ルーチンワークの果て

 

序、火星の大地

 

一瞥すると、地球の荒野にも見える。

それが赤茶けた火星の大地だ。

だからそれを理由に、一時期は陰謀論がまかり通ったらしい。人類は火星に探査機を送り込んでいないとか。

まあ月にアポロが辿りついていないとか。

月は円盤だとか。

そんな寝言がまかり通ったこともあるのである。

それくらいの寝言は、人類が吐いてもおかしくは無いだろう。

現在私がやっている作業は、火星の自転速度加速の実地試験。とはいっても、リモートでロボットを通じて進捗の確認をしているのだが。

学習をして知識を増やした私は。

何をしているのか、今では具体的に分かる。

内容的には、一度金星から運んできた圧縮したガスを、高速で放出させることで、時間を掛けて火星の自転を加速させていく。

この過程で放出したガスは、宇宙で別のロボットが回収する。

火星には大量の二酸化炭素を定着させ、温室効果で気温を安定させる必要があるためである。

また水をオールト雲にある準惑星から運び込み。

更には電子分解して酸素と更にはオゾンを作り。放射線を防ぐオゾン層を作り上げなければならないが。

それにはまず、地球より遙かに弱い火星の重力を安定させ。

大気を定着させなければならない。

大気を定着させた後も、二酸化炭素が多すぎれば灼熱地獄になってしまうし。

酸素が多すぎれば生物にとって有害になる。

何もかもが難しい。

テラフォーミングは現実的に可能と判断され始めたのが、人類が宇宙に出てから。それまではSF小説などで提案されていたに過ぎなかった。

それなのに、おかしな話だ。

拗らせたSF小説マニアが、正しいテラフォーミングがどうのこうのとキャンキャン騒ぎ立て、気に入らない作品に狂犬のように噛みついていたというのだから。

データの確認終了。

現時点では順調だ。

作業を報告して今日の仕事終わり。

相変わらず問題は無し。

私が今やっている火星のテラフォーミングになると、既にAIに指示されるだけではなくなっている。

AIと連携しながらする作業も増えている。

だがそれはそれで面白い。

私は苦にしたことは一度もなかった。

仕事を終え、リモートで超光速通信での火星との接続を終えると。

私は伸びをする。

良い感じに仕事は進んでいる。

あくびをしながら、一旦横になる。

AIは何も言わない。

これから幾つかルーチンワークをこなす。

その中には勉強も運動もある。ゲームもやりたい。

そのためには、多少の休憩は必要なのだから。

「アカリ、そろそろ良いですか」

「うし、やるか……」

声を掛けて来るAI。

私は立ち上がると、まずは運動から始める。

これも筋力をつけるためのものではない。

体力をつけるためのものだ。

私の腹筋はこれだけずっとルーチンワークとして運動を続けていても、未だに割れてはいない。

握力や筋力だって同じである。

そんなに高くはなっていない。

その代わり精神的なタフネスと体力はついてきた。

古い時代には「根性」とか言われて悪用されたようなものだが。

それとは違うと私は断言する。

私は理論的に体力をつけた。

理論的にストレス耐性をつけた。

精神論に悪用されるようなものを身につけたわけでは無い。

そしてあくまで自分のために身につけたものであって。

根性論など宇宙の外まで放り捨ててやる。

ルーチンワークは終わり。

ハイクラスSNSに潜る。

さて、時間加速の倍率がかかる。

ここからが本番だ。

ブランクスペースでの、破損ファイルの修復を開始。もはや私は、ありとあらゆる破損ファイルを修復するようになりはじめている。

インターネットというのは、個別にあるものではない。

様々な要素が絡み合った末に、インターネットになっている。

其所は魔窟でありスラムであり。

だが、汚泥をかき分け腐臭が漂う土地を掘り進めれば。

時々宝を見つけることもできる。

そんな場所だから。

私はそこら中にある破損ファイルを徹底的に修復していく。

リソースを新しく消費することは、人類の手持ちのリソースが心細くて出来ない時代である。

だからこそ。

私は過去のリソースを増やすのだ。

目的はたくさんあるが。

その全ての目的に合致している。

私のモチベーションは高い。AIが指摘するように、私はルーチンワークを苦にすることもない。

ルーチンワークを続ける事が出来るこの性質は、一種の精神疾患として昔は扱われたらしいが。

はっきり言ってどうでもいい。

平均的な人間が如何にくだらないか。

病気に対して、とうとう偏見と差別をやめられない程度の生物にすぎないまま、文明をクラッシュさせたか。

それを知っている今は。

もはや平均的な人間になんぞ、興味は一切無かった。

作業を進めていく。

最近はAIとの会話も減っていた。

集中力が上がってきたことも原因の一つだが。

迷いが減ってきたというのもある。

無作為に破損ファイルを修復しているから、どうしても人間の闇にはカチ当たる。本当にどうしようもない代物もよく見る。

だけれども、何度も何度も見た。

だから今更動揺しない。

AIの仕事も信頼している。

ファイルを引き渡して、終わりである。

前は、闇を見る度にショックを受けていた。

今だって、闇を見るのは良い気分じゃない。

だけれども、それでいちいち新鮮なショックを受けるほどではなくなった、ということである。

そういうものだと諦めたと言うべきか。

人間はその程度だと悟ったというのもあるか。

いずれにしても、いちいち手は止まらなくなった。

その結果、作業の効率はがつんと上がったのである。

勿論AIと話はする。

だが、作業中にする話や。息抜きとしての話は減ってきていた。

ミスも減ってきているから。

AIによるサポートも減っていた。

作業を続ける。

これはまた、特大の破損ファイルが出て来たものだ。動画だが、じつに十時間以上の代物である。

完全に破損しているわけではない。

ちらちらと中身は見えるが。

ちょっとよく分からない。

何かの画像のようで、人の声などは殆どはいっていない。

定点カメラによる映像か何かか。

そう思って修復していく。

そして、修復が終わった後。

そうか、またかと思った。

拷問の映像だ。

何処かの国での地下。椅子に縛り付けられた人物に、本当に嬉しそうな顔で、拷問を行っている人間。

どこの国かは分からない。

喋っている言葉も聞き取れないから、英語とかメジャーな言葉ではないだろう。

映像は比較的新しい所から見て、2030年代から2040年代に掛けての、暗黒の時代に撮られたものだろう。

無作為に探してきたとは言え。

こんなものがまだ放置されていたとは。

映像に映り込んでいたのは、壁。人間が映っていないし、音声が殆ど壊れていたので、分からなかったのだ。

首を振る。

拷問の凄惨な有様をいちいち見ていても仕方が無い。

AIに引き渡して、それで終わりだ。

この規模の動画だと、昔は直すだけで半日、下手すると一日かかってしまったのだけれども。

今は腕が上がっているから、四分の一日もあれば充分だ。

作業を終え。

動揺することもなく、次に。

こんなものはもう嫌と言うほど見た。

マフィアが豚に人を食わせる映像とか。

宗教原理主義勢力が、自分と信仰が違うと言う理由で民間人の首を切りおとす映像とか。

そういったものが、動画として幾らでも現存している。

これらは文化として残してはいけないものだと、説得力を持っている。

幸い今は、人間が全て個別に暮らし、干渉できない時代が来ている。

犯罪も詐欺も行えない。

蓄財も出来ない。

だからこれらの悪しき所業は、如何なる方法を用いても行えない。

資源を使い果たしてしまったから人間はこんな状況に甘んじているのだが。

それも自業自得だと、私はこういうのを見る度に思う。

だけれども、手は止めない。

幾らでも。

修復しなければならない、邪悪なる人間の姿は存在しているのだから。

勿論、美しい創作も存在している。

其方も併せて修復していかなければならないだろう。

無作為に修復を続けていて。

時間を確認。

そろそろか。

今修復しているテキストで今日は終わりだな。

そう思って、テキストを修復し終える。

これは昔、それぞれ人間の関係性を自分に都合良く描いたジャンルとして存在した、「夢小説」と呼ばれるものである。

特に反発を買いやすいジャンルであった事もあり、検索避けをしたHPなどに掲載されていた事が多く。また執筆者は殆ど女性だったともいう。

また、他人に無作為に見られるのは恥ずかしいという感覚もあったようだ。

別に私は何とも思わない。

創作は創作。

文章力は多少稚拙だな、とか思う程度である。

どんな創作でも、それが他人を傷つけるようなものでなければ容認されるべきだし。傷つけるものであっても、焼くことは許されない。閲覧に注意をするだけでいい。

創作に関しては自由なのだ。

テキストの修復終わり。

AIに渡すと。AIももう分かっている。雑多なファイルを、山のように寄越した。私も、それを何も言わず修復していく。

この作業に関しては、別にもはや誰も何もいう必要もない。

淡々とやっていくだけだ。

大量の正体も分からないファイルを直していくと、ふと気になるものがあった。これはいわゆる広告だろうが。

何だか変な内容だ。

まあいい。

変な広告は21世紀のインターネットにはあふれかえっていたと聞いている。

気にする必要など、ない。

作業終了。

綺麗さっぱり雑多なファイルを片付け終わったので、ハイクラスSNSからログアウトする。

その後、風呂に入りながら。

AIが今日来た、私が修復したファイルについて寄せられた意見を軽く抜粋して教えてくれた。

「やはり希望したファイルをさっさと修復して欲しいと言う声が多く上がっているようですね」

「自分でやれよっての……」

「アカリが言いたいことは分かるのですが、直接言ってはいけませんよ」

「……」

面倒な話だ。

今はAIがこうやって間に挟まっているから良いけれど。

結局人間はこれだけやらかしても何一つ変わっていないとよく分かってしまうでは無いか。

人間に直接干渉する事は出来ない。

AIがガチガチに寄り添っているからだ。

だが、雄飛の時代。

太陽系外に進出する人類や。これから産まれてくる人類に対して、手を加えることは出来る。

スタートラインを変えることで。

人類という種族を、根本から変えていくしか無いと私は思う。

やはり根本から変えないと人間は駄目だ。

20世紀から21世紀に掛けて、それは証明されたではないか。

たくさんたくさんファイルを修正していると、嫌でも分かってくる。

人間賛歌が如何に無責任に歌われているか。

本質的な人間が如何に愚かしいか。

それを知った以上。

私は改善を目指すだけだ。

風呂から上がって夕食をとる。

少し体調を崩しているという。あまり自覚は無いが、そうかも知れない。AIがデータを出してくる。

「免疫が少し落ちています。 早めに休んだ方が良いでしょう」

「……分かった。 そうするよ」

「アカリ、貴方の作業量はどんどん確実に上昇しています。 火星のテラフォーミングでも、殆どAIの補佐を必要としていません。 ならば今後は、更に効率が上がることが期待出来ます」

「分かってる……」

AIはせっついているのではない。

期待しているのだ。

人により添うAIは、人間の能力を最大限に発揮させようと、色々と苦労をしているようなのだが。

私をあのコピー魔王に引き合わせたのも、或いは。

最初から、AIの計算の内だったのかも知れない。

可能性は否定出来ない。

事実あの人と出会ってから、私は確かに変わった。

ちょっとした事が切っ掛けで、人が変わることは確かにある。

それを私は、自分の身で思い知った。

それだけで充分である。

まあいい。

AIに踊らされたとしても。

今私は、もっとも積極的に活動している人間の一人になっている。

ブーブー不満ばかりを口にして。

この部屋に閉じ込められる生活は非人道的だとか喚くだけ喚いて改善行動は何もしない輩だとか。

私がやっている仕事にけちをつけて、自分は横になってずっと安楽を貪っているだけの輩だとかとは。

私は違う。

それがはっきりしているだけで、私には充分だ。

眠る。

最近はストレスもかなり軽減されてきている。

だけれども、ストレスがなくなったわけではない。

時々ストレス発散のために、ルーチンワークでやっている運動を多めにするようにAIに頼む事もあるし。

AIが気を利かせて、最初からメニューを変えていることもある。

いずれにしても、私は明日のために。

今日の睡眠をきちんと取る。

自律神経を壊すわけにはいかない。

自律神経を壊すとどうなるか。

私は多数の経験者の手記を見て、その恐ろしさを知っているからだ。

眠ると最近は殆ど夢を見なくなった。

目的意識が強くなってきているからだろうか。

面白い話で。

人間の精神というのは、ある程度の年齢に達すると、以降は殆ど全くという程進歩しないらしい。

三つ子の魂百までとかいうが。

十代前半くらいになるともう精神性は完成し。

そのまま老人になるまで変わることはないそうだ。

そういうものだ。

だから私は、以降は自分の精神性の基礎はそのままだとも諦めている。変われたのは良かったが。また何かのきっかけで、悪い方向に変わるのかも知れない。基礎部分は、変わっていないのかも知れない。

もう、どうでもいい。

夢を見ず。

眠りだけを貪って。

そして起きだす。

歯を磨いてうがいをして。顔を洗って、そして鏡を見る。

少し、目つきが鋭くなったか。

別にどうでもいい。

今後私は、残り少ない人間に、辛い行動を強いるかも知れない。勿論AIが許す範囲内でだが。

いずれにしても、私は。

もう、甘い考えは捨てなければならないと、覚悟は決めていた。

人間には鞭が必要だ。

際限なく甘やかしたから、2050年代に最大限に増長し、世界大戦で世界を焼き尽くしたのだ。

人間だけが自滅するなら別にそれも良いだろう。だが、地球という生命がいる貴重な星までも焼き尽くしたのだ。許される事では無い。

私は、それを。二度と繰り返させはしない。そう決めていた。

 

1、雄飛に向けて

 

火星の重力が1Gに安定する。

予定通りの作業が進み、自転速度を上げ。更に火星の質量を、準惑星から切り出した岩隗を軟着陸させることで増やし。

更には様々な彗星などから得た水などを火星に輸送することで。

ついに火星の重力は、地球と同じ段階にまで来たのだ。

此処からまず、金星から輸送した二酸化炭素を火星に満たし。

温室効果で、火星の気温を上げなければならない。

更に酸素とオゾンを導入。

オゾン層を作って火星への放射線を防ぎつつ。

火星の土壌を改良し、殺菌効果を取り除く。

そして海が出来はじめたら。

その海の成分も調整。

地球から持ち込んだ生物を、何億回と繰り返しているシミュレーションの通りに順次定着させていく。

遺伝子データから復活させる生物は、まずは細菌やプランクトンから。やがて植物に移行し、動物はラストだ。

これらの管理は自動化されたAIが行い。

人間が直接触る事はない。

というよりも、もはや人間には、地球産の生物に触る資格は無いだろう。

23世紀に既に入っているが。

私はアンチエイジングの効果もあって。

全く年を取っていない。

少なくとも見かけだけは、である。

火星のテラフォーミングの仕事は順調に進めているし。ルーチンワークも同じように進めている。

元々これら数千年単位での計画は、地球を脱出する際に科学者達が作り出し。それをAIがとんでも無い時間感覚の中進めているだけである。

私はそれに沿って動いているだけ。

別に凄い事をしているわけでもない。

ただ、火星の重力が1Gに安定し、一気にテラフォーミングが進展したという事は、ミドルクラスSNSで話題になっていると言う事だった。

全部予定通りだよ。

毒づきたくなるが。

好きなように騒がせておく。

少しでもこの凍り付いた世界を良くしようと動けばいいものを。

無責任に勝手な事を騒ぎ立てる。

AIが側について補佐をしていなければ、すぐに炎上騒ぎだって起こすだろう。

人間は何も変わっていない。

リモートでやっていた私は、それを終えて。

大きくため息をつく。

今の時点で、私の仕事はとても安定している。

みずみずしいまま保っている肉体にも、これといって悪い影響は出ていない。

人間の数も変わっていない。

火星のテラフォーミングが完成した訳でも何でも無いし。

資源の備蓄が一気に増えたわけでも何でも無い。

だったら、人間を増やす理由がない。

それだけである。

「お疲れ様です、アカリ。 此方で補佐することはもう殆どありませんね」

「何をいうかな……」

「アカリはどんどん口が悪くなりますね」

「……」

口が悪くなっているというよりも。

私はやさぐれていっているのだと思う。

私がコピー魔王に出会ってから、もう三十年くらいは経過しているだろうか。私の実年齢は50を超えた。肉体は最盛期の16を保ったままだが、精神はどうしても変わらざるを得ないのだ。

私はずっとルーチンワークを続けながら見て来た。

人類がどういう生物か。

インターネットは人間の映し鏡だ。

そのやってきた犯罪も。

他人を見下さないと安心できない卑小で卑劣な精神性も。

何もかも露骨に映し出す。

私は大量の破損ファイルを、更に効率を上げながら修復しているが。創作関連のファイルは、日本のものはほぼ修復し終えた。

完全に失われてしまったものはもうどうしようもない。

2050年代の世界大戦で、吹き飛んでしまったサーバは多かったし。

それらに保存されていたファイルは、どうにもならないのだ。

だが、残っていたファイルは悉く修復し終えた。

今は日本以外の国のファイルを、無作為に修復している。

AIが翻訳を手伝ってくれてはいるが。

それで思い知らされる。

更に寄せられるコメントが辛辣になったのだ。

ネットユーザーの民度は、日本はまだマシな方。それは聞かされていた。あれでマシな方なので世も末だとは思っていたが。

実際に見てみて、それが事実だと確認できた。

凄まじい暴言が飛んでくるのを、AIが必死に押さえ込んでいるのは知っていたが。

それでもAIが教えてくれるのだ。

暴言が飛んできているので、見ない方が良いでしょうと。

私は無作為にファイルを修復しているが。

どうして俺がリクエストしたファイルを修復しない。

くだらない作品を修復しやがって。

そういった暴言が、凄まじい勢いで飛んできているという。

そしてそんな様子を。

ファイル修理やとして既に知られている私を、「ウォッチ」しながら笑っている輩も多いそうだ。

確か掲示板文化の頃には多くいた連中だ。

自分より「劣る存在」やら「滑稽な存在」やらを血眼になって探し。

劣っている存在を見つけて安心し。

袋だたきにして狂ったように笑う。

人間とはそういう生物だと分かっているから、今更別に思う事はないけれど。やっぱりいるのだなあと、呆れるだけである。

仕事が終わったので、ルーチンワークに移る。

体を動かしたりゲームをしたり。

そしてハイクラスSNSにログインして、ファイルの修復を開始した。

今日はイラストからやるかと思ったが。

強烈に特徴を強調した、癖の強いイラストをいきなり引いてしまった。

まあ好きな人がいるのだし、創作だ。別に良いだろう。

修復して、次に。

私はいまでも性欲をオミットしている。性機能も、である。

基本的に一人でずっと暮らすのだから必要ない。

だからこれでいい。

それで、それ故にか。

どうしても創作をしていると目につく「性」に対する様々な人の癖について、殆ど思うところはなかった。

次はテキスト。

見た事もない言語で書かれているネット小説だ。

どこの国の言葉だろうと思ったら、やはりかなりマイナーな言語だ。しかも、文章を見ていると、ぴんと来る。

これ、丸写しだ。

見覚えがある文体である。

「これ、見たことあるんだけれど」

「検索します。 ……確かに一致しているものがありますね。 日本のプロ作家が書いた作品の一つです。 商業出版はされなかったようですが」

「丸写しか……」

「このファイルは……2010年代のものですね。 創作がまだ目の敵にされていなかった時代は、悪い意味でもおおらかでした。 こう言う行動に出る人間は、いたと言う事です」

頭を掻く。

音楽関係では、日本でも昔は洋楽を平然と丸ごとコピーしていたらしいと聞く。20世紀の事らしい。

後に創作に関しては、世界に大きな存在感を示した日本でも、そんな時代があったという事である。

ましてや余所の国では。

それは不思議では何でも無いだろう。

いずれにしても、このマニアックな言語を使っていた人は。民族としても少数で。自分の民族に伝わる少ない物語しかなく。

多分当時存在していた機械翻訳を使って、何とか自分でも読める創作がほしかったのだろう。

元は何でも良かったのかも知れない。

この作品は知っているが。

はっきりいって良作とはとても言えない代物だ。

創作のプロと一口に言っても、出版社にコネを持っていて、何でプロをやれているのか全く分からないような力量の人間もいる。これは国籍を問わない事実である。

まあ、こんなのを翻訳して、労力を無駄にしたな。

そうは思ったが。

勿論口にすることは無い。

ファイルを修復して、AIに引き渡す。

処置をどうするのかは興味があったが。

AIは教えてくれた。

「こういう原典があるものは、「海賊版」と併記するようにしています」

「ふうん……」

「今は経済そのものが存在せず、国も存在していません。 いずれにしても、それによって誰かが困る事はありません」

「そう」

ならば別に良い。

次に取りかかる。

今度は動画ファイルの修正に取りかかるが、また変なのを引いた。九分割された画面で、九人がずっと何やら喋っている。

何だこれ。

喋っている言語は英語のようだが。

翻訳を見ても、それぞれが好き勝手なことを言っているようにしか思えない。

討論でもしているのかと思ったが。

そうとも思えなかった。

小首をかしげていると。

AIが答えを教えてくれる。

「これは、ある作品を観ての感想動画ですね」

「はあ……」

「本編は著作権に引っ掛かるので載せていないのです」

「ああ、それで意味不明な話をずっとしているように見えると」

感想動画なら見た事がある。

だが、それにはモザイクを掛けたり、音声を消したりした。感想の元になるものの画像などが一緒に入るのが普通だった。

見ると、2030年代も後半の動画だ。

ああ、そうなると。

この時代には、感想動画だと分かるだけでリアルに身に危険が迫った、と言う事なのかも知れない。

だとすると、何を喋っているのか分からないこの動画も。

見方が変わってくる。

命がけで感想を呟いていたのだろう。

それとも、ストレスが限界に近い中で。

必死に感想という形でそれを発散して。それで周囲に公開することで、少しでも己を保っていたのかも知れない。

ブラック労働は2030年代には、世界中で広まり。

2040年代には、もはや普遍的なものと化していたという。

今、私を始め大半の人間が。希望者だけ午前中の半分働いているのもそれが理由であって。

そもそも雄飛の時代に労働を忘れないために、AIだけでどうにでもなる仕事をあえてしているのだ。

ブラック労働に苦しめられた人達はそれどころではなかっただろう。

苦しかっただろう。

辛かっただろう。

これが、その現実の一つだと思うと。

ちょっと動画の価値があるのかも知れないと、私は思った。

AIに引き渡す。

元になった作品を探り当てて、併記することで処置するらしい。

頷く。それで良いと思う。動画を作った人は十中八九、いや千中九百九十九生きていないだろうが。

それでも、尊厳は守ってあげたい。

感想を創作に対して述べる。

創作を作る事が、そのまま死につながることが多かった時代。

創作はそもそも、関わる事が危険だった。

昔の作品でも同じ事。

何かが好きだと言うだけで、そのまま強制収容所に送られて、「不審死」するのが当たり前だった時代なのだ。

その時代があった事を知るためにも。

この動画は残しておきたい。

次だ。

もう心は揺らされることは殆ど無くなったけれども。

それでも、ファイルを修復していると、いろいろと考えてしまう。

このファイルを作った人は、どんな気持ちだったのだろう。

ただ嘲りながら作っていたのか。

それとも、できる限りの全てを込めていたのか。

感想がほしくて作ったのか。

ルーチンワークだったのか。

作る事が好きだったのか。

ただ承認欲求を満たしたかっただけなのか。

それとも、それら複数なのか。

雑念にはならない。

基本的に、修復作業中には客観的に作業を行うからだ。

次の作業に取りかかる合間。

そんなときに、色々と考えてしまう。

大量のファイルを無作為に処理していく。

もう日本語のファイルはない。

どんどん処理を終えていくと。

やがて時間が来ていた。

四時間オーバーの動画を二つ処理した。午前中の作業としては、上々の出来だと言えるだろう。

ハイクラスSNS内での時間加速も、かなり昔に比べて倍率が上がっているというのもあるが。

前は脳の負荷でぜいぜい言っていたのに。

今は殆どダメージを受けることはなくなっている。

雑多なファイルを修復。

どうやら洋物のアダルトサイトに誘導する広告らしいものが目についたが、どうでも良いのでそのまま流す。

どんなものであっても。

ファイルは破損していれば修復する。

どうせ違法のアダルトサイトへの誘導広告だろうが。

そういったものがあって、どう犯罪に使われていたか。

実物があれば、より分かりやすくなる。

そういう意味で、犯罪に直結している破損ファイルでも。修復するのには、大きな意味があるのだから。

作業終了。

ハイクラスSNSからログアウトする。

伸びをしていると、AIが話しかけて来た。

「アカリ、覚えていますか」

「何の話」

「丁度先ほどアカリが修復したファイルによって、予定の数をクリアしました」

「!」

そうだった。

確か、現状の百倍のファイルを修復すれば。人類の最先端で作業をしている貢献度最高の人間に混ざると。

これらの人間は、雄飛の時代の計画策定にも関わっていると聞いている。

私も、それに加わると言う事か。

思わず座り直すと、続きを促す。

「既にアカリは日本で発見された破損ファイルのほぼ全てを修復し、また三十カ国以上の修復ファイルを相当数修復しています。 これによってAIが修復に掛かっただろう時間が10200時間以上短縮され、このペースで行くと……」

「いや、それは別に良いよ。 結論から教えて」

「まずアカリの仕事ですが、このまま火星のテラフォーミングを続けてください。 現在火星のテラフォーミングを行っている人材の中で、アカリが最も貢献度が高く、この人材を動かすべきでは無いと判断しました」

「……そう」

まあそれはいい。

別に最初から覚悟はしていたことだ。

それに金星のテラフォーミング作業に興味はあるけれど、絶対にやりたいとも思わない。

そもそも、火星のテラフォーミングは人間にとって極めて重要な事業の一つなのである。これに関わっていることが、私に取って大事か大事では無いかと言えば。

間違いなく大事だ。

それにAIは寄り添うが忖度はしない。

本当に必要だから、私に火星の仕事を割り振っている。

そういう事なのだろう。

「これから義務として、あるものが生じます」

「義務」

「ハイクラスSNSでの会議です。 人間の中で貢献度が高い者が、雄飛の時代に行うべき事を決めるものです。 アカリにはそれに参加して貰います」

会議そのものは、ハイクラスSNSの中で、時間加速を併せて行うそうである。一度の会議に掛かる時間は十分ほど。

しかしながら毎日行うため、それなりに時間を食うことになる。

現在この会議には、五十人が参加。

参加者の中には自死を選ぶ人もいるため、私は相応に期待されているそうだ。

学習内容の中には、この会議で話が出来るようにするために。応用知識として教え込まれたものもある。

また会議の際にはAIがサポートしてくれるので、特に問題は起きないだろうという事だった。

事実近年になってからも五人。

この会議に加わっているという。

「分かった、それは光栄だね」

「負担については問題ない、と言う事ですね」

「加速時間の中で十分でしょ。 良いよ別に」

「分かりました。 それでは手続きは此方でしておきます」

AIが黙る。

私はそのまま、用意された昼食を取るけれど。

表に出さないだけで。

ほくそ笑んでいた。

来た。

ついに来た。

全く意識はしていなかったが、とうとう来た。

このままでは人類は駄目だ。今の世代の人類にAIがいるから手を出せないとしても。後の時代の人類は変えるべきだ。

同じ事を繰り返す人間を作り出してはいけない。

21世紀に人間がやらかした事を考えても。

人間原理主義はこの世界から撤廃しなければならない。

そして、それが出来る恐らく最初で最後のチャンスが今だ。

この時こそ。

私が出来る事をしなければならない。

私の思考は決して偏ってもいないし過激でもいないはずだ。

私はインターネットを通じて、あらゆる人間の思考を見て来た。客観的に精査してきた。その上で断言するが、人間は野放しにしていてはいけない。

今はいい。

AIが寄り添っている。

故に犯罪も起こさないし起こしようがない。

だが人間は放置しておくと。自分さえ良ければいいという思想の元に、ありとあらゆる行為に手を染めるようになり。

あまつさえそれを「格好良い」と思うようにさえなる。

それはありとあらゆる証拠が示している。

人間とはそういう生物なのだ。

私はそれを断ち切る。

食事を無言で終えると、少しだけ横になって休む。この後軽く運動をして、それからルーチンワークに入る。

AIに話によると、今日からもう会議に参加するそうだ。

別に時間はあるんだからそれでかまわない。

今まで加速時間の中で作業をしてきたのだし、時間の読み方については心得ている。十分前にルーチンワークを終えるのは難しい事ではない。

起きだすと、午後の作業開始。

私は、これから。

人間の歴史を変える作業に。

取りかかる。

 

2、鏡に映った黒い影と

 

五十人前後が参加していると言う事だったが、ハイクラスSNSを利用しているからか。皆、好きなアバターを使っているようだった。

サメのアバターを使っている人もいる。

アニメキャラの人もいる。

全く見た事がない、知らないキャラクターのアバターの人もいれば。その人の本来の姿なのだろうアバターを使っている人もいた。

私はクトゥルフのキグルミをそのまま着て会議に出る。

21世紀にはマナー講師とか言う連中が猛威を振るい、世の中にありもしないマナーをばらまいて人々の生活を混乱させていたそうだが。

今の時代はそんなものはない。

だから、別に会議にはどんな格好で出ても問題は無い。

このマナー講師とか言う連中を駆除できたことは、22世紀以降の人類が成し遂げた偉業かも知れない。

私もインターネットを通じて、この連中の蛮行については嫌と言うほど知っていたから、そう思う。

私は紹介を受け、挨拶する。会議はスムーズに始められる。

その前に、軽く自習。

今、αケンタウリとシリウスに対して、超光速通信を使って調査が進められているという。

どちらも太陽系に極めて近い恒星系だ。

外宇宙に出るためには、足がかりにするには必須だろう。

ただこの二つは、どちらも連星系であることが分かっている。連星と言う事は、公転軌道が複雑だと言う事を意味もしている。

ただαケンタウリには地球型惑星の存在も確認されている。

そこで、現在考えられているのは。

それらの惑星系のオールト雲に当たるもの。

要するに、連星系からの影響が小さい外縁部に前線基地を作り。

更に人間が生活するのに都合が良い恒星系への足がかりにする、というものらしい。

それぞれの星系に存在する惑星については調査を行い。

生物がいるようなら当然触らない。

生物がいないようなら、切り出して前線基地に送り。

其所で更なる遠距離への恒星間航行を前提として、大型の基地に作り替える。

連星系だから、星系外縁部までいかないと、恒星の直撃を受ける可能性がある。

恒星の光そのものは集約する方法が幾つでもあるので、別に問題は無い。

この前線基地は、現在シリウスを想定しており。オールト雲にあたる場所にある準惑星をかき集めて作り。

金星のテラフォーミングを行ったノウハウを生かしてテラフォーミングしつつ。移民を送る予定だという。

なるほど、理解出来た。

きちんと学習していたから、これらの話も全てスムーズに分かった。

ただ、現時点ではまだ机上の空論である。

それは会議の参加者も理解していて。現在は二つの事を同時に進めている。

まず一つは、オールト雲の前線基地の拡充。

これによって、超光速通信の精度を充実させ。

αケンタウリ、シリウス。他にも幾つかの近い所にある恒星系を超光速通信にて探索することで。

今後の戦略の策定を行う。

もう一つは、火星のテラフォーミングと同時に、有識者が金星のテラフォーミングを行っていく。

火星のテラフォーミングは現在人類が進めている最大のプロジェクトの一つではあるのだけれども。

此処まで都合が良い状況の星を、他の星系で見つけられる可能性は決して大きくないだろうし。

既に生命体が存在している可能性もある。

生命体が存在している場合は、接触不要。

それが現時点で決められている。

私はそれを何度か聞かされて安心する。

少なくとも、此処にいる人達は。

外宇宙に出た後は、侵略する気満々、と言う訳では無い様子だ。

これらの事を自習した。

そして、会議そのものにこれから参加する。

多少厄介だが、それでも通さなければならない。

人間をそのまま、太陽系から出してはいけないのだ。

議長が話しかけてくる。

なお、最も日本で有名な、怪獣のキグルミを着ていた。アバターとしてはアリなのではないだろうか。

しかも白黒映画時代の一番古いモデルである辺り、拘りを感じられる。

「それではアカリくん。 何か新しい意見は無いだろうか」

「人間に対する根本的な改良を行うべきだと思います」

「ほう、聞かせてくれ」

「私の経歴には目を通していただいたかと思いますが、私は多数のネットに落ちているファイルを修復する過程で、人間という生物そのものを見て来ました。 その上で結論しますが。 人間をこのまま外宇宙に出す事は反対です。 創作に現れる邪悪な侵略エイリアンなど足下にも及ばない、宇宙の災厄そのものになる事は確実でしょう」

はっきり言い切る。

私の言葉に、それほど動揺は起こらない。

ある程度は納得出来ているのかも知れない。

昔、ある科学者は言ったそうだ。

地球に知的生命体など存在しないと。

今ならその言葉の意味がよく分かる。

人類は万物の霊長などではないし。

ましてや知的生命体を名乗るなどおこがましいにも程があると。

議長は咳払いする。

「今まで案としては出たことがある。 しかし、後数千年は人類は太陽系を出られないと言う試算もある。 今すぐに決めなくても良いとは想う」

「……」

「確かに君が言う通り、人類は野放しにしてはいけない生物だ。 それを地球にいる間に、とうとう気付くことが出来なかった。 私は20世紀生まれの科学者でね」

此奴か。

20世紀に産まれて、なおも生きている人間がいるとAIがいっていたが。

或いは此奴だけではないかも知れないが。

2050年代の地獄の世界大戦を生き抜いたと言う事は。

まあ、私と同じ結論に至っても、おかしくは無いだろう。

「現在は金星のテラフォーミングを有識者にて進めて、まずは技術とノウハウを蓄積する所からだが。 人間を何かしら改良するのには、案はあるのかね」

「次世代から、人間を切り替えるべきだと思っています」

「ほう」

「今後人間はAIから解放するべきだ等と口にしている人間が多数いるのは既に把握しているかと思いますが」

周囲を見回す。

私は、はっきりいって今の人間にも頭に来ている。

これだけの事をしておいて。

未だに人間原理主義を口に出来る連中には、反吐しか出ない。

人間は欠陥生物だ。

それをどうして認めることが出来ないのか。

それが出来ない以上。

外宇宙に出す事は出来ない。

「かろうじて人間がやれているのは、奇跡的に作る事が出来た、人間に寄り添ってくれるAIがあるからです。 このAIをそれぞれの人間と一体化させる方法を考えましょう」

「脳などにチップを埋め込むと言うことかね」

「具体案についてはまだ思考の途中です。 しかしながら、生を放棄した人が出る度に、新世代の人間を作り出しているのが現在の状況です。 新しく産まれた人間には、成長する前にAIと一体化する手術なりなんなりをするべきかと思いますが」

「ふむ……」

今回は、私が初参加の会議だ。

他の参加者も、興味深そうに見守っている。

私が成し遂げた実績については、誰もが知っている、と判断して良いのだろう。

そうでなければ。

こんな会議には招かれない。

議長がAIを呼び出す。

「どう思うかね。 それは人権侵害にはならないと思うか」

「そもそも、現在の状況が人権侵害に当たると思います。 此方はあくまで人間に寄り添うAIですので、これ以上の判断はしかねます」

「ふむ。 ではAIと一体化する手術そのものは人権侵害に当たると思うかね」

「何とも言えませんが……技術面での具体案を検索した所、いずれにしても脳に対して処置をしなければならないかと思います。 そして手術をするならば、そもそも脳が出来たばかりの乳幼児の段階で、でしょう。 本人に判断基準がない段階でそのような手術を強要することが人権侵害に当たるか当たらないかと言えば、私には判断を仰ぐしかないのです」

この辺りは、人間に寄り添うAIなりの言動だなと、私は思う。

まあ主体性がない。

だけれども、言っていることは正論だ。

判断能力がない幼児の頭にチップなりなんなりを手術で埋め込む。

その際に痛みとかがないとしても。

確かに本人に対しては極めて重要なものだ。

それを勝手に行うのは、人権侵害の一種かも知れない。

「本来の議題を進めないのですか」

「どうせ会議は毎日行うのだ。 それに今回は、何年ぶりかの新人の参加者だ。 別にかまわないだろう」

横から入った意見に、議長が応じる。

私としても、いつまでもしゃしゃり出ることは無い。

別の会議参加者が、案を出してくる。

「それならば、遺伝子操作でAIとの親和性を高めるのはどうでしょう」

「ふむ、聞かせてくれ」

「遺伝子操作によって、AIに対して言葉を聞き入れやすくするようにします。 脳を弄る必要はなく、最悪単純に適合した遺伝子の持ち主だけを選抜して、以降の世代にしていくという手もあります」

「なるほど。 確かにAIに反発する人間と、意見を受け入れる人間は、遺伝子レベルで差異があるという統計報告がある。  まずはそれを解析してから、となるな」

流石だ。

専門家が揃っているだけに、きちんと前向きな意見も出てくる。

遺伝子操作は私も考えていたのだが。

具体案がきちんと出てくるのは嬉しい。

更に幾つかの意見が出た後。議長は咳払いした。

「それではAI、今の議事録をまとめておいてくれ」

「分かりました」

「アカリくん。 参加早々、有意義な意見を出してくれて有難う。 新しい風を議会に吹き込むことが出来たと思う。 勿論今後アカリくんの意見には反対意見も出るだろうが、個人的にも君が言う人間原理主義には昔から疑問を覚えていた。 もしも人間という生き物を変えるなら、今しか好機は無いだろう。 そしてそれは、教育だの演説だのでは出来ない事も同意だ。 今後、時間を掛けて議論をしていこう。 毎日会議はしているのだからね」

議長は、今日の会議は此処までと言って、会議を切り上げた。

私は議事録を受け取ると、そのままハイクラスSNSもログアウトする。

有意義な時間だと、満足できた。

後はこれから、少しずつ確実に。

この議論にプレゼンできるだけのデータを、集めていくだけだ。

議論に参加した人間から、メールが続々と来る。

AIが整理してくれた。

「今後、連携を取るためにメールのアドレスを登録しておきます」

「よろしく」

「アカリ、会議に出てどうでしたか」

「良いんじゃないのかな。 私の発言をいきなり否定するような事はなかったし。 懸念していた人間原理主義に全員が染まっていることもなかった。 後は、具体的な方法をまとめていくだけかな」

問題は、私は生物学者ではないということ。

人間についての知識は持っているが。

あくまでそれは思考回路についてだ。

人間を嫌と言うほど見たのだから、人間については詳しい。

だが、人間という生物を弄る場合どうすれば良いかについては、正直な所知識が足りないのも事実である。

メールアドレスを確認。

それぞれの肩書きは、実の所それほど凄まじいものでもない。

話にしか聞いていないNASAの職員はいないし。

何かしらの科学系の専門機関に勤めていた人だっていない。

そういう人は、ほとんど世界大戦に巻き込まれて命を落としてしまった。

たまに学者がいるが。

20世紀から生きているような人はほとんどおらず。

殆どはこの時代になってから産まれ。

自力で学問を身につけた人ばかり。

私がルーチンワークでファイルの修復をしていたように。

その間勉強をしていたような人達だ。

遺伝子工学の専門家もいる。

会議で具体案を出してくれた人だが。

その人と連携するのが良いだろう。

チップを埋め込む手術をするにしても。

AIをそもそも受け入れやすい遺伝子を確定で埋め込むようにするにしても。

どっちにしても、専門家の知識を聞かなければならないのは事実である。

私には専門知識はない。

だから、協力を仰ぐのが一番である。

メールを早速書く。

書いた先の相手は、私と同年代の人間のようだった。

なお、会議には一人で出ていたが。

実は双子であり。

アカネ、アオイというらしい。

その様子だと、名前も自分でつけたのだろう。

双子というと、多分同一遺伝子でどう変わるかという実験で産み出された個体なのだろう。

双子であっても、別の部屋で暮らしているのだろうなと思うと。

ちょっと興味深いとも思う。

AIのサポートを受けながら、メールでやりとりをする。

ハイクラスSNSを使うまでもない。

「先ほどの話、興味深く聞かせて貰いました」

「いやいや、ウチとしても面白かったで。 確かに人間なんて最悪の野蛮生物、宇宙に野放しにするなんて正気の沙汰やないからな」

「?」

何だこれ。

既に失われた方言か。

アカネという人の言葉に対して、アオイという人が付け加えてくる。

「お姉ちゃんってば、この名前の元ネタになったボイスロイドのキャラが移ってしまっていて。 エセ関西弁、プライベートでは使うんですよ」

「は、はあ……」

「なんや、そっちも大食いキャラじゃないんか」

「いえ、別に……」

そういえば。

私も動画文化を散々調べたから知っている。

アカリという名前のボイスロイドはいたな。

確か大食いキャラだったような気がする。

アカネとアオイという双子設定のボイスロイドも確かいた。のんき者のお姉ちゃんと、しっかり者の妹だったか。

そうか。

今の時代、そんな風に過去の文化から影響を受ける人もいるんだな。

そう思うと、ちょっと面白い。

「なんやー、残念や」

「いえ、すみません」

「お姉ちゃん、そんな事よりも」

「ああ、わかっとる。 アカリさんの提案については、とても面白いと思ったし、前向きに検討させてもらうで。 うちら二人はブランクスペースで仮想空間作って、其所で毎日実験しとるさかいな」

話によると、この二人が火星に生物を放つ際の主任クラスの仕事をするという。

勿論実務はAIが行うのだが。

そのAIの負担を減らすために、シミュレーションを今熱心にやっている所だそうである。

それは面白い。

具体的な成果を幾つか聞かせて貰うが。

どれも興味深い話ばかりだった。

「ブランクスペースには余裕があるからなあ。 うちらの方で、シミュレーションはしこたましておくで。 アカリさんはアイデアがあったら、それに沿って色々と話してくれなー」

「分かりました。 そうさせていただきます」

「いやー、思ったよりずっと面白い子で良かったわ。 膨大なファイルの修復を淡々やっとるいうから、どんだけ気むずかしい人かと心配してたんやで」

「お姉ちゃん! アカリさん、気を悪くしたら済みません」

アオイさんには随分と気を遣わせているようだ。

ただ、姉と同じような理由で、名前を自分でつけているのだ。

気はあった二人なのだろう。

メールを切る。

ため息をつくと、私は風呂の中でぐったりした。

「少し長風呂になっていますよ。 そろそろ上がってください、アカリ」

「ういー」

「有意義な話ではあったようですが、メール越しでも他人と話すのは苦手ですか?」

「苦手」

ましてや相手は、過去文化にどっぷり染まって、名前どころかキャラまで合わせているような相手だ。

関西弁なんて今時使われることも無い。

そんな人と話して疲れない筈がない。

とりあえず風呂から上がって、パジャマに着替える。

このパジャマについても、やはり特権は認められないらしい。

まあそれはそうだろう。

そもそもあの会議だって、出ている人間が特権を貰っているかと言えばノーだろう。会議がなくても、AIが黙々と全てを進めていくだろう。

結局の所、人間は今の時点では究極的にはいらない。

何かしらの理由で絶滅しても。

AIが即座に遺伝子データから復活させるだけだ。

それでもなお。

私は最低限の尊厳を守りたい。

名前を持ったのもそれが理由。

そして、それを人間という野獣を外宇宙に好き勝手に解き放たないようにするためには。難しいバランスの上で、調整をしなければならないのだ。

「あの二人、信用できると思う?」

「出来ると思います。 実績は確かです。 それに……」

「それに?」

「アカリと同じく、ルーチンワークを二人とも非常に得意としています。 人間としても、共通点が多いと思いますよ」

この辺りはAIだなあと思う。

似た者同士が仲良くなるかというとそれはノーだ。

私が知る限り、血縁者が仲が良いかというとそれは違う。

むしろ血縁者ほど、一度憎み合うとその殺し合いは凄まじいものへと発展していくのだから。

趣味が似ているからと言って、意気投合するとは限らない。

実際私は、あの二人をとても苦手だと感じた。

ぐいぐい来るからだろうか。

いや、あの二人も。

或いは、孤独だったのかも知れない。

だから、同好の士を見つけてぐいぐい来た可能性もある。

だとすれば、あまり相手を苦手にも思えないか。

夕食を取る。

AIに、二人の話を聞く。

やはり実験プロジェクトで作り上げられた人間らしい。コピー魔王のように、過去の人間の遺伝子データを丸ごとコピーするケースもあるらしいが。ああいう一種のデザイナーズチルドレンを複数同時に作る事もあるそうだ。

ただ実験としては上手く行ったかはかなり微妙な所らしく。

同一遺伝子なのに性格がかなり違うのだとか。

また性格も違い。

姉のアカネは体を動かすのがどちらかと言えば好きで、興味を持ったものにはぐいぐい行くのに対して。

妹のアオイは体を動かす事自体が大嫌いで。

保守的で、決まったことを黙々とこなすタイプだという。

両者の存在を知ったのも、実は会議によってで。

最初は二人はとてもぎくしゃくしていたのだとか。

「あのようにツーカーの仲になるまでは数年かかりました」

「数年、か……」

「人間はやはり難しいと感じます。 アカリが言う事も、此方には分かるのです。 確かにこのままAIの制御を外れれば、人間は野獣に逆戻りするでしょうし、下手をすると太陽系に核攻撃を企てるかも知れません。 場合によってはもっと恐ろしい計画を立てるかも知れません」

その通りだ。

AIに支配されているとか言い出して。

世にもおぞましいジェノサイド計画を立てても何ら不思議では無い。

人間はそういう存在だ。

別に不思議な事でも何でも無い。

理解出来ない相手には何をしても良い。

自分から劣った相手には何をしても良い。

平均的な人間がそう考える事は。

嫌と言うほど、私は見てきた。

だから、人間は野放しには出来ない。

AIは人間に寄り添う存在としてデザインされている。だから、人間を無理矢理押さえつけることは出来ない。

だからこそに。

外宇宙に出る前に、決着を付けなければならないのだ。

「これから、あの二人と密に連絡を取りながら、計画を進めていきたい。 勿論計画の推移については、そっちで監視してかまわない」

「分かりました。 アカリはフェアですね」

「見られて困るような計画を立てるようだと、昔の人間と同じだからね」

AIは余計な事を他人に教えない、という事もある。

それに、まずはシミュレーションだ。

著しく非人道的な計画だったら。

誰かにストップを掛けて貰う必要が生じるかも知れない。

私は21世紀のアホ共と一緒になるつもりは無い。

いや、21世紀以前の、というべきか。

何一つ進歩などしていないくせに。

万物の霊長を名乗り、自分は常に正しいと信じて、劣っていると主観で考えた相手にあらん限りに暴力を加えていた生命体。

そんな連中とは、一緒になるつもりは無い。

だからこそ、フェアに行きたい。

私は常に正しいとは限らないのだから。

「他にも、相談役になりそうな人物をピックアップしておきます」

「んー」

「後は、ルーチンワークは今まで通りに続けてください。 今後も、まだまだ修復を頼みたいファイルは幾らでもありますので」

「それは、分かってる」

実の所、完全破損してしまったサーバなどもかなりの数が存在していたのだが。

最近地道に技術を開発していた人が。

破損ファイルをサルベージする方法を見つけたという。

また、仕事が増えるかも知れないそうだ。

今までデータを取りだすことさえ出来なかった破損HDDから、データを取りだすことが出来れば。

また破損ファイルを修復する事が出来る。

ファイルを修復すれば、完全に失われていたデータが復活する。

其所にはどんな宝があるか分からない。

なるほど、それは嬉しい知らせだ。

日本のネットにあったファイルはほぼ全て修復したと思っていたが。

また修復の余地があるファイルが出て来た、という事になるだろう。

まあ、地球では全てロボットが作業をする。

人間が其所に降り立つことは無いのだが。

夕食が、多少おいしく感じた。

私はやっぱり、壊れているものを直すのが性に合っているのかも知れない。

そしてルーチンワークも。

古くはこういう行動をする人間を、馬鹿の一つ覚えと言って嘲弄する傾向があったらしい。

だが今の時代は。

その馬鹿の一つ覚えが出来ない人間こそが。

生きていけないのだ。

 

3、具体的な外への道筋

 

火星の大気が安定し。気候も安定する。

海が出来はじめる。

急速に拡がっていく青い巨大な水たまり。

ただし、そもそも火星の大地は殺菌作用によって汚染されている。

ずっとずっと、剥き出しの放射線を浴び続けた結果だ。

まだまだ作業はこれからである。

それでも、喚声は上がっていた。

見る間に青くなっていく火星を見て、ミドルクラスSNSでは喚声が上がっているようだった。

絵空事にも思えた火星のテラフォーミングに。

此処まで劇的な進歩があったのだ。

当然だろう。

同時に不満も噴き上がっている。

「あれだけ広い土地が確保出来たんだから、このクソ狭い部屋から出せよオラァ!」

「どうせ一部の特権階級だけで土地を独占するんだろ! 分かってるんだよ!」

ぎゃいぎゃい騒いでいる連中。

アホだなと、私は拡がる海のデータを取りながら思う。

まず経済が存在しない現在、特権階級などというものは存在しない。

会議に参加している私でさえ、未だにサメプリントのパジャマを着ている。要するに、贅沢は出来ていない。

部屋の大きさも他の人間と変わらない。

使っているブランクスペースの数だって同じだ。

なお火星周回軌道上にあるコロニーは火星表面に降ろすが。ただ降ろすだけ。まだ其所には、何の生命もいないのだ。

プラントは既に作成済み。

植物や最近、プランクトンなどは既に遺伝子データから復活させて、飼育している状態だが。

火星に放つのは早すぎる。

オゾン層は既に形成されているが。

土壌の汚染と、海の汚染をどうにかするのが先である。

これにまた、十年以上掛かる。

土壌だけでも、アフリカ大陸ほどもあるのである。

その土地全ての汚染をどうこうするのに、十年なら早すぎる方である。以降は、生物学の専門チームと連携して、動いていくことになるが。

実の所動かなくても、AIが全てをやってくれる。

我々が動くのは。

労働を忘れないため。

また、新しい技術を得るためだ。

ミドルクラスSNSでギャアギャア感情的に喚いている連中は、正直な所どうでもいいのだが。

あれこそが。平均的な人間の姿だと、私は知っている。

だからこそ、アレを外宇宙に持ち出してはいけない。

一度殺処分してしまっても良いのではないかと時々思うが。それでは2050年代に致命的な世界大戦を引き起こした連中と同レベルだ。

私も其所まで落ちたくは無い。

今日の仕事終わり。

ミドルクラスSNSの熱狂は放置。

メールを確認する。

アカネとアオイの姉妹から、データが届いている。幾つかのシミュレーションを進めた結果だが。好成績が出ているシミュレーションと、そうでないものがはっきり分かれている。

特に脳にチップを直接埋め込むのは駄目だ。

どうしても拒絶反応が出る。

チップの材質を如何に変えても、である。

流石に脳というもっともデリケートな器官に、チップを直接埋め込むのは無謀なのだなと再確認した。

一方、遺伝子の選別の方は悪くない。

AIの言う事を素直に聞く、という遺伝子は既に発見されているが。

それを組み込んだ場合、人格がどうなるかについて。

膨大なデータを送ってくれているのだが。

見る限り、別に人類は多様性を失わない。

強いていうならば、ルーチンワークに強くなる傾向があるくらいだ。

ルーチンワークを毛嫌いする人間もいる様子だから。

多分何かしらの性格的な問題として、影響が出ると言うことなのだろう。

だがあのぐいぐい来るアカネを見ている限り、別にルーチンワークを得意としていても、性格が暗くなると言う事もあるまい。

またAIの言う事をきちんと聞けるのなら。

他者に対する凶暴な侵害行為もかなり抑える事が出来るだろう。

平均的な人間は。

それが出来ない。

21世紀のSNSでは、どれでもそれが出来ていなかった。

SNSごとにそれぞれ特色があったと考えている者もいるようだが、実体は違う。

群れが違うだけ。

SNSで行われていたのは、他人のあら探し。絶対正義を錯覚した者が血塗られた棍棒を手に徘徊する地獄絵図。

それはどのSNSも同じだったのだ。

そしてSNSが人間の思考をこれ以上もなく映し出しているという場所である事は、既に分かりきっている。

要は人間の本質的性質がそれなのであって。

奇跡的に作られたこのAIの言う事が聞けないようであれば。

凶暴な侵略性外来生物として、周囲を破壊し尽くすのは目に見えている。

恐らく、今進めている遺伝子データの選別を進めれば。

人間の「平均」が変わる。

AIは基本的に正論を言う。

21世紀、いやそれ以前では。耳障りが良い言葉を口にする人間が社会で重用され。逆にその場での最適解を口にする人間は、「ロジハラをしている」などと社会中枢から遠ざけられ。結果として社会が破滅する事が何度も何度も繰り返されていたが。

その負の流れが断ちきられることになる。

正論を受け入れられるようになる人間という種族。

それは、元とは根本的に違う存在だ。

いっそのこと、強すぎる人間の欲求も排除してしまっても良いかも知れない。

別に今の時代は遺伝子データさえあれば子供だって作れる。

わざわざ腹を痛めて子供を産む事だって無いし。

毎日生理反応のために、無駄に栄養をポイ捨てすることだってないだろう。

性欲も性機能もオミットしてしまった私の意見かも知れないが。

生物の範疇を外れたが故に発展できた人間だというのに。

都合の良いときだけ動物を主張する、極めて身勝手な性質が、人間を駄目にして来た要因の一つであると私は考えている。

だからこそに。

そろそろ、其所からは脱却しなければならないのだ。

午前中のルーチンワークを進める。

また大量の破損ファイルが来ているので、片っ端から修復していく。

中には、失われたと思われていた、非常に難しい公式の解法が具体的に記されているものがあったらしい。

お手柄ですとAIに言われたが。

そもそも、他の連中もファイルの修復をしていれば。もっと早く見つかっていただろうにとしか思わない。

淡々と作業を進め。

午前中のルーチンワーク終わり。

破損したファイルを相当数修復したが。もう、疲労感を覚える事はない。

世界中のサーバやPCのHDDに入っていた破損ファイルを修復しているが、やはり私と同じ作業をしたがる人間はいないようだ。

有用性を議会のメンバーには何度も説いているのだが。

それについて、やりたいと口にする者はいなかった。

まあ、議会に参加しているメンバーは、それぞれルーチンワークで色々な作業をやっていると言うこともある。

アカネとアオイの姉妹にしても、ずっとハイクラスSNSで遺伝子データ関係の調査をルーチンワークで続けているのだ。

あの二人にもファイルの修復をする余裕は無いだろう。

結局、これをやるのは私だけか。

孤独な宝探しだ。

昼食を食べていると。

AIに言われる。

「先のデータは、既に数学者に渡しました。 どうやら本物で間違いない様子です」

「ふーん……」

「興味が無い分野なのは分かりますが、失われていた貴重な英知です。 もう少し喜んでも良いのでは、アカリ」

「私が言いたいことは分かるでしょ」

髪の毛を掻き回す。

AIは、それ以上何も言わなかった。

AIが口をつぐむほどに、確かに誰もファイルの修復作業には興味を見せない。創作限定でやっていた頃からそうだった。ずっとそうだった。

誰も彼もが口を開けてエサの供給を待っているだけ。

新しいものを具体的に作り出せない今の時代は、技術やノウハウを開発することは出来ても。新しい創作をする事は出来ない。

だから、過去作をぼんやりと楽しむ者はいるが。

失われた作品を取り戻そうとするものはいない。

私が本格的にファイルの修復作業を始めた頃からか。

ほんのわずかにいた、ファイルを修復していた連中も作業を止めたという。

これは、私というファイルの修復を凄まじい勢いでやっていく存在が現れたから。自分はやらなくても良いだろう、という思想が原因らしい。

反吐が出る話だが。

人間はそういう生き物だから、別にもう驚かない。

昼食を終えると、軽く体を動かす。昼寝は別にいい。其所まで疲弊を感じていないからだ。

その後はルーチンワークに入る。

淡々とファイルを修復していく。

AIが時々頼んでくるので、無言で請け負って、何だか得体が知れないファイルも修復する。

全く正体が分からないファイルだったが。

どうやら大手銀行の裏帳簿だったらしい。

スタンドアロンのPCに入っていたらしい代物だが。

当時の犯罪の証拠として、大きな意味があるそうだ。

「今日は引きが良いですね、アカリ」

「……それで、その銀行の関係者は一人でも生きているの?」

「いいえ」

「そう」

何だかまた徒労を感じる。

頭を振ると、次の作業に。

確かに私のしている事には大きな意味がある。だが、少しずつ虚しくなってきているのも事実だ。

どうして、誰も手伝おうとしない。

別に目に見える所で手伝わなくても良い。

一人でも、修復作業に興味を持つ者はいないのだろうか。

動画の修復をする。

支援ソフトを使って、キャラクターを踊らせている動画だ。

物語したてにしているものも面白いが。

単純に踊らせる動画にも凝っているものがおおい。

そもそも踊らせるためにこの支援ソフトは作られたのだ。

本来の目的を十全に満たしていると言える。

元々完全に壊れていたファイルだったので、直してみるまで何なのか分からなかったし。最近は変な動画ばかり引いていたので、これは嬉しい。

踊っているのも、知っているキャラクターだ。

作るのに何十時間も掛かっただろう。いや、桁が一つ違うかも知れない。

いずれにしても、素晴らしいと思い。

それだけ思った後は、すぐに心を冷やして客観的にファイルを修復した。

修復を完了すると、AIに引き渡す。

失われていたファイルがまた一つ戻った。

少しだけ、気持ちが戻る。

エサを待っている魚の映像を見た事があるが。

そのような事をしているユーザーのためではない。

未来の人類のためだ。

創作を修復する。

それには絶対に意味がある。

気合いを入れ直すと。

次のファイルを修復する。

テキストだ。

ただの小説で、別に出来は良くも悪くもない。強いていうなら、食事の描写がマニアックなくらいか。

まあ良いだろう。

特に批判するようなものでもない。

創作としては、充分に意味がある。

次。

次。更に次。

気がつくと、会議の時間が近付いていた。

嘆息すると、手を止める。AIが気を利かせて、雑多なファイルをどっちゃと持って来た。

手を動かしていた方が気が紛れる。

そう言いたいのだろう。

分かっている。

修復を再開。

会議までに、渡された雑多なファイルを全部修復し終える。AIに引き渡す。AIも粛々と持っていく。彼方此方に持っていって、破損していたHP等を修復するのだろう。中にはろくでもないものもあったが、もういちいち気にしない。

気にしていられない。

会議を始める。

私より後に会議に加わった者も何名かいる。会議の規模も、少しずつ大きくなっている。

一方で、いなくなってしまう人もいた。

私が会議に参加してからもだ。

やはり、孤独に耐えられない人はいるらしい。

これだけの条件が整っても。

私は自死を選ぼうとは思わない。

だけれども、自死を選ぶ人は、仕方が無かったのだろうとも思うし。

その決断を理解出来ないからといって。

平均的な人間がそうするように、嘲弄する気はさらさら無かった。

会議の内容は、いつもと殆ど変わらない。

新人が入ると、新しい提案が為されることもあるが。

基本的にそれぞれの進捗を提出して終わりである。

私はファイルの修復作業と。

たまにアカネとアオイと一緒にやっている遺伝子データの改良計画についての進捗を出すが。

リソースが限られている今、出来るシミュレーションの回数には限界があるし。

毎日そんなに進捗は進まない。

それよりも私の場合は、火星のテラフォーミングについて報告することの方が多くて。歯がゆかった。

この立場まで来たのに。

ままならないものである。

会議が終わる。

必要がなければ、知り合いになったアカネとアオイとも話さない。あの二人はシミュレーションをするのが心の底から好きなようなので、私と話している時間さえも惜しいらしい。

AIに聞いたのだが、やはり二人とも気を抜くとすぐに夜更かしをしようとするので、それを抑えるのが大変だそうだ。

何だか分かる気がする。

その分私は手が掛からないらしいが。

ハイクラスSNSからログアウト。

風呂に入ってぼんやりする。

火星のテラフォーミングは少しずつ少しずつ進んでいるが。

今日も別に、目立った成果を報告できた訳でもなかった。

私に火星のテラフォーミングの機能を集約し、金星に全力投球するべきと言う提案も一度上がったが。

それも却下されて、今に至る。

火星のテラフォーミングは極めて重要な事業であり。

一人でやった場合、ミスが起きたら取り返しがつかない、というのがその理由だ。

勿論実際にはAIが補佐するし。AIがやるようなものなのだが。

仕事を忘れないように、仕事をしているので。

そういう観点から。

仕事上の注意点として。

職人芸に頼るのでは無く、連携して仕事をすることを忘れないようにするのも大事なのだとか。

分かる気はするが。

別に反論も同意もしない。

風呂から上がって夕食を取る。

味気が無い。

また、何というか。

食事がつまらなくなってきている。

こんな筈じゃなかったのに。

そう思っているからだろうか。

だが、私は望んでここに来た。

だから、不平不満を口にする資格は無い。

粛々とこれからもやるだけだ。

何よりも、私が提案した遺伝子改造論については、議会でも概ね好意的に受け入れられているし。

計画も着々と進んでいる。

アカネとアオイも作業が進むと嬉しそうに話をしてくるし。

連携して作業をしていくのは決して悪くは無いと思っている。

ただしなれ合うつもりはないし。

当然向こうにもないようだ。

私にはこれくらいの距離感が丁度良い。

だが、何だか分からないが。

どうも達成感がないのである。

ぼんやりとしたまま、眠りに入る。

元々ぼんやりしていたから、意識が薄れていくのも早い。AIに言われる。

「アカリ。 何だかモチベーションが低下しているように見受けられます」

「……うん」

「休暇を取っても良いのですよ」

「良いんだよ。 他に……私に出来る事なんてないんだし」

私には、どうせこれしかない。

それは分かっている。

21世紀に産まれていたら、周囲に滅茶苦茶にされていただろう。

21世紀の人間の心の醜さ貧しさは、調べて見て嫌と言うほど体感する事になった。あんな世界で暮らすのだけは冗談じゃあない。

今の世界の方が遙かにマシだ。

そして此処でも、私にはルーチンワークしかない。

23世紀に入ってそれなりに経つけれど。

まだ地球では、HDDをロボットが自動で回収しているそうだ。

つまり破損ファイルはまだ来る。

私はひょっとして。

雄飛の時代が来ても、まだ太陽系に残るのかも知れない。

それ自体は別に良い。

不満は感じない。

だけれども、私が今度生きていくとして。会議も解散した未来には、一体何があるのだろう。

寿命も存在しなくなった今。

ハードウェアも破損する可能性がなくなった今。

私の行く先には、何があるのだろう。

怖いのだ。

時々。

それをぼそりぼそりと話しているうちに、いつの間にか眠っていた。

自律神経を壊さないように、AIが生活をがっちり管理してくれている。だからそれに甘える事にする。

歯を磨いてうがいをして。

顔を洗っていると、AIに言われる。

「火星のテラフォーミングは概ね上手く行っています。 恐らくですが、数十年後には安全な水をコロニーに余分に提供できるようになるかと思います」

「そうなると、今使っている何十回濾過して使い回しているか分からない水が新鮮になるって事?」

「それもありますが……コロニーに大量の水を資源として追加する事で、生きている魚などを食糧にする選択肢が出てくるでしょう」

「そっか、合成品だけじゃなくなるのか」

私は生まれたときから合成品で育ち。

これからも合成品で生きていくのかと思っていた。

雄飛の時代に向けての限りなく長い時間の中。

少しずつ、そういう進歩も出てくるのか。

「新しい創作も解禁される日が来るかも知れません」

「リソースに余裕が出来たら?」

「はい。 火星のテラフォーミングが完了するのは24世紀のかなり遅くになりますが、その頃に新世代の人類を想定の数増やす事にしています。 その頃には、金星のテラフォーミングも着手が開始され、幾つかの準惑星から切り出した資源もあって、コロニーそのものも拡張が進みます。 人間を増やす事は、不可能ではありません」

「……」

凍ったような時代だが。

氷河期はいずれ終わるというわけだ。

だが、氷河期から這いだしてきた人間が。前のままでは駄目だ。それについては、確定事項である。

伸びをした後。

私は、仕事に入る。

プラントの様子を確認。

まだ完全隔離の状態が続いているが、遺伝子データから再生された複数種類の生物は、世代を重ねながら火星の大地に解き放たれる時を待っている。

火星の方のデータを確認。

土をロボットが掘り返しながら、作業を進めている。

急速に降り注ぐ放射線の量が減っているから、それに合わせて土壌の浄化を進めているのである。

またオリンポス山をはじめとした、マントル活動が停止した事によって生じたいびつな地形も、崩してしまう予定だという。

あまりにも不釣り合いに巨大すぎる地形は、シンボルにはなるかも知れないが。むしろ色々とテラフォーミングの障害になる。

また内部には膨大な資源もあるので。

掘り出して使ってしまうのが一番だそうである。

前から決まっていたことだ。

オリンポス山を文化資産として残すべきでは無いかと言う声もあったのだが。

そもそも文化でも何でも無いという反論が出て、会議ではお流れになっていた。

AIとしては、別にオリンポス山を残してもテラフォーミングの進捗に影響は無いという判断はしていたようで。人間に寄り添うAIとして、判断を尊重したいと言う事だったようだが。

まあいずれにしても、残すという選択肢は無かったわけだ。

海の方を見る。

自転が早いからか、もう空の様子が変わっているが。

これはまあ、仕方が無い。

火星のテラフォーミングが完成しても。

そこはあくまで人間が降り立つ場所では無いのだ。

今後も、人間はコロニーの個室で暮らすべきでは無いかと私は思う。

反発する者はいるかも知れない。

事実会議でそれを一度口にした時には。

懸念するような声も上がった。

だが、人間が進歩するか分からない以上。

雄飛の時代が来てからも、それは選択肢に入れるべきだ。

人間に好き勝手をさせたら、また2050年の災厄が再現される。

これについては、予言でも何でも無い。

確定事項なのだから。

「海の様子も問題ないね」

「ただまだ毒素が抜けていません。 成分の調整はしていますが、まずはこの毒素を中和する事からしていかないとなりません」

「分かってる。 時間掛かるんでしょ」

「大気が完全に安定した頃には、進捗は20%に達している筈です」

時間、掛かるんだな。

嘆息すると、今日の仕事を切り上げる。

そしてルーチンワークを開始。

運動して、ゲームを軽くして。

久々に、私が動こうと思った切っ掛けになったコピー魔王の配信を見に行く。ルーチンワークの前にちょっとだけだ。

やっている。

まだまだ飽きずに色々やっているようだ。

コピー元の人が膨大な配信データを残していたのだ。それに沿って作業をするだけでも、相当に色々出来るのだろう。相変わらず凄いプレイスキルだなと、見ていて感心する。そいて、私も負けないように、自分に出来る事をしようと気合いを入れ直す。

ファイルの修復作業を始めるが。

AIに言われる。

「地球で無事だったシェルターが発見されました。 とはいっても、内部に籠もった人間は全滅していましたが」

「自分は優秀だとか自称する人間が優先して閉じこもったアレでしょ。 まあ全滅は当然じゃないの」

「はあ、まあ。 其所から膨大なデータが見つかりました。 今此方でより分けていますが、破損データも多数あるので、作業をお願いいたします」

「……分かった」

もう、他の誰かが破損ファイルを修復する事には期待しない。

そういうものだと思って私はある程度諦めている。

だから黙々と作業に取りかかる。

大量のファイルは、独自の規格のものばかり。

一部で使われていた表計算ソフトによるものだ。

それを無理矢理方眼紙にして使っている。

本末転倒な使い方だが。

当時の国や、「優秀な人間」とやらは、このやり方を好んでいたらしい。時々見かける。

そしてその内容は、思わず渋面を作りたくなるものだった。

以上のような名前が並んでいる。「優秀な人間のリスト」「新しい世界に残すべき血筋について」「資産と土地の分配について」「愚民が生きていた場合の排除方法」。それらの具体的なやり口についても、記載があった。

思わずファイルを消したくなったが。

負の文化遺産としては、残しておかなければならないだろう。

「ねえ、聞いて良い」

「なんなりと」

「このシェルター。 何で全滅したの?」

「いわゆるバンカーバスターが直撃したからです。 シェルターそのものの内部に熱核兵器が叩き込まれた訳ではないのですが、バンカーバスターの衝撃でシェルターが崩壊して潰れたようですね」

そうか。

ざまあ見ろとは言わない。

だが此奴らが死んだのは自業自得で。

むしろ生きていたら、更なる災厄を地上にもたらしたんだろうなと思うばかりだった。そして破損ファイルが多いのも納得出来た。文字通り掘り返してHDDを回収したのだろうから。

「武器とかもたくさん発掘されたの?」

「それもそうなのですが……」

「?」

「シェルター内の食糧が足りていなかったようで、互いに食い合った形跡が残っていたようです」

そうか。

簡単に狂うんだな人間は。

そう思う。

シェルターに逃げ込んだは良いが、何らかの理由で蓄えていた食糧があらかた駄目になってしまった。

それで食い合いが始まった。

互いに殺し合いもしたのだろう。

そして核が飛び交う外に出ることも出来ず、全滅というわけだ。

何もかもが全て自業自得とは言え。

もう私には、何も言えなかった。

繰り返してはならない。

そうとだけしか言えない。

ファイルの修復をしていく。

いわゆるR指定の動画などもたくさん出てくる。此処に逃げ込んだ「優秀な人間」とやらのコレクションだったのだろう。

長期間閉じこもることを想定して、持ち込んでいたというわけだ。

確か世界大戦の頃には、R指定の創作は持っているだけで重罪、下手すると死刑なんてケースもあった筈だが。

此奴らは金があるから何をしても許されていたという訳か。

そもそも創作を持っているだけで重罪というのがおかしいのだが。金があればそれを免れられるというのも更におかしい話だ。

滅びてくれて良かったな。

そうとしか、私には言えなかった。

かなりのファイルが出て来たので、直すだけで十数日は掛かる。

一段落した所で、AIに告げると。信頼しているとだけ返された。

私は一度ハイクラスSNSを出ると、昼食にする。

今のデータは、本来インターネットにあったものを、自分だけで独占したものだったのだろう。

結局の所、どんな金持ちもインターネットというものからは逃れられなかったというわけだ。

そして今の時代。超光速通信で、地球と月コロニーが殆ど時間差なく通信できる状況を鑑みるに。

今後もインターネットというものが廃れる事はあるまい。

リソースを増やすにも限界がある。

ならば、私がやっている作業は、無駄では無いと言う事で。結論は出してしまって良いのだろう。

ため息をつく。

何だか虚しい結論だ。

だけれども、もはや人間には未来そのものが怪しくなってきている。

今必死に打開策を考えているが。それがならなかった時の事も、しっかり考えなければならない。

私はその時のためにいる。

人類の進歩が絶望的になったときには。

きっと全ての人類が個室から出ず。寄り添うAIと供に暮らす世界が来る事になるのだろう。

別にそれを悪とは思わない。

残念ながら人間には

それを悪という資格が無い。

それだけの話だ。

 

エピローグ、遠い遠い未来の話

 

私は目を覚ますと、AIに聞く。

今は西暦何年か、と。

AIは苦笑した。

「重力干渉などもあり、時間の流れは一定ではありません。 それでも強いていうならば、現在は西暦7120年前後になります」

「ああ、そうだったそうだった……」

「アカリ、今日の仕事の前に」

「分かってる。 歯磨きうがい、それに顔を洗う」

洗面所に移動する。

私の一日が始まる。

あれから、雄飛の時代が来た。

アカネとアオイと協力して人間の遺伝子データの組み替えについて、ずっと協議を続けたけれど。

限られたリソースの中で散々苦労して、膨大なシミュレーションをした結果は。

人間は寄り添うAI無しでは、知的生命体を名乗る存在にはなり得ない、と言う事だった。

簡単に説明すると、正論を聞くことは出来るようになるが。

それ以上にやってはならない事を如何にしてねじ曲げてエゴの元動こうとする方に、思考を持っていく。

それが如何に他人を害しようと関係無い。

つまるところ、どれだけ小細工をした所で、人間は今後野放しにしたら、最低最悪の侵略性外来生物として、宇宙中を破壊して回ると言う事だった。

結論は悲しいかも知れないが。

何処かで誰もが分かっていたのだろう。

ならば、と議会で結論は出た。

雄飛の時代以降も、このスタイル。

つまり人間は個室で産まれ個室で死ぬ。

他者との接触は現状ではミドルクラスSNSで行い。もっといいツールが出て来たらそれを使う。

繁殖には遺伝子データを各自から取り。それを用いて行っていく。

これによって「好み」だの「相性」だの関係無く、安定して繁殖をすることが可能になっていく。

もしも外敵に接触した場合の防衛兵器についてはAIが全管理。

人間は以降、闘争行為には荷担しない。

これらが議会で決まった。

反発する者も出たが、数十億回を超えるシミュレーションデータという、データの暴力で殴られるとどうにもならず。

結局そのままこの方針で決まった。

現在でも人間は。

22世紀の時代のまま。

既に老化も寿命も超越し。

自死を選ばない限り死ぬ事はなく。ずっとそれぞれが、個室で暮らすようになっている。

無闇に増える事もなく。疫病が流行することもなく。それぞれが過酷な労働に晒されることも無く。

適切なリソースがAIによってそれぞれ振り分けられ。

戦争は過去の遺産になった。

コレも、結局は21世紀に狂乱を極めたインターネットの存在により、人間が如何に愚かしい生物なのか可視化された結果と言っても良いのかも知れない。

火星も金星もテラフォーミングが終わり。オールト雲にある準惑星を前線基地として、コロニーと一体化した宇宙船が幾つか外宇宙に出て。今αケンタウリとシリウスに向けて飛んでいる。

私がいるのは、そんな宇宙船と一体化したコロニーの一つ。

とはいっても、超光速通信があるから、月だろうが火星だろうが、関係無く通信は出来るが。

火星はすっかり美しい緑の星に変わった。

だが、そこを人間が汚すことは無い。

金星も同じく。

かなり無理矢理ではあるのだが。

人間はこれにて。

もう過ちを犯すことはなくなった。

きっと人間は素晴らしい生物に進歩できるという、現実を無視した人間原理主義を、やっと人間は克服できた。

勿論21世紀の人間が、今の人類を見たら感情的に反発するかも知れないが。

他に方法は存在しなかった。

だから、別にこれでいい。

破損ファイルを全て修復した私は、今では新しい創作を楽しむ事をルーチンワークにしている。

リソースが限られているとは言え、実際に物資を消耗しない創作だったらほぼそれぞれが無尽蔵に作ってかまわない。

そういうAIの判断も出ている。

私は破損したファイルを全て直した。

歴史的な偉業を成し遂げた。

だから、後は。

次にやりたいことが出てくるまでは。他人の作り出した創作を。昔のように、迫害されることもなくなった創作を。

楽しみ続けていれば良い。

ハイクラスSNSで、動画を見て楽しんでいると。

メールが入る。

アカネからだった。

「どうや、アカリ。 久しぶりやな。 たのしんどる?」

「ルーチンワークもあらかた片付いたから、今はゆっくり他の人の創作を楽しんでいるよ」

「そうか、相変わらずやな。 うちらは今な、地球の復興作業を加速する計画を実行してるねん」

「……詳しく」

確か復興には五十万年掛かるとか聞いたが。加速する方法があるのか。

アオイも計画に参加しているらしい。

興味深いと私は思った。

「ルーチンワークについては多分人類史上最高だと思うアカリには、幾つかやってほしい事があるねん。 勿論嫌なら断ってくれてかまへんのだけれど、協力してくれればきっと凄い成果があがるで」

「聞かせてくれる?」

「おお、乗り気やな。 実はな……」

話を聞く。

悪くない内容だ。

それにアカネが言う通り、私はどうもルーチンワークそのものが好きらしい。今の状況はそういう意味では若干退屈でもあった。

だから、受ける事にする。

「いいよ、やる。 データ、廻せるだけ廻して」

「ありがと。 後、議会に再度参加してくれへんかな。 この件、適任はアカリしかいないって議会の連中も口を揃えていてな」

「私にはルーチンワークしかないけれど、それで良いんだね」

「いいんやで」

そうか。

この時代だからこそ。

私の存在には、意味があるのかも知れない。

動画の視聴をやめる。

そして、一瞬にて、超光速通信で送られてきた膨大なファイルを見やる。これの処理が私の作業だ。

頷くと、早速ルーチンワークについてAIに策定させる。

そしてそれにそって、私が動く。

さあ始めよう。

人類がもう二度と失敗をしないために。

失敗をしても、星間規模の失敗をしないために。

私は、淡々と。

黙々と。

ルーチンワークを続けていく。

 

(冷えた世界の物語、コールドワールド完)