陰鬱の島
序、違う世界
英国に出向いて、最初に感じたのは、空気が違うと言う事だった。非常にひりついているというのかなんというのか。
強烈な断絶を感じる。
一時期、西欧では人権意識が進んでいるなどと言う幻想がばらまかれていたが。
実際には差別は横行し。
治安は悪い。
大量の難民は暴徒と化し。
労働実態だって、大してブラック企業が横行していた日本と差が無かった。
それらが浮き彫りになって行った21世紀中盤には、欧州は世界のトップから既に陥落していたが。
陥落していた頃には幻想も失せ果てていたし。
何よりも、地球そのものが詰みかけていて。
世界そのものが終わろうとする中。
何処の誰もが自分だけ生き残ろうとすることに必死だった。
私は、クロファルア人が来た頃に物心ついていたから。
その辺りの地獄についてはよく分からないのだが。
多分私より上の世代は。
悪夢のような時代を、良く記憶しているのだろう。
私がフォーリッジ人の協力まで受けて英国に入国し。
地下の拠点を貰って。
協力者達を紹介されたとき。
受けた視線は、歓迎するものとは言い難かった。
博士と、先に来ていた一番若い協力者のお姉さんだけは、何とか味方をしてくれそうだが。
険しい顔をしたスコットランドヤードの強面の警部。
それに、英国の諜報機関の人間らしい、感情がまったく顔に見えないロボットみたいな男性は。
翻訳装置があっても。
意思疎通が出来るか、あまり自信が無かった。
ともあれ自己紹介を済ませ。
状況を聞く。
スコットランドヤードでは。
実は少し前まで、不可解な失踪事件が多発していることには気づけていなかったらしい。
英国で今活動している「ヒーロー」はネオロビンフッド。
狙撃を得意とするヒーローで。
悪の組織「ワーカーズ」の手下達と、妖精の紋章をつけた(とはいってもおどろおどろしくて、かわいらしさなどかけらも無いが)怪人達を。
アウトレンジから一方的に貫くことを得意としているそうだ。
相手が遮蔽物の影にいようと関係無く。
その狙撃は、遮蔽物ごと相手をぶち抜く。
一方で、悪の組織以外にはまったく興味を見せず。
スリだろうがかっぱらいだろうが。
捕らえることは一切無いそうだ。
もっともその辺りは。
クロファルア人が提供した治安維持ロボットが実施するらしく。
放置しておいても大丈夫だろう、的に考えているものも多いそうだが。
しばし話した後。
警部さんは険しい目のまま言う。
「特殊な体質持ちで、奴らと戦えることは分かった。 ワーカーズのせいでこっちもただでさえ限られている人員をかなりやられているからな。 あんたみたいな駆除の専門家が来てくれると助かる」
「今までの事件などを見せてくれますか」
「ああ」
情報提供については、相応に積極的で。
それは助かる。
見せてくれるデータだが。
どれも日本のものとは違う。
兎に角非常に残忍なのだ。
難民をターゲットにした大量殺人や。
社会的弱者を狙った連続襲撃事件。
いずれもがワーカーズの名前を現場に残しており。
一部の人間は、むしろワーカーズに肩入れさえしているという。
ネオロビンフッドが出てくる前は、ワーカーズを支援しようなどと口にする集団までいたそうである。
なるほど。
断絶の国なんだなと、思い知らされる。
元々この島国は、アメリカの独立辺りから世界の覇者としての地位を失ったが。
そもそも創始者が海賊という事もある。
それもおとぎ話に出てくるような愉快な海賊では無く。
敵は皆殺し。
富は奪い尽くし。
女子供は陵辱し尽くし。
何もかも焼き尽くす。
そういった連中としての海賊だ。
その子孫と言うこともあって、世界史でやってきた悪行の数々も凄まじく。
特にインドでは経済を徹底的に破壊したあげく、2000万人に達する人間を餓死に追いやっておきながら。
更に国を分割し。
インドは未だにその分断の歴史に苦しんでいる。
勿論そういった悪行を反省などしていないわけで。
人権先進国だの。
リベラルだの。
そういったものに幻想を見ている人間が、如何に滑稽か。
よく分かる事例となっている。
実際問題、ワーカーズに共感する人間まで出ていたというのだから、筋金入りだ。
日本とは違うやり方で。
相手と戦っていかなければならないだろう。
勿論この協力者達も、
信頼出来るかは、かなり怪しいとみるべきだ。
幾つかの事件を見せてもらった後。ワーカーズの特徴について聞く。
警部は不愉快そうに電子タバコを口に咥えると。
なにもかもだるそうに言う。
「奴らは血に飢えた殺し屋だ。 題目としては労働者のためと称しながら、手当たり次第に人間を殺す。 手口は残虐で、テロリストどもが可愛く思えてくるほどだ」
「日本でもブラックファングが特に初期は大量虐殺の限りを尽くしましたが」
「此方でも同じだ。 ワーカーズは貧民街を中心に狙い、手当たり次第に移民を襲い、外国人を襲った。 全員がそうじゃあないが、それを見て拍手喝采する奴は確かに存在した」
「……」
それは凄まじいな。
私はそう思ったが、黙って続きを聞く。
ネットなどでも、ワーカーズを称賛する声は確かにあったという。
英国という国は。
二度の大戦で、結局負ける事がなかった。
勝つことも無かったが。
本土を空爆はされこそすれ、基本的に勝者の側に立った。
だから、なのかも知れない。
これだけの歪みが生じ。
そして未だに解決していない。
ロンドンでは、クロファルア人による事業を基本的に歓迎はしているが。
やはり民族同士の対立は未だに起きていると言う。
ネオロビンフッド帰れという声もあるとかで。
それはそれで、実態を知らずに言っているとしたら、頭を抱えるばかりである。
「日本で暴かれたヒーローと悪の組織の戦いの裏で起きていた大量失踪事件については、此方でも聞いた。 というか、俺たちスコットランドヤードでも、妙な失踪事件が起きていることは分かっていたんだがな。 何しろあんた達の国と違って治安が桁外れに悪いからなあ。 手が回らず、結局今にいたるって訳でな」
「今回、協力はしていただけるということでよろしいですか?」
「ああ、それはもちろんだ」
警部が顎をしゃくると。
ロボットみたいに無表情だった情報部の人が頷く。
声も無機的で。
殆ど感情を感じられなかった。
普段情報部と言えば、それこそテロリストのアジトを暴いたり、あらゆる手段で敵を抹殺するために動くのだろう。
そういう職場にいて、場合によって表情、性格、場合によっては印象までも変えなければならない。
そんな事をしていれば。
いずれ人間らしさを失うのは、自明の理なのかも知れない。
少なくともこの情報部の人からは。
あまり人間性を感じられなかった。
「そもそも英国に対して活動していたテロリストが、急にワーカーズという組織にまとめ上げられたことには此方でも違和感を感じていた。 勿論諜報のためにスパイを送り込んだりもしたが、一人も生きて帰ってこない。 難民への大規模殺戮などをした場合には、特殊部隊を送り込んだが、軍のエースが揃った部隊でも手に負えなかった。 それについては、君達の国での状況と同じだ。 更に調べて見ると、ネオロビンフッドが現れてから、確かにおかしな失踪事件が急増している。 君達の国での事件を見た後、情報部は協力を仰ぐべきだと判断した」
「スパイも送り込んでいたんですか」
「ああ、映画に出てくるような色男では無く、本物のをな。 だが、テロリストに潜り込んで情報を持って帰ってくるような凄腕ですら帰還できなかった。 更に、ネオロビンフッドについても、おかしな事が幾つもあった」
そもそも何処の誰で。
どこから現れているかさえも分からない。
原典のロビンフッドも、民衆のために戦った英雄だという話だが。
ネオロビンフッドは、文字通りの怪人。
痕跡さえなく。
そこに人間がいたとは、とても思えなかったという。
いずれにしても、現れるワーカーズをネオロビンフッドは殆ど抵抗さえ許さず抹殺していくため。
そもそも指揮官個体が非常に高い能力を持っている事や。
ネオロビンフッドがどうやら狙撃をしているらしいことさえ。
かなり後になって分かってきた、と言う事だった。
なるほど、厄介な話だ。
博士が挙手。
「なるほど、真っ先に協力を求めてきた理由はよく分かった。 本当に対策が進んでいないし、解明も出来ていないのだね」
「情けない話だが、そうだ」
「ならば宏美くんが役に立ってくれるだろう。 ただし、敵の出現地区が分からない限りは、どうにもならないが」
警部が、地図を拡げると。
地図上に幾つかの印を付けてくれる。
今だに攻撃を受けていない貧民街などだ。
現在、ネオロビンフッドは週に一度ほど姿を見せる。
「ワーカーズ」が、ではなく。
ネオロビンフッドがだ。
なるほど。
要するにワーカーズが一瞬で殲滅されてしまうため。
ワーカーズが出現した、という認識が遅れるのか。
故にネオロビンフッドの出現が、優先度としては上げられる訳だ。
この辺り、私が直面していた日本の状況とは逆になる。
まずヒーローが現れ。
その後、悪の組織が暗躍していたことが分かる、という構造になる訳だ。
なるほど、何となく分かった。
この国が、日本とは比較にならないほどこじれ。
それ故に、あらゆる全てが違う、という事を。
他にも分かっている事を確認する。
そうすると、情報部の人は、興味深い話をしてくれた。
「ネオロビンフッドは、恐らく意図的に姿を監視カメラに映している」
「ふむ?」
「殆ど一瞬だけしか映らないのだが、時々事件現場近くに現れる。 それが「神秘性」をより高めているとも言える」
「神秘性、ね」
その辺りは、ヒーロー事情の違いか。
とはいっても、英国でもヒーローものは相応に人気があった筈。国民的な人気がある作品も存在していると聞いている。
それならば、この国のこじれた状況を。
文化となっている「特撮」の代わりに、黒幕は利用した、と言う事なのだろう。
いずれにしても狡猾で。
残忍なやり口だ。
協力者のお姉さんが、続けて聞く。
「日本では、悪の組織に意識的無意識的に協力している人間が、意図的に状況を混乱させていました。 此方では」
「勿論その節はある。 もっとも過激な団体は殆どワーカーズに吸収された様子なのだが、民間に蔓延している過激派団体は、活動を継続している。 特に難民に対する攻撃的な言動を繰り返している団体や、人権を利用して金にしている団体、更に幾つかのカルトが、怪しい動きをしている」
「掴んではいる、と言う事ですね」
「おかしい動きをしている、以上の事は掴めていない。 情けない話だが、そういうものだ」
何でも、あからさまに素人集団だった連中が、いきなり統制が取れた動きをするようになったり。
妙な資金源を得る状況が発生していたという。
日本では、いわゆる趣味を持つ人間が狙い撃ちにされていたが。
英国ではどうなのか。
それについて確認すると。
情報部では調査中だと言う事だった。
本当に遅れているんだな。
そう思ったが。
だからこそ来ているのだ。
クロファルア人が地球に到来して、人類が破滅する状況はとりあえず回避できた。そしてクロファルア人は内偵を進めているし。フォーリッジ人は容赦のない調査を始めてくれている。
彼らだけに任せてはおけない。
地球人の問題は。
できる限り地球人で解決しなければならない。
いずれ地球の状況が落ち着いたら、汎銀河連合は、幾つかの領土になる星系と、更なる資源と資金の援助を約束してくれている。
地球人が宇宙に出るまでに。
これらは、解決しなければ行けない問題なのだ。
それにしても、この国でも同じか。
日本でも、ブラックファングを好き放題させていたのは、むしろ醜い「平均的な」人間そのものだった。
この国でも、ワーカーズとネオロビンフッドをやりたい放題させているのは。
むしろ「平均的な」人間だと言う事だ。
黒幕は人間を調べ尽くしてからここに来ている。
本当に頭に来る話だが。
「平均的な」地球人よりも。
奴の方が、遙かに地球人を知り尽くしている、とみて良いだろう。
話を幾つかして、取り決めをした後。
ミーティングは終了になる。
私は提供された自室に移ったが。
私物は基本的に持ってきているし。
そもそももはや天涯孤独の身。
学校には私のクローンが通っているし。
今更行く場所も無い。
私物があるなら、多少部屋の間取りが違っても、前と同じだ。
地面の上には、日本と違う風景が拡がっているかも知れないが。
今住んでいる場所は同じ。
ならば、あまり関係は無い。
問題は、あの情報部の人や警部が、敵に通じていた場合だが。
その時は、人間のテロリストとかが乱入してくるかも知れないし。下手をすると軍の特殊部隊とかが来るかも知れない。
だが、流石にフォーリッジ人やクロファルア人を敵に回す勇気は無いだろうし。
軍が敵に回る事態は起きない、とみて良いだろうが。
嘆息すると。
まとめて貰った資料に目を通す。
まずはネオロビンフッドとやらを補足。
殺す。
ワーカーズとやらも補足。
殺す。
分かり易く殺す事で。
茶番が起きている事を。しっかり認識させる。
その後は、敵をあぶり出していけばいい。
フォーリッジ人も、既に英国で活動を開始している様子で。連携して動けば、実績を以前上げた分、かなり早く事態を解決できる可能性もある。
兎に角今は、前と同様に。
焦らず、確実に敵を追い詰めることだ。
敵にとってはビジネスに過ぎないのだから。
そもそも理詰めで動かなければならないのが辛いが。
いずれ、敵を必ず死なせてくれと懇願するような目に遭わせるためにも。
今は確実に進まなければならない。
ぼんやり翻訳装置越しに、最近のネットでの情報を見る。
エセ悪の組織とエセヒーローが消えた日本では。
クロファルア人が問題行動を起こしていたマスコミと、過激派団体に対して、容赦のない制裁を課しているようだったが。
もはやどうでも良かった。
1、霧の都
そもそも英国という島国そのものは、最初から強国だった訳では無い。
日本でもあまりにも有名なアーサー王は英国の伝承に出てくる人物だが。彼の伝記を見れば分かるように、昔の英国は地獄というのも生やさしい修羅の世界だった。
混乱の果てに、ある程度の秩序が出来たのは。
奇しくも外圧によるものであった。
フランスを荒らしに荒らしていた北欧のノルマン人達。いわゆるヴァイキングを懐柔するために。フランスでは、ヴァイキングに爵位を与えて、貴族として配下にするという手段を選択。
その結果、ノルマンディー公爵という存在が出現。
このノルマンディー公が英国に侵攻し。
そしてその大半を制圧。
ある程度の秩序が出来た。
やがてジャンヌダルクやエドワード黒太子で知られる100年戦争の結果、英国とフランスは完全に国家として断絶。
以降は協力し合ったり。
対立し合ったりしながら。
やがて欧州そのものが世界を席巻する中。
どちらもが、強国として立国していくことになる。
いずれにしても、血塗られた歴史、という点では。
英国は他とまったく変わりが無い。
英国紳士だの。
人権先進国だの。
そういった寝言は。
近代に作られたものにすぎないのだ。
勿論、それについてはどの国も同じ。
地球人である以上、血塗られた歴史からは絶対に逃れる事が出来ないし。
どんな大国だろうと暗部を抱えている。
そして今回の出来レースを行っている黒幕は。
その暗部を上手に利用している、というわけだ。
そう、人間以上に、である。
博士に喚び出されたので、ミーティングルームに出向く。
私が英国に訪れてから、既に二回。
ネオロビンフッドが出現。
ただし、どちらも瞬殺マッチで。
一瞬でワーカーズが皆殺しにされたため、確認が遅れている。
どうやら情報部が、次に現れる可能性が高い場所を割り出したらしく。作戦会議を行う事になったのだ。
ちなみに、現時点でフォーリッジ人は、偵察衛星を出す以上の事はしていないらしい。
博士によると、英国の状況があまりに混沌としているため。
もう少し情報を集めてから動くつもりのようだ。
彼らはとても厳格だ。
頼りになる反面、いい加減な情報ではとてもではないが動いてなどくれないだろう。
まずは私が。
実績を作らなければならないのである。
ミーティングルームに行くと。
立体映像で、予想出現地点の大まかな地形が作られていた。
英国情報部は、昔スパイ映画で有名になったが。
相応の資金を貰っているらしい。
毎回地図上でだけ話を進めていた日本とは、少なくとも資金という点では此方のが恵まれている。
「今までの出現パターンを解析したところ、ネオロビンフッドは貧民街をこの順番に回っている」
立体映像上で、情報部の人が手を動かすと。
それぞれがピックアップされた。
どんな風に出現して。
どう動いたかまでが解析されている。
そこで、次は此処だと。
情報部の人がピックアップしたのは。
地下鉄の駅だった。
「此処は移民のホームレスが多数存在していて、地元民と何度もトラブルを起こしているので有名だ。 今度出るとしたら、此処に出るワーカーズを狙う可能性が高い」
「地元民はどう動いていますか?」
「妙なことを聞くな。 そんな分析を出来る地元民はそう多く無いし、ネットでも今の時点で情報は出ていないが」
「いえ、それならば大丈夫です」
私に、怪訝そうに聞き返す情報部の人。
この人も、私が日本であのデモ隊の醜態を見た事は、伝わっていないのかも知れない。
あれは本当に見苦しい、人間の負の姿を凝縮したような存在だった。
今回もああいうのに邪魔されるのを懸念したのだが。
一応問題は無さそうか。
まずはどうやって接近するかだが。
人が入る事が出来る地下道などは避けたい。
制圧形態で、今までまだ試していないものを使おうと思っているのだけれども。
さて上手く行くか。
「テロリストが把握していない地下通路はありますか?」
「そうだな。 地下通路という点ではかなり厳しいが、テロリストが入りようがない場所ならある」
機密中の機密らしいのだが。
なんと王室専用の、脱出路がこの近くを通っているらしい。
ただし、普段は絶対封鎖されていて。
近寄ることさえ許されないそうだが。
今回も、脱出路そのものに入る事は許されず。
その近くのダクトに入る事だけは良いそうだ。
「此方も相当な機密に抵触しているのだ。 妥協して欲しい」
「……」
ダクト、か。
前は地下下水道を走り回ったものだけれども。
それについて聞いてみると。
情報部の人は、駄目だと言った。
ロンドンの地下下水道は相当に古く、ホームレスなども入り込んでいるという。更に言うと、当然テロリストが何かしらの罠を張っている可能性も否定出来ないとか。
今回、敵はテロリストを抱き込んでいる可能性が極めて高い。
私が其処に出向く前に。
爆弾テロにでもあったら、全てが台無しだ。
勿論私は、博士が作ってくれた最低限の自衛装置は身につけているが。
爆弾次第では、それも貫通されるだろう。
何しろクロファルア人が、地球人に提供している以上の技術が、流出しているのだ。
テロリストに渡っていても、不思議では無い。
相手は文字通り何をするか分からない。
慎重に動かないと、本当に危ないのだ。
移動経路については、情報部で用意してくれるという。
頷くと、すぐに作戦に取りかかる。
協力者のお姉さんが、耳打ちした。
「スコットランドヤードでおかしな動きがあるの。 気を付けて」
「警部さんがスパイだと?」
「いえ、まだ確定情報じゃないから何とも言えないけれど、何があっても大丈夫なように備えておいて」
「はい」
頷く。
博士にも念のため話しておいて。
私の部屋を、ロックして貰う。
このロックというのは鍵を掛けるという意味では無くて。
空間を固定して。
そもそも中には入れないようにすることだ。
空間を固定する技術は、かなり先の段階まで文明が進歩しないと使えないらしいのだけれども。
要するに、時間を停止させることで。
その空間への干渉を拒絶する、ものらしい。
時間と空間は、ブラックホールなどを例に出すまでも無く密接な関係を持っており。
時間を停止させることによって、その空間はコンクリートやらダイヤモンドやらなど、鼻で笑うほどの強度を得る事になる。
爆弾を仕掛けるどころか。
侵入さえ出来ない。
出撃前にその準備を終えた後。
情報部の人と。
オートでの自衛装置を身につけて、そのまま作戦予定地点に移動。
かなり狭い通路を通る。
これは奇襲を受けると厄介だなと思いながら、時に匍匐前進までしつつ、進む。
匍匐前進は、ある程度訓練を受けているが。
受けていてもつらい。
「意外についてくるな」
「まあ、修羅場はくぐっていますので」
「……そうだな。 宇宙人が来る前までは、SASでさえ損耗率のひどさに悲鳴を上げていたものだが、今は逆に戦闘経験が無い奴が特殊部隊にいたりして辟易したりもする」
「そう、なんですね」
この情報部の人は。
表情さえ一切見せないが。
相応のプロだ。
「国を愛している」かどうかは分からないが。
多数の失踪者が出ていること。
その失踪者が、社会的な弱者ばかりのこと。
そして、社会的な弱者に対して邪悪な視線を向ける地球人が、今回の事件の黒幕に荷担している事は。
怒りと共に見ているらしい。
それは何度か口にしているのを聞いている。
感情は、見せないだけである、と言う事だ。
「戦闘経験そのものはあまりないようだから、此方でサポートする。 殲滅にだけ専念できるように何とか支援するから、安心して欲しい」
「お願いします」
「この世界は、何時からこうなってしまったのだかな」
情報部の人が、小さなハッチを開けると。
狭い通路に出た。
頭が私でもつかえそうなほど低い。
かがみながら歩く。
この態勢だと、襲撃を受けたときに対応をするのが著しく遅れる。だからか、赤外線ゴーグルをつけるように指示された。
ライトを使うと、襲撃者に居場所を教えるようなものだから、と言う事だそうだ。
この人はプロなんだなと。
細かい事でも感心するが。
でもこの人は、そんな事には喜ばないだろう。
当然のこと、くらいに考えているだろうから。
「両親の話は聞いた。 死さえ確認できないのは辛いな」
「はい。 ですが、恐らく死んだと思われる場所については分かりました」
「……私の両親もテロに巻き込まれて命を落とした。 私が情報部に入ったのも、それが理由だ」
現地に到着。
やっと少し広いところに出たが。
王室専用の脱出孔の側。
ダクトの中である。
だから風が常に噴いている。
思ったよりは背が高いが。
それでも手狭だ。
爆弾が炸裂したら。
その火力が、全部殺到してくる事になるだろう。
その時の事は。
出来るだけ考えたくない。
情報部の人は距離を取ると、合図を送るまで待て、という。
地上にいる別の情報部の人と、連絡を取り合っているのだろう。何か翻訳機でも分からない言葉でやりとりしていた。
アンノウンと出ているところを見ると。
符丁の組み合わせなのだろう。
時間が経つ。
待つのは最初から覚悟していたが。
妙だ。
罠に嵌められたのではないのか。
不安になって来た瞬間。
合図が来る。
ともあれ、変身である。
ブレスレットをかざすと、私は叫ぶ。
「変身っ!」
ブラックファングを殲滅し。私は意気上がっていた。
だからこそに。
絶対に、異国での緒戦は成功させたかった。
空間を歪め。
其処から多数の触手をはみ出させる。
触手には、小型の中性子弾頭を撃ち出す機能がついていて。
故に生体兵器とは言え。
ガトリング砲に似た先端部をしている。
視認。
ネオロビンフッドとやらはいない。
しかし、ワーカーズとやらはいる。
容赦のない殺戮ぶりだ。
貧民街で寒さに凍えている人々に襲いかかり。手当たり次第に引きちぎっている。
日本にいたブラックファングと違い。
ワーカーズは、顔をマスクで隠してはいるが。
どちらかといえば作業着のようなものを身につけていた。
ワーカーズか。
そういえば、産業革命時代の英国の地獄の労働については、今でも語りぐさになっているが。
二次大戦後の日本における労働も、それに決して劣るものではなかった。
クロファルア人が来た頃には、そのため人材の疲弊と消耗が凄まじく。
子供の育成施設が作られ。
逆ピラミッドになっていた年齢層が、正常化される措置が執られると同時に。
労働の改善が実施され。
ホームレスや生活保護受給者は姿を消した。
これは数字だけ姿を消したのではなく。
きちんとした収入と家屋がクロファルア人主導の下与えられ。
スキルがない人間にも仕事が与えられ。
高度技術職なのに給金が異常に安い仕事は給金も改善され。
非人道的な労働環境も改善が行われた結果である。
クロファルア人に対する崇拝は、その容姿だけでは無く、実際に行ってくれた改革や支援にも起因するのだが。
この国では。
まだ支援が完璧ではないらしい。
ともかくだ。
このような凶行。
許すわけには行かない。
中性子弾発射。
ワーカーズを悉く打ち抜く。
ネオロビンフッドは。
いない。
狙撃もしてこない。
この形態にはオート迎撃機能があり、マッハ7000くらいまでの弾丸なら、迎撃して撃ちおとすことが出来る。
宇宙から来ている文明だ。
大気圏内での速度減衰も含めて、それくらいの速度で弾丸を撃つ武装くらいはあるし。
最悪超高出力レーザーも撃ってくる可能性がある。
レーザーに対しては水分が多いため即死とはいかないまでも、ある程度の防御が可能だが。
実体弾にはある程度対応しなければならない。
さて、確認するが。
いない。
どうやら、ネオロビンフッドは、今回はご登場しなかった様子だ。
一度引く。
空間の裂け目を閉じると。
情報部の人が、変身解除した私に歩み寄ってきた。
「一杯食わされた」
「何かあったんですか」
「ワーカーズの襲撃に備えていた監視カメラが全てジャックされていて、更にネオロビンフッドの出現も無かった。 今回の君の出現は、見越されていたと判断して良いだろう」
「……分かりました」
どうやら、今回は。
敵に対しての協力者が、予想以上に凶悪らしい。
一度戻る。
その後、すぐにセーフハウスを変更。
今後、情報部の人と、警部とは。
現地合流する、作戦会議はリモートで行う、という話になった。
あからさまに此方の動きが全部とは言わずとも漏れている。
言わなくても、分かる事だ。
情報部の人は、すまないと頭を下げる。
スパイで有名な英国だ。
当然のことながら。
敵にもスパイがいる。
想定しておかなければならないこと、だったのだろう。
スコットランドヤードの警部さんは、相当に腹が立ったのか、ぷんぷんと膨れあがっていた。
「この件は、警察の極上層部の一部しか知らないはずだ。 どの恥知らずだ、見つけたら絶対に殴ってやる!」
「……」
この人が裏切り者である事も、想定しなければならないのがきつい。
いずれにしても、緒戦は。
完全に遊ばれたことになる。
そして敵は。
遊び感覚で。
大量虐殺をした、と言う訳だ。
協力者のお姉さんが戻ってくる。
駅付近にいた移民とホームレスが、合計三十八人殺され、百人以上が病院に収容されたそうだ。
ワーカーズが声明を出している。
「偉大なる英国の地を汚す侵入者の駆除を実施した。 労働者諸君、愛国の心があるなら我等に続け」
「何が愛国だ」
博士が珍しく怒気を張り上げた。
私は、もうこの程度では、怒りを表に出さなくなっていた。
ただし、腹の底には溜まる。
ワーカーズも、同じように。
絶対に、全員まとめて、地獄の底に叩き落としてやる。
2、警察の違い
栄転と言われたが。
実際には厄介払いとしか思えない。
東方は桐野と一緒に、スコットランドヤードに出向した。フォーリッジ人とパイプを持っている君は適任だとか本庁のえらいさんに言われ。
勲章だの賞状だのを貰ったが。
そんなものはまったく欲しくもなかった。
桐野に至っては単身赴任である。
気の毒な話だと思ったが。
しかしながら、ブラックファングの脅威を考えると。
正直な話、そうも言っていられなかった。
警察のキャリアどもが無能で。
保身に必死なのは、今も昔も同じ。
連中には何の期待もしていないし。
するだけ時間の無駄だ。
さっさと荷物をまとめて、英国に出る。
どうやらフォーリッジ人も英国に出向いてくるようで。
其処でも連携は期待出来るだろう。
また、クロファルア人がもたらした翻訳装置は非常に優秀で。
機械的な翻訳が頓珍漢な言葉を吐き出していた地球製の翻訳装置と違い、リアルタイムでの意思疎通を可能とする。
仕事に関しては。
特に不安は無い。
英国に旅立ち。
これまたクロファルア人の技術で飛躍的に速度が上がった飛行機によって。半日で到着。
昔は数日かかった空の旅だが。
今では最速便で良いのなら、なんと三時間で到着可能である。
今回は最速便を「値段の関係で」手配できなかったとかで。
普通便を使ったが。
それでも半日でつくのだ。
地球文明だけの時代とはえらい違いである。
ロンドン空港に来た出迎えと合流。
内閣情報調査室の若い娘さんと握手。
彼女は翻訳装置無しでも英語ペラペラだそうだが。
ともかく、何となく察する。
あのバケモノとの協力は。
この人を介して国がやっていたのだろうな、と。
内閣情報調査室といえば、精鋭中の精鋭が集まる組織だ。
実際にどれくらい有能かは分からないが。
いずれにしても、国を挙げてブラックファングに対抗していた以上。
切り札を切らない筈も無く。
この人も動いていたのだろう。
軽く話ながら、スコットランドヤードに。
事前に来ていたこの人から。
軽く警告される。
「東方さんと桐野さん。 常にチョッキの着用を願います」
「それほど危険なのか」
「はい。 私も二度ほど襲われかけました。 撃退はしましたが、相手は素人ではなかったです」
なるほど。
予想通りだ。
政情不安が続いた英国では、栄光のSASでさえ、国内の対テロ戦闘で大きな犠牲を出していると聞いている。
軍の一部を武装警察にして、治安の維持に投入しているくらいなのだ。
相当に苦戦しているだろう事は予想していたが。
此処まであからさまだと苦笑が漏れる。
そして、である。
まだ他の国でも、悪の組織とヒーローの出来レースは行われている筈で。
それらの国では。英国より更に酷い状況でもおかしくない。
ヤードに出向くと。
醒めた目で出迎えられ。
独自の調査室を与えられた。
今回の事件に関与しているという警部が来て、握手をする。
軽く情報の交換をするが。
やはり、「それどころではなかった」らしく。
失踪事件については、最近になって気付いたという。
「随分と悠長ですね」
「そういってくれるな。 失踪事件に気付いた奴は三週間前から行方が知れねえ。 当然生存は絶望だろうな」
「!」
「此処はそういう場所なんだよ。 テロリストに情報を売って日銭を稼いでいるクズ野郎がゴロゴロいやがる。 勿論警官として誇りを持って働いている奴もいるがな。 ともかく、地道な調査で実績を上げたあんた達には期待している。 フォーリッジ人とのパイプ込みでな」
辛辣な事を言われた気もするが。
兎も角、協力しないと始まらない。
貰った端末と部屋を活用するところからだ。
準備に丸一日かかる。
その後は、宿の確保だが。
多分此処が一番安全だろう。
警官にさえ多数の内通者がいると言う話である。
一応ユニットバスもあるので。
生活には困らない。
まず桐野が端末を立ち上げ。
それに遅れて東方も四苦八苦しながら端末を立ち上げた。
前の端末と一緒に、フォーリッジ人がかなり念入りに技術を吟味して作ってきてくれた端末を使う。
これは高度な翻訳機能と。
素人にも簡単に使えるハッキング機能が搭載されているカスタムモデルで。
地球人に渡して良いギリギリの機能を詰め込んだ品だそうである。
ともあれこれを使い。
情報収集出来るようになるまで一日。
桐野にはそのまま、まずはネットでの情報収集を初めて貰い。
東方は各部署を回る。
なお、石原は日本に残った。
捜査二課に当たる部署を探し。
挨拶回りからだ。
まずは一通り、えらいさんに挨拶を済まし、名刺を渡す。
当然この時点で。
内通者には目をつけられているだろうが。
知った事か。
話を軽くしてから。
ネオロビンフッドとやらについて聞いていく。
反応はそれぞれ。
一応警察としては、存在は容認できないと口にしておきながら。
内心では共感を覚えているのが露骨な奴が何人かいた。
東方は、これでもずっと刑事をやっているのだ。
相手を観察する事には相応の自信がある。
警察の中にいる内通者は、恐らくネオロビンフッドのシンパなのだろう。
そしてそいつらとは別に。
悪の組織であるワーカーズのシンパもいるとみて良い。
ある程度みて回った後。
警部の所に戻り。
まとめた情報について質問をする。
もうこれだけまとめたのかと、呆れた顔をされたが。
東方も、地方出身の警官から抜擢されて、本庁の捜査一課に入ったのだ。
これくらいは出来る。
単なる頑固親父だと思って貰っては困る。
「結構質問の量があるな。 後でメールで……」
「いや、内通者の件もある。 直接聞かせて欲しい」
「分かった。 それが利口かも知れないな」
それと、足で情報を探したいというと。
露骨に嫌な顔をされた。
咳払いをした後。
警部は言う。
「良いか、あんたの国では刑事が彷徨いていても大丈夫だったかも知れないが、今のこの国では、警官だというだけでいきなり撃たれても不思議じゃあない。 ましてや被害者宅全部を再訪問して聴取するだあ?」
「俺の国では現場百回という言葉があってな。 俺はそれで今回の事件がおかしい事に気付くことが出来た」
「アナログか。 聴取のデータは集めてあるし、幸いクロファルア人の持ち込んだ装備類のおかげで、現場は塵一つ残さずデータを揃えてある。 確認するなら、データサーバに擬似的に再現された現場の状況と、聴取のフィルムを見てくれ」
「つまり、護衛は付けられないと」
頷かれる。
この男。
恐らくは、縄張りを侵略されるのを嫌がっているな。
そう東方は判断したが。
仕方が無い。
郷に入っては郷に従えという言葉もある。
いきなり日本式のやり方を相手に押しつけるのは悪手だろう。
ともあれ、そういうデータがあるなら、見てみるのも手か。
一度与えられた部屋に戻るが。
その途中も。
背後から、あからさまに好意的では無い視線を、複数感じた。
まずはデータを洗い直す。
その途中で、桐野が話を振ってきた。
東方はゴーグルをつけて、文字通り埃の一つまで再現された失踪現場の検証作業中である。
「東方さん、いいですか」
「なんだ」
「現状のネットにおける情報を整理してみました。 どうやら国民感情は、真っ二つに割れているようですね」
「詳しく頼む」
何というか。
失踪現場は。
すっからかんだ。
日本でも、心ない親族が、失踪した人間の私物を売り払って金に換えているような外道行為に手を染めていたが。
あれはあくまで「売れそうなもの」に限っていた。
こっちは違う。
文字通り根こそぎだ。
家具どころか、インフラ関係まで、全て何もかも徹底的に売り払って金に換えてしまっている。
これは確かにおかしいと、一目見れば分かる。
あの警部は、現場を見て唖然としたのだろう。
そして激怒もした。
社会的弱者だったろうし、元々大した資産も無かっただろうに。
それを何かしらの手段で葬り。
あげく残った資産を根こそぎ換金して略奪し尽くした、というわけか。
文字通り鬼畜の所行だ。
許されることでは無い。
桐野が要点をまとめて話をするのを聞きながら。
部屋の調査を続ける。
「やはり英国民はネオロビンフッドシンパと、ワーカーズシンパに真っ二つですね。 難民を殺して回っているワーカーズを崇拝する集団まで出現しています」
「ウチの国の過激派と同じようなもんだな。 それが、国を二分する勢力にまでなっている、ということか」
「実際にワーカーズが現れてから、難民関連の犯罪が減った、というデータを主張している者もいます」
「ああそうかい」
反吐が出る。
そもそも欧州衰退の原因になったのは、見境無く難民を受け入れたことに始まっている。
昔同様奴隷として使おうとしたのだろうが。
しかしながら昔と違って、異国の民は従順でも無いし。
鞭を振るえば言うことを聞くわけでも無かった。
当然対立は発生した。
日本でも、一時期奴隷として使う目的で、「教育実習生」等という悪名高い制度を立ち上げ、搾取の限りを尽くしたが。
当然上手く行くはずもなく。
殆どの「教育実習生」が失踪。
勿論失踪しただけでいなくなるわけではないので。
多くの社会問題に直結した。
欧州ではタチが悪いことに、人権屋のやり口が日本以上に悪辣だったこともあり。
対立は更に深まり。
英国だけでは無く、他の欧州各国も、相当に軋轢に悩まされているという。
実際問題、難民を殺戮するワーカーズに対して賛辞の声が送られているほどだというのだから。
筋金入りだ。
「ネオロビンフッドは邪魔者だ。 追い出せ。 ワーカーズによって難民どもを掃除させろ。 信じがたいですが、これが有識者のコメントですよ。 SNSでこんな発言が為されているのに、賛辞の声が殺到しています。 勿論反発する声も多数出ていて、戦争状態ですね」
「クズだな」
「……だから地球は滅びかけたんでしょうね」
「ああ」
悔しいが。
どこの国でも、今はこれでもマシになったのだ。
だからクロファルア人は受け入れられている。
嘆息しながら、別の現場を確認。
本当に、「ケツの毛までむしる」というレベルでの略奪が行われているが。
これは本当に、反吐が出る邪悪さだ。
この国の混乱に乗じて。
弱者から更に搾取する。
これをやっている連中は。
罪悪感など覚えるはずもない。
日本でも、一時期生活保護受給者に対して、凄まじい罵倒が浴びせられるケースがあったそうだが。
この国でもそれは同じか。
見かけ「助けたくなる」弱者に対しては甘くなるかも知れない。
だがその相手が「汚いおじさん」だったり、「よれよれのおばあさん」だったりした場合。
どれだけの人間が手をさしのべるだろうか。
どれだけの者が、弱者として認識するだろうか。
ましてや相手が子供でも、容赦なく搾取し殺すのが人間という生物だ。
このすっからかんになった部屋を見ると。
それを再確認してしまう。
「ネオロビンフッドシンパの連中はどんな言動をしている」
「純粋に人道主義からシンパになっている者もいますが、そういう者達はネオロビンフッドがワーカーズを大量虐殺していることは無視していますね。 更にワーカーズの死体が残らないことも疑問に思っていないようです」
「確かこの国でも、ワーカーズ出現直後は、警官や特殊部隊が多数犠牲になっていると聞いているが」
「それも意見が分かれているようです。 もっと警官や特殊部隊の仇を討ってくれ、という書き込みも見受けられます」
溜息が出る。
これは複雑だ。
桐野にはそのまま情報の取得を続けさせ。
東方はデータの確認を続ける。
確かに本当に細かい現場の状況を再現しているデータで。
文字通り現場にもう一度行って情報を確認できるが。
それだけだ。
ただ、これの方が合理的とは言える。
あの警部が腹を立てたのも何となくは分かった。
現場百回なんて考え方は、アナログ以前に。
今の英国では、危なすぎて実施できないのだろう。
「其方はどうですか」
「どうもなにも、本当に奪い尽くしているな」
「ウチの国でも、「被害者の親族」の蛮行には本当に心痛むものがありましたが、此方でも残虐さは変わりませんね」
「……」
言葉も無い。
次のデータを見る。
このデータは、多少痕跡がある。
どうやら売り物にならないと判断したらしく。
ある程度家具が残っている。
とはいっても、本当に古い家具だ。
冗談抜きに使い物にならなかったのだろう。
ざっと他にも見て回るが。
足跡の類は不自然なほどにない。
だが。
このデータは便利だ。
家具を動かして、徹底的にチェック。
持ち主の遺留品というほどではないが。
埃などがある程度見つかる。
それらを分析させて。
発見されるまでどれくらいの間、この家が無人になっていたのかを調べさせる。出来れば他の人間の痕跡も欲しい。
調査の結果。
埃から、幾つかのデータが出る。
この辺りは科捜研が出るまでも無く。
AIが割り出す様子だ。
「五人か。 その割りには手際が凄まじく良いな」
「家の中のものを洗いざらい略奪するのに、五人ですか」
「そうだ。 たったのな」
そのデータを、スコットランドヤードのデータベースに検証。
一人がヒットした。
けちなこそ泥だが。
昔は、難民排斥運動に手を貸していたらしい。
現在の状況を確認するが。
行方不明である。
ともあれ、一つはデータが出たか。
不意に、桐野が声を上げる。
ニュースだそうである。
「今日未明、日本に出現していたと思われる怪物がロンドン郊外の地下鉄駅に出現。 ワーカーズを殺戮した模様です。 それに伴い、多数の犠牲者が出ました。 英国民の犠牲者はいない模様です」
「なんつう言いぐさだ」
桐野も不機嫌そうにしている。
一時期日本のテレビで、大きな災害があった時、「日本人の被害者がいるかどうか」を報道し。
いなかった場合は、「被害が無くて良かったですね」等という発言をしていた事があるが。
それに近い言いぐさだ。
人権先進国とは何だったのか。
溜息さえこぼれる。
ともかく。こんな事で疲弊していたら。これから先作業を進めるのは不可能だ。
フォーリッジ人はまだ来ていないし。
できる限り情報を集めなければならない。
例の警部が部屋に来たのは、直後だった。
「聞いたか。 例のバケモノが出たそうだが」
「聞いている。 それで」
「耳が早いな。 それで、デモが起きている」
またデモか。
良い印象が一切ないが。
警部によると、ネオロビンフッドの邪魔をしたから犠牲者が出たと噴き上がっている連中と。
バケモノもネオロビンフッドも追い出せと噴き上がっている連中。
二手に分かれているそうだ。
なさけなくて溜息しかでない。
「警察としては出動せざるを得ない。 しばらくは連絡を取れないと思う。 すまないな」
「いや、わざわざ知らせてくれて助かる。 此方も少しずつ情報を集めている所だ」
「もう成果が出ているのか」
「まあ、な」
警部は帽子を少し下げると。
コートを翻して現場に出て行った。
さて、もう少し情報を集めておこう。
出来ればフォーリッジ人が来た時に。
奴らを一網打尽に出来るように、である。
3、混乱の坩堝
デモを起こしている民衆。
だが、どうせ自主的な意思なんて其処にはない。
デモは一時期神格化された事があったが。
実際に21世紀に起きたデモの数々は、様々な政治的思惑が大きく絡んでいて。チンピラまがいの活動家や、過激派の走狗が多数参加していたこともあって。「民意」とは大きく乖離していた。
それを知っているから。
私はまだデモなんてやる奴がいるんだなあと思う。
何よりも、だ。
あの長野での一件以降。
デモなんてやる奴には、まったく好感を持つことが出来ない。
協力者のお姉さんが持ってきた情報。
その中の一つのニュース番組を見て。
私は苦虫を噛み潰していた。
情報の初速が遅かった。
故に多数の犠牲者が出た。
それに合わせて、このデモだ。
黒幕は、恐らく私が英国に来ることを予見していたと見て良い。というか、日本政府内にもまだ飼い犬がいるのだろう。
だからこそ、先に手を打ち。
嫌がらせのための布石を、徹底的に並べておいた。
そういう事なのだろう。
反吐が出るほどの手際だ。
実際問題、胸くそが悪くて仕方が無い。
「宏美ちゃん、気にしなくていいのよ」
「もうそんな心は枯れ果てました」
「そ、そう」
「それよりも、です」
ミーティングルームには。
私と博士。協力者のお姉さん。
そして立体映像で、情報部の人が参加している。
警部さんは、このデモを押さえるために、スコットランドヤードの警官達と、一緒に出ているそうだ。
情報部の人は。
表情を全く動かさないまま言う。
「緒戦は残念な結果に終わったが、しかしながら敵の死体を回収することが出来た。 これはとても軍にとっても大きい。 君に対する評価は、軍でも上がっている。 此方ももう少し協力が出来る」
「それは有難うございます。 それで、もう少しの協力とは」
「情報の開示だ」
ばっと、データが展開される。
どうやらワーカーズに吸収されたテロリストの一覧らしい。
組織もろとも吸収されたらしく。
今では姿も「ほぼ」見かけられないそうだ。
「日本での事例では、遺伝子データだけ取られて皆殺しにされたという話だが、相違ないだろうか」
「間違いありません」
「そうか。 だが此方では、このメンバーの内幾らかが、目撃されている」
なるほど。
日本の過激派とは違う、本物のテロリスト集団だ。
黒幕も、使えると判断して、残しているのか。
それともクローンか。
いずれにしても、油断は出来ないだろう。
「情報を精査している内に、昨日の現場にこの中の一人、この男が姿を見せていることが分かった」
ピックアップされる画像。
頭を剃っている大男で、目が非常に危険だ。
見るからに分かる。
日本のスジ者なんて足下にも及ばない、本物の狂犬である。
「通称ハンギングジョン。 意見が対立した相手を躊躇無く殺し、どんな残虐な爆弾テロでも平気で行う筋金入りの犯罪者だ。 意見が対立して殺した相手を吊すことで有名で、判明しているだけでも十二人を殺している。 幾つかのテロ組織の幹部を歴任してきたが、ボスを殺して乗っ取ったこともある」
「筋金入りのサイコ野郎ですね」
「ああ。 そして厄介な事に此奴は知能が高く、推定IQは170。 医者に変装して病院に潜り込み、何ら問題を起こさず数ヶ月潜伏していたこともある。 医学書を読むだけで丸暗記して、生半可な医者以上の腕を振るっていたという話だ」
地球人にも出来る奴はいるな。
そうぼやいたのは博士である。
いずれにしても、こんなヤバイ奴が敵にはいて。走狗になっている、と言う事だ。
危険度は尋常では無い次元と言える。
「足取りは追えていないのですか」
「現在情報部が総力を挙げているが、厳しい状態だ。 何しろ存在した痕跡さえ残さない有様でな」
「では私が少し調べて見よう」
「助かる。 情報は提供する」
しばしデータのやりとりをした後。
博士が調査を開始。
少し時間が掛かると言うことなので。
私と協力者のお姉さんが情報部の人と話を続ける。情報部の人は、あくまで淡々としていて。質問にも詰まることが一切ない。この辺り、英国も力を入れてきている事が分かる。
「次の襲撃予想地点は分かりますか」
「今、分析をしているところだが、大まかに三箇所が予想される」
「……」
この人は出来る人だ。それは私はみとめる。だが本当にその予想は当たるのか。
当たったとしても、時間がずれたら意味がない。
前は正にその状況だった。
ワーカーズに協力している可能性が高い情報部の人がいる以上。
今回も、情報部と連携するのは危険だ。
少しばかり罠を張ってみるか。
一つ、試してみたいと思っていた形態がある。どうせいずれ実戦投入はしなければならなかったのだ。使うなら今だろう。
「次の襲撃予想時期はいつくらいになりそうですか」
「大体毎回一週間ごとに襲撃がある」
「分かりました」
それだけで充分だ。
博士に目配せ。少し不安だが、使ってみる価値はある。
そして、これを使いこなせるようであれば。
今後は更に戦略の幅が拡がるというものだ。
ミーティングを切り上げる。
しばし待っていると。
博士が、鰓を振るわせた。
「解析完了。 恐らくだが、クロファルアの技術を利用して、痕跡を全て消しながら移動しているとみて良いだろう。 超微量だが、痕跡がある」
「何処へ行ったかは分かりますか」
「堂々と駅を出て郊外に」
「……なるほど、好都合ですね」
次の手は決まった。
博士と協力者のお姉さんに話す。
少し特殊な変身フォームだが。
これを使う機会はなかったし。
使っておいた方が良い。
お姉さんは少し懸念したようだが。
博士は仕方あるまいと、認めてくれた。
「ただし、体に負担が掛かるようならばすぐに停止してくれ」
「分かっています」
基本的に変身スーツには負担が掛からない。
だが此奴は例外だ。
何しろ、処理する情報量が桁外れだからである。
いずれにしても、地球人の超ド級テロリストが相手に加わっているのなら。
此方も相応の手札を切るしかない。
そして相手の土俵に乗るのは最悪の悪手だ。
相手が認識さえ出来ない方法で仕留めるつもりである。
相手はテロリスト。
容赦の必要はない。
すぐに出る。
三箇所の他にも。
可能性がある地点は全てチェックした。
私は情報部の人とは関係無く、事前に渡されている地図を見ながら、黙々と歩く。
此処を奇襲されると厳しいが。
しかしながら、防衛装置もある。
そして、情報部の人が、そこまで敵に通じているとは考えにくい。
漏れているとしても。
次の襲撃予想地点を、情報部が何処と認識しているか、くらいまでと見て良い。
予想地点に到達。
三箇所の中心点だ。
地下下水道では無く、その脇にある小さな作業用通路で。しっかり鍵は掛かっているし、何より狭い。
ダクトを通って入り込んだのだが。
機器類を使って調べて見る限り。
誰かが入った形跡は無い。
頷くと、私はブレスレットをかざし。
そして叫ぶ。
「……変身!」
いつもよりためが長いのは。
これからの戦いが苦しくなるのが確定である事。
そして体に負担が掛かること。
何よりも相手が黒幕以外の地球人で。
今までに無い厄介な相手、だと言うことだからだ。
見つけた。
博士が調べた痕跡通りの相手だ。
容姿は情報部が用意したどれとも違う。
というか、変装の達人でもあるのか。
腰が曲がった老婆である。
だが。調べて見れば調べて見るほど。
ハンギングジョンだ。
上から被っている変装用のグッズは完璧で、どう見ても小柄な腰の曲がった老婆にしか見えない。
だが内部のDNAを確認する限り。
今までに採取されたハンギングジョンのものに間違いなかった。
装備品もチェックしていく。
強力な爆弾を所持している様子だ。
難民街、それもマーケットに仕掛けに行くつもりだろう。
それも、極めて巧妙に。
この爆弾、クロファルアから提供された技術を横流ししたものらしく。
あからさまに地球製の爆弾よりも、一ランク上の火力を有している様子だ。博士が遠隔で、状況を確認してくれた。
「これは恐らく軍にも黒幕の協力者がいるな。 ハンギングジョンは黒幕のお気に入りなのだろう」
「考えられない事ですね」
「ああ。 信じ難い話だが、フォーリッジ人には連絡を入れておく」
私はと言うと。
地下でじっと身動きできずに、脂汗を流している状況である。
今の私は、司令塔だ。
微細なウイルスサイズのビットを大量に飛ばし。
それを予定作戦地点および、今までワーカーズが攻撃を仕掛けていない地点に展開して、相手の出方を探っている。
ただしこれだけの広域探査だ。
その負担も尋常では無い。
情報部に、即座にハンギングジョンの情報を伝える。
すぐに情報部も動いた。
ハンギングジョンが、街に出た瞬間。
数人の手練れが、周囲を取り囲む。
元軍人だけでは無く。
クロファルア人から提供された戦闘ロボットの姿もあった。
怪訝そうに顔を上げるハンギングジョンだが。
ロボットが、即時断定。
「指名手配犯ハンギングジョンです。 遠隔調査によるDNA一致」
「両手を挙げて……」
銃を向ける情報部の人間に対し。
ハンギングジョンがおぞましいほどの速さで動いた。
ロボットがそれ以上の速さで動かなかったら。
情報部の人の喉は即時に切り裂かれていただろう。
ロボットのアームが文字通り音速以上の速度でハンギングジョンの腕を掴むと、バキバキにへし折り。
そして投げ。
更に爆弾が入っている鞄に、強烈な粘着性の何かを吹き付けた。
凍らせるのでは無い。
この粘着性の何かは、TNT火薬だろうがC4だろうが、その爆発を押さえ込むほどの強烈な防御性能を持っていて。
ブラックボックス化している技術の一つだという。
「爆弾無力化」
「ハンギングジョン確保!」
情報部の人が、変装用のマスクを引きはがすと。
思わず恐怖の声を上げた。
無理も無い。
顔は存在しなかったのだ。
何もかも。
鼻も瞼も唇も。
顔の皮そのものを剥いだのだろう。
変装に便利だから。
元々の顔は邪魔。
故に全てを消し去った。
合理的を通り越して、悪魔じみている。
完全にロボットによって拘束されたハンギングジョンは、それでも呻きながらもがき、周囲を殺傷しようとしたが。
ロボットの方が完全に上手で。
どんな手を使おうが、それを遙かに超える速度で対応した。
この辺りは、どれだけの天才だろうが。
ライフルで頭を打ち抜かれたら終わり。
そういう事である。
今までハンギングジョンに勝てなかったのは、その土俵に乗って勝負をしていたからであって。
そもそも土俵に乗らず。
こういう手を使えば。
捕らえることは可能だったのだ。
だが、同時に。
ワーカーズと、ネオロビンフッドが現れる。
ハンギングジョンの周囲だ。
私は即座に変身を解除。
そして、体の負担が大きいのを承知で。
即座に変身フォームを変える。
今度は、以前長野でも使った形態だ。
地上までぶち抜くと。
目で敵全てを視認。
恐らく爆発音を何かしらで察知したのだろう。
ネオロビンフッドは逃げようとしたが、もう遅い。
無数のレーザーが、難民に襲いかかろうとしていたワーカーズと、ネオロビンフッドに襲い掛かる。
そしてレーザーは言う間でも無く光速だ。
発射の瞬間を見ていれば、或いは予備動作や向きなどから避けられるかも知れないが。
何しろ一秒間に地球を七周半するのが光である。
避けることなど。
不可能だ。
串刺しになったワーカーズ達が、棒立ちになり。
そして崩れ伏す。
更には。
誰も知らない路地裏で。
逃げようとしていたネオロビンフッドも。
体を貫かれ。
既に事切れていた。
地底に戻って、拠点近くまで移動してから、変身を解く。
その場に崩れ落ちそうになるが。どうにか耐え抜く。
呼吸を整えるが。
それ以上に体中が痛い。
最初の形態。
ウィルスサイズのビットを操作する形態は。
脳だけでは無く、全身を操作系として使用する。
そのために、全身に掛かる負荷が尋常では無い。
これは二三日は動けないかも知れない。
博士は体にダメージが出ないようにと工夫してくれているが。
これは正直な話。
連続使用すると、体にどうしてもダメージが出る。
今回は、そもそも相手が高IQのサイコ野郎であり。
まともに勝負しても勝ち目など無かったことが使用の要因となったが。
次は出来るだけ使わない方向で行きたかった。
拠点に入ると。
博士が出迎えてくれた。
すぐに休むように言われたので。
自室に入って、そのまま横になる。
まだ呼吸が乱れている。
これは体調を崩すかも知れない。
無理をしすぎると、倒れる事はある。今までもあった。
そういう場合、免疫系が極端に低下して、風邪を引いたりする。
ラクロスを一応やっていた身だ。
こういう経験は何回かしているし。
今でも「限界点」は分かる。
協力者のお姉さんが、情報を持ち帰ってきた。
案の定、敵に協力者がいたらしい。
情報部の中で、おかしな動きをしていた数人が逮捕され。その場で拘束されたそうだ。
そればかりか、スコットランドヤードの中からも逮捕者が。
軍の中からさえも。
予想通りとは言え。
あまりにも酷すぎる。
苦笑いする私に。
険しい表情で、お姉さんは言った。
「一旦此処を移動するわよ。 残存する敵の勢力が、何を仕掛けてくるか分からないから、安全を確保するまでは動けないわ」
「……少し無理をしすぎたようです。 引っ越し作業、お願いします」
お姉さんが頷く。
体の方は正直で。
もう熱が出始めているようだった。
それから数日間。
私は寝込んだ。
完全に体を酷使した報いである。
こうなることは分かっていたので、どうしようもない。
一応暖かくして、かゆを食べながら、回復を待つ。その間、眠ったり起きたりをしながら。
拠点を一旦移動し。
博士がフォーリッジ人とコンタクトを取っているというのを、夢うつつの中で聞いていた。
協力者のお姉さんも、危なくてまだ外には出られないと言う。
この拠点に博士がいる状態なら、強力な防衛システムがあるから、多分大丈夫だろうけれど。
黒幕が本気になったら、バンカーバスターでもうち込んで来かねない。
都市部で核を使うくらい、平然とやる輩なのだ。
それは覚悟しておかなければならない。
現時点では、変身も出来ないし。
しばらくは、周囲に任せるしかない。
悔しいが。
万能のヒーローなんてものは存在しない。
特撮の名高き英雄達でさえ、色々なミスを犯してきたのだ。
私なんて。
ぼんやりとしている内に。
協力者のお姉さんが、卵かゆを作ってくれた。ただし、卵はかなり堅めだったが。衛生的に危ないらしいので、しっかり火を通さないとまずいらしい。
この辺りは、仕方が無いと言えるか。
気分転換にと、携帯を渡されて。
ぼんやりと転送されている現在のSNSの様子を見る。
ネオロビンフッド死す。
かなりのニュースになっていたようだが。
だが、もう一つ大きなニュースがある。
ハンギングジョンが生きている、というのである。
捕まえたのはクローンか何かだったらしく。
スコットランドヤードで調べた所。
記憶の大半が欠損しており。
とてもではないが、本人とは思えない、という報告が上がったという。
なるほど。
敵の方が一枚上手だった、と言う事か。
ただし、敵もネオロビンフッドごとワーカーズの部隊を失っている。
痛手にはなっているはずだ。
だがその一方で。
高IQを誇るサイコパス野郎に、此方の手の内を知られたという事になる。
もしも奴が黒幕と連携している場合。
どんな危険な手を打ってくるか。
正直分からない。
起きだしたいところだが。
そうも行かないか。
こういうときは、無理をすると更に体をこじらせる。
経験則として私もそれを知っているので。
とてもではないが、動く気にはなれなかった。
博士がベルを鳴らしたので、通話をする。
流石に博士も。
あの巨体で、私の私室に入って、直接話を、という気にはなれなかったようだ。
「ハンギングジョンだが、どうやら偽物で確定のようだ。 クロファルア人が提供している技術よりも更に一段階上の違法クローン技術が使われている事が確認されている」
「あんなのがまだ何人もいる、と言う事ですか」
「いや、この違法クローン技術は相応に金が掛かる代物で、短時間で多数を用意することは出来ないはずだ。 怪人を量産するのとは訳が違う」
私が咳き込んだので。
博士はそのまま説明してくれた。
怪人はそもそも、体だけを量産しているのに対して。
この違法クローンは、知能の一部もコピーしているという。
これはかなり厄介な技術で。
クロファルア人はそもそもクローンについては提供していないし。
幾つかの星間戦争で使われた非人道的技術と言うこともあって。
現在では汎銀河連合でも、タブー視されているものの一つだという。
つまり闇の中の闇。
そんな技術を持ち込んでいる黒幕の危険性が、より鮮明になる、ということだ。
「クローン技術そのものがそも非人道的な上、その記憶までクローンするとなると、闇の業界では天文学的な金が掛かる。 ビジネスに敏感な敵が、これ以上のクローン体を作るとは思えないな」
「生体ロボットとは明確に違う、と言う訳ですね」
「そういう事だ」
協力者のお姉さんの咳払いが聞こえた。
博士はそれで、話を切り上げる。
サイコ野郎は私の動きを見て、どう考えたのか。
多分今頃、あからさまに内通者が発覚したスコットランドヤードと情報部は大混乱の筈だが。
それで充分と見なしているのか。
それとも、本気で私を殺すための策を練り始めているか。
いずれにしても厄介だ。
それから二日ほど私は寝込み。
やっと動けるようになった頃。
情報部の人から、連絡が来た。
ただし通信で、だが。
あの無機質な顔で喋っているのだろうが。
ボイスオンリーなので、あまり独特の雰囲気は伝わってこない。
「情報部の内部粛正で時間が掛かった。 連絡が遅れて済まない」
「やはり内通者がいたんですね」
「かなりの数だ」
ネオロビンフッドを討ち取ったとき。
実はフォーリッジ人の調査員は既に動いていて。
情報のやりとりなどをログとして収集。
そのデータの一部を情報部にまるごと開示。
露骨に敵とやりとりしているものから。
それに協力しているものまで。
多数の不正が発覚したという。
勿論、不正を行っていた者達がどうなったかは、あまり想像したくも無い事だが。いずれにしても、牢屋に入れられる、程度では済まないだろう。まあ良くて終身刑か。
「スコットランドヤードでも、五十名以上の内通者が逮捕された。 中には相当な幹部もいて、かなりの大金をワーカーズから受け取っていたことが明らかになった」
「反吐が出ますね」
「どこの国の組織も同じようなものだ。 我々のような影働きは、特にそうなのではないのかな」
無言で頷く。
まあ、それはそうだろう。
影働きというのは、人間の影に滑り込まなければならない。
心を殺し。
騙す事に特化する。
その過程で心が壊れていくことは。
想像に難くない。
ともあれ、情報部は一段落したそうだ。ただし、まだ軍の方で混乱が続いていて。内通が発覚した一部の部隊がまるごと逃走しようとして鎮圧されたりと。かなり血なまぐさい状況らしい。
「ハンギングジョンのクローン体を倒してくれた事は礼を言う。 クローンだったのは残念だが、その代わり此奴から幾つものデータを入手できた」
「ハンギングジョンは此方の手の内を読むために敢えてクローンを泳がせた様子ですし、罠ではないですか」
「勿論我々もプロだ。 それも見越した上での話だ」
「……」
だといいのだが。
ともかく、ハンギングジョンについては、今まで分からない事がかなり多かったのに対して。
これで相当な情報を得ることが出来たと言う。
次に現れた場合は、フォーリッジ人と協力して逮捕してみせる。
そう情報部の人は言うのだった。
まあ信じるとして。
次だ。
「日本では、敵はエセヒーローが倒れると、すぐに次のを投入してきました。 その動きは」
「それについても調べがついている。 既にネオロビンフッドらしき影が現れていてな」
「え……」
「ロビンフッドというのは、政府に抵抗した複数の賊が集まって、一人の人物とされた伝説の英雄だ。 つまるところ、ネオロビンフッドを殺しても、何度でも作り出してくるという事だろう」
そうか。
日本の場合とは、そういう意味でも考えが違うのか。
或いは、日本でも。
複数の存在が融合して英雄として崇められたような者。
例えば日本武尊がエセヒーローとして担ぎ出されていたら。
似たような扱いを受けたのだろうか。
いや、日本の場合。
特撮における「再生怪人」は雑魚というのが鉄板だ。
それもあって、恐らく同じようなことはないだろう。
軽くその辺りの事情を話すと。
不思議な文化だなと言われた。
そうかも知れない。
いずれにしても、二人目のネオロビンフッドと、ワーカーズは。まだ茶番を開始していないが。
恐らくこのスコットランドヤードの混乱と情報部の粛正、軍の内輪もめの間に。
相当数の人が誘拐されたのでは無いか。
それを指摘すると。
情報部の人は、にやりとした。
「それについては、此方が先手を打った」
「!」
「君達の国から借りた刑事二人が、今度被害に遭う可能性が高い人間を割り出してくれて、スコットランドヤードの警部が自ら動いて何人かを確保した。 行方不明になった人間の私物を勝手に売り払おうとした、と言う事で、即時逮捕。 更に、関わっていた業者も何人か逮捕した。 今、状況が落ち着いたから、これより尋問に入る」
「内通者もいるという事ですが、大丈夫ですか」
それについては問題ないという。
フォーリッジ人が作った檻に入れられているそうで。
銃弾どころか。
核でさえ殺せないそうだ。
それならば大丈夫か。
後は、幾つか打ち合わせをした後。
話を終える。
嘆息。
どうやら、此方が与えているダメージは、予想よりも遙かに大きいらしい。
フォーリッジ人は有能だ。
だが、敵には余裕があるとしか思えない。
日本に続いて、英国を捨てても、大した痛手になっていないのか。
それとも。
何か、嫌な予感がする。
私の変身フォームは、制圧型と戦闘型に別れるが。
制圧側は、必ずしも無敵の防御力を誇るわけではない。
今後も、十二分以上に。
気を付けて動かなければならなかった。
4、悪の蠕動
ハンギングジョンが、壁に背中を預けたまま、ガムを噛んでいる。
英国人らしいというのかは分からないが。
この狂犬でも怖れる男が。
既に菓子としては衰退し。
食べたければ、海外から取り寄せるか。
もしくは自分で作らなければならないガムという菓子を。
愛好しているというのは、面白かった。
自分にとっては、ハンギングジョンは似ている相手だ。
他者の命を数字でしか勘定せず。
勿論他者を徹底的にみくだしている。
ハンギングジョンは自分に比べればかなり小粒ではあるが。
それでも何処か似たものを感じる。
だから面白い。
勿論、いらないと判断したら、即座に切り捨てるだけだが。
「随分大きな犠牲が出たようだが、大丈夫か」
「何、想定の範囲内ですよ」
ハンギングジョンは鼻を鳴らす。
クローンを作ってやった時。
そのクローンの顔の皮を、この男は容赦なく剥ぎ。そればかりか耳や鼻も躊躇無くそぎ落とした。
悲鳴を上げる己と同じ存在を。
まるで何の感慨も無く見下ろす異常者には。
自分でもぞくぞくさせられた。
面白いと。
こんな後進惑星にも、此奴のような楽しい奴がいたのかと。
それで、実は英国から離れて、中東のテロ組織の顧問をしていた此奴をスカウト。英国に連れ戻して、遊ばせているのだが。
しばらくは、此奴を手放すつもりは無い。
勿論此奴も、自分を面白いオモチャくらいに考えている筈で。
その辺りは、お互い様である。
持ちつ持たれつと言っても良いし。
似たもの同士と言っても良い。
関係はドライそのものだが。
その一方で、鏡を見ているようでとても興味が湧く。
「それで、プロファイリングは出来ましたか」
「恐らく相手は女だ。 それも成人していないガキだな」
「其処まで分かるんですか」
「ああ。 臭うんだよ。 どうしても美学とかに酔う男だと、作戦に癖が出る。 此奴は作戦に躊躇が無いし、何より最善手を容赦なく選択している。 その結果被害をゼロに抑える事にも成功している。 こういうことを考える奴は女だ。 少なくとも俺の経験ではな。 更に言えば、大人の女だったら、もっと容赦ない手を使うはずだが、此奴はまだ甘いところが見られる」
自分で作ったチューインガムを膨らませながら。
ハンギングジョンは、マイペースに喋る。
何というかしゃべり方に抑揚が無く。
自分に言い聞かせているかのようだ。
実際、誰かと喋っているつもりはないのかも知れない。
全ては、自分に言い聞かせるため。
そういう奴なのだとすると。
それはそれで面白い。
「何か対策は」
「フォーリッジ人だったか。 そいつらを抑える事は?」
「できますが、その間に何をするつもりです?」
「敵を引きずり出す」
内通者はあらかた押さえられてしまったが。
その前に引きだした情報がある。
中にはハンギングジョンが直接拷問し。
その末に引きだしたものもある。
この男の拷問技術は非常に興味深い。
勿論原始的ではあるのだが。
それ故に、興味はつきなかった。
「敵は犠牲を出さないことを重視している。 だったら、絶対に犠牲が出る場所を攻撃してやれば、必ず出てくる」
「それはそうでしょうが、今まで日本で戦っていたとき、敵は間に合わないとなったら引きましたよ」
「間に合う範囲でやればいい」
そういって。
ハンギングジョンは、鞄から取り出す。
想像を絶するほど巨大なC4の塊だ。
これを見せつけながら、スコットランドヤードの本部に突入させるという。
このC4は軍用に改良されているもので。
昔のものとは破壊力の桁が違う。
これだけの量をどうやって準備したのかは気になるが。それを使う事を一切躊躇しないのが、ハンギングジョンの面白いところだ。
「ワーカーズを四部隊。 出せるか」
「良いでしょう。 それで?」
「本命の部隊が突入する瞬間、ネオロビンフッドが狙撃して、C4の雷管代わりにする」
「ほう……」
C4は雷管という特殊な器具が無いと爆発しない。
火に放り込んでも爆発しないほどで。
それ故様々な用途で愛用されてきた爆弾だ。
なお甘いのだが。
有毒なので。
食べる事はお勧めしない。
ネオロビンフッドの放つ弾頭を、その雷管代わりにする事で。
スコットランドヤードの本部を、更地にするという訳だ。
勿論察知できるようにやる。
其処で敵が出てくる。
必ずだ。
「その後は対処できるか」
「ふむ、そうですね」
フォーリッジ人は押さえる。
クロファルア人が繰り出してきている警備用ロボットに対しては、ワーカーズの方で対処させる。
まあ蹴散らされるだろうが。
本命の部隊が突入するための時間くらいなら稼げるだろう。
問題は敵が展開するシールドだ。
近年は、特に警察などでは。対テロ用のシールドが、クロファルア人から供給されている。
この特殊C4でも、突破出来るかはかなり怪しい。
もうスコットランドヤード内部には内通者は残っていないし。
何よりも、いたとしてもこのシールド、サーバを落とした程度で解除できるような代物ではない。
人間が思いつく程度の攻略法では。
突破出来る代物ではないのだ。
勿論、シールド内でC4を爆発させた場合。
爆発そのものがシールドに吸収されてしまうので。
無意味になる。
イメージとしては、強力なゼリーのようなもので包む感じで。
そのゼリーが、ダメージも衝撃も吸収してしまうのだ。
だが。
クロファルアの技術を凌ぐ火力を。
此方の工夫で出せる。
「そのC4、威力を二十倍に引き上げましょう。 それでシールドも突破出来るはずです」
「ロンドンが消し飛ばないか」
「それならそれで構わないのでは? 貴方が憎み抜いた祖国ですよ」
「勘違いするなよ」
不意にハンギングジョンの声が低くなる。
此奴の逆鱗を踏んだと自分は悟るが。
だがその後どうなるかが興味深いので喋らせる。
「俺が嫌いなのは、神聖なる英国の大地を踏んでいる低能どもだ。 英国の大地そのものは俺にとっても貴重な存在なんだよ」
「確かに貴方は現在英国に住んでいる殆どの人間より優れていますね」
「分かったなら、変えろ」
「そうですね、火力に指向性を持たせて、スコットランドヤード本部だけを吹き飛ばすようにしましょうか」
出来るかのかと聞かれたが。
出来ると答える。
実際問題、昔風に言うなら、ワーカーズもネオロビンフッドも「ラジコン」である。
その程度の調整は。
文字通り造作もない。
「それならどうですか?」
「良いだろう。 だがあのヤード本部だけを消せよ。 もしも他に被害を出したら許さんからな」
「分かっていますとも」
「……」
ガムを吐き捨て。
高級な革靴で踏みにじると。
部屋を出て行くハンギングジョン。
其処は地下室では無い。
部屋の真ん中には。
彼が呼んだ娼婦が吊されていた。
何か気に入らなかったのか。
行為の途中でいきなり殴り殺したあげく、吊したのである。なお男娼だ。ハンギングジョンは、いわゆるバイセクシャルで。気分次第で男でも女でも抱くが。今日は機嫌が悪かったらしい。
部屋の中身をクリーンにすると。
遠隔で操作していた自分は、ふんと鼻を鳴らした。
それにしても荒削りだが、面白い奴だ。
彼奴を宇宙に解き放ったらどうなるだろう。
今の自分には及ばないが。
宇宙に災厄をもたらしてくれるのは確実だろう。
この汎銀河連合がガチガチに押さえているつまらない銀河系を。
血と悲鳴が溢れる楽しい世界にしてくれるのはほぼ確実。
何より、自分の同類が増えるのは。
とても喜ばしい事では無いか。
準備を進める。
C4も遠隔で回収し。
改良を実施。
ワーカーズも準備を進めておく。
なお、日本から来た警官どもについては放置。
せっかくのビジネスを邪魔してくれたことは腹が立つが。
スコットランドヤードを吹き飛ばしたらどうなるか、個人的には其方の興味の方が勝るからだ。
準備を一通り済ませた後。
部屋を出る。
クロファルア人の同僚と挨拶して、軽く話をした後。
フォーリッジ人の調査員とすれ違った。
日本から英国に移った一人と違い。
此奴は現在、アフリカにある組織とエセヒーローを調査しているが。
どうも上手く行っていないらしい。
調査員の中で一番若い此奴は。
手柄を立てようと焦ってもいるようで。
それが却ってつけいる隙にもなる。
今はまだ手を出さない。
いずれにしても、厳格さで知られるフォーリッジ人なのは確かなのだ。若かろうと、経験が少なかろうと。
買収は出来ない。
だが、踊らせることは出来る。
どんな風に踊らせるかは。
これから考えるが。
名前を呼ばれたので振り返る。
自分を慕っている後輩だ。
書類で分からない事があるらしいので、教えて欲しいらしい。
親切に教えてやる。
兎に角頭が悪いので、分かるように教えてやるのが大変だが。
まあどうでもいい。
ただの道具だ。
出来が良かろうが悪かろうが。
道具として利用できる以上、何とも思わない。
適当に教えてやった後。
自室に戻る。
さて、此処からだ。
元々地球の人間は、放置しておけば滅んでいた種族。
どう弄っても面白い事になる。
更にビジネスにまで使えるのだからこれ以上もないオモチャだ。
ほくそ笑むと。
自分は作業を着々と進めていった。
(続)
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