白翔

 

序、心優しき野望

 

クラナ朝バストストア王国の創設功労者の中で最も人気があるのは、文句なくクラナである。最大の立て役者であり、三百年続いた平和の礎を築いた彼女の人気は、生存していた時代においても、後の時代においても、完全に別格だ。実際問題、クランツ大陸に現れた英雄の多くがクラナの再来を自称した。プライド高い英雄達が揃って名前を借りたくなるほどに、その知名度と神秘的なまでの武勇は響き渡っていたのである。更に、クラナの再来と呼ばれた事を、最大の名誉と感じる者も少なくなかった。自称にしても他称にしても、その名はそれほどに大きな意味を持っていたのだ。加えて、知勇兼備の名将でなければ、名乗っても嘲笑されるだけであった。

対し、最も人気がない功労者といえば、間違いなくフオメテルになる。轟将と呼ばれ、生涯一度も傷を負わなかったと言われる名将であるのに、その人気は低い。

彼の功績が認められていないわけではない。クラナ軍に加わったのは、確かに他の宿将に比べて遅いが、彼の功績はだれもが認めるほどのものであった。最終的に彼は宿将達と同列にまで登り詰めたが、その人事に異を唱える者など存在しなかった。にもかかわらず、彼の再来を自称した英雄は後世に存在はしたが、極少数に過ぎなかった。

基本的にフオメテルは、有能ではあったが地味な指揮官であった。攻撃よりも粘り強い防御を得意とし、その精神的なタフさはクラナ軍随一とも言われた。彼の敷く分厚い防御陣はさほど硬そうにも見えないのに、実際にうち破る事が出来た者などいなかった。また、城攻めに関しての手腕は右に出るものがおらず、粘り強く戦うが故に、ゲリラを掃討するのも得意だった。個人の武勇は正直言ってパーシィと良い勝負であったが、常に最前線で戦ったので、兵士達には非常に武勇に優れていると思われていた。ただ、これに関しては、クラナ軍の司令官としては当たり前の事であった。何しろクラナ自身が、元帥になってからも最前線で大剣を振るい続けたのである。他の高級指揮官も、必然的に最前線に出る事が当たり前の風潮となり、それが軍自体を強くしていたのだ。

彼は元々無名の若者だったわけではない。中程度の家格を持つ貴族の三男に生まれた彼は、リリフトハイル要塞に二十八才まで務め、少佐にまで出世した。だがそれ以上は家格の壁があって武勲を立てているのにもかかわらず昇進出来ず、ずっと歯がゆい思いをしていた。

そんな彼がクラナに認められ、軍の中核へ迎え入れられるまでは、平坦ではない様々な事情があった。だれもが苦労した戦国乱世であったから、それは当然とも言えたが、しかしながらその過程で流れた血の量は決して少なくなかったのである。

フオメテルは武人としてではなく、一個人としてなら、歴史好きの特に女性には人気がある。それは彼が愛妻家であった事がゆえだ。そして彼は、常日頃から妻のために働いていると公言していた。のろけというよりも、それは素直な気持ちである事が明白だったから、周囲にも冷やかされる事がなかった。

優しい野望の持ち主。彼は周囲から、そんな風に呼ばれた。

 

1,轟将の生い立ち

 

フオメテルは王国中央部に領土を持つ、豊かでも貧しくもないユンカー伯爵家の三男として産まれた。彼の父は特に傑出した所のない普通の男で、だが遅く産まれた四男を溺愛し、家の中はもめ事が絶えなかった。フオメテルが物心ついた頃には、長男と四男だけに皆の注意は向いており、父母を始めだれも彼を見てはいなかった。特に豊かではないといえども、伯爵家は伯爵家。内部紛争は陰湿を極め、それを見ながらフオメテルは育った。

彼の兄である次男は、何というか悟った所があり、家督争いなど何処吹く風で絵画に没頭していた。だがフオメテルは其処まで悟れず、のめり込める趣味もなかった。この位の年なら、もう縁談の一つも来ていて不思議はないのだが、特に血縁を得て得があるわけでもないユンカー家の彼には、嫁の話など来た試しもなかった。

というわけで、彼が十六になった頃、世の中を憎み自らを恨む、孤独で哀れな青年が完成していた。荒んだ心はさらなる心の枯渇を産み、彼の部屋はさながら一つのカオスとかしていた。十六にして既に精神的独歩者となり、部屋から殆どでないため体は生白く、頭も決して良くはなかった。そう言った情況が、彼の周囲からますます人を遠ざけた。典型的な悪循環が際限なく繰り返されていたのである。

メイドや使用人も彼を避けていた。暴力こそ振るわないが、陰気な目でじっと見つめるフオメテルは下々の者達にも嫌がられていた。こんな情況でも、決して他人に暴力を振るわなかった、優しい青年であったのに。いや、優しい人間で有ればあるほど、世界とは生きにくい場所だとも言える。何しろ、基本的に人間は一番自分が大事なものだからだ。そんな中、フオメテルは精神的に追いつめられ、うちへうちへと心の刃を向けていった。無言の悲鳴が陰気な視線に籠もっていたのだが、誰もそれには気づかなかった。

そして、彼は十七才になった。

 

戸を叩く音がする。豪奢な布団の中で、フオメテルは身を縮めた。ここ二ヶ月ほど、彼に五月蠅く構ってくるメイドがいるのだ。戸を叩くのは、そのメイドに間違いなかった。貴族にありがちな差別意識とフオメテルは無縁である。彼は貴族制度そのものを憎んでいて、それが産み出すものを軽蔑していた。下々に対する差別意識もである。でも、五月蠅いとは思うし、面倒くさいともおもうのだ。

「坊ちゃん! 起きてください! 坊ちゃん!」

「ほっときなさいよ、ウィネル」

からかうように別のメイドの声がして、声は少し止んだ。どうも何か話をしているらしい。戸を叩いているのは、やはりあの五月蠅いメイドだった。ウィネルと言う名前で、まだ十五才である。女性としては背が高く、フオメテルと同じくらい有る。特に美人ではないが、さほど見苦しい顔でもない。あまり人間の個体識別に興味がないフオメテルであったが、流石にこう五月蠅くされれば顔だって覚える。

布団から顔を出しかけたフオメテルは、また戸が叩かれ始めたのに気づいて、すぐに首を引っ込めた。

「坊ちゃん! 起きてください! もう!」

その声には、今まで彼が知らなかった要素が含まれていた。ゆっくり布団から顔を出した彼の前で戸が開けられて、ウィネルがそばかすだらけの顔でにっこり笑った。

「坊ちゃん、ようやく起きて頂けましたか」

「……今からまたねる」

「駄目です!」

結構簡単に布団を取り上げられてしまう。何というか、ウィネルはとても健康的で、肌も程良く日に焼けている。それに対して、部屋に籠もってひがな一日寝てばっかりいるフオメテルでは、体力に差があって当然だ。寝癖だらけの頭でぼんやりしているフオメテルに、今日着る衣服が押しつけられた。

「着替えてください、坊ちゃん」

「……いやだ」

「じゃあ私が、実力行使させて頂きます」

「勘弁してくれ……」

「じゃあ、着替えてください」

根負けしたフオメテルが頷くと、先ほど強奪して床に転がしていた布団を抱えて、ウィネルは鼻歌交じりに部屋を出ていった。何というか、フオメテルとは対称的な人種だ。戸が閉まったのを確認した後、フオメテルは口の中で文句を言いながら着替えを始めた。

フオメテルの名誉のために付け加えておくが、貴族が高度な教育を受け、庶民より高い能力を持っているなどと言う認識は完全に間違っている。そういった貴族は全体の中でもごく一部で、残りの殆どは制度化された穀潰しに過ぎない。フオメテルのように、青年になっても何もしない者は決して少なくはない。流石に読み書きは出来る程度の教育は受けているが、それ以外に実際役立つ学問を修めている者は少数派なのだ。そしてそれは、庶民が遅れを取る要素とはなりえないのである。貴族が必死に勉学を始めるのは、庶民が実力を拡大し、貴族というものの存在価値自体が薄れてしまう時代の事である。

着替えが終わったフオメテルは、ぼんやりしながら髪を整えた。髪質がとても柔らかいので、少しとかすだけですぐに寝癖が消えてくれる。髭は最近伸び始めたが、まだ延びる速度は遅く、毎日そる必要はない。それも終わって、もう彼にはする事が無くなってしまった。辺境では帝国が王国に対して攻勢に出ているとか言うが、この辺りに戦果の余波は全く訪れない。たまに兵士が徴収されて前線に出ていくが、兵を指揮する指揮官は国から派遣されるか雇われた下級指揮官であるし、全く面識がない。戦争は、フオメテルにとって遠い世界の出来事だった。当然の事ながら、民の血税を食いつぶして堕落にふけっているなどと言う事実に対する正確な認識もない。空想癖がない彼は、何一つ考える事無く、ぼんやりと壁を見つめ始めた。丁度その時、ウィネルが戻ってきた。

「坊ちゃん、何かする事はありますか?」

「なんにもない」

「そうですか。 あの、許可を貰ってきましたから、外に出ませんか?」

「面倒くさい……」

「今日は暑くも寒くもありません。 もう用意はしましたから」

あまり逆らう気もしなかったので、騙されたと思ってフオメテルは外に出た。確かに暑くも寒くもないが、日差しは少しまぶしかった。メイドや使用人が彼を見て驚いて、ひそひそ話をかわしている。フオメテルも、自分がどう思われているかは知っていたし、もう気にはならなかった。

「コホン!」

咳払いの音がして、慌てて周囲の者達が視線を逸らし、仕事に戻る。フオメテルが振り向くと、険しい顔をしてウィネルが口に手を当てていた。そういえば、ウィネルはしっかり者であるという所を買われて、この若さでメイド長をしているとかフオメテルは聞いていた。

馬鹿みたいに広い屋敷の一番外側まで出ると、一面の耕作地が広がっていた。遙か遠くには森も見え、その側には輝きながら流れている川も見える。耕作地の間にある道を、ウィネルは何の不安もなく歩いていく。慌ててその後をフオメテルが追った。一応兵士が二人護衛についてきてはいるが、あまりやる気は感じられない。フオメテルを浚った所で何の利もない事を、皆知っているのだ。それにこの地区は比較的治安が良く、昼間なら大した問題も危険もない。

しばらく道を行くと、小高い丘が見えてきた。耕作地の真ん中にある丘は、開発がまだ進んでおらず、草地が一面に広がっている。適当な場所に腰を下ろすと、フオメテルはぼんやりと働く農民達を見つめた。

「……」

「どうしました? 坊ちゃん」

「……何でもない」

フオメテルは、農民を羨ましいと思った。彼らの労働は国にとって必要なものである。それに対してフオメテルは、誰からもそもそも必要とされていない。社会に対する貢献度を考えると、両者の差は歴然だし、存在の価値もまたしかり。

帰ろうと言い出す事もなく、しばらくフオメテルはその場にいた。陽が落ち始めた頃、ようやく彼は腰を上げた。朱に染まり、すぐ闇へと落ちんとする世界の中で、彼は家という名の籠へと戻っていった。新しい世界が、彼の中で開けていた。

 

飼い殺し状態とは言え、フオメテルはそれなりの金は所持している。彼は翌日から軍学書を不意に買い集め、それらを貪るように読み始めた。元々カラに近かった知識が、それによって急速に埋まってゆき、充実していった。寝起きが定期的になり、背筋がしっかりしてきた。ほとんど無かった食欲も、日々増え行き、思考もクリアになっていった。気力も増し、自室の外を積極的に歩くようになった。周囲の人間は例外なく驚いて、その様を見やっていた。そして彼の側には常にウィネルがいた。少しずつフオメテルは自分で身の回りの事をしていくようになったが、そうなっていけたのは、ウィネルの献身的な行動があってこそである。

ウィネルは時間を見つけて、何度もフオメテルを屋敷の外に連れて行ってくれた。知識が付くに従って、世の中の裏側も見せるようにもなった。本当は、自分が叱責されて当然の存在だった事を、ようやくそれでフオメテルは悟った。それに気づくまで、怒鳴り声一つあげなかったウィネルの優しさにも。フオメテルは無理矢理現実を見せられても耐えられなかった事疑いない。彼が現実を知る事が出来たのは、ひとえにウィネルのお陰なのであった。

外に出るようになってから、フオメテルはようやく知った。ウィネルはフオメテルの専属メイドとして、彼に世話を焼いていたのだと。それを聞いてフオメテルはがっかりしたが、だが勉学が面白くなっていたのも事実である。

元々他に何も無いという状態が、効率的な学習を可能にしていた。がりがりと勉強をするようになってから、ウィネルもあまり五月蠅く言わなくなってきた。毎朝起こしに来たし、食事は届けに来たし、寝る時には様子を見に来た。その頃には、定期的にウィネルが来る事が、当たり前の状態になっていた。

外に自分で出るようになったフオメテルは、体力を付けるべくウィネルに教わりながら運動し、剣も習った。基礎までしか出来なかったが、それでも剣を振れるようにはなった。あまり気が強くないフオメテルは、ウィネルのお陰で自信をつけ、感情をコントロールする術を学んでいった。

笑顔が戻っていたのは、何時の頃か。視線が恐くなくなったのは、何時の頃か。そして、世界が憎くなくなったのは、何時の頃であったか。そして、ウィネルの笑顔をずっと見ていたいと、彼女から受けた恩をいつか返したいと思うようになったのは、何時の頃であったか。

丁度半年が過ぎた頃。彼の人生を決定づける事件が起こった。それは、一般的な貴族としてはむしろどうでも良い事だったのだが、フオメテルにとっては大事なことだった。そしてその時した決断が、彼の人生を上昇気流へ乗せたのだった。

 

2,武人へ

 

十六才になったウィネルが、長男の妾になるという話が出た。それを聞いた瞬間、フオメテルは手にした本を取り落としていた。

フオメテルの兄、ユンカー家長男クアルメテルは、既に妻を二人抱えていた。だが未だに子供が出来ず、それが跡取り問題に関しての不安要素となっていた。既に若くなかったクアルメテルは、側室と呼称する妾を何人か抱えて、跡取りを作る事に決めたのである。自分に子種がない可能性を考えるよりも、妻が石女である可能性を彼は考えたのだ。その候補の一人が、容姿は平均的だが健康的なウィネルだったのである。

ウィネルがそれを良しとするなら、それもいい。だが彼女は最近めっきり笑顔が減り、明らかに無理をしていた。外を出歩くようになっていたフオメテルは、それらの情報を調べ終えると、自分が手に出来るカードを素早く頭の中で整理した。軍学書の多くに目を通した彼は、その内容が現実世界にどれも利用応用可能である事、理解すれば実生活にも大いに有効な事を知っていた。二日がかりで彼は思考を練った。そして策を練り終えた後、彼は自分の心を悟っていた。

 

夜、いつものようにウィネルが部屋に来た。彼女はきちんと仕事を全てこなすと、フオメテルに確認した。

「坊ちゃん、じゃあ、遅くならないようにしてください」

「……ウィネル」

「はい?」

フオメテルはウィネルの目をじっと見た。彼女は年下だが、恩人で、誰にも代え難い存在である。側にいて欲しかった。だがそれが自分のエゴではいけないはずだった。

豊富な知識を得たフオメテルは、社会的な下層部に生きる人間も、上層部の人間も、同様に重要で、それぞれの立場を果たしていると、感覚的ではなく理論として知っていた。つまり、社会的な地位による区別はあっても、本質的な意味での貴賎はないのだ。ならば、互いの感情面での差別は絶対許してはならない。

「……兄さんの、妾になるんだって?」

「……」

さっとウィネルが目を伏せた。それが答えだった。

「僕、ウィネルに感謝してるんだ。 ウィネルが仕事だから、僕に良くしてくれたのは知ってる。 でも、それでも、僕を閉鎖された部屋の中から引っ張り出してくれたのは君なんだ。 だから、君のためなら何でもしたい」

「坊ちゃん……」

「僕は君が好きだ。 もし、兄さんの妾になるのが嫌なら、一つだけ手がある。 君には不快かも知れないけど」

俯くウィネルに、フオメテルはしばし自分が考えた〈策〉を語った。その後は、気まずい沈黙が流れた。それを払拭するように、慌ててフオメテルは言った。

「……ごめん。 不快だと思うけど……形式的なもので構わないんだ」

「……私が不快だとしたら、それは形式だなんて、坊ちゃんが言う事です」

驚いたようにフオメテルが顔を上げた。ウィネルは優しい笑顔を、青年貴族に向けていた。

「有り難うございます、私、嬉しいです。 お話、喜んで受けます」

「……ごめん」

「謝らないでください。 ……それに……私……」

一瞬だけ、ウィネルの顔に影が差した。だが、フオメテルはそれには気づかなかった。

 

翌朝、フオメテルは兄と、父の前にいた。頬杖をついて面倒くさげに息子を見やる父ユンカー伯爵と、うさんくさげに弟を見るクアルメテル。彼らの前で、フオメテルは言った。

「話というのは、他でもありません。 二つ僕の願いを聞いて欲しいのです」

「何だ、願いとは」

「一つ、僕は軍役について、リリフトハイルに赴きたいのです」

驚いたように二人がお顔を見合わせた。軟弱この上無しと彼らだけではなく、誰もが思っていたフオメテルが、不意にこんな事を言いだしたのだからそれも当然であった。そして、もう一つの願いが、彼らを更に驚かせた。

「僕は結婚します。 そして妻と従者を連れて、リリフトハイルに向かいます」

「な、何だとっ!?」

「相手はメイドのウィネルです」

鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、クアルメテルがフオメテルを見つめた。そして彼が癇癪を爆発させる前に、フオメテルは続けた。

「もしこの条件をのんでくれるのなら、僕は相続権を放棄します」

これこそが、唯一フオメテルが保有するカードであった。クアルメテルにしてみれば、自分のライバルが減るのは最も好ましい事なのだ。それに彼は、子供が産める女ならば、妾の質を殆ど選んでいない。クアルメテルが、ウィネルを妾にする事を、ライバルが減る事に優先させるような阿呆で有れば万事休すだが、それはないはずだとフオメテルは分析していた。

更に、家名を落とさないためにも、リリフトハイルに出たフオメテルにある程度の援助を続けなくてはならない。しばし、小声でクアルメテルはユンカー伯爵と会話を交わした。

『頼む、一番合理的な考えを選んでくれよ……』

フオメテルは笑顔のまま、必死に神に祈った。やがて、別に神が願いを叶えたからではなく、ごく自然に彼の望みは叶っていた。

「分かった、いいだろう。 リリフトハイルに赴け。 ただし、家名に泥を塗ったら許さないからな。 それに、別にあんな女の代わりなんぞ幾らでもいる。 物好きなヤツめ、お前の好きにしろ」

「有り難うございます、兄さん」

深々と頭を下げたフオメテル。彼の最初の勝利は、こうして、血を流さず得られたのである。後に常勝将軍として知られる彼の、最初の勝利は、このようなささやかなものであった。

……後にユンカー伯爵家は、凄惨を極めた内部闘争で衰退した挙げ句、フオメテルでも庇いきれないような不祥事を起こしてしまい、クラナに潰される事となる。

 

十名ほどの私兵と、新妻と、五名の従者を連れて、フオメテルはリリフトハイルへ向かった。リリフトハイルといえば、王国最大の要塞地帯であり、帝国をくい止める防波堤である。事実この地方では帝国軍は前進出来ず、分厚い城壁は帝国軍の血を幾ら吸っても満足しなかった。野戦では王国軍を幾度も帝国軍は撃破していたが、要塞自体はびくともしていなかった。

半月ほどの旅の後、リリフトハイルにたどり着いたフオメテルは、その馬鹿馬鹿しいまでに巨大な城壁にしばし呆然とした。確かに是では、特殊な攻城兵器を持ち出さない限り手も足も出ない。長大な城壁には何カ所か頑丈な鉄の扉があり、それをくぐり抜けると内部は城塞都市となっていた。一部はスラム街であり、フオメテル一行を浮浪児達が物珍しげに見つめた。

既に話は付いており、フオメテルにはそこそこ良い官舎が提供された。中は夫婦と従者が一緒に暮らしていく分には充分な広さがあり、それなりの調度品が整っていた。しかし、兵士達の話によると、民衆出身の下士官はずっと貧しい官舎があてがわれるのだという。考え込むフオメテルの肩を、ウィネルが叩いた。

「あなた、此処は私が掃除しておきます。 あなたはあなたの仕事をしてください」

結婚してからしばらく、二人きりの時には、ウィネルはフオメテルを坊ちゃんと呼んでいた。だが正式に夫婦になってからは少しずつ呼び方を改め、今ではすっかりあなたという呼び方が板に付いている。また、ウィネルはフオメテルに敬語を使っているが、フオメテルの方が対等の立場で接するように意識して行動していた。

言葉に甘えて頷くと、フオメテルは官舎を出て、まず城壁の上に登った。城壁の上には、二人の大人が列んで通れるほどの通路がずっと続いており、十カ所以上の櫓が途中に設けられていた。外側の城壁と内側の城壁の間には溝があり、外から無理に侵入した場合、一度下に降りないと内側の城壁に辿り着けない構造となっている。確かに難攻不落、堅固を極める作りであった。城壁の湾曲もよく考えられていて、攻め手が下手な所から攻撃しようとすると、クロスファイヤーを受ける事になる。外に向け突出した箇所は特に守りが堅く設計されていて、其処を集中的に狙っても、簡単には落とせない。

現在王国軍と帝国軍との前線は、ここリリフトハイルと、かなり南にあるパッカーフィールドである。どちらも抜かれると、広大な地域が帝国の手に落ちてしまう戦略上の超重要拠点である。特にリリフトハイルが落ちでもしたら、帝国は王国中枢に大軍を投入する事が可能になるのだ。

それなのに、である。ここリリフトハイルの司令官ユッシェルは門閥貴族と言うだけの人物で、殆ど実戦経験も持たない存在だった。音楽家としてはかなり有名な人で、赴任して二日目には、その素晴らしい演奏をフオメテルも聞かされ、大いに堪能した。確かに、音楽家としての手腕は確かなものであったし、演奏には文句のつけようもなかった。

だが実戦指揮は殆ど部下に任せきりで、戦いになると奥の部屋に縮こまって怯えているばかりだという噂も聞いた。そんな事では、この要塞が如何に堅固でも、いつかは確実に落とされてしまう。

それに、実戦経験が無いという点では、フオメテルも同じ事である。それどころか、彼は恐らくこの要塞にいる兵士の誰よりも弱い。私兵達は給料を与えているからある程度従ってくれるとしても、要塞側から配備された兵士達はそうもいくまい。如何に戦術を知っていても、それを生かせなければ意味がないのだ。

取り合えず司令部に出向いたフオメテルは、中尉待遇を受け、一個小隊を任された。三十名だけだが、三十の命を持ち、未来を持っているのだ。確かに戦況を左右する事は出来ないが、それでもフオメテルの大事な部下であり、守らねばならない存在だった。そして、兵士達だけではなく、もう一人、彼には守らねばならない存在がいる。ずっと守ってくれたあの人を、今度は彼が守る番だった。

 

三十名ほどの兵士達は、別になよっとした青年が指揮官として現れても、特に反応を示さなかった。無能な指揮官に慣れきってしまっているのだ。むしろ今度の指揮官は大分ましそうだという顔をしている兵士さえいる。これでは、他の指揮官の質について不安になってくる。数的に劣勢な帝国軍に押され放題となるのも、致し方ない事であった。

「僕はフオメテル=ユンカー。 これから君達の指揮を執らせて貰う」

「うぃーっす」

気のない生返事が帰ってきた。当然の結果である。ただ、この要塞の内部にいる限りある程度は安全だということもあるので、兵士達の反抗性はある程度削がれていた。苦笑すると、フオメテルは続けた。

「意味がない事だと思うし、僕は君達に難しい訓辞をしたりしない。 僕の願いは二つだけだ。 君達に生き残って貰う事。 それに、戦いに勝つ事」

不思議そうに兵士達が顔を見合わせた。

「僕は君達の指揮官だ。 だから、僕には君達を出来る限り生かして故郷に帰してあげたい。 僕に至らない事があったら、いつでも声をかけてくれ。 話は以上だ」

短めに切り上げると、フオメテルは人目に付かない所まで行き、そこで大きく息を吐いて肩の力を抜いた。

「肝心なのは最初だ。 絶対に、みんなの信頼を勝ち取らないと」

ウィネルの顔を思い出し、もう一度彼は力強く頷いた。武人としての彼の人生は、今此処に始まったのである。

 

3,初陣

 

二日ほどでフオメテルは部下の名前を全て覚えた。これは彼の記憶力が優れていたのではなく、必死に勉強したからである。フオメテルは自身が凡才に過ぎない事を熟知しており、故に常なる努力を欠かさなかった。彼はウィネルに手伝って貰って、顔と名前を必死に一致させ、二日後の任務時には全員を把握する事に成功していた。

部下達の顔を覚えた後は、性格の把握であった。腕が立つ者、知恵が回るもの、兵士といわず人間には様々な個性がある。それを使いこなす事こそが司令官の仕事であるが、兵士達の個性を把握せずにその本懐を果たす事など不可能だ。無論組織化は必要だが、それ以上に部下を知る事は重要なのである。

部下の個性を必死に勉強しながら、フオメテルは側のウィネルに苦笑した。ウィネルはとても絵が上手く、彼女に部下の似顔絵を描いて貰って、一人ずつ覚えるのに使っていたのだ。

「ごめん、ウィネル。 こんな色気もない事ばかりさせて」

「ううん、そんな事言わないでください。 私は今、とても幸せですから」

ウィネルの笑顔に返す言葉もなく、フオメテルは目を細めるばかりであった。

初陣の時は、案外早く来た。帝国軍の一部隊がストラスファール平原の東端に現れ、フオメテルの小隊に偵察の任務が回ってきたのである。

 

ストラスファール平原は帝国と王国の人間が最も大量に血を流した場所の一つである。既にこの地で戦死した人間の数は双方合わせて四十万を軽く越えている。そしてこの地が戦乱から開放されるまでに、後十一年以上の月日が必要となるのである。

それは兎も角、フオメテルは部下達を連れ、哨戒に出ていた。この平原は兎に角戦いやすい場所で、周囲には様々な地形があり、戦術家としては腕の見せ所となる。もっとも、戦略を無視して戦術ばかりを論じるような輩はいくさには勝てない。だから、まず戦略で敵に勝つのがそれよりも重大なのである。

フオメテル隊は、平原の辺縁部を周り、周囲を調べ回った。いくさが終わると幾つかの神の信者達が戦場を周り、屍を弔うのだが、それでも処理しきれない亡骸はどうしてもある。その一つである髑髏が、フオメテルの足下に転がっていた。

「痛ましいな」

「へへっ、そうなっちまわないように、よろしくお願いしやすぜ」

兵士達のリーダー格が言った。完全に感性が麻痺してしまっている。彼を責めても仕方がないし、これもまた痛ましい話である。髑髏に祈りを捧げると、フオメテルは指示を飛ばして哨戒に戻った。部下の名前と顔をすぐに覚えた事もあるし、それに指示が適切なためもある。彼に対する部下達の信頼は徐々に深まりつつある。兵士達はすぐに命に従い、辺りを油断無く哨戒した。

平原の周囲を移動し、やがて彼らは小さな森の側に出た。陽は山の向こうに落ちかけ、空はもう暗くなっている。本当に小さな森で、木の数もそう多くはない。そこに入ろうとした兵士の一人が、足を止めた。フオメテルは眉をひそめ、声を落とした。

「どうした」

「何かいます。 数は俺達と同じくらいですぜ」

「よし」

フオメテルは部下の一人、一番足が速い男を呼ぶと、すぐに要塞に戻らせた。緊張する兵士達を森の側に隠れさせ、その顔を見回しながらフオメテルは言う。

「味方か敵か、まだ分からない。 故に、慎重に行動するぞ」

「へい」

此処で、小隊単位で行動していると言う事は、帝国の哨戒部隊である可能性が高い。勿論、味方の可能性もある。正体不明の部隊は周囲に散っていたが、やがて集結し、一方向へ動き出した。

哨戒中、装備は最小限で、どちらの軍かはすぐに分からないようにしている。その方が奇襲も防ぎやすいし、敵に発見されても逃走出来る可能性が増えるからだ。強行偵察をするわけではないのだから、それで良いのである。これは暗黙の了解で、故にすぐにフオメテルも相手の正体を見抜けなかった。もう少し近づき、フオメテルは一番耳がいい男へ言った。

「会話を聞き取れるか?」

「へい、なんとかやってみます」

これも兵士の個性を把握していたから出来た事であった。やがて男は、フオメテルに頷いて見せた。

「王国語で喋ってますが、綺麗すぎやす。 何というか、訛りとか、そう言うもんがありやせん。 生の言葉とは、とても思えねえです」

「そうか、やはり間違いないな。 総員、戦闘準備」

フオメテルの言葉と同時に、兵士達の神経に緊張が走った。敵はまだ気づいていない。丁寧に間合いを詰めていったフオメテルは、充分な位置にまで到達すると、弓を構えている兵士達に目配せした。同時に彼らは身を起こし、一斉に矢を放った。

弓の弦が鳴り、引き絞られた矢が飛んだ。それは薄闇の中を驀進し、帝国軍兵士達へと襲いかかった。不意をつかれ、敵は混乱する。剣を抜いて不器用に構えると、フオメテルは大声で威圧的に叫んだ。

「総員、突撃!」

「おおおおおおおおおおっ!」

混乱する敵に、フオメテルの部下達が獣のように躍りかかっていった。勢いを殺さないように、フオメテルも彼らより一歩遅れて突撃に参加した。勢いに乗った味方は、短い戦いの末、ついに敵を蹴散らした。

敵は五名ほどの死者を残して、散るように逃げていった。追撃をかけようとする部下を、フオメテルは制止した。

「まて、もういい!」

「へへっ、この機会に、手柄を立てさせてくだせえよ!」

「いいから戻れ! 追撃なんかしたら、死ぬ事になるぞ! 向こうには間違いなく敵の本隊がいる! 松明の数を見ろ! 数万はいるぞ!」

普段穏やかなフオメテルの思わぬ叱責に部下達は顔を見合わせ、渋々剣を納めた。確かに遠くに見える松明の数が膨大であった事も、剣を引かせた要因となった。素早く森と敵の逃走方向を見比べたフオメテルは、皆を糾合し、本格的に暗くなり始めた空の下、要塞へと撤退していった。味方は軽傷を負ったものが一人いただけで、文字通りの大勝利であった。

 

フオメテル以外の部隊はあまり良い成果を上げる事が出来ず、大きな損害を出しつつ、王国軍は迎撃体制を整えていった。それでも、敵の大体の規模は判明していた。

敵は十三〜十五個師団、戦力は十万強。此処二年間では最大の規模である。これに対し、侵攻がある事は既にある程度分かっていた王国側も援軍を派遣しており、昨晩から順番に要塞へ入城していた。此方の戦力は、要塞の常備軍と併せて約七万。この他に、五万の援軍が遅れて到着する予定である。更に一月ほど後には、更に七万の援軍が到着する事になっていた。

以前撤退する帝国軍を追撃して、ストラスファール平原で逆撃をもらい、壊滅寸前の敗北を喫した王国軍士官達は、流石に、最近慎重になっている。向こうは戦争のプロなのに対し、此方は殆どが貴族なのだから仕方がない。一部の雇われた専門職の軍人達も、貴族出身の士官達の無能ぶりには頭を悩ませていた。それでも落ちないのだから、リリフトハイルは実に優秀な要塞である。寄っている人間が優秀なわけではない。

帝国軍は速攻で陣形を整えると、リリフトハイル要塞に雪崩のような勢いで襲いかかってきた。大型の投石機などの攻城兵器を用いて二万ほどが城壁の一角を猛烈に攻め立て、指揮官の力量差から、王国軍に互角の損害を強いた。他の八万は城の周囲に布陣し、王国軍の出撃と援軍を警戒しつつ、時々思い出したように攻めかけてきた。要塞側は慣れたもので、それなりに大きな損害を出しつつも平静を保ち、城内の町も、安定した情況を保っていた。

三日目が過ぎても、帝国側は要塞の急所を的確に、代わる代わる交代して攻めてきた。流石に要塞の事を良く研究している。設計上どうしても出てしまう死角を効率よく突き、岩や火矢などを間断なく打ち込んでくる。フオメテルの部隊は比較的戦いの緩い場所を持ち場にしていたが、それでも何度かの戦いは避けられず、三人の負傷者を出していた。部下達は前回の一件以来フオメテルに信を置いているが、だが一方でだらだらした戦いに不満も漏らし始めている。休憩を貰ったフオメテルは、一旦家に戻り、上着をウィネルに預けながら愚痴をこぼした。

「帝国軍の動きは機敏で、味方は鈍い。 それは分かっていたんだけど」

「何か腑に落ちない点があるんですか?」

「うん。 僕が帝国軍なら、少なくてもこの倍の兵力は用意してくる。 それに、確かに要塞に打撃を与えてきてはいるけど、このまま落とせるはずもない。 何か、考えているはずなんだ」

「もう一度、情況を整理して、全てを見回してはどうですか?」

それも良いかも知れないと呟くと、フオメテルは愛妻の頬に接吻し、礼を言った。二時間ほど休憩した後、城壁の上に昇り、辺りを見回してみる。ここ数日の戦いで帝国軍の動きはほぼパターン化し、味方の配置にも偏りが出ている。帝国軍はじりじりと要塞側の戦力を削り、自身の兵力を温存しているように見えた。

現在、要塞の西の端が猛攻を受け、そこで激しい戦いが行われていた。無数の矢が飛び交い、喉に死の接吻を受けた兵士が城壁から落下していく。攻め手の投石機が守備側の火矢で炎上し、火だるまになった兵士が絶叫して転げ回っている。凄惨な光景だが、指揮官はその中で冷静を保たねばならない。なかなかの難事業であった。断末魔の悲鳴は、元々精神が強くないフオメテルの心を容赦なく削り取った。初陣の晩は散々吐く事になり、一晩中ウィネルに背中をさすって貰う事になった。しかし、情けない姿をさらせる相手がいると言う事は、真に幸せなことなのであった。

フオメテルはもう要塞の大まかな形を頭に入れ、兵力配置もそれにしかり。家に戻って、風呂を浴びながらフオメテルは考えを巡らせた。夜も、眠っている妻の隣でずっと考え続けていた。そして翌日、任務について城壁の下に現れた敵兵に効率よく矢を浴びせながら、結論を出した。

「まさか……帝国軍は」

「中尉殿?」

「うん、何でもない。 今は帝国軍を撃退する事だ!」

暇さえ有れば交代しながら三連続で矢を放つ訓練をさせていたお陰で、フオメテル隊は間断なく敵に矢を浴びせる事に成功していた。その働きは確かに目立ち、四日目が終了したあと、フオメテルは要塞守備隊の指揮を実質的に執っている、要塞守備隊第一師団長メラキト准将に呼び出された。フオメテルにとっては、願ってもない機会であった。

 

「フオメテル中尉、入ります」

「うん、連日の奮戦、ご苦労である」

質素な部屋に案内されたフオメテルは、まだやり慣れない敬礼をし、メラキト准将も口の端をつり上げた。

メラキトは〈万夫不当〉とか〈一騎当千〉とか、そういう表現とは縁遠い存在である。ごくごく地味な指揮能力を有しており、何より粘り強く精神的にタフで、部屋に籠もって出てこない司令官をなだめる術に長けていた。それに、他の師団長に比べて彼がずっと有能であったし、こうなるのは当然の事態であった。ただ、帝国軍には何度かこっぴどく負けており、百勝将軍とは呼べない。名将ではないが、愚将でもない、ごく標準的な将軍であった。

メラキトはテーブルの上で手を組むと、笑顔を浮かべて言う。

「君の部隊には報奨金が出ている。 確かに偵察の任務も、連日の戦いも無理なくこなしている。 後で家に送っておくから、遠慮無く受け取り賜え」

「有り難うございます」

「その気になれば形式だけ軍人になって後方勤務も出来るのに、君は偉いな。 躊躇無く前線に出て戦っているのは立派な事だ」

「……有り難うございます。 メラキト師団長、実は話したい事がございます」

一旦言葉を切ってから、フオメテルは机の上にある要塞の図に指を落とし、説明を始めた。

「敵の狙いは、恐らく偽撃転殺だと思います」

「……ほう」

「まず、連日の攻撃で、敵は意図的に〈パターン〉を作っています。 これは味方に固定観念を植え付けるためで、後で本命を攻略する際の、布石だと思います」

面白そうにフオメテルの言葉を聞くメラキトに、熱っぽく青年下士官は続けた。自分を売り込む気などは微塵もない。妻を守り、部下達を生きて故郷に帰してやりたい。それだけが、彼の行動を作り上げていた。

「なるほど、確かに考えられる事だ」

「お願いします、メラキト准将。 私は妻を守り、部下達も守りたいのです」

真剣に言うフオメテルに、メラキトは目を細めて頷いた。初々しい若さと、それ以上の優しさ。それは確かに司令官を動かしたのである。

「分かった。 部下達と相談し、君の意見を検討してみよう」

「有り難うございます。 それと、私の名前は出さないでください。 おそらく、皆の態度が硬化すると思います。 もし勝っても、特に報酬は必要有りません」

「……ふむ、そうか。 君は無欲だな」

フオメテルの言葉に、メラキトは感心したように言った。だが、実際の所、フオメテルは無欲な存在などではない。

フオメテルとしては、もう少し出世してから、こういった意見を通したいと考えているのだ。場違いな所に、場違いな者が意見を持ち込んでも、良い事はない。こういった閉鎖的な階級社会ではなおさらに、である。自衛のためにも、作戦成功のためにも、彼は身を引いたのである。

家に戻っても、フオメテルは冷や冷やし通しだった。メラキトが作戦を実行に移してくれなければ、この要塞はまず間違いなく陥落するからだ。心配して右往左往する彼の肩を叩いたウィネルが、茶を勧めてくれた。

「……上手くいくだろうか」

「下手な欲をかかなかったのなら、きっと大丈夫です」

ウィネルの言葉は、フオメテルにとってこの上ない精神安定剤だった。頷くと、彼は茶を啜り、三杯まで飲み干した。そしてそれと同時に、緊急出動の命が下った。

 

闇夜に紛れて、帝国軍が動き始めていた。さながら津波が要塞にうち寄せるように。今まで守備に当たっていた帝国軍までもが動いている。そしてその主力は、今まで見向きもしなかった、要塞の東端を目指していた。

今まで帝国軍は、夜になるとぴたっと攻撃を辞めていた。それも布石だったのだと、この行動から明らかだった。もし気づかなかったら、リリフトハイルの不敗神話は今晩終わりを告げていた事疑いない。

「来ました」

「うむ。 総員、ぎりぎりまで声を立てるな」

メラキトがいい、伏せた兵士達が弓を構える。そして、帝国軍兵士が音を立てず、壁の半ばまで登った瞬間、メラキトが指揮杖を振り下ろしていた。

「良し! 今だ! 斉射!」

膨大な矢が、帝国軍の頭上に降り注いだ。城壁の半ばまで登っていた彼らは為す術なく、ばたばたと射倒され、悲鳴を上げて落ちていった。勢いづいた王国軍は城門を開け、混乱した帝国軍に襲いかかった。不意をつかれた帝国軍は算を乱し、散り散りに撤退していった。諸将はその背後をうち、二万近い敵兵を討ち取った。

リリフトハイルを巡る攻防戦で、王国軍が此処まで気持ちよく勝った事例は久方ぶりである。此処四回ほどの会戦ではいずれも負けっ放しであったし、奇襲を見破ったという事は実に気分が良かった。

だが、報われたのはメラキトを始めとする諸将ではなく、奥の部屋に閉じこもってふるえていたユッシェルであった。彼には領地が加増され、勲章やら感謝状やらが山と届けられた。

この国が腐っている事をフオメテルは知っていたが、それを改めて思い知らされていた。僅かな報奨金は、憤慨する部下の兵士達に全て分けた。それで兵士達は、少しは落ち着いた。だが他の部隊は酷いもので、殆どは隊長が報奨金を独占してしまっていた。

「この国は、変わらないと行けないな」

兵士達以上に憮然としながら、フオメテルは呟いた。彼は自分の力が、国を変えるにはどうしても足りない事をよく知っていた。そして、これだけ腐ってしまった国を変革するには、破壊的な力が行使されねばならない事も。

休憩時間になり、フオメテルは部下達に自由時間を与えると、嘆息して城壁の上に歩き出していた。彼は遠くを見やって嘆息した。態勢を立て直した帝国軍が、布陣し、再び隙をうかがっている。

「フオメテル君」

「メラキト准将」

「すまないな、さぞ無念だろう。 許してくれ」

「……それよりも、まず生き残る事を考えましょう。 敵は弱体化したといえど、まだ健在です」

二人は頷きあうと、敬礼をかわした。フオメテルは知っていた。まだ自分が、歴史の波に乗っていない事を。まだまだ、歴史の波は到来していないと言う事を。

そして、彼は誓っていた。いずれ必ずその波に乗ると。まだ彼は青二才に過ぎないが、波が訪れた時には、そうであってはならない。妻のためにも、自分のためにも。そして、この国の未来のためにも。

翌日の戦いで王国軍は大敗し、結局差し引きゼロになった所で、帝国軍は引き上げていった。何とか戦略的には勝つ事が出来たが、傷は深く、多くの兵士を補充しなければならなかった。兵士を補充すればそれだけ国は荒れる。果てしない悪循環が、王国を更に腐らせていったのだった。

 

4,津波に乗って

 

時は瞬く間に過ぎゆき、十を越す戦いに参加したフオメテルは、少佐になっていた。実は、功績的にはもう将官に出世しても良いはずなのだが、やはり三男という事、功績がいずれも地味であったという事、それに家格の壁もあり、これ以上は出世させて貰えなかったのだ。此処最近は歯がゆい思いをする事も多かった。

現在彼は一個大隊百八十名を率いて、要塞の一角の守備に当たっている。相変わらず妻とは仲むつまじく、二人の子供も産まれた。三歳になる長女は過剰に利発で、一歳の長男は少し大人しすぎる。だが二人ともウィネルにはよくなついていて、彼女の命令には逆らわなかった。

フオメテルは、城壁に登って、風に当たっていた。城壁の下には、帝国の大軍。この間第十一次があったから、後に第十二次ストラスファール平原会戦と呼ばれるのが確実な戦いの最中である。凄まじい猛攻が前日までは行われていて、今は沈静化している。城内の指揮が戻り、敵が打撃を受けたからである。

昨日、援軍が敵の包囲を突破して入城してきたが、恐るべき手腕であった。指揮官はクラナ将軍と言う事であるが、それなら噂通りと言う事になる。フオメテルも、クラナの噂は聞いていた。文字通り鬼神が如き武勇を誇る将軍であり、部下達をよく統率し、最近では領地の経営も完璧に成功させたという。王国軍で最も充実した力量を持つと言われる、かってパッカーフィールド要塞を守っていたイツァム将軍の腹心。そして驚くべき事に、まだ二十才前後だというのだ。

最初は話半分にフオメテルも聞いていたのだが、要塞に入る手際を見る限り、それを話半分に済ませられない。何というか、常識外の実力をフオメテルは感じた。天才と言うよりも、むしろ悪魔じみた、人外に近いものを感じたのだ。だが、同時にフオメテルは悟っていた。これこそが、歴史の波だと。今こそ、それに乗るべきだと。

日の出の勢いのクラナに付け届けをする者は多かったが、いずれも丁寧に突っ返されるという話であった。その代わり実力が充分だと認められれば、部下にして厚遇してくれるのだもいう。出来れば、仕官したい。しかし自分の実力は充分なのだろうかと、フオメテルは自問した。

「少佐殿!」

まだ若い兵士が、息せき切って駆けてきて、敬礼した。フオメテルは姿勢を直し、敬礼すると、相手の目をまっすぐ見ながら言った。

「何事だ?」

「はい。 クラナ将軍が、少佐殿に話がある、との事です。 昼までに出頭せよ、と」

息をのんだフオメテルは、チャンスを喜ぶ前に、何かミスをしていないか自問した。あの苛烈な戦いぶりからして、卑劣なミスでもやらかそうものならただで済むはずもない。蒼白になったフオメテルは、必死に呼吸を落ち着けた。能力故に、自分がスカウトされたなどと言う発想をするほど、彼は傲慢でも自信家でもなかった。彼は副官に、一時的に指揮を任せると、まず自宅へ向かった。

 

ウィネルは決して美しいわけではないが、二人子供を産んだ後も生命力溢れていて、殆ど新婚の頃と体型が変わっていない。ぐずる長女をあやしていた彼女は、フオメテルが帰ってきたのを見て怪訝そうに眉をひそめた。

「あなた、どうしたのですか?」

「うん、実は……」

ウィネルは説明を聞くうちに難しい顔になり、話が終わると小さく咳き込んだ。

「あなた、行ってらっしゃい」

「いいのか?」

「私達の事は心配しないで。 大丈夫、あなたにもし何かあっても、自分たちでどうにかします。 それに、これはきっと好機です」

「……すまない、いつも僕を支えてくれて」

頭を下げるフオメテルに、ウィネルは言った。

「あなた、私はあなたの事を愛しています。 だから、あなたのためなら、私は何でもする。 鬼にだって悪魔にだってなります。 それだけです」

「……」

「最初あなたにあった時、何て頼りない人なんだろう、可哀想な人なんだろうって思いました。 でも、立ち直ってからのあなたは、とても眩くて、力強くて。 私を望まない結婚から救うために、全てを擲つ決断をしてくれた時には、本当に涙が出ました。 あなた、自信を持って。 あなたは、きっと、大丈夫ですから」

フオメテルは涙を拭うと、愛妻の頬に接吻し、礼を言って家を出た。表情を引き締めなおした彼は、自信に満ちた足取りでクラナのいる執務室に向かった。

 

執務室は、戦時下には司令部になる。しかし、それを差し引いても、執務室の雰囲気はいつもと根本的に違っていた。足を踏み入れたフオメテルは、執務机に座っている存在を見て、小さく息をのんでいた。

其処にいたのは、見かけこそ普通の娘であった。だが全身から発する凄まじい威圧感と、圧倒的な眼光が、普通という言葉を時空の彼方へ消し去っている。どちらかといえば小柄だというのに、周囲の人間は皆圧倒され、縮こまっていた。フオメテルは必死に頭の中で妻の言葉を反芻し、震えを殺しながら、敬礼した。

「フオメテル少佐であります」

「うむ、ご苦労。 私がクラナ臨時少将である。 まずは楽にしろ」

声も低く、口調も落ち着いている。昔から、それこそ何十年も前から王であったかのような雰囲気である。国の中枢にいる者でも、此処まで圧倒的な圧迫感を持つものは少ない。恐縮しながら席に着いたフオメテルに、クラナはレポートを読みながら言った。

「貴官の経歴には目を通させて貰った」

「は、はっ」

「なかなかに有能だな。 天才肌ではないが、やるべき事を良くわきまえ、自分の能力が及ぶ範囲内で最善を尽くしている。 それに、メラキト准将から話は聞いたが、幾つかの有用な献策をしているそうだな」

「は、はっ! 差し出がましい真似を致しました」

フオメテルは戦場で敵のガルクルス将軍を見た事がある。獣のような殺気を放つ男で、圧倒的な武勇で周囲に恐怖をまき散らしていた。しかし、眼前のこの娘は、それすら軽々と凌いでいる。逆らったら殺される。絶対に殺される。唇を噛み、震えを殺す事に全力を傾けながら、フオメテルは次の言葉を待った。

「そう萎縮するな。 ……この戦いが終わったら、私の元へ来い。 この能力なら、二〜三年の間にはもっと高い地位にしてやろう」

顔を上げたフオメテルは、後悔した。クラナと真っ正面から視線を合わせてしまったからである。其処にあったのは、あまりにも圧倒的な力だった。原初的な恐怖が、フオメテルの全身を駆けめぐった。今の彼は、恐竜の前に放り出された鼠の子であった。

「返事を聞こうか、少佐」

クラナが口の端をつり上げた。一種の死刑宣告であった。

 

否、などと言える訳もない。あまりにも恐ろしい雰囲気の前に圧倒されてはいたが、心が落ち着いてくると、フオメテルは自身が好機を掴んだ事に気づいていた。確かに恐ろしい、いやあまりにも恐ろしすぎる主君だが、彼女の下にいれば大概の相手に負ける気はしなかった。

翌朝から、凄まじい死闘が始まった。クラナは積極的に精鋭を率いて城の外にいる帝国軍に戦いを挑み、当たるを幸いに蹴散らし回った。そして敵が集結してくるとさっと城内に引き上げる。その指揮ぶり足るや、文句のつけようもないほど完璧であった。フオメテルは城壁の上に陣取ったまま、彼に出来る限り完璧なタイミングで、追撃してくる帝国軍に矢を浴びせさせた。

あまりにも恐ろしい波だが、乗り損ねるわけにはいかないのだ。乗り損ねれば放り出され、粉々に砕かれて潰される。だが、妻に言われた言葉が、彼の精神を支えていた。

『大丈夫、僕はやれる!』

戦いは、クラナの活躍により、王国軍の勝利に終わった。そして二月後、リリフトハイルの主になったクラナの手により、フオメテルは中佐に昇進し、以後も昇進を続ける事となるのである。

 

5,轟将と呼ばれて

 

クラナの直属に入ってから、フオメテルは出世街道に乗った。彼の戦いぶりは兎に角正確で、特に防御をやらせれば右に出る者はいなかった。ただ、彼の場合、他のクラナ軍幹部に比べて参戦がどうしても遅かった。故に軍団司令官となったのは、帝国攻略戦が始めての事になり、以降大規模な戦いが発生しなくなったために、存在自体の影が薄くなったのだ。しかしクラナはきちんと彼の功績を見ていた。故に、最終的には最高幹部にまで登り詰める事が出来たのである。

今、彼は五千の兵を率いて、帝国軍の残党と戦っていた。帝国はクラナに粉砕されたが、まだまだ辺境には、こういった輩がいる。その殆どはただの無法者の集団であるが、なかなかに侮れない戦力を有している事が少なくない。装備は雑多だが、勢いはなかなかに鋭い。敵の数は約七千。槍を揃え、咆吼を上げて突撃してくる。対し、フオメテルは得意とする柔軟な防御陣を敷き、待ち受けた。横一線のフオメテル軍に対し、敵はくさび形の陣を敷き、まっすぐに突撃してきた。

「敵、密集隊形で突撃してきます!」

「うむ! 総員、迎撃準備!」

前衛には弓隊が構え、突撃してくる兵士達に鏃を向けている。敵が近づき、彼らが踏みしだき舞い上がる土埃が、着実に迫ってくる。やがて、フオメテルは上げていた手を振り下ろした。

「射て!」

膨大な量の矢が、密集隊形の敵軍に容赦なく降り注いだ。良く訓練されたフオメテル軍は、素早く交代し、次の射手がすぐに矢を放つ。それが六度ほど繰り返された後、槍を構えた兵士達が前に出、突撃してきた敵兵を迎え撃った。敵兵の勢いは凄まじいが、フオメテルは全く動じず、冷静に指示を飛ばした。

「右翼、左翼は前進! 敵の側面をつけ!」

長く延びた両翼が、密集隊形の敵を左右から押し包んだ。更に正面の本隊が大量の矢を浴びせ、防御を続けている槍隊を支援する。戦いは一進一退。敵は時々左翼や右翼を崩そうと謀るが、その度にフオメテルは指揮杖を振り、先手を取った。徐々に出血量が多くなり、押され始めた敵軍は、じりじりと後退し始める。其処へ、容赦なく矢が降り注いだ。

「左翼、下がれ!」

まだ経験の浅い左翼指揮官が、敵が乱れた隙に乗じて前進しようとした。だが敵も然る者、即座にそれを見抜き、ハンマーで叩き砕くような一撃を横殴りに浴びせた。思わぬ反撃を貰った左翼は大きな損害を受け、敵は勢いに乗る。そして、勢いに任せて正面へ再突撃してきた。フオメテル軍はU字型からL字形へ変動しつつあり、敵は陣形をまだまだ維持している。

「ひるむな! もうじき援軍が来る! 持ちこたえよ!」

わざと敵にも聞こえるようにいい、フオメテルは直属の精鋭を率いて防御陣の援護に回った。相変わらず自身で剣を振る事は出来ないが、最前線に出てきたフオメテルを見て兵士達は勇気を取り戻す。破れそうなのに破れない防御陣に、敵は業を煮やし何度も強行突撃をかけるが、結果は変わらない。そして、フオメテルの予言は実現した。

およそ五千の兵士が、敵の後方へ出現したのである。これぞ、メラキトの率いる増援部隊であった。元々フオメテルは、進撃を続ける敵を足止めし、援軍と挟撃するためだけに防御に徹していたのだ。逃げ腰になった敵に、フオメテルは指揮杖を振り下ろした。

「防御はこれまでだ! 総員突撃! 敵を叩き潰せ!」

 

当然のように大勝利し、家に戻った彼を、妻と五人の子供達が迎えた。戦は確実に減りつつあり、もうじき無くなる事が明かである。しかし、彼に悲壮感はない。

「お帰りなさい、あなた」

「ただいま、ウィネル」

「お帰りなさい、おとうさま!」

「ただいま、みんなお母さんの言う事はちゃんと聞いていたか?」

はーいと、子供達が揃って唱和した。彼らを馬鹿にする者など誰もいない。フオメテルの愛妻家ぶりは有名で、メイド出身だからといってウィネルを馬鹿にする者はいない。正確には、出来ない。フオメテルに対して、そのような侮辱行為を行うのは、彼を引き立てたクラナに喧嘩を売るようなものだからだ。だいたい、クラナの配下には庶民出身の高官が多い。そう言った風潮自体が薄く、フオメテルにとっては生きやすい場所であった。

クラナの力によって保たれている幸せ。だがその幸せを掴むまで、如何にフオメテルが努力したか、辛酸をなめてきたか、改めて言うまでもない事だ。

「そろそろ、僕たちは暇になる。 戦いは、この大陸から無くなる」

フオメテルの言葉に、ウィネルは目を細めた。

「そうしたら、久しぶりに、みんなでどこかに出かけよう」

貴族として不当な力を駆使して、遊びほうけるのではない。自分の仕事を果たしきって、そののちに家族と味わう安らぎの時。だからこそ、ただ家族で遊びに行く、というだけでも価値がある。

今まで、小規模の休暇は沢山貰っていた。クラナは部下に適度な休暇を与え、きちんと息抜きをさせる主君だった。だが、家族で遊びに行けるほどの長時間はあまり貰えていなかった。それだけの責任がある立場であるし、貰えた所でいつ命令が来るかも分からなかったから、あまり楽しむ事は出来なかったであろう。だが、今後は本当に余裕が出てくる可能性があるのだ。

心底嬉しそうに、ウィネルが言う。

「お弁当には何が食べたいですか?」

「うん、そうだな。 最初に君が作ってくれた、あの魚料理が食べたい。 何と言ったか、あの……」

「フィルギランテ、です。 ふふ、まだ呆けるには速いでしょう?」

「違いない」

遠慮無く大笑いすると、フオメテルはカーテンを開けた。眩い光が、部屋に差し込んできた。彼では抱えきれないほどの、暖かい光だった。幸せだ、等という言葉は、発するまでもなかった。

 

……クラナ軍の幹部の中で、フオメテルはごく標準的な、一般の人間が喜びそうな幸せを得た、珍しい一人である。ルルシャのように、過去の血塗られた遺産に拘泥したわけでもなく。また、ルングのように、唯一の支えだった金銭に拘泥したわけでもない。ただ妻を愛し、部下達を愛し、その幸せを願った。妻の恩に報いるため、出世したいと望んだ。必ずしも出世イコール幸せではないが、フオメテルの場合は幸せであった。

人それぞれの幸せがあり、他者は基本的に干渉出来ない。フオメテルの幸せは、彼にとって幸せなものであった。当然ルルシャも、ルングも、その点では同じである。どのような経路を辿ったとしても、彼らが最終的に自ら望む幸せを得たことは事実であった。

クラナ朝バストストア王国は、三百年もの間栄華を誇った。それにはクラナが多くの有能な忠臣を抱え、民の支持を得た事も大きな要因であった。

 

(終)