燃え落ちる物

 

 

森本病院。 ある町の片隅、蝸牛山という奇妙な名の山の中腹に佇む、小さな病院である

一人の政治家の、「善意ある」寄付によってまかなわれている福祉病院であり

社会福祉の実現という意味で、大きな価値を持つ病院であったやもしれない

だが、それは同時に、その政治家、須藤竜蔵の意向には絶対に逆らえ無いという意味も有していた

須藤竜蔵は有能で、かつ清廉な政治家として、世間一般に知られており

しかも、現職で外務大臣、次期には首相にさえなるとさえ言われている大物である

病院にいる者達は知らない。 竜蔵の真の姿も、その冷酷な命令も。

彼は少し前、こんな命令を、同盟者であり陰謀の行使者でもある男に下していた

即ち。 その病院にいる者を、一人の例外もなく殺し尽くせ。

この命令は、完全には執行されなかった。 病院に乗り込んだ殺人者達は皆殺しの憂き目にあい

更に、病院内の者に、二人も生存者を出したからである

その一人を須藤竜也、今一人を高田留美子という。 前者は須藤竜蔵の実の息子であり

この病院が竜蔵の命令によって、作られるきっかけになった男である

そう、福祉は名目に過ぎず、この病院は、一人の狂人を閉じこめる檻として作られたのだ

もっとも、その檻は殆ど何の用も、現在では為していなかったが

今一人の高田留美子は、昔受けたトラウマが原因で精神に重大な傷を負った少女である

彼女は、そのトラウマが焼き付く原因になった事件で両親を失い、その後は身よりもなく

あちこちをたらい回しにされて、最終的にここへ流れ着いた、不幸な少女で

この後は、今までよりは過酷でなくとも、それ以上に数奇な運命に振り回されることになる

時は午後三時。 森本病院に異変が起こるまで、まだ少しの時間が必要であった

 

1,惨事の始まり

 

森本病院の周囲は深い森に囲まれており、一つの舗装道路が病院まで通じているが

道路を一歩はずれると、鬱蒼とした森の中に、方角も分からず放り出されることになる

中腹には山寺があり、かっては神社もあったらしいのだが、それを訪れる者は少ない

僅かな例外が、キスメットという出版社で今働いている、藤井俊介というフリーカメラマンで

病院とは別の方向にある山道を通って、よく山頂を訪れる

今、山頂を訪れている者がいる。 しかし、それは藤井ではなかった

「・・・・・森本病院確認。 これから接近し、中を確認するですぅ」

語尾が妙に子供っぽいその声に、トランシーバーから青年の声が答える

「よし。 目的はあくまで偵察だ。 無理はするなよ」

無言のまま頷くと、最初に声を発した者・・・・高木のてっぺん近くの枝に腰掛け

双眼鏡で病院の方を覗いていた、黒服の不思議な少女は、背中の白い翼を広げた

翼は小さく、飛べそうにはとても思えなかったが、どういう訳か少女の身体は浮き上がり

地に落ちることなく、滑るように病院へと接近して行く

無論、こんな事が人間に出来るわけがない。 この少女は、夜魔といわれる「悪魔」の一種で

種族はナイトメア。 周囲からは単純にナイトメアと呼ばれているが、ナナミという名を持っている

服装はフリルが付いた可愛らしい物だが、青と黒を主体にしたデザインであり

長い金髪を纏めた大きなリボンも、同系色である。 あまり、子供が選ぶ服装ではない

それも当然で、見かけこそ子供だが、ナナミは三百歳を越えている

幼い少女のような姿も言動も、すべて計算の上での事で、本当の姿は暗い闇が凝固したような物なのだ

やがて彼女は、病院のすぐ側に達し、適当な高木を見つけ、枝に着地した

そこは地上から十メートル以上離れており、病院内を覗くには絶好の位置であった

ナナミは腰を落ち着けると、お菓子を取り出し、それを頬張りながら、目的の人物を捜した

病院が作られるきっかけになった男、須藤竜也を

 

ナナミは南条圭という、一人の人間に命令を受け、ここを偵察に来ている

命令を受けたといっても、ナナミと南条の関係は主従ではなく、ほぼ自主的な行動であった

彼女は南条を「ダーリン」と呼ぶ。 南条は、ナナミを「ハニー」と呼んだりはしないが

それでも、大事にしてくれているから、ナナミは幸せであり、三年前からずっと一緒にいるのだ

暫く時間が過ぎた。 須藤竜也は見つからない。

双眼鏡を一旦おろし、定時連絡を入れようとするナナミであったが、その手が止まる

「・・・・・・! ペルソナ!? 悪魔! 一片に両方!」

病院の中で、彼女がよく知る気配が炸裂した

何者かの、「ペルソナ」、それも途轍もなく邪悪な「ペルソナ」が発現したのである

同時に周囲には、ナナミの同類である「悪魔」が無数に出現した、誰かを待ち受けるかのように

「俺だ。 ナイトメア、どうした? 定時連絡の時間だろう」

トランシーバーから、南条の声がする。 その声で虚脱状態から引き戻されたナナミが声を張り上げる

「き・・・緊急事態ですぅ! 森本病院にて、ペルソナ使い、サマナー、両方の存在を確認です!

両者は同一人物の可能性もあります、至急指示を!」

「何! ・・・・しまった、須藤竜也だな、まさかペルソナを持っているとは

ナイトメア、病院内の者を出来るだけ助けろ! 後の処理は俺がする!」

「・・・・もう、遅いです。 サマナーの命令が、ナイトメアにも伝わってくるです

一定範囲内にいる、自分以外の人間を、皆殺しにしろって・・・・」

「何て事だ・・・・」

南条は、今かなり離れたところで、竜蔵の組織を調査中であり、どんなに急いでも間に合わない

病院の中からは、もう悲鳴や何かが壊れる音が響き始めていた

更に、舗装道路を数台の車が走ってきて、荒々しくドアを開け、何人かの男達が現れた

見覚えのある、独特の服装。 ナイトメアが独語するかのように呟く

「天道連(台湾マフィアの一つ)・・・・」

「そうか。 奴らまで現れたか。 ナイトメア、病院内の人間を出来るだけ助けろ

すまないな、単なる偵察任務のはずが・・・」

静かに頷くと、ナイトメアはお菓子をバックに荒々しく放り込み、病院へ再度双眼鏡を向けた

 

2,激戦

 

悪魔の力を行使する人間には、色々種類があるが、この地で主流なのはサマナーとペルソナ使いである

能力は本人の力量によってピンからキリまであるが、一般的に個人の戦闘能力は後者の方が高い

これは、サマナーが悪魔達の指揮官である色彩が強いのに対し、ペルソナ使いは戦士であり

自分の心に眠る人格を、悪魔や神の形で行使し、物理干渉するからである

サマナーは、指揮官である以上、当然部下の悪魔と連携しての集団戦法を得意としているが

ペルソナ使いは個人対個人の戦闘を得意としており、それぞれに一長一短がある

どちらが有利だかは、その場その場の状況によるだろう

しかし、両者を同時に兼ね備える者は少ない。 それに、両者を兼ね備えた狂人など、考えるも恐い

だが、現実は厳しい物だ。 病院内では、今正にその考えるのも嫌な存在が殺戮の刃を振るっている

「ヒャッハア! 逃げろ、逃げろおおおお! ん、あれは・・・」

病院内で、日本刀を振り回し、無抵抗な患者を斬り、医者を刺し、看護婦を窓から地面に放り捨て

殺戮の快感に酔っていたその存在、須藤竜也が外からの侵入者に気付いた

彼の父親の犬、「天道連」の構成員であろう。 勿論、人間であるため悪魔の攻撃目標に入る

マフィア達は、この病院にいる人間を皆殺しにしろと命令を受け、帯銃していた

連中は楽な仕事だと高をくくっていたが、病院に入った途端に後悔した

彼らは、病院の者達を殺めるどころか、自分の身を守るので精一杯であった

重火器ならともかく、拳銃や軽機関銃程度では、悪魔には絶対的な力を持たない

何人かがすぐに悪魔の餌食になり、生き残りは散り散りバラバラに逃げまどう

それを、須藤は、院長室の窓から眺めやり、哄笑した

「ヒャハハハハハハ・・・・面白れえな・・・なあ、院長先生よぉ」

彼の足下には、既に息がない院長の死体が転がっている

その死体は腰から下が無く、その脇には紅い巨大な犬が、舌を出しながら寝そべっていた

犬はヘルハウンドと呼ばれる、地獄の魔犬(つまり悪魔)で、ペスと竜也に名付けられている

院長は、ペスの餌にされたのだ。 竜也は、にやにやしながら、事の推移を見守っていた

窓から、悲鳴を上げ、悪魔に頭から囓られていくマフィアが見えた

マフィア達は必死に反撃し、瀕死の仲間ごと悪魔を蜂の巣にしたが、すぐに新手の悪魔が現れる

このままでも、マフィア達はすぐに全滅するだろう、だが、竜也は「面白い事」を思いついた

病院内の悪魔達は全て彼の制御下にある、彼は悪魔達に、新たな命令を出した

即ち、天道連の連中を、わざと何匹か生かして此処に誘導しろと

その命令をしながら、ふと竜也は、一人の少女のことを思いだしていた

「・・・けっ、まあいい。 ガキは・・・・・昔から大嫌いだったことだしよぉ」

唾を床に吐くと、竜也はそれを革靴で踏み、天道連の連中が、彼の元まで逃げ込んでくるのを待った

それには、さほど時間がかからなかった。 そして、新たな侵入者が病院に入り込むのにもである

その侵入者、憎むべき相手のペルソナを感じ取り、竜也は哄笑した

「きやがったな・・・・天野舞耶・・・ヒ・・・・ヒャハハハハハハハ!」

荒々しく院長室のドアがはね開けられ、数人の男達が乱入してきた、ペスが唸り声と共に立ち上がる

背は、人間の子供ほどもあるだろう。 乱入してきた男達が、その威容に押され、たじろぐ

隙は一瞬であったが、それで充分であった。 ペルソナ使いに、普通の人間数人では荷が重すぎたのだ

たとえ、銃を持っていたとしても。

 

ナナミは、適当な三階の窓を破って病院に侵入すると、とりあえず生存者を捜し始めた

辺りはむせ返るような血臭と、悪魔特有の殺気が充満しており

普通の人間なら、頭がおかしくなってしまうだろう、それほど狂気に満ちた状況であった

数分もしないうちに、ナナミは死体を見つけた。 パジャマを着た少年の死体であった

かろうじて少年だと分かったのは、頭が残っていたからで、胸の辺りから下は何処にも見あたらない

「い・・・・・いやああああぁ!」

死体を転がして、襲撃者である悪魔を特定しようとしていたナナミの耳に、悲鳴が飛び込んできた

場所は極めて近い、躊躇する時間も理由もない。

懐に忍ばせたワルサーを取り出すと、弾丸の装填を走りながら確認し、悲鳴が上がった病室に飛び込む

そこにいたのは、窓側に追いつめられ、カーテンをつかんで震える少女と、その前に立ちはだかる悪魔

それは、竜族で最も弱い部類に位置するコカトリスであった。 コカトリスは振り向き、言う

「ナイトメアゴトキガ、コノオレサマノショクジヲジャマスルキカ? トットトウセロ!」

「へ、焼き鳥になりたくなかったら、そっちこそとっとと消えることですぅ!

大体いかれポンチのプッツンサマナーに行使される三下悪魔が、何を偉そうに!」

「ナンダト! ・・・・キ、キサマァ!」

不敵な挑戦に気を悪くしたのか、コカトリスは一声上げると、ナナミに襲いかかった

弱いと言っても、コカトリスは巨体を誇り、標準的なナイトメアでは絶対に勝てない相手である

標準的なナイトメアでは。 コカトリスが突進し、ナナミを吹き飛ばそうとするが、しかし遅い

流れるような動作でその突撃をかわすと、ナナミはワルサーの引き金を引いた、一撃、二撃、更に一撃

ナナミが使っているワルサーは、高名なP38ではなく、口径の小さな小拳銃で

普通なら人間にさえ殺傷力が低いが、これは様々な改造を(違法なものも含め)施され

もとより数段破壊力が跳ね上がっている。 しかも、弾丸には工夫が凝らされ、敵の体内で破裂する

コカトリスが、急所をもろに撃たれ、絶叫した、ナナミは拳銃を左手に持ち換え、右手で印を組んだ

負の力がナナミに収束し、それは秩序を為して、魔法となった

「・・・・・ムド!」

一撃必殺の呪殺魔法、ムドが炸裂した。 コカトリスの悲鳴が止まり、人形のように崩れる

ナナミはコカトリスへ近づくと、至近距離で銃口を向け、引き金を引いた。 鮮血が吹き散った

容赦なくとどめを刺すのが、彼女の戦い方であった。 冷酷な頭脳は重宝もされたが、同時に忌まれた

「あ・・・ああ・・・あ・・・・・」

向こうで、少女が怯えきった声を上げた。 ナナミは無感動に振り向くと、服の袖の埃を払った

コカトリスを一蹴。 ナナミが三年前、南条圭と、仲間達と共に戦わねば、絶対に不可能であったろう

ナナミは怯える少女を無視し、コカトリスの死骸に手を当て、相手の持っていた力を根こそぎ吸収した

これで、ムドを使った分くらいのエネルギーは回復し、お釣りで若干力が上昇するだろう

三年分の平和、そのブランクは大きい。 三年前よりも確実に力が落ちている

それは彼女の「ダーリン」も同じ事であった、一度二人で、鍛え直さねばなるまい

最悪にも、今の力では、彼女の必殺魔法は、一度使えばそれでおしまいであろう

ミイラ化したコカトリスから手を離し、頭を振って、現状を整理し、ナナミが振り向く

「・・・・・命があって、良かったですぅ。 さ、死にたくなかったら、ナイトメアについてくるです」

「い・・・いや・・・こないで・・・」

差し伸べられた手に恐怖するように、少女が後ずさった

今の戦いを見せつけられれば、パニックになるのも致し方あるまい。

しかも、ナナミは動けない相手を容赦なく射殺しているのだ

僅かな困惑を顔に浮かべ、ナナミは小首をひねる。 殺すのではなく、助けるのは意外と難しい

少女は標準的な日本人らしく、髪も瞳も黒い。 年は、ナナミの見かけの年齢より少し幼いだろう

顔は特別愛らしいわけでもなく、醜くもない。 良くも悪くも、普通の子供であった

ふと、緊迫した声がした。 此方に複数の靴音が近づいてくる。 聞こえてくる声は・・・台湾語

「まずい、隠れるですぅ! 早く!」

悲鳴を上げる少女をベットの下に押し込むように隠れさせると、ナイトメアは再び銃に弾丸を装填した

程なく、台湾マフィア、天道連の構成員達が、部屋に入り込んできた、数は四人

「悪魔が死んでいやがる、てえことは、このガキも悪魔か?」

ナナミを見て、ミイラ化したコカトリスを見て、一人が台湾語で言った。

彼らは皆怪我をしていて、殺気立っているようだった、一人に至っては、左腕を失っている

「ぶっころせぇ!」

リーダー格らしい一人がわめいた、四人が一斉に拳銃を構え、弾丸を撃ち放つ

だが、それらは一発も命中しなかった、特殊部隊ばりの身のこなしで、ナナミが横に飛んだからである

翼を使って加速し、その過程でワルサーを撃つ。 一人目がくぐもった悲鳴を上げ、血を吹いて倒れた

更に銃弾をかわしながら地面に転がり、撃つ。 狙いは心臓である

攻撃は正確無比であり、二人目、三人目が一人目の後を追った。 反撃の暇さえなかった

四人目が銃を取り落とし、悲鳴を上げた、それを無視し悠然とナナミが弾丸を補充する

そして、そのまま腰を抜かしている相手に近づくと、首筋に掌を当て、根こそぎ力を奪い去った

後には、ミイラ化した死体が二つに、普通の死体が三つ残った。

「もう大丈夫です、さ、出てくるです」

「いやっ! ルミをどうするつもり! 今の人みたいに殺すの!? 人殺し!」

「いい加減にしろっ! ぶっころさなきゃ、ナイトメアも貴様も死んでただろうが!」

ナナミの一喝は、少女を黙らせるのに充分だった。 少女は、もう抵抗しようとはしなかった

「・・・とりあえず、悪魔がいないところに避難するです。 それから・・・」

急に、張りつめたような空気が、ナナミの周囲に充満した

ルミと名乗った少女が、不思議そうにナナミを見上げる、表情に余裕が無くなっていたからだ

「ペルソナ使い・・・四人も!」

「ぺるそな・・・・使い!?」

ナナミは、病院の新たな侵入者に気付いたのだ、その数は四人。

いずれも先のマフィア全員を凌駕する力を持つ、マトモに戦えば勝ち目は薄い

迂闊なことに、先の戦いで周囲に注意を怠っていたため、接近に気付かなかった

もう、ペルソナ使い達はこの三階の入り口まで来ている。 逃げ出す暇は無い。

残念ながら、ナナミの翼では、この少女を抱えて飛ぶのは無理である

戦うしか道はない。 ペルソナ使いは独特の嗅覚を持っていて、やり過ごすのは不可能だ

このとき、ナナミは思い違いをしていた。 ペルソナ使いが天道連の殺し屋だとばかり思っていたのだ

「えーと、何てよべばいいですかぁ?」

「留美子・・・・・ルミでいいよ」

「じゃ、ルミちゃん。 この階で、狭い通路は無いですか?」

留美子は無言で、右を指さした。 ナナミは少女の手を引き、そちらへ駆け出した

囲まれてしまえば完全に勝機はなくなるが、各個撃破できれば話は別だ

ナナミはあきらめていなかった。 生きて「ダーリン」の元に帰り、褒めてもらいたかったからである

 

3,邂逅

 

「ぎゃあああああ! また死体がころがってるう!」

いつもの気丈さは何処へやら、芹沢うららが、階段の側に転がっていた死体に悲鳴を上げた

奇抜なデザインの服装の彼女は、気が強い化粧美人で、しかし気が強いのは平常時のみである

明らかに息がない死体に、だが現職の刑事である周防克哉が歩み寄り、死亡を確認する

彼は正義感が強い男で、紅いサングラスと端整な顔立ちが周囲の視線を自然に集める

ただ、彼がケーキ職人になりたかったという事実を、警官になった理由を、知る者はいなかった

その様を見ながら、傍らの、長髪の個性的な男パォフウが、煙草を吹かしながら呟く

彼は四人の中では最年長で、盗聴バスターの仕事をしており、裏社会の情報に通じている

ペルソナ使いとしての実力も、経験も一番豊富で、その過去を知る者は誰もいない

「けっ、相変わらず無駄なことをよ・・・・・」

「・・・・そうね。 でも、やらないよりはやったほうがいいとおもうわ」

そう、鋭い言葉を柔らかく受け止めたのは、うららのルームメイトである天野舞耶であった

舞耶は人当たりがよく、何でも物事を前向きに考えられる性質のため、皆に好かれていた

この病院でも、入り口でトラブルがあり、危うく克哉とパォフウが血を見るところであったが

舞耶が上手く取りなした為、溝は残っても致命傷には至っていない

彼ら四人が、ナイトメア・ナナミの感じ取ったペルソナ使いであった

数奇な運命で引き寄せられた彼ら。 その運命を操る巨大な影に、四人はまだ気付いていない

「・・・・死んでいる。 おのれ、須藤! ゆるせん!」

克哉が立ち上がり、奥歯を噛みしめた。 脇で見ているパォフウは無反応である

彼らも、ナイトメアと同じく、須藤竜也を追って此処に来ていた

町を騒がす猟奇連続殺人鬼、JOKERの正体が須藤という情報を掴んでの事だが、動機はそれぞれ違った

一人は、復讐のため。 一人は、単純な正義感から。 一人は、成り行きでついてきて

そして、最後の一人は・・・自分のデジャヴが、此処に来た原因であった

彼らはいずれもペルソナ使いであったが、最年長のパォフウを除くとヒヨッコ同然の腕前で

それでもこの病院に召喚された悪魔程度なら倒すことが出来、ここまでほぼ無傷で進んで来ていた

「ち・・・・っ。 でかい力を感じるぜ。 気を付けな」

「あの紙袋男かな・・・」

パォフウがナナミの気配を感じ取り、うららが不安の意を示した。 それに、再度パォフウが応じる

「紙袋? 何だそりゃ」

JOKERが初めて舞耶とうららの前に姿を現したとき、奴は紙袋をマスク代わりにかぶっていた

それには奇怪な笑顔が書かれ、返り血が付着していて、極めて猟奇的で気色悪かった

それを舞耶が説明し、パォフウは肩をすくめると続けた

「・・・何にしろ、人間じゃあねえな。 ペルソナじゃなくて、悪魔の気配だ

しかもかなり手練れた奴だ。 気配を隠しきれないと知って、自分から誘導してやがる・・・」

「手強い悪魔なの?」

「まあ、俺の敵じゃあねえがな。 ・・・それよりも」

煙草を地面に捨て、踏み消し、パォフウが顔を上げた。 丸い眼鏡、その奥の瞳が鋭く輝く

「ここは臭くてたまらねえ・・・・早く外に行きたいもんだな

・・・・挑発に乗ってやるか。 いくぜ」

パォフウが先頭を切って歩き出し、皆がそれに従った。

幾つか目の角を曲がると、パォフウの足が止まった。 うららが声を上げかけ、舞耶が口を抑える

そこには、血が飛び散っていた。 狭い床一面に、血ばかりか、臓物さえ飛び散っている

上に行くには、此処以外に通路はない。 そして、殺気は今や所在を隠そうともしていなかった

あの後ナナミは遭遇した悪魔を射殺し、その死体をメスで捌いて、この通路にばらまいたのである

走ろうとすれば、滑ってほぼ確実に転ぶ。 油を蒔くよりも遙かに効果的な方法であった

向こうまでは十メートル以上あり、しかも直線である。 進めば狙い撃ちの的になってしまう

しかも、この狭さでは、数人並んで走るのは不可能である

もし無理にそうすれば、通路いっぱいになり、格好の射撃の的になってしまう

ナナミはナナミで、青ざめている留美子を守りつつ、「殺し屋」を撃退せねばならなかった

それには、長期戦はまずい。 他の悪魔が寄ってくると、話はかなり面倒である

敵をおびき出しさえすれば、片づけるのは簡単、そればかりかうまくすれば一網打尽に出来るだろう

ナナミは数発の弾丸を牽制代わりに撃った、すぐに応射が来て側の壁が削れた

驚くべき事に、それは弾丸ではなくコインであった、相手が指弾の使い手であることをナナミは悟った

更に魔法が飛んできた、相手の一人が放った物だったが、下位の魔法で、さほど脅威にはならなかった

台湾語で相手を挑発するのは、さほど得意ではないが、ともかくやらねばならない。

適当と思われる悪口を組み立てると、ナナミはうろ覚えの台湾語で、声を張り上げた

「天道連のへっぽこ暗殺者! さっき、お仲間はナイトメアが全部片づけちゃったですぅ!

仲間の敵が討ちたかったら、此処まで来て見ろですぅ!

そんなへろへろ指弾や、へぼ魔法じゃあ、ナイトメアには届かないですよーだ!」

声を聞いて飛び出してきたら、広範囲呪殺魔法マハムドでまとめてしとめるつもりだったのだが

事態は、ナナミが思いも寄らない方に進んだ

まず最初に、その声を聞いて驚いたのは、舞耶と克哉であった

言葉の意味は分からなくても、相手の声が子供の声であることぐらいは、すぐに分かったからだ

「ちょっと克哉さん、パォフウ! 撃たないで! 子供の声よ!」

「確かに、これはどういうことだ?」

「てめえには学習能力さえないのか? 山道であっただろう、ガキの姿をした悪魔によ!

あれはその同類だ・・・力は桁違いのようだがな・・・・それにしても・・・」

パォフウの表情に、殺気が走った。 その凄まじい表情を見て驚くうららをおしのけ、前に出る

銃弾がすぐ側に炸裂したが、パォフウは意に介さず、答えた

「てめえが何者だかはしらねえが・・・俺が・・・天道連の殺し屋だと

もう一度同じ事言ってみな?

ガキだろうがなんだろうが容赦しねえ。 悪魔だったら尚更だ・・・顔の真ん中に風穴が開くぜ?」

「・・・天道連の殺し屋じゃない?」

「ああ、だったらどうした」

今度は、ナナミが驚愕する番であった。 それにこの声、演技ではなく、本気で怒った時の声だ

となると、相手は天道連と勘違いされて本気で怒っていると言うことになる

とどのつまり・・・・天道連ではない! そればかりか、天道連の敵!

敵の敵は味方という法則は、普段は成り立たないが、この場合はそれ以外の可能性がない

極小の可能性として、須藤竜也の部下という物があるが、調査でそれはあり得ない事が判明している

「ちょっとまって! ナイトメアは天道連の敵ですぅ! 須藤竜也の敵でもあります!」

銃撃がやんだ。 パォフウがゆっくり通路の奥に歩を進め、ナナミが顔を出した

「もう危険はないぜ、こっちきな。 そこは臭くていけねえや」

パォフウが新たな一本に火を付けながら言った。 確かに、そこは凄まじく鉄臭かった

 

「じゃあ、君はその・・・・ゴホン、「ダーリン」の命令で、須藤竜也を監視しに来ていたのか」

「そうですぅ。 でも、こんな事になってしまって、一人でも多く助けようとおもったんです」

奥の部屋で、ナナミと舞耶達は情報交換をしていた。

うららが見張りを受け持ち、克哉が質問を担当し、パォフウは面白くもなさそうにそれを見ていた

パォフウも、サマナーと呼ばれる悪魔使いがいる事くらい知っている

しかしこの悪魔は行動、性格、共に人間その物である。 そんな悪魔がいる事は、流石に知らなかった

克哉も、子供相手の取り調べ、しかもこんな変わった女子(しかも悪魔)が相手では勝手が違うようで

顔を紅くしたり、言葉に死ぬほど驚いたりと、百面相を呈していた

途中から、舞耶が留美子に気を使って、克哉に耳打ちした、出来るだけ残酷な話はしないようにと

ナナミはまったくお構いなしであったから、克哉が気を付けねばならなかったのだ

何しろ、瀕死の相手を平気で射殺し、罠を作るために少女の目の前で鮮血をぶちまけるような子である

言動には遠慮がなく、さしものパォフウも、何度か呆れて肩をすくめた

両者は十分ほどで、ほぼ情報交換を終えた。 そのとき、いままでずっと黙っていた留美子が発言した

「・・・竜也お兄ちゃんを、殺しに行くの?」

皆の顔に驚愕が走った、パォフウが呟く

「・・・竜蔵に、娘がいたとは聞いてねえが。 知り合いか?」

「私の・・・ルミの・・・・一人だけの・・・お友達なんです

殺さないで! お願い! 竜也お兄ちゃんを殺さないで!」

語尾は殆ど泣き声になった。 場は沈黙に包まれた

 

4,狂人のある友人

 

須藤竜也に友人はいない。 彼の特異な精神は、周囲に狂気をばらまき、一般人を寄せ付けなかった

そして、彼は様々な犯罪を犯した。 それは猟奇殺人で、しかも一度や二度ではなかった

最終的に、彼の父親、須藤竜蔵は、彼をこの病院に押し込め、厄介払いした

それからしばらくは、狂人としての狂気に満ちた生活が続いた

程なく、「はいよる混沌」が、彼に再び目を付けた・・・

様々な事態が経過し、竜也はペルソナJOKERを得た。 そして再び猟奇殺人鬼となり、人を殺した

ペルソナの転移魔法を使えば、病院を抜け出るなど訳もないことだった

彼は町の住人の「依頼」に従い、殺人を犯した。 そんな、ある日の事だった

町で殺人を犯し、彼は病院に帰ってきた。 側には、被害者を襤褸雑巾のようにかみ砕いたペスがいる

とりあえず、人目に付かないようにしながら、彼は病院の裏手に回り、魔法で病室に戻ろうとした

だが、しかし、人気のない裏道を通っていた彼は、留美子と正面から出くわしたのである

ナナミと初めてあったときと、ほぼ同じ反応だった、血みどろの刀が、恐怖を更に増幅したのであろう

殺してペスの餌にしようと、竜也は考え、命令を出そうとして、気付いた

少女の瞳にある光、それが自分と同じ、孤独に満たされていることを

「・・・ガキ、だまってたら、殺さないでおいてやる。 分かったか?」

その言葉を聞いた、留美子は頷いた。 これが、二人の奇妙な邂逅であった

 

留美子は、病院の中でだれも友達がいなかった。 本人にはそれほど理由がない

理由は、まず第一に周囲に同年代の子供がいなかった事

そして第二に、周囲は精神に病気のある子供ばかりだった事である

この病院は、一種の掃き溜めであった。 利権主義者と化した病院から出た、「金にならない」患者の。

留美子自身、家族もおらず、金がない為、普通の病院では入院さえさせてもらえない

それに、トラウマが原因で、時々ショック状態に陥り、一度陥ると数日は快復しない

周囲の子供達も似たような者達で、精神の傷が一番軽いのが留美子であった

殆どの者とは、話をすることさえ不可能だったのだ

竜也にあった日も、誰からも相手にされずに、ぼんやりと病院の裏道を歩いていたのであった

そんな空虚な日々の、転換期になる事件であったのであろう、竜也との出会いは

「・・・・また・・・・あえる・・・かな・・・」

誰に言うわけでもなく、呟きながら、留美子はまたあの道を歩いていた

そして、また竜也と会うことになった

「またてめぇか・・・・・」

血みどろの刀を持ち、ペスを従えた竜也がそこにいた。 その表情に、僅かに狂気以外の感情があった

 

「ヒャハハハハハハ! そうか、俺に会いたかったのか・・・

もう一度仮面党を結成したら、お前も俺の部下にして、つかってやるぜ」

そういって、竜也は留美子の髪をくしゃくしゃにした。 留美子は嬉しかった

緑一面の野原で、たびたび留美子と竜也は会うようになっていた

仮面党とは何か、そう留美子が聞くと、竜也は楽しそうにそれを話してくれた

そればかりか、「向こう側」のこと、「電波」のこと、「魔女」のこと、様々に

留美子も、血みどろの刀は怖かったし、竜也が良くないことをしていることも分かっていたが

竜也の話が、単なる狂人の妄想でなく、別の世界の話だと気付いていたから、話に引き込まれていった

だが、同じようには感じなかった。 竜也は「親父」が如何に嫌な奴かよく留美子に話して聞かせたが

留美子は、その「竜也お兄ちゃんのお父さん」が憎くはなかった

竜也は、「魔女」がいかに嫌な奴かを、留美子に語って聞かせた

「向こう側」の自分が顔を焼かれ、燃え落ちる飛行船の中で息絶えたのも、「魔女」のせいだと

しかし、留美子は、先に「魔女」を殺そうとしたのが竜也だと、言葉の節々から悟っていた

竜也は竜也で、留美子がそういったことを考えていると知った上で、あえて話を続けているようだった

全て、分かった上で。 全て、知った上で。

そして・・・・留美子は夢を見た。 蝶の出てくる夢を

 

5,院長室にて

 

「なんか・・・すごくやりづらくなっちゃったね」

溜息をつきながら、うららが言った。 舞耶がそれに同意する向こうで、パォフウが呟く

周囲は血肉の展示場であった。 時々、目を背けたくなるような無惨な死体が転がっている

「へっ、お気楽のんきなもんだな。 世の中に、完全悪や絶対善なんて、あるわけねえだろうが

・・・・芹沢、天野、周りを見て見ろ。 須藤を放って於いたら、町中がこうなるぜ」

それも事実であった。 人間の感情があろうが無かろうが、竜也がこの上なく危険な事に変わりはない

竜也の部屋は狂気その物だった。 壁には巨大な目玉が描かれ、JOKERの被害者達の写真が貼られ

さらに、壁には一部の隙もなくびっしりと詩が書き連ねられていた

周防の背中には、先ほどナナミが無理矢理魔法で眠らせた留美子が背負われている

流石に竜也との戦いの際には、連れて行く訳にはいかない。 どこか安全な場所に置いて行くしかない

留美子は話の後、涙ながらに言った、お兄ちゃんを殺さないでと

「・・・・悪魔の攻撃範囲からぬけたですぅ。 もう、ここからは安全です」

四階に上がってすぐに、ナナミが振り向いていった

おあつらえ向きにも、消火栓箱があった。 中身を引っぱり出して、留美子を静かに横たえる

眠りの魔法は、後三時間は効く。 解くには、治癒の魔法か術者が死ぬしかない

念のため、悪魔よけの効果がある呪符を、箱に張り付けてもらい、ナナミは向こうの扉を睨み付けた

向こうに、途轍もなく巨大な、邪悪なペルソナの気配がある。 須藤がそこにいるのは明らかだった

 

「よお、おそかったじゃねえか」

須藤竜也は、鏡に向かって、日本刀で無精ひげを剃っており、振り向きさえせずに言った

克哉が拳銃を向けるが、動じる気配はない。 効かない訳ではないが、致命傷は与えられないだろう

床には、舞耶とうららが七姉妹学園で遭遇した巨大な犬、ヘルハウンドが寝そべり、舌を出していた

最後に部屋に入ってきたうららが、床に転がる六体分の死体を見て、呻く

「・・・で、向こう側の事は、もう思い出したのか」

「いいえ・・・・」

「そうか・・・ヒャハハ・・・あのガキもむくわれねえなあ・・・」

「貴様・・・あれほど無関係の人々を殺めて置いて、それだけか!」

克哉が銃口を竜也の眉間に定めた、その目には妥協のない怒りが渦巻いていた

「電波男、答えるです! 留美子って子を、どうして巻き込んだんですかぁ!?」

ナナミが一歩前に出、竜也を睨み付けた。 不思議そうに竜也はその顔を見、言った

「俺の支配下にない悪魔? ・・・そうか、別にサマナーがいるのか

暇だし、答えてやるよ。 俺はなあ・・・ガキが大っきらいなんだよ!」

その言葉には、凄まじい殺気がこもっていた、思わず皆が武器を構えるが、その時小さな音が響いた

口に指を当て、竜也は狂気を目に浮かべ、言った

「見てみな、外からの電波だ」

一番窓に近かったパォフウが外を見ると、そこには何台かの車が停まり

その中に、部下らしい男に囲まれて、一人の、白服の男がいた

白服の男は、携帯電話をかけながら、ふと窓に目をやり、呟いた

「ん・・・・あいつは・・・!?」

 

音は携帯電話の呼び出し音だった。 竜也はかがんで死体の一つの袖から、携帯電話を引っぱり出した

余裕の行動と言っていいだろう。 少なくとも、この男は臆病者ではなかった

「私ね。 うまくいたか?」

妙ななまりのある声だった。 声は竜也の物と似ていて、狂気に満ちている

「上手く行ったぜ。 皆殺しって意味でな。 ヒャハハハ・・・こんな三下で俺を殺れると思ったのか?

ユンパオ、てめえの部下は、全員腸ぶちまけてくたばってるぜぇ

クソ親父に伝えときな。 てめえは俺が直々に殺すってなあ・・・」

竜也が携帯を地面に放り捨てるのとほぼ同時だった。 パォフウが憎悪に色取られた声を上げる

「あいつは・・・・!」

「ちょっと、パォフウ! 何処へ行くのよ!」

うららの制止の声も、届かないようだった。 それほど、パォフウは凄まじい殺気を放っていた

竜也は出ていったパォフウには構わず、日本刀を舞耶に向け叫んだ

「俺は・・・間違っちゃあいねえ! 悪いのは、親父と、てめえと、世界全部なんだよ!

世界を俺が正してやる! 電波が正しいんだ! ヒャハハハハ!」

「・・・・。」

ナナミが、若干の哀れみを持って、その顔を見つめていたことに、竜也は気付いただろうか

「次は、少し歴史を飛ばすが、空の科学館だ!

ペス! ・・・・・こいつらを喰い殺せ」

竜也が転移魔法を発動させ、叫ぶ

「空の科学館だ! 空の科学館だぞ! ヒャハハハハ!

こいつに喰われなければ・・・必ず来るんだぞ! ヒヒャハハハハハハハハハハ!」

「待て、須藤!」

克哉の叫びを遮るかのように、竜也が消え、ヘルハウンドが立ち上がり、咆吼した

 

先陣を切ったのはナナミであった、印を素早く組むと、魔法を発動させた

「食らえ、ムド! ・・・・あっちゃあ、やっぱきかないですう!」

心底悔しそうな声を上げるナナミ、ヘルハウンドには、ムドはまったく通用しなかったのだ

殆ど間をおかず、克哉が火炎魔法を、うららが土系魔法を、舞耶が水系魔法を発動させた

三つの属性が混ざり合い、強力な上位土属性へと変貌した。 合体魔法と呼ばれる、一種の奥義だ

ヘルハウンドが、吹き上がる土の中に消えた、うららが歓声をあげる

今まで、あまたの悪魔を瞬時に葬った強力な魔法である。 しかし・・・

ナナミが素早く印を組み、前に出た、不可思議そうな顔をしているうららに叱責する

「おバカぁ! 伏せるですう! マカラ・カーン!」

間髪おかず、火炎の渦が四人に襲いかかった、それが収まると、院長室の内装は跡形もなくなっていた

ナナミがとっさに魔法反射障壁を張ったから良かったような物の、そうせねば全員黒焦げだっただろう

合体魔法は効かなかったわけでもないが、致命傷にはほど遠い

ヘルハウンドが唸り声を上げ、克哉に躍りかかった

他愛もなく吹き飛ばされ、壁に叩き付けられる克哉の横で、ナナミがワルサーを抜き放つ

横に飛びながら、ヘルハウンドに銃弾を撃ち込む、数発連続して、急所に容赦なく撃ち込む

体勢を立て直した舞耶が、二丁の拳銃を見事に操りながら、それに習う

十発以上の弾丸を、数秒でヘルハウンドは浴びた、しかし、まるで平然としていた

そして、何かをぶつぶつと呟いた、ナナミの顔色が変わる

「危ない! 舞耶姉ちゃん、ふせるですう!」

「アギラオ!」

火炎が吹き上がり、柱状となって、舞耶を飲み込んだ

一瞬の空白の後、大ダメージを受けた舞耶が、苦悶の表情で床に崩れ伏す

ナナミが焦る。 あのパォフウという、一番の使い手が抜けたのは誤算だった

せめて、「ダーリン」がいれば。 「ダーリン」がいれば、こんな奴相手ではないのに

「ナイトメア・・・現実から目を逸らすな!」

「ダーリン」の声が、ナナミに聞こえた気がした。 彼女が顔を上げると、ヘルハウンドがいた

ヘルハウンドはうららに攻撃を集中しており、ナナミには意識を向けていない

チャンスだった。 舞耶もそう感じたらしく、自分と克哉の回復を急いでいる

勝機は、まだ充分ある。 何も、魔王を相手にしているわけではないのだ

相手は通常のヘルハウンドとは桁違いの能力を持っているが、それは自分も同じ事、条件は五分である

「・・・・勝つ! 生きて・・・ダーリンの元に帰って、それで褒めてもらうですう!」

ナイトメアの指先に、風属性のエネルギーが収束して行く

複雑な印を組み、複雑な呪文を唱え、そして魔法が完成した

初めてその時、うららを壁に押しつけて喉を食い破ろうとしていたヘルハウンドが、ナナミに気付いた

一瞬力がゆるんだ隙をつき、うららが束縛を逃れ、床に伏せる

「ペス! ・・・・これでも、喰らうです! 必殺! ジオダイン!」

閃光が全ての色を漂白し、凄まじい威力の雷撃が、ヘルハウンドを貫いた

殆ど同時に、舞耶と克哉が絶妙のタイミングで攻撃を叩き付け、一瞬遅れてうららが続いた

そして、閃光が収まったとき、ペスは静かに床へ倒れ、二度と立ち上がらなかった

 

6,エピローグ

 

「・・・・そう・・・お兄ちゃんは、無事なのね」

目覚めた留美子は、寂しそうに言った。 生きていたのは嬉しいが、もう会えないであろうから

その寂しさをくみ取ったのか、舞耶が留美子の頭に手をやり、とびっきりの笑顔を作って言う

「レッツ・ポジティブシンキング! 前向きに考えよう!

きっと、良いことがあるぞ! 大丈夫、大丈夫!」

「へっ、妙な気分ですぅ。 そんな戯言も、舞耶姉ちゃんが言うと本当に思えるんですから」

肩をすくめ、ナナミが言った。 あれから、丁度二時間が過ぎていた

ペスを倒してすぐ、眠そうな目をこすりながら、留美子が院長室に入ってきた

どういう訳か、眠りの魔法ドルミナーの効果が、途中で切れてしまったらしい

ペスは死んですぐ灰になり、跡形もなく消えた。 それでも、留美子はペスの死が分かったようだった

病院から離れる途中で、パォフウと合流した。 彼は、目的の相手を逃したようであり

不愉快そうに、煙草を吹かして舞耶達を待っていた

山を下り、南条の連絡が入り、ナナミと舞耶達は別れることになった

舞耶は大きく手を振り、ナナミと別れた。 不思議と、悲壮感も何もない

おそらく、舞耶達は空の科学館へ行き、須藤との決着を付けるのだろう

それとは別に、また舞耶とは会えるような気が、ナナミにはしてならなかった

ナナミは舞耶とは、別の仕事をせねばならない。 とりあえず、当初はこの子の保護が第一だ

約束の待ち合わせ場所に行くと、もう黒塗りの車で、南条の腹心である松岡が待っていた

僅かに怯えて、袖にしがみつく留美子に、ナナミは言った

「大丈夫、怖い顔だけど、悪い人じゃあないですぅ。」

「怖い顔で悪かったですな。 さあ、圭様の所に行きますぞ」

ナナミは微笑むと、彼女のダーリンの元へ向かい、報告をするべく、車に乗り込んだ

・・・この後、彼女の予感が的中するのに、さほど時間はかからなかった

                              (続く)