厚い壁の向こうに
序、大雨が去り
まだ空はどんよりとしているが、とりあえず何とか雨は晴れた。ただこの様子だと、あくまで一時的な話で、しばらくは断続的に強めの雨が降ったり降らなかったりだろう。
あたしにとっては、雨は季節によっては全く降らないものだ。
クーケン島近くの気候では、乾期には雨は全く降らない。これもあって、もしも門が開いていたら、それこそ世界が滅びる所だった。フィルフサは水がなければ、圧倒的な繁殖をする。
次の雨が降った頃には、もうフィルフサが定着してしまっていただろう。そうなっていたら、もはや人間にフィルフサを押し返す力などなかった。
この辺りは、パティに聞いたが、クーケン島近くほど乾季雨季が激しくないらしく。雨は年中満遍なく降るらしい。
そういう意味では、フィルフサが仮に門から押し寄せてきても、その勢いはある程度阻害されるかも知れないが。
しかしながら、雨が降っていてもフィルフサは恐ろしいまでの組織的行動を見せる。
それを考えると、それでもなお厳しいだろう。
封印の正体が門を封じ込めているものの可能性が極めて高い現状。一秒だって無駄に出来ない。
遺跡を調査し始めて、既に一週間が経過している。遺跡の姿は見ることが出来たが、幾つもの防壁がどうにも突破出来る気がしない。
キビスビスとリラさんが呼んでいた、植物が産み出す龍脈で狂わないための物質はどうにか無力化出来る目処が立った。
だがそれ以外にも、対魔装甲を貫通している複数のよく分からない毒だかなんだかがまだ正体がよく分からず。
中和に至っていない。
少しずつ、幻惑効果の影響が薄い今、調査を進めているが。
それも雨が止んだら、一気に振り出しに戻りかねない。
夕方。
戻る事を決める。
この遺跡は、危険すぎる。
とにかく、夜になる前に戻る事が絶対条件だ。
改良を重ねた結果、重くなってしまっているエアドロップ陸上型を畳んで、荷車に詰め込んで、王都に戻る。
とにかく、遺跡に入るまでにこれほど苦労させられるなんて。
パティが少し辛そうにしている。
「パティ、平気?」
「少し頭が痛いです」
「キビスビスをはじめとした幾つもの毒素に当てられているのね」
「とにかく体力をつけるしかねえな。 俺はある程度平気だ」
クラウディアも平気そうだ。
そういえば、だが。
深入りをするつもりがなさそうなクリフォードさんだが、そろそろ話をしておくべきだろうか。
この人も、信頼出来る。
そうあたしは判断している。
パティは信頼出来ると判断したから、何を探っているかは既に話した。
クリフォードさんも。
そろそろその時期かも知れない。
クリフォードさんは、あくまでトレジャーハンターであり。そんな酔狂な生き方を全力ですると決めている人だ。
価値観は普通とは違うかも知れない。
だが、好漢だ。
だから、話をしてもいいだろう。
ここから先は、これ以上危険な命を賭ける場所になるのだから。
ともかく、今日は一度戻る。
アトリエでミーティングをして、解散とする。レントはここ数日、アーベルハイム邸に出向いて、パティの剣の稽古を見ているようだ。
レントの方が、まだ数段格上の使い手と言う事もある。
それもあって、ここしばらく実戦があまりないパティも、安心して探索に出向けているようである。
あたしは、採取してきたサンプルをエーテルに溶かして、要素を抽出。
毒になっていると思われるものを濃縮し。
更にはジェムを用いて増やして、研究を続ける。
冷や汗が出る。
高濃度の毒を扱っているのだ。
何度も頭がくらくらした。
「フィー……」
「分かってる。 これで今日は終わりにする」
フィーも心配そうだ。
それもあるが。
少しフィーの体調が悪くなっているようである。
もしも、アンペルさんが言うように。
フィーがオーリムの生物だとしたら。
だが、今オーリムの環境に、トラベルボトルを切り替える手段が無い。オーリムだからといって、それほど有用な素材が得られる状況ではないし。そもそもオーリムと言っても、フィルフサに汚染された地域では、それほど意味はないだろう。フィルフサが改造した環境に適応した生物がフィーだとは思えない。
だとすれば、オーリムに急いで戻しても無意味だ。或いはグリムドルだったら意味があるかも知れないが、復興途中のグリムドルでどれだけの意味が出てくるかもわからない。
そもそもとして。
リラさんやセリさんが此方で体調を崩していないように。
逆に、あたし達がオーリムで体調を崩さなかったように。
此方の世界とオーリムでは、別にそれほど変わるものはないはずだ。
あるとしたら、食糧の不足か。
フィーは高濃度の魔力を喜んで食べているようだが。その濃度が足りていないのかも知れない。
だとすると、龍脈が必要なのか。
ちょっと考え込んでしまう。
最悪の場合は、あたしの手でフィーを終わらせて、楽にしてやるしか無い。
畜産経験者だから。その覚悟は出来ている。
だけれども、やれることはやっておきたい。
それくらいの情は、既に湧いていた。
眠る。
感応夢は見ない。
それを見るほどに、遺跡の内部に入り込めていないということだ。
悲しい話だが。
まだまだ、遺跡を守る防壁は分厚く。
とてもではないが、内部に侵入するどころではない。
それはあたしも分かっていた。
分かっていたからこそ。
それでも、少しずつ進まなければならなかった。
翌朝は、雨が降っていた。豪雨では無いが、かなりの雨だ。一日中これは降るな。あたしはそう見立てる。
これでも農家の娘だ。
それくらいの予測は、難しくは無かった。
雨の中、街道を行く。
やはりかなりぬかるみが酷くなっている。
「連日の雨だな。 この辺りだと結構纏まって降るのか?」
「いえ、あまり雨が連日降るのは経験がないですね。 水害とかもほぼ起きた記憶もないんですが……」
「水害の記録だと、六十年前に起きているようだけれども、それも王都に被害は出ていないみたいだよ」
さらっと地元の人間よりタオが歴史に詳しい。
まあ、それは別に良いか。
タオだし。
それくらいは知っていても不思議では無い。
パティもちょっと流石に引き気味だ。
「もう何年かタオが歴史の勉強をしたら、多分地元民よりも何から何より詳しくなってるんじゃないか」
「あ、あり得ますね……」
「そんな事はないよ。 人生は最初から最後まで学ぶ事ばかり。 そんな風に思った時点で、成長が止まるんだ」
「そうだね、それはあたしも思う」
アンペルさんに聞いたっけ。
その分野に詳しいと思うようになった時くらいが一番危ないと。
基本的に人間は、半端な知識を持っているときに、一番物事に詳しいと錯覚しがちなのだという。
確かに一利ある話だ。
あたしも、気を付けなければならない。
雨の中、走る。
道がちょっと分からないくらいグチャグチャだ。王都を出れば、街道も石畳なんて引いていない。
この視界だと、魔物や賊に襲われる可能性があると判断したのかも知れない。
ほとんど、雨が降り始めてから隊商が行くのを見ていない。
クリフォードさんが叫ぶ。
「次を左だ!」
「分かった! 速度落とすよ!」
「よしきた」
荷車の速度を落とし。そして安全に曲がる。
無言で現地に走り。
そして、雨の中。
森の中で、止まった。
やはり、危険ラインがまた変動している。キビスビスが流れ出しているというのもあるのだろう。
慎重にラインを見定めて、そしてエアドロップを出す。
今回は、逆に好機。
今、キビスビスを生産する傘みたいな植物は休眠状態になっている。
キビスビスそのものは、中和する事も出来る。
だから、やる事は一つだ。
あたしが取りだしたのは、ロープつきの爆弾である。爆弾はフラムだが、破壊力を度外視して、とにかく広域にキビスビス中和のための液体を入れてある。
これを爆破で気化し。
広域にばらまくのが目的だ。
問題はこれを投擲するときに、森の中では木が邪魔な事なのだが。
それも考え済。
川の近くに、少し開けた場所を見つけてある。
此処から、迷いの森。
羅針盤で封印を作った人間達が言っていた「深森」の中央部、その上空にこれを叩き込む。
それで、一気に中和する。
すぐに移動。
案の定、普段はさらさら流れている程度の川が、かなり勢いが強くなっている。
泥水になっていて、深さも膝まであるかどうかだったのが、腰くらいまである。この勢いだと、子供とかがはいったら一瞬で流されるだろう。
「荒れている川は見た目より遙かに危険だ。 絶対に足を踏み入れるなよ」
「はい。 レントさんは経験があるんですか?」
「ああ。 色々な」
まあ、水についてはあたしのあの事件も含めて、アガーテ姉さんにしこたま色々と仕込まれた。
今では着衣泳を覚えたあたしでも、流石にこういう水に入る気はしない。
というか、この泥水。
サメが遡上してきている可能性もある。
あれらはどこにでも姿を見せる。
流石にそんなに大きいのはいないだろうが。それでも迂闊に落ちたら体の半分くらいばっくりあっと言う間に食われる可能性は低くなかった。
陸上にも上がってくるようになったサメは、どれも貪欲極まりなく。非常に危険な魔物なのである。
「足場がちょっと緩いかな。 みんな離れて!」
「おし」
「どうするのライザ」
「こうする」
そのまま、足下を熱操作で固める。冷気によって、だ。
あたし自身が凍らないように、あたし自身の足下に熱を集中。当然だが、そんなに時間はもたない。
クラウディアが、離れるように指示。
ちなみに最初はクラウディアの弓矢で放つ事も考えたのだが。クラウディアの弓は、ここまで重いものは飛ばせないそうだ。
レントも投擲にはそれほど長けておらず。
またクリフォードさんも、こんなに大きな爆弾を遠くに投げるのはちょっと苦手らしい。
「振り回しながら投げるから、離れて! ぶつかると危ないよ!」
「植物にダメージがないように、一発で成功させなさい」
「そうします」
セリさんが、地面を凍らせたのを見て、あまり機嫌が良く無さそうな様子で言う。
あたしも、それは分かっている。
元々、こんな氷。
あたしの全力投擲で足場にしたら、一発しかもたない。
ロープを適度に伸ばすと、あたしは爆弾を振り回し始める。セーフティは解除。雨がかなり降っている中、あたしは回転する。
遠心力だったか。
そういう力であるらしい。
錬金術でも、遠心分離器というものを回して、ものを重さごとに分離したりする事もあったらしいとアンペルさんに聞いている。
今主流の錬金術は、錬金釜のエーテルの中で殆ど出来てしまうため。エーテル内部での要素の分割が苦手な錬金術師がそれをやっていたらしいが。
あたしは、今の時点では、それは必要ない。
それだけの話だ。
ともかく回転して、回転の速度を上げる。
そして踏み込むと同時に、爆弾を投擲していた。
氷も地面も踏み砕かれる。
狙い通りに爆弾は飛んでいく。
タオが遠めがねを使って観測していて、右手を挙げた。起爆ワードを唱える。
爆弾が、炸裂。
霧状の煙が。
遺跡があるだろう場所に、降り注いでいた。
雨もあって、これで地面の下にも、一気に浸透するはずだ。
問題は遺跡を守っているのがキビスビスだけではないということ。
これで一枚だけ、遺跡を守る防壁を剥がすことが出来た。それだけである。
嘆息すると、次に。
エアドロップは、更に重くなっている。
エアドロップの其処の部分に、何種類か装甲を用意してきたのだ。その結果、更に重量が増した。
一つずつ、これを試す。
そして効果があったものを、なんとかして装甲として身に纏う。
それで内部を調査する。
いずれにしても、セリさんが眠らせてくれたあの植物だって、いずれまた目を覚ますことになる。
調査をもたついている時間はない。
今回はクラウディアをつれて行く。更にクリフォードさんに運転して貰う。
エアドロップが起動すると、ぐんと重い感触に。クリフォードさんが。口笛を吹いていた。
マスクをしているから口元は見えないが。
それでも多分楽しいのだろう。
「良い感じの重量感だ。 この重さ、いいねえ」
「それでライザ、タオくんたちは大丈夫かな」
「大丈夫だよ、レントもいるし。 向こうは向こうで、実験を続けて色々調べて貰わないと」
「うん、それは分かっているけど」
クラウディアは、肝は据わったのかも知れないけれど。
時々こんな風に、弱気な素顔が表に出てくる。
でも、それを支えるのがあたし達だ。
別にいつも、バレンツ商会のおっかない顔役でいる必要もない。
「あの、ライザ。 また機械の修理、頼んでいい?」
「いつでも。 今日? 明日?」
「明日の夕方」
「おっけ。 覚えておくよ」
エアドロップ陸上型が進んで、そのまま以前の危険ラインに。
不意に止まる。
クリフォードさんが、無言で奧をじっと見つめていた。
「この辺りが危険ライン?」
「そうなるな。 それよりも……」
「何かあった」
「ああ、なにか動いた。 多分ガーディアンはいるだろうと思うが、それかもしれん」
無言で、あたしは杖を掴む。
それはそうだ。
いるに決まっている。
何重も防壁を巡らせただけで、封印の本丸だろう代物を、放置しておくわけがない。
強力なゴーレムなり生物兵器なりを配置しているとみるのが妥当だ。
クラウディアが、音魔術を使って辺りを調べてから、一度戻る。
装甲を付け替えるが、結構手間暇が掛かる。そして、もう一度トライ。その間も、タオは淡々と実験を指揮し、レントが周囲を見張ってくれていた。
セリさんの植物操作を主軸に、タオが実験を進めているようだ。パティは完全に助手に徹して、タオの作業を手伝っている。
貴族の令嬢がこの様子を見たら、何か嫌みを言うかも知れないが。
ケーキみたいに外見を取り繕うことしかない肥大化したプライドの塊なんぞに、存在する意味はない。
こうやって、しっかり働いているパティの方が百万倍偉そうにしているだけの貴族の子弟よりも立派だ。
黙々と作業を進める。
幾つかの装甲を試してみるが、やはり遺跡の深部にはまだ肉薄できない。
何が足りないのか、それがちょっと分からない。
クリフォードさんが、ぴたりと止まる地点は、どんどん正確になっているようである。
クラウディアも、首を横に振る。
音魔術すら、地形を正確に把握できないほど、この辺りは五感を狂わされるということだ。
エアドロップを降りでもしたら、一瞬で狂い死ぬだろう。
それでも、幾つかのデータは採れた。
鉛は効果がない。
そうなってくると、ある種の鉱石が出す毒物とやらは噛んでいないと見て良い。
色々調べて見て、磁力を中和する装甲も作って見たが。
これもあまり効果は無さそうだ。
そうなると、過剰すぎる魔力が原因か。
対魔装甲すら貫通してくる魔力となると、それは流石にちょっと手に負えないかも知れない。
さて、どうしたものか。
一度戻る。
今日の成果はここまでだ。
とにかく危険な場所を探索しているという自覚を持って行動しなければならない。
そうしなければ。
下手をすると、一瞬で全滅する事になりかねないのだから。
1、試行錯誤を重ねて
機械を修復する。今回のは、この間の巨大な保存食用のものじゃない。
どうやら薄くのばした金属を加工するものらしくて。それほど巨大ではないけれど、危険なほど鋭い刃物が多い機械だった。
これは危ないな。
そう思いながら、あたしはパティに手伝って貰って修復を進める。
刃物が多くて、あたしも手を切りそうでひやひやしたが。事故は起きず。どうにか翌日の朝までの作業で、修復する事が出来た。
薄い金属板を作るのがそもそも手間。
これも今は、職人がやらなければならないし。
そもそも均一な金属の板を作るのが非常に手間である。
それで何を作ったのかがよく分からない。
どうも作った後、何かを詰めるのに使っていたようだけれども。
金属次第では、当然毒が漏れだして危ない。
なんでこんな機械を直したのだろうとあたしは思ったのだけれども。
恐らくだけれども。
ロストテクノロジー化した挙げ句。
使い路が分からなくなっている機械だったから、なのだろうと思う。
貴族が今、裏で激しく火花を散らしているからこそ。
こういう機械を優先したのだろう。
それだったら、先に直すべき機械は幾らでもあるだろうに。
馬鹿馬鹿しい話だ。
「ごめんねライザ。 無駄な手間を取らせて」
「いいんだよ。 それよりも、なんとか遺跡の奧へ入らないと」
「アンペルさんに意見は聞けないの?」
「もう聞いたよ。 それでも苦労してる状態」
工場からアトリエに戻りながら、そんな話をする。
パティは疲れている様子はなくて、むしろあたしの方をずっと興味深そうに見ていた。
「ライザさん、それで今日の調査は……」
「雨が降ってるから好都合だね。 それにキビスビスがもう充分に中和されたと思うし」
あの後、もう二発同じような爆弾を放り込んでおいた。
これで、キビスビスによる異常は考えなくて良いはずだ。
だけれども、まだまだ危険な事に代わりは無い。
今まで一番上手く行っているのが複合装甲なのだが。この複合装甲、とにかく重くて仕方が無い。
エアドロップ陸上型が遅くなるのは当然なのだが。
荷車が非常に重くなるので、色々と考えてしまう。
「とりあえず今、装甲の軽量化を調整してる。 全部の複合装甲を、どうにか今日中に仕上げたい」
「そうなると、今日の調査は早めに切り上げる感じですか」
「そうなるかな」
アトリエに戻ると、皆でミーティングをする。
今まで効果があった装甲を、全部複合する。それで、様子を見る。
もしもそれで上手く行くようなら軽量化してみる。
軽量化については、効果がないものは外し。それで主に薄くする事で対応する事になるが。
果たして上手く行くかどうか。
ともかく、やってみるしかない。
現地に急ぐ。
工場から戻ったばかりだが、疲れはない。
タオが走りながら、さっきの機械について話を振ってくる。
「ライザ、あの機械だけど」
「うん」
「どうやら缶詰というものらしくてね」
「缶詰」
内部に食糧を入れて煮込むなどし、それを密封することで、何年、下手をすると何十年も保存出来る食糧を作るものだったらしい。
なるほど、それは便利だが。
逆に言うと、湯水のように金属を使い。
金属から漏出する毒が食べ物に混ざらないようにする技術がいて。
それで始めて成立するものだ。
それを作れるのは、今の技術では無理で。
完全に死に技術となる。
「それは、無駄なものを直したね」
「そうでもないよ。 缶詰を作れるだけのテクノロジーはある。 それに意味があるんだ。 今後人類が盛り返したときに、この機械が存在している事に大きな意味がある。 今、僕達も散々試行錯誤して、時間を使っているだろ。 その時間を、すごく短縮できるんだ」
「確かに、この時間をもう少し短縮はしたいわね」
セリさんがそんな事を言うが。
こういう会話に積極的に加わってくれるのは有り難い。
前はもっと警戒していて。
明らかに会話に加わろうともしなかったから。
「未来の為だよ。 いずれ、未来の人が、ライザに感謝すると思う」
「その時あたしは生きていないかもね」
「なんともそれは言えない。 だけれども、五百年間ずっと魔物に押されていた人類だけれども。 もしも盛り返すとしたら、ライザみたいな豪傑が中心となって、だと思うよ」
苦笑い。
豪傑と言われるのは何度かぶりだけれども。
タオにまでそう言われると、ちょっとなんというか複雑だ。
現地に到着。
すぐにエアドロップをと思うが。かなり重くて、レントとパティに手伝って貰って膨らませる。
パティもずっしり来たのだろう。持ち上げるときに顔色を変えていた。
「これだと、折りたたむ機能をなくしたほうがよいのではありませんか?」
「そうもいかないんだよ」
そうなると、一から組み立てをし直さなければならないし。
何より現地までエアドロップで行く事になる。
移動中のエアドロップが無力であることを考えると。
それは悪手の極みだ。
とにかくエアドロップに乗り込む。
さて、複合装甲の性能はどうだ。乗り込んで、奧へ。クリフォードさんは。最初は重量感がと楽しそうに言っていたけれども。
とにかく動きが重いので、途中から無言になっていた。
さて、そろそろ危険ラインか。
クラウディアが、残っているタオと糸電話越しに連絡をする。
「そろそろ危険ラインよ。 様子がおかしくなったら、予定通りの合図をして」
「分かっているよ。 気を付けて」
「うん。 ライザ、いよいよだね」
「……」
頷く。
そして、エアドロップが、更に速度を落とす。
雨の中、進んでいくエアドロップ陸上型が、危険ラインを越えた。どうやら。この複合装甲、効果はあるようだ。
何が要因だったのかは分からない。
或いは、全てが噛んでいたのかも知れない。
ともかく、更に危険域に踏み込む。
だが、あたしにも感じ取れた。
何かが視界の隅で動く。それも、相当にデカイ奴だ。
「どうやらこれ以上接近はできないらしいな。 エアドロップを降りられるなら、話は別なんだが……」
「此方クラウディア。 タオ君、何かしらの生物と遭遇。 ちょっと姿は分からないけれど、かなり大きいよ」
「分かった、撤退を最優先に動いて」
「了解、と」
進める事は分かった。
だけれども、進めるだけだ。
エアドロップに乗ったままでは、戦闘どころじゃない。
一度戻って、とにかく対応を考えないとまずいだろう。
幸い。何か大きな影は、エアドロップを追ってはこなかった。そいつが何者なのかは分からないが。
クラウディアが、あたしに言う。
「奥の方に、大きな建造物があるみたい。 逆に言うと、それ以外に建造物らしいものは見当たらないよ」
「ふーむ、そうなると……」
「きっと、封印があるのは其処だね」
「同感」
クリフォードさんがぼやく。
皆の所まで戻る。
不可解な影は。
追撃はしてこなかった。
アトリエに戻る。まだ昼少し過ぎだ。これで一旦今日は解散。恐らくだけれども、磁力をはじめとして目に見えない力が中心となって、五感を狂わせに来ていたのだ。しかもその破壊力は大きい。
多分だけれども、フィルフサ対策として考え出されたものだ。
あらゆる生物に効果があるのだろう。
実際問題、あの森は静かすぎた。
鳥もいなければ、虫もいない。
或いは虫が嫌いな人には良い場所かも知れないが。落ちていた魔物の死体が干涸らびていた事を考えると、スカベンジャーになるような生物もいないことになる。
汚いものは、それを分解する生き物がいて、迅速になくなる。
だから生理的に嫌悪感を覚えるような光景であっても。
汚いものを排除してくれる存在は、それだけで敬意を払わなければならないのだ。
そうアンペルさんが言っていたっけ。
あたしも今では納得している言葉だ。
見かけで相手を判断するのは、人間の最悪の病理だが。
静かで綺麗なように見える森が。
実際には生物の存在を許さない死の森だというのは、ある意味で皮肉の極みなのかも知れなかった。
「それでライザ、どうするの?」
「まずは複合装甲で、危険ラインを越えられるか確認。 その後は、複合装甲を解析して、装飾品にまで改善します」
セリさんに、順番にやるべき事を応える。
複合装甲を完成させたら、それを解析。
それが発している、防いでいる要素をエーテルに溶かして分析。
その防御、性質で、全身を守る装飾品にする。
本来だったら何年でもかかっただろう作業だけれども。
それでも、錬金術によるエーテルの解析と。
更にはあたしにはアンペルさんという優れた先人や。
タオというブレインがいる。
だからこそ、短時間で出来る筈だ。
「装飾品で防げるようになったら、全員分を作成。 後は遺跡に乗り込みます」
「相変わらずとんでもねえな錬金術」
「そうだね。 だから、古代クリント王国の錬金術師達は狂ってしまったんだと思う。 今も、あたしは万能感に足首を掴まれないようにするので、精一杯だよ」
「私だったら、とっくに目の前が見えなくなっていると思います」
パティが引き気味に言う。
勿論褒め言葉だと解釈して、ありがとうと応えておいた。
昼食だけ取って、それで今日は解散。
パティは午後から授業に出て、夕方からタオの家庭教師を受けるそうだ。
最近パティが工場で機械を直す作業のデモンストレーションをしていることは話題になっているそうだが。
学校に顔を出すことで、学業もしている事は示さないといけないのだろう。
体力的には大丈夫かちょっと不安になったが。
それは平気であるらしい。
タオはクリフォードさんと、図書館に向かうそうだ。
図書館にはタオが顔パスで入れるので、手分けして作業をするらしい。
クリフォードさんはタトゥーとか入れてるからちょっと大丈夫か心配になるが。タオが助手だと言って一緒に入るそうである。
他の皆も、午後はそれぞれに動く。
解散後、セリさんが残った。
話があると言う事だろう。
エーテルに複合装甲を溶かし、解析しながら、話を聞く。
「セリさん、それでどうしたんですか?」
「はっきりさせておこうと思ってね。 封印されているというのは、門で間違いないのね」
「100%確実ではないですが、恐らくはそうです」
「……そう」
セリさんがまつげを伏せる。
いつも鋭い刃みたいな雰囲気で寡黙なものだから。周囲に人を寄せ付けない棘みたいなものがあったのだが。
この人は、或いは。
リラさんと同様に、少しでも世界をどうにかしたいと思っているだけの人なのかも知れない。
「それで門を見つけたらどうするの?」
「古代クリント王国時代のテクノロジーに、聖堂というのがあるんです」
「……」
「簡単に言うと門の制御装置ですね。 これの仕組みは、既に解析しました」
アンペルさんに以前聞いた。
門というのは、殆どの場合古代クリント王国が、オーリムへの侵略のために開けたものらしい。
しかし、ごく一部。
それ以前から存在しているものがあるのだとか。
それが「自然門」。
此方はどうして生じたのかよく分からない代物で、記録に残っているのは知っているが。アンペルさんも遭遇した事がないそうだ。
ただ。アンペルさんの話によると、神代からそれ以降にかけて開けられたと思われる門を今まで数度発見しているらしく。
それらにも、聖堂か、それ以上に高度な制御装置がついていたらしい。
恐らく門を開ける技術は神代のもので。
古代クリント王国は、それを復興したのだろうと仮説を口にしていたっけ。
「残留思念の情報からして、恐らく封印されているのはこの「自然門」か。 古代クリント王国時代以前の門だと判断して良さそうです。 後者の場合は、聖堂がある筈なので、それをどうにかすればいい。 問題は「自然門」の場合で、その時はフィルフサを排除しながら、聖堂を作らないといけないでしょうね」
「フィルフサと戦った事もあるのね」
「はい。 百万を超える群れと。 雨を引き起こす事が出来たので、どうにか撃退はできましたが」
「……」
グリムドルの戦いについても話す。
オーリムの聖地グリムドルは、フィルフサの巣窟だった。オーレン族の人達は、笑顔で近付いて来た古代クリント王国の人間を寛容に歓迎し。結果、悪魔を招き入れてしまったのだ。
連中は資源確保のために水を奪い。
フィルフサを大繁殖させた。
騙される方が悪いとか口にする輩も世の中にいるらしいが。
あたしはそんな事を口にする奴がいたら、首を蹴り折る。
それだけ、騙す事が如何に邪悪かの実例が、其処にあったのだから。
他人なんてどうなったって知るかと口にするような奴が、金を稼げるという話もあるらしいが。
そんな奴はあたしが再起不能になるまで蹴り潰す。
そう思わされるだけのものを、あたしはグリムドルで見た。
「ともかく、まずは「封印」が何処にあるかを突き止めないと。 今までの情報だと、まだ具体的な場所が分かっていません。 王都の地下にでもあったら最悪です」
「そうね。 確かにその通りだわ」
「セリさんは……何が目的なんですか?」
「今まで貴方を見てきた。 必要だったら殺すつもりだった」
フィーが、不安そうに鳴く。
そうだろうな。
あたしは、最初から分かっていた。
セリさんは、きりきりと胃が痛くなるような殺気を時々はなっていた。場合によってはあたしを殺すつもりなのは、知っていた。
「だけれども、今はそのつもりはない。 貴方は錬金術師なのに、あの邪悪な古代クリント王国の錬金術師とは違う。 それが分かったから……」
「ありがとうございます」
「……私の目的はね、オーリムの浄化が出来る植物の発見よ」
「!」
そうか。
セリさんの方も、此方に来ている目的が当然あった訳だ。
咳払いすると、セリさんは話をしてくれる。
調合をしながらでいい。
そう言いながら。
セリさんの話も、結構大変な物だ。
セリさんは、古代クリント王国の前に来た連中に、オーリムを荒らされるのを見ていたという。
古代クリント王国以前に門があったのだ。
当然、それはあったのだろう。
そうしてフィルフサと戦い続けていた地域。
そこにセリさんはいたそうだ。
フィルフサはオーリムの在来生物だと言う事だが。要するに古代クリント王国以前にも、此方の世界の人間は、オーリムで迷惑を掛け。フィルフサを増やすような真似をしていたということか。
それは、怒るのも当然だろうと思う。
本当に、申し訳ない話だ。
「ごめんなさいセリさん。 恥知らずな先祖が迷惑を掛けています」
「いいのよ。 錬金術師は今までに何人も見てきた。 どいつもこいつも、オーリムの事を資源を奪う場所としか考えていなくて、滅茶苦茶にしたことをゲラゲラ笑っているような奴ばかりだったわ。 何人かは殺した。 殺さなければ、またフィルフサを増やされていたでしょうね」
それを責めるつもりは無い。
当然の事だ。
というか、その場にあたしがいても。あたしも同じ事をしていたと思う。
アンペルさんが、ロテスヴァッサの錬金術師達の愚かしい行動をみて袂を分かった事は知っていたが。
この世界では、アンペルさんのような錬金術師の方が例外だったのだ。
今は、錬金術師そのものがほぼ絶滅状態。
だったら。
あたしが、新しい水準を作るしかないだろう。
それには恐らくだけれども、人としての寿命では無理だ。
だから、アンチエイジングを取り入れるしかないかも知れない。
その結果人間を止めるとしても。
人間でありながら人間を止めたに等しい、古代クリント王国の錬金術師よりもマシだと思う。
「ともかく、オーリムは今やどこもが無茶苦茶。 古代クリント王国の愚か者達のせいで決定的になったけれども、それ以前からもうフィルフサによる汚染と、それによって枯れ果てた大地が拡がる場所になっているの。 だから私は、其処を復興するための植物を探しているのよ」
「なるほど……」
フィルフサは、フィルフサで排除しなければならないだろう。
だが、奴らを殺し尽くしても、残っているのは荒野だけだ。
それについては、グリムドルの戦いで見た。
フィルフサが滅びれば、都合良く緑が戻って来ると言うこともない。
あたしは半年に一度ほどグリムドルに様子を見に行っている。必死に復興を進めているが、それでもまだまだ全然である。
やっと下草が生えてきたくらいで。まだ樹木と呼べるようなものは、数えるほどしかない。
水が多すぎると言う事もあるが。
そもそも土壌がフィルフサに全滅させられていて。植物が育てる状況にはなくなっているのだ。
仮に、セリさんがそんな状態から大地を復興しようとしているとしたら。
ちょっとあたしには、考えつかない。
余程の強力な繁殖力と、生半可な休作用の植物ではかなわない程の、土壌を豊かにする性能が必要になる。
幾つか植物を思い浮かべたが。
セリさんほどの専門家でも無理と判断するなら。
それは厳しいだろうと思う。
「セリさん。 グリムドルへはこの一件が終わったらいけます。 そこで色々と植物の品種改良をしてみてはどうでしょうか」
「そうね。 グリムドルにいけるというのは疑っていない。 それは頼みたいとは思ってはいる。 だけれども、今のオーリムには、下草もまともにのこっていないの。 フィルフサに対応できる植物なんて、もってのほかよ」
そうだろうな。
激しい水害で、フィルフサに汚染された土壌を全部押し流して。グリムドルはそこからやり直し始めているのだ。
セリさんの言葉ももっともだ。
だから、遺跡を探したかったのか。
遺跡に、そういう植物がある可能性も否定は出来なかったから。
或いはだが。
あの魔食草もどきは、良い線を行っていたのかも知れない。
ちょっとあれは攻撃性が強すぎたが。
「分かりました。 ひょっとすると神代の人間が、フィルフサに対するカウンター装備として、そういう植物を育てていた可能性はあるし、それの生き残りが存在している可能性もあります。 もしも発見できたら、遠慮無く持って行ってください」
「……分かったわ。 その時は、そうさせて貰うわね」
「ただ、まずはフィルフサを駆逐しないといけないですね」
「ええ、それも分かってる。 ただ、それは私の仕事じゃない。 私に出来るのは、植物の知識を生かした復興よ」
そうか。
それも、考えの一つではあるな。
ただ、出来る事なら手伝いたい。
それは、あたしも告げる。
セリさんは、寂しそうに笑った。この人が良い方向に感情を動かすのを、初めて見たかも知れない。
「有難う。 どうやらこの世界に来て数百年、初めてまともな錬金術師に会えたようね」
「すみません本当に」
「良いのよ。 此方に来てから遭遇した畜生以下の錬金術師を殺さなければならなかった思い出よりも、まっとうに錬金術に向き合い世界を実際に復興している貴方に会えた事の方が価値がある。 ともかく、今は恐らくは門であろう封印されているものをどうにかしましょう」
セリさんは、それだけ言うとアトリエを出ていった。
あたしは、集中する。
あの人は、人間を好きなだけ恨む資格がある。
それなのに、あたしに今後も協力してくれることを約束してくれた。
それだけで、どれほどの意味があり。
歴史的な価値があることだろう。
気合いを入れる。
次は、試験を更に完璧にこなして。
最後に、装飾品にまで落ち着かせる。ともかく、いつ封印が壊れてもおかしくない状況なのだ。
あまりもたもたはしていられないし。
封印の場所すらも分からない現状。
とにかく、焦りを抑えながら、確実に進んでいくしかないのだった。
2、橋頭堡
装甲を改良したエアドロップ陸上型で、また危険ラインまで行く。雨が少しずつ弱まっていて、数日以内には晴れるのではないか。
そう感じさせる空模様だ。
つまり、あまりもたついていられない。
遺跡らしいものは見えている。
装甲を改良し、薄くした悪影響は出ていない。つまりこれで大丈夫だと言う事だ。要するに、装甲の厚さは関係無く。
装甲があるということが大事だと言う事か。
そうなると、これをまとえれば。
恐らくは、そのままこの危険ラインまで来られる。問題はその先である。
「それでクリフォードさん、います?」
「いるな。 少なくともこのエアドロップ陸上型に乗った状態だと、一方的に鏖殺されるのはこっちだぜ」
「分かっています」
そして、例のガーディアンがいるようだ。
生物なのかも分からない。
分かっているのは、向こうは此方に来る気がない、という事。
何かを守るために動いているとして。
少なくとも、テリトリ外の存在に、攻撃を仕掛けるつもりはないという事なのだろう。
それは文字通りのガーディアン。
こんなエサもないような場所でずっと封印を守り続けているとしたら。
それを殺すのは、ちょっと気が引ける。
ともかく、一度引き返す。
とりあえずの確認は出来た。
これで奥に進むための準備はできたことになる。
それに、タオもそれなりに外でデータをまとめてくれていた。
まずはアトリエに戻る。
そして、ミーティングで、今までの情報をしっかり整理する。
「やはり土だよ問題は」
タオが告げる。
まずは結論から。
そしてその結論には、あたしも異論はない。
実際、危険地域の奧から持ち帰った土は、それだけで非常に危険だった。あの森で危ないのは、キビスビスなどの後から配備された毒だけじゃない。
土なのだ。
「要するに、土に色々と五感を狂わせる要素があるんだな」
「そう。 それで、幾つか装甲を試してみた。 それで、恐らくはある程度奧には進める算段がついた。 エアドロップで散々試してみて、それでだけれども」
「いや、実験で成果が出たんだから、それで可とするべきだよ」
「ありがとうタオ。 そうだね」
咳払いすると、あたしは幾つかの危険要素についてまとめた。
まずはキビスビス。
本来龍脈近くに生える植物が自衛のために展開するもの。これはそもそも空気とか関係無く、魔力に作用するものであるらしく。
仕組みはよく分からないが。逆に言うと、魔力を出す事で中和できる。
しかも現在、雨で流れて土の中。その土も、対キビスビス用の物質を大量にばらまいておいたので。今は気にしなくていい。
次は磁力だ。
今回問題になっているのは、おそらくただの磁力ではないと思う。
アンペルさんが、磁力を雷で発動できる様子を見せてくれたけれども。
磁力を何かの悪さに使って。
五感がおかしくなるようにしているのだと思う。
それがどういう仕組みだかまでは分からないが。そもそも磁力を遮断してやればいい。
磁石をエーテルに溶かして、その分析は終えた。
磁力遮断は出来る。
まだある。
空気そのものにも、五感を狂わせる要素がある。
これは恐らくだけれども、毒物が生成されてまき散らされている。これは恐らく、遺跡の中心部で行われている。
だから、遺跡の外縁部では影響が小さい。
空気に漂って此方に来ているのだから。
「他にもあるけれど、この三つが主な障害になってる。 これらを無力化すれば、それでだいぶマシになると思う」
「なるほどな。 それでそれを無力化する装飾品をこれから作ると言う訳か」
「一応、今までのエアドロップの装甲を越える性能を出したいかな。 そのために、ちょっと丸一日空けたい」
「分かった。 じゃあ明日はそれぞれ自由行動ということになるんだね」
クラウディアに頷く。
とりあえず、一旦解散だ。
その後は、調合に入る。
エーテルに要素を溶かして、一つずつ防御のための壁を作る。
道具としては、腕輪がいいか。
ネックレスは幾つもぶら下げていると、動くのを阻害する。
腕輪だと、あっても別に邪魔にはならないだろう。
黙々とインゴットをエーテルに溶かし、調合する。ジェムがどかどかでる。エーテルを絞り出して、調合の度に釜に満たす。
冷や汗を拭う。
夕食を忘れてた。
調合が一段落した所で、一旦休憩。カフェまで行く元気はなかったので、出来合いを買ってきて、それで済ませる。
食べた後、少し横になって休む。
おなかにフィーが乗って来た。
「フィー」
「おなかすいた?」
「フィー……」
ちょっと元気がないなあ。
あたしがかまっていないから、だろうか。
魔石を出してきて、フィーに与える。フィーは周りを飛んで確認してから、魔力を吸い込んで。
魔石に篭もっていた魔力がカラになる。
やっぱり、かなりの量の魔力を一気に吸い込んでいる。だけれども、空気中の魔力がなくなる気配はない。
やはり、食べなかった分は排出しているのだろう。
そうなると、一部の大きな魚みたいな食性なのかも知れない。
一部の大きな魚は、水ごと大量のエサを食べて。そして大量の水を吐き出すのだ。
口の中には髭みたいになっている部分があって、それでエサを濾し取って食べているのである。
フィーは小さいけれど、それと似たような事をしている可能性はある。
でも、だとするとだ。
本当にフィーが食べているのは、なんだ。
あたしの魔力は喜んで食べているようだけれども。
ちょっとそれだけでは、説明がつかない。
魔力を絞り出して、フィーに食べさせる。フィーは大喜び。喜んでいるのを見ると嬉しいが。
かといって成長するわけでもなく、脱皮とか換毛とか、そういうのも起きている様子がない。
リラさんもセリさんも知らないとなると、仮にオーリムの生物だとしても相当なレアな存在の筈。
やはり、側に置いておくしか無さそうだ。
そして、もしも成長して人間に害を為すような存在になるなら、あたしが始末するしかない。
それは、今から覚悟しておくしかない。
どんな猛獣でも、幼い頃は可愛いのだから。
翌日は、一日掛けて淡々と腕輪を作る。勿論最初は自分でつけて見るが、案の定問題が幾つも発生した。
つけていると、周囲がぐにゃりと歪んで見えるのだ。
どうも体は思った以上に見えない力の影響を受けているらしい。エアドロップに乗っているときは、装甲が体に密着していなかった。
それもあって、今装甲を纏っているも同然の状態になっていると、それだけで色々と問題が起きるのだろう。
歩くくらいなら問題ないが。
精密な動き、判断を必要とする戦闘時は問題が出る。
そういう事もあって、調整をする。
足下は当然として。
特に頭は守らないといけない。
色々試行錯誤した上で、上半身を中心に球状に守るようにして。それも体に密着しないように守るようにすると。
それで、ある程度体に生じる違和感は緩和できた。
ただ、それでもまだおかしい部分はある。
それにシールドそのものは、エアドロップ以上に強固にしたい。
調整を続ける。
昼少し前に、クラウディアが来る。
機械についての話だ。
修理のスケジュールは明日の夕方から。まあ、大した機械ではないので、修理には手間取らないだろう。
王都には壊れてしまっている機械がたくさんあって。
その中には、用途が分からないものもある。
次はそういう用途が分からない機械についてだ。
ある貴族が所有していたものらしいが。機械は基本的に捨てないことが不文律になっていたらしく。
それで倉庫に放り込まれていたらしい。
機械を直せるあたしがでてきたことで戦略的な価値が生じ。
あたしに直して欲しいと泣きついて来たらしい。
クラウディアは呆れていたが。
あたしも呆れた。
元々落ち目の貴族らしく、それである程度のステイタスにしたいらしいが。
はっきりいってどうでもいい。
機械は今の人類の状態を象徴しているようなものだ。
動いているものもボロボロ。
止まってしまったり、錆びだらけで動くには動くだけのもの。
直せる見込みもなし。
まるで、魔物に押されっぱなしの人類そのものだ。
そして機械を直したところで、それをくだらない政争に使う始末。
あたしも、ほとほと王都の人間の愚かさには呆れ果てていた。
ともかく、調整はクラウディアがやってくれるらしいので、あたしはネックレスを仕上げていく。
もしも今、この井戸の中で騒ぎ合っているカエル達。王族や貴族達が、王都のすぐ側に世界滅亡案件がある可能性が高いと知ったら、どうなることか。
パティですら失神したほどだ。
想像もしたくないカオスの中で、多くの死者が出るだろうな。
そう思うと、あまり良い気分はしなかった。
調整を続けて、腕輪が仕上がったのが夕方の少し前。
次は量産だ。
ジェムは有り余っているので、コレを使って腕輪を作る。なお、フィー用にもベルトみたいにして同じものを作った。
置いていくわけにもいかないのだ。
フィーも、あの中で無事でいられるとはとても思えなかった。
全員分の腕輪を作った後、少し休む。
それから、夕食をカフェに食べに行きながら、薬や発破を納品。カフェにレントがいて、丁度依頼を受けたところだったらしい。
「ライザ、どうだ。 夕飯の前に運動」
「また街道に魔物か。 分かった。 あたし達だけで行く?」
「いや、俺も行く」
ボオスか。
ボオスの剣の腕がどれだけ上達したのかも見てみたい。
確かにそれもまた、ありだろう。
夕食の前に、街道に出る。
ボオスはカフェにたまたま来ていたらしいが、丁度レントとあったようだ。
昔はレントとボオスは相当に反発し合っていたが。今はそれもない。憎まれ口を相変わらずたたき合っていたが、昔のような本気での反発はしていないようだった。
「時にレント、お前はしばらく結婚する気はないのか」
「そういう気はないな。 どうも俺はその辺りは殆ど興味が湧かない。 こういうのも親父に似ているのかもな」
「どういうことだ」
「親父は回復魔術の使い手である母さんと結婚したんだが、それもかなり遅かったらしいんだ。 ミオさんとカールさんに前に聞いたことがあるんだが、親父はあんな荒々しいなりで殆ど女にも勿論男にも興味を見せなかったらしくてな」
豪傑は性欲が強いと言う風説は何処にでもある。
ところが、若い頃はアガーテ姉さんでも及ばなかったと思われるレントの父親。あの大巨人ザムエルさんは。
こういう所もレントに似ていたという訳か。本来は意外と堅実で奥手な性格だったのかも知れない。だとすれば、周囲に恵まれさえすれば、今は誰からも尊敬されて、クーケン島の守護神だった可能性もある。そんな可能性を、周囲は寄って集って潰したというわけだ。
レントも二十歳を過ぎてから、どんどん父に似てきていると言う訳だ。
それは、色々とナーバスにもなる。
あたしもちょっと同情した。
あたしの場合は、両親にあまり似ていない。
それもあって、その辺りは気楽極まりない。強いていうなら、のめり込むと周囲が見えなくなるところは父さん似か。
レントは、逆にボオスに聞き返すことはしない。
ボオスがキロさんに気があることは、誰も知っている。
ボオスもそれが大変な道である事は理解しているだろうし。
今此処で、茶化すような話ではなかった。
街道に出ると、流石に皆が無言になる。
街道に出てすぐの北に、ちょっと大きめの池があって。其処で何人か襲われているという事だ。
ロミィさんの所の見習いも襲われたらしく。
幸いまだ死者は出ていないものの、早めに退治して欲しいという依頼が来ている。
もう陽が落ちている。
薄暗い辺りの中で、それは黒々とした姿で、ふてぶてしく横たわっていた。
レントが大剣を抜く。
ボオスは腰に帯びていた剣を抜いた。
あたしは、相手が大型の鼬である事を確認。
あの大きさは、群れの長か。
或いははぐれた大型のオスか。
オスだとすると、かなりの高齢個体だろう。性質が荒くなっている可能性もあり、非常に危険だ。
「時にボオス、実戦経験はあれから積んだか?」
「いや、ほとんどだな」
「分かった。 俺が前衛になるから、とどめを頼む。 ライザ、いざという時に介入してくれるか」
「うん、任せておいて」
あたしは周囲も警戒して、他の魔物による奇襲も防ぐ。
鼬が此方に気付いた。
そして、殆ど間髪入れずに襲いかかってくる。なるほど、これは誰かが殺されていてもおかしくない。
街道の警備は手が足りていない。
依頼がカフェに来るはずだ。
躍りかかってくる。あたしの背丈の倍はある鼬。鼬としてはそこそこに大きい方である。勿論素の力だけで人間を殺傷できるサイズだ。それも空中で魔術を発動、回転しながら火花を散らしつつ飛んでくる。
それをレントが、真正面から受け止めていた。
火花が散るのは一瞬。
レントは、なんだかんだで戦闘経験は豊富に積んでいたのがよく分かる。いわゆるパリィの技量が、前とは段違いに上がっている。
「はっ!」
弾き返す。
吹っ飛んだ鼬は、回転しながら地面に着地。サイドステップを繰り返して、ボオスを狙いに行くが。
あたしが熱槍を顔面に叩き込み、それで弾かれてさがる。
レントが斬り付けて、左足をざっくりとやる。
悲鳴を上げた鼬が飛び退こうとするところで、レントが叫ぶ。
「ボオス!」
「おうっ!」
ボオスが舞うようにして、三回連続で斬り付ける。
流麗な動きだが。
これは残念ながらまだ座敷剣法の延長線だな。
それでも、鼬の右目を深々と抉って、鼬が悲鳴を上げて飛び退こうとするその上から、レントが襲いかかり。
組み伏せていた。
ボオスが気合いを入れて、鼬の首筋に剣をねじ込む。
ざくりと音がして。
鼬の首の血管を、剣が切り裂いていた。
呼吸を整えるボオス。
レントが無言で死んだ鼬を抱えて、城門の側に。灯りの近くで、捌き始める。あたしは周囲を警戒続行。
ボオスはしばし見ていたが、レントが手伝ってくれといい。そして、順番に捌き方のコツを教え始めていた。
「なるほど、こういう風にやるんだな」
「アガーテ姉さんは初歩しか教えてくれなかったが、それは多分自分で応用は身に付けるためだったんだと思う」
「そうか。 皮が綺麗に剥がれると爽快だな……」
「ああ。 だがなめさないとすぐにダメになるからな」
肉もその場で燻製にする。
見張りの戦士に声を掛けて、肉をお裾分けする。鼬の肉はそんなに美味しい方ではないのだけれども。
ちょっとこの大きさだと、三人で分けるには多すぎるのだ。無駄にするくらいなら、その場で振る舞った方が良い。
戦士達もそれほど高給を貰っているわけではない。
鼬の肉は臭みが強いので、燻製にした後は、煮込んでアクを取らないといけない。調理に二手間掛かるが。
肉と言うだけで、食べれば相応に力になる。
首はそのまま切り離して、カフェに持っていく。
討伐した証だ。
首だけでも一抱えもあるが、それはレントが軽々と運んでくれた。
血抜きをした後とは言え、血の臭いが中々に凄いが。
まあ、夕食前の運動には丁度良い。
カフェに鼬の生首を納品。カフェのマスターは、てきぱきと回収して、報酬金もくれた。
あたしはいらないので、レントに譲る。レントはボオスと二人で分けて。それで夕食にする。
線が細い人間だと、これですぐに夕食は厳しかったりするかも知れないが。
元々ボオスだって、あたし達と一緒に悪ガキしてたのだ。
それにアガーテ姉さんに戦闘の基礎は叩き込まれている。
今更である。
「久々にお前達と一緒に戦ってみて分かったが、まだまだだな俺は」
「戦闘経験が足りないだけだと思うぞ。 剣の古い方は悪くねえ。 後は必殺の気合かな」
「気合ねえ。 もうちょっと論理的に説明してくれないか」
「打撃を入れる瞬間に、力を集中的に込めるっていう方が、精神論的ではないな。 俺も当然そうだし、タオもパティもやってる技術だぜ」
レントもその気になれば論理的に説明が出来る。
あたしは夕食を適当にぱくつきながら、ボオスに聞いてみる。
「剣の修行はしてるの?」
「学業やらで忙しいが、合間にな」
「……レント、稽古につきあってあげなよ」
「そうだな。 遺跡探索の合間になら」
ボオスはちょっとだけ嫌そうな顔をしたが。
しかしながら、これは仕方が無いと思う。
元々基礎は教わっているから、後は経験と錬磨だ。
ボオスは経験も錬磨も足りていない。
それには経験が多い人間に師事するのが一番で。恐らくは、身近にいる人間だとレントが適任だ。
「分かった。 意地も張っていられないしな」
「なら、必要な時には声を掛けてくれ。 いつでもつきあうぜ」
「ああ……」
流石にちょっと心の整理がいるか。
だけれども、もうあたし達の間にわだかまりは無い。
夕食を終えると、その場で解散。
あたしは、もう腕輪の量産を終えている。
明日が本番だ。
いよいよ、エアドロップ陸上型無しでの。
遺跡への挑戦を開始する。
それは戦闘が出来る事を意味する。
奧にいるガーディアンは、大まじめに遺跡を守っている様子だった。排除するのは心苦しいが。
それでも、やるしかない。
もう封印がもたない可能性が高い。
せめて封印の場所を確認して先手を打たないと。
雨が降っていないときにフィルフサの群れが辺りにあふれ出しでもしたら、もはや手に負えないのだから。
3、ベールの奧に
アトリエでミーティングをしてから、皆に腕輪を配る。一応念の為に、アンペルさんとリラさんのぶんも作ってある。ボオスに引き渡すのは、最悪の事態が起きたときのためと。
遺跡の探索をした後、二人が再度調査をするときのためだ。
「少し重いから、利き腕ではない方につけて。 武器の操作を阻害するかも知れない」
「ええと……私は大丈夫です」
パティは腕につけて見て、それで軽く素振りして頷く。
元々渡している装飾品による身体の強化もある。
それにパティは鍛錬を欠かしていないから、どんどん強くなっている。思った以上に、成長が早いという事だ。
タオはそもそも双剣を使っている事もあって、両手ともに昔よりずっと腕力がついている。腕輪をつけたくらいで、動きは阻害されなかった。
レントは全く平気。
クーケン島にいたときよりも、腕が太くなっているから、付ける時にちょっと調整しなければならなかった。
クリフォードさんも思った以上に腕が太い。
トレジャーハンターの副業として賞金稼ぎをしているのだ。
荒くれに舐められないようにするためにも、ある程度マッシブである必要はあるのだろう。
馬鹿馬鹿しい話だが。
見かけで相手を判断する人間は、想像以上に多いのである。
セリさんは細い腕だったが、つけて見ると結構平気だ。
後はクラウディアか。
クラウディアは弓矢という恐らく一番繊細な武器を用いるので、ちょっと心配になったけれども。
元々自身で音魔術込みの矢を放つ時は、バリスタみたいなサイズのを撃っているのだ。心配は無用だった。
皆に行き渡ったのを確認してから、アトリエを出る。
雨は小雨になっている。
セリさんが眠らせたあの植物も、その内起きる。そうなると、またキビスビスがまき散らされる事になる。
そうなる前に、さっさと片付けるべきだ。
そう判断して、現地に急ぐ。
時々雨が止むが。
まだ雲は分厚い。
ただ。北の荒野の方には、雲は流れていかない様子だ。
これは何か、理由があるのかも知れなかった。
「ねえパティ」
「はい、なんですか」
「あの辺り、なんで雲が行かないんだろ」
「そういえば……。 北の荒野はワイバーンだらけで危険と言うこともあって、殆ど分かっていないんです」
申し訳なさそうにパティがいうので。
タオが咳払いして、補足していた。
「調査をしている途中に、あの辺りにエンシェントドラゴンの伝承を見つけたんだ」
「エンシェントドラゴンか」
「うん。 あの辺りの住民は、エンシェントドラゴンに知識を授かった、なんて話でね」
あり得ない話ではない。
ドラゴンは、あたし達が遭遇したようなのは知性もなにも獣並みだったが。
数千年を経たようなエンシェントドラゴンになると、人間の言葉を普通に使いこなしたりするらしいし。
色々と不思議な知識を持っていたり。
人間が想像できないような複雑な魔術を使う事があるらしい。
魔物の中では、精霊王と並ぶ強豪として知られるのも当然である。
そもそもこの世界の生物では無いという説もあって。
タオはそれについて、今調べていると言う事だった。
「エンシェントドラゴンは近年目撃されていないけれども、ひょっとすると何かしらの理由で、エンシェントドラゴンが大規模な魔術を掛けて行ったのかも知れないね」
「そこに挑むのか。 準備がいるな」
「うん。 とにかく、今は森の方を片付けよう」
「そうだな。 いよいよ自分の足でロマンに踏み込めるぜ!」
テンションが上がっているクリフォードさん。
そろそろパティも、この人については色々理解出来てきたらしい。
いちいち呆れる事もなくなってきていた。
それどころか、アーベルハイムで雇われないかという話をこの間していた。
勿論トレジャーハントはそのまま本業として続けて良いので、街道の魔物退治などを手伝ってくれないか、というのである。
給金も賞金稼ぎの時より出すと言う。
それを聞いて、クリフォードさんも考え込んでいた。
パティも間近で見ているクリフォードさんの知識と戦闘技術。
確かに、まっとうな戦士が少ない王都近辺だ。
こういう人材は、スカウトしたいのかも知れなかった。
現地に到着。
腰にロープを巻いて、あたしが先行する。
まずは、危険ラインを越える。
さて、緊張の瞬間だ。
もしもあたしの様子がおかしくなったら、即座に引きずり戻せ。そうレントには告げてある。
あたしは踏み込む。
泥だらけの腐葉土を踏みしめて、奧に。
そして、何の感慨もなく、危険ラインを越える。そのまま、ずんずんと前に進むことが出来ていた。
しばし進んでから、後ろを見る。
視界が歪んでいる事もない。
今の時点では、複数ある五感を狂わせる仕組みを、全てシャットアウト出来ているとみていい。
まずは、大丈夫か。
手を振って、皆に此方に来るように促す。
最悪の場合に備えて、今日は信号弾と、それに食糧を多めにもってきてある。
この辺りの地図は、文字通りの総当たりで作ってあるが。タオが地図を拡げて、正確かどうかを確認してくれていた。
「流石だなライザ」
「はい。 まさに驚天の技ですね……」
「錬金術だよ凄いのは」
「分かってるよ。 でも、これだけ錬金術を使いこなせるのは、今の時代ではライザだけなんだよ」
そう褒められると嬉しいが。
面と向かって褒めると人間はダメになる。
だが、今はそれよりも、気を張って警戒したい。
地図をタオが確認した後、奧に。
セリさんが植物操作を使って、辿った道を分かりやすい状態にしてくれている。
そのまま進んで、先に。
まだまだいける。
あれだけ重装甲にしたエアドロップ陸上型でも厳しかった地点まで、まずはこれでいけるかを確認。
魔物は、いない。
地面に、空から落ちてきたらしい猛禽が突き刺さって死んでいるのを見る。
蛆すら湧いておらず、そのまま腐っていく途中のようだった。
悲惨な死体だが、この森がどれだけ危険かをよく示していると言える。この猛禽も、森の危険範囲に入り込んでしまって、それで地面に突撃してしまったのだろう。
「今の所異常なし。 みんなは」
点呼。
皆平気だ。
クリフォードさんが、前に出ると言う。
一番五感が鋭いのがクリフォードさんだ。確かに、最前衛を任せるのもいい。それに、そろそろ頃合いか。
ロープをあたしがほどいて、クリフォードさんに渡す。
クリフォードさんは、それを荷車に結びつけていた。
危なくなったら、即座に荷車ごと引いてくれ、というのだろう。
「少し俺が先行する。 もしも異常を感じて、しかも動けなくなったら右手を挙げる。 その時はすぐに引いてくれ」
「分かりました。 気を付けて」
「おう」
クリフォードさんが、ひょいひょいと跳んで先に。
アグレッシブだな。
いつもはロマンロマン言ってるひょうきんな人だが。
戦士としては、剽悍極まりないプロフェッショナルだ。
レントも、クリフォードさんについての良くない噂は聞いていたという。クラウディアもそれは同じだったらしい。
賞金稼ぎとしてのクリフォードさんは、それだけ悪党から怖れられていた人物でもあり。逆恨みした阿呆から狙われてもいたのだろう。
それは、戦士として強くなるのも、当然と言えた。
この探索から戻ったら、封印について話すか。
そう思いながら、森の奧へ。
時々、タオが方向を修正する。
こういう木が林立していて目印がない場所だと、気がつくとぐるぐる回っている事がある。
それを的確にタオは防いでくれていた。
程なくして、クリフォードさんが足を止める。
周囲に、石造りの建物の残骸らしいものが見え始める。
どうやら、遺跡の本命の部分に入り込んだらしい。
恐らくだが。エアドロップに乗っていたときは、周囲がよく見えなかったから、気付けなかったのだろう。
クリフォードさんと合流してから、軽く話す。
「この先はまだ危ない感じですか」
「いや、まだいけそうだ。 だが、例のガーディアンが此方を警戒しているようなんでな」
「……一旦少し下がって、周囲の建物を調べるべきだね」
「分かった。 俺が警戒に当たる。 タオ、クリフォードさん、頼むぞ」
パティも警戒に当たってくれるそうだ。
レントも、それを拒否しなかった。
それだけパティの将来性を見込んでいると言う事だろう。
あたしも頷くと、調査に回る。
荷車に、周囲の遺物を積み込んでいく。
少なくとも、小規模であっても此処には集落があって、人が暮らしていたことは間違いないらしい。
家などは破損も目立つが。
戦いで壊された様子はなく、恐らくは経年劣化で潰れている。
植物に浸食されて、崩れてしまった家などもあるようだ。
タオが、手を振っている。
五感が狂わされないから、ある程度距離があっても分かるが。
それでも、細かく移動しながら、少しずつ調べて行くしかない。
「タオ、何かみつけた?」
「これ! 早速回収しよう」
「本棚ね」
「本も殆ど傷んでいない。 惜しいけど、此処では読めない。 とにかく、全部持ち帰るよ」
タオの目の色が変わっているが。
確かに、こんな貴重な遺跡だったら、それも仕方が無いだろう。
あたしも苦笑いしながら、タオを手伝って、本棚ごと本を回収する。四十冊くらいはあるだろうか。
他にも、そこそこに物珍しいものはある。
ある程度調べて、回収を続けていると。やがて、荷車が一杯になる。
一度、撤退だ。
レントとパティに声を掛けて、撤退。二人とも、ちゃんと聞こえていて、戻ってくる。
ガーディアンとやりあうのは最後だ。
戦いに巻き込まれて、貴重な遺物を失うかも知れない。それが封印の正体を直接示している可能性すらある。
一度安全圏まで出る。
雨が降っているから、本には油紙を被せているが。
一度、近くの集落に出向く。
クラウディアが確保してくれていた廃屋に、回収してきた遺物を一度移して。そしてまた遺跡に。
ガーディアンの警戒範囲外にある遺物を回収して。
順番にこの中間集積所に集めていった。
夕方までに、三往復をする。
タオは地図を作り、遺物を発見しで大忙し。
クリフォードさんも、的確に面白そうなものを見つけてくる。先に、まずは本のみを持ち帰る。
これは、タオとクリフォードさんが、手分けして解析する事になる。
あたしはこれから機械の修理だ。
その話をすると、やはりパティが手を上げた。
「私もご一緒させていただいても良いですか」
「頼むよ。 面倒なのがまた来るかも知れないし」
「はい。 その時は、私がいればある程度対応できると思います」
本音で言うと、パティはタオと一緒にいたいのだろうが。
タオは本に取りかかると、文字通り周りが見えなくなる。
タオも欲求の中で知識欲が最優先の人物だ。
パティがかまって欲しくても、本に没頭すると見向きもしなくなるだろう。そういうのが一番こたえることは、あたしも何となく知っている。
それを理解した上で、あたしの手伝いに回る。
その判断が出来るだけ、パティは大人だ。
少なくとも無駄に着飾って、プライドばかり肥大化させている王都の他の貴族よりも。
アトリエにつく。
ボオスも交えてミーティングをして、解散。
ちょっと予定より時間が遅くなっている。
クラウディアが先行して現場に。
その後、あたし達も指定の場所に急ぐ。
下手に動かすな。
そう言っておいたからだろう。
貴族の邸宅の、倉庫に足を運ぶ事になった。
今回は細くて、神経質そうな貴族だ。王都の貴族の中では、あまり勝ち組とは言えないほうらしいが。
そんなことはどうでもいい。
倉庫の中の、荒れ具合が気になった。
金目の物を乱暴に引っ張り出しては換金している。
そういう雰囲気である。
「ライザ、これだよ」
「どれどれ」
なるほど。
機械としては、かなり小ぶりだ。用途は、ざっと見た感じでは……なんだろうこれ。
何かを入れて。いや、これは恐らくだが、高圧縮した燃料だ。燃やして、それで何かをする機械だ。
それも、付属の車輪を高速で回転させる。
そのための機械か。
ちょっと用途が分からない。
荷車か何かにつけるのだろうか。色々と見てみるが、その可能性がありそうだ。だが、速度が出すぎて危ないような気もする。
「どう、直せそう?」
「直せるには直せる。 だけどこれの用途が分からない。 これを高速で回転させるための機械みたいだけれども、荷車を動かすには出る速度がありすぎる。 水車や臼なんかの代わりみたいな動力の可能性もあるけれど、それでも過剰火力だと思う」
「なんだ、驚天の技と使うとか聞いていたが、わから……」
「ニルフォード子爵」
パティが侮蔑の声を遮ると、バツが悪そうになんとか子爵は黙り込んだ。
どうでもいい。
というか、此奴もこの様子だと使い路は分からないだろう。
クラウディアにハンドサイン。
頷いたクラウディアは、音魔術で遮音の結界を張ってくれた。
「これ、多分古代クリント王国以前のテクノロジーそのものだと思う。 それも単独に帰結したテクノロジーじゃない。 これと連動するテクノロジーが失われているから、使い路がないよ多分。 燃料を此処に入れて、内部で爆発的に反応させて回転させるものだと思うけれども、そんな勢いで回すもの自体がないし」
「うーん、じゃあうちで買い取っておこうか」
「そうしてそうして。 あの人じゃ、どうせ使い路が分からないどころか、直っても売り飛ばすだけだろうし。 そうなったらどっかの貴族の個人的財産とかにされて、埃を被るだけだよ」
「それもそうだね。 分かった。 交渉は進めておくから、兎に角直してくれる?」
頷くと、あたしはパティと二人で、機械を荷車に詰め込む。
後はアトリエで直すだけだ。
パティはアトリエに戻ると、また手伝いたいと言う。
そうか、まあそれもありだろう。
分かった。
明日も遺跡に潜るのだ。
朝に修理を進める時間はないし、それがいいだろう。
「じゃあ、お風呂は先に行って来て」
「ライザさんもうちのを使ってください。 勉強させて貰うんだから、それくらいは当たり前です」
「そう? じゃあお風呂だけ貰うかな」
「お願いします」
まあ、いいか。
ともかく。アーベルハイム邸に。ついでに夕食もいただいてしまったが。案の定、前にパティが言っていた通り、別に美味しいものが出る訳でもなかった。
王都で味付けが濃くなるのは、新鮮な食材が手に入りにくいため。
肉は香辛料漬けだし。
他のものも、塩漬けだったり蜜漬けだったりする。
ちょっと胃もたれしながらアトリエに戻り、後は徹夜作業だ。パティもてきぱきと作業を手伝ってくれる。
ちいさな機械だが、相応に危ないので、装飾品は絶対につけて作業をして貰う。
これについては、あたしも同じだ。
徹夜覚悟で機械をばらして、一つずつ錬金釜に満たしたエーテルに突っ込んで、修理をしていく。
そうすると、クラウディアが来る。
どうやら、倉庫の中でマニュアルを見つけたらしい。
かなり古い言葉で、内容は分からないと言う事だったが。
「そうなると、明日の朝にでもタオに読んでもらうしかないね」
「言葉がわからないほど古いマニュアルなんて。 直しても、テクノロジーの使い路、あるんでしょうか」
「それは違うよパティ。 今は文明が後退する一方だけれども、テクノロジーは作り出すときにとんでもない苦労があるんだ。 基本的に悪用する人間が悪いのであって、テクノロジーに罪はないし、作り出されたものは活用しないといけないんだよ」
そう言うと。
パティは苦虫を噛み潰したように、タオさんみたいな事を言いますねとぼやいた。
ちょっと失敗だったかも知れない。
パティも、タオに甘えたいだろうに。
「私は戻るね。 機械の買い取りはすませたから、もう大丈夫だし。 すぐに直さなくても平気だよ」
「いや、今日中にやっておくよ。 前倒しにしておかないと、何が起きるか分からないしね」
後は、淡々と作業をする。
一部の部品は劣化が激しく、マニュアルを見てどういう形状なのか調べて、それで直さなければならなかったが。
それも空間把握力には自信があるので、特に困る事はなかった。
「パティ、大丈夫?」
「ちょっと眠いです……」
「あと少し。 頑張ろう」
「はい……」
大けがしかねないな。
とにかく、危険な部品から片付ける。パティはちょっと眠そうにしているし、限界が近いだろう。
部品の修復完了。
珍しい材料を使う部品もあったので、ちょっと試運転をしたい。燃料については、幾らでも再現出来る。
組み立てる。
へたり込んで辛そうにしているパティはそのまま休んで貰う。この時間まで手伝ってくれれただけで充分。
だけれども。
機械を動かすと、いきなり大きな音がしたので、パティは跳び上がっていた。
「な、なんですかそれ!」
「おっと、こんなに音が出るのか……」
操作パネルを動かして、すぐに音をとめる。
そろそろいい時間だ。
あまり大きな音を立てるのは、好ましくないだろう。
パネルを操作。色々と確認しておく。動かすのはもうやらない。
これもいつもよく見る光学式のものだ。操作方法は、もうあたしでも簡単に分かる。ログを確認するが。ちゃんと動いていて何より。
後は、クラウディアに引き渡して。バレンツで保管して貰うだけである。
「よし終わり。 パティ、前に言ったけれど、二人床で寝よう。 床で寝るのは大丈夫だよね」
「だ、大丈夫ですけれど、ちょっと今の音で心臓がばくばく言っています」
「はは、まだ線が細いね」
「ライザさんがタフすぎるんですよ……」
ぼそりとだが。
ライザさんがタオさんを好きで無くて良かったと呟くのが聞こえた。パティも無意識の内に言ったのだろう。
眠くて自分が何を口走ったのか、気付いていないようだった。
ともかく、後は休む事にする。
床に布団を敷いて、二人寝る。
灯りを消すと、限界だったらしいパティはすぐに寝息を立て始めた。なおパティはあまり寝相が良くない。
ベッドを譲っていたときは、知らなかったが。
これは本人も知っておいた方が、後々のために良いのかも知れない。
あたしは、そう思った。
翌朝、クラウディアに朝一で機械を引き渡す。
クラウディアは戦士を何人か連れて来ていて、それらの人員が機械を丁重に持ち帰っていた。
勿論燃料は入れてある。
あれは下手に動かすと、手指どころか腕ぐらい巻き込まれれば一瞬でなくなる。小さいが、危険な機械だ。
なお、マニュアルはタオが読んだ。
「あれは動力だね」
「何動かすの。 ちょっと過剰パワーじゃないの」
「マニュアルによると、「車」とあるね。 荷車とかじゃなくて、多分移動用の車じゃないかと思う。 あれを動力にして、車が走ってたんだよきっと」
「馬よりもあれだけでパワーがあるんだろ。 どんだけ昔の連中は急いでいたんだよ」
レントが呆れるが。
クリフォードさんは、興味深そうだった。
ロマンだからだろう。
まあ、パワーがある方がロマンがあるというのは何となく分からないでもない。あたしもどっちかというと、パワーを武器にするタイプなので。
クラウディアがバレンツにて機械を回収するのを見届けて、それで戻ってくる。
後は、遺跡の調査だ。
クラウディアが戻ってくる前に、軽くタオとクリフォードさんが、解析の結果を話してくれる。
「まずあの遺跡だけれども、「深森」で間違いないよ。 幾つかその単語が登場しているのを見つけた」
「おお、当たりか。 外れでガッカリなんて事はなかったんだな」
「ただ問題があってな」
クリフォードさんが咳払い。
クリフォードさんによると、あの遺跡はもともと遺跡などではなく、研究施設だけが作られていたらしい。
この土地にあった国家が、古代クリント王国の猛攻を受けて。それを防ぐために作られた研究施設の一つ。
当然多数の非人道的な実験が行われ。
その成果の一つが、森を守っていた「結界」であるらしかった。
「あの結界は、戦場に投入して古代クリント王国のアーミーを一網打尽に殺す目的で作られていたらしくてな。 殺傷能力が高いのも納得だぜ」
「なんてこと……」
「俺としても、正直興味が無い遺物だな。 ロマンを感じねえ」
クリフォードさんの話によると。
殺戮にしか使い路がないようなものは、ロマンを感じないそうである。よく分からないが、それは美学の領域なのだろう。
いずれにしても、その研究で。
封印を強化したのは事実。
結果的には、もしも門を封じていた場合。
何百年も、フィルフサを封じていたことになる。
だとすれば、人殺しにしか使えないと考えられていたものが。
人を守るために活用されたという事になる。
それはそれでロマンのような気がする。
世の中には、武具は殺戮にしか使えないみたいなことを言う人間もいるらしいが。
実際には、軍事技術が転用されて、普通の生活で使われるようになったものなんて幾らでもある。
それをあたしは知っているから。
クリフォードさんの言葉は、単なる美学として受け取った。それだけだ。
他にも幾つかの注意事項を聞いて。
それで。クラウディアが戻ってくるのを待って、アトリエを出る。
今日はもう少し、遺跡の深奥に行きたい。
ガーディアンを安全圏内に引っ張り出せればよし。
もしも引っ張り出せない場合は、更に奧に踏み込むことを考えなければならない。
更に、だ。
今の時点で、これだけ直接遺跡の奧に入り込めているのに、封印が見つけられていない。
地下にあるのか、あるいは。
中央部に、大きな墳丘のような形状の建物があるのが分かっている。
その中にあるのかも知れなかった。
街道を急ぐ。
雨は霧雨になっていて、だが地面はかなりぬかるんでいる。時々荷車を引くクリフォードさんに、注意を促す。
クラウディアも、音魔術で危険なものを探知してくれている。
それぞれで補いながら、街道を急ぐ。
途中、商隊がラプトルの群れに襲われているのを確認。即座に助けに入る。
街道に出てくるラプトルは幸い大した事も無いので、文字通りの一閃だ。たいして苦労もせずに蹴散らし。負傷者のために薬を提供して、その場を去る。礼は言われたが、こういうのは一期一会だ。
危険ラインに到達。
さて、今日もここからだ。
腕輪の守りはどこまで通じるか、此処からは体で試して行くしかない。
それに、まだまだ回収したい遺物もある。
ひょっとするとだが、遺跡の謎に更に肉薄できるものもあるかも知れない。どうやら当たりらしい場所であるのだ。
とにかく、出来るだけ早く。
封印の状態を、確認しておきたかった。
建物が見えてきた。
タオの指示で、一つずつ建物を確認していく。
ある建物で、大量の人骨を発見。
思わず眉をひそめる。
これは、多分まっとうな死人ではないだろうな。そう思う。タオが冷静に調べて、首を横に振った。
「数百年は経過してる。 最近死んだ人じゃないよ」
「やっぱり、此処で行われていた実験の犠牲者かな」
「恐らくはそうだろうね。 大人から子供まで色々な骨がある。 安全を確保したら、供養の一つもしてあげよう」
「……」
大人から子供まで、か。
古代クリント王国で奴隷制があったのは分かっている。
恐らくそれは、他の国家でもそうだったのだろう。
子供の死体まであるということは、人体実験で此処で何もかもを使い潰していたのは確実。
単に勝ち残ったのが古代クリント王国だっただけで。
他の国家も、大して差が無かったのだろう。
それは、今みたいになる下地がもう作られていたと考えるしか無い。
人が魔物に押されに押され始める要因は。
こんな時代から、もうあったのだ。
優秀な人間は何をやってもいい。
古代クリント王国の錬金術師達の思想だ。自分達を優秀な人間と定義して、それ以外の存在に何をしてもいいと彼等は本気で考えていた。だからどんな残虐な事でも平気でやったし。
最悪の災厄を招いたときには、責任を取らされた。そして全員がフィルフサとの戦いで死んだ。
もしも彼等がそんな傲慢な考えでなければ、フィルフサとの戦いで責任を取らされて全員が死ぬ事もなかっただろう。
そして、そんな傲慢さは。
恐らく古代クリント王国だけではなく。
他に存在していた国家の支配者層もそうだったのだ。
いや、それだけじゃない。
今のロテスヴァッサの貴族を見れば良く分かる。
プライドを肥大化させた人間は、みんなこんな感じで。常に自分を正しいと考えるから、これだけの殺戮をしても何も思わない。
溜息が出る。
「ライザ……」
「人のために戦いたいとは思うけれど、あたしはこれをやった連中のために戦いたくはないな」
「分かってる。 だけれども、これをやった人達と同じにならないために今は調査を続けよう」
「……うん」
そうだね。
その通りだ。
クラウディアだって、ちょっと間違えればこうなるはずだ。バレンツ商会は、今資産だけもって引きこもっている貴族と違って、現在進行形で大きな仕事を動かして、各地で商売をしている。
下手な貴族なんぞよりよっぽど力を持っている。
それでクラウディアが狂っていないのは、早い段階であたし達に出会えたから、なのかも知れない。
調査に戻る。
研究所らしいものを発見したので、それを丁寧に調査していく。
本棚を見つける。
本棚ごと回収。回収する物資が多い。地下にも入れる。廃棄された危険な道具らしいのもあったけれども。
もはや風化しきっていて、下手に触らなければ怪我をすることもなさそうだった。
「とりあえず本を回収して、それからだね」
「ライザさん!」
パティが呼んでいる。
魔物か。そう思って、すぐに行く。研究所らしい石造りの建物は二階建てで、地下もあって。
あたしは地下を調べていたのだが、パティは一階で見張りをしていた。
気配も此処ではよく分からないので、歩哨が絶対に必要なのだ。
パティの所に行くと、魔物はいない。
代わりに、パティが困惑して、壁を見ていた。
「此処がどうもおかしいように見えて……」
「……」
壁の一角が、どうもおかしいという。
タオもクリフォードさんも何もおかしいとは言っていない。だが、二人すら見落とす、玄人だからこそ分からないものもあるかもしれない。
あたしが壁に触ってみると、確かにこれはおかしい。
というか、非常に巧妙に偽装しているが、これは石じゃない。
熱魔術で溶かす。そうすると、壁の中から、本が出て来た。それも、丁寧に装丁されている。
タオが、声を上げていた。
「こ、これは……!」
「良く気付いたな」
「ぐ、偶然なんです。 どうもあまりにも其処だけ綺麗すぎるなと思って……」
「これは将来、いい助手になれるぜ。 貴族なんて止めちまえ。 王都に未来なんぞないんだしな」
クリフォードさんがいうと、パティは真っ赤になり、ついで真っ青になる。首をぶんぶんと横に振る。
パティはまっとうな貴族になって、ヴォルカーさんの後を継ぎたいと考えているのだろう。
だが、タオの助手になると言うのも。
捨てがたい未来なのかも知れない。
ともかく、丁寧に回収したこの本が。何かの鍵になるかも知れない。それは間違いの無い事実だった。
4、中枢を調べる前に
アトリエに早めに戻る。
事前の見たて通り、やはり遺跡の大きさは大した事がなく、中央部の墳丘部分以外は、周囲にちいさな建物が幾つかあるだけ。
小さいと言っても貴族の邸宅くらいはあったけれども、それでも今までの遺跡に比べるとぐっと小さかった。
まずは回収した本の調査からだ。
タオとクリフォードさんが、手分けして調べ始める。あたしも、持ち帰った装丁された本を見るが。
暗号で書かれている。
これは恐らくだが、錬金術師の残したものだ。
多分だけれども、今までの遺跡でみた残留思念にあった「不死の魔女」とやらの本だろう。
だとしたら、古代クリント王国以前の錬金術だ。
どれだけ危険な内容なのかちょっと判断がつかない。
「ライザ、それは任せるよ」
「分かった。 何とかしてみる」
タオも、この本については手に負えないと、先に言ってくる。というか、考古学とは別分野なのだ。
クリフォードさんにとっては暗号解読は出来るかもしれないが、錬金術は分野違いである。
だから、あたしがやるべきと言うことなのだろう。
クラウディアは先に引き上げて貰い。これから二日掛けて、本を調査する事にする。その間、レントとセリさんとパティが、物資の集積所から、他の回収したものをアトリエにピストン輸送してくれることになった。
パティを顎で使うようでちょっと心配だが。
基本的に他人に見られる所では、力仕事はせず。
表向きは指揮官みたいに振る舞うと言う事で、パティに納得して貰った。
面倒だが、こういうのは仕方が無いのだ。
アーベルハイムはこの王都で数少ないまともな貴族なのである。
今後王都をよくするためにも、少しでも頑張って貰わないと困る。
そのためには、多少あたし達も、それなりのやり方をしなければならなかった。
皆の作業分担をした後、解散。
タオは本を抱えて持って帰る。
クリフォードさんも、同じようにして引き上げる。
あたしは、まずは暗号の分析からだ。
アンペルさんに基礎は教わっているけれども、それでも結構難しい暗号だ。タオに残して貰った、同時代の文字についての解読表も見ながら、やっていかなければならない。苦手分野だが。
今後、もっと古い時代の暗号も出てくるかも知れない。
それに対策する場合を考えて。
知識を増やさなければならなかった。
「ライザさん」
「ん?」
パティが残っている。
そういえば、どうしたのだろう。
真面目な話の可能性も高い。
顔を上げて、話を聞く事にする。
「実は、ライザさんに頼みたい事があるんです」
「なに? いつもパティには世話になってるから、仕事だったら格安で受けるよ」
「ありがとうございます。 ……正直になれる薬ってありますか」
「正直に……」
ちょっと考え込む。
精神操作の薬は、あるにはある。
あたしもあの塔……いにしえの戦いで、古代クリント王国がフィルフサを誘引し、水で一気に押し流す作戦で、守備の戦士もろとも全滅したあの地獄から。回収した本については見ている。
その中には、とてもまっとうな人間だったら思いつけないような、残虐な仕打ちをする錬金術や。
知っていても絶体にやってはいけないような事を出来る錬金術についても、記述があった。
古代クリント王国を乗っ取る際に、錬金術師達は暗殺も洗脳もなんでもやった。
彼等に倫理などと言うものは存在せず。
そういう連中が、我欲だけを求めて力を振るったらどうなるか。
それが示されていたのが、古代クリント王国がこの世界でも、オーリムでも、やらかした所業だと言えるだろう。
ともかく、そういう知識はあるにはあるが。
パティの場合は、まずは事情を聞きたい。
「そういう薬は作れるけれど、とても危険なんだよ。 ただ一度だけ、短時間だけ効果を発揮する薬だったら作るけれど、使う内容を聞かないと渡せないかな」
「そうですよね。 ライザさんがそういう人だと分かっているから、この話をさせていただきました」
「うん。 それでなにに使うの」
「お父様が、タオさんとしばらく会うなって言い出しました」
はて。
それはどういうことか。
確か、ヴォルカーさんはタオを認めていて。パティの夫になるような膳立てをするつもりだと聞いていた。
実際貴族の無能なボンボンなんかより、戦闘も出来るし学者として大成すること確定なタオの方が、パティの夫としては最高の逸材だろう。これ以上無い程の優良物件だといえる。
あたしがタオを男としてみられない事と、パティの夫として最適かどうかは別問題である。
それくらいのことは。あたしにも分かる。
「最近、ライザさんについてあたしが機械の修理を積極的にやっていることで、一部の貴族が醜聞を探しているようなんです。 これ以上アーベルハイムが力を持つと危険だと判断する人達です」
「そういえばヴォルカーさん、今度伯爵だかになるんだっけ」
「今までの功績を考えると、侯爵でもいいくらいなんです。 王都の人達と、王都周辺の街道をどれだけお父様が守ったことか……」
だけれども、それはそれとして。
タオと離れろというのは、我慢ならないとパティは言う。
珍しくこの子が本気で怒っている。
素直になっていると思うのだけれども。
だけれども、パティはヴォルカーさんの厳しい立場も理解していて。それで、あまり強くは言えないのだと思う。
「勿論その、外でタオさんにく、くっついたりするつもりはないです。 家庭教師に学生を招いている貴族の子弟は幾らでもいますし。 ライザさんは既に驚天の技の持ち主として、貴族達から畏怖されていて、側にいても問題はないとお父様は判断されているようです。 でも、タオさんはまだその、有望ではあっても学生で、それで……」
「分かった。 さっきも言ったけれど、一度だけ、短時間だけしか効く薬を作るよ。 とにかく危険なものだから、本当に気を付けてね」
「あ、ありがとうございます!」
「料金は今後も良き人間であろうという姿勢を崩さないこと。 貴族だろうがなんだろうが、今の王都の上層部みたいな連中には絶対にならない事。 もしもこの約束守ったら、首をもらいに行くよ」
ちょっと強めの脅しを掛けるけれど。
パティはそれに、大まじめに頷いていた。
或いは、遺跡を回る過程で、色々と思うところがあったのかも知れない。
やはりこの年頃が一番伸びるんだな。
そう思って、あたしは笑みを浮かべてしまう。
一礼すると、パティは戻る。
頑張って。
その背中に、あたしはただ思った。
(続)
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