拘りと実利、誇りと束縛

 

序,覚醒前

 

皆が等しい敗北感に捕らわれていた。 ナナミは壁に手をつき、大きく息をついている

壁へついた手に、黒いスパークがまとわりつき、周囲の空間を蹂躙している。 表情は見えなかった

桐島はうつむき、南条は床に拳をたたきつけた。

調べた結果、死亡時間は南条達が此処を出てすぐ。 どんなに急いでも間に合わなかったであろう

とっくの昔から監視されていたのだ。 それに敵の能力に対する認識が甘かった。

屈辱に青ざめるナナミと、悔しさに打ち震える南条。 舞耶は、その様を静かに見守っていた

パォフウと克哉は死者に哀悼を示し、うららは今更ながら自分の踏み込んだ世界に慄然としている

沈黙を破ったのは松岡だった。 止めようとした克哉を振りきって、口を開く

「私は警告したはずです。 それを無視して、火遊びに手を出したのは貴方だ

そして、この事態。 貴方には、今採るべき行動があるはずです」

松岡の容赦ない言葉が、南条を刺した。 床には、情報収集チームの二名が躯となって転がっている

両名とも頭を撃ち抜かれており、その他にも急所に何発か打ち込まれていた

先に動けなくしてから、とどめを刺したのだろう。 この手慣れたやり口、明らかにプロの仕業である

ユンパォ・・・あの男に間違いない。

松岡の言葉に、南条が烈火を湛え、振り向いた。 部下の死に冷静でいられる事が信じられなかったのだ

「貴様・・・!」

「やめるですぅ、ダーリン。 敵の力を甘く見すぎたのが・・・ルミちゃんの警告を甘く考えたのが・・

ナイトメア達全員の認識が甘かったのが・・・・原因ですぅ」

松岡に殴りかかった南条の、ライダースーツを掴み、首を横に振ったのはナナミだった

その様は必死な訴えと言うより、冷徹に事実を指摘する松岡に似ていた

南条の動きが止まった。 自分の行動が間違いであることに気付いたからである

ナナミと松岡の仲は、余り良いとは言い難い。 にもかかわらずナナミが松岡をかばった理由はただ一つ

南条の行動が感情にまかせた、自分の失敗を他人に転嫁する物に過ぎなかったからだ

「ナイトメアさんの言う通りです。 さあ、部下を死なせるなら、せめて有意義に死なせなさい!

彼らの死を無駄にしたくないのなら、失敗を無為にしたくないのなら、私に命じなさい!」

「・・・・・・・・・。 済まなかった。 お前達の言うとおりだ

事後処理を頼む。」

松岡が頭を下げ、作業に取りかかった。 何人かの黒スーツの男達が部屋に入ってきて、片づけ始める

パォフウが新しい一本を取りだし、言った

「此処はもうやべえな。 俺のヤサに行くぜ、ついてきな」

 

夜道を歩きながら、皆は無言だった。 南条は気付いていた、自分以上にナナミが怒っていた事を

ただ、怒りの質は違う。 ナナミのは、裏をかかれたことに対する怒りであり

失敗で人を死なせた、南条の怒りとは違う。 ただし、自分に対する怒りという点では一致していた

そして、その怒りが敵に対しても、臨界点に近い状態で沸騰していると言う事でも。

もし、今南条が命令すれば、報復しろと一言言えば、ナナミは嬉々として従うだろう

現在様々な情報から、この町にいるユンパォの部下は五十名から六十五名の間である事が分かっている

よく彼らが集まっている場所も知れているが、これは舞耶達には公開していない

公開しようものなら、パォフウがメンバーを離脱し、殴り込みをかけかねないからだ

先ほど、城戸が銃で武装した竜蔵の部下30名を一人で圧倒したが、彼は暫く強敵と戦闘をしておらず

身体はなまっている。 そして、相次ぐ戦闘で力を取り戻し始めているナナミの総合力は、その上を行く

そんなナナミに、報復を命じたらどうなるか。 結果は火を見るよりも明らかである

彼女は物理攻撃に対して耐性を持たないが、姿をわざわざ晒し、相手が銃を撃つような隙を与えまい

手段を問わずに、文字通りの虐殺を行うだろう。 攻撃魔法だけでなく、えげつない手段も使うだろう

一晩で確実に天道連を全滅させ、ユンパォの首を引きちぎって南条の前に持ってくることは疑いない

しかしそれは、あまり褒められた行動ではない

確かに、ユンパォの部下達も、凄腕の殺し屋であるユンパォ自身さえも、ナナミの敵ではない。

だが、竜蔵の部下には石神千鶴や鳩美由美など、強力な使い手が幾らでもいるのだ。

単独行動中に攻撃されたら、対処可能かは微妙である。 更に、別の問題もある

報復は結局報復を呼ぶだけであるし、それに作戦行動で、ナナミは今までに天道連を何人も殺害している。

南条とて、作戦後半の銃撃戦に於いて警備員を何人か殺した。 三年前にも、神取の部下を何人か殺めた

人を殺した。 敵をその事だけで責める事は出来ないだろう

大体、警察も防衛庁すらも敵の旗下にあるとなると、その力は当初の予想を遙かに超絶する

天道連など、彼らはいざとなったら蜥蜴の尻尾よろしく切り捨てることは疑いない

ナナミが冷静なのは、既にこれを戦争として捕らえており、個人的感情が不利だと知っているからだ

いくさでは、必ず味方が死ぬ。 そして、効率よく味方を死なせた方が最終的に勝つ。

だが南条は、知っていても、分かってはいても、そこまですぐには割り切れなかった

不幸中の幸い、データは無事であり、それは手元にある。 松岡に渡して於いたのが功を奏した

尾行されても大丈夫なように、既に松岡とは別行動である

松岡はヨーロッパなどで戦闘訓練を受けており、その戦闘能力はグリーンベレー隊員にさえ匹敵する

最低限自分の身くらい守る事は出来るはずである。 それにノーマークの方が、松岡も動きやすいだろう

一方、此方も今度は抜かりがない。 細心の注意を払い、現時点では付けられていないと断言できる

ふと、南条が足を止めた。 ナナミが彼の服の袖を掴んでいたのだ

「どうした、ナイトメア。」

「ちょっと、ベルベットルームに寄っていくですぅ。 全員の戦力調整をしても、損はないはずです」

「なるほど、良く気がついてくれたな。」

その言葉に、皆は振り向いた。 確かにその通りである

死闘に継ぐ死闘ですっかり忘れていたが、克哉もパォフウも新しいペルソナが欲しいところだったのだ

南条のアイゼンミョウオウも、これ以上の力を持つ敵が現れると、少々力不足である

まして、神取が生きている事が分かった今、強力なペルソナは是が非でも欲しい所であった

ケルベロスは強力だが、それだけでは取りうる戦闘のバリエーションに欠ける。

回復魔法を所持し、尚かつ打たれ強いペルソナが欲しい所である

「異存はないか、天野君」

「ええ。 戦力を整えて損はないわね。 ベルベットルームに寄っていきましょう」

克哉の言葉に、舞耶は微笑んで頷いた。

 

1,変化への苦悩

 

ベルベットルームは、<マインドマンサー>イゴールが主を務める空間であり

ペルソナ使いの前にのみ門戸を開く、一種のサービス機関である

部屋の内装は蒼で統一され、特殊な雰囲気が場を満たし

ナナシと名乗るピアノ弾きと、ベラドンナと名乗る歌手が深層心理を安らがせる音楽を奏でており

悪魔絵師と呼ばれる男性が、常にキャンバスに向け絵筆を振るっている

此処を訪れる者は、ペルソナ使いとそれに関わる者のみ。 潜在的にペルソナを持つ者

強力な魔力を持つ者にも、その存在は確認できるようではある

イゴールの仕事は、来訪者の能力に合わせ、ペルソナ及び新しい力を提供する事

異常に長い鼻とはげ上がった頭、それに尖った耳を持つこの異形の男は、ペルソナ及び魔に精通しており

その人物にあったペルソナを用意し、尚かつ魔に対してのアドバイスをくれたりもする

他にも、ペルソナに関係した様々なサービス、アイテムの生成などをしてくれ、その手際は実に良い

入り口の場所は不特定である。 霊的磁場の異常に強い場所、人が集まる場所などには

亜空間を通って扉が開くようであり、町の中や悪魔の巣窟などでも、存在が確認される

今回も、鳴海区の一角にその存在が確認された。 内部は何時もと同じで、音楽もまた同じだ

イゴールは異形の姿ではあるが、極めて紳士的な男で、態度も軟らかく、親切である

彼は常に、此処を訪れるペルソナ使いを歓迎し、今日もそれは例外ではなかった

南条の要望を聞くと、彼は首を傾げ、そして言った

「ふむ・・・そうでございますか。 今の南条様の能力からすると適任は・・・

魔神バールなどはどうでしょう。 回復魔法メディラマを所持し、攻撃能力にも秀でております

火炎の攻撃には耐性が低くなっておりますが、それを充分に補ってあまりある能力ですぞ」

そういって差し出された紙には、バールの能力が詳細に書き込まれていた

確かに申し分のないペルソナである。 弱点はあるものの、この能力は魅力であった

脇を見ると、パォフウは魔王スルト、うららが地母神シフ

桐島は霊獣ビャッコを選んでおり、少し遅れて克哉が魔神マルドゥークを選んだ

そして最後に、舞耶が選んだのは女神天仙娘々。 弱点が少なく、回復に特化したペルソナである

いずれも中位ランクに属するペルソナで、能力はどれも今までのペルソナに比べて高い

回復を行えるペルソナが少ないが、それは舞耶のペルソナ、女神天仙娘々で充分に補える

「へっ。 これでみんなして、ダーリンとナイトメアの足を引っ張る事もないですぅ」

肩をすくめてナナミが言う。 彼女の目からみても、妥当なペルソナ達であった

皆にはもうそれらの選択で異存がないようであり、イゴールは指を組み直した

「・・・よろしいですな。 それでは、ペルソナを召喚いたしましょう」

部屋の雰囲気が張りつめる。 ナナシがピアノを一旦止め、別の曲を弾き始め

ベラドンナの歌がそれに同調すると、皆が目を閉じた。 今までとは違い、激しく、奥深い旋律が流れる

それと同調して、力が、新たなる力が、いつものように心の奥底から沸き上がる

自分という防波堤に、未知という名の波が押し寄せてくるかの様な、いつものこの感覚。

知らない自分が、自分でさえ知らない自分が、次第に輪郭を取り、やがてはっきりとした存在となる

イゴールが精神を集中し、その作業を助ける。 精神の波が激しくなり、音楽が最高潮に達し

突然に、場を静寂が満たした。 柔らかい光が、具現化した神と魔を照らす

目を開けた皆の前には、自分の分身である新たなペルソナ達がいて、それぞれに挨拶をした

何時もの光景であった。 もう慣れてしまったが、桐島がこれを最初に体験した時は

それこそ欲しい玩具をかって貰った子供のように、無邪気に興奮して喜んだ物だ

「さて、戦力も整った事だしな。 とっとといこうや」

「お待ち下さい。 ナイトメア様、少々お時間を頂けますかな?」

小首を傾げたナナミに、イゴールは静かに話し始めた。

 

人払いをしたわけではないが、場に残ったのは南条と桐島だけであった

信用出来る出来ないではなく、この二人はナナミにとって、特別な存在である

舞耶達が嫌いなわけではないが、あくまで彼女は同盟者に過ぎない。 そうナナミは考えている

その辺を理解している舞耶が、気を利かせてくれたのである。

無論、彼女は不愉快になど欠片も思っていない

何故なら、自分の居場所という物の大切さを、痛いほど知っているからだ

ナナミが二人を部屋から追い出す気がない事を悟ると、イゴールは指を組み替え、静かに話し始めた

「単刀直入に言いましょう。 そろそろ、考えても良いのではありませんか。

貴方の年はもう300才を越え、未知への追究も、自己の鍛錬も、同族達とは比較にならないのです

古い衣を脱ぎ捨て、新たなる力を得ても良いのではありませんか?」

「・・・・・。」

イゴールの言葉に、ナナミは目を細めた。 二人の会話の意味を悟った桐島が、目を輝かせる

「まあ、Class changeですの? 私、悪魔が上級種になるのをみるなんて、初めてですわ!」

子供のようにはしゃぐ桐島とは対照的に、南条は冷静である

ナナミの態度から、単純にパートナーがそれを歓迎していない事を悟ったからである

そもそも、彼女にとってそれが歓迎されるべき事なら、三年前に既に行っていたはずだ

肩をすくめると、イゴールは続ける

「種の誇り・・・・ですか?」

「へっ、人間の愚劣で無能な民族主義者じゃあるまいし、そんな考えはないですぅ。

・・・ただ、上級悪魔だから強いとか、優秀な頭脳だとか、そういわれるのが腹立つだけですぅ」

それは、いつものナナミらしくもない口調であった。 少なくとも、南条にはそう聞こえた

この悪魔の少女は、極めて冷酷冷徹な現実主義者である。 <人間らしい感情>もあるにはあるが

そんな物はどんな悪魔だって持っているし、副次的な物に過ぎない

だというのに、言葉を飾って、結局種の事を気にしている。

思案の末、理由に気がついた南条は眼鏡を直し、静かに言った

「・・・ナイトメア。 何を怖がっているのだ。 自分が自分ではなくなる事か?」

図星であったらしく、ナナミが口をつぐんだ。

長生きをして、駆け引きが上手くなってはいても、核心をつかれて動揺しない者はいない

「大丈夫でしょう。 貴方のような精神生物系の悪魔は、生活に都合のいい姿を自分で選んでいますが

上級種でも、それに変わりはありません。 その姿を維持するのに訳はないでしょう」

「姿なんて、問題じゃあないっ!」

鋭い声を、ナナミが発した

そんなナナミを初めてみる桐島が表情を強張らせ、ベラドンナが歌を止め、ナナシがピアノを止めた。

クールな悪魔絵師も、驚いた様子でナナミを見た。 南条とイゴールだけが冷静であった

「・・・下級種から力を伸ばし、魔王になった悪魔は史上珍しくありません

しかし、彼らは頂点に上ってから、例外なく上級種に変化し、そして述懐しています

もっと早く、上級種に変化していれば良かった、と。」

「・・・少し時間を与えた方がいいだろうな。 イゴール、また少ししたらくる。

行くぞ、ナイトメア。」

素直にナナミは頷き、一旦外に出た。 意外にも、時間は殆ど過ぎていなかった

 

ナナミが渋ったのには、未知への恐怖感と同時に、もう一つの理由がある

魔界でかって起きた出来事に対するトラウマが、それである。

今のように姿は少女でも、中身は海千山千ではない時代が、当然ナナミにもあった

正真正銘、幼き頃の出来事。 人格形成に大きな影響を与えた、幼き日の悪夢・・・

「絶対、大丈夫だよ。 戻ってくるから」

その声、口調、笑顔。 全てを詳細に思い出す事が、今でも出来る

誰もが愛した、その存在。 しかし、上級種への変化を遂げた途端・・・

自分を呼ぶ声に気付き、顔を上げたナナミは、隣にいる南条に気付いた

「・・・ナイトメア。 イゴールは俺達に不利なことを言った事がない。 三年前から変わりなくな

お前なら大丈夫だという確信があるから、ああいったのではないか?」

彼の言葉はもっともであった。 少し離れて、舞耶が心配げに二人を見守っている

ナナミは最も根元的な面では、誰も信用していない

自分さえ、南条さえ、最も根元的な面では信用されていない

理由を挙げれば、彼女の本当の名前を教えていないことがある。

実のところ、悪魔の<本当の名前>は、強力な武器となる代物である

即ち、それを使っていかなる悪魔をも従え、道具と化す。 高度な術によって初めて可能になる技だが。

悪魔の名前には、それほどの力が宿っているのだ。 だから、ナナミはそれを南条に教えなかった

もしも裏切られた時に、高位の術師に悪用されると、自分が確実に破滅するからである

しかし、ナナミは知っている。 南条が人間には珍しい、心の底から信用できる男だと言う事を

頭では分かっていても、身体の方が拒絶する。 思えば彼女の病気は、そこにあるのかも知れない

そして、上級種への変化が必要な理由もそこにある。 成長した精神に身体の方が追いついていないのだ

今更ながらにイゴールが変化を進めてきたのは、今のままではナナミの身体が本能的に

<あの敵>との戦闘を拒否するはずだと知っており、煮え切らない彼女に決断させる為だったのだろう

実際ナナミは、この間のJOKER典子戦で凄まじい恐怖に襲われ、まともな判断を無くしてしまったのだ

少なくとも上級種の悪魔になれば、敵の歓心を買わないために本能が身体を動かなくさせる

などという醜態からは解放されるはずだ。 本能を制御し、自分で戦いを選択できるはずである

もう一つ、この間手に入れた達哉と高田留美子の会話のテープも、南条には聴かせていないが

これはまだ時期尚早との考えからであり、この件とは関係がない

少女の姿をした悪魔は、ついに覚悟を決めた。 決然と顔を上げ、パートナーの瞳を正面から認める

それは、確認と言うより、一種の儀式であったかも知れない

「ダーリン。 これが、ナイトメアの本当の姿です

・・・この姿を見ても、何とも思わないですかぁ?」

ナナミの姿が揺らいだ。 あまりの異形に舞耶が口を思わず塞ぎ、うららが声をあげかけた

今までの可愛らしい少女の姿は消え去り、残ったのは暗き闇。 闇がそのまま生物になった様な者だった

中央は強烈な魔力に押されてスパークし、白い部分が目の様に見える。 実際それは感覚器官なのだろう

全体は不定形で、血管のような物をまとわりつかせた周辺部分は、揺れながら不気味に脈動している。

無数の触手が蠢き、南条のプレゼントである青いリボンが、虚空で揺れている様に見えた

不気味な固まりは、宙で静かに揺れている。 これが、基礎的なナナミの姿なのであろう

南条は息を大きく吐くと、真の姿を見せたパートナーに向き合い、微笑んだ

「・・・。 お前はお前だ、ナイトメア。 これからも、これまでのように助けて貰いたい。」

「ありがとうです、ダーリン。」

人間の精神を良く知るナナミは、パートナーの言葉が嘘ではない事を悟った

再び闇が凝固し、人の形を取る。 リボンだけが元のようにはならず、落ち、髪がばらけた

それを拾い、南条がパートナーに渡す。 ナナミは微妙な表情を浮かべながら、リボンを手に巻いた

「Ms天野、少し外します。 待っていて頂けると有り難いのですが」

「ええ。 ピースダイナーで食事でもしてるわ。 ゆっくりしてきて」

そういって舞耶は、鳴海区に進出してきたピースダイナーを視線で指した

「ちっ。 まあ、たまにはファーストフードも良いかもな

南条、あまり遅くなるなよ。 嬢ちゃんのパワーアップは大歓迎だが、時間があまりない事を忘れるな」

「へっ。 半神ジャガーズが一回表でぼこぼこにやられて勝負がつく間くらいしかかからないですよ

せいぜい三十分ってところですぅ。」

吹き出したパォフウが文句を言い出す前に、ナナミと南条、それに桐島はその場を後にした

 

2,覚醒

 

ベルベットルームでは、既にイゴールが待っていた。

床には見慣れない魔法陣があるが、他に変化らしい変化はない

他の変化と言えば、悪魔絵師が楽しげにナナミを見つめている、それくらいである

人ならぬ者を描く事が生き甲斐である彼にとって、悪魔の変化はこの上なく興味深いのであろう

「その様子では、覚悟をお決めになったようですな。」

イゴールが組んだ指の上に顎を載せて言うと、ナナミは頷く

魔法陣の中央に歩いていくと、陣を構成する線が光り出し、魔力が放出され始めた

中央に立ったナナミが振り向く、南条は自分に向けられた視線の意図を察し、パートナーに近づく

ばらけたままの髪が、吹き上がる魔力に押され、大きく波打った。

腰をかがめた南条に、愛用の武具や道具が詰まったバッグを渡し、その後ナナミが耳打ちする。

それは、自分の名前だった

「ナイトメアの、本当の名前ですぅ。

もし他の誰かに聞かれると、そのままナイトメアの破滅に繋がるですから、誰にもいっちゃあ駄目ですよ

危ないから、少し下がるです、ダーリン。」

「良い名だな。」

二人の微笑みは、これまで両者が共に見た事もない物だった。

魔法陣が、激しく輝きだした。 大事なパートナーの、彼を心から信用してくれたパートナーの言葉通り

南条が跳び下がり、待っていたかのように、ナナミの周囲に変化が生じる。

床が暗い闇に覆われ、そこから血管のようなグロテスクな触手が無数に伸びた

鈍い音が響き、蛇のように蠢きながら、触手は数を増やして行く

それは人の形を保ったままのナナミを取り囲む。 絡みつくのではなく取り囲んだのである

触手は互いを編み、最終的に籠のような物を作って、浮き上がっていった

数秒で、中空に蛾の蛹のような、楕円形の物体が完成した。

赤黒い表面では血管のような触手が無数にからみあい、静かに脈打っている

南条が溜息をつき、眼鏡をなおした。 いつの間にか、イゴールが椅子を持って側に来ていた

「南条様、桐島様、椅子をお貸しいたしましょう。」

「感謝する、イゴール。」

「Mr、Igol、感謝します。 Kei、Nightmareの覚醒を待ちましょう

Huhu・・・楽しみですわ」

桐島の目は、子供のように輝いている。 例えグロテスクであっても、オカルトは彼女の愛する物だった

 

喜ぶ桐島と、嬉しそうに絵筆を動かす悪魔絵師を除くと、部屋には相変わらず大人しめの音楽が流れ

動より静の雰囲気が、部屋全体を覆っている。 どうやら、変化を助ける為の音楽らしい

時々繭に光が当たり、そのたびに繭が半分透け、膝を抱えて眠るような格好をしたナナミが見えた

内部は流動性の液体に満たされているようで、だが透けると言う事は、その透明度は高いのであろう

何度かそれを確認すると、南条は唐突に口を開いた

「ところでイゴール、一つ聞きたい。 ナイトメアが渋った理由は

大体見当がつくが・・・変化の欠点と利点を詳しく教えてくれまいか?」

「ふむ。 よろしいでしょう。 今のナイトメア様には、何も聞こえませんから問題はありませんし。

気付かれましたか? あの魔法陣はナナシとベラドンナが奏でる音楽以外の音を

完璧に遮断する役目もあるのですよ。 では、まずはリスクから話しましょう」

桐島が身を乗り出し、メモ帳を取りだした。 南条もそれに習う

実利優先の彼のメモ帳は、表紙に1と書いてある以外は、ナナミが使用している物と同じである

「最大のリスクは、前とは桁違いの基礎能力を得てしまうと言うことでしょう

勿論これには、個体差があります。

ナイトメア様は、多分魔力とスピード以外の能力は殆ど変わらないでしょう

今まで力を得たことがなかった上に、力ばかりを求めていたような者、世間を知らなかった様な者

無欲だった者にとって、これは大きなリスクです」

「成る程、急激に得た力に目がくらみ、暴走してしまうわけだな

財界でも、急激に財産を得た者が、堅実な性格から破滅的な性格に変貌したという話は良くある」

目を瞑り、南条が頷いた。 彼には、具体的な理由が分かったのだ

おそらくは、大事な存在が、変化によって性格的な崩壊を起こし、何らかの破滅が起こったのであろう

変化によっての破滅がトラウマになっているであろう事は推測できたが、これは確かに不幸である

「今一つのリスクは、敵が増えると言うことです。 これにも当然個体差がありますが・・・

では、今度はアドバンテージを説明いたしましょう。

利点の内最大の物は、燃費の向上と成長効率変動の安定でしょう

特に中位以上の悪魔になると、大気中のマナを吸収して力にする事も出来るようになり

わざわざ戦闘のリスクを犯さなくとも、力を増す事が出来ます

勿論密度の濃いマナが必要で、時間はより多くかかりますが。

また、急激な低下変動が無くなるので、短期間の内に身体がなまることもなくなります

先ほどはリスクに挙げましたが、者によっては基礎能力の向上も大きな利点でしょう

振り回され冴えしなければ、これ以上の味方はないのですから」

「そうか。 しかし解せんな。 ナイトメアは変化を必要性から迫られているように見えた

それらに、今こそ必要といった利点があるとは思えん。

現に三年前、神取以上の強敵だった<奴>と戦った時は、変化などしなかったのだからな

それに・・・イゴール、貴様、その理由を知っているな?

・・・だが、まあいい。 いずれ、彼奴から俺に話してくれるだろう」

「流石ですな、南条様。 貴方のような人間を、悪魔は最も好くのですよ

私は、少し外します。 覚醒には、あと二十分ほどが必要でしょう」

イゴールが立ち上がり、かきけすように消えた。 再び、場にあるのは音楽だけとなった

 

桐島が笑っていることに、南条は気付いた。 実に自然な微笑みだった

そのわけを聞くと、心底楽しそうに、戦友である売れっ子モデルは言う

「考えてみると、KeiとNightmareはそっくりですわ」

「詳しく理由を聞かせて貰いたいな、桐島。」

「二人とも、頭が良くて現実主義者で、行動力があって自信家で・・・それでいて何処かおマヌケですわ

Huhu・・・Keiはしっかりしているのに、サトミタダシのテーマソングに振り回されっぱなし

Nightmareはしっかりしているようで、時々危なっかしくて

それで、二人ともあちこち間が抜けていて、頭に血も昇り易くって」

意外極まると表情で言いながら、南条は視線を繭になっているナナミに戻した

しかし、言われてみれば、確かに桐島の言う事はもっともである

ナナミはしっかりしているが、何処か抜けていて時々危なっかしい

この間は危うく舞耶を射殺してしまう所であったし、森本病院でも殺し合いになりかけたと聞いている

三年前にも、そそっかしさが危なっかしい状況を何度か作り上げた。 致命的な物は一つもなかったが

翻って稲葉や上杉による自分の風評に耳を傾けると、確かに世間離れしていて、言動がずれているらしい

それは悪い事だとは決して思わないが、考えてみれば坊ちゃん育ちというだけが

言動のずれの原因ではないかも知れない、いわゆる天然ボケなのかも知れなかった

無論、違う点も優れた点もある。 ナナミは参謀型であるが、南条はリーダー型である

南条もナナミも戦闘支援を得意とするが、主力となって戦うこともできるし

差を挙げれば、ナナミの方がより極端に戦闘支援に特化した能力で、魔力と素早さを重要視しており

対して南条はオールラウンドな戦闘に対応できる、バランスの取れた能力を維持している

思考形態における差違もある。 結局の所南条は甘いが、ナナミは最終的に冷酷になれる

だが、二人は致命的に違うかというと、そうでもない。 根本では、よく似た理念の元行動しているのだ

結局の所、二人は似ていた。 髪を掻き上げ、眼鏡を直すと、南条は目を瞑った

時間が流れて行き、そしてイゴールが再び姿を現した。 時が来たことを悟り、皆が一斉に立ち上がる

音楽が止まり、魔法陣も消滅した。 それが合図となった

繭がひび割れ、萎んで行く。 繭の内側に、管が吸い込まれて行く

蕎麦をすするような音が空間を蹂躙し、やがて小さく萎んだ繭が揺らぎ、暗い闇となった

闇の固まりが、卵を潰すような音と共に床に落ちた。 魔法陣の中央に、黒い染みが広がり

そして、盛り上がって人の形となった。 そう、今までと同じナイトメアの姿に

羽が一回りほど大きくなったようだが、他に変化はない。

相変わらず小さな右手には、変化の時にさえ手放さなかったリボンが、変化前と同じ様に巻き付いていた

目をこすり、大きく伸びをすると、少女の姿をした悪魔は髪を纏め、そして振り返った

「ただいまです、ダーリン。 ・・・・ナイトメアは、帰ってきたですよぉ」

「良く帰った。 これからも、俺を助けてくれるか?」

「勿論ですぅ。 ダーリンが死ぬまで、ナイトメアは一緒です」

ナナミは変わらなかったのだ、自分に勝ったのである。 表情が、それを物語っている

信頼が、今の自分の力に対する、南条に対する、温かい信頼が、それを成し遂げたのは明白であった

南条は身を屈め、大事な自分のパートナーを抱きしめた。 二人の間には、揺るぎ無い信頼があった

それは一時の恋愛ではなく、互いへの信頼。 かっての山岡との関係のような、揺るぎ無き信頼

恋愛に起因しようが、能力に対する信頼に起因しようが、必要性に起因しようがそれは関係ない

絶対の信頼関係で結ばれた相手は一生の宝にして、それを得た者は最高の幸せ者である。

南条は今、そうなったのである。 それを噛みしめ、南条は微笑んだのだった

 

3,反対側で

 

ナナミが帰還したその頃、鳴海区とはかなり離れた夢崎区の一角で

片山典子を連れて歩いていた吉栄杏奈は、ふと胸騒ぎを覚えた

不意に立ち止まった吉栄に合わせるように、典子も足を止める

そして振り向くと、一点を目指して駆け出した。 吉栄がそれに続く

二人は引きずられるように、裏通りへと入っていった

周囲の人間が、一瞬視線を送るが、何事もなかったかのように再び歩き出す

関わっている暇はないし、理由もない。 無論吉栄も、関わられたら迷惑であったろう

路地裏に、瓦礫がつもり、ゴミ箱に蠅と野良猫がたかっていた。 その脇に血が付いた壁があり

その奥へと視線を移すと、うずくまるかのように、倒れ込んでいる人影があった

「達哉・・・達哉じゃないか!」

吉栄が声を挙げ、走り寄った。 揺さぶられて、達哉が目を開け、俯く

「・・・俺に関わらない方がいい」

「馬鹿をいわないでよ。 あたし、アンタの為だったら死んだっていいんだからっ!

あの後何処に行ってたの? 心配したよ・・・・」

杏奈はそういって、涙を浮かべながら微笑んだ。 典子は、そんな先輩を見るのは初めてだった

自然と、拳がふるえる。 いつも他人には笑顔など見せず、自分の事など眼中にない杏奈が

こんなにも心を開く相手が此処に、目の前にいる・・・

杏奈を慕う典子である。 そう考えれば、憎しみまで行かなくても、悔しさが浮かぶのは当然だったろう

一瞬、吉栄を案内してしまった自分に嫌悪を覚えた典子だったが、頭を振ってその考えを追い払った

後輩には構わない様子で、杏奈は達哉を介抱しようとし、その傷の深さに初めて気付く

「骨が折れてるじゃないか! 早く病院に行こう!」

「いや、駄目だ・・・救急車はまずい・・・入院している暇だって無い・・・

吉栄、すまないが・・・今からいう病院に行って、高田留美子っていう女の子を連れてきて欲しい」

「その子を連れてくるのに、何の意味があるの?」

「連れてくれば分かる・・・肩を貸してくれ」

吉栄はいわれたまま達哉に肩を貸し、公園へと歩いていった。 刀を渡された典子は、その重さに驚いた

ふと手を見れば、それは血塗れであった。 青ざめるが何とか感情を抑え、悲鳴は上げずに済んだ

達哉はベンチに横たえられると、目を瞑っていった

「済まない・・・アンタにも、あの子にも、俺は迷惑ばかり掛ける」

「その子はどうだか知らないけど、少なくともあたしは迷惑だなんて思ってないよ。

典子、病院に行って来て。 お願い」

「分かりました、先輩。 ノリコがその子を連れてきます」

刀を地面に於くと、典子は駆け出した。 陸上部の彼女は、そこいらの男よりも足が速い

病院は二キロと離れていない。 おそらくそこへ行こうとして、達哉は果たせなかったのだろう

 

病院に入った典子は、自分の手が血塗れであることも忘れて、受付へ行き

高田留美子という入院患者の事を調べようとしたが、対応は冷たかった

おそらく相当の年輩であろう太った婦長は、眼鏡をなおしながら言う

「あのねえ、もう面会時間は終わりなのよ。 それにその手・・・どうしたの」

「お願いします! 重要な用件なんです! 高田留美子って言う子に・・・」

「高田留美子は私よ」

典子が振り向くと、いやに大人びた表情の少女が、冷たいまなざしで立っていた

ふと、頭の中に奇妙な感覚が生まれる。 典子は知らなかったが、それはペルソナ使いの共鳴であった

留美子の目が細まった、彼女は、また強力無比な霊的嗅覚で相手の意図を感じ取ったのだ

そもそも、此処に居合わせたのさえ、鋭すぎる勘の賜だったのだろう

「・・・ひょっとして、達哉お兄ちゃんがどうかしたの?」

「貴方を・・・連れて来てって・・・・」

「なっ・・・何を言っているの!? こんな時間に、とんでもないわ!」

カウンターの向こうの婦長が大声を上げ、そしてドアを開け、凄まじい剣幕で此方側に来ようとした

だが、それは果たせなかった。 留美子の上にペルソナ・ペルセポネーが具現化し

魔法の効果を解放したからである。 婦長は床に崩れ、大いびきをあげ始めた

「ドルミナーの魔法をかけたわ。 ・・・早くお兄ちゃんの所に案内して」

 

吉栄は留美子を見て驚いた様だったが、すぐに落ち着きを取り戻した

連れてこられた子が、小学生の低学年であろう、小さな子であったから当然かも知れないが

落ち着きをすぐに取り戻したのは、驚き以上に達哉への信頼が大きかったのだろう

達哉は留美子が来ると起きあがり、無言のまま彼女の回復魔法を受けた

ペルソナ・ペルセポネーは戦闘能力を無視し、回復、補助能力に特化したペルソナのようであり

留美子の力が大きくなっていることも相まって、回復力はかなり大きい

吉栄も、留美子のペルソナには妙な共鳴を感じた。 彼女も、<向こう側>ではペルソナ使いだったのだ

回復魔法を掛ける前、留美子は条件を出し、達哉はそれを飲んだ

十数度の回復魔法で、達哉はほぼ全快した。 留美子は目眩を覚えた様だが、気絶する事はなかった

頭に手をやり、意識の混濁を振り払うと、留美子は言った

「約束よ。 お兄ちゃんが、竜也お兄ちゃんが・・・どんな風に死んだのか、教えて」

達哉が一瞬渋るように視線をずらしたが、それはこの子を更に傷つけるだけだと気づき、顔を上げた

留美子は微動だにせず、言葉を待っている。 観念したように、達哉は言葉を紡ぎだした

「・・・俺が行くと、彼奴は燃える中で、淳の前にひざまずいていた

怯える子供達や、必死に生徒をなだめる先生には興味がないようだった・・・」

 

燃上する飛行機械の展示施設、「空の科学館」の屋上で、須藤竜也は、一人の少年を前にかしづいていた

少年の名は橿原淳。 <向こう側>では、黒須淳という名前であった

困惑する淳に、意外にも従順で理知的な態度で、須藤は口を開く

「貴方なら、来てくれると思っていた。 俺は須藤竜也、貴方の部下で、キングレオって呼ばれてた。」

「誰・・・僕は、貴方なんて、<キングレオ>なんて知らないよ」

竜也の手にある、マフィアの鮮血にまみれたままの日本刀が、淳の恐怖を刺激したようだった

元々女の子、しかも超がつくほどの美少女に間違われるこの少年は線が細く、弱々しい

僅かな失望が竜也の目に浮かんだが、それを排除し、<説得>を続ける

「すぐに思い出す・・・俺についてくればすぐだ。 <向こう側>の貴方は、女神のように神々しくて

堂々としていて、強くて、格好よくって、美しくて、素敵だった・・・すぐにそうなる・・・」

子供達の怯えきった視線が集まっているが、竜也には気にならないようだった

ふと名案を思いついたらしく、含み笑いをして、狂気の伝道者は言う

「イン・ラケチ、シバルバー、マイアの託宣、JOKER様・・・」

それらの単語を聴いた途端、淳の様子が変わった。 見る見る青ざめ、頭を抑えて苦しみ出す

聞いたこともない語句のはずなのに、100年も前から知っているように、それらは記憶を締め付けた

「水晶髑髏、イデアルエナジー、影人間! 夢奪う者! どうだ、忘れようとしても忘れられないだろ!

キングレオ、レイディスコルピオン、プリンストーラス、クイーンアクエリアス! 皆貴方の部下だ!」

「うあ・・・あ・・・あああ・・・」

「そして貴方は仮面党の筆頭で、夢与える者! JOKERだった!」

「止めろ、須藤!」

竜也の声を遮ったのは、第三者の声だった。 いつになく激しく、切迫したその声の主は周防達哉であり

少年は抜刀し、じりじりと間を詰め、言った

「もう淳は関係ない! 離してやれ!」

「うるせえ! この世界は間違ってるって、前も言っただろうが!

このお方がJOKER様になり、俺達を導く! それが正しいんだよぉっ! ヒャッハア!」

須藤が淳の後ろに回り込み、羽交い締めにした。 ペルソナ使いの常人離れした腕力に締め上げられ

苦痛の声を挙げる淳に、須藤は懐から大事そうに小さな物を取りだし、そっと手渡した

それは、アイリスの花と、富士袴の花。 その花言葉を察した淳が、今まで以上に困惑した

「アイリス・・・復讐と愛、それに・・・富士袴・・・あの日を思い出せ?

分からないよ! 貴方の言葉は、僕にはさっぱり分からないよ!」

「アイリスは、貴方が俺に手渡してくれた・・・あそこにいる大凶星に、手渡すのが惜しかった・・・

俺は貴方のためなら、死んだって良かった・・・今すぐ思い出してくれなくてもいい・・・

でも、思い出してくれ! 貴方は俺を認めてくれた! 許してくれた! 夢を与えてくれたっ!

貴方は・・・俺達の・・・希望の光だった」

「あ・・・ああ・・・・・そんな・・・はずない・・・・」

「止めろ淳! 思い出すな! 何も・・・何もなかったんだ!」

その瞬間だった、場に舞耶達四人が乱入してきたのは

デジャヴの少年に会うことが出来た舞耶が声を挙げ掛け、それをより大きな克哉の声がかき消す

弟を案じる声に、舞耶とパォフウが振り向き、うららが驚く

皆にとって、克哉が達哉の実の兄であることは驚愕の事実であった

次の瞬間、達哉の立っていた地点の床が、崩落し、落ち行く少年の手を舞耶が必死に掴む

その位置が崩落することを、竜也は知っていた。 そしてわざわざそこへ達哉を誘導したのだ

だが達哉は落ちなかったばかりか、彼がもっとも憎む「魔女」が助けた

その様を見て、強烈に殺意を刺激されたのだろう。 竜也は淳を離し、達哉の背に刀を突き刺そうとした

そして、背後から淳に突き飛ばされ、燃えさかる炎の中に転落した・・・

落ち行く竜也の顔は、驚愕に満たされていた。 心の底から信じていた人間に、裏切られた表情だった

淳は急に沸き上がってきた使命感によって事を行ったのだが、同時に深い後悔に鷲掴みにされた

あの狂人が、実際に知っている男の様な気がした上に、何か罪深い事を感じたからである

 

空の博物館の屋上には、1/1スケール模型の飛行船が設置されており、尚かつこんな噂が流れていた

この飛行船は、張りぼてではなく本物であり、空を飛ぶ事が出来ると。

他愛ない噂が現実になるこの町では、それも事実となった。 生き残った全員を乗せ、飛行船は飛び立つ

操縦席で、運転しているのは達哉。 その表情は暗く、未だ引き締まったままだった

後方で爆発音が響く。 達哉はそれを知っていた、須藤竜也が未だ生きているということを

何故なら、<向こう側>でもそうだったからである

操縦席に淳を残し、五人は走った。 克哉に至っては、既に拳銃を抜いている

そして彼らが見たのは、燃えさかるエンジンと、火傷で顔を半分失った竜也だった

「これも・・・運命だったてのか・・・ヒャハ・・・ハハハハハ・・・・畜生・・・」

自嘲的な竜也の声には、いつもの狂気も元気もなかった。 達哉が眉を跳ね上げ、叫ぶ

「運命なんて、決まった道筋は存在しない! <奴>に踊らされるな!」

「もういいんだよ、そんな事・・・」

意外な竜也の言葉が、場の空気を凍結した。 自嘲的に笑うと、狂気の男は続ける

「俺は・・・向こう側じゃあ、人間のくずだった。 こっち側でも同じだったけどよ・・・

ヒャハ・・・でも違ったことがある。 何だと思う? ・・・あのお方の存在だよ

俺だけじゃあない。 トーラスも、レイディも、クイーンも・・・みんな人間のくずだったが・・・

でも、俺には・・・俺達には希望があった」

「それは、淳が望んだ事じゃあない! 淳が望んだのは・・・」

「あの方は俺の価値を見つけてくれた。

自由になりたいって夢と、詩の才能が欲しいって夢も叶えてくれた。

トーラスも有名になれた。 クイーンも若返れた。 レイディも人類の滅亡を見るって生き甲斐が出来た

・・・・てめえのやったことは・・・奴に聞いたよ」

竜也の視線が、激しさを増し、達哉に注がれる。 口調が一気に荒々しさを帯びた

「何で・・・何で俺はこっちでも同じなんだ? 応えろっ! 親父の玩具で・・・何もできない!

なあ、俺達のような心弱い奴は、希望を抱く資格もないのか? 人間のくずだからか?

自分で道を切り開けない奴は、死ぬしかないのか? こたえろおぉおおおお! 大凶星っ!

弱いってのは、そんなに悪いことか? 俺みたいな奴には・・・・夢を掴む資格もないのかよ・・・

夢を掴むことは・・・強い心を持つ奴の・・・専売特許だっていうのかよ

希望にすがることさえ、できないのかよ・・・

だから・・・俺はこの世界を・・・ぶっ壊す。」

竜也の周囲に魔法陣が現れ、何体かの悪魔が出現した。

それなりに強力な悪魔のようだったが、勝負は最初から見えていた

この瞬間だったかも知れない、竜也の頭の線が、完全にきれたのは。

町を震撼させた連続猟奇殺人鬼の目から正気の光が消え、狂気がそれに取って代わる

身を震わせ、竜也は叫んだ。 焼けこげた顔の半分が、空気にさらされ恐怖をまき散らす

「ヒ・・ヒャハ・・・ヒヒャハハハハハハハハハハハ! 電波だよ、電波電波電波電波電波ぁ!

電波がきやがった! 頭の中で叫んでやがる! 電波からは誰も逃げられねえぞぉおおおおおお!

ヒャッハア! いいぜ、こいつら全員、てめえの望み通り殺してやる!」

 

「・・・後は、アンタに前言ったとおりだ。 彼奴はアンタに詫びて・・・死んでいった」

冷たい沈黙が場を支配した。 無言の留美子の前で、達哉は立ち上がった

吉栄は達哉に、自分のハンカチを手渡し言った。 背後では、典子がそれを見ないように横を向いていた

「達哉、あたし待ってるから。 何かあったら、何時でも来て。」

「すまない・・・」

そのまま闇に消えていく達哉の背を見て、留美子は静かに、ただ一人決意をしていた

 

4,確認される事

 

パォフウのアジトは理学研究所の西数キロの地点にあり、見かけはただのアパートである

だが内部には、高価な情報機械が多数配置され、それらを制御するパソコンが多数置かれ

コードが蜘蛛の巣のように張り巡らされ、多くの機能を持っている

中は意外に広く、八人全員が入る事が出来た。 パソコンは新しくはないが、良く改造されているようで

下手な新型よりも、遙かに高度な能力を持っているようだった

部屋の中央にはテレビが設置され、嫁売と半神の野球試合が映っていたが、パォフウは見ていない

理由は簡単である。 ナナミの予測が的中し、半神が一回表で一気に10点を取られたため

三十分で勝負がつき、以降はだらだらと試合が行われているためだった

しかも、必死の反撃をすればいいのに、半神は半ば試合を放棄し、点差は更に拡大する体たらくだった

熱烈な半神ファンであるパォフウにとって、そんな物が面白い試合であろうはずもない

勝負がついてから数分後には、彼の視線はもうテレビには注がれていなかった

パォフウはその鬱憤をぶつけるかの様に、情報をネットから収集しており、その脇では

ナナミが情報チームの残した情報を、端末の一個を借りて整理していた

側では南条が、自分の贔屓のチームである嫁売が勝っているにも関わらず、テレビも見ずに補助を行い

ある情報が引き出されると、熱心に議論をかわし、それから申し合わせたように黙り込んだ

南条は今まで、一度も両親を尊敬した事がない。 これは、それを更に加速する事疑いない情報だった

セベクスキャンダルで、セベク社は大打撃を受けた。 南条コンツェルンは流出した科学者達を雇い入れ

技術を吸収したが、その中核が、どうも無償で竜蔵に貸し出されているらしい事が分かったのだ

当然、何の目的で使うかなど、確かめもせずに。 経営が悪化し、立場が悪かった事等言い訳にならない

神取がああも簡単に、研究を貫徹できるわけである

敵の親の手によって、かっての自分の手足を、容易に取り戻す事が出来たのだから

後で追求されたら、これが政治だと居直るのだろうか。 笑止千万である

政治というのは、権力によって全体にとって有益になることをする、そのことを言うのである

権力を保護するために権力を使うのは政治ではない。 そんな事をするのは政治家ではなく政治屋である

大人の世界? 正に笑止な言い分であろう。 自分の権力私物化行為を、正当化しているだけではないか

大体に、その様な言葉で下劣な行為を正当化できると信じているのが馬鹿馬鹿しい話である

そして、そんな寝言で思考停止する輩が、この世に実に多い事も。 くだらなさこの上ない現実だった

「ナイトメアちゃん、南条君、ちょっといい?」

南条と同じように軽蔑を感じていたナナミは、ふと自分を呼ぶ声に振り向いた

そこにはうららがいて、手の上にはケーキが載った皿があった。

今まで集中していて気がつかなかったが、舞耶とうららと桐島は今までずっと

プロ顔負けの腕前である克哉の指導を受けながら、ケーキを作っていた様だった

上にはチョコの台が載っており、そこにはCongraturation! と白い文字で書かれていた

「えーと、ナイトメアちゃん、おめでとう。 今までと同じに呼んで良い?」

「勿論ですぅ。 上位変化っていっても、頭の中身は同じですし、基礎能力が上がっただけです」

実際には、グレーター・ナイトメアとでも呼ぶべきなのだろうが、長すぎるし格好が悪い

ましてや、名前など呼ばせるわけには行かない。 あれは、南条だったからこそ教えられたのだ

結果として、今までと同じに呼ばせる他に方法はない。

外では偽名も使っているが、話がややこしくなるだけだし、同盟者にまで偽名で呼ばれたくなど無い

「ほら、パォも少し休んで食べようよ」

横を見ると、パォフウがうららに無理矢理引っ張られ、席に着いていた

テレビでは、結局17点差で読売が勝ち、既にチャンネルがニュースへと切り替わっている

それとは関係なく、エプロンを付けた克哉が、包丁を使い、実に見事に手際よくケーキを切り分ける

そしてナナミに祝福の言葉が掛けられ、ケーキが配られた。

味は絶品であり、しばらくは皆無言であった。 やがて食べ終えたパォフウが口を開く

「ちっ、やってられんぜ。 何て甘いケーキだ・・・」

「俺は、甘い物はあまり好きではありませんが・・・たまには良いですな、こういう物も」

南条が、口の端に僅かな微笑みを湛えた。 その言葉が、味だけを示唆していないのは明らかである

皆は一様に感じていたのだ。 張りつめきっていた空気が、一瞬にして暖かくなった事を

「・・・で、誰なんですかぁ? ケーキ焼こうなんていいだしたの」

ケーキを食べ終わって後、桐島にナナミが聞くと、彼女はくすくすと笑った

誰も二人の言葉は聞いていなかった。 だが、誰もが知っていたかも知れない

「Ms、Amanoですわ。」

「・・・やっぱり。 収まるべくして収まった、まとめ役ですか。」

笑って肩をすくめたナナミは、ふと強烈な睡魔に襲われた。 思えば、ずっと起きっぱなしであった

変化中は起きている時以上に精神力を消耗したし、考えてみればここ数日寝ていない

気のゆるみが、眠気に直結したようである。 大欠伸をすると、ナナミは呟くように言った

「・・・少し寝るです。 何かあったら、起こして・・・」

床に崩れ落ちる様に、悪魔の少女は眠りに入った。 倒れ込む彼女を桐島が抱き留め、ソファに横たえる

静かに寝息を立て始めるナナミ。 彼女が信頼する南条も、終夜の労働で疲労がピークに達しており

舞耶に断ると、奥のソファをかり、程なく眠りに落ちていた

行動をとるための有力情報が入るのは、このほぼ十三時間後。

新世塾は着々と作戦を遂行し、今また新たなる段階に入りつつあった・・・

                                        (続)