開封開戦

 

序、下準備の確認

 

最悪の事態に備えて、アーベルハイムで人員を派遣。ヴォルカーさんが陣頭指揮を執って、対策を取るまで二日。

その間に、あたしは出来るだけの事をする。

最悪の事態に備えて、出来る事は必ずする。

封印を解除した瞬間、あたし達ではどうにもできない化け物みたいに強いフィルフサが出て来て。

それで皆が瞬殺される、と言う事もありうるのだ。

その可能性は勿論低い。

だが、それでも備える必要がある。

あたしも無敵でも最強でもない。

万能でもないし、ましてや全能では絶対にない。

だからこそ備える。

まずは、遺跡の地下水の状況を確認して、タオの言うとおりである事は分かった。だが、ここに更に水を引き込んでおく。

封印周辺を水で覆って、ちいさな橋だけを渡して、それでフィルフサの行動を制限するのだ。

少なくとも奴らの性質上、どれだけ強くても斥候を出してから此方に来るはず。

奴らにとっては水は大敵。

しかしながら、土はエサだ。

土を蹂躙して繁殖するフィルフサにとって、水でひたひたになっている土壌は恐らくは魅力的には見えないはず。

即座にいわゆる「大侵攻」をしてくる可能性は低く。

そう判断するまでに、此処を湖底にしてしまう。

門が文字通り水没してしまえば、もはや敵は此方に来ることなど出来ない。

乱暴かも知れないが。

それだけの事をしなければいけない相手なのだ。

「よし! 水を引き込むぞ!」

「レント! 頼むよ!」

「おう!」

一気に水が流し込まれる。

それでどっと遺跡が水没し始める。

この遺跡も、もとは前線だったのだ。或いは戦闘が行われていたときは、水がこうして引かれていたのかも知れない。

そう思わされるほど、水が違和感なく馴染んでいく。

よし。

まずは第一段階、準備完了だ。

水で遺跡がひたひたになるのを確認。

クラウディアには、此処から戦闘まで別行動をして貰う。

アーベルハイムとの調整。

連絡役。

それに、各地の集落の避難を急ぐ。

それらをやってもらう必要がある。

役立たずの王族にも貴族にも、最初から微塵も期待なんてしていない。だから、さっさとこのまま作業をしていくだけだ。

アトリエに戻ると、物資の確認。

パティも一緒に手伝って貰う。

「爆弾はかなり用意していくんですね」

「うん。 ただこれは、オーリムに入ってから使うつもりだよ」

「ええと?」

「ここから先は水浸しの洞窟か、それに近い場所での戦闘になる。 爆弾はとても使っていられない」

パティがなる程と頷く。

それと、回復のための薬だ。

セリさんが集めてくれた強力な薬効成分を抽出して。今までの薬を更に強化してある。ただ作成コストが高いので、それこそここぞという時にしか使えない。

コアクリスタルに仕込んでおくとしても。

多分一回使ったら魔力が枯渇するレベルだ。

あたしでも、である。

そうなってくると、やはり物を増やすしかない。コアクリスタルの調整もしておきたいところだけれども。

それも今は、まだ多少はマシにできる程度であって。

これ以上は性能の向上は厳しい。

あたしに出来る事はあまり多く無いのだと、こう言うときに思い知らされる。

神代や、それに古代クリント王国の錬金術師だって、こういうので自分の限界は理解出来なかったのだろうか。

少しでも客観があれば、こういう限界には何度も当たったはずなのだが。

それは、あたしには分からない。

いずれにしても、下衆の思考は、今はまだ理解出来ない。

残る時間で、準備を進めていく。

クラウディアからの連絡がアトリエに来る。バレンツの使用人が、手紙を持って来てくれた。

さっと目を通して、返事を書いてすぐに渡す。

今はもの凄く忙しい。

フィーが時々時間を警告してくれて、とてもありがたい。

これは油断すると、何も食べずに倒れてしまうだろう。

冷や汗を拭いながら、カフェに。

パティも今回は気を張っているからか、かなり食事の量が多いようだった。戦士としての習慣だ。戦時には食事量が多くなる。無言で二人で食事を済ませる。

見ると壁に一杯依頼が貼られている。

ヴォルカーさんが今回の件で出る事を決めたから。その穴埋めに、王都にいる戦士達に声を掛けているのだろう。

街道を、王都を守るために、皆の力が必要だ。

そういうわけである。

勿論最大の課題になる対フィルフサ戦には駆り出せない。

だから、いつもやっている仕事の一部を分担してもらう、という形になるのだろう。

「報酬やべえ。 アーベルハイム卿がなんか大きな魔物とやりあってるらしいからだそうだが……」

「マスター! 俺これ受けるぜ!」

「俺もだ!」

「仕事は幾らでもありますから、押さないで」

臨時のマスターが複数カフェに立っている。

いつも料理を作ってくれる女性は、奧で料理に専念しているようだ。

なるほど、こう言う所までしっかり手を回すか。

相変わらずクラウディアはしっかりしているな。

これがクラウディアの支援によるものであることは、あたしにも分かっている。勿論ヴォルカーさんも連携してくれている筈だ。

料理を食べ終えると、邪魔にならないように。さっとアトリエに引き上げる。

今まで納品してきた爆弾や薬、インゴット、それによって作られた装備が、今回魔物に対して猛威を振るう筈だ。

それでいいのである。備えは必要に応じてするものなのだから。

「ヴォルカーさんも上手くやってくれているようだね」

「お父様も今回の件は本気で取り組んでくれています。 何しろ問題が問題ですから……」

「助かるよ」

前は、本当になんというか。

クーケン島の地下を色々と調べて。現実を古老やモリッツさんに見せて。それでもフィルフサとの戦闘には、島の首脳部を協力させられなかった。

今回もロテスヴァッサの貴族や王族は蚊帳の外だが。

役に立たないからどうでもいい。

実際の戦力を抑えている人がしっかり動いてくれていることに意味がある。これならば、或いは。

あたし達が敗れても。

門をそのまま水没させて。全てを終わらせることが出来るかもしれない。

それはそれで本望だ。

アトリエに戻る。

タオが戻って来たので、軽く打ち合わせ。

今回はボオスも戦闘に参加するという。

ちょっと不安になったが。もうレントにお墨付きは貰っているそうだ。

「流石にお前らほどの戦力は見せられないが、それでも前に交戦したフィルフサが相手だったら、三年前よりずっとマシに戦える筈だぜ」

「分かった。 ボオスの分の装備も用意しておくよ」

「助かる。 開戦まで時間がないらしいが、いけるか」

「問題ない」

このために、時間を見てはトラベルボトルを用いて、セプトリエンの回収をしていたのである。

セプトリエンはまだまだ粗悪品に等しいのだが。

それでも、今までとは段違いの魔力媒体として用いる事が出来る。

ボオスの腰に付けている剣を借りる。

これと同じバランスで、剣を作る必要があるからだ。

「この剣で大丈夫だね」

「ああ、任せる。 二刀のスタイルは此処二年ほど使っているが、充分に手に馴染んできている」

「……分かった」

レントも認めたのなら、大丈夫だろう。

全員分の装備は、既にチェックしてある。

更改が必要なものは順番に調合で調整していたのだが。今回は、それぞれのメインウェポンに手を入れる事にしている。

あたしは魔術媒体としての杖もそうだが、靴にも更に手を入れる。

あたしの切り札は蹴り技だ。

だが、今回は爆弾が切れる可能性もあるし。

何より大火力魔術を更に増幅するには、杖はどうしても必要になってくる。

まあ杖無しで大火力魔術を使う事もあるのだけれども。

それはそれだ。

ボオスの剣を受け取ると。

ボオスとパティにアトリエを任せて。グランツオルゲンとゴルドテリオンを持って、鍛冶屋に出向く。

デニスさんは、鍛冶屋に来たあたしを見て。

目を細めていた。

剣の調整を頼むと、すぐにやってくれるという。

「なんだか大きな戦いが近いみたいだね」

「出来るだけ王都に被害が出ないようにします。 あたし達が生きて帰れるかまでは分かりませんが……」

「そうか。 貴方ほどの使い手が其処まで言う程の……」

「いつもこの心構えでいたつもりなんですけれどね。 今回は、あたしの人生でも何度もない程の大敵が相手になるはずですので」

料金を渡しておく。

デニスさんは頷くと、早速ボオスの武器の調整に入ってくれた。

続いてバレンツ商会に出向く。

クラウディアの指揮で、かなり忙しく動いている様である。

クラウディアが応接に通してくれたので、軽く此処で必要な話をしておく。

「今回の一件で、王都の勢力が大きく動くと思うけれど、大丈夫?」

「ええ。 親アーベルハイム派の貴族達には、此方から声を掛けているわ。 それでね。 この戦いが終わったらなんだけれども、ライザは王都の機械を全部直してしまうんだったよね」

「うん、そのつもりだよ。 王都を調べて、特に水周り関係の機械なんかが隠されているようだったら、整備もするつもり」

「それは前にも聞いていたから、それについて確認はしておきたかったんだ。 今、機械を全部直すべく、手を回しているの」

それを材料に。

王都の権力構造を、一気に塗り替えるそうだ。

クラウディアは、ふふふと悪い笑みを浮かべている。

あたしは、そういうのはあまり興味が無いので、任せてしまう事にする。

「まあ、此処の改革が進むんだったらいいよ。 とりあえず、無駄に血が流れないようにはしてね」

「分かっているよ。 最低限に済ませるようにするし……何よりね」

「ん?」

「例のメイドの一族が、全部協力してくれるみたいなんだよね」

そうか。

それは、なんというか。

まだアーベルハイムに対してああだこうだいっている貴族は、終わりだろうな。

下手をすると王族もだ。

王族やら貴族やらは優秀でもなんでもない。

特に貴族は王都で実物を見て、あたしはそれを実感した。

唯一マシなヴォルカーさんだって、そもそもたたき上げて地位を獲得した人物なのである。

とりあえずだ。

このよどんだ空気が満ちた王都は、一気に風通しが良くなるだろう。あらゆる意味で、だ。

他にも幾つかの打ち合わせを終えると。

今度は農業区に出向く。

セリさんと打ち合わせをしてある。

既に、例の浄化用植物は、調整が最終段階に入っているという。

あたしが準備した毒を利用して、浄化能力を確認しているそうである。

様子を見に行く。

畑の一角が、まるで異界のように奇怪な植物塗れになっていて。カサンドラさんが不安そうにしているが。

セリさんの事を信頼もしているのだろう。

何も、口出しをしている様子はなかった。

セリさんは無言で作業をしていたが。

あたしが顔を出すと、手をとめてこくりと頷く。

見せてくれる。

毒を撒いたという地点に、ごく普通の野草が生えている。浄化されたと言う事だ。しかも、ごく短時間で。

「これは……」

「今まで、この世界で集めて来た浄化能力を持つ植物。 この間見つけた植物。 組み合わせて、調整をして。 ついに完成したわ」

「やりましたね!」

「ええ……」

長い人生のオーレン族にとっても。

文字通り、人生をかけた事業だった筈だ。

種の入った袋を渡される。

あたしは、頷いていた。

この戦いの後。

皆が生きている保証なんて一切無い。

だからこそ、この種を。誰かしらが持っておかなければならないのだ。

「注意事項はありますか?」

「特にはないわ。 普通に植えて、水を撒くだけ。 それで大丈夫なように調整をしてあるわ」

「分かりました。 此方は預かっておきます。 最悪の場合、バレンツ経由で、グリムドルに渡るように手配もしておきますね」

「助かるわ」

セリさんが、少しだけ笑う。

殆ど笑みを浮かべる事もない人だが。

それは此方に来てから、いや此方に来る前から。ずっと過酷な人生を送り続けてきたからなのだろう。

オーレン族の若さは見ていて何とも分からない。

リラさんはかなり若い方だという話だから、五百歳程度ではぜんぜん若い方なのかもしれない。

セリさんは、老け込んでしまっていないか少し心配だ。

ましてや、これだけの大事業を成し遂げた後だ。

気が抜けて。そのままという事だって考えられる。

それは、避けたい。

復興作業にはあたしも手を貸したいし。

何よりも、セリさんには生きて復興をしてほしいからだ。

それにはまず、フィルフサに対する決定的な優位を何処かで取らなければならないのだが。

周囲を見回すと、セリさんは言う。

「一つ、貴方に言っておくわ」

「ん、なんですか」

「オーレン族は滅んでいない。 私がいたオーレン族の中心地は、精鋭を集めてフィルフサと戦い続けていた。 其処には門があった。 もしもオーレン族が全滅していたら、その門を通ってフィルフサが此方の世界になだれ込んできている」

「それだけ頑強に抵抗している人達がいるんですね」

セリさんは頷く。

まずは其処に戻って、それからだと考えているのだそうだ。

一番戦況がいい地点から、少しずつ反撃を開始する。

それで最終的には。

フィルフサをオーリムから駆逐する。

門は、その間にアンペルさんとリラさんが閉じる。

今は「聖堂」と呼ばれる仕組みを用いて、一時的に閉じているに過ぎないが。いずれ完璧な形で。

何もかも終わった時には。

オーリムとの関係は閉じる事になるのか。

それとも。

少なくとも、今の時点での人間は、オーレン族と上手くやっていけない。

個人としては、上手くやっていける人もいる。

あたし達はリラさんやセリさんと上手くやっていけているし。ボオスはキロさんに本気で惚れているようだ。

そういう個人もいるが。

あくまでそれは、個人での話であって。

人間という種族が今のままでは。オーリムと一緒にやっていくのは、夢のまた夢というのが現実だ。

「戦いが終わったら、どうするんですかセリさん」

「最終的にはオーリムに……オーレン族の中心地に戻るかしらね。 それまでに、オーリムで復興作業をやって、この植物の性能を確認したいけれど」

「それだったらクーケン島に来てください。 グリムドルにいけます」

「……それが良いかしらね。 ただこの戦いに完全勝利した場合は。 この地にある門の向こうを、どうにか復興したいものだけれども。 グリムドルはその次かしらね」

それは厳しいだろうなと、セリさんは少しだけ。

寂しそうに笑っていた。

アトリエに戻る。

装備品の調整を行う。

パティが持ち込んだ荷車に、爆弾や薬品を詰め込んでおく。荷車は四台。かなり多いが、これでも足りるかどうか。

今回は、出し惜しみは無しだ。

フィルフサとの戦闘がどれだけ厳しいかは、あたしも三年前に全身で知っている。

ましてや三年前に交戦した王種「蝕みの女王」に比べて。今回の王種がどれほど手強いかは、まったく分からないのだから。

装備の調整をしていくあたしを見て、ボオスがぼやく。

「まるで枷が外れたようだな。 今だったら空でも飛びかねないぜ」

「まだ空を飛ぶのは無理かな。 原理を理解したらやってみせる自信はあるけど」

「冗談のつもりだったんだが……」

「錬金術はただの力だよ。 使い方次第。 昔の錬金術師達は、揃いも揃ってそれを間違った。 あたしは……間違わない。 そのためには、全部一度知っておく必要があるからね」

全てを知った末に、あたしは魔王になってもいい。

人間を変えるために魔王が必要なら、躊躇無くそうなろう。

ともかく、今は眼前の戦いをどう攻略するかだ。

調査の度に情報が更新される。ともかく、作戦だけでも、しっかり立てていかなければならなかった。

 

1、濁流の壁と

 

決戦当日。

あたしは、皆とともに。最初に王都近辺で足を運んだ遺跡に出向いていた。既に準備は出来ている。

門を封じている壁の前に来て、それで何となく思う。

この遺跡の、うねうねした構造。

少しでもフィルフサの侵攻を遅らせるためのものだったんだなと。

勿論些細な構造だが。それでも、最初の一撃を耐えきるにはこれで充分だったのかもしれない。

まだ分かっていない事はたくさんある。

だが、それでも。

分かっているのは、フィルフサが此方の世界に大挙して押し寄せたら終わりだと言う事。

最悪の場合は王都周辺の地形が変わることになっても。

この壁の先にある門を、水没させないといけない、ということだ。

壁の前に立ったあたしは、カーティアさんが来たのを見る。

「此方は準備万端だ。 合図があり次第、いつでも水を全て流し込むことが出来る」

「よし。 それではまず第一段階から行きます」

「ああ」

まずは。この遺跡の戦いにくい地形を変える。

遺跡を爆破するわけではない。ちょっと心苦しいが、水浸しにしてしまうだけである。

水が満ちているだけで。フィルフサには脅威なのである。

幸いというべきか。

この辺りに、水は少なくない。

爆弾のセーフティを解除。

そして、その後段階を踏んで。

安全を確認後、起爆していた。

普通の発破を使う。

此処で物資を大量に消耗する訳にはいかないからだ。爆発音とともに、近くにある森が揺動する。

流れ込んでくる水。

どっと流れてきた水は。遺跡の複雑な構造に勢いを殺されつつも、足首くらいに辺りを満たした。先に流し込んだ水に加えてこれ。フィルフサに取っては、もう此処は死地だ。

まずは、これでいい。

ちょっと足場が悪いが、フィルフサに与えるダメージが更に大きくなる。最悪の場合、足場を凍らせて戦えば良いだけ。

全員の装備は更改済。

いける。

「足下を確認! 戦い辛い人は!?」

「問題ありません!」

「思ったよりすごいなこの靴!」

パティとレントが口々に言う。

クリフォードさんは、目を細めて周囲を見ている。遺跡が破壊されるに等しいが。それでも、まあこれは仕方がないと感じているのだろう。

ちなみに、水浸しの状態でも戦いやすいように、靴は改良を更にしてある。

これは土砂降りの中戦った、三年前の経験を生かしての事だ。

アンペルさんとリラさんも頷く。

タオは、既に壁の前にいて。

とっくに発見していた、光学式コンソールを起動。

いつでも壁を開けられるようにしていた。

作戦の第一段階。

それは門まで、フィルフサを押し返すことだ。

「北の里」である程度情報は調べる事が出来た。

この大きな壁の向こうは、地下に降りるような形で洞窟になっている。

その洞窟には元々水が流し込まれていて。

それを武器に、この土地にあった国の戦士達は、フィルフサを食い止めていたらしい。

エンシェントドラゴン西さんの言葉には、まだ不可解な事、気になる事はたくさんあるのだけれども。

今は、それが分かれば充分だ。

ともかく門まで敵を押し返すのが第一段階。

なお、この土地にあった国の人間も、流石にフィルフサを相手にしながら建築をする余裕はなかったらしく。

幻惑のシステムと、何よりもこの壁を作るのが精一杯。

多くの犠牲をだしながら、封印によって守られたこの壁を構築し。

どうにかフィルフサの封印を抑え込むだけで、力尽きたそうだ。

此処で失った戦士も多く。

後は古代クリント王国に蹂躙されて滅びてしまったのだろう。

だが、その滅亡は無駄にはしない。

本質的には、古代クリント王国と大差ない連中だったようだが。

それについても、今は目をつぶる。

少なくともオーリムに侵略を仕掛けて、滅茶苦茶にするような真似はしていない。

自分達の命と世界そのものを天秤に掛けたとき、世界を選ぶ事が出来た。ましてや、欲望で世界を犠牲にすることもなかった。

それだけで、例え性根が綺麗でなかったとしても。

古代クリント王国よりは、万倍もマシだ。

「アンペルさん、リラさん、一緒に戦うのは久方ぶりだな!」

「ああ。 レント、すっかり腕の錆は取ったか」

「おう。 どんな攻撃でも弾き返してやるぜ」

「頼もしい。 私のような老人には、若さがまぶしいよ」

アンペルさんがそんな寂しいことを言う。

あたしも、いずれ年齢は見た目と一致しなくなる。

それは分かっているが。

別に、それはもうどうでもいい。

ともかく、戦いに勝つ。タオが頷く。

「対空戦は任せるよクリフォードさん。 飛び出してきたフィルフサが、飛行能力を持っている可能性があるからね」

「本当に何でもありなんだな其奴ら……」

「魔術は効かないのに、向こうは使い放題だからね……」

「それでも物理的な打撃は通じるよ。 コアを砕かないと止まらないけれど、逆に言うとコアさえ砕ければ瞬殺だって出来る!」

全員が構える中、タオが操作を完了。

空気が、一瞬で冷えた。

そして、壁が横に動き始める。壁そのものの防御機能は、まだ死んでいない。だが、分かる。

壁の向こうから、おぞましい気配が多数。

フィルフサだ。

やはり、もう壁にまで到達していたのだ。

五感全てを狂わせる仕掛けを、何百年も掛けて突破して来たのだろう。壁だって、いつまでもったか分からない。

だが、もった。

だから、此処からはあたし達の番だ。

わっと、飛び出してくる。

翼を持った、巨大なフィルフサだが。見るからに全身がぼろぼろだ。クリフォードさんが即応。

ブーメランを叩き込んで、体勢を崩させる。

そこにリラさんとあたしが飛ぶ。

リラさんが上空に躍り出るのと同時に、あたしが全力で蹴りを真下から叩き込む。翼を持ち、巨大なムシみたいな巨体が揺らぐ。

そこに、上空から飛燕のようにリラさんが躍りかかり、翼を叩き落とす。

だが、傷んでいてこの強度か。

今の手応え、かなり重かった。

水だって浴びている筈なのに。

セリさんの植物魔術で、蔓がフィルフサに巻き付く。そのまま、地面に叩き落とす。一斉に攻撃を叩き込んで、外殻を剥がす。蹴りを叩き込む度に、手応えが重い。かなり力は上がっているはずなのに。

気合とともにレントが一撃を入れて。それでコアが露出した。

アンペルさんが、黒い線を走らせる。

空間切断の固有魔術。

それでコアが砕ける。

フィルフサが、びくんと跳ねて。

それで動かなくなっていた。

呼吸を整えるパティ。すぐに次が来る。

わさわさと、歩行型のフィルフサが来た。かなり小型だが、此奴らは斥候だろう。一匹だって、生かして返すわけにはいかない。

いずれもが犬のような姿をしているが、どれも甲殻で身を覆い。目は白濁している。背中に結晶体がついているが、それが必ずしも弱点ではない。また、甲殻で体を覆っている割りに、動きはとても敏捷だ。

「やっぱり斥候が来るか」

「総力戦だ! 幻惑を越えてきているなら、大軍は出てこられない! 最悪の場合、壁を閉じて仕切り直しをする! とにかく隙を狙え!」

リラさんが叫ぶ。

躍りかかってくるフィルフサの斥候部隊。次々に出てくるが、さっきの大きい奴ほど強くはない。

しかし、前に戦ったフィルフサより明らかに強い。

これは、予想はしていたが。

最悪の予想が当たったと見て良かった。

パティが斬りかかるが、ゴルドテリオンの刃に耐え抜いたフィルフサが、押し返して来ている。

ずり下がりながらも、パティは不意に力を抜き。相手が前に出るのと同時に、横薙ぎに体を斬り払った。

見事。

だけれども、ばっさり体を切り裂かれていても、フィルフサはまるで平気で。パティを組み伏せようと襲いかかる。

そのフィルフサの背中に、タオが二刀を叩き込み。そして、パティも気合とともに貫く。

多分、それでコアが露出したのだ。タオの一撃が、フィルフサを仕留めていた。

ボオスは二刀の内、長剣を用いて戦い。要所で不意に短剣を抜いて相手に刺し貫くような一撃を入れている。

その動きは洗練されていて。

泥にまみれた足場でも、充分過ぎるくらいにやれている。

まだ基礎能力が足りていないが。

ここしばらく、みっちりレントと鍛えていただけの事はある。

充分だ。

「フィー!」

「!」

あたしが蹴り潰したフィルフサのしがいを踏み砕くようにして、大きいのが来る。猿に似ているが、爪がとんでもなく鋭く、重厚だ。

そいつは胸を激しく叩き鳴らすと、喇叭のような重低音で不意に鳴いた。

それが、強烈な倦怠感を及ぼす。

魔術か。

だが、そんなもの。

気合とともに、吹き飛ばす。

あたしが突貫。

来て見ろ。そう体格に自信があるらしい猿型は、立ち上がって大きく丸い腹を突き出し、盾のようにしてみせる。

あたしは奴の至近で踏み込むと、不意に跳び上がる。

ベアハッグの容量であたしを捕らえようとした大型の頭上に出ると。

熱魔術で空中機動。

頭上から、文字通り叩き潰すようにして、蹴りを叩き込み。

更に、それで砕けた頭の甲殻の中に、熱槍を連射して叩き込んでいた。

数歩後ずさりながら、全身から熱を激しく放出する猿型。コアは、砕けなかったか。泥水を蹴立てて着地。

真横。

突っ込んできたのは、小型のフィルフサだ。踏み込みつつ、腕でガードして、無理矢理突貫を弾き返す。

腕の皮を切り裂かれ、数歩分吹っ飛ばされるが。それでも相手も動きが止まる。動きが止まった小型を、レントが大剣で叩き潰した。

そのまま、全身が焼け焦げた大型が、あたしに襲いかかってくる。

だが、それは無駄なあがきだ。

雄叫びとともにあたしも突貫。

泥水を蹴立てながら、一撃の下に腹に前蹴りで大穴を開けてやる。内側から熱槍を乱射された大型は、装甲が脆くなっていたのだ。

本来だったら通じなかった攻撃だが。

此奴らは、水浸しの洞窟の中を、無理矢理侵攻してきていたのである。

自慢の装甲だって水浸し。

それは弱っている事を意味する。

魔術でコアを砕けなかったのは流石だが。それでも。これで。

あたしは更に体を旋回させると、回し蹴りで露出したコアを粉砕。それで、嘘のように動きを止めた大型は、仰向けに倒れ。

激しく周囲に水を飛び散らせていた。

「負傷! 回復!」

「了解! 前に出る!」

壁の先には行かないようにとカーティアさんには念押ししておいたが。カーティアさんも、きっちり戦ってくれている。

カーティアさんは前に出て、小型数体を相手に、まるで引かぬ勇敢な戦いぶりを見せている。

流石だ。

あたしは荷車に飛びつくと、散々増やしてきた薬を傷に塗り混む。皮を抉って肉まで行っていたが、昂奮物質が脳をドバドバぬらしているからだろう。あまり痛いとは感じない。その間に、さっさと直す。脳が正気になったら、痛みで動けなくなる可能性だって低くないのだ。

すぐに戦線に復帰。

レントが叫ぶ。

「此奴ら強いぞ! 三年前の奴らより!」

「同感! でも、数が少ない!」

「こ、これでですか!? 一体一体が王都近辺に出てくるネームドの魔物と同等か、それ以上ですよ!?」

「かなり弱体化していてそれでもこれだけ強いとなると、ひょっとすると数そのものは少ないのかも知れない。 フィルフサとしては有り難い相手だよ。 かなり戦いやすくなる筈だからね!」

三年前の戦いでは。

水害にて押し流す戦略を採ったが。

それでもフィルフサは、自分達を橋にしたり。

かなりの力業で、水を突破しようとしてきた。その時は水で相当に弱っていた事もあって、小型単独だったら苦戦するような相手ではなかった。

だが、此奴らは。

また壁の向こうから飛びだしてくる。タオがさがったので、代わりにリラさんが穴埋めする。

あたしは最前衛で、次々にフィルフサを蹴り潰す。

包囲を突破しようにも、飛行型以外は水に突っ込むだけだ。後衛に廻った面子が、そいつらはそのまま仕留める。

激しい戦いが続く。

また飛行型が出てくる。

あれだけは、絶対に生かせてはいけない。

王種がいなければ繁殖は出来ないとは思うが、それでもあいつが此方の世界がエサ場だとでも知らせようものなら、王種と将軍がまとめて跳びだしてくる可能性があるのだ。

クリフォードさんが、既に跳んでいた。

勘で察知していたのだろう。

唸りを上げて飛んだブーメランが、フィルフサの翼の一つを、文字通り打ち砕く。もぎ取る所まではいかなかったが、それでも大きく体勢を崩したフィルフサに対して。

あたしは熱魔術で爆破を起こして、跳躍。

雄叫びを上げながら、斜め下から襲いかかった。

そのまま、もう一つの翼も蹴り砕き叩き落とす。

クラウディアの矢が、立て続けに飛行型に突き刺さる。巨大なムシのような姿をしているそれは、三人の猛攻を受けて、墜落。墜落する途中で、アンペルさんが黒い糸を放って、装甲の一部を切り裂く。

水を激しく噴き上げながら、泥水に叩き込まれた飛行型にレントが飛びついて、装甲を滅多打ちにする。

やがてコアを見つけたらしく、コアを砕くとレントが叫び。

そうしたのだろう。

泥水に着水したフィルフサ飛行型は、静かになっていた。

「また来る! 大型!」

「足止め、任せなさい」

セリさんが踊り出すと、魔術を展開。水の中から。巨大な蔓が出て来て、飛び出してきた巨大なトカゲみたいなフィルフサに巻き付く。

大量の水を浴びながらももがくフィルフサに、あたしはそのまま襲いかかる。熱。いや、痛み。

口から放たれた舌が、体を抉ったのだ。

だが、気にしない。そのまま突貫しつつ跳躍。

ドロップキックで、大型の顔面を蹴り砕いていた。

思わずのけぞる大型に、パティが横から躍りかかり、罅が入った首を大上段から斬り下げる。

首が取れたが、それでもフィルフサは死なない。だが、コアを見つけたのだろう。クラウディアが速射。

撃ち抜いて、完全に黙らせていた。

手傷が多いな。

そう思いながら、あたしはさがる。

戦いは、激しいまま続く。

ひっきりなしに誰かが負傷し、その間を誰かが埋める。

壁の向こうから現れるフィルフサは、三年前ほどの絶望的な数ではなかったものの。

三年前とは比較にならないほど腕を上げたあたし達が全力で最初から相手をし。

しかも、フィルフサは洞窟の中で散々水を浴びて弱体化している筈にもかかわらず。

手強かった。

 

一度、タオが操作して壁を閉じる。

体勢を立て直すべきだと判断したからだ。これだと攻勢に出るどころではない。威力偵察としては充分。

そういう事情もあったが。

ともかく、皆の手当てをする。全員が負傷を一度以上経験。それは、支援で戦闘をしてくれていたカーティアさんも同じだった。

「壁はまだ生きてる。 越えられないみたいだね」

「だけれども、フィルフサも馬鹿じゃ無い。 多分だけれども、壁が開いて戦闘になったことは、既に王種に伝わっているとみるべきだよ」

「そうだね……」

壁から少し離れた所。

水に濡れない瓦礫に座って、皆で話す。

ついでに、食事も急いで取った。

壁を敵が粉砕しても、おかしくない状況だから、である。

「先にどうしてこんなにフィルフサが強いのか、分析しておこう。 三年前に戦った群れに比べて、個体個体がね」

「可能性としては三つ考えていたんだ」

「全部きかせてタオくん」

「うん」

クラウディアが促して、タオが説明を始める。

ひとつ。

洞窟の中で水を浴びながら、耐性をつけた。だが、これは考えにくいという。

「フィルフサの装甲は、どうしても弱まっているのが分かった。 やはりそれで強くなったというのは考えにくい。 もしもフィルフサが水を克服したというのなら、多分壁では無くて洞窟の中を無理矢理突破して、地上に出て来ている筈。 それが出来ないのは、水脈を刺激して水没したくなかったからだよ」

「確かに理にかなうな」

アンペルさんも、タオの言葉に同意できるようだ。

続けて、タオが言う。

「もう一つ考えたのは、数が少ないタイプのフィルフサだと言う事。 オーリムで古代クリント王国が爆発的に増やしたフィルフサは、グリムドルであったオーレン族の人達に聞いても、ほとんど性質に差が無い。 爆発的に数が増える前のフィルフサは、ひょっとしてこういう強い種族だったんじゃないのかな」

「いや、それはないな」

リラさんが否定。

リラさんは、そういえば白牙氏族という対フィルフサの戦いを続けて来た氏族の出身者だ。

爆発的に増殖する前のフィルフサとの戦闘経験もあるはずだ。

「今戦闘したフィルフサは、私の記憶にある爆発的に増える前のフィルフサよりも明らかに強い」

「……なるほど。 その可能性も低いと」

「ああ。 それと、オーリムで私は数百年戦い続けたが、フィルフサはその間特に強くなると言う事も、その逆に弱くなると言う事もなかった。 フィルフサという存在は、どうも最初から完成形に思える」

「ふむ、興味深い話ですね」

タオが逆にリラさんの言葉に感心しているほどだ。

クリフォードさんが、壁の方をちらりと見た。

やはり、後続が次々に来ている、と言う事なのだろう。

そして、壁への攻撃が激化すれば。

いずれ、弱っている封印では破られる。

元々時間はなかった。

それに代わりは無いのだろう。

「最後の説は、タオ」

「あまり考えたくは無かったんだけれども、フィルフサの中の上位種なんじゃないのかなあれ」

「上位種?」

「食物連鎖がフィルフサの中にあるとして、その中で捕食者側、ということ」

タオは言う。

そもそも補食側のフィルフサだったら、数が少ないのも、それぞれが強いのも納得出来ると。

確かにこの説を否定する根拠がない。

だが、セリさんもリラさんも、どうにも腑に落ちないようである。

「リラ=ディザイアス。 貴方はオーリム各地で戦闘を続けていたようだったけれど、そういうフィルフサとの遭遇はあった?」

「いや、ないな」

「そう。 私もオーレン族の精鋭を集めた場所での戦闘をずっと見て来たけれども、そういう補食側のフィルフサというのは見た事がないわ。 存在する可能性は否定出来ないけれども、そもそもフィルフサは「補食」するよりも「蹂躙」する生物よ」

それについてはあたしも知っている。

そもそもフィルフサは大量の生物を殺して地面に混ぜ込み、土壌を「フィルフサの母胎」にするのだ。

そうしてフィルフサは、生物の情報を集めた土壌から生まれ出て増える。

爆発的に増えるのも、土そのものを味方にしているから。

グリムドルで増えたのは、古代クリント王国が増やそうと色々手を尽くしたからだと言う事が今ではわかっている。

資源として活用しようと、身の程知らずにも考えた結果だ。

しかし、今戦っているフィルフサは、それとは関係無いはずだ。

何が違っている。

「うーん、そうなると、ちょっと僕にはまだ説が出せないね」

「そうだな。 ともかく、今は一体ずつが強い、数が少ない。 この二つを軸に、撃破する作戦を練るしかない」

アンペルさんがまとめると。

皆もそれに頷く。

その間もカーティアさんはじっと壁を見て、フィルフサが突破してこないか警戒してくれているようだった。

休憩終わり。

皆に傷が治ったかは、確認をしておく。大丈夫、と返答がある。

そうなると、やるしかないか。

「タオ、第二地点に発破をお願い」

「分かった。 やるんだね」

「うん。 やるしかない。 足場が悪くなるから、覚悟して」

タオがすっとんでいく。

既に足下が水でひたひただが、此処からは違う。

一気に、門まで敵を濁流に浸す。

真正面からやりあうつもりは最初から無い。水がひたひた、くらいではとめられないというのなら。

一気に押し流してやるまでのことだ。

 

2、濁流は竜のごとく

 

壁を開ける。それと同時に、なだれ込んでこようとしたフィルフサの前に立ちふさがったのは、文字通りの水の壁だった。

どっと流れ込む水。

更に一カ所、堤防を崩してきたのだ。それによって、遺跡にひたひた、程度だった水が。一気に池のように。

そして、壁を開けると同時に。

水が濁流となって、フィルフサを押し流し始めたのである。

今までも洞窟の中で、水を浴びていたフィルフサ達だ。

必死に耐えながらここまで来たのだろうが、それも此処まで。何百年もかけて此処まで来たのだろうが。

それももうおしまいだ。

どっと凄まじい水流が、フィルフサに襲いかかる。

小型は押し流されていく。中型以上は、あたしとアンペルさん、それにクラウディアでつるべ打ちに。

飛行型は、とにかくクリフォードさんが主体になって、叩き落とす。

叩き落としてしまえば、後は濁流が始末してくれる。

ただこの戦術だと、そもそも水が流れすぎていて、あたし達も踏み込めない。水流というのは見た目以上に危険で、川遊びで死ぬ人間が後を絶たない事からも分かるように、どれだけ鍛えていても逆らえないのだ。

手を上げる。

フィルフサの動きが止まったからだ。

作戦を次の段階に進める。

一旦タオがまた、作業を行う。これにはカーティアさんと、一緒に来ている戦士達も加わってもらう。

つまりカーティアさんは一度後方にさがる。

破壊した堤防を復旧するのだ。

これで、一度戦線を無理矢理押し上げる。その後、水位が下がると同時に、洞窟内に突入。

洞窟内の状況を確認しつつ、門まで戦線を押し上げるのだ。

門まで行く事が出来れば、其処からはまた違う作戦をとれる。

水を奪う道具。

昨日の間に、作った。

そして、近くにある湖から、水を相当量取得しておいた。

状況次第で、これを切り札として使う。

勿論必要なければ使わないが、いずれにしても状況次第で使う事を考えなければならないほど戦況は厳しい。

壁を突破されたら、水浸しにしていたくらいでは、フィルフサの大侵攻が始まったらとめられないのだから。

タオが戻ってくる。

「堤防の復旧、上手く行きそうだよ!」

「よし、水が減り次第、突入する!」

「やっとか……」

「耐幻惑の装備、しっかり確認して! 「迷いの森」以上の五感攪乱をして来るはずで、もしはずれたら多分助からないよ!」

皆に警告はしておく。

これは脅しではなく、完全な真実だ。

水が少しずつ引いていく。

元々、先に金属板を幾つか作っておいて、それをスライドして穴を開けた堤防を防げるように準備しておいたのだ。

錬金術は、こうやって大量の物資を一気に作り出せるのが強みであり。その品質も完全に均一に出来る。

故に、堤防に穴を開けて、すぐに塞ぐような離れ業が出来る訳だ。

これは機械生産の技術では出来ないだろう。

少なくとも、今まであたしが見て来た機械には、それが出来るものはなかった。

水が減ってくる。

フィルフサは、もう壁の先にある洞窟から出てこない。相当量の水が流し込まれたからである。

なんなら、これから更に大量の水をプレゼントも出来るが。

それは最後の手段である。

「足下は滑る。 それは俺たちにもマイナスに作用する! 皆、気を抜くなよ! こけたら、誰かがすぐに助けろ!」

「レント、頼もしくなったな」

「うん。 じゃあ、行くよ! 突貫っ!」

あたしが声を張り上げると同時に。

全員で、一気に壁を越えて、洞窟に入る。傾斜がかなり厳しい。既に滑って転びそうだ。

水も激しく流れている。

これでは、必死に此処まで上がって来たフィルフサ達も、どうにもならなかっただろう。ともかく、下へ急ぐ。

彼方此方の壁に、あの幻惑の効果がある土が埋め込まれているのが分かった。本当に、絶対に洞窟を出られないように。大きな犠牲を出しながら、戦士達は耐え抜いたのだろう。

生活も家族もあっただろう。

背後がケダモノ以下の古代クリント王国におびやかされていて、気が気ではなかっただろう。

それでも必死にやり抜いた。

みんな聖人だった訳でもないし、悪党だっていた。国そのものは、古代クリント王国と大差なかった事だって分かっている。

だけれども、此処で戦った人達は最後までやり抜いた。

不死の魔女だってそう。

決して聖人でもなんでもなかったけれども。

それでも、自分の命と世界を天秤に掛けて。世界を選ぶ事が出来た。

それだけで、人間としては尊敬できる。

無駄には、しない。

「すげえ坂だ!」

「フィルフサだ!」

「!」

走りながら、前方にフィルフサを確認。

そういえば、フィーはオーリムが近い筈なのに、別に元気そうでもないな。

まあ、それはいい。

ともかく前に出て、必死に水の中坂にしがみついているフィルフサに躍りかかる。中型の個体で、サソリのようなよく見る奴だ。

必死に抵抗しようとするが。

水で装甲がびしょ濡れである。

そうなれば、どれだけ強力な個体だろうが関係無い。

レントが一刀両断し、更に見えたコアをパティが一撃で切り裂いていた。

皆の連携が、非常に鋭い。

三年前は、文字通りこの連携を超える事はないと思っていた事もあったが。

やはり世界は拡げるべきだ。

「飛行型が来る!」

「クリフォードさん、あわせて!」

「任せろっ!」

洞窟の中を、低空飛行してくる中型フィルフサ。その翼は、全てを打ち砕くように巨大で鋭い。

だが、出会い頭にクリフォードさんがブーメランを叩き込み、それが僅かに飛行を揺るがせる。

そして飛行体というものは。

ものすごく精緻なバランスで飛んでいるのだ。

僅かなずれで翼が揺れ、それが壁にぶつかると、思い切り水の中に突っ込む中型。皆で一斉に袋だたきにして、飛ぶ暇もなく仕留める。

だが、此方も足場が危ない。

踏ん張って。

叫んで、皆に注意を促す。降っているこの坂。此処をひたひたにして戦っていた戦士達は、多く足を滑らせてしたに。そして、フィルフサのエジキになってしまったのだろう。それでも、此処の優位は捨てられなかった。

だから皆、必死だったのだ。

走る。

小型が数体、水の中でもがいている。

一体も逃さない。

パティに任せる。コツを掴んで来たらしく、水を浴びている装甲を貫いて、一気にこじ開ける。

反撃はしっかりかわして。

その反撃さえ利用して、コアを切り裂く。

素晴らしい。

最初に出会った時にもう基礎は出来ていたが、これはもうじきタオは戦闘力で追い抜かれるとみて良い。

立て続けに右に左に似たような感じでフィルフサを屠るパティだが、どうしても泥に足を取られる。

転びかけた所を、タオが腕を取ってそれを防ぐ。

もし転んでいたら、坂の下まで真っ逆さまだ。

「タオさん!」

「大丈夫! 相互支援しながら行くよ!」

「はいっ!」

タオも、水に必死に抗いながらこっちまで来るフィルフサを、次々に仕留めている。今は、水があるから充分に戦えている。

しかし、水があってこの強さか。

やはりこの群れ、侮れない。もしも門を越えた先に、三年前のように百万を超える群れがいた場合。

とても撃退は不可能だ。

多分時間を稼ぐ事すら厳しい。

大雨を降らせて、それでどうにかやっと戦いが出来る状況になるだろう。それくらい、厳しい。

「水音が変わった! 多分水たまりがちけえ!」

クリフォードさんが叫ぶ。

頷くと、更に先に。

自ら飛び出してきた、蜥蜴に似たフィルフサの顔面を、出会い頭に蹴り砕く。そこにセリさんが植物操作の魔術で蔓を出して、フィルフサを拘束。

もがいている其奴を、リラさんがまたたくまにバラバラにしてしまう。

中型以上は、単独で瞬殺は無理だ。

これだけゲタを履いている状態でも。

無言で、次々に必死に迫ってくるフィルフサを叩き伏せる。

フィルフサには、指揮官個体を除くと知性らしいものはない。

ただ本能のまま、新しい母胎……生物の要素をしみこませた土を求めているだけ。

その過程で殺戮を行う。

その過程で蹂躙する。

それは、此方としては容認できない。

だが、植物が放っておけば際限なく増えていくのと、それは似ている。

果たしてその行為は悪なのだろうか。

むしろフィルフサよりも、人間の方が。

雑念を追い払う。

一気に、腰あたりまで水に浸かった。

どうやら、洞窟の最深部に来たらしい。あたしは、水の中でも平気なようにしてあるカンテラを腰から外して照らす。

水の中で、相当数のフィルフサがあっぷあっぷしている。

そして、中央部。

せり上がった土の上に、それはあった。

間違いない。

ゆっくり回転する、黒い空間の穴。異界オーリムへの道。

門だ。

「アンペルさん!」

「状況証拠から間違いないと知っていたが、あれは自然門だ」

「自然に出来たものであって、古代クリント王国が作ったものじゃあないって事だよな」

「そうだ。 聖堂の仕組みは理解しているが、短時間で作れるものじゃない。 フィルフサを倒しきるか、我々が押し負けるかだ」

分かっている。

殺さなければ殺される。

そういう戦いだ。

だが、本来フィルフサとは其処までどうもうな生物だったのか。どうしても疑問が残ってくる。

仮にそういう存在が誕生したとしたら。

全てを蹂躙し尽くした果てに、自分達もいなくなってしまうのではないのか。

どうしてもそれは、疑念を感じてしまう。

ともかく、周囲で水浸しになってもがいているフィルフサを潰す。かなりの広さの人工湖だ。

深さは腰くらい。門にも水が今も流れ込み続けている。

この状況で、新しく斥候が来るとは思えない。

また、見た所、将軍級のフィルフサもいない。

将軍の戦闘力は、個体によっては王種に迫る。

前に、「蝕みの女王」を守ろうと立ちふさがって来た個体のように。あいつはとにかく強かった。

つまり敵は、まだまるで本気を出していないということ。

「徹底的にこの場にいるフィルフサを駆除! 門への逆侵攻の足がかりを作るよ!」

「分かりました!」

皆が掃討戦を始める。

此処にいるフィルフサは、五感を狂わせる幻惑に耐えながら、必死に門を突破して、此方に抜けてきた個体ばかり。

何百年も苦労してきただろうに、一瞬で終わりだ。

それを思うと、少し申し訳ないとすら思うが。

此奴らを通したら、それこそ一瞬でこっちの世界が終わりでもある。

だから、容赦は出来ない。

徹底的に駆逐を進める。

小型だって、瞬殺とはいかない。

中型は、基本複数で掛かる。

既にグランツオルゲンを粗悪品とはいえ仕上げているあたし達でも、これだけ苦戦する相手だ。

万全の状態でのフィルフサを相手にするのは。

やはり、あまり考えたくは無かった。

短いが、激しい戦いが続く。

水の中で死んでいるフィルフサも少なくないが、それ以上に必死に此方に向かってくる個体も多い。

恐らく五感を幻惑する環境に適応して、近くの相手だったら知覚できるようになっているのだろう。

確実に、正確に反撃してくる。

勿論五感幻惑を防ぐ装備は、耐水で作ってきてあるが。戦闘が激しさを増す度に、不安になる。

帰路だって、これがないと生きて帰るのは不可能だろう。

激戦が続く。

ともかく、水がまだ相手の領地に流れ込んでいる状況だ。

斥候は来ないし、当然フィルフサも来ない。

だが、川の流れを無理に変えている以上、いずれは無理が出てくるし。相手が強行突破を図ってきたら、こんな洞窟あっと言う間に抜かれる。封印だって、長くはもたないのだから。

大きな百足に似ている中型を、皆で切り刻む。コアが中々見つからない。その間も、百足型は体を振るって大暴れするが。レントがその度に大剣で弾き返して、皆に攻撃が届かないように防ぎ抜く。

気合とともに、あたしが蹴り砕いた腹の装甲の奧、核が光っている。

それを粉砕すると。

暴れ回っていた百足型が、嘘のように静かになり。水にどうと倒れていった。

呼吸を整える。

「タオ、伝令お願い。 門への到達成功。 これより、敵本拠に侵入作戦を開始する」

「分かった。 いってくる」

この中で、一番の快足はもはやタオだ。

すぐにタオがすっ飛んでいくのを見送ると、皆で集まって、門からの新手を警戒する。水は引かない。

そもそも最初から、ある程度水が溜まっている洞窟だった筈だ。

其処に更に水を流し込んだのだから。当然だと言えるだろう。

埋めるのは悪手だ。

フィルフサの事だから、掘り返して何処かからか地上に来かねない。

斥候に出て来た将軍級のフィルフサが、同じようにしてかなりの距離を掘って移動した例をあたしは知っている。

だから、そんなリスクは侵せなかった。

タオが戻ってくるまで、ひやひやする。

レントは常に一番前で、大剣を構えている状態だ。その背中を見ながら、クリフォードさんに聞いてみる。

「どうですか、門の向こう……」

「考えたくもないな。 魔界ってのがあるんなら、そういう場所だろうぜって印象だ」

「……」

「私が矢を撃ち込みます。 それで状況をある程度分析出来ますか?」

クラウディアがいう。

でもあたしがとめる。

タオが戻ってからだ。

今は、どれだけでも戦力が欲しい。外で、最悪の状況に備えているメンバーとは。しっかり連携を取りたい。

タオが戻ってくる。荷車を一つ引いている。四つ用意してきた荷車だが、全てをいきなり運び込むのは早計。

そう判断したのだろう。

いい判断だと思う。あたしも頷くと、どうだったかと確認した。タオも、すぐに状況を説明してくれる。

「外の皆は、準備を整えたまま待機してくれているよ。 とんでもない魔物とやりあっているのは理解してくれているから、皆気も抜いていない」

「よし。 クラウディア、お願い!」

「分かった!」

クラウディアが、大きな鏃の矢を作り出す。

音を立てるためのものだろう。いわゆる鏑矢という奴だ。

音魔術の専門家であるクラウディアだけれども、流石に門の先の状況まで聞き取るのは厳しい。

此処で一番勘が優れているクリフォードさんと連携して、これで偵察を行うのだ。

緊張の一瞬。

水の中で矢を引き絞ったクラウディアが、それを放つ。

門に吸い込まれた矢が、ぎゅうんと、凄い音を立てて飛んでいくが。門に消えると、すぐに音は聞こえなくなった。

「もう一発頼む」

「分かりました」

クラウディアが、もう一矢をつがえる。

この間も、敵が仕掛けて来る可能性は幾らでもある。

皆が腰まで水に浸かって厳しい状態で構えている中、クラウディアが矢を撃ち放った。また、凄い音。

矢が門に吸い込まれて。

そして、クリフォードさんが、しばし黙り込んだ後、いう。

「いるぞ、たくさん。 こっちを囲んでいるようにしている」

「向こうは死地って事だな。 こっちがそうであるように」

「当然の判断だな。 フィルフサの指揮官個体は知能がある。 逆侵攻を仕掛けられた場合を、想定していない筈がない」

「……それでも、やるしかない」

ともかく、持久戦は生じ得ないし。

千日手になれば相手が有利だ。

これは将棋じゃない。ゴト師じゃないが、相手はルールの上からこっちをつぶしに来るようなものだ。

千日手になったら、フィルフサはこっちの寿命が尽きるまでそれを続ければ良い。

王種や将軍は長い時間を掛けて生まれてきて、オーレン族も驚くほどの長寿を誇るのである。

人間の寿命なんて、フィルフサに取ってはあっと言う間。

ましてやフィルフサの母胎になっている土壌の上にいるのだったら。

いくらでも失った戦力なんて、補充が可能なのである。

「仕掛けるんだな……」

「皆、門の側に。 迅速に動けるように」

「分かった!」

皆が、水から上がる。門の側の土は、フィルフサが盛り上げたのだろう。かなり強靭な群れだが、それでも水にひたひたになり続けるのは、ダメージになる筈だからである。土盛りは、かなりしっかりしていた。

門の外の地面がどうなっているか知りたいが。

それについては、クリフォードさんが先手を打って教えてくれる。

「外は沼になっている筈だ。 足を取られるぞ」

「そんな事も分かるんですね」

「思ったほど、外は乾燥していないらしい。 フィルフサってのが水に弱いのだという話からして。 それで数があんまり多く無いのかもな」

「……」

フォーメーションを決める。

先頭はレント、それにリラさん。

その後に皆が続く。

しかし、囲まれているとなると、そう長い時間はもたないだろう。そこで、水を吸い取る装置を使う。

同じ手で行く訳じゃない。

前は地面が乾燥していたから、地面にフルパワーでの熱槍を全部叩き込んで、粉塵を巻き上げ。

更に空に膨大な水を撒くことで、雲を作り出し、土砂降りにして対応した。

同じ手は、今回は使えないとみていい。

だとすると、どうするべきか。

決まっている。

一度状況を見て、それで判断する。

地形に関しては、沼地になるくらい平坦だと言う事がわかっている。外に出たら、いきなり崖と言う事はないだろう。

ただ、どうにもならないと判断したら、引くことも大事だ。

「最悪、一度引くことになるよ。 レントも、やられないように注意して。 リラさんは、そんなの言うまでもないか」

「愚問、といいたいが。 この強さのフィルフサは、私も初めて見る。 どうなるかは正直わからんぞ」

「とにかく、周囲の地形を把握します。 それまで、耐えてください。 タオ、クラウディア、お願い」

「うん!」

門を抜けたら、クラウディアが音魔術を全力展開。周囲の地形を把握。タオが地図にする。

最悪、それが出来たら、一旦門の向こう側に引き上げてもいい。

だけれども、フィルフサの群れは向こうで待ち構えているとみていい。猛攻を受けるだろうし、最悪追撃もだ。

セリさんに頷く。

植物魔術で壁を作って欲しい、という意図だ。

セリさんも頷く。

大丈夫。

セリさんも歴戦の戦士だ。それくらいは、把握できているだろう。

3。2。1。

0。

叫ぶと同時に、門の中に突貫。ふと、懐に入れているフィーに気付く。ずっとフィーは、半目になって、心地が良さそうだった。

空気が良くないと、あの夢の中で言っていたっけ。

あれってまさか。

この門が、ドラゴンに関係しているのだとしたら。

可能性としては、そもそも前提として、間違っているのかも知れない。

フィーはオーリムの空気に適応しているのじゃあない。

エンシェント級のドラゴンの何かに、適応しているのかもしれなかった。

 

3、オーリムの魔都

 

門を潜る。

初めての経験じゃない。

グリムドルに出向いたときも、潜った。その時も、散々だったが。それでも、どうにかやり遂げた。

見える。

薄紫に染まった空。そして、沼地の周囲を囲む相当数のフィルフサ。此処は、盆地になっているのか。

いや、違う。

これは、なんというか。

何かが通ったような窪地が。かなりの距離に渡って続いている。これは一体、どういう地形か。

谷にしては浅すぎる。

川が涸れた土地というのも考えたが、それにしてもおかしい。川が涸れる事はこっちの世界でもある。

だけれども、そういうのはだいたい埋まってしまう。フィルフサが何百年も行き来していたのなら。

なおさら、更地になっている筈だ。

空に向けて、クラウディアが矢を放つ。あたしは、全方位に熱槍を放ち、更にはありったけの爆弾を投擲。

凄まじい数だ。押し寄せてくるフィルフサに対して、今まで用意してきた爆弾を、片っ端から叩き込む。

雷撃、冷気、火焔、それに烈風。

それぞれが炸裂して、フィルフサを吹き飛ばす。

魔術依存じゃないから、しっかり効く。ただし相手も今回はひたひたに濡れていない。だから、一撃で仕留めるのは困難極まりない。それだけだ。

皆が、総力で防ぐ。

襲いかかってきた、巨大な蜘蛛に似たフィルフサを見て、パティがひっと小さな声で悲鳴を上げたが。

レントが文字通り跳ね返して見せた。

爆弾の直撃を受けても、平気な顔をしている……いや顔も何も無いが。とにかくフィルフサは全然余裕で動いている。

これは想像以上に骨だぞ。

あたしはそう思いながら、全火力を次々に荷車から出して投擲し続ける。アンペルさんもそれに倣うが、足を止めるのが精一杯だ。

クラウディアが二矢目。

タオが、必死にメモを取っている。

だけれども、もうそろそろ限界か。

セリさんの展開した植物の壁が、フィルフサにぶち破られる。

レントが次々に相手を弾き飛ばしているが、それも限界だ。リラさんが、回転しながら小型を蹴散らしているが、浅くない傷が幾つも出来ているのが見えた。

あたしも、何発も流れ矢を貰っている。

見えた。

奥の方に。なんかいる。

将軍を数体侍らせているそれは、明らかに異質だった。

ドラゴンにそっくりだ。

だが、ドラゴンじゃあない。

それに、なんだ。

首元あたりになにか変な装置みたいなのがついている。あれがフィルフサだとしたら、間違いなく王種だが。

蝕みの女王には、あんなものついていたか。

相手はともかく万全状態。もしもやりあうなら、総力での戦いを、一対全員で挑んで勝てるかどうか。

いや、あのプレッシャー。

それでも届かないかも知れない。

ともかく、限界だ。

クラウディアが頷く。

よし。地図は把握できた。それならば、第一次突入作戦、というか威力偵察としては充分な成果だ。

「撤退!」

「俺が殿軍になる! 皆、いけっ!」

どっと押し寄せてくるフィルフサを尻目に、下がる。あたしは詠唱を開始。フルパワーで押し返す必要がある。更に、爆弾を幾つか撒く。

いずれも、自信作レベルのものだ。

使ってしまうのは惜しいが、実は希望になる情報も見て拾っていた。

敵の数は、かなり想定より少ない。

水が多くて増えていないのか。それとも習性なのか分からないが。

リラさんやセリさんが戦って来た一般種のフィルフサに比べて、やはり此奴らの数はかなり少ない。

一万もいないだろう。

その分、個体個体がそれぞれ三年前に交戦した群れとは段違いに強いと言う事だ。

どういうことか。

フィルフサの生態から考えて、食物連鎖の上位種フィルフサというのは考えにくい。それに、少しだけ見えたあの王種らしい存在。

なんだか、あいつからはとんでもなく嫌な気配がした。

それこそ、人間の悪意を煮詰めたような。

正体を見極めたい。

洞窟に出た。レントが飛び出してきた瞬間、あたしは爆弾を起爆。同時に、収束型のグランシャリオを、門へと叩き込んでいた。

踏み込みが、どうしても水の中だからやりづらい。

爆弾が一斉に起爆して、門の外にいたフィルフサを吹き飛ばしたはず。問題は、爆風だが。

それをグランシャリオの収束型で、無理矢理抑え込む。

あたしの詠唱を見て、意図を理解したか。

クラウディアも、同時に凄まじい巨大な矢を、打ち込んでくれていた。

無理矢理押し返された爆風が、どんと、押し潰されるような音を立てる。フィルフサの残骸が、散らばるようにして門から飛び出して、水に落ちた。

呼吸を整える。

「よし……外の地形は把握できた。 敵の戦力もね」

「あの短時間で、戦いながら……」

「パティ、クラウディアがいたこと、それに皆の得意分野をあわせての結果だよ」

「わ、分かっています。 でも、みなさんその……戦の申し子みたいですね」

そうか。

そういわれると悪くない気分だ。

ちょっとだけ苦笑すると、水が減ってきている坂道までさがる。この辺りにある岩を集めて、座れる場所を作る。

すぐに前衛で敵を食い止めていたリラさんとレントの手当て。自ら上がって貰うが、案の定二人ともかなり手傷を受けていた。レントは胸から腹に掛けて、ざっくりやられている。

普通だったら最悪の状態だが。

すぐに消毒、更に煮沸済の水で流して。薬をねじ込む。

破傷風対策の薬は前に飲んで貰ってある。

だから、後は幾つかの体が病気に強くなる薬を飲んで貰う。リラさんもそれは同じ。薬がオーレン族にもしっかり効く事は、この三年、グリムドルでも実証済み。

グリムドルでは、規模は小さいがずっとフィルフサとの戦闘が起きていて。あたしもそれに参加したのだ。というか、あたしが来るタイミングで、キロさんが主体になって、対フィルフサの掃討作戦を実施していた。

当然その度に怪我人も出て。

あたしはオーレン族にも錬金術の薬が効くデータを取れていた。

何より、グリムドルに出向く度に逃げ延びてきたオーレン族の人が増えていて。その人達は、薬草による治癒では間に合わない手傷を受けている事も多く。それでもデータは採れたのだ。

まあリラさんにはそれ以前できちんとデータが採れていたが。リラさんだけが特異体質の可能性もあったので。

氏族関係無く薬が効く事を証明できたのは。あたしにとっても成果だった。

手当てを終える。

あたしも何カ所かざっくりやられていたので。薬をねじ込んでおく。

二番目の荷車を、タオが持って来てくれる。一つ目の荷車にあったもののうち、使えそうな物資は二番目に移し。一番目の荷車は側に放置。これは、怪我人のために用意しておくものだ。

いざという時は、動けない人員をこれで運ぶ。

ここでは、いつそれが起きてもおかしくない。

「それでライザ、どうする」

「敵の数は8000ないし10000。 実数は恐らくだけれども、現在確認できているだけで9500前後。 隠し玉がいたとしても、20000は超えない」

「妙だ。 フィルフサの群れにしては規模が小さすぎる」

「どうにも前から疑問だったんです。 あんな生物、自然発生すると思いますか?」

「どういうことだ」

リラさんとセリさんには聞いておいてほしいのだ。

エンシェントドラゴン、西さんは言っていた。

古代クリント王国など、模倣者に過ぎない。

更に邪悪な存在。

文字通り真の邪悪が、存在していたと。

神代の一派の錬金術師がそうだと。

エンシェントドラゴンがそこまで言うのだ。本当に、古代クリント王国が神と崇めるような……邪神のような存在だったのだろう。

「フィルフサは生物を兵器化したものではないのか。 そうあたしは考えています。 恐らくは、オーレン族を駆逐するため。 それどころか、オーリムを更地にするための」

「なんだって……」

「どういうこと……?」

「あんな生物が存在していてもいずれは自滅してしまいます。 それがフィルフサは攻撃性も戦闘力も、それどころか繁殖力も何もかもがおかしい。 何よりも、古代クリント王国の人間は、最初からフィルフサを知っていて、それを制御出来るかのように行動して失敗した……」

つまりそれは。

制御の技術が伝わっていないだけで。

連中が神のように崇めていた存在には、それが出来ていた。

そういうことではないのだろうか。

あくまで仮説だ。

だが、その仮説が笑い話ではなくなった。

さっき王種の首についていた妙な装置だ。

あれは、どう考えても人工物だった。

神代の錬金術師を殺したり、あるいはオーレン族の戦士を殺して、それで身に付けたのかも知れないが。

それにしては、あまりにもあれからは、明確な悪意が感じ取れた。

それに、だ。

王種はどれも姿が違うと言う話だ。

「蝕みの女王」はどちらかというと蟷螂に似ていて。その中に人間型の第二形態を隠していた。

あの王種はドラゴンに似ていた。

ドラゴンを殺して、その情報を取り込んだ可能性はある。

だが、本当にそうか。

以前、「蝕みの女王」からは、明確な悪意すら感じた。それも、弱者を思うままに痛めつけて、顔を歪めて笑っているような人間の悪意ににたものをだ。

勿論動物も弱い者いじめはする。

だけれども、あたしは畜産業も経験があるから知っている。

基本的に生存密度が高すぎる場合に、動物は弱い者いじめという愚行に走る。

魚や鶏などが良い例だ。

人間は要するに、魚や鶏と同レベルの存在なわけだ。

だが、フィルフサは。

特に王種は、圧倒的トップである。そんな存在が、あの人間のイジメを行う個体が持つような悪意を持つのは、あまりにも不自然。

そういうものを持つように、デザインされたというのが真相ではないのか。

そう説明をすると。

アンペルさんは、門を一瞥。

フィルフサが出てこない事を確認してから、頷いていた。

「そうだな。 確かにライザが言う事は、一利あるかも知れない」

「アンペル……。 しかし、誰が、どのようにして、フィルフサをそのような恐るべき存在に変えたのだ」

「やった存在がいるとしたら、候補は一つしか無い。 神代の錬金術師……とみて良いだろうな」

その結論はあたしと同じか。

手当てが終わった。

長話は終わりだ。

皆の状態は万全。いや、食事もしておく。後はトイレも済ませておくべきだろう。外に、長期戦に備えて小屋を作ってある。

大丈夫。

この場所だったら、一度に大量のフィルフサはこられない。此処までの確保をするのが、作戦の第一段階。

それが出来ている以上、今はまず、コンディションを万全にすることだ。

皆にトイレに順番にいって貰う。

あたしは、作戦を練る。

爆弾を幾つか見る。理論上は、これらで豪雨を降らせることは可能だ。だが、もう一手欲しい。

いや、出来るか。

だが、その場合、此方にもダメージが。なんとか指向性を持たせる事はできないだろうか。

「フィー……」

「どうしたの?」

「フィー」

フィーが懐で、心配そうにあたしを見上げている。

ずっと厳しい顔だったからだろう。

あたしは、少しだけ表情を崩した。レントはずっと門の側で構えている。パティも、である。

リラさんは即応出来る距離で、荷車の上で寝転がっていた。

少しでも、体力を温存するつもりなのだろう。

そんなリラさんが、声を掛けて来る。

「オーリムの生物であることは間違いない。 体調はある程度良いのではないのか」

「じつはちょっとそれで疑問が……」

「うん?」

「フィーの事を、何かの精とエンシェントドラゴンの西さんの残留思念が言っていたんですよね。 それにフィーは、西さんの骸の側で、元気そうだったんです」

そうか、とリラさんが言う。

固定観念は良くない。

オーリムの生物だからと言って、「オーリムの空気」が馴染むかどうかは話が別。

空気が良くないと、フィーは夢の中で語りかけてきたっけ。

あれは恐らくだけれども、感応夢に近いものだったはずだ。

だとすると。

フィーに本当に必要なのは、ドラゴンに近い空気。

そして、この門は、エンシェントドラゴンの西さんが。自分の罪だとひたすら悔いていた代物だ。

だとすると、やはり「オーリムの空気」よりも、ドラゴンの何かしらがフィーに必要な可能性はある。

さて、準備は整った。

第二次攻撃作戦だ。

ただ、そのまま言っても返り討ちは確定だろう。

レントとパティには、門を見張っていてもらう。あたしは、順番にどうするか、作戦を告げる。

重要なのは初撃なのだが。

その初撃が、難題なのである。

「厳しいな……」

「殿軍と同時にやらなければならない。 それを思うとね……」

「だけれども、確かにそれをやれば、門の向こうが死地だという前提が粉々に砕け散るのも確かだよ。 やってみる価値はある」

「……なら私がやる」

リラさんが挙手。

そして、荷車から降りた。

「速度と戦士としての経験、双方を加味して全員の中で私がその作戦の実行役として一番適している。 ライザ、その策の鍵となる道具を渡せ。 使い方についてレクチュアを頼む」

「分かりました」

すぐにレクチュア開始。

とはいっても、本当に簡単な道具だ。使い方だけなら、だが。

そしてこれは三年前にも実戦投入している。それを更に改良した、超強化型である。

元々圧倒的な破壊力がある道具だったが。

今回の戦いでは、文字通りの戦略兵器として使う。

更に言えば、門の向こうの土地は、広範囲にわたってフィルフサの母胎として汚染され尽くしている。門の至近は違う可能性が高いが、フィルフサが遠征してきている以上、少なくとも周囲はそうなっている可能性が高いのだ。

いずれにしても、一度くさびを。

土地の深くに、叩き込まなければならないのだ。

何より、門周辺に作られた包囲網を崩さなければならない。

さっきの爆弾で粉砕したフィルフサなんて、そんな大した数じゃない。あたしだって、それは分かっている。

持ち込んだ、回復用の薬は飲んでおく。

魔力回復用のものだ。

非常に強力だが、素材が貴重で、増やすにもジェムが大量にいる。切り札だが、ここで切っておく必要がある。

ともかく、敵陣に斬り込むまでが第二段階。

この第二段階を成功させないと、王種を討ち取るのは不可能だ。

第二段階までいって、やっと王種の首を取る可能性が出てくる。

それはあたしも、嫌になる程分かっている。

だから、どうにかやり遂げなければならないのだ。

「レント。 パティ。 それにタオ。 前衛は頼むよ」

「分かってるが、絶対にさっきより厳しい攻撃が来るぞ。 一瞬だけしか、多分もたないだろうな」

「俺もやる」

ボオスが挙手する。

仕留め損ねたフィルフサを倒すのに集中していたボオスだが、その分体力も温存している。

確かに、今動くべきかもしれない。

「大丈夫か。 かなりギリギリのタイミングで引くことを意識しないと死ぬぞ」

「俺もそろそろそういう死地を潜っておかないとな。 いつまでもお前達においつけないままだ」

「……分かった。 可能な限り支援する」

「任せておけ」

ボオスが頷く。

よし。それならば。これで手札は揃ったか。

リラさんに道具を渡すと、全員一丸となって突貫。門を、再び潜る。

空は紫のまま、濁っていて。

足下の沼は、さっきの破壊でえぐれていた。足場が更に悪くなっているのは、最初から想定済。

フィルフサ達は、むしろこんなに早く戻ってくるとは想定していなかったようで、此方の再突入に、むしろ一瞬だけ隙が出来ていた。

好機。

敵最前列の少し後ろにいる、大型。巨大な蛇だろうか。それに近い姿をしているフィルフサに、レヘルンの最大強化型であるクライトレヘルンを連ねたものを投擲する。即応したフィルフサが、それを撃ちおとそうとした瞬間、起爆。更に、あたしは熱槍を叩き込んで、強烈な熱を含んだ蒸気を、敵陣にて炸裂させていた。

文字通りの大爆発で、フィルフサがなぎ倒される。それでも死ぬ様子がないが、少しでも時間が稼げる。

レント達が、必死に飛びかかってくる小型を裁き続ける。

今だ。

「リラさん!」

「おうっ!」

跳躍したリラさん。

何か、巨大な針みたいなのが飛んで、パティを貫くのが見えた。

前衛に出て来ている、全身が針だらけのフィルフサ。それが乱射してきたのだ。

倒れたパティをボオスが担いで、即座にさがる。ナイス判断。最初の指示にこだわらずに、最適解の行動をしてくれた。

全員、さがって。

そう叫んだ瞬間。あたしの脇腹にも針が突き刺さった。

思わず、歯を食いしばる。

これは、多分毒もある。

だけれども、それでもだ。

あたしは顔を上げると、皆の後を追う。

後方。

大丈夫、地面にリラさんが、それを。

創世の鎚を、炸裂させていた。

次の瞬間、あたりの地面が。文字通り地盤ごと粉砕され。反動を利用して、門の向こう側にさがるリラさんが見える。

地割れが走り、泥水が噴き出し。あの針だらけの砲台型フィルフサが、それに落ちるのが見えた。

泥水に、突っ込む。

ぐっと呻きながら、あたしは脇腹に突き刺さった針を引き抜くと、薬をねじ込む。普通だったら血管を傷つけたりするから御法度だが、あたしの薬は傷から血が噴き出すよりも治る方が早い。

毒も、即座に解毒できる。

パティは。

青ざめて呼吸しているのを、既に荷車に乗せられている。針は、どうにか胸鎧が弾いて、それで急所は外したようだ。

レントが門の前に貼り付いて、鬼のような形相で立ち尽くしている。

あたしはすぐにパティの側に。クラウディアに手伝って貰って、胸鎧を外し。怪我の様子を確認。

針が貫いたように見えたが、大丈夫、それている。

だが肋骨を抉るように脇腹から胸に掛けて切り裂いていて、かなりの血が出ていた。毒もまずい。すぐに服をまくり上げて、傷薬を塗り混む。

青ざめて、脂汗を掻いているパティだが。

薬を塗り込むと、呻いて体が跳ねた。完璧なタイミングで、クラウディアが布を噛ませてくれていた。

毒消しもあるから、これで落ち着く筈だ。

冷や汗がダラダラ流れる。パティの口布を外して、胸鎧の状態を確認。隙間を縫うようにして、針がパティの体を傷つけたことが分かる。

砲台型とはいえ、侮れないな。

「ライザ、大丈夫!?」

「いや、ちょっと厳しい……」

「一度さがるか。 ちょっとこれは……」

「ダメ。 門の向こうが派手に粉砕されたのが分かった。 リラさんは……」

無事か。

いや、かなりさっきの針の攻撃を貰っているようだ。直撃はなかったが、体中無惨に抉られて、毒で変色している。

すぐに手当てを。

リラさんは、悲鳴一つ挙げなかったが。

いたくない筈がなかった。

セリさんが、魔術で薬草を出す。あたしの薬ほどの強烈な即効性はないが。パティに食ませている。

それに、傷口にも当てていた。

「傷が残らないようにするわ。 傷は戦士の勲章とは言え、貴方たちの文化ではあまり嬉しくないでしょう」

「はい……すみません。 手間を、かけて……しまいます」

「少し休みなさい。 体力回復の薬を今噛ませたわ。 栄養が多いけれど、まずいから吐き出さないようにして」

たった、二瞬の戦闘。

それでも、これだけの手傷を受ける状況だ。

ちょっとばかり状態が悪すぎる。

だけれども、引くわけには行かない。

いま引いたら、それこそ門を通って、あのただでさえ強力なフィルフサの群れがなだれ込んでくる。

最悪、この辺りを水没させるしかなくなり。

ただでさえ押し込まれている人類の文明は、更に苦境に立たされることになる。

人類全滅という最悪の結果は避けられるように手配した。

だが、今は五百年前に比べて、人口が何十分の一にまで減ってしまっている時代。

王都が如何に腐っていても。

それでも、失う訳にはいかないのだ。

「ライザ、貴方も」

「……手傷は脇腹のだけだよ」

「手当をしたとは言え、それでもさっきの出血量よ。 少しは休みなさい」

「フィー!」

セリさんの言葉に、フィーがそうだそうだとあわせるように鳴く。

仕方が無い。

そう言われると、少し弱いか。

荷車にあたしも乗って、少し休ませて貰う。

とにかく、これで死地どころではなくなった。

元々水は決して少なくない土地に、進出してきているようなのだあのフィルフサは。かなり無理をして進軍してきているはず。

それが、地盤を砕いたのである。

まともに動けるとは考えにくい。少なくとも、今までのように大軍を送り込む事は容易では無くなった筈だ。これは単純な客観的な分析結果である。ただそれも、フィルフサが無理に湿地を死体で埋め尽くして、道を作れば話が変わってくる。常に分析は続けなければならない。

ともかく、最終的には王種を仕留める必要がある。あの群れは、どうしてかこの門を狙っているようである。

理由はわからないが。

水がある土地に来てまで、更に進軍しようというのだ。それには何かしらの意図があるとみて良い。

間違っても何かに追われた、ということはないだろう。

現在オーリムでは、フィルフサは文字通りの最強生物である。群れを相手にした場合、ドラゴンでも勝てないだろうし。

何よりフィルフサには食べるところがないと言う、生物としては最強最悪の強みがある。

倒しても何の意味もなく、ただ消耗だけを強いてくる。

それだけ、危険な相手なのだ。

とにかく、レントにも休むように言って、休憩。少し戦線を下げて、フィルフサが突入してきても対応できるようにしておく。

次の作戦目標は、敵地に橋頭堡を築く。

そして、大雨を降らせる。

雨そのものは、あの土地には降るはずだ。フィルフサが居座っているのに、普通に水があるような土地だ。

古代クリント王国が水を奪ったから、グリムドルは地獄になったが。門の向こうはそうではない。

それならば。大雨を降らせるのは、決して無理ではないはず。

何より地盤を砕いた時の様子からして、恐らくだけれども、門の向こうの土は思った以上の広範囲、フィルフサの母胎になっていない。

あんな水が多い土地、フィルフサが繁殖できるとは思えないからだ。

だとすると、フィルフサは遠征してきていることになる。

数が少ないのは、それが理由か。

しかしどうして、無理に門を超えようとする。それが分からない。

妙な悪意を感じた。

それが理由なのだろうか。

フィルフサの王種、特に以前交戦した「蝕みの女王」は明確な悪意を持っていた。

だが、どうにもそれとは悪意の性質が違うような気がする。

神代の錬金術師に関係しているのだろうか。

いや、どうにもなんとも言えない。

ともかく、やってみるしかない。

「敵は、一度進軍をとめたみたいですね」

「フィルフサはちょっとやそっとで諦めるようなぬるい生物じゃない。 そうだったら、オーレン族が苦戦するわけがない」

「そ、そうですね……。 確かに戦っていて、今までの魔物のどれとも違う異質な怖さを感じました」

「……少し休んだら、また仕掛けよう。 波状攻撃で、少しずつ状況を好転させる」

勿論、たった二瞬でこっちも大きなダメージを受けたことは、敢えて口にしない。

みんな分かっている事だ。

このまま綱渡りを続けていれば、いずれ落ちる可能性が高い。落ちたら助からないだろう。

そしてその時には、この世界そのものが。

頭を振る。

ともかく、少しずつ確実に情報を得て。

戦況を有利にしていかなければならなかった。

 

4、もう一つの戦いの始まり

 

緒戦を終え、押し込み始めたライザ達を見送ると。カーティアは、彼女らが聞いていない事を確認しつつ、通信を入れていた。

耳から口元につけてある装置はインカムと言う。

原理はよく分からないが、同胞達の間でも、重要な作戦の時に使用される。声を共有し、更に指示をリアルタイムで受けられる。

「此方カーティア」

「此方司令部。 感度良好。 戦況は」

「ライザ達はフィルフサ第一陣を突破。 現在洞窟内での戦闘中。 門の占有権を巡ってのつばぜり合いをしている」

「了。 そのままそこで状況の推移を見守れ」

通信を終える。

現在、同胞の八割以上がこの作戦に参加している。各地に散っていた同胞の半数ほどを戻して、待機させている状態だ。

作戦の内容は、カーティアも知っている。

ライザが、負けたときのために打った策も。

見事と言う他無い。

最悪の場合は、此処の自然門を湖に沈めて、それでフィルフサの侵入を永続的に防ぐつもりだ。

幾らフィルフサが。

特にこの自然門の向こうにいる個体が、神代に作られた強力なカスタムタイプであり。その目的が対オーレン族の精鋭特化であっても。

どうしても水に弱いという弱点は変わっていない。

だから、ライザの戦略は正しい。

しかしながら、「母」はこの作戦を通じて見届けろと指示を出してきている。

同胞達の中には、今のうちにライザを殺すべきだという意見を出す者も多いのだが。

カーティアは。

少なくとも今の時点のライザは、暴には寄っているがエゴには遠く。

力で解決する傾向が強いが、それでも世界を優先する事を幾つかの仕事で間近で見ていた。

錬金術師は、神代の頃から力に酔う事が多く。

その結果、自分を神に近い存在だと錯覚することも多かった。

才能がなければ、錬金術はできない。

それが特権意識を産みだし、凶行に彼等を走らせる事がとにかく多かった。

同胞が組織されたのは、母が自我に目覚めてからしばらくして。ロテスヴァッサ王国が出来てだいぶたった頃だが。

各地でそういったクズ錬金術師を次々に仕留めていき。

少なくとも、神代の継承者を気取ろうとする阿呆は、一人残らず刈り取り。そいつらが「神の時代をもう一度」と目論んでいた技術は全て回収、破却してきた。

今ロテスヴァッサを抑えているのは、此処が現状の人類文明にとっての最重要拠点だからだ。

そうでなければ、こんな腐った権力の井戸に、誰がいるか。

ただカーティアはカーティアで。弱き者を守ろうという意思はある。

強い力を持っているのなら、より弱い者を守り盾になるのは当たり前だ。

そう自然に考える事も出来ている。

これはまったくそれとは真逆の。

強い力があるのなら搾取して良いと考える、神代の錬金術師やその後継。今のロテスヴァッサの王族や大半の貴族に対して強い憤りがあるからというのもあるが。

ロテスヴァッサで弱者のために戦い続けて。

自分はこれがあっていると思う。

助けたところで、人間の大半は感謝なんかしない。

それは分かりきっている。

だが、たまに感謝されて。泣いて喜んでいる様子を見ると、少しだけ凍った感情が動くのである。

希望たる存在アインのためにとも思うのだが。

それと同時に、やはり弱者を見捨てる事も、カーティアには出来ない。

暴を振るいエゴのために搾取する輩を斬り捨てることは、なんとも思わない。

むしろ殺せばすっきりするくらいだが。

しかしカーティアは、何もかもを殺せと言われた場合。

躊躇してしまうだろうなと思っていた。

顔を上げる。

指示が来た。

コマンダーから。パミラからだった。

「此方パミラ」

「此方カーティア。 コマンダー、状況に変化でしょうか」

「ううん。 戦闘の推移は順調?」

「気配から感じるに、ライザ達は二度門を潜った様子です。 しかしながら、ごく短時間で戻って来ています。 負傷もしたようです」

そう、とコマンダーは呟く。

コマンダーは良く分からない存在だ。

人間では無いことは分かっている。

肉体はカーティア達と同じものを使っているが、その割りにスペックが高すぎるのである。

だからパミラをコマンダーとする事に同胞の中で異論が出たことは無い。

「母」と友人のように接している事に不満を持つ者はたまにいるのだが。

そもそも肉もない「母」に対して、なんの偏見もなく接しているのも事実だし。

何より汚れ仕事は誰よりも積極的に行う。

それらの行動が、パミラに対する不満を抑え込んでいるのも事実だった。

「最悪の場合は精鋭を募って突入しますか。 事前のオーリム側からの分析の結果、今回の王種はカスタムタイプの中でも特に強力な個体。 多くの同胞が倒れるのは仕方が無いかと思いますが」

「ううん、今回は恐らく歴史のターニングポイントになる。 ライザ達は、きっとあの王種を倒す事が出来るはずよー」

「どうしてそのように断言できるのですか」

「今まで私が見てきた凄い錬金術師……此処で言うのは能力だけではなくて、歴史を変えてきた錬金術師達だけれど。 皆、性格は違ったし、中にはとても獰猛だったり、心が深淵そのものだった人もいた。 ただ共通して、自分の事を世界の事に優先しなかった。 野心を持っている子もいたけれど、それでも絶対に世界を自分の都合で掌握して何もかも自分のものにしようとはしていなかった」

パミラの正体は同胞の間でもよく分かっていない。

神なのではないか、という声も根強い。

肉として同胞と同じものを母から提供されて活動している、高次生命体。だとすれば、パミラの強さにも納得が行く。

パミラが見て来た錬金術師というのは、恐らく神代の存在ではないだろう。

それだけは、カーティアにも想像がつく。

「だから、見守りたいの。 きっと、ライザはうまくやれると思う」

「分かりました。 ただ、最悪の事態に備えて、全ての準備はしておきます。 それに……人は変わるものです」

カーティアにも苦い記憶がある。

まだ若い頃には、輝くような善性を持っていた人間が。

どんどん汚れて荒んで行き。

最後には匪賊にまで落ち、平気で老人や子供を殺戮し、略奪するようになる有様を。

カーティアがそいつを斬りにいったとき。

そいつはカーティア姉さんと叫んで、許しを請うふりをして。そして不意を打とうと斬りかかってきた。

信じたかったが。

それが、結果だった。

首を刎ねて、そして持ち帰った。そいつが手下にしていた匪賊も、みんなその場で斬り殺して、命を刈り取った。

人間は変わる。

ライザだって、変わらないとは限らない。

だから、今なら。

まだ倒せる今なら。そう、カーティアも考えてしまう。

希望たるアインが受けた悲惨な記憶は共有している。

だからこそに、余計にである。

「もしも、ライザが変わってしまうようなら」

「……」

「その時は、私が斬るわ」

「その時は、お供させていただきます」

通信が切れた。

カーティアはため息をつく。ライザは休憩を挟んで、更に仕掛けるつもりのようである。

恐らくは、橋頭堡を構築して。

それから王種を仕留めるべく、戦略的な行動に出るのだろう。

雨でも降らせるのか。

それとも鉄砲水でも引き起こすのか。

フィルフサに汚染されている土地だったら、一度土壌を押し流してしまわないと駄目なケースが多い。ライザはそれを把握していると、既に報告を受けている。だが門の向こうは水があって、フィルフサが母胎にしていない。

さて、どう動く。錬金術師、ライザリン=シュタウト。少なくとも今は善性がある、この世界の歴史でも珍しい善なる錬金術師。

ただ、今は。

作戦に従って、カーティアは待つしかなかった。

 

(続)