スランプの先にあるもの

 

プロローグ、惰眠

 

この世界で錬金術師がやらかした罪業を知って。

異界オーリムでの戦いを終えて。

そして、何を得ただろう。

あたしライザリン=シュタウトはベッドで横になったまま、ぼんやりとしていた。

錬金術師として一人前になり。

魔術師としても経験を積み。

異界オーリムで古代クリント王国がエゴのままに暴虐を振るった結果、世界を滅ぼしかけるほどに繁殖した侵略性外来生物フィルフサを撃破して。

その王種「蝕みの女王」を仕留めた。

フィルフサ王種の撃破は、オーリムの住人にとっての悲願であり。

あたしと仲間達の行為は、それこそ世界を救ったに等しかった。

それだけじゃあない。

この今いる故郷、クーケン島の真実を暴き出し。

この島が危うく沈むところだった所を食い止め。

それどころか、島がどういう存在で。

どうやったら管理できるのかも把握した。

文字通り、人生をかけてやるべきことを、一夏で終えてしまった。

そしてみんな、仲間は離れていった。

友達はクーケン島にはいる。

というか、クーケン島では、もうあたしは完全に顔役。

お薬の性能も、作る爆弾の性能もお墨付き。

戦士としても、この島最強のアガーテ姉さんが認めてくれている。錬金術の腕だって落ちてはいない。

それなのに、なんだこの虚脱感は。

やり遂げてしまったからか。

勿論、まだまだ錬金術の腕は上がる。

あたしの年齢は二十歳になったばかり。身体能力だって、まだ伸びるだろう。

それなのに、どうしてまた。

大親友であるクラウディアとは文通もしている。

竹馬の友だったタオやレントも、旅先から連絡をくれる。

最大の懸念だったボオスとの仲直りだって達成した。

それなのに、とにかくなにをやっても虚脱感が酷い。魔物を倒して回っても、全く何かをやったという感じがしない。

勿論戦闘技量は維持しているし、むしろ伸ばしている。

それなのに、だ。

ある時を境に、レントから来る手紙の内容が、ものすごく虚無って来た。何処にいる、何処で何をした。

そんな報告だけになってきていた。

生きている事は分かるし。それなりに大物の魔物とやり合っていることも、情報から分かる。

だが、あたしと同じスランプらしい。

そう思うと、なんだかなあと思う。

三年前は、世界が輝いていた。

錬金術と言う夢みたいな力を手に入れて。最高の師匠であるアンペルさんに色々と教わって。

冒険だって、文字通り世界を救う内容だった。

大地を埋め尽くすフィルフサの群れを、大雨を降らせることで弱体化させ。統率個体である将軍を次々討ち取る事で無力化させた。

だが、その思い出がセピア色とともに見えるかのようで。

なんだか二十歳になったばかりだというのに、老人になってしまったかのような感覚すら覚える。

あたしは頭を振ると、立ち上がる。

外で軽く素振りをした後、アトリエにいこうと思った。

皆で作った秘密の隠れ家。錬金術を行うためのアトリエ。名付けてライザのアトリエは今も普通に使っている。

クーケン島に生きている人の数を思うと、お薬だって幾らでもいるし。

魔物を倒すための装備だっている。

素材は自分で集めてこないといけない。

何処にどんな素材があるかは分かっているし。

危険な魔物は、近場の奴はあらかた始末もした。

それでも魔物は、どこからでも湧いてくる。それこそ人間を憎みきっているかのように、殺しに来る。

魔術を使えば隙を狙ってくる。

それなのに、相手はタフさを武器に詠唱しての大魔術を躊躇無くぶっ放してくる。

そんな不利な戦いを続けながらも。

あたしは頑張って来た。

その筈なのに。

裏庭で素振りをする。

父さんはもう、畑を手伝えとは言わなくなった。既に母さんと父さんの収入の十八倍も収入があって。

しかもあたしが卸している薬や紙、それに反物がバレンツ商会によく売れることが効いている。

あたしには好きにさせるように。

島の危機に立ち会ったこの島の事実上の最高権力者であるモリッツさんから、島最高の農夫である父さんに直に話が行ったらしい。

モリッツさんも、あたしとともに、島の真実を知った。真相を知る過程で島の中枢に入ったのだ。

其処は文字通りの地獄の果てだった。

自分達がどれだけ危険なものの上で、何も知らずに暮らしていたかモリッツさんも自分の目で知ったのだ。あたし達のおかげで。

だから、あたしにはあまり強く出られないし。

今では島の命綱になったあたしに対しても、強くは出られない。

だから、自由に色々やれる筈なのに。

どうしてこうも毎日が空虚なんだろう。

そう思って、あたしは素振りを途中で切り上げた。

自分の体の事は分かる。

体力は衰えていないし、武芸だって今でも磨き続けている。さぼったことは一度もない。錬金術だって、新しい道具や素材をどんどん研究して、作り出している。それなのに、どうも空虚で仕方がないのである。

母さんは、結婚してはどうかと二度言ってきたが。

興味が無いと返すと、寂しそうに笑った。

孫の顔は見られないかも知れない。

そう思ったのかも知れない。

なんだったら、あたしが錬金術で子供を作ってもいいのだけれども。今子供が出来ても、面倒を見る自信はあまりなかった。

アトリエに出向く。

淡々と調合をして、足りないものを補充していく。

エーテルを釜に流し込んで。

素材の要素を分解して、組み直していく。

慣れたものだ。

もう失敗する事もない。

あたしの錬金術の師匠であるアンペルさんは言っていた。

錬金術は、無から有を作り出す技術だと。

エーテルによってものを要素にまで分解し。

その要素を組み立てる事によって、まったく新しいものを作り出す技術。

それこそその気になればなんでも出来る。

だから、古代クリント王国の愚物どもは、自分を神か何かと勘違いした。結果として、世界をここまで滅茶苦茶にした。

あたしは、今を生きる錬金術師として。

少しでも、その責任を取らないといけない。

少なくとも、手の届く範囲では。

無責任なことは出来なかった。

だけれども、どうしてもやはりスランプが響いてくるのが分かる。無言で調合を終えて。要求された薬を全て作り終える。

最近は新しい家を作るために、建材を作る事を頼まれることも多い。

少しずつ料金は取るようにしているが。

それでも、時々クラウディアに聞く王都の物価に比べると、些細なお金しか集まらない。

また、最近は学舎で子供達に基礎的な勉強を教えてもいる。

子供は相手が弱いと認識すると、大人同様すぐに舐めて掛かる。

そういう意味では、逆らったら何をされるか分からないと認識されているあたしは、教師に向いているのかも知れなかった。

荷車に物資を積んで。

一人で船を漕いで、クーケン島に戻る。

昔はこの作業一つをとっても、タオやレント、クラウディアがいて。とても楽しかったのに。

今は、時間によっては真っ暗になる海の上を。

一人で、無言で櫂を動かす。

そうなると、時々汽水湖であるエリプス湖に吸い込まれそうになる。

今では泳ぎも水も克服したけれど。

それでも、怖いと思う事は、まだある。

心細い。

まあ、こう言うときに心が弱い人は、男に依存してしまうのだろうが。

あたしは、一人で依って立つと決めている。

そのつもりは、なかった。

クーケン島に着くと、荷車を引いて、まずは医者のエドワードさんの所に。薬を納品しておく。

何人か、重症の患者などがいないかを聞いておくが。

今の時点では、それほど問題は無いようだった。

他にも、幾つかの場所を回る。

時間は容赦なく過ぎていく。

護り手。クーケン島の自警組織の詰め所に行く。

あたし達みんなの姉でもあるアガーテ姉さんは、今日も鋭い眼光で、皆の訓練を見ていた。

訓練の手を抜けば、簡単に死人が出る。

それが分かっているから、手を抜けないのである。

あたしが納品した剣や槍は、鋭く刃こぼれもまずしないということで好評だ。他にも必要とされる物資は幾らでもある。

先に納品しておく。

お薬は基本的に日持ちするようにしてあるから、すぐに尽きるような事もない。

これはエドワードさんの所も同じである。

有事には、あたしも最大戦力としてアガーテ姉さんとともに魔物と戦う。魔物だけではないこともある。

少し前に、与太者の集団がまたクーケン島に来た。

追い払おうとした所、案の定暴れ出したので。あたしとアガーテ姉さんで制圧した。

連中は、あたしの胸と尻しかみていなかったが。

叩きのめした後には、完全に魔物を見る目であたしを見ていた。

恐怖する其奴らの首領は各地で悪逆を重ねて来た連中らしく、首を刎ねた。

首を刎ねるのも、アガーテ姉さんは慣れたものだった。

他の奴らも、悪辣なのは首を刎ねて。

まだ罪が軽いものは、鞭で打って放逐した。

鞭は凄まじい速度が出て。文字通り肉を裂き場合によっては骨にも達する立派な凶器である。

鞭で打たれる度に、凄まじい絶叫を上げる与太者をみて。

他人を好き勝手に痛めつけてきた分際でと、本気で怒りを感じたが。

次に悪さをしたら、あたしが地の底まででも追っていって殺すと脅したら。

PTSDを発症していた。

それで、もう悪さはしないだろう。

悪党にはそれくらいでいいのだ。

幾つかの打ち合わせをした後、最後にバレンツ商会に。

ここの令嬢であるクラウディアは、今は王都アスラ・アム・バート近辺で仕事をしているらしい。

バレンツ商会の一翼を担う経営を任されているそうで。

既に会長であるルベルトさんの右腕と同じ立場だそうだ。

クラウディアは自分の活躍を盛ったりしないので、それで正しいのだろう。

商会に出向くと、無表情な有能メイドだった、今はクーケン島でのバレンツ商会の窓口をしているフロディアさんが出てくる。

この人は凄い腕利きである事は分かっているし。

この人の出身一族は、色々な有力者や貴族に嫁いで強力なコネによるネットワークを作っている事も分かっている。

何か闇が深そうだなと思うのだけれども。

普通に話している分には有能なメイドさんだ。

ただ、以前の与太者騒ぎの時には。

バレンツ商会に押し入ろうとした与太者を、文字通り一刀両断に切り伏せた事があった。

流石にアガーテ姉さんも、いきなり斬り捨てるなと苦言を呈したほどだった。

普段から凶暴というわけではないが。

いざとなったらいつでも抜き身の刃になる。

そういう怖さを持つ人である。

フロディアさんに、紙や建築用の接着剤、インゴットや反物を納品しておく。それだけで、島にお金が随分と流れ込む。

あたしは金を蓄えこまないで、使うように頼まれている。

勿論そうしている。

貯金はしているが、お金を島で使う事によって、島全体が豊かになるからだ。

勿論特定の誰かだけ金持ちになっても、第二第三のブルネン家が出て来てしまうだけだから。

何処でお金を使うかは、いつも考えていたが。

「品質はますます上がっていますね。 次も頼みます」

「はい。 よろしくお願いします」

一礼して、バレンツ商会を出る。

昔は来賓用の邸宅だったこの家も。今はすっかりバレンツ商会の支部だ。

此処の地下の水漏れを直したのが、最初の錬金術の仕事の一つだったな。

そう思うと、あの夏の日の事が思い出される。

もう夕暮れだ。

肌寒くなってきた。

魔術で熱遮断をして、それで家に帰る。

魔術も使っていないとすぐに衰える。元々魔術による湯沸かしは幼い頃からやっていたこともある。

あたしの固有魔術は熱操作と言うこともある。

こうやって常に使って。

なまくらにならないように、鍛えておかなければならなかった。

家に戻ると、母さんが小言を言いたそうな顔をしていたが。

家にお金を指定の分入れると。それ以上は何も言わなかった。

夕食にする。

それで、一日が終わる。

ベッドで横になって、げんなりして過ごす。

なんにも新しいものがない。

勿論自身の技術は磨いているし。力だって衰えていない。

だけれども、三年前のあの輝くような日は。

あの一夏の出来事は。

今でも、まぶしくて仕方が無い。

あの時は、本当に危なかった。色々と人間の業だってみた。異界でとんでもないフィルフサの大軍と正面決戦だってした。

だけれども、それはそれこれはこれだ。

やはり、冒険だった。

そしてその冒険は、熱く楽しかったのだ。

退屈だなあ。

そう思っていると、寝る少し前くらいに来客があった。

モリッツさんだった。

「ライザはいるかね」

「はい、随分と遅いですね」

半分は嫌みだ。

こんな時間に来るのは、モリッツさんとしてもあまり歓迎できない。

何よりも、モリッツさんはあたしに対して苦手意識があるようだ。

それはそうだろう。

この島で、水の利権を独占していたブルネン家にとっては。

あたしは文字通り、外来技術を振るってその大前提をひっくり返した張本人だ。

何よりも、島の英雄とされるブルネン家の先祖バルバトスの所業を暴き。

島がどれほど危険な代物か、暴いた存在でもある。

恐らくだが、モリッツさんもうすうす自分が猿山の大将に過ぎないことは気付いていたのだろう。

それでも、そうだと真っ正面から指摘されれば面白くない。

ましてや既になくなった女傑であった先代が、あたしとボオスをどうにかしてくっつけようとしていた節もある。

先代のブルネン家当主は、あたしをとても買っていたらしくて。

クーケン島の将来を背負うと、嬉しい事を言ってくれていたらしい。

ただ、モリッツさんには、あたしは相性が悪かった。

だから今でも、苦手意識が消えないのだろう。

咳払いすると、モリッツさんは何か取りだす。

光り輝く、両手で握って少し余るくらいの大きさのものだった。

「実はな。 こういうものが倉庫から出て来たんだ」

「宝石ですかこれ。 触ると暖かいですね」

「そうなんだよ……」

モリッツさんが、周囲を素早く見回す。

島の地下のこと。

得体が知れない設備がたくさんあって。

何よりも、使い潰されて殺された人達の亡骸が山のように積もっていたあの場所のこと。

今ではすっかりたくさんの亡骸を荼毘に付して、島の墓場に葬ったが。

それも、モリッツさんくらいの年齢だと、つい最近の事に思えるのだろう。

それ以来、モリッツさんは素直に先祖の偉業を信じられなくなり。

島の経営に、今まで以上に力を入れるようになっているようだ。

そうしないと、ブルネン家が危ない事を知っているのだろう。

なんでも、ボオスと何処かの令嬢を結婚させられないかと画策しているらしい。

ボオスがある女性に気があることは、今のあたしなら流石に分かるので。

これもなんだか空回りしているなと、遠い目で見てしまう。

そしてモリッツさんは憶病になった。

「これは島の宝の一つといってもいいんだが、最近磨いていたら暖かくなったり光るようになったり……」

「光るんですか」

「そ、そうなのだ……」

「はあ」

いずれにしても、触ってみて分かるのは。じんわりとした魔力を感じると言う事だ。

どうにも頭の回転が鈍っている気がする。

昔だったら、即座にこれについてどうすべきか思いついたように思うのに。

「すまん、調べてくれるか」

「分かりました。 最悪の場合は、錬金釜に放り込んでエーテルで分解しますよ」

「そ、それは困る」

「もしも乾きの悪魔の卵とかだったらどうします」

ひっと声を上げるモリッツさん。

モリッツさんにも、フィルフサ……乾きの悪魔の亡骸は見せている。それをみて、モリッツさんは腰を抜かすほどに動揺していた。

こんな化け物が、天文学的な数、すぐ近くにあふれかえる可能性があった。

それを知るだけで、恐怖で動揺するのは当然だっただろう。

こそこそと帰っていくモリッツさん。

その背中は小さくて、なんだかあたしは呆れていた。

側で溜息。

母さんだ。

「ライザ。 話を聞いていたけれど、また厄介ごとを抱え込んだみたいだね」

「母さん、大丈夫だよ。 もしも危険なものなら、すぐに処分するから」

「本当に気を付けるんだよ。 あんたの錬金術が凄いのはわかったけれど、あんた自身は危なっかしく思えるんだから」

ずっと母さんはそうだな。

そう思って、はいはいと応じておく。

いずれにしても、これの調査については資料がいるだろう。明日以降、本格的に取りかかる事にする。

タオやアンペルさんがいたら、速攻で正体が割れていたのかなあ。

そうあたしは思って。また一つ、憂鬱になるのだった。

 

1、貴族の実態

 

パトリツィア=アーベルハイムは、ロテスヴァッサ王国の貴族の娘である。

栄養が豊富だと背が高くなりやすいとか言う話を聞いたことはあるが。

その俗説を正面から否定するようにパトリツィアは背が伸びず、ずっと周囲から比べて小さかった。

ただ体力は幼い頃からあり。

王国貴族である父ヴォルカーの手ほどきで、長柄といわれる長刃の独特の刃を用いた、速さと鋭さを武器にする武芸を身に付けてきた。

母は早くに亡くなった。

周囲には使用人が何人もいたが、父はそういった使用人には目もくれなかった。

父は母を愛していたらしく。

以降、妻を娶るつもりはないらしかった。

それが分かってきた頃には、父は嫌いではなくなった。

なんとなくではあるが。

そういった姿勢を取ることが出来る人間が、立派なことを理解出来ていたのかも知れない。

或いはだが。

周りを見ていて、そういった人間が少ないことを理解していたからかも知れなかった。

貴族というのはなんなのだろう。

王都アスラ・アム・バートには、多分今の世界で一番多くの人間が集まっている。幾つかの区画に別れたアスラ・アム・バートでは、中央区に貴族の邸宅が複数建っていて。それらに巣くう貴族が陰湿な内輪での権力争いをしている。王都は表面上は平和でも、豊かでも華やかな世界などでもないのだ。

仲良くしようとパトリツィアに近づいて来た子が。

いきなり次の日には手を返して、周囲と陰口をたたいているのを見た。

虐められていた筈の子が。

いきなり翌日から虐める側に変わっていたこともあった。

理解出来ない人間関係にパトリツィアは困惑したが。

やがてある程度年齢が行ったときに。

父に聞かされたのだった。

全ては、権力闘争なのだと。

この王都の中で、貴族達は自分の権勢を誇っている。

そもそも、このロテスヴァッサは、実質上この王都だけの事を指している。

井戸の中の蛙という言葉があったらしい。

井戸の中で一位を争う蛙は、海がどれほど大きいか知らない、という意味だそうだ。

この国の貴族達はまさにそれ。

良くしたもので、古代クリント王国の時代にも、それは殆ど変わらなかったそうなのである。

それを聞いて、パトリツィアは困惑した。

貴族とは、この国の王族とはなんなのだろうと。

父は、どうしてそんなものを続けているのだろうと。

困惑している中。

父に連れられて、外に出ることになった。

まだまだ未熟だが、それでも現実を見ておくべきだろうと父は言ったのだ。

父は恐ろしい形相の、分厚く武装した戦士達を何人もつれていた。何人どころじゃない。何十人も、だ。

アーベルハイム卿がいくぞ。

そういう声が、街の人達から上がる。

専用の訓練をした馬に跨がった父。

歩行(かち)でその側を歩きながら、話を聞かされる。

「パティ。 王都の側には、たくさんの魔物がいる」

「はい」

「今から我々で、それを退治する。 王都につながる街道ですら、魔物におびやかされているのが現実だ。 我々が常に退治していかなければ、あっと言う間に街道は機能しなくなる。 街道は王都の生命線だ。 それを守るための戦いだ。 今日は一戦士として扱う。 くれぐれも油断をするな」

「分かりました。 お父様」

周囲の戦士達は、パトリツィアが貴族の令嬢だと言う事を知っているのだろう。

今回は予備戦力扱いで、前に出ないとも話はされているそうだ。

やがて、城壁を出る。

城壁の中は、人間であふれかえっていたのに。

外に出ると、緑と茶色と。

いずれにしても、人がほとんどいなくて。見た事がないものばかりだった。

今日は。王都西の街道周辺の魔物の掃討作業をして。その後、少し遠出をするという。

それを聞いて、戦士達ははっと鋭い声を発した。

青ざめているパトリツィアに、きちんと歩いて着いてくるようにと、父は言うのだった。

それから、地獄が始まった。

少し進むだけで、魔物がわらわらと現れる。

いわゆるぷにぷに。

軟体の、何処にでもすむ生物。それほど大きな魔物ではないが、成長すると極めて危険な存在になる。

鼬。

水陸両用の、人間より大きな魔物。

群れを成すことが多く、女王個体と呼ばれる強力な個体に率いられる。彼方此方に適応する強力な種。

そして巨大な鳥。

空を飛ぶものよりも、地面を走る「走鳥」と呼ばれるものの方が多い。

父は馬上で指揮を執り。

戦士達が、魔物を数人掛かりで寄って集って切り伏せる。血の臭いに寄せられたか、魔物が集まってくる。

父は言う。

「あれらを今のうちに退治しておかなければ、街道を通る人間が襲われる」

「はい、お父様」

「だから今のうちに撃破しておく。 どれだけ凄惨でも過酷でも、見ておきなさい。 誰かがやらなければ、あっと言う間に街道は使い物にならなくなるのだ」

「はい、お父様。 見ておきます」

震えが来る。

目の前で飛ぶ血しぶき。

濃厚な血の、鉄の臭い。

目の前で、巨大な鳥が、戦士の一人を頭からくわえ込んだ。悲鳴を上げる兵士が、即座に丸呑みにされそうになる。

鳥の魔物は、文字通り獲物を丸呑みにしてしまう。

話は聞いていたが、恐怖で足が竦みそうだ。

父が突貫すると、鋭い剣撃で、鳥に一閃。

首の辺りから真っ二つにされた鳥が、その場に二つになって倒れ臥すのだった。

「すぐに助け出せ! 窒息するぞ!」

「はっ! アーベルハイム卿!」

「左翼、手をとめるな! まだ来るぞ!」

父が前線に出ると、戦士達の動きが俄然良くなる。

とにかく父が強い事は知っていたが。

その力は全く衰えていない。

それを見て、誇らしいと思う。

実際、家に来る貴族達は、どの人も体が弛みきっているのが明らかすぎるくらいなのである。

戦士として、ずっと最前線にいる父と差が出るのは、当たり前なのだとも言えた。

たくさんの魔物と戦闘して、夕方近くになって戻る。

魔物を殺しに殺し。

負傷した戦士達も多く出た。

丸呑みされかけた戦士は、うわごとをずっと呟いている。恐怖でおかしくなってしまったのかも知れない。

死ななかっただけマシだ。

戦士達がそう呟いているのを見て、パトリツィアは悲しくなった。

邸宅に戻ると、父はすぐに着替えて、風呂を浴びにいった。

パトリツィアも風呂に入りたかったが。後ろで見ていただけだ。とても申し訳なくて、そんな気にはなれなかった。

風呂から戻って来た父に、風呂に行くようにと言われて。始めて頷いた。

風呂で何度も吐いた。

この犠牲があって、王都が守られている。

貴族達は、それを恐らく知りもしない。

何の責任もはたさないで。王都の中の安全と金だけを独占して。それで偉いつもりになっている。

そのグロテスクさと来たらどうだ。

自分が貴族であることが。恥ずかしくすらなった。

嘔吐物を流して。それで何度か涙を拭って。風呂から上がると。父が話をしてくれる。

「現実を見たな、パティ」

「はい。 恐ろしい魔物に安全なんて程遠い街道。 本来は貴族達が最前線にたって、戦うべきなのだと思います」

「そうだな。 そう思えるなら、お前には貴族の資格がある」

「……」

父は言う。

この国は、変えなければならないと。

「この国は、古代クリント王国が謎の争乱で滅亡したときに、当時の国の主導部がなんとか生き残って再建したものだ。 それから数百年。 人の生活圏は狭まる一方。 王国第二の規模を持つ都市のサルドニカにすら、貴族も役人も赴任していない。 それは形式上王国には属しているが、実際には独立国であるのと同じだ」

頷く。

それで貴族などとは、滑稽極まりない話だ。

父は若い頃、彼方此方を旅して現実を見て来たという。

辺境の村は、今日退治してきたような魔物に脅かされ。いつ滅ぼされてもおかしくない。

治安なんてないに等しいから、与太者の類が跋扈して、暴の限りを尽くしている場所だって多い。

ドラゴンなんて出た日には、村を捨てる判断をしなければならない事もある。

それくらい、この世界に対して。

人間の力は弱いのだと。

古代クリント王国の時代には、もう少し人間の生存圏は広かったそうだが。それも狭くなる一方なのだと。

「私は武勲を建てて貴族になったが、爵位も最下級のものだ」

「はい」

それは知っている。

他の貴族が、「フォン」だのなんだのと、名前と家名の間に挟んでいるのを知っている。

あれは最下級の貴族ではない事を示す称号みたいなものだ。

今日の現実を見て来てしまうと、その滑稽さが悲しくなってくる。

「今、我々はある程度の社会的地位を得ている。 私とパティ、お前がするべきは、この閉ざされた井戸であるアスラ・アム・バートの人々の暮らしを守る事。 それには、ここで無意味な権勢を誇っている貴族達と対等にやり合えるようにならなければならない」

「はい」

「実績を積むだけでは駄目だ。 貴族達に、私達の力を認めさせなければならない。 もしも貴族達が連携した場合、私達だけではどうにもできない。 もしそうなれば、私の後釜に据えられた人間次第では、王都は魔物に蹂躙され、地獄になるだろう」

何度もパトリツィアは頷いていた。

あの丸呑みにされかけた戦士のことを思い出す。

戦闘訓練を受けた戦士ですらああなったのだ。

戦闘訓練を受けていない人だったら。ひとたまりもなく丸呑みにされて。それで。

考えるのもぞっとした。

パトリツィアは虫が苦手だ。

ちいさな虫が苦手なくらい、本当は気が小さいのかも知れない。

だけれども。

父が言う通り。パトリツィアは戦闘訓練を受けている。お金もある。戦士達も動かせる。

この地位を生かして。

多くの力がない人達を、守らなければならないのだ。

今の時点でパトリツィアは、貴族制も、今の王も、まったく尊敬していない。

貴族が子供達の頃からやっている醜悪な権力闘争は、間近で見ているし。

何よりも、こんな状態になっているのに、効果的な対策を一つもしていない王にも、頭に来る。

「私はこれ以降も実績を重ねて、更に足場を固めていかなければならない。 その事業は、パティ。 お前につぐ事になるだろう」

「はい、お父様」

「うむ。 人々の為だ。 貴族としての責務などでは無い。 力を持つ者としての責務を果たすべく、自覚を持ちなさい」

強い目的意識がその日、パトリツィアの中に生じた。

あの凄惨な戦いを見た後だ。

もう、貴族なんて。

蛙の群れにしか思えなかった。

 

それから時間が経過していった。

パトリツィアは長刃の技術を磨いた。何度か父は現役の騎士を講師に呼んでくれた。

どうしても体格で劣るパトリツィアは、刃のリーチを上手に生かすしかない。それは自分でも分かっていた。

技術だけでは無い。

速さと反射神経だ。

それを頭に何度も叩き込んだ。

騎士と言っても様々。騎士試験を受けたには受けたが、それだけで満足してしまっているような人間の場合。手合わせをしただけで、もう訓練は必要ないと判断する事も多くなっていた。

15になった頃から、パトリツィアの所には縁談が来るようになった。

十五で結婚するのがこの時代では普通だ。

だが、貴族の令息は、どいつもこいつもモヤシも同然。

パトリツィアの目を見て、それだけで腰が引けるような奴もいたし。

何より、剣もまともに握れないような奴もいた。

たまに武芸のたしなみがあるのが出て来たと思ったら。

いわゆる座敷剣法に過ぎず。

それもあくまで趣味。

外で魔物を殺してきた剣術ではないのが、一発で分かるのだった。

既に父と何度も魔物討伐に出て、それで魔物も斬ってきたパトリツィアだからこそに分かる。

こんなのは、何の役にも立たないと。

自分を凄いと思うつもりもない。

実際に父には遠く及ばないし、何より父が連れている戦士達の中には、パトリツィアよりも腕利きの戦士が幾らでもいる。

それらと比べて、「優秀」だとされている貴族のなんと軟弱なことか。

父もパトリツィアを常に戦闘につれて行く。

後継者にする。

その考えに、代わりはないようで。

それに、亡くなった母以外の女性に一切興味を示さない父にも、安心感を覚えるのだった。

そうして、何度か激しい戦闘を経験した。

街道近くに、かなり大きな魔物の群れが出た。しょっちゅうのことだ。街道を通る商人は、傭兵を連れて隊商を作り魔物や賊から身を守るが。

そんな大きめの隊商でも、被害が続出するほどの危険な相手だった。

すぐに討伐に出た。

激しい戦いの末に、魔物の首魁を仕留めた父。パトリツィアも既に前線で戦うようになっていて。

前線で魔物を何体も斬った。

屠った魔物の一部は、解体してその場で食べてしまう。

これが人間を襲って喰らったかも知れない、ということは考えない。

勿論胃袋を割いて中身を確認してから食べるようにはしている。

事実、何度もあったのだ。

胃袋を割いてみたら、人間の残骸が、ということが。

そういうのを何度も見て。

また、魔物に殺された人間の亡骸に、蛆が湧いているのを見て。

それで、虫が苦手になって行ったのかも知れない。

魔物の肉……以前目の前で戦士を丸呑みにしようとした、大型の走鳥と同種族のものを焼いて食べていると。

父が来たので。話を聞く事にする。

「今日は良く戦えていたな」

「お父様ほどではありません」

「うむ。 戦士としては、そろそろ基礎訓練は充分だろう。 そろそろ、貴族用の学園にも行って貰う」

「分かりました」

頷く。

咳払いすると、父は言う。

「そろそろ気付いているな」

「はい……」

分かっている。

パトリツィアは、どうも魔物に狙われやすいようなのだ。最初は子供だから、優先的に殺しに来ていると思っていた。

だが、十五となると、この世界ではもう子供を孕んでいる事だってある。

実際周囲の戦士には、パトリツィアよりも幼く見える戦士だっている。

そういう戦士が魔物に優先的に攻撃されるかというと、実はそうでもない。13くらいの時だったか。それに気付いたのは。

優先的に魔物が狙って来るなら、引きつける方が良い。そう思って、長刃のリーチを利用して、敵を牽制。

護りに主軸を置きながら、集団戦で敵を倒すことを主眼とした戦闘をする。

それがパトリツィアが出した結論だった。

「私が魔物に狙われやすい理由は分かりません。 ですが、それを利用して戦果を上げることが出来るのなら」

「うむ。 事実それで被害を減らす事が出来ている。 私が教えた事は、しっかり守れているようだな」

「はい」

そう言って貰えると嬉しい。

それに、だ。

この腐った蛙の井戸で、パトリツィアは父の事業を継ぐ。

それには、貴族に舐められないようにしていかなければならない。

そのための教養だ。

貴族用の学校だと、殆どの場合成績は金で買う。或いは爵位で買う。

貴族用の学校には、ちゃんと学問が出来る環境だってあるのに。それを貴族達は全てドブに捨てている。

父の話によると、古代クリント王国の破滅の時。唯一残った大きな都市がこのアスラ・アム・バートで。

それだけ貴重な資料や書物が保管もされているらしいのに。

それなのに。その貴重な資料や書物を、ただの宝物として貴族は自慢し合っているだけなのだ。

その腐敗を、パトリツィアは知っている。

だから、父の怒りは、よく分かる。

父も騎士から貴族にまで武勲を建てて成り上がった人物だ。そんなカエル達に、散々嘆いてきたのだろう。

だからこそ、そうなるなと言っている。

ただ、父はどうも適当な所でパトリツィアに妥協して結婚してほしいとも思っているようなのだ。

結婚して適当な貴族の家名を手に入れれば、動きやすくなると。

それだけは、意見が相容れない。

少なくとも、パトリツィアは。尊敬している訳でもない、好きでもない男に抱かれたくは無い。

だから、最近は。

たまに口論になることもあった。

甘酸っぱい恋をしたいとか思うことはない。

だけれども、最低限の人間としてのプライドだけは守りたいと思うのも、また本音なのだ。

「少し前に、パティが出ていない魔物討伐で、小遣い稼ぎに出て来ていた学生が素晴らしい活躍をしてね」

「学生、ですか」

「学生だ」

学生。

ここでいう学生というのは、アスラ・アム・バートに学びに来ている人間の事だ。

金で博士号やら成績やらを買う貴族と違って、純粋に学問をしに来ている人間達で。王都以外から来ている者も多い。

貴族は彼等彼女らを勿論人間などと思っていないが。

パトリツィアは、こんな街道を通って此処までこれている時点で凄いと思うし。それでも学問をしに来ているということで、尊敬もしている。

「今度、家庭教師を頼もうと思う。 学生として、あの腐った学校に通うのは苦痛だろう」

「はい、それは……」

貴族専門校は、実質上権力闘争の場だ。

教授達は完全に貴族の子弟に学問を教えることを諦めている。

大まじめに授業を受けているパトリツィアの後ろで、いい年をした男がどんな女がどうのこうのと、思春期の子供みたいな話をしてゲラゲラ笑っていたり。

戦線に出て魔物を倒しているパトリツィアを、他の女子が蛮人とか猿とか罵っているのを何度も聞いた。

そもそも父の事自体を、成り上がりものとして馬鹿にする連中が多くて。

何度か手袋を投げつけて、ぼこぼこにした事がある。もう素の格闘戦でも、実戦経験がないウドの大木に負ける事はなくなっていた。

頭一つ大きい男子を素手で叩きのめしてから、パトリツィアに喧嘩を売る貴族はいなくなったが。

その代わり、誰も話しかけて来なくなった。

とんだじゃじゃ馬がいるとか。

そんな噂を貴族達がしていると聞いて、パトリツィアは父と怒りを共有したし。

なにより、こういう配慮をしてくれるのはとても助かるのだった。

そして、あまり言いたくないことだが。

実の所、武術は得意でも、学問はそこまで得意ではないのである。

貴族のたしなみとかされているものは、幼い頃から一通り叩き込んで出来るようにはしているが。

そんなものは、あくまで「流行」の中で生じるサロン内でのものであって。

現実的に使えるものでもない。パトリツィアが興味があるのは、あくまで現実的に使える学問なのだった。それがあんまり適正がないのが悔しいのである。

「分かりました。 どんな方ですか」

「タオ=モルガンテンという名前の、長身の子だ。 穏やかで、非常に知的な印象を受けた。 それでいながら、あれは百戦錬磨の動きだ。 扱いが難しい双剣を鮮やかに使いこなしていてな。 技量は騎士……いやその中でも上位に食い込むだろう」

「驚きました。 それが両立するんですね」

「たまに何でも出来る高い潜在能力を持つ者がいる。 恐らくは、そういう人間だと見て良いだろう」

そうか。

それなら、教師として安心かも知れない。

食事を終えて、すぐに王都に戻る。かなり激しい戦いだったし、被害も小さくはなかったからだ。

帰路も何度か魔物の襲撃はあったが。

ここのところ、隊商を襲っていた大物は父が討ち取ったし。

その死骸を馬車の荷台にくくりつけて凱旋していることもある。

これに勝った。

それを見せつけているわけだから。魔物の仕掛けて来る意欲も鈍る。

王都に戻ると、わっと民が喚声を上げる。

またアーベルハイム卿が人々を脅かす魔物を討ち取ったぞ。

そう叫んでいる声を聞くだけで、少しは苦労が報われたと感じる。どうせ貴族達は蛮人がどうのというのだろうが。

王都の人々を味方につければ。

いずれ、王も父の……その後を継いだパトリツィアの事も、認めざるを得なくなる。

成り上がりだのなんだのと今のうちに言っておけば良い。

このちいさな井戸の中でしか、偉ぶることが出来ない蛙の群れだ。

自宅に戻ると、疲れを取るべく風呂に入る。父も風呂に直行したが、大きな邸宅だ。父とは別の風呂に入るだけである。

風呂から上がると、何とか頭を動かして、勉学をする。

苦手でも、出来る範囲では自分でやっていかなければならない。

パトリツィアは特に数学が苦手で、どうしてもこれが上手く行かない事が悔しかった。

家庭教師が色々教えてくれたら嬉しいな。

父が認める程の人だ。

きっと、頭もいいに違いない。

そう思って過ごす内に、やがてその噂の人物が現れる。

最初の印象は、長身だけど細くて、とても頼りにはなりそうにない、だったけれども。

少し剣を交えてみて、即座に理解する。

父に匹敵するか、或いはそれ以上の使い手だ。

とんでもない修羅場を潜ってきている。

それだけで、敬意を払うには充分すぎる位だった。

見かけだけ整えているような男には、パトリツィアは興味は無い。貴族の男子の中には、紅まで差しているような奴もいる。勿論それは好きにすればいいと思うが、其奴らは見かけを最優先して行動している。まず見かけからと言う考えが気にくわない。だから剣を交えて、相手の力量を測ったのだ。そしてタオという人は、パトリツィアも尊敬できると判断できた。

以降は、勉強を教えて貰った。

学問は三倍知っていないと教えられない。それは以前聞いた話だ。

タオという人は、三倍どころじゃない。分からない事を聞けば、即座に非常にわかりやすく教えてくれる。

苦手だった数学も、どう活用すれば良いのかを丁寧に教えてくれた。

聞いてみると、学生としては学園でもトップを独走するくらいの成績をたたき出しており。学問を真面目にしている教授達も一目置いているという。それほどの俊英である。父の目は正しかったのだ。

そうして、何度も講師に来て貰っている内に。

パトリツィアは。タオという人の事をもっと知りたいと、思うようになりはじめていた。

 

2、旅先での苦悩

 

レントはずっと旅先で暗鬱としていた。

ライザから手紙が来ていることは何度かあった。バレンツ商会の連絡網を使っているので、それで連絡が来るのである。

レントの手紙の内容が、明らかに素っ気なく、雑になって来ている。

近況報告しかない。

そういう指摘を受けて、ごもっともとしか答えられなかった。

レントは、旅先で完全に詰まっていた。

成人したレントは、色々と試してみた。

いわゆる性風俗にも足を運んでみたが、さっぱり面白くもなんともなかった。戦士として戦う事の方が、どうやら色事より面白い。

それがレント自身の結論だった。

ひたすらに各地で戦闘を積み重ね。

ライザが作ってくれた装備の助けもある。

それで、多くの人を救った。

村を脅かしている大物の魔物を、何度も倒した。

歴戦の傭兵でも手も足も出なかった相手を、何度も撃ち倒した。

小型とは言え、ドラゴンともやりあった。

何日も掛けて相手を追って、ついに仕留めたときには、喚声が喉の奥から迸ったものである。

だが。

それらの戦果を見て。

助けたはずの人間は、誰一人として喜ばなかった。

勿論、誰かに喜んでほしくてやっていることではない。

自分の腕試しが第一だ。

だが、親父と同じ状況。

今ではすっかり飲んだくれのクズになり果てた親父が。行く先々で、どれだけ魔物を倒しても怖れられるだけだったと。

泥酔しているときに零した事を、レントは聞いたことがあった。

それと同じ状況になっている事に、レントは気付いてしまったのだ。

それから、どうにも振るわない。

彼方此方、知らない場所を旅してもみた。

冒険した、あの時。

ライザ達と一緒に、彼方此方を冒険して。

強大な敵と戦って。

色々な出来事の謎を解いて。

そしてオーリムに居座っていた蝕みの女王を撃ち倒して。

それで。

あの時の、輝くようなひとときは、どうしても得られなかった。いつの間にか、何をやっても楽しくなくなっていた。

そして、今日。

村を脅かしている魔物がいる。

そうバレンツ商会に聞いたので、足を運んだ。

ちいさな村だ。

人間も二十人ちょっと。

よくもこれで暮らしていられるなと思う、極貧集落だった。住民はみんな着の身着のまま。

家屋も殆ど張りぼてだ。

魔物に、既に何人も食い殺されているという話だ。

現地に先に来ていた傭兵は、見覚えがあるようなないような。

そうだ。

バレンツ商会で何度か顔を合わせたメイドにそっくりだ。ていうか、戦士だと一目で分かるほどの力量なのに、どうしてか格好はメイドだ。

「あんたは」

「その反応は……私の一族を他にも見た事があるのでは」

「あ、ああ、そうだな。 その通りだ。 俺が見たのは、クーケン島に今はいるフロディアって奴だった」

「フロディア……なるほど、私の一族の一人ですね。 私はカーティア。 よろしく」

あのフロディアというメイド、非常に強かった。

メイドと言うより冥土だったような気がする。

ともかく、その一族なら心強い。

他にも時々見かけたが、世界中に根を張っているということなのだろう。逞しいというかなんというか。

ともかく、見た目は無表情なメイドだ。武器も手にしているが、いわゆるポールアックスである。

ごく標準的な使いやすい武器の一つ。

どうしても長柄は、戦場の主役になる。それは「軍隊」とやらが存在していた時代から、今に至るまで変わっていない。

他にも何名か傭兵が来たが、どれも使えそうにない。

このカーティアという人物と、一緒にやっていくしかないだろう。

村の長老を、カーティアが呼んでくる。

年だけ無駄に取った感じの老人で、クーケン島にいたウラノスさんやら白髭さんやらのような、古豪の雰囲気が全く無い。

こんな辺境で、明日をも知れぬ生活をずっと続けていたのなら仕方がないだろう。

そう割切って、話を聞いていく。

まず魔物だが。

ラプトルの群れだという。

極めて危険だ。最悪の事態と言える。

旅に出てよく分かったが、群れを作るだけの鼬と違って、ラプトルは厄介だ。知能が高い上に俊敏で、攻防も優れている。鼬は正直魔物としてはそれほど人間を食い散らかすような危険性は無いが。

ラプトルは躊躇なく、人間を殺戮しにくる。それも組織的に。しかも相手が弱いと判断すると、村ごとつぶしに来て、全て食い殺しにくる。

ラプトルは雑食性だ。必要に応じて植物も食べる。そして旅に出てから思い知らされた。

雑食の生物の方が、肉食の生物より貪欲で、生命力も強い傾向にある。そう、人間がそうであるようにだ。

似たような性質を持つ魔物に、熊などの系統がある。

しかも、熊は群れないのに対して。

ラプトルは群れを作り。しかも単体の戦闘力が、個体にもよるが熊以上だ。その危険性は、下手をすると手練れの傭兵達でも返り討ちに遭う。

ただ、ラプトルが増えたのは、例の。

古代クリント王国が滅びてかららしい。

こういう所でも、古代クリント王国の錬金術師どもは、迷惑を現在にかけ続けているとも言える。

いずれにしても、やらなければならない。

村長は、ラプトルの群れの数や、規模なども把握できていなかった。

それどころか怯えきっていて。

挙げ句の果てに、とんでもないことを言い出した。

「来て貰って申し訳ないが、金など払えない……」

「なんだと」

「だから、村の役立たずを何人か奴隷として売るよ。 成功報酬だがね」

奴隷は、辺境だと健在だ。

だが、こういう形でそれに関わるとは思わなかった。

怒りが沸騰しそうになる。

この無能な村長が原因で、この村が滅びようとしているのではないか。此奴が一番無能なのだし。この老人を奴隷にするべきでは無いのか。

この手の発言をする輩は、基本的に自分は別だと考えている。

それはレントも、旅をしながら幾らでも見て来た。

反吐が出ると思ったが。

咳払いして、カーティアが言う。

「いえ、この村の痩せこけた人間など、奴隷としては役に立ちません」

「し、しかし金など払えませんが……」

「この村の所有権を貰います」

所有権。

傭兵達が呆れているが。村長に、カーティアは更に冷酷に言い放った。

「役立たずを奴隷に差し出すと言いましたね。 一番役に立っていないのは貴方ですよ、村長」

「な……」

「全員ラプトルに食い荒らされるか、それとも村長を降りるか今決めなさい」

村の人間達。

幽鬼のように痩せこけている者達が、じっと村長を見た。

村長はわなわなとふるえていたが。

やがて、無念そうに頭を垂れた。

傭兵達が、困惑している。

「そ、それで金はどうするんだ」

「バレンツ商会の方で、この村を中継地にします。 以降、出世払いで返して貰う事となります。 貴方たちには報酬を働き次第で払うので、ご心配なく」

「そ、そうか……」

「レントさんと言いましたね。 貴方には期待しています」

他には期待していないと暗に言っているようなものだ。

感情が薄かったフロディアを思い出す。

この一族は、みんなそんな感じなのだろうかと思っていたが。

このカーティアというメイドさんは、どうも激情家らしい。同じポーカーフェイスでも、色々と違うのだろう。そういえば似ていると言っても、少し顔立ちとかも違うだろうか。

ともかく、まずは村の周囲を見て回るが。

堂々と斥候が出て来ていて、呆れた。

即座に仕留める。

レントがたちまちの内に二体を斬り伏せたのを見て、他が逃げ出す。凄まじい勢いで投擲されたポールアックスが、一体を背中から串刺しにした。

他の傭兵が唖然としている中。

死体からカーティアがポールアックスを引き抜く。

「斥候はこの程度。 群れの長の強さ次第と見て良いでしょう」

「流石に出来るな……」

「貴方、専属でバレンツ商会に雇われませんか。 重役の友人と聞いていますが、貴方ほどの技量であれば、安定した給金を保証しますが」

「いや、俺はまだしばらくは自由でいたいんでね」

警戒しながら、レントはそう返す。

フロディアに比べると、ずっと人間らしい、打算も働く奴だな。

そう思った。

ある意味、フロディアよりも更に怖い相手なのかも知れなかった。

 

案の定、他の傭兵は全く役に立たない。

村の周囲を探索すると、食い荒らされたラプトル以外の魔物の死骸が山ほど出てくる。村の周囲にわざわざ死体が放置されている。これはラプトルの群れが餌をとりながら、村の対応力を見ていた、と判断して良いだろう。

そして村が抵抗できる力がないと判断したから、人間を襲いはじめた。

食い荒らされた人間の死体を見つけたので、荼毘に付す。

痩せこけていて、まだ子供だった。

子供を殺されて抵抗してこないなら、対応する力がない。

そう判断したから、ラプトルはあそこまで大胆に偵察に来ていたのだろう。

怒りが湧いてくる。

知能が高い魔物は、悪意も持っている傾向がある。

フィルフサの王種である蝕みの女王もそうだった。

ライザがカチキレていたのを覚えている。

あいつの身勝手な悪意は、それこそ人間の悪人のようだったからである。

夜になったので、一度村に。

ラプトルは数体を失うと、さっと引き揚げて行った。

だが、この村を諦めたとは思えない。

多分戦力を再編制して、一気に襲ってくると見て良いだろう。

せっかくのエサ場を手放すようでは、他の魔物との縄張り争いに負ける。しかも、ラプトルのこの食い荒らした跡を見る限り。

この群れの長は、相当に悪賢い。

そうなってくると、なおさらだ。

餌を見逃す筈がない。多少の困難程度だったら、だ。

交代して見張りを取る。

かなり危ない仕事に足を突っ込んでしまったことを悟った傭兵達は、青ざめていたが。レントは声を掛けて回る。

「多分ラプトルの群れは、この村をまだ遠巻きに見張っていやがる。 逃げ出したりしたら、真っ先に食われるぜ」

「おいおい、冗談はよしてくれよ……」

「冗談なわけないだろ。 ラプトルの狡賢さくらい知っておかないと、傭兵としては生きていけないんだよ」

「ひ……」

明らかな怯えが傭兵達の顔に走る。

これで必死になるとは思うが。

ただ、傭兵と言ってもみんな腕自慢というわけでもない。

中には粗末な武器しか持っておらず、ただ数あわせでこの仕事をしている人間だって多いのだ。

こんな世界である。

仕事なんて選んで生きていられないのだ。

それはレントだって分かる。

だから、なんで傭兵なんてやっているとか、無情なことは言わなかった。

時間がある内に、仕留めたラプトルを捌いておく。

腹の中からはやっぱり人間の残骸が出て来た。それは別にして埋葬する。

流石に肉は食べる気にはならなかったので、皮を剥ぎ、爪を剥がして、それは別にしておく。

傭兵達は素人だったから、これらは金になると教えて、気前よく分けた。

どうせ群れが来たら、目の前の小金なんて役にも立たない。

傭兵達が少しでもやる気を出してくれればそれでいい。

肉は捨て置いたのだが、村の連中がいつの間にか持ち去って、奪い合うように食っていた。

そこまで見境がなくなるほど餓えているのか。

これは、カーティアが言ったバレンツ商会で村の権益を貰うと言うのは。

或いは、保護としては妥当なのかも知れなかった。

実際にはなんの権限も武力もない貴族やらが来るよりも、何倍もマシだろう。そう思うと、現実的な策なのかも知れない。

朝が来るまで交代で眠り。

そして、数日、ラプトルと攻防を続ける。

そうして分かってきた敵の規模は、およそ五十体と言う事だ。

相当な規模の群れだが、それよりも問題なのは。此処で食い止めなければ、更に増える。

味を占めて、他の集落も襲う。

その事だ。

今のうちに仕留めておかなければならない。

攻防を続ける内に、八体を合計で仕留めた。

死体は回収して、村の側に解体した後は積み上げておく。

さて、恐らくそろそろ被害が無視出来なくなって出てくる筈だ。そう判断していた、次の日の夜明け。

ラプトルの群れが、仕掛けて来た。

役立たずだった傭兵達が、それでも戦闘で慣れてきたのだ。いち早く用意しておいたドラを叩き鳴らして、それで目が覚める。それだけやってくれれば充分だ。

剣を手に起き上がると、既に周囲は騒然としていた。

村を囲んで、ラプトルの群れがずらっと勢揃いしている。

なるほど、まともに戦えるのはレントとカーティアだけだと判断して、一斉攻撃に出るつもりか。

正しい判断だ。

すぐに、カーティアが声を張り上げた。

「事前の指示通り一つの家に!」

村には防柵どころかまともな防衛設備もない。昔はあったようだが、すっかり朽ち果ててしまっている。

生き残った村人が、一つの家に必死に逃げ込む。

経験が浅い傭兵達も、家の周囲に集めた。

レントは前に出る。

既に村の地形は把握している。敵が押し寄せようと、家が邪魔にはなるから、これである程度一度に相手にする数は絞れる。

村人が逃げ込むのを、ラプトルの群れは敢えて待っていた。

多分、まとめて効率よく狩るためだ。

そして、此方の動きが止まるのを待ってから。

一斉に仕掛けて来た。

どっと、山崩れが起きるような音だ。

一度経験したことがある。フィルフサと戦った時だ。あの時は生きた心地がしなかった。今は、もう慣れている。そう、慣れだ。誰だって、最初は未経験。

傭兵達が明らかに顔を歪めて、恐怖の声を上げる。

そんな中、レントは前に立ちふさがっていた。

経験者だ。だから、優先して見本を見せる。それだけだ。

「来やがれ!」

こんなケダモノ。

フィルフサの群れに比べれば、なんてこともない。

先頭の一頭が、好戦的に飛びついてくるが。それを文字通り一撃で斬り倒すと、雄叫びとともに右に左にラプトルを斬り伏せる。

仕留め損なったのもいるが、それは傭兵達が必死になって長柄で寄って集って突き刺して、なんとか殺す。

レントは敵を斬り続ける。カーティアも、もう一方の護りを単独でやってくれているようだ。

凄まじい唸りとともに、ラプトルが吹っ飛ぶのが見える。

カーティアの一撃だ。

パワーもレント以上かも知れない。

あのフロディアの同族だけはある。

世の中には、まだまだ強い奴が幾らでもいるな。

感心しながら、レントも剣を振るう。

立て続けにラプトルを斬り倒して、襲いかかってきた奴を唐竹にたたき割る。十体を倒した辺りで、血震いして顔を上げると。

そこには、明らかに危険なサイズのラプトルがいた。

感じる威圧感が段違いだ。

ライザやタオ、クラウディアがいれば。こんな奴、絶対に負けないどころか。ヤバイとすら感じなかっただろう。

だが今は、レントは片方の護りを単騎で対応しなければならない。

ライザに貰った爆弾は、とっくに使い果たした。

薬は時々バレンツ商会経由で送って貰っているが。これは出し惜しみしていられないだろう。

指先で、相手を招く。

体力の残りには、あまり自信がない。

速攻で決める。

「来いよ。 群れの長だろ。 俺が怖いか、ああ?」

不遜と受け取ったのだろう。

ラプトルの群れは、鋭く一声鳴く。部下達がさがる。

それと同時に、突貫してきた。

大丈夫。

速さもパワーも、三年前にライザ達と倒した魔物には、上の奴が幾らでもいた。レントは体格が更に大きくなって、力だって強くなっている。

それなのに、どうして大丈夫と言い聞かせないといけないくらい不安なのか。

戦いが始まる。

流石に長。

一撃をかわすと、鋭い爪でひっかきに来る。ひっかくといっても、ラプトルの爪は一つが飛び出していて。

それそのものが必殺の刃として、貰ったら人間程度ではひとたまりもない。

咬合力も凄まじいし、尻尾の破壊力だってとんでもなく大きい。

更に、これくらいの大きさの個体となると、今レントが使っているゴルトアイゼンの刃にも耐え抜くことがある。

魔物はこの過酷な世界で、他の魔物と食い合いながら生きてきているのだ。

下手な人間ではどうにもならない。

激しく数合を撃ちあうと、ラプトルのボスは一端跳びさがる。吠える。部下達が、襲いかかってくる。

カーティアは。

気配から言って、敵の群れと交戦中。支援は無理だ。

傭兵が一人、喚きながら槍を突き出す。それが、ラプトルの一体に突き刺さって、一瞬だけ意表を突いた。

ありがたい。

そのまま、腰を入れて全力で振り抜く。

数体にまとめて致命傷を与えながら吹っ飛ばすが。

その隙に、ラプトルのボスは、大きく飛んでいた。

大剣を盾に防ごうとするが、地面に叩き伏せるようにして押し倒される。がつんと、目の前で巨大な顎が閉じる。何度も、ラプトルのボスはレントをかみ砕こうとするが、必死に押し返す。筋肉が悲鳴を上げる。

ラプトルのボスは、人間との交戦経験が豊富なようで。的確に殺そうとあらゆる武器を使ってくる。

押し倒されたまま、体中が傷つけられる。

だが、ライザがくれた装備のおかげで、痛みも緩和されているし、傷も回復し続ける。それが追いつかなくなった瞬間、殺されるだろうが。

気合いを入れて、ラプトルのボスを蹴り上げる。

飛び離れようとしたラプトルのボスに、こっちも飛び起きると、タックルを浴びせる。

裂帛の気合いとともに、一撃を振り下ろし。

ラプトルのボスはそれをかわすが。

踏み込みと同時に、切りあげ。

ざっくりと顎から脳天に掛けて切り上げる。

だめだ、浅い。

派手に鮮血をぶちまけるが、それでもラプトルのボスは蹈鞴を踏みつつ踏みとどまる。

悲鳴を上げる傭兵。

更に数体の生き残りが同時に襲いかかっている。急いで助けないと、殺されるだろう。だが、こっちも手を貸している余裕がない。

大上段に構えを取る。

ラプトルのボスは、体勢を低くした。

この種族が、もっとも力を出せる、必殺の構えだ。次の一撃で決めに来る。どうやら狡猾ではあるが、戦闘そのものは堂々と行おうとする奴らしい。

ちょっとだけ、見直した。

ただの残虐な畜生だと思っていたのだけれども。

考えを改める。

この村の、無能な村長よりかずっとマシだな。

そうとすら思った。

激突は一瞬。

交錯した瞬間、脇腹を抉られていた。

激しい痛みが、焼け付くようにして全身に走る。

だが、次の瞬間。

頭をかち割られたラプトルのボスもまた、倒れ臥していた。

痛みを堪えながら、傭兵達に襲いかかっているラプトルを叩き臥せる。その時には、カーティアもラプトルの群れを、片付け終えていた。

 

手当てを受けながら、後の始末をカーティアに任せる。

痛い痛いと傭兵が悲鳴を上げている。左腕の肉を食い千切られていて。確かに酷く痛そうだった。

ライザから貰った薬を分けてやる。

本当に傷が溶けるように消えるのを見て、凄いなと今でも思う。

ライザが錬金術を覚えてから。

世界が変わった。

その日のことを、今でも思い出すようだ。

「こ、これは神代の奇蹟かなにかか?」

「いや、俺のダチの作ってくれた薬だよ。 神代の奴らがどんな存在かは知らないが、俺が思うにそんな奴らより上だと思うぜ。 錬金術っていうものの産物だ。 覚えておいてくれ」

「あ、ああ……。 ありがとう。 俺たちだけだったら、もう絶対に助からなかった」

感謝してくれる傭兵達。

だが。そうではない者達もいた。

カーティアが連れてきたのは、厳しい表情をした何人かの商人。

商人と言っても、明らかに荒事を経験しているツラをしている。

多分バレンツ商会の下っ端だろう。

レントをゴミでも見るように一瞥したが。カーティアが咳払い。

「彼はあの大型ラプトルを討ち取った凄腕だ。 今後大口の客になる可能性も高い」

「はっ! 失礼しました!」

「指示通り村の接収を開始しろ。 この村はバレンツ商会で以降管理する」

じっと、此方を恨みの目で見てくる村長。

他の村の者達は、明らかに無気力なほどに痩せこけている。

確かに奴隷なんかにしても、何の役にも立たないだろうし。

レントはそもそも、他の人間を奴隷にして使い潰した、古代クリント王国のカスどもの所業を見て来ている。

そんな連中と同じになるつもりはない。

いずれにしても、感謝は今回もされないか。

それどころか恨まれる。

この様子だと、ラプトルと相討ちにでもなってくれることを期待していたのだろう。救いようがない連中だ。

貧しいものが、必ずしも正しいわけではない。

それは知っていた。

金持ちが正しいわけでも、優れている訳でもない。

それと同じだ。

そして、レントは少しずつ諦めつつある。

この恨みの視線を、今までに何度も受けて来た。

恐怖と拒絶の視線も。

親父の気持ちが、少しずつ分かり始めている。ああは絶対にならないと決めている筈なのに。

物資が運び込まれてくる。

村の防備がまず整備され。そしてバレンツ商会の支部が作られるのだ。

しばらくは別に行くところもないし、路銀もいる。

助けた傭兵達とともに、村の復旧と要塞化を手伝う。同時に、村には流れ者らしい人間が連れてこられた。

これは、多分村がある程度復旧したらもめ事になるんだろうな。

そうレントは思って、うんざりした。

村長は正式に書類を書かされて、引退させられる。

人間の生存圏が狭くなる一方の時代だ。

魔物から命を拾っただけでもめっけものである。そんな時代で、ずるずると生きてきただけの老人に。

権力を預けるほど、此処に余裕などは無い。

だが、老人はレントを恨みの目で見続けていた。

その恨みの目は。

当面、忘れられそうにもなかった。

 

3、捜し物

 

セリ=グロースはこの世界の人間ではない。

この世界、確かオーレン族の長老は、何か名前をつけて呼んでいたが、忘れた。ともかく隣の世界であるオーリムに一度破滅をもたらし、それでいながらのうのうと生き延びている世界。

魔物が大量発生し、オーリムに破滅をもたらした連中の子孫は苦しみ続けているが。

それは完全に自業自得だと思っているから。

それについては、なんとも思わない。

ただ、この世界には。

緑がたくさんある。

セリは緑羽氏族と呼ばれる、オーリムの種族、オーレン族の一氏族の出身だ。氏族単位でまとまって生活するオーレン族は、この世界の人間の二十倍以上の寿命と、違う生態を持つ。身体能力も、魔術を使う能力も、いずれも比較にならない程優れている。また、この世界の人間とは違い、例外なくオッドアイという特徴がある。

この世界の人間に比べてあらゆる点で優れているのは客観的に言える事実だが。一つだけ決定的に劣っている事がある。

繁殖能力だ。

オーレン族は種族として完成度が高すぎるから、増える事が極めて下手。

それで生命としてのバランスを取っている。

セリはそう解釈していた。

オーレン族は氏族ごとに得意分野が違う。白牙氏族は戦闘に長けているし、緑羽氏族は植物の育成に長けている。

オーリムは植物が今致命的なダメージを受けていて。

汚染が全土で拡がっている。

セリの目的は、その解決。

そのために、様々な植物がまだ残っているこの世界に来ているのだ。

この世界に来てからは、身を隠すようにローブを着込んでいる。

爪の生え方がこの世界の人間とは違う。

肌の色も、どれだけ焼いてもこの世界の人間よりも青白い。

そういった特徴もあるのだが。

何よりも、この世界の人間の事を毛嫌いしていたこともあって。

それで、関わり合いになりたくないからだった。

周囲を歩いて見て回る。

幾らでも植物はあるが、どれも貧弱な種類ばかりだ。勿論その場その場で大事な役割を果たしているが。

汚染には耐えられないだろう。

毒草も薬草もある。

それらを全て見て回っている内に。

歓迎しない気配を感じた。

数人か。

顔を上げて、立ち上がる。

気付かれたと判断したのか、数人の男達が姿を見せる。全員が武装していて、下卑た顔をしていた。

「ツラ見せろや。 用件くらいは分かっているんだろ」

「可愛がってやるよ、へへへ」

「おい、傷はつけるなよ。 上玉だったら売り飛ばすんだからなあ」

好き勝手な事をほざいているなあ。

撃退は容易だ。

だが、此処で戦闘すると周囲の植物が傷つく。

緑羽氏族は、氏族の中でも特に森とともに生きる存在だ。この森とも言えない貧弱な土地ではあるが。

それでも緑が大事な事に代わりは無い。

周囲に生えている植物は、そろそろ花を咲かせる。

植物は花を咲かせる事で繁殖する。

営み自体は動物と変わらない。

それも理解すらできていないだろう輩には、流石に苛立ちが募った。

手首につけている首輪は、セリの魔術を最大限増幅する。

すっと手を振るうだけで。

勝負はついていた。

男共が、空に跳ね上げられる。

急成長した植物の根によって、文字通り吹っ飛ばされたのだ。

一人を除いて、全員が一瞬で気を失った。殺さないように加減したのだから、感謝してほしいくらいだ。

一人が喚きながら立ち上がる。

ナイフを抜く一人。何か下卑たことを喚いているようだが。内容なんかどうでもよかった。

仕方がない。殺すか。

そう思った瞬間。真横から飛んできたブーメランが、その男の側頭部を直撃。意識を奪っていた。

ブーメランが、飛んで戻る。かなり巨大なブーメランで、魔物と呼ばれる大型の生物にも充分に有効打を与えられそうだ。

一瞥する。

此方に歩いて来るのは、やたら露出の多い格好をしている男だった。腹を敢えて出しているのは、腹筋を見せるつもりだろうか。

口元をマスクで隠しているのは、口でも裂けているからか。

良く理由はわからない。

「よう、大丈夫か」

「見ての通りよ」

「そうか。 災難だったな。 この辺りは治安も良くねえし、出来るだけ急いで街の近くに行った方がいいぜ」

そういって、男は何か投げて寄越してくる。

この世界の金だった。

「これは?」

「此奴らに掛かっている賞金だよ。 あんたが首領以外は倒したのはしっかり見ていたからな。 そいつらの分だ。 生活には金がいる。 とっておきな」

「ええ……感謝するわ」

金か。

あまり意識はしていなかったが。どうしても生活のために必要になると、薬草などを摘んで稼いでいる。

まあ、貰えるなら貰っておく。

この男に敵意がない事は分かっていた。

男は荷車を引いてくると、気絶している連中を縛り上げて、それに積み上げていく。手伝う必要も無さそうだ。

「俺の名はクリフォード=ディズウェル。 トレジャーハンターだ」

「私はセリ=グロース」

「そうか。 じゃあな、セリ。 またいずれ、何か機会があったらあうかもな」

荷車を引いてクリフォードという男が行く。

まあいいか。

ぶちのめした連中を魔物が食い荒らして、その血でこの辺りの植物が汚れるよりはいい。

それにしても、トレジャーハンターといったか。

宝を探しているのであれば。

セリと同じだな。

そう、不思議な縁だと思った。

 

セリはずっと汚染を除去するための植物を探し続けている。この世界の時間で、百年以上もだ。

オーレン族にとっては大した時間じゃあない。

長老はそれこそ千年以上も生きているし。

伝承によると、二千年以上生きたオーレン族もいるという。

また、周囲を探しては回る。

野に生きるのは慣れている。むしろこの世界の人間とはあまり関わるつもりはないので、集落に近付くつもりはない。

黙々と歩いていると、朽ちた集落に出た。

人間はいない。

魔物が少しいるようだが、大した相手では無い。

セリを見て仕掛けて来たのもいるが、植物を操作する魔術で一薙ぎして。蹴散らして、追い払った。

集落の跡地に、何か価値のある情報はあるだろうか。

この世界の人間は、世界を汚染することを何とも思っていない節がある。

それについては不愉快極まりないが。

それでも、汚染の中に、汚染に強い植物はあるかも知れない。

調査をして回ると、汚染に強い植物はあるにはある。種を少しだけもらう。だけれども、これは一目で分かる。

オーリムを蝕むフィルフサによる汚染を、駆逐出来るほどではない。

それでも、或いは品種改良すれば、何か活路を見いだせるかも知れない。

オーリムに戻る事は、出来る。

帰路については常に確保しているからだ。

この世界の人間には知られていない場所に、安全にオーリムに戻る事が可能な場所が存在している。

其処を使えばオーリムに戻る事は可能だが。

ただ、可能なだけだ。

「!」

一度、戻ろうとした瞬間。

周囲に、人間の気配。また複数だ。

「出て来やがれ!」

叫び散らしている奴がいる。

どうやら、また与太者の類のようだった。

無言のまま出ていくと。少し前に此方を囲んだ連中と似たような輩だ。前よりも人数を増している。

いや、前のと同じのが混じっている。この世界に来たばかりの時はこの世界の人間の区別は難しかったが、最近はある程度出来るようにはなって来ていた。

「兄貴、あいつだ! 怪しい魔術を使う!」

「そうか。 だったら油断はするな。 容赦なく殺せ!」

「巫山戯やがって! 此奴のせいで、お頭は処刑されたんだ! バラバラにして、魔物のエサにしてやる!」

ああ、そういうことか。

いわゆる逆恨みという奴か。

すこぶるどうでもいい。

此方を好き勝手に慰み者にしようとし、挙げ句奴隷として売り飛ばそうとしていた分際で、何をほざいているのか。

こんな感じで、この世界の人間はオーリムを蹂躙したのだろう。挙げ句フィルフサに殺された時には、被害者面をしたと言うわけだ。

そしてそれを忘れ去り。

今も勝手な事をほざきまくっている。

怒りがふつふつとわき上がってくる。いずれにしても、此奴らは殺す。そう決めた。

「殺せ! お頭の仇だ!」

「ブチ殺せ!」

まとめて襲いかかってくる与太者の集団。

即時で魔術を展開。

以前は気絶する程度に手加減していたが。もうそのつもりは無い。

急速成長させた植物の刃が、一閃。

その場にいた殆どの首を、一撃で刎ね飛ばしていた。

魔術の出力が違う。此奴らも魔術で身体能力を上げていたようだが、その程度の技量で、よくもイキリ散らせたものだ。この世界にも強い人間はいる。だが、此奴らは違ったという事である。

首を失った死体が、その場でまとめて倒れ臥す。

一人、仕留めそこなったか。

そいつは逆恨みを拗らせた挙げ句、まだ何か喚きながら、ざっくり抉られた傷から鮮血を噴き上げている。

放っておけば、そのまま苦しみ抜いて死ぬだろう。

ナイフを投擲してくるが、植物を操作して弾き返す。跳ね返ったナイフは其奴の右目に突き刺さって。与太者は更に哀れっぽく、被害者っぽく悲鳴を上げた。それが更に怒りを噴き上がらせる。

「畜生、俺は頭の仇もとれないのか!」

「何を言っても無駄な相手に興味はないわ。 其処で苦しみ抜いて死になさい」

まだ何かわめき散らそうとしたそいつの首を、また飛んできたブーメランが刎ねていた。

どうと倒れる男。

ブーメランを空中で受け止め、着地したのは。

また、あの派手な格好の男だった。

クリフォードと言ったか。

クリフォードは、ため息をつくと。また、金を投げて寄越してきた。

「あんたの姿を見た奴がいるって聞いてな。 まさかとは思ったが」

「確かこれらは捕獲されたんじゃなかったのかしら。 どうして綺麗に処分しなかったの?」

「……捕獲して街の自警団に突きだしたんだがな。 死刑になったのは首領だけで、後は鞭打ちだけで放逐された。 それで懲りる奴もいるんだが、此奴らは違った。 此奴らは昔の仲間を集めて、あんたや俺に復讐をしようとしていた、というわけだ。 俺が狙われる分には返り討ちは余裕だったんだが、まあ万が一もある。 追いかけてきたんだよ」

「そう」

あまり興味がない話だ。

オーレン族はそもそも、森とともに生きる種族。

森と生きる事が出来なければ死ぬだけだし。

色々な掟が気にくわなければ、新しい氏族を自分で立ち上げれば良い。

だから、この世界の人間のように、無法を貪る輩は殆どでない。

理解に苦しむ連中がこの世界を荒らしているようだが。

オーリムを無茶苦茶にして、それを忘れて平然としているような者達だ。セリにはどうでもよかった。

滅びたとしても、何も感じないだろう。

今殺した事だって、なんとも思わない。

「それで、この金は?」

「此奴らは行く先々で強盗やら殺しやらをしていてな。 前は賞金が捕獲で出たんだが、それがいわゆるデッドオアアライブになった。 これから死体を提出して、残りの金を貰ってくる。 それだけさ」

「……」

「受け取ってくれ。 俺が殺したのは、一番賞金が高かった奴だけ。 残りの分は、あんたに受け取る権利があるからな」

前もそうだったが、筋を通す奴だ。この世界にも、こんな人間がいるんだな。

まあ、それはどうでもいいか。

片手を上げて、死体を積み込んで去って行くクリフォード。まあ、名前くらいは覚えておいてやる。

そのまま、村を後にする。

この世界に来てから、この世界の人間を殺したことは何度もある。特に最初のうちは、珍しい容姿から奴隷として売り飛ばそうとする輩が何度も絡んできた。

叩き伏せて追い払うのが常だったが。

今回のように逆恨みして追ってくる奴もいて。

そういうのは、殺処分するしかなかった。

この世界の人間に対する不信感は募るばかりだ。

たまにまともな人間もいるようだが。

それも、あくまでたまにだった。

集落の跡地を離れて、拠点にしている森に。森の中は落ち着く。全ての情報を把握できるし。

植物を操作できるセリにとっては、文字通り此処はテリトリと言える。

勿論魔物の危険もあるが。

それはそれだ。

セリはこうやって森に拠点を作りながら、手に入れた浄化用の植物の品種改良を続けている。

植物に対する魔術のエキスパートだからこそ出来る事だが。

しかし、それでもなお。

まだオーリムを蝕む汚染の除去が出来る植物にはまだ届きそうにない。

今日も研究を続けて、それでまだ駄目だと判断。

少しずつ、汚染の除去が出来る植物には近付いているが。それでもまだまだ足りていない。

あと、どれだけ掛かるのだろう。

古代クリント王国とか言う連中が、更にオーリムの汚染を拡大させた。

その前から色々あったのだが。フィルフサの汚染が決定的になった切っ掛けは、その古代クリント王国だ。

最初此方の世界に来た時。

古代クリント王国について、周囲の人間を締め上げて聞いたが。そんなものはとっくに滅びたとしか、分からなかった。

普通何かしらの技術を作り出すのなら。その対抗策も一緒に作り出すはず。

最悪の存在であるフィルフサを好き勝手にしようとした連中だ。

それに対する策だって持っていた筈。

そう考えたのに。

希望が打ち砕かれても。

それでも、出来る範囲でずっと出来る事をやり続けている。

いずれにしても、セリはまだオーリムには戻れない。

また何処かで悲鳴が聞こえる。

何かが死んだのが分かった。

だが、それがこの世界の人間だろうが、魔物だろうが興味は無い。

セリが興味があるのは、オーリムを救うこと。

ただ、それだけだった。

 

4、後を追って

 

あたしはモリッツさんから貰った不可思議な物体を調べて見たが、結局分からなかった。しばらく手紙などのやりとりを皆としていたのだが。

王都に留学中のタオから、手紙が来ていた。

此方には資料がある。

今、丁度クラウディアも来ているらしいよ。

ボオスも僕もライザには久々に会いたいと思っていたんだ。

だから、来てみてはどうだろうか。

そういう内容だった。

王都か。

片道で一週間ほど掛かる。

汽水湖のエリプス湖を抜けて海路を使い。その後は王都最寄りの港から、歩くことになる。

往復で二週間。

調査も含めると、一季節か。

いずれにしても、この不可思議な物体。ブルネン邸に保存されていたとなると、ろくでもない代物である可能性も高い。

そうなると、準備だ。

久々に目的が生じたからか、体が軽くなった気がする。

順番に、やる事をこなして行く。

まずは、必要なお薬などの生産だ。これはあたし用ではなく、クーケン島で使うためのものだ。

今作れるお薬を、一通り。

一季節クーケン島を離れても平気なくらいは、先に作る。

更には、現在目撃されている危険な魔物も、あらかた片付ける。

そしてもう一つ。

「聖堂」。

オーリムへの通路を開きうる彼処の管理を、しっかりしておく。

周辺の魔物は既にあらかた掃討してあるのだが。今回は、その後処理もやっておくつもりである。

素材を集め。

調合を行っていると。

少しずつ楽しくなってきた。

レントはちょっと分からないけれど、タオやボオス、クラウディアと直に会うのは三年ぶりだ。

それぞれが自分の道を行っているのだから、今後は更に会える可能性は減るだろう。

ボオスは島に戻ってくるかもしれないが、その時はブルネン家を継ぐ事を考えるのだろうし。

何より、ボオスが気があることが明白なあの人とどう会うかを、今でも考えているだろう。

タオはひょっとすると、王都に居着くかも知れない。

というのも、王都には、書物だけならしっかりしたものがあるらしく。無能な貴族はどうでもいいが、其処にある資料に関しては一級品だとタオも認めている。

学者になって、それらを保存する生活に入るかも知れない。今でもタオは史上空前の成績をたたき出しているらしいので、実現は不可能では無いだろう。

クラウディアは既にバレンツ商会の重役だ。

今後、直接会うにはアポが必要になってくるかも知れない。

既にバレンツ商会のトップであるルベルトさんの右腕として、かなりの商務を引き受けていると言う事だし。商談についても、かなり忙しいらしい。

手紙には愚痴も結構書かれている。

そんな状態だ。

同じ王都にいても、会えるかは分からない。

ただ、それでも。

会える可能性があるなら、会いたいというのは本音だ。

友達は幾らでもいるが。

クラウディアは親友の中の親友である。

ともかく、王都に行く準備はしておく。

王都には、一線級の装備と錬金釜、それに幾つかの道具をもっていく。特に大事なのが、トラベルボトルだ。

これは擬似的に小型の異世界を作り出す古式秘具で、これを用いる事によって様々な場所での貴重な素材を手に入れる事が出来る。

今後錬金術師としての腕を上げていけば、オーリムで繁殖するフィルフサを叩き伏せる作業をもっと本格的にやっていく可能性がある。

現在、近場で集めて来たトラベルボトルは複数あるのだが、その内の一つは持っていく。

他には薬や爆弾などの自衛用装置。

それにメモ。

着替えは、二三着あれば良い。

錬金術の応用で、釜に放り込んであっと言う間に綺麗に出来るからだ。

それくらい、エーテルとそれによる要素の再構築には習熟してきている。一応、腕そのものは向上しているのだ。

エドワードさんの医院に、必要なものを納品。

かなりの量になったので驚かれたが、島の生命線だ。エドワード先生は本当に立派な医師なので、任せられる。

後は、バレンツ商会に話をつけておく。

先に一季節分の納品を済ませておいて。これから王都に行くので、そっちで足りない分は納品する話もしておく。

これだけで、島における販路の維持は問題がない。

更に、島で緊急の事態が起きた場合にも、連絡が来るようにしておく。エドワード先生、モリッツさん、アガーテ姉さん、ウラノスさんや白髭。それに他の知り合いにも、この話はしておいた。

まあ出先であたしが倒れたりしたら、それはそれで問題が起きるのだけれども。まあ、簡単に負けるつもりは無い。

戦闘に関しても、経験は積んで来ているのだ。

準備ができたのが、だいたい予定通りの一週間。家にもそれなりのお金を入れておく。

王都に行くと言うと、母さんは相変わらず分からない事をしていると顔に書いたし。父さんがそれをなだめてもくれた。

モリッツさんから話は来ているが、それでも王都まで足を運ぶ意味があるのだろうかと、母さんはそれでもぼやいた。

意味があると、あたしは答えて。

それで母さんは何も言わなくなった。

予定通り来た船。

かなり船は傷んでいるのが分かった。

航路を行く途中に、魔物に襲撃されるのだ。

前にクーケン島にかなり大きな魔物が攻め寄せたことがあったけれども。

ああいうのが、外海にはわんさかいる。

外海に出る船は、基本的に大きく強く作るのだが。それでも、時々撃沈させられるということだ。

そうなってしまうと、助けようがない。

ただ今回は、あたしが乗る。

被害なんて、出させはしない。

船の応急処置に必要な部材は、あたしがすぐに用意する。

これでも建材の準備は散々やってきているのだ。

即座に納品を終わらせて。

船に乗ってきている船大工達が、その品質を見て驚いていた。あたしも腕を鈍らせてはいないのだ。

ただ、師匠であるアンペルさんが見たら、どう思うだろう。

伸びが鈍化した。

そう思うかも知れない。

あの一夏で、アンペルさんはあたしを絶賛していた。たった一夏で、百年の研鑽を越えたと。

アンペルさんはある事情から長生き、それもとても長生きしているらしく。

それでも、あたしの方がもう技術は上だと言っていた。

ただ、その一夏以降、あたしは飛躍的に技術が伸びたわけではない。

それは、こう言うときにも散々思い知らされる。

みんながいないと駄目なのかな。

そう考えたこともあった。

女友達の中には、下世話な話を振ってくる子もいたけれど。

私は、いなくなった誰かに恋愛感情を抱いていた事は一度もない。

世の中には、そうではない関係もある。

ただ、それだけだった。

元々、船の整備の時間も計算に入れている。それだけ外海というのは危ない場所なのである。

出る前に、バレンツ商会に手紙を渡しておく。

バレンツ商会は鳩などを使った速達のシステムを作っていて。それにより、手紙だけなら即座に遠くへ届けることが可能だ。

早馬とも言われているらしいが。

現在では、馬で街道を急いでも、魔物のエジキになるだけ。馬よりも大きくて早い魔物なんて、幾らでもいる。

早馬というのはあくまで比喩であって。

本命は、持久力と高速での飛行能力を持つ鳥であるらしい。

手紙はそれでいける。

もっと大きな物資になると、隊商の移動にあわせて一緒に運ぶしかないので、割高になる。

ただあたしは、バレンツ商会にかなりの利益をもたらしていると事もある。

その事もあって、物資の輸送に関しても。

かなりの良心的な値段でやってくれるのだった。

いずれにしても、船の整備が終わって。

それで海に出る。

出立の日、見送りに来てくれたのはアガーテ姉さんだけだった。一応モリッツさんの以来で王都に向かうのだが。

モリッツさんは、あたしの事が苦手なのだろうし。

何より、借りが大きすぎる。

これ以上、公然と借りを作る訳にはいかないのだろう。

村の古老達は、あたしのことを苦々しく思っているようだ。

島の深層を暴いたり。

何よりも、伝統が如何に愚かしいものだったのかを白日の下に晒した。

伝統の中には、意味があって守っているものもあるが。

その意味を暴いた時点で、その神秘性は消えてしまう。

その煽りをもろに喰らった古老達は、あたしの事を良く思っていないことが、明らかすぎるくらいだった。

アガーテ姉さんがボオスの右腕であるランバーを連れてくる。

少し前に、ランバーは結婚した。

相手は島の外から来たまだ若い女性だ。ただそれでも、ランバーより二歳年上であるそうだが。

ランバーは、以前は腑抜けとして知られていたけれども。

島の危機に一緒に対する内に、ボオスがしっかりしてきたことで、腑抜けの仮面を外した。

今ではすっかりブルネン家の執事役として、過不足なく働いているし。

剣術だけならアガーテ姉さんにも匹敵すると言う事で、剣術師範というだけではなく、武力としても期待されて時々魔物の掃討に加わっている。

「二人とも、行ってくるからね」

「ああ、島の事は任せろ。 どうしようもなくなったら連絡は入れる」

「お願いします」

「ライザ、少し良いか」

ランバーの背筋は伸びて、視線もしっかりしている。

元々タッパはボオスよりも高かったのだ。

そうなると、あたしよりも随分上から声が降ってくることになる。あたしも見かけで相手を判断していた時期があったから。

ランバーがどういう思いで腑抜けを演じていたのかは今も分かるし。

家庭も持ってしっかりしたランバーを見ていると、色々と思うところも多い。

「ボオスさんが、学業で苦労しているようだ。 学業にとれる時間が少ない、といっていてな」

「確か向こうでの生活費が狂ってるんだっけ? それでタオと一緒に用心棒とやって稼いでるって聞いたけど」

「それもあるが、どうもそれ以外で時間を使っているらしい。 色恋沙汰ではない事は俺も知っている。 もし何かの理由で苦労しているようなら、タオと一緒にボオスさんを助けてやってほしい」

「分かった。 任せておいて」

一時期は、島での二大悪ガキ軍団の筆頭同士だったあたしとボオスだが。

今はすっかり和解して、腹を割って話せる間になっている。

ランバーがこういう話をするのも、その和解を知っているからだ。

三年前の一夏の事件で。

ランバーはボオスを庇って、フィルフサとの戦いで身を挺した。

それもあって、すっかりボオスもランバーへの見方を変えて、今では信頼しているようである。

いい関係だと思う。

モリッツさんも、水に関する特権がなくなってから、島の中で偉ぶることはなくなって。島全体の事を考えるようになっているし。

あの一夏での出来事は。

少なくとも、クーケン島の全体にとっては良いことだらけだったのだ。

手を振って、船に乗る。

父さんと母さんは見送りに来なかったな。

でも、家で行ってくるとは言ったし、それでいいか。

船が動き出す。

巨大な船だ。

移動する時の重量感が凄まじい。

船が帆を張って、風を受けると。加速する。

これは確かに、簡単には止まれないわけだと。その重量感ある動きで、実感させられる。

アガーテ姉さんとランバーは、すぐに見えなくなった。

後は、何処までも拡がる水平線と、青い空と、雲。

もうすぐクーケン島には夏、更には乾期が来るけれども。

既に水を得るためのシステムは復旧している。

誰も、乾期で困る事はない。

今ではみんな水を潤沢に使えることもあって、衛生観念が増しているとエドワード先生が喜んでいた。

何より、今まで水没してきていた島の東部も、人工島であるクーケン島の傾きを修正した事により、水が引いてきている。

地震もなくなった。

島は、もう当面は大丈夫なのだ。

さて、今度はあたしがみんなに少し遅れて、はばたく番だ。

王都にははっきりいってあまりいい印象がない。

井戸の中で、王都しか実質的に領土がない癖に伝統がどうの権威がどうのとほざいている無能貴族が騒いでいると思っている。

多分それは覆らないだろう。

ただ、例外はいるかも知れないし。

或いは何か、新しい冒険があるかもしれない。

それに、だ。

モリッツさんから渡された、卵みたいな宝石の塊。

私が側に置くようになってから、光るのを何度か確認した。

確かに何かあっても不思議ではないだろう。

出る前に確認したが、処理を忘れていることは一つもない。聖堂の封印もしっかりしてあるから、人間の与太者がオーリムに入り込んで悪さをすることもない。

半年前にオーリムに出向いたときには、復旧した聖地グリムドルに、更にオーレン族が増えていて。

顔役のキロさんを中心に、復旧作業を進めていた。

あたしは肥料とか色々納品して。

代わりに、現地で採れた特産の薬草や、安全になった地帯で採れた鉱石とかを貰う事ができた。

雨を取り戻したグリムドル近辺はフィルフサの恐怖からも解放されている。

雨が降る以上、水を致命的に苦手とするフィルフサが好き勝手をする事はないだろうし。

何よりあたし達の誰よりも強いキロさんが、傷ついている者も多いとは言え、生き残ったオーレン族とともに護りを固めている。

下手な相手に遅れを取る事はないだろう。

潮風が最初は気持ちよかったが、すぐに少しべたつくようになって、苦笑い。

船室に引っ込む。

人によっては船酔いで色々と困る事もあるらしく。

ボオスも船酔いで死ぬ思いをしたらしいが。

どうもあたしは平気らしい。

水に対する訓練は受け直したので、今では多少苦手とは言え、着衣泳も余裕でこなしていける。

船が転覆したとしても、まあ多分生き残れるだろう。

まあ船が遭難することを、今考えていても仕方がない。

しばらくは、船室でぼんやりすることにする。

多分これが、最後のぼんやりする時間だ。

王都に向かう道中は、クーケン島近辺と違って賊も出るし与太者も多いと聞いている。

それ以上に、殆ど魔物が野放しで。隊商が襲われることもしょっちゅうだと言う事だ。

この船の中ですら、危ないだろう。

だから、今は静かに過ごして。

しばらく本気で振るっていなかった牙を、研ぎ直すこととした。

王都は少しずつ、確実に近付いている。

新しい冒険が。

また始まるのだと思うと。

ずっともやついていた心が。

また少しずつ、燃え上がるように思えてきていた。

 

(続)