華麗なるオムレツ

 

「チャーオ! ナイトメアちゃん、いる?」

ふと聞き慣れた声と共に、ドアが叩かれた。 目をこすり、ナナミが欠伸を堪えながら寝室を出る

とっくに日は上がり、外では小鳥達が美声を競っていた。

それは人間には感動を与えただろうが、ナナミにはむしろ食欲をそそらせた

ナイトキャップを帽子かけに乗せ、側頭部を叩くと、スリッパを素足に履き

玄関まで降りて相手の存在を確認し、ドアを開ける。 その間も、彼女は周囲を警戒していた

周囲に殺気が無くてもである。 結局、こういう癖は抜けないのだろう

・・・あれから暫くして、大学を主席で卒業した南条と共に、日本に帰還した彼女は

南条の片腕としてサポートをこなし、松岡と共に仕事を繰り返していた。 結果、疲労は蓄積し

今日は偶々仕事がなかった為、自分に与えられた南条家の別荘で、ゆっくり朝寝を楽しんでいたのだが

あの声の主は芹沢うららである事が分かり切っていた以上、応対に出ないわけには行かなかったのだ

案の定、外にはうららと、もう一人がいた。 そのもう一人は、相変わらず個性的な服装をし

右手にどっさりと料理の材料を入れた袋を捧げ持っていた。 天野舞耶である

「ごめんごめん。 ねてたみたいね。 南条君に、此処だって聞いたから」

「日本に来てから、一月弱あってなかったから、嬉しいですぅ。 謝る事はないです

で・・・その様子だと、ひょっとして・・・」

「ええ。 ちょっとマーヤに、料理の一つでも教えてくれないかと思ってさ」

ナナミが目を細める。 わざわざそんな事を言いだしたということは、別居が近いのだろう

勿論それは、二人の仲が破綻したわけではない。 二人の友情には、今後もひびは入るまい

「じゃあ、まずは入るです。 こんな所で立ち話もなんですから」

そういって、ナナミは奥へ消えた。 別荘は意外と狭く、玄関の脇にはユニットバスがあり

普通の部屋が二つと、寝室と、あとは台所、それで全てだった。 通常の民家と同規模である

大きな別荘は、全て南条が売り払ってしまったのだ。 それは全て経営資金に充て、一円の無駄もない

ここは、出張時のホテル代わりとして、また休日用の休息所として、わざわざ質素な物を残した一つで

質実剛健なところを南条が気に入り、時々ナナミも泊まっては、交互に管理し、掃除し、使っている

中は整理されていて、狭いながらも洒落た雰囲気にうららが歓声を上げた

キッチンには、ナナミが常に愛用している物ほどではないが(それらは本家に置いてある)

かなりの業物である包丁を始めとした調理器具が揃い、一通りの料理が出来るようになっていた

水を流し、包丁の埃を取ると、燻銀に輝くそれを特製の鞘に収め、ナナミが振り向く

「さて、じゃあ何か作るです。」

「え? 何か教えてくれるんじゃないの?」

「まずは腕と好みを見るです。 ナイトメアも、材料の扱いは誰にも負けないですけど

味付けの勘は無いですし、舞耶お姉ちゃんの好みも分からないです」

微笑んでナナミは言った。 無論彼女の言葉には、論理的な意味がある

好きな物こそ上手なれというように、自分で好きな物を作れるようになれば

腕は放って置いても上達するし、何より料理を作らせれば、味付けに好みが必ず出る

料理の腕の判断以前に、それらの意味が言葉には込められていたのである

ふと、ナナミは気付いた、うららの顔が、隣で青ざめていたのだ。

腕捲りをして張り切る舞耶の隣で、ナナミは怪訝さに首を傾げた

 

数分でナナミはうららの反応の意味を理解していた。 そして十分で、自分の行動を後悔した

舞耶はオムレツを作ったらしかった。 少なくとも本人はそういった

らしかったというのは、完成品が何だか分からなかったからである。 見かけでは味が判断できない為

巨大な焼き卵の固まりと化しているそれを、ナナミはスプーンで大胆に口に運び

一気に体温が低下するのを感じた。 まずい、まずくないというレベルではない

火は通っておらず、或いは通りすぎ、何か得体の知れない組み合わせで、調味料が複雑に混じり合い

卵の旨みを、焦げ臭さと一緒になって、完璧に破壊している

何か堅い物が歯に当たり、それを見るとなんと生の米粒であった。 この物体は、オムレツでもあり

オムライスでもあるらしかった。 料理を食べれば、使った材料を大体判断できるナナミも

これにどんな材料が、調味料が、どのくらい使われているかさっぱり分からなかった

「美味しい?」

無邪気な顔でいう舞耶。 どんな料理も平らげる主義のナナミは、無言で全て平らげ

数分の沈黙の後、額の汗を拭いて立ち上がった

そのまま農家直送の特上卵を手に取り、ボウルに空けてかき混ぜる。 そして複数のレシピを取りだし

目を通しながら、火力を精密に調節して、一気にオムレツを焼き上げた。

何回かそれを繰り返し、レシピを変え、調味料を変え、分量を変え、テーブルにはオムレツが並んだ

ナナミは諦めたのだ。 舞耶に、自分の好みの味を作って貰う事に。

もう一度アレをやられたら、料理を教える前に味覚が壊れる。 自衛行動でもあった

「と・・・とりあえず、どれが一番美味しいか答えて欲しいですぅ。」

テーブルに並んだオムレツを、目を輝かせて舞耶は眺め、そしてスプーンとフォークを手に取った

 

唖然とするナナミの前で、オムレツが魔術のように消えていった。 舞耶の食欲は全く衰えず

十皿以上も用意した、様々なオムレツが、怒濤の如く胃袋に放り込まれて行く

その間に、ようやく一皿平らげたうららが歓声を上げた、それはプロ顔負けの美味だったのだ

最上級の美味を維持しながら、それらのオムレツは微妙に味を変えてある。 他に比べ、甘みを強め

辛くし、塩気を増している。 簡単にして奥の深い料理だからこそできる実験であった

舞耶は全ての皿を舐めたように綺麗にし、そして答えた

「うーんとね、全部美味しかったわよ。 ナイトメアちゃん、お料理上手ね」

ナナミの額に青筋が浮かんだ。 一歩退くうらら。

無論うららは本気で起こったナナミを見たことがある。

その時ほどではないが、やはり年期の違いもあり、怒らせると迫力が違う

少女の姿をした悪魔は、きびすを返し

再びキッチンに飛びつくと、今度はレシピを見ながら、調味料を数十倍に増幅した特製オムレツを作る

ある物は死ぬほど辛く、ある物は綿菓子のように甘い。 また溶岩のように紅く、夜のように黒い

そしてそれら異形のオムレツ達を完成させ、ナナミが微笑む

「へっ、たっぷり味わうがいいですぅ! 名付けて、オムレツ地獄変、悪夢のフルコース!」

ナナミが皿を並べた。 殺気を舞耶は軽く受け流し、再びオムレツを口に運ぶ

流石に遠慮したうららは、一口だけ食べたが、次の瞬間には火を吐く様な辛さに襲われ水を飲む

だが、舞耶は平然としていた。 甘味も辛みも、意に介さないようで

成長期の子供でさえ、胃拡張を起こす様な分量を平らげ、未だ余裕がある様子で彼女は言った

「やっぱりとってもおいしいぞぉ! サンクス、ナイトメアちゃん!」

「・・・・・・・・・・・・あ・・・・・そうですかぁ」

あまりにも凄まじい悪食! これは、理論では説明が付かない

真っ白になって立ちつくすナナミ。 さしもの彼女も、栄吉と舞耶には敵わなかったのであった

 

何でも良いから、簡単に作れて、お金がかからなくて、お腹が膨れて、尚かつ美味しい料理

それが具体的な作りたい料理を聞かれ、舞耶が答えた結果であった

都合がそこまでいい料理など、そう簡単にはない。 最近はレトルトも進歩しているが

それでは意味がない。 思案の末、ナナミは調理の手間が少ない料理をレクチャーした

不器用な舞耶は、指を絆創膏だらけにしながら、ようやくそれを覚え

レシピの幾つかをコピーすると、満足げに家へ帰った。 溜息をつくと、ナナミは二人を見送った

仕事をした以上に疲れた。 自分の肩を叩くと、ナナミはソファに横になった

外の日は未だ高く、まだ小鳥が鳴いている。 鬱憤から来る殺気をこめて、ナナミが呟いた

「五月蠅いですぅ・・・・焼き鳥にして喰うです」

小鳥が異常な殺気に、瞬時にして黙り込み、怯えきって一斉に飛び去った。

満足げに微笑むと、彼女は再び眠りに落ちていた

                                    (続)