輝きと汚れの双山

 

序、誘拐事件

 

豚。

もっとも有名な家畜の一つである。犬ほどでは無いが人間との関わり合いは深く、中世ヨーロッパでは街の汚物を処理する役割も果たしていた。とにかくどんなものでも食べる貪欲さと、成長の早さ、何より肉のうまさで。人間社会には無くてはならない存在として、長年人とともにあった家畜だ。

当然のことながら豚の先祖は猪であり、その性格は決して穏やかとは言えない。貪欲な雑食性のため、死んだら子供だろうが親だろうが同胞は只の餌に早変わり。当然人肉も好んで食べる。このため、犯罪組織が死体の処理に使っているという噂が、現在も根強く存在している。おそらくは噂だけでは無いだろう。何しろ病気か何かで子豚が死ぬと、翌日には綺麗さっぱり無くなっているのだから。

家畜は結構獰猛な性質の生物が多い。穏やかに改良されている牛でも、もし暴れ出したら人間では歯が立たない。鶏も群れの中での地位争いが苛烈きわまりない事が知られているし、山羊や羊も結構性格が戦闘的である。おとなしそうに見えるアルパカが、実は非常に気性が荒い生物だというのは、結構有名な話だ。

そういったうんちくを聞かされながら、スペランカーは全くバネが利いていない助手席で、何度も激しく揺られて、そのたびに死んだ。

一見すると、十代半ばの小柄な女の子にスペランカーは見える。だが、身体能力はともかく、内実は見かけ通りの存在では無い。

スペランカーは普通の人間では入ったら生きて帰れない魔境、「フィールド」を攻略することを専門にする、フィールド探索者の一人である。頭もあまり良くないし、運動神経も悪い。ただし、幼い頃に受けた呪いによって、フィールド探索を可能としている。逆に言えば、これ以外の仕事は出来そうに無いので、毎回痛い思いをするのを分かった上で、続けている側面も、かってはあった。

今は少々事情が違うが、毎度酷い目に遭うことには変わりない。それでもがんばれるのは、家族が待っているからだ。自分をネグレクトして、何万回と餓死させた母親に対する反発もあるのだろう。スペランカーは血がつながらない被保護者に深く愛情を注ぎ、生き甲斐にしていた。

この体を覆う難儀な呪いは、最も信頼出来る盟友である海腹川背の三輪オートに乗っているときも、おとなしくはしてくれない。しかも、蘇生のたびに電気ショックのような痛みが走るので、たまったものではない。

「先輩、もう少しで着きますから、我慢してください」

「川背ちゃん、この路、もう少し何とかならないの!? うひゃあ!」

「発展途上国の道なんて、だいたいこんなものです。 むしろ、道があるだけでも感謝しないと」

「ふえー、参ったなあ」

勿論スペランカーだって、それくらいは知っている。

だが、愚痴りたくもなる。同性で、なんでも話せる相手である川背だから、余計に若干甘えが出てくるのかも知れない。

三輪オートの前後には、護衛の国連軍のジープ。乗っている兵士達は、重機関銃をジープに据え付けて、油断無く周囲を見張っている。いつゲリラやテロリストが出てきてもおかしくない、それくらい危険な場所なのだ。

此処は中南米の小国。

かっては豊かな鉱物資源に恵まれたが、今ではすっかり落ち目になっている国だ。国が上手く行っていないから、反政府組織も出るし、民の心もすさんでいる。主要な産業が麻薬の栽培と販売で、それを誰も悪いことだと思っていないほどだ。実際この国で金持ちを探すと、麻薬組織の関係者くらいしかいない。

昔、この近くで以前仕事をした事があったのだが、その時は海上での戦闘だった。今回は海では無く山奥である。しかも、どんどん山奥のレベルが酷くなっていく。

こういう険しい地形の場所には、ヘリコプターで向かうことが多いのだが。今回出向く先は、空飛ぶ乗り物を極端に嫌うという特殊な宗教を持っており、わざわざ車で向かわなければならない。

そして悲しい話だが、この国で川背の三輪オートは、決して旧式ではない。現役でしっかり走り回っている車なのだ。

やっとベースが見えてきた。

今回は他にもフィールド探索者がいて、それなりに仕事の目的は見えている。ただし、込み入った事情があると事前に聞かされているので、まだ安心するのは早い。

基地に入ると、酷使されたことを抗議するように、大きな音を立てて三輪オートが止まる。川背が先に車から降り、後部に着いている屋台の状態を確認していた。フィールド探索者であると同時に料理人である彼女が、わざわざこの車で来たのには、ちゃんとした理由がある。

この車は、川背にとって出張店も同じだ。今は殆ど使わないらしいのだが、後ろは屋台になっていて、料理をすることが出来る。料理用の道具や、彼女がこだわり抜いて集めている素材なども積んでいるそうで、下手なレストランよりずっと美味しい料理を振る舞ってくれる。

川背が、タイヤの状態をチェックしていた。

彼女は料理以外興味なかったらしいのだが、最近はちょっとずつ車の勉強もしているようだ。国連軍の兵士と、何か英語で喋っている。翻訳機能がついた電子辞書を使っていないから、何を喋っているのかよく分からない。

ガタイの良い黒人兵士が、何かケラケラと笑っていた。

「川背ちゃん?」

「先輩、僕はちょっとこの人達と話してから行きます。 先に司令部に行って貰えますか?」

「うん、分かった」

軽く手を振って、奥へ。

山奥に作られたベースだが、周辺は柵がしっかり付けられていて、監視カメラもある。この辺にもゲリラやら過激派やらが出るらしく、当然の備えである。モラルが低下すると、犯罪にあうような隙がある方が悪いという手前味噌で身勝手な思考が正当化される傾向があるのだ。

勿論、これだけ山深いと、猛獣も警戒しなければならないだろう。この辺りは大形の食肉目が何種類か生息しているはずで、当然人間よりも単独では高い戦闘力を持っている。武器を使えば、撃退は難しくないが。

地面もごつごつしていて、舗装など当然していない。乱雑に止められているジープはかなりばらばらの方向を向いていて、ただし据え付けられている重機関銃だけは、基地の外を向いていた。

多分いざというときにはバリケード代わりに使うのだろう。装甲車などの本格的な戦闘車両は見当たらないが、今此処には四人のフィールド探索者が集められている状態である。多分、後から来るのだろう。

川背の三輪オートに比べてあっちがマシかと言われれば、決してそんなことは無い。出来れば乗りたくないのは同じだ。

クッションがとにかく硬いし、助手席に乗っているだけで快適さとかを考えていないのが丸わかりなのである。ただ、戦争に使う車なのだから、それは仕方が無いのかも知れないが。

翻訳機能付きの電子辞書をオンにする。

結構高い品らしいのだが、毎回戦闘で壊されてしまうので、一体いくつ目の支給品か分からない。噂に聞いたのだが、スペランカーに供与した物資はまず帰ってこないと噂が流れているそうだ。特に最近は、相当な強敵とぶつかる事が多く、戦闘後には全裸になってしまっている事も多いので、それはあながち嘘では無い。

幸い、一流どころと見なされるようになってから、フィールド攻略の報酬金が跳ね上がったので、弁償についてはあまり考えなくても良くなった。

あまり、作りが良い基地では無い。戦術的な話はスペランカーにはよく分からないのだが、少なくとも快適とは言えない。

そもそも山の斜面に無理矢理基地を作ったためか、地面に傾斜がある。建物の多くは傾いていて、司令部のプレハブさえ傾きを必死に基礎で誤魔化していた。地震が起こったら大変そうだと思いながら、ヘルメットを被り直す。

司令部のプレハブは、中が埃っぽく、所々防弾用と思われる鉄板が露骨に見えていた。とはいっても、RPG7か何かが直撃したら、多分ひとたまりも無いだろう。

ざっと見たところ、忙しく行き交っている兵隊さんは五十人かもうちょっと多いくらいいるようだ。多分以前頼れる盟友であるアーサーに聞いた、二個小隊という単位だろうと、スペランカーは思った。ただ、雑多な装備がかなり多い。中にはラフな格好をしている兵士も、相当な年配に思える人もいた。

スペランカーが知る限り、国連軍は、その名の通り雑多な出身者で構成される組織だ。だが、特定の地域に展開する場合、近隣の出身者で兵士を固める傾向がある。しかし基地には、黒人さんも白人さんもいるし、アジア系らしい人もいる。任務が急に入った場合はそういう雑多な編制になる事もあるらしいのだが、妙だ。今回はひと月近く前にオファーが来たのである。それほど急ぎの任務だとは思えない。

きょろきょろしている内に、突き飛ばされる。

壁にぶつかり、勿論即死である。

蘇生して、頭を振り振り立ち上がる。今のは大丈夫だっただろうかと、突き飛ばした相手を心配してしまったが、多分悪意無しとカウントされたのだろう。周囲で惨劇は起こっていなかった。

安心して、奥へ進み、会議室を見つける。

中では既に、退屈そうにしている二人のフィールド探索者と、それにこの基地の指揮官らしい、山羊みたいに長い髭を伸ばした痩せたおじいさんの軍人が、白板になにやらマジックで書き込んでいた。

「すみません、今着きました」

「私より先に出たのに、遅れたようですが」

「ごめんなさい」

そう言ったのは、髭を蓄えた、中年男性である。薄茶色のいわゆるサバイバルルックに身を包んでいるが、体つきは軍人のものではない。

彼はハリー。

以前故あって、スペランカーと対立したフィールド探索者である。今ではスペランカーにとって第二の故郷とも言えるアトランティスの新聞社で働いてくれている。彼が撮る写真は絶品で、アトランティスの真実を海外に知らせるためには絶対不可欠のものとなりつつあった。

以前は様々な環境の悪さから、相当に心を痛めていたハリーだが。アトランティスに移った今はみんなのためにがんがん稼いでくれている。以前に比べて、十歳は若返ったように見えるのは、気のせいでは無いだろう。活力は、人を若々しくするものなのだ。

実はハリーとは、一緒に同じ飛行機でアトランティスを発った。だが途中でスペランカーは、後輩でありもっとも信頼出来る相棒の一人である川背を迎えに行ったので、それで到着時刻にラグが生じた。

咳払い。

もう一人が、さっさと座れと促してくる。

寡黙そうな彼は、ハリーと同じようにサバイバルルックの上下に身を包んでいるが、名前さえ分からない。顔はアジア系だが特徴が無く、何度見ても覚えられそうに無かった。勿論、それさえも武器なのだろう。

彼は、フィールド探索者に何名かいる、いわゆる忍者の一人。影とだけ呼ばれていて、それ以外は正体不明である。スペランカーは以前別の忍者と共闘したことがあるが、だいぶ雰囲気が違う。

何というか、影は文字通り、気配が無い。

其処に座っていることも、見ているからどうにか認識できる、というレベルである。ただ、相当な凄腕である事は確かなようで、噂は時々以前からも聞いていた。

「川背さんは」

「今、外で兵隊さんと話してます。 何か仕込みがあるんだと思いますけど」

「なるほど。 彼女なら入念な準備をしてきそうですね」

見かけで言うと、不老不死の呪いで姿が十代半ばのまま固定されてしまっているスペランカーに対して、四十前後に見えるハリーは、傍目には親世代くらいの人間である。

だがハリーは、スペランカーがアトランティスの顔役である事を考慮してか、あるいは以前の恩義からか、非常に丁寧に接してくれる。

今回のフィールド探索は、能力が非常に地味な人員ばかりが集められている。それは事前から、理由が告げられていた。

多少というには、少しばかり面倒くさすぎる事情があるのだ。

程なく、川背が部屋に入ってくる。

「すみません、遅れました」

「では、現状を説明いたします」

司令官が、咳払いをしてから、ホワイトボードに状況を書き始めた。

 

1、豚と犬の森

 

会議が終わって、伸びをする。

憂鬱である。

ホワイトボードは、色とりどりのマジックで様々な事柄が書かれ、カラフルきわまりない。此処に被保護者のコットンを連れてきたら、喜んだかも知れない。だが、内容を一応理解しているスペランカーとしては、そんな気にはなれなかった。

込み入った事情があるとは聞いていた。だが、これほど面倒くさい状況だとは、流石にスペランカーも思っていなかったのである。営業の人に一緒に来て欲しいくらいだ。下手をすると、今回は戦いよりも、政治的な折衝の方が重要になるかも知れない。

机上に配られた現地の衛星写真を見る。

一見すると、二つの山があり、ただ普通に木々が生い茂っているように思える。

だが写真の右と左の山には、絶対に相容れない、三百年を超えて作られてきた壁が存在しているのだ。物理的な壁では無い。むしろ精神的な壁というべきだろう。

今回攻略しなければならないのは、三百年ほど前から存在している重異形化フィールドである。

通常の人間が入れないほど危険な土地をフィールドと呼称するのだが、その中でも特に、内部での物理法則がねじ曲がってしまっているような、文字通りの異界。それを重異形化フィールドと称する。

山二つ半ほどがまるまる異形化しているこの土地は、地元では、日本語で言うなら犬豚山と称されている。理由は簡単である。

その理由の片割れが、姿を早速見せる。

会議室にのそりと入ってきたのは、サスペンダー付きのズボンをはいた、豚だった。ただし、二本足で立っている。

しかも、ただの豚では無い。

肩に弓を掛け、腰には鉈をぶら下げている。顔立ちは精悍で、どちらかと言えば猪に近い。

目は小さく、手足がかなり短いので、体型はかなりコミカルに見える。だがしかし、実際に手足は非常に筋肉質で、相当なパワーを秘めていることがうかがえた。

彼は、このフィールド内で争いを続けている勢力の一つ。豚人族の長、プーリャンだ。どっかと椅子に座ると、半裸の豚人は、小さいが鋭い目で、辺りを睥睨した。

「呼ばれて来てみたは良いが、随分とひょろっちいのばっかりだな。 本当に狼人族の屈強な戦士をブチ殺せんのか?」

「プーリャンさん、前にも言いましたが、私達が来たのは」

「ああ、ハリーの旦那。 分かってる。 それぞれの種族の秩序と平和のため、ってんだろ? あんたには感謝してるし、今後も仲良くしたいと思ってる。 だがな、追加で連絡した内容は、当然そちらでも把握してるよなあ?」

「狼人族が、強硬手段に出たって話ですね」

そうだと、プーリャンは鷹揚に言う。

二つの勢力。一つは豚人族。もう一つは、そのまま狼が二本足で直立歩行したような姿を持つ、狼人族だ。

伝説にあるウェアウルフのような悪魔的な存在かというとそうでもなく、生物の域を超えていない。狩猟民らしい荒々しさはあるが、銀の弾丸を撃ち込まないと死なないとか、そういった事はない。

豚人族は弓矢を得意とし、狼人族は近接での戦闘を得意とする。

両者は文字通り犬猿の仲であり、フィールドが出来てから三百年余、休戦期間を時々挟みながら、ずっと殺し合いを続けてきた。狼人族にとって、豚人族は当初食料以外の何物でも無かった。二つの山がフィールド化する前、彼らの先祖は普通の野豚と狼だったらしいので、当然の話である。

だが、双方が知恵を身につけ、言葉まで操るようになって。その関係が改善されなかったことは、当然悲劇につながった。そもそも、三百年前にフィールドが二つの山を覆ったとき、どうしてそんな根本的な解決がされなかったのかもよく分からない。

彼らの戦闘力は常人を遙かに凌いでおり、なおかつ好戦性も強い。縄張りに誰かが入ろうものなら、確実に生かしては帰さない。交易も出来ず、道を作ることも許さない有様で、周辺の国も民もさじを投げていた。それに加えて、内部は物理法則から変化してしまっている重異形化フィールドである。なおさら、内部の実情は外に出てこなかった。

その秘匿性は、二つの種族が常時争い続けることで生じた疑心暗鬼が、更に強めてしまっていた。

だが、それに五十年ほど前から、変化が生じ始めたのである。

「俺たちも、今じゃあ流石に外貨をかせがねえと生きていけねえ。 向こうもそれを理解して、やっと歩み寄りが始まったって時にこれだ。 既に村の若い連中は頭に血が上っててな。 全面戦争の勃発だよ」

苦々しげに、プーリャンは言った。だが、どうも嘘くさいとスペランカーは感じた。しかしながら、ハリーにプーリャンが感謝しているというのは、本当らしいとスペランカーは思った。

少し前に、ハリーが此処に赴いたとき、狼人族と豚人族の村をそれぞれ撮影して、見せた。あまりにも美しく撮れているので、プーリャンは感激して、ハリーを尊敬するようになったという。

勿論それには、ハリーにたくさん写真を撮らせて本にし、出版することで外貨を稼ごうというもくろみもある事だろう。

この人は、かなりのリアリストだ。リアリストは、金のなる木を大事にするものなのである。

「強硬派って人たちは、何をしたんですか」

「誘拐だよ」

「えっ!?」

「よりにもよって俺の子をな。 次の村長は彼奴になる予定だったのを、何処かでかぎつけたんだろうよ」

くだらんと、影が一言。

じろりと見るプーリャンに、腕組みしてずっと黙り込んでいた影は言う。

「そんなことで大規模紛争になるというなら、俺が一人で奪還してこよう。 こんなに人数を集めたのは無駄だったな」

「ちょっと待ってください」

「何だ」

ハリーに、煩わしげに影が応える。スペランカーは、平然とコーヒーを飲んでいる川背とハリーを、心配しながら交互に見ていた。

今回、一流どころとされているフィールド探索者が二人も呼ばれているのには、当然理由がある。影はどうしてか、妙に先走っている感触がある。

ハリーはそれを見て、危ないと思ったのだろう。何より、今回は誘拐を解決して問題が終わるわけではないのだ。

「我々の目的を忘れてしまいましたか」

「フィールドを発生させた何者かを見つけ出し、危険なら潰すことが目的だ」

「問題はそれが、異星の邪神かも知れないという事です」

「それがどうかしたか」

影は、どうも邪神の怖さが分かっていないらしいかと思ったのだが、どうやら違うようだ。

彼が言うには、この問題は、最小限手を汚すだけで片がつく。

下手に刺激して、過激派とやらが藪をつつく前に、先に問題を処理する。その後じっくり調査をして、もし邪神が関わっているのなら、その時は総力戦を仕掛けて叩けば良い。三百年も静かにしていた奴が、いきなり動き出すとは思えないし、その兆候も無いと話を聞いている。

論理的に影は言うと、司令官を見る。

「良いというなら、俺が過激派を全滅させて、人質を救出してくるが」

「ま、待ってください」

「決断が遅れれば、それだけ被害が増える。 しかも今回、邪神という核兵器並みの地雷が埋まっている可能性があるのだろう。 倫理だの人権だのにこだわっていると、何もかもが手遅れになるぞ」

「落ち着いてください、影」

慌てる司令官をなだめていたハリーが向き直る。

相変わらず川背は落ち着いていて、コーヒーにクリームを足していた。飄々としているというよりも、流れが読めているという感じだ。

だから、スペランカーも、落ち着いてきた。

「狼人族は、豚人族よりも更に排他的で、今回も接触が上手く行っていません。 過激派がどれくらいの数なのか、何を押さえているのかも、よく分かっていないのが現状なんですよ」

「威力偵察してくれば良い」

「これは、オフレコに願いますが」

ハリーが、釘を刺すようにプーリャンを一瞥。

「過激派と一言でくくっていますが、狼人族の全体数がおよそ四百で、その中の派閥が二十以上に別れているらしい事は、此方でも分かっています。 この派閥はそれぞれが、野生の狼で言う群れに相当し、それらを統括しているのが狼のボスです」

「俺たちとは、随分組織の仕組みが違うんだよな、彼奴ら」

他人事のように、プーリャンが言う。

ハリーが掴んでいる情報によると、狼人族は、群れそのものの考え方がそれぞれでかなり違っているそうなのだ。思想の違いで殺し合いにまでは発展しないものの、彼ら特有のモンゴル相撲に似た格闘技で優劣を付け、常に地位の上下を確認しているらしい。そして、上位のチームが命じたことを、下位のチームは必ず実施しなくてはならない。

この中には幾つか禁じ手があるらしく、たとえば他チームのメスを強姦してはならないとか(これはトップの、いわゆるαオスでさえ発覚すれば許されないそうである)、様々にあるそうなのだが。

その中の一つに、勝手に豚人族に攻撃を仕掛けてはならない、というものがあるそうだ。

「ほう……」

「つまり、過激派と呼ばれている連中が下手をすると最大派閥の可能性があると言う事です。 少なくとも、下位のチームの独断では無いでしょう。 そして最大派閥が絡んでいた場合、邪神にも手が伸びる可能性がある」

「近年、そういった掟が緩んだという可能性は?」

挙手した川背が聞くが、ハリーは首を横に振る。

実際問題、今でも狼人族と豚人族は慢性的に争いを続けているのである。敵に勝つためには、鉄壁の掟と血の団結が必要不可欠だ。

こんな状況で、掟を緩ませる意味は無いだろう。むしろ豚人族の方が、それに関してはきな臭いのだと、ハリーは言った。

勿論若い者達が、掟に反発して行動した、という可能性もある。だがそれにしては、狼人族の行動に乱れが無い。

もしそうなったら、泡を食った長老達が、此方に話をしに来てもおかしくはないのである。

実際、狼人族も、外貨を獲得しなければ、今は生きていけない時代なのだから。

「なるほどな。 分かった。 それならば、先に言って貰いたい」

「此方も情報が錯綜していて、整理し切れていない部分が大きいのです。 やっと狼人族とコンタクトが取れている商人を捕まえましたが、とにかく強欲な男で、まるで情報を出さない始末でして」

「……」

司令官を一瞥すると、一旦影は外に出て行った。ハリーも、プーリャンをつれて、一緒に出て行く。

司令官も書類をまとめると、そそくさと部屋を出て行った。

川背が嘆息する。

「先輩、すみません。 今回ちょっと汚い話ばかりになると思います」

「大丈夫、平気だから」

「こうしてみると、単純な武人ばかりのアトランティスは、構造が分かり易くて良いですね。 僕もいっそ移住しようかなあ」

「川背ちゃんなら大歓迎だよ」

一緒に会議室を出る。

川背とスペランカーは背丈が殆ど同じだ。小柄な女子同士、色々と話が合う部分も多い。出来た後輩である川背は、スペランカーにとてもよくしてくれるし、プロだけあって料理もとても上手だ。コットンにもっと川背の料理を食べさせてあげたいのだが、中々機会が無い。

発育していないスペランカーと違って、川背は素で童顔で幼く見えるタイプだ。ただし胸はばかでかいし、全体で見ればきちんと大人に見える。幼児体型のスペランカーとはだいぶ違って、それが若干羨ましいことはあった。

外に出る。しばらく時間を潰すが、突入の指示は来ない。

影がなにやら司令官と話している。ハリーが一緒ではないという事は、多分突入前の手はずを整えているのだろう。

川背はと言うと、屋台に出向くと、料理をはじめた。

プーリャンが来る。

「なんだあ、人間の飯か」

「今作りますから、ちょっと待っていてください」

「おう、じゃあ待たせて貰うわ」

筋肉質のプーリャンだが、背丈は人間よりずっと低い。スペランカーよりもだいぶ低くて、頭一つ分くらい小さい。

だから屋台の据え付けの椅子に座っていると、ちょっと滑稽なくらいかわいらしかった。目つきが悪くなければ、もっと可愛いだろう。ぬいぐるみとかにしたら、J国で売れるかも知れない。

近くで見ると、顔には凄い向かい傷がたくさんある。腕にも、足にもだ。

歴戦の勇士である事は、間違いないのだろう。ただ、色々と複雑な世界に生きてきて、それなりに汚れているというだけだ。

「あんさん、スペランカーやったな。 確か神殺しとか言われてるんだって?」

「過分なあだ名ですが」

「ハリーの旦那から聞いてるよ。 見た目よわっちいから心配してたんだが、あんた結構修羅場くぐってるだろ。 そわそわはしてたけど、怖がっては無かったしよ」

川背が何かを揚げはじめた。

凄く良いにおいがする。ふんふんと、プーリャンが鼻を動かして、だらしない表情になった。豚だからか、ものすごく下品そうに見える。こういう所は、本能に忠実で、動物的なようだ。

「外の料理はえれえうめえし、楽しみだな。 ハリーの旦那から聞いてるよ。 川背さんってあんた、相当な料理人なんだって?」

「そう言って貰えると嬉しいです」

川背の凄いところは、下準備と調査を徹底的にやってから、料理に取りかかる事だ。

今日黒人の兵隊さんに話を聞いていたのは、多分豚人族の好みについて聞いていたのだろう。

魚料理が専門だと聞いているが、それ以外も相当に出来ることを、スペランカーは知っている。事実今揚げているのは、多分魚では無いだろう。

程なく、からからに揚がった何かが出てきた。

口に入れる前から、とても香ばしい。天ぷらだが、衣はかなり凝った素材を使っているようで、多分調味料は何もいらないだろう。川背の作るお魚の天ぷらを食べて、スペランカーは知った。この世には醤油を掛けなくても滅茶苦茶に美味しい天ぷらがあると。今回も、相当に美味しそうだ。

「熱いので気をつけてください」

「おう、貰うぜ」

がつがつと食べ始めるプーリャン。スペランカーも一ついただく。どうやら山菜の天ぷらのようなのだが、これが味にしても歯ごたえにしても、とても濃厚で美味しい。周囲にいる兵隊達も、香りだけで引きつけられるらしく、じっと此方を物珍しそうに見ていた。

多分川背は、今後のコミュニケーションを円滑化するために、料理を振る舞ったのだろう。

「くあー、冗談抜きにうめえな! ていうか、今まで持ち込まれたどんな料理よりもうめえぞ」

「ありがとうございます」

「もっと無いのか?」

「この事件が解決したら」

川背が手際よく屋台を片付けていくのを見て、凄く残念そうにプーリャンは眉を下げた。

何だかとても分かり易い。

ただ、これが解決のモチベーションになるのなら、とはスペランカーも思う。

ほどなく、影が戻ってきた。プーリャンがいなくなった隙に出てきたので、或いは少し前からいたのかも知れない。

「何だ、飯にしていたのか」

「影さんはたべないの?」

「俺は戦の前には出来るだけ喰わないようにしている。 死んだ後糞便が出るのは恥ずかしいからな」

なるほど、毎度必殺の覚悟で、戦いに臨んでいるわけだ。

それならば中途半端な覚悟で戦いに出られたら迷惑だとも思うだろう。司令官に対して不快感を見せていたのは、戦にとって最も重要な情報をしっかり整理できていなかったことが原因か。

「それで、何か掴めましたか」

「ああ、噂の商人とやらと接触してきた。 この辺りの麻薬組織とも関係があるらしい奴でな、締め上げたら予想通りだった」

どうやら、狼人族の山に、麻薬の材料になる植物の、かなり大きな自生地があるらしいのだ。

しかもこの植物、どうしたわけか麓でとれるものより遙かに濃厚な成分を有しており、かなりの高値で取引されているという。

「狼人族も、これを使って外貨を獲得している」

何か、ひっかかる言い回しであった。

川背が、手を洗いながら言う。

「豚人族もじゃないですか」

「その通りだ」

「え……」

愕然とするスペランカーに対して、川背は涼しい顔だった。なるほど、このくらいの事は予想していたというわけだ。

彼女は見かけこそ子供っぽいところもあるが、歴戦の戦士であり、それ以上に精神がとても大人である。ひょっとすると、この辺りの政治的な状況から、既にこの程度の闇がある事は見抜いていたのかも知れない。

考えて見れば、こんなに攻略しやすそうなフィールドが、今まで放置されていたのも、おかしな話なのである。重異形化フィールドといっても、魔界と呼ばれるほど危険なものとはだいぶ違うはずで、しかもかといってクルクルランドのように独立国扱いもされていないと聞いている。

そのような状態の裏には、それなりの闇があったのだ。

「この件は、相当に根が深い。 スペランカー、あんたは大丈夫だろうが、ハリーの旦那には言っておけよ。 麻薬組織の残虐さは言語を絶する」

色々と聞き出した商人も、多分この辺りではもう生きていけないという事で、国連軍に保護させたという。

もしも麻薬組織が国連軍の動きを察知したら、この基地を襲撃して来かねないと、影は言う。

もう滅茶苦茶だ。

「まいったな……」

「先輩、どうしますか」

「まず、兵隊さんをもっと呼んだ方がいいよね。 どうしようか」

「それならば、俺が声を掛けてくる。 内部で邪神が目覚めた可能性が高いとでも言えば、嫌でも兵隊はたくさん出してくるだろうよ」

影がなれ合いは此処までだと言わんばかりに、奥に消えた。

これは、今回の探索で、彼の力は期待しない方が良いだろう。多分独自の動きをするような気がする。

「それと、混乱を加速しないためには、早期解決だよね」

「ハリーさんを信頼しないわけじゃ無いですが、本当に狼人族の内情が、そんなに混沌としているのでしょうか」

「それも中に入ってみないと分からない、か」

手を分けるしか無いのだろうか。

いずれにしても、これは大変だ。実際の戦闘よりも、非常に混沌とした状況そのものが、攻略の邪魔になる。

ハリーが来る。

険しい表情だった。

「どうやら、狼人族が、境界に出てきているようです。 豚人族の動きに呼応しての事でしょう。 それも、かなりの数」

「戦争が始まるって事?」

「少なくとも、過激派という者達が、最大派閥かそれに近い存在である事は間違いが無さそうですね。 山全体が過激派という可能性も」

「なんてこと……」

やはり、最初の悪い予感が的中した。多分このフィールド攻略は、戦闘よりも政治的駆け引きの方が障害になる。

問題はそれだけではない。

そもそも、この時期に、どうして此処を攻略する話が持ち上がってきたのか。それも一月も前から、である。

何が、裏で蠢いているのか。

「好機だな」

もう司令官に話を通したのか、影が戻ってきている。

彼は忍び装束に変わっていた。既に戦闘態勢というわけだ。顔も隠していて、目しか見えない状態である。

黒っぽい服は、森の中で動くには丁度良いからだろう。武装は剣と手裏剣が少しだけ。でも、それで充分なのだろう。

「俺は、裏で動く。 狼人族の村を探って、状況を確認する」

「なら、わたし達は、前線に行ってきます」

「好きにしてくれ」

影が残像を残してかき消えた。

一応、衛星写真での地形説明はあった。あれくらいで、影には充分なのかも知れない。

ハリーがやれやれと帽子を取る。口ひげを蓄えた写真家は、辺りを見回して、プーリャンがいないことを確認してから言う。

「これはあの御仁、相当な食わせ物ですね」

「きっと、色々と汚いことをしなければいけないこともあったんだと思う。 ハリーさん、私達が前線に行ってくるから、豚人族の村に行って、あまり無茶しないように見てきて欲しいんだ。 お願い」

「分かりました」

「先輩、行きましょう。 地形は覚えていますから、僕が案内します」

川背はやはり頼りになる。

後で、フィールドに入ったら聞いてみたいことがいくつかある。この任務は、やはりおかしいと感じるからだ。

 

2、軽い体

 

フィールドに入ってみて、早速違和感を感じた。

体が軽いのである。やたらに。

それだけではない。

辺りに生えている植物も、まるで化け物のようにでかい。此処は巨人の世界で、小人である自分たちが間違えて迷い込んでしまったのでは無いか。そんな錯覚さえ感じるほどであった。

「恐竜があれほど巨大になったのは、現在よりも地球の重力が弱かったからじゃ無いかって説があるそうですが……」

「それにしても、凄いね。 まさかこんなになってるなんて」

段差が酷い。川背が時々手を貸してくれる。

文字通り泥だらけになりながら、山を登る。息が切れたので、ミネラルウォーターを飲み干した。

今のところ、巨大な生物や、怪物の類は見かけない。

此処がフィールド認定されたのは、中に長くいると体がおかしくなることもあるが、それ以上に二種族の争いに巻き込まれることも多いからだ。何より排他的な豚人も狼人も、迂闊な侵入者を生かしては帰さなかった。

今は、少し事情が違う。

だが、いつ矢が飛んできてもおかしくない。川背は出来るだけ音を出さないようにと、何度か注意してきた。

「川背ちゃん、やっぱりおかしいね」

「邪神の気配を感じるんですか?」

「ううん、全然」

この間、クトゥグアなる強力な邪神と交戦した。その時には、接触の直前まで、全く相手の気配を感じることが出来なかった。つまり強力な邪神になれば、気配を消すことくらいは可能だと言う事だ。彼らは滅多にやらないが。

だから、この力も絶対では無い。

問題は、その先だ。

いきなり、目の前の木に矢が突き刺さった。かなりの強弓で、木の幹に深々突き刺さり、細かく振動している。

顔を上げると、いた。豚人族だ。

どうやら女性らしく、非常にふくよかな胸をしている。体はプーリャンと同じく、かなり小柄で、しかし手足は筋肉質だが。

「人間がこんな所に来たって事は、あれか。 噂に聞くフィールド探索者か」

「はい。 私はスペランカー。 此方の子は川背です」

「どうでもいいね」

やはり小柄な豚人は、相当に目つきが悪い。雰囲気も厳しくて、針のむしろに座っているかのようだった。

それに手にしている弓は非常に大きい。全身よりも更に大きいくらいで、狩に使うとしたら、相当な大物狙いは確実だ。ぎりぎりと、張っている弦が凄い音を立てている。下手なことをすれば、確実に射抜きに来るだろう。

この人は、戦士だ。

「今、大変なことになっていてね。 さっさと帰らないと、頭打ち抜くよ」

「狼人に、お子さんが誘拐された、ですか」

「ああ、うちの宿六が余計なことを言ったわけかい。 まさか、手助けに来たとでも、言うんじゃ無いだろうねえ」

スペランカーが、露骨に嫌そうな顔をしたのに気付いたからだろうか。

豚人の女性戦士は、嘆息した。

「くだらないことを言うなってツラだね」

「戦争に正義なんてありません。 どっちにも荷担する気は無いです」

「じゃあ何しに来た」

「もっと大きな災いが起こる可能性があります。 まず、戦争をどうにかして止めて貰わないと」

いつの間にか、川背が側にいない。

それに、豚人の女性が気付いた途端、その弓が川背の投げたゴム紐に絡め取られていた。更に、一気に引きずり倒される。

気配を消して、背後に回り込んでいたのだ。倒れたところに、弓を踏みつける。ルアーをぶら下げたまま、川背が豚人の女性を見下ろした。

「しばらく、おとなしくして貰えますか?」

「く……」

「先輩、この先です。 彼女に案内して貰いましょう」

「何も其処までしなくても」

川背は時々、スペランカーのために吃驚するほどに尽くしてくれることがある。

これは多分、先輩として慕ってくれている、というだけが理由では無いだろう。噂に聞いたところに寄ると、川背は元々非常に孤独で、友人と呼べる人がいなかったらしい。対等に接してくれる相手もいなかったと言うことだから、はじめて親しくした存在が、スペランカーだったのかも知れない。

手際よく女性を縛り上げると、川背は先に歩くように言う。

抵抗しなかった女性だが、弓を傷つけないようにと、文句はしっかり言った。

「それはあたしらにとって生命線なんだ」

「分かっています」

狩人にとっては、商売道具。川背の包丁と同じだ。

これなら、奇襲も防げる。川背の判断は合理的だが、それ以上に恐らく、スペランカーに矢を向けた事を怒っていたのだろう。

しばらく斜面を上がったあと、不意に崖に出る。

此処が、最前線なのだと、一目でわかった。

他の所もそうだが、此処はとても体が軽い。崖に生えている木までもが、非常に大きく成長している。飛び降りても死なないのでは無いかと、スペランカーは思ってしまった。

崖の底には小川が流れていて、その辺りに、人影が見える。

恐らくアレが、狼人族だ。

手をかざして、のぞき込む。

「飛び降りても大丈夫?」

「降りるなら、風船を使いな」

「え?」

「水素入りの風船だよ。 よそじゃ駄目らしいけど、此処だったらそれで降りられるし、崖下からは水素を多めに入れれば浮かべる」

つくづく、凄い場所もあったものである。

崖の中途には、無数のゴンドラがあって、豚人が弓矢を持って構えているようだ。更にゴンドラの上には巻き手がいて、主に子供がそれを担っているようである。

この崖は、ずっと二種族の争いの最前線になってきた場所だと、女戦士は言う。

「間近で戦っても勝てないからね。 此処を豚人族は防衛線にすることを選んだのさ」

「よく狼人族がそれに乗りましたね」

「彼奴らは勇気を最重要視する種族でね。 此処を制圧されることも今までに何度かあったけど、どうしてか先に進んでこようとしない。 捕虜に聞いてみたら、刈りつくしたら獲物がいなくなるから、てね。 巫山戯た奴らだ」

なるほど、それがずっと戦争が続いている理由でもあったわけだ。

でも、その均衡も崩れはじめていると、女戦士は言う。

「あたしらがちょっと増えすぎてね、この崖を死守するどころか、狼人の本拠地に攻めこむって話が出始めてるんだよ」

「え?」

「ほら、少し後ろの方」

崖のゴンドラではない。

その近くに、幾つか森がある。その中に、豚人達の部隊が潜んでいる。彼らはそれぞれが、突撃銃を手にしているようだった。

背筋が寒くなる。川背が、淡々と言う。

「カラシニコフですね。 貧困国でもっとも大量に出回っている強力な殺傷力を持つ突撃銃です」

「外貨をあれに換えてたんですか」

「そうさ。 昔気質の戦士はみんないやがってるけど、とにかく強いんだからしようがない。 狼人共が子供を奪ったのも、その突入作戦を阻止するためだったって説もあるくらいでね」

何でそんなことを話してくれるのか、と思ったが、愚問だった。

この戦士、捕まったあと露骨に抵抗もしないで、罠にも掛けようとしなかった。勿論川背に隙が無かったという事もある。

だが、おそらくは。

現状に反発しているのだ。

宿六と言っていた相手が村長だとすると、彼女は多分豚人族でも一二を争う戦士だろう。それに、戦闘に関する心構えなどが、極めて真面目だ。

それでは、村長のやり口が気に入らないのも当然だろう。戦士のあり方を否定されているも同然だからだ。

「川背ちゃん、縄をほどいてくれる」

「はい」

「どういうつもりか」

「前にも言いましたが、戦いを止めることが目的です。 どっちにも荷担する気は……」

爆発音。

崖が揺れるほどの衝撃が来た。

ワイヤーが切れる音。すっころんだスペランカーは、その場で即死。蘇生して立ち上がりつつ、見る。

煙が上がっている。

戦いが、始まってしまったらしい。

「先輩」

「ん……」

既に女戦士は、前線に駆けだしていく所だった。

何が起こったのか。少なくとも、平和の祭典では無い事だけは確かだった。

 

狼人族の村に辿り着いた影は、あまりにも人が少ないので驚いた。しかも老人ばかりである。狼がそのまま立ち上がったような連中だが、それでも毛並みはぼろぼろで、肌もしわだらけであり、牙も抜け落ちている様子が目だった。

忍び込もうと思ったのだが、これではその意味さえも無い。戦士は全員が出払っている、という事だろうか。

此処は最大派閥の根拠地の筈なのだが。

村の作りは、一種の竪穴式住居である。穴に住む狼と同一なのだろうか。斜面に穴を掘り、簡単な屋根を付けて生活しているようだ。外から家は丸見えだが、恐らく交尾や日常生活を覗かれても気にしない習性なのだろう。

しかも、である。今まで豚人族に攻めこまれたことが無かったのか、防御施設は大変にお粗末で、柵も無ければ櫓も無い。周囲を警戒もしていない。狼人族は狼ほど鼻が利かないとは聞いていたのだが、それでもこの有様はどういうことなのか。

いらだちさえも覚えた影は、説教してやろうかと思ったが、止める。一通り村をみて回った後、結論。子供などとらえられていない。もしもとらえられているとしたら、此処では無い別の場所だ。

勿論影は本職の人間だから、最初からプーリャンの言葉など信じてはいない。もっとも、あの場にいた人間の中で、真面目に信じているのは司令官くらいだったようだが。あのスペランカーという女、抜けているようで結構出来る。

話を聞いておこうと思い、影は堂々と長老格と思われる狼人の前に姿を現す。穴の前に座っていた彼は、影を見て度肝を抜かれたようだった。

「な、なんじゃね……」

「話を聞きたい。 俺は影。 フィールド探索者だ」

「ああ、あんたがカモルの言っていた……」

何だ何だと、緊張感が無い狼人族が集まってくる。

剽悍な戦闘民族かと思っていたのだが、随分とのんきな連中の集まりだ。年老いて呆けているのかと思ったが、若い者も幾らかいる。

これは、どういうことか。

「豚人族から聞いた。 あなた方が、豚人族の族長の息子を誘拐したそうだな」

「なんじゃそれは。 どこから聞いた」

「長のプーリャンだが」

「あの腹黒豚か」

忌々しそうに、長老がいう。

ハリーは言っていた。狼人族は、無数の群れから構成されている種族で、群れごとに順位があり、それで様々な事を決めていると。

だが、戦闘力で判断されるべき地位が、明らかにひ弱な老人に握られているのは、どういうことか。

それらを順番に説明していくと、長老狼はにやりと笑う。何処か、悪魔的な笑みだった。

「ほう、そんなことを」

「カモルといったか、あの商人から聞き出した話だそうだが、事実とは随分違うように思えるのだが」

「違わんよ。 確かに儂が今、我らグール族で最強の戦士だからなあ」

狼人ではなく、グールというのか。

だが、最強というのは、どういうことなのだろうか。そう思ってみていると、最強であるが所以を見せてくれた。

長老が、側にあった肉の塊を口に入れる。犬の仲間は肉をぺろりと飲み込んでしまうが、この老狼男も同じである。

途端、見る間にその体がふくれあがっていく。筋肉が盛り上がり、牙も新に生えていった。

やがて、立ち上がった長老は、さっきまでの腰が曲がった老人では無かった。

凶猛な戦士としての姿を、露わにしていたのである。全身は美しい銀毛で覆われ、腕も足もたくましい筋肉で守り、さながら伝承に残るウェアウルフそのものの姿である。怪物と言っても、通じるほどの猛々しさだ。

「見ての通りじゃて。 儂らは普段、年齢相応の姿をしているが、こうして短時間なら全盛期の力を出せるんじゃよ。 「獲物」の肉を喰らうことでな」

「獲物というのは、豚人の事か」

「そうとも。 御前さん達が言う「豚人」はひょっとして、我らグールを対等の相手とでも思っていたのか?」

馬鹿な話だと、すっかり筋肉質の大狼になった長老が一笑する。

他の狼人達も、同じなのだろうか。いや、おそらくは同じだろう。しかし、違う部分も多い。

「三百年も戦闘が続いているのは、我らが定期的に狩を行っているからであって、一進一退だからではない。 その気になれば、一晩で「豚人」、いや我らは生き肉と呼んでいる彼奴らを滅ぼすことなんぞ容易じゃわい」

「今、連中がカラシニコフに代表される近代兵器で武装しはじめているとしてもか」

「何」

「どうも見えない部分があったが、何となく分かってきたな。 狩のつもりかも知れんが、すぐに前線から兵隊を引き上げさせろ。 身体能力が上がろうと、特殊な力でも無い限り、近代兵器には勝てん」

長老が青ざめる。

これは、急がないと手遅れになる可能性が高い。

そしてそうなった場合、とてつもない事態が発生する可能性さえある。

爆発音。

森が揺れるほどの衝撃が、此処まで届く。顎を落とした長老に、言う。

「遅かったようだな」

「いかん、引き上げの狼煙を上げろ!」

叫びは、爆発音にかき消された。

 

爆発音がして、吹き飛んだのは向こう側の崖。

スペランカーが駆け寄ると、もうもうと火が上がり始めていた。崖下に点々と見えるのは、ぐちゃぐちゃに吹き飛んだ狼の死体。

見えた。

豚人達の一部が、RPG7を狼人に叩き込んでいる。爆発の度に、吹き飛んだ肉塊が散らばっているのが見えた。

勿論、狼人達も黙っていない。

遠吠えのような声が上がると、どこに潜んでいたのか、凄い数の狼たちがばらばらと崖下に現れた。半数ほどは風船を掴んで跳躍。崖に張り付いて、崖を蹴りながら上がっていく。

風船による浮力が、崖を駆け上がる作業を著しく簡単にしている様子だ。

下を見ると、どうしてか、爆破されたゴンドラが幾つか見える。

さっきのワイヤーが切れる音は、これか。

がさがさと茂みをかき分けて現れたのは。葉巻たばこをくわえた、プーリャンだった。手にしているのはカラシニコフか。

「なんだあんさん達、もう来てたのか」

「プーリャンさん……」

「見ての通り、復讐の時だよ」

登ってくる狼は、片っ端から矢に辺り、打ち落とされていく。それならばまだいい。墜ちた狼は痛がってはいるが、自分で矢を抜いて、後ろに下がろうとしているからだ。

問題はカラシニコフだ。

崖上から斉射されるカラシニコフの弾丸の雨を浴びた狼は、見る間に襤褸ぞうきんのように切り裂かれ、落下していく。あれではひとたまりも無いだろう。

ゴンドラの一つ。

さっきの女戦士が、必死に矢を放っているのが見えた。

「今まで儂らは、狼人どもの侵攻の度に同胞を失ってた。 なすすべが無かった。 見ての通り、儂らの矢じゃ彼奴ら、狼人、いやグールどもを殺せない」

「どういう、ことですか」

「儂らを作った神さんの意向でな。 グール共は狩る側、儂らは抵抗する側。 その関係のまま、互いの力を練り上げろ。 そういう話らしい」

また爆発音。

ゴンドラが一つ、火を噴いて木っ端みじんになった。

明らかに狼人の仕業では無い。ゴンドラに何かが飛んでいった様子も無かった。爆弾が、事前に仕掛けられていたのだろうか。思わず耳を塞いだのは、ゴンドラに乗っていた豚人の断末魔が聞こえたような気がしたからだ。

「巫山戯た話だとおもわんか。 儂らはどこまで行っても、餌。 彼奴らはどこまで行っても、捕食者。 しかもその結果が、神さんの手足として便利な生体兵器の生成っていうんだから、巫山戯た事だ」

「……だから、味方まで粛正するっていうんですか」

「そうだ。 納得出来ないっていうんでな。 今までの関係が良いって言う奴はどうしてもいるんだよ。 武人の誇りだかなんだか知らんがな。 儂は下っ端だった頃から三十年掛けて周りを説得したが、それでも駄目でな」

火力の滝を浴びて、流石に被害が凄まじいからか、狼たちは逃げはじめる。

だが、その背中にも、容赦なくカラシニコフの鉄の雨は降り注いだ。勿論一発でも受けてしまえば、その場で身動きが取れなくなる。あとはなぶり殺しだ。

川背がすぐにルアーつきゴム紐を投擲して、木の上に上がる。だが、青ざめた彼女が、首を横に振る。

「駄目です、遠すぎます」

「えっ!?」

「きっと、僕たちの介入も見抜いていたんです。 銃撃部隊との間に崖があって、この低重力で僕のゴム紐使っても、わたれません」

ゴンドラの上でリールを巻いていた子豚たちは、半泣きになっている。

彼らだって、戦争を経験したのは初めてでは無いはずだ。あまりにも今回の作戦が、一方的で、なおかつ徹底的な虐殺だったからだろう。

ゴンドラが上がってくる。

さっきの女戦士だった。

「この宿六っ!」

駆けてきた彼女は、夫の胸ぐらを掴んだ。鬼のような形相だ。

だが、プーリャンは、冷め切った目でその様子を見ていた。

「あんた、村の精鋭達を殺したね!」

「ああ。 彼奴らが、一番聞き分けが無かったからな」

「巫山戯るなっ! 戦士としての誇りを胸に、何十年も村を守ってきた奴らだよ! あんたと意見が違うからって、どうしてこんな!」

「こうしなければ、儂らは永遠に犬共の餌だからだっ!」

プーリャンの怒りが、言葉となって周囲を打ち据えた。

スペランカーには分かる。この怒りは、何十年も蓄積されたものだ。一朝一夕の言葉で、どうにか出来るものではない。

そもそも、豚人族も狼人族も、人間扱いされる存在である。まだ独立国家として認められてはいないが、それに変わりは無い。

つまり、戦闘に介入は出来ない。

本来の目的が、邪神の探索と排除である以上、それはなおさらだ。

「戦いが此処で膠着してるとでも思ったのか? 暗黙の了解で、ずっと連中の狩に、儂らはつきあわされていたんだよ!」

崖の下は、死体の山だ。

グールとプーリャンが呼んだ狼人の戦士達は、確実に壊滅的な打撃を受けたと言える。しかも、近代兵器が通用することが、これで証明されてしまった。完全にパワーバランスは、逆転したのだ。

「戦争を止める気はあっても、どっちかには荷担しないっていったよなあ。 その言葉、信じさせて貰うぜ」

「この外道……」

川背が木から下りてくる。

目が燃え上がるようだった。もしスペランカーが一言言えば、躊躇無くプーリャンを殺しただろう。

だが、それはいけない。

それでは、同じになってしまうからだ。

周囲に無数の豚人が現れる。いずれもカラシニコフを手にしていた。

別に怖くは無い。

しかし、悲しかった。

「あんた達を拘束しないのは、俺にすごくうまい飯を食わせてくれたからだ。 事実を聞かせたのも、その恩からだ」

「プーリャンさん……」

「多分、わからんだろう。 目の前でゴンドラから戦士達が引きずり出されて、彼奴らに連れて行かれる絶望を。 彼奴らが、あの崖から投げてきた石でゴンドラが落とされて、中にいた奴が八つ裂きにされる悲しみを。 儂らは、ずっとずっとそれを見て育ってきたんだ。 それが神さんの意向で、より優れた生物兵器を作るためだあ? 巫山戯るな……巫山戯るなっ!」

拳を固めて、わなわなとプーリャンが震えている。

怒っているように見える。だが本当は、多分泣いているのだろうと、スペランカーは思った。

「これから、儂らはグールどもの村に攻めこむ。 一つ残らずぶっつぶして、皆殺しにしてやる」

そして、スペランカーは見る。

邪神達が湛えていたのに勝るとも劣らない狂気を、プーリャンが宿している光景を。

豚のような姿をしていても、この人は人間と何も変わりない。

 

命からがら逃げ帰ってきたグール達は、皆手酷い怪我をしてきた。五十匹以上が殺されたらしい。更にその倍以上が、戦闘続行不能な怪我をしている状態である。

影は無言で応急処置を手伝った。

どんどんまずい方向へ、事態が転がりはじめている。グール達は影を見て何か言いたそうだったが、長が何も言わないので、黙っている様子だ。

「やられたな……」

「彼奴ら、掟に背きやがった」

どうやら攻撃部隊の長らしい、まだ若い狼人が、肩の怪我を撫でながら言う。話を聞くと、豚人達は突撃銃やRPG7で武装していたらしい。

狼人達も、そういった武器の存在は知っていたそうだ。

近辺の麻薬組織の攻防は激しく、勢力図は日常茶飯事に書き換わる。そんな状態だから、時々新興の組織が、この山にある資源を根こそぎに奪おうと攻めこんでくることがあるらしい。

「そういうときは、どうしている」

「相手は掟によって戦っている生き肉じゃあないからな。 やりようなんぞ、いくらでもある」

当然一人も生かしては返さないと、若い戦士は言った。

確かに、これだけ身体能力が高い上に、深い森、険しい山である。地の利を知り尽くしているという利点は大きく、その上何かしらの切り札があってもおかしくない。

此処は、フィールドなのだ。

軍隊でさえ、入ったら生きて帰ることは叶わない。

「で、どうするつもりだ」

「何が」

「恐らく攻めてくるのではないのか。 完全に力の差が逆転した今、向こうが黙っておとなしくしているとは思えないが」

グール達が愕然としたので、影は呆れた。

此奴らは、恐らく。状況に保護された戦争ごっこを、延々と続けていたということなのだろう。

向こうは餌で、こっちは狩人。

しかし、長年の戦いで、餌は知恵を付けた。

正確には、人間の悪知恵を輸入した、というべきなのかも知れない。

「ど、どうしよう。 こっちには戦士じゃ無い子供もいる」

「迎え撃つにしても、こっちのことを知らない人間じゃ無いぞ。 当然、地形くらいは把握しているはずで、奇襲が通用するとは思えん」

「逃げるにしても、どこに。 周りは麻薬組織の巣ばかりだ」

右往左往しはじめるグール達は、滑稽を通り越して哀れだった。

彼らは、豚人達と違って、外貨獲得を生活向上のためだけに行っていたのだろう。豚人達が、事態の改善を図るために、どんな手でも使おうとしていたのとは、完全に違っている。

おそらくは、これが。

驕った者の末路という奴だ。彼らは狩る立場であるという事に疑問を抱かず、獲物がどんなふうに牙を研いでいるか、考えようともしなかった。ずっと、相手が弱いままだと信じ切っていた。

忍者の間でも、油断は絶対にするなと言う鉄則がある。達人級の忍者が、ちょっとの油断から命を落としたという例はいくらでもあるのだ。

そもそも豚は雑食で、力も見かけ以上にずっと強い。豚を飼っている畜産業者は、時々事故に遭う。豚は人間の弱点を知っている。股を内側から突き上げ、人間を高々跳ね上げる事があるのだ。

頭から墜ちれば、大けがではすまない。

人間に対してさえ、本能的にそういう対抗策を手にしているのである。狼に対して、どうしていつまでも無力でいようか。

「やむを得ん。 神様に助力を頼もう」

「! 神とやらが、いるのか」

「いるさ。 たちが悪い病気がはやったりとか、狩の成果が芳しくないときとかは、お伺いを立てるんだよ」

やはり、藪をつつく結果になったか。

ほくそ笑む。

これは一刻も早く、スペランカーたちと合流しなければならない。ふと、そこで思い当たる。

どうして、事態発覚から一月も放置されていたのか。

これは、影が思う以上に、闇が深い事件なのかも知れなかった。雇い主の勘は当たっていたわけだ。だが、影の目的とは合致している。

此奴らを放っておいて、一度スペランカー側の様子を見る必要がある。

これは思ったよりも早く、影の目的が達成できるのかも知れなかった。

 

3、崩れる均衡

 

豚人達の村に辿り着いたハリーは、もぬけの空になっているのに気付き、愕然とした。老人や子供さえもいない。

粗末な柵で覆われた村に立ち並ぶ家は、原始的な円筒形で藁葺きの作りだ。オモチャのようなそれが建ち並んでいて、本当に雨露だけを凌ぐ作りになっている。これは、外貨を何に換えていたのだろう。ただし、村の規模自体はかなり大きい。前線にある砦以外は、全部の豚人がここに住んでいると調べはついていたが、確かにそれだけの規模はある。

監視カメラなどが設置されているが、気にしない。

文字通り柵を飛び越えて、村の中に入ったハリーは、倉庫が空っぽになっている様子を見て、非常に嫌な予感がした。

此処まで空っぽにして出ているという事は、文字通りの総力戦体勢だという事である。

豚人は子供も戦闘に参加すると聞いていたが、プーリャンが何かとんでもない作戦を開始した可能性が高い。

見ると、閃光弾が上がっている。

あれは、多分川背だ。

念のため、村の中を調べる。そうすると、村長宅らしいひときわ大きな家に、国連軍が撮ったらしい衛星写真があった。これは、どういうことか。提供しているという話は聞いていないのだが。

プーリャンが持ち帰ったとは思えない。

村を出る。

急いで川背と合流すべく、走る。

ハリーの能力は戦闘向きでは無いし、そもそも重力が非常に弱い此処では、あまり使い出が無い。ただし、移動に関しては、此処では更に実力以上の力を発揮できる。合流したあとは、どうするか。

とにかく今は、情報を共有することだ。スタンドプレイに動いている影も合流すれば、行動の選択肢が増え、幅が広がる。

木々の間を駆け抜け、飛ぶように走る。

フィールド探索者としてはまだ現役だが、しかし基本的に補助要員だ。故に、機動力については、それなりに自信がついてきている。ひときわ高く飛ぶ。ある程度の高さになると、不意に体が重くなる。或いは、この高さまでしか、フィールド内部の異常法則が働いていないのかも知れない。

見えた。

川背だ。スペランカーもいる。

「ハリーさん!」

「どうやら、もう始まってしまっている様子ですね」

柔らかく着地。

ハリーの能力は、落下する際のダメージ封殺。正確には吸収である。これは摩擦などにも応用することが出来、その気になれば壁に張り付くことも可能だ。

ただし、このフィールドの、重力の軽減とは相性が良くない。

プーリャンは、いない。

スペランカーの周囲は、カラシニコフを持った豚人が何名かいる。拘束している様子では無く、見張っているだけのようだ。

「主力は」

「もう、崖の底に」

風船を使って、飛んでいったという。信じられない話だが、まあ此処の特性を考えれば、不可能では無いはずだ。

しかし、スペランカーは無抵抗のままでいたわけではないだろう。

影が姿を見せる。

「ハリーの旦那も一緒か」

「情報を整理しましょう」

「分かった。 それから動くのが賢明だな」

そういえば、一人だけ。

カラシニコフを持っていない豚人がいる。女性の戦士だが、険しい顔で、弓を手にしたまま此方を見ていた。

 

やはり邪神はいるらしいと、スペランカーは影の話を聞いていて思った。だが、それにしては妙なことが多いのだ。

確かに邪神達は、人間とは違うスパンで動いている。何十年も掛けて計画を練ったり、気が長いと言うより、おそらくは時間の感覚が違うのだろう。

このフィールドが出来たのは三百年前と聞いている。その時からずっと争いが続いているとなると、実験をしているか、或いは。

しかし、である。

気配を全く感じないのは、どういうことなのだろう。

「狼人達は、神に伺いを立てるって言っていたんですね」

「ああ、間違いない」

「待ちな」

女戦士が言う。目には不審が宿っていた。

「神さんは、あたしらの味方の筈だ」

「どういうことですか? 先ほどのプーリャンさんの話から聞くと、どうも争いをずっと煽っていたように聞こえるんですが」

「というか、さっきの宿六の話は初耳なんだよ」

周囲の豚人達は、話について行けない様子である。

どうも、話がおかしい。

「ええと、お名前は」

「無いね。 あたしら豚人は、トップとその息子以外は名前が無いんだ。 うちの宿六と、その息子のプーヤンだけが名前を持っているのさ。 どうしても呼びたいなら、一番の射手って呼びな」

「分かりました。 一番の射手さん、神様を見たことは」

「あるわけないだろ。 少なくともあたしらは、巫女になっている者から託宣で話を聞くんだよ。 その内容も、殆どは狼人族がどう攻めてくるかとか、今年の収穫はどうなりそうだとか、そんなことばかりさ。 そもそも巫女が持ち回りで、決まった場所で神酒を飲んで託宣を出すって内容だけでね」

愕然とする。

今まで、何度も異星の邪神と接してきたから分かる。

彼らは偶像のようなまどろっこしいものは使わない。必要に応じてその存在をどんどん表に出していく。少なくとも、スペランカーが接してきた者達は、皆そうだった。フィールド探索者の存在があって危険だとしても、彼らは身を隠すことは無かったのである。

一体プーリャンは、どこでさっきの話を聞いたのか。

それが、分からない。

崖下で、騒ぎが起こり始めた。

「スペランカー先輩!」

川背が、声に焦りを込めて叫ぶ。

側に駆け寄ると、第二の惨劇が、崖の底では起ころうとしていた。

プーリャンが、積み重なった狼人の死体の周囲に、皆を集めている。カラシニコフを持った兵隊達が、プーリャンの演説を聴いていた。

「今、儂らの力は、グールどもをしのいだ!」

歓声が沸き上がる。

カラシニコフやRPG7を天に突き上げ、豚人の若者達は皆大喜びしていた。

「儂ら乳に祝福されし民は、今こそグールを倒すことを誓う! そして喰われる者というくびきを外し、真の自由を得るのだ!」

「乳に祝福されし民……!?」

「あたしらの名前さ。 誰が言い出したのかはわからないけど、多分生まれてすぐに、村の奥で沸く白い液を飲んで育つからだろう」

ハリーが眉をひそめる。

「ハリーさん?」

「例の麻薬の自生地の中心に、妙な泉があります。 それのことでしょう」

「それより、止めるなら今です。 飛び降りること自体は出来ますが」

「直接連中をたたきのめすのか? 此方に危害も加えていないのに?」

川背に、影が皮肉混じりに応じる。

これは民族紛争だ。しかも、こっちに対して、豚人は手を出してきていない。

フィールド探索者が戦争に関与することは、基本的に許されていない。攻撃を受けた場合反撃をすることは認められているが、彼らは此方に対して、弓矢を向けてきただけだ。

崖下では、プーリャンが演説を締めくくろうとしていた。

嫌な予感が、最大になる。

神の気配は無い。だが、それに似た、何かとてつもなく嫌な空気が、辺りに漂いはじめている。

「勝利の前祝いとして! グールどもの肉を、今食う!」

「まずい。 止めるよ、川背ちゃん!」

「掴まってください」

豚は貪欲な生き物だ。

死んだ者は、同胞の子供でさえ喰らう。豚人達がそうではないとは限らないと思っていたが、その習性が残っていたか。或いは原始の民達のように、倒した相手の肉を喰らうことで、相手の強さを取り入れようとしているのか。

川背が飛ぶ。スペランカーも彼女に掴まって、空に舞った。

人を食うことを、由と出来るわけがない。だがそれ以上に、非常に嫌な予感がした。これは邪神の気配に、極めて近い。

崖下に、飛び降りる。

確かに重力が弱いらしく、いつもの落下よりもずっと風が弱い。これならば、風船を使えば確かに浮き上がれそうだ。

少し遅れて、ハリーが着いてきた。

影は、此方の様子を一瞥だけすると、姿を消す。多分独自に、何かの目的があって動くのだろう。

引きちぎられたグールの腕を高々と持ち上げたプーリャンが、歓声のなか、それにかぶりつこうとする。

川背が、ルアー付きゴム紐を投擲。

一瞬早く、その腕をはじき飛ばしていた。

着地。

周囲を、カラシニコフの銃口が取り囲む。だが、待てとプーリャンは言い、スペランカーをにらみつけてきた。

「どういうつもりだ、あんさん達」

「私、邪神の気配を感じ取ることが出来ます。 今は邪神の気配が無いけど、それに近い感じがあるんです。 凄く嫌な予感。 絶対に、そんなことをしては駄目です!」

「何だか知らんが、これは勝利の儀式だ! 今まで儂らは喰われるだけだったが、今度は喰う側に廻る! それを、皆に見せつけなければならん! 邪魔をするな!」

「少し落ち着いてください!」

ハリーはいない。

崖の途中で岩を蹴って、対岸に廻ったのだ。多分今の話を聞いて、狼人の方を見に行ってくれたのだろう。今はとにかく、全く解決の糸口が見えない。ハリーの行動は正しい。何か、ハリーは掴めているのかも知れない。

スペランカーの嫌な予感は、ふくれあがるばかりだ。

武闘派の川背は、とっくに戦闘態勢に入っている。この間、未来に行ってきたときは、空飛ぶ戦艦を殆ど独力で叩き落としたという彼女の実力は、既に一流どころの名に恥じない。

カラシニコフで武装していようが、この人数くらいなら、文字通り鎧柚一触だろう。だが、今は、まだ駄目だ。

「蹴散らしますか? この人数なら、やれます」

「川背ちゃん、ごめんね。 もうちょっと、話させて。 プーリャンさん、私、多くの恐ろしい異界の神様と戦って来ました。 それで知ったことがあります。 神様が好きなのは、人の狂気なんです。 そして、此処にはそれが充ち満ちていると思いませんか?」

「知るかそんなこと! もう引き返せない! それに、此処で全てを変えなければ、何もかもが元の木阿弥なんだよ! 俺たちにまた餌になれっていうのか!」

「そんなことは……」

悲鳴。

辺りが静まりかえる中。

プーリャンの後ろで、豚人が一人、奇妙な悲鳴を上げていた。

 

「やはりな……」

ハリーが見たのは、豚人の所にあるのと、全く同じ白濁した泉。グール達の村は、豚人の村と同じように、周囲には麻薬の材料になる植物が密生している。その植物は、全く同じものだった。

これでは、まるで双子の山だ。

そういえば、おかしな事が他にもある。泉が湧いている位置も、殆ど正対称なのである。これでは、まるで。

下世話な想像をして、ハリーは帽子のつばを掴んだ。いくつになっても、こういう想像からは逃れられないらしい。

だが、この液体の色と言い、甘ったるい臭いと言い。あまりにも、笑い飛ばすには、無理な条件が整いすぎている。

それだけではない。

狼人達の幼子を見て確信する。それは、あまりにも異質。そして、ある仮説をハリーに立てさせるには、充分だった。

これは、非常にまずい事態かも知れない。さっき影が言っていたが、グール達の長老は、豚人の肉を喰らって一時的に全盛期の力を出すことが出来るという。ハリーの予想が正しければ。

あと一つ、確認しなければならないことがある。

グール達の集まりは、すぐに見つけることが出来た。さっき神に会うと言っていたと、影は話していた。

それならば、もし神がいるなら、此処に現れるはず。

だが、そんなものはいない。

気配も無い。

ハリーも以前、異星の邪神と間近に接し、会話までした事がある。

だから、スペランカーほどでは無いが、ある程度は分かる。はっきり確信できたが、多分この山に、異星の邪神はいない。

もしも、いるとしたら。

「神は言われた!」

着飾ったグールの老婆が、よだれを垂れ流しながら叫ぶ。

恐らく、麻薬成分のある物質を口にしている。

未開民族の祭りでは、よくあることだ。巫女は薬物を口にしてトランス状態になり、お告げを口走るのである。

問題は、その口にしている成分が。

明らかに、煮詰めたあの白い液体と言う事だ。

「豚人共に肉を食わせてはならぬと! 母なる乳の神は、憂慮為されている! 豚人共が我らグールの肉を食うことを!」

まずい。既にそれは、起こりつつある。

「神よ! 何が起きるのです!」

「境が、無くなる!」

 

影は少し離れて、様子を見ていた。

プーリャンの後ろで、こっそりグールの肉を囓っていた個体が、見る間に変質しはじめる。

ほぼ予想通りだ。

まだいくつか分からない事がある。だが、これでほぼ全てのことが解明できた。

シュブ=ニグラス。

それが、この二つの山を覆う現象の名前、そのものだ。

スペランカーには言っていなかったが、雇い主にその名は告げられていた。ただし、雇い主は、まだ核心が無い様子だった。

今回影が出てきたのも、その疑惑を、核心に変えるためだったのだ。

スペランカーが嫌な予感がすると言っていたが、あながち間違ってもいない。というよりも、雇い主の予想以上にあの女は出来る。それに、あのハリーという男。どういうわけか、思った以上に優れた調査能力を持っているようだ。あまり長い間放置もしておけない。場合によっては、消す必要も生じてくるだろう。

「うあ、おえ、げええええええっ!」

「ど、どうした!」

豚人の体が、内側からふくれあがり、ひしゃげ、潰れ、はじける。目玉が飛び出し、舌が突きだし、そして厖大な白い霧を全身から吹き出しはじめた。

どうしてだろう。

その姿は、多数の乳房を持つ、巨大な黒山羊に見えた。

黒山羊が、雄叫びを上げる。カラシニコフはその体に半ば取り込まれており、へし折られて潰れていた。

豚人達は逃げない。

むしろ、ふらふらと、黒山羊の化け物に歩み寄っていく。村長のプーリャンまでもが、である。

「川背ちゃん!」

無言で、川背が動いた。

豚人達にルアーを引っかけ、放り投げる。目にもとまらぬ早業で、次々に吹き飛ばしていく。噂通りの手前だ。相当に強いと聞いていたが、これはまともにやり合ったら影では勝てないだろう。

あくまで、まともにやりあったら、だが。

そのままだと、ふくれあがっていく黒山羊に取り込まれてしまっただろう豚たちは、次々に空中に投げ出され、崖にたたきつけられ、意識を失った。説明をせずとも、意思が通じている。たいしたコンビである。

プーリャンだけは、頭から地面に落ちたが、意識がある様子だった。彼は呆然と、変質していく仲間を見つめていた。

「なんだ……あれ……」

「先輩、あれは」

「ううん、神様じゃ無い」

スペランカーが、おかしなことを言う。あれはどうみても異星の邪神だ。しかし、スペランカー自身の表情をのぞき見る限り、嫌な感じはしているようだ。

これは、分からない。雇い主に報告すべき事かも知れない。

やがて、山羊が天に向けて呻く。

そうすると、全身から、無数の肉腫が盛り上がりはじめる。そしてそれがはじけると、羊膜に包まれた大きな狼が、続々と現れたのである。

降り立ったのは、豚の女戦士。唯一無事だったゴンドラから降りてきたのだ。上では子供達がリールを巻いていた。

手には、昔ながらの弓矢。

その目は、怒りに燃えていた。

「どきな、宿六」

「お、お前」

「一つだけ聞く。 プーヤンをどうした」

「……あれは、神に」

神、だと。何を言っている。

そういえば一つ分からない事がある。この理想を見失った男に、誰が真実を告げたのか。影の雇い主以外の誰かが、動いているという事か。

分からない。

ただ、はっきりしているのは。

充分なデータを、これからとることが出来ると言う事だ。

それには、邪魔を排除しなければならなくなった。

舌打ちする。

そして、影は立ち上がった。

 

狼たちは、スペランカーにも川背にも、目もくれなかった。

まるで夢遊病のような足取りで、点々と倒れている豚人達へ向かっていく。二足では無く、四足でだ。完全に目の焦点はあっておらず、完全に薬物中毒状態だ。

何となく、分かってくる。

この山の、フィールドの正体が。それは神では無い。恐らく、もっともっとおぞましいものだ。

女戦士が、動く。

彼女が放った矢が、狼を撃ち抜く。悲鳴も上げず倒れた狼だが、すぐにまた起き上がり。のろのろと動き始めた。

心なしか、その動きは、徐々に速くなってきている。

「けが人をゴンドラに! あたしが時間を稼ぐ!」

「分かりました!」

いわゆるロングボウを女戦士は使っているが、速射をすれば腕への負担だって大きいはずだ。戦士の肉体をしているとは言え、限界がある。

スペランカーが、手近な豚人に駆け寄り、引きずっていく。川背は冷静に状況を見て、山羊と化した豚人にルアーを引っかけると、伸縮力を利用して強烈な蹴りを叩き込んでいた。

頭がへし折れる音。

流石にひとたまりも無いだろうと思ったが、甘かった。黒山羊の怪物はふくれあがりながら、更に体積を増していく。折れた首など、気にしている様子も無い。それどころか、徐々に生み出される狼の数が増え、動きも速くなりつつある。

それを見て、仮説が核心に変わっていく。

川背も、物理攻撃の愚を悟ったようだ。狼を処理する方に回り始めた。

「ひいっ!」

目を覚ました豚人が、我先にゴンドラに逃げ込みはじめる。リールを巻いて必死に上下を往復させるが、間に合わない。女戦士が次々狼を矢で射貫くが、ほんの一瞬だけ動きを止めるのが精一杯だ。

パニックを起こした豚人達は、カラシニコフを乱射しはじめる。

だが、狼は撃ち抜かれても撃ち抜かれても、平然と起き上がり、進んでくる。

一人が、掴まる。

そして、どろどろに溶けながら、狼が無理矢理豚人の口の中に侵入していく。一見すると豚人が喰われているように見えるのだが、逆だ。

無理矢理、豚人が、狼を喰わされている。

そして、狼一匹が、まるまる豚人の体に、納まってしまった。白目を剥いて泡を吹いていた豚人が、ふくれあがっていく。

もはや、助からないのは明白だ。

触手を伸ばした山羊が、その膨らんだ肉塊を取り込む。

見る間に大きくなっていく山羊は、体の下に無数の足があった。

「先輩、あれは」

「神様じゃ無い」

違う。もっとおぞましいもの。

多分、生きた自然現象。

それには魂もなければ、意思もない。つまり、スペランカーの必殺武器であり、数多の神を倒してきたブラスターが通用しない。

どうすればいい。

また豚人が、一人掴まる。逃げ惑いながらカラシニコフを乱射している豚人が、フレンドリファイヤを起こしてしまう。頭を打ち抜かれた豚人が、その場で無数の狼に集られた。

死体でも、良いらしい。

見る間に、ふくれあがっていく肉塊が、パニックを助長する。

川背が一人を掴むと、崖にゴム紐を引っかけ、自ら跳んだ。ゴンドラを待つより、その方が早いという事だ。

戻ってくる。

ゴンドラは必死に往復しているが、狼の数は増えるばかり、山羊は大きくなる一方だ。女戦士は必死に頑張っているが、このままではまずい。

スペランカーは、あまり頭が良くない。

難しいことは、分からない。

だが、一つはっきりしていることがある。このおぞましいものは、存在の形成過程にあるものだ。

それなら。対処は、可能かも知れない。

「先輩!」

「残るよ。 お願い」

「分かりました!」

また一人、川背が豚人を掴んで、跳んだ。

 

ハリーは、立ちはだかる影を見て、拳銃に手を伸ばした。

勝てる相手だとは思えない。

だが、分かっていたのだ。恐らくこの男が、立ちはだかってくることは。目的が違うのだから、当然とも言えたが。

狼人達を説得した。祭りの最中に乱入してきたハリーに彼らは憤ったが、ただならぬ気配である事は分かっていたのだろう。そして、説明を受けて、彼らは渋々ながら、協力を承知してくれた。

分かっていたのだ。

この時点で、多分影が、此方とは違う目的で動いていることは。

「悪いが、この先には行かせられない」

「何故かね」

「利害が一致しないから」

「やはりそうか」

会話は短い。

影は、忍者と呼ばれるタイプのフィールド探索者の中では、さほど強い方では無いと聞いている。それでも刀や手裏剣を巧みに使いこなし、更には秘術の類も有しているはずだ。そうでなければ、文字通りの人外の地であるフィールドで、生き残ることなど出来ない。

「どういうことだね」

いぶかしげに言うグールの長老に、いきなり影は手裏剣を投げつけた。それは瞬時に巨大化し、人体よりも更に大きくなって、グールの長老の肩を深々と抉った。

悲鳴を上げて倒れるグール長老。

殺気立つ狼人達。

印を組む影を見て、ハリーは思わず、全力で跳躍していた。

だが、遅い。

全身を、凄まじい音の壁が張り倒した。

この能力は、何だ。手裏剣が巨大化したものと、同じ技か。

地面にたたきつけられる。だが、直撃は避けた。周囲の狼人達は、皆耳を押さえて悲鳴を上げている。

つまり、跳んでいなければ、そうなっていた。

「思ったよりもやるな」

「どういう能力だね、それは」

「言うと思うか? 漫画じゃあるまいし」

それはそうだ。

驕った奴はべらべら喋ったりするのだが、流石に本職。音は更に酷くなり、耳から血を流して苦しんでいる狼も多い。ショック銃の安全装置を外し、引き金を引く。ひょいと首を傾けるだけで、高圧電流をかわしてみせる影。多分電流そのものをかわしたのではなく、引き金の動きと銃口から、軌道を見切ったのだろう。

だが、音が、一瞬止まる。

走る。体当たりを仕掛ける。体格はハリーの方が恵まれている。だが、瞬時に対応され、避けられた。

そればかりか、足払いを掛けられる。

だが、それを待っていたのだ。

ハリーの足に、影の足が張り付く。

ハリーの能力は、重力に起因する衝撃の吸収操作。それは、重力が関係した摩擦を操作する能力にもつながっている。こういった物理的な動きには重力が関与している。一瞬だけ、影の動きを止めるには充分だ。

「取り押さえろっ!」

叫ぶ。

グール達が、一斉に影に飛びかかった。

だが、グール達が組み伏せるより先に、影は高々と飛び上がり、枝に乗っていた。非常識な動きである。忍者では無く、ハリウッド映画のニンジャのようだ。

「どうやら近接戦はリスクが大きいな」

音を使ってこない。

という事は、あの能力は、かなりリスクが大きいと見た。

「此処は私が防ぎます。 みなさんは、ばらばらに散って、崖に向かってください」

「勝てるとは思えんが……」

「何とかして見せますよ」

この命、スペランカーに拾って貰ったものだ。

彼女なら、この状況、何とかしてくれる。そう、ハリーは信じる。

だから、此処で、命を賭けて、足止めも出来る。

影が此処で邪魔に出てきたという事は、狼人達に辿り着かれるとまずいし、真相に気付いたハリーがスペランカーにそれを伝えるのが好ましくないという意味でもある。

ブラフを、仕掛ける必要があった。

手裏剣が飛んでくる。

木を真っ二つにしながら迫る巨大な飛び道具。飛んでかわした先にも、もう一つ。

体に突き刺さる瞬間、摩擦をコントロール。わずかにダメージを減らすが、それで充分。こういう精密な武器は、ちょっとした乱れで全く動きを変えてしまうのだ。

はじかれて跳ぶ手裏剣。

だが、盛大に血をしぶきながら、ハリーは別の木に隠れた。

「一つ聞いても良いですか?」

「何だ」

「豚人と狼人グールは、同じ種族ですね」

「ほう……」

殺気が強くなるのが分かる。

周囲に、もう狼人達はいない。

「狼人達の子供を見ていて思ったのですよ。 豚人の子供達と同じ。 むしろ、人間に近い姿をしているとね。 しかし、此処から、食料に差異が出てくる」

「それで」

「狼人達は、豚人の肉を食べて成長する。 その結果、あのような姿になる」

最初は、あの白濁した液を飲むことで、彼らは豚のような姿に変異するのだ。だが、ここからが違う。

豚人の肉を食べると、狼人になっていくのだ。

間違いない。

生物濃縮だ。あの白い液体が、元々同じ種族を、変えてしまうのだ。最初は豚のように。より圧縮されたものを体に入れれば、やがて狼に。

そして、その狼を、豚が食べれば。どういうことになるか。

拍手がした、その瞬間。

再び、音の壁に張り倒される。木を盾にしていなかったら、即死していたかも知れない。既に鼓膜は殆ど破裂してしまっていて、良く耳が聞こえなかった。

「正解だ。 ならば気付いているのだろう。 狼人族と豚人族の住んでいるのが、乳の両房だと言う事にも」

「やはり、そうでしょうなあ」

けらけらと笑う声。

殺気が、更に強くなってくる。そんなことを言うということは。

ハリーを、本気で殺す気になったという事だ。

そうでなければ、相手にヒントなど、与えるわけが無い。

だが、ハリーとしてはこれで良い。それに、影の能力についても、だいたい見当が付いた。

次が、勝負になる。

勝てないにしても、動きだけでも止める。

来た。巨大な手裏剣。最初のを横っ飛びで避ける。本命が来る。手裏剣。必殺の間合いで、斜め上から、降ってきた。

木に、手を突く。

真横から倒れた木が、手裏剣を押し倒す。

重力のダメージを軽減吸収する能力は、こんな応用も可能だ。木に掛かっている重力の、物理的な摩擦のバランスを崩したのである。

影の能力は、恐らく投擲したものの巨大化。

それはおそらく、音も可能。しかし、連続して使うことは出来ない。

影は、どこにいる。

反射的に、横っ飛びに飛び退く。至近、真後ろから、刀を横殴りに振るってきていた。一瞬でも遅れれば、頸動脈に刃が食い込んでいただろう。

さっきの、近接戦闘はしないという言葉自体が、ブラフだったわけだ。

無言で、ショック銃の引き金を引く。

膨大な電流が、影の体をかすめた。残像を抉っただけだ。とどめとばかりに、体勢を崩したハリーに、影が巨大手裏剣を投げつけてくる。

肩に突き刺さり、横転。

視界を遮るようにして、上から落ちてきた影が、刀を振り下ろしてくる。

此処だ。刀を避けず、ショック銃の引き金を引いた。

 

数人の豚人が、狼を無理矢理喰わされ、異形になり、取り込まれていった。

ゴンドラの至近にまで、既に山羊の触手が迫っている。そして、山羊から生み出された、狼も。

スペランカーは、呼びかける。

山羊になってしまった者達に。自分をむしろ、避けて動いているかのような山羊に。

「貴方は、誰? どうしてこんな事をするの?」

山羊は応えない。

ただ、叫ぶ。

不意に、墜ちてくる巨大な岩が、山羊を押しつぶした。

むこうがわの崖の上に、狼人の群れが見える。彼らが、必死に押しているのは、巨大な岩だ。

かってゴンドラを潰すために落としていただろう岩が、山羊を文字通り叩き潰す。だが、ぐちゃぐちゃに潰されながらも、即座に山羊は再生を開始する。

しかし、狼の動きは、鈍る。山羊に連動しているのか。

「今です! 僕に掴まって!」

狼に纏わり付かれ、今にも無理矢理喰わされそうになっていた豚人が、必死に川背にしがみついた。そして、川背が跳躍して、崖上に運ぶ。

ゴンドラが、降りてきた。我先に飛び込む豚人達。

だが、まだかなりの人数が残っている。

そして、次々墜ちてくる岩に対して、山羊が驚かなくなったのか。狼の動きも、また早くなり始めていた。

明らかに、徐々に進化してきている。

「プーリャン! 腹黒豚よ、良く聞け!」

「おのれ、狼人! 貴様ら、この結末を知っていたか!」

「黙れ宿六!」

女戦士が、プーリャンを殴りつけた。

豚人達を満載したゴンドラが上がっていく。ワイヤーがぎしぎし鳴っていて、限界が近いのが分かった。

「お前達が、倒した我ら同胞を喰らおうとすることは分かっていた! それによって、境界が無くなると、神は言われた!」

「この化け物のことか!」

「そうだ! お前達は、ずっと続いてきた、食物連鎖の関係を崩した! その結果、悪しき神が具現化しようとしている! シュブ=ニグラスが!」

それが、この神様の名前か。

だが、まだ神様じゃ無い。だから、ブラスターで、打ち抜くことも出来ない。

あと少し、何かが足りないのだ。

「儂は聞いたぞ! そのシュブ=ニグラスとやらが、この食物連鎖を作った張本人だと!」

「ある意味では、そうかも知れぬ。 なぜなら、この二つの山こそが、シュブ=ニグラスそのものだからだ!」

「な、なんだと……!」

「お前に誰がそんなことを吹き込んだかは知らん! だが、お前は最悪の方法で、均衡を崩した! もはや神の具現化を止めることは出来ん!」

墜ちた岩を、シュブ=ニグラスが押し返す。

巨大すぎる質量に成長して、もはや岩程度ではどうにもならないのだ。

ゴンドラが降りてきて、豚人達を収納する。

だが、もうこれが限界だ。

二人くらい、足りない。

女戦士は、無言で残る。プーリャンは、行けと、一言だけ言った。

ゴンドラが上がっていく。

プーリャンは、上がっていくゴンドラを見送りながら、カラシニコフを投げ捨てた。こんなものと、呟いているのが聞こえた。

女戦士が、至近に迫る狼を、次々に矢で射貫く。

だが、もう矢筒は、空に近かった。

川背が着地。

ゴム紐をふるって、至近の狼を薙ぎ払う。だが、時間稼ぎにしかならないのが、明白だった。

「スペランカーとか言ったな! あんたに頼みがある!」

「! プーリャン、さん」

「儂は誤った。 だが、一つだけ、希望を知ってる。 今しか、それは出来ない!」

川背が、女戦士を掴んで跳ぶ。離せと、女戦士が叫んでいるのが聞こえた。それはすぐに、崖上に遠ざかっていく。

「あんたは、神を殺せるんだろう!? 儂が、これから、此奴を神にする! だから、殺してくれ!」

「馬鹿なことをしては駄目ですっ! 早く逃げて!」

「もう、逃げても同じだよ」

山羊の成長スピードは、確かに尋常では無い。

まもなくこの崖を覆い尽くし、山を丸ごと二つ、飲み込んでしまうだろう。

その後はどうなるのか。

今は、スペランカーを避けるように動いているこの山羊も、やがて山二つを覆うほどに巨大化したら、周囲の人間を片っ端から襲いはじめるかも知れない。

「グールの長! もう、戦いは止めよう! こんな事が起こるのに、まだ茶番の殺し合いを続けるつもりか! お前達の狩は、こんな事のためにしていたのか!」

プーリャンが叫ぶ。

狼人達も、顔を見合わせている。勿論、そんな都合の良い話は無いと、憤っている狼人も、かなりいるようだ。

プーリャンが、顔をぬぐう。

覚悟を決めたのだと、スペランカーには分かった。

「その代わり、儂が全ての責任を取る! この命を化け物にくれてやる! だから、話を聞いてくれ!」

「……承知した。 もしも神が怒りを静めたのなら、この歪んだ戦いを、終わりにしよう」

狼人達が、連続して岩を落とす。

それが、プーリャンの前にいた狼たちを、次々に押しつぶした。

道が、出来る。

スペランカーには、何も出来ない。

今は、まだ。

 

女戦士は、崖上に上がると、仲間から矢筒を受け取った。

そして、ゴンドラに乗り込む。

「降ろしな」

「で、でも!」

「うちの宿六が、責任を取ろうとしてる! 妻として、最後くらいは、手伝ってやらないとね」

子豚たちが、ゴンドラのリールを操作しはじめる。

女戦士に、名前は無い。豚人の子供として生を受けてから、ずっとそうだ。幼い頃から戦士としての特性を見極める訓練ばかりを行い、毎日弓矢ばかりを触っていた。

やがて、当時はまだ名前を持たなかった宿六と、婚姻が決まった。程なく宿六は次代の村長に決まり、プーリャンという名前を持つようになった。

婚姻は、戦士としての力量が殆ど同じだった、というのが理由だ。だが、正直、女戦士はプーリャンが好きでは無かった。正々堂々を好む女戦士と違い、プーリャンは搦め手や策略が大好きだったからだ。

それでも、プーヤンが生まれた頃は、まだ幸せだった気がする。

おかしくなり始めたのは、その後くらいからか。

外貨の獲得については、女戦士が生まれた頃から、既に始まっていた戦略だった。だが、プーリャンは麻薬の原料になる植物を売りさばき、村人達の一部を抱き込んで、なにやら画策をはじめたのである。

生活が良くなってきているから、誰もがそれに文句は言わなかった。

昔は皆裸で生活していた。だが、確かに外から入ってくる衣服が着心地が良かったし、食べ物だってとても美味しかった。

だが、それでも。

女戦士は、何処かできな臭いと、ずっと思っていたのだ。

それに、麻薬の原料になる植物と言われても、何のことか分からなかった。外でどんなふうに使われているのかも。

やがて、真相を知ったとき、女戦士は愕然とした。

見たことも無い恐ろしい武器。試射を見るだけで、それが今まで知っている武器とは、根本的に次元が違う存在だと、即座に理解できた。殺傷力があまりにも高すぎる。これを使って、今までの戦いを終わらせるのだと、宿六は言った。

確かに、今までの戦いで、多くの戦士達が死んだ。

どんなに力のある戦士でも、狼人に迫られるとひとたまりも無かった。間近のゴンドラが狼人達にとりつかれ、悲鳴が上がる中、引きずり出される同胞。必死に矢を放って助けようとするも、どうにもならない現実。

無力感に泣いたこともあった。

だから、全力で反対は出来なかった。実際、女戦士の兄弟姉妹も、多くが狼人に、目の前でむさぼり喰われたのだから。

だが、その結果がこれだ。

古参の、掟を重視する戦士達が、結局は正しかったのだ。

しかし、その古参の戦士達も、夫に皆殺しにされてしまった。最後まで反対していたからだ。

均衡を崩すと、大きな災いが起こる。

その言葉は、正しかった。

夫の悲しみも、分からないでも無い。夫は若い頃から、鬼のような戦いぶりで知られていた。

その裏には、家族が狼人との戦いで、皆殺しになったという過去があったのだ。

延々と続く戦いに、確かに嫌気がさしている一派の気持ちも、よく分かった。事実、女戦士だって、何処か間違っていると、いつも感じていたのだから。

今は、夫の最後の覚悟を、見届けたい。

ゴンドラを下げる。狼人では無く、意識も無ければ意思もない狼の群れが、此方に気付く。そして、呻きながら、無数に群がってくる。

矢を放つ。

走る夫の道に立ちふさがる狼を、片っ端から射貫く。

何をするつもりなのかは分かっている。夫の手には、代々の村長に受け継がれる宝がある。

子供に飲ませる乳を煮詰めて煮詰めて濃縮した、白い塊。

神の魂と呼ばれる、秘石だ。

狼人も、戦いに参加している。岩を投げ落としては、群がり生まれ続ける狼の群れを、叩き潰している。

夫が走る。元は戦士で、今でも能力的には充分に現役なのだ。

スペランカーと言ったか。あの異国の女は、化け物を至近で見上げている。ぼーっとしているのではない。アレは機会をうかがっているのだ。

戦士だから、分かる。

あれがひ弱そうでも、実は相当に修羅場をくぐった、猛者なのだと。

ゴンドラに、狼が飛びついてきた。窓をこじ開けようとしている。

その上に、全体重を乗せて、川背という女が着地。狼は悲鳴を上げながら墜ちていき、地面でトマトのように潰れた。

川背はと言うと、狼を落とした瞬間、伸び縮みする変な紐をゴンドラに引っかけて、自分は助かっている。たいした手並みだ。

「悪いが、宿六の突入を手伝ってくれるかい」

「あれは、何をしようとしているんですか」

「化け物は、神になっていない。 魂を帰すことで、神にしようとしているのさ」

「! それならば、喜んで」

やはり、それが勝機につながっているのか。

また弓を引き絞り、女戦士は矢を放つ。今は、行方不明の息子のことよりも、夫がやり遂げることに、全てを集中しなければならなかった。

 

走る。

プーリャンは、走りながら、懐から秘石を取り出した。

あれを、山羊に直接叩き込む。だが、それだけでは、駄目だろう。

分かっている。

よそから来た予言者とやら。奴が全ての始まりだった。

最初、プーリャンはこんな呪われた土地から出ようと思っていた。外の人間より腕力もあるし、何しろ修羅場をくぐり続けてきた。だからやっていけると思っていた。

だが、山から出ようとした、その時。そいつに出会ったのだ。

それは人間だったが、どうも雰囲気がおかしかった。得体の知れない力を秘めていることが、一目瞭然だった。

奴は教えてくれたのだ。

この二つの山が、呪われた場所だと。狼人は、豚人をただの狩りの獲物だとしか思っていないのだと。それは遙か昔に、此処に降臨した神が、そうしむけたから、なのだと。

絶叫した。

そんなことのために、優しかった家族は、皆殺しにされたのか。

永遠に続くかと思われた殺し合いは、そんな訳の分からない事で、今後も続かなければならないのか。

何が神だ。

解決方法は一つしか無い、と思った。

だから、外貨を稼いだ。異国の武器を、散々仕入れた。

そして、狼人共を叩き潰すことに成功した。

しかしプーリャンも知らなかったのだ。同胞の肉を喰らうことは最悪の禁忌とされていたが、その理由を。

前後左右から、無数の狼が飛びかかってくる。

妻の矢が、その半数ほどを立て続けに薙ぎ払った。だが、残りは、避けきれない。

だが、一閃したゴム紐が、狼共を打ち払う。川背という女だった。

「ありがとうな。 美味かったぜ、あの料理」

「……また、食べに来てください」

「ああ、来世でな」

走る。

見えてくる、巨大な肉塊。もはや山羊の頭が十も二十も生えていて、訳が分からない怪物へと育ち上がっていた。

白石を抱きしめたまま、プーリャンは怪物の体を駆け上がる。

見つける。ひときわ肉が濃そうな、活発に蠢いている所に、白石を突っ込んだ。

さあ、呪われた神よ。

今、儂を喰らえ。

そして、一緒に行こう。

地獄へ。

あっちでは、息子も待っている。寂しくは無いだろう。

 

分かる。

邪神が、生じる。

正確には、ずっと眠っていた邪神が、目覚めたのだ。

スペランカーは、目の前にいる巨体に、ブラスターを向ける。そして、叫んだ。

「貴方の名前は!」

「シュブ=ニグラス」

「何故、このような悲劇を」

「私は、夫の求めるまま、この土地に来た。 そして、夫が言うまま、実験を行うことにした」

それは、生物兵器の実験。

シュブ=ニグラスは、意識がもうろうとしているのか。夫が望んだ作業を行うのだと、うわごとのように繰り返した。

この世界の人間は、非常に強力な力を持っている。だから、制御するために工夫が必要だと。

だから、効率よい制御のため、喰う喰われるの関係を構築した。

それだけではない。

「私の体自体も、山に隠した。 喰らいあい、互いを高め合うほどに、私の肉体として還元されるように」

「な……」

「私こそ、夫が理想とする生体兵器になる。 そのために、この山の豚と狼どもは、私の改造を受けた。 私の乳には、人の要素が含まれている。 これで育てば、最初豚人になる。 豚人を豚人が喰らえば狼人になる。 そして狼人を豚人が喰らったとき、私が生まれる。 以前より強く強くなった、私が」

今まで、それを七度繰り返した。

そう、シュブ=ニグラスは言った。

「食物連鎖の掟を覆したときこそ、その強さは頂点となる。 毎回、私は、力を増してきた。 かって、力が弱く、夫に庇護されるだけだった私だが。 もう他の神々に恥じない力を手に入れたはずだ」

確かに、シュブ=ニグラスの力は凄まじい。

ものすごい力の波動を感じる。今までスペランカーが見てきた邪神達と比べても、遜色ない。

「そして、今、私は……」

声が止まる。

何故か、シュブ=ニグラスは、喜んでいない様子だった。その理由は、スペランカーには分かる。

どうしてだろう。

多くの邪神と戦って来たからか。ダゴンを体に取り込んだからか。

不思議と、その意思が、理解できるようになっていた。人間とは違うが、同じ部分もある。一部では、人間よりずっと紳士的でさえある。

「私は、どうして、悲しいのだろう」

「貴方が、悲しみを、見てきたからです。 この戦いは、繰り返された悲しみの連鎖ですから」

「そうか。 私は、悲しみを知ったのか。 それで、こうも訳が分からない悲しみに、苦しんでいるのか」

ただ、夫を喜ばせたかった。

そう告げてから、シュブ=ニグラスはいう。

「撃て」

「シュブ=ニグラスさん」

「私は、どうやら悲しみに疲れたらしい。 また山を覆い尽くして、全てを零にして、豚人と狼人の殺し合いの連鎖を作るのは、もう嫌だ。 私の中には、七つもの破滅の記憶と、それを産むに至った悲しみばかりが蓄積している。 もう、全てが、どうでも良くなった」

とても悲しい神だ。

スペランカーは頷くと、涙をぬぐう。

そして、至近から。ブラスターで、シュブ=ニグラスを、打ち抜いていた。

 

肩を押さえながら、ハリーは戦場に辿り着く。

スペランカーなら、きっとやってくれると信じていた。影に邪魔だけはさせられなかった。

おかしなものだ。

影は、きっとスペランカーが、真相を知らなければ、邪神に届かないと思ったのだろう。実際には、足止めをしていたのはハリーだったのだと、あの忍者は気付いただろうか。

決着は付かなかったが、影は逃れていった。彼は何かフィールド探索社とは別の雇い主がいるようであったが、元々忍者とは、闇に生きる者。ある程度は仕方が無い事だ。

崖には、多くの狼人が集まっていた。

既に、勝負は付いていた。

「神は、滅びたか」

「ああ、どうやらそのようだ」

「あのような怪物を、神だと我らは崇めていたのか……」

戦士としての誇りがあるから、彼らはきっと今まで戦いに身を置いていたのだろう。だが、全てが茶番だったのだ。

それに、泉が枯れた今、きっともう麻薬の原料は育たない。

狼と豚の争いは、ほどなく終わるだろう。一緒に協力しないと、生きていけなくなるからだ。

こうなると、外貨で獲得した武器も役に立つようになる。

これだけ重武装な村で、しかも鍛え抜かれた者達がそれを手にしている。麻薬組織の者達も、迂闊には入れない。

スペランカーはブラスターを使ったから、完全に止まっている。川背が背負って、運びだそうとしていた。崖下は膨大な腐肉の山だ。しばらくは汚臭が酷いだろう。

これ以降は、この山に住む者達の仕事だ。

重力も、既に元に戻りはじめている。

風船で跳ぶことも出来ないし、崖下に飛び降りれば死ぬ。しばらく、両村の者達は、混乱下で生きなければならないだろう。

無線がつかえるようになっていた。川背が、崖の向こうで、此方を見ながら連絡してくる。

「感度良好。 川背君、そちらは」

「此方も感度良好です。 見て分かると思いますが、邪神の撃破に成功しました。 狼人達の援護を呼んでくれたのは、ハリーさんですか」

「はい。 役に立てましたか」

「とても」

それは良かった。

影についても伝える。最初から動きがおかしかったことは川背も感じていたらしい。あとで報告しておくというと、お願いしますとだけ言われた。

しかし、影は一体此処で何がしたかったのだろう。調査なのか、それとも邪神の復活なのか。

或いは、もっと別の事なのか。

狼人の長老が話しかけてくる。

「あんたは、少し前から豚人の所に出入りしていたらしいな」

「彼らを知るために、です。 外と此処では、あまりにも交流がありませんでしたから」

「それなら、我らも頼みたい。 これからは、内にこもってばかりはいられないだろうからな」

「分かりました。 私に出来ることであれば」

解決、したのだろうか。

後味の悪さが残る。邪神が原因でこの争いが続いていたとも言い切れない。最初に関係が構築されたのは事実だが、結局の所、人間の業が戦争を長引かせていたのでは無いのか。

それも、今後も、解決に長い時間が掛かるのは疑いなかった。

あの様子では、プーリャンの息子も生きてはいないだろう。自分の息子に手を掛けるほどの悲しみと狂気が、この戦いの引き金になったのだから。

更に、まだ気になることがある。

今回の探索は、どうも編制がおかしいのだ。

普通だったら、邪神を撃退する場合、大火力の支援班がつくことがおおい。サー・ロードアーサーなどはその見本だろう。今回は調査が主目的だったとは言え、邪神との交戦も想定されていたはずで、しかも時間があった。

何故、こんな火力面では問題があるメンツばかりが集められたのか。

「もしかして……」

ひょっとすると、何か巨大な闇が、裏で蠢いているのかも知れなかった。

崖下に出ていた豚人が、悲しみの声を上げる。

あの女戦士も、泣いているのが分かった。

きっと、変わり果てた息子が見つかったのだろう。ハリーは帽子を取ると、無言で黙祷した。

何ら罪の無い子供だったのに。

この山二つに渦巻いていた狂気と因縁に、押しつぶされてしまったのだ。

せめて安らかに。

そう、ハリーは祈った。

 

5、目覚め

 

北極近く。

一つの小さな島が、通信途絶した。島にあった集落には三百名ほどの人間がいたが、生存は絶望的だった。

最後に来た通信は、氷が、氷がというものである。流氷の季節では無く、その異常な通信は、軍を出動させるには充分だった。

そして、出動した軍部隊は、見ることになる。

島が、丸ごと巨大な氷の塊になっているという、異常すぎる光景を。

即座に島はフィールド認定された。

此処を攻略するには、それこそ氷を登るものが必要不可欠だろう。そんな冗談を、兵士が引きつった顔で言った。

 

A国の片隅にある、古びた洋館。その中にある、寂れた書斎で、雇い主は待っていた。シックなマホガニーの机の上で指を組んだ雇い主は、光が当たっていないため、顔がよく見えない。

影が雇い主の所に到着すると、彼は冷笑で出迎えた。

「ほう。 ハリーのような三下相手に、随分手こずったようだな」

「その認識は間違っている。 あの男、以前は三下だったかも知れないが、今はそこそこに出来る」

「そうかそうか。 まあお前からしたらそうだろうな」

屈辱的な物言いだが、残念ながら影では此奴に勝てない。絶対的な力の差が、両者の間にはある。

男の名は、K。

闇世界最大の顔役にして、あのMのライバルである。

今回は、Kの依頼で、邪神の情報を収集することが、影の目的だった。そして最終的に、邪神を暴走させるデータを、可能な限り集める必要があった。

だから、ハリーを食い止めなければならなかったのだ。

もしも奴が現場に辿り着いていたら。データの収集が不十分のまま、シュブ=ニグラスが倒されていたかも知れない。

「相変わらずスペランカーの奴はたいしたものだ。 Mがいやがるだけのことはある」

「俺が今回依頼を受けたのは、あんたの言う事が間違っていないと考えたからだ。 それを忘れるな」

「ふん、邪神の跳梁跋扈を喜ばないのは、俺たちも同じ事というやつか」

Kから聞かされたことだが、どうもおかしな勢力が、最近世界の闇に蠢いている。

世界征服をストレートに狙うKらとは、どうも趣が違うらしい。政府などに手の者を滑り込ませ、妙な動きをしては、邪神の覚醒や討伐に関わっているらしいのだ。

今回の任務には、その謎の組織がかなり色濃く関わっていた。

それだけではない。少し前の、ニャームコ島での出来事でも、同じ連中の関与が認められたらしい。

金貨の袋を放り出される。今時古典的だが、これがKのやり方らしい。

「報酬だ」

「確かに受け取った」

「また、すぐに仕事が来る可能性がある。 準備しておけ」

「……」

屋敷をあとにする。

恐らく、北極近くでフィールドが出現した件だろう。

影は加速度的に悪くなっているような気がする状況に、一抹の不満を覚えた。

何か、とてつもない災厄が、近づいている気がしてならなかった。

 

(続)