藤原妹紅の決断

 

序、顔役の苦悩

 

またか。

藤原妹紅は話を聞くと、頭を掻き回した。

此処は幻想郷。

外では存在できなくなった妖怪や、落ちぶれた神々が集う最後の理想郷の一つ。

其所には妖怪退治屋達の子孫達が集う「人里」が存在しており。

人里にいる人間が妖怪や零落した神々を「畏怖」する事で存在が保たれている。

また外の世界での「存在の否定」を反転する「博麗大結界」により、妖怪の力は更に担保され。

いにしえの時代ほどでは無いにしても、妖怪達は存在できている。

もっとも、いにしえの時代には、そんな妖怪達でも人間の退治屋にかなわなかったし。

調子に乗った妖怪達が神々の本拠の一つである月に攻めこんだ結果、神一柱に全滅させられるという結果にも陥ったが。

いずれにしても人里は人間の場所。

妖怪が入るには幾つもルールがあり。

出来れば夕方以降。

基本的に人間の格好をする。

人間を傷つけるなんて言語道断。

人間を脅かすくらいならかまわないが、もしも傷つけたら確実に殺される。

それくらいの厳しいルールで人里は回っている。

毛色が違う強豪妖怪の集団が幾つか存在し。

それぞれが外の世界とは比較にならない程穏当な方法で争っていた結果。幻想郷は比較的安定していたが。

その安定も外からの侵入には無力だった。

ここのところ、立て続けに幻想郷の外にある勢力からの攻撃で、異変と呼ばれる大規模問題が起きていたこともあり。

幻想郷の賢者は決めたのだ。

カオスが支配していた幻想郷に。

秩序をもたらすことを。

全体的な秩序を整備して。

幻想郷の自衛力を上げることを。

その第一歩として、まずは弱くてどうしようもない存在を、少しでも富ませること。

これが一つの戦略として上がった、らしい。

妹紅は人里の顔役を、飾りに過ぎない人里の長老に任されているから。

その辺りの話は一応聞いてはいるのだが。

しかしながら、この手の事は大概上手く行かない。

妹紅は普通の人間では無い。

足下まである長い銀髪。

モンペを常に履いている妹紅は。

1300年の時を重ねている。

元は人間だったのだが。

ある理由から、最悪の意味での不老不死に近い体になってしまい。

それからずっと血だらけの道を歩いてきた。

あらゆるこの世の地獄を見て来た。

ここ数十年ほどは落ち着いてはいるものの。

しかしながら、政治に関わると碌な事がないことを妹紅は良く知っている。

人里の自警団と共に、現場に赴く。

豪邸といえるだろう。

幻想郷の経済が昨今活性化し。

人里に流れ込む金も、人里から出ていく金も増えた。

結果、変な風に金を蓄え。

正気を失う人間が増え始めている。

そういう連中は金の魅力に取り憑かれると。

元が善人だろうが何だろうが関係無い。

あっと言う間に邪悪の権化と化す。

外の世界ではバブルとかいったのだっけ。

豪邸の中に踏み込む。

美人だが目つきが鋭すぎて愛嬌が無いと言われる妹紅は、最初から相手に容赦などするつもりはない。

丸くなったと言われる最近でも、喧嘩を売られれば買う。

妖怪をあんまり殺さなくなっただけで、必要となればいつでも殺す。

そういう性格は、もう変わらないだろう。

千三百年も修羅の道を歩いてきたのだから。

其所では既に制圧された商人夫婦とその部下達が、震え上がっていた。

妹紅は、側に積まれていた金品を蹴り挙げる。

ばらばらと、金が散らばった。

「随分短時間で稼いだものだな。 しかも詐欺によってか」

「お、お許しを……!」

「お前ら、こんな商売に手を出す前はあんなに善良だったじゃないか」

「ひいっ!」

呆れ果てた妹紅。

前はこの手の悪徳は、河童や妖怪兎たちが担っていたのだが。

どちらもきつい灸を据えられて動きが取れなくなった結果。

人里の人間が好き勝手するようになっている。

幻想郷は確かに閉じた世界だが。

誰かが好き勝手をすれば、簡単に壊れてしまう脆い世界でもある。

妹紅は別に幻想郷が無くても生きていける。

だが、此処が無くなれば死ぬ知り合いはたくさんいるし。

そいつらを今は失いたくないのだ。

「連れていけ。 資産は全て没収。 強制労働だ」

「そんな、殺生だ! この金を稼ぐのに、どれだけ苦労したか……!」

「だいたいルールを決めたのは妖怪だろう! 我々だって少しは良い生活がしたいんだよ!」

前は善良な商人だった夫婦が口々に言う。

此奴らを狂わせたのは、明らかに器に見合わない金だ。

人には器があって。

権力でも財力でも、器を上回るものを手にしてしまうと簡単に壊れてしまう。

嫌と言うほど妹紅は見て来た。

それは幻想郷でも外の世界でも同じ事。

むしろ、今は外の世界では、更に酷い事になっていると聞いている。

もういい。

話す事はない。

自警団の部下達に連れていかせる。

妖怪と戦うために訓練させていた部下達なのに。

最近は人間の破落戸や犯罪者と戦ってばかりだ。

こんな皮肉な話があるか。

ぎゃあぎゃあ五月蠅いバカ共を連れていかせる。賢者の方でも稼ぎすぎている人間を抑えてはいるが、どうしても間に合っていない。

溜息をつく。

強制労働をさせられている輩は増える一方だ。

人里の外側から、特に恐ろしそうな妖怪を見繕い。其奴らが舌なめずりしているのを見せつけながら、強制労働をさせる。

過酷な畑仕事や水路での作業ばかりであり。

更に言えば逃げれば妖怪が襲いかかってくるとも知らせてある。

本来人里に妖怪はおおっぴらに入れないのだが。

人里でも、犯罪者が出た場合には、特例として妖怪が入れる場所を作ってある。其所では、前からこのような強制労働をさせていたが。

ここのところ、強制労働をする人間は増えるばかりだ。

更に罪が重い人間は、一応表向きは「妖怪のエサにする」ということにしているが。

実際には賢者が特別な懲罰プログラムを組んでいて。

それが終わった頃には、別人のようになり、二度と悪さを出来ないようになっているともいう。

実際問題、懲役を科しても無意味な人間は確かにいる。

賢者のやり方が間違っているとは思わない。

ただし、賢者のやり方があまり上手じゃないから、こういう道を踏み外す輩も出て来ている訳で。

妹紅は溜息をつかざるを得ないのだった。

自警団員の規模も拡大している。

事務所に戻ると、全員がびしっと妹紅に頭を下げる。

これはちょっと面白い光景だが、実際には当然である。

一見すると初老の者でも、1300生きている妹紅からすれば幼児も同じ。

幻想郷の人間側の管理者である博麗の巫女のような特例でもない限り。

妹紅に勝てる人間なんていない。

経験の差も大きすぎる。

文字通り鮮血が塗りたくられた道を歩いて来た妹紅である。

それこそ世の中のあらゆる悪徳を知っているし。

経験もしてきている。

だから別に、人間の愚かさに失望することは今更無い。

怒る事はいくらでもあるが。

自警団の事務所は、小さな家である。

ただし内部は常駐の自警団員が常時詰めていて。

壁にはびっしりと、要注意人物、妖怪などのデータを書いた紙が貼られている。

情報は情けない話だが。

最近まともな新聞を書くようになった鴉天狗姫海棠はたてや、或いは賢者からの提供にもよる所が大きい。

犯罪者は妙な連帯感を持っている事が多く。

身内同士でかばい合いをする。

このため、数が限られている自警団員だけではどうしても無理があるのだ。

「そこの紙は剥がせ。 解決した」

「はい」

「交代で休め。 私も適当に休む」

「分かりました!」

昔はこの自警団員達も破落戸同然であり。

妖怪に舐められまくっていたのだが。

ここしばらく、様々な方面から講師を招いて徹底的に鍛え直し。

規模も同時に拡大した。

結果、弱い妖怪くらいなら充分相手に出来るようになっている。

博麗の巫女は常に動けるわけじゃない。

だから、弱めの妖怪くらいならどうにか出来る腕前でないとならない。

そういう理屈で鍛えていたのだが。

どうやらそれを主導した賢者は、そもそもとしてこの事態を想定していたのでは無いかと妹紅は疑っている。

頭は良いかも知れないが、為政者としては正直有能とは言い難い賢者である。

幻想郷に何でもかんでも受け入れる姿勢はいい。

だが受け入れた勢力に幻想郷を乗っ取られ掛けた事が一度では無い。

以前は最強の妖怪である鬼がいなくなった隙に、外来種の吸血鬼に幻想郷を乗っ取られ掛け。

その時は平和ボケしていた妖怪達が殆ど吸血鬼の軍門に降る事態にまで陥った。

山で偉そうにしている天狗も例外では無い。

妹紅も幻想郷に来て長いから、その時の天狗達の醜態をよく覚えている。

そして今度は守矢だ。

鬼の代わりのように幻想郷に入ってきた守矢の主神二柱は。片方は天津の武神。片方は祟り神の総元締め。

どちらも幻想郷になどいていいレベルの神格では無い。

まったく制御が出来ていない事については、妹紅もよく分かっている。

かといって、人間が人里を自分で運営するようになったら、碌な事にならない事だって分かっている。

それを理解した上で、人里の為政者になってもいいと申し出てきている奴までいる。

最悪な事に、其奴は外の世界で過去に莫大な成果を上げた事があるので。

余計にタチが悪いと言えた。

部下達を先に休ませると。

妹紅は休憩部屋で、壁に背中を預けて仮眠する。

横になって眠れないのだ。

昔から、血みどろの道を歩いてきたから。

いつ殺し合いになっても平気なように、壁に背中を預けて眠る癖がついていて。寝ている時も一切油断していない。

声を掛けられれば即座に起きる。

血の臭いが全身に染みついているから。

それが普通になってしまっている。

近年は殺し合いの頻度も減ったし。

昔のような、ハラワタが焼けるような怒りを感じる事も減っては来ているが。

それはそれ。

これはこれだ。

しばらく眠ってから、起きだす。

問題は何か起きていないか確認。

問題があったらすぐに知らせるように言ってから、人里を出る。

妹紅の家は人里から少し離れた、「迷いの竹林」と呼ばれる場所にある。

文字通り、入る度に地形が変わる要塞地帯で。

住んでいる者以外が入り込むと、まず生きて出る事は出来ない。

此処に家を構えているのも、また血なまぐさい理由からなのだが。

別に今は、それもあまり関係無い。

時間がある内に家に戻ると。

粗末な風呂に入る。

風呂に入るのもほぼ気分だが。

多少は心が落ち着く。

風呂から上がって髪を乾かしていると。

戸が叩かれた。

気配は、感じたことがない奴だ。

人間でも、知り合いの妖怪でもないか。

戦闘態勢に一瞬で心身が切り替わる。

戸を開けると、見た事がない妖怪だった。

幻想郷のスタンダードに沿って、人間の女の子に似せているが、耳と尻尾が出ている。

狐のものだ。

服もいわゆる貫頭衣に近く。

妙にボディラインを浮き上がらせたものだった。

そして即座に見抜く。

此奴は悪意の塊である。

「藤原妹紅さんですね」

「お前は?」

「妖怪の山に住まう狐にございます」

にやりと、不愉快な笑みを浮かべてみせる狐。

此奴は管狐だなと、妹紅は判断した。

管狐というのは邪悪な呪法の一つ。使用者に富をもたらすが、いずれその富に十倍する不幸をもたらすという一時しのぎにも程がある最悪の呪法である。

当然使用される管狐は害獣として名高く。

妖怪としては嫌われ者の筆頭格である。

即座に殺意が湧くが。

まあわざわざ妹紅を訪ねてきたのだ。

話くらいなら聞いてやるか。

ただし隙を見せるつもりは無い。

「なんだ。 手短かにな」

「あなた様の御髪を一本いただきたく」

「……なんだと」

「勿論お代は……」

管狐が言い切ることは出来なかった。

妹紅が首を掴んでつり上げたからだ。

そのまま数歩進んで、家から離れる。

家を巻き込まない為である。

「まず何処の誰の使いだ管狐。 私の髪を何に使うつもりだ」

「ちょ、乱暴、は」

「管狐はお前も知っている通り害獣だ。 答えなければ焼き殺す。 肉体を焼き滅ぼすという意味じゃ無い。 お前という妖怪をこの世から消滅させる」

即座に真っ青になった管狐が、ぱたぱた足を揺らす。

みしみしと、管狐の柔い首が音を立てた。

妹紅は一切手加減しない。

大妖怪を真っ正面から制圧する実力を持った妹紅である。実際問題、数え切れない程の妖怪を殺してきたし。その中には名のある大妖怪もかなりの数含まれてきた。

管狐なんかその気になれば即座に殺せる。

ましてや害獣とされる管狐なんか、死んだところで誰も気にしない。

此奴を行使している奴以外は、だ。

「答えろ」

「わ、私の主君は大天狗様にございます!」

「……それで」

「今度起こす異変で、あなた様の能力をコピーしたものを使用する事が、賢者様も公認の上で決まっていて……!」

不意に手を離したので。

地面に尻餅をついた管狐が、激しく咳き込む。

そして、ひっと悲鳴を上げた。

妹紅が全身から灼熱の妖気を殺気とともに迸らせているからだろう。

嘘をついていないか確認するためだ。

人間は勿論。

妖怪も、極限の恐怖にさらしてやれば簡単に地が出る。

大天狗程度妹紅の敵ではない。

天狗最強を謳われる射命丸でも妹紅から見れば数段劣るのである。

完全に震え上がっている管狐に、妹紅は更に圧を掛ける。

「管狐の言う事を真に受けるほど私もバカじゃあないんでな。 言質が取れたら髪の毛一本だけ譲ってやる。 その代わり、お前では無く大天狗自身が来い」

「わ、わかり、分かりました……っ!」

「行け。 二度とそのツラを見せるなよ」

慌てて飛んで行く管狐。

周囲の地面が熱で溶けて歪んでいた。

もう少し時間が掛かっていたら、後ろにあった自宅が炎上していただろう。

殺気を引っ込めると。

妹紅は後ろに向けて声を掛ける。

「見ていたんだろう。 出てこい」

「あら、更に鋭くなったのね」

「……鍛え直しが必要だと判断したからな」

家のすぐ手前。

空間が裂けて、紫基調の服に身を包み。扇で口元を隠した女が姿を覗かせていた。

幻想郷の現在事実上の管理者。

賢者、八雲紫である。

眉をひそめたのは、露骨に疲弊している様子が見て取れたからだ。

「なんだ。 疲れ果てているのか」

「忙しくなるのは分かっていたけれど、人里だけでなくて妖怪達の間でも混乱が起きているの。 少し優しくしてくれないかしら」

「情けない事を言うな」

「一応此方でも人里の富が一部に偏りすぎないようにしているのよ。 それなのにもう、次から次へと……」

呆れ果てた妹紅の前で、紫がぐちぐちとぼやく。

これは相当に溜まっているな。

苦笑する気にもならない。

紫が過重労働で心身を壊している事は知っているのだが。

最近は此処まで酷くなっていたとは。

「人里は私が何とかする、とまでは言わないが。 出来る範囲での事はする。 そっちでも、やるべきことはやってくれ」

「助かるわ。 もう外の世界から異変が持ち込まれた時、幻想郷が潰れかける事だけは何とか避けないといけないから」

「……そうだな」

皆を豊かにし。

全体的な能力の底上げをして。

外来者からの抵抗力を上げる。

紫の戦略は分かっているのだが。何だか少し急すぎる気がするのだ。ここのところ、月からの侵略、畜生界からの侵略、外来人による行動による結果幻想郷崩壊の一歩手前まで行く、と。立て続けに大問題が起きたからなのは分かっている。

分かってはいるが。

もう何も言うまい。

紫は目の下に隈を作るレベルで働いているし。

それを隠しきれなくなっている。

他の賢者は紫をあんまり手伝わない。

理由はよく分からないが、多分手伝い方をよく分からないのではないかと妹紅は思っている。

手伝ってやれよと内心では思うのだが。

出来もしないことをさせても、状況を悪化させるだけだろう。

「それでさっきの管狐の言う事は本当か」

「本当よ。 オモチャを作るのに必要でね」

「オモチャね……」

「大丈夫。 使う人妖が不老不死になるような事は無いから」

紫は気付いただろうか。

妹紅の地雷を踏みかけたことに。

まあいい。

このくらいなら我慢する。

「分かった。 大天狗が来たら売ってやる。 定価はあったか」

「ええ。 最新の新聞をよく読んで頂戴」

「ああ、そうするよ」

紫が最近幻想郷の有力者と合議した結果、幻想郷に持ち込まれた定価の概念は。幻想郷の経済のあり方を変えた。

制定に大物妖怪があらかた関わっているから、小物妖怪は怖くてルールを破れないし。

大物妖怪どうしでも無意味な争いを避けたいから、このルールを破るわけにはいかない。

此処までなら上手く行っている仕組みなのだが。

問題は人里では大混乱が続いている事だ。

まだしばらく落ち着くことは無いだろう。

紫が頷くと、スキマの彼方に消える。空間の裂け目も無くなる。

髪はもう乾いた。

嘆息すると、妹紅は人里に戻る事にする。

自警団だけに任せておくには。

今の人里は、あまりにも危うい。

 

1、金に目が眩む

 

新しく自警団員になった連中に、先輩達が基礎の訓練を付けている。

妹紅は口を出さないが。

ただ、どうしても相性が悪い奴はいる。

そういう相性が悪い奴は離すように部署を変え。

更に見ていて、教える事に向いていない奴は別の仕事をさせる。

基礎だけでもこれだけやらなければならないが。

妹紅は1300年生きている。

蓄積してきた経験が普通の人間とは違うから、そのくらいは難しく無い。

朝方の訓練が終わるのを見届けると、手練れ数人を人里に散らせ。自身も軽く見て回る事にする。

人に化けて入り込んでいる妖怪もいるが。

悪さをする様子は無い。

ただ、呼び止めて軽く話はする。

妹紅の実力は妖怪達の間でも知られていて。

基本的に声を掛けると、口は滑らかだった。

嘘は即座にばれるし。

ばれたら無事ではすまない。

それを知っているからだろう。

妖怪が人里に入るときには幾つかルールがある。

出来れば夕方以降。

人に変装をする。

人間を襲うなんて言語道断。

脅かすくらいなら別にかまわないが、相手を絶対に傷つけないようにすること。

これらは絶対である。

弱い妖怪の中には、人間を直接脅かさないと、畏怖を得られない知名度が低い者がいて。

それは幻想郷では死活問題になる。

人里から出た人間を脅かすのが基本となるが。

誰も彼もが人里から安直に出る事はない。

其所で、どうしても人里に入る必要が生じてくるのである。

話を聞いていると、どうも妖怪達の間でも、人里が混乱状態にある事は知られているらしい。

特にこの間、人里に一家に一つずつ普及している電球が、まとめて動かなくなるという事件が起きてから。

弱い妖怪は特に、今が畏怖のかき入れ時だと悟ったらしい。

物質的な食糧だけ口に入れても、妖怪はやっていけない。

精神生命体だからだ。

肉体が破損しても妖怪は死なないが。

精神が死ぬと妖怪は完全な死を迎える。

そして、人間からの畏怖を得られないと言う事は、どんどん体が衰弱することを意味するのだ。

だから職質はするが。

その辺りの事をきちんと話せば。妹紅も相手を解放はしてやっていた。

人里の端まで行く。

強制労働されている犯罪者共の様子を確認。

監督をしている奴が、一礼してくる。

人間の心をある程度読める妖怪が交代で監督していて。

しっかり反省した人間から強制労働を切りあげさせる。

逆に言えば、此処で働いているのは更正の見込みがある犯罪者だけだ。

今見張りをしているのは。

人間と妖怪を平等に扱い。

弱者救済を掲げている幻想郷でもトップクラスの勢力。命蓮寺の在家信者の一人。

付喪神、秦こころである。

本人は無表情だが、常に多数の面を体の周囲に浮かべており。感情をその面を被る事で表現する。

無表情だが感情そのものは無垢な子供のようであり。

精神が幼い事から、命蓮寺や、同じようにして入り浸っている聖徳王の所でも可愛がられている様子だ。

こころは精神をある程度読むことが出来るため。

此処は丁度良い修練場と命蓮寺の住職が判断したのだろう。

温室栽培は何の意味もない。

世の中の厳しさもよく理解している、命蓮寺の住職らしい采配だ。

「おはようございます、妹紅さん」

「特に変わった事はないか」

「いいえ」

「そうか」

咳払いした後、聞く。

まだ許して良さそうなのはいないとずばりこころが言うので。

妹紅は苦笑いしかけた。

付喪神としてはトップクラスの実力者であり。

大妖怪に匹敵する「面霊気」であるこころは。

その力に対して精神が未熟すぎるので。

やはりこういう所で修練が必要なのだろう。

「あまり悪影響を受けないようにな」

「悪い心を持った人はたくさん見て来たから大丈夫です」

「そうか。 油断だけはするなよ」

「はい」

素直に頭を下げるこころを見ていると、まあ可愛がられるのも分かる気がする。

妹紅は周囲を見回して、強制労働させられている連中がさぼっていないかを確認。

その後は。もう少し人里を見て回ってから事務所に戻る。

前は人里には一日の半分いれば良い方だったが。

最近は数日に一回しか自宅に戻っておらず、寝泊まりは主に自警団の事務所で行っている。

事務所に戻ると、差し入れがあった。

近所の料理屋からの炊き出しだった。

無駄になりそうな食糧があったらどんどん差し入れてくれと言ってあるので。この辺りは安くつく。

妹紅自身は美食家でも何でも無く。

粗食はまったく平気だ。

何なら食べなくてもちょっとやそっとで動けなくなるような事も無い。

流石にたまにまずいのが差し入れされるが。

近年は自警団の動きが目立って良くなって来ているからか。

差し入れの質は上がってきている。

今日の差し入れは肉の蒸し焼きを中心とした料理だったが、悪くない。

自警団員達がうまいうまいと食べている中、無言で黙々と食べる。

周囲に混じる事はない。

妹紅の立場は、怖れられているくらいで丁度良いからだ。

勿論部下に理不尽な事もしないが。

食事を終えた後、部下に引き継ぎをして、軽く休む事にする。

小さな家だが。

妹紅が住み込み同然で働いている事は自警団員誰もが知っているし。

他の自警団員は基本休みには自宅に戻っているので。

それについて、文句を言う者はいなかった。

 

きっちり三刻寝ようと思えばそれで目が覚めるし。

四刻寝ようと思えばそれで目が覚める。

体の制御が効きすぎるのも問題だ。

妹紅は予定通り、夕刻が過ぎた辺りで目を覚ますと。

軽くストレッチをして体をほぐし。

引き継ぎを受ける。

特に問題は起きていない。

そう聞いて、内心安心していた。

ここのところ珍しい言葉だからだ。

何も起きていない、というのは。

「この家はどうなっている。 ちょっと稼ぎすぎているという話だが」

「今の時点では悪さはしていないようで」

「……分かった」

見回りに出ると皆に告げて、事務所を出る。

夜になると、外の世界のような明るさはない。

家に電灯は一つ。

これは家の規模に関係無く、決められている事だ。決めたのは表向きは人里の長老だが、あれは飾りである。

実際には賢者だ。

更に皆が電気を使いすぎると、電球が使えなくなるという事が、この間周知された。

このため、人里は一時期に比べて夜が少し暗くなっている。

これは弱い妖怪への救済措置でもあるし。

人間に夜の恐怖を思い出させるための措置でもある。

ついでに言えば、経済活動を抑え込ませるためのものでもあるらしい。

人間は放置しておくと、日中だけではなく夜までずっと働く。ただでさえ経済が過熱気味なのに、夜まで同じように働かれると困る。そういう事らしい。

提灯やランタンも見かけるが。

これらは火事のもとになりやすい。

故に電球よりも気軽に使う事が出来ず。

人里で夜も明るいのは、歓楽街だけだ。

歓楽街に出てくるような妖怪は、大物ばかりだし。電球くらいは気にしていないことが多い。

人間の原初的な恐怖を刺激するには闇が一番で。

弱い妖怪は、闇を味方につけないと、人間を脅かすことも出来ない。

それは気の毒な話ではあるが。

残酷な事実でもあった。

妹紅は、人里の辺縁。

特に灯りが少ない辺りを見て回る。

妖怪と時々すれ違うが。

一瞥して、やり過ぎるなと警告するだけでいい。

妹紅がいるというだけで、小物妖怪には大きな抑止力になる。

彼ら彼女らも夜には気が大きくなるが。

それでも、圧倒的恐怖の前には身が竦む。

また好戦的な大物とかち合う事もあるが。

其奴らは基本的に人里で妖怪がどうすればいいかのルールをきちんとわきまえているので問題が無い。

妹紅も相手が戦いたいなら受けて立つが。

大物と人里で出くわした場合は、普段は軽く話をして、釘を刺すだけである。

どうしても戦いたがる場合は、人里の外で相手をする。

勿論、それには相手も従ってくれる。人里の重要性を、大物妖怪ほど理解しているからだ。

それで問題は無い。

人里の端には壁があり、門もある。

この外には小規模な集落が幾つか点在していて、それらも一応「人里」に含まれる。

これら小規模集落は、妖怪にとっては人を脅かすのに格好のポイントであるので。

時々様子を見に行って、住人に話を聞く必要もある。

また、現象としての妖怪も出やすい。

現象としての妖怪は本能だけで動いているため、人間をそのまま殺傷する事もある。

その場合の対応は博麗の巫女案件だが。

被害を防ぐために、出現の予兆を確認しておく必要もある。

妹紅は当然のように空を飛べるので。

せっかく来たのだから、幾つかの小集落を見て回る。

問題はない。

戻ろうとした所で、山道で声を掛けられる。

天狗だ。

基本的に天狗も女の子の姿を取る。

それが幻想郷でのスタンダードだから。

人間の姿も取れないような妖怪は下級も下級。

つまり、ある程度以上の実力があるなら、人間の姿を取るのが当たり前、という事である。

人里のぎりぎり外だからか。

其奴は羽根を隠しておらず。

不遜な表情をしていた。

大天狗の一人だなと判断。

天狗の中でも上位に属する大天狗は複数いるが。

そいつは妹紅が会った事がない奴だった。

「藤原妹紅だな」

「なんだ。 殺し合いなら受けて立つが」

「いやいや、そうではない。 ……噂以上に血の気が多いな」

「此方は忙しい。 何の用だ」

既に戦闘態勢を取っている妹紅に、表情を引きつらせる大天狗。

名乗られる。

やはり聞いた事がない奴だ。

一応名前から、外でどんな天狗だったのかは分かるが。それだけである。

「この間は使いの管狐が世話になったな。 商売の話を進めたいのだが、かまわないだろうか」

「髪を一本だったな」

「ああ。 謝礼はする」

「そうか」

新聞を懐から取り出すと。

ひくりと、笑顔を引きつらせる大天狗。

妹紅が大天狗を一切信用していない事を悟り。

更にはこの新聞が。天狗の組織を抜けた姫海棠はたてら若手天狗の作っているものだからだろう。

「話は聞いているが、オモチャを作るんだってな」

「ああ。 特定条件でしか使えない上に、多少からだが頑丈になる程度のものだ。 賢者の許可も貰っている」

「……分かった。 まあそのくらいなら良いだろう」

妹紅は不老不死である。

それも生半可な不老不死ではなく、肉体が欠損しても即座に修復するというレベルの不老不死である。

同じ体質の奴が二人、幻想郷にはいるが。

其奴らは人間ではないので。

文字通り人外の能力を持っているという事になる。

妖怪が肉体を破損しても、すぐに修復するのともまた次元が違う不死能力で。

しかもある程度まで年を取ってからは、加齢しなくなった。

この不老不死は、妹紅に取っては文字通り地雷に近い事で。

それを商売の種にしようというのは、不遜も不遜。

だが、まあオモチャを作るくらいなら良いだろう。

「悪用したら潰すぞ」

「おお怖い。 流石に貴殿を敵に回すつもりは無いさ。 あの射命丸でも貴殿には歯が立たないと明言していたからな」

「……」

「此方が料金になる。 確認してくれ」

渡された金を確認。

新聞に照らし合わせる。

髪の毛の値段、などというものはなく。

魔法媒体についての所に、値段の記述があった。

魔法媒体の性質事に定価が設定されており。

妹紅の髪は、その中ではかなり高いものになる。

定価通りの金を受け取ると、髪の毛一本を焼き切ってくれてやる。

熱を操る妖術を最も得意とする妹紅だが。

指先に熱を集中させて、髪の毛を切るくらいは朝飯前である。

「ほら、これでいいか」

「ありがたい。 それにしても、うちの管狐が失礼をしてすまない」

「あの管狐、お前に従っているのか? そうとはとても思えなかったが」

「管狐というのはそういうものなのでな。 もしも粗相が過ぎるようなら此方で処分してしまうので、気にしないでほしい。 どちらにしても消耗品だ」

此奴。

名前から判断するに、管狐を扱うスペシャリストである筈だが。

まあ流石に管狐のような危険な呪術だと、こういう扱いをしなければならないという事か。

それについてはよく分かる。

ただ、消耗品呼ばわりとは。

それでは呪術にて痛い目にあうのも自業自得な気がする。

まあ、どうでもいいか。

天狗は今非常に組織としての立場が危うい。

何にしても、賢者の指示には逆らえないのだろうし。

手段も選んでいられないのだろう。

「それでは失礼する」

「ああ」

大天狗だけあり、飛ぶのは相応に早い。

天狗の山に戻っていく様子を見て、少しだけ同情した。

あれはただでさえ斜陽の組織で、しかも中間管理職をしているのだ。

有能な人材はどんどん組織を離れていき。

更に締め付けは厳しくなっている。

話には聞いている。今度小規模の異変を起こすらしい。

その異変の際に、多分出来レースとはいえ博麗の巫女にぶん殴られなければならないのはあいつだろう。

博麗の巫女は異変対応時は凄まじい好戦的な性格になり、行く手を遮る場合は人間が相手でも頭をかち割る。

まあ酷い目にあうのも承知の上だろうし。

妹紅は何も言わない。

天狗にはいい印象が無いし。

潰れて貰うと困るにしても。

今まで好き勝手をしていた分、酷い目に会うのは自業自得だと思うからだ。

人里に戻る。

巡回に出ていた自警団員から報告を受けると、交代で休ませる。

妹紅自身は、問題になっているデータに目を通して置いて、更新があったのなら記憶しておく。

それほど頭が良くない妹紅だが。

記憶に関する手段は幾つか持っている。

覚える事は、それほど難しくは無い。

全てに目を通すと、眠そうにしている新入りの自警団員を先に眠らせる。

妹紅は体力に余裕があるので、まだ大丈夫だ。礼を言う夜番の筈の新入りを休ませる。

最初は甘いくらいでいい。

いずれ、妖怪とも戦う事になるのだから。

妹紅の唯一の弱点は体力。

不老不死であっても、体力だけは有限だ。

だからそれについても鍛え直している。

ここのところ、戦闘をこなす回数が減ったからか、どうにも鈍っている気がする。

それを実感したので、少し自分の体を虐めているのだが。

効果は出ている。

ただ、無理をしすぎると碌な事にならない。

それもまた、苦い経験として、妹紅は知っていた。

朝が来る。

自警団員が揃ったので。引き継ぎをする。

朝練を終えた所で、妹紅は休ませて貰う。

自警団員にとって一番暇な時間だからだ。

勿論何かあったら起こすようにとも言っておく。

とはいっても、妹紅が出なければならないようなことが起きれば、気配を察知してどうしても目は覚めてしまうのだが。

眠れるときに眠り。

食べられる時に食べておく。

どうせ食べた分は動く。

妹紅は、やはり根本的には、刹那的な生活から抜けられていないのかも知れない。

 

2、金金金

 

数人の自警団員を連れて、ある家を急襲。

妹紅の顔を見ると、家に集まっていた数人の破落戸は真っ青になった。

人里で妹紅の戦闘力を知らない破落戸はいない。

妹紅を敵視し、襲いかかってきた鴉天狗をまとめて薙ぎ払って叩き潰した事は未だに語りぐさになっているし。

前は半ば公然と「取材」を強要し、好き勝手な記事を書いていた天狗達を真っ正面からぶっ潰していた事は知られている。

破落戸だからこそ。

そういう話には詳しいのだ。

まして娯楽が少ない幻想郷の人里である。

鴉天狗との諍いは百年も前の話なのだが。

未だに人里のならず者の間では噂になっているようだった。

「こ、ここ、これは妹紅さん。 何用で……」

強面の大男が、揉み手をしてくる。

他の破落戸達は真っ青になって、いざとなったら散って逃げる算段を立てている。

だが。もうこの家は囲んでいる。

逃げ場など、ない。

伊達に修羅場を嫌と言うほどくぐっていないのだ。

こんな相手に不覚なんかとらないし。

何よりも戦いのやり方は体に染みついている。

「此処で定価に沿わない取引をしているという情報が入ってな」

「そんな、ご冗談でしょう」

「そうか、ではこれはなんだ」

手元に引き寄せたものを見せてやる。

妹紅は多数の妖術を使う事が出来る。別に火だけしか使えないわけではない。単に戦闘では火を使うのが得意なだけである。

師匠がいたわけではない。

妖怪を叩きのめしては、知っている妖術を片っ端から聞き出した。体に、である。

そうやって妹紅は強くなった。

色々な術を覚えていき。やがて我流でそれを昇華させていくことが出来るようになった。今の術も、妖怪を痛めつけながらやり方を聞き出し、覚えたものだ。ずっと昔の話である。なお、術を知っていた妖怪は、用済みになったら殺した。

そういう血塗られた人生を送ってきた妹紅にとって。

こんな破落戸なんか、幼児も同然だ。

「捕らえろ」

わっと自警団員が破落戸達に襲いかかる。

悲鳴を上げる破落戸達だが、容赦などするわけがない。

これから、逃げたら喰って良いと言ってある妖怪達が監視する中、強制労働をして貰う事になる。

勿論酒もなし。

メシも最悪。

心を入れ替えるまで、強制労働は終わらない。

それを告げると、破落戸達は涙目になったが、許さない。

連れていかせる。

証拠品らを押収。

事前に、賢者と取り決めがしてある人里外の小屋に運び込んでおく。

そうすると後で賢者本人か、或いはその配下か。

兎も角人里を実際に管理している者達が内容を確認し。

富を再分配するのである。

小屋の中はすっからかん。

一月ほど前にも、それなりの物資と金を放り込んでおいた筈なのに。

一応仕事はしている、ということか。

だったら、こういう悪辣商売をする連中が、弱者を泣かせる前にそっちで対応しろよと面罵してやりたい所だが。

残念ながら賢者八雲紫は最近忙しすぎて体調を崩している。実際にその悲惨な様子も目の当たりにした。

もう何も言えない、というのが妹紅の本音だった。

過渡期だから、此処を乗り越えればみんな豊かになる。

安定して、人間も妖怪も生活の満足度が上がる。

そう賢者の式神である九尾の狐、八雲藍に説明を受けたことがあるのだが。

その割りには妹紅は鍛えた自警団の力を、妖怪ではなく人間の犯罪者にばかり振るっている。

人里の外で襲われた人間を救出したり。

人間を害した妖怪を封印したりといった。

本来の自警団の仕事が出来ていない。

博麗の巫女の負担を減らすために戦力を増強した筈なのに。

手が足りない。

これでは意味がないではないか。

自警団員の中にも、うんざりしている者が目立つ。

年長者が、今日の捕り物が終わった後に、言ってくる。

「妹紅さん。 若い連中だけじゃねえ。 俺も不満だ」

「ああ、分かってる。 どう考えてもこれは異常事態だ」

「人間は器に見合わない金やら権力やら手に入れると簡単に狂うって話はあんたに聞いたよ。 だけどこれはいくら何でも酷すぎる」

「そうだな。 私も嫌になるほど見て来た事実だ」

妹紅は三百年ほど前に幻想郷に来た。

それまでずっと仇を追っていたのである。

逆に言うと、三百年前まで。およそ千年間、外の世界で血塗られた道を歩いてきたと言う事である。

更に言えば、幻想郷に来てからも、ずっと狙っていた仇を見つけ。

凄惨な殺し合いを続けていた。

皮肉な話で、仇も不老不死で、殆ど完璧な再生能力を持っていることもあり。

その上実力も互角。

そんな状況では、勝負もつきようがなかった。

千三百年。

妹紅は闇の中を歩いてきたから。

あらゆる悪徳を見て来た。

だから、悪徳に嘆く人間の気持ちは良く分かる。

「この様子だとまだしばらくは混乱が続く。 面倒だと思うが、耐えてくれるか」

「元々殆ど部外者だったあんたにそう言われると、俺としては何も言えない。 あんたがしっかり鍛えてくれたから、愚連隊同然だった自警団はまともになった。 だけど、みんな疲れきってる」

「分かっているさ」

この退治屋も、幼い頃から妹紅を知っている。

妹紅は昔は竹林を主体に生活していたのだが(仇が住んでいるので)。それでもたまに気が向いたときには人里に出向いたし。

小銭稼ぎに、妖怪退治を手伝ったことがあった。

そんな頃、駆け出しのこの退治屋と一緒に仕事をした事がある。

文字通り小山のような妖獣(獣から妖怪に転じた存在)が人を喰らったので、退治したのだが。

その時、初陣で恐怖に震え上がるばかりの退治屋を助け。

妖獣を一撃で木っ端みじんに焼き砕いたのは妹紅だ。

その時の事もあって。

今でも態度が丁寧である。

「自警団の金の管理は慧音がやってくれているな。 私が息抜きの予算が出ないか相談してみる」

「助かる」

「ああ。 では今日はもう上がってくれ」

「……」

一礼すると、もう引退間際の自警団員は、引き揚げて行く。

ため息をつくと、妹紅は人里にいる唯一の理解者、上白沢慧音の所に出向く。

人里で迎え入れられている珍しい妖怪であり。

妹紅よりずっと年下なのに、境遇を理解してくれた存在でもある。

基本的に寺子屋で子供に学問を教えているが。

今では自警団員に、少し難しい学問を教えてくれてもいる。

なお授業自体は昔は退屈極まりなかったのだが。

今ではかなり改善されたと評判である。

慧音は寺子屋から子供達を送り出すと、そろばんを弾いていたが。

妹紅が来ると、頷いて入るよう促した。

もう別に喋らなくても意思は通じる。

相応に長いつきあいだからだ。

「また捕り物があったそうだな」

「ああ。 くだらない話だ」

「経済規模を挙げるために富の流動を促す、か。 その過程で多くの混乱が生まれるのは事実だが。 少し性急に思えるな」

「その通りだ」

慧音は涼やかな目が印象的な美人だが、しゃべり方は中性的だ。

ハクタクと呼ばれる高位の神獣の獣人であり、しかも後天的にそうなったと聞いている。

何があったかは妹紅も聞くつもりは無い。

過去の話を掘り返されることが辛いことくらいは、自分で嫌と言うほど知っている。

「憂さ晴らしに、少し自警団員に息抜きをさせてやってほしい。 宴会を開く予算を出してくれるか」

「賢者から相応の運営資金は出ている。 まあ宴会くらいなら良いだろう。 ただ博麗の巫女は呼ばない方が良いだろうな」

「そう、だな」

博麗の巫女は昔は自警団とほぼ接点が無かったのだが。

最近は講師を頼む事も多くなってきていて。

その分恐ろしさが自警団員に知れ渡るようになって来ている。

情け容赦なく妖怪を抹殺するという噂はあながち嘘でも無いと自警団員達は判断しているらしく。

また口説こうとしたバカが地面にめり込まされる事件も起きており。

今や恐怖の対象である。

その上博麗の巫女は妖怪並みの蟒蛇であり。

呼んだら酒を飲み尽くされかねない。

「此方で対応はしておく」

「忙しくは無いのか」

「忙しいが、相当に参っている自警団員ほどじゃあない」

「そうか。 では頼む。 私はそういうのはどうも苦手でな」

軽く話をしたが。

それだけでも随分と落ち着くものだ。

慧音は妹紅が幻想郷で見つけた、初めての理解者だ。

いや、ここ千三百年でも数少ない理解者である。

妹紅の容姿を見て寄ってくる男は幾らでもいたが。

妖怪を丸焼きにする苛烈な性格と、闇深い目を見てみんな逃げていった。

荒んだ妹紅を理解してくれた者は殆どおらず。

結局まともな人間に妹紅を理解するものはいなかった。

寺子屋を出ると、しばらく人里を見回る。

特に問題は起きていないか。

少し頭が痛い。

ここ最近働きすぎたかも知れない。

体は不死身でも。

体力は無限では無い。

一度自警団の事務所に戻って休む。

その途中で、いそいそと歩いて来た奴とすれ違い、目礼だけした。

疫病神。

依神女苑である。

派手な格好をした女で、外の世界でバブルという時代があったらしいが。その時代を意識した姿らしい。

今は普通の人間には見えないように隠行をしているが。

妹紅には見える。

此奴は取り憑いた相手の資産を浪費させる能力を持っていて。

それで、今からまた稼ぎすぎている者に取り憑いて、富の調整をするのだろう。

別に妹紅はそれに口出しをしない。

昔は問題を起こしたこともある奴だが。

今はむしろ仕事に積極的だし。

器に見合わない大金を持って心身を持ち崩す悲しさを良く知っているようだから。

仕事をしてくれるなら、むしろ大歓迎だ。

事務所に着くと、何人かいる自警団員に、近々宴会を開くので、好きなように飲むと良いと告げる。

多少皆の顔が和らいだか。

妹紅自身は、宴会に参加するつもりは無い。

あんまり群れになってわいわいやるのは好きでは無いのだ。

引き継ぎをしておくように告げると、自身は事務所の二階にある小部屋に移動して、壁に背中を預けて眠る。

いつでも戦えるように。

こうやって眠る事をしていたが。

今ではこうしないと、眠る事が出来ないのだった。

 

夢を見る。

人里が燃えていた。

錯乱した商人が、火をつけて回ったのだ。すぐに取り押さえたが、火の周りが少し早すぎる。

彼方此方から悲鳴が上がる中、妹紅は上空に飛び。

火が向かっている方向を確認。

片っ端から爆発を起こして、火を消して回った。

乱暴なやり方だが、これがかなり確実である。

炎に供給されている空気を吹き飛ばすことで、炎そのものを一気に無くすのだ。

勿論爆発に巻き込まれれば命は無いが。

この炎では、どの道助からない。

水の妖術を使える自警団員も働かせるし。

彼方此方にある井戸から水をバケツリレーさせて消火に協力させるが。

それでも火が消えるまでに三刻かかり。

五十人を超える人間が犠牲になった。

三十以上の家が灰になり。

立ち尽くして泣いている子供を、慧音が抱きしめて無言で立ち尽くしていた。

錯乱している金持ちを、人里の人間達が囲んでいる。

どうしてこんな事を。

詰る声に、金持ちが言う。

俺が得た金なのに、何度も何度も無くなる。

努力が全部無駄になる。

俺はお前達の何倍も努力して、金をたくさん手に入れたんだ。

それなのに、その努力が無駄になるなんて、どうして許されるんだ。

金があるんだ。努力した人間が金を得るのは当然だろう。

そんな事も許されないこんな場所。

潰れてしまえ。

けらけら笑う金持ちを、激高した人里の者達が袋だたきにするが。

どれだけ殴られても、狂笑は止まらず。其奴が死ぬまで周囲に響き渡り続けた。

妹紅に、感謝の声を掛けて来る者はいない。

それどころか、静かな反発すら感じる。

まあそうだろう。

これだけ死んだのだ。

何となく、夢だと言う事は分かってはいる。

だが、それでも。

嫌と言うほど、似たような事は経験してきたのだ。

ある場所では、山崩れに遭遇。

崩れてきた土砂を全力で粉砕して、麓の村を助けたことがある。

しかしながら全ての土砂を抑えきることは出来ず、かなりの家が巻き込まれ、死人が出た。

その時も、土砂崩れを防いだ妹紅に感謝するよりも。

どうして助けてくれなかったんだと、死んだ人間の家族が詰る声の方が大きかった。

そういうものだ。

似たような経験は何度もある。

だから、人間とは関わらないようにして来たのだ。

だが、それも限界か。

ふらりと、その場を離れる。

炭の臭いがする中、やっぱり此処も居場所では無かったなと妹紅は呟く。

慧音には悪いが、此処を離れるしか無い。

慧音に迷惑を掛けないためにも。

目が覚める。

嫌な夢を見るものだ。

ため息をつくと、身を起こす。

軽くストレッチをすると、一階に下りた。

丁度時間で、引き継ぎが行われている。

話を聞く分には、要注意だった商人の家が大赤字を出したとかで。悪辣な商売に手を染めかけていた商人達が、冷や水をぶっかけられたように静かになったと言う。

女苑の仕業だな。

そう思ったが、口にはしない。

女苑が彼方此方で仕事をしても、まだ手が足りていないのだ。

女苑の姉の貧乏神も働かせるべきでは無いかと妹紅も思う。

あいつも隠行くらい出来るだろうし。

何より妹より更に能力は強力だ。

その気になれば、自警団が手を出さなくても、あっと言う間に不当に稼いでいる奴を素寒貧に出来るだろう。

「それで妹紅さん、どうします」

「監視は続行。 それ以外の者達は、外で修練。 修練が終わったら、後は交代で休憩しろ」

「分かりました」

組織化された自警団員が散る。

昔は愚連隊同然で、一部のベテラン以外は妖怪退治もロクに出来ない有様だった。

今は疲れが多少は見えるが、それでもだいぶマシになっている。

それだけで、良しとするべきなのか。

いや、駄目だ。

さっき見た夢の事を鮮明に思い出してしまう。

夢だと言う事は分かっている。

だが、こんな風に無理な金の流通を続けると。落ち着く前に、絶対に致命的なバカをやらかす輩が出る。

あれは夢だが、夢じゃ無い。

起きうる未来だ。

しかも、恐らく止める手段はない。

溜息が漏れる。

ふらりと、人里を出て竹林に行く。

自宅で風呂にでも入るかと思ったからだ。

だが、人里の門で、足を止める。

変なのがいたからだ。

ごつい大男で、編み笠で顔を隠しているが、気配は人間のものではない。

頷いたので、ついていく。

この気配には覚えがあった。

賢者、八雲紫である。

別に女の姿を常に取るわけでも無い。

こういう姿も取れる。

元々の姿は人型ですら無い可能性も高い。

だから、別に不思議な事ではないのだろう。

しばらく歩いて、人里の外で不意に周囲が暗くなる。

スキマを使って、妹紅を異空間に招待した。

そういう事だろう。

紫はいつのまにか、いつも通りの。

全身を紫色を基調とした服で固め。手に傘、扇を持った。胡散臭さに全力を投じた女の姿に変わっていた。

向かい合うと、妹紅は不満をすぐにぶつける。

我慢の限界が近いからである。

「賢者様よ。 随分と不手際が過ぎるんじゃ無いのか?」

「……お怒りはごもっとも。 せっかく竹林に引きこもっていた貴方が、大真面目に働いてくれているのにね」

「皮肉は良い。 このままだと、取り返しがつかない事がいずれ起きるぞ」

「今、外の情報を調べて、対策を練っている所よ」

ぐらりと紫が倒れかけて。

スキマを使って作ったらしい椅子によろける。

額を抑えている様子からして。

どうやら無理をしているのは本当のようだ。

溜息が漏れる。

演技では無いだろうこれは。

普段は相当な力を感じるのに。今の紫は、露骨にダメージが大きすぎて、それが妹紅にも分かる程なのだ。

「無理にこんな風に金を動かさなくても良かったんじゃないのか」

「幻想郷には物資も富も足りなくて、外の世界に依存しないといけない部分がとても大きかったの。 妖怪達の食糧さえ足りていない。 この儚い理想郷を守るためには、もっとこの理想郷を強くしなければならないのよ」

「それで金か」

「そう。 少なくとも、弱い妖怪達をもっと強く、人間達も豊かにして、外のようになる事だけは防がないと……」

フラフラの様子の紫だが。

妹紅の前に姿を見せたと言う事は。

人里に、自分の意思を伝えておきたいから、なのだろう。

溜息が漏れる。

額を抑えている紫の姿がぶれている。

要するに、人型を維持できないくらいダメージを受けていると言う事だ。

それも戦闘によるものではなく、疲労によって。

此奴ほどの大妖怪が、である。

「此方で協力できる範囲では協力するが、手が足りない。 あの貧乏神も、疫病神と同じように使えないか」

「残念だけれど、貧乏神には最近熱心に守矢が粉を掛けていてね」

「……」

「しかもあの子、あれで義理堅いのよ。 自分と同じように立場が悪い妖怪を守矢の所に連れていって、面倒を見るように頼んでいるようでね。 その分、守矢への協力を約束している。 守矢もそれを受け入れていて、利用する気満々よ」

意外である。

戦闘力が高いことは知っていたが。

それ以外は意志薄弱に見えていたのに。

意志薄弱そうだったのは、あえて妹を支えるためだったのかも知れない。

だとすると、憎まれ役侮られ役を買っていたという事なのか。

まだまだ修行が足りないな。

それくらい見抜けなかったのだとしたら、妹紅もまだ観察力が足りていないという事である。

「今や守矢の配下とまではいかないけれど、貧乏神の方は何かあったら守矢に協力するでしょうね。 少なくとも人里の富の再分配にあいつを狩りだしたら、守矢がどんな風に介入してくるか分からない」

「妖怪の勢力間でのバランスが壊れる、か」

「そうよ。 次の異変で多少天狗の力を戻そうと思っているのだけれども。 それでもあんな強力な神格が敵に回ったらそれだけで台無しになるわ」

「分かった。 それについては仕方が無いな」

確かに本気を出したときの依神紫苑の実力は、妹の女苑とは比較にならない。

強力な広域制圧能力を有しており、本人のステゴロも弱くない。

それなら、利用は出来ないか。

「それは分かったが、やっぱり人里に流入した金が多すぎる。 早めに手を打たないと、取り返しがつかなくなるぞ」

「……近々異変を起こすから、それまで待って頂戴」

「近々、だな」

「ええ。 その後は、多少天狗の勢力が回復して、守矢の押さえ込みが楽になる。 以降、本格的に対応するわ」

此処まで疲弊している様子の紫を見ると、妹紅も何も言えない。

分かった、としか言えなかった。

いつの間にか、竹林の自分の家の前にいた。

サービスで、此処まで転送してくれたのだろう。

余計な事をと思いながら、家の中に入り。

風呂に浸かって、うんざりしている心を多少洗濯する。

不快感は晴れないが。

紫の負担が想像以上に大きいのを見てしまった以上、もう不平を口にすることは出来そうに無かった。

腹芸が得意だろう紫だが。

あの様子はちょっと違った。

それに、自分が弱体化している様子を見せるなんて、それこそ精神生命体にはあまり良い事では無い。

大妖怪を打倒しうる実力を持つ妹紅相手にやるのはリスクが高すぎる。

あれは演技では無いと見て良いだろう。

風呂から上がると、人里に戻る事にする。

竹をある程度刈って、人里に持っていく。

もう必要はないと思うが。

竹は使い路が色々ある便利なものだ。

此処まで人里の誰かが取りに来るのはリスクが大きいし。

妹紅が必要量を採取して持っていく方が良い。

竹を担いで人里まで戻る。

別に紫に同情したわけではないが。

どうやら幻想郷をよくするために、ただでさえ普段から無理をしているのに、更に無理を重ねているらしい事は分かった。

ならば、多少は協力してやろうでは無いか。

妹紅も今の幻想郷は嫌いじゃあない。

何より、慧音を失うのは嫌だ。

幻想郷が無くなれば、慧音も恐らく死ぬ。

それだけは、何とか避けたかった。

人里に到着すると、問屋に竹を卸す。

新聞を見て定価を確認。

竹はかなり安くなっていたが、別に妹紅自身は金に執着が無いのでどうでも良い。

竹を売った後、即座に自警団の事務所に出向く。

後は、要注意の人員を確認し。

見回りをするべく、動くだけだった。

 

3、黒い渦

 

きりが無い事は分かってはいたが。

それでもやらなければならない。

今日もまた、詐欺をやっていた愚かな人里の破落戸を捕まえて、連行した。

反省しているかどうかはすぐに分かる。

「人食いの」妖怪に監視されながらの強制労働は相当に恐ろしいようで。

基本的に、強制労働が終わると再犯率はそれほど高くは無い。

それでも何度も同じような詐欺をやる奴はいる。

金の魅力に目が眩むとどうしても人間はバカになる。

どうしようもないな。

嘆きの声が漏れるが。

淡々と作業をこなしていくだけだ。

今日連行した奴は三犯目。

毎回きっちり反省していることは確認しているのだが。大きな金が動くのを目にすると、どうしても魔が差すらしい。

一種の病気だなと思うのだが。

連れていく間も、本気で震え上がっていて。

強制労働させている場所に放り込むと。妖怪達がうんざりした様子でまたかとぼやいた。

それを聞くと、小便を漏らしそうな顔をするので。

妹紅の方が、妖怪達に対して申し訳なくなった。

強制労働に協力してくれている妖怪の一人。鬼に言われる。

もう地底に大半が去った鬼なのだが。此奴は賢者の部下をしていて、この監視作業に協力してくれている。

女の子の姿をしているのが普通の幻想郷の妖怪だが。

この鬼は、古式ゆかしき鬼の恐ろしい姿をしているので。「人食い妖怪」としての説得力は抜群である。

その鬼に、耳打ちされる。

「なあ妹紅の旦那。 此奴、なんかの病気じゃないのか。 前はちゃんと反省していたのは確認したぞ」

「旦那は止せ私は女だ。 それはそうと、確かにこう再犯が続くとちょっと色々勘ぐりたくはなるな」

「薬無いのか。 永遠亭とかに」

「永遠亭か……。 こういうので薬に頼るのはあまり良い事じゃ無いんだがな」

永遠亭。

妹紅の仇がいる場所。

今では相手の真相を知ったこともあり、其所まで殺意を感じる相手では無いが。まだたまに出くわすと戦ったりすることはある。

永遠亭には古代神話の知恵の神が存在していて。

人里の医療の大半は、今はその知恵の神に頼っている状態だ。

摂理に反しない程度であれば大体の怪我は治してくれると評判であるため。

人妖問わず、永遠亭には人望がある。

問題なのは、永遠亭が迷いの竹林の奥にあることで。

住んでいる者くらいしかたどり着けない事だ。

妹紅は、そのたどり着ける者の一人。

なお、永遠亭から薬売りも派遣されては来るのだが。

いつもいる訳では無い。

確かに、用事があるなら自分で出向くしか無いだろう。

ましてや今回は、色々面倒な案件なのだから。

悩みが渦巻く。

やがて、妹紅は決断した。

部下達に、出かけて来ることを告げる。

「少し出かけて来る。 このままだと、此奴はまた同じ事をするだろうしな」

「しかし妹紅さん、バカにつける薬なんてあるんですかい?」

「此奴はバカというよりは、金の魔力に取り憑かれているんだよ。 勿論それに下手に干渉してはいけないことくらいは分かってる。 私達の仕事にきりがない事もな。 だがちょっと何か手は無いか、考えてみたくなった」

「そういうもので」

そういうものだと、妹紅は告げる。

確かに覚えはある。

別に貧しい訳でも無いのに、盗み癖がある人間。

外で実際に見た事がある。

それの同類だろう。

人の業にはきりが無い。

無理に矯正すれば更にろくでもない事になる。

この手の治安維持の仕事は、基本的にきりがない。

そんな事は分かっている。

分かっているが、流石に何か対策が無いのか、妹紅の方でも考えてしまう。

場合によっては、此奴を永遠亭に連れていかなければならないな。

そんな風に、妹紅は考えた。魔が差した、と言えるかも知れない。

それは一種の洗脳で、決して良い方法では無いと分かっているのに。どうしても手段として考えてしまう。

妹紅が前科三犯を見下ろすと。

ひいっと悲鳴を上げて、前科三犯が這いつくばる。

いずれにしても、強制労働には代わりは無い。

それに、急いだ方が良いだろう。魔が差しているなら、迷いは早めに払った方が良い。それは経験則としてある。

部下達にはすぐに仕事に戻るように告げると。

妹紅は中空に浮かび上がり。

歩くのではなく、全速力で飛んで迷いの竹林に向かう。

迷いの竹林は上空にセキュリティが展開されていて。

それが色々と面倒なので、迷いの竹林に入ってからは低空飛行に切り替える。

途中で妖怪を何体か見かけるが。

いずれも相手にせず、一直線で永遠亭に。

とはいっても、相当に複雑な経路を進まなければならない。

周りは竹だらけ。

細い道も、幾つにも分岐していて。

此処に住んでいない者は、確実に入り込むと迷子になる。

だが三百年此処で暮らしていたのだ。

妹紅には庭である。

どうせ、同じように金の魔力に取り憑かれて犯罪に手を染める人間は他にもいるのだ。

紫があんな状態である以上。

里は自警団の方で対応しなければならないだろう。

永遠亭に到着。

古くさい建物にしか見えないが。

中身は神々の超テクノロジーで満たされている。

入り口に降り立つと、姿を見せたのは鈴仙。

いわゆる玉兎と呼ばれる、神々が住まう月の都における奴隷階級だった月の兎である。

今では月を離れて、地上の兎になっているが。

見た目では、制服を着て兎耳を生やした人間にしか見えない。

普段薬売りに来るのはだいたい此奴である。

本名はもう少し長いのだが、別にそれはどうでもいい。

それにしてもだ。

少し前に何かあったのかよく分からないが。

前は露骨に卑屈で恐がりだったのに。

怖れる様子も無く、妹紅の目をまっすぐ見てくる。

少し前まではからかい半分に鈴仙「ちゃん」と呼ぶ事が多かったのだが。

そろそろ改め時かも知れない。

「妹紅さん、どうしました。 見た感じ、急患ではないようですが」

「すまないが、永琳に用がある。 相談したいことがあってな」

「お師匠様に」

「ああ。 急ぎで頼めるか」

頷くと、落ち着いた様子で鈴仙は永遠亭の中に戻っていく。

そういえば。

あいつの耳はストレスがモロに出る。ストレスが出るとくしゃくしゃになる。

だが、今は耳が普通にぴんと立っていた。

やはり一皮剥ける何かがあったらしい。

成長が遅い妖怪の筈なのに。

余程の事があったのだろう。

頭を掻く。

少なくとも妹紅は関与していない。

男子三日会わざれば刮目してみよという言葉があるが。

殆どの場合、それはただの「格言」に過ぎない。

実際、肉体などが成長期にわずかな期間で成長する者は確かにいるが。

精神は殆どの人間が、幼児期から変わらないものだ。

かなりの高齢者が、幼児がするような罵倒を他人に浴びせることが珍しくもないのは、それが故である。

だが、変わる事が出来る奴は希にいて。

変わる場合は、短期間で大きく変わるものだ。

鈴仙に何があったのかは分からないが。

あの落ち着きよう。

今度話を聞いてみたいものだ。

鈴仙が戻って来て、問題ないと言われたので。永遠亭に入る。

仇、蓬莱山輝夜の姿は見えない。

まあ妹紅と永遠亭の中で出くわしたら面倒だし、奥に引っ込んでいるのだろう。

今日用事があるのは、永遠亭の名目上の主である輝夜ではない。

事実上の主であり、古代神話の知恵の神である八意永琳である。

長身の、医師の格好をしているこの存在は。

神々の都である月を離れた超越存在であり。

恐らく全力を展開したら、幻想郷でも最強の一角だろうと妹紅は読んでいる。

普段は主である輝夜にあわせて力を抑えているのだが。

いずれにしても、人妖に対して確実に効く薬を造ってくれると言う事で。

現時点では、一定の名声を得ているのも事実である。

ただし紫とはその関係がほぼ犬猿なので(紫が一方的に嫌っているようだが)。

今回は妹紅が動いた。

永琳は自分の医務室で仕事をしていた。

周囲には多数の情報を表示した何だかよく分からないハイテクノロジーの塊が多数存在しており。

妹紅には原理も分からない。

妖術なのか、科学なのか。

それさえもよく分からなかった。

永琳は座るように椅子を出して促す。その椅子も空間から不意に出現したように見えたので、妹紅は苦笑する。

此奴が輝夜との殺し合いに横やりを入れてきていたら。

多分妹紅では手に負えなかっただろう。

今は輝夜に対する殺意はそれほど高くない。だから、それについては、割とどうでも良かった。

「何かしら」

「人里の最近の様子は聞いているか」

「ええ。 大量の金が流れ込んでいるようね」

「それで、精神がおかしくなる奴が複数出ている。 私も逐一対策をしているんだが、どうにもきりがなくてな。 こう言う仕事はきりが無いことは分かってはいる。 だが、そろそろ限界が近くなってきた。 対処療法では無く、根本的な解決策を知らないか」

頼むと、頭を下げる。

此奴なら知っているかも知れないと思ったし。

何より人里は幻想郷の生命線。

妹紅は慧音を守るためにも。

人里には、あまり無体なことにはなって欲しく無いのである。

しばし黙り込んでいた永琳だが。

やがて話し始める。

「器に沿わないもの。 金でも力でも地位でも名声でもそうですが。 人間はそれらを手に入れると、簡単に壊れます。 知っているでしょうが」

「ああ、知っている」

「それらは、欲望が制御出来なくなることで発生します」

永琳が軽く手を動かすと。

空中に何やら図が出てくる。

複雑な専門用語が多数書かれていたが、何となく理屈については理解出来た。

「元々人間は社会性を持つ生物で、地位に対する渇望は個体差はあれども誰にも存在しています。 これはその一種のバグによって発生する現象です」

「それでどうすればいい」

「本能に訴えかける薬なので、出来れば服用は避けたいのですが、まああるにはあります」

瓶を出してくる永琳。

流石に医療ミスは避けたいのか、何度か薬を確認していた。

此奴が医療ミスなんてするとはとても思えないが。

それでも一応念のため、なのだろう。

妹紅も知っている。

プロとはミスをしない人間の事では無い。

ミスをリカバリ出来る人間の事だ。

此奴は人間では無いが。

プロという意味では。

間違いなく一流のプロである。

「もしもどうしようも無くなった場合のみ、此方を一錠だけ問題行動を起こす人間に飲ませなさい。 一錠だけですよ」

「これはどういう効能があるんだ」

「器に沿わないものを手に入れたとき、人間の脳は簡単に壊れます。 その壊れたときに起こる作用を抑える薬です。 もしも、これを飲んでも駄目な人間が現れた場合は連れてきなさい」

「分かった。 恩に着る」

金を出すが、永琳は不要と言った。

どうやら永遠亭の方でも、人里を最近では重要視しているらしい。

経済的な問題でクラッシュされては困ると言うことなのだろう。

掌に収まりきらないサイズの瓶の中にはたくさん薬があるし。

まあ紫が状況を落ち着かせるまではもつとみた。

だいたい、使うかどうかは別問題だ。

今回は相談に来たのだから。

「ただし。 この薬は副作用が強い。 一錠でも飲ませたら、その時は人が変わると考えなさい」

「……そうだろうな」

「貴方が知っている通り、人間の問題は人間が解決しなければならない。 その薬を使うのは、本当に最終手段にした方が良いでしょうね」

「ああ、分かっているさ」

礼をして、永遠亭を出ると。

鈴仙が送りに来てくれた。

気になったので聞いてみる。

「お前、何があった。 もの凄く落ち着いたな」

「そうですか?」

「ああ。 もう「ちゃん」をつけては呼べないな」

「ありがとうございます。 ……悲しい人の話を聞いて、「浄土」と名乗る月にあった未練が尽きただけですよ。 私は今後穢れに満ちて生きる地上の兎として、誇り高くあろうと思います」

そうか。余程悲惨な話を聞かされたのだろう。

それに、「穢れ」を毛嫌いする元月の民としては本当に珍しい。

余程の事を知ったのだろうなと、妹紅は思った。

すぐに戻る。

この薬は、存在を周囲に明かさない方が良いだろう。

実際問題、妹紅から考えても。この薬は一種の洗脳薬に近いとみた。

それにそもそもの問題として、分不相応の金が手に入りやすくなっている現状に問題がある。

紫の手が回らないことは見て確認している。

安易に薬に頼るのも、それは違うと妹紅も思う。

この薬はタダで貰った。

永琳が言うように、使うのは最終手段。

本当にどうしようも無い相手にだけ使え。

そういう事なのだろう。

竹林を出て、人里に到着。

新しい問題は起きていない。

自警団員から引き継ぎを受けると。逆に聞かれた。

「それで、どうなったんですか?」

「知恵の神に話を聞いて来ただけだ。 恐らくは、今まで通りにやっていくしかない」

「知恵の神でも、この状況を打開できないんですか」

「そういう事だ」

落胆が伝わるが。

妹紅は、薬を貰った今も背徳感がある。

最近話を聞いたのだが。

外の世界では、一時期ロボトミー手術というものが存在したらしい。

脳に細工をすることで。

凶暴な人間を無理矢理に大人しくさせるという、極めて非人道的な行為である。

勿論これをされた人間は、ほとんど廃人になってしまうそうであり。

一時期は着目されたものの。

その非人道性が問題になり、今ではほぼ行われていないとか。

守矢の巫女に聞かされた話だが。

そんな事を思いつく時点で、人間の方が幻想郷に住んでいる素朴な妖怪達より余程悪魔じみている。

妖怪は悪だと教えなければならない立場だが。

はっきりいって、妹紅から見ても人間の方がどうしようも無いというのは事実で。

この薬は、ロボトミー手術に近いものではないかとすら感じる。

文字通り悪魔の誘惑だ。

あの知恵の神永琳は、決して心優しい存在では無く。

場合によっては極めて冷酷に斬り捨てる判断が出来ると聞いた事があるが。

こんな薬を寄越した時点で、それは確定だろう。

ただで寄越したことが余計にタチが悪い。

妹紅がもし使ったら、嬉々としてデータを取るだろうし。

何よりも、元人間が。

人間に対して、この薬を使う判断をするかどうか、悩む様子も確かめたいのだろう。

少し時間をおくと。

永琳の合理的かつ、極めてクレバーな思考が見えてくる。

あいつは確か、主君である輝夜を救出する際に。

同行した護衛兼監視役だった月の民を皆殺しにしているという。

現在はある程度幻想郷で中立勢力としてやっていく事を決めているようだが。

それでも根幹は変わりようがない。

ため息をつくと、問題行動を起こしている奴のリストを確認。

一人は散財を始めている。

要するに疫病神がついたと言う事だ。

後は放っておけば良い。

そいつは元々善良な商人だったので。

疫病神が分不相応な資産を手放させれば。

すぐに正気を取り戻すだろう。

問題はまた詐欺をやっている奴がいること。

証拠集めに色々な妖術を駆使して動いているが。

まあ近々動く事になるだろう。

きりがない仕事、再開だ。

妹紅は、一瞬だけ懐にある薬を思ったが。

やはり、これは最後の最後。

切り札の切り札として、取っておこうと考え直していた。

 

妹紅が最大限に不愉快な顔をして出向くと。

揉めていた妖怪と人間、どっちもが両方文字通り跳び上がった。

此処は人里の端。

人間の姿を取った妖怪と。

妖怪だと相手を知っている人間が。

暗黙の了解として、取引をすることもある場所である。

そういう場所は幾つもある。

別に人里の端ではなくても。

例えば花屋などには、花に関する大妖怪が、普通に花を卸しにくるし。

昼間は人間向け、夜は妖怪向けに食事処を開いている店もある。勿論人肉なんぞ出したりはしない。

人里の端での物資の取引は、多くの場合大量の物資を仕入れる時に使われ。

特に、妖怪の山などから流入する。

人里では作り出せない品を扱う場合。

また希にその逆の場合にも、用いられることが多い。

今揉めていたのは、荷車に積み込まれた鉄鉱石の扱いについてだ。

それは酷い、という声を聞いた者が、通報してきたのである。

ちなみに妖怪の方は見たことが無い奴だが。

感じる力はそれほど強くない。

恐らく山に住んでいる木っ端妖怪の一人だろう。

妖怪の山には坑道があると聞いているが。

これだけの鉱石を掘り出すのは大変だっただろうなと。鉱山労働の過酷さを知っている妹紅は思った。

興味本位にやった事があるのだが。

あれは非人道的労働の極限とも言えるもので。

場所によっては三年働けば死ぬとさえ言われていた。

外の世界でも、今では労働で人をこわす事を何とも思わない会社が増えているそうだが。

そういう仕事は、昔からあったということだ。

人間の商人も、正しい取引をしているのなら、堂々としていればいいものを。

妹紅が出て来た時点で腰を抜かしたと言う事は。

つまりそういう事である。

自警団員に目配せ。

囲ませる。

丁稚らしい若いのも逃がさない。

妖怪退治前提で鍛えている自警団員に囲まれて、震え上がった商人を見て。

どちらが悪いのかは、もう妹紅には分かっていた。

「まずはお前から話を聞く。 こっちに来い」

「こ、殺さないで、殺さないで……!」

「嘘をつかなければ殺さない」

妹紅と交戦した事でもあるのか。

若干幼めの女の子の姿をしている妖怪は、それこそちびりそうな様子だった。

だがべそを掻いているそいつを影に連れ込んで、話を聞いてみると、案の定だった。

「お、脅されたんだ。 新聞に書かれてる通りの値段で取引しようとしたら、安く売らないと自警団に通報して詐欺を働かれたって言うって。 そ、それで、怖くて、酷いって思わず声が出たら、人がたくさん来て」

「心配するな。 人里の端での取引は暗黙の了解だし、賢者達が決めた定価は人間にも適用される。 安く売れと強要する方が悪い」

「ほ、本当か。 焼いたりしないか」

「お前の言う事が本当ならな。 相手の言う事も聞いてから判断する」

こくこくと粗末な衣服を着ている妖怪は頷く。

情けない様子だが。

これだけの鉱石を掘り出したのだ。

妹紅にはかなわないにしても、それなりの腕力は持っているし、体も丈夫だと言う事である。

人里で問題を起こしたら、最悪賢者に殺される。

その恐怖が大きくて、人間に対して強く出られないのだろう。

更に言うと、人里で問題を起こす妖怪の二大筆頭、河童と妖怪兎はどちらも手厳しく仕置きを喰らって今は大人しくしている。

これらの仕置きは賢者が主導したか妹紅には分からない。

だが問題を起こせば潰されるという話が。

妖怪達の間でも、真実味を持って語られていると言う事は想像に難くない。

くすんくすんと泣いている妖怪。

嘘泣きかどうかはすぐに分かる。

とりあえず自警団員に任せて、商人の方に話を聞く。

なお丁稚とは別にだ。

太ったタヌキを思わせる商人は、手もみをしながら言う。

「自警団の方が、あんな妖怪の言う事を信じるんですか!? 騒がれて、迷惑しているんです!」

「賢者の決めた定価通りに鉄鉱石を取引しようとした。 それで間違いないんだな」

「妖怪の味方をするんですか!?」

「取引を公正にやろうとしたかどうかを聞いている!」

口調が荒くなった妹紅。

妖怪の方が素直に話す。

まさに世も末である。

真っ青になった商人が黙り込んだのを見て、真相を妹紅は悟った。

部下の一人を命蓮寺にやる。

秦こころがいたら、連れてくるようにという事だ。

いなかったら住職の白蓮でもいい。

こころは相手の心を読むことが出来るし。

白蓮は相手が嘘をついているか即座に見抜くことが出来る。

そして命蓮寺は人里に絶大な影響力を持っていて、非常に高い信頼を得ている。

見届け役としては完璧だろう。

更に丁稚を連れてきて、別に話を聞く。

丁稚はまだ少年。

主人と引き離され、完全に真っ青になっていたが。

どんなやりとりをしていたか話せ、嘘をついたら裁くと静かに妹紅が圧を掛けると。

観念したらしく。

正直に話し始めた。

「……旦那様は、今日の鉄鉱石の仕入れはかき入れ時だと言っていました。 最初はたくさん買うから値切るという風に話を持ちかけたんです。 でも、それは出来ないと言われて……」

大量に仕入れる場合、値切りを許される品が、賢者達の決めた定価が掲載されている新聞には書かれている。

鉄鉱石については、それの除外項目だ。

妖怪も最近はその新聞の最新版を常に手にしている。

これは、定価を定めた大妖怪達が怖いから。

新聞自体は極めて安いから。

両方の理由からだ。

つまるところ、いきなり人間側から、あからさまな詐欺を持ちかけたというわけである。

本当に頭が痛い話である。

「そうしたら旦那様は、豹変為されて。 自警団を呼んで、詐欺をふっかけられそうになったと言ってやるぞと怒鳴って」

「……其所は嘘だな」

「っ!」

「お前も打ち合わせでそうすることを知っていたな」

恐怖に青ざめたまま。

丁稚の少年は、しばらく固まっていたが。

頷いて、事実を認めた。

げんこをくれてやりたい所だが。

必死に我慢する。

嘘を認めた。

もの凄く怖い目にあった。

今回は、それだけでいい。

「ごめんなさい。 最初から、妹紅さんの言う通りに、相手が蹴った場合のやりとりを先に決めていました。 相手の妖怪が、前に妹紅さんに焼かれて怖がっていることを、伝手で知っていたので」

「……別の商家で働くんだな。 今回だけは見逃してやる。 ただし次に同じ事があったら、その時は許さん」

「はい……」

涙を拭っている丁稚を行かせる。

自分に恥ずかしくて泣いているのでは無い。

怖くて泣いているのだ。

だから、許すのは今回だけと言った。

もしも自分の悪に恥ずかしくて泣いているのだったら、妹紅も此処までは言わない。再犯の可能性も低いからだ。

だがこいつはただ怖くて泣いている。

今回主犯となって悪さを考えた訳では無いし、取引の時も側で立っていただけだから許すが。

そうでなければ、再犯は何時でも考えられる。

金がたくさん動くと、人間はどんどん考え方が汚く下劣になる。

それを良く知っている妹紅は、この手の輩に容赦するつもりは無かった。

程なくして、聖白蓮が来る。

秦こころは在家信者だと言う話だし、今日はいなかったのだろう。

聖白蓮は話を聞くと、頷いて。

必死に言い訳する商人と、泣いている妖怪を見て。

即座に嘘つきは商人だと断言した。

まだ言い訳をしようとする商人に、喝と鋭い叱責を浴びせる。

それで、完全に商人は黙った。

「これ以上の嘘をつくようならば、現世での罰どころか地獄に落ちることを覚悟しなければならないでしょう。 それでも一時のさもしい稼ぎを求めますか?」

「……求めません」

「よろしい。 貴方は、今後取引先を選びなさい」

「有難うございます。 有難うございます……」

商人は己の罪を認め。

妖怪は泣きながら感謝している。

白蓮は流石だな。

しっかり落としどころに落とし込んだ。

外の世界では、因果応報というのは言葉としてしか存在しない。邪悪は野放しにされることも珍しくもない。

だが今此処では、邪悪はしっかり暴かれ裁かれた。それだけで外よりマシだ。

一礼すると、戻っていく。

妹紅としても、感謝するしか無い。

後は、指定通りの処置をする。

詐欺を働こうとした商人は、強制労働の刑だ。

余罪があるかも知れない。それについては、強制労働をさせるときに、「人食い」の妖怪に詰めさせれば良い。

丁稚は説教が必要と判断。

自警団員に、命蓮寺に連れていかせる。

後は白蓮が、しっかり絞ってくれるだろう。

所在なさげにしている妖怪に、別の商人を連れて来て、妹紅立ち会いで取引をさせる。

流石に妹紅が見ている所で不正は出来ないのか。

勿論聖人では無いだろう商人も。

しっかり、定められた規則通りに取引をし。

鉄鉱石を買い取っていた。

礼をして帰って行く妖怪。

あいつを焼いた経緯はよく覚えていないのだが。

まあ何かあったのだろう。

妹紅も自分を焼き尽くすような怒りに常に包まれていて。妖怪を見るやいなや焼き払っていた時期があった。

そんなときに妹紅に遭遇したのかも知れない。

そういう事をしていたから、今でも対妖怪の抑止力として、人里では頼りにされるのだが。

不正をしている人間を助けて。公正に振る舞っている妖怪に暴力を振るうつもりはさらさらない。

この辺り、博麗の巫女が出てくると厄介な事になる。

博麗の巫女の場合、例えば妖怪の店で食い逃げをした人間がいた場合。人間を殴るわけにはいかないだろうから。

面倒だが。妹紅が動くしか無いのだ。

後始末を終えた後、事務所に戻る。

強制労働に放り込んだ商人は、案の定余罪を幾つも吐いたらしく。

当然、不正に取得した金は全て没収である。

当面は強制労働だろう。

死にたくない、助けてくれと喚いていたらしいが。

出来るだけ恐ろしい目にあわせるように、妖怪には頼んでおいたそうだ。

何のために自警団をしているのか分からなくなってくるが。

それでも、懐にある薬は、まだ使うべきでは無いと妹紅は判断した。

きりがない仕事だ。

そうだと分かっていて。唯一の理解者がいる人里のためにも引き受けた。

置物の里の長老では、大妖怪ともめ事になった時に対応出来ない。

博麗の巫女は管理者としての、もっと大きな立場から動く必要がある。

だから妹紅が必要なのだ。

面倒だが、やむを得ない。

少し休むと言い、事務所の二階に上がって、仮眠を取る。

不快感で、胃が沸騰しそうだが。

自分で決めたことだ。

薬を使うのは、最後の最後の手段。

できれば、やりたくはなかった。

 

4、愚かな者はどちらなのか

 

妹紅が商売について監視している。

その噂が妖怪に広まっているのか。

更に言えば、河童や妖怪兎が人里への商売をほとんどしなくなったからか。

やはり自警団の仕事は、殆ど人間相手の状況が続いていた。

たまに人里の外で悪さをした妖怪に対応する事もあったが。

最近は命蓮寺の動きが早く。

そっちで対応してくれることも多い。

この間などは、妖獣に食う前提で襲われ掛けた人間を助けてくれただけではなく。

その妖獣を諭して、改心までさせてくれた。

確かに人里にて信望が上がるのも納得出来る話である。

妹紅も、彼処になら任せられると言える。

そして、まただ。

人里の端で。

取引をしている人間と妖怪が、揉めていた。

今度の取引内容は山菜だが。

人間の商人が、色々売りに来たものに難癖をつけて、安く買いたたこうとしたのである。

それは酷いという声を聞いて、妹紅が駆けつけると。

この間、詐欺で強制労働から復帰したばかりの商人だったので。

妹紅はげんなりした。

手元にある薬を思う。

しかも商人の使用人になっているのは。

三回の再犯歴がある奴だった。

永琳に相談しに行くことを決めた切っ掛けとなった相手である。

それでも。

両者にしっかり話を聞く。

そして、山菜について全ての品質を確認。

新聞を見ながら、第三者の立ち会いも受けながら価格を精査して。

結果として出たのは、商人の方があからさまに不当な値段をふっかけていると言う事。

そしてそれを分かった上でやっていた、と言う事だった。

連れていけ。

そうとだけ指示をする。

妖怪の方は、胸をなで下ろしている。

此処は人里。

取引はともかく、もめ事を起こせば秒で潰される場所だ。

今、稼げることは分かっているだろうが。

リスクが高いことも分かっているのだろう。

ましてや、こういうトラブルに巻き込まれるのは、弱い妖怪が殆どだ。

強豪妖怪に対しては、流石に詐欺を仕掛ける人間もいない。

本気で仕返しに何をされるか分からないからである。

弱い相手にはとことん強気に出て。

強い相手にはこびへつらう。

この行動は、前は河童や山童の代名詞だったのだが。

今ではすっかり人間の悪徳商人の代名詞になってしまっている。

前とは桁が違う金が流れ込んだことで。

短期間で、人里は伏魔殿になろうとしている。

これでいいのか。

皆が豊かになるべきだという紫の理屈は分かる。

だが落ち着くのはいつだ。

後始末をした後、懐の薬に触る。

コレを使えば、再犯を繰り返し続ける奴も黙らせることが出来るだろう。

だがそれは文字通りの悪魔の囁きである。

妹紅はしばし逡巡した後、止めた。

これは使わない方が良い。

妹紅も、最悪の薬を使用した結果、地獄を見続けているのだ。

そして、この仕事は、やはりきりが無いことも分かっている。

人里には少なくとも、自分にとって唯一の親友であり理解者である存在がいる。

だったら。

そのためだけにでも。

頑張る価値はある。

自警団の事務所に戻る。

解決していない問題が、壁に多数張り出されている。

当面は人間相手が自警団の主な仕事になるだろう。

馬鹿馬鹿しい話だが。

状況が安定するのはいつの話か。

酒でも入れたいなと思ったが。

そんな気分でもなくなった。

全ての資料に目を通した後、何かあったら連絡するように言い残し、妹紅は見回りに出る。

見回りをするだけで抑止力になる。

せめて、抑止力が存在する事を示し。

少しでも、金の魔力に魅入られ。

道を踏み外す輩を減らしたかった。

 

(終)