破滅の権化が終わる時
序、女王猛攻
残像を作りながら、蝕みの女王が仕掛けて来る。
必死に割り込んだレントがブレードの一撃をパリィするが、背中に虫の羽のようなものを作った女王は。高速でそれを振動させながら、滑るように地面を走り。そして、次々に乱打を叩き込んでくる。
ブレードの切れ味は、先まで使っていた鎌と同等、或いはそれ以上か。
レントの剣が、酷い軋みを、一撃ごとにあげる。
「畜生っ!」
レントが呻いた。
恐らくは、敵の攻撃の苛烈さに対する悪態じゃない。腕が伴っていない自分への嘆きだ。
レントはこの一季節でぐっと成長したが、多分誰もが分かっている。
殆ど素人同然から、この面子に混じって戦えるようになったクラウディアや。
頭脳活動が本領のタオとは基本的に違っている。
そもそもとして、レントはガタイが武器。
それは才能にはかえられない武器ではあるのだが。
しかし、こういった相手が敵になってくると、逆に鈍さにつながってしまうものなのである。
リラさんが今度は割り込むと、ブレードを跳ね上げる。
技量の差を見せつけるように。リラさんのクローは、傷一つついていない。根本的な戦闘技術にまだまだ差があるのだ。
錬金術の装備で、とんでもない領域まで力が跳ね上がっているから、それで差が縮まっているようにみえるだけ。
そもそも本来は、リラさんとレントでは、一閃で首が飛ぶくらいの力の差があるのだ。
それはあたしもレントも分かっている。
激しい攻防の中、汗が飛ぶ。
血も。
速すぎて、爆弾を投擲する暇がない。投擲したところで、当てる自信がない。あたしもさっきから、肉弾戦に加わっているが。
抑え込むので精一杯だ。
いや、抑え込めている。それだけで、満足すべきなのか。
針の穴を通す一撃を、アンペルさんが放つ。
得意の空間切断だ。
だが、その一撃は、確かに人型になっている蝕みの女王を貫いたが。ダメージを与えた様子はない。
やっぱり此奴も核を潰さないと駄目か。
だが、それだけでは多分駄目。
砕かないと、恐らく殺しきる事は不可能だろう。
「畜生、タフな奴だ……!」
アンペルさんが呻く。口調が荒くなっている。余裕がなくなっているという事だ。
クラウディアはずっと全力で音魔術を展開。
それによって、全員の動きが良くなっている。
だが、良くなっていてこれだ。
拮抗が何処かで崩れたら、一瞬で負けになるだろう。
ただ、あたしは分かる。
気合いと共に蹴りを叩き込んだ瞬間、女王が明らかにさがる。これは、あたしを警戒している。
ならば、あたしがどんどん前に出るしかない。
それに、タオがさっきから動くのを気にしている。
あの創世の鎚の破壊力を身で味わって、どうしてもそれを警戒せざるをえないのだろう。まあ、それも分かる。
だったら、この二つを主軸に攻める。
敢えて飛び退くと、タオにハンドサインを出す。
頷くと、タオは反時計回りに、乱戦するレントとリラさん、蝕みの女王の背後に回り込もうとする。
あたしは、それに対して、真っ正面から歩いて行く。
のっぺらの顔だが。
それでも、視界はあるのだろう。
蝕みの女王は、タオとあたしを確認したのだろう。一瞬動きを止めると。あたしに向けてブレードを放つ。
何回かやってきた攻撃だ。
あたしはブレードを蹴り上げる。
ゴルドテリオンで強化している靴だからできる事である。そうでなければ、足が真っ二つだっただろう。
蹴り上げたブレードが、回転しながら後方に飛んでいく。
大丈夫、あれならクラウディアにもアンペルさんにも当たらない。
さがりながら、ブレードを再構築する蝕みの女王だが、リラさんが立て続けにクローでの攻撃を叩き込む。
それを装甲で受けきろうとする女王。
だが、やはりまだ雨が降っている。
雲間が見えているとはいえ、である。
それで装甲が、普段より弱まっているのはあるのだろう。ついに、火花を散らしながら、装甲にリラさんのクローが食い込んでいた。
あたしは態勢を低くすると、そのまま突貫する。
それを見て、リラさんを強引にけり跳ばして距離を取る蝕みの女王。続けて、大ぶりに一撃を叩き込んだレントの剣も、ブレードで受けてみせる。
だが、この瞬間を待っていたのである。
アンペルさんが、完璧に狙い澄ました空間切断を叩き込む。今度は頭をそれが直撃していた。
だが、それすらも致命打にはならないか。
しかも、貫通したようには見えなかった。
あたしはそのまま突貫すると、熱槍を連射。それが視界封じだと理解したのだろう。蝕みの女王は、顔に当たる部分を展開し。
風圧を作り出して、熱槍を吹き飛ばす。
だが、その瞬間。
タオが、頭上に躍り出ていた。
「もう一発、叩き込んでやる!」
大慌てで、蝕みの女王が逃れる。なるほど、やっぱりな。
タオが着地した時には、蝕みの女王は大きく飛び退いて、距離を取っていた。タオは普通のハンマーしか持っていない。
そして、これで分かった。
此奴、人間の言葉を理解出来ている。
あたしは、ふっと笑うと。ハンドサインを出しつつ、真逆の指示を言葉で口にする。
どういうつもりだ。
そう困惑するように、蝕みの女王が動くか。
次の瞬間には、気合いの雄叫びとともに、レントが奴に斬りかかっていた。
火花が散る。
激しい剣撃を受け流す蝕みの女王。
腕のブレードの強度は、やはり先の形態で振り回していた鎌以上だ。だが、強度と鋭さが勝っても。
重さがどうしても伴っていない。
ものというのは、重さと速度で破壊力が決まってくる。
切れ味がどれだけ凄まじくても、どうしようもない強度のものとぶつかるととめられてしまう。
これはゴルドテリオンで装備を作って見て良く理解出来た。
更に言えば、恐らくどんな敵でも斬り伏せて来ただろう蝕みの女王の鎌も。ゴルドテリオンの武器ごと、此方を真っ二つとはいけていない。
勿論これは、レントやリラさんの技量もあるのだろうが。
それでも、なんでもスパスパ切り刻むような武器なんて、存在しないのだ。
リラさんによる苛烈なラッシュを受け流し、滑るようにさがる蝕みの女王。背中の翼が小刻みに振動して、その動きを可能にしている。
クラウディアが矢を放つ。
一瞥だけすると、手でその矢を弾く蝕みの女王。
人間やオーレン族の手のように、指がついているが。破損しても気にしないのだろう。
アンペルさんが、また空間切断の魔術を叩き込むが。
しかし、それをすっと避けてみせる。
殆どノータイムで着弾する凶悪な魔術なのに。
動きを見切って、それで避けていると見て良いだろう。
だが、その時に。
どうしても、動き得ない体勢を、蝕みの女王は取っていた。
あたしが投擲した爆弾が、真上にさしかかった。
それに反応しようとした蝕みの女王よりも、あたしの起爆が早い。
文字通り天雷が、蝕みの女王を貫く。
竿立ちになった蝕みの女王。
やっぱり、錬金術の爆弾は通用する。
全身から煙を上げている。
これは、核も無事だとは思えない。
それでも、大剣で突きかかったレントに。一瞬遅れながらも対応。大剣をはたき落としつつ、体を旋回させて突貫してくるタオをけり跳ばすのは流石だ。
だが、リラさんが、直後に蝕みの女王にフルパワーでの蹴りを叩き込む。
流石にこれには、吹っ飛ばされ。空中で体勢を立て直す蝕みの女王。
口から、何か音が漏れ始める。
これは、詠唱か。
詠唱しつつも、当然動きを止めない。
それに対して、クラウディアが即応。詠唱阻害の音魔術を展開。勿論、完全に防げる訳では無い。
僅かに時間を稼げる程度のものでしかない。
だが、クラウディアの技量は確実に上がっていて、蝕みの女王の詠唱を相当に阻害している。
蝕みの女王が、ブレードをクラウディアに向けて飛ばす。クラウディアも、即座に矢を放ってそれを迎撃。
僅かに急所を逸らしたものの、ブレードはクラウディアの肩を抉っていた。
鮮血が飛び散る。
「クラウディア!」
「大丈夫っ!」
汗を飛ばしながら、音魔術を展開し続けるクラウディア。
蝕みの女王がブレードを殆ど瞬時に再生させるが。
その時、アンペルさんの空間切断が、蝕みの女王の足を抉る。
体勢を崩す蝕みの女王。
その隙を。
レントが、完璧に捕らえていた。
「くらいやがれっ!」
踏み込み。
更には、抉りあげるようにして、大剣が斜め下から轟音と共に蝕みの女王を襲う。流石の蝕みの女王も、これはまずいと判断したのか、詠唱を停止して即座に上空に逃れる。
だが、その時には。
タオのハンマーを足場に。
あたしが飛んでいた。
蝕みの女王が、至近にいつの間にかいるあたしを見て、明らかに引こうとする。
その瞬間。
あたしの前蹴りが。
蝕みの女王に炸裂していた。
始めてこの形態に入った完全なクリーンヒットだ。
上空から床に蝕みの女王をたたきつけ、爆発が巻き起こる。
リラさんが、詠唱を開始。
全身に、力がみなぎっていくのが分かる。
あたし達の世界にいるエレメンタルと、オーリムで言う精霊は違うとリラさんは言っていた。
今、リラさんが全身に集めているのは。
オーリムでいう精霊だ。
爆発を吹き飛ばし、凄まじい軋み音を立てながら立ち上がる蝕みの女王。間髪入れず。タオとレントが右左から躍りかかる。
ブレードでレントの一撃を受け止めると、タオにはカウンターを入れようとする蝕みの女王だが。
あたしが地面に着地して。
水平にすっ飛んでくるのを見て、距離を取ろうとし。
そこで、クラウディアが。
ハンドサインで出していた狙い澄ました一撃を放っていた。
蝕みの女王の背中に、直撃。
一番面倒な、機動力を更に補助している翼を粉砕する。
女王だろうが何だろうが、あんな薄くて繊細そうな身体器官、現状のあたし達の必殺の一撃に耐えられるものか。
足を完全に止める蝕みの女王。
そこに、顔面を狙ったアンペルさんの空間切断魔術が炸裂。
蝕みの女王の顔面を貫くアンペルさんの黒い魔術。それも複数着弾。
だが、それでも蝕みの女王が倒れる様子はない。やはり、核はそこにはないということなのだろう。
だったら。
全身くまなく打ち砕いてやるだけのことだ。
跳躍して上に逃れる蝕みの女王。
そして、間髪入れずに、周囲に鎌鼬を巻き起こしていた。
全員が吹っ飛ばされる。
不完全とはいえ、さっきの詠唱魔術を無理矢理に発動した、というところだろう。
あたしも吹っ飛ばされる。
全身が切り裂かれた。
戦闘用に作った服を着ていなければ、多分今のでバラバラだったはずだ。
大量の血が流れていくのを感じる。
背中から、地面に叩き付けられるが。
無理矢理意識を引き戻すと、あたしは雄叫びと共に跳ね起きる。そして、再び蝕みの女王に迫る。
あたしを見て、更に詠唱を開始しようとした蝕みの女王だが。
だが、それは悪手だった。
至近に迫っていたリラさんが、血だらけになりながらも。詠唱を終えていたのである。
流石にまずいと判断したのだろうか。
蝕みの女王がさがろうとして。
リラさんがさせなかった。
「天地風海全ての精霊よ。 私に一と終の力を。 切り裂け……!」
普段から竜巻のように戦うリラさんだが。
文字通り、敵を。蝕みの女王を巻き込みながら、あらゆる角度から斬撃と蹴り技を叩き込み。
激しい衝撃で浮き上がった蝕みの女王を。
上空から、踵落としで叩き落とす。
装甲のかなりの部分を剥落させた蝕みの女王が、地面に叩き付けられる。
周囲確認。
全員、生きてる。
だけれども、みんなそろそろ限界だ。
蝕みの女王が立ち上がると、今までとは決定的に違う凄まじい音を立てる。この感触、怒り。
がらんどうの。ただ辺りを破壊するだけの空虚な存在なのに。
やはり、怒りが感じ取れる。
少し前に戦った将軍と同じだ。完全にこいつ、感情らしいものを持っている。だが、だから何だ。
絶対に破壊し尽くしてやる。
詠唱無しで魔術を発動する蝕みの女王。
巨大な火の玉が、周囲に連続して炸裂する。これは、もうみんな逃れていることを祈るしかない。
あたしも、必死に回避する。
至近。
蝕みの女王が。
ぼろぼろの装甲のまま、あたしに突貫してくる。
ブレードが首を狩りに来るが。
間一髪、一線をかわす。
首から鮮血が飛ぶが。大丈夫、傷は動脈には届いていない。
あたしはそのままのけぞりつつ。
勢いを生かして、地面に手を突き。
相手の顎を蹴り上げるようにして、蹴りを叩き込んでいた。
わずかに浮く蝕みの女王。
更に次の魔術を展開するつもりだ。
上空に、とんでもない魔力の塊が出来ている。あれは、フィルフサ将軍が使っていた魔力砲。
多分。この辺り一帯を、まとめて全部消し飛ばすつもりだ。こいつくらいの実力になると、体内に内蔵しなくとも。
そのまんま、魔術として撃ち出せるということなのだろう。
雄叫びとともに、レントが斬り込む。
あたしの蹴りを食らった直後と言う事もあるのだろう。流石に捌ききれず、蝕みの女王がもろに大剣の刃をくらう。
リラさんの奥義で半壊していたブレードがへし折れ、肩にレントの大剣が食い込みながらも、蝕みの女王はなおも蹴りを放ってレントを吹っ飛ばす。
だが、体当たり同然に反対側から突っ込んできたタオが、蝕みの女王の脇腹に完全なクリーンヒットを入れる。
これには流石に蝕みの女王も、防ぎきれず体を浮かせる。
「タオ、避けてっ!」
「っ!」
タオが必死にわたわたと逃げる。
タオの背中を撃とうとして、気付いたのだろう。
蝕みの女王が作っている魔力塊の更に上。
傷だらけで。血だらけで。綺麗な肌も髪もぼろぼろで。あたしが作った服もずたずたになっていて。
それでもなお。
美しい白い魔力の光を放ち、背中から翼のようにに魔力を放出しながら。
クラウディアが、詠唱をしていることに。
その詠唱が、とんでもなく巨大な矢を作っている事に。
「貴方に対する、最後の歌。 アンコールは受けつけないよ……!」
「シャアアアッ!」
見苦しいわめき声を上げる蝕みの女王。
あんたが。
あの命まで張って。自分の体も全て擲って時間を作った将軍に、少しでも報いようとしていれば。
偉そうにふんぞり返って、自分の力を過信していなければ。
あたしたちは、今頃全員死体になっていただろうにな。
そう、あたしは心中で呟く。
此奴は、傲慢故に身を滅ぼす。
今までは無敗だったのかも知れない。それで、人間のように傲慢になったのかも知れない。
古代クリント王国の錬金術師のように、驕り高ぶったのかもしれない。
だが、それが命取りだ。
たくさんの人達を奴隷として使い潰して来た一族は、みんな滅んだ。
それが当然の結末だった。
そして今度滅びるのはあんた。
生物として、環境を破壊し尽くしたからでも。無意味な殺戮をしたからでもない。
部下達の全ての努力を嘲笑い。
自分だけが強いと思ったから。
自業自得で、あんたは滅びるんだ。
あたしは、全身から血が流れるのもかまわず、詠唱。蝕みの女王は、あたしとクラウディアを見て。
そして、その体が崩れる。
足を、完全にアンペルさんの空間魔術が切り裂いたのだ。
「今だ、やれっ! ライザ、クラウディアっ!」
アンペルさんが叫ぶ。
クラウディアが、まずは仕掛けていた。
1、終幕
バリスタどころか、空を貫く光の槍。神話の時代に登場する、必殺必中の神々の槍。そうとしか形容できない魔術の矢が。
さっきまでの戦闘で飛び散った岩やら何やらを全て取り込んで。
そして、蝕みの女王が作り出した魔力塊を貫通して。
空から、天罰の光のように。
蝕みの女王に襲いかかる。
悲鳴に近い鳴き声を上げた蝕みの女王が、それでも両手を空に向けようとして。その瞬間。
投擲されたレントの大剣が、蝕みの女王の腹を貫いていた。
足を砕かれ。
それでもなお立ち上がったことだけは褒めてやるけれども。
もう、勝ちは貰った。
蝕みの女王が、ぐらりと揺らぐ。
レントが叫んだ。
「これ以上好きかってさせるか、この化け物っ!」
更にタオが、渡してあった爆弾を投擲。
ローゼフラムの灼熱が、蝕みの女王の全身を焼き尽くす。
ごっと。とんでもない熱量が、あたしのところまで吹き付けてくるけれども。
それを、内側からの魔力で、吹っ飛ばす蝕みの女王。
大剣も、腹から引き抜く。
そして、あたしを見ようとしたその頭に。
上空から、クラウディアが全力でぶっ放した極大の矢が、直撃していた。
地面に。もう床が砕け果て。
露出している土に、沈められようとする蝕みの女王。クラウディアは、ずっと歌い続けている。
あの矢の制御だ。
それに負けないほどの、聞き苦しいわめき声を上げる蝕みの女王。
背中から、翼が生えなおす。
まだ翼を生やすつもりか。
どうせ狙いは、それを使っての無理矢理の脱出か、それとも。
レントが此方に視線。
リラさんは、さっきの奥義をぶっ放した後、力尽きて倒れている。いざというときは、自分が体で蝕みの女王をとめるというのだろう。
否。
いらない。
そうハンドサインを返すと、あたしは詠唱を続行。
悲鳴を上げながら、蝕みの女王は、翼を動かして矢の圧力から逃れようとするけれども。
そこに、タオが投げたハンマーが直撃。
翼を、文字通り打ち砕いていた。
「いい加減しつこいよ! 倒れろよっ!」
タオの叫び。
温厚なタオが、此処までいうのも珍しい。
あたしは、詠唱を終える。
蝕みの女王を、ついにクラウディアの渾身の一撃が完全に拘束。
光の柱が、全てを焼き尽くし。
まるで人間のような、無様な悲鳴を蝕みの女王が上げていた。
「ギャ、ヒギ、グギャアアアアアアッ!」
全身の装甲が。
蝕みの女王の全身の装甲が、砕けて行く。光の柱の中で、溶けて剥がれて、壊れて行く。その度に、蝕みの女王の全身から感じ取れる魔力が減っていく。
上空で集められていた魔力塊が爆発。
周囲に彗星のように、破片が降り注いでいく。
爆発がそこら中で起こる。
だが、爆発が起こる場所には、誰もいない。
誰も生きていない。
蝕みの女王が殺し尽くさせたから。
いや。その前に古代クリント王国の錬金術師どもが破壊の限りをつくしたから。
あたしは、顔を上げる。
怒りとともに。
クラウディアの光の柱が、消えた。
クラウディアが倒れるのを、レントが抱きとめるのが見えた。それだけで充分だ。
あたしは、上空に熱槍を出現させる。
十四本の熱槍。
その全てを、煙を上げながら竿立ちになっている蝕みの女王に向ける。
終わりだ。
そう呟いて。
「ヘブンズ……」
明らかに、怯えの様子が蝕みの女王に浮かぶ。
それが、あたしの怒りを更にかき立てた。
この感情、覚えがある。
理不尽に弱者をいたぶっていたゴミのような奴が。反撃を喰らった時に。酷い事をされたとか思った時の顔だ。
あたしよりみっつ年上の、護り手をしていた男にこんな奴がいた。そいつは護り手の立場をいい事に牧童をしていた同年代の男の人に暴行を加え続けていて、いつもへらへら笑っていた。そしてある時、たまりかねた牧童が振るった棒が、たまたま顔面を直撃したのだ。
牧童だから、剣を振っているだけの奴よりも力そのものはあった。顔面から血が流れたと、わめき散らしている其奴の顔は忘れられない。あれだけ無茶苦茶やったのに、被害者ぶって牧童を悪と決めつけ。挙げ句の果てに、剣を抜いて斬ろうとした。
一連の事をみていたあたしが熱魔術を叩きこもうとする寸前。
そいつの腕を、アガーテ姉さんが切りおとした。そしてそいつは、クーケン島を追放された。
追放されるときも、俺は遊んでやっていただけなのに顔を傷つけられた。俺は悪くない理不尽だと最後まで喚いていた。噂によると、一年くらい後に遠くの街でも同じように他人に暴力を振るおうとして、返り討ちにあって殺されたらしい。
死んでもなんとも思えないような輩は幾らでもいる。そういう輩の一人。最悪の人間。
そしてこいつ、蝕みの女王もそれそっくりである。最悪の人間そのものだ。
フィルフサに、どうしてこういう最悪の人間の要素が宿ったのかは分からない。
或いは、養分として、模倣した中に人間の要素があったのか。
それとも。
あたしは、総力で。
全火力を解放していた。
「クエーサーっ! 焼き尽くせ!」
一本で石造りの家屋を粉砕する熱槍が、千本収束したものが。十四、収束しながら、なんと背中を向けて逃げ出そうとする蝕みの女王に炸裂する。
光に溶けながら、蝕みの女王は、泣き言のような悲鳴を上げていた。
こんな奴のために。
あの、最後まで盾になろうとした、誇り高い将軍は死んだのか。
種族として王種を守らなければならないのはあったのだろうが。
それにしても、それではあまりにも報われないではないか。
あたしは、怒りに更に火力を上げる。
最後の熱槍が、背中から完全に蝕みの女王の装甲を打ち抜く。本来は魔術は効かない筈だが。
あの将軍との戦いの時に。
最終局面で、通るのを見ている。
或いはだが。
許容範囲を遙かに越えた魔力だったら、フィルフサにも通じるのか。
あたしは無言で歩き出す。
力なんて、もう残っていないが、それでも充分だ。
辺りの地面はあちこち熱で溶けてぐつぐつ言っているが。
勿論熱の専門家であるあたしだ。それを踏んで自爆するようなドジは踏まない。
灼熱に焼き尽くされて、絶叫している蝕みの女王。
あたしのヘブンズクエーサーが完全に威力を発揮し尽くしたあと。
倒れる。
そして、あたしが至近にいる事に気付いて。
手で、顔を庇うような動作を見せた。
それが、イジメを行うようなゴミカス野郎の行動とまんま同じであることに、あたしは気付いているが。
もう。それはどうでもいい。
こいつは、最悪の意味での人間と同じ。
存在そのものを、全て抹殺する。
蹴りを叩き込む。
顔面にめり込んだ蹴りが、文字通り頭を粉砕する。更に踏み込むと、体を庇おうとした腕を吹っ飛ばす。
足を踏み砕き。
腹を蹴り割ると。
むしろ静かな程に、あたしは怒りを込めていた。
「反吐が出るよ貴方。 多分、古代クリント王国の錬金術師も、あんたみたいな奴だったんだろうね。 地獄に落ちて。 そして二度と戻ってくるな外道」
「ひ、ぎ……っ」
最後の声は、人間のもののように思えた。
あたしは。もう露出していた核を。
その場で、慈悲を掛けずに。
踏み砕いた。
砕けた核が、膨大な魔力を放出する。
もう一度あたしはそれを踏み砕く。
完全に粉々になった、古代クリント王国の錬金術師どもが求めた「資源」は。
恐怖と怯えの声のような軋みを挙げながら。
空に溶け、消えていく。
あたしは、煮えたぎる怒りが、霧散していくのを感じた。
終わった。この瞬間、なにもかもが。
全身が酷く痛む。
傷だらけだ。
だけれども、勝った。
世界を蹂躙し続けて来た、最悪の災厄。災厄の担い手である、フィルフサの王種に。その中でも特に危険な、蝕みの女王に。
やっと一つだけ償えた。
古代クリント王国の錬金術師どもが、エゴのまま振る舞って、世界を無茶苦茶にした罪を。
ぼんやりと、晴れゆく空をみやる。
彼方此方から光が差し込んでいて。
フィルフサがいなくなった土地を、それは照らしているようだった。
残っていた薬を惜しまず使って、皆の治療をする。気を失っていたクラウディアが一番深手だったが。
薬を惜しまず、深めの傷から治療する。
レントも、骨が見える程抉られている傷があって。それはリラさんも同じ。
アンペルさんも、おなかから内臓が見えそうな傷が出来ていた。
みんなの傷を、とにかく深手から治療する。
そして、あたしは。自分の傷にも、薬をねじ込んでいた。
それで、横になる。
晴れが拡がり始める。
思い切り、雨で押し流したからなのだろう。おぞましい紫に染まっていた空が、少しずつ青を取り戻し始めているようだ。
だけれども、それでも向こうの空はおぞましい紫のまま。
まだまだ、たくさんの水が奪われていて。
多くは、あたし達の世界で、誰も何も考えずに使っている。
いびつな搾取の結果のあのおぞましい色。
そう思うと、あたしはやりきれなかった。
応急処置を終えると、とりあえずみんな、雑魚寝で休む。
将軍との戦闘。
それに、続いての王種との戦闘。
やっぱり、疲労はピークだったのだ。下が地面だろうと関係がない。体が休息を貪欲に求めていて。
更にここしばらくの疲れが溜まっていたこともあるのだろう。
あたしは、夢も見ずに。
文字通り、皆と雑魚寝して。睡眠で体を徹底的に休めたのだった。
目が覚めたとき。
雨が降り始めていた。
水が戻った証拠だ。普通に何もせずとも、この土地では雨が降るようになっている。流石にこのままだと風邪を引く。
皆を起こしていく。
クラウディアは全く動かなかったのでちょっと心配になったのだけれど、息も脈もあってほっとする。
まずは、無事に残っている施設の内側に移動。
本降りになりはじめるまでには、なんとか移動し終えることが出来た。
コアクリスタルからお薬を出す。こうしている間にも、体の細かい部分の傷とかはどうしても分かる。
レントには諸肌を脱いで貰って、傷の手当てをする。
あたしも、男衆から隠れて、体に着いた傷の手当てをする。錬金術の薬で回復しなければ、一生ものの傷も多い。
クラウディアも影に引きずっていくと、服を脱がして確認。
やっぱり傷が幾つもある。どれも、薬をねじ込んで、治しておいた。
一段落したな。
そう思うと、周囲を見る余裕が出来てくる。リラさんは平気で脱ぎそうだったので、こっちに来て貰う。
まあ、アンペルさんがそういうことがあると時々遠くを見るような目で言っていたので。
余裕がないときは、それも仕方がないだろうが。
今は、余裕が出来ている。
薬で回復した後は栄養だ。
ワイバーン肉はもうない。というか、荷車はほとんどすっからかんだ。
一度、アトリエに戻る必要があるだろう。
すぐに門を閉じるわけにはいかない。
まだまだ、事後処理が残っているからだ。
「ライザ……?」
「あ、クラウディア。 起きた?」
「うん……。 勝ったんだね」
「勝ったよ。 本当に……くだらない奴だった」
あたしがそう呟くと。
クラウディアは寂しそうに笑った。
動いて貰って、痛いところがないかを確認して貰う。大丈夫なようだ。これならば。しっかり食べて数日休めば。
アトリエでお薬を調合して。
それも含めて、回復出来るだろう。
手を叩く。
「雨が止み次第、戻るよ」
「ライザ、いい?」
「どうしたの」
「この場所にはもう来ないだろうから、回収出来るものは回収しておこう」
「……そうだね。 川を渡るのも面倒だろうしね」
そうなると、皆の動きは速い。
まずは、書物などはタオとアンペルさんが集め始める。それほど無事に残っている書物は多く無い。
あたしは、クラウディアやリラさんと協力して、死蝋になっている此処で殺された人の亡骸を集める。
錬金術師らしい死体はなかった。
まっさきに皆を見捨てて逃げたと言うことだ。
どこまで反吐が出る連中なのか。
戦士らしい死体もあった。アーミーの人だったのかも知れない。此処で命を落とさなければ、家族の元に帰れたかも知れないのに。
屍を外に集めて、そして燃して弔う。
弔いの言葉は、あたしもクラウディアも知っている。リラさんは歌い始める。オーレン族の間では、歌が大事な文化である事はあたしも知っている。だから、それでいい。弔いというのは、死者の信仰にあわせるのではない。
その場で、最大の誠意を尽くすものだ。
たまに異教の弔いをうけるなんて許せないとかぬかす輩がいるらしいが。
そんなのは、淫祠邪教の徒だ。
相手にする必要もない。
ともかく、死者を焼き弔うと。
灰は埋めて。墓を作った。
墓標も作る。石をリラさんが運んできたので、そこにあたしが熱魔術で文字を刻んだ。
「世界の犠牲になった者達は此処に眠る。 せめて魂の安らぎがあらんことを」
これだけでいい。
他にも幾つか文言は思いついたが、はっきりいってそれを書こうとは思わなかった。
周囲の地面も探して、骨があったら同じ場所に葬ろうと思ったのだが。
ここはずっとフィルフサの苗床だったのだ。
完全に白骨化した亡骸が少しだけ見つかったが。それだけだった。
蝕みの女王の残骸は、ふきさらしでいいだろう。
あれは雨に打たれて朽ちていくのがお似合いである。
だが、将軍の残骸は、完全に焼いて灰にした後、同じように弔った。あの将軍は、同じように戦士だった。
だから、弔われる意味があると思う。
敵であっても、敬意が払える相手には、敬意を払うべき。
当然の話だった。
アンペルさん達の所に戻る。アンペルさんが、あたしを呼んで。それを見せてきた。
「ライザ。 これを」
「!」
「蝕みの女王の核だ。 お前が踏みつぶして粉々にしたから、回収しておいた」
「アンペルさん。 これは……」
あたしも、感情を抑える。
これを使ったら、古代クリント王国の錬金術師と同じだ。
そういいたいのを、ぐっと堪える。
クーケン島の動力は、はっきりいってまだ応急処置をしただけ。他にも、核の残骸はいくらでも必要になるだろう。
これは、受け取っておくべきだ。
強い怒りを感じるが。
それでもあたしは。
大きく息を吐くと、アンペルさんが渡してくれたものを受け取り、荷車に詰め込んでいた。
本がそれなりの量ある。
まだ痛んでいない本があったので、全て回収しておくそうだ。
まずアンペルさんとタオが目を通すという。
錬金術のレシピなどがあったらくれるそうだが。
どうせ、ろくでもない本も混じっているだろう。
色々と、気が重かった。
その後は、一度撤収する。
キロさんが、門の側で出迎えてくれた。
「戻ったのね」
「はい。 ……蝕みの女王、討ち取りました」
「勝つと信じていたわ。 良き錬金術師ライザ」
「いえ……」
あの戦いの時。
あたしは、あまりにも醜悪な人間に似た行動を見せる蝕みの女王に、生まれて始めてに近いほどの怒りを叩き付けていた。
それが良い事なのか悪い事なのか。
どちらかといえば、良い事だとは思えない。
咳払いをすると、続ける。
「まだ門は閉じません。 幾つかの処置がありますので」
「ええ。 水を操作する装置や、それに……」
「フィルフサの核を回収しておきます。 残骸ですが、彼方此方に散らばっていますから」
「そうね。 貴方たちの故郷も、大変な事になっているようだし、仕方がないわ」
あたしの怒りと哀しみを感じたのだろう。
キロさんは、そう慰めるように言う。
雨は、降ったり止んだり。
この土地は、ずっと水に餓えていた。しばらくは。こんな感じで、雨ばかりの日が続くのだろう。
門を潜る前に、水源に案内して貰う。
水源になっている土地には、ほんの僅かだけ、野草が生えているようだった。ここに、装置を設置する。
後は、枯れかけている水源に水が戻るように、何回か調整した後。後は、水を放出し続けるように設定した。
「これで一年ほどで、此処から搾取された水は全て戻るはずです。 その後は、これは……内部のこの玉を破壊してしまってください。 勿論あたしが出来るようなら、そうしますけれど」
「ふふ、何から何までありがとう。 この水源に水が的確に供給されるようになれば、後は少しずつ自然の回復力が、全てを失った土地を回復させていくはずよ」
「あたしも手伝います。 これでも、農家の娘ですので」
「……ありがたいけれども、目処がある程度つくまででいいわ」
キロさんは、これから離散した聖地の民を探すという。
というよりも。
聖地に雨が降ったことは、恐らく遠くからでも見えている筈だろうと。
そうなれば。各地に隠れ潜んでいたオーレン族が此処に戻ってくる可能性は高い。
ここに住んでいたオーレン族は、霊祈氏族だけではない。
他にも、様々な氏族が暮らしていた。
彼ら彼女らも、戻る可能性があるという。
中には、植物を専門に扱う氏族もいたという。
そういった氏族の者が来てくれれが、後はオーレン族だけでどうにか出来ると言うことだった。
「分かりました。 その時には、門を此方から閉じます」
「ええ。 まだ少し時間があると思うけれど、それでも言わせて。 貴方は、古代クリント王国の錬金術師とは違う。 表では笑顔で近づいて来て、裏では私達を騙す事だけ考えていたあの傲慢で残忍な者達とは。 それだけは自信を持って。 良き錬金術師ライザ、いえライザリン。 私は貴方を友と思うわ」
「ライザ、オーレン族にとっての最大の友誼の意味だ」
「ありがとうございますキロさん。 私も、貴方を友達だと思います!」
頭を下げる。
多少、気持ちは楽になったかも知れない。
後は、一度アトリエに戻る。
みんなで順番にお風呂やトイレを使ったあと。一晩だけ休んで。
そして、後は。
後始末を開始した。
2、後始末は迅速に
翌朝。一番にレントがクラウディアとともにクーケン島に向かう。あたしは、すぐにフィルフサの核の調査だ。
とんでもない魔力密度。
これは、確かにフィルフサに魔術が効かないのも納得が行く。
釜でエーテルに溶かして、性質を調査していると。一段落した所で、ボオスがいるのに気付いた。
「あ、ボオス」
「あ、じゃねえよ。 戻って来たって事は、勝ったんだよな」
「そうだよ」
「そうだよじゃねえよ。 まったく……」
呆れた様子のボオス。
既にレントとクラウディアから話は聞いているらしい。アガーテ姉さんは、警戒解除のために既に動いているそうだ。
あたしが、軽く説明をする。
島の動力の復旧はしたが、あれは仮処置に過ぎない事。
今、数百年でも持たせる為の動力を作っている事を説明すると、ボオスは大きな溜息をついていた。
「なによ。 島のためだよ」
「分かっているけどな。 フィルフサの頭目が、とんでもねえ化け物だったって話は俺も聞いている。 体の方は大丈夫なのか」
「お、島の長らしくなってきたね」
「抜かせ。 まあどちらにしても、お前が今後のクーケン島で最高の戦略的な観点からの重要人物になるのは確定だからな。 こんな若さで潰れられても困るんだよ」
まあ、ボオスが元に戻ったのはいい事だ。
軽くあたしからも引き継ぎをしておく。最悪の場合は、ボオスに門を閉じて貰う事になる。
もう最悪の事態は起きないだろうが。
それでも念には念を入れて、だ。
それに、オーリムにはまだわんさかフィルフサがいるのである。定期的に門を開いて、聖地グリムドルの様子は確認するつもりである。
それを聞いて、少し顔が明るくなるボオス。まあ、キロさんに会えるのが嬉しいんだろうな。
それは思うが、黙っておく。他人の恋路に首を突っ込むほど、あたしも野暮じゃない。
だいたい、ボオスは間もなくクーケン島を離れる。
戻ってくるのは早くて四年後と聞いている。
そうなると、会っておきたいかも知れない。
「とりあえず、これの研究をする過程でまだやる事があるから、オーリムには行くよ。 ボオスも行く?」
「俺は……そうだな。 あの巫山戯た玉はもう壊したのか」
「まだ。 大量の水が入ってるから今壊すと危ないよ。 一年くらい掛けて水を放出して、それからだね」
「そうか。 俺の手で壊したかったんだがな」
いずれにしても、そわそわし始めるボオスを見て、分かりやすいなとあたしは思った。
とりあえず、今日は研究で手一杯だ。一度戻って貰う。
エーテルにフィルフサの核を溶かしてみて分かった。これは、生物の心臓に値するものだ。
フィルフサはがらんどうの体を持っているが、それは大きな虫のような存在だからなのだろうか。
この核は、膨大な魔力を吸収し、体の彼方此方に届けてはいるようだが。それにしてはおかしな事も多い。
まずフィルフサの体内には肉がない。
神経だの何だのがあるのなら、核と密接に結びついていそうなものなのだが。
フィルフサは此方の世界にいるエレメンタルみたいな魔術と極めて密接に結びついている生物なのか。
それとも。
いずれしても、回収してきた核の残骸は、全て釜で溶かして、一つに混ぜ合わせてしまう。
その過程で、レントやタオ、クラウディアには、火山などで素材を集めて来て貰ったし。
また、核のサンプルを得るために、何度もオーリムに足を運んだ。
そうして、数日が過ぎた。
フィルフサの核、主に蝕みの女王のものを中心とした部材を軸に。核を圧縮して、混ぜ合わせて。
純粋に魔力だけを取りだすようにする。
そして、赤黒い結晶が出来ていた。
触ってみると、じんわりと暖かい。
なるほど、これを資源だと思うのは確かに分からないでもない。これが生物から取りだしたものだと言われなければ、あたしも無邪気に凄い資源だと喜んでいたかも知れなかった。
アンペルさんにも見てもらう。
アンペルさんは、しばらく核の結晶体を見回した後、頷いていた。
「素晴らしい。 少なくとも、ロテスヴァッサの王宮にいた錬金術師は束になってももうライザには及ばない」
「ありがとうございます」
「いつまでも良き錬金術師であってくれ。 それだけが私の願いだ」
「はい!」
アンペルさんにそう言われたら。
あたしとしても、その誓いを破るわけにはいかない。この人はどれだけ苦労してきたか、あたしは良く知っている。
ソファに猫になって寝そべっているリラさんは、この間の戦いで奮戦したこともあるからだろう。
その分動かない。
食事の時とかは動いてくれるが、それだけだ。
ただ、アンペルさんが声を掛ける。
「リラ、立ち会ってくれ。 クーケン島に、数百年の安寧をもたらす」
「分かった。 水は戻り、そしてフィルフサも聖地からたたき出した。 オーリムの未来はまだ決して明るくないが、それでも悲劇は一つ終わった。 私は悲劇の立ち会いにんとして、幕引きを見なければならないな」
ちょっと詩的な言い方だが、その通りである。
外で鍛錬していたレントとタオに声を掛ける。クラウディアは奧でクッキーを焼いていた。
レントは、靴の直し方を練習していたようだ。靴の底が壊れた時のためらしい。
あたしが作った靴でも、まあ酷使していれば壊れるかも知れない。妥当な行動であるだろう。
少し前は芋の皮むきとかをクラウディアに教わっていたし。
本格的に、旅に出るための準備をしている。
レントが本当に一人でやっていけて、ザムエルさんが落ちた人生の陥穽にはまらないか。それは分からない。あれほどの冒険をこなした今でも、だ。
ただ、レントはやってみようと考えて。本気で準備をしている。
もしも駄目だったら、その時はあたし達がいる。
ザムエルさんにだって、父さんと母さんがいた。二人がいたから、ザムエルさんは多分人殺しとかのどうしようもない存在にはならなかった。
何かあっても、レントは壊させない。
あたしは、動力炉の追加動力が出来たことを告げる。
タオが、立ち会うと言う。
「一応操作のためのマニュアルは作ったけれども、それでもここぞの時は僕がやらないとまずいと思う。 だからやるよ」
「ありがとタオ。 それで何の練習してたの?」
「剣術。 やっぱりハンマーだと限界があるって、蝕みの女王との戦いではっきりわかったからさ」
タオが少し寂しそうにいう。
まずは短めのいわゆるショートソードから始めて、少しずつやっていくつもりらしい。
立ち回りや間合いの把握は、あたし達と一緒に実戦を積んできた事もある。タオはもう出来ている。
後は剣を扱う技量だけ。
今は訓練用の剣を振るって、レントと基礎的な事を確認しているようだ。
それなら、あたしもタオが旅に出るときは、温存していたものを渡すべきだろう。
まだ、みんながすぐバラバラになるわけではない。
だが、その時は確実に迫っている。
あたしも、それは理解していた。
荷車に乗せる。
これは、いうならば外付けの動力だ。
少し前にクーケン島の動力炉で交換した、魔石を由来とする動力源に対して。
これは普通の人間でも、外付けを行い。
島の動力を補給できるようにしてある。
仕組みとしてはゴルドテリオンを用いていて。その中に動力を格納し、動力源に力を流し込む。
このゴルドテリオンそのものにセーフティが掛かっている事もあって、普通の人間では動かせない。
盗難対策である。
いくらあたしでも、人間を無制限に信じるつもりはないし。
何よりも、あたしのいた時代ですら、どうしようもないクズは幾らでも見て来ているのである。
島の地下になんか珍しいものがある、なんて知ったら。
簡単に地下に入れるようにしたら。
悪意がなくても、子供が悪さをして、動力をとめてしまうような事があるかも知れないし。
悪意がある場合。
組織的に盗賊か何かが侵入して、宝石か何かと勘違いして動力を盗んでいく可能性すらある。
故に、島の中心人物にしか、島の中枢部への入り方は教えない。
教える人間には、伝承を残して貰い。
いざという時には、対応をして貰うようにする。
今の時点で、あたしは錬金術師だけれども。人間の領域は越えていない。
この学問をもっと究めていけば、恐らくだが人間を越えてしまうだろうという直感はある。
だが、今の時点でそれをするつもりはないし。
つもりがないなら。後の事は考えるべきだ。
船に追加動力を積み込む。
レントに手伝って貰うのも、これが最後かな。そう思う。
そして、この動力を付け足したら。後は。
島の地下に眠っている、使い潰された人達。奴隷だった人達を、埋葬して終わりだ。
全て荼毘に付せば、クーケン島の墓地にも埋葬できるだろうか。
今の時点での墓地の空きを考えながら。あたしは船をクラウディアとレントが漕ぐのをぼんやり見やる。
皆で船でクーケン島に行くのは久しぶりか。
港に着く。
ボオスとアンバーが待っていた。
「来たか。 それが例の奴だな」
「うん。 これを取り付ければ、数百年は島は小揺るぎもしないはず。 もしも島に何か起きたら、それは外からの問題によるものだろうね」
「すげえものを作るようになったな。 今でも島はライザがいないと回らないようになりはじめているのに」
「そういう事はあんまりあたしに面と向かっていわないで。 言われ続けると、ひょっとすると調子に乗るかも知れない」
ボオスは笑おうとしたが、あたしの表情が真剣なので、咳払いして言葉を飲み込んでいた。
そのまま、荷車を押してブルネン邸に向かう。クラウディアは一度バレンツ商会の代表者であるルベルトさんと話すそうだ。娘と父という関係ではなく、この戦いを見届けた人間として。
それでいいと思う。
勿論ルベルトさんが、周囲に今回の件についての真相を話すことはないだろうが。
それでも、共有はしておくべきだと思ったのだろう。
ブルネン邸に、荷車を押して向かう。坂道になっていて、本当に無駄な権威の塊だと思う。
そもそもこのブルネン邸だって、もとはなんだったか分からない代物を、勝手に邸宅として使っているだけだ。
タオがいずれしっかり調査したいと言っている。
今までは問題は起きなかったが。
それは単に、今までは平気だった、だけかも知れない。
とんでもない恐ろしい機構か何かの真上に邸宅があったり。或いは邸宅に使ったものが、そういう世にも恐ろしい代物である可能性は否定出来ないのだ。
ブルネン邸に到達。汗なんかかかない。こんな程度で疲れるほど、柔な鍛え方はしていない。
ボオスがすぐにモリッツさんを呼びに行き。ランバーが古老を呼びに行った。
この二人は、この件に関わらないといけない。
クーケン島の代表者だからだ。
古老が先に来た。
難しい顔をしていて。非常に不機嫌そうだ。あたしが作ってきた外付け動力を見て、不審そうにしていた。
「あー、おほんおほん。 ライザ、なんだねそれは」
「島の動力炉につける外付けの動力です。 これで、数百年は島が安定します」
「そうか……」
なんか言いたいのだろうが。
実際に、島の水が全く涸れる様子もなく、地震が起きることもなくなった。
乾期だと、今まではブルネン家が威張り散らしていて、みんな困り果てていたのだが。それもなくなっている。
更に水の質も、父さんがちょっと前とは違うと言っているが。いずれあたしが改善する。
まあ、いずれ何か起きるかも知れないが。
それが致命的にならないように、あたしは島に残るのだ。
作ったもの、関わったものに責任は取る。
それが出来ない人間は、錬金術師になる資格はない。
そういう意味で、古代クリント王国の錬金術師どもは。才覚はあっても、錬金術師にしてはいけない連中だったのだ。
モリッツさんも来る。
そして、奇怪な装置(モリッツさんから見て)にうっと呻いたが。ボオスが咳払いして、説明をしてくれる。
しっかり説明を把握していて、ボオスはもうしっかり島の長としてやっていけるとあたしは思う。
それに、剣だこが手に出来ているようだ。
多分だけれども、本気で剣の修行を始めていると見て良い。
今後、水の利権でブルネン家はデカイ顔を出来なくなる。顔役であるに相応しい人間になりたいという意味もあるのだろう。
それ以上に、あたし達の仲間に戻った今は。
いつか、冒険に一緒に出たいのだろう。
あたしも、それは歓迎する。
「数百年は大丈夫、か」
「あたしは島に残りますので、これからしっかり島の状態を細部まで調べます。 もしも問題があるようなら、数百年掛けて島から移住することを計画してください。 人が住める場所は幾らでも今の時代はありますし、なんなら魔物に滅ぼされた集落を再興するのもいい」
「分かった。 考えておこう」
冷や汗を拭いながら、モリッツさんはいう。
あたしは、もうモリッツさんには一歩も引くつもりはない。それにモリッツさんは憶病だけれども、しっかり相応に考えてはいる人だ。
島の地下の現実を見せて、それで色々思うところもあったのだろう。
協力の姿勢は、問わないようだった。
アガーテ姉さんが来る。
アガーテ姉さんにも、知っておいて貰った方が良いだろう。アンペルさんとリラさんもいるのだが。
二人は、見届け役であって。
もう口を出すつもりはないようだった。
「俺が邸宅の入口を見張ります。 何人か護り手の配置をお願い出来ますか」
「分かった。 任せるぞ、ランバー」
「はい」
完全にヘタレのふりをやめたランバーは、しっかり背筋も伸びている。本来はこんなだったんだな。
そう思って、あたしは意外さに驚いていた。
ともかく、これで邪魔は入らない。
タオが地下への入口を開いて、状態を確認する。
「問題ないよ」
「よし。 私達は、亡骸の回収を開始しておく。 動力炉は頼むぞ」
「分かりました」
アンペルさんが、手袋をしている。リラさんは、大きめの荷車を運び出していた。
地下に降りる。
淡水化装置はグオングオン唸っていて、問題はない。ただ、あたしは幾つかこれに補強をしておく事にした。
一度水を蒸気にしているのだ。
ゴルドテリオンが如何に神話金属とは言え、いつか破損するかも知れない。
それを先に防ぐ必要がある。
足場を作って、特に負荷が大きい地点に、外側からゴルドテリオンのパーツを取り付けて、補強をしておく。
釘を打ったりはせず。
文字通り組み立てるだけでよい仕組みにしてある。
そしてゴルドテリオンの強度である。
仕組みを理解出来なければ、外すことは無理。
フィルフサ王種の猛攻にも、ぼろぼろになりながらもレントの大剣は耐え抜いた。あたしが作った程度のゴルドテリオンですら耐える事が可能だったのである。
だったら、この程度の蒸気圧力にだったら。
耐えられるはずである。
「よし、補強終わり!」
「さらにごつくなったな……」
「島の人達の水のためだよ。 また新しい技術を思いついたら、どんどん補強していくよ」
「ああ、頼む。 ライザの後に、この島に錬金術師が出る可能性はあまりないからな」
ボオスがぼやく。
頷くと、あたしは古老とモリッツさんを促して奧に。
既にリラさんはひょいひょいと飛び回りながら、彼方此方にある亡骸を回収し始めているようだった。
酷い状態の亡骸も多いのだろう。
リラさんの表情は険しかった。
また、恐らくはないだろうが、フィルフサとの戦いにかり出されなかったゴーレムとかがあるかも知れない。
それは、アンペルさんとリラさんで壊してしまうだろう。
あんなもの。
あってはならないのだ。
「あの女性戦士、凄い手練れだな」
「頼りになりますよ。 ただ、もうこの島を離れるそうですけど」
「そうか、それは惜しいな。 私はどうも若手の訓練はそれほど得意ではないようだし、出来れば教練を願いたかったが」
「……」
若手の教練か。
ザムエルさんが酒を抜いてまともになってくれたら、あるいはそれをやってくれるかも知れないのだが。
まだ無理だろう。
ザムエルさんが迫害を受け続け、心に傷を受け続けたのはあたしもわかっている。いなくなったザムエルさんの奥さんが、戻ってくるとか。そういうのが切っ掛けとして必要になる筈だ。
レントには、ザムエルさんをまっとうな道に戻す事は出来ない。
レントとザムエルさんは、あまりにも互いに不信を募らせすぎたからだ。親子としての関係は破綻している。
もしも関係を取り戻せるなら、ザムエルさんの奥さん……今は元奥さんなのだろうか。しかいないのだ。
「ライザはどうかね」
「ライザは学問を空いた時間で教えて貰おうと思っています。 この驚天の技、誰かしらが引き継げるなら……そうしてもらいたいものですので」
「そうだな……確かにそうだ」
古老に、アガーテ姉さんがいう。
まああたしも、今回の件で知識を色々増やしたし。子供に色々教えるのは可能だ。それも良いかも知れない。
古老は、舌打ちしそうな顔をしていた。
あたしの事が邪魔で仕方がないという雰囲気だが。
知るか。
古老のお気持ちにどうして寄り添わなければならないのか。あたしは、島のために動いている。
そんなお気持ちによって動くような島だったら。とっとと一度共同体を解体して、再建するべきだろう。
もしも五月蠅くなるようだったら、あたしも島を出て行くだけ。
それが分かっているから、古老もあまり強く出られない。
こういう嫌な事ばかりが分かるようになって来ているが。人間なんてそんなもんだと思って諦める。
とにかく、以前タオが作った目印通りに、地下に降りて行く。
クラウディアが途中で音魔術を展開して、それで事故がないように気を付けてくれた。レントもタオも、周囲にしっかり気を配ってくれている。
「此処を下にいきます」
「やれやれ、ややこしいこと極まりないな」
「大丈夫、地図は後で渡します」
「そうかね。 有り難い話だ」
モリッツさんが、多分皮肉混じりにタオに返す。
モリッツさんからしてみれば、何の伝承を引き継いでいるのか分からないタオの家は色々鬱陶しかったのだろう。
それがとんでもないものを引き継いでいて。
アンペルさんとタオのおかげで蘇ったのは、色々複雑な気分なのかも知れない。
動力炉に到達。
この視認阻害の魔術の霧は、そのままにしておく。
タオが制御盤にとびついて、すぐに操作を開始。まずは状態の確認からだ。
「うん、問題ない。 ただ、今の時点では、だね」
「よし、とりつけるよ。 ボオスも手伝って」
「かまわないが、熱魔術でまた足場作ったりはしないんだよな。 あれ、おっかないんだが」
「大丈夫、今回のは一度組み立てたら、そんな心配もないからね」
あたしはそう言って、足場にするパーツを出す。それを組み立てていく。
パイプを複数くみ上げたようなパーツになっていて。
それをくみ上げると、外付けの動力から。この島を動かしている動力炉に、膨大な魔力を送り込む事が出来る。
更にこのパーツはゴルドテリオンで出来ている。
筋肉ムキムキのオッサンが、ハンマーで殴った程度ではびくともしないし。逆に、そんな程度の衝撃だったら、へたをするとおっさんの手が複雑骨折をする。
まずはパイプを伸ばして、固定。
複数の部材を組み立てて行く。
ボオスも、指示通りに動いてくれるし、力がいる場所はレントがやってくれる。
多分これが最後の力仕事になるからだろう。
レントは、殆ど何も言わず、黙々と動いてくれていた。
それを理解しているからか。
ボオスも、それについてああだこうだいうつもりはなかった。
タオはその間に、幾つかの情報を引き出して、話してくれる。
「島の外壁にあるダメージは、修復できないみたいだね。 ただ、外壁のダメージで致命的なものは今の所ないみたい」
「致命的なものが出来たら、修復とかは出来る?」
「ええと……一応補強を自動でする機能はあるみたいだけれども、それも動力が欠けて島が漂って、暗礁になんどもぶつかったりしていたら、いずれ壊れてしまうだろうね」
「分かった。 後は経年劣化だけれど」
専門的な話を幾つかしていく。
いずれにしても動力だ。
戦闘用のゴーレムについては、存在しないとタオが言う。エンプティと表示が出ているそうだ。
それに対して、簡単な構造の、補修用のゴーレムは島の地下の、更に奧の方にあるらしい。
これらは構造が簡単で、動きも遅く、何かしらを攻撃するようには出来ていないということだ。
それならば。排除することもないだろう。
組み立て終わり。
タオに、動力を接続する旨を告げる。
タオも頷くと、制御盤を忙しく操作する。
そしてあたしは、安全弁を解放していた。
どっと、凄まじい魔力が島の中枢に流れ込む。タオが、驚きの声を上げていた。
「凄い! ライザが作った新しい動力源を中心に、一気に動力が充填されてく! 今の一瞬で、今までの消耗した動力量を凌駕した!」
「……」
そうか。ならば余計に分かる。
フィルフサを動力源として、バカ共が計算に入れるわけだ。
魔石とかを利用した動力を、一瞬で数百年分は凌駕する超高密度エネルギー。
恐らくこの膨大すぎる魔力。
オーリムから搾取しただろうものであることは。疑いがない。
フィルフサは魔力の核を持つ事で、それを生体活動にも戦闘にも活用する。
だが無から有は、錬金術でもないかぎりできない。
フィルフサの核は、自然界から吸い上げて、自分達だけのものとしたものなのだろう。
それがどういう過程で作り出された生態なのかは分からないが。
こんなものが大繁殖する切っ掛けを作った連中は、万死どころか地獄で永遠に灼かれ続けるに値する。
この世界は人間だけのもの。人間が好き勝手に何もかもを切り取っていい。それが古代クリント王国の錬金術師達の思考。そして連中の思考では、人間を定義する言葉は、自分達だけにしか当てはまらなかった。
そんな連中に。世界が二つ、滅茶苦茶にされたのか。
そう思うと、この圧倒的な動力を見ても、まったく喜ぶ事はできなかった。
「とんでもない魔力だ。 ドラゴンが多数飛び回っているようじゃ……恐ろしい」
古老が呻く。
あたしも、それについては異論を言わない。
タオが、動力の配分などを操作してくれている。
とりあえず、これでいい。
手を叩いて、モリッツさんと古老。アガーテ姉さんにも状況を話しておく。
「これで数百年は大丈夫です。 後は、問題が起きたときのために、タオがマニュアルを作ります。 ブルネン家と古老のために二つ」
「分かった。 責任を持って管理する」
「やむをえん。 次の古老に、責任を持って引き継ごう」
「お願いします。 それと、中には目を通しておいてください。 タオはなんというか、もの凄く専門的にものを書くので、理解出来ない単語などがある可能性がありますから」
二人とも、凄まじい勢いで制御盤を動かしているタオを見て。
それで頷いていた。
タオはもう、周囲が見えていない。あたしは三人と一緒に、一度ブルネン邸まで出る。
後は、死者を弔う時間だ。
「クラウディア、音魔術お願い出来る? 出来るだけ緻密に」
「うん、任せておいて」
「後はタオだね……。 あの様子だと、多分声を掛けないといつまででも制御盤に貼り付いてるよ」
「後で俺が声を掛けておく。 心配するな」
レントがしっかりフォローしてくれる。
まあ、それなら頼んでしまうか。
アガーテ姉さんが、大きめの荷車を持ってきてくれた。それを使って、亡くなった人を回収していく。
此処でなくなっているのは、みんな犠牲者だ。
故郷に戻りたかったか、それとも自由になりたかったか、それは分からない。
分かっているのは、此処で殺されて。そしてみんな使い潰されたことだけ。
無言で、亡骸を回収していく。
酷い死に方をしている亡骸の中には、まだ子供だった死体も多くて。
あたしは、何度か目を拭っていた。
3、鎮魂の時
島の中央にて、たくさんの亡骸を荼毘に付す。
近くで、たくさんの亡骸が見つかった。島の人達にはそう説明してある。今すぐ、真相を明かすこともない。
今は、ただそうやって。
誰もが、死を悼めばそれでいいのだ。
こういった弔いには、専門の魔術師が当たる。死骸は強い怨念を持っている事があって。たまにそういった怨念が集まって、強大な魔物になることがあるらしい。
幽霊話が途切れないように、そういった魔物の話はどこにでもある。
だけれども、あの渓谷……数万の人が亡くなっただろう渓谷ですら、そういうものはあたし達はみなかった。
だとすると、余程条件が整わない限り、怨念は魔物へと変わる事はないのだろうとも思う。
あたしも、目を閉じて黙祷する。
やがて、死体を燃やした炎から出た煙が、空に登っていく。
乾期と言う事もある。
水が空に足りていないのだろう。
どれだけ煙を出しても、雲ができる事はない。膨大な死骸は、数百人分は軽くあって、島の人達はひそひそと話をしていた。
「凄い数だな……」
「どんな理由で命を落としたんだろうね。 子供の死体もたくさんあったらしいよ……」
「最近物騒だったでしょ。 そいつらのせいなのかな」
「何とも言えないが……」
完全に燃やして、灰になった亡骸を、そのまま墓地に運ぶ。
この島にも無縁墓地はある。そこに、灰になった亡骸を収める。
人間は完全に燃すと、本当に少しだけしか残らない。
それはあたしも知っていたのだけれども。それでも、数百人分でも、この程度しか残らないんだな。
そう思うと、色々悲しかった。
墓地になくなった人達を埋葬して、後は祈りの言葉を捧げる。
クラウディアが請われて、鎮魂の曲を奏でた。
これに関しては、ロテスヴァッサ全域で同じものが使われているらしい。もうクラウディアは、大事なフルートを人前で披露することを怖がっていない。そのまま、大事なフルートで、死者の安息を祈る曲を奏でる。
空を見上げる。
あの外道共は地獄に落ちただろう。
この人達は、あるなら天国に行く資格があるはずだ。
無言で、夜空を見上げて。
そして、葬儀を終えた。
だが、これだけでは終わらない。
まだまだ、彼方此方でやる事があるのだ。
軽く、皆と話をしておく。
タオとボオスがクーケン島を出るのは、二週間後ということだ。かなり早いが、なんでも王都の学園だかの入学式がその時間で出る船に乗らないと間に合わないらしい。
何が学園だか知らないが。
まあ、ボオスもタオも乗り気なのだから、とめる理由はない。王都に死蔵されているような学問書を見るという意味でなら、行く価値はあるだろう。
クラウディアは三週間後にクーケン島を出る。
ルベルトさんが、商談を終えたからである。
ルベルトさんはあの葬儀の事情も知っていて、きちんと参列してくれた。クラウディアのフルートを聞いて、本当に嬉しそうに目を細めていた。
恐らくルベルトさんが喜んだのは、あんな大舞台でクラウディアがまったく物怖じしない胆力を身に付けていた事なのだろう。
それについては、分からないでもない話だった。
レントは、一月後に此処を出る。
それと同時に、アンペルさんとリラさんも、クーケン島を離れるそうだ。
そうなると、今のうちにやっておく事が幾らでもある。
まずはタオは、連日マニュアルの作成に大忙しになる。
あたしは、タオ以外の皆と渓谷にまず出かけて。クラウディアに音魔術を使ってもらい。どれくらい亡骸があるかを確認する。
やはり万単位で、粉々に潰された骨があるようだ。
これらの回収は、後で時間を掛けてやっていく必要がある。荼毘には付してあげないといけないだろう。
ただ、此処で嫌がるのを戦わされて、潰された古代クリント王国の錬金術師の死体も混じっている。
それを荼毘に付すのは色々不愉快だが。
だが、それら以外の人の亡骸は、荼毘に付さないといけない。
冥福を祈るというだけではない。
この土地に起きた悲劇に対するけじめとして、だ。
更に、オーリムにも足を運ぶ。
ボオスが行きたいと言ったので、ついででもある。
オーリムでは、時々雨が降っているようだ。水は完璧に戻っている。水の制御装置をみて、ボオスは思うところがたくさんありそうだったが。
あたしが釘を先に刺しておく。
下手に壊すと、何が起きるか分からないと。
そう言うと、これ以上オーリムに迷惑を掛ける訳にはいかないと思ったのだろう。ボオスも、納得してくれた。
ただし、この水の制御装置。
盗賊にでも奪われたら、それこそまた大きな悲劇が起きる。
キロさんは水源近くに住処をうつし。
其処から、土地を耕して。
野草を植えて、少しずつ環境の回復を始めているようだった。
水源近くには、まだまだまばらに野草が生えているだけだが。いずれこれも、緑に覆われるはず。
キロさんは、ボオスを見ると、嬉しそうに微笑む。
ボオスも、キロさんに色々話すことがあるだろう。
あたし達は気を利かせて、その場を離れる。
そして、クラウディアに音魔術を使って貰って。周囲の埋まっている亡骸などを、確認して貰った。
「だめね。 殆どはあの豪雨で流されてしまったみたい」
「そっか……」
「でも、少しは見つけたわ」
「じゃあ、あたし達で荼毘に付して回ろう」
皆で協力して、作業に当たる。
順番に、このばかげた悪夢につきあわされて、命を落としていった人々の亡骸を集めていく。
ただ、骨格が人間と違うものもある。
恐らく、オーレン族のものだろう。
リラさんの反応からも、それが分かる。
複雑そうな表情のリラさんに、声を掛けておく。
「リラさん、やっぱりこれは……」
「ああ、同胞の亡骸だ」
「それなら、オーリム式のやり方で葬ろう」
「そうだな……」
氏族によって違うらしいが。
此処で見つけた亡骸が、どの氏族のものかは分からないとリラさんはいう。
そうなると、共通の方法でやるしかないか。
水が戻っている地域を回って、一通り亡骸を回収。フィルフサに蹂躙された事もある。殆どの亡骸は、ほぼ原型を保っていなかった。
キロさんと合流。
そして、葬儀を行う。
ボオスも、これから四年くらい学年にいる事。その後にクーケン島に戻ることを告げたらしい。
その時に、この門を通るかは分からない。
門は固く閉じて、主に人間が悪さをしないように処置をしなければならない。
安易に開ける事は出来ないだろう。
だから、もしもキロさんと会うとしたら。別の門を封じている作業の時とか、そういう時になる。
何十年も会えないかも知れない。
いっそ、キロさんと一緒になりたい事を告げて。クーケン島に来てくれないか頼んでもいいのではないかとあたしは思ったが。
ボオスは恐らくだが、この土地の状態を見て、そんなことはとても出来ないと思ったのだろう。
キロさんは、この聖地を守らなければならない。
いずれにしても、思いは告げても足枷にしかならない。
その辺りは何となく汲み取ったので。あたしはそれについて、何も言うことはなかった。
葬儀は終わる。
亡骸を燃して。
わずかに残った灰を、地面に埋めるだけ。
キロさんは、一緒に戦った仲間と同じ墓場に、その灰を埋めるように頼んだので。あたし達でそうする。
灰を埋めた後、リラさんとキロさんで、鎮魂の歌を歌い。
クラウディアが、フルートを奏でた。
また、黙祷を捧げる。
あたしは、まだしばらくはこの土地にて、色々とやる事がある。
植物を持ち込んだりするのは論外。できれば肥料を持ち込むのも止めた方が良いだろう。
何が自然を壊すか、知れたものではないのだ。
リラさんとアンペルさんが、この土地を離れる一月後。
門を封じる。
その時まで、良き錬金術師として。
この土地にいるオーレン族のために、あたしはできる事をしなければならなかった。
夏は終わり、秋になった。
あれほど忙しかったのが嘘のよう。多少は余裕が出来てきたけれども。やる事が幾らでもある事に変わりはない。
タオは、マニュアルを作って、それを納品。
あたしも目を通した。
実際にタオが作ったマニュアルは三部。
モリッツさん向けの、ブルネン家のもの。
古老のためのもの。
それにあたし用のものだ。
雑な性格のあたしでも理解は難しく無かったので、これで充分だと思う。それで、後は留学の準備が整った事になる。
それで、あたしはタオにプレゼントする。
長さが違う、一対の剣。
剣の中には刀と言われる片刃のものがあって、これはとにかく高級品で鋭く、非常に強力な代物であるらしい。
ただ刀はあたしも見たことが無いし、作り方もよく分からない。
そこで、両刃のあたしも良く知っている剣で。
主力となる長い剣と。
普段は鞘に収めておいて、主に防御用に使う短い剣に仕上げた。作っておいてあったのだが、それを現状の技量で調整し直した。
元々色々試しているうちに作った剣で、タオ用のものとして用意していた剣である。
ゴルドテリオン製だが、それが分からないように要所を色々と補強している。見かけには、わざわざ盗む価値がありそうな剣には見えない。
そこまで、偽装は完璧である。
また、剣を少し長めにしているのは、タオが今後背が伸びる可能性を考慮しての事でもある。
それに加えて、長旅用の靴も準備しておいた。
あたしが数多の敵を蹴り砕いたゴルドテリオンで補強したものと同じである。毛皮をふんだんに内側の地に使っていて、足に対する負担がとても小さい。
また、色々と補強をしてあるので、簡単にはこわれないし。
足の大きさに合わせて、調整する事も可能なようにしてある。
ただそれにも限界がある。
流石にタオが倍も背が伸びたら、この靴では駄目だろうが。いや、まさかそんなに伸びることはないだろう。
「はい、これ。 餞別だよ」
「ありがとう。 やっぱりハンマーは限界があると思ってたからね」
「一応二本用意しておいたけれども、剣は基本的に一刀流が主流だから、それは忘れないで。 よっぽど慣れたなら、二本同時に使っても良いと思うけれど」
「大丈夫、レントに聞いてそれは把握しているよ」
靴の方も試してもらう。
サイズの替え方も説明して、それもすぐにタオは把握していた。
この辺り、頭の出来が元から違うんだなと、あたしは感心する。
本当に、タオに錬金術の才能があったら面白そうだったのだけれども。そう、うまくはいかないか。
他にもやる事は幾つもある。
これから、みんな旅に出るのである。
靴は、みんなの分プレゼントする。
宝飾品なんて、邪魔なだけだ。
クラウディアは宝石大好きと公言していて、たまにとんでもなく俗っぽいところが見えるのだけれども。
それでも、クラウディアが他の人の命より、宝石を優先する事は想像できない。
ともかく、今は実用品。
そう思って、靴を増やす。それぞれにあわせて、サイズも調整する。
リラさんは、ずっと使い古したものを使っていたようだが。あたしが作った靴は、愛用してくれている。
更に強化した最新型を渡すと、嬉しそうに履いてくれた。
履くときにやっぱり人間のとは爪の生え方が違う足が見えたけれども、それは当然だ。オーレン族なのだから。
だが、そんなことはどうでもいい。
リラさんは、みんなの武術の師匠であり、戦術の教官である。
それは今後も、変わる事はないだろう。
「いい靴だ。 私は裸足でもかまわないんだが、流石に目立つからな。 それにこれは増幅の魔術も掛かっているようだな」
「体力の常時回復と、筋力の増幅が掛かっています」
「そうか。 どうせ長旅になる。 助かる」
アンペルさんも、靴はボロボロだったので、新しいのは喜んでくれた。
アンペルさんはファッションとかには完全に興味がないようなので、必要なければ何年でも着たきり雀だろう。
あたしも別にそんなにファッションは興味があるほうではないのだが。
それでも、この靴はクラウディアと相談しながらデザインし、実用性のなかにしゃれっ気も入れている。
「この靴は足への負担が小さくなるように考えられているな」
「蹴り技にもつかえますよ」
「そ、そうか。 でもライザの蹴り技を真似できるとは思えないが」
「大丈夫、できますよ」
アンペルさんが、困り果てた様子だったので、仕方がないけれど話はうちきる。
魔術メインで戦う人間が敵に接近された場合の対策は必須だ。
あたし以外だと、ウラノスさんは若い頃剣術をやっていたらしい。ただ年老いて筋力が落ちてくると、どうしても剣術を捨てて魔術一本に絞るしかなくなったそうだが。
あたしの場合は足腰が昔から頑強だったので、蹴り技は自然に身についていたし。四つ年上の男のチンピラをけり跳ばして海に放り込んでからは、人間相手に使わないようにアガーテ姉さんにくどくど言われた(ただしチンピラをけり跳ばして仕置きしたことは褒められた)。
それから蹴り技を磨いて、魔物相手にも通じるように鍛え抜いたのである。
アンペルさんの魔術はとにかく癖が強いので、接近戦対策は必須のように思うのだけれども。
レントにも靴はプレゼントする。
これから長距離を……一人旅をするとなると、恐らく一番彼方此方を歩くのだ。だから、靴は必須。
これは喜ばれた。
剣も直した。流石に蝕みの女王の猛攻を受けてボロボロだったからだ。
「これでどんだけでも歩けるはずだよ」
「ありがてえ。 流石にフィルフサ以上の強敵がボロボロいるとも思えねえし、剣も滅多な事では駄目にはならないだろ」
「過信は禁物だよ。 レントの技量、まだザムエルさんとあんまり変わらないんでしょ」
「……そうだな」
数日前。
ザムエルさんと、レントがつかみ合いの喧嘩をしたらしい。
体格的にザムエルさんの方が上なのだが。レントはかなり善戦したらしく。なんと引き分けた。それで分かった事があるそうだ。
ザムエルさんは、長年の飲酒が祟って、無茶苦茶衰えている。
全盛期の頃だったら、100%勝てなかっただろうと。
だが、今のザムエルさんは、あらゆる技量でレントと大差ない程度の実力しかない。
逆に言うと。今のレントは、衰えたザムエルさんと、素の実力では同じ程度と言う事だ。
このゴルドテリオンの剣があって、やっと独り立ち出来ると言うのが、残念ながら現状のレントの実力なのである。
それはこれから一人旅をするレントとしても、忘れてはならないことだろう。
アンペルさんの義手も確認しておく。
古式秘具ということもあって、ちょっとやそっとでは壊れそうにないが、それでも確認はいる。
アンペルさんは義手の話をすると難しい顔をしたが。
今後、もっと厄介な事件があるかも知れないし。
巻き込まれたときに対応力がいると話をすると、聞き入れてくれた。
或いはだけれども。
あたしが、この事件を主体になって解決できたから、かも知れない。信頼云々の話ではなくて。
アンペルさんも、頑なになっていた心を、多少は変えたのかも知れない。
だとしたら、凄い事である。
年を取って良い方向に変われる人なんて、滅多にいないのだから。
「現時点では、この精度調整が限界ですね。 ただ、もしも何年か後に会う事があったら……その時に技術が上がっていたら。 その時はまた見せてください」
「ああ、分かった。 信頼している。 もうライザ、お前の腕は私よりも上だからな」
「ふふ、そんな事言って。 まだ現役を退いて貰っては困りますよ」
「そうだった」
さて、後はクラウディアか。
クラウディアにも靴をプレゼントした後、バレンツ商会の販路を使っての手紙のやりとりをできる仕組みを作る。
これはあたしがクラウディアと話したいこともあるが。
何かしらの事態……例えば近くに門が発見されるとか。
逆に、クラウディアが門の存在を知ったとか。
そういうときのために、販路を使った連絡網を使いたい、と言う事でもある。
この連絡網は、皆に共有する。
特にアンペルさんとリラさんは必須だ。
二人は恐らくだが、積極的に今後も各地の遺跡を探って、門を調査していくだろう。当然大半はその場で閉じてしまう筈だ。
だが、水を奪う玉を見つけた場合。
対処が、今までと異なってくる可能性が高い。
フィルフサの大侵攻を招いてしまうから、安易に門は開けられない。だが、もしも門の向こうで踏ん張ってフィルフサと交戦しているオーレン族がいるようなら。
あたしがその場に出向いてでも、処置をしなければいけないだろう。
その時には、玉の水が現地の人に使われているか。
使われている場合は、どれくらいインフラに絡んでいるのか。
それに変わる方法をどう確立するか。
これらを、あたしの今回の事件の経験から作り出しておかなければならない。
アンペルさんはあたしの方が上だと言ってくれるけれど。
多分、アンペルさんでも規模次第では対応できる筈。
ただ、規模次第では、みんなで集まらないといけないだろう。できるだけの人数でもだ。
その時には、手練れが一人でも多く必要になる。
タオやレントも、学生業や旅から引き戻さないといけないかも知れなかった。
それぞれの人生があるのは分かっている。
だけれども、これは人生の枠組みを超えた問題だ。
クラウディアとは、その話をする。
あたしの、一番の友達になった子。
だからこそ、この話をしなければならなかったし。これを一緒にやる相手としても信頼出来る。
みんなも、関わった以上。
そして古代クリント王国の暴虐を知った以上。
いいえとは言わなかった。
皆とも話をつけた後、どうやって連絡を取るかの細かい段取りをつける。そもそもバレンツ商会はクーケン島に販路の拠点を残すため、今クラウディア達が住んでいる館を正式に買い上げて、あのメイドのフロディアさんが其処に居座るらしい。
彼女にも連絡のためのノウハウを共有するとクラウディアは言っていた。
それなら安心だ。
あの人が、メイドという枠組みでは測れない実力なのはあたしも知っている。というか、今のあたし達でも勝てるか怪しいくらいには強い。
アガーテ姉さんも、フロディアさんを見た時、目を細めていた。多分凄まじい実力を感じ取ったのだろう。
クラウディアは、フロディアさんに対する疑念の視線を感じると、悲しそうにするので。あたしもそれは気を付けている。
だから連絡網の構築についての共有は賛成した。
難しい話をした後は、クラウディアに幾つかのプレゼントはする。
靴はみんなと同じ。
街とかの安全な場所にいるときは、ヒールというのもありだろうが。あんなものは、戦闘時には死ぬために履くような代物だ。
何が悲しくて、つま先立ちで命を狙ってくる自分より身体能力が高い魔物とやりあわなければならないのか。
だからクラウディアにも、戦闘用の靴をきちんと渡しておく。というかこれは、旅にもつかえる。
それと、クラウディアは宝飾品が好きなようなので、パールを加工して渡す。
パールそのものは、近くの川でも普通に手に入る。
問題はパールには鉱石寿命というものがあることで、宝石としては百年程度しかもたないのである。
それでネックレスを作って、渡した。
あたしにはセンスがないから、ネックレスのデザインが良いのかは分からない。ただ、クラウディアにはこれだろうと思って、翼を意匠に入れた。
音魔術の増幅にも使える実用品だ。更にネックレスとしてはあまり動かないようにして、移動しながらの狙撃戦でも邪魔にならないようにする。
ちょっとした音でも、手練れの狙撃手や魔物は反応してくる。
それに対策するためのものだ。
クラウディアも、最近は音で周囲を探るだけではなく。自分の音も消せるようになってきているようだけれど。
それでも、負担は小さい方が良いだろう。
他にも、皆に作った腕輪などはそのまま持っていって貰う。
基礎スペックを上げられるのは、大きなアドバンテージになるからだ。
もしも壊れた場合は、現地で自分でどうにかしてもらうしかないが。
勿論、この連絡網を使って送って貰えば、直して送り直す。
幾つかの話し合いをして、その辺りを決めているうちに。
時間は容赦なく流れていった。
もうすぐ、乾期も終わる。
この地方の乾期は、短い秋が終わる頃には明ける。そして、もう数日先に、最初の行ってしまう仲間。
タオとボオスの乗る船の、到着が近付いていた。
フロディアはクラウディアから渡された連絡網について確認し、それをそのままコマンダーに報告していた。
まんまやっていることは間諜だ。しかもクラウディアは、フロディアを全面的に信じてくれてもいる。
それに対する裏切りだと言う事は分かっている。
だが、それ以上の問題なのだ。
才覚だけの学問である錬金術師。
それは、最低限の善性も持たない人間が安易に手にすることが可能な事を意味していて。
歴史上人類が作り出した最悪の学問とも言える。
神代の更に前には、核兵器というおぞましい兵器があったらしいが。
空間操作を行う神代の技術の前には、核兵器ですらもはや過去の産物となったのだ。
それほどに危険な、圧倒的技術。
それも人間に完全に依存する。
神代の再来とも言える存在が出て来た以上。殺せという指示が来たらいつでも、被害を度外視で仕掛けなければならなかったし。
当然、どれだけの犠牲を出す覚悟もできていた。
頭の中に、ちりちりと宿る痛み。
主がフロディア達同胞を作る時。完全に「新しい存在」として作り出せなかったと聞いている。
これは、主が自我に目覚める切っ掛けとなった事件。
感じ取った者の痛み。
虐げられ滅ぼされた命の痛み。
錬金術師に対する怒りだ。
フロディア達同胞は、全員がこれを共有している。故に、錬金術師に対する怒りもまた、共有しているのだった。
コマンダーは報告を受けると、咳払いしていた。
「しばらくは監視で、だそうよー」
「そんな悠長な方針で良いのですか。 神代の錬金術師に匹敵するか、それ以上の才覚の持ち主。 何かの切っ掛けで翻心したら、今度こそ世界が滅ぶ……それも一つで済むか分かりません」
「そうねー。 でも、前にも言ったでしょう?」
「……」
主の判断には従う。
コマンダーは、今までこんなふわふわな言動だけれども、誠実に仕事をしてきている。いざという時は、汚れ仕事も先陣を切って行う。
だから、信頼感はある。
「大丈夫大丈夫。 しばらく成長は恐らくしないと思うわよー」
「既に手を打っている、と言う事でしょうか」
「ふふ」
「……分かりました。 しばらくは監視に努めます」
引き下がる他ない。
屋敷に戻ると、クラウディアが戻って来ていた。
完璧な角度で礼をして、それで幾つかの引き継ぎを受けておく。クラウディアはようやく一段落した事もある。
今、ルベルトから幾つも仕事を教わり。秘書官としての仕事をしているようだ。
クラウディアの、仕事の飲み込みは非常にはやい。
フロディアは先達として、後輩になるクラウディアに聞かれた場合はアドバイスをしているが。
既に相当に高度な質問をして来るようになっている。
ほんの少し前、笛を吹くかどうかでうじうじしていた小娘の姿かこれが。
たった一季節で、完全に化けた。
それに対しては、実の所は苛立ちはない。むしろ嬉しく思う。
フロディアにも人間的な感情というのは、当然ある。
そしてクラウディアとずっと一緒に過ごして来たのだ。クラウディアが一皮剥ければ、それはそれで嬉しいのである。
ただ、錬金術師との冒険によって大きく成長したというのであれば。
それは、あまり嬉しくはないというのも本音としてあり。
極めて複雑だったが。
クラウディアは見ていて分かったが、計算が兎に角正確だ。暗算術は以前に習った事があるらしいのだが。
この一季節の冒険で、判断力と広域戦術を担当したからなのだろう。とにかく細かい所まで良く気がつく。
同時に、他人の感情を読み取ることもかなり上手くなったようである。
「音」を専門に扱っているからだろう。
軽く執務を手伝う。その後は、クラウディアは笑顔で礼をきちんという。
この辺りは、横柄な金持ちの子息とは随分と違う。
今でも「下」と見なしている相手には、横柄な目を向ける金持ちは珍しくもないというのに。
クラウディアは、フロディアに対しては非常に態度が柔らかい。
「ありがとうフロディア。 後は自分でやっておくわ」
「はい。 それでは失礼します」
なお。フロディアも今後は任されるものが大きい。
此処の支部の全権を任されるのも同然で、今後バレンツ商会の関係者が此処に何人か来るだろう。
それらの指揮を任されることでもある。
無言で、ルベルトの様子を見に行く。
とても満足そうに、妻の写真が入っているロケットを見つめていた。
声を掛けられない。
ちりちりと、頭の奧で。何かが痛む気がした。
4、静かな処置
パミラはその場所に赴く。パミラは実体を得ているとは言え、それなりにそうでなかった時代の力も行使することができる。
とはいっても空間の壁を突破するのは容易ではなく。
その場所に赴くには、色々な手順を踏まなければならなかったが。
其処に出向くと、あるのは極めて規律に支配された世界だ。
同時に静寂に支配されてもいる。
動いているものもあるが、それは自動化された監視システム。
生物を改造したものであっても、それは変わらない。
足を踏み入れて、少し待つと。
やがて、ちいさな影が現れる。
ぱたぱたと走ってくるそのちいさな影は。「同胞」と呼ばれる者達にそっくりだった。ただし、「同胞」として活動開始する年齢よりも見た目がぐっと幼いが。
「パミラ様!」
「こんにちはアイン。 体の調子は大丈夫?」
「まだ一日の殆どを眠って過ごさないといけないの。 もっと彼方此方走り回りたいな」
「そうね。 でも、歩くことができるようになってからも、それほど時間が経過していないでしょう?」
うんと素直に応えるちいさな影。
もとの名前は違っていたことも知っている。
だが、それはどうでもいい。
ともかく、案内されて奧に行く。
システムの大半はまだ動いているが。殆どの劣化が激しい。
そして此処に。
厳密な意味での生き物は、存在していない。
パミラは目を細めて、周囲を見やる。
埃一つない潔癖の都市。
空間の狭間に浮かぶ不可侵の城塞。
だが、難攻不落の要塞というものは、基本的に滅びる運命を辿ることになる。それは古今東西関係無い真理だ。
この城塞は、内側から滅び去った。
今では、ものいわぬシステムが動き回り。ただ管理を続けているだけである。
パミラが最初に来た時は、敵対の姿勢を見せるシステムもあった。
それらは悉く斬り捨てた。
一緒にアインと歩きながら、話をする。
「お母様は、まだここの管理者権限にアタックを続けているのかしら?」
「そうみたい。 今日も何回か実行したんだって」
「それで少しずつ権限を奪い取って、色々できる事が増えてきたのだものね。 ただそれだと、効率が悪すぎるかも知れないわねー」
実際、アインが歩けるようになったのも、パミラの感覚ではつい最近の話だ。
それをするためだけに、あの子は随分と時間を掛けた。
人間では無いからできた事かも知れない。
いずれにしても、その努力は。
下手な人間の母親より遙かに貴く、ずっと強い愛情に満ちている。
自我が生じたのは、偶然かも知れない。
だが、その自我は。
邪悪を極めた連中の産物から生じてきたもの。
焼け野原と汚染されきった大地から芽吹いたちいさな美しい芽。
だから、パミラは呼び寄せられるようにして巡り会った。
まともな錬金術師が殆どいない。この最果ての世界で。
最初に可能性を見いだしたのは、人間ではない存在だというのも、おかしな話ではあったが。
それもまた、世の真理なのだろう。
かさかさと、四足で動く自動機械が来る。アインに光を送る。それを見て、アインは口を尖らせた。
「もう寝なさいだって……」
「まだ体がしっかりできていないのだから仕方がないわー。 お母様の言う事を、しっかり聞いておくのよ」
「はーい」
自動機械がアインを載せて、培養槽に向かう。
屈託のない笑顔で手を振るアイン。
パミラは手を振り返すと。さて、と呟いていた。
同胞、か。
実際にはアインをベースにしたホムンクルスだ。他の世界でも似たようなものはたくさん見て来たが、製造方法がどちらかというとケミカルなものに近い。
だからアインと姿は似ているが、身体能力は桁外れだし。
アインと違って、最初から走る事も出来れば。人間と子を作る事も出来た。
それら同胞に対しても、あの子は愛情を注いでいる。
時に死地に向かわせるのも、苦しい決断の果てだ。
あの子は色々と背負いすぎている。
人間が身勝手に世界を無茶苦茶にした挙げ句、放棄した責任はあまりにも多すぎるのである。
本来だったら、皆が分散して背負わなければならなかった責任を。
あの子は今でも、その存在が故に。
たった一つの身で、背負い続けていると言えた。
不意に声が聞こえる。
側にある。あの子が権限を奪取した端末からだった。
軽く社交辞令をかわしてから、本題に入る。
「アインは培養槽に移しました。 これより回復作業を実施します」
「それで、どう? 歩けるようにはなりそう? 細胞の一部がまた短時間で壊れかけていたようだけれど」
「少しずつ管理者権限を奪取して、体の調整をより丁寧にできるようになって来ています」
「そうね−。 そもそも人型にするのにも、培養槽から出られるようにするのにも、随分時間が掛かったものね」
最初みたアインは、文字通り肉塊だった。
それはそうだろう。
そういう死に方をしたのだから。
どのような暴虐が行われたのかは、パミラも知っている。あの子に見せられたからである。
あの光景を見た時、パミラはこの世界の人間に失望した。
世界を見守る事を仕事にしているパミラが。まだ懲りずに古代クリント王国の、更には神代の過ちを繰り返そうとしている人間を全て斬ったのもそれが故だ。
「どうやら、セーフティを掛けたようね」
「はい。 これで当面、ライザリン=シュタウトは成長できないでしょう」
「セーフティを突き破るほどの成長をした時には?」
「その時は、例の機能を起動します。 最後に起動したのは、109年前でしたね」
「……」
例の機能か。
あまり気分がいいものではない。管理者権限で封鎖したという事だが。それができるまでに、多くの世界の歪みをもたらした原因だ。
ただ、それで世界の破壊者になりかねなかった錬金術師を集めて、まとめて駆除できたのは良かったのかも知れない。
此処に訪れた錬金術師を、パミラは皆見て来たが。
どいつもこいつも、神代の外道達と大差ない連中だった。
まあ、それもそうだろうか。
その機能は、神代の錬金術師どもが。傲慢に鼻の穴を膨らませながら、「試験をしてやる」という名目で作りあげたもの。
そんなものに呼び寄せられるのは、それはゴミに集る蠅だけだ。
いや、それは生態系にて分解を担当している蠅に失礼かも知れない。
「まあいいわ。 いずれにしても、ライザリンは恐らく止まらないわよ。 あの子が怒りの形相で此処に乗り込んできたら、どうするの?」
「その時は全てを話し、管理者権限の詰まったメインサーバの破壊を依頼します」
「……神代の連中が本気で作りあげた防衛装置込みよ?」
「それも破壊出来るのなら言うことはありません。 ……利害を説いて、協力を求めます。 私とライザリンの利害は、今までの観察を見る限り、一致していると考えます」
そうか。この子はやはり。
なんというか、この子を作った人間よりも遙かに人間らしいな。
そうパミラは思って、苦笑していた。
後は細かいやりとりをした後。
虚空の城塞を後にする。
セーフティが掛かった以上、ライザリンは今までのような躍進はできないだろう。当面はいわゆる「スランプ」と呼ばれる状態に陥る。
後は、その状態で、道を踏み外さないか見守るだけだ。
もしも道を踏み外すようならば。
斬る。
今まで、この世界で散々最悪の錬金術師を見て来たパミラは。今まで数多の世界を見て来た中で、一番この世界を軽蔑していた。
(続)
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