藤原妹紅今を歩く
序、不老不死の暗き道
取り返しがつかない事をした。
必ずしも世の中、因果応報が起きるとは限らないが。
藤原妹紅にはそれが起きた。
空を見上げると丸い月。
既に夜中。
しかも人里の外。
だが、それでも平然と歩き回れる例外。
それが藤原妹紅だ。
此処は幻想郷。
妖怪が存在し。
妖怪は恐怖を人々にまき散らす。
人々は恐怖に打ち克って妖怪を退治する。
そんないにしえのルールが生きている隔離された理想郷。
年を取らず死ぬ事もない。
昔犯した大罪の結果、1300年もそんな風に生きてきた妹紅は。罪の証である銀髪を乱暴にリボンでしばり。もんぺを履いて竹を背負って歩いていた。目つきさえ鋭すぎなければ、美人で通るかも知れない。だが立ち姿は完全に戦士のそれで。笑顔を浮かべることなどまずない。
腕を見込まれて、幻想郷の人里の自警団に入っている妹紅だが。
それとは別に、今も「迷いの竹林」に足を運んでは。
竹を切り出して、人里で売っている。
別に良い竹が取れるわけでもなく。
普通に活用法があるから売っているだけだ。
なお普通の人間が迷いの竹林に行くのは危険すぎるので。
妹紅の竹は、品質が普通である事が分かりきっているにもかかわらず、よく売れた。
暗い夜道を歩く。
血みどろでないだけマシだ。
1300年間、妹紅はずっと罰を受け続けて来たに等しい。
最初は理不尽が怒りの根元だったが。
それによって取り返しがつかない事をしてしまってからは。
その罰にずっと縛られ続けている。
死ねる方法があるなら試してみたい。
何しろ、粉々になっても再生してしまうのである。
何度も色々な方法を試したが。
いずれもどうにもならなかった。
戦いでは最強とは言えないのは。
体力までは回復しないからだが。
体力を極限まで絞れば死ねるかと思ったが。
それでも死ねなかった。
ある一定の最低線を越えると。
どうやら体力が回復してしまうようなのである。
どうしても絶対に死なせない。
そういった悪意のようなものまで感じてしまう。
だが、それも仕方が無い。
妹紅は1300年前に。
それだけの罪を犯したのだから。
人里に到着。
少し前までばたばたしていたが。
今はすっかり落ち着いたものだ。
まず竹を人里での活動拠点にしているあばら屋に置くと。
自警団の詰め所に出向く。
時間通りに姿を見せた妹紅に。
自警団員達が頭を下げる。
「妹紅さん、おはようございます」
「時間的にはそうなるな。 おはよう」
まだ今日になったばかりだが。
自警団はその性質上、どうしても24時間で仕事を回さなければならない。外の世界ではシフト勤務とか言うそうだ。
まあ悪さをする妖怪はいつ動くか分からないのだから仕方が無い。
人里ではすっかり減った妖怪退治人達の子孫が自警団を形成していて。
人間を襲ったり、或いは度が過ぎた行動を取った妖怪を処理する。
特に人間を喰らった妖怪は、必ず退治しなければならない。
また、あまり多くは無いとはいえ、人里のトラブルに対応するのも自警団だ。
そういう意味でも腕っ節は必要になる。
少し前に此奴らの弱体化が目立ったので。
妹紅が徹底的に鍛え直して。
ある程度まともな実力にまでは向上させた。
今ではそれぞれが雑魚妖怪なら束でねじ伏せられるくらいの実力にはなっているが。
それでもまだ少し足りないと思う。
自警団員そのものの手数が足りないし。
出来れば大物が暴れても、幻想郷のバランサーである博麗の巫女が到着するまでもたせる。それくらいの実力にはなって欲しい所だ。
最低でも、強めの妖怪に殺されそうになっている人間がいたら。
その盾になって、救援が来るまで時間を稼ぐ。
その程度できなければ。
少なくとも自警団としては、話にならないだろう。
ただ、強くなりすぎると、それはそれで問題も起きる。
強豪妖怪が面白がるのだ。
自警団に喧嘩を売りに来るかも知れない。
その場合は、対応をまた考えなければならないだろう。
軽く引き継ぎを受けた後。
頷いて、後の見張りは買って出る。
何カ所かにある見張り用の櫓を、持ち回りで担当する。
そうやって自警団は、人里に睨みを利かしている。
妖怪は人間を怖れさせなければならないが。
その手加減が分かっていなかったり。
本当に人間を食おうとする妖怪はどうしてもいる。
それらから人間を守れるかは。
自警団の手に掛かっている。
昔はそれこそ、人だろうが何だろうが、どうでも良かったのだが。今は色々あって、乞われて自警団をやるようになってからは。
多少は心も落ち着いてきていると思う。
悪夢もあまり見なくなったし。
自分の怒りをぶつけるに足る相手。
自分の罪の具現化とも言える蓬莱山輝夜との戦いも、目に見えて減ってきていた。
今ではたまに小競り合いをするくらい。
それも他人を巻き込まない場合に限って、ごくごく短い時間だけ、だ。
もうその内、それさえ無くなるかも知れない。
櫓に上がると。朝まで見張りを続ける。
これでも1300年を戦って来たのだ。人里全域の監視くらいは難しくない。
そして、故に痛感したのだが。
考え方が比較的単純な妖怪よりも。
人間のシリアルキラーの方が余程厄介だ。
幻想郷は恐ろしく人間が犯罪に手を染める確率が低い。
幸福度が高いからである。
しかしながら、それでも危険な犯罪者はたまに出る。
特にシリアルキラーになると、下手な妖怪より遙かに危険である。
自警団の真の任務は。
そういったシリアルキラーを、即座に捕らえる事。
今までにも何度か危険な犯罪者が里で出たが。
基本的に人間は成功体験で行動をエスカレートさせる。
幸い、今までは恐らく賢者側の助力もあって、犯罪者が致命的な所まで行かない辺りで取り押さえる事が出来ていたが。
それもいつまで続くかどうか。
昔はタバコをやっていた時期もあったが。
今はもうタバコはやっていない。
ある程度気を張って、おかしな気配がないか、里の方に注意を向け続ける。
妖怪はいる。
夜になると、ある程度人里にも妖怪が入り込む。
人里で人間を襲うのは御法度だが。
まあ脅かすくらいなら別にかまわない。
そうしないと生きていけない弱い妖怪もいる。
罪のない悪戯レベルで退治まではしない。
あくびをしながら、たまに混じる妖怪の気配一つ一つを追いつつ。
夜明けまで粘る。
そして代わりの人員が来るまで待ってから。
引き継ぎをして。
その場を離れた。
後は非番だ。
あばら屋に行って、取ってきた竹を担ぐと売りに行く。問屋に卸すと。問屋に色々と聞かれる。
「何だかこの間から天狗の新聞が露骨に変わったんだよねえ。 前は読んで馬鹿にする程度のものだったのだけれど、何か急に真面目になった」
「新聞ってのは本来そういうものだろう。 まだちょっとぎこちないが、今の新聞の方が好きだけれどな」
天狗の新聞は、昔から人里にばらまかれている。
色々なルートから流通したり。
或いはいつの間にかそれぞれの家に置かれていたり。
それこそ天狗の仕業、という奴である。
一方で妖怪がらみの面倒な事件がたびたび起きる事で知られた古書店、鈴奈庵では、堂々と天狗の新聞を販売している。
悪名高い射命丸の新聞も扱っていたが。
最近は若手の天狗数名の新聞だけになり。
内容が真面目すぎて売れないと、鈴奈庵の売り子である本居小鈴という女の子はぼやいていた。
この子自身が大変な問題児で。
自警団でも目をつけている程なのだが。
まあともかく、天狗の新聞というのはそういうもので。
内容のいい加減さや、取材の過程で取材された妖怪が泣かされているだろう事は、誰もが知っていた。
しかしそれがくるっと反転したのだから。
それは良い事の筈。
「そうなのかねえ。 何か起きるんじゃないかって心配だよ」
「私はむしろ安心したがな」
「どういうことだい、妹紅さん」
「どういうことも何も、妖怪とも話すから知っているが、天狗は少し前まであからさまに腐敗した体制で好き勝手をやっていて、それで守矢に隙を突かれていた。 下手をすると、妖怪の山は守矢単独の支配下に置かれる所だった」
その守矢が、天狗もろとも最近大人しい。
相変わらず守矢の巫女である早苗は時々人里に飛んできて、布教活動に余念がないけれども。
それはそれとして、妖怪の間から聞こえてくる物騒な噂も減った。
何かしらの形で。
もめ事に決着がついた。
情報が流れてきていないから、今までは断片的にしか判断出来なかったが。
今は総合してそうだったのではないか、くらいの結論に落ち着いている。
ただあくまで状況証拠からの推察なので。
これ以上は何とも言えないが。
「何か問題は起きていないか」
「いえ、特には」
「では、これで失礼する」
「ええ、毎度」
頭を下げられる。
妹紅が凄腕で、大妖怪とも五分以上に戦えること。
それ以上に、「もの凄く長生きしているらしい」と知られている事。
それ故に、問屋の店主は腰が低い。
ちなみに不老不死の秘密は知られていない。
故にあの性格が悪い誰もが黙認している賢者のスパイ。人間でありながら妖怪側の存在。人里の監視役、稗田阿求も。その著書で妹紅の正体については、間違った記述をしている。ただし分からない事に関しては分からないと書いている事については、唯一好感がもてる。
あばら屋に戻ると。
しばらく壁に背中を預けて眠り。
そして昼少し前に起きだす。
後は人里を適当にぶらつく。
妹紅がいる。
それだけである程度の抑止効果になる。
だから暇なときは、出来れば人里を歩いて欲しい。
お飾りの長老に、以前そう言われた事がある。故に、こうやって馬鹿馬鹿しいと思いながらも、人里を歩いているのである。
店にも寄って欲しいと言われているが。
残念ながらあまり銭を使う気がない。
ある程度の物資は自給自足しているし。何より、妹紅は今では欲が極めて薄く、食事もいらないとまでは言わないが、最小限で済む。銭を使う理由が少ないのだ。
だから知り合いを見たら。
たまに店に寄るくらいだ。
食事は基本的に。
自分の力で入手する。
狩りにしても、野草の採取にしても。
どうしても足りない分は銭を払って入手するが。
どうせいつ何が起きるかなんて分からないし。
銭なんてその気になればどうとでもなる。
そう思っている妹紅は。
あまり貯金に興味も無かった。自警団をまとめるようになってから、それなりに蓄えは出来たが。それはそれだ。
前はもっと刹那的で殺伐とした毎日を送っていたのだけれども。
今はこの程度で落ち着いている。
だが、それもまたいつ元に戻るか分からない。
ロクな人生を送ってきていない。
それは事実なのだから。
昼を少し過ぎた辺りで、迷いの竹林に戻る。
人里を出ると、もう歩いている理由も無いので、飛んでいく。
途中で妖怪を時々見かけるが。
別に人を襲っている訳でも無いのなら、放置である。
昔はそれこそ手当たり次第に妖怪は焼き払っていたのだが。
今はそこまで好戦的な気分にはなれない。
竹林に到着。
此処にも拠点にしているあばら屋と、たまに気分次第で開く焼き鳥屋があるが。
どちらもあまり整備はしていない。
個人的につきあいがある人里に住んでいる例外的な妖怪(正確には獣人)、上白沢慧音には。
もう少し生活を丁寧にしてはどうかと、くどくど言われた事があるが。
妹紅の心情を理解しているからだろうか。
あまりしつこくは言われなかった。
する事も無いし、自警団で問題が起きたなら連絡する手段も確保している。
だから、少し長めに眠る事にする。
最近は。
眠る時間が増えてきていた。
だから、あばら屋の戸を叩かれたときには。
少し苛立ちもした。
「妹紅さん! いるかい!」
人の気配ではない。
無言であばら屋の戸を開けると、息を切らせた様子で、見覚えのある妖怪が立っていた。
この辺りを縄張りにしているリグル=ナイトバグという正体がよく分からない妖怪である。虫を操る能力を持つ。
虫を操るというと弱そうに思えるが、その虫が雀蜂だったりしたらどうなるかは言う間でも無い。
見た目以上に危険度の高い妖怪だ。
能力に合わせてか、姿格好は虫を意識しているが。
幻想郷のスタンダードに併せて、一応女の子には化けている。格好は男の子っぽいが。
「どうした」
「ミスティアが見当たらないんだ。 また何かトラブルに巻き込まれたのかも知れない」
「ライブとやらで命蓮寺にでも行ってるんじゃ無いのか」
「そっちにも行ってきた! 来てないって」
ミスティアか。
人間を鳥目にする能力と、狂わせる歌を歌う鳥の妖怪。
本人はあまり頭が良くないが。
その一方で能力の危険度は非常に高く。
本人が意識しているかはともかく、人間にとっての潜在的な危険度は高い妖怪である。
以前仕置きして、人間を襲うときやり過ぎないように兎に角気を付けろと言い聞かせたのだが。
さて、何に巻き込まれたのか。
「お願いだよ。 彼奴、困ったことは起こすけど、悪い奴じゃないんだよ」
「分かった。 少し調べて見る」
面倒事はもう仕方が無い。
妹紅は血塗られた道を歩いてきたし。
面倒事には嫌と言うほど関わってきた。
解決の方法は、色々思い当たる。
地獄のような人生を送る内に、皮肉な事に色々なスキルも身につけてしまった。その気になれば簡単な応急手当も出来るし。探偵の真似事だって出来る。
あばら屋を出ると、まずは思い当たる場所を探し始める。
しばらくして。
此処だろうと当たりをつけていた場所のうち。
一箇所で見つけた。
屋台が落ちて、それに巻き込まれたらしい。目を回している。
焼きヤツメウナギ屋の屋台をやっているミスティアなのだが。
どの辺りで商売をしているかは知っている。
その中で、屋台が滑落し。
巻き込まれる可能性がある場所を探したのだが。
案の定その一箇所で、思い切り巻き込まれていた。
腕力に関しても、生半可な妖怪など及びもつかない妹紅である。
さっさと屋台をどかして、下敷きになっているミスティアを助ける。
妖怪は肉体が破損しても死なない。精神が破損したときに死ぬ。
人間だったら致命傷だったかも知れないが。まあ妖怪だから大丈夫だろう。
そのまま永遠亭に担いで連れていき。
屋台は自分の所で預かっていると言づてもする。
竹林の奥にある永遠亭には、数限りなく殺し合った、不老不死の元凶。人生を狂わせた原因である昔話の「かぐや姫」本人、蓬莱山輝夜がいるが。今日応対に出てきたのはいつも胃を痛めている気の毒な月からの脱走兵、玉兎である鈴仙だった。
「治療費はどうしましょう」
「其処までは面倒見切れるか。 そいつが目を覚ましたら請求しろ」
「ああ、はい。 じゃあ預かりますね」
後はミスティアに交流があるリグルに話しておしまいだ。
さて、これで今度こそゆっくり眠れるだろう。
とはいっても、壁に背中を預けないと眠れないのだが。
それでも。
眠れるだけ、なんぼかマシだ。
1、多々良小傘また酷い目にあう
妖怪と言っても様々な種類に分類できる。
幻想郷には色々な妖怪がいるのだ。
まず獣から妖怪に転じた妖獣。
基本的に身体能力が高く、そして精神攻撃にも強い。妖怪にとって精神攻撃は致命的なのだが、妖獣は耐える事が多い。
その代わりに、知能が低い者が多い。
とはいっても例外は多く。
ひとくくりにはできない。
ものが変じた付喪神。
これも格によって様々で。
人型を取れるものくらいになってくると、他の妖怪と遜色がない力を発揮したり。最高位のものとなってくれば、大妖怪レベルの実力は持っている。
零落した神々。
昔は信仰を得ていた神々が、完全に信仰を失い、怪異になったもの。
元々信仰が弱かったケースが多いため、その大仰な呼び方と裏腹に強大な力を持っているとは必ずしも限らないが。
妖怪の中には実は結構な確率でこれが紛れている。
後は人間から転じた不死者だったり。
或いは夜の恐怖が具現化したものだったり。
いずれにしても、あらゆる全てを妹紅は見てきた。
炎の妖術をかなりの高い次元で使いこなす妹紅だが。
勝てる相手もいれば。
勝てない相手もいる。
妖怪と言っても実力はピンキリ。
妖怪の上位存在とも言える神々になってくると、流石に妹紅の手に負えない事も多いのだが。
そもそも不老不死という特性を生かして、粘り強くしつこく戦うと。
格上の相手でも、嫌気が差して逃げていくケースが珍しくない。
そうやって少しずつ経験を積んで。
妹紅は強くなって行った。
まだ十代なのに妹紅より強い博麗の巫女のような例外もこの世にはいるが。
基本的にそんなごく少数の例外を引き合いに出すのではなく。
結局地道にやっていくこと。
それが妹紅の信条だ。
今の状況で満足するのでは無く。
常に上を目指して何か取り入れられるものがないかを見ていくようにする。
基本である。
老いは頭から来る、とも言う。
妹紅はただでさえ1300年も生きている。
もしも完全に何かしらの理由で諦めてしまっていたら。
今はもう生きる屍になっていたかも知れない。
結局の所、妹紅は心まで年老いる事は無かったし。
血塗られた道を歩き続けたせいか。
色々なものを見てきた。
唾棄すべきものも。
輝かしいものも。
残念ながら、輝かしいものは殆ど見る事が出来なかった。世界は美しいなどというのは大嘘だと思っている。だが、美しいものは確かにある。
だから今も。
なんだかんだで、毎日を過ごすことを考えている。
今日は一日人里にいよう。
そう思った妹紅は、人里の端を見回る。この辺りが、妖怪と人間のトラブルが一番起きやすいのだ。
見知った顔に出くわすことも多い。
だから、それも必然だったかも知れない。
倒れた人影に気付いたので。
すぐに駆け寄る。
倒れているフリをしているのか。
本当に倒れているのかは。
妹紅くらいになるとすぐに判別できる。
駆け寄って抱き起こすと。
目を回している知り合いだった。
付喪神。
多々良小傘である。
いわゆる唐傘お化けであるが、人型を取っていて。手に古典的な唐傘お化けの形をした傘を持ち。水色の髪と、赤と蒼のオッドアイ。ちょっと日本人離れした姿だが。極めて善良な性格で、子供好きで人間の事を嫌っているようなこともない。
今では命蓮寺で食客をしていて。
驚きしか食べられないという偏食家である此奴も、食いっぱぐれる事は無くなっていたはずだが。
頬を叩いて、反応を見る。
完全に意識を失っていて、目を覚ます様子は無い。
周囲を見るが、戦闘の痕跡などは無し。
腹を空かせて倒れたようにも見えない。
此奴は確か、驚きを食べると、空腹になるまでのスパンがかなり長いと聞いている。この間会ったときはぴんぴんしていたし、むしろつやつやしていた位だったので。空腹で倒れたと言う事は無いだろう。
更に言うと、驚き(食事)に困らなくなったせいか。
非常に力も増してきていて。
今では生半可な妖怪なら、スペルカードルール抜きで撃退出来るくらいの妖力は持っている。
自覚はしていないようだが。
それがこうも一方的に戦闘の痕跡もなくやられたとなると、相手は何者だ。
いずれにしても、周囲を警戒。
此奴を伸した相手は周囲にはもういないようだが。
いずれにしても、放ってはおけないか。
荷物の類は周囲には見当たらない。
気絶していても傘を絶対に手放さないのは流石だが。
とにかく背負って命蓮寺に出向く。
命蓮寺に出向いて事情を話すと。出迎えた山彦は驚いて文字通り飛び上がり、命蓮寺の住職である聖白蓮を呼びに行った。
すぐに姿を見せる白蓮。
白蓮は信用できる。
生臭坊主は嫌と言うほどみてきた。
中には文字通り、人間のクズとしか言えない奴も多数いた。
此処の厳密にはもう人間を止めてしまっている住職は、多少問題解決方法が脳筋な所はあるが。
妹紅が今まで見た中でも、多分かなりマシな方にはいる僧職だろう。仏教の目的である悟りを開く、に至っているかというと、疑問ではあるが。
住職はすぐに対応。話を聞くと、小傘を抱えて奥に。手当するのだろう。
妹紅は客間に通されて。
話を此処のナンバーツーである毘沙門天代理、寅丸星に色々聞かれた。
星は元々人食い虎の妖怪だが。
毘沙門天の代理に指名されるくらいまともで人格的にも落ち着いた妖怪で。
まあ流石に悟りを開いているかというと違うだろうが。
それでも妖怪の中ではかなり善良でまともな存在である。
今では間違っても人を食ったりはしないだろう。
そういう意味では安心感がある。
「なるほど、郊外で倒れていたと。 周囲に戦闘の痕跡もなかったと」
「本人に聞いても分からないかも知れないな。 もし誰かしらにやられたとしたら、一瞬で、だろう。 しかも今の彼奴は、昔と違って力もそれなりにある」
「はい。 本人に自覚はないようですが、多分幻想郷の妖怪の中でも真ん中くらいにはもうなっている筈です。 聖の指導で様々な形で驚きを摂取していますので。 付喪神に限れば上位に入ってくるでしょう」
やはり力の元になるのは適度な栄養だ。
偏食家である小傘もそれは同じ。
栄養失調で死にかけた事もある。
今はむしろ、此処の住職は何があっても同じ轍を踏まないように、丁寧に指導しているのだろう。
そして小傘は頭があまり良くないが、とにかく器用だ。
指導さえきちんと受ければ、それに対応する事が出来る。
鍛冶のスキルを生かし。
更には鍛冶に必要な水の術も利用し。
最近は刃物関連のスキルから派生して、料理にも手を出していると聞いている。
此処に何かあっても食いっぱぐれないように。
そう意識しているのだろう。
ある意味此処の住職は現実的だ。
自分が長年魔界に封印され、弟子達に苦労を掛けたから、というのもあるのだろうが。
命蓮寺がどうにかなってしまっても。
此処で暮らしている妖怪が、人を襲わずやっていけるように。
その工夫を、常日頃から凝らしているという訳だ。
「何か襲われる理由は考えつかないか」
「いや、あの性格ですし。 ちょっと思いつかないですね」
「……例えば弱い妖怪がどんどん強くなっているのを見て嫉妬したとか、そういう線は」
「それも考えにくいです。 小傘は力を見せびらかすどころか、自分に力がついてきている事さえ気付いていません。 そもそも弱い妖怪には、積極的に救いの手をさしのべているのが命蓮寺だということは妹紅さんも知っているかと思います」
腕組み。
そうなると誰だ。
そういえば此処が出来た頃、「何か気に入らない」とかいう滅茶苦茶な理由で、伊吹萃香が不意打ちを掛けたことがあったとか聞いたが。
それも何度もやるとは思えない。
気まぐれでやったのだろうし。
大体萃香は、気まぐれで動きはするが、弱い者いじめなんかして楽しむタイプではない。
小傘は今強くなってきていると言っても精々中の中。
萃香から見ても面白い相手でも何でもないだろう。
しばしして、小傘が目を覚ましたと聞く。
様子を見に行くが。
意識はある程度しっかりしている様子だ。
予想通り、なんで気絶していたのかは、さっぱり覚えていなかった。
「転んだとか、そういう事ではないよな」
「違います」
「だろうな。 何か取られたか? 誰か一緒にいてさらわれたとかはないか」
「いえ、それも……」
弱っていたときは、飛ぶのにさえ難儀していたようだが。
今の小傘は、そんな事に苦労はしないだろう。転んだとしても、気を失うほど派手に転ぶような場所でもあるまい。
更にものも取られていないとなると。
小傘、もしくは通りかかった相手を無差別に狙った可能性が高い。
前者ならまだ良い……良くはないが、最悪ではない。最悪なのは無差別通り魔の可能性がある後者だ。
まさか博麗の巫女がたまたま通りかかってしばき倒した、という可能性は。
少し考えたが、多分違う。彼奴は兎に角派手に戦うので、辺りに痕跡が残っているはずだ。
「襲われる心当たりは」
「ううん、特には……」
「誰かの嫉妬や恨みを買っていた事は」
「わかりません」
小傘が首を横に振る。
恨みなんてどんな理由で買うか分からない。
此奴が良い奴だと言う事は妹紅も知っているが。だがそれが恨みを買わないことにはつながらない。
嘆息すると。
現場検証が必要だと、妹紅は腰を上げた。
「私がついていきましょう」
星も腰を上げる。
まあ良いだろう。
実力的には充分。何しろ此処の事実上ナンバーツーの僧侶だ。命蓮寺は強者の集団で、戦闘力で言うとまだ上が何人かいるが(恐ろしい事に)。それでも星は生半可な妖怪より遙かに強い。
聖白蓮は今丁度手を離せない用事もあるらしいし。
星がついてきてくれれば安心である。
「結果は知らせる。 まあ今は体を治すことに専念するんだな」
「ごめんなさい、妹紅さん」
「気にするな。 それにタチが悪い妖怪の仕業かも知れないからな。 その場合は自警団の方で動く必要もどうせあった」
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
いずれにしても、早々に片付けないと。何が起きるか分からない。
現地に戻る。
人里の外れという事もあって、殆ど人間はいない。まあ騒ぎになっていなかったし、第一発見者が妹紅だという事から考えても、此処を小傘がただ通っただけなのは事実。そして何かしらの理由で一撃ノックアウトされた。
強い妖怪の仕業、にしては痕跡が残っていないし。
弱い妖怪が調子に乗って何かした、と言う割りには痕跡が残っていない。
素人が襲撃をしかけると、大体痕跡が残るものだ。強い妖怪の場合は妖気が残る。
これは鮮やかすぎる。
念のため調べて見たが、転んだような跡もない。
ふむと、腕組みした。
「どう思う」
「タチの悪い通り魔の仕業か、或いは……」
「最悪の場合は博麗の巫女に通報するしか無いが」
「あの人は怠け者なので、真面目に動いてくれるかは分かりませんよ」
星の言葉にそうだな、とだけ応える。
妹紅の見たところ、最近博麗の巫女はかなり殺気立っている。
妖怪の山で何かあったのは確実で。
恐らくはそれ関連と見て良い。
今、話を持ち込んでも、断られる可能性が高い。
単純に忙しいからだ。
忙しいときの博麗の巫女は、やり方も相当に荒っぽくなる。彼奴に話をしにいくのは最終手段だ。
「命蓮寺関係者を狙ったという可能性は」
「今命蓮寺と明確な対立関係にある集団はありません。 誰かしらがトラブルを起こしたというのならまだ分かりますが、それも最近は……」
「……となると可能性は絞られるな」
星はそもそも命蓮寺関連者の動向を大体把握している筈で。
こんな状況下では嘘もつかないだろう。
見回りに来た自警団員が此方に気付いたので。
呼び止めて、話をしておく。
人里の人間はこの辺りには流石に近付かない事が多いが。
それでも念のためだ。
さて。
気配の類は感じないが。
何かひっかかる。
小傘による自作自演の線はないと見て良いだろう。
周囲に迷惑を掛けることを好まない小傘だ。そんな事をする理由がない。
現象としての妖怪の仕業だとすれば。
条件が整えばまた姿を見せるはず。
例えばヒダル神の場合。
近付いた人間を片っ端から空腹で倒れさせる。まあ今回は被害に遭ったのが付喪神の小傘だし、ヒダル神ではないだろう。
念のため、しばらく一人でこの辺りをうろついてみるが、勿論何も姿を見せなかった。そうなると、理由は何だ。
先ほど小傘が目を覚ましてから治療をした白蓮に話を聞いたが、やはり何かしらの衝撃を与えられて、意識を失ったことには間違いないという。
それこそ一瞬で延髄をストンという感覚。
少なくとも達人の技、というわけだ。
そして小傘が気絶しても慌てず。
何も、足跡さえ残さず去っている。
順番に検証していく妹紅を見て。
星がため息をついた。
「これは厄介ですね」
「命蓮寺と利害が対立しているとすると博麗神社や聖徳王、守矢だろうが。 それにしても小傘が襲われる理由が無いな。 聖徳王の所に至っては昔は兎も角今は半ば同盟関係だろう」
「はい。 それにもしも利害関係だとしたら、聖や私が襲われる可能性の方が高いはずです」
「その通りだな。 さて何が起きたのか」
一度戻る事を星に告げる。
頷くと、星も命蓮寺に戻った。
自警団の詰め所に出向くと。
さっきの話が話題になっていた。
「小傘ってあの無害な唐傘お化けですよね」
「ああ。 良い奴だ」
「そういえばお前、昔はタチが悪い悪ガキだったっけ。 小傘に遊んで貰うようになってから随分素行が……」
「うるせえ! 昔の事だ!」
小傘の事でああだこうだと話になっているが。
子供の頃に、小傘に遊んで貰った奴はかなりこの中にもいる筈。
小傘も見かけ通りの年齢では無い。
やたら古くさい唐傘のデザインからも分かるように。
長い年月を経ている付喪神だ。
小傘が初恋の相手だったという奴もかなりいるそうで。
今のもそうだったのかも知れない。
「それで、何か分かったのか」
「いえ、類似の事件はほぼ起きていませんね」
「見て来たが、達人の技で一瞬で気絶させている。 足跡も残していない。 つまり素人じゃないし、慌ててもいなかった、と言う事だ」
「厄介ですね」
ああそうだと告げて。
気を引き締めるように自警団員達に告げる。
その後、警戒を引き締めるべく話をしようとしたが。
不意に詰め所に誰か飛び込んでくる。
自警団員の中でも古株で。
今時珍しい、妹紅に鍛えられなくても妖怪と渡り合える実力者であるベテランだ。
「今腕利きは……あんたがいたか」
「何かあったのか」
「唐傘お化けが気絶させられたとか言っていたな。 多分類似の事件だ」
「!」
人里の端に行く。
そこでは、目を回した上白沢慧音が、介抱されていた。
思わず頭に血が上るが。
命に別状はないという。
慧音は人里に受け入れられている妖怪で。
数少ない妹紅の友人だ。理解者と言っても良い。
本人も幻想郷を代表する知恵者で、自衛能力も高い。実力も小傘とは比べものにならないほどなのだが。
それがこうも一方的に。
いずれにしても分かった事がある。
少なくとも博麗の巫女が手当たり次第にしばき倒した結果では無い。
彼奴は少なくとも、パトロールの最中に妖怪を手当たり次第にしばき倒す事はあるけれども。
慧音のように人里に受け入れられている妖怪まで襲う事はない。
「永遠亭は」
「いや、そこまでの必要はないだろう。 気を失っているだけだ」
「とりあえず荷車もってこい。 医者に見せに行くぞ」
「妹紅さん、辺りの見聞は頼む」
無言で頷く妹紅を見て、周囲の自警団員は青ざめて、さっさと慧音を連れて去って行った。
多分本気で妹紅がキレている事に気付いたのだろう。
大体分かってきた。
今回の犯人は、ほぼ間違いなく愉快犯だ。そうでなければ、妖怪なら何でも見境無く襲っている。
2、続けて出る被害者
最初は人里と関わりがある程度の小傘だったから自警団は動きようがなかったが。
慧音が襲われるとなると話が別だ。
そもそも里を代表する知恵者としても慧音は慕われていて。
寺子屋の授業がつまらないことにも定評はあるとしても(妹紅も一度授業の様子を見たが、居眠りをしている生徒が目立った)。
里で頼りにされているのは事実である。
またそもそも霊獣としてかなり高い地位にいるハクタクの獣人である慧音は。
優れた戦闘力も持ち合わせている。
人里にとって。
それが一瞬でやられるような相手が出るとなると。
問題である。
まず博麗の巫女に連絡は入れる。
小傘の時だけなら兎も角、今回は人里関係者に被害者が出ている。幸い慧音も比較的すぐ目を覚ましたが。
襲撃者は記憶していなかった。
そして三人目の被害者が出る。
人里に丁度来ていた河童の一人。河城にとりである。
此奴自身は「自称」人間に友好的な河童であり。
筋金入りのテキ屋で、どちらかというとあまりライトサイドの存在では無い。今ではやってはいないが、昔は散々人間を溺死させていた存在でもある。
此奴もそれなりの使い手。少なくとも、弱めの天狗よりは強いくらいの実力はあるにも関わらず。
やっぱり一撃でやられていた。
しかも、妖怪だから肉体が破損しても大丈夫だろうみたいな雑な攻撃ではなく。
延髄を匠の技で一撃。
何が起きたか分からないうちに気絶させている。
そしてやはり、足跡は残っていなかった。
目を覚ましたにとりから聴取を終えた後、危険だから人里には近付かないようにと忠告して。
それから詰め所を出ようとしたとき。
うんざりした様子の博麗の巫女が来る。
見るからに不機嫌だ。
あからさまに腰が引ける自警団員達。
この幻想郷で。
博麗の巫女を怖れない奴など多分いない。人間側の存在であることなど、まったく関係無い。
暴力の権化。
それが博麗の巫女だからだ。
特に今代の博麗の巫女は、その苛烈な性格も戦闘力も歴代最強最恐とも言われており。
万一怒らせた場合は地面にめり込むくらいの事は覚悟しなければならない。
博麗神社に妖怪が行っても人が行かない理由の一つである。
特に異変の際の博麗の巫女は、相手が友人だろうが叩き落として行くと言う評判で。
絶対に近寄るなと、人里でも周知されている程である。
ちなみに妹紅でも、まともにやりあったら勝てる自信はあまりない。
此奴はあらゆる意味で例外だ。
ただ、博麗の巫女でも無敵という訳ではあるまい。
神々の実力は更にそれを超えるからである。
「通り魔ですって? それも見境為しに」
「ああ。 とりあえずレポートはまとめてある。 今までに被害は三人」
「ふうん。 慧音がね……」
博麗の巫女はしらけた目でレポートを読んでいたが。
分かったと頷くと、詰め所を出て行った。
犯人の正体に心当たりがあるのか。
それとも。
とにかく、自警団としても連携して動かなければならない。人里の関係者もやられている以上。放置は出来ないからだ。
腰が引けている自警団員達を放っておいて。
いわゆる瞬歩で博麗の巫女に追いつく。
加速して距離を一気に詰める技だが。
目の錯覚でそう見せる古武術のと違って。本当に距離を詰めるものだ。なお習得には六年かかった。
これだけでも、この年で瞬間移動までこなす博麗の巫女は、あらゆる意味で桁外れだと分かる。
「待て。 この件、犯人に心当たりがあるのか」
「無いわよそんなの。 だからこれから資料を当たる」
「稗田のか」
「そう。 悪意のある資料だけれども、多分これ、誰かしら幻想郷で姿を見せる妖怪の仕業じゃないわね」
なるほど、博麗の巫女はそう考えるか。
ならばこれからは別行動だ。
此方は足で情報を集める。
詰め所に戻ると。
これからの体制について話す。
自警団はスリーマンセルで行動。
ツーマンセルだと、一人が不意打ちで倒された場合に対応出来なくなる可能性が高いからである。
フォーマンセルだと人数が足りない。
これで人里の巡回を行う。
勿論中心部もしっかり見張る。
この手口からして、何処に現れてもおかしくないからだ。
そして妹紅自身は、一人で見張りを行う。
餌になって、犯人を誘き寄せるためである。
妹紅なら何をされても死ぬ事はないし。
初見殺しの技にも対応出来る。
かなりの手練れも一瞬でやられているので。
それは気を付けなければならないが。
方針を話した後、解散と手を叩き、それぞれ巡回に入らせる。
被害者が襲われた位置はそれぞれバラバラ。
法則性もないし、何よりたった三人では統計も何もない。
無言で人里の端を歩き、見回る。
犯行現場以外で、何か起きているかも知れないからだ。
悪意と言うよりも。
遊んでいるように感じる。
その気になれば殺せるのに。
完全に放置しているような印象だ。
それはそれで腹が立つが。
とにかく、正体さえ暴いてしまえば、対応は幾らでも出来る。問題は、人間が襲われることで。
人里の端で気絶している人間がいたら。
よからぬ考えを抱く妖怪はいる。
元々妖怪は人間を喰う輩、殺す輩もいるのだ。
必要に応じて今は共存するために、脅かすに留めるようにしているが。
それに不満を持っている妖怪は珍しく無い。
妖怪に成り立てで気が大きくなっている妖獣が、人間を殺して喰らうケースが多いのはそれが理由で。
力を得たのに使わずして何だ、というわけである。
そういう連中に、しかも人里の端で気絶している人間が見つかったら。
どうなるかは、言う間でも無い。
黙々とモンペに手を突っ込んで歩く。
手が塞がるように見えるが。
元々妹紅は足技の方が得意だ。
それに、体術というのは様々な派生ができるし。
腕が塞がっているように見せれば、むしろ相手の奇襲も誘発できる。
調子に乗っている何か馬鹿な妖怪がいるなら。
しかけ易くしてやれば。
此方としても対応が楽で良い。
何より慧音は妹紅の数少ない理解者。
彼奴を襲ったことは許せない。
しばらく歩いて回るが。
何も襲ってこない。
舌打ち。
鮮やかな手口だけあって、相当な自信があると思ったのだが。
どうやら自分の実力を正確に把握しているか。
或いはリスクを避ける程度の頭は持ち合わせているらしい。
一旦詰め所に戻るか。
そう思った時。
狼煙が上がった。
四人目だ。
舌打ちして、急ぐ。丁度今、妹紅がいる場所と反対側だった。
やられているのは天狗。
それも姫海棠はたてである。
最近熱心に取材に彼方此方を回っていたようだが。
人里の外側。
これから人間に変装しよう、という所で一撃やられたらしい。
今までやられた中では、多分一番の実力者だろう。
目を回していたはたてだが。
気がつくのも早かった。
「何なのよもう!」
「今立て続けに人里の端で妖怪や獣人が襲われていてな。 お前が四人目だ」
「はあ!? どうして私が襲われなければならないのよ!」
「いっそ記事にしたらどうだ」
その言葉に、一瞬真顔になると。
いそいそとメモ帳を取り出すはたて。
たくましい。
此奴、この間の事件で随分と色々あったらしいが。
そのおかげで相当に成長したと見える。
長い事生きる妖怪だが。
成長しない奴は何年生きてもそのままだし。
逆に何かのきっかけで一気に成長する事もある。
はたてはその後者だったという事だろう。
自警団の面々に話を聞き始めるはたて。会話を聞いているだけで、はたてがどうやられたかは分かった。
流石に若手の天狗でも一番強い内に入るだけあって。
はたてはある程度覚えていた。
何か風のような音がして。
振り返ったが、何もおらず。
危険を感じて、空中に逃れようとしたところを。
後ろから一撃、だったという。
つまりはたてが振り返るよりも早く。
その後ろに回り込んだ、と言う事だ。
「何か見ていないか」
「人影のようなものは見ていないわ。 むしろ……」
「むしろ?」
「線のようなものが見えたかしら」
線。
なるほど、要するに超高速で、小さなものが動いていた、と言う事だろうか。
いずれにしてもぴんぴんしているはたては。取材受けてくれて有難うと頭を下げると、平然と飛んでいった。
今までで一番ダメージが小さい。
そうなると、相手によって攻撃の威力を変えていないと見て良さそうだ。
最初にやられた小傘は相当に効いていたようだし。
小傘より数段上のはたてには殆どダメージが入っていない。とはいっても、気絶させる所までは行っていたが。
ただ、はっきりした。
これは何かの初見殺し能力でなければ。
博麗の巫女が相手をするレベルの妖怪だ。
ぼんやり立ち尽くしている妖怪退治屋達を叱責。
人間を襲いだしたら大変な事になることを指摘し。
天狗も一撃だったことを思い出して、震えあがる此奴らを見て、色々と大きな溜息が出た。
さて、犯人が誰かは分からないが。
少なくとも弱い妖怪ではないだろう。
場合によっては。稗田に足を運んでおく必要がある。
稗田に話を通せば。
必然的に、つながっている最上級の妖怪である幻想郷の管理者、賢者に話が届く。
賢者は忙しいだろうから。
そうしてやらなければ、対応に向けて動いてくれないかもしれない。
そして、次の被害者が出た。
次の日の、夕方の事だった。
また襲われたのは、妖怪だった。
人里の端だと言う事も共通している。
この様子だと、犯人は或いは。
妖怪であると言う事を、確認してから襲っているのかも知れない。
ちなみに襲われたのは、命蓮寺の陸に上がった船幽霊。村紗水蜜である。
此奴自身がかなりの使い手で、実際巨大な錨を苦も無く振り回すほどの実力者なのだけれども。
襲われた事については気付いていたが。
どうやられたかは、分かっていない様子だった。
はたてと同格かそれ以上くらいの実力はある此奴がこの有様だと。
襲っている奴は、妖怪の勢力の長か。
それに近い実力者とみて良い。
まさか鬼か。
いや、地上に出てくる鬼は気が良い連中だし。
やったのなら自分だとアピールもする。
現在でも地上で時々見かける妖怪の山の元四天王、日本で最も有名な鬼である酒呑童子の現在の姿。伊吹萃香を思い出したが。小傘の時にない、と判断した相手である。多分違う。
彼奴だったら、今頃同じ手口で博麗神社にでもしかけて。
博麗の巫女にしばき倒されているだろう。
そもそも彼奴だったら、自分がやりましたアピールはするし。
何より、前に似たような事をした時は。
もっとやり口が派手だった。
となると、彼奴と同格の実力者になる。数は絞られてくるが、動機がない。
「あいたたた。 もう何だよ……」
ぼやいている水蜜は、流石に頑丈だ。
千年を経ている船幽霊である。
とにかく、命蓮寺に使いをやって。
迎えを寄越させる。
迎えに来た命蓮寺の住職聖白蓮は、話を聞くと少し考え込んだ。
「通り魔的に相手を襲う妖怪は幾らでもいますが、少し妙ですね」
「そういえばあんたは妖怪の専門家だったよな」
「専門家という程ではありませんが、まず相手を大人しくさせなければ話も聞いて貰えない事が多いので、必然的に知識はつきました」
会話(物理)と言う訳か。
白蓮は多くの人食い妖怪を更正させ、弟子にし。そして弟子達に慕われているという実績を持っている。
あながちそのやり方は間違っていないし。
事実力がなければ会話も出来ない妖怪も珍しくあるまい。
何か心当たりがないか聞いてみるが。
白蓮は小首を捻る。
「人間が被害者というなら、まだ話は分かります。 幾らでも該当例はありますので」
「そういえば襲われているのは妖怪だけだな」
「それが妙なのです。 人里に拗らせた退治屋がいるとしても、此処までの実力者は今人里にいないでしょう」
「悔しいがその通りだ。 私も同じ事を再現は出来ない」
出来るとしたら。
博麗の巫女くらいだろうが。
彼奴だったらもっと荒っぽくやるはずだ。
いずれにしても、注意喚起をして。
そして命蓮寺に戻って貰う。
手伝って貰うにしても、水蜜を放置しておくわけにもいくまい。
色々と良くない噂もある陸に上がった船幽霊だが。
人を殺している訳でも無い。
稗田の所には悪意の詰まった資料があるが。
アレは悪意で塗りつぶされているようなものなので。
信用してはいけない。
いずれにしても、妖怪しか襲わないとなると。
妹紅では餌にならないか。
仕方が無い。
伝手を辿ってみるしかない。
自警団の詰め所に出向くと、告げる。
「永遠亭に協力を仰いでみる」
「永遠亭って……ええとどうするつもりです」
「彼処にはかなりの使い手である玉兎がいるだろう。 彼奴を貸してもらう」
「ああ、あの薬売りの」
言ってやるなと言いたいが。
まあ変装がバレバレなのだし仕方が無いか。
鈴仙・優曇華院・イナバ。
やたら長ったらしい名前だが。本来の名前はレイセンだけで、しかも漢字ですらない。
月からの脱走兵で、兎に角精神面で脆いところがあるが。
戦士としては優れている。
何でも、月で神に直接高度な戦闘訓練を受けたとか言う話で。
強いのも納得である。
名前が長ったらしいのは、地上に降りて、幻想郷の唯一の中立組織である永遠亭に駆け込んだとき。色々あった結果、らしい。
なお普通は鈴仙と呼ばれているが。
師匠と鈴仙が慕う永遠亭の実質上の支配者、八意永琳だけは、優曇華と呼んでいるそうだ。
いずれにしても鈴仙は、兎耳がついた人間にしか見えない。
この兎耳にはストレスが露骨に出るので。
いつも兎耳がくしゃくしゃになっている鈴仙を見ると、ああと、境遇を察することが出来てしまう。
とはいっても、此奴が妹紅も認める実力者なのは間違いなく。
多分餌としては最適の筈だ。
妖怪だから死なないし。
何より、戦士として優れているのに、メンタル面が最弱な鈴仙の事は永遠亭でも問題視しているらしく。
精神鍛錬に丁度良いという話をすれば。
貸してくれるはずだ。
自警団の方では異存が無いという。
ならば問題なし。
さっそく永遠亭に出向く。
永遠亭は、住んでいる者くらいしかまともに入り込めない複雑な地形の「迷いの竹林」の最深部にあり。
妹紅のように、構造を知り尽くしていないとたどり着けない。
此処には優れた医療技術があるため。
急患が出ると妹紅が患者を連れて出向くことになる。
此処に三百年殺し合いを続けた妹紅の仇敵とも言える「かぐや姫」、蓬莱山輝夜もいるのだが。
今は戦う回数も減っている。
最近は話をする事も増えてきていて。
互いに少しずつ歩み寄りが行われている状況だ。
妹紅も、時々身を焼き尽くすような怒りが噴き上がってくることがあるが。
しかしながら、拳を交えていると分かってくる事もある。
なんだかんだで輝夜は悪い奴ではない。
無理難題で嫌な事を拒否するという悪癖はあるが。
それについては今になって、相当反省もしているようだし。
或いは血まみれの道をずっと妹紅が歩いて来たことにも、もう気付いているかも知れない。
今。殺し合おうとは思わない。
3、打開策
永遠亭に出向くと。
手ぶらで妹紅が来たことに、永遠亭の歩哨をしていた妖怪兎は警戒したが。
話を軽くすると客間に通された。もう最近は、輝夜との小競り合いも減っているし、そもそも妹紅も昔ほど殺気立っていない。永遠亭側でも、そこまで妹紅を敵視していない可能性も高い。
なれ合うつもりもない。ただ、今日は用事があって来ただけだ。
流石に輝夜は出てこなかったが。
すぐに永琳が鈴仙を連れて現れ。
詳しい話をする。
謎の通り魔。
その単語を聞くだけで真っ青になって一瞬で耳がくしゃくしゃになる鈴仙を横に。
彼女の師匠の永琳は、むしろ嬉しそうにした。
「その解決に優曇華がいると。 それは良い話ですね。 人里との関係強化にもなりますし、是非この子を使ってあげてください」
「分かった。 じゃあ借りていくぞ」
「どうぞどうぞ。 優曇華、すぐに出なさい」
「ひいっ! お師匠様! 後生です!」
逃げようとする鈴仙の腰を掴むとそのまま肩に担いで持っていく。勿論永琳は、それを笑顔で見送っていた。
きゃあきゃあ騒ぐ鈴仙は、しばらく竹を掴んだりして抵抗したが。燃やすぞと言うと大人しくなった。
くすんくすんと泣いている声が聞こえる。
嘘泣きじゃないのが度し難い。
此奴、実力は相当に高いのに。どうしてこうもその実力を生かせない性格なのか。
「きっと昔話の悪役みたいに、おしりを叩かれて、胃に穴が開いて、それで……」
「ぶつぶつ呟く余力があるなら歩くか鈴仙「ちゃん」」
「そもそもなんで私なんですかあ妹紅さん!」
「実力的にお前が一番丁度良いからだ。 それに肉体が破損しても死なないしな。 相手は妖怪しか襲わない」
また悲鳴が上がる。
ばたばたもがいて逃げようとするので、炎の妖術を展開。
鈴仙の目の前を、炎の壁で塞ぐ。
静かになった鈴仙を、また引きずっていく。
「か、体が破損するって、しかも相手は首コキャするって……」
「今まで襲われた奴は気絶で済んでいるが、このままだと首を切りおとしに掛かるかもな」
「……」
「おいおい、漏らしたんじゃないんだろうな」
手を離して降ろし、様子を見ると。
へたり込んでいた鈴仙は立ち上がり。ぽたぽた涙を流しながら、それでも妹紅について歩き始めていた。
ブツブツなにか呟いているが。
どうやら恨み事らしい。
大きな溜息が出る。
こんな為体だが。此奴はこれでも幻想郷最大の危機を、博麗の巫女や守矢の巫女、博麗の巫女の友人である魔法使いと一緒に打開した凄腕である。
スペルカードルール限定であれば幻想郷でも力量はトップクラスで。
戦士として普通に戦わせても充分に強い。歴戦である妹紅が太鼓判を押す実力だ。
脆いのは精神面だけで。
永遠亭でもそれを問題視している。
しかも以前の戦いで、冥界の庭師に上下真っ二つにされた事を今でもトラウマにしているらしく。
痛いの恐いのどっちも嫌だと、公言しているのを何度も見た事がある。
普通の人間ならそれで即死なのだが。
妖怪は肉体が破損しても、精神が壊れない限り死なない。
そんな恵まれた状況にあるにも関わらず。この情けなさである。
まあだからこそ。
妹紅も何というか、放っておけないのだが。
ともあれ人里にまで連れてくる。
人里では、流石に薬売りの格好になってもらったが。
妹紅と二人だったからか。
例の通り魔は出なかった。
そして、である。
人里に戻ってくる間に。
また一人やられていた。
今度は紅魔館の門番。
紅美鈴である。
此奴は優れた中華拳法の使い手で、人里には滅多に出てこない。門番の仕事が忙しいからである。
人里には気分転換を兼ねた買い出しに来たらしいのだが。
しかしその結果が、この災難というわけだ。
美鈴自身は、総合力で判断するとそれほど強い妖怪ではない。
拳法使いとしては優れていても、他の要素でもっと優れている妖怪が幾らでもいるからだ。格闘戦だけでも、美鈴以上の使い手は妖怪に幾らでもいるし。人間にさえいる。炎の妖術を封印して妹紅が素手でやりあっても、勝てる自信がある。美鈴が弱いのではなく、此処幻想郷が魔境過ぎるのだ。とはいっても、神々が出てくるとまたそれは次元が違う話になってしまうのだが。
もう襲われた美鈴は目を覚ましていて。
妹紅を見ると、申し訳ないと苦笑してみせる。妹紅は苦笑する気にはなれなかった。
「何か襲撃されたときに気がつかなかったか」
「見事すぎるほどの一撃でした。 功夫がまだまだ自分も足りませんね」
「ちなみにどんな攻撃だったかくらいは分かるか」
「はい、延髄に対する教本のような攻撃でした。 私も一応拳法は嗜んでいるつもりだったんですが、いやはや……」
此奴が一方的にやられるのは仕方が無い。今までにやられた面子の中には、此奴以上の使い手もいた。
だが、一つ大きな収穫があった。
「攻撃の種類は何か分かったか」
「恐らくですが素手です。 しっかりした手応えがありました」
「詳しく聞かせて貰えるか」
「恐らく背丈は私より少し高いくらい。 かなり体格のいい人間の成人男性くらいですね」
攻撃の角度。当たったときの感触。
何よりも一撃の重さなどから。
それが分かるという。
なるほど。それは好都合。
反撃のチャンス到来である。
一撃さえしのぎ抜けば、鈴仙にどうにか出来る可能性が高い。
鈴仙は波長を操る能力を持っており、あらゆる「波」を操作する事が出来る。
勿論格上の存在や、神などには通用しないが。
それでも今回は実体を持っている相手で。
しかも拳法使いである美鈴が、その体格などを見破る事が出来た。
と言う事は、不意打ち特化の能力持ちの可能性が高い。そうでなくても、最初の一撃さえ凌げば対応出来る。
美鈴には監視という名目で護衛をつけて、人里に出て貰う。怪我というほどのものもしていないし。何よりまた襲われたら気の毒だ。
何より相手の襲撃ペースが速くなっている。
多分鈴仙が単独で出れば、ほぼ確実に姿を見せるはずだ。
丁度都合が良い事に。
そろそろ夕方である。
腰が引けている鈴仙を見る。
「で、出る、んです、か」
「そうだ。 頼むぞ」
「……」
「漏らしそうな顔をするな。 此処で功績を挙げれば、少しは「お師匠様」も見直してくれるかも知れないぞ」
半笑いのまま、このまま逃げられないか考えている様子の鈴仙。
だから、付け加えておく。
「もし逃げたら永琳に言って蒲焼きにしてもらうからな」
多分蒲焼きという単語が決定打になったのだろう。
兎の蒲焼きなんて、昔は兎をよく食べていた日本でも見た事がないが。一体何処の文化なのだろう。
ともかく鈴仙は、完全に死んだ目で。
それでも能力を展開して周囲を警戒しながら、人里の端に出る。
何かあったら狼煙を上げろ。
そう言って、封を切ると打ち上げ爆発する術式を仕込んだ符の狼煙を渡す。
これくらいのものを作るのなら朝飯前である。
そろそろ日が沈む。
しかけてくるなら絶好のタイミング。
しかも鈴仙には、山伏が被るような編み笠を貸していて。
それにはしかけもしてある。
自警団の面々には通常通り見回りをして貰っていて。
妹紅は少し離れた地点に浮いて、周囲を警戒していた。
空を飛ぶ、か。
妖術を学んでいる間に身につけた技術だ。
妖術は殆ど我流で学んだ。
師匠と呼べる存在はいない。
妖怪を脅して聞き出したり。
使っているのを見よう見まねで覚えていったり。
やがてある程度戦えるようになると、覚えるのも楽になった。脅せば色々な理論から何から教えてくれるからだ。
そうして技術を彼方此方から集めて蓄積させ。我流に昇華させ。
やがて強力な妖術が使えるようになっていった。
空を飛ぶ能力もその一つ。
今は不老不死という肉体を生かして戦うのが主体になっているから。
相手に攻撃を誘い。
至近距離に引き寄せたところで自分ごと爆破したり。
本来は贄を捧げないと使えないような危険な術を自分の体を媒介にして無理矢理発動させるような戦い方を得意としている。
いずれにしてもこの呪われた体でなければ出来ない戦い方で。
他の人間に使えるような技は少ない。
他人に教えられるような技は殺傷力が低めで。
大妖怪に対抗できるような技で、他人に教えられるようなものはない。
空を飛ぶ能力に関してもかなりの我流で。
他の奴に教われと。
退治屋には告げている。
まあスペルカードルールで戦う場合は。
空を飛ぶことは半ば必須になるので。
もしも妖怪に対してある程度意見をしたい場合には。
まずは何かしらの手段で、空を飛べるようにするのが絶対条件になる。
星が見えてきた。
そろそろ陽も沈んだし。
一気に暗くなってくる。
鈴仙の奴。
腰が引けてるとはいえ、失敗はしていないだろうな。
そうぼやきたくなるが。
彼奴は恐怖がある一線を越えると。
戦士としての力を出せるタイプだ。
今回は蒲焼きというワードで滅茶苦茶怖がっていたので。
多分大丈夫だろう。
ぼんと、良い音がして。
地面が爆裂したのは、その時だった。
慌てて狼煙を投げて。
それが空に行かず、地面で爆発したのだとすぐに分かる。
全速力で突撃。
まさか手元が狂った訳でもあるまい。
そして、当たりだと分かった。
鈴仙が今いる辺りで、激しい光が連続で周囲を灼いている。
鈴仙が放った光弾が、敵性勢力を叩いているのだ。
空を飛んでいるから、到着まですぐ。
そして、そいつの姿も見えていた。
何だ此奴。
見た事がない奴だ。
知り合いの大物妖怪が悪戯半分、或いは何か目的があってやっている可能性も少しはあるかと思っていたのだが。
その可能性は消えたか。
相手は筋骨隆々の大男で。さながらその姿は仁王像のごとし。気弱な人間なら、夜道ですれ違っただけで小便をちびりそうな姿。それに加えて凄まじい圧迫感である。
鈴仙に渡した編み笠は吹っ飛び、千切れて近くに落ちていた。暗くなりつつなる道で。それが鈴仙が放った光弾に照らされ、見える。
編み笠の首の辺りには。
妖術で強化した鉄板を入れていた。
これで不意打ちにも対応出来るはず。
そう思ったのだが。
予想通りの展開になった。
鈴仙の側に降り立つと。
通り魔らしき大きな人影は。らんらんと目を輝かせながら(夜道で実際に光っていた)、吠える。
「死合いに入り込むとは無粋極まりなし! とっとと忌ねい!」
「何だお前。 見た事がない奴だな」
すっと構えを取る大型の人影。
鈴仙は戦闘モードに入っていて、いつものヘタレぶりが嘘のような体勢で、次の攻撃に備えている。
妹紅も構えを取ると。となりの鈴仙に言う。
「私がしかけるから、私ごと撃ち抜け」
「分かりました」
「行くぞ」
炎の妖術を利用して加速。
全速力で、蹴りを叩き込む。
あの拳法使いの美鈴が一瞬で遅れを取った相手だ。
油断できる筈も無い。
炎を纏った蹴りを叩き込むが。
巨大な人影は完全にガード。しかし、数メートルを吹っ飛ぶ。
後ろから鈴仙が連続で光弾を射撃。
弱めの妖怪なら一撃粉砕するほどの火力のそれが、妹紅の体を貫き、謎の人影を直撃する。
妹紅の体に開いた穴は即座に塞がる。不老不死というのはそういう体質だ。
気にする必要もない。
更にずり下がった人影だが。
いきなり鈴仙の背後に出現。
豪腕一閃。
首を刈り取りに掛かる。
だが、残像を作って下がった鈴仙が、連続で指鉄砲の形を作った手から、光弾を発射。五発まで、人影はそれを弾き返した。
しかし間髪入れずに妹紅の踵落としが入り。
更に爆裂する。
自分ごと爆破する妹紅の大技の一つ。
普通だったら自爆技になるが。
体が壊れても、体力が続く限り戦える妹紅に取っては、ただの技の一つだ。
跳び離れる鈴仙。
やったかとか、間違っても言わない。
妹紅も相手を見失った事に気付く。
今のは入った手応えがあったが。
さて何処に逃げた。
中空。
拳を固めた巨影が。
妹紅に、ハンマーのように振り落としてくる。
フルパワーで迎撃。
地面がクレーター状にへこみ。
そして押し込まれる。
だが、至近距離。
真横に瞬時に飛び来た鈴仙が、光弾を乱打。巨影の脇腹に、直撃弾を十発以上入れた。
流石にぐらりと揺れた巨影。
「離れろ!」
鈴仙が無言で距離を取るのを横目に、一瞬の隙で体勢を変え。
地面に手を突くと、爆炎をまとって巨影を蹴り挙げる。
全火力を展開し、空中に炎を乱射するが。
当然のように空中機動し、巨影はそれを全てかわす。
なるほど、あの動き。
少なくとも普通の人間では無さそうだ。生半可な妖怪でもない。実力で言うと賢者か、それに近い次元の筈。
大きい火球が直撃するが、手で弾く巨影。あれは妖術としても相当強力なのに。
そして、無理な機動で、地面に降り立つ。
地震のように響くが。
その衝撃がないかのように、間髪入れずに妹紅にタックルを浴びせてくる。
踏み込むと、それをまともに受けて立つ。
だが、相手は至近で残像を作って上空に消え。
其処から、大岩を投げ落としてきた。
あんなもの、いつの間に。
岩を爆破するが。
その爆破した岩を煙幕に、巨影が蹴りを叩き込んでくる。
ガードがこじ開けられた後だ。
モロに入った。
吹っ飛ばされるが。
煙幕になったのは妹紅に対してだけではない。
巨影の後ろ。
至近で、鈴仙が最大出力の光弾を放つ。
地面に叩き付けられた巨影が、呻きながら立ち上がる。そして、影のように溶けて消えた。
ふうと、息をつく。
とりあえず撃退は出来たか。
鈴仙は鋭い目で周囲を睥睨していたが。多分もう消えたと言う事だろう。
不意に、へなへなと腰砕けになる。
「恐かったあ! うわーん!」
「嘘つけ。 私より善戦していたじゃないか」
「だって! 彼奴スペルカードルールにも乗ってくれないし、何より……」
「お前を彼奴と戦わせたのには理由がある。 波長は読めたか」
不意に静かになると。
頷く鈴仙。
どうやら、相手の正体については、分かったらしかった。
稗田の家に出向く。
博麗の巫女、博麗霊夢はまだそこにいたが。
しらけた目で、ぼろぼろになっている鈴仙と妹紅を見る。
「さっきドカンドカン音がしたけど、随分派手にやりあったみたいね」
「ああ。 また随分と厄介な奴でな。 恐ろしく強かった。 拳法で美鈴が遅れを取るのも納得だ」
「それでどんな姿だった」
「姿は偽装だ。 あれは多分お前の知り合いだな」
はあと、分かり易すぎるほどのため息をつく博麗の巫女。
多分此奴も、同じ結論に達したのだろう。
「後は私が何とかするわ」
「……要するに私達には言えないこと、だな」
「ええ。 手柄は貴方に譲るから、正体不明の妖怪の仕業、と言う事にしておいて頂戴」
「え、でもあの波は」
鈴仙の口を、一瞬にして霊夢が塞ぐ。
凄い早業だ。
稗田の阿求が、しらけた目で此方を見ている。
ああなるほど。どうやら鈴仙の感じた波は当たりらしい。
問題は動機だが。どうして彼奴か、もしくは彼奴の手のものが、こんな事をしたかだ。
そのまま三人並んで歩く。
稗田家を離れた後。霊夢が人里から出て、博麗神社に向け歩く。
無言でしばらく歩いた後、霊夢が結界を張る。何重にも展開した強力な奴だ。
その作業が終わった後。霊夢が此方に振り返った。
「もう喋って良いわよ。 紫には聞こえないから」
「ああ。 あいつ、紫か、その配下の式神だろう」
「お察しの通り。 紫本人よ」
「やっぱりな」
攻撃の時、妙に手応えがなかった。確かに攻撃は重かったが、逆に気になったのは防御の時だ。それにいつの間にか移動したり、大岩を出したり。
隙間を操る妖怪。
それが八雲紫。幻想郷の数いる妖怪の中でも頂点に位置する賢者だ。
勿論神々に力は及ばない。
それでも、妖怪と言うカテゴリに限れば、最強の一角である。
以前、紫に打撃を叩き込んだ奴の話を聞いたことがあるが。
とても生物に打撃を叩き込んだようには思えず。
布団か何かを殴ったかのように手応えがなかったそうだ。
先の戦いはまさにそう。
普通の人間なら自爆同然の妹紅の大技も。
並みの妖怪なら一瞬で爆散させる鈴仙の射撃も。
いずれも殆ど手応えがなかった。
此処からも相手は神か大妖怪かの二択でしかあり得ず。
彼処までの実力を持つ未知の大妖怪は幻想郷にまだいるとは思えない。
かといって外来種が入り込んだら博麗の巫女に紫から連絡が行く筈。
何もかもがおかしかったのである。
問題はどうして紫がそんなことをしたか、だ。
周囲を見回す。
結界は映像も遮断するらしく。
外側からは見えないそうだ。
招かない限りは入れない。
そう、つまり。
霊夢は今、此処にその本人を招いた。
空間に裂け目が出来る。
裂け目の両端にはリボンがついていて。
裂け目の中には無数の目が見えた。
姿を見せるのは。
得体が知れない姿、という見かけに全振りした、幻想郷の賢者。話題になっている主、八雲紫である。
嘆息すると。
霊夢はすっと、大幣を紫に向ける。数多の妖怪の頭をかち割ってきたと言われる、恐怖の武器を。
「今回の件があんたの仕業だってのはもう分かってるから。 理由だけを述べてくれるかしら、紫」
「うふふ、恐くてちびっちゃいそう」
「其処のヘタレ兎じゃないんだから、あんたがそんな事する訳ないでしょう」
「やれやれ、降参よ。 こんなに早く結論に至られるとは思わなかったわ。 ない時間を捻出して必死に仕事をしていたのにね」
肩をすくめてみせる紫。
人間としては充分過ぎる美貌と、紫を基調とした服。手にした傘。
何もかも計算し尽くして。胡散臭さを作り出している。言動も、表情も、恐らくは今見せている姿も。
何もかもが作り物だ。
妹紅はこの場を外そうかと話をしたが。
霊夢は首を横に振る。
最初から硬直している鈴仙はまあ、そのままで良いだろう。
今回一番頑張ったのは此奴だし。
話を聞く権利くらいはある筈だ。
紫は驚くべき事に。普段は相手にもしていないだろう、妹紅に話しかけてきた。
「幻想郷の妖怪の山で問題事が起きた事は知っているかしら」
「ああ、具体的な内容は知らないが、天狗に何かあったという事だけは分かっている」
「それで充分よ。 簡単に言うと、組織の腐敗が限界に達していたの。 それで、此方で手を入れなければならなくなったのだけれど」
ああ、それでか。
色々納得がいく。
天狗の新聞がいきなりまともになったり。取材に来る天狗が若い奴ばかりになったり。更に言うと、最近気付いたが天狗の活動範囲も変わっている。前よりもあからさまに狭くなった。
その代わり、他の妖怪が妖怪の山の空を、比較的自由な様子で飛んでいる。
前は天狗が恐くて萎縮していただろうに。
天狗がきちんと縄張りを守り。
他の妖怪を無闇に脅かさなくなった。
その証拠だ。
守矢の庇護、というだけでは説明がつかない。
天狗側に、紫と、恐らくはそこにいる赤い巫女。幻想郷のバランサーである博麗の巫女が介入したのだ。
ほぼ間違いなく天狗側にヤキを入れてきたのだろう。
取材と称して弱者妖怪をなぶり者にして来た天狗の行動には、妹紅も色々思うところがあったし。
ようやくか、という言葉も湧いてくるのだが。
「ところがね、よく考えてみると、人里も近年恐怖に欠けているでしょう。 事実妖怪に食われる人間は殆ど出なくなっているし、外来人は容赦なく食われるという噂を流しても、どうしても噂の域を超えない。 直接的な恐怖が足りない。 もし恐怖が足りなくなると、いずれ人間もまた妖怪を怖れなくなる。 そうなると幻想郷に色々迷惑も掛かる」
「それで未知の通り魔妖怪を演じて見せたと」
「そういう事よ。 勿論口外無用だけれど」
「自警団をまとめている私だから話す、か。 私はこういう政治的な話は大嫌いなんだがな」
紫はくつくつと笑う。
だからこそ。
知っていて貰わないといけないのだと。
そろそろ、態度を改めて貰わないといけないのだとも。
「藤原妹紅。 貴方には大妖怪を打倒する実力と、長い年月を掛けて蓄えた豊富な知識がある。 そして今の幻想郷は、人材が一人でも多くいるのよ。 貴方ほどの人材であるならば遊んでいて貰う訳にはいかない。 外の世界のように、人材をすり潰して浪費するような社会にはしないためにも、力を持つ者には責任が必要なの。 勿論貴方にもね」
「責任を持たないとあの天狗達のようになる、か」
「ご名答」
「ちっ。 厄介な話だ。 だが正論で反論も出来ないな」
恐らく今回の紫の行動は。
弛んでいた人里に対する喝。
そしてそれは、充分に機能した。
正体不明の通り魔妖怪が出ると言う噂は、人里で恐怖と共に広まっている。今まで妖怪の脅威が薄れすぎていたのだ。だからこそに、噂が拡散するのも早かった。
「というわけで、後の動きについては霊夢、貴方に任せるわ」
「分かったわ。 とりあえずこう言うことにしましょうかね」
霊夢は妹紅と鈴仙を見る。
その目は、いつになく冷酷なように思えた。
此奴、戦闘時以外で、こんな目をするような奴だったか。
怠け者でいい加減で。
真面目になるのは、異変解決の時だけ。そんな奴だったような気がしていたのだけれども。まあ、子供もいつまでも子供では無い。そういう事だろうか。
或いは、この間の天狗の腐敗の一件で。
力を持つ者が適切に振る舞わないとどうなるか。
思い知らされたのかも知れない。
「暴れていた大妖怪、まあ仮に青入道にしておきましょうか。 それは貴方たち二人で倒して、私が封印した。 ただし青入道は厄介な妖怪で、人里が弛んでいるのを察すると、また現れる。 紫、阿求には後でそう記述するように話しておいて」
「此方では自警団の引き締めをしろって言う事だな」
「ご名答。 最近かなり鍛えているみたいだけれど、まだ足りないわね。 私は動けないから、もっともっと鍛えてくれると助かる」
「分かった。 私も彼奴らが腑抜けているのには色々思うところがあったし、きちんと対処しておく」
所在なさげにしている鈴仙にも、咳払い。
背筋を伸ばした鈴仙に言う。
「永琳には、問題解決とだけ言え。 もし真相を話したりしたら、私がお前を蒲焼きにするからな」
「ひっ! わ、分かりましたよう……」
「ならばいい。 では解散だな」
頷くと、紫は隙間の奥に引っ込む。
妹紅にも分かったが。
何だか疲れている様子だった。
恐らくだが、天狗の一件で、後始末と膿出しに奔走したのではあるまいか。
普段から相当に忙しそうだとは思っていたが。
今回のような状況になると、もうそれどころではないのだろう。
彼奴は得体が知れないが。
過労死されると困る。
霊夢がしらけた目で紫が消えた跡を見ていたが。
今後、この博麗の巫女にも、異変解決以外の仕事。
例えば、紫が普段やっているようなダーティーワークが舞い込むのかも知れない。
いつまでも子供じゃあない。
それは誰でも同じ事だ。
事実、此処まで多くの組織が幻想郷に存在し。
そのバランスを保ち続け。
更には外の世界とも上手にやって行くには。
ダーティーワークをやるのが紫だけでは、とても足りないだろう。
政治的な話は大嫌いだが。
力を持つ者が無責任だと。
混乱が起きる。
それについては、妹紅もよく分かっているつもりだ。ならば今後は、少し立ち位置を変えなければならないかも知れない。
「軽く打ち上げとでも行くか」
「そうしたいのは山々だけれど、ちょっとこれから行くところがあってね」
「そうか。 大変になったな」
「……手が足りないのよ」
霊夢はそれだけ言うと、さっさと博麗神社に戻っていく。準備をしてから、何処かしらに行くのかも知れない。
それを見送ってから、妹紅は鈴仙に聞く。
「何か食べたいものでもあるか。 奢るぞ」
「え、どういう風の吹き回しですか? これから私を殺して食べるつもりですか?」
「なんでそうお前は被害妄想気味なんだ。 だいたい流石に人型の妖怪を食べる気にはならん。 一番奮戦してくれたのはお前だし、それに報いようかなと思っただけだ。 銭は自警団をまとめるようになってから少しは余裕もできたしな。 多少いいものでも奢ってやるぞ」
それじゃあと、少し悩んでから。
鈴仙は言う。
そば屋に行って見たいと。
なんでそば屋と聞くと。
鈴仙は指をつきあわせて、恥ずかしそうに言う。
「おじさんばかりいて、恐くて入れなかったんですよ」
「……」
呆れたが。
奢ると言った以上、それ以上何か言う気は無かった。
勿論そば屋には、きちんと連れていった。
4、注意喚起と暗い道
分かりきっていた話だが。
謎の通り魔はもう出なくなった。
被害者の所には、妹紅が一人ずつ回って、全員に妖怪「青入道」を倒した事を告げて回る。
嘘に気付いたものも何名かいた様子だが。
だが、妹紅がそう言ったということで。
それ以上の追求はしなかった。
ただ、妹紅から謝っておく。
自警団が不甲斐なかったせいですまなかったと。
そうすると、普段から気むずかしそうな吸血鬼、レミリア=スカーレットも口をつぐんだ。
最初は身内が叩きのめされたのだから、私が仕返しに出ると息巻いていたのに。
何か事情があると、察したのだろう。
子供らしい所もあるレミリアだが。
長い年月を生きている老獪な部分も同時に持ち合わせている。だから話は早くて助かった。
紅魔館のメイドに至っては更に話が早く。
妹紅が謝りに来た時点で何か理由があると悟ったらしく。
何も聞いてはこなかった。
人里にはほどよい緊張感が漂っている。
また気を抜いたら出る。
そう博麗の巫女が明言したのである。
妖怪の山の様子が変わったことは人里でも噂になっているし。
何か雰囲気が違うと、気付いたのだろう。
緊張感でぴりぴりしているが。
これでいい。
妖怪を怖れる。
その大前提がなければ。
幻想郷は回らないのだ。
勿論、究極的に人間にとっては幻想郷は必要ない。
だが、妹紅は少し前に、自称普通の魔法使い、霧雨魔理沙から話を聞いた。畜生界の事。そして現在の外の世界の有様。
もしもの事もある。
今後も、幻想郷は慎重かつ丁寧に回していかなければならない。
何があるか、知れたものではないのだから。
数日後には、慧音も寺子屋に復帰した。
慧音には話そうかと思ったが。
妹紅の様子を見て、授業が終わった後に話をしにいった慧音は、あらかた全てを悟ったのだろう。
何も言わなくて良いと。
それだけ言ってくれた。
慧音は歴史を編纂する仕事も請け負っている。
その時には獣人の「獣」のほう。
格が高い霊獣であるハクタクの要素が強くなり。
かなり気性も荒くなる。
妹紅の事が何となく理解出来るのも。
そういった二面性が、自分に備わっているからかも知れない。
世の中の存在は。
必ずしも、一つの言葉で片付けられるほど単純ではないのだ。
「すまなかったな。 多分これから、またしばらくは問題が連続して起きるかも知れない」
「いや、妖怪の山については私も心を痛めていた。 もっと早く何かしらのアプローチを博麗の巫女に掛けておくべきだったかも知れない」
「そういえば、古くからの知り合いだったか」
「先代とはかなり関係が深かったのだが、霊夢とはあまり、な。 だが人里の寺子屋でものを教えている事は霊夢も一目置いている。 話くらいならば、聞いてくれたかも知れなかった」
何も言わなくても妖怪の山が起点になっていると悟るくらい。
慧音は幻想郷の状況を把握している。
ともあれ、被害者の無事は全て確認したし。
後は人里の引き締めをして行くしかないだろう。
紫については怒れない。
確かに彼奴が言う通り。
全てが弛みきっていたのも事実だからだ。
人里は妖怪に襲われない。
襲われたとしても、事故。
そういう弛みが、何処かに存在していた。
思うに、鬼が地底に去ってからが決定打だったのだと思う。
明確な人攫いで人食いである鬼がいなくなった。
それで人里の妖怪退治屋も、腑抜けになった。
妹紅はそれを鍛え直さなければならない。紫がいう、力を持つ者の責務として。色々と難儀だが。
妹紅自身も、はっきりいってもう血塗られた道を歩くのは嫌だ。
「なあ妹紅」
「うん?」
「知恵が必要なら貸そう。 いつでも頼ってくれ」
「ああ、頼りにしている」
頷くと、寺子屋を出る。
後は、妹紅自身が見本として、行動を示して行くしか無い。
あまり褒められた人生を送っていない妹紅だが。
それでも、力は持っている。
それを使うしかない。
少なくとも、守りたいものは出来た。
手が届かない範囲にあるものは仕方が無いとしても。
守れるなら、守るべき。
それは妹紅にも、分かっていた。
自警団の詰め所に戻って最初にやったのは。
巡回のルートや、スケジュールの変更。更に人員の強化である。
人里の人間は、今の時点で誰も仕事に困っていない。
恐らくだが。
何かしらの方法で、賢者が手を入れて。
人間が増え過ぎも減り過ぎもしないようにしているのだろう。勿論妖怪に対しても同じ事をしている筈だ。
だから漠然とした仕事をしている人間をスカウトして。
それを妖怪と戦える奴にまで仕上げる必要がある。
その話をすると。
不安そうにする自警団の連中。
此奴らも大半が弛みきっていて。妹紅が鍛えるまでは、殆ど使い物にならなかったのだが。それを忘れたかのようにいう。
「妹紅さん、素人なんか集めて役に立ちますかね」
「最初は誰もが素人だ。 私もそうだった」
「妹紅さんがですか!?」
「そうだ。 最初は随分苦労した。 その苦労を知っている人間がやる事はただ一つ、後続の苦労を減らす事だ。 力を得るためのノウハウは分かっている。 お前達に教えた技だって、私は四苦八苦して試行錯誤して身につけていったものばかりだ」
技は見て盗め何て勘違いしている言葉もあるが。
実際にはそれは悪手の極みだ。
教えた方が変な覚え方はしないし。
最初は誰もが素人だが。
教え方次第によっては化ける。
当たり前の事である。
博麗の巫女のような規格外もたまにはいるが。それはあくまで例外なのであって。ああいう規格外を普通として考えると大変な事になる。
「定職がない奴を何人か見繕って連れてきてくれ。 それと、今までは積極的に巡回しなかった人里の端も、今回からは巡回対象にする」
「しかし端の方は、妖怪ともめ事を起こさないためにも……」
「妖怪が何をしているか把握する必要がある。 勿論積極的にもめ事を起こす必要は一切無い。 相手としっかり話をして、悪さをしようとしているなら見抜く力も必要だ」
自警団の詰め所に。
慧音を招く。
寺子屋で教わっていた時に、随分世話になった自警団員も多い筈。思わず背を伸ばす奴も何人かいる。
「慧音には頭を下げて、相手が嘘をついているか見抜く方法と、空を飛ぶ術の取得について教えて貰うように頼んだ。 慧音、出来るだけ分かり易く教えてやってくれ」
「私の授業はわかりにくいか」
「わかりにくい」
「……そう断言されると少し傷つくが、仕方が無い。 努力する」
この辺りも。
友人だからと言って、メリハリをつけないわけにはいかないだろう。
そもそも幻想郷の状況を考慮するに。
ちょっとバランスが悪くなっていたのは事実なのだ。
勿論妖怪に人が食われるような関係は好ましくない。
だが妖怪と言う恐怖がなければ。
人間は堕落する。
それもまた事実なのだろう。
いずれにしても、人里は妖怪にとってのエサ箱であってはならない。今後は自衛力も必要になる。
その気になれば人里なんて一夜で滅ぼせると言う妖怪は実際にいる。
それは事実だ。
だが今後は、それではいけない。
人間が妖怪を怖れる。
そこまではいい。
だが妖怪を人間が退治できなければならない。
大物は博麗の巫女が倒すにしても。それ以外は、腕利きの退治屋ならばどうにでもできる。
そういう状況にまで持っていかないと。
この悪い状況は打開できないだろう。
座学と実戦訓練を慧音と手分けして担当し。
更に格闘術の講師として、紅魔館の紅美鈴も招く。美鈴は子供に拳法を教えてくれる事が時々あるが。
元々人間に友好的な妖怪なので。
今回の件も、妹紅が門番を代わりに引き受けるという話をすると、喜んで受けてくれた。
妹紅のような例外はともかくとして、人里の自警団員で、格闘戦で美鈴に勝てる奴はいない。
そして美鈴は以前、自分しか知らない、失伝してしまった拳法がたくさんあると嘆いていたので。
それらを教えてやって欲しいとも言っておいた。
多分ノリノリで教えてくれる筈だ。
人員の確保もある程度上手く行った。
妹紅だけが教えていた事が、とてもバランスが悪かったことも。講師を増やしてみてよく分かった。
勢力のボスをやっているような妖怪にはとても勝てないにしても。
粋がった雑魚妖怪くらいなら返り討ちに出来る。
それを人里の方でも、きちんと示しておかないといけない。
今後は命蓮寺の住職や、聖徳王にも声を掛けて、鍛え直しに協力して貰いたいところだ。ただ白蓮はともかく、聖徳王は話に乗ってくれるかは分からないが。
里の自警団の再編成をしている間は。
妹紅が一人で人里の要所を巡回する。
人里の端。川の側でふと気付く。
誰かが見ている。
振り返ると、知らない妖怪だった。
幻想郷の妖怪らしく、人間の女の子の姿をしているが。
気配で分かる。
かなり強い妖怪だ。
「人里の妖怪退治屋が鍛え直しているみたいだね。 腕試しに、今度襲っても良い?」
「その前に私を襲ってみろ。 来い」
「いやだよ。 燃やされると熱いもん」
「……お前、誰だ」
いつの間にか、後ろに回られていた。
戦闘態勢に入った妹紅をからかうようにして、その妖怪は笑い声だけを残して消えた。
嘆息する。
自身も鍛え直しが必要か。
好戦的な妖怪は決して少なくない。
人里の戦力が充実したら、また「遊びに」来るかも知れない。
妹紅の事を知っていると言うことは、前に手当たり次第に妖怪を叩き潰していた頃にのした相手か。
或いは。
頭を振ると、一度人里に戻る事にする。
やはり幻想郷には。
ある程度の緊張感が必要だ。
その結論に、代わりは無い。妹紅自身も、それは同じだった。
(終)
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