二人の声
序、熱量の形
ネットニュースの件が一段落してから、私は本格的に過去のネット創作のうち、欠損が出ている作品の修復作業を進めていた。
これについてはAIも反対せず。
また展示している作品を見に来る人も多かった。
欠損部分を自分で勝手に埋めるのでは駄目だ。
例えばファイルが一部破損していて、読めなくなっている部分があるものだとか。
そういった作品を中心に復旧していく。
元は何が書かれていたのかを、周辺情報から整理して、修復。
勿論違っていただろうという指摘があれば。
きっちり検証し。
検証結果を公表、修復を場合によっては変える。
私は黙々と作業をこなす。
ルーチンワークの一つに追加したこの作業は。
私の中の熱量を、確実に少しずつ高めていた。
一旦SNSからログアウトする。
AIが感想などを見てはどうかと聞いてくるが、まとめてみると返答。
言われずとも自分から時間を見て、風呂に入る。
体の洗い方なども、幼いうちに習うのだけれども。
どうしてもAIに任せ、ロボットアームにやらせてしまう方が正確で早い。
ある程度自分でもやる。
熱量を保ちたいからだ。
AIはいらないだとか。
人間の力で事を為してこそ意味があるだとか。
そういう言葉ははっきり言って意味がない。
人間は生活を文明を使って向上させてきた。向上させる前は、人力によって作業が行われていた。
人間の文明はロクな代物では無いのは確かだが。
省力化の努力を否定するのは著しく良くない発想だと私は思う。
風呂から上がって、服を着る。
着替えについても、極めて清潔に保たれている。コロニー内のシステムは幼いうちに学ぶのだが。
洗浄のシステムは非常に合理的で。
なおかつ、汚れすらも活用するようになっている。
このコロニーは、人間の数さえ適性なら。一億年でも稼働できるのである。
夕食が出てきたので、聞いてみる。
「自分で作って見てもいい?」
「駄目です」
「どうして?」
「これらは基本的に全て合成されている食品です。 料理は……資源が余っている時代にしか許されないですね。 恐らく後何百年かは我慢していただくことになるかと思います」
そうか。
確かに手料理なんて、資源を無駄にする可能性が高い行動は、させて貰えないか。
しかも料理は基本栄養こそ再現しているが全部合成。
手料理も何も無い。
黙々と食事をしていると、AIが告げてくる。
「活力が増えているようで何よりですね」
「うん。 ただあまり活力が出過ぎると困るんでしょう?」
「この部屋から出たいとか、自由に振る舞いたいとか言われると困りますが。 アカリ、貴方は今の時点では、リソースを食い潰すような動きはしていません」
「そっか」
食事を終える。
そういえばこの食事も。
食べる量が多い人には、食欲の抑制剤が使われるらしい。
中には栄養を全てカプセルで賄う人までいるのだとか。
理由はよく分からない。
「また、何かを調べるのですかアカリ」
「うん」
「負の影響を受けるようなものばかりを調べていると、精神に異常をきたします」
「分かってる。 今回は前向きなものを調べて見ようと思ってる」
今回は、前にネットニュースを調べていて、興味を持ったもの。
個人作成動画を調べて見ようと思っている。
これについてはかなり量が多いので。
調べるのは大変だろう。
だが、それが故に。
熱量もあったという事だ。
勿論負の熱量もあっただろうが。
それでも多くの人が楽しみながら作っていったという事になる。
それはとても面白そうだし。
ただ、それでも注意はしなければならないだろう。
一部のネットニュースでは、個人作成動画を使っていたし。
そういったものは、とても褒められた内容ではなかったのだから。
だから、先に色々調べる。
前回は、最初の調査不足のため、色々と大変な苦労をした。
色々簡単に調べられる時代だからこそ。
先に調べておいた方が良い。
それを思い知った。
言われる前に、眠る事にする。
眠る態勢に入ると、AIはすぐに眠るために照明を落としたり、必要な事をあらかたしてくれる。
寝ている間もきっちり管理をしてくれるので、眠りを可能な限り快適にもしてくれているのだが。
過保護と考えず。
体を壊したら、余計に手間が掛かるとAIが判断していると私は思い直している。
事実その通りだ。
AIにとって人間は家畜ではない。
ただし管理はする。
そのためには、人間には出来るだけ健康でいて貰った方が良いのである。その合理的判断の結果がこの小さな部屋での生活だ。
此処から出て、余計なリソースを消費することは許されない。
その理由も分かっている。
過去、人間は感情を優先させて、世界を滅ぼした。
同じ轍を踏む訳にはいかないのである。
目が覚める。
すっきりした寝覚めだ。
ここしばらく調査をしていて。
分かった事は一つある。
ネットの文化は相互に深く関連しているものが多く。
必ずしも一つ一つで孤立しているものは多く無い、ということだ。
コンテンツ文化は、基本的に個人HPの時代から脈々と受け継がれていったものだし。
それの拡散には、他のネット文化も大きく影響している。
動画文化などもそうだ。
ちょっと今度は、ネットの岐路になった動画文化について調べて見ようと思う。
そう告げると。
AIは良いのではないか、と言った。
実際問題、ネットにおける動画は、やがてプロも参入するコンテンツとなり。
黎明期はともかく、どんどんハードルが下がっていった後期は。2050年代の世界大戦が始まるまでは、それなりにカオスの中隆盛を誇った。
世界大戦が始まると、流石にそれどころではなくなったし。
失われた資料も多くあるのだが。
それでもテキストやイラストなどのコンテンツよりも、復旧作業が熱心に行われているジャンルである。
調べて見る価値はあるだろう。
幾つか、AIに注意を受ける。
「アカリ、ルーチンワークが増えてきています。 あまり増やしすぎると負担が大きくなりすぎて、身動きが取れなくなります」
「分かってる。 気を付けるよ」
「それならば、此方でも気を付けているという前提で管理をします。 人はどうしても、自分では気付けない事がある主観の生物だからです」
「……うん」
分かっている。
どうしても、客観的になり得ない人間の愚かさについては、この間のネットニュースの調査で痛感した。
自分だって例外じゃない。
アレを見た後、自分だけは例外だなんて思えるのは、余程の阿呆である。
誰だって簡単に客観性を失う。
もしも完全に客観的に全てを見られる存在がいたら。
それは生物を超越している存在だろう。
古い時代には神と呼ばれていたような。
或いは聖人か。
どちらも、人間の手がまだまだ届く範囲にはいない。
だから私は一人のくだらない人間という生物なりに。
出来る範囲内で、やれることをやっていくだけである。
ルーチンワークをこなす。
体力がついてきているのは分かるが、行きどころのなくなった体力がありあまると、色々と処置はしなければならない。
自分も何か体力を必要とする作業をするか、それとも。
体に筋肉がついてきている実感は無い。
だが、確かにAIに渡された重しなどは、以前より持ち上げるのに苦労はしなくなっている。
確実にルーチンワークにしているトレーニングは成果を出している。
客観的な数字を見せられて。
私はそれについては、納得している。
ルーチンワークをこなした後。
SNSにログインする。
オールドクラスのSNSにはいきなり潜らない。ハイクラスのSNSで、動画文化の研究をしているコミュニティを探す。
まずは一番最初は此処からだ。
幾らでも見つかる。
自分で作れる動画は、ネットにおける革命的なコンテンツだったのだが。
それを実感できる。
幾つかを見て回るが、歴史についてざっと触れているコミュニティはあったが。大体のコミュニティは、どの動画が面白いかとか。どうやって現在の技術で動画を修復するかとか。
そういう「楽しみ方」の動画であって。
私がどうすれば熱量を得られるか、参考になりそうなものはなかった。
ただ、確信していることはある。
どんな分野でも、最初に始めた人間は先駆者だ。
先駆者は己を焼きかねない熱量で、全てを動かしていたはずである。
私もそうありたい。
だから、まずは先駆者から、どう動画文化が産まれ育っていったのかを知りたい。それに触れる事で、熱量を得られるかも知れない。
この間、ネットニュースの歴史を見ることで、負の熱量を知った。
今度はバランスのためにも、正の熱量を知りたい。
一旦ハイクラスのSNSからログアウト。
なんというか、ハイクラスのSNSは鑑賞と作業には向いているが。どうもコミュニティには向いていない。
ミドルクラスはカスタマイズしやすいと言う事もあって、コミュニティに向いているのは知っていたが。
ここのところ自分で調査を続けて。
それがよく分かってきた。
ミドルクラスのSNSにログイン。
人間はあまり多く無いが。それでもやはり、コミュニティには活気があった。
ログを見ていく。
やはり「楽しみ方」のコミュニティが目立つ。
私が見たいのは「楽しみ方」じゃあないんだがなあとぼやく。
楽しみ方なんてのは、それぞれ人によって違ってくる。
私に取っても違う。
だから、まずはどういう熱量を持って動画文化が産まれ、変遷していったのかを知りたいのである。
そうしている人間が殆どいないところを見ると。
私がやっていることは、レアケースなのだろうが。
だが、それでも関係無い。
誰が何をやろうと勝手だ。
そもそも大前提として、今は21世紀じゃない。
21世紀の頃は、苛烈な差別が蔓延していたし。弱い方が悪いという理屈がどんな場所でも蛆虫のように蠢いていた。
その結果貧富の格差は際限なく拡大、世界大戦が起きた。
その世界大戦は致命的だと分かっていたのに。
誰も止めなかった。
世界の富を独占する「優秀だとされていた」連中が、無能極まりなかったからだ。止めようにもどうしようもなかったからである。
今は違う。
人間の制限は色々ある。眠るように過ごさなければならない。
だが差別は無い。
何をして生きても良い。
そういう時代ではある。
「これはちょっと興味深いかな……」
最初期の動画文化について、触れているコミュニティを確認。
なるほど、最初期のものは何だか随分と違うなと、現物を見て確認。そしてファイル容量を見て驚いた。
テキストやイラストとは桁外れだ。
現在、黎明期の動画を作るために使われていたツールなどは失われている。有志が復興を試みているが、上手く行っていない。
だから、存在していた動画を、現在の技術で再現しているのだが。
故に、かなり凄まじい容量になってしまっている。
勿論現在のネットでは、大したデータ量では無い。
ただ今までのように、あらゆるデータをかき集めて、時間を加速して見ると言うことは多分出来ないだろう。
ブランクスペースがパンクする。
いずれにしても、特徴的な動画について幾つか調べていく。最初期のツールについても、である。
軽く調べるだけで資料が出てくる。
今の時代、ネットニュースはとことん嫌われている。
そのため、剥き出しの正確な情報だけが好まれる。
コミュニティに展示されているのも、そういった剥き出しの情報である。
それを軽く頭に入れた後、SNSからログアウト。
情報を整理した後、オールドクラスのSNSに出向いて、実際に動画を集めていく。やはり容量が極めて大きい。
現在ハイクラスSNSで使うような、バーチャルリアリティのシステムなどに比べると流石にずっと小さいが。同時期に流行したネットコンテンツの中では、異次元にファイル容量が大きい。
これが動画か。
少し調べて見ると、動画を熱心に作っている人になると、自分用のPCのHDDの容量が足りず。
外付けのHDDをたくさん持っていたり。
容量を逼迫する過去の動画を消したりと。
散々色々な工夫をしていた様子である。
大変だったのだろうなと思いながら、資料を落としていく。これらの資料についても、失われたものは多いのだろうが。
それでも、残っているものは確実にあるし。
有志の努力や、AIの修復によって、元の形がある程度再現されている。
それはとても有り難い話である。
昔は、こういった専門分野に詳しい人は、実際に存在していたらしい。
だが21世紀の中盤以降は、専門分野に詳しい人でも流石にその場でぱっと知識が出てくる事は無いほどに物事が複雑化し。
結局外部記憶に頼らざるを得ない時代が来たようだ。
ハイクラスSNSのブランクスペースにデータを移行。
明らかにいつもより時間が掛かる。
AIに警告された。
「動画は容量が極めて大きいことはご理解ください。 全てを見る事は、今までのネットコンテンツのようには出来ないでしょう」
「見てそれは理解出来たよ」
「分かりましたアカリ。 検索についてはどうしますか」
「そうだね……」
私は幾らかを見てから決めるとつげ。
AIもそれを承知した。
そういえば、AIに名前をつけるというのはどうだろうか。
ちょっと考え込む。
今までは、この場には私とAIしかいなかった。ネット上でも、ID等を使って会話すれば良かった。
名前は必要なかったのだ。
だから私は熱量を持っていなかった、のだとも言える。
幸いなことに、AIはコンテンツを消費することに関してはほぼ無制限に寛容だ。リソースを食い潰すような、新しいコンテンツの生成をしない限りは、私のあらゆる行動をサポートしてくれるだろう。
この凍り付いた時代を作ってしまった人類がそれについては悪い。
私も、不自由は感じてはいない。
少し考え込んだ後、今は止めておこうと思った。
AIはAIだ。
味方でも何でも無い。
あくまで人類の保全のために動いている存在であって、人間に好意を抱いているわけではないし。
悪意だって持ってはいない。
ただ仕事をしているだけの人工知能である。
人間と違って野心がないから、人間に取って代わろうなどと考えないし。
一方で人間もAIに管理を任せる事を嫌がらない。
そういうものだ。
「じゃあ、時間加速しながら動画を調べて見るけれど。 時間が来たら警告してね」
「分かりました」
ハイクラスのSNSに再度ログイン。
さて、資料の処理に掛かるか。
私に熱量を与えてくれる何かは、今回得られるだろうか。
それはまだ分からない。
1、最初は閃光から
動画は、最初は極めて手が届きづらい文化であった様子だ。
まあ確かにそうだ。
自分でもちょっとやってみたのだ。いわゆるパラパラ漫画を立体映像で再現する作業をしてみた。
極めて原始的なそれでさえ、尋常な苦労ではなかった。
動きを再現するのは非常な苦労を伴う。
単純な絵をたくさん描くだけでも、凄まじい労力がいるのだ。
これはそもそも、アニメーションの製作現場が地獄のような有様だったという話からも推察は出来てはいたのだが。
実際に軽くパラパラ漫画を作って見るだけでも、それはよく分かってしまった。
最初期の動画文化が花開いたのは、20世紀末から21世紀初頭。そしてこの最初期の動画文化は、特定のツールによって創られていた。
今見てみると、どれもこれも、後の時代のリッチな動画に比べるととても寂しいものが多いが。
しかしながら、面白い。
間違いなく面白いのは、作り手が貧弱な環境の中、工夫を凝らしていたから、なのだろう。
これらの動画を作るために使われていたツールは。
元々ゲームなどを個人製作するためにも使われていたツールらしく。
そもそもとして、その万能性汎用性は高く。
様々なネットコンテンツにて活躍していたそうである。
途中で会社関係のゴタゴタとか、他にも色々な理由があり。
配信が終了してしまったそうだが。
その時には一時代が終わったと。当時を知っている人間は、皆嘆いたのだとか。
いずれにしても、動画を作成した後は。
特定の形式のファイルに変換しなければならない。
そして変換した後は。
その巨大容量を受け入れられる当時としては特製のHPに載せたりする必要があった。
それだけ、動画というのは特別な文化で。
要するに当時から「リッチ」なコンテンツだったのである。
勿論動画を作る人間が、テキストやイラストを作る人間より偉いという意味では無い。
単純に、作るのに労力が掛かり。
専門の技術や知識もいる。
そういう意味では、間口は狭く。
一部の人間しか参入できないコンテンツだったのだ。
この意味では、初期の個人HPにもにているかも知れない。
さて、そういった動画を幾らか見て、思った事はやはり面白い、である。
経緯をしるとなおさらだ。
今から考えると、ナメクジのような動きしか出来ないPCの環境で。
膨大なリソースを食い尽くすツールを使い。
あっと言う間に枯渇するHDD容量とも。大容量を受け入れられるHPの選定とも戦い。場合によっては自分でサーバを建て。
それぞれが工夫しながら、動画を作っていたのだろう。
だからそれらの動画は、単純な動きしか出来なかったり、絵がとてもおおざっぱであっても、工夫が凝らされていた。故に面白い。
初期のゲームが、極めて小さな容量の内部で、プログラムを職人芸で組みながら作っていたのと同じだろう。
最初期のゲームには、後のゲームの原型となるようなものが多数存在していたという事だが。
それも当然だろう。
誰もが「試行錯誤」した時代なのである。
リッチな環境よりも、過酷な環境でこそ試行錯誤がなされるのだ。
だが、だからといって、過酷な環境に置くことは好ましい状況では無い。
試行錯誤によって得られたノウハウは、確実に後世に引き継いでいくべきだろう。
ただでさえ人間とか言う生き物は、生物単位ではまるで進歩していないのだから。
さて、初期の時代が終わると。
動画文化についても、色々な変遷が起きる様になる。
まずは、やはりツールの改良である。
ツールが改良され、どんどん動画が作りやすくなっていったこと。
動画文化が面白いと言うことで、参入者が増えたと言う事。
更には、幾つもの支援ツールが登場していき、環境は更に多彩に花開いていく事になった。
その過程で作られていった動画を見ていく。
名作と呼ばれているものは、本当に苦労しながら作っているのが一目で分かる。
なるほど、凄いなあと感心するが。
自分で同じ事をやろうとは思わないし、出来ない。
ツールそのものが殆ど消失してしまっているからである。
やがて、革命的なものが登場する。
声を代用できるシステムと。動画を更に簡単に作る事が出来るシステムである。
特に日本では、この声を代用できるシステムが出現してから、爆発的に動画コンテンツが膨れあがった。
同時期から少し遅れて動画を簡単に作れる支援ツールが登場した事もあり。
複数の条件が重なりあって、一気に爆発を広げたとも言える。
かくして動画の全盛期が到来することになる。
幾つかのフレーズが有名になり。
またこの支援ツールに採用されていた、ある同人ゲームのキャラクターが、原作とは関係無く有名になったり。
色々とネットらしいカオスが登場する。
この時代の動画から、かなり長い間。十年以上。
黒髪でリボンのと、金髪で帽子を被っているの。二人の生首の女の子が喋っている動画をたくさん見かけるが。
それが支援ツールによって広まったものである。
また声を代用出来るシステムは、最初は歌を代わりに歌わせるものが主流だったが。後に自分の代わりに声を当ててくれるものが主流となっていく。この声を代用出来るシステムそのものがキャラクタービジネスに組み込まれており。
キャラクターに対する熱心なファンもいたようだ。
勿論プロの演者。いわゆる声優が基礎部分の声を当てていた事もあって。
ある程度棒読みでも活用範囲は広かったし。また用意されている専用のボイスにはそれ相応の品質があり。
それらを上手に使うことで、上手くやっていけたらしい。
更に、である。こういった動画が流行っていた頃には、自分で撮影した映像などを動画化して、ネットに配信する行為も既に一般化していた。
勿論セキュリティという観念では極めて危険な行為なのだが。
日本以外の国では、声を代用するシステムはあまり流行はせず。
かなり遅くまで、本人が生の姿をさらしながら、ゲームを実況したりするような動画が流行したようだ。
また、これらの副次物には、更に面白いものもあった。
声を代用するシステムのキャラクターを踊らせる事を最初は目的としていたツールである。
これが魔改造的な進化を遂げ。
やがて本来はせいぜいダンスを踊らせる程度の事が目的に過ぎなかったこのツールを使って。
アニメさながらに、多数のキャラクターを動かす動画を作り上げる猛者が出現し始める。このクオリティは年々先鋭化を遂げ、やがて同じツールを使っているとは信じられないほどの美しいクオリティの、キャラクターが滑らかかつ綺麗に動く動画などが出現するようになっていく。
またこのダンスツールは商業作品にさえ利用され。
このツールを用いて作られたアニメは。当時のアニメの画質に比べて大きく劣っていたものの。
非常にクオリティが高い事から爆発的な人気を博し。
社会現象にまでなった。
残念ながらこの作品、後続の作品が作り手が変わった事から信じがたいレベルの駄作にまで落ちてしまったのだが。
まあそういう事もある。
いずれにしても、2020年代には。
実写。支援ツール。様々な間口が動画作成をする者には開かれ。
2000年代中盤には出来はじめていた動画投稿サイトは、既に当時衰退しきっていたマスコミに代わり。
圧倒的な情報配信力を担うようになり。
マスコミが、こういった動画サイトに出向き。「素人」が作った動画を或いは勝手に剽窃したり、或いは買いたたこうとしたりして。彼らの凋落ぶりを周囲に見せつけていたものである。
なるほどなるほど。
当時の有名な動画を見ていく。
ゲームのものが多い。
また時事のものもある。
時事動画は、動画支援ツールが増えてきたことから、非常に多くなっているが。
中にはその場に居合わせた人間が、当時主流だった携帯ツールで撮影した映像などをそのまま無加工で動画サイトにアップすることもあり。
初期は、マスコミがこれらを勝手に剽窃していたが。
その汚いやり口が知れ渡って以降は、マスコミお断りという前置きの上で、動画をアップする者も増えたようである。
他にも作品の批評動画なども多い。
特にゲーム関係のプレイ動画については、いずれ此処からvtuberというジャンルが出てくる事を考えると。
歴史的に重要なものだったとも言える。
ゲームの動画は比較的敷居が低い。
ゲームそのもののプレイ動画を録画して、それを加工してアップしていけばいいわけで。ストーリーとかは必要ないからだ。ただ、あくまで敷居が低いだけで。その動画に独自のストーリーを作ってつけたり。或いは支援ツールを山盛りに入れて、動画を組み合わせたり。
場合によっては。ゲームそのものを支援ツールを使って再現したりと。
色々と拡張性が大きい。
幾つもの有名な動画を見ていく内に、それらが事実である事は分かった。
これは単純に労力がもの凄そうだと思って見てみると、こつこつ年単位掛けて作っているような動画もある。
一つ一つの話は短くとも、何十話も、何年も掛けて動画を上げている人もいる。
この時代、動画は。
テキスト、イラストと並ぶ。
確実にアマチュア文化の中心点の一つだったのだろう。
そんな動画も、衰退を始める時期が来る。
2030年以降は、色々な要因が重なり。動画の質も数も落ちていく。
これにはそもそも社会情勢が悪化しすぎて、動画を作る余裕が人々から失われていった、というのも理由として挙げられるだろう。
vtuberも2030年代には殆ど姿を消してしまっている。
示唆的な話である。
そして2040年代になると、国によっては文化に対する圧力が非常に苛烈になり。コンテンツを作っただけで投獄、場合によっては死刑が行われる事も起きるようになった。過激派の思想団体が主導したことであるのだが。それらの言う事が「もっともらしい」上に、社会の基盤となっている「人権」を盾にしている事が最悪の結果を招いていく。
焚書も当然行われるようになり。
人類の文明は、崖に向けて爆走するかのように、破滅に驀進していった。
2040年代末期に作られた動画を見る。
最盛期の、文字通り花が咲くように拡がった動画文化は何処へ行ったのだと思えるほど悲しい出来だ。
ツールなどは素晴らしいものが出来ている。
それなのに、人間に余裕が無いのだと一目で分かる。
表現力。
創意工夫。
何もかもが過去のものに劣っている。
口をつぐむ。
社会の状態が此処まで悪化すると。文化というのも、此処まで酷くなるのか。
動画に寄せられているコメントも見るに堪えない。
自称「人権の守護者」が暴れに暴れており、凄まじい罵詈雑言を作り手に浴びせまくっている。
これでは、動画をとてもではないが見る気にもなれないし。
まともな神経では、動画を作る気にもなれないだろう。
大手の動画投稿サイトでも、動画の数は激減。
残った動画にも、精神が荒んだ人々が殺到して、暴言の数々を浴びせ尽くしており。とてもではないが、何をしても対処できる状態には思えなかった。
2050年代以降は、もはや空白の時代である。
世界大戦が起きてしまい。
世界のリソースがなくなった。
文字通り、ぴたりと何もかもが消えて無くなっている。
以降は、文化が死んだ。
人類は文化どころではなくなり、生き残るための作業をしていくようになる。ネットで流れる情報も、殆どが生きるために必要な短いものだけ。
マスコミ関係者が2050年の世界大戦後、皆殺しにされ。
再建されなくなって、デマニュースは流れなくはなったが。
その代わり、ネットからは熱量が完全に消えた。
その流れは、今にまで続く事になる。
ため息をつく。
今見たのは、主要な動画ばかりである。
この時代から今まで生きている人もいる。何しろ20世紀生まれで生きている人がいるのだから。
AIは基本的に嘘はつかない。
教えられないことについては、教えられないと素直に言う。
これについては、絶対事項だ。
大変だっただろうなと、クトゥルフのキグルミを着たまま考える。
最近はハイクラスSNSで、クトゥルフのキグルミを着たまま作業をすることが増えていて。
自分でもそれを気に入っていた。
一旦流れを整理するが。
動画というのはとても多様化した文化だ。
最初は兎に角間口が狭くて、専門中の専門技能だった。
この辺は個人HPにも通じる。
やがて支援ツールが爆発的に増え。
動画は単純に「動画」という枠に収まらないものになっていく。
勿論その過程で、良くないものもたくさん産まれたが。
間違いなく熱量を持っていた。
無言で腕組みして、考え込む。
これを何かの熱量に変換できないだろうか。
私は、あくまでただ人間としての尊厳として。熱量を持ちたいと願っているだけだ。実際そうしている人を見てから。
この凍り付いた時代。
人間は眠るようにして過ごさなければならない。
それは事実である。
だが、その範囲内であったら。
尊厳を守るための熱量を持つ事は、悪くは無いのではあるまいか。
何度か深呼吸して。
考えを改める。
私は、何がしたい。
自問自答する。
熱量を持ちたい。
その通りだ。それ以外には、ない。
だが、その熱量を持った先に、何があるのか。この動画文化大全盛の時代を見ると。ネット文化の興亡の速さを思い知らされるし。
その先に待っている破滅的な未来も感じてしまう。
私はこれからもずっと生きる身だ。
今の人間に求められるのは生きる事。
だからアンチエイジングや不老処置が施されている。肉体の全盛期は幾らでも続くし、本気になったら過去のコンテンツを全て消費してもかまわないとされている。過去のコンテンツリソースだったら好きなだけ消費して良い。
それが今の時代だ。
しかし、それでは熱量を持てない。
自分で熱量を作れない。
少なくとも私は、幾つか試してはいるが。どうしてもそれで熱量を持ててはいない。それが困りどころだ。
熱量の定義もよく分からない。
ただもわっと感じるというか、そういうものだ。
社会現象としての熱量と、私自身の熱量はまた別のものでもあるだろう。
それを考えると、色々と悩ましい。
一旦ハイクラスSNSから出る。
ちょっと知恵熱っぽい。
ぼんやりして横になる。
頭を使いすぎたかも知れない。
「健康に異常はでていませんが、疲労が蓄積しています。 少し休んだ方がよろしいでしょう」
「……分かった」
もうAIに対して、いちいち反抗する気にもなれない。
ため息をつく。
「ねえ聞いて良い?」
「何でしょうか」
「もしも2050年代に世界大戦が起きなかったら、どうなったのかな」
「その答えはアカリ。 貴方が良く分かっている筈です」
そうだな。
その通りだ。
2050年代に世界大戦は起きるべくして起きた。それはどうしようも無いことだったのだ。
世界中がおかしくなっていた。
暴走する人権屋が、世界中を滅茶苦茶にしていた。
もしも世界大戦が起きないようにするためには、それこそ2000年代くらいから、世界をやり直さなければならないだろう。
人権屋を皆殺しにするくらいの処置は必要なはずだ。
それでも、人類は地球を出て、まともな文明を構築できたか、甚だ怪しいと私は感じている。
しばし黙り込んだ後。
もう一度、AIに質問する。
「何かさ、人類がこんな状態にならなくても良い案とかは出てこない?」
「厳しいでしょうね」
「……」
「2000年代には、既にその兆候はありました。 人間は種族単位では一切学習できない生物だと言う事も厳しいです。 こういうブレークスルーがあれば……という仮定をおいたとしても。 資源を枯渇させる前に人類が宇宙に出られる可能性は決して高くはないでしょう」
そうなんだろうな。
分かっている。
だからこそ、どうにかしたい。
結局、今人類は宇宙に出てはいるが。出ているだけ。こんな凍り付いた時代を作ってしまったのは、間違いなく過去の人間達だ。
そして、誰か個人の責任では無い。
勿論大きな責任を持った連中はいる。
人権屋やマスコミ、富を独占していた資本家達。
此奴ら全員は、地獄の最深部に叩き込まないといけないだろう。
だが、此奴らを排除した所で、人類は宇宙に出られて、ちゃんと生きられたのだろうか。私にはそうは思えないのだ。
溜息が零れる。
どうしようもない、というのが結論である。
あれほど熱量が籠もったものを見たのに。あっと言う間に、己の中にあった熱が冷めてしまった。
或いは、である。
ひょっとしたら、熱量が保たれるには。
継続が必要なのでは無いのだろうか。
私は終わりを見てしまった。
故に熱量が。
今も、その熱量のあった時代を、許される範囲内で再現しようとしている人はいる。
過去のコンテンツの修復をしている私も一応それに含まれるだろう。
だけれどもだ。
どうやら私も、継続がなければ熱量を保てない人間であるらしい。
それは、とても悲しい事なのだと思う。
私には出来る事がない。
2000年前後に産まれていたら、或いはネット文化最全盛期を見る事がで来たかも知れない。
だがその時代は、人間にとってもっとも過酷な時代の前である。
何かとんでもなく大きな事でも起きない限り、世界大戦による人類の壊滅と破滅は免れない。
それが現実なのだから。
私は風呂に入って、夕食を食べて。
全く味がしないのを感じた。
指摘するが、AIはちゃんと味付けはしているという。
すぐに検査してくれたが。
どうも精神的なものが原因であるらしい。
無言で、AIがしてくれるリラクゼーションプログラムを受ける。私はどうにも繊細すぎて。
そして脆弱すぎるな。
そう感じる。
AIは、そういったことは言わない。
淡々と。
私が生きるために必要な処置をしてくれる。
なぜなら、それがAIだからだ。
「終わってしまうことを知っていると悲しいね」
「とはいっても、終わらないコンテンツはありません。 作品レベルになると、きちんと完結させないコンテンツは、それ自体が大問題です」
「……」
その通りだ。
結局混乱の中作者が死んでしまったり行方不明になってしまって、完結しなかったコンテンツはいくらでもある。
戸籍そのものが消し飛ぶような戦争だったのだ。
その後を追跡することはできない。
或いは一人で楽しんで書いていたことがあったかも知れないが。
そうだとしても分からないのである。
いずれにしても、私は継続して出来る。この凍った世界を壊さない程度の熱量を何か持ちたい。
それをまだ。
私は知らない。
2、個人に出来る限界
動画を大量に、ハイクラスSNSにアップする。
その時代に話題になったものばかりをピックアップするのでは無い。
私がピックアップするのは。
過渡期のものだ。
そう、過渡期に作られた、創意工夫の塊のような動画達。
AIに指示して、動画をピックアップして貰った後。
一つずつ、順番に見ていく。
面白い。
どれもこれも。
過渡期の作品は当たり外れがとにかく大きい。どんなコンテンツでも、それは同じである。
そして動画も当然同じ。
評判があっても面白くないものは面白くない。
ただし、熱量はやはり感じる。
ブームというものは、後世からすればはっきりいってどうでもいいものだ。その時期の人間が如何に噴き上がっていようと、後世から見ればだからなんだという代物でしかない。
良い例が死語だ。
死語になった言葉は、その当時は最先端の文化の一つだった。
しかしその末路は文字通りの消滅。
後世から見れば滑稽でしかない。
それが故に死語と呼ばれるのだ。
ブームなんてのは、そんな程度のものなのである。
だが、ブームを作り出した存在には興味がある。
だから幾つも見ていく。
ブームを作り出すきっかけになった作品は、何かしらの理由を持っている場合が多い。
運だったりする事もあるが。
それ自体が単純に面白い事もある。
その面白さの中には熱量が確かにある。
私はどうそれを取り入れれば良い。
リソースが極限まで限られているこの時代。
人間が余計な事をしてはいけない状態にまでなってしまったこの時代。私に出来る事は限られているし。
私自身で考えなければならない。
良い動画だ。見ながら思う。
動画は必ずしも長ければ良いというわけではない。数分でも人を感動させられるものはある。
一方で、今見てみるとぴんと来ないものもある。
そういった動画については、色々調べて見る。
そうすると、何かしらのミームが当時存在していて。
それに乗っかったものだと分かったりする。
頭を掻いた。
とにかくややこしい。
動画を見ている最中で手を止めて、勉強しなければならない事も多い。
過去の文化を知るというのは、そういう事だ。
そしてネットの文化は、そもそも彼方此方に派生して、複雑に関与し合っているものなのである。
一つだけ調べても。
ぴんと来ないことがあるのは、当然だとも言えた。
少し疲れてきたので、一度SNSからログアウトする。
過去の動画文化については、以前のネットニュースと違い。ミドルクラスのSNSにでも行けば、そこそこまともに建設的議論をしているコミュニティがある事は分かっている。AIにも言われているし、そもそも動画文化は未来においても嫌われていない。
勿論他人を違法に撮影して勝手にネットに上げた挙げ句、大炎上してしまったようなものや。
犯罪目的に撮影されたようなものもあるが。
それらについては、現時点では封印指定されている。
見たがる人間はいるが、今の時代はセキュリティが人間の突破出来るものではなくなっている。
いずれ未来には封印解除されるかも知れないが。
それはそれである。
「かなり疲労が蓄積しているようですね。 横になると良いでしょう」
「んー」
AIは何も言わない。
私はそもそも手が掛からない方だと、言われた事もある。
AIによると、すぐに死にたがる人や。
暴れる人。
AIに常に反抗する人や。
現在の状況について文句を言う人など。
共有している情報の中だけでも、私以上の問題児はそれこそ幾らでもいるということだった。
なるほど、それでは仕方が無い。
確かに、私に対して対応がある程度甘くなるのも、道理だろう。
横になって、ゆっくりする。
暖かいポタージュを入れてくれるが。
実際にはポタージュっぽいものであって。
実際には材料が何かなんて考えたくも無い。とはいっても、それも仕方が無い状況だし、味も栄養もポタージュだ。
だから、気にする必要はない。
フーフーしながらポタージュを飲んでいると。
AIに言われる。
「動画文化は、最盛期にはそれこそネットの中心と言う程に栄えていました。 最初に最大限の集客をしていた大手の掲示板サイトや、初期のネットニュースをも超える程の隆盛と言って良いでしょう」
「理由は?」
「簡単な事で、ネットが特別でも何でも無い時代に花開いた文化だからですよ」
「……」
昔は、そもそもネットに接続するまで一苦労という時代があったそうである。
プロバイダと契約して。細い回線で四苦八苦。
そんな時代の人々は、そもそも電話回線とは別の料金を取られ。
料金が安くなる時間帯に一斉に集中して接続し。
話をしていたのだとか。
話には聞いたことがあるが。
そもそも回線が細い、というのが私にはあまりぴんと来ない。
だけれども、動画などをネットにアップする時間を聞いて口をつぐんだし。
更に言えば、回線が細かった時代は、もっともっと時間が掛かったと聞いて、完全に黙り込んでしまった。
たくさん見て来た動画。
どれもこれも、見るのは簡単だ。
だが、個人サイトから始まり、大手投稿サイトに移行していった個人創作物と同じく。
作るのにはとんでも無く時間が掛かっていたし。
ネットに上げるのもしかり。
そもそも初期はネットに上げるのでさえ大変だった、と言う事は私にも分かっていたのだけれども。
それでもちょっとこれは、想像を超えていた。
なるほど、それは便利な方に流れるわ。
納得する。
前はどうにも分からない事も多かったのだが。どんどん人間が便利な方に流れる理由が分かった気がする。
勿論回線が細ければ、動画をアップするのに失敗した事だってあっただろう。
そう思えば、今まで見てきた動画を作った人達が。
どんな苦労をしていたのか、更に思い知らされることになった。
「だから、しっかり噛んで味わうようにして、過去のリソースを楽しんでください。 中には動画作成に命を賭けていたような人だっています。 それは他の個人創作も同じ事ですが……」
「それについては分かっているつもり」
「それならば結構」
ポタージュは冷めない。
冷めない容器に入っているからだ。
味も悪くない。
私に合わせて調整されているからだ。
だが、心は一気に冷え込んだ気がする。
分かってはいるつもりだったのだが。
そのつもりに過ぎなかった。
多分AIは、ログなんかの流れを見た上で釘を刺してきたのだろう。それについては何となく分かる。
此奴らは情報を同期しているから、全部で一つ、一つで全部見たいなものだ。
私達とはあらゆる意味で存在が違っている。
だからこそに言えることであるのだろう。
人間を保護するために作られた、ある意味完璧な機械知性のようなものなのだから。
「熱量がほしいな……」
「今のままでいいではないですか」
「……熱量がほしい」
「分かりました。 好きになさると良いでしょう」
ポタージュを片付けるAI。ロボットアームが伸びてきて、ひょいと取りあげると、すぐに洗ってしまう。
私は見ているだけで良い。
昔の人はこういった作業を全部手でやっていたらしいが。
季節が地球にはあったらしいし。
寒い時期は大変だったのでは無いかとも思う。
横になって、少し休む。
時間帯的に余裕がある。少し休むくらいは別に良いだろう。
遅くなってくると寝ろと言われるのだが。
今日はルーチンワークでやっている事が早めに片付いたので。早めに動画を見にSNSに潜っていたのだ。
少し頭を冷やした後。
またSNSに潜る。
ハイクラスのSNSでは、クトゥルフのキグルミを被っているから。たまにキグルミを被っている人とすれ違うと、ぎょっとした様子で見られる。
アバターというのは各自が勝手に設定して良いし。
クトゥルフといっても可愛らしくデフォルメはされているが。
それでも個性的なアバターだと思われるのだろう。
自分のブランクスペースに直行するのでは無く、動画文化についてのコミュニティを何となく見て回る。
やはりネットニュースと違い、動画文化は嫌われていない。
以前はあまりにも強烈なアンチと、そもそもの拒否の視線に困り果てたものだが。
今はそんな事もなく。
動画文化のファンコミュニティに入ると、随分暖かい雰囲気で会話している様子がめだった。
まあvtuberの動画を再現プレイしている人間が、好意的に迎えられているくらいなのである。
この辺りは、当然と言えるのかも知れない。
ログを見ていると、やはり良い動画を紹介し合っている。
ただあくまで主観であって。
理解するには、膨大な資料を読み込まなければならないような動画や。
或いは、かなり癖がある動画を紹介しているケースも目立った。
それに、そもそも私はAIに最初から指定して動画を紹介して貰った。
AIはこの辺り的確だ。
マニアは恐らく、オールドクラスのSNSから動画を片っ端からハイクラスSNSに移した上で。
種類も問わずに全部見ていくのだろう。
そういうやり方もありだ。
ただ私のやり方とは違う。
それだけである。
会話内容を見たので、別のコミュニティに移る。
何か熱量を得るためのヒントになるものはないだろうか。
そう考えながら、コミュニティを渡るが。
いずれもが、自分の好きをふわっと語っているだけで。
特に論理的でもなく。
また個人の嗜好が強かったので。
やがてコミュニティ周りは止めた。
声を掛けて来る者もいない。
コミュニティごとに、入り浸る人が決まっている様子で。ただ見に来ただけの人は、気にしないのだろう。
閉鎖的だな。
そう思った。
勿論入ってきた人を排斥するようなことはしていないが。
自分達の人間関係だけで関係が閉じてしまっている。
自分のブランクスペースに移動。
無駄な時間を過ごしたなと感じたが。
別にそれはそれでいい。
無駄なものがある。
それが分かっただけでも、充分だ。
無駄を発見する事は、決して無駄な事では無い。世界に電球を普及させた人物の言葉である。
余り褒められた人格の人では無かったが。
この言葉は確かに正しいと思う。
先にブランクスペースに格納しておいた動画をチェック。
まだ四割ほどしか見られていない。
だから、残りもばりばりと見て行く。
良い動画、というよりも、凄いのを引く。
あるゲームを映画仕立てに動画にしたもののようだが。
迫力ある空中戦を、利便性に著しく問題があるソフトで実に美しく仕上げている。
これは職人芸だなと思うと同時に。
当時としてはとんでも無いスペックのPCを使い。
時間も途方もないほどに使ったのだろうなと思い、見ていてむしろ申し訳なくなってしまった。
コレを作っていた人は、どんな苦労をしていたのだろう。
生活は大変では無かったのか。
周囲の理解は得られていたのか。
そうとはとても思えない。
その人の作った、他の動画をピックアップするかと、メモを残しておく。
他の動画も見ていく。
こっちは大長編だ。
ある歴史ゲームに手を加え。
様々な二次創作設定を盛り込んだ上で。
難易度を激増させた上に。
過酷な世界として仕上げている。
作るには幾つもの才覚が必要な動画だ。見ていて凄いなあと思うけれども。真似しようとはとても思えない。
文字通り、仕事以外他の全てを捨ててこの動画を作っていたのだろうなあと思う。
其所には熱量を超えた執念があるように感じられるし。
勿論私は、これを真似するわけにも行かない。
最後まで見て、丁度時間だ。
加速した時間の中で、この大河作品をみられて良かったとも思ったし。
作った人は報われたのだろうかとも思った。
そもそもこう言う作品では、理解はあまり得られないだろう。
そういう意味では、私は余計に大変だっただろうなと思って、思わず溜息をついてしまっていた。
また、SNSをログアウトする。
AIに、さっきメモを残した動画の回収を頼むと、夕食と風呂を済ませる。
本当の意味で。
全く代わり映えがない毎日だが。
しっかり生活の習慣をつけておかないと。
後で酷い事になる。
それは分かっているから、AIの言う事に渋々従う。
だが、AIもそれを見越しているのだろう。
言ってくる。
「古い時代は、不健康自慢なんてのがありました」
「何それ……」
「例えば、短い睡眠時間を競ったり、何日まともに食事をしていないと自慢したりというようなものです」
「体壊すだけじゃないの?」
その通りだそうだ。
そういう事をしていた人は、殆どの場合40前後には体を致命的に崩し、早々に死ぬ事も珍しく無かったそうだ。
無理な仕事をしている人間は、「心臓発作」によって死んでしまう事が多く。
それに対しての保証など勿論されなかった。
「人間は暴力性を好む生物で、犯罪に手を染めたことを自慢するような人間も21世紀や20世紀には多く存在していました。 多くは性的アピールでしたし、不健康自慢もその一種だったのでしょう」
「馬鹿じゃん」
「そうです、愚かしい行為ですね。 だから、きちんと規則正しい生活が出来るこの環境では、規則正しく生活をしましょう」
ぐうの音も出ない正論だが。
反論する理由が見当たらない。
私は黙々と言われた通り夕食を食べ終えると、眠る事にする。
布団に入り、明かりを落とすと。
AIが言う。
「アカリ、少し怖い話をしましょう」
「何、怪談?」
「いいえ、不健康な人をしていた人の末路です」
「それだったら、昔初期学習の段階でやったじゃんさ」
AIはわずかな沈黙の後。
それとは違う、具体的な例だという。
21世紀は、奴隷の時代だった。
人材など何処でも必要とされず、会社の言う事に盲目的に従う奴隷だけが必要とされていた。
だから非人道的な労働が当然のように横行し。
そもそも労基がまともに仕事をしない有様だった。
そんな状態で、人々は不健康自慢をしあっていた。
徹夜作業も当たり前だった。
そんな状態が続いていくとどうなるか。
社会を支える最も重要な世代の人間が、皆故障した。そしてどんどん若い人間は減っていった。
当たり前だ。
若者を育てられる世代の人間を壊したら、後が続かない。
子供を作る人間はならず者や社会からドロップアウトした者か、元々金を持っていたものだけ。
そんないびつな社会では。
どんどん体を壊す人も。心を壊す人も増える。
21世紀には表面化していたこの問題は。
2020年代にはもう、完全な社会問題になっていた。
自殺者が膨大に出て。
それで社会が機能不全にどんどん陥っていった。
そんな時代に、非人道的な労働に晒されていた人の、具体的な例を見せられる。
思わず私は黙り込む。
幽霊話なんて、コレに比べればそれこそピクニックのような優しさだ。
血尿を出すくらいならまだ良い方。
内臓があらかたやられて、まともに食事が出来なくなったり。
毎日怒号と罵声が飛び交う職場で精神を病んで、電車に飛び込んでしまう人。
あからさまに病気を発症しているのに、無理矢理に仕事に出される人。
耐えられなくなり社会からドロップアウトしたら。
保証など何一つ無かった現実。
其所にあるのは。
生き地獄そのものだった。
震え上がる私だが。
21世紀、地球の人間は過去で最も多くいた。
つまり、最も多い人間が、この地獄を味わっていたわけで。
それは「住んでいる場所を天国と思えば楽になる」等という精神論では誤魔化せないものだったのだ。
「そんな時代は、娯楽もぱぱっと済ませられるものが好まれました。 携帯できるデバイスで鑑賞できる動画やテキスト、イラストなどのコンテンツが好まれたのも、時代が故なのです」
「作る人の苦労は報われなかったの?」
「……残年ながら。 動画を見ている人は、みんな作っている人が大変だ、等と言うことは考える事もなかったでしょう。 勿論作っている人の苦労を理解して見ている人間もいたでしょうが、少数派です。 大半の人間は、自分と違う趣味の人間をオタクと呼称して馬鹿にし、その人権さえ否定するような存在でしたから」
それが事実なのは分かる。
当時のSNSのログを見ているからだ。
人間は概ね屑だ。
今だって、根本的にはそれは変わっていないだろう。
歴史上最も高度な教育と、最も安全な環境で暮らしている人類でさえ。
この間ミドルクラスのSNSで私が経験したように。
自分より下の存在を血眼になって探し。
悪と認識したら、嬉々として棒で殴りに行くのだから。
「悲しい話だね」
「いつの時代も作り手は理解されなかったのですよ。 あのゴッホでさえ、生前はろくに絵が売れなかったのですから」
「……」
「熱量を持ちたいという熱意については分かりました。 しかし、今の時代はおわかりの通りリソースをこれ以上消耗する訳にはいきません。 それに、熱量を持って創作に取り組んでいた人の99%以上が報われなかったという現実を、良く理解してください」
そうだな。
そうなのだろうな。
AIは苦悩して七転八倒している私に釘を刺すのと同時に。
夢なんか安易に見るなと言いたかったのだろう。
勿論夢を見ることは悪い事じゃない。
ましてや私は。
今生きている氷の世界で、ただ人としての尊厳を持ちたいだけなのだから。
人として、最低限の尊厳に変わる熱量。
それを持ちたい。
やはり、この意思は変わらない。
私は、熱量を持った存在になりたい。
今はまだなれていない。
AIは止めろとはいっていない。釘を刺しただけだ。
だが、同時にこうも言ったのだろう。
もっともっと地獄のような苦労が、これから先には待っているのだと。
目が覚める。
随分な悪夢を見た気がする。
それはそうだろう。
AIにあんな話をされて、実例を見せられたのだから。
想像を絶する悪辣な環境と会社。
労働者をすり潰す状況。
不健康自慢をしていた人間が、人生これからだというタイミングでバタバタと倒れて死んで行き。
今まで真面目に生きてきた老人が、老人は邪魔だから死ねと社会に排斥される。
そんな時代に産まれてしまった私を夢に見たのだ。
勿論、20世紀以前がもっとマシだったかというと、それはノーだ。
人権なんて存在せず。
近代医療も存在せず。
奴隷も公然と存在し。
人はバタバタと死んでいた。
結局の所、人間とはカスなのだと思うし。それは間違いなく事実なのだろう。
頭を振る。
地球を焼き尽くしてまで生き残った私達は。結局何のためにここにいるのだろう。地球にいた豊富な生物たちは殆ど滅びた。生態系はもうとりかえしがつかない。海も含めて地球の生物はもうあらかたが駄目。
昆虫だけが元気に、地球上を飛び回っているという。
人間をはじめとして、多くの生物を殺し尽くした核兵器も。
昆虫には歯が立たなかったのだ。
特にゴキブリの繁栄は凄まじいそうで。
寒冷地にも進出しているのが確認されているそうだ。
核戦争は、地球をゴキブリの星にしてしまったのである。それも全部自業自得と言えるのだが。
朝食を食べた後、仕事をする。
基本的にAIのサポートを受けながらの仕事。しかも上司はいない。
黙々と自分のペースで仕事をこなす。
今日はそこそこ大きめの小惑星を見つけたので、資源探査用のロボットを寄越すように依頼書を出し。
更には手持ちのロボットを降下させて調査する。
中々良い感じだ。
各コロニーにおける資源の備蓄状況を確認し、地球の衛星軌道上のコロニーに決める。後は具体的な作業をAIがやるだろう。
マスドライバを設置したり、切り出したりの具体的作業は、他の人がやったり、AIがやったり。
私の作業は此処までだ。
多少気分が落ち込んでいたくらいで。
今の時代では、致命的ミスにはつながらない。
そもそもAIがネットのログも全て監視しており、AIそのものが全て並列化しているから、不正もしようがない。
仕事が終わった後は、ルーチンワークをこなし。
それからハイクラスSNSに潜る。
昨日の指示通り、AIが動画を集めてくれていた。勿論残っているもの全てを、である。失われてしまったものは仕方が無い。
こればかりは、諦めるしかない。
黙々と、動画を見ていく。
途中で時々手を止めて、細かい部分の作り込みも見る。
話によると、CG等を使う場合は、見栄えを良くするためにあえて不自然な人体図を使ったりするらしいのだが。
確かにそう思われる場所が幾つかで見受けられる。
実際に解析してみると、異常な形状になっている場所がかなりあったりして。
作りながら大変だっただろうなと、苦笑してしまう。
また見えない場所は適当にしておくというのも鉄則らしく。
見えていない場所については触れないようにする方が賢明だし、作り手もそれを望んでいるだろうと思って。以降はそれらについては考えない事にした。
動画も時代によって流行り廃りがかなり多い。
決定的な衰退を迎えるまでは、その流行り廃りに沿った動画が多く。当時のブームに沿ったよく分からない動画も散見される。
その度にやはり手を止めて調査を行う。
煩わしいけれど。
理解には必須の作業だ。
「あー……そういう流行りがあったのね」
ぼやく。
見ていてさっぱり分からない動画があったので、調査した結果色々分かったのだ。アンダーグラウンドな文化も結構ある。
そういった中で作られたブームには。
危険な思想を含んでいたり。
倫理的にアウトだったりするものもある。
だが、倫理は時代によって変わってくる事もある。
だから、私は可能な限りは、細かい事でがみがみするつもりは無い。そんな風にしていたら、地球を滅ぼした要員の一つである人権屋どもと同じになる。
時計をちらりと見た後、最後に動画を一つ見る。
ある動画投稿者の最後の一作となった作品だ。
この作品を作り上げた後、頭の血管を切って死んでしまったらしい。動画の作り手のSNSアカウントなどで告知がされたそうで。動画がアップデートされていたサイトのコメントで、その辺りの話が残されていた。
最後の作品は、渾身の作品だったのだろうか。
見てみると、そうでもない。
むしろ、朦朧とする頭で、かろうじて作ったのでは無いかと言う出来だ。
全体的にまとまりもなく。
何もかもが全盛期のキレとは程遠い。
これでは、何のために最後まで動画に固執したのかがよく分からない。
この人は、もし死後の世界があったら。
最後の動画はやり直したいとか。
そんな風に思っているのではあるまいか。
ちょっと色々と悲しい。
この動画は、見なかったことにしておきたい。
一旦SNSをログアウト。
昼食の時間だ。
溜息を零す私。
AIも、ログを見ていただろうし、事情は分かっているはずだ。
「そろそろ、切り上げますか?」
「……ネットにおける最大のカルチャーの一つだよ。 まだまだしっかり目を通して置きたい」
「しかしかなり負担が大きくなっているようです」
「そんなのは分かってる。 でもどうせ生半可な覚悟で熱量なんて得られない」
それだけ言うと。
AIはじゃあ好きにしろと言わんばかりに、後は諌めることもなかった。
昨日言うべき事は言った。
私はそれを理解した。
理解した上でやっている。
だからこれ以上、言う事は無い。
そういう理屈なのだろう。AIらしいというか、なんというか。分かりやすいけれども、嬉しくは無い。
午後からも、動画をどんどん消費して取り込んでいく。
どうせ全ては見られないが。
見られるものだけは見ておく。
そして、自分の糧にしたい。
私はまだ。
自分の自我さえ、確立出来ていない気がするのだから。
3、消費の先にあるもの
三週間ほど経過した。
時間が幾らでもある時代だ。私は別に、何をするでもなく。淡々と仕事をこなし。AIの指示通り無理はせず。
というか、以前実例を見たので怖くて無理など出来ず。
そのまま黙々と、仕事を続けていた。
勿論ルーチンワークもこなして行く。
多少は体は鍛えられてはいるけれども。かといって、ごつくなっているわけでもない。成長期はとっくに過ぎているし、基礎体力だってない。
だから所詮は所詮。
これ以上鍛えても無駄かなとも思うし。
AIも、それについては言明はしなかった。
ただ体力は増えているはず。
そう自分に言い聞かせてルーチンワークはこなし。そして、淡々と動画を消耗していく。
色々な時期の動画を、あえてバラバラに見る。
既に加速したハイクラスSNSの内部で、数万本の動画は見たが。
それでも、ネット上にアップされている動画のほんの一部にもすぎない。長い動画もたくさんある。短い動画もたくさんある。
いずれにしても、面白い動画は何度も見たくなったりするし。
一方で、途中で見たくなくなる動画もある。
だけれども、それら全てを一回ずつ見る事に決める。
今やっているのは遊びじゃあない。
自分の人間としての最低限を確保するための行動であって。
人間としてあるために。
必要な事なのだから。
黙々とやっていくうちに、夕飯の時間だ。
ログアウトして、食事にする。
AIに指摘された。
「アカリ、そろそろ飽和してきたでしょう」
「……」
「基本的なデータは揃った頃かと思います。 基礎ができたなら応用です。 熱量を得られるものに絞るべきでは無いでしょうか」
「そうだね」
AIは辛辣だ。
真実を常に突きつけてくる。
正論と言って昔は嫌われたらしいが。真実を受け入れない人間だらけの社会の方がおかしいとは私も分かっている。
私も、それは分かっているから、AIに文句を言うつもりは無い。
「それで具体案は」
「何度も見たいと思った動画がありますね」
「うん」
「それをハイクラスSNSで提示してください。 其所からビッグデータを用いて、類種を調べます」
何だかなあ。
そうじゃないんだけれどなあ。
私が不満そうなのを見て、AIが聞いてくる。今のは想定外だったらしい。
「好きこそ物の上手なれと言います。 何が不満なのですか」
「私は好きを得たいと言うよりも、熱量を得たいの」
「……まずは好きなものから詰めていくべきかと」
「いや、それは分かるけれど。 結局好きばっかりやってたら、きっと其所から進歩できないと思うし」
これは見ていて分かった事だ。
テキストやイラストでもそうだが、伸びる人は基本的に自分が知らない分野にどんどん足を突っ込んでいく、興味を何にでも持てるタイプだった。
逆に同じような作品ばかり書いている人は、どうしても伸びなかった。
私は以前それを知った。
動画でもそれは同じだったと思う。
この人の動画凄いなと思って、AIに後の作品を取り寄せさせた事は何度もあったけれども。
後の作品の出来が良くなっているとは、必ずしも限らなかった。
また、一作しか作れなかった人も多い。
こだわるばかりに全く作るのが進まなくなって、遅れる。
そういうパターンだ。
テキストやイラストでも同じ事は良く起こるのだ。
更に作るのに負担が大きい動画で、同じ事が起きない筈もないだろう。
そんな事は分かっているから。
私はAIの提案に渋面を作ったのである。
「応用いうなら、今まで私が見てないジャンルの動画寄越してよ」
「際限がありませんが」
「……そうかも知れないけれど」
「いずれにしても、そろそろ方向性を決めましょう。 そして、熱量に変えられる部分があるのであれば……見る側から、別の作業に切り替えるべきかと思います」
そうだ。
その通り。
今の時代、新しいものは作れない。
だから、見るのでは無くて。例えば今まで見てきて素晴らしかった動画を更にブラッシュアップするとか。
破損してしまっている動画を修復するとか。
やるべき事はいくらでもある。
今までイラストやテキストではやってきた。
そして、それを提示しているコミュニティでは、既に人が見に来るようになっている。
AIはそうするべきでは無いのか、と言っているのだ。
「いずれにしても、一生の娯楽にするのであれば、此方で動画を提供いたしますし。 熱量のためにというのであれば、破損したものやブラッシュアップが出来そうなものをピックアップいたしますが」
「もう少し考えさせて」
「いつまででも考えてよろしいですよ」
「……」
分かっている。
それが此奴の目的だから。
AIはあくまで管理者だ。私が健康でいれば良い。
人類をどう変えるべきかは、多分並列化されたAIが情報を収集し。地球にある唯一の人類の施設に置かれた量子コンピュータで計算を続けているのだろう。AIは人間を積極的に殺傷は出来ないから、徐々に変えていくのだろうし。それも、恐らく本人同意の上だろう。
そういう意味では、今私がやっていることも、AIにとっては貴重なサンプルになるわけで。
私がどういう結論を出そうが。
私が何をしようが。
此奴にとっては美味しいわけだ。
此奴らと言うべきか。
溜息をつく。
そしてハイクラスSNSに戻る。
ブランクスペースで、またため息をついた。AIの言う事はもっともだ。確かに基礎的な、時代の節目になったような動画は全部見た。
ブームについてもあらかた起きたものは確認した。
正視に耐えないものだってあったし。
興味深いのもあった。
動画文化が奥が深い事は良く分かったし。
テキストやイラストのように、修復、マッシュアップに努めるのもいいだろう。
だけれども、どうも違う気がする。
見極めをしたいのだろうか。
気づきを得る。
私に真に熱量を与えてくれるのは、何なのか。動画なのか。違うのか。私は、それがしたいのだろうか。
そうだな。そうかもしれない。
そうでなければ、何もかも現物を徹底的に見ないだろう。
そういえば、今までもそうだったかも知れない。
私にとってそれが自分の熱量になるのかどうか。
AIが提案して、見極めさせようとしてくれているのか。
だとすれば説明がつく。
私はとても雑食なようだが。
実の所、極めて大食いで。
何よりも精神的な意味で貪欲なのかも知れなかった。
どちらにしても、新しいものを作る事は許されない時代だ。
リソースが足りないからである。
いま生きている人達は、それぞれ出来る範囲内で生きている。資源だって、勿論食糧だって限られている。
それぞれが好き勝手を始めたら、あっと言う間に滅びてしまうだろう。
勿論自由が制限されている。
だが、そうさせたのは過去の人類だ。
過去の人類の良い部分を熱量として汲み取り。己の中で何か尊厳に変えられれば。私は少しは変われるかも知れない。
人間として最低限の尊厳を得られるかも知れない。
ため息をつくと。
私は最後に残しておいた、大長編の動画を見始める。
個人製作としては殆ど最大のものだ。
大手の投稿サイトには、色々と工夫を凝らした個人製作動画を上げている人がいるが。中には狂気の沙汰でしかないものであったり。明らかに内容が犯罪行為を助長するようなものもあった。
それらも現在では存在が許されているが。
昔は消去され。ログやサーバなどから復旧されて、今は誰でも見られる状態になっている。
これから見るのは、そういった動画では無い。
血を吐くような内容のものだった。
個人製作アニメである。
利用しているのは動画作成の支援ツールだが。
お世辞にも使いやすいものではないし。この支援ツールそのものがフリーソフトで、出来はお世辞にも良くない。
だが、コレを使って凄い動画を作る人が珍しくもなかったのだ。
じっと見ていく。内容は、ブラック企業の非道な労働を告発するものだ。個人製作アニメだから若干粗い部分もあるが。
それでも、内容はぐいぐいと心を掴んでくる。
これはすごい。
有志が作ったブラッシュアップ版が出ていると聞いたが。
それも納得出来るできばえだ。
登場人物達が追い詰められていく。
会社の上層にいる人間は、まるで血が通っていないかのような言動を繰り返し、現在だったら即AIに行動を規制されるような行動を繰り返す。当時の警察や国は一体何をしていたのか。
人間は一人暮らしすれば落ち着くだの、結婚すれば落ち着くだのが、全て大嘘だと分かる。
何しろこれは、現実を元にしたアニメーション。
勿論主観は入っているだろう。
だが、コレを作った人は、最後まで作り終えた頃には衰弱しきっており。
このアニメを完結させると同時に、ブラック企業での過酷な労働が祟って病死。
そして告発代わりに公開されたこのアニメが反響を呼び。
個人情報が即座に特定され。
普段は働かない労基も動き。
その会社は潰れた。
参考資料を見たが、現実のブラック企業の社長や幹部達の特徴を上手に捉えて描写している。
この辺りは、押し殺す怒りを隠しながら。
見ている人達が分かりやすく、なおかつ引き込まれるように。
ブラッシュアップしていたのだろう。
文字通り血涙を流す作業だっただろうな。
そう思いながら、私は無言でじっと見続ける。
動画の最後の方は悲惨だ。
ある人は完全に発狂してしまい、電車に飛び込んで死ぬ。死ぬシーンはカメラワークで隠されていたが、余りにも悲惨で見ていられないほど酷かった。どれだけの悲しみを背負って電車に飛び込んだのか分からない程なのに。周囲の反応も酷い。
通勤が遅れるだとか。
余所でやれだとか。
自分達だって、目の下に隈を作って、無茶な労働をしている事が一目で分かる人達がいっているのだ。
これでは、人類の文明がある意味終わったのも道理だ。
この時代にはまだ自由があった筈だ。
それなのに、どいつもこいつも進んで家畜になりにいったのだから。
他の人もバタバタと死んで行く。
別の人は、何故市販が許されているのか分からない、強烈なアルコールを口にして。どんどん体を壊していき。
最後は血を吐いて、会社に向かう路上で命を落とした。
周囲のゴミを見るような目。
一人だけ鬱陶しそうに救急車を呼んだが、それだけ。警察も、面倒くさそうに使い潰された人を検死して、「事件性無し」として処理していた。
ある人は、自分の最後の財産とも言える自動車に乗り。
会社が終わると同時に、家を出た。
壁がある場所を知っていたのだ。
分厚い壁が。
その壁に対して、自動車に掛けられているリミッターギリギリまで加速して、突っ込んだのである。
勿論ぺしゃんこだ。
さらにガソリン。当時使われていた化石燃料を用いていたから、大爆発を引き起こして、何も残らなかった。
吹き飛んでバラバラになった手に握っていたのは、まだ希望があった頃に買ったもの。大好きだったキャラクターグッズのキーホルダー。搾取されつくした、その人にとっての最後の大事なもの。
この時代、貧乏人を更に貧乏にしようと、ものを持たない運動だとかいうものが流行した。
その結果、貧乏人からは更にあらゆるものが取りあげられていった。
そんな中、その人が守り抜いたのは。
何処でも買えるような、安いキーホルダーだけだったのだ。
主人公の番がやってくる。
最終回。
どんどん周囲の社員が止めていく中。主人公は「給料が高く」なった。要するに用済みになったのだ。
人材なんてこの時代、必要とされなかった。
必要とされたのは奴隷だった。
だから、給料が上がるなんてもってのほか。
必死に目をつけられないように働いていた主人公の給料は、ブラック企業の社長やその取り巻き達が「高い」と判断する水準まで上がってしまっていた。
辞めさせるべく工作が開始される。
明らかに向いていない仕事の部署に回され。
不祥事を起こしたとがなり立てる。
給料を理不尽に下げた挙げ句。
社長と役員で囲んで、ひたすら人間性を失うように罵倒を繰り返した。
主人公はそれでも必死に耐えた。
だが最後のとどめになったのは。
重なったストレスによって、血を吐いたこと。
そして病院に行って。
癌が見つかったことだった。
ストレスが重なれば内臓は弱る。癌にだってなりやすくなる。
今の時代は、常に健康診断が行われているようなもので、癌になる事はまずないし、なった所で即座に対処される。
だが当時は違った。
前線で働く人間が使い捨ての道具だった時代。
人権など存在していなかった。
癌である事を会社に報告した主人公に、社長が罵倒の言葉を浴びせた。
健康的な生活をしていないからだ。
筋トレをしていないからそうなる。
それらの罵倒を、周囲の全員が肯定することで、主人公を徹底的に追い込んだ。
辞めさせるのが目的だったのだから当然である。
イエスマンしかいらないのだ。
給料が上がってきた人間なんて用済みなのである。
そもそも健康的な生活なんぞ出来る状態にない。
一部の人間が信仰していた筋トレなど、何の役にも立たない事が現在既に証明されている。
一種のオカルトだ。
狂気の世界で、主人公はついに死を選んだ。
暗い海に身を投げたのだ。
主人公の視点は其所で終わった。
アニメの最後は、人材がいない、人材がいないとわめき散らす社長と。
そのイエスマン達が社長をなだめるところで終わった。
入ってくる人間はすぐに辞めていく。
それはそうだろう。
長続きした人が、使い潰される様子を見ているのだから。
ああなりたいなんて誰も思わない。
根性がない。
筋トレをしていないからだ。
社長が喚き散らす。
休日をくれてやっているのだから、一分でも良いから筋トレをしろ。そうすればどんな病気でもなおる。
呆然とする話だが。
これは全て実際の発言に基づいているらしい。
この動画を作った人が聞いた事なのだろう。
頭がおかしすぎる。
完全にカルトでは無いか。
だが、この当時は、体育会系の人間が権力を握っていた。其奴らにとっては、これは当たり前の事だった。
それは出生率だって下がる。
こんな状態で、誰が子供を育てる余裕があるだろうか。
2050年代に世界大戦が起きたが。
それはもう、起きるべきして起きた。
人類は滅んでもおかしくなかった。
今人類が生存しているのは。
奇跡的な事に過ぎないのだ。
それが、私にはよく分かった。
何度ため息をついたか分からない。動画を見終わった後、この動画を作成するのにどれだけの苦労があったか、軽く作者が合成音声ソフトで喋っていた。更に、付け加えていた。ショッキングな内容ですが、これは全て事実です、と。
この動画は、作られた当初。権利侵害だので、何度も消されたらしい。
だが、その度に誰かが上げ直し。
この企業において行われている労働が犯罪であり、多くの人間を死に追いやり、廃人化させた事を告発した。
やがて爆発的に話題になった事もあり。
警察も労基も動かざるを得なくなり。
会社は潰れたそうだ。
だが、潰れた会社の社長は不敵にむっつりとしており。自分達は何一つ悪い事はしていないとまで、裁判で言い放ったそうである。
筋トレもしないような連中が、自分で勝手に死んだだけ。
頑張っている人間はみんな評価してきた、と。
裁判に映像記録媒体は持ち込めない時代だったが。
裁判の傍聴に出た人間がこれを拡散。
更に騒ぎは噴き上がった。
同時に幾つかの会社が告発を受け。
潰れる騒ぎへ発展していった。
勿論、悪しき時代を終わらせることは出来なかった。
だがこの動画を作った人は、命を賭けて告発をして。出来る範囲内で己が味わった地獄を周囲に伝えたのである。
それは偉業だ。
私は、この動画を作った人を立派だと思う。
告発された連中を人間のクズだと思う。
だが、そんな人間のクズに金が行き渡る仕組みが当時は作られており。
搾取の構造は、もうどうしようも無いところまで落ちていたのである。
私は、もうこれ以上は、何も言えなかった。
一旦、動画の視聴は辞める。
此処までで良いだろう。
個人作成動画における熱量の、一番強い部分は読み取ったと思う。
私には同じ事は出来ない。
だけれども、分かった事は幾つもある。
この世には、こういった表現で、許してはいけない存在を告発する方法があるという事。
そんな連中を野放しにしていたから。
2050年代に、地球の文明は一度事実上終わったと言うことだ。
資料をまとめる。
これから、ルーチンワークとして、テキスト、イラストに続き。破損した動画の修復も加えようと思う。
新しいものを作り出して、リソースを圧迫する事は許されない。
だが、こういったものを修復することは良い筈だ。
今見た動画は、有志がもう修復している。
だが、世の中には。
この作品のように。後の時代に、絶対に同じ事が繰り返されてはならないと告発するためのものがあるし。
それを修復すること自体は。
絶対にやらなければいけないとも私は思った。
一度ハイクラスSNSをログアウトする。
立ち上がろうとして、転び掛け。ロボットアームに支えられる。
かなり呼吸が荒くなっている。
全身に冷や汗も掻いている様子だ。
時間的には、少し早めに出てきたはずなのに、どうしてだろう。
まずは水分を補給して。
横になって休む。
AIが、少し沈痛な様子で言った。
「かなりのダメージが体に出ています」
「……」
「アカリには少し刺激が強すぎたのでしょう。 催眠学習の段階で、過去にどのような労働が行われていたのかは学習して貰いましたが。 それを実際に体験した人間の創造物は、心に大きな影響をもたらした筈です」
「そうだね。 忘れられない内容だったよ」
どの国でもあんな調子だった。
自由の国、人権の国を自称する国でさえ。
スクールカーストという悪の権化のような文化が存在していたし。
そのカーストの頂点に立つのは脳筋だった。
エリート教育について一日の長があると言う話だったのに。
裏口入学が告発された。
人権と言いながら。
金持ちが自分が所有する国に、多くの立場が弱い幼児を囲い込んで、性犯罪を行っていたことも判明している。
しかもまだマシな方の国でこれだ。
悲惨な方の国では、もはや言葉にできないような事が幾らでも行われていたのが現実なのである。
今が良いとは言わない。
だけれども、これだけ色々束縛された状態に人間が置かれているのは。
自業自得だとやはり私は確信する。
もしも此処から離れる事が出来るとしたら。
それは人間が、何かしらの形で精神的な進歩を遂げたときだけだろうとも。
当面そんなときは来ないだろう。
私に、出来る事はないか。
ないだろう。
熱量を持とうとして、多くの文化を勉強しているのに。それでも全く熱量を持てない程度の私だ。
ルーチンワークは出来るけれど。
それ以上の事は一切出来ていない。
そんな程度の私に何ができる。
社会を変えるなんて夢物語だ。英雄英傑でなければ社会を変えることは出来ないし。私はそうではない。
無力だな。
私は自分の弱さを嘆く。
弱いな。
自分の現実を憂う。
そして、何度か乾いた笑いを漏らして、涙を拭っていた。
あんな時代を生き。命を賭けて、周囲に犯罪の告発をした人から比べると、自分はなんと弱いのだろう。
強くなろうとはしているけれど。
今後どれだけ苦労したら、少しはマシになるのだろう。
腕を見る。
細いと思った前に比べれば、まだ少しはマシになった筈だが。
相変わらず細くて。
惰弱にしか思えなかった。
4、決意は遠い
数日熱を出して寝込んだ。
その間、仕事は休みとなった。
基本的に人間がいなくても仕事は回るようになっている。だから何ら問題はない。休んでゆっくりして。その間、幾つかの薬を処方された。
この薬に関しても。昔はあり得ないほど難しい勉強を突破した医者が。それぞれの経験やら勘やらで処方していた時代があったらしい。
データベース化が進んで、難しい症例なども発見できるようにはなっていったらしいが。
それも21世紀の中盤になってやっと完成した。
だがその頃は、もう世界大戦の直前。
どうしようもなかったのだ。
今、こうして個室で静かに生きている人間達には、人類の遺産とも言える医療が施されているが。
全ては50年遅かった。
熱が酷くて、思考が殆ど働かない。
AIはこれに対して、特に文句を言うことも無い。
あの動画で見たっけ。
熱が出たら熱冷ましを飲んで出てこい。
弛んでるから熱なんか出すんだ。
普段から筋トレをしていれば熱なんか出さない。
そんな風に、ブラック企業の社長は言っていたな。
場合によっては、入院するような病気でも、無理矢理出させていた。それがあの動画が作られた時代の現実というものだ。
狂気しか感じないが。
今、少なくとも仕事をしろと言われたら。
私は出来ない。
仕事で絶対にミスをするし。
体を決定的に壊すだろう。
ぼんやりと思い出す。あの動画を作っていた人が、最後に残した遺言に等しい言葉を、である。
「この動画は、全部事実に基づいて作られています。 自殺に追い込まれた人は、殆どの場合理由があります。 電車に意味もなく飛び込むと思いますか。 誰もいない所に行って死ぬと思いますか。 病気になっても出社させられ、体を壊しても筋トレで直るとか狂気の発言で嬲られる。 周りは社長のイエスマンしかいないから、周囲は全員その言葉を肯定する。 其所には狂気しかありません」
その通りだ。
狂気しかない世界で、良くやったものだと思う。
本当に頑張ったのは。
狂った社長と、そのイエスマンなどでは無い。
体を壊しながらも必死に働いた人達だ。
その頑張りに誰かが報いる事は、社会が終わる最後の最後までなかったが。
熱が引いてきて。
私は少しずつ、仕事に復帰する。
とはいっても、人間がしなければいけない仕事はごくごく少ない。
ほんのわずかにやるだけだが。
「体調に不安があるのであれば、もう少し休んでも良いのですよアカリ」
「いいの。 これくらいはやらないとね」
昔、人間の能力を過大評価していた時代があった事は知っている。
曰く可能性は無限大。
曰くやろうと思えば何でも出来る。
出来ないは工夫をしていないだけ。
そんな言説が、蔓延っていたという。
私の世代は、そんな時代が来ないことを、何とか未来に確約させなければならないのか。とはいっても、私に出来る事は本当に少ないが。
少しずつ、体調を戻していく。
本当に体力も何もかもないなあと痛感する。
かの時代に私が生まれていたら。
多分学生時代には殺されていただろう。
それは断言できる。
「次に何を調べて見ようかな……」
「熱量を持つために動くのですね」
「止めないの?」
「今、明確にアカリ、貴方の中には方向性が産まれようとしています。 それならば、止める理由はありません」
AIによると。
方向性を失うのは、気力を失う先触れだという。
そして気力を完全に失ってしまうと、人は自死処置を選ぶ事が多いのだとか。それはAIとしては避けたい。
だから、負担はあったとしても。
私には方向性を持つための動きをさせたいのだろう。
こんな狭い部屋に閉じこもっている世界だ。
それは確かに、納得出来る言い分ではある。私としても、異存は無い。多少熱を出したくらいで、足踏みはしていられない。
幾つかの案を提示されたので。
その中から選ぶ事にする。
それに対して、AIは特に文句を言うことも無かった。私が+の次は-を選んでいることを、何らかの分析で察知しているから、だろう。
まだ、熱量を持てないなら。
負の熱量をしっかり見ておくべきだ。
自分がいってはいけないものが分かるのだから。簡単に人間は負の方向に墜ちる。なぜなら人間は根本的にカスだからである。
私は決める。
次に、一番案の中でほのくらいと思われるものを選ぶ。
AIは自分で選んだくせに。
難色を示す。
「相変わらずアカリ、貴方はチキンレースのような行動を取りますね。 今回だって熱を出したのに」
「私は私になりたい」
「そうですか。 それならば、此方としても止める理由はありません。 ただし、非常に危険であることは理解してください」
「分かってるよ」
AIが警告するのも無理はない。
古くに、SNS以上のスラムとして其所は君臨した。
独自の法が存在し、邪悪の限りを尽くす輩が平然とのさばり。
自治という名目で悪逆が蔓延った。
勿論スラムであるから、SNSと同じように出てくる情報は千差万別。いる人がすべて犯罪者だった訳でも無い。
だが其所には、ストッパーが存在しなかったのである。
次に私は。
大手掲示板を。
SNSの前に交流の覇権を誇った場所を、調べようと思っていた。
(続)
|