転生の刻

 

序、再び宇宙へ

 

人類が宇宙開発を放棄。そして禍大百足が暴れ狂い。中帝にてその消滅が確認されてから、十年が経過した。

私は、アフリカの。

昔であったら、一人で絶対に歩けなかった国へ出向いて。丘から、緑の沃野と化した、以前は砂漠だった土地を見下ろす。

武装勢力が闊歩し。

貧民が互いに略奪し合い。

この世の地獄だったその場所は。今では、笑顔の民が、恐怖におののくこと無く生きる事が出来るようになっている。

警備の兵士も殆どいない。

一時期はGOAが駐屯していたのだが。

そのGOAも、南米や中央アジアなどの、いまだ紛争が残っている地域へと、出払ってしまっていた。

緑の沃野は、全てがスーパービーンズ。

幾ら収穫しても生えてきて。

栄養価は、人類がこれまで発見した全ての作物の中で最大。これだけで、あらゆる栄養を採取する事が出来。

そして何より、どう食べても美味しい。

踏もうが焼こうが、地面に食い込んだ地下茎は頑強で、農薬だろうが放射性廃棄物だろうがびくともせず、それでいながら他の植物は麻薬原料を除いて侵害しない。

それどころか、土地を非常に豊かにする効果すら持っている。

正に、夢の作物。

世界中のテロリストや武装勢力の仕事を奪った。

貧困を根絶した植物だ。

既に、スーパービーンズが世界にもたらした変革の大きさは、人類の全てが共有する所となっていた。

緑の野の中を歩く。

笑顔で行き交う人々が見えた。粗末だが、家はいずれも丁寧に手入れされていて、弾痕もない。

少し前までは、この辺りはテロリストと武装勢力が跋扈し。子供を誘拐してはチャイルドソルジャーに仕立て上げ。

世界中にテロを輸出していた、この世の地獄だった。

家々の軒先には百足をかたどった木像がぶら下げられていて。敬虔そうに祈りの言葉を捧げている人々の姿も目立つ。

私は。

彼らを見て、満足した。

私の母であり、造り主でもある存在。

ハーネット博士の行動は、間違っていなかったのだと。実感できるからだ。

都市に出る。

犯罪組織が根こそぎ駆除された都市は、一方で再建が中途な段階である。インフラの確保と、今の生活の維持。

天秤に掛けると、後者を選ぶ人が多いのだ。

急ピッチな発展は、もう望みようが無い。

高層ビルの建築も。

道路の舗装も。

著しく、昔に比べればゆっくりだ。

無茶をしてまで、働こうという人は、いないのである。何しろ、無理をしなくても、何処にでも食糧があるからだ。

気候も違う。

昔と違って、この辺りは灼熱地獄では無い。気象操作装置、スーパーウェザーコントローラーによって、根本から変えられた。

今では亜熱帯にかろうじて届くか、という所。

涼しい風さえ、感じる事が出来る。

人々は、死ぬまで働かなくて良くなった。金持ちはそれだけ、アドバンテージを失ったことになる。

貧民は、食糧のために、どんな仕事でも引き受ける。

それが、金持ちとの格差を更に広げていった要因だった。

だが、今は違う。

何しろ、飢えて死ぬことが無いのだから。

更に言えば、スーパービーンズには強力な免疫強化機能もある。ひどい労働の中で、三十にもなれば老婆のように老けてしまうのが当たり前だったこの辺りの女性は。今は皆健康的で。年相応の姿に見えていた。

私は、歩く。

グリーンブルーの髪はどうしても目立つから、帽子に押し込んでしまっているが。それでも容姿が人目を引くことを知っている。

私の中には、四人分の、この世界でも屈指の人間達の記憶と知識が詰まっている。だから私は。

精密には人間では無いのだけれど。

人間には、魅力的に見えるようだった。

町中に出ると、流石に復興が進んでいる。禍大百足によって、徹底的に蹂躙されたこの街は。

昔、世界で最も危険な街の一つとさえ言われていた。

信号で車を停めると強盗に襲われる。

サブマシンガンで武装した護衛がいても襲われる。

スーパーマーケットは重武装の警備員が守っても危ない。個人邸宅さえ、要塞のようにしていてもなお強盗が入る。

そういう、末法の権化のような街だったのだ。

今では、改善した治安と。もはや過去の話になった犯罪率もあって。むしろ、周囲から多くの人が集まる、穏やかな街となっている。

わずか、十年の出来事だ。如何に貧困と飢餓が人を狂わせるのか、見本のような光景だろう。

街の中央部には、倒壊した巨大なビル。

此方に到っては、生存時間十五秒とさえ言われた、文字通りこの世の悪夢とさえ言われたビルだったのだ。

ビルの残骸は殆ど片付けられているけれど。一部はモニュメントにされている。禍大百足に打ち倒された旧時代の悪夢の象徴として、信仰の対象にさえなっている様子だ。

寂れたビルの一つに入ると。

ようやく其処で、一安心。

罪を犯す意味がなくなったので、此処での治安は、それこそものを放置していても盗まれないレベルだ。

絶対的に人々を縛っていた金という価値観が。

既に、今では。

昔と違って、絶対者では無いのである。

無線を開くと、通話。

相手は、米国にいる、同士だ。

「此方ラスト」

「ラスト。 どう、無理はしていない?」

「平気だ。 周囲を見てまわったが、中東と同じだ。 昔とはまったく異なって、平和極まりない。 治安も安定している。 GOA部隊が撤退したというのも頷ける話だ」

「そうでしょうね。 それでも、万が一の可能性もある。 気を付けて帰っていらっしゃい」

通話を終えると。私はため息をつく。

相変わらずの子供扱い。こればっかりは、アーシィ姉さんの悪い癖だ。

禍大百足を降りて潜伏してから、アーシィ姉さんは、私達の母親のように振る舞うようになって。そして今では、禍大百足に乗らないで協力してくれていた結社メンバーをまとめて、活動を続けてくれている。

本当は、私がその立場になる筈だったらしいのだけれど。

共通の親でもあるハーネット博士の苦悩と苦労を間近で見ていたらしいアーシィ姉さんは。

私にそんな苦労をさせたくないらしかった。

宿を出ると、空港に。

次に向かうのは、東南アジアだ。

其処を抜けたら、一度米国に戻る。

結社は、今でも。

「組織的な」武装活動さえしていないとしても。

活動を続けている。

 

禍大百足が暴れる更に前の話。宇宙開発の凍結は、列強が始めると、他の国々にも伝播した。

直接的に、金にならない。

衛星は放置していても、長期間維持が可能。

研究が、目に見える形で、生活に還元されない。

それなのに、天文学的な金が掛かる。

宇宙開発の必要性を訴える科学者達の発言は、闇に葬られ。そして、ハーネット博士達は、行動を起こした。

その詳しい理由を、私はしっかり頭の中に叩き込まれている。

ハーネット博士達の目的は。

現在の、資本主義を基盤とした社会の強引な変革。

それについては、既に新国連が発表している資料の通りだ。だが、彼らは恐らく気付いていない。

飛行の中で、新聞をぼんやりと読みながら、記憶を反芻する。

ハーネット博士は。知っていたのだ。

現在の地球が、このままではもたなくなると。

人間の欲を、社会の発展にダイレクトに変換する仕組みでもある資本主義は。しかしその一方で、過剰すぎる競争と。何よりも、欲望の全面肯定による資源の莫大な浪費をも産む。

資源の枯渇は、二十一世紀初頭にさえ言われていたけれど。

実際問題、禍大百足が資本主義を基盤とした社会を破壊しなければ、この世界は既にサーキットバーストを起こして、全面核戦争を引き起こしていてもおかしくなかった。

そうなった場合、人類はどうなっただろう。

原始時代に戻っただろうか。

それだけではすまなかっただろう。

何しろ、発展の礎になる資源そのものが、徹底的に枯渇してしまったのだから。つまり、次は無かった。

そう言うことだったのだ。

人類の過剰競争による資源の枯渇。それによる壊滅的な世界レベルでの全面戦争。そして、貧困の極限化による、絶滅の到来。

それらを避けて。

地球を安定させるには。

資本主義を基盤とした社会の、強制的な改革が、急務だった。

そして今。

窓から外を見ると。

ついに建設が始まった軌道エレベーターが目に映る。まだ完成までには、後最低でも二十年、下手をすると三十年は掛かると言われているけれど。

既に素材強度はクリア。

赤道上に現在四つの軌道エレベーターが建造を予定されていて。

新国連が、その管理を行う事が決定している。

飛行機内にアナウンス。

今や名物となった、軌道エレベーターの建設風景が、解説された。

一瞥だけ。

私は結構世界を旅しているから、もう見慣れている。

各国では、停止されていた宇宙開発が再開されていて。新しい衛星や宇宙ステーションの建造。更には、スペースデブリの処理、スーパービーンズのさらなる改良研究など、人類は新しい時代に向けて進み始めている。

そして、その中で。

禍大百足の功績を口にすることは、タブーとなっていた。

新聞に視線を戻す。

ハーネット博士は、ヒトラーやスターリンと並ぶ、歴史的な大犯罪者として、名前が教科書に載るほどになっている。

今も、どこの国でも。

表だって、ハーネット博士の事を口にすることそのものが、白眼視される行為とされていた。

先進国では、その傾向が特に強い。

GOAも、ハーネット博士が基礎研究をした兵器なのに。

それを口にすることは、許されない事とされていた。

機内サービスが来たので、口にする。

流石にエコノミーだけあって、あまり味は良くないけれど。それでも、贅沢は言っていられない。

如何に飢餓が人類を圧迫する材料では無くなったと言っても。

食べ物を無駄にしてはならない。

それは、アーシィ姉さんから口を酸っぱくして、言われ続けた事だった。

一眠りする。

私は、色々体を調整されているから、睡眠時間とか生理反応とか、そういうものを完璧にコントロール出来る。

ちなみに成長もコントロール可能なのだけれど。

今の時点では、そのまま自然に任せて成長させている。

だから見かけの年齢は16歳。

ただ、周囲から見ると、随分と美貌に映るらしく。街を歩いていると、変なのが寄って来る事が多かった。

起きると、丁度乗り継ぎの空港に到着。

此処で五時間ほど待つことになるので。

その間に、街を見て回ることにする。観光では無い。この国も、禍大百足によって潰された国の一つだ。

東南アジア最悪の人口密度を誇り。毎年地獄のような水害で、貧しい土地に暮らす人々が苦しみ続けていた。

そんな土地も。

今は小高い丘に出てみると、変化が一目瞭然だ。

携帯を操作して、十二年前の画像を出して、比べてみる。

美しい緑の沃野に代わり。川の流れも落ち着いている。それが現在。

十二年前は、バラック以下の貧しい家々が、洪水にいつ襲われてもおかしくない、治水対策がまったく進んでいない川の周囲に無数に建ち並び。そして大地も、収奪農法にやられて、徹底的に荒野にされていた。

人々の顔を見ると、明るい。

街の中にも外にもある緑は、全てがスーパービーンズ。

画像を比べてみると、川の水の色もまったくというほど違う。現在は非常に透き通っていて。十二年前の、排水が好き放題に流されていたどぶ川とは、完全に別物と言って良いほどだ。

軽く、街を見て回る。

空港の周辺は流石にインフラが回復しているけれど。

やはり、住民の要望なのだろう。

スーパービーンズが繁茂した空き地が、街の彼方此方にある。

車はさほど多くも無く。

激しく行き交っている人々、というような事も無い。

過剰に働かなくても生きていける。

逆に、働かせるなら、相応の報酬を用意しなければならない。

世界はそう既に変わっている。

金持ちが好き勝手出来るのは、貧乏な人々の生死を握っていたからだ。今では、それもない。

世界は。

変えられたのだ。

自主的には絶対に変わることがなかっただろう。下手をすると、そのままサーキットバーストを起こして滅びるだけだっただろう世界は。

やはり、力によらないと、変わらなかった。

アーシィ姉さんに、状況を連絡。

「そう。 人々の表情は明るいのね」

「ああ。 治安も悪くない。 そもそも物取りをするメリットが無い、というのが原因だろうな」

「一部のサイコパスだけ取り締まれば、治安も問題無さそうね」

「……そうだな」

流石に、犯罪が全てなくなるとはいかないだろうけれど。

それでも、この街の様子を見る限り。

禍大百足に蹂躙される前と、今では。雲泥の差があるのは、明らかだった。

飛行機に乗り遅れないように、アーシィ姉さんに釘を刺されたので、五月蠅く言われる前にさっさと空港に戻る。

彼方此方見て回ったこともある。

時間も、もう丁度良かった。

さあ、戻ろう。

米国にある結社の本部では、やる事がいくらでもある。その中の幾つかに関しては。私で無ければ、どうにもならないことだ。

 

1、時代は移る

 

既に、コックピットは、自分の家も同じ。

亮にとって、GOAが何度世代交代しても、それに変わりは無い。

今も、同じ。

ブースターを吹かし、空を飛びながら。

体に良く馴染む機体だなと、亮は思っていた。

亮が今駆っているGOAXは、傑作機だったGOA401をベースにして、改良を加えに加えた、GOAシリーズの最新機種。第4世代GOAは、傑作だったために、様々な派生型が出て、新国連で最終的に七百機近くが生産されたベストセラーとなった。

戦車よりも遙かに高額なGOAシリーズが重宝されたのは、テロリストや武装勢力に対して、最強と言って良いほどに相性が良かったからだ。実際、どれだけテロリスト達がGOAへの対抗策を考えても、それらを真正面から打ち砕いてきて。事故による擱座を除けば、テロリストに撃破された機体は存在していない。

根本的な戦略は、GOAの第一世代から変わっていない。勿論、GOAXも、その系譜を色濃く継いでいる。

より固く。

より威圧感が与えられる。

それを考慮した漆黒の機体は。非常に厳つく、下から見上げると命を持った悪魔そのものだ。実際、あまりにも恐ろしい姿のため、乗ることを拒否するパイロットさえ存在すると、亮は聞いている。

しかしそのごつい姿と裏腹に。動かしてみると大変にスムーズで。今までの機体よりも、更に早い。

戦争に使う兵器では無くて。

治安維持のために存在する兵器。

制圧力はあくまでそこまで高くなく。

必要とされるのは、防御力と生存率。生存率は、戦う相手のものも含まれる。殺されず、そして出来るだけ殺さない。

それが実現できるのが、このGOA。そして、GOAXは、その最終形態とも呼べる機体なのだ。

根本戦略に、敵の戦意をそぐというものがあるのだから。恐ろしいのは当然。巨大な人型というのは、相手に威圧を与えるには、最高の姿の一つなのである。

「リョウ、どうかしら」

「順調。 これならば、僕がサポートAIのデータを集めなくても、すぐにでも他のパイロットが動かせると思う」

「そう」

コックピットでやりとりをしている相手は、蓮華である。

現在、GOA部隊の指揮を執っている蓮華は、既に大佐に昇進していて、亮の上司だけれども。

あまり、敬語や屈服は要求してこない。

亮が同期で、GOAのパイロットとしてはエース中のエースだから、かも知れない。

現在亮が飛んでいるのは、南米のティアル国上空。

南米の中では治安が最悪と言われる国で。

麻薬組織なども、まだ存在している。

現在、麻薬はもはや庶民が手を出せるものではない。最大の産地であった黄金の三角地帯が根こそぎ禍大百足にぶっ潰されたばかりか、様々な要因で値上がりが凄まじいから、である。

だが、それでも。

金持ちなどの中には、刹那の快楽を求めて、ドラッグにすがる者がいる。

そういった者達を相手にした麻薬組織は小規模にはなったが存在していて。そして、取り締まりには、主にGOAが用いられている。

治安維持に関しては。

もはや軽武装の軍部隊を繰り出して人命を損傷させるのでは無く。新国連のGOA部隊に任せてしまおうというのが、各国の共通見解となっていて。新国連には、五十機を一部隊として、十二個部隊が存在。予備機も含めると七百機ほどのGOAが、世界各国で治安維持に務めていた。

禍大百足が滅びてから十年。

未だに亮は、トップエースとして、新国連にいる。

新しい指示が来たので、その通りに動く。

スムーズに動く。問題は全く無い。

蓮華から、通信。

「順調ね」

「そろそろ上がる?」

「そうしてちょうだい」

頷くと、基地に向かって、GOAの機体を反転させる。

空中でのホバリング、向きを変える、いずれも恐ろしいほどに滑らか。そして、基地へと戻ると。

技師達が、わらわらと集まってきた。

技師長は、もう五年以上一緒にやっている男である。頭がはげ上がっていて、かなり太っているけれど。腕は確かだ。

「さすがはリョウだ。 良いデータを取れたよ」

「有り難う、ヨナサン。 すぐにサポートAIへのフィードバックを頼むよ」

「ああ、分かっている」

後は任せて、宿舎に。

キルロイド大佐の下にいたとき、一緒にいたパイロット達は、もう周囲にいない。みんな蓮華のように指揮官クラスに昇進したり、或いは退役した。

そんな中。

亮だけは、一人。

現役のパイロットして、今もエースを張り続けている。

時間がないから、あまりプライベートもない。十年前の禍大百足との最後の戦い以来。これといった強敵にも遭遇していないけれど。亮は治安維持の任務が嫌いじゃないし、そもそも戦闘にもあまり興味が無い。

だから、今の生活に、不満を感じてはいなかった。

シャワーを浴びて、ベッドに横になる。どうしてもその過程で。著しく欠損した性器を目にする事になる。

性器をごっそり抉り取った母親とは、会っていない。精神病院からたまに連絡は来るけれど。

既に完全に発狂していて、自分が誰かも分からないらしい、という事だけしか情報が来ない。

もっとも亮としても、知りたいとも思わないが。

ぼんやりしていると、通信。

中将に昇進した、キルロイド大佐からだ。今でも、つい気を抜くと、大佐と呼んでしまいそうになる。

10年も前から、大佐じゃ無いのに。

「どうだ、其方は」

「今の時点では、安定しています。 GOAは現地の武装勢力から、やはり悪魔と呼ばれていて、怖れられています」

「良い傾向だな」

「はい」

それで良いのだと、亮だって分かっている。

怖れられてなんぼの兵器がGOAだ。実際、制圧力は、戦闘機や攻撃機に比べると高くは無いのである。

あくまで、相手を生かしたまま捕らえる兵器なのだ。

そして、それだけでは。

紛争は鎮圧できない。

亮だって知っている。

貧困国で起きる泥沼の紛争の要因は、究極的には貧困と飢餓だ。民族的な対立などは、あくまで貧困の上に成り立つ。誰もが豊かな生活を享受しているような国では、国を揺るがすような反乱は起きない。

トチ狂ったテロリストが暴れる事はあるかも知れないが。

この国に、よその国で培養されたスーパービーンズを持ち込む話が現在出ている。これは、大統領自身の申し入れだ。

誰もが知っている。

スーパービーンズは、人口を抑制する。

二人以上の子供が生まれないように、人間に強制的に働きかけるのだ。

実際問題、この特性は表だっては口にはされないけれど、現在では周知の事実。スーパービーンズを生物兵器と罵る人間も少なくない。

生物兵器なのは、実際その通りだろうと亮も思う。

だが、それのおかげで。

根本的な貧困と飢餓から救われた人間は、あまりにも多いのが、実情でもあるのだ。

「スーパービーンズの散布計画は、進んでいるんですか?」

「今、新国連の方で調整中だ。 そもそも、米国がこの国に技術供与して、経済支援をすれば紛争は解決するという声もある」

「……」

亮には何となく分かる。

南米にどうして禍大百足が現れなかったのか。

それは、米国という、世界で最も豊かな国がすぐ側にあるからだ。

第一、スーパービーンズは既に世界中に輸出され、彼方此方で育てられてもいる。

ハーネット博士は知っていたのだろう。

ある程度定着すれば。

もはやそれ以上散布しなくても、自然に拡がると。

「とにかく、気だけは抜くな」

「はい。 分かっています」

「今度戻ったら、久しぶりに昔の仲間と一緒に飯でも食いに行こう。 お前もそろそろ嫁を見つけても良い年頃だ」

「そう、ですね」

通信を切る。

嫁か。

母親のことを思い出す。それに、この体の欠陥。

今まで、自分に好意を示してくれた女性は、いる。エースパイロットともなれば、相応にもてるのだ。

それは知っているのだけれど。

亮本人を知ると、さっと離れていく女性が圧倒的に多かった。

それが現実だ。

大体、亮自身も、女性にはあまり興味が無い。

男性にもない。

母親に、このような体にされた影響だろう。屈折していることは分かっているのだけれど。

嫌なものは、いやなのだ。

適当に眠る。

そして起きると。ミーティングルームに集まるようにと、指示が来ていた。

どうやら、武装勢力の殲滅作戦が開始されるらしい。

 

亮は、最新鋭のGOAXで出る。

この機体はまだ開発段階。もう九割出来ているとは言っても、それはあくまで開発中の試作機としては、である。

そして試作機が最強だという幻想は、亮の中にはない。GOAシリーズの試作機は全て亮がテストパイロットとして関わってきて、いずれも何かしらの問題があって。安定した量産機になって始めて力を発揮できるようになった過程を、見ているからだ。

初陣はまだ。

今回の戦いで、実際の性能と問題点の洗い出しが行われるのである。

密林に潜む武装勢力が、今回のターゲット。

昔のように、特殊部隊での鎮圧を行っていたら、どれだけ被害が出るか知れたものではなかったけれど。

GOAを使えば、その点は安心だ。

動員されるGOAは、401の発展型であるGOA405型が二十機。それに、GOA201Xが加わる。

405型は重装甲タイプで、飛行速度を削る代わりに、更に装甲と安定性に重きを置いている。

こういった、地の利を得ているゲリラ相手には、最高の戦力となる機体である。

至近での戦車砲にも耐えた実績があり、武装勢力の持っている火器程度ではびくともしない。

指揮を執るのは、亮では無くて少佐クラスのパイロットだけれど。

亮に関しては、出撃、行動のグリーンライトを与えられている。一緒に出撃はするが、作戦に関しては自由に判断して良い立場だ。

まず、現場の密林へ。

一応亮も、階級で言えば中佐だ。

新しく赴任してきたらしい小隊長の少佐は、亮がけむたくて仕方が無いらしいけれども。何しろ実績が実績だ。今の時点は、大人しくしていた。

先頭に立った亮が、突出して偵察を行う。

密林の中に、コカ畑を発見。

早速グレネードを叩き込んで、焼き払う。何カ所かでそうしているうちに、ロケットが飛んできた。

RPG7。

未だに現役の、世界中に配られているロケットランチャーからの砲撃だ。

敢えて、払うことも、避けることもしない。

直撃。

衝撃さえ、殆ど無い。

「グレネード弾、換装」

「換装します」

口に出すと、AIが勝手に動いてくれる。無力化ガス弾に切り替えるまで、0.7秒。そして、敵の射撃地点に、正確にうち込む。

密林を包むようにしてガスが拡がり。

それと同時に、密林の彼方此方から、迎撃のロケットが飛んできた。

GOA405部隊が密林に降下。制圧作戦を開始。地雷を踏んだのか、一機が爆発に包まれるけれど。

それも、煙が晴れると、まるで無傷だ。

「蹴散らせ!」

指揮官の少佐が吼えると、二十機のGOA405は、そのまま悪鬼のように暴れ狂い始める。

しかし、亮は見抜く。

これは恐らく、陽動。何かしらの罠が仕込まれている可能性が高い。

今や、世界中のテロリストにとって、GOAは最悪の敵だ。逆に言えば、もし撃破できれば、名をあげる好機になる。

もし撃破できる可能性があるとしたら。

核か、それに匹敵する火力。

だが、そんなもの、テロリストに用意できるはずが無い。ならば、どうするというのだろうか。

コカ畑を片っ端から焼き払いながら、注意深く周囲を確認。彼方此方で、GOA405が、発砲。敵を蹴散らしている。

それは、いい。

いいのだが、問題はその先だ。敵が何かをもくろんでいるとしたら、必ず食い止めておきたい。

「ベルハルト少佐」

「何ですか、エース殿。 今、良い所なのですが」

「罠の可能性が高いです。 少し自重を」

「ハッ、そんなもの、正面から喰い破るだけですよ」

まずい。

この奢り。いずれGOAにとって、大きな損失になる。無敵を誇る部隊が、何かしらの理由で壊滅するというのは、戦史上でよくあることだ。そして敗北は、多くの場合油断と奢りから生まれるのだ。

もし、何かあるとすれば。

周囲を見ていて、気付く。

接近している何かがある。あれは、航空機。

旅客機では無い。

セスナだけれど、かなり大きい。そして、さっと調べるが。この時間帯、飛んでいる飛行機など、ない。

まさか。

あれに搭載可能なだけ何かしらの強力な爆薬を積んでいた場合。もし、それが直撃したら。

少佐に警告を飛ばす。

流石に少佐も気付く。亮は無言で射撃開始。セスナに、精密射撃による穴が、次々と空き。

そして、爆裂した。

凄まじい爆発が、密林を燃え上がらせる。

火力が、尋常じゃ無い。

いや、違う。

森に、最初から、何かしらの燃料が撒かれていた、と見て良い。それも、GOA部隊が引き込まれていた辺りに、だ。

轟音と共に、火花が上がる。

火だるまになっているGOA405が、鬱陶しそうに火を払おうとするが、中々上手く行かない。

派手に炎上している有様は、中々に凄まじい。まるで、人型のたいまつだ。

パイロットがパニックになるとまずい。

冷静に呼びかける。

「その程度の火力では、GOAは傷つきません。 焦らずに、火が消えるのを待ってください」

「し、しかし」

「大丈夫。 距離次第では核にも耐え、あの禍大百足の一撃を受けても撃墜されない機体です。 機体を信じてください。 排熱機能も、その程度ならばオーバーヒートを起こすことはありません」

あくまで静かに。

そう呼びかけていく。

やがて、火が収まっていくと。

小破した機体が何機かいたけれど、それだけだった。

もし、慌てて誰かパイロットが外に出ていたら。恐らく、焼死していただろう。GOAの撃破記録、となったかも知れない。

密林に与えられた打撃は深刻だが、それは仕方が無い。専門家を呼んで、この辺りの密林の回復を、武装勢力駆除後に行ってもらうしかない。

「後は僕が引き受けます。 一旦戻って、機体の修復を」

「しかし、一機で大丈夫か」

「問題ありません」

勿論、実際には問題がある。しかし、敵の狙いが見えない以上、最高の手札を切っておいた方が良いだろう。

敵がそれを狙っていることも、考慮はしなければならないが。

一旦小隊が引き揚げるのを見送る。

あのダメージなら、装甲の換装で済む筈。そう時間は掛からないだろう。炎上した密林を見下ろしながら。

亮は敵の繰り出す可能性がある罠を、一つずつ、順番に考えて行く。

 

密林をしらみつぶしにしながら、飛行。途中見かけたコカ畑は、全てその場で焼き払った。

コカだけでは無く、大麻もある。

それも併せて焼き払っておく。

此方を、恨めしげに見上げている姿。だが、それは放置だ。他人の不幸をどうとも考えず、自分だけ良ければいい。

そんな風に考えるのが人間だと言う事は、分かっている。

だが、それでも。

亮は、この治安維持と言う仕事を選んだ。そして、今ではこの仕事に対して、強い誇りだって持っている。

「再出撃まで、あと十五分」

「分かりました。 準備が整い次第お願いいたします」

「了解」

立場的には直接的な上司では無いけれど。それくらいはやりとりもする。

燃料を確認。

まだまだ、充分に継戦能力はある。

機器類にも、異常は無い。もし仕掛けてくるとしたら。恐らくは、引き揚げようとするその瞬間だろう。

国そのものを牛耳り。刑務所を私物化し。暴虐の限りを尽くしていた時代ほどでは無いにしても。

現在も、麻薬組織のボスは、相応に金を持っている連中もいる。

昔とは流石に規模が違うが、それでもある程度の兵器を、軍からの横流しで入手しているケースもあるだろう。

爆装した最新鋭戦闘機や核搭載したICBMなどの、直接的にGOAを破壊できる兵器はないとしても。

どんな奇策を使ってくるか、分からない。

油断は、出来ない。

また一つ、コカ畑を発見。

現在までに収穫しているコカインの量から考えると、大した打撃ではないだろうけれども。

それでも、後の事を考えて、潰しておく。

グレネードの弾が尽きた。

そう見せて、一旦引き揚げるそぶりを見せる。さて、どうする。手札があるなら、仕掛けてこい。

その瞬間だった。

飛来したのは、投網である。

それも、GOAを包み込むほどの。

クレーンを使った、原始的な投石装置。だが、投げられた網の大きさと。広がり方が、尋常では無かった。

GOAXを包み込む網。

そして、一気に地上へと引きずり下ろされる。

そう見せる。

着地したGOAXの前に姿を見せるのは、トラック。それも、鉱山で活動するような、大型のものが、十数両。

冷静に亮は、網の材質を確認。この網は、恐らく。

軌道エレベーターに使われている、特殊カーボン繊維だ。GOAでも、簡単に打ち払うことは出来ないだろう。

何しろ大量生産されている素材だ。

大枚をはたけば、入手は不可能では無いだろう。

トラックも、この特殊カーボンを搭載している。そしてGOAXの周囲を回りながら、拘束しようと巻き付けてくる。

なるほど。

こうすることで、GOAを捕縛しようという訳か。

それだけじゃない。

姿を見せたのは、装甲車。

流石に戦車は入手できなかったのだろう。

網をかぶせられ。

周囲から縛り上げられたGOAXに対して、突進してくる。これで継戦能力を奪おうと言うわけだ。

では。

反撃開始させて貰う。

縛り上げられる前、ブースターを広げていた。つまり、飛行そのものは、出来ると言う事だ。

そしてGOAXのブースターは。この重い兵器を、時速百八十キロ以上で飛行させる事を可能とするほどのパワーを有しているのである。

網を被ったまま、上昇。

三台のトラックを、そのまま引きずりながら、高度を上げていく。トラックを慌てて飛び出す敵兵が見えた。

回転しながら、遠心力をつけ。

突進してきた装甲車に、トラックを叩き付けてやる。

横殴りに飛んできた10トンはあるトラックに、流石に装甲車もひとたまりもない。一台は横転してそのまま擱座。もう一台は慌てて下がろうとして失敗、丁度鼻先を抉られるようにしてトラックと激突。スピンした後、近くの岩に直撃して、炎上。そして爆発した。

腕を縛られていても。

網をかぶせられていても。

GOAはこれだけの底力を持っている。

宙ぶらりんになっているトラックの、ワイヤー巻き上げ機が壊れて、地面にトラックが三台とも落ちる。

そのトラックを踏みつぶしながら、GOAが大地に立つと。

流石に限界だったのだろう。

集まって来ていた武装勢力の兵士達が、わっと逃げ出すのが見えた。

それでも、RPG7から、ロケットをうち込んで来る兵士もいるけれど。そんなもの、有効打になるはずもない。

むしろ炎上することで。

カーボンが脆くなるだけだ。

十数発も直撃を受けた頃には。無理矢理力尽くでロープを引きちぎり。網を外したGOAXが。

炎の中から。

不死身の魔人のごとく、敵の前に姿を見せる。

完全に恐怖を叩き込まれた武装勢力の兵士達に、無力化ガス弾を叩き込む。その時、ようやく。

装甲を換装した、GOA405の小隊が、戻ってきていた。

 

武装勢力のボスはすぐに捕らえられた。

脇目もふらずに逃げ出した武装勢力の兵士達を熱源探査で追跡。基地を特定。周囲の地雷とトラップを強制的に排除。脱出用のヘリをアサルトライフルで射撃して消し飛ばし、地面に対しても、何度か上空に躍り上がってから蹴りを叩き込んだ。こうすることで、地下脱出通路を潰したのだ。

完全に逃げ道を塞いだ後、無力化グレネードを叩き込み。

要塞化されている本拠地を、ポールアックスで粉砕。

中にいた連中を全て無力化ガスで黙らせた後、特殊部隊が突入。全員を捕縛することに成功した。

大型輸送ヘリが来て、捕らえた武装勢力の兵士達と幹部を輸送して行く。

海上の裁判所兼拘置所で仕分けして。

これまた海上の刑務所に入れて、其処で罪を償って貰うのだ。

此処の武装組織は、現地住民の奴隷化、金に任せての自分に都合が悪い人間の暗殺、警官や兵士の死刑による殺戮など、余罪には事欠かない。ボスはほぼ間違いなく無期懲役で、一生海上の刑務所で強制労働だろう。それもかなり過酷な、である。

無期懲役は一生ただメシ食いができるなどという評価があるが、これは間違いだ。

一度亮は視察したことがあるが。神経を削られる地獄のような労働を、人権侵害にならないギリギリのラインで、徹底的にやらされ続ける。食事は意図的にまずくつくられており、しかも微妙に足りないようになっている。その上独房では、誰も会話する事が出来ず、娯楽も無い。人権屋が騒がない範疇で、徹底的に神経を痛めつけ。一生どうしようもない状況が続くように、計算しつくされているのだ。

死刑制度が廃止されてから、事実上の終身刑となった無期懲役には、こういう処置が執られるようになった。

更に、実質刑罰が数百年に達する場合。計算して、体感時間を引き延ばす薬を食事に混ぜられる。

案の定、発狂してしまう例も珍しくないそうである。

まあ、自業自得だろう。

特殊部隊による完全な掃討が終わった後、蓮華に連絡を入れる。

ここの敵が使った戦術は、危険だ。

経験が浅いパイロットが遭遇すると、それこそGOAが鹵獲される可能性もある。早々に対応を練った方が良いだろう。

「軌道エレベーター用の特殊カーボン繊維が横流しされているケースがあると」

「うん。 僕を襲った連中は、正にそれを使っていたよ。 冷静に対処すれば、GOA401でも充分にどうにでも出来るだろうけれど、対応マニュアルを整備した方が良いだろうね」

「分かったわ。 貴方の交戦記録を元に、すぐにマニュアルを配備して、各支部に届けさせる。 カーボン繊維切断用の特殊装備も必要になるでしょうね。 此方もすぐ手配するわ」

「頼むよ」

通信を切る。

ほぼ入れ替わりに、小隊長が、通信をいれてきた。

「貴方を侮っていました。 私だったら、同じ状況に遭遇したとき、此処まで冷静に対処できなかったでしょう」

「いえ、とにかく今回は運が良かっただけです。 以降も、連携して作業をして行きましょう」

「了解です」

相手の態度が柔らかくなったのは良かった。

GOAXの初陣は、これで終わった。

恐らく、GOAはこれで兵器としての到着点についただろう。後はコンセプトを維持したまま、更に次世代の兵器に移行していくことになる。

味方を死なせず。出来るだけ敵も殺さない。

次の兵器も、基本設計はともかく。GOAのコンセプトを引き継いでいくはずで。そうなればきっと。

前時代の戦争のような、仁義無き大量殺戮は、減るはずだ。

そう信じたい。

 

基地に戻ると。

亮の所に、メールが来ていた。それも電子メールでは無くて、紙の奴、である。今時珍しい。

念のため、手袋をつけて開く。

手紙そのものは、恐らく技術班が毒味をしてくれていると思うけれど。それでも念を入れるのだ。

こういう用心深さは。

GOAという存在が、禍大百足に匹敵するくらい恨まれている現状。当然、しなければならない措置だ。

勿論GOAパイロットのパーソナルデータは秘中の秘とされているけれど。どんな経路でばれるか、知れたものではないからだ。

宛先には、亮の名前が書いてる。

フルネームだ。

そうなると、これは。少なくともそれを知る程度の相手から、という事になる。覚えが無い。

学校でも居場所が無かったし。

人間として扱われたのは、キルロイド中将に拾われてからだ。

学校時代の人間達は、亮が今どこで何をしているかさえ知らないはずで。多分人生の底辺を這いずっているだろうとでも思い、陰口をたたいて嘲弄していることだろう。大半の人間が大喜びする、「自分より下の存在」。亮をそう設定して、以前同様嘲弄することで自分をえらいと錯覚し、悦に入っているのは間違いない。

そんな連中が、此処にわざわざ手紙を書くとも思えない。

中身を見る。

プリンタで印刷されたものらしい。

機械的な文字が覆っていた。

「GOAのトップエースである貴方に、一つ頼みたい事があります」

「そんな事、言われてもな」

「近々、宇宙開発が本格的に再開されます。 その時に備えて、本来のコンセプトである宇宙開発用のパワードスーツとしてのGOAのサポートAI開発も、貴方がやってくれると嬉しいのです」

「……!」

誰だ、この手紙の主は。

そもそも、GOAがハーネット博士が作った物だと言う事なんて、誰もが知っている事では無い。新国連の佐官以上の人間の中では周知の事実ではあるけれど、一般にはそれほど浸透していない筈だ。後で調べてはっきりさせたが。確かにGOAに関する論文は存在していて。ハーネット博士が、造り主だった。

デブリにも耐える、頑強でフレキシビリティに富むパワードスーツ。

搭乗者の生存性を強く守りつつ。

宇宙空間で、様々な作業が出来るように調整された、多目的パワードスーツ。それがGOAなのだ。

論文が発掘されたのは、最近。

米国が廃棄していたHDDに、そのデータが残されていた。どうやらNASA解体の際に、失われていた論文の一つらしい。

世間では悪魔だ何だと言われるGOAだが。

その根本は、宇宙開発。

だが、これを知っている人間なんて、そうはいないはずなのだ。

「人類は、迷妄の時代を経て、ようやく宇宙開発に戻ろうとしています。 貴方とは多くの衝突を繰り返しましたが。 それでも今こそ、新しい時代の輝かしい一歩を、踏み出してほしいものなのです」

「誰だよ……」

手紙の差出人を見る。

最後、とだけ書かれていた。

 

2、変わった世界

 

私は、ふらりと結社の本部に戻る。

とはいっても、大した規模では無い雑居ビルだ。ニューヨークの片隅にある、移り変わりが激しく、誰がいつ住んでいるかもよく分からないビル。それの、四階から六階にあるダミー会社。

其処が現在。

結社の生き残りが拠点としているビルなのだ。

私をはじめとする四人の強化クローンと。

禍大百足には乗らず、諜報、情報操作で、外で活動していたメンバー達。皆が集結して、この組織を作った。

殆どのメンバーは、元NASA職員だが。

少数ながら、後から入ってきた科学者もいる。いずれも、宇宙開発に対する冷遇で、辛酸を舐めたメンバーばかりである。

幸い、現在は。

軌道エレベーターの開発が始まり。

ようやく各国でも、宇宙開発に対する意欲が戻り始めている。

結社の目的は。

その流れを絶やさぬようにすること。

禍大百足が散布したスーパービーンズは、世界を変えた。膨大な数の人々が飢餓と貧困、そして人口爆発から救われ。

金持ちは、何をしても良いという時代は終わりを告げた。

発展途上国がそうなったことで。

先進国でも、同じように様々な面での改善が図られている。今まで発展途上国に押しつけていた作業の数々を、自分たちでやらなければならなくなったからだ。

ハーネット博士は。

資本主義そのものを、全否定したのでは無い。

彼女が否定したのは。

資本主義の理屈だけで動く世界だ。

暴力的な資本で、先進国の好き勝手に搾取され続けた発展途上国。先進国では当たり前に確保されている人権という概念(もっとも、施行されているかは話が別だが)さえ存在せず。

子供を売り飛ばして金にする連中や。

麻薬を売りさばいて自分だけ良ければ良いと考える屑たち。

そんな輩が大手を振って好き勝手をし。

弱い者は死ねば良いという理屈の元、地獄の貧困と飢餓の中、生きるしか無かった人々。それを、禍大百足は、確実に救った。

それが、現実だ。

今、結社がやる事は。その成果を潰させないようにすること。

そして、世界が資本と基盤に分離し。貧困と飢餓が消えて、人類が発展へより力を振り分けられる状況を、維持することだ。

宇宙開発は、ハーネット博士の悲願。

マーカー博士も、クラーク博士も。アキラ博士も、それは同じ。

記憶として直接悲願を受け継いでいる私は。

その願いを、潰させるわけにはいかないと、考えていた。

ビルの六階に。

四階は丸ごとマシン室になっていて、複数のスパコンが常時戦略策定について動いている。

五階は分析室。

スパコンにデータを投げ。受け取ったデータを分析する場所。

そして六階が、私達が直接住み。

情報などをまとめて、次の行動をどうするか、決定する場所なのだ。

表向きは、どうと言うことも無い普通のオフィスに入り。社長室と書かれている部屋に入ると、帽子を脱ぐ。

髪色が目立って仕方が無い。

しかし、髪を染める気にはなれないのも、また事実だった。

社長室のデスクには、アーシィ姉さんがついている。

アーシィ姉さんは、今や強化クローンのまとめ役。

皆に信頼される、頼りになる長だ。

「ただいま。 視察、ご苦労様」

「有意義だった。 やはり実際に自分の目で見てくると違うな」

「そう。 此方を見てくれるかしら」

書類を手渡される。

さっと目を通すけれど。どうやら、ユナ姉さんが、GOAのパイロットに、何か挑発的な手紙を送ったらしい。

ユナ姉さんは、二年前くらいから、ふらっと外に出ては、色々としてくる。組織にとって有益なこともしてくれるのだけれど。たまにこういった、意図が分からない行動も取る。恐らくは、だけれども。

ルナリエットさんと同様。運転の際に脳細胞を酷使しすぎて。強い狂気が、心の奥に住み着いてしまっているのだろう。

ユナ姉さんには、マルガリア姉さんがいつもついている。

最大の理解者として。

護衛としては非情に頼りになるし。狂気に落ちそうになるユナ姉さんをしっかり支えてもくれているようだから。

此方としては、何も言うことは無い。

「どう思う?」

「手紙の内容を見る限り、結社の存在をあの坊やが見つけ出すことはできないだろうし、気にすることはない」

「そうね。 貴方がそう言うのなら、ユナをしかることも無いでしょう」

「……」

一礼すると、部屋を出る。

偽装されたデスクを通って、自室のある奥に。上着を脱ぎ捨てると、ベッドで横になる。寝転がったまま、側にある端末を操作。

膨大なデータが流れてくる。

それをすべて。

その場で、丸暗記した。

瞬間記憶能力、と言う奴だ。しかも私は、基本的に記憶したことを、忘れることが無い。実際には呪いに近い能力で。便利な反面、あまり持っていて嬉しいとは思えない。忘れられないというのは、結構つらいことなのだ。

ぼんやりとしていると、ユナ姉さんが帰ってきたらしい。

上着を着直して、自室を出る。

ユナ姉さんと、マルガリア姉さんと目があったので、軽く黙礼。

ここ10年で、二人は大きく変わった。

ちみっこかったユナ姉さんは長身のモデル系美人になった。色白の肌と、メリハリのついた体型。

ルナリエット姉さんの補助をしていた頃とは、何もかもが正反対だ。

当時と違って活動的で、自分の手で戦う事も多いと言う。

戦闘能力も高いが、それが元から設定されていたものではない。後からトレーニングして、身につけた戦闘能力だ。

時々ふらりと出かけては。

米国の犯罪組織を、ゴミでも掃除するように片付けてくる。そして、痕跡さえ残さない。電子戦も得意で、監視カメラのログ一つ見逃さないからである。

死神と、裏業界では呼ばれているそうだ。

賞金も相当額が掛かっているそうだけれど。その顔写真さえ、現在も出回っていないし。仮に出回っても、返り討ちにされた暗殺者の死体が山になるだけだろう。

ハーネット博士も、必要な分しか殺さなかった。ユナ姉さんも同じで、必要な分しか殺さない。

ただし、駆除そのものは徹底的で、慈悲の欠片もない。この辺りは、蹂躙している国が降伏を打診してきたとき、シカトしたハーネット博士とも似ているかも知れない。

マルガリア姉さんは、ユナ姉さんと一緒に活動している。

此方は以前にも増して無口になった。見かけは以前と殆ど変わらず。浅黒い肌を、健康的に焼いた、筋肉質の女性である。

ただ淡々と、無茶なほどに強い。

時々ユナ姉さんと一緒に中堅から大手の犯罪組織を潰しに行ってきて、死体の山を作って来る。

戦闘能力に関しては。

恐らく、経験値の差で、私より上だろう。

ユナ姉さんとマルガリア姉さんが揃った場合、一日と無事で済む犯罪組織は無い。武装勢力だって、数日で沈黙するくらいなのだ。

他にも、結社の主要メンバーも含めて、電話会議をする。全員が揃う日は、あまり多く無いのである。

「米国の宇宙開発は順調だ。 NASAの再立ち上げも軌道に乗っている。 結社のメンバーにも声が掛かっている」

「あぶり出しでは無いだろうな」

「最大限の警戒はしている。 だが、今の時点で、再雇用された科学者達に監視がついているようなことは無い」

ユナ姉さんが断言。

ということは、それで間違いないのだろう。

ちなみに私の方でも、裏からCIAの動きは探っているけれど。特に結社のことを警戒はしていない様子だ。

「ロシアの様子は」

「宇宙開発を順調に進めている。 今年だけで、更に三つのシャトルを打ち上げる計画が追加された」

「良い傾向だ」

「後はそれらを下支えする発展途上国の食糧事情だが、スーパービーンズによる貧困と飢餓の克服は、現時点ではうまく動いている」

様々な意見が飛び交っている中。

私はそれらの全てを、頭に入れていた。

現在、各国で動いている結社メンバーは、合計五十名ほど。禍大百足を知らない世代もいるけれど。

その全員の細かいプロフィールと居場所、何処で何をしているかは、全て私の頭の中に入っていた。

「新国連は」

「GOAの新型を、宇宙適用する事を考え始めている様子だ。 軌道エレベーターが完成した後を見込んでいるらしい」

「ようやく、本来の用途に戻った、と言う所だな」

「ハーネット博士も、喜んでいるだろう」

草葉の陰で、と言う奴か。

アーシィ姉さんは何も言わないけれど。

きっと思うところも多いはず。

慎重論を口にすることが多かったアーシィ姉さんは。ハーネット博士と対立することが多かった。

最終的には上手く行っていたようだけれども。

それでも。何度も対立し、衝突する事はあったようだ。

「ラスト、貴方から報告は」

「アフリカ、中東、東南アジア。 見て回ってきているが、現時点では順調だな」

「そう。 今の時点で、人類は飢餓と人口爆発を克服できていると見て良さそうね」

「ああ……」

統計では、確かにそうなっている。

現在、人類の数は八十億で横ばい。

以前は爆発するように増えていた発展途上国の人間達は。スーパービーンズによる人口管理を完全に受け入れている。

子供が増えすぎないというリスクがあるが。

それも織り込み済みで、彼らは安全と平穏を選んだのだ。

SF作家なら、これをディストピアと呼んだかも知れないが。

弱肉強食が基本となる資本主義が良いのなら、先進国へ赴けば良い。

世界には選択肢が作られ。

そして弱者は、強者の理屈に屈しなくても良くなっている。抵抗運動には、武器も必要なくなっている。

働かない。

それで、対抗が出来る状況になっているのだ。

「それでは、解散とします。 以降も、結社の理想のために」

「理想のために」

テレビ会議が終わる。

おかしな話だ。

人類を宇宙進出させる。

ただそれだけなのに。どうして此処まで、色々と後押ししてやらなければならないのだろう。

 

部屋に戻ると、私は。

膨大な資料を、順番に見ていく。

いずれの情報も。

結社の活動には、必要不可欠だ。そして私は。ハーネット博士達がくれた記憶と知識をフル活用して。

今後のために生かそうと、考えている。

そもそも。二十世紀には、将来の物資枯渇と、文明の限界については、叫ばれていた。誰もが、分かっていたのだ。

いずれ人類は、地球を食い尽くす事が。

だが、人類は。

資本主義社会を過剰信奉するようになりはじめ。その結果、目先の利益だけに釣られるようになって行った。

宇宙開発の停止も、その一つ。

やがて人類は。

自分だけが良ければいいと。国家レベルで考えるのが、当たり前になっていった。

資本主義の暗黒がもたらした、サーキットバースト時代の到来。

列強ですら、そう。

国際協調のために作られた国連は無能な猿回しと化し。やがて、何もかもが、地球という星の全てを食い尽くす方向で動き始めていった。長期的なビジョンを持って動ける政治家はいなくなり。どこの国でさえも。無意味なまでの富国強兵作と、他国の足を引っ張ることだけを、考えるようになって行った。

手っ取り早く役に立つものだけがあればいい。

それ以外のものは何もいらない。

本当にエリートが考える事なのかと思うような近視眼的思考が、世界を覆っていき。宇宙開発は、手っ取り早く役立たないという理由で、どんどん予算を削られていった。

NASAの解体が、決定打となった。

ハーネット博士。マーカー博士。クラーク博士。アキラ博士。スポンサーのアーマット。この五人が最初の主要メンバーとなって。

人類の根本的な滅亡を食い止めるための動きを始めた。

まず、人類が、短期間では滅びないための仕組みを作り。

滅亡を回避して下地を作り上げた人類が、宇宙への進出を果たせるように、後押しをして良く。

結社の計画は。

その二つに、大きく集約されていた。

宇宙開発の過程で。

テラフォーミング用の切り札として作り上げられた作物、スーパービーンズの散布が、それをなしえると、ハーネット博士達が判断。

禍大百足での行動が開始され。

そして同じように。

宇宙開発の切り札となるとして考えられた管理システム。アレキサンドロスが、その最大の敵として立ちはだかったのは。

歴史の皮肉としか、言いようが無い。

結局人類は、史上最悪の管理システムを滅ぼすことには成功。そして今。文明の寿命を大幅に伸ばし。

余裕を作って、宇宙への進出を、本格的に始めようとしている。

結社はそれを後押ししていけば良い。

まだ、人間の政治家の中には。宇宙開発など止めて、目先の利益だけを考えるべきだと、声高に主張する阿呆がいる。

その手の輩は、目立ちすぎるようなら、私やユナ姉さんが消す。

各国では。

目先の利益だけ考えて、麻薬を売買したり。

ゲリラを率いて、自分で権益を独占しようとしている連中もいる。

それらも粛正の対象だ。

たまに、新国連のGOA部隊と、仕事が被る事もある。期せずして、共闘することがある。

だが、互いに干渉はしない。

同じく、ハーネット博士が未来のために造り出した存在だ。

だから。

今は共同して。

世界のガンを、取り除いていけば良いのである。

ふらりと、部屋を出る。

昔のハーネット博士が乗り移ったように働いているアーシィ姉さんに、軽く外に出てくることを告げると。

ふらりと、ニューヨークの街に出る。

新国連の本部近くに足を運んだのは、何となく。膨大なデータを頭に取り込んだから。夜風でも浴びてリラックスしたいと思ったのである。

夜の街は、相応に危険だけれど。

私ならば、特に問題は無い。

ふと。気付く。

偶然とはあるものだ。

前から歩いて来るのは、同僚らしい軍人と一緒の。あのエースパイロット。新国連のGOA部隊のエースオブエース、亮。

一瞬だけ、すれ違う。

此方は無視するつもりだったが。

向こうは、怪訝そうに、此方を見た。

「あれ、君は……」

「? 何か」

「いや、その。 知っている誰かと、雰囲気が似ていると思って」

「何だそれは、口説き文句か?」

鼻で笑って行こうとすると。

待ってくれと言われた。

少しばかりしつこい。

苛立ちながら振り返ると。此奴は。いきなり核心に踏み込んできた。

「君は、まさかハーネット博士の関係者か?」

俄に、にやにやしていた亮の周囲の軍人達が色めきだつ。彼らだって知っているのだろう。ハーネット博士の事くらいは。

私は、流石に苛立ちが募る。

何だ此奴は。

如何に世界最高のパイロット適性を持っているとは言え。どうしていきなり、そんな事に気付くのか。

「どうしてそう思う」

「雰囲気が似ているんだ。 最後に少しだけ話したし、僕自身は、ずっと禍大百足とやりあって、動きを見てきた。 声は多少電子音声で加工されていたけれど。 それでも、やはり似ていると思う」

「それで、私がハーネット博士の関係者だったら、どうする」

「話を、聞かせて欲しい。 どうして、あのような戦いが起きなければならなくて、そしてハーネット博士が死ななければならなかったのか」

軍人達が、既に完全に戦闘態勢に入っている。

亮自身は。パイロットとしては優秀でも、軍人としてはカスレベルと見て良いだろう。動きを見て、一目で分かった。

問題はその護衛達。

いずれ劣らぬ猛者揃いである。

多分海兵隊辺りの精鋭だろう。私でも、素手で出てきている今は、少しだけ相手にするには骨が折れる使い手達だ。

わずかな時間。

沈黙が流れる。

「危害を加えるつもりは無い。 僕自身は、ハーネット博士の行動に納得できないとしても、理解はしたい。 多くの人々を踏みにじったハーネット博士だけれども。 その結果、実際に世界が飢餓と貧困から解放された事だって、知っている。 タブー扱いされているけれど。 それも間違っていると思っている」

「それで?」

「理解だけでもしたいんだ。 お願い、できないだろうか」

「リョウ中佐! 何を言っている! 此奴がハーネットの関係者だったら、制圧するべきだろうが!」

隣にいた、屈強な黒人男性が叫ぶ。

テレビに出てくるような格闘家なんか、問題にもしないだろう使い手だ。筋肉の付き方や動きで、一目で分かる。

「黙っていてくれ、ジョナサン」

「だがな」

「相手を悪の組織の総帥なんて、安易に考えていると、きっとまた同じような悲劇が繰り返される。 誰かが、知っておかなければならないんだ。 僕の心残りは、最後までハーネット博士を逮捕できなかったこと。 あの人のことをしっかり知らないと、あの戦いそのものが無駄になる気がする。 あの戦いを無駄にしないためにも。 今だけでも、黙っていてくれないか」

此奴は、佐官にまで成長していると聞いている。

だからか。

周囲の護衛達も、躊躇を見せた。

人が流れていく中。

私は、しらけきった目で、相手を見ていた。

「場所を移すか」

 

3、終わりを抜けて

 

既に前線を離れて、中将になっているキルロイドの所に。亮からの報告書が上がって来ていた。

極秘扱いで、である。

信頼出来る相手以外には見せないで欲しい。

そう、亮は言っていた。

それだけ亮がキルロイドを信頼しているという事で。それに関しては、嬉しくもある。親という存在を知らない亮にとって、良き親でありたいと思う欲求は、どうしても、キルロイドにはあるのだから。

上昇志向が強いキルロイドだけれど。

長年不幸な生い立ちの亮に接してきて。今では、その親でありたいと考えている。まあ、養子縁組なんて事をする気には、なれないが。

松葉杖を突きながら、新国連の自分のオフィスに出向き。

高セキュリティでネットワークからも分離しているPCにて、電子ファイルを読んでいく。

なるほど。

確かに、他人には話す事が出来ない内容だ。

荒唐無稽と言うよりも。

そもそも、信頼出来る人間以外には、話してはいけないだろう。

ハーネット博士の残党がいるという噂は、キルロイドも聞いた事があった。時々、発展途上国の武装勢力や。先進国の大型犯罪組織が、謎の全滅を遂げる。

抗争によるものかと思われるのだが。対抗しているような犯罪組織も直後に皆殺しにされるため、死神と呼ばれて怖れられていると。

貧困と飢餓が世界から急速に失われている今。

犯罪組織は、居場所がなくなりつつある。

その駆除を誰がしているのかは、前から疑問ではあったのだけれど。

キルロイドはハーネット博士の残党がやっているのでは無いかと思っていて。亮のレポートは、それを裏付ける内容だった。

たまたま、遭遇する事が出来た。ハーネット博士の後継者。

彼女は全てを話してくれたわけでは無かったが。

それでも、結社の骨子については、話してくれた。

人類が宇宙進出するための、下地を作る。

それが、世界中に、スーパービーンズを散布した理由。そして、世界全土に、スーパービーンズを散布しなかった理由。

資本主義社会によって完全管理されている社会を打破するつもりはあったが。

資本主義社会そのものを絶滅させる気も無かった。

社会から貧困と飢餓を放逐するつもりはあったが。

社会から競争をなくすつもりも無かった。

貧困と飢餓が、人類を滅亡に向かわせることを、ハーネット博士達は危惧していた。かといって、スーパービーンズを世界全土に撒いたりすれば、それは恐らく、人類という生物の長期的な衰弱死を招く。

だから、世界の火種となっている場所に、貧困と飢餓をなくすための措置をした。

その骨子がスーパービーンズ。

火種を消すための暴力装置が、禍大百足。

そのもくろみは当たった。

現在、基礎体力を取り戻した人類は、宇宙進出を再開している。軌道エレベーターが完成した暁には、恐らくは本格的な宇宙進出が始まるだろう。

宇宙進出の際には、スーパービーンズは必要不可欠となる。テラフォーミングにも、これ以上適正がある植物は、キルロイドにも思いつかない。

あらゆる土地に適応し。

あらゆる汚染を除去し。

人間が必要とする栄養素を全て含み。

実も葉も茎も根も、その全てを食糧とすることが出来る。

なおかつ爆発的な繁殖力を持ちながら。土地を痩せさせることも無く。更に豊かにしていく。

収穫さえ必要ない。

その場で食べる事が出来るのだから。美味しい上に、食べかたを選ばない。人類が造り出した、究極の作物である。

何より、宇宙開発の最大の懸念である人口爆発を防ぎ。

免疫力を強化することによって、大半の病を防げる。

これは正に、究極の宇宙対応食糧だ。

レポートを見終わると、キルロイドは。

少しだけ悩んだ末に。

アンジェラに連絡。

幹部会議を開いて貰うように、打診した。

今では、GOA部隊の指揮を離れてはいるが。それでも、禍大百足との戦いで英雄となっているキルロイドの発言は、新国連内でも大きい。

すぐに会議が開かれる。

それも、最高幹部だけが参加する、身内だけのものだ。

亮には、声だけ掛けたけれど。参加は辞退したいと言われた。ニューヨークの街で偶然関係者と会って、それで話を聞くことが出来た、などというのは、リアリティを下げるから、だろう。

それにしても、である。

亮の勘の鋭さは知っていたが。

まさか、ハーネットの関係者と街で真正面から遭遇するとは。流石にキルロイドも、舌を巻くばかりである。

会議が始まる。

少しばかり老けたけれど、それでも美貌衰えないアンジェラが主導となって、キルロイドが持ち込んだデータを説明していく。

最初に口を開いたのは。

事務総長だった。

「俄には信じられんな……」

キルロイドも同感だ。

人類を宇宙進出させる。滅亡を回避させるために。その下支えとして、敢えて強硬手段に踏み切った。

それがハーネット博士の行動原理だというのは。

発展途上国を蹂躙し。

圧倒的な武力で、敵対者を蹴散らして回ったあの禍大百足の姿を覚えている人間としては、納得しがたい事であるだろう。

会議には、蓮華も参加している。

今度准将に昇進することが決まっている彼女は、最終的にGOAに関する一切を取り仕切ることになる。

パイロットとしては亮には勝てなかったけれど。

指揮官適性や、そのほかの全てが上回っていたのだ。順当な結果である。

現在は、昔ほどの血の気の多さも無く。

亮のことも、素直に認めているらしい。

その蓮華も。前は勝ち逃げされたと憤っていたけれど。明かされた真相を見ると。納得できたようだった。

「思えば、確かに思い当たる節があります。 元々戦闘に関しては素人のハーネット博士が、どうして彼処まで必死になって戦いを挑んだのか。 今になってみると、納得できる事は多いです」

「それにしても、この情報の出所はどこなのだ」

「話す事は出来ませんが、ほぼハーネット博士の関係者である事は間違いありません」

「いずれにしても、封印だな。 表には出せない情報だ」

事務総長が言うと、皆が黙り込む。

確かにその通りだ。

禍大百足による被害は、世界中にある。勿論奴がもたらしたスーパービーンズと、犯罪組織、武装勢力の強制排除によって、多くの貧民が救われたのも事実だ。だが奴の行動によって、先進国が大きな被害を受けているのも事実。

国際社会で、受け入れられることでは無い。

せっかく、国際社会で発言力を増した新国連だ。

前の国連のように、無能な事務総長が私物化したあげく、有名無実化するような愚は避けなければならない。

「かといって、もしも本当だとすると、我々としても無視できないな。 今後、協力態勢を構築できれば、より秩序の構築に貢献できるかも知れない」

「しかし、大きなリスクを伴います」

「そうだな……」

裏でベタベタに癒着するのは問題だろう。

だが。

無言の協力関係を作るくらいのことは、しても良いはずだ。そう、事務総長は言うのだった。

なるほど、確かにそれも良い。

実際問題、彼らによると思われる犯罪組織の処理は非常にスムーズで、関係者が舌を巻いているほどだ。

徹底的かつ鮮やか。

ある事例では、凶悪なことで知られていたマフィアを、一晩で八十人ほど殺して、その末端まで文字通り消滅させている。

その手際の凄まじさは、映画に出てくる透明な宇宙人のようだとさえ言われていた。

そして、話を聞く限り。

利害は一致する。

「だが、すぐには信用できないのも事実だ。 どれ、ハーネット博士の後継者と、どうにかして連絡を取って欲しい。 私が直接話そう」

「事務総長が、ですか」

「そうだ。 私も10年この地位について、そろそろ体力的に限界が近い。 次の世代に、この新国連を残す際に、大きな利益を確定させておきたい。 人類が宇宙進出することには、確かに大きな可能性があるし、その未来を造り出す事にもつながる。 例えダーティな手段を執ったとしても。 私としても、禍大百足がこの世界に大きなブレークスルーを起こしたことは、認めているんだよ」

反対意見は、出ない。

勿論、細心の注意を払うことが必要だろう。

だが、これは大きな一歩だ。

そして、この一歩は。

人類の未来に、つながる。

 

幸い。亮は街で接触したという、ラストという人物との連絡手段を確保してくれていた。念のために調べて見たのだけれど。ダミー企業を複雑に経由していて、しかも幾つか途中で転送を挟んでいる。

追うのは難しいだろう。

しかも使い捨ての番号だ。電子戦に関しては、相手は専門家中の専門家というべきなのだろう。

まず、キルロイドから連絡を取ってみる。

ラストという人物は、話には乗ってくれた。

「事務総長が、直接話したい、か」

「勿論、いきなり互いに信頼関係を構築できるとは此方とも考えていない。 だが、積極的では無いにしても、そもそも敵対関係にならずに、人類の発展に向けて動くと言う事は出来ると思うのだが」

「……虫が良い話だな」

「それはお互い様だ」

禍大百足は、例え人類にブレークスルーを起こしたとは言え。多くの人々を踏みにじった。

その中には、救うべき弱者だっていたし。

気付かないところで踏みつぶしていた弱者だって、少なくは無かっただろう。

だが。

今、世界からは、歴史上類を見ないほどに。飢餓と貧困が減少している。誰もが、無茶な労働などしなくても食べていける。

それが、どれだけ大きな事なのか。

だが、あまりにも禍大百足のやり方は、強引すぎた。その過程で流れた血も、また多かったのである。

「どうだ。 ハーネット博士が生きていたら、現状での協力を、むしろ歓迎すると考えられないか」

「……此方でも内部での対応がある。 しばししたら連絡する」

「頼むぞ」

連絡先としてのアドレスを伝える。

米国が動く前に、アドバンテージを握っておきたいと、事務総長は言っていた。もたついていると、CIA辺りが、新国連の動きを掴む可能性がある。

そうなると、色々と厄介だ。

出来るだけ急いで。

早急に、話にけりをつけた方が良い。

二日ほどして。

連絡が来る。

今度はラストとやらではない。アーシィという人物から、連絡があった。

しゃべり方も、ぶっきらぼうだったラストと違って、随分と理知的で、落ち着いていた。

「現在結社のリーダーをしているアーシィです。 貴方はキルロイド中将で間違いありませんか?」

「ああ」

合い言葉をかわして、互いを確認。

その後、順番に話を進めて行く。

結社と名乗ったハーネット博士の理想を受け継ぐ組織は、やはり人類の宇宙進出と。それに対する下地の整備を目的としているらしい。

そのため、人類にとって有害な武装勢力や犯罪組織を、独自の手段で駆除して回っているようだ。

そのほかにも。幾つかの資金源を持っていて。

様々な科学者ともコネがあると言う事だった。

勿論、具体的な数字や人名は出してこない。

「事務総長が、直接話をしたいと言っている」

「当然ですが、すぐには信用できません。 まずは、メンバー同士で会合を持ち、少しずつ話を詰めていきましょう」

「ああ、それが正しいな。 ただし、CIAが動いている。 あまり時間を掛けていられないのも事実だ」

少しアーシィとやらが考え込んだ後。

指名してくる。

新国連の要人である、アンジェラを連れてきて欲しいと。

現在アンジェラは、パワーエリートの一人として。新国連の資金源の一人としても。新国連にとってはなくてはならない人材になっている。

当然のことながら、非常にリスクが高い。

その代わり、結社のメンバーからも。実働部隊の一人である、ユナが出るという。聞いたことが無い名前だが、ユナが潰したという組織の名前を聞いて、キルロイドも驚かされる。

謎の壊滅を遂げた幾つかの犯罪組織が、その中にあったのだ。

ちなみに、実際に潰した人間しか知らない情報もあったので、信じざるを得なかった。

会合の約束を取り付ける。

上手く行くと。

新国連傘下に取り込む、までは行かないにしても。影での同盟関係、くらいにまでは持ち込めるかも知れない。

そうなれば、元々GOAを開発したハーネット博士の忘れ形見だ。

GOAの改良や。

それに世界秩序の戦略策定について、大きな力になる可能性もある。

アンジェラに連絡。

快く、申し出を受けてくれた。

護衛として、キルロイドと蓮華も出向く。足を悪くしているキルロイドと違い、蓮華はマーシャルアーツをはじめとする格闘戦技の達人だ。護衛としては、生半可な軍人よりもずっと強い。

とんとん拍子に話が進む。

上手く行きすぎるくらいだけれども。

禍大百足との戦いが、凄まじい泥沼ぶりを見せていたことを考えると。今度くらいは、これくらい上手く行っても、良いのかも知れなかった。

 

事務総長と、アーシィの会合が実現したのは。

亮とラストが偶然の邂逅を果たしてから、一月半後。かなりのハイペースだが、CIAが完全に嗅ぎつけてきていて、急がざるを得なかったのだ。

キルロイドは、亮と蓮華と一緒に、会合に立ち会う。

会合に使ったのは、小さなビルの一室。

既に廃棄されたもので。こんな所で会合が行われているなどとは、誰も思うことが内だろう。

実際に会ってみると、アーシィは非常に理知的な印象を受ける女性で、常に笑顔を浮かべている。

だが、何となくだが。

この笑顔の裏には、苦労が刻み込まれていると、キルロイドは思った。

着ている服も落ち着いたドレスだ。

その背後には、狂犬みたいな目つきをした、長身の女。此奴がユナだ。

姿さえ無く多数の犯罪組織をこの世から抹殺した、結社の処刑人。一目で分かるが、生半可な使い手じゃない。

武装した特殊部隊が奇襲しても、手に余るかも知れない。

事務総長と、アーシィが。長机を挟んで座る。

会合の時間は、あまり長くない。

長引くと、察知される可能性が高いからだ。

「まずは挨拶しておこう。 新国連事務総長、ブラッシェル=ガロンだ」

「結社代表、アーシィです」

「不幸ないきさつで、お互いに多くの血を流した。 君達の活動実績を見る限り、確かに人類の宇宙進出と、貧困と飢餓からの救済を目的としていることは分かる。 今後は、良き関係を構築したい」

「……」

複雑そうに。

アーシィは、笑顔を崩さないまま、一瞬だけ沈黙を作った。

この会合も。禍大百足が、そもそも講和が可能な下地を作らなければ、あり得ない事だったのだ。

順番に、話が進められていく。

現在、結社はハーネット博士が持っていた技術を、全て保全しているという。その中には、あの禍大百足に使われていたオーバーテクノロジー同然の、スーパーテクノロジーも多数含まれている。

これについて、部分的に提供しても良い、とアーシィは言う。

「ただし条件があります」

「ふむ、聞こう」

「あくまで宇宙開発を目的としている場合にのみ、です。 しかも軍事転用を確認した場合、即座に技術提供を停止します」

「気持ちは分からないでもないが、そもそも軍事に転用することで、技術が爆発的に発展するという事実もある。 君達が保全している技術を腐らせないためにも、もっと大胆な協力関係を構築できないだろうか」

現実的な事務総長の話だが。

アーシィは首を横に振る。

これはハーネット博士の願いであり。そして、宇宙に掛けたNASAの。禍大百足と一緒に散っていった科学者達の、祈りなのだと。

「人類が宇宙進出した後、一番懸念されるのは、技術だけ奇形的発達を果たした人類同士による、仁義無き殺し合いです。 それを防ぐためにも、我々としては、技術供出に慎重にならざるを得ません。 事実、禍大百足の凄まじい破壊力は、皆さんも目にしているはずです」

「確かにそうだが、技術の独占にも問題と限界がある。 現在、構築中の軌道エレベーターが完成した後、我々新国連は引き続き国際的組織として、宇宙の安全を担う事になるが、その時現状のGOAだけでは、治安維持が可能かは未知数だ」

「人類は変わらなければなりません。 今後、人類が宇宙に出ても、地球と同じ愚かな歴史を繰り返すというのであれば、それは最終的な破滅の規模が大きくなるだけ。 我々は、それを防ぐ目的を最終的に掲げています」

「いくら何でも、現時点では現実的では無い……」

事務総長とのやりとりは、あまり好意的に進んでいるように見えない。

だが。

何となく、キルロイドには分かった。

挙手して、発言権を貰う。

「あなた方が開発した兵器には、共通した特徴があった。 GOAにしても禍大百足にしてもそうだが、可能な限り人を殺さない、というのがそれだ。 その方向で、今後も技術を進歩させたいのか」

「そうです。 競争そのものは否定しませんが、敗者が即座に死につながるシステムは、今後も容認することは出来ません。 火力過剰の時代もこれで終わりにしたいのです」

「……ふむ」

即座に、全てを容認は出来ないと、事務総長は言う。

アーシィも、それは同感だと言った。

かといって、即座に決裂とはいかない。

少しずつ、現時点で協力できる案件を詰めていく。

挙手したのは、亮だ。

皆が注目する中。

亮の発言を見守った。

「GOAに乗っていて分かったのは、火力過剰なだけが、兵器に必要なことでは無いということです。 僕は何度もGOAの防御力に助けられた。 GOAの、無力化に特化した特性も。 敢えて相手の戦意を削ぐために巨大な人型にしている造形も。 僕にとっては、今ではとても大事なことに思えます」

「……ハーネット博士は、そもそもGOAを宇宙での作業用パワードスーツとして開発しました。 スペースデブリの直撃にも耐える仕様であるが故に、タフな作りになっています。 だからこそに。 あくまで殺すのでは無く守る事を主体にしているGOAの根本設計を勘違いせず、発展継承してくれたことは、嬉しく思っています」

「限定的には、わかり合えるんですね」

「ええ……」

そうだな。

亮。

お前は、そういう所があるから。今でもエースパイロットをしていられる。事務総長は、少しだけ考えた後。

時計を見た。

「今回の会合は此処までだ。 いずれ、更に具体的な協力についての話を詰めていきたいが、良いだろうか」

「ええ。 此方としては、人類の宇宙進出が問題なく果たされるのであれば、例え悪魔だろうと協力するつもりです」

「そうか。 それでは、我等は悪魔より悪辣では無い存在になることを心がけよう」

握手を交わす。

そして、ビルを出た。

小さな一歩だ。

だが、この一歩は。月に一歩をきざんだ、アポロの乗組員達に匹敵する、大きなものに思える。

GOAが更に普及すれば、人間が消耗品以下だった戦争が変わる。そして宇宙進出の際に、無駄に増える特性と。好戦的すぎる性質を抑えることが出来れば。

キルロイドは、亮に言う。

「どう思う。 未来に光はあると思うか」

「彼らと同調できるのなら」

「そうだな……」

蓮華はまだしばらく周囲を警戒していた。

彼らだけでは無い。CIAも相手にするかも知れないからだ。

今後、人類は岐路に立つ。

宇宙に進出すれば、地球では解決した貧困と飢餓が再燃する可能性もある。その時人類は、恐らく地獄のような殺し合いを続けながら、宇宙で規模が違う愚行を繰り広げることになるだろう。

そうさせてはならない。

宇宙に進出してまで、人類は愚かなままではいけないのだ。

人類を変えることが出来る。

今はその好機。

そして。その手段を持っている者達と協調できるのなら。或いは、未来は明るいのかも知れない。

「蓮華、お前に近々、俺の部隊の指揮を全て譲渡する。 お前が今後は、新国連の軍事部門を仕切れ」

「はい。 しかし、まだ私は……」

「お前の能力ならば、大丈夫だ。 それに、お前達のような優秀な若手がいれば、俺も安心して引退する事が出来そうだ」

星は、瞬いている。

空は闇が拡がっていて。

その中に、無数の光が、今はただ音もなく散らばっていた。

 

エピローグ・新しい姿

 

急ピッチで作られた軌道エレベーターが、完成するまで32年。

そして宇宙に進出した人類は、キャプチャした隕石や、月から切り出した資源を宇宙で加工し。

急速に宇宙コロニーを増やしていった。

軌道エレベーターによって、地上と宇宙は事実上つながり。万単位の人間が容易に行き来を可能とし。

宇宙コロニーも増え。

そして、火星のテラフォーミング事業も、着実に開始されていた。

地球の人口は、相変わらず八十億。

30年を経ても健在なスーパービーンズの沃野は、人々に平穏と安寧をもたらしている。一方で、資本主義の世界に行きたいと思う者達を止める者もいない。

飢餓と貧困は消え。

それでいながら競争も消えない。

人類の社会は。

ようやく、二律背反から解き放たれて。黄金の時代とはいわないまでにも、破滅を逃れていた。

軌道エレベーターの一つ。

オーストラリア近海の人工島に作られた、アムルタートの頂上部。

今、亮が最新鋭GOA、GOAXXにて警護している構造物は。巨大なドーナツ状の宇宙船で。

巨大な宇宙コロニーを兼ねている。

内部は回転による疑似引力が作られており。二万五千人が自給自足可能な巨大コロニーである。

これこそが、火星と地球を行き来する人類史初の定期船。

まだ、火星のテラフォーミングが始まったばかりなので、当面は火星軌道上で滞空することになるが。

それでも、火星のテラフォーミングが安定した暁には、希望者をおろし。そして地球との間を往復する、定期船となる予定の存在だ。

名は大百足。

不可思議な名前であるけれど。

この名前がついたのには理由があって。新国連のGOA部隊最高司令官である亮は、理由を知っていた。

結社からの供給技術が、この船には使われている。

あの禍大百足。

本来だったら、こうなるはずの存在だったのだ。

結社は、ハーネットという名前か。それとも、大百足か。どちらかの名前をつけることと。技術提供に条件をつけた。

そして新国連は、後者を選んだ。

ハーネット博士の名前は、今だ歴史に残る極悪大罪人として、教科書にさえ載っている。その名前を、人類の希望が乗る宇宙船に付けるわけには行かなかったのだ。

それに対して、禍大百足の名前は、軍関係者にしか知られていなかった。

だから、此方が選ばれたのである。

「総司令、間もなく牽引ロープが切られます」

「ああ……」

いよいよ、始まる。

軌道エレベーター頂点に係留されていた大百足が、解き放たれる。まず地球の周囲を回り、スイングバイを用いて加速。火星へと飛ぶ。

古き時代の宇宙船とは、推進力も違う。この大百足の速力であれば、およそ半年ほどで、火星に到着することが可能だ。

勿論将来的には、更に速度を上げる機体も出来るだろう。

だが。大百足の場合は、内部に二万を超える人間を収容し、更に行き来できるという点が大きい。

また、バイオハザードなどの予期せぬ事故に備えて、内部はブロック構造化されており。その全てのブロックで、自給自足が可能という、徹底的な造りだ。

現在は、殆どが研究者や科学者ばかりだけれども。

今後は一般人の希望者も乗せて、火星に向かう事が計画されている。

火星のテラフォーミングが上手く行くようなら、その後はエウロパやガニメデなどでも、同じような事業が行われ。

更には、月にも大規模コロニーが建造される予定だ。

宇宙で生活する技術は、急速に進みつつある。

飛来する隕石や彗星をキャプチャすることで資源枯渇は解決しつつある。そればかりか将来的には、アステロイドベルトから、隕石を地球に向けて射出し、キャプチャして資源化する案も出ているほどだ。

まだ、先の話だが。

ロープが切られた。

軌道上に、大百足が解き放たれる。

回転しながら、スイングバイの軌道に乗るべく、調整を開始。その護衛をしながら、GOA部隊は、デブリの監視に入る。

軌道エレベーターの建造が順調に進む中、宇宙に出たGOA部隊は、最初にデブリの排除から始めた。

今では、軌道上に散らばっていた多数のデブリは、大半が処理完了。

或いは再資源化し。

地球に落として大気との摩擦で処理し。

また、月に運んで、巨大コロニーの材料としても活用している。それに反比例して、宇宙ではコロニーの建設が開始。

流石に大百足ほどの巨大コロニーはまだ殆ど無いが。

それでも、軌道エレベーターの完成は。人類を滅亡から、どうにか救った様子だった。

亮は思う。

スイングバイを利用して、加速していく大百足を見ながら。

ひょっとして、今。

数十年遅れていた時代が、また動き出したのでは無いのかと。大百足を護衛してGOAで地球の見下ろしながら、思う。

数十年前は。

今見えている地球の姿は無く。

緑では無く赤茶けた大地が、何処までも拡がっていたのでは無いのかと。

やがて、地球から離れ始める大百足。

恐らく今頃、地球のテレビ番組では、歓喜の声が上がっているだろう。希望の新天地に向けて、宇宙船出航。

テラフォーミング事業、本格的に開始。

だけれどもあの大百足は。

三十年前、未来を放り捨てかけた人類にヤキを入れるために降臨した邪神の子供で。そして、その意思を継ぐ者。

それは、忘れてはならない。

少なくとも、亮は。

地上は、まだ楽園になっていない。

一部の地域では、まだ犯罪組織が跋扈し。貧困が存在し。武装勢力が好き勝手をしている。

地球全体は破滅を免れたけれど。

まだまだ、課題はたくさん残っている。

結社とは、まだ影で連携を続けているけれど。時々意見が対立することもある。その時、調整に走り回るのは、いつも亮だ。

もはや、デブリ地帯も抜けた大百足は。

火星に向け、加速しながら進んでいく。

後は、見守るだけだ。

「よし、ミッション完了。 皆、新天地に向かう新しき時代の神に向け、敬礼!」

「イエッサ!」

神という言葉に、小首をかしげた部下もいたようだったけれど。

それでも、皆が敬礼してくれた。

それでいい。

亮にとっては。邪神が、真なる神になる事が出来た。そんな、嬉しい光景だったのだから。

 

雨が降る墓地。

残念ながら、中継でしか、大百足の旅立ちを見る事が出来なかった。

私。黒い喪服を着たラストは。

今、墓の前にいる。

皆で作った、中に誰もいない墓。

ハーネット博士と。マーカー博士と。クラーク博士と。アキラ博士と。

それに、禍大百足に乗っていた、世界のために命を賭けて働いた、結社メンバー達の墓である。

花を添える。

廻りには、誰もいない。

関係者は、もう誰も生きてはいないのだ。

加齢をコントロール出来るように設計された私は。アーシィ姉さんやユナ姉さん、マルガリア姉さんが年老いていった後も。若いまま、結社をまとめ続けた。

そして、雨が降る空を見上げる。

此処は旧NASA跡地。

自分の親達が眠る墓としては、此処以外にふさわしい場所などは無いだろう。

「かあさん」

傘を差したまま。

曇った空を見上げて、呼びかける。

「今、やっと禍大百足が。 禍じゃない、本当の意味での神になった」

雨は降り続ける。

雲間から光が漏れるようなこともない。奇跡なんて起きない。だから、自分たちで、何でもやらなければならなかった。

神でさえ。

自分たちで、作らなければ、ならなかったのだ。

今はもう、結社は特殊研究集団とかしている。世界の紛争に関しては、新国連のGOA部隊で対処は十分。

犯罪組織は、何処もGOAが来ると聞くだけで逃げ散り。

武装勢力は、GOAの名を聞いただけで武器を捨てて降伏する有様だ。

絶対的恐怖。

それでいい。

GOAは、禍大百足と同じく。ハーネット博士達が作り上げた、もう一つの神。大百足が未来への神となったのだとすれば。その逆の側面。破壊を司る神となったものこそ、GOAだろう。

周囲には、アーシィ姉さんや、ユナ姉さん、マルガリア姉さんの墓もある。

みな、無理がたたって、数年前に亡くなった。

だけれども、その時には。

もう、結社の願いもかない。無茶な作戦で、人を殺す必要もなくなっていた。後は、宇宙開発に、影から助力し。

ハーネット博士達が残した研究を、発展継承させていくだけで良くなっていた。

私は、結局の所。

現在、人類とは言いがたいけれど。

少なくとも、人類の関係者の中では、最高の科学者となっている。宇宙に関する知識と技術で、私の右に出る者は無い。

だからこそに。

雨の中、私は立ち尽くしながら。

影に徹するつもりだ。

今後、人類が再び道を誤ったときに備えて。きっと何百年、いやもっと長い寿命の中で生きながら。

人類が誤った時、鉄槌を下す準備をしておかなければならない。

今は、新しい神である大百足が。人類を正しい方向へと導いている。地球も健全だ。

だけれども、人類が一番特化しているものこそ、悪知恵だ。法を破るときにこそ、人類は最も頭を使い。弱者を虐げるときにこそ、人類は最も楽しそうに笑う。

だから、私は。

プトレマイオスのように、人類を管理するような真似はせず。

影から見守らなければならない。

そして今。

此処の地下には。作り上げつつあるものがある。誰にも知らせず、ロボットだけを動かして。

恐らく、乗ることは無いと信じたい。

だが、その時が来たら。

「また来る、かあさん。 此処の地下にあるものを使う日が来ないことを、私は願うよ」

雨は、降り続けている。

ハーネット博士達の願いはかなった。

人類は、どうにか今は、未来に向けて動いている。

しかし、また人類が、ハーネット博士達の願いを踏みにじったとき。

私はこの地下にある、究極の邪神。禍大百足Uを動かし。

人類に鉄槌を加える。

雨は、止まない。

私は黙々と。

今自分が住んでいる、小さな研究所に向けて。歩き続けるのだった。

 

               (機兵邪神禍大百足、完)