再起の一歩

 

序、負け犬の半生

 

クララにとって、一番楽しかったのは幼い頃だった。

比較的恵まれた容姿。好きなのは歌。家族は別に普通だったけれど。とにかく目立つ。目立つ事はクララにとってとても楽しい事で。だから、目立つ事でご飯が食べられたらなあと思った。

此処はガラル地方。

ポケモンと呼ばれる不思議な生き物が存在するこの世界における、「地方」の一つ。「国」が主流では無くなったこの世界で、一つの単位となっている土地。

ガラルはクララが産まれる前後くらいから空前の好景気に見舞われ、みんなが豊かになっていた。

ポケモンリーグは、クララがまだハイハイしている幼い頃には不正だのスキャンダルだので何度も問題を起こしていたのに。ローズという人がマクロコスモス社の長として手腕を振るい。リーグの委員長になってからは、不正はさっぱり消えた。

それに前後して、ダンデという圧倒的最強を誇るチャンピオンが出現。

少し年下の男の子が、ばったばったと歴戦のポケモントレーナーをなぎ倒していく様子には、クララも随分元気づけられた。

目立ちたい。周囲から優しくしてほしい。

アイドルになろうと思ったのは、そんな動機からだった。

社会に余裕があると、文化も花が咲く。

丁度アイドルを求める声もあった。天職はこれしかないとクララは思った。だから、ポケモンの捕獲免許も持っていたのに。アイドルの勉強を始めた。両親は何も言わず、アイドル育成用のスクールに通うためのお金を出してくれた。

周囲は自分よりも明らかに個性的で可愛い子ばかり。一芸を持っているのも当たり前。

それは何処かで分かっていた。

分かっていたのに、クララは何処かでそれを認められなかった。

やがて無慈悲な現実が、一つずつ確実にクララを襲う。

何処の事務所もクララを弾いた。面接にさえいけない場所すらあった。

やがて本職を諦めたクララは、インディーズのアイドルを支援する団体に登録。これも後になって思うと悪手だった。

登録だけで膨大なお金を取られた。

これ以上、両親に迷惑は掛けられない。

クララはもうその時点で十五を超えていた。10歳で大人と見なされる世界で、十五ならもう生計を立てていてもおかしくないのだ。

昔捕まえたポケモンのヤドンは、時間を掛けてヤドランに進化させた。ポケモンも、主人に愛想を尽かすと出て行く事があると聞いた事があるのだが。ヤドランはクララの側を離れなかった。

きっとだけれども。

何処かで、クララがヤケになっていることに、気付いたのかも知れない。

案の定、インディーズのアイドルとしてのデビューライブはさんさんたる有様。

CDはたったの八枚しか売れなかった。

身内でやっているインディーズのライブでさえ、もっとCDが売れる。

インディーズ支援団体の男は、そう冷たく言い放った。

そして、更に告げた。

これ以上君を支援するのは無理だと。

後は、逃げ出すしか無かった。

アイドルと言う選択肢は。

この時点で、クララの人生から消えた。

親が渡してくれた貯金もロクに残っていなかった。これ以上親に金を要求する事は、クララのささやかなプライドが許さなかった。ましてや誰かに養って貰うのも嫌だった。

あてもなくガラルを彷徨いて、あっと言う間に貯金は尽きた。

もしもガラルに悪の組織。余所で有名なロケット団とかフレア団とか。そういうのがあったら、入る事を考えていたかも知れない。

だけれども、ダンデがチャンピオンになる前くらいから、そういう悪の組織の噂はぱたりと途絶えた。

ダンデが叩き潰したという噂はあった。

勿論それはとても良い事ではあるのだけれど。

余計な事をしてくれたという小さな小さな気持ちと。

タイミングを間違えていたら、今頃刑務所だったかも知れないと言う大きな恐怖が、クララの中にあった。

やがて、ポケモンが側にいることを思いだしたクララは、必死に昔捕獲免許を取るときに使った教科書を読み直した。ひょっとしたら、此方だったら活路があるかも知れない。そう考えたのだ。

ライバルが少なく。競技人口が少ない。

そう判断した、毒タイプのポケモンジムの門戸を叩いた。

判断は間違っていなかった。

事実、毒タイプを専門にするジムは多く無い。世界的にも、一流の毒ポケモン使いは多く無いと聞いている。

競争相手が少ないなら。母集団が貧弱だという事でもある。

まだクララにも勝負のしようがあるかも知れない。

だが、いきなり躓く事になった。

毒タイプのマイナーリーグジムは。文字通り、極めて閉鎖的なコミュニティで。ぞっとするほど饐えた人間関係が構築されている、文字通りの魔境だったのである。

余所の毒ジムがそうなのかは分からない。

だが、ガラルのメジャーリーグは、そもそもダンデが盛り上げて、ハイレベルな試合が行われ続けている魔境。

何しろドラゴンジムのリーダーであるキバナは、余所の地方ならチャンピオンになれる逸材だという噂で。そのキバナでさえ、氷タイプのジムリーダーメロンには一度でさえ勝てたことがないのである。チャンピオンクラスでさえ負けるジムリーダーがいるのだ。

ダンデの実力はそれ以上。

ガラルのレベルは、他地方と比べて完全に魔境。

マイナーリーグから這い上がれないジムが存在するのは、どうしようも無いことなのだとも言える。

そんな魔境から弾かれた上、捻くれて閉鎖的な環境のジムが、居心地の良い場所である筈がない。

最初から拒否の視線がクララには向けられ。

そして、初日から苛烈な虐めが始まった。

こう言う場所では、目立つ、と言う事だけが悪になる。

ましてや毒に対してそれぞれが歪んだ拘りを持っているような場所ではなおさらだ。

元々酷い目に会い続けていたことで、クララの精神は限界に近付いていて。たった二日で。毒ジムからクララは逃げ出すことになっていた。

逃げ出さなければ、虐め殺されていたかも知れない。

だが、二度目の逃走。

そして、二度目の挫折は。

あまりにも早く。

絶望を伴った。

毒ジムを逃げ出してから、クララは更に悲惨な生活を辿るようになった。

ヤドランだけを連れて、定職にも就けず、彼方此方を放浪して回った。

本来、ポケモントレーナーにはそれなりに仕事があるものだ。強いポケモンを連れていれば警備の仕事だって出来る。愛くるしいポケモンがいれば客引きだって出来る。

ガラルの経済はとても豊か。

田舎だって穏やか。

公的な落伍者への救済措置は本来いくらでもあったはず。

だが、あらゆる意味で動転してしまっていたクララには、それらの一つも思いつく事が出来なかった。

ましてや今の世界では、10歳で大人と見なされる。

二十歳になっているクララが、一人で出来ないと言う事は。

それだけどうしようも無いことを意味もする。

どんなに平和で豊かな土地でも。

こうして落伍者は出てしまうものなのである。

ちっぽけなプライドが邪魔すると言うよりも。

もはやどうして良いのか分からない、というのが実情だったのだろう。

友人がいれば、少しはマシだったのかも知れない。

だが、クララはアイドルデビューを決めたとき、近所の人間関係を全部一度リセットしてきたし。

何よりも芸能界というものは、ガラルのジムリーグ以上の魔境。

其所で信頼出来る相手なんて存在するわけもないし。

落伍者にはブリザードより冷たいのが事実だった。

かくして。絶望の帳がクララの前に降ろされた。

クララには何一つ。そう、側にいるヤドラン以外には、何も無くなった。

道路で座ってぼんやりしているうちに雪が降り出して。このまま凍死できたら楽だろうなと思っていたら。

誰かが通報したらしく、警察が来て。連れて行かれた。

もうアイドルだった頃の華やかな衣装なんて売り払ってしまって、残ってなどいない。

そこにいるのは、粗末な格好の、栄養失調の一人の小娘。

警察で色々言われた後、職業訓練校を斡旋されたけれど。とても他人とやっていく自信など無かった。困惑した警官は、生活保護の手続きについて話し始めたようだったが、ロクに聞こえなかった。

一度はアイドルを目指したのに。

誰からもちやほやされる仕事をめざしたというのに。

今は人間の目そのものが怖くなっていた。

隙を見て警察から逃げ出して、それから更に何もかもが怖くなった。

もう、警察ですら、自分を追っているのでは無いかという強迫観念に、心が鷲づかみにされていた。

何処をどう移動したのかさえ分からないうちに。

ガラルの東の港町に。確か水ジムがある街だったか。

水ジムのリーダーは美しい長身の現役モデルで。下手なアイドルなんか歯牙にも掛けない知名度の持ち主。

美貌と実力を併せ持つ、芸能界関係者ではガラル随一の有名人だった。

年も同じくらいなのに。元芸能界関係者の端くれであるクララには勝てる要素が一つとしてない。

ポケモンリーグが盛んなのだ。普通の人もポケモンの試合には興味を持つ。

その辺で野良試合をしているのを時々見るけれど。

ヤドランの実力では、幼い子供にさえ勝てそうになかった。

それくらい、クララはあらゆる意味で自信を喪失し。そして、とうとうこの地にあるレストランの裏で、ゴミ箱まで漁る生活を始めるようになっていた。

水ジムは当然のようにメジャ−リーグに所属していて。

リーダーは毎回華麗な戦いで、好成績を残していた。大きなモニターで、チャンピオンには勝てなくとも、好成績を残すジムリーダーの姿はいつも映し出され。輝いていた。

港町も綺麗に整備されていて。

荒々しい漁師達と、観光地としての整備が完全に調和していて。

クララは異物でしかなかった。

どこでだろう。いつの間にか、道場の門下生募集のチラシを手に入れていた。

ボロボロだったし、殆ど誰も見向きもしなかったのだろう。

門下生になれば、生きていく事は出来るのだろうか。

そう思って、クララはぼんやりと、そのチラシに書かれているヨロイ島というのに行く方法を考えた。

落ちている小銭を集めた。文字通り、這いつくばるようにして、その辺りで小銭を拾った。哀れそうに見る者もいたけれど、人の目を避けていつも動いた。

ぼんやりフラフラしているうちに。タクシー代だけはたまった。

路地裏で膝を抱えて座っていると。立ちんぼだったら余所へ行けと、怒鳴られたこともある。

ヤドランが盾になってくれようとしたが。そのヤドランだって、ロクに食べていないのである。人間にだって、勝てないかも知れない。

何よりも恐怖がある。警察が来ると、捕まるかも知れないという、出所が分からない恐怖が。

そう思って、何を喚いているのかもロクに聞こえない相手から、逃げるようにその場を離れるしかなかった。

気がついたらなけなしの小銭を手にして、ガラル名物であるタクシーの空輸駅に来ていた。

アーマーガアという大きな鳥ポケモン。ヤドランではとても勝ち目がなさそうな強そうなのが、何羽もいて。

退屈そうにしている運転手の姿がある。

それはそうだろう。

今はダンデも出ているガラルリーグの開催中。

このタイミングで、タクシーを利用する奴なんて、いる筈も無い。

もしも、タクシーがなかったら。

そのまま身投げしてしまおうとも思っていた。

海の中には、獰猛なポケモンだって結構棲息している。

身投げすれば、其奴らが跡形もなくクララを食い尽くしてくれるだろうとも。

だが、タクシーがいた。

今は、タクシーの運転手の目を見るのさえ怖かった。

おずおずとチラシを見せる。

タクシーの運転手は、完全にへし折れているクララに困惑したようだった。或いは酷い生活で染みついた臭いに辟易していたのかも知れない。

乗車拒否をされてもおかしくない。

いつの間にか、体臭とか、ボロの臭いとか、残飯の臭いとかも。そういうのも一切気にならなくなっていた。元アイドル志望だったのに。

昔は自分のかわいさに自信があって。身繕いも不要なほど早くから覚えたほどだったのに。

タクシーに乗せてくれた。

ヨロイ島とやらに向かうらしい。ただし、ヤドランはモンスターボールにしまうようにとも言われた。

「お嬢ちゃんよ、ヨロイ島の道場に入るのを断られたら、どうするつもりなんだよ。 あの島、金なんか稼げる場所ないぞ」

「……」

「ともかく、片道は載せてやるし、その酷い臭いについても我慢する。 だが、少しはその……身繕いとか覚えた方が良いんじゃないのか」

そんな事をタクシーの運転手は言うが。

殆ど右耳から左耳へ抜けてしまっていた。

海上に出る。関係無く、逞しい翼をはためかせてアーマーガアが飛ぶ。

此処から飛び降りたら楽に死ねるかな。

そう思っていると、タクシーの運転手が見越したように言う。

「もうつくから馬鹿な事は考えなさんな。 向こうには駅もあるし、レンジャーもいるから、最悪其奴らに相談するんだな」

見えてくる群島。

決して大きいとは言えない島と。それを取り巻くような小さな島。

灯りは存在しないが。

建物は幾つか見える。

ただし、人間の生活圏だとも思えない。時々存在する、ポケモンの方がたくさんいる地域。

ガラル本島にもあるワイルドエリアのような。

そんな、本来生身では立ち入れない場所に思えた。

駅で、なけなしの小銭を渡す。雑多な小銭ばかりだったけれど、足りた。ひょっとすると足りていなかったのかも知れないけれど。

それでも、嫌そうではあったけれど。タクシーの運転手は受け取ってくれた。

駅のレンジャーは、クララを見てぎょっとしたようだけれど。

無視して、ふらふらと歩き出す。

途中、ムカデのポケモン、フシデに出会う。成長するとペンドラーというかなり強いポケモンになるのだが。まだまだ幼体だ。ムカデと言うよりもおっきなダンゴムシ程度にしか見えない。

威嚇している。

タクシーの中ではしまっていたヤドランを出す。

見ると、島にはたくさんのポケモンがいる。此方を伺ってもいるようだ。

駅のレンジャーが、此方を見ている。

もしも殺されそうになったら割って入るつもりなのだろう。モンスターボールから出たヤドランが、緩慢ながら敵を認め。

そして襲いかかってくるフシデを、返り討ちに叩きのめす。

ギリギリだったが、何とか勝てた。

一応持っていたモンスターボールを放り投げて、フシデを捕獲。必ずしも捕まるとは限らないのだけれど。

フシデの機嫌が良かったのか。腐臭を気に入りでもしたのか。

それとも、絶妙にヤドランが弱らせてくれていたのか。

それは分からない。

そのまま、ふらふらと歩く。

夜道になったら死ぬ。それは予感として分かった。

海の方には、凶暴なことで知られるサメハダーが、気持ちよさそうに高速で泳いでいるし。

空を見れば、複数の獰猛な飛行出来るポケモンが舞っている。

人間を襲う奴だっているはずだ。夜道で一人で歩いている弱った人間なんてただのエサだ。

でも、どこに行けば良いのだろう。

道場。

そういえば、そんな事言っていたっけ。そんな話があったような気がする。

視界が歪んで、何度か転びかけた。

大慌てでヤドランが支えてくれるけれど。もう礼を言う力もロクに残っていなかった。

気がつくと、倒れていた。

周囲に人の気配がある。

まだ若々しい、でも子持ちらしい女が見下ろしている。周囲には、道着を着た連中もいる。

そういえば、道場とかいっていたっけ。此処がそうなのだろうか。

「大丈夫? 名前は言えるかしら?」

「……」

「回復技持ったポケモン連れてきてくれるかしら。 最悪の場合医者が必要だけれど」

何処か遠くで、そんなやりとりが聞こえた。

それが、クララがヨロイ島に来た日に覚えている、最後の事。

そして、此処で暮らす事になる切っ掛けとなった。

アイドルの成れの果ての。

哀れな姿でもあった。

 

1、歪みきった視界の中で

 

がつがつとクララは食事を取る。今は見かけよりも強さ優先。だから食べる。

道場に辿りついたあの時の事はまだ覚えている。

ヨロイ島に運良く辿りついて。食事をして。数日がかりで、少しずつポケモンの回復技などもあって、体調を取り戻していって。

そして、鏡を見せられて。

戻っていた体力もあって、絶叫していた。

其所に映っていたのは、知らない奴だった。

ボロボロ。ガリガリに痩せている。髪の毛はばさばさ。服なんて脱ぎかけで、そもそも服の役に殆ど立っていない。

インディーズアイドルになろうとしていたとき、周囲が勧めるままに買った服とか靴とかアクセサリとか。

そんなのは、全部売ってしまった。

それを思い出したのだ。

今になって思うに、あれは多分タチが悪い商売に引っ掛かったのだと思う。何も知らないで夢を抱いて都会に来たような小娘をだまくらかして稼いでいるような悪徳業者。マクロコスモスが経済を整備してから、そういうのは減ったというのだけれど。たまに間抜けが引っ掛かるとは聞いていた。

そう。その間抜けこそ、クララだったのだ。

何よりも、悲惨な体。

ダイエットに気を付けていたアイドルデビュー前と根本的に違う。

殆ど骨と皮だけ。

皮膚も栄養不足でボロボロ。痣が彼方此方に残っている。擦り傷は化膿しかけている。

爪なんか、ギザギザで。手入れどころでは無かったとは言え。余りにも悲惨すぎる姿だった。

なによりも全身の酷い臭い。

涙が零れてきて、止まらなかった。

動こうにも、満足に動く事さえ出来ず。

ミツバという此処の奥さんに手伝って貰って、風呂に入るのさえ一苦労。フロから上がったあとは、道着を用意して貰ったけれど。それでも、何だか痩せこけたミイラが何か服状のものを来ているようにしか見えなかった。まだ二十歳を少し過ぎたばかりでそれだったのだ。

周囲の奇異の視線も、当然だったのだろう。

そう。それがヨロイ島にクララが辿りついた時の現実。

更には、それだけではなかった。

道場にいる誰もが、クララよりもポケモンバトルの腕が上だった。

手持ちが少ないと対応力が落ちる。だからまずは手持ちのポケモンを増やそう。

そう言われて、外で弱そうなポケモンを探して。何とか毒ガスをまき散らすドガースというポケモンと。スコルピというサソリ型のポケモンを捕まえた。手持ちは四匹になったが、それだけ世話も大変になった。

これ以上の世話は難しいという現実に直面した後は。

まずは一緒に生活してそれぞれと心を合わせ。

進化させられるようなら進化させ。

その後は、戦略を練ってそれに沿って育てようと言われた。

生活費は気にしなくて良いとも言われた。

その代わり、体が治るのとあわせて、道場の手伝いを要求されたが。

道場主のマスタードという老人は飄々としていて余裕があって。絶望の淵にあったクララに、そう根気強く接してくれた。

とはいっても、マスタードはただの気が良い老人などではなかったが。

どんと、食べ終えた食事を置く。片付けを手早やく済ませると、門下生達に混じって、トレーニングマシンに向かう。ポケモン達にも訓練をさせる。

少しでも、やれることはやっておきたい。

奥にあるコートで、今「あいつ」と手合わせしている怪物のようなポケモントレーナー。それがここの道場主、マスタードだ。

マスタードは老境に入っているが、超現役である。トレーナーとしても、格闘家としても。

今まで時々見て来た「もどき」じゃない。テレビに出てくるようなエセじゃない。

本当に人を殺せる格闘技を自在に扱える、本物のプロ。

ここに来た直後は、その実力を感じ取れなかったが。今は違うし。思えば心身が立ち直り始めた頃から、色々としてくれてはいた。

道場で生活し始めて一年くらいした頃だろうか。

やっとの事で、手持ちのポケモン達を進化させた頃に、言われたのだ。

アルバイト代わりに、ポケモンを捕まえてきてほしいと。

小遣い代わりだと。

実の所、道場での衣服は自由だった。道着以外でも良かった。

ここに来て一年もした頃には、精神が不安定ながらも、多少は精神的な安定も戻り始めていて。

汗臭い道着ばかり着るのも嫌になっていた。

だから、頑張ってポケモンを捕まえて。

その過程で、自分の手持ちの力不足を悟らされたのだ。

それでも、その頃には、道場での実力は真ん中くらいまで上がっていたし。昔、一番輝いていた頃の格好を再現しようと思って、お金も欲しくなっていた。

多分だけれども。

マスタードは、クララに経験を積ませようと思っていたのだろう。

それは図に当たった事になる。

今では、マスタードと、ジムリーダークラスの実力を有しているミツバに次ぐ実力を得ている。

この道場のあまり多く無い所属者の中では、だが。つまり大した事は無い。

丁度今来ているゲスト。

彼奴。今、マスタードと、文字通り次元が違う攻防をしている現ガラルのチャンプ。ユウリの足下も及ばない。

悔しいが、それは事実。

バキバキにハンデを貰った戦いで勝てなかった。

その時点で、やっとの事で、前に進む事が出来るようになった。

今は、とにかく力をつけることに躍起になっている。

半年頑張れば、毒ジムのリーダーにしてやる。

負けた後マスタードに言われたその言葉が、クララの力になっていた。

やがて、彼奴とマスタードの戦いが終わる。

どっちが勝ったのかは分からない。

いずれにしても、今はレベルが違いすぎて分からないから、どうでもいい。

互いに礼をしている二人。

ユウリという小娘。

クララにはないものを何でも持っているバケモノ。

身体能力もセンスも、金も社会的地位も優れた容姿もある。性格だっていい。あんなのがいて良いのかと、クララは今でもドス黒い何かを心の奥に感じる。

だけれども、それはそうとして。

今は勝てないという現実は受け止めている。

鍛えなければならない。

そういう事実も、しっかり認識していた。

ユウリが道場を出て行く。二週間ほどだった。二週間で、道場を嵐のように引っかき回し。クララの人生観まで変えてしまった。

彼奴はあのダンデと同じスペシャル。しかも十歳でダンデを破ったという。ガラルどころか、世界最強クラスのトレーナーだというあのダンデを。

それは勝てる訳がない。

そこで、すっかりあきらめがついた。同時に、色々と踏ん切りもついた。

小さく手を振って見送る。

次は、ぶっ潰してやる。

内心でそう呟きながら。勿論ユウリはそれくらいは分かっているのだろうが。それでも笑顔を一切崩さなかった。

そもそもユウリは、あの年で海外の地方の犯罪組織をぶっ潰して回っているとかで。文字通りの実戦の中に身を置いて、国際警察にまで頼られていると聞く。それどころか、国際的な影響力を持つ犯罪組織すら、ユウリの名を聞くと怖れて逃げ出すそうだ。

悔しいが、今は完全に役者が違いすぎる。

だが、見ていろ半年先を。

半年で、まずはマイナーリーグのジムリーダーになってやる。

今なら分かる。

毒ジムのマイナーリーグのリーダーは、万年マイナーリーグをやっているだけの理由がある。

屁理屈をこねくり回し、閉鎖的な環境でイエスマンだけを集め。それでいながら試合で結果を出せないのを自分のせいだと認められない。

だが、そんなのにも勝てないのが今のクララだ。

まずはあの毒ジムの豚野郎をぶっ潰し。

マイナーリーグのジムリーダーになった後は、あの饐えた虐めに満ちたジムを全面改装して。

その後は戦績を重ねてメジャーリーグに昇格し。

やがてユウリと戦って。今度は、勝つ。

今は全く勝ち目が無くとも。

その時には、必ず勝ってやる。

ユウリが行った後、皆に交じってトレーニングをする。まずは体力。身繕いは基礎をしっかりつけてからで良い。

ユウリが行った後、汗臭くて嫌だった道着にまた着替え直した。

これは戒めだ。

貰ったお小遣いをこつこつ貯めて、昔の格好を再現した。服もアクセサリもどれもこれも安物ばかりだけれども。

それでも、インディーズのアイドルとしてデビューする前の格好っぽくする事は出来た。

だが、それはただのさもしい虚飾。

安物で繕ったただの哀れなみすぼらしい蛾。

今度は、ちゃんとしっかり力をつけてから。本物の高級品を買い直して。実力を伴った存在になるのだ。

他の門下生は老若男女様々。

現在十一歳だと聞くユウリと同年代の子から、親のような年の相手まで。同年代の女子もいるが、禁欲的な性格で、殆ど話はあわなかった。

基礎トレーニングをした後、模擬戦をする。

他のトレーナーよりはマシだが。ミツバやマスタードが相手になると、ハンデを貰っても手も足も出ない。

少し前までは、この二人は殆ど門下生との勝負をしなかったのだが。

実際に手合わせをして貰うと、その圧倒的戦力差に愕然とするばかりだった。

特にミツバ。

ポケモントレーナーとして、幼い頃から経験を積んだわけでもない。

孫と祖父ほども年が離れた夫の手ほどきで、此処まで腕を上げたのだという。

元は貿易会社をやっていたお嬢様。

最初は格闘技の経験すらロクになかったとか。

それが今では、その気になれば大岩を持ち上げ、重量級のポケモンを担いで歩き。そればかりか、格闘技でもガラル空手の黒帯クラスを苦も無く捻る実力になっている。正拳突きで、文字通り岩を砕く所も見たことがある。

マスタードの指導力がそれだけ優れている証拠で。

クララだって、負けてはいられなかった。

「クララちゃん、今日から予定通り特別メニューにはいるからね」

「は、はいぃ……」

他の門下生を下がらせた後、息が上がっているクララにマスタードは言う。

見た目は好々爺だが。

少し前から、「今までのように手加減はしない」と言っていて。

実際微塵も容赦が無い。

ただし、歪んだ教育とか、過剰なトレーニングとかを課してくる訳では無く。

ごくごく理論的な事を教えてくるのだった。

まず毒を軸とした戦い方。

ポケモンをどう利用して、場合によっては斬り捨てることを考える。

実戦なら絶対にやってはいけない戦いと、試合ではやらなければならない事をそれぞれ切り替える。

心理戦は相手に対して言葉を投げかけるのではなく、ポケモンの技や動作そのもので行う。

一つずつ、座学で丁寧に教えてくれて。

更に実践もしてくれる。

マスタードは数百を超える手持ちを有しているらしく。それらの大半は基本的に本島に出向いて仕事をしているそうだ。

警察に貸し出されて警備をしたり。

彼方此方で土木工事をしたり。

野生のポケモンが多い地区で見張りをしたりと。場合によっては、軍隊のような仕事もするらしい。

マスタードの専門は格闘タイプのポケモンだが。

格闘以外も殆ど使いこなせるらしく。

多数の手持ちを、門下生のスパーリングに貸し出している。

今日も、座学の後は訓練だ。

しばらくは、多少格上だが相性が良いポケモンと戦って見る。

勝てるようになって来たら、同レベル帯の相性が悪いポケモンをどう攻略するか。

その先は、相性も悪くレベルも上の相手をどう倒すか。

そういう話となって来た。

なお、マスタード自身はスパーリングで指示を出さない。ポケモンに自己判断させている。

要するに、そういう事。

まだマスタードが手を出してしまったら、クララでは手も足も出せないと言う事だ。

まずは典型的な、毒を弱点とするフェアリータイプや草タイプ。更にはその複合型。

ポケモンにはそれぞれ「属性」が存在しているが。それらが複合している場合もある。

そのどちらもが毒に弱い場合、それは決定的な弱点となる。

文字通りの天敵、と言う訳だ。

例えばフェアリータイプのエルフーン。このエルフーンそのものは極めて強力なポケモンで、良くプロの試合にも採用されるそうだが。毒に対しては決定的に弱く、直撃を貰うとかなりの痛打になるという。

空に浮く羊のような姿をした愛らしいポケモンだが。

その一方で、汎用性が極めて高く、器用なポケモンである。

毒が弱点とは言え、油断すると一瞬で落とされかねない。

こういう相手を確実に攻略する所から始めて行く。

手持ちを出して、順番にマスタードの手持ちのエルフーンと戦わせていくが。決定的弱点をつけるというのに勝てない。

七戦やって七連敗。

しかも、エルフーンは余裕でふわふわ浮いている有様である。

完全に伸されている手持ちを回収すると、治療に持っていくクララ。無言で、子供もいるのに若々しいミツバは、手当をしてくれる。

道場で、組み手をする以上怪我人は絶えない。

下手な医者以上に、この人の手当は手慣れていた。

「エルフーンに手も足も出ないようね」

「反則ですよぉ。 マジでどうなってんだかあの強さァ……」

「エルフーンも毒は苦手だから、対策をしているの。 その対策をどうにかして破るのが腕の見せ所よ」

ミツバはあまり余計な事を言わない。

マスタードがあくまでクララを指導しているのであって、あまり横から口出ししない方が良いと思っているのだろう。

エルフーンはふわふわ浮いているようで、今のクララのどの手持ちより動きが速い。

そして毒を持つポケモンに対しての切り札を幾つも持っている。

詐欺だとぼやきたくなるが。

それでも、まだ勝ち目がある相手だ。

マスタードがついていないのだ。

どうにかして裏をつけないか。クララの手持ちはみんな人間がサポートしている上に、訓練を積んでいるポケモンなのである。ポケモン単体の自己判断より強いはずだ。

鍛錬を重ねて強くするのもありだろう。

事実、チャンプ。ユウリのポケモン達は、どいつもこいつもバケモノのような強さだった。重武装し、重量級のポケモンをたくさん持っている犯罪組織とやりあって、真正面から制圧するという話を聞いているけれども。それも頷ける。

ともかく、相手の速さを抜けない。

ポケモンをピンポイントで強くする道具類もあるけれども、高くてとても手が出せない。ジムリーダーになれば買うこともできそうだけれど。今小遣い稼ぎに行っているポケモン捕獲では、とても買える品では無い。

何回か、マスタードに相談してみるが。

聞いた事は丁寧に答えてはくれるが。

聞いた事以上は教えてくれない。

考えるように。そう促されているのが分かる。上手に誘導はしてくれるが、決定的な所では自分で考えるように仕向けられている。

悔しいけれど。今は考えながら、試行錯誤をして行くしか無い。

ユウリが去ってから、一週間が経過。

まだエルフーン相手には、一本も取ることが出来ずにいた。

 

訓練を重ねて、手持ちのポケモンを鍛える。

マスタード師匠から貰った、神速を誇るヤドンはまだ実戦に投入できそうにない。野良のポケモンと戦わせたり、ピンポイントで技を鍛えさせたりして。マタドガス、ドラピオン、ペンドラーを鍛える。それぞれドガース、スコルピ、フシデから成長したポケモン達である。

ヤドランとは、昔から一緒にいるので、息があっているが。

だからこそ、どういう風にこれ以上鍛えて良いのか、よく分からなかった。

他の門下生と組み手をさせてみて、少しずつ分かってくる事がある。

どうもペンドラーの動きなら、もっと加速させられるかも知れない。

ペンドラーは元々そこそこに強いポケモンだと聞いた事もある。

エルフーンの動きを抜いて、ペンドラーが得意とする毒技を叩き込めば。或いは。

しかしながら、エルフーンは守りも堅く、火力もある。

要するにあらゆる全てが強い。

やはり、基礎的な能力を上げるしかないのか。

守りを得意とするマタドガスを起点にして、持久戦を挑む策も今まで何回か試したことがあるのだが。

毒での持久戦は初歩の初歩。

チャンプにまるで通じなかったように。

エルフーンもその手は食わないとばかりに、超火力で容赦なく沈めに来る。その上此方の足を止める搦め手もたくさん持っているので、手に負えない。

ポケモンを変えて見てはどうか。

そういうアドバイスも受ける。

事実、タイプ統一のジムでは。基本的に、弱点をどう補完するかが大事になっていると聞いている。

少し悩んだ後。マスタードに話をしに行く。もっと強くするにはどうしたらいいのか、と。

やはりクララの手持ちは基礎能力が足りていない。

チャンプに一矢報いた一撃も、長年一緒にいるヤドランによるラッキーヒットだった。

それなら、力をつけるしかない。

「ふーむ、そういう結論もまたアリかな」

「アタシも行き詰まるのは辛いんですよォ」

「……ジムリーダー戦では、基本的にポケモンの能力に制限を掛けるような方法は採っていないからね。 極限まで鍛え上げたポケモンが、相性をひっくり返して相手をねじ伏せる事はままあるよん」

頷くクララ。

多分だが、ペンドラーなら、極限まで鍛えればエルフーンの守りの上から相手をねじ伏せられると見ている。

チャンプが連れていたような強力なポケモンにまで鍛えれば。

だが、マスタードは言う。

「だが其所までの強さを得るには、ポケモンとの信頼関係が重要になるんだよん」

「信頼関係?」

「ポケモンは動物だからね。 言葉は通じても動物は、基本的に自分よりも弱い相手には従わないの。 特にペンドラーみたいに自分自身の強さで生き抜いていくようなポケモンは、家族を守るよりも、まず自分が生き残る事を優先するわけよ」

それは、そうかも知れない。

チャンプは兎に角、ガキなのに圧倒的に強かった。身体能力が無茶苦茶に凄まじかった。

あの強さには説得力があった。何食ったらああなるのか知りたい程だ。

あれならば、生半可なポケモンでは逆らおうとしないだろう。

そもそも、野良のワルビアルが、チャンプに恐れを成して、近づけないのを目にもしている。

力だけでチャンプが手持ちを従えているとは思えないが。

逆に言うと、力もないと、信頼関係も生じないと言う事か。

でも、クララには。そんな圧倒的な人外じみた力はない。

ミツバみたいに、拳で岩を砕いたり。

マスタードみたいに、黒帯クラスのガラル空手の達人を赤子扱いでひねり潰したり。

チャンプみたいに、階段だろうが沼地だろうが自転車で爆走し、高木から飛び降りて怪我一つしないとか。

そんな異次元じみた力は無い。

現状では、恐らく従えられる限界点までポケモンは強くなっていると、マスタードは追い打ちの言葉を発する。

分かっている。言われなくても。

何だか、涙が零れてくる。

結局、弱いのが原因じゃないか。

前だって、余程の間抜けしか騙されないような悪徳事務所にだまくらかされて、デビューライブは地獄になった。

あれだって、クララはライブのためにたくさんお金をだした。そのお金は、悪い奴らが高笑いしながら使ったのだろう。

毒ジムでだって。クララが弱くなければ、あんな連中くらい返り討ちに出来た筈。

何度か情けなく目を擦っていると。

マスタードは言うのだった。

「ならば、クララちゃん。 少し早いが実戦訓練をはじめてみるかい?」

「命のやりとり、と言う事ですかァ?」

「そういう事よん」

マスタードは、視線で指す。

ヨロイ島に幾つかある危険な洞窟。其所に行って、十五匹以上ポケモンを捕まえてこい、というものだった。

その洞窟は知っている。中には強力なドラゴンポケモンもいる。

ドラゴンポケモンは、十五匹の中に三匹以上混ぜること、という厳しい条件もついた。

おもわず、息を呑んでしまうけれども。

マスタードは、静かに笑みを浮かべている。

精神的な壁はどうにかなったのだ。だったら次は物理的な壁か。

しばらく、ぎゅっと拳を握りしめていたが。クララは決意して、顔を上げていた。

「うち、やりますっ!」

「ん、良い決意だ。 それでは、早速今から行っておいで。 ああそうそう、これは遊びじゃないから。 本当に死ぬって状況になったら助けてあげるけれど、それ以外は助けないからね?」

ぞっとする事を笑顔のまま言われるけれど。

それくらいやらないと、これ以上どうにかすることは出来ないだろう。

頬を叩く。

これ、確かダンデがやっている奴だっけ。試合の時に気合いを入れるためにやっているのを、何度か見たことがある。

誰の真似でも良い。兎も角、今は基礎能力を上げるしか無い。

マスタードは本当に容赦しなくなった。今まで適当に手を抜いていた分を、取り返すように。

だったら、その分クララも応えなければならないだろう。

勝つ。少なくとも、クララの人生を滅茶苦茶にした奴らには勝つ。

一生、チャンプにはなれないかも知れない。彼奴、ユウリの圧倒的過ぎる強さを思うと、それはどうしても感じる。

しかもユウリの天下は十数年は安泰だろうと、マスタードが太鼓判を押していた程である。

クララがどうにか出来る相手では無い。それでも、万が一以下の確率にでも賭けたい。駄目だとしても、少なくとも意地は見せたい。この世に生きた証を作りたい。

もう、伸びる年頃はとっくに過ぎている。

それでも、なんとしてでも。やれるところまで、やりたかった。

 

2、加速する鍛錬

 

兎に角、徹底的にマタドガスに粘らせる。エルフーンが根負けするまで、徹底的に、である。

エルフーンは今までのように、速さと火力だけで上を取れなくなったと判断すると、回復技や防御技まで解禁するようになった。更に言うと、速さを更に上げる技まで使ってきた。

そのまま脳筋で戦っていたら絶対に勝てなかっただろう。

だが、クララのポケモン達も地力を挙げている。

マスタードが、ミツバに扱いを任せて、訓練をした後本土に送っているポケモン達。その中の一割ほどは、現在はクララが捕まえた者達になっている。

洞窟での十五匹ポケモン捕獲で、文字通り死にかけたが。

それでもやりきった。

その後は二十匹。三十匹と捕獲する数が増え。洞窟だけではなく、海や密林にも出るようになった。

自分の力が嫌でもついていくのを感じた。手持ちのポケモン達も、クララの強さを認めて、ついてきてくれるようになった。

だからこそ、自信を持って指示を出せる。

そしてその過程で嫌でも分かった。今まで手持ち達が、クララの実力を見て、故に信頼を寄せてくれなかったことも。ずっと一緒にいるヤドラン以外は皆そうだ。考えてみれば、チャンプとの戦いの時だって、一方的に叩きのめされるばかりだった。そんなトレーナーを、ポケモンが信頼してくれるはずもない。

力が上がってきた分、ポケモン達も強くなってくる。

そして、ついに決定的な機会が来る。

隙を見せたエルフーン。ガス欠を起こしたのだ。マタドガスがエルフーンの火力に耐えきったのだ。攻めあぐねたエルフーンが、一瞬躊躇する。其所でペンドラーを交代させ。更にダイマックスさせる。負けじとエルフーンがダイマックスしたところに、ダイマックスで強化した毒液を叩き込む。

恐らく、始めて完全にクリーンヒットが入った。

だが、恐らくエルフーンは頭に来たのだろう。

今までより更に上の火力を繰り出し、処理に掛かってくる。

サイコパワーに押し潰されるペンドラー。ダイマックスが、一撃で消し飛んだ。

この辺りは、相手が格上故。だが、それでも相手に痛打を与える事には成功したのだ。此処まで完全に頭に来ているエルフーンは初めて見た。格下相手に痛打を与えられて、それは頭に来るだろう。

更に激怒しているエルフーンの怒濤の猛攻は続く。

もう少し時間を稼げと繰り出したマタドガスも、ドラピオンも、文字通り瞬時にねじ伏せられる。

だが、これで最後だ。

マスタードに教えて貰った捨て石のやり方。実戦ではやってはいけない。だが、試合でなら。相手のダイマックスを枯らすために、敢えて捨て石になって貰う手はある。

繰り出したヤドラン。同時にダイマックスが解けるエルフーン。

笑顔で浮いているエルフーンだが、もう完全に余力無し。此処で、とどめを刺させて貰う。

だが、加速したエルフーンがなお早い。最後の一撃に出てくる。そして、その最後の一撃が、此方を倒せるのはほぼ確実。元々格上の相手なのだ。

駄目か、と思ったが。

瞬間的に毒液を手につけている巻き貝の先端から噴出したヤドランが、ついにエルフーンを吹っ飛ばした。チャンプに一矢報いた技である。馬鹿の一つ覚えだが、それでも勝ちは勝ちだ。

呼吸を整えながら、コートを見る。

目を回しているエルフーン。頷くと、マスタードは、親指を立てた。

「ごくろうちん。 よくやったねクララちゃん」

「ありがとうございます、師匠」

「ふふふ、それじゃあ皆を休ませてあげてちょん。 限界が来ているだろうからね」

「はい」

少ししゃべり方が快活になっている気がする。

そういえば。

無駄に色気を意識したしゃべり方をするようになったのって、いつからだったか。これに荒んだ心が加わって、何だかろくでもないしゃべり方になっていた気がする。

少しずつ、しゃべり方も戻したい。

アイドルをやるつもりはない。

毒ジムのあの豚野郎を叩きのめした後。毒ジムを自分好みに変えるとしても。芸能界を意識するつもりもない。

休憩に入る。

皆に労いの言葉を掛ける。

そうすると、分かるのだ。主力にしている手持ち達が、自分を信頼してきてくれているという事が。

特に超格上のエルフーンを倒せたことは大きかった。

確かに今までは、特にドラピオンはクララに対して、何処か一線を引いて対応していた気がする。

クララ自身も、チャンプに対してまとめてけしかけて、自分は逃げるとか。トレーナーとしてはやってはいけない事をしていた気もする。

だからこそ。

これから、取り返していきたい。

精神論は何の役にも立たない。

だが、戦闘で手綱を引く以上、信頼関係は重要だ。

ポケモンに乗る事が地方によってはあるらしいが。これなどは顕著で、ポケモンも信頼していない相手なんて乗せるわけがない。特別に訓練されたポケモンは誰でも乗せるそうだが、その代わりストレスが尋常では無いと聞いている。

一眠りする。

ちゃんと眠った後起きだす。早朝。早朝に起きることはもう苦では無い。身繕いをして、朝ご飯を食べて。

トレーニングも自主的にする。

そういえば、前みたいに分厚く化粧はしなくなったし。訓練の時は道着にするようになっていた。

少しずつ貯金もしていて。

自分の美意識に沿った服も、ちょっとずつ揃えるようになりはじめていた。

もしもトレーナーとして。ジムリーダーになったら。

昔、詐欺事務所に押しつけられた服でなく。

自分で選んだ服で、ジムリーダー戦のコートに立とう。

そう決める。

更に早くから起きていたマスタードが呼びに来る。昔はいけ好かない爺だと思っていたが。いつの間にか。尊敬できる相手に変わっていた。

「今日から相手を変えるよん。 コートにおいで」

「分かりました。 すぐに」

「それと、次の相手を倒せたら、手持ちのヤドン用に進化の道具を用意しておいたからね」

ヤドンの進化。

何だろう。

冠だろうか。

彼方此方に棲息しているヤドンは、進化方法が違っていると聞いている。貝のポケモンであるシェルダーと融合することにより、シェルダーも形を変え。更にヤドンも別物で変わる。

具体的には知能が上がるのだが。それをやるためには、地方によって方法が違う。

ガラルでは、ガラナツという植物の枝を用いる。ヤドランに進化させるときもそうだし、ヤドキングに進化させるときもしかり。

ヤドランに進化させるときは、それこそ有り金をはたく覚悟で行った。

ヤドキングは更にお金が掛かると聞いている。

ちょっとひやりとしたが。

マスタードは、まあ甘くは無いだろう。

コートに出ると、マホイップがいる。チャンプが使っていた、血のような体色の、目つきからして殺意に満ちていた個体じゃない。ごく普通の、人間に友好的な、ピンク色の愛くるしい見た目のマホイップだ。ホイップクリームを人型にしたようなこのポケモンは、実は戦闘力が高く、充分に実戦に投入できる力があると聞いている。

「エルフーンよりも更に頑強で、毒は効くけれどエルフーンよりは効きが悪いマホイップが次は相手だよん。 この子を倒せたら、今度は毒が効きづらい相手を用意するから、頑張ってみてね」

「はい、分かりましたァ、師匠!」

「少し返事も元気になったね。 じゃあ、無理はさせすぎない程度に戦うんだよ」

ポケモンを潰すな。

そういう意味だ。

自分は極限まで磨け。そういう意味でもある。

コートに突っ立っているマホイップは、決して隙だらけには見えないが。あのマスタード師匠が育てた個体だ。

弱い訳がない。

早速マタドガスを出すが。戦闘態勢に入ると、瞬時に雰囲気が変わった。

文字通り、マホイップが手を振るっただけで、叩き潰されるマタドガス。

エルフーンよりも、更に動きが速い。

これは、毒にエルフーンよりも強いだけではなく。

基礎能力からして更に一段階上の相手を出してきた、と言う事か。

ともかく今の技を解析。

恐らくはエルフーンも使って来たサイコキネシスだと思うが、火力も展開速度も段違いだ。

流石師匠。

乾いた笑いが漏れる。

スパルタだ。一勝したくらいで、油断なんてとてもではないけれどさせてくれない。

一回目の戦いは、文字通りコテンパンにされた。

相手は油断どころか、消耗すら殆どしていない。

少し時間をおいて、ポケモンを回復させてから二度目を挑む。攻略の糸口が見つからない。単純な動きはエルフーンほど早くは無いのだが、その代わり技の展開速度が凄まじく、ついでに堅牢極まりない。毒を浴びせることには成功したが、なんと超再生力を駆使して一瞬で回復してみせる。

仏頂面だ。大きさだって子供の背丈にも届かない。

だが、あれは要塞だ。

ただでさえ、強力なサイコパワーで此方の攻撃を軽減してくる。それに加えて、多少打撃を与えても回復されるのでは話にもならない。

だが、あの鉄壁に思えたエルフーンを攻略できたのだ。

此奴はまだ、毒が弱点のポケモン。

毒を文字通り無効化する、鋼タイプのような天敵ではない。此奴を倒せないようでは。毒ジムでクララに暴虐を振るったあの豚には絶対に勝てない。

三戦目で一旦切り上げると、マスタードに自分から申し出る。

ヨロイ島の強いポケモンを捕まえてくると。

マスタードは頷くと、門下生数人に声を掛けた。一人で三十匹を捕獲してきたクララだ。必要はないと言おうと思ったのだが。違っていた。

「門下生と協力して、今日中に三十匹捕まえてきてちょん」

そうか、そう来たか。

今までは期限無しでの捕獲だった。連携しての作業。それも、かなりの必要捕獲数。簡単ではない。

それに、一時期のクララは、怖くて他人の目も見られなかった。

今、それを完全に克服しなければならない。

頷くと、狩りにでる。

急げ。マスタードだって、いつまでもクララにばっかり時間を掛けてはいられないだろう。

あのマホイップは強敵だが、いつまでも手間取っている訳にはいかない。

もっと強く。己を鍛え上げ、ポケモンの力を引き出せ。

自分に言い聞かせながら、クララは。自転車でサメハダーのいる海でも平然と爆走していたチャンプを思い出しながら。危険なポケモンがうようよいる密林に、敢えて足を踏み入れていた。

 

粗い呼吸のまま、コートを見据える。

コートの上で、ついにマホイップの鉄壁を、ドラピオンの豪腕が打ち破った。

目を回しているマホイップを、ミツバが回収していく。

ドラピオンもボロボロ。

ダイマックスも使い切っての死闘だったが。それでも、どうにかなった。

尻餅はつかない。だが、膝はがくがくで、座り込んでしまうのは避けられなかった。

呼吸を整えていく。やっと、倒せた。自分の力を上げ。手持ちの実力を伸ばし。

ようやくだ。

頭をかきむしる。随分時間が掛かってしまった。

恐らく次は、毒を弱点とするフェアリータイプじゃない。毒に対して別に弱点でもなく、耐性があるわけでは無い。例えば電気タイプとかが出てくる筈だ。

電気タイプと言えば、チャンプが出してきたデンチュラを思い出す。

彼奴はとんでもなかった。

今でも身震いがある。あれだけハンデを貰って、それでも勝てなかった。今でも、そのままでは勝てないだろう。

ともかく、笑っている膝を黙らせて。

ポケモンを回収すると、休む。

夕食の時間くらいにやっと動けるようになったので。

食事は食べに出た。

其所で、思い出す。

そういえば、ヤドンの進化用道具を貰えるという話だったではないか。

食事を済ませると、案の定コートに呼び出される。

前に捕獲した、いや譲り受けた神速のヤドンを連れてコートに向かう。

ポケモンの進化は、段階を経て強くなる場合と。途中で分岐する場合があるのだけれども。

ヤドンは後者。

ヤドランからヤドキングになる事はない。

こういう進化の仕方をするポケモンは、基本的に進化先がそれぞれ違う性質を持っていて。一概にどっちが強いとは言えない。

コートでは、笑顔のミツバと、マスタードが待っていた。

用意されていたのは、ガラナツを編んで作った王冠。

やはり、ヤドキングにするのか。

コートで、ヤドンに王冠をかぶせる。

そうすることで、ヤドンが光を帯び始める。

進化の過程は様々だけれども。ともかく、ヤドンがシェルダーと融合して、高い知能を持つようになる。

それがヤドキングだ。

光が収まったときには。

二足歩行になり。何だか目つきが悪くなったヤドランが、巻き貝の冠を被っていた。噂によると、ヤドンではなく、巻き貝の形になったシェルダーの方が意思を持っているらしいが。あくまで噂。真相は分からない。学者にでも聞いてみなければ、その辺ははっきりしないだろう。

「さて、此処からはトレーナーと戦って貰おうねん」

「トレーナーですかァ?」

「そうそう。 丁度ジムリーダーになったばかりの子が、来てくれているからね」

コートの奥から姿を見せるのは。

あのチャンプと同年代に思える女の子だった。

黒い髪の毛にそり込みを入れていて、ツインテールにしていると言う、攻めに攻めた激しい髪型をしている。ついでに爪も真っ黒。どういうネイルを入れているのか。

服もレザー系で固めていたりと、何かやばそうな雰囲気だが。

その割りに表情は仏頂面で、極めて寡黙だった。化粧もしていない。

「紹介しようね。 悪ジムのジムリーダーになったばかりのマリィちゃん。 もうメジャーリーグ所属なのよん。 マリィちゃん、よろしくちゃん」

「よろしくお願いします、マスタード師匠」

笑顔の一つも浮かべない仏頂面だが、ツインテールがひょいと跳び上がるくらい頭を下げている。

これはひょっとしてだが、単に他人づきあいが苦手なだけか。

そう思うと、ちょっと面白い。

これだけ攻めまくったファッションで身を固めておきながら、本人は恥ずかしがり屋というのは。

なんというか、強烈だ。

それも、アイドルがやっているような「作り」ではなくて素の性格だろう。

ちょっと羨ましい。

手持ちはモルペコだけか。

電気タイプと悪タイプを切り替えながら戦う珍しいポケモンで、直立した鼠に似ている。電気の鼠というとかのピカチュウが有名だが、モルペコをはじめとして似た姿のポケモンは数種類いる。モルペコは、耐久力には欠けるが、火力は高い。更に弱点を切り替えるその特性を生かして、変幻自在の戦い方をすると聞いている。

実物が戦うのは見た事がないので、座学で教わっただけだが。

まさか、いきなり新米とは言えジムリーダー、それもメジャー級が相手か。

此方の手持ちは五体。しかし、数的優位なんぞ圧倒的な力の前には役に立たない。それは身に染みて分かっている。

しかも、手持ちのうちヤドキングは、進化したばかり。まだ信頼関係も何も無い。

最初は、胸を借りるつもりで行くか。

多分、年が半分くらいの相手に、胸を借りるというのもおかしな話だが。

勝てなくても仕方が無い。

むしろ、技を見せて盗ませて貰おう。

それくらいの心理的余裕が、いつの間にかクララには生じていた。

コートで、向かい合って立った後、礼。

そのまま距離を取って、試合開始。

話は既に向こうには行っているらしい。マリィが使ってくるのはモルペコだけ。対峙してみて分かったが、今まで戦ったエルフーンやマホイップと比べると、一段格が落ちる相手だ。

しかしながらトレーナー付きである。

そういう意味では、どれくらい相手が化けるのか分からない。

すぐにマタドガスを出し、毒を浴びせて持久戦という、毒タイプの型通りの戦い方に出ようとする。

初手で潰しに来る事も想定している。

だが、相手の動きは。クララが想像しているよりも、遙かに早かった。

今、マリィはメジャーリーグにいるそうだが。

そういうトレーナーは、いちいち声を掛けて技なんか指示しない。

そういえば、彼奴も。チャンプも、殆ど指示をしている様に見えなかったのに、意のままにポケモンを操っていたっけ。

どうやっているのか。

何の迷いもなくオーラぐるまと呼ばれる技で突貫してきたモルペコに、マタドガスが吹っ飛ばされる。

動きを見るどころじゃない。

そのまま、五体ごぼう抜きにされ。

緒戦は散々な結果に終わる。

流石は魔境と言われるガラルのメジャーリーグに所属している現役ジムリーダー。力の差は歴然だ。

しかも、一体しか手持ちを使っていない。

こんなに力の差があるのか。

だが、まだクララは弱いのだ。当然である。

「もう一戦、お願い出来ますかぁ、先輩」

「先輩!?」

「うふ。 だってぇ、ポケモントレーナーとしての経歴はずっと上でしょう?」

「それは、そうだけんども」

何か妙な訛りもある。

色々面白い子だなあ。だが、先輩だと思って敬意を払うことに対して嘘は無い。実際問題、経歴も才覚も上の相手だ。

モルペコは、今までの要塞のような相手とは違う。

動きさえ見きって一発大きいのを叩き込めば、多分勝負は出来る筈。

更に言えば。野良のポケモンを捕まえる過程で、手持ちのポケモン達にも、毒以外の技を色々覚えさせている。

特に毒にとって天敵となる鋼対策として、炎や格闘関連の技もしっかり覚えさせるようにはしている。

何度か戦って、観察させて貰う。

これは公式試合じゃない。

更に言えばハンディキャップマッチ。

相手は手の内を簡単には見せてくれないかも知れないけれど。

それでも、もしも負けるようなことがあれば。ムキになって、奥の手を晒してくれるかも知れない。

そうなればしめたものだ。

二戦目。

いきなりマタドガスに防御をガチガチに固めさせ、オーラぐるまを耐えさせる構えに入る。

だが、いきなり近距離にすり足で超高速にて寄ってきたモルペコが。マタドガスに、強烈な電気を纏った拳を叩き込んできた。

インファイターでもあるのか此奴。

小柄なポケモンでも、パワーがある奴はある。ブースターという炎を使うポケモンも怪力で有名だが。モルペコも見た目とはまるで裏腹のパワーだ。

遠距離からのオーラぐるまかと思っていたマタドガスが、モロに不意を突かれて、空中に吹っ飛び。

地面に叩き付けられる。

当然、即戦闘不能である。

更に続いて、電気技の代名詞、雷撃をぶっ放す通称10万ボルトを叩き込んでくるモルペコ。マタドガスの代わりに出たペンドラーがエジキになり、黒焦げになって倒れる。

無表情のまま淡々と戦うマリィは、言動のかわいらしさと裏腹に。戦闘ではそのポーカーフェイスというか仮面ぶりが武器になる訳か。

しかし、どうやって指示を出している。

心が通じているというにしても、極端ではあるまいか。

ポケモンに自己判断させているとは思えない。あの先を読んだ近接戦闘への持ち込みっぷり、明らかに手慣れている人間的戦術判断だ。

観察しろ。やり方が何かある筈だ。

色々教わったはずだ。座学での知識を思い出せ。そう言い聞かせるが、戦闘中に覚醒するほど世界は甘くない。

三回やって、三回とも負けた。

三度目の戦いが終わった後、一休憩入れる。

マリィは何かに備えて訓練に来たとかで、今夜だけしかいないらしい。明日の朝一には帰ってしまうそうだ。出来れば、可能な限り技を見せて欲しい。

軽く休憩しながら、チャンプの話を聞く。

マリィはたどたどしく通常語で喋る。本人も訛りを気にしているのだろう。

「あの子は完全にスペシャルだから。 同期にも何人か凄いのいるけど、あの子は別格で、勝てたことない」

「アタシもなのよぉ。 何食ったらあんなに強くなるんだか……」

「食べ物? 何でも食べるみたいだけれど……そうだ、一度一緒にキャンプしたとき、ポケモンと一緒に木の実とかその辺で拾った得体が知れない骨とかどばどば入れたカレー食べてた。 流石にその時は遠慮させて貰ったかな……」

「……」

まさか素で返してくるとは思わなかった。そして、思わず真顔になる内容である。

そうか、あんにゃろう。とんでもない悪食なのか。

チャンプが育ちが良い事は一目で分かったのだが、逆にそれが故にゲテモノくらいは全然大丈夫なのかも知れない。

普通、カレーは人間用とポケモン用で具材から何まで分けるのが当たり前なのだが。

そうか、平然とポケモン用の木の実とか食べていたのかあのバケモノ。

強い理由に更に謎の説得力が出来たが。

それでも、負ける訳にはいかない。

休憩を挟んだ後、更にもう何マッチか試合をさせてもらう。

どうやら日中、マリィはマスタードやミツバと散々試合をしたらしく。別にそれで不満を見せる事はなかった。

或いはハンデキャップマッチそのものが修練扱いなのかも知れない。

結局六試合やって、モルペコの雷光のような速さと、文字通り岩を穿つ火力に圧倒されて、一勝も出来なかった。一回だけ攻撃を擦らせることがで来たが、それだけだった。

かなり強くなってきたはずなのに。

チャンプにしても、後でマスタードに聞いたけれど。クララとの戦いで使ったデンチュラは試合用の個体では無かったと聞いている。

力の差は、まだとんでもなく大きいのだ。

だから貪欲に、全て取り込みたい。

握手して試合を終えるが、マリィは意外に気前よく教えてくれた。

「ああ、モルペコへの指示なら、ハンドサインで出してるの」

「ハンドサイン」

「そう。 それも、モンスターボール投げるときとか、次の相手が出てくるときとかに」

そういえば。

確かに、モルペコは。クララのポケモンを一体倒すごとに、マリィの方を見ていた。マリィは仏頂面で何か口にするようなことは無かったけれど。そうか、手元を動かして指示を出していたのか。

あれは褒めてくれと言うような意思表示では無く。

綿密に打ち合わされた上で、戦術判断を仰いでいたのか。

そうか、それでは確かに変幻自在の技を繰り出してくるわけだ。モルペコの特性に沿った、最も賢いやり方とも言える。

採用しよう。すぐにクララは決める。

そもそも、動きにラグが生じていて。それで素早いポケモンには苦労していたという事実がある。

ハンドサインというものがある事は知っていたが。ポケモンの目は基本的に人間よりも良い。

覚えさせれば、それこそ今までのラグを帳消しに出来る筈だ。

翌日、マリィが帰って行く。

手を振って駅で見送る。

そういえば、チャンプが姿を見せた日。他人と関わり合いになりたくないから、随分失礼な対応をしたっけ。

今思うと恥ずかしい。

チャンプは何とも思っていないようだったけれど。

今後は気を付けようと、クララは自戒していた。

 

3、合格までの道

 

分かる。

今コートで向かい合っているガラル空手の達人、格闘ジムリーダーのサイトウは、己の動きでポケモンをコントロールしている。ハンデキャップマッチだが。既にジムリーダーとは七人と戦った。何かの理由があるようで、皆ヨロイ島に来ては鍛錬しているようなのだ。その度に、マスタードに声を掛けて貰い。対戦させて貰った。

実はジムリーダーそのものは、チャンプがヨロイ島を訪れる前から来ていたらしい。

マスタードと模擬戦をしていたらしいのだけれど。それは全く知らなかった。

まあ、その時のクララは、まだジムリーダークラスのトレーナーと戦っても、何の勉強にもならなかっただろう。

マスタードの判断は正しかったと言える。

サイトウのポケモンは、格闘タイプのジムリーダーの手持ちらしく、とにかく荒々しく攻めてくる。サイトウ自身、普段は甘味好きの穏やかな女性らしいが。格闘技になると人が変わるし。試合になると文字通り目の色が変わる。

守りを固めても。ガードの上からブチ抜きに来る。

呼吸を整えながら、伸されたヤドキングを手元に戻す。

ハンドサインを出しながら、切り札のヤドランに変える。同時に、サイトウが何の躊躇も無く、エースらしい四本腕の人型ポケモン、カイリキーをダイマックスさせた。

此方もダイマックスさせるが、一瞬遅い。

カイリキーはその四つの拳から、山をも砕くというラッシュを放つポケモンだ。流石に山を本当に崩せるかはかなり疑問が残るのだが、図抜けた力持ちである事は事実である。それも、トラックくらいなら素手で叩きつぶせる程度の。

ましてや、サイトウは今ダイマックスさせたが。よく見るとこれはキョダイマックスだろう。

降り下ろされた拳が。まだ対応出来ずにいるヤドランを、容赦なく捕らえて。コートの外まで吹き飛ばす。

文字通り、全身ごと拳を振り抜いていた。

ただでさえ力が強いカイリキーなのに。格闘技の動きを、完全にマスターしているという事だ。

要するにポケモン並みの身体能力を持った巨大な格闘家と戦っているようなものだと理解して、戦慄する。

これは魔境のガラルリーグのメジャーリーグで現役活躍している筈だ。

サイトウは比較的若いトレーナーで、メジャーで活躍しているトレーナーの中ではゴーストタイプのオニオンや。この間来たチャンプの同期であるマリィ、最近フェアリージムのリーダーになったビート達よりも、少し年上くらいだそうである。

だがこの様子では、恐らく幼い頃からガラル空手一本で過ごし。ついでにポケモンとも一緒に過ごしてきたのだろう。

実質数年程度しかポケモンと一緒に過ごしておらず。更に言えば真面目にポケモントレーナーやり始めてから半年も経過していないクララとはそれこそ次元が違うのも当たり前である。

ヤドランは戦闘不能。言われるまでも無い。モンスターボールに戻す。ただ、すぐに治療は必要ないだろう。他も含めて、目を回しているだけである。

「そこまで」

「ありがとうございました」

「ありがとうございましたァ」

マスタードの言葉を受けて、サイトウと礼をする。

最近はハンデキャップマッチが少しずつ緩くなってきていて、ジムリーダー側に二体、というケースが増えてきていた。

一体を倒せる事はたまにあるのだが。大体二体目を攻略できない。

それも、ジムリーダーは、試合用の個体を出してきていない。

まだ力が足りないと言う事だ。

だから、聞く。アドバイスを。

取り入れる。自分に。

サイトウは、非常に礼儀正しく。自分がおない年くらいの頃はアイドルに憧れて何もかもふわふわした人生を送っていたことが恥ずかしくなるぐらい、動作の隅々までしっかりしていた。

鍛え抜かれた体というのが一目で分かるサイトウなのに。それでいながら非常に肉体が美しい。

女性の体と筋肉は必ずしも親和性が高くないと思っていたのだが。サイトウの屈強でありながら美しい肉体を見ると、これはこれで良いなあとクララは思うのだった。

「うちのトレーナー達よりは強いと思います。 ただまだマイナーリーグのジムリーダーに勝てるかは微妙な所にも思いました」

「ありがとう。 他にも気付いた事があったら何でも教えてください?」

「そうですね、ポケモン達とは良く心が通じていると思いますが……反応速度がもう少し足りないように思います」

やはり鍛え方が足りない、か。

礼を言うと、サイトウは夜のうちに帰っていく。メジャーリーグのジムリーダーは忙しいのである。

試合をするだけでは無い。

地区最強、それぞれのタイプ最強のトレーナーがジムリーダーだ。警察に頼まれて仕事だってする。他にも色々な仕事がある。

サイトウの所属する格闘ジムは、警察などで稽古をつけることもあるらしく。

凶悪犯がポケモンを暴れさせたとき。或いは凶器を持った凶悪犯が暴れたとき。どう制圧するかなどを、徹底的に叩き込む教習もしているらしい。

ガラルの経済的シンボルだったローズ氏が、この間スキャンダルを起こして、刑務所に入ったことを最近やっとクララは知った。

ガラルが発展したのは、ローズ氏のおかげである事くらい、クララですら知っている。

だから、ローズ氏がいなくなった今。

社会の混乱につけ込もうとする悪党を抑えるためにも。

汚れ仕事をする人は、必要なのだろう。

サイトウが空輸タクシーで帰っていくのを見送った後、マスタードにアドバイスを聞く。

「師匠ォ、もっと反応速度を上げるのにはどうしたらいいですかァ?」

「そうだねえ。 鍛える、というのはあまりにも無責任な言葉だから、ちょっと具体的にやってみようか」

マスタードが出してきたのは、超高速を誇るポケモン、テッカニンである。

セミのような姿をしているが。文字通り残像を作る勢いで空を飛び回る。速度を武器に、色々な戦いを組み立てるポケモンである。

コートに出向く。

戦うのかと思ったのが、違うと言う。

「しばらくこの子と遊んでご覧。 サイトウちゃんに反応速度が足りないと言われたのなら、それは後一歩と言う事だよ」

「……」

「サイトウちゃんは、文字通り生まれた時から瞬きが即座に負けになる世界に生きてきた子だからね。 そんな子に取って、反応速度ってのは普通の人と感覚が違うのよん。 だから、テッカニンの姿をしっかり追えるようになって来たら……最終試練に入っても良いかな」

「はい……」

最近は、妙な言葉遣いもかなり治ってきている。

何処かで染みついたアイドルと言うものが、クララの中から消えていっているのだろう。

アイドルをやりながら、ポケモントレーナーをやれる奴もいるだろう。

それこそ、現役のトップモデルでありながら、魔境であるガラルリーグでメジャーに残っているルリナのように。

ちなみに今までのマスタードが組んでくれた組み手の中でルリナとも対戦したが。

兎に角あらゆる意味で尋常で無く努力している事が一目で分かって、その時点で勝てないのも当然だわと納得出来た。

テッカニンを見つめる。

マスタードに言われた。

もう少しで最終試験には入れる。

そろそろ、チャンプにぼっこぼこにされてから、五ヶ月が経とうとしている。

今は外のニュースにも興味を持ち始め。また何処かでチャンプが悪の組織を潰したとか、国際警察がどうにも出来なかった腕利きの犯罪ポケモントレーナーを逮捕したとか、そういうニュースに興味を持てるようになって来ている。

スペシャルに負けたことは恥では無い。

むしろ、一緒に並び立てることがあれば。

それは誇りだ。

そう思って、テッカニンを見つめる。

確かに、これはちょっとやそっとで分かる動きでは無い。文字通り、いつの間にか違う所にいるのだ。

速いなんて次元じゃない。

だが、サイトウの反応速度を思い出す。サイトウは、多分こう言う動きをする世界に生きてきて。

だから強いのだ。

チャンプにも、多分テッカニンの動きは見えている。それこそ、手づかみで捕まえて見せるくらいの事はして見せるのではあるまいか。

数日、テッカニンの世話をして過ごす。

テッカニンはかなり気むずかしいポケモンで、世話をしていると、頻繁に文句を示してくるし。毒を持つクララのポケモンが近くにいるのを嫌がるようだが。

腕が良いトレーナーは、それこそ天敵同士であるポケモンを、それぞれ仲良くさせて見せたりもするという。

これくらい、克服できなければ駄目だ。

じっとテッカニンを見つめているうちに。その翼の動きや。一瞬で移動したと見せかけて。実はぬるりと視界の隙を突いていることもわかり始めた。

見えていなかった世界が。

見えてきている。

そうか、こんな世界が、他の人には見えていたのか。

勿論見えている人はごく一部だろうけれども。それでも、新しい世界が見えるというのは、感動を伴う。

テッカニンの世話をするだけでは無い。

手持ちのポケモンともトレーニングを行う。

苦手とする技を克服するべく練習を重ね。技の発射速度、命中精度、全てを上げるべく努力をする。

汗まみれになって努力するなんて大嫌いだったけれど。

今は、効率よく、結果が出る努力を教えて貰っているので、それはとても嬉しい。

昔接していた努力は、単なる根性論だったのだろう。

それから、更に二週間が過ぎて。

テッカニンの動きは、完全に見えるようになった。

それを見計らい。

マスタード師匠が、ジムリーダーを、三人連れてきた。

 

ジムリーダーになる方法。

基本的に、ジムリーダーか、ポケモンの業界で大きな業績を上げた人間の推薦状がまず必要になる。

マスタードは、一時期スキャンダルをでっち上げられ、業界から追放されていたらしいのだが。

今はそのスキャンダルをでっち上げた八百長野郎が牢屋に放り込まれているそうで。

名誉の回復が為されているらしい。

この推薦状が何枚かあれば。基本的にジムリーダーに挑戦できる。最低でも三枚は必要だそうである。

その後、ジムリーダーに、リーグを管轄している委員会所属の立会人ありで勝てば。

晴れてジムリーダーの座を奪い取ることが出来る、というわけだ。

地方によってはこの手続きが色々と違うらしく。座学が求められたりするケースもあるらしいが。

ガラルの場合は、ポケモンバトルの実力が全てに優先する、という話である。

ただし、メジャーリーグに上がれなければ、当然世間の風当たりは強くなる。

ジムの収入源は、サイトウの格闘ジムがそうであるように、多くの場合は社会貢献である。

試合での興行収入はささやかなもので。

殆どの場合は、最強のトレーナー。つまり武力としての活躍を要求される。

まあ、あのバケモノ。

現ガラルチャンプのユウリが、外で暴れ回り。聞いただけで卒倒しそうな額を稼いでいると知ってから。色々と納得も行った。

メジャーリーグはまだいい。

仕事もどんどんくるのだから。

マイナーリーグはそうはいかない。

マイナーリーグで負けがかさめば、そもそもトレーナーも雇えなくなるし、仕事も来なくなる。

故に、マイナーリーグのジムリーダーになるのは手始めに過ぎない。その後は戦績を挙げて、社会貢献もして。メジャーリーグへの昇格を目指さなければならないのだ。

余程の田舎地方は兎も角、殆どのガラルも含む地方では基本的にタイプに合わせてジムは一つだけ。

毒ジムとなると、活躍の場は限られる。毒タイプのポケモンは扱いが難しいし、下手をすると周囲に大きな被害を出すからだ。

昔は、色々なジムが乱立した事もあったらしい。

色々揉めた結果、各地方でジムはそれぞれタイプ別に一つずつというルールが作られ。不文律からやがて明文法に変わったという。これについては、座学で習った。眠くなるような話も多かったけれど、ジムリーダーになるには必須だったから、勉強して覚えた。

ともかく、毒ジムのリーダーになるには。

今いる毒ジムのリーダーを蹴り落とすしかない。

それには、幾つかの手順を、法に沿って行わなければならないのだ。

まず最初の一人。草タイプのジムリーダー、ヤローが前に出る。

気は優しくて力持ち、という言葉通りの人物で。その恵まれた縦にも横にも大きな体格と裏腹に、とてもおおらかな農業青年である。地元では、彼がパワフルに農業をしているのが名物にさえなっているそうだ。純朴な青年である一方、ルリナとの恋仲が噂されているが、はてさて真相はどうなのやら。まあ、その辺りはクララにも興味はある。勿論此処で聞くほどアホでは無いが。

ヤローが展開したのは多分、そこそこに鍛えたポケモンなのだろう。クララの展開した五体と、かなり苛烈な勝負になる。

あれ。ジムリーダーと。多分、相手が本気では無いにしても。

まともに戦えている。

そう思うと、歓喜がわき上がってくる。

だが、その気の緩みが徒になったか。五対五の戦いで、最後まで持ち込まれ。僅差で押し込まれて負けてしまう。相性は良い筈なのに。しゅんとするが、ヤローは合格の推薦状を書いてくれた。

「これなら大丈夫じゃあ。 少なくとも、挑戦できる実力は充分にあるぞ」

太鼓判を押して、屈託のない笑顔でばんばんと背中を叩いてくるヤロー。

噂通りの馬鹿力である。地面に埋まるかと思ったが。昔と違って鍛えているので、其所までヤワでは無い。

続けて、以前も来ていたマリィと戦う。今度はモルペコだけでなく、フルメンバーを出してくる。前回手合わせした時と、戦力が桁外れである。

だが、此方は以前と違う。

モルペコの動きが分かる。オーラぐるま一発で封殺されることもない。インファイターとしての顔だって知っている。同じようには行かない。他のポケモンも、初見でも対応出来る。

苛烈な戦いの末、五対五の接戦の末になんと勝利する。

勿論マリィも、試合用のポケモンを出してきたわけでは無いだろう。本気だって出してはいなかった筈。それでも、勝ちは勝ちだ。

そして、勝ちを実感できなかったのは。

他ならぬクララ自身だった。

嘘。

思わず声が漏れる。棒立ちしているクララに、マリィは例の如くの仏頂面で、推薦状を書いてくれた。

随分とまあ可愛い字である。思わず見ていてにやけるほどに。

それに気付かれたか、マリィが真っ赤になって、ついと顔を背ける。また随分と可愛い。兄である前悪ジムリーダーネズの後継らしいのだが。これは随分と兄に可愛がられて育ったのだろう。家族に溺愛されているらしいと言う噂を聞いたが、まあ無理もない。こんな攻めたファッションをしていなければ、周囲から普通に愛されるだろうに。その辺りは、クララも同じか。毒タイプのジムリーダーとしてメジャーに昇格したら、少し格好を落ち着かせても良いかも知れない。

最後の相手はカブ。

有名人だから知っている。メジャーリーグでも盤石の実力者。チャンピオンリーグに挑むトレーナー殺し。カブの所で挑戦を諦めるトレーナーは珍しくもないと聞いている。炎という分かりやすいタイプを扱い、更にその上で粘り強い戦いを持ち味とする分かりやすく強いトレーナー。既に老境に片足を突っ込んでいるが、それでも全然現役で、若々しいスポーツ選手のような格好をしている。自分に厳しい人物で知られるが、若い相手への言葉遣いはとても柔らかい。文字通りの紳士である。

何年だか前に、ガラルの中心都市の一つエンジンシティに千体を超えるポケモンが押し寄せて、たくさん死人が出て。警備体制を根本から改める事件が起きたらしいが、最前線で押し寄せるポケモンを食い止めたのもカブだ。そういえば、その時デタラメに強いマホイップがポケモン達を率いていたとか言う噂を聞いたが……チャンプが連れていた、怨念に塗れた視線のマホイップを思い出す。まさかな。ともかく、試合に集中である。

流石にカブは別格に強い。一気に三体を抜かれるが。その後必死に粘り、二体を沈める。だが、其所まで。後は押し切られて負けた。

カブほどのトレーナー相手だ。

充分な戦いだと自分を慰める事も出来るが、負けは負け。しゅんとするクララだが。カブは推薦状を書いてくれた。

「これならばマイナーリーグのジムリーダーとしては充分だよ。 ただ、メジャーリーグに昇格するつもりなら、もっと力をつけなさい」

「はい」

素直に頭を下げることが出来る。

昔だったら悪態をついていただろうに。今はもう、その辺りは自分を改めることがで来ていた。

最後はマスタードか。

今は、喋るときは師匠と素直に呼べるようになっている。

厳しい訓練も受けたが。

理不尽な訓練は受けなかったし。

論理的な訓練は、確実に力をつける役に立った。

こう言う場所なのに、根性論や精神論は一切口にせず。どうすれば具体的に強くなるか教えてくれた。

そんな人だ。

もし戦うとなったら、今でもとてもかなわない。客観的にある程度実力を判断出来るようになったクララは、それを理解していたが。

マスタードは戦わなかった。

「これで推薦状三枚と。 はい、それじゃあ監査よろしく」

「はい」

進み出てきたのは、黒衣のサングラスで表情を隠した厳しそうな人達だ。ちょっと警官やこの手の人には苦手意識があるので、少し背が伸びる気がした。

どうやらジムリーグを管理している人らしい。

ジムリーダーへの挑戦を賭けた推薦状などについても、管理している「委員会」の所属者らしかった。

色々あって今は委員長を降りたローズ氏が、この委員会については徹底的に整備をしたらしい。

その整備は古い時代に不正が蔓延っていた委員会をたたき直し、今ではすっかりまともな組織に。……まともすぎて非常に厳しい組織になっているそうだ。

音を遮断する壁を張るポケモンを出し、その向こうでああだこうだと委員会の人達が話し合っている。手続きに不正がないか、確認をしてくれているらしい。

試合内容のチェック、更には現役メジャーリーグジムリーダー達の採点についてのチェック。更に試合を斡旋したマスタードに聞き取りなどをしている様子だが。

あくまで音を遮断する壁の向こう。

具体的な内容は聞こえなかった。

マスタードが戻ってくる。ジムリーダー達に声を掛けて、帰ってもらっていた。

手を振って見送る。委員会は、今はもう聞き取りを追えて、手続きに入っている用なので。ジムリーダー達は忙しいし、帰っても大丈夫なのだろう。

「師匠は、推薦状を書いてはくれないんですかァ?」

「わしは身内だからね。 斡旋はするけれども、実際に推薦状を書いたり実力を見るのは、身内では無いトレーナーというルールがあるのよん。 だから、わざわざダンデちゃんに声を掛けて、三人もキミと利害関係がないジムリーダーに来て貰ったの」

「本当に有難うございます」

「良いんだよ。 今、エスパージムの方でも新しいジムリーダーを入れるって話をしているらしくてね。 ガラルのリーグはレベルが上がっているけれど、マイナーリーグの方にはまだちょっと駄目なジムがあるから、其所の人員を入れ替えてから、リーグの体勢を本格的に入れ替えるつもりみたいだよ」

そうか、そうなるとクララもいきなり魔境で揉まれて来たトレーナー達と戦う事になるのだろうか。

まだまだメジャーのジムリーダーとやりあうには実力が足りない。

それはヤローにもカブにも言われたので、事実なのだろう。

ジムリーダーになってから、力をつけなければならない。やはり、毒タイプの手持ちをもっと増やしておくべきか。

考えているうちに、委員会の人達が来た。

緊張する中、出来るだけ無機的にしている様子の声で言われる。

「それでは、ジムリーダーへの挑戦を認めます。 相手は毒ジムの現ジムリーダー。 期日は、一週間後です」

書類を幾つか渡される。

試合は、委員会立ち会いの下で行われるという。

不正を絶対に行わせないために、念入りに準備も行うそうだ。なお、試合前にはポケモン達のチェックも行うと言う。

興奮剤とかの妙なクスリなどを飲まされていないかとか。

或いは、試合会場に変な仕掛けをされていないかだとか。

なお、毒ジムでもダイマックスはできるらしい。そうなると、ダイマックスを想定しての戦いになるだろう。

挑戦者のバッヂを受け取る。

それを絶対に無くさないように、と言われた。

委員会の者達が、マスタードと何か話をしている。マスタードは、非常に険しい顔で応じていた。

聞かない方が良い話だろう。

そう思って、その場を離れる。

ミツバが夕食を用意してくれていた。今更だけれども、すごくおなかが空いていた。

「此処に行き倒れて辿りついた時には、本当に酷い有様だったのに。 もうすっかり綺麗になって。 ただ毒気がまだ少し抜けていないわね」

「ありがとうございます、おかみさん」

「……そろそろ、ご家族に連絡をとってあげなさい」

「ジムリーダーに昇格したら連絡します」

勿論、絶対に勝つ。

それに、ジムリーダーに昇格できなくとも。その時に、家族へは連絡をするつもりだ。

今になって思えば、本当に心配させていると思う。だって、クララの足取りは。インディーズアイドルとして挫折してから、完全に途絶えてしまっているだろうから。

さて、一週間後。

其所までに、更にベストな状態に、自分もポケモンも仕上げておきたい。

チャンプに負けたときの比じゃない。

今回は。人生で、絶対に負けてはならない戦いなのだから。

 

ガラル地方本島に渡る。久しぶりだ。情報をずっと遮断して生きてきた。だから、今どんなアイドルがいるのかとか、又聞きでしかしらない。

本島に渡る途中、スマホロトムで情報を確認。同期で目立っていたアイドルの子は、殆ど生き残っていなかった。クララを騙して金をむしり取った悪党達は。そもそも会社が残っていない。多分悪辣商売が摘発されて、牢屋行きなのだろう。ガラルはそれだけ治安がしっかりしている。悪党がいつまでものさばれる場所では無い。

本島に到着。駅で委員会のメンバーと合流。

黒服の威圧的な人達だけれども。恐らくダンデとかの実力者から借りた強力なポケモンを護衛につけて、一緒に車で移動する。

厳重すぎるくらいだが、他の地方では悪党と癒着して好きかってしているジムリーダーや、酷い場合にはチャンピオンがいると聞いている。

それならば、この扱いも妥当なのかも知れない。

毒ジムに到着。

前の、ままだ。

ここに来るまでに調べたが、毒ジムとエスパージムは、マイナーリーグでも成績が最底辺。エスパージムも毒ジムも、それでもジムリーダーが変わっていない。エスパージムは同族経営でやっているらしく。毒ジムは地元の有力者でもあるらしい。

何となく今なら分かる。周囲をイエスマンで固めていた毒ジムのリーダーは、いうならばタチが悪い悪徳企業のボスと同じだったのだろう。グレーゾーンスレスレの商売にも手を染めていたのかも知れない。

委員会が気合いを入れているわけだ。

やがて、委員会の人間が内部に入って、そして取り巻きとジムリーダーと一緒に出てくる。

驚いた。殆ど顔ぶれが変わっていない。

本当に、イエスマンとボス。ボスザルとその取り巻きだけで、このジムを動かしていたというわけだ。

それは、マイナーリーグでも最底辺の成績しか残せないわけだ。

負ける訳にはいかない。

「ハッ、誰かと思えば、前に此処を速攻で逃げ出した根性無しの小娘じゃねえか」

「口を慎みなさいジムリーダー。 試合前試合中の非紳士的な言動は、それだけで失格の対象とします」

「……チッ」

委員会の人の痛烈な言葉に、舌打ちする毒ジムリーダー。

相変わらず柄が悪い。毒ジムのリーダーは二足歩行した豚のような男で、全く似合っていないタキシードを着て、ジェントルハットまで被っている。前に比べて老けた。そして、近くで見て分かる。

此奴になら、勝てる。

ジムから全員を追い出した後、委員会が徹底的に調べる。不正が行えないようにチェックしているのだろう。

クララの手持ちも、毒ジムのリーダーの手持ちも徹底的に調べられる。

不愉快そうに見ていた毒ジムのリーダーだが、そもそも委員会に目をつけられているのだろう。文句の一つも言えなかった。この手の輩は、強い相手には下手に出て。弱い相手には強気に出る。

文字通りのクズ。此奴にだけは。絶対に負けない。

最強という言葉を恣にするチャンプや、その前任者であったダンデ、それにマスタード。そういったスペシャルにクララはなれないかも知れないけれど。それでも、此処では、絶対に勝つ。

コートの調査が終わる。豚野郎とコートの端と端に向かい合って立つ。

一礼だけはするが。既に、視線は殺意に満ちていた。

「はじめ!」

委員会の人が、試合開始の合図。同時に殺気が爆発した。

クララは最初にマタドガスを出す。相手側は、ドグロッグ。二足歩行するカエルのような姿をしたポケモンだ。結構汎用性が高く、格闘戦能力も高い。

殆ど奇襲的に接近戦を挑んでくるが、マリィのモルペコに比べたら遅い遅い。余裕を持って、マタドガスがシールドを展開。文字通り弾き返す。

弾かれて空中に浮かび上がったドグロッグに、マタドガスが間髪入れずに突貫。全質量を叩き込む。

ギガインパクトと呼ばれる大技である。

予備動作が大きいので、相手が素早いドグロッグだと外すこともあるが。空中で姿勢を崩している状態だ。

避けようがない。

直撃。

文字通り吹っ飛んだドグロッグが、毒ジムリーダーの真上。狭いコートの壁に叩き付けられ、そのままずり落ちる。ぴくりとも動けない。

「ドグロッグ、戦闘不能」

委員会の人間が、容赦なく宣告する。

クララも煽るつもりは無い。舌打ちして、真っ赤になった毒ジムリーダーが、次を繰り出してくる。

この辺りは。流石に腐ってもジムリーダーか。すぐに切り替えてきている。

続いて出てきたのはドヒドイデ。

ヒトデを傘のように被った人型のようなポケモンで、サンゴの姿をしたサニーゴというポケモンの天敵として知られている。守りに兎に角手篤いポケモンで、マタドガス以上の要塞である。

毒タイプが他と戦う場合は、文字通り毒を生かす場合が多いのだが。今回、互いに毒は通じない。

大技を打った直後のマタドガスに、泥の塊を叩き込んでくるドヒドイデ。

マッドショットと呼ばれる技である。視界を封じ、更に毒が苦手とする土の解毒効果を併せ持つ。

ふらついたマタドガスに、飛びかかってくるドヒドイデ。

クララは冷静に、そのままマタドガスにハンドサイン。

飛びついてきたドヒドイデを巻き込んで、マタドガスが自爆する。

全エネルギーを放出し、自身は身動きが取れなくなる代わりに、相手も黒焦げにする大技である。

マッドショットで動きを鈍らせて、じわじわ嬲るつもりだったのだろうが。

此奴の考える事くらいお見通しだ。

ドヒドイデの中身は、可愛らしい人型なので。吹っ飛ばされて目を回している様子はちょっと可哀想に思ったが。

容赦はしてやらない。

試合は実戦とは違う。こういう風に、必要な犠牲を切っていくやり方はありだ。

「ドヒドイデ、マタドガス、戦闘不能」

これで損害は二対一。優位に試合は進んでいる。

間髪入れずに、次を出す。クララのペンドラーに対して、毒ジムリーダーはエンニュート。大型のヤモリのような姿をしているポケモンで。とにかく動きが速い。そしてペンドラーが苦手とする炎を得意としている。

毒ジムリーダーの顔に、凄絶な笑みが浮かぶ。本当に立ち上がった豚だなと、軽蔑する。豚さんの肉は美味しいけれど。此奴は軽蔑すべき豚だ。

即座に、炎を吐き出してくるエンニュート。そう来るだろうと思った。

此方はずっとテッカニンを見て、反応速度を上げているのだ。

何が来るか分かっていれば、対応は出来る。

コートに炸裂する灼熱の炎。

エンニュートが体勢を低くしたまま、ちろちろと舌を出している中。

炎を突き破って突貫したペンドラーが躍り出る。

ペンドラーにも、マタドガスと一緒に、シールドを展開する技術を覚えさせていたのだ。出会い頭の炎くらいどうにでもなる。

そして、トレーナーの油断が、此処で致命打になる。

次の炎を噴き出そうとエンニュートが構える前に、突貫したペンドラーが全力での体当たりを叩き込む。

元々華奢なエンニュートは、兎に角脆い。

毒タイプについて、徹底的に勉強してきたのだ。弱点についても把握している。

吹っ飛ばされて、壁に叩き付けられながらも。それでも炎の塊を叩き込んでくるエンニュート。

最後の意地か。

ペンドラーが炎に包まれ、転がり回る。苦しいだろうが、ちょっとの我慢だ。頼む、耐えて。そう、クララは内心思いつつも、ハンドサインを出す。

エンニュートの戦闘不能が告げられる中、即座に間髪入れず、毒ジムリーダーが次を繰り出してくる。

次に出てきたのはダストダス。巨大なゴミの塊のようなポケモンだが。

其奴が、質量に任せて転がり回っているペンドラーを押し潰そうとしたときには。もうペンドラーはその場にいない。

コートの地面に潜り、掘り進み、後ろに回っていたのだ。

巨体故に動きが鈍いダストダスに、背中から全力での体当たりを叩き込む。

思い切りつんのめるダストダス。だが、其所まで。ダストダスが振り返り様に振り払ったことで、ペンドラーが吹っ飛ぶ。充分。頑強なダストダスに、此処までの打撃を与えられれば、それで仕事はしたと見なせる。

戦闘不能を告げられるペンドラーをモンスターボールに戻すと、ドラピオンに切り替え。

弱っているダストダスを、ドラピオンが、出会い頭の一撃に粉砕。極限まで育ったドラピオンのハサミは、自動車を粉砕する。今のクララのドラピオンにはそれができる。

これで、敵の残りは一人だ。

凄絶な表情が、毒ジムリーダーの顔に浮かぶ。負ける。この小さな城を好き勝手にして来た猿山のボスが。追い出される。それを悟った、壮絶な顔だ。

顔を真っ赤にしながら、毒ジムリーダーが、切り札らしいストリンダーを出してくる。

電気を操る蜥蜴型のポケモンで、性格によって大きく姿を変えることで知られている。

ストリンダーは非常に強力なポケモンで、確かキョダイマックスする個体もいる筈。特にキョダイマックスした個体がワイルドエリアの街に近い巣穴に住み着くと、ジムリーダークラスの手練れが退治のために呼ばれる事もあるそうだ。

此奴がそれを持っているかは分からないが。多分今までで一番手強い相手だ。

ドラピオンを引き上げる。

そして、代わりに。以前、クララとともに此処で虐められた経験がある、ヤドランを繰り出す。

「ハッ! 負け犬が、そんな弱いのをまだ連れているのか!」

「ジムリーダー! 再三の非紳士的な言動、次は失格にしますよ!」

「うるせえっ!」

委員会の監査役の警告に、怒鳴り声で返す。

馬鹿が。コレで勝負は決まった。

相手にせず、ダイマックスさせる。ジムリーダーも、ストリンダーをキョダイマックスさせてくるが。

今まで一番長く一緒にいてくれたヤドランは、即応。ストリンダーよりも速く、敵の頭の上から、強烈なサイコパワーを叩き込んでいた。

この世界に超能力は実在する。ヤドランは超能力も得意としている。

サイコパワーで押し潰され。更に巨体のままサイコキネシスで持ち上げられるストリンダー。

キョダイマックスで極限まで強化された雷撃を叩き込んでくるが、ヤドランは踏みとどまると。

全力で、サイコパワーのおまけ付きで。ストリンダーを地面に叩き付ける。

ジムが揺れる。古いジムが、ガタが来ていたからか。彼方此方崩れるのが分かった。

ストリンダーが、縮む。ダイマックス、或いはキョダイマックスしたポケモンが力を使い果たすとこうなる。まだ動こうとしたが。委員会が止めた。

「其所まで。 ストリンダー、戦闘不能! よって、毒ジムのリーダーは、これより交代となります」

「ま、待てっ! 八百長試合だ! こんな奴が、こんな……」

「委員会に不服を申し出ると?」

「当たり前だっ! 俺が、こんなのに、負ける訳が……っ!」

不意に。第三者がジムに来る。

警官隊を連れた、ダンデだった。

驚いた。昔から、テレビではよく見ているが。まさか本人がここに来るとは。思わず背筋が伸びる。少し年下でまだ少年のダンデが無敵のチャンプとして君臨するのを見て、随分勇気づけられた世代であるクララだ。緊張しないわけがない。それに二十歳を過ぎたダンデは、ドラゴンジムのキバナほどではないが女性人気も圧倒的。少年時代から順調に育って、精悍な威丈夫になっている。クララもそれを間近で見られれば嬉しいに決まっている。

流石の毒ジムリーダーも黙り込む。チャンプを降りたとは言え、ダンデのガラルにおける影響力は圧倒的なのである。現チャンプがダンデを立てている事もあり。当面影響力は衰えないだろう。

ダンデは淡々と、恐縮している毒ジムリーダーに告げる。

「酷いジムの有様だ。 補助費は出ているはずだが、ジムの何処に使いましたか。 それに試合の様子も見たが、往年の切れ味はもう失っていますね」

「こ、これはその……」

「この試合は貴方の負けですよ。 俺がそれを保証します。 それと貴方には、地元の犯罪組織にジムへの補助金を横流ししていた疑惑が掛かっています。 身内人事で、新しく入門してきたトレーナーにパワハラをしていた容疑もね。 昔の貴方を知る俺としては残念です」

既に警官達が、毒ジムリーダーの周り。更に取り巻き達の周りに、威圧的な壁を作っていた。

詰みだ。抵抗しようにも、相手はダンデである。勝てる訳がない。

肩を落とした毒ジムリーダーと、取り巻き達が連れて行かれる。委員会が、クララの勝利を改めて宣言。クララは、呆然としていたが。やがて、ダンデが声を掛けて来たので、我に返った。ダンデは、年長者に言動が丁寧だった。

「新リーダー就任おめでとうございますクララさん。 俺としても、新しい風がジムリーグに吹き込むことは歓迎しますよ」

「あ、いえ、その……」

「今の戦いぶりなら、数ヶ月も鍛錬すればメジャーリーグに昇格は出来るでしょう。 それに俺は近々、メジャーとマイナーのリーグの差を取り払おうと思っています。 それに野良のトレーナーも参加できる大規模な大会を企画しています。 チャンプは降りましたが、俺はまだトレーナーとしては現役。 貴方と戦える日を楽しみにしていますよ」

握手を求められた。

ダンデに。

思わず、涙がこみ上げてくる。

やがて、少し躊躇した後。

クララは、ダンデの手を採っていた。

ぶつかったときには、ぜってえ負けねえ。

そう、自分に言い聞かせながら。

 

4、かくして再起はなる

 

毒ジムのリーダーに就任してからは、とても忙しくなった。

まず、ヨロイ島から引き上げた。マスタードに礼を言い。ミツバに礼を言い。門下生達全員に礼を言って、更に謝罪もした。今まで失礼な態度を取ったかも知れないと。皆、笑って許してくれた。

荷物を持って、毒ジムに。少しタイミングはずれたが、マイナーリーグにいるエスパージムでもジムリーダーの交代が起きたらしい。そっちも身内人事で酷い経営をしていたらしく、妥当だと言う事だった。

委員会が人員を派遣してくれた。堅物のお姉さんで、何だか芸能事務所の敏腕プロデューサーみたいだったけれど。実際に堅物そのもので、ジムの経営の仕方から、トレーナーの集め方まで、色々指導してくれた。

警察が毒ジムに何回か来て、聞き取りも行われた。あのジムリーダー、クララに対する虐めだけではなく。他の入門してきたトレーナーにもパワハラをして、部下をイエスマンで固めていたらしい。ダンデも言っていたが、此処まで聞き込みが本格的と言う事は、事実だったのだろう。

クララも証言した。復讐心もあるが、それ以上に他にも被害者がいたことが許せない。ポケモンまで虐待していた証拠が彼方此方から出てきたと言う事で。あの豚野郎は10年くらい牢屋行きだそうである。牢屋から出ても、もうポケモントレーナーとしては再起不能。社会復帰も厳しいだろう。

何人か、トレーナーを迎える。そうして理解した。ヨロイ島での鍛錬が如何に厳しく、彼処に強力な人材が集まっていたのか。周囲が落ち着いてきたのは、ジムリーダーから交代してから、一ヶ月ほど。両親に連絡を入れたのもそのくらいだった。

もうクララが生きていないかも知れないと思っていたらしい両親は、毒ジムに押しかけて来かねない勢いだったが。

電話して、泣く母と父に今までの事を説明。

どうにか落ち着いて貰えた。

後は経営だが。

やっぱり、余罪がボロボロ出てきた前ジムリーダーのこともあって。すぐには毒ジムに仕事は来ず。委員会側から手を回して貰って、やっと色々と仕事が来た。

マイナーリーグでの試合は、緒戦から勝利。

だが、メジャーリーグのトレーナーの実力を知るクララは、とても今の実力では無理だとも理解していたので。

徹底的に鍛錬を続けた。

そして、その頃だろうか。

チャンプが来た。

トレーナー達が固まる中。これから別の所に行くため、あまり時間がないらしいチャンプを軽くもてなす。

チャンプも紅茶一杯だけという条件で、もてなしを受けてくれた。

何でも、今ガラル南部で面倒な案件に対応しているらしく。もう少し先に開かれるらしい全ジム、野良トレーナー、参加大歓迎のお祭りのようなリーグに参加するために、今は殆ど時間が取れないとか。

「クララさん、以前に比べてお化粧が自然になりましたね。 それと言動が柔らかくなったと思います」

「そう?」

「ええ。 素での自分に自信がついた……じゃないですか」

「ふふ、そうかもねぇ」

言われて見れば、前ほどブランド品とかに興味が無くなった気がする。

後、アイドルもどうでも良くなったし。ちやほやされたいとも思わなくなった。

一応、それなりに派手な格好はしているが。

インディーズアイドルで失敗したときのような、ものの価値もロクに考えず、高級品ばかりで身を固めていた時代とは意識が変わっているようだ。

チャンプを見送る。

今では、敵意も悪意もない。

ただ、勝ちたいとは思う。

多分勝てない事も分かっているけれども。

それでも、毒ジムのリーダーにはなれた。これからもう少し進んで、メジャーリーグにまで昇格できたら嬉しいし。

ダンデが言うように、メジャーマイナーのリーグの垣根が無くなった場合には。現メジャーリーグの強力なトレーナー達と肩を並べたい。

その時には、チャンピオンと対戦する日も来るかも知れない。

勝てないかも知れないが。

あのチャンプ相手に、今度はハンデ無しでやり合える。

遠い世界だったと思えるけれど。

今は、もう。

遠い世界の出来事では無くなっていた。

仕事が来る。頷くと、出る事にする。

荒事にも慣れてきた。相棒のヤドランも、前よりずっと動きが機敏になった。

今、クララは。

生きていると実感できていた。

 

(終)