幻想郷の朝を告ぐ

 

序、ニワタリの神

 

其処の名は幻想郷。

忘れられた者達が集い。

いにしえのルールが未だに生きている隔離された理想郷。

妖怪は人間を襲い。

人間は妖怪を恐れ。

そして勇気をふるって妖怪を退治する。

今でもそんなルールが生きている秘密の里の一つ。きわどいバランスの上に成り立っている、外から隔離された不思議な世界。

この世界では、人間と妖怪が一種の互助関係にある。

世界を維持するためには人間の恐れが必要で。

妖怪は人間を怖れさせなければいけない。

そうしなければ消えてしまうからだ。

戦闘力は妖怪の方が基本的に上だが。

しかしながら、幻想郷が維持できなくなってしまえば、もはや外の世界では妖怪は消滅してしまうのである。

神格を持っていて崇拝の対象だったり。

未だに名が知られている大妖怪だったりすれば別だけれども。

大半の妖怪は、幻想郷がなくなれば死ぬ。

だから人里と呼ばれる場所に人は住み。

妖怪は彼らを、死なない程度に脅かし続けなければならない。

一方で人間も。

賢者と呼ばれる最上級妖怪達に、社会の仕組みの維持を任せてしまっている。

それが一番楽だからである。

かくして幻想郷では。

現在では形だけになった人間と妖怪の争いが続き。

たまに刺激を与えるために。

異変と呼ばれる大規模事件が起きたりもする。

また、希に幻想郷のルールを理解していない新参の妖怪や。

妖怪になったばかりの妖獣。

更には現象としての妖怪が、人を殺したりもするが。

幻想郷の外の世界で。人間が人間を殺す数に比べたら。

微々たるものだった。

ただ、こんな安定した幻想郷の仕組みも。

すぐに出来た訳では無い。

幻想郷が作られたのが数百年前。

そして外界から「博麗大結界」で隔離されたのが明治時代の事。

その前には、妖怪の賢者達も四苦八苦しながら。

幻想郷のバランスを。

人間も妖怪も納得出来る形で。

作り上げていかなければならなかった。

その四苦八苦の一つが。

今、妖怪の山に降り立つ。

妖怪の山には大きな滝が存在する。

此処は天狗の領土なのだが。

其処に平然と降り立ち。

それを縄張りだの領空だのに五月蠅い天狗も一切咎めない存在。

神の一柱である。

白い神秘的な翼を生やしており。

美しい尾羽を持ち。

赤と白と茶を基調とした服を着て。

頭には巣とひよこを乗せている。

外の世界で現役で信仰されている神。神社の数はゆうに百を超えるから、幻想郷でも実は上位に食い込む実力者。

幻想郷の外でも平然と暮らしていける神の一柱。

ニワタリの神。

庭渡久侘歌である。

現在久侘歌は三途の川の向こう岸、地獄の手前である彼岸を仕事場にしているが。仕事場はあくまで仕事場。住居は幻想郷の妖怪の山である。

自己申告の能力は「喉の病気を直す」だが。

これはニワタリの神が、百日咳を治す神として信仰されていたからで。

実際には対鬼特攻とも言える鶏の鳴き声を司る存在として。

妖怪の山に鬼が住んでいた頃も。

彼女の存在を、鬼達は無視出来ず。

問題があると久侘歌が来ると判断して。

一部の未だに暴れたいと思っている鬼達も。

ある程度自制していた。戦いになったらかなわないからである。

そう。

妖怪達の賢者が、一番対処が面倒くさい「最強の妖怪」である鬼を掣肘するためにスカウトした存在。

それこそが、このニワタリの神。久侘歌なのである。

元々神々の実力は、まあ最下等の存在となるとどうという事もないにしても。久侘歌のような土着でも上位の神になってくると凄まじい。

妖怪の山最強を誇る守矢神社の守護神であり、土着神の頂点に立つ洩矢諏訪子と天津神の武神である八坂神奈子が、現在幻想郷でもトップを争う実力者であり。「楽しく遊べる決闘」であるスペルカードルールでなければ賢者でも手に負えない事を考えると、久侘歌の実力も推して知るべし。

対鬼特攻の能力持ちという事からも、地獄にも顔が利く彼女は。

元々人間と鶏のあり方について色々思うところがあり。

信仰が現役であるにも関わらず。

その新しいあり方が見つけられるかも知れないと思い、幻想郷にスカウトされて居を移した、という経歴がある。

そして現在では。

この見晴らしの良い滝の上が気に入っている。

実はもう、幻想郷にいる理由は無い。

平和になった幻想郷が退屈になったか、鬼達が地底に去ったからである。

その時点で久侘歌は此処を去っても良かったのだ。

賢者達には三つ指突いて幻想郷への到来を頼まれたが。

一方で、鬼達がいなくなった後は、是非残ってくれとも頼まれてもいない。

天狗は鬼に比べるとかなり実力が落ちるし、その気になれば暴れても賢者達でどうにでも出来る。

わざわざ久侘歌が見張る必要もない。

何よりも、別に幻想郷からでなくても、仕事場にしている彼岸には行けるのだから。

だが此処に住み続けている。

それはやはり。気に入ったというのが大きいのだろう。

この近くには、久侘歌の加護を悟ってか。

家畜化される前の、野生の鶏がかなりの数住み着いている。

野生の鶏は、家畜化されたいわゆるブロイラーと違い。のびのびとくらし。勿論空も飛ぶし元気に走り回る。

鶏は飛べないというイメージが人間の中にあるのがとても久侘歌には残念で。

何とかしてその悪いイメージを払拭したいのだが。

こればかりはどうにもならない。

まあ、鶏たちには、自然の摂理以上の危険は無い。

妖怪の山はどちらかというと、幻想郷の中でもかなり縄張り争いが激しい場所なのだけれども。

現在相当に押されているとは言え、守矢神社に次ぐナンバーツーの勢力である天狗でさえ手を出さない、いや出せない久侘歌である。

この辺りの鶏には、不要な手出しをしないのが、妖怪達の鉄則にもなっていた。

虹が架かっている滝のそばに降り立った久侘歌の廻りに。

眷属にまでなっていない、まだ動物の鶏たちが集まってくる。

餌が欲しいからだ。

鶏は鳥頭などと言う言葉の由来にもなっているが。

本来鳥はとても頭が良い生物で。

鴉などに至っては人間の幼児並みの知能を持っている。

鶏も幾つかの部分では決して知能が高いとは言えないものもあるのだが。

実のところ、他の鳥に比べて明確に劣る、と言うほど頭が悪いわけではない。

久侘歌は時々おどけて「鳥頭」と自分を称する事はあるが。

本気でそう言っている訳では無い。

鶏に人里で買ってきた餌を撒いていると。

側に守矢の巫女が降り立ってきた。

「良いお日柄ですね、ニワタリ様」

「これは守矢の。 良い天気で何よりです。 昨日の天気が何だったかは忘れてしまいましたが」

「甘いものを持ってきました。 ここのところ忙しいのでしょう」

「ああ、お気遣い感謝します」

守矢神社の巫女、早苗は。

半人半神という状態の影響からか、翠の髪を持ち、蛇と蛙の髪留めでそれを止めている。

破天荒な守護神二柱と違って真面目だが。

時々ぽーんと抜けている所がある面白い子だ。

ただ真面目な努力家なのは事実で。

久侘歌が見たところ才能もある。

ライバルである博麗神社の巫女が規格外なだけすぎて。

本来だったら、守矢の二柱が彼女を連れて来た時点で、幻想郷の巫女の座は其方に移っていたかも知れない。土着神の頂点と天津神の武神が手塩に掛けて育てただけの事はある実力者なのだ。

守矢神社にとって計算外だったのは。

今代の博麗の巫女が。

あまりにも桁外れな実力を持つ怪物だった事だ。

いずれにしても守矢は天狗などもう相手にもしていない。何時でも配下に押さえ込めるくらいにしか考えていない。戦いになったら一日もかからず圧勝だろうし、まあ当然だ。

だから天狗の縄張りスレスレの此処にも、平然と早苗が飛んでくるし。

もはや天狗の側も、迎撃の戦力を出そうと考えていないようだった。

そして気が利かない天狗と違って。

連日の任務で疲れている久侘歌を気遣って、賄賂にならない程度の差し入れをしてくる守矢。

早苗の考えか。

それとも背後にいる二柱の考えかは分からないが。

どちらに気持ちが傾くかは。

言う間でも無いことだ。

天狗は鬼が去った後、妖怪の山で好き勝手をしすぎた。

その反動が今、一気に揺り戻している。

その結果、硬直化した組織もあって、やりたい放題にされている。

ただ、色々と賢者が手を回して。天狗が守矢の支配下に置かれることだけは危ういバランスで避けているようだが。

それもいつまでもつかどうか。

天狗の中には、硬直化した組織に不満を持つ内憂もいるようだし。今後は厳しい所だ。

ただ、守矢にも与するつもりはない。今は妖怪の山のバランスを崩したくはないのである。

二人並んで座って、だんごを食べる。

かなり甘いだんごだが。これは幻想郷の人里で売られていない調味料がたくさん使われている。本来閉ざされた幻想郷に入ってくるはずがない甘味がどうして使われているか。

それを久侘歌は追求するつもりはなかった。

「例の畜生界の事件、まだ解決はしていないんでしょう」

「ええ、そもそも地獄が今混乱していましてね。 私のように彼岸を守る神は皆大忙しですよ。 今日も少し寝たら、すぐに職場に戻る予定です」

「私も手伝えれば良かったのですが」

「二柱の指示ではないのでしょう。 それにいざとなれば賢者が動きますよ」

早苗が苦笑いする。

守矢は存在感を示すために、多くの幻想郷で起きた事件。いわゆる「異変」に関わってきた。

異変を起こしたこともあるし。異変を解決してきたこともある。

早苗は経験こそ浅いが。

才能は確かで。

加速度的に実力を伸ばしている。

二柱の加護と努力と才能。

博麗の巫女が桁外れの怪物でなければ、幻想郷を支える逸材になっていた筈の存在なのだが。

ただ早苗はもう半分は人間ではないので。

寿命は考慮せず。

じっくりやっていけば良いのかも知れない。

博麗の巫女は規格外の怪物だが。

まだ一応人間なのだから。

いずれ機を見れば良い。

そう守矢の二柱は、神々らしくどっしりと構えているのかも知れなかった。

さて、と。

腰を上げた久侘歌は、だんごの礼を言うと。

自宅に戻る。

強力な結界を何重にも張っており。

鬼に不意を突かれてもどうにでもなる強力な住処だ。

上位の神になってくると。

妖怪ではどうやっても勝てなくなってくる。

スペルカードルールというお遊びなら兎も角。

ガチンコの勝負ではどうにもならない。

別の国では話が違ってくるのだが。

少なくともこの国ではそうだ。

この強力で複雑な結界もその一つ。

久侘歌は住処でゆっくりとは行かないが。眠って次の仕事に備える。

今、久侘歌は。

多分幻想郷に来てから、一番忙しい時期にいるのだから。

 

夢を見る。

神も夢を見る。

外ではニワタリの神として信仰されている久侘歌は。

百日咳の快癒を願い。

祭を今でも行われる現役の信仰を受ける神だ。

だから見てきた。

鶏が家畜化されていく過程を。

鳥頭という蔑称が出来て。

どんどん鶏の地位が下がっていく現実を。

古き時代。

鶏は朝を告げる重要な存在だった。

朝を告げる声は、それこそ闇に生きる者達にとっては、悪夢の声に等しい。人間が名状しがたき者達の声を聞くようなものである。

その鶏が、どうして敬われなくなったのか。

それは夜の闇がどんどん弱くなっていったからである。

そんなものは迷信だ。その言葉が、夜の闇を容赦なく弱らせていった。

比較的闇の力が強かった国では、まだ夜の闇が現役だったりする事もあるのだが。

この国では既にその力はどんどん弱体化し。

今では都市伝説に取って代わられている。

鶏の扱いも当然最下層にまで落ち。

復権の見込みもない。

時々久侘歌は人間がどう鶏を扱っているのか。

外の世界に出かけて、見学をしに行く。

希に、放し飼いにしている牧場もある。

だが、多くの場合はいわゆるブロイラーとして。

過酷な扱いと。

何のために生まれてきたのか分からない育ち方をさせられている。

勿論人間の家畜となる事で、鶏はとても大繁栄している。

それは事実ではある。

だが、鶏の退魔の鳴き声が信仰の元となった久侘歌には。

その扱いはとても悲しいものだった。

人間とやっていくのは。

とても難しい。

人間に有害なら駆逐されてしまうし。

人間に有益なら徹底的に屈服させられる。

残念ながら、人間の精神は貧しくなる一方で。

誰にも口にすることはないが。

久侘歌が頭を下げられたとは言え、幻想郷に引っ越したのは。

そんな人間達に嫌気が差してきたから、と言うのもある。

とはいっても、幻想郷は事情がかなり違っていて。

此方では、夜の闇の恐怖が健在な分。

朝を告げる鶏の声は、未だに現役で多少は力を持っている。

鶏の扱いも外ほど酷くはない。あくまで比較して、だが。

だから此処は。

ほんの少しだけ外よりは居心地が良い。

目が覚める。

軽く身繕いをすると、家を出る。

そして、幾つかある地獄への穴から。

職場に出かけていく。

守矢の巫女が言ったとおり。今、地獄は混乱の最中にある。

行政組織は関係無い。

問題は実働組織で。

これが内輪もめを起こしているのだ。

幸い小競り合い程度で済んではいるのだが。

元々地獄の実働戦力である鬼神達には荒々しい者が多く。

護法神と化した連中と違って。

原初の荒ぶる姿をそのまま残しているケースが多い。

人間で言うならば「ならず者」である。

勿論行政組織にも強者が多いし。

少なくとも混乱が地獄の外に波及しないように、久侘歌を一とする実力のある神々が、彼岸にて仕事をしている。

それでも、定期的に鬼神達はもめ事を起こすのだ。

だが今回は問題が大きくなっている。地獄の隙を突き、地獄の隣にある畜生界がこの間大問題を起こしたからである。

結果として博麗の巫女を一とする幻想郷の精鋭が解決に赴いた。

しかしながら、今でもその問題は完全解決には至らず、継続しており。

当面片付きそうもない。

空間の穴を通り抜けると、賽の河原に出る。

石を積んでいる子供の霊達に手を振りながら通り過ぎ。

三途の川の渡しをしている死神に笑顔で手を振りながら、川を飛び渡る。

途中、三途の川に住み着いている牛鬼を見かけたが。

向こうは此方に気がつかなかったようだった。

職場に着く。

対鬼特攻の能力を持つ神は何柱かいるのだが。

その一柱と交代。

引き継ぎを受けてから。

この場の守りを受け持つ。

普段は此処まで忙しくはないのだけれど。

後は部下達と一緒に周囲を巡回。

悪さをしようとしたり。

彼岸を通って現世に出ようとするものがいないかどうか。

しっかり見張らなければならない。

地獄は地獄。

現世は現世。

混ざり合ったら大変な事になる。

久侘歌はそれを、良く知っているのだから。

 

1、朝を告げる声

 

幾つかのもめ事を処置し。

幻想郷に戻ってきた久侘歌は。

鶏たちが一斉に鳴くのを聞いて、目を細める。

そうか、そんな時間だった。

朝日が上がり始めている。

寺の鐘も鳴るのだが。

今の時期は、それはもうちょっと早い時間だ。

あくびをしながらも。

寄ってきた鶏たちに餌を与える。

とはいっても鶏たちは自力で餌を採ることが出来るので。

これはあくまで、神と眷属との関係を維持するための行為だ。だから与える餌に関しても、儀式的なもの。

ごく少量に過ぎないし。

鶏たちもそれを理解している。

美しい翼と尾羽は。

鶏の中にも、鑑賞用の品種には持つ者がいる。

久侘歌のこの姿は。

鶏として、最大限の威厳を保つためのもの。

だがそれが人間に受け入れられるかどうかは。

また別の話でもある。

餌やりが終わり。

鶏たちの様子を確認。

傷ついていたり。

数が増減している事は無い。

勿論此処は妖怪の山。

摂理の範囲内で襲われる事はあるから、それは仕方が無い。

だが激減したり無駄に殺戮された場合には、勿論久侘歌が出向くことになる。

その時の久侘歌は。

温厚な普段の喉を癒やす神ではなく。

荒ぶる古代の神としての力を見せつける事になる。

事実この間の畜生界の異変でも。

地獄に向かおうとした博麗の巫女達に対して。

久侘歌は「試験」を行っただけ。

「戦闘」を行う必要もない。

それだけの実力を有しているのである。

まだしばらく彼岸での仕事は落ち着く様子も無い。少し眠ったら、またすぐに出ることになるだろう。

手が足りないのだ。

定期的に問題を起こす地獄の鬼神達には頭も来るが。

かといって、彼らは荒ぶる神々そのもの。

荒ぶる事は彼らの存在意義でもあるので。

強引に押さえつけても仕方が無い。

ある程度好きにやらせて。

落ち着くのを待つしかない。

いずれにしても地獄以外に迷惑を掛けないようにするために、久侘歌達が彼岸で仕事をするのだ。

無論、正式な方法で通る事も出来るが。

その手続きは、久侘歌達がやるものではない。

別の神々の担当だ。

一眠りしてから。

またあの世に出向く。

途中、この間の異変で軽く試験を行った相手。

冥界の庭師、魂魄妖夢と出くわす。

人間と変わらぬ姿に大きな魂のようなものを引き連れている彼女は、冥界の姫君である西行寺幽々子の剣術師範であり。

幻想郷にも出入りする幽々子の実働戦力として、色々な仕事をする身でもある。

実は祖父は相当な剣豪として知られていたらしいのだが。

彼女は腕は良いが精神面に色々と問題があり。

今も一人前とは見なされていないらしい。

前回の異変時は。

体内に畜生界の動物霊が憑依していたため、性格がいつもと違ったが。

どの道この子はあんまりぶれない。

普段から真面目なようで。

肝心なところで優柔不断でいい加減。

なんでも、畜生界を大混乱させた異変の元凶と戦う時にさえ。

あまりに優柔不断な言動に、憑依している動物霊がブチ切れたとかいう話で。

本末転倒だなと、後から話を聞かされて思ってしまった。

並んで三途の川を飛びながら、軽く話す。

妖夢は、ぺこりと頭を下げる。

幻想郷の住人はあの世のことにはあまり詳しくはなく。

この間も異変解決に赴いてきた三人の内、博麗の巫女と魔法使いは久侘歌を知らなかったが。

妖夢は勿論知っていた。

「ニワタリ様。 この間は失礼いたしました」

「いえいえ、鳥頭ですので、もう忘れましたよ」

「はは、そうだと良いのですが、色々失礼なことを言ってしまったような気がして、本当に済みません」

「いいのです。 それよりも、今日はまた何かありましたか」

妖夢は頷く。

何でも主人から彼岸を見回ってこいと言われたらしい。

まだ地獄の混乱は収まっていないし。

畜生界もきな臭い動きをしている。

畜生界そのものが崩壊する危機は去ったが。

何しろ自己責任論が行き着くところまで行った文字通りのディストピアである畜生界では。

その混乱がまだ当面は続く事が予想される。

地獄の混乱もあるし。

何しろ経験が足りない妖夢は、あらゆる意味で経験を積んだ方が良い。

それがあの切れ者である冥界の姫の考えなのだろう。

「それでは、見張りを手伝ってくれますか」

「はい。 門番のようなことをすれば良いのですか?」

「いいえ。 何しろとても広いですので、私のように感知能力がなければその場に浮いていても仕方がありません。 何名かの部下と一緒に、地獄との境界辺りを回って、侵入者がいないかを確認してください。 もしも強引に侵入するようなら、斬り捨てることを許可します」

「ひ……」

あら。

物騒な事を言われたと、顔に書いている。

生半可な業物ではない長物を二本もぶら下げているのに。

随分とまた憶病なことだ。

そういえばこの子はお化けが大の苦手という妙な性格らしく。

どうして冥界で庭師をやっているのかよく分からない。

まあ、ともかくだ。

職場に到着。

事前に来ていた天津神の一人と、軽く話し合いをし、引き継ぎを済ませる。

チェックリストを受け取ると。

気になる名前があった。

正式なルートで通過したらしいが。

畜生界の関係者である。

畜生界には四つの巨大組織、いやこの間五つに増えたが。とにかく、幾つかの組織が存在していて。

その中の一つ。鬼傑組の組長。

この間の畜生界関連の異変を起こした張本人である中華の霊獣、吉弔八千慧の名前があったのだ。

「また通ったのですか。 最近かなり名を見ますね」

「あの造形神を討ち倒し暴走を鎮めた戦士達に興味があるらしく、時々幻想郷に出向いている様子です。 幻想郷から出た後は、きちんと帰ることを確認もしています。 人間界には出向いていませんし、監視も欺けていません」

「それならば良いのですが」

畜生界は基本的に霊体の世界で、肉体を持つ相手にはどうしても勝機が薄い。

文字通り畜生道に落ちるの言葉通り、六道輪廻の中でもかなりランクが落ちる世界の一つで。

其処に落ちた者は。

畜生の理に支配され。

そして地獄よりはマシとは言え、様々な苦しみに喘ぐことになる。

そんなところで暴力組織のボスをやっている者である。

くせ者でない筈が無い。

妖夢はへらへらとしているが。

此奴はお化けなんかとは比較にならないバケモノで。

外の世界で、生きた人間が一番面倒である事をよくよく知っている久侘歌は。それと同レベルの危険性を持つ相手だと理解していた。

少なくとも妖夢が侮って良い相手では無いし。

戦闘力はともかくとして。

そのやり口は兎に角最悪である。

引き継ぎを終えた天津神が帰るのを見届けると。

部下を何名か呼ぶ。

広い彼岸に散っている監視部隊の一分隊である。その中でも、そこそこ人間に近い姿をした者達だ。

皆気が良い奴らだが。

戦士でもある。

妖夢を紹介。

ぺこりと頭を下げる妖夢。

礼儀は一応わきまえているが、膝が弱いらしく、長時間の正座は出来ないそうである。

まあそれならば。立礼もまたありか。

「今日は予定通りの地点を見回ってください。 地獄から此方に来ようとするものには、通常通りの対応を」

「分かりました」

「あの、ニワタリ様」

「何でしょう」

妖夢が、数名の彼岸の者を見て青ざめている。

畜生界の動物霊が憑依して気が大きくなっていた時と違い。

お化けではないかと思って警戒しているのだろう。

何だか、幽々子の苦労が分かる気がする。

手駒としてこの子くらいしか使えないのだから、幽々子も苦労しているのだろう。

「彼らは、その……」

「比較的性格が大人しかったり、神々の眷属となった鬼達ですよ。 鬼神と呼ぶには弱めで、妖怪と呼ぶには少し強い。 それくらいの存在です。 地上で妖怪として怖れられるような活動をしていた、民間伝承に出てくる獄卒の「鬼」と中華の「鬼」の概念が混じった存在では無く、殆どは獄卒をするのが嫌になって、配置転換を申し出て受け入れられた者達です。 実力は貴方ほどではないですが、地獄の普通の鬼とやりあうくらいは有しています」

「そ、そうですか、良かった」

「それではお願いします。 みなさん、彼女は知っての通り相当な腕利きです。 もしも戦闘になったら頼ってあげてください」

敬礼されたので、頷く。

彼岸は冥界と関係が深く、冥界の姫君は有名なのだ。彼女の従者のような事をしている妖夢が腕利きで、その一方でのんきでいい加減な性格だと言う事も。

後は任せてしまって良いだろう。

皆が去ったのを確認すると。

仕事に取りかかる。

久侘歌は両手を拡げると。

ぱんと、小気味よい音を立てて拍手をする。

神の力を引き出すための儀式である。

拍手というのは、本来神聖な儀式であって。神が直接行えば、様々な奇蹟を直接起こすことが出来る。

眷属を使役したり、己の能力を駆使したり。

今久侘歌がやったのは、後者の方だ。

拍手の音が彼岸に鳴り響くのを確認してから。

久侘歌は大きく息を吸い込み、全力で「鳴いた」。

鶏の声は、強烈な破邪の力を秘めている。

朝を告げる声なのだから当然である。

もしも生半可な悪霊がいた場合は。これだけで全部浄化されて、悪さをすることは一切出来なくなる。

他にも此処で仕事をする神は。

破邪の能力を持つ者ばかりである。

彼岸というのは、地獄との境目。

それだけの重要拠点なのだ。

こんなに忙しい時期は、地獄が混乱している時くらいだが。それでも、重要な場所である事に違いは無い。

また、今の鳴き声は、久侘歌にとってはソナーにもなる。

一旦全域を把握して。

そして何か余計な者が入り込んでいないか。

確認するための作業でもあるのだ。

これらはいわゆる術式の類で、悪しきものがいた場合は、即時排除の効果も持っている。

久侘歌は飄々としていると評されるが。

それとは別に、仕事で手を抜いたことは一度だって無い。

術式も使うが。

科学も使う。

渡されているインカムを装着。

頭に乗せている巣とひよこを落とさないように気を付けながら。

「各小隊、久侘歌配置につきました。 状況を知らせてください」

「α。 異常なし」

「β。 異常なし」

小隊がそれぞれ連呼してくる。

インカムの向こうで、妖夢が興味津々に分隊長に何か聞いている様子だが、相変わらず何というか。

まああの子はアレで良いのだろう。

腕っ節に関しては、生半可な鬼神を凌ぐほどなのだ。

巡回を開始させる。

久侘歌は能力を常時展開。

彼岸に異物が入り込まないかを確認するように気を張りつつ。

同時に巡回のスケジュールを確認。

幾つかある小隊は、それぞれ更に分隊ずつに別れて。担当している地域を見張り、侵入者に対応する。

何しろ地獄から侵入してくる者だ。

正式なルートで来るものはともかくとして。

こっそり越境しようとする者はロクな存在であるはずが無い。

亡者の場合は文字通り地獄に蹴り返すし。

地獄の外で悪さをしようとする鬼や鬼神の場合は、ふんづかまえて行政組織、この辺りだと閻魔に突き出す。

神だから、人間とは比べものにならない体力がある久侘歌だが。

広域に力を展開していれば、それは当然疲れる。

眠りが必要なのもそれが故。

目を閉じて、じっと何か侵入者がないかを確認し続けていたが。

異物を確認。

同時にインカムに声が入り込む。

「此方γ小隊。 地獄から脱走してきた亡者を確保」

「此方でも確認しました。 所定の処置を」

「ラージャー」

亡者はインカムの向こうでもう地獄は嫌だと泣きわめいていたが。

久侘歌は救うつもりは無い。

実のところ、仏教の苛烈な教えと裏腹に。

現在では、地獄に落ちる亡者はさほど多くは無い。

地獄がパンク寸前になっているのが原因で。

そのせいで、元々の地獄の十王が全員閻魔に昇格。更に手が足りないというので、各地の地蔵などを閻魔として大量スカウトした、という経緯がある。

つまり地獄行きの亡者というのは。

相応の罪を犯している。

そして閻魔には犯してきた罪を見る能力が備わっている事が多く。

近隣を担当している閻魔の一人。

久侘歌にとっては現在の上司に当たる四季映姫もそれは同じ。

彼岸の近くにあるのは比較的階層が浅い地獄で。

そこから出てきたと言う事は、最近地獄に落ちた亡者だろう。

いずれにしても、直接相手の記憶を確認し、判決を下す地獄の方式は、地上の裁判所よりは正確だ。

それで地獄に落ちていると言う事は。

つまりそういう事である。

幸い斬らずには済んだようだが。

地獄に引き渡しておしまい。

地獄側は混乱しているので。引き渡しの時はうんざりした様子だったようだが。とにかく手続き通りに済ませるので、此方が文句を言われる筋合いはない。

まあ地獄での刑期が更に長くなるだろうが。

それは自業自得である。

さて。

また監視に戻る。

拍手をし直し。

鳴き直すと。

目を閉じて、監視に集中。こういう瞬間が一番危ない。何かしらの小さな問題を起こして、それを陽動に本命がしかけてくる。

狡猾な者は。

それを常套手段として行使する。

むろん久侘歌だけではなく。

彼岸を警備する者達も、それには慣れている。

ただ、指揮官である久侘歌がしっかりしていないと。

如何に前線で戦う者達が優秀でも。

彼らを生かすことは出来ない。

自己責任論は実際には無責任論だ。

責任は久侘歌のような指揮官の背に乗っているのであって、指示を受けて実際に行動した現場の人間にはない。

だからこそ、久侘歌は。

責務を全うする。

ほどなく。交代の時間が来た。

護法神の一人が側に降り立つ。少し幼い容姿をした神だが。それでも立派な退魔の力を持つ神であり。鬼が見たらすっ飛んで逃げる存在である。

「ニワタリどの、交代の時間です。 お疲れ様でした」

「ありがとうございます。 それでは此方も、ゲストを呼び戻しますので、少しお待ちください」

「ゲスト?」

「この間畜生界で暴走していた造形神を鎮めた幻想郷の戦士の一人です。 ああ、この間身の程知らずにも此処を突破しようとした勁牙組の組長を倒したのも彼女ですよ。  鳥頭ですが覚えています」

茶目っ気を込めて言うが。

生真面目な護法神は苦笑いもしてくれなかった。

妖夢を呼び戻す。

分かり易すぎるほど、退屈そうにしていた。

何か暴れたかった。

もしくは派手な仕事だと思った。

そう顔に露骨に書いてある。

怒っても仕方が無い。

彼女は半人半霊という種族で、寿命は人間よりもずっとずっと長い。だから成長もその分遅い。

いい加減でのんき者かも知れないが。

いちいち怒るつもりはなかった。

明確に誰かに迷惑を掛けたわけではないし。

何かのミスをして、例えば強力な鬼神を幻想郷に素通りさせたとかでもないのだから。

眠そうにしている妖夢の前で。

引き継ぎ作業を済ませる。

インカムを引き渡して、今日の仕事終了。次のシフトまで少し時間があるので、また家に帰って眠る事にする。

妖夢を促して、行く事にする。

これは下手をすると、帰りは背負うことになるかと思ったが。

其処まで子供ではなく。

きちんとふらつきながらも、ついてきてはくれた。

此処は三途の川の上。

落ちると三途の川に住んでいる凶暴な「魚」達の餌になってしまうが。

ちょっと心配なので、声を掛ける。

「眠そうですが、大丈夫ですか?」

「ふあい、だいじょうぶれす……」

「冥界の姫君には、今回のお仕事についての査定を送っておきますね」

「っ!」

一瞬で眠気が覚めたらしい。

青ざめている妖夢だが。

久侘歌は容赦するつもりはない。

「仕事をしにきた以上当たり前でしょう」

「に、ニワタリ様、そのあの、私が直接報告を……」

「報告というのは、客観的で初めて意味を持ってくるものですよ。 大丈夫、貴方を悪く書くことも良く書くこともしません。 あった通りの事を書きます」

「そ、そんな殺生な……」

涙目になる妖夢。

ダメダメな仕事をしていた自覚はあったのか。

まあ、それは仕方が無い。

怒られることを前提で、幽々子は久侘歌の所にこの子を寄越した感触がある。

幽々子の所にいた、先代の剣術師範は。

兎に角とんでも無い凄腕だったそうだ。

幽々子は苦手としていたらしいが。

それでも、手駒としては頼りになったのだろう。

その先代庭師が妖夢を残していなくなった今。

切れ者として知られる冥界の姫君は、とても動きづらい状況になってしまっている。

刻一刻と変わる状況に対応するためにも。

妖夢を育てるために、色々と苦労しているのだ。

幻想郷の手前で、妖夢と別れる。

肩を落としていたが。

それは彼女の自業自得だ。

ただ久侘歌にも責任はある。

あの子がきちんと仕事をできるように、もっと緊張感がある状況に置くべきだった。

それを反省しながら。

久侘歌は自宅へと戻る。

丁度真夜中。

鶏たちは眠っている。

だが、何体かいる、眷属にまで成長した者達は起きて待っていた。

「お帰りなさいませ、ニワタリ様」

「はい。 夕食は出来ていますか?」

「時間通りに作りましたので、暖かいですよ」

「ありがとうございます」

暖かい煮汁を楽しむ。

同時に、紙と筆を貰い。

さらさらと妖夢の査定をしたため。自分にも問題があった事もきちんと書く。

眷属の一人に、冥界の姫君の住居、白玉楼に届けるように指示。勿論神の力で封じておく。これで幽々子の所に届かなかったら、それで分かる。

まあ、次があったのなら。

あんな眠そうになるような仕事は避けて。

もっと戦士としての血が騒いで、きちんと働けるような状況においてあげよう。

そう久侘歌は思い。

今日すべきことが全て片付いたのを確認してから。

寝床に入ったのだった。

 

2、復権への遠い道

 

民間信仰は日本中に存在している。

天津神という圧倒的支配者が存在するとはいっても。国津神という天津神に屈した者達がいるとしても。

それでも残された、それ以外の神々は存在しているのだ。

これはこの国だけではない、という話は、久侘歌も聞かされた事がある。聞かされた相手は、誰だったか。

閻魔である映姫だったか。

それとも賢者の誰だったか。

賢者は最近此処に顔を出さないが。いつだったかの宴会の時にでも、ほろ酔い加減の久侘歌に、話してくれた気がする。

例えば西洋圏では、本来一神教の祭ではなかったクリスマスというものがしぶとく残り続け。

結局現在それは日本にも定着してしまった。

これが一神教と関係無い土着信仰の成れの果てだと。

今では誰が信じられるだろう。

一神教は、この国の天津神より遙かに苛烈に土着信仰を潰した。

天津神は相手を屈服させるだけで満足したが。

一神教は滅ぼさなければ納得しなかった。

だが、そんな状況でも。

滅ぼされず。

内部に取り込まれ、平然と生き延びている民間信仰は存在している、というわけである。

ましてや屈服で満足する天津神である。

妖怪の山の、今久侘歌が住んでいる滝上から見下ろせる守矢神社の二柱。土着神の頂点である諏訪子などは、一神教圏では念入りに滅ぼされていたことだろう。

だがこの国ではそうではなかった。

似たような土着信仰は彼方此方にあり。

或いは妖怪になったり。

或いは神社として祀られたりしている。

何しろあの、見た者を族滅するという最悪レベルの邪神である夜刀の神でさえ、神社に祀られている程だ。

むしろこの国では。

屈服さえすれば、どんな信仰でさえ許す。

そんな不思議な寛容さがあるのだった。

山の中を天狗が飛んでいる。

比較的高い所を飛ぶ事が多い天狗だけれども。

木々の間を縫って低く飛ぶ事もある。

天狗達にとっては、鬼でも関わり合いたがらなかった久侘歌はアンタッチャブルになっているらしく。

そういう意味では楽で良い。

天狗は妖怪の山の覇権には興味があるし。

里の人間を都合の良い情報である程度自分達に都合良く動かそうとはしているが。

人間をさらったり。

喰らったりはしない。

そういう意味では。

この妖怪の山に住んでいた、一時期の鬼達寄りも、ずっと扱いやすい。

ただ、それでも。

扱いづらい天狗はいる。

おきだし、気持ちのいい朝の中で、拍手し。

そして鳴いた後。

振り返りもせず。木陰に久侘歌は呼びかける。

「隠れていないで出てきなさい」

「ふふ、流石に貴方のような相手になると、私の隠行では通用しませんね」

姿を見せたのは、行者風の姿をした天狗。

アルカイックスマイルを浮かべ。

その下には野心と鬱屈をため込んでいる、天狗の中で最も実力があり。

最も危険な者。

射命丸文である。

天狗は新聞がそろって大好きで。

此奴も例外では無い。

自分で三流と認めている新聞をばらまいては、その反応を楽しんでいる愉快犯でもある。しかも強いので、弱い妖怪は「取材」を断れず。変な記事を書かれても泣き寝入りするしかない。

そういう意味で嫌われてもいるが。

何しろ天狗は何かあると一族で報復に来るという種族。

その実力に恐れをなして。

口をつぐんでしまう弱者妖怪は珍しくないのだとか。

此奴はあらゆる意味で天狗の中では例外だ。

久侘歌の所に平然と来るし。

鬼にもある程度洒落臭い口を利く。

それは此奴が、天狗としては規格外の実力を有していて。

幻想郷に存在する様々な妖怪組織のボスほどではないにしても、それに近い実力を持っている。

そういう現実を意味していた。

大胆すぎる行動は。

実力に裏付けられているのだ。

また此奴は記者としては三流だが、頭は回るし、情報収集能力も一級品である。寝首を掻かれないように気を付けなければならない相手だ。

だから久侘歌も油断していない。

「取材をしたいのですが、よろしいですか」

「大方この間の異変のことでしょう」

「察しがよくて助かります」

この間の異変。

地獄から大量の動物霊が現れ、幻想郷に姿を見せた異変である。

幻想郷の外で主に事態が進み。

幻想郷の外で解決したため。

「動物霊が現れた」くらいにしか思われていない異変だが。

逆に言うと、関係者が口を利きたがらないため。

業を煮やして久侘歌の所に来たのだろう。

それはそうだ。

あの事件は、混乱している地獄の隙を突き、畜生界の大量の動物霊が幻想郷にまで現れたもので。畜生界で暴走している造形神をどうにかしようと、仕組まれた事件だった。事件を仕組んだ吉弔八千慧は、筋金入りのスジ者。畜生界を牛耳る暴力組織の一つのボス。

畜生界は、巨大な暴力組織がしのぎを削る場所。

四つ、いや今は五つか。五つの巨大組織の長はいずれも劣らぬくせ者揃い。

あの博麗の巫女も。

関わった後には、うんざりした顔をしていた。

久侘歌にも大体その辺の事情が分かるので、あまりコメントはしたくない。

「実はあの事件に出撃した博麗の巫女、魔法の森の魔法使い、それに冥界の庭師にそれぞれ突撃取材をしてみたんですが、取材はみんな断られてしまいましてね。 博麗の巫女に至っては、パパラッチ撃退結界なんてものを張ってくる始末でして」

「日頃の行いが悪いからです」

「あやや、そんな殺生な。 この清く正しい射命丸、筆を汚すような真似はしていませんよ」

大嘘つきが。

此奴が事件がないときは、自分で事件を起こして記事にするような奴であることを、久侘歌は知っている。

悪人とか邪悪な妖怪とかではなく。

単にそれが天狗というものなので、それをどうこう言うつもりは無い。

勿論、久侘歌も此奴の取材につきあうつもりはない。

「うちでも取材を受けるつもりはありませんよ」

「……まだ忙しいようですね」

「……」

目を細める久侘歌。

空気が帯電し。

周囲の眷属達が戦闘態勢を取る。

射命丸は余裕の姿勢を崩していない。

久侘歌を本気で怒らせたら危ない。

それは理解しているが。

同時に本気で怒らせなければ問題ない。

それも理解しているのだ。

その危うい綱渡りを。

千年を経たこの天狗は、心得ているし。楽しんでもいる。そういう事である。

「では、異変の件についての取材は避けましょう。 それでは、貴方が最近とても疲れ気味な事について取材させていただきたいのですが」

「ノーコメントで」

「あやや、つれませんね。 ではその疲れの解消法についてはどうでしょうか」

「……食い下がりますね」

いい加減鬱陶しくなってきたが。

そも、此奴がどうして久侘歌が疲れ切っていることを知っている。

まだしばらくは地獄の混乱は続くだろうし。

鬼神達が飽きるだろうから、その内混乱も収まる。

その間、久侘歌が疲れ果てるまで仕事をしなければならない事に代わりはないのだけれども。

疲れの解消法か。

まあ寝るだけだ。

「仕事で不規則な生活を強いられますので、それに耐えうる体力をつけ、食事をきちんと取って寝ること。 以上です」

「随分とまた、脳筋な解消法ですね」

「人間だったら恐らくは体を壊してしまうでしょう。 妖怪でも、疲れはかなりたまると思います。 しかしながら私はこれでも、天津神や国津神の大物には及ばないにしても、現役で信仰を受けている神です。 常に信仰の力が流れ込んでいますから、其処まで体がおかしくなる事はありませんよ」

「なるほどね。 メモメモ、と」

可愛い手帳にボールペンで字を書いている射命丸だが。

ボールペンの動きを見る限り、結構可愛い字を書いているようだ。

性格の悪さで知られる射命丸だが。

意外に女の子を意識させる部分も存在している。

人里で、射命丸は半ば公然と新聞をばらまいているらしいが。

妖怪には嫌われても、人間にはあまり嫌われないのは。

その辺りに、かわいらしさを感じるのかもしれない。

とはいっても。

射命丸が危険な天狗であるという事実には代わりは無いので、油断はしないように促さないといけない時が来るかも知れないが。

「後、嫌な事はすぐに忘れる事です。 幸い私は鳥頭なので、あまり長い事は覚えていられませんが、ね」

「鳥頭ですか?」

「ふふ、鴉の貴方には無縁の言葉ですか?」

「いえいえ、その言葉を飄々と使う貴方には感心するだけですよ」

他に幾つか聞かれる。

食事のバランスの取り方だの。

何だの。

後、取材に使う写真は見せてもらうが。

幾つかは駄目出しをした。

これについては、射命丸も素直に従う。

神にとっては信仰が大事であることは、それより緩いにしても「恐れ」を集めなければならない妖怪である射命丸も良く知っている。

久侘歌を馬鹿にするような真似をしたら。それは普段あまり怒らないことで知られている久侘歌の逆鱗に触れるのと同じ事。

鬼達でも怖れた久侘歌が、天狗の本拠に戦闘態勢で乗り込んでくることになる。

そうなると、射命丸でも手に負えない。

場合によっては血を見る事になる。

責任は射命丸が負わされることになる。

そのリスクくらいは。当然この狡猾な天狗は計算できるのだ。

「それでは、取材はこの辺りで。 これからお仕事ですか?」

「今日は非番なので、人里にでも行くつもりです」

「ほう、それは。 むしろそれを取材したいですが……」

「以前取材したでしょう。 その理由ですよ」

射命丸は前にも来たことがある。

そして鶏の復権について話はした。

それで終わりだ。

似たように、貶められた動物の復権について目論んでいる存在はいる。

迷いの竹林に住む神兎、因幡てゐなどもそうだ。

やり方は久侘歌とかなり違っているし。

何よりも同胞を振るいに掛けるようなやり方は気に入らないが。

兎の復権を目論み。

行動している、という点だけは。鶏の復権を目指している久侘歌と同じである。

良くしたもので、どちらも古い神であり。

天津神でも国津神でもないという点でも共通している。

もっとも、戦闘に決定的に向いていないてゐと違って、久侘歌はバリバリの武闘派だが。

散々纏わり付いてきた射命丸が姿を消したので。

結界を張り直し。

眷属達や、鶏たちに気を付けるように言い聞かせ直してから。

人間に変装して。

人里に降りる。

今日はさっき射命丸に応えたように非番だ。

何名かの神が交代で彼岸の守りを固めているのだが。当然こういう非番の日も来る。

本当に疲れている時はずっと寝ているが。

今日は其処までではないので。

自分としてやりたいことをしに行く事にする。

まあ、あからさまに妖怪や神と分かる格好をしていなければ、人里に出入りしても文句を言われないのが幻想郷で。

人間を襲わなければ、夜になれば妖怪であっても人里に入っても大丈夫な、多少緩い場所である。

妖怪側も人間を殺すことが幻想郷にとってためにならない事を理解しているし。

人間側も、妖怪が人間を怖れさせる事で存在を維持していることを理解しているから、成り立っている事だ。

神である上、現役で信仰されている久侘歌にはあまり関係無いのだが。

それでも、一応気に入って住んでいるのだから。

ルールに従って行動するつもりである。

人里の近くまでは飛んでいき。

其処からは歩く。

編み笠を被った薬売りが人里から此方に来たので。一礼して通り過ぎたが。あれは妖怪だ。

薬売りと言う事は、幻想郷に存在する唯一の中立勢力、永遠亭の妖怪兎だろうが。

まあ久侘歌にはあまり関係が無い。

門番にも咎められること無く。

人里に入る。

外の世界では、今はすっかり世界全体が精神的に貧しくなってしまっているが。

幻想郷の人里は、明るい笑顔に満ちている。

勿論妖怪に支配されているという不安はあるだろうが。

犯罪も少ないし。

根本的に平和なのだ。

だが、こういった場所でも

きちんと食物連鎖はある。

肉屋では今丁度、家畜化された鶏が捌かれている所だった。

人間にとって鶏は重要な肉。

まあこういう店があるのは当たり前の話だろう。

外の世界だと、専門店で調理されたり、そうでなくても部位ごとに切り分けられた鶏が売られているケースが大半だが。

幻想郷では、流石に其処まで効率化はされていない。

食品店で、野菜を幾らか買いながら。

鶏はどこから仕入れているのか聞いてみる。

答えは、人里の辺縁から。

畜産業者は、臭いの問題もあって、人里の辺縁で暮らしているという。

ふむと考え込む。

昔、中華では肉屋がある程度高い社会的地位を持っていた時代があったのだが。

日本ではそうでもなかった。

幻想郷でもその辺りは、あまり代わりがないらしい。

他にもふらふらと歩いて、そば屋に。

流石に鶏の肉を食べる気にはなれないので。

ざるを注文し。

よく冷えたざるそばを食べていると。

声を掛けてきた者がいた。

「相席良いかしら」

「!」

「珍しい顔だと思ってね」

前に座ったのは、一応姿は変えているが。

この幻想郷の賢者。

八雲紫である。

鬼が地底に去ってから、殆ど会うことは無かったのだが。まさかこんな所で顔を合わせるとは。

同じようにざるを注文すると。

紫は得体が知れない笑みを浮かべて、ぐいぐい話しかけてくる。

「今彼岸は忙しいと聞いたけれど、非番かしら」

「ええ。 調査に来ているんですよ。 外の世界では絶望的ですが、此方ではどうかと思いましてね」

「うふふ、残念ながら……」

「ええ、そうでしょうね」

鳥頭、という言葉は此処でも定着している。

博麗の巫女もそれを口にしていた。

実際には鳥は、かなり知能が高い生物である。つまり事実と反しているのだが。そういう認識が人間には拡がっている、と言う事だ。

この言葉の影響を受けている妖怪はいる。

例えば以前地獄鴉という妖怪の話を聞いたことがあるが。

記憶力が極めて悪く。

頭の回転そのものは早いのに。

馬鹿にされてしまっているという。

鶏は兎も角、鴉まで鳥頭だと思われるのは大問題だろうに。

事実野生の鴉でも、人間の幼児並みの知能はあるのだから。

「何とか、復権はできないものでしょうかね」

「厳しいでしょう。 人間を襲う凶悪な鶏の妖怪でもいれば話は別でしょうが、ただそんなものが出れば博麗の巫女と貴方が交戦状態になるでしょうし」

「鶏の妖怪は何種か覚えがありますが、人間を喰らえとは言えませんしね」

「彼岸の番人の言葉とは思えないわ」

くつくつと笑うゆかり。

久侘歌もくつくつと笑う。

どちらも好意的な笑いではないし。

和やかでもない。

事実店の人間がびびっていた。

さて、料金を払うと店を出る。

紫も久侘歌が何か問題を起こそうと思って人里に来たのでは無いと知ったからか、いつの間にかいなくなっていた。

その後は、鶏を飼っている場所を見に行く。

ブロイラーではなく。

放し飼いにしていた。

狐よけの犬が、がつがつと餌を漁っている。

気配を消しているので、犬は久侘歌に気づけない。

中を確認するが。

それなりに綺麗にはされているようだった。

まあ売り物だ。

それに売った鶏の肉から病気でも出たら、大問題になりかねない。売る人間としても、鶏を虐めるつもりはないのだろう。

それだけで満足するべきなのか。

だが、此処は外の「そこそこ状態が良い畜産業者」と同じ程度の場所に過ぎない。

鶏の復権は遠いな。

久侘歌はため息をつくと。

人里を離れた。

家に戻ると、精神的に疲れたので、眠る事にする。

少し多めに眠っても、罰は当たらないだろう。

彼岸では仕事がかなり厳しいし。

疲れだって、肉体のは取れるとしても。

精神のはそうもいかないのだから。

横になっていると、眷属達が騒いでいるのが聞こえた。

不機嫌になって、目を擦りながら外に出てみると。

誰かが空中で戦っている。

小競り合いだろう。

博麗の巫女と、射命丸だ。

幻想郷の決闘方。死者を出さずに行える戦いであるスペルカードルールで、派手な空中戦を繰り広げているが。どう見ても博麗の巫女が有利だ。

博麗の巫女は殆ど努力をしないが。

戦闘の度に強くなる。

戦闘経験を力に変えているタイプである。

昔は射命丸が手を抜いているのが分かったが。

最近は本気になっても。それでも博麗の巫女の方が強い。力の差も、露骨になってきていた。

だが、そもそも戦士としてではなく、記者として立ち回る事が多いのが射命丸である。どうせおおかた、ろくでもない記事でも書いて博麗の巫女を怒らせ、空中で待ち伏せされて戦っているのだろう。

やがて撃墜された射命丸。

ふんと鼻を鳴らすと、博麗の巫女はマッハコーンを作って飛んでいった。

流れ弾が飛んでこないように結界は張っていたが。

撃墜されたときの様子からしても、射命丸はぴんぴんしているだろうし。

流れ弾が妖怪の山に着弾している様子も無かった。

眷属の一羽が、口に新聞を咥えてくる。

撒かれていたものだという。

射命丸が書いた新聞だと、一目で分かった。

記事の癖が、露骨に出ているのだ。

この間の畜生界が絡んだ異変についてだが。

博麗の巫女、魔法の森の魔法使い、冥界の庭師など、関係者に話を聞いて回ったが明確な回答は得られなかったとされつつも。

まだ彼岸で混乱が続いている事から。

おそらく解決の過程で問題があったのでは無いのかとか。

好き勝手な事が書かれていた。

まあ、これはあの気の短い博麗の巫女も怒るだろう。

なお久侘歌の名前も出ていたが。当たり障りがない事しか書かれていない。

流石に久侘歌を本気で怒らせると、射命丸が撃墜される程度では済まないと判断したのか。

この辺りは、まあ体を張って笑いを取りに行っていると、好意的に解釈しておくとしよう。

やがてふらふらと浮き上がった射命丸は、一瞬だけ此方を見て苦笑いしたが。

腕組みしている久侘歌にはかまわず、天狗の住処に引き揚げて行った。

寝直すことにする。

あまり、実りのある日では無かったなと、久侘歌は思った。

 

3、魔法使いの所存

 

畜生界に遊びに行くと言う事で、幻想郷の魔法の森に住んでいる魔法使いを通した。

そう、仕事場の彼岸で。

久侘歌は引き継ぎの時に聞かされた。

そういえば、畜生界の騒乱の原因。

造形神は、幻想郷からの戦力が叩きのめして暴走を止めた後も。

神らしく死ぬ事はなく、勢力を維持していて。

特に魔法の森の魔法使いも、ある程度交流を持っているという。

そうなると、帰ってくるときに遭遇する事になりそうだ。

前に少し聞いたのだが。

実は博麗の巫女も。

外の世界との接点は持っている。

宇佐見菫子と呼ばれる人間が、ある方法で幻想郷に出入りしているらしく。

彼女から外の世界の話を聞いているのだそうだ。

更に言えば、魔法の森に住んでいる魔法使いは。

まだ育ち盛り。

知らない事には興味も持つし。

見た事がないものは見てみたいと思う年頃なのだろう。

博麗の巫女が戦友と認める数少ない存在である彼女は。

天才型の博麗の巫女とは真逆の努力型のようだが。

恐らく逆のタイプだからだろう。

親友として上手く行っている。

あの暴威の権化のような博麗の巫女と上手くやって行けているのも、凄い話ではある。

もっとも魔法の森の魔法使いは手癖が悪く。

それだけはどうしようもない様子だが。

まあその辺りは、癖が強い者の多い幻想郷だ。

ある程度は、我慢するべきなのかも知れない。

いつものように、彼岸からの不法侵入がないように警戒を続けていると。

ほどなく、その魔法使いが、箒に乗って飛んできた。

金髪で小柄な。

ステレオタイプの魔女の格好をした可愛らしい子だが。

しゃべり方は若干中性的である。

その一方でおしゃれや細かい気配りはかなりしっかりしている方で。

いわゆる女子力に関しては博麗の巫女に完勝している。

流石に彼女も、緊急時ではないから。

きちんとルールに従って、この世に戻るべく手続きをする。

手続きには時間が掛かるので。

その間に、久侘歌が話をした。

「詳しい事は聞きませんが、畜生界はどうでしたか?」

「お、鳥の神様。 この間ぶりだな。 名乗ったっけ? 私は霧雨魔理沙だ」

「庭渡久侘歌です」

「そうだった。 久侘歌さんでいいか?」

頷くと。

軽く話してくれる。

「畜生界は見たこと無いものばかりで、刺激的だぜ。 造形神も部下達も、暴走がとまって見ればむしろ他の畜生界の奴らより良い奴だしな」

「仲良くなったのですか?」

「ああ、色々案内してくれるし見せてくれる。 その度に冷や汗もんでな。 良く勝てたって思うぜ。 正直、真正面から力勝負でやりあっていたら、勝てたかどうか。 月での戦い以来だな、此処までやばい相手とやりあったのは」

「相手が暴走状態でむしろ弱くなっていたことや、本来人に福を為す者だから、と言うのがあるのでしょう」

造形神は名前を聞いたが、思わず口をつぐんだ。

天津神の頂点であるいわゆる三貴神よりも、更に古い神だったのだ。

古ければ強いと言うわけではないけれども。

それでも相当な神である。

一つの世界を掌握し。

造形神を名乗るだけの事はある。もし軍神の逸話を持つ存在だったらと思うとぞっとする。

それを撃ち倒した博麗の巫女達の実力も高いが。

この子が言うように、運も絡んでいたのだろう。

手続きが終わったので、三途の川に落ちないように気を付けてと言うと。

魔理沙はもう少し話したい、と言った。

「あんたはあの時こっちのことを心配して力試ししてくれたよな。 他の二人は気付いていないように見えたけれど、礼を言っておきたくてな」

「あら、素の状態だとそんな性格なんですね」

「いや、私はその……そんな良い奴じゃない」

「事情は聞いていますが、そう謙遜することはありませんよ」

魔法の森は、幻想郷でも屈指の危険地帯。

そんなところに、まだ成長期の子が一人で住んでいる。

それだけで、魔理沙がロクな人生を送っていないことは分かる。

所々からしみ出している育ちの良さ。

素のように出てくる手癖の悪さ。

相手のことを気遣うことが出来る一方で。

相手を叩き潰すときには容赦もしない。

それらの全てが。

魔理沙があまり明るい道を歩いてきていないことを示している。

「あんたは最近聞いたんだが幻想郷に住んでいるんだって?」

「ええ。 妖怪の山に」

「そっか。 今度遊びに行っても良いか?」

「良いですが、天狗の縄張りのすぐ側ですよ。 気を付けないと天狗に叩き落とされるかも知れませんが」

思わず口を引きつらせる魔理沙。

流石に普段から天狗の群れに喧嘩を売る気にはならないのだろう。

単独の天狗ならどうにでもなるとしても。

群れとなると厄介だ。

話を切り上げると、魔理沙は帰って行く。

畜生界は、悪い意味で弱肉強食の論理を振り回す、文字通りの畜生達の世界だ。

そうデザインされた場所で。

地獄ほど酷くはないが。

地獄に比べてマシ、という程度の場所に過ぎない。

そんな場所が気に入ったのなら心配したのだが。

どうやら造形神の陣営が気に入ったようなので。

それは心配しなくても良いだろう。

ただ。畜生界は、外の世界の都会にとても構造が似ていると聞いている。

あれがテクノロジーの産物だと知ったら。

魔理沙はあまり良い影響を受けないかも知れない。

その日は特にそれ以上これといった事も無く。

亡者を数名、地獄に送り返して。

それでおしまい。

引き継ぎを済ませて帰る。

そして数日後。

本当に魔理沙が来たので驚いた。

 

森で取れたというきのこをたくさん箒にぶら下げた籠に入れて。魔理沙は悠々と久侘歌の家に乗り込んできた。

下調べもして来たという。

何でも天狗の領空ギリギリを飛び。

慌ててスクランブルしてきた白狼天狗に話を聞いて。

久侘歌がいるタイミングを見極め。

そして結界の位置を特定。

ここを訪れたのだ。

そこまでしてこの子の好奇心は体を動かすのかと。

ある意味感心してしまった。

博麗の巫女と対照的なのは、此処もだ。

怠け者でものぐさな博麗の巫女と裏腹に。

知的好奇心の赴くままに動き回って、アグレッシブに誰とでも接して回る。

だからこそ、天賦の才を持つ戦鬼である博麗の巫女と。

肩を並べて戦えているのだろう。

「おー、いたいた。 天狗の奴ら、久侘歌さんの話したら青ざめてたぜ。 いっつも偉そうにしてるのに、愉快痛快だった。 これ、とれたてのキノコ。 焼くとうまいぞ」

「ありがとうございます」

「そいつら、あんたの眷属か?」

「はい。 家畜化されていない鶏が神獣になったものですよ」

姿は鶏だが。

その気になれば人間の姿を取ることも出来る。

久侘歌の眷属は。

それくらいの力を持った獣たちだ。

まだ力が弱くて、其処までの力を持っていない者もいるけれど。

それは今後の修行次第だろう。

焚き火を囲んで、キノコを焼いて食べる。

せっかく魔理沙が来てくれたのだから。

此方も山の幸を振る舞う。

魔法の森では取れない果物を幾つか分けると、魔理沙は喜んでいた。

「おお、甘いの好きだぜ。 ありがとうな」

「いいえ。 きのこのお礼ですよ」

「それにしても、天狗に話を聞いたんだが、あんた元々外でも信仰を受けている神様なんだろ? なんで此処にいるんだ?」

「最初に移り住んだ経緯は秘密ですが、今は此処が気に入っているのが一つ。 もう一つは、家畜化された鶏に対する蔑視をどうにかしたいと思っているのが一つ。 外ではもうどうにもできそうにないので、此処で色々模索しているんですよ」

魔理沙は葡萄を食べながら。

黙々と話を聞いていた。

自分なりに理解するべく。

話を飲み込んでいる、のだろう。

「蔑視された鶏、か。 鳥頭とか、そういう事か?」

「ええ、そうです。 私も鳥頭ですが、本来鶏は野生で暮らしていた生物を、人間が家畜化したものです。 人間の中には、頭が悪くて空も飛べないと思っている者も多いようで、頭を痛めています」

「ああ、鶏が空を飛べるってのは聞いたな。 前に鶏飼ってる奴に、柵を越えて逃げた鶏を捕まえてくれって頼まれて、小遣い貰った事がある」

「そんな事も知らない人間が多くなっているんですよ、今は」

焼けてきたきのこをほおばる。

確かに毒は無さそうだ。人間にとっては平気でも、鶏には毒になる食べ物もあるが。神である久侘歌にそれは関係無い。神殺しの毒もあるのだが、少なくともこのきのこには入っていないようだ。

魔理沙は少し考え込んでから言う。

「守矢みたいに、人里に分社を置いてみたらどうだ?」

「ただでさえ彼岸の仕事が忙しいので、人里に気を配る余裕はありません」

「早苗にでも管理を任せたら?」

「いいえ、それはダメです」

守矢の巫女である早苗は、大喜びで話を買って出るだろう。

だがそれは、守矢に借りを作る、と言う事だ。

それはまずい。

ただでさえ今、妖怪の山は必死に天狗が守矢の完全制圧に抗っている状況。昔妖怪の山最強である鬼さえも押さえ込んでいた久侘歌が守矢と同盟関係になったら、後はもうなし崩しである。

天狗は緩衝地帯として久侘歌を放置している。

守矢も最後の一押しとして、久侘歌を利用しようとしている。

久侘歌はだからこそ、敢えてどちらにもつかない。

実際相当に強力な神である久侘歌が守矢の側につくことを明確に発言したら、妖怪の山は守矢の手に落ちる。多分その日に。

そうなったら、野心的な守矢は。

天狗を取り込み。

他の勢力への積極攻勢を掛けるだろう。幻想郷の完全制圧を狙って。

博麗の巫女に喧嘩を売るかは分からないが。

少なくとも、他の妖怪勢力を、圧倒的な力で一つずつ潰して行く。それくらいの事はやりかねない。

淡々とそれを説明すると。

見る間に魔理沙の顔が曇る。

ああ、やはりな。

久侘歌は驚かなかった。

この子は裕福な家で育って。

故に、そういったいわゆる政治的駆け引きの、嫌な部分を嫌と言うほど、幼い頃から見てきたのだろう。

経験の差という奴だ。

それくらいは、言われなくてもすぐに分かる。

頭を掻きながら、露骨に不機嫌になる魔理沙。

「それはまた、面倒だなあ」

「ええ、面倒なんです。 だから手詰まりでしてね」

「畜生界に行って見て分かったが、幻想郷はとてものんきに暮らしていける場所だ。 強い事は求められるが、畜生界と違って理不尽じゃない。 ちゃんとした、殆どの皆が納得出来る決まりがある。 弱くてもスペルカードルールが強ければ、ある程度発言権だってある。 私にはとても暮らしやすいと思ってた。 だが、それは所詮、子供の目から見たこの世界だったんだな。 こんなやばい駆け引きが身近にあったなんて」

「子供の世界にも政治的な駆け引きはありますよ。 外の世界ではそれが特に顕著だったりします」

今の時代はこう言うそうだ。

空気を読む。

子供の頃からそれは大いに求められるし。出来ない奴は排斥される。

エリートが通うような学校では更に顕著で。

子供が大人顔負けの権力闘争をするそうである。

幻想郷は人間の絶対数が少ないし。

人間の密度も少ない。だからその言葉はあまり浸透していない。

だからこそ、魔理沙が見てきたような、嫌なものはあまりないが。

全く無い、というわけではないのだ。

本当に嫌いなのだろう。

かなり強引に、話を変えてくる魔理沙。

どちらかというと話し上手なのだろうに。

「……話を変えるが、鶏の復権な。 今までどんなことして来たんだ?」

「人里で人間について観察し、たまに来る妖怪の賢者と話をし、後はこうして眷属を増やし……」

「幻想郷では人間の恐れや信仰がそのまま力になるんだぜ。 あんたみたいな強い神や、博麗大結界を出入り出来るような、外でも生きていける例外的な大妖怪は話が別だろうが、それだと多分あんたはそのままやっていけても、鶏の復権そのものはどうにもならないな」

「ふむ……」

言われた言葉に小首をかしげる。

昔は、鬼が幻想郷で悪さをする事があった。

まあその時代には、専門の鬼退治が出来る退治屋もいたのだが。

いずれにしても、鬼に人がさらわれて。

妖怪の山まで、文字通り酒の肴として連れてこられることもあった。

そんなときには久侘歌が動いた。

人間の意識がないのを確認してから。

鳴く。

鬼達にして見れば、鶏の声は恐怖。それを司る久侘歌は天敵だ。見られている、という事を悟ると、大慌てで人間を離して逃げていく。

ただ、鬼にさらわれていつの間にか助かった、という認識しか人間がしないのかも知れないのは事実だ。

人里での、人間の鶏の認識は。

外の世界と大差ない。

鶏の声で鬼から助かった、という話を。

もっと広めておくべきだったのか。

いや、そうすると鬼に立場がなくなる。

恐怖の対象として鬼は君臨していなければならなかったのだから。

更に言うと、今人里に姿を見せる鬼は、どちらかというと気が良い奴らばかりだ。

久侘歌が注意しなくても、人間を殺したりはしないし。

勿論喰らったりもしない。

夜中にしか、それも酒を飲みに行くくらいで。

今更久侘歌が其処に出張るのも勘違いな気がする。

更に言うと、近年は伝染病に関しても、幻想郷の賢者が特効薬をどうやってか外の世界から持ち込んでおり。

そういう意味でも、百日咳の快癒を願った信仰も、幻想郷では望めない。

それらを順番に話して行くが。

まだ幼さが顔に残っている魔理沙は、真剣に話を聞いていた。

「なるほどな。 あんたなりに考えてるんだな」

「ええ。 どうにも手詰まりというのは、試してから言っている事なのです」

「それについてはよく分かったよ。 だが、それなら誰かに相談してみたらどうだ。 頭が良い奴なら何人か知ってるし、紹介するぜ」

「そうですね。 もう少し彼岸の状況が落ち着いたら、その人の所でも訪ねてみるとしましょう」

魔理沙に教えて貰った名前を覚えておく。

鳥頭というのはあくまでおどけて言う言葉だ。

それに、魔理沙に教わった面子以外にも。

上司である閻魔、四季映姫という存在もある。

あの方は元々、地蔵だったと聞いている。

様々なものを見知っていることだろう。

何かの参考になるかも知れない。

「さて、色々聞けて楽しかったぜ。 気が向いたらまた来る」

「いつでも、とは言えない身ですが、まあ機会があったらいらっしゃい。 彼岸の方には、用事が無い限りは来てはいけませんよ。 ましてや戦いに敗れて来るようなことがあってはなりません」

「はは、大丈夫だ。 引き際は心得ているつもりだからな」

「……」

この子は多分、外の世界の人間とは比べものにならない実戦経験を積み、修羅場をくぐってきている筈だ。

幼くてもいっぱしの戦士。

その言葉は重みがある。

手癖の悪さは有名だが。

お土産をたっぷり渡したからか。

久侘歌の家から盗んでいくような事も無かった。

まあ或いは。

盗みたくなるようなものも無かったのかも知れないが。

それにしても、地道な活動ではダメ、か。

そういえば、話に聞いているが。

博麗神社の方では、人を呼ぼうと派手な行事を時々繰り広げているのだとか。

信仰を欲しがっている守矢神社と人の取り合いをしているらしいが。

その争いに関しては、常に守矢に軍配が上がっているそうである。

まあそれもそうだ。

守矢は背後についている二柱があまりにも老獪すぎる。

戦闘ではどれだけ強くても。

商売や、政治的駆け引きで博麗の巫女が勝てる訳がない。

かといって、守矢で話を聞くのはまずい。

そうなると、地道にリサーチでもするしかないか。

久侘歌はしばらく真剣に考え込む事を眷属達に告げると。

今日の残り時間を。

寝るまでに、思索に当てることに決めた。

考えを順番にまとめていく。

あまり頭が良くないと冗談めかして言っている久侘歌だ。

実際にあまり頭は良くない。

だからこそ賢き者に知恵を借りる。

それは悪い事では決してない筈だ。

誰に借りを作らず、問題を起こさず、話を聞いていくか。

一番問題が無さそうなのは上司の映姫だが。

あの方はあくまで閻魔だ。

それに、幻想郷に現れるときは誰かに説教をするために来る。

久侘歌の前に現れるときもそれは同じである。

くどくど説教混じりに、色々と言われる事だろう。

かといって幻想郷の賢者連中はどうか。

やる気がある紫以外の賢者は、どいつもこいつもマイペースな連中で。少なくとも久侘歌の苦悩を理解して、相談に乗る気はなかろう。紫にしても、敢えて此処で久侘歌の相談に乗る理由がない。

そうなってくると、智者として知られる何名かの古い妖怪や。

或いは勢力の長か。

いずれにしても、肩の荷が重い。

それに、だ。

眷属として此処にいる鶏たちは、いずれも家畜化されていない種。

幸いにも幻想郷では。

この妖怪の山に、人間が入り込んでくる事はあっても。

神域を侵すことはない。

此処には野生の鶏がいて。

環境に応じて生きている。

である以上、野生の鶏を司っている久侘歌は、それほど慌てなくても良いのかも知れない。家畜化された鶏は、もはや野生のものとは完全に別物なのだから。

考えを書き留めてから。

後は一眠りする。

明日は彼岸で仕事だ。

少なくとも、明日。

聞き取り活動をする事は、出来ないだろう。

久侘歌が彼岸でしている仕事は。

それだけ責任が重いものなのだから。

 

4、鶏は舞う

 

彼岸での仕事が終わった後。

まだ混乱が続いている地獄へ行く。

引き継ぎを終えた後、すぐ久侘歌が帰るだろうと思っていたらしい護法神は驚いていたが。

閻魔様に用事がある、と言うと。

納得した。

地獄では、久侘歌にしかけてくるものはいない。

当たり前で、地獄の鬼は、昔話に出てくるものよりも、更にその性質が強く出る。更に言うと彼らはあくまで公務員だ。

鬼神達にしても、敢えて神である久侘歌に喧嘩を売る理由はない。

行政組織に属する久侘歌に喧嘩を売ると、それだけ不利になる。

地獄の支配者階級には凄まじい実力者が揃っていて。

鬼神達の権力争いに介入してこないだけだと、彼らも良く知っている。

もし介入されたら、酷い目に会う事も。

だからむしろ快適に。

地獄の空を、久侘歌は飛ぶ事が出来る。

昔は十王の館は、地獄の中枢にあったのだが。

今は皆閻魔になったという状況から。

地獄の彼方此方に閻魔の館がある。

閻魔は二交代制で仕事をしていて。

上司である映姫の仕事が間もなく終わる事も、久侘歌は把握している。

仕事が終わって、いかめしい道服に身を包んだ映姫が出てくるのを見て、その側に舞い降りる。

元地蔵であり。

幻想郷の担当閻魔であり。

そして幻想郷では説教魔として知られていて。

賢者である紫でさえその姿を見たら全速力で逃げる(しかし逃げられない)と怖れられている映姫は。

真面目で、責任感が強く。

それ故に融通が利かない性格だ。

「どうしたのですか、久侘歌。 わざわざ私の仕事が終わるのを待って来るとは」

「映姫様、相談がありまして」

「ふむ、聞きましょう」

周囲の鬼や死神達が、そそくさと離れていく。

彼ら彼女らも、映姫の説教地獄の犠牲者である。

わざわざ久侘歌が時間を稼いでくれたのだ。

映姫から離れられるのなら。

出来るだけ離れたいのである。

仕事時はフェアな上司として慕われている映姫だが。

プライベートでは絶対に関わり合いになりたくない。

そんな風に考えられている、面白い人物でもある。

「実は、鶏の復権に関してなのですが。 何か良い案はないでしょうか」

「詳しくお願いします」

映姫は言葉遣いこそ丁寧だが。

その性格はかなり厳しい。

自分にも他人にも非常に厳しく。

自分がミスをした時も、勿論隠すような事は無い。滅多にミスをすることはないらしいのだが。

しばらく話を聞いていて。

それから、映姫は頷いた。

「把握しました。 そもそも、野生種の鶏が人の目につく事がないというのが、問題の第一です」

「一般的な鳥ではなくなってしまったと」

「基本的に家畜としての鶏しか、もはや人間の目につくことがなくなっています。 食用にしても鑑賞用にしても、です。 である以上、人間にとって自分より下の存在という事になります」

「なるほど」

確かにその通りだ。

例えば、牛や豚。

これらの生物は、家畜とは言え、人間を容易に殺傷する事が出来る。

牛などはその気になったら、秒で人間を殺せるし。

畜産業者は、昔は年に何人か、豚に殺されていた。

豚は人間を殺す方法を本能的に知っていて。

股から跳ね上げて、頭から地面に落ちるようにする。

つまり、家畜になっても人間にとっては脅威だ。

だが鶏は違う。

流石に鶏に殺される人間はいない。

「更に問題の第二を挙げると、鶏が朝を告げるという習性が現役で利用されていた頃は、退魔の存在としての力を持っていたかも知れません。 しかし今、特に外の人間達は時計というものを使っています」

「あ、確かに……」

「幻想郷でも鐘の音を用いて時間を知っているでしょう。 鶏の鳴き声はそれなりに響きはしますが、それでも畜舎は里の外れにあった筈です。 ましてや幻想郷から鬼が去り、少なくとも脅威ではなくなった今、最大の妖怪を怖れさせる鶏の声が、ありがたみを失うのも当然のことでしょう」

「なるほど……」

立て板に水。

流石に元地蔵ではない。

論理的な言葉の羅列は。

とても参考になった。

頭を下げて、助言に感謝する。

鶏の復権を目指すには。

幾つもの関門がある事がよく分かった。

それだけで、充分だ。

映姫は、わざわざ自分に相談しに来てくれた事が嬉しいのか。いつものような説教魔に豹変することはその後は無く。

久侘歌をそのまま見送ってくれた。

或いは映姫も。

自分が怖れられている事を知っていて。

何処かで寂しいと思っているのかも知れない。

彼岸に戻り、そのまま手続きを済ませてから帰る。

そして、幻想郷に戻ると。

まず食事をして。

寝る前の少しの時間を使って。

賢き者として知られる妖怪や人間の間を回って、話を聞いていった。

幻想郷でも随一の知恵者として知られる、永遠亭の八意永琳は、この件については殆ど役に立たなかった。

彼女は話を聞くと。

苦虫を噛み潰したような顔で、自分の専門は医学薬学だと前置きし。

魔術や呪術も分からないでもないが。

動物の復権についての知恵については、映姫以上の知恵は出ないだろうとも、正直に話してくれた。

それならそれでいい。

分からないのなら、分からないと言ってくれた方が良いからだ。

数日を掛けて、順番に話を聞いていく。

人間の里の稗田阿求のところにも出向く。

幻想郷の賢者の、半ば公認の監視役。

同じ稗田の家に転生を繰り返しては妖怪の情報を書き留めているという、人間なのかかなり疑わしい存在だが。

人間に変装した久侘歌の事もすぐに見抜き。

軽く相談には乗ってくれた。

ただ本人は居心地が悪そうだったが。

「鶏が今更敬意を払われるのは難しいでしょう。 昔は食べ物で遊ぶなと言う言葉が重みを持っていましたが、現在幻想郷で飢えている人はいません。 幻想郷の外でも、国によってはともかく、基本的に食べ物を残さず食べる、というくらいで十把一絡げにされているのが現実ですね」

性格が悪いことで知られる阿求は、ばっさりと切り捨てる。

まあ確かにそうだろう。

人里で人間に学問を教えている、例外的な妖怪。正確には半妖怪だが、それでも人里に公認で住んでいる上白沢慧音は、知恵者として知られている。

彼女の所にも、寺子屋が終わった後足を運んでみたが。

腕組みして、考え込まれた。

慧音は白沢と呼ばれる神獣の獣人で、美しい銀髪の持ち主である。厳しい教師として怖れられている一方、その美貌に魅了される人間は珍しくないそうだ。なお女性だが、男性的なしゃべり方をする。

「何人かの所を回った後に、私の所に来たな。 それならば、私がこれ以上助言できる事は無いと思うが」

「困りましたね」

「そも無理なものは無理だ。 もしも鶏の復権を目指すというのなら、神社でも建てるしかない。 だがそうなると、守矢神社や博麗神社とも争うことになる。 彼岸での仕事が忙しいと聞く貴方が、そのような事をしている暇はあるまい?」

「確かにその通りです」

そうか。

いずれにしても、頭を下げて、相談に乗ってくれた事の礼を言う。

収穫は、なしか。

今まで同様、山の中でやっていくしかないか。

そもそも野生種の鶏が暮らしていけるだけでも、妖怪の山は良い場所だと考えるべきなのだろうか。

他にも妖怪の相談に乗ってくれる事で有名な命蓮寺の住職、聖白蓮にも話を聞く。

そもそも仏教徒でさえなく、神格である久侘歌の話にも、住職はきちんと耳を傾けてくれたが。

彼女の返答はとても難解で。

結論に至っては、やはり他とあまり代わりは無かった。

これはダメだなと、久侘歌は判断。

結局の所、神社でも建てて、其処で野生の鶏を放し飼いにし。人間と折り合いをつけてやっていくしかない。

しかしながら色々自分でも調べて見たが。

動物を神獣として放し飼いにしているケースの場合。

様々な問題を引き起こすことが多いそうだ。

幻想郷で問題を起こせば、飛んでくるのはあの紅い巫女である。

彼奴とやり合うのは出来れば避けたい。

戦って一方的にやられるとも思わないが。

少なくとも眷属達を戦いに巻き込み。

あまつさえ人里に敵視されるのは避けたい。

とぼとぼと、自宅に戻る。

顔を上げると。

意外な人物が、其処で待っていた。

 

眷属の一柱を博麗神社に貸し。

そして数日が経過した。

帰ってきた眷属に、話を聞く。

「かなり待遇は良かったです。 少なくとも私を食べ物として博麗の巫女が見ている様子はありませんでした」

「それは何よりです」

鶏の姿のまま人間の言葉を話す眷属。

そう。

収穫がないとガッカリして家に戻った後。

待っていたのは、博麗神社の巫女。博麗霊夢だった。

そして話を聞かされる。

そもそも博麗神社の神は、自分でも何だかよく分かっていない。

だから時々、適当な神を呼んで祀り上げ、人を集めて稼いでいる。

眷属を貸してくれないか、と。

勿論食ったりはしないから。

まともにやり合ったら賢者でも勝てない。

そう言われる、幻想郷最強の武闘派、博麗の巫女。

そんな彼女はそう言った。

更に続けもする。

眷属の鶏たちは神々しくて、とても家畜として飼われている鶏と同一の存在だとは思えない。

騙されたと思って貸してくれれば、多少の復権にはなる。

うちも儲かる。

少し悩んだが。

久侘歌はそれで眷属を一柱貸したのだ。

そして今である。

話を順番に聞いていく。

博麗の巫女は、時々博麗神社に人を集めるために催しものをするのだが。

今回は野生種の鶏。

鬼を払う声を持つ者。

そういう触れ廻しで、久侘歌の眷属を神社にて祀ったという。

「確かに皆が見る目はいつもと違った気がします。 博麗の巫女が神獣と喧伝したから、でしょうか」

「それはあるかも知れませんね」

鶏の姿をした眷属だが。

それを馬鹿にする様子の人間はおらず。

神々しい。

確かに鬼も払ってくれそうだ、という声も上がっていたそうだ。

更に、一緒に展示されていた掛け軸に、凄い絵が描かれていたという。

いわゆる日本画だが、鶏の圧倒的な迫力が描写され。

それに参拝客も圧倒されていたとか。

多分レプリカだろうが。

聞き覚えがある。

鶏の絵の第一人者である者。

伊藤若冲。

久侘歌も聞いた事がある、有名な人間の画家で。鶏の魅力を絵に最大限込める事が出来る人物だ。

多分全てを博麗の巫女が考えたわけではないな、と久侘歌は看破。

博麗の巫女に肩入れしている山の仙人か。

それとも博麗の巫女を実働戦力として使っている幻想郷の賢者、八雲紫か。

どちらかだろう。

結界を無視するように降り来た博麗の巫女。

久侘歌は、遠慮のなさに苦笑いする。

「結構盛況だったわよ。 また鶏貸してくれないかしら」

「良いですけれど、粗末に扱ってはいけませんよ」

「分かっているわよ。 これでも巫女なんだから、神獣に粗末な扱いなんてしないわ」

「神でも悪魔でも殴り倒すのに?」

霊夢は口の端をつり上げる。

久侘歌もそれに釣られて笑った。

神も悪魔も怖れる者無し。

そんな博麗の巫女だが。

百戦百勝という訳にはいかないようで。

月に行った時には酷い目にあったようだし。

映姫に説教されたときは、流石にぐったりしたようだった。

一応、巫女としての役割はこなしてくれる。

それならば。

立場上荷担できない守矢よりも、博麗に手を貸すのも良いだろう。

「分かりました。 鶏の復権を考えるなら、総合的に見て貴方に眷属を貸し出すのが一番良さそうです」

「それじゃ、時々借りに来るわ。 いる日を教えて頂戴」

「貴方ならここに来るのはすぐでしょう。 その時に、近場で私がいる日を、眷属が告げるようにしておきますよ」

「じゃそれで。 今回は儲かったわ」

軽く手を振ると。

博麗の巫女は無遠慮に、来た時同様戻っていく。

さて、これで少しは鶏の復権も出来ただろうか。

出来たと信じよう。

小さくため息をつくと。

恐らく久侘歌が話を聞いて回っているのを知って。紫が手を回したのだろうなと、真相について悟る。

まあそれならそれでも良い。

今は、少しでも。

鶏が復権できたのなら、それで満足だ。

それによって誰かが得をしようが関係無い。

誰かが困らなければそれで良い。

久侘歌は少しだけ安堵すると。

もっと他の方法で復権が出来ないか、「無い頭」を絞り始めたのだった。

 

(終)