三度目のはじまり

 

プロローグ、火神健在

 

最近そのちいさな島は、嫌に景気が良いと聞いていた。だが、賊の間では噂になっていたのだ。

近付いた奴は、一人も生きて戻って来ないと。

そんなものは噂に過ぎないだろうと。各地の小規模集落を荒らしてきた「鉄の爪」団は、夜陰に乗じて、その島に向かった。

各地での畜生働きを主体にしてきた三十人規模の賊だ。

戦闘経験は、下手な自警を行っている戦士なんかよりも、ずっと上だった。

魔物に対する自衛能力だってあった。

平和ボケしていそうな島が見えた時点で、賊の仲間はゲラゲラと笑った。賊の長であるバルガスも、これは楽な仕事になりそうだと大笑いした。

焼き払って、全ての富を奪い去り。

若い女だけ生かして、後は皆殺しだ。

若い女も皆で飽きるまで強姦した後は、殺して肉を食う。それは一種のトロフィーであり、征服欲を刺激してくれるので、これ以上もない喜びをもたらしてくれるのだ。

そうやって、今まで数百人を殺してきた。

三十人しかいない集団だが、この仕事に関してはプロ中のプロだ。

今は魔物が人間を圧倒していて。

世界中で人口が減っているとか聞くが、そんな事は知るか。

自分達だけ良ければいい。

そう考えて、バルガスは手下達と。各地の孤立した集落や、ちいさな街を襲い。徹底的な殺戮と略奪を繰り返して来た。

ロテスヴァッサ王国とやらから賞金を賭けられているらしいが、そんなものはどうでもいい。

さて、今日もたっぷり奪い取って。

そう思った瞬間。

何隻かの船に分乗して、汽水湖にこぎ出した仲間が。その一隻が。

船ごと火だるまになっていた。

船は瞬時に燃え尽きて、そして炸裂する。

悲鳴すらも残らなかった。

「な、なん……」

武器を抜き、散ろうとする船だが。立て続けに二隻が火だるまになり、爆散する。手だれた仲間が、何もできずに木っ端みじんになる。

畜生。

喚きながら、バルガスの船は方向転換する。

そうこうしている内に、残りの船も全てが爆散。船から汽水湖に飛び込んだ者もいるが、それは薄暗い湖で助けを求める前に、みな魔物にまたたくまに一呑みにされてしまっていた。

バルガスの船は、何とか引き返して、岸に。

どうせ部下なんて、また集めれば良い。

そう思って、必死に部下に櫂を動かさせる。

冷や汗が流れるが、この船は見つかっていないようだ。とにかく、今は逃げ延びないといけない。

そうして接舷したときには。

囲まれている事に気付いた。

数人しか残っていないが、皆手慣れた部下だ。

すぐに剣を抜くが。

相手はそれ以上に手慣れていた。

わっと襲いかかってくる。見る間に部下が切り伏せられていく。

こっちに近付いてくるのは、まだ若い女だ。杖を手にしていて。見える。とんでもない魔力を身に纏っている。

鳥の魔物のような雄叫びを上げて、剣を振るってバルガスは其奴に襲いかかる。

其奴にやられたのだ。

そう悟ったからだ。

其奴さえ倒せば、血路を開ける。

そう判断したからだ。

だが、斬りかかった瞬間。

技量が違いすぎる事を理解する。

王都の騎士とやらを返り討ちにしたこともあったバルガスの剣が、虚空を抉った次の瞬間。

両手両足が、炭クズになっていた。

悲鳴を上げて、地面でのたうつバルガス。

その上から、声が聞こえた。

「無力化完了。 残りは終わりましたか、アガーテ姉さん」

「ああ、片付いた。 極悪非道の鉄の爪団。 綺麗に全滅だな」

「これが首領でしょうね。 後は任せます」

「そうだな。 残りは処理しておく。 ライザ、お前の作ってくれた幾つかの錬金術の装置がなければ、此奴らの接近には気付けなかっただろうな」

アガーテと呼ばれた女が近付いてくる。

喚きながら、威嚇するが。もう意識が遠のきかけている。

そして、容赦なく首を刎ねられたのがバルガスには分かった。

畜生。畜生。

俺がどうして殺されなければならないんだ。俺はこんなに善良なんだぞ。他の人間なんかより、何百倍も命に価値があるんだぞ。優れた人間なんだぞ。それなのに。

地面に首だけになって転がりながら。

そう、身勝手な事をバルガスは考えていたが。

その身勝手で汚らわしい思考も。

すぐに闇に溶けて消えていった。

 

クーケン島が豊かになって、それで悪しき連中に噂が流れたのだろう。賊が来るようになった。前からも時々、辺境を荒らすような賊が時々来ていたのだけれども。明確に頻度が上がった。

そこであたし、ライザリン=シュタウトがそれに対して、警戒用の装置を幾つか作ったのだ。それで接近を、事前に察知できるようになった。

今回警戒網に掛かったのは鉄の爪と呼ばれる、各地で畜生働きをしていた凶賊の一味。

集落丸ごと皆殺しにして、富を奪い去り。若い女は死ぬまで強姦した後、殺して肉を食べると言う、筋金入りの凶賊だった連中だ。

僅かにその魔の手から生き延びた人間の証言で手配書が作られたが。

今までに何度も騎士や賞金稼ぎが返り討ちにされていた、凶賊の中の凶賊だった。

そして目を見てすぐに分かった。

更正の余地なし。

自分を善人だと信じて、自分の行為は全て許されると考えているタイプだ。あの「蝕みの女王」と同じ。

生かしておけばそれだけ全てに対する害になる。

だから、全部殺した。

それだけだ。

アトリエに戻ると、手紙を書いておく。

王都にいるパティとクラウディアに。

鉄の爪団と、その首領のバルガスを討ち取った事。

首を塩漬けにして送ること。

それを手紙で書くと、後はバレンツに翌朝持ち込んで、早馬で送って貰う処置を執った。相変わらずバレンツのクーケン島支部を任されているフロディアさんは、手際よく手紙を処置してくれた。

フロディアさんを何度見ても思う。王都で見た、メイドの一族と生き写しだ。

王都から帰るとき。

その一族の戦士、カーティアさんから興味深い話を聞かされたが。

それが本当では無いのかと、時々思う。

王都での冒険から一年。

二回、リラさんとアンペルさんから呼ばれて。少し遠出して。門を封印すると同時に、全員では無いが集まった皆と一緒に、門の向こう側にいるフィルフサを撃破。王種の首を取った。

四年前から今日までに、合計で四体の王種を倒した事になるが。

最近対戦した二体は、どちらも去年倒した「伝承の古き王」程の強さの王種ではなく。皆の腕が上がっていることもあって。

全員が集まらなくても、充分に余裕を持って勝利することが出来た。

だが、やはり水害を引き起こして対抗しなければならない戦術には代わりは無く。そろそろそれ以外に、フィルフサを効率よく駆除する戦術を開発しなければならないなと、あたしは考えていた。

王都から戻って一年。

クーケン島の古老達分からず屋達とやり合って。

更には、もやが掛かっていた頭もすっきりして。

それでいながら、あたしに時々ブレーキを掛けてくれるフィーの存在もあって。それであたしは急速に変わりつつある。

懐から顔を出すフィー。

クーケン島からアトリエに戻ると、家に戻ったと判断したのだろう。今はもう、あたしの家は。

実家では無くこっちだ。

みんなで過ごせるように広く広く作ったけれども。

今では、自分のスペース以外はたまに掃除をするだけ。

ただコンテナは巨大に作ってあるので、このアトリエは拠点として極めて便利だ。

それに、もう近場の魔物は敵じゃない。

今ではこのアトリエの至近にある小妖精の森に出向くと、魔物はあたしを怖れて逃げ散る有様だった。

ただし、既に小妖精の森で得られる素材では、それこそ気休めにしかならない。

納品するものなどはそれでも良かったが。

より高度な錬金術をしたいと考えると。どうしても遠出しなければならなかったし。

場合によっては、復興が進んでいるグリムドルで、素材を分けて貰わなければならない事もあった。

スランプは抜けた。

頭も冴えている。

いや、なんというか、冴えすぎているというのだろうか。

何かに見られている事を、ずっと感じている。

気のせいじゃない。

あたしの魔力量は、結局止まった。

熱槍を一度に出せる数は、現時点で20000。去年と同じだ。

今後はこの魔力量で、より魔力を練って。熱魔術の練度を上げていくしかないのだろうと思う。

勿論錬金術の装備で、根本的な魔力を向上させることは出来るだろうが。

まだ、これ以上飛躍的に向上させる理論が出来ていない。

現時点では、手持ちの札で勝負するしかない。

ベッドで横になる。

ぼんやりしていると、側でフィーが此方を見つめていた。

「フィー?」

「んー。 あたしは特に問題なし。 それよりもおなかは空いていない?」

「フィー!」

大丈夫、か。

たまにエンシェントドラゴンの西さんの素材で調整したトラベルボトルに一緒に入るようになってから、フィーは全く弱る様子がなくなったし。

今ではむしろつやつやしているほどだ。

これ以上成長するなら、今後はオーリムで過ごす事も考えなければいけなくなるかも知れないが。

当面は大丈夫だろう。

無言で横になっていると、ふと、頭にノイズみたいなのが走る。

苛立って、体を起こす。

見ている奴の仕業だ。

何が見ているのかは知らないが。

時々、このノイズみたいなのも来るようになっていた。

嘆息する。

横になっていても休めない。

そう判断したあたしは、薬、発破をはじめとして。インゴット、ゼッテル、布。それに戦略用の物資。

建築用の接着剤をはじめとした、色々なものを調合していく。

素材だったら、この辺りをいつも移動しているので、幾らでもストックはしてある。

アトリエの近くにコンテナを作って、そこに最近は物資を詰め込んでいる程だ。

淡々とノルマ分を作る。

エーテルを絞り出して釜に満たし。

釜に素材を投入。

エーテルの中で素材を要素ごとに分解し。

そして組み合わせる事で、調合をしていく。

アンペルさんに教わった錬金術の基本は、今もしっかり守っている。そして更に向上できると自分に言い聞かせて。

常に向上点を探す。

今後もこの姿勢は変わらない。

あたしは自分を頂点にいる存在などとは思わない。

万能だとも感じない。

そうしなければ、今後これ以上成長しないからだ。

まだまだ足りない。

実際古式秘具の完全コピーには程遠いと、あたしは何度も思っている。まだあたしの力量は、その程度ということだ。

相手は……神代の頃の錬金術師が仮想敵だとすると、だが。手強いとみて良い。

才覚は兎も角、神代の昔は錬金術師がたくさんいて。それによって蓄積されていった知識を持っていた。

それが武器になり。

悪用された。

フィルフサが仮にそいつらの作り出した生物兵器だったとすると。

それは余技に過ぎず。

もっと強力な兵器を作りだしていた可能性だって高い。

だから、淡々と。

更なる向上と、知識の蓄積を目指さなければならなかった。

必要な物資が調合し終わったので、寝る事にする。

最近は睡眠導入剤も使うようになっていた。

別に危険な薬ではなく、頭の活動を鈍らせるだけのものである。

それで眠くなる。

一眠りして、それでもう朝だ。

軽く体を動かして、周囲の気配を探る。それと、各地に仕掛けてある探査装置をチェックしておく。

探査装置は、アトリエからも、手元のブレスレットからも、状態を確認できるように調整してある。

流石にオーリムの状況はわからないが。

少なくとも、クーケン島とその周囲の広い範囲で。

危険な魔物が闊歩している様子はない。

精霊王達は、フィルフサとの大戦以来、また眠りに入って力を蓄えているようであり。

あたしが近付いても起きる様子はなく。

今も、活動している形跡は無かった。

「問題はなしと」

「フィー!」

「じゃ、クーケン島にいこうか。 今日はまた、古老とやりあわなきゃいけないのかな」

「フィー……」

実は、古老もフィーには結構デレデレしている。

フィーが悲しそうに見ていると、あたしに対して圧を掛けられなくなる様子だ。

だったら、他の事でも譲歩してくれてもいいだろうに。

どうしてもプライドが邪魔をしてしまうというのが実情なのだろう。

情けない話だ。

荷車を引いて、バレンツに出向く。

其処で、淡々と要求された物資を納入しておく。

期限はあるのだけれど、基本的にあたしは前倒しで作業をするようにしている。この辺り、雑な性格だと言われるあたしは。意外な一面を持っているとか周囲に言われたりもする。

フロディアさんが納入した品の品質を確認して、リストと見比べて、精査もしてくれる。

この人は相変わらず優秀だな。

そう思う。

「問題ありません。 支払いは此方になります」

「そういえば、最近はルベルトさんはどうしているんですか?」

「商会長は最近はほぼ引退していますね。 業務をどんどんクラウディアお嬢様に委譲している状態です」

「隠居に移り始めているんですね」

こくりとフロディアさんは頷く。

幾つか世間話をした後、今度は医院に。

エドワードさんの所に、色々な薬を納入しておく。どうしても薬は幾らでも必要になってくる。

後は、頼まれて湯を沸かしたり。

勉強を軽く教えたりもするが。

今の時点で、島の子供の中に錬金術の素養がありそうな子はいない。

エーテルの物質化の時点で躓く子も多いのだ。

錬金術を学べるようなら学んでこいと親に言われている子もいるみたいだけれども。

残念ながら、複数の才能が必要で。それらを満たしていないと無理だという説明は親に事前にしてある。

ただ、それでも。

そもそも地道に稼いで生活出来るように、基礎的な学問は教えている。

タオはもう王都に骨を埋めるだろうし。

何人かいる先生が、交代で子供達に生きるために必要な事を教えていくしかないだろう。

一通り島を見て回ると。行商人から声を掛けられる。

他で手に入れた珍しい品だというものは無視。

宝石だのなんだのは、今はもう自分で作れるからだ。

それよりも本である。

活版印刷の機械は王都にあるものは直したが、他の都市にあるものはやはり壊れかけのものが多く。

本は年々流通量が減っている。

何冊かの本を見繕って、子供の勉強用、或いは資料用のものを買い付けていく。

本はそれなりに高値だし。

あたしも必要なものには金を惜しまないので。

行商人も、それで文句を言うことはなかった。

さて、こんな所か。

アトリエに引き上げる。

毎日、あたしを見ている視線が強くなって行くのが分かる。それがどういうものなのか分からない。

悪意は少なくとも感じないが。

好奇心などの人間的な感情もまた感じないのだ。

それがどうにも嫌な予感を喚起させる。

アトリエに戻ると、装備品の調整。武具などの調整をやっておく。

いつ、何が起きても大丈夫なように備える。

あたしは、今はそれが出来るようになっていた。

 

1、怒濤の異変

 

その日は、朝からブルネン邸で怒号が飛び交う事態となった。

基本的にクーケン島の方針を決める村会は、最高指導者であるブルネン家の広い庭で行われるからだ。

相変わらず古老達が自分のお気持ちをぶち上げて。その取り巻きとともに、文句をつけ。

昔ながらの生活を重視すべきだと吠えたて。

あたしの作った装置による生活を否定しようとしたのである。

あたしは正面から受けて立つ。

「そもそもこの島が、古代クリント王国の錬金術師達がつくったもので、この島だって五百年程度の歴史しかありません。 それに、そもそも乾きの悪魔は四年前にあたし達が全部片付けました。 そういう状況で、なんの伝統を守ると言うんですか」

「そんな風に考えているから、作物の質が落ちるんだ!」

古老が喚く。

そうだそうだと、年寄りを中心とした古老の取り巻きが言う。

あたしは咳払いした。

「そもそもこの島の水がどうやって得られているか、古老達だって見た筈です。 たった四年前の事です。 この島の水は、汽水湖であるエリプス湖の塩水を淡水に装置で変えて、各地に提供されていたもの。 その装置が壊れた後は、余所から奪った水を無理矢理にひねり出していたものだった事を忘れましたか?」

「そ、それはそうかも知れないが! 伝統はそうやって軽んじてはいけないと言っているんだ!」

「守るべき伝統はそれはそれで良いでしょう。 しかし種が割れてしまった伝統に、なんの守る価値があるというのか。 例えばクーケン島から遠く離れると、強力な魔物がまだまだいて危ないから、行かないようにするとか、論理的に……」

「ええい、五月蠅い五月蠅いっ!」

感情で来るのなら。

こっちも暴力でいこうかな。

そう思った瞬間。モリッツさんが。現在、島の事実上の指導者であるブルネン家の当主が、割って入る。

「まあまあ、ともかく。 ライザ。 野菜の味の質が落ちているというのは、実は古老達だけの話では無い。 カールからも意見が上がって来ていてな」

「父さんから?」

「ああ、微妙にだそうだが……。 ただ知っての通り、ライザの作る錬金術の産物達とならんで、皆が作っているクーケンフルーツがこの島の貴重な外貨獲得のための切り札なんだ。 クーケンフルーツはただでさえ、冷気で凍らせて各地に運ぶ。 その過程で味は落ちる。 最初から味が落ちると、それの影響は更に強くなるだろう」

「ふむ。 分かりました。 それなら、淡水化装置の調整をします。 ただ……クーケン島一番の農夫である父さんと相談しながらになりますね」

お気持ちでぎゃいぎゃい騒いでいるお前らなんかしるか。

そうはねのけてみせると、まだ何か古老は言おうとしたが。

その瞬間。

どんと、島が揺れていた。

これは、何かあったな。

今も時々島の中枢に潜って状態をチェックしているのだが。もう島が流されている事はない。

揺れは短かったが。明らかに何かにぶつかった感じだった。

すぐに島の中枢に、モリッツさんと古老を連れて潜る。中枢への行き方は変わっていない。ブルネン家の敷地の一角から、島の地下に潜るのだ。

ごうごうと音を立てているのは、件の淡水化装置だ。何回か改良はしたのだけれども、それでも大がかりな装置である事は変わっていない。フィーが珍しそうにいつも見ているが。危ないから触らないようにと告げると、きちんとその言いつけを守る。出来た子である。

パイプが縦横に走る闇の中を行く。古老はひいひい言いながらついてくる。

島の中枢へは、矢印などをタオが設置してくれているから、誰も迷う事はないが。それでも危険はある。

モリッツさんが、古老をなだめながら、遅れてついてくる。

あたしは一足先に中枢につくと、光学式コンソールを起動。

タオほど即座には動かせないが、それでも順番にステータスを見ていく。

やっとモリッツさんが、追いついてくる。

「ら、ライザ。 どうだね」

「……今までに存在しなかった場所に暗礁が出来ていますね。 隆起したみたいです。 島の外で地震、起きていないですよね」

「そんなものは起きていない筈だが……」

「ふむ……」

地形の変化なんて、簡単に起きる筈がない。

大魔術の使い手だって、そう簡単にはできない。

魔術だけという括りなら、あたしとクラウディアが連携して、大雨をオーリムで起こしたけれども。

あれだって、奪われた水を戻しながらの作業だったり。

或いは余所から持って来た水を使ったり。

元から相応の水があったりして、やっと出来た事だ。

雨でさえそう。

地震を引き起こせる魔術師の伝承は残っているが、それでも暗礁が隆起するようなパワーの持ち主は。少なくともこの世界にはいないはず。

オーレン族の長老級になってくると、もの凄い魔術が使えるらしいが。

それでも出来るかどうか。

だとすると、考えられるのは。

無言で外に出て、警戒用の装置類をチェック。

案の場、数値に異常がたくさん出ていた。

クーケン島の南側の岸。其処から西にずっと行くと、以前は普通に海になっていた。その辺りが大規模な隆起を起こしているようである。その結果、多数の島が出現しているようなのだ。

アガーテ姉さんが来る。

護り手も何人かつれていた。

「ライザ。 遠出に出ていた護り手が、島が多数出現したと言っている。 何が起きたか分かるか?」

「いえ。 今、あたしも警戒用の装置からの情報を察知したところです。 この規模だと恐らくは……」

古代クリント王国の遺跡か何かか。

それとも更に古いものか。

恐らくは後者だ。

というのも、古代クリント王国は、このクーケン島を不完全な状態で作るのがやっとだったのである。

何らかの条件が整った事によって、隆起する多数の島。

そんなものを作れるとは思えない。

そうなると、神代か。

少し前から聞こえていた雑音。

あたしを観察している何者か。

一緒の存在でないと良いのだが。

「偵察が必要だな。 皆、クーケン島の守りを固めろ。 兎に角何が起きるか分からない。 緊急事態だ」

「はっ!」

「三人、私とついてこい。 ライザ、偵察に行くぞ」

「分かりました!」

流石はアガーテ姉さんだ。

モリッツさんが苦言を言う。

「今日はサルドニカの商会が様子を見に来る。 あまり慌ただしい事は……」

「商機より人命です。 その程度の事が分からぬか、モリッツ殿!」

「う……そうだな。 確かにそうだ。 すまなかった」

「偵察に出向いてきます。 何がいるかまったく分かりませんから、とにかく私達が戻るまでは島から出ないように。 サルドニカの商会や船については、モリッツ殿が引き留めておいてください」

軍事に関連しては、もうアガーテ姉さんが完全にクーケン島を取り仕切っている。

これは四年前の色々な出来事の結果、軍事の指揮を一本化すべきだという案が出て。それを村会一致で決議したからだ。

そしてそうなると。

護り手の長であるアガーテ姉さん以外に、まとめる人員はいなかった。

実はコレ、あたしのこれ以上の発言権強化を防ぐために、古老達が仕組んだらしいのだけれども。

あたしとしても、別に権力なんか欲しく無いし。

アガーテ姉さんは有能だし。

話も分かる。

だから、それでいいと、村会で普通に賛成意見を出した。それを見て、古老達が悔しがっていたのを、良く覚えている。そしてそもそも、アガーテ姉さんが島の為に動く人間であって。

古老達が好き勝手を言ってそれに従うわけでも無い事を。

古老達は忘れていたようだった。

あれは、痛快だったな。

ともかく、アガーテ姉さんと三人の護り手。それにあたしで、まずはアトリエに。装備類を渡す。

あたしが時々刷新して、皆に武器を引き渡しているのだが。

それ以外に、最悪の場合に備えて信号弾や、煙幕なども皆に渡しておく。

アガーテ姉さんの剣は、既にゴルドテリオンで作り、更にはグランツオルゲンで生体魔力にパンプアップを掛けるようにした強力なものだ。

アガーテ姉さんに渡したこの剣は、王都でも手に入るものじゃない。

他の護り手の戦士にも、力量に相応しい武器を渡している。

回復薬も揃えておく。

「フィーはつれて行くのか」

「あたしが気付かない事に気付いて、警告してくれたりするので。 足を引っ張ったこと、一度もないでしょう?」

「そうだな。 皆、準備は終わったか!」

「はっ!」

四年前は、此奴らは愚連隊同然だったような気がするが。

多分あのフィルフサ関連の動乱で、アガーテ姉さんも鍛え直しが必要だと判断したのだろう。

そういえば、使い手と言えばザムエルさんだが。

今日も朝からしこたま飲んで、家で寝ているという話だったか。

最悪の場合、ザムエルさんに島を守って貰うことになるが。

それについては、まあ仕方が無い。

あれでも、今でも相当な使い手だ。少なくとも、ちょっとやそっとの相手に不覚は取らないだろう。

準備を終えると、西に急ぐ。

荷車を護り手の戦士が引いて。残りの四人でフォーメーションを組んで、西への街道を走る。

この辺りの魔物は、あらかたあたしが退治してしまったので、もう危険なのはいない。湖岸にはパルマーの木が生えていて、そろそろ収穫時の実もある。パルマーは木材としても使えるし樹皮も使える。実も食べられる。

湖岸にたくさんあるパルマーの実は、古くから多くの人を餓えから救ってきた。

だから、斬りすぎないように取りすぎないように、皆からいつも注意が入るのだった。

「急ぐなら、洞窟を抜けますか?」

「今の時間は干潮だな。 急いで抜けるぞ」

「了っ!」

走る。

昔、皆と一緒に、リラさんの最初の試験を受けた洞窟だが。

此処もすっかり今では安全だ。

精霊王も去ったし。幾つも配置されていたゴーレムも、全て破壊しておいた。満潮に潮が流れ込む関係で、たまに大物の魔物が入り込む事もあるが。

それは全て警戒装置で確認して、あたしが駆逐している。

多少足下が濡れているが、気にすることもない。

一気に走り抜ける。

洞窟を抜けると、左手に聖堂が見える。

そう。

あそこから、四年前。

フィルフサが大挙して、この世界に押し寄せる一歩手前だったのだ。そうなっていれば。ロテスヴァッサなんてひとたまりもなく滅び去ってしまっただろう。

此処から北に行くと、廃村落がある。

この近所だと珍しいデルフィローズの産地だ。ある程度立派な屋敷も残っていたりするのだが。

屋敷周辺も屋敷の中も魔物だらけ。

既に魔物に潰された集落だ。

そういう集落はいくらでもある。

そして北の集落出身で、クーケン島に逃げてきた人達もいる。クーケン島にいる幾らかの人は、北の集落の出身者の子孫だ。

だが、今はそれにかまう暇もない。

「鼬、数は四!」

「蹴散らすぞ!」

「了!」

護り手の戦士達が散る。

なんだろうと様子を見にでてきた鼬。

人間よりかなり大きいそれらが、アガーテ姉さんの剣で先頭の一匹が両断されると。あわてて逃げ出す。

悪いが、人間を常に怖れさせておかないと。人間に平気で近付いてくるし。何なら舐めて掛かってくる。

そうなると食害が発生する事も多く。

場合によっては人間の血の味を覚えて、多くの人が殺される事になる。

逃げ散った鼬にはかまわない。

ただ、鼬の死体はそのままあたしが即座に炭クズに変えてしまう。

それが終わり次第、走る。

今回は、獲物を解体回収するどころじゃない。現地で一刻も早く、情報の収集が必要なのである。

「この先です!」

「何がいるか分からない! 総員、戦闘準備!」

「了!」

わっと、パルマーや、他の木が雑多に生えている中を抜ける。

そうすると、その光景が、眼前に広がっていた。

美しい海に、多数そびえ立つ島。中には、クーケン島と同程度か、それ以上に大きいものもあるようだ。

明らかに自然に起きた現象じゃない。

島の中には、小山のように傾斜が鋭いものもある。手をかざして、様子を確認するが。此処から見ても、かなり大きな魔物が散見される。

海は浅瀬が中心だが。

この辺りは、そもそもかなり深い海だったはず。つまり、海底そのものがせり上がってきたとみて良い。

これは、相当な異常現象だ。

「この辺りを航路にしている商船もあった筈。 大型船が入り込むと、多分船底を喰い破られます」

「分かった。 まずは一人戻れ。 島多数出現、商船は一度航路の見直しが必要。 覚えたか」

「はっ!」

「よし、モリッツ殿に知らせろ!」

若い戦士が一人。更に護衛にもう一人が戻る。

さて問題は、周辺の安全だが。

顔を上げる。

空から舞い降りてきたのは、見た事もない奴だ。

人間に似ているが、違う。

手足二本ずつ。体は青黒く、うっすらと体毛に覆われている。しかし猿よりはだいぶ人間に近い背格好だ。背丈はあたしと同じか、少し高いくらいだろうか。

背中に蝙蝠のような翼を、手に巨大な槍を持っている。何より、生命にあるもの……魔力を感じない。顔にある眼はがらんどうのようで、魚介類以上に感情が感じられない。口には乱雑な牙が映えているが、それが動いて何かを食べる所は想像できなかった。

着地したそれは、非生物的な動きで、此方を見やる。

ぐるんと動く眼球。

こっちが視界に入ったことは分かったが。

生物に見られた、という印象を受けない。

これは、或いは幽霊鎧。この辺りに良く出る、中身がない鎧の魔物……その正体は、神代から古代クリント王国くらいまでに生産された、自動兵器。それと同じものではないのだろうか。

いずれにしても、その姿は。この辺りで怖れられる「乾きの悪魔」とはまた違う。だが、またそれとは別の。

魔的な存在に思えた。

「な、なんだ此奴……」

「油断するな。 ライザ、これを見た事があるか?」

「いえ……初めて見る相手です。 魔物でもないと思います」

相手の数は六。

じっと此方を観察しているようで動かない。

敵ではないのか。

そう一瞬思ったが、考えが甘いことを思い知らされる。槍を掲げたそれらが、不意に何やら不協和音らしいものを出す。

同時に、辺りに魔物の気配が満ちる。

ぷにぷにが、這い出してくる。辺りに打ち上げられた魚の死骸を喰い漁っていただろう不定形の魔物が、多数此方に来る。

鼬もだ。

ラプトルも走鳥もいる。

いずれもが、目に狂熱を宿しているか。或いは敵意を剥き出しにしている。

アガーテ姉さんが前に出て、剣を構える。

「ライザ、いけるか」

「任せてください」

「お前は撤退。 アンノウンと遭遇。 魔物を操作する能力を持つ可能性あり。 そう伝えろ」

「りょ、了っ!」

護り手の一人が、背中を見せて走って逃げていく。

それを追おうとした魔物を、あたしが熱槍で焼き尽くす。火だるまになって踊り狂うその魔物が、地面で燃え尽きる前に。

他の魔物が、一斉に襲いかかってきた。

 

辺り全ての魔物が押し寄せてきているかのようだ。

去年の戦いから、あたしは鈍っていない。

だけれども、アガーテ姉さんしかいない状況で、これは厳しい。立て続けに熱槍を放って、次々に雑魚を蹴散らす。

だが、見える。

浅瀬から、次々に見た事がない魔物が姿を見せている。

それは幽霊鎧のようだが。以前見た、どんな奴とも姿が違っていた。いずれも塩水に沈んでいただろうに、腐食している様子もない。

つまり、最低でもゴルドテリオンやクリミネアなどの現在世界で流通していない金属で出来ている、ということだ。幸い此奴らは、此方を観察しているだけで攻めてこないが。極めて危険度は高いとみた。

翼と槍を持つ六体は、じっと戦闘の様子を見ているが、それだけ。

いや、時々目がちかちか輝いている。

あれは、何かしらの指示を出しているのか。

それとも、魔物を催眠する何らかの技術によるものなのか。

アガーテ姉さんが、大きめの走鳥を斬り捨てる。

どうと倒れる魔物を無視して、次々に次が来る。あたしは詠唱をしている暇もない。近付く奴から優先して、順番に倒して行く。

百を超えたくらいだろうか。

脇腹に一撃もらった。

吹っ飛んで、だがそのまま立ち上がる。針を引き抜く。

マンドレイクの一種だ。歩き回る植物の魔物。それが、毒つきの針を、他の魔物の猛攻に混ぜて放ってきたのである。

すぐに薬を塗り込み解毒もするが、動きが鈍る。

その隙に、数体の魔物が、飛びかかってくる。

辺りは魔物の死体と臓物だらけ。それが、魔物を余計に昂奮させているのだろう。

アガーテ姉さんも相当に厳しい状態の筈だ。

「撤退を!」

「やむをえん!」

血路を開こうと、即座に後退開始。だが、翼と槍持つ魔物がまた眼をちかちかと光らせると。

まるで人間に指揮されているように、多数の魔物が後方に回り込んでくる。ひっきりなしに来るこの状態、大技も使えない。爆弾を時々投げて爆破しているが、隣にいる奴が粉々に吹っ飛ぼうと、平然と魔物は次々に襲いかかってくる。この狂熱に満ちた目、まるで……洗脳でもされているかのようだ。

奥歯を噛みしめる。

誰か、仲間がもう一人か二人いれば。

そう考えた瞬間だった。

躍り出てきた、二刀の剣士二人。

そう。

それは、タオと。もう一人はボオスだった。

後方に分厚く陣を組んでいた魔物を、蹴散らして突破して来たのである。それだけではなく、数人の護り手もいた。

「遅くなったなライザ、アガーテ護り手長!」

「今日戻りだったっけ?」

「そうだよ。 手紙は送ったと思ったけどな!」

まあいい。

二回の門の封鎖作戦でフィルフサの王種を討ち取ったとき、ボオスはどちらにも参戦していた。

その時に、既にアガーテ姉さんを除く護り手の誰よりも強くなっていた。

二人が加わった事で、形勢が逆転する。

前衛が増えた事で、あたしの魔術を詠唱つきで展開する余裕が出来。たちまちに、敵の群れが崩れ始める。

だが、それを見ると。

空に浮かんでいた翼と槍を持つものは。無言で下がりはじめる。

そして、いつの間にか、何処にもいなくなっていた。魔物も、凶熱から冷めたようにして逃げ始める。

一体何だったんだ。

あたしは、薬を取りだすと、手傷を受けているアガーテ姉さんに渡し。自身でも、傷口を塞ぐ。

「フィー!」

早速ボオスに飛びつくフィー。

まあ、門を閉じるときも、こうだったな。

「頭に乗るな。 それよりも、無事か」

「手傷は受けたけど、許容範囲内。 それにしても、こんな数の種類も違う魔物が、一斉に来るなんてね……」

「あれは?」

最後の方で、海から出現していた幽霊鎧もどき。

それらは後方から戦況を見ていたが。やがて戦いが終わったと判断したのか、海に戻っていく。

タオが、すぐにメモを取り始める。

アガーテ姉さんが。大きく嘆息していた。

「話には聞いていたが、別人のようだなタオ」

「いえ。 ただ背が伸びただけですよ」

「そうか……」

確か、タオは来月だったかにパティとの婚約発表をするらしいが。それで浮ついている様子は全く無い。

というか、本当にどうでもいいのだと思う。

タオが興味があるのは遺跡と建築。どっちでも、結局論文を出したそうで。精査した学者が、度肝を抜かれていたそうだ。

タオは本当に学問が好きなのだ。

良い夫になれるかは分からないが。

ただ、パティを殴ったり浮気したりする事はないだろうとも思う。問題はパティが、タオがこう言う奴だと諦めて受け入れられるかだが。

それについては、まああたしの知るところではないし。

どうにかできることでもなかった。

護り手が後から来て、魔物の死体を解体し、回収していく。あたしもボオスも、それを手伝い。

ざっと地図をメモしたタオも、それを手伝ってくれる。

何度か湖岸まで荷車を往復させ。状態がいい毛皮や肉は回収し。あたしが使えそうだと判断した内臓や体内に蓄積された魔力が篭もっている石などは譲り受ける。半日掛けて大量の死体を片付けて。それで一度島に戻る。

船の上で、軽く話をした。

「それにしても、帰ってきていきなりこれか。 今、島の方でもてんやわんやだぞ」

「モリッツさんは何してるの?」

「父さんに全部押しつけやがって……。 ともかく、致命的な混乱にはなっていないが、サルドニカから来た商会が何が起きているか説明しろと噴き上がっているようだな」

「はあ。 じゃあ、あたし達が行きますか」

残念ながら、水を浴びる暇もなかった。

つまり、散々返り血を浴びたままということだ。

それだけで、何が起きたか分かるだろう。それに、今島には、どんどこ魔物の毛皮や肉が運び込まれているのである。

大規模な戦闘が発生したことは、誰にでも一目で分かる。

今の時代、例外的な匪賊の類を除くと、人間が戦う相手は魔物だ。

いずれにしても、立て続けに起こる怪奇現象。

また、新しい冒険が始まったのだ。

それをあたしは、存分に感じ取り。

そしてその先に神代の錬金術師ども。或いはその産物がいるだろう事も理解して。舌なめずりしていた。

あたしは四年前の出来事以来、どんどん好戦的になってきている。各地で人間の業を見続けたからだろう。

だが、それと同時に、悪しき存在を許さない心だって忘れてはいない。

もうとっくに作成して服用した、寿命を超越する薬の事もある。

あたしは、既に。

人間であることに拘りはない。

だが同時に。

世界に仇なす悪しきものは、絶対に許さない存在にも、なろうと心がけていた。

 

2、大混乱と一つずつの問題解決

 

港で騒いでいる商会や商人の元に、あたしが出向く。

そうすると、さっと狂熱が消えた。

皆、押し黙るのが分かる。

大規模な魔物との戦闘が発生し、それをあたし達が叩き潰してきた事は、理解出来ただろうから、だ。

「ええ、すみません。 クーケン島で錬金術をしているライザリン=シュタウトです。 今、クーケン島の西側の偵察から戻りました。 見ての通り、数百を超える魔物と肉弾戦をする事になりました」

にこりと笑うが。

大量の血を浴びた状態でそれをやれば、相手を恐怖させ。静かにさせることを、あたしは知っていた。

ボオスが何か言いたそうにしているが。

ともかく、今は黙らせることである。

「偵察の結果、未知の魔物に加え、クーケン島の西側に広大な浅瀬と、未知の島々が出現していることが分かりました。 極めて危険ですので、絶対に近寄らないように最大限の注意をしてください。 商船を使っている商人の方は、座礁の可能性がありますので、航路の再検討をお願いいたします」

「そ、そんな……」

「コホン。 ともかく、このような現象は前代未聞で、調査をするにしても時間が掛かりますし、このちいさな島の戦力で調査など出来るかは非常に疑問が残ります。 商人の方々は、それぞれ自衛を心がけてください。 以上です」

それだけ告げると、ボオスに交代。

後から増援に来てくれたボオスは。

ブルネンの人間だと告げて、一人ずつ商人と話をし始める。

あたしはと言うと、一度家に戻る。

風呂に入って、返り血を流したかったからだ。出来れば服も綺麗にしたい。だがそれはアトリエに戻らないといけないし、後回しである。

やる事を、一つずつ順番にやっていかないといけない。

アガーテ姉さんと、タオと軽く話す。

「護り手の方で、例の群島に行く人間が出ないように封鎖をしておく」

「お願いします、アガーテ姉さん」

「ああ。 任せておけ。 それであの奇怪な島々はなんだか見当はついているのか?」

「実は……」

タオが分かるらしい。

話をそのまま聞く。

タオによると、百年ほど前。

大きな地震があって。それで何かしらの出来事があったらしい、という事だけは記録に残っているそうだ。

その頃は、そもそも聖堂を超えた先なんていけたものではなかったし。禁足地になっていた筈だ。

更に言えばクーケン島が交易の過程に存在する島として、存在感を発揮し始めたのはごく最近の事。

それまでは古老みたいなのが力を持っていて。

排他的で、よそ者を寄せ付けない島だったのである。

つまり百年だか前に、何かしらの事が起きて。例えばあのような島が出現していたとしても。

クーケン島では記録に残らなかったのだろうと思うと、タオは締めくくった。

「なるほどな。 流石に王都にいってきただけあって、言葉の一つずつに説得力が出ている。 以前は想像力の翼を羽ばたかせるばかりで、地に足が着いていなかった」

「すみません、僕もそうだと思います。 ライザ、僕はこれから島の状態をチェックして、被害が出ていないか細かい部分まで確認しておくよ」

「よろしく。 一応あたしの方でもみたけれど、大きな被害は出ていないと思うよ」

「動きが速いね。 みんな手際が良くなってる」

その場で別れて、一端あたしは家に。

家の前に荷車を着けて。そして、父さん母さんに軽く魔物とやりあってきたとだけ告げて。風呂に入る。

リラックスのためではないから、すぐに風呂から出る。

野宿にももう慣れっこだ。

だが、それでも風呂には入れるときは、入れるように心がけてもいた。

人間にはもう拘りはないが。

品性を放り捨てる気も、あたしにはない。

もう何十年かしたら、クーケン島は離れるつもりでいる。

ずっと同じ姿のままいたら、きっと迷惑を掛けるだろうし。何より此処は、拠点としては人類の活動地点の中心地からかなり離れている。

彼方此方を調査して回るには、クーケン島は必ずしも適していないのである。

風呂から上がると、下着だけ替えて、服を着直す。

さて、次に行くのはバレンツだ。

荷車はそのまま家に預けて、すぐにバレンツに。

バレンツにも、何人か商人が来ていた。足が速い(腐りやすい)商品を、此処で捌けないか相談しているようだった。

フロディアさんが、あたしが来たのを見て。

最近雇ったらしい人に、商人達の対応を任せる。

この人、以前知り合いの行商であるロミィさんの所で下働きをしていたらしいのだが。

クーケン島で修行するように言われて。結局バレンツで雇われることになったらしい。

なんだかマイペースな人で、それが故に相手のペースに引きずられることもないそうだ。

フロディアさんに、すぐに早馬の手配を頼む。

そうくるだろうと思っていたらしく、フロディアさんもすぐに準備をしてくれた。

手紙を出す相手は、基本的に全員だ。

レント、クラウディア。この二人は絶対。

多分パティは今忙しいので来られないから、状況だけは知らせる。

クリフォードさんとセリさんは、まだ王都にいる。だから二人は出来れば来て欲しい所だ。

そしてアンペルさんとリラさんだが。

少し前から、連絡が取れなくなっている。いずれにしても連絡網に手紙は出しておく方が良いだろう。

一つずつ、順番に作業をこなす。

こう言うときだからこそ、余計に丁寧にやらなければならない。

全員分に状況を知らせ、此方に来て欲しいと手紙を出して。

それでアトリエに戻る。

消耗した物資もあるし、回収した物資のコンテナへの納入もある。

作業をしていると、タオが来た。

「ライザ。 わ、アトリエの中、前とまったくおなじだね」

「背が伸びたし、小さく見えない?」

「いや、そんなこともないよ。 それよりも、幾つか伝言を貰ってる」

「うん。 そうだろうね。 順番に聞かせてくれる?」

タオが言うには、しばらくはボオスはモリッツさんと一緒に商人への誘導作業を行うそうである。

何でも西の浅瀬の出現によって、何隻かの船が航路変更をせざるを得なくなったそうで、それに対する説明などが必須になったそうなのだ。

それに関してはクーケン島に責任が無い事。

別の航路は、既に発見されたものがあるので、それを使って貰うしかないこと。

それらを、商人達を集めて説明会をしなければまずいらしい。

また、足が速い商品については、出来るだけクーケン島で買い取れるように手も回すという。

それである程度、混乱が纏まるだろうとボオスは言っていたとか。

「さっそく王都で学んできた事を生かしているね」

「ボオスは勉強よりも、コネの作り方と、人心掌握術を学んできた感じだね。 勿論勉強も頑張っていたよ」

教養だけではない。

語学や数学などで、ボオスは一生懸命頑張っていたそうだ。

現在ロテスヴァッサ王国……まあ実態は首都だけしか勢力は及んでいないのだが。ともかく人間の勢力圏で使われている言葉は三つ存在していて。それらの全てを、少なくとも聞き取りは出来るようにしたそうである。

三つも言葉を。

大したものである。

タオは、既に失われてしまった言葉を含めて、既に十を超える言葉を使えるらしいので。それを考えると凄まじいが。

まあタオの場合は、王都の学者が仰天するオツムの持ち主なので、それはもう仕方が無いと言える。

「それよりも、タオ。 論文の関係で、王都に貼り付いていないとまずいんじゃないの?」

「王都まで一週間くらい今の僕でも掛かるんだけれども、現時点で論文などの精査に一月は掛かるんだ。 それにアーベルハイム卿が色々手回しとかしないといけないらしくてね」

「ふーん……」

「それにこの時期が一番面倒くさいらしくて、アリバイ作りの為にも王都を離れておけ、だそうだよ」

ああ、なるほど。

まだアーベルハイム卿は、ロテスヴァッサの権力を掌握し切れていない。

面倒なスキャンダルを起こしたくない、ということか。

ただ、とタオは付け加える。

「論文についてはアーベルハイムの面子も掛かっているらしいから、一度タイミングを見て王都に戻るよ。 博士号の授与式には出ないといけないからね」

「なんだかなあ。 ただ箔を付けるだけなのに」

「一応、禁書も読めるようになるから、僕としてはそれだけで充分に+だよ」

「そろそろ聞こうと思っていたんだけれど、パティはどう思ってるの? タオとパティの事だし、まだ手は出していないだろうけど」

遠慮のない仲だ。

結構生々しい話も、そろそろしておくべきだろう。

タオは少し考えてから、答える。

「色々面倒だし、まだそういうことはしていないよ。 それとライザにも協力して欲しいんだけれども、僕とパティの婚約の話は、出来るだけ外ではしないでね」

「それは大丈夫」

「うん。 まあ真面目な話をすると、僕もパティの事は悪くなっていないよ。 ただ、恋愛小説に出てくるような甘酸っぱい関係には今後もならないだろうなとは思う」

「そう……」

まあ、この辺りは。

あたしもレントも共通している事だ。

恋愛結婚は最高みたいな事を恋愛小説の類では書いているようだが。実際には女を金蔓としか考えていないようなツラだけいい男がもてたりと、恋愛感情なんてものは全く当てにならない。

たまに女友達に話を聞いたりするが。

パートナーとして優位性が高いだろう優しさとか真面目さとかの要素について、必要ないと言い切る子も普通にたくさんいる。逆にツラがいいだの笑顔か可愛いだの、そういう事で男を選ぶ子はとても多い。

要はその時の気分で子供まで作って将来を考える相手を決めている訳で。

そういう意味では、人間は古くから全く進歩していない。

その場の気分で作られた子供が、恋愛とやらが冷めた後にどういう目にあうかは、レントなどで実例をあたしは知っている。

だから、そういうのにはやはり興味は持てない。

恋愛に夢を持つのは結構だが。

あたしにはどうでもいい。

それだけのこと。

それと、あたしが人間を止めることは、既に仲間の内では共有している。既に薬も飲んでいるし。

あたしは自分の腹を痛めて子供を産むつもりはない。

ただし、子供そのものは錬金術で作ろうと思っている。

今後、人間という生物を少しでもマシにするために。普通だったら禁忌とされるような研究も必須と思うからだ。

このまま魔物による攻勢を押し返しても、神代や古代クリント王国時代の悲劇を何度でも何度でも滅亡するまで人間は繰り返すだろう。

精神論だの演説だのでそれをひっくり返すのは不可能。

どんな優秀な為政者が出ようが優れた政治的システムが出ようが、どうやったって人間はその穴を突こうと必死に頭を使う。

いたちごっこになるのは確定だ。

だったら、人間そのものを変える。

それが、フィルフサによって壊滅したオーリムの惨状を見て。

その復興を、自分で手伝っているあたしの結論。

フィルフサだって、人間が馬鹿な事をしなければ、彼処まで好き勝手に大繁殖しなかったのである。

それどころか、まだ確定はしていないが。神代の生物兵器の可能性だって高い。

このままの人間を許容して、人間賛歌だのを無責任に歌うようだったら。

あたしが魔王になって、人間の敵になる。

それだけの事だ。

まあそういうわけで、あたしもそういう考えなので。

タオの思考を、責めるつもりは無い。

パティもその辺は理解はしているだろう。

「じゃ、ライザ。 僕はクーケン島に戻るよ」

「いってら。 あたしは護り手と一緒に、魔物の異常行動を引き起こしたあの翼持つ魔物を調べておく」

「うん。 僕も実家の本を見ておくよ。 今になって見ると、色々書き記されているものが多くてね」

タオがアトリエを出ると。

フィーが小首を傾げる。

「フィー?」

「んー? どうしたの?」

「フィー……」

なんとなくだが。

最近はフィーの言いたいことが分かるようになってきている。

多分、もっと連携しないのかとか、他の仲間はとか、そういう意味だろう。

大丈夫。

「他のみんなの内、レント、クラウディア、それにセリさんとクリフォードさんは近々来てくれるよ」

「フィー!」

「クラウディアはきっとまた綺麗になっているね。 レントはもう背も伸びないだろうかな」

フィーが嬉しそうに飛び回る。

もう、意思の疎通は問題ない。

あたしは、時間を見て、複数あるトラベルボトルを調整しておく。

一つは完全にフィー用の、ドラゴンの素材を取るためのもの。

もう一つは不完全だが、セプトリエンを回収するためのもの。

後は、今まで集めた良質な鉱石。植物素材。それぞれを採れるものを、一つずつ用意してある。

残念ながら、まだトラベルボトルは完全再現出来ていない。細かい所の技術の解析が終わっていないのだ。

終わったら、調整が出来るし、なんなら生産も出来るだろうが。

まだその時ではなかった。

ともかく、セプトリエンを回収し、それでグランツオルゲンを作っておく。

今、このグランツオルゲンの品質を強化する研究をしているのだが。それがどうにも行き詰まっている。

セプトリエンの質を上げられないのだ。

何より、である。

視線を感じるようになってから顕著になった。どうにも内容が聞き取れないのだが。変な雑音みたいなのが。研究中にも聞こえるのである。普段も聞こえるが、集中していても聞こえるのだ。

これが邪魔で仕方が無い。

そして、なんだか鍵みたいなものを作らせようとしているように思う。レシピの内容について呟いているのだが。

まだ声があんまりはっきりしていないので、どうしても聞き取ることは出来なかった。

皆が来るまで、後四日かかる。

その間に、やれることはやっておかなければならない。

研究が終わった後、前線の様子を見に行く。

護り手が検問を張って、野次馬を追い返していたが。この検問は、防衛線も兼ねている。

最近はウラノスさんが裏方に回った事もあって、あたしが護り手のナンバーツーだ。戦士達が、あたしが出向くと、敬礼する。

年長者も多いので、あたしは基本的に戦士達には敬語で接するようにしていた。

「どうですか? 魔物の様子は」

「あれから特に動きは無いですね。 もう一つ先の検問も含めて、襲撃を受けてはいないです」

「あの槍と翼を持つ魔物は」

「目撃されていません。 魔物を操る魔物……とても危険なのは確定ですし、見つけ次第知らせます」

頷く。

その後は、幾つかある検問を確認しておく。

護り手は殆どが此方に来ていて。

残りはアガーテ姉さんと少数が、クーケン島の守りについている。

こう言うときは火事場泥棒が出るものだが。

既にアガーテ姉さんが対策をしていて。

何よりアガーテ姉さんの監視網は鋭く。既に何人か、捕まえたようだった。

あたしは彼方此方を歩きながら、確認をしておく。

あの不可解な魔物は、姿がない。

タオがあの後言っていた。

古い時代。

神代の宗教に存在していた。悪魔という概念の存在に姿が似ているという。

乾きの悪魔と言うのは、クーケン島の伝承にも出て来て。それの正体はフィルフサだったのだが。

悪魔といっても、漠然とした姿しかどうにもイメージできないのも事実で。

何か悪さをする邪悪なもの、くらいな印象でしかなかった。

だが、数少ない神代の資料を見たタオによると。

古い時代は悪魔に対する明確なイメージがあったとか。

多くの場合は人間に似ていて、翼を持ち、時には多くの目を持つ。

何よりもその力は圧倒的で、単独で軍隊に等しいとか。

顔は人間のものだったり、動物のものだったり様々。

ただ、ヤギのような角を持つ事が多く。

淫蕩の存在であることが多いとか。

それの対として、天使という存在も信じられていたとか。

こっちも今では、漠然としたイメージしかないが。

天使は悪魔と同じように人型をしている事が多く。

翼は白く神々しく。

中性的な容貌を持っていて。

人間を見守り。助ける存在なのだとか。

まあ、そんなものが存在していたら、この世界はここまで酷い事にはなっていないのだろうが。

いずれにしても、あの槍と翼の魔物は、悪魔と言うのに近いと言うのはあたしも理解出来たし。

何よりも、魔物を操るという特性は。

極めて危険極まりない事も、理解出来ていた。

いずれにしても、深追いは禁物だ。

四人が追加で来てくれる予定だが。

そうなれば、かなり話が変わってくる。

今の時点でも、ボオスとタオがいてくれれば、戦力的にはだいぶ向上しているが。

遠距離戦と探知のスペシャリストであるクラウディアと。

勘によって敵の察知が出来るクリフォードさんがいるだけで、敵の奇襲、包囲攻撃は避けられる。

何より前衛が増えれば、あたしも大火力の魔術を詠唱つきでぶっ放す事が出来るし。

戦闘も、それ以外も格段に楽になるはずだ。

前線の見回りを終え。

此方を伺っている魔物を蹴散らして仕留めておく。

アトリエに戻ると、エアドロップを調整しておく。

前のはアンペルさんとリラさんにあげてしまったのだが。新しく作ったのだ。

浅瀬が多い島々を巡るのに、エアドロップは必須。

泳いで渡るのは流石に論外。

着衣泳が出来るのと。

水中で魔物とやりあうのは全く別の話である。

最初に威力偵察をしたとき。

わんさか魔物に襲われたように。

水中には魔物がわんさかいるのは確定。

浅瀬になって、大型の魔物は入り込めないだろうというのはあるが。

そんなものは希望的観測だ。

頭足類のでっかい奴とか、浅瀬とかには大喜びでエサを求めて入り込んでくるだろう。そんなのに泳いでいるときに襲われて、助かる自信は無い。

他にも準備は幾つもしておく。

例えばローゼフラムだが、更に上の爆弾を幾つか試作している。

「伝承の古き王」との決戦で用いた、熱、冷気、風、雷撃、全てを同時に叩き込む爆弾についても。

今はツヴァイレゾナンスと名付けて、調整をしている最中だ。

それも準備をしておく。

ただこれはコストが大変掛かるので、あまりたくさんは作れないし、戦闘でどかどか投擲するのは現時点では現実的ではない。

今は、ともかく。

動けるようになるまで、準備をしなければならなかった。

アトリエの戸がノックされる。

このノックはアガーテ姉さんだな。

そう思って顔を出すと、やはりアガーテ姉さんだった。

「ライザ、忙しいところすまないな」

「何が起きました?」

「古老達が水の問題はどうなったと騒いでいてな」

「今父さんと相談して、水の調整をどうするか決めている途中です」

分かっていると、アガーテ姉さんはうんざりした様子で言う。

なるほど、あたしが直に進捗を言わないと納得しそうにないと言う事か。

ボオスやモリッツさんが、クーケン島にとって極めて大事な商人との交渉の矢面に立ってくれているのに。

老人達は、己のお気持ちを振りかざして。

それで何よりも優先されると思い込んでいる。

古老にしたって、回復魔術の達人だったから、古老にまでなったのに。それも年老いればこれか。

なんとも、情けない話だ。

「頼めるか」

「分かりました。 じゃあ、データで殴りに行きますね」

「……やり過ぎないようにな」

あたしは試験的に準備した水を持って、アガーテ姉さんと船でクーケン島に戻る。面倒だが。どうせ皆が来るまでは動けないのである。

家によると、父さんに声を掛ける。

そして、準備しておいた水を、何種類か持っていく。

古老達がブルネン邸で待っていて、ヒスを起こしていたが。父さんの顔を見ると、流石に黙る。

父さんが島一番の農夫であることに、異論を持つ者はいないのだ。変人である事も知られているが。

「水の状態についてですが、現在調整をしていると話しましたね。 これが、調整の結果作った水です。 父さん、味について比べてみてください」

「どれどれ。 ふむ……」

元々が、オーリムから略奪した水だったのだ。

塩水を淡水にして、それがあっさり再現出来た時点で満足すればいいものを。

クーケンフルーツの味が僅かに落ちた程度で騒ぎ立てて。

工夫をして味を戻そうとどうして考えない。

苛立ちが募るが。

ともかく、父さんに品評して貰う。

「ええと、これが現時点で出ている水だね」

「流石は父さん」

「古老も文句を言うなら比べてみてください」

「う、うむ……」

あたしにはほぼ分からないが。

ともかく、微調整した水を四つ飲んで貰う。父さんはそれらの全てに、細かい違いを指摘してくるので、メモを取っておく。

それにしても凄いな。

こんな些細な違いを、良く理解出来るものだと、本当に感心する。

この辺り、何かを極めた人間だ。

極めた人間は何人か見た事があるが。父さんは間違いなくその一人である。

「ライザ、この水が一番良いと思う。 これをもう少し甘くしたら、更にいいのではないだろうか」

「ふーむ……。 わかったよ父さん。 これをベースに、更に微調整をしてみるね」

「うむ」

「ということで、現在調整作業は進めています。 文句は、ありませんね?」

あたしの機嫌を損ねたら。

最悪、水そのものが干上がる。

それを知ってはいるから、古老もあまりギャーギャー喚くことも出来ない。

うっと呻くと。わかったわいと呟きながら、引き下がる古老。

こんなのに時間を取られている暇はないのにな。

そう思いながら、あたしは島の地下に移動して。

まずは、父さんが一番良いと行った状態に。淡水化装置のパラメータを、設定し直すのだった。

 

3、皆が来る前に

 

作りあげたゴルドテリオンをベースに、剣を打つ。

ボオスに頼まれたのだ。

護り手の戦力の拡充を頼むと。

今回の一件、長引く。

それをボオスも理解したのだと思う。

百年前に似たような事件が起きたときは、半年くらいは異常が続いていたらしい。それについては、タオが確認している。

つまり何も誰も手出ししないと、半年くらいは異常が続くとみて良い。

その間、島の交易には大きなダメージが出る。

そうならないように、さっさと対策はしなければならない。

それだけじゃあない。

ボオスとタオと、アガーテ姉さんと一緒に出向いて確認したが。聖堂の更に西には、明らかに多数の魔物が徘徊していて、攻撃に備えるように警戒していた。それも、歴戦の戦士のように統率が採れた動きで、である。

ヴォルカーさんが見たら、目を剥くのではあるまいか。

魔物はそれぞれ好き勝手に動く。

ラプトルのように、ある程度統率がとれた動きをする魔物もいるが、それも所詮は稚拙な連携に過ぎない。

今見ているのは、まるで護り手や、ヴォルカーさんが鍛えた戦士達のような連携で動いている魔物の群れだ。

次にあたし達が攻め寄せても、撃退してやる。

そういう気配を、ビリビリ漂わせていた。

これは、簡単にはいかないな。

そう思って、あたしは一度引き上げる。

幸い此奴らは、この浅瀬と群島を守る動きをしている。それに、周囲の魔物も集まってきている。

もう少し人数が集まったら、全部まとめて一網打尽にしてやる所だが。

少なくともロングレンジでの戦闘を出来るクラウディアとクリフォードさん。何より頑丈な前衛として動けるレントがいないと、この数は相手にしたくない。

あの翼と槍持つ魔物も、クラウディアが来たら、遠距離攻撃を試してみたいのである。

それでたたき落とせるようなら。

或いは、一気に活路が見いだせるかも知れない。

偵察から戻ると、護り手の皆に武器を分配する。

渡したのはオーソドックスな剣と槍だが。だからこそに使いやすい。

それぞれにサイドアームとしての剣と、槍を支給する。

アガーテ姉さんが。念を押していた。

「これらは基本的に今回特例として配布する武器だ。 今回の危機が収束し次第、回収する」

「分かりました!」

「うむ」

アガーテ姉さんは、相変わらず厳しいな。

そう思う。

確かにこれらの装備は、普通の戦士が使うには過ぎた装備だ。ちょっと扱いを誤るだけで、手指どころか手足ごとさっくりなくなる。

ともかく、警戒装置と検問をあわせれば、これで問題はしばらくは生じないだろう。

先にオーリムに行くかとボオスに話を振っておいたが、首を横に振られた。

「今は忙しいだろう。 後で余裕が出来たら頼む」

「そう。 良いんだね」

「ああ」

ボオスはそんな風に、素っ気ないのだった。

実は、既にオーリムには足を運んだ。

あたしとしても、キロさん達には状況を伝えておくべきだと判断したからだ。

今、グリムドルには四十人ほどのオーレン族が集まって、復興作業をしている。既に畑も出来ているし、彼方此方に木々も生えている。完全に表土が禿げてしまった土にも、下草が生え始めていた。

水も豊かに戻り。

フィルフサは近付く事も出来ない。

遠くから、此処を目指して逃げ込んできたオーレン族の民も、少しずつ増えている。

グリムドルは、復興しつつあるのだ。

此処でも、水害を引き起こせる堤防トラップは仕掛けてある。

使い方についても訓練したし、幾つか緊密な動きはしているのだ。

キロさんは、百年ごとに起きる異変というものについては、知らないし興味も無いようだったので、それで別にいい。

こっちの世界の問題だ。

キロさんが、知らないのは当然だし。

何より時間感覚が全く違う。

百年前は、キロさんはグリムドルで一人、ずっとフィルフサ相手の戦いを続けていたはずで。

そもそも此方に来る手段すらなかっただろう。

それに半年かそこらで収まる問題なんて、オーレン族の時間感覚からすれば、一瞬である。

むしろキロさんが興味を持ったのはセリさんだ。

緑羽氏族と聞くと、それだけで興味を見せた。

セリさんの一族は、それだけ緑化のスペシャリストとして知られていると言う事で。

いずれグリムドルにも来て貰って、緑化作業を見て欲しいと言う事だった。

それに、他の幾つかの件についても、情報の交換をキロさんとは約束している。

一番の情報については、人間とオーレン族との交配についてだ。

キロさんは、情報を持っていた。

古い時代に、どうもそういう例があったらしい。

やはりか、とあたしは思った。

人間とオーレン族は、姿が似た収斂進化とよばれるタイプでは無く、どうも亜種にちかいと感じていたのである。

話を聞くと、古い時代にそういう伝承があったとかで。

やはり、母親側に大きな負担が掛かって、すぐに命を落としてしまった、ということだった。

なお、今グリムドルにいるオーレン族の女性に、妊娠中の人はいない。

もしも子を授かった人がいたら、連絡してくれる。

そういう話であったが。

いずれにしても、まだ先になるか。

ボオスには、これらの話は黙っておく。

ボオスとキロさんの話だけではない。

問題を全て片付けた遠い未来の事。人間とオーレン族が、協調して一緒に歩けるようになる時代が来たら。

その時には、子供を作ったら母親側が死ぬような悲劇は避けなければならない。

ともかく、資料が必要だ。

アンペルさんとリラさんも、今はその気配はないが。もしも二人が結婚するようなことがあれば。

悲劇を避ける為にも、早めに話はしておかなければならなかった。

クーケン島に戻る。

忙しそうに、ボオスはブルネン邸に戻っていく。

戦士として当てになるようになったが。

ボオスが公的に戦士として振る舞うのは、多分これが最初で最後では無いのかと思う。

門の対策、フィルフサの王種対策で、この一年の間二回の戦いの時も、ボオスには参戦してもらったけれども。

それはあくまで公的な振る舞いでは無い。

一個人としての行動だ。

今後、ボオスはクーケン島を背負って立つ。

それを考えると、色々と厳しいだろうなと言う事は容易に想像がつく。

「ボオスも、せっかく剣士として腕を磨いたのにね」

「禊ぎだって言ってたよ」

「うん?」

「ボオスってさ。 ライザや僕に冷たく当たってたことを、結構後悔しているらしいんだ」

そうか。

まあ、それならば。そうでないよりもずっと人間的にマシだと思う。

話をそのまま聞く。

「それでね。 本当の仲間になるためにも、しっかり一度、同じ立場で冒険をしておきたいんだって。 戦士としても、しっかり戦っておきたいんだってさ」

「パティと同じで、根は真面目と言う事だね」

「うん。 まあ、四年前まではちょっとボオスもおかしくなっていたんだよ」

「それは分かる」

まあ、あれはあたし達もボオスも悪かったのだ。

禊ぎをしたいというのなら、それをとめるつもりもない。

ボオスは一戦士として協力し。

あたし達はそれを受け入れる。

それで、禊ぎとしては充分だ。

そういえば、ランバーが仕事をしている。最近は秘書官としてすっかり落ち着いていて。奥さんを貰った事もあって、ブルネン家に対する忠義も評価されているようだ。

剣技については、アガーテ姉さんが認める程で。

今でも、護り手にたまに剣を指導している。

「ランバーも、すっかり雰囲気が変わったね」

「ランバーも道化を演じる必要がなくなったからね。 ボオスもそれを理解しているんだと思う」

ボオスもランバーを信頼し。

ランバーも敬意を持ってボオスに接している。

そういえば、子供が少し前に生まれたのだが。難産だったので、あたしが薬を提供したっけ。

今は産後の肥立ちも良くて、何の問題も無い。産婆も最初は難しいかもしれないと言っていたのだが。

逆子だった子も、ちゃんと産まれてきて。

今では、少しずつ言葉が喋れるようになってきている。

元気な女の子だが。

将来はどうなるかは、まだちょっと幼すぎて分からない。

「じゃあ、あたしはアトリエに戻るよ」

「僕はちょっと本をそっちに運ぶね。 僕の部屋、ちょっともう狭いように思えてさ」

「アトリエは図書館じゃないんだけどなあ。 まあ、皆で好きに使う取り決めだもんね」

「というか、アトリエのコンテナが凄いよ。 本が傷む恐れがないんだから」

それが目的か。

まあ冷気の魔術を常時掛けるようにしていて、傷みやすいものも傷まないようにはしているが。

確かに、本もそれで痛む事は無さそうだ。

最初の第一陣だけは、あたしも手伝う。タオが部屋から大量の本を運び出していくのを見て。

タオの両親は、ゴミでも見るようにタオと本を見ていた。

タオが王都で学者になることも。

その学者になるために役立ったこれらの本も。

自分から見てどうでもいいから、どうなろうと知った事じゃない。むしろゴミでしかない。

視線にそういうものが篭もっていて。

親子の関係は千差万別。

親から子への愛が必ずあるわけではないと、あたしは思い知らされる。

だけれども、今更胸ぐら掴んで怒鳴る気にもなれない。

タオも既に両親には色々諦観を持っているようで。

それについては、何も言わなかった。

これは、タオがパティと結婚しても、この二人には知らせる必要はないだろうな。そう、あたしは思った。

 

アトリエで物資を調合補充して、空いた時間で知り合いの家を回る。皆が来て、調査を本格化させるまでに、やれることは全て片付けておくべきだと判断したからだ。

エドワードさんの医院を訪れる。あたしの薬の質が向上したこともあって、余程の事がない限り病人は治るようになった。流石に末期のものはどうにもならないが。それでも、エドワードさんが厳しいといった患者が治ったケースが何回かある。

薬を納入して、最近の話を聞く。やはり医師のなり手は少ないらしく。

エドワードさんも後継者が欲しいそうである。

「まだ現役じゃないですか、エドワードさん」

「そうだがな。 後十年後は、体が動かなくなりはじめる。 二十年後は、正確な判断が出来るかどうか……」

そう、寂しげに言うエドワードさん。

なるほどな。

タオに、王都で良さそうな人間を探して貰うと言う手もあるか。そうでなければパティでもいい。

エドワード先生は、あたしを見ると、ため息をつく。

「なあライザ。 此処を継いではくれないか」

「ごめんなさい。 それはできません」

「分かっている。 だがな、そうとさえ言いたいほどなんだ」

「……」

エドワードさんは、良識的な医師だ。

ちゃんと患者と向き合い、治療して、そして健康になるのを見て本当に喜んでいる。美味しい料理を作って、それを食べた人が笑顔になるのを喜ぶ料理人と同じ。そういう善良な、理想的な医師だ。

だからこそに後継者は難しい。

こういう他人のために人生を捧げられる人には、人間は中々なれない。

洗脳して人間をそう仕向ける外道もいるが。

そんなのは論外として。

この人のように、自主的にそうなれる人を、恐らくこう呼ぶのだと思う。

聖人と。

もしも、あたしがこれから錬金術で子供を作り。

その子供が、医師の適正を持っていたら。エドワード先生に紹介するのだが。

まあ、それも先の話だ。

あたしが自分に処置した不老についても、効果が目に見えてくるのがいつかはちょっと分からない。

それに、あと一つ。

あたしはやらなければならないことがある。

ドンケルハイト。

知られる限り、最高の薬効を持つ薬草の発見だ。

今までも、少量は発見できているが。これが生で生えている状態のものが欲しい。どうしてもこのドンケルハイトの持つ最高の薬効機能が、錬金術の奥義とも言える賢者の石の作成には必須なのだ。

「これから、タオとパティに相談してみます。 王都は前にもいいましたが、閉じたカビが生えた井戸に等しい場所です。 目端が利いた人間には、自主的に脱出する人も増えています」

「分かっている。 だが、それがいつになることか」

「弱気にならないで。 エドワード先生が、どれだけ島の人を救ってきたか。 他の人が忘れても、あたしは覚えていますから」

「そうだったな……」

どうにも弱気になっているようでいけない。

ともかくあたしは、他の人の家も見に行く。

畑が不作になっていると言うことで、肥料を分ける。父さんが最高の肥料だと絶賛してくれたものだ。

直接使って、手入れの仕方を教える。

それで、充分だろう。

他にも、久々に湯を沸かして欲しいと頼まれたので、瞬間で終わらせる。更に腕が上がったねと褒められたが。

まあ、これに関しては、実戦で散々鍛えているのだ。

今更である。

勿論あたしは万能じゃない。

出来る事を、出来る範囲で出来るようにしている。

それだけだ。

島を回って、それでアトリエに戻る。

ひょこんと懐からフィーが顔を出す。基本的に、島では大人しくしているように告げてあるフィーだが。

アトリエではある程度自由に飛び回っている事も多い。

それに、ドラゴンの要素と近付くようになってから、だいぶ力強くなってきたようにも思う。

ただ大きさはそれほど変わらないし。

もしも大きくなるとしても、何百年も後だろうが。

また、やはりフィーは殆ど糞便をしない。

恐らくだけれども、やはり大気中の魔力を食べているのが大きいのだと思う。

ベッドで転がって、ぼんやりとする。

フィーがおなかの上に乗ってきて。

小首を傾げる。

まあ、可愛いものだが。

今は、ちょっと考え事を優先したい。

「フィー。 今考えている事があってね」

「フィー?」

「人間の要素ってのは、既に抽出できているんだ。 人間のおなか……子供を育てる仕組みについてもね」

「フィー……」

これについては、実際に色々調べた。

多数の魔物を捌いて、体の構造を見た。

元々産婆の手伝いをしているから、どうやって子供が出来て、生まれてくるかも知っている。

更には、匪賊をしていたような女を殺した時には。

体を捌いて、体内の仕組みを徹底的に調査した。

その結果、空間把握には自信があるから。

人間がどうやって子供を体の中で育てて産むかは、完璧に理解した。

また性行為を用いずとも、人間の要素を抽出して。其処から人間を作り出す事も可能にはなった。

だが、今それをやろうとは思わない。

少し前に、やろうと思った事がある。

だが、その時にアンペルさん達から連絡が来て。門と、その向こうで蠢くフィルフサを始末しにいった。

それから時間がとれずに研究を進められていない。

それに、あの島々が出現した。

あれを考えると、当面研究は出来ないだろう。

何よりも、だ。

研究というのは、多数の失敗という成果の果てに、進展するものである。

既に出来る事は分かっているが。

成功させたとしても、その先に何が待っているかは分からない。

いずれにしても、やるのには時間がいる。

何よりも、ただ普通に人間の子供を作るのでは意味がないだろう。それについては。あたしはずっと前から考えている。

人間は、変えなければならない。

「明日にはみんなが来るよ」

「フィー!」

「そうだね。 嬉しいね」

「フィーフィー!」

飛び回るフィー。

力は少し強くなったかも知れないが、殆どおもくはなっていない。或いは生体で。このサイズなのかも知れないが。

ともかく、それらの細かい情報を、エンシェントドラゴンの西さんからは聞き出せなかった。

それは少しばかり、悲しい話だ。

「今日はちょっと早めに寝るかな」

「フィー!」

疲れも溜まっている。

何よりも、明日からが本番だ。

だからあたしは、早々に寝ることにする。

なお、元々薄かった性欲だが。

寿命を無くす薬を作って飲んで以降。

完全に、ゼロになっていた。

 

フロディアが顔を上げる。そして、合図を察知して、商会を出た。

既に夜中だ。

どうやら、同胞が何人か来たらしい。

クーケン島の近くで、ついに例のものが動き出した。予想より少し遅かったが、いずれにしてもだ。

邪悪なる神代の錬金術師が作り出した、最悪のシステム。

近年は100年に一度ほどだったが。古代クリント王国の時代は、二十年に一度ほど起きていた。

そもそもあの現象に対応する目的もあって、この辺りに人工島をという計画が持ち上がったのである。

古代クリント王国の錬金術師どもが神として崇拝した神代の外道どもへの道。

それが出来るのだから、無理もないとは言えたが。

合図を見て、指定の場所に行く。

クーケン島の端。少し前まで水没していた辺りが、集会所だ。基本的に、人目につかないように色々と処置はしてある。

来ている面子は、「同胞」の主軸だ。

「ガイア。 久しぶりです」

「フロディアか。 久方だな」

最古参の同胞。

眼帯をしている、最古のもの。ガイアが来ている。

同胞は基本的に同じスペックだから、経験値がものを言う。ガイアは既に四百年以上活動を続けており、戦闘経験値も同胞の中でトップだ。

更にガイアが産んだ子も同胞には多く。

それで尊敬は、自然に集めていた。

他にいる面子も、同胞の主軸を担う者ばかりである。

既にライザリンに対しては、Cプラン。到達までは監視に留め。それから協力を仰ぐものと決めている。

ただ、ライザリンはここのところ、急激に人間離れして来ている。

フロディアも、それを報告したはずだが。

「計画には代わりは無い。 これから幾つかの事前に確保してある拠点に分散し、ライザリンとその仲間の行動を監視する」

「了。 それで、コマンダーは」

「現在、別行動中だ。 サルドニカで問題が起きていると言う事でな」

「サルドニカ……」

一応形式上はロテスヴァッサ王国の第二都市となっているが、実際には独立国家である、工業の街。

かなり新しい街で。

衰退著しい人間の世界では、発展を現在続けている珍しい都市だ。

だが都市を動かしている動力源となっているものはさび付き、枯渇が近付いており。

都市の名物となっている巨大な歯車は、さび付いてしまっている有様である。

今は硝子ギルドと魔石ギルドが対立しており、それをまとめていた工房長(事実上の街の長である)がなくなって若年の後継者が後を継いだこともあり。上手く行かない場合には、下手をすると街の分裂、内戦の危機まであるという。

コマンダーは、その問題を解決に動いている現地チームを支援するために出向いたとか。

「しかし、仲良くなるのが得意なコマンダーですが、人間関係の調整は得意でありましたか」

「いや、コマンダーの仕事は別だ。 街の混乱をかぎ取った大物が何体か動き出している。 匪賊もな。 それらの処理だ」

「なる程、納得しました」

「それで、此方の状況だが」

フロディアは頷く。

悪魔が、動いている事を報告。

そうすると、ガイアはふむと鼻をならしていた。

「確か悪魔は、もっと後に本来は動く存在であったと認識しているが……」

「今まで集めて来たデータではそうですね。 しかし、今回の「鍵」は、どうもライザリンに対してかなりの関心を持っているようです。 或いは「門」の難易度を上げているのかも知れません」

「可能性はあるか。 奴は自分の創造主と思考回路が同じように調整されている。 それから独立した「母」の方が異端だ」

「「母」の方はどうでしょうか」

現在もリソースをフルに使って、ハッキングの途中だと聞いて。フロディアはそうだろうなと思った。

ライザリンと協力して、全ての問題を灰燼に帰す。

それを為すには、交渉のカードが必要だ。

何より、鍵は今まで多数の錬金術師を返り討ちにしてきた凶悪なシステムだ。その歴史はログを辿る限り、神代からである。

つまり古代クリント王国時代より更に古くから。

更に技量のある錬金術師を潰して来たということだ。

ライザが勝てるように。

最大限のバックアップもしなければならない。

そのためには、必要な処置だと言えた。

「時にミズチの姿が見当たらないようですが」

「産休だ」

「そういえばそろそろだと言っていましたね」

「ミズチがいないのは少し不安ですが、まあどうにかなるでしょう」

ミズチは、東の方で活動している同胞の戦士だ。

剣術に関するデータを取っている同胞で。東の方で独自発達した剣術や武術を回収して回っている任務を持っている。

ただし、東も衰退が著しいのは同じ。

現在では各地で魔物に蚕食され。

去年も一つ、大きな街が滅ぼされている。

だからこそ、技術の回収が必須なのである。

同胞の仕事は、こういった技術の回収にもあった。

「現時点で集まっているメンバーで、監視任務は行う。 それでは、解散とする」

「はっ! 希望たるアインのために!」

「同胞のために!」

敬礼をかわすと、さっと全員が散る。

フロディアも、仕事に戻る。

バレンツ商会を掌握しているルベルトに接近して、後妻の地位に収まれるようなら収まる。それがフロディアの仕事の一つだったが。

ルベルトは妻以外の女に興味を見せず、最後までそれはなせなかった。

だが、それはそれで別にかまわない。

バレンツ商会内部で、一定の地位は確保した。

特にバレンツの時期当主であるクラウディアの最も信頼するライザとのパイプになるこのクーケン島での管理職を任されたのは大きい。同胞の間でも、それで充分だと判断され。以降は特に何も言われていない。

同胞のやり方は、基本的に身内に対しての成果主義ではない。というか、皆の能力が完全に横並びなので、そういう事をしても内紛を引き起こすだけだと全員が理解しているからだ。別に王族に取り入って権力を得たところで、どうでもいい。ロテスヴァッサの王族そのものがはっきりいって操り人形であり、権威そのものががらんどうだからである。ついでにいうと、ロテスヴァッサを改革しうるアーベルハイム家には、既に大きな影響力を同胞は手にしている。

焦る必要もないのだ。

今もデータを取るために時々同胞は子供を人間との間に作っているが。

このやり方ではダメだろうと、以前データを見たフロディアは判断している。

ともかく、今は人間との間に子供を作っても無駄だし。

フロディアも、作りたいとも思わなかった。

かといって、「母」の同胞生産力にも限界がある。結果として、フィルフサを駆逐する事、魔物を押し返すこと。

両方の作戦を同時執行するのは難しい。

一つずつ、やっていくしかないのだった。

任務に集中する。

上手く行けば、全てが終わり。全てが変わる。

その転機が、近付いている。

フロディアだって、門を通りかけているフィルフサの群れを潰す作戦には以前参加した事がある。

王種を討ち取るまでに大きな被害を出して、非常に悲しかった。

同胞を失えば悲しいのは人間と同じだ。

転機が来て。アインが救われ。同胞が救われれば、これ以上の事はない。それくらいの事は、フロディアだって考えているのだった。

 

4、第二陣、到着

 

船が来る。

フィーは既に察知しているようで、大喜びでぱたぱた飛んでいた。

フィーの存在は、クーケン島でも既に知られている。普段はあたしの懐に入っているけれども。

老若男女関係無く、フィーにはある程度の人気があった。

知能が高いから、ではないだろう。

悪意を察知できるし。

何よりも、善良な相手に人なつっこいからだ。

以前ザムエルさんが、フィーの様子を見て、酒を呷るのを止めて。それで、自宅に戻ってしまったことがある。

酒に溺れて我に忘れる前。

まだレントが幼かった頃の事でも、思い出したのかも知れなかった。

船が港に入り、降りて来たのは。

既にフル武装状態のそのレント。

背は、流石にもう伸びていない。

それにクリフォードさん。クリフォードさんは、愛用のブーメランを、更に色々彩色していた。

前は非常にシンプルな彩色の木製のブーメランだったのだが。あたしが要所を金属で補強し。

今ではすっかり凶悪兵器と化している。

身の丈ほどもある巨大ブーメランは、クリフォードさんの分身であり。固有魔術の伝播先でもある商売道具だ。

更にセリさん。

人前で顔をさらしたくないのだろう。

顔をフードで隠しているが。あたしを見て、少しだけにこりとしてくれた。

そしてクラウディア。

クラウディアは、ぱっと笑顔を浮かべて、あたしに抱きついてくる。

「ライザ!」

「久しぶりだねクラウディア。 三ヶ月ぶりかな」

「ふふ、そうだね」

三ヶ月前に、門をアンペルさんとリラさんが発見。

その向こうにいたフィルフサと王種を殲滅する際に、クラウディアとは一緒に戦闘した。

三ヶ月前には去年王都近郊での「伝承の古き王」との戦闘に参加したメンバーは、セリさん以外のほぼ全員が参加している。

セリさんは戦闘後に来て、しばらく門の向こうの調整をしていたのだが。

それには、アーベルハイムが人員を出して。門の見張りをしてくれたようだった。

いずれにしても、去年以降、一年ぶりというわけではない。

まずは、これで充分か。

パティがいないが、それは仕方が無い。

パティはちょっと今、王都の状況が忙しいので来られない。それについては、手紙でもう貰っている。

それと、タオは一月くらいで一度戻して欲しいとも。

例の論文の件だ。

それについては、あたしも分かっている。

今ではこれだけのスペシャリストがいるし、遺跡関係の専門家にもクリフォードさんがいてくれる。

タオを戻す事は。あたしもしっかり把握していた。

パティは三ヶ月前の戦闘でも、もうあたし達にそれほど引けを取らないほどの戦士に成長していた。

一番伸びる時期に、最高の戦闘経験を積んだからだ。

最近はヴォルカーさんが、上機嫌でお酒を飲んでいる姿をたまに見かけるという。

パティが滅茶苦茶戦士として成長したこと。

何よりその夫候補のタオが、アホ揃いの王都の貴族の子弟とは別物の傑物であること。

この二つが、本当に嬉しいかららしい。

ただパティは、再婚して欲しいと手紙で何度か愚痴っていた。

あたしに愚痴を手紙で言えるくらいに、既に仲良くなっているとも言えた。

タオとボオスが来る。

「そろい踏みだな。 今回の一件、最大緊急案件と判断して、精鋭を揃えて対処に当たるだったか?」

「そういうこと。 じゃあ、手分けして動こうか」

「俺はしばらく、航路の再編制と、それによって生じる混乱の抑え、それに商人達との対応に当たる」

「助かるわボオスくん」

ボオスが面倒なのを買って出てくれたが。

ただ、ボオスは咳払いした。そして、皆を手招きして、声を落とした。

「実はな、サルドニカから来ている商隊のトップが、そもそもサルドニカの工房長だって話はしたよな」

「うん。 サルドニカの事実上のトップなんだよね」

「それが調べて見たが、現在サルドニカは麾下の筈の硝子ギルドの長と魔石ギルドの長が事実上牛耳っていて、トップは完全に舐めて掛かられているそうだ。 今回の件も、体よく追い払われたんじゃないかと俺は睨んでいる」

第二都市でもそんな感じなのか。

王都の腐敗と指導者層の無能っぷりにあたしは呆れ果てたのだが。

まあ、このご時世だ。

それに、勢いがあると言っても、出来て百年以上経過している都市である。

腐敗が表に出始めるのは、そろそろだろう。

それにだと、ボオスは更に言う。

「サルドニカ近辺は、最近強力な魔物が出るようになっていて、自治戦士とか言ううちでいう護り手みたいな連中が対応できていないらしい。 特に強力な狼が問題になっているそうでな」

「ふうん……」

「ともかく、もう少し俺が調べておく。 お前らは、西の浅瀬と、群島やらを頼む」

「ふふ、頼もしいなあ」

クラウディアが、後で商談について話したいと言うと。

ボオスも、にやりと笑うのだった。

どんどんモリッツさんの仕事を肩代わりしていくつもりらしい。

まだ一時的な帰郷に過ぎないが。

完全に仕事が終わって、王都から帰還したときには。

すぐにでも、クーケン島の指導者として。モリッツさんの後を継ぐつもりなのだろう。

モリッツさんも、それを悪いとは思っていないようだった。

遠くに見える。

髪を綺麗に切りそろえた、とにかく育ちが良さそうな子。

肌が浅黒くて、そして所作が兎に角何もかもしっかりしている。

ボオスが言うには、あの子がサルドニカの名目上の指導者らしい。

年齢的には現在のパティと大差無さそうだ。

あの都市で指導者を押しつけられているとなると、大変だろうな。

あたしは同情しながら、アトリエに移動する。

クリフォードさんとセリさんを、あたしのこっちでのアトリエに案内するのは初めてだったか。

ともかく軽く状況を説明しながら、アトリエに。

何、この人数くらいなら、問題なく入る事が出来る。

「未知の魔物に突如湧いて出て来た島か! くう、ロマンを感じるぜ!」

「またその病気……」

「いやー、わからねえかなロマンの良さ!」

「分からないわ」

セリさんと、少し仲良くなったのだろうか。

クリフォードさんが例の発作を起こしていると。

セリさんがそれに突っ込みを入れている。

くすくすと笑うクラウディア。

パティがいたら、きっとフィーと楽しそうに話していたことだろう。

アトリエに皆を案内。

機能について説明する。クラウディアは、懐かしそうに目を輝かせて。辺りを見ていた。

「此処は私の第二の家よ。 本当に懐かしくて、涙が出そう」

「何度かクラウディアと一緒に仕事をしたんだが、どんどん仕事の時は怖くなってるんだぜ」

「そうしないと舐められてしまうのだもの。 商人なんてヤクザ者と同じで、舐められたら結構致命的なのよ」

「だそうだ」

レントが肩をすくめる。

そんなクラウディアだが、ここに来ると四年前の子供みたいな表情を浮かべていた無邪気なクラウディアに戻ってくれる。

それはあたしとしても嬉しい。

皆の分の菓子を焼いてくれるというので、それはクラウディアに任せる。

その間にあたしはタオが作った地図を拡げ。

皆との、作戦会議に入っていた。

 

(続)