眠れる城
 
序、災厄の王
 
それは、途轍もなく古い城であった。とある山脈の中央部に、存在感を主張するでもなく、逆に身を隠すでもなく、淡々と存在していた古城。内部は既に朽ち果てており、昔日の繁栄は見る影もないが、荒らされた形跡はいっさい無い。未だ威厳を保ち、古びながらも堂々と立ち続ける、いにしえの建造物。
人類社会において、その城は伝説上の存在でしかなく、最近まで実在は疑問視されていた。だが、とある大学の研究チームが、幾重にも脚色され、ねつ造されてきた(その歴史)を慎重にひもとき、独自の解釈を施した結果、ついに存在を発見することに成功したのである。
スナイデゼン王立魔法アカデミーと言えば、世界でも屈指の魔法研究機関であり、今までにも様々な輝かしい業績を上げてきた。そして、今回もその名を辱めない、誇るべき実績が加えられたのであった。
城の名は、正式にはルーゼル冬過宮という。元は宮殿として造られ、後に城塞として改造されていった建造物で、同時代の遺跡としては最大級の物だ。だが、この名は剰りにも一般的ではなく、神学の教科書に記され、義務的に覚えられる物以上の存在ではない。この城には、誰もが知る、別の名前があったのである。
この城は、千二百年前に突如現れ、二百年後に消滅した種族の王城だった事で知られている。恐れられ、伝説と化したその種族の名は、魔族。今も下等な者の子孫や、その変異種(とされる生物)は、極少数生き残っているが、人類の驚異とは到底なり得ない。だが、千二百年前から世界を席巻した魔族は、地形を変え、気候さえも従え、大いなる災いとなって、人類を絶滅寸前にまで追い込んだ、とされている。そして、この城は、魔族の首領たる者が住み、畏怖を込めてその名で呼ばれていた。
魔族の首領は、名前だけ伝わっている。どう言った者だったかはいっさい伝わっておらず、竜のような姿であったとか、妖艶な女であったとか、雲を突く大男であったとか、様々に説が唱えられ、現在も議論のネタになっている。その存在の名は、魔王ルシェルトと言った。そして、この城は、災いの元凶たる存在のすみかであったが故、その名を冠しルシェルト城と呼ばれていたのである。
王立アカデミーは、その存在を確認すると、即座に周囲を立ち入り禁止とし、調査チームを結成した。その中には、有名な魔法学者、魔導師にまじって、プロの探検家や、生物学者、歴史学者も混じっていた。これには、幾つか理由があった。特に危険な生物は、ルシェルト城の周囲には生息しておらず、安全は確認されてはいたが、城内には流石に何があるか分からない、と言うことが一つ。また、今まで発見されなかっただけあり、城は人里からかなり離れている上に、地形が非常に複雑で、陸の孤島と化しているため、簡単には辿り着けない、と言うことが一つ。また、発見時の調査では、文化遺産らしき物や、様々な生物の骨なども発見されており、魔法学者だけでは調査しきれない、と言うことが一つ。持ち帰られた証拠品の数があまりにも少なく、疑問視する声が挙がったのも一つ。以上のことなどが要因となり、一見部外者にも見える者達が、調査チームに組み込まれたのである。
最終的に、結成されたチームの人員は、現地の住民二名を含む合計十二名。構成人員は、皆一流の人材だった。王立アカデミーでも、魔族研究においては右に出る者がいないシュナイター=ドレイク魔法特級博士と、その助手が二人。シュナイターはルシェルト城の発見者でもあったし、チームへの参加は当然であった。また、王立アカデミー所属で、豊富な知識を持つメイディ=フォル特級魔導師が加わったのは、調査チームには大きな喜びであっただろう。世界の秘境を探検し、二つの世界的遺産レベルの遺跡を発見した、探検家にして考古学者のハウストマン=クラスト氏は、二名の助手と共にチームに合流した。歴史学者のバルゼル=リリィは、魔族の存在に懐疑的であることで知られ、調査に公平を帰すためにもと、自らチームに加わることを名乗り出た。生物学者のガシュトフ=メイは、魔族の末裔とされる(レッサー・デーモン)と呼ばれる生物研究の第一人者で、城で発見された無数の生物の死骸が、純粋な魔族の物ではないかと考え、弟子と共に、はやる心を隠しもせずにチームへ参加を申し出た。彼女は他にも生物全般に豊富な知識を持ち、経験も豊かである。当然の人選だと言えただろう。
魔族は圧倒的な力を持つ反面、絶対的な数自体が少なかったらしく、決定的な存在の証拠となる、骨や異物が余り残されていない。これは、魔族の存在そのものが徹底的に恐れられ、それらしい物が発見されると、すぐに壊され破棄されるという、学者には悪夢としか言えない事態が、長期間にわたって続いたことも、原因の一つとして上げられる。また、つい最近まで、魔族の研究自体がタブー視され、それを研究したと言うだけで、惨殺された者さえ実在したのである。
現在、そういった愚行がない、と言えば嘘になる。だが、少なくともタブー視されるようなことはないし、面と向かって迫害されるようなこともない。科学文明が発達し、それに劣らず魔法文明も発達した。結果、人類は自分の力に自信をつけ、過去の恐怖をそれによって克服することが出来たのだ。そして今、人類は過去の恐怖の最大たる、魔王へと挑もうとしていたのである。それが愚行か、或いは進歩なのかは、現時点では、誰にも判断出来なかったことであろう。ともあれ、過去の恐怖の正体を解き明かすべく、人は動き出した、それは間違いのない事実であった。
 
1,いにしえの城
 
古城への道のりは険しかった。以前ルシェルト城まで行ったシュナイター、それにハウストマン氏は楽しそうであったが、女性陣、特にリリィ博士は不満を常にこぼしていた。あたりは延々と荒野が続いており、時々不意に森がある。地形は険しく、大型の肉食獣はいないが、それは獣も住みたくないだけではないかと、行く者達へ思わせた。人里からかなり離れ、数日間野宿をした後、目的地はようやく姿を見せた。城が原形をとどめていなかったら、更に発見は困難であっただろう。だが、流石に魔王の城と言うべきか、ルシェルト城は、少なくとも外観は、堂々たる姿を見せていた。
現地の民は、ルシェルト城のある位置を(死の領域)と呼んでおり、そのあたりで幽霊を見たとか、怪物を見たとかいう話を、幾らでもストックしていた。それでいて、実際にそれらの恐怖に直面した者は、誰一人いないのである。
これは文化遺産級の遺跡には、良くあることであった。高度な文明の跡地や、その残骸は、地元の住民にとっては畏怖の対象となり、聖域や魔界として恐れられ、タブーとなることが珍しくもないのである。文明が進んだ地域でさえ、都市伝説や怪談が流行することはむしろ当たり前なのだ。ましてや、自然と密着して生き、未知に畏怖を感じる素朴な者達が、自分たちの常識ではかれない存在を、どれほど恐怖するか、想像するのは実に容易であろう。
そういった地点を探索すると、貴重な古代の遺跡に出会える。探検家や考古学者にとっては、それは周知の事実であった。そして、長年ルシェルト城に興味を持っていたシュナイターは、様々な資料を調査して大まかな場所を割り出すと、有名な探検家や考古学者に相談を持ちかけ、その助言に基づき徹底的な聞き込み調査を行った。そして、ルシェルト城発見という、空前の快挙を成し遂げることが出来たのである。
一行が連れている現地の住民二人は、若くて好奇心旺盛な者達である。伝統や迷信を否定したがる年頃の者達で、積極的にこの調査に参加したがった。彼らは荷物持ち、いわゆるポーターであったが、それでも満足げであったのは、シュナイターが熱っぽく語ったことを信じていたからであろう。すなわち、これは歴史を変える大発見であり、協力者は歴史にその名を太字で残すことが出来る。無論、とても高額な給料も、野心を後押ししたことは疑いがない。
「よおーし! キャンプを張るぞ!」
城の姿を確認したシュナイター博士が言うと、助手達や、ポーター達が準備に取りかかった。城の周囲は森だが、危険な動植物は生息しておらず、危険な毒虫の類もいない。魔物など、この辺では数百年間出たこともない。百足や蠍はいるにはいるが、ごく普通のサイズで、特に強力な毒を持つわけでもない。その辺の森と、危険度は大差がないといえるだろう。
せかせかと精力的に拠点を造る者達を横目で見ながら、リリィ博士は団扇で顔を仰いでいた。他の者達と同じく、動きやすい格好で来た彼女は、若干癖のある黒髪黒目の、鋭い目つきの美人であり、雰囲気がきつすぎるのが玉に瑕だと周囲によく言われる。彼女は最初からこの城が魔王の城だ等とは信じておらず、隙あればそのトリックを粉砕し、バラバラにしてやろうと、目の奥に爛々たる炎を宿していた。だが、それでも疲労には勝てないらしく、平らな石に腰掛け、嘆息していた。ただ、疲れたかどうか、聞こうとする者はいない。このやり手の女学者は、三十過ぎから体力が落ちたことを必要以上に気に病んでいて、元々かんしゃく持ちであることも加わり、それを言われると爆発するからである。
一同でもっとも体力があるであろうハウストマン氏は、ポーターや助手達を指揮し、せっせと拠点構築にいそしんでいる。金髪碧眼の彼は、無精髭がよく似合う、今は少なくなったワイルドな雰囲気の男で、一同の中で一番探検家の格好が似合っていた。今彼が就いている仕事は、自他共に認める、文字通りの天職であっただろう。熱心にキャンプを設営しながら、それでも、時々城に興味深げな視線を送っているのは、考古学者ならではの行動であろうか。彼は四十過ぎであるが、その盛り上がった筋肉、衰えを知らぬ頭脳、柔軟な思考、いずれもその辺の若者を遙かに凌ぐ。一番重い荷物を運んできたのにもかかわらず、時々平然と高笑いしているのは、彼の圧倒的な体力と、精神的余裕を示していた。
一同から離れた所でメイは、一人図鑑を広げ、周囲の生物を観察していた。当然助手達はキャンプの設営に協力しているのだが、彼女は全くそういうことには無関心であり、手伝うの手の字も口にしない。メイは二十代半ばで、今回参加している博士級のメンバーの中では一番若い。だが、自分の興味があること以外にはいっさい体力と頭脳を裂こうとはしない性格のため、社会性はゼロで、今もその欠点を思う存分発揮していた。容姿も子供っぽい彼女は、良く中学生に間違われることがあり、一同の中では場違いなほど子供っぽかった。今も、大きなスカイブルーの瞳で、栗色のポニーテールを揺らして、幼い表情で心底楽しそうに虫を観察する姿は、子供以外の何者でもない。
キャンプを張る者達から離れて、ふらりと城へと歩いていった男が、メイディ特級魔導師である。特級魔導師というのは、世界的に実力を認められた魔導師にだけ許される称号で、この男の実力はそれに恥じない。特に結界と封印、それに呪縛等の魔法を得意としており、それに関しては右に出る者がいないほどの力を持つ。普段はぼんやりしているように見え、実際ぼんやりしているのだが、興味のある存在の前に出たときには、気力が不意に復活する。その点では、今図鑑を広げて虫を見ているメイと同じ人種であろう。彼はダークグレーの涼やかな瞳と、燃えるような赤毛が良く陽に映える美男子であったが、性格がそれらの美点を尽く覆い隠しており、周囲にはなかなかそれに気づいてもらえないのであった。
「ちょっと、メイディ! 抜け駆けは反則よ! 戻ってきなさい!」
ふらふらと歩いていたメイディを、後方からリリィが制止した。それは、ほとんど叱責すると行った方が良いような、苛烈な口調だった。それを受けて、暫くメイディは制止していたが、やがて無言のまま杖をつき、一同の方へ戻っていった。腹を減らしていたらしく、シュナイターの助手が料理をする背後の石に座り、其処に無言のままずっと居座っていた。
チームのリーダーを任されているシュナイターも、お世辞にも社会性が豊かというタイプではなかった。彼はメンバー中最年長で、髪には白い物が混じり、顔には深く堀が刻まれている。だが足腰はしっかりしていて、眼光は鋭く、まだまだ気力に衰えはない。もっとも、雑作業の類は好きではないらしく、適当に指示を飛ばしながら、作業を見守り、決して自分では手を貸そうとはしない。そして思い出したように、退屈そうにしているリリィの方へ、つかつかと歩み寄っていった。
「リリィ博士、退屈かね?」
「退屈よ。 茶番につきあうのも、これっきりにしたい所だわ」
「くはははははは、まあ、そう言うな。 中に入れば、すぐにこの城が如何に貴重な文化遺産か、すぐに分かるとも」
「……はいはい、そのときが楽しみね」
素っ気ないリリィから視線を逸らすと、シュナイターはキャンプを設営している助手に指示を飛ばし、その背中に今度はリリィが声を掛けた。
「……千年前から、千二百年前に掛けて、人類の数が激減し、幾つかの近人類種が滅亡したのは歴史的な事実よ。 それは私も認めるわ」
「ほう? では、何を認めないと言うのかね?」
「……それは魔族などと言う、たわけた存在によってもたらされた破滅ではないわ。 この城は歴史上で登場し、今回実在も証明されたけど、魔王などと言う荒唐無稽な存在の存在を証明するものにはならないわよ、絶対に」
「くははははは、そうかね」
にやにや笑いを浮かべながら、シュナイターは返した。しばらくは無言が続き、キャンプの設営が終わった頃に、二人にハウストマンが近づいてきた。
「おう、シュナイターの旦那。 キャンプの準備は終わったぜ。 晩飯にしようや」
「そうさな。 時にハウストマン博士、汝、この城をどう見る?」
「……時代は、魔族が暴れてたって時代の、少し前に造られたようだな。 そして、何度か増改築が行われてる。 十中八九、伝説に出てくるルシェルト城だろうな。 さっき、幾つか外壁や周囲の構造物を調べてみたが、多分間違いないぜ」
「相変わらず抜け目無いわね。 もうそんな事してたわけ?」
「ハァハハハハハ、かわいげのある、抜け目もある奴は、この業界じゃ食っていけねえよ」
ひとしきり馬鹿笑いすると、ハウストマンはメイを呼びに行った。メイディはこういうときに限って要領が良く、既に夕食にしていた。
 
夕食の後、焚き火を囲んで、会議が開かれた。助手達は、既にファミリアを呼び出して、筆記の準備に入っている。
ファミリアというのは、使い魔と一般には称され、様々な姿をしており、者によっては人語を解する。大体において人間のサポートを目的として、簡単な封印結界の中から呼び出され、使役されることが多い。今呼び出されたのは、筆記のサポートをする目的で改良されたファミリアであり、機械的に発せられた言葉を記憶し、後で再生することが出来る。
助手達がファミリアを呼び出すのを見届けると、シュナイターが口を開く。脇では、ポーター二人が、興味深げにやりとりを見守っていた。
「早速だが、明日は内部の本格的な調査を開始する。 これが、現時点で分かっている城の見取り図だが、前回はなにぶん人員も装備もついでに時間も足りなんでな。 不正確なことがあったら詫びよう」
「旦那、この部分だが、明らかにおかしいぜ。 多分、こうなっているはずだ」
間髪入れずに、ハウストマンがチョークを取りだし、見取り図の外壁部分の一部に線を入れた。そしてどうしてそうなるのかを淡々と説明し、助手が慌てて測量図を取り出す。ほどなく、ハウストマンの言葉の正しさは立証され、シュナイターは苦笑した。
「協力感謝する。 これで地図が更に正確になった」
「気にするな。 仮の調査時には、ミスは結構出るモンなんだ。 それよりも、この地図を見ると、外壁に隣接した一部しか調べていないんだな」
「内部は、性質が分からぬ残留魔力が残っていて、それなりに危険だ。 生き物はいないが、トラップの類が存在する可能性もある。 それに、この扉は、未だに強力な封印が残っていて、開けることが出来なかった」
「なあるほど、それで装備とスペシャリストを揃えて、出直してきた、てわけか」
無言でシュナイターが頷き、リリィに視線を移した。
「ところでリリィ博士。 貴女は此処で、如何なる物が発見されたら、魔族、それに魔王の実在を認めるかね?」
「そうねえ……魔族の遺骸、それに、伝説に出てきた魔族達の武器、かしら」
「なるほど、確かにそれが見つかれば、存在は確定的だな。 それよりも、何故それほどまでに魔族の存在を否定したがるのだ?」
「伝わってる伝承と、見つかってる大破壊の痕跡に、差がありすぎるからよ。 伝承のいい加減さも、私を否定論に傾ける要因だわ」
皆が、続けてくれと、視線でリリィに促した。歴史学者は、煙草に火をつけ、一服すると、言葉を続けた。
「フェル大陸に残る、通称(大陥穴)。 魔族の想像を絶する破壊力を示す証拠とされているけど、これは隕石が落下した物だと考えても何らおかしくはないわ。 伝承では、たった一体の魔族が開けた穴だとされているけど、となると魔族の魔力は、現在開発されている最強の魔導兵器の十倍から十二倍の力を持つことになるわ。 あり得ない話ね」
「何があり得ないんだ?」
揶揄するようなハウストマンに、タバコの煙を吐きながらリリィは明確に答えた。
「魔族を、そしてその長である魔王を屠り去ったとされているのは、(勇者)と、その仲間、数名の人間よ。 それが本当だとすると、どう考えても魔族は人間の手に負える存在ではないわ。 唯一考えられる可能性として、恐るべき武器を持っていたというのがあるけど、見つからない限りは机上の存在以上の物ではないわね」
「成る程、それで魔族の武器を考慮に入れたい訳なのだな」
「それに、私としては、勇者側の残した記録のいい加減さも、看過できない処ね」
現在も、(魔王)を屠り去った(勇者)の信奉者は少なくない。人がいない此処でなければ、声を潜めねばならない話題であったかも知れない。だが、リリィは堂々としていて、何も気に病む様子がなかった。
「信頼できる歴史書の数々と、勇者に同行したとされる大魔導師(ルティカ)の残した日記に、剰りにも誤差が多すぎるのは知っている? 酷い箇所になると、年号ごと間違えている場所もあるわ。 日記自体が、当時書かれたものであることは証明されているけど、はっきりいって、これは資料として信用できる物ではないわ。 適当に口裏を合わせて、造った物だとしか思えない」
「ふむ……」
「でも、それは信用できないと言うことであって、嘘というわけにはならないんじゃなーい?」
不意にメイが口を挟んだ。彼女は持ち帰られた遺物の、魔族の骨らしき物に興味津々だった故に、肯定論に傾いているらしい。リリィも、脇からくちばしを挟まれたくらいで、怒るような事はなかった。気は短いのだが、議論はきちんと出来るタイプのようである。
「ええ、だから私もここへ調査に来たのよ」
「他に、勇者側の資料のうち、信憑性を疑うような物はあるのか?」
「星の数ほど。 もっとも顕著なのは、勇者側が残した、魔王の容姿に対する言葉が無茶苦茶だって事よ」
「それは知っているぞ。 何でも、勇者本人や同行者達はいっさい口をつぐんでいて、その弟子や子孫が適当に推測した言葉だけが残っているとか」
結構有名な話であったし、何より魔族研究に関して右に出る者のいないシュナイターは、それを知っていた。歴史に詳しい考古学者であるハウストマンも、隣で頷いている。
「この件に関しては、歴史学者の間でも諸説があって、真偽は未だに不明なの。 でも、きな臭いと思わない? 勇者にとって、一番の見せ所である、魔王撃破を、どうして隠蔽する必要があるのかしら」
「君の仮説を聞きたいな」
「……伝承に残る、世界の破壊者、魔王など存在しなかった」
言葉を切ると、眼鏡を僅かにずり上げ、リリィは続けた。
「二百年間にわたって続いた、世界的な天変地異で荒廃した人心を落ち着かせるため、時の権力者達は結託して(勇者)と(魔王)を作り上げた。 (勇者)は各地でもっともらしく、様々な冒険を繰り広げて、ショーを繰り広げた。 そして、何かのスケープゴートとして用意された(魔王)を殺したか、或いは殺したと称し、それを世界に発表した」
「成る程な。 確かにつじつまは合う。 だが、この城の中を調査して、魔王実在の証拠が出たらどうする? その考えを捨てられるか?」
揶揄するようなシュナイターの言葉は、自信満々であった。リリィは、眼鏡の奥に、冷笑とも苦笑ともつかない光をともして見せた。
「無論よ。 歴史学者は、頭を柔軟にしなければならない仕事ですもの」
「オレは……」
不意にメイディが発言し、皆が振り向いた。口べたな特級魔導師は、ぼそぼそと、自説を述べた。
「この城には、何かあると思う。 ……外からでも、凄い力と、残留思念を感じる。 ……インチキじゃ、この圧迫感は……作れない」
「明日の調査が楽しみね。 眠いし、私、もう寝るわ」
からからと笑うと、リリィは自分のテントに引き上げていった。その日は実質上それで終わり、後は小さな打ち合わせを幾つかすると、めいめい自分の場所へと引き上げていく。城は、人間共の話し合いなど知ったことではないと言った様子で、相変わらず月光を浴びて、静かに佇み続けていた。
 
2,そこにある過去
 
翌日は、からりと晴れた。空には雲一つ無く、時々鳥が通り過ぎる以外には、特に変化もなかった。ここ数日で、もっとも気持ちの良い天気であった。
古城の入り口は、以前はかんぬきが掛けられていたようだが、朽ちてしまい、今は重い鉄の戸だけが残っている。跳ね橋はもう無く、堀も埋まっていて、防衛機構としての用をなしてはいない。一度戸は壊された跡があり、後から修復した痕跡も残っていた。前回は、慎重にこの戸を、様々な魔法を駆使して開け、中に入ったのである。一方、今回は、ノウハウが分かっていたから、さほど難しい作業ではなかったし、何より世界有数の魔導師がいるのだ。その魔導師、メイディの力もあり、すぐに戸は開いた。
中は埃っぽく、差し込む明かりも弱い。また、古城にふさわしく朽ちていて、彼方此方には凄まじい戦いの跡が残っていた。そして、入り口からもう、異形の生物の亡骸が転がっていた。メイが目を輝かせ、弟子と共に、早速調査にかかった。その脇を通り抜けたハウストマンは、地図を広げて、弟子と共に、重要な物を一つずつチェックしていく。
「とりあえず、私が調べた所にトラップはなかった。 だが奥はどうだか分からぬから、気をつけよ」
シュナイターが警告を発し、再調査の終了を待つ。周囲に転がる異形の亡骸は、大きさが明らかに人間よりも大きく、また人間とは違う骨格をしていた。俗に言う、古代の生物兵器の生き残り、(魔物)の物もあるようであったが、どうもそうではない物も多数含まれているようであった。いずれも僅かな衣類の欠片や、鎧の破片を身につけた他は、綺麗に骨となっていた。全て蠅の餌になったのであろう。嬉々として、それらの回りにチョークで線を書いていくメイを見ていたシュナイターの背後から、一通り地図に記された通路を見終わったらしいハウストマンが声を掛けた。既に、何カ所かあった封印は、メイディが解除し、通行可能となっている。遠くからの声なので、必然的にそれは怒鳴り声となった。
「旦那ぁ! どうする? まず中央を調べるか? それとも脇から少しずつ行くか?」
「まずは中央から行こう! 中央へ通じそうな通路があったのか?」
「いや、全部調べてみねえと何ともいえねえな! とりあえず、目星をつけたのを、見てきても良いか!?」
「念のため、私も行く! 何、足手まといにはならぬから心配しろ! それとも、私がいては明らかに危険か?」
これはシュナイターがハウストマンを信用していないと言うより、未知の地点を調査する際の、隊長の義務であろう。ハウストマンは革帽子を押さえると、にいと微笑み、シュナイターを手招きした。
 
ハウストマンは熟練した探検家であり、考古学者である。こういった古城は、トラップが生きていることがあり、今までも何度か危ない目にあったことがあったので、彼は極めて慎重に、一歩一歩足を進めていった。彼の表情は真剣そのもので、壁や床に慎重に気を配り、模様一つも見落とさなかった。死体がある地点では、慎重に傷と周囲を調査し、安全を確認してから皆を呼ぶ。助手達は慣れたものであったが、流石にシュナイターは疲れた様子で嘆息した。
「私は、前に来たとき、随分危ない探索方法をしていたのだな」
「俺も、最初はそんなモンだったさ。 色々痛い目に遭って、安全な探索方法を覚えたんだが、ま、それも昔の話よ。 それよりも旦那、多分此処が中心への通路だ」
ハウストマンが後ろ手で指さしたのは、地の底へも通じそうな、暗く、深い深い通路であった。道自体は一本道で、左右には点々と死体が転がり、壁や天井には、大きな傷がいくつものこっている。城は極めて頑強な作りであり、壊れている部分や、その兆候は一切無いが、大きな傷は探索者を不安がらせるに充分だった。
率先して歩き出したハウストマンは、カンテラをつけると、今まで以上に慎重な動作で進み始めた。今までにないほど死体の数が多く、しかもいずれもがとても大きいのだ。それらに付けられた傷も凄まじく、此処で行われた戦いの激しさが伺われる。
「この様子だと、戦った奴らは、どっちもバケモンだな。 正体が何だかしらねえが、魔族とかって連中も、無敵の強さを持たなかったのは確からしい。 この辺の死体は、見ろよ、体の前面に傷を受けてる。 正面から戦って殺られたんだ」
「この打撃は、壁をも深く砕いているが、魔法による物か? 武具による物だとすると、特S級ランク以上の使い手が、同じく特Sランク以上のマジックアイテムを振るったとしか思えぬな。 当時に、そんな物を造る技術があったのか?」
「後でリリィセンセにでも聞いてみようや、旦那」
感嘆したような畏怖するような微妙な表情で、壁に深々と穿たれ、骨と化している獲物ごとあたりを粉々に砕いている傷、それを見やるシュナイター。それに対し、ハウストマンの表情は冷静である。まず安全を確保すること、調査は後でゆっくりやることを念頭に置いているからで、彼はこの城が余程のことがない限り崩壊などしないことを、今までの調査で悟っていた。故に、時間は余裕があり、トラップに気をつけて調査員の安全を確保するのがまず第一なのである。
下り坂は緩やかであったが、延々と続いた。途中には、たいまつを捧げていたらしい台座が幾つもあり、無事な物も壊れている物もあった。途中、一回だけトラップが発動し、針が一同の足下に降り注いだが、これは計算ずくでハウストマンが発動させた物で、死傷者など一人も出なかった。冒険と言うには地味すぎるが、派手な冒険などこなせるのは、この中ではハウストマン位しかいないから、それでよいのである。壁には鮮血が飛び散った跡らしい、黒いシミが何カ所かあった。彼方此方汚れている他は、特に模様も彫刻もない。地味で素朴で、頑強な壁であった。所々にある、戦闘によってつけられた傷は、その頑強な壁を、深々砕いていた。
「しかし、地味な内装だな」
「宮殿のままだったら、ちったあ派手な装飾があったかも知れねえが、此処は城だ。 しかも戦に破れて、滅びた城だ。 少なくとも、(城)であるこの辺には、んなモノあるわけねえよ。 ……と」
ゆっくり、だが着実に歩を進めていたハウストマンが足を止めた。下り坂が終わったのだ。そして、通路は、今度は左右に分かれていて、湾曲して奥に続いていた。手錠が空洞になっていて、その中にいたら、先端部がこんな風に見えたかも知れない。
そこで、シュナイターが一旦休憩を明言し、ハウストマンが従った。ハウストマンは助手に、安全な場所を明記させていった。そして自らは腰を下ろすと、自作地図に、手書きで今まで探索した部分を書き込んでいった。
 
数時間後、探索が開始された。ハウストマンが、そろそろ中心部が近いと皆に言ったため、今度は探索班に、リリィと、メイディが加わっている。メイは発見した遺体を丁寧に一つ一つ調べており、まだ此方に来る余裕はない。
円状の通路は、極めて正確に弧を描いており、入ってきた通路の丁度向こう側で合流していた。そして、其処には大きく緩やかな登り階段があり、延々と奥へ続いている。階段は、今まで降りてきた通路の真上に位置しているようで、今まで進んできた通路を、高さを変えて戻るような形になる。階段の下には、上から転がり落ちてきたらしい、不自然な体勢の骨が転がっていた。
「この辺の通路は、侵入者を撃退しやすくするように、後で付け加えたんだろうな。 もっとも、何の役にも立たなかったみてえだが。 ……どした、リリィセンセ」
「あんたみたいな図太い神経の男と一緒にしないで。 これだけ亡骸が転がっていて、平気な方が異常だわ」
青ざめた顔で、リリィが死体から視線を逸らす。なんだかんだと言って、この学者は、結構線が細い処があるらしい。笑い飛ばすわけにも行かず、やれやれと肩をすくめ、ハウストマンが真剣な表情に戻り、一歩一歩階段を上り始めた。階段には絨毯らしい布の残骸が残っていて、分厚く埃が付着していた。所々切り裂かれ、赤黒く変色しており、それを見るたびにリリィは視線を逸らし、目をつぶった。
階段は、下り通路よりは短かった。途中には罠の類もなく、遺体の数も徐々に減ってきた。一度は巨大な遺骸が、道をふさぐように倒れていたが、どんな生き物とも似てはいなかった。当然これはメイの担当であろうから、今は触れるわけにも行かない。
階段を上り終えると、光が差し込んでいた。そこは大広間で、今までにないほどの数の亡骸が周囲には転がっていた。おそらく、此処で決戦が行われたのであろう。周囲に残る傷跡も多く、戦いの激しさが誰の目にも、今あった出来事のように伝わってきた。
そして、広間の向こうには、大きな扉があった。そしてそれには、誰の目にも分かる、今までの封印とは比較にもならぬ強力な封印が施され、今も生きていた。
 
「メイディ、手に負えそうか?」
「……何とでもなると、言いたい。 ……多分大丈夫のはずだ」
「よく分からぬが、大丈夫なのだな?」
メイディが頷いたので、シュナイターは安堵して胸をなで下ろした。二人はかなり長いつきあいで、互いの力を認めており、気の置けない仲だった。そのまま、大きな扉に向かい、怪しげな道具を色々取りだして魔術を駆使し始めるメイディを横目で見やりながら、ハウストマンが言う。
「旦那、俺は彼方此方にある部屋や、行っていない通路を調べてくるが、いいか? それに、メイ嬢ちゃんに、死体のある位置を記録してくれって頼まれててな」
「うむ、頼む」
「あんまり、俺が調べていないあたりはさわるなよ。 何が起こっても、責任もてんぞ」
釘を差すと、ハウストマンは階段の下へ消えていった。仕事の時は、メイディは別人のように表情豊かになり、ぶつぶつ独り言を言いながら作業に励む。逆に、必要がなければ、シュナイターもリリィも、何時間でも黙っているので、助手達は居づらい雰囲気を感じ、周囲を所在なさげに見回した。ポーターの二人は、結構要領が良く、此処にいても退屈そうだと判断して、さっさとハウストマンについていってしまった。
リリィは死体に囲まれていることで落ち着かないようだったが、それでも研究には余念がなかった。建築物の構造や、埃のつもり方、それに伝承をまとめたメモを取りだしては、周囲の状況と見比べている。舌打ちしているのは、それらの証拠が尽く、ここがルシェルト城であることを裏付けているからであろう。なんだかんだ言っても、あれだけ入る前に否定的な論じ方をした手前、苛立ちは隠せないのだろうか。髪をかき回し、口中で悪態を呟く彼女を、シュナイターは一顧だにしなかった。更に大事な何かに、気を取られているようであった。
 
夕方を過ぎた頃、ポーター二人が、息せき切って戻ってきた。二人の顔は青ざめ、呼吸を整えると、すわ一大事かと身構えるシュナイターとリリィに、困惑しながら言った。
「ハ、ハウストマンさんが、急いできてくれって、骨の部屋の前で!」
「骨の部屋? なんだそれは」
「こっちで! とにかく、今すぐ来てくだせえ!」
メイディは封印解除に没頭しており、声が耳に入らないようだった。助手達を残したまま、シュナイターとリリィは、ポーターに連れられて、現場に急行した。
そこは、ホールとは逆方向に位置する場所で、位置的には地下一階になる部屋だった。大きさは幅二十歩、奥行き四十歩ほどで、中には無数の骨がうずたかく積み上げられていた。部屋は通路より二段ほど低くなっており、幅の広い階段が途中にある。それに腰掛けながら、ハウストマンは帽子に手をやり、部屋の中を無言で見やっていた。部屋の中に入っているのはメイで、弟子と共に骨にラベルを貼り、一個一個丁寧に分別していた。動きは軽やかで、後ろで束ねた栗色のポニーテールが、リズミカルに揺れている。シュナイターが咳払いし、部屋に一歩踏みこみながら、言葉を発した。
「一体、ここは何だ」
「……地獄さ」
シュナイターの問いに、ハウストマンが呟く。部屋の上には、文字が刻まれており、眼鏡をずり上げたリリィが、即座に解読した。
「……倉庫、って書いてあるわよ」
「違うね、これは多分、ゴミ捨て場だよっ」
振り向いたメイの言葉が、場を凍結した。彼女は無邪気な笑顔のまま、大腿骨らしい骨を持ち、指さしながら続けた。
「これ、全部人骨。 ついでに、調理した跡がある。 頭蓋骨なんて丁寧にこじ開けられて、脳味噌取りだしたみたーい」
「っ……!」
「……明らかになったことが一つあるな。 此処に住んでいた連中が、人間だか、魔物だか、魔族だかはしらん。 だが、連中について、確実なことが一つある」
ハウストマンは、骨の山に視線を移し、硬直するリリィの背中に声を掛けた。
「奴らは、人肉を、常食にしていたんだ」
 
3,魔王
 
陽が完全に堕ちた頃、今日の調査が終了した。今回は、資料の内貴重な物を回収し、更に精密な分析を加える目的で装備を調えてきてはいるが、流石に全ては持ち帰れそうにもない。また、メイディは封印解除に躍起になっていて、休息を拒否したため、食料と毛布、それに万が一に備えて、ハウストマンの助手二名をその場に残し、他の者達は一旦外に引き上げた。本格的な調査は、明日以降も続行し、更に第三次調査班を派遣する必要が生じてくるかも知れない。それほどに、この城には、回収するべき資料が豊富にあった。
様々な発見に喜ぶ一同の中で、明らかに沈み込んでいたのがリリィであった。食人の習慣は、原始的な文化圏では、たまにある風習ではあった。だが、このあたりの文明圏で、それが確認されたことは史上一度もなく、まして発見された遺骨は千体を越えるほどの数であったのだ。中にある、無数の人ならぬ亡骸と言い、あらゆる状況証拠が、あの城が人ならぬ者の領地であったと告げているのである。
ハウストマンの話によると、小部屋の中には、住人の使った遺物が残っているものもあったようだ。明日からは、それをハウストマンと調べなくてはならないだろう。
タバコに手を出そうとして、リリィは辞めた。その代わりに、ウィスキーの瓶を取りだし、煽った。彼女は気が強かったが、今まで信じていた物を完全に否定されれば、流石に疲労するし、気弱にもなる。本日寝るには、アルコールが必要なようだった。それも、少量ではなく、かなりの分量が、脳に要求されるようだった。
 
明け方、不審な気配を感じたリリィは、護身用の棍棒を手にし、外の様子をうかがった。外に誰かいて、テントを揺すっている。何か声らしき物も聞こえるが、意味のある単語は聴き取れなかった。立ち上がると、リリィは威勢良く誰何した。
「誰っ! 人を呼ぶわよっ!」
「……俺。 驚かさないように、大きな声を出さないようにしたんだ。 ……びっくりさせて、すまない」
「何だ、メイディ。 どうしたのよ、こんな朝早く」
事情を悟ったリリィが、テントを開けて出ると、外にはメイディと、シュナイターの助手二人がいた。二人は目の下に隈を造っていた。寝ずの番と言うよりも、延々とメイディの独り言を聞かされて、眠れなかったのであろう。
他の博士級のメンバーは、未だに夢の中のようである。空にはまだ星さえ見え、陽も昇っていない。リリィは、頭を掻きながら、ぼそりぼそりと言った。
「……起こすべきか、迷った。 最初に誰を起こすかも……迷った。 でも、起こそうと思ったから、まず、一番近いあんたから起こした。 悪い」
「何があったの? まさか、ドアが開いたとか?」
「……開いた」
「そう、ご苦労様。 貴方達、他のねぼすけ達も起こしてきて」
緩慢に頷くと、助手二人は他のテントへと小走りで駆けていった。メイディはもう一度頷くと、城へ戻っていった。流石に徹夜明けで眠いらしく、足取りは覚束なかったが、転ぶようなことはなかった。
一時間ほどして、封印の解けた扉の前に、皆が集合した。露骨に眠そうなのがメイで、うつらうつらしながら、何を間違えたか枕を手にしている。逆に、シュナイターは妙に興奮しているようで、時々辺りを見回していた。扉自体はまだ開けられていなかったが、扉に浮かんでいた封印の魔法陣と、周囲に漏れていた強烈な魔力波動は消滅しており、威圧感も残ってはいなかった。戸に罠が仕掛けられていないことは、既にハウストマンが確認した。
「開けるぞ」
進み出たシュナイターは、完全に眠気を振り払っていた。彼が手に力を込め、大きな戸を押すと、重い音と共に、それは内側に開いた。ハウストマンが周囲を調べ、トラップの類がないことを確認すると、シュナイターがまず最初に中へ入り、他の者達もそれに続いた。
扉の内部は、天井を非常に高く取っていて、左右には、精緻な彫刻を施した柱の、残骸らしい物が立ち並んでいた。どうやら荘厳さを出すための工夫を施しているようで、城が機能していた頃は、その意図も果たされていたのであろう。今までの無骨な内装と比べて華美なのは、王のいる場所だけでも豪華にするべきだとでも思ったから、かも知れない。ここも激しい戦いの場であったようで、今までにないほど巨大な骨があたりに転がり、戦いの跡が残っている。枕を抱きしめたまま、メイがそれらに興味津々の視線を向けたが、他の者達は別の物へ意識を集中していた。
部屋は長方形をしていて、奥行きは百三十歩、幅は四十歩前後であろう。最奥には、当然のごとく玉座が据えられていて、周囲にはそれを守るように、何体かの死体が転がっていた。そして玉座の上には、スパークを放つ黒い球体があり、揺れるでもなく、動くでもなく、其処にただ佇んでいた。
「何だあれは?」
「……封印だ。 何重にも施されて……厳重に何かを封じ込んでる」
進み出たのはメイディだった。彼の瞳は、スパークを繰り返す球体に釘付けとなり、周囲の事は全く見えていないようだった。床に大きく深い溝があり、足を取られるかと一瞬リリィは心配したが、その辺は要領よく跨いで、メイディは球体へと歩み寄っていく。そして、彼が球体まで十歩ほどの位置まで歩み寄ったとき、皆の頭に声が響いた。
 
「何…………用……。 此処……何……来…………」
「誰だ?」
「……あの球体から、音が漏れているようだな。 音というよりも、思念波に近いようだが。 メイディの兄さん、危ないぞ! 戻れ!」
ハウストマンが、ふらふらと歩くメイディの肩を掴み、無理矢理引き戻した。その間も声は響き続け、直接皆の脳裏に響き渡る。
「人間……。 何……来……」
「……何を言っているの?」
「……おそらく、何用だ、此処へ何をしに来た、と言いたいのだろう。 単純な単語と、意味だけが伝わってくるから、ひょっとすると言葉が通じないのかも知れない」
シュナイターの推論に、リリィが前に一歩出た。咳払いすると、この土地で千年ほど前に使われていた言葉で、球体に話しかけてみた。だが音声での反応はなく、先ほどと同じ思念波が帰ってきただけだった。
「人間……。 ……何……用……」
「まいった。 どうする? 危険かも知れないわよ」
「危険? どういう事だ?」
「だって、この城は、ルシェルト城でしょう? あれは、あの光は、ひょっとしたら魔王かも知れないわ」
意外そうに、シュナイターがリリィを見た。そして、揶揄するような光を、その顔へと投げかける。
「ほう、魔族などいない、魔王など、たわけた伝説だと、あれほど声高に叫んでいた君が、そんなことを言うとはな」
「……伝承上の魔王、災厄の王ルシェルトなど、存在の事実を考えるのもばかばかしい限りだわ。 でも、此処には人ならぬ者が住み着き、人を常食にしていて、襲来した何者かに殲滅された。 それは事実でしょう? だったら、此処に住んでいた者の長を、魔王と称してもおかしくないはずよ?」
「まあ、確かにそうなるな。 どうする、旦那。 一旦引き上げて、アカデミーから封印術の専門家を何人か借りてくるか? メイディ一人で大丈夫って、保証はどこにもないぜ」
「……いや、もう少し、あれと対話してみよう。 向こうからの呼びかけが可能なのだから、此方からの呼びかけも出来るはずだ」
メイは会話に加わらず、実に生き生きとした様子で、巨大な亡骸を調べている。それを横目で見やると、シュナイターは歩き出し、立ちつくしているメイディの横を通り過ぎた。咳払いすると、両手を広げ、シュナイターは言った。
「……我らの目的は、いにしえの存在を調べ、人類の発展の糧とすることだ。 汝ら魔族を解き明かすことで、歴史の謎を解き明かし、全ての知識を得たい! 故に、是非、我との対話を望む!」
「……」
「伝わったか? ……もう少し簡単な言い回しの方が良かったんじゃねえか?」
ハウストマンの言葉にも、返答はなかった。沈黙は、とても長かった。だが、それは唐突に破られた。
「……嘘。 ……汝……目的……別。 ……対話……否。 望……利用」
「むう、まずいな。 我らの目的を、自らを利用することだと解釈したようだ」
何故か残念そうな口調でシュナイターは言い、一歩下がる。響き来る声は、更に追い討ちをかけた。
「我……魔王。 人……望……我……行使。 後……行使……廃棄。 我……拒否……使用……道具……。 望……帰還」
「……!? ちょっと待って、何を言っているの?」
相手から帰ってきた言葉は、どうにも理解しがたい物であった。自分を魔王だと名乗るのは良いとしても、その後がどうにもいただけない。単語を組み合わせてみると、どうも人間から道具として利用されるのが嫌だから、帰って欲しいと言っているようにしか思えない。リリィは不審に感じ、なおも対話を試みようとするシュナイターに制止の声を掛けた。ハウストマンも、その意見に同意した。
「一旦戻りましょう。 何か嫌な予感がするわ」
「賛成だ。 ここは慎重を期した方がいい。 ……魔王の力が伝承通りだとしたら、現在の人類でも手に負えるかどうか分からないだろう。 下手に刺激するのは、やめておいた方がいいな」
「むう、しかし、此処まで来て……」
「時間は幾らでもあるでしょう? 何を焦っているのよ」
リリィの指摘は、図星であったようだ。舌打ちすると、シュナイターは下を見て、実に残念そうに言った。
「……分かった。 一旦引き上げ、情報を収集してから出直そう」
 
数時間の休憩の後、(魔王)の事は捨て置き、まず城内の調査を徹底的に行うという方針が決定された。まだ城の内部の、四割ほどが未知の領域となっており、小部屋の類は、少し覗いただけでほとんど調査がなされていないのだ。
経過している時間が時間だけに、書物の類は、ほとんどまともに残ってはいない。だが、他にも遺物の類は幾らでもあり、それを調査する必要があった。翌日にはシュナイターが手配した輸送班が到着し、整理した資料をアカデミーに持ち帰る手はずが整っている。それまでにも、今少し、資料を整理しまとめておく必要があろう。
今や、この城がルシェルト城である事を、疑う者は一人もいない。前回の調査時に発見された証拠品よりも、遙かに説得力を持つ資料が、山のように発見されたからである。リリィでさえ、今はこの城が確かにあったことを認め、合理的な歴史的解釈を施そうと四苦八苦しているのである。メイに至っては、目を輝かせて遺体の整理を行っており、ハウストマンも城の構造や、芸術品の調査に血道を上げている。時々城の中に残留魔力が見つかると、メイディが呼ばれ、手早く対処を行っていた。
夕食の時間は、あっという間に訪れた。博士級のメンバーも疲れていたが、助手達もハードワークで疲労困憊の状況にあり、だが皆生き生きとした表情で、様々な発見について話し合っていた。そんな中、不意にメイが口を開く。
「ねーねー、そういえばね。 すごーく変な事に気づいたんだよ」
「うん? 変なこととは?」
「転がってる死体、大体大まかにチェックしたんだけど。 まず第一に、六割半くらいが、背中から攻撃受けて倒れてるんだ。 此処を襲ったのが(勇者)だとすると、(勇者)って奴は、戦意を無くして逃げる相手を殺戮しまくってた、とゆー事になるね」
続けてくれと、シュナイターが視線で促した。第一にと言うことは、第二があろう事は、誰の目にも明らかなことだったからである。
「それと、第二に、彼方此方にある死体なんだけど。 レッサーデーモンの特徴を持ってる。 でも、もう一つ、別の動物の特徴ももってるのー。 大体全部がそう」
「別の動物の特徴、というと?」
「人間」
料理の皿を、スポークと呼ばれるこの地方独特の食器でつつきながら、平然とメイは言った。そして、唖然とする皆の前で、言葉を続けた。
「一種類の動物とは思えないほど、形も大きさもまちまちなんだけどー、みんな共通してレッサーデーモンと、人間の特徴を持ってるんだ。 これは、もって帰って、じっくり研究しないとダメだね。 ここじゃ、これ以上の結論は出せないよっ」
「しかしこれは……謎が解明されるどころか、ますます深まるばかりだな」
「仮説を立てるにも、これでは情報が少なすぎるわ。 何か決定的な資料が見つかれば良いのだけれど……」
困惑して話し込む皆の中で、唯一シュナイターは冷静さを保っていた。そして、彼は皆の目を盗んで、メイディに何か耳打ちしたのであった。
 
夜も更けた頃、シュナイターはテントを抜け出した。そして、既に外で待っていたメイディと合流し、城の中へと入り込んだのである。二人は息を殺し、何度も通った通路を慎重に選んで、奥へと歩を進めていく。
調査を始めた頃に比べて、城の中は整理され始めていた。死体には皆ナンバーが振られ、傷跡にも番号が書かれ、また遺物も丁寧に整理され、通路からどけられている。安全な場所はテープで区分けされ、通路は若干通りやすくなっていた。調査チームと、その助手達の有能さが伺える。
「……シュナイター。 本当に……魔王との会話を……試してみるのか」
「今更怖じ気づいたか? ……おそらく、この城で何が起こったかは、当事者に聞いてみなければ分からぬ。 無駄な議論を繰り返すよりも、その方がいい」
「しかし、さっきも言ったが……あれは内側からの封印だ。 魔王は、自分で自分を封印したんだ。 ……しかも、造られてから六百年ほどしか、おそらくは経っていない、と思われるのだぞ」
「ならば、なおさら、魔王とやらが自分の意志で外に出て、破壊の限りをつくす気はないという結論が出るではないか。 今から六百年前と言えば、千年前に終わった大災害の復興がようやく終わり、人類と亜人類達が進歩へ向かい始めた頃だ。 そんな頃に、魔王にもう一度攻撃されたら、人類は間違いなく滅亡していただろう。 一番美味しいチャンスに出てこなかったのに、史上無い程に人類が力を付けている今、バカをしでかすものか」
論理的な言葉で、相手の不安を一蹴してのけると、シュナイターは階段を上り始めた。このあたりからちらほら見られる、大型の死体は、流石にまだ移動が完了していない。それにしても、これらの遺体は、フェル大陸の北東部に、ほんの僅かだけ生き残っている、最強の生物ドラゴンかと思われるほどの大きさだ。ホールに残っていた最大のものなど、体長十三メートルにも達し、その威圧感は小山のようであったことだろう。
「……俺、若い頃は、大魔導師ルティカ様にあこがれていた。 ……格好良いと何度も思った。 でも、この有様と、メイの言葉を聞くと……とても悲しい」
「真相はまだ決まってはおらぬさ。 ……何かあったら、頼むぞ、メイディ」
沈み込んでいる友を元気づけると、シュナイターはホールに出た。扉は再び閉じられており、メイディの手で簡単な封印が施されていたが、術者本人が即座に解除した。玉座のある部屋は薄暗かったが、全く周囲が見えないと言うほどではない。月の明かりが、玉座に降り注いでおり、朝と同じように、黒い球体は其処にあった。
「何……用……」
再び、例の声が響いた。シュナイターは口の端をつり上げると、ゆっくり黒い球体に近づいていった。
「この城で何が起こったか、何が行われていたか、知りたい」
「拒否。 望……帰還」
「嫌だ、と言ったらどうするかね?」
不意に高圧的な態度に出たシュナイターに、一番驚いたのはメイディだった。彼は世界でも有数の魔導師だが、流石に魔王が切れたら、押さえる自信など無い。だが、友人を信頼する気持ちもあったので、すぐに動かず、動向を見守った。
「分かっているのだよ、魔王よ。 お前が力をなくし、部下もなくし、何も出来はしないと言うことはな。 我が質問に答えろ、魔王よ。 此処で何が起こった」
「……笑止。 人間……傲慢……変化……無……。 我……人間……嫌……」
「質問に答えよ、魔王よ! 魔王ルシェルトよ!」
不快感を示すように、黒い球体が揺れた。メイディが困惑し、流石に友を制止しようと試みた。
「……シュナイター! 凄まじい力が……丸い黒いのの中から漏れている……!」
「黙っていろ! もう少しだ……!」
鋭い視線に射すくめられ、魔導師が黙り込む。視線を戻すと、シュナイターは、更に(魔王)を挑発した。
「どうした? 人間が怖いか、魔王よ!」
次の瞬間、封印がはじけた。ルシェルト城から、魔力のない者でも視認できるほどの凄まじい魔力が吹き上がり、大地を揺らす。シュナイターは、狂ったように笑い始め、メイディが顔を引きつらせて一歩下がった。
「シュナイター……!」
「さあ、出るぞ、現れるぞ! くはははははははは、魔王ルシェルトのお出ましだ!」
哄笑をバックコーラスに、小さな人影が、玉座に具現化していく。放たれた魔力が収束していき、その人影に集まってゆく。やがて、大地を揺るがすほどの異変が収まった。
 
4,伝説の真相
 
ホールに、十人ほどの人間が駆け込んできた。外のキャンプにいた者達で、異変に気づいたのである。先頭に立っていたのはリリィで、彼女はシュナイターを見やると、相手を指さし叫んだ。
「シュナイター! 貴方、一体何をしているの!?」
「くははははは……落ち着け。 魔王のお出ましだ。 ようやく、事の真相が分かる!」
「旦那……! 大丈夫か、気が触れたか!? 殺されるかも知れねえのに!」
「私はまともだ! あのままでは埒が明かぬ故、魔王を直接封印から引きずり出したまでのこと。 これで、全ての真相が分かる! やっと分かる! ……歴史の真相の前で、我が命など霞も同然! もし歴史の真相を知ることが出来るのなら、私は自らの命など喜んで捧げよう!」
もはや、言葉もない皆の前で、シュナイターは魔王へと振り返った。月の明かりが降り注ぐ中、魔王は徐々に形を成していき、やがて人の姿となった。
それは、小さな女の子だった。年齢は、大体七〜八才と言う所だろう。衣服らしいものは身につけてはいないが、代わりにスパークが、その体を螺旋状に取り巻き、肌着の役目を果たし、肌を他人の目から隠している。彼女は銀髪で、髪は綺麗に切りそろえられ、良くも悪くも子供らしい。一見人の子にも見えるが、頭の上には小さな角が二本飛び出しており、また体は僅かに浮き、人でないことを示していた。瞳は大きく、髪と同じ空虚な銀色であった。背中には鴉のような黒い羽が生えていて、肌は浅黒く、幼い子供らしく手指は小さく丸っこい。手も足も、丁寧に爪を切っているようで、爪が伸びている様子はなかった。眠たそうに、魔王は暫く半眼であったが、やがて顔をゆっくり上げると、手をシュナイターの助手の一人に向けた。
「あ、ひあ、ああああああっ!」
悲痛な叫びがあがった。彼は宙に浮き、無数のスパークが体に突き刺さったからである。慌ててメイディが魔王を押さえようとするが、シュナイターがそれを手で制した。
「黙ってみていよ! 邪魔をすれば、歴史の真相が分からなくなるぞ!」
「……シュナイター……お前……」
「……私は全てを知りたい。 そのためには、どのような事でも喜んでしよう! 長年の研究が、魔王との対話により、完全な物へなろうとしているのだ! 研究者として、皆に願う! 邪魔するな、邪魔しないでくれ! 頼む!」
「貴方……そこまで……」
リリィの言葉に同情がこもったのは、シュナイターの心情を、同じ研究者として理解できない事もなかったからであろう。しかし、同意することも出来ず、彼女は立ちつくすばかりであった。ハウストマンや、メイもその点は同じらしく、ただ呆然と事態を眺めやるばかりである。
やがて、シュナイターの助手は、不意に束縛を解かれ、地面に落ちた。命に別状はないらしく、だが無事でもないようで、泡を吹いて、ひくひくと痙攣している。魔王は、目を閉じると、人間には聞き取れない言語で何かを呟いた。同時に、空中に無数の光の点が浮かび、規則的な模様を成す。ピアニストのように、小さな手を、魔王はそれへと走らせていった。模様に触れるたび、模様は輝き、宙に別の模様が出現し、或いは消える。凄まじい早さでそれが行われ、そのたびに小さな音が短く響いた。
「まるで、コンピューターか何かを操作しているようだな」
「情報を整理収集しているのではないか? あり得ぬ事ではない」
地面に倒れた不幸な助手を助け起こしながらハウストマンが言うと、シュナイターはそちらを見もせずに言った。その瞳は、魔王の一挙一動に注がれ、まるで玩具を与えられた子供のように輝いている。
魔王の体を、光が包んだ。まず足先を、調査チームの面々が支給された物と同じ、だがデザインが小さな靴が覆う。続いて、あまり子供には似つかわしくない、野外活動に適した半ズボン、季節に沿った半袖のシャツが体を覆い、最後に指先の出る皮手袋が、丸っこい手を覆った。調査チームの面々と、ほとんど同じ格好であったが、衣服の所々に極めて独特な模様や飾りが追加され、個性を主張している。惜しむらくは色彩が異様に地味なことだが、そればかりは仕方がないだろう。そして、魔王の体の回りを覆っていたスパークが消滅し、地面に足をつけた彼女は、ゆっくりと一歩を踏み出す。恐るべき事に、魔力で物質構成を行い、一瞬で着衣をくみ上げたらしい。そして、恍惚たる表情で立ちつくすシュナイター、一歩退く他の者達には構わず、鬱陶しそうに前髪をかき上げると、目をつむったまま言った。
「……妾は魔王ルシェルト。 妾に何用じゃ、人の住みかに土足で入り込む、無粋な人間共よ」
「おおっ、我らの言語を、もう学習したのか!」
「……そこな者から、情報を収集したのじゃ。 妾は眠い。 早々に用件を述べよ。 先ほど妾を挑発する際に発した言葉だけが、目的ではあるまい」
「う、うむ。 私が知りたいのは、魔族とは何か! この城で何が起きたのか! 千年前から千二百年前に起こった大異変は、本当に魔族によって引き起こされたのか! 以上だ! 私は、それを知るために、此処まで来た!」
「奇妙なことを聞くのじゃな。 人は自らの過ちを、犯した罪を、きちんと記憶しておかなかったのか? こんないにしえの時代の、埃をかぶった遺物に、今更ながら何故そんな事を聞かねばならないのだ」
魔王は、目をつぶったまま、面倒くさげに言った。そして、振り向くと、玉座につもった埃を妙に緩慢な動作で払い落とし、ちょこんと腰掛けた。どうも魔王のために造られた玉座ではないようで、明らかにサイズが合っていない。手すりに右ひじをつきながら、魔王は左手で口を覆い、小さく欠伸をした。しばらくの沈黙は、おそらく取引が成立する相手か、見極めようと思考を巡らせていたのであろう。
「まあ良い。 妾の望みは、静寂と平穏。 この城の物は、好き勝手に持っていけ。 だから、真相を妾が話し次第、さっさと出ていけ。 そして、二度と現れるな」
「良いだろう。 さあ、歴史の真相を! 今此処に示してくれ!」
「……あれは、妾が生まれた年であったな。 人類の、この星の覇権を掛けた争いは、丁度その頃ピークを迎えていたとか聞く」
魔王が淡々と語りだした。リリィが素早くメモ帳を取りだし、他の者達も一斉にそれに習った。シュナイターなどは、既に取りだしたメモ帳に、せわしなくペンを走らせている。まるで、ずっと昔から用意していたかのような手際の良さであった。
 
魔王は語り出した。幼い容姿に違わず、声は高かったが、口調に何とも言えない威厳がある。また、言葉には癖が無く、実に聞き取りやすかった。
「その頃は、生体魔法学が、お主らの知識にある物より、遙かに発達していた。 四つほどの大きな国が激しく争い、勝負はつかず、戦は膠着状態になった。 戦争の立て役者をしていた国の一つが、そんなとき、最終兵器を作り出す計画を作り上げ、妾が誕生したのじゃ」
「……ほほう」
シュナイターが、感嘆したような言葉を漏らした。魔王が語ったのは、どこの伝承にもない、全く新しい話であったからだ。確かに生体魔法学は禁忌の学問として、千年ほど前に廃棄されたとされている。そして、千二百年前には、大国同士が失われた兵器を使って激しい戦いを演じていたという記録もある。だがそのあたりは、大破壊時代で資料が大量に失われ、現在も諸説が入り交じっているのだ。この、魔王の台詞は、充分に検討に値する言葉であろう。
「……聞く話によると、妾は剣ではなく、毒として造られたそうじゃ。 妾は特殊な魔力波動を体から発するように設計され、それを浴びた者は、精神と、体の構造そのものに異常をきたす。 そして、それによって変化した者は、圧倒的な力を得ると同時に、人肉に異常な食欲を示し、周囲の人間を、片っ端から襲うようになるのじゃ。 つまり、妾はいるだけで、相手の国に不幸をもたらし続ける、最強の毒として生を受けた訳じゃな。 そして、簡単に殺されぬように、圧倒的な力をも身に授かり、妾はシリンダーの外に出た」
「……それが、魔族。 なるほどー……確かに、あの骨格を見ると、納得行く説明だね」
感嘆したのはメイである。身体に異常をきたす強力な魔力波動というのは、存在が実証されているが、現在再現できる物は限りなく微弱である。これも禁忌の学問となっており、資料自体が抹殺され、昔は技術があったらしいとしか知られていない。
「妾は、そのときは、そんなことなど何も知らなかった」
魔王が肩をすくめた。そして、目をつぶったまま、更に言葉を続ける。
「妾は、洗脳され、敵国に送り込まれる前に、自分の力が制御できず、まず研究所の人間を全部変化させてしまったらしい。 といっても、妾はただ持ってこられる食べ物を食べていただけだからな。 そう言ったことを知ったのは、ずっと後の事じゃ。 事情がよく分からぬまま、周りの者に連れられて、妾はいつの間にかこの城に居着いておった。 周りの者達は、どんどん非理性的になって、時々城の中からは、人間の悲鳴や、それを生きたままかみ砕き引き裂く声も聞こえたの。 正直妾は怖かったが、全く状況が分からなかったし、どうしようもなかったのう」
「状況が分からないって、どういう事?」
「どういう事も何も、妾は目が見えぬ。 故に、国に(非優秀人材)とかレッテルを貼られて、親に二束三文で研究所に売り飛ばされたらしい。 妾の生まれた国では、妾のようなモノは物以下の価値しかなかったのじゃ。 そこで妾はなにやら改造を受け、熱量だけは探知できるようになった。 気も感じることも出来るが、これは補助にすぎぬ。 人間にたいして配慮しないように、余計なことは見なくて良いように、研究所の連中は判断したのだそうじゃ」
絶句するリリィに、自分の目を指さしながら、さらりと魔王は言った。別に悲観している様子もなく、ただ過去のこととして捕らえているようだった。
「そうして、百年だか百二十年だかがすぎた。 妾の部下も、外である程度暴れていたようじゃが、一番世界を破壊したのは人間共の使った兵器の数々じゃったな。 山を蒸発させたり、野原に大穴を開けたり、海を干上がらせたり。 部下からそれを聞く度に、妾は人間が怖いと思うた。 何しろ、妾をこんなバケモノに改造した挙げ句、妾の部下達のような怪物を作り出す原因となったのだからの。 この星を、自分たちで破壊したいとしか思えぬその行状は、正直恐ろしかった」
「なるほど、かっての人類は、それほどの力を持っていたのか。 我々が歴史上最高の力を得たなどと言うのは、ただの思い上がりにすぎなかったのだな」
「……妾はその頃、自分の力を制御できるようになっていた。 もともと妾は要領も頭も悪かったでな、やっとというのが正しかったじゃろう。 妾は魔力波動の放出を止め、魔族に変異する者はいなくなった。 そして、数十年がすぎる内に、新しく仲間が生まれることの無くなった魔族は、種族レベルで老い、弱体化し、それに伴って力を弱め、数を減らしていった。 元々異常変異で生まれた種族故、子を為す事は極めて苦手であったようだしの。 極弱い一部の者が、子孫を残すことに成功したとかいう話も聞くが、詳しくは妾も知らぬ。 そして、忘れもせぬあの日、人間共がいう、(勇者)が攻めてきた」
そこまで言うと、魔王は嘆息し、指を鳴らした。その手に具現化したのは、飲み物を入れた容器である。離れた所にある物体を空間を越えて引き寄せる、(召喚魔法)の一種らしく、周囲には微量の魔力が漂った。容器を口に付け、飲み物を全て胃に押し込むと、魔王は口をハンカチでぬぐって続けた。小さな口を開く際、嫌に鋭くとがった犬歯が、シュナイターには見えた。
「下らぬ戦争で弱体化しきった人類は、諸悪の根元として妾を指定し、選び抜いた強者の中から、(勇者)とその協力者を選抜、各地で生き残った生物兵器や、老いて人間以上に弱体化した魔族を撃破させ、名声をある程度高めると、最高の武器を持たせてこの城に向けたようじゃな。 疲弊しきった民衆の心をまとめ、勇気づけるという名目だったようじゃが、事実はそれによって統治をやりやすくしたかったのじゃろう」
「……リリィセンセ、あんたの予想、八割くらい当たってたんだな」
「しかし変ね。 それが事実だとすると、どうして貴方はその事情を知っているの?」
「……妾はいわば女王蜂じゃ。 魔族達は、各地で人間を食らう一方、妾の元にもせっせと肉を運んできた。 それらの持つ情報を、妾は生真面目に収集し、知識を増やしていった。 さっきのように、生きた人間から、そのまま情報を取り出すこともあった」
魔王の顔に、疲れたような笑みが浮かんだ。彼女は好むと好まざるに関わらず、人肉を常食として生きてきたのである。それしか、彼女には、生きる道がなかったのだ。
魔力波動を停止させたという行動や、今までの台詞から察するに、魔王は人間を嫌ってはいるが、決して見下したり、食料とは見なしていないようであった。元人間という事実がそうさせたのか、それとも人間に恩人でもいたのか。それは結局、シュナイターには分からなかった。他の誰にも、分からなかっただろう。
「……勇者は容赦なく、弱体化した魔族達を殺戮していった。 どうも勇者自身が、妾と同じように、生体魔法学で改造を受けていた形跡もあるが、正直それが事実かまでは妾には分からぬの。 何にしても、力の差は歴然で、勝ち目はなかった。 逃げる魔族にも、動けない魔族にも、勇者とその一味は容赦しなかった。 熱量が、城の中からどんどん消えていくのを感じて、妾は覚悟を決めた。 そして、この部屋に勇者は入ってきたのじゃ」
「で、勇者は、魔王、貴方を殺したのか?」
「遠慮など端から期待しておらなんだが、それにしても無惨だったな。 一刀両断、手加減も何もなかったわ。 しかも、首を落とした上に、妾の体をずたずたに切り刻み、頭を踏みつぶしていきおった。 妾は、それほど人間達に恨まれていたのだろうの。 ま、無理も無き事よ」
黙り込む皆の前で、魔王は小首を傾げた。
「何故黙る。 城の地下にある、骨の山は見たであろう? あの中には、妾の前で切り刻まれ、料理された者も大勢おる。 それに、勇者の一味の中には、家族や恋人を魔族に殺され、目の前で食われた者もいたそうじゃ。 別に、妾は勇者を恨んではおらぬ。 妾を憎むことで、救われた者がいるのなら、それも良いではないか。 ……もっとも、妾自身は、もう人と関わるのは絶対に嫌じゃ。 話は以上だ、人間達よ」
「そうか。 ……貴重な話を感謝する。 魔王よ」
聞きたいことの全てを聞き終えたシュナイターは、疲れ切った様子で嘆息し、魔王へ心からの礼をした。その目には、先ほどまで宿っていた狂気にも似た光は失せ、探求心を全て満たした、最上の喜びが光っていた。同時に十歳は老け込んだように見え、少し覚束ない足取りで、夜のホールを後にしていった。彼の顔には、さながら母に向ける子供のような笑顔が、疲労の中にも確実に存在していたのだった。
 
「……後数日は、城にいると思うが、ホールには入らん。 迷惑を掛けたな」
「えっと、私は死体を回収したいんだけど、いいかなー?」
二人の言葉に、魔王は小さく頷いた。メイは子供のようにはしゃぎながら、部屋を出ていった。この娘にとって、自分が興味のあること以外は、それこそどうでも良いことなのであろう。相手の悲しみなど、知ったことではないらしい。ハウストマンはさっき倒れたシュナイターの助手に肩を貸し、少し疲れたように、ホールを後にしていった。
「……封印を、帰る際に、戻しておこうか?」
「いらん、必要ない」
メイディの申し出を、魔王は即座に謝絶した。魔導師は口の中でなにやらもごもごと呟きながら、部屋を出ていった。ハウストマンの助手や、ポーター達もそれに続き、やがてここにはリリィと魔王だけが残った。
「……もう少し、聞きたいことがあるんだけど、良い?」
気まずさを感じて発せられたらしいリリィの問いに、魔王は頬杖をついて、足を組んだまま、顎をしゃくった。リリィは苦笑すると、質問の続きを発した。
「死んだのなら、貴方はどうしてまだ此処にいるの?」
「そう造られたのじゃ。 超強化再生機能という奴で、特殊な薬品で細胞を汚染しない限り、肉片からでも再生する事が出来る。 ただし、時間はかかるがな。 勇者に徹底的に肉体を破壊されたお陰で、よみがえるのに四百年も時を要したわ。 妾は死にたくても死ねぬのじゃ。 ……流石に薬品を使って自殺する勇気もないしの、もう少し此処にとどまり、人間共を観察しようと思うておる」
「そう。 もう一つ良い?」
「早くせよ、妾は眠りたいのじゃ」
リリィは魔王に歩み寄ると、不意にその体を抱きしめた。そして、耳元に囁く。
「ごめんね……辛かったでしょうに。 色々しゃべらせて。 私には、こんな事しかできない。 許して……」
「……どういうつもりじゃ! おぬしからは、もっとも冷徹で、もっとも合理的な気を先ほど感じたのに、何故こんな事をする!?」
魔王の声には、困惑がこもっていた。相手の不意の行動に、何より久しいこと感じたこともない暖かい感触に、驚きが隠せないのであろう。
「は……離せっ! もう、人間は嫌じゃっ!」
魔王が暴れたので、リリィは慌てて離した。自分の肩を抱くと、魔王はうつむき加減に、リリィへと吐き捨てた。
「……早く行け」
言葉に従うように、歴史学者は小走りで、ホールを出ていった。魔王は空を見上げると、小さく一つ息を漏らし、手すりに乗せた小さな拳を握りしめた。
研究員に、一人だけまともな者がいた。それは泣いてばかりだった魔王を、自分の子供のように扱い、他の研究員が獣のように扱う中、大事にしてくれた。初めて抱きしめてくれたのも、その女研究員だった。魔族になってからも魔王を大事に思ってくれて、最後の時も盾になって死んでいった。
思えば、その研究員も、他の者へは冷たかった。絶大な、人間の、いや周囲への不審の中で、その者だけが優しい暖かさだった。そして、今、再びそれを感じた気がした魔王は、涙腺がゆるむ感覚を覚えていた。だが、彼女は此処にいてはいけない存在なのだ。何故なら魔王は、世界でもっとも罪深く、同時に世界をもっとも恐れる存在なのだから。人の愚かさも、自分の愚かさも、世界の愚かさも知り尽くしている巨大な存在は、絶対に世界に出てはいけないのだ。魔族は彼女を女王蜂にした。人間も、もう一度外に出れば、絶対に彼女を利用しようとするはずだ。そしてそれは、かならず致命的な破滅を再来させるのである。一瞬、後を追いたい、あの暖かさをもう一度感じたいとも思ったが、すぐにその思考を、頭の外へ追い出す魔王。目頭をぬぐい、口の中で感謝の言葉を呟くと、魔王は小さく呪文を唱えた。再び彼女の姿は、封印の中へと消えた。そして、二度と表には出てこなかったのだった。
 
5,晴らされる暗雲
 
最大の謎を皆が知ったこともあり、翌日からの調査は極めて作業的になった。魔王の部屋は、残っていた骨をメイが回収した途端に内側から閉まり、以前とは比較にならぬほど強力な封印が出現し、中にはいることは不可能になった。以後は黙々と、それ以上に淡々と作業が続いた。
「魔王の姿が、曖昧に伝わっていたのは……」
様々な歴史的遺物を整理しながら、シュナイターが言った。此処に来る前に比べ、十歳以上も老けているように見え、事実動作も緩慢だった。
「勇者の業績を飾るのに、都合が悪かったから、なのだな」
「……まさか、あんな小さな女の子を切り刻んだとなれば、ね。 それに、あの様子では、魔王は勇者に抵抗したとも思えない」
リリィの返答に、まるで老人のような動作で整理を続けながら、シュナイターは更に言う。表情は疲れており、皺は更に深くなったようにも見えた。
「勇者について、私は良くその後を知らぬ。 リリィ博士、君は知っているか?」
「……伝わっていないわ。 魔王を倒した直後に、消息はぷっつり。 病死説、事故死説、暗殺説、実は魔王と相打ちになった、なんて説もあるわ。 最後の説は間違いであることが分かったけど、他の説はどれも否定する理由がないわね」
「……そうか。 勇者も、あまり良い老後は送れなかったのであろうな」
全てを成し遂げてしまった男が、其処にはいた。処分されたのか、それとも命を絶ったのか、それは分からないが、魔王を屠った勇者の気持ちが、シュナイターには分かる気がした。
「……リリィ博士、君はこれからどうするのだ?」
「そうね。 概略が分かった以上、詳細を突き止めたい所だわ。 そして、全てが分かり次第、世界に大々的に発表する。 人類の罪業は、隠しておいてはいけないわ」
「苦難の道になるぞ」
「構うものですか。 苦難を克服するのは望む所よ。 巨大な戦いを出来る情報を手に入れられたことは、研究者として冥利に尽きるわ」
即答するリリィに、疲れ切った笑みをシュナイターが浮かべた。城の外には、二度目の輸送班が到着しており、メイの指示で膨大な魔族の骨を丁寧にコンテナに積み込み、整理している。また、ハウストマンは全ての部屋の調査を終え、めぼしい資料を全て整理し終えていた。
「なあ、リリィ博士。 何故、あの子に慈しむ様な目を向けていたのだ? いつも厳しい目で相手を見る君が、随分優しげに見えたが」
「……私が歴史の正しさにこだわるのは、剰りにも自分に都合良く脚色された歴史が多いからよ。 そしてそんな歴史は、悲劇をこそ生むけど、何一つ教訓など産まない。 私、今回のことで、それを再確認した。 あの子を犠牲に、今の歴史は作られた。 真相を知った以上、歴史を研究する者として、絶対に黙ってはいられないわね」
「それでか。 なるほど、君らしい。 ……私も、魔王に関する研究のいい加減さには辟易していた。 長年、骨が喉に引っかかる気分を味わっていた。 だが、今回のことで、もう何も思い残すことはないな」
シュナイターの台詞に、何か答えようとしたリリィは、自分を呼ぶハウストマンの声を聞いた。彼女にとっても有用な資料が、見つかったらしいとのことであった。
 
駆けていくリリィを見送るシュナイターの背後に、いつの間にかメイディがいた。彼は咳払いをすると、シュナイターに言う。
「……良かったな。 ……魔王が、あんた達が記憶していたとおりの存在で、実に良かった。 ……多分これが一番良かったんだろう」
「ああ。 これで、私は死んでいった仲間達に、胸を張って会いに行けるとも」
答えたシュナイターは、自分の先祖の生まれ故郷である城を見た。彼こそは、魔族の中で唯一理性を失わず、獣ともならず、細々と生き残ってきた者達の子孫だったのだ。彼らの中でも、もはや魔王は過去の存在となっていた。そのため、魔王の実像については諸説あり、否定的に言う者も多かった。僅かな生き残りの中でも異端者だった彼にとり、魔王の存在の真実を追い求めることだけが生き甲斐であり、人生だったのである。そしてそれは、今此処に果たされたのであった。
始祖の、本当の姿を見た彼は満足し、アカデミーに戻って研究をまとめると、全ての気力を使い果たしたように人生を終えた。気むずかしいと言われ、家族でさえほとんど笑顔を見たことのない彼であったが、死に顔はとても安らかであった。彼はいわば、やるべき事を為し遂げ燃え尽きたのであり、研究者としては最高の最後であったかも知れない。
 
……後に、魔王の存在は、勇者の存在と共に、大幅に見直され、歴史的な見解が修正されることとなる。リリィ博士や、ハウストマン博士、それにメイ博士ら、ルシェルト城の調査チームがその主な担い手になったが、その研究が世間で広く認知されるまでには、まだまだ幾分かの、まとまった時間が必要なのであった。
(続)