恐怖と迷い

 

序、来るべき時

 

ナイトメア・ナナミがその情報を知ったのは、夜七時三十分のことだった

今、彼女は鳴海区の、南条家別邸にいる。 松岡はペントハウスを借りようとしたのだが

実利がないうえにコストがかかりすぎるという理由で、南条は元からある別荘を利用したのだ

噂が現実になると言う恐るべき真実にたどり着いたナナミは、今まで以上に噂の収集に力を入れていた

インターネットの活用量も多くなり、様々な噂を集めるために電脳ページを行き来していたが

その方面では有数というホームページにて、恐るべき記述を見つけたのだ

それは、今夜八時、今回の事件の真相を知る人物が、パラベラムを訪れるという物であった

さっき、南条がパラベラムに出かけていった事を思い出し、ナナミは青ざめた

南条の目的は、この間手に入れた「烏天狗丸」以上の刀が無いか調べることだが

理由はどうあれ噂は現実となっている。 である以上、新世塾の暗殺者が待ち伏せしている可能性もある

無論、南条はむざむざ倒されはしないだろうが、もしもあの鳩美由美が待ち伏せていたりしたら・・・

机を一打ちすると、ナナミはあわただしくネットとの接続を切り、桐島に事情を告げ、駆け出した

翼を広げ、宙に舞い上がる。 そのまま中空を維持し、一気に青葉区へと到達し

そして、パラベラムに目をやると・・・南条の前に立ちはだかる不審な人影があった

いつものナナミであれば、それが前に何度か一緒に戦った、天野舞耶だと気付いたことだろう

だが頭に血が昇ったナナミは、躊躇なく拳銃を取りだし、呪文詠唱を始めつつ引き金を引いた

 

「そうですか。 大体事情は分かりました

とりあえず、鳴海区の・・・・・!」

舞耶から事情を聞き、頷いた南条の言葉がとぎれ、銃撃音がそれに続いた

アスファルトの地面に数発の鉛玉がめり込み、火花が散った、舞耶がバックステップし、克哉が前に出る

周囲の者達は、後ろの「パラベラム」で行われている派手な痴話喧嘩(男が一方的に殴られていたが)

に注目し、此方には気付いていない、南条が刀を抜くのと、ナナミが地面に降り立つのはほぼ同時だった

その手には、既に強力な雷が、魔力によって生まれている。 ナナミがそれを開放しようとし

そして、ようやく「暗殺者」の正体に気付いた

「必殺、ジオダイ・・・・!? あれ・・・ま・・・舞耶お姉ちゃん?!」

克哉も相手に気付き、拳銃をおろした。 南条も、ナナミの勘違いだと気付いて刀をおろす

いざというときに冷静な性格が功を奏し、何とか、彼女と舞耶は誤解から血を見ずにすんだ

思えば、最初にあった時も、似たような状況であった。 よくよく悪運が強いものである

南条は状況を考慮し、克哉に地図を渡すと、鳴海区へ舞耶と共に向かった

後ろからは、女性のヒステリックな声と、男性の助けを求める声が聞こえてくる。

全く、演技とは思えない、真に迫った痴話喧嘩であった。 何しろ、女性は本気で怒っていたのだから

 

1,理性と感情

 

「演技」を終え、克哉達三人が南条の別荘にたどり着いたのは、夜半過ぎであった

あの時、パラベラムには多数のマスコミ関係者がたむろし、それを外に出さないため

うららとパォフウが入り口で痴話喧嘩を演じ、それは成功したかに見えた

勿論パラベラムのマスターにはドアの修理代を前渡し、自分たちが行う事を告げてあった

常連客の頼みは彼も断れず、そればかりか積極的に作戦に参加し、裏口がある事を誰にも言わなかった

真に迫った演技のようだったが、あの時のうららは本当に怒っていた。 演技ではなかったのだ

事情は簡単である。 痴話喧嘩の演技を始める前

うららは、少し心惹かれ始めていたパォフウに、どんな人生を送ってきたか、それとなく聞いていた

だが、パォフウはうららの気持ちを察せず、それに答えなかったばかりか

演技上とはいえ、舞耶から教わった「CD女」なる強烈な悪口をうららにあびせ

結果、少し入っていた酒も手伝って、火山の爆発にも似た、怒りの奔騰を促してしまったのだった

無論回復魔法で傷は治したが、「演技」以来うららの機嫌は悪く、パォフウは居心地が悪そうだった

今、ここにいるのは合計十名。 南条、桐島、松岡、ナナミ、情報収集チームの二名と

舞耶、うらら、パォフウ、克哉である。

始めは互いに信用しきっていなかった節もあるが、舞耶はナナミの知り合いで情報交換相手でもあり

そこが突破口となって、意外にすんなりと同盟は成立した

実のところ、両者共に行き詰まりを迎えていたのだ。 南条達は戦力不足を、舞耶達は資金と情報不足を

それぞれに抱え、作戦遂行にも支障をきたし始めていた所であった

最初に行われたのは、情報交換であった。 舞耶達が持っている情報は、殆ど南条達も知る情報だったが

幾つかには南条も知らないほど精密な物もあり、彼を満足させた

一方で、南条もこの件に関する情報を惜しげなく公開した。 両者の情報統合は大きな力を生み

今後の事件解決に、大きな力をもたらすことは疑いなかったろう

情報を交換すると、南条は作戦を発表した。 これで、作戦遂行に充分な戦力が揃ったからだ

南条は、部下ではない年長者には敬語を使った。 それは同輩に使う傲岸な言葉とは、一線を画していた

その気になれば、南条は幾らでも形式を遵守し、礼儀正しく振る舞うことが出来るのだ

「まず、一班は俺と共に、理学研究所に向かいます。 正面からの侵入は難しいですが

隣接する下水処理場からの侵入が容易で、既に手配済みです。 具体的な作戦行動は向こうで説明します

作戦内容は、理学研究所の侵入調査、それに捕獲されたJOKER使いの救出です」

それを説明し終えると、南条は一旦言葉を切った。 表情は微妙で、決断を迷っているようだった

隣で、顎を摘んでナナミが同じように考え込んでいた。 二人の様子を見やり

続いて、桐島が説明をする。 その表情は南条と対照的に明るかった

「もう一班は、私と共にSumaru TVに向かいます

作戦内容は、Wang long千鶴を問いつめ、新世塾との関係を暴く事ですわ」

説明を終えると、静かな沈黙が訪れた。 思考の末、南条は決断を下した

「理学研究所では、激しい戦闘が予想されるうえ、最悪、超一流のペルソナ使いとの戦闘が想定されます

Ms天野、Mr周防、Mrパォフウ、Ms芹沢、俺と同行していただきたい

ナイトメア、お前は桐島と行動し、サポートをしてくれ。 頼む。」

「・・・それは・・・ううん、分かったです。」

ナナミは、静かに、微妙な表情をたたえ、そう言った

独自の隠密行動は何度か行ったが、同時に他の人間とコンビを組むのは初めてのことであり

決して、楽な事ではなかった。 頭では分かっていても、心が理解しなかった

 

実のところ、ナナミには南条がこう言う事が分かっていた。 彼女も同じ結論を出していたからだ

今回、此方側の戦力は、ナナミ、南条、桐島、城戸、園村、黛、上杉、舞耶達四人である

舞耶達をひとまとめにしたのは、別に実力的に劣悪だからではない。

四人のコンビネーションを崩すと戦力の低下が予想され、作戦の遂行に支障をきたす可能性があるからだ

そして、城戸と園村は南条のサポートに、上杉と黛は桐島のサポートにつくことが決定している

変更は容易いが、朝令暮改な作戦はまず成功しないし、その間に情報の漏洩が起こる可能性もある

だから、この決定を変えるのは止めた方がいい。 それは、当然の判断だった

味方すら騙し、土壇場で作戦を変えるという手もあるが、それは主将の下に統制された精鋭が不可欠で

加えて、この場合には有効ではない。 というよりも、そんな作戦を採ることに意味がない

残る戦力の内、舞耶達を南条の側に付けるのは正しい判断である。

理学研究所には、敵の戦力のうち、かなり強大な物が配置されている可能性が高く

最悪の場合、神取との交戦が予想される。 また、これ以上の人数になると、隠密行動には不向きとなる

一方で、桐島の方には、ナナミの助力が好ましい。 彼女は知識が豊富で、かなり頭も切れるが

自分で事態を打開するような作戦をひねり出すのは苦手で、大技、離れ技、裏技の類が使えない

黛のリーダシップは貴重だし、上杉の素早さも頼れるが、この分野では、二人は桐島の助けになれない

である以上、ナナミは桐島に協力すべきだ。 ナナミも、南条も、それは分かっていた

だが。 頭では分かっていても、理性の方が納得しないという事は、誰にでもあるものだ

嫉妬という原理的な感情は、当然ナナミにも存在し、原理的故に大きな力を持つ

何故、自分を共同作戦のパートナーに選んでくれない?

その考えが論理的でない事は、分かり切っているのに。 その考えが危地を招く事は分かっているのに

時間はずらせない。 南条側の作戦は、これ以上の遅れを許せないし

桐島側の作戦は、石神千鶴のテレビ出演が次何時来るか分からないため、今回の機会を逃せない

戦力分散は愚の骨頂だが、他に方法がない以上やらざるを得ない。 そしてやらざるを得ないからには

絶対に作戦を成功させねばならない。 自分たち以外には出来ない事だ、必ずやり遂げねばならない

作戦が決まった後、ナナミは仕事に逃避するような事をしなかった。

それは仕事の効率と正確性を悪化させるだけであり、状況が悪い現在、重要な情報の見逃しを誘発し

結果、全員の致命傷になりかねない

故に、彼女はバルコニーに出て、小さく溜息をついただけだった

その溜息には、どれだけ膨大な感情が籠もっていたことだろう

ナナミは南条を恨んだりはしていない。 自分が同じ立場だったら、確実に同じ命令を出しただろうから

それに、本当に信頼しているからこそ、南条はこの命令をナナミに出したのだ

南条もナナミの助力があることを前提に、暫く戦闘をしていたから、今回は少々辛いことだろう

その辺の微妙な心理も手伝い、「頼む」という言葉が出た

両者の辛さは、誰の目にも明らかだった。 バルコニーに出たナナミは、南条の気配に気付いた

「ナイトメア、すまない。 だが今回だけだ。 我慢してくれるな」

「・・・勿論です。 同じ状況なら、ナイトメアも同じ判断を下したですぅ・・・でも・・・」

「この一件が終わったら・・・何でもお前の好きな物を買ってやるぞ。

どこか行きたいところがあれば遠慮なく言え。・・・辛い気持ちを味わせて済まないな。」

それは、節約主義者で現実主義者の南条が口にする、最大の謝意であったろう

ナナミは微笑むと、歓喜を抑えるように、小さな声でいった

「ありがとうです、ダーリン。 さ、風邪引くですよぉ。 中に入るです」

 

二人の姿を、後ろから見ていた者がいる。 芹沢うららである。

男運が無いうえ、結婚にあこがれる彼女には、二人は羨ましく見えたのかも知れない

隣で微笑む桐島に対し、うららは溜息をつくと愚痴をこぼした

「あーあ・・・いいなあ、あの子。 <ダーリン>って、南条君の事だったのね・・・

南条君が悪魔好きでロリコンだったのはショックだけどさ、少し羨ましいよ」

「それは違います、Ms Urara。・・・あのNightmare に昔、一度だけ聞かされたことがありますの。

男性としてのKeiが好きなわけではないって。

Keiも、女性としてのNightmareが好きなわけではありませんわ」

「・・・? どーゆーこと?」

「Nightmareの一族は、比較的姿を自由に出来るらしいんです。 私たちがHigh school studentsだった時

戦った敵側のNightmare達は、男の子の姿をしていましたわ。 あの子は、自分とあの連中は同じで

その気になれば、それなりに消耗はするけど、自分は妙齢の女性の姿になる事も出来るって言いました」

「なんで? じゃあなればいいのに。 あれだけカワイイんだから、間違いなくすっごい美人になるよ

そーすれば、南条君ももっと好きになってくれると思うけどな」

「Nightmareはこうもいいましたの。 <ダーリンにロリコンの気が無いことがはっきりしてるから

この姿をしてるんだ>って。」

不思議そうな顔をしたうらら、桐島は微笑むと続けた

「あの二人をみていれば、いずれ分かりますわ。」

 

2、作戦開始

 

この町は日本の中心地に近く、テレビ局も存在する。 その名は町の名と同じく珠間瑠TV。

人気番組を多数抱え、ビルは七階建て、最近改築したばかりで、モダンな雰囲気が漂う

モデルである桐島は、ここに日々出入りし、顔も利く。

ナナミは、もし素性を聞かれたら新人の子役ということで、誤魔化すことに決めていた

それは充分に説得力をもった言い訳である。 ナナミほど、顔立ちの整った子供(見かけだけだが)

はそういないし、いざとなったら幾らでも子供の振りくらい出来るからだ

桐島側の作戦開始時間は午後八時。 南条側は、既に二時間ほど前に、下水処理場に到着している

テレビ局には、既に上杉と黛が待機していた。 カメラマンである黛は、上司である藤井俊介と共に

人気マルチタレントブラウン(上杉)の取材に来ており、それと同時に作戦行動に参加したのだ

無論藤井にはそれを告げてはいない。 危険が及ぶような任務ではないと黛が考えていた事もあった

それにもし、万が一石神千鶴が神取級の力を持っていたとしても

ここでは力を発揮しきれないだろうとも、黛は考えていた

だが、その考えが崩壊し、桐島とナナミが危地に落ちるのに、さほど時間はかからなかった

 

テレビ局に入った途端だった。 ナナミが周囲を見回し、目を光らせて舌打ちした

いぶかる桐島に、ナナミは顔を向けず、そのまま答える

「・・・酷く歪んだ霊的磁場が、建物全体を覆い尽くしてるです。 これじゃあ、ナイトメアも

エリーお姉ちゃんも、勘が働かないですぅ。 殺気の接近くらいは察知できますけど」

そういって、ナナミは近づいてきた黒猫を睨んだ。 誰かの飼い猫らしく、首輪をしている

一声鳴くと、黒猫は駆け去っていった。 猫好きの克哉がこの場にいたら落胆しただろう

黒猫の背中を見送りながら、桐島が考え込む。 彼女も、猫から妙な殺気を感じたのだ

「Hmm・・・そういえば、このTV station、建てられたときに色々と事故が起こって

何かしらの祟りではないかって、噂が流れたそうですわ。 しかし妙ですわね

昨日までは、こんな強烈な磁場はありませんでしたのに・・・」

ナナミは首を捻った。 この異様なゆがみは、最近人為的に創られたとしか思えない

その思考結果には理由がある。 古くからある強烈な磁場のゆがみには

強力な自縛霊なり霊的生物なりが関与している物だが、ここにはそれの気配が一切無いのだ。

それほどの存在が関与していれば、いやでも、勘が働かなくとも気配は感じる物なのだが・・・

考え込む内に、ナナミと桐島は二階へ移動し、上杉と黛と合流した

二階の楽屋の一つに、現在石神千鶴がいることが判明している。 そこまではすぐそこだった

上杉は約束通り、黛と待っていた。 二人が楽屋の外での見張りを担当し

いざという時には、すぐに入って援護をする事を決め、更にもしもの時には楽屋で待機する事を決めた

これは、相手が何かしらの罠を張っており、先発隊である桐島とナナミがそれにはまった時の布石であり

そういう場合は、下手に動かれるよりも、先に決めた場所で待っていてもらった方が合流しやすいのだ

通路の奥に、石神千鶴の楽屋はあった。 桐島とナナミが壁越しに様子をうかがうと

生気のないマネージャーらしき男が、無言で礼をし、部屋を出て行くところだった

黛と上杉は、ここで待機する。 桐島がそれを確認するように二人と相づちを打ち、一歩を踏み出す

「行きますわよ、Nightmare。 ・・・? どういたしましたの?」

桐島が、何かを考え込むナナミをいぶかしんだ

ナナミは、部屋の横を見ていた。 複数のポスターに混じって、妙な紙が貼ってある

それは白紙で、長方形をしていた。 長辺は25cmに達し、短辺は20cmに満たないだろう

特に不思議なところはないが、何の意味もなく張ってある。 個性の無さが、却って目立つ紙片だった

「これが、どうしましたの?」

「・・・・。 いや、何でもないですぅ。」

「? ・・・まあ、いいですわ。 Excuse me。 Ms、Ishigami! 少々よろしいでしょうか」

紙のことを頭から排除し、桐島がドアを叩いた。 二度繰り返したが、中からの反応はない

ドアに手を掛けた桐島がノブを捻ると、鍵はかかっていない。

そのままドアを開けようとした桐島を、思い出したようにナナミが引き留めた

「ちょっと待った! ・・・・・いや。 何でもないです。 続けて、エリーお姉ちゃん」

桐島がふと、昔のことを思い出した。 三年前にも、これとそっくり同じ状況があったからだ

ドアを開き、静かに中へとはいる。 桐島に続けてナナミが部屋にはいると、ドアが独りでに閉まった

中には、先ほどの黒猫がいて、机の上から此方を見ている。 石神千鶴は何処にもいない

黒猫が立ち上がり、一声鳴いた。 次の瞬間、部屋の色彩が消滅した

 

数分間の沈黙。 更に、桐島とナナミの気配の消滅。 誰でも、有事の発生を悟っただろう

当然、黛も上杉も悟った。 彼らの勘は鈍っていても遙かに常人より鋭く、それは当然だった

「何かあったみたいだね、行くよ、上杉!」

黛が叫び、上杉が走る。 ドアノブに手を掛け、開けようとするが、ドアはびくともしない

「あ、アネゴ! かたくって・・・・開かないっス! これは、何かあるっスよ!」

必死な声を上げる上杉の横で、白紙だった紙に、規則的な模様が浮き上がる。

「どきな! ペルソナ・・・」

「そんな事をしても無駄よ。 ウフフフフ・・・・」

二人が振り向くと、さっきの血色が悪いマネージャーが、笑いながら立っていた

驚くべき事に、その口から流れるのは女性の声、しかも石神千鶴の声だった

上杉が、念のため手にしていたモップを逆さに持ち、構える。 彼は槍の名手である

マネージャーらしき人物は、短く笑うと、続けた

「あの二人・・・一人と一匹というべきかしら。 一人は悪魔だものね。

とにかく、二人は私の創った陣に招待させてもらったわ。 他にも何人か捕まえてあるけど

・・・私のテレビ放送の邪魔をしたら、中の悪魔達が一斉に彼らを喰い殺すわ

まあ、あの子達が陣を破るのを期待す・・・・」

それ以上、「マネージャー」は続けられなかった。 黛が投げつけた剃刀が、肩を抉ったからだ

次の瞬間、男は消滅し、代わりに紙切れが宙を舞った。 高笑いが、空間を支配した

「符」と呼ばれる呪力の籠もった紙を使って創りだした、一種の人形だったのだ

動揺した上杉が、おろおろしながら帽子を取り、頭をかきむしる

「アネゴ、どうしよう! エリーちゃんが危ないっス!」

上杉の頭に黛が拳を浴びせた。 頭を抑えて上目遣いに彼女を見る上杉に、諭すようにいう

「バカ、ナイトメアの心配もしな! 大丈夫、あの二人の事だ、そう滅多な事じゃあ殺られはしないよ

・・・楽屋に戻るよ。 悔しいけど、今はそれが一番いい。」

上杉を引きずるようにして、黛は楽屋に戻っていった。 事態は激流へと動き始めたのである

 

3,恐怖の形

 

ナナミはこれが罠だと、最初から分かっていた。 だが、わざと罠にはまった

三年前に、南条が同じ事をしたが、それは他に手がなかったからで、今度の目的は少し違う

今回のナナミの行動は、敵の出方を見る事が目的であった。 敵の実力を見る目的もあった

爆弾を仕掛けられていたような、「いざという時」のために、ナナミは物理攻撃反射用の魔法の道具を

持ってきてはいたが、それを使う事はなかった。 それは、敵にとっても幸運だったろう

もしこんな人の多い場所で、爆弾を使うような、品性下劣な相手なら

ナナミは地獄のそこまで追いつめ、八つ裂きにして烏の餌にするつもりであったのだ

それにしても、敵、石神千鶴の実力は想像以上である。 魔力だけなら神取以上であろう

この大きなビルを丸ごと強烈な異常磁場で覆い尽くし、尚かつこんな得体の知れない術を使ったのだ

黒猫は既に逃走している。 ダクトに飛び込み、そのまま走り去っていった

深刻な事態にも関わらず、喜んでいた者がいる。 筋金入りのオカルトマニアである桐島である

子供のように彼女は目を輝かせ、魔術の系統が東洋系である事、「陣」系の魔術である事

更に、世界が白黒で、鏡に自分たちが映らないのは、ここが位相的に世界の裏に位置し

また鏡は根本的に大きな魔力を持っていて、そこに現世が映っているからだ

等々、様々な事を分析し、最後に確信を持っていった

これは、奇門遁甲の陣だと。 それは有名な術であったから、ナナミも名前だけは知っていた

詳しい説明を求められると、桐島は心底楽しそうに紙を取りだし、複数の記号を書き連ねていった

それは、規則性を持った、一方向線の集合だった。 桐島が胸の前で掌を組み、うっとりした表情で言う

「これは、遁甲文字ですわ。 奇門遁甲の陣は、これが書かれた「門」を一から八まで順番に

通らないと、破ることが出来ませんのよ」

「ふーん。 ・・・ちょっと待って、メモするですぅ」

そういって、ナナミは愛用のメモ帳を取り出した。 使いやすさだけを追求した、シンプルな一品である

余談であるが、南条が使っているメモ帳は

表紙に「一」と大きく書かれている事を除くと、ナナミのメモ帳と同様の物である

文字は単純な物で、すぐにメモは終わった。

そして、白黒になったドアを開けると、そこには悪魔の気配が充満していたのである

早速桐島とナナミの前に、悪魔が現れた。 ジャックランタンという、炎を操る妖精である

性格はさほど攻撃的ではないが、彼らは召喚師である石神に、こんな命令を受けていた

桐島とナナミを見かけたら殺せ。 躊躇なく、それに従うジャックランタン達

だが、相手が悪かった。 四体のジャックランタン達は、最悪の存在を敵に回してしまったのだ

桐島がペルソナを使う暇もなかった。 ナナミが呪文詠唱を完成させ、魔法を発動させる

それは相手を瞬時に瀕死へと追い込む魔法であり、ジャックランタンにも当然有効だった

「死ねですぅ! マハムド!」

二体のジャックランタンが、マハムドの効果をもろに受け、地に落ちた。

宙に浮いている残り二体は、呆然とそれを見る。 生まれる油断が、彼らを破滅へと追い込む

一体の顔に、ナナミの靴底がめり込んだ、彼女は敵の油断の隙をつき、跳躍していたのだ

ただの蹴りでは威力は低かったろうが、天井近くまで飛んだ後、翼を使って加速した蹴りである

そのまま敵を地面に押しつけ、ナナミはワルサーの引き金を引く。

三発、四発、五発、至近距離からの弾丸がジャックランタンの顔に叩き込まれる

恐怖に硬直する最後の一体の前で、ナナミは地面に倒れた二体にもとどめを刺し、振り返った

「・・・今日のナイトメアは、機嫌が悪いですぅ。

死にたくなければ、出てくるなって仲間に伝えておくです」

「ひいいいっ! 分かったホー! もうでてこないから、許してホーッ!」

叫ぶと、脱兎のようにジャックランタンが逃げ出す。 桐島が頬に手を当て、静かに言う

「・・・必要以上に残酷に振る舞う事で、敵の恐怖心を煽り、結果被害を最小限に抑える。

そうですの? Nightmare。 ・・・作戦としては有効でしょうけど」

「まあ、それもあるですけど。 今日のナイトメアは本当に機嫌が悪いんですよぉ」

ナナミは吐き捨てるように言い、命を無くしたジャックランタンに手を当て、生命力を根こそぎ奪い去る

ミイラ化した死体をうち捨て、ナナミは辺りを見回し、一つの方向に歩き出した

テレビ局に入る前、ナナミは当然下調べをした。 このテレビ局には五つの大きなスタジオがあり

二つの資材置き場が、一番大きなスタジオに併設している

この階には、二つのスタジオがある。 先程、ドアの側に張られた紙には、遁甲文字の一が書かれていた

八つの門を通らないといけないのだから、残り七つの何かが、門となっているはずである

この手の強力無比な術は、絶大な効果をもたらすと同時に、巨大な鎖が如き無数の制約を受ける

奇門遁甲の陣も例外ではなく、門はわかりやすい場所に、わかりやすく創らねばならない

それを知る桐島は、楽勝だと言い、鼻歌混じりで歩いていた

数回、悪魔の襲撃にもあったが、その都度ナナミと二人で撃退し、やがて悪魔達は二人をおそれ

遠巻きに監視するだけとなった。 ナナミの策が功を奏したのである

位相がずれていても、予備知識の地図通りの地形であり、スタジオは簡単に見つかった

第一のスタジオの脇には、やはり札が貼られ、遁甲文字で二と書かれていた

しかし。 スタジオに入った瞬間、二人は魔力の波に押し戻され、吹き飛ばされて尻餅をついた

「? おかしいですわ。 これは、確かに遁甲文字の二に間違いないはず・・・」

「多分、上杉お兄ちゃんとゆきのお姉ちゃんが、楽屋に戻ってるはずですぅ

いってみるです。 楽屋である以上、鏡があるのは間違いないですから

位相がずれているなら、現世と何かしら違っている可能性もあるですし」

冷静にナナミが言うと、桐島もそれに同意し、上杉の楽屋へと向かった

 

自然に振る舞え。 黛はそう上杉に言い、楽屋で待機していた

上杉は言われたとおり、極めていつもの彼らしく振る舞っていた。 軽い言動、おちゃらけた行動

思わず、演技ではないのではと疑われるほどであった。 鏡に新しい服装を映し、ご満悦の上杉

「アネゴ、この服、我ながら似合ってるっス! こんなポーズどうっスか?」

「分かった分かった。 何でも良いからさっさと決めな」

「はは、ユッキー。 被写体を美しくするのも、カメラマンの大事な仕事だぞ」

口を挟んだのは、黛の雇い主である藤井である。 彼に惚れている黛(無論、誰にも話した事はない)が

見る見る紅くなり、無理なお上品言葉でかしこまる

それをみて、肩をすくめた上杉が(彼も黛が好きな相手は知っている。一度見れば誰にでも分かる事だ)

振り返ると、鏡に映っていたのは自分ではなく、腕を組んで冷徹な瞳で彼を見るナナミ

思わず悲鳴を上げて、上杉が尻餅をつき、黛が顔に緊張を走らせて立ち上がる

藤井もいたが、この際仕方がない。 彼の人柄は黛に聞いている、利益だけを優先し、人権を無視する

此方に仇為すような似非ジャーナリストはない。 誇りあるカメラマンである事は疑いなく

事情を話せば、いたずらに害を為すこともないだろう。

鏡の向こうのナナミの耳に、上杉の悲鳴が届いた。 幸い、声は届く事が、これで判明した

桐島がナナミの代わりに鏡の前に出、事情を話した。 二人は頷くと、外に駆け出していき

十五分ほどして戻ってきた。 やはり各スタジオの側の壁に紙が貼られ、遁甲文字が浮かんでいた

驚くべき事に、二の遁甲文字は、第三スタジオ、此方で五の門があるはずの所にあった

礼を言い、桐島とナナミが外に駆け出し、三階の第三スタジオに向かう

入るとそこには黒猫が待っていた、黒猫が口を開くと、石神千鶴の声が漏れた

「フフ・・・正解よ。 でも、これ以上進めるかしら?」

「へっ、寝言を。 こんな子供だましのトリックで、ナイトメアをだませると思うんですかあ?」

「Nightmare、Toricが分かりましたの?」

黒猫が黙り込む中、ナナミはメモ帳を取りだし、遁甲文字自体が、逆さにしても他の字になる性質を指摘

例えば、二をひっくり返すと五になることを暴いた。 そして、付け加える

「おおかた、ここだけ符の位相を完全反転させたんだと思うです

これが普通の術師だったら、空間ごと位相を完全反転させて、すぐにばれてたところですが

でも、相手がナイトメアとエリーお姉ちゃんだったのが運の尽き。

すぐにそこへ行くから、覚悟しとくです!」

高笑いと共に、黒猫は宙に消えた。 実は、この瞬間こそ、真の恐怖、その始まりだったのだ

 

次のスタジオは何事もなく、更に次のスタジオでのこと。 桐島は正解を喜び、次の門へ行こうとし

次の瞬間、身体を硬直させ、青ざめた。 いぶかしんだナナミが振り返ると、そこには太った男がいた

病的に膨らんだ顔に、包帯を巻き、右手にチェーンソーを持っている。 左目は眼帯を付け

全身は不潔な着衣に覆われ、猟奇的な笑みを浮かべていた

ナナミはその男に見覚えがあった。 確か、何かのニュースで見た、桐島をストーキングした男だ

元々精神をやんでいる男で、病院で見た雑誌に載っていた桐島に一目惚れし、つけ回し

桐島の家に勝手に上がり込んだりもしたらしいが、最終的には怒り狂った彼女に叩きのめされ

二度とストーキングしないことを誓い、今は精神病院にいるとか聞く

その後、幼児以下のモラルしか持たない一部マスコミによって、家族の情報が勝手に公開され

事件に全く関係のない妹が暴漢に襲われ、全治三ヶ月の重傷を負うという事件が起こったが

無論彼らは反省などせず、謝罪もしなかった

こういった一部の似非マスコミは、報道の自由という美しい言葉で、自分の犯罪的行為を正当化し

自分達も下劣なメンタリティしか持たない事を隠しているが、いつ大衆はそれに気付くのだろうか

いつ大衆は、それに迎合することが如何に恥知らずな行為か、気付くのだろうか

彼らを支えているのは、下劣な記事を喜ぶ更に下劣な連中である事を、決して忘れてはならないだろう

ともあれ。 この男、桑原真は病院にいるはずである。 桐島が怯えきった声を上げた

「そ・・・そんな! Personaで追い払ったのに!」

「え・・えへへ・・えへ・・・」

男が笑い声を上げた、桐島が青ざめて数歩下がり、ナナミがかばうように前に出る

「それって、愛情表現だよね。 えへ・・・分かってるんだよ、エリーちゃん・・・えへえへええへ

だから、お礼しようと思って、これ持ってきたんだ。 えへへへへ・・・」

「No! ち、近寄らないでっ!」

桐島が恐怖に耐えきれず、悲鳴を上げた。 男は気味の悪い笑い声を上げながら、更に近づいてくる

「これでね、僕ね、エリーちゃんをバラバラにしてあげるんだよ・・・えへえへへへ

痛くないようにして上げるね。 それでね、えへへ・・・僕も、血だまりの中で死ぬんだ

そうするとね、僕の血はエリーちゃんの血と一緒になって、永久に二人は一緒になれるんだあ・・・」

その後は、完全に壊れた笑い声が続いた。 腰を抜かしてしまっている桐島をかばって、ナナミが言う

「この変質者が! とっとと消えるですぅ!」

「うるせえ、ガキィ! ぐだぐだぬかすとぶっ殺すぞ!」

男の形相が変わり、同時に跳躍した。 たるんだ肉体からは考えられないほどの素早さだった

チェーンソーがうなり、高速で回転する鋼鉄の刃が迫ってくる。

立ちはだかったナナミに向けて、男は躊躇なくそれを振り下ろす、素人とは思えない鋭い太刀筋だった

それでも、ナナミは余裕を持ってそれを見切り、隙を見て宙に飛ぶと

翼で加速して身体を捻り、半回転して顔面を蹴りつけた、鈍い音が響きわたる

男がひるんだ隙に、ナナミはワルサーの引き金を引く。 狙いは正確で、弾丸は男の腹にめり込んだ

だが男の動きは鈍らず、彼女を驚愕させた。 腹から血が噴き出しているのに、男は平気な顔をしている

更に弾丸を叩き込もうとしたナナミの眼前を、風圧の固まりが通り過ぎ、男を直撃した

数メートルを吹っ飛んで、男は動かなくなる。

ペルソナ・ニケーを発動させた桐島が、肩を振るわせて大きく息をつき、目尻に涙を浮かべ、立っていた。

「はあ、はあ・・・Nightmare、そんな男、殺す価値もありませんわ・・・」

「しかし、こんな所までついてくるなんて、気合いの入った変質者ですぅ。

ま、普通の人間が魔法の直撃を受ければ、絶対にただじゃあ済まないですから、もう大丈夫でしょうけど」

そういい、ナナミは額の汗をハンケチで拭った。 何か、嫌な予感がしていたのだ

 

桐島にとっての悪夢は、これで終わらなかった。

四つ目の門は何事も無かったが、五つ目で、また桑原が待ち伏せしていたのである

スタジオに入った当初は何もなかったが、桐島が中程まで歩いて辺りを見回すと、何かが切れる音がした

ナナミが無言で桐島に飛び寄り、防御結界を全開にした、同時に上から複数の物体が降り注ぐ

硬直してしまった桐島を助ける手段はこれしかなかった、今彼女を失うわけにはいかない

ナナミらしくもない行動だったが、行動や、まして「らしさ」を選んでいる暇など無かった

桐島の悲鳴と床に重い物が降り注ぐ音とが重なり、それが終わると、ナナミが地面に倒れ込んでいた

意識はなく、額からは血がにじんでいる。 彼女の防御結界は物理攻撃に対して脆弱であり

合計百キロ以上の物体が降り注ぐ衝撃を、防ぎ切れなかったのだ

「Nightmare! しっかりして! 目を覚ましてっ!」

「えへへ・・・駄目じゃないか、よけちゃあ・・・苦しくないように、殺して上げようとしたのに」

硬直した桐島、その視線の先にはまた桑原がいた。 既にチェーンソーは回転している

怪我は残っていて、腹からは血がにじんでいるが、にもかかわらず動きが鈍っている様子はない

桐島の視線が、意識を失ったナナミの方へ戻った、その瞬間、怒りが恐怖を凌駕した

「・・・・私、怒りましたわ! 覚悟はよろしくて! Persona!」

桐島のペルソナ、戦の神ニケーが具現化した。 今度は容赦なく、男に攻撃魔法が叩き付けられた

 

ナナミは無事だった。 回復魔法で程なく意識を取り戻したが

身代わりになるかのように、南条から貰った大事なリボンが、ボロボロになってしまっていた

それをみて溜息をつくと、別の青いリボンで髪の毛を束ねる。 その表情は沈鬱だった

「ごめんなさい、Nightmare。 大事な、Keiの贈り物を・・・」

桐島の声も、ナナミの表情同様沈鬱だった。 いたずらに見せびらかして自慢するような事はなかったが

ナナミがそれを如何に大事にしているかは、扱いを見れば一目瞭然だったからだ

南条は常々言っていた。 大事な物であろうと、使ってこそ価値がある。

だから、ナナミはリボンを愛用していた。 である以上何時かこうなる事は、避けられなかっただろう

それにこの程度の破損なら、修復は可能である。 悲しむ事はなかった

「いいんですよ。 あの腐れ外道が悪いんですし、それに直せるですぅ」

そういうと、ナナミは懐から、南条コンツェルンの新製品である手錠を取り出した、鋼鉄製の頑丈な物だ

桑原の左手にそれをはめ、もう一方を柱に掛け、振り向いた。 その表情はいつもの物に戻っていた

「さ、さっさとこの陣を抜けて、石神千鶴をぶん殴るですぅ

流石にこいつも、これじゃあもう追って来れないです。」

ナナミは男の秘密に気づき始めていた。 だから、ここでは必要以上に怒らなかった

怒りは、取っておくべきだった。 陣を破り、真の敵に対面したときのために

 

七番目の門で、桐島の恐怖は更に増幅された。 またしても桑原が現れたのだ

しかも、左手をチェーンソーで断ち切って。 その形相はもう尋常ではなく、笑みさえ浮かべていない

「い、一方的に愛を寄せられても、迷惑なだけですわ!」

隣で冷静に男を見ているナナミと反対に、動揺しきった桐島が叫ぶと、男は口から泡を飛ばして叫ぶ

「ざけんじゃねえ! 人様が下手にでてればいいきになりやがって!

てめえも俺と同じだ! 俺と同類だ! 身に覚えがあるはずだ!」

「私が・・・貴方と同じ?」

「そうだ! わからねえとはいわせねえぞ! き・・・・」

「やかましい。 忌ねです」

複数の銃声が連続して響いた。 ナナミがワルサーを撃ちはなったのだ

彼女の腕は文字通り達人級で、三十メートル以内の、直径五センチ以上の的なら

動いていようが、揺れていようが、時速六十キロ以上でも無い限り確実に射抜ける

銃弾は六発放たれ、全てが桑原の顔に命中した。 二発は目に、一発は鼻に、残りは眉間にめり込んだ

無言のまま、前のめりに倒れた桑原。 ナナミは冷然と、新しい弾を装填する

「・・・さ、次の門へ行くですぅ」

「Oh・・・・My・・・・・Nightmare、何て事を・・・・」

いくら気が触れているとはいえ、躊躇なく、普通の人間を殺した。

桐島が口を手で押さえ、呆然としている横で、ナナミは静かに口を開いた

「大丈夫。 ナイトメアを信じるです。 次の門へいけば、分かるですぅ」

 

4,舞台の上にて

 

石神千鶴は、作戦実行前に、神条からこんな命令を受けていた

例のテレビ放送を済ませるまで、桐島を足止めしろ、尚かつ、挑発できればするように、と

確かにそれは成功した。 だが、彼女の式鬼(陰陽術における使い魔)は、何体か失ってしまった

先ほど、奇門遁甲の陣を任せていた「黒猫」の気配が消滅した。 石神は、目を瞑って部下の死を悼んだ

今、石神が出ているテレビ番組には、彼女の他に、女優の黒須純子

最近売り出し中のアイドルグループMUSEの三人が出演している。 須藤竜也が見たら嘲笑うだろう

このメンツは、「向こう側」で、全員彼と関わりがあり、一人は完全に人格的破綻をしていたのだから

石神は台本通り、「ワンロン占い」を行い、そして言った

このままでは、「JOKER呪い」をしていない人間までもが、JOKERになってしまう可能性があると

黒須純子の身体に異変が起こったのは、その数分後のことだった

 

奇門遁甲の陣の最後で待っていたのは、弓月だった。

冷酷な瞳で彼を見るナナミ、再会を喜ぶ桐島。 弓月はナナミには目もくれず、桐島に言う

俺はお前のことなど好きでも何でもない。 迷惑だ、二度と俺のことを考えないでくれ・・・

今までの恐怖でまともな判断力を喪失していた桐島が崩れ伏す横で、ナナミは数歩前に出

そして、弓月の全身に銃弾を撃ち込んだ。 何一つためらいを見せずに

弾を撃ちつくし、再装填し、更に撃つ、撃つ、撃つ。 二十発以上の弾丸を叩き込む

呆然と顔を上げた桐島の目の前にあったのは、愛する男の死体ではなく、巨大な黒猫の亡骸だった

「・・・今までのは全部、こいつがエリーお姉ちゃんの恐怖心・・・実際にストーキングされた恐怖

愛する者に、絶対言われたくない事を言われる恐怖・・・それを利用して創った幻だったんですぅ

こんな物は、幻術の基本。 よく考えれば、片腕をぶったぎって変わらず動ける人間なんていない

魔法の直撃を受けて、無事に済む普通の人間なんていない。 当たり前の事ですぅ

こんな物に今まで惑わされたなんて・・・馬鹿馬鹿しい話です

弓月お兄ちゃんは、ダーリンの次にナイトメアが好きな人です。 侮辱して、こんな程度で死ねたのは

幸運だと思って貰わないと・・・へっ。 石油ぶっかけて焼き殺すか、水に突っ込んで窒息させるか

しようと思ってたのに・・・まだまだナイトメアも未熟ですう。 こんなに楽に死なせてやるなんてっ!」

「・・・・Nightmare、一瞬でも疑ってすみません。 許せませんわ、Wanglong Tiduru!」

ナイトメアが死体を蹴りつけ、生命力を根こそぎ奪い去る。 黒猫は見る見るミイラ化していく

もはや恐怖は消え去り、愛する者を侮辱された怒りだけが桐島の中で渦巻いていた

扉を開けると、そこには色彩があった。 二人は、奇門遁甲の陣からの脱出を果たしたのだ

 

陣からの脱出を果たすと、陣自体が消滅し、中にいた人間達は強制的に放り出された様だった

周囲で、第一スタジオで黒須純子がJOKERになり、暴れているという話が流れている

ナナミがエレベーターを見るが、それは今この階を離れたところだった。 走る方が早い

まず三階に走り込み、上杉の楽屋に直行する。 黛と上杉は、そこで待機していてくれていた

そして、一緒にいた藤井は二人を見て、事情は後で話してくれればいいと言った。

桐島が礼をし、謝意を示す

陣が消えたのに、歪んだ霊的磁場は健在で、勘が働かない。 ペルソナ使いの気配も感じ取れない

だが、強烈な殺気だけは感じられる。 確かに、第一スタジオからその殺気は流れてきていた

扉を蹴り開けると、そこには雑多があった。 黒須純子が、JOKER化していて、白面となっていた

JOKER化した純子の狙いはリサのようであり、他の者には目もくれていない

現在、須藤竜也は舞耶にしか興味がないらしい。 表に出てくる気配はなかった

黒須純子を止めようとして半殺しにされた男が倒れ、カメラは殆ど破壊されて動いていない

驚くべき事に、石神千鶴は平然としている。 事態が予想通りになったのだから、当然だろう

生放送だったらしく、半狂乱になったプロデューサーが頭をかきむしり、何かを叫んでいる中

MUSEの三人は、紅い服をきた青年の後ろに隠れるようにして、立ちすくんでいた

そのうち一人、リサは紅い服の青年を知っていた。 声が、信じられない事実を確認するように漏れた

「うそ・・・周防・・・先輩?」

「ギ・・・いや、リサ。 危ないから下がっていろ」

「え・・・私の名前、知って・・いるんですか? どうしてここにいるんですか?」

沈鬱な表情を浮かべかけた達哉に、石神の声が浴びせかけられた、それには嫉妬が多分に含まれていた

「貴様が特異点ね! あの方のお心を騒がす、憎き子供!」

そこで言葉はとぎれた。 桐島達に、石神が気付いたのだ

真っ先に前に出たのはナナミだった。 ワルサーを取りだし、無事だったカメラを全て撃ち抜く

カメラマンが悲しそうな声を上げるが、このテープをばらまかれると少々まずい

生放送だったとしても、テープは出来るだけ消して於いた方がいい。 そう判断しての行動であった

その後、振り向いたナナミの表情には、優しさや憐憫が欠けていた

「・・・おばさん、新世塾は何を企んでるですか? さっさと吐くです」

「フフ・・・貴方達には想像もつかない事よ。 ・・・私にはどうでもいい事だけど

大体私はまだ二十代半ばよ。 おばさん呼ばわりは心外だわ」

ナナミが口の端をつり上げた。 石神千鶴は気付いただろうか、今までの言葉だけで

自分がどれだけの情報を流してしまったのか。 もしかすると、意図的な行動かも知れないが

新世塾との癒着、計画の大きさ、そしてそれへの無関心

特異点の存在を知り、若さと美しさに自信を持つ

そして、特異点を知る誰かへ、恋心を抱いている。 必要な情報は全て取れた

特異点とは何か、具体的にはまだ分からないが、そんな物は後で幾らでも調べられる

そして、言葉に乗っている自信から、嘘ではないと断言できる

誘導尋問も面白そうだが、あの陣を張る魔力の持ち主である、はっきりいって人間としては最高クラスだ

魔王クラスの魔族でさえ、一目置くだろう。 捕獲できても、大人しくしているとは到底思えない

いずれにしろ、怒るのは今だった。 あの黒猫に作戦を授けたのは、間違いなくこの女だからだ

捕獲が難しい以上、敵の戦力の中でもかなりのウェイトを占めるだろうこの女を、生かして帰す事はない

桐島が、ナナミが石神を殺すつもりである事に気付く、前に出て、剣を構える

彼女は敵を殺すつもりではないのだろう、 甘い事だと思ったが、ナナミはそれに反対する気もなかった

あくまでも、ナナミは参謀である。 第一、今は喧嘩している暇など無い

「此方は・・・俺に任せてくれ、ナイトメアさん」

達哉が言った、ナイトメアは頷き、桐島、上杉、黛が戦闘態勢を整える

いかにJOKER使いといえども、達哉の敵ではない。 それに、勘が鈍っていてよかった

もしも勘がそのまま働いていたら、JOKER典子戦の時のように、凄まじい恐怖に襲われていただろう

「貴方、そこの悪魔! 確か<こんな物>って、言ったわね!」

石神が言葉を続ける、陰陽術の使い手である自分が、時代遅れの産物として蔑まれてきた事

それが間違いである証拠に、占いに右往左往する現在の人間がいる事。

そしてその結果、計画通り、「穢れ」がたくさん集まった事。 怒りを叩き付ける行為に等しかった

「フフ・・・陰陽が時代遅れの産物かどうか、<こんな物>かどうか、見せて上げるわ!

全員同時で構わないわ・・・かかってきなさい!」

石神が符を放ると、四体の式神(式鬼より上位の使い魔)が出現した、戦いが始まった

 

先制攻撃は式神が行った、それぞれ呪文詠唱を完成させると、時間差を付けて四属性の攻撃を撃ち放つ

地水火風の中位攻撃魔法、マハマグナス、マハアクエス、マハラギオン、マハガルーラが

連続して、桐島達に叩き付けられた、まきおこる煙の中で、石神が微笑む

「さあ、何人生き残ったかし・・・」

言葉がとぎれる、煙の中から疾風の如く飛び出してきた桐島の細剣が、その肩を貫いたからだ

今までの怒りを込めた、鋭く強烈な一撃であった

だが、桐島の表情が強張る。 石神の姿がかき消え、そこには符が残っていた

「Fake! そんな・・・・Fakeで、あれだけの力が?」

「そんなわけないですう! 多分符に命令を残し、本人は騒ぎが起きた所で逃げたんですよぉ!」

同じく煙の中から現れたナナミが、ワルサーを撃ち放つ。 その表情は大魚を逸した悔さに満ちていた

更に上杉が、黛が無事な姿で現れた。 流石にダメージはあるが、動くのに支障はないようだ

中位の攻撃魔法といえど、式神程度の魔力では真価を発揮できなかったのである

「久しぶりにいくっスよ! ネコマタちゃん、ィよろしくウ! マハマグナ!」

吹き上がる土が、四体の式神に襲いかかる、しかし一体はそれを反射し、上杉が吹き飛ばされた

「あいったあ! どうなってるんスか!」

「Brown! 多分、Sikigami達は四大元素にそれぞれ対応していますわ! 気を付けて!」

「だったらこいつはどうだい!? いきな、ヴェスタ! フレイっ!」

上杉をかばうように前に出た黛が、灼熱の魔法を叩き付けた、上位炎属性の攻撃は、炎の式神も防げず

全ての式神が、苦悶の声を上げた。 更に桐島が聖なる力を叩き付け、追い打ちを掛ける

式神達は少し後退すると、体制を整えにかかる。 炎の式神に、魔力を増強するマカカジャが掛けられた

炎の式神の全身が輝き出す、間髪を於かず、強烈な炎の魔力が開放される

ナナミと桐島が前に出、防御結界を展開するが防ぎきれない。 流石に強化されたマハラギオンは強烈で

全員が吹き飛ばされ、床にたたきつけられた、更に水、風、地の魔法が襲い来る

後方で、ペルソナ・テンセンニャンニャンを発動させた黛が回復を行うが、追いつかない

立ち上がったナナミの表情が、怒りに満ちていた。 大魚を逸し、こんな雑魚に手こずる怒り・・・

ここで冷静だったのが桐島である。 彼女は振り向くと、常識的な戦術をあえて言った

「一体ずつ各個撃破しますわよ! まずはあの炎の式神を!」

ナナミの表情が、驚きに満ち、ついで微笑みに満ちる

「・・・ありがとう、エリーお姉ちゃん。 ナイトメアってば、頭に血が上ってたですぅ。」

「先ほどのお礼ですわ。 さあ、行きますわよ!」

「時間稼ぎならまかせるっス!」

親指を立てた上杉が前に出、攻撃魔法を発動させる、更に槍を振るって敵を牽制する

その間にナナミが呪文詠唱を行い、桐島が上杉に防御魔法を掛け、黛と共に援護に回る

式神達はまとわりつく上杉と、叩き付けられる灼熱と聖なる光に邪魔され、なかなか攻撃に移れず

そして、ナナミの魔法が完成した。 たまりにたまった、全ての怒りを雷に乗せ、叫ぶ

「へっ・・・・消し炭にしてやるですぅ! 必殺、ジオダイン!」

 

その後は脆かった。 一撃の下に炎の式神を葬られた敵は連携を失い

逆に完成された連携の元に、連鎖して叩き付けられる攻撃魔法に為す統べなく、程なく全滅した

黒須純子は既にうち倒され、意識を失っている。 早くベルベットルームへ運ばないといけないだろう

気付くと、時間は既に十時を過ぎている。 作戦予定時間を大幅にオーバーしていた

ただ、これは南条側も同じであったのだが、そこまでは知る術もない。 桐島達は素早くアジトへ戻り

そして、作戦の失敗を知る事になる。 全ては、舞台の上で踊らされていたに過ぎなかったのだ・・・

 

達哉は、理学研究所へ急いでいた。 時間はあまりない上、状況はこの上なく悪い

しかも、最悪の敵が、鳴海区に入った途端に立ちふさがったのである

その名は、鳩美由美。 いつもの服装で、右手にメリケンサックをはめている

「新世塾の情報網を侮って貰っては困るわ。 ボスから、ここで待ち伏せろって言われてね

・・・今度は疲労もないようね。 全力でぶっ潰させて貰うわよ」

無言のまま、達哉がバイクを降り、刀を抜いた。 二つの影が、申し合わせたように宙に舞った

                                     (続)