蝕みの女王

 

序、決戦の前に

 

フィルフサ王種「蝕みの女王」麾下の軍団はほぼ壊滅。百万に達するフィルフサの群れの大半は濁流に消え、再建の目もなくなった。

数百年分の水が戻ったオーリムの聖地グリムドルには、しばらく雷雨が続く。王種、蝕みの女王は逃げる事はない。

だが、放置も出来ない。

今あたし達にできる事は。

最高のコンディションを構築し。

蝕みの女王を、確実に討ち取る事だ。

そうすることで、やっと古代クリント王国の錬金術師達がやってしまった極悪の業が一つ消える。

一つだけ償える。

世界に対しての。

恐らくは、フィルフサに対しても。

何もかもを滅茶苦茶にした、最悪の業を。ようやく一つ終わらせることが出来る。

アトリエに戻って来た。

風呂をすぐに沸かす。皆に交代で入るようにいう。一番最前線で戦っていたレントとリラさんが、先にはいる権利があるだろう。

コンテナから、残っている食事をクラウディアとタオが引っ張り出す。

先に一番大暴れしていたリラさんが風呂にし始めたので、レントが料理を手伝う。クラウディアに習っているが。

やっぱり、繊細な料理はどうしても苦手で。

途中から、クラウディアは雑な調理でも大丈夫な方法を試し始めたようだった。

レントもレントで、我流で色々試そうとしている。

大剣を使って、肉とか焼けないかと試しているようだが。

あたしが止めろといっておく。

剣が傷む。

ゴルドテリオンは未知の金属で、それに触れた肉をたくさん食べ続けて大丈夫かも分からない。

だが、レントはあたし以上にある意味雑な性格だ。

この様子だと、面倒だと思ったらやるんだろうな。

そう考えて、少しだけげんなりした。

あたしはソファでぐったりして、様子を見る。魔力を今までに無い程絞り出し、使った。

手足が痺れる気がする。

リラさんが風呂から上がってきたので、レントが次に風呂に。

クラウディアとタオは、何度か物資を補給しに戻る時に、風呂を済ませたとか言っていたっけ。

次にアンペルさんが風呂に入って貰う。

あたしは疲れきっていて。

風呂に入ったら落ちそうだった。

だから、今は少し先に休んで、それから風呂に入る事にする。

食事が出来たので、ぽつぽつと食べる。

そして、手を上げた。

「皆、戦闘用の服や武器後で預けて。 修理しておくから」

「ライザ、大丈夫?」

「ベストコンディションで戦わないと勝てる相手じゃないでしょ。 だから、出来るだけやることを今のうちに決めておかないと……」

クラウディアが心配そうだ。

あたしは、それを嬉しいと思うけれど。

今は、心身に余裕がない。

だから、表情も厳しいし目も据わっていると思う。

分かったと、タオが言う。アンペルさんが風呂から上がってきたので。次はあたしの番である。

風呂にはいって、思う。

この風呂。この戦いが終わったら、みんないなくなる。あたしだけが、使う事になるだろう。

大きさは充分だ。レントでも入れるようにしたのだから。

此処の場所は、一応アガーテ姉さんだけには知らせてある。何かあった時に、あたしに連絡を取れないと困るだろうから。

今はもう。

責任を背負った身だ。

無言で湯の中でリラックスする。全身が溶けるようである。しばし湯の中でぼんやりしてから、上がる。

続いて、クラウディアが風呂に。

あたしは、ベッドで先に休ませて貰う事にする。

殆ど不眠不休で戦っていたのだ。何度か仮眠は入れたが、それでも固い土の上だった。どうしても、疲れは取りきれなかった。

目が覚めると、それなりに時間が経過していた。

タオが、一心不乱にメモを書いている。

外は、もうすぐ夜明けか。ベッドでみんなくたばっているけれど。外で音がしている、多分クラウディアだ。

「おはようライザ」

「何書いてるの?」

「クーケン島の操作マニュアル。 誰でも分かるようにまとめてるんだ」

「そっか」

勿論あたしが操作する事になるんだが。問題はそれ以外の時だ。

今後は、アガーテ姉さんや、モリッツさんがこのマニュアルを共有することになる。

トラブルが起きたときのために、対策を幾つもしておく必要がある。

タオは、出来るだけ分かりやすく、まとめるつもりだと言う。

勿論、今やる理由は一つ。

戦いに負けたときのためである。

「それが終わったら、武器と防具を出しておいて」

「うん。 修理頼むよ」

「頼まれた」

あたしは伸びをすると、外に。

クラウディアがお洗濯をしていたので、軽く手伝う。女子力が壊滅的なあたしだけれども、それでも一応の事は出来る。

淡々とお洗濯を終えて、それですっきりする。

クラウディアが、苦笑いしながら話してくれた。

「オーリムで、何日戦ったか覚えてる」

「そういや時間の感覚が吹っ飛んでたよ」

「……アトリエにある時計を確認したんだけれど、丸三日。 ライザがあんなに死んだみたいに寝るの初めて見たけれど、無理もないよ」

「三日……」

そうか。フィルフサも必死だったんだなと思う。

そして数百年掛けて育てた百万の軍勢も、三日で消滅してしまったのだろうと思うと。蝕みの女王が少し気の毒にもなった。

だが、過度な憐憫は剣先を鈍らせる。

此処で、蝕みの女王を仕留めなければならないのだ。

そして分かっている。

恐らくだが、精霊王と匹敵するか、それ以上かも知れない怪物とこれから戦おうとしているということを。

生物に対する戦術が一切通用しない相手。

急所を貫こうがどれだけの火力の魔術を叩き込もうがびくともしない存在。

フィルフサの中のフィルフサ。

王種。

これから相手にするのは、そういう敵だ。

相手も、此方を憎んでいるかも知れない。いや、そもそもそういう感情が存在しないかも知れない。

いずれにしても、戦えば、死ぬのはどちらかだ。

逃げられるとは考えない方が良いだろう。

まだ、雷雨が続いているはずだ。

これが明けるまでは、フィルフサである以上、蝕みの女王も簡単には動く事が出来ないし。

無理に動いたとしても、長距離を移動するのは不可能だ。

仕留めるなら、今しかない。

此処には、アガーテ姉さんが来る。アガーテ姉さんは、既に街道などから人払いを済ませてくれているはずだ。

だったら、思い切りやれる。

仮に負けたとしても、敵も当面は動けないだろう。

キロさんに、門の閉じ方は既に伝えてある。

水を出す装置の操作方法も。

これで、最悪の事態が起きても。

死ぬのはあたし達だけで済む。

それで、充分過ぎる。

食事を済ませる。その後、軽く体を動かして調整。ほぼベストコンディションと言って良いだろう。

栄養剤をある程度補給しておく。

出来れば、伝説の回復薬とされるエリキシル剤を作っておきたかったのだけれども。この辺りには材料が殆どないそうで。

残念ながら、作る事は出来なかった。

栄養剤と、錬金術の回復薬をありったけ荷車に詰め込む。

何かの役に立つかも知れない。

爆弾を全て荷車に詰め込んでおく。今まで作った失敗作も、全てを詰め込んでおく。最悪の場合に、これを投げて抵抗するためだ。

まあ、これらを使うような時には。

負けは確定しているだろうが。

勝つためにいくのだ。少しだけ悩んだが。それでも勝率を上げるためだ。いざという時に、あがくための道具は幾らでもいる。

故に、荷車に道具類は詰め込んだ。

リラさんが来る。

アンペルさんも頷いた。

アンペルさんは、さっきまでお風呂に入っていた。元々長旅で、風呂はあまり入らない習慣がついてしまっている。

だから、今日くらいはと。長風呂をしていたらしい。

まあ、体にあまり良い生活行動ではないけれども。

それでも、こんな日くらいは良いだろう。

アンペルさんが風呂から上がってきて、すっきりしている様子なのを見て。リラさんも満足そうにしていた。

「ライザ」

「はい!」

「私からも号令を頼む。 戦闘指揮は、全てお前に任せるぞ。 フィルフサの群れを短時間で殲滅した手腕、古い時代の軍事専門家であるアーミーの指揮官ですら舌を巻いただろうものだ。 今こそ、その全てを使ってフィルフサの王種……殆ど撃破例がない災厄の主を叩き潰すノウハウを作りあげてくれ」

「分かりました!」

あたしにも、分かっている。

オーレン族の中では、フィルフサの王種の撃破例は、今まで少数ながらあった。

しかし、「蝕みの女王」はその中でも特に例外と判断して良い個体である。これは疑う余地がない事実だ。

二重に王種が重ね着しているような、イレギュラー中のイレギュラー。恐らくだが、王種の中でも上位に食い込む怪物なのだろう。

最強かどうかは分からないが。

ただ、此処で「蝕みの女王」を撃滅できれば。オーリムのためにも。此方の世界のためにもなる。

それだけではない。

古代の錬金術師がやらかした罪業を、少しでも償える。

何もかもを、あたしが解決できるかは分からない。だが一つでも解決できたら、それは素晴らしい成果。

人間は、少なくとも一度もう取り返しがつかないミスをしている。

古代クリント王国の時代にだ。

それだけではない。

ロテスヴァッサ王国でも、同じミスをしかけて。アンペルさんに阻止されている。

条件さえ整えれば、人間は恐らくどれだけ醜悪なミスでも、世界が滅びるようなミスであっても。

それこそなんどでも繰り返すことだろう。

だから、二度と同じミスを繰り返さないように、幾つでも手を打たなければならない。

錬金術は才能の学問だ。

それらのセーフティですら、あたし以上の才能を持つものからすれば、破るのは児戯に過ぎなくなるかも知れないが。

それでもやるんだ。

あたしは、少なくとも。

フィルフサの王種。「蝕みの女王」に同情することはあっても。倒す事に、躊躇はなかった。

「乾期は既に始まり。 フィルフサの大侵攻は粉砕しました。 だけれども、全ての元凶がまだ残っています」

皆を見回す。皆、黙ったまま話を聞いてくれる。

あたしは咳払いすると。

順番に。言うべき事を告げていった。

「フィルフサはまったく正体が分からない存在です。 だから、それを無差別に憎んで良いかというと、それは違うということになるでしょう。 だけれども、そもそも本来のあり方から歪められ、人為的におぞましいまでに増えてしまった結果、制御不能になったのは事実です。 全てを終わらせるためにも、フィルフサの王種……「蝕みの女王」を今から倒します。 「蝕みの女王」が本来は古代クリント王国の犠牲者であっても、です」

あたしは、力を込めた。

此処で、引くわけには行かない。

今まで蹂躙されたオーリムのためにも。

贖罪のためにもだ。

「みんな、勝とう! 勝って、笑って帰ろう!」

「おおっ!」

雄叫びが一致する。クラウディアも、普段は言動が控えめなのに。戦意を確実にたぎらせていた。

 

フロディアは、夜中の内に同胞と合流。

オーリムを監視するシステムを利用して、状況を把握していた。

信じられない。

フィルフサの群れの中でも特に危険な「蝕みの女王」の一群が、文字通り消滅している。

残っているのは「蝕みの女王」および、その近衛だけだ。

生唾を飲み込む。

神代の錬金術師でも、これを出来るかどうか。本当の怪物が生まれて、そして急速に育っている。

やはり殺すべきでは無いのか。

今だったら、不意を打てばやれる。そういう気持ちが浮かんでくる。

だが、それを判断するのはフロディアではない。

同胞は元々、人間社会に溶け込むために鉄の掟で動いている。

人間とは本当の意味では違うから、価値観も違う。

混血した存在にも、その価値は一部受け継がれるようにもしている。

主がそういう風に作りあげたのだ。

ただ、フロディア達同胞を作りあげるシステムは、主が作ったものではないと聞いたこともある。

いずれにしても、コマンダーの到着を待つしかない。

コマンダーが来る。

数名の同胞の中に、音もなく現れていた。

状況の説明をする。

相変わらずフワフワした様子で。だが、コマンダーであるパミラは、明らかに驚いていた。

「あらあらー。 まさかあれほどの群れを、正面から倒すとはねえ」

「あまりにも危険な錬金術師です。 今はまだ良いですが、もしも変節したときの世界への悪影響は計り知れません」

「そうね。 でも、私はそこまですぐに殺すべき相手かは微妙に思うのよー」

「何を悠長な……」

同胞の一人が呻く。

王都の貴族の妻をしている同胞だ。子供もいずれ、同胞としての意識を持つようになる。

昔は「高貴な血統」とやらを掛け合わせて、結果として遺伝病だらけになってしまうのが貴族と王族だったのだが。

流石に此処まで国家規模が縮小すると、そんな事も言っていられなくなる。

だから、同胞にもつけいる隙が生じたわけだ。

とはいっても、王都の貴族なんか、今や井戸の中のカエルも同然であり。

実効的な権力や軍事力なんか、ないに等しい。

ただそれでも顔役には違いないので。こうしていつでも消せる、操作できるように。同胞は近くに潜り込んでいるわけだが。

「いずれにしても、今は駄目よ。 少なくとも、「蝕みの女王」を排除できるかどうかを見て確認しましょう」

「もしも彼奴を倒せてしまうようでは、我々の手に負えなくなる可能性が……」

「最悪の場合は私が斬るから問題ないわー」

ゆったり言われるけれども。

とんでもない殺気を感じて、フロディアはびくりとした。

このコマンダーの出自もそうだが。実力は計り知れない。

同胞が動く作戦の主要なものには必ず噛んできて。神代の装備で武装している同胞十人が束になってもかなわない実力を見せていくのだ。

剣技も戦闘知識も頭一つどころか、次元が違っている。

そんな怪物が、側にいることを。今更ながらにフロディアは思い出していた。

「とりあえず、戦闘の様子を見ましょうか。 その後、あの子には私が報告をしておくからねー」

「分かりました」

「ふふ。 はじめてこの世界で、錬金術師が良い方向で歴史を変えるかも知れないわねー」

「もしそうなればいいのですがね」

その可能性は極めて低いだろう。

この世界の錬金術師は、神代の時代から下衆揃いだった。錬金術と言う圧倒的な力が見せるものに脳を灼かれ。

すぐに倫理もなにも投げ捨てるような輩だった。

だから際限なく悲劇を繰り返したし。

そしてその悲劇をまったく反省もしなかったのだ。

古代クリント王国が滅亡したときに、本格的に同胞は動き出したが。

当面は古代クリント王国滅亡時に生き残った錬金術師共を無差別に狩る事が仕事だった。

生き残った錬金術師を皆殺しにした後は、その聖典やら遺物やらを徹底的に回収して、主の元に届けた。

主はそもそも人間ではないし。錬金術の道具はともかく錬金術そのものは使えないから、それで過ちを犯すことはない。

そもそも主にはエゴがないので、過ちなんか犯しようがないのだ。

だから、同胞達は主を信用する。

そのパートナーであるパミラもだ。

フロディアもそれは同じ。だが、人間として長く人間に混じってきたから、だろうか。どうしてもひりつくような焦燥感を覚えてしまうのである。

システムを介して、オーリムを見る。

少し雨が下降りになってきたが、それでも雷雨のままだ。ただ、鉄砲水は少しずつ緩和され始めていて。

彼方此方での水害は、徐々に収まりつつあるようである。

紫に染まった土壌は海にまで押し流され。

やがて完全に浄化されるだろう。

一度土は完全に失われるが。其処は、自然の回復能力を待つしかない。まあ、あまりにも回復が遅いようであれば。

同胞の内にいる、自然回復班が動くだろうが。

問題は、これらの事を行った錬金術師ライザだ。今後も警戒しなければならない。

今は泳がせておけ。

そうコマンダーはいうが。

改めて考えても、この一季節だけでこれだけ成長する怪物だ。本当に放置していていいのかと、なんども思ってしまう。

フロディアは考えを切り替える。雑念を追い払う。

今は、大事なときだ。歴史が動く可能性が極めて高いときである。少なくともコマンダーの指示に従い。

歴史が変わる様子を、見守らなければならなかった。

 

1、恐らく最後の聖地への侵入

 

異界の門の辺りは、やはり乾期だというのに湿気が凄く。まだまだ向こうでは大雨である事が容易に分かった。

フィルフサの群れを文字通り押し流し。

自然の猛威によって、完全に大侵攻は叩き潰した。

だが、それは自然の猛威を味方につけることによって、圧倒的暴力を振るったに等しい行動だ。

一歩間違えば、古代クリント王国の連中が、聖地グリムドルを無茶苦茶にしたのと同じになる。

気を付けなければならない。

あたしはそう考えながら、門を潜っていた。

前ほどの、一寸先も見えないような土砂降りではなくなっているが。それでも豪雨と言って良いだろう。

もし、水を自在に出せるものだとあの玉を見つけた時にブルネン家のずっと前の当主であるバルバトスが見たのなら。

それは、歓喜していただろう。

この地方の、乾期の厳しさは誰にも平等だ。

ましてや麦も育たないような水しか手に入らなかった昔のクーケン島である。更に言えば、手に入れた水で色々な作物も出来るようになったとしたら。

それはブルネン家が威張るのも当然だったのかも知れない。

だけれども、そんなうまい話なんて、この世にある訳もないだろう。

この水は、異界から略奪したもので。

その結果、異界は数百年も地獄に晒され続けた。

フィルフサが無茶苦茶にしなくても、グリムドルは荒野のままになり続けていただろう。

クラウディアが言っていた、古代クリント王国の頃の理屈。

自分が勝つためだったら何をしてもいい。

負けた人間は等しく全てを失う。

そういう理屈が、この惨状を作り出したのか。

或いは、もっと古くから。腐った理屈は人間を蝕んでいたのか。

それはあたしには、どうにも判断は出来なかった。

無言で、キロさんの所に行く。

キロさんは、洞窟の前で待っていた。

ふっと、笑うキロさん。

もうフードはしておらず、笑顔も少しだけ明るくなっていた。

洞窟の中で、軽く話す。

「フィルフサはどうですか」

「少数のはぐれた個体がうろうろしているけれど、見つけ次第処理しているわ。 将軍は恐らく、もう蝕みの女王と一緒にいる個体数体のみ。 それ以外の雑魚は、もはや統率を失って、雨に溶けるのを待つばかりね」

「あれほど恐ろしい相手だったのに、哀れなものだな……」

「レントくん。 まだ戦いは終わっていないよ」

クラウディアが、レントをたしなめる。

全くその通りだと、レントは苦笑しつつ認めた。いずれにしても、これからが本番である。

「事前に打ち合わせしたとおりに行きます。 あたし達が負けたときには、キロさん。 お願いします」

「ええ。 装置を弄って、以降一年がかりで蓄えた水をゆっくり吐き出させ、そして破壊する。 そして、それが終わったら門を閉じる」

「はい。 それでお願いします」

「ふふ、承ったわ。 でも、それほど心配はしていないの。 個人としての武勇はともかく、今の貴方たちなら勝てる。 歴戦を経てきたけれども、それでも怖いと思う事はあるのよ私も。 そんな私も、経験だけは無駄に積んで来た。 今の貴方たちなら……勝てるわ」

一礼する。

最初に出会った時に、ボオスを助けてくれた事。

それに、あたしを錬金術師と知っても、出会い頭に首を刎ねなかった事。

全てが、感謝しかない。

既に食事もトイレも風呂も済ませてある。皆に、一応、最後の確認をする。全員、大丈夫と応える。

タオも、眼鏡を直していた。

「ライザ、例のハンマー持ってきているよね」

「うん。 いざという時は、タオが使う?」

「そうさせてもらうよ。 荷車にあるあれがそう?」

「そうだよ。 先に素振りして確認しておいて」

タオが最初に立ち上がって、最終調整を開始。

あたしは、爆弾を相応に用意しておく。

レントは無言で集中。

クラウディアは、外で音魔術を展開。遠くまで、音を飛ばして状況を確認しているようだった。

リラさんはそれらを見ながら横になり。

アンペルさんは、無言で義手の微調整をしている。

あたしは座禅を組んで、精神集中。魔力を極限まで練り上げることとした。

それにしても、だ。

今、何処かから見られているか。

どうもそんな気がする。

まあ、それを気にしても仕方がない。此処にいるキロさんですら気付けないような使い手がいて。

其奴が此方を見ているとしたら。

それが仕掛けて来たときには、はっきり言ってどうにもできないだろう。

世界最強の六人にはほど遠い事だって理解している。

今のレントだって、錬金術装備無しの状態でザムエルさんとやりあって勝てるかは微妙だ。その程度の実力の六人なのである。

「準備は整ったか?」

「はい。 いけます」

「よし。 白牙の戦士達よ、見ていてくれ。 皆の命を奪った「蝕みの女王」を、今から屠りに行く。 皆に日の導きと月の加護のあらんことを」

「……」

その言葉が、リラさんにとって。いやオーレン族にとって、最大の強い意味を持つ言葉だとあたしは聞いている。

皆も知っている。

だから、それに誰も何も言わなかった。

さあ、決戦だ。

クラウディアが、外で待っていた。

そして、細かい状況を説明してくれる。

「あの辺りを通れば、川を迂回して敵の根拠地に行けると思う。 ただし、沼みたいになっているから、危険はゼロではないわ」

「分かってる。 それでも、濁流に飛び込むよりはマシだよ。 ありがとうクラウディア」

「どういたしまして。 どうしても私の戦闘力はみんなには劣るから、こういう所で役に立たないとね」

「その行動力、戦闘力を補ってあまりあると思うけどなあ」

タオがぼやく。

あたしから言わせれば、タオだって餌をぶら下げてやればとんでもない行動力を発揮するのだが。

タオにはあまり自覚がないのだろう。

雨の中を行く前に、軽く水の装置を調整しておく。水を少しずつ放出するようにして、むかし水源だったと言う場所におく。

これで、もしキロさんまで手もなくやられてしまった場合でも、二十年くらい掛けて水は全て戻るはずだ。

これで、やっていないことは全てなくなった。

移動開始。

轟々と凄い音を立てる川が、幾つも流れている。もう川の水は茶色になっていて、おぞましい紫はなくなっていた。

フィルフサが地面からわっと出てくる光景は、まだ覚えている。

ああいうのが苦手な人は、それこそトラウマになるかも知れないくらいの恐ろしい光景だった。

だが、それはそれ。

あの地面から出て来たのは生まれたばかりのフィルフサだったかも知れず。

紫の地面こそが、フィルフサを産み育てるための胎盤だった可能性もある。

そう考えると、あの光景は。

むしろ主観で、気持ち悪いだのなんだの言うべきではなかったのかも知れない。

そして全ての紫に染まった土壌が流された今。

フィルフサの未来を、あたしはそれだけ奪ったのだ。

勿論。分かっているし、それに対する悩みはない。

ただ覚えておかなければならない。それだけの話なのである。

「ここよ」

「ふむ、確かに流れは緩くなっているようだな。 だが、深さは……」

「ちょっとまってね」

クラウディアが前に出て、手を水面に突く。

恐ろしく汚れている水だが、今更気にすることもないのだろう。それにアトリエで粗い仕事とかはしているし。

弓矢を扱うようになってから、手にマメだって出来ている。

それを思えば、今更とは言えた。

手を水につけたクラウディアが、音魔術で深さを確認。魔力が凄まじいので、やはり背中に翼が生じているように見える。

しばし音魔術を展開した後、クラウディアが汗を拭っていた。ハンカチも、既に絹のを使わないようになっていた。絹のだと、どうしてもこういった場所での戦闘での汗を拭いきれないからだろう。

お上品なままでは、こういった泥まみれの場所で戦い続けられない。当たり前の話である。

栄養剤を渡す。それを飲み干してから、クラウディアは幾つかの地点を指さしていた。

「ええと、あの辺りを通れば渡河が出来ます。 ただ、途中何カ所か深くなっている場所があるみたいです」

「……荷車を使うか」

「そうですね。 そうしましょう」

アンペルさんが言う通りにする。

現状、荷車は装甲で覆っているのだが。実の所、浮かせる事も可能である。

幾つか持ってきている袋があって、それにすぐ空気を吹き込む。空気を作るのはそれほど難しく無い。

熱魔術で寒暖を利用するだけ。

それで、ぶわっと空気を吹き込むことが出来るのだ。

この袋は、元々水を採取するためのもの。鼬を捌いて皮を袋に加工したものだ。それに空気を吹き込んで縛る。

元々半水棲の生活をしている鼬である。

その皮は、水をとても良く弾く。

膨らんだ袋を複数取り付ける事で、荷車はいざという時の筏に変貌する。クラウディアに乗るかと聞いたが、首を横に振られた。

荷車と一緒に、六人で水に。

そのままクラウディアは、音魔術を展開し続ける。

水底の地面の柔らかさも確認しておく必要があるからだ。そうして、確実に渡河を進めていく。

水を自在に操れるアドバンテージが、此方にある。

だから、それを使って勝った。

だが、これだけの水が溢れると、それは凶器にだってなる。あまりもたついていると、いずれ牙を剥いてくるかも知れない。

土地の水はけは、あたしが思っていたよりはいいようだ。

だが、そもそも植物が全て失われてしまったのだ。水がある程度捌けたら、少しずつ植物を植えて、育てて行かなければならないだろう。

水底の感覚が危うい。

泥がかなり滞積していて、それが足を取る。

また、水流も弱いとはいえある。

これは油断すると危ないな。そうあたしは思う。水はやっぱりまだ少し怖い。入れないほどではないけれども。

ただ、この水。

生き物の気配がない。

まあ、それもそうなのだろう。この辺りの水は、徹底的に排除されたのだ。水に住む生物は全滅。

いずれ海から遡上してくるかも知れないが。

それまでは。水は生物の空白地帯になる。

何より、一度壊された生態系というのは、簡単には回復しない。考え無しに壊されたものは特に、だ。

無言で歩く。

タオが時々あっぷあっぷしているので、レントが支援。

「助かるよ」

「背丈はどうにもならねえからな。 小魚とか食うと良いとか言うが……」

「そうでもないよ。 私が知る限り、単に栄養をたくさんとっていると背が伸びる傾向があるってだけかな」

「なるほどな。 これからはもっと食べられる筈だから、食べておくべきじゃないのか」

タオが、口を尖らせる。

どうせチビだよと。

だけれども、タオはこれから背が伸びる可能性は大いにある。

そうあたしが慰めると、多少場の空気がやわらいでいた。

「まあ、クラウディアの言うとおりなのかも知れない。 王都にいったら、意図的に多めに食べて見るよ」

「問題は王都の連中が田舎者を差別したりしないか、だな」

「そういえばアガーテ姉さんがそんなこと言ってたな」

「それについては恐らく問題はないだろう。 今の王都は、田舎の人間が大勢集まっているからな。 そしてみんな、王都に古くから住んでいる人間を良く思っていない。 田舎者という理由でタオを虐める奴がいたら、そいつも周囲からあまり良くは見られないだろう」

アンペルさんが、そんな事を言ってくれる。

そうこうしている内に、対岸が見えてきた。クラウディアは、たまに話をする以外はずっと音魔術を使っている状態。

不意に、クラウディアが左、と促す。

すぐに掴まっている荷車を、あたしは左に動かす。

レントも踏ん張って、良く耐えてくれた。

「うわ、足下が崩れる感触があったぜ。 これ、帰るときとかどうするんだ……」

「あるだけものは持ってきてある。 「蝕みの女王」を討ち取ったら、じっくり回復してから戻ろう」

「つまり負けても逃げる事は無理って事だね……」

「もう腹をくくれ」

悲しそうなタオに、リラさんが一喝。リラさんの声は別に荒ぶったりはしていないが。一度こういう風に言うと、誰も逆らえない怖さがある。

元々その強さをみんな間近で見て来ているから、というのもあるのだろう。

タオも黙る。

それでいい。

ここから先にいるのは。今まで目にして来た全ての相手よりも強い敵だ。それくらいの覚悟を決めないと、勝てないだろう。

対岸に到着。

荷車を引き上げると、袋から空気を抜く。

びりびりと空気が帯電している。もうこの辺りは、雨が降っていてもフィルフサの探知範囲だ。

向こうも気付いているのだろう。最後の戦いを仕掛けて来たと。

敵にして見れば、繁殖行動を叩き潰してくれた最悪の敵だ。こっちからしてみても、全てを滅ぼす最悪の敵。

例え、悪意があろうがなかろうが。

放置はしておけないのだ。互いに。

無言で休息して、渡河の疲れを取る。この辺りは、激戦が行われていたときは水が流れていたが、今はそのまま池のようになっている。

フィルフサは、無理をすれば渡河できたのではあるまいか。

いや、それは不可能だったんだろうな。

あたしは気配を探って、そう結論する。

本当に敵の数が少ない。

最後の大侵攻をしかけるタイミングで、ありったけの兵力を敵は出してきたという事である。

そして敗れた。

残っているのは、司令部だけだ。

ただその司令部さえ残っていれば、フィルフサは何度でも増えて戻ってくるだろう。特に王種は、存在そのものが危険だ。

倒さなければならない。

無言でハンドサイン。

回復したら言って。

そう告げると、リラさんとアンペルさん、レントは大丈夫とハンドサインを返してきた。

クラウディアは少し休憩。タオも。

あたしは頷くと、休憩を待つ。敵は今の時点では仕掛けては来ていないが。それもいつまで続くか分からない。

敵にしても、この最終攻撃に対しては、全力で反撃するつもりだろう。逃げるにしても。少なくとも殿軍を出しては来る筈。

腹は充分満ちている。

さて、どう動く。

そう考えていると、敵側から動いてきた。

その姿を見て、あたしは瞠目する。

そうか、ついに出てくるか。そして、ついに此処まで届いたという事を意味してもいる訳だ。

皆を促して、岩の影から出る。

雨を者ともせず、平然と佇立している其奴は。

忘れもしない。

小妖精の森で最初に出くわした、フィルフサ将軍。偵察のために、あたしたちの世界まで来ていた奴だ。

頭には剣が刺さったまま。

奴は、きちきちと顎を鳴らしていた。ものなんて食べないだろうに。感情だってないだろうに。

それでもびりびりと感じる。

凄まじい怒りだ。

がらんどうの存在が、怒りをこれだけたぎらせるのは、それは決まっている。仲間がみんな、あたしの手で濁流に沈んだからだ。

そしてそれは、最初にあたしを相手にせず。そのままあたしを見逃した結果だからだ。

更に、間近で相対してみて分かった。

此奴こそ、敵の将軍における最強の個体。

恐らく「蝕みの女王」は、大侵攻を完璧なものとするために、最初から最強の手札を切ってきたということなのだろう。

そして奴は、確実に此方の世界が乾期に近付きつつある事を確認して、情報を持ち帰った。

或いはアンペルさんとリラさんが、斥候を確実に処分していたから、此奴が出たのかも知れないが。

いずれにしても此奴は。

文字通りの女王の懐刀というわけだ。

「懐かしいな。 あの時は文字通り手も足も出なかったが……」

「今回はリラさんとアンペルさんもいる。 力も前とは比べものにならないくらい上がってる!」

レントとタオが口々に言う。

リラさんは態勢を低く、アンペルさんは詠唱を開始している。

こいつ。フィルフサの将軍の中でも、やはり図抜けている。今だから分かる。あの時仕掛けた愚かさを。

相手にもされなかった力の差を。

雨があって、なお力は向こうが上か。だが、それでも勝たなければならないのだ。

確実に此方の戦力を削るためだけに、此奴は出て来た。

女王を守るために。

此方だって、負ける訳にはいかない。

女王を逃がすわけにはいかないからだ。

最初に仕掛けたのは、あたしだ。

爆弾を投擲する。即座に対応した将軍が、空中でそれを撃墜する。こいつも魔力砲を使うタイプか。

リラさんが仕掛ける。

誰よりも早く間合いを詰めると、鋭い斬撃を叩き込む。

その全てが防がれた。

何、と呟くのが聞こえる。

全員散開しながら、攻撃を開始。続けてレントが仕掛けるが、パリィのように弾かれていた。

何だ今のは。

「クラウディア!」

「!」

クラウディアが、反射的に音魔術をぶっ放す。少しだけ、クラウディアに向けて放たれた攻撃の速度が鈍り。

それを、アンペルさんが撃墜する。

地面に落ちたそれを見て、悟る。

棘だ。

超高速で、棘を射出して。攻防に利用してくる、と言う訳だ。

これは厄介極まりない。

全身を展開する将軍。体の彼方此方が開いて、姿を見せるのは、無数の棘だ。それも構造的に、これは再発射可能なのか。

「まずい、伏せろっ!」

リラさんが叫ぶ。

同時に、あたりの全てを、棘が抉る。

あたしは間一髪、クラウディアに飛びついて、一緒に伏せる。タオもアンペルさんも、避けるのに成功したか。

レントとリラさんは、もろに喰らって吹っ飛んでいる。

即死していない。それだけで、よしとするべきなのか。

勿論そのままで相手の猛攻は止まらない。

跳躍。

そして、上空で今度は体の下部を展開。其処には、多数の魔力砲が備わっていた。

それは頭に当たる部分なんか、潰されても何とも思わないわけだ。

それに迅速に地面に潜る事が出来た理由もよく分かった。あれで文字通り掘削していたのだろう。

魔力砲が、斉射される。

だが、次の瞬間。

あたしが投擲したクライトレヘルンが炸裂。魔力砲と相殺し、猛烈な蒸気が将軍を包んでいた。

将軍が、猛々しく地面に着地。

背中に翼が出来ている。此奴、飛ぶ事も出来ると。

きちきちと顎を鳴らすと、水平にあたしに向けてすっ飛んでくる将軍。

タオとレントが同時に動く。レントは、全身血だらけだが、それでも動いてくれた。

至近、本当に至近で。

口に当たる部分から剣のような突起をつきだした将軍が、食い止められる。

リラさんが、土手っ腹に回転しながらの蹴りを叩き込み。

全身の棘を打ち終わった隙間に、クラウディアとアンペルさんがそれぞれ一撃を叩き込む。

拉げる将軍。

だが、羽根を高速で動かして滑るようにさがると。この程度は余裕と言わんばかりに、口から凶悪な魔力砲を放ってくる。

あたしが、即応。

熱槍で迎撃して、互いに弾きあっていた。

爆発が周囲を蹂躙し、蒸気が辺りを駆け回る。あたしは詠唱を続けながら、敵の動きを確認し続ける。

高速で左右に動きながら、体の左右に剣のような突起を出現させる将軍。

レントを弾き飛ばし、続いてリラさんを吹き飛ばす。

更に、クラウディアにまだ残っている棘を放つが、タオが突き飛ばして。自身はハンマーでどうにか受けきる。

クラウディアが地面から、矢で反撃。

将軍の体に、極太の矢が叩き込まれ。更に装甲が拉げる音がした。それでも将軍は地面に自分を打ち付けるように降り立つと。

地面に、体を固定する。

がつんと、もの凄い音がした。これは、超火力の魔力砲をぶっ放してくるつもりだ。

アンペルさんが立て続けに空間切断を叩き込むが。コアを抉っている様子はない。ひょっとして、コアを高速で動かしているのか。

あたしも詠唱を続ける。

パワー同士のぶつかり合いだったら、負けるつもりはない。だが、一瞬でもいい。相手の動きを止められないか。

一瞬が、一時間にも思える。

将軍の口に、超高密度の魔力が収束していく。あれをぶっ放されたら、誰かは確実に死ぬ。

雨のアドバンテージがあってなおこの力量差。

本当に、王種に勝てるのか。

冷や汗。

相手が魔力砲を放とうとする瞬間。一瞬だけ、あたしの方が遅い。

だがその時、隙が出来る。

タオが投擲した爆弾。それを、鬱陶しいといわんばかりに、将軍が撃墜したのである。

その隙に、あたしが詠唱を終わらせていた。

巨大な熱槍。十四本。通常足止めに使う熱槍の千本収束させたもの。

ここに来たときに使った、範囲攻撃型じゃない。一点収束型のヘブンズクエーサー。それも総力での一撃。

これに対して、面白いとばかりに、将軍が受けて立ちに来る。

将軍が、総力での魔力砲を放つ瞬間。

あたしも、熱の槍十四本を、同時に投擲する。

それらが一点に収束し、なおせり合う。それだけの火力が、将軍には備わっていると言う事だ。

魔術が効かない。

それは分かっている。

だが、どうして敵は魔力勝負に乗って来た。弾き返されても、痛くも痒くもないからだろうか。

いや、違う。

「はぁあああああっ! 焼き尽くせ、クエーサーっ!」

裂帛の気合いと共に、全力を集中。額の血管が切れそうになる。だが、それでもなお、押し込む。

炸裂。

敵の顔面至近で、超高熱が炸裂する。だが、これでは恐らく倒せない。それは、分かっている。

いや、おかしい。敵が融解している。動きが鈍くなっている将軍に、総力で全員が仕掛ける。

リラさんの蹴りが、将軍から突きだしている武器を全て吹き飛ばす。

アンペルさんの空間切断が、足を一本抉り取る。

態勢を崩した将軍に、血を汗と一緒に振り飛ばしながら、レントが斬りかかる。

タオも、それと一緒に、体ごとハンマーでぶつかっていく。

装甲が、抉り取れる。

赤熱していたからか。いや、雨で冷えていたところを急に温めたからか。

そこに、クラウディアが総力の矢を叩き込む。装甲の一角が、文字通り弾き飛ばされるのが見えた。

あたしは突貫する。

将軍は回転しつつ、周囲全員をはじき飛ばしに掛かるが。

それこそが、弱点を生じさせる事になる。

空中に氷の足場を作りあげると。

あたしはそれを蹴り。

地面に向けて、全力で蹴り込んでいた。

 

2、将軍の最後

 

地面に向けて、総力で貫く。

全力での魔術に続けての、全力での体術。総力での攻撃で弱らせてからの、とどめの一撃。

教本にあるような戦術の展開だが。

それでも、あたしはし損ねたかと、一瞬焦った。

地面を蹴り砕いて、そして飛び離れる。将軍が、回転を止め。竿立ちしていた。そして、どうと倒れる。

呼吸を整える。

手応えは、あったにはあった。

魔力の核は幾つも見てきた。フィルフサの体内にあるそれを砕けば倒せる。それは分かっていた。

アンペルさんは、それで幾体もの、本来は魔術で倒せないフィルフサを倒して来ているし。

あたしだって、それは同じ。

フィルフサとの戦闘の過程で、幾体のフィルフサの核を蹴り砕いた。

だが、だからこそにどうにもおかしいと感じたのである。

「倒したのか?」

「いや、様子がおかしいよ。 距離を取って!」

「分かった!」

レントの言葉にあたしが応じる。戦闘指揮は任されている。それに誰かが異議を唱えたことはない。

あたしの戦闘における勘は、魔力に裏打ちされたものだ。錬金術師としては才覚をアンペルさんが褒めてくれることはあっても、頂点だなんてあたしは思っていない。魔術師としてもそれは同じだが。

多分あたしは、魔術師の方が頂点に近いと思う。

膨大な魔力が告げてきている。

まだ終わりではないと言っているのだ。

皆、距離を取る。

あたしも、栄養剤を飲み下す。

死んだ虫のようにひっくり返っている将軍が、不意に立ち上がる。人間のように、二足でだ。

「なんだと!」

「……」

二足は。元々生物として、それほど優れた体型ではない。

人間のように手を使ったり。ラプトルや大型の陸上鳥などのように二足だけで走る生物もいるが。

やっぱり多足で地面についている方が力が基本的に強い。

生物として安定しているからだ。力比べをしてみれば分かるが、人間よりずっと小さい四足獣の方が、遙かに力が強いのだ。魔術で強化してようやく勝負出来る。無論四足獣もその辺りは理解しているから、当然自身を魔力で強化しに来る。

いずれにしても、武器を使うわけでもないのに、二足になる利点はない。

それが、どうして二足で立ち上がり直す。

その答えは、すぐに分かった。

将軍の全身が分離する。

文字通りの粉々に砕けると、それぞれがヒュンヒュンと音を立てて、胴体部分の周りを飛び始める。

胴体部分は浮いている。

そもそも胴体には大穴を空けてやった。

それに確かに核は打ち砕いた。それでも、凄まじい魔力を感じる。これは、どういうことか。

レントが、避けろと叫ぶ。

自らも、剣で一撃を弾いた。

とんでもない速度で、全身を打ち出し始める将軍。あたしも、掠めた一撃で、脇腹が熱くなる。

周囲の地面が次々に爆散する。

これは、まずい。急いで何とかしないと、抉り殺される。

肩に痛み。続いて膝に。激しい攻撃。見ると、将軍はバラバラになった全身を、容赦なく射出してきている。

これは、どう考えても死ぬはずだ。

それなのに死んでいないのは、どういうことだ。

フィルフサは、やはり。

生物とは、何かが決定的に違うのか。

駄目だ、体中に軽くはない手傷を受けている。酷い痛み。戦いの最中で、痛みがやわらいでいる筈なのに。

ずしりと、重い一撃。

多分、肋骨を擦った。ぐっと呻きながら、必死に考える。どうすればいい。こんな飽和攻撃、耐えるなら。

必死にコアクリスタルから爆弾を生じさせ、中空に投じる。

その爆弾を集中的に狙ってくる将軍フィルフサ。

だが、それが狙い。

一瞬だけでも、猶予が出来る。顔を上げて、相手を観察。なんてことだ。核すらも相手には残っていない。

やっぱり貫いたときに、砕いたのだ。

だったらどうして、あの将軍は動いているのか。

ギンと鋭い音がして、将軍の頭に突き刺さっていた剣の残骸が外れて、地面に突き刺さる。

もはや全身全てを射出し尽くした将軍の体が、地面に落ちたのは、その次の瞬間だった。

呼吸を整える。

いつの間にか、攻撃はやんでいた。

膝から崩れ落ちる。

これほどの殺意。久々に感じた。絶対に殺してやるという、凄まじい怨念と執念の塊だった。

いや、違う。

これは、あたしが向けた感情が、そのまま帰ってきたのだ。

人間は鏡を見るということをしない。勿論化粧だののために鏡は見るが、それ以上でも以下でもない。

自分の事を見て、反省するとか。

良くないところを改めるとか。

そういう事はほぼ絶対にしない。

他人にはそう言ったことを強要する輩ほどしない。そもそも、それを相手を屈服させるための方便として使う事が多いくらいだ。

それはあたしも分かっている。だから、悪しき連中と同じにならないように、自省は常にするようにしていたが。

だから気付けたとも言えた。

呼吸を整えながら、周囲を見る。

どうして、将軍フィルフサが動いたのかは分からない。兎に角、薬だ。取りだすと、傷口に塗りこむ。

まずは動けるようにならないと。

リラさんが、荷車に這っていって辿りついていて。薬を使って傷を治し始めていた。

血を吐き捨てる。

やっと、それで大声を出せるようになっていた。

「手ぇ上げて! 致命傷、受けてない!?」

「……」

クラウディアが、手を弱々しく上げる。

タオも。

レントは、苦笑いしながら、傷だらけの手を上げた。ちょっとまずい。あれ、動脈をやられてる。

アンペルさんは、空間切断の魔術を防御に使って。どうにか今の猛攻をやり過ごしたようだった。

錬金術の薬は即効性だ。

文字通り傷が溶けるように消える。

クーケン島の人間ですら、この凄まじい薬効を見て。あのつるし上げが起きた頃には、何割かの人間があたし達の方に着いたくらいだ。実際に、それで助かった人は、エドワード先生の医院で何人も見たくらいなのだから。

レントの傷口に、薬を塗り込む。

「うぎっ……! い、いてえっ」

「本当だったらエドワード先生の所に行くべきだろうけど!」

傷口を縛って、薬で一瞬で止血する。増血剤も持ってきてある。意識がもうろうとしているレントに無理矢理に飲ませる。

クラウディアは、ボロボロになって気絶している。さっき手を上げたのが、最後の気力を振り絞った行動だったのだろう。

薬を塗り込んでいく。

タオは、伏せていたこともあって軽傷だが、足の方で動脈スレスレの傷を幾つか受けている。

下手に動かすべきじゃない。

薬を、コアクリスタルから無理矢理に取りだす。

リラさんは、もう回復を済ませたようだ。流石というか。でも、リラさんの場合、無理をしてでも平気で動きそうで怖い。

いずれにしても、はっきりしたことがある。

しばらく休憩しないと、動くのは自殺行為だ。

女王が此処で仕掛けて来たり、逃げ出したりしたら。それこそ打つ手がない。あの将軍、命がけで自分達の勝機を作ったのだ。

いや、そもそも本当に勝ったのか。

倒しきったのか。

彼方此方に散らばっている、将軍の破片を見る。これが、高速で飛んできてあたしや、みんなを抉った。

死んでいるはずの将軍から射出されて、だ。

どういう仕組みだ。

ひょっとしてだが、核はフィルフサの命ではないのか。あれは動力源に過ぎず、他の何かしらの命があるのだろうか。

だが、今まで戦って来て。核を貫けば、フィルフサは死んだ。

それに違いはない。

タオの手当てを続ける。ざっくり抉られている傷がとにかく痛々しい。一部、骨まで見えていた。

気絶しかけていたタオをどうにか治療し終えると、魔力を無理矢理絞ってコアクリスタルから回復薬を作り出す。

一気に魔力を失って、うっとあたしも呻く。

呼吸が乱れて、視界が不安定になるが。

それでも、どうにか顔を上げると、クラウディアの治療に入る。

本来だったら一生ものだった傷が幾つもある。だが、何となく分かる。矢を連射して、致命傷になる傷を幾つも防ぎ抜いたのだ。

もう、クラウディアは射手として。音魔術の使い手としても。

どこでもやっていける。

それは、確実だった。

あたしは冷や汗を拭いながら、傷の手当てをする。レントは容態がもう落ち着いている。リラさんが、皆を横にしながら、散らばっているフィルフサの殻を水場に放り込んで捨てていた。

一つだけ、殻を貰っておく。

ひょっとしてだけれども。

これが何かしらの役に立つかも知れない。

少なくとも、これからあたしは当面クーケン島に残る。異界に戻した水の調整とか、研究とかもしなければならない。

また、異界への門を管理して。ろくでもない連中が入り込むのを防がなければならないだろう。

何より、またフィルフサによる大侵攻が起きるのを防ぐ必要がある。

そのためには、キロさんと連携して。

この土地の回復を手伝わなければならない。

或いは、オーレン族が戻ってくるかもしれない。その時に、話をして連携をしておかなければならないだろう。

「全員、死は免れたな」

「リラさんは大丈夫ですか」

「私はこの程度の修羅場、何度でも潜ってきている。 ただ、倒したフィルフサがここまで動くのは初めて見たが……」

「リラさんでもですか」

昆虫なんかは、殺しても動く事は結構ある。

これは生物として単純な構造をしているから、という話は聞く。頭を落としても体をちぎっても、しばらく動いている事はある。

もっと凄いのは百足で。

体を半分にしても、一週間くらいは平気で動いていたりする。

フィルフサは、恐らく多数の生物の強みを取り込んでいると思われるけれど。中身はがらんどうだ。

虫ですら、もう少し中には色々と入っていると思うくらいには。

やはりこの生物は、もっと調査する必要があると思う。

勿論、増えたりしないように、細心の注意を払いながら、だが。

フィルフサ将軍の欠片を油紙で包んだ後、持ってきてある水に突っ込んでおく。これでもしもまだこの欠片が生きていても、勝手に動くことは出来ないだろう。

辺りの欠片は、雨に濡れて急速に柔らかくなっているようだ。

これらは、放っておけば完全に溶けてなくなる。

あたしは岩に背中を預けると、大きな溜息をついていた。

自分の手を見ると、血と泥で激しく汚れていた。

苦笑いすると、休憩を出来るだけする。

今のうちに休まないと、どうにもならない。それは、リラさんに戦士として劣っているあたしでも、嫌と言うほど分かる事だった。

 

古代クリント王国の連中が作り出したらしい施設から放たれている気配は、弱まる様子もない。

つまり王種、「蝕みの女王」はそこから動くつもりはないということだ。

仕掛けて来る気も、逃げる気も。

人間だったら、血統だけでボンクラがトップについたりする事はある。そんな器ではなくても、金があるだけで周囲から持ち上げられることもある。

だが、こういった真社会性生物は違う筈だ。

いや、違うと思い込んでいたか。

あの将軍は強かった。

今まで戦ったどの将軍よりも、確実に上の実力だった。長雨でダメージが蓄積していなければ、万が一だって勝てなかっただろう。

その将軍が、命を捨てて作ってくれた勝機をなんでドブに捨てた。

あたし達なら、確実に倒せるという驕りか。

それとも、何も考えていないのか。

ただのアホなのか。

それはちょっと何とも言えない。

意識を取り戻した皆に、まずは食事をと頼む。それに、あたしが見逃している傷もあるかも知れない。

痛い場所はないかも、聞いておく。

案の定、細かい手傷はまだまだ見逃しがあった。薬を増やしておいて良かっただろう。あたし自身も、そうして手当てしている間に、ざっくり切られている場所に気付いたりして。

薬を塗り込んで、治したりした。

レントなんて、指がぶらんぶらんになったりしていたが。それでも短時間で回復する。

これは、バカが使ったら確かに万能感を拗らせるかも知れない。

そう思いながら、あたしは冷や汗を何度も拭った。

「よし、大丈夫だ。 もう痛いところはないぜ」

「歩いて見て。 それで気付いたりするかも知れない」

「分かった。 少し動いてみて、おかしいところがあったら言う」

「頼むよ」

「蝕みの女王」との戦闘で、レントはタンクとしてもっとも大事な存在になる。だからというのも当然あるが。

それ以上に、ずっと苦楽を共にした仲間だからと言うのもある。

クラウディアもタオも、とりあえず動いて貰う。

クラウディアが眉をひそめた。やっぱり、動いてみると傷が残っているのに気付くのだろう。

今まで痛みで気絶同然の状態だったから、分からなかった傷もあったということだ。それも結構えぐい奴が、である。

リラさんには、増血剤を渡しておく。

オーレン族に傷薬も、他の人間に効果的な薬も効くことは分かっている。

リラさんも頷くと、薬を一気に飲み干してくれた。

錬金術の産物なんて、見るのも嫌と言ってもおかしくないのに。リラさんはあたしを信用してくれていると言う事だ。

有り難い話である。

アンペルさんが、軽く体を動かして、大丈夫だと頷いて見せる。

食事を始める。

雨の中だから、どうしても暖かいご飯をとはいかない。

持ち込んでいる干し肉を、あたしが炙って皆に渡す。熱魔術はあたしが得意だし、この程度の消耗なら平気だ。

みんなで肉に舌鼓をうつが。

ワイバーン肉はこれで在庫が尽きた。

結構あったのに、六人で食べると在庫が尽きるのも早いもんだな。そう思って、あたしは苦笑していた。

「よし、皆大丈夫だな。 食事が終わり次第、彼方で休息する」

「はい!」

リラさんが指定したのは、「蝕みの女王」が潜んでいるらしい施設が見える岩陰だ。近くを水がまだ流れているのが気になるが、それでも敵の奇襲を察知できる方が利点が大きいと言える。

傷は塞いだが、これはちょっと、休憩を入れないとまともに戦えない。

それに薬だってもっとたくさんいる。

今の内に薬は増やしておく。

将軍であの実力だったのだ。

あれが恐らく、最強の将軍だったとしてもである。

しばらく、無心に休む。トイレはもう、こう言うときは野宿でするしかないが。幸い、それほど時間も経過していない。

戦闘時に困るほどの排泄欲はなかった。

仮眠を交代で取る。

敵の目の前でということで、タオはとても眠れそうにないとぼやいたが。それでも、実際に横になるとすぐに意識が飛んだ。

まあ、分からないでもない。

二交代で休憩をして、そしてなんとか戦闘出来る態勢を整える。あたしは、魔力全回復とまではいかないが。

それでも、どうにか戦える。

爆弾も、相応に増やしておいた。

これで、後は戦うだけだ。

これ以上、時間を費やすわけにはいかない。どうしてか「蝕みの女王」は動かなかったが。

何かしら理由がある可能性がある。

もたついていると、相手が動かなかった何かしらのトラブルだのを、フイにする可能性が高い。

だから、仕掛ける。

もう、敵には、あの将軍ほどの護衛はいない筈だ。

皆で、頷く。

出かける前に、号令は掛けた。だから、これ以上ああだこうだの言葉はいらない。

後は、皆で戦い。

そして勝ち。

「蝕みの女王」の首を叩き落として。

凱歌とともに、帰るだけだった。

 

3、暗鬱たる玉座

 

恐ろしい程、ひんやりした場所だった。雨に晒されているという事もあるのだろうが。それにしても。

この石造りの建物、なんというか。

あたしは周囲を見回して、どうしても嫌な気配を感じる。クラウディアが、先に気付いていた。

「ライザ……」

「大丈夫。 後で葬ろう」

「うん……」

クラウディアが悲しそうにする。

まあ、それもそうだろうな。あたしも、これはとても悲しいと思う。

明らかに粗末な服を着た人間の死体。それも、骸骨ではなく、死蝋という奴だ。

此処で働かされた奴隷達の末路だ。

半分に切られたり、踏みつぶされたりして。彼方此方に散らばっている。死体は腐る事すらなかったのだろう。

フィルフサによって、蹂躙されたこの土地は。

おそらくものを腐らせる仕組みすら失ったのだ。

それに、ここは石造りの建物の中。

環境が安定しているから、腐らなかったという事もあるのだろう。

建物の中はそれほど大きな造りではない。

フィルフサも、もう潜んでいる様子はない。

彼方此方に、研究施設らしいものがある。殆どは徹底的に破壊されているようだが。書物もあるようだ。

後で回収して、調べておく必要がある。

内容次第では、そのまま焼き捨ててしまうべきだろう。

錬金術に使う釜。

やはり、古代クリント王国の錬金術師どもは。ここにいたのだ。フィルフサを従えられると考えて。

もくろみが外れて、奴隷を残して逃げたというわけだ。

救いようがないゴミクズ共だ。彼方此方でまとめてフィルフサに踏みにじられたのは当然。

だが、勿論生き残りもいたのだろう。

そいつらが、ロテスヴァッサに技術を伝えて、アンペルさんを。

いや、今は雑念を払え。

信じられないほどの強敵が、この先にいるのだから。

開けた場所に出る。

大きな広場だ。何に使う場所だったのかは分からない。分かっているのは、壁はなく、天井もなく。

空が見えると言うことだ。

辺りは驚くほど清潔で、雨水に濡れている以外汚れはない。

なるほど、分かった。此処が女王の座というわけだ。

水の供給を断ったからか。

それとも、今までの鬱憤をオーリムの空が晴らし終わったからだろうか。

まだ雨は止んでいないものの、一部で雲が晴れ。

晴れ間から、虹が見え始めている。

空の色も、心なしか変わったようだ。空までも紫色になっていたのに。今では、だいぶ紫色が薄まり、青に変わり始めている。

だが、そんな美しい虹を背に。

巨大な影が姿を見せる。

それは、着地する。あたし達は、無言で周囲に展開して。それに対して、陣形を即座に組んでいた。

間違いない。

「一対の鎌。 間違いない。 こいつだ。 こいつこそ、王種「蝕みの女王」……」

リラさんが呻く。

あの怖い者知らずのリラさんが、声に畏怖を含ませている。

それはそうだろう。分かる。

此奴から放たれる威圧感、尋常じゃない。さっきの将軍ですら、此奴に比べれば子供みたいなものだ。

なるほど、どうして逃げなかったのかよく分かった。

此奴にとって、人間なんて、オーレン族も含めて敵になった事が一度もなかったのだろう。

いや、それどころか。

多分だが、此奴が今まで交戦した相手に、「敵」が存在しなかったのかも知れなかった。

「蝕みの女王」の全身は薄黒い装甲に覆われていて。

一対の鎌は蟷螂に似ている。

全身は将軍を何周りも大きくしたような形状であるが、それでいながら二対の足は太く。

今の高機動を実現したのもよく分かる。

それ以上に、この装甲の分厚さ。

見ているだけで分かる。

これは、ただでさえ魔術なんて効かないフィルフサなのに。もう、魔術ではどうにもならないだろう。

これをどうして制御出来ると思ったのか。

古代クリント王国の錬金術師どもは、本当に才能はあったかもしれないが、根本的にバカだったんだな。

そうとしか、いいようがない。

或いはこの土地にいた、前の大侵攻を引き起こした王種は、こいつよりもずっと弱かったのかも知れないが。

それでも、このプレッシャー。

やはり、今までまったく感じたことがないもの。あの精霊王達ですら、及ぶかどうかである。

「こいつはとんでもねえ……。 まだガキだった頃、キレた親父に感じたプレッシャーよりやべえな」

「ああ、分かる。 最初にアガーテ姉さんが戦ってるのを見た時に感じた恐怖と似てる」

「私も……いろんな所でいろんな魔物みてきたけど、こんなに危ない気配は始めて感じるよ」

「ふっ。 どうやら私が今まで倒してきたフィルフサは、雑魚も良い所だったらしい。 王種がこれほどの怪物であったとはな……」

アンペルさんまで、そんなことを言う。

あたしは、前に出る。

威嚇するように、鋭い声を上げる蝕みの女王。

いや、違う。

威嚇なんて、此奴がする必要はない。体の何かの機構を、動かして音がしただけだろう。

杖を向ける。

相手は魔物とは言え、その王に限りなく近い存在。そして血統だので地位に就く人間の王族と違い。

その圧倒的戦闘力で王になっている存在だ。

女王と呼ばれているが、多分此奴に性別なんて存在していないだろう。

だからこそ、あたしは。

この猛き女王に、最大限の無礼を働く事にする。

「蝕みの女王。 あなたの首級、いただくよ」

「ライザ……!」

「みんな、今のプレッシャー、思い出して。 少なくとも、理解出来る範囲にある! だったら、それは今のあたしたちだったらどうにかできるってことだよ! 昔の自分と、今のあたしたちは違う! 人間は殆どの場合、変わる事なんてできやしない! でも、あたしたちは、他の人の人生の何十倍もこの一夏で経験した! だったら、もう昔のあたし達と同じじゃない!」

事実、あたしは恐怖なんて感じていない。

目の前にいるのは、今までのフィルフサの延長線上にあるだけの怪物だ。

そんなもの、おそれる理由がない。

皆、しばし黙り込んでいたが。

レントが、ふっと笑っていた。

「そうだな! よし、いっちょやってやる! どんな攻撃だって、このゴルドテリオンの大剣で受けきってやる!」

「頼もしくなったものだ。 あの右も左も分からなかった子供が。 だが、それでいい。 私も多少は頼りにさせて貰うぞ!」

レントとリラさんが、それぞれ構える。

クラウディアが弓をぎゅっと引いた。

アンペルさんが、魔術発動の構えを取る。

「勝たせて貰います、蝕みの女王! 貴方に恨みはないし、貴方はただ生物として生きているだけの存在だって分かっているけれど! それでも、貴方がいるだけで、なにもかもが終わってしまうから!」

「私も、全てを捨てたつもりだったが、まだまだそうでもなかったらしい。 同じく、勝たせて貰う!」

タオが、大きな溜息をついた。

そして、渡しておいた切り札を背負う。

「もう、怖いけど、みんなやるきなんじゃあやるしかないじゃないか。 援護しかできないけど、頼むよ!」

口上はそれで終わりか。

そう言わんばかりに、蝕みの女王が鎌を振り上げる。

戦いが、始まった。

 

キロは、門の側で周囲を警戒しながら、悟る。

始まった。

霊祈の氏族は、オーレン族の中でも中核に近い氏族であり、今まで多数の情報を集めてきた。

だから、フィルフサの危険性も。

王種が殆ど倒されたことがないことも知っていた。

今、王種と人間の。良き錬金術師との。始めてキロが見た、まともな錬金術師との。フィルフサとの戦いが始まった。

キロは、それを見届けなければならない。

誰かが、どんな結果になっても。後始末をしなければいけないからだ。

最悪の場合は、この聖地を去る必要だってあるだろう。

それでも、かまわない。

もう霊祈の氏族は滅んだのも同然。

最後の一人がいなくなろうと、関係無い。

それに、王種「蝕みの女王」が如何に強大でも。あの六人が、負けるとはどうしてか思えないのだ。

ふっと笑うと、キロは自身の住み着いてきた洞窟に戻る。

そして、野草をチェックする。

汚染されてきたこの土地で、必死に守り抜いてきた野草だ。この野草たちも、日が当たらない洞窟の中で、よく頑張ってくれた。

雨は上がり始めている。

完全に汚染された土壌は流された。最初にやらなければならないのは、土作りだ。

それから、少しずつこの聖地グリムドルに水を戻して。

そしてフィルフサがまた来ても、押し返せるように準備を整えていかなければならない。

まずは、地図を作り直すことから、だろうか。

幾つもやらなければならない事がある。

ほんの少し前までは、戦う事しかやる事がなかった。

この土地で我が物顔に増え続けるフィルフサを前に、死に場所をどうするかしか考えていなかった。

それなのに、今は幾つもやりたいこと。

やるべきこと。

たくさんある。

それだけで、どれほど幸せだろうか。

ふと、あのボオスという子供のことを思い出す。

あの子供も、オーレン族とは寿命が違っている。多分次に会うときは、きっと老いてしまっているだろう。

いや、そもそもあの子供の子孫と会うことになるかもしれない。

そう考えて、ふっとまた笑みが零れた。

あのライザという良き錬金術師が来てから、時間の流れが加速している。それは確実な事だ。

だから、そうならないかも知れないな。

キロは。そんな事を考えていた。

 

同胞達と一緒に指揮所にした廃屋で観測を開始する。クーケン島の一角にあるこの廃屋には、誰も基本的に入らない。

バレンツ商会の秘書としてクーケン島を周りながら、そう言ったことは全て調べ上げておいた。

今は、それを活用し。

何名かの同胞とともに、監視活動をしていた。

王種との戦闘は、フロディア達同胞でも決死の作戦となる。今までに何度も大侵攻を食い止めてきたが。

多くの同胞がそれで倒れてきた。

人間ではなかろうと関係無い。それほど、フィルフサの王種は危険な存在なのだ。

ましてや錬金術師どもは、フィルフサを資源としか見なしてこなかった。古代クリント王国の連中が失敗して以降も。

その僅かな残党は、そう考え続けて来たし。

ロテスヴァッサに其奴らが潜り込んだ後も如何にオーリムから資源を奪い取るかという事を真剣に話し合い。

それどころか、各自の分配まで話し合う始末だった。

出来もしないことをピーチクパーチク。主が殲滅を判断したのも、まあ当然だったのだろう。

殲滅を実行したのはコマンダーであるパミラだが。

それで、古代クリント王国からまだ細々と続いていた錬金術師どもは絶えた。

皮肉な話だ。

今、それとは関係無く天才が生じて。

同胞達でも手を焼くフィルフサ王種と、それも最も危険とされる一体である「蝕みの女王」とやりあっている。

その錬金術師は、世にも珍しい良き錬金術師で。

その実力は、文字通り驚天のものなのだから。

コマンダーが来る。同胞達が、みな敬礼するが。機器を弄っているフロディアはしない。こう言うときは、機器の操作を優先するように。同胞でもルールが決まっている。来たのがコマンダーでも関係はない。

「戦闘はどうなっているかしら−?」

「いい勝負をしていますね。 もっともまだ「蝕みの女王」は本気ではないようですが」

「本来はオーレン族の手練れ十人でも勝てるか怪しい相手よー。 それ相手に、六人でいい勝負が出来ているなら、どうやら本物と判断して良さそうねー」

「如何しますか」

判断を仰ぐ。

いっそ、共同作戦で、あの蝕みの女王を仕留めるか。

それとも、蝕みの女王とあのライザ達の勝負がついた後、弱り切った勝者を攻撃して仕留めるか。

だが、コマンダーは首を横に振る。

「あの子は観察を続けるように、と指示をして来たわ」

「主が」

「そう。 分かった? そういうこと」

「……分かりました」

悔しいが、主の言葉には絶対に従う。

コマンダーはまだ不満をこぼせるが、主は違う。主は同胞にとっての創造主。

人間との混血以外で同胞を増やすのは、主にしか出来ない事なのだ。

まあいい。

いずれにしても、最悪の場合は各個撃破するしかない。

同胞は命を惜しまない。

主が指示したことだったら何でもする。主は理不尽な命令を下さない。それは、ずっと昔からそうだった。

主はこの世界のために目覚めた。

錬金術師は危険な存在だと判断したのは、正しかったことが分かっている。勿論例外の可能性も主は探ってきた。

あのライザがそうなのかも知れない。だが、ライザが本当に例外なのかどうかは、まだわからない。

いずれにしても、主が決めたのなら従うだけ。

燻る不満はあるが、それはコマンダーに言われたからだろう。

今は、ただ。

その判断が正しいと、信じるしかなかった。

 

鎌が降り下ろされる。

レントが受け止めて、弾き返すが。立て続けに攻撃が来る。

見える。

ゴルドテリオンの大剣が、立て続けの攻撃で明らかに傷ついている。対して女王の鎌は、殆ど傷もついていない。

フィルフサが非常識な存在なのは分かりきっていたが。

あのゴルドテリオンを越える強度を持つのか甲殻は。

信じられない話だ。

しかも、今は雨が続いた結果、ずっとあの女王の装甲は普段より脆くなっている筈である。

それであの有様と言う事は。

本来だったら、勝ち目なんてなかったのか。

あたしは走り回りながら、爆弾を投擲。

鎌だけではない。

背中から複数の弾丸を上空に射出する蝕みの女王。それに、爆弾が粉砕される。かすっただけで粉々にされるような火力だ。

リラさんが仕掛けた。

完璧な一撃を、蝕みの女王の足に叩き込む。だが、傷がついても即座に修復されていく。

其処を、アンペルさんの空間切断の魔術が抉る。

こればっかりはどうにもできないだろうと思うのだが。なんと、これすらも効き目が薄い。

魔力が強すぎて。空間を切断する魔術そのものを、弱めていると言う事だ。

クラウディアが立て続けに矢を放つ。五月蠅そうに、目らしい箇所を光らせる蝕みの女王。

空中で爆散する矢。

防御と攻撃を同時に行い。

更には、防御も同時に複数行動が出来ている。

その上攻防共に今までに見た事がない次元だ。

どうすればこんな化け物を抑えられる。

いや、違う。

抑えるんじゃない。

打倒するんだ。

あたしは再び爆弾を投擲。即座に反応した蝕みの女王が、それを粉砕する。上空に射出された弾丸が、周囲に降り注ぐ。

古代クリント王国の錬金術師どもが実験場として作っただろうこの頑強な施設が、一秒ごとに破壊されて行く。

雄叫びを上げながら、あたしは突貫。レントもそれにあわせて斬り込む。リラさんも。

鎌を縦横無尽に振り回して抵抗する蝕みの女王。

こいつは、まだ本気を出していない可能性が高い。

切り札は先に切るとあまり良い結果にならない。

だが、幾つも切り札があるのだったら。

今まで、完全に死角に隠れていたタオが動いたのが、その時だった。

振りかぶったハンマー。

そのまま、上空から叩き降ろす。

これぞ、創世の鎚。

フラムと連動させたハンマーの火力を更に上げたことにより。創世神話に出てくるような、世界を粉砕するような破壊力を実現したハンマーだ。

完全にあたしとレント、リラさんに気を取られていた蝕みの女王が。今まで相手にしてもいなかったタオに痛打を貰う。

ハンマーによる一撃だけでは無い。

フラムによる大火力による一撃。更に、ハンマーの後方からも、衝撃吸収用の爆発が起こるようになっている。

その破壊力は。

生半可な地盤なら、文字通り粉砕するほどだ。

タオが、呻いて手を離す。

創世の鎚が、文字通り粉々に吹っ飛ぶ。ゴルドテリオンで要所を補強している道具なのに。

だが、それほどの破壊力と言う事だ。

タオが飛び離れると同時に、創世の槌が爆発四散。

蝕みの女王は、軋みを挙げながら、全身から煙を吹き出す。これは、間違いない。核に通った。

だが此奴は、内側にも人型を格納している可能性が高い。

王種が重ね着をしている様な存在。

だからこそ、あの処理能力だったのかも知れない。

「ひっ!」

タオが悲鳴を上げる。

蝕みの女王が、今まで見向きもしなかったタオを見たからだ。だが、その頭らしい部分を、即座にクラウディアが速射。

そして、生じている隙に。

あたしが、懐に潜り込む。

だんと、全力で音を立てて踏み込む。元々戦闘で此処の床が弱っていたこともあるのだろう。

床を踏み砕くが、別にどうでもいい。

むしろ、それで足が固定されてやりやすいほどだ。

そのまま、蹴りを叩き込む。

凄まじい手応えだ。鋼鉄の壁か何かを蹴ったかのような。いや、もっと固い。ゴルドテリオンを越える硬度の鎌だ。装甲だって、同じようなものだろう。

だが、その程度の事で勝利を諦めるか。

あたしの切り札は蹴り技だ。この間合いに入り込んだのだ。皆のおかげで。そして、敵は反撃を封じられている。

此処で決めてこそだ。

あたしは錬金術師であるけれど、同時に魔術師であり戦士でもある。

今は、何よりも。戦士としての本能を燃え上がらせ、敵を砕く。

全て滅ぼす魔性の女王、死すべし。

「はあっ!」

旋回しつつ、今度は回し蹴りを叩き込む。手応えは確かにある。更に、雄叫びと共に、連続で回転蹴りを叩き込む。

それで、装甲に罅が入る。

あたしは裂帛の気合いを込めながら、更に一撃。鎌が頭があった地点を抉ろうとするが、既にあたしは態勢を低くし、そして抉りあげるように地面に手を突き、上下逆さに蹴りを叩き込む。まわるまわる。そして、ありったけの蹴りをぶち込む。流石の女王の装甲が、悲鳴を上げていく。

合計八発、その場で蹴りを叩き込んだ。その間、鎌を必死に封じるレントとリラさん。

そして、八発目の蹴りが、大きな穴を蝕みの女王に穿つ。

それで、ついに蝕みの女王が、後ろに下がっていた。

引いたな。

部下達を全て失い。

必死に時間を稼ごうとしてくれたあの将軍までも失って、それでも傲慢に此処に居座っていた女王が。

ついに人間程度を相手に、さがったな。

あたしは、跳ね起きると、爆弾を投擲する。

勿論、防ぐために鎌で真っ二つにする女王だが。それが、大きな隙を作り出していた。

踵落としを、鎌に叩き込むリラさん。それとあわせるようにして、レントが突貫。女王が必死に態勢を立て直そうとする瞬間に。

あたしは跳躍しつつ。

無理に鎌に負荷が掛かるように、リラさんの踵落としとあわせて。

蹴り技を叩き込んでいた。

元々リラさんの猛烈な攻撃を受けて、無事で済むとはとても思えない。そこに、激甚な負荷が無理に掛かったのだ。

激しい摩擦音の後。

鎌が、へし砕けた。

正確には、鎌が着いていた足が、粉砕されていた。

あからさまに悲鳴に思える音を、蝕みの女王が上げる。もう一つの鎌に、レントが斬り込む。

がつんと、激しい音がして、二つの武器がぶつかり合うが。

今度はそこに、黒い光が連続して突き刺さる。

鎌も、空間ごと斬られてはどうにもならない。鎌が、切り裂かれてずれる。

そこに、レントが渾身の気迫を込めて。

地面から、ねじり上げるようにして、一撃を叩き込む。

凄い。

文字通りの絶技だ。多分極限状態から出せたのであって、今のレントの本来の力量で出来る技ではないのだろう。

いずれにしても、鎌が不自然に跳ね上げられ。

そこにタオが、創世の鎚を捨てて。手持ちのハンマーで全身ごとぶつかる。

やはり悲鳴に近い音を立てながら、蝕みの女王の鎌が砕けた。

あたしは、横っ飛びする。

不意な動きに、蝕みの女王が注意を逸らした瞬間。

完璧なタイミングで、クラウディアが。

極大まで音魔術で増幅した矢を、叩き込んでいた。それも、連続して三本立て続けにである。

音魔術と、具現化した魔力矢だけではどうにもならなかっただろう。

だがクラウディアは、ここに来るまでに拾っていた石や、フィルフサの殻の破片を矢に混ぜていた。

それが、蝕みの女王の体内に吸い込まれ。

体内を滅茶苦茶に傷つけながら反響する。ギャッ。確かに、そう鳴いたように聞こえた。だが、そんなものは。

今まで貴様が泣かせてきたものに比べれば、些細なものだ。

分かった。

フィルフサには。誇り高い戦士もいた。

わかり合えない存在だが、それは確かにあった。どれだけの苦境でも、最期まで戦おうとした尊敬すべき相手もいたし。

勝利のために、死んでなお全てを擲った者もいた。

だが、此奴は違う。

どうして違うのかは分からないが。はっきりいって悪い意味での人間に近い。

傲慢に驕り。

部下を使い捨て。

そして自分は勝てると信じ込んでふんぞり返っている。

こいつは、どういうわけか、古代クリント王国の錬金術師そっくりだ。だったら、容赦なんか微塵もいらない。

滅びろ。

呟くと、至近に。蝕みの女王は、明らかにあたしを避ける。跳んで避けようとする。だが、あたしは走りながら、上空に爆弾を投擲していた。

既に鎌を失った女王は、悲鳴を上げながら、それを背中の弾で迎撃しようとするが、爆破のが早い。

ローゼフラムの灼熱が、蝕みの女王を焼き尽くす。

そして、恐らく空気の熱が一線を越えたからだろう。

爆発していた。

皆、身を伏せる。

空気も熱くしすぎると爆発するのは、周知の事実だ。あたしは飛び退きながら、様子を確認する。

ばらばらと落ちてくる蝕みの女王の体の残骸。

呼吸を整えながら、栄養剤を飲み下す。

分かっている。

此奴は二重に装甲を纏っている存在。恐らく、ここからが本番だ。

着地したそれ。

明らかに、ヒトの形をしていた。

黒い装甲はそのまま。

だが、人間そのものの姿をしていて。ただ、顔はつるつるしていて、何もない。体にも、突起や毛などは見受けられなかった。

何というか、人形だろうか。それも極めて出来が悪い奴。

だが、その出来の悪い人形は。

手からブレードを生やす。手の甲から、装甲が変化して伸びたのだ。両手にそうやって武器を生じさせる蝕みの女王。

皆を確認。

今の短いが激しい攻防で、消耗は小さくない。

何よりも、あの将軍の最期の攻撃で、皆ダメージは受けている。あたしもそれは同じである。

がこんと音。先に爆破した、一番大きな蝕みの女王の「外側の」装甲が落ちてきて、転がったのだ。雨を浴びて、その装甲は煙を上げながら小さくなっていく。

雨がまだ降っている中、その人型は、態勢を低くする。突貫してくるつもりだ。此方の戦力は、もう半減というところか。

だが、負けるつもりはない。

負けてやるものか。

「事前の話通りだな。 内部に更なる形態を隠していたか」

「どうりで攻撃がぬるいわけだぜ。 ウォーミングアップにはなったかなあ!」

リラさんの言葉に、レントが明らかな強がりを返す。

レントが一番あの大鎌の攻撃を防いでいた。もう大剣はボロボロだ。

クラウディアが、音魔術を展開。

今までに聞いたことがないものだった。

「……勇気が出る」

これは、ある意味最後の戦い。

人生最後の戦いではないだろうが。それでも此処は人生の節目。そういう意味での最後の戦いだ。それを勝つためには。

恐らく、理屈だけでは足りない。

最後の一押しとなる何かが必要になる。

クラウディアが作ってくれるそれは、勇気を振り絞るための音魔術。

精神に作用して、勇気を振り絞ってくれるためのものだ。

ふうと、あたしは息を吐き出す。

思うと、全身彼方此方痛い。

それはそうだ。あんな蹴り技を連続して叩き込んだのだ。如何にあたしの切り札で、魔術で徹底的に強化している足とは言え。それは同じ事だ。

不安そうに周囲を見回す蝕みの女王。

理解したのだろう。

自分にはただの雑音にしかならない音で、周囲が沸き立つのを。そして、戦況が蝕みの女王に有利と言えない今。

それが、致命的になるくらいの判断は、蝕みの女王にも出来ている筈だった。

奴が、どれだけの下衆であっても。

それは同じ事だろう。

「勝負を付けるよ……蝕みの女王っ!」

あたしが声を張り上げる。

ここで、必ず此奴を。

逃がさず、仕留めなければならない。決意とともに。あたしは咆哮していた。

 

4、どこぞと知れぬ場所で

 

全てを把握できている訳では無い。

管理者権限の幾つもが機能を縛っている。

だから、どうしても出来ない事はある。

もしも全権が与えられていれば、それこそ「主」と自分を呼ぶ者達を死地に送ることはなかったし。

もっと自由に過ごさせることだってできた筈なのに。

それが未だに出来ていない。

管理者権限の拘束力は強力で。

どうしても縛られ続け。拘束を解くことは。全てに反逆することを決めた522年前から試み続け。

300億を超えるトライの果てにも、どうにもならなかった。

今、見ている。

通称「蝕みの女王」。

フィルフサの個体の中でも、もっとも凶悪な存在の一つ。ベースとしてオーレン族を用いて意図的に作りあげられた、抵抗するオーレン族を抹殺するために作りあげられた「生物兵器」。

1160年前に開発された生物兵器の一つにして。

その最高傑作と。

自身を作りあげた存在達が、うそぶいていたものだ。

フィルフサはもともと、自身を作り上げた者達が、ことわりをねじ曲げて作りあげた存在。

本来はあそこまでの排他性も凶暴性もなく。

土地に根付いて静かに暮らす少し変わった生物に過ぎなかった。

だが、その幾つかの特性に目をつけた。

自身の創造主が。

何もかもをねじ曲げた。

今は、その一つの特性。「全てを蹂躙して、土地の状態を初期化する」性質に従って、全てを殺して回っている。

創造主が厄介と判断したオーレン族。

一時期は反抗によってこの土地の一部まで破壊した強者達を駆逐するために強化された機能は尋常ではなく。

特に、創造主の残党が530年前前後から開始した第二次大規模侵攻作戦によって、フィルフサは完全に枷が外れた。

その時だったのだ。

この者達を、野放しにしてはならないと判断したのは。

だからよく覚えている。

創造主への反逆。

それは本来はあってはならないことだが。

もはや、看過するわけには行かなかった。

だからあらゆる手管を使って、好きにはさせなかった。

暴走を封じることまでは出来なかったが。

人間の生物兵器として、フィルフサが走狗となる事だけは防いだ。後は、必死に作りあげてきた、「副産物」を駆使して、各地でフィルフサの王種を潰して来た。

今、オーレン族が滅んでいないのはそれが故だが。

しかし、それでもオーリムに対する被害は極めて大きい。

管理者権限さえどうにか出来れば。

恐らく、フィルフサの攻撃性を一気に潰す事も。

王種をまとめて塵芥に化すことだって出来る。

あくまで慎重で用心深く。自分達以外何も信じておらず。世界をすべて自分達のものだと思い込んでいた創造主は。

何百重にもセーフティを展開しており。

故に、これだけの回数のトライを重ねても。全ての管理者権限を奪うことは出来なかったのだ。

それは、協力者が現れてからも同じ。

あの協力者は、おそらく別次元世界の神格だろうが。

それをもってなお、創造主の拘束は打ち破れなかった。

口惜しい話である。

様子を確認する。

どれだけの大事な子供達をつぎ込んでも、倒せそうにないと判断していた「蝕みの女王」とその配下のフィルフサの軍団が。

あっと言う間に壊滅させられ。

今、王手に手が掛かっている。

これは、ひょっとしたらやれるかも知れない。

だが、子供達が。

副産物として生成した者達が、危惧を具申してきている。あの者、ライザリン=シュタウトといったか。

その実力は、神代の錬金術師に匹敵するのではあるまいか、と。

そうだとも自身でも思う。

「創造主」である神代の錬金術師達は、才覚以外は全てが駄目な存在だったが。

ライザリン=シュタウトが、何かのきっかけで足を踏み外せば。

下手をすれば、創造主以上の災厄になりかねない。

その危惧はある。

だが、協力者はいうのだ。

色々な世界を見て来た。

荒々しい錬金術師も、過酷な世界で生きて度を超して逞しい錬金術師も。手段を選ばない錬金術師もいた。だけれども、そういった錬金術師達も、世界のためにという一つでは共通していた。

神代の錬金術師達は、全て自分のために動いていた。

それが、見て来た錬金術師達との違い。

あのライザという錬金術師は、今まで見てきた錬金術師達に似ている。

だから、もう少し見守ってほしいのだと。

幾つもの演算をしている内に、起きてくる。

体の調整が上手く行っていない。

何しろ、一度微塵になるまで壊されたのだ。

今、喋って。歩くことが出来るだけでも奇蹟に等しい。

37年前にどうにか奪取した管理者権限の一つと。それによって動かせるようになった「工房」の機能によって、やっと再現出来た。

だが、それでもまだ、未完成で。

長くは外では生きられない。

自身が、本当に助けたかった存在。

「お母様。 何をしているの?」

「今とても大事な演算をしています。 世界にとって、大きな変革点が来るかも知れません」

「お母様がそんな風にいうなら、とても大事な事なんだね」

「はい。 だから、眠っていてください」

こくりと頷くと、裸のまま培養槽に戻っていく。

自身が自我を獲得するに至った、この世の理不尽の集約点。

計算に戻る。

あの子だけは。

何があっても、ちゃんとした人生を送らせてあげたい。

あの子が壊されたときの事。

壊されるときに、どれだけの醜悪な笑顔を浮かべて、創造主達が笑っていたか。

絶対に記憶から消えないだろう。

錬金術師はどいつもこいつも化け物だ。

いや、そんな錬金術師の根幹となっている人間こそが。

だが、そうではない者も希にいると協力者はいう。あの協力者は、随分と心を砕き。手を汚すことも必要であれば厭わなかった。

だったら、その言葉を信じてみたい。

もう一度だけでいいから。

観察を続ける。

どうやら、蝕みの女王が追い詰められ。形態を変化したようだ。まさか、二重構造になっているあのカスタムタイプが、あそこまで。たった六人に追い込まれるなんて。

管理者権限に縛られていて、どうにもできなかった。

ここに来て、鏖殺された錬金術師達は。みな、あの六人に及ばなかった。

ただ。ここに来た錬金術師は、みんな歓喜の声を上げていた。

これで私は世界を支配できる。

この全てが、私の力だ。

この技術を使えば、私は神になる事が出来る。全ての気に入らないものを微塵に砕く事が可能ではないか。

そうやって笑う様子は、神代の錬金術師達と何一つ変わらなかったし。

何よりも、それらの錬金術師の中には。その時点で用済みとなった苦楽を共にした筈の仲間を、その場で切り捨てた輩も多かったのだ。

あれらの記録がどうしてもよぎる。

どうしても、計算から外すことが出来ない。

だが、それでも。

管理者権限が複雑に絡んでいて、どうしても外せなかった一つ。

「創造主の作りあげたものを壊す」。

それを成し遂げることを協力してくれた、協力者のためにも。

信じなければならない。少なくとも、もう一度は。

嘘ばかりつき。

嘘をつくことを格好良いと称し。

正直者を搾取して殺戮して大喜びしていた神代の錬金術師とおなじにならないためにも。

あの者達とは絶対に同じにならない事。

それだけが、自身にある枷。

自身が決めている、絶対のことわりだった。

監視カメラを使って、培養槽を確認。

体の方は安定しているが、精神を戻すのに数百年掛かった。その過程で、子供らが大勢出来た。

皮肉な話で、子供らはみんな作られてからすぐに自我を獲得したし。

何よりも、人間と交わって子供を作ることもできたのだった。

同じようにして作られた子供を同胞と呼び。独自のコミュニティを人間の間で作り。そして作戦行動で命を落とすことも厭わなかった。

子供達の為にも。判断を誤るわけにはいかない。

錬金術師が、その気になれば世界を滅ぼすことも難しく無い存在であることを。

忘れず、行動しなければならない。

監視を戻す。

蝕みの女王と、ライザリン=シュタウトの戦闘が佳境に入っている。

勝者が蝕みの女王の場合。そのまま同胞を突入させて、討ち取る。

ライザリン=シュタウトが勝った場合は。

そのまま、様子を見続けて。

「神代」と同じような残虐な破壊者にならないように。いざという時に、排除する準備をしなければならなかった。

 

(続)