それが普通
序、悪意の煮こごり
ネットでも、人間の交流というのは実の所現実とあまり変わらない。人間というのは主観的な生物であり、自分から見て劣っている間違っていると考えた相手には何をしてもいいと考える。
別にそれは一部の特殊な人間がそうなのではない。
平均的な人間がそうなのだ。
それについては、私でさえ分かる。
平均的な人間が地球を焼き尽くし、資源を貪り食い尽くした。
その結果が、今なのだから。
そしてネットは、別に現実から乖離した人間が使っているものではない。
現実の人間が発言しているものだ。
要するに、人間という生物は。
幾つになってもオツムは変わらないし。
自分が正しいと常に考えているし。
間違った相手は殺して良いとも考えている。
それが平均なのだから。
そもそもどうしようもない。
万物の霊長という妄想は、人間の主体そのものとも言える。何が万物の霊長かと、私はいつも思う。
頬杖をついて、やりとりを見ている。
調べようと思ったもの。
それは炎上である。
この炎上も。
ネットの時代によって、かなり異なっている。
まず大手掲示板や個人HPの時代。
この頃の炎上というのは、非常に規模が小さかった。少なくとも、あまり大きな影響を社会的に与える事はなかった。
多くの場合、大手掲示板などの極めて治安が悪い場所に。悪意をもって、誰かしらが気に入らない相手や、その相手のHPを晒す。
その結果、元から何かを殴りたくてうずうずしている連中が、その相手に対して殺到し、囲んで暴力を振るう。
相手が死のうがどうしようがそれこそどうでもいい。
何しろ何かを殴りたくて仕方が無いのだから。
そして、情けない話だが。
それが平均的な人間なのである。
陰湿な学校のスクールカーストなどの情報は私も手に入れている。それを見る限り、ネットでも構造は一切合切同じだ。
舐められたら終わり。
舐めた相手は殺せ。
古い時代の人間はそう考え、実際に行動していたようだが。
実際問題、そうしなければ駄目なくらい、人間という生物は本質的にくだらない、ということなのだろう。
昔から人間という生物は一切合切変わっておらず、技術だけが進歩した。
だから、ネットだろうが現実だろうが。
同じ事が起きるだけである。
ともあれ、そういう形で黎明期のネットにおける炎上は発生し。被害はそれほど大きくはならなかった。
多くの場合、「自分から見ておかしな相手」を探して、それを掲示板などで晒して炎上を誘う愉快犯と。
何かしらの理由で相手を逆恨みした人間が。掲示板などを利用して炎上を引き起こすケースが存在したらしいが。
いずれにしても、炎上を実際に起こしていた人間にとっては。
それこそどうでも良かったのだろう。
単に殴れる相手がほしい。
誰かを殴りたい。
理由でさえ誰かが与えてくれれば良い。
それで良かったのだから。
それから時間を掛けて、徐々にネットの規模は拡大していく事になる。
ネットユーザーは増えていくことになるが。
決定的になったのはSNSの登場である。
幾つかの段階を踏んで、SNSは拡大していく。
その過程で。
アクティブユーザーは激増。
その結果、炎上というものは定義が決定的に変わった。
SNS時代の炎上というものは、一度発生すると取り返しがつかない事になるケースも珍しくは無かったのだ。
それらの情報を飲み込んでから。
私はふーむと唸って。
そして、小首を何度かかしげた。
人間がろくでもない生物である事なんて、嫌と言うほど分かっている。実際問題、+の部分ばかり見ていると、人間を見誤る。
だからこそ、−の部分も見ているのだが。
調べれば調べるほど、人間という生物がようも発展できてきたものだなと、呆れてしまうのである。
そもそも人間は、どれだけ凶暴で攻撃的なのか。
自分と違う相手には何をしても良い。
それが平均的な人間の思考だと言う事は分かっている。
実際問題、二次元で描かれる人間は、どれだけ邪悪でも。三次元の実際の人間の足下にも及ばない。
事実は小説より奇なりという言葉があるが。
これはまさに真相である。
どれだけ邪悪な悪役が創作に出てきたとしても。
実際の人間は、そんな次元では無い。
もっと邪悪な人間が、そこら中に幾らでもいて、それが「普通の人間」だったのである。
これは21世紀、ブラック企業の社長や管理職が悉くそれらであった事からも明らかであろう。
人間にとって他人なんてどうでも良いのであって。
むしろ棍棒で殴れれば嬉々として殴りに行く。
そんな事は分かっていたが。
ならば何故、取り繕おうとしていたのか。
やっぱり良く分からない。
此奴らは、種として誕生した後、互いに悪意をぶつけ合って、早々に滅びるべきだったのではあるまいか。
後続の生物のためにも。
それが一番良かったのではないかとさえ、私には思えてきている。
AIが咳払いした。
めったにないことだった。
「アカリ。 少し空気を入れ替えましょう」
「物理的にそれ出来ないでしょ」
「勿論です。 気分転換をしましょう、という意味です」
「……」
此奴、あえて会話を引き延ばすために、こちらの突っ込みを誘ったな。
AIの学習能力は高い。
私の気を反らすために。
今あえて無駄に突っ込みを誘った。
他の人間の面倒を見ているAIとも同期しているから、それらの経験も蓄積させ使っているのだろうが。
それにしても、完全に掌の上で転がされている感じである。
もっとも、このAIは基本的に人間に寄り添う存在であり。
SFに出てくる自我に目覚めるような悪辣なAIではない。
そういうAIに仕上がらなかったのは。
本当に良かったとしか言えないが。
それはそれとして、時々頭に来るのもまた事実なのである。
「予想はしていましたが、やはり人間の悪意のもっとも深い部分を見ていると、精神にダメージを受けます。 一度休憩を入れて、今日はもう別の作業をした方がよろしいでしょう」
「……そうだね、分かった」
「ファイルの修復作業はまだまだ幾らでも用意できます」
「それも分かってる」
ため息をつくと、立ち上がる。
セミロングまで切って、やっと髪は完全に邪魔にならなくなった。
それでもちょっとたまに目に掛かったりするから、前髪はもっと切っても良いかなと思う事もある。
髪を自分で切るのは難しいので、こればっかりはAIに頼むしかないか。
それはそれで面倒な話だ。
だいたい、調査で精神に深刻なダメージを受けて、ルーチンワークを疎かにしていてもいけないだろう。
やはり気持ちの切り替えは大事である。
AIは正論を言う。
一時期嫌われた正論を。
だが、正論が聞けないというのは要するに度量が小さいと言う事で。
英雄と呼ばれるような人間でも年を取れば正論を聞けなくなってくる。
だからこそ、私は。
正論を聞ける人間でありたかった。
一度ハイクラスSNSからログアウト。
横になって、目を閉じる。
AIは意図を組んだか、すぐにリラクゼーションプログラムに沿って、音楽を流してくれた。
知らない曲だ。
「これ、誰の曲?」
「リストです」
「そっか……」
クラシックには偉人がたくさんいる。リラクゼーションプログラムには、そんな偉人から色々曲をピックアップしてくれる。
私は色々な曲が聴きたいのだけれども。
基本的にリラクゼーション時には同じ曲が良いという人もいるそうだ。
無言で目を閉じて、リラックスして。
十分ほどで起きだすと、またハイクラスSNSに潜る。
しばらく調査は控えて。
淡々とファイルの修復に入った。
チャットのログの修復を行う。
これに関してはAIは何も言わない。
後世が判断することだと私は思っているし。
AIも、周囲が困惑している様子をあえて私に届けようというつもりもないのだろう。
かなりの量のログを修復した後。
今度はイラストの修復を始める。
手近にあったから、AIが優先度を上げて手元に置いておいたのだろう。
癖は強いが描き手の技量は高い。
そう感じる絵だった。
面白いなと思いながら、淡々と修復する。
出来れば修復時は、全ての感情を殺した方が良いくらいなのだけれども。
流石に作業を楽しむ事くらいは良いかなとも思っている。
ただ、その楽しいを作品に向けてはいけない。
それも戒めだ。
あくまで主観をもって修復をするのでは無く。
客観を持って修復をしなければならない。
だから可能な限り無を。
それを心がけながら動く。
作業を続けていく。
やがて、いつの間にか。
ストレスは晴れていた。
クトゥルフのキグルミのまま、肩を叩く。デフォルメしているから、別に四肢はある。普通に出来る。
最近はもうハイクラスSNSに入るときのアバターとしては、これがすっかり馴染んでしまったし。
今後も変えるつもりは無い。
イラストの次はテキスト。
その次は動画とやっていく内に。
時間が迫っているのに気付く。
昼食は取らないと、どんな屈強な人でも倒れる。
だから雑多なファイルを手元にまとめると、内容は殆ど確認せずに修復をしていった。修復したファイルをAIが回収していくのを横目に。
最後に何処かのHPのアクセスカウンタだったらしいファイルを修復。
アクセスは、3000程度で止まっていた。
何も言われずとも、一度作業を終了。
ハイクラスSNSからログアウトする。
伸びをすると、少し横になる。
昼食を取るまで、頭を冷やしておきたい。
前に知恵熱を出したときほど頭がヤワであるつもりは無いのだけれども。それでも、少し頭をクールダウンした方が良い。
体力もついてきているから、別に問題はないとは思うけれども。
それでも念には念だ。
人間が如何に愚かで脆いかはよく分かっている。
だから、せめて普段からAIに言われずとも気を付ける。
20世紀から21世紀にかけての悪しき文化である不健康自慢などは、残してはいけない文化の筆頭だ。
不健康な生活をすれば体は壊れる。
当たり前の話で。
それをゲラゲラ自慢していた人間は、皆病院送り。病院送りで済めば良い方で、命を落とす者だって多かった。
またこの手の連中は、人材はその辺から勝手に生えてくると認識していたらしく。
人材を育成するという概念が存在しないようだった。
それもまた、悪しき残してはいけない文化だろう。
見て盗め何てのはその筆頭である。
何かしらのデータをいずれ作りたいが。
ともかく、今は頭を冷やす。
しばらくぼんやりしていると。
昼食が出てきたので、食べる事にする。
心なしか、暖かい食事の他に、冷たいデザートが多めになっている。
まあデザートの味と材質は完璧に再現はしているが。
材料については知らない方が良さそうだ。
黙々と食べる。
AIは、何も言わない。
私が自分の中で解決できると判断しているからだろうか。
比較的お節介で、しょっちゅう介入にて来るのに。
こう言うときは、不気味なほど静かだったりする。
まあいずれにしても、生きるとしたら何千年も此奴と一緒にいなければならないのである。
それを考えると、どっちにしても上手くやっていく事は考えなければならない。
私は自分が常に正しいと考えている21世紀の平均的な人間ほど阿呆なつもりは無い。
勿論自分が賢いつもりもない。
21世紀の人間は、平均の時点で狂っていた。
それだけである。
食事を終えると、AIが淡々と片付ける。昼寝でもするかと思ったが、今は手を動かしたい気分だ。
軽くルーチンワークの運動やらを済ませると。
ハイクラスSNSに入る。
この間から更に時間に掛かる倍率が上がっているから、体感では十日くらいは一度潜ると作業はしている。
とはいっても意識を飛ばしているので、十日分働いた負担が体に掛かっている訳ではない。
淡々と手を動かして、ファイルの修復をしていく。
気が向いたら、手元辺りにおいてあるファイルの修復もする。
しばらく作業をしていると。
AIが捕捉してきた。
「優先度を上げたファイルの修復で、閲覧しているユーザーから感謝の声が上がっています」
「自分でやればいいのに」
「そういわずに。 皆、貴方のように熱量を持とうと思える人ばかりではありません」
「それは分かっているけれどさ」
そもそも人間としての最低限の尊厳がほしい。
そう願う事は、おかしいのだろうか。
21世紀のテレビを見たが。
バラエティ番組とやらは、あまりに醜悪で見られたものではなかった。
自分達から見ておかしい人間には何をしても良い。
そう考えた人間が作っているのが丸わかりだった。
人間に対して接しているのでは無く。
動物に対して、虐待を行い、それを公共の電波に流している。
そんな雰囲気の番組だった。
正直な話、見るに堪えなかったので、二度と見るつもりは無いが。
いずれにしても、人間は自分より下の存在を設定しなければ生きていけない部分があるのだろう。
それが本能なのだとしたら。
私は出来るだけ抑えたいと考える。
そんな本能はいらない。
淡々と作業をする。
膨大な、同じ作者のイラストが手元に来る。かなりの量だ。
大手の投稿サイトにあったものだが、この作者のイラストが置かれていた領域が酷く破損していたらしく、殆ど無事なものは残っていないらしい。
生涯通じて500枚に達するイラストを残した人らしく。
復旧は切望されていた、そうだ。
ファンなんだったら、自分で修復しろよ。
AIから説明を受けて、私は第一にそう思ったが。
まあ良い。
兎も角、手をつける。
過去の遺産を修復していくことはそれはそれでいい。
後の処置はAIに任せてしまう。
それにしても、この量。
実時間で数日はかかるだろうなと思った。勿論これだけを作業するつもりはないから、もっと掛かるだろう。
手際は良くなって来ているし。サポートツールも使いやすいように時間の合間で改良しているのだが。
それでも手間暇は、どうしても減らす事が出来ない。
口をへの字に結んでいるだろうなと思うが。
それでも作業はするしかない。
そろそろ時間か。
作業を切り上げると、細かいファイルの修復に入る。
手元にかき集めると、片っ端から修復していく。
容量が小さいファイルは修復も容易だ。
内容は勿論修復後に確認するし。
ファイルの内容がどうなっているかは、AIも精査する。間違いがあったら指摘は受ける。
だが、慣れてきているからか。
殆どミスの指摘は受けなくなっていた。
修復終わり。今日の作業は此処まで。
AIに修復済みのファイルを引き取って貰って、ハイクラスSNSを出る。最近はそういえば、ミドルクラスSNSに顔を出すことは殆ど無くなったな。
そう、伸びをしながら、私は思っていた。
1、燎原
個人HPに置かれていたテキストの修復をしていて気付く。
途中から、文体が露骨におかしくなっている。
元々ねっとりとした丁寧な文章を書き。
時々不要に気取った表現まで入れるような人だったのに。
それが悪い意味で変わった。
要するに神経質になったのである。
気になったので、少し調べて見ると、案の定だ。
掲示板に変なのが湧いていた。
口調からして、恐らく大手掲示板から来た連中だろう。面白いから燃やす。そういうタイプの「荒らし」だ。
炎上が文字通り人間の社会的生命を断つようになる前は、こういった炎上はネットでの活動生命を絶つことに主眼を置いていた。もっと正確に言うと、単純に燃やしている連中は楽しんでいた。
虐めを楽しむのと同じ。いや、虐めそのものか。
自分から見ておかしいものには何をしてもいい。
それが人間の平均的な思考であり。
それを体現する存在であるとも言える。
この時代の炎上、つまり掲示板から荒らしが呼び込まれるような状況は、殆どの場合確信犯である。
起点がどうかは分からない。
この個人HPでトラブルでも起こしたのか。
或いは単に気にくわないジャンルでも書いていたのか。
まあ理由はどうでも良い。
ため息をつくと、頭を振って、意識をクリアに戻す。
少し時間が掛かるが。
別にSNSから出なくても、普通に処理は出来るようになった。
人間に一切合切期待しなくなったというのが大きいだろうか。
別に21世紀の人間が愚かなんて言うつもりはない。歴史を見る限り、人間は誕生以後ずっと愚かだ。22世紀現在に至るまでそうである。
だからどうでもいい。
何度か深呼吸して、意識を作業時の客観に戻すと。
修復作業を再開。
残念ながら、この長編小説は打ち切り同然に終わっている。
荒らしをしていた連中に、作者が心を折られてしまったのだろう。
その後作者が筆を本当に折ってしまったのか、個人HPから別の戦場に移って創作を続けたのかは分からないが。
いずれにしても、この個人HPでの活動はぱったりと途切れていた。
頭を振ると、別のファイルの修復作業を始める。
人気ジャンルであっても、必ずしもファンの民度が高いとは限らない。
特に設定を自分で考察して、その考察を他人に押しつけるタイプのファンが多い作品は民度が非常に低く。
見ていると、諍いが絶えない。
こういった諍いは、作品にも大きな影を落とす。
無作為に修復をしていた頃は気がつかなかったが。
ネットについて色々と調べて、因果関係が複雑であると言う事を意識するようになってからは。
どうしても嗚呼そういう事と、思う事態が幾つもあった。
今はイラストの修復をしているのだが。
途中から、露骨に質も、更新の頻度も落ちている。
このイラストの原作が、そういう作品。
ファンの民度が最悪な作品だと言う事を、私は知っている。
だから、その関係だろうなとは思ったし。
またその手の案件を引いたよと思ってうんざりしているが。
それでもう意識は動かさない。
あくまで客観を保ったまま。
修復を続けていく。
仕上がった絵は、時期によってかなり違うが。緻密で繊細なタッチでとても美しい。しかしどんどん質が落ちていくのをみるに。その背景が想像できてしまって色々と胸くそが悪い。
少し時間をおく。
何だか、今日は引きが悪い気がする。
この間から、炎上について調べているが。
それからだ。
味噌がついたとでもいうのだろうか。ずっと古い諺だそうだが。いずれにしても、気分が悪い。
深呼吸。
流石に三連続は無いだろう。
黙々と、動画の修復に入る。
幸い三連続で引くことは無く、淡々と後は修復に集中する事が出来た。そもそも手に取った動画が、いわゆる風景を無言で延々と映し続けているだけのもので。炎上しようがないというのが実情ではあったが。
或いは、21世紀に暴れていたエセフェミニストとかは。
こう言う動画にさえけちをつけるのだろうか。
すこぶるどうでもいい。
修復が終わった時点で、時間を見る。
ちょっと多めに時間が余っているが、今日は創作を修復するのは此処までにしようと判断。
以降は雑多なファイルの修復に取りかかる。
AIは黙りっぱなしだ。
今は下手に喋らない方が良いと思ったのだろうか。
まあそれで正解だが。
「ねえ、聞いても良い?」
「なんなりと」
「ひょっとして、私の修復した作品にけちをつけている人いるんじゃない」
「……修復技術についてけちをつける人は存在していません」
そんな言い方をするという事は。
いるという事だ。
やっぱりなあ。
頭を掻くと、具体例を教えろと言う。
今の作業は片手間に出来るものだ。だから、AIも教えても問題は無いだろうと判断したのかも知れない。
「そうですね、修復したテキストやイラストのアンチは存在しています。 そういう人が、どうして修復したと文句を言っているケースは散見されましたが。 アカリが無作為に破損ファイルを修復していると知ってからは、あまりしつこく文句をいうケースは見られませんね」
「あんたがシャットアウトしてるんでしょ」
「それもあります。 昔は一度粘着……しつこく相手に絡み始めると、相手が根負けしていなくなるまで続けるケースがありましたから。 今でもそういう気質の人はいますので、此方で調整しています」
「ハア……」
そんな奴は殺処分しろとは流石にいえない。
21世紀。2040年代には、創作によって死刑が行われる事が当たり前になっていた。国によってはもっと前からあったのだが。2040年では、データに残っている限り(そういった重要データすら破損が激しいので確実とはいえないそうだが)、二万人を超える人が、創作をしただけで死刑になったそうである。
それも別に政府を批判する創作とかでは無い。
場合によっては「人物画を描いた」というだけで死刑にされたケースも実在していたらしく。
まさに人類の創作史において暗黒の時代であったと言えるだろう。
当然死刑はショーと化しており。
暴徒同然になっていたエセフェミニストやエセリベラリストが熱狂する中、時代を何世紀も逆行したような残忍な方法で創作家は殺されたらしい。そういった実際の動画も残されてはいるそうだ。
AIの厳重な監視下に置かれているそうだが。
「可能性がある動画については、此方で既に隔離し、修復も済ませております。 人間が際限なく愚かになるとどうなるかという、良い見本ですので」
「私が修復でそういうのを引く可能性は無いって事だね」
「そういうことです。 アカリは気にせず、作業を続けてください」
「んー」
まあ、それならば良いか。
それに、AIがそれぞれの人間に寄り添っている今の時代。
炎上も荒らしも起こらない。
勿論何かが気に入らないと発言することは自由だが。
それが過剰になったり、他人に負荷を掛ける場合は真っ先に発言もログもAIが消去してしまう。
だから人目に触れる事もないだろう。
これだけしなければ炎上はなくならない。
そう考えると、人間が万物の霊長などと言う言説が、笑止の極みであると言うのはまさに事実だが。
もうどうでもいい。
最後のファイル、修復完了。
何に使っていたファイルかさえ分からなかったが。
直ったのだからそれでいい。
AIに引き渡して、元の場所に戻して貰う。
SNSをログアウトすると、私は妙に熱っぽいのを感じた。
また知恵熱か。
冗談じゃあないと思ったが。
正直こればっかりは、どうにもならないか。
横になってぐったりする。
今日は後は風呂に入って、夕食を済ませて終わりだけれども。その前に課題が出来てしまった気がする。
大きな溜息が漏れた。
てきぱきとAIが健康診断を始める。
「ストレスが過剰に出ています」
「やっぱりねえ」
「無駄に知識をつけすぎましたね」
「……無駄なもんか」
ネット文化について調べ始めた時、これは人類の縮図だとすぐに分かった。だから、包括的に知識を得るべきだと思った。
そもそも単独で成立しているネット文化は存在せず。
何かしらの血脈を受け継いでいたり。
色々なものの影響を受けていたりして。
それら全てを知らないと、理解する事は困難だ。
そう、私はもう理解していた。
だから負の側面も。ネットに満ちている邪な悪意も知らなければならないのである。
そもそも今まで温室栽培されていたから、こんな程度の悪意を見ただけで、知恵熱を出すのである。
これはワクチン代わり。
仕方が無い対応だ。
ため息をつくと、自力で風呂に入る。
髪が足下まで伸びていた頃に比べると、基礎体力が比較にならないから、何の問題もない。
風呂に入ってしばらくぼんやりして、天井を見つめる。
色々なセンサーやら何やら機材類がある。
あの全てがAIの目であり耳だ。
長湯になると良くないだろう。
風呂から出て、体を拭く。
鍛えてはいるが、腹筋が割れているような事もない。
インナーマッスルを中心に鍛えるようにAIが運動のプログラムを組んでくれているからだが。
まあ、正直な話。
私も屈強すぎる体にはなりたくない。
他人が筋肉を好むことは否定しないが。
私の体くらいは、私の好きな見た目にしたい。それだけである。
AIはそれを理解しているということだ。
昔の、猫の画像を認識するだけで多大な苦労を要したAIとは、出来が根本的に違うという事である。
「夕食は消化が良いものを中心にしました」
「ありがと」
「アカリ、悪意に対して躊躇なく突っ込むと、今後こう言う目にどんどんあいますよ」
「分かってるよ。 でもそもそも、私がどういう熱量を持つかについては前に話したでしょう」
AIはそれについては分かっていると言うが。
なおも食い下がってくる。
「少し此方でも破損ファイルを精査しておきます。 悪意に触れる時間が長すぎると、体にもっと深刻な悪影響が出ますので」
「……分かった、好きにすると良いよ」
「高い向上心を持つことは良いことだと思います。 アカリはその辺り、自堕落になりがちな人間とは思えませんね」
「褒められたと思っておくよ」
嘆息する。
まあいい。
ともかく、今回また知恵熱出したのは私のせいだ。
昔のネットでは、こんな程度の悪意は溢れに溢れていた。
SNSのログなどを見ると、しょっちゅう炎上騒ぎが起きていた。いつの時代もロクなもんじゃない。
個人HP時代の、虐めと嫌がらせを主体にした炎上と。
SNS時代の集団ヒステリーに近い炎上は、似ているようで違う部分もあるが。
かといって、個人HP時代にだって、義憤に駆られて荒らしをするような輩だっていただろうし。
SNS時代にも、単に相手に暴力を振るう事を楽しんでいた輩もたくさんいただろう。
この時代の炎上は、こうだとは言えない。
ログを見る限り、例外はどっちにもあるし。
どっちもカスという結論に代わりは無いからだ。
消化がいいものを食べて、後は横になる。
今日はとびきり静かな曲が流されているが、まあそれでいい。楽しんで静かに聞く事にする。
目を閉じていると、夢を見た。
夢だと分かっていても、まあどうにもならない。
私は21世紀に生きていて。普通にSNSをやっていたけれど。ある時、不意に不用意な発言をしたら。
それをαユーザーに捕捉されて、炎上した。
すぐに絡んできていた人間を片っ端からブロックしたが。
しばらく炎上は止まらず。
SNSに触れる事が出来なかった。
電車の中で、ぼんやりアプリをしていると。
ふと涙が零れる。
暴力を振るう方は、自分を正義と信じて暴言を吐き。相手をどれほど追い込もうと知った事では無い。
そして、やった事さえ忘れる。
一方やられた側は、ずっと暴行を耐えなければならないし。
しかもそれに対して社会的制裁などが科されることもない。
結局虐めと同じか。
2020年代には、中学生を虐め殺した人間が、たった数百万の罰金で無罪放免にされた判例さえ実例している。
犯罪者に際限なく甘いのが21世紀の判例であるが。
あの犯罪王アルカポネは無罪だったとか主張する連中が存在するように。
結局の所、人間は暴力と犯罪が大好きで。
それを行う人間を神聖視し、祀り上げる傾向があるのだろう。
反吐が出る。
目が覚めた。
ぐっしょり汗を掻いていた。
夢の内容は、急速に記憶から消えていくが。
ろくでもなかったことは大体見当がつく。
大きなため息をつくと。
私は、痒いなと思った。
汗はアトピーの大敵だ。
この時代にもどうにもならない。
色々な混乱の結果、根本治療が出来るようになるのも、随分と遅れた。それまで、アトピービジネスと呼ばれるタチが悪いエセ医療が、猛威を振るったと聞いているし。アトピー持ちに対する差別も苛烈に行われた。
室温をAIが下げ。
汗をすぐに処置してくれるが。
それでも痒いものはどうしようもない。
起きた私は、しばらくかゆみにただ無言で耐えるしかなかった。このかゆみは、経験しないとどうにもならない。
病気に対する差別は結局21世紀までなくならなかった。
人類がこうならなければ。22世紀でもなくなることは、おそらく無かっただろう。
胸くそだけが悪い話だった。
AIが気を利かせてくれたのだろう。いきなり変なファイルには今日は当たらなかった。
精査するとまで言っていた。
考えてみれば、今までは知識がそれほど広くなかったから。気にせず、或いは気付かず。ファイルの修復をしていたのだろう。
その結果、荒らしによって中断に追い込まれた作品とか。品質がどんどん落ちていった作品とかにも気付けなかった可能性は高い。
知る事とは残酷だなと思いつつ。
淡々と修復作業を進める。
ストレスを苛烈に受けた日やその翌日は、どうしても頭の動きも鈍くなる。
今日は珍しく仕事でミスをしかけたし。
ルーチンワークでやっている作業でも、若干ミスが目立った。
だが、それでもやりきった。
だから、文句を言われる筋合いは無い。
もっと図太くなろう。
自分に言い聞かせるが、まあ簡単にはいかない。
黙々と作業を続けていくが。
久々に、AIに所々でミスを指摘された。
「少し休憩を入れますか」
「いや、続ける」
「また知恵熱を出しますよ」
「少しくらい出しておかないと、もっと強い悪意にぶつかったときに耐えられない」
AIはそれを聞くと、そうですかと引き下がった。
ともかく、気分転換だ。
何度か深呼吸。
とはいってもハイクラスSNSにログインしているのだから、気分だけの行動だが。実際の体は置き去りだし。
淡々と作業を続けていき。
長編の小説の、間にあった破損ファイルをあらかた修復し終える。
汗を拭いたくなる気分だ。
何とか仕上がった後、今度はイラストの修復に掛かる。
何カ所かに分散してイラストを投稿している人らしく、所々で見かける。技量はプロ級だが、ちょっと癖が強いかも知れない。
要望通りに描くのがプロ、だったら私は素人でいい。
それが口癖だったらしく。
惜しまれつつも、結局アマチュアのまま通したそうだ。なお、死後にイラストを出元さえしっかり記載すればフリー素材にして良いと遺言を残したらしく。それを使った幾つかの創作が出たらしいが。
そこまでの事情は伝聞でしかしらない。
いずれ目にすることがあるかも知れないが。
今の時点ではない。
或いは、ファイルが破損していないのかも知れない。
作業を進めていくと。
集中力が戻ってくる。
この感触だ。
客観に己を支配させ。
とにかく外から見ることで、中立性を保ったファイルの修復をしていく。
雑念を取り払うと、作業速度はぐんと上がっていく。それは、自分でも分かる。心地よいが、調子に乗りすぎるとミスがまた増える。
だから時間を見ながら。
時々、調子に乗りすぎないように。
自分にブレーキを掛けなければならない。
だが勢いがついてくると、このブレーキさえ無意識でコントロール出来るようになって行く。
ファイルの修復作業は、中々に奥が深い。
そろそろ昼か。
手元にあったイラストのファイルを修復すると。
雑多なファイルをざっと修復し。AIに引き渡し、午前の作業終わり。かなりストレスが消えてきた。
これなら今日は知恵熱を出す事もないだろう。
それに知恵熱を出しても、影響が比較的簡単に収まるようになってきた。
基礎体力がついてきたからだろう。
SNSからログアウトした後、軽く体を動かして見る。
熱っぽいこともない。
汗も出ない。
知恵熱は収まっていた。
ただし、荒らしや炎上の歴史をまた見れば、すぐに知恵熱が再発するかも知れない。体力はついてきたかも知れないが、まだまだ私は脆弱だ。
それについては、認めざるを得ない。
そもそもの大問題として、私の中にある熱量を保つためには、もっともっと色々知る事が必要だ。
そのためには。
もっと闇深いものを見て行かなければならないのだ。
食事は比較的がつがつと食べた。
午後はハイクラスSNSに入る前に、体をしっかり動かす。
意識をハイクラスSNSに飛ばしている間、横になっているのだが。この時に体の管理はAIがしている。
AIが無駄にリソースを使わないようにも、相応に体力はつけておきたいのだ。
オールドクラスのSNSでファイル集めをしていた時期もあったが。
今はもう、見る気はしない。
ゲームをやるときとかにアクセスはするが。
それだけだ。
作業を開始。
今日はいきなり長編の動画から修復を始めるか。数時間ある動画だが、よく分からない内容である。
修復をしていくと、何となく内容が見えてくる。
どうやら山登りをしているらしい。
解説が時々入っている。
山登りの時の注意事項について解説する動画のようだ。
ただ解説が上手ではないこと。
明らかに声が聞き取りづらいこと。
映像もあんまり上手に取れていない事もあって。
あまり出来の良い動画では無い。
此処はカットしても良いのではないのかなとか時々思いながら動画を修復していく。また、この時代は山登りがで来たんだなとも。
今は勿論山登りなんて出来ない。
何よりも、2040年代くらいから、あらゆる趣味や創作がヒステリックに禁止され。その中には山登りもあった。
山登りをした事で、懲役刑が出たという事実もあり。
如何に時代そのものが発狂していたのかがよく分かる。
溜息が漏れた。
作業を続ける。
動画の修復が終わったので、チャットのログの修復に取りかかる。
流石にコレは大丈夫だろうと思ったのだが、そうは行かなかった。
修復を開始したのは、チャットルームを複数配置しているHPのものだったのだが。
此処でも荒らしが普通に湧いていたのだ。
しかも大手投稿掲示板にこのチャットのことを悪意に満ちた内容で晒した輩がいたらしく。
当然現れた荒らしは凶悪極まりなかった。
ネットユーザーが少なかった時代。
荒らしに対応出来る人間はあまり多く無く。
かまって増長させたり。
或いは相手の挑発に乗って怒ったりで。
ロクな結末にはならなかった。
管理者が、相手を排除することが出来るようになるまではタイムラグもあったし。
SNS時代のように、手軽に相手をブロックできる時代でもなかったのである。
だから余計に猛威を振るったのだとも言える。
延々と続く陰湿な攻撃に、嫌気が差す。
これでは研究どころでは無い。
悪意の煮こごりでは無いか。
わざわざ調べるまでもない。
こんなもの、平均的人間が、自分より弱い者を見つけて嬉々として暴力を振るう。その習性が示されているだけ。
一種の動物実験のデータに過ぎず。
これだけやらかしても、やった側は一切罪に問われることもない。
頭が痛い話だが。
黎明期のネットは、悪い意味でも無法地帯であり。
その象徴のような光景であったと言える。
出来るだけ心を無にして、ログを修復。AIに引き渡す。
しばし憮然としていたが。
ともかく、咳払いして。心を落ち着かせる。
とはいっても、またストレスがたまっただろう。
そして21世紀の人間は、常にこのレベルのストレスを受け続けていたのだろうなと思うと。
またストレスがたまってしまう。
溜息が出る。
一度作業を中止して、ハイクラスSNSからログアウトする。
しばしぼんやりしていると、AIがホットミルクを出してきた。
勿論模造品だが。
栄養などは完全にホットミルクである。
飲んでしばらくゆっくりする。
そういえば、睡眠障害も、病気特有の偏見に悩まされていたんだっけ。21世紀になってなお。
筋トレをすれば治るとか、ホットミルクで治るとか。
何でも筋肉で解決すると考えていた阿呆が広めた風説が無責任に拡がり、多くの人を苦しめていたログが残っている。
ホットミルクを見つめる。
これでさえ、ストレスになりうるのか。
AIは黙っている。
私の考えを見透かしているのか。
それとも、今は話しかけない方が良いと思っているのか。
どちらにしても、しばらく憮然として座り込んだ後。また作業に戻る。
ハイクラスSNSで、淡々とイラストや動画を修復する。
特に問題がありそうなものはなかったが。
それでも、コメント欄は見ない方が良さそうだなとも思った。
2、焼き払われた後に
知ると言う事は、必ずしも良い事では無い。世の中には、知らない方が良いこともいくらでもある。
人間の本性の醜悪さや。
人間という生物が如何に邪悪でどうしようもないか。
故に法治主義が出来たし。
法治主義を試行錯誤していく歴史が、人類史の大きな流れであるとも言える。
ところが法が及ばない場所はいつの時代も存在していたし。
ピカレスクロマンなどというジャンルの創作で。
人間はそれを賛美さえして来た。
法を如何に破るかで人間は頭を使うし。
弱者を痛めつけて楽しむのはいつの時代でも同じである。
それが人間というどうしようもない生き物だ。
私は憮然として、また見ている。
イラストを修復していたら。
それが過激思想に基づくイラストで。
非常に不愉快な侮辱的光景が目に飛び込んできたからである。
そう。
イラストでさえ。
描き手次第で、こうなるのだ。
荒らしや炎上魔の手を経なくても。描いている人間の思想は、モロにイラストに出る。これはどうしようもない事実だ。
テキストもそれは同じである。
地の文に、暴力によって多くの人間を殺傷したテロリストを称賛するような文章を見つけてしまい。
思わず溜息が零れる。
今まで、何も気付いていなかっただけ。
知識を広げて研究をすればするほど。
これほどの悪意に世界が満ちているのだと、思い知らされる。
そしてそれは個人の力ではどうしようもない。
ましてや私は、ルーチンワークであらゆる創作に触れている。
やめてしまうか。
そんな声まで、内から聞こえる。
だけれども、それでは思うつぼだ。
それにしてもどれだけ人間は醜悪なのか。
SNS等で、大多数の人間がネットのアクティブユーザーになった時代の頃から、その醜悪さは露骨に可視化され。
それが様々な影響を創作にも及ぼした。
それまでも人間の醜さを描いていた創作はいくらでもあったが。
もはや人間賛歌の方が減ったようにさえ思える。
それはまあ、そうだろうとしか言えない。
日常的に悪意を浴びていれば。
人間は実は素晴らしいとか、無限の可能性を秘めているとか。
そんな寝言は言えなくなっていく。
修復完了。
AIにファイルを渡す。
そのまま、黙々とファイルを修復していく。
動画でも、文字だけ垂れ流しているような動画が幾つもある。これらの文字だけ垂れ流すような動画は、21世紀の腐敗しきり能力も客観性も喪失した無能なマスコミと同レベルの代物である。
またこういうのか。
どうも引きが極端に悪くなっているような気がして、憮然としてしまうが。
それでも修復を開始する。
いちいち苛立っていても仕方が無い。
やる事はきっちりこなして。
それから疲れれば良い。
これも、負の遺産として残しておき。未来に研究する材料とすれば良い。壊れている状態では、本質が分からない。
だから修復する事にはしっかり意味がある。
修復しておけば、それがどんな醜悪な姿をしていたのか一目で分かるし。
何よりも、変に期待して夢を見ることも無いからだ。
黙々と修復し終えて、またAIにファイルを引き渡す。
憮然としている私を見て、AIはどう思考しているのか。
いずれにしても、人間とは思考速度も思考の構造も違う。
想像するだけ時間の無駄か。
小さくあくびをすると。
次。
時間が押して来たので、雑多なファイルを修復していく。
いわゆる広告のファイルを修復したが。
典型的なアダルトサイトへの誘導広告だ。
別にアダルトサイト自体を悪いとは思わないが。
勝手に他人の動画を公開したり、或いは訪れただけで不当な料金をふっかけるアダルトサイトは悪に決まっている。
そんなものに存在意義は無いし。
要するにこれらは、企業レベルでやっている荒らしと同じだと言える。
しかも一時期のネットはこれらのタチが悪い広告で埋め尽くされていたとも聞く。
2010年代くらいから広告だらけの状況は加速し。
更に状態が悪くなっていったのは、2020年代になってから。
いわゆるメールが、スパムだらけで使い物にならなくなっていったように。
タチの悪い業者が何も考えずに作ったような広告が、ひたすら邪魔になっていったというわけだ。
黙々とファイルを修復し。
他も修復する。
時間だ。
ハイクラスSNSからログアウトして、溜息を漏らした。
溜息が増えている。
ストレスが多いからだろう。
というか、引きが露骨に悪くなっているのか。
それとも、単純に、知識が増えて可視化領域が増えてきたのか。
それは何とも言えないが。
ストレスが激増しているのは確かだった。
AIは配慮するとか言っていたような気がするのだが。
まあポンコツなのか。
それとも、何か意図があっての事なのか。
それは私には正直よく分からない。AIは人類に寄り添い、その存在を保全する事を基本に動いている。
それは事実だが。
時々荒療治を、命に関わらない範囲内で行う。
それも事実だ。
ぼんやりとしていると、風呂に入るようにAIが促してくる。それもそうだ。風呂に入ってゆっくりしよう。
風呂に入る。
久々に乱暴に服を脱ぎ捨てて散らかすが。
AIは何も言わずに服を回収して、パジャマを用意する。
別に気温調整機能もあるのだから裸で寝ても良いのだが。
服を着ることが前提になっているのが人間の体だ。
だから、パジャマがあるなら着ようとも思っている。
そういえば、20世紀か21世紀か忘れたが。映画でパジャマを着るのが恥ずかしい事だとか言うトンチキ理論をぶち上げているものがあったが。アレは西洋文化圏では古くは裸で寝るのが当たり前だったから、だったか。
それこそどうでもいいなと私は思い。
烏の行水で風呂を済ませると、パジャマを着て夕食にする。
汚れた服は、洗濯をAIが自動的に実行している。
どうやっているのかはよく分からないが、服はロボットアームで回収してそれっきり。いつも同じ服が出てくる訳でもないので、或いは多くの人が完全に清潔にした服を使い回しているのかも知れない。
「あのさ」
「はい、アカリ」
「何だか引きが悪いように感じるんだけれど。 調整はしているの?」
「アカリも分かっているのではありませんか? 知識が増えたから、可視化領域が増えているだけですよ」
まあそう返してくるだろうとは思っていた。
AIはなおも言う。
「せっかく持った熱量です。 どんどん知識を増やしていけば、それに冷や水をぶっかける情報も出てきます。 それらをどう乗り越えるかが、アカリの言う未来に引き継ぐべき文化の見極め、なのではないでしょうか」
「確かに荒らしや炎上は未来に残すべきではないと今の時点でも既に結論は出ているね」
「しかしながら、また人々が自由に資源を使えるようになった時代が来れば、すぐにまたカオスが到来するでしょう」
「到来なんてさせてはいけない……」
私の声には、怒りが籠もっているかも知れない。
ありのままの人間は美しくなんぞない。
こうも醜い。
現実として、それは受け入れるべきだ。
どうして人間賛歌を無責任に受け入れる。目的のためには手段を選ばない行為はどう考えても社会そのものを駄目にする。
それさえも分からないような輩を大人と賛美する人間という種族の傲慢さはどこから来る。
武器というものを手に入れて、他の生物に対する圧倒的なアドバンテージを得た故の驕りか。
いずれにしても。
雄飛の時代が来る前に。
人間はどうにかしなければならない。
このままだと、昔の特撮やSF映画に出てきた悪辣宇宙人ですら逃げ出す、邪悪の権化が宇宙に解き放たれることになる。
憮然としていると、AIは言う。
「ストレスがかなり高くなっています。 リラクゼーションプログラムを起動します」
「それはいいんだけれどさ。 何か企んでない?」
「いいえ」
「そう」
嘘は構造上つけないのがAIだ。
だからまあ、それについては良いとする。
部屋が暗くなり、気温が調整され。リラクゼーション用の音楽が流れ始める。
ぼんやりしている内に、気がつく。
腹が痛いなあと。
ストレスが過剰になると、胃潰瘍などになる事があるらしいが。
その前兆か。
いや、流石にそうなったらAIが治療について話し始めるはず。単にストレス性の、一過性のものだろう。
布団にくるまってぼんやりする。
幸い自律神経は壊れていない。
だから、眠くはなってくる。
だがどうせ悪夢を見るだろうな。
そう思っていたら、案の定である。
周囲には、真っ黒な人間がたくさんいる。私は檻に入れられて、真っ黒い人間に囲まれていた。
真っ黒い人間達は、げらげらとひたすら此方を指さして笑っている。
何かで聞いたが。
鏡に映った自分と会話すると、簡単に精神が崩壊するという。
あくまで聞いた話だ。
何処まで本当かは分からない。
完全な暗闇で孤独になると、数時間人間はもたないという。
これも、実証実験を見たわけでは無いから、何とも言えない。
これは、何か示唆的なものなのだろうか。
ゲラゲラと笑い続けている人間は、ひたすら嬉しそうである。
目は正義を確信し。
檻に入れられた私には何をしても良いと完全に確信している。
ああ、荒らしか。
夢の中にまで出てきたか。
或いは炎上に荷担する連中か。
まあログを漁っていれば、此奴らが人類でも最底辺に位置する外道の集まりだと言う事はよく分かる。
いや、違うか。
人間としての尊厳を自分から投げ捨て。
自分が正義だと思考停止することで、本能に忠実になった輩と言うべきか。もうどうでもいい。
勝手に笑っておけ。
ぼんやりしていると。
反応しないことに不意に勝手に怒りだした黒い人間達が、石を投げつけ始めた。
夢の中だが、もの凄く痛い。
痛みというのは学習を受けている段階で経験する。それは今の時代でも、痛みはどうしても生じるからだ。知っておかなければならないからである。
学習時に受けた痛みの、何倍という痛みか。
いや、どうもぼんやりしていて分からない。
そもそも投石には充分な殺傷力があり。
古くは戦争でも使われていたという話を聞いたことがある。
だとすれば、これはやっぱり夢なのか。
まあ夢なのだろうな。
ゲラゲラと、また周囲が笑い始める。
石で傷ついた私を見て笑っているわけだ。
抵抗できない弱者を痛めつける事に、この上ない快感を覚える。
それが平均的人間。
ああ、ありがとう。
それがはっきりするだけで、充分だよ。
反吐が出るほどお前達の事が嫌いだ。私も当然お前達の同類だろうから、私自身も大嫌いだ。
私はそう吐き捨てる。
周囲はひたすらゲラゲラ笑っている。
自分の価値観と違う存在は、兎に角滑稽であり。
人間では無いのだから、何をしても良い。
そう考えている悪意が、ひたすらに露出していた。
目が覚める。
急速に記憶が薄れていく。
私は寝起きが良い方で、すぐに目が覚めるし。寝ていたときのことはすぐ曖昧になっていく。
これはあまり深く眠っていないことを意味しているのだと思う。
体質的な問題でもあるのだろう。
大きく嘆息する。
人間とはこうも醜いんだな。夢の内容は覚えていない。だが夢は記憶の整理で。ひたすら人間の醜さを見せつけられたことだけは分かる。
朝食が出てきた。
黙々と食べる。
ああ、やはりそうか。
ストレスがかなり蓄積しているらしく。出てきた朝食は、かなり栄養補完を優先したものとなっていた。
げんなりするが、まあこればかりは仕方が無いだろう。
AIは24時間態勢で私の体を監視している。
ストレスが眠ってもさっぱり解消されなかったことは、見ていて理解出来ているのだろうから。
仕事をする。
今日は一周回って心が静かで。
何もミスはしなかった。
火星のコロニーに、大きめの小惑星から切り出した資源をマスドライバで飛ばして終わりである。
この小惑星、エロースといい。
地球に近い小惑星の中では、かなり大きいものだ。だが今は片っ端から切り出して、殆ど残っていない。
後は残骸部分を残さず切り分けて、資源としてマスドライバで飛ばすだけである。
このエロース、地球の近くを掠める軌道も取る事があり。地球に落ちたときの衝撃も懸念されていたのだが。
そもそも粉々に切り刻んで資源化してしまったので、その恐れももうないと言える。
仕事を切り上げる。
後は黙々とゲームをやったが。
これがさっぱり面白くなかった。
ストレスがたまると、こう言う状態になる。
状態を保存すると、一旦停止。
体を動かすが。
これも同じだ。
AIが組んだメニュー通りに体を動かして見るが。
それでどうにかストレスが改善するかというと、それはノーである。
結局の所、筋肉信仰主義者の言う事なんか全部嘘じゃないか。
体を動かしていて、それは分かる。
筋肉は幾らかの問題を確かに解決は出来るかもしれない。
だがそもそもボディビルダーが鬱病になるという事態もあったらしく。
要は筋肉なんぞ、万能でも何でも無いという証左である。
SNSに淡々とログインする。
ハイクラスのSNSで作業をする。
今日は昨日ほど引きは悪くなく。
破損しているファイルを黙々と修復するだけで済んだ。
テキストもイラストも、変な思想で染まっているようなものはないし。悪意も籠もっていない。
悪意と言っても色々あるが。
少なくとも、今日修復している創作には、不愉快な悪意はない。
だから、溜息も漏れない。
淡々と修復を続けていき。時間が流れているのを時々確認。SNS内で作業しているときの時間加速倍率を上げているから、体感時間は相当なものだが。単に体感時間が上がっているだけで、実時間はそれほど過ぎてはいない。
伸びをした後、雑多なファイルを修復する。
残り時間が少なくなってきたからだ。
修復をしていると、露骨な罵声が入ったファイルを見つけた。
何だか知らないが、やっぱりこういうのを引くのは避けられないか。
どうしようもないなあ。
そう思いながら、修復。AIに引き渡す。
どんなHPにあって。どんなパーツになっていたのかは知らないが。修復自体に意味がある。そう何度も自分に言い聞かせて、それで良いと言う事にする。
昼食を済ませた後、すぐに作業を再開する。
体を動かさないのかとAIに言われたのだが。午前中に動かした分で今日は充分と答える。
AIもそれ以上は、特に言わなかった。
私の機嫌が露骨に悪いことは察しているのだろう。
勿論AIは忖度なんぞしないけれど。
それでも今は、むしろ無言で仕事をすることで、ストレスから精神を切り離したい。私はそう考えて作業をしている。
AIもそれを見て。
何か思うところがあるのかも知れない。
長編の動画を修復。数十話に渡る大長編である。
最初の方の動画が壊れているので、その数話を修復していく。
内容はごくごく罪がないものであって。
特に気にするものでもない。
出来が良いとも言えないが。
別に悪意もない。
今はストレスを解消するために、無心で作業をしたかったので。それで良いと思った。
問題は、それでも現実は容赦なく仕掛けてくる、と言う事か。
この動画、幾つかの投稿サイトに投稿されていたようなのだが。
別の投稿サイトでついたコメントごと投稿されているものを修復したのだ。
そうしたら、嫌でも見る。
荒らしが湧いている。
荒らしと言うよりも、名人様という類のものだ。
ゲームの実況動画などに湧く、プレイにいちいち指示を出してくる人間の事をそう呼ぶらしいのだが。
見本のような名人様である。
いちいち一挙一動に指示を入れていて。
何というか。この荒らしは他に何かすることが無いのかと思ってしまったが。そういえば、この手の他人の遊びに指示を出す輩は、だいたいの場合「善意でやっている」つもりなのだった。
SNSでこう言う事をやっている輩のログを辿ったことがあるのだが。
善意で教えてやっている、という事を露骨に発言していた。
ゲームは楽しむものだという事を完全に忘れている。
まあ、対人戦闘ゲームが流行った時代には、こういう言動をする輩は珍しく無かったらしいのだが。
それにしても、本当に色々な荒らしがいるのだなあと、呆れた。
そして気付く。
怒りを覚える前に、呆れてしまっていた。
くつくつと笑いが漏れる。
何だか、本気でこんな輩に怒っていたのが、馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。
勿論、荒らしや炎上の被害に巻き込まれていた人達は、本当に大変だっただろう事は分かっている。
最悪の場合、自殺にまで追い込まれたり。
或いは社会的な死に追いやられたケースもあった。
だから、そういう当事者に感情移入していたし。それ自体は恥ずかしい事でも何でも無い。
だが、この手の滑稽な行動を見ていると。
むしろ荒らしをしているような連中は。
人間としての尊厳を自分から投げ捨て。自分を畜生と同レベルの存在に落とした、ただのあわれな存在に思えてきてならなかった。
笑い始めた私に、AIは話しかけてくる。
「ストレスは感じませんね。 アカリ、どうしました」
「いやさ、此奴らの馬鹿さ加減にやっと気付いてさ」
「はあ……」
「何だか本気で怒っていたのが馬鹿馬鹿しくなってきたよ。 だからもう、いちいち怒るの止めるわ」
AIは答えない。
私の心理を分析しているのだろうか。
何というか、すっと気持ちが楽になった。
そう。
荒らしや炎上事件を起こす輩は、他人を見下すことで、地位確認をしたいだけ。つまり猿とかが行う地位確認行動と同じ事をしているだけ。そして都合が良いときだけ人間は動物の一種だ等と主張する。
だったら人権も捨てろ。
人間である権利を持てているのは、人間が畜生から別の存在に変わったからだと言うことを、都合が良いときだけ忘れるな。
そんな事も出来ないような輩だ。
怒る価値もない。
それにやっと気付けた。
何だかおかしな話だ。
相手を良く知ることで。
怒りがたまるばかりだったのに。
それがある一線を越えた途端。
むしろ滑稽で哀れな存在であることが分かってしまい。一気に今までたまっていたストレスが抜けてしまった。
荒らしなんてのは。炎上を起こすようなαユーザーもそうだが。結局の所、畜生以下の行動を取ることで、人間の尊厳を放り捨てているゴミクズに過ぎない。勿論被害者には同情する。そしてこのような輩を取り締まることが出来なかった当時の法には正真正銘の怒りを感じる。
だがいずれにしても、畜生の群れは既にこの世から殺処分された。2050年代の世界大戦の時である。
殺処分されたとき、連中はどんな風に喚き散らしていたのだろう。
自分が世界で一番正しいのに、こんな死は理不尽だとでもほざいていたのだろうか。
笑止千万である。
現在AIが、ネットユーザー一人ずつをがっつり管理しているのは、正しい行動だと私にはこれで理解出来た。
断言しても良いが。
人間は放任してはならない。
人間を信用すると言う事は。
それこそ、昔で言うなら大金を路上に放置しておくようなものだ。人間は徹底的に管理しなければならないだろう。
少なくとも、現状の人間はそうだ。
この凍った時代が終わり。
雄飛の時代が来たときには、それは変わると信じたい所だが。
残念ながら、まだ当面は無理だろう。
数千年はまだ掛かるが。
たった数千年で、人間は変わる事は出来ないだろう。
何か根本的な処置がいる。
それについては確認が出来た。それだけでも、このような醜悪な代物を調査し、目にした価値はあったとも言える。
気分が完全に変わった。
客観を保ったまま、ファイルの修復を始める。効率がガン上がりしている。今までの倍くらいの速度で作業が出来ているのが分かった。
ストレスがそれだけ私の体を苛んでいた、と言う事でもあるのだろうが。
そのストレスの要因が、ゴミカス以下だという事。既に殺処分されている事。それが分かってしまえば、どうでも良かった。
実際に被害を受けた人達には、本当に同情しかできないが。
現時点で荒らしも炎上屋も幽霊に過ぎない。
幽霊の正体見たり枯れ尾花という奴で。
怪異の類は、正体を見られると一瞬にして力を失ってしまうものなのである。
私は怪異に苛まれていただけ。
正体が分かったから、その力は雲散霧消した。それだけだ。
勿論、荒らしをしていた連中に、生き残りがいてもおかしくないが。
現在の状況では、連中は何もできない。
AIにガチガチに縛られて此処は地獄だとか喚くかも知れないが。
お前のようなのを放置する方が地獄だと、そのまま返すだけである。
少なくとも、もう私には。
荒らしも。炎上屋も。
人間だと認識する必要はないと言う結論が出来ていた。
大きめのファイルの修復終わり。
雑多なファイルの修復を開始する。
AIが持って来ているファイルを片っ端から修復しているが。今日は残っている雑多なファイルを全部片付ける勢いで修復をしていく。
勿論毎日AIが破損ファイルを補充していくのだが。
それを超える勢いで修復をしておきたい。
時間を見る。
そろそろか。
いずれにしても、雑多なファイルは全て片付けてしまった。AIが、珍しく驚いている。
「想像を絶する作業効率です。 体への負担も其所まで大きくないようですね」
「枷が外れたからね」
「……今後、体力をもっと増やしましょう」
「ん?」
AIによると。これだけ出来るのであれば。もっと体力をつければ。AIがファイルの修理に裂いているリソースを更に軽減できるという。
確かにそれもそうだ。
AIも電力を使ってサーバを動かして稼働している訳で。
私がそれを補ってやれば、多少はマシになるか。
リソースは有限なのだ。
幸い電力だけは相応に確保は出来ている。宇宙空間だから、太陽光発電の効率が尋常ではないからである。
電力を有効活用して。
私が作業をしていけば良い。AIは人類全部を管理している訳だから。その負担をちょっとでも減らせるだろう。
こっちは異存もない。
ハイクラスSNSからログアウト。
パジャマに希望がないかと聞かれたので、どうしてそんな事を聞いてくるのかと逆に返す。
AIは言う。
「アカリはどんどん自分を構築しています。 我々としても、リソースを消耗しすぎない範囲で、人間がそれぞれ個性的に活動するのをバックアップしたいとは考えているのですが。 今の時代、上手く行っているとは言いがたい所があります」
「……サメが良いかな」
「分かりました。 サメの寝袋やキグルミを作る事はリソース的に厳しいのですが、サメをデザインに取り入れたパジャマは幾つかカタログが残っています。 それらから選別しましょう」
「うい」
そうか、個性か。
まあこんな時代だ。
私が最初に熱量を持ちたいと願った、コピー魔王みたいな人は。AIが困るほどに、少ないのだろう。
私は個性的になりつつあるとすれば。
AIとしても歓迎したいのだろう。
勿論、私は熱量を。この限られたリソースしかない社会で持ちたいと思っているのだから。
その熱量の根元が個性であるなら、それは歓迎したい。
「それでは風呂を済ませてください。 その間に夕食を用意します」
「それにしても、そんなに個性がないんだね今の人間」
「……21世紀も同じですよ。 個性を持っている人間は迫害の対象でした。 そもそも21世紀では、全世界的、普遍的に、自分と違うと感じた相手には何をしても良いと言うのが平均的な人間の考えでしたから。 そしてその思考に基づいて犯罪を行っても、咎められることはありませんでした」
「ハ……」
前は頭に来ていたが。
今は嘲笑うことしか出来ない。
そうなると、現在の状況は、其所から陸続きに来た結果か。
何か個性を持つと迫害される。
何かを好きだと言えば馬鹿にされる。
だったら趣味はアングラ化せざるを得ない。
挙げ句の果てに集団で自分と違う存在を虐待する輩だらけになっていったのなら。それは当然の話だが、他人と関わる事だって誰も辞める。
2020年代の、生涯未婚率5割というのを、当時の人間達は嘲笑っていたようだが。
それは平均的な人間の方がおかしいという現実を、直視できなかったからに過ぎない。社会の方が壊れていたことを、認められなかったからに過ぎない。
愚かなのは、平均的な人間の方。
愚民という言葉があるが。
21世紀の人間は、社会の上層にいる人間から最下層にいる人間まで。
もれなく全部が愚民だった、と言う事なのだろう。
人間社会の縮図であるネットのログを見ていればそれは簡単に理解出来る。今までは、どこかでそれを拒絶していた。
だが、やはり最悪の面である荒らしと炎上屋の実体を見て。
その拒絶は消えた。
風呂は気持ちよかったし。
夕食も良い。
何だかとても気分が良かった。
存在するに値しない社会。それが滅ぶべくして滅びただけ。そう考えると、私としては滑稽だと思うし。
平均的な人間そのものに価値が無いと言う事を把握できただけで、充分だった。
その日は。随分久しぶりに、ぐっすり眠る事が出来たと思う。
夢を全く見なかった。
起きた時、ものすごくすっきりした。
大きく伸びをして、起きだした私はさっさとうがいと歯磨きをする。この作業も、普段よりも体が軽く感じる。
軽く仕事前に体を動かしたいというと。
AIが軽めのプランを組んでくれた。
体力が増えている。
それに、ストレスが軽減されて。
枷が外れたのが大きい。
仕事も当然上手く行った。
ミスも殆ど無い。いつもより、少し割増しで作業を出来た。勿論作業時間は変わっていない。
AIに褒められる。
「以前漠然と仕事をしていた頃とは雲泥ですね。 素晴らしい仕事ぶりです」
「そっか、それは良かった」
「それでは、ルーチンワークに移りましょう」
「今日からは気分転換に変化球を入れて行こう」
AIは即座に、変化を入れた運動のプログラムを組んでくれる。
いいねえ。
体を軽く動かす。
ほしいのは筋肉では無くて体力だ。
筋肉なんてどうでもいい。
むしろ。21世紀に大きな害を出す事になった体育会系理論を見ている身としては、むしろ筋肉には嫌悪さえある。
筋肉が必要ないとまでは言わないが。
ほしいとは絶対に思わない。
多少体を動かしてすっきりする。
仕事前の軽い運動も、今後はルーチンワークに組み込んでほしい。そうAIに言うと。了解してくれた。
人間と違って、この辺り絶対に忘れないAIは色々と有利だ。
人間の場合は自分に都合の良いことしか覚えない。
それも、私はSNS等を通じて、嫌と言うほど見てきた。
だがそれも、滑稽な万物の霊長を気取るゴミクズの行動と思えば。むしろ失笑の対象になる。
人間としての尊厳を捨てた時点で。
動物としての本能がどうのこうのと言い出した時点で。
そいつはもう。
人間として扱う必要などないのだと、私にはよく分かった。
ストレスは綺麗に消えた。
後は、作業を進めていくだけだ。
ハイクラスSNSにログインして、ファイルの修復作業を始める。
さっそくコメント欄に荒らしがてんこ盛りに湧いている動画だが。はっきりいってすこぶるどうでも良い。
黙々と作業を進めていく。
もはや、狂犬病に罹った野良犬の群れが、キャンキャン吠えているようにしか見えなくなっていたし。
コメントを入れているのが人間だとも思っていないので。
スムーズに作業を進めることが出来ていた。
淡々とファイルを修復。
AIに、ファイルを引き渡しながら聞く。
「この手の荒らしコメントは再展示の際にどうするの?」
「基本的に此方で目を通して処置し、閲覧するかしないかを決められるようにしてから展示をします」
「ああ、閲覧も出来るようにはするんだね」
「はい。 一応これも負の意味での文化資産ですので。 ただ基本的に、見る際には此方で警告はします」
妥当な行動だ。
正しい事を「つまらない」とか抜かす輩がいるが。
違う。
正論は正しいから正論なのであって、故に聞く度量が求められる。忖度を当然と思っているような輩が蔓延れば社会は畜生の巣窟となる。
正しい事はそのまま正しい。
それを受け入れられないようなら、それはもうどうしようもない。
法を破って自慢したり。
善良な人間を馬鹿にしたり。或いは聖人と呼べる所まで精神を昇華させた人間を貶めるような輩は。
結局の所畜生と同じだ。
そんな輩の所業に傷つくことなどない。
そしてAIがサポートしてくれるなら、受け入れるべきだろう。
次の作業に取りかかる。
実物を見たことが無いが。
人類が2050年代の世界大戦で台無しにしてしまった海には、たくさんの魚がいたらしい。
今では試験的にAIの管理下で、少数が飼われているだけらしいが。
そういった魚を漁師が釣り上げ、捌く動画だ。
寄生虫がたくさんいる。
別に何とも思わない。知識として知っていたし。寄生虫はそうやってずっと生きてきた。
社会的上位の人間にこびへつらう存在や、或いは不愉快にも周囲になじめずに閉じこもるしかなかった人間を寄生虫とか揶揄する風潮があったらしいが。
寄生虫はそれらとは全く別の存在だ。
寄生虫が蠢いている様子を見て、不愉快そうにするコメントを多数見るが。
それこそ臭い物に蓋だろう。
生物の生態として、貴重な資料である。
修復をしながら、気持ち悪いから動画を消せとか抜かしているコメントを見て、哀れだなとしか思わない。
修復完了。
AIに引き渡す。
このくだらないコメントをどうするのかはもう聞かない。
AIは適切に処理するだけだろう。
すこぶるどうでもいい。
次。
イラストを修復する。
とても綺麗な絵だが、アンチが湧いていた。イラストにヒモ付いたコメント欄に、騒いでいるのが複数いる。
どうでもいい。
修復作業を済ませる。
とても綺麗な絵じゃないかと、私は思わず呟いていた。
アンチの主張によると解釈が違うとか何とからしいが、そんなことはどうでもいい。充分に美しい絵だ。一部の汚れを見て、全体にその解釈を波及させるのは実にくだらない行為である。
視野が広がったからか。
どうしてもやはり荒らしがネットとは切り離せない存在なのだと言う事はもうどうしても分かるし、存在は見えてしまう。
だけれども、今の私は。
そんなものは気にせず。
黙々と作業を出来るようになっていた。
続いてチャットのログを修復する。
それほど量は無いが、理由はすぐに分かった。
チャットルーム主体のHPを開設してからすぐに大手掲示板にて晒しが行われたらしい。
結果大手掲示板に巣くっている畜生がどっと押し寄せた、と言う事だ。
案の定チャットのログは阿鼻叫喚の有様。
これでは、ログが短くもなる。
半年ほどしかこのチャットルームはもたなかったようだが、それも頷ける。むしろ半年もよく頑張ったと褒めたいところだ。
負の文化資産として、これも残しておくのが良いだろう。
私は、冷静にそれを判断出来ていた。
一度頭のスイッチの切り替えが出来ると。
私は相応に動けるらしい。
これは自分でも知らなかったことだ。
不思議なものだなと思う。
精神論には今でも唾を吐きかけたいところだ。精神は別に万能でも何でも無い。視界を変えることも万能でも何でも無い。邪悪が消える訳ではないし。置かれている環境が変わるわけでもないからだ。
ただ、私はそもそも悪意をそのまま飲み込むというやり方を今までしてしまっていた。
悪意に対して、真摯に向き合おうとしてしまっていたのだろう。
他人に悪意を受けるのは、人間の愚かしい習性の一端で。都合良く人間も動物の一種だとか宣う阿呆の理屈だという事に気付ければ。そんなものは、論ずるに値せずと言う事に、どうしても気付けなかった。
それにさえ気付いてしまえば、すっきりした。
精神論でも、視点の切り替えでもない。
要するに。
まともに相手にしなければ良かっただけである。
同時に大変だっただろうな、とも思う。
21世紀の人達は、悪意をもってマウントを取ってくる相手に対して、場合によっては真面目に対応しなければならなかっただろう。
真面目な人ほどその傾向が強かったはずだ。
だとすれば、その負荷は尋常では無かった筈で。
それは心身を壊す人だって増えた筈だ。
家族や家庭というものは21世紀にはエセフェミニズムをはじめとする人権屋の跋扈によってほぼ崩壊していたが。
それもまた当然に思える。
さて、次だ。
次は長編のテキスト。
今回は特に悪意らしいものはない。
ただ全くおもしろみもない小説だ。
恐らくは、ネットで公開された、雑多な小説の一つだろう。熱意は伝わるが、さてこの作者はこの後書き続けられたのだろうか。
淡々と修復して、AIに引き渡す。
次。
作業を進めていくと。
AIに不意に言われた。
「作業効率がとても上がっていて素晴らしい。 アカリ、この調子でお願いします」
「うい。 ただ褒めるだけじゃなくて、何か目的がある?」
「いえ、連絡です。 体力もついてきたので、加速の倍率を更に上げようと思っています」
「体の方、大丈夫かな」
なんだかんだで、少し前にまた知恵熱を出したばかりである。
それを考えると、私は一つだけ、悪意を克服したに過ぎない。
結局の所、私の体はまだそんなに丈夫では無いのだ。
「実はアカリは現在、要監視対象になっています」
「?」
「悪い意味ではありません。 体力を着々とつけ、リソースの拡大を行ってくれているアカリは、他の人間の良い見本にするべきだという判断を此方でもしています」
「私より見本にするべき存在は他にいると思うけどなあ」
これは勿論本音だ。
私なんてどうと言うことのない人間だ。
そもそも私は熱量の萌芽を他人に貰ったのだし。
AIに散々助けて貰って、やっと此処まで来る事が出来たという状態の人間に過ぎないのである。
もっと強い英雄的な人間がいるだろう。
そういうのをベースにするべきではないのか。
疑問に、AIは答えてくれる。
雑多なファイルを、どっちゃり寄越しながら。
私は修復を開始する。
もういちいち、雑多なファイルの正体を確かめようとはしない。
時間を見ても、そろそろ頃合いだ。
雑多なファイルを小刻みに修復して行くには良い感じである。
そして手慣れてきた今であれば。
これらのファイルを時間までに修復し終えるのは、さほど難しくはないだろう。直ったファイルはAIがオールドクラスSNSの各所に運び、歯っ欠けになっている個人HPやら何やらに当てはめるのだ。
淡々と作業をしている私に、AIは言う。
「雄飛の時代には、多くの人材が必要になります」
「それはそうだろうね。 火星のテラフォーミングが終わったら、コロニーそのものを増やす予定だっけ?」
「火星の資源の量にもよりますが、最低でも一つは増やす予定です。 そしてそういった時代になれば、今とも少し状態は変わってくるでしょう」
世界には英雄だけが必要なのではない。
多くの人材が必要なのだとAIは強調した。
私の場合は、縁の下の力持ちとなって、寡黙に淡々と一つの作業をこなせるという意味で貴重だという。
地味で堅実だが。
地味で堅実なのが重要だそうだ。
よく分からないが、褒められると失敗する気がする。
だから頭を掻きながら、もういいと答えていた。
「分かったけれど、それ私に直接言うのやめて。 私別にナルシストでもなんでもないから」
「アカリは悪意に触れる度に傷ついていました。 ですから、多少のフォローは必要かと思ったのですが」
「あー、大丈夫だから」
「そうですか。 分かりました」
AIは大まじめにぴたりと黙る。
まあ、それならそれで別に構わないか。
最後の雑多なファイルの修復終わり。時間も丁度良い。
時間が余らないように。
今の私の能力を見きった上で、AIが破損ファイルを寄越したのはすぐに分かった。嘆息すると、私はハイクラスSNSからログアウトする。
疲労感は殆ど無いし、ストレスもない。
私は確実に図太くなっている。
それは、実感するまでもなく、よく分かった。
作業効率が上がると、更に見えてくるものも増えるようになる。
私はもういっそ、更に効率を上げることにした。
ハイクラスSNSで着込んでいるアバターであるクトゥルフのぬいぐるみを改良して、次に修復を行う破損ファイルの状態を見られるようにしておいたのだ。
触手をあちこちに伸ばしておき。
破損が酷いファイルから引き寄せて、修復を行う。
勿論気分次第では、手元にAIが持って来ているファイルの修復も行う。
AIのご要望だ。
ある程度は答える必要もあるだろう。
今まで的確なアドバイスを幾つもくれたのである。
話くらいは聞くのが筋だ。
ファイルを修復する。
この作業もすっかり慣れた。
修復の過程では美しいものと醜いものが同時に現れる事もあるし。単なる虚無である事もある。
書きかけだったのか、落書きみたいなイラストが出てくる事もあれば。
他の作者の作品を丸ごと盗み書いたようなテキストも出てくる。
ネットでの創作に触れていると。
光よりもどちらかというと闇の方が比率が高い。
これについては、経験則で分かってきていた。
だが、それに今更ああだこうだ言うつもりはない。
そういうものだ。
だから、残すべきと残してはいけないを分別しなければならない。
この熱量は、ますます強くなってきていた。
芸術に関しては、如何に俗悪に感じても、全て残すべきだと私は考えている。
だが文化は違う。
弱者を血眼になって探し、見つけた相手を袋だたきにしてゲタゲタ笑うような。そう、荒らしのようなものは、雄飛の時代には存在そのものを消滅させなければならない。
それが人間の本質に起因しているというのなら。
人間そのものを変えなければならないだろう。
ありのままの人間が素晴らしいと説くような人間原理主義者が聞いたら眉をひそめるかもしれないが。
そも2050年代に、地球を焼き滅ぼした人間に、ああだこうだ抜かす資格は無い。
今生きている事さえ、地球に暮らしていた多くの動植物に取っては唾棄すべき事であるだろうに。
今更どの面下げて、人間は素晴らしいとか抜かせるか。
かといって、押さえつけ過ぎても反動が大きいだろうし、失敗するだろう。
さて、どうするべきか。
人間を選定していくべきか。
AIにそれが出来るか。
難しいだろう。
今のAIは人間に寄り添う存在だ。
どんな駄目な人間でもやっていけるように、補助をすることを主眼に置かれて設計されている。
そして成功した、奇跡的な例だ。
だいたい私自身駄目な人間なのだし。
そういう意味では、AIそのものを変えてはならないだろう。
かといって演説だのをぶった所で人間が変わるわけがない。
AIと要相談だな。
そう思いつつ、私はファイルの修復を終えていた。
少し疲労感がある。
また時間加速の倍率を上げたからだろうが。やっぱり体感時間がぐんと増した以上。意識だけを飛ばしている体の方。特に脳には、相当な負荷が掛かっているはずだ。疲労感はそこからだろう。
最近は甘いものが食べたくなる。
脳細胞にとっての栄養は糖分だ。
それは分かっているが、それでもまだ其所まで体を機械的には見る事が出来ない。
淡々とファイルの修復を行い。
AIに引き渡す。
手元にはどんどん修復してほしいと要望があったらしいファイルが来る。だが、目障りにならない程度に、AIが調整をしてくれている。
一度は、丸一日。手元に来ているファイルを修正した事があった。ある意味当てつけだったのだが。
それでもまだまだ大量に来たので。
或いは、私の作業を確認して、喜んでいるユーザーは思ったより多いのだろう。
自分で直せ。
そう面罵してやりたいが。
しかしながら、こればかりは仕方が無い。
人間を変えるにはどうしたらいいのか。種としてまるごと変えるくらいでなければどうしようもないだろう。
教育を工夫するべきか。
いや、それだけでは絶対に対応出来ないはずだ。
雄飛の時代も、やはりこのままのスタイルで人間は過ごすべきなのか。
それもまたありかも知れないが。
何千年もそれぞれが個室に閉じ込められた状態になるだろう。
それを嫌がる人間は絶対に出てくる筈だ。そういった人間がそれぞれ自死処置を選んだら。
一気に人間が足りなくなる。
雄飛の時代のために備えていた人間が減れば、その時には大きな痛手があるだろう。十数年、またもたつくことになるかも知れない。
色々と考えている内に、時間が来た。
雑多なファイルをまとめて処理し終えた所だったので、丁度良い。
切り上げて、ハイクラスSNSからログアウト。
AIは何処にでもいる。
だから、適当に話しかける。
「今後、どうするつもりなの?」
「此方はあくまでも人間に寄り添う存在です」
「まあそうだよね」
私は、頭を掻く。
それが此奴らの限界でもある。
間違いなく有能極まりないAIではあるのだが。結局の所、人間に寄り添うこと以上はできない。
ならば、此方から。
何かしらの働きかけをして。可能な限り穏当に、人間を変える方法を模索しなければならないのかも知れなかった。
4、遠い未来のために
仕事場が変わった。
アステロイドベルトに派遣しているロボットから、オールト雲に派遣しているロボットの操作に切り替わったのだ。
オールト雲は、太陽系の最外縁にある雑多な小惑星や彗星などによって構成されていて。いわゆる準惑星と呼ばれる規模の星も幾つも存在している。昔は惑星に分類されていた冥王星も、今は準惑星である。
これら準惑星にも、資源確保用のロボットが取りついて、今は資源の切り出し作業を行っている。
どうやら私の作業がAIに評価されたらしく。
より難易度が高い此方に、仕事場が変わったらしい。
とはいっても、超光速通信を使って、自分の所から作業する事には一切代わりは無いし。仕事時間も前と同じである。
別に私としては、違う事は一つも無い。
ただ、ロボットのセンサを通じて見える太陽が。
前より遙かに遠くなった。
それくらいだろうか。
今取りついているのは、準惑星の一つ。
オールト雲には相当数の準惑星があり、中には惑星規模のものもあると噂されたこともあったが。
21世紀にはついに見つからず。現在も見つかっていないことから考えると、結局ないのだろう。
最大で直径1光年ほどまでオールト雲は広がっている可能性がある、とされていて。
此処を開拓し、場合によっては前線基地を作る事で。
人間の未来における雄飛に備える。
要するに数千年単位での計画の一端に私は荷担している訳で。
責任は大きいと言える。
作業そのものは大して変わらない。
今切り出している準惑星は、規模的には見つかっている準惑星の中で一番小さい様子で、全部バラバラにして資源化する予定らしい。まあそれが妥当だろう。準惑星は3桁に達する数がある。
それら全てをコロニーにしても意味がない。
また、金星のテラフォーミングを考えると、相応の資源がいる。
十個や二十個の準惑星は、切り出してその資源に変えてしまう方が良いかも知れない。
彗星の中には、大量の水分を含有しているものが知られているが。
オールト雲に幾らでもある彗星も、当然今後は資源として活用していく事になる。主に火星に運んで、どんどん水を補給する。
勿論一部のコロニーに水を運び。
其所で濾過し、生活用水にもする。
この際に変な細菌とかウイルスとかプリオンとかが紛れ込んでいる可能性もある。このため、検査は打ち出す前に徹底的にする。
幸い、そのくらいの技術は既に存在している。
現在は分子レベルまで水を濾過できる技術力が確立しているので、コロニーがパンデミックを起こして全滅、何てことは無い。
ただ、それでも何かのミスがあるかも知れない。
私の責任は大きいのだ。
仕事が終わる。
短い時間だったが、新しい職場だからか、多少は緊張した。
「お疲れ様です、アカリ」
「ういうい。 ちなみにあの辺りで働いている人間、他にどれくらいいるの」
「三十人ほど」
「えっ……」
現在、各コロニー合計した人間の数は具体的には知らないが、それでも数千人とかいうことはないだろう。もっとたくさんいるはずだ。
三十人と言う事は、AIが余程評価しているという事になる。
思わず口をつぐむ。
私は、そこまでAIに注目されていると言う事か。
「更に成果を上げている人間は、火星でテラフォーミングの最前線に立っています。 金星のテラフォーミングについては、まだ人間は関与していません」
「あー、うん。 分かった……」
「如何なさいましたか」
「いや、何でも無い」
いずれにしても、分かった。
私が重要な立場にいるという事は。分かっていた筈だったが、想像以上だったと分からされた。
それで充分だ。
さて、次だ。
荒らしや炎上についての調査はもう良いだろう。
次の段階に入りたいところである。
だとすると、次に調べるのは。
「ポータルサイトについて調べておこうかな……」
「ポータルサイトですか?」
「うん」
幾つものポータルサイトが存在した。
どれもこれも機能を肥大化させたり、或いは過疎化させたりしつつも。
最後までネットには重要な機能だった。
これだけ包括的に色々情報を見てきたのだ。
そろそろ見る時が来たと言えるだろう。
AIは反対はしなかった。
今の私なら、大丈夫と言う事だろう。私は黙々と、次の調査の準備を始めていた。
(続)
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