渓谷の遺跡

 

序、パティ合流する

 

朝。アトリエに皆で集まる。

あたしは既に出かけて戻って来た後。最初にアトリエに来たのは、パティだった。既に外に行くための格好をしているが。ちょっとそれだけでは足りない。

まずはアトリエにパティと一緒に入り。

パティのために用意した装備を並べる。

その中には、今朝受け取ってきた。デニスさんが打ったばかりの大太刀もあった。

「こ、これは……」

「パティのために用意した装備類」

「そ、そんな! 悪いです!」

「何を言ってるの。 あたしやタオの為でもあるの」

そういうと、パティははっとなる。

パティのためだけじゃあない。

これから三人で遺跡探索に出向く。

パティを出来るだけ支援はする。人材育成という意味もあるからだ。だが、それだけでは追いつかなくなる事だって出てくる。

だから、強化を掛ける。

そのための投資だ。

まずは靴の大きさを合わせる。調整出来るように作ってあるが、すぐに靴をはき直してもらう。

パティは人前で靴を脱ぐのが少し恥ずかしいようだったが、すぐに履き替える。それにしてもちっさくて可愛い足だな。ただ、しっかり歩いて鍛えているのも分かる足だ。体が小さいのは、多分体質的なものだろう。

そう思いながら、調整。

一応、それなりに外を歩き慣れてはいるようだ。

ヴォルカーさんと、魔物を退治して歩いて回ったから、なのだろう。

「歩いて見て。 違和感はないね」

「は、はい。 それどころか、体が綿みたいに軽くて……なんなんですか、この靴」

「簡単に言うと、履くだけで身体強化の魔術が掛かるようになってる。 後は体力の自動回復も」

「そんな、信じられません……」

驚くパティ。

更に手袋もつけて貰う。

手袋は指ぬきのにした。この方が、繊細な武技を繰り出しやすいからである。

ただし、その分重点的に魔術的な防御を手に掛けるようにもした。

元々刃に鍔があるのは、それだけ武器を持つ手を狙われることが多いからである。対人戦でもそうだし。

魔物も、それを狙って来る奴がいる。

手袋も調整して、手にフィットするようにする。

この間狩ってきた大羊の毛から作ったモフコットを材料にしている。更に裏地にも工夫を凝らしており。

これにも自動回復の機能と、更には体温調節の熱魔術が発動するようにしてある。

「す、凄い……」

「もっと凄い装備も作れるけれど、残念だけれど材料がないんだ。 今後もっと良い材料が手に入り次第、渡すね」

「こんなもの、アーベルハイムの資産でも払えるかどうか。 国宝になるような品ですよ多分」

「だとしたら、それは国宝が凄いんじゃなくて、ロテスヴァッサが大した事がないんだよ」

そして、大太刀といったか。

東方ではカタナと呼ばれるらしい武器を触って貰う。

パティは生唾を飲み込むと、大太刀を手に取り。鞘から抜いた。

ゴルドテリオンは金色が目立つインゴットだが。

それでも、これは全部が金になっている訳ではない。

一緒に渡したクリミネアのインゴットも含めた合金として作ってあり、切れ味と強度を両立させている。

パティは目を細めて刃をじっと見つめて。

そして、何度か角度を変えてみていた。

素振りを何度かする。

口元に笑みが浮かんでいる。

凄い武器を手にすれば。

専業戦士はああなる。

アガーテ姉さんが、同じように。あたしが打った剣を持ったとき、なっているのを見た事がある。

そういうものなのだ。

たまに剣の魅力に取り憑かれて、人斬りになる人がいるらしいが。

まあこの感情の延長線にあるものに取り憑かれてしまったのだろう。

「素晴らしい……」

「その刃を何に使うかは分かってるよね」

「は、はい!」

「それじゃ預けるよ。 後で買い取って」

こくこくと頷くパティ。

これで、一応の戦力は整ったか。

タオとボオスが来る。

タオにぺこりと頭を下げるパティ。今までの靴と手袋、それに大太刀は机の上に置いている。

それで、タオも状況を悟ったようだった。

「じゃ、会議。 タオ、現地までの行動計画よろしく」

「分かった。 でも、パティ。 先に言っておくけれど、これから向かう先は本当に危険なんだ。 君が決めたことだから反対はしないけれど、時には僕達で君を守れないかも知れない。 それは理解して」

「はい、ありがとうございます。 足を引っ張らないように頑張ります」

「やれやれ、後輩に追い越されそうだな」

若干悔しそうなボオス。

ボオスも忙しすぎなければ誘うのだけれども。

そもそもボオスは、此処でやる事が多すぎる。

どっちにしても、少なくともこの遺跡の探索に連れて行く訳にはいかなかっただろう。

まず順番に、話をしていく。

東の街道に出た後、殆ど獣道同然の狭い道に入る。

この辺りは魔物が普通に出て、人が襲われる危険な場所だ。殺人事件なんかが起きた場合、死体をこの辺りに放置して行くケースも多いらしい。魔物が片付けてしまうので、それで都合が良いのだ。

其処を北に抜けると、いきなり森が途切れる。

其処にあるのは殺風景な渓谷で、殆ど道らしい道もない。此処を更に抜けていくと、やがて目標の遺跡に辿りつく。

途中にはワイバーンが出る事もあり、王都の警備は絶対に近寄らないように民に指示を出しているそうだ。

まあ、それも当然だろう。

こんな所、警備の戦士達程度では、入っては生きて帰れない。

そんな程度の実力しかないのだから。

いずれにしても、パティにはまだまだ見習いとして、支援を中心としてもらう。ただ元々前衛で戦うタイプではないタオを最前線に立たせるのも不安だ。

そういうわけで、しばらくは壁役をあたしとパティでやるしかないだろう。

そうすれば、タオは以前と同じように。

奇襲を中心とした戦術でいけるはず。

これでレントがいてくれれば、かなり話が違うのだけれども。

まあ、そう上手くは行かないだろう。

まあパティは見た所、バリバリの前衛だ。

技術が上がれば、前衛で戦える筈。

それを考えれば、最初の苦労は必要な投資だと判断して割切るしか無い。

それと、まだパティにはフィルフサ関連の話はしない。

当たり前の話だ。

最後までしないかもしれない。

いずれにしても、王都近辺を調査して。

それからになるだろう。

それに、あたしは魔術師だ。

錬金術師であると同時に、熱魔術についてはキレが落ちていない。

そうなってくると、あの最初に足を踏み入れた森の遺跡で覚えた嫌な予感は、多分勘違いではない。

周囲は、徹底的に調べるべきだった。

「ボオス、というわけで最悪の場合はバレンツ商会に連絡をしておいて。 クラウディアやレント、それにアンペルさんとリラさんにも連絡が行くように事前に処置はしてあるから」

「それはいいんだが、アンペル師とリラさんは来てくれるのか?」

「なんとも。 今も連絡は試みているんだけれどね……」

頭を掻く。

それにバレンツ商会には、優れた戦士がいないか調べて貰っているのだが。

上がってくる面子の殆どが、例のメイドの一族の人だ。

中には男性戦士もいるが、例のメイドの一族の一親等。つまり子供だったりする。

確かに凄腕なのは分かる。

クラウディアと一緒にいたフロディアさんの人間離れした動きはあたしも間近で見ているし。

だが、どうにも信用できないのだ。

これも勘だが。

だが魔術師の勘は、適当な直感とは意味が違うのである。

「最悪の場合は二次遭難を避けるようにして。 無理に捜索を出しては駄目だよ」

「ああ、分かってる。 お前らが不覚を取るような相手を、俺がどうにか出来る訳もないからな」

「あ、あの」

「なんだ」

ボオスは相変わらず横柄だ。パティにもだ。

前は誰も呼び捨てにしていたが。最近は流石にそれはなくなっている。ただそれでも、やはり誰にでも横柄なようだった。

パティもちょっとむっとしたようだったが。

それはそれとして、咳払いする。

「スケジュールについては、一応私も家に提出はしています。 アーベルハイムがいざという時は動くようにはしておきました」

「そうか、それは用意周到なことだな。 だがはっきりいうが、此奴らはドラゴンキラーだ。 アーベルハイムの総力を挙げても、此奴らが不覚を取るような相手には多分勝てない」

「それは、分かってはいます。 それでも、何かしら手を打てるかもしれませんので」

パティをなだめるタオ。

あたしは咳払い。

フィーが、ボオスの頭の上で、抗議するような声を上げるので。

ボオスはげんなりしたようだった。

「分かった分かった、そうだな。 その時は連携して動こう。 俺の方からも、バレンツ商会に連絡を入れる」

「分かりました、お願いします」

「全く、三年でまるで溝がうまらん。 腕は上げているつもりなんだがな、どんだけあの一季節で強くなりやがったんだよ」

本当は。ボオスも来たいんだな。

そう思いながらも、それでも力不足を自覚しているから、足手まといを避けようとしている。

その考えは立派だ。

だから、あたしはそれについて、何か言うつもりはなかった。

 

とりあえず、タオとあたしとパティで出る。

荷車を引いて街道まで出るが。パティは荷車の構造にも感心していた。

「これ、金属を使って強度を上げて、車軸に振動を減らす工夫までしているんですか」

「うん、そうだよ」

「信じられません。 クーケン島という場所には、これほどに腕が良い職人……いえ、錬金術でこれも?」

「そうだよ。 錬金術を始めて最初に思ったのは、素材を背負うのだとどうしても動きが悪くなるし、何よりも多くを持ち帰れないって事だからね。 鉱石をたくさん見つけたりしても、運ぶにはどうしても無理がある。 だから、こういうのを作ったんだ」

何重も底を作って補強し、素材も荷車も傷めないようにしていること。

滑らかに車軸を回して車輪が動くこと。

それらにも、パティは感心していた。

「王都の職人も、馬車なんかは丁寧に作っているんでしょ?」

「はい、ただこれほどの荷車を作るとなると、やっぱり家が建ちますね……」

「そっか。 王都の物価、やっぱりおかしいわ」

「はい……」

パティもそれは分かっては来たのだろう。

昨日タオに聞いたのだが、パティは外での物価などについて、数学の勉強の合間に聞いてくると言う。

そうして話をすると、あまりの王都の物価に驚いたそうだ。

一応知識としては知っていたそうだが。

それにしても、あまりにもいびつである事にも。

第二都市であるサルドニカでも、此処までの物価ではないそうで。

いずれこのまま行くと、ロテスヴァッサという国家は早々に崩壊してしまう。

そういう危惧を抱いたようだった。

まあ、そういうまっとうな危惧を抱いてくれるならいい。

いずれパティはロテスヴァッサの上層になる人間だ。

クズだらけの貴族の中で、黒く染まってしまうか。

それとも、無能貴族を全部掣肘していくか。

それは今のうちの成長に掛かっているだろう。

だからヴォルカーさんも注意深くパティの人間関係を選んでいるのだろうし。

周囲に神経質になっているのだ。

大通りを行く途中で、無駄に飾り立てた馬車を見る。

多分貴族のものだろう。

荷車はあたしが引いているので、面倒だし避ける。

馬車から顔を出したのは、いかにもな女だ。

化粧で誤魔化しているが、別に美人でもなんでもない。

貴族は全部美形だとか考えている者もいるらしいが。

そんなものは大嘘だと分かる。

なんか滑稽に飾り立てた髪の毛もドレスも、どっちもあたしからすればおかしなだけだった。

特にドレスなんかは、ロストテクノロジーの機械で作っているのが丸わかりである。

つまり、全てが砂上の楼閣と言う事だ。

「あらパトリツィア様。 下男下女を連れて野蛮な行脚に出られるのかしら」

「口を慎んでくださいセドリック様。 このお二方は、アーベルハイムに協力してくれている腕利きの中の腕利き。 特に女性の方は、ここ三年で王都に流通している金属と布、ゼッテルを全て席巻したほどの重要人物です」

「そんな方が外に行脚に? 野蛮人の考えは分かりませんわ」

「そうですか。 それならば一生分からないままでいなさい。 街道の安全が確保できなければ、貴方の家などあっと言う間に干上がってしまうことを理解出来ていないのなら、爵位を継ぐのは十年早いでしょう」

ばちんとパティと女の間に火花が散り。

鼻を鳴らした女は、馬車を行かせた。

ボオスがいたら、なんだあの女はとか、厳しい発言をしていたかも知れない。

いずれにしてもあの女。武力ではパティに勝てない事を理解していたから、激しい言葉のやりとりを切り上げたのだ。

つまり、逃げた。

あたしにはそれが分かったから、逆に油断すべきではないとも思った。ああいうのが動くとしたら、搦め手からだ。

「失礼しました。 あれはセボン伯爵家の令嬢です。 歪んだ貴族意識を鼻に掛けていて、警備の戦士を蛮人と呼んでいる恥ずべき人間です」

「あんなのを相手にしなければいけないのは大変だね」

「大丈夫、これも仕事ですから」

「パティ、あまり無理をしたら駄目だよ」

タオはどこまでも優しいな。

だからパティは心が動くのだろうが。

世の中には、優しい人間につけ込むことしか考えない輩もいるらしいが。

パティは違うと言う事だ。

それはとてもいいことなのだと思う。

さっきのアホ令嬢といい、まともな人間が貴族にはほぼいないだろう事も王都の有様を見ていれば良く分かる。

これは、百年だか前と変わっていないか。

もっと悪くなっているんだろうな。

アンペルさんがここにいた時代。

此処では古代クリント王国の錬金術師と大差ない連中が、陰湿な権力闘争に明け暮れていた。

それどころか、連中も門を開け。

オーリムへの侵略を目論んでいたらしい。

それを思うと、あたしはやるせなくなってくる。

こんな所でも、たくさんの。十五万だったか。それに達する人が住んでいるのだ。

それらの中のごくごく一部。

貴族だの、世襲で財産を引き継いでいるだけの無能金持ちだの。

それらのせいで、ここに住んでいる全員の印象が悪くなるのは、とても寂しいことだと思うからだ。

門を出るときに、警備の戦士に挨拶する。

顔が同じなのであまり区別できているか自信がないのだが。多分この辺りの警備隊長らしいカーティアという人だろう。

例のメイド一族の人であろう人が、挨拶に出てくれた。

一応あたし達は、パティの付き添いという形で出て来ている。

勿論あたしも、パティを守りきるつもりで、装備を渡している。

「パトリツィア様。 我々は同行しなくても大丈夫でしょうか」

「貴方なら、このお二方の実力を理解出来るかと思いますが」

「そうですね、失礼いたしました。 それでも世の中に絶対はありません。 くれぐれも気をつけてくださいませ」

「はい、ありがとうございます。 街道の警備で何かあったら、即座にアーベルハイムに知らせてください」

丁寧に胸に手を当てて礼をするパティ。

戦士達も、まだ年若いパティに敬意を払っているのが分かる。

パティは此処にいる戦士達とそこまで技量だって変わらないはずだ。

それでこう敬意を払われているというのは。

要するに、それだけ未来が有望で。

更には、貴族としては異例の行動をしている。

きちんと前線に立って指揮を執っている。前線の戦士達にも敬意を払って対応する。

それらに対して、戦士達も立派だと考えているからなのだろう。

街道に出る。

日が昇り始めている。

あの不愉快な貴族のことを、もうあたしは忘れて。

これから行く道のことを、考え始めていた。

肩慣らしに魔物を蹴散らして行きたい所だが。

それもまた、魔物の機嫌次第だ。

そう思った。

 

1、渓谷へ

 

なるほどねえ。

あたしはそう、街道から外れて、獣道を歩きながら思った。

確かにこれはおかしい。

タオから聞かされていたが、王都周辺は彼方此方が異常なのだ。

今、獣道を抜けて森に入ったが。

そこの森からも、既に見えている。

北部には、それこそ陽炎が出来るような砂漠がある。それも砂だけのではなくて、いわゆる岩石砂漠だ。

つまり現在進行形で砂漠になっている場所、ということだろう。

「へえ、話通りだね」

「渓谷の辺りまでいくと、影響はもろに出ているんだ。 水はあるんだけれど、植物が生えないんだよ」

「土壌の問題?」

「なんとも。 ただ、この辺りの調査記録は一通り目を通したんだけれども、どうも大地の魔力がおかしい様子だね」

昔の錬金術師が何か悪さした結果じゃないだろうな。

もしもそうだったら、王都はその犠牲によってなり立っていたりして。

そんな結果が出たら、あたしはちょっとあの王都に灸を据えたくなるが。

今は我慢だ。

咳払いして、進む。

フィーは周囲をせわしなく見回していた。

まあそれもそうか。

魔物の気配だらけだ。

森を抜けると、ぶわっと砂を含んだ風が吹き付けてくる。

あたしは魔力を少し強めに放出して、砂を防ぐ。これだけで、かなり歩きやすくなる。あたしの魔力が視認できるほどの強さになったのを見て、パティが絶句。

「器用な事をなさいますね」

「王都の魔術師はできないの? あたしの島には、コレが出来る人何人もいたよ」

「ええ……」

「本当だよ。 辺境の方が魔術師には優れた人が多いんだろうね。 でも、それは多分厳しい環境で生存バイアスが掛かっているからだよ」

いちいちフォローを入れるタオ。

ともかく、あたしも別にマウントを取るつもりはない。

小高い所に出たので、周囲を確認。

東。王都から北東に当たる方向は、湖がある。しかも緑はとても豊か。

いや、豊かどころじゃない。

一部は密林になっているほどだ。

それに対して、北の渓谷は。

あれ。

こっちに水源があるようだ。

水源からそれなりに大きな川が流れていて、その支流が幾つかに別れている。渓谷も、支流が通っている。

だが、北側は、本当に乾いた土地になっている。

植物が全滅状態。

たまに乾燥に対応できる一部の植物だけが、点々と生えているだけ。そんな感じのようである。

それは火山とかがあるなら、こういう地形になる事もあたしには理解出来るが。

此処は違う。

北部と北東部で、殆ど距離も無いのにあまりにも環境が違いすぎる。

目を細めて、あたしは考え込む。

これは。明らかに妙だ。

「タオ、自分の目で見るのは大事だね。 確信できたけど、ここ何か異常があるよ」

「うん、それは僕も思う。 この辺りまで遠征に来たのは二度目なんだけど、それでも何度見てもおかしいと思うね」

「タオさんのような専門家でなくても分かるんですね」

「あたしもそれなりの距離は走り回っているからね。 いつもクーケン島に閉じこもっていたわけじゃなくて、彼方此方の集落を救援するために出かけたりしていたんだよ」

そうやって彼方此方回っていて理解出来たのは。

ここまで不自然な環境はまずない、ということだ。

水が流れれば林が出来る。

それだけ植物は強いのである。

乾燥地帯の砂漠に見えても、雨期になれば一気に周囲が緑豊かになったりもする。

それなのに此処は。

明らかに水が不足していないのにこの有様だ。

「フィー?」

「なんでもないよ。 いこう」

フィーが不安そうに声を上げたので、一応安心させるために声を掛けておく。

そのまま移動して行く。

今回の目標は北部だが。

此処から東に見える密林地帯、あれもちょっと気になる。

なんだかもやが掛かっているようなのである。

そのもやが、自然に生じたものとは思えないのだ。

無言で北に進む。

風が渓谷に沿って吹き込んできているが。結構な向かい風だ。そう思うと、風向きがいきなり逆になったりする。

まるでなにかばかでかい生物が呼吸でもしているかのようである。

「パティ」

「!」

周囲から、魔物だ。

此方をずっと伺ってきたが。自分達に地の利のある場所に来たと判断したのだろう。

水場だと。クーケン島の近くでは鼬と相場が決まっていたが。

今周囲を囲んできているのはラプトルだ。

それもかなり大きいものが目立つ。

数もそれなりに多い。

これは、この辺りで警備の戦士が進めなくなるのも分かる。というか、今までに警備の戦士を撃退して、悪い意味での成功体験を積んでしまっているのだろう。

まあ、仕置きしないといけないか。

フィーは懐に隠す。

同時に、ラプトルの一体が、鋭く空に向けてなき。

一斉に襲いかかってくる。

あたしが詠唱開始するのを見て、タオが突貫。

敵の先頭の個体の頭を、完璧に断ち割る。

ギャッと悲鳴を上げるラプトル。

乱戦が始まるが、タオが双剣を振るい、体術で攻撃をかわし、綺麗に相手の攻撃を捌き続けている。

何を見ても怖れていたタオと同一人物とは思えない程鍛えこんだなあ。

そう思って、あたしは感心する。

パティはあたしが渡したばかりの長刃を振るっているが、切れ味がありすぎるようで、首を一発で刎ね飛ばし。唖然としたところを別のラプトルにタックルを受ける。

だがそれでも受け身を取ってずり下がり、尻餅をつくような事はない。

だが、一斉に襲いかかってくるラプトルを、明らかに持て余している。

あたしは、詠唱を終えていた。

上空に多数出現する熱槍。

「焼き尽くせ」

そのまま、あたしは。

熱槍を敵に降らせていた。

一発それぞれが、石造家屋を粉砕する火力だ。それをおよそ400。200でも充分だったが、念の為。

まあ詠唱はパティの身を守るために短縮したが、それでもこの群れを掃討するには充分である。

熱槍がラプトルの体に、一斉に突き刺さり。

次の瞬間には火だるまにしていた。

殆ど瞬時に全滅したラプトルの中で、一体だけ今の斉射をかわした奴がいた。

部下を鳴き声でけしかけた個体だ。

あたしは前に出る。

燃え尽き、炭クズになっていくラプトルの死骸の中で。あたしとそいつは、数歩の距離を取って対峙していた。

仕掛けて来る。

いきなりサイドステップしたラプトル。

残像が出来る程の速さだ。

そして真横から、鋭いかぎ爪のついた足で蹴り掛かってくる。

ラプトルの本命は、このかぎ爪のついた足による蹴り技。

これをまともに喰らうと、分厚いヨロイをまともに貫通される。

勿論顎の力だって強く、噛みつかれると腕ぐらいは骨ごとかみ砕かれてしまうが。ラプトルのかぎ爪の危険度はその比では無い。

昔の話で聞いたが。

どこかの街にあった分厚い城門に、穴を開けたラプトルがいたらしい。

勿論このかぎ爪での一撃でだ。

このラプトル、あたしを先に仕留めて、それでタオとパティを各個撃破するつもりなのだろう。

部下を失っても、痛痒を感じていないと言う事は。

或いは別のラプトルを集めて、群れを造れば良いと考えていると言う事か。

まあいい。

すっと、あたしは最小限の動きで、振り下ろされたかぎ爪を回避。

そのまま流れるように噛みついてくるラプトルだが。

それも、足捌きを利用して、さっとかわし。

避けようとした所で。

あたしは踏み込みつつ、相手の横腹に蹴りを叩き込んでいた。

あたしの本命も蹴り技だ。

奇しくも、ラプトルと同じである。

直撃した蹴りが、文字通りラプトルの横腹に突き刺さり。衝撃波が体の逆側に貫通する。

ぼっと音がして。

そして、ラプトルが白目を剥いて、蹈鞴を踏んでさがり。

それでもまだ立つ。

口からだらだら血を流しつつも、鋭い叫びを上げた。何かの詠唱か。或いは高速回復かも知れない。

だが、タオが動いていた。

そのまま頭上から、脳天に剣を突き立てる。

完璧なタイミングでの奇襲。

やっぱりタオと言えばこれか。

そのまま、動きを止めたラプトルが倒れ臥す。周囲の魔物が、さっと散るのが分かった。

 

炭クズになったラプトルの死体はそのまま燃やしてしまう。

ラプトルの群れの長は吊して捌く。内臓は、案の定あたしの蹴りで全て破裂してしまっていた。

それでも戦おうと考えたか。

ラプトルは種族の性格的に、勝てない相手と戦わない。

それでも詠唱して切り札を切ろうとしていたという事は。何かしらの逆転の手札があったのかも知れなかった。

内臓をてきぱきと切り分け。

皮を剥いで、即座に干す。

タオがパティにやり方を指導して。パティもあわててそれにならう。

虫は駄目でも、こういった作業はどんどん出来るようにならないとまずいと思っているのだろう。

肉は切り分けて、即座に燻製にする。

あたしはその間に、焼き尽くしたラプトルのしがいを蹴り砕いて。完全に粉みじんにしてから、土に埋めていた。

荷車に使えそうな部位を詰め込んでから、残りは焼き尽くして、同じように処置をしておく。

肉を少し食べておく。

パティは抵抗があるようだったが、食べて貰う。

きちんと処置をした肉だ。

ただラプトルのは、正直あまり美味しくはないのだが。

案の定、渋い顔をしたパティ。

「おいしくないでしょ、この肉」

「はい、でも今動いた分くらいは補給しておかないと」

「そういうこと」

戦利品として一番のものは、このかぎ爪だろう。

数多の敵の血を啜ってきた、非常に鋭いものだ。

そのまま武器にして使うのではなく。

このかぎ爪に含まれている魔力や要素を、錬金術で分解して、そして使っていくことになる。

強力な皮を作れるかも知れない。

皮製の防具は金属製に比べて強度に劣るように思われがちだが。これくらい強い魔物の皮を加工したものだと、実はそうでもない。

金属製に比べて柔軟だという強みもあり。

部位によっては金属よりも有効なものもある。

パティは見た所、服にエンチャントして防御力を上げているようだが。

そうなると、魔力を底上げすると、更に防御を上げられるだろう。

パティに渡す装飾品は、魔力強化が良いか。

そんな風に考えながら、積み込みを終える。幾つか、大きめの牙もとっておいた。これらも使えそうだった。

「今の魔物、賞金とか掛かってる奴じゃなかったの?」

「いえ、ちょっと私には分かりません」

「そっか。 頭はまるごと持っていくべきだったかな」

「……」

呆れた様子のパティ。

まあ、荷物が増えるから今はいいか。

それに、特徴的な頭の羽根飾りを回収しておいた。

「これがあるから良いとしよう。 先に行くよ」

「フィー」

「ああ、怖かったね。 大丈夫。 怖い魔物は、全部焼き払ったからね」

「フィー……」

懐から出て来たフィーが悲しそうに下を見る。

何だろう。

そういえば、フィーは殆ど水しかのまない。

種族的に、殺生とは無縁そのものなのか。

そうかも知れない。

だとしたら、今のような荒事は、とても怖いことに見えるのかもしれなかった。

 

峡谷に入る。最初は下を通る事を想定していたのだが。

想像以上に川の流れが速い。

峡谷そのものは、初経験じゃない。

塔に行く途中に、こういう渓谷を通って。

何万もの戦士が死んだ戦場を通った。

あの時の事は、噴き上がるような怒りとともによく覚えている。無能で愚かな古代クリント王国の錬金術師のせいで。

どれだけの人間が、彼処で命を散らしたことか。

此処は、違うようだ。

大きめの石が転がっている。

パティには、気を付けてと時々声を掛けた。

石が大きいので。下手な踏み方をすると足を挫くからだ。

なお、靴裏はがっつり金属で固めてあるので。

靴裏を石が貫くようなことはない。

しばらく渓谷を進んで、それでタオと話をする。

そろそろ、陽が直上に来る頃だ。

「さて、此処までのルート、マッピングはしてくれた?」

「勿論。 まずはこの渓谷を抜けるところまで、今日は進もう。 その後は戻る事にしたいけど……」

「新手か」

「!」

パティが剣に手を掛ける。

あたしもタオも立ち上がって、崖を背中にした。

川から上がってくるのは、大きなトカゲのような生物だ。ちょっとあたしは、見た事がない。

サメとは違う。

それが、複数。合計八体。川から上がって来た。

「ライザ、追い払えそう?」

「無理だね。 ブッ殺すしかないかな」

「あれはワニです」

ワニ、か。

名前しか聞いたことがない。あたしがいた辺りでは、少なくとも生息していなかった生き物だ。

確か川を専門に生活している生物で、待ち伏せ型の狩りをするらしい。迂闊に水に近付いた生物を、水中から奇襲するとか。

だが魔物がわんさかいる今の時代。

そんな悠長な生活スタイルでは、生きていけないのである。

このワニも魔物には分類されるのだろうが。

どうみても、陸上でも平気で移動出来るサメや。

群れを作って敵を嬲るラプトルなんかと比べると、動きが明らかに鈍そうである。

だが、予想外の展開になる。

ワニの群れは、あたし達を無視。横切るようにして、すたすたと歩いて行く。別に襲ってこないならどうでもいい。

それよりも、この気配は。

川の中から飛び出してくるのは、あたしも知っているサメだ。

四肢を得て、陸上でも活動できるようになったらしい巨大魚。

古い時代は此奴は水中でしか動けなかったらしいが。

今は違うと言う事だ。

ワニは恐らく此奴に追われていて。

しかも此奴のターゲットが此方になったので、巻き込まれないように逃げ出したという事か。

まあいい。

このサイズのサメだったら、どうにでもなる。

「タオ、行くよ」

「うん。 パティ、正面には回らないで」

「こ、これと戦うつもりですか!?」

まあ、臆するのも当然か。

このサメ、あたしの歩幅で十歩くらいはある。

このサイズのサメとなると、大きすぎて初めて見た人間ではそれこそ恐怖に竦んでしまうだろう。

そしてそのままばくりと食われておしまいだ。

実の所、水中にいるサメは、殆どの種類は人間には興味を示さないらしい。漁師の白髭老から聞いた話だから、まず間違いない。

こいつをはじめとする、陸上に進出する事が出来る様になったサメは違う。

例外なく人間を襲う。

他の魔物と、それは同じだ。

凄まじい勢いで飛びかかってくるサメ。

狙いはパティか。

詠唱を切り上げて、熱槍を目に叩き込んでやる。

凄まじい勢いでサメが跳ね跳び、それだけで実戦経験もあるパティが怯む。それはそうだろう。

何しろ巨体である。跳ね飛ぶだけで、凄まじい迫力だ。

タオがサメの側面に回り込むと、走りながら体を切り裂く。

勿論跳ねるのを計算してだ。

サメの注意があたしに向き。

そのまま、踏ん張りつつタックルを入れてくる。

あたしはバックステップしつつ。それでも避けきれないと判断すると。サメの体を蹴って更に後方に飛ぶ。

一回転して、河原の石を蹴散らしつつ着地。

サメは今度は、体を旋回させてタオを追い払おうとするが。

タオは直上に跳躍。

サメの尾びれが、うなりを上げてパティを襲う。

あたしは即座にフォロー。

跳躍しつつ、熱槍を三つ、連続して尾びれに叩き込み。逃げる隙を作る。

ここで反撃に出るようだったら一人前なんだが。

まあ、今は戦闘を生き延びて、経験を積むのが先だ。

悲鳴を上げたり、その場で伸びたりしていないだけ全然マシ。

着地すると同時に、あたしは詠唱を開始。サメが即座にこっちを向き、圧縮した水を叩き込んでくる。

地面を抉り抜く火力だが。

あたしはそれを読んでいた。

サイドステップして攻撃をかわした時には、連携して動いていたタオが。地面に逆落としを掛けつつ、サメの目を抉る。

悲鳴を上げて、滅茶苦茶に暴れるサメ。

あたしは詠唱を再開。

そして十五本の熱槍を圧縮した刃を出現させていた。

そのまま投擲。

サメの皮はかなり分厚かったが、それでも貫通するのには充分だった。

エラからエラに向けて熱槍が貫き。

悲鳴を上げ得るサメが、断末魔のあがきを見せようとする。収束していく魔力。最後の一撃か。

受けて立とう。

あたしは走りながら、突貫。

それを見て、タオがパティに声を掛けて、ともに跳びさがる。

「フィー!」

「危ないから、懐に隠れててよ!」

「フィー、フィー!」

怯えを含んだフィーの声。

あたしはそのまま跳躍すると、こっちを向くサメと相対する。

あたしの手には、今のと同じ熱槍。

サメの口にも、魔力が収束していた。

サメが水ブレスではない魔力砲をぶっ放す。それに対して、あたしは熱槍を振るって、その魔力砲を弾き返す。

川に着弾した魔力砲が、大爆発を引き起こし。

周囲に熱い雨が降り注ぐ中。

あたしは、熱槍を。

サメの口の中に、真正面から叩き込んでいた。

 

2、峡谷の奧

 

パティの目の前で、巨大なサメが解体されていく。

こんな奴、警備の戦士が多数犠牲になるのを覚悟して、総力戦を挑んで、それでも勝てるか分からない。

それをライザさんとタオさんだけで倒してしまった。

力の差を感じて悔しいという以前に。

この二人の手練れに、唖然としてしまう。

大きな肉塊。

零れ出る内臓。

そしてライザさんは、体内から何か巨大な魔力の塊を取りだしていた。タオさんはてこの原理を使って消化器官を引っ張り出し、開いて中身を確認しているようだった。

「流石にこの場所だし、人の残骸はないね」

「じゃあ、肉は食べてしまおうか。 出来るだけ」

「分かった」

サメの背びれは、そのまま持っていくらしい。

というか、人間を躊躇なく襲いに来た時点で、このサメは人間を喰らった経験があるのだろう。

サメは魚だった時代から、陸に上がるようになって。魔術と知識を獲得したという話をタオさんから聞いた。

タオさんが通っている学院で、昔の学者が調べたらしい。

様々な資料から、ほぼこれは確定だそうだ。

それと同時に、人間への強い敵意も獲得したそうで。

各地でサメによる被害が大きくなる要因だそうだ。

同じような変化を遂げていった生物には、鼬などがいるらしい。これらの理由についてはよく分かっていないそうだ。

いずれにしても、これらの生物とは。

残念ながらわかり合えない。

「パティ、立てるようになった?」

「だ、大丈夫です!」

「無理はしないで。 とにかく、最初は戦闘になれていこう。 渡している装備の性能は、此奴くらいだったら渡り合えるものだよ。 それに昔のタオに比べたら、全然動けてるよ」

「ライザの言う通りだよ。 僕も昔は本当に憶病で、魔物が出るたんびに腰が引けてたんだから」

そんな。

今の戦いぶりを見ると、とても信じられない。

とにかく、まだふるえている足を叱咤して、何とか歩いて。

サメの解体を手伝う。

とにかく二人は手慣れていて、肉は肉で分けて、内臓で使えないものは全て捨てて焼却している。

本当に手慣れている二人を見て、呆然としているパティに。

ライザさんが、丁寧に指導してくれた。

それでやっと動ける。

サメの皮の一部。それに巨大な顎は外して、持ち帰るそうだ。

このサメは、既に人を殺している可能性が高い。

それもあって、生かしてはおけないと言う事だ。

まあそれについては分かる。

基本的にサメは、特に陸に上がって活動できる品種は、人間に対して極めて攻撃的である。

それはパティも知っている。

街道からだいぶ離れているとは言え、あの躊躇なく殺しに来た様子。明らかに人間の味を知っている。

倒せておいて、正解だったのではないかとパティも思う。

だけれども巨大な顎の骨を平気で外して加工している様子を見ると、腰が引けるのも事実だった。

荷車に詰め込んで、先に進む。

峡谷を抜けると、一度そのまま引き返す。途中でタオさんが、何度かメモを取っていた。既に写してきてある地図を、それで補填するらしい。

「ええと、遺跡らしいものは、この辺りにあるんですか?」

「正確にはこの西、崖の上だね」

「崖を登るんですか?」

「いや、そこまでしなくても、崖の上に上がれる場所が何カ所かある。 来る途中でも発見できたんだ」

本当か。

パティとしては、本当に驚く事ばかりだ。

時々ライザさんが、タオさんに言われて跳躍している。

身体強化の魔術を使っているわけでも無さそうなのに、軽く身長の十倍以上は跳んでいる。

それを見て、何度も顎が外れそうになるが。

ただドラゴンを倒すのには、これくらいないと駄目なのだろう。

しかもライザさんは、ドラゴンよりも危険な魔物を探しているという。

それだったら、なおさらなのかも知れない。

「この辺りはどう?」

「今ちらっと見たけれど、ちょっと無理かな」

「分かった。 それならば、この辺りは……」

「其処なら有望。 ただし魔物が……」

話は断片的に聞こえるが、それだけだ。

とりあえず、その日はそのまま引き返す。

一部とは言え巨大なサメの亡骸を運んでいるというのは、魔物にも何を意味しているのか分かるのだろう。

帰路は、何も仕掛けてこなかった。

 

そのまま家に戻ろうかと思ったけれども。

パティはまずはカフェに出向いた。タオさんの提案によるものだ。

ライザさんが、カフェの女主人と色々と話をしている。そして、ラプトルの頭の羽根を見せると。

驚いたように、カフェの女主人は帳簿を取りだし。

そして一致している魔物がいるという話になっていた。

「倒したんですか? この羽根からして」

「はい。 この爪もどうですか」

「こ、こんな巨大なラプトルの爪、見た事もないわ」

「本当だ……」

わいわいと集まってくる荒くれ達。

パティの事を知っている人も多いので。そういう人は若干遠慮がちだった。

「あの、パトリツィア様」

「はい」

「貴方も戦闘に参加を」

「参加しました。 お二人の戦力は本物です」

おおと、声が上がる。

これが戦績の証明になったのなら有り難い。ライザさんはそれなりのお金を受け取っていた。

そして、カフェを出ると。

パティにもお金を分けてくれた。

「えっ!? そんな、申し訳ないです。 私殆ど何も……」

「此奴は時々街道にまで出張して、今まで商人の隊商を何度も襲った経歴持ちらしくてね。 此奴に親を殺されて、仇討ちの賞金まで設定していた人がいるらしいの。 だから、その仇を討った戦いに参加したと言う事で、お金は受け取っておいて」

「パティがそうしたということで、それは実際に戦闘が起きて、凶悪な魔物を倒した事に対する証拠になるんだよ」

タオさんもそんな事を言う。

そう言われると。

あのラプトルに殺された人へのたむけにはなるか。

しかし、あのラプトルの肉を食べてしまった。その肉の栄養になった人がやはりいたのだと思うと。

今更になって、胸が痛む。

お金は受け取る。

そして、明日も朝一番で出立することを告げられて。後は頷くことしか出来なかった。

毎日遺跡探索に出られる訳ではない。夕方から宿題中心とは言え、貴族院の勉学はこなさないといけない。

それも、今日明日は、少し量を増やして対応する必要があるだろう。

数学は殆ど終わっているのだが。

それもタオさんに、前倒しでやってもらって、それで時間を作ったからだ。

自宅に戻ると、無言で風呂に入る。

魔物退治で、真っ先にお父様が風呂に入っていた理由が、今更ながらに理解出来た気がする。

お父様が連れていた歴戦の手練れ達に、如何に負担を掛けていたのかも。

ラプトルとの戦いも、サメとの戦いも。

思い出して。目の前が青ざめそうになる程だ。

血の気が引くというのはこのことか。

血だったら別に見慣れている。

そういう体だし。

魔物とも散々戦って来ているのだから。

だけれども、これほど強く死の臭いを嗅いだのは始めてかも知れない。

風呂から上がると。

後は、ほとんど惰性で宿題をやって。

メイドに採点してもらって、随分と駄目出しをされ。上手く行くまで、じっと勉強に集中したが。

勉強に集中できるまで。

随分と時間を掛けてしまった。

我ながら情けない。

そう思う。

帰路、フィーが随分とパティの事を心配してくれていたのが分かった。フィーの事は、パティも可愛いと思う。それに何より、言葉を随分理解してくれている。

そんなフィーに心配を掛けてしまったのは。

それもそれで、とても悲しい事だった。

 

翌朝。

パティは起きだして、軽く体を動かしてから出る。

なおお父様はとっくに出かけていた。少し進捗を話したかったのだが。それも気を遣ってくれたのかも知れなかった。

駄目だ。

子供過ぎて、話にもならない。

ライザさんは帰った後も、錬金術をすると言っていたし。

タオさんはタオさんで、今色々な資料を漁って調査のために動いていると言う事だ。

パティが隠れてついていった森の中にあった遺跡。

あの中で見つけた手帳に、色々と書いてあったらしいのだが。

それらをまとめた上で、他の資料とも情報を精査しているらしい。

今の時点では殆ど成果は出ていないらしいが。

近辺に伝わる民謡などを中心に調べているとかで。

ライザさん達をもってして強大とまで言わしめる魔物がいる可能性があるのだとすれば。

それだけ慎重に調査するのも、当然なのかも知れなかった。

体を温めてから、ライザさんのアトリエに。

アトリエと呼ぶと言う事だったので、そうすることにする。

宿を貸しているのはアーベルハイムだけれども。

ライザさんのおかげで、高品質のインゴットや布、更にはゼッテルが流通していることを考えると。

その存在は軽視できないし。

お父様も、今後もしっかり側で見るようにといっていたのも当然だと言えた。

他の王都の貴族は、保身と蓄財しか考えていないが。

お父様は違う。

パティもそうあらなければならない。

他の腐れ貴族だったら、パティを何処かの貴族の子弟の……場合によっては親以上も年が離れた貴族に嫁にやって。

自分の権力基盤の強化に使っていただろう。

お父様はパティの人生を大事に考えてくれている。

その時点で、パティは感謝しかない。

そして王都の民の事も考えると。

今後も、貴族としてきちんとした存在にならなければならないと思うのだった。

アトリエにつく。

ライザさんは、既に柔軟をやっていた。それだけじゃあない。魔力を練り上げてもいる。

同時にそれをやっているのだから凄まじい。

ただ、魔力を練る瞑想は、それはそれで別にやっているそうだから。

これは実戦を想定した、ただの体操に過ぎないのだろう。

フィーが嬉しそうに飛び回っている。

多分ライザさんの魔力が栄養になっているのだ。

魔石の魔力を吸い上げるという話を聞いている。

だとすれば、この炸裂するような魔力は、フィーにとってはごちそうなのだろう。

「フィー! フィーフィー!」

「おはようございます。 ライザさん、フィー」

「おはようパティ。 もうすぐタオとボオスが来ると思うから、ブリーフィングからね」

「はい」

一緒になって軽く体操をする。

そうすると、すぐにタオさんとボオスさんも来る。やっぱり疲れ気味のボオスさん。元々地方の有力者の子息らしいから、体力がないのは仕方がないのかも知れない。

王都の貴族達は地方の有力者を馬鹿にしているが。

実際には彼等は、地方領主に等しく。

実質的な領土なんかないに等しい王都の貴族と違って。

広大な土地と多くの民を、実際に支配している存在だ。

そういう意味で、ボオスさんとコネを作っておくのは大いに意味がある。

ましてやクーケン島は、ライザさんの根城だ。

今後世界に大きな影響を与える起爆点となる可能性が高い。

こう言う意味でのコネ作りは、パティにも意味があると思う。

アトリエに入る。

すぐにお茶が出て来たが。なんとボオスさんが淹れていた。技量もしっかりしたものだ。

同じ茶葉でも、ライザさんの淹れたお茶よりもだいぶ美味しい。

そう思っても顔に出すのは失礼だと思ったが。

当のライザさんが自分から言う。

「おお。 ボオス、お茶美味しく淹れられるね」

「少しずつ出来る事を増やしているだけだ。 俺は俺で、今後は幾つも面倒な仕事をしなければならねえからな」

「ははは。 モリッツさんが戻って来たボオスを見たら、吃驚するだろうね。 三日会わざれば刮目してみよって奴だ」

「そうだな。 そうだと良いんだが」

タオさんが咳払い。

そして、説明を始めた。

「ええと、幾つかの民謡を調査していった結果、手帳の資料とあわせて、分かってきた事があるよ」

「民謡?」

「うん。 この地方の童歌。 手帳にあった文章と、かなり似通っているものを見つけたんだ」

タオさんは言う。

なんでも民謡というのは、あっと言う間に変質していくもので。それが何かしらの危険などを直接知らせていない場合は、すぐに歌詞などが変わってしまうのだと言う。

より古い資料などを当たって、当時にそれが書かれたことを証明していかなければならない。

歴史的資料というのは、基本的に同時代に書かれたものほど価値があり。

直接的な証拠を示す資料。例えば化石や、同時代に書かれた文書などは一次資料というらしい。

タオさんはここしばらく、図書館でその一次資料を漁って調べていたそうだ。

よほど効率的に調べたのだろう。

それで疲れていないのだから、大したものだ。

「ただ、それでも欠落部分が多くてね。 全体的な把握は、まだ先になってくると思う」

「そうか。 それで何か気になるものはあったのか?」

「あった。 王、災い、闇夜、大いなる呪い、起こしてはならない。 これらのワードは、同時代の童謡に出てくる。 これらは三百年ほど前の資料で確認できた。 一方、宝というワードも見つけた」

「かなりまずそうだな……」

ボオスさんが腕組みする。

この人も、ライザさんが戦った魔物は見た事があるらしい。

と言う事は。

その恐ろしさも知っているのだろう。

「ワードを見る限り、例の奴とは特定はまだ出来ないね」

「うん。 ただ、三百年前より更に古い資料がもし見つかれば、もっとこのワードを絞り込めるかも知れない。 そうなると……」

「水とか雨が出てくると要注意なんだけれども」

いずれにしても、パティには分からない世界だ。

この三人が、しっかり情報を共有している。

そして、何となく分かってきている。

ライザさんは、どっちにもなんの異性としての興味を持っていない。

多分タオさんとボオスさんも、それは同じのようだ。

男女の友情は成立しないなんて話を聞くのに。

この三人は、それが成立している。

素敵な人達。

それなのに、嫉妬している自分の醜いこと。

パティは、自分の事が嫌いになりそうだった。

「パティ?」

「は、はいっ」

「出るよ。 今日は過去に発見されている実際の扉の所まで行こう」

「分かりました!」

立ち上がると、荷車をてきぱき出してくるタオさんとライザさんを手伝う。とはいっても、荷物をまとめて外に出る準備をするだけだが。

城門から街の外に出る。

カーティアがいたので、話はしておく。

カーティアは最初無言になったが。

ライザさんとタオさんをみて、大丈夫だと思ったのだろう。

お気をつけくださいと、それだけ言った。

荷車は、昨日大物の魔物の残骸を二体ぶんも積んでいたとは思えない程綺麗になっている。

生臭さもない。

本当に凄いな錬金術って。

そう思いながら、黙々と行くが。

途中から、ライザさんとタオさんが速度を上げたので、小走りになる。

体が温まるようだ。

体力の自動回復の魔術が掛かっていると言うが。これは二人が、速度を上げても平気な訳である。

パティはひやひやする。

周囲警戒をしながら、この速度でいけるのが信じられない。

戦闘時の行動速度を戦速というが。

この速度での行動は、とてもではないけれども王都の戦士達には真似できない。これでいて、ライザさんもタオさんも、微塵も油断していない。

二人がどれほどの修羅場を潜ってきたのか。

これだけでも分かりすぎるほど分かってしまう。

渓谷に出るまでに、二度戦闘が発生するが。ライザさんは、パティに経験を積ませようとしているようで。

積極的に、雑魚の処理を任せてきた。

長刃を振るって、雑魚を仕留める。これくらいはやらないと。そう思う。

幸い、長刃は前より馴染んできている。

少しずつ、それほど無理をしなくても、敵と戦えるようになってきていて。

それだけは嬉しい。

敵を斬り伏せて周りながら。

倒した魔物の中から、めぼしい素材を拾い上げて。

それ以外は焼いて埋めてしまう。

小休止を入れながらも、渓谷に辿りついた時間は昨日よりもずっと早い。渓谷には、昨日ほどの危険な気配もなく、パティは周囲を見回しながら、ライザさんに聞く。

「此処からはどうするんですか?」

「もう少し先の斜面から上がって、それから先に進む事になるかな」

「昨日の時点で、もうどう行けば良いか分かっているんですね」

「一応理論上は。 ただ、何があるか分かったものじゃないから、気を付けないといけないけれどね」

無言になる。

油断を微塵もしていないなこの人達。

そのまま、河原を急ぐ。パティも荷車を引こうかと提案したが、却下された。

どうも体力的な問題らしく。

パティを特別扱いしているわけではないらしい。

それなら、周囲の警戒に総力を注ぐだけだ。

武器に手を掛けながら、周囲を警戒し続ける。

ワニが河原でのんびりひなたぼっこをしている。こっちをたまに見たりしているが。ライザさんは気にもしていない。

あれは敵ではない。

そう判断しているのだろう。

勿論仕掛けて来たら、瞬時にローストにしてしまうのだろうが。

今は、時間が少しでも惜しいと言う事か。

黙々と、渓谷を上がる。

斜面と言っても、充分に人間が上がれる斜度だ。ただこの斜度だと、ワイバーンが出ると面倒かも知れない。

ライザさんが、何か荷車に処置。

そうすると、荷車がぴくりとも動かなくなる。

この斜度で。

まさか車止めか。

いや、車止めくらいはそこそこ良い馬車にはついているが。

この荷車には、そんな仕掛けもあるのか。

ライザさんが。辺りを見回している。

「どう、危険そうなのはいる?」

「いる。 こっちを獲物として認識している少し強そうなのが1。 ワイバーンは何体かいて、様子見してる」

「……警戒を継続して」

「問題ない。 パティ、昨日とは次元違いのがいるから、いつ仕掛けて来ても大丈夫なように備えて」

頷く。

それしか出来ない。

昨日のと次元違い。

それだけでも、全身が総毛立つ。

とにかく、斜面を急いで上がりきる。

それにしても、この荷車。こんなに高性能なのだったら、確かにライザさんの技術力もよく分かる。

これを量産出来れば、随分と物流も変わりそうだけれども。

いや、雑念は払わないとまずい。

今、かなり危険な。それも、お父様や王都の手練れが総出でも全滅しかねないのに狙われていると考えると。

冷や汗が止まらなかった。

斜面を上がりきると、辺りは荒野になっていた。

もう砂漠が目と鼻の先だ。

彼方此方クレバスが出来ていて、出来れば用事もないのに足を踏み入れたくはない場所になっている。

タオさんが、目を細める。

「不自然な地形だねこれは」

「さっきの渓谷とはやっぱり違うんですか?」

「渓谷によって出来たクレバスは別に不自然ではないんだ。 乾燥しすぎているんだよ、此処は」

元は、豊かな森だったのかも知れない。

そんな事をタオさんは言う。

ライザさんは何も言わない。

それに対して、どうこう言える知識がないのだろう。

それはパティも同じだ。

「ライザ、魔物はどう?」

「今の時点では、様子見をしているね。 フィー、危ないからあたしの懐に入っていてね」

「フィー!」

「じゃ、行こうか。 此処からは速度を落とすよ。 クレバスが埋まっている可能性があるからね」

そして、ハンドサインをライザさんが出した。

ハンドサインの意味は。

恐らく間もなく会敵する、だ。

魔物が人間の言葉を把握している可能性を考慮しての、ブラフの言動か。

無言になると。パティも了解と、ハンドサインで返していた。

音もなく、荒野を行く。

速度を落とすといっても、ライザさんとタオさんは文字通り小走りで行くようで。これで事故らないのだとすれば、凄すぎるとしか言えない。

パティはついていくのでやっとだ。

そして、来る。

頭上から、何かが飛び降りてきた。

ライザさんが即時で足を止め、散開と叫ぶ。

タオさんが荷車をぶんまわして、飛び降りてきた者の爪先を回避。

パティは飛び退くので精一杯だった。

走鳥だ。

それも、今まで見た走鳥とは桁外れに大きい。

魔物は基本的に、際限なく成長すると聞いているけれども、こんなに大きくなるのか。

それもこれは、全身が真っ赤。

こんな目立つ体色をしていると言う事は、身を隠す必要がない事を意味している。

翼を拡げて、凄まじい雄叫びを上げる。

それだけで、足が竦む。

とんでもない魔物だ。

これが王都の近くに来ていたら、どれだけの被害が出るのか、想像したくもない。

ライザさんが熱槍をノータイムで叩き付けるが。

走鳥はシールドを展開して、それを弾き散らす。タオさんが側面に回り込もうとするが、凄まじい速度でバックステップした走鳥が、側面を取らせない。走鳥が口を開く。同時に、がくんと足が立たなくなった。激しい頭痛。

何か、された。

必死に長刃を杖に、倒れるのだけは避ける。

なんだ今の。

顔を上げると、至近に走鳥が迫っている。あ。死んだ。

そう思った瞬間。

迫り来る走鳥の側頭部に、ライザさんが飛び膝を叩き込んでいた。

衝撃波が突き抜けるのが見える。

普通だったら、これで即死だっただろうが。

走鳥は横っ飛びにずり下がりながら、それでも体勢を立て直す。

視界がぐらんぐらんしている。

何も聞こえない。

それで、やっと理解する。

おそらくだが、あの走鳥は、音を収束して叩き込んできたのだ。

魔物にはそれをやる奴が時々いると聞いていた。あれだけのサイズ。さっきの凄まじい咆哮。

出来て当然だと、可能性を考慮しなければならなかった。

タオさんとライザさんが、凄まじい勢いで走鳥と渡り合っている。

必死に立ち上がるパティ。このまま、好きなようにやらせていて溜まるか。長刃を鞘に収めると、低い体勢から突貫。

あの鳥は、パティの事を雑魚とも思っていない。

今のも、しとめてひとのみにするつもりだったのだろう。

だけれども、そのままやられてやるものか。

全くパティを警戒もしていない走鳥の足下に突貫すると、抜き打ち。

居合いと呼ばれる、刃を鞘の中で滑らせる技だ。

パティの技量はまだまだ。

頭を揺らされて、多分力は殆ど出ていない。

だけれども、この刃そのものがライザさんが作ったインゴットを、お父様に武具を納品している職人が打ったもの。

ざくりと、走鳥の分厚い足が抉られる。

意外な方向からの攻撃に、走鳥が一瞬だけ動きを止めるが。パティを見て、鬱陶しそうにする。

その目が冷たすぎて、パティはぞくりとした。

だが、次の瞬間、

タオさんが、残像を作りながら、走鳥の全身を切りつけた。いや、見えなかったが。そうしたのだろう事は分かった。

走鳥の全身は羽毛で覆われているが、それでも鮮血を噴き上げる。それほどの手練れと言う事だ。

跳びさがろうとする走鳥だが。

ライザさんが詠唱をしているのを見て踏みとどまり、よっつある翼を拡げる。

それだけで衝撃波が迸り、パティは文字通り吹っ飛ばされ。地面に受け身もとれずに叩き付けられていた。

見える。

ゆっくり、走鳥がこっちに来る。

一瞬で殺すつもりだ。

一種の走馬燈。

剣から手が離れている。抵抗も出来ない。

必死にそれでも、パティは歯を食いしばる。

だが、走鳥が。いきなり方向を変える。狙っているのは、本命。詠唱中のライザさんか。

タオさんが、再び足下を斬り付けるが、走鳥はそれを今度は残像を作ってかわす。

そして、上空から、凄まじい音波砲を放ってきた。

予備動作が分かったから、必死に耳を塞いだが。

それでも、地面に叩き付けられる。

血を吐いたかも知れない。

耳を塞いだまま、見る。

ライザさんは、今のをなんと健脚で回避。

それどころか、とんでもない大きさの熱槍を作り出す。

走鳥が、それを見て躊躇。

逃げるかの判断をしようとしたようだが。凄まじい雄叫びを上げると、ライザさんに向かって行く。

誇りがあって。

それが逃走を許さなかったのか。

それとも、あれくらいの魔術だったら、打ち破れる自信があるのか。

また、音波砲を放ったようだが。同時に詠唱を終えたライザさんが、とんでもない熱槍を叩き込む。

相殺。

爆裂。

走鳥が、速度を落とさず突貫する。

まずい。だけれども、立ち上がる事さえ出来ない。逃げてライザさん、フィー。

そう叫ぼうとした瞬間。

走鳥が、氷漬けになっていた。

何が起きた。

ライザさんの熱魔術は冷却も出来るという話だったけれども、これはあまりにも短時間での出来事だ。

いずれにしても、走鳥は即死。

タオさんが駆け寄ってくる。何か叫んでいるのが分かったが、もう聞こえず。

意識は闇に落ちていた。

 

3、扉の遺跡

 

あたしは気絶してしまったパティの手当てをすると、荷車に積んで。走鳥の解体を開始する。

クライトレヘルンを使うはめになったか。

思ったより強いのがいるというよりも、そもそも退治しておかなければならなかった魔物が、放置されていた。

それが実情だろうと、あたしは思う。

今の走鳥だって、別に変異種とかでもなんでもない。

普通の走鳥が、年を経て強くなっただけだ。

肉を焼いていると、パティが起きだす。

薬も使ってあるし、鼓膜も再生出来ているはずだ。周囲を見回しているパティは、既に捌くのを終えた走鳥の肉を燻製にしていること。

そしてその巨大な頭が側にあるのを見て、びくりとして跳ね起きていた。

「おはよう」

「お、おはようございます! 勝ったんですか……」

「持ち込んでいた爆弾を使うはめになったけどね。 まったく、温存しておきたかったんだけどなあ」

「……」

まあ、冷却爆弾なんて、見た事もないだろう。

パティが驚いているのは当然だ。

タオが戻ってくる。

パティは自分の体を確認して、動く事をチェックしていた。それだけで充分である。普通はそれもできないだろう。

戦士として、最低限の教育は受けていて。

自身も戦士たらんとしているということだ。

それだけで充分過ぎる程である。

「ライザ、奧に遺跡見つけたよ。 あ、パティ。 起きたんだね」

「すみません、醜態を……」

「走鳥の足に傷をつけて、鈍らせたのは立派だよ。 普通の戦士だったら、あの鳴き声聞いただけで戦意喪失して、仲間が食べられているのを背に逃げるしかできなかったと思う」

タオがそう言うのを聞いて。

パティが俯く。

これは多分、羞恥が原因だろう。

咳払いして、タオの話を聞く。

タオによると、この先に魔物はいないらしい。まああたしの探知にも引っ掛からないし、いないと見て良いだろう。

肉を燻製にし終えると、後のいらない部位は焼いて崩して埋めてしまう。

一連の処置を終えた頃には、パティも起きだして、荷車から出ていた。

「良いでしょその大太刀。 打ったデニスさんが、今までで最高の一つに仕上がったって陶酔しながら言ってたよ」

「はい、素晴らしい武器だと思います。 でも今は、この武器に私が振り回されている状態です。 早く武器を使いこなせるようにならないと」

「今はそれでいいんだよ。 少しずつ、技量を上げていこう。 あたし達だって、実戦を経て強くなったんだから」

「ライザの場合は、才覚が図抜けていたのもあるけどね……」

タオが苦笑い。

タオは頭脳労働を担当していれば、それでかまわない。

ともかく、先に行く。

パティは多少足下がふらついていたが、大丈夫。

手当ての時に、口や鼻も処置して、血はしっかり拭いておいた。

まああれだけ血が出ている状態を放置しておくのも良くないし。

好きな男の前で、あんな姿を見せたくもないだろう。

下り坂に出た。

かなり狭い道もある。

この辺りには、崩れてしまった橋も見つかる。前は、人の行き来があったという事である。

タオが手を振っている。其方に行くと、石畳の残骸らしいものがあった。

既に風化して砕かれてしまっているが。

この辺りは、恐らくは古代クリント王国時代、或いはもっと前に、人の行き来があったと見て良い。

「この街道が続いている先は分かる?」

「あっちだね」

「ああ、なるほど……」

見事な渓谷だ。

多分其処にも橋があったのだろうが。今ではそれもなくなり、奈落の底が見えている状態だ。

それでは足を踏み入れるのは無意味。

パティが、ようやく頭がしっかりしてきたようで。足下のふらつきも消えてきている。

「パティが生きている時代には、あの辺りを復旧はまだ無理そうだね」

「はい。 それよりもまず、魔物にどんどん押されている現状を、少しでも改善しないと……。 いずれ王都にも、魔物がなだれ込んで来かねません」

「そうだね。 ただ……今はそれ以上の脅威を、事前に排除しないといけないね」

タオが見つけた、扉へと急ぐ。

無言で歩いていると、空にワイバーンが舞っているのが見えた。

此方の力を伺っているのだろう。

だけれども、あの様子だと仕掛けて来るつもりも無さそうだ。

あの走鳥をけしかけてみて、倒せるようならば。むしろ走鳥を追い払って、獲物を独占するつもりだったのかも知れない。

ドラゴンの幼体であるワイバーンは、性質もあらあらしい。

フィーが生物的にあれに近いかも知れないと言う話は。

どうにも、今の時点では信じられなかった。

見えてくる。

巨大な岸壁の一角に、厳重に封じられたという風情の扉がある。巨大な円形をしていて、普通の扉とは形状からして違っていた。どうやって開くのかは、開いて見ないと見当もつかない。

森の中の遺跡にあったものと比べると、だいぶ封印は緩そうだが、これで引き返した人が多いのも納得だ。

中にはこれを見ただけで、命を落としてしまった人もいるのかも知れない。

この周囲の魔物の強力さを思うと、遺品も残っていないだろう。

あの王都は、古代クリント王国の時代から続いていたのが不思議なくらいの場所なのである。

この程度の距離しか離れていない場所に死地があるのも。

不思議ではないのかも知れなかった。

「ライザ、パティ、周囲の警戒をよろしく。 僕が調べて見る」

「任せた。 警戒任された」

「大きな扉ですね……」

パティがぼやく。

多分王宮とやらも、こんなに立派な扉は無いのだろう。

そもそも古代クリント王国の出がらしが今のロテスヴァッサだ。

王宮とやらも、後からしつらえたのだろうし。

そんなものがあった所で、意味はない。

黙々とタオが調査している。

ぶつぶつ独り言を言っているが、それは昔からだ。パティもその癖は知っているらしく、何も言わない。

しばらく警戒を続ける。

「パティ、さっきの鳥の肉、食べておいて」

「わ、分かりました。 燻製にしたばかりですし、火は通さなくても大丈夫ですよね」

「ちょっと粗食になるけど」

「問題ありません。 粗食は平気なように、お父様に鍛えられています」

それは立派だ。

黙々と燻製肉を食べ始めるパティを横目に、周囲を警戒。

走鳥を仕留めたことが分かるのだろう。

此方を遠目に伺っている魔物はいるが。

仕掛けてこようという雰囲気は無い。

ほどなく、タオが戻ってくる。

「ちょっと二人とも、来てくれる?」

「どうしたの?」

「見て欲しいんだ」

頷く。

そして、タオの言うとおり近付いて見ると。

放棄されたらしい鍵が、岩の側に落ちていた。

扉には、何か絵のようなものが書かれている。それは、巨大な魔法陣のようにも見えるが。

それ以上は分からない。

「鍵かな。 でもこれは、死んでいるね」

「直せるかい?」

「……この構造は簡単かな。 出来る」

「よし、一度戻ろう。 これで遺跡の中に、次には入れるといいのだけれども」

パティが呆れている。

あたしが直せると即答したからだろうか。

鍵といっても、半透明の球体で。

中に歯車みたいなのがたくさん入っている。

一見すると鍵には見えないが。

あたしはこういうのは、何回か見たことがあるし。なんなら鍵を直して、クーケン島の内部に入ったことだってある。

いける。

帰路は、パティを気遣う。

特に街道に出てから、ふっと意識を失いかける。

今日の戦いでは、そもそも今のパティが戦う相手ではない魔物と戦闘になったし、これは仕方がない。

栄養剤を渡しておく。

パティは勉学もしなければならないからだ。

「パティ、明日も出られる? 無理なようなら、あたし達だけで行くよ」

「いえ、なんとかコンディションを仕上げます。 今日だって、殆ど役に立てませんでしたから」

「無理をしなくても大丈夫だよ」

「無理は、していません。 役に立てるように、少しでも努力します」

そうか。

ならば此方は、その努力を支えるだけだ。

城門を通るときに、巨大な走鳥の頭と、ぼろぼろになっているパティを見て、流石に戦士達がどよめく。

パティが、とんでもない大物と遭遇して、それでと説明する。

そのままの足でカフェに。

この走鳥は、目撃例もなかったようだ。

何となく理由もわかる。

多分遭遇した人間は、誰も生きて帰れなかったのだろう。

首を納品しておく。

巨大な走鳥になると、人間をひとのみにしてしまう。

ただ、それは獣として餌を採っているだけ。

残酷とかそういう人間のルールを押しつけるのも、それは間違いだ。

ただそれはそれとして、魔物が人間を積極的に殺しに来るのもまた事実。

いずれその理由を、調べたいものではあったが。

二抱えもある頭をカフェで納品して。後は戻る。

アトリエに戻ると、パティはきちんと着替える。風呂は良いと言われた。まあ、それもそうだろう。

家には立派な風呂が幾つもあるらしいし。

「時に、体はどこも痛くない?」

「はい。 ライザさんの手当てのおかげなんですね」

「実は左手の指、一本ぶらんぶらんだったんだよね。 右腕は骨が見えるくらいざっくりやられてた」

絶句するパティだが。本当だ。

ちょっと状況がまずいかも知れないと思って、少しグレードが高い薬を持って来ていたのだが。

使う事になってしまった。

ただ、これは先行投資だ。

「何も痛みがないくらいに回復しているのなら良かった。 とにかく、これだけ厳しい所での戦闘だから。 それは覚悟しておいて」

「分かりました。 次は、もう醜態をさらしません」

「気負わなくてもいいよ。 少しずつ強くなろう」

「はい」

パティはぺこりと頭を下げると、そのまま帰宅していく。

真面目な子だ。

責任感も強い。

パティが帰った後、タオが言う。

「ライザ。 気付いていると思うけれど、話しておくよ」

「うん」

「今回の調査で、門にも何か文字が刻まれていたんだ。 解析は帰ってからになるけれども、多分古代クリント王国より古いものになると思う」

「そんな文字も解読出来るとは、やるねえ」

勿論軽口だ。

タオの口調からいって、ただごとじゃあないのは分かっている。

「前の遺跡もそうだったけれども、封印が厳重すぎるんだよ。 何かを守っているとしか思えない」

「……続けて」

「それが門だった場合、最悪の事態が起こりかねない。 フィルフサの群れをいきなり相手にする可能性すらある」

「分かった。 覚悟は決めておく」

前のと同規模の群れだった場合。

レントやクラウディア、それにアンペルさんやリラさんの助力無しでの撃退は不可能だとみていい。

パティはどうにか逃がせるが。

逃がしたところで、寿命が少し伸びるだけだろう。

だが、もしも放置しておいて。封印が内側から破られたら。

更に状況は悪くなる。

何より、多少の魔術での封印なんかで、あのフィルフサをとめられるとはとても思えないのだ。

「フィルフサ以上の魔物の可能性はないよね」

「古代クリント王国は、ドラゴンすら従えるほどだったんだ。 少なくとも古代クリント王国までは、人間は武器と魔術こみではこの世界で最強の存在だったんだよ。 恐らくはオーリムも込みでね」

「だからここまで驕り高ぶった勘違い連中が、今も生き延びているんだろうね」

頷くタオ。

要するに今のロテスヴァッサの調子に乗った貴族連中は。

そういう時代の亡霊と言う事だ。

「だとすると、最悪何かが封じられていてもフィルフサだと考えて良さそうだね」

「そうなる。 ただし、オーレン族に以前聞いたけれども、フィルフサにもピンキリだ。 「蝕みの女王」以上の王種がいるかも知れない」

「最悪は常に想定しろと」

なるほど。

だとすると、道具類が必要になる。

一応、まだ薬も爆弾も、必要なものは最低限数持ってきてある。いきなりフィルフサと交戦になることも想定はしていたのだ。

心許ないのはジェムで、今後調合をしながら、増やしていくしかない。

爆弾にしても薬にしても、ジェムを使わないと増やす事が難しいからだ。今はそれが致命的に不足している。

クーケン島のあたしのアトリエに戻れば幾らでもあるが。

そんな危急の事態になったら。

戻っている暇なんかないだろう。

「分かった、備えておくよ。 それと鍵は修復しておく」

「よろしく。 僕はもう少し古い時代に、いい資料がないか調べておくよ」

それで解散となる。

パティは随分落ち込んでいたし、明日は休みにする事も想定するか。

伸びをすると、あたしは調合を始める。

幾つかやっておくべき事がある。

パティが伸びている間、鉱石やら色々と採集をしていたのだ。それらを使って、インゴットを作って見る。

エーテルに溶かして要素を調べて見ると、面白い事が幾つか分かってきた。

やはり水が異常に少ない。

王都周辺はそんなことはない。あの峡谷の辺りがそうなっている、ということなのだろう。

何かしらの魔術的なものなのか。

少なくとも、自然に起きる事ではないと判断して良いだろう。

川があんなに近くにあるのだから。

幾つかのインゴットを調合。

また、フラムも幾つか作っておく。

火に特化すれば、それなりのものを創る事が可能だ。

だがレヘルンはしばらくは無理だろうなとも思う。

最悪、王都で素材を購入するしかないが。

それをするのは、最後の手段にしたい。

既に工業区や職人区を覗いてきているのだが。

素材が高すぎる上に、品質が良くないのである。

更には、職人区では現在、鉱山労働者が、少し離れた場所まで労働に出かけているらしい。

これは近場にあった鉱山が閉じてしまったから。

例の魔物が出て云々の奴だ。

無意味に離れている鉱山に加えて、移動中に魔物に襲撃を受けることもある。更には鉱山の労働が過酷という事もある。

倒れる鉱夫は後を絶たないらしく。

全体的に薬は高騰。

バカみたいな値段がついているそうだ。

魔術師も、駆け出し同然の技量で、相当な高給で働いているらしい。

それでいて、物資が足りないのかというと、そんな事もないらしく。

単に外から入ってくる物資を閉め出したいという思惑を一部の貴族が持っているらしいだけなので。

人殺しが、公認で行われていると言う事だ。

薬はたくさん要求されているが。一部の貴族はそれらを買い占めて、更に値段までつり上げているとか。

まあここの貴族に。

アーベルハイム以外の連中には、人間を治める資格はないな。

そうあたしは思う。

ともかく、街道付近で採取した薬草も使って、お薬は作っておく。

調合をすることでジェムを増やし。

持ち込んでいる高度な薬などを、増やしておくべきだからだ。

ある程度調合が進むと、フィーを伴ってカフェに。

「フィー?」

「色々と邪な心が多いね此処は」

「フィー……」

「ただ、パティみたいな例外もいる。 だから、そういう出会いを大事にしないとね」

外はもう夕方だ。

カフェに出向いて、薬などをどんと納品しておく。以前タオにマニュアルを書いて貰った薬だ。

10セット入れておく。

1セットが一回で使い切る訳ではない。大量生産はあまり得意ではないが、これくらいなら難しくもない。

納入すると、カフェの主人は喜んでくれる。

あたしなりに、手も出せない魔物を退治し。

更には薬も納入している。

それが嬉しいらしかった。

バレンツ商会にも出向く。

植物の繊維を利用してのゼッテルは、少し作り置きをしてあるので、それを納入しておく。

納入先が此処であっても、流通ルートに乗るのは同じだ。

インゴットも少し納入してから、後は周囲を見て回ることにした。

この間、パティの片刃剣……大太刀だったか。それを頼んだデニスさんの所の出向く事にする。

デニスさんは集中して何かを打っていたが。

それが終わる時間を見越して、もう一度店に行く事にした。あの人の集中力は、前に見ていたからだ。

その間は他の店などを物色して回ったが、やはり技量にはばらつきがあるようだ。

バレンツ商会が紹介してくれただけあって、デニスさんの技量は図抜けているらしい。

ただ他の店より繁盛しているようには見えない。

貴族が贔屓にしている店が一定数あり。

それらは、無制限のパトロンがついているに等しいらしく。

貴族にだけ。たまに細工物を納入していれば食べていけるようだ。

それはそれでどうなのかと思ってしまうが。

まあ、技術が低迷するようなら。

いずれ此処は王都として威張っていられなくなる。

それが一番なのかも知れなかった。

ただそうなると、混乱の中で多くの命が無駄に失われるのも、また事実なのだろうが。

「あんた、いいかい」

「はい」

声が掛かる。

声を掛けて来たのは、いかにもたかりと分かる老人だった。

あたしがお上りだと気付いて来たのだろう。

此方を見定めるような視線が露骨だった。本人は笑顔で取り繕っているつもりだっただろうが。

こちとらクーケン島で、山師の類は散々見ている。

この老婆がその同類である事は、一目で分かった。

「すまないねえ、肺をだいぶ前から悪くしていて。 あんたが良い薬を売っているって知っていてねえ」

「その声からして、肺は悪くはしていないですね。 むしろ貴方、肝臓を悪くしているんじゃないですか」

「……」

「酒は控えた方が良いでしょう」

黙り込む老婆をおいて、そのまま行く。

フィーが、悔しがっている老婆を見て、怪訝そうにしていた。

騙そうとしていた。

そんな事を、思いもしないのだろう。

子供はどんどん悪い事を覚えていくものだけれども。

フィーは賢くても、まだそういうのに思い当たらない段階だと言う事だ。

後ろから罵声が飛んでくるが、無視。

あれだけ元気なら、普通に生きていけるだろう。

駄目だったら救貧院にでもいけばいい。

ああいう手合いを、わざわざあたしが救う理由は無い。

あたしが救うべき相手は。

本当に弱くて。

誰も見向きもしないような存在だ。

夜でも開いている店で食材を適当に買い込んだ後、アトリエで調理して適当に食べておく。

ボオスやタオ、パティと一緒に食べるならともかく。

そうでないなら。

自炊するのが、此処では正解だと言えた。

ただでさえ、肉は既に余り始めているのだから。

 

4、タオの懸念

 

タオは図書館の奧に篭もって本を積み上げ、それらを凄まじい勢いで読み込んでいた。司書はタオの行動を咎めず、ただ見ているだけだ。きちんと本は返しに来る実績があるからだ。

ただ、既に深夜に入ろうとしている。

今日も夕方前から来て、ずっと本に目を通している。

タオも時間が遅いことは分かっているが。

ライザの懸念が、どうも当たりそうなので。

あまりもたついてもいられなかった。

「封印は五つ……か」

呟く。

あの扉の鍵は、恐らくライザが開けてくれる。あの鍵が落ちていたのは偶然でもなんでもなく。

誰かしらが、実際に彼処までたどりつけたから、なのだろう。

手に入れた手記にも、似たような事は書かれていた。

或いは、もっと王都周辺が安全な頃には。

あの扉を破ろうとした人間が、たくさんいたのかも知れなかった。

古い資料といっても、必ずしも正確なわけではない。

明らかに政治的な意図で記述が歪んでいるものや。

巧妙に嘘を織り込んでいるもの。

そういった資料は山ほどある。

だから古い資料だからといってありがたがるのではなく。

全ての資料を、眉に唾をつけて読み込んでいかなければならない。

これが学者としての思考法。

全ては論理的に動かす。

アンペルさんに色々と、古い資料の読み方、向き合い方は教わった。

あの人には、とても感謝している。

師匠がいるとしたら。

あの人こそそうだ。

勿論リラさんに戦闘を仕込み直して貰った恩もあるけれども。

それ以上に、やはりアンペルさんに対する恩義の方を、タオは強く感じ取っていた。

いずれにしても、結論が出る。

どうも何かしらを王都周辺で封印している。

その封印は五つだということだ。

大いなる呪いという言葉は、古い資料になる程頻出する。

だが、この一連の童歌は、後の時代になる程内容が穏当になっていき。ただの色歌や、祭の時に歌われるような皆が楽しむものと変わっていく。

タオはそれらを遡り。

最初に何があったのかを、知る立場なのだった。

本を返しにいく。

司書が、もう夜遅いと嫌みを言ったが。謝って、寮に戻る。

長期的に借りている本もたくさんある。

今の時点で、優先順位が先。

更に単位も必要なものはほぼ全て取ってある事もある。だから、時間は作れている。

今調べている事の重要度は、はっきりいってこんな学園での勉強よりも遙かに上である。

下手をすると、世界が滅びるのだ。

だが、それをそうだと言えないのがもどかしい。

世界が滅びるなんて言ったところで。

頭がおかしくなったと思われるのが関の山だからである。

そのくらいは、タオも分かる。

タオだって、王都に来て、ここの人間の醜さはよく分かった。

良くしたもので、同じように地方から来ている人間には、王都の人間は性格が腐りきっているとぼやくものが多いそうだ。

主に腐敗貴族やそれに癒着している商人を見てそう感じているのだろうが。

タオも、それをあまり否定は出来ない。

アーベルハイム親子が例外なだけだ。

寮でも本を読んでいると、戸が叩かれる。

どうぞ、と言うと。

入ってきたのは、ボオスだった。

「随分と遅くまで頑張っているな」

「王都にある資料は、それなりに数があるからね。 検閲の跡があったり、顧みられていない本に重要な事が書かれていたり、とにかく目を通さないと」

「お前なりの戦いという奴か」

「うん。 僕にはレントのような武力や、クラウディアのような財力、ライザみたいな圧倒的なリーダーシップはない。 だから、せめて知恵を絞るだけだよ。 それに……」

ボオスも頷く。

フィルフサ絡みの可能性が高くなってきている以上。

これは最優先事項だ。

「それで何か分かりそうか」

「ええとね、封印が複数あるらしい事は分かってきた。 多分いつつだと思う」

「封印だと?」

「その正体はちょっとまだ分からない。 でも、もしもフィルフサを封印しているものだとしたら、超大規模な魔術装置とか、魔法陣とか、そういうものだと思う」

そんなもの、見た事も聞いたこともない。

そうぼやくボオスだが。

タオは咳払いする。

「古代クリント王国の時代には、聖堂ってものがあっただろ」

「あの湖の上にあった奴だな」

「そうだよ。 あれを更に巨大にしたものかもしれない。 今調べている遺跡は、多分古代クリント王国のものよりも更に古いと思う。 年代が違うんだ。 そして技術は、ずっと進歩しているわけでも、ずっと衰退しているわけでもないんだよ」

確かに、それもそうかとボオスは頷く。

理解が早くて助かる。

タオが見た所、森の遺跡は古代クリント王国の時代よりも更に古いものだが。

どうにも彼方此方に、人が入った形跡が見受けられた。

それは何故なのか。

或いは古代クリント王国の残忍で非道な錬金術師は、あそこを研究しようとしていたのではないのか。

もしそうだとすると、かなりの大事だ。

更にフィルフサの可能性が高くなってくる。

「ボオス、それよりも君の方が心配だよ。 僕は散々鍛えたから体力は大丈夫だけれども、無理していない?」

「問題ないと言いたいが、ライザの薬で随分助かってるな。 やっぱりお前にバカやってた時代の事もあって、ブランクがきついぜ。 あの頃は本当にどうしようもなかったな、あらゆる意味で」

「もうそれは気にしていないよ。 とにかく、無理はしないで。 頼れる事なら、誰にでも頼って」

「ありがとうな。 そうさせてもらう」

ボオスが行く。

さて、もう少し調べて見よう。

童歌の後半は殆どが欠けてしまっていて、どうにも資料が足りていない。

もしもこの資料があるとしたら、何処かの遺跡の中か何かではないか

そうなると、これ以降の調査で分かるかも知れない。

ライザが鍵の調合程度でミスするはずもない。

ミスするかも知れないが、リカバーはきちんとできる筈。

伸びをする。

そろそろ、休むか。

軽く体を動かしてから、風呂に入る。

深夜にも学生用の風呂屋はやっているので、特に問題は無い。

風呂から上がって、寮に戻り。

後は無心に眠った。

不意に目が覚めることがある。

夢を見ているときに、思いついた事があると目が覚めてしまう。

そういう場合は、メモ帳に思いついた事を記載して、眠る。

この癖のせいで、ぐっすり眠る事が中々出来なくなっている。

だが、それでもいい。

今のタオは、生き甲斐を見つけているのだから。

 

(続)