリさんが地面に手を突き、地面を喰い破って食虫植物がラプトルを跳ね上げた。

かなり巨大な食虫植物だが、ラプトルはそれに食いつかれても抵抗するくらいの大きさである。

そこを、レントが右に左に斬り倒す。

凄まじい速度で襲いかかってくる何か。

タオが即応。

激しく弾きあって、互いに吹っ飛ぶ。

見ると、鼬だ。

かなり美しいコバルトブルーの毛皮をしている。

続いてもう一匹。

クリフォードさんが対応、弾き返す。

四方八方から、鼬が高速で仕掛けて来る。

「気を付けて、次は三体同時!」

クラウディアが叫ぶ。あたしが一体を蹴り砕く。それぞれはそれほど強くは無いが、速度に特化した種類か。

やっぱりサルドニカはエサ場と見なされているんだ。

戦士達がそれなりにいるとしても、これでは消耗が激しいはずである。色々な魔物が、エサを求めて来ているのだから。

まてよ。

こんな状態で、どうして発展できている。

やはり、あのメイドの一族か。

そうなると、王都だけじゃない。

この世界、人間のあり方を。あの一族が、ある程度掌握しているとみるべきなのではないだろうか。

ともかく、今は戦いを続ける。

激しい飽和攻撃を迎撃。

一発、直撃を貰って吹っ飛ぶ。受け身を採って跳ね起きるが、防御を喰い破られて派手に傷を受けていた。

飛び退いた鼬が、口を真っ赤にして唸るが。

即座にクリフォードさんのブーメランが、頭上から鼬を叩き潰していた。

「まだ来る!」

「なんだありゃあ……」

レントが呻く。

それは巨大な半円形をした魔物だ。鱗……いや違う。あれは虫と同じキチン質だとみていい。

それがもそもそとこっちに来る。

魔物が、そいつを避ける。

ああ、なるほど。

この猛烈な臭いが要因か。

地面に叩き落とした鼬にとどめを刺していたボオスが飛び退く。レントが、前に出ていた。

長さはレントの背丈の三倍はある。半円形だから、高さもその倍近くにまで達している。

赤黒いそれは、文字通りの移動要塞だ。

だが、フェデリーカが動く。

激しく舞う。

フェデリーカの汗が飛ぶと、それだけ強烈に能力強化が掛かるのが分かる。

ふいに、要塞型の魔物がまるまると、高速回転を始める。そして、突貫してきた。

セリさんが即応して覇王樹を展開するが、それをブチ抜いて来る。ただし、速度は落ちて。

レントがフルスイングした大剣と、魔物が激しくぶつかり合う。

「おおっ……!?」

フェデリーカの舞いを受けて、更にあたしの装飾品の強化を受けているレントが押されるだと。

この辺り、相当に凄い魔物がいるな。

あたしが詠唱開始。

同時に、クリフォードさんが前に飛び出し、巨大なブーメランで、二点から押さえ込みに掛かる。

凄まじい火花が散っているのが見えた。

まだ襲ってくる鼬は、ボオスとタオが対応。あたしは目を閉じて、詠唱に全力を投じる。クラウディアが矢を連続して放っているのは、多分他の魔物を牽制するため。セリさんが、うっと呻いた。

多分鼬の攻撃で、傷を受けたのだ。

やっぱり、この辺り魔郷だな。

そう思いながら、あたしは詠唱を完了。

ぱんと、胸の前で手を合わせる。

二万の熱槍を収束。

レントと、クリフォードさんが、息を合わせて飛び退いていた。

踏み込む。

あたしの切り札である蹴り技と。

魔術の集大成である大火力熱槍の合わせ技。

投擲する大熱槍。

そろそろ正式に名前をつけてやりたいが、まだ術式の再構成途中だ。多分クエーサーと言う名前になるだろうが。

それはそれとして、今はぶっ放す。

全力で投擲した収束熱槍。

それに対して、巨大な球体になっていた魔物は、今度は真横に超高速回転を開始する。それが詠唱になっているのは分かる。

その詠唱が、恐らくは防御術。

それも、壁を作って受け止める系統ではなくて。

攻撃の指向性を逸らす斥力系のものだという事も。

だが、直撃。

激しく逸らす力が働くが。

残念だけれども、魔術の大火力を極限まで磨いた今のあたしの熱槍。

小手先の技で、防ぎきれるほど甘くは無い。

一瞬の拮抗の後。

熱槍が球体の魔物を貫通。

炸裂していた。

思わずフェデリーカが耳を塞いでいる。

爆発音がとどろき渡り、街道だった場所に熱の放射が容赦なく地面を抉る。遠くでキノコ型の雲が上がり。

そして、多数の魔物が巻き込まれていた。

クラウディアが、声を掛けて来る。

「周囲の敵勢力、沈黙したよ」

「ふう……」

厄介な敵だった。

そのまま、薬を取りだすと、皆の手当てを始める。あたしも対応出来ないくらいの速度で動き回る魔物か。

結構危険だな。

薬をねじ込む。

傷を治すだけではなく。免疫力を高める意味もある。

魔物の牙や爪には、どんな病気を誘発するか分からない恐ろしさがある。そういった病気を打ち消すためだ。

フェデリーカを見ると、苦笑いしていて。そしてへたり込んでしまう。見ると、何カ所か抉られていた。

すぐに横にして、手当てをする。増血剤も飲ませる。

後方でも戦闘をしていたらしく、ウィルタさんが来る。

そして、直線上に抉られている地面を見て、絶句していた。

「これはまた、派手にやりましたね」

「切り札を切らざるをえない相手でしたので」

「……周囲の魔物の気配はありません。 更に前線を押し上げられそうです」

「戦士をもっと雇った方が良いと思います。 この先には例のフェンリルがいると思いますから」

頷くウィルタさん。

フェデリーカが青ざめたまま、予算は出しますと言って。頷いて、ウィルタさんが一度戻る。

あたしは建築用接着剤の提供について考えながら。

自身の手当ても開始していた。

その間に、タオがさっきあたしがぶちぬいた球体の魔物の残骸を拾ってくる。

「ライザ、見てこれ」

「さっきの奴の装甲?」

「うん。 どうも昆虫と同じ成分に、更に金属を加えているようだね」

「金属を体内に取り込む生き物か。 魔物ってのはすげえな……」

レントがぼやく。

クリフォードさんが何か言おうとしたようだが、止めて横になる。

ボオスが荷車を手に、手伝ってくれというと。セリさんが、今回は手伝うようだ。

これは、簡単には進めない。

分かっている。

あの魔物、わざわざ出て来たと言う事は。

奧にいるフェンリルの強さはそれ以上とみて良い。

魔物は基本的に、強くなれば強くなるほど狡猾になる。

さっきの球体の奴、あたしが切り札を切るくらいの強さはあった。フィルフサの雑魚よりは強かったと思う。

弱めのフィルフサの将軍並みか、それに近いかも知れない。

そう思うと、あたしは無言になる。

近隣で頂点ですらない魔物がこの実力だ。フェンリルがドラゴンに近い強さを持つという話。

話半分ではないと思ったからだ。

手当てが終わり、体力が戻って来たので、魔物を捌き始める。クラウディアが始めていたので、それを手伝う。

フェデリーカには、寝ていて貰う。

今の戦闘は、相当に厳しかっただろう。貧血を起こしているようだし、まだ動かない方が良い。

そのまま毛皮を剥ぎ、肉を燻製にして、牙を爪を剥がして。使えそうなものはどんどん回収していく。

周囲を見ると、今まで見た事もない薬草がかなり生えていた。

この地方の薬草はあまり知識がないようなので、セリさんにも渡して解析して貰う。あたしはあたしで、錬金術で解析するが。それはそれぞれの得意分野を担当する、というだけの事だ。

何回か荷車を往復させて。

薬をそれなりに使って、回復を済ませる。

まだ昼少しか。

「よし、この傷んだ街道を直して、それで今日は戻ろう」

「随分と慎重だね」

「まだしばらくあるでしょ。 それでこれだけ強いのが出てくるとなると、はっきりいってサルドニカの周囲にはまだまだ強い魔物がいるとしか結論出来ない。 だったら丁寧に進んでいくしかないよ」

「確かにそれもそうだ」

タオも納得してくれる。

あたしは伸びをして、それで荷車に建築用接着剤を積みに一度戻る。

フェデリーカはアトリエに残して、休んで貰う。

さっきの戦闘を一緒に経験しただけで今日は充分だ。

 

3、フェンリル襲来

 

サルドニカ北での戦闘は熾烈を極めた。

三日掛けて前線を押し上げたのだが。橋の先は複雑な地形になっていて、川が入り組んでいる事もある。

簡単に進める状態ではなく。

廃棄されている集落も、周囲を警戒できるように塔が基本的に配置されていた。その塔も、殆どが破壊されており。

この辺りが、すっかり魔物のエサ場になっていた事が分かる。

たくましい商人の中には、サルドニカの北側で激しい戦闘が行われ、多くの獣肉や毛皮が仕入れのチャンスだと言う事を理解している者がいて。

門近くにバザーを開いて、それで商売を始めている有様だ。

その中に、見知った顔を見て苦笑する。

ロミィさん。

クーケン島にも時々顔を出していた、小柄な女性の商人である。王都でも会ったっけ。

ロミィさんも、あたしを見て苦笑い。

最近は商会が更に大きくなってきているらしく、バレンツの傘下に入ることを検討しているそうだ。

いずれにしても、魔物が来る可能性がある。

その警告はして、毎日北門から出る。そして、少しずつ戦線を押し上げる。

ギルド長達は、その様子を街の街道から見ている。

魔物に怖れるしかなかったサルドニカの人々は、連日強力な魔物が沈んでいるのを見て、それで奮起しているらしい。

戦士用に装備を作る革細工ギルドや鉄鋼ギルドが、頑張っているようだ。

硝子ギルドと魔石ギルドだけがサルドニカではないというように。

そしてそれは、健全な事だと思う。

過剰な競争は却って力を削いでしまうが。

こういう健全な競争の範囲なら、むしろ力を増す事につながる。

あたしも安心して、どんどん魔物を撃ち倒す。

ただ、あいつらとの。

フィルフサとの戦闘経験があるあたし達でも、この辺りの魔物は油断出来ないとは、感じていたが。

東の地は更なる激戦地だと聞く。

それは恐ろしい場所なのだろう。

丘に出た。

ここから先は更に地形が複雑だ。

川が流れ込んでいて、池が複数出来ている。

地形が隆起していて、視界が悪い。

此処が、問題になっていた隘路の入口だ。様子を確認。クラウディアが音魔術で探っているが。

やがて、大きなため息をついた。

「ダメね。 地形が複雑すぎて、音が届ききらない」

「クラウディアがそんな風に言うのは初めてだな」

「うん。 ごめんね。 池とか滝とかあって、どうも届く音が複雑すぎるの」

「とりあえず、地図から起こそう。 現在ある地図と一致しているか確認して、それか……」

タオが止まる。

いや、全員が止まる。

この気配。

一人だけ気付けていないフェデリーカの手を、セリさんが引く。即座に全員がバックステップ。

来る。

そいつは、あまりにも堂々と接近して来る。

そして、うなじが逆立つ程の威圧感が、びりびりと体を圧してくる。

間違いない。

これが問題のフェンリルだ。

「ど、どうしたんですかみなさん」

「フェデリーカ、多分逃げた方が良い。 まっすぐ後ろに下がって、ウィルタさんの方へ逃げろ」

「! フェ、フェンリルですか」

「間違いない。 この強烈な気配、僕達が知っている最悪の魔物の……それもかなり強い奴に近い」

タオがそう告げるが。

フェデリーカさんは、ばっと扇を構える。

戦う、というのだ。

まあいい。

支援型のフェデリーカさんだ。

守りきれば問題ないだろう。

あたしは、深呼吸すると。

皆に指示を出す。

「いつも通りに。 隙を見て、あたしが最大火力を叩き込む」

「分かった。 どうやら、久々に冷や汗ものの相手みたいだな」

「向こうも此方を伺っているようね。 散々魔物が蹴散らされているのを感じて、興味を持ったみたい」

セリさんがぼやく。

まあ、向こうから出て来てくれればそれはそれでいい。

それにしても、真っ正面から来るこの凄まじい気迫。

これは周辺にて敵無しだから、なのだろう。

奇襲とか、する必要もない。

だが、格上と戦うことがなかったせいで、結局カスに落ちた奴をあたしは知っている。

だから、それが必ずしも良い事では無いと、教えてやるだけだ。

不意に、事態が動く。

いきなり。目の前に巨大な。

白い毛皮の。口に剣を咥えた。毛を逆立てた、巨大な狼が出現していた。背丈はあたしの三倍。体の長さは、更にその倍。

魔物としては大の中、くらいの大きさだが。

この威圧感、尋常では無い。

一瞬のにらみ合いの後。

狼が。

フェンリルと呼ばれるそれが、不意に躍り上がった。

レントが仕掛けるが。

いきなりフェンリルの気配が背後に。とっさにセリさんが展開した覇王樹を、腕の一振りで全部吹っ飛ばす。

何となく分かった。

此奴の能力、さては空間移動か。

それも、魔術を詠唱すらせずにそれを出来る。

セリさんを庇って、クリフォードさんが前に。振り下ろされた前足を、ブーメランで迎撃。

発止。

激しい激突とともに、クリフォードさんが吹っ飛ぶ。

側面に回り込もうとするタオ。

だが、フェンリルがまた残像すら作らず別の場所に移動。

今度は真上か。

ぞくりと、背筋に悪寒。

あたしは、フェデリーカを抱えて必死に跳ぶ。

次の瞬間、地面が両断される。

おそらく数百歩分の地面が、真っ二つに切り裂かれ。遠くで、二つに割られた樹木が。倒れるのが見えた。

どっと冷や汗が出る。

フェデリーカが、完全に硬直している。

これは、まずい。

ギアを上げていく。フィルフサの将軍、それもかなり強い奴と同格。ドラゴンの、それなりに年齢を経た個体並み。こんな魔物がいたなんて。

だが、それでもだ。

少しずつ分かってきた。

此奴が使っているのは、アンペルさんと同じ空間操作。

空間操作で自分を移動させ。

空間を操作する事によって、相手を防御すら許さず切り裂く。

隙は。

しかけるレントとボオス。

レントの一撃を剣で受け止め、ボオスに対して後ろ足で蹴りを叩き込むフェンリル。更には、後方から飛んできたブーメランを尻尾ではたき落とし、いきなり移動する。

今度は、セリさんの真横か。

だが、即応するあたしが、熱槍を叩き込む。

ぐわんと空間が歪んで、熱槍が散る。

空間操作か、これも。

多分防御するよりも、空間をねじ曲げて熱槍を届かないようにしたのだ。

だが、その直後に、追撃を仕掛けてくる訳では無い。ゆっくり此方を伺うように動き、そして背後を狙って来る。

なるほど、少しずつだが。

分かってきた。

セリさんが飛び退き、フェンリルを囲むように食虫植物を出すが。フェンリルが数株を斜めに切り裂き。その攻撃を回避する。

クラウディアの矢が、数本直撃するが、毛皮に阻まれて貫くにはいたらず。

大きめの矢を構えると、即座に消えるフェンリル。

「畜生、やりたい放題かよ!」

「タオ!」

「分かってる! みんな、この魔物の能力は空間操作だ! 魔物特有の強力な魔力をふんだんにつぎ込んで、空間を跳んで、空間を切って、空間を壁にしてる!」

「なるほどな、合点がいった!」

今度はクリフォードさんとレントの間に出現したフェンリルが、二人同時に前足後ろ足でけり跳ばす。

二人とも、剣とブーメランで受けきるが、それでも吹っ飛んで受け身を採る有様だ。

凄まじすぎるのだパワーが。

あたしは前に出ない。タオが仕掛けて、斬撃を叩き込む。五月蠅そうに追い払いに掛かるフェンリル。

やっぱりな。

恐らくだが、フェンリルは詠唱せずに空間操作の魔術を使っているが、それには制限がある。

制限なしだったら、横薙ぎにあたし達を一発で全滅させている。

多分だが、あの空間操作は縦か斜めにしか使えない。

それだけじゃない。

また空間を跳ぶフェンリル。

だが、その時。

あたしの熱槍が、フェンリルの毛皮を直撃していた。

あたしの背後に出た所を、即座に狙ったのだ。

慌てた様子で飛び退くフェンリル。炎を振り払う。

やはりな。

連続での空間操作は使えない。今のを防がなかったのは、防げなかったのだ。

攻撃の直後も、空間操作をせずに、身体能力で此方の攻撃を防いでいた。要するに、空間操作という大魔術を連発は出来ないし。ためも必要になるのだ。

唸りながら、体勢を低くするフェンリル。

その時、その背中に。

クラウディアの矢が。突き刺さっていた。

さっき、直上にクラウディアが矢を放っているのを見たが。

それが、ホーミングして突き刺さったのだ。

ギャッと悲鳴を上げると、フェンリルが空間転移。

今度は、そっちか。

フィーが、懐の中で向きを変える。

それで、だいたいの位置が分かる。

それに、クリフォードさんも段々相手の動きが掴めてきたようである。この辺、歴戦の勘という奴だ。

空間を跳んだフェンリルに、再びあたしの熱槍が炸裂する。

フェンリルは炎を弾きながら飛び下がり、頭を振る。この様子だと、余裕がないとあの空間切断は放てないな。

そのまま、タオが追いすがる。

ボオスも、長剣で斬りかかる。

フェンリルは、其処で。

動きを止めた。

凄まじい魔力が放出されて、二人が吹っ飛ばされる。

此方まで、物理的圧力を伴うほどの魔力が、叩き込まれてくるほどだ。

がっと、地面に頭を叩き付けるフェンリル。

それが詠唱だと気付いた時には、もう遅かった。

全員が、空中に投げ出される。

これは、恐らくだが。

地面に、空間操作の魔術を叩き混んだ。それで、辺りの地盤を、突き上げるように滅茶苦茶にしたのだ。

吹っ飛びながらも、あたしはフィーの動きに沿って、詠唱を開始。熱槍十本が限界か。来る。即座に熱魔術の使い方を切り替える。

吹っ飛んで身動き取れないあたしに。全力で突っ込んでくるフェンリル。

凄まじい魔力を放ち、全身が真っ赤に燃えているかのようだ。

だが、あたしは熱操作で、空中機動。

攻撃を、間一髪でかわす。

地面に降り立ったフェンリルに、クラウディアが多数の矢を乱射。それが突き刺さりまくるが、フェンリルはそれでも屈しない。凄まじい速度で走り始める。

今までは様子見。

こっちを敵として認めて。

全力で戦うつもりになった、ということだ。

面白い。

その全力、最初で最後にしてやる。

あたしはそのまま、詠唱を続行。地面に着地。タオがレントと一緒に、フェンリルに斬りかかる。フェンリルが空間操作で、二人を明らかに明後日の方向に弾き飛ばす。其処に、立て続けにクリフォードさんのブーメランが襲いかかるが、今度は身体能力で回避して見せる。

でかいのに、なんて速さだ。

「フェデリーカは見に徹して!」

「は、はいっ!」

頭を抱えてふるえているフェデリーカに叫ぶ。

フェンリルも、フェデリーカを敵だと思っていない。後回しでいいと思っている。

セリさんの食虫植物による地中からの攻撃を残像を作りながら回避するフェンリル。つまり、力をため込んでいると言う事だ。

頷くと、ボオスが前に出る。

そして、抜き打ち一閃。

二刀のうち、サブウェポンの短剣で、フェンリルの喉から背中に掛けて切り上げていた。

見事な一撃だが、まずいと判断したのだろう。

フェンリルが空間を跳ぶ。

次、真後ろ。

振り返り様に、あたしは踏み込む。

フェンリルが、あたしを見たとき。

熱槍十五を収束させたものを、踏み込みながら全力で叩き込む。吹っ飛ぶフェンリル。火だるまになる。

其処に、更にクラウディアが、バリスタみたいな矢を叩き込む。

「クラウディア、セリさん! 避けて!」

「!」

矢ごと、あの空間斬撃が切り裂く。それは、クラウディアとセリさんを巻き込んで斬る所だった。

だが、この瞬間。

決定的隙が、生じていた。

「捕まえたぜっ!」

空から飛び降りてきたレントが、地面を打ち砕くほどの凄まじい斬撃をフェンリルに叩き込む。

空間切断は、アンペルさんでも苦労していた術式だ。

それをこうぽんぽん連発して。しかも、あたし達からダメージまで受けている。

それで、隙が出来ない筈がない。

ついに、完全直撃が入る。

背中から脇腹に掛けて切り裂かれたフェンリルは、内臓をばらまきながらも、それでも咥えた剣を振るってレントに反撃を仕掛ける。

だがその時には、あたしがフェンリルの死角に。

そして、踏み込み。

フェンリルが、危険を察知した瞬間。

渾身の蹴りを叩き込んでいた。

フェンリルの下あごが、砕けるのが分かった。

剣を取りこぼすフェンリル。

後方に跳ぶ。

だが、其処は。

セリさんの攻撃範囲だ。

即応したセリさんが。全身に蔓を巻き付ける。フェンリルは一瞬だけ、蔓ごと切り裂くか、それともと判断しようとしたようだが。

その時にはタオが追いすがり。

その二刀を、傷口に叩き込み。

一瞬遅れてクリフォードさんが、頭からブーメランをブチ込んでいた。

ついに、蹈鞴を踏むフェンリル。

蔓を全部まとめて、空間切断で吹っ飛ばしたのが最後の頑張りだっただろう。内臓を垂らし、血を噴き出し。

そして、大きく息をついているフェンリルの前に。

あたしが歩み寄る。

「良い勝負だった。 今、楽にしてあげる」

頭から流れ出る血を拭いながら、あたしが語りかけると。

フェンリルは、砕かれた顎で。

それでも、にやりと笑ったように思えた。

上空に作りあげた熱槍を収束して、そのまま串刺しにする。

最後の断末魔は。

上がらなかった。

 

横倒しになったフェンリルの死骸。レントが、無言で首を切りおとしていた。

ボオスが腰を下ろす。

頭をぐしゃぐしゃとかきむしっていた。

「まったく、命が幾つあっても足りないぜ」

「でも、今までで最強の敵ではなかったな」

「……それもそうか」

「い、今までどんな相手と戦って来たんですか」

完全に腰が抜けているフェデリーカさんが、そう突っ込む。

なお粗相をしてしまっていたが、誰もそれは責めない。仕方がない。範囲攻撃でみんな吹っ飛ばされた時に、恐怖で粗相をしてしまったらしい。クラウディアが物陰につれて行く。

まずは手当てからだ。

レントは無言で、ウィルタさん達に首を届けに行く。レントも無傷とは程遠いのだが、それでもまずは手数が欲しい。

薬を塗り込む。

これは、肋骨をやられたな。

そう思いながら、回復促進の薬も入れる。

昨日見つけた炎みたいな草もそうだが。この辺りには薬効が強い薬草が多く。薬はかなり優れたものを作れる。

顔を赤らめて戻って来たフェデリーカの手当ても済ませる。まだ脳内物質が出ているから良いが。

手当てを急がないと、痛みで動けなくなるはずだ。

指の手当てをする。

フェデリーカはさっきの範囲攻撃に巻き込まれて、右手の薬指と小指がグシャグシャに折られていた。

それがきちんと治る。

「指の感じは問題ない?」

「は、はい。 きちんと動くと思います。 でも……」

「ああ、あたしは気にしないで。 このくらいはしょっちゅうだから」

顔を拭いて、血をとるのは後回しだ。

次。

セリさんもかなりやられている。横にして、手当てを。

程なく。ウィルタさんが何人かつれてやってきた。流石に倒れているフェンリルを見て、戦士達が絶句していた。

「こ、こんなとんでもない化け物だったのか!」

「誰も勝てないわけだ……」

「貴方たち、周囲を警戒。 今、このフェンリルを倒したライザさん達は、手当ての最中です」

「はっ!」

さっと戦士達が散る。

ふと気付く。

例のメイドの一族の人が混じっているが、どうも動きがウィルタさんや王都にいたカーティアさんなんかと比べると鈍いな。

まあいい。

同じ顔でも、経験の差とか色々あるのだろう。

ともかく皆の手当てを進めていく。

やがて、日が傾く前くらいには、フェンリルの皮を剥ぎ。肉を削ぎ。内臓を分別することにも成功していた。

腹の中にはそれこそ何でも入っていた。

もう痛み始めていて凄まじい臭いだったが。人間の髪の毛の残骸らしいものも。

それについては、引き渡しておく。

他は、全て燃やす。

仮に人間の肉だったとしても、これはもう見分けがつかない。この髪の毛も、誰のものか分かるかどうか。

毛皮については、これはとんでもない。

今まで大物の鼬の毛皮を使っていたが、それが霞むほどだ。魔力の含有量が尋常じゃない。

咥えている剣も、これは多分だけれどもフェンリルが何らかの形で生成したものだと見ていい。

剣としてはあまり使えそうにないが。

手にするだけで、じんわりと暖かい。

これはひょっとするとだが。

グランツオルゲンに混ぜることで、純粋な強度を跳ね上げる事が出来るかも知れない。まだセプトリエンが低品質な事もあって、グランツオルゲンは完成には程遠い状態なのだ。

骨については、そこまで貴重でもないか。

肉も燻製にしてみたが、それほど美味しいものでもない。

サルドニカ側に引き渡しておく。

多分、燻製にして傷まないようにすれば、縁起物か何かとして話題にはなるだろう。ただ、人を喰らった魔物の肉だから、あまり食べる事はおすすめ出来ない。倫理的な問題よりも、よく分からない病気になりやすいのだ。

内臓を漁っていたら、案の場出てくる。

これは素晴らしい。

高密度の魔力結晶。多分バシリスクの体内から出て来たのに近い質だ。

残念ながらセプトリエンには届かないが。

それに近い代物である。

これは使い路があるだろう。

陽も暮れ始める。

クラウディアに促されて、一度戻る。クラウディアとボオスは、後でアトリエに帰るという事だった。

「ひょっとしてギルド長達と話が?」

「ああ。 そういうことだ」

「クラウディアは大丈夫だろうけれど、ボオスは平気?」

「これでも鍛えて来たんでな。 それとさっき飲まされた毒みたいなののおかげで体力は戻ってるよ」

ボオスに思いっきり嫌みを言われる。

まあ、かなり濃いめの栄養剤を無理矢理飲ませたが。

ボオスも主に味的な意味で割と頭に来ていたらしい。効果を上げるとどうしても味はおざなりになるので、それは勘弁して欲しい所である。

フェデリーカが、ふるえる手を上げる。

「その、それだったら私も」

「ダメ。 今回は私達に任せておいて」

「その様子だと、気を抜いた瞬間に気絶するだろ。 良いから、今日は休んでおけよ。 あんな化け物の圧を間近で浴び続けたんだ。 無理をすると精神に傷を受けて二度と戦えなくなるぞ」

「そういうことだ」

レントもそういうので、フェデリーカはそれじゃあお願いしますと肩を落とすのだった。

仕方がない。

戦闘経験が違い過ぎるのだから。

だけれども、フェデリーカはあの圧を受けながら、それでも耐え抜いた。とても今後の見込みがあると思う。

だから、今後は頑張れば良い。

生き残ったのだ。

頑張る機会はいくらでもある。

実戦に次はないと良く言うが。

実際の所、歴戦の戦士同士の戦いになると、引き分けることはよくあるそうである。必ずしも次は無い、という事はないのだ。

フェデリーカは支援専門と言っていたが、あの舞いは戦闘に応用できる筈。やりようによっては、前衛も張れるかも知れない。

いずれにしても、まだまだ経験が浅いと言う事は伸びしろが大きいと言う事なのである。

ともかく、アトリエに戻る。

街の中央広場では、顎を砕かれたフェンリルの首が飾られて。それをサルドニカの人々がわいわいといいながら囲んでいた。

サルドニカを怖れさせ続けた、フェンリルの死。

中には石を投げている人もいる。

此奴に家族を殺されたのかも知れない。

それだったら、そうする権利はあるだろう。あたしは、止めるつもりは無い。ただ、仇であるフェンリルは死んだのだ。

それ以上は、必要ないとも思ったが。

アトリエにつくと、後は順番に風呂に入って。それで夕食にする。この辺りに住んでいる魔物で、比較的おいしいのは小型の鳥だ。小型といっても翼を拡げると三歩ぶんはゆうにあるが。

それでも肉はあく抜きさえすればちゃんと美味しくなる。

牛の肉とかも、さっきバザーで仕入れておいた。

それらで、料理をセリさんが作ってくれる。風呂の後で、がつがつと食べさせていただく。

フェデリーカは完全に青ざめてベッドで死んでいる。

これは明日くらいまでは使い物にならないだろう。

食事も腹に突っ込んで、それですっきりする。横になると、懐からフィーが出て来て、周囲を飛び回る。

「フィー……」

「手強い相手だったね。 でも、助かったよ」

「フィー! フィーフィー!」

「あの素早い対応、フィーの支援もあったのか」

フィーも確実に成長していると言う事だ。いや、まて。

あのエンシェントドラゴンの西さんが門に関係していて。フィーもそれに関与している種族だったとしたら。

空間操作は、むしろとても種族的に適正が高いのか。

いや、なんともいえない。仮説の域を出ない。仮説はあくまで仮説だ。胸にしまっておくことにする。

しばしして、クラウディアとボオスが戻ってくる。

そして、幾つかの打ち合わせをした。

「ギルドとしては、フェンリルが住み着いていた集落の辺りまで、前線を押し上げて欲しいということらしい。 硝子ギルドも魔石ギルドも同意見だそうだ」

「別にかまわないけれど、フェンリルと同等の魔物がいても不思議じゃないよ。 前線を押し上げるつもりなら、ウィルタさんと同等の戦士が、常に貼り付くくらいの覚悟がいるだろうね」

「それについては同意見だね。 私としても伝えておいたよ」

「僕としては、もう少し先まで探索しておくのは悪くないと思う。 どっちにしても、奧を調査すれば、どんな魔物がいるか調べられるだろうし」

それもそうだ。

滝の向こうは徐々に標高が下がっていって、やがて洞窟に出るそうである。

その洞窟が、例の古代に使われていた鉱山らしい。

だとすれば、珍しいものがたくさんあってもおかしくない。探してみる価値は、存分にあるだろう。

ボオスの頭にフィーが乗るが。

ボオスも、ため息はつくが追い払おうとはしなかった。

もう、信頼関係があると言う事だ。

後は、休む事にする。

流石にあのフェンリルなみのが群れているとは思わないが。フェンリルが何かに追われて、人里に近付いた。

その可能性は、否定出来ないのだから。

 

4、ギルド長の思惑

 

サルドニカの権力構造は単純である。

古参の魔石ギルド。

これは街の最初からあるギルドで。街の創設者が、魔石の加工法を教え。それが今に伝わっている。

魔石の加工は職人芸の世界で、細かい道具を使って人間の極限まで細部を拘りながら作り抜く。

魔石は極めて繊細な存在で。

力を入れると簡単に壊れてしまうのだが。

最初に固定した形から、如何にして削り出すか。

それが魔石の面白さだ。

そして色合いをどう出すか。

顔料などを魔石を固定する際に使い。それで色合いを出していく。それが魔石ギルドの技術。

各地に売り物として出すものもあるが。

実の所、魔石ギルドでの最大の外貨獲得の手段になっているのは、単純な魔石の加工。魔力を取りだしやすいように加工して、各地に売る。その結果、各地の街ではそれから魔力を吸い出して、魔術を使う際に活用したり。まだ生きている機械を動かしたりするのである。

結局の所魔石ギルドも、実用品を作らないと生きていけないのだ。

このため、過剰な細工の技術を得るために選別を繰り返し。

極限まで人間を絞り尽くすような細工をするのは、無駄なのではないか。

そういう声も上がって来たが。

近年では、伝統の言葉とともに。そういう不満意見は押し潰してきた。

ギルド長アルベルタも、その保守的方針を推進する一人である。

一方で硝子ギルドは、元から複数あったギルドの中で成り上がってきた新進のギルドである。元は革細工や鉱物加工などのギルドと大して変わらなかったのだが。近年硝子の素材になる様々な鉱物を熱で加工する事により、美しい色合いの硝子細工を作り出す事によって、ギルドは一気に大きくなってきた。

硝子の加工は様々に奥が深く、与える熱やその際の加工方法で、それぞれ虹色の輝きを作り出す事が出来る。

しかしながら、実の所硝子ギルドの最大の財源は。硝子に近い黒曜石というものの開発である。

この黒曜石は鋭さにおいて類を見ず。

主に刃物の刃部分や、鏃などにて活用されている。黒曜石のナイフは日用品としても類を見ない実用性を持っており。

実の所、硝子ギルドに関しても、外貨獲得の方法は実用品の輸出なのだ。

また、硝子は細かく凝れば凝るほど脆くなる傾向にあり。

芸術品よりも、頑強で様々な用途に用いる事が出来る実用品を作り、職人の負担を減らすべきでは無いかと言う声もあるのだが。

現ギルド長であるサヴェリオはそれらの声を押し潰し。

職人の誇りという言葉を使って周囲を丸め込み。

結果として、職人の技量が、実用品を作ろうとする工夫をしのぐというシステムを作りあげてきた。

奇しくも、保守、急進。どちらのギルドも。

結論として、同じ事を。同じ愚行に手を染めている。

どちらも主な財源は日用品。一部の金持ちだけが買うような嗜好品は、実の所滅多に売れるものでもないし。売ったところでそう長持ちだってしない。

職人だってずっと魔石を見続け極小の世界で細工していれば目を潰してしまうし、硝子を作る際の灼熱と毒を含んだガスを浴び続けていれば寿命を縮めてしまう。

実際、良い職人は長生きしないと噂が流れており。

事実、硝子も魔石も極めているとまで言われた先代の工房長は、事故で死んだものの。事故で死ぬ前、老人のように衰えていた、という現実もあった。

これらの事情は、既にボオスが集めて来ていた。

クラウディアも、同じ結論を出していた。

ボオスが見た所、現状を変えようとしている者はいないのか。

いない。

理由としては、これが既得権益になっているからだ。

現在特権を握っているのは、腕が良いとされる職人だが。それは硝子ギルドも魔石ギルドも、才能以上に「命を削っている」という理屈を口にしている。命を削って職人をしているのだから偉い。

そういう分かりやすい理屈というわけだ。

だが、それは多くの人材をつぶし。

実際に稼いでいる人間をないがしろにしている。

ボオスがそのいびつさを指摘すると。

ライザは、頷いていた。

「フェデリーカは分かっているのかな、それは」

「さてな。 あの娘はどうも職人寄りの思考の持ち主だ」

「……古い時代のアーミーの記録を、来る前に図書館でちょっと見たんだよね」

タオが話を振ってくる。

意味がある話だ。こう言うときに、タオが振ってくるのは。

だから、そのまま聞かせて貰う。

「古い時代のアーミー……神代の更に古い時代だけれども、基本的に最前線で戦う戦士が一番偉くて、影働きとか、経理とか、そういう事をやる人間はアーミーで人間扱いされなかったんだって」

「確かに構造は似ているな」

「うん。 命を削って職人をしている人間だけに価値がある。 この歪んだ構造は、どこから来たんだろう」

「さあな。 ただ、分かりやすいのは事実だ。 その分かりやすいという理由だけで、多くの人間をすり潰していることもな」

ボオスは更に調べてきた。

硝子ギルドと魔石ギルドの対立は凄まじい。

基本的にそれぞれは敵同士。

もしも相手のギルドの人間に娘なり息子なりが嫁いだ場合、家族の縁を切る。

それが普通だそうである。

それは、それぞれ街の反対側にギルドを置くわけだ。そうしないと、喧嘩どころか、とっくに集団での組織的な殺し合いに発展している。

現状の硝子ギルドと魔石ギルドは、少なくとも表向きは冷戦状態だが。

それでも、いつ発火してもおかしくは無いだろう。

ライザが考え込み。

そして、結論を出していた。

「今回のフェンリルの件で、多分資料の調査は出来ると思う。 タオ、明日からサルドニカの資料を徹底的に洗ってくれる?」

「分かった。 出来るだけ細かく調べて見るよ」

「よろしくね。 あたし達は、もう少し奥まで調査を進めて、更に危険な魔物がいるようならタオを加えて駆除に徹する。 ある程度目星がついたら、あたしがそれぞれのギルドの工房を視察するよ」

「何か考えがあるの?」

クラウディアの言葉に、ライザが頷いている。

此奴はバカっぽく昔は見えていたが。

今ではすっかり、幾つもの思惑を同時に進めている。

とんだ食わせ物だ。

先代のブルネン家の当主であるおばあさまが、此奴とは仲良くしておけと言ったわけである。

子供時代はあんなだったが、大人になってからは切れ者としての側面がとても強く出始めている。

はっきりいって無能な今のロテスヴァッサの王族なんぞよりも。

ライザの方が、この世界を引っ張って行く力は充分にある。

「それぞれの技術の基本を吸収できれば、あとはあたしが色々とアレンジできると思うね」

「ふむ?」

「その後は、あたしがフェデリーカと一緒に考えるよ。 あの門に書かれていた竜の紋様と、フェデリーカのネックレス。 無関係とは思えないし。 サルドニカにも、ひょっとすると……「門」があるかも知れないからね」

皆の緊張度が一段階上がる。

此処で言う後者の門とは、勿論オーリムへの通路のこと。つまり、フィルフサがいてもおかしくはないということだ。

その可能性は、出来るだけ潰したい。

それについては、オーリムの惨状を見て来たボオスも同意である。

「よし、此処まで。 残りは明日だね」

「ああ。 明日も早くなるんだろ。 俺はもう休ませて貰う」

「フィー」

「お前もよく寝ておけ」

フィーに言うと、ボオスは自分用の寝台に行く。

疲れが溜まっていることもあって、すぐに眠くなる。

これだけの人数がいるライザの仲間達だが。

恋愛関係がある人間は、百歩譲ってタオとパティだけ。しかもパティはこの場にいない。

不思議な仲間だ。

そう、ボオスは思うのだった。

 

(続)