ささやかな一日、イギリス編

 

ここはイギリスのオックスフォード大学の近く。 南条圭の別荘の一つ。

ささやかな規模の邸宅で、暮らしているのは南条と、ナナミと、執事の松岡だけである

ここに来る際、南条は松岡に命令を出した。

イギリスにある他の別荘は全て売り払い、経営資金に回せと

その管理は全て南条が行っており、無駄のない投資は確実に成果を上げている

南条は、早くも名経営者の資質を示しつつあったといえる。 それは、来るべき日

グループの総帥となり、経営建て直しに乗り出す日への、練習だったのやもしれない

 

欠伸をかみ殺し、南条が二階にある自室から降りてくると、既に朝飯が出来ていた

そばには二年前から彼のパートナーをしているナナミがいて、彼が来るのを待っている

「圭様、お早うございます」

「ダーリン、おはようございますですぅ!」

「ナイトメア、松岡、心地よい朝だな」

松岡と、ナナミと、南条が挨拶を交わし、食卓に着く。 食卓には、三人分の食事があった

メニューは、「日本的洋食」であった。 目玉焼きに、トースト、焼きベーコンがメインを占め

南条と松岡にはブラックコーヒー、ナナミの前にはダージリンティーと生の人参が出されている

いずれも庶民的な料理だが、材料が違う。 ナナミが近くの農家で直接買い付けてきた物で

品質は保証付き、鮮度も申し分なく、味は例えようもなく美味い。

イギリスの料理はあまり国外で評判が良くないが、それは材料の問題ではないのである

しかも、間に店を通さないので値段は安い。 そして、決して、普通の食事に比べて値段は高くない

南条は目玉焼きに醤油を垂らすと、それを拭くように綺麗に取りながら、口に運んだ

更に、ベーコンを食す。 ベーコンは時間が経つと油が出てしまい、もったいないので

トーストにすぐ乗せ、添加物を全く使ってない極上のそれと共に胃袋に納める

南条は、自分以外の人間に節制を強要しない。 上に立つ物が見本を示せば自然と下はそれに従う

それを知っているからであり、松岡もナナミも自主的にそれに従う

ナナミは生体エネルギーが大好きである。 その為、一品は必ず産み立ての生卵か、生野菜を取る

人参をばりばり音を立て、豪快に食べるナナミを、いつもながら慣れない様子で、松岡が眺める

細く切り分けてあるとはいえ、生の野菜であり、堅い。 いつ見ても慣れない光景であった

ダージリンティに垂らすミルクは、勿論農家直送の絞り立てである

これを入れたのは松岡であり、その手腕は絶妙で、コーヒーを入れるのも上手い

南条もナナミもそれゆえ、朝には最高のコーヒーと紅茶を楽しめる。 それは活力になる

「美味かったぞ、松岡。 では、出かけてくる」

そう言って立った南条、その席にある皿は、いずれも舐めたように綺麗であった。 匠の技である

 

朝の授業は経済学である。 教師は人格面はどうだか分からないが、一流であることは疑いなく

授業は最新の経済学に基づく。 南条は率先して最前列に座り、積極的に授業に参加する

それには、もう一つの理由もある。 彼が最前列、一番前の席に座らずして、どうするというのだ

もう彼は、周囲で「1フェチ」として知られており、注目されてもいた

現に彼の成績はこの経済学のクラスではトップであり、教授もその頭脳を認めている

更にもう一つ授業を受けると、南条は十分ほど歩いて別荘に戻っていった

理由はいうまでもない。 食費とガソリン代を浮かす為である

 

昼食は、ライスにポテトサラダ、クリームコロッケであった

言うまでもなく、材料は農家から直接仕入れた物ばかりで、鮮度も高級さも疑いない

松岡もナナミも、昼休みに南条が帰ってくるのは知っている。 ただ、毎日時間がずれるため

南条が帰ってきてから作れる物しか、メニューに選ばない

彼の帰りに合わせて、ナナミが戻ってきた。 この時間、彼女が何をしているのかは誰も知らない

ナナミの前には、生のタマネギがあった。 おもむろに手に取ると、林檎のようにそのまま囓る

南条はクリームコロッケを二つに割ると、衣をスポンジにしてこぼれ落ちた中身を綺麗にすくい取り

口に運んだ。 優雅な手つきで、極めて貧乏性に豪華な食事を食べる、希有な男がここにいた

ポテトサラダは、ポテト自体をスプーン代わりにして、不定形の部分を綺麗に食べる

またしても、食事の後には、舐めたように綺麗な皿が残った

「ダーリン、お見事ですぅ。 また腕が上がったですぅ!」

先に食べ終わったナナミの皿には、僅かにすくい損ねたコロッケの中身がついていた

南条は頷くと、静かに言った

「ナイトメアも腕を上げたな。 もう少しで、更に節約した食事が出来るだろう」

 

今日、南条は午後の授業を取っていないが、代わりに松岡に、帝王学の授業を受けねばならない

その間、ナナミは電車も使って、半日がかりで行きつけの農家を回り

野菜の出来、肉の良さ、卵の状態などをチェックする。 一週間の食事の出来がこれで決まる

それがおわると経済の管理である。 松岡は身辺整理関係は得意だが、こちらはいまいち苦手で

事実上の家計管理者はナナミである、仲はあまり良くない二人だが、示し合わせたように

互いの能力を正確に捉え、綺麗に役を分担しているのだ

ある意味、二人は息のあったコンビであったやもしれない。 本人達は、不本意であっただろうが

 

夕食はイギリスで取れた材料ながらも、和食であった

焼き魚はまだ油が滴り落ち、大根下ろしが皿に彩りを添える

芋の煮っ転がしがその脇で黄金の輝きを見せ、漬け物はむろん手製のぬか漬けである

みそ汁も、白米ご飯も申し分ない質の物である。

「いただきます」

食事前の挨拶をすると、申し合わせたように三人はそれぞれの箸を取る

南条の箸に書かれているのは、無論「一」。 今は無き山岡が作った物である

ナナミは紅い箸を、松岡は黒い箸を使っている。 今、箸はこの三本と、来客用の数本のみである

南条の箸使いは見事であった。 魚の食べられない部分を見事にとりわけ

食べられる所はとことんまで、徹底的に取る。 残るのは、骨と皮としっぽと頭。 以上である

魚の肉を使って、大根下ろしは汁まですくい取る。 醤油は、無論最低限必要量しか使わない

問題は芋の煮っ転がしである。 今日は固めに作ってあるが、グズグズの芋を見ると

翌日まで南条の機嫌は悪い。 いかなる手段を使っても、全て食べるのが困難だからだ

後のメニューは彼の敵ではない。 幼児でさえ、舐めたように皿を綺麗に出来るだろう

こういった場合、余裕があるので、南条はもう一つの事を行う

彼は自分の満腹中枢が何分で作動するか正確に知っており、食事を丁度その時間で済ませるのだ

これで、腹が減ることも少なくなり、精神衛生上も効率がいい

「ごちそうさまでした」

三人は、ほぼ同時に同じ声を上げた。 今回は、三人の皿はほぼ同じ状態であった

 

夕食後、南条は幾つかの新聞に目を通すと、レポートに取りかかった

一方で、ナナミは地下の射撃場に行くと、愛用のワルサーを手入れし、射撃の訓練をする

ナナミの銃の腕は、下手なSPを遙かにしのぐ。 的は、殆どが中央を撃ち抜かれて落ちる

松岡は日本と連絡を取り、南条家の様子を分析する。 世辞にも、情勢は良くない

南条が手を休め、のびをして、静かに呟く

「ふむ。 今日はこの辺にするか」

一方で、地下に於いてもナナミが、のびをして呟いていた

「んー。 今日は、この辺にしておくですぅ」

松岡だけが、深夜まで起きていた。 彼は昼過ぎに二時間ほど仮眠を取るため、就寝は遅い

また過ぎていった一日。 松岡は知らない。 一年後、再び南条が巨大な事件に巻き込まれる事など

松岡が眠りについた頃、すでに南条とナナミは寝息を立てていた。 一日は、また終わった

翌日は、また南条の匠の技が見られることであろう。 良い日であることを、三人はみな願っていた