もたらされるは恐怖と華

 

恋は女性を変える。 黛ゆきのほど、この言葉が似合う人物はいないだろう

普段は姉御肌で、男性にも頼られ、チームを組めば必ずリーダーもしくは相談役を務める事が多く

戦闘時も度胸があり、冷静な戦略眼でいつも味方をサポートし

強力な格闘戦闘能力も生かして、敵からは恐怖の的となっていた

しかしそんな彼女も、舞耶の手伝いをして出版社で働くようになってから、時間限定で人が変わった

その変貌ぶりを見た彼女の仲間が、最初は腰を抜かしたというのは、誰もが知る事実である

 

「ほほう、それほどに素晴らしいアイスクリームなのか」

「そうですぅ。 何度も言うけど、作り手の実力は一流店のシェフ並です。

材料は良くないけど、製造工程がしっかりしてるから、味は決して劣らないです」

妙な会話をしながら、小さな子供と青年が歩いている。 ナナミと南条だった

今回二人は、平坂区に用がある。 半分は息抜きだが、半分は仕事である

この地区にあるアイスの専門店の視察、それが目的であった。 ナナミもお気に入りの店であり

味も良く、店主も好人物なのであるが、惜しむらくは経営者としての能力がないことだろう

今まではそれでも、一人で店を切り盛りしていたのであるが

それもとうとう立ち行かなくなり、知り合いであるナナミが見かねて援助を申し出たのである

この人物、とにかくアイスを作れれば幸せであり、スポンサーがどうであろうと関係ない様で

ナナミの申し出を受け、結果南条が自ら視察に来たのだ

その気になれば運転手付きの車で来ることもできたのだが、一番安い電車で来たのが彼らしいだろう

一刻を争う事態でないのに、金を浪費する必要はない。

南条はそう考え、わざわざ電車と徒歩で来たのだ

ナナミにも、南条にも、そのままその店を援助するつもりはない。

腕を見てから、会社で仕事をしてもらうつもりである

多分、大きな店舗でアイスづくりの腕を振るわせる事になるか

もしくは南条コンツェルン傘下の製菓メーカーで、味判断の顧問をして貰うことになるだろう

ふと、ナナミの視線が釘付けになる。 南条もそれに合わせて視線をずらし、硬直した

「そういうわけで・・・・でございますわ。」

「ぶっ! ご、ございますわ!?」

「黛が・・・ございますわ!?」

其処にいたのは黛であった。 側には舞耶の同僚、カメラマンの藤井俊介がいる

そして、ですわ言葉で喋ったのは、間違いなく黛!

この日、二人は舞耶の情報から、南条が調査に来た所と同じ店を取材に来たのである

黛はまだ、此方には気付いていない。 ナナミの目が完全に泳いでいる。 南条はめまいを覚えていた

「これは天変地異の前触れか? それとも・・・<奴>が復活しようとしているのか!?」

「ダーリン、いっくらなんでもそれはないですぅ! でも・・・富士山が噴火くらいはするやも!」

此方を黛が向きそうになったので、慌てて二人は物陰に隠れた

不審の視線を一瞬だけ向ける黛であったが、すぐに藤井の方へ視線を戻す

「所でユッキー、・・・・・・・・・だそうだけど、・・・・・を頼めるかな」

「そ、そうなんですの。 分かりましたわ」

念の為に付け加えるが、親しい人物の名に、<キー>という語尾を付けて愛称にするのは

この男の妙な癖である。 同僚の舞耶に至っては、マッキーなどと呼ばれているのだ

そこで、ようやく南条とナナミは、ほぼ同時に思い出した。

藤井の前では、黛が借りてきた猫のように大人しくなってしまうと言う事を

話では聞いていたが、現実に目にするのは初めてである。

上杉が初めてそれをみたときに死にかけたとも聞いていたが、冗談半分だと思っていた。

まさかこれ程とは、誰が思うだろうか。 いや、思うまい

「・・・出づらいな。 しかし、ここで黙っているのも俺の流儀に反する!」

「待つですぅ! さっきの会話を聞いたことがばれたら・・・確実にぶっ殺されるですよぉ!」

南条の足が止まった、その顔が青ざめている。 黛の戦闘能力は、彼も良く知るところであり

性格も、良く知るところであった。 確かに・・・確実に命がないだろう

数瞬の沈黙の後、南条は結論を下した。 通行人を装って遭遇すればよい!

二人は頷き会うと、黛を先回りし、いかにも通行中に出くわしたように装った

演技はアカデミー賞並とは行かなかったが、何とかばれずに済み、冷や汗をぐっしょりかきながら

南条は自分の目的地を告げ、黛の取材の目的地と同じ事を知り、更に冷や汗をかいたのであった

 

アイスクリーム屋は予想通り質素で、しかし味は超級だった

この日、ナナミは園村も誘っていた。

時間に正確な彼女も程なく合流し、ただでこの店のアイスを食べられることに目を輝かせていた

店主は、黛より実際には少し年上なのだが、どう見ても年下にしか見えない若々しい女性で

どうも自分の実力に自身がないようで、何時も不安そうである

藤井が黛を連れてきたのは、事前の調査でそれを知っていたからで、同年代の女性を連れていくことで

感情を和ませ、自然な表情を写真に収めることであった。

黛はナナミの誘いで何回かこの店に来たことがあり、園村も同様のため、状況は極めて良い

暫く写真撮影をした頃には、南条はアイスを食べ終えていた。 咳払いをし、静かに言う

「ふむ・・・確かに素晴らしいアイスだな。 俺はアイスの味に専門家ほど通じているわけではないが

先ほどの製造手腕に文句の付けようがないのは分かる。 味も愛情が籠もった物だ

それに、ナイトメアに良いアイスを時々作ってもらっているから、善し悪しくらいは分かるつもりだ

貴方を正式に、南条製菓の味覚顧問として、もしくは製造チーフとしてスカウトさせて貰いたい」

その間、藤井は南条の毅然とした表情と、店主の嬉しそうな表情を交互に納めていた

 

ビジネスの間も、実は南条は冷や汗をかき通しであった

黛は南条と合流した後も、無理にですわ言葉を使い、幾度も南条は吹き出しかけた

店主やナナミ、状況をすぐに悟った園村のサポートで場は切り抜けたが

久しぶりに命の危険を感じる瞬間であったろう。

アイス店を出ると、藤井は一人の仕事が入っていたため、足早に去っていった

それを見届けると、黛は南条の方へ振り返った。 そして、静かに言った

「南条・・・ナイトメア・・・あんた達、最初からみてただろう?

それに、園村! 二人がそれを隠そうとするのを、手伝ってたね」

「あははー、ばれてるよ、南条君!」

「む・・・確かに見ていた。 すまない。 出る機会が、なかなかにつかめなかったものでな」

「でも、決して悪口なんて言ってないし、笑ってもいないですぅ」

乾いた音が連続して炸裂した。 黛が何処からともなく取りだしたハリセンで、三人をどついたのだ

「分かってるよ、驚いただけだって。 だから、これで許してやる。

別にあたしがですわ言葉使ったって、奴は復活しないし、富士山が噴火なんかしないよ」

「ご、ごめんなさいゆきの。 悪気はなかったんだけど」

「す・・・すまん」

「ごめんなさいですぅ。 余りにも動揺した物で、つい・・・」

「分かればよろしい。 どうだい、腹ごなしに、みんなで休憩しようか」

黛が指さした先には公園があった。 自然公園で、くつろぐには丁度いい場所だった

 

「それにしても黛、あまりにも不自然だと、かえってぼろをだすんじゃないのか?」

ナナミが持ってきていた昼食のサンドイッチを食べながら、南条が言った

空はただ青く、雲が流れ、牧歌的である。 ほんの少し前に、町中が異変に襲われたとは考えられない

サンドイッチは、充分に全員の食欲を満たせる程にはなかったが、それでも軽食には充分だった

「分かってはいるさ。 あたしもね・・・何度か何時も通りに話そうとしたんだけど・・・」

黛の表情には影があった。 冴子先生のおかげで立ち直った彼女だが、荒れていた時の記憶は消えない

それが見えざる鎖となっていた。ありのままの自分を、藤井が好きになってくれる自信がなかったのだ

「まあ、お前ならいずれ自分で結論を出すだろう。 俺達が手を貸さず共な」

「ありがとうよ南条。 でもね・・・もう一度やったらぶっ殺すからね」

黛の目は、決して笑ってはいなかった。 南条も、ナナミも、園村も、青ざめて首を縦に振った

南条の予測通り、黛はこの後、自分にうち勝ち、恋を成就させるのだが

それにはまだ長い時間と、心の中での葛藤、気持ちの整理が必要であった

「げに恐ろしきは、恋する乙女か・・・」

ナナミが呟く。 今日は充実した日であり、真の恐怖を味わったと言うことで

有意義な日でもあった・・・そう彼女は思っていた