死の砂漠

 

序、今まででもっとも危険な

 

架橋か。

それを平然とやっているライザを、パミラは遠くから確認していた。

遠くから。

そう、神代と言われた時代に作られた道具でである。

コレを使えば、魔術に長じ、鋭い直感があってもどうにもならない。

何しろ、空の上から見ているのだから。

勿論これ以上ライザが成長したら、これでも気付く可能性があるが。

それでも、更に上を行く技術をパミラは有していた。

正確にはパミラではなく。

その協力者が、だが。

「この様子だと、最後の遺跡への難関は後は野生種のワイバーンだけねえ」

「本来この世界は、ドラゴンが終焉を迎えるために訪れる場所だと言う事がわかっています」

「オーレン族の話からだったわねー」

「はい。 アーカイブから確認できています。 彼等の知識は、テクノロジー面では未熟そのものですが、世界のあり方や生物学に関しては、神代の者ですら及ばない程の域にありました」

パミラの協力者は、そう淡々と言う。

パミラは笑顔を崩さない。

その程度の存在。

今まで渡って来た世界で、幾らでも見て来た。

神代の連中は、己こそ最強。己こそ無敵。己こそ世界の支配者と考えていたようだが。

はっきりいってこの世界の錬金術師は、今まで見てきた中では精々中の上程度。

それでも此処まで好きかって出来たのは。

それに対する抑止力が存在しなかったからだ。

他の世界では魔族という人間の強力な天敵が存在したり、或いは別種族の人間と言える存在がいたり。

また、世界の情勢が厳しい中、人間は無理にでも団結して、生きるために必死になっていたりもした。

この世界ではそれがない。

ただエゴだけが先行している。

パミラも、色々な世界を見て来た。

エゴを持つ人間が性能的にも高くて、なんでも好き勝手にやって良いと本気で考えているような連中が回している世界もあった。

その世界には錬金術はなかったが。

それに近い性能を持つテクノロジーがあった。

最後には自滅して、星もろとも自殺してしまったに等しい文明だったが。

パミラはそれを見て、なんとも悲しいと思った。

今も、滅びゆこうとしているこの世界を見て、同じように感じる。

普段だったら、それでも干渉はしないのだが。

錬金術が原因で世界が滅びようとしているのなら。

今は、それに対して待ったを掛けようとは思っていた。

「橋を架けることに成功したようですね」

「たったの一日であの規模の橋を。 それも高低差がある場所に掛けるなんてね」

「それで、どうしますか」

「今の時点では保留かしらねー」

懸念していた、ライザの傲慢化は今の所起きていない。

このくらいの力がある時期が、錬金術師は一番危険だ。

今のライザは、神代の錬金術師達よりももう優れているが。神代の者達には、蓄積されたテクノロジーがあり。総合力ではライザはまだ神代の錬金術師達よりも若干劣るとみて良いだろう。

そして、総合力でライザくらいの時期に。

神代の錬金術師達は万能だと錯覚して。

エゴのまま、世界を蹂躙し始める。

それはずっと変わらなかった事。神代と言っても数百年も続いた時代。その間、ずっと自分は最強、選ばれた民だと考えた錬金術師が。

この世界を無茶苦茶にして。

土地を奪って争いあい。

それに巻き込まれた全てが焼き払われ、薙ぎ払われていった。

この土地は、その一派が作ったものであり。

此処ですら。

悲劇は散々に繰り返されたのだ。

「同胞には、私から言っておくわね−。 それと、アインは大丈夫?」

「少し前に、はしゃぎすぎたようで。 それで今、補修作業をしています」

「はあ。 中核のテクノロジーはまだ引き出せないの?」

「セキュリティロックが厳しく……」

そうか。

パミラはいずれにしても、この場を離れる。

もう今は。

誰も生きた人間が住んでいない。

神代の錬金術師が。

胸を反らして、此処は理想郷だと呼んだ土地を。

 

橋が本当に出来た。

ライザさんの指示通りパティは石材を運んで組み合わせ。そしてライザさんは、驚くべきバランス感覚で、高所での作業を難なくこなした。

命綱はつけていたが、それでも危ない場面は一度もなく。

むしろ体格的に小さいパティが、石材を運ぶ時が一番苦労した。必然的にタオさんと連携して動いたのだけれども。

それがとにかく、気恥ずかしかったのだ。

ライザさんが事前に言った通りの手順で橋が作りあげられ。

最初に土台になった木をベースにして、石橋が作りあげられた。

そして、石橋が出来ると。

土台になった木は、力尽きたようにちいさな姿に戻っていった。セリさんの魔術も、大概ものすごい。

「よし、此処からだな。 荷車、運ぶぞ!」

「うん。 橋を渡れるかのチェック、やるよ!」

レントさんが声を掛けて、かなり斜度が高い橋を、荷車を押して上がって行く。

この先に、一度拠点を作るそうだが。

まずは上がってみて、それからだ。

かなりの勾配を、一気に越えて上がっていく。

此処にあった昔の橋は、もっと小さいものだったらしいが。

ともかく、崖向こうの高い位置まで、一気に荷車を押し切れた。

その後は、ライザさんが指示した通りに展開して、周囲を警戒。

此処に、中間拠点を作る。

崖の状態を確認。タオさんが専門的な話をしている。

タオさんは遺跡の調査でも学問でトップらしいが。片手間にやっている建築でも、相当な成績を上げているらしい。

「もう少し内側でないと地盤が……」

「ただそうなると、空から見つけやすくなるな」

「今日は拠点作りで終わりかな。 とにかく、素材を集めて。 皆、石材を切り出すから、それを運ぼう」

ライザさんが温度を採る。

荒野には点々と岩が転がっている。それをライザさんが、熱魔術で切り裂いて切り分けて行く。

ものすごい切れ味だ。

熱魔術の出力が高いというか。

熱魔術の出力を高めることを徹底的に極めているから、こういう事が出来るということなのだろう。

まだ若いのに、魔術師としての熟練も凄まじい。

ただ、錬金術込みの強さである事を考えると。

パティにも、まだ人間の範疇である事が、理解出来はじめて来た。

ライザさんが言う通り、錬金術が凄いのかも知れない。

パティにも、なんとなく錬金術がなければ届きそうだと、最近は思えはじめて来たのである。

それはパティが力を上げてきたから、なのだろう。

「石材を運ぶぞ! 気を付けろ!」

「俺は上空を警戒する。 いざという時は、すぐに戦闘態勢を取ってくれ!」

「よしっ!」

ころを並べて。てこを使って大岩を動かす。ライザさんは、タオさんと一緒に色々と難しい話をしていたが。

運んできた石材を、大きさや用途ごとに更に切り分けて。

建築用の接着剤を使って固定。

更には柱なども埋め込み、淡々と建築を進めていく。

本格的な家屋だったら、とてもすぐにはつくれないのだけれども。ごくシンプルな家屋を作っていく。

拠点としては、それで充分だからだ。

ただ、文字通り荒野の真ん中に作ってある家屋だ。

残念ながら、ワイバーンには丸見えだろう。

既に旋回しているワイバーンは、此方に数体が警戒しているようである。地上の一部も、彼等の縄張りなのだ。

「柱固定するぞ!」

「力を貸します!」

「よしっ!」

レントさんが逞しい筋肉を剥き出しに、大きな石柱を立てる。パティもそれに加わる。その間に、建築用接着剤を用いて、固定を順番に進めていく。

二刻ほど掛けて、運んできた石材を切り分け。

そして、組み立ててしまう。

更にライザさんは、土を運んできて、拠点にする建物に被せた。これで遠くからは、土まんじゅうにしか見えない。

「ライザさん、これってワイバーンからは見えているんじゃ」

「見えてるよ。 これから退治して、新しく縄張りに入ってきたワイバーン対策」

「倒す事は前提なんですね」

「襲ってきたら、だけどね」

更にライザさんは、荷車の中からゴルドテリオンのインゴットを取りだし、内側から石造の拠点を補強していく。

土まんじゅうだが、それでも内部はしっかりした拠点が出来上がる。ライザさんは、更に隣に穴を掘り始める。

そこにも石材を使って屋根を作り、倉庫にしていく。

なるほど、一時的に回収してきたものを格納するためのものか。こっちは用途もあるからだろう。

強固な戸もつけていた。

「相変わらずだねライザ。 完成の図が既に頭の中に入ってる」

「まあ、これは三年前には出来ていたからね」

「なんというか、とんでもねえよな。 俺も家を建てるのを手伝った事があるから知ってるが……」

「空間を全部把握しているんだよライザは。 だから建物を頭の中で立体的にくみ上げて、それでばらして部品を逆算してる」

パティには理解出来ない世界だ。

今日だけでも、ライザさんがやっている事はもの凄い。

子供達を助けて。

架橋を終えて。

それだけでも凄いのに。此処に拠点まで作ってしまった。

いずれにしても、荒野に乗り込む準備ができたと言える。

ここから先は、何があるかまったく分からない。ライザさんが跳躍。クリフォードさんも同じようにして、地図を作っていく。

「見えている範囲だと、北西に砂漠がある。 ただ、砂漠には普通に川が流れていて、泉もあるみたいだね」

「それなのに砂漠なのか」

「土の性質が良くないのかもしれない」

セリさんが、レントさんの疑問に答える。

それに対して、真北は完全に荒野で、遮る物一つないそうだ。

「まずは北西からだね。 ここから先は本当に何も分からない。 気をつけて行こう」

「そうだな。 クラウディアは明日から参加してくれるんだっけか」

「確かその筈だよ」

「だったら、どうにかなりそうだな……」

レントさんが咳払い。

以前、砂漠に足を運んだことがあるので、その注意喚起だそうだ。

「砂漠についてだが、実際には砂が満ちているような場所は殆どなくて、砂の元になる岩がごろごろ転がっているものなんだ。 正確にはこれを岩石砂漠というらしい」

「レント、続けて」

「おう。 それで砂漠は昼と夜の寒暖差が激しく、日中に移動するのは危険だ。 砂漠に住んでいる生物ですら、可能であれば日中には行動しない程でな」

「そうなると、夜に移動する事になりますか?」

パティが疑問を呈すると。

レントさんは首を横に振る。

「本来はそれがいいんだが、砂漠の規模をまだ見極められていない。 森の遺跡を作った奴らとの交流があっったということは、そこまで此処から距離があるとは思えない。 一度生活時間帯を逆転させると、体に悪い影響が出る。 出来れば無理をしてでも、日中帯に動きたい」

「熱魔術で高熱は緩和するよ。 問題は直射だね」

「それなら私がどうにかするわ」

セリさんが、魔術を発動。

何かの芽がぐんぐん伸びて、大きな葉っぱが出来る。

傘どころか、皆が乗れそうな大きさだ。

「水が必要になるけれど、これで直射は防げると思うわ」

「水は見た所少なくないみたいだし、どうにかなりそうだね」

「よし、じゃあ準備もある。 今日はここまで。 みな、引き上げるよ」

ライザさんが判断して、さっと皆で撤退を開始する。

途中、タオさんがぼやく。

「やっぱり建築への興味も捨てられないなあ」

「どうしたんですか?」

「僕ね、今論文に取りかかってるんだ」

合間にそんな事をしてたのか。

タオさんは飛び級で学校を進めている。殆どの生徒は「箔を付ける」ために来ている学校だが。

タオさんは勉強に大まじめだ。

学校の上位機関には学術院というのがあるのだが、これは本当に学問を修めたい人が二割、残りは貴族が八割というところか。

この学術院にタオさんが興味を示しているらしい。

「学術院に行くためですか?」

「そうなるね。 今より更に機密性が高い書物を読めるようになるからね」

「貴族だと簡単に入れるんですが、確か庶民だと何年に一度も入れる人間は出ないと聞いています」

「タオも物好きだな。 そんなの、どうせ中は腐りきってるぞ」

レントさんの言葉の通りだ。

内部にいる二割の変わり者の研究者以外は、ただ箔を付けたいだけの貴族がいるだけで。そいつらは殆ど顔も出しもしない。

研究施設は閑散としていて。

学術院なんて偉そうな呼ばれ方をしているのに。

内部に誰もいないなんてのは、当たり前だそうである。

これが理由で、「幽霊施設」なんて呼び方を貴族達が口にしているとか。

実は百年前くらいに、何か事故があって、大幅に縮小されたという話だけれども。

ちょっとその辺りの事情は、又聞きになってしまうので、詳しくは分からない。

はて。

似たような話を、どこかで聞いたような。

「周りの研究者に興味はないんだ。 僕が興味があるのは、未来でね」

「大きく出たなタオ」

「別にそう大それた事じゃないよ。 多分だけれども、ライザを中心に、人類は魔物への反撃を開始すると思う。 他の戦士だと手も足も出ないような魔物が、ライザを中心としたグループだと蹴散らせているでしょ。 ライザは更に強くなるだろうし、そうなると人類は魔物にやられ放題だった歴史を、此処でくいとめる事が出来るかも知れない。 だけれども、それだけじゃあダメなんだ」

タオさんの言葉は、重苦しい。

いつもは冷静で知的なのに。

此処にいる面子には、話して良いと思っているからなのだろう。

「遺跡を調査してはっきり分かってきたけれど、古代クリント王国だけがダメなんじゃあないんだ。 多分人間がこのままだとダメで、仮に魔物を押し返してこの世界の主導権を再度握ったところで、きっと同じ事をなんどでも繰り返す。 そして多分だけれども、同じ間違いをもう一度繰り返したら、この世界はもう人間を許してくれない」

「世界が人間を許さない?」

「魔物について、おかしいと思った事はない? 僕はあれは、この世界が人間に対しての攻撃をしていると思っているんだ。 あまりにも人間に対して敵対的で、攻撃的すぎるだろ」

「面白い考えだな。 続きを聞かせてくれ」

クリフォードさんも興味を持ったようだ。

パティは一戦士として戦うだけ。

今後は王都を背負って立つだけ。

だから、ちょっとスケールが大きすぎて、何とも分からない。

「人間の変え方は分からない。 だけれども、僕はこう考えている。 過去にやってしまった間違いは周知すべきだ。 二度と同じミスを繰り返さないことで、少しでもマシになるんじゃないかってね」

「なるほどな。 そのための考古学なんだな」

「半分くらいは僕の好奇心なんだけどね。 ただ残り半分は、僕らの中の星、ライザが作る未来に、僕が出来る事について考えての事なんだ」

「ハハ、こりゃちょっとあたしもあまりうかうかはしていられないか」

ライザさんが苦笑。

パティも、黙り込むしかなかった。

色々考えているなタオさんは。

貴族が庶民がと言っている連中が、タオさんの前ではバカにしか見えない。

そしてライザさんの実力を間近で見てきたパティも、タオさんの言葉を絵空事だとはとても思えない。

今後は更にライザさんは躍進し。

世界を変える可能性もある。

人間すらも、ライザさんが何かしらの方法で変えていく事はありうる。

その時、今のままの閉鎖的でくだらない王都なんて、何の意味も持たないだろう。

パティはついていけるだろうか。

ついていかなければならない。

ぐっと、前を向く。

もうすぐ街道に出る。

街道に出たら、アトリエまですぐだ。

本格的な探索は明日になる。既に夕陽が辺りを赤く照らし始めている。この状態で、未知の地点に挑む戦力は無い。

明日クラウディアさんも加えて、それでやっと本格的な探索が始められる。

そう思うと。

パティは襟を正す気分だった。

アトリエで解散となる。

邸宅に戻ると、お父様も丁度戻って来た所だった。

あれ以来、わだかまりもなくなったような気がする。夕食で、軽く話をする。

「パティ、今日の探索はどうだった」

「密度が高かったです。 朝一番に、行方不明になっていた子供四人を助けました」

「カーティアから報告が上がっていたものだな」

「はい。 それから、北のワイバーンが多数いる荒野に出向くべく、架橋を行いました」

そう聞くと、流石にお父様もぎょっとしたようだったが。

ライザさんだったらおかしくは無いと思ったのだろう。

そのまま、パティも協力して拠点を作り、それで戻った事まで告げる。拠点まで、そんな短時間で。あの少人数で。

それを考えると、驚異的なのだが。

お父様は、もう驚かなかった。

「分かった。 そのままライザ君に同行して、重要な事が起きたら伝えなさい。 ライザ君には、近々私から細かい話を聞こうと思う」

「……」

「タオ君については、悪いようにはしない。 そのまま、分別を保って家庭教師をうけなさい」

「わかりました」

その辺りは念を押してくるんだな。

だけれども、パティにはなんとなく分かる。散々ため込んで怒りが爆発したのだ。今後は、もっと何かあったら話しなさい、というような意味もあるのだろう。魔物を容赦なく討ち取り、犯罪者に怖れられる豪傑の姿と言うよりも。今は、お父様から不器用な愛情を確かに感じられる。それはとても嬉しい事だ。

勉強をして、それから休む。

勉強はそれほど得意では無いけれども。タオさんと一緒にいるためだったら。

そう思えば、苦にはならなかった。

 

1、未踏砂漠

 

復帰したクラウディアから話を聞きながら、砂漠に出向く。クラウディアによると、最終的に七つの貴族の家が潰れて。

それらが蓄えていた富の大半が流出。

本当だったら血を見ていただろう所を、バレンツ商会を中心としたグループで抑え込む事に成功。

とりあえずの落ち着きが戻ったそうである。

王都を出ていった貴族達は、殆どがろくでもない悪徳貴族。

先祖が蓄えた金で生きてきただけの連中で、それも失った今、のたれ死にが関の山だそうである。

皮肉な話で、貴族達が去るときに、ついていったのは例のメイドの一族だけ。

その一族ですら、恐らく監視目的でついていったのだろうと。

これは、カフェで聞いたとおりのたれ死にが関の山かな。

そう思って、あたしは苦笑い。

だけれども、それに同情するつもりはない。

橋を見ると、クラウディアは歓喜の声を上げる。

「すごいわライザ! こんなものを瞬く間に作りあげたのね!」

「へへ、どうよ」

「まあ、俺たちも力仕事はしたんだけどな」

「うん、分かってるよレント君!」

クラウディアは、ずっとろくでもない大人とやりとりをしていたからだろう。

三年前に戻ったように、無邪気に笑って橋を見て喜んでいる。

橋を渡りきって、それからが本番だ。

タオが磁石が狂っていないことを確認。

まあ此処だと、影の方向で分かるのだが。

あたしが準備してきた、冷気を周囲に撒く装置を荷車にセット。更にセリさんが植物操作の魔術で、巨大な日傘を作ってくれた。

問題は、空からの奇襲対策だが。

それには今日はクラウディアがいる。

クラウディアの音魔術は冴える一方だ。逆に言うと、クラウディアが対応できないようなら、他の誰でもダメだろう。

「よし、此方だ。 行こう」

「問題は砂漠に入ってからだね。 ワイバーン以外にも、見た事がないような魔物がわんさかいそうだ」

「違いない。 とにかく、確実に調査を進めていくしかない。 里というのも、隠蔽されている可能性が低くない」

「同感だ。 水たまりの中にあったりしてな」

クリフォードさんが、冗談めかしていうが。

今までの状況から考えて、その程度だったら楽でいい、くらいである。

あたしは咳払いすると。

これから先が大変である事を考えていた。

黙々と進む。

荒野がやがて岩だらけになっていく。

どの岩も随分と脆そうで、実際に蹴りを叩き込んでみると、それこそ脆い果実みたいに砕けて割れた。

辺りには植物が殆どない。

ちいさなトカゲが、影にいて。

アリの群れを食べていた。

「うわ、ごつごつしたトカゲさんですね」

「パティ、いる場所は覚えておいて。 最悪の場合、そのトカゲさんを食べる事になるからね」

「ええっ……」

悲しそうな顔をパティがするが、これは当然の話だ。

この先はワイバーンがウヨウヨいる危険地帯。油断しなくても、荷車を破壊されたり、粉砕されて逃げ惑うことになるかも知れない。

そういう場合は、この砂漠にいる生物を食べて凌ぐ事になる。

淡々と移動を続ける。

口数が減るのは、空気が露骨に乾燥しているからだ。

直射日光を防ぐのと。

更に冷気を展開する事で、だいぶ楽になっているが。

それでもこれは厳しいだろう。

少なくとも、対策無しで入れる場所じゃない。

足下が、じゃりっと言った。

注意が散漫になっていて、それで気付く。足下が、いつの間にか砂まみれになっている。それも砂が非常に危険なものだと見た。

「気を付けて。 この砂、多分直に触らない方が良い」

「正解だぜライザ。 こういう所の砂は鋭くて、柔らかい海岸とかのものとは違う。 下手に足を突っ込むと血だらけになるぞ」

レントがそんな事を言って脅すが。これは多分脅しと言うよりも、経験談なのだろう。

頷くと、慎重に動く。

クラウディアがハンドサイン。同時に、全員で一気に移動開始。岩壁を背にする。

ぬっと姿を見せるラプトル。

大きい。

街道にいる群れの、ボス級のだ。それも、そんなのが十体以上でてくる。

エサを見つけた。

逃がさない。

そう言うかのように、じりじりとラプトルの群れが迫ってくる。ちいさな動物が、じっとこっちに視線を送ってきている。

負けた方を、おこぼれに預かって食う。

そのつもりなのだろう。

更に、奧から現れるラプトル。

大きさで言うと、かなり大きいサメくらい。こんなのが、ウヨウヨいるのか。

まあ、無理もない。

此処は最低でも五百年以上、人間から見捨てられてきた土地なのだから。魔物が際限なく巨大化していても不思議では無いだろう。

巨大なラプトル達が、来る。

ぐんと、加速して、一気に襲いかかってきた。

正面から、あたしとクラウディアが弾幕を展開。これは、手を抜いている余裕はないな。そう思って、火力をありったけ叩き付け、更に爆弾も投擲する。

凄まじい弾幕にラプトル達は足を止めるが、即座に距離を取る。それぞれの個体の判断力が高い。

じっと此方を見た後、

さっと距離を取って、去って行く。

パティが、拍子抜けしたように言う。

「あ、あれ。 逃げましたよ」

「違う。 あれは老獪なんだ」

クリフォードさんが補足。

クリフォードさんが、丁寧にパティに説明をする。

「彼奴らは、地の利がある事を理解してる。 此処に入り込んで来た新参が、すぐに危険な目にあうような地形がたくさんあることもな。 だから一瞬だけ力を見て、それで距離を取った。 わざわざリスクを冒して戦うよりも、弱った所を一網打尽にするつもりだ」

「ろ、老獪な魔物ですね」

「こういう砂漠みたいな場所を極地っていうんだがな。 極地にいる生物は、獲物を逃がさないために色々と工夫をするのさ。 体を大きくするのはその一環だ。 でかければ、獲物に対して優位をとれるからな」

ともかく、一度様子見をして、移動をする。

あたしが時々高く跳んで周囲を確認するが。

そびえ立つ岩山。

たまにある巨大な蟻塚。

いずれもが、この辺りを迷路のようにしてしまっている。

今の時点で、ワイバーンは此方に仕掛けて来る個体はいないが。いずれもが、油断せず此方を見張っている。

いつ戦闘になってもおかしくない。

備えるのは、必須だ。

「あの辺りに、水たまりがある」

「なんだろう、あるのは音魔術で感知できるんだけど、みえないね」

「蜃気楼って奴だ。 暑すぎる場所で起きる現象でな。 ないものが見えたり、あるものが見えなかったりする」

「ああ、逃げ水みたいな感じかな」

あたしもそれは知っている。

石畳なんかに、存在しない水たまりが見えたりする現象だ。乾期なんかでは、時々あった。

レントは経験していないことはさっぱりだが。

クリーフォードさんはとにかく満遍なく色々な事に詳しい。

話を聞いていて、時々感心させられる。

それも、理論的に納得出来るようにかみ砕いて話をしてくれるから、パティもうんうんと頷いていた。

まあこれはパティが未知のことに興味を示す真面目な性格だと言うこともあるのだろう。

移動して、水たまりに。突然水たまりが見えたので、クラウディアが楽しそうに声を上げる。

本当に時々無邪気になるなあ。

だが、それでも歴戦の戦士だ。

油断なく、周囲を確認。

下手に荷車から離れると、ゆだるような暑さが凄まじい。あたしも偵察のために時々跳躍して確認するが、それも毎回がしんどくでならない。クリフォードさんと交代でやっているのだが。クリフォードさんもしんどそうだ。

クラウディアが水たまりを音魔術で調べて。やがて頷いていた。

「大きな魔物は中にいないよ。 水たまりも、おぼんみたいな形状で、特に変なものは中には無いね」

「よし、水を補給しておこう。 湧かすから、桶に汲んで」

「分かりました!」

荷車には、傘にする植物用に桶を入れてあるのだが。水は結構減っている。すぐに桶に入れた水を煮沸して、そして冷やす。

荷車の桶の水を交代した後、水の成分を確認。

エーテルを出すのは難しく無い。錬金釜がなくても、水の成分分析くらいはその場で出来る。

毒物は、なし。

飲んでも大丈夫かはともかく、被っても平気だ。

早速手を洗い、顔を洗う皆。

それくらい、この辺りの気候はしんどいのだ。

出来るだけ飲まないように。

そう注意して、あたしも口をゆすぐ。風に混じって砂が飛んでくるので、たまったものじゃない。

皆で、しばし一息つく。

首が長い、見た事がない生物が来る。背も高い。背丈はあたしの三倍以上はあるとみて良い。それにあたしの背丈の二倍以上ある首がついている。

体は黄色に黒の斑模様。背中にはひれみたいなのがついていて、此方には興味を見せない。

のったりした動きをしたそれが、首を水たまりに突っ込んで水をがぶがぶと飲み始める。

警戒するパティに、レントが言う。

「大丈夫だ。 こう言う場所では、基本的に動物は例外を除いて争わない」

「例外もいるんですね」

「ワニなんかの待ち伏せするタイプの魔物は襲ってくるな。 ただ、クラウディアが確認して、いないって分かってるだろ」

「確かにそうですね。 わかりました」

剣を収めて、座り込むパティ。

タオが、地図を作って見せてくれた。

「とりあえず、こんな感じになるね。 今の時点では、里らしいものも、何かありそうな空間も見当たらないよ」

「……タオ、ちょっと見せてくれ」

「はい、クリフォードさん」

「……」

小首を傾げているクリフォードさん。

懐から取り出した、かなり年代物の本を開いて、見比べている。やがて、頷いていた。

「今日は無理だろうが、この辺りを調べてもいい余裕が出来たら、ちょっとこの辺りを調べさせてくれるか」

「何かありそうなんですか?」

「これは俺のトレジャーハントの師匠ともいえる人が残してくれた古文書でな。 宝があるって場所に、ちょっと似ているのさ。 ロマンだろ?」

久しぶりに出る良く意味がわからない単語、ロマン。

まあ、確かにロマンかも知れない。

既に陽は落ち始めている。

此処で夜を過ごすのはぞっとしない。

帰路に移る。

あの大きなラプトルの群れは、じっと此方を見ていた。あたしとクラウディアの猛攻で、一匹も欠けなかっただけのことはある。

とにかく慎重で。

油断が出来ない相手であるのは、事実のようだった。

 

翌日。

早い段階から、砂漠に到着。途中の道を、かなり急いだのだ。今日は、昨日以上に念入りに準備をしている。

街道で戦闘を数回こなしたが、いずれも大した相手では無かった。

砂漠にいる魔物に比べれば雑魚も雑魚。

これからやり合うのは、あんなのとは比較にならない強敵だ。ウォーミングアップには丁度良い。

砂漠で、準備を確認。

靴も微調整した。

人数分やるのは大変だが。此処の砂が危険だと分かったのだ。砂が中に入らないように調整するのは必須である。

「今日は、あの辺りから北上して、様子を見るよ」

「よし。 少しずつ、未確認の地点を踏破しつつ、地図を作るんだな」

「はいクリフォードさん。 そうなりますね」

「俺の宝の地図の件は後回しだ。 ともかく、少しずつ確実にやっていこう」

クリフォードさんは相変わらず堅実だな。

ロマンと口にするが、きちんと周囲の安全を確保してから、自分の事をやってほしいと言っている。

これは奥ゆかしいとかではなく、全体の事を考えてくれている。本当の意味で、である。

この人は、なんというか。

見かけと中身の乖離が激しいな。

そうあたしは思う。

まあ、見かけで相手を判断するのが色々とおかしいし。

人類の宿痾なのだ。

砂漠を移動して行くと、例の大きなラプトルをまた見かける。それよりも、だ。大きな獣の、死体を見つける。

骨まで綺麗に囓られていて。その骨すらも、痩せこけた鳥がつついていた。

骨を割って、髄を食べている。

更には、骨には虫も集っていて。骨を細かく分解しているようだった。

大きな獣だが、それほど昔に殺されたようには思えない。ここでは死ぬと、一瞬でこうなるということだ。

一瞥して、判断する。

「殺されたのは今日だね、これは」

「こんな大きな獣が、今日殺されてこんな……」

「気を付けて。 あたし達も他人事じゃない」

パティに釘を刺しておく。

移動しながら。時々タオが岩などに目印をつける。そして、あたしかクリフォードさんが跳躍して、周囲の状況をタオに知らせる。

今度は、川に行き着く。

この川、何処が出所なのだろう。

昨日、水を持ち帰って調べて見たが、危険な成分はなかった。

目に見えない程小さい危険な生き物がいる場合もあるのだけれども、それもなかった。

ちいさな虫が、水を溜めているとすぐに湧くことがあるのだけれども。あの水たまりにはそれもなかったっけ。

本来此処は、緑豊かな場所だったのだろうか。

ちょっとなんとも言えない。

とにかく。少しずつ、安全圏を拡げていく。

不意に、凄まじい声が響いた。

ワイバーンだ。ワイバーンが、ラプトルを襲っている。昨日見た奴より少し小さいが、それでもかなり大きなラプトルを、楽々と持ち上げて。空中から地面に落としていた。

悲鳴を上げるラプトルに、尻尾を突き刺す。

必殺の毒針である。

ラプトルは悲鳴を上げて倒れ、倒れた獲物をワイバーンが貪りくう。口を血だらけにしてがつがつと肉を喰らっているワイバーン。

皆、岩山の影に隠れて、様子を見守る。

「た、戦いますか?」

「無用。 あの様子だと、満腹になる。 縄張りの確認だけして、進んだ方が良い」

パティにセリさんが淡々と告げた。

それにしても、流石にドラゴンの幼体だな。

体格的にはそれほど変わらないだろうラプトルを簡単に持ち上げて、そして毒針で一撃必殺。

倒れたラプトルを貪り喰って、そしてワイバーンが飛んでいくと。

わっと、他の動物が、死体に群がる。

その中には、ラプトルも混じっていた。

同種であっても関係無しか。

ラプトルは雑食だ。雑食は豚などもそうだが、とにかく何でも平気でくう。死んだ同類も、瞬く間にエサだ。

それを考えると逞しいが。

生物としては、あまり個人的に好意はもてない。

ただ、扱ったことがある畜産動物の豚が同じような雑食だということもあって。

あたしは、冷静に目の前の事を見る事が出来ていた。

ばりばりと凄い音がする。

骨も瞬く間に囓り、崩されていくのだ。

やがて大型の動物は去り、小型の鳥や虫が骨を崩していく。

此処で死ぬと、ああなる。

そう思うと、とても此処で倒れるわけにはいかなかった。

タオが地図を作っている。

地図を見ると、川の流れに沿ってくだる事が出来そうだ。勿論川の流れに沿って上がる事も出来るが。

今、丁度鮮血の宴が行われた地点を行く事になる。

パティを見る。

思ったよりは、落ち着いているようだった。

「パティ。 いける?」

「はい、どうにか」

「よし」

ハンドサインを出す。

全員、姿勢を低くして行く。そのまま、死体の横を駆け抜けて、先に。

今日は、この川の先に何があるのか、確認して起きたい。

空を舞っているワイバーンは、此方が見えているだろうに、興味を示さない。多分、今ので腹一杯だからだろう。

動物とは、そういうものだ。

 

水源に到着。

結論から言うと、其処には泉があるだけ。どうやって水が湧いているのかはちょっと分からない。

クラウディアが、音魔術で確認してくれる。

「どう、クラウディア」

「深さはそれほどはないね。 ただ、水はこんこんと湧いていて、尽きるおそれもなさそうだよ」

「そうなると、何処かの川が一度地下に潜って、それから浮上しているんだろうな」

「本当の意味での水源は、もっとずっと先と言う事か」

レントがぼやく。

いずれにしても、此処は外れか。

それにしても、恐ろしい場所だなと思う。

さっき、ワイバーンでも避けて通る巨大な竜を見た。いや、あれは竜なのかちょっとなんとも言えない。

二本足で歩いていて、手は小さく。トカゲという割りには足が下に出ていて。そして顔は凄まじい恐ろしさで、牙が乱ぐいに上下に出ていた。

尻尾も太く。

ひれだの飾り羽だのはないが。そのシンプルな姿故に、圧倒的な実力が見るだけで伝わってくる。

そんな生き物だった。

セリさんも、見た事がない。戦わない方がいいと言っていた。

あれはなんなのか。

魔物にしても、ドラゴンと同等の存在におもえる。

あたしとしても、無理に戦いたいとは感じなかった。

だが、いずれ戦う必要は生じるかも知れない。

あの強大な顎。この間戦った毒竜と同等か、それ以上の相手とみて良いだろう。恐ろしい砂漠だ。

あんなのが、平然と彷徨いているなんて。

ともかく、川に沿って降って、一度戻る。

これは一日や二日で、里を見つけるのは無理だ。帰路で、あの食われた大型ラプトルの所を通ったが。

文字通り、何もなくなっていた。

これは砂漠で誰か倒れても、あっと言う間に死体は食べ尽くされてしまう。それが一目で分かる。

此処の生物たちも必死だろう。

死んだら親兄弟にすら瞬く間に食い殺されるのだ。

此処はそれだけ厳しい場所。

それで、厳しい場所なら強い生物がたくさん育つかというと、それはノーだ。

生物の絶対数は決して多く無いし。

それに、この様子だと。

強さより、幸運だろう。

生存に寄与するのは。

幸運なんて、生物によって違う。どんなに強い生物だって、運が悪ければ死ぬ。

淘汰圧というものの、現実が此処にあるなとあたしは思う。

少なくとも此処で。

文明だの、すぐれた生物だのが誕生する可能性はない。

橋を抜けて、街道に出たころには、陽が落ちていたが。はっきりいって、ほっとした。カーティアさんが、数名の戦士を連れて警邏しているのにでくわす。一礼して、話を聞いておく。

「何かありましたか?」

「いえ、貴方たちが助けた子供達の件もあって、警邏をするようにと指示がありました。 街道を経験が浅い戦士と見回ることで、戦闘経験を積ませています」

「へへ、そういうことでさ」

なんか話しかけてくる奴。

なんでも、カフェであたしを見かけたことがあるそうだ。済まないが、まったく見覚えがないので苦笑い。

いずれ戦士として腕を上げていけば、顔を覚えるかも知れない。

「いくぞ。 恐らくまだ魔物との戦闘はある。 可能な限り仕留めて、安全度を上げておく」

「はい!」

戦士達が行くのを見送る。

今日はここまでだな。

タオに、一応聞いておく。

「タオ、地図の進捗はどれくらい?」

「せいぜい三割かな。 それも、これからが大変だよ」

「そっか……」

魔物の危険が大きい。

地形の危険が大きかった、「深森」とは別ベクトルの場所だ。だが、こう言う場所の探索の経験を積んでいけば、今後役立つかも知れない。

アトリエに戻ると、くみ置きの水を飲む。

しばし、冷やした水を飲んで、体調を整えた。皆、相当に参っている。戦闘は殆ど起きていないが。

砂漠という環境が、あまりにも想定外だったのだ。

火山などで暑い思いはした事があるが、それともまた別の危険さだ。

コレは確かに、独立勢力を保てたのも分かる。

だが、どうやって交流して行き来していた。それが、分からない。

考え込むあたしに、挙手するクラウディア。

「ね、ライザ。 あてもなく砂漠を調べて地図を作っても、多分みんなもたないと思うんだ」

「正論だね。 その通りだと思う。 何か案はある?」

「まずはクリフォードさんの宝について調べて見ない? 今すぐに封印が壊れる訳では無い事も分かった。 それならば、少しは余裕を持っても良いはずだよ」

「……」

それも、そうか。

分かった。

それに、少しだけだが、地図を埋める役にも立つ。ならば、やっておくのも良いだろうか。

「分かった。 そうしよう」

「ありがたい。 頼むぜ」

「頼まれました」

まずは地図を確認。砂漠の中にある不可解な地形だ。全体的に、とぐろを巻いているというかなんというか。

いずれにしても、かなり特徴的な地形である。

確かに調べて見るのも良いかも知れない。

少なくとも、危険にさらされ続けて、神経をゴリゴリ削られ続けるよりはいいと、あたしもクラウディア同様に思うのだった。

 

2、トレジャー

 

クリフォードは、今まで組んだ誰よりも強いメンバーと、今冒険をしている。冒険というべきだろう。

事情については聞いている。

フィルフサという超ド級危険生物がいる異世界への門。封じられたそれを、どうにかしなければならない。

もし失敗すれば、この世界は滅ぶ。

だが、今すぐにではない。

これぞロマンだ。

そう思っても、安宿では、どうにもひりひりする緊張感の方が強く。最近は眠れない日も多かった。

少し前に。

森の遺跡で、毒竜とやりあった。

本当に凄まじい化け物だった。今まで遺跡で見てきたどんな魔物よりも強かった。あんなものが守っているのなら。

ライザがいう門の危険性も、確かに納得出来る。

クリフォードはミーティングを終えて、安宿に戻ると。

自分のメモ帳を開く。

入口などにセーフティは仕込んである。

これは恨みを散々買っているからだ。

殆どの恨みは逆恨みなのだが。

それはそれとして、身は守らなければならないのである。そのまま、集中して解読を続ける。

師匠と呼べる存在から貰った本。

古い本だ。

びっしり書き込みがしてある。しおりもたくさんはさんである。

この宝は。

世界を変える。

そうとまで書かれている。

実は、今までそれなりに金になる宝は、クリフォードは何度か見つけている。だが、金になるものに、あまり興味は無い。

金は荒事で稼げば良い。

実際問題、傭兵としても、賞金稼ぎとしても、クリフォードじゃ食いっぱぐれたことがない。

考えて見れば、あの希代の豪傑であるライザとともに冒険が出来ているくらいなのである。あまり実感はなかったものの、クリフォードは相当に戦士としては上澄みにいたのだと思う。

メモを確認していく。何百回と読んだメモだ。忘れる筈がない。

あの特徴的な地形、間違いなく宝がある場所だ。それについては、どう客観的に見てもただしい。

宝を隠した人間は、二重の暗号を使って。

宝の場所を隠蔽した。

まるで、探す人間を試すように。

それを解読するのに師匠が随分掛かって。それをクリフォードが引き継いだ。今は、もう師匠は。

それは、いい。

ともかく、明日。やっと、目標の一つにたどり着ける。そう思うだけで。中々寝付けなかった。

それでも戦士として訓練は続けている。

眠れるようにする自己鍛錬も。

だから、無理にでも眠り。翌日に備える事が出来ていた。

翌朝。

軽く体を動かしてから、ライザの所に。朝に毎度ミーティングをするライザは、本人が思っているよりもずっとこまめな性格だと思う。がさつだという周囲の声も聞くが、多分ライザは興味が無い事には徹底的に興味を持たないタイプだ。それががさつに見えるのだろう。

ライザは平凡な顔は兎も角体の方はしっかり色気があるので、男を釣ろうと思えば幾らでも出来る筈。

それをやらないのは、本当に興味がないのだと分かる。

天才の中には、欲求が偏っている者がいると、クリフォードは聞いた事があったが。

ライザはその典型だろう。

軽くミーティングをする。

ミーティングの内容は随分と丁寧で、殆ど口を出すこともない。フィーが周りに愛嬌を振りまいているくらいだ。

此奴もな。

今までの情報を総合する限り、今回の案件には此奴の同族か先祖かが関わっていた可能性が高い。

だから何度か誘ってみたのだが。

フィーはライザにぞっこんだ。

クリフォードも気付いている。ライザが時々、ぞっとするほど冷たい目でフィーを見ている事には。

ライザは農家の娘で、畜産業も経験している。

どんな動物でも、幼い頃は可愛い事は知っているし。必要に応じてしめるような事だってしてきたのだろう。

だからフィーも同じように見ている。

ましてやフィーは、ドラゴンと骨格が似ている事が分かっており。

今は可愛くても。

その内、人に害を為す何かになる可能性だってある。

その時の事をライザは考えている筈で。

それで時々、殺処分も辞さないと思っているのだろう。

それに、人の手を経た生き物は、野外で生きていく事は出来なくなる。

狐とか等は顕著で、一度人間が気まぐれでエサをやったりすると。それを期待して人間にすりより、地力で餌を採れなくなったりする。そうなると待っているのは餓死だ。人間と動物は距離を取らなければいけない。それをライザが一番分かっているのは、クリフォードにも理解出来ていた。

ミーティングが終わる。

今日、いよいよクリフォードの積年の願いがかなうかも知れない。

だというのに。

どうしてか、それはあまりロマンを呼び起こさない。

アトリエを出て、街道に。今日もクリフォードが荷車を引く。荷車には、かなり大きな遮熱のための道具が積まれていて。それが荷車の積載量を圧迫しているのが一目で分かるのだが。

しかしながらコレ無しでは、砂漠に出向くのは自殺行為だ。

積み込んでいる水もかなり重い。

砂漠の川の水は多分飲んでも大丈夫とライザは結論しているようだが、それでも砂漠の中で迷う可能性が高い。

幾つも、入念な準備をしている。

だからこそ、クリフォードはミーティングでああだこうだ言わなくてもいい。

街道を移動し、やがて獣道から荒野に出る。荒野に出ると、遠くに自分達で架けた橋が見えてくる。

当然斜度は相応にあるので、レントが後ろから押してくれる。

この橋も、自分達以外は当面使わないだろうな。

そう思って、斜面を乗り越える。

崖上に出ると、ここからが本番だ。

ライザが跳躍して、周囲を確認。続いてクリフォードも、同じ事をやっておく。

「此方を警戒しているワイバーンはいるけれど、仕掛けて来る様子は今の所無し」

「妙だね。 今まで見たワイバーンのどの個体よりも大きいのに」

「とにかく、警戒して行こう。 いつ仕掛けて来るか分からないからね」

「……」

クリフォードは帽子を下げる。

口を覆っているマスクは、こういう暑いところでは命取りになりかねないのだけれども。

それでも外すつもりはない。

セリが魔術で出した大きな葉っぱを傘に、砂漠に踏み込む。

どうにも嫌な予感がした。

「気を付けろ、何か来る!」

「! 地面の下だよ! こっちに向かってる!」

「俺が前に出て囮になる! 荷車を下げてくれ!」

レントが飛び出す。

クリフォードはそのままさがると叫んで、バック。荷車が邪魔にならない地点まで下げるのと、同時に。

レントを狙って、地面の下から巨大な何かが飛び出してきた。

レントは食いつかれそうになるのを、どうにか見切って必死に大剣で防ぐ。それは、巨大な蚯蚓か。

地面を喰い破って姿を見せたそれは、あまりにも巨大だった。

「デスワームだ……」

極めて珍しい魔物である。直に遭遇するのは初めてだ。

砂漠地帯に住み、人間を襲うと言う事しか分からなかったが。いずれにしてもこんなばかげた大きさでは無い筈だ。

今地面から出している首の部分だけでも、クリフォードの背丈の五倍、いや七倍はある。

それがレントを振り回して、放り投げようとしていた。空中に放り出されれば、レントは次の瞬間には食いつかれておしまいだ。

即座にライザが熱槍を叩き込み、クラウディアも矢を放つ。

クリフォードもブーメランを投擲。

だが、残像を作りながら、デスワームは器用に首を動かして全て回避する。

クラウディアとタオが仕掛ける。

デスワームは、ひっきりなしに飛んでくる飛び道具に、更に接近戦も来たのを見て、面倒だと考えたのか。

ふっと、地面の下に引っ込んだ。

地面に引きずり込まれそうになったレントは、地面で踏ん張って、大剣を手放さない。デスワームは一瞬だけ抵抗したが、大剣を離して地面の下に引っ込んだようだった。

「散開! 固まらないで!」

「敵、移動中! ……狙いは……」

クラウディアが音魔術を展開しながら叫ぶ。

狙いは、セリだ。

セリが地面に手を突くのと同時に、真下からデスワームが飛び出してくる。セリが地面に張ったのは、巨大な分厚い葉。

それを丸ごと持ち上げるようにして、デスワームがセリを空中に放り出す。

まずい。

レントの大剣より、あれは脆いはず。

多分、一瞬しかもたない。

だが、その一瞬で。

タオが間を詰めていた。

双剣が凄まじい閃きを見せて、デスワームの肌を縦横に切り裂く。砂漠の下を自在に移動するような皮膚の持ち主だろうが、それでもゴルドテリオンの刃だ。一瞬で切り裂かれて、鮮血がしぶく。

デスワームが残像を残して体を大きく捻るが、其処にライザが蹴りを叩き込む。

衝撃波が、逆側に抜けたか。

とんでもない悲鳴が響き渡り、辺りの岩山がふるえてばらばらと石が落ちる。

すげえ蹴りだな。

そう思いながら、クリフォードは手に力を溜めていく。

ブーメラン操作の奥義。

此奴なら、使っても恥にはならないだろう。

デスワームが、全身を地面から引っ張り出す。

やはり巨大な蚯蚓だが、全身の彼方此方に鋭い刃みたいな突起が出ている。あれで、地面の中に引っかけて固定したり。

或いは掘り進むために使っているのだろう。

それだけじゃない。

突起がガチガチと音を立て始める。

間違いない、呪文詠唱だ。

皆が仕掛けているが、凄まじい動きでデスワームは回避し続ける。セリを放り投げると、そのまま真上からセリに襲いかかる。レントが飛び出し、大剣でセリをガードするが、地面が凄まじいパワーに拉げる。

「長くはもたないぞ!」

「分かってる! だけどこいつ、早すぎる!」

「このっ!」

パティが居合いと言われる抜き打ちを叩き込むが、なんとデスワームはそれを回避して見せる。

勿論本命の二太刀目も。

だが、それで大きく体を撓ませたデスワームに。

クリフォードは接近。

ため込んだ力を、連続して叩き込む。

九回、ブーメランでの打撃をぶち込む。

デスワームが、全身を揺らすほどの一撃を、九回。

それに加えて、とどめだ。

跳躍しつつ、全力を込めたブーメランでの一撃を、クリフォードは打ち込んでいた。

「くらい、やがれっ!」

体を柔軟に動かして回避し続けていたデスワームだが、ライザが叩き込んだ蹴りのダメージもあるし、今の無理な機動もある。それに何より、牽制技の今の九回の打撃で体が痺れている所に、渾身のブーメランが飛ぶ。

ついに、直撃が入る。

一度からだが硬直し。

全身から血が噴き出すデスワーム。

更に、其処にライザが爆弾を投擲。それを見て、全員がさっと散る。しかし、これだけのダメージを受けても、流石だ。デスワームが、詠唱を完了。

まるまって蜷局を作ると、その姿が歪む。

これは、斥力か。

だが、ライザの方が更に上。

炸裂した爆弾は、二つ同時。

二段重ねにした上は、氷の爆弾、下のが本命の炎爆弾。

氷爆弾が炸裂して、破壊力の逃げ場がなくなった爆圧が、全て下にいるデスワームに叩き付けられる。

悲鳴を上げるデスワーム。

斥力を貫通した爆圧が、その全身を蹂躙し尽くしていた。

どうと倒れるデスワーム。

ひゅうと口笛を吹くクリフォード。すぐに荷車から薬を取りだす。皆の手当てをする。

とんでもない速度で動き続けた化け物だ。

その過程で、皆に被害は出ていた。

「パティ、傷を見せろ。 何回か石が直撃していただろ」

「すみません。 それにしても、凄い技ですね」

「まだ未完成だが、アブソリュートケージって技だ。 流石に技名を叫ぶような気にはまだなれなくてな」

「何となく分かります」

傷の手当て終わり。

セリが一番傷が酷いが、真っ先にライザが向かったから大丈夫。

レントの手当てもする。

最初の攻撃をいなしてくれなければ、何人か食われていた可能性が高い。それくらい、危険極まりない相手だった。

ライザが丸焦げになったデスワームの死体を調べ始める。フィーが、ここだと言わんばかりに飛び回り。

其処を剥ぎ取ってみると、巨大な魔力を秘めた球体が出てくる。

これが、あの速さの根元になっていた臓器か。

ライザが大事そうにしまう。

周囲に、いつの間にか魔物がたくさん。

残念ながらデスワームは、皮も肉も活用出来そうにないようだった。

ライザが頷くと、皆がその場を離れる。

わっと魔物がデスワームの死体に群がって、がつがつと食い始める。この砂漠のルールとはいえ、何ともおぞましい。

死体になった魔物が、スカベンジャーに荒らされるのはどこでも同じだが。

この砂漠は、全ての生物がスカベンジャーだ。

それもまた、徹底していると言えた。

戦闘の被害を受けていない地点まで行く。この面子ですら、そろそろ通じなくなりはじめている。

魔物がそれだけ強いと言う事だ。

それでもライザがあわてている様子がないという事は。

フィルフサというのは、更に恐ろしい相手と言う事で間違いないのだろう。流石に怖い物知らずのクリフォードでもぞっとしない。

ともかく、まずは特徴的な地形を目指す。

岩山が連なって、とぐろを巻く蛇みたいになっている。その辺りに来ると、不意に涼しくなっていた。

「過ごしやすいですね、此処」

「……パティ、此処は長居しない方が良いかも知れない」

「!」

「同感だ。 此処はちょっと、尋常じゃねえな」

人の手が入っている。

それも、多分まともな人間の手じゃない。

タオが真っ先に動く。クリフォードも、辺りの地面や、岩山を調べて見る。

そうすると、すぐに異常が分かってきた。

岩山の砂埃を落として見ると、其処には醜悪に歪んだ人間の顔が描かれていた。うえっと声を上げるレント。

パティは黙り込んで、視線を逸らす。

その狂気的な表情は、ある意味芸術的とも言えるけれど。

それ以上に、何かに対する異常な執着が感じられた。

間違いない。

此処には何かがある。

「クリフォードさん!」

「どうした」

タオが呼んでくるので、すぐにクリフォードは行く。

見て、即座に分かった。

これは、骨か。

それも多分人骨だ。此処で、何があったのかはあまり考えたくない。この辺りは砂漠ではもうない。

魔物避けの強烈な結界が作動していて。

それが、魔物を遠ざけ。

更には悪寒すら生じさせている。

この技術、近年のものじゃない。

古代クリント王国時代か、更に古いだろう。人骨は、何かの儀式か何かのエジキにされた人のもののようで、朽ちる寸前だった。

辺りを見回す。

頭がクラクラしそうだ。

「パティ、辛いようだったら外に出ていた方が良いぜ」

「い、いえ。 外よりまだ此方の方が安全だと思いますから」

「そうか。 だったら気を強く持つんだな。 この奧は多分もっとやべえ……」

クリフォード自身も、口数が減るほどだ。

奧に行くと、陽の光が完全に遮られていた。

この辺りは、悪意で作られた工房だ。

だが、古代クリント王国時代に、こんなものが作られたとは思えない。この辺りは危険すぎて、近寄る奴もいなかったはず。

そうなると、その前。

そういえばライザがどんな残留思念を見たかで言っていたっけ。

あの「深森」の五感を狂わせる仕組み。それを持ち出した奴がいたって。

だが、それが使われた形跡がない。

まさか。

階段を見つける。地下に行けるようになっている。

多分だけれど、神代のテクノロジーを用いて、此処を工房として使っていた奴がいるのだろう。

階段をレントが固定したので、タオとクリフォードで地下に潜る。

壁に、びっしりと目が描かれている。

やれやれ。これは。

「此処の作り主は、もう正気を失っていたようですね」

「そうだな。 完全に自分の世界を作り出していたようだ」

「……奧ですね」

「ああ」

これが、宝か。

そう思うと、悲しくなってくる。

最深部は、恐らくヒカリゴケの類だろう。それで灯りが確保されていた。砂漠の地下だというのに。

水もある。

水が浸り浸りと音を立てている其処は。

ドーム状の空間で。

びっしりと壁にも天井にも目が描かれていて。

骨が一人分。

地面で朽ちていた。

服を着ていた形跡が残っている。それを見て、タオが頷く。多分白衣だ。これを作り出して、それで力尽きた。

やれやれ。そうため息をつきたくなる。

中央部に台座みたいなのがあって。

其所に箱が置かれていた。

腕輪を取りだすと、一応つける。

あの「深森」で使ったものだ。

今後も使う可能性があるから、絶対に手放すな。そうライザが、厳しい口調で言っていたっけ。

もしもフィルフサを封じるなら、魔術の防壁では無理で。

幻惑による防壁も必須だから、というのが理由だったか。要するに、封印の本丸には、あの「深森」と同じ仕掛けがしてあるというのが、ライザの主張だった。

ともかく、腕輪を作動させて、箱を手にとる。

箱を丁寧に調べて行くと、タオが聞いてくる。

「どうですか」

「……間違いない。 これに詰まっているのは、あの土だ。 そして恐らくは、生産の具体的な方法も」

箱を開けてみる。

やはり紙と土が入っていた。

紙に書かれた文字を、タオと一緒に解読してみる。

暗号はない。

ただ、其処に刻まれていたのは、怨念だった。

「これこそ、恨み重なるクリント王国を滅ぼすための神の怒りだ。 これを用いて、クリント王国の人間は、一人残らず根絶やしにする。 錬金術師は当たり前だが全員殺す。 女も子供も狂わせて殺す。 男も老人もみんな狂って死ぬのを笑う。 俺の怒りと恨みが全て此処に詰まっている」

殴り書きされた紙。

そして、淡々と描かれた製法。

クリフォードは、こんなものを探し求めていたのかと思って、悲しくなる。

更に言えば、なんとなくこれが見つからなかった理由も分かった。

或いは、この砂漠まで来て。此処までたどり着けた奴は他にもいたのかも知れない。

だけれども。この工房の有様を見て、此処がどういう場所か理解しただろうし。

とてもではないけれど、まっとうな宝が無い事は、すぐに分かったのだろう。

箱を閉じる。

クリフォードは、目を閉じて、外で生け贄にされていた人に黙祷した。

此奴は此奴で、自分なりの苦しみと哀しみがあったのだろう。

古代クリント王国が、どれだけ残虐で悪辣だったかは、クリフォードも理解しているつもりだ。

そのエジキになったのだとしたら、恨み事を並べる資格はあると思う。

だが、その憎悪を現在まで持ち込んで。現在生きている人に向けるのは、筋近いというものだ。

階段を出る。

ライザだけが待っていた。他の人は、この狂った工房の外で、見張りをして貰っているようだった。

「どうだった、クリフォードさん」

「ロマンとは程遠い。 内容は後でまとめておく。 処分は任せる」

「分かりました」

ライザは隠し階段に熱槍を叩き込むと、崩落させてしまう。

ちょっともったいないかと思ったが、あれでいいだろう。

更に、工房を離れると。

クラウディアと一緒に熱槍と魔術矢を叩き込んで、工房を完全に粉砕する。そういえば、贄にされていたらしい人の亡骸は、既に荼毘に葬ったらしい。

それでいいだろう。

崩壊していく遺跡を見て、クリフォードは。あばよとだけ呟いていた。

ロマンは一つなくなった。

だが、ライザ達と冒険をすれば、また幾つでもロマンが見つかる。

今までの人生で、もっともロマンに満ちた時間を今過ごしている。

それだけで。

クリフォードは、充分満足していた。

 

3、蜃気楼の先に

 

探索四日目。

砂漠での過ごし方が、あたしにも少しずつ分かってきた。

強力な魔物を仕留め、そして必要な素材だけ回収して、すぐに離れる。魔物がわっと寄って来て、倒した魔物をがつがつと貪り喰う。

浅ましい姿だろうか。

いや、こんな恐ろしい場所だ。

あれくらい浅ましくないと、生きていけないのだ。

王都の貧民街なんて、此処に比べれば天国も同じ。

残念だけれども、どれだけたくましかろうと。ここでは人間は、そもそも生きていくのが不可能だ。

そんな場所だから、あくまで邪魔させて貰う。

通り過ぎる。

自衛だけする。

そう考えて、行動する。

此処に住むのは不可能。そう考えて動かなければ、一瞬で命が消し飛ぶ。レントくらいの手練れでも、一瞬でやられる。

それくらい、此処は危険な場所なのだ。

「やっぱり、あっちかなあ」

一度水たまりに避難して、そこで話をする。

こういう砂漠の水たまりをオアシスというらしいけれども。どうにも馴染みがない言葉だから、どうにも使う気になれない。

水たまりにいると、巨大な魔物が水を飲みに来る。

あたし達には此処では手を出さない。

それは、魔物の間ではルールになっているらしい。

あたし達も、それを見て、ルールには従う事にする。

こういうルールは、魔物ですら守る必要があるもの。守らないと、とんでもないことになるからだ。

まあどうして守る必要があるのかは、あたしにもだいたいわかる。

こんな場所で争って水場を台無しにしたりしたら、それこそ何もかもが終わりだ。

砂漠に住んでいる生物そのものが全て干上がる。

そうなれば困る。

魔物ですら、それくらいは分かっていると言うことなのだろう。

もしも此処に人間が進出してきたら、恐らくオアシスを巡っての争いになるのは確実である。

つまり人間の方が魔物より頭が悪い事になるが。

それもまた、王都の貴族を見ていると、さもありなんと思ってしまう。

軽く皆と話す。

あっち、とは。

今、其処に里があるのでは無いかと話している方向だ。

其方は不自然な程ワイバーンが多く、更には熱が溜まりやすいようで、蜃気楼が複雑に何重にも重なっている。

熱波をどうにか出来たとしても。

問題はワイバーンである。

かなり大きなワイバーンが、それぞれ縄張りを競っている。

此奴らは、連日戦闘している砂漠の強大な魔物よりも、更に一枚上手の実力者であるのだ。

「行くにしても、覚悟が必要だな。 それに、一回では無理だろうな」

「先に他の場所を探しませんか? 何かの裏道や、隠し道みたいなのがあるかも知れないです」

パティの言葉は弱気に見えるが。

弱気なのではない。

パティは今、必死に本来の統治学について学んでいるようである。

貴族がやっている権力闘争ごっこではない。

どうすれば国をよくする事が出来るのか。

どうすれば国を富ませる事が出来、民の暮らしを安寧に出来るのか。

それを本気で考えて、タオに専門で授業を組んでもらっているようである。

古い時代には、共和制というものがあったそうだ。

民が代表者を選出して、それが統治を行う仕組みだったそうだが。

この仕組みは、混乱期には脆いという欠点がある事。

民が選出する代表者は、結局金持ちになってしまうと言う問題があったことなどもあり。

必ずしも統治に才能がある人間が選出されることはなかったそうだ。

そういう理由もあって、古代クリント王国の頃には、既に過去の制度になり果ててしまった。

今の時代にも、共和制は難しいだろうとタオは言う。

今の時代は、人間が魔物に散々押されている、非常に厳しい時代だ。

だが、だからといって。

血縁での貴族制が、今の時代に即しているとはとても思えない。

何かしらの形で、血縁による世襲制度よりよいものを取り入れられないかとパティは模索しているようで。

その過程で、タオに現実に対してどう対処するかの政治学を学んでいるらしい。

これは、今後アーベルハイムが腐敗しきったロテスヴァッサを改革する事を前提にした勉強であり。

パティが本気で、ロテスヴァッサをどうにかするつもりなのだと言う事が、よく分かる事象だった。

「パティの発言は悪くないと思うけど、現状で五割くらいは調べたんだよね。 高所から見ても、里がありそうな地点は見つからない。 そうなってくると、やはり可能性が高い所を危険覚悟で行くしかないかな」

「ライザ、ちょっといいかしら」

「セリさん」

セリさんが挙手。

珍しいな。そう思って、話を聞く。

セリさんも、少しずつ心を許してくれている。オーレン族が此方の人間に対する恨みを晴らすのは簡単じゃあない。

リラさんだって、相当に時間を掛けて、アンペルさんとの信頼関係を構築していったようだし。

そういう意味では、セリさんはかなり思考が柔軟なのかも知れない。

戦闘時の容赦のなさを見ている限り。

セリさんの場合は、怒らせるとリラさんより怖いかも知れないが。

「それなら、交互に調べて行くのがいいのではないのかしらね。 どうせこの砂漠、全て調べておくのは有益だと思うけれど」

「……それもそうですね」

いずれ、人間が魔物に対して攻勢に転じたとき。

この砂漠の地図があれば、被害を相当に減らす事が出来るはずだ。

勿論それが出来るのは、十世代、十五世代と後の時代になるだろうが。

その時には、今の世襲制ではなくて。

もっとよい仕組みを、政治に導入できているかも知れない。

「よし、じゃあそれでいこう」

「相変わらず決断が早いね」

タオが疲れきった表情で言う。

ともかく、四日目のこの探索。本当に楽ではないのも事実だ。咳払いすると、地図をなぞる。

「今日は、この辺りまで調べるよ」

「了解。 とにかくワイバーンとの戦闘も想定される。 皆、気を付けてくれよ」

レントが念押し。

頷くと、水たまりを離れる。

すぐに荷車の冷気がなければ、あまり長く保たない熱波に包まれる。直射日光も凄まじい。

蜃気楼が、辺りで何度も狂ったように姿を変える。

本当に、何処を歩いているのか、全く分からない。

かなりの近距離ですら、見えているものが当てにならないのである。

クラウディアが常に音魔術を展開。

タオが磁石を見て、方角を常時チェック。

それで、やっと少しずつ、進めていける。

クリフォードさんが、岩山にペンキで何か印をつけていた。かなり特殊なペンキであるらしい。

岩山から剥がれそうにもない。いずれにしても、魔物がやるマーキングと同じである。

同じではあるが、だからこそこう言う場所では意味がある。

少しずつ、移動する。

ワイバーンの殺気を感じる。

殺気なんてものは、基本的に体が発している警告を総合したもの。

つまり、ワイバーンが此方に注意を向けていて危険だと、五感が警告してきていると言う事だ。

「ワイバーンが見ていやがる。 どうする」

「あの大きさだと、戦って無事に済む保証はないぞ」

「分かってる。 それでも、ギリギリまで戦闘は避けるようにして動こう」

「……」

皆、声を殺して移動する。

ほんの数歩進むだけでも、相当な気力を消耗する。それくらい、此処は危険だと言う事である。

無言で歩きながら、少しずつ地図を埋めていく。

目の前にあの水たまりが見えたと思ったが。

だが、少し進むだけで、消えてなくなる。

これは知識がない人間が踏み込んだ時には、絶望感は尋常では無いだろうな。そうあたしは思う。

ほどなく、タオが皆に声を掛けた。

「ここまでだ。 さがるよ」

「一旦は此処までだな。 皆、点呼してくれ!」

レントが点呼をかけ、全員がいる事が分かる。そのままゆっくり後退していき、蜃気楼まみれの危険地点を抜ける。

また水たまりによって、少し休憩。

今まで三箇所水たまりを見つけているが。

基本的に水たまりでしか、魔物は安全にならない。

それも分かっているから、此処では気を抜けるが。

ただ、流石にワニは安全では無いらしいから、気を付けなければいけない。

「タオ、地図はどんな感じ」

「うーん、まだ何とも言えないね。 明日はあっちの……多分何もない辺りを重点的に埋めるんだよね」

「それがいいと思う。 何もないように見えれば、逆に何かあった時に嬉しいしね」

「それもそうか」

タオが疲れきった様子で、タオルで汗を拭う。パティが水を渡して、礼を言ってごくごく飲み干す。

仲が良いことだ。

それに、息もぴったりあっている。

「じゃあ、そろそろ引き上げるよ」

今日はここまでだ。

砂漠に踏み込み初めてから。確実に、強力な魔物と戦う事が増えている。

ただ、こんな強力な魔物が、一朝一夕で育つとも思えない。今倒しておけば、それだけ此処は安全になるかも知れなかった。

 

翌日。

朝早くから砂漠に出て、かなり早い時間には砂漠にたどり着けた。

昨日のうちに更に改良を加え。

荷車周辺を冷やす装置は、更に広範囲を冷やせるようになった。仕組みはそれほど難しくは無い。

ただ動力が問題で。

それを研究しなければならなかった。

「そういえばさ、ライザ」

「うん?」

「古代クリント王国や神代の技術で、分かっていない事があるんだよ」

「そんなんたくさんあるでしょ」

一旦、水たまりまで移動して。

安全を確保しながら、軽く話をする。タオがそういう話を振って来たという事は、周りにも聞いてほしいと言うことだ。

あたしとしては、連中のテクノロジーはともかく。

それ以外は葬るべきだと思っているから、あまり興味は無い。

ただタオは、使えるテクノロジーは全部使うべきだと思っているようだから。それはそれで、色々とあたしだって思うところもある。

其処については、理解は出来るのだ。

「実はさ。 その冷気装置を見ていて思ったんだけれども。 古代クリント王国以前の文明って、どうも動力がよく分からないんだよね」

「確かに水車やらじゃとても足りないよな」

「そうなんだよ。 大気中の魔力でも足りない。 竜脈から力を得ている節もあったんだけれども、それでも足りない」

そうなると長いと判断したのか。

パティが咳払いした。

「それは、後でアトリエで話しましょう、タオさん。 此処は安全地帯ですが、今は時間が……」

「そうだったね。 ありがとう、パティ」

「いえ」

パティも少しずつタオの操縦が上手になってきたな。

そう思って、微笑ましい。

ただ、タオの言葉は少し気になる。

というか、古代クリント王国だけの話じゃあないのだ。

今修理を順番にしている機械類も、いずれも動力がよく分からないものが結構あったりする。

勿論分かっているものもあるのだが。

後付で動力をつけているものも結構多く。

要するに、神代から受け継がれた技術が、どんどん劣化していった時代があったことが、分かってしまうのだ。

あたしだって、神代のそういった動力には興味があるが。

どうにも嫌な予感しかしない。

錬金術は、基本的に才能の学問だ。

神代から見て、今の時代は人間の数が少ない。だから、必然的に才能のある錬金術師が減ったのは分かる。

だけれども、便利なものだったらどんどん研究するはず。

それでいながら、どうして数を減らしていったのか。

何か深い闇があるのではないのか。

そう思えてくる。

砂漠を歩いて調べる。

やがて、岩山が連なる地点が見えてきた。この辺りは、上から跳躍して見る分にはとくに変わったものはなかった。

だから後回しにしていたのだが。

無言で、調査を進めていく。

こういう所にも、何かあるかも知れないからだ。

「止まって!」

クラウディアが声を掛ける。

音魔術で、何か察知したのだろう。前に出ると、クラウディアが矢を放つ。矢が叩き込まれた地点が、どっと崩落して、砂が流れ込んでいく。

うわと、思わず声が出ていた。

「これは……」

「いわゆるクレバスだろうね。 この辺りは、この砂漠でも砂が多めだから、どうしても気付けなかったんだ」

「落ちたらどうなることやら。 ぞっとしねえな」

「ありがとうクラウディア。 ちょっとこの辺り、気を付けて調査しておこう」

皆を急かして、調査を進める。

タオが黙々と地図を埋めていく。その作業はとても手慣れていて、見ていて感心させられる。

無言で地図を埋めて、更にはクレバスについても調べておく。

何度かクラウディアが魔術矢を撃ち込むと、綺麗にクレバスが姿を見せたので、広さや幅なども調べて。

調べ終わった後は、岩を持って来て、砕いて放り込んで。

更に建築用接着剤で固めてしまった。

「徹底してるな……」

「後から来た人が、事故にあわないようにね。 行くよ」

「健脚だな……」

クリフォードさんだって健脚だろうに。

ともかく、どんどん地図を埋めていく。

途中、とんでもなく巨大な走鳥に出くわしたが、正面から撃ち倒す。なんとか倒せたが、やはり激戦だ。

なお肉は非常に硬くて、とてもではないが食べられなかった。

その一方で一部の骨は非常に頑強で、使えそうだ。

解体して、使えそうな内臓や骨などは回収しておく。気が早い小型の魔物が、もう捨てた肉をがっつき始めている。

あたし達にはかなわないと判断したのか、近付いては来ないが。

それでも隙を見せたら、即座に襲いかかってくるだろう。

「よし、もういいかな」

「回収完了。 時間的にもそろそろだね」

「今日は、収穫は無し、ですか」

「いや、そうでもない。 この辺りのクレバスが危険だと分かっただけでも、充分過ぎるよ」

責任を感じているらしいパティに、あたしはそう返しておく。

ともかく、収穫はある。

地図を埋められただけで充分。

此処にはないと言う事がわかっただけでも、それは充分な成果なのだ。

テクノロジーでいうところの、「これでは成立しない」という事が判明する。それは充分に成果だと言う話だ。

それと同じである。

アトリエに戻る。

アトリエでは、全員に靴を脱いで貰って、砂が入っていないか確認する。非常に危ないので、こうして処置はしておく。

靴がしっかり砂を防いでくれて安心するが、服まではそうもいかない。

みな、ちゃんと風呂には入るように話をしてから、解散とする。

いずれにしても、これは簡単に遺跡に辿りつかせてはくれないだろう。

だからこそ。

確実に、一歩ずつ進まなければならないのだ。

 

翌日。

蜃気楼に苦しまされながらも、確実に進む。

五感の内、視覚が狂うものの。あの「深森」の遺跡と違って、五感全てが狂うわけでもない。

ただ此処は、彼処と違って強力な魔物がわんさかいる。

クラウディアが、手を横に。

どうやら、またのようだ。

音は全くしないが、あたしが跳躍すると、それが見えていた。

巨大な百足か。

全身が茶色で、保護色になっている。

全く動かずに、此方を見ている。

完全な待ち伏せ型の捕食者だ。多分牙には、強い毒もあるとみて良いだろう。そして、あたしが跳んだことで、此方に気付いた。

「来るわ!」

「!」

レントが前に出て、壁になるが。全員が、激しく吹っ飛ばされるほどの衝撃がそれでも来る。

とんでもない巨体だ。

岩も砂も吹っ飛ばして、巨大な百足が襲いかかってくる。

この砂漠で暮らしているのだ。

エサなんて簡単には見つからない。だから、相手も必死だと言う事だ。

だからといって、食われてやる理由にはならない。

あたしが空中から、多数の熱槍を叩き込む。百足の長い体に直撃する。百足は確かとても生命力が強いが、その一方で熱には弱いはずだ。

この砂漠で暮らしているのだ。

通常種の百足よりも遙かに熱には強いはずだが。

それでも、熱を嫌がるのは確定とみて良い。

炸裂した熱槍が、辺りの熱を更に上げる。案の定。百足が凄まじい声を上げて、一気にさがる。

分が悪いと判断したのか。

いや、そんな判断力はなく。

単に本能で、危険だと思ったのかも知れない。

着地。

百足は。

クラウディアが叫ぶ。

「壁を展開して! まだ諦めてない!」

「仕方がない」

セリさんが地面に手を突くと、岩石砂漠の地面を吹き飛ばすようにして、巨大な覇王樹が飛び出してくる。

その覇王樹に、百足が吐き出したらしい猛毒が付着。

じゅうじゅうと音を立てた。

直撃したら、どうなるか知れたものじゃない。とにかくさがる。まともに此処で戦うのは危険すぎる。

パティの手を引く。視覚が狂うから、どうしても間違いそうになる人は出る。クリフォードさんが跳躍して、ブーメランを投擲。

がつんがつんと音がして、それが岩に当たったものだと判断。

ある程度の位置を理解したので、そのまま荷車を引いて逃げる。

蜃気楼が非常に濃い地点を抜ける。

あたしはそのまま、大量の熱槍を展開。文字通りの飽和攻撃で、百足がいる方向に叩き込む。

凄まじい熱風を、レントが剛剣一閃。

吹っ飛ばしていた。

流石だな。パワーだけなら、もう皆の中で確実にトップだ。

いずれにしても、百足が完全に熱の中で荒れ狂っている。毒をまき散らしているのも、あたし達に向けてじゃない。

苦しんで、手当たり次第という風情だ。

とにかく距離を取る。あたしはだめ押しに熱槍を更に叩き込んでおく。

これは殺しあいだ。

相手に掛ける情けはない。

ましてや相手は此方を殺しに来ているのだ。

余計に情けなど掛けてはいられない。

百足も、五感はおかしくなるらしい。それ以上に、想像以上の凄まじい熱波に焼かれて、体が機能不全を起こしているのだろう。

蜃気楼の向こうで、時々巨大な百足が、びたんびたんと苦しんで跳ねているのが見えたが。

もしも餌になったら、ああなったのはあたし達だ。

砂漠では、エサを求めて体を大型化させ。

捕まえた獲物は、絶対に逃がさないようにどんな生物も体を工夫している。

そんな場所での事だ。

残酷に見えるかも知れないが、あれは仕方が無い事だ。

しばしして。

百足が完全に動かなくなるのを確認。

そのまま、今度は冷気の熱槍を放って温度を冷やし、様子を見に行く。死んだフリをしている可能性もあるが。

百足の生命力は既に尽きていて。

死んでいるのが、触ってみて分かった。

表皮は、それほど硬くは無い。それよりも、頭を切り離して、毒腺を取りだす。皆に手伝って貰って、毒腺を取りだすが。巨大な毒袋の中に、凄まじい濃度の毒がたっぷり入っていた。

肉も皮も使えそうにない。

ただ、頭の中にあった魔力の塊は使えそうだ。

今の時代は、どんな魔物も魔術を使う。

この百足も、例外では無かったのだろう。これは、大事に使わせて貰う事にする。

牙は、思ったほど硬くないようだ。

これは使えない。

場合によっては切り取って何かの道具に出来るかと思ったのだが。柔らかいので、余り役には立てない。

嘆息するあたし。

無駄になる部分が多いと、殺生したことに心が痛む。

クリフォードさんが解説してくれる。

「サソリもそうだが、百足の装甲はそれほど硬くはねえんだ」

「そのようですね。 大型のサソリの魔物はいるんですか」

「いる。 だが、見かけよりもずっと弱いな。 動きは鈍いし、何よりも装甲が柔らかいからな」

勿論不意を突かれて毒針を刺されたら助からないそうだが。

それならば、同じ大きさでも動く時は雷霆のような速度の毒蛇の魔物や、毒はなくとも強力な咬合力で噛まれたら食い千切られる覚悟をしなければならないワニの方が余程危険だそうである。

頷いて、覚えておく。

死骸の内、回収出来る部分を取り外すと。

後は、小型から中型の魔物が、百足の死体を漁り、食い尽くしていく。それを、じっとあたしは見つめた。

生きるための戦いが、此処では加速している。

その結果、此処の生物は。

きっと、他と協力する事すら出来ない。

恐らくだけれども。良くリアリストを自称する人間が口にするような現実主義を突き詰めると、こういう砂漠みたいな光景になる。

あたしは、欲求とかが他の人間とはだいぶずれてしまっているけれど。

この砂漠を、世界中に拡げるつもりは無い。

ただ、恐らくだが。

古代クリント王国の連中は、自分達の凶行を正当化するために、何かしらの理屈を使っていたはず。

自分は正しいという思考の先も、こういう砂漠があるとみて良いだろう。

此処は、厳しい環境。

だから、そうでないと生きていけない。

ただひたすらに、死者を貪り尽くす魔物達の様子をもう一度だけ一瞥して。

後は。去ることにした。

これは、繰り返してはいけないことだ。

人が、「知的生命体」だというのなら。

これと同じになってはいけない。

あたしは、つくづくそう思う。

そしてあたしには責任がある。

こうは、絶対にさせてはならない。見ていて、何度もそう誓わされるのだった。

 

4、表と裏

 

クラウディアは酒を既に嗜むようになっているが、飲酒量は極めて少ない。今は、である。

ライザと一緒にいる時は、楽しくて仕方がない。

それが、どれだけ危険な冒険の間でも、同じ事だ。

砂漠から戻ってきて、アトリエでミーティングを終えて。

バレンツ商会に戻って来てから、風呂に入る。

使用人は何人かいるが、全員まとめてフロディアの足下にも及ばない。

例のメイドの一族が、人員を派遣しようかと言ってきている。それについても、前向きに考えたくなるほどだ。

風呂に入るときは、使用人の手は借りない。

やはり鋭い砂が衣服の彼方此方に付着していて、それを除去するのが大変だ。ライザが危険だから気を付けてと言っていたが、時々肌を切ってしまう。その度に、貰っている薬をねじ込んで、すぐに直さなければならなかった。

風呂に入って疲れを取る。

しばらくはぼんやりとして、その後は寝るまで執務だ。

少し前までは、愚かな貴族達の残務整理で、本当に忙しかった。

王都という井戸を出てしまえば、ロテスヴァッサの貴族なんてただのカエルに等しく。皆、のたれ死ぬのは確実だ。

何人かは恥を捨てて泣きついて来たが、最低限の世話だけしかしない。

連中は、バレンツの事を見下していたし。

貴族以外の人間の事を人間だとも思っていなかった。そんな連中の世話などする理由が何処にあろうか。

いずれにしても、資産を整理した後は。

バレンツにも、少し平穏が戻って来た。

世界のダニが少し消えた。

それだけでも、可としなければならない。

少しだけワインを嗜みながら、残務を片付ける。

ライザには見せない裏の顔だ。

あのクーケン島の冒険を経て、クラウディアは幾つもの商談を行い。それで人間がどれだけ醜いかよく分かった。

大きな金が動く商談ほど、騙された方が悪いという理屈で人間は動く。

そういう連中を如何にして排除するか。

それがクラウディアの当面の目的となった。

音魔術を更に磨いたのもそれが理由で。

相手が嘘をついているか、音魔術で今では手に取るように分かる。

どれだけ嘘が巧みな人間でも、クラウディアの前ではそれを通せない。

だから、今では。

クラウディアは、白の魔女とか言われて。商人の間では怖れられているらしかった。

どうでもいいことだ。

書類を処理していると、またか。

父であるルベルトから、また縁談の話が来ている。

相手はどうでもいい青びょうたんだ。

せめてライザくらいの活力と甲斐性がないと話にもならない。

即座にお断りの手紙を出しておく。

こういうのは、クラウディアの財産が目当てか、そうでなければ体が目当てだ。

男というのはそういう要素がどうしてもあるのは分かっているが。

だったら、せめて相応の活力なり甲斐性なりを見せて欲しい。

エネルギッシュに世界の危機に立ち向かっているライザを見ると。

生半可な男なんて、ゴミかカスにしか見えないし。

ましてや会食の時に口説いてくるような男なんて。

蠅か何かとしか思えなかった。

ため息をつくと、決済を続ける。

そして適当な時間で休む。

一段落した事もある。

今日は、それほど疲れは溜まっていないし。しっかり眠れるだろう。

だが、急な事態が起きて、夜中に叩き起こされることはどうしてもある。

だから、そういうときに備えて深酒はしない。

ライザは相変わらず天真爛漫だと思っていてくれるかも知れないが。

もうとっくに。

クラウディアは、この腐った社会に染まっているし。

それを自覚もしていた。

 

朝、起きだす。

朝の業務をさっさと済ませる。更には、バレンツの商人達と、朝のミーティングを軽く行う。

ライザとのミーティングの前にこれをやっているから。

朝一番に、ライザの所にいけない。

それがまた、クラウディアとしてはもどかしい。

いつも朝一番にパティが行っているのを知っている。

あの子は極めて真面目で、それで誠実だ。自分の力を高めることにも、本当に真摯だ。

だからこそ、時々苛つかされる。

あの子はクラウディアがこの三年でうしなったものをみんなもっているような気がする。

だけれども。今後更に厳しい世界にあの子は進む。

ライザは、腐った場合は首を貰うという条件で、正直になれる薬を作って渡したそうである。

それを。

三年前、私も欲しかったな。

クラウディアは、そう思って。

今、とても悔しい思いを時々しているのだった。

ドス黒いもやもやが、どうしてもある。

大人だったら、それがあるのは当たり前だと言う事も分かっている。

自分から見たら戦闘力もずっとおとり、経験だって足りない子供を相手に嫉妬している自分が情けない事だって分かっている。

だけれども、クラウディアはそこまで上手に感情を制御出来なかった。

だから、時々夜に酒を飲んで。

それで、発散している。

誰にも言えない事だ。

きっと、墓まで持っていくことになるだろう。

朝の業務を終えたので、ライザの所に出向く。

案の定。パティが既に来ていた。

気付いているだろうか。

理屈をつけて、菓子を持ってきていることに。ライザは菓子を持っていくと、ぱっと明るい顔になる。

それが見たくて、クラウディアは菓子を作っている。

勿論、ドス黒い考えもあるが。

レント君やタオ君の事は大事な仲間だと思っている。

ボオス君もそうだ。

クリフォードさんは今では信頼しているし、セリさんだってそれは同じ。

リラさんは戦闘の師匠として本気で尊敬しているし。アンペルさんだって、錬金術師という欲望に飲まれやすい仕事をしていながら。他と違って、ついに欲望に飲まれなかった事を凄いとも思っている。

ドス黒い自分がいると同時に。

皆と本気で仲間だと思っている自分もいる。

どっちも本当のクラウディアだ。

だからこそに、クラウディアはいつも悩みが消えないのだった。

「んー、絶品だね!」

「一応たしなみとして菓子はたまに焼くんですが、素材も新鮮ではないし、何より此処までの技量はとても……」

「ふふ、趣味だから上達するんだよ。 パティさんも、趣味にしてみて」

「……分かりました。 むしろそのくらい気を抜いた方が、上達が早いのかも知れないですね」

まあ、追いつくことは出来ないだろう。

パティが使っているのは、壊れかけの神代技術のオーブンだ。これは既に見て確認しているが、細かい焼成の時の温度などが調整し切れていない。ライザが手を入れて直すかも知れないが。

クラウディアは釜の温度を音魔術で確認して、それで焼成などを完璧に仕上げている。

これも散々工夫して、温度を音魔術で測る方法とかを編み出したのだ。

今では勘では無く、論理的に菓子作りをしていて。

そしてクラウディアは、それが故に。菓子作りでは、誰にも負けるつもりは無い。

暗い笑みが浮かんできそうになるが。

同時に、菓子を喜んでくれるライザを見ていると、それで単純に嬉しくもなる。

そんな二面を持つ自分を。

クラウディアは、嫌いになりはじめているのかも知れなかった。

 

(続)