卵が孵る
序、遺跡へ向かう
王都の東門でタオと待ち合わせ。タオは気付いていない様子だが、やっぱりパティは隠れて此方を伺っている。
戦闘経験はあるといっても、隠行はまだ未熟だな。
音魔術の使い手であるクラウディアだったら即座に気付くレベルだし。
あたしでも気付いている。
三年前だったら、多分タオも気付けていただろう。
タオは腕は上げているけれども。
平時が平穏になりすぎた。
ある程度鈍っているから、鍛え直さないと駄目だろう。
ただそれは、あたしも同じだ。
どうにもやっぱり頭の働きが鈍い。
三年前のような鋭い閃きがどうしても来ない。
そうなると、やはり今のうちに、しっかり取り戻しておかないと危ない。
街道を歩きながら、説明を受ける。
「王都近辺には、手つかず状態の遺跡がいくつもあるんだ。 何しろ手つかずだから、学者達もああだこうだと好きかって言っていてね。 やっぱり調査をするなら、一次資料だって言っている学者もいるんだけれども、調査だけで命がけだから、みんな尻込みしていてさ」
「まあ、戦士達の質を考えると仕方が無いんじゃないのかな」
「違いないね。 森を抜けてその先に遺跡が一つある。 前に僕が偵察した所では、殆ど大した魔物は……僕達基準ではいないけれど、妙な壁があってさ」
「ふうん。 とりあえず、今日は其処を調査する感じで良いんだね」
いずれにしても、手数が足りない。
一応レントには、バレンツ商会経由で手紙は出してある。
王都に来ているから、来てくれと。
クラウディアは忙しいようで、まだ返事がない。
リラさんとアンペルさんは消息不明。
ボオスはまだ鍛錬の途中。
そうなってくると、近場で傭兵でも雇うしかないかも知れない。
ただ、あたし達に比肩する実力者があんまりいない事は、昨日今日王都を歩いて見て、良く理解出来た。
あの分厚い城壁のせいで、王都の人間は自分が安全な場所にいると思い込んでいる。
この近くは遺跡だらけ。
もしも遺跡の中に生きている門が一つでもあったら。
それこそフィルフサに蹂躙されて、一瞬で王都の城壁は喰い破られ住民は食い尽くされてしまうだろうに。
古代クリント王国が滅亡した経緯を、どうして記録に残さなかったのか。
三年前のタオですら簡単に読み解けたくらいに、フィルフサの事は石碑や記録に残っていたのである。
あれだけしか記録がないとは考えにくい。
アンペルさんが破棄したのもあるだろうけれども。それ以外にもフィルフサやオーリムの記録はあったはずだ。
一体どうして、王都の連中はこうも危機感がないのか。
ともかく、あたし達で出来る事はやるしかない。
そういえば。
あのクリフォードさんという人、良い腕をしていたな。
もしも道が交わることがあるのなら、声を掛けたいところだが。
街道を外れて、北に。
森にさしかかる。
一応、単騎でいける程度の腕は多分パティにはあるから、そこまでは心配はしていないのだが。
ただ単騎でいると、どうしても細かいミスで死に直結する確率が激増する。
最悪の場合は、助けないといけないだろう。
数少ないまともな貴族だ。
死なせるのは、この井戸に等しい王都にとって、大きな損失になるのだから。
魔物は時々姿を見せるが、あたしがにっこり笑って見せると、すくみ上がって逃げ散っていく。
ただしこれは、この辺りの森で掃討作戦が行われているからだろう。
若い魔物ばかりだ。
ただ。遺跡という奴の方からは、どうにも嫌な気配がする。
ともかく、急ぐ。
途中、川があって、綺麗なせせらぎがあった。
この辺りは、丁寧に調べて見たいものである。
いずれにしても、こういう人間の生存圏でない場所で喋るのは避けた方が良い。
ハンドサインでタオと連携を取りながら。
邪魔そうな魔物は仕留めつつ、奧へ行く。
森は鬱蒼としていて。
人間を完全に拒むようだが。
ある一点で、急に開けていた。
巨大な街の残骸だ。
これが、遺跡か。
タオが顔を上げていた。
「ライザ、護衛を頼む。 周囲を調べるよ」
「分かった。 それはそうと、タオ、感覚が鈍ってるね」
「? まあ、仕事以外で戦闘はしていないけれど……」
「駄目だよ、もう少し感覚研がないと。 気付いてるかも知れないけど、あたし少し調子が悪いから、補助がほしいんだよねえ」
小首を傾げるタオ。
ともかく、調査を始める。
タオは入り込むと、周りが一切見えなくなる。これはずっと前から変わっていない。今もだ。
ぶつぶつ呟きながら、メモを取り始めるタオ。
建物は規則的に並んでいて、殆ど植物も周囲に生えていない。あたしも調べて見るが、床部分の石畳は、非常に強力に組み合わされている。
なんだこの石畳。
「タオ、これって……」
「少し触ってみただけで分かったけれど、これ古代クリント王国よりも古い様式だ」
「……」
そうなると。
門がある可能性は、あまり高くないか。
だが、どうにも近辺で嫌な気配がビリビリするのだが。
そもそも古代クリント王国の遺跡だけに門があるとは限らない。固定観念は危険だろう。
そういえば、例の変な宝石、持って来ている。
こればっかりは、一応手元に置いておこうと思ったのだ。
タオがよく分からないと言っていたけれども。それでも、値打ちものの可能性がある。
アトリエには防爆の結界と、魔術での鍵を掛けてあるが。
それでも、悪事を働くとき、人間の頭が一番働く事をあたしも知っている。
王都にはそれほど凄い使い手はいない事は分かってはいるのだが。
どんな手で、中に入られるか分かったものではない。
だから、値打ちものの……国宝に近い価値があるのだとすれば。
身に付けておいた方が安全だと判断したのだ。
熱魔術で、熱槍を作り出し。此方を伺っていた魔物。小型の鼬だが。容赦なく熱槍を叩き付ける。
悲鳴を上げて逃げ散る鼬。
まだそれほど年を経ていない個体だ。
遺跡の浅い場所だからだろうか。魔物も、それほど大した奴はいない。そのわりには、この気配はおかしいのだが。
なんだろう。
巨大なドラゴンが、すぐ側で寝ているような、そんな違和感。それがずっと消えてくれない。
「ライザ、ぴりぴりしてない?」
「うーん、なんだか感覚が鈍いんだよね、ずっと」
「急激に成長しすぎたからじゃないのかな。 ライザってあの三年前の夏で、魔力が十倍くらいは成長したよね」
「その反動かな。 だとすればいいんだけど。 今も、この辺り雑魚しかいないのに、なんか妙な感じなんだよね……」
タオが淡々と調査を進めていく。
遺跡は別に迷路じみて複雑な訳ではなく、少なくとも外から見渡すことも出来る。何なら、トレジャーハンターだのが入った形跡もある。
金目のものは残っていない。
王都の警備をやっている連中よりは、一応出来ると言う事なのだろう。ただ、それでも此処で殺されて。
魔物の腹に収まってしまった人だっているかも知れない。
油断は、しない方が良いだろう。
「感応夢とかはまだ見る?」
「……そういえば最近はさっぱり見ないね」
「やっぱり急激に強くなったひずみじゃないのかな。 成長期にもの凄く伸びた人間が、その後振るわないって例が此処でも報告されているらしいよ」
「へえ……」
周囲の警戒を続ける。
タオが、壁を何度か叩いている。
空はすっかり開いてしまっている遺跡だが。雨風に晒されているというのにもかかわらず、壁が崩れている様子もない。
最近の人間が作った煉瓦とかだと、普通に雑草が煉瓦から生えてくる、なんて事もあるのだが。
それは起きそうにもない。
ただ、この辺りは戦闘の痕跡があって。
破壊された石畳は、土が剥き出しになっていて。
其処からは、流石に雑草が生えていた。
「なんだかうねうね曲がっている遺跡だね、これ」
「何かしらの通路だったのかも知れない。 それとも、侵攻を遅らせるための仕組みだとか」
「要塞って奴?」
「うん。 この辺りにはそういう構造が珍しくもないんだ。 侵攻を遅らせるという事は、何かの施設だったって事だよ。 調べる意味はあると思う」
まあ、理屈は理にかなっている。
調べているが。
パティ、ちょっと気を付けないと危ないぞ。
内心でぼやく。
必死にこっちを覗き込んでいるからか、たまにツインテールの片側が丸見えになったりしている。
気配も消し切れていない。
来る途中にいた魔物は全部蹴散らしているから襲われてはいないが。
それでも、あの様子だと。
もっと危険度が高い遺跡だったら、魔物に襲われていても不思議では無いだろう。
「この壁、向こう側があると思う」
「あたしが見てこようか」
「そうだね、お願いするよ」
頷くと、足に魔力を集中。
跳躍していた。
壁はあたしの背丈の四倍くらいはあるが。
その程度跳躍するのは、別に今だったら難しくもない。
跳躍して、手をかざして様子を見る。
なるほど。
確かに壁の向こうに小部屋がある。小部屋の中には、巨大な結晶体があって。何かの実験をしていたのかも知れない。
着地。タオが、感心していた。
「相変わらず凄い脚力だね」
「魔力の操作が上手だといいなさい。 読み通り、向こうに部屋発見。 壁を乗り越えて侵入する?」
「いや、多分此処からいける」
タオが、足下を示す。
隙間みたいなのがある。
なるほど、いきなり此処から入るのは危険と判断したからか。
頷くと、タオは一人でまずは奧に。
しばらくして、何かを砕く音がした。あたしは周囲を警戒。強い魔力が、部屋だった場所から漏れている。
程なくタオが戻って来た。
ポーチにたくさん入れているのは、魔石だ。
魔力というのは結晶化することがある。それを魔石という。
地方によって色々と形状が違ってきたり、色が違ってきたりするのだが。
それは大気中に満ちている魔力の影響を受けるとか。その地方にいる人間の魔力を吸収するからだ、とか言われている。
クーケン島にも魔石は転がっていて、採掘しても減る様子もなかった。
魔石は魔力の塊なので、色々と扱える。
錬金術でも使えるものなので、回収しておいて損は無いだろう。
「ライザが見たって結晶は、典型的な魔石だね。 ちょっと何往復かして、全部砕いてしまうよ」
「結構大きめだったけど」
「内部に何かあるっぽいんだ。 大丈夫、砕くための道具はもってきてる」
「分かった、じゃあ此処で警戒を続けているよ。 部屋の中での自衛は出来るね」
大丈夫、と応じて来るタオ。
まあ、流石にこの周囲に感じる気配なら、大丈夫か。
パティはずっと飽きもせずこっちを伺っている。
タオとあたしが親しそうに話しているのが気になる、という所か。
まさかのけ者にされているとか、そんな子供みたいな理由でもないだろうし。いずれにしても、声を掛けてしまっても良いのだけれども。
まあ、そこまではしなくても良いだろう。
魔石を掴んで、一応確認して見る。
魔力の密度は高めだ。
この辺りは、見つかる素材の品質からも、大して魔力は濃くないと思っていたのだけれども。
それは王都から、少し離れると話が違うのかも知れない。
以前アンペルさんに教わった龍脈が近くにあってもおかしくはない。
もしそんなものがあったら。
其処を根城にして、ドラゴンなどの大物がいる可能性もある。
ただでさえ、ここに来る途中に、小物では無いバシリスクに遭遇しているのだ。だとすれば、王都近辺に龍脈がないとは言い切れないだろう。
タオが何往復かして、魔石を引っ張り出してくる。
背が伸びても横には拡がらなかったタオは、女子に受けそうなスリムな体型である。筋肉もあるにはあるのだろうが、それでもこういう場所には入りやすいのだろう。
何往復かする内に、荷車に大量の魔石が積まれた。魔力が結構強くて、魔物が寄って来そうである。
ほどなくして、タオが戻ってくる。
「これが魔石の核になっていたよ」
「なんだろこれ」
「……解析しないと分からないかな。 後、これも」
これは、メモ帳か。
魔石の核になっていたのは、多分この良くわからないものだろう。貝のような形状をしていて、ぱかぱか開け閉め出来る。
一度此処から離れて、奧に。
途中で、巨大な蜘蛛の巣を発見。
蜘蛛の巣をどける。抗議するように、掌以上もある大きな蜘蛛がきちきちと顎をならしたけれども。
あたしがにこりと笑みを向けると。
さっと逃げて。そのまま奧へと消えていった。
「助かるよ。 昔ほどじゃないけれど、やっぱり虫は苦手なんだ」
「いい加減その辺り克服しなよ。 いつもあたしが遺跡探索に同行できるわけじゃないんだから」
「なんとかしようとは思っているんだけどね。 まあ、払いのけるくらいなら出来るんだけど、今みたいなのはちょっと……」
「フィルフサなんか、でっかい虫みたいなもんだったじゃない」
フィルフサは、大きすぎて逆に平気だったとタオは言う。
タオの感覚では、あれは虫っぽく感じなかったと言う事か。
良くわからない。
思い切り蟷螂な奴だっていたし。将軍だって姿は完全に虫だった。
それが平気なら、ちいさな虫なんて全く大丈夫に思えるのだけれども。
アーチになっている。
魔術の装置だ、これは。
確認すると、もう動作している様子はない。動作系が死んでいる。破壊されているわけではないようだが。
動力源が、完全に枯渇しているようだ。
クーケン島の事を思い出す。
クーケン島の動力源は枯渇して、死にかけていた。
ここがどんな施設だったのかは分からないが。
このアーチは、見た所防御装置だ。
周囲の壁をタオが手際よく調べているが。どうやらあたしと結論は同じであるらしい。
「この辺りの壁はとにかく分厚く作られてる。 というか、床なんかもそうだけれども、動力源から魔力供給を受けて、防御魔術まで展開する仕組みになっていたみたいだよ」
「なんだろ。 まさかフィルフサ対策?」
「いや、それは分からない。 もう少し資料とかがないと……」
「いずれにしてもこれ、古代クリント王国よりも古い遺跡なんでしょ? 流石にフィルフサの事は、そこまで気にしなくても良さそうだけれど」
タオが、腕組みする。
考え込んだ後に、答えを返してくる。
「実は、嫌な資料を見たんだ。 とても古い古文書だったんだけれども、大いなる悪魔が世界の果てより来るって内容でね。 その悪魔は星よりも多く、古代からの道具を使って大きな犠牲を出してようやく撃退したって内容でさ」
「フィルフサと特徴が似ているね」
「うん。 その資料が、古代クリント王国が非人道的な実験や、異世界での暴虐を尽くしていた時代よりだいぶ昔に書かれたものだったんだ。 好成績を上げているからって見せて貰えたんだけれど……ちょっと一致点が多すぎる。 決戦の日は雨だったって記述もあって、なおさらね。 勿論全てがたまたま一致しただけって可能性もある。 単体でいうと、フィルフサより強い魔物はこの世界に他にもいるんだから」
確かにそれもそうか。
一番やってはいけないのは、我田引水だ。
そういう風に、アンペルさんも言っていたっけ。
何かしらの前提が頭の中に居座っていると、客観的にものを判断できなくなる事があるらしい。
自分の田に水を引き込むような行動だから、我田引水。
確かに、この世界を滅ぼそうとする悪魔はフィルフサという前提があると、思考が其方に引っ張られる可能性がある。
タオに感謝だな。そう思う。
三年前だったら、こんな風に安直な思考はしなかったと思うのだけれども。
どうにも駄目だな。
内心で自嘲しつつ、手分けして周囲を調べる。
アーチを抜けてその先に行くと、完全に死んだ魔石があった。魔力が吸い尽くされて、枯渇している。
いや、残り香はあるにはあるが。
いずれにしても、これは駄目だろう。
そして、壁だ。
でかい壁がある。壁には壁画があって、タオがそれを早速ゼッテルに写し始めていた。
あたしはそれを横目に、ふと気付く。
ポーチに入れてきた例の宝石が光っている。
またか。
タオが、首を伸ばして、それを見た。
「宝石が、例の発光現象?」
「うん。 いつもより光が強いね」
「見せて」
タオに渡すと、すぐに光が収まってしまったが。それでも、一瞬だけあたしは見たように思う。
この光、内側から発せられていて。
中に何か、生き物みたいなのが見えなかったか。
だが、一瞬だ。
タオは、首を横に振る。
「駄目だ、これだけじゃ分からない」
「良いって。 それよりも、調査を続行しよう」
「うん」
そのまま、手分けして調査を続ける。
パティは途中で疲れて座り込んでしまったようで。ずっと気配が動かない。
まあ、来る途中にいた魔物は全部掃討したし、危険はないか。
そう思って、タオの調査につきあった。
1、宝石の正体
遺跡から、一度引き上げる。
メモ帳。それに貝みたいに開閉する丸い変な道具。
後は魔石がたんまり。
得られたのはそのくらいだ。
荷車を引いて引き上げるが。
途中、パティが隠れている柱の前を通ったとき、ちょっと苦笑いしかけた。ハイドの技術があまり上手くないな。
この辺りは、実戦経験が浅い故の弊害なのだろう。
一度アトリエに戻る。
そして、ボオスも交えて軽く話をした。
「遺跡の構造は完全にメモしてきたよ。 あの遺跡の存在は分かってはいたのだけれども、何処の本にも地図とかはなかったからね。 多分これを本にまとめたら、貴重な資料になると思う」
「あー、そうか。 それは凄いな」
気が抜けているボオス。
というか、疲れているようだ。
あたしは、今朝作っておいた薬を出す。
「ほら、ボオス」
「なんだよコレ」
「栄養剤」
「分かった。 いただいておく」
昔に比べれば、味とかも調整はしてある。
パティはあたしがアトリエに戻ったのを確認したからだろうか。一度屋敷に戻ったようだった。
まあ、このまま外で張るわけにもいかないと思ったのだろう。
パティはタオに聞いたところ、頑張り屋で努力家だが、成績はずば抜けて良い方ではないらしい。
特に数学があまり得意ではないらしくて、宿題はそれなりに出しているそうだ。
それを放置して、あまり外を歩き回るわけにも行かないのだろう。
或いは、だが。
ひょっとすると、ヴォルカーさんお墨付きで、あたしの目付役をしている可能性はあるにはある。
ヴォルカーさんは、あたしの作った発破を見て、明らかに驚いていた。
そうなってくると、あたしに警戒している可能性はある。
タオやボオスにも話は聞いたが、あの人は他の腑抜けている貴族と違って、この街を守ろうと最前線で体を張っている人だ。
あたしみたいな危険因子を警戒するのは当然なのだろうから。
「メモ帳は?」
「魔石に閉じ込められていたから、彼方此方かなり痛んでいるけれど……中にはこの地方に伝わる童歌みたいなのが書かれていたよ。 それとひょっとしてだけれども……これを書いたのは、僕の先祖かもしれない」
「おい、どういうことだ」
「僕の先祖には変わり者がいたらしくて、僕の家の本の読み方が失伝する前くらいの世代だったという話なんだけれども。 彼方此方の遺跡を調べて回っていたらしいんだ」
だとすると、タオのこの性格は。
いわゆる隔世遺伝かもしれないな、と思う。
タオの両親は、閉鎖的な性格で、はっきりいってどっちもろくな人間じゃない。
これはタオも時々ぼやいていたし。あたしも知っているからそういう風に思う。
だけれども、親の性格と子の性格は真逆になる事が多い。
もう一世代前の。更に前の世代になると、性格が全く違う人間であった可能性は否定出来ないのだ。
「もう少し解析してみないと何とも言えないけれど……」
「いずれにしてもそれはそれですげえな」
「うん、そうだね。 ただ、あの遺跡で一旦諦めて、先祖は戻ったらしいよ。 メモ帳は、あの扉がどうしても開かないって悲しそうに締めくくられてる」
「そうか……」
ボオスもちょっと残念そうだ。
いずれにしても、次だ。
あの変な貝みたいな道具。
それに対して、記述はないのかと確認して見る。
タオは、それについては、名前が記載されているとある。
「幽世の羅針盤ってものらしいよ、それ」
「ふむ?」
「幽霊、とまではいかないにしても。 その周辺にある残留思念とかを吸収して、それである程度会話とかが出来るんだって」
「残留思念と会話、か」
そうなると。
遺跡に誰か暮らしていたのだとすれば、非常に効率よく調べる事が出来るわけだ。
あたしも感応夢を三年前には頻繁に見たが。
もっと魔力を磨き抜けば見られるだろうか。
いずれにしても、あたしが見ても分かるくらいには壊れている。直すのは、ちょっと情報が欲しい。
「よし。 タオ、まずこの幽世の羅針盤とやらの構造とか、メモから調べて。 調べたら、あたしが直すよ」
「分かった。 やってみる」
「俺は何か手伝おうか」
「そうだなあ。 ちょっとコネを構築したい」
あたしからそんな事を言われて。ボオスは驚いたようだった。
ボオスが王都に来ている理由の三割、もっと多いか。それは此処でコネを創る事だという話だ。
なんでもモリッツさんには、場合によっては嫁を作って来いとも言われているらしい。
ボオスがキロさんにベタぼれしているのが分かりきっているあたしとしては、またはた迷惑なことを言われているなあと同情してしまうが。
それはそれとして。
未来のクーケン島の指導者として、王都にいる金持ちや商会の人間とコネを作るのは必須だ。
そういった人間が学生にいるようなら、交遊しておけ。
それも此処にボオスが、大枚をはたいて来ている理由だ。
ボオスとしては、色々迷惑な話だろうが。
これも未来の指導者としては、必要な話である。
「コネってお前、男でもほしいのか」
「違う違う。 ヴォルカーさんに、街の役に立ってほしいって言われていてさ。 何か困りごとがある人がいたら、聞くよ。 今どうも頭の働きが鈍いけど、だいたいのことは錬金術で出来ると思うし」
「はあ、そうだな。 何人か思い当たる。 とりあえず、学園区であったら声を掛けるから、その時に話を聞いてやってくれ」
ちょっと心配になる。
まさか学園区でもこんな乱暴で横柄なしゃべり方していないだろうな。
まあ、それはいいか。
ボオスの事だから、ある程度要領よくやっているだろうし。
いずれにしても、それで解散。
タオとボオスが戻ると、あたしはベッドで転がる。
此処に最初から置かれていたベッドで、多少埃っぽかったが。掃除はもう済ませてあるし、お日様もすわせてある。
横になってぼんやりしていると、やっぱり宝石が光る。
それどころか、じんわり暖かい。
タオを呼ぼうか。
そう思って、半身を起こした瞬間だった。
宝石が、内側から罅が入り。
そして、粉々に砕けていた。
思わずうえっと声が漏れる。
そこには、なんだろう。
ふわふわもこもこで。
鳥みたいな、そうではないみたいな。
妙な生物が、いたのだった。
生まれたばかりなのに、空を飛んでいる。体は羽毛というわけではないようで嘴もない。足も鳥と違った形状で、どちらかというと獣に近い。
それどころか、翼を使って空を飛んでいるわけではないようで、宝石の中に収まっていたほどの大きさの割りには、羽ばたかなくても浮いている。
ドラゴンは魔力を使って飛ぶというのはあたしも知っているが
この謎の動物も、そうということか。
呆然としているあたしの胸に、その動物は飛び込んでくると。
明らかに、甘えた声で頭をすりつけてきた。
「フィー! フィーフィー!」
参ったな。
これは刷り込みだな。
最初に見た生物を親と思い込む奴。だけれども、こんな生物、あたしは見た事も聞いたこともない。
困り果てているあたしは。とりあえずフィーフィーなくその生物を掴むと、顔を覗き込む。
口はある、か。
いきなり殺してしまうのはちょっと可哀想だ。ともかく、どういう生物か、調べていかないといけないだろう。
これが尋常な生物でないことは、あたしにも分かりすぎるほど分かる。
ブルネン家のバルバトスと言えば、百年以上前の人間だ。それが見つけて来た宝だというのなら。百年以上宝石……恐らく卵だったのだろうが。それに入っていた事になるだろう。
それがどうして、今になって目覚めた。
それに他にも謎は幾らでもある。
まずは餌からだ。
色々見せてみるが、餌として興味を示したものはない。
むしろ、魔石を見ると大喜びで飛びついて、魔石の魔力を吸収しているのが分かった。
なるほど、魔力を餌にするタイプの生物か。
一応そういう生物が存在する事は、あたしも知っているけれども。それにしても、珍しい生物だな。
粉々に砕けた宝石の残骸を、集めておく。
とにかく、まずはモリッツさんに話はしておかないといけないだろう。
宝石だと思っていたものは。
卵でした、と。
フィルフサの卵かも知れないという最悪の予想は外れた。
そもそもフィルフサは、土壌にて繁殖する可能性が高かった。今更卵と言う事もないだろうが。
それでも、常に最悪の予想はしておかなければならないのだ。
ともかく、しばらく様子を見て、それからタオとボオスと話す必要がある。
水は、飲むようだ。
トイレについては、此処。
そう教えると、すぐに覚える。
この生き物、知能は非常に高いらしい。あたしの言葉も、すぐに覚えて、理解していくように見える。
いずれにしても、これは尋常な生物ではないな。
そうあたしは思って、話しかける。
「あたしはライザ。 ラ・イ・ザ」
「フィー!」
「じゃ、貴方はフィー。 あまりセンスはないけれども、その名前でいいかな」
「フィー! フィー!」
明らかに喜んで、周囲を飛び回るフィー。
まあ、喜んでいるのなら良いか。
子供は親の声を聞く事を、何よりも喜ぶという話がある。
いずれにしても、これが尋常な生物ではないことは確かだ。今はいい。だけれども、この魔力を喰らって魔力で飛ぶ生態。
もしも巨大な魔物の幼体だったりしたら。
いずれ、あたしが自分で処分する事も視野に入れないといけないだろう。
あまり、情を入れ込まない方が良い。
それが、事実なのかも知れなかった。
疲れて眠ってしまったフィーを、アトリエに置いて置くわけにもいかないだろう。
懐に入れて、外に出かける。
ヴォルカーさんに言われた通り、カフェの様子を見に行く。案の定薬がほしいとか、魔物を退治してほしいとか。
そういう依頼が来ているので、受けておくことにする。
薬については、今日の遠征でもそれなりに材料を手に入れたので、作るのは難しくはない。
依頼をどう受けるのか、話を聞いて。
そして、薬関係の依頼は一通り持っていく。
見ると、随分前に貼られたっきりの依頼もあった。
要するに、薬師が不足していると見て良い。だったら、あたしがその代わりに薬師になるだけだ。
クーケン島では、現役の医師であるエドワード先生から、医術も教わっている。
そうしないと、的外れの薬を出す可能性があるからだ。
今受けた依頼は、どれも難しい内容ではない。
後は、街道に出る魔物の駆除か。
街道といっても、城壁の外に暮らしている貧しい人達を脅かす魔物の駆除、というのが実際には正しい。
王都の守備隊だか戦士だかを、アーベルハイムが全部把握している訳でもないし。
街道の全てを守って回っているわけでもないのだろう。
守備隊の手が回らない場所の魔物退治が、それなりに依頼としてあった。それの一つを受けておいた。
カフェから出ると、まずは街道に向かう。
城壁を出ると、少し日が傾いていた。今日中に全部依頼は終わらせてしまうつもりだが、それにはまずは魔物の処理からだろう。
フィーはぐっすり眠っている。
まあ、起こさない程度に。
残虐に魔物を殺戮して、処分するだけだ。
街道に出て、少し歩くだけで見えてきた。大型の羊だ。
野生種の羊の中には、人間に対して積極的に攻撃を仕掛けてくる者がいる。非常に大きく成長する者は当然魔物認定。
草食動物は体格が大きくなるケースが多く、羊もそう。
羊と言っても色々で、雑食の奴もいる。
ただでさえ、家畜の牛や馬だって、条件が揃えば肉を食うのだ。
野生化で雑食化した羊も、珍しくは無いだろう。
街道に居座っているアレが、近くを通りがかった隊商に襲撃をかけた。隊商は逃げ延びたものの、馬車の一部が破損して、荷物を派手にぶちまけて。回収も出来なかった。
助けてほしい。
そういう依頼だったのだが。隊商が小さい事もあり、街の警備は動かなかった。
そんな程度の代物だ。
街の警備は、或いは時間を掛ければ退治をしてくれた可能性もあるが。今はその時間もない。
岩陰に隠れていた、商人らしい男性が。あたしを見ると心配そうにするが。
依頼書を見せ。
すぐに片付けると言うと。
こくこくと頷くのだった。
使用人らしいのも、数人いる。羊は単に縄張りに居座っているだけらしく、我が物顔に牧草を喰らっていたが。
あれにしても、周囲の貧しい農民がせっせと家畜のために育てて来たものだろう。
あたしも農家の出だ。
牧畜にも知識がある。
ちいと、許せないな。
あたしが前に出ると、羊が気付く。てか、この距離まで気付けない時点で、すでに実力差は明白。
身を低くして威嚇する羊だが。
その時には、あたしは跳躍していた。
羊が気付く前に、既に詠唱済の熱魔術。
熱槍を二十本束にして、ピンポイントで投擲するもの。更には、冷気で凍結させるもの。
それを連続で射出する。
熱槍が、羊の首を刎ね飛ばすのと。
熱が、羊を焼き尽くす前に。一瞬で冷気が冷やしきるのは、殆ど同時。
これは、魔物を殺したという証跡を残すために開発した魔術である。
鮮血を噴き出しながら、首を失った大羊が倒れる。
もう少し強い魔物だったら、此処まで簡単に首をさっくりとはいけなかったのだけれども。
まあこのサイズだったら、こんなものだ。
すぐに吊して捌く。
フィーは眠っていて起きない。まあ、起きて来ても残虐ファイトを目にするだけなので、寝ていた方が良いだろう。
羊の毛は、これは錬金術で使えそうだ。
モフコットにでもしておこう。
皮はなめして、防具の素材にでもするか。
骨は、魔力が篭もっていて、割と悪くない。何かの素材に出来るかもしれない。
肉は丁寧に削ぐ。
食べる分は燻製に。
それ以外は、これから街に持ち込んで、即座に売ってしまう。
内臓類は燻製にしておく。後で焼いて食べるのだ。腸などは洗浄した後、腸詰めを創る事も出来る。
血は全て受け止めておいて、後で使う。
血は案の定魔力をかなり強く含んでいる。
魔術を誰でも使える世界だ。魔物だって、当然例外ではない。
大きく育つと言う事は、それだけ魔術に習熟すると言う事なのだ。人間よりもシビアな世界で生きている魔物は、その傾向が強いのである。
というわけで、後で活用させて貰う事にする。流石に素材も、一部の切り札的なもの以外は、アトリエから持ってこられなかったのだ。
商人達が、こわごわと出てくる。
「て、手慣れていますな」
「すぐに荷物を回収してください。 もう捌くの終わりますので」
「み、みな急げ!」
捌くのが終わったら、王都に戻ると言う事だ。それくらいは、この商人達も分かっているのだろう。
使用人らしいのが、あわてて踏みにじられた商品を集める。
その中にボロボロの人形があって、頭がはげ上がった商人のおじさんは大きくため息をついていた。
「直しましょうか、それ」
「そんな事も出来るのかね」
「カフェに依頼として出しておいてください」
「わ、分かった。 この場でお金のやりとりをすると、色々と面倒だ。 本当に、助かったよ」
実際には損害は甚大だろうが。
それでも、礼を言えるのは立派だ。
見かねたので、羊の角を切り取って、それを渡しておく。
羊の首は、魔物の退治をした証拠としてカフェに提出しないといけないのだが。角は別に良いだろう。
この角は強い魔力を秘めているので、売ればいいお金になる。
「これを売ってお金にしてください」
「い、いいのかね」
「あたしはカフェで依頼達成の料金を受け取れますので。 依頼してくる人がいなくなれば、あたしも食べられなくなりますからね」
「あ、ありがとう。 今後も貴方を指名して、仕事を依頼させて貰うよ」
名前を聞かれたので、答えておく。
コネとはこうやって作るものだ。
今は貧しい商人かも知れないが、こんな大損害から救助したら、それは恩の一つくらいは感じる。
これで恩を感じないような程度の相手だったら、別にそれはそれで惜しくもなんともない。
ろくでもない商会や商人、与太者の類はたくさん見て来ている。
それくらい、あたしは割切って考えるようにもなっていた。
羊の解体が終わったので、商人と使用人を護衛しつつ王都にまで戻る。其処で解散する。何度も頭を下げられたので、あたしは苦笑いしてしまった。
肉屋で羊の肉を売り、カフェに羊を討ち取った証拠である首を納品する。
なおこういった首は、どうするのかよく分からない。焼いてしまうのか、それとも割って脳でも食べるのか。
それとも、防腐処置をして、警備隊にでも提出するのかも知れない。
速攻での解決と言う事もあって、それなりに報酬金ははずんで貰えた。おっとりした感じのカフェのマスターだが。
こういうのはしっかりしているらしい。
あたしが有望だということを、理解したのだろう。
此方としても、それは助かる。
周囲の傭兵やら戦士やらも、ひそひそと噂話をしている。
まあ、注目してくれれば、それでいい。
そのまま、バレンツ商会の支部に出向く。
そこで、クーケン島に手紙を書かなければならなかった。
勿論相手はモリッツさんだ。
「受け取った宝石の正体は、未知の生物の卵でした。 現在、フィーと名付けて経過観察中です。 危険な生物であった場合は処分します」
手紙の内容はそれだけ。
フィーはぐっすり眠っている。粗相をすることもない。
或いは、ある程度からだが出来てから生まれてくる生物なのか。
それもよく分からないが。
ともかく、今の時点で。
あたしは、フィーを殺すつもりはなかった。
2、引見
夕方。
薬の調合をしていると、パティが来る。
その時間帯には、既にフィーは起きだしていて。あたしが調合をしているのをじっと見ていた。
魔力をガンガン食うわけでもなく、また食べただけ大きくなるわけでもないらしい。
それだけは安心したが、まだ初日だ。
これから蛹になったり、或いは脱皮してどんどん大きくなる可能性もある。
ただ。明らかに笑顔と好意を向けてあたしになついているフィーを邪険にするのも可哀想だなとも思う。
必要ならば処分しなければいけないのは分かっている。
あたしが孵して、あたしを親だと思い込んだ生物だ。
「大きくなったら野に返す」なんてのは論外。
生物を養う事になったのなら、最後まで面倒を見るのが当然の行動である。それくらいは、農家の娘であり。牧畜も経験があるあたしなら、よく分かっていることだった。
パティは、なんか得体が知れない生物がいるのを見て、目を丸くしたが。
しばらく固まっていたパティに、フィーが寄りつく。
「ラ、ライザさん、この生き物は……」
「うん、何だか知らないけれど、あたしが持ってたのが卵だったらしくて、それから孵った。 名前はフィーだよ」
「フィー! フィーフィー!」
「そ、そうですか。 よろしくね、フィー。 私はパティと言います」
フィーにまで礼儀正しく接するパティ。本当に性格が良いんだなと思って、目を細めてしまう。
だがそんな子だからこそ。
嫌われたくないと思うのも、また事実だ。
だから、遺跡に隠れて着いてきていたことは指摘しない。
「また、錬金術をしているんですか」
「うん。 今は薬を作ってる」
「確か薬を作れるという話でしたね。 見せてもらっても良いでしょうか」
「どうぞどうぞ」
フィーがパティの側にいるのは、害意がないと分かっているからだろう。
パティも何だか分かっていないようだが、それでもフィーを傷つけないように気を配っている。
あたしは釜に満たしたエーテルを使って、投入した薬草を要素ごとに分解。少しずつ、組み立てて行く。
ほどなくして、傷薬が出来る。
続いて止血剤。増血剤。強心剤。疫病対策の薬。順番に作っていく。
殆どの依頼では、傷薬が要求されていた。
そんなものは、この近くに生えている薬草でも作れるが。それでも効果は強いに越したことはない。
流石にこの辺りの薬草だと、指が落ちてもすぐにくっつく、くらいの効果は出ることはないのだが。
傷口が溶けるように消えるくらいの効果はある。
この辺りの薬は、幾らでも作ったものだ。
パティが感心して見ている前で、あたしはナイフで自分の腕をさくりと切る。血が流れるのを見て、パティが青ざめるが。
即座に薬を塗って、傷が消えるのを確認。
ふむ、効果はまあまあか。
「パティにも渡しておくね。 荒事で傷が出来る事も多いでしょ」
「まあ、それはそうですけれど。 こんな薬、見た事もありません。 普通傷が治るのって、何日もかかるのが当たり前です。 こんな、一瞬で傷が消えるなんて。 回復魔術でも、此処までの効果は……」
「錬金術は、魔術よりも強力なんだよ。 効果にもよるけれど、完全上位互換だと思って貰えば間違いないかな」
「……」
完全に絶句するパティ。
なんというか、真面目な子だけれども。
一皮剥けば、面白い子だなあと思う。
とりあえず、今作ったお薬は、カフェに納入する分。幾らかの傷薬は、ヴォルカーさんに納品する。
最初はただでかまわない。
使って見て効果が抜群に確認できるのであれば、後はバレンツ商会を経由して買って貰えばいい。
あたしもバレンツ商会に納品しておけば、それで商品が普通に行き渡るだろう。
クラウディアが悪辣な商売をするとは考えにくいからだ。
荷車に薬を積んで、出る。
七階にあるアトリエだが、階段を使って比較的簡単に一階まで下りる事が出来る。階段にはスロープもついているので、荷車を降ろし上げするのは難しく無い。
パティもなんの躊躇無く手伝ってくれる。
この辺りは好感を持てる。
貴族は下々と一緒に仕事なんかしない。
そうほざいていた外遊中の貴族が、とんだでくの坊で、魔物に震え上がっているばかりだったのをあたしは見ている。
助けて貰って、それで最初に発した言葉が助けるのが遅い、だったのも。
そんな連中に、敬意なんて払えると思うか。
その辺り、パティはだいぶまともである。
「今日はタオからの宿題、上手く行ってる?」
「はい、もう片付けてしまいました」
「真面目に頑張ってるね。 成績は上がりそう?」
「お父様と話をして、目標の成績を全教科で設けているんです。 基本的にタオさんに教えて貰うのは、その目標点を下回った学科ですね。 だから現在は数学くらいしか、教えて貰っていません。 それ以外は、自分で教えてくださいと頼む事はありますけれど」
そんなものか。
そうなると、大まじめに宿題を終わらせて、監視に来たと言うわけだ。
なんだか何をするにも大まじめなんだなこの子。
そう思うと、ちょっと色々と羨ましくなってくる。
多分だけれども、この子は厳しい目つきと表情で、色々と損をしていると思う。見た目で相手を百%決めつけるような相手にとっては、好戦的で攻撃的な人間にしか見えないだろうから。
実際には非常に真面目で礼儀正しいし。
怒るのも、相手が一線を越えたときだけだろう。
アーベルハイム邸に出向くと、納品をする。
パティが相変わらず耳元で囁いて、ヴォルカーさんが頷いて納品した薬を受け取ってくれる。
「実演をしましょうか」
「いや、大丈夫だ。 丁度怪我人が出ている。 今日も街道での討伐で、数名が負傷していてな」
「場合によっては、もっと効果が高い薬も作ります。 ただ、今は材料が……」
「分かった。 まずは怪我人に試してみたい」
戦士が何人か、運ばれてくる。
担架で運ばれてきた戦士は、傷だらけになっていた。
街を守る戦士が足りないのだ。
こう言う人は、どうしても出て来てしまうだろうなとあたしも思う。
怪我人に、薬を塗るパティ。
本当に溶けるように傷が消えるのを見て、ヴォルカーさんが驚愕した。というか薬を塗るのを躊躇しないパティにもあたしは驚く。
本当に荒事には慣れているんだな。
それが分かるからだ。
「何という効力だ……!」
「塗ると同時に体の快復力も高めます。 あまり使い過ぎると、風邪とかを引いている場合は悪化させる事もあるので気をつけてください」
「マニュアルはないのかね」
「……しまった。 後でタオに用意して貰います」
うっかりしていた。
こういうのが、まだちょっと自分でも不安だ。
呆れ気味のパティを、ヴォルカーさんが手伝う。戦士の鎧と服を手慣れた様子で剥がすと、傷口に薬を塗っていく。全ての傷が、綺麗に消える。
まあ、このくらいだろう。
殆ど全裸の男性戦士の体を見る限り、打撲傷もある。頭は打っていないようだが、兜が守ってくれたのだろう。
打撲傷用の薬も当然作ってある。
すぐに薬を渡して、説明をする。
薬は十分な効果を示して、うんうんと呻いていた男性戦士は、脂汗を流しながらこっちを見る。
「ありがとう、だいぶ楽になったよ」
「骨が折れています。 今、処置をします」
あたしもエドワード先生の手伝いをしている。パティもある程度は経験を積んでいるのだろう。
添え木を即座に持ってくる。
あたしは、錬金術師で作った痛み止めを戦士に飲ませる。脂汗を掻いていた戦士が、だいぶ楽そうになった。それにしても、王都の医師は何をしているのか。
骨折しているのは、左腕から脇腹の肋骨に掛けてだ。
まず左腕の状態を確認。
幸い複雑骨折ではない様子である。
腕を引っ張って伸ばして、骨をちゃんと接合できるようにし。そして添え木を当てて、即座に包帯で固定。
その時、やっと医師が来る。
「左腕の骨折を、今処置しました。 添え木と包帯で固定しましたが、もしもギプスがあるなら対応を。 それと左脇腹の肋骨が二本折れています」
「分かった。 遅れて済まない」
医師は女性医師だ。というか。この様子だと魔術師とみた。
鬱血も収まっているのを見て、医師は唖然として。ヴォルカーさんが、あたしを視線で示す。
てきぱきと本格的な処置をしているのは、一応は医師だという事か。
後は任せて大丈夫だろう。
「ありがとう。 早速助かった」
「何とやりあったんですかこれは」
「走鳥だ。 王都の南部は今完全に魔物に占拠されていて、少しずつ数を減らしているんだが、戦いに出る度に被害者が出る」
「……」
一応ダイレクトに王都の南に出られる門も職人区にあるらしいのだが。
それはあまりにも危険すぎるので鍵が掛けられ。
今はさび付いてしまっているらしい。
元々は鉱山に直行できる事もあって、わざわざ其処に職人区と工業区を作ったらしいのに。
本末転倒も甚だしい。
あたしは冷や汗を拭いながら、薬を一通りヴォルカーさんに引き渡す。
一応あたしも薬入れに傷薬とか止血剤とか色々書いているが。それだけだとちょっと足りないだろう。
タオが呼ばれて来た。
タオにマニュアルの作成を頼む。
頷くと、即座にタオがあたしの説明に沿って、マニュアルを書き始める。
この辺りは阿吽の呼吸で行える。
三年前までは、タオとレントとあたしで。ずっと悪ガキ三人組だったのだ。多分タオにとっては、あの両親よりあたしとレントとの方が、息があっている筈である。
「ヴォルカーさん、これでマニュアルになります」
「うむ、助かる」
「これ以上効果が高い薬は、現状手に入る薬草ではまだ作れません。 王都周辺を調査して、それで調べます」
「分かった。 もしも作成が出来たら、その時は頼む」
タオも、もうフィーには気付いていた。
フィーは流石に怪我をした戦士を見て怖がっていたが、文字通りの鉄火場だと言う事は即座に理解したらしい。
怖がってはいたが、騒ぐこともなく。
あたしの影で静かにしていた。
一度、アーベルハイム邸を出る。
パティも着いてきたので、軽く話をしておく。
「パティ、ヴォルカーさんの負担、かなり大きいんじゃないの」
「大きいです。 お父様くらいしか、周辺の警備に積極的な貴族がいませんので、どうしても他は雑多な傭兵や冒険者に頼るしかありません」
「古代クリント王国の時代にはアーミーが存在していたようだけれども、此処ではそれを組織する余裕もないんだね」
「アーミー?」
パティは知らないか。
タオが分かりやすく説明する。
そんな強力な組織があるのかと、パティは驚き、黙り込んでしまった。そんなものを使って魔物を退治できれば、どれだけ皆の生活がマシになるかと、思ってしまったのだろう。
だけれども、あたしはアーミーが必ずしも良い方向にだけ動くとは思っていない。
だから、今の状況で苦闘しているヴォルカーさんには、いい意味で貴族らしくは無いと思いながらも。
アーミーを作れればとは、思わなかった。
「それにしても、ライザさんの薬、本当にとんでもないですね。 発破だけではなくて、薬まで……」
「今回作ったのは、本当は錬金術で言うと基礎の部類なんだよ。 もっと優れた薬になると、千切れた腕をその場でくっつけるくらいは可能なの。 死んだ人間を、死んだ直後だったら蘇生させることも出来る薬もあるらしいんだ」
「もう摂理を越えていますね……言葉もありません」
「そうだね。 ただ、今手元にある材料だと、あたしもあの薬が精一杯かな。 パティ、負傷した戦士の応急処置、手伝ってくれてありがとう。 あの人の分も、あたしからお礼をさせてもらうね」
パティは俯く。
無力感に包まれているのか。
それとも。
いずれにしても、話すことはタオの方にある。
一度、パティと離れてカフェに歩きながら、フィーの話をする。
フィーは血の臭いに昂奮するようなこともない。むしろ、安心したようにあたしの肩にとまって、それで周囲をせわしなく見回していた。
「こんな生物は見た事がないね」
「あたしも。 まさかあの宝石っぽいものが卵だったなんてね」
「詳しい生態を分かっているだけでも教えてくれる?」
「うん」
てきぱきとメモを取るタオ。
やはり手慣れている。
また、遺跡調査用のメモ帳とは別のものを使っている様子だ。
タオはざっとフィーの事をメモに残すと、頷いていた。
「とりあえず調べて見るけれど、普通の魔物とは少なくとも違っていると思うよ」
「だろうね。 フィーってば、水は飲むけど、肉にも草にも殆ど興味を示さなくって……」
「水……」
「とりあえず、カフェで料理を注文して、興味を持つか試してみるよ。 スープとかだったら飲むかも知れないし」
そのまま、カフェに。
薬などの納品も済ませる。タオにマニュアルをその場でもう1丁書いて貰う。効果については、ヴォルカー邸で見せたとおりだ。
とりあえず。今日はここまでか。
一度アトリエに戻る。
珍しそうにフィーを見ている傭兵や冒険者もいたが。
あたしが苦もなく単騎で羊を仕留めてきたのは、既に話題になっているらしい。
誰も、あたしにちょっかいをかけてこようとするものはいなかった。
料理が出てくる。
口に入れてみて思う。
味付けが濃いな、と。
見た目は兎に角お洒落だけれども、食べ物の全ての味が濃い。そういえば、先に来たときはあんまり味がわからなかった。
これも余裕が出てきたから、だろうか。
少なくとも今日は、収支は黒字になっている。
「フィー、どれか食べて見たい?」
「フィー? フィー」
「やっぱスープか。 スプーンは流石に使えないよねえ」
スープを飲ませてみるが、数口でフィーは満足したようだった。空を飛ぶというのは、ものすごいエネルギーを消耗するとタオに聞いた事がある。小型の鳥の中には、文字通り翼が見えない程の速度ではばたく者がいるのだが。
それだけ、消耗も当然激しく。ずっと食べていないと、そのまま餓死するほどなのだとか。
だとすると、フィーはやはり魔力で飛んでいるのが正しいのだろう。
魔石から魔力を吸収していたり。
或いは水だけで殆ど大丈夫なのは、それが理由なのかも知れなかった。
スプーンを使えるか聞いてみたが、こっちを見るフィー。
この様子だと、流石に無理か。
タオは思ったより食べている。
頭を使う分、栄養が必要なのかも知れない。背丈を見る限り、流石にもうタオも成長期は終わっているようだが。
「タオ、今日は収入があったし、明日からも期待できるから、あたしが払うよ」
「え、いいの」
「学業に専念してちょうだいな。 あたしはどうせ一季節此処にいれば良い方だし、その間は仲間として支援させて貰うよ。 後、マニュアルを作ってくれた労働分」
「悪いね。 僕もお金は結構カツカツなんだ」
そっか。
まあそうだろうな。
とりあえず、一度カフェは後にする。
本来だったら動物を入れるのはこういうお店ではマナー違反だ。だから、カフェのマスターには、もうフィーは連れてこない事は説明しておいた。
街の外に出るときとかは兎も角、短時間アトリエ離れるだけの時とかは、フィーは外には出さない方が良いだろうな。
そう、あたしは思った。
タオと別れて、アトリエへの帰路。
後ろから着いてくる輩に気付く。
ああ、なるほど。
当然王都にもいるか。
フィーは気付いていない。
ふらつくような足取りで、あたしに接近して来る其奴。ほぼ間違いなく、物盗りの類と見て良い。
この手の輩は、あたしは大嫌いだ。
容赦も遠慮もする必要はない。
あたしは右手に魔力を集中。
ぶつかってきた瞬間、相手の腕を焼き飛ばすつもりだった。
次の瞬間、ぶつかろうとしてきた奴を。上から飛んできた誰かが、その場に組み伏せる。ぎゃっと、鋭い悲鳴が上がっていた。
もう周囲は暗くなりはじめている。
王都は夜もある程度灯りがあり、それはどうやら魔術に起因した街灯によるもののようであるのだが。
その灯りの下で、物盗りはキーキーわめき散らす。
「てめえ、正義気取りのクソ野郎が!」
「バカかお前。 お前、そのまま近付いていたら、腕を吹っ飛ばされていたぞ」
「……」
振り向いたあたしが、とっくに気付いていて。
手に、強烈な熱の刃を纏っているのを、物盗りは気付いたのだろう。
青ざめる。
「正当防衛成立したんだから、余計なことをしなくても良かったのに」
「いや、流石にな。 あんたがこの手の奴には容赦しない事は分かっていたつもりだったが、流石にやりすぎだと思ってな」
「む、その声」
「久しいな」
なるほど。
この人、王都に来る時に一緒に隊商の護衛をしたクリフォードさんか。
このしなやかな動き、どこかで見覚えがあると思った。手際よく物盗りを縛り上げると、クリフォードさんは言う。
「王都でのルールをまだよく分かってないだろ。 流石に腕をぶっ飛ばしたりしたら、あんたも何日かは警備に拘束されて、動けなくなるぜ」
「なんだ、そうだったのか……。 色々と面倒だね。 場合によっては首を飛ばそうかと思ってたのに」
「その様子だとマジでやりかねないな。 命拾っただろ?」
「……」
物盗りがこくこくとクリフォードさんに頷く。
呆れながらも、クリフォードさんと一緒に、警備の詰め所に。まあ今後世話になる可能性もある。
一緒に顔を出していた。
警備の詰め所は、流石に惰弱な警備の戦士よりも、多少マシなのが混じっているようである。
多分ヴォルカーさんの息が掛かっているのだろう。
クリフォードさんがなれた様子で証言。
あたしもそれを証言する。
警備の戦士の長は、またあのフロディアさんに雰囲気が似ている人だ。やっぱり王都中にいると見て良い。
「なるほど、この男は既に前科があります。 流石に今回の件もありますし、当面は強制労働でしょう」
「そうしてくれ。 というか、反省の色がない時点で無罪放免にするなよなあ」
「これも法です。 こういった救いようが無い輩は、正直どうしようもありませんが」
「まあ、また法を犯した場合は、このライザお嬢さんに引き渡してやってくれ。 見て分かるかも知れないが、このお嬢さんは超がつくほどの腕利きなんでな。 多分欠片も残さず焼き尽くして処分してくれるぜ」
ひっと物盗りが悲鳴を上げる。
まあ、あたしが手に収束させた熱の刃を見たからだろう。
パティの話を聞く限り、王都の魔術師のレベルは決して高くない。
このくらいだったら、出来る魔術師はそれこそ幾らでも辺境にはいるのに。人間が数だけ集まっても、優秀な人間が集まるわけではない。
それがよく示されているようなものだった。
一応、王都の警備の詰め所で、危険な場所などについての説明は受ける。
案の定、夜の農業区は出来るだけ近付かないようにしろ、ということだった。
まあそれについては、タオから話も聞いている。
あたしが住居を借りている近くも、あまり夜中には歩き回らない方が良いそうである。
夜に専門で巡回する戦士までいるらしく。
そういう話を聞くと、夜は基本的に寝ているクーケン島の生活が、如何に楽なのかもよく分かる。
夜にずっと起きていたら、絶対に体を壊すだろうに。
「一応、危険な場所などはまとめておきました。 問題があったら、これを参照してください」
「ありがとうございます」
「いえ。 それと、街道で処理が追いついていなかった羊を仕留めてくれたのは貴方ですね。 報告が来ています。 不手際、お詫びします。 それと、感謝させていただきます」
「こちらこそ。 だいぶ報酬をはずんで貰って、感謝しています」
互いに礼をすると、詰め所を後にする。
さて、後は帰るだけか。
クリフォードさんが、送ってくれるという。
「どういう風の吹き回しで?」
「まだ王都になれてないだろ。 そうなると、さっきみたいなバカがあんたに仕掛けて、返り討ちで腕くらい吹っ飛ばされかねないからな」
「フィー!」
「それに、そいつに興味もある」
そういえば、この人はトレジャーハンターだった。
さっき、ずっと大人しくしていたフィーが、右の翼を上げる。
やっぱり知能がとても高いようで、短時間でぐんぐん言葉などを学習しているようである。
この様子だと、その内喋るようになるかも知れない。
「俺はこれでも、彼方此方の遺跡で色々不思議なものを見て来た。 それでもそんな奴は見た事も聞いたこともない。 それはなんだ?」
「変な卵から孵って、調査中です。 名前はフィー」
「ふうん。 フィー、どうだ、俺と一緒に冒険に出ないか。 色々と面白いものを見せてやるぜ」
「フィー? フイッ!」
明らかにいや、という動作をするフィー。
あたしよりフィーをナンパするのが、なんというのかクリフォードさんらしい。
からからと笑うクリフォードさん。
元々、期待はしていなかったのだろう。
「ハハハ、ふられちまったな。 それはそうと、あんた手は足りてるか?」
「確かに今戦力が不足気味ですけど、人を雇うほどの余裕は無いですよ」
「あんた、王都に何をしに来た。 その様子だと、王都で楽な生活をするとか、王都にバカみたいな夢を持っていたとか、そうじゃないだろ」
不意に声のトーンが変わる。
この人、歴戦の戦士だ。
それだけに、あたしが王都に来たのが遊びでは無い事くらいは分かるのだろう。
「目的のほとんどは、この子の入っていた卵の調査だったんですけど。 今はこの子の調査に変わってますね」
「違うな。 それはついでだろう」
「……鋭いですね。 ただ、流石にこの先は言えません」
「前にも話したが、俺はトレジャーハンターだ。 そして俺のトレジャーハンターとしての本業は、あくまで俺の生き方であって、それで稼いでいるわけじゃねえ」
それは分かっている。
実際問題この人は、普段は荒事で稼いでいるのだ。
それについては、王都に来る前に、実際に見た。
「もし、利害が一致するなら、俺は無賃金で協力するぜ。 俺の戦力は決して無駄にならないと思うが」
「……そうですね」
確かに、この人ほどの手練れが手伝ってくれれば、それは有り難い。
だけれども、それはそれ。これはこれだ。
まだ、あたしはこの人を信頼しきった訳ではない。
まあ、あたしの尻やももや胸ばっかり見ているような事もないし。
その辺りは、ある程度は信頼出来る人間ではあるかなとも思うが。
「分かりました。 もう少し、互いに様子見と行きませんか」
「ほう。 というと、俺にも利がある事をやっぱりやってるんだな」
「ふふ、そうですね。 近いうちに、声を掛けさせて貰います。 その時に、互いに見極めあいましょう」
「ふっ、クレバーだねえ。 いいよそういう考え方。 ぞくぞくする」
本当にこの人は。
何というか、戦士としての力量は、あたしが見てきた中でも上位に入るくらいなのに。
オツムは完全に子供だな。
だけれども、別にそれは悪い事でもなんでもない。
しっかり大人をしている人間なんて、実際にはほとんどいないのだ。
クーケン島でも、群れている連中はオツムが殆ど子供だったし。
島にたまに来るような与太者も然り。
というか、本当の意味で大人なんているのか。
自分を大人だと自称しているような人間こそ、むしろエゴイスティックな、恥ずべき人間ではないのか。
一応送って貰って、それで今日は宿に戻る。
フィーは流石に疲れたようで。あたしの肩で眠り始めている。
まあ、寝顔は可愛い。
これから山ほど大きくなって、暴れたりしなければだ。
それに、あたしを全面的に信用して、体を預けている。
その行動が刷り込みによるものだとしても。
それでも、不快感は感じなかった。
3、再び、遺跡に
翌日。
朝から、手に入れた素材を用いて調合をしていると、タオとボオスが来る。
ボオスはフィーを見てぎょっとした様子で。
フィーは、ボオスに無警戒に近寄るので、あたしの方がちょっと心配になっていた。
「話には聞いていたが、何だ此奴は」
「フィー!」
「頭に乗るな」
「フィー……」
いきなりボオスの頭の上で寝始めるフィー。
それを見ていると、あたしは苦笑いしてしまう。
「随分と懐かれているね。 子供相手の仕事、意外と向いているんじゃない?」
「まあ、舐められる事はないな」
「ボオスって確か、前に学童の面倒をみる仕事で、次も来て欲しいって言われていなかったっけ」
「おい、タオ」
不快そうにしながらも、ボオスは席に着く。
いずれにしても、ボオスに意外な適正があるようで、あたしも驚いていた。
ただ。これも三年前に、わだかまりが消えたからだろう。
三年前のままボオスが時間を過ごしていたら。
きっと今頃、ろくでもない奴になっていた筈だ。
まあ学童云々について話を聞くつもりはない。
フィーはボオスの頭がお気に入りのようだが。
これは卵が、ずっとブルネン邸にあったから、かも知れなかった。
「では状況報告だね」
「朝に起きる時間が少し早くなっただけで結構しんどいもんだな。 それにしても、あの宝石が卵だった、ねえ」
「宝石としては軽すぎたからね。 僕も可能性は考えていたよ」
「いずれにしても、此奴は危険な魔物じゃないだろうな。 どんな危険な生き物でも、幼い頃は愛くるしいって話だからな」
それはあたしも分かっている。
タオは、幾つかの本を持って来た。
借りてきた本らしい。
タオは相当な好成績を上げている事もある。貴重な学術書を、借りて来ることができるようだ。
「僕が考える一番危険な魔物はドラゴンだと思う」
「それはあたしも賛成」
「そうだな。 俺もそう思う」
「これがドラゴンの幼生体だよ」
図鑑を見せられる。
ドラゴンの幼生体は、今まで殆ど目撃例がないらしいが。
暗黙の了解として知られているが、ワイバーンがそうだ。
まだ小型のワイバーンを調べた所、繁殖地を発見したことが今までに幾度かあり。記録は少ないが、幼生体の目撃例があるそうだ。
一瞥して、これは違うと分かるが。
実は、共通点が幾つかある。
「子供の頃のワイバーンは、羽毛があるのか」
「そうなんだよ。 生物学的には、鱗と羽毛というのはとても似ているものらしいんだ」
「此奴と同じか……でも似ていないな」
「うん。 昨日のうちに骨格を調べて見たんだけれども、フィーの骨格はドラゴンよりもむしろ鳥に似てる。 でも、鳥よりはドラゴンに近い部分もある」
それだけで、警戒度がぐっと上がる。
まずドラゴンの幼生体だった場合、このまま一緒に生きるのは論外だ。
もしも非常に大人しい場合は、或いはあたしのアトリエにつれて行って。森で一緒に暮らす手もあるが。
少なくとも、人を襲うように絶対にならないように、あたしが徹底的に躾ける必要が出てくる。
ドラゴンがどれくらいの速度で育つかは諸説あるのだが。
ワイバーンの時点で、百年は生きているケースがあるらしく。つまりそれは、ドラゴンが成体になるのには、最低でも何百年も掛かるし。
エンシェント級になれば。何千年掛かってもおかしくないと言う事だ。
つまるところ、多分あたしに面倒は見きれない、ということを意味する。
その場合は、何か考えなければならない。
勿論、殺処分も視野に入れないといけないだろう。
懐いているフィーの様子を見ると、そういう判断はしたくはなくなる気持ちも少しはあるが。
あたしも牧畜には知識があるし、経験もある。
チーズを作る為に仔牛の腹を開いた事だってあるし。
成長が遅い子豚を間引いたことだってある。
卵を貰った時に、鶏が悲しそうにしているのだって見た事がある。
命を扱うというのは。
そういう事だ。
「いずれにしても、フィーは魔力で空を飛んでいるし、食糧も恐らくは魔力そのものが主体だ。 魔力を栄養に変換できるのだと思う」
「魔力が薄い場所だと生きていけないのかも知れないって事か」
「それだけじゃない。 フィーが出身地がどこかは分からないけれど、多分種族が出身地の魔力を必要としてる。 それでこれは仮説なんだけれども、それはクーケン島ではないと見て良いよ」
「どういう事だ」
ボオスの疑問。あたしも同じく不思議に思った。
タオが淡々と説明する。
「なんで卵が孵らなかったと思う」
「そういえば、妙だな」
「多分育成に環境があっていなかったんだよ。 そしてフィーの卵は、最近不意に反応し始めた」
「そういえば。 光ったり動いたりしていたね」
タオは、少し声を落とした。
周囲を伺った様子である。
そういえば、今日はパティは外でこっちを伺っていないな。或いはだけれども、今日は色々忙しくて、監視に出られないのかも知れない。
「クーケン島にいた時点で、フィーの卵は反応していたってことだよ。 そうなってくると、変化がフィーの孵化を促したんだ」
「変化……ここ最近でか」
「いや、フィーの卵は百年以上ずっとそのままだったんだ。 ここ三年で、一番大きな変化は。 僕達みんな知ってる」
「!」
異界。
オーリムか。
そうなってくると。確かにつじつまは合う。
異界との門が開いてしまい。
フィルフサとの死闘が繰り広げられた。
その過程で、オーリムの魔力がこっちの世界にも流れ込んだとすると。確かにタオの話はつじつまが合う。
「それに、もう一つ恐ろしい仮説が立つ」
「おいおい、これ以上かよ」
「聞かせて」
「うん。 フィーの卵は反応こそすれ、クーケン島では孵らなかったでしょ。 でも、ここで孵ったということは……」
そういう、ことか。
この近くに、オーリムに近い場所がある。
それは恐らく、周辺の遺跡群のどれか。
それらに、既に門が開いているかも知れない、ということだ。
最悪の仮説だが。
それを仮説だと握りつぶして見てみぬふりをする訳にもいかない。予想以上に、事態はまずいかも知れない。
「それと、もう一つ。 幽世の羅針盤。 ちょっと調べて見たんだ」
「もうか。 流石に早いな」
「ありがとう。 この本を見て」
分厚い本を開くタオ。
こんなでっかい本を平気で運べるようになったのだ。
本当に背が伸びて、体もしっかりしたんだな。それが分かって、色々と驚かされてしまう。
「メモ帳にあった通り、やはり残留思念を調べる道具のようだね。 数回だけ、王都でも記録にあったようだけれども。 作り方は、二百年前の時点で分からなかったみたいだ」
「そんなに古くからあったんだね」
「もっとも古い記録は、アスラ・アム・バートが王都になる前のものだよ。 つまりこれは多分……古式秘具だと思う」
「!」
ボオスが顔を上げる。
フィーは一瞬だけ眠そうに体を揺らしたが、起きてくることはなかった。
あたしは図面を見せてもらう。
しばらく見て、やっと理解出来た。
前だったら。
三年前だったら、多分幽世の羅針盤を見た瞬間に、どう直せばいいか分かったと思う。そう考えると、やっぱりあたしの頭は、どこかもやが掛かってしまっている。
いずれにしても、自分なりにメモを取る。
ボオスが、そのメモを見て呆れる。
「字が汚ねえ……」
「うっさいわね。 あたしに分かれば良いの。 これはあたししか使わないんだから」
「タオに聞いてるが、納品した発破や薬のマニュアルをタオに書いて貰ったんだろ。 手間が増えるから、字くらい綺麗にかけよ」
「まあまあ。 ライザの説明って独特だから、僕が翻訳して分かりやすくするだけで良いんだから、それでいいよ。 それに、ライザは色々凄い事が出来るでしょ。 何でも全部出来なくても良い筈だよ」
タオがフォローを入れてくれるが。
それを聞いて、ボオスが呆れた目で見る。
多分甘やかすな、とでも言いたいのだろう。
余計なお世話だ。
ともかく、他にも幾つか話をしておく。
「幽世の羅針盤は多分直せると思う。 鉱石についてはちょっと足りないかもしれないけれど、最悪これ使うよ」
「トラベルボトルか」
ボオスにも説明はしてある。
一応今の時点では、環境はクーケン島近くの火山に設定してあるので、それなりの品質の鉱石は採れる。
ただし魔物が出るので、そこは気を付けなければならないが。
「羅針盤はいつくらいに直りそう?」
「そうだね。 明日には」
「そっか。 じゃあ、一度戻るとするか」
「ボオス、そういえば体は治った?」
栄養剤を渡したのは昨日だ。
いきなり治るとは思えないが。
それでも、経過は聞いておいた方が良いだろう。
「肩とか随分楽になった。 流石に効くな。 だが、もう少し味はどうにかしてくれると助かる」
「あくまで対処療法だから、無理をしたら死ぬよ下手すると」
「分かってる。 王都に来て、無理をして死んだ学生は何人もいるらしい。 今月に入ってからも、一人体壊して故郷に戻っていったよ。 幸い田舎出身の人間は幾らでもいて、それが差別にはつながらないのが救いだな。 ただ貴族院のクソ学生どもは、昔の俺の百倍以上かわいげがないが……」
ボオスが其処まで言う程か。
いずれにしても、フィーをボオスの頭から降ろす。
気持ちよさそうに眠っていたフィーは、あたしの手の中で、うとうととしていたが。
粗相をするようなこともない。
しっかりしているな、こんなに小さいのに。
そう思って、少しだけ表情が緩む。
「あんまり入れ込みすぎるなよ。 状況次第では辛くなるからな」
「命を奪うのが当たり前の環境にいるあたしを舐めてる?」
「いや、そうだったな。 確かに俺なんかよりも、ずっとシビアだお前は」
「……」
ボオスは引いたが。
多分あたしの本音を見抜いているタオは、何も言わなかった。
或いは、ボオスの言ったことが、本当だったのかも知れない。
少しずつ、あたしには。
親の気持ちが、分かり始めているのかも知れなかった。
それから、集中して調合をする。
フィーは起きだして、魔石から魔力を吸い取る。かなりの量を吸い取っていて、吸い取られた魔石はただの石になり果てる。
魔力を失った魔石は、次々に釜に放り込んでいく。
要素だけを取りだすなら。
この死んだ魔石でも充分だ。
程なく、エーテルに充分に様々な要素を溶かしたと判断。
設計図は頭に入れている。
幽世の羅針盤を、釜に放り込む。
そして、エーテルの中で、一度分解。
順番に要素を組み合わせて、再構築していく。
此処からだ。
三年前に比べて、どうにも頭が鈍くなっているような気がする。それは恐らくだが、気のせいじゃない。
さっきも、設計図を見て、やっと幽世の羅針盤の全てが理解出来た。
三年前だったらこうはならなかった。
それに、錬金術の手際についても妙だ。
出来るには出来るのだが、それも完璧にやれているわけじゃない。
どうにも色々な事がおかしいのだ。
錬金術は才能の学問。
それは、アンペルさんに言われた事だ。
才能がない人間は、どれだけやっても何の成果も上げられない。
アンペルさんの百年の研鑽を、あたしは一季節で越えた。
そういう話をされた。
それはとても残酷な学問だと思う。
そして今、あたしは。
自分にあった筈の才能が、どうにも鈍くなっているような気がしてならない。
五歳で神童、十五で天才だったか。
その言葉通りに、あたしは二十歳でタダの人になろうとしているのかも知れない。だとすれば、色々と問題だらけだ。
まあ、この程度のものだったら失敗はしない。
黙々と調整をしている。
フィーはあたしが調合を全力でやっている事に気付いているからか。黙っていて、邪魔は一切しない。
この辺り、出来すぎている子だ。
人間の幼児だったら、自分を優先してギャーギャー騒いでいるだろうに。
「ごめんねフィー。 調合が終わったら、遊んであげるからね」
「フィー!」
嬉しそうに後ろを飛び回るフィー。
さて、気合いを入れて仕上げるか。
要素を組み合わせていき。
やがて、仕上がる。
幽世の羅針盤、修復完了。
釜から引き上げると、エーテルを全てジェムに変換してしまう。あんまり量は多くないが。これで要素をそのままエーテルに再還元し。様々なものを作り出す事が出来るので、やっておくのが損は無い。
ため息をつくと。試運転、
幽世の羅針盤を手にするだけで、ぐっと魔力を吸い上げられるのが分かる。
なるほど、これは結構な重労働だ。
そして、一気に感覚が拡がったのがわかった。
周囲が見えるように思う。
いや、見えるのだ。これは。
錯覚でもなんでもない。
一度、即座に閉じる。
この王都は人間が多すぎる。いや、そもそも王都に人間の残留思念が多すぎると見て良い。
こんなものを使っていたら、頭がパンクする。
一瞬開いただけで、数万の残留思念が入り込みかねなかった。あのちいさな遺跡でも、ちょっと頭に負担が掛かりそうだと思ったのに。
再調整だな。
そう判断して、効果範囲を狭める。
今もあたしは、魔力量については自信がある。
あの蝕みの女王を撃ち倒したときよりも、五割増しくらいには増えている。
だけれども、頭の容量はそれとはあまり関係がない。
これを全力で魔力を使って展開するのは簡単だが、それだと多分あたしの頭がもたず、そのまま倒れてしまうだろう。
それではまずい。
遺跡なんかでぶっ倒れでもしたら、そのまま死に直結する。
そうでなくても、残留思念が満ちている遺跡なんて、どんな危険があるのか分からないのである。
すぐにまたエーテルを絞り出し、調整を開始。
今度はリミッターを掛けるだけなので、それほど難しい調合ではない。
調整をしていると、ドアが叩かれる。
あたしは、ドアの向こうにも聞こえるように、声を張り上げた。
「少し待ってください! 今作業中です!」
そのまま、調合を終える。
釜から引き上げた幽世の羅針盤をチェック。
よし、リミッターが出来た。
効果範囲は三十歩四方ほどに絞った。これを、つけたつまみによって、最大千歩四方くらいまで広げられるが。
いずれにしても、いきなり王都中の残留思念が流れ込むことは、これでもうない。
ドアを開けると、いたのはパティだった。
「どうしたんですかライザさん。 かなり大きな声で、吃驚しました」
「ごめん、かなり集中していて。 それでどうかしたの?」
「ええと……その」
「フィー!」
フィーが大喜びでパティに懐く。
パティは見た所可愛い動物は好きなようで、フィーに纏わり付かれるのを嫌がっていないようだ。
「フィー、やめてください。 くすぐったいです」
「はは、フィー。 その辺にしておいて。 とりあえず上がって。 お茶出すよ」
「ありがとうございます」
茶を淹れるのはあまり上達しなかったが。
代わりに、良いお茶を作る事は出来る。
湯も瞬間沸騰させられる。
あたしの熱魔術については分かっていた筈だが、瞬間湯沸かしの技量を見ていて、パティは相変わらず度肝を抜かれている様子だ。
この新鮮な反応。
とても見ていて楽しい。
「羨ましいです。 ライザさん、なんでも出来て」
「あたしは万能じゃないよ。 字も下手だし、タオほど頭だって良くない。 気遣いだってそんなに出来る訳じゃないし、恋愛とかも興味ないし。 がさつだし」
「そ、それでも、戦闘は強いし魔術は超一流、その錬金術だってとんでもないじゃないですか」
「? どうしたの」
パティがはっとした様子で俯く。
茶を出す。
まあまあの出来だ。
あたしは淹れるのはあまり上手ではないが、茶葉が美味しいので相応のものに仕上げる事が出来る。
王都で茶葉を見たけれど。
多分鮮度に問題があるのだと思う。
はっきりいって、庶民の口に入っているのは、出がらしだ。
「これは……こんないい茶葉、どこで手に入れたんですか?」
「作ったの」
「も、もうなんでもありですね……」
「でもね、あたしにはできない事がたくさんあるんだよ。 前に話したバレンツのお嬢さんと友達になっていなければ、多分仲直り出来なかった友達だっていたし」
なんだか劣等感を刺激されているパティ。
あまり良い傾向ではないと思う。
タオは朴念仁だから、多分パティからぐいぐいいかないとなんともならないだろうし。あたしとしては、余計なことは口には出来ない。
恋愛の経験はないが、一方的に好意を寄せられたことは何回かある。とはいっても、やらせろと顔に書いているような輩が相手で。そもそも楽しくも何ともなかったので、すぐに飽きたが。
恋愛に夢を見るのは本能の一種らしいと聞いた事があるが。
はっきりいって、あたしにはその本能が欠落しているらしい。
そういう意味では、子孫をつくる事が仕事の生物としては、あたしは欠陥品と言う事である。
フィーは可愛いとは思うが。
もしも害を為す存在だと思ったら。
あたしは容赦なく殺すだろう。
そういう意味でも、あたしは色々な意味で欠落しているし。パティのようにまっとうな人間ではないのだ。
「それでどうしたの?」
「い、いえ。 その……タオさんが来ているかなと思って」
「今日はタオもボオスも勉強だって言ってたよ。 今朝は二人とも来てたんだけどね」
「そ、そうですか……」
露骨にガッカリするパティ。
分かりやすい。
調合でも見て行くかと聞こうと思ったが。パティは顔を上げていた。
「いえ、一つ、見ていただきたいものがあって。 タオさんも一緒だと、説明とかしやすかったんですが」
「うん?」
「農業区です。 タオさんに聞いています。 ライザさんは、農業や牧畜にも知識があるとか」
「確かにあるけれど、あたしよりもお父さんの方が農民としては腕が上かな」
ただ、家にも強力な肥料とかは納品している。
あまりにも効きすぎるので、お父さんは一度納品したものを、少しずつ使っていて。それでも存分にクーケンフルーツやら麦やらが育っているくらいだが。
「ええと、この王都での農業区の扱いは聞いていますか」
「王都の最下層民の住処だってね。 馬鹿馬鹿しい話だよ。 食べ物がなければ、誰も生きていけないのに」
「タオさんから聞いたんですね。 その通りです。 お父様も、それを憂慮していて」
なーるほど。
そっちの方も、あたしでどうにか出来ないかという訳か。
とりあえず、時間があるなら案内したい。
そうパティは言う。
問題は安全だが。
パティはそれも、見越していたようだった。
「今の時間は、お父様が鍛えた戦士達が巡回しています。 時間帯によっては与太者が出たりしますが……今は大丈夫な筈です」
「本当にヴォルカーさんも大変だね」
「お父様だけです、大変なのは」
その言葉だけで。パティすらもが、王都の貴族を良く思っていないことがよくわかった。
それと、あたしを信頼してくれていることも。
良かった。
タオ周りの事で、この子があたしを勘違いして嫌っていることはないらしい。いずれ、あたしもしっかり告げておくべきだろう。
タオをどう思っているか分かっているから、応援していると。
4、王都の闇の一つ
とりあえず、フィーをつれてパティと一緒に農業区に行く事にする。
一応アトリエには魔術による強力なロックも仕掛けてあるが、念の為だ。それにフィーは、今のうちに色々なものをみておいた方が良い。
将来的にフィーがどうなるかは分からないが、多分タオが言ったように、ある程度成長して卵から出て来ているのだとすれば。
この賢さが、いきなり消えるとも思えない。
そして、色々見ておくべきなのはあたしもだ。
あたしは、クーケン島周辺で、そしてオーリムで、あらゆる業を見てきたが。
王都にはまた違う形の業があるはず。
それを直に見ておきたい。
前にリラさん……あたしの戦闘の師匠が、全て抱え込むと潰れると言っていたけれども。
今のあたしは、まだキャパ限界には達していない。
ならば見ておくべきだ。
潰れる前には、あたしは身を引く。
ただまだあたしは大丈夫。
だったら、出来る事を。出来る範囲でやっておく。それだけである。
居住区を出て、西に。
西には東と同じく、数少ない安全な街道があるそうだ。
逆に言うと、南北は危険すぎて通れないと言う事で。この王都が如何にスカポンタンなインフラの上に立っているかよく分かる。
頼むから偉そうにするのは、街の周囲の安全くらいは確保してからにしてくれ。
そうぼやきたくなるほどだ。
歩きながら、周囲を見る。
農業区とならぶくらい、工業区や職人区も王都では下に見られているらしいが。下に見られれば治安も悪化する。
当然与太者も出るし。
昨日クリフォードさんが取り押さえたようなのも出る。
そもそも、生活を支える産業を行う地区を下に見るなんて、一体何様なのか。お前達が食べているものや着ているものは、どこから来ていると思っている。
そう思うと、あたしは何度も溜息が零れる。
多分クーケン島で、漁業や農業を経験しているからだろう。
パティは、不安そうにしていた。
前から来たのは、傭兵ではないな。三人組だ。女性がリーダーらしく、男性を二人連れている。
「おや、アーベルハイムのお嬢様じゃないか」
「いつも見回りお疲れ様です」
「良いって事よ。 義賊としてはこれくらい当然だからな」
「このままお願いいたします」
三人と会釈してすれ違う。
それにしても、義賊。
小首を傾げていると、パティが付け加える。
「自称義賊の三人組です。 変わり者として知られていますが、腕は確かで、荒事も出来ますし、農業区や職人区にも顔が利きます」
「義賊ねえ……」
「実はあの人達の先代くらいまでは、本当に賊だったそうです。 ただあの人達が、先代への反発から正義の賊になろうと言い出したそうで。 お父様が討伐したときには、邪悪な人達はあらかたあの人達が退治して、警備につきだして自浄作用が働いた後で。 その後お父様と話した後、人々に迷惑を掛けないこと、農業区や職人区、工業区での自警活動をする事を条件に放免されています。 今では義賊と名乗ることで変人扱いされていますが、下手な警備の戦士よりもずっと働いてくれているんですよ。 何度も悪辣な賊を捕まえてくれてもいます」
「そんな事もあるんだ……」
驚いた。
まあそういう柔軟なことも出来る訳だ。
アーベルハイムの家……正確にはヴォルカーさんだが。貴族達とあまり上手く行っていないだろうことは簡単に想像がつくが。
それでも、王都の治安を劇的に向上させ。
更には街道の安全を確保しているとなると、貴族達も陰口をたたくくらいしかできないのだろう。
実力で、不愉快な連中をある程度ねじ伏せて。
こういう有用な人材をスカウトしている、というわけだ。
だとすると、あたしも見習いたいところだ。
あたしだったら、潰してしまう事をまず第一に考える。
それを思うと、あの人達を生かして、しっかり社会に活用しているヴォルカーさんは。少なくとも社会の運営者としてはあたしよりマシだ。
ヴォルカーさんが王様になったら。
ロテスヴァッサは、何倍もマシになりそうだな。そうあたしは思う。
「この辺りから農業区です」
「どれ……」
少し丘になっている所から見て。
なるほど、これはだめだなと、一目で分かった。
一応働いている人は何人か見受けられるが、畑は殆ど休耕状態。畔なんかはあるにはあるが。埋まってしまっているものすらある。
水車は木が傷んでいたり。
何よりも、彼方此方草ぼうぼう。
お父さんが見たら、普段は温厚なのに、ブチ切れるかも知れないな。
そうとすら思った。
本当に此処で働くのは底辺の人間として扱われているんだ。それが分かってしまって、あたしは色々と悲しくなってくる。
こんな狭い井戸の中で、差別だの格差だの作っていて何の意味がある。
そう思って、何度も怒りを吐き出しそうになった。
「フィー……?」
「ああ、フィー。 大丈夫大丈夫。 このくらいで、キレたりはしないよ」
「フィー……」
明らかに不安そうなフィー。
だから、フォローはしておく。
パティはそのやりとりを見ていた。特にやりとりについて、何か疑っている様子はない。
「この状況でも、働いている人達がいます。 ライザさん、支援してあげてほしいんです」
「まずは状況を見てからだね。 それと、働いている人達がいるんなら、支援をしてあげてほしいんだけれども」
「色々複雑で。 お父様も頑張ってはいるのですが」
「そう」
まあ、そうだろうな。
考えられるのは利権の複雑化だ。
外から運び込まれている食糧や農作物がそれなりにあって、人間が餓えていないのなら。此処が軽視されるのは理由としては考えられる。
何人かの貴族が流通を牛耳っていて。
それが利権化している可能性もある。
そうなれば、王都の食糧生産、自給自足機能が軽視される可能性は確かにある。
利権の奪いあいで負けた場合だ。
前にクラウディアの送ってきた手紙でそういうのがあったと聞いている。
ちいさな村で、水車を巡る利権の争いがあった。
水車を握っている人間がいて。村長の座を巡る権力争いで負けた。
そうしたら、新しく村長になった人間が。
相手が憎ければ着ている服も憎いという精神で、水車を焼き払ってしまったのだという。
政敵の象徴であり。
憎むべき存在として、水車を見ていたそうだ。
それに村人は荷担させられた。
荷担しなければ、村の敵認定されたからだ。
結果何が起きたか。
水車を失った村は、産業に大打撃を受け。
一気に貧困へと傾いた。
しかも、村長は皆が貧困になろうが知らん顔。自分さえ良ければいいという態度を取り。
結果として、新しい村長は、暴動にあって殺された。
村は自衛能力すら失い。
そこに魔物がなだれ込んだ。
貴族もロテスヴァッサも当然何もしない。
バレンツ商会が其処に出向いたときは、村人の大半が魔物に食い荒らされて、地獄みたいな有様だったらしい。
其処を再建するために、随分時間が掛かったのだとか。
そういう事例を聞いている。
此処でも、そういう愚かしい事があっても、不思議ではなかったのだろう。
むしろ、もっと愚かしい利権が、複雑に絡んでいるのかも知れなかった。
比較的マシな畑に出た。
色々な作物が作られていて。水もちゃんと来ている。
一瞥したが、土の状態はそこまで悪くないようだ。
父さんとは流石に比べられないが。
相応の技術の農民が働いているとみた。
何人か、周囲で畑を作っている。アーベルハイムの家紋の旗がある。多分だけれども、そうしないと石でも投げられかねないのだろう。
「カサンドラさん」
「パティ? 久しぶりだね」
「お久しぶりです」
パティが声を掛けたのは、大柄な女性だ。明らかに農業で体を鍛えていると、一目で分かるほどである。
あたしを紹介するパティ。
互いにカサンドラさんと礼をして。それであたしが農夫と農婦の娘だと話をすると、相手はぱっと顔が明るくなった。
「そうか、お仲間かい」
「ライザさんは、錬金術と言う独自の技術を持っていて、下手な魔術よりも凄まじい力を発揮します。 私も間近で見ましたが、はっきりいって驚天の技です」
「へえ……」
「共同して、王都の農業について少しずつ復興をしていただけませんか」
カサンドラさんは、少しだけ胡散臭そうにしたが。
パティの紹介を聞いて、無碍にも出来ないと思ったのだろう。
手をさしのべて来たので、握手する。
まずは、農地を見せて欲しい。
そう言って、あたしも見せてもらう。
父さんほどでは無いが、それでも分かるには分かる。
パティはこれからヴォルカーさんと一緒に街道の魔物を掃討に出るとかで、そのまま小走りで農業区を出ていった。
「王都でも最下層民扱いされてるあたしらにも敬語で接してくる。 貴族の娘とは思えない良い子だよ」
「貴族に反発を覚えているんだと思いますよ」
「まあそうだろうね。 偉そうなだけで、金勘定以外何の取り柄もないんだから連中と来たら」
軽く笑った後、あたしは周囲を確認。
幾つかやることを頭の中でまとめて。
そして提案していた。
「あの辺りの水路が駄目ですね。 あたしが直します」
「出来るならやってくれるかい。 頼むよ」
「はい」
さて、此処からだな。
やる事は幾らでもある。
王都の無能貴族どもはどうでもいいが、こうやって王都を実際に支えている人にコネを作っておく事には大いに意味がある。
そう、あたしは思っていた。
(続)
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