幽霊の都

 

序、幽世の羅針盤

 

タオとともに、森の奥にある遺跡に出向く。

しばらく周囲を歩き回って調査。しばらく様子を見て回る。とりあえず、新しく住み着いた魔物もいない。

ボオスも今日は来てはどうかと声を掛けたのだが。

どうやら徹夜に近い状態で勉強をしていたらしい。

首を力無く横に振られた。

成績は一応、相応にあるらしいので。

やっぱり何か無理をしていると見て良い。

だとすると、あたしが何かしらの形でコネを構築して、稼ぎがいい仕事でも紹介するか。

いや。それは余計なお世話だろう。

いずれにしても、事情があるなら、話して貰うのを待つしかなかろう。

そう判断する。

タオと連携して、周囲の魔物を掃討。

魔石もあるので、回収しておく。

フィーは魔石には興味を持つが。近付いたら駄目だよと話をすると、しっかり言う事を聞く。

或いは思念でも読んでいるのかも知れない。

タオの話によると、かなり言葉を理解している節があるというから。

単純に知能が高いのかも知れないが。

いずれにしても、それでも非力な存在で。

その気になれば、手の内で握りつぶすことが出来てしまう。

あたしとしては、そうすることも判断の内だが。

今は、そうしようとは思わなかった。

「魔物の掃討、終わり」

「こっちも片付いた!」

「よし、じゃあ使って見るよ」

「分かった。 フィー、危ないから離れて。 此処からは、僕がライザを護衛する番だね」

頷くと、フィーをタオに預けて。

そして、幽世の羅針盤のつまみを調整。

このつまみは、開ける前に調整しないといけない構造にした。

そうしないと、考え無しにぱかっと開いて。

それでいきなり悶絶死、という事も考えられるからだ。

前の使い手は、多分魔力量が小さくて、それで使っても平気だったのだろうと思う。

或いはだがこの恐らくは古式秘具だろう代物を。

何も知らずに使っていて。いきなり即死した魔術師もいるのではあるまいか。

後もう一つ、気になる事がある。

どうしてメモ帳とこれは魔石に埋もれていた。

例えばクーケン島では、魔石が成長するのには相応の理由があった。クーケン島は古代クリント王国時代に作られた人工島で。元々普通の島ではなかったのだ。

それもあって、魔石が島の彼方此方で成長していた。

此処ではどうして魔石が。

しかも幽世の羅針盤とメモ帳が、なんで魔石で埋まっていた。

それが分からない。

いずれにしても、慎重に調査を続けて行く必要がある。

羅針盤の調整が完了。

開いて見る。

ふわっと、意識が拡大した。

なるほどね、こんな感じになるのか。

周囲に複数の残留思念を感じる。

此処は、やはり防衛線だったようだ。だが、何から守っていたのかが、イマイチ分からない。

それとパティが完全にもろに見えているので、それはそれで苦笑いするしかない。

今日もつけてきているんだな。

咳払いをすると、あわてて首を引っ込める様子は、とても可愛いが。

パティが魔物にでも食われたら、ヴォルカーさんの嘆きはどれほどだろうか。

「ふむ、一つずつ耳を傾けてみるね」

「魔力消耗はどう?」

「んー、今のあたしなら気にならないくらい。 でも、少し話している間にも、熱槍を一つぶっ放すくらいの消耗はしているかな」

「分かった、気を付けて護衛するよ」

タオが身を低くして、双剣を構えたままいう。

心強い。

周囲を見て回りながら、幽霊のように立ち尽くしている残留思念に耳を傾けている。ノイズのように声が聞こえるが。

それだけだ。

無言で話を聞いて回る。

どうやら、この羅針盤の前の持ち主だった人間もいるようだ。

姿はぼんやりとしか見えないが。

つれているのは、これ。

フィーの同族か。

いや、ぼんやりしてなんとも見えない。

まだ羅針盤の精度が低いのか。いや、この羅針盤は直したと思う。だとすると、だけれども。

残留意識が弱まっている、と言う事だ。

残留意識なんて、文字通り幽霊も同然。

そんなもの、数百年もすれば薄れて消えていくのは当然だろう。

確か、メモ帳を前に書いた人間が、二百年前にここに来たとかなんとか言う話だったし。

ましてやその人間が此処で死んだわけでもなければ、悔しいという思いだけでは。二百年なんて、残留思念がもつわけもない。

目を細めて、周囲を見て回る。

戦士らしいのが、話をしている。

此処を守らないと。

そういう話をしていると言う事は、余程色々と大事なものが此処にはあったのだろう。

だが、古代クリント王国の前の時代の遺跡だったとして。

その時代は、まだフィルフサとやりあっていない筈だ。

いや、それすらも前提を崩さないといけないのか。

リラさんも言っていたが、フィルフサは古代クリント王国が爆発的に繁殖させたのであって。

0から作り出したわけではない。

その前から存在はしていたらしい。

水さえあれば押さえ込める存在ではあるのだが。

そういえば。

あの森の中のせせらぎ。

この遺跡と、或いは連動しているのかも知れない。

遺跡の歩ける範囲をくまなく歩く。

また、メモ帳の持ち主らしい残留思念がある。

壁の前だ。

まあ、何となく分かる。

メモ帳の持ち主は、トレジャーハンターというか。好奇心の赴くままにここに来て、挫折したのだろうから。

だとすると、此処が一番悔しかっただろう。

じっと耳を傾ける。

この壁は、開きそうに無い。

そういう悔しさが、強く強く伝わって来た。

なるほど、こういう風に使っていくのか。いずれにしても、この遺跡でこれ以上調べられることはあまりなさそうだなと思う。

ただ、あたしにしか残留思念は聞こえない。

残留思念の言葉と、それに関連することはメモしておく。

後で、何かしら役に立つかも知れないからだ。

いずれにしても、此処に残っている残留思念は、殆どが「何かから此処を守らなければ」というものと。

此処を遺跡になってから訪れたトレジャーハンターの無念だけ。

それには、殆どこれといって感じ入るものはなかったし。

此処を何から守ろうとしているのかは、分からなかった。

いずれにしても、此処は一旦後回しだ。

このばかでかい壁、こじ開けるのはリスクが大きすぎる。

今、近くにタオしかいない。せめてレントとクラウディアがいればある程度大胆に動けるのだけれども。

残念ながら、それは無理だ。

腕組みして、様子を見る。

やはり此処は、一種の要塞とみるべきだろう。

しかも、一応防衛には成功したと見て良い。

そうでなければ、アスラ・アム・バートが残っているのは不自然だし。

ましてや。

アスラ・アム・バートで、この遺跡の存在が語られていなかったりするのも不自然だからである。

タオと、その辺りを話しながら、一度王都に戻る。

フィーは、ずっと壁の向こうを見つめていたが。帰るよと声を掛けると、すぐに飛んでくる。

やっぱり言葉、殆ど分かっているんだな。

そう思うと、少しだけ。

最悪の事態が起きたときに、殺さなければならないのが悲しいかなとは感じた。

 

王都に到着する。

パミラは相変わらずのほほんとした笑顔を浮かべていたが。

王都方面の監視をしている、あの存在の部下が来たので。軽く礼をかわす。

「カーティアです。 コマンダー、ご壮健なようで何よりです」

「肉体の方は相変わらず壮健よー。 まあ作り物だし、時々メンテナンスはしているからなのだけれどね」

「そうですね」

「じゃ。 話を聞かせて貰いましょうか」

王都を歩きながら、話をする。

相変わらず無駄に人間ばっかり集まっている場所だなとパミラは思う。

はっきりいってこう言う場所は好きじゃ無い。

ドブの底のような汚泥が溜まって、トップはすっかり腐りきってしまっている。

壁の中でかりそめの平和を享受しているに過ぎず。

その分際で、百年ちょっと前にはオーリムへの門を開こうとすらしていた。

その時も、ギリギリまで自浄作用が働くのを待ったのだが。

以前の大規模侵攻の危機の時に、ライザ達と一緒に門を閉じた錬金術師アンペルがロテスヴァッサを離脱したのを見届けて、自浄作用がないと判断。

王宮にいた錬金術師と。

そのパトロン。

全員を斬ったのは、パミラだ。

普段は「幽霊のようにほとんど世界には干渉しない」を旨としているのだが。

この世界の錬金術師は、今まで見てきた世界の中でも特に愚かしく。

例外がたまにいるくらいで。

それ以外は、本当にエゴで動いている。

そのエゴが、建設的な方向で世界を動かすなら良いだろう。

エゴが向く先は資源や技術の略奪。

それに侵略。

以前、世界を破滅させながら、自分達を特権階級か何かと考えている錬金術師達の世界で、呆れたことがあったが。

此処は何百年経っても進歩する様子を一切見せず。

結果、あの存在とともに錬金術師を力尽くで掣肘する方法を選ばざるを得なくなったのである。

この世界の前にいた世界では、錬金術師達は凶悪だったが、それでも世界のためを思って動いていた。

彼女は凄かったな。

怪物そのものだった。

だけれども、それでもこの世界の連中と違って、世界のために動いていた。

残虐だし容赦も無かったけれども。

だが、この世界の、神代や古代クリント王国の錬金術師に比べたら、万倍もマシだったのだ。

長い銀髪をなびかせながら、パミラは王都を歩く。

隠行を使っているので、周囲の人間は、パミラにもカーティアにも気付かない。

「最優先監視対象ライザリン=シュタウトは動き始めています。 今の時点でセーフティが掛かっているのは確認しましたが……」

「何か問題があるのかしらー?」

「普通、セーフティをかけた錬金術師は、凡人以下の才覚に落ち、基礎的な錬金術すら出来なくなります。 ライザリンの場合は、凡人以下になるどころか、少しずつ現在でも伸びているようです」

「うーん、それはちょっと想定外ねえ」

ただ、判断力や閃きなどは、以前ほど優れていないようだともカーティアがいうので。

なるほどと、パミラは考え込んでいた。

ライザリンは、今まで見てきた超越錬金術師達に近い存在だ。

ずっと超人だった者達に比べると人間に近いが。

それでもシビアで、必要に応じて命を躊躇無く奪う。

その才覚は、神を気取っていた神代の錬金術師以上であり。

もしも良き錬金術師だったら。

この世界を何度でも救うほどの存在だろう。

だが、パミラもこの世界の人間。

いや、この世界の錬金術師には、もう微塵も期待していない。

少し違うか。

期待しているから、ライザリンを斬っていない。

今の実力と判断力なら、ライザリンには勝てる。仲間達の助力込みでだ。

だが、殺すべきだと何度か進言してきた部下達に、殺さないようにと指示しているのは。

或いは、ライザリンが。

この世界で初めてとなる、まっとうな錬金術師になるかも知れないと言う。期待があるのかも知れなかった。

「まあいいわ−。 私がこれから此処でプディングを堪能しながら、ライザは監視する事にするわねー」

「お願いいたします。 時に……アイン様は」

「まだ体の調整が上手く行っていないわねー。 数時間程度しか、培養槽から出られないわ」

「そうですか。 かの方は我等の希望。 我等のデータを用いて、少しでも早く普通に生活出来ることだけを願うばかりです」

カーティアは忠実だな。

王都方面を、二十年も護り続けているだけのことはある。

見た目は二十歳そこそこ程度に見えるが。

いわゆる「同胞」と言われるカーティアの同類達。あの存在が作り出した者達の中では、非常に優れた個体で。

アンチエイジングを受けながら、この土地を護り続けている。

人間に対して、あまり良い感情は持っていないようだが。

それでも、アインのことを考えると複雑なのだろう。

アインは全うに生きる事すら許されなかった「人」だ。

かの者は、アインにただ全うに生きて貰いたいと願っているだけ。

そのためには、何度も世界を滅茶苦茶にした錬金術師が危険要素として存在しているということだ。

まあそれだけではないのだろうが。

それについては、パミラも深入りするつもりはない。

利害が一致している。

今は。それだけで充分だ。

使い魔にしている鳥が、カーティアの肩にとまる。

頷くと、カーティアは言う。

「ライザリンが戻って来ました」

「そう。 私は辺りで食べ歩きをしているから、何かあったら来なさい」

「はっ……」

文字通り、溶けるようにしてカーティアは消える。

パミラは早速甘いものを専門に扱っている店に行くが。

以前あった店は、もう跡形もなくなっていた。

溜息が漏れる。

こればっかりは、仕方が無いか。

王都はこの狭い壁の中にて、サーキックバーストに近い経済活動を繰り広げている。だから物価が意味不明なほど上がっている。

其処では別の世界では、「資本主義」と呼んでいた。野放しに近い経済的な殺し合いが続けられていて。

金貨で人間が殺し合っている。

店はしょっちゅう潰れる。

美味しい店だろうが関係無い。

美味しい店が残るのだったら、苦労など誰もしない。

マーケティングが上手い店が残るのだ。

そしてそれには。

マーケティングをする人間の人格などは関係無い。別の世界で「資本主義」を回していた連中が、サイコパスや下衆の集まりだったように。

この狭い王都の中でも。

魑魅魍魎が、ひたすらに自分のエゴだけのために争い合っている。

その醜さときたら。

まるで何かの糞に集っている蛆かなにかのようだった。

別の店を探す。

パミラとしては、時々自分でプディングの作り方を広めながら。その広めたプディングに、創意工夫がなされ。

美味しく食べられれば、それでいいと思っている。

たまに荒事もするが。

それはこの世界に昔居着いていたカスみたいな錬金術師達が、とんでもない負の遺産を残していったから。

誰かが、後始末をしなければいけなかったのだ。

或いは、あの存在は、その筆頭になっていたかも知れない。

だが、アインという存在と。

その末路を見て。

あの存在は変わった。

故に、パミラは協力する事を申し出たのだ。

そうでなければ、最初に斬っていたのは、あの存在だっただろう。

皮肉な話だ。

人間よりも、あの存在はよほど人道的なのだから。

事実、どれだけのフィルフサによる大侵攻を封じ込めてきただろう。

あの者が派遣している「同胞」が、どれだけの人間をそれが主目的ではないにしても、救ってきただろう。

秩序を守ってきただろう。

適当な店を見つけたので、入る。

あまりおいしいプディングではなかったが、まあこれで良いだろう。しばらく黙々とミルク主体のプディングを食べながら。

パミラは。この世界の人間も、多分力尽くで無いと変わらないのだろうなと、思うのだった。

 

1、地固め

 

タオが、手帳に書かれていた童歌みたいなのを解析して。

この辺りに他に遺跡がないかを調べるという事だった。

そっちは任せる。

分厚い本を調べて回るのも骨だ。

タオはその辺りは、もう生半可な学者より上だろう。学業の片手間にそれが出来るらしいから。

まあ色々な意味でとんでもない奴だ。

レントはどうもあたし同様スランプのようだし。

「人間社会」限定であれば、恐らくはタオがあたし達悪ガキ軍団の中で、三年で一番成長したのだと思う。

問題は、フィルフサという、「人間社会」なんて瞬時に粉砕して食い尽くす化け物が薄皮一つ隔てた異世界オーリムに今もわんさかいることで。

アンペルさんとリラさんが、それの侵攻先となる門を片っ端から封じているように。

あたしも、出来る範囲でそれをやらなければならない、と言う事だった。

まあ、それについては自分でやっていくしかないが。

ともかく今は、王都周辺の調査が大事だ。

アトリエに戻ると、一旦ベッドで横になる。

しばらく頭を休める。

三年前。

あの暑い夏は。

こんなダラダラ休憩を挟まなくても。わき上がってくるような活力が、何もかもを創造的にかき立ててくれたのに。

やっぱり駄目だ。何か頭にもやが掛かっている。

フィーが嬉しそうに飛び回っている。

魔石を今回もある程度回収してきて。それから魔力をすったからだろう。

やっぱりスープくらいしか口にしないし。そのスープの中の固形物も食べようとはしない。

水だけ得られればいいようだ。

ミルクも与えてみたが。それもあまり口にはしなかったことから考えると。

固形物を食べられないというよりも。

魔力を直接栄養に変えられている、というのが正しいのだろう。

水は恐らく、体温調節などにだけ使っているのであって。

実際には水すらも必要ないのではあるまいか。

「起きるか……」

呟いて、十数えてから起きだす。

それくらい、頭がぼんやりしてしまっていた。

ベッドから起きだす。

そして、フィーに声を掛けて、外に出た。

毎日違うコースで、この居住区を歩いて回っている。一秒でも早く、道を覚えるためである。

凄い魔術師が来ている。

そういう噂があるのだろう。

時々あたしに声を掛けて来る人がいる。

話を聞くと、普通の魔術師がやるような事。湯沸かしとかが依頼ごとなので、笑顔で受けておく。

名前を聞いて、そして覚える。

こうして、コネを作っておく。

瞬間湯沸かしの腕前は、いつも驚かれ。感謝される。

それだけであたしは充分だ。

工業区や職人区にも足を運んでおきたい。

王都の技術力がどれくらいなのか知っておきたいからである。

装備品は、あたしは基本的にイメージに基づいて釜で再構築しているので、たまに見かける名人芸の細工ものは再現出来なかったりする。

いや、三年前は多分出来た。

今は、どうにも迸るパッションとか才覚とか。そういうようなふわっとしたものを、どうにもエーテル内で組み込めないのだ。

向かうのは、農業区である。

この間あった、義賊だとか言う三人組がいたので、声を掛けておく。

リーダーである女性戦士は、それなりの手練れのようだった。

「おお、アーベルハイムのお嬢さんが連れていた腕利きだな」

「ライザリンです。 ライザと呼んでください」

「あたしはドラリア。 ドラリア義賊団の頭だ。 こっちはルイ、こっちはザイク」

「よろしく、ドラリアさん、ルイさん、ザイクさん」

軽く話を聞く。

義賊団は現在三人だけだという。

しかも荒事が出来るのはドラリアさんだけ。ルイさんとザイクさんは別に仕事があるそうで。

基本的に話を聞く限り、ただの職人のようだった。

「一応確認しておきますが、盗みとかはしていないんですよね」

「当たり前だ。 あたしらは誇り高い義賊団だからな!」

「ハハ……」

胸を張るドラリアさん。

蓮っ葉な雰囲気は無く、普通に手練れの女戦士である。ただ、言動がちょっと色々と困惑させられるが。

義賊というのは、物語の中ではあたしも聞いた事があるが。

あくまで物語にて成立するだけの存在に過ぎない。

実際にそんなものがいるという話なんて、聞いたこともない。

この人達も、やっている事は賊とは程遠い。

強いていうならば、クーケン島にいた護り手や。各地の自警団に所属する戦士が近いだろう。

アーベルハイム卿も、この人達の実態を知って、苦笑いして許したのだろう。

事実、害は全く無いようだから、それで正解なのだと言える。

そしてこの人達は、実際に賊とか捕まえて、自警はしてくれている。

そういう意味では、変な肩書きを名乗っている以外は、極まっとうな人達である。

「もう聞いているかも知れませんが、農業区を支援するべく来ました。 カサンドラさんと軽く話して、水路関連の不備については確認しましたが、他に困っていることなどはありますか」

「この辺りに少し前までは与太者が彷徨いていたんだが、連中はもう全部やっつけて捕まえたよな」

「はい姐さん」

「だとすると、農業をやる人間がいないことくらいだな。 それにしても、あんたは一体なんなんだ。 魔術師としての力量が凄いのは分かるんだが、アーベルハイム卿は驚天の力を持っているとか言っていた」

魔術師は、今の時代は誰でも魔術が使える事もあって、ごく身近な存在だ。

有名な魔術師の中にも、肉体強化魔術を極めているだけの存在もいるらしい。そういう人は、素手で格闘戦をするのを何よりも得意としているらしく。ローブを着て杖を持っている老人とは真逆で。筋肉ムキムキの戦士にしか見えないそうだ。

つまり魔術師は身近で、どこにでもいる。

驚天の技とは無縁なのだ。

「あたしがやっているのは錬金術です」

「そういえばそんな単語を聞いたな。 凄い発破や薬を作るんだろ」

「はい。 怪我人などが出たら、すぐに言ってください」

「そうだな……分かった」

一礼すると、「義賊」と別れる。

それにしても義賊、か。

この王都、周辺状況は良いようには見えないし。貴族や王族は完全に腐りきっているようだけれども。

末端まで駄目になっているわけでは無さそうだ。

まずは、水路の様子を確認する。

この手の水路というのは極めて繊細で、本来は畑の持ち主以外は絶対に触ってはいけないものだ。

更に言うと、東方ではライスという作物を作っているそうだが。

このライスを作る為の田は、更にデリケートらしく。

水を入れたり出したりは、それこそ田の持ち主以外は、地主であろうと絶対に禁忌であるのだとか。

ただ、この水路は一目で分かるが。

ものが捨てられていたりで、明らかに整備されていない。

カサンドラさんの畑のための一部が機能しているくらいで。

他の畑は、虫が育つためのファームと化しているのが実情だった。

実際、農民と呼べる人はごく少数しかいないようだ。

西側の街道は、あたしが通った東側より多少はマシらしく。

此処を通って、大量の作物が王都には来るらしい。

それらは、アホみたいな価格をつけられてマーケットに並ぶ。

そういえば、鮮度は落ちるがクーケンフルーツが売られているのも目撃した。

多分だけれども、バレンツ商会が持ち込んだものなのだろう。

前にも聞いたが、リュコの実なんてこっちでは呼ばれているそうだ。どうでもいい話ではあるが。

いずれにしても。バカみたいな物価である事を我慢すれば、王都の人間は食べ物には困っていない。

だから農業区は軽視されている。

王都から一生出ない人間もいるのだろう。

そういう人間は、作物を作るという事が如何に大変か、理解していない可能性も高い。

カサンドラさんが、畑を耕している。

軽く挨拶してから、今日の作業について決める。

昨日軽く話したが、カサンドラさんは五人姉妹の一番上らしい。

下の姉妹達は既に結婚して所帯を持っているらしいのだが。

カサンドラさんは農作業が楽しくなって、婚期を逃してしまったのだとか。

それに、好きこのんで王都で最下層の農民をやっている変わり者扱いだ。

前に何度か婚姻の話は来たらしいのだが。

農民を止めるのが条件とか上から目線で言われたり。

明らかに此方を見下している人間が、体だけ見て舌なめずりしているのが分かったりで。

全て断ったのだという。

まあなんというか、好きを優先した人生なんだな、と思った。

それはそれで別にかまわないと思う。

好きなように生きる権利が人にはある。

人間の社会というのは、あくまで人間が生きていくために必要なものであって。逆にいうと、人間が生きるのに有害であったら。そんな社会からは離れるべきだ。

ところが、人間の社会の上層にいる存在は。

自分のエゴを満たすために、真面目な人間を使い潰す。それを正当化するために、時に真面目であれ、正直であれと説く。

大まじめにそれを真に受けた人間が、立派に社会を発展させる場合もあるが。

社会上層にクズがいる場合。

そういった真面目な人間は完全にカモだ。

ただすり潰されて、殺される。

あたしは三年で、クーケン島周辺の集落を助けに回って、何度も魔物の群れを粉砕してきた。

その過程で、そういう腐りきった社会を構築している村を幾つも見てきた。

此処も、規模感は違うがそれに近いのかも知れない。

だとすると、なんとも情けない話だなと、あたしは思うのだった。

「一通り周りを見て来ました。 そこの土砂、消し飛ばしておきますね」

「分かってると思うが……」

「ええ。 水路の水が、あっちに行かないように先に処置します」

「ありがとう、助かるよ。 私一人だと、力仕事はどうにも骨でね」

こういう水路は、男衆が何人も出て来て、それでやるものだが。

この農業区は、負け犬の居場所みたいに認識されている。

そもそもだ。

此処は恐らく、古代クリント王国の時代からあった都市であり。

この農業区も、その頃からある筈。

当時はあるいは、都市のあり方が違ったのか。

此処は何かしら、別の意図があって作られた場所だったのかも知れない。

まあ、それはいい。

アーミーが存在した時代は、色々と今とは事情も違ったのだろう。

それについては、後でタオにでも聞けば分かる話だ。

淡々とあたしは、持ち込んでいる荷車から、石材を運び出す。

何カ所かの水路のゴミをシャベルで外に出し、代わりに石材を詰めて水路をコントロールできるようにする。

石材については、魔石の残骸を基にしている。

魔石の残骸が元になっているので、あたしが魔力を流すことで、色々と調整をすることが出来るのだ。

家屋用の接着剤を用いて、石材だけを固定。

周囲の土に噛むようにして、石材を並べて配置。

カサンドラさんが、時々此方を見ているが。作業の速さに舌を巻いているようだった。

まあ、感心してくれれば嬉しい。

そのまま、幾つかの水路を綺麗にした後。

詰まっている水路を、熱魔術で綺麗に焼き払う。

「ガスが出ます。 吸わないようにしてください」

「分かった!」

どっと、水が流れ出す。

あたしが熱魔術で蒸発させたゴミから出たガスを押し流しながら、水路の一部が復活する。しばらくは、水を通しで流す。

それで、綺麗にゴミの残骸がなくなったら、水路を少しずつ回復させていくことになる。

水路を確認して、水を見ておく。

水の質は、良くも悪くもない。

生活用水などを川に流しているようだが。

此処で取得している水は、流石に其処よりは上流のようだ。

飲み水は井戸が中心と言う事もある。

まあ、水に関しては湧かして飲むのが基本だし。あまりにも汚くなければ、それでいいのだが。

「凄い火力だね。 実戦で磨いた魔術かい」

「まあそんなところです。 それよりも次は土ですね……」

「他にも畑がわんさかあるから。 一つずつ、手を入れないといけないけれどね」

現金なもので。

妹一家は、四人全員が、時々此処に野菜をくれとくるという。

賤業だと卑しんでおきながら、である。

そんななら、自分で作れと言いたくなるそうだが。生活のための野菜は充分に作れているので、分けてやってはいるそうだ。

市場にも野菜は納品していて。

新鮮なことから、それなりに売れるそうである。

ただし、売りに行くときに。

ゴミでも見るような目で見られることも多々あるそうだが。

「では、次は肥料ですね」

「それもそうなんだが……」

「?」

カサンドラさんは咳払いすると、ある植物の種を見せてくれる。

見た事がない種だ。

「以前、視察に来たアーベルハイム卿と話をしたことがあるんだ。 アーベルハイム卿も、街道が潰された時に生命線になる農業区の有様については、心を痛めているようでね」

「アーベルハイム卿は、ちゃんと王都の状況が客観的に見えているようですね」

「まったくバカ貴族どもとは偉い違いだ。 あの人が王様になってくれれば、多少は違うんだろうけどね」

「しっ」

流石にそれはおおっぴらに聞かれるとまずいと思う。

ともかく、声を落としながら、話を続ける。

「それで、その種は」

「私が作る野菜は、どれもそれなりに好評なんだ。 アーベルハイム卿が納入を頼んでくるくらいにはね」

「パティが好意的な理由がわかりました。 新鮮な野菜を独占できるなら、それは確かに好意的にもなります」

「そうだね。 ただ、どうしても手が足りないんだ」

今、農業区で働いている農民は、五百人もおらず。

カサンドラさんのような腕利き以外は、殆ど素人同然だという。

そういうわけで畑を荒らすだけだったり、殆ど畑を雑草だらけにしてしまったりで。農業区はほぼ機能不全に陥っている。

せめて王都の人口十五万の内、一割は此処にほしい。

そういう話らしいのだが。

商業区は過密すぎるぐらいに人が詰まっているのに。此処はスッカスカ。

最下層民と見下されるのが、どうしても嫌だと言う事らしい。

そこで、アーベルハイム卿が考えたのが、この種らしかった。

「これは南方で採れる果物で、かなり甘くて美味しいものらしい。 魔術師が冷やしながら此処までたまに運んでくる品は、それこそ1000コール以上の値段がつくことすらあるそうだ」

「果物一つに1000コール……」

「馬鹿馬鹿しい話だろう。 だが、こいつはどうも育てるのが難しいらしくてね。 あたしも上手く行ったことが無い」

なるほどね、それを支援してほしいと言う訳か。

幾つか、思いついた事がある。

「まずは肥料を作ってきます。 その果物については、後で考えましょう」

「おう、助かる。 私はその間、使えなくなっていた畑の草むしりでもしておくよ」

「お願いします」

頭を下げる。

あたしも農民の子だ。

こう言う人が差別されている王都の状況は気にくわない。改善できるなら、改善しておきたかった。

 

つづいて、学園区に出向く。

学園区には学生が多くいるのだが、有望な人間とはコネを作っておきたいのである。

今後のために、だ。

ボオスと待ち合わせる。

ボオスは腕組みして不愉快そうにしていて。その隣には、居心地が悪そうに、眼鏡を掛けた小柄な女性がいた。

ボオスを見ると、フィーが即座に飛んでいく。

ボオスはうんざりした顔をしたが。頭に乗られても。頭に乗るなというだけで。フィーを追い払おうとはしなかった。

「あの、ボオス……さん……?」

「ボオスでかまわん。 アンタと俺は同学年だろう」

「は、はい……すみません……」

「なんで謝るんだ」

とにかくやりづらそうである。

小柄な眼鏡の女性と軽く自己紹介をして、挨拶を交わす。

女性はカリナ。

此処に来ている学生の一人であるらしい。

成人でも学生は珍しく無いらしく、貴族の子弟が通う貴族院以外では、色々な年代の人間がいるようだ。

今も、実際年老いた魔術師が通り過ぎていく。

あれも教師なのか学生なのか、正直分からない。

「じゃあ、俺は行くぞ。 とにかく居心地が悪くて仕方が無い」

「フィー」

「じゃあなフィー。 俺の頭はお前の巣じゃねえぞ」

本当に居心地が悪そうに行くボオス。

まあボオスは女は一人と決めているようなタイプだ。あからさまに気がない女と一緒にいるのは、居心地が悪いのだろうというのは想像がつく。

カリナさんは地味な女性だが、事前にボオスに話を聞いている。

植物学について専攻しているかなりの好成績を収めている学生で、タオがいなければ話題を独占していたらしい俊英らしい。

元々植物操作魔術を得意とする家系に産まれたらしく。第三だか第四だかの規模を持つ都市の名士の娘だそうだ。

その割りには気位ばっかり高い雰囲気も無く。

随分と気弱だなあと思う。

「カリナさん、とりあえずあたしは外に出ることもある。 他の学生には出来ないような仕事、こなせるよ」

「ありがとうございます。 じ、実はこの辺りの植物の植生が、どうしても図鑑と矛盾しているものが多くて。 実際に指定された地点の植物を、調べたいんです……」

「はあ。 護衛任務ならやりますよ」

「ご……護衛……」

倒れそうになるので、あわてて支える。

フィーも吃驚してあわてて翼で背中からカリナさんを押した。思ったよりも出力がデルっぽいなフィー。

そしてナイスフォローである。

「ご、ごめんなさい。 その、私、ここに来るのも命がけで、途中で何度も何度も怖い目にあって……出来れば魔物とは、顔もあわせたくないんです」

「そうなんだ……学者の卵としてはなんというか、大変だね」

「ごめんなさい……。 それで、指定位置の植生を、手が開いている時にでも調べてきてほしくて」

植生ね。

まあそれについては、タオがいる時に支援を頼むか。

軽く考え込んでいると、少し周囲を見回してから、カリナさんが聞いてくる。

「そ、その。 ボオスさんは怖くてあんまり話を聞けなかったんですが、タオさんとは仲がいいんですか?」

「あたしとタオ、ボオスともう一人でクーケン島って所で悪ガキ軍団だった事があるんだよ」

「悪ガキ軍団!?」

「そうそう。 色んな悪戯してまわってね」

またくらっと倒れそうになる。

この人、大丈夫だろうか。

とりあえず、次に話すときはカフェにしようというと、こくこく頷く。こうちょっとやそっとの事で卒倒されてはこっちの方がたまらない。

「タオさん、ワイルドな一面もあったんですね……」

「はあ……」

この子もか。

タオはどうやらこっちではかなりもてるらしい。

パティといいこのカリナさんといい、相当な有望馬だろうし、あたしみたいに色恋に興味ゼロの変わり種では無い普通の人なら羨ましい話ではあるのだろうが。

それにしても、逆にパティとしては、あまり気が気では無いのも事実だろう。

私とはあまり話してくれないのに、色んな女の人と仲良くして、とか思っていそうである。

それが可愛い焼き餅のうちはいいのだが。

タオがあまりにも煮え切らないと、アーベルハイムの強権を利用して馬鹿な事を始めかねない。

他には、幾つかの植物について。手に入れてきてほしいと言うような話をされる。

いずれにしても、それは此方としては一向にかまわないので、適当に受けておくことにする。

とりあえず、ボオスには他にも有望な学生には声を掛けて欲しいと言ってあるので。誰かしら良い人が見つかったら、声を掛けてくれるだろう。

「あ、あの、ライザさんって、戦闘とか出来るんですか」

「まあそこそこに。 自衛くらいは余裕。 一応ドラゴンをみんなと一緒に倒した事もあるよ」

「……」

「魔物退治の仕事だったらいつでも頼んでね。 流石に王都の外の魔物を全部駆逐するのは無理だけど」

固まっているカリナさんに手を振ると、一度学園区を後にする。

とりあえず、今回はこれでいい。

借りている宿に戻る。

現時点では、出来る事があまりない。

タオが、有望な情報を集めてくるまで待ち、くらいか。

ともかく現状、戦力が足りていないのである。

タオやボオスは学生で、常に出られる訳でもない。

パティはある程度は戦えることはわかっているが、アーベルハイムの娘さんを傷物にでもしたら大変である。

これについては、本人がきちんと同意しないと、危なくて仕方がない。

クリフォードさんを考えたが、あの人はまだちょっと得体が知れない。

せめてクラウディアが王都に来てくれれば、なのだが。今日もバレンツ商会に足を運んでも。

クラウディアは、まだ近くの集落、ということだった。

とりあえず、今日は調合をして過ごすか。

そう考えて、釜にエーテルを満たす。

今のうちに、薬を作っておく。

インゴットも。

トラベルボトルにフィーと一緒に入る。フィーは内部に入ると、驚いたように周囲を見回して。

昂奮して飛び回っていた。

「魔物がいるから、あんまりはしゃいでいたら駄目だよ」

「フィー!」

「さて、鉱物をある程度採取しておきますか……」

王都近辺に来たのには、モリッツさんに頼まれた事、元々王都近辺は門関係で調査する必要があった事、それ以外に実はある理由がある。

伝説の金属が手に入るかも知れない、というものだ。

オーリムでたまに見かけられるらしい、究極の金属の素材になる鉱物、セプトリエン。半年ほど前にオーリムの聖地グリムドルに足を運んだときには、残念ながらまだ安全圏ではセプトリエンは見つかっていない、ということだった。

セプトリエンが見つかったら、トラベルボトルに組み込んで、この中で取り放題といけたのだが。

流石にそう簡単な話でもないだろう。

トラベルボトルは万能では無くて、調整をする必要がある。

だから、基本的に念の為に持って来ただけ。此処でしばらく過ごす事を考えて、くらいだったのだが。

鉱石を掘り崩し、荷車に詰め込む。

どれも、今はどんな鉱石なのか分かる。

一通り、必要なものを掘り出してから、トラベルボトルを出る。

そして、調合を始めた。

やる事は幾らでもある。

王都に地盤を構築し、クーケン島の未来に備えるというのもあるが。

どうにも嫌な予感がする。

勘が鈍っているとは言え、あたしの魔力量は前より上がっている。どうも王都近辺で、びりびりと嫌な気配が消えてくれないのだ。

だとすると、そろそろ腰を据える覚悟がいる。

一季節此処にいるつもりだったが。

頭の働きが鈍っている事もある。もう少し、此処にいることを想定しなければならないかも知れなかった。

 

2、峡谷へ

 

農業区で、肥料の様子を確認していると、タオが来る。

どうやら何か分かったらしい。

あたしが、カサンドラさんの所を手伝っている話はしてある。今日の大まかなスケジュールについても。

朝の打ち合わせを軽くした後だから。

授業の後、調べていて分かったのだろう。

「ライザ、見つかったものがあったよ」

「ふむふむ」

カサンドラさんに、タオはしっかり頭を下げている。まああたしはそれはどうでもいいので、説明を聞く。

まず、王都近辺にある遺跡のうち、めぼしいものは幾つかあるが。その中で、探索されていないと判断されるものがある。

それが、やはり壁のようなもので塞がれている遺跡。

王都から北に抜けて、街道から外れる。

そうすると、厳しい地形の峡谷に出ると言う事だ。

峡谷か。

パティが着いてきていたら。

事故が起きるかも知れないな。

そう思いながら、あたしは腕組みする。

「峡谷の先に、200年ちょっと前に発見されて、今も開いていない扉が存在しているんだ。 とはいっても、内部が分からないから、どんな遺跡になっているかはちょと分からないけどね」

「その遺跡について、他に情報はある?」

「調べて見たけれど、まったく。 やっぱり王都周辺は、古代クリント王国が滅びて以降、資料が散逸しているみたいでね」

「……」

古代クリント王国が、オーリムに手を出し。

自分らで大量に増やしてしまったフィルフサによって大反撃を招き、壊滅寸前の打撃を受け。

そしてその残党が、無事だったこの都市に集まった。

血まみれの権力闘争が行われ。

今の王族と呼ばれる連中が、それで最高位に収まった。

しかし最高位に収まった頃には、既に古代クリント王国の版図は見るも無惨な状態になっており。

既に各地にアーミーを派遣するどころか。

アーミーを編成する事すらできなくなった。

人間が弱まったことを好機とみた魔物達は、各地で一斉に暴れ出し。以降数百年、人間の住まう土地は狭くなる一方だ。

そもそも魔物といっても、大半は「小細工無しで人間を殺せる動物」に過ぎないし。

誰もが魔術を使える世界だ。

魔物達だって、今まで好き放題してくれた人間には、礼をしなければ気が済まなかったのだろう。

このアスラ・アム・バート周辺でも大きな戦いが幾度もあったらしい。

そして、それらの戦いで、アーミーの残骸は全てすり減らされ。

元々王族を決める時の内乱で数が激減していたアーミーの残党は。文字通り消滅することになったようだ。

これらについては、三年間の間、タオから貰った手紙で知った。

「いずれにしてもツーマンセルだとちょっと探査の手が足りないね。 タオ、心当たりはない?」

「実の所、魔物の巣窟になっているような遺跡が放置されていたことからも分かるように、騎士なんかをしている手練れも正直実力は知れているんだ。 アガーテ姉さんが如何に強かったのか、王都に来て思い知ったよ」

「だとするとクラウディアを待ちたいけど。 近くの街でのトラブルとやらが解決するまで、どれくらい掛かるか分からないね。 レントには王都に来るようにって手紙は送ったけれど、そっちも反応がない」

「参ったね」

クリフォードさんはどうかと思ったが。

はてさて、きちんと話を聞いてくれるかどうか。

パティはどうせこっそり着いてくるだろうし、先に声を掛けて一緒に行くという手もあるのだけれども。

その場合は、ヴォルカーさんに声を掛けなければならない。一応これでも大人である。筋を通さないといけない。

世の中には筋も通さないくせに大人を自称する連中がなんぼでもいるが、あたしはそうなるつもりはない。

それにパティの実力は、タオよりかなり下だ。

そうなってくると、護りながら戦う事になる。しかしながら手数が増えるのも事実ではあるし。

何よりも、人材は基本的に生えてこない。

パティがもっと戦闘経験を積めば、恐らくアーベルハイムにとって恩を売る事にもなるはず。

問題は危険が、恐らく今までパティが参戦した戦闘とは比較にならない程大きい事であって。

しかもパティが着いてくるのはほぼ確定である以上。

事故を避けるためにも、先に声を掛けた方が良いと言う事だ。

さて、どうするかな。

「パティはどうしてる?」

「今日は宿題を家でやっているはずだよ。 数学の成績をもう少し上げたいって言っていたね」

「難しい数学なんだ」

「というよりも、収入の計算とか帳簿の読み方とかで必要になってくる数学なんだ。 アーベルハイムを継いだ後、そういったものを自分でチェックしないと、家臣に好き勝手される恐れがあるだろ」

ちなみに、普通の貴族はまず勉強しないらしい。

部下にやらせておけ、という考えだそうで。案の定、そういったバカ貴族に取り入って、私腹を肥やした後逃げる奴が少なくないのだとか。

この数学はかなり難しいらしく。

殆どの貴族は実際には勉強などせず、授業に出た実績だけを金や爵位で買っているそうである。

「だとすると、無理強いは出来ないか……」

「ん? ライザ、パティをつれて行くつもり?」

「他に人選がいない」

「せめてボオスにしようよ」

タオは乗り気ではないのか。

だが、そもそもパティは今までの遺跡探索は、隠れて着いてきている。そろそろ、隠行が下手なパティが単騎で襲われると、どうしようもない魔物が出てもおかしくない場所に行くのだ。

しばし考えていると、カサンドラさんが咳払いした。

「そろそろいいかい?」

「あ、すみません。 なんですか」

「なんだか難しい話をしているようだけれども、こっちはもう用事は終わりだろ」

「そういえば、すみません。 タオ、いこう」

一度アーベルハイム邸に行く事にする。

多分カサンドラさんは気を遣ってくれたのだろうけれども。

またこれで勘違いが増えると、面倒だなとあたしは思った。

 

アーベルハイム邸に出向くと、パティは勉強中と言う事だった。タオがすぐに出向いて、勉強を開始する。フィーも、そっちに行って貰った。

先に、あたしはヴォルカーさんと話しておく事がある。

パティをつれて行くにしてもどうするにしても。

先に筋は通しておくべきだからだ。

いきなりフィルフサの話はしない。

信頼出来る相手だと言う事は分かっているが。

それでも、そもそもヴォルカーさんもあたしに腹の内を全てはまだ見せてくれてはいない。

全幅の信頼を寄せてくれていたルベルトさんとはだいぶ違う。

だから、此方も、筋は通し。

腹の内側を全てさらけ出すつもりではない状況で、話はしていかなければならない。

ただ、いずれ信頼出来ると判断したら。

ヴォルカーさんに、フィルフサの話はするつもりだ。

アンペルさんが資料を棄却するまで、王都の錬金術師どもはオーリムの話は知っていた。フィルフサの事も恐らくは。

そしてフィルフサを、古代クリント王国の連中同様、資源として使えると思い込んでいた。

どこからその謎の自信が湧いてくるのか分からないが。

一部の変な信仰を掲げている連中が。

人間は世界でもっとも優れた存在で。

万物の長たるものだとかほざいているのと、同じような感覚なのかも知れない。

ヴォルカーさんはたまたまいたので、直接話をしておく。

この間の薬がもの凄く好評だと言う事で、礼を言われたので。此方としても返礼をしておく。

あたしとしても、この王都そのものはともかく。

誰かを守るために戦う者が、助かるのならそれは嬉しいのだ。

「それで今日はまた何か持ち込んでくれたのかね」

「いえ、今日は王都に来た目的の一つについて話しておこうと思っています」

「ほう」

「三年前、あたしの故郷のクーケン島で大きな事件がありました。 その要因は、ある強力な魔物です」

椅子について話を聞いていたヴォルカーさんは、眉をひくりと動かした。

あたしが、強力な魔物と口にしたのだ。

それが尋常な相手では無いことは理解したのだろう。

「その魔物というのは、下手をするとドラゴンよりも手強いのかね」

「ドラゴンは悪意をもって世界を蹂躙するようなことはありませんが、その魔物は違います。 明らかに悪意を持っており、世界を我が物に蹂躙します。 個々の能力はドラゴンほどではありませんが、数が多いんです」

「……そんな厄介な相手がいるとは、聞いた事もないが」

「あたしが王都に来たのは、それが理由です。 実は、現在世界中に、その魔物の危険が眠っています。 王都近辺にある遺跡を調べているのも、その魔物が目覚めて、好き放題に暴れるのを事前に防ぐためです」

まあフィルフサについての名前は出さないが。

これくらいの話はしておくべきだろう。

ヴォルカーさんは、青ざめる。

あたしは、タオとパティが話を聞いていないことを、周囲に魔力探知の網を張って確認しつつ。

声を落とした。

「パティがあたしをつけているのは、ヴォルカーさんの指示ですか?」

「……」

「タオの実力は知っていると思いますが、三年前の事件ではあたしとタオ、もう二人の戦士。 更にあたしの錬金術の師匠と、戦士としての師匠。 この六人と、他にも何人もの手練れの力を借りて、魔物と戦ってどうにか撃破に成功しました。 今の時点でこの魔物の同種の影は王都の周囲に存在はしていませんが、もし今後遺跡を調べて行くと、藪をつついてドラゴンが出てくるかも知れません」

「そうか、流石にパティの腕では君の探知を誤魔化せなかったか。 これでも王都で名が知れている魔術師に作らせた、隠行のための道具を身に付けさせていたのだがね」

大きくため息をつくヴォルカーさん。

未熟者めとぼやくのが聞こえてしまった。

パティは頑張り屋だが、未熟者だ。

それについては、多分パティが一番よく分かっている。

あたしは咳払いすると、続ける。

「あたしが逗留中に、タオが資料を調査して、あたしが遺跡を調査する予定です。 王都近辺にその魔物の気配がないことを確認してから、クーケン島に戻ろうと考えています」

「そうか。 私としては、その話を信用したいところだが、そんな魔物の話は聞いたこともないから、どうにもできないな」

「もう少し状況が進展したら話をさせていただきます。 いざという時は、ヴォルカーさんの支援が必要になると思います。 最悪の場合は、王都が一夜で滅びますので」

「それほどの相手か」

恐れを知らないだろうアーベルハイム卿が、明らかに青ざめている。

あたしとしても、もう少し王都にはマシな戦力がいるかと思っていたのだが。

想像以上に惰弱だったし。

これくらいは、危機感を持って貰わないとまずいのである。

「ええと、それでです。 提案なんですが、もうパティをあたしに預けて貰えないでしょうか」

「なんだと」

「このままだと、パティは単独であたしを大まじめに追跡監視すると思います」

「そうだな。 やめろといっても、タオ君の事もある」

それについては、認識が共通しているようで話が早い。

パティの可愛いやきもちが。

下手をすると、命を奪いかねないのだ。

「それなら、パティの実戦経験蓄積を兼ねて、あたしの調査に同行させませんか。 あたしとしても、王都の手練れの少なさにはかなり困っていまして。 昔の仲間は離散していて、今は手が足りないんです」

「危険な相手と言う事だが……」

「ですので、ヴォルカーさんに判断はお任せします」

む、と唸り。

腕組みをするヴォルカーさん。

まずは、近辺の未踏破の遺跡を探す。そういうと、なおさら考え込んだようだった。

一度、時間を取る。

この人でも、愛娘を死地に放り込むには覚悟がいるのだろう。

ましてやアーベルハイムには、パティしか子供がいないのだ。

しかもヴォルカーさんは、新しく再婚する気もないらしく。今更新しく子供を作るつもりはないらしい。

そうなってくると、真面目で責任感が強いパティに何かあったらと考えるのは当然だと思う。

あたしは根気強く待つ。

ヴォルカーさんがあたしを警戒しているのは分かっている

それはそうだろう。

王都の魔術師がポンコツの集団で。テクノロジーだってどんどん失われているのは知っていたが。

実際に目にしてみたら、惨状は想像の何倍も上だったのだ。

そんなところに来たあたしは、文字通り圧倒的侵略者に見えてもおかしくはない。

侵略なんかするつもりはないが。

警戒のために、パティを近づけておくのは当然だろう。

此方は、ある程度腹の内を明かした。

である以上、もっと優れた手練れの腹心をこっちに向けるか。

それとも。パティを思い切って公認スパイとするしかない。

紅茶を啜る。

すごく美味しい。技術が高いのだ。茶葉もいいのを使っているのだろう。

ただし、庶民の口に本来入る味じゃないのも分かる。

あたしが、薬や発破で貢献したから、というのもある。

ヴォルカーさんとしては、あたしに対して、筋を通しているというわけだ。

だからあたしも筋を通す。

やがて、ヴォルカーさんは嘆息していた。

「分かった。 ライザ君が嘘をついているとはとても思えない。 私の方から、堂々とパティに君の調査に同道するように、声を掛けておこう」

「お願いします」

「ただ、今生の別れをする気分だ。 ライザ君ほどの凄まじい手練れが意味もなく王都に来るとは思っていなかったが」

「……」

大げさな、と笑う事はできない。

ヴォルカーさんの気持ちは良く分かる。

気持ちで人の命を左右するようなことがあってはならない。弄んでもならない。

だからあたしは、三年前。

あの蝕みの女王を、徹底的に蹴り潰して殺した。

あいつは明らかに、自分が被害者だと思い込んで、理不尽な暴力を受けているという反応をしていた。

許せなかった。

あれだけの事を好き勝手にしておいて、そんな風に考える存在がいるなんて。

あの程度のクズなんて、人間の中にも幾らでもいるけれども。

蝕みの女王は人間と同等の悪意を持って、何万倍も力を強くした、文字通りどうしようもない害悪そのものだった。

だから、彼奴を蹴り殺した事に関して、あたしは一切後悔していない。

「今、王都の金属を調査しています」

「鉱石は色々あるだろう。 だが加工技術がどうにもな。 まだ魔物が出ていない鉱山もあるにはあるのだが……」

「はい。 そこであたしが、インゴットとそれから作った武器を納品させていただきます」

「ふむ」

これくらいは、ヴォルカーさんにも旨みがあった方が良いだろう。

というか、以前ヴォルカーさんに、タオの双剣はどこの業物だと聞かれたことがあったのだ。

これくらいの戦士になってくると、やはり凄い武器には興味を持つのが普通。

ゴルドテリオンによる装備は、やはり王都にもほぼ存在していないと見て良い。

「今使っている剣、見せていただいても良いですか」

「うむ、見てくれ」

貸して貰う。

ずっしりとした大きな剣だ。レントが使う大剣ほどではないが、使い込まれていて、刃もとても鋭い。

あたしも本職だ。

重さなどを量って、重心なども調べておく。

これで、多分再現は出来るだろう。

すぐに返して、メモを取っておく。

実は、インゴットだけ作って、剣は王都の職人に頼もうとも考えているのだが。

それについても、話しておくか。

「金属のインゴットはあたしが用意するとして、今後のために加工は職人に頼みましょうか」

「そうだな、それもいい。 私の剣を作った職人について紹介しておく。 出来上がったら、納品してくれるか」

「分かりました」

今日はここまでだ。

切り上げる事にする。

タオも勉強が終わったらしく、フィーと一緒に引き上げてくる。パティも、送りに出て来た。

あたしがヴォルカーさんと話しているのは分かっていたのだろう。

何を話していたのだろうと、少し不安そうにしているのが分かった。

「パティ」

「なんでしょうか」

「ちょっと重要な話をヴォルカーさんとしてきたよ。 今日、その話のことになると思う」

あたしが腹の内を晒した上。

パティについての動向をどうするか頼んだ。

それである以上、ヴォルカーさんが不義理を働くとは思わない。

もしも働かれた場合。

関係を切らせて貰う。

それだけの事だ。

王都の調査については、それはそれで面倒くさくなるが。それでもどうにかするしかないだろう。

最悪、農業区辺りにアトリエを作って、そこを拠点にやっていくしかないか。

賭けになるが、此方もヴォルカーさんを試しているのは同じだ。

あたしの目を見て明らかにパティが怯むのが分かった。

「ライザ、パティが怖がってる」

「フィー……」

「大丈夫だよ。 別に怒ってるわけじゃないから。 ただ、あたしも取引先として、アーベルハイム家を試している。 それだけだから」

パティの言葉を待たず、タオをつれて邸宅を出る。

さて、パティはどう動くか。

それ次第で、アーベルハイムとの関係を強化するか、それとも切るか。

判断しなければならなかった。

 

3、騎士の決断

 

パティはライザさんの目を見て、不覚にも怯んでしまった。

とんでもない使い手なのは知っていたけれど、あれはなんというか。今までに見た事がない、とても怖い目だ。

与太者の類は、お父様と一緒に何度も駆逐した。

人間とはいえない鬼畜外道に落ちた輩は、幾らでも見て来た。

別にそういうのは、修羅の世界でなくても現れる。

貴族院に来ている貴族の子弟なんかは、幼い内から家族の資産を巡っての争いに散々巻き込まれたり。

或いは謎の特権意識に足首を掴まれていたりで。

相手のことを人間だなんて思っていないような輩が幾らでも存在していた。

外で暴れる賊の類と同じだ。

人を殺す事を何とも思っていない目。

そんなものは見飽きてきた。

そのつもりだった。

だけれども、ライザさんのあの目。

あれはもっと深いもの。

多分だけれども、そんなものとは比べものにならない地獄を見て来たのではないのだろうか、あの人は。

今でも、身震いがする。

虫の羽音を聞くだけで背筋が凍るような精神のもろさなのだ。元々。

それについては、お父様に散々克服する努力をするようにと言われて来ているけれども。

それでも、まだまったく出来ていない。

溜息が漏れる。

メイドが来た。

王都にたくさんいる、同じ顔の一族だ。どうして同じ顔なのかはパティも知らない。ただこの一族が、とんでもなく優秀な事。

戦士としても、王都で五本の指に入るほど優れた者が何人もいることはパティも知っている。

どうして同じ顔なのかは分からないが。

敬意は払うようにはしていた。

「パトリツィア様。 アーベルハイム卿がお呼びです」

「はい。 すぐに行きます」

一礼すると、メイドがさがる。

深呼吸すると、お父様の執務室に行く。

これから、夜にかけてお父様は出かける筈だ。つまり、時間を採れないから、急ぎで話をするつもりなのだろう。

ライザさんに何か無理でもふっかけられたのか。

それとも、自身の失態によるものか。

パティは少しだけ逡巡すると、執務室の戸を開く。

お父様は、いつもらしくもなく。不安そうに腕組みして考え込んでいた。窓の外をじっと見ている。

その背中は大きいけれど。

どこか寂しいように思えた。

「お父様」

「パティ、ライザ君はお前の監視に気付いていたようだ」

「えっ……」

あんなに距離を取っていたのにか。

そうか。遺跡の中でも変な事をやっていた。ああいうときには、全て見られていたのかも知れない。

汗顔の至りとはこのことだ。

情けない。

これでも、アーベルハイムの代表として、ライザさんの監視を任されていたのに。任務を達成出来なかった。

「ただ、ライザ君はそれを怒ってはいなかった。 なんでもライザ君は、これから更に危険な遺跡に出向くと言う事でね」

「もっと危険な……どうして。 あの人は、一体何を考えているんですか」

「ライザ君は三年前に、強大な魔物と戦ったと言っている。 タオ君もその魔物と戦った一人だそうだ。 その魔物……ドラゴンすらも危険度で及ばない存在が、王都近辺にもいる可能性があるそうだ。 その調査に来たと言う事でな。 私としても、放置はしておけん」

「!」

強大な魔物。

あのライザさんが、そこまでいう程の相手か。

身震いする。

そして、お父様は咳払いしていた。

「パティ、お前が決めなさい。 ライザ君は、パティが同行するなら、それはそれでかまわないと言っていた。 タオ君の事も気になるだろう」

「ど、どうしてタオさんの事が気になるとかになるんですか!」

「はあ。 ともかく、一晩はあるから、じっくり考えなさい。 ライザ君は、恐らく対応次第ではアーベルハイムから距離を置く。 下手をすると、タオ君もな」

それは、困る。

文字通り血の気が引くのが分かる。

タオさんに対する思いの正体がなんなのかは、パティも分かっている。

自分が朴念仁で。

思考回路が野蛮人だと言う事も、何処かで理解は出来ているけれども。

それでもだ。

「判断は、任せる。 どの道、ライザ君は私も監視しなければならない。 あれほどの手練れ、あれほどの技術力、もしも王都をひっくり返そうと思えば簡単な筈だ。 それをしないのには理由がある。 それが人道的な理由であろうことは私も思うのだが。 それでももしも怒らせた場合には、理不尽な破滅が王都を覆うかも知れない」

お父様の立場では、それもそうなのだろう。

だからパティは。

俯くしか出来なかった。

「ライザ君の調査に同行するつもりなら、一戦一戦で見敵必殺の覚悟を持ちなさい。 実戦について、今できる事は全てしなさい。 そうしないと死ぬ事になるだろう」

「分かりました、お父様」

「私はこれからくだらん社交界に出てくる。 王は相変わらず王都周辺の魔物の駆除には興味がない。 私が戦士を育成して、街道の護りを固めるべきだと何度進言しても、全く興味を見せない。 だから今は、少しでも私の敵を減らすように動くしかないのだ」

お父様はお父様の戦いをしている。

パティは頷くと。

自分の戦いをすべく、自室に戻る。

ライザさんのあの目。

あの目は、覚悟を決めろというものだったのだ。

それは分かった。

そしてふるえも来る。

今まで、相手が興味を持っていないも同然だっただけで。とっくに見つかっていたというのは、恐怖だった。

手練れの魔術師になると、遠距離探知が出来ると聞いていた。

ただそれはあくまで探知の固有魔術を持っているような専門家の話だとも聞いていた。

ライザさんの専門は熱操作。

だとすると、ごく一般的な魔術である。魔術師の中には、水の煮沸を仕事にして、それで食べている人も多い。

それくらいに、珍しく無い魔術だ。

だが、ライザさんは熱の槍で鼬を一瞬で仕留めたりと、とんでもない技量まで魔術を磨き抜いている。

たかが二十歳でだ。

それに加えて錬金術である。

体術に関しても、多分王都で確実に勝てると言える騎士なんて、あまりいないだろう。強いていうなら、アーベルハイムにもいるあのメイドの一族の人間くらいだろうか。それでも、確実とは行かないはずだ。

何も頭が回らない。

一晩で、決断しなければならない。

ライザさんの所に行って、今まで監視していてすみませんでしたと頭を下げて。それで、一緒に危険な魔物とやらの調査をするか。

それとも、一度身を引いて。

タオさんとも、恐らく別れる事になるか。

左手首を。ぐっと右手で掴んで。それでしばらく唇を噛む。

震えが止まらない。

情けない左手首を、必死に握り続けた。

しばらくして、落ち着いて来たので。愛用の長刃を手に、裏庭に。お父様はとっくに社交界やらに出かけた後だ。

もうパティも何度か出かけたことがあり。

好きでもない男と踊ったことはあるが。

はっきりいってあんなものは茶番だ。

でてくる菓子も、美味よりも珍味が優先される。

結果として、酷い臭いが出ていたり。味も最悪だったりと。ろくな代物でもない。

夢を見る人間も多いかも知れないが。

あそこは全ての言動が政治になる伏魔殿であって。

誰もあんな所でたのしんで何ていないし。

誰も幸せに何てならないのだ。

しばらく、無心に素振りをする。メイドが来て。棒を手に取る。

幼い頃から、彼女の姿はまったく変わっていない。

師範を何人か頼んだのは、簡単な理由だ。

彼女が圧倒的過ぎて、今までのパティでは手も足も出なかったからだ。

「気晴らしのために、少しお相手いたします」

「承りました」

礼。

相手が使用人であっても、礼儀を欠かすな。

相手は同じ人間だ。

貴族は使用人を人間と見なしていないような連中もいるが。

使用人だろうが人間だし、そもそも貴族は別に他の人間に比べて優れている訳でもない。

だから、相手が年長者や部外者であるなら、必ず敬語をもって接しろ。

それがお父様の教えだ。

しばらく、無心に型稽古をする。メイドの彼女がやるのと、同じ動きをして、長刃を回す。

振る。

突く。

そして斬る。

全てに合理的な意味があり。

だからこそに、型稽古は重視される。

鞘に刃を収めて。

鞘から刃を滑らせて、加速して抜く。そして、返す刀で一気に相手を仕留めきる。

居合いと呼ばれる東方の技。

そして、居合いは速度だけは凄まじいが、装甲が厚い相手には決定打にはならない。居合いで動きを止めて、二太刀目でとどめを刺す。

それが居合いというものだ。

その後、パティも棒を手に取る。

しばらくは乱取りと呼ばれる、対戦型の稽古をする。同じ得物での稽古は久しぶりである。

「刃が乱れておいでですね。 腰をもう少し入れましょう」

「分かっています」

「今日のライザリンさまとの話でなにかあったのですね。 私はそれを聞く立場でないので、それについて何かをいうつもりはありません。 ただ、命が掛かっているような事であることは分かります。 最悪の場合は、私が代わりにライザリンさまの所に出向いて、一緒に仕事をいたしましょう」

「それは困ります」

この人は。

お母様の事を殆ど覚えていないパティにとって、実質的な母も同じなのだ。

そんな人を、代理に出せない。

お父様は、お母様がいなくなってから。代わりの女を見繕うようなことをせず。ずっとお母様への愛を貫いている。

それはとても立派だけれども。

残念だけれども、それを女として尊敬できても。

子供として、今いない、記憶にもない人を、お母様と認識するのは無理だ。

いつの間にか、パティはこの人の事を、何処かでお母様として認識するようになっていた。

勿論それを、誰かにいうつもりは一切ない。

特に貴族にでも知られたら、それこそ致命的なスキャンダルになりかねないからだ。

アーベルハイムが単に気に入らなくて。

引きずり降ろしてやりたいと考えているアホ貴族は幾らでもいる。

アーベルハイムが街道周辺の警備をどれだけやっているか分かっていないし。魔物の恐ろしさも理解していない。

そんな連中に、隙を見せるわけにはいかないのだ。

パンと、鋭い音とともに棒を叩き落とされる。

手が痛むが、メイドは容赦してくれない。

もう一本。

そう言われて。棒を手に取る。

現状の乱取りでの戦績は、200回やって1回一本とれれば良い方、くらいである。

それくらい、力に差があるのだ。

ましてや、今日くらい心が乱れていれば。

勝てるものも勝てない。

何度も棒を叩き落とされる。

やがて、体力の限界が来て、立てなくなる。メイドが棒をおくと、手をさしのべて来た。

「夕食にいたしましょう」

「はい。 稽古有難うございます」

「アーベルハイム卿は、今日は外泊の予定だそうにございます」

「わかりました」

幼い頃は、寂しくて随分とベッドに涙を吸わせたっけ。

今日は、無言で夕食にした後、考え込む。

やがて。決める。

未熟だ。

力だって弱い。まだとてもではないけれども、ライザさんと勝負の土俵に立つどころじゃあない。

だけれども、パティはタオさんの側にいたい。

それに、ライザさんの事だって嫌いじゃない。

側で、いろいろ見たい。

あの人ほどの力の持ち主の側にいれば、きっと良い影響を受けられる。それは怖い目をしている事も時々あるけれども。

パティは今後、伏魔殿で金の事しか考えていないようなゴミカス以下と、やりあっていかなければならないのだ。

王都を守るためにも。

そのためには、今後貴族なんて鼻で笑えるくらいの度胸が必要になる。

実戦経験もだ。

エンチャントを色々と用いて、自身を強化しているパティは、鍛え方が足りないその辺に幾らでもいる男性戦士程度だったら苦戦する事はない。

それでも、魔物と戦うと力不足が目立つのもまた事実なのだ。

だから、しっかり心も体も。

此処で鍛え直さなければならなかった。

 

早朝。

ライザが借りている部屋の外。七階建ての建物の前で、朝のルーチン。体操、瞑想。その後伸びをしていると、パティが来る。

早朝にもう来たか。

フィーが大喜びしている。

フィーもパティが好きなのだろう。

「おはようパティ。 随分朝早いね」

「はい。 少しでも早く言いたかったことがありますので」

大股で歩いて来たパティは。

いきなり。ツインテールに結っている髪が。ひょこんと跳び上がるほどの勢いで、頭をあたしに下げていた。

「今まで、影から監視していてすみませんでした」

「それはいいよ。 今までは危険な場所には足を運んでいなかったしね」

「今後は、危険な場所に行くんですね」

「そうなるね。 あたしの友達にも声を掛けているんだけれども、中々人が集まらなくて困ってる」

パティは、胸に手を当てると。

良い意味で貴族らしい、びしっとした動作で言うのだった。

「それならば、私も連れて行ってください。 現役の騎士くらいの仕事は、なんとかしてみせます」

「騎士程度では足りないかもしれないよ」

「頑張ってついていきます!」

「真面目だと思っていたけど、想像以上だね。 分かった。 それじゃあ、今後は影からじゃなくて、堂々とあたしを監視していなさい」

口をへの字に引き結んだパティは。

もう一度、よろしくお願いしますといった。

そして、一度アーベルハイム邸に戻っていく。

なんとも元気で、活力に溢れているなあと思う。

クーケン島に生まれていたら、多分悪ガキ軍団に後から加入したのかも知れない。怖がって泣いているのを側で見ただろうか。そう思うと、ちょっと邪悪な笑いが漏れてくる。

「フィー! フィーフィー!」

「パティね、これから一緒に冒険するって」

「フィー!」

嬉しそうに飛び回るフィー。

今の所、体調は良さそうだ。

卵から孵って僅か数日。

フィーは、充分に現時点では元気である。あくまで、現時点では。

アトリエに戻ると、朝の内に調合を幾つかしておく。トラベルボトルに戻って入手しておいた鉱石を、エーテルで分解。

要素を取りだして、インゴットにしていく。

パティはそれなりに良い剣を持っていたが。

まずは、インゴットからだ。

幾つか、種類ごとに分けて作っておく。

職人区に後で持っていって、様子を確認する事になるだろう。

パティが来たと言う事は、もう許可は下りているはず。或いは、パティに決断をヴォルカーさんがゆだねたのかも知れない。

だとすると、随分と優しいお父さんだ。

うちの両親なんて、錬金術やりたいってあたしに対して散々反対したし。

なんなら成果物を見せても、稼いでも。

それでもまだ認めてくれないというのに。

羨ましいなあ。

そんな事を思いながら、試験用のインゴットを幾つか作っておく。ゴルドテリオンはインゴット一つだけ。

他はブロンズアイゼン、クリミネアばかり。

これらは職人の腕を試すための試験用。

ゴルドテリオンは、パティの剣を作る為のものだ。

パティも良い剣を使っているが、それだけだと多分足りなくなるだろうと思っている。今のうちに、準備だけはしておくのだ。

タオとボオスが来る。

ボオスはまだ辛そうだな。

栄養剤を飲んでいるか、開口一番に聞くが。

飲んでいると、だるそうに答えられた。

本当にだるいのだろうから、あまり無理を強いることも出来ない。

先に、話をしておく。

「次の探索から、パティが同行するから、そのつもりで」

「ほう?」

「えっ……」

「タオ、気付いていなかった? ずっとパティ、影から隠れて此方をついてきていたんだよ」

タオが愕然とする。

珍しく怒っているのが分かる。

ボオスが。咳払いしていた。

「タオ、落ち着け。 お前なら分かるだろうが、アーベルハイム卿の立場から考えれば当然だ。 今のライザの実力は、この狭い王都なんて、その気になれば一日で血の海に出来るんだぞ」

「それは分かっているけれど」

「いや、出来ないとはいわないけど、ボオス、もうちょっとなんというか」

まあ、それで伝わるから良いけど。

咳払いすると、順番に伝える。

パティはあくまでアーベルハイム卿の指示で、あたしらを監視していたこと。

勿論パティの本音としては、タオがあたしと一緒にいる事にやきもちだったのもあるのだろうけれども。

ただ、あたしに対してもパティは強く興味を持っていて。

前に一緒に歩いているときに、劣等感を口にした事がある。

実際問題、客観的な視点を持っていれば。王都が如何に危うい場所で。こんなどうでもいい井戸の底で偉そうに振る舞っている貴族がどんだけどうでもいい連中か何て、即座に分かる。

そんな連中と渡り合う為に、何もかも自分を律している自分が、色々と歯がゆかったのだろう。

「というわけで、タオ。 パティはあくまでお仕事で監視をしていたのだから、怒ったりはしないようにね」

「ライザ、それでいいのかい?」

「勿論いいよ。 実の所、王都でこんなまともな貴族と出会えるとは最初は思っていなかったし。 ヴォルカーさん、人間として筋をしっかり通すし、自分がやるべき事も理解しているし、他の貴族なんか全部処分してもいいけど、この人は残さないとまずいんじゃないかなと思う」

「相変わらず過激だな……」

ボオスが呆れた。

勿論あたしも半分は冗談で言っている。

半分は。

タオが咳払いした。

「分かった。 とにかく、本題に移ろう」

「やっとか」

「昨日のうちに調査を進めて、まだ未踏破の遺跡の内、要塞のような造りをしているものについて、他にもある事が分かってきたんだ」

「そうだろうな」

ボオスも、たくさんこの辺りに遺跡があることは知っている。

これはまあ、当然の反応であるだろう。

「ただ問題があってね。 具体的な場所がどれも分からない」

「なんでだ。 遺跡は散々あるじゃねえか」

「文字通りの意味だよ。 遺跡の中には、密林なんかに埋もれてしまうものも珍しく無いんだ。 王都の周辺だって、東西の街道くらいしかまともな人間の生存圏はない。 数百年で人跡未踏の場所になるのは、不思議ではないよ」

それだけではない、とタオは言う。

どうもこの近辺、地形などの点でおかしい事が見受けられるのだとか。

地形、か。

詳しく話を聞かせて貰う。

「例えばだけれど、街道から北に少し行くだけで、砂漠地帯が拡がっているんだ」

「ああ、聞いているぜ。 ドラゴンの目撃例もある危険地帯らしいな」

「そうなんだよ。 だけれどもね、周囲の川の位置とかから考えて、本来は砂漠なんかになる筈がないんだ」

おかしな事は他にも幾つもあるそうだ。

川などに関しても、どうも流れに人の手が加わった節があるという。

街道の北に流れている何本かの川にその形跡が見られ。途中にある湖にも、同じようなおかしな点があるという。

「いわゆる運河って奴か」

「運河?」

「人間がアーミーを作れるくらい数がいた時代に存在した構造体だよ。 水運のために、文字通り川を作ったりしたんだ。 今では歴史に名前が出てくるくらいで、魔物の脅威にさらされながらそんな事を出来る都市なんてどこにもない。 ここロテスヴァッサも例外ではないよ」

それもあるからか、一部の貴族はこの運河を歴史の闇に葬ろうとしている節があるという。

自分達が大した存在では無いと気付かれたくないのだろう。

ぶっちゃけ無駄だ。

誰も貴族なんか、今は尊敬なんかしていない。ヴォルカーさんみたいな例外はともかくである。

とにかくだ。

この辺りの地形では、本来の常識ではありえないものがあっても不思議では無いと考えて良さそうだ。

あたしもそれは、先に理解しておく。

「それで、どうするんだ北の渓谷とやらは」

「一応、調べられるだけの資料は集めて調べてきた。 とはいっても、道中にワイバーンが出る事もあって、討伐隊がたまに遠征するくらいみたいだね。 その討伐隊も、途中で被害を出す前に引き上げるから、及び腰で地図なんてとてもとても」

「冒険者とやらは何をやってるの?」

「無茶を言うなよ。 王都の周りを見ればお察しだろ」

あたしのちょっと残酷なものいいに。

呆れて、ボオスが苦言を呈するのだった。

まあそれもそうか。

或いはこの世界が、別の世界だったら。まあ無意味な前提だけれども。腕利きの冒険者とかがいて。

ワイバーンくらいならさくさく蹴散らして、街道の奧へいけるのかも知れないが。

残念ながらこの世界はそうじゃない。

他にも幾つかの打ち合わせを軽くしてから、解散。

出るのは、明日の朝だ。

パティには、今日タオから連絡してくれるという。

それならば、あたしは。

今日の内に、やるべき事を幾つかやっておくとしよう。

パティのために、道具類を幾つか作っておく。

元々外で戦える装備はある程度持っているが、此処からは「ある程度」ではまずい。

近場で仕留めた魔物なんかの素材を惜しみなく投入して、エーテルで要素を抽出。分解して、装備の材料にしていく。

今までもクーケン島で、護り手に色々納品していたこともある。

体に強化をかけるための装備。

エンチャント系の魔術よりもずっと倍率が高いものは。

既に作れるようになっている。

パティはかなり歩き慣れている筈だが、それでもヒールだの何だのは問題外だ。それについては、本人も理解はしているだろう。

ただ、用意してきた外征用の靴でもちょっと厳しいかも知れない。

サイズをある程度調整出来る靴を用意しておく。

それに手袋だ。

戦闘時、手のひらや皮が傷つくと、想像以上にダメージが出る。

手袋があるのは、お洒落のためではない。

あたしのように蹴り技を切り札にしていて、打撃用に杖をたまに使うくらいだったら兎も角。

パティはあの長い片刃剣を用いて戦っているとなると。

それは、手袋が必須になる。これもてきぱきと作る。

フィーが釜で作られる装飾品をじっと見ている。

やがて靴が仕上がると、フィーは自分の事のように喜んで飛び回る。

まあかなり知能が高いようだし、分かっているのだろう。

これがパティのためのものだと。

かなり無骨な靴だが、それでも野山をしゃれた靴で行って、ボロボロにしたり。足をボロボロにしたりするよりはマシだ。

更に手袋も。

これもしゃれっ気よりも実用性を重視する。

実際に作った後、嵌めて確認。

握力の強化も出来るし、何よりも力そのものをかなりパワーアップすることが出来る。これが大きい。

パティはガタイの割りには鍛えているようだが、それでもどうしても固有魔術がエンチャントだと限界がある。

固有魔術が身体強化だったらこれはあまり必要なかったかも知れない。

だが、パティは使う刃物を強化しているので、どうしても自身の能力を地力で高めなければならない。身体強化魔術も併用で使っているかも知れないが、魔力量から見て、はっきりいって大した倍率は掛けられていない。

その自己鍛錬を怠っているとは思わないが。

やっぱりお嬢様相応だ。

だから、これをつけてもらう。

そうしないと、危なくてワイバーンが平気で飛んでいるような場所には連れて行けないのである。

しかも下手をするとクライミングをするような場所だ。

パティを死なせたりしたら、あたしもヴォルカーさんに顔向けができない。

装備を幾つか作って、次だ。

フィーとともに、バレンツ商会に出向く。

そして、何人か、腕利きの鍛冶師を教えて貰った。

インゴットを納入するのも済ませておく。これは事前に決めている納入を、こっちでも出来るか試すため。

実は既に前倒しで納入は済ませてあるのだけれども。

こうやって、不測の事態に備えておくのだ。

勿論クラウディアについても確認する。

レントも。

二人とも、まだ此方には来られないらしい。そうかと、あたしは肩を落とす他なかった。

ともかく今は、やれることを順番にやっていくしかない。

何もかもが珍しくて、目を輝かせているフィーに促して、先に行く。

鍛冶師の工房は、それはそれで危ない場所だ。

先に注意は、促しておかなければならなかった。

 

4、テクノロジーがやせ細る

 

工業区に出向く。

そもそももう少し実績を積んだら、或いはクラウディアが来たら。

駄目になりかけている王都の機械を見せてもらうつもりだった。

工業区や職人区には、そういうものがいくらでもある。

それは、三年前の時点で。

王都を知っているクラウディアに、既に聞かされていた。

あたしが歩いていると、見える。

さび付いている巨大な歯車。

何を回しているのか知らないが、明らかに耐用年数を超えて動かしている。調整も出来ていない。

古代クリント王国の時代。

あの時代のクズ錬金術師どもが、当時の王族に取り入ることが出来た理由の一つがこれである。

いわゆる神代の頃から、人間のテクノロジーは進歩出来なかった。

神代の頃に何があったのかは分からないが。

いずれにしても、古代クリント王国にまとまるまで、人間の世界は何度も破綻を繰り返し。

やがて、テクノロジーだけが奇形的に。それも、一部でだけ残った。そんなものを継承できる筈もなく、今では機械だけが残り。誰も直せないものとなって、今でも使われ続けている。

機械の残骸は、遺跡で良く見つかるらしいが。

基本的に今では、捨て置かれるのが普通だそうだ。

理由は、どうにもできないから。

部品を外して持ち帰るとかしても、そもそも機械が何をするものなのかも誰にも分からないし。

そもそも部品を交換することすら出来ない。

今、富裕層や商人が来ているスーツなども、既に作る為の機械が限界近いという話は聞いている。

これがなくなったら、一世代の内にスーツはなくなるだろうと言う事も。

他にも、ロストテクノロジーによって作られ。

だましだまし動いている機械はいくらでもある。

第二都市のサルドニカなどは更に酷い有様だそうで。

「錆の街」なんて言われているそうだ。

結果として、人間は必死にテクノロジーを復旧しようとしているが。どうにも出来ていない。

既に辺境では人間は原始的な生活に戻りつつあり。

そういった場所では、魔物の襲撃に為す術もなく。街を放棄したり。村ごと皆殺しにされたり。

そんなことが珍しくもないのだった。

フードを被った人とすれ違う。

はて。

今の人、異界オーリムの民である、オーレン族に似ていたような気がするが。

見たのはすれ違った一瞬だけだったし、何よりフードを被っていたので確認できなかった。魔力も極小に抑え込んでいたようだ。

いずれにしても、もしもまだオーレン族がいるとしたら、声を掛けておきたかった。

彼等彼女らは人間の何十倍の寿命を持ち。

例外なく手練れだ。

それに、此方の世界に来ているということは、何かしらの理由があると言う事である。

リラさんもそうだった。

もしも力になれるのなら、優先的に手を掛けたい。

「フィー?」

「なんでもない。 いこう」

「フィー!」

「いい、あたしが危ないと判断したら言うからね。 すぐに懐に隠れるようにね」

頷くフィー。

頭が良いので、しっかり言葉は理解出来ている。

だからこそ危険なのだ。

幼い頃は、どんな魔物だって愛くるしい。ましてや頭が良いとなると、成長してからどれだけ危険な存在になるか、知れたものではないのだから。

フィーはどうなのだろう。

鳥に近い骨格をしているという話だが。

ドラゴンに近いかも知れないと、タオは言っていた。

ドラゴンの幼生体とはあまり姿は似ていないが。

ドラゴンについては、人間はあまりにも知識が少なすぎるのだ。

だから、これについては。

なんとも言えなかった。

バレンツ商会で贔屓にしている店に出向く。ちなみに、此処がヴォルカーさんが紹介してくれた店でもある。

鍛冶屋としてはしゃれていて。

中にいたのは、いわゆる細めに見える筋肉質の男性だった。比較的甘いマスクだが、そんなんはどうでもいい。

紹介状を見せると。

まだ若い鍛冶師は、驚いていた。

「君があの……」

「はい?」

「いや、バレンツ商会から、三年前から急激に良いインゴットが来るようになって、それで幾つも武器を打ったんだ。 まさか君が作り主だったのか」

「ありがとうございます。 こんな所で縁があったなんて」

苦笑い。

そうか、バレンツ商会に納品していたインゴットは、王都に回り回って届いていたのか。

作った武器を見せてもらう。

これは悪くは無い出来だ。

あたしも武器には慣れている。

一つ、大きめの刃を持たせて貰う。

うん、良い感触。

幾つも武器を作ってきたから分かる。これは業物と呼べる代物だと見て良い。

「良い腕ですね」

「此方こそ。 君の作るインゴットにはいつも感心させられる。 武器に打ち直すのがほしいほどだ」

軽く話してから、本題に入る。

アーベルハイムに納入した武器を作った事があるかと。

さっと、真面目な表情になる男性デニス。

そして、声を落としていた。

「紹介状を見ると、アーベルハイム卿と今は提携しているようだね。 だったら、話しても構わないか」

「どうしたんですか、急に」

「貴族相手の仕事をする場合、基本的に華美な装飾を優先した武器や鎧を打つことが多いんだ。 だけれども、アーベルハイム卿が求めてくるのは、いわゆる人斬り包丁でね」

なるほどねえ。

ちなみに人斬り包丁というのは、見かけよりも殺傷力を優先した刃物の事である。

多分アーベルハイム卿の剣や、それにパティの長刃がそれに当たるのだろう。

「このインゴット、加工できますか」

「ふむ……これは!」

渡したのはゴルドテリオンのインゴットだ。

滅多に流通しないと聞いている。

今からこれを加工して、明日に間に合わせるのは厳しいか。そう思ったが、すぐに加工すると言い出すデニスさん。

でも、徹夜にならないか。

デニスさんの所に来たのは、機械関係の技術復興について、調べるためだ。

王都にある全ての機械を修復するつもりは無い。

例えばスーツなんかを作る機械は修復しようと思っている。そんなもん、パーツを見ればどうにでもなる。

古代クリント王国のカス錬金術師どもにも出来たのだ。

あたしなら出来るという自負がある。

今の、頭が鈍っている状態でもだ。

ただ、あたしがいなくなった後はどうなるか。

これは死んだ後、という意味ではない。

王都を離れた後、すぐに部品が作れないようになっては意味がないのだ。

今、一応王都の職人の間では、ロストテクノロジー解析の動きがあって。技術力のコンテストが開かれているらしい。

デニスさんはその中でも毎回良い成績に食い込んでいる腕利きらしく。

バレンツ商会でも取引をしているし。

ヴォルカーさんが、自身やパティのために人斬り包丁を注文しているという訳だ。

そういう人と、コネを作れれば良い。

そう思っていたのだが。意外と、いい所までやれるかも知れない。

「何に加工するんだい」

「以前、パトリツィア=アーベルハイム令嬢の長刃を打ちませんでしたか」

「ああ、打ったよ。 あれは大太刀という、東方に伝わる「カタナ」と呼ばれる武器の一種でね。 何重にも折り返して、それで作りあげる芸術的な刃なんだ。 それでいて切れ味も両立しているのだから、まさに芸術と強さを共存させている武器だよ」

「あー、それは分かりました。 明日の朝までに、打てますか?」

目の色を変えていたデニスさんは、打てると言う。

料金はそこそこに要求されたが、まあこれは出世払いだ。

気前よく払う。

三年で貯めていたお金がどんどこすっ飛んでいくが。

これはもう、仕方がない出費だ。

それに、カフェでお薬などを納品すると、とんでもない稼ぎになる。

今の時点で、資金が尽きる恐れはない。

金は使えるときにはばーんと使うべきだ。

「分かった。 最優先で打つよ。 というか、こんな凄いインゴットに触れるなんて、夢みたいだ。 料金は必要だから貰うけれど、ただでやりたいくらいだよ」

「実は今、これを越えるインゴットを模索しています」

「えっ……!?」

「ただ材料が手に入らなくて。 紹介を受けていることもあって、技術力を見せてもらうという事もあります。 明日の朝、結果を見せてくださいね」

まるで子供みたいに目を輝かせるデニスさん。うんうんと頷く。

そして、早速諸肌を脱ぐと、遮光グラスをつけて、インゴットを打ち始めた。

凄まじい集中力で、あっと言う間に仕事モードに入り。

周囲が一切見えなくなる。

防犯とか、大丈夫なのかこの店。

そう思って、呆れながら一度店を出た。

もうあれは、何も聞こえていないと見た。

タオと同じ人種だ。

タオも本に没頭していると、ああいう状態になる。そうなると、元に戻すのに随分と苦労したっけ。

ちょっと無理を頼んでしまったが、それでも投資してみる意味はある。

それに駄目だったとしても、早めに見切りをつけられる。

そういう意味で、行動した意味はあると言えた。

さて、明日まで、やるべき事はやっておこう。

まずはアトリエに戻る。

「フィー、もういいよ」

「フィー!」

「さて、デニスさん。 腕が確かだといいんだけど」

「フィー! フィー!」

きっと大丈夫。

フィーは、そう言っているようだった。

 

(続)