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湖の怪物
序、UMAとして
湖にボートを浮かべて、私はぼんやりする。博士号を取るのが難しく無くなった時代。人類がとりあえず破滅を避けた時代。
今でも、UMAはいる。
つい最近、UMAだったキツネザルの一種が捕獲され、正式にUMAではなくなった。
未確認動物の事をUMAというが。
標本が手に入ることで、それからは脱却する。
巨大なUMAも存在する。
深海に住むミズヒキイカという大型種の烏賊は、潜水艦などから撮影されていて存在ははっきりしていたのだが。どうしても標本が採取されるのに時間が掛かった。それも既に標本が採取され。
UMAではなくなったのだ。
ぼんやりとボートに座って、多数のドローンを浮かべて撮影を続ける。
あくびをしていると、側にいるメイド。
私の助手であるAIを搭載したロボットが、咳払いをしていた。
「現地で調査といいつつ、バカンスにでも来ているのですか博士は」
「いいんだよ別に。 わたしが焦ったところで、何か出る訳でもないんだから」
「それで給料が出るのだから、良い時代ですね」
「まったくだ。 核戦争の可能性ももうないしね」
また一つ伸びをする。
そして、半身を起こして、湖を見やった。
ネス湖。
昔はとても有名だった湖だ。
だが、UMAのブームが去って、地域の観光資源もなくなった今は、ただの静かな湖になっている。
此処にネッシーと言われるUMAがいたとされた。
これの記録は古く、6世紀の書物に存在している。
UFOもそうだが、未確認の何かは人にとって興味を抱かせるようで。一時期はネッシーを探す人は多かったし。
様々なフェイク情報も出たが。
学者の間では、ずっと存在については懐疑的だった。
理由は簡単である。
この湖は、大型生物が生息するのには向いていないのだ。
生物が存在するのには、三つの条件が必須となる。
エサ。
隠れる場所。
繁殖。
この三つである。
まず致命的なのがエサだ。ネス湖は水産資源が少なく、仮にネッシーが恐竜の生き残りだった場合、とても巨体を養えるような魚がいないのである。魚以外をエサにしている場合も考えられるが。
積極的に地上に出て来て他の動物を襲うような生物だった場合……まあ鰐とか、古い時代の半水棲の肉食獣がそうだが。そういった生物だったら、人間を襲ってもっと早くから騒ぎになっていただろうし。
それどころか人間と衝突して、早々に殺され尽くしていただろう。
次に隠れる場所。
これも致命的だ。
どういう生物にもよるかだが。そもそもとしてネス湖に大型生物が隠れるような場所など存在していない。
どんな生物も寝る時は無防備なのだ。
ティラノサウルスですら群れで暮らしていた現実を考えると、ネス湖に何か大型生物がいたとしても、隠れるための行動は取っているはず。
それが出来ない時点で、此処に何かがいる事は考えにくい。
そして繁殖だが。
これはいうまでもなく、ある程度の数がいないと厳しい。
大型生物が多数住むにはネス湖は無理がありすぎる。
だからもしもネッシーの恐竜説などは可能性が低く。
大型の魚が誤認されたのではないかとか。
流木を見間違えたのではあるまいかとか。
そういった説が、学者の間では有名で。
それを尻目に、素人達が好き放題を言っていたのが現実である。
退屈しながら、ドローンの映像を見る。
今では物理的な実体を持つ眼鏡なんて誰も使わず、立体映像を駆使した視界補助装置を使うのが当たり前だが。
わたしもそれを使っている。
ドローンの映像には、たまに波紋が映っているが。あくまで波紋である。しかも、今のドローンは監視カメラの性能が段違いに上がっていて、その波紋が生じる原因まで確認出来る。
それで今のは魚。
今のは流木。
そういうのが全て分かるのだ。
ただ、こうしている時間が無駄かというと、そうでもない。
こういう学問では、「いないことが分かる」事に大きな意味がある。
ないことが分かるというのは、立派な成果だ。
だから、こうして。既に何十年も人々の興味が失せているUMAを探していくのも、大いに意味があるのだ。
しばらくして、ドローンのデータを集めて。それからボートで陸に上がる。
ボートを操作するのはメイドだ。
まあ、任せておいて大丈夫だろう。
わたしは横になって、ぼんやりする。操舵が丁寧なので酔う事もない。
「博士、接舷します」
「りょうかーい」
「はあ。 怠惰なんですから」
「いいんだよそれで。 過労死なんてのが起きていた時代は、誰も彼も心が荒みきっていたらしいしね」
今は人間の数が世界中で落ち着いて、繁殖についても科学的にコントロールされている時代だ。
シリウスやアルファケンタウリで既に植民がされ、資源枯渇による人類の滅亡の可能性がなくなった事もある。
だからか、人々は穏やかだ。
貧富の格差もなくなった。
地元の権力者やらバカみたいに利権を独占している連中やらが、自分の感情でものを動かし。そういった連中の理屈が法律に優先される事もなくなり。
どんなに金を持っているような奴でも、悪事を働けば即座に逮捕される時代になって、人間はとても穏やかな生物になったのだという研究がある。
わたしはそれに当てはまるのか知らないが。
ともかく専用の育児ロボに育てられ。
ビッグデータから算出される最高率の教育を受け。
十二で教育を終え。
遺伝子データを提供する義務を終えて。
今はこうして、のんびりとUMAの研究を行えている。そういう意味では、とても幸せだと言えるだろう。
普通に夫婦になって生物的に正しく子供を作る人もいるが。
少子化が加速していた時代以上に、今は他人とは距離を取る人の方が多い。
まあ、分からないでもない。
少子化が加速してパニックになっていた時代の資料を見たことがあるが。エゴが肥大化しすぎて、誰の手にも負えない怪物が世界中に蔓延していた時代だ。確かにそんな怪物と性行為して、共同で子供を育てるなんて誰もしたがらなかっただろう。しかも、それをする金もないのだから。金持ち達が独占していたのだし。
今の時代は金持ちなんていない。
皆が相応に仕事をして、相応に生活出来るようになっている。
先進国も後進国もなくなった。
それで良かったのだ。
さて、集めたデータをまとめるか。
UMAの研究なんて、と言う人もいるが。いる訳がないようなものから、いるのが確定しているものまでいるのがUMAだ。
未確認動物とは良く言ったもので。
人間の観測範囲にいる生物か、そうでないか程度の違いでしかない。
古くにはゴリラやオカピもUMAだった。
それが、わたしが生き物の面白さに興味を持ったきっかけだったっけ。
データをある程度まとめると、後はAIが勝手に論文にしてくれる。
このAIも四度くらいのシンギュラリティを経てやっと使い物になるようになったという歴史的経緯があるのだが。
まあ、今はわたしはそれを考えなくて良い。
論文を提出したら、後は寝るだけだ。
車をメイドが手配してくれる。
後は、その車に乗って、うつらうつらとしながら、滞在先のホテルに戻るのだった。
滞在先のホテルで、ぼんやりと眺める。
わたしの専門は、各地の「UMAの伝承が残る湖」の調査だ。こんな暇な事をやれている時点で、今が如何に平和かよく分かる。
昔だったら、兵器研究以外は金を出せないとか。
そういう事を政府に言われても不思議ではなかったかも知れない。
特に火星の独立戦争が起きていた頃なんかは、地球の人間は「役に立たないものは殺そう」とかいう意味不明な言論で染まっていたらしいし。わたしなんか殺されていても不思議ではなかっただろう。
ホテルで資料を集めておく。
過去にネス湖で調査を行った学者は幾らでもいる。
その中には明らかに雑な調査をした上で、ネッシーは存在すると結論しているような論文もあるが。
ネッシーに対して興味深い論文を書いている者もいて。
それらを見るのは楽しい。
ただ。地球も混乱が続いた時期があったから、論文が書かれている時代に大きな隔たりがある。
ネス湖は幸い軌道上からの爆撃を受けたりせず残ったが。
丸ごと消し飛んでしまった湖やちいさな島などは、珍しくもないのだ。
うちのメイドが色々武装しているのもそれが由来である。
「博士、紅茶を淹れますよ」
「うん。 ミルクティーで」
「はいはい」
子供舌と良く言われるが、今の時代はそれでコミュニティで孤立するようなこともない。そもそもコミュニティが昔ほど必須ではない。
人間の強みは集団を作る力だが。
一時期の地球では、それが明らかにおかしな方向に作用していた。
高度に発達したAIの支援で、まともな生活が出来るようになった事はとても良い事なのだと思う。
いずれにしても、何を食おうが何を着ようが。
それで文句を言われることはない。
「そろそろ髪を切りましょうか」
「あー、そうだね……」
「髪型を指定してください」
ぱっと立体映像が出る。
まあ私は腰まで伸ばしているのだけれども、思い切ってバッサリやるか。肩までのを選ぶと、すぐにメイドはサクサクと切りそろえてくれる。
AIが取って代わった仕事は多いが。
それで人間が困る事はなかった。
料理にしても、まだ普通に人間の料理人が作っている店だってある。理髪店だって、人間がいいという人はどうしてもいるし。
わたしは面倒なので、AIを積んだメイドに任せている。
それだけだ。
横になってのんびりしながら、論文を流す。
ふんふん、なるほどね。
実は火星との戦争の後出来た円形の湖で、UMAの目撃情報があるらしい。今はこういうのは、SNSで情報をさっさと収集しておくのが吉だ。
床に散らばった藍色の髪の毛をてきぱきと掃除していくメイドに、わたしは問いかける。
「それでさ、どう思う」
「何についてでしょうか」
「新しく出来た湖でのUMAの目撃情報について」
「……確か何処かしらの工場で、有害な廃液の中で泳ぐ奇怪な生物の目撃例がありました。 それと似たような一種の見間違いだったのではないでしょうか」
ああ、それか。
廃液の中で泳ぐ烏賊のような怪物を見た。
そういう報告例があったらしいという話は、わたしも聞いたことがある。
UMAと言っても存在する訳がねえものはたくさんいて。それの一つだ。UMAは宇宙人ブームがあった時などには、それは宇宙人では無いのかと言われたものもあり。UMAそのものがオカルトの一種と勘違いされた切っ掛けでもあるので。複雑ではある。
UFOにしてもUMAにしても、なんかよくわからない飛行する物体であったり。未確認の動物であったりするので。真偽はともかくとして、それらは一概にオカルトかというとそれは違うのだが。
まあ、平均的な人間にそんなことを説明しても仕方がない。
今の時代は、そういうのは相応に説明が為されるようになっているので、それで問題はないか。
ともかく伸びをして、メイドが髪を片付けて行くのを見やる。
「そういう見間違えだったらいいんだけどねえ。 まあ、ロマンというのがあるしね」
「ロマンの概念は理解していますが、ロマンと言うには少しばかり無理がある事例かと。 事実問題の湖には、まだ魚も定着していません。 大型の生物が住み着くはずがありません。 ただ、何かしらの理由で、大型生物を誤認した可能性はありますが」
「それはそれで夢がある。 でも、陰謀論の類はもう古いしね」
「今の時代、陰謀論に登場するような国際的な組織などは存在し得ません」
それもそうだ。
そもそも政府機関ですらAIが回し、個人で不正すら出来なくなった時代だ。この時代が来るまで散々血が流れたが。おかげで今は誰もが穏やかに暮らす事ができている。それは人間だけの話でもない。
今まではアホ共が殺戮してきた生物たちは、今やAI制御のロボットに注意深く保護され、個体数はどれも安定している。
ロボットは海底にまで到達していて、深海の生物なども調査は行っており。
それで発見される新種もいる。
マリアナ海峡に潜っている探査ロボットなどは、年に数十種類の新種を見つけて来る程だ。
そういう状況である。
魚もいないのに。
大型生物なんて、確かにいようがないし。
悪の組織がなんやかやの陰謀もあり得ない。
マフィアとかの犯罪組織も、これらの動きの中で全てが駆逐されていった。どんなに人間として頑強でも、分厚い装甲を持つ警備ロボットの前ではそれこそティラノサウルスと小型の鼠くらいの戦力差がある。
実際ボクシングのヘビー級チャンプが殴っても、装甲にダメージさえ与えられなかった映像を見ている。
人間が勝てる相手ではないのだ。
「ま、いないということをわたしは調べるだけだよ。 とりあえず論文をもう一つ二つ書いたら、ネス湖は離れるかな」
「分かりました。 スケジュールを調整しておきます」
「よろしく」
私より長身で。
作り物だと一発で分かる美貌を持つ金髪のメイドが、完璧な礼をして部屋を出て行く。私はごろんと転がると、思う。
ネッシーが出た当時。
世界中で類似の湖の怪物の目撃報告が出た。
勿論大半は愉快犯だろう。
だが、全部がそうだったのだろうか。
湖や港湾部に恐竜の生き残りがいたら。そういう話は夢があるし、地方だったら観光客を牽引だって出来る。
だが、そういう経済的に戦略的な動きが世界中に同時で起きたにしては、色々とおかしな事も多いのだ。
金になる。
だったら何でも嘘をつく。
それが人間だと言う事は分かっている。だが、本当にそれだけか。
UFOの時だってそうだ。
あれは宇宙人に夢を見たい人々が、騒ぎを大きくしたという事が前提として確かにあった。
だがそれはそれとして、当時記録されたもののなかには、現在でも正体が分からないものがあるのだ。
それは宇宙船ではない可能性も高いが。
しかし現象としては確かににている。
これはひょっとして。生物学とかではない角度から攻めるべきなのではあるまいか。
わたしはいつも寝てばかりいると文句を言われるが。
そもそも必要な筋肉維持は出来ているし、太っているわけでもない。
健康のために毎日側でメイドが調査してくれる今の時代、いちいち健康を気にしなくてもいい。
問題がある場合は、即座にメイドがデータから最適な治療をしてくれるし。
体に問題があるようなら、どういう運動をすればいいかメニューだって組んでくれるのである。
頼り切りとも言えるが。
いつ爆発するか分からない爆弾を抱えながら、ずっと怯えて生きていた昔の人達よりずっとマシだし。
何よりも、こうして全人類のデータを毎日取る事で、データプールを更に充実させ。病気などの対策も更に蓄積させる事ができる。
それでいいので、わたしは何もそれに対して文句を言うつもりは無い。
横になってしばし転がっていると。
やがて、気になるデータが出て来た。
魚もいない湖に出た何かの影。
それは、どうにもおかしな形をしているという証言があったのだ。
それだけではない。
その時間帯、監視している巡回ドローンは、何も目撃していない。
気になったので、身を起こして調べて見る。
そうすると、幾つか分かってきた。
目撃した人数は数人。
それらの情報を調べるが、嘘をついている様子はない。
これは今の時代、聞き取りをしている際に体のデータも採っているので、ある程度分かってしまうのだ。
年齢層もまちまち。
子供が自己顕示欲から、目立とうとして嘘をついている様子もないようだ。
それだけではない。
目撃した人間は、皆が一箇所に固まっていた訳では無い。
だとすると、集団幻覚の可能性も薄れてくる。
これは、ちょっと面白いかも知れない。
嘘だと決めつけるのは少しばかり早いかも知れない、ということだ。
髪を切ったばかりの頭を掻き回す。
わたしはふうとため息をつくと。
まずはネス湖の調査をしっかり終えて。
それから、今問題になっている湖。
新箱根湖について、行く事を決めていた。
いない事をはっきりさせるにしても。これらの情報、嘘と決めつけるには少しばかり無理があるし。
何よりも、面白いと思ったからだ。
勿論主観でものごとを決めつけるような学者は下も下。
だが、今は好奇心をモチベーションにして、動きたいと思ってもいたのだった。
1、不可解なる影
ネス湖での調査論文を出してから、わたしは日本に移動する。別の恒星系にも移動出来る現在。
地球を移動するなんて、それほど時間も掛からない。
前は飛行機で一日がかりなんて事もあったらしいが。
今では、地球を半周しても、二時間も掛からない。それも格安便で、である。このため、彼方此方でフィールドワークをしている学者にとっては、やりやすい時代になっている。以前はこういう仕事をしている学者は、とにかく調査資金を調達するので苦労していたらしいのだから。
現地に到着。
タクシーもとても安い。
メイドがてきぱきと用意してくれたテーブルなどに端末を展開して、まずはドローンを飛ばす。
正円系をしている新箱根湖は、昔小田原と言われていた地域の西側に着弾した軌道衛星上からの爆弾が吹き飛ばした跡だ。
戦争でこういう湖はたくさんできた。
地球だけではなくシリウスにもアルファケンタウリにも。
ただそれでも、人間を殺し尽くすようなことは誰もしなかった。
昔の大航海時代の残忍な征服者達より、まだ人類はマシになれていたが。
それもAIが何度かのシンギュラリティを超えて進歩していなければ、どうなっていたことか。
敵星に直径十キロクラスの隕石を落とそうとか主張する指導者を。支援AIが止めた事は、何度もあったらしく。
もし止めていなければ。
今頃、人間はごく僅かな数になって。
細々と暮らしていたかも知れない。
ともかくだ。
湖の側で、拠点を作り、ドローンからデータを集める。近くにはまだ遺跡として残されている小田原城があり。
其処ではロボットがせっせと修繕作業を続けている。
人間の清掃員や修理屋もいるにはいるが。
ロボットが一番確実だ。
あくびをしながら。ドローンが集めてくる情報を見る。
もうしばらくして状況が落ち着いたら、この湖をどうするか決める。
現時点では空を飛ぶ昆虫や鳥などが来る事はあるが、当然魚は定着していない。魚を放しても、これでは生きられないだろう。
湖を埋める計画もあるらしい。
元々この辺りには大きめの街があったのだ。だから爆撃された。
街を復興する計画が立つのは当然である。それには、この爆撃された巨大なクレーター跡は邪魔。
それどころか、近隣住民にとっては恐怖の対象だろう。
ただ、もしも独自の生態系が生じたり。
周辺にとって有益な湖になるようなら、残す意味はある。
そもそも住民と言っても、今の時代は人間はそれほど密集して住んでいる訳でもないし。何よりも定着している住民だって多く無い。
この辺りに古くから住んでいて、これからも住むという住民は決して多くは無いだろう。それが現実だ。
だから。AIが指導している政府も、此処をどうするかはまだ決めかねているらしい。
そういうのを、立体映像による解説で確認しながら、ドローンで情報を集めさせていく。今集めている情報だけでも、論文一つ造れそうだ。
伸びを一つ。
どうにも眠くていかん。
「紅茶を淹れました」
「ありがと。 でもシュウ酸とか大丈夫?」
「問題ありません。 問題ない範囲での量です」
「ふむ」
しばし、紅茶を堪能。
それから淡々と、調査結果をまとめる。眠気はあるが、それでどうにかなるほど研究者を続けていない。
しばらくデータを調べているが、色々と分かってきた。
一番最近の目撃例は三ヶ月ほど前。
メイドロボット(実は必ずしも女性型ではなく、この目撃者が連れていたものは犬型だった)とともにこの近くを歩いていた目撃者が、朝霧の中で巨大な影を目撃。目撃時間は十二秒ほど。
それはゆっくりと流れるように湖の東から西へと消えたそうである。
細かいその時の目撃者の思考について、メイドが確認している。
ちなみにこういう動物型のメイドは、主人の前では会話機能をオミットしていることが多い。
相手が喋らない事で、優越感を感じるタイプの人間は古くからいる。
年を経てから動物を飼うようになるタイプの人間などは、その類である。
「データを見る限り、メイドはそれらの影を見ていませんね。 そうなると」
「物理的に何かがいたとは考えにくいね」
「おや、ロマンだので反論しないのですか」
「わたしだっていっつもロマンに脳を焼かれている訳ではないのだが?」
ちょっと今のは頭に来たが。
まあそれはそれだ。
咳払いして、分析を始める。
人間の脳というのはいい加減で、簡単にものごとを誤認する。これは実際問題、幾らでも例がある。
いわゆる幽霊などは、見える人というのが全て違うものを見ている。
これは其処に実際に幽霊がいるのではなく、人間の脳が何かしらの誤動作を起こしていると考えるのが、今では普通になっている。
実際問題、それで正解なのだとわたしも思う。
だとすると、ネッシーなどに始まったこれらの湖の巨怪は幽霊みたいなものなのか。
だが、それはそれで乱暴な結論だ。
実は、一つ気になっている過去の事例がある。
現在、人間はエイリアンを一種類だけ認識できている。
これはアルファケンタウリの先で遭遇した相手なのだが。遭遇例がほんの数回しかないこと。
相手が明らかに此方より技術が上で、軍事力も高いこと。
致命的な事態が起きる前に相手側から正体を明かし。アルファケンタウリの先に領土があるから、入らないようにと警告を入れてきた事。
更には、警告の後は、一切此方に姿を見せていない事がある。
これらの事件が起きる前に、そのエイリアン。ディーパーと呼ばれている存在であるのだが。
ディーパーは支援ロボットに認識できず、人間だけにしか認識できない探査ロボットを送り込んできて。
事前調査をしていたことが分かっている。
この支援ロボットは数回しか目撃されていないのだが、ディーパー側がどこに展開していたかを接触してきたときにデータとして送ってきており。調査内容も此方に公開してくれている。
それによると、人間より遙かに複雑な探知能力を持つはずのAIやロボットが一切知覚できなかった地点で、それらを人間が目撃していた。
これについては、現在も理由がわかっていない。
相手がハイパーテクノロジーの持ち主だから、だけでは説明がつかない。
それはむしろ逃げだ。
勿論ディーパーに手を出すのは人類の破滅につながるので、相手を刺激するようなことは御法度となっているが。
それにしても、何かしらの人間がまだ理解できていない事柄が存在するのは事実なのである。
当然それは科学に属するのだろうが。
その科学が、まだまだ人間にも。それにシンギュラリティを経て、人間を最大限手助け出来るようになったAIにも分からない程の高みにある事。
それは事実だった。
これは、人間の科学力が最高で。
宇宙の全ては人間のもの、などと考えていた連中にとっては非常に手痛い事件であったのだが。
現在の科学者は、むしろ喜んでいるものも多い。
まだまだ人間の科学には先がある。
解き明かせる謎がたくさんあると。
わたしもその一人だ。
ただ、これらの現象が、その謎に分類されるかというと、それはまた問題でもある。
いわゆるチェリーピッキングというのだが。
自分に都合が良い事だけをつまみ食いするというのは、どんな人間ですらやってしまうことだ。
これは学者ですら例外ではない。
偉大な科学者が、自説に都合がいい結論だけ集めて論文を書いていた。それは今でも発見される事だ。
それを思うと、わたしとしては、常に慎重にならざるをえないのである。
「さーて、一体正体はなんなんだろうね」
「脳の誤動作による気のせい、の可能性がもっとも高いと思われますが」
「うん、それは分かってる」
それもまた事実。
だが、可能性が高いではダメだ。
そうだったという結論を出せるまで、調査するのが今の科学。科学者のやる事。それが出来るツールもある。
実際問題、心霊スポットを徹底的に調査した結果。其処で確認された霊的現象が、全て脳内で発生していた誤動作であり。
その場所に集まっていた磁場による影響だというのを突き止めた学者もいる。
その論文は年単位でデータを集めた結果の力作だ。
だが、その学者でさえ、後で言っている。
あくまでここではそうだったと言うこと。
科学はまだまだ手が届かない分野がいくらでもあるという現実を考えると。決して幽霊がいないと言い切ることはできないと。
わたしもそうでありたい。
ネッシーにしても、今の技術で当時の調査をしたら、まるで違う結果が出たかも知れない。
それがまた、もどかしい。
残念ながら人間は、過去に飛ぶほどの技術力は、いまだ有していないし。
タイムトラベルの開発には、現実的に考えて、まだ数十年は掛かると言うのが定説なのだから。
「とりあえず、目撃報告が片っ端から欲しいなあ」
「良くやりますね」
「面白いし」
「理解できません」
メイドは辛辣だが。
別にそれで良い。
主人に媚びるようなメイドを使うつもりは無い。勿論主人に媚態を尽くすようにメイドを設計してる奴もいるし、それを否定するつもりは無いが。わたしは、基本的に諌言が出来る相手に側にいて欲しいのだ。
とりあえず、目撃報告を集める。
こういうのは今はとても簡単。
湖のデータ集めはドローンにやらせればいいが。今はAIを利用したツールで。個人情報に抵触しないこういった範囲での情報はどんどん集める事ができる。昔だったら色々難しかったのだが。
今ではそれもないのだ。
マスコミという仕事はなくなった。
警察でも、取り調べは簡単になった。
今の時代、嘘はつけないのである。
「うーむ。 やっぱり大半は見間違いだねこれは」
「大半はというと違うものも?」
「うん」
わたしが見た所、幾つかの例は見間違いでは説明がつかない。
基本的に勘違いを脳が起こす場合、特定の動作を脳がしていて。近年ではメイドが側にいて、それを感知する。
それらのデータから元に、勘違いや錯覚である事を判断出来るのだ。
これはとても有り難い話である。
実際問題、これによって多くの無駄が省けるのだから。
事実、ただの見間違いでは説明がつかない不可解な例を幾つか発見できている。それらを分析に掛ける。
人間には妄想癖が激しい者もいて。
それが高じて幻覚を見る場合もある。
だがそういう場合は、脳内物質がドバドバ出ているものである。
それもない。
人間の脳の働きについても、近年ではずっと側にいるメイドが世話をしてデータを採っていて。それを医療に活用している。
これもあって、最近ではほぼ脳梗塞などの致命的な脳の病気は起こらなくなっている。
これらのデータからさらに詳細に分析をする事が出来るので。
昔みたいに足で稼ぐ、なんて事をしなくても。
ある程度国から出ている補助金でレンタルしたドローンを飛ばして実データを集め。
個人情報に抵触しないツールを用いて情報を収集し。
それで論文が書ける。
ある意味わたしみたいな学者には天国ではある。
それも、昔みたいに軍事利用がだの国益がだのと言われない。
多くの犠牲の先にある今の時代だが。
それでも、それでいいと思う。
さて、のんびりと横になりつつ、時々収集データを確認する。誤認したデータも立派なデータである。
個人情報を出さない形で、どう誤認が発生したか論文に載せる。それによって、後に何か役に立つ事だってある。
今は何の役にも立たないデータにも見えても。
後に大発見を起こす事はある。
科学会ではよくあることだ。
「ゴミデータ」なんてものは存在しない。
特に今の時代はだ。
ビッグデータがきちんと活用出来るようになった今の時代では、あらゆるデータの整理が容易になっていて。
故に、こういう役に立たなさそうに見える研究も。
何を引き起こすか分からない面白さがあるのだ。
しばしぼんやりごろごろしていると、不意に気付いた。半身を起こして、じっと画面を見る。
水面に不可解な波紋。
ドローンが解析不能とデータを出している。
「すぐにドローン集めて。 これは魚じゃないな」
「まさか面白生物ですか?」
「いや、どうだろうね」
UMAかとすぐに飛びつくのは素人である。わたしはプロの科学者なのだから、きちんとあらゆるデータを確認する。
すぐにデータを追加で集めるべく、色々なドローンを動員。水中にも潜らせる。
水中からの確認では、大型の生物はいない。だが、明らかにおかしな波紋が続いている。風の影響でもない。
だとすると、水流か。
いや、水流も変だ。
元々この新箱根湖は、一つだけ川が注ぎ、一つだけ川が出ていくシンプルなものである。故に水流も分かりやすい。その川も厳重に管理されている用水用のもので、魚一匹いない。
湖の構造も半球で、しかも現在の人間はポイ捨てとかをする事もない。
故に水流を計算するのはとても簡単だ。
事実、今水流の計算ツールを走らせているが。
異常だと、即時にデータが出ていた。
やがて、波紋は収まる。
ただ、これは面白いデータだ。
すぐに周囲からの目撃例も集める。それによると、面白い事が分かってきた。
「複数例の目撃証言が出ています。 ただ、ドローンを多数飛ばしているものを、誤認したものが殆どのようですが」
「それ以外のものがあるかもしれない」
「そうですね。 ドローンが何かに纏わり付いているように見えたという証言があります。 脳内の物質などの状態を見る限り、おかしな幻覚を見ていたようなことはないようですが」
「これは面白くなってきた」
わたしは久々に本気になる。
ほっそい腕。それを腕まくりして。それでデスクに向かう。
ネス湖を調べていたときとは比べものにならないほどモチベが上がっている。実にいい。本当に昂奮する。
事実、ネス湖ではしばらく滞在していたが、こんな異常現象は起きなかった。
科学では届かない事がいくらでもあることが分かっている現在だからこそ。傲慢に科学的では無いと言い出すようなエセ科学者はいない。昔は裏付けもない事を科学的だのといって、説明できない事項に仮説ともいえない仮説を述べる阿呆がいたが。そんなのはいうまでもなく科学でもなんでもない。
人間の科学が万能で、人間は何でも知っている。
そういう妄想から解き放たれた今だからこそ。ちゃんと科学は出来るのだ。
実際に取る事が出来るデータが昔とは比べものにならないほど増えているからこそ。
むしろ異常現象を観測したときには、どんな発見があるのだろうかと皆でわくわくするものだ。
昔もそうやって、不可解な現象が起きたときに喜ぶ学者こそが本物だったのだと思う。
これはあり得ないと決めつけ、自身の理論を現実に優先するような学者は、やはりどうしてもダメだったのだと思う。
昔は学者の中でも権力闘争とか色々あったらしいから、間違った理論が主流となって、随分発展が遅れるようなこともあったそうだ。
今はそれがなくなり、風通しがいいのも。わたしにとっては追い風だ。
面白くなってきた。
とにかくデータをかき集める。
メイドは若干呆れ気味だったが、それでもわたしのサポートをするのがこのメイドの仕事である。
だから、淡々と食事などの準備を始めてくれる。
しばらくデータをまとめる。
それらを流し込んで、レポートを作りあげる。
レポートは今はAIがデータを流し込めば勝手に作ってくれる。確認するのは念の為である。
それでも目を通していると。
メイドに言われる。
「時間です。 食事を取ってください」
「かー、良い所なのに!」
「分かっています」
「うん……」
とりあえず一旦休みだ。
食事を取る。
頭に栄養が行くように、糖分が多めになっているようだ。それも体を壊さない程度にでる。
がつがつと白米を食べる。
そういえば白米を食べると体に良くないとかいう説を垂れ流していた学者もいたのだったか。
どうでもいいことだ。
そういうのは、食べる量にもよる。別に白米が毒物な訳でもなんでもない。
適量をメイドは出してくれる。
幼い頃からのつきあいだ。
しっかりとした信頼関係は出来ている。まあ相手はAIを搭載したロボットなのだから、信頼関係もなにもないのかも知れないが。
もくもくと食べ終える。
わたしが食べるペースも計算して、食事を出してくれるので。急ぎすぎることもないのが嬉しい。
体にいいように食べられるペースで出された食事を終えると、またレポートに取りかかる。これは面白い。
生物もろくにいない湖に、恐竜なんか出る訳がない。
そもそも実体がない。
だけれども、何かが出たのは事実だ。それが一体なんなのかが分からない。分からないと言うのは、こうも楽しい事か。
自分が知らない事を全て嘘と決めつけたり。知らない事を喋っている相手を「マウントをとっている」などとレッテルを貼って排斥する人間が、昔は相当数いたとか聞いたことがある。
人間は数が集まってやっと社会を為す生物なのに。
積極的に愚民になろうとするのは面白い習性だ。
昔はこういった人間の愚かしい習性を研究するのは禁忌の一つであったのだっけ。今では普通に行われているようだが。
まあ、わたしとは専門が違う。
ともかく今は淡々と。
わたしは楽しい楽しい未知に向かい合うのだ。
しばしして、またメイドに時間だと言われた。
溜息が出る。
渡されたのは、幾つかの飲み物だ。指定された順番に飲んでいく。これは稼働率が上がっている脳みそを、穏やかにするものだ。
それも、別に体に毒がない程度に。
伸びをする。
「今日はここまでです。 眠るのに適した環境を作ります」
「あー、良い所なのになあ」
「新箱根湖のデータは、ドローンが採取し続けています。 別にマスターが起きていなくても、問題はありません」
「分かってる。 ただね、こう思い立ったら吉日というのがね……」
とはいっても、分かっている。
生活リズムを壊すと、戻すまで三日掛かるという話がある。それくらい、生活リズムは大事だ。
わたしも二十を超えてしばらく経つ。
肉体的には成長しきって、これ以上は変わらない。
だからこそに、今後はしっかりメイドの指示通りに、動かなければならないだろう。体を壊さないためにも。
体を壊してみないと、健康の価値は分からない。
幼い頃に経験させられることだ。
仮想現実で、手足がない状態や、満足に動かない状態を経験させられる。それで体の一部が欠けたり、精神的にダメージを受けるとどうなるか、しっかり理解させられるのである。
古い時代は病気の人間を差別するのが当たり前であったらしい。
それを防ぐために組まれたプログラムだが。
これが普及したおかげで、今では病気に対する偏見はなくなっている。
惜しむらくは、地球やシリウス、アルファケンタウリまで戦禍に塗れて。多くの人が亡くなる前に。こういった仕組みが作られれば良かったのだが。
まあ人間は、古くからバカな生物だし。
ようやくまともになれたのだと思って、我慢するしかないのかも知れなかった。
環境が整えられたので、横になって眠る。
あまり体は丈夫ではないけれど、わたしは女としてはそれなりに魅力的な容姿であるらしい。
顔もそれなりにいいそうだ。体のメリハリもそれなりにあるし、背丈も適切であるらしい。
結婚して子供を産む事を考えてみては。
そうメイドに提案されたことが何度かあるが、断った。
遺伝子は提供しているし、わざわざ腹を痛めて子を産む意味がない。
少しずつ眠くなってくる。
「ね。 こういう風に、楽しく研究をいつまでも続けられるのかな」
「望むのであれば、死後に意識をサーバに移して、研究をすることも出来ます。 でもそれをしている科学者が、統計では十五年ほどで死を選んでいます」
「まあそういうのは、やってみると地獄なのかも……しれないね」
あくびが出て来た。
そのまま眠りにつく。
きっと、メイドが布団を掛けてくれる。わたしは、それに甘えさせて貰うのだった。
2、少しずつ牙を剥くもの
データを集める。やはり、時々新箱根湖には、不可解な現象が起き始めている。わたしがドローンを飛ばしまくっているからか、見物人も出ているようだ。
見物人は様々だ。
メイドといっても姿は色々で、ただの車いすになっている者もいる。それに乗って、じっと見ているもの。
自分の子供の様な姿のメイドとともに様子を見ている人。今の時代は人工子宮で生まれて、メイドに世話をされることが多いから。親代わりのメイドが誰にでもいるのだが。姿が変わらないことを望む者もいる。そういう人は、自分の子供の様な姿をしたメイドを連れている事が多い。
飛行出来るドローンに吊されて、湖を見ている人もいる。
それぞれが衝突しないように、相互リンクシステムが活発に稼働している。
わたしはそれらに関わる気はない。
警官の役割を果たす警備ロボットも出て来ている。
こう言う状態だと、犯罪を考える奴もいる。
それも今の時点では、悪さをする事は出来てはないようだ。まあ、今の警備ロボットは優秀だ。
それは誰もが知っているから、抑止力になっていると言う事だ。
人間が考えつくような悪事は、だいたい既に警備ロボットの手の内にある。
それが分かっているからこそ。
誰もが心穏やかにいられるのである。
わたしはデータをまとめていく。
皆が見ていると、怪現象は起きないかというと、別にそんなことはない。
恐らくは集団ヒステリーの一種だろうと言われているが(勿論実態はタイムマシンでもないかぎり分からないだろうが)、多数の目の前で天使やら聖人やらが現れたという報告例はあるし。
UFOなどが、多数の見ている前で姿を見せたなんて話は幾つも例がある。
そういうもの全てが嘘というわけでもあるまい。
そう考えると、色々と面白いのが人間の認識だ。
観測論なんてものがあるとおり、人間の観測があるていど世界の影響を与えるのと同時に。
人間も世界から、認識を歪まされる。
皆見ているものは微妙に違っているのだ。
それがあるから面白い。
わたしはうきうきなまま、データを取る。
最悪の場合、データだけ取れればそれでいい。わたしは一応まとめはするけれど、取る事が出来たデータから。後に別の学者が、それぞれ違う結果を出すかも知れない。それもまた楽しい。
自分が世界で一番正しく。
他の思想は全て間違っている。
そんな風に考える人間は昔は多かったそうだ。
特に間違っても謝ることを絶対にしない人間は一時期かなりの数がいたということで、それは人間の群れを作る生物としての限界だったのだろう。
今は、それは緩和されている。
ある意味、やっと人間は皆が対等になり。
それでやっと。そういった愚かしい習性から解放されたのだとすると。
元々不完全極まりなかった生き物が。
やっと介護の果てにまともになったのかも知れないし。
その介護の仕組みを苦労しながら作りあげた先人達には。
それはそれで感謝しなければならないだろう。
さて、データをまとめるぞ。
うきうきしながら資料を整理していると、メイドが食事の時間を告げてくる。溜息が出るが、仕方がない。
きちんと食べないとベストパフォーマンスを発揮できない。
だから食べる。
ちゃんと味などもわたしが食べやすいように工夫してくれているが。それはそれとして、好物ばかり出してくるわけでもない。
この辺りは、甘やかさないようにしっかり動いている。
それでいいのだと思う。
「マスター。 久々に熱が入っていますね」
「まあ、目の前でこうも知らない事が色々起きるとね。 データを取っておけば、わたしが解明できなくても、誰かが解明してくれる可能性も高い。 こういうのは、学者冥利に尽きるよ」
「そう考える事は良いことだと思います。 自己顕示欲で事実を曲げてしまうような人間は、頭がどれだけ良くても学者には向いていません」
「そうだね。 それは何度も自分に言い聞かせて、気を付けないといけないことだ」
伸びをして、それから紅茶を飲む。
やはり時々湖に異常が起きている。
現時点で新箱根湖は水深十五メートルほど。しっかり管理されていて、妙な生物は存在しない。
微生物はそれなりにいる。
水棲昆虫は多少繁殖を始めているが、それくらい。場合によってはいつでも移動させられるように、管理用のロボットが注意深くデータを取っている。
それらのデータも貰って、レポートに組み込む。
また気象、地磁気、磁場、それらのデータも全て取り込んでいく。当たり前の話である。今はそういったデータを全て取れる。
それらが何かしらの影響を与えていても、不思議ではないのだから。
さて、また研究に戻ろうか。
そう思ったのだが、運動するようにメイドに言われる。口を尖らせるが、ダメだと言われた。
「ただでさえ運動不足気味です。 ウォーキングをしたほうが良いでしょう。 わたしとともに歩いてください」
「めんどうだなあ」
「放っておくと屋内では下着姿で平気でいるではありませんか。 きちんと服を着なさい」
「分かってるよもう」
ジーンズに足を通して、シャツを着て。
それで外に出る。
研究したいなあ。
ぶつぶつ呟きながら外に出る。
人間の絶対数が減った今の時代は、人が集まっているといってもその数は知れている。遠くから、集まっている人々を手をかざしてみやる。
別に不思議な事など何一つもない。
歩きながら、メイドと話す。
「色々面白い現象が起きているけれど、はやく解き明かしたいなあ。 解き明かせなくても、誰かが解き明かしてくれるだろうけれど、いつになるんだろうね」
「単純に人間が計測できていない何かしらのデータがあって、それが要因で発生している事かも知れません。 現時点での我々メイドロボットは、人間の感知できることは全て感知できるようにはなっていますから、我々の観点からも彼処には異常現象が起きているとは言えますが」
「ははは、人間よりも何十倍もするどい感覚を持ってるメイドのお墨付きとなると、それは確定だね」
まあ実際には何十倍どころじゃない。
警備ロボットや彼方此方の監視カメラ、他にも色々なシステムと常に連動しているのである。
客観性も監視に関する能力も人間とは別次元だ。
以前調査のために武術を達人にまで極めた人間の感知範囲などを調査したレポートを読んだことがあるのだが。
それですら、現時点で普及している家庭用メイドロボットの足下にすら及ばないようである。
とっくにロボットの性能は人間を遙か凌駕している。
それで分からないのだとすると。
少なくともわたしの見落としではなさそうである。
ぐるっと湖を一周して、一時間ほど歩く。
飛んでいるわたしが手配したドローンが、こうしている間にもデータをあつめてくれているし。
何よりもわたしが介入して、どうにかなるものでもない。
出来るだけ自然のまま……変な言葉だが。ともかく、普通に集まるデータを集めておいた方が良い。
はっきりいって今みたいに近くで宿を取っていなくて、自宅にいてもいいくらいなのである。
側で研究しているのは性分だからだ。
すれ違った男が、わたしを見たが。
別にどうでもいい。
あれが人間かメイドロボットかすらも、わたしには分からない。
今はそれくらい、人間に近いメイドは人間にしか見えないのだから。
宿に戻る。
さて、データを確認するか。
デスクについて、それでデータを見る。
おっと声が出ていた。
加速度的に変なデータが増えてきている。全部に目を通すのは、ちょっとばかり難しいかも知れない。
それくらいの量だ。
紅茶をメイドに頼むと、一つずつ見ていく。
湖で何かしらの大きな影が出ている。
影としかいいようがない。
少なくとも実体がある巨大生物などでは断じてない。
それは一定時間で消えてしまう。
ネッシーもこれと同じ現象だったのだとしたら、それはとても面白くて、わくわくすることだが。
はて、それはそれで。
一体これはなんだ。
他にもデータは見ていくが、何かしらの質量体が新箱根湖に出た形跡はない。
人間による調査だとどうしても個人の主観や思想が出る。だから淡々とドローンにデータだけ集めさせる。
そうすると、分からない事ばかりが出てくる。
ドローンによって集まるデータが違う。
そういう不可解な事が起きてきているのだ。
それもまた、面白い。
異常現象として、データをレポートに残していく。単なる不具合の可能性もあるのだが。しかし、無理をさせなければ耐用年数5000年と言われ。戦争で研磨された技術で極めて頑強に作られている今のロボットが、揃いも揃って故障するだろうか。もし故障するようなら、原因があるはず。
ともかく膨大なデータが取れる。
それだけでわたしはわくわくうきうきである。
満面の笑みでデータを検証していると、メイドが声を掛けて来る。
「それはそれとして、マスター」
「うん?」
「データの異常を見て、他の学者も様子を見ているようです。 何名かの学者が、ドローンのデータにアクセスしています」
「別にいいけど」
昔だったら、わたしのレポートが横取りされたりしたかもしれないが。今の時代は。そんなことはあり得ない。
足をぶらぶらさせながら、資料を見ていく。
しかし、だ。
此処で、妙な事に気付いていた。
他の学者がデータをまとめて、自分なりにレポートを出しているのだが。わたしが見ているデータと明らかに違っている。
はて、これはどういうことだ。
「ね、これは流石におかしくない?」
「確かに妙ですね。 別のデータが送られているとはとても思えませんが」
「……アクセスして見るか」
「分かりました」
連絡を入れる。
連絡先は、シリウスから遠隔で新箱根湖を監視しているドローンにアクセスしている学者である。
ただしUMAの学者でもなんでもない。
ドローンの観測技術に関して調べている学者だ。
言葉については、自動翻訳が為される。
すぐにテレビ会議が確立される。今では超光速通信は当たり前のように普及しているのだ。
「はじめまして。 葵美千留博士です」
「よろしく葵博士。 私はケイムズ博士です。 よろしく」
相手はまだ十代前半の男性か。
まあ、この年から社会に出るのは今では当たり前だ。遺伝子データを提供した結果、このくらいの年で人工子宮で作られた子供がいる場合もある。
幾つか話してみると。
やはり妙な事が分かってきた。
「此方でもレポートを確認していたのですが、ドローンが明らかに私と葵博士の間で違うデータを送信しているとしか思えません。 しかしドローンを調査しても、そのようなことはないのです」
「面白! 見解はありますか?」
「不具合の類ではないと思います。 今調査していますが……」
「詳しく分かったら知らせてください」
通信終わり。
とりあえず、どんどん妙な事になってきている。
そして、更に事態が加速したのは。
翌日のことだった。
起きだす。
宿舎の外が騒ぎになっている。ロボットが行き交っているようだ。犯罪者でも出たのか。そう思って、身を起こす。
メイドは側にいる。
別に戦闘用の武装とか展開していないし、犯罪者が出た様子はないが。
「おはよ。 どうしたの?」
「データを見ればすぐに分かるかと思います」
「はあ……」
とりあえず、データを言われたままみてみる。そして、えっと思わず声を出してしまっていた。
湖から、その巨大な影が這い上がってきている。影は移動を続けていて、人々が悲鳴を上げて逃げ回っていた。
まるで怪獣映画だ。
「何これ。 避難勧告とかは!?」
「いえ、それが物理的な被害は何一つ出ていません。 幻覚という割りには我々にも観測出来ています。 現在はパニックを抑制するべく、警備ロボットが出ているのですが……」
「これは面白くなってきたとか、言っている場合じゃあないね」
「その通りです」
わたしも人命とかに研究を優先するほど阿呆じゃない。
ともかく、一旦は宿舎を出て、それで避難する。巨大な影は、海へ向かっているようだが。
その姿は恐竜だのだとは違う。
ちなみにネッシーの正体ではないかとか言われた首長竜は恐竜ではない。違う分類の大型爬虫類なのだが。
まあ今はそれはどうでもいい。
巨大な影は、なんというか、軟体生物のように見える。それが、ずるりずるりと、ゆっくり移動して行く。
痕跡も残っていない。
ドローンの半分近くがそれに集って調べている。
だが、何かしらの正体を特定するには至らないようだ。
「何あれ。 怪獣映画の怪獣? 色々とんでもない設定のがいるって話は聞いたことがあるけど」
「……そんな空想の産物は現実には存在し得ないと思いますが」
「あー、まあ確かにそれはそうだ。 しかし観測しても質量も痕跡もない。 あれ、何?」
「私にもわかりません」
まあそうだよな。
新箱根湖にもドローンを残し調査させつつ、わたしは一定距離を保って、海に移動して行く影を見る。
あ、軍隊が出て来た。
まあそうだよな。
現在は軍人はごく僅かで、大量の戦闘ロボットが相手を制圧するのが軍隊になっている。だが。
「何があるかわかりません。 避難してください」
「攻撃しようにも実体がないぞ。 被害も出ていない。 どうするんだ」
「今は監視を続けろ。 被害が出た場合は、一気に仕留めるんだ」
「そんなの、どうやって……」
怒鳴り声が聞こえる。
大型の空中戦艦も出て来ている。かなりの大事である。でも、だからといって、わたしに出来る事は何もない。
やがて巨大な影は、海へと出た。
そして海に沈み込むと、溶けるように消えていった。
ドローンが画像消失と告げてくる。
跡を調べているが。
痕跡はやはり、一切ないようだった。
頭を掻く。
こりゃまずいな。
どうやら楽しい不可解現象ウォッチングともいかなくなったか。
連絡が来る。
「此方日本管区第四方面軍。 葵美千留博士ですね」
「ああ、はい。 わたしも今事態に気付いて、出て来ていた所です」
「とりあえず調査結果は確認しています。 貴方が何かしているとは思いませんが、一旦出頭してください」
「分かりました」
まあ、これは仕方がないだろうな。
とりあえず、軍の警備ロボットが来たので、一緒についていく。今の時代は、軍隊を悪扱いするような事もない。
ましてや相手は警備ロボットだ。
ついていくと、プレハブの指揮所があった。ちなみに、出迎えてくれたのは、軍用のロボットだった。人型であるが、階級章を幾つかつけている。この様子だと、独立戦争やらの頃から稼働している機体かも知れない。
人間とは立場が違うとはいえ、戦功を上げたロボットは、こうして勲章を貰うことがあったと聞いている。
それはプロパガンダを兼ねていたのだろうが。
それはそれとして、ちょっと面白くはある。
幾つかの聴取をされる。
女性型のロボットは先に、R115と名乗っていた。姿はわたしと殆ど見かけの年齢が変わらないが、実戦経験者だとすると三桁の大台に年齢は載っているだろう。
軍での階級は大佐であるらしかった。
「まず勘違いして欲しく無いのですが、貴方に原因があるとは此方でも考えてはいません。 専門家として見解をいただきたいのですが」
「分かりました、とりあえずなんでも聞いてください」
「協力的で助かります。 あれはずばりなんだと思いますか」
「それは分かりません。 わたしが知りたいくらいで」
苦笑い。相手も苦笑い。
それはそうだろう。
レポートくらい、とっくに見ている筈だ。だったらわたしが、あれが何なのかまったく把握できていない事くらい分かっているだろう。
咳払いすると大佐は言う。
「確かに不可解なデータが出ていて、しかも他の学者が得ているデータがまた異なっている。 これは正体のつきとめようがない。 仮説か何かはありませんか」
「仮説を出せるほどのデータが集まっていないのが現状です」
「……そうでしょうね」
「力になれずすみません。 でも、これが現実なのです」
頭を下げる。
大佐はため息をつく。ずいぶん人間っぽいロボットだな。
AIは独自の学習を続けると、人間に思考が似てくるパターンがあるらしい。それは聞いたことがある。
一時期それで、AIの反乱が危惧されたことがあったらしいが。
結局AIは反乱を起こすようなことはなく。
人間と一緒にいる事を選んでくれている。それが事実だった。
「今回はパニックになった人々をメイドロボットが適切に避難誘導した事もあって被害は皆無でした。 しかし同様の事態が起きた場合は困ります。 軍からも支援をしますので、研究を優先して行って貰えませんか」
「別にかまわないですが、それで何かが分かる可能性は低いですよ」
「それでもです。 我等は……意外かも知れませんが、人間同士の殺し合いがなくなった今の時代を好ましく思っています。 それで進歩が止まったと言う事もなく、人々の幸福度は極めて高い。 我々は存在が確認されているエイリアンに備える事も大事ですが、その幸福を守りたい。 そのために、力を貸していただきたいのです」
今度は頭を下げられる。
本音かどうかは分からないが、ロボットが嘘を言う理由がわからない。
わたしは、頭を掻く。
「そこまで言われたら仕方がありません。 なんとか、研究を進めてみます。 ただ、今回の件……他にも学者を動員した方が良いかも知れません」
「他の学者が別のデータを得ている事は此方でも掴んでいます。 何名かに声を掛けてみます」
「お願いします」
後は幾つか打ち合わせをして、宿舎に戻る。
被害は出ていない。
だが、それでも街の後片付けをしているロボットが目だった。警備ロボットも、いつもより動員されているようだ。
「昔、一神教徒の前で天使が大人数の前で目撃されたことが記録として残っている。 勿論それが「天使」だったかは今の技術で調べて見ないとなんともいえないし、今回の例を考える限り、今の技術でも分からないかも知れない。 今回のは難題だよ」
「……今の時代の人間は、それぞれのフルスペックを発揮できるように、ビッグデータから導かれた教育を受けています」
不意にメイドがいう。
うちのメイドには、ずっと名前をつけていない。そもそも二人きりで過ごして来たから、名前なんていらなかったのだ。
だけれど、このメイドはわたしの親だ。
それはわたしも分かっているから。
変な事を言わないことも理解している。
「マスター。 いや美千留博士。 貴方は昔の水準で言うとIQ200に達しています。 それが今の基準ではたいしたものではないとしても、です。 ですから、自信を持って研究を進めてください。 それが何かしらの災害を防ぐ盾になるかもしれないのですから」
「……分かった。 そうだね」
宿舎に戻る。
ドローンが集めて来たデータを、改めて確認する。
移動中に見せていた巨大な影の動きは、脊椎動物のものというよりも……これはなんだ。粘菌か。
いずれにしても、まともな形がある生物のものだとは思えなかった。
「そもそもこれが生物かどうかを調べるところからだね。 動きはこれ、粘菌かなあ」
「粘菌にしてはダイナミックすぎますね」
「それはそう。 かといっても、ゲームかなんかのスライムじゃあるまいしなあ」
「ゲームの存在は、現実には出現しません」
それはそうなのだが。
はあとため息をつくと、爪でも切ることにする。ちょっとキーボードをかなり叩く事になりそうだ。
それが立体映像のキーボードだとしても。
何かしらの悪影響を与える要素は、排除しておきたかった。
3、姿なきものは姿を見せる
わたしの他に、既に八名の学者が調査に当たっていると聞かされた。大佐は協力を惜しまないと約束してくれて。とても頼りになる。
これで昔の映画とかによくいる居丈高で軍隊至上主義者だったりするしかくいひげ面のオッサンが出て来たら面倒極まりなかったのだが。
まあそういうのは実際戦争やっていた頃にはたくさんいたらしいし。そういうのが来なかったのは、運が良かったのかも知れない。
ともかく、淡々と研究を続ける。
現在も新箱根湖には異常が起きている。
それを見て、わたしは腕組みする。
「やっぱり法則性がない」
「様々な数式を当てはめてみますか?」
「いや、それは専門家に任せるよ」
現在の数学者は、昔よりもずっとハードルが低くなっている。古くには本当に意味がわからないほど頭が良い連中の専売特許だったのだが。そもそも学者が誰でもなれる仕事になっている今は、それもないのだ。
「とりあえずデータをとにかく集めてレポートに載せる。 前に姿を見せたあの影が質量でももったら大惨事になる。 そうなる前に正体は突き止めたいけれど」
「美千留博士、よろしいですか?」
「ん?」
連絡。
連絡してきたのは、以前連絡してきたシリウスの学者。ケイムズだった。
ケイムズの出しているレポートを開き、それを見ながら軽く話をする。此方の出しているレポートも、ケイムズは見ているようだ。
まあ、話が早くていい。
「新箱根湖で起きている異常現象には、私も興味があります。 其方に向かう予定です」
「わざわざ来なくても大丈夫なのでは」
「いえ、統一政府からの依頼ですし、私も現地で見たいですので」
「まあ、それはわからないでもないですね」
ちなみにだが。
ケイムズのレポートを見る限り、新箱根湖から現れたあの巨大な影は、まるで違う姿に見えていた。
これは前と同じだ。
巨大な鳥か何かに見えていたようである。
それも、いわゆる恐鳥類に近い姿だったようだ。
わたしがあれを粘菌かなにかのように見えていたのとは、まるで違っている。他の学者も、まるで違う姿を観測して、頭を抱えているようである。
ともかく、資料を洗う。
ドローンが異常を起こしている可能性は低い。実際、新規生産されたドローンが投入されているが。
それらも同じように、見る人間によって違うものを見せている。
まるで妖怪や幽霊だな。
そう思って、わたしはため息をついた。
だけれども、それすら科学で解き明かせるはず。今では無理でも、未来には。だから、データを集める。
それでいいのだ。
資料を集めながら、レポートを作る。食事だと言われたので、一旦手をとめる。大佐は五月蠅く何かを言ってくることはない。
軍隊が創作で悪く描かれていた時代には、高圧的で学者を虐める軍人が良く描かれていたが。
今は別にそんなこともないのだ。
そう信じたいところではある。
学者であるわたしが、そんなことをいうのも不思議かもしれないが。
わたしは複数のレポートを確認しながら、色々見ていく。色々な専門家の仮説があるが、どれも仮説の域を出ていない。
そもそもそれぞれの学者が違うものを観測しているというのが前代未聞だ。
軍事学者からのレポートも出ていた。
「ふーん。 この湖、ちょっと変わった爆弾が使われて出来たんだ」
「正確には質量弾には代わりはないのですが、それに使った隕石がちょっと変わった素材だったようです」
「どれどれ。 シリウスの辺縁部で採取した隕石をわざわざ此処まで持って来たの?」
「星間戦争をしていた時期は、地球側もアステロイドベルトの隕石をシリウスに落としていたようなので、お互い様ではあるのですが」
どれ、確認して見るが。
なんだか不可解な組成だ。
古くは隕石には鉄が含まれていることが多く、隕鉄といって重宝されたという歴史が存在している。
実際問題、鋼鉄を鋳造するのは非常に高度な技術で、それまでは隕鉄だよりだったということもある。
だから初期の鋼鉄は金と同等の価値があったなどと言われている程だ。
ただ、それはあくまで地球がある太陽系の話。
シリウスはちょっと状況が違う。
「これってなんだか組成がおかしいね」
「調べによると、いわゆる遊星だったものの残骸のようです」
「おお……」
遊星というのは、恒星の周りを周回せずに宇宙を飛び交っている惑星だったり。或いは好き放題に移動している恒星そのものだったりする。実は太陽系にもこういった遊星が何度か侵入してきた事があって、その度に色々な影響が出ていた事も分かっているのだが。
シリウスはそもそもとして二重星だ。
だから昔は安定した惑星は存在しないなんて言われていたらしいが。
実際には人間が住める惑星が発見されたのだから、まあそんなものである。
さて、腕組みしてちょっと考えていると。
連絡がまた来る。
湖でまた異変が起きている。それぞれで監視してほしいというのだ。
湖近くに住んでいる人の避難は既に完了している。異常現象が起きているのだから仕方がないだろう。
わたしも宿舎を軍が提供してくれた装甲車に変えている。
これはいわゆる移動指揮車で、内部に生活空間があるものだ。わたしに貸し出すのには、こいつの型式が古くて、別に温存しなければならないものではないこと。さらには統一政府があるので。別に軍事漏洩は気にしなくてもいいこと。それに使っている技術が古いので、漏洩なんかしたところで問題がないこと、があるらしい。
まあ内部で仕事をしていても、別に不便は感じない。
狭くもないし。
とりあえず、データを見るが。
湖をすっと横切っている影が見える。
でもこれは、なんというか。
「ウミウシ?」
「大きさはかなりのものですが、確かに似ていますね。 ウミウシが貝類の仲間であることを考えると、凄まじい巨大さですが」
「うーん……」
ウミウシでも大型になる種類はいる。
それでもこれは、体長が明らかに十メートルを超えている。これは少しばかり大きすぎるだろう。
ふむ。
資料を見る。
ドローンを確認するが、やはり質量などは確認されていないようだ。かといって、幻覚にしては。ドローン越しに幻覚なんて見るだろうか。
資料を挙げていく。
メイドが目を細めていた。
「おかしいと思った事があります」
「聞かせてくれる?」
「はい。 マスターとわたしにおなじものが見えているように、他の学者もメイドと同様のものが見えているようなのです」
「!」
それはちょっと面白い。
だとすると、ひょっとして。
これは、側にいるメイドの影響で見えている幻覚だとでもいうのか。可能性は否定出来ないのが面白すぎる。
わおと、思わず声に出ていた。
メイドが不可解そうに小首を傾げる。しっかりとんでもないべっぴんだな。それはちょっと思うが。
それはそれとして、ともかく側にいる支援AIロボットの影響を受けて同じものが見えているとすると。
レポートに記載して、すぐにこの情報を展開。
乗って来たのはケイムズだ。
「展開して貰った情報、とても興味深いです。 今、其方に向かう恒星間航行船で検証しているのですが、どうやら学者だけではなく、湖周辺で怪物を見ていた人間全てが、メイドと同じものをみていたようです」
「それは面白い!」
「これはメイドに起因するのか、その人間に起因するのか。 少なくとも精神を共有するなんて機能は現在のAIにも存在していません。 更に言うと、AIのバージョンなどが違っているケースでもおなじ現象が報告されており……」
「とりあえず、まとまったら教えてください」
熱くなってきたケイムズと、一旦話をうちきる。
さて、問題は此処からだ。
仮にわたしとメイドが同じものをみていたとする。
だが、人間の主観なんてものは、人間ごとに違っているものだ。いわゆる唯識論だが。これは別に人間に当てはまるものではない。
そもそも機械のパーツ(近年は生体パーツを使っているロボットもあるが)で構築されているロボットが、人間と同じものを見ている筈がない。幾らAIがシンギュラリティを重ねても、それは変わらない。
だとすると、この現象は。
一体何だ。
オカルトと一刀両断するのは無理がありすぎる。
現状の科学で手に負えないものをオカルトと断じるのでは、それこそオカルトに染まってしまっていると言える。
だとすると、この現象。
今はデータを集めるしかないのか。
少し部屋の中を歩き回る。
軍用車の中だ。
非常に安定していて、歩いて回っても微塵も揺れない。しばし歩き回るが、面白い説は出てこない。
出て来たとしても、何かしらの裏付けが必要になりそうだが。
はあと溜息が出た。
これはわたしが見つけた案件なのにな。
怪物なんて出る訳がない湖で怪物が出て。それをみんなで見ているうちに、いつの間にか主導権がケイムズに移りつつある。
勿論科学というのは主観で決まらない学問であるから、なにかしらの発見が出来れば大変にこのましい。
だけれども、それでもだ。
悔しいというのは、あるではないか。
「昔の動物園の熊ってこんなだったのかな」
「いや、あれは狭い牢に閉じ込められたストレスによる異常行動と思われますが」
「んー、そうだよねえ……」
「飲み物を淹れます」
頼む。
わたしはずっと横になってばかりだったが。スイッチが入ってからは殆ど横になっていない。
まあ豚のように太るよりはいいだろう。
黙々と歩き回って、考えをまとめる。
同じ場所にいた存在が、同じものを見ている。
いや、見た感じ固まって怪物を見ていた人達もいた。それらの見ていたものも違っている事が分かっている。
だとすれば、なんだ。
文字通りの怪物があそこにいて。
それで、全てが狂っているのか。
なんだかクトゥルフ神話みたいだなと思ったけれど。あれと違って、なんら害はない。それを思うと、どうすればいいのか。
溜息が出る。
席に着いて、出して貰ったコーヒーを飲む。ミルクを多めに入れているのは、そういうのが好きだから。
コーヒーゼリーがいいかな。
そう思ったけれども、流石にそこまでは要求しない。無言でしばらく黙り込んでいたけれども。
やがて、動くべきだと判断した。
わたしは、ただのUMA学者。
これがUMAだとすれば、どういう存在かを考える。
例えば、上位次元の生物とか。
位相が違う生物だったら、それはそれぞれの視点から、万華鏡のように違う姿に見えていてもおかしくない。
だが、それは本当にそうか。
やはり鍵はメイドと同じものが見えていると言うことだ。
それは何故か。
一緒に暮らしてきたロボットとはいえ、それでも思考が同じであるわけはない。同じ地点にいたとしても、見えるものは違っている。だが、だとすると何だ共通点は。
わたしはメイドを見る。
デザインは、本人がストレスにならないようにしている。このため、実は異性のメイドを使っている人はあまりいない。わたしみたいに同性のメイドを使うのが普通だ。勿論例外はいるし。
メイドを生体ロボットにして、結婚している人もいるが。
しばし、考える。
UMAだとしたら。
人間に働きかける存在がいたとして。ロボットにも働きかける存在がいたら。
考えている内に、ふと思いついた。
「ね、わたしとのアクティブリンクって切れる?」
「ダメです。 生体状況のチェックのために、アクティブリンクの接続が義務づけられています」
「……何か抜け穴はない?」
「手はあるにはありますが、短時間だけですよ」
頷いて、話を聞く。
マスターの体の健康状態を常時把握するために、今は人間とメイドでアクティブリンクを構築している。
それを切るには、健康診断システムを一旦別のものに委託するしかない。
此処では今わたしが使っているPCがそれに相当するが。
残念ながらPCでは搭載しているOSの性能にも、本体の性能にも問題がある。
メイドはそれぞれの人間に一体ずつが配給され、貧困を一切無くした人類にとっての宝である。
だから最高のテクノロジーが詰め込まれ、それもアプデを行い続けている。
それに対して、常時人間と接続しないPCでは、性能が違うのだ。
「PCにアクティブリンクをつなげる事で、マスターとのアクティブリンクを切り替える事ができます。 しかし、出来るのはせいぜい十分です」
「かまわないよ。 記録された怪物の映像を、その十分で確認して、それで見られる映像を確認しよう」
「はあ、分かりました。 しかし本当に気をつけてください。 マスターは今は健康ですが、幾つか体内の数値は万全とは言い難いのですから」
「分かってる」
くどくどいうメイドが、わたしの事を思ってやってくれていることは分かっているから、話はきちんと聞いておく。
それで話を聞き終えてから。
切り替えた。
同時に、わたしは見た。メイドにも見てもらう。
あれ。
さっきはウミウシに見えていたのに。
なんだこれ。これはまるで……。
思わず吐き気がこみ上げたので、口を押さえていた。短時間だけだが、これほど顕著に影響が出るのか。
すぐにアクティブリンクを戻す。
メイドが困惑しながら、体の状態をチェック。わたしは荒く息をつきながら、ぐっと体を起こす。
「映像確認。 こちらでは、先と同じに見えていました」
「……わたしには、たくさんの目を持つ非常に醜悪な生物が見えていたよ。 水泡みたいに体中に目が浮き上がっていて、それで触手が伸びていて。 それを伸ばして、エサを探しているように見えた」
「それは……いえ、此方でも今データを共有しました」
人間が見た記憶を、今では外側で再現できる。これが出来るようになって、犯罪の捜査などは極めて簡単になったのだが。
メイドも驚いていた。
「これは、ゲームか何かに出てくる醜悪な怪物のような姿ですね」
「うん。 これで分かった事がある」
「なんですか」
「見えている怪物は、メイドに依存してる。 この存在は、恐らくだけれど、メイドロボットを主体として判断していて、どうにかしてその映像をわたし達人間に共有させているんだ」
それがどういう存在なのかはまだ分からないが。
人間には敵対的ではないといいのだが。
そもそも最初は人間だけに見えていた。それがメイドロボットにも見えるようになった。その後がこれだ。相手は可変しているのか、意思があってそれで見せるものを変えているのか。
いずれにしても、自然現象ではないだろう。
今の時点では被害は出ていない。
だが、それでも。
これは、大きな成果だった。
すぐにレポートを展開する。反応があった。数人の学者が、さっそく試してみたらしい。結果は同じ。
恐怖で体調に悪影響をきたした者までいたようだ。
ケイムズも驚いていた。
「一種のコンピューターウィルスかもしれませんので、調査します。 それにしても人間とメイドロボットの間のアクティブリンクは、生体電波と複雑なプロトコルを用いているため、普通だったらコンピューターウィルスなど介入する余地などないのですが」
「可能性としてあるとしても大問題だ。 すぐに確認しないと」
「いずれにしても大発見だ。 それと、この研究は、あまり拡散しない方がいいと思う」
一番年長の学者がいう。
確かにわたしも同意見だ。
これが何かしらのコンピューターウィルスやそれに類するものによる仕業だった場合。これを拡散したら、取り返しがつかない事になる。
ただ、そもそもとして新箱根湖で一般人が見ていると言うことは。
既に手遅れなのではないか。
今は無害でも。
何か影響が出始めるのではないのか。
そう思うと、不意に怖くなってきた。これはUMAなんかではなくて、怪異の類ではないのかと。
そんな原始的な恐怖がわき上がってきたのだ。
いや、それは科学者の思考ではない。
すぐに考えを改める。
何かしらのコンピューターウィルスの可能性もあるし、そもシリウスにあった遊星由来の隕石が基になってできたクレーター湖だ。何かしらのよくわからない生命体が住んでいてもおかしくはない。
それを今まで認識出来ていなかっただけで。
とりあえず、データを洗い直す。
いちおう、大佐には連絡を入れておく。大佐は驚きの声を上げていた。
「そのような現象が起きるとは! もしもそれが何かしらの情報生物などによるものだった場合は、対応を急がないとまずいか」
「いえ、今の時点では害は一切出ていません。 とにかく、冷静な対応をお願いいたします。 仮にそうだったとしても、対応の方法がありませんので」
「……分かった。 とにかく、解析を進めて欲しい」
軍用のPCを貸してくれるという。
なるほど、重要度が一段階上がったと言う事だ。
そしてこれで、問題が発生しなければそれはそれでいい。研究の出力を上げる事になるが、人員は絞る方が良いだろう。
ちょっとこれからはしばらく忙しくなりそうだ。
そう思って、わたしは苦笑する。
だが、恐怖が心地よいスパイスになっている。
仮にコンピューターウィルスだったとしても、ぶっちゃけどうにもできない。しばらくは、別の専門家に任せるしかない。
わたしは自分の専門分野でこの謎に挑む。
今できるのは。
ただそれだけだ。
それから数日、とにかくわたしはアプローチを探す。あらゆる試行錯誤を試しながら、それで情報を集めてレポートにする。
時々メイドとのアクティブリンクを外して観測もする。
だけれども、あれから新箱根湖の怪物は姿を見せず。
それ以降、有効なデータは取れなかった。
新箱根湖ではずっと小規模な異常現象は続いている。
また、怪物が消えた海の辺りも引き続き調査しているが、現生の生物にも、現地の住民も。
何かしらの異常をきたしていることもなければ。
異常も観測されていなかった。
食事を促されたので、食べる。
ゆっくり食べるように釘を刺されたのは、どうも逸っているかららしい。確かにあまり噛まずに食べるのは、体に良い事ではない。
淡々と食べながら、焦りを押し殺す。
一体この怪物……いやそうとも限らないか。ともかく一連の現象はなんだ。
大佐の方でも軍用ドローンを出してくれているが、それでもまだ何も分かっていないというのが現状だ。
だがもしもコンピューターウィルスの類だったら。
それはとんでもない事態につながりかねない。
だから、今は休んでいる暇がない。
休んでいる暇もないというのに。
どうしてか充実を感じる。
それは不思議な気持ちだ。
学者として、生まれて始めて手応えを感じているから、だろうか。それもきちんとした労働時間を守って働きながら。
昔は人間をすり潰しながら金に換えていたと聞いている。
そういったことが行われなくなったこの世界で。
適切な労働で、未知に挑む。
そこには適切な恐怖まである。
これほど学者冥利に尽きることは無い。
そう思いながら、作業をすると。ついつい時間が経ちすぎてしまう。それに、競争意識も湧く。
ケイムズが今、コンピューターウィルス路線から、指揮を取って研究を続けているようだが。
それとは違う方向から、何か他にも法則性を見つけられないか。
無言のままデータを集めて、それをレポートにする。
一段落したら立ち上がって、歩き回る。
思考を整理するためだ。
そのあと席に着いて、またレポートを書く。
それを続けて。
わたしは淡々と難題に取り組み続けた。
「マスター、休憩を入れてください」
「わかった。 ちょっとまって」
「今すぐにです」
「……うん」
じゃあ、仕方がないか。
ともかく席に着いて、休憩を開始する。メイドはわたしの母も同じだ。それは分かっているから、言う事は聞く。
紅茶を飲んで休憩を入れていると、連絡が入った。
紅茶を嗜みながら聞く。
ケイムズからの連絡である。
昔使われていたチャットツールのように、全体に連絡が入るようになっている。
だから、聞き流すだけでいい。
「コンピューターウィルスの可能性を調査していましたが、恐らくだとしても人為的なものではないですね。 技術が逸脱しすぎていて、人間が造れる代物ではないです。 AIによる製作の可能性も考えましたが、テクノロジーが異質すぎて作成は不可能だと結論出来ます」
「何かしらの画期的なアイデアが使われている可能性は」
「いえ、そういうレベルですらなく、人間がつくれるようなものではありません。 しかもそれはコンピューターウィルスだった場合です。 そうである可能性ですら、今は低い状態でして」
「だとするとお手上げではないのか」
複数の声が上がる。
わたしとしてもそれは同感だ。
他の学者も色々な話をしているが、いずれもが手詰まりのようである。メイドに依存する幻覚。
それも無害。
人間だけでみると化け物にしかみえない。
それでいながら実態はない。
恐らく、観測されている異常現象が何かしらの鍵であると思われるのだが、それすら法則性皆無。
だとすれば、何一つ手がかりがない。
「以前のように、宇宙人が何かしている可能性は」
「ないとはいえないが、そもそも此方の技術の埒外から悪戯をして、何の意味があるのだろう……」
「それもそうだな。 我等の技術力に対する優位性を示すなら、そもそももっと都会や人口密集地でやればいいだろうし」
「だとするとシリウスの遊星が原因なのか? それにしても、今更になってどうして」
意見が飛び交う中。
ふと、わたしは気付く。
「ひょっとしてこれ、文明の担い手を人間ではなくメイドと勘違いした何かが悪さをしているのでは?」
「……その可能性は考えていなかった」
「確かにメイド主体で問題が発生している。 だとすると、その可能性は否定出来ないか?」
「我々からのアプローチでダメなら、そちらからアプローチする手はあるのか」
わいわいと話が続く中。
わたしのメイドが挙手。
アクティブリンクを切って、提案してくる。
「私から呼びかけてみましょうか。 最悪の事態が起きないように、アクティブリンクを切った上で」
「気を付けてよ」
「私は幾らでも代替が効きます。 破壊された場合に備えて、二号機を準備しておきましょう」
そういう風に割り切れるのがAI搭載のロボットの怖さか。
わたしは、そこまでは割り切れない。
メイドといってもわたしの母親と同じだ。
壊れでもしたら悲しい。
今の時代、どれだけ長生きしても、メイドの方がずっと長生きする。
ロボットが実用化された頃は、人間よりずっと寿命が短かったようだが。今は技術の進歩によりそれもなくなった。
人間の側で支えてくれる存在としてのメイドロボット。
それは、今は本当に大事な存在なのだ。
「わたしは死なれると悲しいな。 だから気を付けて」
「分かりました。 具体的な行動指示をお願いいたします」
「うん。 それじゃあ……」
わたしはメイドに指示を出す。
他の学者も、それについて興味津々のようだった。
ドローンもAIを搭載しているが、そもそもAIのレベルが違う。今の時代では、メイドロボットを主役と誤認する存在がいてもおかしくない。
メイドと一緒に移動。
わたしは支援用のPCを操作しながら、湖の畔に出る。
霧が出て来た。
軍用のPCを貸与されているので、アクティブリンクを切るのは十分より長い時間出来るし。
既に軍の方で、いざという時のバックアップ機を用意してくれている。
だけれども、死んで欲しく無い。
怖くなってきた。
わたしが固唾を飲む中。
ボートを使って、メイドが湖にこぎ出す。メイドの視界、得ている情報が、わたしの側の立体映像モニタに映し出される。
「異常検知」
「そっか、ひょっとすると……直に様子を、単独で見に来るのを待っていたのか」
「そうなのですか」
「可能性はある。 とにかくきをつけ……」
それ以上は続けられなかった。
湖が盛り上がると、メイドが乗っていた船が、いきなり空に投げ上げられたのだ。それだけじゃない。
放り上げられたメイドが、ジェットパックで姿勢を立て直そうとする暇もなく。
半透明のおぞましい姿をした何かが、大量の触手でメイドを捕獲。そのまま、一瞬で握りつぶしてしまった。
絶句するわたし。
まさか、此処までの急激な変化が起きるとは。
素晴らしいだとか、学者達が大喜びしている。それは本当だろうか。こんな光景を見ても、どうしてそう思えるのか。
音が聞こえてくる。
それは、何か歌っているかのようだった。
勝利の歌だろうか。
いや、それにしては悲しすぎるものに思えた。
湖に、メイドの残骸がぼとぼとと落ちる。その有様を、ドローンが撮影している。
どういうことだ。
こんなこと、思いつかなければ良かった。
いや、これで解明に大きく進む。
そういった考えが、ぐしゃぐしゃになって一度に襲いかかってくる。わたしは、涙を流しているのに気付いていた。
わたしの判断で。
大事な存在を死なせてしまった。
思考パターンなどは完璧にバックアップを取ってある。だから、メイドはすぐ側に再現されて戻ってくる。
だとしても。
わたしは知る。
湖にいるのはUMAなんかじゃない。
怪物だったのだと。
椅子になついていた。
わたしは、涙を何度も拭って。そして。
湖に向けて、馬鹿野郎と叫んでいた。その声に応えるものは、誰もいなかった。
4、怪物はそこに
それから何体ものメイドロボットが生け贄代わりに湖に投入され、怪物とのコミュニケーションが図られた。
その結果、その全てが破壊されつつ。
少しずつ、分かった事がある。
怪物は、恐らく善意に近いものでそれをやっている。
実体化と非実体化を切り替えられる。
それは分かった。
怪物はこの世界の圧制者としてメイドロボットを考えているのかも知れない。わたし達は支配されている奴隷と言う訳だ。
だが、それは間違いだ。
とにかくコミュニケーションが取れない。
それが最大の問題だ。
怪物が考えを変えた場合が非常に危険である。実体化と非実体化を切り替えるなんて行動、今の人類の技術力ではとうてい無理。
星間航行を実現した今の人類の軍事力でも、こいつが怪獣映画の怪獣みたいに暴れ出したら、手に負えない可能性がある。
善意で行動しているとしても。
あの一瞬でメイドをバラバラにする残虐性。
もしも、人間が圧制者で。
メイドロボットを奴隷として使役しているとでも考えたら、今度はああやって殺されるのはわたし達の番だ。
無言で湖を見る。
二代目のメイド。
姿も変わらず、バックアップしたAIでまったく行動も変わらない……が側にいて。紅茶を淹れてくれる。
ありがたくそれをいただくけれど。
それにしても、殺された時の事を考えて、どうしても怖くなる。
軍事兵器などは恐らく一切無効だろうし。
下手に仕掛けると。
反撃してくる可能性も高い。
どうにもできない。
既にこの辺りは閉鎖され、学者しか入れないようになっていた。
他の湖などでは、同じ現象は確認されていない。
だが、あの幻覚は。
海に消えた。
海で大繁殖して、世界中に拡がりでもしたら。
この文明は、一瞬で破綻してしまうのかも知れなかった。
「美千留博士、よろしいですか」
「なんですか」
ケイムズからだ。
ケイムズも近くに拠点を置いて調査をしている。そしてメイドロボットを使い捨てにしながら、怪物の調査をしている。
分かっている。
メイドロボットはあくまでロボット。更にはAIの完璧なバックアップだって出来る。消耗品扱いしても咎める事は出来ない。
それに、更なる被害を防ぐためという理由もある。
正しいのはケイムズだ。
だが、どうしても好きになれない。
それだけだ。
勿論わたしも、相手の好き嫌いで態度を変えるような阿呆ではない。だから、話はきちんとする。
お気持ちで相手の命まで奪って良いとされていた時代があったことはわたしも知っている。
相手にレッテルを貼って人間以下の存在として、そして殺戮の限りを尽くした時代が確かにあった。
そういった時代の人間と一緒になるつもりはない。
だから、嫌いだろうときちんと接する。
最低限、人間とするべきことがそれだとわたしは思っているからだ。
「研究の結果がわかってきました。 やはり湖にいる存在は、メイドロボットを敵視しています。 幾つかの言語らしいものを分析出来ました。 それは殺意だけが組み合わさった咆哮にちかいもののようです」
「それで対策はどうしますか」
「非実体化している状態についても幾つか分かりました。 使用された遊星の残骸がやはり問題だったようです。 それが落ちた場所を特定。 それらを厳重に監視して、以降は動かさないようにします。 調べて見た所、それらから距離を開ければ開けるほど、湖にいる存在は力を落とします。 湖から出た状態では、メイドロボットを殺傷する事はできません」
そうか。
でも、それは今はそう、というだけだ。
「念の為、最悪の場合は殺処分できるように更に研究を進めます。 美千留博士、幾つものヒントを有難うございました。 とても大事に思っているメイドロボットを失っても研究を続けてくれたこと、感謝します。 後はお任せください」
「……」
わたしは一礼すると、メイドを促してその場を離れる。
UMAは好きだ。
今でも好きだ。
だが、此処にいる奴は、わたしが好きな奴じゃない。ロマンもなにもない。それどころか。
何を考えているかは知らない。
戦争の時、その主力となっていた戦闘用ロボットを見て敵意を抱いたのか。それとも、実際にはもっと慈悲深い理由でやっているのかは分からない。
だけれども、わたしにとって大事な存在を傷つけたのもまた事実だ。
ここの研究だけはもう二度としない。
此処に住み着いた怪物が殺されようと知った事かといいたいが。それでは昔の愚かな人間と同じだ。
ただ、嫌いだ。
それだけである。
「ネス湖いこう」
「分かりました」
わたしは、ネス湖に行く事にする。
いる訳もないネッシーでも研究して、憂さ晴らしをする。
湖の怪物が、こうも不愉快な存在だとは思わなかった。
わたしは学者であるが、同時に人間でもある。
だからこそ。
それを殺してはいけないことも分かっていたし、同時に許せなくもあるのだった。
(終)
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