それぞれの旅路へ
序、最初に島を離れる二人
クーケン島の港に、大きな船が来る。
バレンツ商会のものほど大きくは無いが、それでも時々来る交易船だ。幾つかの商会が、羽振りが良くなっているクーケン島に目をつけているので。乗っているのは商人も目立つ。
ただ、此処での主導権を握っているのはバレンツ商会だ。
モリッツさんが、しっかりまともな商会を選んで誘致してくれた。実際タチが悪い商人に食い物にされる寒村は珍しくもないという。
モリッツさんは憶病だが、この辺りはしっかり島の代表をやれている。とてもではないが、頭が固いだけの古老にこれだけの事は出来なかっただろう。
アガーテ姉さん達護り手が目を光らせている中。
心配そうにしているモリッツさんと。やっと厄介払いができると顔に書いているタオの両親が来ているのを、あたしは一瞥。
タオの両親は、最後までタオのことを認めなかった。
留学と聞いて、最初に金は出さないと言い放った程で。あたしが思わず立ち上がりかけたのを、ボオスが引き留めたくらいだった。
いずれにしても、タオは或いは王都に腰を据えるのが良いかも知れない。
タオの家に保管されていた書物はあたしが引き取って、コンテナで保管している。理解がないというよりも、根本的に興味がない人間の所では、これは暖を取るための燃料くらいにしかならない。
タオが守りきらなければ、島は詰んでいた。
島の中枢の制御機構の話をボオスがしても、タオの両親は知った事かと顔に書いていて。どこまで無責任になれるのかと、あたしは呆れたけれど。
逆に、その呆れが。
怒りを収めた。
こんな人間に呆れたり怒るだけ無駄。
放置しておけば無害なのだから、それでいい。
そう判断した。
いうならば、完全に存在として興味を失った。
いずれ、あたしに何か頼んで来たとしても、完全に他人として接するだけだ。あたしの仲間であるタオの家族という肩書きは、何の意味もない。
タオとボオスが、旅支度のまま、世話になった人達と話している。
モリッツさんは心配そうにしていたが。
そもそも心配してもどうにもならない。
クーケン島では最高権力者のモリッツさんだけれども。それはあくまで島の中での話であって。
島の外に出たら、なんの権威も権力もないのだから。
「アガーテをつけようか? 道も知っているし、護身もできるだろうし」
「父さん。 アガーテ護り手長は島のために仕事をしなければならないんだ。 それが分からない訳でもないだろう」
「し、しかし王都に行くには危険が……」
「タオもいる。 タオははっきりいって、もう護り手が束になったより強い。 ライザが作ってくれた護身用の装備もある。 だから安心してくれ」
モリッツさんが、それでも何か言おうとしたが。
あたしが助け船を出していた。
「モリッツさん。 こう言うとき、親として言うべきことを言ってあげてください」
「えっ? そ、そうだな……」
そわそわするモリッツさん。
子供か。
だが、まあそれでもいいか。
どうでもいい。さっさと帰りたい。そう顔に書いているタオの血縁上の両親よりはずっとマシだ。
「あー、おほんおほん。 ボオス、行ってきなさい。 学問を修めて、この島のためになる力を身に付けたら、戻ってくるようにな」
「ああ。 任せておいてくれ、父さん」
さて、タオだ。
レントと一緒に最近はずっと剣の訓練をしていた。それでもお守り代わりにハンマーは持っていくそうだが。
それでも、剣がしっかりふるえるようになったら、完全に切り替えるそうだ。
レントの話によると、もう剣もだいぶふるえるようになっているそうで。
後はタッパの問題を解決できれば。
特に何もなく、剣士としてやっていけるという事だった。
タオは意図的に多めに食べるようになっている。そういえば、最近背が伸び始めたような気もする。
皆と、タオは順番に話す。
あたしとも。
「タオ、島に連絡は寄越しなさいよ。 ボオスも連絡はくれるらしいけれど、タオは多分こう言っておかないと絶対手紙書かないでしょ」
「うん、まあそうだね。 今、どんな勉強をしているか、そういう話をして寄越すよ」
「それはそうだけど、例の」
「あ、うん」
タオも頷く。
王都に出たら、遺跡などの情報を可能な限り調べてほしいと頼んであるのだ。
もちろん学生だからできる事には限界があるが。
それでも、やっておくべきことはやっておくべきだ。
この情報を、アンペルさんやリラさんと共有できれば、対応が絶対に早くなる。アンペルさんは流石にもう追われてはいないと思うが。
王都の中枢に忍び込むのは、色々と厳しいだろうから。
島への荷物の積み込みが行われている。
これは稼ぎ時なので、島の人間がかなり手伝いをしている。
また、島を出て行くものも乗り込んでいく。
逆に、島に住むことを考えて来た人もいる。そういった人は。しばらくは様子見をして。状況次第で家をプレゼントされる。
島に新しい血を入れることは、もう古老ですら認めている事だ。
そうしないと、いずれ島は体がおかしい人間だらけになる。
今回も、何人か様子を見に来た人がいるようだ。
それと入れ替わりに、出て行く人もいるが。クーケン島が過疎化するほど、人は出ていかない。
一日がかりで荷物の積み卸しをして。
それで、タオとボオスは、島を出て行った。
仲間が、いなくなった。
アトリエが少し寂しくなる。
タオもボオスも、幼い頃から見知った仲だ。
これで、二人がそれぞれ自分の道を歩き始めたこと。ある意味自立した大人になった事はあたしも分かる。
だが、それはそれで。
少し、寂しいとも思った。
アトリエに戻る。
此処に常駐気味のアンペルさんとリラさんは、今日はオーリムに行っている。流石に別れには慣れたもので。タオとボオスを見送ると、すぐにオーリムに向かって、キロさんの手伝いをしているようだ。
あたしは、そこまですぐに気持ちを切り替えられない。
ふと、机の上を見る。
タオが残したマニュアルだ。あたしの分である三つ目。ざっと目を通す。前に目を通して、大丈夫だとタオに言ったのにな。
気付く。
幾つかの場所に、注釈が入っている。
ものを教えるのには、三倍の知識がいると言われている。タオの場合は、それを持っている。
制御盤の操作方法について、細かい所が記されているだけではない。いわゆる問題が起きたときの対処法や、やってはいけないこと等も書かれていた。
なるほど、タオらしいな。
最悪の場合、王都にいる自分に手紙を送ってほしい。
そんな事も書かれていた。
地図もおかれている。
この辺りの地図についてだ。
みんなで持ち寄って、色々書きこんだっけ。特にアンペルさんは、専門的な観点から非常に色々な興味深い記載をしてくれた。タオの書いている内容は学術的な興味に溢れていて。
戦闘をあれほど怖がっていたのに。
冒険を徹底的に楽しんでもいたのだという事が、よく分かる内容になっていた。
みんな、クーケン島を離れる。
久遠の別れではないことは分かっている。
それでも、これらを見ると色々と思うところもある。
あたしはふうと嘆息すると。
ベッドに腰掛けて。
リラさんみたいに、ベッドでしばし猫になった。
あの剣。二本用意したもの。
次に会ったときには、使いこなせているかな。
剣の重心の替え方とかは、レントが教え込んでいる筈だ。覚えが良いタオである。忘れるとは思えない。
次に凱旋するときは、背がぐっと伸びて。
王都で捕まえた嫁さんでもつれているのかな。
そう思うと、まるで別の人のようで、ちょっとおかしい。
王都での結婚可能年齢は知らない。クラウディアが色々と話してくれたが、場所によっても違うし。
貴族や王族やらも、また別のルールで動いていると言う。
貧しい人ほど結婚は早い傾向があり。
文字通り命がけで子供を産むそうだ。まあ、一昔前までのクーケン島がそうだったから、言われる通りである。
貴族は時代によって違うらしいと、アンペルさんは言っていた。
基本的に安定していない時代だと子供を早く作る傾向があり。そうでない時代はじっくり時間を掛けて結婚するそうだ。
今は後者らしく。
まあ井戸の中のカエルの安定ではあっても。
連中にとっては安定なのだろうなと、あたしは思うだけである。
中にはマシな貴族もいるかも知れないが。
それは今の時点で、あたしの知った事ではない。
無言で横になっていると、疲れが溜まっているのか、いつの間にか眠ってしまっていた。
アンペルさんとリラさんが戻って来たことに気付いて、起きる。
流石にソファでうたた寝すると、あまり深くは眠れないようだった。
「ライザ、昼寝していたのか」
「すみません、気が抜けていたみたいです」
「今までの人生をあわせた以上の経験を積んだんだ。 まあ、仕方はないだろう。 だが、いつまでもだらけるなよ」
「はい」
リラさんの厳しい言葉。
リラさんは休む時と動く時を完全に見極めていて。戦う時はだからあの竜巻のような動きが出来るのだろう。
あたしもそうなるべきなのか。
この一夏は、本当に忙しすぎた。
だから、忙しい中で体が悪い意味で慣れてしまったのかも知れない。
確かに、休むべき時と、動くべき時の見極めは大事だ。
そしてメリハリをつけて動かなければならないだろう。
「オーリムはどうでした?」
「少しずつ状況を見ながら植物を移植している。 雨が適度に降るから、後は土地を作っていくことからだな」
「フィルフサに汚染されたとは言え、一度全部押し流してしまいましたしね」
「いや、元々普通だったら土壌が全部流れることはない。 フィルフサに汚染された時点で、土地は死んでいた。 ああするしかなかったんだ」
リラさんが、少しだけ寂しそうに言う。
そして、咳払いすると、話をしてくれる。
「キロ=シャイナスと手分けして、歌って回っている」
「歌ですか」
「そうだ。 歌には幾つもの用途があるが、今使っているのは遠くまで届かせるためのものだな」
「ほうほう」
アンペルさんが補足してくれる。
此方の世界でも、山などに住んでいる人は同じような事をするらしい。
山の間にてこだまが起きるのはあたしも知っているが。それを利用して、遠くに声を届けて。
隣の山などにいる人間と、意思疎通をするそうだ。
今リラさんとキロさんでやっているのは、遠くに歌を届けることによって、生存者を探す事。
雨が降って、フィルフサが避けるようになった土地は想像以上に広く。
二人の機動力でギリギリを回りながら。歌って回っているらしい。
それに、遠くから雨が降っているのも見えているはず。
フィルフサの攻撃から潜伏して隠れている者がいれば、姿を見せてもおかしくはないだろう。
何よりも、生き残るために。
どんな未熟なオーレン族でも、傷ついた老人であっても、今は一人でも人手がほしいし。
何より、オーレン族も一人では子を作ることも。
増える事もできないらしい。
動物によっては、メスだけで子供を作ることができる生物もいるらしいのだけれども。オーレン族は違うようだった。
この辺りは人間と同じ。
お互い不便な種族である。
「あたしも手伝います。 何か動いていたい気分でして」
「そうか。 だが、少し気が抜けていないか。 今は気が抜けていてもいいのだがな、ただ危険な場所で気が抜けていると死ぬぞ」
「……そうですね。 なんかふわっとすると言うか、集中が途切れているというか」
調合などは普通にできる。それは確認している。
だけれども、どういうわけなのだろう。
みんなが別離すると分かった後。自分の脳が理解したからだろうか。
どうにも、今の季節で当たり前だった。一を聞いて十を知る状態だった脳が、動きが鈍いのだ。
腑抜けているというわけではないのだろうが。
どうにもぼやっとしているのである。
リラさんの厳しい言葉にも、へへと苦笑いして返す事しか出来なかった。
いずれにしても、二人とともにオーリムに行く。
クラウディアはもうアトリエには殆どこない。
レントは一人で小妖精の森に寝泊まりして、遠くに旅に出るための準備と練習をしているようだ。
リラさんが時々出向いては、色々とアドバイスをしているようで。
本格的に、一人旅のための準備をしている。
オーリムに出向くと、まずは水源を見に行く。
成長が早い野草らしく、もう根を張っていた。
迂闊に肥料とかを作れないのが厳しい。
下手な肥料を作ると、オーリムに侵略性外来生物を持ち込む事になりかねないし。よかれとして持ち込んだ生物が、どんな災厄をもたらすか分かったものではない。
キロさんの歌が、遠くで聞こえる。
あれを聞いたオーレン族が、誰か来てくれないだろうか。
ふと、殺気。
即座に備えるが、リラさんが飛び出して、一撃を受け止めていた。
ボロボロのオーレン族の女性だ。
牙を剥いて、あたしに威嚇している。それは当然だろう。リラさんが、粗末な棒で殴りかかってきたそのオーレン族の女性の攻撃を受け止めると、冷静に言った。
「何処の氏族のものだ」
「土跳氏族のシリ」
「そうか。 私は白牙氏族のリラだ。 この者は、この土地にいたフィルフサを追い払った良き錬金術師達。 以前来た錬金術師とは違う」
「武名高い白牙の者が其処まで言うのか……」
棒を収めるシリさん。
あたしは即座に薬を取りだすと、怪我を見せて欲しいと言う。まだ警戒している様子だったシリさんだが。
大丈夫だとリラさんがいうと。
むっとした様子で視線を逸らし。あたしは、それも当然だろうなと思って、傷の様子を確認した。
錬金術の薬で、すぐに手当てをする。
体中、傷だらけだ。
フィルフサにずっと追われていたのだろう。リラさんからも、フィルフサとの戦いがずっと続いていた時の話は聞いている。
辛かっただろう事は、一目で分かった。
傷が溶けるように消える。痛みも。増血剤も念の為に渡しておく。それだけではない。幾つか、他にも対病用の措置をしておく。
「……私達の土地に来た錬金術師も、最初は便利な道具で懐柔しに来た。 そして油断したところで牙を剥いた」
「ライザは私達とともに、あの蝕みの女王を討ち取った」
「なんだと……」
「事実だ。 白牙の誇りにかけて誓おう」
手当て、終わり。
痛いところがないか、確認する。
立ち上がると、シリさんは悔しそうにそっぽを向く。そして、口笛を吹いていた。
幼いオーレン族の子供二人が姿を見せる。
やっぱりあたしには強い警戒の目を向けていた。オーレン族は五十六十でも幼い姿のままだと聞いている。性成熟するまでに最低でも数百年かかる種族らしく、リラさんも種族の基準ではまだまだとても若いらしい。
そういう点では、非常に人間に比べると不利だ。
その分個の能力は非常に高いが、フィルフサの暴力的な数に追われ続けているのがよく分かる。
「この土地にいる霊祈の戦士とはもうあったのか」
「いや、私は歌に呼ばれて来た」
「そうか。 ならば、私が呼び戻そう」
「すまない。 疲れきっていて、もう歌う余力も残っていない」
三人、か。
一月程度では、生存者は一人も見つからない事も、あたしは覚悟していた。
三人も見つかったのは僥倖だ。
良かったと思う。
まだ、シリさん含めた三人のオーレン族は、こっちをあからさまに警戒している。それでもいい。
また一つ。
ここに来た、古代クリント王国の錬金術師がやらかした事から、人を救えたのだ。
雨が降り始める。
ひょっとしたら、雨を見た事すらないのかも知れない。
子供のオーレン族二人が、不思議そうに空を見上げていた。
この土地に、オーレン族が戻ってくる日は、近いのかも知れなかった。
1、一番の友達との別れ
クラウディアが島を離れる時が近付いて来た。
今でも、島の人達はクラウディアに明らかにいい顔をしている。それはそうだろう。バレンツ商会との関係は、クーケン島の生命線だ。
あたしが色々整備して、島で生きていく事が可能になったのとは別。
それは、あくまで生きていけるだけの事。
島が豊かになるには、外からの資本の流入と、物資の流通が必須である。
恐らくは、その過程で新しい技術だって入ってくる。
あたしから言わせると、それが本当に新しいかは疑問だが。
ともかく、島の今あるものより便利なものが入ってくるのは確定である。
それだけで、充分過ぎるほどなのだ。
クラウディアの仕事ぶりを見に行く。
普段とは別人のように厳しい顔で、下っ端らしい商人達に訓戒していた。舐められたら終わりの仕事というのもあるのだろう。
都会を知っているだろう商人は、明らかに最初クラウディアを舐め腐っている奴もいたし。
あわよくば手をつけて。
それでいいなりにしようと考えている下衆もいたようだった。
それらに対して、クラウディアはまずはいきなり火山に連れて行き。レントとあたしと一緒に、魔物と戦う様子を見せつけた。
商人どもは悲鳴を上げて逃げ惑うばかりで。
何度も魔物の牙にかかり掛けた。
ワイバーンをあたしたちが仕留めたのを見て、悲鳴を上げ。
平気で吊して捌くのを見て、気絶するものまでいた。
肉を燻製にしてわけ。残りは皆で食べる。
火を通している間に、大きな寄生虫が内臓から這い出してくるのを見て、それでまた絶叫して気絶する商人。
そいつが、クラウディアを手込めにして、バレンツ商会を乗っ取ろうとしていた奴だとあたしは知っているので。
はっきりいって、苦笑いである。
そのまま、皆でワイバーンを食べる。商人共はゲロゲロ吐いていたが、見苦しい事この上ない。
ワイバーンの素材の幾らかを、クラウディアに譲渡。
それをクラウディアは、バレンツ商会として買い取って。
あたしの懐は、ちょっと温かくなった。
その商談を間近で見たからだろう。
以降、下っ端の商人どもは、クラウディアを舐めるのは辞めたようだった。
「また計算違いをしたようですね。 我々が扱っているお金は、多くの人の間を動いている事を忘れて貰っては困ります。 もしもこれが意図的なものだとしたら、解雇も視野にいれる失態です」
「ひっ! す、すみません! 間違っても粉飾とかしていません!」
「もしもそのような事をしていたら、二度と商人はやれないと思い知りなさい」
「わ、分かりました……」
半泣きになっている下っ端の商人。
あれがクラウディアを最初、いやらしい目で見ていて。どう掌の上で転がしてやろうかと考えていたような奴だとは、あたしもとても思えない。
此処は、バレンツ商会に貸した屋敷の一室。
ルベルトさんの執務室と違って、クラウディアがお仕置き部屋として設定した場所だ。
なお、クラウディアはあたしが渡した装備を身に付けているので。
単純な腕力でも、こんなモヤシには負けない。
弓矢をぶっ放す時の音を聞いて、それだけで絶対に勝てないと判断したのだろう。
以降、クラウディアを恐れおののきながら此奴らが見るのを、あたしは確認して安心した。
あたしにいたっては、商人達はもう恐怖の視線だけを向けている。魔物をあたしが蹴り砕く様子を見て、それだけで失神していた有様である。
もう魔王かなにかとしか思えていないようで。
あたしを見ると、青ざめて礼をして、そそくさと去って行く有様だ。
お仕置き部屋から、半泣きの商人が出ていく。
あたしが、入れ替わりに部屋に入ると。
クラウディアは、表情を崩していた。
「ライザ!」
「短時間で凄くしっかりしてきたね、クラウディア」
「商人って、詐欺師ともっとも近い職業でもあるの。 だから、常にこれくらいでいないと、何をしでかすかわからないの」
そう言って、寂しそうにするクラウディアは。
いつもみんなが見ていたクラウディアのままだ。
書類の片付けを手伝う。
なお、あたし本人と、バレンツ商会で幾つかの商談を既に済ませている。
幾つかの都市にある、製紙のための機械は、殆どが壊れかけてしまっているらしい。
それもあって、あたしが作る紙……ゼッテルの品質は図抜けたものとして扱えるらしく。
一定数をいつも納品してほしいと依頼が来ていた。
クーケンフルーツの販路開拓だったら、実はこれほどの長期間、クーケン島にいなかっただろうとクラウディアは種明かしする。
ルベルトさんがあたしを認めて。
あたしの実力を理解してくれて。
更には、あたしが作るものがとてもお金になると判断したからこそ、販路をがっちり固めたのだそうだ。
あたしも、ルベルトさんには話をしてある。
古代の錬金術師は、無責任に力をひけらかした。
その結果、とんでもない災厄を彼方此方に引き起こしたのだと。
だからあたしは、責任が取れる範囲のものしか作らない。
それでも良いのなら、商談を受けると。
ルベルトさんは快諾してくれた。
今はゼッテル、それに幾つかのお薬を少量だけ納品するようにしている。それだけでも、うちのお父さんとお母さんが一年で稼ぐお金を、十日で稼ぐほどの稼ぎになっている。
ただそれを見て、お父さんとお母さんはあまりいい顔をしない。
やっぱり今でも農婦になってほしいのだろう。
どれだけ錬金術が凄いのかを散々見せた後なのに。
それでも二人にとっては、それはどこか遊びにしか見えないのかも知れない。
頭が固い。
二人だって、ザムエルさんと一緒に、ずっと外を旅してきて。それでクーケン島に戻ってきた筈なのに。
それがとても悲しかった。
「えっと、此処を発つのって三日後だっけ?」
「うん。 実はもう荷物はまとめ始めているの。 明日の夜が、事実上の最後かな。 明後日の早朝には、もう島を離れているわ」
「そっか。 早朝だと、見送りはちょっと色々周りに迷惑かな」
「うん。 だから、明日の夜に、何か思い出を作ろう」
クラウディアは中身が子供だから、こう言うときは本当に嬉しそうにする。子供が剥き出しになる。
ただ、それでもそもそもとして商人の子だ。
あの下劣な下っ端商人共のようなのとは、常に接してきているだろうし。
ずっと世界の業だって見てきている筈だ。
だからこそに、よそ行きの顔を上手に作れる。
もう、何も心配はないだろう。
「ね、ライザ。 ゴルドテリオンは駄目だろうけれど、ブロンズアイゼンくらいだったら、大丈夫じゃない?」
「そうだね。 最後に商談しておこうか。 ブロンズアイゼンだったら、はっきりいってそこまでのオーバーテクノロジーじゃないからね」
「決まりだね」
すぐにルベルトさんを呼ぶ。
あたしも、アトリエからブロンズアイゼンのインゴットを持ってくる。
ブロンズアイゼンについては、確かルベルトさんにも見せた事があったはず。すぐに、質の高さは理解してくれたようだった。
何度もうんうんと頷きながら、ルベルトさんは品質の高さを褒めてくれる。少し嬉しくなるが。
どうしてだろう。
あたしは、これ以上今は進めない気がする。
そうなってくると、今やるのは。
腕が衰えないように、しっかり基礎をこなし続ける事。
それくらいしか、思い当たらなかった。
「このインゴット一つだけで、家が建つ代物だ。 色々な場所の基幹になる部品を作り出せるだろう」
「逆に心配になりますね。 王都とかだと、どれだけものや技術が劣化しているんですか」
「此処だけの話だが……王都にある機械の半分が既に動かないと言われている。 予備の部品もないし、直す事も不可能なのだ」
ルベルトさんが、悔しそうに言う。
今着ているスーツだって、いつまで生産出来るか分からない、そうだ。
まあそれもそうか。
ロテスヴァッサ王国は、古代クリント王国の技術的な遺産を食い潰しながら今に至っている。その技術遺産だって、そもそももっと前の時代のものかもしれない。
この世界は、錬金術師が出現したことによって、オーバーテクノロジーに溢れた。
魔術も機械技術も、とても錬金術にはかなわなかった。
だから長期的に見て、錬金術に依存していた分。
それが失せた今は、彼方此方で崩壊が始まっているのだろう。
或いは、ロテスヴァッサで錬金術師を集めたのも、最初はそれに対策するためだったのかも知れない。
だが、すぐにそんな基本的な事は忘れ去られ。
異界への侵略やら。
資源の搾取やら。
できもしないことを考え。過去と同じ過ちを犯そうとする集団へと変わってしまった訳だが。
今、するべきなのは、技術の再興なのかも知れない。
錬金術だけに頼るのではなく、本来の技術をどうにかして再生する。
それが、人間がやるべき事なのかも知れなかった。
「ライザくん。 君はこの島の地下にある巨大な過去の装置を修復した。 いずれ、各地の都市で、似たような商談を受けて貰うかも知れない」
「別にかまわないですけど。 あたしがいなくなったら、もとの木阿弥ですよ」
「分かっている。 その時の為……時間を今は稼がないといけないんだ」
「……分かりました」
まあ、それもそうか。
一礼すると、クラウディアと一緒に部屋を出る。
更にこれであたしが動かせるお金は増える。いずれは、彼方此方に支部を作り出せるかもしれない。
ただ、今は。
クラウディアと一緒にいられる時間を、もう少し楽しみたい。
ただ、それだけだった。
翌朝。
アガーテ姉さんが来た。クラウディアも連れてきてほしいと言われる。急いで、対岸に渡りながら、話を聞かされた。
「魔物だ。 隊商が一つ、消息を絶っている。 この辺りで盗賊が出るとは考えにくい」
「恐らくラプトルでしょうか」
「可能性は高いが、ワイバーンかも知れない。 とにかく急ぐぞ」
「はいっ!」
何人かの護り手が、一緒にいる。
クラウディアは弦を張っていない弓を持っていて。それを不思議そうに若い護り手が見たが。
他の者が説明する。
魔力で弦を作ると聞いて、そうなのかと、若い護り手も納得した。
そういえば見た事がない人だ。
話しかけて話を聞くと、この間の船……タオとボオスが島を去るときに使った船に乗って、クーケン島に来たと言う。
傭兵業で生計を立て……といえば聞こえはいいのだが。
実際の所、そういう人間はだいたいが与太者だ。
そんな人生から、ある程度ましな生活に切り替えたかったのだろう。
人員が足りないこの島の護り手という制度を知って、入りたいと志願したらしかった。
まあ、島に新しい血が入るのは良い事だ。
「魔術の矢か……。 俺のいた場所だと、戦闘で魔術を使える奴じたいが希だったからなあ」
「それは、大変なところから来たな」
「はは。 まあ、そうっすね。 いつ魔物に滅ぼされてもおかしくないような集落から、逃げるように出て来て。 それからはずっと雇われの身で」
「それなら、此処で功績を挙げろ。 護り手として実績をあげれば、相応の待遇もするし給料も出す」
アガーテ姉さんが、顎をしゃくる。
もう、対岸が見えてきていた。
あたしは、コアクリスタルに爆弾が格納されているのを確認。
船が接舷すると同時に、即座に展開。周囲を確認。
クラウディアの動きも、ここに来たときの頃とは完全に別物。既に歴戦の勇者のものである。
即座に展開して、ハンドサインをアガーテ姉さんが出し。
全員で、小走りで移動する。
あたしについては、既に話を聞いていたのかも知れない。
例の新入りは、何も言わなかった。
街道を急ぐ。
途中、クラウディアが魔術で笛を具現化。即座に音魔術を展開。周囲を警戒してくれる。
手慣れていて、とても助かる。
安心して背中を預けられる。
「左、少し奧にラプトルの群れ。 右、もう少し先に鼬の群れ。 いずれも、此方を伺っているだけです」
「助かる。 今の時点では無視。 もしも商隊が襲われているなら、もう少し先だ」
アガーテ姉さんも、クラウディアの音魔術については周知だ。
なお、アガーテ姉さんにはクリミネア製の剣を渡したまま。
残念だけれども、ゴルドテリオンの剣は渡せない。
それくらい、あれは危ないものなのだ。
再び、クラウディアが魔物を見つける。
ワイバーンだ。ただしかなり遠い。無視と、アガーテ姉さんが叫ぶ。そのまま走り続ける。
息が上がっている護り手もいる。
だが、今は一秒が惜しいのだ。
「鍛え方が足りないぞ!」
「す、すみません姐さん!」
「四人、此処に残れ。 残り、全員ついてこい!」
へばっている四人を残して、その先に行く。流石に四人固まっていて、しかも街道だったら、襲われる事もないだろう。
クラウディアを怪訝そうに見た男も残った。
あの様子だと、幼少期にまともな栄養を取れなかったのだろう。
だとしたら、仕方が無い事だ。
魔術を使う人間も殆ど見かけないような場所というと、クーケン島なんて比較にもならない僻地だ。
そう言った場所だと、どうしても子供の発育は悪くなるのである。
走る。
やがて、クラウディアが顔を上げた。
「見つけました。 馬車の周囲に、ラプトル数体! 馬車から離れて、数人が洞窟で必死に防戦中!」
「よし、総員抜剣! 行くぞ!」
「おおっ!」
雄叫びを上げる護り手達。
あたしは足に魔力を込めて、跳躍。
上空から、視認。
防戦中のは、恐らく商隊の護りを買って出た傭兵だろう。ただ、今にも崩されそうである。
襲っているのはラプトルだ。
やはり。
鼬は縄張り意識が強く、余程腹でも減っていない限り商隊の馬車なんか襲わない。ただし、腹が減っていると群れで怒濤のように襲い掛かる。
厄介なのはラプトルで、群れで人間を襲い。しかも組織的に狩る。丁度今のように、である。
あたしは無詠唱のまま、熱槍を作り出し、ぶっ放す。
全てがホーミングしながら、完璧に襲撃中のラプトルを頭上から貫いていた。
火柱になったラプトルが、悲鳴を上げながらのたうち廻る所に、アガーテ姉さんが最初に到着。
ばったばったと斬り伏せる。
流石の剣腕。
更にあたしは第二射。馬車に群がっていたラプトルも一掃する。
だが、群れのボスらしい大きいのが出てくる。
着地。急いで現地にいかないと。
だが、クラウディアが、総力での矢をぶっ放したらしい。
群れのボスらしい大型のラプトルは、消し飛んだようだった。
それはそうだ。
対フィルフサを想定して、強化に強化を重ねたクラウディアの弓術。
街道の周辺に出るラプトルなんて、敵になりようがない。
あたしが辿りついた時には、既に戦いは終わっていたし。
あたしがするべき事も変わっていた。
即座に薬を取りだして、怪我人の手当てを始める。かなり酷い手傷を受けている人も多く。
傭兵の一人は、腕の骨が見える程酷い噛み傷を受けていた。
商人達は、ショック状態でふるえるばかり。
馬車の方も、護り手の皆が安全を確保。
商品が無事かは分からないが、とにかく傭兵達はみな助かったようだ。点呼を冷静に取るアガーテ姉さん。
護り手達は、怪我が見る間に消えていくのを見て、目を見張っていた。
「あれがうわさの……」
「俺はあれのおかげで助かった。 ライザ様々だぜ」
「回復魔術が、子供の遊びに見えてくるな」
「しっ。 そういうことはいうんじゃない」
古老がまだまだ大きな力を持っていて。
護り手の中にも、弱みを握られている者がいる。だから、こういうこともおおっぴらには言えないのだ。
クラウディアが来る。
そして、遅れていた四人も、やっと追いついてきた。
あたしは冷や汗を拭う。
上空からの奇襲熱槍よりも、薬をコアクリスタルから複製する方がよっぽど疲れた。どうも頭にもやが掛かっているようなのだけれども。
それでも、戦闘時はしっかり頭も動いてくれる。
それだけは、助かる。
「血の割りには傷が少ないな」
「ライザの薬だよ。 もう傷が治ってる。 一人なんて手がぶらんぶらんになってたのにな」
「……すげえな」
新入りがぼやく。
あたしはそれを無視して、軽傷の傭兵の傷も治していく。大げさに悲鳴を上げる者もいたけれども。
鉄火場ではそんな事も言っていられない。
やがて、血を洗う。
そばに合った水をクラウディアが汲んできたので、即座に煮沸。クラウディアも、自分で桶の水を温めてくれた。
温めた湯を冷やすのは力量が何倍もいるので、あたしがやる。
血を落として、そして馬車を回収。
馬は完全に食い荒らされて、可哀想だが骨しか残っていなかった。
馬も今の時代は、地力で人間を殺せる生物と言う事で、広義では魔物に分類されている。これは牛や豚も同じ。
馬車の商品は、クラウディアが確認。
やがて、クラウディアは非常に険しい顔をしていた。
アガーテ姉さんとあたしが荷車の側に呼ばれる。
クラウディア曰く、商品の一つに、許しがたいものがあったという。
それは何かの、白い粉に見えた。小麦粉や砂糖とは違う。なんだろうと思っていると、クラウディアは聞いたこともない事を言った。
「これ、恐らくは覚醒物質です」
「覚醒物質?」
「簡単に言うと、興奮状態を強制的に作り出すお薬です。 煙草とかお酒とかと似ていますけれど、段違いの依存性と効果があって、危険な薬物です」
「噂には聞いたことがあるが、まさかこれが」
王都では既にかなり前から出回っているとか。
激しい労働をする人間が口に入れることがあるが、だいたいの場合体を壊してしまい。更には依存性が強いために薬を手放せなくなり、死んでしまうそうだ。
それでも明日も知れない生活をしている人間が手を出す事があり。
犯罪組織が財源にし始めているという。
もっとも、王都くらいにしか犯罪組織なんてものは存在しないとか。
この覚醒物質は、組織的に作られているものではなく。
恐らくは、それこそ何の娯楽もない辺境向けに売りに行かれるものなのだろう。勿論、吸った人間は数年であの世行きだ。
一時期、この手の薬物が肯定される風潮があったという。
特に芸術家は、これらを吸って芸術をするとかいう阿呆なデマが流れたのだとか。
実際には、大物の芸術家が芸術をするのにはむしろ邪魔とはっきり言い切ったが。それに謎の反発をして食いつく連中もいたとか。
その辺りの事を、クラウディアが説明すると。
アガーテ姉さんが、あたしに言う。
「良い機会だ。 ライザ、跡形もなく消し去れるか」
「おやすい御用で」
「ラプトルに食い荒らされたという事にすれば問題あるまい。 やってしまえ」
頷くと、あたしはそのまんま覚醒物質とやらをこの世から消し去る。
簡単だ。
あのフィルフサの王種、蝕みの女王にも通ったほどの熱魔術である。こんな粉、何一つ痕跡も残さず焼き尽くせる。
やがて、馬車の所に商人が戻ってくる。でっぷり太ったおじさんだ。魔の薬を扱うような外道にも見えない。
或いはだけれども。
その邪悪な性質を知らず、ただ扱っていただけなのかも知れないが。
クラウディアが言っていた通り、詐欺師と最も近いのが商人だとすると。
この容姿も、計算尽くなのかも知れなかった。
商人は馬がやられてしまったのを見て、大きく嘆息。
商品も、かなりやられているようだった。
「助けていただき、ありがとうございます。 ただこれでは大赤字です」
「バレンツ商会の方から、低利でお金をかしてもいいですが」
「なんと、バレンツ商会の関係者の方でしたか」
「ただし、お金を貸し出すには幾つか条件がありますが」
いずれにしても、クーケン島に連行する。
アガーテ姉さんがハンドサインを出す。
あの商人には気を付けろ。場合によっては容赦なく取り押さえろ。
そういう合図だ。
いずれにしても、後はあたしがやる事はなにもない。
クラウディアも、この商人に対して、非常に厳しい処置を執るだろう。
何より、人を壊す魔の薬がこの世から消滅した。それもまた、いい事だった。
いずれ製造元を探し出して、犯罪組織とやらごとまとめて焼き払ってやるとしよう。そうあたしは決めていた。
色々な事があったが、クラウディアとの別れの日が来た。
夜に、ドレスを着込んで来たクラウディアと、会食をする。夜の間に船が来るので、夕方くらいから会食をはじめて。
それにはレントとアンペルさん、リラさんも立ち会って貰った。
痛飲しているルベルトさん。
兎に角嬉しそうだ。
想像を絶するほどの成果が、この島で得られたかららしい。メイドのフロディアさんに、どんどんワインを持ってこさせている。
「お父さん、そんなに飲んで大丈夫?」
「問題ない問題ない。 それにしてもいい商談だった。 後はライザくんが男だったら、本当に言う事なかったのだがなあ」
「はい?」
「男だったら、クラウディアを嫁にやっていたよ。 本当に惜しい。 本当に……」
どんと机を叩いてクラウディアが立ち上がったが。べろべろになっているルベルトさんは、もうそれも分かっていないようだった。
やがて完全に潰れたルベルトさん。
生真面目な人に思えたのだが、こんな一面もあったのだなと思って苦笑い。或いはだけれども。
あたし達のことを、それだけ認めてくれているのかも知れなかった。
「酒の力ってこええな……」
「レントも、旅先で酒には気を付けろ。 酒で酔わせて盗みを働くものや、場合によっては殺して追いはぎをする者もいる」
「……了解。 恐ろしいぜ」
クラウディアが完全にブチ切れたのがあたしにも分かった。そのまま、別室に行ってしまう。
これは、ルベルトさん、数日は口を利いて貰えないかも知れないな。
そうあたしは思って、苦笑いしていた。
夕食が進むと、フロディアさんがルベルトさんをつれて行く。というか、軽々と担いで運んでいった。
もう船の中に運んでしまうのだろう。
何人かの商人は船に向かい。二人だけが、此処に残るようだ。
既に荷物の運び入れは開始されているが、フロディアさんが残像を作りながらさくさくさくと働いていたので。
多分あたしたちが手伝うことは何もない。
クラウディアが戻ってくる。
さてどうしようかと思っているあたしに、クラウディアは咳払いしていた。
「お父さんの言う事は気にしないで。 お酒が入るといつもああなるんだから」
「意外に酒癖が悪いんだねルベルトさん……」
「正確には、お酒を飲むと隙が出来るの。 だから昔から、下戸で通しているのよ」
「大変だね商売の世界」
まあ、それもそうだろう。
そういえば、食事や酒を一緒にするのは、口を滑らせやすくなるからだという話を聞いたことがある。
確かにそういう人もいるだろう。
事実、ルベルトさんは多分他人と酒を飲んでは絶対にいけない人だ。
咳払いすると、あたしはいう。
「いずれにしても、クラウディアを嫌いになったりはしないよ。 これからも、ずっとあたしの友達」
「有難うライザ」
「俺も例の連絡網を使って手紙とかは読むよ。 何かあったら行くから、手伝いなら声を掛けてくれよ」
「うんレントくん。 本当に頼りになるね」
やっと表情が明るくなるクラウディア。
アンペルさんとリラさんも、それぞれ声を掛ける。
アンペルさんは、自分が知っている危険な遺跡と、その見分け方について。
今後隊商としてクラウディアは彼方此方に出向くのだ。
アンペルさんの話は、もの凄く実用的だ。
「王都の近くにも、そんな危険な遺跡が……」
「王都は警備の部隊がとにかく弱くてな、本当に壁の中を守る事しか出来ていない。 人間が作り出した遺跡は、今や完全に魔物の巣だ」
「分かりました。 此方でも気を付けます」
リラさんも、実用的な話をする。
虫食についての話や、後は戦術面の話。虫食については、あたしは蜂蜜を食べるくらいなら全然問題ない。
あれだって蜂が蜜を吸って、巣の中で戻しているのである。
受けつけない人は無理だろう。
クラウディアは元々虫は全然平気で、レントなんかもびっくりしていたので。今後、実際に虫を食べる風習がある地方で、試すのかも知れない。
なお文化が違うならそれはそれ。
違うと言うだけで、劣っているなどという事はないのである。
食事が終わると、名残惜しいけれどここまでだ。クラウディアが、フロディアさんに言われて、そのまま船に向かう。
船で今晩は過ごす。そして、船は忙しいし、夜中に出港するから、ここまでだ。
「ライザ!」
クラウディアが甲板から叫ぶ。
何度か、目を擦っているのが見えた。
「怖い目にも痛い目にもあったけど、最高の冒険だったよ! また、いつかきっとクーケン島に来るね!」
「あたしも、旅に出ることがあったらバレンツ商会を訪ねるよ! また、一緒に冒険をしよう!」
手を振る。
同年代の女友達は、あたしは殆どいなかった。だから、この出会いは本当に嬉しかった。
忙しく動いている人達の邪魔をする訳にもいかない。
ここまでだ。
少し寂しいけれど。
最高の友達との別れは、これで済まさなければならなかった。
ちょっと、悲しかったかも知れない。
でも、いずれまた会える。それはあたしの、魔術師としての方の勘が告げているのだった。
2、幼なじみはみんな行く
ザムエルさんの所にあたしは出向く。
もう、レントが行く日が来た。だから、せめて何か声を掛けてやってほしいとあたしは思ったのだ。
相変わらずザムエルさんは、酒を入れていた。
だけれども、いつもと違ってもの凄く不機嫌そうだった。
ザムエルさんの家は路地の奥にあって、化け物屋敷なんて言われている。立地も日当たりも悪く、敢えて其処に住んでいることはよく分かっていた。ザムエルさんは奥さんを連れて島に戻ってきた時点で、既に親族は生きていなかったし。色々と思うところもあったのだろう。
レントが幼い頃は、露骨に帰りたくないという顔をしていたこともあった。
ザムエルさんに、声を掛ける。
振り返るザムエルさん。不機嫌そうだが、あたしを見て声を荒げるような事もない。それだけ、お父さんとお母さんにザムエルさんが色々思うところがあるという事だ。
酒臭い息を吐くザムエルさん。
「なんだライザか。 せっかく酔ってるんだ。 声を掛けるんじゃねえよ」
「レントがもう行くって言っているの。 見送ってあげないの?」
「あいつは俺を嫌っている。 俺もな」
ザムエルさんが俺もと言ったが。
ザムエルさんがレントを嫌っている訳では無いなとあたしは思った。
きっとザムエルさんが嫌っているのは。
世の中に負けてしまった、自分自身なのだろう。
この大巨人でも、世間の偏見と差別には勝てなかった。化け物呼ばわりされたことだってあったのだろう。
人間という生き物は、見かけが九割だとかいう理論を振りかざして。平気で自分の善意を押しつけたりする。
ザムエルさんのように大きければ、体も心も鋼だと考えるのはあまりにも軽率で愚かしい事だ。
あたしは嘆息する。
ぐいぐいと、ザムエルさんは酒を呷る。この人は、普段から護り手でも手に負えない魔物がでた時には声が掛かる。
今回のフィルフサ対策の時も、街道を見張って魔物や与太者の類に隙を見せなかったという。
だからこれだけの飲んだくれで嫌われ者でも、クーケン島の人間からは、有事の戦力として頼られているし。
護り手からある程度のお金も出ている。酒にそれが消えてしまうのは、考え物では確かにあるが。
ザムエルさんは、こういう暴れ者の中では大人しい方だ。
今まで見てきた与太者やチンピラは、平気で一線を越える。古代クリント王国の錬金術師のような下衆は流石にあまり多く無いが。
ピカレスクロマンとか言ったか。
悪党を格好良く描く物語が、如何に嘘だらけか。あたしは身近で何回か例を見て良く知っている。
ザムエルさんはそういう連中とは違う。
人生の敗者かも知れないが。
少なくとも、気分次第で人を殺したり。
弱者を蹂躙してゲラゲラ笑っているようなカスよりは、ずっとマシな人だ。
それを思えば、あたしはこの人を嫌いになりきれない。
レントがさんざん暴力を振るわれたことは知っている。
だけれども、それはこの人なりに考えがあってのことだろうとも思っている。実際、身内の子であるあたしには、ザムエルさんは一度も手を上げなかった。
ただし、レントの哀しみと怒りもよく分かる。
だから、こうして呼びに来ているのだ。
「見送りは、しないんだね」
「彼奴はもう一人でやっていけるんだろう?」
「……専門家のお墨付きだよ」
「そうか、じゃあいっちまえ。 それで世界の現実を見てこい。 俺みたいに潰されるか、それともそうならないかは、彼奴次第だ。 俺みたいな奴が、それを見送るつもりはねえよ」
そうか。
やっぱり、色々と思うところがあるんだな。
あたしは、一礼するとその場を後にする。ザムエルさんは、もう此方を見ず。更に不機嫌そうに、酒瓶を傾けていた。
レントはあたしと、アンペルさんとリラさんだけで見送った。
アガーテ姉さんは色々忙しいらしく、今日は島で仕事をしている。何やら貴族の関係者が来るとかで(そんなもんが来ようとどうでもいいのに)、モリッツさんが警備を固めるように指示を出したそうだ。
モリッツさんは相変わらずだなと思う。
本人だって分かっているだろうに、無駄な事をして。
バレンツ商会だって、そもそもモリッツさんがやったような対応は求めていなかっただろうとあたしは思うのだが。
ただ、少し前から明らかに萎縮している。
だから、この程度の警備だので済んでいるのだろうとも思う。
もう水利権は、モリッツさんの手には無い。
水利権を手放さないために、モリッツさんが抵抗するシナリオだってあったとアンペルさんは言っていたっけ。
その時には、もっと手荒い手段を採る必要もあっただろうと。
まあ、血を見る事になったんだろうな。
そして、そんな状況を、アンペルさんは何度も経験してきたのだろう。
容易に想像できるから、あたしはあまりああだこうだと言えなかった。
「レント、装備品とかは大丈夫?」
「ああ、もうばっちりだ。 クラウディアに貰った裁縫道具とかも、もう使いこなせるようになったぜ」
「それは何よりだね」
あたしの方からも、いざという時に使えと一番良くできた薬を渡している。その他にも、大剣や靴は、あたしが作ったものだ。
装飾品もそのまま。
元よりかなりパンプアップしているが、これでやっとレントは一人でやっていけるレベルだとリラさんは言っていた。
まあ、そうなのだろう。
元々レントはガタイに恵まれていて、それが一番の財産だ。まだ少しは背が伸びるかもしれない。
逆に、ガタイが恵まれている反面。
技量という点では、皆の中で一番成長がなかったかも知れない。
だからだろう。
レントは一度島を出て、徹底的に基礎的な力を上げる。そのつもりなのだろう。
アンペルさんが、知っている限りの危険地帯を教える。レントはタオからプレゼントされたメモ帳に、それを記載していた。
リラさんが、幾つかアドバイスをする。
人間が隙を晒す場合の要件についてだ。
後、自分を狙っている人間を察知する方法なども、ここ数日で教え込んでいたようだ。
いわゆる殺気の探知という奴だ。
魔物なんかは殺気をバリバリ放つから分かりやすいが。そもそも殺気なんて存在しないという話もあるし、あたしはそれが正しいと思う。
要は勘を研ぐしかない。
レントの場合、魔術を身体強化に回している。その延長線上で、周囲に何がいるか察知する。
それをやれるようにしないと、一人旅は危ないという話をリラさんはしていて。
故に、レントも必死に技量を磨いたのだった。
「くどくど言っても仕方がない。 もしもどうしようもなくなったら、クーケン島に戻れ。 どんなに恥ずかしくても、それで再起するべきだ」
「ああ、分かってるよリラさん」
「なんなら駄目な場合はあたしのアトリエに来なよ。 アトリエにいるのが気まずいんだったら、廃村辺りに拠点作るから」
「すまねえな」
ここ数日で。
今まで、調査している余裕がなかった近場の集落などを確認している。
大人数で住むことは不可能だと結論せざるをえない場所が多かった。殆どが魔物の巣窟になっているか、もしくは環境的に人が住むのは厳しい場所だったからだ。
ただし、魔物を追い出せばどうにでもなる場所もあったし。
一人で住むくらいなら、特に問題がない場所もあった。
そういう場所を、少しずつあたしは手入れするつもりだ。
クーケン島にいられなくなった人が暮らすような場所にしたり。
環境が良くなれば、クーケン島から移住したいという人だって出てくるだろう。
廃集落出身の人も、普通にいる。
先祖が廃集落出身というだけで、クーケン島の住人に対して負い目を感じているような人もだ。
そういう人のためにも。
あたしは開発を進めていきたい。
アトリエをみんなで作った時に、ノウハウは掴んだ。
今後、彼方此方で活動するためにも。
拠点を作るノウハウは作りあげておきたい。
それだけの話だった。
「それじゃな。 湿っぽいのもガラじゃないから行くぜ」
「レント。 永久の別れじゃないからね」
「ああ」
「いつでも戻っておいで」
手を上げると、レントは街道を歩いて行く。
大剣を背負って。
そうか。レントも同じ道を行くんだな。
ザムエルさんが、不愉快そうにしているのも。何となく分かった。その先が、如何に厳しいか。
良く知っているからだったのだろう。
やがてレントが見えなくなると。
アンペルさんが、咳払いしていた。
「ライザ、孤独は大丈夫か?」
「うん? うん……」
「あまり大丈夫そうではないな」
「いや、そうじゃないんです」
どうも頭がぼんやりしている。それを二人に告げる。怪訝そうな顔をするアンペルさん。リラさんは、腕組みをした。
「何かしら頭がぼんやりするようなことでもあったか?」
「うーん、なんとも分からないんですよねえ。 みんないなくなって、寂しいのは確かにあるんだけれど。 なんだか気力が湧いてこないというか。 いわゆる燃え尽き症候群とかいうのかと思ったんですけれども」
「そうか。 確かに一季節であまりにもライザは成長した。 故に、反動が来ているかもしれないな」
「はい……」
アンペルさんは好意的に見てくれる。
ただ、あたしは。
どうにも嫌な予感がするのだった。
ともかく、三人でアトリエに戻る。レントがおいていったものをアンペルさんと片付ける。
こう言うときは、リラさんは何もしない。
むしろ手を出すと、ものを壊したりするらしいので、ソファで横になっていた。
アンペルさんが、幾つかの古式秘具を出してくれる。
「これは埃を自動的に掃除する古式秘具だ。 このコアに魔力を充填すれば半永久的に動く」
「助かります。 掃除はどうにも苦手なので」
「ライザには突出した才能が複数ある。 苦手分野があるのは仕方がないし、それを克服するために無理に長所を潰すのは愚の骨頂だ」
「へへ……はい」
ちょっと自分が情けなくなったが。
実際問題、時々アンペルさんが埃を外に出してくれていたことは知っている。
あたしもそんなに掃除が得意な方では無いし。
何より性格が雑だという事もある。
これは、ありがたく受け取ることにした。
そのまま、アトリエの掃除をして、気分転換をする。
台所に、レントが曲げてしまった包丁があったので。釜に入れて直しておく。まったく、馬鹿力なんだから。
そう思って苦笑い。
あたしも魔力を全開に身体能力強化をすると、人間の子供くらいならちいさな箱状に圧縮する程度の力はあるけれども。
レントはそういうの関係無しに、馬鹿力が出るタイプだ。
包丁を直すと、台所に戻しておく。
包丁は幾つかあるが。
クラウディアがほしいとねだったので、インゴットを作る度に、皆の武器を作る前に包丁を作って試していた。
クリミネア辺りから、とんでもない業物になって。クラウディアが包丁としては危ないと言うようになったので止めたが。
結局、さび止めをしたインゴットやブロンズアイゼンの包丁ばかりになったのは、それが故だ。
レントは、現状の装備なら、それらを曲げてしまう力は持っているという事である。
「レントの奴、ちゃんと料理とか自分でやるのかなあ」
「クラウディアほどの腕ではないが、少なくとも自炊はできるように仕込んだぞ。 食べられる虫も野草も教えておいたから、まあ問題はないだろう」
リラさんが、ソファで猫になりながら言う。
アンペルさんが呆れながら、掃除を進めて。午後くらいには全て終わった。
その後は、オーリムに出向く。
新しく聖地に姿を見せたオーレン族の三人は、キロさんともう馴染んで、川の整備をしているようだった。
水源からこんこんと湧く水は、変わってしまった地図の上を、きちんと流れている。
何カ所か、水害になりかねない場所があったので、あたしも手伝って流れを調整しておく。
残念ながら川の水に生物は見当たらない。
戻ってくるにしても、時間が掛かるだろう。
フィルフサが足を踏み入れていない洞窟などから魚や虫を持ってくるか。そういう話をキロさん達がしている。
かなり危険な仕事になる筈だ。
とはいっても、植物だけいても自然の復旧は難しい。
フィルフサが完全破壊した生態系だけれども。少しでも元に戻すことを考えるのなら。危険は冒さないといけないのだろう。
幸い、雨が降るようになってから、フィルフサがこの土地を避けるようになっているとキロさんはいう。
ならば、少なくともこの辺りは。
もうフィルフサの脅威を考えなくてもいいという事だ。
それなら、あたしも門を閉じる前に、もう一仕事しておくか。
「キロさん。 あたし達で、洞窟まで行ってきましょうか?」
「有り難い申し出だけれど、こればかりはオーレン族でやらないといけないわ」
「もう少し、色々とやらせてください。 護衛だけでもします」
「そう……」
護衛か。
キロさんほどの強者を。
いや。
シリさん達だったら、護衛になるか。キロさんは、この土地を守る要だ。
「分かった。 私が洞窟を知っている。 人間に護衛を受けるのは極めて不可思議な気分だが、少し手伝って貰おうか」
「それでは、此方も準備をします」
すぐにアトリエに戻って、必要な道具を取ってくる。
薬を増やすのは当然として、桶など。それに瓶も。
虫などを捕獲して、入れておくためのもの。
それに洞窟にフィルフサが入らないように、水を満たしておくべきでもあるだろう。
今の時点で、洞窟はかなり標高が高く、まだフィルフサが侵入してきていないらしい。
洞窟の内部は独自の生態系ができていて。
外では見かけられない虫などもいるそうだ。
「洞窟の外にいる虫などを持ってくる事はできないのか」
「洞窟の外は標高もあって、殆ど植物もなく虫もいない。 フィルフサが来ていないのは、自分達の土地にするために汚す土もないからだ」
「いや、それならむしろ好都合だろう。 むしろそんな厳しい環境にいる虫なら、水源の植物と親和性が高いはずだ。 むしろ問題になるのは魚だな」
「なるほど、そういう考え方もできるか」
話し合いをしているリラさんとシリさん。
二人にそれは任せておいて、あたしは幾つかの準備を終えておく。植物も採取できるなら、しておきたい。
その場においておいても、いずれフィルフサに蹂躙されてしまうだろうからだ。
出立したのは、アトリエから道具類を持ってきたあと。
荷車も持ってきたので、それでシリさんは満足していた。ぼんやりとあたしの方を見ている小さいオーレン族の子。
大きい方の子が、あたしから遠ざけるようにつれて行った。
あれも、仕方が無い事だ。
シリさんだって、まだあたしを警戒しているのだから。
「……私はお前達をまだ信用したわけじゃない。 見極めさせて貰う」
そうシリさんは、あたしとアンペルさんに言う。
リラさんはため息をつくが、それ以上何かをいうつもりはないようだった。
移動開始。
水害で派手に土地がえぐれた跡を歩いて行く。この辺りを、信じられない数のフィルフサが押し流された。
水がある程度引いた後も、まだ沼地になっている様な場所も多い。
いずれこういう場所も池になったり、或いは水が捌けたりして、少しずつ聖地としての土地が回復すると良いのだけれども。
しばらく歩いて行くと、やがて杭が見えてきた。
キロさんが、これ以上は行かないようにと立てた杭だ。当然、今回は無視して先に行く事にする。
ある程度行くと、雰囲気が変わる。
思い出す。
これは、フィルフサの気配だ。
蝕みの女王が繁殖地にしていたグリムドルほどではないが、それでもフィルフサがいるようである。
無言で、体勢を低くして移動する。
不意に、現れるフィルフサ。
あたしは容赦なく、真っ正面から蹴り砕いていた。
おおと、シリさんがぼやく。
「怪しい技を使うのではなく、肉弾戦もできるのか」
「魔術に関しては、熱操作が専門です。 ただフィルフサにはきかないので」
「そうだな……」
「この辺りのフィルフサは、どんな王種に率いられているんですか?」
首を横に振るシリさん。
この辺りは、流浪の末に弟妹と流れ着いたらしくて、それ以外は分からないらしい。
フィルフサの王種もいるらしいのだが、姿は見たことがないそうだ。
ただし、蝕みの女王ほどの危険な王種ではないそうである。
時間があれば、こっちの王種も仕留めてしまいたいが。
残念ながら、それはできそうにもない。
あたしが生涯でやらなければならないことは幾らでもあるが。
今、ここで。
王種を倒すのは、無謀すぎるのだった。
何度かフィルフサを倒しながら進む。いずれも大した強さのものではないが、将軍でもない。
空を見張りが飛んでいる。
あれに見つかると面倒だ。
叩き落としてしまおうかと思ったが、リラさんにとめられた。今はやめておけ、そうハンドサインを出される。
頷くと、無言で行く。
ただでさえ、辺りには木も生えていない。岩の間を潜るようにして、身を低くして進むしかない。
見張りはそれは仕事が簡単だろう。
これでは、空から敵がいたら見つけ放題だからである。
山が見えてきた。
その頃には、既に三十を超えるフィルフサを、皆で倒していた。シリさんは舌を巻く。リラさんが倒す手際にもだ。
「流石白牙の者だ。 つい最近まで、蝕みの女王に抗戦していたというだけの事はある」
「貴殿は戦闘はあまり得意ではないようだが」
「私の氏族は、どちらかというと支援が主体だった」
「そうか。 ならばその専門技能で、キロ=シャイナスを助けてやってくれ」
頷くシリさん。
そのまま山を登っていく。
途中でトイレをあたしが熱魔術で作って。持ち込んでいる保存食で、軽く休憩にする。
トイレは匂いも出るし、魔物に嗅ぎつけられる可能性があるので危険なのだが。
このフィルフサの分布密度なら、それほど気にする必要もないだろう。
一日掛けて、山を登る。かなり高い所まで来た頃には、たまに植物が見えるようになっていた。
「これは。 低地でも見られる植物だ」
「株ごと持っていくか。 種があるか」
「分布からして、株を持っていくのはまずい。 種だけ持っていこう」
「分かった、任せる」
こっちの植物は、完全に専門外である。リラさんとシリさんに任せる。
その間、あたしはアンペルさんと周囲を警戒。アンペルさんは、空の濁りぐあいを見て、非常につらそうだった。
先達の罪業。
空までもが、あんな色になっている。
だが、そもそもアンペルさんに罪はない。
いつか、アンペルさんが罪の意識から解放される日が来るといいなと、あたしは思う。
やがて、幾つかの実を採取したシリさんが。葉を何枚か採取していた。
虫だ。
葉ごと、採取したのだ。
水源近くの植物にも着く虫らしい。虫を必死に護りながら行くのも、不思議な気分ではあるが。
「これは王古虫といって、我々より長生きする事もある虫だ。 補食さえされなければ、なんぼでも生きる」
「凄いですね」
「体には細かい生物もついていて、それが自然環境の回復に役立ってくれる筈だ」
「……そうなると、この辺りは絶対にフィルフサから守らないと」
頷くシリさん。
いずれ、キロさんと遠征して、この辺りのフィルフサを削りたい。そういう事を言う。あたしも手伝いたいが。
いずれにしても、人間の世界から与太者が侵入するのを防がなければならない。
オーレン族は非常に優れた戦士達だが、それでも人間の与太者はあらゆる手段を使う。古代クリント王国の錬金術師どものように。
また、与太者以外でも、オーリムに間違って迷い込んだ人間が。殺気だったオーレン族に殺される事故を防ぐ必要だってある。
そういう意味でも、門は一度閉じなければならないのだ。
シリさんが潜伏していた洞窟にも出向く。残念ながら中にあった水に住んでいる魚は、洞窟の固有種らしかった。リラさんとシリさんがしばらく話し合いをして。そして持ち出せないと判断。
もしも、外の川にもいるような魚が見つかったら、次に連れ帰る。
そういう話をしていた。
一日掛けて、山を下りる。そして、グリムドルに戻るまでに、四十体のフィルフサを倒した。
途中、見張りに見つかってひやりとしたが。
見張りは領域ギリギリにいるのを察知してか。空を旋回してはいたものの。近付いてはこなかった。
増援を呼ばれれば厄介だった。
こう言うとき、クラウディアの音魔術がないことや。レントやタオがいないことが、本当に心細い。
戦闘では問題なく体は動くのだけれども。
やっぱり頭がぼんやりしているのを、どうしても感じる。
今まで湯水のように湧いてきていたアイデアも、どうしてかそれほど湧いてこなくなってきている。
これは、病気か何か、なのだろうか。
グリムドルに戻る。
後の処理は、シリさんに任せると。あたしはキロさんに引き継ぎだけして、アトリエに戻る事にする。
風呂に入って、トイレに行って。
野宿の時よりも、ずっとリラックス出来るのは事実だ。
そして、風呂から上がって、横になってぼんやり思う。
やっぱり、みんながいないと寂しいな、と。
いつでも側にいたみんながいないと、こんなに心細いんだな、と。
アンペルさんもリラさんも、もうすぐ行ってしまう。
そうすると、あたしは。
例えやりとりをする手段があるとしても、ここで一人になるんだなと思った。
3、閉門
グリムドルに出向く。また、何人かオーレン族が増えていた。
雨が降っている。
遠くからそれが見える。
呼ぶ歌が聞こえる。
それだけで、潜伏していたオーレン族が集まる。そういうものであるらしかった。
水源から、徐々に植物が増えて、環境を回復させる試みが始まっている。その作業には、数人の明らかに戦闘向きでは無いオーレン族が携わっていた。
あたしが姿を見せると、露骨に眉をひそめるオーレン族もいるが。
キロさんが、それに対してしっかり説明をしてくれる。
申し訳ない話だ。
彼ら彼女らが、あたしを忌むのは当然だから。
いずれにしても、聖地にはもう十人を超えるオーレン族がいる。それだけで、少しはマシになっているのだろう。
軽く、キロさんと話をしておく。
「この間行った山、麓のフィルフサを少し減らしておきます。 一度門を閉じる前に、それだけはしておきたいと思いましたので」
「確かに山の上の方には、低地から追いやられた植物や虫がいるようね。 魚もいる可能性がまだ捨てきれないわ」
「将軍を仕留めれば、恐らくかなり汚染を遅らせることが出来るはずです。 最後に、将軍を倒しておきたいです」
「分かったわ。 私が行くわ」
キロさんが、手を叩いてオーレン族の皆を集める。
あたし達とキロさんで、フィルフサを叩きに行く。将軍を倒して、少しでもフィルフサを減らす。
そう告げると、不安そうにするオーレン族の者達。
戦闘向けでは無いオーレン族の者もいる。
中には、手足を失っている者も。
それだけ潜伏生活が過酷だったのだ。もう、この世界は、フィルフサのものとなりかかっているのかも知れない。
オーレン族ですらそれだ。あたしの世界がフィルフサに汚染されたら、惨禍はこんなものではすまなかっただろう。
本当に、数百年前の大侵攻は、世界が滅ぶ危機だったのだ。
それを思い知らされる。
「大丈夫。 この良き錬金術師ライザは、仲間とともにあの蝕みの女王を倒した手練れよ」
「蝕みの女王を!」
「手練れとは聞いていたが、それほどか……」
「だから安心して。 必ず戻る」
ばっと、戦士らしい何人かが、キロさんに敬礼する。
それを受けると。四人で、グリムドルを発つ。
前に、軽く足を運んだから、フィルフサの分布は分かっている。
本来のフィルフサの群れは、将軍が多くても三十。将軍麾下の戦闘タイプのフィルフサは、せいぜい一万。
蝕みの女王の群れの、四分の一の規模だ。
それに、キロさんの話によると、将軍も普通は彼処まで強くは無いらしい。
ただ、それでも油断出来る相手ではない。
水のある領域を抜けると、すぐにフィルフサの気配がある。今度は、逃げ隠れる理由はない。
片っ端から、始末しにいく。
山の上の方にある水源と、まだわずかに残っている植物。
それらを、フィルフサに蹂躙させるわけにはいかないのだ。
リラさんとキロさんが大暴れするのを、アンペルさんが後方から支援。空間切断の魔術で、片っ端から貫く。
あたしは敵の様子を見ながら、爆弾を投擲。
数匹まとまって出て来たフィルフサを、まとめて爆破する。
突貫してくる小型のフィルフサを、雷光のようにキロさんが突撃して、全部まとめてバラバラにする。
小物だったらこんなものだ。
ただ、腐ってもフィルフサである。
完全に破壊しないとしなないし。雨が此処では降っていない。見つけ次第、一匹残さず狩って潰す。
「見張りだ!」
リラさんが警告。
上空から、飛んで此方に向かってくる巨大な翼の影。どうやら、今度は逃がさないという雰囲気である。
残念だが。
それは此方の台詞だ。
無数の針を飛ばして、面制圧をしにくる見張り。あたし達は散って、距離を取るように見せる。
旋回しながら、多数体に着いている目で、此方を捕捉している見張り。
リラさんとキロさんを特に警戒しているようだが。
残念ながら、二人は囮だ。
上空。
空中に作った氷の足場と、足に魔力を集中させて跳躍したことにより。あたしは見張りの上を取った。
かなり高い地点だから、結構怖くはあるのだけれども。
昔から、高く跳ぶのには慣れている。
あたしを見て、対空攻撃に移ろうとする見張りだが。その翼を、下からアンペルさんの空間切断が容赦なく貫いていた。
バランスを崩す見張り。あたしは、氷の足場を蹴って真下に。そのまま、見張りを蹴り貫く。
断末魔すら上げず、核を撃ち抜かれた見張りがバランスを崩し、落ちていく。
あたしは途中で氷の足場を作って、段階的に飛び降りていく。地面に着地するのと。落ちたフィルフサがバラバラに砕けるのは同時だった。
「素晴らしい腕ね。 もう体術だけでもオーレン族の手練れと遜色ないわ」
「ありがとうございます。 キロさんにそう言って貰えるのは光栄です」
「あまり褒めると調子に乗るから、その辺りにしておいてくれ」
「分かったわ」
少しおかしそうに、キロさんがリラさんに返す。
あたしも、褒められるのは素直に受け取るが。今は、あまり褒められる事はないとも思っている。
だから、それで良かった。
しばらく周囲のフィルフサを、無心に掃討。
この辺りは殆ど荒野になっている事もあって、フィルフサの汚染はあまり激しくないようである。
あの、地面から湧き出してくるフィルフサを思い出す。
土地を完全に汚染することで、フィルフサはその土地そのものを使って増える。この辺りではまだ増えられない。
まだ汚染をしている途中なのだろう。
だから数も少ない。
そして水が尽きている状況では、自分達を脅かす相手もいない。そういう事もあって、油断していると見て良い。
だが、それはあくまで今は、だ。
フィルフサは群れで一体と言っていい生物。
もしも外敵がいると判断したら、山津波のように反撃してきてもおかしくは無いのである。
少しずつ、フィルフサの密度が増えてくる。
何か感じ取ったのか、キロさんがさがるように指示。あたしも、素直にそれには従う。
さがってから、キロさんが説明してくれる。
「別の将軍のテリトリに入った。 フィルフサの匂いが変わったわ」
「そんな事も分かるんですね」
「確かに少し違うな」
リラさんもどうやら分かるらしい。ただ、言われてやっと気付くというレベルのようであるが。
これは恐らくだけれども、ずっと激しい戦いを続けた白牙氏族と。ゲリラ戦に集中していた霊祈氏族の違いなのかも知れない。
一度後退して、フィルフサをつぶしながら、戦う。そして今日はここまでと判断。アトリエに戻ると。
翌日も、早朝から掃討作戦を続けた。
流石に中型、大型のフィルフサとなると。戦っていて危ないと感じる場面が幾つもあった。
既にあたし達の世界では乾期は終わっていて、雨が降る日も珍しくなくなっている。
あたしはお薬を中心にクーケン島に届けて、それでお父さんとお母さんを実績で黙らせ。
更にはアガーテ姉さんに言われて、子供に教える事についても今準備を進めている。
アガーテ姉さんは、また激しい戦いをしている事に気付いているようだが。
あたしはクーケン島での仕事を疎かにしていない。
それで、文句を言うことはなかった。
三日目。
フィルフサの掃討を続ける。やはりかなり広域に群れが拡がっているようで、確実にフィルフサは減っている。
ただ、将軍を倒しても、時間稼ぎにしかならない。
王種が無事である以上、将軍はまた生まれ出る。また、失った土地に、別の将軍が来る可能性もある。
それは分かっている。
ただ、門を今後安易に開けるつもりはない。年に一度か二度、雨期の時に限定して空ける予定だ。
門を開くための機構も、ゴルトアイゼンで固めて、知識がなければ絶対に動かせないようにする。
それらの準備をしながら、フィルフサの掃討を進める。
少なくとも今抗戦しているフィルフサなら。
はっきりいって、なんとでもなる。
勿論油断すれば危ないだろう。だけれども、あたしはもっと手強いフィルフサと散々やりあったのだ。
本当に、蝕みの女王が如何に桁外れの王種だったのか、その群れが強大だったのか。別の群れと戦って見て良く分かった。
激しい戦いをしていくうちに、ついに見つける。
間違いない。
将軍だ。
大きさ、姿。何度も見てきた将軍とほぼ同じ。
無警戒に歩いて回っている。あれは、生態系の絶対強者の動きである。だけれども、それが命取りだ。
距離を取って、一斉攻撃の準備に入る。
大丈夫。
あの気配、負ける相手じゃない。周囲に伏兵もいない。だったら、接近戦のリスクを冒す必要はない。
爆弾を投擲する。
それに気付いた将軍が、背中を展開して、中途で撃墜に掛かった。
だが、撃墜と同時に爆弾を炸裂させる。
今度の爆弾は、試験的に作った「動く水」だ。
炸裂と同時に、あたしの操作に従って、相手に纏わり付く。人間だったら窒息させられるし。
フィルフサだったら。
全身に水をあびた将軍が、悲鳴を上げてもがく。そこに、アンペルさんが空間切断を連射して、足を数本切りおとし。
地面に倒れ込んだところを、キロさんとリラさんが一閃。
水に濡れて弱った装甲を、文字通り打ち砕いていた。
中身が見える。
核が。
あたしは無言で突進すると、核を蹴り砕く。
やはり、これはフィルフサに対しては決戦兵器になるな。そう思いながら、地面にしみこんでいく水を見やる。
核を打ち砕かれた将軍は、あっさり崩れ、そして溶けていく。水に触れたフィルフサの末路だ。
あたしは、核を拾う。後で、何かの役に立つかも知れない。
将軍は倒した。
後は、この土地にいるフィルフサが離散するのを見届けて。今できる事は、おしまいだ。
グリムドルに、将軍の角を持ち帰る。今回の将軍は、頭から背中に掛けて、立派な角を持っていたのだ。
そしてこんな大きな角、フィルフサの将軍級しか持たない。
角を持ち帰ったことで、やっとオーレン族の皆は、あたしとアンペルさんを認めてくれたようだった。
少しばかり物わかりが悪いと思うが、閉鎖的な種族だ。それに経緯もある。このくらいは、此方も理解した上で譲歩しなければならない。
「霊祈と白牙の精鋭戦士と一緒だったとは言え、こうも容易く将軍フィルフサを仕留めるとは……」
「そして命を賭けて将軍を倒したのも事実だ。 どうやら認めざるを得ないらしい」
リラさんが咳払いする。
順番に説明をしていく。
「我々は、人間世界にある負の遺産であるこの世界との「門」を閉じて回っている。 今までは門をとじることだけしかできなかったが、今回英傑である良き錬金術師ライザリン=シュタウトと巡り会ったことで、ついに聖地を取り戻し、あの邪悪なるフィルフサの王種蝕みの女王を撃ち倒す事が出来た」
「おお……」
「今まで災厄しかもたらさなかった錬金術師とは違うと言う事だな」
「そうだ。 だが、まだ彼方の世界には門が多数存在している。 私はこのもう一人の良き錬金術師、アンペルとそれを閉じて回らなければならない。 この門については、年に一度程度の間隔で、ライザリン……ライザが開いて、状況を確認に来る。 その時の為の、打ち合わせをしておいてくれ」
リラさんが、あたしを前に出す。
キロさんは笑顔のままだ。
一応、此方が雨期の時。年に一度か二度、門を開くことを告げる。
門の開閉は、比較的簡単にできてしまうこと。
万が一にも簡単に開かないように処置はするが、入った人間は確認すること。それを頼む。
「キロ=シャイナスはこれから遠征して、生き残りを探すという事だったな」
「ええ、そうなるわ。 もう残念だけれど、近場に生き残りのオーレン族は……少なくとも身動きできる状態ではないでしょう」
「ならば、私がライザを覚えておこう。 そして門の側にあって、ライザが来たのなら歓迎するように周囲に知らせる」
そう言ってくれたのはシリさんだ。有り難い話である。
その後、門に行く。キロさんは、門の外にまで着いてきた。そして、軽く話をした。
「いずれ、この世界でも私達と交流できる時代が来ると良いのだけれども」
「今は難しいと思います」
「ええ……」
あたしも、夢ばっかり語るわけにはいかない。
オーレン族と人間は、差が大きい。長命種で身体能力も魔術の操作も人間の遙か上を行くオーレン族は、ただでさえ人間とは相容れない事も多い。
だけれども、アンペルさんとリラさんのような例もある。
人間は古代クリント王国がもたらした破滅を経ても、その前から比べて進歩したのだろうか。
あたしにはそうは思えない。
古代クリント王国の錬金術師のような下衆は、世界中どこにでもいる。
人間という種族は、全く進歩なんかしていない。
今は、人間の数があまりにも少ないから、戦争がなく。アーミーが存在していないだけであって。
もしも今の何十倍という数に増えたら。
きっとろくでもない人間が、真面目に頑張っている人間をだまくらかして。ろくでもない社会を作るんだろう。
人間みんなが、この問題に向かい。
解決しなければいけない。
そういう、みなが人間の問題と向き合うことができる社会を作るには、人間は幼すぎるのである。種族として。
あたしですら、それくらいのことは分かる。
「ライザ、良き錬金術師。 今は、ただこう言っておくわ。 貴方に日の導きと月の加護のあらんことを」
「ありがとうございます、キロさん」
最高の賛辞を受けたことを理解している。
だから、あたしも最敬礼でそれに応える。
そして、皆で門を閉じる。
後は、流れ作業で、門は閉じられた。
キロさんが消えた空間の穴が、見る間に小さくなっていく。やがて、それは何も存在しなかったかのように消えた。
だがこの空間の穴は簡単にまた開く。
古代クリント王国の錬金術師が、どうやって穴を空けたのかは分からない。いずれ、この聖堂の周辺は徹底的に整備して。
盗賊の類が絶対に近寄れないように、色々と処置をしなければならなかった。
聖堂周辺の魔物を掃討しておく。
鼬の群れなんか、今更相手にもならない。勿論強い鼬もいるけれども。この辺りにいる鼬なら、今のあたし達なら特に苦労する事もない。
聖堂周辺の魔物を、丁寧に駆逐。
それで、作業は終わった。
ゴルドテリオンの固定装置で、風雨による劣化を避ける。これも、いずれ更に頑丈に固めてしまいたいが。
今はそこまでできる技術がない。
これからあたしが、何年かかけてやっていく事になるだろう。
今後も、あたしは暇になる事がない。
一度アトリエに戻る。
そこで、ゆっくり休んで貰って。
それから、二人に別れを告げた。
アンペルさんには、本当に迷惑を掛けてしまった。どこでも似たような目にはあっているとアンペルさんは言うが。
それでも、故郷のもっとも情けない有様を見せてしまったと、あたしは思う。
あたしの師匠。
普通の人よりも長生きしているらしいけれど。その理由は、自分でも具体的には分かっていないらしい人。
最後に、アンペルさんは。
懐から、参考書をくれた。
「これを譲ろうと思う」
「この本は……」
「ロテスヴァッサにあった錬金術の奥義書だ。 それを、時間を掛けて暗号を解読したものになる。 ロテスヴァッサに集まっていた錬金術師達には、一人としてこれを再現出来るものはいなかった。 悔しいが、私もその一人だ。 ライザ、お前なら再現し、有効活用出来るだろう」
「でもあたしは……」
今、スランプだ。
それでも、いずれ必ず役に立つ。そう言って、アンペルさんは参考書をくれた。
あたしはぎゅっとそれを抱きしめる。
師匠でもどうにも出来なかった錬金術の奥義。それを再現し、そして最高の形で活用したい。
いや、活用しなければならない。
あたしにとって、それは生涯の目標だ。
「ライザ、その不調の理由はわからないが、お前は間違いなく天才だ。 今は休んで、体を回復させるべきだと思う。 それでも不調が直らないようだったら、私達に連絡をくれ。 何か原因があるかも知れない」
「分かりました。 その時はお願いします」
「私からは、特にこれといってやるものも、掛ける言葉もないな」
リラさんはいつも通りだ。
いつも通り過ぎて、苦笑いしてしまう。
あたしから送った装備がすっかり気に入ったようで。最後にも微調整をして。それで嬉しそうにしてくれた。
あたしは、それだけで充分だ。
これほどの戦士が、あたしの作ったものを認めてくれているし。
あたしも、それを調整して、責任を持てるのだから。
「今後は、恐らくただ門を閉じるだけではなくなるだろう。 いざという時は呼び出すから、その時は頼むぞ」
「はい。 どこでも、いける範囲で行きます」
「ありがとう。 良き錬金術師ライザ。 キロも言っていたが、私からも言おう。 良き錬金術師ライザに、日の導きと月の加護のあらんことを」
最高の賛辞に、ありがとうございますと、頭を下げる。
あたしの錬金術の師匠と、みんなの戦闘の師匠に。それぞれ。
そして、別れは終わった。
二人はすっとアトリエを後にする。
後には、何も残らなかった。
アトリエには、あたし一人になった。
だけれども、アトリエを見回せば。今でもみんなが側にいるようである。
みんな、それぞれ違う人生を今や辿っている。だが、いつでもまたその道は交わる筈である。
さて、まずは。
アンペルさんがくれた参考書に目を通しながら、できる事を一つずつやっていこう。
最初に目に着いたのは、エリキシル剤。
千切れた腕がくっつくような、文字通り最高の霊薬だ。
問題は最高の技術と、最高の材料が必要になる事。特にドンケルハイトという植物が、生半可な方法では手に入りそうにもない。
そしてもう一つ。いや、もう二つ。
最高の金属と、最高の布。
グランツオルゲンと呼ばれる最高の金属の素材は、どうやらセプテリオンと呼ばれる超高純度魔力を込めた鉱石らしい。此方の世界にはほぼ存在しておらず。あるとしたらオーリム。
でも、聖地グリムドルにはなかった。恐らく古代クリント王国の連中が、みんな「採掘」してしまったのだろう。
だとすると、あるとしたらオーリムの古代クリント王国の連中が荒らしていない地域か。
もしくは、此方の世界の、古い遺跡くらいだろうか。
布の方は何種類か最高のものが上げられていたが。
いずれもが、繊維を極限まで強化する必要があるようだ。
触っただけで指が飛ぶような繊維を、如何にして危険物ではなくすか。布に加工して、更には服にするか。
それが課題になってくるだろう。
これらについては、是非今後作っていきたいのだが。
残念ながら、どうにも今はできそうにもない。
アンペルさんに素直に言った通り、どうも今までの創造性が失われてしまったかのように、頭がぼんやりするのだ。
しかしながら、今まで作ったものは問題なく作れそうだし。
それは、心配していない。
さて、背伸びする。
とにかく、疲れをまず取ることからだ。そして、みんないなくなったアトリエに慣れる事。
その後は、日常の中で。
錬金術の腕を磨いて。戦士としても力が衰えないように自己努力を続ける。
古代クリント王国の凶行の精算をしなければならない。それには人生全てが掛かるかもしれない。
或いは人間を止めて、それでもなおとんでもない月日が掛かるかも知れない。
だけどあたしは決めたのだ。
このような非道をする連中、絶対に許せない。
その負の遺産は、悉く蹴り砕くのだと。
ベッドに横になると、しばし睡眠を貪る事にする。少しくらい昼寝しても大丈夫だ。
あの一秒を争って、全員で必死に動いていたときの事が懐かしい。
気が抜けるのも、仕方がないのかも知れない。
だけれども。いずれあの時の活力を。必ず取り戻さなければならなかった。
エピローグ、それぞれの旅路
王都についた。かなりの長旅だった。
タオはボオスと一緒に、まずは王都を見て回る。幾つかの区画に別れている。これについては事前に聞いていた。
区画には人名らしいものがついていて。
城壁で守られており。城壁の中は相応に平和だが。
城壁の外は、噂通り街道の安全すら保持されておらず、ボオスが早速ぼやいていた。
「すぐ近くの街に行くだけだってのに、見ろあの大げさな護衛。 しかも商隊が複数組んで、自衛のために戦力をまとめてやがる」
「噂には聞いていたけれど、本当に井戸の中なんだね」
「物資は山ほど集まって来ているようだがな……」
王都アスラ・アム・バートはとても華やかだが。華やかなだけで、色々と歪んでいるのが分かった。
まず物価がおぞましい。
そもそも物々交換すらあったクーケン島とは、何もかもが違い過ぎる。
更には、大きな石造りの建物がならぶ主要道路は良いとしても。
ちょっと裏路地を覗くと、噂に聞いた魔の薬を口にして昼間から横になっているボロボロの服を纏った人や物乞い。
明らかに、獲物を狙う目つきのケダモノ以下。
そういう連中が、屯しているのが分かった。
これは、聞いていたとおりの実情だ。
この城壁の内側だけの平和。
そしてそれすらも、結局は守れていない。
珍しく、規律が整った戦士達が出ていく。以前ライザ達と冒険しているときに、何回か話に上がったアーミーが現在にいたらあんな感じだろうか。
ただ、数はそれほど多く無いし。
一目で分かったが、装備はきらびやかに見えるが、ライザが作った装備の足下にも及ばない出来だった。
武装した馬に乗っているのが、指揮官だろうか。髭を蓄えた、厳しい表情の中年男性だ。
あれはかなり強いな。
そうタオは見た。この状況を見れば、王都の指導者層が惰弱なだけの無能だと言う事は一発で分かる。
そんな中にいる、例外なのだろう。
「アーベルハイム卿だ。 他の貴族どもが一切やらない魔物の討伐をしてくれるありがたい方だ」
「また街道で魔物の掃討をするんだろうな。 ありがたいが、一向に魔物が減る気配はないよな……」
「魔物がそれだけ強大だって事だ。 それは……諦めるしかない」
ひそひそと話をしている人々。
タオはボオスに促されて、先に行く。
今日中に、「学院」とやらに行って、手続きをして。試験を受けなければならない。
その後も、この物価では、持ち込んだ金ではまるで足りないだろう。
アンペルさんに入れ知恵を受けて。ライザが作ったインゴットを幾つか持ってきている。これを売れば当座の生活費はできるだろうと、物価を見ていればある程度察しはつくが。その後は生活費を稼がなければならない。勉強に集中したいのにな。そうタオは、ぼやいていた。
クラウディアは、旅先で天幕の中にて。円卓を囲み、何人かの商人と話をしていた。
既にフロディアは側にいない。お父さんも。
だから、明らかに小娘と侮ってきている相手に。舐められないように、商談をしなければならなかった。
化粧は自分を綺麗に見せるために行うのでは無い。
それは、知っていた。
元々化粧というのは、辺境の人々がそうしているように、自分の戦意を高揚させるために行う。
原理は今も変わっていなくて。
舐められるのを防ぐために、大人はする。
そういうものなのだ。
「残念ですが、この料金より値引きをする事は出来ません」
「そんなことを言わずに。 我が商会としても、厳しい所なのです」
「貴方方の商会で昨晩どういう話をしていたか、当てて見せましょうか」
ぎょっとする商人に。
音魔術でさぐりあてた密談の内容を、一字一句間違わずに諳んじてみせる。
それを聞いて、商人達は露骨にあわてた。
クラウディアは、じっと笑顔を保ったまま。
笑顔は相手に対する攻撃の意思を示す表情だったという説があるらしい。
そういえば、イジメを行う人間はいつも嬉しそうにしていると聞く。
その辺りも、いわゆる名残なのかも知れなかった。
「あのひ弱そうな世間知らずのお嬢様だったら、簡単にだませるだろう、ですか。 随分と舐めてくれたものですね」
「そ、そんな事を言った覚えは……」
「今、貴方たちが此処に持ち込んでいる品についても全て把握しています。 だいたいの資金もね」
「……っ」
青ざめる商人達。
これは、この場にライザがいなくて良かったなとクラウディアは思った。全員今頃、三つくらいに折りたたまれていたかも知れない。
クラウディアも、既に今は百戦をくぐった戦士だ。
こんな商人達なんて、それこそ十秒かからず殲滅できる。
だから、余裕も生じた。
「もう一度言います。 取引は先に提示した料金で。 それ以上は値引きは一切いたしません」
「くっ……」
商人達が、互いを見る。誰が裏切った。そういう視線だ。
どうでもいい。
クラウディアが音魔術の使い手であることは、別に伝える必要もない。
今になってよく分かったが、現状のクラウディアくらい自分の魔術を練り込んでいる人間は殆どいない。
短期間でリラさんに鍛えられて、此処まで成長できたのは。感謝するしかない事なのだろう。
「それで受けられないのであれば、別の商人との取引を行います。 また、バレンツ商会のブラックリストにも貴方たちは登録させていただきます」
「ま、待ってくれ! 悪かった! 分かった……騙そうとしたことは謝ります。 だから出禁だけは……」
「お、おいっ!」
クラウディアは、ついに結束が崩れた愚か者どもを見やる。
クーケン島は、裏がある人も多かったけれども。こんな魔郷ではなかったな。そう思いながら。
レントは一人旅を急いでいた。
何処にでも向かう。
どこででも人助けをする。
生活のために力仕事をするのと。武力を振るうのは別として考えた。魔物に困っている場所は、幾らでもあった。
そういう場所では、ライザの作ってくれた装備と。リラさんに教えて貰った戦い方を駆使して。
今の技量なら駆逐は難しく無い魔物を、片っ端から打ち倒して行った。
旅をして、だいぶクーケン島から離れた。
手紙を配達する人間を見つけたので、バレンツ商会に向けて手紙を書く。
連絡網の通りにやる事にする。
皆にそれぞれ現状について書くと。すぐに手紙は文字で一杯になってしまった。
こんなに文字を書くのは、始めてかも知れないな。
そうレントは思って、苦笑いをしていた。
手紙を託して、配達して貰う。
読まれて困るような事は書いていない。
後は、旅を淡々としていくだけだ。
覚悟はできている。
旅を開始してからも、すこしまた背が伸びた。流石にあの大巨人、クソ親父ほどまで大きくはならないだろうが。
今は、大きさに頼るのでは無い。
技量を磨くべき時だ。
おそらく、皆の中で一番役に立てていなかったのは自分だ。
そうレントは自己評価をしている。
雑魚魔物相手だったら、ガタイと、それに応じた武器によって叩き伏せることができる。
だが大きな魔物が相手だと、それ以上に速さと戦術眼。それに技量が大事になってくる。
フィルフサとの苛烈な戦いを経て、それは充分に理解出来た。
だからレントは、腕を磨く。
今後、いつ皆から招集が掛かるか分からない。
古代クリント王国の愚か者共がやらかした凶行と、その結末。それを知ってしまった以上、他人ではいられないのだから。
話を聞いた。
この先の集落が、強力な魔物に脅かされているという。
道を急ぐ。
分かっている。戦い続けていれば、いずれ親父のように怖れられて。化け物扱いされるかも知れない。
だけれども、それは最初から覚悟している。
あの親父だって、ミオさんとカールさん曰く、昔は侠気のある立派な人物だったらしいのだ。
レントが同じ道を辿るわけにはいかない。
戦い。そして未来を勝ち取る。それが、レントの旅だった。
アンペルさんとリラさんは、無事にやれているだろうか。
そうあたしは思った。
今、あたしはアガーテ姉さんと一緒に、魔物相手に戦闘している。
ここは街道から少しはずれただけの平原。警戒中に、鼬の群れを見つけたので、交戦に入ったのだ。
残った魔物、今対峙しているのは母と呼ばれる鼬の群れの長。周囲には、既に焦げた鼬の死体が点々と散らばっていた。
「ライザ、仕掛けるぞ」
「はい」
アガーテ姉さんが、体勢を低くすると、突貫。その速度、圧力、レントに全く劣っていない。
装備品はレントの方が上だった。それでも劣らないのだから。まだ地力ではアガーテ姉さんの方が上と言う事だ。
あたしは何倍も大きい鼬に果敢に挑むアガーテ姉さんを視界に常に入れながら、鼬の横に回り込む。
こっちを見る鼬。
不意にサイドステップすると、躍りかかってくる。
そうくるだろうと。
思っていた。
踏み込むと同時に、空中で動きが取れない鼬の顔面に、蹴りを全力で叩き込む。
首の骨がへし折れるのが分かった。
素の筋力だけだったら無理だ。
だがあたしは錬金術の装備で何十倍にも能力を強化し。更には魔術で身体能力を更に強化している。
まあざっとこんなものである。
首が折れた鼬が飛んでいって、岩にぶつかって砕け散っていた。
ぶちまけられた血肉が。辺りに散らばる。
アガーテ姉さんが、護り手達を呼ぶ。
息を吐いて残心をするあたしをみて、護り手達が生唾を飲み込んでいた。
「前も強かったが、更に化け物じみて来たな……」
「まだまだですよ。 もっと技量を磨かないと」
「あ、ハイ……」
聞こえていると思わなかったのだろう。
ひそひそ話していた護り手達が背筋を伸ばす。
アガーテ姉さんは嘆息すると、まだ無事な肉や毛皮を集めるように護り手に指示。あたしとともに、周囲の警戒に当たる。
そして売れそうな毛皮や肉の回収が終わると、クーケン島に凱旋した。
その後は、あたしは学舎に足を運ぶ。
まだ幼い子供達が。あたしを見るとわっと声を上げる。
先生として優秀だから、ではない。
湯沸かしの魔術などの、小遣いを稼げる実用的な事。
更には、今後生きていくために必要な四則演算。文字の読み書きなど。
実用的だと一発で分かる事だけを、あたしが教えているからだ。
一方、歴史や文化を教えている先生の授業はあまり人気がないようだ。
これについては、あたしも気持ちがわかる。
そういう学問をしているとき、あたしも退屈で仕方がなかったし。それが嘘だらけと、今は知っているのだから。
湯沸かしの魔術が上手な子がいるので、応用を教えて。更には四則演算の問題を皆に解いて貰って。
自分の分の授業を終える。
その後は、せっかくクーケン島に来たのだから、島の中枢を確認に行く。
大丈夫。
淡水化装置も問題ない。
勿論中枢も。
夕方になったので、自宅に。母さんも父さんも、相変わらずあたしがふらふら遊び歩いているかのような目で見る。
この島の問題をあらかた解決した今も。
二人がいつ認めてくれるのか、それは分からない。
今はただ、実績を積みつつ。戦士としても、錬金術師としても。腕がさび付かないように、やっていくしかなかった。
「父さん、水の味が少し変わった事による影響、出てる?」
「今の時点では、畑が文句を言う様子はないよ。 だけれども、ちょっと味が落ちたかもしれないね」
「分かった。 淡水化装置、改良するよ」
「そうか、頼むよ。 だけれども、それ以上に畑仕事を手伝ってほしいかな」
またそういうことを。
あたしは畑仕事だと、一人前くらいにしか働けない。錬金術師だったら、戦士だったら、そんなのとは比較にならない程働ける。
それを何度説明しても、分からず屋の両親は今でもあたしを子供扱いだ。
疲れたので、食事を終えると寝る。
ベッドで横になって、旅先にいるだろう皆を思う。
みんな、ちゃんとやれているだろうか。
明日になったら、朝一でバレンツ商会に顔を出すか。
誰かから、手紙が来ているかも知れない。
まだ、あたしの錬金術師としての道は。
始まったばかりなのだと。
こういう未熟を感じる度に、思い知らされるのだった。
(暗黒錬金術師伝説9、暗黒!ライザのアトリエ・終)
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