リズム

 

序、一人遊び

 

私は一人遊びが好きだ。ずっとリズムを取るのが、昔から好きだった。というよりも、学校に上がる前には、このリズム遊びを覚えていた。

私に絶対音感が備わっていたのが理由かも知れない。

滅多に持っている人がいない、という話は後から聞いたのだけれど。絶対音感はあると色々便利な反面。

話が周囲とまったくあわなくて。

周囲の人が持っていないということを理解するまでに。

随分と苦労したし。

酷い目にもあった。

幸い、今の時代は、別にたくさんで集まらなくても遊ぶことは出来る。一人で遊ぶためのものが充実しているし。

何より、たくさん子供がいない。昔は子供が倍以上はいたらしいけれど、今は学校も空き教室が目立つ。

だから私が一人で遊んでいても。

誰も咎めない。

むしろ、誰かが咎める方が、色々と今は問題がある。

みんな子供が防犯ブザーを持たされているような時代だ。

子供が一人でいるのは普通なのだと。

私は知っていた。

てんてん、とんとん。

叩いているのは、小さな石。

前に拾ってきた宝物。

人によって宝物は違うけれど。この石は、叩くと澄んだいい音がする。絶対音感持ちの私には、叩く角度によって、それがどの音を立てているのかが分かる。見かけは茶色い綺麗な石なのだけれど。

これは私に取っては。

何より大事な宝物だ。

人によっては、友達が宝物だったり。

家族が宝物だったり。

他にも色々な宝物があるだろうけれど。

音がそもそも他の人とは違う私によっては。

色々な音そのものが宝物。

そして音を奏でてくれるこの石は。

今でも私に取っては宝物だ。

だけれど、それは誰かに口にしない。親でさえ、この石を気味悪がって何度も捨てようとしたのだ。

前に私にちょっかいをしつこく出していた男の子は、この石を取りあげて捨てようとまでした。

しかも周囲のみんながそれを擁護した。

一人でいるのは良くないので、こんな石は捨てろと。

こんな石。

そういう事を言う人はいらない。

そもそも、宝物を、どうして他の人と同じにしなければならないのか。小学校の頃からそう思っていたし。

中学でもそう思い続け。

高校になった今でも。

この石が宝である事に代わりは無い。

石を叩くと。

やはりいい音が出る。

学校に行く時以外は、基本的に部屋からは出ない。学校でも、あまり同性のグループには加わらない。

私に取って大事なのは音だ。

だから静かに過ごしているのが良い。静かにしていると、周囲の音が全部聞こえてくる。静かは私に取っては宝の元。

そして音が宝である以上。

雑音は邪魔なのだ。

ちなみに、一時期は楽器にも興味を持ったのだけれど。

吹奏楽部が、典型的な体育会系部活で。

異常な量の練習と、思想矯正を行うような場所だったので、見学だけしてすぐに去った。あんな所、絶対にいくか。

というよりも、コンクールで賞を取るための音楽だというのが、絶対音感持ちの私にはどうしても分かってしまう。

だから、異常な練習量をこなして。

それを尊いとしているような場所は。

私に取っては冒涜の地だ。音に対する愛情が足りない。音に対しての敬意が足りない。

歴史的な音楽家の中にも、ベートーベンだったか。

異常な練習量に嫌気が差して、一時期音楽が嫌いになったケースがあったと聞いている。

あんな部活では、そうなるのも当然だろう。

昔から、ああいうやり方では。

音楽なんて好きになれない。

部屋でぼんやりしていると。

下からテレビの音がした。

兄が帰ってきたのだろう。

私の部屋は、小遣いを全部つぎ込んで、防音仕様にしているのだけれども。それでも、音は聞こえる。

こればかりは仕方が無い。

私は雑音に苛立ちながらも。

大事な小石を叩き続けた。

とんとん。

たんたん。

叩くのに使っているのは、昔手に入れたさび付いた鉄の棒。

同じようにして捨てられそうになった事もあるけれど、絶対死守した。

今では、家からは出さないし。

家に誰も入れない。

これを宝というと、周囲の誰もが異常者扱いするのを知っていたし。場合によっては捨てようとさえするからだ。

自分と違うと気持ち悪い。

回りと違うと間違っている。

そういう風に言われた事が何度もあって。

それは自分を殺すことでは無いかと、何度も思った。

結局私は自分の心にバリアーを造る事で対応したけれど。

無茶をして周囲に無理矢理馴染もうとして。

壊れてしまう人も多いのではないのだろうか。

強制的に価値観を合わせられるのはつらい。

特に、私のように、体質からして特殊だとなおさらだ。絶対音感持ちはかなり珍しい事もあり。

それは迫害の対象になる。

同じような例として、利き手の無理矢理な矯正がある。

利き手が左手だった場合、周囲と違うと言う事で、無理矢理矯正させられるケースがあり。

その結果、性格がねじ曲がるのは。

よくあることなのだ。

下に降りる。

就活に失敗した兄は、今はフリーターをしている。昔はクズの代名詞みたいにマスコミが嘲笑していたフリーターだが。

今は長く続く不景気。

無能な企業の人事などもあって。

珍しくも無くなっている。

働いているにもかかわらず極貧生活をしていて、ホームレス同然の人間も珍しくないが。

その上、バイトでも死の寸前までこき使う仕事も珍しくない。

兄は今、バイトでゲーム会社のバグ取りをしているらしいけれど。

これだって、実際には正社員がやるような仕事だし。

仕事の内容もかなり厳しい。

それなのに、給料は激安である。

兄は寡黙になった。

前は女を引っかけては遊び暮らしていたのだけれど。

今は女どころか。

性欲そのものが無いような様子だ。

そんな有様では、何のために生きているのかよく分からないし。私自身も、どうなるのか不安だが。

兎に角兄は、下で、虚ろな目でテレビを見ていた。

言葉も交わさない。

というよりも、典型的なチャラ男だった兄は。

今は完全に無口。

頬も痩けていて。

食事もろくに取れていないようだった。

前はゲームも好きだったのに。

今では家では絶対にやらない。

ゲーム機も埃を被っていた。

触るのもいやなようだった。

私が適当に食事を作る。

女子高生である私が、一番余裕があるからだ。なお、部活には入っていない。これで一度生活指導が入り、吹奏楽部に無理矢理入れられそうになったのだけれど。その時は全力で断った。

その結果、現在学校では問題児童扱い。

他の生徒達からも、無視されている。

そもそも絶対音感持ちだから調子に乗っているとか言われているらしいけれど。

そんなもん。

もって生まれなかった方が良かったと思っているのは、私だけか。

いきなり囲まれて暴力を振るわれそうになった事もある。

運動神経は悪くないので、さっと逃げ出してきたけれど。

あれは気弱な子だったら。

囲まれて、それこそ学校に出られないほど殴られていただろう。体育会系の部活は、これだからいやなのだ。

色々な理由から、うちの学校で吹奏楽部は特権階級扱い。吹奏楽部で無ければ人で無い。そういう価値観がまかり通っていて。

それを真正面から蹴った私は、色々と目をつけられているのである。

適当に野菜とオムレツと、ごはんで食事を揃えると

兄と一緒に、黙々と食べる。

兄はこんな早く帰ってこられるのは珍しい。

父は既に亡くなったし。

母は年金生活。

生活保護を取ることを考えなければならないかも知れないと私は思っているけれど、それも厳しいだろうか。

いずれにしても、学校で大手を振るっている吹奏楽部の顧問に目をつけられている現状では。

碌な大学にはいけないだろう。

それに、大学にそもそも行く金が無い。

私の人生は。

今の時点で、詰んでいる。

テレビでは、バラエティー番組とやらが垂れ流されているが。内容なんか一ミリも頭に入ってこない。

テレビから垂れ流されている笑い声。

映っている「芸能人」。

どれもどうでもいい。

兄も、環境音楽として流している様子だ。

一度理由を聞いたが。

あまり、良い理由では無かった。

職場では、常に怒号が飛び交っている。

だからせめて、家では笑う声が聞きたい。

それで笑う声を聞きたくて、面白くも無いバラエティーを聞いているそうだ。もっとも、家に早く帰ってこられた日だけだが。

せめて笑う声だけでも聞きたい、か。

私の場合、それも全て音階で聞こえるから、正直微妙。

その声を聞いていると。

どうしても雑音にしか聞こえてこないのである。

「すまないな」

「コレしか出来ないから」

「……」

料理を片付けて、洗う。

母は年金生活といっても、学童保育で今日も遅いだろう。

一家が揃って。

限界近い状態に来ている。

 

翌朝。

学校に出る。

適当に授業を済ませると、職員室に呼び出された。

吹奏楽部の教師は、若くて顔立ちは整っているが、典型的な圧迫型の指導をするタイプで。

指導の際も、アレが駄目コレが駄目と散々圧力を掛け。

それでいながら、何か分からないことがあったら聞きに来なさいとか言っておいて。

アドバイスを聞きに行くと、もっと努力をしなさいとかしか言わない。

タチが悪いのは、此奴がコンクール向けの吹奏楽については知っている、という事で。コンクールの審査員受けが良い音楽をやらせることについては長けている、という事である。

このおかげで、学校では吹奏楽部は「名門」と呼ばれていて。

それをあっさり蹴った私は。

目の敵にされている。

この教師は女子生徒に手を出しているという噂もあるけれど。

私の場合容姿は並だから。

絶対音感を持っているにもかかわらず、吹奏楽部への入部を蹴ったのが、ずっと勘に障っているのだろう。

ちなみに私は幾つか楽器をこなせるが。

吹奏楽部のレギュラーの誰よりも実力はある。

一度コンクールで全国大会にいったとか自慢している奴の前で、トロンボーンをやって見せたが。

相手は硬直して。

それから虐める側に荷担するようになった。

そりゃあそうだろう。

散々アレが駄目コレが駄目と毎日言われ続け。

努力をしろとだけしか言われず。

毎朝毎晩遅くまで練習させられ。

コンクール用の曲だけ体に叩き込まれて。

そして実際には。

上には遙か上がいる事を見せつけられたのだから。

こっちは伊達に絶対音感持ちじゃ無い。

幾つか楽器をやった事があるが、どれも音楽教室の教師から絶賛されている。吹奏楽部の連中なんて。

それこそ中学の頃には、余裕で超えていた。

それが余計に、この教師の不快感を煽っているらしい。

「吹奏楽部に誘ってやっているのに、なんで断るのかいいなさい」

「嫌だからです」

「それはどうしてなのかいいなさい。 この学校の吹奏楽部は名門で……」

「それはコンクールに受かるための、見栄えが良いだけの音を作る名門なのではありませんか?」

職員室の空気が凍り付く。

いっそ、此処で勝負してみるかと、顎でしゃくる。

この音楽教師も。

昔はトランペットでそれなりに名が知られていたらしい。

ちなみにトランペットは。

私も出来る。

まだ父が生きていた頃、それなりに裕福で。楽器もまだ手元に残っているのだ。今では殆ど触っていないが、チューニングくらいすぐ出来る。

「貴方が教えているのは、吹奏楽でも音楽でも無いですよ。 ましては芸術でさえない」

「子供が、何を偉そうに……!」

「じゃあやってみましょうか。 トランペットだったら自前のがあります。 コンクール向けの媚びた下品な音楽だと品評会でコテンパンに言われて、一流どころの音楽家達から笑いものにされた事があるらしいですね先生。 私、その品評会で金賞貰ってます。 どっちが正しい音楽なんでしょうね」

明らかに怯む教師。

以前、私が吹奏楽部の精鋭達をコテンパンにしたのを、知っているのだろう。その時私の実力は見た筈だ。

なお、私は楽器はあんまり好きじゃ無い。

この辺り、才能の不公平というのだろうけれど。

私に取っては。

小さな石と。

さび付いた鉄の棒。

その方が、よっぽど大事だ。

「貴方が叩き込んでいるのは、単に心地が良いだけの雑音でしょう。 しかも無意味に努力と称する苦行だけさせて。 そんなものに、どうして私が参加しなければならないんですか」

「言わせておけば……」

「実力で勝負しましょうよ、ねえ。 私を黙らせたいなら、もっと実力をつけてみてくださいよ。 コンクール向けの媚びた音楽じゃ無くて、ちゃんとした芸術を聞かせてくださいよ」

青ざめる教師。

他の教師達は、全員が視線をそらしている。

この学校で、名門吹奏楽部を毎年全国に連れて行っている此奴は、教頭以上の発言権を持っている。

それに対して、此処まで言う私。

そして、私が絶対音感持ちで。

更にこの教師よりも、明らかに実力があることも、皆が知っている。

吹奏楽部の体験入学で。

此奴が仕込んできた生徒達を、全員まとめて音楽で叩きのめし。

屈辱を与えてその場を去ったことは。

語りぐさになっている。

故に私は吹奏楽部への入部を辞退できたのだ。こんな低レベルな部活にいても意味がない、と言って。

それにしても、周囲の空気が冷たい。

此奴は学校で好き勝手に傲慢に振る舞っていることもあって、やはり発言権は強くても、周囲に良く想われていないのだろう。

私にはどうでも良いことだが。

「出て行きなさい」

「では職員室を出て行きます。 鬱陶しいので、二度と職員室に呼びつけないでくださいね」

私に取って音は宝物。

だから此奴のように、音を冒涜する生物は。

地球で一番嫌いな相手だ。

 

1、音の流れ

 

楽器には触らなくなって、随分経つ。それでもたまに触ってみると、練習をうんとしている連中よりもよっぽど出来る。

絶対音感という体質と。

才能が合わさった結果だ。

学校側では、私の方を相当に嫌っているようだけれど。

私自身も学校が大嫌いだし、どうでも良い。

一度あの音楽教師は、私に退学届を書かせようとしたのだけれど。

それは流石に学校側で止めたそうだ。

恐らくだが。

その方が余程恥になると思ったのだろう。

実際問題、吹奏楽部の連中が、揃って私にコテンパンにされたのを皆知っていて。

吹奏楽部でなければ人であらずの風潮が作られているこの学校では。

それがむしろ、武勇伝になっているらしいから、だろうか。

私に取ってはそれこそどうでもいいのだけれど。

気分が良いのだろう。

実際、学食などでも、吹奏楽部は一部の席を独占しており、他の生徒達は隅に追いやられている。

私は学食など使わないが。

私の事を口にすることはタブーにしているそうだ。

なお、私が以前やってみせた演奏は、誰かが録画していたらしく。

それが生徒達の間に拡がっているらしい。

明らかに吹奏楽部より上手い。

そういう話も、生徒達の間から聞こえるそうだ。

だから余計に吹奏楽部では、努力努力と声を上げて、毎日努力では無く苦行を徹底的にやっているが。

それでは無意味だ。

今では、授業の時間を部活に当てさせろとかあの腐れ教師は言い出しているらしいのだけれど。

それは正直どうなのか。

実際、吹奏楽部の生徒達の学業成績は墜落寸前。

そりゃあそうだろう。

あんな無茶な練習を、休日も全部潰してやっていれば。勉強なんて、する暇だってありはしないのだから。

私が徹底的なイジメに遭わず。

空気になっているのも、それが理由だろう。

女子のグループにも入らない。

入ればその女子達は吹奏楽部に目をつけられるし。

吹奏楽部としても。

イジメをしたら、実力で勝る相手にイジメを行ったという悪評が流れることに気付いているのだろう。

実際、囲まれたことは一度あったけれど。

さっと逃げ出して。

あっさり追跡をまいてからは。

二度と同じような事をしてはこなかった。

学校は暇だ。

雑音しかない。

授業は一応受けているし。

成績は並みよりちょっと上くらい。

ウケる事に、これでも吹奏楽部の全員よりはマシだ。

何でも吹奏楽部は、体育会系文化部とか言われるらしいが。

まあそれも分かる。

脳みそまで筋肉で出来ているような部活だ。

音楽とは名ばかりの、コンクールで賞を取るためだけの演奏。

音楽とはほど遠い。

音の集まりでも。

芸術でも無い。

音が好きなわけでも無い。

音楽が好きなわけでもない。

それは、単に思考停止して。音楽と言うツールを使って、子供を屈服させているだけではないのだろうか。

だから嫌だ。

私はたまたま、嫌だと言える力を持っている。

音楽に関しては、脳死同然の苦行を続けている連中とは実力からして違う。だが、そう言えない人は。

この暴力の前に。

何もできずに、涙を呑むことしか出来ないだろう。

苦しい話だし。

悲しい話で。

そして何より。

あの音楽教師は。

それを悲劇だとも何とも思っていない。

自分が指導をしてやっていると思っているし。自分が全面的に正しいと考えている。それが現実で。

吹奏楽部の連中は。

あの教師を、カルトの教祖がごとく崇めている。

「なあ、尾立沢(ひじさわ)」

男子生徒が声を掛けてくる。

勇気のある奴だ。

私に声なんて掛けたら、吹奏楽部に目をつけられるのは確実。そうなると、下手をすると内定にさえ響く。

「おれ、動画サイトに投稿してるんだ。 お前の演奏、投稿してもいいか」

「はあ、なんで」

「吹奏楽部の連中が、お前の事毛嫌いしてるのは知ってるだろ。 彼奴ら、自分たちの音楽を本物だとかいってるが、コンクール以外で話も聞かないし、音楽室からはいつも悪口しか聞こえない」

そう。

音楽教師が、ずっと生徒達に文句ばかりを言っている。

それについては、他の生徒達も知っている様子だ。

「一泡吹かせてやりたい」

「ふーん。 でも、今この教室に吹奏楽部の生徒いるけれど、そんな相談して大丈夫なの?」

「吹奏楽部も一枚岩じゃねーんだよ」

何だっけ、此奴の名前。

男子生徒。

そうだ、確か石原だ。

興味が無いので覚えてもいなかったが。確かそんな名前だったはずだ。

兎に角石原は。

咳払いすると、言う。

「あんな教師が、休日も全部取りあげて、努力とか口にしながら苦行させる。 苦行は努力じゃない。 それを良く想っていない吹奏楽部員も多いんだよ。 まして彼奴、自分の好き嫌いでコンクールに出る人間を選ぶからな。 三年間地獄みたいな苦行させられて、コンクールにも出して貰えない奴もいるんだよ。 自殺未遂も起きてる。 表沙汰にはなってないけどな」

「へえ」

そっか、自殺未遂か。

それはそうだろう。

あんな環境で三年。

コンクールなんぞに何の意味があるか知らないけれど。そのためだけに、大事な時間を全部浪費して。

それであげくに好みで役立たずと判断されて、コンクールにも出られない、か。

そりゃあ手首も切りたくなる。

私はあくびをすると。

石原はむっとした。

流石に、真面目に聞いていないと思ったのだろう。

向こうからすれば。

完全にクーデターだからだ。

「本当に吹奏楽部が、吹奏楽をやろうと思うんだったら、お前に入って貰うべきなんだと思ってる奴はいる。 実際問題、今のレギュラーの誰もがお前に及ばないし、今の苦行じゃお前には並べない」

「それで」

「うちの学校は、コンクールの常連って事で有名だ。 お前の動画を上げて、コンクールでの演奏と比較する。 その上で告発する。 これほどの逸材がいるのに、うちでは教師のプライドの問題で、採用していないってな」

ついでに、異常な練習時間についても告発するという。

そういえば石原の奴。

彼女が吹奏楽部員だったか。

まさか自殺未遂を起こしたって言うのは。

まあそれはいいや。

ただ、一つ条件がある。

「一つだけ、聞いて貰う事がある」

「何だよ」

「私の宝を笑ったら協力しない」

「宝?」

写真を見せる。

小さな石とさび付いた鉄の棒。

これが、私の宝だ。

はっきりいうが、今の吹奏楽部が出している、媚びるためだけの音楽ではこの石にさえ及ばない。

というか、この石こそ私の宝物だ。

それを馬鹿にするなら。

絶対に許さないし。

協力もしない。

「応えは」

「……お、お前、変わってるよ」

「それで」

「笑わない。 笑わなければ……良いんだろ」

まあいい。

利用しようとしているのは分かっている。それに、今のを見せたのもたった一瞬だけだし。

私が何を宝にしているか、伝わってもどうでも良い。

「はっきり言うけれど。 今の吹奏楽部の音楽よりも、この石が奏でる音の方が、よっぽど音楽しているよ」

「わ、分かった。 お前がそう言うなら、そうなんだろ」

「……」

腕組みして、しばらく考え込んだ後。

言う。

「楽器は揃えられる?」

「吹奏楽がコンクールで使ってるのと同じ奴か」

「そう。 指揮者はいらない」

「何とかしてみる。 だけど、一度には無理だ」

頷く。

吹奏楽部の負担の一つは、楽器が高額なことだ。

これはローンを組んで入手するような代物で、先輩が後輩に貸し出したりするケースもある。

学校で楽器を揃えているような裕福なところもあるにはあるが。

それは所詮は例外だ。

私は音を愛している。

だから、音に関する事に関しては。

誰にも負けない。

私のライバルは、もし定義するなら。

歴史に出てくる音楽家達。

今の時代でも、一線級として、活躍している者達。

それ以外にはない。

「演奏を編集できる奴は」

「何だよそれ」

「全部の楽器、全部のパートを私がやる。 それを編集して、全部まとめる」

「!?」

つまりだ。

私一人で。

コンクールに出て。

全国大会に出ている吹奏楽部様を。

叩き潰す。

彼奴らは音楽を冒涜する存在だ。他人に媚を売ることしか考えない音楽なんて、私は認めない。

どんな音楽家達も。

自分の音楽を作ってきた。

努力と苦行をはき違え。

練習量だけでどうにかしようとするやり方が破綻することは、歴史を見るまでも無く明らかなのに。

そんなものを。

私は音楽としては認めない。

「わ、分かった。 ネットで探してみる」

「よろしく」

さて、ちょっとさび付いている腕だが。

少しチューニングしておくか。

気分次第ではやってやろうと思っていたけれど。少しばかり面白くなってきたし、協力してやるか。

完全にあの吹奏楽部をたたきつぶせるなら。

それで私としては満足だ。

何より、である。

この学校の膿となっているあの吹奏楽部は。

私ではなくても。

誰かが潰さなければならないのである。

たまたま私という人材がいる。

ならば活用するだけだ。

 

私の部屋は防音室だ。

石原が録音機器を準備したので、それを持ち帰る。それと、楽器類も、順番に、である。

私は部活に所属していない不良生徒だ。

故に、今は時間がある。

内申がどうなろうか知った事か。

どっちにしても未来は真っ暗。

仕事も見つかりっこない。

プロの音楽家なんて、日本にどれだけいると思っている。ましてやそれだけで喰って行けている奴なんて殆どいない。

音楽は。

金にはならないのだ。

音楽学校とかはあるにはあるが。

それらだって、飽和状態。

ましてや今は。

音楽に関する著作権で、ヤクザ同然の組織が好きかってしている。こういった音楽学校は、いずれ潰れるのでは無いかと言う噂もある。

ならば、好きなことが出来る内に。

好きなことをする。

苦行と努力をはき違えている連中を。

叩き潰してすっきりする。

良いじゃないかそれで。

私は、さっそく。

コンクールと同じ編成で、一つずつ楽器の演奏を行い。収録を開始した。

石原はかなり危ない橋を渡っているようだが。

楽器はそれなりに持ってくる。

というのも。

やはり、精神を病んで吹奏楽部を抜けた生徒は、相当数がいるらしい。そういう生徒達から借り受けたり。

或いは今の吹奏楽部を好ましく思っていない者達から、借り受けたりしているようだ。

そいつらにとっては。

復讐の好機。

いいだろう。

コンクールとかいう、今の吹奏楽をむしばんでいるものを、そのものからして根底から破壊してくれる。

ある程度まとまった所で。

音声を合成。

重ね合わせてみる。

指揮者については、必要ない。

同じ曲を指揮している、一流の指揮者。海外の人間だが、それの映像を使う。別にそれで充分だ。

少なくともあの腐れ音楽教師より遙かにマシ。

というか、比べるのもおこがましい。

幾つか、気に入らない場所があるので、修正。

勿論演奏をソフトとかで弄る真似はしない。

全部音楽を取り直し。

その全てを録画する。

これはアンフェアにならないようにするためだ。

私は見栄えが良い方ではないけれど。

一応演奏については、きちんと合成では無い事をこれで証明できるだろう。

それにしても、だ。

コンクールの、全国大会とやらの演奏も見てみたが。

何だこれは。

媚態を尽くした音楽。

それも、コンクールの審査員の好みに対して、である。

徹底的に数だけ重ねて。

個性を徹底的に消して。

周囲を無理矢理あわせて。

そして作り出した塊。

非常に不愉快な代物だ。

こんなものは、私は断じて音楽とは認めない。

実際問題、何処の学校の曲も。

曲が同じだったら、同じに聞こえる。

これ、審査員も。

音の間違いとかで減点とかしかしていないのではあるまいか。

音に個性が無い。

流れてもいない。

こんなもの、私は認めない。

一通り、収録が終わった後。

小石を叩く。

とんとん、たんたん。

いい音だ。

絶対音感持ちには、これが如何に澄んだいい音か、よく分かる。絶対音感持ちが体質からして他と違うと言う事も分かっている。

それを抜きにしても。

この石は、いい音を出す。

そして、この石は。

少なくとも、あのコンクールとやらで。垂れ流されている音の塊よりも、ずっと価値がある存在だ。

 

2、戦闘開始

 

動画が完成した。

私は石原を正直信用していないので、実はマスターテープは手元に置いている。もし差異があるようなら、後でそれを使うつもりだが。

いずれにしても、兄貴にも見てもらった。

兄貴は編集された動画と。

その過程を見て。

頷く。

「分かり易いが、順番はこういう風にした方が良いな。 後、演奏している風景は、それぞれ別に動画にした方が良いかもしれない」

「分かった。 そうしてみる」

「良い演奏だな。 プロの演奏より響く」

「聞いたことあるんだっけ?」

ゲームの音楽は、プロ楽団が最近は手がける事が多いという。

アルバイトでも、ゲーム会社に行っていると。

聞く機会があるそうだ。

そうかそうか。

まあ、私にはあまり関係無いが。

「なあ、弘子。 学校に喧嘩を売る気なのか」

「先に喧嘩を売ってきたのは向こうだよ」

「そうだな……」

どっちにしても未来は真っ暗。

だったら、失う者が無い存在が、どういう行動に出るか。見せてやるのが一番良いだろう。

それだけだ。

兄貴は、以降は喋らなかった。

何も言うことが無い、というよりも。

疲れ果てて。

もう喋る気力も無い、というのが正しそうだった。

辛かっただろう。

気持ちは分からないでも無い。

私は、心にバリヤーを作る事が出来たけれど。

誰もが出来る訳では無いからだ。

いずれにしても、マスターテープが出来た。

その後。

大手の動画サイトに投稿。

告発動画、と言う形である。

石原は意外にも、裏切るような真似はせず。

そして、動画は。

瞬く間に視聴数を延ばしていった。

 

私一人で作った音楽。

はっきり言うが。

大勢が無理矢理周囲にあわせて、塊にした音楽とはまったくそれは違う。

ましてや努力と苦行をはき違え。

練習量だけ重ねて、無理矢理あわせていったものとも違う。

吹奏楽部に入って。

音楽が嫌いになる人間は大勢いる。

それについては、うちの学校の吹奏楽部を見ていればよく分かる。

そして、それが如何に腐っているかも。

今回証明してみせる。

コメント機能のある動画サイトだから、凄まじいコメント数がつく。ざっと見ていくが。音楽関連については、絶賛の言葉が並んでいた。

「一人でこれだけの楽器、それも別のパートも一回ずつ取って、全部収録してるのかよ、とんでもねえな」

「吹奏楽部だけど、この子どの楽器も、どのパートも、うちの誰よりも上手いです。 こんな子がいたら、土下座して迎えに行く」

「この学校の吹奏楽部、全国にも出てるし、聞いたことあるけれど、明らかにこの子一人の方が桁外れに上手いぞ。 教師のプライドのためだけに、これだけの人材を切ったのかよ。 アホか」

「吹奏楽部って半分カルトだからな。 入って音楽嫌いになる奴、結構いるんだぜ。 脳みそまで筋肉で出来てるような指導する音楽教師が偉いってされるし、やってらんねーんだよ」

なお、学校側も。

対応に大慌てになったらしい。

私が作った動画を見た生徒達は、こぞってこっちが上手いと絶賛。

それに対して。

吹奏楽部の教師は、絶叫した。

「合成だ! 出来るわけが無い!」

「動画で残っているじゃ無いですか。 この演奏が合成でない事は、貴方が一番分かるんじゃないですか?」

職員室で、怒鳴る音楽教師と。

それに冷ややかに応じる他の教師。

どうやら、これは。

面白い事になりそうだ。

石原に連れられて、職員室の近くに行ったけれど。

中からは、ひっきりなしに怒号が聞こえてくる。

「これは名誉毀損だ! 我が校の品位を下げる行為だ!」

「どうして? 貴方が毎日土日も遅くまで練習させている生徒達の吹奏楽より、この子一人の方が明らかに上手いから?」

「こんなもの音楽じゃ無い!」

「いや、こっちの方が音楽でしょ」

皮肉に満ちた応対。

そりゃあそうだ。

一流の音楽家達は、基本的に自分の音楽を作ってきた人達だ。プロの楽団にしても、それは同じである。

だが、この吹奏楽部のコンクール用の音楽はどうだ。

異常な練習量で「周囲と同じ」にさせ。

耳障りだけよくして。

ミスだけしないようにして。

そしてコンクールで点数を取るためだけの音楽にしている。

こんなものは音にとっての冒涜だ。

私は絶対音感の持ち主だから分かるが。

それぞれの個性事に音楽はある。

だから私は。

テレビで流れてくる雑音よりも。

石を叩いて奏でるリズムの方が、価値があると本気で考えているし。

私に取っては。

あの地獄みたいな「努力」と称する「苦行」で無理矢理まとめられているものなんてのは。

ただの雑音。

環境音だ。

「実際問題、あの子と貴方の所の生徒、一度勝負して、コテンパンにされてるんでしょう?」

皮肉混じりの声。

恐らく教師達も。

相当に腹に据えかねていたのだろう。

「コンクール」で全国大会出場常連というのを良い事に、学校で王様気取り。気に入った生徒だけ贔屓し、場合によってはホテルに引きずり込み。

洗脳まがいの手段で言うことを聞かせ。

気に入らなければ、実力のあるなしに関わらず評価しない。

そういう事をしていれば。

幾ら腐ったこの世の中でも、不快感は募っていく。

ましてやこの学校では。

「実績」以外で、このクズ教師に、評価点は無い。

ツラがいい?

そんなもの、三時間で飽きる。

美人は三日で飽きるという話があるが。

此奴の場合は、三時間で敵意に変わる。

「み、皆で団結して作り上げた音楽のすばらしさが、どうしてわからない!」

「あんたの所は団結じゃ無くて洗脳だろう!」

ついに怒号が、反対側からも出た。

部活がどんどん異常化しているのは、誰もが知っていて。

そして誰もが困り果てていた。

学校教師がブラック企業並みの状況に置かれ。

死にかけているのも皆知っている。

それなのに、此奴は。

それを促進し。

なおかつ全面肯定するような事をしているのだ。

ギリギリで仕事をしている他の教師達は、授業を削って練習に当てさせろとかほざく此奴を、本気で憎悪していたはず。

本末転倒も良い所で。

しかも、落ちた成績を。

無理矢理偽装するような真似に、どうして荷担しなければならないと、先生の一人は吼えていた。

そっか。

そんな事もしていたのか。

まあ学校で王を気取っていたのなら。

それくらい出来ても不思議では無いか。

録音しているので、後で追加で全て流してやろう。勿論ネットで、SNSにだ。

「大体ねえ、あんたの所の生徒だけどうして特別扱いなんだよ。 全国大会出場だかなんだか知らないが、学食でも並んでいる列を勝手に割り込んで、席の一番良いところを勝手に取って。 変なローカルルールをたくさん作って、授業でも我が物顔で居眠りしてやがる。 しかも注意すると、吹奏楽部だから、で許される。 あんたが押しつけたんだろうが、この狂ったルールを学校全体に!」

「もう出て行ってくれませんかね」

すっぱりと。

ついに、教頭から声が上がると。

他の教師達も、沈黙でそれに追随した。

おお。

はっきりと此処まで意見が出たか。

「別にあんなコンクール、出ても意味ないでしょ。 生徒の内申にちょっと色がつくくらいで、むしろ長期的に見ればマイナスだ。 何しろ、高校で勉強を一切しないで、あんたに洗脳された記憶だけが残る。 青春も零だ」

「み、みなでコンクールに向けて努力するのがせいしゅ……」

「巫山戯んな! あんなカルト教団まがいのやり口で、朝から晩まで血が出るような苦行をしておいて、何が青春だ!」

もはやあんたの味方は、此処には一人もいないよ。

はっきりと、誰かが言い切る。

それはそうだ。

これ以上あの動画が拡散するのは止められない。

実は学校側で削除申請を出したのだが。

削除する度に、誰かが再アップするいたちごっこが続いているのだ。

もはや学校の恥を削除するしか。

この事態に対処する方法は見当たらない。

絶叫。

どうやら、ついに精神が限界を迎えた音楽教師が、精神の箍を外してしまったようだった。

多分誰かに殴りかかったのだろう。

凄まじい音が響いたが。

すぐに静かになった。

多分体育教師か何かが、背負い投げでも決めたのだろう。

「警察に通報」

冷めた声が。

事態の収束を告げていた。

 

学校に警察が来て。

音楽教師が、暴行および傷害の現行犯で連れて行かれる。どうやら、側にいた女性の国語教師(後輩)に殴りかかったらしい。

なるほど。

頭に血が上っても。

本能的に自分より弱い奴を殴るという狡猾さだけは失っていなかった、というわけだ。何というか、実に。

あのクズらしい。

更に、である。

女性教師は、殴られても避けなかった。

実際に女性を殴った。

その既成事実を作るためである。

真っ青になっている音楽教師は、警察に連れられて行く。民事にするかと聞かれていたが、女性教師はきっぱり答える。

刑事で、と。

暴行および傷害で告発しますとも。

まあそれが妥当だろう。

あれは実刑が入らないと、排除することが出来ないタイプだ。

学校を強制収容所か何かと勘違いして、異常な行動を取る教師は昔からいたが。吹奏楽部に住み着いていたあのクズは、正にそれだった。

それと。

動画については、私はその後怒られたけれど。

ちょっと言われるだけで終わった。

むしろ、学校の宣伝になったから良かったという。

「全国に出るレベルの吹奏楽部を、一人でなで切りにするほどの生徒がいるって事で、話題になっているからそれでいい。 更に、問題を起こしていた音楽教師が追放になったとなれば、むしろ話題性も出る。 だが、顔と実名を出さなかったとは言え、あまり褒められる行為では無かったな」

まあ、ちょっとやり過ぎたのは認める。

軽く怒られたが。

私に関しては、それまでで終わりだった。

後は、最大の問題が残っている。

空中分解した、吹奏楽部だ。

早速、吹奏楽部に対しては。

完全に特権が消滅。

立場は今までと、完全に逆転した。

まず学食で好き勝手していた吹奏楽部員達は、「専用」の席からたたき出された。柔道部を一とする運動部が、その専用席を先に独占。

吹奏楽部達が抗議しようとした瞬間。

学食にいた生徒全員が、一斉に視線を向けた。

悲鳴を上げて腰を抜かし掛ける吹奏楽部員達に。

柔道部の連中は言う。

「あんたのところの犯罪者教師が、何をしたかしっとるだろ。 あんた達も、もう特権は無いんだよ」

「そ、そんな、だって今までは」

「今までがおかしかったんだろうがこの阿呆!」

悲鳴を上げて逃げ散る吹奏楽部員。

吹奏楽部も、活動無期限停止。

というか、音楽室には鍵が掛けられ。

音楽の授業には、新しい先生が来た。

あまり美形では無いけれど。

ごくまともな先生だ。

勿論吹奏楽の担任はしない。

吹奏楽部の備品については、全部倉庫にしまわれて。一旦は保留という形になった。

授業中でも。

今まで居眠りし放題だった吹奏楽部員達は、全員叩き起こされるようになったし。コンクールとやらへの出場も無期限停止。

まあ教師が事件を起こしたのだ。

当然の結末だろう。

いい気味だと私は思うけれど。

まだちょっとひと味足りないかも知れない。

此処から、更に攻めていくべきだろう。

案の定、ネットでは大炎上しているようだった。まあそれは当然だろう。話題になっていたブラック部活の教師が。

事件を起こして逮捕され。

それがニュースにまでなったのだ。

恐らくどっかからか圧力が掛かったのか、新聞とかテレビはあまり報じなかったけれど。そんなものは今時小学生でも信じていない。

すぐにネットで拡散し。

具体的な情報も、すぐにばらまかれていった。

本当はあまり褒められた事では無いけれど。

これは当然の結末。

「完全勝利だな」

石原が言う。

授業が終わった、休み時間での話だ。

ちなみに、吹奏楽部内部でも、造反勢力はいた。

やはりこの部活はおかしいと、疑問を感じている連中はいたのだ。

このクラスにいたのは、その造反組。

造反組は、いち早く他の吹奏楽部と距離を置き。事前に決めていたとおり、過去の醜聞を学校内に撒きはじめた。

掌返しという声も上がったが。

その内容が、洒落にならなかった。

あの音楽教師と関係を持った人間のリストが出回ったのだ。

勿論ホテルに連れ込むような関係の事である。

吹奏楽部は、教師の好みによって、コンクールに出られる生徒、出られない生徒で完全に分けられていたが。

例の通り、私が一人で全タテするような連中。

それこそ全員が知れた実力だったのだ。

そして、コンクールに出られる生徒は、その大半が。

教師の手がついていた。

コレは本当かどうかは分からないが。

このリストは、当然内部から流出したものである。

少なくとも、外側の噂ではなく。

内部で拡散していた情報、という事だ。

更に、だ。

このリストを問題視した教師達が、個別面談をしたところ。

一年生でコンクール出場に抜擢された生徒が、事実を認めた。

何でも、実績のある音楽教師に惚れていた所に声を掛けられて、そのまま関係を持ったのだという。

そういや此奴。

三年の、ずっと努力(と言う名の苦行)を続けていた生徒達を押しのけて、コンクールになんで出たのか不思議に思われていたらしいが。

事実だったのだ。

私も、実は此奴は、叩きのめしたとき。

他と大して変わらんなと思った。

なるほど、そんな事実があったのか。

苦笑いを通り越して、やがて爆笑してしまった。

流石にこれはネットに流すな。

ただし、警察の方に此方から連絡して、対応をして貰う。

そう教師からのお触れがあった。

今回は、生徒達も様子見で、という考えに至ったらしい。

まあそれはそうだ。

実際問題、自分の教え子に手を出しまくっていたと言うことがはっきりして。しかも証言までとれたとなると。

あのクズは。

もう二度と音楽関係の界隈には。

戻ってくる事など出来ないだろう。

事実上の追放だ。

昔の恋愛小説だと、ピアノ教師とかと恋愛ごっこをするのが定番だったらしいのだけれど。

事実は小説より奇なり。

いずれにしても、快勝だ。

この時は。

私も、そう思っていた。

 

3、反撃

 

完全に吹奏楽部が空中分解してから、数日後。

私は、大けがをした。

電車を待っているところを、いきなり後ろから押されたのである。

幸い、線路に投げ出される所までは行かなかったが。

状況を見て、減速した電車に接触。

はじき飛ばされるようにして。

ホームに叩き付けられた。

私を押したのが誰かは分からなかったけれど、多分吹奏楽部のメンバーの一人だろう。逆恨みによる行動とみて間違いなかった。

いずれにしても、意識が飛んだ私は。

病院行きに。

そして、知らされる。

「障害が残るかも知れません」

「はあ」

それは困った。

具体的には、左腕を結構激しくぶつけているらしい。

勿論これから手術などをして対応はするらしいのだけれど。それでも元に戻るかは微妙だそうだ。

「元に戻る確率の方が高いですが、リハビリが必要になります。 二ヶ月ほどはかかると見てください」

「分かりました」

絶対音感はなくなっていない。

家に連絡すると。

見舞いだという生徒が何回か来たらしい。

勿論事前に手は打ってある。

誰が来ても、絶対に入れるなと。

理由は簡単。

私は石原を一として。

他の生徒も、誰一人として信用していないからだ。

部屋には鍵を掛けてある。

鍵は私しか知らない場所に隠してある。

後は、手持ち。

つまり、手持ちの鍵をコピーされない限り。

部屋に入られ。

宝の石を持ってかれる事は無い。

鉄の棒もだ。

あれをもし奪われでもしたら。

やった奴は、絶対に殺す。どんな手段を用いても、必ず殺す。何年かかろうと、探し出して殺す。

それについては。確定事項だ。

しばらくは病院で過ごす。

見舞いに来る生徒もいたが。

話を聞く限り、私を電車に押した奴は、まだ捕まっていないらしい。学校側でも、対策を協議しているようだが。

石原も来た。

だが、歯切れは良くなかった。

「多分吹奏楽部の生徒だと思うんだけどな」

「そりゃそうでしょう」

「例のリストが出回ってから、何人かが停学になってるんだよ。 そのまま転校になる可能性がある奴もいるらしい」

「ふーん」

どうでもいい。

そう返すが。

石原は、どうでも良くないと言う。

「停学中って事は、家から出て歩き回れるって事だ。 制服着ている状態で押したんだったら、それで監視カメラとかから特定出来るかも知れないけれど、私服だとぐっと難しくなるんだよ」

「どっちにしても、私には大した事じゃ無いし良いよ」

「……何だか投げやりだな」

「どうでもいいからね」

そう、文字通りどうでもいい。

今回の件も、それこそ邪魔な小石をどけたようなものだ。

私に取って大事なあの小石と、金属の棒以外。

この世の全てがどうでもいい。

勿論此奴も。

究極的には、私の体そのものもだ。

私に取って大事なのは音だけ。

それ以外は宝と言うに値しない。

今回の件でも、吹奏楽部を叩き潰すのには協力したけれど。それは私に対して害意を持っていたからで。

そうでなければシカトしていただろう。

何より、音を。

音楽を侮辱した。

それが許しがたい。

それさえなければ、勝手に苦行を死ぬまでやって死んで行くのをみているだけで充分だったが。

「お前、何というか、枯れてるな……」

「本当に大事なものがあるとね。 他の何もかもがどうでも良くなるんだよ」

「へえ……」

「かのベートーベンは、聴力を失っても音楽を続けた。 そういうものだからね」

苦しかっただろう。

しかもベートーベンは、典型的なクズ親に。

金儲けの道具になると判断され。

子供の頃から散々異常な練習量を仕込まれて、一時期音楽を嫌いになりかけた。

つまりあの吹奏楽部と同じやり方を続けていたら。

音楽という世界には。

ベートーベンという天才が誕生しなかった可能性さえあったのだ。

私も、絶対音感をなくさないかぎり。

そしてあの澄んだ音を出す石を無くさない限りは。

音と共にある。

それ以外は本当に。

どうでもいい。

 

帰宅。

部屋に入ると、小石と金属の棒はちゃんとあった。

嘆息すると。

石を何度か叩いてみる。

たんたん。

とんとん。

いつものように澄んだ音だ。この澄んだ音こそ、私のオリジン。絶対音感という体質が周囲に理解されなかった私の。

唯一の友達。

音符の数々は。

私に取っての本当の友達。

それはそうだ。

絶対音感で。完全な形で、聞く事が出来るのだから。

しばらくは、鍵の掛かった防音仕様の部屋で、静かに自分だけの音を楽しみ続ける。そうすると。

不意にドアがノックされた。

「何」

「俺だ」

兄貴か。

ドア越しに会話をする。

「学校で派手にやりあったらしいな」

「吹奏楽部を叩き潰したこと?」

「ああ、それだ」

「自業自得だったし、当然でしょ」

しばらく無言が続く。

実はあの後。

脅迫電話が掛かってきたという。

勿論警察には連絡したけれど。悪戯電話の可能性もあるとかで。あまり真剣には取り合ってくれなかったそうだ。

妙な話である。

此方は殺され掛けたというのに。

「もう少し、自衛に気を遣ってくれるか」

「自衛、ね」

「お前が何だか知らないが、自分の部屋にあるものだけを大事に考えているのは知っているがな」

「分かってるなら、それでいいでしょ」

会話終了。

自衛、か。

私に取っては。

本当にどうでもいいことだ。

流石に背後からの不意打ちはどうにも出来なかった。囲まれた、と判断したときは。さっと逃げる事も出来たけれど。

それは音が味方をしてくれたから。

雑踏の中。

雑音だらけの中。

背後から奇襲を仕掛けられては。

どうにもならなかった。そればかりは、まあ私としても、不手際だったという事は認める。

「なあ、今回の件で、吹奏楽部に恨みを持っていた奴らを味方につけたんだろ。 そいつらと一緒にしばらくは行動した方がいいんじゃないのか」

「いやだよ」

「なんで。 命が危ないんだぞ」

「だって、内通者がいる可能性があるし」

兄が絶句する。

気付いていなかったのか。

恐らくは、石原か。

そうでなければ、他の生徒か。

そもそも、石についてはばれていない様子だから、石原の可能性は小さいか。だが、どちらにしても、だ。

私が何かしら宝を持っていて。

それを奪おうと、家に来た奴がいるのは事実。

石原ではないにしても。

あのやりとりを聞いていて。

吹奏楽部に告げ口した奴はいる。

それは事実とみて間違いなかろう。

「とにかく、今後も私がいないときに、私の「友達」を名乗る奴が家に来ても、絶対に上げないようにしてね」

「分かってる。 お前に友達なんて、音しかいないもんな」

「分かってるなら良いよ」

「……そうだな」

随分久しぶりに。

兄貴と長めの会話をした。

今度こそ、会話を打ち切った私は。

何度か嘆息した。

身を守っただけだが。

何だかどんどん話が大きくなっている。カルト教団を潰したら、その残党が逆恨みしてテロを仕掛けてきたようなものだ。

とにかく。明日からは。

学校に出る。

嫌な予感がするから。

宝は、更に厳重に隠しておくとしよう。

 

学校に出る。

腕はまだちょっとしびれがあるけれど、動かすのには問題が無い。復帰のホームルームで、最初に私は言った。

「今回殺され掛けました。 まあ犯人は吹奏楽部の誰かでしょう」

「……!」

流石にざわつく教室。

教師は露骨に青ざめている。

これは、ひょっとすると。

隠していたのか。

「事故か何かだって聞かされていました? 明確に電車待ちの最中に後ろから押されましたよ。 手の大きさからして、女子か、小柄な男子でしょう。 心当たりがある人は、警察に連絡してくださいね。 私の方でも、この件で進展が無い場合、ネットに情報を流しますので」

「ちょっと、尾立沢さん!」

「自衛のためには仕方が無い事です。 ああそうそう、更に怪我をしたり私が死んだりした場合、即座に情報がネットに流れるようにしてありますので悪しからず」

「……」

まだ、戦いは終わっていない。

正直面倒くさいけれど。

イジメを行う相手は。

相手が抵抗できないと判断しているから行動に出る。

もしくは周囲が味方だと判断しているから行動に出る。

今、この学校の吹奏楽部は、ネット中で叩かれている。顔写真まで流出して(まあコンクールに出ていたのだから、流出も何も無いが)、大炎上状態である。

この上殺人未遂まで起こしたという情報が流れたら。

学校が潰れる。

少なくとも、生徒からも逮捕者が出るだろう。

だが、学校側はどうも警察に本気で協力をしていないらしい。

ならば此方としても。

やるべき事を。やるだけだ。

流石に青ざめて。

石原が話しかけてくる。

「初日からお前凄いな……」

「身を守るためにね」

「身を守るって、相手を完全にブッ殺す気満々じゃねーか」

「そうだよ」

完全に叩き潰して。

再起不能にする。

そうでもしない限り、今後同じ事は何度でも起こるだろう。

さっそく、放課後に。

職員室に呼ばれた。

学校側も慌てたのだろう。

学校としては、吹奏楽部を牛耳り。裸の王様として君臨していたあのクズ教師だけ追い出せれば良かったのだろうが。

実際には、世の中そんなに単純じゃ無い。

裸の王様でも狂信者はいるし。

ましてやあのカルトじみた指導である。

逆恨みが、それこそ相手の抹殺に直結してもおかしくないだろう。

「もう少し、穏便には行けないのかね」

「殺され掛けたんですが」

「後遺症も、その、残らないんだろう」

「相手は多分何度でもやりますよ。 今回の件で、味を占めているでしょうしね」

捕まらなかった。

警察は無能。

学校は問題を大きくしたがらない。

そう判断した以上。

コレより更に動かない。

ならば、もう一度やれば。

今度は殺せる。

或いは、私が何か宝を持っている、という話を聞いて。それを奪いに来るかも知れない。実際それは実施したはずだ。

「とにかく、学校で警察に協力しないのなら、こっちとしてももう黙ってはいませんからね」

「もう少し、穏便に、ね」

「出来ません」

会話を切り上げて、職員室を出る。

さて、此処からは。

殺すか殺されるかだ。

周囲をしっかりいつも確認して、事故を避けなければならない。

或いは、もっと直接的な手で出てくる可能性もある。

チンピラを雇うとか。

だが、それでも対応出来るように。

色々と、考えておかなければならないだろう。

学校を出る。

暗いところは出来るだけ通らないように。

電車は不便でも後ろで待つ。

その間、音を聞く。

何か、特徴的な音が無いか。

絶対音感持ちの私は。

音には色々と五月蠅い。

前に電車に押し出されたときの音と。同じ音が、何処かにないか。雑音の中を、手探りで探る。

数日が、過ぎる。

どうも妙だ。

一定距離を保って、ついてきている奴がいるような気がする。音が少なくとも、同じなのだ。

そうすると、私を殺そうとした奴は。

まだ狙っている、という事だ。

当然だろう。

そして、しかも非常に直接的な形で、である。

不意にクラクションを鳴らされる。

後ろを見ると。

いかにもな柄の悪そうなのが、数人。ハイエースに乗って、にやにや此方を見ていた。

「尾立沢だっけ?」

「おっと」

ひょいと、降り下ろされた鉄パイプを避けて、足を払ってみせる。

注意を引きつけて、後ろから一撃。

生憎音が全て聞こえていた。だから対応出来た。

そのまま、防犯ブザーを鳴らす。

凄まじい音が響いて、周囲が一斉にコッチを見た。すっころんだ男は、慌ててハイエースに逃げ込むと、キール音を立てて逃げていった。

ぺっと吐き捨てる。

どうせ体で懐柔して。

ああいうのを雇ったんだろう。

それで好きなようにして良いとでも言ったのか。

警察官が来る。

聴取されたので、言った。

誘拐され掛けた、と。

さて、これでもう相手も後戻りは出来ない。

そもそも最初からして殺人未遂だ。

今の連中にしても。

私を誘拐した後は、もう身代金も何も関係無く。徹底的に嬲り尽くして、場合によっては生かして返さなかっただろう。

警察で聴取を受けたので。

帰ったのは夕方。

これから、警察を巡回させてくれると言ったが。

こっちとしては、更に手を打っておく。

学校で、しっかり警告はした。

それにもかかわらず、起きる事は起きた。

それならば。

もう、黙っている事は無いだろう。

 

犯人は、数人まで絞り込めている。

警察の方でも、殺人未遂の後、誘拐未遂が起きたことで、本格的に動き始めたらしい。というか、やっと、というところだが。

学校に警察が来て。

職員室で聴取開始。

更に、吹奏楽部の生徒達を、一人ずつ呼んで、聴取していった。

何だか、聴取している部屋で、ヒステリックな声が聞こえてくる。

「彼奴が何もかも全部奪ったのよ! 私達の先生も、コンクールも! みんなの団結も、快適な生活も!」

勝手な言い分である。

快適な生活とやらは、他の生徒達に対してしわ寄せをさせていたし。

その先生とやらはカルトの教祖そのもの。

コンクールとやらも、実際には見栄えが良い音を、無理矢理全員で合わせて作っているものだし。

団結というのは、カルトのやり口そのものではないか。

目が覚めないのはまあ仕方が無い。

カルトを抜けても、洗脳は簡単にはとれない。

そういうものなのだ。

「それで、君が殺そうとしたのかね」

「するわけないでしょう! あんな奴、死ねば良いとは思うけど、実際にそこまでしないわよ!」

「君の言葉を聞く限り、既に参考人としては充分だね。 これから本格的に聴取させて貰うから、そのつもりで。 数日は家に帰れないからね」

「lkadsfhkasjdbhflkdfjgfjglafhjb!」

誰だか知らないが。

そいつの声は、もう人間の言葉を為していなかった。

絶叫はもう意味不明の金切り声で。

暴れるのを、取り押さえられたようだった。

だが、私は悟る。

あれは違う。

多分、犯人は別にいるはずだ。

何というか、一定距離を保ってついてきていた音と。

雰囲気が違うのである。

これでも絶対音感の持ち主だ。

人間の言葉は判別がつく。似ていても、である。

声優なんかは上手に声を使い分けていると思うが、それでもどうしても声紋に癖が出てくる。

ましてや一般人など。

足音などにも癖が出る。

しかし、妙だ。

つけてきている奴の音は、どうもクラスなどでは感じられない。

だとすると、誰だ。

いずれにしても、警察に聴取が行われたことで、完全に吹奏楽部は壊滅した。無期限停止だった活動も。

完全に廃部になった。

新しい顧問が来る事も無くなったし。

ニュースにもなった。

こっちとしては炎上どんとこいである。

人の生き甲斐を奪って嬉しいかとか、動画に的外れなコメントが来たが。

カルトそのものの手法で思考力を奪い、努力とは名ばかりの苦行を無理に課して、音楽とも呼べない代物をやらせることが、どこがやりがいなのかと反論すると。

それに対する返事は無かった。

私の一人吹奏楽は、いずれにしても動画の視聴数が伸び続け。

プロもコメントを入れていた。

これなら、即座にプロの楽団でやっていける。

そう太鼓判をかなりの大御所が押したこともあり。

完全に。

元吹奏楽部の連中の面子と。

そのやり方は潰された。

まあいい気味だが、問題は。

まだ私が学校と家を行き来している間。

例の音がついてきている、ということである。

私は動画に出るときに、顔は隠していたし。

私を特定するのなら、一応調べなければならない筈だ。

何処かの雑誌の記者か何かなら良いのだけれど。多分というか、ほぼ間違いなくこの気配は、私を殺そうとした奴。

警察は巡回してくれているが。

それでも平然とつけてきている所を見ると。

余程自信があるのか。

それともバカなのか。

仕方が無い。

こっちとしても、罠を張ることにするか。

というか、位置を特定するための手を打つべきだろう。

絶対音感を生かす。

まず、買ってきたのは、小さなベル。

これと、どうでもいい適当な棒。

気配を感じたら。

ベルを、棒で叩く。

きん、きん。

ちょっと澄んではいないけれど。

それでも音が周囲に拡がる。

例の音と混じり合う瞬間に。

大体の位置が分かる。

勿論とっくみあいではあまり自信が無いから、場所さえ特定出来ればそれでいい。何度か鳴らしていると。

どうやらついてきている奴は。

後方十メートルから十五メートルくらいの。

こちらの死角から。

上手に追跡しているようだった。

なるほど、素人の私には見つけられないはずだ。

いずれにしても、以前聴取を受けたときに、警官に番号を貰っている。其処に連絡する。後をつけられている。

気付かないふりをするので、捕まえて欲しい。

そう連絡すると、すぐに飛んできてくれた。

警官に、指示。

「私の後ろ、十五メートルくらいの死角にいます。 近づくとさっと逃げるので、どうしても見つけられません」

「どうしてそんな事が分かるんですか」

「これでも絶対音感の持ち主ですので」

音の位置を特定するための小道具も使っている。

それで充分だ。

私は足を止めずに、そのまま家に。

ずっとついてきている。

途中の電話は、コンビニに入ったときにした。まだ、追跡は現在進行形で行われている途中だ。

さて、おまわりの手際を拝見、と行きたいが。

警察が、来たらしい。

わっと、何かを捕まえるのが、後ろで分かった。

ちゃんと仕事はしてくれたか。

まあ殺人未遂犯の手がかりが無くて、手詰まりだったのだろう。

「確保!」

叫び声が聞こえた。

さて、どんな奴がついてきていたのか。

大体見当はつく。

そして、見に行くと。

だが、見当とは外れていた。

見た事も無いおばさんだ。

恐らくは私と同じ学校の生徒だろうと思っていたのだけれど、あてが外れた。誰だこのおばさん。

警察が取り押さえているそのおばさんは。

泡を吹きながら、わめき散らした。

「夫を帰せ!」

ああ、そういうことか。

そういうことだったのか。

苦笑しか漏れない。

「貴方の旦那さんが、吹奏楽部の生徒に手当たり次第に手をつけていたの、知らなかったんですか?」

「嘘だ!」

「嘘じゃ無いですよ。 コンクールに出すお気に入りの子には、殆ど手をつけていたんですよあの人」

「嘘だああああっ!」

わめき散らすあのクソ音楽教師の妻。

もう鬼相というのも生やさしい有様で。

見るに堪えなかった。

いずれにしても、これは完全に黒と見て良いだろう。

「どうして私を殺そうとしたんですか?」

「お前みたいな奴、生きている資格が無いからだ!」

「それで電車から突き落とそうとしたと」

「そうだ! 今だって、殺してやろうと思ってた!」

手荷物からナイフが発見される。

いや、ナイフと言っても、これはコンバットナイフだ。

本気で殺すつもりだったのだろう。

呆れた。

いずれにしても数え役満。

証言も自分でしたし、どうにもならないだろう。

あのクソ教師。

自分の妻も、完全に洗脳していた、という事か。まったく持って、カルトの教祖以外の何者でも無い。

いずれにしても、引きずられていく音楽教師の妻は。

もう人間の声を上げていなかった。

見苦しい。

いや、それを通り越して。

聞き苦しい音だった。

 

4、決着

 

吹奏楽部は滅び。

関係者はみんな終わった。

自主退学したもの。

転校したもの。

いずれにしても、吹奏楽部の主要メンバーは、学校から消えた。

それに、である。

コンクールに選抜されていた連中は、あのクソ教師と肉体関係を持っていた、という話は、それこそ音の速さで流れ。

そいつらは、もう居場所も無くなったのだろう。

クーデターを起こした吹奏楽部の造反組が。

積極的に情報を流した、というのもある。

一流の芸術家は変人揃いだ。

かのモーツアルトなんかは、変態帝王と言われるほどの筋金入りだった。

芸術家は変わり者だ。

だが、あの音楽教師は違った。

あれは芸術家と呼ぶには値しなかったし。

何よりも、変わり者と言うよりも。

ただの性欲の塊だった。

実際問題、芸術家と呼べる一流の音楽家達からは、揃って駄目出しをされていたくらいだし。

私が勝負を挑んでも。

尻込みをしてしまって。

絶対に受けようとはしなかった。

音楽家なら。

音楽で勝負をすれば良いものを。

いずれにしても。

私の周囲には。静寂が戻った。

たんたん。

とんとん。

このリズムだ。

防音処置をした部屋で、私は石を、さび付いた金属の棒で叩く。あの忌まわしい音楽もどきではない。

これこそ音楽だ。

単純なリズムは。

音楽の原典。

私は絶対音感持ちだからか。

それを最初から知っていた。

多分歴史に残る芸術家達もそうだったのだろう。

そしてリズムに意味を残し。

自分を入れ込む。

そうすることで、初めて音楽は魂を持つ。

多分これに関しては。

音楽だけじゃ無くて。

他のあらゆる芸術が同じ筈だ。

それを理解せず。

無理矢理周囲をあわせ。

苦行を課して思考停止させ。

自分の気に入った生徒だけを抜擢してコンクールに出す。

そんなもの。

音楽とは言えないだろう。

連絡が来る。

SNSを最近使うようになったのだが。

石原からだ。

「あの変態教師、有罪が決まったってよ」

「それは重畳」

「妻の方も殺人未遂を自白したので、有罪はほぼ確定だそうだ。 今まで隠してたけれど、不意に学校をやめていった生徒の中には、あの変態野郎に孕まされていた奴もいたそうだぜ」

「ふーん」

どうでもいい。

ツラが良くて、音楽が「出来る」。

それでもてる事は知っているが。

私には、あれは音楽とは認識出来なかったし。何の興味も湧かなかった。何度も言うが、あれは音楽に対する冒涜だとしか思えなかったからだ。

ただし、あれに興味が湧く方が「一般的な感性」だという事は知っている。それを奴は、最悪の形で利用していたことも。

カルトの典型的な手口である事も。

カルトは簡単に心に忍び込んでくる。

同じような手口を、様々な企業で利用して。ブラック労働に活用しているらしいのだけれど。

まあそういう意味では、奴は「常識的」で「普通」の手口を使っていた、ということなのだろう。

そして奴のような輩は言うのだ。

騙される方が悪い。

このやり方が正しい。

私は絶対に正しい。

はっきり言って反吐が出る。

「他の学校でも、吹奏楽部がデスマーチになっているケースは結構あるらしくてな。 今回の事件で、かなり大規模なメスが入るって話だ。 いっそのこと、部活地獄がこの件で何とかなればいいのにな」

「まあどうでもいいけどね」

「投げやりだな……」

「このご時世、私みたいな偏屈が生きていく場所なんてないしね」

会話を切る。

ふと、知らない相手からメッセが入った。

結構有名な音楽家だ。

驚かされた。

私も知っているほどの人間で。

世界レベルで活躍している、珍しい日本人プロだからである。

「君の動画、見せてもらった。 確かに学校のコンクールとかでやっているエセ吹奏楽とは違う本物だね。 君の実力なら、プロになれると思うが、どうだね」

「私は筋金入りの偏屈ですが、それでも良いですか?」

「構わないよ」

音楽家はみんな偏屈だ。

そう、その人は言うのだった。

私は少し考えた後。

ただの悪戯という可能性も考慮して、連絡先を変えることにする。

軽く調べて、相手が公式で使っている電話番号を指定。

其処に掛けると言うと。

相手は快く了承した。

電話を掛けてみると。

本物であったらしい。

きちんとした応対をしてくれた。

「君の音楽は、単純なリズムが原典になっているようだね。 一拍子、二拍子。 一拍子、二拍子」

「そうです」

「別にそれはそれで構わないよ。 君ほどの逸材がネットで作品をアップ出来る時代が来たのは面白いし、何よりそれで君を私が見つけられたのも大きい」

「……」

正直な所。

あまり気乗りはしていなかったのだけれど。

こんな副次効果が生まれたか。

まあいいだろう。

是非とも、プロになって欲しい。

なり方については、これから支援するので、言う事をメモして欲しい。

そう言われたので。

私はメモを取ることにした。

楽器は一通りこなせるけれど。

何が良いだろう。

ピアノかな。

吹奏楽は正直な所あんまり好きじゃ無い。まあ、理由としてはあのクズ教師の事が大きいのだけれども。

いずれにしても、これから本職に話を聞いて、ゆっくりやっていけばそれでいいか。

不思議な話だ。

周囲の全てを叩き潰して。

そうしたら。

光が見えた。

私はひょっとすると。

ずっとくらい洞窟の中で。

小石を叩き続けていたのかも知れない。

 

六年後。

ウィーンの音楽会で、私はピアノを披露することになった。ちなみに壇上には三台のピアノを用意している。

曲目はベートーベンの交響曲第五番だが。

私の演奏は。

凄まじい叩き付けるような激しさが特徴で。

女性ピアニストとは思えない、と良く言われる。

ピアノが破損する事も多いので。

ピアノを三つも用意しているのである。

ついた渾名が。

破壊神。

今後、作曲の方もやってほしい。

そう言われている。

私は激しい演奏で、指を痛めないようには気を付けているけれど。何、ちょっとやそっとの痛み。

あの電車に叩き付けられたときのに比べれば、どうと言うことも無い。

演奏が終わると。

どっと拍手が巻き起こる。

私は立ち上がると、礼をして、袖に下がった。

なお、ピアノは、最後の一音で壊れた。

調律が必要になるだろう。

後、根本的なメンテも。

だが、ピアノとは消耗品だと私は考えているので、こればっかりは仕方が無い。他の楽器も同じだろう。

インタビューを受ける。

私は兎に角偏屈と言う事で知られているので。

音楽関係のインタビュアーは、最初から逃げ腰だ。

失礼な質問を受けると、その場で返事を打ち切るからである。

更に、私の方でも、動画を常にリアルタイムでネットに流しているので、偏向報道も出来ない。

それもあって、インタビュアーはぴりぴりしているようだった。

「今日の演奏はどうでしたか」

「まあまあ。 後このドレスは動きにくいので、今後はスパッツか何かでやりたいですね」

「音楽の殿堂で、ですか」

「音楽なんて、別に着るもので変わる訳ではないですからね。 くだらん伝統があるなら、ぶっ壊すだけですよ。 伝統の内容次第では、本来の音楽からどんどん離れて、くだらない音楽もどきが蔓延ることになる」

音楽なんて。

原典は楽しければ良い。

私に取っては小石が奏でる音がそう。

あれが奏でる音は。

正直、今ひいたピアノよりも、ずっと心の奥底に残っているし。今でも愛している。

「さ、流石は破壊神の渾名を持つだけの事はありますね」

「破壊の後には創造があるものです。 そういう意味で、破壊神と呼ばれるのは、むしろ光栄ですよ」

インタビューを打ち切る。

控え室で、ヒラヒラしたドレスを着替えると、今回の収入について確認。現時点で、既に年収は1000万を超えている。

日本から、吹奏楽か何かのコンクールで審査をしてくれないかと言われているが。

私としては別に構わない。

ただし、努力と苦行を勘違いして。

無茶苦茶な練習量で、無理矢理あわせてきたようなものは、私は評価しない。

全部落選させる。

審査の際に、気に入らない曲は落選させる権利が貰えるなら、という条件付きで、私は審査員をして良いと返事はしているが。

はてさて、どうなるかどうか。

まあいずれにしてもだ。

私が審査員になったら。

吹奏楽のコンクールは、阿鼻叫喚の地獄絵図となるだろう。

音楽もどきは全部排除され。

カルトそのものの手法で揃えてきた雑音の塊は、何もかもが消え去るのだから。

マネージャーが来る。

プロになってから、私をこの世界に導いてくれたプロが紹介してくれた人物で、かなりの辣腕だ。

おかげで来年の年収は2000万を超えるかも知れない。

「次の仕事ですが、よろしいですか」

「良いけど、今週も休みはちゃんととってね」

「分かっていますよ」

このマネージャーも。

偏屈揃いの音楽家と接して、よく分かっているのだろう。

私はどんなに忙しくても、必ずオフを定期的に入れる。どんな大口の仕事でも、そのオフの際には断る。

それは周知の事実で。

それが故にも、破壊神と言われているのだ。

そういう意味で破壊神と呼ばれるのなら。

むしろ光栄でもあるが。

悪しき伝統なんて。

どんどん潰してしまえばいいのだから。

「次はフランスの音楽祭での仕事です」

「それで?」

「今晩に移動を開始して、電車で現地に。 流石にまだ専用機をチャーターするほどの知名度はありませんので……」

「別に良いけど。 それにしても、さっきインタビューでも答えたけれど、そろそろヒラヒラ着て演奏するの無しにしてもいい?」

それは、もっと知名度が上がって。

重鎮になってから。

そうすっぱり言われる。

まあそれもそうか。

ただし、私が音楽会の頂点に立ったときには。

その全ての悪しき伝統は。

破壊され尽くす事になるだろう。

それで良いのだ。

私は悪しき伝統を見てきた。

それと戦って、青春に一文字をきざんだ。

青春の一文字とは。

本来はこういうものだろう。

そして、誰もいなくなると。私は部屋に籠もり。大事に石と棒を取り出す。

とんとん。

たんたん。

相変わらず、私の宝物は。

同じ音で答えてくれる。

 

(終)