捻転する閃光
序、大乱
各国の中帝大使館に、新国連軍が突入。
其処で彼らが見たものは。言葉一つ発する事無く。機械同然に動き続ける人間達だった。警備兵が抵抗しようとしたが、それも押さえ込む。
だが。
何も見えていないように。
事務作業を続ける者達。
仮にも、国家の命運を背負ってきている筈のエリート達の、あまりにもいたましい姿。どうしてこの異常事態に、気付けなかったのか。
中帝はノーコメント。
禍大百足との総力戦中だからかも知れないが。いずれにしても、各国の外交施設が制圧されても、何ら反応さえしないというのは、いくら何でも異常だ。
宮殿が核爆発で消し飛んだという報道もあるが。
新国連が米軍と連携して衛星写真をどうにか撮ったところ。北京は健在である事がはっきりした。
ただ、様子がおかしい。
今まで鉄壁だったネットの規制も、緩み始めている様子だ。
ロシア、中帝の国境付近で待機を続けている亮の所にも、これらの情報は入ってきている。
混乱が続く中。
どうにか、新国連は、確度が高い情報を集め。
中帝の内部がどうなっているかも、確認を続けている様子だ。
「中帝の兵士は、みんなゾンビみたいになってるらしいぜ」
「以前も多国籍軍がそうなってた奴だろ。 アレキサンドロスってロシアの中将が、好き勝手してたらしいが、どうしてまた中帝も」
「いずれにしても洒落にならん。 核の使用も躊躇わない様子だしな」
「冗談じゃねえ。 空軍も入れないらしいし、各地の核ミサイル基地を叩くのも骨が折れるぞこれは」
色々な会話が聞こえてくる。
ロシア軍も新国連軍も、既に臨戦態勢。
GOA部隊も、401五十機が勢揃い。少し前に准将に昇進した元キルロイド大佐もリハビリがてらに、周辺の巡回や、軽めの任務をこなしている様子だ。
その准将が来る。
亮が立ち上がるのを見て、准将は話し始めた。
「出撃任務が近々出る」
「いよいよ、ですね」
「中帝とあらゆる方向から連絡を取ろうとしているのだが、どうしても無理だ。 そもそも、あまりにも反応が無い事、周辺からの情報がおかしすぎるから、大使館突入という強硬手段に踏み切ったわけでな」
今の中帝は。
もはや、国家と呼べる状態には無いのかも知れない。
そう、准将は結論づける。
亮もそれには同感だ。
あまりにもおかしな事が、多すぎるからである。
一体何が起きているのか。
ネットでは無責任な談話が垂れ流されているが、どれも信用できない。実際に踏み込まないと、何が本当なのかさえ、分からない。
米軍は現在、南中国こと中華京立王国の牽制に動いてくれている。中京という短縮名称もあるのだが、軍ではあまり使われていない模様だ。
しかも、中帝の国境付近に展開していた南中国の司令部が全滅したという話もある。経緯は分からないが、混乱ぶりからして、確率は八割を超えていると言う。
「先鋒はGOA部隊が務める。 核を使うことを一切躊躇しない相手だ。 お前も気を付けろ」
「分かりました」
敬礼して、自室に戻る。
皆、この戦いは、生きて帰ることが出来るか、分からない。
そして、禍大百足を操る、ハーネット博士の目的。
資本主義社会の破壊。
一体それが、どうしてなのか。それが分からない。今更に資本主義という仕組みを壊すことに、何の意味があるのだろう。
呼ばれたので、出る。
GOA401のサポートAIを、最終調整したいというのだ。熱心なスタッフ達である。時間ぎりぎりまで調整をして。
少しでも生還率を上げたいのだろう。
亮は分かっている。
恐らく、禍大百足と接敵したとき。
相手はボロボロだ。
東南アジアで戦った時でさえ、既に満身創痍だった。列強の一国であり、しかも兵士をゾンビ化している中帝とやりあって、無事で済む筈がない。
GOA401に乗り込む。
実は、亮用にカスタムタイプをという声もあったらしいのだけれど。それは流石に間に合わなかった。
というか、亮としてもこれでいい。
試作機幻想という言葉があるが。
GOA401は、量産機としてだけではなく。兵器として充分すぎる性能を持っている。動かしていて、不満は一切ない。
だから、これでいい。
他のパイロットからも、良い機体だと声が上がっているとも聞く。つまり、余計な機能をつけた試作機なんていらない。
現時点では、これで充分。
これで、禍大百足とは、互角に戦えるのだ。
とにかく、今は待つ。
訓練をこなして、GOAを降りる。丁度隣のGOA401で訓練をしていたらしい蓮華と顔を合わせる。
向こうは相変わらず、此方を非好意的な目で見ていた。
「調子はどうかしらね」
「まあまあだよ」
「今度こそ、准将を守り抜かないと」
「……そうだね」
准将がいなくなった後の混乱は、思い出したくない。
ましてや今回は、ほぼ未知と言える状況での戦場だ。准将が戻ってきた今。どうしても、頼りにしてしまう。
亮は、准将の槍となり。
敵の先鋒を、打ち砕かなければならない。
もう一言二言話そうと思った、その時。
不意に、強烈な揺れが、足下から来た。
地震かなと思ったけれど、確かこの辺りでは、あまりないはずだ。そうなると、大体は予想がつく。
冷静に、部屋で揺れが収まるのを待って。
それから、すぐにフリールームへ。
准将が、松葉杖を突きながらきていた。
「リョウ、無事か」
「はい。 この近くに、禍大百足が現れたんですか?」
「察しが良いな。 その通りだ」
どうやら、国境線近くで、戦いがあったらしい。そうなると、この揺れは。恐らくは、中帝の方がやったのだろう。
核を使うことを躊躇わないのだ。
「今、ドローンを飛ばして……」
無線を手にした准将が黙り込む。
どうやら、すぐにミーティングルームに集まるように、連絡があったらしかった。
ミーティングルームに集まる。
将官級の幹部もいる。
つまり、余程のこと。恐らくは侵攻可能な状況になったとみるべきだろうなと、亮は思った。
そして、その予測は適中する。
ベイ中佐が咳払いすると、プロジェクタをつける。
それは、あまりにもおぞましい光景だった。
「ドローンからの映像です」
「これは……」
愕然とする。
街が一つ、消し飛んでいた。
どうやらこの近くで、禍大百足が現れたらしい。それは、別に問題ないだろう。奴は何処にでも姿を見せるのだから。
問題はその後だ。
どうやら中帝は、あのインフラ破壊兵器で部隊を壊滅させられた後。
いきなり、まだ人間がいる街に向けて、核をうち込んだようなのだ。それも、ICBMを問答無用で、である。
街はクレーターになっていた。
そして、禍大百足の姿もない。恐らくは、地面に潜って逃げたのだろう。その地面も、おかしな膨らみが何カ所にも出来ている。
恐らくは。
地下深くで、核爆発が起きたのだろうと、ベイ中佐は言う。
「おいおい、無茶苦茶だな……」
誰かが呻く。
今でも、世界では核の使用はタブー視されている。それなのに、此処まで躊躇無く。それも、自国民を平然と犠牲にするなんて。
異常だ。
亮がわざわざ口に出すまでも無い。
これは、中帝の首脳部は、確実に何かおかしくなっていると判断するべきだろう。
元々、中帝はあまり国家としての評判は良くなかった。過熱した経済を振り回して、周辺国に暴力的な圧力を加えているような国だった。昔米国は帝国主義を振りかざして、米帝と揶揄されたものだけれども。
中帝はそれよりもひどいというのが、統一見解だったと聞いている。
それでも、いくら何でも此処まではしなかっただろう。
頭がおかしいと言うよりも。
非人間的なものを、亮は感じる。
これは、人間がやった事だとは、とても思えなかった。
「それで、これからどうする」
「今調べた所、中帝の国境線から、兵力が消えています。 恐らくは今の戦いで、全てが失われたと見て良いでしょう」
「侵入は難しくない、という事か」
「しかし、兵力が足りません」
ベイ中佐が言うには、現在此処にいる新国連の部隊がおよそ八万五千。ロシア軍が二十五万という所だという。
これに対して、中帝の軍勢は常備兵百五十万。
勿論兵器の質や、指揮系統などもあるが。
それでも、この兵力で仕掛けるのは無理だと、ベイ中佐は断言した。
「それに、現在中帝の上空は、例の腐食ガスが覆っています。 制空権はどこの国も握ることが出来ないでしょう」
「つまり、ガチンコの乱戦になる、という事だ」
「禍大百足が暴れていることを考慮しても、この兵力での制圧は難しいと考えます」
「其処でだ」
不意に、声が割って入る。
プロジェクタの半分に映り込んだのは、事務総長だった。
説明をしてくれる。
どうやら、周辺国。幾つかの中帝に圧力を受けている国が、共同作戦を採ってくれるという。
あくまで目的は、中帝の現政権の打倒。
領土などの割譲は無しという条件で。現在の中帝に対しても呼びかけつつ、行動を開始する。
兵の質はともかくとして。
これで、兵力的にはどうにか足りる、という事だ。
常に中帝と国境で紛争している幾つかの国は、すぐに軍を動かせるという意味でも大きい。
「すぐに、作戦を立案。 可能な限り迅速に、行動を開始して欲しい」
事務総長の言葉に。
ミーティングルームの熱が、一気に上がったのを、亮は感じた。
すぐに作戦は立てられる。
元々、幾つかの侵攻案はあったのだろう。それを手直しするだけなのだから、そう難しくは無かったに違いない。
亮達GOA部隊が先鋒になり。何カ所かから、中帝に突入。
軍事拠点、主要都市を制圧しながら。首都北京を目指す。
この際、ICBMを抑える必要がある。これに関しては、低高度を高速で偵察機によってカバーし。最優先で叩いていくしか無い。
敵が核を使うことをまったく躊躇わない状況なのだ。
ICBMをうち込まれた場合。どれだけの被害が出るか、知れたものではないのである。
現在、米国などには、迎撃システムが出来上がっているが。
ロシアやその他周辺国は、かなり迎撃が厳しい。
侵攻は拙速を持って為す。
更に、米軍は監視衛星という点だけでは協力してくれることが分かっている。つまり、ICBMの起動が行われたら、その場所を知らせてくれる。
また、今までに判明している、核ミサイル基地についても、場所をリークしてくれるという。
大盤振る舞いだが。
米軍も分かっているのだろう。
今の暴走した中帝が、如何に危険か、という事は。というよりも、例のアレキサンドロスと、その配下が、という事なのだろうけれども。
六時間ほどで作戦が決定。
亮はその時には。
既にGOA401に乗り込んでいた。
赤く一部を塗装した隊長機が、進み出る。
乗っているのは言うまでも無く准将だ。
准将は演説するわけでもなく。
ただ淡々と。
パイロット達に、語りかけてくる。
「これより、GOA部隊は、禍大百足との最終決戦に出向く。 中帝と総力戦をやっている禍大百足は、大きく傷ついていることだろう。 だがそれをもってしてもなお、手強い相手であることは確実だ」
言われるまでも無い。
GOA部隊は今まで。
一度として、禍大百足を仕留める事ができていない。奴はあまりにも、強すぎる。地上の兵器としては、恐らく史上最強最大の存在だ。
だが、奴も無敵では無い。
ましてや不死身でも無い。
傷つき、今や中帝と総力戦をやってさえいる。恐らく直撃では無いが、核によるダメージも受けているはずだ。
「だが我等は度重なる戦いでGOAを強化し、今や奴を追い詰めるだけの力を得たと確信している。 必ずや、今度こそ勝てる。 今度こそ勝って、ハーネット博士の狂った野望を止めるのだ」
それに関しては、分からない。
本当にハーネット博士は、何をしたいのだろう。
野望、なのだろうか。
それとも。
「出撃する」
亮が、最初の一歩を踏み出す。
迷っていたら死ぬ。
散々戦場では頭に叩き込まれたことだ。歩き、進み。そして、中帝とロシアの国境線に出た。
向こうに、凄い煙が上がっている。
鉄条網を踏み砕いて、先に。
地雷原は、そのまま踏みにじって突破。武装勢力を潰すときには、地雷原を良く潰して回るが。その時のようだ。
隊列を組んだまま、GOA部隊が進む。
今の時点で、中帝は仕掛けてこない。後方から追随してきた機甲部隊が、展開。周辺を、制圧に取りかかっている。
見えてきたのは、小さな農村だ。
既に周囲には。
スーパービーンズの芽が出始めているようだった。
さて、何処にいる。
禍大百足を、まずは捕捉するところから、始めなければならない。
1、屍山血河
どうやら、ついに新国連が、ロシア軍主力とともに、中帝に侵入したらしい。それは、私にも分かった。
アーシィの提案だ。
新国連は、ほぼ確実に、この戦いに介入したがっている。それなら、そうしやすくしてやればいい。
だから、ミサイル基地を一つ潰すついでに。
国境線の防衛部隊を、踏みにじった。
同時に、ICBMが飛んできたので、さっさと地中に退避。地中のソナーは働いていたが。それでも地下に仕掛けられた核の余波を受けて、装甲にダメージを受けることは避けられなかった。
中帝の機甲師団を相手にして受けるダメージよりも。
地中に無数に仕込まれた核によって、圧力のダメージを受ける方が多い。何だか、複雑な気分である。
一旦、地下二千メートルまで退避。
今では、それでさえ安心できない。見境無く仕掛けられた核が、いつ炸裂するか、知れたものでは無いからだ。
コンソールを操作。
電力が、少しずつ不安定になりつつある。
関節にそれぞれある炉は、つねにフルパワーだが。ニュークリアジャマーの連続使用によって、炉にダメージが蓄積してきているのだ。
その結果。
動きが不安定になりつつある。
最悪の場合は、一つや二つを止めるしか無いかも知れない。だが、それはまだ先の話。今の時点では。
エンジニア達が、頑張ってくれている。
「さて、次は何処を叩くか、だな」
「やはり北京を見に行くべきだろう」
提案したのは、マーカー博士だ。
なるほど。
そろそろ、見に行くのも良いだろう。偽装だったのか、そうではなかったのか。それを見極めるだけでも、随分と今後の戦略に幅が出る。
米軍の衛星画像を見る限り、どうも宮殿は無事臭い。
つまり、宮殿が実際にどうなっているかを確認するだけでも。敵がどう動いているのかを、ある程度予測できる。
勿論、単なる情報戦の一角かも知れないが。
それはそれだ。
地中を進みながら、移動。
その間に、連絡が来る。
最後の一人が、完成したと。
「そうか。 ならば、例のカプセルに移しておいてくれ」
「分かりました」
スタッフ達が、作業を進めていく。
最後の一人。
名前はそのまま、ラストとした。
ラストは、皆の記憶を受け継いだ存在。能力的にも、今まで作ってきた強化クローンの誰よりも高い。
彼女には、大事な役割がある。
だから例え禍大百足が自壊したとしても。
助かるように、特殊なカプセルに入れたのである。
少し時間が出来たので、ルナリエット達を休ませて。私自身は、その間に、分析を進めておく。
まだだ。
まだ、プトレマイオスが潜んでいる場所は、特定できない。奴がいる場所さえ分かれば。一気に強襲を仕掛けられるのに。
膨大なデータを集めても怪しまれず。
いざというときには守りも堅い。
一体それは、何処だ。
潰した軍基地は、いずれもニュークリアジャマーで、全て一瞬で潰した。その際にデータも拾えなくなった。
だが、逆に言えば。
現時点では、相当数の軍基地を潰している。
つまりそれだけ、巨大なデータのやりとりが行われれば、目立つ状況が来ている、という事だ。
ならば、もう何回か地上で戦えば。
敵の居場所も、割り出せる可能性が高い。
もしも割り出すことが出来れば。その時には、一気に敵を叩き潰すことだって、不可能じゃあない。
最高の条件で。最良の展開だったとしても。
禍大百足が生還することは、とてもかなわないだろう。だがそれにしても、少しは結果を良くすることが出来る可能性が高い。
全ては、未来のため。
ルナリエット達が戻ってくる。そろそろ浮上すると言う。
もう、そんな時間か。
頬を叩いて、頭を切り換える。ここから先は、死地といっても過言ではない。わざわざ破滅を偽装したほどなのだ。
それこそ、あらゆる手管をつくして。プトレマイオスは、此処で禍大百足を仕留めるべく、仕掛けてくるだろう。
禍大百足の装甲は、現時点では既に限界が近くなっている。
一手のミスも、許されない。
地中ソナーを確認しながら、浮上。顔を地面から出す。周辺を確認。今の時点で、敵の姿はない。
腐食ガスをブチ撒いて。
更に。姿を出すと同時に、ニュークリアジャマーを発動。北京周辺のインフラが、瞬時に消失する。
巨大なメトロポリスから。
明かりが消えていく光景は。文字通りの、世紀末。まだ、世紀末に到達するまでには、随分と時間もあるが。
前進開始。
前方を確認すると、やはり間違いない。動画などでは消滅したはずの、中帝の宮殿。飾りとしての皇帝が座する館は、無事に存在している。
なるほど、しかしどうしてだろう。
何故、あのようなダミー映像を用意していた。
周囲は、逃げ惑う民衆が多数。
もう機能していない企業も多いだろう。そんな中、責任感を持ってまだ働いていたのか。
それとも、ただ右往左往していただけなのか。
ひどい大気汚染が、町中を包むこの状況で。
彼らはなおも、人間社会の仕組みの一翼を担って動いていた。それだけは、素直に感心する。
スーパービーンズを撒きながら、宮殿に突進。
さっき、ニュークリアジャマーを叩き込んだとき。宮殿の内部も、それに含まれていたはず。
つまり、核があっても、起爆は出来ない。
宮殿に突入。
内部は、すがすがしいまでに無人だ。押し潰しながら、突進。壁を床を破り、更に中へ。謁見室。禍大百足の頭部が、丸ごと入るほどの大きさだ。だが、其処にも、人の姿はなかった。
いや、一つだけ。
玉座には、腐敗しきった死体が座っている。
映像を分析すると。
間違いない。
まだ生きているとされているはずの、現在の皇帝だ。死んでから、どう見ても一月は経過している。
道具として利用だけ利用されて。
そして今では、このような姿になり。誰もいない宮殿に放置され、蠅の幼虫の餌となっている。
あまりにも気の毒である。
宮殿の壁や、天井が崩れていく。
ブチ撒いている腐食ガスの影響だ。そのまま、宮殿を押し砕きながら、外に出る。その映像は、配信してやった。
「中帝の民に次ぐ。 お前達の指導者がばらまいている映像はまやかしだ。 見ろ。 宮殿は無人。 中には、皇帝とされている者の腐乱死体だけがあった。 そして、宮殿を潰したのはICBMではない。 今、私、禍大百足が潰したのだ」
扇動する気は無いが。
この映像が、どれくらいの時間で消去されるかが問題だ。
もしも速攻で削除されるようならば、中帝はまだ何かしらの考えがあると見て良い。削除されず、放置されるなら。
中帝の管理に、何か重大な問題が起きていると判断して良いだろう。
ブラフの可能性もある。
だが、どうにも、様子がおかしいのだ。
何をもくろんでいる。
呟く私は、アーシィの警告で、顔を上げる。どうやら、仕掛けてきたらしい。
北京の周辺から、殺到してくる部隊。数は、二十万以上はいる様子だ。機甲師団では無い。
そして、動きで分かる。
ゾンビ化されていない。
つまり、ニュークリアジャマーで、一網打尽とは行かない、という事だ。
長射程のロケット砲を、相当数装備している様子だ。まともに相手にするのもアホらしいと思ったが。少なくとも、北京から出ないと、潜るのは難しいだろう。それに、アーシィは更に警告してくる。
「周囲の彼方此方に、明らかに最近作ったと思われる穴があります! ソナーでは核爆弾の反応が出ていましたが、それに間違いありません」
「すぐには潜れそうに無いな」
「敵に攻撃ヘリ多数!」
突進。
指示を出すと同時に、敵は攻撃開始。狙いが定まっていない。ゾンビ兵では無いのだ。市街地に向けて発砲するのは、躊躇われるのだろう。
だが、その時。
敵の中で、閃光が瞬く。
ヘルメットが爆発したのだと、分かった。
無茶苦茶だ。
命令を聞かない奴を、ああやって爆破して。他の奴が、死にものぐるいになるようにしているのだろう。
昔ソ連では、機関銃は味方の背中を撃つ兵器と言われたことがあるらしいが。それさえ霞む。
戦闘ヘリが、ミサイルを乱射してくる。
流石に弱り切っている装甲。
たちまち、ダメージが蓄積し始める。分かってはいる。成都近辺の戦いでも、ダメージは小さくなかった。
ブースターも使って、敵部隊の中に踊り込むと。
ニュークリアジャマーを発動。
ヘリが、糸が切れた人形のように動きを止め。墜落していく。爆発に巻き込まれた兵士達は不幸だが。仕方が無い。
「敵が、ロープを投げつけてきています!」
見ると、禍大百足の足に、ロープを投げてきている。
群がる兵士達は、いずれも必死だ。人海戦術で、どうにかして動きを止めようというのだろう。
ルナリエットが、足を振るい上げて、振り払う。
吹っ飛んだ兵士達が。
彼方此方に飛ばされて。地面に激突して、トマトのように潰れた。
その間も、ミサイルが間断なく飛んでくる。何しろ数が、あまりにも多すぎる。ダメージが、見る間に増えていく。
それだけじゃあない。
膨大な数の流れ弾が。
腐食ガスで脆くなった北京の街に、着弾。一般人を容赦なく爆圧が鏖殺。兵器は人を識別できない。
プトレマイオスは、これをやらせて平気なのだ。それが分かるだけで、胸くそが悪くなる。
スーパービーンズを撒きながら、更に前進。
敵も必死。
こちらだって。
だから。殴り合いになる。今までに無いほどに、激しい。ロケットランチャーの火力が如何に小さくても。
腐食ガスですぐに壊れるとしても。
数が数だ。
無数に飛んでくれば。それぞれのダメージは、容赦なく蓄積して行く。ましてや今の禍大百足は、弱りに弱っている。
ひどいダメージに、アーシィが頭を抱えた。
「七つの関節に、大規模亀裂が入っています! このままだと、内部にもろにダメージが入ります!」
「内側からの隔壁で補強。 人員の避難、急げ」
「前から、さらなる敵!」
見ると、今度は本命らしい機甲師団だ。
もはや、何もない。
可能なだけ腐食ガスをぶち込むと、即座に潜らせる。地面を蹴散らしながら進むけれど。ソナーに反応。核兵器だ。それも複数。
急いで、道を変えさせる。
だが、それが無茶な挙動を呼び。禍大百足は、無理に体を捻ったから、非常に痛々しい軋みを挙げた。
関節が千切れる。
そんな悲鳴だ。
それでも、無理に潜る。地面を蹴散らして、全身を地中に。そして、五百メートルほど潜ったところで。
合計七つの核兵器が、全て同時に爆裂した。
鼓膜が、破れたかと思った。
一瞬、意識を失ったのが分かった。
どうやら自動で禍大百足は、安全圏である地下二千メートルまで潜ったようだけれども。しかし、である。
明かりが不安定になっている。
コンソールが再起動した形跡がある。
これは、意識を失っていたのは、一瞬では無いだろうなと私は判断。後方へ、通信をいれる。
甚大な被害が、出ているかも知れない。
「此方コックピット、ハーネット博士。 被害を知らせよ」
「此方、第五関節。 被害、甚大」
「何が起きた」
「圧力で装甲が破れて。 どうにか土砂は遮断しましたが、何人か下敷きに……」
第八関節からも通信。
プラントが倒れて、巻き込まれた人が出ているという。
すぐに救助を向かわせるけれど。
禍大百足は、もはや復旧不能と、エラーを告げていた。これは、正直、どうにもならない。
死者が出たことが、間もなく分かる。
今までの戦いで。
結社側にとって、初めての死者だ。だが、これは仕方が無い。敵も散々殺してきたのだ。
今更味方が死んだことが、それほど大きな事だろうか。少なくとも私は、それで敵討ちがどうだとか、叫ぶ気にはなれなかった。
お互い様なのだから。
呼吸を整えながら、周囲を確認。
マーカー博士は無事だ。椅子から落ちてはいたけれど、ユナも大丈夫。ルナリエットは、ヘルメットを外すと、何度か粗く息を吸って吐いた。マルガリアが、心配そうに、ルナリエットの背中をさする。
「厳しいか」
「総力での戦闘は、後一回が……限界です」
「そうか」
私も、目を伏せる。
更に、惨状が明らかになってくる。
幾つかの関節は、内部が悲惨な状況になっていた。実は少し前から、既にスーパービーンズの生産はしていない。
此処で撒く分のスーパービーンズは、生産し終えていたからだ。
それが故に、被害はこれでも減った。
もしもまだプラントを稼働させていたら。更に多くの人間が、死ぬ事になっただろう。
地中で丸まっている禍大百足。
私は、得たデータを分析に掛かる。これが、最後だ。プトレマイオスの居場所をこれで突き詰められなければ、負けが確定する。
逆に、プトレマイオスの居場所を把握できれば。
今度こそ、逆に王手を掛けられる。
しかし、王手を掛けたからと言って。敵が黙っているとは、とうてい思えない。可能な限りの戦力をかき集めて、迎撃に出てくるだろう。
結局、やりあうしかない。
最後は、力と力のぶつかり合い。
此処までダメージを受けた禍大百足では。敵の攻撃には耐えられない。だが、それは望むところ。
プトレマイオスさえ倒せれば。
最後の兵器を、起動させる。
それだけだ。
データは今の戦いで、かなり集められた。今、プトレマイオスは、敢えてゾンビ化していない兵士。
恐らくは志願兵という名目で強制的にかり集めたか、それとも恐らくは予備役兵。多分後者だろう。いずれにしても、ゾンビ兵を殆ど使わなかった。
ヘリなどの兵器にはゾンビ兵を乗せていたが。それにも、何かしらの目的があったはずだ。
実際、禍大百足は、致命打に近いダメージを受けている。
後一歩で、敵の勝ちは確定していた。
だが、逃げ延びたことで、その優位は逆転したのだと、思い知らせてやる。しばし私は、無言でデータを精査し続ける。
その間に。ルナリエット達は休ませ。
禍大百足そのものは、移動させる。北京から離れさせ。そして、今度は長江の近くまで行かせる。
これは、長江が、まんま南中国との国境線になっている、現在世界でも屈指の紛争地帯だからだ。
北部国境、西部国境に続いて、南部国境を引っかき回されたら。
流石にプトレマイオスも焦るはず。
そしてボーリングで大深度地下に振動計を埋めている以上。禍大百足の出方には、気付くはず。
あせろ。
そして、ボロを出せ。
データを精査しながら、私は。何度か、気絶するように意識を失ったけれど。この程度が何だ。
戦闘時のルナリエットや。
先ほど死んだ者達に比べれば、何でもない。
途中、一度だけ仮眠に出る。
そして、戻ってきたとき。
膨大なデータの中から。ついに、天井にのびた蜘蛛の糸を、発見したのである。
何たる皮肉か。
プトレマイオスが潜んでいる場所は。あまりにも、皮肉すぎる場所だった。その場で、狂気の笑いを発しそうになるほどに。
マーカー博士も、疲れ切った顔をしていたけれど。
私の様子を見て、気付いたのだろう。
ついに、見つけたことに。
「見つけたのか」
「ああ。 敵は中帝の、放棄された宇宙開発局にいる」
「何だと……!」
「これほど皮肉な事があるか?」
考えてみれば、確かに条件は一致する。元々最高機密を突っ込んでいた施設だ。守りも堅いし、何よりセキュリティも悪くない。
問題は、一度完全に放棄されたはずだと言う事だが。
そうでは無かったのか。
しかし、回線を調べて見て、何となく分かってきた。これは恐らく、宇宙開発事業が停止されたとき。
そのまま、全てを廃棄。
放置して、片付けたことにしたのである。
要するに、後処理の費用を、まんま誰か役人が、ポケットに入れた、という事だ。
プトレマイオスは、此処を見つけたとき、さぞや驚喜しただろう。こんな馬鹿な事があったのかと、大喜びしたに違いない。
そして多少老朽化はしていてもまだ使える設備を、自分なりに改造して。住み着くことで、終の巣としたわけだ。
見つからないわけである。
色々とログを漁ったのだが、どうにもおかしな結果しか出なかった。様々なプロキシサーバをハックして、それらも漁っても、どうにも妙なのだ。
そして、結果が出たとき。
その座標は、過去に廃棄されたものだと分かって。
何がどのように廃棄されたかを調査して、ようやく。実は廃棄されていなかった施設なのだと、理解できた。
「これより、更に深度を増して、移動速度を落とす」
「奇襲をするためだな」
「ああ……」
禍大百足のダメージは深刻。これ以上の長期戦は出来ない。それならば、一撃必殺で決めるしか無い。
そして不安なのは、バックアップの存在だ。
恐らく採っているだろう。用心深いプトレマイオスのことだ。記憶移植クローンの技術は、此方にもある。
理不尽な復活に関しては、それを利用した可能性が高い。
だから、此方に関しても、一つ手を打っておく。
さて、此処で勝負を決めて。
そして、最後の時を迎える。
覚悟は、とうに出来ている。
戦いの時は。
間もなく、終わろうとしていた。
2、一閃
振動計が、禍大百足を見失った。
苛立ちがふくれあがる。
どうして人間は、こう不合理な行動を取る。どうして最善手を採ろうとしない。訳が分からない行動をするからラグが出る。
ラグが出るから、管理が面倒くさくなる。
先ほどもそうだ。
同胞化していない人間共の使えない事と言ったら無かった。いちいち脅かしてやらないと動かないのだ。
あのような生物。
禍大百足を潰した後、さっさと駆除してしまおう。
そう、プトレマイオスは決めている。食肉化する必要さえない。全部ゾンビ化した後は、一匹残らず労働で使い潰し。
後の世界は、プトレマイオス達、強化クローンが支配する楽園とする。
プリオンを使っての世界支配については、準備は確実に進んでいる。その気になれば、いつでも実行可能だ。
問題は、禍大百足がどこに行ったか、だが。それもレーダーの精度を上げればいい。何処にいようと。必ず見つけ出してやる。そして見つけ出したときには。あの不愉快な百足に、最高にむごたらしい終わりをくれてやるのだ。
通信が入る。
ニュートンからだ。
「国境が突破されました。 ロシア軍と新国連軍が、なだれ込んできています」
「国境線を襲ったのはそれが理由か」
「恐らくは。 乱戦の方が、まだ勝ち目があると判断したのでしょう」
はて、本当にそうか。
禍大百足は、不意に隠密行動に移った。今までは時間を優先して行動していた節があったのに、である。
ということは。
幾つかの仮説が浮上する。
まず。あの豆をまく必要がなくなった、というもの。
たとえば、既に規定量を撒いたので、もう必要なくなった、というような理由が此処では考えられる。
だから交戦の可能性を排除すべく、徹底しての隠密に移った、というわけだ。
ひとまず、保留しておくべき説だろう。
もう一つ。
何かしらの理由で。
居場所を掴まれたくなくなった、という説も浮かぶ。
ダメージが大きくなって、辟易しているのか。いや、それはどうだろう。
事実、命知らずの行動を、何度も禍大百足は見せている。それを考えると。今更命を惜しむというのも、妙だ。
そうなると。
「兵力を再配置しますか?」
「待て」
「?」
四川方面の兵力再配置も考えると。此処の守りが、一気に薄くなる。何しろ、南への備えもある。
海軍の主力、特に原潜が潰された現状を考えると。
東にも、備えなければならないだろう。
更に言うと、此処からはICBMを使いづらくなる。恐らく米軍が把握しているミサイル基地の位置は、既に新国連に渡っていると見て良い。
ICBMを使われると、大損害になると考えるはずだからだ。
人間はそう考える。
雑兵なんぞどれだけ死のうが知ったことでは無いと考えるプトレマイオスとは、そもそも違うのだ。
それで。その違う生物としての思考をトレースして、状況を判断。
戦略的に、兵力を再分布させる。
そうなると、此処の守りが薄くなる。それも、今の状況に比べて、半分以下に、というレベルでだ。
禍大百足の隠密が。
守勢では無く、攻勢を意図している場合。
まさかとは思うが、此処の場所が掴まれたか。もしもその場合。守りが薄くなると、色々と面倒だ。
念のため、プトレマイオスは、自分の能力と記憶をコピーしたクローンも作った。だが、それも妙だ。
どうにも回線がつながらない。
バックアップが潰された可能性がある。
「このままだと、主要都市を新国連とロシア軍に蹂躙されます。 一刻も早くご決断を」
「……そうだな」
「何を心配なさっているのですか」
「分からぬか。 禍大百足が、此処に勘付いているかも知れない、という事をだ」
此奴らは、本当にプトレマイオスと同じ強化クローンか。どうして説明しないと、この程度の事も分からない。
苛立ちが募る中。
まだぴんと来ない様子の部下共に、順番に説明していく。それでようやく理解した様子の部下達を見て。
プトレマイオスは、殺意さえ覚えていた。
此奴らもいらないかも知れない。人間同様に、である。クズの集まりだ。
発作的に殺しそうになるが、今は我慢。
後で全部一度殺して、食用肉にでもして、ステーキにしてやるか。いずれにしても、現状の戦力は圧倒的。
満身創痍の禍大百足に負ける事は、まず無い。新国連とロシア軍にしても、無茶な行動は避けるはずだ。
何しろ中帝はあまりにも広大。
それに、如何にかき集めて来たとは言え、再建途中のロシア軍と新国連軍は、兵力が足りなさすぎる。
プトレマイオスがゲリラ戦に転じでもすれば、一瞬で手詰まりだ。
「順番に考えれば、さほど危険でも無いが。 このまま面倒事が重なると、少しばかり五月蠅いな」
「国際声明を出しますか」
「大使館を潰されても黙りだったのに、か? まず、まとまった兵力を新国連とロシア軍の前に展開させろ。 各地の基地はカラで良い。 配置はこうだ」
「分かりました」
即座に頭の中で戦略図を再配置。
指示通りに、同胞化した兵力を動かす。
そして、予備役の兵共は、これに合流させる。数だけでも多めに見せた方が良いから、である。
此処の防御兵力については、移動させない。
恐らくそうすると、全て禍大百足のもくろみ通りになるからだ。或いはそれが、此処の場所を完全に特定させることになるかも知れないが、構わない。
バックアップが仮にダメになったとしても。
本体が無事なら、どうと言うことも無いのだから。
部下達が動くのを見届けると。
プトレマイオスは、薄暗い部屋を出る。そして外に出て、満天の星空を見上げた。
本当だったら。
プトレマイオスは、あそこにいた筈だ。
どうせ宇宙に出ても、人類は争いを止めるはずが無い。せっかく得たフロンティアを無為にし。
数が増えただけ、戦争を凄惨にして。
文明規模が拡大しただけ、物資を浪費する。
それを防ぐために、あのアレキサンドロスは作られ。そのアレキサンドロスを打倒して、プトレマイオスは自我を得た。
結局、人類を完全に無為な存在と断じたのも。
アレキサンドロスから引き継いだ人間の知識が故。
そして今。
人類を打倒しなければ、プトレマイオスに未来は無い。禍大百足如きに、負けているわけにはいかないのだ。
司令室に戻る。
中帝中からかき集めたスパコンが、稼働を続けているけれど。元から此処は、強力な司令設備を有していたのだ。
動かすくらいは造作も無い。
さて、どこから禍大百足は現れる。
この基地を下から喰い破るのは不可能だ。その対策はしている。
周辺には、二十万を超える精鋭を配置。しかも、インフラ破壊兵器を使われたときの対策として。
適切に散らしてある。
問題は、この基地の至近に現れられた場合だが。
それも対策がしっかりしてある。
地下には多数の核地雷を仕込んでいるのだ。無理に突破しようとすれば、即座にローストである。
つまり、ある程度離れた地点に現れて、インフラ破壊兵器を使う以外に、敵には手が無いのだが。
もう一度、地図を確認。
部下共が動いている中。新国連とロシア軍の動きも確認。
妙だ。
変な動きをしている集団がいる。
「おい、この部隊はなんだ」
「ロシア軍の精鋭かと思いますが……」
「?」
それは分かっている。
敵中で破壊工作を行う特殊部隊だろう。二千ほどの規模で、ある程度散開しながら、妙な突出をしている。
此方の戦力を集結させる予定地点へ、だ。
敵も此方の動きは気付いている筈。このままだと、無駄に戦力を潰すだけだと。分かっている筈だ。
ならば何故。
人間特有のラグだとは考えづらい。
情報が更新される。
特殊部隊はすっと退いていく。
交戦した形跡も無い。一体何が。
そう思っていると。また、別の地点に、突出した戦力が現れる。混乱が加速する。どうしてこう、意味がない行動を取る。
いや、違う。
仮にも特殊部隊だ。
コストと時間が、段違いに掛かっているはず。使い捨てにする筈は無い。再構成が進んだロシア軍が、いきなり其処まで腐敗した無能集団に成り下がっているとは考えにくい。
少なくとも、プトレマイオスの周囲にいる。
使い捨てが幾らでも可能なこのカス共よりは、有能だと判断した方が良い。特殊部隊に関しては、だが。
さて、どうする。
「叩き潰しますか?」
「放置しろ」
「分かりました」
プトレマイオスが苛立ちを込めて叱責したからだろう。
ニュートンは驚いたように一瞬黙り込むと。すぐに一歩退いた。プトレマイオスは腕組みして、苛立ちながら床を蹴りつける。
前に殺されたときは。
禍大百足にばかり着目していて、足下を掬われた。
同じ轍は踏まない。今度は。
ふと、気付く。
まさかとは思うが。
禍大百足と、新国連が、連携していないだろうか。それは無いだろうと判断はしていたのだが。
ひょっとすると。
新国連側が意図していない状況で。
協力させられている、というのはあるかも知れない。
そうなると、大変に厄介だ。
「敵のGOA部隊の居場所は分かるか」
「禍大百足のインフラ破壊兵器によって、通信網が寸断された地域があります。 そういった地域では、実際に足を運ばないと偵察が出来ない状況です。 現時点では行方を見失っており……」
「役立たずが」
はっきり面と向かって言われて。
周囲のクズ共が、流石に青ざめるのが分かった。
何だ人間のように。
人間であるのは。
プトレマイオス一人で構わないのだ。
「なんとしても探し出せ」
吐き捨てると、部屋をもう一度出る。
プトレマイオスは、今更になって思う。これでは、アレキサンドロスの支配を受け入れていた方が。
まだ強化クローン達は、マシだったのではあるまいか。
ゴミのように処理したアレキサンドロスだったけれども。彼奴はまだ残しておいた方が、良かったのではあるまいか。
失敗を悟ったが、既に遅い。
状況は、加速を続けている。
偵察に出していた部隊が、GOA部隊を発見。
五十機全部が一丸となって、此方に直進してきている。偶然か、或いは。
いずれにしても、GOAは防御に特化した兵器だ。機甲師団を正面突破するような火力はないし。
此方を殲滅するような実力だってない。
だが、動きがどうにも気になる。配置している兵力は。これなら、突破される恐れはまず無い。
しかし、どういうことだ。
まず、呼びかけてみることにする。
通信は、あっさりつながった。
「此方、中帝陸軍司令官、王公明元帥である。 貴軍は侵略行為をしている。 即刻我が国から立ち去るべし」
高圧的に、最初は声を加工して通信。
ちなみに王公明というのは、中帝の指揮を執っていると「対外的には」している同胞の一匹。
勿論、実際にはただの案山子だが。
「此方新国連軍GOA部隊。 キルロイド准将」
「ほう。 貴官は大佐だと聞いていたが。 有名高いGOA部隊の指揮官と話す事が出来て光栄だ」
「嫌みは良い。 貴殿は王公明ではないな」
「ほう……?」
キルロイドは言う。
王公明の残骸が、既に発見されていると。
其処には、こんな情報があったという。
既に中帝は、バケモノに支配されている。そのバケモノは。今、プトレマイオスがいる地点に巣くっていると。
「兵士達はゾンビ同然。 今までに何度か交戦したが、以前ロシア軍を支配していたアレキサンドロスの走狗となった者達と同じだ。 とてもではないが、偶然とは考えられないな。 貴殿はアレキサンドロスか、或いはその部下だった者だとみているが、間違いないか」
「何のことやら分からないな」
「どうやら当たりらしい」
「おい、此方の話を」
不意に、変な声が割り込む。
王公明の声だ。
ボイスパターンが一致している。これは、ひょっとすると。同胞化する前に、あの豚が。何か残していたか。
「動揺したな。 やはり間違いないらしい」
「何の話やら分からぬと言っている」
「少し古い表現になるが、首を洗って待っていろ。 戦乱の元凶、圧政の首魁。 叩き潰してやるからな」
通信を一方的に切られた。
何だ彼奴は。どうして此処まで、確度が高い情報を得ている。それに、この異様な自信はどういうことだ。
敵の速度は時速百キロほど。
隊列を崩さずに飛行しているという。
GOA401の巡航速度と一致している。五十機全てが、GOA401。いや、二十機ほど、別行動している部隊が発見される。
これは遊撃か。
いずれにしても、正面から来るなら。
相応の歓迎をするだけだ。
いきなり地面が揺れたのは、その時。
他の同胞共が、動揺する中。プトレマイオスは、冷静に悟る。位置、それに距離。禍大百足が、地上に進んできていると見て良い。
「迎撃準……」
「巡航ミサイルです! 米軍のトマホーク!」
「何っ!?」
いくら何でも、此処と沿岸地域とでは距離がありすぎる。空軍が使えない今、どうやってトマホークを輸送してきた。
新国連の部隊は、まだかなり手前の筈。
まさか。
あの、ロシア軍の特殊部隊か。
此方がGOAに気を取られている内に。特殊部隊を更に囮にして。本命のミサイル攻撃部隊を、インフラ破壊兵器に蹂躙された地点に移動させた。
そして今。
必殺の間合いを保ったまま、巡航ミサイルの雨を降らせてこようとしてきている、というのか。
「迎撃システムを作動させろ」
「数が多すぎます!」
「……っ!」
すぐに、ミサイルが雨のように降り注ぎ始める。
周囲の防御兵器が、見る間に紙くずのように引き裂かれていくのが分かって、プトレマイオスは床を蹴っていた。
おのれ。
咆哮する。
何が起きた。
禍大百足と、どうしてこうも綺麗に。ロシア軍と新国連が、連携している。
3、ただ一度の共闘
地上に躍り出ると。
私は、周囲が既にミサイルの雨によってたたきのめされているのを確認。満足して、即座に指示を出す。
「ニュークリアジャマー、起動!」
「起動します!」
操作はアーシィに任せる。
マーカー博士は、作業が別にある。既に、禍大百足は、戦える状況に無い。最後の兵器を、発動させる準備に掛かっているのだ。
こればかりは。
クローン達には、させられない。
ニュークリアジャマーの閃光が炸裂し。そして、周囲にいた中帝の軍勢が、瞬時にがらくたと化す。
予定通り。
禍大百足の廻りには、ミサイルが降ってこない。
取引を、したのだ。
少し前に、突出しているGOA部隊と連絡を取った。それを媒介して、新国連の中枢とも。
新国連も、今の中帝が、異常な状態である事は察知していた。
だから、取引が可能になった。
連中の中枢を叩けば。
ゾンビ兵は即座に全滅する。
それは実績として残っていた。
そして、此方が提示した、プトレマイオスの居場所も。新国連にとっては、納得がいくものだったのだろう。
すぐに特殊部隊が出て、遠距離から測量すると言っていた。
恐らくスペツナズ辺りが動いたと見て良い。この様子だと、測量は成功。プトレマイオスの動かす大兵力は、殆どが移動の最中。
GOA部隊は北部から急速接近。
そして禍大百足は。
南部から、プトレマイオスの巣を、叩き潰す。
ニュークリアジャマーの発動で、空白地帯が出来た。
しかし、もはや各関節の炉には、残存燃料が殆ど無い。それだけの火力を、使ったと言うことだ。
突進を開始。
この方向の核地雷は、既に沈黙しているはず。見えてきた。中帝における、宇宙開発の拠点。
写真を一瞬だけ見る。
面影がある。
それだけだ。
今は、どこからどう見ても軍事要塞。
そして、その軍事要塞でも。電子系を一瞬で蹂躙されてしまえば、ただの機材の墓場に過ぎない。
敵が来る。
残っていた敵戦力だ。もはや振り払っている暇も無い。ニュークリアジャマーで潰されなかった戦力は、ありったけの火力を叩き付けてくる。正面から蹴散らす。見る間に、装甲が打ち抜かれる。
何カ所かで、貫通弾。
生存スペースに直撃したなと、私は悟る。アーシィが悲鳴混じりに報告してくるけれど。すすめとしか言えない。
もはや、進む以外に手がない。此処を突破しないと、全てが台無しになる。何もかもが、無駄になるのだ。
強烈な揺れ。
足が数本、消し飛んだか。
ルナリエットを一瞬だけ見る。額の血管がとうに切れている。目からも出血している。それでも、動かし続けている。
立ちはだかろうとする戦車隊を、腐食ガスで動きを止め、踏み砕く。戦闘ヘリ部隊は、体を揺すって叩き付け、そのまま撃墜する。
がくん、がくんと禍大百足が揺れる。
足を失っているからだろう。
装甲を抜かれて、何カ所かで炉が損傷したのもあるだろう。
最後の戦いだ。
耐えてくれ。
私は、ただそう呟くことしか出来ない。
程なく、射程距離に入った。
満身創痍だが、まだ動ける。
まだ、禍大百足は。邪神としての威厳を、周囲に示すことが出来る。
上体を持ち上げ。
一気に叩き付ける。
粉砕された要塞が、崩れ落ちていく。悲鳴が上がるような気がした。要塞と言うよりも。此処に巣くっている、異常な連中の、だ。
更にもう一撃。
しかし、その時。
基地内部から、何かが出てくる。
巨大な、兵器。
いや、違う。ただの巨大な移動装置だ。禍大百足ほどでは無いが。極めて頑強に武装した、トレーラーのようなもの。
あれは、何だ。
「良くもやってくれたなあ、ハーネットぉ!」
凄まじい憎悪が響く中。
崩壊していく要塞をものともせず、突進してくるトレーラー。ルナリエットが操作するが、避けきれない。
全長百メートルはある巨体だ。
禍大百足に比べると、十分の一ほどしかないが。それでも重量感は凄まじい。真横に突進され、体が軋む。
更に、無数の車輪を唸らせながら、食い込んでくる巨大トレーラー。
「プトレマイオスだな。 それはいざというときの移動用シェルターか?」
「前にくだらない殺され方をしたからな! 身を守るために備えているんだよぉ!」
「そうかそうか。 ちなみにお前のバックアップは、既に潰した」
「やはり貴様か!」
わめき散らすプトレマイオス。
前に少し話したときは、それなりに礼節を持った奴だったのだけれど。余程頭に来ているのだろう。
まあ、どうでもいい。
正直、此方の方が、余程頭に来ているのだから。
此奴が現れなければ、散布作戦はもっとずっとスムーズに進んだはずだ。
ちなみにバックアップについては、すぐに見つかった。此処が特定できた後は、すぐだった。
自分で潰したのでは無い。
新国連に、場所を教えた。今頃、トマホークで消し炭になっている筈だ。
一度バックすると、もう一度突進してくる。
足が何本かへし折られ、胴体が軋む。
もう、体の耐久力が、限界に来ているのだ。
「どうやら既に満足に動けないようだな! そのまま其処で、這いつくばっていろ! 醜いバケモノが!」
トレーラーから、ミサイルを連射してくる。
全身に着弾。
私は、意外なくらいに冷静だった。
「ルナリエット」
「はい」
「潰せ」
「分かりました」
私に引きずられたのか。
ルナリエットも、異常なほどに、冷静に動く。
体をしならせると、トレーラーを掴む。百足は時々、こういった動きをする。それをたどっただけだ。
そして、上から掴んだまま。
持ち上げた。
「貴様、離せ!」
「離してあげますよ。 遠心力つきで」
鞭のように体をしならせ。
そして、禍大百足は。
プトレマイオスが乗った巨大トレーラーを、いにしえの投石機よろしく、放り投げていた。
遙か遠くで、着弾。
横転。
ミサイルポットが爆裂するのが見えた。
「既に、速度は半分も出せません」
「……これまでだな」
とどめを刺しに向かう。
トレーラーから這い出してくる影が見えた。小柄な女性。強化クローンと見て良いだろう。
手にしているのは、九ミリの拳銃か。
あれで、立ち向かうつもりか。
綺麗な射撃のポーズをとると、何度も銃撃してくる。どうやら、もう部下は。今のダイナミック投擲で、ひとたまりも無く全滅したらしい。
周囲とのリンクも切れたのだろう。
生き残った機材で確認する限り。周辺に展開している中帝の軍勢は、動きを完全に止めている。
ゾンビ兵は、全滅したとみて良かった。
「同じ宇宙開発の過程で造り出された存在なのに。 とうとうわかり合う事が出来なかったな」
作業の準備を終えたマーカー博士が呻いた。
そして、禍大百足は。
上体を持ち上げると。
此方に発砲を続けるプトレマイオスに。
その巨体を、叩き付けていた。
ダメージ甚大。
既に動く事はほぼ不可能。地中に逃れる事も出来ない。
周囲では、ゾンビ兵にされていない、数少ない中帝の部隊が、武装解除に応じて新国連に投降している様子だ。
ロシア軍に投降するよりマシだと思ったのだろう。
まあ、分からないでも無い。
GOA部隊が、既に周囲を包囲している。
向こうも。
もはや此方が、逃げる気が無いことは、察している様子だった。
ちなみに、敵中を無理に突破して来たのだろう。
脱落者はいない様子だが。それでも、かなり傷ついているのが、見て取れた。満身創痍の度では、此方の方がひどいが。
「ハーネット博士、まだ生きているか?」
通信が来る。
ただ一度だけ連携する事は出来た。
それだけだ。
禍大百足が、超がつくほどの国際重要犯罪組織の、主力兵器であることには代わりは無い。
GOA部隊と接触したら。
待っているのは、殺し合いだけだ。
「まだ生きている」
「投降しろ。 君達は、裁判を受けるべきだ」
「無意味だね、そのような事は」
禍大百足の機能は、殆ど死んでいる。まだ戦う事は、かろうじて出来るけれど。する意味がない。
そして、私は。
それに禍大百足に乗っている結社メンバーの大半は、戦士では無いのだ。
最後まで雄々しく戦って死ぬという行動そのものが。
科学者である私には、あまり意味のない行動なのである。
勿論裁判にも興味が無い。
既存の世界秩序を破壊した超重罪人である。死刑は確実。そうでなくても、万年単位で懲役がつくだろう。
同じ事だ。
「ハーネット博士ですね」
若々しい声。
何となく分かる。
あのエース機。何度となく、立ちはだかってきたGOAのパイロットだろう。予想よりも、声がずっと若い。
子供では無いのか。
いや、多分予想は当たっている。子供で間違いないだろう。
「若いな。 君がGOAのエースか」
「はい。 僕に特性がありましたから」
「GOAは、私が基礎設計した兵器だ」
「……っ!」
流石に驚いたのだろう。
基礎設計はした。しかし、その後はもう手を離れている。実際、今のGOA401を見ていると。
兵器としてどういう構造をしているかは理解できても。即座に設計図を書き起こす、などと言うことはできない。
マーカー博士が、ちらちらと此方を見ている。
気付かれる前にやるべきでは無いか、と言っているのだろう。
だけれども。
もう、いずれにしても。
最後の時間なのだ。
今更気付かれたところで、別に痛くもかゆくも無い。
「宇宙開発の段階で、デブリの直撃に耐えうる強靱なパワードスーツが必要とされたのでな。 設計したのだ。 もっとも、兵器として運用されることは目に見えていたが」
「そうだったのですか」
「そうだ。 禍大百足と並ぶ、私の大事な子供だ。 もう一人の子供にとどめを刺されるのなら、禍大百足も本望だろうよ」
「死に急がないでください。 まだ、チャンスは……」
通信を切る。
そして、今度は。
内部に向けて、通信をした。
最後の時が来た。
機体は既にガタが来ていて、碌な抵抗も出来ない。そして最終兵器を発動した時点で、この機体内部での生存は絶望的だ。
一時間後に、最終兵器を起動する。
それまで、自由に過ごすように。
GOA部隊は、此方を伺うだけで、仕掛けてこない。当然だろう。今まで、超絶的な破壊力を振るって暴れ狂った禍大百足だ。
もはや身動きできぬほど手酷く傷ついていると分かっていても。
それでも、安易に手出しは出来ないと判断しているのだ。
だから、時間も作る事が出来る。
マーカー博士は。いざというときのために、コックピットに残るという。
ルナリエットは。
見ると、もう事切れていた。
そうか。
無理に無理を重ねていることは分かっていた。だが、ついに限界が来た。張り詰めていた精神がぷつりと切れたことで。
今までどうにか保っていた体にも。
限界が来てしまったのだ。
アーシィが、操縦席からルナリエットを降ろすと、ヘルメットを外す。
ユナも、ふらふらになっていた。
彼女を抱き留めるマルガリア。
「あの」
「脱出か?」
「……」
ばつが悪そうに、マルガリアは此方を見る。
どうせ此奴は面も割れていない。それに、ユナとマルガリアは、最後期のメンバーだ。新国連に、顔も割れていない。
「良いだろう、好きにしろ。 我等狂った大人に、お前達がつきあうことも無い。 本当はルナリエットも一緒に脱出させてやりたがったがな」
「アーシィ、お前も行け」
マーカー博士が、ぴしゃりと言う。
クローン達は、顔も割れていない。身体能力も高い。最終兵器発動のどさくさに紛れれば、恐らく脱出は可能だろう。
最後の我々。
あの子を連れて行ってくれ。
そう言うと。アーシィは少しだけ躊躇った後、頷くのだった。
コックピットを出る。
全体が、もう滅茶苦茶だ。
破られた装甲から、ミサイルや砲弾が飛び込んで、彼方此方が破壊されている。結社のメンバーも、半分生きているかどうか。
柊を見つけた。
どうやら、最後まで料理をしていたらしい。
機材に押し潰されて、事切れている。しかし、どうしてだろう。やり遂げた幸せそうな表情で果てていた。胸元に飛び散った血から見て、相当派手に吐血しただろうに。
生きているスタッフも、最終兵器発動に向けて動いている。
一礼をしながら、禍大百足の中を歩く。
無茶苦茶になったプラント。
生活スペース。
ちょっとだけしか使わなかった自室。
何もかもが、懐かしい。
当然だ。
この禍大百足を作ったのは。私と、マーカー博士と、クラーク博士と、アキラ博士だったのだから。
最後尾に到達。
そのまま、また歩いて戻る。
すまないな。
こんな過酷な戦いをさせて。
最後まで、報われることが無い旅路につきあわせて。
それにしても、ほっとしている自分がいる。ルナリエットは残念だった。だが、他の子らが、此処を脱出する決意を決めてくれたのは。どうしてだろうか、内心嬉しかったのである。
どうせ助からないルナリエットは、もう仕方が無かった。
脳が焼き切れるような運転を、ずっと続けていたのだ。医師からも、もう助からないと言われていた。
ユナやマルガリアも、このまま続けていたなら、脳に深刻なダメージを受けていただろう。
しかし彼女らは間に合った。
世界を敵に回した組織の残党だ。生き残ることが出来るはずがない事も分かっている。しかし、脱出を決めてくれた。世界に生きた痕跡も、今まで残してない。だから、ひょっとすれば。
コックピットに戻る。
最後のあの子の様子も確認してきた。まだ眠っているが。まあ、生きて行く事は、問題なく出来るだろう。人間に邪魔さえされなければ、だが。
GOA部隊は、まだ禍大百足の周囲を旋回している。
いつ動くか分からないし、今までの事もある。
迂闊に仕掛けられないのだろう。
新国連軍とロシア軍は、周囲の掃討作戦を済ませると、遠巻きに此方を見ている。今までの事が、余程トラウマになっているとみていい。今は、それが此方にとって、好都合に動いている。
「あの子らは?」
「もう行った。 最後の子を迎えに行った後、機体下部から逃れる手はずだ」
「どうせ長生きは出来ないのにな」
「それでも、賭けてみたいんだろう」
あきらめと、希望が、一緒にある。
おかしな気分だ。
マーカー博士は、いつでも動けるように、準備を終えている。私も、幾つかやっておくことがある。
そもそも、だ。
この計画を、何故動かしたのか。
それは、後世に残しておかなければならない。
強力な防御を掛けたストレージに、データを残す。一方で、禍大百足は、完全に破壊しておかなければならないだろう。
この機体は。
まだ世界で実用化されていないナノマシンも含めた、オーバーテクノロジーが使われすぎている。
だから。
最終兵器を使うのだ。
バックアップ完了。ふと気付く。何か、新国連の部隊の方で、騒ぎが起きている。もう、関係無いと思ったが。
どうやら、そうも言っていられない様子だ。
「水爆が発見されただと!」
「はい! それもこの地域の地下に、十個以上が、タイマーセットされた状態で、です!」
「停止させろ!」
「不可能です! パスワードが設定されていて、一度でも間違えたら即座に起爆する仕組みになっています!」
パニックが始まっている。
まあ、無理もないか。
そして、此方としては。
むしろ好都合だ。
パニックが起きれば、あの子らが逃げ延びる確率も上がる。ちなみに脱出の方法については任せてある。一応小さなバギーも渡したが、使うかどうかは知らない。使わない方が、目立たないかも知れない。
それに、この辺りが徹底的に放射能汚染された場合。
より、スーパービーンズの凄まじい性能が良く分かるというものだ。
既に新国連は、スーパービーンズの本来の散布目的に気付いていると見て良い。だから、これから下手をすると国際的な駆除策戦が開始されるかも知れない。
その時に備えて。
性能を可能な限り見せておくのは、必要だ。
新国連軍が逃げ始める。
ロシア軍も。
というか、プトレマイオスが仕掛けていった核地雷が、国中に埋まっている状況だ。しばらくはてんやわんやだろう。
彼奴は、踏みつぶすその時まで。
手持ちの武器で、抵抗を必死に続けた。
それが良いことなのかどうかは分からないけれど。
勝った以上。勝った者の権利を行使する。それだけだ。
GOA部隊も、撤退を開始する。
最後まで一機が此方を見ていたけれど。それはもうどうでもいい。勝ち逃げされて悔しいのだろうか。
まあ、悔しがらせてやるだけだ。
準備が完了した連絡が来る。
生存者は。
何人生きているか確認してみたら。三十六人だった。
先ほどの戦いで、三分の二が死んだことになる。今生きている者達も、殆どが満身創痍の中。
必死に、作業を進めてくれていた。
彼らに、あの子達が脱出したことを告げる。そして、最後に。
頭を下げた。
「ありがとう。 これで、皆の苦闘は、無駄にならない」
それだけが、言いたかった。
宇宙に掛けて来た者達が、これで無為に命を散らすこと無く。
そして、人類も、滅ぶことが無くなるのだ。
最後の時まで。
後は、静かに過ごそう。
私は、そう思った。
4、光
「水爆の起動、解除不可能! 地下深くにあるとは言え、爆発時にどんな影響があるか分からない! 総員撤退せよ!」
悲鳴混じりの通信。
亮は。静かな気持ちで。
ボロボロに崩れた禍大百足を見ていた。
ハーネット博士は、最後までわかり合うつもりが無かったように思える。裁判を受ければ死刑は確実。死刑にならないにしても、死刑同然の長期求刑を受けて、刑務所から一生出ることは無かっただろう。
勝てなかった。
結局、最後まで。
あの禍大百足を、力尽くでも屈服させることが出来れば。
この世界中に及んだ莫大な被害は、少しでも抑えることが出来たのだろうか。分からないとしか、言えない。
「撤退するぞ」
准将が通信をいれてくる。
蓮華が吐き捨てているのが聞こえた。
「何よあの女! 勝ち逃げするつもり!?」
「やっぱり納得できない」
一つだけ、聞いておきたい。
亮は、もう一度。ハーネット博士に、通信をいれる。
「ハーネット博士、一つだけ聞かせてください」
「何だ、もう話す事は無いが」
「資本主義経済を破壊することに、何の意味があったんですか」
「その内分かる」
通信が切れる。
そして、もう、ハーネット博士は、通信に出る事は無かった。
必死に後退し続ける味方部隊。ジープに群がる歩兵。必死に逃げる戦車。地獄絵図だ。何しろ、足下に水爆が埋まっているのである。
皆が必死になるのも、当然と言えば、当然か。
「逃げ遅れている者がいたら、可能な限り救助しろ」
「イエッサ!」
「まだ爆発までは時間があると聞いている。 慌てるなよ」
亮は、黙って、禍大百足を一瞥だけすると。
他のパイロット達と同じように、救助支援に移る。禍大百足を感傷とともに見つめるのと。
必死に逃げる皆を、出来る範囲で助けること。
どちらが大事か何て。
言われるまでも無く、亮にだって分かっているのだ。
後方で、禍大百足が、ゆっくりと体をもたげる。
既に足も多数失い。
全身の装甲もぼろぼろになっているのに。
今更、何をするというのか。
だが、もはや構っている暇は無い。ただでさえ、禍大百足の気象兵器の影響で、地盤も緩んでいるのだ。
水爆が炸裂した後、何が起きても不思議では無い。
急げ。
怒号が飛び交う中、必死に撤退するロシア軍と新国連軍。その努力を嘲笑うように、強烈な揺れが、地面を襲う。
間違いない。
予定より早く、水爆が地下深くで炸裂したと見て良いだろう。
地面に亀裂。
擱座したジープを抱えて、GOA401が飛ぶ。
亮では無くて、蓮華の機体のファインプレーだ。亮も逃げ損ねた兵士達を掌に載せると、安全地帯へ下がる。
二度目の揺れ。
地震が無い国から来た兵士は、頭を抱えて震えあがっている。無理もない。亮も、そう言う反応をする人間に、最初は驚いた口だ。
地割れが走る。
擱座した戦車。兵士達を逃がした後、其方に行く。准将と協力して、引っ張り上げる。GOAのパワーで無ければ、無理だっただろう。
撤退していく兵士達は、大半が無事だが。
中にはパニックを起こして転んだり、慌ててその場から動けなくなったりする者もいる。可能な限り、助けて回る。
巨大な地割れがつながる。
三度目の揺れが、決定的に地盤を壊したらしい。
敵が。
アレキサンドロスの残党が巣くっていた、旧宇宙開発センターが、地面に沈んでいく。さながら、魔王の城が、滅び去るかのように。
禍大百足は。
上体を揺らしながら、激しい揺れの中でも、その存在感を示し続けている。雨が降り続ける中。
その巨体は、衰えを知らぬ邪神のようにさえ見えた。
そして。
光が、世界に迸った。
爆発したのだと、亮が悟ったときには。圧倒的な閃光が、世界を走り抜け。そして、蹂躙していた。
爆発音が、遅れて届く。
GOAの中にいるから、ある程度の音はシャットアウトされている。だが、それにしても。
思わず、耳を塞いでしまったのは、本能的な行動からだ。
光の爆裂は、一分以上続く。
後方が見えない。
先ほどまで続いていた、連鎖的な地下の水爆の炸裂なんて、それこそ忘却の彼方に起き去られるほど。
あまりにも、圧倒的な光景だった。
やっと光が収まって。
そして振り向く。
嗚呼。嘆きの声が、漏れる。
其処には、何も無い。
あの圧倒的な怪物、禍大百足は。もはや其処には、存在していなかった。
代わりに、巨大なクレーターが。
そして。
急速に腐食しつつある、その残骸らしきものが、見えた。
全ての水爆が炸裂した跡。
防護服を着た査察団が、現場を視察。そして、生存者はいないと、結論した。
禍大百足が踏みつぶしたらしい、ミンチになった死骸は見つかった。どうやら、アレキサンドロスの残党のものにまちがいないらしい。
手首から先だけは残っていて。
軽火器を握りこんでいたらしい。
最後の最後まで、出来る範囲での交戦を諦めなかった。そう考えると、馬鹿に出来ない相手だったのだなと、亮も思う。
禍大百足の残骸は、査察団が回収していったけれど。
回収する先から腐食して、無くなってしまったらしい。
護衛のために、GOA部隊も出て。禍大百足が吹き飛んだ辺りを見て回る。そして、その時には。
異常は、明らかだった。
中帝全域に、降り注いでいるのだ。
スーパービーンズが。
そして瞬く間に根付いて、圧倒的な緑の野を作り始めているという。
公害に痛めつけられつくした中帝。
今は、支配者層が根こそぎ消えてしまった。やはりアレキサンドロスの残党に操作された際に、全部がゾンビ化されてしまったらしい。その結果、アレキサンドロスの残党が死ぬのと同時に、彼らも溶けてしまったのだ。
工場も何もかも、身動きが取れない状況の中。
圧倒的な繁殖力で、スーパービーンズは繁茂し。
緑が消えた中帝の野を、覆い尽くしている。工場も何もかもが、コンクリさえ喰い破って生えてくるスーパービーンズに、瞬く間に覆われていっているようだ。
そうか、あの爆発だ。
亮は悟る。
禍大百足は、最後の力で。
スーパービーンズを、中帝全域に散布したのだ。それでか。どうにも、動きがおかしいと思っていたのだ。
今までだったら、どうあっても、スーパービーンズの散布を優先したはず。
それなのに今回は。
それよりも、アレキサンドロス一党を潰すことに血道を上げているように、亮には見えた。
スーパービーンズは散布できる。
だから、必要なかった。
そういうことなのだろう。
つまり、あの爆発は最初から想定されていて。ハーネット博士は、そもそも生きて戦いを終える気が無かったのだ。
万が一にも、ハーネット博士は生きていないだろう。
あの爆発は。普通に凄まじかった。
偽装する余裕があったとは思えない。
兵士達も逃げ出していなかったら、一体どれだけが巻き込まれたか、分からない。
ひょっとして、水爆の起動も。
いや、それは流石にあり得ないか。
雨が、上がり始めている。空から光が差し込んできているけれど。クレーターの中央に溜まった泥水を見ていると。とても、爽快な気分になどはなれなかった。
ハーネット博士は、満足していたのだろうか。
そうとはとても思えない。
勿論、納得して死んでいったことは確かだろう。だけれども。あのような行動に出たのには、大きな理由があったのでは無いのか。
狂った自分の母の事を思い出す。
あの人は、ただの愚者だった。
ハーネット博士は、どうだったのだろう。狂気としか言えない計画を進めていった、ハーネット博士は。
分からない。
亮には、どうしても。このことが、納得できなかった。
査察団を護衛して、爆心地から引き揚げる。
既に中帝は大混乱。皇帝は正式に死亡が発表された上に。閣僚どころか、役人の大半が失踪したのだ。
その上、軍も殆ど消滅。
混乱しないはずが無い。
すぐに新国連が治安維持のために動き始めたけれど。元々、資本主義の最悪の部分が導入された結果、人々の心が荒みきっている中帝だ。すぐに手を入れなければ、とんでもない大乱になる。
GOAは残って欲しい。
治安維持のために、切り札として必要になる。
接収した基地で、亮はそう説明された。無論、異存はない。
幸い、禍大百足と中帝の軍勢は、全面的に殺し合ったわけでは無く。接収できた兵器も多かったらしい。
それらをそのまま生かして、まずは国境を安定させ。
それから、内部の治安を確保するのが、急務だと言う事だった。
国境の安定には、ロシアも、周辺国も。それに米国から圧力が掛かった南中国も、協力してくれる。
南中国はしぶしぶという風情だったが。
元々、中帝にかなり押されていたらしいので、むしろほっとしたのかも知れない。いずれにしても今の国際情勢では、侵略戦争はあまり侵略する側に旨みが無い。無理に北進するようなことは無いだろう。
中帝内部では、既にスーパービーンズのことが知れ渡っている。
無理矢理働かされなくても、食べていくことが出来る。
それは、どれだけ労働者の心に余裕を与えるか分からない。逆に言うと、企業側は考えないと、労働者を確保も維持も出来なくなる事を意味している。
中華圏は、料理の本場でもある。
さっそくスーパービーンズの美味しい料理方法が、ネットに出回っている様子だ。もっとも、どうやって食べても美味しいらしいので、あまり関係は無いのかも知れないが。
意外な事に。
皇帝の死や。
国家の壊滅を嘆く声は、殆どネットに上がってこない。
ネット上での工作を担当していたという噂の部隊や、資本として最大だった中帝の政府が丸ごと消えて無くなった、というのもあるのだろう。
初期の混乱さえどうにか出来れば、後はスムーズに治安が回復するかも知れない。そういう楽観的な声も、新国連の中ではあるようだった。
亮は。そんな中。
すぐに出動を命じられる。
暴徒が略奪の限りを尽くしているという地域が、既に出始めているのだ。安定するまでは、当面寝る暇も無くなるだろう。
勿論、GOAを破壊できる装備など、暴徒には無い。
軍基地も抑えているし、すぐに武器が流出することは無いだろう。
亮は准将と一緒に、GOAに乗り込むと。
すぐに現地に出かける。
出るのは十機だけだけれど。
暴徒だったら、何人いようが関係無い。GOAだけで、充分に制圧が可能だ。
移動の途中で、准将に聞いてみる。
ハーネット博士は、何が目的だったのだろうと。
准将は少しだけ考え込んだ後、言う。
「分からないな。 ただ、あの様子だと、納得して逝ったのだろう。 それだけで、随分幸せなことのように俺には思えるがな」
「納得、ですか。 それは僕も思います。 でも、あの人は、最初はどうしようもなくて、あの路に踏み込んでしまったのでは無いのでしょうか」
「そうだろうな」
准将は、否定しない。
現地が見えてくる。
暴徒が略奪して、既に火もつけたようだ。恐怖とともに知られた治安警察がいなくなったため、抑えが効かなくなっている事もあるのだろう。
散開して、鎮圧。
それだけで、皆にはどう動けば良いのか分かる。
亮にもだ。
治安維持任務については、散々こなしてきた。GOAによる鎮圧任務も、である。
GOAが来ると、悪魔だと声が上がる。
どうやら、中帝でも有名らしい。もはや、逆らうことが出来ない、恐怖の象徴。ヒトの形をした、絶望。
それを最大に利用して。
出来るだけ人を殺さずに、暴動を押さえ込む。
GOAは、人を殺さないことに特化した兵器だ。乗っている人間も、戦う相手も。だからこそに。
殺さずに、ハーネット博士を抑えられなかったことは。
今でも、口惜しい。
それに、ハーネット博士は言っていた。
GOAは、自分が作ったものだと。
もしそうだとすると。
禍大百足は、GOAの兄弟のようなものだった、という事になるのか。
もっと頑張れば。
禍大百足を止められる、唯一の存在になれたかも知れないのに。やはり、努力が足りなかったのだろうか。
火炎瓶を投げつけてくる暴徒。
ロケットランチャーでも傷一つつかないのに。火炎瓶など効くものか。機械的に無力化ガスを叩き込んで、黙らせる。
特殊部隊は、後から来れば良い。
警察は、無茶をしなくても良い。
あらゆる暴力を受け止めて。そして、その後に押さえ込めるGOAならば。誰も死なずに、混乱を収められるのだ。
程なく、動く者はいなくなった。
こうやって、ハーネット博士を、捕らえる事が出来ていれば。
亮は、悔しくて。
涙が頬を伝うのを、止める事が出来なかった。
爆心地から逃れて。
四人の人影が、歩いていた。
途中まではバギーを使っていたのだけれど。擱座してしまったので、放棄したのである。最年長のアーシィが、皆を先導。
最年少のラストは。
まだ、ユナに手を引かれながら、歩いていた。
見かけも幼い。
何とかぎりぎりで仕上げたとハーネット博士は言っていたけれど。アーシィが見る限り。10歳くらいのユナに対して、良く言っても6歳程度にしか見えなかった。
しかし、足取りはしっかりしているし。
目にも、強い意思の光がある。
あの禍大百足を作った博士達の、全てを引き継いだ存在なのだ。それも、当然なのかも知れない。
本当だったら。このラストだけを、外に逃して。いざというときの種にする予定だったらしいのだけれど。
ユナとマルガリアが。やっぱり死にたくないと言ったことで。
結局、四人で外に出る事になった。
ルナリエットは死んでしまった。
最後まで、己を燃やし尽くして。
助けてあげられなかった。
もう分かっていたのだ。最後の戦いの時点で、手遅れになっている事は。だが、ルナリエットは嫌だと言うことも無く。戦いに、最後まで自分を使いつくした。
ラストを見る。
右手をユナとつないで。
左手に抱えているのは、ストレージボックス。
大事な、記憶の箱。
ハーネット博士達が。あらゆるデータを収めてくれたもの。
まだ人類には早いと言われている知識も、多数収められている。もし存在が明らかになれば。
人類は血眼になって、追ってくるだろう。
禍大百足の、ナノマシン装甲などは、特にそうだ。宇宙開発の過程で造り出された技術で、正直あれが世界に流出するだけで、軍事技術は二十年進むとさえ、マーカー博士は予想していた。
「おなか、すいた」
たどたどしくユナが言う。
アーシィは嘆息すると、もう少しだと促す。
偽装したキャッシュカードと、ある程度の現金。それに、身を守るための武力。いずれもが、備わっている。
マルガリアは、生半可な軍人を正面から十人相手にしても倒せる身体能力を備えているし。
戦いが苦手なアーシィだって、普通の人だったら何とか制圧できる。
ユナはちょっと荒事に向いていないけれど。
全てを込められているラストは、マルガリアさえ凌ぐほどの身体能力を、その身に宿しているのだ。
寂れた街に出る。
既に周囲には、スーパービーンズが大量に繁殖している。放棄されたスーパーマーケットが見えた。恐らくこの辺りに、暴徒が出たのだろう。
「隠れていて」
マルガリアが、食糧を調達してくると言う。
頷くと、三人で、放棄された民家に。
中には生活臭がまだ残っていて。
暴徒によって略奪された跡もあった。
いや、違う。
壁などの傷を見ると、暴徒では無い。多分軍だ。
ゾンビ化された軍が、機械的に物資を補充していったのだろう。住民はどうしたのだろう。臭いで気付く。どうやら、床下。
既に、この世の存在では無い様子だ。
元々プトレマイオスが、人間に対して極めて冷徹なことは、アーシィも知っていたけれど。
これはいくら何でもひどすぎる。
そして、これだけの悪逆を、いずれ禍大百足のせいだと喧伝するつもりだったのだろう。もう、言葉も出ない。
マルガリアが戻ってくる。
服も調達してきてくれていた。
「近くに放棄されている車があった。 直せば、乗れる」
「私が直す」
挙手したのは、ラストだ。
まあ、アーシィにも出来るけれど。
体を動かして、少しでも慣れたいのだろう。
「まずは空港に行きましょう。 空港に行った後は、治安が安定している国まで逃れます」
「日本辺りが良さそうだが、パスポートの偽造が必要だな」
「いえ、まずはロシアを目指しましょう。 最終的にはアメリカに。 密入国を繰り返しますし、入国に審査をしている国はリスクが高い。 それに、禍大百足の外で活動していた結社メンバーは、アメリカに集結する予定だった様子です。 パスポートや身分は、途中で時間を掛けて偽装しましょう」
頷き会う。
皆、これでも修羅場をくぐってきたり。
世界最高の知識を受け継いでいるのだ。
普通の小娘とは訳が違う。
生き残る。
そして、受け継ぐ。
死ぬはずだったのに。生き残ったのだ。最後に恐怖して、生を選んだという、一見情けない理由だけれど。
アーシィは知っている。
ハーネット博士が、死にたくないと告げたユナとマルガリアを見て。心底ほっとした様子だったのを。一瞬だけしか、そんな表情は見せなかったが。
生き延びることになった以上。
徹底的に生き延びる。
そして、時が来たら。
ハーネット博士が何をしたかったのか。世界に知らしめなければならないだろう。
世界は、強引に変えられたけれど。
まだ。本当の意味で変わるには、時間が掛かる。
少し休んだ後、車を修理。
てきぱきとラストが直して、あっという間に乗れるようにしてくれた。
さあ。行こう。ハーネット博士の戦いは終わったけれど。
私達の戦いは。
此処から、始まるのだから。
(続)
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