走れ、猛牛乙女

 

ミューズという名の人気アイドルグループに属するリサ=シルバーマンは、帰化アメリカ人であり

金髪に蒼い目、白い肌に日本人離れした顔立ちながら、心は完全に日本人である

そんな彼女は、昔は差別されて自分の姿にコンプレックスを持っていたが

今では心許せる友もでき、一方的な恋の相手もでき、充実した毎日を送っている

そう、それは一方的な恋だった

ナナミがふと蓮華台をふらついていたとき、物陰に隠れて何かを伺っているリサを見つけた

リサの目は一点に釘付けになっており、その視線の先には、紅い服を着た青年が居た

「お姉ちゃん、どうしたんですかぁ?」

ナナミが声を掛けても、リサは振り向かなかった

三回目にようやく振り向き、不機嫌そうな少女の顔を見つけ、首を傾げる

何処かで見たような気がしたのだ。 ナナミは相手の顔を知っていた故、声を掛けたのだが。

リサはミューズの一員である事もあり、かなりの有名人である。

ナナミは、前の事件で彼女を知り、それから注目していたという理由もあったが

そんな事を知るわけもないリサは、ファンの子供か何かかと思い、笑顔を見せた

「何してるんですか、こんな所に隠れて・・・てぇ、見え見えか」

一緒の物陰に隠れると、ナナミは紅い服の青年・・・周防達哉を、口笛を吹いて眺めた

「お嬢ちゃん、邪魔しないで! あの人は私の・・・」

「へっ。 一方的に好きな人、ですかぁ?」

「激氣! 違う! あの人は周防達哉! 世界一いけてる、世界一格好いい

世界一クールな、私のお婿さんにしたい人なの!」

吹き出すナナミを前に、頬を赤らめながら、リサは言う

「達哉先輩の行動パターンは掴んでるんだから・・・いい、これから先輩はね・・・」

リサの口から、達哉の行動スケジュールが、十分刻みで心の底から嬉しそうに語られた

唖然とするナナミの前で、子供かと油断したか、自分の集めた極秘情報を心底楽しそうに言い

何故そんなことを知っているかと聞かれると、リサは目を輝かせた

「好きな人のことくらい、全部知っておくのが乙女のつとめよ!」

「それはストーカーって言うんじゃないですかぁ? そういえば片山典子って人も

お姉ちゃんの同類だったような気が・・・」

「あ、先輩が行っちゃう! 走るわよ!」

リサが立ち上がり、相手の言葉を待たずに手を掴み、ダッシュした

達哉が道路をバイクで走っていくのに、リサは脇の道に突っ込み、ブッシュを猛然と蹴散らしながら

正に闘牛が如き勢いで達哉を追う。 よく考えればナナミを連れていくことはなかったのであるが

そんな事をすっかり忘れ、道行く人々をはじき飛ばし、そしてリサは達哉の先回りに成功した

息は上がっているが、すぐに呼吸を落ち着ける。 一方で、完全にナナミは目を回している

再び物陰に身を隠し、思い人を待つリサの前で

しばらくの意識朦朧を経て、ようやくナナミは立ち上がった

「ば、バイクの先回りに成功したですか・・・・別の意味で凄いですぅ!」

「あ、達哉先輩が来たよ! 隠れて!」

ナナミは隠れる必要もなかったのであるが、リサは頭を押さえつけ、物陰に強引に押し込んだ

達哉を嬉しそうに見るリサの表情が綻んでいる。 一歩間違えれば完全にストーカーであろう

それを考慮に入れ、ナナミが彼女をたしなめる

「所で、達哉お兄ちゃんが好きなら、さっさと思いの丈を伝えたら・・・」

「それが・・・出来たら苦労しないわよ」

リサの表情は沈んでいた。 それにしても、南条が見たら人が悪いなと言ったことだろう

ナナミは明らかに状況を楽しんでいる。 この後何が起こるか、ほぼ完全に洞察していたからである

「達哉、遅くなってすまない」

リサが硬直した。 達哉の前には、あまり明るくはないが、落ち着いた雰囲気の女性が立っていた

そして、達哉はリサには見せてくれた事など一度もない笑顔をその人に向け、一緒に歩いていったのだ

風が一陣吹き、沈黙がそこに残った

 

「おーい、生きてるですかぁ?」

ナナミが軽くリサを押すと、石化した彼女は、そのままの格好で横に転がった

散々振り回されたんだから、このままでは面白くない。 ナナミは一計を案じ、指を鳴らした

「そういえば、達哉お兄ちゃん・・・あの人とつきあい始めて、間がないって感じですぅ」

リサの石化が解け、ナナミをまじまじと見つめる。 そして、笑みが浮かんだ

その情報の信憑性など、彼女には関係ないようだった。 単に可能性にすがりたかったのだろう

「そっかあ、じゃあ割り込む隙は、充分にあるって事ね!

じゃあ、先回りして、あの女性の欠点を探すわよっ!」

リサがまたしても、傲然と走り出した。 何事かと驚く民草を蹴散らし

またしても裏道を駆使して、達哉の先回りに成功した。 目には炎が燃えていた

彼女の後ろには、哀れにも倒れた細い木があった。 気迫一閃、体当たりを受けてへし折られたのだ

面白そうだからと、ナナミは後ろについてきていた。 彼女の力なら、これくらいの事は朝飯前である

達哉が無言のまま、女性と歩いている。 そして、スポーツ品店に入っていった

自分が付けられている共知らない達哉は、ここで単に女友達の買い物につきあっていただけだったのだ

その女友達も極めて淡泊な性格で、買い物が終わると達哉に手を振り、あっさり帰っていった

思わずガッツポーズを繰り出すリサ。 何も知らない達哉は、バイトに向かうべくバイクにまたがった

「よおおおし、また先回りするわよ!」

リサが走る。 砂埃をあげて、ブッシュを傲然と掻き分け、人々を宙に舞わせ、走る

ナナミはその後を走りながら、一人呟く

「ま、あの勢いで迫られたら・・・逃げたくなるのも分かるですぅ」

この日、リサ=シルバーマンは六回にわたって達哉のバイクを先回りし

六時間二十三分にわたって達哉を眺めていた。 恋する乙女故なせる、驚異的な力技であった