毒竜強襲
序、最後の一人に
クリフォードさんに時間を作ってもらう。
既にパティとセリさんには事情を話した。フィルフサとの交戦の可能性について。
故にクリフォードさんにも、同じ事を話しておかなければならないからだ。
既にクリフォードさんを信頼出来ると判断した。故に話す。もしこれで裏切るようなら殺す。
それだけの事である。
アトリエで、二人で話す。
フィーもいるが、まあこれは人数に数えなくて良いだろう。
「それで、話というのは」
「封印されているものの正体についてです」
「だいたい見当はついている雰囲気はあったな。 それで、一体何なんだ。 あんたがこれほど必死になる程のものだ。 多分ろくでもない代物なんだろう」
「はい」
あたしとしても。
これは見過ごすことが出来ないものだ。
ロテスヴァッサ王国については、いずれ時間を掛けて潰れてしまえと思う。今の王族の無能は、百年前からまるで変わっていない。
アンペルさんの片腕をつぶし。
錬金術師としての生命を半分終わらせ。
何より、不老の秘密を解こうとして、実験動物くらいにしか考えていなかった連中。
それは今でもまったく変わっていない。
だけれども、王都には普通の人もたくさん暮らしている。
そういう人は守らなければならないし。
何より魔物に押される一方の今である。
三十万に達する人間が、鏖殺されるのを黙認は出来ないのだ。
「門というものを聞いたことは」
「門……ちょっと分からないな」
「この世界には、隣接した世界があります。 その世界の名前はオーリム。 セリさんや、リラさんのいた場所です」
「!」
クリフォードさんも、セリさんについては違和感を感じていたのだろう。
まあそれはそうだ。
爪の生え方とか、手の造りが人間と違う。
羽毛みたいなのも生えている。
何より、能力が高すぎる。
オーレン族は、此方の世界の人間に比べて、あらゆるスペックが図抜けて高いのである。その代わり、数が少なく、繁殖力もとても弱い。
「そのオーリムは、今極めて危険な魔物によって蹂躙され、殆どの土地を占領されています。 その魔物の名前はフィルフサ」
「フィルフサだって……」
「聞いた事がありますか」
「前に調べた遺跡で、そんな名前を見たことがある。 古い時代の本に危険極まりない存在として書かれていてな。 ただ類例を見た事が俺もなかったから、神話の時代の何かの伝承上の存在だと思っていた。 実在していたのか……」
頷く。
そしてあたしは話す。
三年前に。そのフィルフサと戦った事。
フィルフサの特徴も。
とにかく、此方の世界にフィルフサを来させたら終わりだ。その時点でこの世界は終わる。
故に、門は閉じるか、或いは管理できる状態にしなければならない。
今、調べている封印は、門をそのまま封じ込んでいる可能性が高い。
そして封印が解ければ。
下手をすれば、開いた門から、フィルフサが天文学的な数、此方に攻めこんでくる事になるのだ。
「なるほど。 それを俺に話してくれたと言う事は、俺を信頼してくれたという事なんだな」
「はい。 今までの行動を見て、信頼するに値すると判断しました」
「……そうか。 ありがたいねえ」
「これからも協力してくれますか」
クリフォードさんは胸に手を当てる。
そして、頷いていた。
最敬礼だ。
「俺は結局の所、趣味に生きる無頼の徒だ。 それでもこんな戦いに加えてくれたことを、誇りに思う。 ロマン以前に、こんな大きなプロジェクトに関われるのは本当に嬉しい事だ。 是非協力させてくれ」
「門については、封印を守れている間に、どうにか閉じる予定です。 その過程で、フィルフサと戦う事になるかもしれません」
「上等。 任せてくれ」
「……ありがとう。 感謝します」
ぐっと、握手をかわす。
これで、皆の息が揃った事になる。
此処からは。
最大の問題である封印の場所の確認。
そして、封印の状態の確認。出来れば、封印そのものの強化。
更には、門を発見できたなら、迅速な処理。
その全てをしなければならない。
明日には、ピストン輸送している荷物が、全てアトリエに届くことになる。
本の解読に戻ったクリフォードさんを見送ると。
あたしは、まずは作るものは先に作っておく。
パティに頼まれたお薬。
これは、出来れば作りたくは無かったのだが。
それでも作っておくべきだろう。
最初偽薬効果を考えて、適当な薬を作る事も考えたが。パティは賢いので、多分飲んですぐに気付く筈だ。
それもあるから、しっかり作る必要がある。
それに、だ。
もしも門が開放されてしまい、初期消火に失敗した場合は、アーベルハイムを中心に、時間稼ぎをして貰う必要がある。
その時の為にも。
余計ないざこざは、出来るだけ減らさなければならないのだ。
忙しい。
持ち帰った日記の解読もある。
解読については、少しずつパターンが読めてきたので、後は辞書を片手にどうにか出来そうだ。
幸い、それほど文章量は多くは無いのである。
それにしても、「不死の魔女」とまで言われる人物で。
死体から魔石を作るような事を考えるような人間だ。
どんな錬金術師だったのか。
それにはちょっとだけ興味もある。
「霊墓」では、なんだかロマンチックな残留思念を見たような気もするが。
そんなもの、誰だって恋愛ごっこはすると言うだけの話だ。
あたしはどうにもそういうのは興味が持てないし。
淡々と解読して行くだけだ。
少しずつ暗号が理解出来始めた。日常的な話も、日記に少しずつ記されているのが分かる。
素材の確保に苦労しているという文章の後に、専門用語がずらっと並んでいるのには辟易した。
錬金術師としての苦労は同じなんだなとは思ったが。
此奴も古代クリント王国の錬金術師と同じ穴の狢だった可能性がある。
どうしても、警戒してしまう。
黙々と解読をしていると、どうしても詰まる。
そういうときに、パティの薬の調合をしておく。
効果時間は四半刻もあればいいだろう。
飲んでから四半刻で効果を発揮するようにする。
この手の精神に関係する薬は非常に危険なので、調合には注意がいる。
そもそも飲む人間の年齢、体重、体格なども考慮しなければならないし。
薬には基本的に後遺症が出るようなものもある。
それを考えながら、調合をしていくと。
暗号でたまったストレスも、少しずつ薄れる。
「フィー?」
「ありがとうね、フィー。 あとでごはんあげるからね」
「フィー!」
フィーが心配しているのが分かるので、声は掛ける。
調合を続ける。
まあ薬は作り慣れている。
やがて、調合は完了。
錠剤にした。
それほど大きくもないので、水と一緒に飲めば良い。一度しか使わないから、一錠で充分だろう。
薬をしまうと、暗号解読に戻る。
外で誰かが喧嘩しているのが聞こえるが。すぐに鎮圧されたようだ。
声からして、鎮圧したのはあの義賊の三人組らしい。
ちゃんと仕事をしているんだな。
そう思って苦笑。
王都の警備は優秀、か。
王都の内部ですらまともに警備できないのは、初日にスリに狙われて良く知っている。だから、アーベルハイム卿がああいう不思議な三人組の力まで必要としているのだが。
それも、自分の金さえ大丈夫ならどうでもいい貴族達には、すこぶるどうでもいい事なのだろう。
他人事になると人間は恐ろしく冷たくなる。
それをあたしは、良く知っていた。
暗号解読を進めていく。
どうやら不死の魔女という人物は、定期的に薬を飲むことで長寿を維持していたらしく。しかもその薬の副作用がかなり強い毒だったようで、体は弱かったようだ。
それでも百三十年ほどは生きたようだから。
人間としては限界を超えているし。
その間頭も鈍らなかったのだとしたら、それはそれで選択肢の一つだったのだろう。
不老不死については、ほぼ確定で神代の技術とみていい。
古代クリント王国の前の話なのだから。
あたしもアンチエイジングの知識はあるが、内容については見て覚えておく。なるほど、こういうアプローチもあるのか。
そう思わされる。
その一方で、やはりというか。非人道的な実験もかなりやっているようだった。
遺跡全域に展開されている危険な結界については、遺跡で見つけた多数の骨の元だった人達を使って、試験をしていたらしい。
骨の元だった人達は、各地で捕まえてきた奴隷だったようだ。
敵対国の人間というような事は書いているが。
実際にはどうだったのやら。
今のロテスヴァッサのように、不安定な都市国家が林立するような状態だったのだとしたら。
文字通り人間狩りをしたり。
奴隷商人が、各地で二束三文で売り飛ばされた人減らしのための子供なんかを扱っていた可能性も高い。
そういう人間は基本的に悲惨な人生を送るしかなかったが。
それでも、あんな五感が狂うシステムの実験台にされて、死ぬような事をしたのだろうか。
この世に神様なんていない。
それはあたしはなんとなく分かっている。
仮にいるとしても、それは恐らく人間に対して興味なんか持っていないだろう。
少なくとも、不幸な目に会っている末端の人間に手をさしのべる事はない。
それにしても、これは少しばかり酷いのではないのか。
不死の魔女の日記を解読しながら思う。
実験体の番号と、どうやって死んだのか。
どうやってシステムの改良をしたのか。
そんな事が淡々と書かれている。
キビスビスを作り出す植物の品種改良についても記録がある。
どうやら神代の頃からある植物を改良したというような記述があることから。
或いは神代の頃に、オーリムから回収してきた植物だったのかも知れない。
いずれにしても、迷惑な話だ。
気になる記述がある。
「これはどういうことなんだろう……」
「フィー?」
「うん。 ちょっと気になる所があってね」
つい口に出してしまう。フィーは側で小首を傾げて。それが随分と気分転換になってくれる。
調合中に独り言が多くなる錬金術師はそれなりにいるとアンペルさんは言っていたっけ。
あたしもいずれ、そうなるのかも知れなかった。
気になったのは、封印についてだ。
封印されたものと、激しく戦いながら、どうにか抑え込んでいた事については記録が残っている。
それは別にいい。
だが、その前だ。
その前に、とんでもない災厄があった、というような記載がある。
なんだろう。
少なくとも、フィルフサが封印されているもので。
それが大挙して攻めこんできたのなら、神代の頃のテクノロジーがある人間でも、簡単に押し返すことはできなかったはずだ。
初期消火には少なくとも成功している筈で。
まああくまで相手がフィルフサだった場合ではあるのだが。
いずれにしても、フィルフサが此方の世界に定着するような事態は避けている筈である。
だとすると、災厄とはなんだ。
これについてはちょっと分からない。
分からない所は、メモをしておく。
いずれ分かるかも知れないからだ。
黙々と解読を進めていると、フィーがあたしの頬に顔をすりつける。
そうか、時間か。
もうすっかり夜中だ。
解読を切り上げると、後は風呂に行って、寝る事にする。
風呂も大衆浴場を使うが、これについてもすっかり慣れた。
色々と分からない事は多い。
それでも、クリフォードさんと秘密も共有して。今作戦に参加している皆が、秘密を共有したことになる。
それが、一体感を強くしたと思う。
裏切る人間は多分いない。
それで充分だと思うし。
後は、封印の場所と状態を確認して。
場合によっては、門を閉じるだけだ。
それは大変な事だと分かっているが、それでも目的がしっかりしただけで、随分と気持ちは楽になる。
おかげで随分とすっきり眠る事が出来た。
翌朝。
朝一番に来たパティに、薬を渡しておく。パティも頷くと、周囲を見回してから、受け取っていた。
マニュアルも渡しておく。
ちょっとあたしの字は癖が強いらしいが、言い聞かせておく。
「しっかり読んでから服用してね。 何度もいうけれど、精神に作用する薬は、とても危険なの」
「はい、分かっています。 錬金術のものではありませんが、怪しい薬を飲んで体をおかしくした人の話はたくさん聞いています」
「貴族がそんな薬を飲むの?」
「不老不死とかそういう目的で……」
ああ、なるほどね。
それは納得だ。
金を先祖から受け継いで、やりたい放題をしていても、更に長い間生きたいと考えるわけだ。
だが不老不死に手を出して、寿命を縮めてしまうのでは無意味だ。
あたしもアンチエイジングはするつもりだが。
それは錬金術が、今後これ以上世界に迷惑を掛けるのを防ぐため。
ともかくこの世界には、錬金術師が残した負の遺産が多すぎるし。
それはオーリムも同じ事。
あたしの後を継ぐ錬金術師がきちんと育つ保証も無い。
多分だけれども、錬金術の力はあまりに大きすぎるのだ。
だから欲が強い人間が触れると、たちまち取り込まれてしまう。そして悪魔よりタチが悪い存在になる。
神代からずっとそうだったのだろう。
あたしはたまたまそうではなかった。アンペルさんがお墨付きをくれるくらいだ。それはあたしの誇りでもある。
だけれども、後の錬金術師は、多分このままだとなんどでも同じ過ちを繰り返す。
思想の違い云々の話ではない。
魔物に押され放題のこの世界の現実と。
フィルフサに滅ぼされかけているオーリムの現実。
その双方の問題である。
「いずれにしても、効果が強い薬だから、あたしも立ち会うよ。 ただ、直接側でではないけれど」
「助かります。 私も、ライザさんが近くで控えてくれていると、それで気がだいぶ楽になります」
「信頼してくれている?」
「はい。 ライザさんはちょっとがさつなところもあると思いますけれど、とても頼りになる戦士で、この時代最高の豪傑だと思います」
ちょっとそのパティの言い方は気になるが。
まあ、信頼してくれているのは事実だろう。
それならばいい。
皆が集まってから、ミーティングをする。
あたしは、解読した日記の要点を説明。
とりあえず、恐らくはあの森の危険な要素の解析は出来たと思う。後は現地で確認して、対策装備を作るだけだ。
タオも頷くと、クリフォードさんと一緒にまとめた資料を出してくる。
「分厚いな」
「多分だけれども、あの遺跡がやはり封印の本丸なんだよ。 資料を見る限り、「北の里」というのは、この地にあった国に属していない独立の集落だったのだと思う」
「それはまた、面白い話だな」
「当時からワイバーンが多かったのもあるんだけれども、そもそもエンシェントドラゴンが守護として北の里にいたらしいんだ」
なるほど、それで抑止力になっていたのか。
古代クリント王国は、ドラゴンを兵器化していた。
それについては、あたしも現物をみた。
だから、ドラゴン程度はなんでもなかったのだろう。
だが、エンシェントドラゴンとなるとどうか。
精霊王も行使していたようだが、それも複雑な手順を経ての話だ。結構な手間暇と犠牲を掛けたはず。
しかるべき人間が、エンシェントドラゴンとともに守りを固めれば。
それだけで、充分に今の何十倍も人間がいた時代の国家相手にも、渡り合えたのかもしれない。
頷くと、続きを促す。
今日は、遺跡では最終チェックをするだけだ。
今の状態では、遺跡の中心部分には入れない。危険すぎる。更にガーディアンが此方を狙っている事を考えると、更に危険度は増す。
これをクリアして、ガーディアンを仕留めてから、羅針盤を用いる。
そのためには。
徹底的に準備をしなければならなかった。
1、最後の防壁
遺跡に移動しながら、頭の中で反芻する。
タオが要点をまとめてくれた。
それは、あたしも把握しておかなければならない。
あの遺跡は、封印の本丸だったことはやはり確定。研究の中心が彼処で行われ、他に配置された封印。つまり八角錐のあの魔石の塊も、最初はあの遺跡で作られたらしい。例外的に霊墓でも一つ作られたようだが。それは最後にだめ押しとして作り出されたものだったようだ。
一つの封印のための魔石を作る為に、大量の人間の死体が必要になった。
それは主にアーミー同士が戦争をした場所の古戦場で集められたようだが。要するにそれだけ頻繁に殺し合いがあったという事である。
タオは仮説を述べていた。
当時は人間が逆に多すぎたのではないのだろうか、と。
今のこの世界には、人間が多くて数百万人だという話は、あたしも聞いた事がある。王都に三十万。サルドニカは確かまだ十万程度だと聞く。
それ以外の都市に分散している人間を合計しても、どんなに頑張っても六百万……多めに見繕っても七百万程度というのがタオの結論で。
その数十倍というと、億の大台に届いていたのだろう。
だが、この世界の資源の量。
生産出来る食糧。
それらから考えると、とてもそんな人間は養えない。
本来だったらもっと養えるそうだが。
そもそも当時も富の不公正というのが起きていて。それで人々の食糧も生活も、極めて不公正だった可能性が高い。
クーケン島の事を思い出す。
あたしが見た感応夢で、古代クリント王国の錬金術師どもは、奴隷化した人々を文字通り使い潰していた。
その骨が、たくさん島の地下に放り捨てられていた。
あの有様を見る限り、タオの言葉は真実だろう。
あたしは、何もそれについて反論する言葉がなかった。
遺跡に走る。
もう雨は殆ど降っていない。たまに小雨が降るくらい。
セリさんが眠らせてくれたあの植物だって、いずれ活動を再開する。そうなると、今とは比較にならない量のキビスビスが撒かれる。
そうなれば、探索どころではなくなる。
今のうちに調査を進めなければならないだろう。
大量の屍から作られた封印。
それがもってくれることを、祈るしかない今。
悔しくてならない。
さっさと場所を突き止めて、根本的な解決をしなければならないが。
今より遙かにテクノロジーが進んでいて。
人間もたくさんいた時代。
封印するしかできなかった代物だ。
厳しい戦いは、それはそれで覚悟しなければならないだろう。
わかっている。
だけれども、今のこの面子なら、大概の相手には勝てる。エンシェントドラゴン相手でも勝てる。
だから、油断さえしなければ大丈夫だ。
あたしはそう思って、ただ走る。
危険ラインに到達。
皆が腕輪をチェック。
地面はドロドロにぬかるんでいるが、この辺りは魔物も殆ど来ないらしく、汚物の類はほぼ無い。
ただ腐葉土が不衛生なのは事実なので、それは気を付けなければならない。
虫すらいない森の中。
皆で固まって移動する
五感が狂う森だ。非常に危険性が高い。何かないかぎり、荷車から手を離さないように。それも徹底してある。
歴戦の戦士だろうが学者以上の知恵者だろうが大魔術師だろうが。
五感が狂ったらどうにもならないのだ。
だから、慎重にいく。
口数も減る。
ついでに、雑念も殆ど無くなった。
やがて、目的の地点に到達。
あたしが取りだしたのは、あかい大きな宝石だ。コレを使って、ちょっと調べておきたい事がある。
この宝石は、大量の魔力を封じ込んだ特別製だ。
錬金術では、宝石を作るのは実の所難しく無い。
トーマス卿に時々納品しているのだが、そのたびに大金を貰っている。こんなんでもらっていいのか。こんなものにこんな金が動くのか。そう呆れる。
ただ。宝石そのものは魔術媒体として有用だ。
この赤いのはルビーというらしいが。
このルビーの中には、魔法陣が仕込んであって。今まで防御することを可能とした「防壁」の危険度を計測できる。
今は、透明だが。
クリフォードさんに、紐に結びつけてもらって、投擲して貰う。
遺跡の中心部にある墳丘の近くまで。
多分ガーディアンとやりあうとしたら、あの辺りだ。どれくらい危険かを、確認しておく必要がある。
宝石を引っ張って、回収。
あたしは、うえっと声が出ていた。
「ざっと七倍か……」
「ライザさん、それって……」
「危険ラインから、五感が狂うようになってたでしょ。 この辺りは危険ラインの三倍くらい危ない状態になってる。 そしてあの中心部分あたりは、この辺りに比べて更に七倍くらい、五感を狂わせてくる。 足を運んだら、一瞬で発狂して死ぬね」
「ひえ……」
パティがそんな声を漏らしていた。
レントが警戒してくれている。
そんな危険な場所で平気な顔をしているガーディアンが、こっちに来るかも知れない。ガーディアンは、しかも恐らくは生物だろう事が分かっている。
タオが解析した資料によると。
元々この森には、比較的大人しい魔物が住んでいたそうだ。大人しいと言っても魔物は魔物。
人間より余程強かったそうだが。
その魔物を追い出して、毒竜を連れてきた。
毒竜と言ってもぴんと来ないが、バシリスクではないかとクリフォードさんは付け加えていた。
可能性はあるだろう。
強烈な毒を扱う生物が、自身も毒に強いわけではない。
例えば毒蛇は、同種の毒蛇に噛まれるとひとたまりもなく死んでしまう。
だがバシリスクの場合はどうも違うらしく。
元々周囲にある毒をどんどん取り込んで体内に圧縮させていき。危険地域に住んでいる奴は、むしろ積極的に周囲の毒を取り込んで、自身の力にしていくという。
バシリスクは毒竜なんて言われるが、実際にはドラゴンとは違う種類の生物らしいのだけれども。
古代クリント王国より更に前の時代の人間の言葉だ。
そもそもバシリスクである保証はない。
本当にドラゴンかも知れない。
だとすると、文字通り魔物の王である。
毒に対する耐性がどれくらいあるかは分からないし。本当に総力戦になる。
この遺跡を守っている防壁も平気だとすると。
下手をすると、更にそれを自在にあやつる可能性すら、考慮しなければいけないだろう。それくらい危険な相手だ。
「よし。 それが分かれば充分だな。 一度撤退するぞ」
「うん。 戻ってすぐに対策装備を作る」
「でもライザ、大丈夫なの?」
「……恐らく封印が行われている場所にも、此処と同じ仕掛けが施されていると思うから、どの道作らないと駄目だし。 それにしても七倍か……」
ちょっと過剰な防壁だ。
フィルフサが相手だとすると、どれだけ過剰でも足りないくらいだが。
それでもちょっと度が過ぎている。
いずれにしても、ギリギリ耐えられる、くらいでは意味がない。
古代クリント王国の錬金術師が攻めてきても突破出来ないようにする目的で作られた防壁だったら。
相当な強度になっている筈だ。
最低でも十倍。
いや、十二倍くらいまで、耐性を上げないと厳しいだろう。
とにかくアトリエに戻る。
今の腕輪を更に更に強化しないといけないが、それについては考えがある。問題は行動を阻害しないようにすること。
今回は、まだいい。
もしも封印されているのがフィルフサだった場合、つまりあのフィルフサ相手に、雨がない状態でやりあう可能性が生じてくる。
あたしもあれから戦力を挙げているが、基本的に魔術は通じないと判断するべきだ。
勿論現地の地形をうまく生かして、水をたたき込めればいいのだが。そうもいかないだろう。
楽観を中心に、戦略を組むべきじゃあない。
何度も叩き込まれた事だ。
アトリエまで戻って、其処で一旦解散する。昼少し前だから、かなり早いが。そもそもこれは仕方が無い。
とにかく、明日まで集中して調合をする。
かなり厳しいので、栄養剤を準備しておいた。
調合の準備を進めていると、パティが咳払い。
パティだけ、残っていた。
「あの、ライザさん」
「どうしたの?」
「お父様のスケジュールを確認しました。 明日の朝はいるようです」
「朝一番に仕掛けるの?」
それはまた。
確かにヴォルカーさんも寝起きだろうけれども。それでも流石にちょっとこれは。
まあパティも純粋戦士だ。
こういう所でしっかり勝つための計算は出来ると言う事なのだろう。未来が頼もしい。もしもパティがアーベルハイムを掌握して、タオがブレインになったら。きっとこの国は、多少はマシになるだろう。
王族なんぞいらない。
「その、朝一番に、邸宅の外で待機していてくれませんか。 薬の効果がどれくらいあるか、ちょっと分からないので……不安でして」
「分かった。 それにしても大胆だね……」
「実はお父様、タオさんの家庭教師も一旦取りやめにすると言い出していて……」
ああなるほど。
それは確かに、パティには死活問題か。
苦笑い。
「分かった。 じゃあ、ミーティングの前に片付けようね」
「はい。 こればかりは、絶対に出来るだけ早く片付けないといけないですから」
「分かった。 じゃあ、武運を祈るよ」
「はいっ!」
胸に手を当てて、パティは最敬礼するので、同じようにして返す。
皆、少しずつ確実に進んでいるな。
あたしももたついてはいられない。
ともかく、調合だ。
体を。
特に五感の中枢となっている脳と脊髄を守るように、上半身を中心にして守りを固めていく。
恐らくだが、遺跡の中心は。キビスビスなどが水で流れないようになんらかの処置をした上に。
主に地下などに工夫をして。対魔装甲などでも防げないような仕組みの五感を狂わせるシステムを構築。
増幅に増幅を重ねて、侵入者を防ぐようにしているのだろう。
この辺りは。高度テクノロジーを使っていても、結局はパワーがものを言うということである。
この間直した機械が、過剰な力が出る動力だったように。
今の時代に失われている人間のテクノロジーは多分パワー主体なのである。
遺跡「深森」は、それを如実に示している場所なのだろう。
調合を続ける。
冷や汗が出る。
一度作ったものを再調整していくわけだが。惜しみなく貴重な素材を使っていく。
とにかく出力を今の二十倍にするのだ。
同時に複数の……それも十以上の魔術を展開して、それぞれに別のものを防いでいく訳だが。
それも簡単じゃあない。
順番に調整を行い。
魔術を発動するために、魔法陣に対して凄まじいパワーが出るような調整を加えていく。
刻み込む魔法陣も精緻で精密。
これが傷つくと終わりだから。
最終的には、外側を金属で覆って、簡単には露出しない二重構造にする必要がある。細工物の知識が必要だったかな。
そう思いながら、エーテルの中で調整を繰り返し。
ひたすらに、順番に調合をしていく。
一つ作れば、後はジェムで増やすだけだ。
それも元々あるものを改造するのだから、それほど手間は掛からない。
皆の命が掛かっている。
手を抜くわけには絶対に行かない。
とにかく徹底的に調整していく。妥協は許されない。出力二十倍以上というのは、そういうことだ。
休憩に水を飲む。
頭がちょっとくらくらしてきたので、横になって少し休憩。もう夕方近くになっている。フィーが、周囲に漂っている魔力を飛びながら食べているようだ。大量のエーテルを絞り出しているから、まあ当然か。
これでもこの調合に備えて、たくさん食べておいたのだが。
クラウディアが残してくれたクッキーをいただく。
黙々と食べていると、頭に栄養が行き渡るのが分かる。
なるほど、アンペルさんがドーナツを愛好するわけだ。
ただ。これだとあたしもアンペルさんと同様で、甘味を栄養として補給しているのと同じになる。
それは、作ってくれたクラウディアに、色々と申し訳ない。
むかしからあたしは運動量が多い分かなり食べる方だと言われて来たけれども。
こう言うときは、露骨に足りないと感じる。
体内で魔力を生成するとき、人間は相当にため込んでいる栄養を消費するらしい。魔術師に太った人が殆どいない理由で。老人になると殆どが痩せているのも、それが理由である。
あたしもこう言うときは、それを感じる。
クッキーを食べ終えると、調整を続ける。
一つずつ機能を確認していく。
複雑に刻んだ魔法陣が、相互で悪さをしていないか。一つずつ魔力を流して、順番に稼働を確認。
魔法陣を刻むのは、エーテル内でやってしまえば良いのだが。
これはそもそも、空間把握力が試される調合である。
才能がないと出来ないらしく。
この世界の過去の錬金術師が、才能に驕り自分を特権階級だと考えるのも、なんとなくあたしには分かるのだった。
ただ、そうはならない。あたしはそうはならない。
何度も自分に言い聞かせながら調合を続け。
夕食を取ろうと思って、調合を一旦無理にとめる。
今、進捗は九割という所か。
ソファに腰掛けて、それで。
頭がぼんやりしていて、そのまま落ちそうだった。
この感覚、三年ぶりだな。
そう思って、苦笑い。
三年前は、いつフィルフサが門から大挙して出てくるか分からなかったから、文字通り気が休まる時がなかった。
今になると良い冒険だったと思うのだけれども。
それでも、体力がなければついていけなかったと思うし。
タオもあのなりで、あたし達と一緒にずっと走り回っていたこともあるから。見た目よりずっと体力はあったのだ。
とにかく、夕食だ。
カフェに行こうかと思ったが、あたしの行動を読んでいたかのようにクラウディアが来る。
そして、差し入れしてくれた。
「やっぱり無理してる」
「はは。 ごめん、クラウディア」
「いいんだよ。 みんなのためだし、封印がいつこわれても不思議じゃないって事実もあるからでしょ」
「うん……」
クラウディアが、使用人らしい人達に、料理を並べさせる。
カフェで出てくるものよりも、恐らくはクーケン島のものにあわせた薄味の料理だろう。
これは助かる。
クーケン島は食糧自給率が高いこともあって、基本的に食べ物は王都と違って、香辛料づけでも塩漬けでも蜜漬けでもない。
しばらく、黙々と食べる。
本当に体が栄養を必要としていたのだと分かる。
調整のために、釜にエーテルを満たすのを何度も何度もやって、魔力を極限まで絞り出していた。
あたしが体力自慢でも、それには限界がある。
魔力は相当増えているけれども、それでもやはりキャパというのは存在しているのだと、こう言うときに思い知らされる。
がつがつと食べてしまって、申し訳ない。
綺麗に全て食べ終えると、何故かクラウディアは満足げだった。
「いやー、本当に助かるよ。 ありがと、クラウディア」
「どういたしまして。 いつもゼッテルやインゴット、それに布もとても助かっているんだから、これくらいは当然だよ」
「末端でどれくらいで売りさばいてるの?」
「秘密。 だけれど、貧しい人が困るような商売はしていないよ」
くつくつと笑うクラウディア。
この子も大概かな。
少しずつ図太くなっている。
だけれども、あたしに顔向け出来ないような事をしていないのも、また事実なのだろう。
食事を片付けると、手伝えることがないか聞いてくれる。
あたしは少しだけ考えてから、手を叩く。
「フィーにごはんあげてくれる?」
「そうだね。 フィー、おいで」
「フィー!」
フィーもクラウディアに魔力を貰っているから、良く懐いている。
そしてあたしは、今魔力を絞り出して、フィーにあげる余裕が無い。
調合を再開。
後は、徹底的に集中して、夜中まで。
クラウディアが、帰り際に風呂に行くように言ってきたので。
公衆浴場だけは使った。
夜半に完成。
徹底的に調整して、全ての魔法陣が相互干渉していないことを確認。ベルト式になっているから、腕が太いレントやクリフォードさんにも対応している。
更に魔法陣を守るカバーにも何度か自分で衝撃を与えてみて、壊れないことも確認。
流石に腕を斬り飛ばされたりしたらひとたまりもないが、それはもうどうしようもないと言える。
よし、後は増やすだけだ。
ジェムをつぎ込んで、皆の分。更にアンペルさんとリラさんの分も増やしておく。
かなり在庫の鉱石を使い込んでしまったが、こればかりは仕方が無い。また、増やす過程でジェムも相当に使った。
終わった後は、泥のように眠る。
明日は。まず朝一にパティの家に行って。
それで。
後は、もう何も考えられなかった。
2、勇気
朝一番に、パティは貰った薬を飲み下す。食事は終わった。トイレも終わった。
メイド長には、ライザさんが来たら通すようにも話を通しておいた。
お父様もいる。
それも全て確認してから、作戦開始と自分に言い聞かせた。
薬を入れて、四半刻で効き始める。
そして四半刻で効果が切れる。
その間、勇気を出せる。
パティは分かっている。
お父様。アーベルハイム卿ヴォルカーが、どれほどこの王都のために骨を折っているか。今度伯爵に叙任されるそうだが、功績から考えれば侯爵でもいいくらい。いや、そもそもこんな腐った王都。
乗っ取って、全て造り替えてしまっても良い筈だ。
貴族がこの国のために何をした。
王族が何をしてきた。
フィルフサについて聞かされたとき、一緒に聞いた。
ほんの百年前に、この国では錬金術師を集めて、悪逆の限りを尽くす計画があった。よりにもよって、こんな状態で異界オーリムに侵攻して。更には資源を奪い尽くすつもりだったそうだ。
勿論そんなこと、出来るわけがない。
錬金術をやる人間は、幼稚な全能感に身を包まれる事が多いらしくて。
それで出来ると思い込んでしまったのだろう。
ずっとテクノロジーが優れていて、軍事力も比較にもならなかった古代クリント王国ですら失敗したのに。
どうして今になってそんな愚行が出来ると思ったのか。
これだけの破滅的な事態になって、今も現在進行形で人間は魔物に押されているというのに。
それでもそんな事を考えていたのは、文字通り悪い意味で頭に花畑が出来ていたのだろう。
パティからしても許せない。
そしてそんな連中を輩出しながら。
のうのうと王だの貴族だのと名乗っている連中も。
そもそもアーベルハイムは、お父様が騎士から成り上がって貴族になった存在だ。お父様は、この腐った王都で、それでも民を守るために貴族になる道を選んだ。
だから、苦労している。
それは分かる。
分かるけれど、少しはパティの事だって信じて欲しい。
そう思っていると、見る間に怒りのボルテージが上がって行くのが分かった。
こんなに頭に来たのは初めてかも知れない。
薬の効果は確かにある。
そして、今だからこそ言える。
パティは立ち上がると、パンと音を立てて頬を叩いていた。
目が一気に覚めた。
大股で歩いて、お父様の執務室に行く。
メイド長はそれを見て、他のメイドを皆遠ざけたようだった。何が起きるか、ある程度察したのかも知れない。
執務室は、朝からお父様がいる。
貴族は殆どがバカみたいなパーティだの園遊会だので資産を浪費しているが、そんな事をせず実務をし、各地の警備をして回っているのがお父様だ。
一応つきあいでそういう社交にも出るには出る。
パティも出た事がある。
だけれども、別に美味しいものが出る訳でもないし。
既に壊れかけている機械で作ることしか出来ないドレスだのを自慢したりする空虚な時間であり。
はっきりいって退屈極まりなかった。
全ての会話が悪い意味での政治闘争で。
誰と話すだの、誰と笑顔をかわしただの、それらが全て意味を持っているとかみなされている場所。
外の街道では今も誰かが魔物に襲われ。
ちいさな集落では魔物が今も人々を脅かし。
賊の類が跋扈し。
力が弱い人は死ぬしか無い事だって多い。
王都の近くですらそうなのだ。
辺境の辺境になってくると、それよりももっと酷い場所がいくらでもある。パティも王都の近くだけで、お父様やライザさんにつれられて幾つもそんな場所をみたし。酷い腐臭の中で、精鋭の筈の騎士がゲーゲー吐いているだけで役に立たない場面も何度だって見た。
優秀なはずの王都の戦士達がなんの役にも立たないどころか。魔物に追い散らされたり。食われ掛けたり。
勿論パティが見ていない所では、殺され食われてしまう事も何度も何度もあったのだろう。
ライザさんが。凄まじい火力で魔物の群れをまとめて焼き払う所を何度も見たパティは。今や王都には何の価値も見いだせないし。
王室への忠誠心なんて、抱きようもなかった。
ドアを開く。
お父様は、朝から書類の山と格闘していた。
パティが出向くと、神経質そうな目を向けてくる。
だが、パティの表情がいつもと違っているのに気付いたのだろう。すぐに手をとめて、顔を上げた。
「どうしたパティ。 こんな朝早くから。 今日はライザ君の手伝いにいかないのかね」
「お父様。 タオさんを家庭教師から外すという事についてですが」
「タオ君が優秀である事は理解している。 戦士としても優れているし、家庭教師としても申し分ない。 だが、今はライザ君が派手に暴れている事もあって、アーベルハイムは隙を作りたくないのだ」
「隙……?」
声が冷えている。
お父様は怪訝そうにパティを見た。
そして丁寧に説明してくれる。分かりきっている説明を、だ。
「貴族の中には、庶民と貴族が接することを醜聞としか考えていない者が珍しく無い。 しばらくはタオ君とは自宅で二人きりになるのは避ける方が良い。 そういう判断だ。 幸いパティはライザ君の支援を始めてからも、学業での成績は落ちていない。 まあ成績なんて買う物だから当然だがな」
「今や、実際の学業がゴミ以下の貴族の子弟が、庶民の講師を招くのは一般的な話です。 それが醜聞になるのもおかしいし、何よりも自分より優れている存在に敬意を払えない人間の方がおかしいのではないでしょうか」
厳しい言葉が出る。
お父様がちょっと驚いたようだった。
パティの怒りのボルテージが、どんどん上がっていく。
「私がそんなに分別がつかないとでも思っていますか、お父様っ!」
「パティ……?」
「タオさんは尊敬していますが、基本的に常に一線を引いて行動してきました! ピアノ教師と恋愛ごっこして遊んでいる様なバカな貴族の令嬢と一緒にしないでください!」
貴族の令嬢のたしなみは。
ツラだけいいピアノ教師との恋愛ごっこだと昔から相場が決まっている。
パティが知っているだけで同年代に数人、実際に肉体関係までもった輩がいる。
そういう連中は避妊薬(効きもしない)を使って関係を誤魔化し。それでいながら庶民を見下した言動を取っている。
別に貴族が美形なんて事もない。
トロフィーワイフが云々と言うような言葉もあるらしいが、貴族の間に美しい娘が生まれることそのものが珍しいし、庶民を馬鹿にして掛かっていれば基本的に婚姻は貴族間でするしかない。
結果として、どの貴族も顔が似ていく。
遺伝病だらけになっていく。
こんな王都に五百年閉じこもっていれば、その傾向は顕著だ。
最近は皮肉な事に、今アーベルハイムにもいるメイド長の一族が貴族に入り込んでいる事もある。
あのメイドの一族の顔の特徴が、貴族に出始めている。恐らくその内、王都の貴族はあのメイドの一族に血縁まで。いや王族すらも乗っ取られるのではないかと、パティは見ていた。
そんなものだ。貴族なんて。王族も。
パティはタオさんに指一本でも触らせたことだってない。
そういう年頃だから、一緒にいたいとか、自分の事を見てもらいたいとか思った事はなんぼでもある。
だけれども、それでも分別をわきまえて行動してきたのだ。
それを、今更。
こんな。
完全に噴火したパティは、そのまま怒声を張り上げていた。
「私を舐めないでいただきたいです! 学校で成績を金で買って遊んでいる他の貴族の子弟と違って、私は結果を出して成績をあげています! 分別だってしっかり守っています! それなのに、どうして醜聞がどうだので、私の成績をしっかり上げて数学のコツも叩き込んでくれたタオさんを私から引き離すって話が出てくるんですか!」
「……」
完全に黙り込むお父様。
更にパティは、今まで思っていても言えなかったことを、叩き付けていた。
あちゃあ。こりゃあ効きすぎたかな。あたしはそう思って、アーベルハイム邸の前で困り果てていた。
いや、違うな。薬が効きすぎたんじゃない。
相当にパティも、腹に据えかねていたのだろう。というか、パティは父上の事が大好きなのが端から見ていても良く分かる。
そんなパティが此処までブチ切れているのは。
此方が寄せている信頼に対する、裏切り行為を働かれたと判断しているからなのだろう。
怒声がアーベルハイム邸の外まで聞こえて来る中、呆然とあたしは立っていた。
具体的な貴族の名前と醜聞が、邸宅の外まで聞こえてきている。パティもいざという時のために、情報を集めていたと言う事なのだろう。
へえ。なんとか侯爵は獣姦が趣味なんだ。それもヤギが好きと。
なんとか男爵は男色家で。
なんとか伯爵に至っては、毎日マゾヒズムな行為にふけっていると。
良くそんな情報を知っているなあと、ちょっと感心してしまう。
外を歩いている通行人も、それを思いっきり聞いている。朝早くだが、まあこの怒鳴り声だ。
聞こえても不思議では無いだろう。
今、全身から冷や汗を流しながら青ざめてそそくさと走り去った人を見て、通行人がなんとか侯爵と言った。そうか、あれが獣姦が趣味の。
見た感じまだ若いのに、拗らせているなあ。そういう感想が出てくる。
勿論クーケン島にも変わった性癖の人はいた。
だけれども、それも色々あっての事だ。
そもそもあたしの父さんだって、超腕利きの農夫であるけれど。畑と会話するような奇人である。
誰でも心の奥に秘密の庭くらいある。
あたしは別に、変わった性癖の一つや二つくらいあってもいいだろうとは思うが。
ただし。
平民より何もかも優れていると自称している貴族達にとって、それはどうだろう。
此処で優れていると自称しているのは、人格なども含まれている筈。その人格の中には、「健全な性癖」だとかやらも入っているだろう。
それが大嘘だと言う事を。
これだけの人数の前で、パティが大暴露している。
ちょっとまずいんじゃないのかなこれ。
あたしはそう思って、増えるばかりの聴衆(それも場所が場所だから、貴族関係者ばかりだろう)を一瞥だけして。
そしてアーベルハイム邸に入った。
メイド長が出てくる。
一礼すると、相手も一礼を返してきた。
「外で聞かれたかも知れませんが、お嬢様が激高為されています。 ただ、貴方は通すようにとも言われていまして」
「ああ、なるほど。 分かりました。 どちらの部屋ですか」
「彼方です」
案内される。
メイド長は多少……ほんの僅かだけ、クーケン島にいたフロディアさんを少し加齢させたような見かけをしているが。
充分に女盛りの容姿だ。
実年齢は分からない。
というかこの人らが、本当に人なのかすらも怪しい。
一応人間と交配して子供は作れるようだけれども。
ともかく、執務室とやらに案内される。
執務室から、パティが出てくる。
吐き出しきったようで。一礼をかわすと、早足で外に出ていった。
外で一喝が聞こえる。
「見世物じゃありません!」
小柄なパティだが、その気迫は凄まじく、聴衆はわっと散ったようだ。多分散った中には、貴族もいただろう。
今、話題にされた貴族は。
恐らく貴族のサロンで当面笑いものにされるはずだ。
パティは恐らく計算していなかっただろうが。
多分コレは、あたしが機械を直していた以上に。このくだらん腐った井戸の中に、大きな影響を与えるはずである。
執務室に入ると、ヴォルカーさんが咳払い。
あたしを一瞥する。
別に青ざめているようなこともない。ただ、パティの凄まじい剣幕に、流石の歴戦の武人の黙り込んでしまったようだが。
何のことは無い。
虎の子は、自分が虎の子であることを。自身で証明して見せたのである。
メイド長に、ヴォルカーさんが指示を出す。
「聞いていたな。 こうなっては仕方が無い。 少し行動を前倒しする」
「分かりました。 既に準備してあります」
「私もすぐに出る」
メイド長がすぐに行く。
彼女がいなくなると、ヴォルカーさんはあたしを見た。
「計算が狂ってしまったが、パティが彼処まで怒っていたとは思わなかった。 とにかく良い子で真面目なあの子だが、それだけ腹に据えかねていたのだろうな」
「はあ、まあそうでしょうね。 最初、あたしの事もタオの関係で随分警戒していましたが、それでも非礼な態度は全く取りませんでした。 それくらい、パティはとても良い子だと思います」
「そうか。 良い子に育ってくれて嬉しい。 あれの母親は、むしろ穏やかすぎる程の女だったのだがな」
ヴォルカーさんは軽く話してくれる。
パティの母上の話を。
パティの母上は、ヴォルカーさんが一戦士だった時代から交際していた女性で。勿論同じ庶民だったそうである。幼なじみの穏やかな女性で、騎士になってから正式に結婚したそうだ。貴族になってからも、仲は変わらなかったらしい。
基本的に穏やかな女性だったそうだが、何か問題があった時には絶対に譲ることはなく、それでヴォルカーさんも困る事が何度もあったとか。
懐かしそうに遠くを見ながらヴォルカーさんは話す。
まあ、そうなんだろうな。
この人は後妻を迎える気は無さそうだ。
パティは時々、メイド長を慕うような視線を向けていた。あの人とヴォルカーさんが結婚してくれればと思っているのだろう事はすぐにあたしにも分かった。それにこの人は立場が立場だ。多分再婚の話は、貴族連中から幾らでもあった筈だ。
それが今までこうして独り身でいると言う事は。
それだけ奥さんの事を愛していたわけだ。
「前にも話したが、タオ君以外にパティの夫はいないと私も思っている。 だからこそに、下準備をしていた。 その下準備もあって、一時的に引き離そうと思っていたのだが……まあやむを得ない。 少し行動を前倒しにするしかあるまい」
「私に話して大丈夫なんですか?」
「かまわない。 君もパティに何か重要な秘密を話したのだろう? パティが君を見る目が、師を見るものになっている。 ならば、私も君を信頼する。 君は裏切りを働くような下衆ではあるまい」
まあ、あたしも。
下衆は散々知っているし。
そういう連中と一緒になるつもりは無い。だから、苦笑しながら頷いていた。
ヴォルカーさんは、さっきばらまかれた醜聞を決定的なものとするため、これから動くそうだ。
具体的に何をするかは分からない。
ただそれで、王都の貴族は大混乱に陥るだろうことは分かった。
幾つかの家は社交界で完全に笑いものになって、権力のメインストリームから失墜する事になる。
結果、貴族達はアーベルハイムにかまう暇なんかなくなり。
更に言うと、あたしが機械を直すのにも、ちょっかいを出す余裕はなくなるだろう。
タオとパティの婚姻の外堀を埋めるには、丁度良いというわけだ。
それに貴族達は金だけは持っているが、実質的な権力なんて持っていない。
王都の外に名目上の領土はあるにはあるが、そんなもの本当に名目だけだ。
クーケン島の側にある古城も、名目上は貴族の所有物らしいが。
実態は魔物だらけの有様。
他も同じだ。
ありもしない領土を自慢し合っている馬鹿な連中が、今の王都の貴族なのである。それに貴族が力を持っていたら、目端が利く奴が第二都市のサルドニカに赴任しているだろう。今では珍しい、人間が勢いを持っている都市なのだから。
「それではライザ君、娘を頼むぞ。 王都の未来を背負って立てる、強い人間に鍛え上げてくれ」
「分かりました」
礼をかわすと、あたしはアーベルハイム邸を出る。
此処から、ヴォルカーさんは仕事だろう。
あたしもだ。
封印をとにかく、早い段階で解明し。其処に封じられているものを確定させなければならない。
十中八九門だろうが、そうであること、門の状態を確認し。フィルフサが出てくる前にどうにかしないといけない。
状況次第では、門の向こう側のオーリムの土地にいるフィルフサも壊滅させて、グリムドルのような安全地帯を増やす必要もある。
今の戦力と、水があれば可能だが。
クーケン島にあったような、水を奪い取る装置はまだ見つかっていない今。
最悪の場合、門を閉じるだけという行動を採るしかないし。
その場合は、オーリムのフィルフサからの解放は、また先延ばしにするしかない。
力がついたのに、悔しい話だ。
アーベルハイム邸はすぐに後にする。
此処から此処は戦場になる。
外では、メイド長が戦士達を集めて、聴衆を散らしていた。顔を真っ赤にして怒っている貴族が何人か押しかけてきていたが、ヴォルカーさんが出てくると、青ざめて萎縮してしまう。
それはそうだ。
戦力が大型の走鳥と子兎以上に違う。
常に戦場に立っている武人を前にしたら、こんな金に任せて放蕩だけしている堕落貴族なんて、萎縮するだけである。
あたしはそそくさと横を抜けて、アトリエに戻る。
早朝から、王都は騒ぎになるだろうが。
どうせ王都内だけの話だ。
ただ、クラウディアには話しておくべきだろう。
そして、アトリエにつく頃には、パティはもう正気に戻っている筈である。
さて、どんな顔をしているかな。
アトリエまで、ちょっとわくわくしながら歩き。
皆が集まっているのを見て、安心した。
クラウディアだけいないが、これはちょっと仕方が無い。パティに事情を聞いて、あわててバレンツに戻ったのだろう。
手を打つ必要が幾つかあるはずだ。
あたしはまず、全員分に腕輪を配る。
徹夜で作ったものだから、現地で試す必要があるが。
それも、この面子だったら事故は起きないはずだ。
使い方について説明していると、ボオスが手を上げる。
苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「それで、何かあったんだろ」
「うーん、後で分かると思うよ」
「いや、今話せ。 俺は窓口になっている事を忘れるな」
「……そうだね。 王都で貴族の勢力図ががらっと変わると思う」
ボオスはそれを聞いて。
フィーが頭に乗って来ても、文句を言う余裕も無く、大きなため息をついていた。
厄介ごとを増やしやがって。
そんな事をぼやいている。
パティはというと、むしろつやつやしているほどだった。
これは、相当に不満をため込むタイプだったんだな。
恐らくは、それは穏やかだったとヴォルカーさんが称した既に亡くなったパティのお母さんも同じだったのではあるまいか。
それで寿命を縮めたのではあるまいな。
そう思って、あたしはあまり考えない事にした。ストレスは、想像以上に人間の心身を蝕むのだ。
「クラウディア、すぐに戻ってこられるかな」
「大丈夫ですよ。 問題になる貴族は、基本的に対立派閥の人間ばかりですから」
「そ、そう……」
多分パティが爆心地だと理解したのだろう。
タオがちょっと引き気味だ。
こりゃ、尻に敷かれるだろうな。
そう思って、あたしは同情した。
まあそれも別に良いだろう。
タオはほっとけば、ずっと研究しかしていないだろう。それなら、パティくらい尻に敷いてくれる嫁の方が良いはずだ。
それにタオと家族同然に育ったあたしとしても。
身内にパティくらい真面目な子がいてくれれば、心強いし。
軽く、遺跡についての話をしておく。
今回で、中枢にある墳丘を調べる。
作った腕輪を用いる事で、恐らくは中枢を守っている壁を突破出来るはずだ。それでも無理は禁物。
五感が狂いそうだったら、即座に撤退を推奨。
その説明をすると、全員が頷く。
この面子だったら、問題ない。
そういえば、暗殺云々の事もあったか。
いや、問題ないだろう。
アンペルさんに以前聞いた。
アンペルさんが、王宮の錬金術師を集めた研究所から逃げてから、一世代くらいは暗殺者が送り込まれたらしいが。
ある時を境に、ぴたりと止まったらしい。
パティも暗殺者については知らないらしく。そんな組織は、現在存在していないとみて良いだろう。
まあ、こんな平和ボケした王都だ。
内部で暗殺組織なんか作っている余裕は無い。
そういうものだと判断して良い。
クラウディアが戻って来た。
大急ぎで指示を出してきたらしい。
勿論今日の探索には参加するそうだ。クラウディアも、この探索が、王都どころか人類全部滅ぶ可能性がある事は、良く理解してくれている。
貴族の権力争い、それも王都内にしか影響がない、なんぞよりも。
その探索の方が、遙かに重要なのである。
「よし。 じゃあ出るとして、後何か問題は」
「一つ成果があったぜ」
「ん、聞かせてクリフォードさん」
頷くと、クリフォードさんは昨日の研究成果について話してくれる。
それによると、話題に上がっていた「不死の魔女」の死の具体的な場所、日時は確認できたそうだ。
そうか。
やっぱり死んでいたのか。まあ百三十年ほど生きた云々の話もあったし、死んだの分かっていたが。それでも確定がとれたのは大きい。
なんでも「不死の魔女」は、体を痛めつけながら不死を維持する事が非常に辛くなっていたらしい。
封印のシステムを作り終えた後、体は限界が来ていたこともある。
恋仲にあった騎士が戦死したこともあり。
後は静かに死ぬ事を選んだそうだ。
そうか。
業が深い人だったのは確定だ。
彼女が作ったシステムは、文字通り屍の上に作られた牢。
それを作りあげる実験の段階で。どれだけの命が貪られ。犠牲になったのか分からない程だろう。
それでも、そのシステムが今世界を滅ぼさないでいてくれているのだったら。
尊敬はしないが。
死んだ人間の、死体蹴りをこれ以上するつもりもなかった。
よし、それならば、これで忙しいミーティングは終わり。
今日は、決戦になる可能性が高い。
荷車には、爆弾も薬も出来るだけ詰め込んでいく。
そして、細かい所まで打ち合わせして。後は、戦いを始めるだけだった。
3、毒竜は其処に
遺跡に急ぐ。
今頃ヴォルカーさんが王都で大暴れしているだろうが、まあそれはどうでもいい。最悪ロテスヴァッサ王国が潰れてもかまわない。王都にいる人々が無事ならば。
今調べている遺跡は、それだけ重要な場所だ。
王都一つよりも、人類全て。
ましてや、王都に巣くっている貴族だの王族だの、どうでもいい。
ともかく走る。
パティは、心を乱している様子もなく。
むしろ今までで、一番動きにキレがあるようだった。
それだけため込んでいたものが大きく。
吐き出したことが大きかったのだろう。
小雨が降るが、この程度の雨だったらもうどうでもいい。ただ地面はまだぬかるんでいて、下手をすると荷車がスタックする。
道を急ぐ。
街道では、魔物も随分見かけなくなった。
あたし達が、見かけ次第蹴散らしているからだろう。
目端が利く奴ほど、街道を一旦避けるようになったと言うことである。
ただ、以前に散々魔物を倒して来ているから知っている。
どうせすぐに次が来る。
安全なのは今だけだ。
どうせ、すぐに開いた縄張りに他の魔物が来る。
それまでの間隙を、今は縫うだけだ。
ひたすらに走り、危険ラインに到達。腕輪の性能確認。
問題なし。
このラインは、平気で超えられる。
全員に点呼を取り。
それで、全員五感が狂っていないことを確認する。
この遺跡を調べ終えたら、次が大変だ。
ワイバーンがわんさかいる荒野を抜けた更に先。荒野に出向くのも、一工夫必要になるだろう。
更に其処から道を確保する必要がある。
暗黙の了解だが、ワイバーンはドラゴンの幼生体だ。
それがわんさかいるということは、ドラゴンが繁殖している可能性を捨てきれない、ということである。
勿論それは非常に危険な事で。
あたしも、油断は出来ないと判断していた。
ドラゴンもエンシェント級になれば会話が出来るようだが。少なくとも、古城にいたような奴はただの獣だ。
ある程度の知能はあったようだが、それでも獣の域を超えない。
そんな存在とは、残念ながらわかり合う事は不可能だ。
森の中を行く。
相変わらず不自然に静かで、此処が死の森である事に代わりは無い。
皆、完全に無言。
この先に、かなりヤバイガーディアンがいる事は確定で。それと戦うために心身を研いでいるのだ。
工房のガーディアンもかなり危険な相手だったが。
それ以上に危ない相手の可能性が高い。
さて、どうなるか。
墳丘が見えてきた。
足を止める。
最初に、クリフォードさんが前に出る。五感が一番鋭いクリフォードさんが、この役割を買って出てくれている。
それは有り難い話ではあるのだが。
クリフォードさんでもダメなら、それはそれでどうしようもない事を意味もしている。
緊張の一瞬。
クリフォードさんが、ハンドサイン。
大丈夫、という合図だ。
頷くと、前に。これで、この遺跡は安心して奥に進む事が出来る。
「フィー!」
「分かってる。 いるね」
フィーが懐から顔を出して鳴く。
皆も分かっている。
すぐ近くに、ガーディアンがいる。それは恐らくだが、工房にいた奴より手強い相手だろう。
最大級の警戒をしながら、墳丘に。多分五感が正確に働いていなかったからなのだろう。近くに行けば行くほど、それが精緻な石造りの建物で。
見た目よりもずっと大きい事が分かった。
視界すらも狂わせる壁。
確かに、フィルフサですらも幻惑されて、先に進めなくなるだろうな。
それはあたしも感じて、そのテクノロジーに戦慄する。
これでも、神代の頃より衰えているはずだ。
まてよ。
神代より衰えていたとしたら。
フィルフサは、ひょっとして神代の人間の敵では無かったのか。
考えて見ればおかしい事はあった。
どうして古代クリント王国の錬金術師は、フィルフサを制御出来ると確信していたのか。
それだけじゃない。
ロテスヴァッサで百年前に行われていた、オーリムへの侵略計画だってそれは同じ事だろう。
連中が万能感の泥沼に足首を掴まれた阿呆だった、というのは理由の一つではあるのだろうが。
それ以上に何か理由があったとしたら。
「来やがったぞ……」
最初に反応したのはクリフォードさんだ。
全員が武器を構える中、其奴が姿を見せる。
半透明だったそれが、気付かれたと判断した瞬間、色づいていた。
以前、街道で見たバシリスクに似ているが。
それよりもずっとずっと大きい。
それどころか、巨大な体躯の横には、六対も足が生えていて。全身は毒々しい鱗に覆われている。
その鱗から立ち上る凄まじい魔力は、周囲を揺らめかせるほど。
これは、あたしよりも魔力量が多いな。
見かけはトカゲに似ているが、頭からは不可思議な羽毛が生えている。あの羽毛は、或いはディスプレイか。
一部の動物は、異性などにアピールするために、無意味に派手な体の部位を持っていたりする。
口からちろちろと出している舌。
目は二対あって、蜥蜴に似た顔の前面と側面にそれぞれついている。
この不自然な身体的特徴。
此奴は、恐らく自然の生物では無い。
何かしらの非人道的実験を用いて。作り出された存在とみて良いだろう。
「俺が壁になる。 ありったけの攻撃を叩き込んでくれ」
「私も。 もっている間にお願いします」
パティがレントに続いて前に出る。
頼もしいな。
相手は敵意を隠してもいない。姿を隠して歩み寄ってきたことからも、それは確実である。
ただし、この墳丘に近付かない限り、攻撃してこなかった。
それもまた事実だ。
可能性はあるかも知れない。あたしは、話しかけてみる。
「言葉は通じる? あたしは此処を調べたいだけ。 貴方が守っているものは、もう壊れる寸前かも知れない」
「……」
「状態を調べて、周囲の残留思念を調べたら去る」
「……」
ダメか。
言葉は通じないらしい。
ゆっくり左に移動していく巨大な毒竜。まあ、毒竜で良いだろう。口から出ている息には。あからさまに禍々しい猛毒が含まれているのが分かる。
食いつかれたら、即死確定だ。
静は動に、突然に変わった。
毒竜は、突如として、踊りかかってきた。
レントが動く。
飛びかかってきた巨体を、真正面から受け止める。全員が散開。凄まじい勢いで尻尾が振るわれる。
巨大な尻尾は、それそのものが筋肉の塊だ。
地面を砕くほどの破壊力。雨で濡れている地面が。木っ端みじんに粉砕されて、辺りに腐葉土と泥が飛び散る。
まずいな。
この土に問題があることがわかっている。しかも此奴は、それを理解した上でばらまいていると言う事だ。
「泥は出来るだけ避けて!」
「くっ、はええっ!」
レントを押しのけると、毒竜は残像を作って、クリフォードさんが投擲したブーメランを回避。
あの巨体で、残像を作る程の速度で動くのか。
そのまま上空でばっと足を拡げると、全身の鱗だろう。それを一斉に地面に打ち出して来る。
セリさんが植物の防壁を作り、更にタオが前に出て。双剣を乱舞させるようにして鱗を弾き散らすが。
なんと空中機動すると、毒竜はあたしの熱槍を回避。
地面に凄まじい勢いで着地して。クラウディアを狙う。飽和攻撃された矢を、全てかわし、或いは鱗で弾き返す。鱗で弾き返す度に火花が散っている。
それほど、強力な装甲というわけだ。
かっと口を開けた毒竜。
飛び込んだパティが、喉から抜き打ちで切り上げるが。鱗に激しい火花が散っただけである。
四つある眼の一つが、パティをぎろりと見て。
そして、手が叩き潰しに行く。
だが、クラウディアはその隙に逃げ。パティが逃げ遅れて、吹っ飛ばされるが。それでも致命傷は回避。
だが、吹っ飛んだパティに、毒竜は尻尾を叩き付けに行く。
その背中に跳んできたブーメランを。頭を振るって、弾き返す動きも隙がない。
レントが飛び込むと、尻尾に大剣を叩き付けて、弾き返してみせる。
パリィの妙技だ。
セリさんが地面に手を突き、大技に行く。それを一瞥だけすると、毒竜はすっと息を吸い込む。
此奴がドラゴンかどうかは分からない。
だが、遺跡の資料に記載されていた毒竜と呼ぶに相応しい存在であるのは、間違いないだろう。
「ブレスが来るぞ!」
「まずいね……」
長期戦は不利だ。
あの毒竜、この辺りの土を意図的に巻き上げながら戦っている。それは、この辺りの土がどういう性質を持っているか知っていての行動だ。
今、腕輪で中和しているが、それも泥をまともに食らったりしたら、その時点で動けなくなる。
それは覚悟しないと危ない。
雄叫びとともに、あたしは槍を。ただし氷の槍を叩き込む。
それをブレスで迎撃しようとして、毒竜は即座に判断を転換。上空に飛び、更に追撃の熱槍はブレスで相殺した。
舌打ち。
氷の槍は、熱の槍に比べると、どうしても出力が落ちる。
あいつ、短時間でそれも見きっているということか。
着地すると、また即座に接近してきたレントに対して、前足の一つを叩き付けながら。背中に変化を生じさせる毒竜。
たくさんのひれみたいなものが立ち上がると、じゃらじゃらと鳴り始める。
まずい。
「呪文詠唱だ!」
「ライザ、皆で一瞬動きを止める! 大技いけるか!」
「任されたっ!」
此方も詠唱開始。
セリさんが先に詠唱完了。
地面から出現した多数の蔦が、一斉に毒竜に襲いかかる。レントをいなしながら蔦を防ごうと周囲を素早く見回した毒竜の頭上から。パティが飛燕のように襲いかかる。
だが、其方を毒竜が見た瞬間。
さっきパティがつけた傷を、深々とタオが抉っていた。
悲鳴を上げる毒竜。
更にレントが、踏み込みながら切り上げて。毒竜の前足を弾き返す。体勢を崩した毒竜に、蔓が襲いかかって、全身に絡みつく。頭を振ってパティをどうにか弾き返すが、完全に動きが止まる毒竜。
毒竜は、地面に身を沈み込ませると、かっと鋭い咆哮を上げ。
それで蔓が吹き飛ばされる。
セリさんの全力詠唱の植物操作を、あんなに簡単に。
だけれども、詠唱は阻害され。
確実な隙が出来た。
あたしはその間に、詠唱を完了させる。
一点収束型のグランシャリオ。
叩き込めば、此奴が例えどんな化け物でも、絶対に倒せる自信がある。ただ。さっきから少しずつ視界が歪んで行っている。
本当にまずい。
地の利は敵にあり。
そもそも此処は人間は入り込める土地じゃない。恐らくは対フィルフサ、対錬金術師を想定して作られた死の結界。
冷や汗が流れる中、あたしは衝撃に吹っ飛ばされていた。
地面に叩き付けられ、バウンドする。
木に叩き付けられて、全身の骨が軋んだかと思った。
なんだ、今の。
他の皆も、吹っ飛ばされて倒れている。毒竜が詠唱を短縮して、周囲全体を攻撃したのだと分かった。
歯を噛みしめると、立ち上がる。
血の味が口の中にするが、詠唱は中途。高まる魔力はまだある。
フィー。
大丈夫。懐にいる。今の一撃も、装飾品と、あたしの魔力がどうにかフィーを守った。
跳び上がる毒竜。
今のは、恐らくこいつの切り札。
本来は地面に叩き込んで盛大に土をまき散らし、周囲の敵全ての五感を潰す術だったのだろうと判断。
なぜなら、それが一番合理的だからだ。
あたしは詠唱を続ける。こっちを見る毒竜。
力勝負は避けるべきと判断したのか、飛び退く。
なるほど、かなり頭がいい。
だが、その瞬間。その脇腹に、バリスタみたいな矢が直撃していた。
クラウディアによる不意打ちだ。今の衝撃波を、音魔術で緩和して、そして倒れたフリをして隙を狙っていたか。
装甲の上からも、今の一撃はかなり効いた様子で、毒竜が蹈鞴を踏む。
そこに、今度はすり足で、パティが接近。
さっき吹っ飛ばされた事で、むしろ距離を取ることが出来。
それで、ダメージが小さかったのだ。
裂帛の気合とともに、抜刀。
大太刀が、文字通り毒竜の体を抉る。
鮮血が噴き出す。
それも毒の可能性が高い。
レントがパティを抱えて飛び退く。一瞬の差だ。本当に危なかった。
悲鳴を上げながら、それでも体勢を立て直した毒竜が。さがろうとするが。その足に、蔓が絡みつく。
セリさんの魔術によるものだ。
そして、その一瞬だけで、充分だった。
「グラン……」
詠唱を終える。
今の段階で。
あたしは火力偏重でいい。
火力を極限まで高めて、それで相手を貫く。
まだ小技はいい。
なぜなら、あたしの魔力はまだまだ伸びしろがあるからだ。伸びしろがあるならば、得意分野を徹底的に伸ばす。
石造りのそこそこ大きな家を消し飛ばす熱槍。
それを二万、収束させ。
あたしは、詠唱を完了させていた。
体にダメージは受けているが、それでもそんなのは昔からだ。昔から、傷だらけになって彼方此方走り回っていた体を舐めるな。
踏み込む。
土が盛大に巻き上がる。
こりゃ、この一発しか撃てないし、チャンスもないな。
だが、外さない。仕留め損なっても、絶対に皆が仕留めてくれる。
そう判断して、あたしは詠唱を完成させていた。
「シャリオッ!」
あたしの魔力と、切り札の蹴り技の混合技。対個体用、抹殺魔術グランシャリオ収束型。
ぶっ放される熱の槍が。動きを止めた毒竜に襲いかかる。
毒竜が、それを見てシールドを展開。
やっぱり此奴も出来るのか。
しかも、以前工房で見たガーディアンよりも更に多い。
これは、仕留め損なうか。
だが、その瞬間。
タオが躍りかかるのが見えた。
視界が歪んでいるので、何をやったのかははっきりは分からなかったけれども。それでも相当な多段攻撃を毒竜の顔に加えて。特に目を狙っていたようだ。
集中が途切れる。
タオが飛び退く。
たのむ、タオ、間に合ってよ。
そうあたしが呟くと同時に。グランシャリオが、毒竜に炸裂していた。
莫大な熱量が収束し、更にそれが拡散しないように一瞬で凍結させる。
濛々たる煙が噴き上がるなか、あたしは爆弾を取りだす。まだ、生きている可能性がある。
相手は竜の名を冠する存在だ。
こんな立地じゃなければ、もっと自由に戦えただろうけれども。それでも、ここでやるしかない。
相手がエンシェントドラゴンでも今は倒せる自信があるが。
それでも、ここまで地形が悪いと。
気分が悪くなってきた。
それだけ、相当な土埃が舞っていると言う事だ。
今は小雨が降っているが、そんな程度では防げっこない。
何とか顔を上げる。
手持ちは爆弾が幾つか。
だが。これはまずい。土が相当舞っていて、何が起きているかはっきりよく見えない程である。
なんとか踏みとどまるが。
いつ腰が砕けてもおかしくない。
声が聞こえる。
「ライザ!」
その声も、どこからしているか分からない。
フィーが、鋭い悲鳴を上げていた。
「フィー!」
「!」
跳躍。
あたしがいた側の木を、それが、毒竜の尾がうちくだいていた。衝撃だけで、吹っ飛ばされかける。
着地して、見る。
ぼんやりとだが、なんとなく分かる。
た、耐え抜いたのか。
違う。
直撃して、あれを耐えられる訳がない。既に土の飛散による五感の妨害は進んでいて、それで直撃しなかったのだ。
ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
あたしは深呼吸すると、皆に呼びかける。
「奴のダメージは!」
「体の左半分は吹っ飛んでる! だがそれでも動いていやがる!」
「だとすると……」
やはり、直撃を避けたから生きているだけか。
しかも、この状態なら撤退も手だ。放って置いても死ぬ。だが、それでも。今此処で仕留めておかないとまずい。
何をするか分からないからだ。
体を回復するために、周囲の集落を襲いに行くかも知れない。仮に死の森という此奴のテリトリから出ても、此奴の戦力はその辺の戦士なんか束になってもかなう次元じゃない。
此処で仕留めるしかない。
「な、なんとか支援する! 攻撃を続けて、とどめを刺して!」
「殆ど見えない……畜生っ!」
「時間を稼いで」
セリさんの声。
咳き込む声も聞こえた。
相当に厳しい状態だとみて良い。
まあそれもそうだろうな。そう考えながら、あたしも何とか移動する。左半分が吹っ飛んでいるなら、あいつも機敏には動けないはずだ。仮に再生能力があっても、である。
正確な位置さえ分かれば。
いや、待て。
「フィー。 あいつの位置、分かる?」
そんなに遠くないはずだ。
あたしに尻尾の一撃を入れた。しかも半死半生の状況で。
あたしは多分とどめを刺せない。セリさんが、今大きいのを準備している。だったら、それに賭ける。
「フィー!」
「おっけい!」
フィーのさっきの反応。
あたしより早かった。
多分だけれども、フィーには見えている。というか、フィーはこの環境を問題にしていない。
余程の極限環境で育つ生物なのか。
それとも。
いや、それはまだ判断が早い。だけれども、分かっているのは、今はフィーの反応を信じる事。
フィーが翼で指す。
頷いたあたしは、そちらに爆弾を。ローゼフラムを、投擲していた。
起爆。
炸裂と同時に、周囲が激しく歪む。それはそうだ。あの火力だし、周囲の土を盛大に巻き込んで、吹っ飛ばすはず。
凄まじい悲鳴。
毒竜のものだ。今度こそ、直撃。
体の半分が消し飛んでいる状態で、これをくらって無事で済むわけがない。更に、セリさんが、詠唱を終えた。
「風よ大地よ精霊よ……力を貸して。 永遠の牢獄よ、顕現せよ!」
悲鳴を上げる毒竜。
更に風が吹き荒れることで、一気に視界がクリアに。五感がはっきりしてくる。
見えてきた。
毒竜の左半身が消し飛び、右も胴体部分は殆どなくなっている。それでどうして生きているのか分からないが。
それでも、竿立ちになった巨大な毒竜の足下から頭上から、光が伸びている。
その光に沿って、一気に蔓が伸びる。
帯びている魔力が強烈すぎて、輝いて見える程だ。
そして蔓が毒竜を完全拘束すると同時に、花が咲く。あれは、危険だと一目で分かり、フィーを懐に入れて、腕で庇う。
「エタニティ……ブルームっ!」
無数の花が、同時に爆散する。凄まじい悲鳴を上げる毒竜が、上下真っ二つにへし折れる。
それでもなお、かちかちと顎を鳴らしている。まだ再生するのか。体の再生も始まっているようだ。
なるほど、ちょっと舐めていたかも知れない。
魔物を押しに押していた時代の、恐らく切り札とも言える。この封印を守るために配置されただろう生物兵器だ。
それが、エンシェントドラゴンより弱いというのは、あたしの見込みが甘かったか。
「あわせろ、パティっ!」
「はいっ!」
レントとパティが跳ぶ。
そして、完璧に息を合わせて、渾身の一撃を叩き込む。
体重を乗せ。身体能力強化の魔術で、最大限まで火力を上げた上段からの一撃をレントが。
更に、直前まで鞘に収め。
それを一気に抜き打ちする、大太刀の絶技をパティが放つ。
二撃は十時に交差するように、×を描くようにして毒竜の首に突き刺さる。半分だけ残っていた毒竜の頭が、それでも抵抗するが。
一瞬の後に、敗れていた。
毒竜の首が飛ぶ。
クリフォードさんが叫ぶ。
「トリアージ! ライザ、薬の位置を!」
「くっ……こんなに苦戦するなんて。 その荷車に!」
「畜生、位置がよく分からん……!」
クリフォードさんが呻く。
土が舞っている。
毒竜の死体は崩れ始めていて、それで死んだのは理解出来た。だが、奴との戦闘自体が、非常にまずい結果を生んだ。
あたしの想定以上に、五感を狂わせる土が舞っている。それが、腕輪による中和効果を越えているのだ。
「フィー! フィーフィー!」
「よし、分かった。 頼むよフィー、誘導して」
「フィー!」
そういや、あたしもちょっと血をたくさん流しているっぽいな。
急がないと失血死するかも知れない。
苦笑いしながら、フィーの誘導でどうにか荷車に。タオも辿りついていた。すぐに薬で手当てを始める。
クラウディアは倒れていて動いていない。
多分最後の毒竜の尻尾をもろに喰らったのだ。あたしはあれをまともに喰らっていたら、多分おだぶつだった。クラウディアは音魔術で防いだだろうが、それでもかなり危険な状況の筈。
自分の体を確認。衝撃波でもろに吹っ飛ばされ、木に叩き付けられたときのダメージが想像より大きい。
少しずつ周囲が晴れてきて、それで惨状が余計に露わになってくる。
無言で自分の傷に薬をねじ込んで、応急手当。此処までコテンパンにやられたのは久しぶりだ。
見通しが甘かったことが要因。
全てはあたしの責任である。
だからこそ、誰もしなせない。
ミスをリカバーできるのが、責任のある人間だ。
フィーと連携して、傷が深いクラウディアを運んできて、手当て。音魔術での防壁で守らなければ、多分首を折られていた。
痣が出来ているので、対策をする。血はそれほど失っていないのが救いか。
増血剤を飲み干すと、皆の手当てをする。
タオがフィーと連携して皆を引っ張ってくる。それくらい、五感が怪しくなっているのである。
それだけじゃあない。
雨が少しずつ強くなりはじめた。
或いはだけれども、今の苛烈な戦闘が原因で、粒子が舞って。それが原因で、雨雲が強くなったのか。
フィルフサとの戦いの時に使った戦術を思い出して。
あたしは苦笑する。
血の味がまだまだする。口の中も切ったと思う。
そのまま、手当てを続ける。
短いが凄まじい激戦だった。もう少し戦地が良かったら、此処までの被害を出さなかったかも知れないが。
それも結果論だ。
相手が地の利を得ていた。そしてそんな戦いはいくらでもある。それでも勝たなければ、死ぬだけなのだから。
クラウディアが意識を取り戻す。
激しく咳き込んでいるが、多分命にも別状は無いし、脳がやられてもいない。ただ。咳き込むときに血を吐いていた。
あたしの作った薬を入れるから、内臓へのダメージも回復出来るとは思うが。
それでも、流石に親友の酷い姿に心が痛んだ。
皆の手当てが終わってから、毒竜の解体を開始する。
年を経たドラゴンは、肉を食べずに魔力を食べているという話があるが。
此奴も胃袋の中は空っぽ。
幾つかの内臓は、爆発寸前の、臨界状態の魔力が満ちていた。それらを回収して、何度もばらしながら、まずは保存処置をする。
肉はこれは流石に食べられない。これだけの強烈な環境にいた生物だ。確定で毒があるとみて良い。だからエーテルに溶かして成分を分析する。燻製にだけはしておいたが、食べないように皆に釘は刺した。
ワイバーン肉は絶品なのだが。
たとえドラゴンがワイバーンの成体でも、これは流石に、皆食べる気にはなれないようで。あたしがいうと、疲れた笑みを返してくるのだった。
ただ、皮は剥いでおく。
この皮は、しっかり加工すれば、生半可な金属素材なんて鼻で笑う程の凄まじい代物になる筈。
前に古城で倒したドラゴンは。全火力で吹っ飛ばしたから、殆ど素材らしい素材も採れなかった。
だが今回は違う。
ただ、これが純粋種のドラゴンなのかはちょっと分からない。
それに近い存在なのは、ほぼ確定と見て良さそうだが。
今頃、パティがあっと声を上げた。
「どうしたのパティ」
「ま、まさか私、ドラゴンスレイヤーになったんですか!?」
「今更?」
「じ、実感がなくて……」
指をつきあわせて真っ赤になるパティ。
笑っても良かったのだが、タオが大まじめにそれに応える。
「そうだよ。 この首を持って帰って、アーベルハイム家に活用して貰おう。 今後パティは、竜殺しの武人として、百年来の英雄として将来の名声が更に確約されるよ」
「だからってまだ調子に乗ったらいけねえぞ。 まだ甘いところが多いからな」
「わ、分かってます。 ライザさんや皆さんの力がなかったら、絶対に倒せませんでした」
「……今の貴族共は阿呆の集まりだが、これは次の世代は自浄作用が働くかもしれんな」
クリフォードさんがぼやいて。
そして、決めたようだった。
「よし、パティ。 俺は話を受けるぜ」
「ええと……アーベルハイムに雇われてくれるという事ですか?」
「ああ。 ただし、今回の一件が終わった後。 それと、トレジャーハントの副業としてだ」
今度は、みんな遠慮なく笑う。
それは、好意的な笑いだった。
クリフォードさんは、死闘の後でも変わらない。なお激戦で右手の人差し指が吹っ飛んで。今薬でつなげたばかりだったのだが。それでも、こんな事をいう余裕がある。それだけで、凄い人だった。
そんな人に対する、敬意の篭もった笑いだった。
4、凱旋と……
遺跡の安全はこれで確保できた。
一度、毒竜の解体と、首を持っての凱旋を済ませる。
頭が半分打ち砕かれ。片側に目が二つある異形の竜の死骸は、街の入口を通るだけで騒ぎを起こし。
アーベルハイム邸に持ち込む時にも、周囲に人だかりが出来ていた。
メイド長が、弁士をすぐに連れてくる。
弁士というのは、喋る事を仕事にしている人だ。
クーケン島にも一人だけいたっけ。
祭なんかで、司会進行をすることを仕事にしていて。重要な行事の時とかも、開始の合図をしていた。
声を増幅する魔術を使っているのだが、あたしが声を大きくするための道具を渡しておく。
合間に作ったもので、別に大したものでもなく、空気の振動である声をそのまま増幅して、更に拡散するだけのものだ。
これに喋る事を仕事にしている人が加われば、更に分かりやすくなる。
「王都を狙っていた悪竜を、アーベルハイム家のパトリツィアお嬢様が、協力体制にある錬金術師であるライザリン=シュタウト様と、そのお仲間がたとともに仕留められた! 実に百年以上ぶりの快挙である! 新しいドラゴンスレイヤーが、今誕生為されたのだ!」
「おおっ!」
「アーベルハイム家、万歳!」
元々王都の良民は、アーベルハイム家に非常に大きな感謝をしている。
当たり前の話で、上に立つ人間の責務を体を張って果たしている事を、誰もが知っているからだ。
王家や他の貴族とは違う。
そいつらは偉そうにふんぞり返っているだけ。
アーベルハイムは生命線である街道近辺の警備に出て、常に最前線で戦っている。それで実際に命を救われた人間は数も知れないし。
王都の警備でも、義賊の三人組などを積極的に採用して。
治安の向上に努力してくれている。
要するに、生きやすくなるように最大限の努力をしてくれている存在であって。
それでこれだけ歓迎されていると言う事だ。
今朝、他の貴族複数家に対する醜聞が、パティの手でまき散らされた事もある。
これで王都のパワーバランスは一変するはずだ。
ヴォルカーさんが出て来たので、弁士も慣習もぴたっと黙る。
ヴォルカーさんは、毒竜の巨大な、半分になった首を見やると。
うむと頷いていた
パティの格好を見て、どれだけの激戦だったのか、一目で理解したのだろう。
「見事だ。 後は私が処理しておこう」
「はい、お父様」
「すまないが、ライザ君。 明日は娘を連れて王宮に出向く。 この毒竜の首を国王に見せなければならないからな」
「そう思って、首の保存処置はしてあります。 ただ牙には強い毒がありますので、運ぶ時には注意してください。 念の為、もしも牙に触れてしまったときは、この毒消しを用いてください」
薬も渡しておく。
今、アトリエで急いで解析して、毒消しを調合したのだ。
毒は量こそ多いが、成分はそれほど厄介なものではなかった。
毒蛇の中には体が大きく、毒の量が多くて危険なものがいる。この毒竜は、そういうタイプだった。
勿論毒消しが効くことも実証済みだ。あたしの身で。
「何から何まですまないな。 これからもパティと連携して王都のために行動してくれ」
「はい」
王都のためだ。
この国の王族や貴族のためじゃない。
そう込めての、返事だった。
そのままアトリエに戻る。
今日はミーティング無しで解散。明日から、羅針盤を使っての、遺跡の探索を行う事になる。
そもそも北の里が、更に厳しい場所である事は確定なのだ。
それに、封印にも傷をつけたくないし。徹底的に丁寧に調べておきたい。
あの墳丘の中に封印があるのはほぼ確定とみて良いが。
いずれにしても、あの場所には時間をおいてから、調査に出向きたいのも事実だった。
アトリエで、皆で休む。
「ライザ、感謝するぜ。 俺はトレジャーハンターして長いが、あんな凄まじい魔物とやりあったのは初めてだ。 それで勝てたんだから、ロマンの極限を味わえたと言える」
「良かった。 満足出来ましたか?」
「まさか。 常に更に先を目指す。 そうでないと、人間は進歩が止まる。 俺はまだまだ、更なるロマンを目指していくぜ」
流石だ。
クリフォードさんは、子供みたいな所もあるが。
こういう所は筋が通っている。下手に大人ぶっている人間より、よっぽど好感が持てる人物である。
ボオスが咳払い。
「明日はパティは忙しいだろうな。 それでどうする」
「明日一日掛けて、羅針盤を用いて遺跡の探索を終えてしまうつもり。 出来れば封印も確認したい」
「それじゃあ、私も明日は抜けて良いかな。 王都の混乱のピークが明日になるとおもうから、バレンツの方でも色々とする事があるの。 私の見たてでは、幾つかの貴族の家が今回の一件で没落して、結構な資産が流出する。 それによる混乱をある程度抑える手を打っておきたいの」
あくまで影響が出るのは王都の中だけ。
それでも三十万の民が混乱による影響を受ける可能性がある。
クラウディアの対応は妥当だと思う。
「よし、じゃあ明日はパティとクラウディア抜きで行こう。 それでいいかな」
異議はでなかった。
よし、これで「深森」の探索も大詰めだ。
流石にあれ以上のガーディアンは配置されていないはず。だが念の為に、これだけの戦力もいる。
何よりあの場所では、クラウディアの音魔術による奇襲防止があまり機能していないのも事実。
それだったら。別にクラウディアの存在は必須とも言えなかった。
舞っていた土も、雨が降っていたこともあって、明日には落ちついているだろう。調査には、それで良かった。
皆が帰ってから、毒竜の肉を分析する。
フィーが、不思議そうに見ていたが。
あたしは、腕組みしてしまう。エーテルに溶かして要素を分析してみたのだが。
やはり毒がかなり含まれている。
それ以上にこれは。
内臓の方が良いか。
内臓を確認して、中身を取りだして見る。そして、あっと声が出ていた。
内臓の中から、要素を圧縮して、エーテルから取りだす。
其処には、小さいけれども。確実に虹色に輝く光があった。
生唾を飲み込む。
これは、間違いない。
「セプトリエンだ……」
なるほど。
確かに超圧縮された魔力によって出来ると言う話だったが。あれほど強大な毒竜の体内だったら、自然に出来る可能性があるということか。
これは自然には見つからないだろう。
それにこのセプトリエンは、あまり品質が良くない代物である可能性も高い。
出来ればもう少しサンプルが欲しい。
なお、セプトリエンを取りだして見ると。あれだけ臨界近い魔力を蓄えていた内臓は、即座に萎びてしまった。
色々な意味で恐ろしい金属だ。
これが伝説の品になるのも、よく分かった。
「フィー?」
「ごめんね。 これはあげられない。 それよりも……」
粗悪品でもいい。
ともかく、これをトラベルボトルにセット。それで増やして、それで。
ゴルドテリオンでは限界だった装備の刷新が出来る可能性がある。
これ以上は装備の強化ができない事を覚悟していたが。
ついに、その先が見えてきたことになる。
錬金術師としての血が疼く。
いよいよ、究極の装備が。
見えてきたかも知れなかった。
(続)
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