精霊王の峡谷

 

序、禁足地の奧へ

 

アガーテ姉さん達が、対岸に来ていた。以前のドラゴン戦での負傷者は、ウラノスさん以外はすっかり良いようだ。

ウラノスさんはもう前線には立てない。

命と引き替えにドラゴンに痛打を入れたのだ。人生最後の仕事と割切って。

後何年生きられるか分からない。

少なくとも、その残りの時間は、安楽に過ごす権利がある筈だし。

それを否定する奴を、あたしは許さない。

幾つかのやりとりをしておく。

護り手は、やはりかなり忙しいようだった。

「今日は此方は街道を調査して回る予定だ」

「分かりました。 此方では禁足地を調査していますが、やはりかなり魔物がいます」

「そうか。 街道にいるものよりも強力なのか」

「はい。 アガーテ姉さんも、禁足地から出て来ている魔物には気をつけてください。 後……これを用意しました」

荷物から取りだす。

前は渡すのが遅れて後悔した。

だから先に渡しておく。

アガーテ姉さんのために、試作品としてクリミネアで剣を作っておいたのだ。アガーテ姉さんは、手にしておおと声を上げていた。

やはり剣士なのだろう。

良い剣を手にすれば喜ぶ。

しばらく振るって、問題ないと判断してくれたらしい。満足そうに頷いていた。

「これは王都でも、一般人には出回らない品だな。 警備隊長や、上級騎士くらいしか手にすることはないだろう」

「アガーテ姉さんなら使いこなせると思います」

「そうありたいものだ。 ありがとうライザ。 有り難く使わせて貰う」

そしてアガーテ姉さんは、今まで使っていたブロンズアイゼンの剣を部下に譲る。

今後が期待できるという話の、かなり悪人面をした男性の護り手だ。あたしから見るとそうなのかと小首を傾げてしまうが。

長期的に見れば、強くなる素質があるのかも知れない。

アガーテ姉さんはプロだ。

その見る目を信じたい所だった。

そのまま、護り手の集団を別れて禁足地に。こう言うとき、筋を通して入って良いと許可を得たのが聞いてくる。

そのまま禁足地で軽く調査。

既にリラさん達で調べてくれていた辺りを通って。先に進む。

そして、峡谷に出ていた。

此処を抜けないと。

昔、レントが行きたいと願っていた塔にはいけない。

幼い頃、レントは塔に行きたいと言っていたっけ。

でも、流石におてんばな悪童だったあたし達でも、禁足地を突っ切って塔にはいけなかった。

溺れて酷い目にあった後、という事もある。

何処かで、心にセーフティが掛かるようになっていたのだろう。思えばあの事件以降、極端すぎる悪戯はしないようになったように思う。

手をかざして、奥の方を見る。

これは、凄い峡谷だ。

とにかく大きい。山をまるごと削ったかのようだ。いや、本当にそうなのかも知れない。川があるが。

その川の規模の割りには、峡谷が大きすぎるのである。

タオがここに来る前に言っていたっけ。

峡谷というのは、川が何千年、何万年、下手をするともっと時間を掛けて地面を削って、出来ていくものなのだと。

この峡谷は極めて巨大で。

川の割りには、大きすぎるのだ。

それだけじゃあない。

川というのは、上流から下っていく過程で、石を転がしていく。下流の石はどんどん丸くなっていく。

この峡谷には、そういった丸い石が極端に少ない。

此処は異常な場所だ。それが、一目で分かった。

それだけじゃあない。

辺りには。明らかに異常な地形が多い。まるで何かが、どっと流れ込んだように。

恐らくは、フィルフサだ。

だが、フィルフサが先を争って此処になだれ込む意味があったのだろうか。それはちょっと、あたしには分からない。

峡谷の入口で、しばらく立ち尽くす。ぼんやりと見上げていると、やがてリラさんが咳払いしていた。

「ライザ、この内部はかなり危険だ。 時間を掛けることになってしまうが、少しずつ確実に進んでいくぞ」

「はい。 それにしても、何でしょうねこの峡谷……」

「これは本来はもっと若い峡谷の筈で、こんなに巨大な規模があるのはおかしい。 恐らくは人為的に作った……そうでなくても天変地異で出来たものなのだろう」

「人為的……古代クリント王国でしょうか」

可能性は高いと、リラさんは言う。

クラウディアに、リラさんは更に指示した。

「クラウディア、音魔術で周辺の状態を探れるか」

「えっ! そんな事出来るの!?」

「ええとね、ある程度の地形だったら分かるようになって来たよ。 魔力を通した音の反響を利用するんだ」

「すごいね……一部の生物にはそうやって音を利用するらしいものがいるとは聞いているけれど」

タオが眼鏡を直す。

確かにあたしもびっくりだ。

音魔術の使い手が、あまりクーケン島にいなかったと言うこともあるのだが。こんな凄い技を使えるようになっているとは。

魔術とは威力だけがものをいうものではない。

クラウディアの音魔術は、あたしの熱魔術よりも応用性が高いかも知れない。

クラウディアが、笛を魔術で具現化させると、丁寧に吹き始める。かなり強い魔力を感じる。

確かに新しい弓で、試し打ちで大火力が出る訳だ。

峡谷に響き渡る音。

魔物も、明らかに此方を警戒しているのが分かった。だが。ここは渓谷の入口である。奧で襲われるより、ずっと良い。

何かしらの曲を吹き終えるクラウディア。いつもの優しい曲では無く、勇壮な曲だった。この辺りも、使い分けているのかも知れない。

だが、クラウディアが眉をひそめる。

確かに、反響してくる魔力がおかしい。

「何かあった、クラウディア」

「即座に魔術を反転させられました。 何かすごく力が強い者が奧にいると思います。 入口付近しか分かりません……」

「油断するな。 それの正体も含めて探りに行く。 ひょっとすると、フィルフサの先遣隊かも知れない」

「分かった。 みんな、警戒して!」

あたしはレントとリラさんが前衛に立つのを見て、真ん中に。

錬金術の道具を使えるあたしが真ん中で、最悪の事態に備えるのは当然の事だ。

右にはクラウディア。後衛にタオ。

タオが一番機を見るのが得意なので後衛に。

前衛は少し下がり気味になって、左右両翼からの攻撃にも備える。

本当ならアンペルさんが来てくれていれば、左右をクラウディアとともに担当して貰いたい所なのだけれども。

そうもいかない。

こればかりは、中々上手く行かないものだと思って、諦めるしかない。

無言で渓谷に入る。

ちいさな川が流れている。水の質は、驚くほどにいい。周囲を警戒しながら、水を汲んでおく。

まだ、見た事もない植物も多数生えている。

かなりの品質だ。

クーケン島には、最近特産として導入した七色葡萄というものがあるのだが。どうもクーケン島にはあまりあっていないらしく、お父さんが世話しても、そこまで美味しくはならない。

此処でなら、或いは。

正確には、ここの水と土でなら。

或いは、もっと良く出来るかもしれなかった。

肉厚の葉をつけている植物。

赤い薔薇のような花もある。

これはもしかして。

調べて見ると、当たりだ。

アンペルさんに貰った参考書に記載がある。

肉厚の葉はローゼンリーフ。非常に効能の高い薬草にもなるし、他の用途にも使える。極めて強力な魔力を蓄える植物で、様々な応用が効くのだ。

薔薇のような花は、デルフィローズ。

これについては、少し前にタオにも名前を聞いた。

色々調べていたところ、以前禁足地の北の方にあった集落が滅ぼされたのだが。

そこで特産として育てていたらしい。

僅かな数が此方にも流れてきている、ということだ。魔物に種が運ばれたのか、それとも別の理由か。

いずれにしてもこの薔薇、極めて強靱でしなやかな繊維を持ち、それでいて魔力も蓄える性質を持つ。

染料だけにしても、相当に反物を強化するらしく。

手に入れる事が出来れば、強力な反物を作り出せる。

そういう代物だ。

自生しているローゼンリーフとデルフィローズをざっと確認して、問題がない量だけ持ち帰る事にする。

その後は、彼方此方をみて回る。

水も汲み。

溜まっている水に、釣り糸を垂れてみる。

エリプス湖にいる恐ろしい魚ほどではないが、かなり大きくて、此処にしかいないような魚もいるようだ。

「急げよ」

「分かってる。 魚も食べるだけではなくて、他にも用途があるんだよ」

レントに促されたので、手早く釣る。

水に慣れる必要もあるし、何よりも幼い頃から悪ガキとして釣りは必修科目だった。

漁師の中にも、あたしを後継にほしいという人もいたらしい。

釣りは得意だ。

さっさとつり上げていく。場合によってはレントが衝撃波を叩き込んでもいいのだが。この川の規模からして、魚をジェノサイドすることになる。

それは、止めた方が良いだろう。

川はそれほど深さもなく、流れも緩やかだ。

川の水というのは見かけ以上に危険で、足を取られると一気に流されてしまうこともあるのだが。

ここではそういうこともなさそうだ。兎に角流れが貧弱で、ここから下流でエリプス湖に流れ込む幾つかの大きめの川と合流しているようである。合流するまでは、水もとても澄んでいるようだ。

警戒して貰いながら、採集をしておく。

それにしても、だ。

やはり此処はおかしい。

谷はまるで抉り取られたかのよう。

そして、谷の底には小石はやはり殆どない。恐ろしい程までに真っ平らだ。入口付近で採集を終えた後、一度谷から出る。

びりびり感じるのである。

強力な魔力。

それも一つや二つではなかった。

一旦キャンプを張る。

魚などをしめておく。そういえば、何度か鼬と交戦したが、それも普段みかけるのよりもずっと大きく、手強い個体だった。

そろそろ群れをまとめる母個体とも存分にやり合える程度の力はあるが。

下手な母個体よりも、強いかも知れない。

鼬を吊して捌きながら、軽く話す。

街道に入っていることもある。

この辺りは、もう魔物も殆どいなかった。

一応タオに警戒に立って貰う。

タオは線が細いので、こういう作業はあまり得意では無い。前はクラウディアも苦手そうだったのだが。

それは絹服が汚れるから。

新しい服を身に纏った今は、積極的に解体作業に参加してくれる。

肉は即座に燻製にし。

更には皮をなめしておく。

青緑の美しい皮は、非常に強い魔力を持っていて。これを元に、皮鎧を作れそうだなとあたしは思う。

大物の魔物は、倒すと何もかもが無駄にならない。

これについてはアガーテ姉さんから、悪ガキ時代から講義を受けて聴かされてきたことなのだが。

実際にある程度余裕を持って強い魔物と戦えるようになり。

木っ端みじんに消し飛ばさなくても倒せるようになってくると。

その素材が非常に有用である事は、触ってみるだけで分かるようになって来た。

また、肉も美味しい。

肉食獣の肉はあまり美味しくないという話もあるのだが。

鼬の肉は、臭みさえ抜いてしまえばきちんと食べられる。

燻製以外の肉が焼き上がったので、交代で食べておく。

ここからが本番だからだ。

「焼いて食べる肉か。 贅沢な話だな」

「リラさんは生で食べる派なの?」

「異界にいた頃は、フィルフサどもに察知されないように過酷な潜伏生活をしていたからな。 場合によっては火を熾す事も出来ずに、何でも生で食べていた。 最初の頃は腹をこわす事もあったが、今ではそれもない」

「うわ、大変だな……」

虫なども食べられるようにしておけ。

そうリラさんは言うが。

タオが真っ青になって視線を背ける。

まあ、タオには無理だろう。

蜘蛛とかみるだけでも真っ青になって動けなくなるのだ。食べる何ていったら、それこそ卒倒する。

レントですら、錬金術で食物を作る際にも、虫は絶対に材料にするなと言ってくるくらいである。

要素ごとに分解してしまうから、原型も何もないのに、だ。

それだけ虫食に対する忌避はある。

まああたしも積極的に虫を食べたいとは思わない。蜜を蓄える蟻とかは、あまい事が分かっていてもだ。

クラウディアはどうかというと。

リラさんの言葉に、うんうんと頷いている。

実は虫食は地方によっては普通にやっているらしく。以前、軽くその話は聞いた。

積極的に食べたいとは思わないが。いざという時になれておきたいと。

お嬢様そのものの姿をしているクラウディアだが。

子供っぽい所を除いてしまうと。

四人の中では、一番図太いのかも知れない。

まあそれも人の良さだ。

クラウディアにとっては、今後強みになるだろう。「苦手がない」というのは、とても良い事だ。

「ええと、オーレン族では虫食は当たり前だったのか、リラさん」

「いや、白牙氏族では普通にやっていたが、他の氏族ではやらない者達もいるらしい。 ただ、我等は基本的に氏族ごとに文化を尊重する。 食べるものの違いで、相手に対して対応を変えることはない」

「なるほどな……」

「本当にオーレン族は人間とは違うね。 人間は「違う」となると、本当に相手を迫害し始めるからね……」

「馬鹿馬鹿しい話だ。 個人単位で違っているのに、それなのに「違う」事を探す事に躍起になるのは愚かしい事だ」

リラさんが、ずばりと指摘。

その通りだとあたしも思う。

黙々と肉を食べて、その場を後に。焚き火の後処理などは、リラさんが丁寧に指導してくれるが。

一応悪ガキ時代にある程度身に付けている。

ただそれでも、やはり我流であるのだろう。

リラさんの指導は更に細かく丁寧で。

なる程と、納得させられることも多かった。特にレントは、話を聞いて、積極的に指導を受けている。

やはり、いずれ一人旅をするつもりなんだな。

そう思うと、少しばかり寂しい。

だが、そうも言っていられない。

誰もがいつまでも悪ガキではいられないのだから。

また、渓谷に戻る。

リラさんが言う通り、此処を突破するのには時間が掛かる。ブルネン家のバルバトスという昔の豪傑は、それほど危険では無い時期に此処を突破したようだが。今はその時とは違うのだ。

やはり、谷の奧からびりびり強い魔力を感じる。

それどころか、遠くに何か飛んでいる大きな影も見える。

古代クリント王国は、ドラゴンを使役してフィルフサにぶつけていたのだ。あの忌まわしい邪悪な洗脳装置が、ここにあっても不思議では無い。

そうなると、ウラノスさんが命がけで弱らせ、アガーテ姉さんが渾身の一撃を叩き込んだ状態では無い……無傷状態のドラゴンと戦う可能性もある。

それどころか、古城でやりあったドラゴンよりも、大きい個体だったら、更に数段力は上になるかも知れない。

「ドラゴンかも知れない。 上には常に警戒して」

「分かった。 この谷じゃ、逃げ場所もねえな……」

「最悪、全力で渓谷の入口まで走って逃げるよ。 経路は、頭に入れておいて」

あたしが皆に渓谷をしておく。

クラウディアは魔術で作った笛に口をあてながら、常時音魔術を展開。それで何度か、魔物の奇襲を察知する。遠くは地形を察知できなくても、近くの敵ならそれで分かると言うことだ。

魔物は鼬が多いが、それ以外の魔物もいる。

いきなりその場にあった岩が組み合わさって襲いかかってくる。ゴーレムだ。だが、それもクラウディアは察知していた。

手強い相手だが、それでもクリミネアの装備は以前より遙かに頑強で。更にレントの剣腕は、岩で刃こぼれさせるようなこともない。リラさんのクローは、岩をバターのように切り裂く。

タオは元々装備的に相性が良いし、クラウディアは相手とぶつけ合うような武器ではない。

あたしは基本的に魔術で支援するし、そもそも手にしている杖も打撃武器だ。気にする必要もない。

それに、襲ってきたゴーレムは、体が彼方此方欠損していて、動きも鈍かった。

瞬く間に削りきって仕留める。

呼吸を整えながら、体を構成していたパーツを踏み砕いて、二度と動かないようにしておく。

「ありがとう、クラウディア」

「うん。 でも、谷の奥まで音魔術が届かないの……。 気を付けて」

やっぱり何かいる。

そしてそれは、此方に気付いている。

腰を入れて、此処を攻略するしかない。

それはあたしも、理解出来ていた。

 

1、飛来する上位者

 

渓谷の地形は当たり前の話だが奧に行くにつれて坂道になっていて、進むのは大変だった。小川の流れは緩やかだが、昇れば昇るほど、それの本来の姿が明らかになってくる。

此処は、戦場だ。

平らにされていた入口付近だったが、少し奥に入ると、そうではない地形も見えてくる。

これは、何かの柵の残骸か。

砕かれて吹き飛ばされたようだが。

それでも、元々木材ではないらしく、形が残っていた。

これは、鎧の残骸か。

踏み砕かれて、何も残っていない。

フィルフサにやられたのだと一目で分かる。そして、鎧を調べていると、うっと声が漏れていた。

「どうしたのライザ」

「タオ、これ……」

「!」

タオが口を押さえて、真っ青になる。

それもそうだろう。

クラウディアにはみないでと声を掛けた。リラさんは、平然とそれを見やっていた。

「中身入りだな」

「……」

鎧はグシャグシャに粉砕されて、中身もへし潰されていた。そして、中身は骨になっていた。

肉がついていても、年月が経つ間に虫やら獣やらに食い荒らされたのだろう。

だが、分かっているのは。

この辺りの鎧は、彼方此方で見かける「幽霊鎧」ではなくて。

中に人間が入っていた、ということだ。

そして殺された。

この殺され方、フィルフサ以外には考えられない。

びりびりと、魔力を感じる。

幾つも強い魔力があるが、奥にある一つはあからさまに此方をターゲッティングしている。

つまり、気分次第では姿を見せるか、或いは狙撃してくるか。

あたしは常に気を張っておく。

対策用の魔術は幾つかあるが、こっちを探っている奴の魔力量がヤバイ。今のあたし数人分は間違いなくあると見て良い。

それも最低限に見積もって、の話だ。

油断なんか、させてくれる相手では無い。

「ライザ、こっち!」

タオが手を振る。

激しく何かがぶつかり合った跡が残されている。

大きな質量同士がぶつかり合ったようで。かなり激しく地面が抉られ、池になっていた。

無言でその池を見やる。

散らばっている残骸。

金属らしいが、それでも容赦なく拉げていた。

リラさんが、錆びていないその金属を軽々持ち上げると、じっと見つめる。

「リラさん、何か分かりそうか」

「さあな。 アンペルなら分かるだろうが、あいつはまだいじけているはずだ」

「そんな言い方……」

「いじけるときはいじければいい。 その後立ち直れば、それでいい」

リラさんは言葉を一切飾らないんだな。

そしてアンペルさんは、立ち直れると信じてもいる筈だ。

いずれにしても、リラさんは咳払いして、見解を述べてくれる。

「鎧では無いな」

「確かに鎧にするには分厚すぎますね」

「ライザ、持ち帰って分析だ。 ……どうも奧にいる奴は我々のことが気にくわないらしい。 一度引き上げて、アンペルと合流する方が良いだろう。 この辺りを調べたら、今日は引き上げるぞ」

「分かりました」

周囲の魔物はあらかた片付いている。タオが彼方此方興味深そうに見て回るが。

この辺りになると、明らかに魔物のものでは無い骨がたくさんあって。それが粉々に踏み砕かれて散らばっていた。無論、埋葬などされてもいない。

複雑な気分だ。

古代クリント王国の阿呆どもは、フィルフサの大侵攻を招いた。それも身勝手なエゴと、資源目的の侵略の結果で、だ。

だとすると、此処でフィルフサと戦ったのは、多分古代クリント王国のアーミーだろう。

古代クリント王国の連中は許されないと思う。

だが、軍隊とかいう組織は、あたしもよく分からない。

何も知らないままかり出されて、そのまま此処で戦わされて。フィルフサに蹂躙された人もいるかも知れない。

侵略を主導した連中は地獄に落ちて永遠に苦しめばいいとあたしも思うけれども。

此処で死んだ人達は、果たしてみんな同罪なのだろうか。

何カ所かに、防塁らしいものの残骸を見かけるが。

この辺りのものは、殆ど踏み砕かれていて、残骸が残るばかり。

点々と散らばる骨。

中には大きな骨もあった。

将軍フィルフサは、対空攻撃を持っていた。或いはだが、ドラゴンだけでは無く、他の魔物も古代クリント王国は戦闘に投入し。

フィルフサに叩き落とされて、踏み砕かれたのかも知れない。

いたたまれない気持ちになる。

ただ、こう言う場所でも、植物は生えている。

今更血肉を吸って育った、と言う事もないだろう。

水の質が良いからだろうか、とても品質が良い。デルフィローズはないが、ローゼンリーフは多数見かけた。

「見て、あっちに通れそうな場所があるよ」

「おお……本当だ」

崖の左右の比較的高い場所に、回廊みたいになっている所がある。

だが、其処からじっと此方を見ているのは鼬の群れだ。視線が合うと、明らかに警戒の視線を向けてきていることが分かる。

それに、彼処に行くには、かなりアクロバティックな狭い道を行かなければならないだろう。

この荷車をどうするか、少し考えないといけない。

しかも、時間があまりない。

フィルフサだって、将軍一体を失った程度で、侵攻を諦めるとはとても思えないからだ。

ただでさえ、普通の倍は規模がある群れだと言う話だ。

楽観は許されない。

周囲を探った後、太陽の高さを見る。

確かに、そろそろ危ない時間帯だ。戻る事にする。

戻る最中も、ずっと背後から監視しているらしい強い魔力を感じる。

余程警戒されているらしい。

何が相手かは分からないけれども。

とにかく、今はアンペルさんにも来て貰って。

連携して動くしかないと、判断する他はなかった。

 

アトリエに戻る。

レントは一度島に戻ると言う事だ。家に用事があるのではなくて、鼬の毛皮を売りに行くという。

ついでに、薬などが必要な人についても聞いて来てくれるそうだ。

有り難い話である。

クラウディアも、それに同道してくれるとか。

これについては、更に実利的な意味があるらしく。バレンツ商会としても、人脈を作っておきたいらしい。

クラウディアはルベルトさんとその辺りを話して。

ルベルトさんが、納得するように動いているのだとか。

「クラウディア、しっかりしてるね……」

「ううん、違うの。 しっかりしているように見せておかないと、お父さんが翻意するかもしれないから」

「ああ、なるほどね……」

「それにね、バレンツ商会のコネを作っておくのも事実だよ。 今は「お嬢さん」だから良くしてくれているだけの人も多いし、そういう人にはコネを作っておかないと、良い関係を持続できないと思うから」

なるほど、そういう事か。

何というか、やっぱりしっかりしている。

まあ、それはいい。

二人がクーケン島に行くのを見送ると、まずは回収してきたものをコンテナに。コンテナは冷却魔術を掛けてあるから、入れておいたものが腐る事もない。

アンペルさんはまだむくれていたが。

流石にあたしが笑顔で成果について告げると。

ため息をついて、どうやらやる気を出してくれたようだった。

「状況からして、私も出なければならないようだな」

「お願いします」

「ドラゴンらしい影もみました。 手助けは何人でも必要だと思います」

「分かった。 とはいっても、ドラゴンの鱗を貫通するのは私でも厳しいぞ」

義手をつけたアンペルさん。

頷くと、あたしは釜をもう一つ持ってくる。

このくらいの大きさの釜は、他にもある。ただ問題は、ある程度頑強さがないと、エーテルで釜ごと溶けてしまう事だ。

これについては、あたしの今の釜はどうして大丈夫なのかは分からない。

まあそれはそれとして。

この釜は、実は古城から回収してきたものだ。

ドラゴンを倒した後、古城を物色したのだが。

その時に見つけた。

今になって思うと、恐らく古代クリント王国の時代の錬金術師が使ったものだろう。

外道どもが使った道具だ。余計に色々と使う事には抵抗があるが。

それでも、今は活用しなければならない。

「アンペルさん、使ってください。 もしいやなら、あたしが使います。 その場合は、あたしの釜を譲ります」

「アンペル」

「分かっている。 弟子に此処まで言われたら、私も折れざるを得ないさ」

リラさんにたしなめられて、アンペルさんは頷く。

釜を置くスペースは充分にある。家をしっかり立てたから。みんなでくつろげるくらいの広さにはなっているのだ。

それに、である。

今の時代は、はっきりいって人のいる場所は有り余っている。

古代クリント王国の時代は、今の何十倍も人がいたらしいから。その時は話が違ったかも知れないが。

今の時代はそうではない。

みんな、余裕を持って過ごす事が出来る。

ここも、それは例外では無かった。

「では、今日の成果を軽くまとめてみます」

一段落した所で、タオが話を始める。

タオが見た所、あの渓谷は古戦場で間違いないという。

戦争なんて、ロテスヴァッサが出来たとき以外起きていない。少なくとも、あたしが知る限りでは。

その戦争だって、ロテスヴァッサの城壁の内部で起きたもので。

規模は限定的だったという話だ。

「多数の人骨の残骸、それ以外にも砕かれた骨の残骸を多数見かけました。 ほぼ間違いなく、あそこでたくさんの人がフィルフサと戦って、踏みにじられたんだと思います」

「なるほどな……」

「アンペルさん、何かあるんですか?」

「うむ。 リラと一緒にこの辺りを調べて回ったんだがな。 彼方此方に戦闘の跡はあるんだが、大規模なものはない。 街道の辺りの防衛線は、恐らくドラゴンなどに任せて、殆ど人は回していなかったと見て良い。 フィルフサを本格的に迎え撃ったのは、その渓谷なのだろうな」

タオは俯く。

タオは帰路に言っていた。

何千、下手をするとその何倍も人が死んだはずだと。

クーケン島には、今全部あわせて何百人しかすんでいない。護り手なんて、二十数人程度しかいない。

護り手の何百倍もの戦士があそこに集められて散って行ったのだとすると。

他にもフィルフサとの戦いは何カ所でも起きただろう事を思えば。

古代クリント王国の愚劣さは、文字通り犯罪的だと言う事がわかる。

「それで奧から感じる強烈な気配は何だと思う。 ドラゴンがいる可能性はあるが、他にも恐らくいるぞ」

「分からないが、古代クリント王国は複数の防衛システムを用意していたはずだ。 恐らくゴーレムもその一つと見て良い。 だとすると……」

凶悪なゴーレムがいても不思議では無い。

そういう話だ。

後は、錬金術の勉強と、幾つかの事前準備に時間を費やす。

護り手用に、クリミネアの武器を幾つか作っておく。それだけではない。皆のために、アクセサリを作っておく。

淡々と作業をしているうちに、レントとクラウディアが戻ってくる。

クラウディアがメモをくれるので、頷いてそれに沿ってお薬を作る。

傷を溶かすように消し去る薬だけではない。化膿止め、熱冷まし、毒消し。色々な薬がいる。

疫病の特効薬についても、参考書にあるので、今のうちに作っておく。

こればかりは試す方法がないのでどうしようもないのだが。

腐るようなものではないので、今のうちに蓄えておいて、エドワード先生に引き渡すしかないだろう。

クラウディアが、六人分の夕食を持って帰ってくれる。

オーブンもあるので、温めは任せる。

その間に、あたしはアンペルさんと話をしていた。

「これも、渡しておこう」

「ええとこれは、確かトラベルボトルでしたね」

「そうだ。 内部に擬似的な世界を作り出し、貴重な素材を量産する事が出来る。 今のライザになら渡しても良いだろう。 使いようによっては、何もかものバランスを破壊しかねないから、気を付けるんだぞ」

「分かりました!」

そうか、これも修理が終わったか。

アンペルさんが、これを任せてもくれるか。

嬉しいと同時に、重い責任が背に乗ったこともそれは示している。

あたしは頬を叩くと。

使い方について、細かく聞いておく。

これはいずれ、とても大事な場面で役に立つ。

魔術使いとしては、あたしはいっぱしだ。

そして魔力が多い人間の勘は、馬鹿にしてはならないと昔から言われている。

あたしも、肝心なところで勘に助けられたことは何度もある。

夕食を済ませた後、内部を一度確認して見る。

使い方は簡単。

広い場所に配置して。そして魔法陣を描き。全員でそれに入るだけだ。

気がつくと、別の場所にいた。

魔法陣はある。此処から、いつでも出られると言う訳だ。

周囲は薄暗い空の、狭い世界。狭いというのが。すぐに分かる。遠くにあるのは。なんだか分からない壁。

そして辺りには、触手のように、何かよく分からないものが蠢いていた。

「うえっ……なんだよこれ……」

「この世界は未完成だからな。 未完成な世界には、こういったよく分からない魔物が湧くらしい。 ただ、戦力はそれほど高くは無い。 相手にしなければ襲ってくる事もない」

「流石に詳しいなアンペルさん」

「稼働するトラベルボトルを以前試したことがあってな。 ただ、作る世界によっては人間が息ができないような場所も出来る。 だから、一度深呼吸するか、何人かで同時に入るかして、油断だけは絶対にするなよ」

アンペルさん、結構色々体当たりで調べて行くタイプなんだな。

そう思って、あたしはちょっと感心した。

とりあえず、周囲を確認。あたしがほしかったものは。ある。

たくさん咲いているのは、デルフィローズ。ただし、正直品質はあの渓谷で取ったものほどではない。

手分けして、採取する。その間、触手に触らないように、皆に促す。

「ちょっと、ライザ!」

怯えたタオの声。

顔を上げると、ああなるほど。

空にたくさん目がある。

それも眼球剥き出しのが、じっとこっちを見ている。これは、気が弱い奴だったら、耐えられないかも知れない。

「タオ、みないみない」

「いや、無理無理無理!」

「でも触手に弄ばれるよりはましでしょ」

「何言ってるんだよ! ライザなんで平気なの!?」

タオが半泣きになっているので、まあやむを得ないか。

出来るだけ早めにデルフィローズを回収して、引き上げる事にする。

魔法陣に踏み込むと、嘘のように世界が変転する。ただ。ぐっと皆はつかれているようだったが。

「はあ、たまったもんじゃねえぞ。 なんか空気も甘ったるいし、メイプルデルタを思い出すなあ……」

「なんというか、私の世界の空気に近かったな。 調整をすれば、フィルフサの作りあげた環境や、或いはオーリムの空気を再現出来るかもしれん」

「へえ……」

なるほど、異世界の空気に近いのか。

それは、ちょっと研究をしてみたいが。ただ、それをしている時間が今はない。

とりあえず。貴重なデルフィローズは回収出来た。

ただ、もう今日は時間がない。

各自、風呂に入って、それで眠る事にする。

今後は野宿も増える。

風呂がなくても耐えられるように、それぞれ鍛えておけ。

そうリラさんが言うので。

あたしも、苦笑いをするしかなかった。

 

やはり。一番にあたしが起きだす。

多分これは、農家の娘として仕込まれているから、なのだろう。どうしても農家の娘だと、朝は早い。

最近は、お薬を作ってそれが極めて実用的だという事もあり。お父さんとお母さんも、あまり文句を言わなくなってきた。

それ以外でも、ドラゴンを倒したり。

島に押し寄せた巨大な外海の魔物を倒したという実績も作っている。

ただお母さんはずっとあたしを心配そうに見ているし。

島に戻ると、常に小言を言われる。

まあ、あたしの年はまだ小娘と言われる年齢だし、仕方がないのかも知れない。

だがお母さんだって、若い頃はお父さんやザムエルさんと一緒に冒険をしていた筈だ。それで痛い目にあったという話もきかない。

今は安定した生活をしていて、それが幸せなのかも知れないが。

あたしだって冒険をしたいのだ。

それがどうして理解出来ないのかはあたしには分からない。

ただ。人は子供が出来たり、年を重ねると変わるという話も聞く。

お母さんは、そうなのかも知れない。

だとすると、いずれあたしも。

いや、それは。今考える事では無かった。

軽く体を動かし、魔力を練る。皆起きて来て、めいめい体をほぐしているのを横目に、あたしは先に切り上げて食事に。朝ご飯はだいたいクラウディアが作ってくれる。甘いものが喰いたいとアンペルさんは良く言うのだが。

流石に、クラウディアもいつも甘いお菓子を作ってはくれなかった。

「では出るぞ」

朝食を終えると、リラさんが立ち上がる。

アンペルさんはどうも朝に弱いらしく、こう言うときはリラさんが音頭を取ってくれると助かる。

ただしリラさんは、あたしを見る。

「ライザ、戦闘の指揮そのものはお前が取れ」

「分かりました。 でも、良いんですか?」

「リラは当然として、私もどちらかというと一戦士だ。 錬金術師でもあるが、現場での指揮能力はライザの方が高い」

「……では、指揮はあたしがとりますね」

頷く二人。

また、責任が重くなる。

だけれども、戦闘指揮そのものはそれほど苦手では無い。

先にハンドサインの確認をして。

すぐにアトリエを出る。

禁足地までまっすぐ。今日も護り手は出ているようだが、やはり街道を中心に警備する様子だ。

ただ、やはり街道を行く行商に警告しているようである。

これはモリッツさんが、率先してやるように言ってくれているのだろう。

危険な魔物が出る。

それだけで、行商は慎重になる。

それは分かっているのだ誰も。

そして、王都近辺ですら、危険な魔物が出るとどうにも出来ない。クーケン島みたいな、まともな戦力なんてないに等しい場所なんて、なおさらである。

軽く情報交換をした後、アガーテ姉さんと別れて。禁足地に入る。その時、幾つかのクリミネアで作った剣や槍も引き渡しておいた。これで、多少は護り手の戦力も増強される筈である。

禁足地から出てくる魔物を、怖れている護り手は多いが。

これだけの良い武器を渡しておけば、それでも少しはマシになる筈。

禁足地に入ると、アンペルさんは周囲を警戒しつつも言う。

「渓谷で感じていた魔力に、心当たりはないか」

「あたしはちょっと分からないですね」

「私は……分析した感じでは、エレメンタルが近いと思ったな」

「エレメンタルって……あの魔力量だよ。 あんな魔力量のエレメンタルなんて」

そこまで言って、あたしは気付く。

どっと冷や汗が出る。

そうだ。一つだけ該当例がある。

ほとんど伝説になっている魔物。だけれども、伝説の域を超えていない存在。何しろ遭遇して生き延びた人間がほとんどいないからだ。

精霊王。

だが、ドラゴンを駆使する古代クリント王国だ。

ひょっとしたら、ありうるのかも知れない。

ドラゴンも、基本的には倒せる人間がいない魔物だ。ドラゴンスレイヤーを自称する人間は彼方此方にいるが、それらが本当にドラゴンを倒したかというと本人達ですら名言を避ける。

あたしだって、単騎でドラゴンを倒したわけではない。

いずれにしても、もしも精霊王がいたならば。

かなり力を抑えた状況で、あれだけの威圧感があった、ということだ。

「アンペルさん。 ひょっとすると、精霊王じゃ……」

「なっ……確かに可能性はあるか……」

「おいおいおい、もしそうだとすると……」

強い相手との戦闘を好むレントすら、あからさまに腰が引ける。

それくらい危険な相手なのだ。

ただ、精霊王は基本的に、積極的に人間を襲うことはないと聞く。無意味に刺激しなければ大丈夫の筈だが。

問題は、明らかに精霊王が此方に意識を向けていることだ。

渓谷を通らないとまずいのは確定。

さて、どうするか。

渓谷の前まで来る。

間違いない。この気配。リラさんに言われて気付いたが、確かに精霊王のものだ。

そしてあからさまに、此方を威嚇している。

生唾を飲み込む。

この魔力量、実力は恐らく、あの将軍数体を束にしたよりも上だと見て良い。もしも戦闘になった場合。

死者が出る可能性は、極めて高い。

生きて帰れるだけで御の字だろう。更に言うと、勝てる見込みなんて、天文学的な可能性の先になる筈だ。

だが、それでもいかなければならない。

あたしは心を奮い立たせる。

此処で立ちすくんだら、確定で何もかもが終わるのだ。クーケン島は或いは生き残るかも知れないが、それだけしか生き残らない。異界も大ダメージを受けるだろう。そうなれば、ただでさえ押されに押されているオーレン族は滅びるかも知れない。

顔を上げると、皆を鼓舞する。

「とにかく、精霊王がいるとしても、まずは接触して様子を見よう! 魔物としてはそれほど好戦的ではないって聞くから。 逆に、此方からは手を出さないで!」

皆、頷く。

あたしの様子からして、とんでもない相手だと言う事は理解出来ているようである。

問題は、その先だが。

ともかく、今は。

進む以外に、選択肢は無い。

時には逃げる事、引くことも大事だが。

今はその時ではなかった。

 

2、至強のもの

 

昨日峡谷に入った時点で、恐らく相手は此方を察知し、覚えてもいたのだろう。

ごっと、風が吹き付けてくる。

その風は、川の水をまくり上げるように吹き付けてきて。そして、あたしは風に含まれる魔力の強さに戦慄していた。

それでも、進む。

幸い、川辺が丸石だらけということもなく。逆に尖った石だらけという事もない。

この川は若いのだ。

力も弱い。

だから、進む事はそれほど苦では無い。

一瞥した先には、鼬がいるが。かなり大きい鼬にもかかわらず。恐怖で岩の間に逃げ込み、すくみ上がっていた。

魔物といっても、定義は人間を小細工無しで殺せる動物だ。

あれも動物だから、恐怖は感じるのだろう。

無理もない話だった。

顔を上げる。

それが、飛来するのが見えた。

皆に、戦闘態勢を取らないように指示。

レントが、流石に頬を引きつらせる。

「俺でも分かる。 絶対にやりあったらいけない奴だ……」

「その通りだよ! だから、まずは話をしてみよう! 幸い会話は出来る筈だから!」

どんと、着地するそれ。

いや、着地はしていない。

それは椅子に座っていて。

他の人間のデフォルメみたいな姿をしたエレメンタルとは違い、しゅっとした人間の姿をしていた。

人間の女性と言っても、見かけだけなら通じるだろう。

全体的に細身だが。

体に纏っている衣服は精緻で、アクセサリらしきものもつけている。目に瞳孔がないエレメンタルと違い。

目にはしっかり瞳孔があって。

髪を掻き上げて見せる。

目つきはかなりきついが、顔の造作は整っている。手足も、明らかに手入れしている様子があった。

椅子ごと飛んできて、そして椅子は地面スレスレに浮かんでいるのだ。

それだけじゃない。

椅子の台座になるような地面まで、一緒に浮いている。とんでもない魔術の使い手だと、一発で分かる。

冷徹な目をしているそれは、じっと此方をねめつけていた。

「……っ」

あたしは、それだけで気圧される。

アンペルさんも、今の風圧だけで青ざめていた。リラさんも、周囲に視線を配っている。

撤退の選択肢を最上位に置いていると見て良い。

戦闘になったら、これは多分勝てない。

ドラゴンですら、もう少し何とかなりそうな気配があった。得体が知れないながらも、将軍は戦いながらどうにかギリギリで倒せる予感があった。

此奴は違う。

はっきりいって、どうこうできる相手では無いと、全身から放つ力が分からせてくる。

それくらい、とんでもない存在だ。

しばらく、聞き慣れない言葉をその存在は口にしていたが。

やがて、不意にあたし達で理解出来る言葉に切り替えてきた。

或いはだが。最初は古代クリント王国の言葉か何かで喋っていたかも知れない。タオが時々こんな発音だと言っているのを、聞いた事があって。それに近かったからだ。此方にあわせてくれた、ということだ。

「そなた達、クリント王国の者か。 見た所錬金術師が二人いるようだが」

「違います。 あたしはライザリン=シュタウト。 其方はあたしの師でアンペル=フォリマー。 いずれもクリント王国の錬金術師ではありません。 他の皆は、あたしの仲間です」

「名乗りに応じたか。 最低限の礼儀はわきまえているようだな。 我の名は「風」。 そなた達が精霊王だとか呼んでいる存在だ」

椅子で、頬杖をついたまま、淡々と言う「風」。

此方を見てはいるが、今の時点で戦意は無い。それどころか、言葉まで変えて意思疎通も丁寧に図ってくれている。態度が云々とか言い出すバカもいるかも知れないが、あたし達はそこまで落ちているつもりはない。

ただ、その力が大きすぎるのだ。完全な上位者。それが分かっているから、冷や汗は出る。

呼吸を整えながら、顔を上げる。

相手は、ふっと笑った。

「此処は戦場になる。 いにしえの盟約によって来てやったが、クリント王国は既に存在せぬか。 まあ、それはどうでもいいがな。 いずれにしても、戦わなければならぬでなあ」

「相手はフィルフサですか」

「ほう。 クリント王国の高慢な者どもも、それくらいは後世に伝えたか。 自分達を神に等しいと錯覚していた下郎共故、自分達だけ良ければいいと考えている節があったのだがなあ」

その通りだ。

フィルフサの名前は、石碑で発見した。

異界出身者のリラさんが教えてくれた。

少なくとも、口伝では「乾きの悪魔」としてしか残っていない。

クリント王国の人間達は、どうしてフィルフサの事を隠蔽したのか。きっと良い理由ではないだろう。

そして精霊王の言葉はしっくりくる。

錬金術の力に溺れた、愚かな存在。

幼稚な全能感を拗らせた、神を自称する愚かな者達。

だったら、これほどの悲惨な破滅と破壊を引き起こしたのも当然だろうし。

自分達が間違ったことをしたなんて、考えてもいないだろう。

奴隷を置き去りにして、真っ先に異界から逃げ出したという話からしても、それは納得がいく。

常に自分達を正しいと思い。

自分達以外の命は、何とも思っていなかった。

だから、滅びたのだ。

「フィルフサが来る事が分かっているのであれば、早々に退去せよ。 目覚めてからこの辺りを調べたが、まともに戦える戦力などあるまい。 人口はクリント王国の時代に比べて数十分の一。 技術力も殆ど継承されておらぬであろう。 そしてそなたの力は……優れてはいるが、優れた錬金術師でも、一人ではフィルフサの群れを正面から迎え撃つのは不可能だ」

「それは承知しています。 今、近くにある門の付近の異界で繁殖しているフィルフサを撃滅し、フィルフサの王……王種を倒すための作戦行動中です」

「面白い事を言う。 如何にしてそれを為す」

精霊王は、高い知能を持っている。それは今までの、僅かな会話だけでも理解出来た。

そして幸いにも、会話が出来る。

有り難い話だ。

人間の中には、コミュニケーション能力が云々と言って、自分に媚を売る能力だけを見る輩がいるが。

コミュニケーションというのは意思疎通を意味する。

精霊王は意思疎通をしてくれている。

だったら、相手が尊大に見えようが関係無い。意思疎通をしていくだけだ。

順番に、説明をする。

精霊王「風」は頬杖をしていたが、やがて口元を抑えて考え込み始める。

冷徹な目だが。

明らかに理性的に振る舞ってくれている。

雑魚エレメンタルとは本当に違うのだなと、感心する。

「なるほどな。 フィルフサが押し寄せたのは、水をクリント王国の阿呆どもが奪ったから、であったのか」

「はい。 その水を取り戻す必要があります。 それには、向こうにある塔を調査しないといけないんです。 迷惑は掛けません。 塔へ行かせて貰えませんか」

「……」

値踏みの視線。

それはまあ、そうだろう。

この精霊王は、明らかにクリント王国の人間を知っている。その愚かしさもだ。

どういう存在なのかは分からない。

どうにも妙だからだ。

「精霊王」と呼ばれていると、自分で言っていた。

それは、自分達で名乗っているわけでは無いという意味でもある。

名前は「風」といった。

それは本当に名前なのか。

それこそコードネームとか、渾名とか、そういうものに思えて来る。何か裏があるように思えてならない。

アンペルさんと視線を交わす。

アンペルさんは、任せると頷いた。

だとすると、交渉はあたしがやるしかない。

心臓が小さいタオや、細かい交渉が出来ないタイプのレントやリラさんでは厳しいだろうし。

クラウディアは利害の調整は得意でも、こういう相手との交渉は得意とは思えない。

両肩の重荷が、とにかくきついが。

顔を必死に挙げ続ける。

「クリント王国の事を知っているのであれば、概ねこの地で何が起きたか、何故我等が来ているかは知っておろう」

「クリント王国に操作され、殺戮兵器と化したドラゴンと戦いました。 同じように召喚されたんですか?」

「ふっ、まあ似たようなものだ。 我々は星の都とよばれる場所の王として作られた存在であるのだが……まあそれは今は関係無い。 いずれにしても、人間の愚かしさにはほとほと呆れ果てている。 だが、フィルフサにこの土地を蹂躙されるのはもっと気に喰わぬ」

故に、この土地に来たのだという。

フィルフサの大侵攻を察知したのだろう。

人間が気にくわないとこの精霊王が言うのはもっともだ。

「星の都」というのが何処かは分からないし。

今の時点では、興味はあるけれど知る術もない。

ともかく、この土地を愛してくれているのであれば。

きっと妥協点が見つかるはずだ。

「ふむ、我の力に物怖じせず、話をしようと試みるその姿勢は見事よ。 だが我もクリント王国の下郎共には色々と思うところがあるでな。 試しをさせてもらおうか」

「試し……」

「我と戦え、というつもりはない。 我もフィルフサの群れを相手にするのは容易ではないからな。 此処で消耗する訳にはいかぬ」

タオが、ほっとするのが分かった。

まあそれもそうだ。

この相手は、今まで見てきた存在でも、間違いなく最強。

フィルフサの群れを相手にするために、古代クリント王国が呼び出した存在としては、切り札に等しいだろう。

逆に言うと。

フィルフサの大軍を相手にして、押し返せる力を持っていると言う事だ。それも、正面からの戦いで。

その上、巻き込まれるから此処を離れるようにと警告までしてくれた。

この精霊王は話せる。

だから、話せる機会を無為にしてはいけない。

相手が試すという、上位者からの物言いをしていても。

それに対して、どうこういうつもりは起きなかった。

「今、この地には我を含めて五名の「精霊王」が集まろうとしている」

「!」

精霊王が五体。

古代クリント王国は、それだけの事が出来たということか。

凄まじさに、流石に慄然とする。

確かにそれだけの力があれば、万能感に足下を掬われるだろう。

「現時点で、決戦の場に設定しているこの地に集まっているのは、我と「地」のみ。 また、「闇」は気まぐれでな。 恐らく来るには来るが、多分戦闘には興味を示さぬであろう」

「……それで、どうすれば良いのですか」

「「水」と「火」がまだ此処に来ぬ。 まさかこの数百年で倒れたとは思えぬが、我が呼んでいた事を告げてここに来るように使いをせよ。 そうすれば、奧へ通してやる。 これをくれてやろう」

あたしの足下に、何かが落とされる。

それは、球体だった。

トゲトゲとしているが、触って刺さるほどでは無い。緑色の球体。

そして、魔力を極限まで圧縮した、とんでもない代物である事が分かる。

「それを見せれば、我の使いである事は分かろう。 この近辺に……それぞれ力を蓄えるのに適した場所に二名ともいる筈だ。 あの者どもを此処に呼び寄せたら、奧にいる「地」に話をつけてやる。 ただし、「地」は気性が荒い。 良いように使われて殺気だっておるだろうし、そなたらが住処を荒らすのを喜ばぬかもしれぬがな」

くつくつと、精霊王が嗤う。

それだけで、谷が振動するようだった。

いずれにしても、やるしかない。

あたしは、頷いていた。

「分かりました。 それと……」

「何か。 言って見よ」

「恐らくこの谷で戦うよりも、オーリムで戦う方が多数のフィルフサを相手に出来ると思います。 今開いている門を潜れば、すぐに向かう事も出来ます」

「ふっ、それもそうだな。 ただ、我等は「星の都」の民。 異界にまでは興味が向かぬ。 あくまでこの土地までが我等の守備範囲内よ。 それは、理解せよ」

そうか、異界で一緒に戦ってくれれば、少しは楽になったのだと思うのだが。

ともかく、やるしかない。

この存在を敵にして、強行突破するよりも。

話をつけて、自主的に味方になって貰った方が、対フィルフサの戦いは百倍は楽になる筈だ。

受け取った球体を手に、一度谷を出る。

再び、何処かに飛んで行く精霊王「風」。

意識を向けられなくなった瞬間。

腰が抜けそうになった。

谷を出て、深呼吸しようと思ったが。一気に疲労が全身に押し寄せてくる。凄まじい力だった。

魔力があたしの数倍、どころじゃない。

「風」の魔力は今のあたしの十数倍はあるだろう。それも、最低でもだ。

あんなのが、五体来ているのか。

フィルフサの群れ、百万以上を相手にするには確かにあの戦力は必須かも知れないけれども。

それでも、いくら何でも過剰に思えた。

タオが、へたり込む。

レントも、どっかと座り込むと、大きくため息をついていた。

「相変わらずのくそ度胸だぜライザ。 あいつ、前に戦ったドラゴンなんかの比じゃなかっただろ」

「恐らくだが、エンシェントドラゴン並みだ。 軽くじゃれつかれただけでも、全滅していただろうな」

リラさんが言う。

エンシェントドラゴンとなると、山ほどの大きさがあるドラゴンという事だ。

それに比肩する存在を使役していたなんて。阿呆の群れでも、古代クリント王国の技術は本物だったという事になる。悔しい話だが。

しかも悪態をついていたことから考えて、クリント王国はあの存在を無理矢理戦わせていたと言うことになる。

そんな存在でも、フィルフサの制圧は出来ず。

喰い破られたと言う事だ。

改めて、フィルフサの恐ろしさが浮き彫りになり。

あたしは戦慄するしかなかった。

「やる事を確認する。 精霊王「水」と「火」を発見し、「風」の所に出向くように交渉をする」

アンペルさんが立ち上がる。

ハンカチで冷や汗を拭っていた。

まあそうだろう。

アンペルさんほどの実力と経験があっても。いやだからこそ、あの精霊王の恐ろしさはよく分かるのだろうから。

「あんなのが五体もいるって、この辺り全部なくなるんじゃないのかな……」

「タオくん、あの人話も出来るし、そんな風に言っちゃ駄目だよ」

クラウディアが、グロッキーになっているタオをたしなめる。

あたしは皆に率先して立ち上がると。まずはアトリエに戻る事を提案。

このまま、ここで愚痴っていても仕方がない。

まずは、対策を順番にしていかなければならなかった。

 

アトリエに戻るだけで、かなり消耗した。

とにかく、あの渓谷を突破するのは大変だと言う事は分かりきっていた。突破に必要な事も分かった。

それだけで、進歩と言える。

それにしても、ブルネン家の何代か前の当主は、本当に運が良かったんだなと思う。

あの精霊王、無礼者には容赦しなかったはずだ。

もしも調子に乗ったチンピラがため口でも叩いていたら。

その場で蹂躙されて粉々だっただろう。

まずは、クラウディアがクッキーを焼いてくれる。その匂いだけで、多少は落ち着く。

タオは、本を読むと言って奧に。

それが一番落ち着くだろうし。

精霊王に関する情報も、見つかるかも知れない。

まずは皆、休憩を取る。

精神的な疲弊が大きい。

それはそうだ。あんな凄まじい力を目前にしたのだ。数日走り回ったような疲弊感である。

「クッキー焼けたわ」

「ありがたい!」

本当に嬉しそうなアンペルさん。

最近、島にあるクズ小麦……保存用の期限が過ぎた、古くなった小麦を貰ってきていて。それを材料に、錬金術で小麦粉を作っているのだが。

その結果、クッキーなどの焼き菓子を簡単に作れるようになった。

クラウディア曰く、商会の品よりもずっと品質が良いらしく。

この小麦粉を使っているなら、美味しく出来て当然だそうだ。

あたしも小麦粉を使って、色々なものを作るので。

今後更に小麦粉の質を上げていくつもりだ。

量産出来るようになったら、バレンツ商会に卸すのもありだろう。それなりに売れる筈である。

アンペルさんが、満面の笑みでクッキーを食べ始める。

この人、やっぱり単に甘いものが好きなのだろう。

ドーナッツも食べたいというので。

クラウディアが大まじめにドーナッツを焼く練習まで始めている。

この辺りも、ある意味ほのぼのしていて面白い光景である。

いずれにしても、誰も不幸にならないのだから、それで良いだろう。

タオも呼び戻して、お茶にする。

しばし休憩して、やっと人心地がつく。

それで、あたしはようやく話に入る事が出来た。

「精霊王の居場所、なんとか探さないといけないね」

「リラ、何か思い当たる場所はないか。 お前の魔力は私よりも量は上だろう」

「この世界の精霊は、私の世界で定義している精霊とは違う。 故にこうだと断言はできないな」

「くー、そうだろうな……。 そうなると、ライザやアンペルさんが頼りだよなあ」

レントは意外に核心を着くことを喋ってくれる。

確かにその通りだ。

こういった当たり前の話をまず最初にして。

それから順番にものごとを整理するのが、一番の近道だ。

その辺りは、あたしも最近理解出来るようになってきた。

クラウディアが、あたしに聞いてくる。

「魔物には詳しくないんだけれど、エレメンタルに何か特徴はないの?」

「基本的にあの人型をしているエレメンタルは、正体がよく分かっていないんだ。 ただ魔力の性質からして、精霊王とは一致していると思う。 だとすると、確かにエレメンタルと同族として見て良いのかな……」

ちょっと怖いな。

エレメンタルは、あたし達が散々殺してきているのだ。

精霊王から見れば、同族殺しとなるのかも知れない。

もしもそれを指摘されると、ちょっと厳しいか。

咳払い。

まずはエレメンタルの性質からだ。

「エレメンタルは、基本的に自然の力が強い地点に集まるね。 森なんかにも普通に湧くんだけれども、岩場とかにもいたりする。 ちょっとそれ以上はなんとも……」

「それは恐らく竜脈だな」

「竜脈?」

「この世界には地下に魔力の流れがある。 世界そのものの血管と言っても良いだろうものだ。 どういう理由かは分からないが、それを昔から竜脈と呼んでいる」

そうか。

竜脈という言葉は確かウラノスさんが言っていたことがある。だけれども、なんだかどうにもぴんとこなかった。

そうか、エレメンタルは竜脈に集まっているのか。

意外な事に、リラさんも言う。

「奇遇だな。 私達の世界にも全く同じものがあるぞ」

「オーリムにも? そっちにはエレメンタルはいないの?」

「いないな。 お前達がエレメンタルと呼んでいるものは、私達の世界では基本的に見かけない。 僅かな数がいるらしいと聞いているが、恐らくは門を通ってオーリムに侵入した外来種だろう」

「なるほど……」

頭の中で、情報を整理していく。

魔術をなんとなくで使っているあたしだけれども。それでも魔術を組むときは、色々試行錯誤する。

基本的に体内の魔力を使って魔術を展開するから、自然界の魔力には頼らなかったのだけれども。

確かに言われて見れば、森の中などだと回復が若干早い気がする。

そういえば。

あの渓谷も、ひょっとしたらそうなのではあるまいか。

「何か思いついたか」

「はい。 「風」の精霊王がいた場所は、あの吹き下ろしの風が吹いている渓谷です。 ひょっとして……「火」や「水」は、過ごしやすい場所に腰を下ろしているのではないかと思いまして」

「ふむ……一利あるな」

「タオ、何か思い当たる場所、ない?」

無茶振りだよとぼやきながらも。

この辺りの地図を見ていたタオは、まずは指さす。

一つは火山だ。

確かに、火山は有りかも知れない。

「火と言えば、近場だったら此処だよ。 城に行く時に通り過ぎたけれど、確か此処には廃棄された集落もあったはず。 遠回りになるかも知れないけれど、一度足は運ぶべきだと思う」

「確かにそうだな。 水はなにか心当たりは」

「うーん……この辺りで、力に満ちた水場はちょっと思い当たらないなあ」

タオが腕組みして、小首を傾げる。

皆が困っている中、リラさんが提案する。

「ならば、まずはその火山から見に行くべきだろう。 火山に精霊王がいるとしたら僥倖であるし……邂逅を済ませておけば、或いは「水」の精霊王を見つけるのも容易かもしれない。 そうでなくとも、移動中に何か思いつく可能性もある」

「確かにそうだな。 まだ、時間はあるか。 急ごうぜ」

「うん。 私は何時でも出られるよ」

レントに、クラウディアが満面の笑みで応じる。

どんどん冒険が好きになっているなあ。

実は、ちょっとだけ驚いている。今回、精霊王の脅威を目前で目にして、泣いたり腰が抜けたりするのではないかと思っていたのだ。

歴戦の戦士が、みんな逃げ腰になっていたくらいなのだ。

それなのにクラウディアは、むしろわくわくしていたようだった。

素では、あたしに近い性格なのかも知れないクラウディアは。

考えて見れば、ぐいぐいくるもんなあ。

そう思うと、ちょっとおかしい。

いずれにしても、火山は比較的近い。それに、だ。

あたしはハンマーを取りだす。このハンマーは試作品で、文字通りフラムを仕込んである。

対魔物用のハンマーとして考えたもので、タオのために開発していたのだが。

使って見たタオが、破壊力がありすぎて使いづらいというので、お蔵入りにしていたのだ。

これを使えば、道中にある邪魔な大岩とかを粉砕して、ショートカットが出来るかもしれない。

いずれにしても、新しいものは、どんどん試したい。

鼻歌交じりにフラムハンマーを取りだすあたしを見て、タオが引きつった。

「ライザ、そのおっそろしい武器で魔物殴るの? 多分炭も残らないよ」

「いや、これは削岩用。 小妖精の森の方から、火山にひょっとしたら直通路を作れるかなって思って」

「相変わらずとんでもねえ事考えやがるな……」

「その発想力は錬金術師にとっては武器だ。 レントも、柔軟な思考を身につける事は今のうちにしておくんだ」

アンペルさんがそう言ってくれると嬉しい。

レントも、おうと頷いて。そして苦笑いしていた。

いずれにしても、もう午後だ。

あまり時間がない現状。

楽しく何か考えるのはそれはそれで良いけれども。

時間を無駄にする事は、あってはならなかった。

 

3、迂回路直通路

 

小妖精の森は、ボオスも仲間にいた頃から時々悪戯で訪れていた場所で、ある程度土地勘がある。

奥の方には強力な鼬がいて、群れの母個体もいるから、絶対に近付くな。

そう告げた後、アガーテ姉さんが実際にどれだけヤバイ相手なのか、見せてくれたっけ。そうしないと、あたし達が絶対に好奇心から見に行くだろうと判断したから、なのだろう。

見にいって、後悔した。

散らばっている多数の骨。

鼬が群れになって狩りをする生物だというのは知っていたが。それなりに大きな獲物を狩ると、此処まで乱暴に引きずって来て。そして生きたまま解体して喰らうのだ。

その様子を見て、アガーテ姉さんは言ったものだ。

魔物を舐めるな。

ああなりたくなければ、本当に危険な魔物とは、絶対に勝てる自信がつくまで戦う事は避けろ。

アガーテ姉さんは、あたし達を引きずって戻りながら。そう言ったっけ。

今は、状況が違う。

鼬が姿を見せたが、あたしがにっこり笑みを浮かべると、即座に逃げていった。レントが呆れる。

「ライザの笑顔は、魔物もびびって逃げ出すな……」

「ふふん、それだけ魅力的って事よ」

「うん、ある意味間違ってない」

タオが呆れる。

まあ、あたしも女としての魅力は皆無だと言う事は分かっている。それを理解した上での自虐だ。

ともかく、奧に出ると、森を抜ける。

この辺りはもう完全に庭だ。

錬金術の合間に、詰まったときとかはうろうろしている。魔物の実力も、既に単騎でどうにかできるレベルになっている。

問題はフィルフサだが、現時点でアンペルさんの仕掛けた装置には引っ掛かっていないらしく。

キロさんが抑える事に成功しているようだ。

ただ、あれからまだ一週間も経過していない。

もう斥候が出て来ているようだったら、状況の切迫は非常に厳しいものがある。フィルフサも、いずれ雨期が来る事は理解しているだろうし。いつまでも時間はくれないはずだ。

森の奥にある小道を行くと、でっかい岩が道をふさいでいる。

レントが剣を構えて、後ろにと、皆に声を掛ける。

あたしは足に魔力を集中。

蹴り砕いてもいいかなと思ったが、せっかくだからフラムハンマーを試すことにする。

跳躍。

そして、真上から、岩にハンマーを叩き込んでいた。

爆裂。そして岩が粉々に砕ける。

手に伝わる感触が実に気持ちいい。

ひゅうと口笛を吹きながら、着地。しゅうしゅうと音を立てながら、砕けた岩が散らばっていた。

「ふう。 ざっとこんなもんよ」

「ライザ、どんどん人間離れしていくね……」

「ちょっとタオ、どういう意味!?」

「まあまあ。 ライザ、先に行こう。 時間はあまりないよ」

流石に頭に来たあたしに、クラウディアが笑顔でなだめてくる。まあ仕方がない。無駄に怒っていても力を消耗するだけだ。

道を行く。

どうもこの岩、落盤か何かで落ちてきたらしい。この道を、いずれ整備しなければならないだろう。

この一件が片付いたら。

その時は、多分あたし達は、もう悪童集団ではなくなる。

完全に大人になれば。

その時は、みんなバラバラになるだろう。

また、みんなで集まることもあるだろうが。その時はその時で、別の意味で、になってくるはず。

当面あたしはクーケン島を離れるつもりはない。

そうなってくると、こう言う場所を護り手と一緒に整備することになるだろう。此処も、建築用の接着剤で補修することになるかも知れなかった。

荷車を引いて、山道を抜けると。

其処にあったのは、古城だ。ドラゴンと戦った因縁の場所。そうか、此処に出るのか。

まあ古城と言っても殆ど潰れてしまっているが、恐らく本来はここが正門だったのだろうと言う事は分かる。

無駄に立派な石橋の残骸があって。

魚が側の水路でぴしゃぴしゃ跳ねていた。

火山からこの辺りに川が注いでいて、その一部を堀にしていたらしい。なるほどなあ。一応要塞としては考えていたんだな。

そう思って、ちょっと感心した。

「火山には遠回りになっちゃったかな……」

「いや、新しいルートを開拓できたことに意味がある。 まずはこの古城を抜けて、火山に向かおう。 どう進めば良いかは、分かっているのだろう?」

「それは任せてください。 今回は前と違って、全力で突貫しなければいけない状態でもないですし」

すぐに移動開始。

ゴーレムやエレメンタル、鼬やぷにぷにがいるが。それよりも、鎧が無言でうろついている。

あれが幽霊鎧か。

動いているのは、あんまり見かけない。殆どが、フィルフサを防ぐために起動後移動しているのだろう。

そうなると、壊れてしまったものだと判断して良さそうだ。

邪魔をするなら蹴散らして行く。

そうでないなら、相手にしない。

時間はあまりないのだ。夕方になったら、場所が場所だと言う事もあるし切り上げる。今回は、先にそれを決めてある。

そこまで手強い魔物はいない。

というか、強い魔物もいるのだろうが、フィルフサの件もある。

やはり、もっと遠くに逃げているのだろう。

逃げた先の地方が少し心配だが。流石に其処まで手は届かないし、どうにもできない事は今は考えても仕方がなかった。

途中、アンペルさんが興味を示したものがある。

いわゆる古式秘具だろうか。

回収して、先に進む。やはりこの城、色々と錬金術に活用されていたらしい。

本格的に調べたら、色々出てきそうだ。

途中に朽ちかけの本棚が埋まっていたので、掘り出して本を回収しておく。虫が食っているような本もあったが。

アンペルさんが虫除けらしいのをしゅっと噴きかけると、ざわざわ虫がみんな逃げていった。

それを見て、タオが貧血を起こしそうになるが。

レントが支える。

「タオ、そろそろなれろ」

「分かってる、分かってるけどさあ……」

「野ざらしの本は、ある種の虫にとってはごちそうだからな。 後でこの虫避けの薬は渡しておこう」

アンペルさんの有り難い申し出に。

タオは涙目になりながらも、はいと頷くのだった。

まあ、それはそれだ。

無事な本もあるし、それも回収しておく。何が役に立つか分からない。

城を抜けると、すぐに火山だ。

それほど標高がある火山ではないが、彼方此方に面白そうなものがある。悔しい。じっくり見て回る余裕がない。

朽ちた家屋に住み着いているのは、今は殆ど魔物ばかりだ。

流石にこの辺りには、それなりに強い魔物がいるが。今は基本的に戦闘は避ける。魔物も、此方に無闇に仕掛けては来ない。

移動しながら、ルートを覚えておく。

今回のルートは、途中までの安全度は、街道から来るよりも上かも知れない。

ただ、正直城の中をまともに通るとなると、危険度は全体的に上だし。何よりも距離があるか。

小走りに移動しつつ、考え込む。

「ライザ!」

「!」

顔を上げたあたしが、反射的に杖で弾く。

飛んできていた石つぶてを、全て叩き落とす。他のみんなも対応できている。

路を塞ぐようにして、あたしの背丈の三倍はある岩の塊がいる。それが生理的におぞましい動きをしながら、此方を見ていた。

ゴーレムだ。

それもこんなに大きい奴がいるのか。

魔物が、遠くから見ている。

ひょっとしたら餌にありつけるかも知れない、というのだろう。

勿論やられてやるつもりなんかない。

石つぶてがゴーレムに戻っていく。それらが合体すると、腕が四本、顔が二つある巨大な岩の人型に変わる。

殺意全開だし。

何より此奴が護り手とぶつかったら、大きな被害が出る。

「おいおい、随分とまあ手数が多そうな相手だな!」

「見かけだけだ。 一気に片付けるぞ」

「うん。 この程度の相手、今のあたし達なら敵じゃない!」

大丈夫。いける。

雄叫びを上げる巨大なゴーレムに。

あたし達は、一斉に躍りかかっていた。

 

夕方。

火山の中腹まで来たが、其処まで。一度撤退する。

明日は早朝から此処に来る。

このペースなら、恐らく明日の夕方には、山頂にまで行けるはずだ。其処までのルートも開拓できる筈である。

周囲に散らばっているのは、ゴーレムの残骸だ。

どうも多数のゴーレムが誤動作しているらしく、彼方此方で襲われた。恐らくフィルフサ対策に、古代クリント王国が配置したものなのだろうが。

こう見境なく配置されると迷惑千万だ。

しかも、誤動作して、人間を襲う始末。

いや、性根が腐った古代クリント王国だ。それこそ自分達以外の人間は全部攻撃させるつもりだったのかも知れない。

生き残るのは自分だけでいい。

そう考えている輩が集まっていたのは、今までの情報でよく分かっているのだから。

「ゴーレムのコアは錬金術の素材になる。 後、宝石の原石も使われている場合は回収しておけ」

「了解。 ただ、荷車がちょっとそろそろ無理じゃないかこれ」

「同感。 今日、戻ったら強化するよ」

「ふむ、どう強化するか見せてもらおう。 既にライザは、私の手を離れている。 むしろ私にも刺激になる」

そうアンペルさんが言ってくれるのは本当に嬉しい。

帰路は下り坂だが、荷車があると逆に危ない。この荷車には、幾つかの機能をつけたいところだ。

一つは、装甲。

現在クリミネアを作るのは、もう苦にならない。今後は更に上位の金属である、魔法金属のゴルドテリオンの作成が視野に入る。現時点ではちょっと材料が足りないが、もし入手できたら。

ともかく、クリミネアは作れるし、在庫もある。

装甲は、それで良いだろう。

問題は、それ以外だ。

車軸などの強化も、同じくクリミネアでいい。車輪もそれでいいだろう。後はスプリングをつければ、素材の安全を確保できる。

荷車を今、抑えながら後退して坂を下っているが。

この時のための、ストッパーがほしい。

構造がちょっと難しいので、帰ってからぽんと作る訳にはいかないか。いっそのこと、この荷車に自走機能をつければ。

いや、もっと難易度が高い。

だが、あったら非常に役に立つ。出来ればほしい機能だ。しかしどうする。

ゴーレムの残骸を見やる。

要は、ゴーレムと同じか。

ゴーレムは、どうやって思考を持っている。簡単な思考だが、きちんとそれにそってゴーレムは動いている。

荷車が自動的に考えるようになったら。はっきりいって、とても楽だ。

クリント王国の錬金術師達は、どうやってゴーレムを作った。

考えながら、荷車を急勾配から降ろし、以降は街道ルートを通って戻る。タオが流石にへばってひいひいいっている。まあ途中から、ゴーレムの大軍に襲われて、それらを破壊しながら進んだのだ。

逆に言うと、明日はもう壊したゴーレムとは戦わなくていい。

それで充分だと思うべきだろう。

「タオ、体力をつけろ。 肉を多めに食べる事と、やはり基礎鍛錬が必須だな」

「リラさん、僕の体格見てよ。 この体格だと、長期戦は厳しいよ」

「いや、タオはかなり体力が伸びてきている。 今後も努力を続ければ、他の皆にひけを取らなくなる。 それにタオはまだ背が伸びる」

リラさんが、淡々とタオを「励ます」。

タオは確かにからだが小さくて体力もないが、しかしながら頭が良い。それで充分だと思うのだが。

まあ、それでもだ。

タオは今後、色々な勉学に励みたいような雰囲気がある。もしも彼方此方に出かけていくのなら、やはり自衛能力と体力は必須だろう。

そう考えると、リラさんの言葉は正しい。

「あたしが栄養剤作ろうか?」

「運動をした後栄養を飲むと、体を強く再構成する。 確かにタオのためにはなるだろうな」

「いや、ライザ、あの……ヤバイものとか入れないでよ?」

「大丈夫だって。 虫は入れない方向で行くから」

ひっとちいさな声を漏らすタオ。

リラさんは、真顔でそれに対して無慈悲な言葉を告げた。

「虫も栄養次第ではとった方が良いぞ。 此方の虫で言うと、特に蜂の子供はうまい」

「あ、聞いたことがあります。 地方によっては地面から巣を掘り出して食べているんですよね」

「ああ、やっているのを私も見て、それで覚えた。 確かに栄養が豊富で、なおかつ味も悪くない」

「わ、私はちょっと遠慮しているがな」

アンペルさんが視線を逸らす。

そうか、アンペルさんも虫は駄目か。

美味しいのにとリラさんがむくれる。

クラウディアは、虫食に興味深々。本当になんというか、タブーがないならクラウディアには。

アトリエにつく。

ぐったりしたタオに、栄養剤を即座に出す。なんだか死を間近にした鶏みたいな顔をされたが。

大丈夫。前にまずいと言われてから、味は改善している。

タオも口にすると、なんとか飲みきって。はあと大きなため息をついていた。

「どう、だいぶ美味しくなったでしょ」

「確かに前よりはマシだけど、ぐびぐび飲めるようなものじゃあないよ……。 それに材料、何?」

「植物が中心かな。 後は色々お肉」

「ごめん、何の植物と何の肉……」

それで力尽きたらしく、タオが床で動かなくなる。

レントがやれやれと良いながら、タオを抱えて風呂に消えた。

体力が余っているあたしは、今のうちにやるべき事をやる。

まずは、装甲板、車軸、車輪、スプリングなどの作成。更にストッパーをつける事で、下り坂を楽に下ろせるようにする。

荷車を自動で動かせたら良いのだけれども。流石にそれはちょっと高度すぎるか。

順番に部品を調合しながら、思考を巡らせる。

その間アンペルさんは、城で回収した本を解読。幾つかは、一瞥しただけで脇にどけていたが。

荷車の装甲を強化していると、アンペルさんが声を掛けて来る。

手は既に大丈夫なようだ。

調合をするのは、まだちょっと抵抗があるようだが。少なくとも今日、戦闘を見る限りは。

前に見たときより、更に動きにキレがある。

この分だと問題はないとあたしは思う。

「ライザ、タオ、まだ余力があるようなら、後で話がある」

「はい。 丁度荷車の強化が終わるので、その後に聞きます」

「うむ。 クラウディア、夕食はもう出来そうか?」

「あ、今日はこっちで作ります。 お肉はたくさんあるので、それで」

淡々と、それぞれの仕事を済ませて。

そして皆で、夕食を囲む。

最近は鼬の肉が多かったが、今日は羊の肉がとれた。臭みさえ抜けば、しっかりおいしく食べられる。

腐りかけが一番美味しいらしいが、まあその辺りは気にしない。

ちゃんと処理さえすれば、どんな肉だって美味しいものだ。そうある程度は、割り切れるようになっていた。

食事を団らんで終える。

そういえば。こんな風に団らんするのは実はあまり経験がない。悪ガキ達で行動していたころから、あんまりみんなで食事を団らんした経験はなかった。レントは家があんなだったし、タオも決して暖かい家庭ではない。うちはそれほど裕福ではないし、怒られる時にみんなで呼ばれる事が多かった。

だからあのレントが、まっさきにお世辞を覚えたくらいなのである。

家族だけの団らんなら経験があるが。

それも、家族の枠を超えていなかったし。

それ以外の面子で、団らんするのは、最近になって経験したかも知れない。

まあ、気分はいい。

食事を終えると、タオと一緒にアンペルさんの所に。

アンペルさんは外で待っていた。

クラウディアが後片付けをしてくれると言うので、任せる。レントは今日一日、ずっとゴーレムの攻撃を受け続けていた事もある。

疲れて休んでいた。

「どうしました、アンペルさん」

「まずタオからだな。 解読はどうなっている」

「うちから持ち出した本は概ね終わりました」

「おお、流石」

褒めると、えへへとちょっとだらしなくタオが笑う。

真面目な表情のまま、アンペルさんは咳払いする。

「内容はどうだった」

「ええと……日記みたいなのが少し。 それ以外のは、殆ど何かの道具をどう操作するか……みたいな内容です。 内容そのものは覚えましたけれども、どうにもぴんとこないですね」

「……そうか」

「アンペルさん、何か心当たりがあるの?」

アンペルさんはじっと考え込んでいたが。

やがて、あたしに頷く。

「まだ、核心は得られていない。 タオ、もう実家から持ち出した本を覚えてしまったのなら、私がまとめておいた、城から持ち出した本の解読に移ってくれ。 古代クリント王国の時代の本で、いずれも専門用語が入っている。 少し手間取るはずだ」

「分かりました!」

タオは嬉しそう。

というか、難しい解読になる筈なのに、うっきうきである。

本当にこういうのが好きなんだなと、あたしは微笑ましく思う。

タオは身体能力には恵まれないけれど。頭に関しては本当に良い。

自慢の仲間だ。

続いてあたしだ。

アンペルさんは、精霊王に貰った球体を研究するように言う。

勿論エーテルに溶かしてしまっては駄目だ。

今後、他の精霊王に遭遇した時。風の精霊王のように、優しく接してくれるとは限らないのである。

あれでも、「風」は。

上位者としては理性的で、優しかったと言える。

「あくまで魔術的な観点から、出来る範囲で調べてくれ。 どうにも嫌な予感がしていてな」

「アンペルさんも予感を覚える方なんですか」

「まあな。 お前ほど強力では無いが、それでも魔力にはそれなりに自信もある」

そういえば。

アンペルさんの魔術について確認したのだが。固有魔術は空間操作であるらしい。

非常に希有な固有魔術だが、流石に極めてちいさな範囲の空間を、ある程度任意に扱う程度のものでしかないそうだ。

フィルフサに通じていた魔術は、空間にちいさな穴を開けたり、或いはずらしたりして斬っているものであって。

それも、詠唱無しだとあくまで穴を開ける、程度のもので。

しかも魔力の影響がない場所では、殆どダメージは与えられず。フィルフサが相手になると相性が最悪だそうだ。

「……義手のおかげで、今後は錬金術も出来るし、今まである程度諦めていた魔力の強化も出来る。 しばらくは私は自身を鍛え直す。 それに……伸び幅が大きいライザ、お前の方が、こういった研究はするべきだ」

「そんな、アンペルさんだって」

「私はロテスヴァッサの研究施設で、才能の上限は知った。 今後は才能の上限と相談しながら、色々やっていくしかない。 経験は一応あるから、アドバイスは出来るが。 既に錬金術師としても魔術師としても……お前の方が上だよ、ライザ」

ちょっとそう言われると萎縮してしまう。

アンペルさんは百年以上の研鑽を重ねているという話だ。

どうして長生きなのかは分からない。

だが、それでも。はじめたばかりの初心者であるあたしが、そんな風に言われると、ちょっと色々複雑である。

いずれにしても、精霊王のくれたものを研究する事は賛成だ。理にかなっている。

或いは何かの役に立つかも知れないし。

もしくは、非常に危険なものかも知れない。

いずれにしても、錬金術で補助しながらの研究だったら問題ないだろう。精霊王二人ととにかく接触して。

話をしなければならないのだから。

それにしても、古代クリント王国が塔をどうしてああ厳重に守っているのかはまだちょっと分からない。

一度、アトリエに戻る。

アンペルさんが渡した本に、大喜びで飛びつくタオ。

あたしは荷車の改良を一度終えると。

続いて、精霊王から貰った球体の調査を始めていた。

 

朝、起きだすと。

あたしより先にクラウディアが起きていた。

フルートを吹いている。

いつもよりも、かなり音が昂ぶっているように思えた。

いずれにしても、アトリエの中にまでは音は届かない。広場全てに遮蔽がないわけではなく。

何本か木も生えている。

木陰でフルートを吹いていると、ある程度音は遮られて。

アトリエの中にまでは届かない。

「おはよう、クラウディア」

「おはようライザ。 ちょっと音魔術の調律をしていたの」

「うん、良い事だと思うよ」

クラウディアの魔力は非常に大きい。流石にリラさんとは比べられないが、それでも相当なものだ。

そして短時間に此処まで力を増したのは。

間違いなく、クラウディアの努力によるものだ。

才覚が眠っていたとしても。

それを引き起こしたのは、クラウディアの勇気だ。

だからこれはクラウディアの力である。

「その、お父さんにその演奏は聴かせないの?」

「うん……ちょっとまだ、勇気が足りない」

「そっか」

他の皆も起きてくる。

今日はあたしも朝ご飯をクラウディアと一緒に作る事にする。まあクラウディアとは技量に差があるが。

流石にリラさんに朝食を任せる訳にもいかない。

男共はみんな肉だけ焼いて出して来かねないし。

これくらいは、やっても良いだろう。

皆の食事を準備し終えた頃に、アンペルさんが起きだしてくる。

昨晩結構遅くまで色々と調合をしていたようだから、仕方がないのかも知れない。アンペルさんも、諦めていた手の事もある。

それを色々と気に病んでいた節もある。

まずは。さび付いた腕をどうにかすることから。

そう考えて、自分なりに動いていたのだろう。

だから、それを責めるわけにはいかなかった。

朝食を終えると、軽く話をする。

今日の方針についてだ。

行動の方針は、あたしに任されている。あたしも、それについては、承っていた。ただ、後見人であるアンペルさんとリラさんが失望しないように、頑張らなければならないが。

「今日はこれから、朝一で山に行くよ」

「昨日は散々ゴーレムどもに出迎えられたが、今日は大丈夫だといいな」

「いや、まだ山の中腹くらいだよ。 それとあの山、王都ではヴァイスベルクって呼んでいるらしいね」

「ヴァイスベルクね……」

この辺りだと、そんなしゃれた名前はなく、単に「火山」としか呼んでいない。

それもそうだ。火山なんてアレ一つしかないのだから。

お城や塔についても、名前があるらしいが。

そんなもの、どうでもいい。

ロテスヴァッサが一応名目上は管理しているそうだが、そんなものは虚しいだけだ。実際問題、管理なんてまったく出来ていないのだから。

「遠くに旅しているアンペルさんやリラさん、それに今後一人旅をする可能性も考えて、一応共通の名前は覚えておいた方が良いよ」

「わかった、それもそうか。 頭の片隅には入れておくよ」

「うん。 とりあえず、急ごう。 僕も本を読む時間をある程度確保したいし」

「それはあたしもかな。 研究をする時間を、ちょっとでもいいから確保したい」

さて、行くか。

精霊王という強力な存在が出現したが。

そもそも、塔への到達には相当な手間が掛かることが分かっていたのだ。

だから、別に焦りはない。

キロさんが、フィルフサをある程度抑えてくれていることを信じつつ。

あたしは、更に先に進む。

 

4、目を覚ます災厄と

 

「星の都」の王、「水」が目を覚ます。

王とは滑稽な話だ。

自分がどうして生まれ出たか、「水」は知っている。こんな名前をつけられた理由も、である。

不愉快な連中だった。

そして、そんな連中がいなくなった後は。

愚かしい者達から、勝手に祀り上げられて神とされた。

「星の都」が全て落ちた後は、今度は古代クリント王国だとかいう連中が来て。殆ど強制的に契約させられた。

不愉快だったが、相手はどうして作られたのか、「水」を含めた六名の精霊王の真実を知っていて。

その仕組みを知っている以上。

不快だが、逆らえなかった。

そして何百年か前。

「光」を除く五名の精霊王が、この土地に集結し。

そもそもあの愚かしい連中の落とし種であるフィルフサと戦わされた。

その時に「水」はもっとも激しく力を消耗し。

結果として、眠りにつくこととなった。

膨大な魔力を竜脈から吸収した結果、潮の流れにまで影響が出ている。そして目が覚めたと言う事は。

またフィルフサが迫っていると言う事だ。

自分に傅く「星の民」。

これもおかしな話である。

此奴らはそもそも。

まあ、それはどうでもいい。とにかく適当に散って、フィルフサの存在を探させる。

まずは形を取る。

椅子を作り。

そこに腰掛け。

服などを実体化させ。

最後にヒトの形になる。

ほどなくして、竜脈を通じて連絡が来る。これは、「風」か。激しい戦いで消耗したのは同じだ。

起きたのが少し早いか遅いか、その程度だろう。

「「水」よ。 目を覚ましたようだな」

「「風」か。 この不愉快な目覚め、あのフィルフサどもであろう」

「その通りだ。 だが、一つ面白い事もある」

「ほう。 聞かせよ」

「風」はいう。

面白い錬金術師が訪ねてきたと。

実力は、あの不愉快な……「水」達を創造した連中と互角か、或いはそれ以上。史上最強かも知れないと。

そして驚くことに。

物欲が極端に少なく、錬金術師特有の幼稚な全能感に浸っている様子もないという事だった。

「水」達を創造したあの連中も。

古代クリント王国やらの連中も。

幼稚な全能感に浸って、自身を神に等しい存在だと思い上がり。周囲の全てを見下している事に違いはなかった。

そうではない錬金術師は、一人も見た事がない。

だとすると、興味深いと感じた。

「近いうちにそなたの所に行くだろう。 その時は、好きなようにするといい」

「そうか。 時にまだ「火」の力を感じぬが」

「あれはどうせ湯浴みでもしていることだろう。 溶岩でな」

「ああ、そういえば大好きであったな湯浴みが」

からからと笑う「水」。

「風」も、それにあわせてくつくつと笑った。

さて、いずれにしても準備はしなければならないか。フィルフサは、「水」にとっても怨敵である。

「星の都」なんぞどうでもいい。

あれは名前と裏腹の、愚かしい業の塊だった。

「水」はそもそもとして、この世界に作り出されたエセの生命。

その点では、手が加わっているフィルフサも近いかも知れない。

ただ決定的に違うのは。

環境の改善を考え、常に自然の調和を考える「水」と違い。

フィルフサは、より醜悪な創造者のエゴを現していること。

全てを更地にし。

全てを奪い尽くす。

そして最後は綺麗さっぱり消え去ることで。創造者が何もかもを好き勝手に収奪できるための土地にする。

そんな邪悪なエゴの塊だ。

同じ手から作り出されたとしても。もはや、そのような存在は同胞でもなんでもない。

滅ぼすだけである。

まずは力を取り戻すか。そう思っている所に、来訪者がある。

人。錬金術師か。

いや、違う。

敵意は無いが、これは。

思わず構える「水」に対して、それはにんまりと笑った。

「お目覚めですか、精霊王「水」」

「貴様は……覚えがあるぞ。 このような場所に、何をしに来たか」

「ふふ、ちょっと仕込みにね」

パミラと言ったか。

そいつは剣を地面に突き立てる。敵意はないというつもりなのだろう。

まあいい。

此奴とは利害が一致していた。

今でもそうだかは分からないが。

軽く、パミラは今まで何があったのかを話す。クリント王国は滅びた事。その遺産を一部受け継いだロテスヴァッサでも、国の息が掛かっていた錬金術師は皆死んだ事。

現在、錬金術師はほぼ絶滅し。

活動している力ある錬金術師はたった二人だという事。

それを聞くと、「水」は頷いていた。

「なるほど。 どうせ貴様が暗殺でもしたのだろう」

「ふふ、そうかしらね。 いずれにしても、クリント王国と同じ事をしようとする以上、もう黙ってはいられなかったから。 計画を主導していた王もろとも、処理しておいたわ」

「そうか、手間が省けたな」

「問題は貴方たち。 ちょっとだけ、協力してくれないかしら」

内容による。

そう言うと、頬杖をつく。

こいつの戦闘力は、「水」とだいたい同じ程度だろう。今の病み上がりの状態だと、周囲の走狗を全てけしかけても厳しいか。

ただ、最悪の場合は撤退させて貰う。

それだけの話である。

「これから貴方を訪ねてくる錬金術師に、試練の一つでも出してくれる?」

「ほう?」

「現時点では間違いなく良き錬金術師。 でも、人というのは簡単に変わるもの。 その本質は、恐らく無理難題を出されたときに現れるものだと思うから」

「ふむ……確かに一利ある。 それに退屈していたところだ。 多少の余興も良かろう」

パミラはふっと笑うと、その場からかき消えるようにいなくなる。

まあいい。

「水」も確かにフィルフサが来るまでの退屈しのぎがほしい。

余興に乗るのは、吝かでは無かった。

 

(続)