並べる頭

 

序、声が掛かる

 

声が掛かると、嫌でも跳ね起きなければならない。この国では、声を掛けられたら、反応しないと死ぬのだ。

よその国がどうだかは知らない。

だが、この国においては。

隣の人間は死神だ。

「労働者205717番!」

「はいっ!」

起きだす。

生まれたときから番号が振られている。

最初の二桁は地区。

その後ろ二桁は番号が可変する。

年齢層や性別、それに仕事によって変わってくるのだ。

最後の桁は二桁から四桁。

それぞれの個人番号である。

私の場合は17番。

なお、この個人番号が割り振られていない人間もいるのだけれど。それは国の指導者層の者だけだ。

それ以外の人間は。

医者だろうが。

弁護士だろうが。

警官だろうが。

番号が振られる。

これに関しては、ある意味平等なのかも知れない。

そして5人一組で。

基本的に扱われる事になる。

生活も、同じ家屋で行うのだが。

これは全て牢屋になっている。

子供については、男性全員は精子の提供が義務化されていて。

国が決めた「最も適した」相手の卵子と人工授精して。

子供が作られる。

性交をしたらその場で死刑が確定。

どの場所にも監視カメラが隠されていて。

どれだけ上手に隠れても絶対に見つかる。

なお、国の上層部の、番号を持っていない人間は。よその国から買いあさってきた奴隷と好き勝手に性交しているらしいが。

噂でしか無い。それも、直接話しているのを聞いたわけでもなく、壁に落書きされている文字で見た情報だ。

なお私はしがない肉体労働者。

3桁目から4桁目が50番台から60番台は、基本的に「価値なし」とさえ呼ばれていて。

この国でも、もっとも苛烈な扱いを受けている。

つまり「消耗品」だ。

私が組まされている五人組の内、四人まではこの「消耗品」であり。

一人だけは違う。

その一人は医者だが。

まだ作られたばかりの子供で。

便宜上医者とされているだけで。

渡されているのは「有り難い国が作ったマニュアル」であり。

十種類くらいしかない薬を。

マニュアルに沿って投与する以外の事は許されていない。

つまり誰もが、知っている。

何かあったら、死ぬだけなのだと。

顔を歪めた憲兵の前に並ばされる。

起きた直後だから、収容服だ。

基本的に人工授精で作られる人間だが。

それも30代まで生きられる人間は希。

更に食糧には欲求を減退させる薬まで混ぜられているという噂で。

趣味さえ持つ事は許されなかった。

憲兵のいうまま。

偉大なる指導者様に頭を下げる。

何でも昔、この国に存在していた「退廃的文化」を一掃した英雄様で。

亡くなった今も、絶対的存在として崇めなければならないのだ。

後は、報告をさせられる。

変わった事がなかったか。

五分以内に報告しないと電気鞭で殴られる。

これで死ぬ人間もいるが。

その場合は、代わりがすぐに補充されるだけだった。

報告が終わる。

すぐに、割り振られた仕事に向かう。

バスが来ていて。

五分しか許されない時間で、作業着に着替え。

バスに飛び乗る。

この時、着替えが間に合わなかった人間は。

「やる気がない」「指導者様に恥ずかしい」という理由で処刑される。

子供だろうが老人だろうが一切容赦は無い。

故に、この国では。

大量に子供が作られては、電気鞭で殴られ。成人できる者は殆ど希。

成人しても、いずれは死ぬ。

逆らおうとしたら即座に殺される。

故に、似たような年代の。

死んだ目をした人間しかいない。

バスは劣悪な性能で。

激しく揺れながら、労働場所に向かう。

労働場所はウラン鉱山。

此処で働く事により。

「指導者様の威が世界に示される」らしいのだけれども。私には知った事では無いし。言われた事を機械的にこなすだけ。

時々、監督をしている人間が、威圧的に指導者様がどうのこうのと訓戒を垂れるが。

知っている。

監督をしている連中も、同じ生活に晒されていて。

もしも少しでも反抗的な様子が見えたり、着替えが出来なかったりすると。

即座に処分されるのだと。

つるはしをふるい。

鉱石を掘り出す。

肉体労働を続けていると、頭がくらくらしてくるが。勿論休む事など許されない。倒れた人間は、「怠けている」とされて、即座に処分されるのだ。疲れているそぶりも見せてはならない。

休憩時間は一時間だけ。

一日の労働は17時間。

子供を大量に作るシステムが。

この国を支えている。

その子供も、99パーセントが大人になる事も出来ず。

大人になっても、まともに生きる事も出来ず。

いずれは死んで行く。

疲弊しきった体に鞭打つようにして。

休憩時間には食事が出る。

指導者様のご恩を忘れるな。

有り難い訓戒が垂れ流される。

唱和しなければならない。

勿論監視されていて。

唱和していない者がいれば其処で処分確定だし。

更に実は機械でも監視が行われていて。

唱和していない者を見つけられなければ。

監視をしている者達が処分される。

だからどちらも必死だ。

凄まじい労働に、今日も耐え抜く。

劣悪なバスに並ばされて。

家に戻るが。

その途中、倒れる者が何人も出る。

当然全員が処分の対象だ。

勿論声を掛けることも。

助けようとすることも許されない。

「弛んでいる」から倒れるような無様を晒したのであって。同情の余地は一切内からである。

バスに乗ると。

有り難い指導者様の訓戒が流れる。

昔この国では。

退廃的な文化と、猥雑な風習が、愚民どもの頭をおかしくしていた。

お心を痛められた指導者様は、この国のために立ち上がりなされた。

そして愛の鞭によって国民を導いてくださっている。

感謝して明日も働け。

働けないのは弛んでいる証拠だ。

そうだらだらと訓戒が垂れ流され。

バスの中を、監視者が行って戻って、監視を続ける。そして聞いていない者がいたり。眠ってしまっている者がいたら。

容赦なく処分される。

バスの中も監視カメラだらけで。

もしも見落としがあった場合は、即座に監視者が処分されるのだから。

当然とも言えるか。

現在この国では犯罪発生率は0。

世界でもこの国だけが達成出来ている事だ。

現在この国で投票率が100パーセント。

世界でもこの国だけが達成出来ている事だ。

繰り返し繰り返し。

頭に叩き込まれる。

バスが停まる。

拷問が終わった。やっと解放され。家に戻る。家と言っても牢屋だが。

他のメンバーも何とか無事だったが、疲労困憊の様子だ。当然だろう。これで疲れない筈がない。

食事は五人でする。

食事の前に、指導者様だとか言う、高慢な笑顔を浮かべた老婆の写真に頭を下げなければならない。

この食事も。

指導者様の温情によって与えて貰っているものだから、である。

この指導者様とやらが生きているのかどうかさえも分からない。

とっくに死んでいるという噂もある。

いずれにしても、これらも全てが監視されていて。

もしも食事前の礼がなかったりすれば。

「指導者様への感謝が欠けている」とされて、即刻処分される。

隣の牢屋では。

今日は三人しか帰ってこなかった。

一人は仕事中の事故で死に。

もう一人は「弛んでいる」という理由で処分されたらしい。

というのも、実際に聞く事は許されないが。

牢屋に張り出されるのだ。

事故死した場合は「哀」の文字が。

処分された場合は「恥」の文字が。

幾つかの文字が張り出されるが。

それで死因が分かるようになっている。

勿論、他人に構っている余裕などは無い。

フトンに潜り込むと。

後は睡眠をひたすらに貪ることにする。

誰も言わないが。

誰もが知っている。

此処は。

地獄だ。

 

翌朝。

叩き起こされない。

勿論自力で起きなければならない。

たまに、叩き起こされないことがあって。

それで寝坊した場合は、「弛んでいる」とされて処分されるし。他の「弛んでいる」人間に声を掛けて、助け起こすことは許されない。「弛んでいる」事を「幇助した」と見なされるからである。

当然処分の対象になる。

全員が起きだした。

叩き起こされない日には、する事がある。

朝「感謝」しながら食事を終えると。

全員で着替えて、バスに乗る。

教育のは仕事場では無い。

選挙だ。

「公平に行われる」選挙に出ることは、国民全員の義務であり。

もしも投票率が100パーセントを切ることは。

指導者様の顔に泥を塗ることになる。

選挙場には多数の監視カメラ。

渡された紙に指導者様の名前を書く。

箱に入れる。

それだけだ。

半日がそれで潰れるので。

むしろ助かる。

ちなみに、指導者様と並んで、誰か知らない奴の名前が書いてあるが。もしもそれを書いた場合は、5人一緒にみんな処分される。「最悪の罪」とされるからである。選挙というのは、「指導者様」に対する感謝を示す場なのだ。

そのままバスで仕事場に出る。

いつもの半分の時間とは言え。

それからしっかり働かなければならない。

食事は選挙日なので、昼抜きである。

これは、「指導者様の温情」によって休みを与えられている事に対する感謝を、国民が示さなければならないから、だそうだ。

つるはしをふるって。

働く。

ひたすらに鉱石を運ぶ。

誰かが倒れた。

ひもじいと叫ぶ。

勿論即座に鞭が飛び。

動かなくなるまで、凄まじい暴行が加えられた。

誰だろうと関係無い。

倒れたらその場でこうなる。

そして、死体が運ばれて行く。

処分されたのだ。

処分の様子を見て、手を止めることも許されない。

「弛んでいる」人間の真似をするようになるから、というのが理由だ。

不意に、明るい音楽が鳴る。

ああ、誰か五人が表彰されるんだな。

そう思ったが、手を止めてはならない。

誰だかの名前が五人分読み上げられる。

勿論聞いたことも無い奴らだ。

私は疑っているのだが。

ひょっとすると、実在しない人間なのかも知れない。

そして彼らは、指導者様の温情により。

出世することが決まったそうである。

何に出世するかは知らないが。

とにかく出世だそうである。

仕事は続けなければならない。

つるはしが重い。

私もこれは、そろそろ駄目かも知れない。

呼吸を整えながら、必死につるはしを振るう。

ベルが鳴ったときには、ようやくだと、腰砕けになりそうになるが。

もしそうなったら処分される。

毅然と歩かなければならない。

指導者様は適切な労働を国民に提供してくださっている、からだ。

残業は禁止されているし。

指導者様の指示通りに働かないことは。

そのまま国に対する反逆を意味する。

私が働いている鉱山では。

毎日100人近くが。

処分される。

当然同じ人数が補充される。

殆どの場合。

補充されるのは、国が作って、記憶を仕込んだばかりの人間だ。

年齢にして12歳になるまで急速成長させられて。

そして記憶を乱暴に機械学習でねじ込まれると。

すぐに仕事場に放り出される。

だから、殆どは最初の一ヶ月が乗り切れない。

処分される人間の九割方は。

仕事日最初の人間だ。

そして、「指導者様が選んでくださっている」にも関わらず、「指導者様の恥になる事をした」という理由で。

初日処分者は。

遺伝子まで抹消されるのだ。

こうして、この国では。

似た顔の人間が、増えていくことになる。

 

1、豚

 

5人組といっても。

会話は禁じられている。

一緒にするのは食事だけ。

同じ牢屋で生活をするが。性交をすれば即座に処分される。

これには理由があって。

「指導者」様が、昔「礼儀も恥もわきまえない男に酷い目にあわされた」事が原因であるらしい。

「男が女と交わること」は全てが「強姦」であり。

それは許されない事なのだそうだ。

「指導者様」が生きていた時代には。

女性が男性に「性的に消費」され。

その社会は大いに狂っていた。

それをただしたのが、この理想国家だそうである。

勿論それについて議論することも許されていない。

指導者様は「絶対正義」であるためだ。

もしもそれに異を唱える者がいたら。

即座に処分される。

最初の段階で、教育に失敗したから、である。

かくしてこの国では。

子供は「作られる」のだ。

私も最初の記憶は、そうやって作られた後。無理矢理頭に記憶をねじ込まれる事だった。

感謝しろ。

感謝しろ。

感謝しろ。

一日中、その言葉を聞かされた。

この過程で発狂してしまう者もいるらしいが。

それは「指導者様の暖かい言葉が理解出来ない不埒者」として処分される。

そして、処分された人間はミンチにされ。

蛋白質になるまで分解され。

また子供の材料になるそうだ。

仕事の時間だ。

食事が終わったので、バスに向かう。

バスに向かう最中に、誰かが倒れた。別の五人組の一人らしいが。助け起こすことは許されない。

立ち上がろうとするところに、容赦ない鞭が加えられ。

やがて動かなくなった。

死体が引きずられていく。

誰もそれを見る事も。

悲しむ事も許されない。

仕事場に着いた。

今日は、「許されない絵」を焼く日だ。

これは、「指導者様」が若い頃、国に蔓延していたもので。

「女性を性的に消費する」文化の代表であり。

「男性支配の象徴」だったものだそうだ。

言われたまま、渡された絵を火の中に放り込む。

仕事前にやらなければならないので。

その分早く起きなければならないのだが。

それに文句を言うことも。

勿論許されない。

ちなみに渡される絵は、真っ黒に塗りつぶされているのだが。

これは「悪影響を与えないようにするために」、「指導者様が配慮なさっている」からだそうだ。

燃える。

大量の絵が燃える。

本もある。

それらも、許されない文化の本だそうで。

どんどん燃やさなければならない。

燃やすことを躊躇った者は。

その場で処分される。

そして、燃えた後。

指導者様を讃える言葉を皆で放ち。

それから労働に移る。

この日は。

仕事中に、監視者に声を掛けられる。

「お前達は豚だ!」

よく分からない。

豚が何かを知らないからだ。

「お前達の先祖は、昔萌え豚と呼ばれていた! その腐りきった性根を、有り難くも指導者様がただしてくださっている!」

そうなのか。

つるはしを振るう。

「あの燃やした絵も本も、お前達の先祖がばらまき、指導者様を悲しませ苦しませていたものだ! 故にお前達の手で直に処分しなければならない! お前達にはその義務があるのだ!」

つるはしを。

つるはしを振るう。

疲れなど取れるわけが無い。

後私は。

何日生きていられるだろう。

仕事はかろうじて終わるが。

バスの中でも勿論気を抜くことは許されない。

凄まじい味の食事は。

力などくれない。

何でも、指導者様の考えたメニューで、栄養はたっぷりだそうだが。

ならばどうして。

皆痩せこけて、死にかけているのだろう。

誰一人、嬉しそうにしていないのだろう。

監視者達だってそうだ。

此奴らだって、見落としがあったら、即座に処分される。

実際ブザーが鳴るのを何度か見た。

そうなると、恐ろしい機械が来て。

悲鳴を上げる監視者を拘束し、連れて行ってしまう。

更に、監視者が見逃した者も。

凄まじい暴行を浴びせられ。

その場で死ぬ。

どっちも必死なのだ。

密告も推奨されている。

ただし、密告が嘘だと分かった場合は。

密告した人間が処分される。

家に着く。

此処でもまだ油断は出来ない。

五人揃ったのを見て、一安心だが。

食事前の礼を忘れたらその場で処分だ。

本当にまずい食事を済ませ。

そして寝床につく。

体はとうに壊れてしまっている。

明日の朝、起きられるか分からない。

それでも、私は。

死にたくない。

 

バスの中では、常に無言というわけでは無い。

指導者様の「有り難い言葉」が流される日もあり。

その時は監視者も足を止めて聞いている。

「みんな頑張っている! だから怠ける事は悪だ! 倒れるのは弛んでいるからだ!」

「精神の病は弛んでいるから起きる! 精神の病など働けば治る!」

よく分からない。

そもそも風邪以外の病気すらロクに知らない。

病気というものがあるらしいことは知っているが。

もしも医者が「有り難いマニュアル」に従って動いて、それでも治らない場合は。

医者と患者両方が処分される。

医者は無能で「手を抜いている」が故に。

患者は「弛んでいる」が故に。

病院には、行ってもまず生きて帰れない。

良くしたもので。

医者をやっている者は。

かなり頻繁に交代しているとか。

ふとバスの窓から見ると。

飛行機が飛んでいるのが見えた。

よその国の飛行機だ。

慌てて視線をそらす。

仕事場とは離れている所に、やたら豪華な建物があるのだけれど、それの近くに降りていく事だけは知っている。

飛行機が空を飛ぶ乗り物で。

人や道具を運んでいることも知っているが。

それ以上は分からない。

仕事場に着いた。

それまでに、三人が処分された。

全員が真っ青になっている。

次は自分だ。

皆がそう思っているのだ。

勿論口に出すことは絶対に許されない。

もしも呟いて聞かれてしまったら。

その時点で死だ。

自分が聞いた場合も。

監視者に報告しなければ殺される。

仕事場に着くと、バスから降りる。今日はお偉いさんが監視に来るそうだが、それは私には関係無い。

どこか遠くから。

仕事ぶりを見るそうだ。

どうでもいい。

というか、はっきりいうが。

他に構っている余裕も無いのだから。

鉱石を掘り出す。

最近は、この鉱山も。

鉱石がかなり採れなくなってきている。

どれだけ掘っても、岩しか出てこない。

トロッコが来たので、岩を乗せる。

監視者が私をじっと見ていたが。

やがて視線をそらして、次に行った。

トロッコも行く。

石ばかり積んで移動していくトロッコだが。

それがどんな意味を持つのか。

どんな資源に化けるのかも。

よく分からない。

私は死ぬまで。

こうして鉱山でつるはしを振るうのだろうから。

というよりも。

正直、今日死んでもおかしくないだろう。

ふと、気付く。

何だ。

騒ぎが聞こえる。

大きな音がした気がする。

顔を上げると。

目の前に。

土砂が崩れてきていた。

かなりの人数が埋まったな。

そう思ったが。

私は動かず、そのままつるはしを振るい続ける。

「持ち場を離れることは許されない」。

そう叩き込まれているからだ。

勿論自分が埋まっても、助けを求める事は許されない。

「弛んでいる」からだ。

逆らえば殺される。

である以上。

何が起きても、つるはしを振るい続けるしか無い。トロッコも来ないから、掘り出した鉱石が積もり続けていくが。

やがて。

監視者が来た。

「労働者205717番!」

「はいっ!」

「今日の仕事は此処までだ。 休むように」

「分かりましたっ!」

おかしい。

本来なら、此処から五時間以上は仕事があるはずなのだが。よく分からないが、あの土砂崩れの影響か。

バスに向かう途中。

見た事も無い奴が大勢来ていた。

全員が銃で武装している。

銃なんて、いわゆる兵隊が持っているのしか見た事がない。たまに行き帰りのバスの窓から、見かけるくらいだ。

それが大勢いる。

勿論見続けることは許されない。

どんな難癖を付けられて、殺されるか知れたものではないからだ。

なお、兵隊は全員が女性だ。

これは「男性は野蛮で残虐だから」というのが理由らしく。

勿論「指導者様」が作り出した人間の内。

女性の中で、更に「適性」があるものが、兵隊になるらしい。それ以外の女性は、それぞれ社会上層の仕事に就くそうだ。基本的に私のような使い捨ては皆男性である。

これも最初に叩き込まれた記憶なので、それ以上は知らない。

なお、相当な数の死体が積み上がっている。

監視者の死体ばかりで。

いつもの鞭で殴り殺されたものではなく。

殆どの死体が、銃で撃ち殺されたもののようだった。

バスに乗るように促される。

監視者がいつもより少ないし。

相当に混乱しているようだ。

何かがあったのは事実だろうが。

それが何かまでは分からないし。

勿論詮索することも許されない。

いずれにしても、あんな風に監視者が大量に殺されているのははじめて見た。労働者がたくさん殺される日はあるし。

そんな日は、バスから出ると、死体がたくさん積み上がっていたりするものなのだが。

今日に限っては、労働者の死体よりも、監視者の死体の方が多かった気がする。

何か怒鳴っていたようだが。

それも聞き取ることが出来なかった。

意識で拒否していたのかも知れない。

聞き取ったりして。

余計なトラブルに巻き込まれたら。

その場で死ぬ。

それを私も。

嫌と言うほど分かっているからだ。

何もしていないのに処分されるのは当たり前だ。

作られたときに頭に色々と知識を叩き込まれたけれど。

それでも理解出来ない。

とにかく大人しくしていろ。

逆らうな。

それだけしか、生きていく方法は無い。

体が壊れたら死ぬ。

弱音が漏れても死ぬ。

此処はそういう場所だ。

逆らうための力を徹底的に奪っている、というのはひょっとするとあるかも知れないのだけれど。

それすらも、詮索できない。

兎に角、早くバスで牢に戻って。

休む事にする。

ずっと寝ていても良い日は珍しい。

そして、今日に限っては。

他の五人組も、皆さっさと戻ってきた。

これは余程のことがあったと見て良さそうだ。

会話は許されていないし。

何より疲れ切っているので。

誰も何も話さず。

フトンに潜り込む。

というよりも、だ。

話す余裕さえない、というのが実情だ。

夕食まではずっと眠っていて。

夕食が来たらさっさと腹に突っ込む。相変わらず酷くまずいが。それも我慢するしか無い。

だが、おかしな事は翌日起きた。

誰も、監視者が来ないのである。

おかしい。

確か監視者がきちんと労働者を起こさない場合。監視者の責任になる。他の牢でも騒ぎが起きている。

監視者もすぐに処分されるのがここだ。

勿論彼らも処分される場合は殺される。

そんな事は誰でも知っている。

更に、複数の監視者がこれだけさぼると言う事は。

その監視者達を束ねている者に、何か大きな事があった、と判断しても構わないだろう。

だが、どうにもできない。

ひょっとしてだが。

試されているのかも知れない。

牢を開けようと手を伸ばして、止める。もしも試されている場合。牢を開けて出でもしたら、何をされるかわかったものでは無いからだ。

朝食も来ない。

昼食も来ない。

そして夜になって、やっと誰かが来た。

監視者の一人だった。

「食事が予定の時間に来ない! どうなっているんですか!」

「俺たちも喰っていない! 中央から連絡が来ないんだ! 食事も届いていない!」

「何だって!?」

「今、非常食を準備した。 今いる一番えらい人間が、放出を許可した。 仕事の再開については、目処も立たない」

食事が運ばれてくる。

見るからに古くなっているが。

それでも無いよりはマシだ。

今日一日食べていなかったのだから、皆貪りつくようにして、飛びつく。まずい。いつも以上におぞましくまずい。

だが、それでも。

腹は膨れた。

「非常食は数日分程度しかない」

「ちょっとまってくれ! どうすればいいんだ! 今の時点で、処分されてもおかしくない状況じゃないのか!?」

「此方も確認している。 とにかく、大人しくしていてくれ」

此方を豚と罵る監視者が。

随分と大人しいことだ。

そういえば、監視カメラが。

動いていないような気がする。

はて。

いつも細かく動いて、此方の一挙一動を見ているような気がしていたのだけれども。どういうことだろう。

会話は許されていない。

だから、何も言わずに布団に入る。

というか、ひょっとしてこれは詰んだかも知れない。

「指導者様のために働く」事は、労働者の義務だ。

それを丸一日出来なかったのだ。

何をされてもおかしくない。

兵隊が来て殺されるのだろうか。

怖いが、どうしようもない。

牢の中では、皆が青ざめて震えていた。

何の希望も無い毎日だったが。

明日は生き残れるかも知れないと思って、必死につるはしを振るってきた。

だが、それはそれ。

この様子では。

明日は、兵隊に殺されるのかも知れない。

そう思うと、別の恐怖がわき上がってきた。

フトンに潜り込む。

寝ている間に死ねたら嬉しいな。

それなら少しは楽に死ねるかも知れない。

何も分からないうちに処分されたら嬉しいな。

鞭で打たれて処分されている人間を見ると、みんな地獄のような苦しみを味わい。そして事切れる。

それを何度も何度も見てきた。

だから、せめて死ぬときは楽に。

そればかりを思い。

フトンの中で。

私は震え続けた。

 

2、崩壊

 

翌朝。

食事は仕入れられた。

そして牢が開けられる。

困惑する労働者達に。

監視者が言った。

「どうやら、指導者様が亡くなられたらしい」

「ええっ!?」

ぞくりとした。

記憶として植え込まれているのだけれども。確か指導者様が亡くなられると、国民の多数が「殉死」させられる。

労働者は特に多く。

「自主的に」忠誠心を示すために「死ななければならない」そうである。

ただ、指導者様が前に死んだ、という話は聞いていない。

ひょっとしたら、だが。

そうするようにと、生きている間から決めていたのかも知れないが。

「それに乗じて、外国が攻めてきた。 たった一日で兵隊は壊滅、兵器もあらかたやられたそうだ」

「ど、どういうことだよ!」

「この国はもう終わりだって事だ!」

監視者がヒステリックに喚く。

誰もが黙り込む中。

私は挙手した。

質問くらいなら。

しても良いはずだ。

「それで、これからどうすれば」

「とにかく、中央から連絡があった。 外国の人間が、これからくるらしい。 質問されるから答えろ、だそうだ」

「で、でも」

「……今までにあったことを、全て話さないと、殺されるそうだ」

青ざめている皆。

恐怖で泣き出してしまう者もいた。本当だったらその場で処分される行動だが、それでも処分は下されなかった。

泣くのも分かる。文字通り何をさせられるか分からないのである。

今までは、同じ明日を迎えられないかもしれない恐怖でも。何をすれば殺されないかは分かっていた。

今度はそうではない。

この混乱した様子からして。

監視役達もそうなのだろう。

私も、口を利いたこともろくにない五人組と一緒に、ずっと口をつぐんで、突っ立っているばかりだった。

ともあれ分かったのは。

仕事どころでは無い、という事だ。

牢の中で、フトンに潜り込む。

食事は出る。

まずいが、食べる事は出来る。

今までの疲労が一気に来たので、フトンに入ると寝てしまう。まあそれはそうだろう。他の四人も同じようだ。

そも他の四人にしても。

番号しかしらない。

というか、皆番号しかもっていない。

それが当たり前なのだ。

やがて、外に何か来たようだ。

戦車と。

いつも見る兵隊とは、体格も持っている銃も段違いに大きい兵士達だ。いずれも油断無く動いて。

この建物を囲む。

いつも見ている兵隊のだらけきった動きとは、まるで別物だった。

戦車もとても大きくて機敏で。

時々兵隊達が乗り回して、威圧している戦車とは。

まるで別物としか思えなかった。

やがて、どやどやと兵士達が来る。

手を上げるようにと言われたので、そうする。思ったより入ってくる人数が少なかったけれど。

殆どの兵士は、外で包囲網を作っていて。

見張りを担当しているようだ。

どうしてだろう。

よく分からないのだけれど。

不意に。

隣にいる、205061が言う。

「テロを警戒しているんだよ」

「テロ?」

「爆弾なんかを使って、自分ごと相手を殺す方法だ。 よその国では、結構起きているらしい」

「そうか……」

というか。

205061の声を、食事の時以外初めて聞いた。

兵士が来て、ボディチェックをされる。

ひっと、小さな声が漏れた。

この兵士達が来るまでは。他人に触ると言うだけで、下手をすると処分された。

それは数日前の事だ。

今はされないらしいが。

なれる筈が無い。

監視カメラは全部停止しているし。

この兵士達が、私達を気まぐれで撃ちでもしない限り。

殺される事は無いのだろうが。

それでも、恐怖しか感じなかった。

「よし、問題なし。 次」

兵士にも男性女性がいるようで。

検査対象に会わせて、同じ性別の兵士が調査に当たっているようだった。

此処にも女性は監視者側に少数がいる。それらのボディチェックは、女性兵士がやっている様子である。

いずれも厳しい目で調査をし。

体も触られた。

これは前だったら、即時処分案件だ。

異性同士が触るのは絶対にタブー。

同性が触るなんてもってのほか。

「不潔」だからである。

指導者様がそう決めた。

だから今ではそうなっている。

兵士達がチェックを終えると。

更に多くの兵士達が入ってきて、全員外に出された。

「私物は持ち出して構わない」

「私物?」

「個人の所有財産のことだ」

「全て国の財産です」

兵士達は唖然として。

ぼそぼそと話あった。

「聞いたか。 冷戦時代の東側の独裁国家より酷いんじゃないのかこれ」

「この国が完全におかしくなってるって話は聞いていたが、左派のマスコミの野郎ども、好き勝手なこと書きやがって。 帰ったら告発してやる」

「それよりも、みんな小さすぎるわよ。 これ、まともな食事与えられていないんじゃないの」

「私物の所有さえ禁止、他人との性交も禁止、子供は全部クローンで、気に入らなければ即時処刑か。 あの伝説のポルポト政権並の悪夢だな」

何の話か分からないが。

兎に角、建物を出る。

全てを一度洗浄するらしい。

そういえば兵士達は、どうしてか。

鼻をガードするように、何かの覆いをつけていた。

兵士達の一人が、気付いたように言う。

「まさか、それも気付いていないのか」

「それとは何ですか」

「凄まじい異臭だ。 風呂には殆ど入れて貰っていないんだろう?」

「はい。 一週間に一回だけ、指導者様の恩寵で……」

「何てこった。 この国は、水資源だって豊富なのに」

頭を抱える兵士。

やがて、私は。

ぼんやりと、兵士達が牢を掃除しているのを見つめているだけで。殺される事は無さそうだと思った。

 

プレハブとか言う工法で、家がどんどん建てられていく。

いずれも牢よりも大きくて。

中に一人で住むのだそうだ。

しばらくは、今までの生活の癖が染みついていて辛いだろう。

そう言われたが。

そもそも辛くない生活などと言うのは、想像もできない。

ビラが配られる。

何か書かれているが。

良く読めない。

後ろを見ると。

この国で使われている文字に翻訳されていた。

「今まで指導者様と呼ばれていた人間は、とっくに死んでいました。 その死を伏せて、側近達が国を牛耳っていました。 彼ら彼女らは国民を全てクローンにして究極の搾取を行い、成果を全て奪い取って海外に売り飛ばし、自分達だけは法も守らず異常な贅沢をしていました。 数日前、貴方たちの中の勇敢な誰かが、彼らが視察中に致命的なテロを仕掛け、ほぼ全員を爆殺。 好機とみた新国連軍は介入を実施。 貴方たちの解放に成功しました」

よく分からない事ばかりだ。

指導者様が死んだという話はどこかで聞いたような気がしたが。

そもそも側近とは誰だ。

テロは205061が言っていたから知っていたが。

その側近達も死んだのか。

プレハブとやらの中は広くて、監視カメラも無い。

風呂もあって。

自由に使って良い、という事だった。

更に、である。

配布された衣服はどれも清潔で。

今まで着せられていたものとは、比べものにならなかった。

体を自由に洗って良いと言うので。

洗い。

食事をする。

驚くほど美味しい。

昔この国にあった料理が。

指導者様がこの国を支配したときに逃げ出した者達によって保存されていて。

今また持ち込まれたらしい。

こんなおいしいものを。

先祖達は食べていたのか。

食事が楽しいなんて。

生まれて始めてのことだ。

与えられた道具はたくさんあるが。

殆ど使い方が分からない。

どれにもマニュアルがついているので、時間を掛けて根気よく読んでいった。

電灯。

明るくなる。

夜も明るい。

驚きだ。

更に、自分の性別以外の相手と、一緒にいても良いと言う。

今まで五人組は、基本的に同じ性別の相手と組まされていたが。

そもそも女は殆ど兵隊以外で見たことが無い。

一緒にいろといわれても。

どうして良いのか、よく分からなかった。

古びた本。

指導者様が書いた本らしいが。

それの隣に。

実際の歴史、というものが置かれていた。

読んで見る。

それによると。

教えられたことと、全く違うことが書かれていた。

そもそも指導者とやらは、この国に不満を持つ人間達を扇動して、この国を乗っ取ると。自分の個人的好き嫌いによって国を蹂躙し。

私物化していったのだという。

元々国自体が非常に混乱し。

法も何も守られない状態が続いていたため。

最初国民はこれを歓迎した。

だが、あっという間に強制収容所が作られ。

思想統制が死刑に結びつけられるようになり。

更に倒錯した貞操観念が押しつけられるようになると。

殆どの住民が抗議の声を上げたが。

既に軍隊を掌握していた指導者はこれを容赦なく皆殺しにし。

更に鎖国をしたそうである。

食糧は限られている。

ならば人間を減らさなければならない。

軍隊なんか無駄にしかならない。

だったら途上国から型落ち品を集めれば良い。

そんな無茶な理由で。

「斬新な改革」が次々と実施され。

「倒錯した性癖の持ち主」は片っ端から処刑され。

「反抗する反社会的人間」も片っ端から処刑され。

とにかく指導者が気に入らない人間は全て処刑されていった。

1億3千万を超えていた人間は。

またたくまに3千万にまで減少。

更に減っていったが。

此処でクローンによる国民作成が開始され。

クローン国民には、指導者の考える「理想的な人間像」が教育段階から仕込まれることによって。

理想的な「手足」にされた。

一方、従来の国民は。

指導者の手下を除くと。

皆邪魔だったので。

あらゆる難癖を付けられ。

片っ端から殺されていった。

指導者はこの国にあった文化の全てを焼却した。

存在していたもの全てが悪であり。

いずれも退廃文化であって。

国民を弱くしたからだという理由だったが。

実態は本人が生理的に受け付けないから、という理由だった。

特に指導者の男性嫌悪は凄まじく。

男性作家の作り出した文書は全てが焼き払われ。

更に、男性が出てくる本も全て焼き払われた。

そして最終的には。

娯楽関連のものが全て焼き払われ。

作家も。

開発に関わった人間も。

全てが殺された。

国民が根こそぎクローンにされていく中で。これらの歴史は、必死に国を逃げ出した者達によって、よその国に伝えられたが。

侵略がタブーとされているこのご時世。

旧国連が穀潰しのあつまりになってしまったため解体され。新国連になったばかりで人員も混乱している状況では。

中々助け船を出せる状態ではなく。

また指導者は国際的に多くのコネを持っていた事もあり。

マスコミも「理想的管理社会」と口を揃えて絶賛していた事もあって。

中々どこの国も手出しを出来ない状況だった。

だが。

指導者は死んだ。

その死は伏せられていたが。

この間発生したテロで。

命を張った五人が、視察中の幹部達を爆殺。

非常に原始的な爆弾だったが。

それでも鉱山の致命的な部分にダメージを与えたらしく。

幹部達は全て土の下に埋まった。

私は、そういえば。

それをひょっとして。

見ていたのかも知れない。

私は危うく。

そのテロに巻き込まれるところだったのだから。

ともかく、幹部達が全滅したことで隙が出来。

新国連も、冷戦時代の旧東側の国々でさえ絶句する圧政が敷かれていたこの国に対し。亡命した人間達で作られた軍を先鋒に侵攻を開始。

何しろ、二世代前どころか、100年以上前の、それもロクに整備もしていない軍では勝ち目さえ無く。

勝負は一日でつき。

今、こうして。

自由が与えられたそうである。

よく分からない単語が多数ある本だったが。

何となく分かったこともかなり多い。

今まで頭に叩き込まれていたことは戯言であり。

更に、殺された者達は。

全員無駄死にだった、という事だろう。

この国では、クローンを作るのに、処分した人間の蛋白質を利用する事までやっていた。

それを今までは、おかしいと思う事さえ許されなかった。

恐怖が全てを覆っていたからだ。

逆らえば即時処分。

逆らった人間がいることを黙っていたら即時処分。

異常な潔癖症で。

自分以外の思想を認められない人間が、何かの間違いで政権につき。独裁とやらを始めた瞬間。

この国は終わった、という事なのだろう。

今だって。始まってさえいない。

家の外に出ると。

兵士が来た。

「何か入り用か?」

「いえ、その。 外を歩いても良いですか?」

「今はまだ、旧政権の残党が彷徨いている可能性がある。 今スカウトとレンジャーが協力して狩り出しに当たっているから、もう少し待って欲しい」

「もう少しとは、どれくらいですか」

兵士は苦しそうにした。

とはいっても、背が違いすぎる。

私からすると。

頭一つ分大きい相手を、そのまま見上げているような感触だ。

多分年齢もそんなに変わらないし。

性別だって同じだろうに。

此処まで違いが出るものなのか。

「この国は、一度徹底的に滅茶苦茶にされて、文化も全てを破壊されたんだ。 生活できるようには、責任を持って我々が行うから。 それまではプレハブで休んでいると良いだろう」

「……」

「疲れも溜まっているだろう。 それと、きちんとした医者が診察をしてくれるから、それまで待っていてくれ」

「わかり、ました」

医者か。

マニュアルに沿ったことしかやる事を許されず。

マニュアルに沿っていない患者が来たら、共に処分される。

そんな仕事だった。

だが、今度は違うのだろうか。

翌日、その医者とやらが着た。

何人か連れていて。

老人だった。

老人なんて見た事も無いので驚いたが。

兎に角診察をされる。

その診察も、今までに見たことが無い器具を使って。更に痛くもなかった。

「他と大体同じだな。 栄養失調とストレスによる内臓のダメージが酷い」

「調査用AIも同じような結果を出しています」

「しばらくは適度な運動と適切な食事。 それだけでいいだろう。 幸いこの人は、病気は持っていない。 薬は出さなくても大丈夫だ」

「……」

何やらメモを取っているが。

少し気になったので、聞いてみた。

「あ、あの。 医者は、マニュアル通りに動かなくて良いのですか?」

「この国で使われていたマニュアルなんてのは、マニュアルとはいわんよ。 アレはこの国の狂った独裁者が、反ワクチンだの自然派だのカルトにはまって、作り出したただの妄想文書だ。 そんなものによって、恐らく何百万人も殺されたし、病気の一つも発見できなかった。 医学史上、最大の犯罪と言って良いだろう」

老人の医者は。

鼻を鳴らすと。

静かだが。

だが、籠もりに籠もった怒りを吐き捨てた。

よく分からないが。

同じ医者として許せないと、その目には書いてあった。

「栄養失調と過剰な労働で、殆どの人間には病気があったが、君は運良く病気も無かったし、このまま栄養を取って適当に運動をすればそれである程度は健康になる。 ただ体へのダメージ蓄積が酷いから、長生きは……出来ないだろうな」

「あの、他の仲間は……」

「そういえば名前も与えられていなかったのだったね。 君の五人組の内、二人が内臓に大きめの疾患があった。 ただ、手術すれば今の技術であれば治るから、心配はしなくても良いだろう」

「本当ですか」

医者に行け。

それは、死ねと同じ意味だった。

どうやら指導者が医者嫌いだったらしく。

医者を見たら死神と思えとか、周囲にしきりに口にしていたらしい。

その結果、この国では医者という医者が全員殺され。

指導者による妄想マニュアルが作られ。

「正しい医療」と指導者が信じる蛮行が行われた、という事だ。

まだぴんと来ない所もあるが。

あれは何処かおかしいとは確かに今考えて見ると思う。

それに、何もかも処分されるような場所は。

おかしかったのだろう。

今まではそれが普通だった。

だが、よそから別の情報が入ってくると。

それがおかしかったのだと。

ようやく分かるようになって来た。

とても情けない話だが。

それが現実というものだ。

溜息が零れる。

なんというか、情けない。

私は、今まで。

何をしていたのだろう。

私は幸い、密告はしなかったが。

そうしないと生きていけない人はたくさんいた。

たくさんたくさんいた。

何しろ、監視者だってそうだったのだ。

無数の監視カメラが使われる中。

監視者が見落としをしたら。

処分もされる。

監視者はどうなっているのかと聞くと。

医者は、同じように家に入れられて、まずは健康診断を受けている、という話をされた。

「仕事をしたがるものもいるがね。 この国は、崩壊する前くらいから、異常な労働形態が常態化していた。 この国が滅びる事によって、その労働形態がまずいという事が世界的に認知されて、ようやく世界中で改革が始まったという苦い歴史があってね。 まずは、きちんとした仕事形態と、労働者の義務から皆に学んで貰わなければならないのが苦しいところだ」

「そうなんですか」

「そうなんだよ。 では、別の人間がまた来るから、詳しい話は其方に聞いてくれ」

老人の医者が腰を上げる。

とはいっても。

老人そのものを殆ど見なかった国だ。

老人というものが、珍しくて。

私は、其方の方に興味がより動いていたかも知れない。

 

3、再構築

 

お前達は豚だ。

そう言われた事を夢に見た。

そうだった。

萌え豚の子孫どもだとも言われた。

その萌え豚というのは何なのか、一応説明は受けていたが、具体的にはよく分からなかった。

少しずつ、家にものが増えてきている。

その中に、昔焼かれた本などを、再現したものがあった。

幸いにも、物理書籍も、或いは電子化して海外に持ち出すことが間に合った本も多かったらしい。指導者が毛嫌いしていた萌え絵も、かなり残っていたそうだ。

実物が写真で写されていたが。

デフォルメし、とても可愛らしくした女性の絵だ。

いつも険しい顔で。

銃を背負って、周囲に厳しい目を向けていた兵隊達とは随分違う。

とても楽しそうで。

笑顔を浮かべている絵が多かった。

これのどこが搾取なのだろう。

現在の人間とはかなり違うようだが。

可愛らしく書くことにとにかく注力している。

ある意味では、味のある絵だと思うし。

これを見て、何をしようとか。

女性を性的に搾取しようとか。

そういう発想にいたる方がおかしいと思うのだが。

指導者はきっと違ったのだろう。

まあよく分からない。

実情が分かれば分かるほど。

指導者がただのクズだと言う事が、何となく分かってきた。

自分の思想を叫ぶのは良いだろう。

だがそれを全員に押しつけ。

気に入らない相手は皆殺しにした。

こんな絵を描いたと言うだけで。

多くの人間を殺した。

見たと言うだけでも。

それは、指導者の方が極悪人で。

許されない存在なのではないだろうか。

私にはよく分からないが。

絵のために多くの人が殺された、という話を聞くと。何だか涙が流れてきた。豚だと罵られたことも、悲しくなってきた。

今までは心が死んでいた。

だけれども、こんな事が起きて。

あの異常な労働が終わって。

そして今、「仕事の準備」をしてもらっているという状況で、ゆっくり過ごしている毎日で。

本当だったら、封じられていただろう心が。

やっと戻ってきたのだろうか。

外に出る。

兵士は、あまり遠くには行かないようにと注意して。

具体的には、柵の外には出ないようにと、追加で言った。

頷くと。外を軽く走る。

走ってみて分かるが。

私はやはり、兵士達の一番背が低い人よりも、頭一つ小さいらしい。

栄養状態が悪すぎるとこうなるらしいが。

それにしても、差がありすぎて、嫌になる。

走っていても、すぐに息切れする。

ずっと毎日、単純労働していたから、体力はあるのかなと思っていたけれど。

どうやらそれは妄想だったらしい。

そもそも、日の下を走るというのが初めての経験だ。

疲れるのは仕方が無いのかも知れない。

ジムとか言うのが用意されていて。

顔を出してみる。

運動のための道具が色々あった。

何人か来ていて、兵士に指導を受けながら道具を使っていたが。

その中に、五人組の仲間である、205429がいた。

挨拶をする。

やはり、この辺りの習慣は抜けない。

笑顔も浮かべない。

昔は、表情を動かす事は、できるだけしないようにと言われていた。

何でも、指導者が尊敬する存在が、言っていたらしい。

国民が悲しんでいるのも笑っているのも許してはいけないと。

だから、笑っているというだけで処分された者もいたそうだ。

私の周囲では。

幸いそういう者はいなかったが。

それに皆クローンだらけ。

顔もみんな似ているし。

何よりも、名前さえもない。

だから、やはり。

互いに番号で呼ぶしか無かった。

軽く機械を動かす。

腕を使う道具は簡単に動くのだけれども。

走る道具は苦手だ。

すぐにへばってしまう。

それは205429も同じようだった。

「凄く疲れる」

「本当だ」

「不満を口にしてしまっているが、大丈夫なのだろうか」

「大丈夫だ。 私は何度も不満や不安を口にしたが、処分されていない」

兵士達が眉をひそめて此方を見ている。

一度使い方を教えて貰えれば使えるので。

何度も迷惑を掛けずに済むのは有り難い。

それに兵士達に迷惑を掛けていたら、処分されるかも知れない。

やはりそれは怖い。

処分が当たり前の日々に暮らしていたから、当時は耐えられた。

だが、今は、それが無くなった。

そうすると、恐怖が蘇ってくる。

また同じ時が来るのは。

絶対に嫌だ。

「萌え絵というのを見たか」

「ああ。 どうしてアレを描いたら殺されなければならなかったのか、未だによく分からない」

「指導者が、気持ち悪いと感じたからだそうだ」

「それだけなのか」

怒りがこみ上げてくると、205429は悲しげに呟く。

五人組としては脱落者は出なかったが。

大勢処分されたのだ。

その処分の理由は、殆どが使い物にならないと判断されたからで。

そして指導者が殺したたくさんの人達の中には。

気持ち悪いから、という理由の人達も混じっていた。

他人事では無い。

同じだ。

そんな気分次第で処分されるなんて。

「指導者を今でも尊敬しているか」

「いいや」

「私もだ」

「そうだな」

適当に体を動かしたと判断したのか。

兵士がそろそろ休むように言ってくる。

今日はこれくらいで充分だそうだ。

運動は万能では無い。

体を動かしたからといって、病気が治るわけでは無い。

多少健康になるが。

それだけだ。

ましてや、過剰な運動はむしろ毒になる。

適切な量運動するのが大事なのであって。

今後も気を付けるようにと、くどくと言われた。

プレハブの家の前に戻る。

途中、205429の肩に触ってみたが。

兵士には、特に何も言われなかった。

ただ、205429は、驚いて跳び上がった。

「なんだ」

「何故指導者はこれを嫌がった」

「そうか、試してみたのか。 だが怖かった」

「……まさか、それが理由だろうか」

故に、徹底的に殺した。

私は、天を仰ぐ。

もし今此処に指導者がいるなら。

喉を噛み裂いてやりたいと、思った。

ただこれだけのことで。

一体どれだけの人間を殺したのだろう。

 

仕事が割り振られた。

やり方を教えて貰いに、職場に出る。

本当は、仕事は自分で探したりするものなのだけれども。この国にいま生きている人間には不可能だと判断されたそうだ。

それも良く分からない。

そして、前にやっていた仕事からして。

単純作業が良いだろうと言う事になったらしい。

此方としては。

何をすれば良いのか冷や冷やしたが。

内容は難しいものではなかった。

バスなどが通る道路の他に。

道路が必要だと言うので。

造ると言うことだ。

道具を渡され。

使い方を説明される。

指導をする人間は別にいて。

その人間の言う通りにやればいいそうだ。

まず最初に、道路を作る範囲が設定されて。

土を掘り返す。

その後、順番に土を重ねていく。

この土はそれぞれ性質が違う。

やがてアスファルトという堅くなるものを流し込んで。

その上から、線とかを描いて。

終わりだ。

一連の流れは、動く絵で見た。

皆真剣に見ていたが。

指導をする人間は大柄で。

明らかにこの国の人間では無かった。

かなりの年配だったが。

言葉は流ちょうだった。

「自分は昔のこの国が作ってくれた橋のおかげで、随分と助かった者です。 この国がおかしくなってしまって悲しかったし。 今立ち上がろうとしているのなら、手を貸そうと思います。 よろしく」

皆、困惑して顔を見合わせる。

そういえば、同じ五人組だった者も見かけられる。

前は考えられなかった。

五人組は基本的に違う職場に回されるもので。

そうしないと人間は「悪巧みをするから」というのが理由であったらしい。

よく分からないけれど。

言われたままに道具を使う。

時々サイレンが鳴る。

危ない仕事をしていると。

自動的に教えてくれるらしい。

兎に角、黙々と言われた事だけを忠実にやっていくと。

休憩が意外と早く来た。

食事も前のよりずっと美味しい。

職場ででる食事は兎に角まずかったので。

本当に辛かったのだが。

今はとても美味しくて幸せだ。

無理な労働もさせられないし。作業時間も短い。

前は17時間が当たり前だったが。

今度の仕事は休憩1時間を挟んで、八時間で終わるという。

驚きだ。

まさか半分になるとは。

更に、休憩時間には、何をしても良いと言う事で。

休んでも寝ても良いそうである。

誰もが驚いていたが。

兎に角、本当に八時間で終わったので、驚いた。

指導をする者が言う。

「実は自分の国でも、少し前までは酷い労働が行われていました。 国の法では禁止されていたのですが、実際にはみんな死にそうになっていました。 でも、世界でも有数の貴方たちの国がおかしくなったのを見て、世界中が混乱しました。 今では、しっかり労働者の権利が守られていますし、表現の自由も守られています」

本当だろうか。

だが、少なくとも。

今、ここでは。

きちんと八時間労働が行われている。

それはとても有り難い事であり。

嬉しい事ではないのだろうか。

バスに乗って変えるが。

監視者はいないし。

変な「指導者様の言葉」も聞かされない。

眠っていても処分されない。

これは。本当に。

現実の事だろうか。

家に着く。

随分余裕がある。

だから、貰った私物を整理して。たくさんある本を読む。

漫画という、絵で構成された本もあった。

昔、指導者が全部焼き捨ててしまったそうだが。

この国に戻ってきた人達が配っているそうだ。

配られた漫画は、色々な時代のものがあって。

絵柄がみんな違う。私は「妖怪」というのが出てくるのが好きだ。

妖怪という言葉は初めて聞いた。

指導者が、昔「正しくないもの」は全て言葉を消し去ってしまったそうだが。

妖怪は「迷信」なので存在が許されず。

それが書かれている本も全て消し去られたらしい。

私が読んでいる本もそういった、焼き捨てられた本の一つを復刻したものらしいが。

どうしてこれを焼き捨てなければならないのか。

理解出来なかった。

「悪影響を与える」とかいう理由らしいが。

どこにどう悪影響を受けるのかが。

どうしても分からないのだ。

どんどん指導者に対する不審が募っていく。

本当に、いなくなってくれて良かったのでは無いのか。

そう思えて、仕方が無くなってくる。

そして、面白くて。

漫画はいつの間にか読み終えていた。

それからも、本はどんどん差し入れされてきた。

過激なことが描かれている本もあった。

漫画の中には、堂々と絶対に禁止とされていた性交が描かれているものもあった。

指導者が見たら、髪を振り乱して喚き散らしそうだが。

今はその恐れもない。

そう、今更だが。

ようやく私は。

自分が悪辣な支配者の下にいて。

いや、自分だけでは無く、この国全部が悪辣な支配者の下にして。

何もかもを支配者の性癖を押しつけられ。

それを否定しようとしたら殺されていた。

それに気づき始めていた。

気付くことさえ出来なかった。

それに、私は厳密な意味では人間でさえない。

私達全員。

いや、旧支配者層の一部を除く全員が、そうだろう。

ある漫画家の作品で。

クローンを題材にしているものを見た時。

ああこれだ。

自分達はこれなんだと。

思い知らされてしまった。

涙が出る。

情けなくて、悔しくて。

涙が止まらなくなった。

そしてこんな奴をどうしてのさばらせたのか。

人間はどうしてこうも愚かなのか。

知りたくもなった。

だけれども、知ったところで。

あの抑圧の日々を知っている自分には。

何もできないのだと、分かってしまっていた。

フトンに潜り込むと、泣く。

今まで、ずっと情けなくて、泣くことさえ出来なかったのに。

それも、いつのまにか。

やっとと言うべきか。

泣けるようになっていた。

昔だったら。

監視カメラにその様子が見つかったら。

即時に処分されていただろう。

笑うことも。

泣くことも。

許されないとされていたのだから。

ずっと泣いていて。

そして、気がつくと、気絶するようにして眠り込んでいた。

私は、結局。

何のために生きているのだろう。

理不尽。

あまりにも理不尽。

この国が置かれていた現状は、そうだとしか表現しようが無い。

そんな無茶苦茶の中で、大勢の仲間が殺された。

気分次第で組み合わされて作り出されたクローンは。

文字通り命をオモチャにされ。

好みを命に押しつけられ。

そして殺されていったのだ。

私の目の前でも何人も。

文句を言うことさえ許されなかった。

誰だ。

こんな仕組みを作ったのは誰だ。

誰がこんな事をする奴を指導者なんかにした。

指導者の写真はまだ壁に飾られていた。本能的にそうしてしまったのだ。

だが私は。

それを壁から剥がすと。

床にたたきつけて、割っていた。

お前なんて。

クソくらえだ。

消えてしまえ。

そう叫ぶと。

更に踏みにじる。

裸足同然で、だが。

元々足の裏の皮膚は厚くなっている。

ちょっとガラスを踏んだくらいでは何ともない。

呼吸を整えると、私は。

何だか、おぞましいまでの支配に捕らわれていたことに気付いて。やっと、静かな気持ちになるのを、感じていた。

大きな音に気付いた隣の家の奴が、ドアをノックする。

家に入れてやると。

指導者の写真がブチ割られているのを見て、驚いた。

事情を話す。

そして、そいつも、同じようにした。

波紋が拡がるように。

他の家でも、忌まわしい悪魔の写真を割り始めた。

片っ端から。

そして、捨てた。

燃やしたら此奴と同じになる。

そう、誰かが言った。

それだけはいやだった。

本当は、私も燃やそうと思ったのだが。

此奴と同じになるくらいなら。

それこそ、何をしても変わらないだろう。此奴とは別の存在になりたい。

燃やすのは止めて。

回収して、全て一箇所にまとめておくことにする。

今見れば、醜い笑顔だ。

こんなものを崇めていた。

それを記録として残さなければならない。

よその国の兵士にそれを話すと。

善処すると言って、引き取ってくれた。

その日から、一週間もしない内に。

全ての家から、写真が消えていった。

 

この国の民は、男しか殆どいない。

女は支配者階級のごく一部だけ。

一部の男は、これらの女の嗜好品としてだけ、クローン精製され。そして侍らされていたという。

兵隊も女だが。

これも軍事力を女が担う事により。

支配を盤石にするという。

指導者のゲスが考えついたことらしい。

クローンシステムは停止される予定だったらしいのだが。

そもそも、このクローンは正確なものではないらしく。

実施には、保存されているデータを掛け合わせて人間を作るだけの。

極めて不完全なものらしい。

ともあれ、この国の性人口格差は無茶苦茶であり。

是正が必要である。

そうよその国の、この国に侵攻して独裁政権を打破した人達は考えたらしい。

女性のクローンを普通に作って配布し。

性人口格差が無くなってから。

システムを凍結させる予定だそうだ。

よく分からないが。

そうなると、絶対禁忌だった性交は、禁忌では無くなるのか。

何でも、指導者によると、全ての性交は強姦であると言う思想の元。

あらゆる性交に関する文化を消し去ったらしいが。

よその国では誰もが普通に性交をしているらしく。

この指導者は、典型的な男性嫌悪主義者で。

それを他人にも無理に押しつけた結果。

こうなったらしい。

まだ難しい単語が多く。

理解しきれない部分もあるが。

そういう事だそうだ。

更に、である。

現在生きている男性の大半は、クローン精製されたときに去勢されている。

これは私も例外では無い。

非常に非人道的な行為だと、兵士達が怒っているのを耳にしたが。

どうもぴんと来なかった。

ともあれ、私達に、子供を作る権利は戻ってこない。

私達に出来る事は。

新しい世代の子供達を受け入れて。

育てていくことだけだ。

前に五人組を組んでいた者達がまた集められる。

そして、マニュアルを渡された。

子供の育て方、というものだ。

「今の世代は、残念ながら諦めるしかありません。 それくらい、無茶な事がこの国では行われていたのです」

凄く悲しそうな顔をした奴が。

兵士達と一緒に来て。

沈鬱な顔で説明してくれた。

よく分からないが、役人という連中らしい。

指導者の周囲に侍っていたお偉いさんと同じような輩だろうか。

「これから、男女比均等で、子供を各組で育てて貰います。 次の世代からこの国を正常化させるためです。 次の世代をクローンで作成はしますが、その次の世代からはクローンシステムは凍結させます」

「つまり、どうすればいいのです」

「この国の未来を貴方たちが作るのです。 子供達は一人では生きていく事が出来ません」

眉をひそめたが。

本来、子供というのはそういう状態で生まれてくるらしく。

知識を無理矢理詰め込む、というのは異常事態らしい。

他の国でも、軍用としてクローンシステムが使われた例があるが。

いずれも何かしらの不具合を起こして。

使用停止に追い込まれているそうだ。

ともあれ、である。

それがはっきりしたのなら。

やるべき事は決まっている。

「分かりました。 子供を育てれば良いんですね」

「お願いします。 システムをいきなり変えすぎると、混乱が取り返しがつかないレベルで生じる事は、歴史的にも証明されています。 五人で組む事は色々と心苦しいでしょうが、それでもそうしてもらうしかありません」

「いや、むしろこの五人での方がやりやすいです」

他の面子も頷く。

そうだ。

言葉を交わすことは許されていなかった。

ずっと監視し合っていた。

だがもう軛は外れたのだ。

だったら、今は。

この五人は仲間だ。

一緒にいてもいいのなら。

そして一緒に未来を作れるのなら。

そうしたい。

「いずれ選挙などのシステムも、徐々に貴方たちに返還します。 ともかく、まずは未来を造る事から始めなくてはなりません。 その責任は重いです。 一人ずつ、様子を見ながら子供を渡していきます。 実績が上がるチームには、どんどん子供を渡していきますので、育てて貰うシステムになります」

よく分からないが。

やる気は出る。

さっそくマニュアルを皆で読む。

子供の世話は大変だ。

交代制で行う事を、すぐに決めた。

労働をして、皆の生活を支えるのも、順番にやった方が良いだろうという話になる。マニュアルを見る限り、それらも支援してくれるそうだ。

有り難い。

でも、本当は。

これらマニュアルに書かれていることは、昔は当たり前だったそうだ。

いつ頃からか歯車が狂い始め。

そしてあの指導者のような奴が。

歓迎されながら、絶対的支配者に上り詰めた。

そして鮮血の惨劇が起きた。

文字通り人間は皆殺しにされ。

指導者のやりたい放題に、この国は蹂躙された。

今から少しずつ。

何もかもを取り戻していかなければならない。

壊されたものも。

焼かれたものも。

新しく造り。

そして奪われた未来も。

取り返していくのだ。

今までは文字通りなんにもできなかった。

だからこそ。

これから、全てを取り返す。

それだけでいい。

私には。

いや、私達五人には、それしかできないのだから。

程なくして。

子供が来た。

女の子だと言う事で、凄く不安になった。女に触るだけで処分された事を思い出すからだ。

だが、子供にさえ触れないようで、未来など作れるか。

皆怖れる中。

最初に私が。

手を伸ばして。

抱き上げた。

人間は生まれたばかりの時は、こんな姿をしているもので。

こんなに軽いんだな。

そう、私は。

不思議な気分を味わっていた。

 

4、繰り返す

 

学校というものが作られ始め。

子供達がそれに通うようになった。

殆どの場合、私のような、元奴隷階級だった者達が、子供達を送り迎えする。私の世代は、ほぼ男性しかいない。

女性は元兵士とか、或いは特別な職業に就いていたとか。

そういう者しかいないので。

私の世代の中では。

肩身が狭そうだった。

おかしなものだ。

なお、今では。

昔の異常な環境に置かれていたことを理由に。女性に対してバッシングをすることは禁止されている。

指導者と取り巻きはみな処刑されたか死んだし。

この女性達も。

ある意味被害者だったのだから。

子供を引き取る。

小学生に上がった長女と、幼稚園にいる次男を引き取って家に戻ると。

202278が、食事を作っていた。

今日は私が子守り。

202278が家事全般。

残り二人が働いて。

一人が休む。

そういうローテーションだ。

五人組での子育ては、意外と上手く行っている。

お前達は豚だ。

そう罵られていたが。

今なら言い返せる。

お前達こそ豚だ。

この国を此処まで無茶苦茶にした奴は、歴史上存在しない。

お前達こそ、この国のガンだった。

この国はお前達のせいで死んだ。

滅びた。

そして世界中で、同じ事をお前達の同類がしようとした。

お前達こそ、人間じゃ無い。

だからでていけ。

博物館には、あの醜い指導者の写真が、今も大量に保管されている。いずれも押し潰されて、倉庫の奥にしまわれている。

燃やすな。

そうすれば彼奴と同じになる。

そういう言葉を掛ければ。

皆、怒りを収める。

それはそうだ。

彼奴と同じになるくらいだったら。

悪魔とか妖怪とか。

本で知った恐ろしい存在にでもなった方が幾万倍もマシだ。

上の女の子は利発で、算数が得意。

下の男の子は物静かで、勉強は苦手だけれど優しい。

五人はみんな子供達が好きで。

未来を作ってくれることを期待もしていたし。

自分達の好きなように生きて欲しいとも思っていた。

もっとも、子供達が大人になる頃には。

私達五人は。

生きていないかも知れない。

比較的健康だとされていた私も。

ガタが来始めている。

無茶苦茶な生活を続けてきた結果だ。

今になって、体にダメージが来ているのだ。

他の皆も似たような状態らしい。

そもそも使い捨てとして作られたのだ。

それも当然なのかも知れない。

今は、自分が死ぬことよりも。

この子供達が、自分の死に悲しむ事の方が辛い。

そういうものなのだと。

私は自然に理解出来ていた。

子供を連れて家に戻ると。

食事をする。

最近はゲームというものも支給されていて。

それで子供と一緒に遊ぶ。

得意なゲームはみんな子供も違うそうで。

学校では、何が流行っているとか、そういう話もするそうだ。

勿論、学校は良い場所かというと。

完全に良い場所というわけでも無い。

弱い者いじめをする子も当然いるそうで。

そういう子は、厳しく目を光らせていて。

即座に別の学校に移し。

改善が見込めないようなら。

特別な改善実習を行うそうだ。

幸い。うちの子らにそんな気配はないので。

今の時点では安心である。

上の子は、ゲームの上達が早い。

最近では負かされることも多くなってきた。

ただ、私がゲームが下手なのではなくて。

最近目がかすむのだ。

意識が飛ぶことも時々ある。

医者には言われている。

後10年、というところだろうと。

病気をしなくても。

体がそれだけ壊れてしまっているのだ。

上の子は、少なくとも10年あれば、何とか大人になる。それまでは、どうにか生きていたい。

今は、指導者には。

軽蔑と恨みしか無い。

私達が五人で行動するようになった時代には。

こういった子供達も存在しなかった。

それはつまり。

皆殺しにされた、という事なのだから。

何がありがたい言葉だ。

間違いなく地獄に落ちているだろうし。

あの世に行ったら、殴るのが楽しみだ。

「また勝ったー!」

「早苗は小足からの昇竜が本当に上手だな」

「練習したもん!」

「そうかそうか」

最初は負けてあげる事もあったけれど。

今では、もう体の方が言うことを聞かなくなってきている。

上の子は。

つまり早苗はそれにまだ気付いていない。

もう何年かすると。

気付くだろう。

気付いたときには。

同じ過ちが起きないように。

決意だけして欲しい。

私は、それだけあればいい。

もう一戦やるかと言われたので頷くが。その前に、役人が来たので話を聞く。

もう一人、子供を引き取ってくれないか、というのである。

頷く。

私が死ぬころには、早苗も成長しているだろうし。この五人組が崩壊する頃には、自分達だけでやっていけるようになっている筈だ。

それに、一人でも多く育てられるなら。

そうしたい。

他の四人も、体は似たような状態だ。

ならば、少しでも。

一人でも。

未来に希望を届けたいのだ。

役人が帰ったので、早苗の所に戻る。

私は。

この子が大きくなるまでは。

死ねない。

 

(終)