少年の休息

 

序,呼び戻される男

 

そこは、魂のみの世界だった

地獄と呼ばれる、亡者が苦しむ地ではない。 天国と呼ばれる、魂が至福に包まれる地でもない

ましてや、霊界と呼ばれる、魂が集う場所でもない。 何もない、果てしない虚無の世界

そこにあるは、一つの大きな魂と、一つの不完全な魂。 ただそれだけであった

大きな魂は、かって神取鷹久という名を有していた。 冷酷で、エゴイストで、ずば抜けて切れる男で

だが彼の何もかもが虚しかったのを、周囲にいた者達は記憶していた

今一つの魂は、一人の人間の魂でさえなかった。

それは、一つの人格から派生した、孤独な魂の欠片であり、アキと、「生きている」間は呼ばれていた

二つの魂は、三年前からずっと一緒だった。 恋人ではなく、親子として

ささやかな幸せ。 命無くして、ようやく手に入れた儚い幸せ。 しかし・・・

「パパ・・・・!?」

アキが、自分から離れていく神取に気付いた。 神取も、見えない力に抵抗するが、しきれない

「アキ・・・パパは少し出かけてこなければいけないようだ。

だが・・・パパは帰ってくる。 いい子にして、待っていなさい」

消える寸前、神取はそう言った。 アキは頷くと、膝を抱えて父の帰りを待った

神取は帰ってくる。 そう、アキは確信していた、いや、知っていたからである

 

1,負傷する獅子

 

現職の外務大臣、須藤竜蔵は、今年で63歳になる。 大臣にしては、若い方であろう

事実上の世襲で、それだけで政治家になった、三流以下の政治家とは違い

泥沼の政治闘争を勝ち上がってきた勝利者で、人格はともかく有能さは疑いない男である

彼の背後にいる「黒幕」の助力もあったのだが、それを差し引いても有能さに嘘はない

足腰はもう弱くなってはいるが、朗々たる声、射殺すような眼光、そして剽悍な頭脳

全てに置いて、同時代の男達に比べて、抜きん出た存在だった

同じ年の者の中には、すでに耄碌し、老人ホームで安楽な生活を送っている者もいるというのに

竜蔵の頭脳に衰えは見えず、行動力にも鈍るところはない

そして、彼は表の世界だけではなく、裏の世界でもこの国に巨大な力を及ぼす男でもあった

だが、殆どの者は知らない。 彼の力の源を。 成功の理由を。

彼自身も知らない。 彼が精巧な操り人形に過ぎず、道化に過ぎないことを

新世塾。 それが、彼が長たる組織の名であった

幹部は皆、日本の政治、経済、軍事の首塊であり、ある一つの共通点を持っていた

それは、ある発掘事件に関わっているということである。 だが、その理由を知る者はいない

最近この町を騒がす一連の事件は、この新世塾、ひいては須藤竜蔵の手によって指導され、行われてきた

それを知る者は少ないが、数少ない例外の中に、南条圭を始めとするペルソナ使い達

そのパートナーのナイトメア・ナナミ、天野舞耶とその仲間、最後に紅い服の少年がいた

少年の名は周防達哉。 天野舞耶から、デジャヴの少年と呼ばれ、超一流のペルソナ能力と

豊富な知識を持ち、今まで何度と無く新世塾の活動の邪魔をしてきた

彼を見た者は、誰もが驚く。 最初は、奇妙な髪型に、続いて、あまりにも痛々しい表情に

世の全ての不幸を背負い込んだような、沈鬱な表情

彼の罪を知る者は、今のところ彼自身と、後二人しかいなかった。

 

周防達哉の邪魔によって、新世塾が打撃を受けたかというと、少なくとも現時点では、そんな事はない

新世塾は、巨大な組織である。 あまりに大きく、一個人が暴れてもどうこうできるような組織ではない

それに、重要な作業にはまだ入っていないし、重要な施設への打撃もうけていない

JOKER狩りを邪魔されたり、重要な駒である須藤竜也を倒されたりしただけである

だが、象にとっても、蚊はうるさいし、蠅は汚い事に変わりはない

周防達哉は邪魔だ。 そう新世塾の表向きの頭領である竜蔵は判断した。

彼は達哉を過小評価しなかった。 それに、彼の黒幕が、達哉が「特異点」だと伝えてきてもいた

達哉は超一流のペルソナ使いであり、並の暗殺者など十人束になっても叶わないが

新世塾にも、強力な力を持つペルソナ使い、それにサマナーは存在している

そのうちの一人、鳩美由美に、周防達哉の抹殺指令が下ったのは、空の科学館が放火され

飛行船が海上で爆発四散した事件から数えて、二日後のことであった

由美にとっては、願ってもない事態であったろう。 彼女の本当の目的は新世塾とは違うのだ

それを果たせる好機に来たのだから、喜ばなければ嘘である

ペルソナ使いの特徴の一つは、独特の霊的嗅覚にある。 由美にも当然それは備わっていた

弟の有作を連れては行かない。 達哉には到底勝てないし、下手をすると足手まといになるだけだからだ

その旨を上司である千鶴に告げると、由美は一人で何も持たず、ふらりと鳴海区へ出かけていった

 

鳴海区は、本格的な都市化開発が始まったばかりの地区で、高級店と、建築中の店

それに潰される前のビルと、荒野ばかりが広がる、特異な空間である

その一角に、どんな目的で作られているかさえ分からない、奇妙な国立研究所があった

「理学研究所」という、そつのない名を研究所はもっており

その曖昧且つ広すぎる意味を持つ名が、民衆の研究所へ対する興味を失わせ、同時に正体を失わせる

ここは、新世塾の目的のために重要な施設であり、特に重要な二つの実験が行われ

そのうち一つは既に完成して実用化、製品は二種類、全部で十三機作られ、防衛庁に納品されている

いま一つの目的は、稼働率九割と言ったところである

その実験台が不足し、現在新世塾はモルモットの確保に奔走している、もっとも実際に動いているのは

竜蔵の暴力的陰謀の手足である、台湾マフィアの天道連、その大幹部であるユンパオであったが。

ともあれ。 その理学研究所の周りを、暫く由美はうろついていた

今まで達哉は、独自のルートで新世塾の情報を入手、必ず邪魔をするために現れている

である以上、新世塾の、その息がかかった天道連の「JOKER狩り」を邪魔するため

元を断つ行動に、つまりは理学研究所への侵入及び破壊工作に出てくるはずであった

その為の下見に、達哉が現れる。 由美はそう読み、ここへ来ている

手の中のアイスクリームは、いつの間にか溶け始めていたが、由美は全く気にしていない

彼女はかなり気が長い方で、一度始めたことは飽きずに幾らでも行う性格である

六時間以上も、由美は研究所の周囲をうろついていた。 夜が更けてからも、うろついていた

翌日も、朝からうろついていた。 渡された資金で、鳴海区のビジネスホテルを借りた由美は

延々と延々と、蜘蛛が糸を張るように、理学研究所の周囲をうろついていた

本来なら、不審者として拘束されていたであろうが、この研究所は完全に新世塾の支配下にあり

警備員は、彼女の邪魔をするなという命令を受けていたため、何もしなかった

やがて、その努力が報われるときが来た。 二日目の夕方六時。 近くの公園のベンチに腰掛け

ファーストフード「ピースダイナー」のハンバーガーを、眠たい目をこすりながら頬ばっていた由美は

急に顔を上げると、ハンバーガーを詰め込むように口へ入れ、ジュースで喉に押し込み

一つの方向をめがけて、勢いよく走り出した

鳴海区北西部に、巨大なペルソナ使いの気配を感じたのである。 実力は、見当もつかない程高い

間違いない。 彼女の獲物、周防達哉であろう、由美の顔に修羅の如き笑みが浮かぶ

達哉も、鳴海区に入った時点で、地獄の底から沸き上がるような、凄まじいペルソナの気配を感じ取った

彼の今日の目的は、戦うことではない。 偵察であり、出来れば強敵との戦いは避けたい

だが、相手の気配はそれをさせてくれそうもない。 バイクで逃げても、一度覚えた気配を頼りに

地獄の底までも追ってきそうな、そんな気配であった

それに、結局の所、相手が竜蔵の部下ならば、最終的には戦わなければならない

達哉は覚悟を決めると、偵察の目的を変更し、この強敵の排除へと頭を切り換えた

それにしても、一人で戦う事に、なんとなれてしまったことか

「向こう側」では、常に仲間が側にいた。 しかし、今は一人である、一人にならねばならなかった

バイクを置き、めぼしい廃工場に目を付け、達哉は其処へ入っていった

 

達哉は、数日前に殺した須藤竜也の事を思い出していた

竜也は狂人だった。 狂人だけならまだいいが、冷酷な殺人鬼であり、卑劣なテロリストであった

狂気に満ち、周り全てを焼き尽くし、地獄への道連れに為す

殺さねば、周りの人間を殺しつくし、滅ぼし尽くす、そんな最悪の男だった

だが、最後に、竜也は言った。 あいつに俺が詫びていたって、伝えてくれよと

最期に良い意味で、竜也は正直になったのだ。 自分を優しく理解してくれた少女への、想いに

一方で、自分はどうか。 最後に、最悪の意味で正直になってしまった自分は・・・

「栄吉・・・リサ・・・淳・・・・・・舞耶姉・・・・」

仲間達と、想い人の名を口にして達哉が下を見る、そしてそのまま言った

「不意打ちは無駄だ。 何時まで其処にいる」

「さすがね、「特異点」さん。 初めまして、というべきだったかしら

此方側、向こう側、通して初対面だから」

急角度で達哉が眉を跳ね上げた、その事を知っていると言うことは、「奴」関係の人間か

或いは、新世塾関連の中でも、幹部クラスの可能性が非常に高い

達哉が顔を上げると、三キロ以上も走ってきながら、汗一つ書いていない敵の姿があった

無言のまま、愛用の刀に手をやる。 敵の殺気から、実力を感じ取ったからだ

一方で、由美は肩に手をやり、右腕を振り回しているだけで、武器を持ち出そうとしない

「最近強敵と戦ってなかったから、身体がなまってなまって。

ちょっとトレーニングにつきあってもらうわ。 代金は貴方の命で。

私の名は鳩美由美。 よろしく」

無言のまま、達哉が一気に間を詰め、刀を振るった

達哉の剣術は、「向こう側」にいた頃より、更に向上している。 よけにくい、いい剣筋だった

しかし、由美はそれをかわすことさえしなかった。 無造作に右腕を閃かせ、中途で掴んだのである

刃を掴んだのではなく、刀の背を一瞬で、しかも的確に

刀が微動だにしなくなった、達哉の表情に一瞬驚愕が満ちるが、すぐにそれは消え去る

達哉がペルソナを発動させ、アギダインの魔法を由美に叩き付け、飛び離れる

夜の廃工場に閃光が迸り、ついで地震が如き揺れが脆弱な地盤を襲った

「・・・・駄目か!」

達哉が舌打ちする、敵はペルソナの翼を傘のように広げ、自身を守っていた

ダメージがないわけではない。 達哉のペルソナは太陽神アポロ、灼熱の力を持つ強力なペルソナである

だが由美のペルソナはテュポーン、ギリシャ神話最大最強の怪物であり、実力はアポロの更に上を行く

翼を広げた巨大なペルソナ・テュポーン。 その中には、さほど傷ついていない由美の姿があった

表情には余裕が満ちている。 身体を浅く沈めると、由美は言った

「なかなかやるわね。 今度は私の番よ」

残像さえ残し、由美が跳ぶ。 達哉が走り、相手の動きに対応しようとするが、しきれない

達哉の「向こう側」での仲間、リサは達哉をも上回る素早さの持ち主であり

今、目の前にいる強敵の速さにもついていけたやも知れない、だがここにリサはいない

「ふっ、遅い! ガルダイン!」

嘲笑した由美が右手を振るい、同時に達哉へ凄まじい風圧が叩き付けられた

大きく吹き飛ばされ、だが無様に腰を打つことはなく、達哉が着地し

そのまま後退して、壁を背にする。 相手の素早さを殺す為の、受動的な戦術だった

それは同時に自分の動きも殺すことになる。 次の一瞬が勝負であった

だが、由美は勝負にのらなかった。 達哉に対して距離を取ると、無数の蛇が口を開き、詠唱を始める

「ばかばかしい。 勝てる勝負で、一か八かの賭に出るかと思う?

瓦礫に潰されて死になさい。 マハガルダイン!」

「ペルソナ! フレイダイン!」

とっさに達哉が切り返し、魔法を相殺する、だがその次の瞬間、由美が眼前に躍り出ていた

彼女は読んでいたのだ、達哉が切り返しを行い、その結果煙幕が生じ

それは、自分が最も得意とする接近戦に持ち込む好機と言うことを

それは一か八かの勝負を避け、より効率的に相手を倒す戦術でもあった

繰り出された拳が、鈍い音を立てて達哉の腹にめり込み、血を吐いた達哉が数センチ浮き上がる

由美はそのまま数発の拳撃を達哉に叩き込み、サマーソルトキックを見舞う、壁が衝撃波を受けてへこむ

ペルソナ使いになると、元々持っていた能力が飛躍的に強化される。

例えば、達哉の仲間リサは、大好きな香港映画を見て覚えたカンフーが、ペルソナ使いになることで

本物以上の、絶大な破壊力を持つようになった。

同様に、南条の仲間の城戸玲司は、ペルソナ使いになることで

喧嘩で鍛えた拳が、ボクサーのそれをも上回る文字通りの凶器と化した

由美は育った環境から、様々な戦闘術、しかも殺しのための実戦戦闘術を徹底的に教え込まれており

ペルソナ使いになった今、その破壊力は文字通り想像を絶する

拳の乱打を浴びた達哉は、遠くなりかける意識の中で、必死に自分を取り戻し

右手に握りしめた刀を、相手の首筋に突きおろした

相手の行動を読んでいた由美は、それをかわし、少し下がって距離を取る

髪が数本、両者の中間点に落ちた。 由美の黒髪が、数本短くなっている

今の一撃があたれば、達哉の逆転勝利であったろう事は疑いない、鋭く強烈な一撃であった

半ばずり落ちるように、壁に倒れ込んだ達哉。 ずたずたに傷ついた壁同様、彼の身体も傷ついていた

元々、彼の身体には常人なら気絶するほどのストレスがたまっている

身体も、それ以上に心も休めていない彼は、限界に来ているのだ

そうでなければ、由美に対してもう少しまともな戦いが挑めただろう

両者の総合的な実力は、ほぼ互角であった。 少し由美が上であるが、それほど目立って上ではない

それにも関わらず、一方的な戦いになったのは、達哉の疲労が一因だったのだ

達哉は、相手が遊んでいるのを感じていた、その気になれば、由美は接近戦に持ち込んだ時点で

心臓をえぐり出すことも、頭を叩きつぶすことも出来たはずなのだ

今までの由美の攻撃は、格闘技の域を出ていない。 殺しの技術ではない。 余裕なのだ

実力がほぼ互角の相手が、これほど余裕を持って戦えるのかと、達哉は自分の疲労を初めて悟った

ペルソナ・テュポーンが、身体の一部である無数の蛇を動かし、複雑な呪文を唱え始める

その正体は、達哉にも分かった。 最強クラスの攻撃魔法で、途方もない破壊力を持つ、あの魔法である

これ以上の魔法となると、最高位レベルのペルソナが持つ、固有の必殺技しか存在しない

直撃を受ければ、確実に死ぬ。 だが彼は、死ぬわけにはいかない。 今死ぬわけにはいかないのだ

「さようなら。 特異点の少年さん。

これで終わりよ。 抵抗しなければ楽に死ねるわ・・・・メギドラオン!」

工場の外にも、その閃光と振動は漏れた。 だが、達哉は死ななかった

 

死闘の後。 クラブ・ゾディアックでの、広範囲低級悪魔の召喚という仕事を終えた

由美の弟、有作が工場を訪れると、其処には彼の姉が、静かに佇んでいた

頬には、鋭い切り傷があり、未だに血が流れ落ちている。 周囲は木っ端微塵に吹き飛び、跡形もない

「姉貴、ご苦労様。 相変わらず・・・おっとろしい破壊力やな。

それを使うほど、ごっつう強い相手やったんか?

ほっぺ、血ぃでとるで。 きれいな顔が台無しや・・・はよなおさんと!」

「・・・力を出し惜しみしたのが失敗だったわね。 逃げられたわ。

メギドラオンでとどめを刺そうとしたのがまずかったのかしら・・・」

額に手をやる姉を見ながら、有作は妖精シルキーを召喚し、回復魔法を使わせた

あの一瞬、達哉は凄まじい集中を見せ、アポロの必殺技ノヴァサイザーを一点収束で叩き付けた

攻撃は相打ちになり、更にそれで空間に隙が生じ、達哉はそこへナイフを叩き込んだ

ナイフは見事に由美のいた位置を捕らえたが、無論致命傷は与えられなかった

結果、達哉は大きく吹き飛んで見えなくなり、由美はナイフを避けきれず頬に傷を負った

「まあ、良いわ。 抹殺は出来なかったけど、大怪我を負わせたから、八十点って所ね

また出てきたら、その時は本気で殺させてもらうだけよ」

不敵に微笑むと、由美は原型がないまでに大きく抉れた工場の壁を、視線で撫でたのだった

 

2,共同戦線へ

 

クラブ・ゾディアック。 そこは、いわゆる「不健康な若者達」が集まる場所であった

青年達は、たまったエネルギーを、社会への不満を、他様々を踊りという形で

報われない者とつるむという形で、爆発させるかのように発散させる

何処にでもある、若さのたまり場。 それが、ゾディアックであった

ただ、ここはただのクラブではない。 「子供用」の入り口と、「大人用」の入り口が用意され

奥には、「紳士」と自称する大人達が入り浸る、高級バーが設置されている

そこには秘密カジノがあるという噂もあり、それを裏付けるかのように、よく高級車が出入りしていた

また、その間には通路があるのだが、目つきの良くない大人が何人かたむろし

子供が奥に入ろうとすると、始めは言葉で、次は態度で、最後は実力で追い出す

本来は、その通路は用心棒の詰め所や、管理人の事務所などがあるだけの、短い物に過ぎなかった

だが、いつからか噂が流れた。 そこは迷路になっており、途中には「良い物」が色々落ちていると

それは、他愛ない、曖昧な噂であった。 くだらない、つまらない噂に過ぎないはずだった。

だがしかし、それは何時しか現実になっていた。

何時からかは正確には分からないが、ともあれ現実になっていた

天野舞耶が、ゾディアックで吉栄杏奈と再度待ち合わせした時には、それは周知の事実と化していた・・

 

吉栄は、舞耶と待ち合わせると、光が乱舞し、狂乱したように若者達が踊る場所を離れ

店の奥、静かな暗い隅に設置されたいすに座り、事情を話し始めた

うららが肩をすくめる。 彼女は「ぐれた」ことが無く、こういうところには来たことがなかったが

それでも大人になってからは、酒場で似たような雰囲気を味わっているから、違和感は感じないようだ

舞耶の隣にいる克哉は、非常に浮いて見える。 真面目が服を着ているような男であり

こういったところに入った事どころか、賭事さえしたことのない男である

一方で、パォフウは落ち着いていた。 世の裏に通じている彼には、こういった場所は見慣れた物だった

きれい事だけでは片づかない、本能的な欲望が爆発する場所。 何処の社会にも、必ずあるのだ

対照的な者達であった。 克哉はそわそわしどうしだったが、吉栄の一言が集中力を戻させた

「達哉は・・・凄いワルだったけど、凄く優しかったよ

あたしの事・・・まともに相手にしてくれたの、達哉ぐらいだったから」

「あいつは・・・どんな奴だった?」

突然、克哉は吉栄の肩を掴み、詰め寄った

吉栄は突然の行動に目を白黒させたが、舞耶が間に入り、咳払いをして克哉を落ち着かせる

その様子を見ながら、吉栄は影のある表情を更に曇らせ、答えた

「アンタ、達哉のお兄さんだって? ・・達哉、一度も家族のこと話さなかったから、知らなかった」

克哉は呆然とし、立ちすくんだ。 それだけで、弟の気持ちが明らかだったからだ

その後、舞耶は吉栄から、この奥に秘密カジノがあるらしいこと

そこのスポンサーが最近変わり、得体の知れない台湾人が警備員をしていること

それに、どうも典子が其処に連れ込まれたらしいことを聞いた

「信用できるのか?」

パォフウが、皮肉な笑みをたたえていう。 彼もこの情報は入手していたが、信頼していなかったのだ

しかし、吉栄は、妙な説得力を持った口調で、その言葉に応えた

「噂なんだ、あくまでも。 でも、他にもたくさん連れ込まれたって・・・聞いただけなんだけど

あそこは・・・おなじ店なんだけど、世界が違うんだ。 だから噂も立つんだ

・・・根拠がない訳じゃあないんだ。 最近警備員が変わってから、今までと違う人が来たんだ

白い服の、表情のない奴。 遠くから見ただけだけど、それだけで背筋に寒気が走ったよ

あの、紙袋の男と似たような感じ。 殺気っていうのかな、もう・・・人間が違う感じがした」

その言葉を聞いたパォフウが眼鏡の奥で目を光らせたが、それは一瞬だけの事だった

 

他に、情報がないという事情もあった。 警備員交代の隙をついて、舞耶達は奥に潜り込んだ

異様な空間だった。 意図的に空間をねじ曲げたような、迷路のような構造であり

それに、噂が正解であるという事実を裏付ける事態が生じた。 悪魔の襲撃である

ここの構造が、迷路のようになっているという噂を流したのは、実のところ舞耶達当人である

彼女は葛葉という特殊な探偵事務所と知り合いで、杏奈の話を聞いた後

タイムラグを利用して、噂を本格的に流してもらったのだ

その理由は二つ。 敵を混乱させるためと、潜入行動をやりやすくするためである

彼女たちは知っている、噂が現実になると言う、この町の異常現象を

だが、火のないところに煙は立たない。 それを実証する様に、途中には天道連の構成員も現れた

ただし、死体で。 五つの死体の内、幾つかは頭を撃ち抜かれ、残りの幾つかは死因不明で

全部が、無惨にミイラ化して、床に無造作に転がっていた

「やだ・・・・彼奴ら、連携取れてないのかな・・・あたし達意外にも誰かが侵入したのかな」

なるべく死体の方を見ないようにしながら、うららが言う。

もう死体は数限りなく見たが、慣れる事はない。 ましてや、こんなグロテスクな死体と来れば

「ナイトメアちゃんだったりして。 前も、こんな感じで敵を殺してたわね。

・・・しょうがない子。 遊び半分で殺してるわけじゃあないとはいっても・・・」

舞耶はなれたもので、死体を観察しながら呟く。 しかも、その勘は当たっていた

少し進むと、無数のミイラ化した悪魔の死体に混じって、少女の姿をした闇が立っていたのだ

背中に純白の翼を生やした、その存在は、振り向くと静かに微笑んだ

「あの死体は・・・君の仕業か」

克哉が声に怒りを含んで、ナナミを睨み付けたが、糠に釘であった

「正当防衛ですぅ。 殺さなければ、こっちが殺られてたんですから

それに、克哉お兄ちゃんだって、自分の身を守るために悪魔を殺してるです

人間を殺しちゃいけないのに、悪魔は、異種族は殺しても良いとか寝言を言うんじゃないでしょうね」

ぐうの音も出ない克哉が眼鏡をなおし、うららとパォフウが肩をすくめた

 

通路に出た悪魔は、森本病院にいた物よりは遙かに強力ではあったが

数自体が少なく、百戦錬磨のナナミと、ペルソナ使いである舞耶達の敵ではなかった

ナナミは驚きを隠せなかった、舞耶達の戦闘能力は、この間とは段違いに上昇している

無論ナナミも力を回復してきてはいるが、これはうかうかしていたら追い抜かれるやも知れない

途中で、用心棒達の控え室があった。 パォフウが一人で中に入り、男達の悲鳴が重なり

少しして、煙草をくわえたパォフウが出てきた

「奥に入るには合い言葉がいる。 こういう所の常識だ。

合い言葉は・・・パンサーだそうだ」

「貴様・・・僕は、どうしても貴様のやり方には同調できん!」

明らかに拷問の末情報を聞き出したパォフウの瞳には、野獣より遙かに凶悪な光が宿っていた

怒りを覚える達哉の側で、うららは相手に恐怖を感じ、沈痛な表情をしていた

一方で、冷静なのはナナミである。 半死半生で転がっているマフィアを見ても、顔色一つ変えない

パォフウのやり方が正しいのは分かっているし、彼女ならもっと効果的に情報を引き出しただろう

例えば、二〜三人殺して見せるとか。 その死体を、ミイラにしてみせるとか

そんな中で、かみ合わない雰囲気の接着剤になっているのが舞耶だった。

彼女は、極めて巧みに克哉とパォフウを取りなし、致命傷を避け、両者の和解に尽力していた

それは自然で、かつ無理が無く、その手腕はナナミも呆れるほどであった

程なく、向こうから人間の話し声が聞こえてきた、数は多数であり、しかも日本語である

目的地に着いたことを舞耶達は悟り、ドアを睨み付け、深呼吸して一歩を踏み出した

 

3,少年の回復

 

ナナミはゾディアックを後にし、南条が待つ屋敷に急いでいた

酷い戦いだった。 思い出すと、今でも吐き気がする程に、嫌な戦いだった

巨大な闇の一端と、ナナミは戦う羽目になったのだ。 腹を押さえて、蒼い顔をした彼女が道を急ぐ

その途中で、ふと裏路地に目をやると、そこには血の跡があった

それは転々と続いており、一滴ごとに間隔が短くなっている、怪我人が弱っている証拠であった

「・・・・ペルソナ使い」

ナナミが呟く、微弱ながら、ペルソナ使いの気配が、血の跡に残っていた

頭を振って、吐き気を振り払うと、ナナミは血の跡をたどって駆け出す

ゴミの山の側に、けが人は倒れていた。 紅い服の少年で、腹部に大やけどを追い、全身に打撲傷を受け

更に、骨も数本折れているようで、痛々しいことこの上ない。 血は、肩口の傷から流れ出ていたようだ

血はまだ乾ききっていないが、少年はもう意識を失っている、このままだと危ないだろう

ふと、少年の唇から、微かな言葉が漏れた。 ナナミは、それを聞き逃さなかった

「舞耶・・・姉・・・・・」

「ふーん・・・そういうことですかぁ」

携帯電話を取り出すと、ナナミは南条に事の次第を告げ、人を手配してくれるように頼んだ

程なく、松岡が屈強な男を連れて現れた。 少年は、ナナミ一人で運ぶには重すぎたのである・・・

 

・・・扉の奥には、予想通りにカジノがあった。

庶民が一生かけても稼げないほどの大金が、一夜にして浪費される、無駄の固まり

違法な、ほぼ金を浪費することだけを楽しむための、「高級」カジノが。

奥は一段高くなっており、そこにユンパオはいた。 パォフウが鬼気迫る形相で、だが静かに階段を上る

見張りの男が止めようとしたが、彼の上司がその必要はないといい、パォフウは奥に通された

二人が、一言二言、台湾語で何か会話した後、ユンパオが唐突になまりのある日本語で切り出した

「やはり病院にいたの、オマエだたか。」

「パォフウ、この男は何者だ?」

「ユンパオ・・・薄汚ねえ殺し屋だ・・・天道連の大幹部でもある」

克哉が弟そっくりの動作で眉を跳ね上げる、彼は警察署で

しかも署長と上司が来賓室で、わざわざこの男を歓待しているのを見たのだ

一方で、ユンパオは余裕綽々で、ゆとりを持って答える

「殺し屋ねえ・・・この男、台湾で私の部下25人も殺した。 私がその時殺したの、日本人たた一人

不公平だね。 逮捕するならこの男したらどうね」

「うだうだうるせえよ。 てめえはこれからここで死ぬ。 せめて楽に死なせてやるから感謝しな」

殺気が渦巻く中、ナナミはその後ろにある扉に目をやっていた

どうも嫌な予感がするのだ。 この殺し屋は相当の使い手だが、ナナミの敵ではないし

ペルソナ使い四人を相手にしたらひとたまりもない。 この殺し屋には脅威を感じてはいない

「さらわれた人たちは、どこにいるの?」

そう言ったのはうららであった。 ユンパオが指を鳴らすと、部下達が俯いた一人の少女を連れてきた

ジャージ姿のままの片山典子であった、吉栄の情報は正しかったのだ

少女の名を呼び、舞耶とうららが駆け寄る。 細い目を更に細め、ユンパオが言った

「この子猫で最後。 捕まえるの苦労したね。 可愛い部下が四人もミンチになたよ

今は薬でねぼけてるよ。 他の品物は、「日本の新しい政府」に納品済み。 これも台日親善の一環ね」

その瞬間、ナナミの背に悪寒が走った。 前にも見た典子だが、その時少女は気絶していた

だが、今は朦朧としながらも意識があり、そしてペルソナも覚醒している

悪寒の正体が分かった。 ナナミは、逃げ出しそうになる自分を必死に押さえ、恐怖をねじ伏せた

「そういえば・・・そこのお嬢さん、確かJOKERに狙われてたはずね

この子猫・・・さきまで虎だたね。 今は子猫だけど・・・ミルク前すると・・・」

「芹沢ぁ! 天野ォ! そのガキから離れろ−!」

パォフウの怒声が炸裂するのと、典子の真っ白な、紅い口だけの顔が上がるのは同時だった

邪悪な気配が爆発し、客が我先に逃げ出す。 典子が足を振るって、舞耶とうららを一息に蹴り倒した

無論ペルソナでガードしたが、動揺は隠せず、隙が出来る

典子の上に、奇怪に膨れ上がった黒い殺意の道化師、JOKERが浮き上がる

腹ははち切れんばかりに膨らみ、内部からは無数の手のような物が出て、蠢いていた

それは、前にうららに取りついたJOKERよりも、明らかに大きく、強大に「成長」していた

「ぎゃああああああ! また、大きくなってるぅ!」

うららが絶叫した、それに答えるかのように、JOKER典子が咆吼する

「お前達、そいつら殺せ。」

そう、腕利きの殺し屋らしい部下二人に告げると、ユンパオは逃げ去っていった

 

舞耶達にとって、JOKER使いとの戦いはこれで都合三度目であった

一方、ナナミにとっては初めてである。 もし予備知識が在れば、一人でのこのこ来なかっただろう

彼女の前に、触手があった。 巨大な闇から派生した、貧弱ではあっても、本体の姿をとどめた触手が。

見事なコンビネーションを見せ、効果的に典子に打撃を与えて行く舞耶達の後ろで、ナナミが頭を抱え

そして、不意に顔を上げると、ワルサーを懐から引っぱり出し、走り出した

狙いは、典子の後ろから戦闘を援護している殺し屋の一人、振り向いたときにはもう遅い

翼を使い、一気に天井近くまで跳んだナナミが、容赦なくワルサーの引き金を絞り、男の額に穴が開いた

蹌踉めく男に、更に数発の弾丸が撃ち込まれ、短いダンスの後、男は床に倒れ動かなくなった

その死骸の上におり立つと、ナナミは弾倉が空になるまで弾を撃ち込み、次の弾を装填する

呆然としたのは、残りの一人である。 あまりに苛烈な攻撃で仲間が屠られ、一瞬思考が麻痺したのだ

ナナミと男が次のアクションに移ったのはほぼ同時だった、だが行動の速さが違った

純粋な意味でのナナミの物理干渉力、つまり力は他の悪魔と比べるとかなり弱いが

それでも、標準的な人間並にはある。 綺麗なフォームで投げられた弾倉は、うなりを上げて跳んだ

男の顔面に弾倉が叩き付けられ、顔を押さえた男の頭頂部がナナミから丸見えになる

典子に攻撃を加える舞耶の視界の隅に、頭を穴だらけにされて、声もなく倒れる殺し屋の姿が映った

「ナイトメアちゃんの様子がおかしいわね。 うらら、克哉さん、パォフウ! 少し外すわ」

「ちょっと、マーヤ! うわっ!」

舞耶の行動に驚いたうららであったが、典子が隙をついて攻撃してきたため、それ以上追求出来なかった

頭を抑えて、大きく息をついているナナミが立ち上がり、攻撃魔法を唱えようとする

だが、その彼女を、後ろから舞耶が押さえ込み、それをやめさせた

その時初めて、舞耶はナナミが全身に脂汗を書いていることに気付いた

普段は冷静で、無邪気に見えても常に二手先三手先を考えているナナミの、極めて無秩序な行動

異常であった。 舞耶は、ナナミが常人なら発狂するほどの恐怖に襲われながらも

それを尋常ならざる精神力でねじ伏せ、戦っていたのに気付いた

少し思案した後、舞耶は口を開き、ナナミを慰めた

「大丈夫、JOKER使いは手強いけど、決して勝てない相手ではないわ

レッツ・ポジティブシンキング! 安心して、ほら、深呼吸して!」

「違う・・・・ちがう・・・・・・・・!! 違うんですぅ!」

「何が違うの? 落ち着いて、話してみて!」

舞耶の後ろで、攻撃魔法が炸裂し、ポーカー台が吹き飛んだ。 典子は攻撃を受けながらもまだ元気で

水系の攻撃魔法を操り、陸上部で鍛えた足腰を生かして、素早い攻撃を克哉にしかけていた

一方で、克哉はうららと連携し、先ほど手に入れた新しい銃で、典子を牽制する

それを横目で見ながら、荒い息を整え、唾を飲むと、ナナミは続けた

「あれは・・・ペルソナだけど、ペルソナじゃあない! 違う、違うんですぅ!

・・・・・舞耶お姉ちゃん!」

「何? どうしたの! 何が違うの!?」

「貴方、一体何をしたんですかあ! 何て物を・・・・何て化け物を敵に回してしまったんですかぁ!」

 

その後、戦いは結局、死闘の末であったが、舞耶達の勝利に終わった

舞耶は気絶させた典子をベルベットルームに連れていき、JOKERを追い出すことに成功し

ナナミは彼らと別れ、情報を伝えるために南条の元に帰っていたのだ

舞耶は典子を吉栄に引き渡した。 克哉は警察に失望していたときでもあるし

殺し屋とつるんでいる事を知ったばかりでもあったから、逮捕だなんだとは騒がず

吉栄に保護観察処分を頼み、それ以上のことは何もしなかった

結局、ナナミは舞耶に敵の事をこれ以上言わなかった。 彼女は、南条にさえ言うつもりはない

疲れ切ったナナミは家に戻ろうとし、達哉に会ったのである・・・

 

・・・家に戻ると、そこには南条と、それに留美子が待っていた

ナナミは留美子を見て、思わず息をのんだ。 それを見て、南条が咳払いする

「お前が見つけた少年は、危機を脱したそうだ。 そればかりか、尋常ならざる速度で回復している様だ

彼女のことは、俺も驚いた。 病院に行ったら、ペルソナ使いの気配がした物でな

・・・覚醒したのは昨晩の事らしい。 思えば異常に勘が鋭い事に、すぐ気付くべきだった

それよりも、あまり良くない話がある」

「ナイトメアも・・・ダーリン、お先にどうぞですぅ」

「神取は覚えているな。 どうも奴が・・・・ありえん話だが、生きているようだ

しかも、ただの噂ではない。 かなり信頼できる情報筋からの話だ

奴は今・・・名目上は須藤竜蔵の秘書をしているらしい」

神取の死は、南条自身が確認した。 それなのに、こんな事を言い出すと言うことは

噂がほぼ確実である事を、ありえない事実に南条が驚いていることを、切実に示していた

それに、よりによって竜蔵に荷担しているとは。 竜蔵は一体何をして、神取を部下にしたのであろうか

誇り高い男であった神取を。 それについて考えるのは後回しにし、ナナミが整理した情報を話し出す

留美子はナナミが今回の情報を南条に話す間、ソファーでずっと俯いて静かにしていた

南条は時々頷きながらナナミの情報を聞き、やがてそれが終わると、椅子に腰を下ろした

暫く気まずい沈黙が周囲を満たし、程なくそれは南条によって打ち破られた

「・・・この町は、一体どうなっているのだ。

またペルソナ使いが一人・・・か。」

「病院に行くです。 あの少年、相当に鍛え上げたペルソナ使いですぅ

誰にやられたのか、興味があります。 竜蔵の部下だったとしたら、情報を聞き出しておかないと」

南条が頷き、立ち上がり掛けると、いつの間にか側で留美子が彼の顔を見上げていた

「ルミも連れていって。 役に立てると思う」

そう言う留美子の表情は、一人にしないでと叫んでいたも同じだった。 南条は微笑むと、それに答えた

「分かった。 確かに、君はもう、充分に我々の役に立てるな」

 

今、南条は回復魔法を使えるペルソナを所持していない。 ナナミは回復魔法など使えない

ナナミが使えるのは、攻撃魔法と、補助魔法だけ。 サポートに特化した能力である

回復は普段道具で行うのだが、あいにく今は持ち合わせがない

自然治癒よりも、回復魔法の方が早いという事情もあった。 ペルセポネーは豊穣神であり

ほぼ確実に回復魔法を所持していると南条は踏んでいたが、それは当たっていた

「・・・・ディア!」

留美子がペルソナを発動させ、魔法を唱える。 医者が驚愕する中、達哉の傷が回復して行く

だが、ディアは最下級の回復魔法であり、しかも留美子自身がペルソナ使いに覚醒したばかりで

その回復力は決して高くない。 だが、回数を重ねれば話は別だ

留美子は意識を失うまで回復魔法を唱え、そしてその時には、達哉は傷をほぼ回復していた

 

達哉が目覚めると、彼は清潔な白衣を着せられ、知らないベットに横たえられ

側には知らない小さな女の子が、ベットに寄りかかって眠っていた

「ようやく目覚めたんですか。 元気になって良かったですぅ」

振り向くと、ナナミが腕を組んで、皮肉な笑みを浮かべて立っていた

相手が悪魔だと悟り、反射的に刀に手をやろうとするが、それは腰にはなく

ナナミの向こうに、折り畳まれた紅い服と共に置かれていた

よく考えれば、相手に殺気はない。 達哉は腕をおろすと、視線を逸らした

「その子に感謝する事です。 貴男を回復させようと、気絶するまでペルソナ使ったんですから

多分、聞きたい事が在るんだと思うですぅ。

せめて、その子が目を覚ますまで、ここにいたらどうですかあ?」

すぐに病院を去ろうとしていた達哉であったが、相手に機先を制され

そしてその時、眠っている少女がペルソナ使いと初めて悟った。 それほどに達哉は疲れていたのだ

彼は、最近の行動はともかく、根は真面目で優しい男である、忘恩行為に出る事など出来なかった

「・・・分かった。 でも、俺にはやることがある。 あまり長居は出来ない」

「へっ、命を助けてもらってその言いぐさですかぁ? 大体、病み上がりで何を言ってるんだか」

「すまない。 感謝はしている。 でも、俺は・・・」

ナナミは首を捻った。 おそらく、この少年が、舞耶のいう「デジャヴの少年」である事は間違いない

容姿はともかく、その沈鬱な表情が、それが事実だと告げている

しかし、いったい何の罪を、少年は犯したのか。 この罪悪感の元は何なのか。

舞耶の行動からして、それが恋愛関係でないことは明らかだ。 おそらく、人の生死に関わる事だろう

それより気になるのは、少年の異常なペルソナ能力である。 超一流と言って何の問題もない上

場数の踏み方が半端ではない事が気配で分かる。 一体何処で、少年はここまで鍛えたのであろうか

一方で、達哉は恩を感じながらも、自分に関わらないでほしいと、少女に対して思っていた

そう少女が目覚めたら告げ、去るつもりだった。 しかし、少女の名前と

目覚めた少女の一言が、それをさせなかった

 

達哉はさりげなく、少女を見た。 静かに寝息を立てており、ごく普通の、何処にでもいる女の子だ

だが、命の恩人の一人で、名前くらいは知って置かねばならないであろう

「・・・礼を言いたい。 この子の名前は?」

「高田留美子ですぅ」

さりげない一言が、驚くべき返答をもたらした。 達哉は息をのむと、一息置いて溜息をついた

「そうか・・・南条圭という男はいるか?」

「ダーリンを呼び捨てするとは良い度胸です。 ・・・まあいいや。 訳ありなんでしょ

ダーリンなら、奥で情報を整理してるですぅ。」

「そうか、ありがとう」

立ち上がると、達哉は自分の身体が重いのに気付いた。 病み上がりで、体力が戻りきっていないのだ

杖を貸してもらうと、達哉はナナミを後ろに連れて、南条の部屋に歩いていった

 

4,少年の休息

 

「少年、休んでいた方がいい。」

部屋に達哉が入ってくると、開口一番に南条はそう言った。 手には分厚い書類の山があり

その中には殆ど意味を為さない情報が書き込まれている。 だがダイヤの原石も紛れており

読み飛ばすわけには行かない。 こればかりは、南条とナナミにしかできない

南条の言葉に対し、達哉は壁により掛かると、静かに話し始めた

「俺には時間がない。 助けてくれたことには感謝しているが、時間がないんだ

あの子、高田留美子が大人になったら、伝えてほしい事がある。 須藤竜也からの伝言だ」

「自分で伝えろ・・・と言いたいところだが、訳ありのようだな

ナイトメア、メモ帳は持っているか?」

用意よくナナミはメモ帳を取り出していたが、達哉は首を振って、顔を下げた

「いや、そんなに長い物じゃない。 「すまなかった」・・・・これだけだ。」

「分かった。 いずれ伝えておこう・・・ただし、言っておく」

達哉が顔を上げると、南条は険しい表情をしていた

「そんな戦い方をしていると、いずれ死ぬぞ。 何故、自分一人で全てを背負い込む

・・・俺は、そういう生き方をしたため、破滅した男を知っている。 心して於くのだな

俺が思うに須藤竜也も、狂気に墜ちる前はそういう少年だったはずだ。 二の轍を踏みたいか!」

「アンタの言うとおりだと、俺も思う・・・しかし・・・・」

「しかし、何だ」

南条は驚いた、達哉の目には決意と悲しみの光があり、年より遙かに大人びて見えた

「俺は・・・罪を犯した。 この世にあってはならない罪を、償わなければならないんだ」

それだけ言うと、達哉は病室に戻っていった。 背中が、誰よりも寂しかった

「漢の顔、だな。 ナイトメア、あの少年からこれ以上情報を聞き出すのは無理だろう」

「残念ですぅ。 誘導尋問に持ち込んで、色々探り出してやろうと思ったのに」

肩をすくめたナナミは、書類の山と格闘する作業の前に、もう一つ仕事をすることにした

少年をあそこまで徹底的に打ちのめした相手の情報は、傷口や残留魔力などから大分判明している

体術の使い手で、ペルソナ使いで、能力は少年とほぼ同等かそれ以上

メギド系の魔法と、風系の魔法を使いこなす、超一流の戦闘屋であろう

おそらく、あの鳩美由美であろう事は疑いない。 これは、ますます真剣に対応を考えねばなるまい

得た物は少ないが、零というわけでもない。 今回は、これで良しとするべきであろう

 

達哉が病室に戻ると、そこでは留美子が待っていた

彼女の目を、達哉は直視できなかった。 罪悪感が邪魔をして、目を見る事が出来なかった

「・・・お兄ちゃんも、ペルソナが使えるの?」

「ああ。・・・・でも、俺には関わらない方がいい」

小首を傾げた留美子に、達哉はそう答えた。

その不自然さは、留美子の敏感な霊的嗅覚を刺激しただけだった

「竜也お兄ちゃんは、何て言ってた? ・・・殺したのは、お兄ちゃんだね

胸騒ぎがしたときに、感じたおっきなペルソナの気配と・・・同じ気配だもの」

驚愕に打ち震える達哉の表情は、その通りですと言うも同じであった

事実を確信した留美子は、達哉の白衣を掴み、一気にまくし立てた

「教えて。 恨んだりしないから、教えて。 竜也お兄ちゃんは、最期に何て言ってたの?

お願い! お願い・・・教えて!」

「須藤竜也は、何も・・・あなたに対しては触れなかった」

「どうして嘘をつくの? 子供だったら、いい加減な嘘で騙されると思ったの?

お兄ちゃん、ペルソナが何か言いたそうにしてるよ。 顔だって、適当な嘘だって書いてあるよ!

それ以上嘘をつくと、一生恨むよ! 絶対、絶対に許さない! ・・・・お願い、教えてよ・・・」

困惑しきった達哉の前で、留美子の目が、急に精彩を失い、瞼が墜ち、床に崩れ倒れた

それを抱き留めた達哉が後ろを見ると、ドルミナーの魔法を発動させたナナミが冷たい表情で立っていた

「すまない。 俺は・・・」

「何を勘違いしているんですかぁ。 何故ダーリンが自分で言えって言いかけたか教えて上げます

・・・不幸な経験が、一気に精神年齢を老けさせることが、世の中にはあるんです

その子の心は、度重なる不幸のせいで、社会経験はともかくとして

普通の大人と大差ないくらい老け込んでるです。 これ以上、心を傷つけて、老け込ませるつもりですか!

・・・罪をこれ以上重ねたくなければ、自分で直接言うです。

私が須藤竜也を殺して、竜也はあなたに詫びていた・・・って。

さもなくば・・・今度はナイトメアとダーリンが、この子が貴男を地獄の底まで追う事を助けるです!

・・・その子には、強めのドルミナーをかけたから

頭が起きて、まともな判断が出来るようになるのは明日の昼くらい。

それまでに、体をゆっくり休めておくです」

言葉を俯いて聞いていた達哉は、言葉の最後で相手の温かい配慮を悟った

彼は無理だと分かっていながら、すぐにでもここを出るつもりだったのだ。

だが、この事態により、無理矢理にでも、明日までは休まなければならなくなった

「・・・貴女の名は?」

「ダーリンにも教えてあげないのに、がきんちょに教えてあげるもんですか。

ナイトメアって呼ぶです。 デジャヴの少年」

「そうか。 ナイトメアさん、感謝する」

ナナミは微笑むと、病室を後にした。 これで、達哉が脱走する可能性は皆無になった

部屋には、パォフウからもらい受けた盗聴器がいくつもしかけてある

達哉はあの子には絶対嘘をつけない。 それである以上、有用な情報を喋る可能性は非常に高い

この作戦を南条に告げたとき、彼は作戦に幾つかの修正を加えた後、肩をすくめ、こういった物だ

「やれやれ。 相手の傷の回復、情報の捻出、更には他人の心情への配慮

全てを両立させるとはな。 お前の奇策には、いつも驚かされる」

そういう南条は、作戦の矛盾点を的確に指摘し、成功率を飛躍的にあげた本人なのであるが

二人は、心底から息のあったコンビであったと言えるだろう

ナナミが書類の整理に戻った頃、町にはある噂が流れ始めていた

事件の鍵を握る人物が、バー「パラベラム」に現れるという噂である

スニークと名乗る男が舞耶達に伝えた、須藤竜蔵に対する者の情報

自分たちだけでは、事態の打破をできるかどうか疑問に感じた舞耶達の、次の作戦であった

南条達、旧エミルンのペルソナ使い達と、舞耶達の邂逅は、刻一刻と近づいていた

それは新世塾の本格的な作戦開始に合わせるような、後から考えるとタイミングの良すぎる事態であった

月が、満月が、嘲笑うように下界を見下ろしている。 夜だというのに、外は異様に明るかった

                                (続)