我は守銭奴

 

序、金こそ我が命

 

アンスポール=ルング=プランツを好きだという人間は、広いクランツ大陸の中でも数少ない。彼女の評判はそれほどにまで悪く、一部では金のためになら主君を平気で売るとさえ言われていた。実際アンスポールの金銭に対する執着は異常で、また性格も悪く、特に武官には蛇蝎の如く嫌われていた。

だがその評価とは裏腹に、アンスポールは主君であるクラナには絶対忠誠を終生誓っていたし、経済官僚としては有能であり、なおかつ公金を横領した事など無い。蓄財はえげつなかったが、あくまで合法的に行われたし、クラナの逆鱗に触れるような事も無かった。

しかしながら、それでもアンスポールは嫌われた。理由は分かり切っている。金が命より大事だと言い切るその俗物ぶり、他者に対して一切遠慮しようとしない厚顔ぶり、そして何より、詐欺師として知られる過去である。これらから、戦に命をかけるような武人からは徹底的に嫌われたし、正統派の政治家であるシウクト等もあまりいい顔をしなかった。アンスポール家の屋敷は金で飾り付けられ、質実剛健を美徳とする軍人達は、それをみて必ず眉をひそめるのであった。

小柄で体格も貧弱で、しかも少数民族のルフール人。大陸南部の、幾つかの都市国家を中心に生活している民族であり、体力的には若干低めだが、兎に角頭が回る民族として知られている。だがそれが故に、小賢しいとして嫌われてきた者達でもあるのだ。そのルフール人出身のアンスポール。大陸史の中でも、最も歴史変動に遠い一族として知られた者達の中でも、特に嫌われ続けた存在。だが彼女の本当の姿を知っている者はあまり多くはない。そういった性格が如何にして形成されたか、興味を持つ者も多くはない。

クラナ軍陣営の中で、泥よけ、嫌われ役を一心に務め続けたアンスポールは、大陸南部の小国ルフ商連合にて生を受けた。産まれた時から、彼女の人生には、光と呼べるものが一切無かった。だが、それを彼女が悲観していたかというと、また話が別である。

別にアンスポールは、人生を悲観もしていなかったし、自身を哀れんでもいなかった。むしろ、人に嫌われる事などなんとも思わず、人生を楽しみ続けていた。金に囲まれ、憎しみに囲まれ。それでもなお、人生を謳歌し続けたのである。

 

1,クランツの宝物庫の影

 

ルフ商連合は、異大陸との交流こそ無いものの、良く発達した航海技術を使い大陸南部の各大都市をつなぐパイプである。此処で取り引きされる物資は膨大であり、特にバストストア王国最盛期には、大陸に存在する金の四割がこの小国家を経由した、とさえ言われている。連合とはいうが、所属している都市は四つ、村が十七、人口は三万五千。王国で言えば、一つの州程度のものでしかない。そんな狭い世界を、膨大な富が流れ去っていったのである。

場所的な利点もあったのだが、その事実を鑑みれば、やはりこの小国の商人達は、優れた力を持っていたのである。相場を理解し、物資を理解し、市場を理解し、動かし続け、結果膨大な富を得た。守銭奴共と後ろ指を指され続け、軽蔑され続けたが、それでも多くの富を集めたのだ。

いつしか、連合の各都市は、得た膨大な富により大陸一の美観を手に入れていた。バストストア王国首都フオルは言うに及ばず、帝都バイバでも此処にはかなわない。故に付いた通称が、クランツの宝物庫。連合の商人達は王国にも帝国にも賄賂を欠かさず、結果安全を確保していた。彼らにしてみれば、賄賂は安全税であり、ごく普通にそれで生活を維持していたのである。

彼らの世界は、血で血を洗う争いの世界でもある。商人達の世界は、通称(生きた猫の尾を引き抜くが如し)とも言われる世界であり、直接武器が交えられる事はないのだが、極めて冷徹な論理に基づいて動いている。勝者こそが生き残り、敗者は路頭で惨めに死んでいく。金銭と、それに基づいて得られた力と、築きあげたコネクションだけが物を言う世界。膨大な軍勢が命を散らしてぶつかり合う戦場と、それほど差がない凄惨な世界である。此処に住む者達は、有る意味常に戦い続けており、犠牲者を排出し続けていた。まだ敗者に対する社会保障が完備されていない世界である。孤児などにはさしのべられる手も少しはあるが、社会的に敗北した大人にそれはない。

そんな犠牲者の一人こそが、アンスポールの父であった。

連合最大の都市であるインシェルンの郊外に、小さなあばら屋がある。其処にプランツ家は暮らしていた。家族構成は、父一人娘一人。アンスポールが物心付いた頃には、両親といえる存在はどちらも存在していなかった。血統上の父親は存在していたが、それはあくまで血統上の肩書きであって、肩書きの持ち主がそれに相応しい行動をした事など一度としてなかった。走れるようになった頃には、アンスポールはもうその生物に近寄らなかった。近寄っても酒臭い息を吐きかけられ、殴られるだけだったからである。

人間という生物は、基本的に公認された弱者を痛めつけたくて仕方が無いという、どうしようもない下劣な性質を生来的に持っている。持っていない者も少数いるが、それはあくまで例外である。

連合で商売に失敗した者は、男女問わずに負け犬と呼ばれる。そしてそれが社会的に公認されている。これはそう呼ばれた者を発憤させて、新しい事業に駆り立てさせようと言う意味が最初にはあったのだが、弱者にとってはただの残虐な拷問に過ぎない。この社会的風潮の結果、アンスポールの父ルグドーは、すっかり人生に意欲を無くしてしまった。また、アンスポールは幼い頃から、こう呼ばれて育ったのである。

「負け犬の娘」

誰も彼女の味方になる者などいなかった。商業原理が発達している連合では、金儲けのためなら何をしても良いという考えが主流であったし、敗者は虐待して良い存在だったからだ。プランツ父娘は周囲の人間達にとって格好のストレス発散用サンドバッグであり、容赦のない虐待が加えられた。アンスポールの味方など誰一人いなかった。当然、彼女の父も、である。

蔑みの視線と、投げられる石。〈実の親〉から飛んでくるのは罵声と酒瓶。そんな環境下で、まともな性格形成が出来るわけもない。アンスポールが七つになった頃には、その性格は、すっかりねじくれたものとなり果てていた。そして周囲の者達は、自分がその原因だと言う事を完全に棚に上げ、彼女を無慈悲に憎むようになっていたのである。

 

インシェルンの街は良く発達していて、物資の流通は活発である。街の中には多くの露店が開かれ、手軽な食べ物が様々に売られている。その店の一つで、良く太った恰幅の良い男が、長くて丸っこい木の実を炙った軽食を買い求め、代金を払って受け取ろうとした。その脇を通り過ぎた小さな影。そして、男の手からは、今買った食物が消えていた。

「あ、あれっ?」

男の困惑を背に、通り過ぎた小さな影の正体はアンスポール。人混みに紛れて路地裏に滑り込むと、彼女は舌を出した。年相応の丸っこい顔に、若干つり目ぎみの眼は少し細く、知性の光が輝いている。肩先まで伸びた赤い髪は、その辺で拾った汚い紐で束ね、綱のように編んでいた。着衣は汚いが、ポケットが沢山付いた実用的な物で、袖はある程度織り込んでいる。靴は運良く拾えた襤褸だが、雨の日には水が容赦なく侵入してくる厄介者である。総合的に、汚い中良く身なりを整えている。格好さえ良ければ、産まれ持った知性が際だつ姿である。

生まれつき体が小さく、しかし人並み外れてすばしっこく器用だった彼女は、今やこうやって食物を確保していた。そして他のストリートチルドレンに見付からぬうちに、さっさと戦利品を胃袋に放り込んでしまう。香ばしい臭いを放つ木の実から垂れた汁が指先につき、それを舐めながら、アンスポールはさっさと仕事場を離れた。

スリの技は、様々な先達の物を見て覚えたのである。誰も彼女に構う事はなく、向けられる全ての感情が憎しみと蔑みである以上、生きるためには自分で全てを行う必要があった。他人の技を盗み、物を盗み、そして効率の良い行動と、トラブルを避ける方法をも盗む。ストリートチルドレンは珍しくもないが、若干七歳にして、アンスポールの技能は円熟の域に達している。そんな存在は流石に珍しい。もう少し年が上になってくると、彼女のようなストリートチルドレンは体を売らねば生きていけなくなってくるが、少なくともアンスポールにその必要はなかった。すばしっこくスリの技にも長けた彼女は、充分にそれだけで生きていく事が出来たからである。それは強さであり、後天的に手に入れた物でもあった。

家に帰る事はもう無い。というよりも、あのあばら屋は、もう存在していない。血統上の父と名乗る生物がアルコール中毒で死んだ後、〈協会が決めた新しい家の持ち主〉と名乗る男が、無理矢理アンスポールを追い出した上に、家を取り壊して畑にしてしまったのである。まあ、あんな家に未練の欠片もなかったアンスポールとしては、別にどうでも良い事であった。

基本的に無口な上に、アンスポールは人を一定距離以上に近づけない。彼女が足を止めたのは、進路上に別の人間が現れたからである。

「よぉ、アンスポール」

眼を細めたアンスポールの後ろからも、何人か人間が現れた。いずれも彼女より年上の少年である。そして、いずれもがストリートチルドレンだ。宝物庫と呼ばれるこの街の、繁栄の影で産み落とされた忌み子達である。眼を細めたアンスポールに、前に立ったリーダー格の少年が、最初から高圧的に言った。

「稼ぎはどうだ?」

「そんなの、知らないわよ」

「そんなわけねえだろ? お前の腕だから、今日も稼いだんだろ?」

強者が弱者からむしり取る。弱者はさらなる弱者からむしり取る。此奴らも、更に年上の子供達から見れば、金蔓に過ぎないのだ。もっとも、アンスポールにしてみれば、黙って金を取られてやる義理など無かった。

此奴らには、今までに三度襲われている。そのうち一度は、殴られた上に戦利品を取られてしまった。基本的に相手に対して同情とか手心とかを加える気がないアンスポールは、彼らを排除する事を決めた。無言のまま、アンスポールは粗末な着衣のポケットに手を入れる。そこに入っているのは、以前下水で拾った腐った卵である。素早いモーションで、彼女は前に立っているリーダー格の顔面に、それをぶつけていた。同時に死角を付いて、包囲を突破し走り出す。足は速く手先は起用だが、体力も腕力もない彼女は、流石にこの人数の男子を相手にまともに戦えない。

「逃がすなっ!」

もう一丁前の組織的行動を見せて、男の子達が追いかけてくる。彼女は路地をどんどん奥へ入り込み、彼らを誘導していく。そして、走りながら小石を一つ拾い上げた。無論、先回りしようとする行動なども全て考慮に入れて、である。逃走ルートに当たる路地裏は、もう完全に立体的に把握していて、何処をどう行けば絶対に逃げられるか完璧に知っているのだ。そして、彼らの目に見えるように、下水に滑り込んだ。良く整備され、広く長く延びている下水道の中は異臭が漂っている。この辺は、完全に彼女の庭である。ばしゃばしゃと水を蹴立てて、男の子達が追いかけてきた。追いつかれないよう見失いよう、彼女はゆっくり彼らを誘導していった。そして、下水の壁に入っている切れ目の中に走りながら小石を投げ込み、その後は全力で逃げ去った。うなり声が切れ目の中から響き、一瞬後にそれは咆吼へと変わった。

呼吸を整え、肩で息を付きながら、彼女は無数の悲鳴が轟く後方へ振り返った。壁の中に潜んでいて、彼女が小石をぶつけて起こしたのは、三本の腕を持つ凶暴な怪物である。名前は知らないが、この時間は寝ている事、あの卵の臭いに敏感な事、ついでに肉食で子供の肉が大好きな事、は良く知っていた。少なくとも、あのリーダー格は絶対に逃げられない。怪物のうなり声、肉が引きちぎられる音、泣き声、断末魔。逃げようとする子供が転ぶ音、肉が押しつぶされる音。咀嚼の音、かみ砕く音。程なくそれは消えた。満足した怪物のげっぷの音、そして体を引きずって寝床に戻っていく音を確認すると、冷徹な罠に敵をはめた娘は、舌を出した。

「ざまーみろ」

ただそれだけ呟くと、アンスポールは完全に呼吸が整うまで待って、別の出口から下水道を出た。外は白々しく晴れ渡っていて、まぶしさに眼を細めた。彼女の周囲は全て敵。同情も手心も、優しさも暖かみも。何一つ、幼い少女の中にはなかった。

 

2,金、金、そして金

 

アンスポールの生活は、年齢を二つ三つと重ねても根本的には変わらなかった。寝床は常に一定せず、食物も身の回りの物も周囲から全て奪う。人間とは常に距離を置く。一方で、少しずつ変わり始めた事もある。金銭が、彼女の生活の中で大きな力を持ち始めたのである。

やはり、何だかんだ言っても、スリだと望み通りの物を手に入れるのに限界があるのだ。隙があるターゲットばかりではないし、狙い通りの物を常に相手が持っているわけでもない。一方で金なら、ルート次第なら幾らでも望み通りの物が手に入り、しかも保管さえきちんとしておけばかさばる事もない。金という物が持つ根本的な便利さと有益さに、頭がそこそこに生まれつきよかったアンスポールは、誰にも教えられることなく気づいていた。

十歳になったアンスポールは、スリを繰り返しながらお金を貯め、やがてその過程で読み書きの参考書を手に入れた。すった物ではなく、金持ちの家のゴミ箱から見つけたのである。発音法から書いてある初歩的な物であったが、読み書きが出来ない彼女には丁度良かった。街の中を彷徨き、書いてある様々な文字とそれを見た人間の発音、それに本の中身を頭の中で掛け合わせ、三ヶ月ほどで完璧に読みを物にした。読みが出来てしまえば、書きは楽な物である。ただし、複雑な文法や芸術的な詩などは、一切触れなかった。特に興味も感じなかったし、何より必要なかったからである。

根本的に変わらないアンスポールに対し、周囲は遠慮無く容赦なく変動していった。幼い頃に向けられた物よりも、ずっと悪意と敵意が強くなっている事をアンスポールは感じていた。要は彼女の悪名がいい加減無視出来ない物になりつつあったのである。人間という生物は利己的だから、自分たちの行動がアンスポールの心の歪みを育て上げていった事を完全に棚に上げ、迫害の風を容赦なく強めた。実際アンスポールはかなりの〈悪事〉を働いていたわけだから、彼らの行動に理がないわけでもなかった。アンスポールは昼間外を歩く事さえ出来なくなった。警察も犯罪組織もストリートチルドレンも、彼女を目の敵にした。それに対してアンスポールが悄然と首を差しだしたかというと、それはとんでもない話であった。社会が彼女にしてくれた事を、そのまま返したのである。別にこんな街に未練など無く、それに遠出が出来るようにもなっていたアンスポールは、交易船に潜り込み、さっさと産まれた土地を離れたのだった。

 

子供とは言え、アンスポールは計画的な娘だった。今まで貯めた金を、何カ所かで保存食に変えると、彼女は船倉に乗り込んだのである。其処は鼠の大群が合唱する場所であり、彼女の他にも数人の密航者がいた。いずれも口を利こうとはせず、沈黙の中旅は進行していった。

新しい土地に来れば事情も変わるし状況も変わる。舟での一週間ほどの旅の後、アンスポールがたどり着いたのは、アイネスト帝国の交易都市ンルクトであった。夜になるのを待って舟から出たアンスポールは、月明かりの下で街を見て回った。街の整備状況、人間の数、活気、全てがインシェルンに劣った。だが、街の人間の反応は根本的に違った。以前と違い、軽蔑はあっても敵意はないのである。子供も老人も女も、侮ってこそすれ敵意を向けてくる事はなかった。視線には動物を見るような蔑みが籠もってはいたが、それは標準的に向けてこられた視線だったので、アンスポールにはどうでも良い事だった。

早速目をつけた数人から金をスリながら、躊躇い無く裏路地に入り込み、そして後ろから街を見て回る。大した規模の街ではないが、それでも一丁前に犯罪組織や、徒党を組んで悪事を働く貧しい子供はいた。体力腕力で劣るアンスポールは、彼らの間を縫うように動き回りながら、新しい土地での生活を始めていた。

故郷で彼女が目の敵にされるようになってきた理由の一つが、容姿の変動である。昔は良くも悪くも頭の良さそうな子供、ですんでいたのだが、今は違う。まず上質と言って良い美貌の片鱗を伺わせるようになったアンスポールは、いるだけでどうしても目立つようになり始めたのである。それに伴い、どうしてもコミュニケーションを取る必要が生じてきていた。もし彼女が、圧倒的な肉体能力を持っていればその必要もなかったのだが、すばしっこいだけで戦闘技術も腕力にも欠けるため、そうはいかなかったのである。

そこで大きな武器が表に出た。相手の感情がある程度読める。それは生存環境から、自然に身に付いていた能力だった。

 

スリが上手いため、同世代の子供達と比べて栄養状態も良いアンスポールは、周囲より二三歳は年上に見えた。小柄であるが、肌の状態は良く、髪も長く艶やかである。手入れをする余裕があるので、それが余計周囲より目立つ。富裕層と貧困層で根本的に栄養状態が異なる状況下で、それは大きい。

「え? 十一歳だって?」

「それは褒めてくれてるの?」

「あ、ああ、勿論だ」

「ありがと、嬉しいわ」

若干つり目気味の瞳を細め、にっこりと小悪魔的な笑みを浮かべてみせる。アンスポールの目の前にいる男は、時々食料を買う際に接触する相手である。まだ若く、紳士然とした容姿であるが、下心が露骨であり、其処をつついてやれば面白いように値引きした。もっとも、今まで指一つ体に触れさせてやらなかったが。しかも今、十一歳という事を告げた途端に、音を立てずに生唾を飲み込んだ。アンスポールが舌なめずりしたのは、其処をつつけば更に値引が効率よくなる事が明らかだったからである。

「ねえ、相談があるんだけど……」

「な、なんだよ」

体をすり寄せると、艶っぽい声で、甘えるようにアンスポールは男の耳元に囁く。掴むように肩に触れてくるが、それはそれで仕方がない。むしろ優しく撫でるように、その欲望まみれの手に触れてやる。男はささやき声に何度も何度も頷き、今までより更に値引をする事に応じた。肩を掴んでいる手を払うと、料金を支払って数日分の食料を受け取り、アンスポールはぼうっとしている男の前を後にした。去り際に、聞こえないように口の中だけで呟きながら。

「まいどあり♪」

早速昼食を口に運ぶアンスポールは、周囲への注意も欠かさない。隙を見せた方が悪い。油断した方が悪い。それが、こういった場所での不文律である。実際物欲しそうに彼女の手元を見る者は少なくなく、だが隙がないので近寄っては来ない。

歩いて街を出たアンスポールは、つけてきている者がいない事を確認しながら、鬱蒼と茂った森に入った。其処には以前木こりが住んでいたらしい、現在の彼女の家がある。手に入れた食物を机の上に置くと、さっき男に掴まれた肩を叩いて埃を払い、一旦家を出る。そして森の中を川沿いに歩き、ねじくれた大樹の上に上がった。木は大きくこぶが多く、元々身軽なアンスポールにとって、登る事は難しくない。其処にある大きなうろは、丁寧に偽装してある。再び誰もいない事を確認すると、偽装を剥いで、アンスポールはうろの中に入った。そしてすぐに、内側から偽装を閉じた。

うろの中には、小さな幾つかの穴から光が差し込んでいる。誰もいない、誰も見付からない空間。自分だけの城。輝きを放つ、宝の蔵。

其処には、比喩だけではない、金貨と銀貨が山と積まれていた。社会における、純粋な、保有する力の指標である物体、金銭。うっとりと、誰にも見せた事がない優しい表情をしながら、彼女は金貨を掴み上げ、そして零し落とした。有用である。その言葉以上に、彼女は金銭に対して大きな執着を持っていた。

今日すった金のうち、食料を買った残りの分を、アンスポールは財産の上に落とした。金属音が響き渡り、黄金の山がさらなる輝きを発する。人間を信用しない彼女が、唯一安らいだ表情を見せる相手。それが、この物言わぬ物体の山だった。

それを批判するのは簡単だが、どうしてそうなったのか、考えると面白い。これは先天的な性質ではなく、明らかに後天的な性質なのである。その幸せが他者の犠牲によって成り立っているのは確かだが、同時に彼女ほど他者によって幸せを踏みにじられた、否幸せをそもそも知らない存在も少ない。

「また増えた……」

うっとりとした眼で呟きながら、またアンスポールは金銀の山を掴みあげ、そして落とした。恍惚の中、金属の雨が、無数の音を響かせた。じゃらじゃら、じゃらじゃら、じゃらじゃら、じゃらじゃら……。

 

多かれ少なかれ、貧しい者が貧しい者から更に奪う貧困地区に暮らす者は海千山千の古強者ばかりだが、若くしてアンスポールはその中でもぬきんでていた。以前と違い、彼女は周囲全てを敵にしないようにある程度配慮しながら、特に金持ちばかりを狙ってすった。

スリばかりではなく、他に金を手に入れる手段も、アンスポールは身につけ始めていた。スリをすれば当然財布も手に入る。それは当然換金してしまうのだが、それにも智恵をつけ始めていたのである。

財布を換金するために、彼女は何カ所かを常時ストックしている。その一人、頭が禿げ上がった中年の男に、革の財布を見せながら、アンスポールは囁きかける。

「どう、これ?」

「どう、と言われても?」

「あら、知らないの? これはねえ、帝国でも金持ちに人気のある、ヨッシュって職人組合が作った財布よ。 現金に換算すれば、これくらいは難いわ」

机に腰掛け、計算道具を弾きながら、わざと声に艶を含ませてアンスポールは言う。半分適当だが、まるきりの嘘でもない。これを持っていたのは金持ちであったし、財布には〈ヨッシュ〉と帝国語で刻まれている。男の視線が腰のラインに注がれているのを敏感に悟ったアンスポールは、わざとそれをアピールしながら、更に続けた。使う色仕掛けは円熟していて、とても子供がやっているとは思えない。その上彼女は、色仕掛けだけで勝てるとは思っていない。

「だから、これくらいは貰えないかしら?」

「しかしなあ」

「今までも、高い財布を沢山売ってあげたでしょ?」

「う……そ、そうだな」

アンスポールのスリの腕は、この街でも屈指である。その腕の程はといえば、彼女がスリだと気づいている金持ちは殆どいないほどだ。あくまで大金を盗まず、小金を沢山確実に盗む。それが却って成功率を上げ、足を付きにくくしている。そして、この親父の元に、たくさん売り物が流れてくる。つまり此処でアンスポールの機嫌が損なわれれば、この親父は重要なお得意さんを失いかねないのである。其処まで計算して、アンスポールは駆け引きを持ちかけているのだ。

それにしても、十代前半の少女が、色仕掛けやら商売原則まで躊躇い無く使いこなしている。そして大人の商売人を、終始精神的にリードしている。情況故に仕方が無いとも、何とも末期的な情況だ、とも言える。実際彼女は、手段など選んでいては生きていけないのだ。詐欺やスリが悪いというのなら、暴力を振るわれながら奴隷か、或いは紐としての生活にでも甘んじるしかないのである。何処へ行っても、彼女のような出自の人間に、娼婦や奴隷、或いは餓死以外の選択肢は無いのだ。現在このクランツ大陸は腐りきっていた。貧しい者ほど、力無い者ほど暮らしにくい世界だった。生活苦を世界のせいにするなとほざく強者がいるが、弱者がどうにも出来ない世界というのは確かに実在しているのである。だから力を上手く使って、人間全てが努力して、そういう矛盾を少しずつ改善して行かねばならないのだ。常に誰でも道を切り開けるなどというのは、恵まれた世界に住む強者の驕りだ。現実の社会には、そこまでチャンスは転がっていない。転がっていたとしても、社会的弱者が掴める事はほとんど無い。チャンスを得て行動しないのは確かに一種の罪悪だが、そのチャンス自体得る事が出来る者は殆どいないのである。

「まいどあり♪」

やがて取引先を後にしたアンスポールは、金が入った袋を懐に入れ、口の中だけで呟いた。表情をゆるませるのは、うろに入ってからである。それまでは一切隙を見せず、無駄を全て省いて行動する。基本的に、彼女は信用していなかった。特に人間の事は、一切信じなかった。正確には、信じるに値する要素がなかったからである。

 

アンスポールは時々財産を使って、買い物をした。買い物の対象は本であった。最初に手に入れた読み書きの本を読破してから、本という媒体にも、彼女は興味を覚えていたのである。

最近はかなり難しい本も読めるようになっていた。知識を得る媒体としての役割も果たしていたが、単純に活字も好きになっていたのである。それに本の中にある知識には、詐欺をする際に役立つものも少なくなかったし、自分で考えた嘘よりも説得力に満ちた言葉が幾らでもあった。金の次に、文字が好きになっていたアンスポール。いつしか彼女は守銭奴と呼ばれるようになり、それを何の躊躇いもなく受け入れるようにもなっていた。恥じる事もなかったし、事実そうだと自分でも思っていたからである。

長い爪は仕事上邪魔だから、綺麗に切って研いでいる。形の良いピンク色の爪がついた手でほんの新しいページをめくりながら、守銭奴は呟く。

「へえ、これは面白いわ」

また悪巧みを思いついた彼女は、にんまりと小悪魔的な笑顔を浮かべていた。

 

3,理論と本能

 

人は護るべきものが出来れば強くも弱くもなる。弱点を突かれれば、竜のような強者が子兎のように弱体化してしまうし、一方で守るために子犬が屈強な狼をもうち倒す事がある。アンスポールの場合、その双方が当てはまった。

十四歳になったアンスポールは、王国に移り、ケィツアールという交易都市で生活していた。腕に自信がついてきた事もあり、流石に悪名が広がってきた事もあり、丁度良かったのでもう少し稼ぎやすい大きな都市へ移動したのである。もうその腕は十二分な円熟を見せ、素人にスリだとは絶対に悟らせなかったし、路地裏でも全く隙を見せなかった。天性のすばしっこさには更に磨きを掛け、捕まったり酷い目にあったりするような事はもう無かった。

やはり森の中に家と宝物庫を確保したアンスポール。今度の宝物庫も、やはり木のうろに作った。樹齢三百年はどう見てもある大木で、木の周囲は十人の大人が抱えたほどもある。辺りには似たような木が何本もあり、偶然にしても見付かる可能性は少ない。登るのはそれなりに大変なので、梯子を作ってうろへ入れるようにした。いわゆる縄梯子で、それを降ろす仕掛けは木の近くに隠してある。作るのにはかなりの手間がかかったが、完成した後の安心度は大きなものがあった。その上、プロの職人が作った強力な鍵もつけ、アンスポールは大いに安心し、そして満足した。

以前より大きなうろには、今まで蓄えてきた金が少なく見えるほどの、圧倒的な広さがあった。この中でも暮らす事が可能なほどだが、安全上それは良くない。ただ雨水が少し流れ込む作りになっていたため、それを補修し、そのお陰で完成が更に遅れた。完璧に安心出来る金庫が出来た頃、アンスポールは丁度十五歳になっていた。

 

その子供をアンスポールが見つけたのは、仕事帰りの事であった。そこそこに良い財布をすり、換金し、食料を値切って買った結果、かなりの残高が懐に残っており、アンスポールは上機嫌であった。無論そんな事は、絶対に表に出さない。ただ、機嫌がよい時には、どうしてもアンスポールは右手で脇腹の辺りの服を摘んで上下してしまう癖があった。あまり回数は多くはないが、無くそうとは思っていたが、こればかりはどうにもならなかった。時々服の端を摘みながら歩いていたアンスポールは、言い争いの声に気づいて視線だけ其方に向けた。

「あの、お願いです。 食べ物だけでも、恵んでください」

「しつこいぞ、ガキィッ!」

「きゃあっ!」

突き飛ばされて、地面に転がったのは、何とも弱々しい子供であった。貧弱な体型に襤褸の服。服は破れていて、臍も腿も露出している。周囲のストリートチルドレンよりも、更に貧しい格好である。夏の今なら兎も角、冬になったら絶対に絶えられない。そばには何とも頼りない、おろおろと男と子供を見比べている子猫がいる。忌々しげに立ち去る大柄な男。子供は蹌踉めきながら体を起こすと、子猫を抱きしめて、その背中を撫でた。頬には、痣がはっきり残っていた。

「ごめんね、もうすぐ食べ物あげるからね」

猫なら自力で餌が採れるだろう。そう思って立ち去りかけたアンスポール。実際飢えに苦しむ子供など見慣れているし、餓死した子供から服を剥いだ事さえ有る。非道と言うよりも、それが普通の世界に生きてきたのだ。この街は今までで暮らしてきた所で一番福祉関連が充実しているが、それでもホームレスや貧しい子供は掃いて捨てるほどいる。視線を外しかけ、アンスポールは気づいた。子猫は足が悪い。成る程、確かにこれでは自力で餌が採れない。というよりも、こういった場所で生きている事の方が不思議な存在である。

一通り相手の観察が終わったアンスポールは、そのまま速度を落とさずその場を去ろうとした。だが、声が後ろからかかる。

「あの、すみません。 何か、恵んでくださいませんか?」

「……」

「食べ物だけでも。 私の分はいりません。 この子の分だけでも……」

「……」

何故気紛れを起こしたのか、アンスポール自身にも分からなかった。この子の髪が赤毛で、昔の自分みたいだったからか。暮らしている所を間違えているとしか思えない、何とも要領の悪すぎるやり方をしているからか。自分の命よりも、何の役にも立たない動物の方を心配しているからか。貧しい世界では、血を分けた子供でさえ自分の命に優先させない事が多いのだ。それなのに、理解しがたい行動を、この子供は取っているのだ。

恵んで貰う方式として、本来の自分よりも更に弱い状態を装い、同情を誘うというものもある。ただしこのやり方は、ばれた場合はただでは済まないと言う、大きなリスクも持ち合わせている。だが海千山千のスリであるアンスポールは、この子供にそう言う要素がない、たんなる素人だとも敏感に悟っていた。何しろ、ねだる相手を完全に間違えている。スラムの子供達は大人の感情や性質に敏感で、恵んでくれそうもない相手には絶対近づかない。それがこの子供は、明らかに恵む気がない大人に懇願していた。そんな相手に懇願した所で殴られるだけなのに。素人である良い証拠である。

「ほら、これだけよ」

「あ、ありがとうございます!」

パンの欠片を差しだしたアンスポールは、あんまり大きくて無邪気な返事が返ってきたので、慌てて周りを見回したほどである。感謝に見送られて立ち去ったアンスポールは、道を曲がるふりをして、影からこっそり様子をうかがった。子供は何の躊躇いもなく、恵んで貰ったパンを、子猫に与えていた。

「これは長生き出来ないわね……どっちも」

ぼそりと口の中だけで呟くと、アンスポールはさっさとその場を去った。心の中には、妙なもやもやが生じ始めていた。

 

結局の所、それは年頃の女性が抱く、生物的な保護本能だったのかも知れない。アンスポールはどうしても、自分の行動を論理的に説明出来なかったからだ。

アンスポールの予言は、半分は当たった。しばらくアンスポールはその路地を帰り道にしていて、時々気紛れで恵んでいた。子猫が弱っていくのは傍目からも明かで、ある日ついにいなくなった。膝を抱えて落ち込んでいる子供。栄養状態が悪いのは明かで、目にはくまができているし、肌には痣の後が無惨に残っている。髪も乱れていて、時々涙を拭っていた。

分かり切っていた事だろうに。そう、アンスポールは内心呟く。この無力な子供は、こんな所にどうして暮らしているのだと思うほど純粋だ。以前何の不自由もない生活をしている子供を見た時に感じたような、まぶしい純粋さを持ち合わせている。それは負にも正にもなるが、少なくとも正になっていると、アンスポールは思った。

何をしているんだと想いながら、アンスポールは子供の前で腰をかがめていた。泣いていた子供は顔を上げ、笑顔を作ってみせる。

「あ……」

「死んだの?」

「……はい。 色々して頂いて、有り難うございました」

ぺこりと頭を下げる子供。冷徹な目で、アンスポールはその頭頂部を一瞥した。

「ねえ、そんな要領悪い事してると、あんたも死ぬわよ?」

「私、イルナを助けられなかった……だから……罪を受けなければいけないと思います」

有る意味この子が言っている事は事実である。もっと要領が良く食べ物を集めれば、あの子猫は助かった可能性もあるからだ。要領や効率というものは、案外重要なものである。それ次第で死ぬ存在も出てくるからだ。今、この子供が呼んだ、イルナという子猫のように。一方で、施しを拒否した人間も、子猫を殺した共犯者であるわけだ。頭を掻きながら、アンスポールは言った。

「罪だか何だか知らないけど、そのままじゃ死ぬって言ってるの。 確か孤児院がこの先にあったでしょ? 或いは子供のグループにはいるとか」

「……私……アルテスロ=クーリエの娘なんです」

「ああ、そう言う事か」

アルテスロ。アンスポールも知っている、大物犯罪組織の主である。この街の裏側を取り仕切っていて、何度か盗品を裁く際に関わりを持った。かなり危険な連中であり、だが派手に行動しすぎた。この間軍隊が出てきて組織の連中を皆殺しにし、ボスのアルテスロは殺され、首を街の郊外に晒された。確かやったのは、領主に頼まれて出てきたイツァムとか言う将軍だが、それはアンスポールにはどうでも良い事だ。今では無惨な髑髏が、地面に転がって、蜘蛛が巣を張っている。

確かにアルテスロの娘で有れば、孤児院も受け入れてくれなくて当然だ。奴の悪行は街の中で有名だった。それにストリートチルドレン達も、雑巾の水を搾るかのように上納金を奪い取られ、餓死した子供を何人も見た。

それにしても、あの屑の娘が、こんな性格だとは。それに、社会的な理由から、負け犬の娘と呼ばれ続けた自分の事を思いだし、アンスポールは何と無しに言っていた。

「死にたくなければ、スリのやり方覚える? 教えてあげるよ、ただし後で授業料貰うけど」

「いやっ! そんな事をしてまで、生きていたくありません」

「頑固者。 生きてこそ、未来があるんじゃないの」

「私、無数の罪を背負って生きています。 このまま罪を重ねて生きていたら、父が不幸にした人達に会わせる顔がありません」

大きくため息をついたアンスポール。後で彼女は自問した。何で放り出さなかったのか、と。自分でも、不思議だったからである。

「分かった。 じゃ、もういいから私の家に来なさい。 家事を全部やって貰うけど、その代わり食べ物はあげるわよ」

「えっ……いいんですか?」

「良いわよ、別に。 あんたみたいな小さいの一人なら、別に何の苦労もしないし。 で、名前は?」

「コワトです。 コワト=クーリエ」

 

家に連れ込みはしたが、アンスポールは根本的にコワトというこの娘を信用していなかった。金庫の場所など絶対に教えなかったし、金にも触らせなかった。

やはり、もともとかなり良い生活をしていたはずだというアンスポールの予想は当たった。コワトは料理もまともに出来なかったし、要領が悪くて、何でも覚えるのにアンスポールの倍の時間がかかった。ただどういう事か掃除だけは文句なしに上手で、小汚い元木こり小屋が、短期間でちょっと上品なログハウスかと思えるほどに綺麗になっていた。逆にどういう訳か、アンスポールは掃除だけはヘタだったから、上手い具合に釣り合いが取れたのである。

最初アンスポールは危惧していたのだが、それと裏腹にコワトは自分の考えを他者に押しつけるような事はしなかった。スリが悪い事で神の教えにどうのこうのとかほざくようなら家から放り出すつもりだった。だがコワトは、自分の罪を償う事は考えていても、アンスポールの行動にケチをつけたり否定したりするような素振りは見せなかった。少なくとも、今の時点では。

生活費は以前に比べて、どうしても増えた。にもかかわらず、アンスポールはいつしか服の裾を掴む回数が増えていた。金が貯まる速度は以前に比べて遅くなった。にもかかわらず、良くアンスポールは服の裾を摘んだ。まだ根本的に、相手の事を信用などしていなかった。それなのに、家に帰るのが少し楽しみになり始めていた。帰った時の言葉と、笑顔が楽しみになり始めていた。

「ただいま」

「お帰りなさい!」

コワトが満面の笑みで、アンスポールを迎えてくれる。いつしかそれが普通で、しかもとても心地よい事になり始めていた。

 

4,どうにもならないこと

 

金に出来ない事は当然ある。死者を生き返らせる事がその最たるものである。元々金というのは、社会的に具現化した力の一形態であり、それには当然矛盾も有れば限界もある。便利ではあるが、万能の神ではない。頼りすぎると痛い目に遭う所以がそれである。

物言わぬ黄金の固まりにこそ、アンスポールは全幅の信頼を寄せていた。だが積極的に裏切りこそしないが、それには限界もあるし、かなえられぬ事だってある。越えられない壁だって存在している。

アンスポールは、人生の転機で、それを思い知らされていた。

 

精神的にも金銭的にもアンスポールは生活に余裕ができはじめていた。十六歳になった彼女は、医学書や哲学書まで読むようになっていた。神がかったスリの技を身につけていた彼女は、それが可能なだけの蓄えを得ていたのである。それに、詐欺にも本格的に手を染めていた。様々な本から手に入れた知識を使い、元々器用な手先を生かし、いかにもそれっぽいものを安く作り、金持ちに売りつける芸に関しては、何処の誰にも負けなかった。スリよりも明らかに効率的な作業で、しかしリスクも多かった。いつしか彼女は、裏業界で〈泥まみれのアン〉と呼ばれていた。隙を見せない彼女に対し、弱みをつき止めていつしか復讐してやろうと牙を研ぐ輩は、嫌が応にも増え続けていた。

綱渡りに近い人生。アンスポールはそれでも世を謳歌していた。気ままに稼いで、家に戻ればコワトがいる。彼女の作る美味しくもない料理を食べながら、色々と下らない四方山話をして、色々な本を読んで、お金を数える。

しかし、行為に対する報いというものは、誰にでも来るのである。自業自得とも言える結果が、アンスポールの身に迫っていた。

金は、そんな彼女を救えなかった。彼女と、彼女の大事な存在を救ったのは、金を超える圧倒的超絶的な力であった。

 

コワトの様子がおかしくなり始めたのは、秋の初めであった。微熱があるようで、少し赤い顔をしていて、時々咳き込んでいた。ただし、いつもと動き自体は変わりなかったし、念のために見た医学書にも似た症例は乗っていなかったので、放置していた。

家に帰ってきて、他愛もない話をして、一緒にご飯を食べて、隣のベットでお休みといって寝る。血はつながってはいないが、家族といって間違いない存在。アンスポールはコワトを金銭的に養ってはいたが、同時に精神面では大きく依存していた。

それに心中で薄々気づき始めていたから、アンスポールは心配した。コワトの微熱はずっと続き、顔の赤みは引かなかった。咳も目立つようになった。そしてある日。コワトは朝食後、笑顔のまま、ぱたんと倒れた。

「コワト!」

返事はない。自分の声が心底動揺し、心の底から焦りと恐怖が浮かんでいる事に気づいて、アンスポールは愕然としていた。気紛れで助けた相手ではないか。死んだって何の未練もないと思っていたではないか。しかし体の方は正直で、薄っぺらな表層真理を軽々と吹き飛ばしていた。

「コワトっ!」

もう一度叫んで、体をゆらす。ほんのり肌が赤く染まったコワトは、全く答えなかった。凄い汗をかいていて、思わず手が滑ったアンスポールは、小さく息を漏らしていた。

慌てて医学書をひもといたアンスポールは、必死に症例を探したが、やはり一致する者はない。いつもの冷静さをどこかに置き忘れて、ベットにコワトを寝かせると、彼女は街に飛び出した。何事かと彼女を見る者達には目もくれず、訳あり患者を高値で診る闇医者の所へ飛び込む。だが、闇医者は、アンスポールの話を聞くと鼻でせせら笑った。

「いやだね」

「金は出すって言ってるでしょ! 何なら相場の三倍払う! だから!」

「金の問題じゃないんだよ、ん? お前の知り合いを助ける事が嫌だって言っているんだ」

コワトを抱え込むまで、精神的にも肉体的にも一切他者に頼る事など無かったアンスポールだが、今度ばかりは他に方法がなかった。他にも何人か闇医者を頼ったが、どの医者にも即座に診察を拒否された。自分が今までした行為の付けが、こんな所で回ってくるなんて。今更ながらに、アンスポールは途方に暮れた。途方に暮れて歩いていた彼女は、複数の人影が周りを囲むのに気づいた。

「よお、アンスポール」

「!」

「へへへへっ、ついに年貢の納め時だな!」

周囲を囲んでいるのは、犯罪組織の下級構成員で、今まで散々品を売りつけた相手である。即ち、詐欺に引っかけてやった連中だ。不覚であった。普段なら絶対に囲まれる事など無かったのに、こんな三下に包囲されてしまった。唇を噛むアンスポールに、容赦なく周囲の男達が殴りかかった。

元々アンスポールは、逃げ足の速さと勘の良さで今まで生き延びてきたのである。体術や格闘技など使えない。頭自体はよいが、戦術を本格的に勉強してきたわけではない。つまり、一旦捕まってしまえば逃れる術がないのである。

「観念しろ、オラっ!」

容赦のない殴打の音が周囲に響き渡った。

 

「ち、ちく……しょう……」

何とかアンスポールが逃げ出した時には、かなり時間がロスされていた。容赦ない暴力の結果、右腕をへし折られていた。ふらつきながら彼女は、痛む腕を押さえ、この街で一番大きなジャクルフト教の神殿に足を踏み入れていた。

炎の神ジャクルフトは、主に正義の神として知られ、その神殿は如何なる者にも入る事を許す事で有名である。炎の力と、万物に平等な博愛。それこそがジャクルフト教の教義なのだ。

だが、人間が作ったその教義は、人間自体に守られていなかった。傷だらけで入ってきたアンスポールを見て、神官は露骨に迷惑そうな視線を向けてきたのである。そればかりか、それを実際に口にした。

「神聖なる場所に、何用ですか?」

「人を助けて欲しいのよ」

「……去りなさい。 此処は詐欺師や、その同類が足を踏み入れて良い場所ではありません」

「分かったわよ。 ……ちっ、神も頼りにならないものね」

吐き捨てると、アンスポールは神殿を出た。陽光だけは白々しく注ぎ続けていた。だが世には希望が何一つ無かった。

傷の痛みよりも、コワトが助からない、それ自体がアンスポールには辛かった。やがて彼女は路上に倒れた。荒い息を付きながら立ち上がろうとするが、その背中を誰かに蹴飛ばされた。周囲には、悪意に充ち満ちた無数の視線があった。

「ざまみろ、詐欺師」

「金返せや、ボケェッ!」

自分は罪を償わなければ行けないと、コワトは常日頃から言っていた。丁度今、ここでアンスポールが死んでしまえば、彼女も死ぬ。死は最大の贖罪になる。だが、こんな形で罪を償わせてなるものかと、アンスポールは奥歯をかみしめた。自身が罪を償うという感覚はなく、今アンスポールは、コワトの事だけを考えていた。自分の事しか考えなかった娘が、他人の事を今、全てに優先させていたのだ。命にも、そして思考にも。無数に降り注ぐ蹴りや拳の中、彼女は必死に手を伸ばし、群衆の輪の中から逃げようとした。だが誰かがその手を無情に踏みつけ、そして鉄棒を振り上げた。降ってくるそれが、異様にゆっくり、アンスポールには見えた。

その鉄棒を誰かが掴んだ。そしてそれきり、鉄棒は微動だにしなくなった。

 

揺らぐ意識の中で、アンスポールはその光景を見上げていた。鉄棒を掴んでいるのは、どちらかといえば小柄な、ツインテールに髪を結んだ小娘である。だがその眼光は尋常ではなく、腰に履いている剣がこれ以上もなく似合っている。そして全身から発する異常な迫力と圧力。普段で有れば、絶対に逃げ出している事は間違いなかった。

その小娘が、降りおろされんとする鉄棒を掴み、微動だにしない。振り下ろした方は、どちらかといえば大柄な男なのにである。男は脂汗を流して吐き散らした。

「だ、誰だてめえはっ!」

「王国軍准将、クラナ=コアトルス」

「ひ、ひいっ! す、す、すいやせん! とんでもない失礼をっ!」

悲鳴が上がったのも無理はない。クラナといえば、アンスポールさえ知っている、王国最強の猛将である。鬼神が如き武勇と、下々の者をいたわる優しさの持ち主だとか言う話であるが、それ以上に全身からにじみ出す圧倒的な力を、アンスポールは感じていた。クラナは、ゆっくりと周囲を見回すと、思わず数歩下がった群衆へ言った。その眼光、正に切り刻むようで、全く尋常なものではない。

「こんな昼間からリンチとは感心しないな」

「へ、へ、そいつは有名な詐欺師でして。 みんな酷い目に遭わされてまして」

「……この者は、ジャクルフト教の神殿から出てきたようだが?」

クラナは視線だけで周囲を軽々と威圧しながら、更に言う。

「ジャクルフトは強大な力と、全てを照らす博愛の神。 それにすがろうとした者を放り出し、しかも皆で暴行を加えたのか?」

「そ、それは……その……」

「神がこの者を救わないというなら、私が力によって救ってやろう。 そしてその後、なおも悪事を働こうというなら」

演技たっぷりにクラナはアンスポールを見た。目が合い、アンスポールは全身が凍り付くような恐怖を、視線を介して叩き込まれていた。逆らったら殺される、逆らったら殺される、逆らったら絶対に殺される。圧倒的な恐怖がアンスポールの心臓を鷲づかみにし、心に鎖を巻き付けた。現実の世界を生きてきた者だからこそ、その恐怖が如何に実を伴ったものか、良く彼女は知っていた。

「私が責任を持って、この者の首を叩き落とし、お前達に引き渡す事を約束しよう」

その言葉を躊躇い無くクラナが実行する事を、アンスポールは悟っていた。痛み以上に恐怖で動けなくなった彼女を一瞥すると、クラナは周囲をもう一度見回した。

「そう言う事だ。 下がれ」

群衆は下がった。金では絶対に為し得ない事が、圧倒的な力によって実行されていた。クラナは振り返ると、側に控えていた者達を呼んだ。いずれも屈強な軍人や、厳格そうな文官ばかりで、それが躊躇い無く小娘に頭を下げている。しかも小娘の全身から発散される圧倒的な威圧感が、それを全く違和感ないものにしているのだ。

「大丈夫ですか?」

優しげな声がして、一同の中にいた、場違いな雰囲気の娘がアンスポールを助け起こした。屈託ないその微笑みと、優しげな雰囲気を感じ取ったアンスポールは、コワトの事を思いだし、その腕にすがりついていた。

「お、お願い……」

「え?」

「お願い、コワトを助けて! コワトを助けてくれたら、私何でもします! だから、だからコワトをっ!」

「ならば、私に仕えろ。 そうしたら、私に出来る限りの全力を尽くしてやろう」

アンスポールが顔を上げると、その頬を掴んで、クラナが無理矢理視線を合わせてきた。蒼白になりながら、アンスポールははいと答えた。

 

アンスポールの言う事など絶対に聞かなかった医者が、しかも正規の許可を得た立派な医者が、クラナが一言命令するだけで動いた。彼はコワトを診察し、しばし瞑目した後、言う。

「アント熱ですな」

「直るのか?」

「そ、そうですな。 病状は悪化していますが、致命的なものではありません。 二月も有れば全快すると思います」

「三度は聞かぬ。 直るのだな?」

蒼白になった医者は頷いた。クラナは顔を近づけると、一語一句を確かめるように言った。冷や汗を浮かべる医師の頭を彼女が掴んだ時、みしりと音がしたのは気のせいではない。

「ならば自らの言葉に責任を取れ。 この娘を死なせたら、お前も死ぬと心得よ。 この王国准将クラナに、二言はない」

俯いているアンスポールの前で、クラナは医師を静かにだが徹底的に恫喝した。アンスポールも診察し、手際よく添え木を巻いた後、頭を下げて退出する医師。その後ろ姿を見送ると、アンスポールはコワトに視線を戻して言った。

「……この子は、本当によい子なんです」

「貴方にとっての、光なんですね」

「……そんな所です」

優しい笑顔を浮かべている娘に、おずおずとアンスポールは言った。イオンと名乗ったこの娘は、どちらかといえばコワトと同じ人種に見えるが、アンスポールには分かっていた。自分と同じ種類の、理不尽な暴力と差別を受けて育ってきた人間だとも。

「私はテスカポリトカに戻る。 お前達は此処に残り、あの医師を監視しろ」

「はっ!」

「もし逃げたら容赦なく斬れ。 何かあったら、早馬で忌憚無く意見をよこすのだぞ」

斬れ、という対象に自身も含まれている事を敏感に悟り、アンスポールは首をすくめた。何もかも恐くなかったのに、今は違う。犯罪組織をコケにしても、貴族をバカにしても生き残れる自信があったのに、今は違う。このクラナという存在を怒らせて、生きていける自信がアンスポールにはなかった。

他の者は露骨にクラナに対して畏怖を覚えていたが、イオンと名乗った娘は、純粋に忠誠心を抱いていた。彼女は立ち上がると、軽く頭を下げた。

「私は暫く此処に残ります。 病人が心配ですから」

「そうか。 まあ、油断だけはするなよ」

別に言葉に威圧感を含ませるでもなく、クラナはそれを容認し、アンスポールの家を出ていった。圧倒的な力で、どうしてもアンスポールに出来なかった事を為し遂げてしまった、恐怖の存在が。人知れずため息をついたアンスポールは、ベットで寝息を立てているコワトに視線を移した。彼女の肩を、イオンが叩いた。

「クラナ様は、とても厳しい方です。 でも、きちんと正しい評価はしてくれます」

「……そう……」

「だから、頑張りましょう。 あの人は、頑張れば幸せだってくれる方ですから」

幸せ。それは何なんだろう。自分にとってそれが何かは分からない。しかし、コワトには来て欲しいものだ。その小さな体を包んで欲しいものだ。

コワトの額に浮かぶ汗を拭い、優しく撫でながら、アンスポールはそう思った。

医師による、必死の看病がものを言い、コワトの病気は嘘のように治った。ベットから体を起こしたコワトは、大まかな事情を聞くと、静かに俯いた。

「ごめんね、アンスポールさん」

「……ないで」

「え……?」

「もう、二度と心配かけないで!」

それだけ言うと、アンスポールは泣いた。生まれて初めて、他人の前で、大粒の涙をこぼした。

 

5,光当たる場所へ

 

「そうなんだ。 物凄く恐い人に厄介になったんですね」

「そう。 恐すぎて、ちびりそうだったわよ」

全快してから一月後。財産をまとめたアンスポールは、護衛兼監視役に付き添われながら、テスカポリトカに急いでいた。二人で引いているのは、財産を積んだ荷車である。荷車に積んでしまうと、今までせこせこアンスポールが貯め込んできた金なんて、大した量には思えなかった。

金銭を積み込む際、何の躊躇いもなく、アンスポールはコワトと一緒に作業をした。イオンは気を利かせて待っていてくれた。イオンが自分の考えてくれる事を察してくれるのは、似たような環境に生きてきたからに違いないと、アンスポールは悟っていた。

厳しく武装した騎兵四名、歩兵八名が護衛に付いている。逃げようにも無理だ。それに彼らはクラナ隊の紋章、翼有る緑の大蜥蜴の紋章を掲げている。彼らに喧嘩を売ろうとする馬鹿者は、少なくとも王国にはいない。

しばし静かに付いてきていたイオンだが、やがて二人の会話がとぎれると、自然に話に入り込んできた。

「コワトさんはまだ若いですから、適性試験を色々受けて貰う事になると思います。 アンスポールさんは、色々様子を見てから、帳簿をいじって貰う事になると思います」

「コワトは良いにしても、私をそんなポジションに置いていいわけ? 詐欺師だよ?」

「もうクラナ様の所では、生きるために奪う必要何てありませんから」

さらりと急所を突かれて、アンスポールは押し黙った。金を貯める事は確かに好きだが、スリや詐欺を好きでやっていたわけではないのである。正直な話、リスクを楽しむような趣味はないから、堅実な仕事をくれるというならそれに従うだけの事であった。

「イオンさん、あのさ」

「何ですか?」

「何であの人に、忠誠誓ってるの?」

「私に光をくれたからです。 私が光当たる場所を歩けるのは、あの人が助けてくれたからなんです。 確かに色々問題はある人です。 でも、あの人が、あの人に忠誠を誓う事が、私の全てです」

車輪が小石を踏んで、荷車が少し揺れた。アンスポールは、曇り無い笑顔を浮かべているイオンに、寂しく笑いかけた。

「コワトは、光を浴びることが出来るかな?」

「貴方だって、出来ます」

「……そう」

光を浴びる人生。全く想像も出来ないそれを目の前に示されても、アンスポールには実感がない。力尽くで其処へ引きずり出されたかも知れないが、よく分からなかった。

何にしても、コワトを助けてくれた恩人である事は事実なのである。今後何があっても、あの恐ろしい将軍に仕えていくのが、アンスポールの道だった。それが彼女なりの、恩義の返し方であった。

 

数年が経った頃には。アンスポールとコワトは、クラナ軍の中で頭角を充分に現していた。この二人は一般に、最も評判が悪い姉と、最も評判がよい妹、と言われた。バッドアンドベスト。そう陰口を叩かれはしたが、二人が有能な事を疑う者はいなかった。

まだ手足が伸びきっていなかったコワトは、剣の才能を見いだされ、クラナ軍一の勇者と呼ばれるインタールに師事し、見る間に力を伸ばしていった。ただ彼女の場合、実戦に出たのは帝国が降伏する寸前であり、戦場の勇者としてよりも、温かい人柄の人徳者として後世に良く知られた。実際誰にでも親身に接する彼女の優しさは多くの逸話を産み、後世にて多くの創作の主人公になった。

コワト、と名前で呼ばれた義妹と違い、アンスポールは誰にでもルングと名字で呼ばれた。名前で相手を呼ぶのは、親しい相手に対する敬意の表れであり、公式にはそれが普通になっている。それなのにアンスポールは、半ば公然と名字で呼ばれ、しかも本人はそれを全く気にしなかった。その態度が、周囲との摩擦を更に悪化させた。それほどに、アンスポールは周囲の評判が悪かったのだ。

元詐欺師。その経歴がもたらすインパクトは大きい。その上、金、金、金の守銭奴である。特に軍人は彼女を毛嫌いしていて、政治家達もそれとほぼ同じ傾向を示していた。

だが彼女は、クラナ軍にて数少ない、金銭とその重要性を熟知した経済官僚だったのである。最初に赴任した場所での、帳簿の間違いを洗い出したのをきっかけに、彼女はクラナ軍の台所事情を握るようになり、誰よりも早く的確に金銭を動かした。特に帝国本土攻略戦において、クラナ軍を始めとする王国軍が飢えなかったのは、ひとえに彼女のお陰である。また、商人達の性格を良く知るアンスポールは、南部の諸国にも睨みを利かせ、各地の商人との交渉にも当たり、武器や軍需物資の仕入を数割も安くした。これらの功績は地味だが大きく、頭が固い職業軍人達も、その有意性を認めざるを得なかった。そしてクラナもそれを大きく評価し、彼女に充分な給料を支給したのである。

経済官僚が素晴らしい功績を挙げている。それがますます名字で呼ぶやり方を固定させていった。クラナの評価が常に公平である事は、軍人達も嫌と言うほど悟っていたので、こういう陰湿なやり方で嫌がらせするしかなかったのだ。しかし本人は何処吹く風であった。そしてクラナの許可を得ていくらかの商売にも手を染め、儲けで俗悪なまでに屋敷を金ぴかに飾り立てたのである。

 

後の時代の英雄譚等で、特にコワトを主人公にしたものだと、アンスポールは兎に角嫌な人間として書かれる事が多い。守銭奴で、意地汚くて、最低な性格。其処までは、あながち間違いではない。だが完全に間違えている箇所もある。大概の作品では、アンスポールはコワトをいびり倒す鬼姉として描かれているのだが、この二人は実の姉妹よりもずっと仲が良くて、互いを信頼しあう間柄だったのである。

金ぴかな屋敷の戸を開けて、コワトがアンスポールと彼女の家に戻ってきた。連隊の指揮を任されている彼女は、もう小さな家を与えられているのだが、それは許可を得て部下達の宿舎にしてしまって、自分はアンスポールの家で暮らしていた。小さいけど立派な剣を腰につけて、颯爽と鎧を着た彼女は、若い女性兵士などからはあこがれの的である。格好良いと言うよりも可愛いのだが、そこがまた人気と魅力を引き立てている。

「アン姉さん、いま帰りました!」

「んー、きーてるわよー」

小首を傾げたコワトが階段を駆け上がり、頭を下げる執事やメイドにいちいち返礼し、廊下を抜けて幾つかめの戸を開けると、其処には予想通りの光景があった。

金ぴかの、何か動物の像。そして山と積まれた金貨。そして金貨を袋から開けて、それが机の上にこぼれる音を楽しむアンスポール。じゃらじゃら、じゃらじゃら、じゃらじゃら。金貨がぶつかり合って音を立てる。頬を膨らませ、コワトは言った。

「もう、悪趣味なんですから!」

「純金よ、これ。 いろんな方法で確かめたんだから」

「そーゆー問題じゃありません! もっとみんなと仲良くする工夫をしましょうよ!」

「いやーよぉ。 私は、あんたとお金があれば十分よ」

この姿をアンスポールが見せる相手はコワトだけ。それを承知で、コワトはいつも小言を言う。心底楽しそうに金貨を一枚一枚数え、丁寧に帳簿につけていくアンスポール。がみがみそれに文句を言うコワト。

二人は何処か、とても楽しそうだった。心の底から、笑う事が出来ていたのである。

確かに悪趣味だが、アンスポールはもう詐欺とは無縁で、合法的に稼いでいる。むしろ裏側から手を回して高利貸しの摘発などを行い、没収した資金を児童福祉への予算に回したりしているのだ。だがそう言った事を、彼女は一切言わなかった。むしろ、守銭奴と後ろ指さされる事を、楽しんでいた。金貨をすくい上げ、手の間からこぼして、机の上に黄金の滝を作りながら、アンスポールは言う。

「見てコワト。 光よ」

黄金の固まりは、陽光を反射し、確かに輝いていた。呆れながらも、コワトはそれを、温かく見守っていた。

 

(終)