貪食の土
序、大げさな装置
一日がかりでそれを作る。
そして、翌朝には皆に披露できていた。
エアドロップ、地上版。
元々潜水用の装備として開発したエアドロップだ。それは、機密性を有して、内部の空気を常に新鮮にするもの。
あたしは森での実験で理解したが。
どうも森では、空気がおかしくて感覚が狂っているという結論が出た。それについては間違いない。
感覚はまずは視覚、聴覚がおかしくなり。
やがて嗅覚や味覚もおかしくなっていき、最終的には触覚すらなくなるようだった。
非常に危険な場所だ。
だから、まずはエアドロップで試験を行う。
最初に試験をするのは、勿論あたしだ。
エアドロップを陸上走行用に改装するのはそれほど難しくは無かった。元々水中移動の方が、色々とハードルは高いのだ。
新しいのを作る事。
更には陸上で行動するために、車輪などをつける必要があること。
水中とは幾つか条件が違う事もあって。
ちゃんと動く事までしっかり確認して、それで完成。
エアドロップと同じで、内部を常に新しい空気で満たし。そして、車輪がついて移動を内部からコントロール出来る。
そういう仕組みのものが仕上がっていた。
しかも折りたためる。
ただ、この陸上版のエアドロップは基本的に水中活動を想定していない。それどころか、戦闘も。敵の物理的な攻撃を防ぐことも。コンパクトにまとめると、捨てなければならないものは多いのである。
つまり大前提として敵の攻撃は受けないことを考えるしかない。
とにかく、これは探索装備であって。
戦闘装備では無い。
これが攻撃を受けて、破損したら全滅するしかない。
それを常に念頭に置いて、動くしかないのだった。
朝のミーティングで、お披露目はしておく。
ボオスは何とも言えない表情をしたが。クラウディアは好意的だ。ともかく、試運転からやるしかない。
「空気が何かしらの悪さをしているというのは、僕も同意だね。 問題はあの環境に適応している生物がいる場合だ。 魔物にしてもそうでないにしても、エアドロップを傷つけられたら終わりだ」
「外に出て戦う場合はどうするんだ」
「一応、常時外に新鮮な空気は提供してる。 だから、エアドロップのすぐそばだったら、感覚が狂うのは最小限に抑えられるはず。 後は広域攻撃でどうにかするしかないね」
「うわ……難易度高いですね」
パティも正直に言う。
秘密を共有した後、萎縮している感じはしない。
良い傾向だ。
咳払いをして、それで幾つか説明を追加。
まずはあたしが、エアドロップで森の危険範囲に入ってみて、様子を確認。
問題が無さそうだったら、奧へと進む。
問題があった場合は、エアドロップをロープでたぐり寄せて貰う。
どんなにおかしな見え方をしていても、外からロープで引っ張れば、回収出来ることは分かっている。
それと同じだ。
クラウディアが音魔術で、ある程度外から情報を解析も出来るし、音だって届けることも出来る。
ただしそれにも限度があるので、まずは森の辺縁で実験をして。
大丈夫そうなら奥に進む。
そういう流れでやるしかないだろう。
色々と難易度は高いが。
そもそもワイバーンが多数飛んでいる地域にある「北の里」を最後にするのは、妥当な判断だと思うので。
これでいい。
タオとクリフォードさんも、王都で色々と情報を集めてくれている。
タオが咳払いして、その一つを提示してくれた。
「北の里については、古い文献で情報を見つけたよ」
「詳しく」
「どうも古代クリント王国が侵攻したときには既に戦略的価値を喪失していたらしいんだ」
「……」
咳払いするタオ。
「勿論これはあくまで史書としての記述だ。 分かってきたのは、どうも古代クリント王国から見て、魅力があるものは見つけられなかったこと、維持する意味がなかったという事だよ」
要するに、人もものもいなくなっていた、ということか。
封印の一つであるのはほぼ確定なのだろうが。
魔物に対して人間が優位だった時代。
それも、極めて好戦的な古代クリント王国の時代ですらも、放置したという訳か。
なるほど、何か理由がありそうだな。
いずれにしても、調査は本腰を入れないといけないだろう。
異世界に侵略を仕掛けるようなテクノロジーを持っていた古代クリント王国が、何も発見できなかったとなると。
今調べている「深森」こと、迷いの森以上に面倒な仕掛けが施されている可能性が高いのだから。
「それでは解散。 今日は、遺跡を発見できればいいんだけれどね」
「まあ、無理をせずぼちぼちいこうや」
クリフォードさんが言う。
あたしも、それは同意だった。
そのまま、王都を出る。
そして、街道を進んで、道を外れて。
現地に到着していた。
てきぱきとエアドロップを膨らませる。地上移動式のエアドロップだ。色々と不思議なものに見えるのだろう。クリフォードさんは面白そうにしていたし。セリさんは警戒していた。
最初乗り込むのはあたしだけ。
作ったのはあたしだ。
勿論自分で責任を取る必要がある。
空気を内部で満たして、周囲の光景が表示されるようにする。幾つかの装置を動かして、前進。
かなり足は遅いな。
そうあたしは苦笑い。
だけれども、そもそも守りのための装備である。
これは、仕方が無い事だ。
まずは、五感が狂わない範囲で試運転をする。皆が見守る中、エアドロップを前後左右に動かすと。
おおと、喚声が上がる。
挙げたのは当然クリフォードさん。
目をきらっきら輝かせている。
「いいねえ、ロマンだ! こういうのが男の心をくすぐるんだぜ……!」
「……クリフォードさん、あんたってこんな人なんだな。 いつも驚かされる」
「レントくんも? 私もだよ……」
レントとクラウディアが呆れているが。
だが、本人がそれで周囲に害を為す訳でもないし。
別にあたしはどうでもいい。
そのまま動かすのを続ける。段差は大丈夫。後は障害物にぶつかった時のダメージ。
これは障害物にぶつかるのを前提として動かす。
当たり前の話だ。
これから先、どうなるか知れないんだから。
続いて段差などに落ちた場合の復帰能力も試す。
この森の中は川もある可能性があるし。更には崖などから落ちる可能性だってある。
クラウディアが察知できればいいのだけれども。
この先、どうなるか知れたものじゃない。
だから今のうちに試験をしておくのだ。
前進後進、接触試験。
色々やっている内に、すぐに時間は過ぎていく。
昼少し前まで、あらゆる試験を行って、近くの集落まで一度戻る。クリフォードさんが、うきうきしているのを横に、皆冷静になっていた。
「外からの空気を遮断するだけで大丈夫かな」
「感覚を完全に狂わせるなら、まずはこれから試験してみないと。 午後からは、内部でも五感が狂わないかの試験。 狂わないにしても、ロープか何かでつないで、少しずつ踏み込む形になるだろうね」
「なんだか怖いです。 いつの間にか感覚が狂っていて、それでみんな遭難するなんて事になったら……」
「そのために保存食は多めに持ってきてあるし、複数のセーフティも準備してあるよ」
ごくまっとうな発言をするパティ。
セリさんは、会話に参加してくれない。
集落で食事にする。
クラウディアが用意してくれたバスケットから、昼食を摘む。普通に美味しいので助かる。
あたしは野戦料理は出来るけれど、こういうのはあんまり得意ではないので、やって貰えると助かる。
錬金術でも一時料理出来ないか試してみて。
実際に出来る事は確認したのだけれども。
どうしても盛りつけとかが汚くなる。
固形のお菓子とかは出来るのだけれども。それはメインディッシュとしては色々と不向きだ。
しばし食事を堪能し、交代でトイレ休憩などを済ませてから、再びアタック。
危険なラインまで行き。
午後からは、陸上式エアドロップを使って。
踏み込んでいく。
あたしが操縦して、そのままラインを越える。
ラインを越えても、特に違和感はない。
クラウディアが、音魔術で通信を入れてくる。
「やっぱり此方からは変な風に動いているように見えるわ。 突然曲がったり、とても奇妙よ」
「そうだろうね。 こっちは一応、まっすぐは進めているけれど……」
「そう。 とりあえず、ロープの届く範囲で試験を続けて」
「おっけい」
そのまま操作盤を動かして、調整を続ける。
その間にも、タオが指示して、色々と試験をしているようだ。並行で複数の試験を行う事で、少しでも安全を確かめながら進むのである。
それくらい危険な場所なのだ。
元々こう言う森は、どの方向に進んでいるか全く分からなくなる危険なものであるらしいのだが。
クーケン島の側にあった小妖精の森とかの、此処までの規模がない森しかあたしは知らない事もある。
どうしても、こう言う場所は、未知の地点として、慎重に立ち回るしかないのである。
あたしも修羅場を潜ってきているのだ。
相応に、危険に対する嗅覚はあるし。
過信してどうなるかも、理解はしているつもりだ。
「ライザ! 突然エアドロップが沈み込んだように見えるけれど、大丈夫!?」
「こっちは大丈夫。 後退して其方に戻るね」
「ふう、問題はないのね。 一応音魔術も展開して、おかしな事になっていないことは確認しているのだけれども」
「余程変な風に見えてるんだね……」
ひやりとさせられる。
とりあえず後退して、安全圏までさがる。
途中、木の根を踏んづけたが、そのくらいは許容範囲。
足回りにつけている車輪と、その動力の魔力炉は、六人乗せても八人乗せても平気なくらいパワーがある。
パワーがありすぎて、人間との接触事故のが怖いくらいだ。
一旦安全圏まで戻って、エアドロップを降りる。
タオが、咳払いして、説明をしてくれた。
「こっちでもおかしな挙動を見つけたんだ」
「詳しく」
「土を採取して調べて見たんだけれど、明らかに魔力の流れがおかしい。 そもそも、一線を越えた先の五感がおかしくなると言うのが、おかしいと思わない?」
「確かにそれもそうだね。 それで土に問題があると?」
タオが頷くと、見せてくれる。
採取した土盛り。
その上に、クリフォードさんがブーメランを投げる。
クリフォードさんのブーメランが、明らかにおかしな揺れ方をした。ように見えた。
だけれども、クリフォードさんの手に、ブーメランは戻る。
確かにコレはまずいな。
あたしはそう判断した。
「まずいねこれ。 土そのものにも五感を狂わせる作用がない?」
「ある」
「そうなると、エアドロップの強化が必須か。 魔力を遮断するように、徹底的に色々とやらないと」
「それでも限界があると思う。 森の辺縁でこれだよ」
確かにそれもそうだ。
更に、である。
待っている最中に、レントがタオを打ち上げて上空から確認したらしいのだが。
やはり遠くに川が見えている。
それだけじゃあない。
森の中心部が、明らかに歪んでいるという。
森そのものが。
それが、植物すら五感を狂わされているのか。
安全圏からも、もはやどうしようも無いほど狂った光景が見せられるのか、それは分からないそうだが。
それにしても、異様な光景だそうである。
「此処はまずい。 慎重に立ち回らないと、入ったが最後出られなくなる」
「土のサンプルは回収してある? 私も持ち帰って調べる」
「分かった。 僕の方でも調べて見るよ」
「とんでもなく恐ろしい森ですね。 入ったら最後、出られないと言うのも納得です」
パティの言葉は的確だと思う。
とにかく、今の時点では辺縁をエアドロップに乗った状態ですら危ないし。
奥に入ったら、確定でこの陸上型エアドロップでも遭難する。
それは、あたしも分かる。
自分の道具だからこそ限界も分かるし。
タオの分析が的確であることは、もうはっきりしすぎている程なのだから。
今日はこれで切り上げる。
クラウディアが作ってくれている時間はあまり長くない。だが、焦って踏み込んだりしたら、これだけの手練れを集めた面子でもあっさり全滅しかねない。
これだけ五感が狂っているとなると。
中枢部分に入り込んだりしたら、上下の感覚すらおかしくなりかねないのだ。
毒であれば、中和すればいいのだが。
果たしてそんな簡単な物で済めば良いのだが。
アトリエで解散する。
ボオスが帰ってきたあたし達を見て、安心して嘆息する。
「相当にヤバイ場所みたいだな。 本当に戻って来てくれて助かるぜ」
「そっちでは何かあったの?」
「俺が窓口になってるだろ。 貴族の連中が、毎日変な手紙を送ってきていてな」
機械の件だな。
そうあたしは判断する。
手紙は、全てその場でクラウディアが精査してしまう。かなり眉をひそめて、厳しい表情だった。
パティも手紙を見て、それで無言になる。
貴族らしい、遠回しな言い回しで。色々と面倒な事が書かれているのだろう事は、一発で分かる。
「どうクラウディア」
「ミーティングが終わったら、バレンツで対策会議をするわ。 大丈夫、ライザには負担を掛けないから」
「私もすぐに家に戻って、お父様と対策を話します」
「おいおい、どんな事になってるんだよ」
レントがぼやく。
セリさんは、手紙を無言で見ていたが、呆れたようでそのまま戻す。
あたしも見てみるが、内容は回りくどくてよく分からなかった。
咳払いすると、クラウディアが説明してくれる。
「王都の貴族の派閥が割れているわ。 ライザを取り込もうとしている派閥が出て来て、それに反発する派閥がいるようね。 でも貴族達も、魔物の大軍を蹴散らしたライザの実力は知っているようで、迂闊に手を出せずにいるみたい。 更に後ろにアーベルハイムもいると判断して、下手に動けないようよ」
「まーたそんなことを……。 ただでさえ機械がおかしくなって生活が苦しくなっているんだよ。 まずは機械を直せば良いし、あたしは全部機械を直すつもりなんだけれどもな」
「ライザはそれでいいわ。 ただ、その順番で今後の地位が決まると考えている貴族が何人もいてね。 例の一族が介入しなければ、とっくに血を見ていたでしょうね」
「あのメイドの一族な。 腕利きだらけだが、一体何者なんだよ。 フロディアさんも、今になって思うととんでもなかったよな」
レントが禁句を口にする。
パティもよく分からないと、首を横に振る。
クリフォードさんは、幾つか面白い話を知っているそうだが。
都市伝説の域を超えないぞと、先に断っていた。
セリさんがぼそりと言う。
「私にはどうも顔の見分けがあまり出来ないのだけれども。 そもそも貴方たちが言う一族の者達、どうにも体に通っている魔力が異質じゃないかしら」
「魔力が異質?」
「そんな気がするだけよ」
「……」
それは、考えていなかった。
確かにフロディアさんからしてそうだったが、身体能力が高すぎる。あれは鍛錬の代物ではなく、何かしら違う理由があったのだとしたら。
そもそもとして、王都にこれほどの数が入り込んでいて。貴族もそれを受け入れてしまっているには。
それこそ、何百年もかけて、王都に入り込んだのではあるまいか。
だとすると、計画的に一族ぐるみで動いていると言う事になる。
一体何だ、あの一族は。
「ライザ、近いうちにまた機械の修理を頼むかも知れない。 その時は、お願いね」
「うん。 それにしてもいちいち面倒だな。 全部片っ端から直したいくらいなんだけれどね」
「でも、そうしていたら遺跡の探索がおざなりになるよね」
「違いない」
本命は遺跡の調査。
それによる、封印の正体の解明だ。
十中八九それがオーリムへの門を封印しているものだろうことは見当がつくが。それでも場所、封印の性質がまだよく分かっていない。
フィルフサは、ともかく初動を封じないと話にならない。
斥候が歩き回るようになったら、後手に回ったも同然。
雨が降っていない状況で、王種が此方にでも来たら、それこそ終わりだ。
解散して、あたしは持ち帰った土を調べる。
フィーが懐から出て来て、土をじっと見つめた。
ふんふんと臭いを嗅いでいたようだが。
やがて、嫌そうに距離を取る。
「フィー……」
「フィーも嫌なんだ、この土」
「フィ!」
「そうか。 あたしも、此処まで異質な代物はちょっと苦手かな。 とにかく対策をしないとね」
そもそも、この土が主体になって、あの奇怪な森の状況を作っているのか。
それとも、森の状況がおかしくて、土が影響を受けているのかすら分からないのだ。
世の中分からない事だらけと考えないと、いつでも足下をすくわれる。
あたしは淡々と調査を行う。
エーテルで土を分解して、要素を全て分析して確認していく。
まだまだ、あの森の奥にあるらしい遺跡は遠い。
少しずつ、対策を練らなければならなかった。
1、エアドロップの限界
森の危険ラインのそばで、エアドロップを膨らませる。更にごつくなった様子を見て、クリフォードさんは大はしゃぎ。
レントはそれを見て呆れていた。
「いいねえ! 無骨でごつくて、まさにロマンだ」
「……」
「それはそうとライザ、何を強化してきたの?」
「まずは魔力遮断。 空気だけでは無くて、外から入る魔力も遮断するようにしてみた」
ただそのままだと、クラウディアの音魔術も届かなくなる。
そこで、コーティングをした紐を外につながるようにしてある。
これをクラウディアが持つ事で、音魔術を内部に伝える事が出来る。糸電話の要領である。
そういえば、この電話というものも、良く語源が分からない言葉だそうだ。糸は分かるのだが。なにが電なのか、誰も知らないのである。
まあともかくとして、コレで調査を開始する。
糸はそれなりの長さを確保してある。
あたしがエアドロップに乗り込んで、まずは試運転。
大丈夫。
昨日以上に安定している。
足回りはしっかりしているし。多少何か踏んだくらいでは全く問題も無い。
後はこれから降りられないことをどうにかしないといけない。出来ればサンプルを、エアドロップから降りずに採取する仕組みも欲しい。
ただ、全部一辺にやるのは無理だ。
少しずつ、順番にやっていかないとまずい。
「ライザ、音魔術で確認する限り、まっすぐ進めているわ、 此方から見ると、滅茶苦茶に動いているようだけれど」
「おっけい。 じゃあ、もう少し進んでみるね」
「気を付けて」
「大丈夫、任せて」
エアドロップの中からの全周確認は出来るようになっているので、とりあえず今の時点では平気だ。
ただ、クラウディアの音魔術が届く範囲は限界がある。
それを考えると、最終的にはどうにか対策を練らないとまずい。
エアドロップから降りて動けるように対策を考えないと、魔物に攻撃された場合にはどうにもならないのだ。
この森に適応している魔物か何かに出くわして。
エアドロップをひっくり返されでもしたら、それでジエンドである。
車輪がまた何か踏んだ。
多分石ではないと思う。
黙々とエアドロップを進めて、一度止まる。
クラウディアの声が、少し遠い気がする。
「クラウディア、声がちょっと遠くない?」
「うん、ライザの声も少し遠いかも知れない」
「……戻る。 このラインを覚えておかないと」
一応周囲を確認するが。
まずいなこれ。
周囲の光景が、ちょっと違和感があるかも知れない。
対魔力の装甲をつけて、それで空気も遮断して。それでもダメだとすると、どうすればいいのか。
対魔力の装甲がまだ弱いと言う事だろうか。
いや、まだなんともいえない。
とにかく、サンプルが欲しい。だけれども、エアドロップから降りるのは自殺行為である。
とりあえず後退して、皆の所に戻る。
何とか戻れて、ほっとした。
冷や汗をダラダラ掻いているのはクラウディアだ。ハンカチで額を拭っている。この辺りは森の奥で、涼しいはずなのに。
「戻ったよ。 じゃ、情報を分析しよう」
「まずは集落に戻ろう。 この辺りにいると、知らないうちに変な影響を受けているかも知れない」
「違いねえ」
レントも同意する。
ともかく集落に戻って、情報を整理。
あたしがエアドロップで奥に進んでいる間も、タオを主軸に実験はしていたのだ。だから、色々と情報を共有しないとまずい。
昼食を口に入れながら、軽く話す。
「まずライザだけれども、森の奥に三百歩分くらいは進んでいたと思う」
「三百歩か。 ちょっと頼りないねそれだと」
「うん。 三百歩進むだけで、ライザが作った対魔力装甲と、密閉が貫通されるほどだと見て良い。 もっと奥に進むと、何があるのかも分からないよ」
「ちょっと危険かも知れないね」
知れないでは無く、危険だ。
だが、クラウディアはそれで、皆の不安を和らげようとしてくれている。それは分かっているから、何も言わない。
レントが運び込んできたのは、危険圏内に生えていた木だ。
大剣でばっさり斬って、それで持ち帰ってきたのだ。
木はかなり重いのだが流石はレントである。
「この木についても分析がしたい」
「あまり無為に植物を傷つける行為は賛成できないわ」
「ごめんセリさん。 でも、知恵を貸してくれないかな。 このままだと、本当に危ないかも知れないし」
「……まあいいわ。 この植物は、恐らくは貴方たちが言う幻惑に対応していると見て良いでしょうね。 あの中でもまっすぐ生えているし、枝などもおかしな様子はないわ」
そうなると、これも分析する必要があるか。
挙手したのはクリフォードさんだ。
「俺もそのエアドロップに乗って良いか。 ライザは既に自分で実験してるが、俺がいざという時に操縦できれば安心感は大きいだろう」
「基本は水中に行く時に使ったものと同じですが、分かりました。 次はクリフォードさんに頼みます」
「よしきた」
午後は手分けすることにする。
セリさんはこの安全確保してある集落で持ち帰った木の分析。手伝いとしてパティが残る。
パティは戦闘経験は積んで欲しいが、あの森は思ったより魔物が少ない。此処までも、骨のある相手との戦闘は発生していない。
現地に行くまでは魔物が出るが、それも大した奴はいない。
だとしたら、ここであまり絡みがないセリさんと、接しておくべきだろう。
パティもそれを理解したようで、頷いてセリさんに丁寧に礼をしていた。
「何でも遠慮無く言ってください。 今日は助手に徹します」
「そう。 じゃあ、まずは……」
セリさんが、固有魔術を使って幾つかの植物を出し。その葉を調合し始める。
手伝いについて説明したので、てきぱきパティが動き始めた。
多分だけれども、工場での機械修理であたしと一緒に動いて経験を積んだからだろう。
パティは真面目なので、ものごとを覚えるのはそれなりに早いという事だ。
後の面子は、森に出向いて、エアドロップを主軸に調査していく。
あたしも熱魔術を駆使して、周囲を調査。その間、クラウディアと連携して、クリフォードさんがエアドロップで奥に行く。
クリフォードさんは、こういうのは好きだからだろう。
簡単に操縦して、奧にすぐに進めていた。
「おっと、川のようだぜ」
「戻ってください」
「よしきた。 いっそ、川の中から奧に進むというのはどうなんだろうな」
「上流から毒が流れてきているという話がありました。 あまりお勧めできません」
この周囲を探索しているとき。
セリさんが指摘した事だ。
あの人は専門家である。だとしたら、その言葉に嘘は無いだろう。
ともかく、彼方此方調べながら、色々と情報を蓄積していく。
クリフォードさんは自分の楽しいを、調査に優先させない。クラウディアとタオと丁寧に連携して、しっかりエアドロップを動かして、此処から三百歩奧の第二危険ラインまでの情報を集めてくれている。
陽が傾き始めるまで、そうやって情報を集めてから、帰還に入る。
クリフォードさんは、ご機嫌な様子で戻って来ていた。
「いや、いいねえ。 神代にはこんなのりものが何処にでもあったのかも知れないな」
「あったとしても、人の心は今以上に貧しかったと思います」
「そうだな……」
それは、クリフォードさんも認めていると言う事か。
なお、あたしは熱魔術の調査が終わった後、羅針盤を使ってもみたのだが。近くにあった残留思念は薄く。あったとしても最近の人のものばかりだった。それも森から出られなくなって苦しんで死んでいった怨念とか、そういうもの。
いずれにしても、遺跡に対して有効な情報と思われるものはなく、徒労だった。
集落で、セリさんとパティと合流。
パティはかなりこき使われたようで、疲れ果てていたが。まだ大丈夫だと言う。セリさんは、木をバラバラになるまで調べ尽くしていた。そして、崩した木は、配下にしているだろう植物が、土の下に引きずり込んでいく。
ばきばきという音がかなり生々しい。
セリさんは植物の本職だが。
だからこそに、地下での植物の争いの苛烈さも知っているし。
森の生態系を乱すことが何を意味するかも分かっているのだろう。
「どうでした、セリさん」
「ある程度はわかったわ。 後はアトリエで話し合いましょう」
「了解です。 パティ、これ」
「有難うございます」
渡したのは栄養剤だ。
だいぶ味の方は改良しているが、それでもむせそうになるパティ。
まあ、あたしもあまりおいしいとは思えないが。
それでも、飲みやすいように、日々改良はしている。
「タオ、ボオスは大丈夫そう?」
「まだちょっと無理をしているみたいだね。 どうも顔色が悪い時があるよ」
「多分そうなると、栄養剤だけだと無理だね。 しょうがない、装飾品を作るか……」
「それ以前に、無理をさせないことが大事なんじゃないのか」
レントが片付けをしながら正論を言うが。
ボオスはそもそも、タオほど賢いわけでもないし、レントやあたしくらい体力がある訳でもない。
ボオスが何をそんなに頑張っているかは分からないけれども。
ただ、分かっているのは。
今後のためにボオスが無理をしていると言う事だ。
無理をするなというのは簡単だが、ボオスとしても恐らくはブルネン家、いやクーケン島の為に無理をしている訳で。
それを否定する訳にもいかない。
せめて何をしているのかが分かれば、手伝いようもあるのだけれども。
今の時点では、それも厳しいのが実情だ。
帰路の街道で魔物が出る。
むしろパティはいきいきと迎撃に出る。腕を鈍らせるのがいやなのだろう。
街道を通る度に魔物を駆逐しているので、どんどんこの辺りの魔物は質が落ちているようである。
全部綺麗に片付けて、それでおしまい。
この程度の魔物なら、もうパティ一人で充分だろう。
「腕を上げて来てるね、パティ」
「でも、この先の遺跡にはもっと強い相手がいますよね。 この程度では……」
「うん。 だからもっと鍛錬をしておいて」
「分かりました。 ただでさえ未熟なんです。 もっと腕を磨いておかないと……」
多分だと思うけれど。
パティは、この一季節だけで、あたし達に追いつくのは無理だと思う。
だけれども、それでも。
足手まといにならない程度にまでは強くなれるはずだ。
王都に到着。
アトリエでミーティングを行う。
タオが、地図を更新。
クラウディアと連携して、地図を埋める。三百歩分奧に進めるだけでも、随分と違うのだ。
「森の中心部、まだ入れないのはどのくらいの広さと思う?」
「そうだね、ざっと今の時点だと2500歩四方くらいだと思う。 まだ、ほとんど奧には肉薄できていないよ」
「意外と狭いな」
「でも、そもそも仕組みがまだよく分からない。 セリさん、其方の成果は」
セリさんは頷くと、軽く説明してくれる。
なんでもあの森に満ちているのは、タチが悪い何かしらの魔術だけではないらしい。
魔術もそうなのだが、複数の要素が重なりあって、あの幻惑という概念を越えたものを作り出しているらしかった。
「まず何かしらの生物性の毒素か何か。 それに魔術。 後は……ひょっとするとそれらが相互増幅しているのかも知れないわね」
「厄介だな……」
「他の地点の調査を進めるわ。 これはちょっとやそっとで攻略できる場所じゃないわよ」
セリさんは現実的だ。
だが、あたしはそれは良くないと判断した。
ワイバーンの群れを蹴散らして、北の荒野に向かう手は確かにある。
だけれども、それで何かを見つけたとして。
そこで、全ての真相がわかるとは限らないのだ。
手が開いているなら、両方を同時に進める手もある。
だけれども、別働隊として動いてくれているリラさんとアンペルさんの事もある。
もう、これ以上贅沢は言っていられないのである。
「毒素の情報はありますか」
「……この植物の木片に、かなりの濃度で蓄積されているはず。 ただ、それも一種類とは限らないわ」
「何とか調べて見ます」
毒は、散々作ってきた。
薬と毒は紙一重なのだ。
戦闘用の毒素も錬金術で作ってきたし。調べて見れば、それがどういうものかは分かるかも知れない。
いずれにしてもはっきりしたが、あの森は不自然過ぎる。
帰らずの森というような危険地帯は他にもあるらしいのだが。それにしても、いくら何でもおかしい。
やはり人為的に作られた、誰も入れない難所。
そう判断するのが正常だろう。
古代クリント王国の錬金術師だったら、どんなものだって悪用することを考えた筈だ。連中に触れさせたくない何かしらの技術を隠していたのだとしたら。
それもまた、あり得る話だった。
解散後、更にエアドロップの装甲を強化する。
多分、一種類の対魔装甲ではだめだ。
しばし考えて後、ゴルドテリオンも装甲に使う事にする。かなり貴重な素材を用いるのだけれども、やむを得ない。
トラベルボトルを用いて、擬似的に再現した鉱山に潜る。
フィーもついてくる。
やはりこの中の方が、フィーは心地が良いようだ。
「フィー!」
「この中は魔力そのものみたいなものだからね。 思う存分食べて良いよ。 あたしから離れ過ぎないようにね」
さて、やる事が少し多いが。
どうにかこなすしかない。
淡々と鉱石を掘り出し。姿を見せる魔物をつぶし。そして、適当な所で切り上げる。
手に入ったゴルドテリオンの素材になるゴルディナイトは多くは無いが、他の鉱石も手に入ったのだから、可とする。
後は、夜中まで黙々とエアドロップを調整。
それが終わったら、翌日に備える。
2500歩四方、か。
タオが言った、まだ入れない範囲だ。
森じゃなければ、大した距離ではないんだけれどな。
そう、布団の中で思う。
とにかく、その2500歩四方に踏み込むためにも。
今は、可能な限りの準備をしなければならなかった。
早朝。
毒の解析をする。
毒といっても、エーテルに溶かしてみて理解出来たが、ごく少量だけだ。それも、明確な毒素じゃない。
というよりも、これは。
ある意味、毒では無い、もっと別のものではないのだろうか。
パティが来たので、一緒に軽く外で体を動かす。体操を終えると、すぐにアトリエで今日の打ち合わせをする。
「それで、今日はもっと奧に踏み込むんですね」
「そうなるね。 それと並行して、周辺の地図を更に埋めていくことになると思う」
「分かりました。 私も出来るだけの事はします」
うん、それでいいと思う。
タオが最初は目的だったとは思うけれど。
パティも、今はそれどころじゃなくなっている事は理解出来ていると思う。
下手をすると、王都どころか世界まるごと滅ぶ。
それを無視してはいられない。
古代クリント王国と言えば、今の人間からすれば、超文明を作っていた超国家である。それが一瞬で滅ぼされたほどの相手だ。
その可能性が極めて高い。
今、それを知っている以上。
引くことは、あり得なかった。
皆がおいおい来たので、軽く説明をする。毒素についてだけれども、実はそれほど強烈なものではないこと。
むしろ、と前置きして。
あたしは咳払いしていた。
「ひょっとしてこれ、魔術を増幅している物なのかも知れない」
「魔術を増幅?」
「うん。 それも出力ではない何か」
考えて見れば、だ。
フィルフサに対してはほぼ攻撃魔術が通用しない。これはあたしが、直に戦って身を以て知った事だ。
もしも封印されている存在がフィルフサだとする。
この遺跡から漏れているのが、対フィルフサ用の毒なり、魔術だったとする。
ひょっとするとだけれども。
古代クリント王国の人間が近づけないようにする役割もあるかも知れないが。
どちらにしても、魔術は普通、フィルフサには通じない。
フィルフサは凄まじい魔力吸収能力を持っていて、コアを破壊しないと死なない。
様々な生物の特徴を貪欲に取り込んでいって。
その強みを、自分のものとしていく。
それを考えると、毒だの魔術だのは、時間稼ぎにしかならない。
普通だったら、だ。
もしも永続的に効くようなものを考えるとすると。
それは相手を、頭ごなしに力尽くで抑えるようなものでは無いはずだ。
実際、あの森に踏み込めている存在がいない……古代クリント王国の連中も含めて……という事を考えると。
出力を増幅するのではなく。
魔術の何か別の要素を増幅するものではないのかと思うのだ。
それが毒と混じって撒かれている。
それならば、説明がつく。
「少しずつ、頭が冴えてきているな」
「うん。 なんだかみんなと合流してから、確実に頭が冴えてきていると思う」
「それで、その毒とやらはどうする」
「……成分は分析出来た」
ただ、カウンターとなるものを作るのはちょっと時間が掛かるかも知れない。
もっとサンプルも欲しい。
一応ジェムを使って増やせるが、どうにも一種類だけ毒が蔓延しているとも思えないのである。
あたしが、もしもフィルフサを封じるとして。
どういう仕組みを考えるか。
その場合、一種類の毒だけで、フィルフサを封じられるとは考えない。
まず水を潤沢に用意する。それは絶対として。
それ以外にも、何かしらの防御策が絶対に必要になる。
毒一種類なんて、紙の壁も同じだ。
それなら、多数の毒を準備してフィルフサに対応しようと考える筈。
ただ、その場合。
毒に何かしら、パターンがあるのではないのだろうか。
いずれにしても、魔術対策、毒対策、どちらも必須だ。それを説明した後、まずは毒対策にサンプルを多数手に入れる事。
そのために、作ったものを見せる。
簡単に言うと、魔力で操作できるアームだ。
これを用いて、可能な範囲まで奥に行って、其処で物資を回収する。
その結果何か毒物が得られれば、その対策をする。
問題は、エアドロップ陸上型でどこまでいけるかだが。
ゴルドテリオンを用いた対魔術装甲で、可能な限りは強化した。後は魔術の性質が分かれば。
それらを話してから、出る。
街道を急いで進み、現地に到着。
とにかく、時間がいつまであるか分からない。もたついているわけにはいかない。
精神的な余裕が無くなると、とんでもない凡ミスをする可能性も上がる。今は皆が側にいるとはいえ。
それでも物事に絶対は無い。
まずは、あたしがエアドロップを操作。
確実に奥に進む。
昨日よりも、更に奧に行ける。流石に潤沢に使ったゴルドテリオン装甲だ。或いはこれなら、ちょっとやそっとなら魔物の攻撃に対応できるかも知れない。だけれども、これは結局棺桶だ。
若干周囲がフワフワになって来たのは、昨日より更に奧。
七百歩ほど進んだ地点だった。
よし。
アームを用いて、土などのサンプルを取得する。
そして、一度まっすぐ撤退して。それで、サンプルを皆に見せる。見せようと思ったけれども。
周囲が、ぐにゃりと曲がったように思った。
「ライザ!」
「!」
アームは、一応密閉式にしてある。
クラウディアが即応してくれたから良かった。即座にエアドロップに戻ってアームを閉じる。しばらく、身動きしないで。
そう叫ぶクラウディア。
これは、予想以上に危ない場所と見て良いだろう。
しばしして、顔を上げる。
かなり頭痛が酷い。
「くっ、皆、無事か!」
「想像以上に毒素が強いようね。 奥に行くのは自殺行為よ」
「分かっています。 でも、この奧にほぼ確定で封印があります」
セリさんに、あたしは応えておく。
ともかく、このサンプルは慎重に扱わないとまずい。下手な扱い方をしたら、その場で倒れてしまうだろう。
一度集落まで戻る。そこで毒消しを口にして、横になった。効きが悪い。これはやはり、普通の毒ではないと見て良い。
レントが一番最初に動けるようになった。
旅先で、色々と経験したかららしい。
レントは苦労している。それを聞いて、笑う者はいなかった。
「単なる毒消しではダメっぽいねこれは」
「というよりも、これだけ強力に対魔装甲をつけても貫通してくるって事は、何か違うって見て良いと思う」
「うーん、でも空気でもなく、魔力でもなく、何が人間の五感を狂わせるんだろう」
「……」
タオですら腕組みして考え込む中。
セリさんが、ぼそりと言う。
「そもそも空気は一箇所に定着しないものよ。 水もそう。 だとすると、定着しているものに原因があるのではないのかしらね」
「……土」
「そういえば、さっきも土を見ようとしたら、強烈なのが来ましたね」
「それも、離れた今はそれほど影響はないな」
皆の意見が出ると、頭が動く。
なるほどな。
だが、土の何がまずいのか。それが分からない。しばし考え込む。やはり、師匠にも意見を聞くしかないか。
師匠、アンペルさんに。
いずれにしても、今日は無理を出来ない。体調が回復してから、もう少し調査を行うが。
やはり、画期的な成果を上げることは出来なかった。
2、堅牢幻郭
アトリエに早めに戻り、ミーティングをしてから解散。クラウディアはすぐにバレンツに戻っていった。
色々と面倒な事になっているのだ。
これは、色々な意味で仕方が無い。
あたしも、エーテルに土を溶かしながら、分析をするが。どうにもよく分からない。土も、あの森から離れると、特に強烈な毒素やら悪さやらをばらまく事はないようである。
無言で一度手をとめる。
そして、アンペルさんの所に出向く事にする。
アンペルさんの安宿は、既に改造されまくっていて。宿の店主が、色々と不愉快そうに視線を向けてきたが。
あたしがにこりと笑みを返すと。
どうもあたしを知っているらしく、露骨に腰が低くなった。
どんな噂が流れているのやら。
ともかく、二人の部屋に行く。
リラさんはいない。
アンペルさんはいたが、小型の錬金釜で何か調合しているようである。義手はしっかり使えている。
良いことだと思う。
「ライザか。 入ってくれ」
「リラさんはどうしたんですか?」
「今手分けしてお前達が安全確保した遺跡以外を探っている。 私達でも、流石に一人であれらの遺跡を探るのは危険なのでな。 王都周辺に、まだ正体が分からない遺跡がないかを調べてくれている」
なるほど。
それは有り難い話だ。
とりあえず調合が終わるのを待つ。アンペルさんは、既に錬金術はあたしの方が上だと言っていたけれど。
経験やら何やら、あたしよりずっと勝っている要素はいくらでもある。
調合をアンペルさんが終えたので、クラウディアに貰ったドーナツを差し入れ。これが大好物である事を知っている。
ただアンペルさんは、あまり美味しそうに甘味を食べないので、クラウディアがいつも悲しそうにする。
アンペルさんも、思考のために糖分を補給しているとまで言うので。
それもあって、お菓子の作りがいがないのかも知れなかった。
「なるほど、それほど「深森」は厄介か」
「はい。 ゴルドテリオンの対魔装甲でも貫通してきます。 多分あれは魔術だけではないですね」
「いや、魔術だと思う。 ただ作用している手段が違っているんだ」
「どういうことですか?」
あたしから受け取った土を見ていたアンペルさんが、成分について説明してくれる。
そして、懐から取り出した金属を見せる。
「今は知識が失われてしまっているがな。 ライザ、雷撃は魔術で起こせるか」
「はあ、弱いものであれば」
熱操作があたしの固有魔術だけれども。
その気になれば応用も出来る。
ただ、単純に高熱、高火力で敵を圧倒する方が、小細工を弄するよりも遙かに高い成果を出せる。
故に、小細工はあまり鍛えていない。それだけの話である。
ただ、今後は相手によっては使える可能性もあるから、色々やってみたいとは思ってはいる。
今は、それを鍛えている時間がない。それだけである。
まずは冷気で空気中の水分を凝固させて。
それを熱で一気に温める。
更に色々と魔術で調整して。電撃を作り出し。金属へと流す。
人間を殺傷できる程度の電力には出来るが、その魔力で魔物数体を消し飛ばす事が可能なので、効率が悪い。
ともかく電撃を流すと。
いきなり、鉱石に大量の砂鉄がくっついていた。
「!」
「これが電磁石だ」
「どういうことですか」
「電気を流すと、一部の金属は磁石になるのさ」
既にこれは、電気というものが人間から身近でなくなって、失われてしまった技術と知識なのだという。
アンペルさんはたまたま神代の書物を読んで知ったそうなのだが。
確かに、こんなものがあったとは。
「この磁力はかなり強い力でな、生物に様々な悪影響を及ぼすこともある。 出力次第だが」
「まさか、あの森に満ちている力は」
「磁力そのものではないだろうな。 ただ、磁力に何らかの影響を受けている力の可能性は高い」
「……」
なる程、これは盲点だった。
確かにそんな力があったのなら。ゴルドテリオンの対魔装甲を貫通してきてもおかしくはない。
だけれども、どう対策すれば良い。
磁石については、あたしだって知っている。
だけれども、これをどうやって阻害するかとか、そういうのは分からない。
それにだ。
仮に阻害する方法を知っていたとして、それぞれが展開して戦う場合、それを適応出来るのか。
出来るとは、思えなかった。
「対魔術装甲に関係無く貫通してきそうな力は、他にありますカ」
「あるにはある」
「お願いします」
アンペルさんは、書物をくれる。
それによると、ある種の鉱石が発する極めて危険な毒素というものがあるという。これは正体がよく分かっておらず、神代でも存在は知られていたようだが、基本的に活用はしていなかったようだ。
これについては、鉛で防げるという事だが。
ただ、そもそも余程の濃度でない限り人体に害はないとかで。
むしろ機械類などに悪影響を与えるのだとか。
他にも幾つかの、目に見えない力が解説されている。
あたしはアンペルさんに貰った書物を手に、アトリエに戻る。勿論、アンペルさんには書物の礼は言った。
アンペルさんは、この本を写して持っているらしいので、返す必要はないそうだ。
それならば、あたしは遠慮無く読ませて貰うだけだ。
それにしても、これほどに。
魔力にも依存せず。
目にも見えず。
防ぐ事も出来ない力はあったのか。
本当にどうすればいい。こういう力が、あの森で悪影響を与えているとなると、どうすれば防げるのかちょっと分からない。
それも土にそれが含まれているとなると。
それこそ、地面全てが探索を阻害しに来ているようなものである。
これは、難題だ。
アトリエでしばらく考えたが、埒があかない。外を歩き回って、少し考える。
もう夜だ。
一応この辺りは安全なはずだが、以前ひったくりに遭遇した事だってある。あまり油断するのも危険だった。
「フィー……」
「ごめん、フィー。 ちょっと今、全力で考えるわ」
「あら、ライザじゃない」
「!」
歩きながら、顔を上げる。
パミラさんだ。
そういえば、此方に来ていたのだったか。
にこにこしているパミラさんだが。
そういえば、この人。
以前ロミィさんに聞いたのだが、どこででも話を聞くと言う。
なんでも何世代も前の、引退した商人が会ったことがあると言う話をしていたとかで。
ちょっと正体が知れない人だ。
「パミラさん、プディング探しですか?」
「そうよー。 良いお店を幾つか見つけたの。 ライザ、考える時はあまいものが一番よー?」
「ありがとうございます。 そうですね」
「でも、今日はもう真夜中。 明日にしたら?」
空を見る。
瞬いているのはたくさんの星。
確かに、言われる通りだ。
苦笑いすると、アトリエに戻る。パミラさんは、可愛く手を振って見送ってくれるけれども。
力が上がってきた今も、あの人の戦力、よく分からないな。
見た感じで、だいたい実力は把握できるようになってきたのに。
不可解な話だった。
ともかく、甘い物を準備すること。
それに、一眠りして、すっきりすること。
それが大事だと判断。
フィーもそれを告げていたのかも知れない。
回収してきた土は、一旦コンテナに入れて距離を取る。何かしらの力を発揮しているとしても、それで体に悪影響は与えない筈だ。
後は、眠る事にする。
確かに今の状態では、ろくな事を思いつかないのも道理だった。
特にこれといった遺物に触ったわけではないから、なのだろう。
感応夢は見なかった。
起きだしてから、すっきりした頭で考えて見る。五感が狂っていると言う事は、多分脳にダイレクトに影響を与えてきているはず。
そしてゴルドテリオンの装甲で、ある程度防げたと言う事は。
対魔術の装甲は、決して全てが無駄では無いと言う事だ。
ただし、そのままでは外で活動する事も出来ないだろう。
何かしら、方向性が間違っている。
それは間違いない。
問題は、どうすればいいか、だが。
朝のミーティングまでに、カフェに爆弾や薬を納品しておく。今足を運んでいる森の辺りは、それなりに良い薬草が採れることもある。更に専門的な薬や、より強力で保存も利く薬も作れるようになってきている。
これなら、ヴォルカーさんも大満足してくれるはずだ。
そう思って、一つずつに説明書をつけて納品。
発破についても、工房で採取してきた大量の鉱石を活用して、様々な発破を納品してある。
いずれも特殊な条件を満たさないと爆発しないようにしてあるので、普通に納品しても大丈夫だ。
火に放り込んでも爆発はしない。
問題は盗難などが起きた場合だが。
あのカフェから盗難しようという奴は、恐らく現時点ではいないだろう。
畑も見て来る。
セリさんはもういない。カサンドラさんがせっせと畑仕事をしていた。例の作物は、やはり四苦八苦している様子だ。
あたしが提供した肥料も試しているようなのだけれども。
まあ簡単にはいかないだろうなと思う。
軽く話して、後はその場を離れる。
農作業は、時間が掛かるものだ。
一日やそこらで、結果が出るわけが無いのだから。
アトリエに戻ると、ミーティングを始める。
まずタオに、アンペルさんから貰った書物を渡しておく。あたしは内容を把握した。タオは、すぐに目を通す。
「なるほど、磁力にこんな性質があったのか……」
「なんだ、お前でも知らないことが結構あるんだな」
「当たり前だよ。 知識もそうだし、特にテクノロジーは、神代から現在までの間に失われる一方なんだ。 どうやって動いているか分からない機械だって多いんだよ」
「知らない事がたくさん世の中にある事を知っていて、それを素直に受け入れられる。 それは立派よ」
セリさんが、不意にそんな事を言う。
皆驚いたようだが。
セリさんは。以降口を開かなかった。
ともかく、今日も試験を行う。
現在、危険ラインから、七百歩くらいは奧に行けることが分かっている。
その範囲内でサンプルなどを確認しつつ、遺跡などがないかも見ていく。また、何かおかしなものがないかも探って行きたい。
そして、早めに今日は引き上げる。
エアドロップ陸上型の改良も行いたいし。
何よりも、クラウディアに時間を作りたいからだ。
王都の情勢が良くない現状、面倒ごとをこれ以上抱えたくない。もしも貴族達が血迷ったりしたら、封印の調査ができなくなる可能性も高い。
そうなったら、下手をすると。
王都は近いうちに滅ぶ。
それが理解出来るような連中だったら、誰も苦労などしていない訳で。
あたしは、今日は午前中で探索を切り上げる事を決めていた。
ともかく、ミーティングを終えて、王都を出る。現地まで急ぐ。少しずつ皆に提供している装備は強化している。
更にすばやく、現地に向かう事が出来る。
現地に到着すると、タオが地図を拡げる。
「ライザ、川の状態をみたいんだ。 此方から入って、此方に向かってくれる?」
「分かった。 調査のプランは任せるよ」
「うん。 後は……」
タオが皆に作業を割り振る。
この遺跡調査は、本当に全てが手探りだ。
テクノロジーの中核になるのはあたしだけれども、将来遺跡調査をするタオが、少しでも経験を積むべきだろう。
エアドロップ陸上型を膨らませ。
乗り込んで、奧へ。
指定通りに進んでいくと、途中に川が見えてきた。
それほどの規模じゃあない。
どうも水源はこの遺跡の、危険地域にあるらしい。
密林を通っている川は幾つかあるのだが。この川はその中でも、特に規模が小さいものだ。
或いはだけれども。
何かしらの理由で水脈が途中から陸上に出ているのか。
逆に、殆どの水が、地下水脈に潜ってしまっていて。その一部だけが、陸上で再湧出しているのかも知れない。
「川の規模、極小。 川幅、あたしの歩幅で三歩ほど。 どうぞ」
「ライザ、流れはどうかしら」
「流れも強くはないね」
「川の上で、変な風に光景は歪んでいない?」
今の所は平気だ。
恐らく悪さをしているのは土だと思うのだが。
それを確定させるためにも、こうやって色々と調べて行く必要がある。
クラウディアの音魔術で、周囲の探索もしてくれる。ただそれすらも、この森の深部では正しい情報が伝わらない。
タオの指示で、川に沿って上流に。
やがて、不意にがくんと揺れるような感触。
来たな、とあたしは判断。
エアドロップをとめる。
「五感に異常。 周囲の光景が、歪んで見える。 どうぞ」
「ライザ、引き返してきて」
「サンプルを取り次第戻ります、どうぞ」
「了解」
やりとりは出来るだけシンプルに。
水、それに土。どちらもサンプルを取って、帰還する。
幸い早い段階で気付いていたので、帰還は難しく無い。
途中で魔物が死んでいた。
入り込んでしまったのだろう。干涸らびるようにして死んでいる。
普通こういう森の中では、スカベンジャーがたくさん彷徨いていて。こんな新鮮な死体なんて、瞬く間に骨にしてしまうものなのだが。
この森では、これだけ危険だからだろうか。
そういったスカベンジャーすら見つけられず。
虫すら集っていなかった。
虫ですら、此処ではまともに生活出来ないのか。ちょっと恐ろしい。
正確には昆虫ではないそうだが。昆虫の近縁の生物は。深い海にも生息しているという話だ。
外洋まで行く漁師の、かなり深い所まで降ろす網にはそういう虫の近縁生物が引っ掛かるらしく。
また少し前にレントに聞いたのだが。
火山の噴火が起きて、何もかもなぎ倒されたような場所でも。
最初に戻ってくるのは虫だそうである。
それだけ虫というのは、適応力が高いのだ。
そんな虫でもどうにもできない森。ここは、あらゆる意味でおかしくて、いびつな場所なのだと思う。
皆の所に到着。
それぞれで、色々な試験をしている。
セリさんがかなり消耗しているが、植物操作の魔術をたくさん使ったからだろう。
あたしが戻って、サンプルを回収すると、クリフォードさんが皆に警告した。
「また危険かも知れない。 迂闊に近付くなよ」
「うん。 ライザ、サンプルは指定通りに取ってくれた?」
「大丈夫。 植物、水、土、それぞれね」
「何か遺跡みたいなものは見えなかった?」
クラウディアの言葉に、あたしは首を横に振る。
残念ながら、そういうものはなかったと思う。
回収してきた土は、相変わらず五感を狂わせるようだ。ただ、分かってきた事もある。
この土。
五感を狂わせることはそうなのだが。
それはそれとして、少なくともアームの金属カバーで覆っている間は、異常を発生させない。
もしかして、だけれども。
それが、何かの突破口になるのかも知れなかった。
「よし、今日はここまで。 一度引き上げよう」
「それでライザ、これ以上の探索はどうするの? 北の里というのから、先に調べる手もあるよ」
「ワイバーンだらけの場所に踏み込むには、まだちょっと準備が足りないよ。 それに、いるのはワイバーンだけとは限らないし」
「そういえば、ドラゴンの目撃例もあるんですよね。 ワイバーンの群れなんて考えるのも恐ろしいですし、更にドラゴンとなると……」
パティに、王都でのドラゴンキラーの記録について聞いてみる。
そうすると、百年前だかに小型のを狩った記録があるとか言われる。
百年前か。
そうなると、もうノウハウもなにもないだろう。
アトリエに戻る。
予定通り昼である。後は解散して、あたしは黙々とサンプルの調査。それに、エアドロップの回収を行う。
レントに、パティが声を掛けていた。
「レントさん、修練を見てもらって良いですか?」
「別にかまわないが、師匠はいるんだろ。 俺に余計なことを言われると、却って太刀筋が鈍るかも知れないぞ」
「いえ、それは分かっています。 色々な人の戦い方や意見を聞いておきたくて」
「なるほどな、タオが言うとおり向上心の塊らしい。 分かった。 ちょうどアーベルハイム卿には良ければ家に来て欲しいとか言われていたし、午後は訓練を見させてもらう」
パティの、この貪欲な勉強に対する姿勢は、恐らくタオと根本的な所で気があう理由なのだろう。
あたしは、後は淡々と調査を行う。
やはり分厚い金属で覆うと、土の影響はかなり緩和できるようだ。逆に、土には絶対にフィーは近寄ろうとしない。
珍しく、威嚇っぽい声まで上げている。
それくらい、嫌だと言うことだ。
あたしは土をエーテルに溶かして、成分を分析するが。
分からない要素が多すぎる。
それぞれの要素を抽出して、分析していくと。
やがて、明らかに体に異常を及ぼす要素が幾つか出て来た。
まだ濃度はそれほど圧縮できていないが。
それでも危険極まりない。
僅かな量でも、近付くと視界がぐらりと来る程だ。金属で覆って、隔離する。だけれども、金属で覆っても駄目なものもある。
アンペルさんに貰った資料を確認してみる。
幾つかそれらしいものもあるが。
ただ問題がある。
共通して、それほど大量に用意できない、ということだ。
今、これらの危険物は、土に含まれていて。それが危険を生じさせている。それが何種類かある。
いずれもが、今は失われた知識の産物であって。
多分神代から伝わったか。
或いは何となくに伝承されてきたものを、遺跡を作った人間が利用したというのが実情だろう。
森の奥に遺跡があれば、だが。
それは今は、考えない方向でいく。
腕組みして考えながら、色々と試す。圧縮した原因を用意できたのは有り難い。アンペルさんの所に、持ち込もうかと思っていると。
そのアンペルさんが、丁度此方に来た。
今日は、リラさんもいる。
これは有り難い。
二人に茶と菓子を出す。
リラさんは、油断なくアトリエを見回していたが。やがて席に着く。相変わらず、警戒心が強いなと思う。
「毒物らしい未知の要素を圧縮できました。 確認して貰えますか」
「流石にやるな。 どれ……」
「まて。 これは……」
リラさんが目を細めて、並べたサンプルの一つを見る。
そして手にとって、左右から見つめた。
サンプルはどれもシャーレに乗せているのだが。リラさんはアンペルさんの所で見ているからか、シャーレには抵抗がないようだった。
「……間違いない。 これは恐らくだが、キビスビスだ」
「それはどういうものですか?」
「オーリムにも存在する土でな。 龍脈の近くに自生する植物が圧縮する。 魔力に触れる事で、周囲を幻惑する」
「!」
植物産なのか、これ。
詳しい話を聞くが、リラさんも詳しくは分からないらしい。古代クリント王国が来る前に、先達からそういう危険なモノがあるから近寄らないように、とは言われていたようだ。
「そのキビスビスを生じさせる植物については分からないかリラ」
「ちょっとなんとも言えない。 ただ、此方の世界にも龍脈はある。 そしてその植物は、そもそもオーリムでは珍しいものでもなんでもなく、たしか無力化する手段があるとかないとか……」
流石に五百年以上前に、ちょっとだけ話を聞いただけのものだ。
それ以上は、リラさんも分からないようだった。
いずれにしても、これはもしかして、セリさんの出番か。
ともかく、活路は開けたかも知れない。
フィーがリラさんに懐いているので、任せて畑に様子を見に行く。今の時間も、ひょっとしたらいるかも知れない。
それに、アンペルさんがフィーを調べたいと言っていた。
少し任せておくのもありだろう。
軽く走って、すぐに農業区に。
セリさんはいた。
黙々と作業をしている。あたしを見ると、顔を上げる。やっぱり、まだ少し警戒をしているようだった。
「セリさん」
「どうしたの。 急な招集?」
「いえ。 キビスビスというものに心当たりはありませんか」
「……そう。 恐らくあのリラという戦士ね。 キビスビスの事は知ってるけれど、私の知っているものと、今困らされているものは少し違うわね」
いや、それで充分だ。
順番に、そのキビスビスの特徴を聞いていく。
今、カサンドラさんがいないのも丁度良い。
幾つか特徴を確認すると、なる程と納得させられるものもおおかった。
キビスビスというのは、龍脈近くに自生する植物が、身を守るために発生させるものだそうである。
土に長い時間を掛けて変化を起こし。
最終的に、植物が狂わないように、植物を守るための盾のような役割を果たすのだとか。
龍脈が地面に露出しているような場所では、本来では考えられないような魔力が流出を続けており。
それはかなり危険なものなのだという。
魔力も量が多すぎると、植物の育成に悪影響を与えたり。
更には異形を生じさせるとか言う話だ。
「これは植物に限った話ではないわ。 龍脈の直の上には、基本的には私達も集落を造りはしないのよ。 龍脈の近くに集落を作る事はあってもね」
「なるほど、キビスビスというのは、それだけ限定条件で作られるものなんですね」
「もしもそれを人工的に作ったのだとしたら、本来のものと性質が違っているのが当然でしょうね。 ましてやあの森全域に撒かれているとなると……キビスビスを生じさせて、周囲にばらまくような植物が品種改良で作られて、自生している可能性もあるわ。 そうなってくると、その植物が大気中の魔力を吸い上げて、長年かけてキビスビスを広範囲にばらまいている可能性すら考えられるわ」
そうか、それは危険だ。
対策は何か無いのかと聞くが。
セリさんは首を横に振る。
「故郷にあったものとそもそも性質が違うから分からないわね」
「……なるほど、確かにそうですね。 ただ、植物が生じさせたとなると……活路は見いだせるかも知れません。 もう少し、分かる事を全てお願い出来ますか」
「ええ。 まあ別に損にはならないし、いいわ」
順番に性質を聞いていく。
それを全てメモ。
アトリエに戻ると、既にリラさんはその場を離れていて。アンペルさんが、フィーを検査していた。
フィーは大人しく検査を受けている。痛い事はされていないようだった。
「アンペルさん、やはりセリさんが色々と知っていました」
「メモを見せてくれるか」
「はい!」
メモを見ると、アンペルさんは酷い字だなとぼやきながら、すぐに内容を把握してしまう。
そして、フィーから手を離すと、咳払いしていた。
「今の時点では大丈夫だろう。 幾つかの古文書を見て調べたが、どうにも似た生物が見あたらない。 ただ……」
「何か、分かりそうですか?」
「いや、このフィーの翼の形状がな。 どうしてもオーリムの生物に合致しているように思えてな」
なるほど。
フィーがオーリムの生物である可能性は高いと言うことか。元々その可能性は考慮していたし、今更驚く事もない。
アンペルさんは、資料と研究結果だけ持って、そのまま戻る。後は、あたしが。色々と調べなければならなかった。
3、キビスビス
一つ分かってきた事がある。
あたしが、シャーレに乗せた問題を起こしているものを、少し遠巻きにして考え込む。
どうもあの森は、何重かのシールドともいえるもので守られている。それは明らかに自然に発生したものではない。
そして今度の遺跡の中枢には、多分龍脈がある。
龍脈を用いて、何かしらの試験を、古代クリント王国に滅ぼされた、今では名前もわからないこの土地にあった国はしていたということだ。
その試験が、最初から何かしらを封じるためのものだったのかは分からない。
古代クリント王国がたまたま勝ち残っただけ。
それはあたしも理解している。
最初はアーミー同士が行う大規模な殺し合いとか、そういうのに使うためのものだった可能性も高い。
こんな凶悪なシールドシステム、まっとうな目的で使う物とも思えないからだ。
ただ、分かる事は幾つかある。
例えばだが。
防ぐ方法がある。
そうでなければ、研究中の人間が生きて出られなかったはず。
恐らくは、最終的には古代クリント王国の人間の侵入を防ぐために、遺跡をそのまま封じたとしても。
その前は出入りをしていた筈で。
何かしらの手段で、キビスビスをはじめとする毒物を無力化中和する手段があったのだろう。
セリさんに確認した所によると。
キビスビスは、本来は地面の中にあって、掘り出したときに危険性を発揮するものなのだそうである。
仮に、此方の世界のキビスビスが全く別のものだったとしても。
植物が、身を守るために作り出した物だろう事は確実だろうとも。
つまるところ、対魔術防御が必要なのではなく。
そもそもキビスビスに魔力を流さないことが重要なのではないだろうか。
キビスビス一つを無力化出来るだけで、だいぶ違ってくる。
しばし考えてから、あたしは調合を始める。
別に難しいものでもない。
魔力を中和する。
それだけのものだ。
今の時代、空気中に幾らでも魔力は溢れている。古い時代はどうもそうではなかったらしいのだが。
少なくとも今はそうだ。
人間も魔物も魔術が使えるのも、それが理由で。
魔力はどこにでも、当たり前に存在しているのである。
ならば、その当たり前を覆せばどうか。
それはそれで難しい。
フィーだって、魔力を吸収した後、どうも排泄と同じようにして。変質した魔力を外に吐き出しているようなのだ。
魔力の中にある栄養部分だけを取って、それ以外を捨てていると言う事なのだろう。
別に生物の生理的反応なのだから、それはどうでもいい。
魔力を消し去る事は、今は難しい。
一時的に消す事は出来ても、すぐに大気中から魔力は補填される。
世界中のどこにでも魔石があるように。
魔力はそれだけ、どこにでも、幾らでもあるものなのだ。
黙々と調合を続けて、やがて出来る。
霧状のものだが。
これは魔力を吸収し続ける液体だ。
仕組みとしては簡単で、魔石になる前のものだと言えば分かりやすい。大気中に幾らでもあるもので。
これを濃縮することで、やがて魔石の元となり。
時間を掛けて、魔石が出来ていく。
何処にでもあるものを、圧縮しただけだ。
さて、実験だ。
シャーレに入れているキビスビスに、これを霧吹きして見る。これで、どうだ。危険性を抑えられないか。
魔力を吸わなくなれば、キビスビスはその機能を停止する。
しばし時間が経過してから、シャーレを手に取ってみる。
感覚が狂うことはないようだ。
なるほど、こんな手があるなんてな。
いずれにしても、これでキビスビス攻略の目処は立った。この液体の量産も、はっきり言って難しく無い。
ただし、まだもう一つ。
金属でないと、影響を防げないものがある。
これもどうにかしたい。
金属を吹き付けてメッキみたいにするのは。
いや、ダメだ。
タオから聞いているが、金属は直接体に入れると害になると言う。もしも周囲にばらまいたりしたら、それこそ猛毒。
ただでさえ人間は、今世界から排斥されようとしている。
それを加速してしまっては、それこそ意味がないのだ。
「金属を薄くシートにして、それを敷き詰めてみるとか。 うーん、でもそれだと持ち運びが厳しいなあ」
腕組みしながら、歩き回る。
そうして独り言を呟きながら、思考を巡らせる。
金属であれば防げる。
それはいい。
エアドロップに乗った状態だったら、どうにか出来ると見た。
実は底部には、装甲をつけていない。陸上型エアドロップがこれ以上重くなるのを防ぐためだったのだが。
金属で影響を防げるなら、これで多分いけるはずだ。ただし機動力が更に落ちてしまうから、対策が必要になるが。
さて、どうするか。
まずは、やれることからだ。
エアドロップを、強化する。
そして。
エアドロップのアームに手を入れて。周囲の地面にキビスビスの無力化をするスプレーを撒けるようにする。
これで、更に奧へ進む事が出来るはず。
他の幾つかの対策は、とりあえず対魔術装甲でどうにかする。
ともかく対処療法だが。
今は、これでやっていくしかない。
徹夜はしない。
翌朝に残りを調整して、それで終わり。
皆が来る頃には、エアドロップ陸上型の調整は終わっていた。これで恐らくは、何とかなるはずだ。
「更にエアドロップがなんというか……」
「ごつくなった?」
「は、はい」
「これ以上ごつくなると、ちょっと折りたたみは厳しくなるね」
あたしも苦笑い。
今の時点で、かなり重くなっていて。持ち運びが大変になっている。これ以上の重量化は避けたいのだが。
しかし、これくらいはしないと、森の奧には入れないのだ。
現地に移動。
その途中で、キビスビスの話はしておく。
そんなものがあるのかと、タオはメモを取っていて。それでとても目を輝かせていた。
「やっぱり世の中には知らない事がたくさんある。 もっともっと色々知っていきたいな」
「タオはきっと世界一の学者になれるな」
「今の衰退した時代で一番になっても、それが凄い事かは分からないけれどね。 今の何十倍も人間がいた時代には、きっとそれでも大した存在ではなかったよ」
「そうかもな。 ともかく、今はできることをできる範囲でやっていくしかねえ」
レントの言葉も真理だ。
現地まで急いで行く。そして、エアドロップを拡げる。
やっぱりかなり重くなっている。
もうちょっとこれをどうにか出来ないか。だが、それは後回し。まずは、動くものを使って。
行ける所までいってみる。
それだけだ。
エアドロップを起動。
アームの機動、正常。
確認した後、今までいったことがない地点から、順番に攻めて行く。エアドロップの足回りが鈍重になっているが。
それは許容するしかない。
黙々と進んでいく。
途中で、クラウディアの声が聞こえた。
「ライザ、そろそろ七百歩だよ」
「うん、分かってる。 よし……」
「前進も後退も重くなってるんでしょ。 無理だけはしないで」
「分かってる!」
よし、今の時点では大丈夫。冷や汗を拭いながら、確実に進んでいく。
懐に入れているフィーが、じっと黙っているところからして、そこまで不安感はないのだろう。
ほどなくして、嫌な感じが来る。
同時に、変な植物が見えてきた。
かなり大きな、紫色の植物だ。傘のような形状をしている。
それが、辺りに霧のようなものを放出している。
何だか知らないが、これはちょっとサンプルを取るべきだろう。それに、少しずつ異常が出始めている。
多分間違いない。
此奴が。
キビスビスを撒いている張本人だ。
少し距離を取り、さがる。
近付きすぎると、かなり危ないとみた。エアドロップから顔を出すなんて論外だ。多分秒で五感が終わる。
「なんか変な植物が見える。 霧みたいなの撒いてる!」
「……ライザ。 私を同行させて貰えるかしら」
「問題ないですよセリさん」
「近くでそれを見てみたい」
セリさんの植物操作とのコンビネーションなら、回収は出来るかもしれない。いずれにしてもあの植物のサンプルが必要だ。
即座にバックして戻る。
後になって、頭が痛くなってきた。
かなり強烈だが、それでもやっと遺跡の入口にまで来られたような気がする。あれがたくさん生えているなら。
対策は必至。
少なくとも、エアドロップから出られるようにならないと、話にもならないだろう。
安全圏に出る。
アームに入っている対キビスビスのスプレーはまだ容量が足りている。増やすのは、アトリエに戻ればすぐに出来る。
一応持ち込んでいる予備分を、アームに注入。
これでもう一度往復するくらいは余裕だ。
「ライザ。 調査してみて分かったよ」
「うん。 聞かせて」
「この辺りの土壌、キビスビスと呼ばれる物質がふんだんに含まれてる。 腐葉土に混じって、地面に溶け込んでいるんだ」
恐らく原因は、霧だろうとタオは言う。
今の時期は霧は出ていないが、この地域は時期によっては霧が出るという。幾つかある川が霧の出所だ。
この霧にとって、キビスビスが彼方此方にある植物にまき散らされ。
その葉に吸着する。
キビスビスは植物には悪影響を与えず、葉についても特に悪影響は与えないが。
葉はやがて落ちて、地面にまき散らされる。
そして腐葉土になってもキビスビスは普通に存在するどころか。
むしろ濃度を増し。
土に居着くのだ。
「それはまずいね」
「うん。 非常に危険だよ。 他にも幾つもの仕掛けがあるみたいだけれど、余程奧に通したくないんだろうね」
「古代クリント王国の事を考えると当然だろうな。 こんな技術が手に渡ったら、どんな風に使われたか……」
レントがぼやく。
ともかく、セリさんを乗せて第二次遠征。
奧にまで行く。
途中で、クラウディアが声を掛けて来た。
「ライザ、距離的にはどれくらい奧に入れている?」
「現時点で恐らく1100歩くらいだと思う」
「そうなると、遺跡がある場合その外郭までいけているはずだよ。 場所によっては、もう外郭に入れている筈だ」
「……だとすれば、後一歩だね」
舌なめずり。
もう少しと言う事だ。
「止まって」
セリさんが制止を掛けてくる。
じっと遠くを見るセリさん。目を細めている様子からして、何かの魔術を展開している可能性もある。
「この位置、更にこの装甲の内側からだと、魔術干渉はかなり限定的になってくるわね」
「ごめんなさい。 でも装甲をこれだけ貼って、やっと此処まで入れるくらいなので」
「分かってる。 植物の性質は把握。 これは恐らくだけれども、キビスビスを生成してばらまくためだけに作られた植物ね。 案の定、繁殖している気配がない。 特定条件がない限り、育つ事ができないと見たわ」
そうか。そうだとすると、農作物と同じだな。
ともかく、専門家のセリさんが魔術を展開しているのを見つめる。
「魔術の増幅が掛かるように装備品を作りますか?」
「現時点では問題は出力じゃないの。 貴方の装飾品は充分過ぎる程私の魔力倍率を上げている。 問題はコントロールでね。 今の状態だと、外部への介入は殆ど無理に等しい」
それもそうだ。
そもそも内部から外部へ介入するのは大変だというのは分かりきっている。
無言でセリさんの作業を待つ。
普段クールというか、クールを通り越して何も喋らないセリさんが、冷や汗まで掻いて集中している。
集中を乱すのもまずいだろう。
栄養剤を先に飲んでおく。
セリさんもほしいと言うなら渡すけれど、今は必要ないだろう。
しばし様子を見ていると。
セリさんが、だいたい解析を終えたようだった。
「把握。 あの植物を眠らせる」
「眠らせる」
「そう。 一度枯らすと、恐らくもう機能が復活しない。 ああ見えてあれは多年草よ。 植物によって寿命は違うけれど、あの植物の寿命は千数百年はあると見て良い。 一度枯らすと、恐らくもう彼処に根付くことはないわ」
「そうなると、機能を一時的に停止させるしかないんですね」
頷くセリさん。
そして、しばらく詠唱を続けて。やがて、その後長い長い時間を掛けて、ゆっくりと呪文を発動。
傘みたいな形状の植物は。
停止した、と言う事だった。
一度戻る。
停止させたとしても、キビスビスが大量にばらまかれ。それも五百……もっと長い年月この辺りに散らばっていたことは確定と見て良いだろう。
それを一気に無くすのは不可能だ。
そうなってくると、これ以上キビスビスがばらまかれないようにして。
その後で、次の対処をどうするか考えなければならない。
「後はこの傘みたいな植物がどれくらいあるかだけれども」
「それだったら問題ないよ。 数については見当がついてる」
タオが、糸電話越しに連絡を入れてくる。
なるほどそれはありがたい。
話によると、タオの計算では5ないし6程度しかない、ということだ。
まあ特殊条件が揃わないとそもそも根付かないような植物だ。
この程度の範囲にそれほど多くがあるわけでもない、ということなのだろう。
では、此処からは簡単だ。
一度安全圏まで出て、恐らく等間隔に植えられている植物の無力化に向かう。一つずつ潰して行く。
あくまである程度の時間眠らせるだけだ。その間に、同時に周囲の調査もして、地図を作っていく。
これで、遺跡の外郭をひょっとすると視認できるかも知れないが。
まだやっぱり例の植物がある地点辺りから、向こう側の視界が不安定だ。
「遺跡の内部は、キビスビスや五感を狂わせる仕掛けがないとか、そんなのは楽観だなあ……」
「恐らく遺跡の形状からして、一番それらが濃い場所だと思う。 それに遺跡そのものは、ごくちいさな規模だと思うよ」
「まあ、そうだろうね……」
現在の状況からして。
遺跡と呼べるのは、せいぜい数百歩四方だろう。
王都にある貴族の邸宅くらいの大きさだ。
だが、それが戦略的に極めて強大な意味を有している。もしもこのシステムでフィルフサを動けないようにしているとしたら。
此処こそ封印の生命線と言える。
勿論封印そのものも此処に置くのが定石だろう。
こんな所誰にも入れない。
古代クリント王国の錬金術師達でも。
古代クリント王国が、この辺りの国家を滅ぼした時でも、戦略的に価値が無いと判断して足を運ばなければ良い。
そういう意味では、現地民ですら入るのを嫌がる密林というのは、絶好の場所で。
しかもそこに下手に入ると生きて帰れないとなればなおさらだ。
二つ目を発見。
セリさんに無力化して貰う。
傘のような形状をした植物は、それほど大きくもない。つまるところ、この植物がキビスビスを撒くのには、相当な時間が掛かったのだろう。
昔は此処まで危険な森ではなかったのかも知れない。
そう思うと、色々複雑な気分になる。
いっそ刈り取ってしまうべきか。
いや、それをする前に、調査をしないと。
それにキビスビスをはじめとした、五感を狂わせるシステムを、解析しないとそもそも中に入れない。
中に入れなければ、封印の状態も確認できないし。
更には羅針盤で、残留思念を拾う事だって出来ないだろう。
そうなると、とんでもない事を見落とすかも知れない。
フィルフサ以上の脅威という可能性だって、低確率ながらある。
それを見逃す訳にはいかないのだ。
三つ目を沈黙させる。位置からして、どうやら六つに間違いないらしい。そのまま、タオが指示する方角に移動。
セリさんに、栄養剤を渡す。
セリさんは、これを美味しくないといって嫌そうな顔をしたことがあったのだけれども。それでも、セリさんの消耗が小さくない。
時間は出来るだけ、有効に活用したい。
そのまま、順番に植物を黙らせていく。
最後の六つ目を黙らせて、安全圏に抜けた後。
既に夕方近くになっていた。
レントが手を振っている。周囲には魔物。この近所の集落を襲っていた、カラフルな連中だ。
それが多数。死体になって転がっていた。
「魔物に襲撃を受けたんだ」
「この程度なら問題は無いぜ。 一部の奴は危険地帯に入って、そのままくるくる回って倒れちまった」
「恐ろしいですね。 立ち回りを間違えたら、ああなっていたのは私達です」
「とにかく、今日はここまでだね。 早めに戻ろう」
今回は、今までと比較にならない程遺跡の探索危険度が高い。もしも危険ラインを今の状態で踏み越えたら、その時点で多分救出が出来なくなる。それくらいに危ない。
だから、時間通りに切り上げる。
キビスビスがこれ以上散布されるのは防げそうだが、問題はその先だ。全員でエアドロップに乗り込むとして、その先はどうすればいい。
今噴霧しているものだって、恐らくは万能じゃない。
地面を一斉にどうにかするには、大規模魔術と、錬金術の合わせ技が必要になってくる。
パワーはあたしが担保すれば良い。
上昇気流も、クラウディアがフルパワーで上空に攻撃をぶっ放せば作り出す事が出来るだろう。
局所的な雨は、以前も降らせたことがある。
似たような事は出来るが、今回は地面を爆散させずにそれをなんとかやりたい。ましてやこの辺りは、異常乾燥している訳でもないし、水分を急に用意することだって出来ないだろう。
帰路、雲が出てくる。
そういえば、この辺りも今の季節は雨が若干少ないらしい。今年は特に少ないのだとか。
幸い水路があるから王都は平気だが、他の場所だとそうでもないだろう。
異常気象は、簡単に多数の命を奪い去る。
農家の出であるあたしは、それを知っている。
「これは降るね」
「うん。 まとまって降りそうだ」
あたしの言葉に、タオが雲の形状などからそれを裏付ける発言をする。
雨か。
或いは、これが好機かも知れない。
とりあえず、今日はここまでだ。切り上げて、ミーティングをする。
封印は二つがほぼ全損。一つが半壊状態。
もしも封印がまだ生きているとしても、いつまでもつか分からないと判断して良いだろう。
王都に辿り着いて、アトリエに入る。
あたしが熱風を起こして服を乾かす。というか、あたしが支給している服類は、基本的に乾燥機能がついているので、あくまで気分の問題だが。
むしろ後から来たボオスの方が濡れていたくらいだった。
「無事に戻ったみたいだな。 探索は順調か」
「どうにも。 一応ある程度は進めたけれども、進めただけかな。 まだ遺跡らしいものには触れていないよ」
「厄介だという話は聞いていたが、本当に大変そうだな……」
ボオスが、手紙をくれる。
中身は、以前話をした女子生徒。カリナさんのものだった。
論文をどうやら書けそうであること。
あたしが用意した植物の世話が楽しくて仕方が無い事。
タオがあんまりいないけれどどうしているのか聞く内容。それぞれだった。
あたしは頭を掻くと、手紙をしたためる。失礼がないように、クラウディアに見てもらうが、字が独特すぎると言われて苦笑い。
まあ読めない字では無いし、これでいいだろう。カリナさんとは会う時間をとれないので、ボオスに渡しておく。
「まとまった雨だが、明日も出るのか?」
「そのつもりだよ」
「そうか……」
ボオスは濡れても平気な様子のあたしを見て、口の端を少しだけつり上げたが、それだけだった。
今更。
此奴があたしの婚約者候補だったと知ったら、多分パティはひっくり返るのでは無いかなと、あたしは思った。
4、豪雨の中で
滝のような雨が降り注ぎ続ける。
あたしが熱魔術でシールドを作ってそれを防いで、街道を急ぐ。これは、ある事を調べられる好機かも知れない。
街道の泥濘が酷い。
転ぶと足を挫くかも知れない。
全員鍛えた戦士だ。
それがないとは思うが。それでも、時々声を掛けながら行く。
「洪水の恐れは無さそう?」
「洪水も何も、この辺りはそもそも治水も……」
「そうだったね」
王都が聞いて呆れるが。治水なんてまともにされていない。
元は古代クリント王国の一都市に過ぎない王都は、元々ロストテクノロジーで上水も下水も確保されている。
それもあって、その仕組みがよく分かっておらず。
あたしが今宿を借りているような地域では、井戸から水を確保している有様である。
かといって貴族が使っている上水が安全かというとそうでもなく。
湧かさないと腹を普通に下すそうだ。
この辺りはクーケン島と同じか。
クーケン島も、そもそも古代クリント王国のロストテクノロジーの残骸に浮かんでいるのである。
海水を淡水にするシステムだって、錬金術師が自分らで活用するためのものだっただろうし。
それがタオの数代前に伝承すら失われてロストテクノロジー化したのも、仕方が無い事だったのかも知れない。
人間はどんどん衰えている。
第二都市のサルドニカですら、街の周辺は魔物だらけだと聞いた。
それを考えると、今はもう。
安全な場所なんて、ないのかも知れなかった。
泥濘を蹴散らして走る。
クリフォードさんが、こっちだと叫んだ。
道を間違えそうになる。
この人は、前も王都近辺で活動したことがあるらしく、この辺りは庭のように詳しいようである。
流石に密林の内部は話が違うようだが。
やがて森の中に入ると、木々のせいで余計に雨粒が大きくなる。まあこれは、仕方が無いことか。
腐葉土を踏みながら、急いで獣道を行く。
獣糞を劣悪な靴で踏むとそれだけで病気になるという意味でかなり危険だったりするのだが。
今皆が履いている靴だと、頑強極まりなく作っている事もあり、その恐れもない。
やがて荷車を引いて、危険ラインに到達。遠くで雷が落ちて、クラウディアが首をすくめていた。
「んっ……!」
「この辺りも落雷の恐れがあるね。 とにかく、順番に片付けよう」
「フィー。 懐から出たら駄目だよ」
「フィー!」
エアドロップを組み立てる。そして、今回はあたしとクリフォードさんで乗り込んで、奧へ向かう。
雨が降っている。
ひょっとして、土の状態に変化が起きるかも知れない。
相変わらず足回りが重くなっている。更に雨で足回りが余計にだ。土が絡んでいるのが分かるくらいである。
「ライザ、操縦は俺が変わろうか」
「……分かった。 魔術操作があるから、操縦をよろしくね」
「そうだな。 それに俺の方が五感は鋭いと思う」
あたしの方は直感が鋭いが、確かにクリフォードさんは五感が鋭い印象がある。音などに対する反応速度は、身体能力の分あたしより上だと感じる。
なるほど、それも道理か。
あたしはそのまま、魔術制御に専念。
クラウディアの音魔術で、糸電話が入る。雨のせいか、ちょっと声が聞き取りづらい。
「ライザ、どんな状況。 もう昨日と同じ地点だよ」
「まだ感覚の異常は無いね。 恐らく、雨でキビスビスが流れているからだと思う」
「そう。 それでも無理はしないで」
「分かってる」
川から毒素が流れてくる。
そんな話を周辺の集落がしていた。
それは恐らく、こういう日に下流に流されたキビスビスが正体だったのだ。
逆に、今のクラウディアが心配だ。
「安全ラインが変わってる可能性がある。 とにかく気を付けて!」
「うん!」
「ちょっと待て、見えてきたぞ」
クリフォードさんが、エアドロップ陸上型を停止させる。あたしは、全周囲を確認できるから、自分の目で見た。
何とも貧相な集落。
石造りの建物の数々。
間違いない。
これが、恐らくは「深森」。
それほど広い集落では無い。タオの見たて通りだ。だけれども、奥の方はどうなっているのか分からない。
ぐにゃりと歪んでしまっている。
「もう少し奧に行けない、クリフォードさん」
「ダメだ。 これ以上はいけない。 既にギリギリだ」
「……分かった。 とりあえず、メモを取るよ」
「頼む」
今の位置などを記録。そして、記録を終えたら、即座に後退開始。
次はクラウディアを乗せて、同じ地点まで。やはり危険ラインが変わっているようで、慌ただしくレントが指示を出していた。
「雨が降るとこんなに感覚が狂うのか、畜生……」
「レント、そっちは頼むよ!」
「この辺りの魔物だったらなで切りにしてやる。 だけれども、大物が出たらもたねえぞ!」
「分かってる!」
戦場が悪すぎる。
強さの問題じゃない。
何処に踏み込んだらアウトか分からないのである。周囲を警戒していても、見えているもの聞こえているものが正しいかすら分からないのだ。
セリさんが植物で結界を作ってくれていたが、それでも役に立つか分からないだろう。
今、それだけ危ない地点にいるのである。
クリフォードさんに引き続き運転して貰い、奧に。
其処で確認して、クラウディアに音魔術を展開して貰う。元々魔術を防ぐ壁を経ているので、非常に制御が難しい。だが、クラウディアはそれでも確実に、少しずつ地形の探査を進めてくれる。
相当魔術の負担が大きいのだろう。
クラウディアは右耳を抑えながら、メモを急いで取る。地図が埋められていく。
「奧はダメだわ。 全く地形が分からない」
「分かる範囲でいいよ。 とにかく、対策をしないと」
「そうだね。 遺跡にたどり着けただけで、まずは可としないと……」
「なんてえ遺跡だ。 これだと宝どころじゃ無さそうだな……。 いや、此処から生きて帰る手段の確立が何よりの宝か」
クリフォードさんがぼやく。
雨が更に激しくなり、雷が近くに落ちる。
それでも、好機は逃せない。
地図を、とり続ける。
恐らく今日の探索は此処が限界だ。だが、限界でも、やれることは全てやる。
封印がいつまでもつか、わからないのだから。
(続)
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